多田野作十郎【戦国時代のTDN】

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145人間七七四年
多田野作十郎勝吉(1600〜1657)統率2武勇88知略1政治1
元、和賀氏一家。初姓毒沢氏。後、多田氏。
慶長18年、政宗の小姓となる。後に近習。伊達兵部宗勝の生母・多田氏は実姉。
伊達政宗の寵童。政宗は作十郎が浮気をしていると聞きつけ、
本人を呼んで咎めた。すると作十郎は刀を抜き、
自らの腕を刺して潔白を証明したという