武士道ってキモイと思ふ

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879日本@名無史さん:2006/08/14(月) 22:34:12
>>877
支配階層としての政治家や官僚として、領民の生活をよりよく安堵させるために
方策を練り実践する事って何度も書いているだろ。
江戸時代の武士の仕事は何だって言われれば、それしかないだろ。

夏厨はこれだから・・・・・
当時の領民が支配階級の武士に期待するものは何かって発想で考えればわかるだろうに。
倫理・道徳・美学等は、自分の役割の仕事をこなす上での己への戒め。
880日本@名無史さん:2006/08/15(火) 00:08:01
まさに武士道とは>>879の「倫理・道徳・美学」
庶民の間にも歌舞伎や書物などで広く普及していたわけで
道徳教育に役立っていた

宗教心も少なく、道徳心が薄れている今の日本人に必要だと思う
881日本@名無史さん:2006/08/15(火) 00:40:52
>庶民の間にも歌舞伎や書物などで広く普及していたわけで
>道徳教育に役立っていた

捏造は止そうって。
882日本@名無史さん:2006/08/15(火) 00:53:47
>>881
忠臣蔵、曽我兄弟、源氏物語、里見八犬伝等は
武士よりむしろ庶民に愛されていた、これも捏造?
883日本@名無史さん:2006/08/15(火) 01:17:47
ファンタジー小説を好んで読むことと
魔法を使えることの間に関係はない
884日本@名無史さん:2006/08/15(火) 05:42:50
忠臣蔵とか新撰組の事を調べていると、
とてもじゃないが武士とやらにフェアプレーを常とする公平さはないよな。
是は宮本武蔵にも言えるが。

忠臣蔵のあだ討ち方って言わば西洋的決闘のような、
自らも死ぬ危険性を冒してスポーツのように自らと相手が公平な状態で
正々堂々戦うような方法ではないよな。

相手の寝静まった所を徒党を組んで虐殺する。
是は新撰組でも言えるが、酔っ払った所を切り殺したり
相手の寝ている所を切り殺したり卑怯なやり方が多すぎ。
るろうに剣心を見ていると、やたらと武士や侍が美化されていると言える。
武蔵も小次郎との決闘の際にはわざと遅刻したり
無礼・ルール違反のような戦い方を常としている。

生麦事件の際には外国人を切り殺しておきながら
犯人の引渡しには応じないわ、とてもじゃないが反省しているとすら思えん。
885日本@名無史さん:2006/08/15(火) 05:44:27
武士道と言うより侍自体が美化されているとしか思えん。
886日本@名無史さん:2006/08/15(火) 05:54:17
生麦事件 薩摩藩 島津公 の 江戸から薩摩に帰る大

名行列の途中での出来事


武門の習いで切りつけられる。


大名行列 子供横切れば切るのが武門の習い。


切りつけ主犯の武士は晒し首にされた不可解な話し


また、生麦事件の切りつけた武士の晒し首写真が


【幕末写真館】


ググレばみれる。
887日本@名無史さん:2006/08/15(火) 08:07:47
ニッポン ノ サムライ カッコイイネ〜
888(武士道)とヤクザの秩序とモラル(任侠道)は驚くほど似通っている:2006/08/15(火) 20:52:46
最近学界では武士の発生について革命的な学説が現われている。
従来は国司の苛斂誅求に抵抗してやむなく武装した農民というイ
メージであったが、最近では最初から戦闘を職とする武装集団で
あるとする見解が強まっている。その武力を挺子に市や村を占拠
したのである。まるで後世のヤクザである。そういえば武士の秩
序とモラル(武士道)とヤクザの秩序とモラル(任侠道)は驚く
ほど似通っている。封建社会とは武=暴力の支配体制であったのだ。

889『忠臣蔵』は美しいか :2006/08/15(火) 20:55:21
かれらは本当に「忠臣」だったのだろうか。
「葉隠」流の武士道から云えば、家臣たちは藩主の弟を立て
て藩の再興を願い出るなど、もっての外のことである。
忠誠は前藩主に対してのみ捧げられるべきであろう。
藩再興の道が閉ざされた時、かれらは復讐の挙に出た。
しかも切腹せず、幕府の判断を待った。なお藩再興に賭けて
いたのではなかったか。

大仏次郎は「赤穂浪士」を書いた。そこには旧家臣たちは、
忠臣ではなく浪士ではなかったか、という問題提起がある。
890日本@名無史さん:2006/08/16(水) 00:57:07
時代小説読んで、
武士はやたら切りまくって、切腹して、させてと思ったんですね。
大丈夫ですよ(^-^)
それは全部お話なんですよ
安心安心
891日本@名無史さん:2006/08/16(水) 17:54:10
浪人と武士を一緒にしちゃったね
892日本@名無史さん:2006/08/16(水) 19:38:30
茶道を学び、書を学び、経書を学び、国学を学び、算術を学び、武道を学び、才覚も学び、本草も学び
蘭学も学び、やまとうたを学び、漢詩を学び、古籍を学び、政治学を学び、兵術を学び、統治学を学ぶ

この辺をそれなりに極めてから始まるんじゃないの。己の精神との見つめあいは。
893日本@名無史さん:2006/08/16(水) 20:57:44
忠臣蔵に関しては
幕府の裁定が片手落ちであり
ああゆう方法を執らざるおえなっかた
赤穂浪士は義士隊と呼ばれ、忠孝・忠義の手本として後世まで
たたえら仮名手本忠臣蔵として広く庶民に愛された
また浅野大学を立ててお家再興を図ったのも
他の藩士や領民を救うための苦肉の選択(実際藩内でも意見が分かれた)

生麦事件は
日本の伝統や文化を知りもせず
無礼な行いをしたイギリス人にも非はある

昔の任侠道は武士道と良く似ており
義を重んじていた
894日本@名無史さん:2006/08/17(木) 22:16:24
武士道なんかその典型だけど、
この手のすがりつくべきスローガンを得たとわん、
人格が豹変してしまう奴っているよね。

古今東西国家というものが
宗教や思想を管理したがる理由がよく分かる。
895日本@名無史さん:2006/08/18(金) 00:14:29
>>894
アナキスト?
秩序は必要だよ

人格が良い方へ豹変することは歓迎すべきだよね
896日本@名無史さん:2006/08/18(金) 02:48:58
江戸時代の武士はもはや武士とはいえない腰抜け侍ばかりだ。
武士道などというものは、こういう時代にありがちな観念にすぎない。
897名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 08:57:24
>>896 長州の武士もどき者よりはまし
898武士道といふは死ぬ事と見付けたり:2006/08/18(金) 10:00:56
『葉隠』は鍋島氏への絶対的忠誠を説いた本である。
そのために極端な比喩や論理を用い、死を強調している。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節がそうである。
もともと龍造寺氏の家臣であったのに、実勢に屈したか、
提示された俸禄に目がくらんだか、鍋島氏に忠誠を誓った。
戦国時代であれば、また次の実力者に媚びへつらえばいいのだが、
徳川氏の覇権が確立した以上鍋島氏の覇権は動かないであろう。
もはや鍋島氏と心中する外はないのである。もしここで動揺し、
龍造寺氏の復権に味方すれば、そのお家騒動が、徳川氏の外様
大名つぶしの絶好の口実を与え、藩もろとも自分も放り出され
てしまうのだ。戦前戦中の『葉隠』の解釈は、そのような生臭
い歴史的部分を切り取って、天皇への絶対的忠誠のモラル確立
に利用されたのである。

隆慶一郎の『死ぬこととみつけたり』は、
『葉隠』を歴史の中に戻して描いた作品である。

899サクラと「散華」:2006/08/18(金) 10:06:23
ソメイヨシノが「パッと咲き、パッと散る」ということから、
サクラを日本人の民族性、とくに武士道と関連づける議論が現われるのは、
奇妙なことにサクラ教科書の現われた一九三三年前後からなのである。
日本人は「パッと咲き、パッと散る」ものだ、その散り際をいさぎよく
せよというのが「散華」の思想であり、これを信じた多くの若人が命を
落とした。また南方の島々や沖縄、「満州」での「玉砕」や「集団自決」に、
このサクラ論の押しつけがあったのではないか。

 しかし武士道の時代にはソメイヨシノはなかった。
日本の伝統的な品種は、ヤマザクラやサトザクラであり、
せっかちな東京人たちのあわただしい花見と違って、
もっとゆったりとした花見を楽しんでいたのである。

900日本人とサクラ:2006/08/18(金) 10:08:03
日本人の国民性なるものについてのもっともらしい議論も、
ひとつひとつ吟味していけば、大抵このように化けの皮がはが
れるものである。この点ソメイヨシノの発祥とともに、
サクラ論議の虚構を追求した斎藤正二氏の
『日本人とサクラ』(講談社 一九八〇年)は、
近年の大傑作だと思う。

 同書によれば、パッと咲いてパっと散るソメイヨシノが
武士道と関連させて論じられるようになったのは、
このサクラ教科書が登場した一九三三年ごろからなのであるが、
武士のいた時代にはソメイヨシノは現れていなかったことに
注意されたい。
901花札の「梅松桜」:2006/08/18(金) 10:09:38
日本人が古くから桜が一番好きだったかどうかについても、
若干の疑問がある。中尾佐助氏の『花と木の文化史』
(岩波新書【 一九八六年】)によれば、「万葉集」
に出てくるもっとも多い花は、萩で一三八、次が梅で一一八、
以下松、藻、橘、スゲ、ススキとつづき、桜は四二で第八位
なのである。花札の「梅松桜」の順番通りなのだ。
902日本@名無史さん:2006/08/18(金) 11:33:16
さくらは源義家とか、
伊豆半島の鎌倉武士あたりからでしょう。
903日本@名無史さん:2006/08/18(金) 14:25:06
そういえば梅の花見も桜の花見もしていたと おじいさんは言ってましたね
904敷島の大和心の道問へば、朝日に照らす山桜花:2006/08/18(金) 14:31:25
江戸時代の国学者本居宣長が詠んだ歌に「敷島の大和心の道問へば、
朝日に照らす山桜花」というのがある。この歌は戦時中に大いに利用さ
れた歌であるが、これは華やかなヤマザクラであって、「パッと咲き、
パッと散る」ソメイヨシノではない。「散華」の思想は、国学の思想と
も異質なものがあるようである。もっとも宣長の論敵上田秋成は右の歌
を「敷島の大和心の何のかの、うろんなことをまた桜花」と笑い飛ばし
ているが。

 宣長のいう大和心や大和魂は、漢心や漢才に対するものである。
平安時代に漢詩文を教養とした男性貴族に対する女性の仮名文学が、
これに相当する。ヤマザクラのふんわりとした包容力と匂うばかりの華
やかさ、いつまでも散らない持続性である。これが幕末以後、やむにや
まれぬ大和魂というガンバリズムの代表語となり、鉢巻きを締めてまな
じりを決して、玉砕覚悟という意気込みを指すようになったのは、
おそらく昭和に入ってからだ。

905「武士道は昭和の世にもいきていて:2006/08/18(金) 14:41:33
「武士道は昭和の世にもいきていて、汚職事件がおきると、日大の富沢のように古田
会頭を守って行方不明になるものや、官庁でも課長補佐という人は、忠義とは死ぬこ
ととみつけたりとみな自決して、伝統精神を守って死んでいった」といったものを書
いてみようかと、愚かな私ゆえ、時には誘惑をも感ずることもある。
906[葉隠れして敵を軽蔑する形容詞:2006/08/18(金) 14:43:35
戦国時代の資料では端隠れとか、
「葉隠れして押寄せて参らず」は、敵を軽蔑する形容詞に使われている。つまり現代
の、「ひよる」という言葉と同義語らしい。だから、これを武士道の聖典に用いるの
ならば、「葉隠れする者への書」とでもしないことには、すこし可笑しくはなかろうか。
「葉隠れ武士道」などというの[は]、歴史的にはナンセンスでしかないことになる。
907日本@名無史さん:2006/08/18(金) 23:17:59
そもそもパッと散る桜と武士道を無理やり関連付けたのは
第二次世界大戦末期に軍が行ったものであり本来の武士道とは
直接関係無い。
特攻を武士道と結びつけて考えないで下さい

スレ主が言っている武士道とは
士道や新渡戸稲造の武士道であり葉隠の武士道は違うと思う
「最近武士道を褒め称えている…」と言っているので
908日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:02:06
>>904
×敷島の大和心の道問へば朝日に照らす山桜花
○敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花

あんまりこの詩が有名になり二番煎じや誹謗中傷する詩が多かった。

またこの詩は本来、気品・優雅・純真さをあらわしたものです。
大和魂をねじ曲げて誤解しないで
909日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:14:46
武士道って、平和になった江戸時代に、もともとはプロの軍人だった侍を矯めるための儒教をもとにした教育の徳目であって、これが武士道などという決まったものはないんだよ。
910日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:41:49
>907
>新渡戸稲造の武士道であり
クリスチャンの農学者がでっち上げたインチキ武士道がどうしたって?
911日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:49:59
武士道って言って一般人が思い浮かべるのは、
コロ助か新戸部だよな。
912日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:51:20
>>910
でっち上げじゃないよ、ちゃんと読んでから書き込みなよ
913日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:58:15
基本的に武家の出自の人以外がきもいと言ったところでナンセンス。
武士の道ですから。
914日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:08:26
死罪や獄門覚悟で駕籠訴や箱訴や一揆を蜂起する農民の方が死への覚悟は上なのにね。
漢籍・経書の教養にしても市井の町人の学者達の方が上だし。

小作農道こそ、日本人のスピリッツになればよかったのに。
田舎薩摩の下級武士どもは武士道よりも、小作農道の延長で天下を取ったとも言えなくも無いけど。
生活を背負って実社会の中で実践的に生きている奴らの方が、観念的に遊んでいる奴らよりも
切実感、緊迫感、現実感、本気度がまるで違うな。
915日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:16:11
道徳と秩序を取り戻すために、今の日本に武士道みたいな心のよりどころが必要
宗教でもいいと思うけど、宗教って日本人には受け入れにくいからね
916日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:19:20
>>913
搾取して貪り呆けているお前らカスどもの圧制からの開放のため
年貢の軽減を求めて傘連番状に書印した。

たとえ、死罪、獄門になろうとも惣の衆を救うため、お前ら極悪武士階級を打ち倒す。
百姓一揆こそ男の本望。
917日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:23:33
>>916
マルクス、レーニン?
918日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:23:55
>>915
搾取していた武士が悪だったんだよ。
それと熊襲の末裔が作り出した明治の道徳・秩序などあれこそ文化破壊の元凶。

生きていくうちにお互いを尊重し譲り合う心が身に付かない奴にいくら教育したって無理だって。
こういうのは自然に身についていくもの。己の美学は己で身につけ内に秘めて磨いていくもの。
919日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:27:41
>>917
武士道を批判すると、なんでもサヨに結びつけるのな。
所詮、その程度の人間かよ。
920日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:28:47
>>918
んじゃ警察や消防、自衛隊に搾取されていると言うのかい?

言われなければ気づかないのが人間の愚かさだよ
誰かが教えてあげなきゃ
921日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:30:02
>912

「葉隠」すら読んでない新渡戸の妄言は無意味だよ
922日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:33:02
>>920
武士っていう支配階層は領民の生活の安定のために死力を尽くすこと
それが政治家・官僚としての武士の役割。それが武士道。
それ以外に武士道なんかあるかよ。

江戸っていう時代とその時代における武士道を語っているんだよ。
くだらない詭弁弄すな。
923日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:37:42
>>921
葉隠を読む必要あるのか?
新渡戸の考える武士道だよ
924日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:38:40
>>919
イヤ>>915はまさに共産主義の考え方だって言っただけ
共産主義自体を批判する気もないけどね
ただ武士道なり読んで書き込んで欲しいと思ってるだけだけどね
925日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:53:19
>>922
詭弁なんて言う言葉でかたずけて欲しくない
武士道自体はキモくないんだよ
926日本@名無史さん:2006/08/19(土) 02:04:11
>>922
政治家・官僚ではなく「武士」ですが?
何か倒錯した幻想をお持ちのようですがそういう方は大抵は武家の出自では無いんですよね。
武士の道であってそれ以外の人々にもそれぞれの道があるものです。
927924:2006/08/19(土) 02:26:53
間違った
>>918
は共産主義の思想ね
928日本@名無史さん
>923
先行研究すら読まずに書いた論文に意味があるとお思いか?