空海と仏教とゆかいな仲間たちのスレ U

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1日本@名無史さん
先に全スレ埋めてね〜
2日本@名無史さん:2005/11/27(日) 10:52:56
31:2005/12/01(木) 13:19:20
3
4日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:13:42
埋まるのは再来年くらいだぞ。
5日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:28:31
『六甲アイランド』
■六甲山より六甲アイランドを望む六甲アイランド(ろっこうアイランド)は、
兵庫県神戸市東灘区にある人工島。
阪神・淡路大震災前までは大型アミューズメントテーマパーク(大型プール)「アオイア」があった。 2005年7月1日に新しく大型アミューズメントテーマパーク(大型プール)「デカパトス」ができた。
■交通
神戸新交通六甲アイランド線(六甲ライナー)
阪神高速道路5号湾岸線
神戸港六甲アイランド フェリーターミナル
神戸港六甲船客ターミナル
■歴史
1972年 着工。
1988年3月 最初の住宅街が完成し、入居が始まる。
1990年2月21日 神戸新交通六甲アイランド線(「六甲ライナー」)が開業。
1992年 神戸市立小磯記念美術館が開館。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では液状化現象が起こった。
1997年 神戸ファッション美術館 が開館。
2002年 神戸国際大学が垂水区から移転し、小・中・高・大の教育機関が全て揃う。
■島内の施設
神戸市立小磯記念美術館
神戸ファッション美術館
神戸ファッションマート
神戸ファッションプラザ
リバーモール
アーバングルメポート
カナディアンアカデミー
ノルウェー学校
MOVIX六甲(シネマコンプレックス)

6待乳山:2005/12/18(日) 22:54:47
みなさんのおかげで、前スレ埋めていただきやした。
ごっあんです。感謝>>1さん。またよろしくね。
7日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:56:34
>>1乙!

待乳もネタの投下乙!
8日本@名無史さん:2005/12/19(月) 10:25:00
弘法大師の男色相手は誰で御座るかの?
9日本@名無史さん:2005/12/19(月) 11:11:33
>>8
おいっ!はしょってるぞ。きちんと言え!きちんと!
10日本@名無史さん:2005/12/19(月) 19:49:14
五山送り火と化野念仏寺と四国88ヶ所は空海の仕業
らしいけど、空海は桓武天皇と組んで何がしたかったのかな???
11日本@名無史さん:2005/12/19(月) 19:50:23
出雲教はどうして封じ込めらたの?????
12日本@名無史さん:2005/12/19(月) 19:53:44
>>10
桓武とは組めないだろ。桓武とコンビ組んだのは最澄。
13日本@名無史さん:2005/12/19(月) 20:00:01
うううーん。
五山送り火はかなり神秘的ですね。
ゾロアスター教とも関係あるし。
14日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:08:45
ないない
15日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:11:11
なんだかわらないがぁ不愉快な仲間達優性にスレッド進行してるじゃないか?
16日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:19:29
待乳は愉快だお
17日本@名無史さん:2005/12/20(火) 10:04:04
弘法大師の男色相手をつとめた人物には、どんな人が居ますか?




18待乳山:2005/12/20(火) 10:09:55
オリエンタル・ラジオがやってる
武勇伝、武勇伝、武勇、伝、伝、伝を
秘密仏教、秘密仏教、密教、伝、伝、伝、フォーゥー

19日本@名無史さん:2005/12/21(水) 00:45:53
空海の体得した密教の神髄をそのブレーンであった嵯峨天皇はどれほど
理解していただろうか。当時の為政者は空海の持つ加持祈祷の力を頼る
ことがほとんどだったようだが。本当に空海のことを理解した人(理解し
ようとした?)は最澄だけだともいう。仲違いしたのが惜しまれる。
20日本@名無史さん:2005/12/21(水) 01:36:24
馬鹿じゃないの?
加持祈祷なんて迷信じゃん。
わろすwwwwww
21日本@名無史さん:2005/12/21(水) 08:54:48
弘法大師の男色相手をつとめた人物には、どんな人が居ますか?

本朝男色の開祖だというのに、相方の名前も知らぬのかえ?



22待乳山:2005/12/21(水) 11:20:15
>>20さん
加持祈祷や呪詛等の言葉は表日本史には直接ないにしても
裏日本史ではいっぱいありんすよ。例えば、光仁天皇の子供
他戸(おさべ)親王が皇太子に立てられたが光仁天皇を呪った
ということで幽閉されて死んじゃった、それで光仁天皇のもう
一人の高野新笠(たかのにいかさ渡来系)をお母様とした山部
親王が皇太子となった、後に桓武天皇でありんす。
呪詛や加持祈祷は意味が違いますが、日本史に大きく影響して
おりまする。もっと他にも例があります、そこがまた面白いと
ころでしてね。
23葛城山:2005/12/21(水) 11:23:28
>>19
嵯峨っちは密教には関心なかったんじゃね?
高級官僚は護国のために空海の加持力に恃むところはあったろうけど、
嵯峨っちは「ハァ?なにそれwwwワロス」てな感じ。
嵯峨っちは空海のもってきた書画骨董にしか関心なかったんじゃね?
24葛城山:2005/12/21(水) 11:25:25
>>20
今の人からすりゃあね。
でも、むかしの人は大まじめよ。
おめぇ想像力働かせろや。
25待乳山:2005/12/21(水) 11:25:50
>>19さん
面白いですね、

>本当に空海のことを理解した人(理解し ようとした?)
は最澄だけだともいう。

いままで漏れは、そういう考えにいたらなかったなあ、
そいうう考えもありんすね。
26葛城山:2005/12/21(水) 11:28:47
空海のことを理解しようとしたんじゃなくて
空海のもってきた密教を理解しようとしたんじゃね?
空海という人間そのものを理解しようとしたんなら
天台宗捨てにゃならんべよ。
最澄はあくまでも天台宗の人よ。
27葛城山:2005/12/21(水) 11:31:07
>>22
裏日本史をみらんでも表にも十分出てきてるべな。
六国史にはもちろん、律令にも呪詛を禁止する文言が出てくらあな。
28待乳山:2005/12/21(水) 11:31:29
>>そう、それが時代背景を持つということかな。
グッドね。
29待乳山:2005/12/21(水) 11:41:58
>>26そのとおり。
でもね、よく知ってのとおり、なぜ仲たがいになっていった
か等をもう一度史実を追うときは、刑事や探偵が事件を解決
ひもとくように、一定の色眼鏡(推測)をもって読んでるん
だな、だからね、その考えのもとの推測が面白いと言うこと
なんだなあ。
30日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:44:26
age
31日本@名無史さん:2005/12/22(木) 01:32:31
最澄と空海が仲違いせず理解し合おうとしたなら
日本の仏教はもっと遥かに発展したかもしれないな。
鎌倉時代に出た宗教は天台系だが森羅万象と一体とな
ること一即多、瞬刻即永遠の思想の真言密教も影響が
あるという人もいる。
32修験見習:2005/12/22(木) 08:20:52
山奥で修行していると、おのれの中に自然があるのを感得する。
おのれは平気だと思うのに息は上がる。
おのれは傲慢だとわめているようだ。

ああ、おのれを自由にできないのに他人を自由にしようとは、又
なんと傲慢なことか。

六根清浄一根不清浄
33日本@名無史さん:2005/12/22(木) 08:43:15
迷信乙。
34待乳山:2005/12/22(木) 14:39:39
>>31さん
一即多、瞬刻即永遠については、真言・天台に限った
ことでもないように思いまするが。やっぱ、何かありんすか。
35待乳山:2005/12/22(木) 15:06:02
>>32さん
日本列島の何処かで修行かとお見受けいたしますが、
(まあ、近畿地方とおもいまする)
六根清浄はよく山伏の方等で跋渉しながら称えられますね。
四国参りで、漏れもやってました。「懺悔、懺悔、六根清浄」+「根っこ段差」と。
初めてです、『一根不清浄』なるほど、面白い表現ですね。
しかし、日本列島冷蔵庫状態+台風状態ですね。お体ご自愛ください。
身・口・意の三つがそろって修行ですからね。うっ、さむいっ。
36待乳山:2005/12/22(木) 16:17:44
>>31さん
一多法界(いったほっかい)のことを言いたかったのかあ。
諸法の因・縁・法も法界であるとして、諸法の三大さながら
にことごとく備わっているを多法界(金剛界法門一々の極意)
絶対無相にして全一とするは一法界(胎蔵界)。
かとおもいまするが。

37待乳山:2005/12/22(木) 19:48:51
>>33さん
迷信かあ、ここ学問・日本史板だけどちょっと借りると。
信じるか、信じないかのどちらかであろうと思いますね。
何らかの加持祈祷を偶然、必然、と、どちらかに捉えるん
だろうけど、藁をもつかもうとしてる方の気持ちは必死
だもんなあ。で、日本史板に言うと、そこには伝播以来
の日本人が神仏と関わってきた歴史がありんすよね。
38日本@名無史さん:2005/12/22(木) 20:04:46
信じてる人や歴史は否定せんが、迷信は迷信。
特に修験道は迷信の塊。
39日本@名無史さん:2005/12/22(木) 20:05:18
陰陽師なんて迷信とされて消えたわけだし。
40待乳山:2005/12/22(木) 20:10:47
>>38さん
ちとちがうけど、スティビー・ワンダーの「迷信」を
思い出しますね。昔、六大新報社からだろうか、今井幹雄著
「それ迷信やで」の本を読んだことありますね。
41待乳山:2005/12/22(木) 20:15:47
修験道は迷信の塊で、陰陽師は迷信だから消えたのかな?

42葛城山:2005/12/22(木) 21:53:15
むかしはその迷信を迷信と思わず本気で信じていたんだよな。
今、俺たちは科学を迷信と思わず本気で信じてる。
はたして数百年後に人類は科学を本気で信じてるだろうかね?
43葛城山:2005/12/22(木) 22:15:19
ふと思ったのだが、>>31のいう日本仏教の発展ってなんだべ?
仏教の教理に発展てあんのか?
四諦八正道十二因縁の小乗仏教から唯識中観の大乗仏教ってのは発展かな?
南都六宗から平安の天台真言、そして鎌倉の禅浄土日蓮ってのは発展かな?
その時代時代の人々が釈尊の悟りというものを自分なりに解釈して
それを披瀝したものであって、発展というべきものなのかな?
現代の仏教学からいえば後代のものは次々に加上されて発展してきたものと
考えるのかもしれんが、オイラはちと疑問に思う。
44日本@名無史さん:2005/12/22(木) 22:30:32
>>43
空海に言わせれば密教は段階を踏んで発達したものだろ。
45葛城山:2005/12/22(木) 22:43:08
それは違うべな。空海にすりゃ、行者の菩提心の発展過程が
儒教→外道→小乗→大乗→密教へと適する状態になるんであって、
教義そのものが発達して成立したものとは考えてなかったべ。
その証拠に華厳経が成道第二七日の説法とする説を受容してるべ。
461:2005/12/23(金) 00:52:17
1ですが・・・・・ちなみに、真宗です。
47日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:34:59
age
48待乳山:2005/12/23(金) 10:45:06
>>43さんの、
>その時代時代の人々が釈尊の悟りというものを自分なりに解釈して
 それを披瀝したものであって、発展というべきもの。
そうだね、有名なのが中国の天台智者大師智(538〜597)かな、
ご存知だけど、有名なのが総合的な仏教体系を組織しようとした、
五時八教と教相判釈ですね。
49待乳山:2005/12/23(金) 11:01:47
>>46さん
妻方の法事に行って驚いた、それまで本尊弥陀様を
拝んでいた院主さんが、わざわざにこちらに向かって
拝みだした、「えっ、気でもふれたか、おいおい、私達は仏
じゃないよ」「あなかしこ、あなかしこ」、まさに主客の転倒、
仏様に対する考えが変わったね。「白骨の御文」だったよ。

50日本@名無史さん:2005/12/23(金) 14:33:11
お葬式でなくて?
51日本@名無史さん:2005/12/23(金) 14:57:44
修験道ってカルト宗教なんじゃないの?
加持祈祷、拝み屋の類って今の社会にはかなり有害だよ。
52待乳山:2005/12/23(金) 16:55:51
>>50さん
葬式だったり、それ以外でもだったよ。
真宗の本望だね、蓮如さんの「白骨の御文」いいことだね。
そのとき「チベット旅行記」を書かれた河口慧海さんの言葉を思い出したよ。
 謹んで一切衆生に申上ぐ
 生死の問題は至大にして
 無常は刹那より速やなり
 各々務めてさめ悟れ
 謹んで油断怠慢する勿れ

 あなかしこ、あなかしこ(なんとすばらしい)とね。




53日本@名無史さん:2005/12/23(金) 21:25:18
>>52
茨城は大洗に大谷派の願入寺というのがある。親鸞さんが遺したものを展示して
いる宝物館があって、水戸黄門の格さんのモデルの安積覚兵衛の手紙などの展示も
ある。
漢文の手紙の最後に「穴賢穴賢」と書いてある。恐惶謹言とかなら分かるが
なんだろうと思った。暫くして気がついた。

あなかしこあなかしこ だわ。

今なら英文の手紙の最後にローマ字を書くようなものだろうねえ。
笑ったよ。あなかしこあなかしこと言われる度に思い出す。
54修験見習:2005/12/23(金) 21:38:31
>>51
軽薄。

その昔はただの隠遁者。もしくは納税拒否者。今なら差詰ニート。
修験者は基本的には里には出て来ない。尾根から尾根へ山伝いに移動する。
だから昔のお寺は山の中にある。あれはたまの宿坊。

里のお寺は趣旨が違うよ。

彼等を取り締まるために鑑真さんを呼んで試験を始めようとしたんだよ。
たまに食えないヤツが里に出てきて加持祈祷などして食い物にありつく。
勧進とか聖とか呼ばれて里をうろつくヤツも出てきた。
まっとうな修験者からみると迷惑なヤツらだ。

六根清浄。お山は晴天。
55日本@名無史さん:2005/12/23(金) 23:01:51
そのような反社会的な奴らを生み出す温床となっていたのか>修験道
まったくもって弾圧の対象だな。
56葛城山:2005/12/23(金) 23:17:52
そもそも仏教じたいが乞食を生業とする非生産主義だから、
見ようによっちゃ反社会的生活だあな。ま、社会にパラサイトして生活しなきゃならんから
反社会を前に出すことはできないけどね。
57待乳山:2005/12/23(金) 23:43:58
>>45さん
>教義そのものが発達して成立したものとは考えてなかった。
 その証拠に華厳経が成道第二七日の説法とする説を受容してる。

秘密曼荼羅十往心論巻第九 極無自性住心第九を久々に読んだよ。
 盧遮那仏始め成道の時、第二七日に普賢等の諸大菩薩等と広く
 この義を談じたまえり。これすなわちいわゆる『華厳経』なり。
 しかればすなわち華蔵を苞ねてもつて家となし、法界を籠めて
 国となす。七処に座を荘り、八会に経を開く。この海印定に入
 って法性の円融を観じ、かの山王の機を照して、心仏の不異を
 示す。九世を刹那に摂して一念を多劫に舒ぶ。一多相入し理事
 相通ず。帝網をその重々に譬え、錠光をその隠々に喩う。
 
 で、ありました。



58葛城山:2005/12/23(金) 23:47:03
ピンポン!
ワシが指摘したのはまさにそれだお。
さすが待乳
59日本@名無史さん:2005/12/24(土) 00:21:43
神戸市

神戸市(こうべし)は、兵庫県の県庁所在地かつ政令指定都市であり、海と山が近く理想的な地形を有する港町である。
また市域中央に横たわる六甲山地の山頂付近一帯は日本における別荘・リゾートの発祥地として有名である。
神戸(こうべ)という地名は、現在の市街中心部の周辺が、生田神社の神戸(かんべ)だったことが語源となっている。
長らく鉄鋼・造船・機械製造・ゴム・真珠加工等の工業を中心に発展してきたが、
近年の産業構造の転換に伴い観光産業・ファッション産業・医療産業も盛んである。
1995年の阪神淡路大震災(兵庫県南東部地震)で壊滅的な被害を受けた。
2006年2月16日に国内3番目の市営空港として神戸空港が開港予定。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82
60待乳山:2005/12/24(土) 00:38:41
葛城山さんこそかなり勉強されてますね。
重厚な内容ですね。日本史的な語りで十分
な満足がいってないかと思いますが。歴史は
これからどう生きるかの方向がありますから。

61日本@名無史さん:2005/12/24(土) 00:51:59
■白骨の御文章  蓮如上人
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、凡(およ)そはかなきものは、
この世の始中終(しちゅうしゅう)、幻の如くなる一期(いちご)なり。
されば未(いま)だ万歳(まんざい)の人身を受けたという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形態を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくえ先立つ人は、
木の雫・末の露よりも繁しといへり。されば、朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。
既に無常の風来たりぬれば、即ち二の眼(まなこ)たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、
紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装(よそおい)を失ひぬるときは、
六親・眷属(けんぞく)集まりて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あはれといふも中々おろかなり。されば、人間のなかなき事は老少不常(ふじょう)のさかひなれば、
誰の人も、はやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまゐれせて、
念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

62日本@名無史さん:2005/12/24(土) 00:53:06
人間のはかない人生をよくよく考えると、この世の中でおよそはかないものは、
あっというまに迎える人生の最期である。いまだかって万年も生きたという話を聞かず、
一生は早く過ぎるものである。現在でも百年を生きることは難しい。
自分が先になるか、人が先になるか。今日とも明日とも知れない命で、遅れる人早く亡くなる人は、
木の葉の露、雫の数よりも多い。そうであるならば、朝元気であった者が、
夕方には死んで骨になるかもしれない。無常の風が吹いたら、たちまちのうちにまぶたは閉じ、
呼吸も停止して、顔色がむなしく変って赤みを失う。そうなれば家族・親戚が集まって歎き悲しむが、
蘇生効果はない。さてすべき事をしなければというわけで、遺体を野外に送り、
夜中に火葬をして煙となれば、わずかに白骨のみが残るだけである。
これはあわれというよりもおろかなことである。ではどうしたらよいかというと、
人間のはかない命は老若の順とは限らないので、誰もが早い時期から死後の生の大事を心にかけ、
阿弥陀仏に深くおすがりして、念仏すべきである。恐れ多いことよ。恐れ多いことよ。
63待乳山:2005/12/24(土) 01:16:50
>>62さん
「あなかしこ」は、恐れ多いことよ、と訳すが正しいのですか。
漏れは、なんとすばらしい、と訳してました。
は、は、は、(顔ひきつった表情でピクピクピク)
64日本@名無史さん:2005/12/24(土) 02:14:07
は、は、は、(顔ひきつった表情でピクピクピク)
65日本@名無史さん:2005/12/24(土) 07:16:18
>>62
>>木の雫・末の露よりも繁しといへり。
「いへり」を抜かしてはいけない。蓮如さんは「無常講式」からの引用で原典に
ちゃんと敬意を払っている。

因みに無常講式は
如露亦如電応作如是観
で終わる。大内義隆も辞世で引用。
66待乳山:2005/12/24(土) 08:25:10
>>65さん、くぐってみそ。より、直接カキコしたよ。

大内義隆の辞世
「討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観」
大内義隆【生没】永正4年(1507)〜天文20年(1551)
大内義隆は尼子遠征の富田城で敗北後、学問・文芸に没頭
天文17年には従二位に叙任され、将軍をのぞけば武家として
最高の階級となりましたが、従来からの文治派、
武断派の対立や文事に走る義隆への不満から陶晴賢らに排斥され、
深川の大寧寺(長門市)に火を放たせ45歳の生涯を閉じます。
「討つ人」は陶晴賢ら、
「討たるる人」は自分、どちらもその行為は露のように、
また雷(いかづち)のようにむなしいものだということ。
「如露亦如電応作如是観」読みは「にょろやくにょでんおうさにょぜかん」
金剛経の一句です。
          なるほど、金剛経かや。
67待乳山:2005/12/24(土) 09:22:23
>>53さん「穴賢穴賢」、なるほど!面白い。
現代っ子が言葉を短く言ってるのは、もう以前からあったわけ
今に始まった事でない日本人の特性なわけね。
『あな』でこれだけ盛り上がるわけ、これまた面白いですね。
68日本@名無史さん:2005/12/24(土) 11:40:31
なんで山伏がパソコンやってるんだよ
生臭インチキ野郎め
は、は、は、(顔ひきつった表情でピクピクピク)
69待乳山:2005/12/24(土) 20:25:35
下がってしまいました!
あげあげ軍団頼むぞー!
ごめんちゃいね、ここのスレとは違いますが
聖書のどこを探しても、イエス・キリストの誕生日は載ってない!
サンタも走るこの日は、何の日なのかと言いたい!
70日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:36:48
http://swfz.hp.infoseek.co.jp/R3_temp.swf?inputStr=%8B%D8%93%F7%82%CD%8D%C5%8D%82%82%C9%94%FC%82%B5%82%A2

(゚Д゚) <虐げられたAAたちよ!
@( )>  
/ >

(゚Д゚) <このスレに集結するのだ!
@( )>  
/ >

(゚Д゚) <我々に続け!
@( )>  
/ >

俺たちageageブラザーズ
今日もネタないのにageるからな
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧  .∧_∧     age
 (・∀・∩)(∩・∀・)  age
 (つ  丿 (   ⊂) age
  ( ヽノ   ヽ/  )   age
  し(_)   (_)J
71葛城山:2005/12/24(土) 23:03:31
>>68
だれが山伏だなんて言ってんだよ。
ワシはただの山じゃきに。
72日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:19:08
この程度の煽りで理性を失うとは、修行が足りませんね。
は、は、は、(顔ひきつった表情でピクピクピク)

73日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:15:13
見習じゃきに。

廃校寸前の小学校にもネット繋がっている時代。
74日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:49:42
エロサンプルばかりダウンロードしやがって生臭坊主が
7565:2005/12/25(日) 08:14:50
>>66
早雲に討たれた三浦道寸も似た辞世を詠んでいる。
最後の句がチト違う。

昨日、南原幹雄の北条早雲を買って思い出した。
76待乳山:2005/12/25(日) 08:52:29
>>75、あげあげブラザースさん、ひさしぶり。
きてくれたんだね。理由もないのですが、ありがとう!
「虐げられたAAたちよ!」
「漏れも、しいたけだいすき」「そのしいたけとちがった?」


77:2005/12/27(火) 20:18:28
いやだーっ、奈落の底に落ちるのは!
上がるぞ、上がるぞーっ。
日本史、仏教について。
78:2005/12/27(火) 20:19:20
日本史、網野、阿部には負けたくない。
79:2005/12/27(火) 20:20:24
上がる、上がる給料も上がる。
日本史も上がる。この景気もあと1年半は上がる。
80:2005/12/27(火) 20:22:46
空海さん(774〜835)は、讃岐国屏風ヶ浦に生まれたよ。
81日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:24:26

   ∧∧
  (  ・ω・)  ねよっと・・・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

         ・・・・・・・・
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/

82:2005/12/27(火) 20:25:35
父は佐伯直田公(さえきあたいたきみ)、母は阿刀氏(あと)。
83乳山:2005/12/27(火) 20:37:28
15歳になって伯父の阿刀大足(あとおおたり)に伴われて
上京(東京ではなくて奈良)して、阿刀大足に指導を受けて
中国からの学問を学んだ。18歳になったら大学に入った。
84乳山:2005/12/27(火) 20:38:52
>>81さん、まだ寝ちゃだめ。付き合ってほしいよ。
85待乳山:2005/12/27(火) 20:48:15
空海さんは、中国の学問だけでは人生の問題を解明にはいたらない
、そこで大学をやめて仏教の修行を始めた。たまたま、一人の沙門
から虚空蔵菩薩求聞持法の修法を授かり朝な夕なに修行に励む。
86葛城山:2005/12/28(水) 00:00:19
空海さんが上京したというのは奈良の都でなくて長岡京だお。
長岡京遷都は延暦六年、空海さん14歳の時だお。
87日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:13:30
如是我聞.一時佛在.舍衞國.祇樹給孤獨園.與大比丘衆.千二百五十人倶
.皆是大阿羅漢.衆所知識.長老舍利弗.摩訶目■連.摩訶迦葉.
摩訶迦旃延.摩訶倶■羅.離婆多.周利槃陀伽.難陀.阿難陀.羅■羅.
■梵波提.賓頭盧頗羅堕.迦留陀夷.摩訶劫賓那.薄拘羅.阿■樓駄.
如是等.諸大弟子.■諸菩薩摩訶薩.文殊師利法王子.阿逸多菩薩.
乾陀訶提菩薩.常精進菩薩.與如是等.諸大菩薩.及釋提桓因等.
無量諸天.大衆倶.
88日本@名無史さん:2005/12/28(水) 13:42:43
>>87
面白いが、字が出て来ない。全部出るフォントってどうして手に入れる。

正信ゲとか全部打ち込んだサイトとかあるのだろうか。
院号の出所を探すのにお経をひっくりかえしたこともある。

一切経がうちこんであると索引も簡単だろうねえ。
89日本@名無史さん:2005/12/28(水) 20:10:53


   ∧∧
  (  ・ω・)  夢を見よっと・・・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

         。。o ○
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/


90待乳山:2005/12/30(金) 08:23:04
>>86さん
そうだよ、そのとおり。恥ずかしいけどまちがっていました。
が、おおよその本にはどこそこの都だと言及されていませんが
ふと、『高野山金剛峰寺』 堀田真快 著にありました、P60
ですが、延暦七年(788)15歳で、母方の、、、、、。
91待乳山:2005/12/30(金) 08:28:42
>>87さん
「阿弥陀経」ですね、何かここの
文字を埋めよとテストに出てきそうですね。
漏れも、漢字で苦労しています。特にお経や祖師の
お言葉には閉口ですね。戦後当用漢字なるものが出て
おかしくなったんだなあこれが。
92日本@名無史さん:2006/01/01(日) 00:46:12
東洋漢字
93日本@名無史さん:2006/01/01(日) 22:45:34
z
94日本@名無史さん:2006/01/01(日) 22:48:52
真宗教団連合

http://www.shin.gr.jp/main.html
95日本@名無史さん:2006/01/02(月) 00:26:02
   ∧ ∧
  ( ´・ω・`) oO(サンタを)
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   
  <⌒/ヽ-、___ oO(輪姦)
/<_/____/
96待乳山:2006/01/02(月) 08:03:58
>>95さん
初夢は、三太を淋想したのかや。

日本史は、仏教史はどこにいった。
今年もよろピク、ピク。
97待乳山:2006/01/02(月) 08:10:09
>>94さん『真宗教団連合 』、ぐっ、負けた。
「光明、遍照、十方世界、真言(念仏)、衆生摂取、不捨」
これに尽きるね。
98待乳山:2006/01/02(月) 08:27:43
>>93さん
眠いよなー、パソコン開いてマウス持ったままで寝てしまうよね。
何回もあったよ。細木数子さんは、堀田真快さんの弟、安岡正篤
さんの教えを勉強してるんだよ。堀田真快さんと安岡正篤はすごい
兄弟だったんだ。
99日本@名無史さん:2006/01/03(火) 16:29:16


   ∧∧
  (  ・ω・)  人は、結局 煙になる・・・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


         ・・・・・・・・
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/


100日本@名無史さん:2006/01/03(火) 16:35:55
>>89>>95は別人...
>>95は、俗っ!!
 
101日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:12:29
102待乳山:2006/01/03(火) 22:37:40
釈迦滅後(自分が死んで)、2500年したら
すべての事象を超える大変革が起こる?そうだ。
2013年ぐらいだとすれば、フォトン・ベルト
の2012年12月22日に近いなあ。
103日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:07:33
うちの爺ちゃんは毎日二階から夕陽を見ながら
あ〜なんだがなんだ〜、さんまや〜  と唱えてます
104日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:03:57
 仁・・・思いやり、慈しみ。
 義・・・人道に従うこと、道理にかなうこと。
 礼・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従うこと。
 智・・・物事を知り、弁えていること。
 忠・・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。
 信・・・言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと。
 孝・・・おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。
 悌・・・兄弟仲がいいこと。
105日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:43:50
真相里見八犬伝

天下は着実に豊臣から徳川の世に移りつつあった。
房総半島の安房・上総の国を領していた里見家は、小田原攻めの際の合戦参加が遅れた事を理由に、
秀吉の命により上総の地を召し上げられてしまい安房一国のみとなる。
新しく関東に移封され、江戸に入った徳川家と関係を深めようと考えた里見家は、
徳川家で一番力がある重臣大久保忠隣と婚姻を結ぶ。
しかし政争が絡んだ大久保長安事件が起こり、大きな後ろ盾であった忠隣家を失い、
里見家は大きく慌てる。
秀吉が死に、天下を統一する為に大阪攻めを始めようとした家康だが、
現在も関東一の水軍という潜在能力を保有する里見家が隙をついて江戸を攻撃すると考え、
不安を取り除こうと里見家に対して理不尽な理由で改易を命じてくるのであった。
納得できない理由で改易を命じられ、
混乱しながらもそれに従うしかない意見が大部分を占める里見家だが、
黙って領地を受け渡すつもりのない勢力があった。
里見一族であり重臣でもある薦野甚五郎は、武士として最後の意地を見せる為、
幕府を相手に立ち上がる。
居城に立て籠もったのは、甚五郎率いる薦野一族と、戦国の世を懐かしむ老武士ばかりであった。
106日本@名無史さん:2006/01/04(水) 11:05:02
日本の力見せつける 石原知事、東京に五輪を

 2016年五輪の国内立候補都市は8月30日に決定する。
福岡市とともに立候補を表明している東京都の石原慎太郎知事は産経新聞のインタビューに答え、
「五輪招致を通じて日本の力を世界に示したい」と話した。
主会場には既存施設のそろっている神宮外苑周辺のほか、
臨海地域も重要な候補地になるとの認識を示した。(聞き手 社会部長・別府育郎)

 −−五輪招致で東京は何をアピールするのか

 東京みたいに集中集積が進んでいる首都は他にない。
日本そのものの分厚さや、可能性が東京に典型的に表れているんですよ。
しかし、存在感がこれほど希薄な国家というのもない。
だから、日本の力を世界に示す絶好の機会だし、他国にできないようなパフォーマンスをしたらいい。
日本は大きな技術力と金融力の両方を持っているのだから、日本の国力を見せつけてやりたいですね。
五輪を通じて「なめたらあかんぜよ」と言ってやりたいと思っている。


関東=右翼
関西=左翼
107日本@名無史さん:2006/01/04(水) 12:38:35
ウヨを毛嫌いする割には、日本の左翼は中韓の右翼と仲が良いな。
中韓の右翼の言いなりになって日本叩きしているからな。
108日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:00:36
ウヨを毛嫌いする割には、日本の左翼は中韓の右翼と仲が良いな。
中韓の右翼の言いなりになって日本叩きしているからな。

反戦運動のマナーは遵法精神に尽きる。
ハイジャックや住居不法侵入や企業ビル爆破はやめよう。
「非武装、反戦」を主張して暴力をふるうのはやめよう。

109待乳山:2006/01/04(水) 20:49:22
聖徳太子を調べるうちに、日本書記に不思議な言葉を発見すたよ。
日本書紀巻第二十二の推古天皇のところでありんす。
元年春正月壬寅塑内辰、@仏舎利を以って、法興寺の刹柱(せつのはしら)
の礎の中に置く。
(仏舎利が日本で初めてここに存在じゃあないかと思いまする。)

そして、馬官(うまのつかさ)に至り、乃ち厩戸(うまやど)に當りて、
勞(なや)みたまわずして忽に生みたまりふ。生れましながら能く言ふ、
聖智有(ひじりさとりま)します。壯(をとこさかり)に及びて、
一たびに十人(とうたり)の訴えを聞きて勿失能辯(あやまちたまわず)。
A兼ねて未然(ゆくさき)のことを知りたまう。
 上記の未来が見えていたというところだにゃ。こりゃ、殺されたにゃあ。
110日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:17:13
韓国が言えない屈辱の遺産

清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った迎恩門。
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。
清の太宗が要求したのが、九叩三拝(頭を地にこすりつけて、土下座して謝罪)という屈辱的な礼。
太宗は、朝鮮王朝がこれを忘れないようにと、わざわざ、モンゴル語、満州語、漢語の碑文を作って、
その場所に建てさせた。

ちょっとかわいそうに思えてきた・・・

迎恩門(げいおんもん)とは、中華の皇帝の臣下であり、属国の関係にあった朝鮮半島の歴代の王が、
中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。
下関条約の締結により清国からの独立を達成すると、迎恩門を破壊し、
同じ土地に新たに独立門建てられた。
独立門の正面(後ろ?)にある二本の柱は、迎恩門の名残である。
現在、朝鮮半島では、南北ともに反日教育によって
「独立門は、日本から独立した事を意味する門である」と間違って教えられる。
111日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:40:21
**********提案***************

レスの削除権をスレ主に与えるのはどう?
112待乳山:2006/01/05(木) 23:00:26
>>106さん
アメリカの9.11は世界にテロ、日本の9.11は1年前から計画、
それをしないと、首都東京に地震が起こると脅されていたが、
郵政問題として参議院で否決されたのに、衆議院解散で小泉劇場なのら。
恐るべし、六本木ヒルズ族、この日本民族はどこへ向かうのか。
まあ、これぐらいの情報を出してほしいなあ。日本史謙仏教も宜しくね。
113待乳山:2006/01/07(土) 20:21:58
未生流での
格花は天円地方の合体した直角三角形に天・地・人の三つの枝を
配して自然と人間の調和した、秩序を持った草木のあるべき姿に
よって和の美を表し、三角形を立てると縦姿、横にして横姿
があります。またその組合せで均衡のおもしろさや、特定の景観
や景趣を見せることが出来ます。
基準なる花形は、三才格で、天・地・人の三才の格法で構成され、
天は体(体)人は用(よう)、地は留(とめ)の名で呼ばれるそうな。
三才格に相生(あいおい)、控(ひかえ)を加えて五行格に発展します。
と、
覚鑁さんの『五輪九字明秘密釈』の五輪塔の形から、江戸時代に
『松月堂古流』なる生け花が出てきたのだ。
地・水・火・風・空の5つの形に花を生けると「体・相・用」の
三行の形相があらわれるそうな、これが三密にも通じ如来の形と
(宇宙)と自然の一体があると。
114待乳山:2006/01/07(土) 20:49:00
紀州出身の徳本行者は、浄土宗の行者とは思えないなあ。]
すごいよ。
115待乳山:2006/01/07(土) 20:56:11
徳本行者は法然さんを慕っておられたよな、やっぱ浄土宗か。
こうなると、浄土宗は密教に近いのではないかな。かと思いますが。
ちがいまするかや。
116葛城山:2006/01/08(日) 19:50:57
待乳、あけましておめでとう。今年もよろしくね。
その徳本とやら、どんなふうにすごいんだい?
浄土宗の徳門なら知ってるが、徳本とやらは知らんのだよ。
117日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:01:17
左翼の非武装反戦理論で言えば、日本軍に攻められた時、中国が反撃しなければ戦争にならなかったわけだ。
もっと言えば、中国が非武装なら、日本軍に攻められなかったわけだ。
118日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:35:02
中国4000年の歴史に泥を塗った日本人は許せないニダ
119待乳山:2006/01/09(月) 11:39:23
>>116さん、今年もよろしく!
和歌山県日高町役場の徳本さんの所をコピペしますた。
単に浄土の上人とは思えない、行者でありんす。
 徳本上人は宝暦8年(1758)6月22日、日高町志賀に生まれました。
数えでわずか2歳の年、姉に抱かれながら、月に向かって「南無仏」と
唱えたとか、4歳のころ、仲のよかった隣家の子どもの急死に無常を感じ
、常に念仏を唱えるようになったとかの逸話が残っており、幼いころからすでに
強い出家の意思を抱いていたようです。
天明4年(1784)に出家した後は、草庵に住み、1日1合の豆粉や麦粉を
口にするだけで、ひたすら念仏を唱え続けました。また、水行をしたり、
藤の蔓につかまって崖をよじ登るなど、他に例のない過酷な修行をしたことも
伝えられており、行場跡も多く残っています。
寛政6年(1794)ころから始められたといわれる全国行脚は、
紀伊・河内・摂津・京都・大和・近江・江戸・相模・下総・信濃・飛騨・
越後・越中・加賀など、驚くほど広い範囲に及んでいます。
上人の足跡を物語る石碑(名号碑)は全国各地に千基以上あり、
その信仰は今も庶民の間で生き続けています。
 
【徳本上人木造坐像】の説明文からです。
京の仏師、西田立慶が彫ったもので、享和初期(1800年代初め)の作といわれます。
かねてより徳本上人を敬服していた立慶は、箕面の勝尾寺で上人の姿を目にするや、
たちまちその尊厳さに打たれ、御姿を後世に残したいと上人に直接願い出たといわれます。
こうして、毎日念仏の苦修を続ける上人の姿を目に焼き付けた後、ただちに京都に舞い戻り、
寝食を忘れて一気に彫り上げたものがこの像といわれます。誕生院所蔵。


120日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:43:23
元旦
121待乳山:2006/01/09(月) 23:09:51
>>120さん、元旦って、「ガタン」と地震が来る意味かや?
奈良の方ではお水取りが忙しいだろうなあ。
わかってたよ、元旦おめでとう!だろうかと。

122日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:14:21
無理な反応だ。
123葛城山:2006/01/09(月) 23:20:08
待乳、その徳本とやらは空海さんとくらべてどれくらいすごいんだい?
おぬしの説明ではそれほどすごいようには見えんのだが。
124日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:50:24
韓国人の起源は、日本の弥生民族。

・朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/11/20040511000078.html
韓国人と日本人が遺伝的に近いということは、23O0年余前、
日本列島に定着した弥生民族が韓半島に移住したことを示す遺伝学的証拠と見ることができると説明した。
つまり、漢民族→日本人→朝鮮人となる。
125日本@名無史さん:2006/01/10(火) 12:29:32
「反戦」と書けば、公園のトイレに落書きしてもいいと思っているらしいよ。
http://a.sanpal.co.jp/graffiti417/jp/about.html

通報した市民と被害届を出した区に逆恨み。
公園のトイレは、区民の物だから区民が勝手に落書きしてもいいと思ってる。
裁判で有罪が決まると、仲間が裁判所内でスプレー噴射の抗議。

>公園のトイレは、区民の物だから区民が勝手に落書きしてもいいと思ってる。

ネットでも、マスコミを利用してでも、いくらでも反戦を訴える手段が日本にあり、
言論も自由なのに、なぜ、公共物を私物化して落書きなどの嫌がらせのような手段を使うのだろうか?
反戦運動家は、皆で使うものは大切にしよう、という幼稚園レベルの教育も受けなかったのかな?

>Kさんは冒頭意見陳述で「私が書いた「戦争反対」、「反戦」、「スペクタクル社会」という文字は、
人々に受け入れられるべきだし、消されるべきではないと考えます」と主張。
弁護人はあらゆる角度から無罪を主張ました

反戦に賛同しても、公共物に落書きする手段には賛同できない区民も大勢いるが。
126日本@名無史さん:2006/01/10(火) 12:59:13
朝鮮人の起源が何であれ、今の朝鮮人には値打ちがないよ。
127待乳山:2006/01/10(火) 21:35:14
>>122さん、無理な反応でごめんちゃいね。
まあ、日本史と仏教と空海さんよろしくね。
128待乳山:2006/01/10(火) 22:29:46
>>123さん、徳本上人でネットをくぐられれば出るのですが、
浄土宗の方から誰か説明お願いしたいと思っておりやすが。
誰か居られやせんか!

129待乳山:2006/01/11(水) 08:01:12
他力はいかんと、自力で書かないと、ですか。
徳本上人誰かカキコしといてね、あっ、またも他力本願だ。
130日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:49:07
たびたびあっていた海外からの侵略

日本が外国勢から侵略を受けるのは、「元寇」が初めてではない。
日本側の記録によれば(『太宰管内志(大宰府管内誌)』『類聚三代格』『日本三代実録』『百練抄』
『日本紀略』『扶桑略記』等)、それまでたびたび侵略を受け、
九州北部はもとより薩摩大隅にまで及んでいたことが記録されている。
詳細(海賊・倭寇の起源を探る)
その大半は、朝鮮半島からのものであった。数隻の賊船によるものがほとんどであったが、中には、
45隻2500人の新羅の者が来襲し、捕らえた捕虜が「王の命令を受けて略奪に来た」と述べたこともあった。(『扶桑略記』)
また、どこの国のものかは定かではないが、最大規模のもので、
承徳元年(1097年)、異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せ、
大宰府官兵・九州軍士が賊船を撃破し賊徒数万を海没させた、という記録がある。
九州大宰府は古代から日本外交の窓口の役割を果たしてきたが、同時にそこは外冦防衛の拠点でもあった。
131日本@名無史さん:2006/01/12(木) 08:37:00
万葉集に東国からの防人の歌が多くあるが、防人が行かなければならないほど
いろいろあったということでしょうねえ。
132日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:52:11
辻元とピースボートそして日本赤軍


http://k2t2f.blog.ocn.ne.jp/tubaki/2005/10/post_d397.html
133日本@名無史さん:2006/01/13(金) 22:13:02


   ∧∧
  (  ・ω・)   人間紙一重・・人生紙一重・・・・
  _| ⊃/(___
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  <⌒/ヽ-、___
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134日本@名無史さん:2006/01/14(土) 20:53:08
中国の地方当局、被災支援金99%を流用抗議には弾圧

中国陝西省で2年前に発生した洪水被害で、
中央政府が被災農民の支援費用として拠出した約5900万元(約8億4400万円)のうち、
地方当局が99%以上を流用、
被災民が受け取ったのは約50万元(約710万円)にすぎないことが13日までに明らかになった。
支援費用の拠出元である国家発展改革委員会系の中国紙、中国経済時報が同日までに伝えた。
同紙によると、地方政府はさらに、不満を訴え抗議した農民らを拘束、
最長3年間の「労働教育」処分としており、
住民を全く顧みない地方政府が存在する実態が浮き彫りになった。
陝西省は、国家発展改革委が拠出した約5900万元のうち約4700万元を独断で省の歳入に計上。
同省から約1200万元を渡された華陰市も約1100万元を市の歳入とし、
同市移民局は残る100万元のうち半分を同局の債務返済に充てていた。
中央政府の支援費用について陝西省や華陰市は被災農民に明らかにせず、
約1年後に事実を知った農民が不満を表明すると、逆に拘束するなど取り締まりに乗り出した。
同紙は、中国で一般に貧困対策費として拠出される資金のうち、
実際に貧困対策に使われるのは35.3%にすぎないとも指摘。
今回のケースも含め、庶民の行政に対する信頼を損なっていると批判した。(共同)
135日本@名無史さん:2006/01/15(日) 00:39:56
後七日御修法奉拝してきました
136待乳山:2006/01/15(日) 10:01:41
>>135さんご苦労さんでした。
無事終わったと、六大新報から以下ほっとするね。

新春劈頭を飾る本宗最高秘奥の厳儀後七日御修法は一月十四日に結願を迎えた。
本年は宮坂智積院化主大阿のもと各山主等真言宗最高位者によって東寺灌頂院
道場で西院流胎蔵呪立を以って奉修されたが、結願の還列の折には各山諸大徳
や学院生らが合掌する姿も多く見られた。
なお、次年度大阿闍梨は、一月二十七日の御修法新年総会で正式決定される。
137日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:48:23



   ∧∧
  (  ・ω・)   宗教板が、俗の話題だけ・・・・・
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         ・・・・・・・・・・・
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138日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:54:55



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  (  ・ω・)   ねよっと...
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139日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:09:52
浄土
140日本@名無史さん:2006/01/19(木) 13:26:43
南京事件昭和2年(1927)

日1英2米1伊1仏1デンマーク1が死亡、二百人の中国軍兵士と女子供を含む
数百人の一般人暴徒による各国領事館銃撃、暴行、略奪は床板、便器空瓶にまで至った。
このとき日本は完全無抵抗を貫いたが、米英は軍艦より砲撃。
この事件はコミンテルンの陰謀であることは国際的にも認知されている。
北京のソ連領事館を捜索したところクレムリンからの「指令」文書が発見され、これにより、
南京事件で領事までもが殺されそうになったイギリスは、ソ連と断交した。
141日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:40:29
筋肉年齢チェックシート

http://www.obc1314.co.jp/aging_s/check/
142待乳山:2006/01/26(木) 23:39:22
果分不可説→顕教
果分可説→密教→現実世界に絶対世界の法身が語りかける→法身説法
法身→絶対世界にある。
報身→誓願の世界にある。
応身→現実の世界にある。

143日本@名無史さん:2006/01/28(土) 01:10:49
ちょうちんび ユウダチ 案山子の神様 くねくね あんちょ

63 :このスレみて思い出しました :03/07/29 03:13
七月の頭ぐらいに大学の友達3人と夜中に海までドライブいったんだけど、
小雨も降ってきてあんまりよくない天気にもかかわらず海についたらテンション上がって
波うちぎわで遊んでたら、一人が海の方向いて「あれサーファーじゃね?」とか言い出した。
「波だろ?」と言い返したが俺は目が悪かったからよく見えなかったけど
そう聞くと白い波の間に人がいるようにも見えた。しばらく遊んでたんだけど
その友達が「やっぱり人だよ。めちゃくちゃ手振ってるじゃん」っていって海をジーって見てた。
「またかよっ?」て思ってたら、いきなりそいつが海に走りだして服着たまま腰あたりまで
海に入りこんで変な動き(踊り?)しだして、
それ見て俺等は「気合入ってんなw」って爆笑してたんだけどなんだか様子がおかしい。
ずっと海の方むいてそのへんな動きをしてると思ったら、いきなり倒れた(溺れた?)から
もう一人がヤバクね?って思って助けてよかったんだけど(漏れは泳げないw)
溺れたやつになんで海入ったか聞いたら、
「手を振ってるサーファーみたいな奴がグニャグニャしだして目が回って意識が無くなった」
と言っていた。海に入っていった記憶もないらしい・・・あれはクネクネだったのだろうか?
でもそいつは今も普通に生活しています。

964 :本当にあった怖い名無し :2005/09/28(水) 16:08:29 ID:48ETxSv20
おばあちゃんから聞きました。
くねくねを見た人は自分の未来が見えるそうです。
と言うのも、説明しにくいのですがパラレルワールドの世界に入ってしまう
んですが、くねくねを見て頭がおかしくなる瞬間の自分を見てしまうそうです。
144葛城山:2006/01/28(土) 11:43:52
くねくねはヤバいよ。「そうかな?」と思ったらすぐに逃げろ!
145待乳山:2006/01/29(日) 10:56:10
>>144さんの言うとおりだよ。やばいよ。逃げるが勝ちだよ。
>>143さん岸等の境目(ボーダーライン)に現れるんだよ、
この世(此岸)とあの世(彼岸)みたいに違う世界だよね。
よく夕刻の海辺やじめじめの湿地に餓鬼がいるって聞いたよ。


146日本@名無史さん:2006/01/29(日) 12:21:04
法身は説法できないという保守大乗派の限界が
空海の出現によってもやぶれなかったのはなぜでしょう?
空海以後の日本仏教は阿弥陀や法華の報身如来信仰に
戻ってしまうし。
てか衆生の救済は報身の役目だから法身は用無しと見なされたか
あるいは三身即一とか都合のいいこと思いついたので
報身おがんどきゃ法身も拝んだことになると合理的?に解釈したのか
わたしゃ鎌倉仏教の祖師たちに疑問を感じます。
147葛城山:2006/01/29(日) 14:39:10
真言宗でも空海以後には加持身説法が説かれたしね。
結局、空海のいう法身説法も、法身が普通の人間の言葉で
説法するっていう意味じゃないわけだし。
148日本@名無史さん:2006/01/30(月) 00:54:37
くねくねの事、もっと詳しくお願いします。
149葛城山:2006/01/30(月) 01:01:03
ホレ。

【ミツメタラ】 くねくね 11 【テラコワス】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1128078592/
150日本@名無史さん:2006/01/30(月) 01:08:22
大釈別体は、真言宗オリジナルの説。
台密も中国やインドの密教は同体説。
151日本@名無史さん:2006/01/30(月) 01:55:05
くねくね恐い
152待乳山:2006/01/30(月) 07:41:29
やはり、くねくねや幽霊的なものに対するときは、
護身法はもちろん尊勝陀羅尼かと。
153待乳山:2006/01/30(月) 07:56:40
>>150さんもう少し御説明をお願いします。
釈迦も大日如来への途中かと思いますが。
154日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:31:52
ここの皆さんに聞きたいことがあります。
私は全くもって無学なもので一笑に付されるかもしれませんが

空海は、大陸に密教を学びにいったのではなく、空海のもっていた知識を大陸へ確認しにいった
という可能性はありますか?

ミトラ教とマイトレーヤすなわち弥勒信仰はモンゴルからツングースに抜け、東北から南下して
来たのではないかという新説が出てきました。仏教推進派であった蘇我はその系列だというのです。
であるならば、空海の時代すでに彼は知っていて、それを確認しにいったのではないかと考えました。
ミトラ教から密教というわけです。
155日本@名無史さん:2006/01/31(火) 05:12:10
age
156待乳山:2006/01/31(火) 08:03:52
>>154さん学会がそこまでわかってきたのですか?
『ミトラ教とマイトレーヤすなわち弥勒信仰は
モンゴルからツングースに抜け、東北から南下して
来たのではないかという新説が出てきました。
仏教推進派であった蘇我はその系列だというのです。』
上記について、およそその流れは考えられますね、
聖徳太子がその筆頭でしょうし、中東あたりで、
キリスト教系と仏教がぶつかっていますしね。もう少し考えますね。
157日本@名無史さん:2006/01/31(火) 23:36:00
戦国自衛隊
火器がショボ過ぎ・・・

藤原竜也エロ過ぎ
158日本@名無史さん:2006/02/02(木) 17:27:38
学歴コンプは大卒の方だろう。
何かと「学歴」を気にしてるからな。

大体、学歴コンプなら受験勉強をして大学受験くらいするだろう。
高卒=学歴コンプ なんて、設定自体が矛盾してる。
学歴を気にしないから、高卒で居られるんだよ。
159日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:26:24
喧嘩もできるのが親友。
一方的に頭下げる外交では平和も友好も守れない。
160日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:32:02
波動砲の開発にかかりますたw
161待乳山:2006/02/04(土) 22:03:37
すっーと障子を開けて仲居さんが現れて。
「本日は、当旅館にお泊りいただきましてありがとうございます」
「お客様の担当をおおせつかりました仲居です、よろしくお願いします」
「浴衣は、そこの箪笥にS・M・L・LLでございますので」
「えっ、S・M があるの、じゃあL・LLっーのは?すっごいの、手や足が出ないのかな」
「いえっ、それは浴衣と端然のおおきさ、サイズですので」
「廊下を歩くスリッパーがないんだが」
「当地はそのようなものはないのですが、よければ当館の臨時ストリッパー
 を用意しますが」
「わざわざ用意するものかね、廊下歩くのにいるからたのむよ」
「それで、早速だけど浴場は?」
「えっ、もう欲情ですか、私でよければ、、、、」
「仲居さんが案内してくれるのね」
「ええ、私の大事な、まあ入り口近くまで手で誘導しますので」
「あとは、お客様のほうで、、、、こう、腰を振って」
「お風呂で燗はつけてもらえるの?」
「いやですわ、エイズ撲滅もありますのでそれはもう、 お口で着けさせてもらいます」
「何かおかしいなあ、話がちぐはぐだけど、まあいいや、たのむよ」
 そんなことで、このお客さん訳もわからないままに勝手にオプションがついて、旅館に
着いて一時間もしないうちに、あれよあれよと堪能してしまいました。
 おあとがよろしいようで。
162葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/05(日) 00:19:55
待乳!酉つけろお!おれみたいによお!
本物か偽物かわからねえ
163待乳山:2006/02/05(日) 02:40:56
>>162さん、面白くなかった?
『酉つけろお!』???(醍醐)?
                             
164葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/05(日) 10:45:27
おおすまぬ。本物じゃったか。
偽物かと思うたのじゃ。酉とはトリップのことよ。
これを名前につけておけば、偽物かどうかを判別できる。
165待乳山◇oXqbe1bIkY :2006/02/05(日) 16:14:27
>>164さんに真似ました、酉(トリップ)しましたよ。このことなのよね。
鶏の尾っぽみたいだね。へーっ、面白いや。

166日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:50:51
偽じゃん、、、
167葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/05(日) 17:02:38
>>165は間違いなくニセモノだが、
>>163はホンモノじゃないのか?
酉を醍醐と読むなんて待乳らしいがな。
168日本@名無史さん:2006/02/09(木) 13:29:34
科学は神(宇宙)の言葉(数学)を集めた聖書

宇宙の謎を解き明かすのは人類に与えられた神の試練。
科学者こそ、真の聖職者。
169日本@名無史さん:2006/02/09(木) 15:38:29
聖職者が偽造してはいかんナ。いつの世にもあることではあるが。
170葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/09(木) 17:10:11
科学では宇宙の謎は解明できんナ
それを可能せしめるのは唯一哲学だけだ!
171日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:51:34
哲学は科学なり。

無境界仮説
172日本@名無史さん:2006/02/12(日) 00:56:22
z
173待乳山:2006/02/12(日) 20:43:37
名古屋にある犬山市の大本山成田山名古屋別院大聖寺の階段を登って
行ってきたよ。蓮華台敷石が明王門と本堂正面参道に敷かれてあって、
理趣経の『百字の偈』 如蓮軆本染 不為垢所染を思いだしたよ。
もちろん本尊さんはお不動さんだよ。護摩の祈祷が盛んだった。
高野山のように経があると思い、見たら檀信徒用が2000円だった
ので、信徒会館でもうちょっと何か売っていただけませんかと問うと、
写経用にしてる本があるのであげるからとわざわざ頂きました。
ここで御礼申し上げます。ありがとうござます。
『成田山法楽常用集』(犬山成田山用)を開いて、はじめに手書きで
開経偈そして九條錫杖・観音経・般若心経・不動経・諸真言そして
手書き回向文だ。なるほど、大師堂に空海さんと覚鑁さんと理源さん
が祭られていたのがうなずけた。本堂の前からの犬山市や名古屋を
一望できる景色はすごく良かったよ。
174待乳山:2006/02/14(火) 02:36:00
九條錫杖経だよ
當願衆生 十方一切 邪魔外道 魍魎鬼神 毒獣毒龍
毒蟲之類 聞錫杖聲 催伏毒害 発菩提心 具修万行
速證菩提 當願衆生 十方一切 地獄餓鬼畜生 八難之處
受苦衆生 聞錫杖聲 速得解脱 或癖ニ障 百八煩悩
発菩提心 具修万行 速證菩提 過去諸佛 執持錫杖
己成仏  現在諸佛  執持錫杖 現成仏 未来諸佛
執持錫杖 當成仏
故我稽首 執持錫杖 供養三宝 故我稽首 執持錫杖 供養三宝
南無恭敬供養霊山界会哀愍 攝受護持佛子(大衆)成大願
攝受護持佛子(大衆)成大願 故我稽首 執持錫杖 供養三宝
故我稽首 執持錫杖 供養三宝  南無恭敬供養三尊界会
恭敬供養顕密聖教 哀愍攝受護持弟子
175日本@名無史さん:2006/02/18(土) 00:36:49
野島政雄(医者)

http://www.nojimaiin.com/p04.html
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1137812759/
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1140108471/

テレビ遠隔でも直観的に私を超根源意識を越える存在と信じると全知全能なる力が出てきます。 
全知全能なる力を持った人が、どのようなことをするのか、まだわかりません。
 いずれ報告があるでしょう。 
 直観的に私と超根源意識を信じると完全自然治癒力が出ます。 病気は何でも治るはずです。
 私が治療して乳癌が柔らかくなってきています。 マシュマロ見たいになってきた人もいます。
176葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/18(土) 10:51:19
待乳、なぜ全部出さない?
177葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/18(土) 10:53:08
待乳、ちなみに酉の付け方は
名前のあとに半角で#を入力、そのあとに好きな文字列を入力だ。
178待乳山:2006/02/18(土) 10:53:14
>>175さん、かなり以前から仏教と科学の重なり合える所を使えればと。
生・老・病・死の四苦
愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦
この四つと前の四苦を合わせて、四苦八苦でちゅ、聞いたことありますよね。
この苦からの解放は、仏法僧の三宝に帰依して、八正道を実践する。
八正道修行基本は正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念
・正定の八つです。
南方熊楠の「粘菌」も面白いですよ。
179待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/18(土) 13:27:31
>>176さん、「九條錫杖経」最初の部と後部と入れ違ってしまった。
やってしまいました、三百禮か。
手執錫杖 當願衆生 設大施会 示如実道 供養三宝 設大施会 示如実道
供養三宝 以清浄心 供養三宝 発清浄心 供養三宝 願清浄心 供養三宝
當願衆生 作天人師 虚空満願 度苦衆生 法界圍繞 供養三宝 値遇諸仏
速證菩提 
當願衆生 真諦修習 大慈大悲 一切衆生 俗諦修習 大慈大悲 一切衆生
一乗修習 大慈大悲 一切衆生 恭敬供養 佛寶法寶 僧宝一體三寶
當願衆生 檀波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 尸羅波羅蜜 大慈大悲
一切衆生 セン提波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 毘梨耶波羅蜜 大慈大悲
一切衆生 禅那波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 般若波羅蜜 大慈大悲 一切衆生
當願衆生 十方一切 無量衆生 聞錫杖聲 懈怠者精進 破戒者持戒 不信者令信
慳貪者布施 瞋恚者慈悲 愚痴者智慧 驕慢者恭敬 放逸者攝心 具修万行 速證菩提

當願衆生 十方一切 邪魔外道 魍魎鬼神 毒獣毒龍 毒蟲之類 聞錫杖聲 催伏毒害 発菩提心
具修万行 速證菩提 當願衆生 十方一切 地獄餓鬼畜生 八難之處 受苦衆生 聞錫杖聲
速得解脱 或癖ニ障 百八煩悩 発菩提心 具修万行 速證菩提 過去諸佛 執持錫杖 己成仏  
現在諸佛  執持錫杖 現成仏 未来諸佛 執持錫杖 當成仏 故我稽首 執持錫杖 供養三宝
故我稽首 執持錫杖 供養三宝

南無恭敬供養霊山界会哀愍 攝受護持佛子(大衆)成大願
攝受護持佛子(大衆)成大願 故我稽首 執持錫杖 供養三宝
故我稽首 執持錫杖 供養三宝  南無恭敬供養三尊界会
恭敬供養顕密聖教 哀愍攝受護持弟子
180待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/18(土) 21:19:50
>>177さん、酉(取り)つけました。
不動(酉年守り本尊)さん万歳(マンセヨー)!
181葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/19(日) 00:06:24
>>180
なぬ?待乳酉年か?もしかしてタメ?
182待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 00:29:40
小野流の元祖、聖宝(理源大師)さんは
華厳教学が十住心論において第九住心に
即身成仏義の重重帝網(無碍)が、一即多・多即一
という華厳教学を重要な基礎として、
『この世界は仏の身体である(六大)』と、
ビルシャナ仏が自ら説法すると。
方便を極めて重要視する密教において、
理論から実践への橋渡しをすることは、
大乗仏教興隆の観点からも大きく肯定される。
この点に聖宝が宗祖空海の直系を自覚して、
東大寺における根本義が表れていると見るべきである。
曼荼羅それ自体が、華厳経の教説『普賢菩薩の行の総体』
を基盤としていると。なるほどね。
183待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 00:37:29
>>182さん、醍醐の関係から開山された理源さんのことも
書いてるように、駄シャレばかりカキコしているんですが。
春を呼ぶ東大寺での「お水取り」が近くなってきてますね。
184日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:41:48
自惚れと卑屈さを捨てれば道が開ける。
185待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 00:44:51
あっ、また間違えた!
183のカキコは>>181さんへです。
ハンドル・ネーム『葛城山』に何か意味がありんすか?
葛城山といえば、慈雲さんと関係ではないかと勝手に思
っておりやす。
ここのスレ、ガラガラになってしまったよ。
186待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 00:55:21
>>184さんの人生観なのかな。
安岡正篤さんの教えなのかな。
自惚れと卑屈さは相反する表現となりませんかね。
187日本@名無史さん:2006/02/19(日) 01:19:51
本朝に男色制度をもたらした空海が寵愛した相手は誰が有名ですか?


188日本@名無史さん:2006/02/19(日) 01:26:32
空海の弟子の真済は天狗になってしまったというが
その後救われただろうか?
それとも未だ大天狗として暴れてるだろうか。弘法大師は
彼をどう思っているだろうか?
189待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 01:26:37
>>181さん、大正・明治の生まれの略称で「タメ」かと。
昭和生まれですが。
190待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 01:29:43
>>188さん、何か文献で残っているの?
それとも直感かな。
191葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/19(日) 12:26:04
へへへ、ただ待乳に対抗してつけたコテだよ。深い意味はない。
待乳は安岡正篤好きなのか?
立花隆の「天皇と東大」ではボロクソに書かれてたぞ。
192待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/19(日) 20:43:15
>>191さん、面白い方だ、良く知っておられる!さすが。
ご存知安岡正篤さんのお兄ちゃんが金剛峰寺403座主堀田真快さんです。
この安岡さんは、吉田茂さんのブレーンだった方で、
日本の経営者層に人気があるので。
ちなみに、立花さんは時々で外系から知識をもらっていますよ。
今の世何が正しくて何が間違ってるか、わからないようにされていますね。
193日本@名無史さん:2006/02/22(水) 02:01:20
野島医院

http://www.nojimaiin.com/p04.html

今のところ宗教心、隠された宗教心のある人に超源光が入っていも、私を信じることはできない。
 直観的に私を信じる状態です。 
 私の教えを信じることができない人も大量の源光が注入されることにより、
強制的に私を信じさせられた人が出てきたのです。
更に強制的に私が定着するようになった人も出てきました。 
私からの源光が信じられない位大量に与えられるようになりました。
 強制的に私が定着させられた人にも、与源光があります。 
強制的に私を信じさせられた人には、与源光はありません。 
 「超無限乗の超無限乗の超源光」は強制的に私を信じさせられた人です。
 私からの源光が意識の中に注入されたのです。 
「超無限乗の超無限乗の超源光の上の源光そのもの」は、強制的に私を定着させられた人です。 
 源光そのものには与源光があります。 与源光がある人には、肉体には蓄積した源光があります。 
癌患者には肉体に蓄積したマイナス源光があります。与源光がある人は癌が治ります。
 一般の病気の人は私を強制的に信じさせられると治ります。
 「超無限乗の超源光」が意識に蓄積した人は、一般の病気は治ります。
 一般の病気は肉体に蓄積したマイナスエネルギーがあるのです。 プラスがマイナスを消すのです。 
「超無限乗の超無限乗の超源光」の人には与エネルギーがあります。 
肉体には蓄積したエネルギーがあります。
194日本@名無史さん:2006/02/22(水) 07:29:58
>>192
夕べ鑑定団で土佐の旧家で安岡家とか出ていたが、同系かなあ。
195待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/22(水) 20:47:46
>>194さん、安岡正篤さんは、大阪の東大阪に堀田でおられた
方だよ。安岡家に御養子に行かれた、同系かはわからない。
「それでもてめい日本史やってるのか」とお叱りを受けそうですね。
196葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/02/22(水) 22:55:47
>>192
立花も最後の最後にちょっぴりフォロー入れてたよ。
ま、右翼をおそれるようなタマじゃないけどね。
197194:2006/02/23(木) 00:01:34
>>195
どうも。吉田茂氏のブレーンとあったので、同郷とか想像。
198日本@名無史さん:2006/02/23(木) 00:56:14
z
199日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:47:51
9条のような、戦争放棄の条文は一カ国のみでは効力がないと考えています。
日本のみが9条を死守するのではなく
「戦争放棄」の条文を全世界に広める方が良いのではないのでしょうか?
中国もアメリカもロシアも日本も韓国も北朝鮮も・・・全世界が同じ「戦争放棄の」の条文を有してこそ、効力が発揮されると思います。
200日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:00:53
仙台民族学の研究のため、仙台の大学に留学したときの話をひとつ。

引っ越しの作業が終わった後、近くの商店街に買い物に出かけた。
結構、賑わっているような気配を感じたが、
カビ臭いアーケードに足を踏み入れようとしたまさにその時、
突然「あっあ゙っあーー!!!」とでかい叫び声が響き、何事かと思いきや、
商店街の人々が私を避けるように一斉に姿を潜める。
腰が抜けたのか、のたうち回りながら逃げ惑う爺さんもいた。
商店街の店舗はシャッターを閉め、地元の買物客たちも忽然と姿を消した。
逃げそびれたらしく店を開けたままの八百屋があったので、
店主のおっさんにいったい何事かと問うと、
思いっきり作り笑顔をしながら、焦点の定まらない目で
「あぁ、あぁ、まぁねぇ〜…。。」 の一言。
全く意味がわからない。
不可解な現象に当初は面くらってしまったが、
一年も住んでるうちすっかり慣れてしまった。
後に仙台民族学の論文を検索したところ明らかになったことだが、
どうやら、「あっあ゙っあーー!!!」の叫び声は、
「白河以南人が来たぞ!」ということを仲間に知らせる合図らしい。
私と同様に白河以南出身の友人が商店街に行ったときも、
やはり同じ反応が起こるとのこと。
しかし、なぜ仙台人は姿形が仙台人と大差ない私や友人を
白河以南人だと嗅ぎわけることができるのだろうか。
私は仙台人のその不思議な能力に興味を持ち、現在これをテーマに論文を執筆中である。
201待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/23(木) 21:14:19
>>199さんそのとおりの考えもあるのですが。
TVやお金で日本はおかしくなってるけど、
世界の霊性の気高き所なんだよなあ。
地球が宇宙の眼とすれば、日本は地球の眼の眼なんだが
私も含め今は霊性はぼろぼろです。偶然と片付けちゃうけど
世界の大陸が日本列島の形で、その雛形だもんね。
イスラエルと日本は因縁の国だよ、イスラエルの霊性
もおとしめられているが、どちらも本当は霊性の
気高き国民なんだよ、本当はね。
202待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/23(木) 21:27:35
>>200さん『金太郎』さん以来、金太郎さんはだます
つもりはなかったけれど、どえらいことされると
トラウマがこびりついちゃってるのね。
追い詰められて、かれこれもう2千年前だよ。
すげっ、トラウマだよね。あと2千年かけて解明か?
203日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:21:08
m
204待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/26(日) 07:50:23
教相に相当する『入真言門住心品第一』からコピぺすたよ。
金剛手言さく「是の如し、世尊、願楽(ねがわ)くは聞かんと欲す」
仏言さく「菩提心を因と為し、大悲を根本と為し、方便を究竟と為す。
秘密主、云何が菩提ならば、謂く実の如く自心を知るなり。
秘密主、是の阿耨多羅三藐三菩提は、乃至彼の法として
少分も得可きこと有ること無し。
何を以ての故に。虚空の相は是れ菩提なり、知解の者も無く、
亦た開暁(さとる者)も無し。
何を以ての故に。菩提は無相なるが故に。
秘密主、諸法は無相なり、謂く虚空の相なり」

なるほどね。阿耨多羅三藐三菩提→諸法は無相なり、謂く虚空の相なり。
     (無上正等覚→悟り)
205日本@名無史さん:2006/02/26(日) 23:29:30
お大師さんが徳島の霊山寺と極楽寺で
修行した理由は、こんなことじゃないかなあ。

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/

大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
206日本@名無史さん:2006/02/27(月) 01:26:33
 CT、MRI、PETで癌が消えた人、腫瘍マ−カーが正常化した人、家庭が幸せになった人、仕事が上手くいっている人が多くなっています。 
207日本@名無史さん:2006/02/27(月) 02:02:58
空海さん
失われたアークを返してチョ
208日本@名無史さん:2006/02/27(月) 03:49:40
>>200
嘘だろ、?
本当なら一度行って見たいが、京都人はどう思われるか・・・知りたい。
場所を教えてください。・・・商店街の名前もお願いします。
209待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/02/28(火) 23:32:47
>>205さん、ある理由から四国東部説に異論はないけど
説を読み方でいくなら、
邪馬台国(やまたいこく)=大和国(やまとこく)では
ないかとおもいまする。
210待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/01(水) 00:33:54
>>207さん、アークは伊勢神宮にあるのかと。
その昔、西行さんが伊勢神宮に行かれたが、
境内の中に僧は入れなかった、でも感ずる所
あって、何の神かさえもわからないけど、
『なにごとのおわしますをば知らねども
       かたじけなさに涙こぼるる』
と、詠まれた。アークはきっとここだろう。
211日本@名無史さん:2006/03/02(木) 13:02:58
「田中上奏文」 中国側「存在しない」偽文書認める

 中国が日本の大陸侵略意図の証拠としてきた「田中上奏文」について、
中国政府直属の学術研究機関である社会科学院の蒋立峰・日本研究所所長が
「存在しなかったという見方が主流になりつつある」と述べ、
偽文書であることを事実上認めていたことが1日、分かった。

 昨年12月に中国を訪問した新しい歴史教科書をつくる会の八木秀次会長(当時)
らのグループに語った。

 田中上奏文は、昭和2年に当時の田中義一首相が昭和天皇に報告した文書の体裁をとり、
日本や欧米では偽文書であることが証明されているが、
中国では歴史教科書に記述されるなど事実として宣伝されてきた。

 しかし、蒋所長は八木氏らに「実は今、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が
だんだん主流になりつつある。そうした中国の研究成果を日本側は知っているのか」と、
中国の研究成果としても偽文書が通説であることを明らかにした。

 蒋所長は社会科学院の世界歴史研究所や日本研究所で日本近現代政治史や中日関係の研究を
長年続けてきた中国の日本研究の責任者。

 八木氏は「偽文書だと分かっているなら、中国政府は田中上奏文を根拠とした対日非難をやめ、
教科書記述も改めるべきだ」と話している。
八木氏らと中国側のやり取りは1日に発売された月刊「正論」4月号に掲載されている。
212日本@名無史さん:2006/03/02(木) 18:59:24
創造論者の愚行と宗教団体の罪

宗教の数だけ異なる宇宙観があるけど、その矛盾はどう説明するのかな?
「他の宗教が間違っている」という理屈は全ての宗教の言い分だしな。
そのうちの特定の宗教の宇宙観だけが正しいとする根拠も無い。
創造論も含めて。


大体、聖書を含め宗教関係の書は人間の内面や、或いは神仏の事を比喩的に記述したもので、いわゆる、例え話や逸話の類のもの。
実際に起きた事を一言一句正確に記したものではない。
神が何日で地球を創ったとかの話は、逸話であり、比ゆ的表現であり、どうでも良い事だ。

大事なのは、人間の生き方をどうすべきかを問うのが宗教の本来の姿と気付く事。
SFじみた、奇蹟や何のという話に固執し、聖書での表現を一言一句、科学を無視して信じ込むのは、本来の信仰とは無関係だし、宗教団体の保身でしかない。
213日本@名無史さん:2006/03/02(木) 19:13:14
その通りだが、それ以上に古い記録から当時の社会状況が読みとれるのも
確かですよ。
聖書だって意外にリアルなイエスと当時の人々の息吹を伝えてますし。
まあなんでも神聖化する絶対主義は科学以前の問題ですがね。
大事なのは、どういった所与の状況の中でなぜその教えが生まれ発展した
のかということで、これは人類普遍の哲学です。相対化した上で真実なの
か誇張なのかはたまた牽強付会なのか、これを研究することは大事だと思
います。
仏教研究こそこれが非常に遅れていますよね。新教勃興のようなルネッサ
ンスを興して仏典の現代化をしない限り、もう明日はないでしょう。
聖書研究なら歴史も広がりもそれは大変なものがあるようですが。
214日本@名無史さん:2006/03/02(木) 22:13:32
親鸞の教行信証から遡って、たまたま見つけた「世親」(講談社学術文庫)を
(睡眠薬代わりに)読んでいるんだけど、西暦4〜5世紀の頃とはいえ、なぜ
唯識なんてことをごじゃごじゃ言っていたんだろうなと思っているところ。

今から見ると科学的な方法もなくてよってたかって自分のが正しいイヤ俺のが
正しいと論争している。とはいえ、段段衆目の認めるところに落ち着くものは
落ち着く。なにかを「よすが」にしないとやってられなかったということか。
(単にメシのタネになったからとか、ヒマだったというのもあるのかな)
(一方今、科学的と思っていることも将来はなんてバカなことをと思うだろう
 とも思う。)
215日本@名無史さん:2006/03/02(木) 22:14:04
>自称仏教徒は布施の意味をどうとらえる?

本来は信仰心のこと。
坊主にモノをやるのは、施し(餓死しないように)の為。

>自称仏教徒って、なにそれ?

寺院や宗教団体に属しなくても信仰はできる。
216日本@名無史さん:2006/03/02(木) 22:16:02
聖書は科学者の研究レポートではない。
心の、思想の領域だ。
非科学的でも、宗教活動に何の障りも無い。
なぜ、聖書の一言一句を強引に辻褄合わせする必要があるのか?
地球の年齢が1万年以上なら、キリスト教は崩壊するのかね?
宗教は心の問題。
聖書の内容が非科学的だからといって、信仰を止める者が居るのか?
信仰とは、そういうものじゃないだろ?
科学者の宗教家も大勢居て、聖書の一言一句と現実が合わなくても、そんな事は信仰と関係なくやってるだろ?

むしろ、創造論者の非科学的思考や捏造の流布の方が遥かに有害で、宗教界にもダメージを与える事になる。
217待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/02(木) 23:36:47
日本人は自然と四季の中で、
神や仏と一緒に生活してるだけだよ。
日本人の霊性の高さは、例えば
ラーマ・クリシュナと同じだよ。

218214:2006/03/03(金) 08:17:15
>>217
先週テレビでTOKIOと養老先生が出てやっていた「人間とは何だ」というのを
つい見てしまったが、日本人も都会で生活していると感性がなくなって
(一部の脳を使わないまま)いろいろ支障が出ていると言っていたな。

子供と大人を対象に実験していた。大人は多くのものを外部から取り込むため
に概念化をして情報を減らしているという。ために現象をそのまま読めない。
子供の方が素直に現象を見ているという。
(塾に行ってモノを憶えるというのは、概念化の訓練ではなかろうか)
自分も思い込みによる間違いを時々経験するが、気付いて放置するのはまずいと
思いつつ、見なかったことにしようと思うこともある。

てなことで、日本人の霊性も鈍ってるんではと危惧。
219205:2006/03/03(金) 19:13:03
>209 待乳山さん
異論がないという方はあまりいないので
ちょっと驚きです。
通説とはずいぶん違っているはずなので。
ある理由をぜひ教えて頂きたいですね。

邪馬台=大和というのは、「台」と「壱」の区別ですか?
それなら同意します。
面倒なので区別なく邪馬台と書いています。
220待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/03(金) 20:07:30
>>219さん、四国東部説については何か持って
おいででやんすか?
知っておいでと思いますが、地名を漢字解釈じゃなくて
ただの、音訓の読みかなが重要で、日本によくある地名例
で、高句麗から「くり」へそして「こま」や「くれ」へ変化
する場合と、言葉がそのまま変化した「やまたいこく」
                    「やまと こく」
タ行の最後にトがあり、イが省略されたのではとふと思いましたので。
221待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/04(土) 00:52:12
四国東部説というより、突如あらわれる前方後円墳って何!
となりますね。シュメール文化の継承か?とも。
ある説では、鍵穴の形は「マナ」の壺の形だとも言われ。
面白いのが、墓に積石ですね。
日本の古墳を、朝鮮半島や中国の古墳に似たのがないか
対比して探すことを日本の研究してるチームはやってるよ。
222日本@名無史さん:2006/03/04(土) 01:38:07
侵すべからず
223205:2006/03/04(土) 08:27:38
>221
まあ、古墳の比較は誰しも考えるでしょうね。
それぞれの墳の似ているところも違っているところも
調べれば分かる話です。
前方後円墳みてると日本のアレンジ能力は素敵な気がします。
青石の積石はきれいですよ〜。

それにしても、この話って25年も前の話で、
いまだに古代史との関連がつかないっていうのはねえ・・・。
(前方後円墳東四国起源説)
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0920.htm
単に直観力がないのか、調べたくないから調べないのか、
調べてはいけないから調べることができないのか?(侵すべからず?)
誰か裏事情教えて。

空海さんは後世明らかにされることを望んでいたと
思うんですけどね。こんなにいっぱいヒントを残したんだから。
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
224日本@名無史さん:2006/03/04(土) 09:25:09
空海の男色相手は誰?





225日本@名無史さん:2006/03/04(土) 10:48:19
やっぱり入唐してカマを掘られたのかな?
226日本@名無史さん:2006/03/05(日) 02:39:36
http://www.athome.co.jp/academy/biology/bio08.html
―― サインは生物の体を構成する設計図を変化させて、進化を促進することもあるというわけですね。
また、サインを調べることで、生物の進化の歴史を調べることができるとも聞きましたが…?

(岡田)  サインには一度DNAの中に入り込むと二度とそこから外れることがないという
特別な性質があります。
このようなサインの性質を考えると、同じ場所にサインが入り込んでいれば、
その2種類の生物は同じ祖先を持っていることになりますね。

実際に私が発見した例を挙げると、
クジラの祖先がどんな動物だったかは100年以上にわたって議論の的になってきました。
そこで私はクジラを含む色々な生物について、
染色体内の特定の場所にサインが存在するかどうかを調べてみたのですが、その結果、
クジラとカバが同じ祖先を持っていることを発見したのです。
これは古生物学の常識をくつがえす新発見として、新聞でも大きく報道されました。
―― 大変な発見ですね。この方法で調べていけば、生物の進化の歴史が分ることになるのでは?
岡田 そうですね。サインの存在する場所を比較したり、サインの種類を比較するなどの方法で、
哺乳類などの進化の歴史はかなりの部分が解明できると思います。

ローマ教皇、「進化論」認める
=ただし人間の精神は神の創造物=
 【CJC=東京】ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は十月二十三日、教皇庁科学アカデ
ミーに宛てた書簡で、ダーウィンの進化論を「一九五○年のピオ十二世の回勅『フマニ
・ゲネリス』は進化論を重要な仮説として、反対論をも考慮に入れ、より深く研究され
た調査の価値あるものとした。この回勅が出されてから五十年以上が経過し、新たな知
識が我々をして進化論を単なる仮説以上のものとして認めさせるようになった」と述べ
た。しかし「肉体の進化論は認めるが、われわれの精神は神からもらったものであり、
人間の精神は進化論と関係ない」と留保した。
227待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 08:15:42
>>214さん、ヴァスバンドウ(世親)さんは、
個人的・社会的な『科学的無意識』こそ言わなかったが
この時代ですでに意識・無意識を説いてるからね、
フロイト・ユングを超えてるよ。
世親さんは、仏教のヨガ行者か、どうしてここまで
わかるのか、「直感か」とすれば今の世、基本的なヨガを
取り入れれば面白い。

228待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 08:18:36
>>222さん、あばいちゃあいけないってこと。
歴史の真実を知りたいしね。
229待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 08:34:29
>>223さん、地図を見てね。
播磨から淡路島を中心線にして、四国をパタンと
近畿地方に合わせたら地名はどうなった。
「後ろの正面だーれ」みたいな不思議さだよね。
230205:2006/03/05(日) 08:54:58
>229
一番大きいのは吉野川の対称ですか。
たしかにひとつの傍証と思います。

神武東征が史実だとして、九州からの文物の
流入がなければ、流入がある所を疑うべきで・・・。
記紀の舞台は時代や事柄(婚姻、闘争内容)を考えても
もっと小さな範囲であるべきで・・・。
山、平地、海がそろっているところで・・・。
そろそろ明らかにされてもいいはずですよ。

オリジナルの高天が原、葦原中国、日向、出雲はどこですか?
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
231205:2006/03/05(日) 09:01:49
もうひとつ重要な条件
3世紀前半〜中頃の重要な考古学上の遺跡があること。
特に径百余歩の冢。
232待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 09:18:01
>>230さん、よくご存知だ。
「電波だ!電波少年だ!」と言われそうなので
もうやめておくよ。でもね、昭和天皇の弟さんは
オリエント学と称して、日本にたどり着いた北10部族
のたどっただろう国々の足跡を追っておられる。
不思議に思って当然だよ、世界の巨大墳墓といわれる
のが、3つあり、一つはギゼのピラミッド、秦の始皇帝の墓
そして、仁徳天皇陵と言われる所。建設に当たった人々の
ほか弁を一回注文しただけでもすごい量になるよ、両手に
持ちきれないよなあ。肩に担いで、腰にぶら下げ、両足に
巻くか。それでも足りないよね。

233待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 09:20:42
>>231さん、『径百余歩の冢』についてもう少し解説を!
234待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 09:38:30
王者のヨガ(ラジヤ・ヨガ)
哲学のヨガ(ジユナナ・ヨガ)
陰陽を中心のハタ・ヨガ
神通力のクンダリーニ・ヨガ
浄化のクリヤ・ヨガ
日常生活の行為=カルマにより、魂の進化を目指すカルマ・ヨガ
信仰と慈愛のバクティ・ヨガ
そして、『荒川スペシャル・イナバウア・ヨガ』ってどうかな。
体柔らかくなりそだ。
金岡秀友さんが、真言密教は『クンダリーニ・ヨガ』だって。
不動明王の倶利伽羅剣が自身そのものだよなあ。
235205:2006/03/05(日) 16:29:52
>233
魏志倭人伝によると卑弥呼の墓について
「径百余歩の冢を大いに作る」とあります。
その当時の「1歩」は約1.5メートルなので
直径150メートルもの巨大な冢というわけです!
3世紀中ごろに作られたそんな大きな墳墓は
ほとんどないわけで、考古学者も首をひねるわけです。

この冢にはさらに奴婢百人が殉葬されており、
もしかすると銅鏡百枚、親魏倭王の金印も一緒に
埋められている可能性もあります。

私は、倭人伝と空海さんを信じてこの場所を一点にしぼりました。
あとはプロの領分なので考古学者にまかせます。
その度胸のある考古学者がいればの話ですが。

大麻山とその周辺(盗掘はやめましょう)
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

236待乳山 ◆In4bbC9jd6 :2006/03/05(日) 19:20:36
>>235さん、よくわかりました。
ありがとう。『魏志倭人伝』の部分ですね。
日本は、渡来系がほんと入れ替わり立ち代り。
民族のるつぼだよ。
237205:2006/03/05(日) 22:04:02
>236
それで日本は外国から色んなことを吸収するのが
早いのかもしれませんね。
反対に国粋主義に無理にしようとすると
碌なことがないような気がします。
それは、この国のことだけじゃないけれど。

古代史に関しては忌部がキーワードでしょうね。
いかに広がりを持った集団だったか。
大伴、斎部、忌部・・・空海さんもこれに連なると
主張したのだけれど、現代では違うとされてますね。

天孫降臨の場所が四国東部であれば、
この認識も少し変わりそうな気もします。
238待乳山:2006/03/06(月) 06:57:59
>>237さん忌部として重要なのは『大麻山』の名前
神社祭礼の大幣・白妙につかう麻を植えていたの
ではないかと。
麻は大麻草(カンナビス・サティバ・エル)と言う。
全然関係ない偶然ですが日本でカンナビスと聞けば、
神奈備と思うわけで、神が降りて来られる所ですね。
239205:2006/03/06(月) 07:45:34
>238
大麻山−これもキーワードですね。
各地の大麻山のルーツはどこなのか
それが阿波と主張したいわけです。

斎部広成『古語拾遺』で
「天富命をして、斎部の諸氏を率いて、
様々の神宝 鏡・玉・矛・盾・木綿・麻等を作らしむ。
櫛明玉命の孫は、御祈玉・・・・その裔は今出雲国にあり。
天日鷲命の孫は、木綿及び麻・・・その裔今彼国(阿波国)にある。
阿波の忌部を分かち東土に往きて・・総の国(上総・下総)と謂ひ・・。
手置帆負命の孫、矛竿を造る。その裔今分れて讃岐国にあり。

とても活動的な氏族ですね。
240待乳山:2006/03/06(月) 07:52:08
>>239さん、ほんとは知っておられるのかと。
『古語拾遺』で、こんなに今まで宮中の
祭り事をしてきたのに、なぜに左遷するかといった
斎部広成のうったえだよね。
241205:2006/03/06(月) 17:53:57
>240
中央で作られた文書よりも、こういった異論にこそ
史実が示されているのでは?
権力者が自分たちの都合のいいように文書を操作するのは
簡単ですが、異論を公言するのは勇気が必要ですからね。

『古語拾遺』の引用箇所はこちらのほうがよかったですね。

「其の高皇産霊神のなし生る女の名を栲幡千々姫命と曰す(天祖・天津彦尊の母なり)。
その男の名を天忍日命と曰す(大伴宿禰の祖なり)。
又の名を太玉命と曰す(斎部宿禰の祖なり)。
太玉命の率ゐる所の神の名を天日鷲命と曰す(阿波国忌部の祖なり)。
手置帆負命(讃岐国忌部の祖なり)。
彦狭知命(紀伊国忌部の祖なり)。
櫛明玉命(出雲国忌部玉造の祖なり)。
天目一箇命(筑紫・伊勢の両国の忌部の祖なり)。」

順番にも注目してください。紀伊は四国東部の後です。
四国東部と筑紫は「忌部」を通じて関係が深いのです。
さらに阿波の「板(いた)」と筑紫の「伊都(いた)」
の関係が分かれば、史実に近づいていきます。

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
242待乳山:2006/03/07(火) 21:15:28
>>241さん、下の国の先住国は支配されていった、
そこに派遣されていって統治してゆくわけで。
『讃岐国』 『紀伊国』 『出雲国』 『筑紫・伊勢』
日本にある歴史書(記紀等)ではわからないので
韓国にある歴史書をあたると大化の改新は韓国で
起こったことを日本史に編集し、そして、唐からの
籐(とう)氏→藤原氏→中臣氏にすり替わっていったのではと。
実質実態は藤原氏一族。京都平安京を築いた秦氏系一族を
追い出したのは空海さんではない。
ながながと引用したが、やっと空海さんについて語れたよ。
ありがとう。ゆめゆめうたがうことなかれ。
243日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:38:38
>241

異論もまた、著作者の素性が重要かと。
筆者の立場が主張に影響するのは中央も地方も同じかと。
244日本@名無史さん:2006/03/07(火) 22:17:34
>242さん
私は弥生後期−古墳前期にすでに大麻山周辺の一族は
これらの地域とかなり強い関係をもっていたと考えています。
後の支配といっても友好的な統治者の派遣だと思います。
(九州南部や東北とはまったく異なるわけです。)
245日本@名無史さん:2006/03/07(火) 22:18:17
>243
それはそうでしょうけど、どちらを信じるか。
結局、藤原氏が一人勝ちしたわけですね。
だれが犯人だと思いますか?

まあ、「どちらも嘘つき」は論理的には可能です。
246205:2006/03/07(火) 22:24:41
ちょっとまとめておきます。
私は記紀(イザナギ、イザナミから神武)は
阿波大麻山周辺でのローカルな話を
日本全体の神話にするため西日本と東日本の一部に
拡大したという考えです。
そして神武のときにニギハヤヒの子孫が治めていた国に
九州の日向ではなく阿波の日向から東遷という説です。

理由1 魏志倭人伝の24国の国名と比定地名の対応
理由2 大麻山周辺の狭い範囲での記紀地名の対応
理由3 大麻山周辺の発掘済の遺跡と時代の一致
    (天照=卑弥呼、一世代30年という仮定です)
理由4 空海さんは以上を見抜き、大麻山を一番とした。

空海さんが自分を「天尊」の出自と主張した以上、
大学では中央貴族の子弟にそれを否定されたはず。
必然的にご自身の出自を調べていたとは思われませんか?
いったい空白の7年何をやっていたのでしょう。
なぜあそこまで嵯峨天皇と親しく接することが出来たのか。
なぜ藤原氏に敵愾心をもっているのか?(ここは待乳山さんと一致)

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
247待乳山:2006/03/08(水) 23:36:52
>>246さん、起きておられますか!
今帰ったので。
『空海さんが自分を「天尊」の出自と主張した』
裏づけの何かあれば、教えてくださいね。
それと、空海さんの『自身の出自を調べていた』
は、全くどうかもわかりませんが。
もともと、佐伯氏ですのでネット・引っ張ればで出てきます。
『空白の7年何をやっていたのでしょう。』
虚空蔵菩薩求聞持法の真言を称えてさすらっていただろうと。
『嵯峨天皇と親しく接することが出来たのか。』
世界の文化が集まっただろうところで学んできたことを、文化に
接したかったのだろうかと。
以上、思いまする。
248葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/08(水) 23:41:57
空海が天尊の出自だと主張したなんて初耳だな。
249待乳山:2006/03/08(水) 23:59:15
>>248さんおひさしぶりです。
四国阿波国の話で盛り上がっていますのですが。
250葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/09(木) 00:05:36
すごいね。日本の古代国家の形成から空海にまでつながってくるんだ。
251日本@名無史さん:2006/03/09(木) 01:41:08
>どちらを信じるか。

一方だけ・・・ではなく、双方の真実の部分を拾う事でしょうね。
252日本@名無史さん:2006/03/09(木) 02:57:42
554
253205:2006/03/09(木) 05:34:54
>248
空海僧都伝より
「和上、故の大僧都、諱は空海、灌頂の号を遍照金剛といふ。
俗姓は佐伯直。讃岐国多度郡の人なり。その源、天尊より出づ。
次の祖は、昔、日本武尊に従ひて、毛人を征して功あり。
因りて土地を給ふ。すなわちこれに家す。国史、譜牒に明著なり」

ここにいろいろ書いてますので。
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n300.htm

・佐伯宿禰 は『 新撰姓氏録(しんせんしょうじろく) 』左京神別中によれば、
天孫降臨に際し 瓊瓊杵尊(にぎのみこと)に従った 天忍日命(あめのおしひのみこと)
を祖とする 大伴(おおとも)氏と同祖とされる。
・直の姓を持つ佐伯氏は、『新撰姓氏録』右京皇別下によれば景行天皇皇子
稲背入彦命の 後裔(こうしょう)とある。

まあ、何を信じるかで話は変わるわけですが、空海は自身を天皇家と非常に
近いと考えていたみたいですよ。
254205:2006/03/09(木) 05:46:52
もうひとつ御遺告より
「吾が父は佐伯の氏。讃岐の国多度の郡の人なり。
昔、敵毛を征して班土を被れり。」

ここにもいろいろ書いてますね。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keijiban/saeki-sa1.htm
「讃岐国多度郡人の故佐伯直田公(空海の父)の子や孫、
故従五位下鈴伎麻呂・書博士豊雄らの故人を含む一族
十一人に対し佐伯宿祢姓を賜り、左京に移貫したという
記事ですが、この賜姓にあたり、当時正三位中納言兼
民部卿の地位にあったあった伴善男が、正六位下書博
士佐伯直豊雄の系譜の主張を家記に照らして検討する
に偽りではないと奏言した・・・」

古語拾遺の「天忍日命と曰す(大伴宿禰の祖なり)」が正しければ、
いずれにしろ源は天尊ですけど。
255日本@名無史さん:2006/03/09(木) 06:06:50
>247
7年間は長いですからねー。
四国中を廻っていろいろ調べていたと思いますよ。
その当時は角川地名大辞典もなかっただろうし。
インターネットで検索もできなかったでしょうから。

きっと調べていたことは、記紀と中国正史のすりあわせ。
細かく言えば魏志の24の国名が四国の地名
と符合し、阿波大麻山が天孫降臨の地であること。
もちろん仏道が一番ですが、その仏道が
国家のためになるというのも大事なことです。
そのためには国家の成り立ちの真実を知りたい
と思うわけですよ。

正史については、例の藤原葛麻呂の代理で書いた
文章の中で、日本が古来中国に親しくしてもらって
いたことを書いていますね。
唐に渡ってもいろいろ調べてたんじゃないかな。
空海さんはいろんなことが出来ますからね。
256205:2006/03/09(木) 06:21:55
まあいずれにせよ、大麻山から何が出てくるか。
それで話は決まります。

邪馬台国四国東部説の反証可能性をふたつ挙げておきます。

(1)国名と地名の類似に関して以下の説と同等な仮の比定案を例示する。
http://www.geocities.jp/yamatai4/

(2)大麻山に径百余歩の卑弥呼の冢がないことを確認する。
具体的には以下の地点のみ調べればよい。なければ私の負け。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

気が早いですが、記紀のオリジナルの舞台の地名比定
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/syuhen.html
萩原墳墓群、愛宕山古墳および阿王塚古墳が重要。
257日本@名無史さん:2006/03/09(木) 06:43:22
>251
それは「どちらも嘘つき」の範疇ですね。
258205:2006/03/09(木) 07:18:22
なぜここまで言い切れるのかというと、空海さんを
信じているからです。

一番札所霊山寺に由来に
「・・・深山幽谷を跋「足歩」し佛法相応の勝地を訪ね給ふ時、
當山に奇雲「雲愛」「雲逮」として光明空中に輝けるを見そなはし給ひ、
奇異の思を為し立ち寄り給ふに、今の伽藍の地に當り諸佛天人充満し、
中基には釈迦牟尼佛 左右には文殊普賢菩薩
各「口偉」「之堯」して一乗の法門を述べ給ふ姿、
さながら天竺鷲峯山説法の儀式に異ならざれば、
随喜渇仰の涙を浮べさせたまひ暫く佛面を拝しまつりしに
佛我が大師に告げて曰、
汝末世衆生済度の悲願を起し八十八ケ所を開かんとならば、
此処を第一番と定むべし・・・」

大麻山が鷲の頭であることは以下のページの画像をじっくり見てください。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

では、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は何のことでしょう?
どうして鷲の頭に似ているくらいで「随喜渇仰の涙」
を浮かべ、壱番の邪馬にするのでしょうか?
みなさん、喝破してください。(ああ、いっぱい書いちゃった。)
259葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/09(木) 11:42:29
>>253
空海僧都伝にあったんだ。へぇ。真済作といわれてるけど、ありゃ違うだろうな。
空海さんが天孫かどうかは佐伯直氏が佐伯宿禰氏と同系かどうかってことが問題なんじゃないの?
三代実録貞観三年十一月辛巳条に直姓から宿禰姓になったことが書かれていて
系図上の工作がいろいろなされたみたいだけど、空海さんの頃には
すでに直氏には自分たちが天孫という意識があったのかもしれんなあ。
260日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:41:49
弘法大師空海の出身氏族である佐伯氏は、「佐伯宿禰とは別の系統」
みたいな事が、司馬遼太郎の「空海の風景」に書いてありましたよ。

しかし、そんなことはどうでも良く、弘法大師は偉いんです。
私は、空海を尊敬していますよ。もちろん真言宗です。

出自なんて、ここまで偉くなれば関係有りません。
イエスキリスト・釈迦などの出自を誰も問うたりしないのと同じですね。
261葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/09(木) 12:57:01
別系統だよ。

>出自なんて、ここまで偉くなれば関係有りません
んだね。で、どこが偉い?
262日本@名無史さん:2006/03/09(木) 16:35:10
偉い=肩書きではない
尊敬に値する
私は真言宗ですから、尊敬は当たり前。
讃岐国出身だからなおさら。
263日本@名無史さん:2006/03/09(木) 16:38:25
日本の仏教を変えた。
学問中心の南都六宗しかなかった仏教界に
真言密教と言う新風を巻き込んだ。
大日如来から金剛サッタへ伝わった密教
を会得した真言八祖のひとり。
264荒らし国王:2006/03/09(木) 16:45:34
名前みれば何やるかぐらいわかりますよね。
荒らします。
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265日本@名無史さん:2006/03/09(木) 17:45:25
サンスクリット語を短期間でマスターした。
日本史上初の国際人、世界人。
日本仏教史上でもトップに挙げられて然るべき!
266葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/09(木) 18:01:15
>>263
>日本の仏教を変えた。
南都仏教からの脱却というなら、最澄の功績のほうが大きい。

>学問中心の南都六宗しかなかった仏教界に真言密教と言う新風を巻き込んだ。
同じく最澄にもその功績あり。ただしその内容に大きな差があるから、
一部妥当ともいえる。

>大日如来から金剛サッタへ伝わった密教を会得した真言八祖のひとり。
相伝に違いはあるが、最澄にも同様の伝承あり。

>>265
>サンスクリット語を短期間でマスターした。
マスターはしていない。ただし、そういう言語があることを日本に紹介した功績はある。

>日本史上初の国際人、世界人。
「初」ではない。当時の中国において認められ、なおかつ正史に記録されている日本人は
阿倍仲麻呂をはじめ、ほかにもいる。
267光明皇后:2006/03/09(木) 19:32:19
仏教の女王は小川知子、サスペンスの女帝は片平なぎさ
268205:2006/03/09(木) 20:07:30
詩は、絢爛豪華、機知に富む。
書道は、自由自在、生命にあふれている。
仏教の解説書(秘蔵宝鑰、般若心経秘鍵etc.) は、
本質を喝破。
教育論は、まさしく理想だなあ。
空海さんを知りたければ空海さん自身の作品に当たるべきかな。

あまりにスピーディで自由自在なので、独断とも受け取られて、
ついていけないとか合わない人もいると思うけどね。
269日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:46:32
やっぱり、こういうスレが出来る事自体
弘法大師空海が偉いってことの何よりの証明!!
270日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:49:47
無人の山高野山を宗教都市に変えた。
京都の東寺は、朝廷から与えられた寺だが、
金堂・講堂はすばらしいよ。
特に講堂。立体曼荼羅の中心、大日如来となら何時間でも向かい合っていられる。
安らぎの空間ですよ。
271日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:57:05
高野山奥の院は、特に好きですねえ。。
あそこに行って以来、お墓が好きになりましたよ。
272待乳山:2006/03/09(木) 20:58:58
>>256さん、下記の地名は歴史学会からは、きっと封印したくなる名前だよ。
高天の原 天の安の河上 天の岩屋戸(岩穴)天の真名井(真名井)
天の八衡(八衡) 天の浮橋(神蘇理峯) 五十鈴の河上 肥の河(樋殿谷川)
淡海 州羽(諏訪) 日向(日照山) 葦原中国 出雲 伯伎(萩原) 
稲羽  空国 笠沙の御前(笠木)
まさに、イスラエル部族の足跡だ。とすれば、アークは剣山にではなく、
大麻山(鷲峯山)にか。


大麻山
273205:2006/03/09(木) 21:18:23
>272さん
全部地名が残っているわけではありません。
括弧の中だけですよ、念のため。
山の原、川、岬とか地形的には合ってますが。

記紀は史実にしたくないという意味ではないですよね。
たぶん日ユの話でしょうか。
アークは・・・大麻山にはきっとないかも。
よく知らないのです、その話。
(というかまずは避けてます。)
四国説もそんな感じに受け取られてるんだろうなあ。
四国山上説の大杉氏もその話にいっちゃったからなあ。

>270さん
立体曼荼羅は面白いですよね。
私の場合は五大明王に引き込まれます。
こういう明王像やらなんやらまで組み込む
感性がすきなのかな。
274葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/09(木) 23:51:30
>>268
まさにそのあたりだろうね。評価されるべきところは。
あと、日本の現存最古の字典の製作者であること(『篆隷万象名義』)も忘れちゃなんない。
それと、外国ではとにかく、漢詩文の修辞法について書かれた逸書を類聚した『文鏡秘府論』の作者であるということが有名だね。
275205:2006/03/10(金) 07:00:38
話はもどりますが、空海さんが天尊にきわめて近い
出自であると思っていたことは多分了解できると思います。
しかも天孫降臨の際に先導役をつとめた天忍日命が
自分の祖先なのであろうと。

すると、自身の本当の故郷を探すことは、天孫降臨
の場所を探すことであり、それはこの国の成り立ちを
知ることにつながるわけです。
記紀の国生み〜天孫降臨の地名では、婚姻、闘争、埋葬などの
内容から史実ではありえなくなります。
ローカルな神話の寄せ集めとしてもやはり無理が多い。

可能性が高いのは、ローカルな史実に地名を少しだけ
加えたり変更したりしたのではないか。
276205:2006/03/10(金) 07:34:45
しかし、ローカルな史実だとすると、条件が課されます。
まず、山(天つ国)、平地(葦原中国)、海(海原)が接近しており、
いくつかの岬がある。
ならば、「海岸大辺路」をすれば見つかるのだろうと。

そして、見つけたその地が鷲峯山説法図であれば、
どう感じるでしょうか?
法華経において常に釈尊は鷲峯山におられ、
衆僧と共に鷲峯山にお姿を現されるとされています。
しかも仏舎利が納められたストゥーパの第一塔がある山です

自身の祖先−この国の故郷−仏教(真理)の故郷

小から大へ、大から小へ。
すべてのはじめ「一」。

これが空海さんの「随喜渇仰の涙」の理由だと、私は思うのです。
277日本@名無史さん:2006/03/10(金) 07:56:39
弘法大師の男色相手には、どんな人達が居ますか?



278日本@名無史さん:2006/03/11(土) 01:35:22
「何を言うか、わしは伊勢神宮のおん前で、この日本国の安泰を祈ったものじゃ」
「妊婦を前にして『入信せねば奇形児が生まれてくる』だなどと……よくもまあそんな無体なことを!」
   ある日突然クローゼットの中から日蓮上人が現れ、
「わしの弟子たちは今なにをやっておるかいのぉ」と尋ねられたので、主人公の「俺」は、
友人とともに車に上人をお乗せして「総花」学会の座談会へお連れしました。
ところが、座談会では、自分が言いもしなかったことが自分の言葉として語られており、
その様子に上人はかつは呆れ、かつは憤慨、たまりかねて座談会の主催者へ文句を言ったところ、
日本共産党の回し者と間違えられ、袋叩きにされてしまう……。

  筒井康隆さんの傑作「末世法華経」(『角川文庫』本『笑うな』所収)のあらすじであります。
279光明皇后:2006/03/11(土) 01:39:03
妊婦の五十嵐淳子は浅野ゆう子に喧嘩しt6あ。
280待乳山:2006/03/11(土) 21:35:09
[法華滅罪の寺]→法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。
もと藤原不比等の住居であったものを、
光明皇后が総国分尼寺として建立しました。
法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛
を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣
秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられました。
本堂は桃山時代に建築された和様の仏殿で、
木造十一面観音立像〔国宝〕、乾漆維摩居士坐像〔重文〕
などが安置されています。境内にある建造物のうち、
南門、本堂および鐘楼の三つが史跡の指定を受けている。
いずれも桃山時代に再建されたもので、国の重要文化財である。
池泉回遊式の美しい庭園、優美な客殿は春秋に特別公開される。

それで、光明皇后はその法華滅罪寺の一隅によるべなき老人、
病人に入浴をさせていました。発願により、千人目の、醜い
らい病人の血膿を吸い終わった瞬間、その乞食は金光に包まれた
阿しゅく仏の尊容と化して東方はるかな雲の彼方に消え去ったそうな。
オン アキショウビヤ ウン 
281日本@名無史さん:2006/03/11(土) 22:34:12
九度山あたりから高野山に登るハイウェイ。
あそこを何とかもっと整備してもらいたいねえ。。。
クルマで一度行ったけど、二度と走りたくないよ!
ちょっと、よそ見したら大事故・命取りだからね。
282待乳山:2006/03/11(土) 22:35:40
>>276さん、
『法華経において常に釈尊は鷲峯山におられ、
 衆僧と共に鷲峯山にお姿を現されるとされています。
 しかも仏舎利が納められたストゥーパの第一塔がある山です』
空海さんの「般若心経秘鍵」の一番最後が、江戸時代学僧の三等師
さんが偽作としてる文に、
ただし神舎に詣せん輩、この秘鍵を誦し奉るべし。
昔予、鷲峰説法の莚に陪って親りこの深文を聞きき。
283待乳山:2006/03/11(土) 23:27:13
>>281さん、命がけだったですか、帰りに
おみやげのゴマ豆腐崩れませんでしたか?
よくよく考えれば、危ない所はスピードを
落とすのが普通なんですが。
送車輅 オン トロトロ ウン
284205:2006/03/12(日) 06:36:06
>282
ありがとうございます。
この部分に書いてありましたね。
鷲峰説法はとても重要な気がします。
もちろんこれは空海さん自身の文章ではない
可能性が高いですね。
きっと伝承のようなものだったのでしょうか。
「昔」とはやはり修行時代かなあ。

顕密は人に在り、声字は即ち非なり。
しかれども、顕が中の秘、秘が中の極秘なり。
(もっとも好きな文のひとつです。)

>281 
たしかに大変でした。
しかしそういうところを聖地にした空海さんの
気持ちも察しましょうよ。
本来はもっともっと苦労して歩いていくべきなのかも。
山というものは本当にいいものですよ。
お寺には必ず山号がありますよね。
285日本@名無史さん:2006/03/12(日) 07:58:45
やっぱり、今度からは車で行かず
南海高野線極楽橋からケーブルカーに限るね。
安い周遊バスで高野山全体行きたい放題。。。
286葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/12(日) 08:46:34
車で行くと立里荒神、護摩壇山、龍神温泉にも行ける。
287待乳山:2006/03/12(日) 08:59:45
>>284さん、四国の讃岐のうどんはおいしいですね。
四国に行った時には2杯は頂いてしまいます。高松の駅前の泉屋も
以前は宇高連絡船できつねうどんを売っておられたと思います。
空海僧都伝より
「和上、故の大僧都、諱は空海、灌頂の号を遍照金剛といふ。
俗姓は佐伯直。讃岐国多度郡の人なり。その源、天尊より出づ。
次の祖は、昔、日本武尊に従ひて、毛人を征して功あり。
因りて土地を給ふ。すなわちこれに家す。国史、譜牒に明著なり」
上記のほんと引用文反省でしたね、読んでるようで読んでなかったです。
もう一度、『沙門空海』渡辺照宏 宮坂宥勝著 『曼荼羅の人』陳舜臣著
等々を引っ張り出してきて読んでます。本州と四国結んでる連絡橋の通行料
半額になればもっと四国に車で行く人が多くなるのですが。
288葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/12(日) 09:34:16
龍神スカイラインは無料になったよ。
289日本@名無史さん:2006/03/12(日) 09:47:52
伝教大師最澄は、人を残し(法然・日蓮・親鸞など)、
弘法大師空海は、場所(四国八十八ヶ所お遍路など)
を残し、更には弘法大師信仰や多くの伝説・神話を残した。
290待乳山:2006/03/12(日) 11:31:44
>>288さん、レジオネラ菌で塩素殺菌でほとんどの
温泉場はカルキ臭いよ、しかもカルキが多いと肌に
ぬるっとした間違った温泉感覚があるのも不思議で
温泉の効能主でありんす、アポドージス(新陳代謝)
をいかに良くするかという命題から逆のことをしています
、塩素が余計に細胞に傷つけを起こしてるんじゃないかと。
その点、紀伊半島はかけ流し温泉でいっぱいでござんすよね。
竜神スカイラインはロハ(只)になったわけですね。よーござんす。
291待乳山:2006/03/12(日) 11:49:11
>>285さん、高野山のゴマ豆腐もおいしいですよ。
ひろうすなんか、ご飯の上に載せて、『ひろうす丼』だもんね。
292205:2006/03/12(日) 19:17:17
待乳山さんや葛城山さんみたいに私も山号のHNつけてみようかな。
候補は大麻山か萩原山。鷲峯山はおそれおおい・・・。
萩原山は考古学に詳しい方には有名で、
近い将来もっと重要な山となります。

>287さん
私も般若心経秘鍵の最後の文は何度か読んでいたと
思っていたのに、鷲峯山説法を思い出せませんでした。
きちんとイメージして読んでないのだなあ。

空海さんはよく地方豪族の出だから庶民派という
言い方をされますが、それは正しくないと思っています。
天尊の血筋として、しっかりと国を支えていこうとしていたのだと思います。
現代では、国家というと何か民衆を抑圧するような機関で
あるかのような妙な考え方がありますが、
国家の安泰のためには民衆が幸せになることが必要でしょう。
空海さんはそれを心から願っていたと思います。
293日本@名無史さん:2006/03/12(日) 19:45:57
292さん、
弘法大師空海は、出自など関係ないのですよ。
あの方自身、世界人・天才として
国家の財産なのですから。
294日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:08:39
平安遷都するまでは出目悪いんでしょ。空海は。平安遷都で支配層が変わったから
295日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:12:53
そんで四国に結界しやがった。古事記は淡路島のつぎ四国が生まれたから。明治時代四国に橋が架かれば結界が破れると言ってたのは南朝正統論だからさ。
296日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:19:34
空海の母親は百済人
297日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:20:52
新羅系は奴隷国家だったのかな
298日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:24:57
>>294-296
なんか変な人がいるね。
299日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:26:38
本当に結界破れたかな?
300日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:28:25
300なら地家ジョンイルは逆打であぼーん
301日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:28:37
明治天皇が部落民と証明され、その理由を考えれば結界破れる?
302日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:32:04
なぜ、化野の風葬をやめさしたのか、五山送り火や本来仏教と関係の深い茶の栽培を、なぜ、部落民にやらせたのか?
303日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:35:44
もともと平安遷都するまでは空海は悩み多きだったのかなw新羅系皇室が奴隷国家だったからさ。平安遷都で支配層が変わったから。
304日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:45:23
でもよく考えたら新羅系が最古の皇室じゃないんだよね、むしろ新羅系が乗っ取りで空海自身は天孫系だと。そんで平安遷都に貢献したりして?新羅系は悪いけど賤に。でも妥協策は取って新羅系の職能は利用することにしたと。
305日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:46:42
そんで平安時代は四百年も長く続いたのかもね。
306日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:56:19
厳島神社系→新羅系→百済・唐なの?
307待乳山:2006/03/12(日) 21:02:40
通称よく言われた、この数年前から地獄の釜の蓋は開いたままなんだよ。
結界って何なの、昔からあるフトマニのことなの、それならわかるけど。
>>301さん、それがどうしたの、人はみな仏(神・アートマン)が仏(神・
ブラフマン)に向かうだけだよ。向上心があるかどうかなんだが。
>>302さん、わかりませぬ、教えてたもれや。

308日本@名無史さん:2006/03/12(日) 21:05:33
厳島神社→新羅系→百済・唐系かな?支配層の変遷?
309日本@名無史さん:2006/03/12(日) 21:08:39
そんで儒教では人は救えないと思ったのかな?やっぱり仏教だと。
310待乳山:2006/03/12(日) 22:01:07
>>308さん厳島神社についてかな、言うたはることがわりませんが、
厳島神社→支配層の方々だったの?
>>309さん、知ってのとおり忠孝は儒教だよ、日本仏教にも儒教が
あったわけね。武士はみんな儒教の勉強してたもんなあ。

311日本@名無史さん:2006/03/13(月) 00:26:22
野島医院
http://www.nojimaiin.com/p04.html

野島医院に来る患者は、ムー人類かアトランティス人類です。 現人類は来ません。
 現人類は、まだ悪い事をあまりやっていないので、「心が悪いから病気になった」、
「心が悪いから幸せになれないこと」が理解出来ません。 現人類に対しては、
「心が悪いから病気になること」をどんなに長く教えても、どんなに議論しても無駄です。
 理解するには時期尚早なのです。 現人類でも新アトランティス人類、新ムー人類になっている人は、
理解できます。
312待乳山:2006/03/13(月) 07:45:06
いまだに、ムー人類かアトランティス人類は、この現世で修行かよ。
ムー人類かアトランティス人類には、仏教的なものがなかったのか。
313日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:14:26
結局、古代日本には小王国が沢山存在し、小王国の長である大王(おおきみ)が統治していたと。それを連合、統一させたのが大和朝廷。そのトップが皇室。小王国を連合させる際に小王国の長に大和朝廷の皇室の役職を与え和睦させた。
314日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:19:38
だから八世紀の段階では地方豪族で皇室とも縁(ゆかり)がある。しかし、自分の家系を調べるとどうも現皇室よりも遙か大昔から存在している家柄のようだ。もしかしたら自分の家系こそ天孫に違いないと思う人々が八世紀には沢山存在したんでしょ。
315日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:24:40
もともと小王国を連合させたのが大和朝廷だからさ。小王国の大王の家系は大和朝廷よりも遙か昔から存在していて当然。だから剣山の近辺にも小王国は存在したかもしれないし、富士山の近辺にもウガヤ朝は存在したかもしれないということ。
316日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:31:58
それらを連合させたのが大和朝廷だからね。皇室より古くから存在する田舎の小王国の大王の家系が自分は皇室と縁あるし、モシカシタラ自分の家系こそ本物の天皇家かも???と妄想するのは十分あり得るのよ。
317日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:38:57
列島の小王国を連合させたのが大和朝廷だからさ。しかも大和朝廷は和睦させるために何らかの皇室の役職を与えたからさ。古い神社の神主とかさ。でも神主自身の家柄は大和朝廷よりも遙か大昔から存在してる訳よ。
318日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:41:17
皇室に縁あるけど自分の家柄は皇室よりも遙か昔から存在するから自分の家系が本物の天孫だと思う人々が八世紀には沢山存在したはず。
319日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:48:51
7世紀にもいたはず。神話と史実を融合させてね。妄想してたんだと思うよ。史実では神話を持つ皇室よりも古い家系であるけどそれを神話にこじつけたりしてさ。事実から反れていったんでしょ。
320日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:52:00
大和朝廷が古代小王国を連合させて出来た事実を忘れてるから剣山伝説も富士山ウガヤ伝説も出来た。我こそは本物の天孫だと思いこむ家系が7、8世紀には沢山存在したんだよ。
321日本@名無史さん:2006/03/13(月) 12:17:34
古代王国としては邪馬台国とか有名だけど、もっと、いっぱいいっぱーい存在したんだよ。ウガヤ朝とか丹波国とか日向国とか出雲国とか。神道は出雲国らしいけど?剣山近辺にも何らかの国があったのだよ、多分ね。
322日本@名無史さん:2006/03/13(月) 12:28:58
空海も佐伯氏という地方豪族だからきっと新羅系王朝よりも遙か大昔からの家柄なのに!!!オカシイ・・・と思ったんだよ。しかも空海の母親は百済人だし。平安遷都には貢献的であったと思われ。
323日本@名無史さん:2006/03/13(月) 12:56:13
日向国は天孫降臨の地、出雲国は神道の地、最終的にこの流れを組むものが唐仏教平安王朝に刃向かっていたのだろうな。平安時代は。
324205:2006/03/16(木) 07:10:47
>293
現代的なものの見方で価値判断をすると、
歴史は直視できないですよ。

たとえば、今は道路が整備されているので、
国内の運送では陸上が主だけれど、それ以前は
水上のほうがコストがかからず主であったこと。

家柄は古来から社会において厳然とした関心事であり、
現代のようなある種のタブーではなかったこと。
仏陀にしてもキリストににしても、その家柄は記されています。
仏陀は釈迦族の王子であり、キリストはアブラハムよりダビデを
とおりて42世代。

いかにその個人が優れていようが、その時代の社会の掟は
その個人にのしかかってきます。
空海が遣唐使に加わることができたのは、何故でしょうね。
325待乳山:2006/03/16(木) 07:37:45
>>324さん、うまいっ、戻してくれたんだね。
『空海が遣唐使に加わることができたのは、何故でしょうね。』
一沙門として乗りこんだんだろうが、そりゃ当時は後押しがないとね。
渡航証がなぜ、天台系に保存されてるんのだろう。
326日本@名無史さん:2006/03/16(木) 13:42:19
「あることの証明」は、特定の「あること」を一例でも提示すれば済む。
しかし、全称命題を対象にする「ないことの証明」は、
全ての存在・可能性について「ないこと」を示さねばならない。
従って、調査範囲が限定されており広範過ぎない場合などを除き、
「ないことの証明」は「あることの証明」に比べて困難である場合が多い(検証と反証の非対称性)。
そのため、科学及び法学などにおける証明責任は「ある」と主張する肯定側が負うべきとされる。
したがって、「あること」が証明されなければ、「ない」と見なされる。
なぜならば、証明抜きで無限に発せられる荒唐無稽な主張に対しても
否定する側が全ての可能性を調査して「そうではないこと」を証明しなければならないというのは
不合理だからである。
327205:2006/03/16(木) 20:07:45
>326
正論ですね、一般論の。
具体的にどのような問題の批判なのか
話してもらえると、面白いのですが。

科学的な「説」として成り立ちうるのは、反証可能な
命題があってこそでしょう。
そして反証可能であるためには、具体的な予測
命題を示すべきです。
もしそれをいつまでも示すことができないようなら、
本来は「説」とは呼んではならないはずです。

とはいいながら、最近は「理論の美しさ、単純さ」
によって、「説」が成り立つ分野もありますね。
私はこちらも好きです。
328日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:16:34
>325
後押ししてくれそうな人物といえば、
阿刀大足、故佐伯今毛人の縁者とされていますね。
それにしても空海さんは7年ほどの空白ののちに突然現れて、
縁者に信頼を得て入唐僧に選抜されたわけで・・・。
一介の私度僧として修行していただけではよく言われるように
かなり妙な話ですよね。

そう考えると、その時期に何らかの選抜に値する何か、
重要な地位にある縁者に相当な期待をかけられるだけの
何かを成し遂げていたと考えるほうが自然な気がします。
ただし、足跡を残すべきではない何かだと。
そこで、讃岐忌部一族の斎部広成「古語拾遺」(807)
が思い浮かんでしまうのです。
空海の入唐(804)の3年後になります。
329日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:34:17
資産隠しで社長有罪確定へ 安田弁護士絡む事件

 最高裁第一小法廷(島田仁郎(しまだ・にろう)裁判長)は16日までに、
資産隠し事件で強制執行妨害罪に問われた中国系シンガポール人の不動産会社社長、
スン・チョンリ被告(70)の上告を棄却する決定をした。
懲役1年6月、執行猶予3年の一、二審判決が確定する。決定は15日付。
 この事件では死刑廃止運動などで知られる安田好弘(やすだ・よしひろ)弁護士(58)も
資産隠しを指示したとして起訴されたが、一審東京地裁判決で無罪が言い渡された。
検察側が控訴している。
 二審東京高裁判決によると、スン被告らは住宅金融専門会社(住専)などからの借入金の返済が滞り、
債権者に東京都港区の社有ビルの賃貸料収入が差し押さえられるのを不正に免れようと計画。
ビルを関連会社に転貸したように装い、
1993―96年にテナントに賃貸料計約2億円を関連会社の口座に振り込ませて隠した。
 安田弁護士はオウム真理教、麻原彰晃(あさはら・しょうこう)被告(51)の
一審で主任弁護人を務めたほか、
山口県光市の母子殺害事件で殺人罪などに問われた元少年(25)の弁護人でもある。
330待乳山:2006/03/17(金) 22:57:07
>>328さん、
讃岐忌部一族の斎部広成「古語拾遺」ですか。
「古語拾遺」を読むうち空海さんの著作に何かが
似てる気がしてならなかったのは、何も同じような
時代のレトリックだけではない、なんなんだろうかと。
讃岐神社は日本広しといえど四国にはないんだよね、
奈良県の広陵町にだけにあるんだよ、これが。
空海さんが京都の東寺から奈良の東大寺や大安寺を経て、
高野山に向かう途中にあるんだよ。
331205:2006/03/17(金) 23:44:03
>330
讃岐神社ですか。お参りにいきたいなあ。
特に空海さんの足跡がありそうなところにはぜひ。

http://www.city.muko.kyoto.jp/nagaokakyo/nk24.html
しかし、上の年表見ててもわかるけど、空海さんの
青年時代は異様な雰囲気だったんだろうな。
藤原種継暗殺、大伴氏ら数十人逮捕。
さらに早良親王幽閉、そして祟りか・・・。
いずれにせよ私なら大伴氏も後ろ盾にして、磐石の態勢で
遣唐使に加わりますね。

と書いていたら、インターネット恐るべし。
空海は大伴国道(善男の父) にあてた書状で、
大伴氏と佐伯氏が遠祖を同じくする旨を告げているそうですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/keizu.htm
ありゃー、今日まで知らなかった。もっと調べねば・・・。
332日本@名無史さん:2006/03/18(土) 01:27:18
一個あたり1万キロカロリー
333205:2006/03/18(土) 08:48:35
クイズのヒントを書いておきます。
まず四国遍路の意味。
胎蔵界曼荼羅中台八葉院に基づくわけですね。
行者→菩薩→如来→大日如来という過程を
経験するわけです。

観@仏←弥
↓@@@@
阿@大@宝
@@@@↑
文→開@普

中 大日如来
東 宝幢如来
南 開敷華王如来
西 阿弥陀如来
北 天鼓雷音如来(釈迦如来)

東南 普賢菩薩
南西 文殊菩薩
西北 観自在菩薩
北東 弥勒菩薩

東 阿波 発心
南 土佐 修行
西 伊予 菩提
北 讃岐 涅槃
334205:2006/03/18(土) 08:50:03
では、空海さんが霊山寺で涙を流して喜んだと伝えられる
「釈迦牟尼佛、文殊菩薩、普賢菩薩」とはなんのことでしょう。

大麻山、霊山寺周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
335待乳山:2006/03/18(土) 09:10:22
>>334さん、霊場第一番なんだが。
『釈迦牟尼佛、文殊菩薩、普賢菩薩』といえば、
釈迦三尊だよね、東 阿波は発心門だよね、
空海さんが悟りを開いた?
北 天鼓雷音如来(釈迦如来)なんだろう、わかんねいや。
336待乳山:2006/03/18(土) 09:24:19
逆にめぐったよ。
大(日如来の)宝を普(あまね)く開(ひら)く
文(秘法)は阿(字)観で仏(ほとけ)弥(や・弥陀仏)

337日本@名無史さん:2006/03/18(土) 10:39:29
曼荼羅の中の曼荼羅
338205:2006/03/19(日) 07:05:26
五智・五仏

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/gochigobutsu.htm

密教の根本ですね。
339日本@名無史さん:2006/03/19(日) 08:45:54
弘法大師の男色相手には、どんな人達が居ますか?

誰ひとりとして返答出来ぬのかゑ?


340待乳山:2006/03/19(日) 20:34:28
>>338さん、答えは、空海さんは五智・五仏を感得されたことなの?
341待乳山:2006/03/19(日) 21:36:48
>>339さん、答えはいったいなんなのわからないから、教えてたもれ。
342205:2006/03/19(日) 22:34:33
>341さん
答えは、決して確定的なものではないですよ。
あくまでも私の想像です。

空海さんはここを「鷲峯説法」だといったわけです。
以下の絵を参考にしてください。
http://www.miho.or.jp/booth/html/imgbig/00000920.htm
空海さんが随喜渇仰の涙を流すほどのことだから、
この絵の中の「鷲の頭」、「釈迦牟尼佛」、「文殊菩薩」、「普賢菩薩」が
この地において何らかの意味合いがある対象ではないかと思うのです。

まず大麻山が鷲の頭であることに気がつきます。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
だから大麻山=鷲峯山=霊鷲山=霊山なわけです。
(第一番札所は、竺和山霊山寺)
そこで山に注目しましょう。
行者はこの地=霊山寺にいるわけです。
ここが最終的には中心(大日如来)になる場所です。

北には大麻山があります。
西には日照山極楽寺(本尊阿弥陀如来)がありますね。
東には萩原山があります。きれいな対称構造です。
日照山を阿弥陀如来、萩原山を宝幢如来にたとえてみましょう。
萩原山には後世「宝幢寺」が建てられたくらいですから。
343日本@名無史さん:2006/03/19(日) 23:02:39
すると、普賢菩薩は東南にあるべきであり、
文殊菩薩は南西にあるべきです。
その方向には何があるのでしょう?

小さな山の集まりである古墳群です。
しかも単なる古墳群ではありません。
ひとつは「日本における前方後円墳の発祥地ではないか」
といわれ最近考古学者に注目されている「萩原墳丘墓」を含む一帯です。
もうひとつは徳島北部における最大級の前方後円墳「愛宕山古墳」
を含む古墳群の一帯です。愛宕山古墳は自然地形を利用した
畿内的な様相が濃い古墳です。
これらの古墳群を普賢菩薩、文殊菩薩にたとえているのではないか?

わたしはそれらの山と山裾を記紀の「出雲」「日向」
に比定しました。古墳の築造時期も卑弥呼=天照大御神
として一世代30年程度で大体合います。
つまりこのローカルな地域こそが記紀の舞台だと。
すると残る「天つ国」はどこか?

大麻山しかありません。大麻山は北にあります。
釈迦牟尼佛は北の大麻山にいらっしゃるはずです。
344日本@名無史さん:2006/03/19(日) 23:17:53
この流れでいくと天鼓雷音如来(釈迦如来)は何を意味するべきか?

天照大神じゃないでしょうか?
一番の神様であるべきです。つまり「一」であることが重要なのです。
つまり卑弥呼の径百余歩の冢(自然地形を利用した墳丘墓)
はここにあると推測しています。

残念ながら、あまりにもこの周辺の古墳の情報量が
なぜか少なすぎる。決してないわけではないのに・・・。

保育社「日本の古代遺跡 徳島」ではたった三行です。
「板東谷川によって形成された扇状地の奥まった地点には、阿波一の宮
の大麻比古神社が鎮座する。この周辺にも昭和初期までは平草古墳群、
大麻比古神社古墳群など箱式石棺や積石塚が遺存していたようであり、
玉類、鉄刀、銀環、須恵器などの出土をつたえている。」

どうしてこんないい加減な記述なんですか?
もう少しきちんとした調査はしていないのですか?考古学者さん。
345日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:04:42
聖書の記述に反する科学はインチキ

創造論

http://www.concentric.net/~hnori/earth.htm
346205:2006/03/20(月) 06:44:34
つまり、四国遍路の意味とは

四国全体を巡る
大麻山(**山)を巡る
霊山寺(**寺)を巡る
行者の心を巡る

これらの方法によって大日如来と一体になること
を目指しているわけです。
曼荼羅の中の曼荼羅の中の曼荼羅の中の曼荼羅が
あなたの心であり、その中心が大日如来です。

大麻山周辺にいくつかのお寺を開いた行基菩薩、
霊山寺を一番とした空海さんは、この地が
「一番」の場所であることが分かっていたと推測します。
347205:2006/03/20(月) 19:43:19
問題
板野郡(阿波国、大麻山)、伊都郡(紀伊国、高野山)、怡土郡(筑前国、平原)
の「いた−いと」とはいったい何だったのでしょう。

ヒント 
魏志倭人伝を読みましょう。
そしてこれらの郡の周辺に以下の郡があることに注意しましょう。
那賀郡(阿波国)、那賀郡(紀伊国)、那珂郡(筑前国)
348205:2006/03/20(月) 21:12:26
>336さん
遅れましたが、うまいですね〜。
最後は弥勒菩薩かな。
この字が使いにくい。
あとこれは逆打ちではなく順打ちですね。
349待乳山:2006/03/21(火) 00:17:41
>>348さん、あなたは人水を受けられた方か?
350205:2006/03/21(火) 06:55:38
>349さん
「人水」の意味がよく分からないのですが、
灌頂でしょうか?いずれにせよ受けていません。
密教は正統的に学ぶべきなのでしょうが、
まだ良い縁がないです。
351待乳山:2006/03/21(火) 08:39:16
>>347さん、やまといこく→ やまと・いとこく→ やまとこく・いとこく
     (大きな大和政権)    (小さな大和)+(小さな伊都国)
『那賀郡(阿波国)、那賀郡(紀伊国)、那珂郡(筑前国)』
 那賀→ナーガ→龍(川や連なった山並み)
352待乳山:2006/03/21(火) 08:51:46
>>350さん、申し訳ない漏れもわからない言葉でついつい。
日本の隠れた歴史は徳島にありですね。徳島にはドイツ兵
の収容所があったんだよね、日本で、パンやビールはたまた
第九の演奏もあったんだよね、すごいや。徳島行きたーい。
353205:2006/03/21(火) 08:53:49
四国東部、淡路島には地神塔というものが
数千基あります。
農業に関連した 土地の神様ということで、
近世に建立された5角柱の塔です。

−−天−−
倉−−−大
−−−−−
−埴−少−

天 天照大神
大 大己貴神
少 少彦名命
埴 埴安媛尊
倉 倉稲魂命

これなども北を天照大神を北にしたい
理由だったりします。
下に珍しい地神塔の対称対の画像をおいています。

阿王塚古墳(神獣鏡2面が宮内庁に保管。阿王です!)
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/aou.html
354日本@名無史さん:2006/03/21(火) 16:47:01
真宗木辺派について
355日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:07:00
真宗木辺派

http://www.sinran.org/
356205:2006/03/21(火) 18:02:43
>351さん
私の想像と似ているところもありますね。
那賀はそういう意味にもとることができるかもしれません。
(原意は地形名であっても。)
太龍寺(開基空海さん)はまさしくそれを意味しているわけですね。
空海さんは色んなことを解説してくれているわけです。

「伊都」に関しては、「壱」→「伊都」と想像しています。
だからこそ、霊山寺を一番にし、高野山を選んだわけだと。
「壱」であることが重要なのです。
357日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:02:48
358205:2006/03/21(火) 18:05:59
ずっと議論されてきた「邪馬壱国」か「邪馬台国」
なのかは、色んな議論を追いましたが正直どちらとも
言えないと思いました。(新文献が発見されたら結局いずれ
の論理もひっくり返りそうな不確かさという意味です。)

ただ、「邪馬壱国」が古代のやまとことばから
かけ離れた言葉であったというのはよく分かります。
古代のやまとことばでその場所に「壱」は普通ありえません。
もしその国名が事実なら、漢語をあやつれる人間が
意味がわかって名づけたような国名です。
しかし「卑弥呼」などの「h」だって古代やまとことばでは
妙なわけで、渡来人の影響を想像するべきだと思います。
現代であれば「やまワン国」もありうるのかと。

「やま・いと」は生粋のやまとびとには発音しにくいので
「やまと」と発音せざるをえなくなっていまったと。
まあこういうのは理論の美しさや単純さで比べるしか
方法はないかもしれません。
359日本@名無史さん:2006/03/21(火) 19:21:50
議論に割り込むようで済みません。語源は面白いと思っているものです。
英語でも元もとの単語は短く、表しきれないとラテン語を繋いで新しい語を
作っています。日本でも古い語ほど短いと思っていますが、そんな話は済み
なのでしょうか。
スレから外れますが、人の体の部分の名も大事なものは一語でしょう。
例:血、目、手。

で、地名も地形から来たものは、山、島、天、浜、沼・・・で「マ」。
山戸、水戸、瀬戸、江戸、井戸、谷(ヤト)、ホト、・・・で「ト」がせまい区域を指す。
奈良、新羅、耽羅、唐・韓(カラ)、由良、・・・で「ラ」は広いところ。

この手の接尾語はどこかで解説されているのではないでしょうか。
360待乳山:2006/03/21(火) 20:05:45
>>359さん、地名学を習われたようですね。良く知っておられる。
地名を漢字でとらえずに読みでいくわけですね。
しかし、漢字から変化していく場合も多々あるわけですね。

361205:2006/03/21(火) 20:22:48
短い音節語に基本語が多いのは確かですね。

あとの主張も上代語で「やまとことば」として用いられた語
だけを抽出して、その方向で統計的に有意な何らかの
主張がいえているのかな?

>358の話は、「やま壱(yamaiet)」というわけの分からない音を
聞いたときに、「大和」あるいは「山門」という少し意味が通る
言葉に無理やりしてしまうという主張です。

現代のわれわれでも英語の「book」を聞いたときに
「ぶっっく(bu・ku)」と不必要な「u」を付けないと気が済まないわけです。
それはヤンキースのGiambiが「ジオンビ」か「ジアンビ」か気になるのと
同じです。どっちでもないーっ!
362205:2006/03/21(火) 21:10:36
そうそう、この辺りで私の目的について話しておきます。

なぜ私がここで邪馬壱国の都=阿波国板野郡大麻山
の話を書き続けているかというと、空海さんの気持ちを
我々はあまりにもわかっていないのではないか、
という悔しさからです。

霊山寺を一番にした理由について、大抵の本では
「関西から海を渡って一番近い」などと書いています。

そんな単純な理由で、1番を決めるような空海さんだと
思われているのが、相当に悔しいです。
三教指帰、般若心経秘鍵、秘蔵宝鑰を真面目に
読んだ人なら、いかにすさまじい機知に富んだ方
だったか分かるはずです。

もし本当に空海さんを尊敬しているのなら、本気に考えてください。
霊山寺を1番にしたのは釈迦牟尼佛が
「汝末世衆生済度の悲願を起し八十八ケ所を開かんとならば、
此処を第一番と定むべし・・・」としたからです。
これはどういう意味ですか?
皆さんは衆生済度のために活動していますか?
363葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/21(火) 23:02:55
霊山寺を一番に定めたのは空海さんじゃないだろう?
364359:2006/03/21(火) 23:50:52
>>360
フダラク→フタアラ→二荒→ニコウ→日光
が有名なのも知っています。

万葉仮名のように音に漢字を当てはめ、漢文のように見せて、真名が扱えると
威張るのは、ローマ字で日記を書いて欧文にみせるのも同じ。

蛇足ながら、水戸黄門の安積覚兵衛さんも手紙に「穴賢」と書いて「あなかしこ」
とやっている。(大洗・願入寺宝物館で)
365205:2006/03/22(水) 05:57:08
>363
ではだれが決めたのですか?

霊山寺では以下のような由来としています。
「・・深山幽谷を跋「足歩」し佛法相応の勝地を訪ね給ふ時、
當山に奇雲「雲愛」「雲逮」として光明空中に輝けるを見そなはし給ひ、
奇異の思を為し立ち寄り給ふに、今の伽藍の地に當り諸佛天人充満し、
中基には釈迦牟尼佛 左右には文殊普賢菩薩
各「口偉」「之堯」して一乗の法門を述べ給ふ姿、
さながら天竺鷲峯山説法の儀式に異ならざれば、
随喜渇仰の涙を浮べさせたまひ暫く佛面を拝しまつりしに
佛我が大師に告げて曰、
汝末世衆生済度の悲願を起し八十八ケ所を開かんとならば、
此処を第一番と定むべし・・」

もちろん伝承です。
だからこそこの伝承が信じるに値するか考えているのです。
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

たぶん四国を曼荼羅に喩えた修行だったと想像します。
その当時は八十八ケ所すべて揃っていたわけではないかも
しれません。
それから佛とはご自身の中の佛が告げた、という意味でしょう。
こういう比喩は多いです。
366205:2006/03/22(水) 06:12:09
これまでの歴史学の方法を見ていて気味が悪いと
思うことがいくつかあります。

まずいわゆる定説が、新たに発見された文書
によって容易にひっくり返されること。
それだったらはじめから定説と呼ばず、推測や想像
とすればいいのに。(定説、通説という呼び方に人は惑わされる。)

あと文系全般に多いのですが、網羅的にデータを集めて
統計的に処理し、その上で論理を組み立てていかないこと。
最近はその方向でやっている人も一部いますかね。

ちなみに私は空海さんの話から邪馬台国の話に
はいったわけではありません。
魏志倭人伝の24国比定問題から、四国東部に邪馬壱国
を比定し、最後の詰めで都および卑弥呼の墓の位置
を探ろうとしています。

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
367205:2006/03/22(水) 06:41:32
>>360 >>364
地名の語源を探るのは相当に難しいです。

ある地名の成立時期を考えたいとします。
もしそれ以前の地名がはっきりしていて、
いかなる理由で新しく付けられたかがきちんと
記録に残っていれば、その地名の成立時期が
ほぼ確定します。しかし、古地名の場合
大抵はそんな文書はありません。

倭人伝の傍国21国の中に「都支国」という国があったと
されています。上古音では「ta kiei」ですから「たき」
だったのでしょう。

この地名は香川県の「土器川」という地名として残っている
というのが私の主張です。しかし、土器(どき)は字音語で、
それはありえないように思える・・・・ではどうして?
「滝(たき)」は古くは急流を意味する言葉で、
まさしく土器川は有数の急流河川なわけです。
だから「たき」の意味が通じにくくなったあと、
土器がたくさんでるから「たき」から転訛して「どき」なのだと・・・。
(こういうことを24の国名ですべて行う必要があります。
それでようやく統計的な意味があります。)

地名にはこういうことが多いと思います。
推論規則が正しいかどうかは、いくつかの文書がないものとして
規則を作り、残った文書においてもその規則がうまく適用されるかどうかです。
新たに発見された文書でいちいち定説が変更されるような
推論規則は、まったく意味がありません。
368葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/22(水) 08:36:09
空海さんの時代に八十八ヶ所の原型的霊場が成立していたというなら、
まずは中世・平安期にどのような形跡があったかをたどる必要が
あるんでないんかね?近世になって出てくる霊場の形態をもって
空海の時代を憶測するってのはかなり無理があると思うよ。
ちなみに寺の縁起についてはアテにはならんね。
全く何もないところからねつ造されたものとは言わないが、
その起源をさぐるのに文面を盲目的に信用して
そこから始めるという手法にはかなり無理がある。

あ、ちなみに空海の伝記に定説なんてないから。
あまりにもわからないことが多すぎて、
ほとんどが憶測で語られている。
369日本@名無史さん:2006/03/22(水) 10:23:18
弘法大師の男色相手をつとめた人物には、どんな人が居ますか?

本朝男色の開祖だというのに、相方の名前も知らぬのかえ?

空海のスレというに情け無き限りぢゃのう!!


370205:2006/03/22(水) 19:32:31
>368
えーと、質問に答えてもらってないような気がしますが。

手法とおっしゃいましたので、私も一般論を書きます。
データが少なかろうと、いわゆる「科学」ではいくつかの
作業仮説を立てて、もっとも単純な法則でデータに
矛盾がない仮説を採用します。
その仮説は、現象の予測ができ、反証可能性があることが大事です。
いくつかのデータが矛盾している場合は、それは除外して仮説を
調べます。

ということをやってませんよね。日本の歴史学では。
どうやら誰かがきめた固執しないといけないデータがあるようです。
邪馬台国論争の悲惨さをみていると、そう思います。
他の分野からムラ社会といわれるわけですな。
371葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/22(水) 19:47:28
えらいケンカ腰だなあ。煽ったわけじゃないんだけどねぇ。
質問ってのは>>365のことかな?
霊山寺を一番に決めたのが誰かなんてワシは知らんよ。
ただ、あなたが一番に決めたのは空海さんだってことを前提に
話をすすめてるから、違うだろ?って言ったんだよ。
それに対してあなたが「では誰が決めたんですか?」と質問してくるのはおかしいんじゃないか?
空海さんが霊山寺を定めたっていう根拠をあなたがあげれば済むことなんだから。
372205:2006/03/22(水) 19:49:24
>368
寺は本来は修行の道場なのだから、
行者が修行のために巡ることは当たり前だと思うんですけどね。
そのころから葬式のためのお寺だったのかな?

古文書に残らなかった地名、人名、事柄が
ほとんどであることは自明ではないですか?
それでも有名人だけでも、空海さん、空也さん、一遍さん、
西行さん、それから役小角さんや行基さんあたりは
四国は巡っていたでしょう。
文書に残ってないから、行者がお寺を巡っていなかったと
考えるのは私には不可能です。
少なくとも空海さんの足跡をたどろうとすれば、いやでもいくつかの
お寺にご厄介になってしまいます。どこも辺地だから。

なお私は昨日お寺におまいりしましたけど、まだ日記に
書いていないので文書には残ってないと思います。
あっ、いま残った(笑)
373205:2006/03/22(水) 20:19:49
>371
証拠って寺の由来を否定されたら
そんな信頼できる文献があるわけない!(だからケンカ腰にもなります。)
空海さんがしたことは全部「空海全集」にあると??
空白の7年もあるのに?
その主張に関しては他の寺から異論はでていないはず。
あと、般若心経秘鍵の最後の文も関連があるかも。
(待乳山さんありがとうございました。)

データがすくないのだから、作業仮説を立てているわけですよ。
ある方向からみれば、憶測だろうけど。
えーと、これまでの話は読んでますか?
まず、霊山寺の伝承文が正しいかどうか?
なぜ「鷲峯山」かつ「釈迦+文殊+普賢」なのか?
どうしてこの地を「一番」にしなきゃいけないのか?
なぜ涙を流してまで喜ぶのか?

まあ、計算高い住職が霊山寺を有名にするために
こんなめんどうな話をでっちあげたんですかね?
私はそんな敵を増やしてまでも宣伝しようとするやり手の
住職がいたらかえって尊敬します。
374日本@名無史さん:2006/03/22(水) 20:21:30
★ 倭寇の正体は朝鮮人だ!! ★

韓国朝鮮人は、
「日本の海賊=倭寇が、過去に何度も韓国を侵略し、我々韓国人に多大な被害を与えた!」と、
主張して、日本人をよく非難する。
しかし、韓国人のこういった主張は大ウソなのである。倭寇の正体は韓国人=朝鮮人なのだ。
韓国朝鮮人は、金氏新羅の時代から活発に海賊活動を行っていた。
そして、朝鮮海賊にとって、第一のターゲットは、常に日本人であった。
我々日本人こそが真の被害者であり、韓国朝鮮人は加害者なのである。韓国朝鮮人は侵略者なのだ。
新羅時代、朝鮮海賊が対馬海峡や九州西岸海域に出没し、日本人を襲って殺傷する事件が多発した。
大和朝廷は、大宰府の水軍に対し、海上警備の強化を命じた。大宰府の取り締まりが厳しくなった結果、
朝鮮海賊は「商売アガッタリ」状態になった。そのため、しかたなく、朝鮮海賊は自分たちの国の人間を
襲うようになった。
この時、彼らは朝鮮人らしく悪ヂエを発揮して、新羅王府の取り締まりから身を守るため、
自分たちが朝鮮人である事を隠し、日本人に偽装した。
「オレたちは倭人だぞォ!」と、アピールしながら海賊活動を展開したのだ。
これが倭寇の正体なのである。倭寇とは朝鮮海賊のことなのだ。

★きままに歴史 『元寇と高麗』★
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
375205:2006/03/22(水) 21:11:34
>352
私自身は徳島出身ではないのですが、
ほんとに大麻山周辺は素敵なところですよ。
古墳や神社が多く、私がこれまで感じたことがないような
厳粛な雰囲気が漂ってるところです。
いまなら「バルトの楽園」のロケセットも見ることが出来ます。

もし、徳島に来られるようなら、大麻比古神社裏の丸山神社、
そして真名井を通る裏道で奥の院にお参りすることをお勧めします。
あの雰囲気は私のような人間にはなんともいえないです、ハイ。

怪しい地名
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/syuhen.html

実を言うと積石のおおいエリアや青石(数十キロ)もすでに
見つけています。青石は埋め戻しましたけど。
ここは車で登れないので、よく標高400メートルまで
持ち上げたものだと感心しました。
376葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/22(水) 22:27:29
いやいや困ったもんだ。キミの人間性と思考力はよくわかったよ。
日本の歴史学を超えたすばらしい方法論でガンバッテくれたまえ。
377日本@名無史さん:2006/03/23(木) 00:10:32
何か、激しい応酬してるよ!
珍しい。
378葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/23(木) 00:33:05
激しい応酬か(失笑
たまには待乳だけに頼らず、ワシもこのスレに貢献せんとな。
まあ、しばらくは205氏の御高説を拝聴しようかね。
379日本@名無史さん:2006/03/23(木) 03:28:15
生かされて
380205:2006/03/23(木) 06:14:25
じゃあ、ご高説を(笑)

なぜ「邪馬台国が四国ではないか」という
作業仮説は、まったくないに等しいのでしょうか?
だれか、この疑問に論理的、学術的に
答えられる歴史学者か考古学者はいますか?

考古学者の北條さんのいうような
「徳島が片田舎として扱われたから」
とでもするのかな?
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0920.htm

そんな無茶苦茶な方法論で学問やってるの?
たぶんそうじゃないでしょう。
「そんな説をとなえる者は研究者になれない」
381205:2006/03/23(木) 06:28:18
ひとつの予測される答えは、
四国では邪馬台国「七万余戸」投馬国「五万余戸」が入りきらない。

しかしここは、「可」を使っているのだから実数ではなく、
なんらかの方法で概算したと考えるべき。
その方法が何なのかをはっきりさせればこの答えでもいいかな。

簡単な方法は、面積か川幅かな?
奴国2万戸との対比で矛盾がでますか?
382205:2006/03/23(木) 07:13:47
ムラ社会とは、
「内部の誰かが間違っていても指摘せず、
傷つけないよう仲良くやっていこう。
外からの批判があっても、内部でもみ消そう」
という社会です。

「日本史の学会はムラ社会だから正論が通るとは限らない」
というのは友人(日本以外の史学専攻)が話したことです。
どなたか反論をどうぞ。

この話も長い目で見れば、空海さんにつながります。
383364:2006/03/23(木) 07:28:37
>>381
耕地面積からの検証は済んでいるんでしょうか。他所からの年貢があるんなら近辺の
面積だけで食っているわけではないでしょうが、でなければ近辺に相応の面積が要る。

明日香を眺めたりすると稲作には水が要るので山が近くにないといけない。後に灌漑
工事が大規模になって平野に出て行くが、初期はそうでもないと想像している。
人口が少ない時点では生活できていても増えてきて上流が開拓されてある時洪水に
なったりすると以降そこを捨てるというのもありそう。四国は水で苦労する土地柄。
人口が増えると(当時の公共工事技術では)破綻しやすい気もする。

また風水は眉唾という気もあるが、意外に生活の必要性を尤もらしく「説」にした気
もしないではない。
384葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/03/23(木) 09:37:24
>>380
あ、いちいちワシを意識しながら書き込みせんでええから(笑
感情を入れると余計に説得力なくなるよ
385日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:29:24
初期古墳の石室に阿波の石材・・・播磨や阿蘇の石棺への移り変わりも諸行無常という感じが・・・
386日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:25:40
しかし、1200年経った今でも
このように熱く議論されてるってことは、
やはり偉大な証拠だな!
387日本@名無史さん:2006/03/24(金) 01:08:56
台湾総統、パンダ受け入れ拒否を示唆

 【台北=長谷川周人】中国が台湾にパンダの寄贈を申し出ている問題で、台湾の陳水扁総統は23日、
中国指導部に向け「パンダは元来の生息地に戻すべきで、贈り物とされるパンダは幸せとはいえない」と呼びかけた。
パンダの政治利用に反対する認識の表明で、陳総統は実質的な受け入れ拒否を示したとみられる。
最終判断は台湾当局が4月3日までに発表する。

388待乳山:2006/03/24(金) 02:08:50
『青石 (学術名:緑泥片岩) は、アルミニウム、鉄、マグネシウムの含水ケイ酸
塩鉱物を主成分とする緑泥石が、地中深くで地殻変動などによる「動力変性」を受け、
出来上がったもの。全国各地で地殻変動の顕著な所に産出する。
徳島県では、徳島城のバックとなっている城山、市の中央に突出している眉山な
どは全山青石と言っても良い位である。
全県的に見ると、青石は四国山地の剣山山系に多く産出する。
徳島県内の山間部では、所々で青石の露頭が見られる。
また、吉野川中流域では、河底が総て青石の場所もある。』 と、コピペすたよ。

和歌山県の吉野川からも青石がある、和歌山城にも使われている。
高野山にも高野聖達が運んだ「石塔」にも独特の青石がある。
もちろん日本列島の中央構造線沿いだから、どちらにもあるのですが。
やはりどう考えても、チャーハンをフライパンから皿に移す様に、
オモレツをフライパンから皿に移したように、淡路から四国を近畿地方に
パタンと移したのではないか、と。


389205:2006/03/24(金) 06:26:08
耕地面積は概算が難しいと思いませんか?
その方法は直接人口を調べるのと大差ないので、
その方法はとられていないと思いますが。

でも面白いのでちょっと調べてみましょう。
時代が違うのでかなり修正が必要になりますが、
実数で調べられる石高で考えてみましょう。
そのあと弥生期との違い(耕地区域、海岸線など)
を考慮しなければなりません。

http://homepage1.nifty.com/saga-t/kappa/daimyou/daimyou-main.html

阿波 186753石
讃岐 171815石
伊予 281600石
土佐 202600石
筑前 523512石
壱岐 15820石

壱岐3000戸だと、単純に比例すると
2万戸 105466石
5万戸 263666石
7万戸 369133石

奴国の範囲を定める必要がありますね。
390待乳山:2006/03/24(金) 07:54:20
福岡市の奴国の湾の地形がすばらしい!
霊山寺周辺の地形もすばらしい!ここと逆の
地形で地相学はやってないけど。どちらもイヤシロ地!すごいっ。

391383:2006/03/24(金) 09:09:33
>>389
先ずは統計値から見るということでしょうが、実際は地形とか分水嶺とかまで
下りて行かないといけなくなるんでしょうねえ。過去に遡って検見をするみたい
になりますねえ。

稲作に深山渓谷(冷たい)や吉野川のような大河(汲み上げが大変)の水を
使うのは大変ですから標高200〜300米位の山の麓で比較的平らな土地しか
使えないでしょう。とするとその山の保水量が制約になる。
奈良の三輪山をご神体にしているのは、水資源のためでしょう。満濃池が出来て
どれだけ耕地が増えたのでしょうか。地図上で全地域をみるのが大変なら
メッシュにわけて乱数で地域を選び、耕作可不可を判定して比例計算で統計的
に有意なデータをとるとかになって来るのはないでしょうか。
392待乳山:2006/03/25(土) 00:02:28
>>391さん、条里制を知ってでありんすのに、もう
遠回りしておられる。ほんとは、歴史学者でしょうかと。
393待乳山:2006/03/25(土) 00:10:40
山は、猪肉やらの食物、家の柱と燃料と水の恵みの場所、田は野菜・
米の収穫場所、そのせめぎあいだけど調和のとれた景色が日本の田園
と山並みと川の風景。
394205:2006/03/25(土) 06:46:56
昨日は時間がなかったので中途半端でしたので、
もう一度まとめてみます。あくまでポテンシャルのお話です。
たとえば弥生時代だと低地は海なので耕作不能です。

対馬 1000余戸(良田なし)
壱岐 3000許家
末ロ 4000余戸
伊都 1000余戸
奴 20000余戸
不弥 1000余戸
投馬 50000余戸(可)
邪馬台 70000余戸(可)
395205:2006/03/25(土) 06:48:15
http://homepage1.nifty.com/saga-t/kappa/daimyou/daimyou-main.html
対馬 20165石
壱岐 15820石
筑前 523512石
阿波 186753石
淡路 63000石
讃岐 171815石
伊予 281600石
土佐 202600石

http://www.sewayaki.jp/ken39/yasu/rekichi/rekichi17.html
那珂郡 36498石
早良郡 38672石
粕屋郡 53410石
御笠郡 32607石
席田郡 8716石
5郡計 169903石
3郡計 128580石
筑前 502416石

志摩郡 37422石
恰土郡 16105石
396205:2006/03/25(土) 06:48:59
*奴国の比定範囲=上記5郡
20000余戸−170000石とすると
1000余戸−8500石
3000余戸−25500石
50000余戸−425000石
70000余戸−595000石

*奴国の比定範囲=上記3郡
20000余戸−130000石とすると
1000余戸−6500石
3000余戸−19500石
50000余戸−325000石
70000余戸−455000石

(伊予+土佐)*1/2 242100石
(阿波+讃岐)*3/4+淡路 331926石

延喜式では、阿波、讃岐、伊予は上国、土佐は中国、
淡路は下国。南海道のもうひとつは紀伊で上国。
http://www.h3.dion.ne.jp/~t.r.s/today/101-150/101.html
397205:2006/03/25(土) 06:57:43
>390
ときおり中国からの遣使が福岡の「伊都国−奴国」と
徳島の「板国−奴国」を勘違いしたこともあったんでは
ないかと思ったりします。
というわけなので「伊都国」は恵まれていると。
398205:2006/03/25(土) 07:06:21
>391
現代ならその方法がよさそうですね。
ただここは弥生時代に魏使がどのように概算したかを
予測したいのです。
あてずっぽうではまずいわけで、なんとかして
有効数値1桁で算出したわけですよね。

(1)ある程度邪馬台国内を廻り、集落の数を数えて、
あとは面積で概算。

(2)倭人から集落の数を教えてもらって、
1集落の平均予測戸数を掛け算。

だいたいこんなとこじゃないかと思うんですがね。
399205:2006/03/25(土) 07:32:02
実数調査は考古学調査が進めば次第に分かってくると思います。

現在でも
「どのくらいの範囲を調べてどのくらいの遺跡が見つかったのか」
を考慮に入れて遺跡数を予測すれば、
ある程度の誤差で予測が可能だとは思います。
ただ、その当時は河川の氾濫もあるので低地よりも山裾での
生活が主だったでしょうし、そういった未開発地域での
メッシュ調査をする必要があって、予算が問題になります。
(特に四国のような予算が少なさそうなところでは。)

「現在見つかっている遺跡数」から人口を割り出すと、
未開発地域は実数よりもかなり小さくなってしまいます。
たしかその手法で昔計算していた値があったはずですが、
現在その手法でやるとどのくらいの違いがあるのでしょう。

予算のかけ具合と遺跡数の相関を調べればよいかも(笑)
400391.383:2006/03/25(土) 10:24:26
前に出ていたかどうか忘れましたが、1石=1反位の生産性ですか。
1戸 6.5反なら班伝収授での単位や労働力との整合性はありそうですね。

戦後我が家では5反を3人でやってました。農繁期は近所で助け合いました。
(今は機械化で1町歩2人とかありますが)

後は、国毎にその耕地面積が物理的に存在しえるかどうかですね。
401待乳山:2006/03/25(土) 17:53:38
耕地面積と弥生時代の国と空海さんがどうしてここで
語られているのかがわからなくなってきましたが。
思いみれば、満濃池や益田の池で田(米)が栄え
るようにと語られています。弥生人の田はこの田
の字の様に升目で植えるようにしていて、そこには
環濠をつります、それが環濠集落になり、城をつくり
周りに堀で張り巡らします。それは、ちょうど前方後円墳
に水が張られた状態です。江戸時代まで貨幣ではなく米(石高)
計算でした。空海さんと米(弥生時代)とがどいう意味を持っているか
思い巡らすわけです。
402400,391:2006/03/25(土) 19:47:58
空海は唐に渡って新しい、今で言うビジネス・モデルを持ちかえったと思います。
お経に「福田」というのがありますが、山の上で薄いかも知れませんが、お米が
食えるようになった。勿論必死にその対価の生成に研鑚したのですが。
403待乳山:2006/03/26(日) 00:08:18
>>402さん、『福田』を知ってるあなたはただ者ではない。
何かやってるのかと聞きたい。良く知っておられる。
『山の上』での稲栽培→陸稲米ですね。焼畑→農業。
404205:2006/03/26(日) 05:57:08
>401 
しっかり関係はあると推測します。
かなり長い目でみる必要がありますが。
般若心経秘鍵でいう「秘が中の極秘」ですが。

大杉博氏の唱える邪馬台国四国山上説というものがありまして、
多くの邪馬台国論者に論争を挑む好戦的な説でした。
氏の論理は確かにあいまいな所、おかしな所がありましたが、
正論もいくつかありました。
曰く「比定地図なしで、なんの比定なのか」
たしかに、地図なしで比定している邪馬台国論者が多いです。

さて、そこで語られていたことのひとつに、
四国の山の頂(高地)付近にあるため池があります。
寺戸恒夫「徳島の地理」p.61では、徳島県内で確認
されているだけで100くらいプロットされています。
その本の意見によると、そのため池は人工というよりも
二重山稜というものらしいです。
つまり、谷が山地を侵食し、山腹の押さえがきかなくなって、
重力によって山体上部がずり落ち凹地ができる。

詳しく知りませんがその周辺で土器が出るということでしたので、
そういった地域も調べないと、戸数の実数予測は誤差が
大きいままです。
405205:2006/03/26(日) 06:19:29
「秘が中の極秘」を喝破した。
しかし言うべきではないこともあった。
この意味は、空海さんの著作を読むと、
思い当たる節がありませんか?
なぜ空白の7年を語らないのでしょうか?

空海さんは山中を闊歩することを好んだ。
現代人は低地の論理で、高地を語る。
何もなくて不便だ・・・と。
ああ、何という勘違いをしているんだろう。
大事なことを忘れてしまっているなあ、と思うのです。

少なくとも空海さんがなぜ山を好んだか理解
できないというのは、あまりに浅いと感じます。
406205:2006/03/26(日) 06:32:30
>>380に対する答えはどうなんでしょう?

なぜ「邪馬台国が四国ではないか」という
作業仮説は、まったくないに等しいのでしょうか?
だれか、この疑問に論理的、学術的に
答えられる歴史学者か考古学者はいますか?
素人の方でも結構です。

現代の論理で、古代を語る。
低地の論理で、高地を語る。

ちょっといい加減すぎやしませんか?
(ここの「論理」は、論理学の「論理」ではなく「見解」の意味です。)
407402,400:2006/03/26(日) 07:04:57
>>403
近江・長沢に福田寺というのがある。めずらしいので由来を調べただけ。

この前幼稚園の子供が殺されて似たような風景が出たんで、あの近くか
と目をこらしたが、長浜の反対側だった。あの辺も湖畔の水田地帯。
408待乳山:2006/03/26(日) 07:33:17
>>405さん、「秘が中の極秘」って何だっけ。
409407,402:2006/03/26(日) 07:36:27
>>405
奈良時代すでに平地に寺はあったが、平地の寺はま、学校とか儀式の場所。里の人が相手。
対して山の中腹とか頂上近くにあるのは、里から距離を置きたいからのはず。
鎌倉あたりでも札所になっていてこれに近いと思しき寺が見うけられる。
山の尾根から尾根をつわたり歩く修験者の宿所の便宜のためではないかと想像する。
義経が吉野から加賀へわたったのも修験者・山伏の手引きという見方がある。
修験者の中には里に出て行けない人もいよう。まじめに修行目的の修験者もいた
だろうが、僧侶の国家試験を始めた、時の政府の困惑には、今のニート問題に似た
情勢があったのではないか。特に縄文系の人には政府の拘束がウザかった。

空海も奈良で勉強を始めてそのまま行けば下級役人。能力が余ってヤッテラレナイ
と思ったかも。時に渡来の僧が「イイ話がある」と囁いた。まだ寝てみる夢や瞑想
に力があると信じられた時代だ。念力で自然を制御できるかもと。

現代も自然を利用している。破壊もしているが。
410待乳山:2006/03/26(日) 07:48:55
>>407さん、近江米ですね、それと鉄職人にみる
技術集団、まさにこの周辺に戦国大名がより集うわけだろう。
もともと、縄文人がが住んでいた豊かな所だよね。
411205:2006/03/26(日) 17:41:46
>408 >409
高野山に曼荼羅図が描かれていますね。
行者にとって山は大日如来の胎内なのでしょう。
そして山とひとつになることが修行です。

もちろんそう考えることが出来るかどうかは、
その人の気持ちや能力によります。
「顕密は人にあり」ですから。
ぜひ秘鍵を読んでみてください。


再度の問題ですが、なぜ大麻山が霊鷲山と呼ばれたのか?
どこに第一のストゥーパがあるのか?
ヒント
初期のストゥーパ(サーンチーの仏教遺跡)
http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/01_sanchi/sanchi.htm
鷲峯山説法図
http://www.miho.or.jp/booth/html/imgbig/00000920.htm
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
412205:2006/03/26(日) 21:17:08
>408
なんだか不親切な気がしたので、少し書いておきます。

「顕教」の直接的な解釈(顕)
「陀羅尼集」の画像・檀法・真言・手印等(秘)
「金剛頂」の真言・儀軌・観法(極秘)

これを今私が問題にしている場合に喩えてみましょう。
ここに小高い丘があります。

普通の人は、それは丘だと知る。(顕)
考古学者は、それは古墳だと分かる。(秘)
**は、その古墳の意味を喝破する。(極秘)
413205:2006/03/27(月) 06:01:10
>388
結晶片岩(緑色片岩、紅廉片岩)のうち緑色の石を総称して
四国では「青石」と呼んでいます。
三波川帯はこの結晶片岩からなっています。

徳島東部ではおおよそ吉野川南側に三波川帯、
北側に領家帯が通っています。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03-03rocksalongmtl.htm

そのため、大麻山周辺では自然に青石がでることはありません。
青石があるということは、わざわざ誰かが南から運んできた
ということです。大麻山はほぼ砂岩や泥岩からなっています。
しかし重要な場所(石棺、積石の一部、碑など)には結晶片岩が用いられています。
つまり、大麻山周辺では、遺跡があったかどうか結構簡単に判断できます。
414205:2006/03/27(月) 06:03:30
古墳は大きさよりも築造年代や出土物などの質が重要です。
しかし、どんなに証拠があがっても作業仮説がないでは
いかんともしがたい。

天河別神社1号墳(鳴門市)は国内最古級
畿内の竪穴式石室は阿讃地域から広がったとする説を補強
http://www.topics.or.jp/Old_news/n05092806.html

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
415待乳山:2006/03/27(月) 07:58:20
石積の石室(せきしつ)は神を拝所した場所ではないかと、
そしてシャーマンでもあるその長(おさ)が死ぬとそこに
葬り、蓋をして土を盛った。
徳島いや、四国淡路にはすごい歴史がかくされている。
空海さんも岩室におわします。
416日本@名無史さん:2006/03/27(月) 11:40:56
古座の1枚岩ではないが、紀州には岩肌が出ているところが多く、古くは
地球の内臓が出ているように見て神聖視してなかったっけ。
417205:2006/03/27(月) 19:46:07
>415
ご存知だと思いますが、邪馬台国阿波説は
かなり昔からありました。
基本的に阿波を邪馬台国とし、高天の原を剣山山頂、
卑弥呼の墓を八倉比売神社の古墳とする説です。
しかしその古墳では時代が合わないし、
傍国の比定は本を読む限りかなりばらばらです。

かなり良い比定案を出したのが四国山上説の大杉氏です。
邪馬台国、投馬国、狗奴国3国と傍国21国をうまく比定しました。
ただ、地名の対応は国名の読み方の困難さもあって
合っていませんし、投馬国の範囲が狭すぎます。
氏は最近活動していないのかな?
HPもなくなってしまっていますね。

参考 日本史のブラックホール・四国
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm
418205:2006/03/27(月) 20:03:39
『古語拾遺』のこの文章はやはり気になるなあ。

「其の高皇産霊神のなし生る女の名を栲幡千々姫命と曰す
(天祖・天津彦尊の母なり)。
その男の名を天忍日命と曰す(大伴宿禰の祖なり)。
又の名を太玉命と曰す(斎部宿禰の祖なり)。
太玉命の率ゐる所の神の名を天日鷲命と曰す(阿波国忌部の祖なり)。
手置帆負命(讃岐国忌部の祖なり)。
彦狭知命(紀伊国忌部の祖なり)。
櫛明玉命(出雲国忌部玉造の祖なり)。
天目一箇命(筑紫・伊勢の両国の忌部の祖なり)。」

「率いる」・・・各地の忌部氏の大伴氏に対する忠誠心を感じます。

阿波説の方、天日鷲命は大麻山から降りてこられたらしいので、
高天の原はそっち(南)ではないですよ。(うわ、ローカルな論争だな)
419205:2006/03/27(月) 20:08:02
おっと、ここでも「一」とか「鷲」ですね
(と偶然を装う。)
420日本@名無史さん:2006/03/28(火) 04:20:35
創造論者はノアの洪水の仕組みや、化石の誕生の仕組みや、その他諸々の聖書の記述について、科学的に説明しようとするが、そんな説明は聖書には書かれていない。

つまり、例え創造論者が聖書の記述を科学的に説明しても、その説明自体が聖書に書かれていない以上は、真実ではない事になる。
聖書の読み手が想像して言っているだけに過ぎない。
まさに、想像論である。
421205:2006/03/28(火) 06:14:45
>420
なんかスレちがいかもしれないけど、
どうして聖書にすべての説明がないと想像なの?
聖書に「ここに全て説明を記述した」とあるなら、
その言葉はうそってことになるけど、
そんなこと書いていました?

ある分野を除けば「公理系から厳密に証明する」
なんてことやってる学問なんてありませんよね。
たいていは作業仮説を立て、多くの実験事実と
比べながら、さらに仮説を磨いていく。
そして現象との適合度が高くなれば、定説になる。
やれるのはこれくらいですし、それで十分でしょう。

「文献にないから想像」なんて、その論理が分かりません。
その反例はいくらでも挙げられます。
最近の創造論者の説明はよく知りませんけど。
422日本@名無史さん:2006/03/28(火) 17:45:40
>どうして聖書にすべての説明がないと想像なの?

聖書に書かれている事のみが真実だと言い張り、文字通りに真実と受け止め、聖書の内容は寓話でも比喩でもないと主張する創造論者が、聖書に書かれていない解釈で創造論の正当性を主張するから、イヤミを述べただけ。


>たいていは作業仮説を立て、多くの実験事実と比べながら、さらに仮説を磨いていく。

創造論者は、そんな作業はしていません。
423日本@名無史さん:2006/03/28(火) 17:46:32
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0075.htm
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/index.html

結局、創造論は神による生物の直接の創造を前提としている宗教なのですから、
そのようなくだらない理屈をつけずに、
宗教上の理由で信じないでかまわないのではないかと思うのですが。
もしかすると彼らも科学に憧れているのでしょうか。
神とは何か、神はどのようにして誕生したのかに答えないと
科学にはなれない客観性を持てないことを彼らは知っているのでしょうか。
 創造論の最大の欠点は、他者を否定すれば、自己が肯定されると勘違いしていることです。
自己を肯定しなければ、他者を否定できないことに気づいていないのです。
つまり、積極的に証明しなければ、否定だけではニヒリズム(神は死んだ)に走らない限り、
何も説明していないことにすぎません。完全に説明できないから進化はないというのなら、
神の存在を客観的に(キリスト教以外の人でも)確認できなければ神は存在しないことになります。

エントロピーの法則は孤立系でのみ成立するので、
エントロピーの法則を理由にして進化論を否定することはできない。
エントロピーの法則を理由にして進化論を否定する創造論者は、
自分の理解が間違っているという可能性に思い至らず、
多くの専門家よりも自分のほうが正しく理解していると思い込んでいる。
また、誤りを指摘されても訂正しない創造論者もいる。
424205:2006/03/28(火) 21:09:44
>422 >423
原理主義者の話ですか。
それはまあ議論するのは大変です。
公理系が異なっていますから。
425205:2006/03/28(火) 21:25:03
霊鷲山の話ですが、唐にいたときに童子に先導されて
インドまでいったことにことになっているのでした。

http://www.ho-senji.jp/kukai/guhou.html
http://www.ksk-jp.com/publication/kouya/kouya_relation.htm

この伝承ができた経緯はなんとなく想像できます。
「空海さんが霊鷲山で釈迦の説法を聞いた」とすれば、
唐にいたとき以外はありえないと考えたかな?
426日本@名無史さん:2006/03/29(水) 06:29:53
>>インドまでいったことにことになっているのでした。
行ったかどうかという問題と行ったことになっているという問題で
なぜ行ったことにしたのかというのを詮索するのって時に面白いよね。

debate でもそうだが、論争に勝つために詭弁を弄するというのは、まあ
よくあるんだが、聞きかじりが喧伝するんかな。言っていることの真偽は
別にして「あの人が言っているんだから」と正当化したがる人もいる。

最近も同じことがあってマスコミもこれ幸いと話題にしたな。マスコミも
放送時間が埋ればいいというのがあり、困ったこと。立派な評論家も「下らな
いと思ってますが、放送局が言えっていうもんですから一応言いますが」とか
言うと面白いんだが。
427205:2006/03/29(水) 18:12:33
>426
妙なことにはたいてい理由がありますね。
悪意のある場合は、だれの利益になるか
考えれば分かります。
悪意のない場合は、いかにも自然な理由
が多いです。
428205:2006/03/29(水) 18:24:08
その妙なことが邪馬台国論争にあります。
えーと、これまでの主張をまとめておきます。
どうして空海さんがこの国の成り立ちを
調べたくなるのか、2つの理由を挙げました。

1 ご自身の源を天尊としたこと。具体的には天忍日命
(大伴宿禰の祖)、又の名を太玉命(斎部宿禰の祖)。

2 入唐に際し(あるいは入唐後でも)、日本と中国との
歴史を知っておくべきだった。

もし空海さんが中国正史をいくつか読み、そのうち魏書を
読んだとすると、邪馬壱国がどこにあるか決めることが出来る
重要な情報が記されていることに気づきます。
空海さんでなくとも少しでも自分の頭で物事を
考えられる人なら気づくことです。

それが何か分かりますか?
文献では邪馬台国を比定できないと思っている人は
もう一回倭人伝を読んでみてください。

http://www.geocities.co.jp/yamatai4/gisi.html
429日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:33:56
>>428
否定肯定の話でなく、ただ単純な確認なんだけど、
空海が船に乗るのは、葛野麻呂の船団が一度難破して2度目のトライに急遽希望
したんではなかったか。空海の準備とその辺のあわただしさとの整合性は大丈夫
なのかな。
430日本@名無史さん:2006/03/30(木) 01:21:08
***********戦国護衛官***************

テロ対策で重火器を装備しての訓練中、皇宮護衛官たちが戦国時代にタイムスリップした。
皇宮護衛官たちは、戦国の世に実権をなくした朝廷を盛り立てるため、官軍として天下平定を目指す。
431205:2006/03/30(木) 05:55:02
>429
それは少し考えていました。
難破して1年延期という運のよさについてですよね。
空白の7年間ずっとそのときの正式な遣唐使になろうと
していたというのは正しくないですね。
(難破陰謀説を考えないかぎり。)

もし、これでいけなかったら、新皇帝が即位するときに便乗したか、
密航になってしまいますね。あとは30年後か・・・。
結局、806年に新皇帝即位を賀する船が高階真人遠成
が率いています。(徳宗皇帝は742−805だから、63歳で崩御)
この船でなぜか空海は帰ることができたのでした。
なお高市王−長屋王−高階真人の系譜。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01215.htm

それが正式に行ける事になったのは、やはり幸運かな。
しかも早く行かないと恵果さんが・・・・。
さらにすぐには帰ってこれなくなりそう。
このあたりすべて幸運つづきの空海さんですよね。
432429:2006/03/30(木) 06:24:19
>>431
今たまたま、澤田ふじ子の延暦少年記を読んでて、陳舜臣のものと比較していると
小説なんで作者の創作入りですが、ま、それなりに資料を解釈して書いているだろ
うということで、抱いた疑問が渡航に際してのお金の問題。
時代が違いますが、日蓮が比叡山に行くときも親戚がお金を都合しているようだけ
ど、空海も急遽お金を集めているらしい。昔の人はおおらかなのか、どういうこと
で出したんだろうなと思ってしまいます。
しかも20年の留学生が2年かそこらで帰って来た。さしてとがめだてしたということ
もないらしい。まさか鼻薬を効かされてまずい話はないことになったということで
はないでしょう。
433待乳山:2006/03/30(木) 07:21:24
唐帝は、空海さんに五筆和尚という名を賜った。
『イナバウアー荒川スペシャル』よりすごいことなのだが。
434205:2006/03/30(木) 07:27:31
このあたり結構謎が多くて・・・。
大伴氏、忌部氏あたりと強い結びつきが出来ていたの
じゃないかなと推測しているところです。

>428の答えは24国の地名です。
特に次々にあるという21国の地名は比定にとって
とてつもなくすばらしい情報なのです。
もし少しでも「比定」という作業をおこなったことがある者ならば。
「次々にある」ということが何よりも大事であることに
注意してください。

ここが邪馬台国論争の妙なところです。
なぜこんな重要な情報を畿内説、九州説ともに
まともに解釈できないのですか?
435205:2006/03/30(木) 07:32:16
ただし中国では漢字音の変遷があってその当時の中古音で
読んだのでは地名がそのまま当てはまりません。しかし、
空海さんならば話は別です。漢詩を知っている人間であれば、
上古の押韻がその当時と異なることは知っています。

いずれにせよ、空海さんは故郷に近い
「斯馬(しま)」「巳百支(じぱき)」「伊邪(いや)」
「都支(たき)」「彌奴(みな)」あたりが讃岐にあることを
見抜いたと推測します。

すると、一番大きな国である邪馬壱国はどこなのだろう
ということになります。順番からいって東讃岐でしょうか?
しかし、古語拾遺から察すると、讃岐忌部氏には先祖が
阿波であることくらいの伝承は残っていて、
空海さんはそれを聞いていたかもしれません。
いずれにせよ自身の先祖だと思っていた天太玉命のいた場所と
四国東部のどこかがつながります。
そして、当時の都は畿内にあったわけだから、
記紀の神武東征が史実だということに気づくわけです。
さらにその流れで、天照大神=卑弥呼を推論するでしょう。
436205:2006/03/30(木) 07:37:51
あとは、記紀の舞台さえ探せばよいわけです。
その場所とは、山(天)と平地(葦原中国)と海が
近接しており、墳墓の証拠が残っているところ。

空海さんは海岸大辺地を歩き、そうして見つけた
その場所が「阿波国板野郡大麻山」です。
イザナミ、イザナギ、天照大神、月読命、スサノオら
の墳墓に思いをはせ、まるで霊鷲山を思わせるような
そのすばらしい地形に感嘆したことでしょう。
だからこその「霊山寺=壱番さん」なのです。

確認のためには、他の国々の地名が倭人伝の国名と
対応することを調べます。そして、四国を廻って
地名が対応していること確かめ、空海さんはご自身
の推理を確信したことでしょう。

もし「空海さんがこの地を霊鷲山とみたてて涙を流した」
ということを後世の人が作り上げたとすれば、
作った人は大麻山周辺が重要な場所だと喝破した人
だと思いますので十分尊敬に値します。

入唐の前後に空白の7年と1年があり、そのあたりで
空海さんは以上の調査(はじめは意図的ではないかも)
を修行とともに行っていたと推測しています。
437205:2006/03/30(木) 19:24:37
>241、>418で「又の名を太玉命と曰す」は、
「又の男の名を太玉命と曰す」でした。

天御中主神 

高皇産霊神−−栲幡千々姫命−天津彦尊
・・・・・・・・|−天忍日命(大伴宿禰の祖)
・・・・・・・・|−太玉命(斎部宿禰の祖、忌部の祖を率たる)
        
神産霊神(中臣朝臣の祖)

斎部は天孫や大伴氏に近いと主張しているのですね。
岩波文庫では、天忍日命と太玉命を栲幡千々姫命
の男の子としています。上のほうがよさそうに思うけど。
(天津彦尊を其の男と記していないため)
438205:2006/03/30(木) 20:18:31
怪しい話ばかりいっぱい書いてしまった。
記録は残したので、ゆかいな話もせねば

>>433さん
五筆和尚!いいなあ、実力社会は。
空海さんの書はいろいろあって楽しいですよね。
見ていて元気がでてくる「聾瞽指帰」の書が
好きだったりします。
439日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:55:44
キルリアン写真

生体(よく撮影される場合が多い指など)は湿っている。生体に電 気をかけると、
被写体が湿っていれば周辺にイオン化ガスのオーラが発 生する。
この湿度は被写体からフィルム表面の感光剤に移り、フィルム上 には電気的変化のパターンが写る。
写真をイオン化ガスのない真空中で撮 影すると、キルリアン画像は現れない。
もしキルリアン画像が生命力を示 す何か超常的なエネルギー場によるものだとすれば、
画像は真空中でも消 えたりせずにちゃんと写るはずである。
440日本@名無史さん:2006/03/32(土) 08:19:24
>>439
個人差はまったくない?
441待乳山:2006/03/32(土) 18:43:13
(゚д゚)ポカーン
442待乳山:2006/03/32(土) 19:01:04
念写の発見
福来友吉博士は明治2年(1869)飛騨に生まれ、
東京帝国大学哲学科を卒業後、同大学院にて変態心理学
(催眠心理学)を研究し文学博士となり、助教授に進まれました。
透視の研究中に、精神力の感光現象(念写)を発見されました。
心の中に思い浮かべている観念をX線も通さぬ鉄の箱に密閉した
写真用乾板に焼き付ける実験に成功したものの、
唯物万能時代の学者の認めるところとならず、
東京帝大助教授を追放されました。
その後、高野山に入り高野山大学教授を勤めつつ「心霊と神秘世界」
その他多数の著書を残し、昭和27年(1952)に仙台で逝去されました。
念写の研究はまさに神通力の解明です。
福来博士は希有の神通力者三田光一氏とすばらしい実験に成功されましたが、
その内容を自然科学や哲学で論証する仕事は未完のまま「仕事を残して逝くは残念」
と涙を流され、「福来友吉二世生まる」と三回叫んでこの世を去られました。
念写こそまさに神通力と科学の接点として、神通力と科学が初めて合体して
歴史に登場してきたものです。
この念写の研究こそ、心とは何か、魂とは何か、死後に霊が在るか否か、
等々の研究の足掛かりとなるものです。
更に哲学、自然科学に大革命を引き起こすものになっていくのです。
福来博士記念館
念写発見者として世界的に有名な心理学者、文学博士福来友吉先生の
偉業を讃えて荒井寅吉氏、田中久雄氏、
山本健造が中心となり昭和31年、
高山市城山公園に建設したものです。
現在は、説明パネルと出版物を陳列しています。
財団法人飛騨福来心理学研究所に所属し、
管理を城山照蓮寺に依頼しています。
443待乳山:2006/03/32(土) 20:13:36
紀友則 きのとものり 生没年未詳 千人万首
33 久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
ひさかたの ひかりのとけき はるのひに しつこころなく はなのちるらむ
日の光がやわらかにふりそそぐ今日――風もなく穏やかなこの春の日にあって、
落ち着いた心なしに、どうして桜の花が散ってゆくのだろう。
(古今集読人不知)。
4月8日の花供養の日が近づいておりやす。甘茶でおすっ、甘茶。
『天上天下 唯我独尊』アートマン・パワー。
自身はすばらしいと賛美・大肯定しよう。
444205:2006/04/03(月) 19:57:58
空海さんの言葉で心に残ったものは
どんなものがありますか?
下の二つは衆生に対する悲しみですよね。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し」

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」

下の言葉にもとても深い悲しみとつらさがあると思います。
同じ仏道を志す者でも、お互い理解できないつらさと怒り。
あの最澄さんとの関係が思い起こされます。

「顕密は人に在り、声字は即ち非なり」
445日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:17:00
今NHKのnews watch 9を見ていたんだが、イチローは行者だね。
王監督もそうだな。武芸の達人にそういう感じがあるが、同じだ。
星野さんも近いが、ちょっと違う。なんでだろう。
446葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/04/03(月) 22:36:43
>>442
例の立花隆の本に福来のことも書かれてるよ。
安岡同様ボロクソだがw
447日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:01:34
仏道とは、苦しむ事と見つけたり
448待乳山:2006/04/04(火) 06:56:25
>>446さん、やはり所得格差じゃないけど、
縦別けに分かれてゆくのねこれからは、
科学的に証明はする必要はなしかと、
信を持つ持たぬのことではないわけで
あらゆる意味において、効験空しからずだよね。

449待乳山:2006/04/04(火) 07:01:35
>>447さん、苦とたいじ(対峙)したのが4月8日の
甘茶を灌ぐお方(釈迦)でござる。忍、忍。
450待乳山:2006/04/04(火) 07:08:50
>>445さん、スポーツ野球を全体(チームなりグランド)で
どう役割をスペシャルするかと。武芸へのスペシャルではなくて。
『スピリット』っていう映画、武芸だけを見れば良かったが、
何か思惑ありげだなあ。
451日本@名無史さん:2006/04/04(火) 15:48:14
例えば、ヨシュア記には、祈りに応えて神が太陽を止める話が出てきます。
聖書の記者たちの時代には天動説が常識でしたから、太陽を止めるという話になりますが、
地動説の立場が常識の我々から見れば、
神が動いてもいない太陽を止めるというのは理解に苦しむわけです。
そこで、一部のクリスチャンは
「いやいや、あれは地上から見て太陽が止まっているように見えただけで、
本当は地球の自転を止めたのだ」とかいい出すわけです。
ところが、計算してみるとわかりますが、
地球の自転速度は赤道付近では時速1500kmにもなります。
それを急停止させてしまえば、地上では大災害が起きたはずです。
自動車が急ブレーキをかけたときを考えてみれば、どんなことが起きるか大体は分かるでしょう。
しかし、そんな災害の記述は聖書にはありませんし、
世界各地の神話その他を調べても、そのような記録は見当たりません。
地形その他を調べても、そういう証拠はありません。
だから、「地球の自転が止まったなんてことはなかったんじゃないか」
と科学的にはいうしかないでしょう。
 しかし、「いや、地球の自転を止めたのは神様だ。神様は全知全能のお方だから、
地球の自転を止めつつ、地上に大災害が起きないようにすることもできる」という反論もあり得ます。
あるいは、「地球の自転を止めずに、
地球から見て太陽が止まっているように見せることも神様ならできる(太陽の光を曲げる?)」
とかいうこともできます。これらの反論には、何の証拠もいりません。
ただ、そう信じているだけなのですから。これは、信仰上の信条です。
あれこれの証拠で覆りはしませんし、それが成り立つのに何の証拠も必要としないはずです。
 創造論についても、あれこれの証拠が進化論を支持しているとしても、
自信を持って創造論を信ずればよいではありませんか。
それとも、証拠がないと創造論を信じられないのでしょうか。
証拠を必要とする信仰って、おかしくありませんか。証拠なんて余計なものではないのですか
452待乳山:2006/04/04(火) 21:26:35
これだけたくさんの異常気象を地球温暖化で語れない。
名古屋博のシベリア凍土から出てきたマンモス、瞬間冷凍
でないとああなれないのではないかと、あの瞬間冷凍が
青々とした温暖のシベリアのマンモスの時代があった、
しかもあそこはシベリアで北だ、すると地球の地軸が動いたのではないか。
地球温暖化で凍土のマンモス漬けができたのではないかと。
ポールシフトが起こるときは地球が止まる。汽車も電車も皆止まる。
御真言と経も御法号もひたすら称えるしかない。「南無大師遍照金剛」
453待乳山:2006/04/04(火) 21:55:22
452で間違ったよ。ごめんね。
誤った方「地球温暖化で凍土のマンモス漬けができたのではないかと。」

正しい方「 地球温暖化で凍土のマンモス漬けができたのではない。」
454日本@名無史さん:2006/04/05(水) 00:03:50
455待乳山:2006/04/09(日) 09:09:59
>>205さん空海さん著作の中の言葉ですね。
秘蔵宝鑰からですね。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し」
高野山万燈会の願文からですね。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」
般若心経秘鍵(質問分)からですね。
問う。陀羅尼は、是れ如来の秘密語なり。
所以に、古の三蔵、諸の疏家、皆口を閉じ、筆を絶つ。
今、この釈を作る、深く聖旨に背けり。
如来の説法に二種有り、一には顕、二には秘なり。
顕機の為には、多名句を説き、秘根の為には、総持の字を説く。
この故に、如来自らア字オン字等の種種の義を説きたまえり。
能不の間、教機に在り。
問う。顕密二教、その旨、天に懸なり。
今この顕経の中に、秘義を説く、不可なり。
医王の目には、途に触れて、皆薬なり。
解宝の人は、礦石を宝と見る。
知ると知らざると、何誰が罪過ぞ。
応化の釈迦、給孤園に在して、
菩薩・天人の為に、画像・壇法・真言・手印等を説きたもう。
また是れ秘密なり。
『陀羅尼集経』第三巻、是れなり。
顕密は人に在り、声字は、即ち非なり。
然れども猶、顕が中に秘、秘が中の極秘なり。
浅深重重まくのみ。
{顕教と密教の相違は、教えを受ける側の人にあるのであって、
経文中の声字に、違いはない。
しかし、どれでもなお、顕教の中の秘密、密教の中の最も秘密
の教えというように、浅い教えから深い教えへと、幾重にも教
えが重なりあっているのである。}   ですね。
456205:2006/04/09(日) 22:48:08
>455さん
そうですね!
秘蔵宝鑰と般若心経秘鍵は、何度読んでも
新たな発見がある気がします。
空海さんができるだけわかりやすく書こう
としているのが本当に有難いです。

お釈迦さまにしても空海さんにしても、さらに
他の大勢の菩薩のかたがたも、悟りを開いてから後に
いかにその悟りを分かってもらえるかに心を砕いています。
けれども、直接的な言葉では必ずしも理解しがたいのが
悟りの本性なのかもしれません。

馬を素晴らしい水が湧き出ている泉に連れて行くことはできても、
それを味わうか否かは馬しだいです。
味わうことは言葉では説明しがたいのです。
457待乳山:2006/04/09(日) 23:52:01
>>205さん、四国生まれのようですね?かなり四国に造詣が深い!
空海さんの著作にも造詣が深いですね。日本史、空海さんと仏教宜しく!
458205:2006/04/10(月) 20:44:44
>>457さん
> >>205さん、四国生まれのようですね?かなり四国に造詣が深い!

さてどうでしょう。結構近いかも。
今はもちろん徳島にいます。
でないと、古墳や神社をそんなに調べられません。
徳島にはお参りしたいところや調べたいところががたくさん
あったので、楽しくやっています。

ところで地神塔という五角柱の塔は東四国と淡路、岡山南部
あたりにしかないのかな?
地神が天照大神、大己貴神、少彦名命、埴安媛命、倉稲魂命
なんて、そのまんまという気が・・・。
五穀豊穣を祈ってということらしいけど他ではみませんよね。
459待乳山:2006/04/10(月) 22:37:40
>>458さん、東四国と淡路・岡山南部以外にもあるよ。
http://yokohama.cool.ne.jp/y_ohata/sekibutu/isikawa/dijin.htm
地神が天照大神、大己貴神、少彦名命、埴安媛命、倉稲魂命いったい
どういうことに、空海さんとつながってゆくのだろうか。
460205:2006/04/11(火) 06:01:26
>459さん
どうも情報ありがとうございます。

言葉が足りませんでした。
柱に天照大神、大己貴神、少彦名命、埴安媛命、倉稲魂命
とあるような地神塔がどのように分布しているかです。

もちろん東四国、淡路、岡山南部あたりの人が移住して
建てたりするので、それは除外したほうがいいでしょうね。

小寺平吉氏は、「もともと地神は四国出身の移民や、中国地方の岡山など
両県人移民が、それぞれの郷土の習俗信仰を移したものであるとこが
原所である」と指摘している。

高倉新一郎氏は「地神宮は主として香川県や徳島県などの移民に
よって移されたと思われるもので碑面に単に地神宮と記し、
もしくは五角柱に天照皇大神その他豊作に関係のある神の名が
記されている。毎年春、秋の社日に祭りを行ない、豊作を祈り、
豊作を感謝し、後に宴を張っている」と
『日本の民俗 北海道』(第一法規 昭和49年刊)で述べている。
461205:2006/04/11(火) 06:17:41
仏教は日本古来の信仰とどのように折り合いを
つけたのでしょう?
具体的には、天照大神や大国主命をどのように
仏教の言葉で説明したのでしょうね。

神仏習合や本地垂迹ということなのですが、
空海さんはどのような考えだったのかなあと。

垂迹曼荼羅について調べてみるかな。
462日本@名無史さん:2006/04/14(金) 06:15:56
>>461
仏教を日本に持ち込むにあたり、仏教側がその優位性を説得したこともあったかも
知れないが、仏像、経典、建築などで多くの人には、なんかよさそうと思われた
のではないだろうか。(神社建築は寺院のマネではなかったか)
それまでにも、五穀豊穣や雨降りの祈祷はあったが、密教の修法の方が合理的に
見えたのではないか。天文気象、本草、記憶術、深層心理の捉え方などで説得性
があると考えられた。
信長の時代にもキリスト教が科学的な文物で人の気を引いている。似たような
事情に思える。一旦良いとなったら、つじつま合わせはなんとでもなった。
463待乳山:2006/04/15(土) 08:11:43
日本には先祖やその系統に連なる神々の信仰が面々と続いてるからね。
464462:2006/04/15(土) 08:56:43
>>461 がより詳しい議論に入ろうとしているのに、総論に戻るような話になって
ちょっと気が引けますが、

昨今テレビで健康指向の番組でストレス解消とかストレスの影響を生理的に説明
されたりして、交換神経・副交感神経のスイッチの切り替えが話題になっている。
呼吸法で切り替わるとかある種の音楽、アロマなどの効用も言われている。
会社帰りに酒を飲むのも精神のバランスを取り戻すためだなあと思う。

日本では古来自然をあがめてきたのは抜きがたい自然への畏れや恩恵への思いの
せいだろう。これは理屈ではない。生活共同体の感情を安定させるための必要性。

一方自然をもっと利用したい、制御したいという欲求もある。これが科学技術=
文明を生んできた。文明とはある種の手順を踏めば同じような恩恵を受けられる
という要素があるので、空海も奈良の仏教より進んだ密教が唐にあると聞けば
導入したいと思ったと想像する。三蔵法師の西遊記も技術導入の旅ではないか。

明治の和魂洋才のような、つまみ食いは堺屋太一によると聖徳太子以来という。
大陸では儒教は生活の中に入り込んで精神を拘束したが、江戸時代、武士の
規範として学問となりはしたが、信仰にはなっていない。きわめて巧妙につまみ
食いを続けているとは言えないだろうか。つまみ食いとは人聞きが悪いという
なら「良いトコ取り」といえば良い。しかしつまみ食いは出所の違うものを
幕ノ内の弁当のように詰め合わせるので、所詮「辻褄合わせ」の作業を生む。

余談だが、世親の唯識の話などを読むと、昔もこんな似たような、人の心は
どうなっているんだみたいな議論をさんざんやっていたんだなと思う。
465462:2006/04/15(土) 09:01:14
長くなると、行をちょん切られるので、はしょりましたが、
個人としては、つまみ食いのせいで、今日マア豊かに暮らせているという面で
先人にお礼を言わないといけないとも思っています。苦情が無いわけでもあり
ませんが。
466日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:18:55
須弥山
467205:2006/04/16(日) 06:05:37
>462
確かにその当時の日本人にとって、仏教の先進性は驚きであったし、
憧れにもなったでしょうね。
建築、仏像、仏具などの技術面でも、圧倒的な経典類から伝わる
文化的な面、さらには精緻な方法による悟りというしっかりとした
目的などがありますね。
そういった状況でも、土着の信仰と折り合いをつけるときに、
具体的にどのような態度であればよいのだろうかと思うわけです。

東寺の講堂の立体曼荼羅をみながら、空海さんはどのように
日本古来の信仰を捉えようとしたか、考えてしまうのです。
きっと空海さんらしく上手に包括できていたのではないかと。
http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm
46844歳会社員:2006/04/16(日) 09:02:12

    〜これ食うかい?
469日本@名無史さん:2006/04/16(日) 09:05:27
毒饅頭でも食って死んでしまえ。
470462:2006/04/16(日) 09:17:47
>>467
空海が古来の信仰をどう捉えようとしたかまでの理解はなくて、適当に言うのは
おそれ多い気がしていますが、傍証的に言えば、

1.唐に渡る前に(多分四国などの)山野を歩いていた。これは修験者の行。
  修験者は古来の信仰をベースにしながら仏教をつまみ食いしていますよね。
2.空海は三教指帰では、神道などは取り上げていないのでは。よく読んで
  いないのでアヤフヤ。神道などには教義はないので除外したのでないか。
3.東寺の講堂は、空海の時代に路線は敷かれていたかも知れないが、空海が
  設計図をもう書いていたのだろうか。小説ネタだが、澤田ふじ子のものに
  天の鎖という連作があり、空海の時代のことが出てくる。東寺で仏像を
  延々と刻むのだが、高野山との正統性をめぐる抗争が出てくる。
4.両界曼荼羅は異なる視点から宇宙を示している。視点を変えれば多少の
  整合性は無視されたのではないか。
5.世親の時代にも釈迦の言ったことを敷衍して、識とはどういうものかを
  論理的に解明しようと各派が抗争している。空海の思いを解明するのは
  似たような様相を帯びるのではないか。東寺、高野山、神護寺、醍醐寺
  が今もって各派を名乗っているのは、定説がないせいではないか。

カミさんがメシだと言ってので、ちょっとここで止める。
471462:2006/04/16(日) 10:53:52
>>470 続き。読み返して見て心配な点があったのでちょっとぐぐってみた。
訂正は、東寺の講堂は空海没後4年後に開眼とあるので、空海の設計図とみるべきか。

古来の信仰の一例として神道の世界観、宇宙観をみると、傾向として人の内面に
触れるというより、自然世界の物理的な面を見ているように思えるので、空海は
神道と仏教の整合性には苦労していないのではと想像した。立山曼荼羅の絵解きを
見ると、インド人のものの見方を修験道の考え方に導入していった経緯が感じ
られる。

個人的は感想だが、よくある奥の院に延々と階段を登ると息が上がって難儀する。
自分の内なる自然(肉体)との対話を思うことがあるが、意識はなんのこれしきと
思っても、体は悲鳴を上げている。体も自然の一部なんだ、抗えないと思う。

カミさんが買い物に行きたいというので、また、ここで止める。駄文失礼。
472462:2006/04/16(日) 17:32:55
>>471 の続き。余計なことを思いつくまま書いて散漫になった。
なにを言いたいんだという声も聞こえるので、乱暴な結論を言うと、
古来の信仰には、人の内面を見つめる視点はないので、空海の持って帰った
マンダラの世界とは衝突しなかったという解釈。

で、飛躍するがなぜ明治維新で仏教を排斥したか。神祇官が積年の思いを
達したという点もあろうが、桓武天皇が奈良仏教を敬遠した経緯に似た印象も
あるように思う。請人帳、檀家制度など庶民の生活と密着した関係を仏教は
もっていたから、近代国家の仕組みとは相容れない要素がある。
473待乳山:2006/04/16(日) 18:21:42
以前>>229で言ったこと覚えてでござんすか。
『播磨から淡路島を中心線にして、四国をパタンと
近畿地方に合わせたら地名はどうなった。
「後ろの正面だーれ」みたいな不思議さだよね。』
奈良にあるのだよ、当初は「禅林寺」だったのが後に
なぜだか解らないけど、「當麻寺(たいまでら)」
あれっ、『大麻山』と似てやしないかと。さすれば、名前が
変わった時期が朱鳥6年(692年)、以下。
縁起:
當麻寺の創始は用明天皇の皇子、麻呂子王が推古天皇20年(612年)に
河内の国に建てた万宝蔵院禅林寺であるとされている。その後、
白鳳11年(681年)に(他に朱鳥6年(692年)という説もあるらしい)
麻呂子王の孫、當麻真人国見の手により現在の地に移され、
當麻氏の氏寺としたと伝えられている。
當麻寺は当初、三論宗の寺院であったとされているが、
弘法大師が参籠してから真言宗に変わり、
鎌倉時代になって浄土信仰の流行とともに、浄土宗が加わり、
それ以降現在まで真言宗と浄土宗の両宗に属する珍しい形をとっている。
治承4年(1180年)には平氏によって創建時の建物の多くは
焼失破壊されたようであるが、鎌倉時代に再建され、
當麻氏の衰退後は庶民の阿弥陀信仰に支えられて寺は栄えたとされている。
474205:2006/04/16(日) 21:07:42
>>462さん
私はある仮説をつかって推論をしています。
おおまかな内容はこのスレに書いていますが、
要約すると、四国八十八ケ所第一番札所竺和山霊山寺の
周辺は、日本にとって大変重要な場所(記紀の舞台)である
ということです。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

単に霊山寺周辺の風景が鷲峯山に似ているというだけで、
空海さんのような鋭い方は感動しません。
天竺の一番と呼べる位置が、日本で一番と呼べる位置に
見事に符合している。それならば驚きもし、感動もする。
だからこそ竺和山とよばれるし、一番札所であるべきなのだと。
これが私の言いたいことです。

もちろん最終的な決着は大麻山周辺での考古学的な調査を
待たねばなりません。次第に東四国、吉備あたりの弥生末期
〜古墳前期の考古学的な重要性も認識され始めたようだし、
あと数年から10年くらいかかるのかな。

ただ調査の前に作業仮説がないと、それはなんというか
科学じゃないと思うのです。いくつかの仮説があって、
それらから実験結果の推測をする。
そして実際に実験をしてデータを得て、それらのデータによって
仮説を淘汰したり、磨くべきです。
新しいデータを見ては、つぎはぎのような説を繰り出してくるって
のはどうもね・・・。
475205:2006/04/16(日) 21:46:09
よく言われるのが、大日如来と天照大神の対応ですよね。
ただ、天照大神は記紀の記述を読むと、何かを産み出すとき
は神らしい振る舞いだけれど、そのほかは結構人間らしい行動
をしているという印象を受けます。
よほどの小説家がいたと考えない限りは、実在した人物では
ないでしょうか。すると、上記の対応はまずくなる。
すると、釈迦如来と天照大神のような対応がよいのかな・・・
とかいろいろ考えましたが、うまくいきません。
一応うまくいかなかったものも書いておきます。

素盞鳴命−普賢菩薩>宝幢如来
月読命−−文殊菩薩>開敷華王如来
ニニギ命−観自在菩薩>阿弥陀如来
天照大神−弥勒菩薩>釈迦如来

3番目が同格ではありません。
仮説から推測したことですので、気にしないで下さい。
476205:2006/04/16(日) 22:08:07
>473さん
偶然かもしれませんが、素敵なお寺のようですね。
ほのぼのとするホームページだなあ。
http://www.taimadera.org/
當麻曼荼羅はぜひ見てみたい。

477462:2006/04/17(月) 07:37:55
>>475
「本地 垂迹 対応」でぐぐるといろいろ書き込みがあるが、
高校のプリントとして↓んなものもある。
http://www.amaki.okayama-c.ed.jp/tirek_ka/nihonshi/print/H12-jh-07a.htm

本地垂迹説の根拠は法華経のようですが、原文ではどうなっているんですかね。
47844歳会社員:2006/04/18(火) 01:23:32

  確か、コカコーラ社製の果汁入りドリンクって「Qoo(クー)」かい?
479山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/19(水) 01:22:32
>本地垂迹説の根拠は法華経のようですが、原文ではどうなっているんですかね。
『悲華経』の間違いではありませんか。示現大明神云々。
強いて『法華経』に例を見出そうとすれば、分身仏か。
480462:2006/04/19(水) 18:58:53
>>479
私は引用しただけで、例えば、

ttp://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat2379919/index.html
に、

本地垂迹は「法華経」の寿量品に出ていた言葉で、それを日本の仏僧が仏教布教の
ために使って、本地垂迹説という形にしたようである
(平凡社「世界大百科」第二版より)。
とか。
481山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/22(土) 00:11:02
寿量品には、「本地垂迹」という言葉自体は出て来ませんよ。分身仏という
か、久遠仏の思想の方か。
久遠仏の思想を反映した「常住霊鷲山」という言葉は、院政期から愛唱され
ていました。本地を明らかにするという説話で引用された例もあります。
482日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:19:35
ニホンアシカ
竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ(Zalophuscalifornianusjaponicus)の主要な繁殖地の一つであったが、
1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。
竹島における絶滅の原因の一つとしては、実効支配している韓国による竹島の要塞化に伴う自然破壊があるとする説がある。
483日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:23:37
「永代供養」って本当に永代に供養してくれるんでしょうか?
無縁仏化して4,5年もしたら墓を取り壊して更地にして、新しい檀家を入れるんじゃないでしょうか?
もし本当に永代まで供養してくれるんなら江戸時代の墓も無数に残ってるはずだと思うんですが。
484日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:28:29
>>483
江戸時代に永代供養はないだろ。
485日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:31:11
弘法大使
486462:2006/04/23(日) 13:16:13
>>481
法華経も平凡百科も持ってないんで確かめようがないけど、他をぐぐると
>>本地垂迹は「法華経」の寿量品に出ていた言葉で、それを日本の仏僧が仏教布教の・・・
は、
本地垂迹は、「法華経」の寿量品に出ていた「???????という」言葉「から」日本の仏僧が・・・
ということのようですね。

寝転んで読める文庫本で、法華経の注釈本を探したんだけど、講談社の学術文庫や
岩波の青帯にはないのかな。石原慎太郎が書いてるものがあったりして、ヘエーと
思ったりしているが、買う気になれない。
487日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:55:36
段々良くなる法華の太鼓
488日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:11:57
平城天皇って
空海の仲間になったんだっけ?
489待乳山:2006/05/02(火) 23:56:50
>>488さん、へいぜいはね、そうだろうけど。
嵯峨っちの方がお付き合いあったろうかと。
(わかった?わかんねえだろうかなあ)
490日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:07:57
空海は日本のダヴィンチ!
491日本@名無史さん:2006/05/03(水) 07:43:37
空海の方が古いのに、そういうのが分かりやすいというのはチトわびしい。
492待乳山:2006/05/14(日) 08:39:23
クシャーナ王朝までは、仏教は盛ん。グプタ王(320年から500年頃)
時代にはヒンズー教が盛んになり、グプタ王時代が終わる頃に仏教は衰えて
行った。ゆえに大乗仏教は次第にヒンズー教の要素を多く取り入れだして
、仏教とヒンズーの区別がつかなくなった→7世紀に玄奘・義浄が見たのは
栄えていたはずのかつての僧院が荒れ果て、傍らにヒンズー寺院が建てられ
、はては仏教僧と外道とが一緒に修行生活をしていた。やがて、ミーマーン
サー学派のクマーリラ、ヴェーダーンタ学派のシャンカラが出て、仏教思想
を論難し、シヴァ教の行者たちも仏教教団を攻撃した→このゆえに、仏教は
何らかの適応策を立てるにいたり、時代に応じて現れたのが秘密仏教だ。
493日本@名無史さん:2006/05/15(月) 10:08:52
>>492
釈迦の時代以降なぜ一時期隆盛を極めたんでしょうねえ。

小豪族抗争でみんな迷惑してたんでそのような事態を収拾する考え方として
機能するよう求められたんでしょうか。そしてその種の抗争のフェーズが
終わるともういいやとなってしまったのでしょうか。

戦後ガンジーの時代も国民会議派が無抵抗主義で国を纏めますが、国内は
収まったけど、国外との関係でやがてやられぱなしでは収まらないと
民族主義が台頭し核実験を行い、民族を世界に知らしめるようになります。

ときどきの情勢で都合のいい証文を出したり収めたりあるいは修正したり
を繰り返すのでしょうかねえ。

インドのヒンズー教と日本の神道(更に中国の道教)がどれほど似ているか、
比較考証したことはありませんが、民衆宗教はときに割拠指向、国粋指向に
なりますから、高邁な釈迦の哲学が民衆に迎合するというのは、ときの流れ
とはいえ悲しい。物質は時間が経つと単純な元素へと崩壊するという法則を
思い出してしまう。
494待乳山:2006/05/17(水) 00:35:47
>>493さん、ここのスレッド非常に寂しくなっちゃって、
<釈迦の時代以降なぜ一時期隆盛を極めたんでしょうねえ>をそのまま
行っちゃってる。その時々の王により隆盛を極めていますね。もちろん
その背景にはすばらしい教義や人物が展開されただろうし。
民族主義ですか、今の日本は、凡そ二つに、民族主義と国際主義のような
ことですが。釈迦の教えは、たくさんの法門がある、しかし一つに帰一する
ことも無いわけですが、法もまたたくさんの縁によって成立していることを
思うわけです。
495493:2006/05/17(水) 13:43:46
>>494
このスレは寂れて来ているようですが、日経にもお遍路の話題が出ていたりして
団塊の世代の関心がヒマになってそっちへ行っているのかなと想像しています。
なかなか捨てたものではない。

釈迦の教えにたくさんの法門がある、ってことでは、さはさりながら沢山の分派
があるということでは、みんなツマミ食いしているんではと疑っています。
法に帰依するとはいうけれど本心は別にあって法を食い物にしているんではない
か。それぞれの分派のトップが食うや食わずの生活をしているとは聞いたことが
ない。(食えているフリをしているというのもあるかも知れないが)

話題は飛ぶが、公明党が教育基本法の自民案に注文をつけたというのも、民族主義
を希釈抑制したい仏教の考えを敷衍すれば、そうなるんだろうなと理解してしまう。
公明党ウンヌンが趣旨でなく行動パターンの理解という観点で。
496待乳山:2006/05/17(水) 23:36:59
>>493さん、日本人は民族主義というか日本を取り戻そうとしてるが国際主義
どっぷりで、180度向きを変えないと戻れないだろうと思います。
日本仏教も祖師・先師の思いに帰れといいたいですね。確かに時代の流れは
あるだろう。しかし、問題は日本仏教はある宗派や教団に駆逐されたあと、
二つが一つになる方向に向かってる気がしてならない乙。
497葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/05/18(木) 19:58:32
民族主義、おおいにけっこう。
ただし、その民族が祭るところの宗教や神を押しつけられるのは御免被る。
自国他国にかかわらず。
ところで、空海さんは民族主義的発言はきわめて少ないのじゃないかな?
後世ねつ造された偽書は除いて。
当時はお隣の唐国に対する羨望が強かったという事情もあるが。
498待乳山:2006/05/18(木) 23:40:44
>>497さん、おひさしぶりです。ここは確かに、日本史仏教ですが
ついつい、日本民族というか、日本人の行く方向の話になってい
ましたので。グローバル・スタンダードというか国際派は、端的
に申しますと日本人を日本人としてではなく、世界の労働力として
他の国々の人と同じヒエラルキーの底辺としてされてゆく方向に
あるわけです。そういった話でしたので。
499日本@名無史さん:2006/05/19(金) 06:45:32
和魂唐才というのでぐぐってみたら1件しか出てこなかったが、平安期唐才を
高らしめた功績として空海の活動は大きかったと思う。すでにその胎動は蘇我氏が
関わり聖徳太子が既存の考え方を残しつつ大陸の文明を取り入れようとしていた
頃からある。 (聖徳太子実存疑問の説はあるにしても)
途中の海外との係わり合いの話は省略して、
明治期、和魂洋才で文明開化を推進して先の敗戦で、和魂は言うのもはばかられる
状態になった。それへの反動が最近生まれつつあるということではないか。

性格は違うが、日本はいわばダブル・スタンダートで動いてきたとも言える。
イスラムや儒教の考えでは、ガマンできない所業ではないだろうか。
和魂というものの定義や構成要素をくわしく知らないが、気分としてはなんとなく
分かる。日本における民族主義の中身を今様に説明しないとまずいのではないか。

仏教は盛んだった時代、当時としてはグローバル・スタンダードだったんだろうと
思うが、現在の地球規模ではローカルでしかない。しかし良い教えも多いので生か
して行くべきであろうが、箱物が観光資源、文化財扱い限りというも寂しい。
一向一揆のように振れまわせとも思わないが。
500葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/05/19(金) 19:23:32
>>498
どうも。空海はまぎれもない国際派の人だったね。

>>498
押しつけないのが仏教だからね。
本来、政治やイデオロギーとは無関係というか
一定の距離をおいて活動する性格をもつのが仏教。
出家主義といっても家族主義や俗世の営みを否定しているわけでなし。
そもそも俗世を否定してしまえば乞食できない。
501日本@名無史さん:2006/05/20(土) 16:13:37
仏法には押しつけがましい要素はないが、教団化すると別の要因が働く。

空海も教義の仕上げに念を入れたが、残る教団についての指示が足りず、
後、高野山の他に、東寺、神護寺、醍醐寺と分かれている。仁和寺とか
いろいろ絡んだり、新義真言とか分派。他の宗派も同じで似た症状を呈
する。西洋にも、パーキンソンの法則というのはある。
末法とはよく言ったもの。
502葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/05/20(土) 21:13:34
まあ、組織となれば必ず弊害は起こるわなぁ。
先の戦争においても国民を守るために行われるべきものであったのが
いつのまにか組織(国家あるいは天皇)を守るためのものとなり、
挙げ句の果てに国民を犠牲にするようなことになってしまったからな。
組織を構成する成員の総意がきちんとまとまればよいのだが、
どうしても利権がからんで甘い汁を吸おうという者が必ず出てくる。
ところで、『性霊集』の中に教団を破壊するものを強く戒めた文章がなかったかな?
503「御用坊主」最澄:2006/05/20(土) 21:26:42
討伐して捕虜にしたのを奴隷にもってきたといっても、全部をひっくくって連れて
こられるわけもなく、東北にはまだ相当数が残っていたらしい。そこで最澄はその著
の、『顕戒論』において、
「僧たるものは、国師、国宝、国用のいずれかを志し、たえず国のため念誦し、国の
ためにこそ経をひもとき、経を講ぜねばならぬ」
と、後に訳されたものでは、
(衆生済度などして、零細な人民のお布施を集めるより、体制側に協力し、資金カン
パを受けた方がよかろう)、と国家第一主義の教えをもって、ここに、でっかくゆこ
うと、その「守護国界章」を宣伝した。
 よく、「御用達」とか「御用商人」というのがあるが、ここに「御用坊主」が誕生
したのである。
504「御用坊主」空海:2006/05/20(土) 21:27:12
高野山金剛峯寺を遥か山の彼方に建てた空海も、これにならって、「鎮護国
家宗教」を名のって教えを弘めた。
505「守護国家」「鎮護国家」:2006/05/20(土) 21:28:22
「守護国家」「鎮護国家」と、「お国のためにナンマイダ」を唱え、ひた
すら坊主丸儲けにのみ徹した日本お坊主衆は、初めから体制べったりで、
「東北地方に原住日本人が多いのは、事によるとまた反乱を致すやの恐れあり、拙僧
らがおもむき宣撫こそ仕りましょうわい」
と、まず勝道という勇ましい名のお坊さんが、日光の中禅寺を作り、ついで徳一坊は
筑波山の中禅寺と会津の恵日寺をたて、やがて最澄自身も関東へ進出して、緑野寺、
小野寺を彼自身がこしらえた。
506東北地方へ出張:2006/05/20(土) 21:29:10
こうなると空海を開祖とする高野山においても、
「負けは致されず」と東北地方へ出張し、
「霊山寺」「立石寺」「黒石寺」「天台寺」などの古刹を今に残している。が、こう
いう事実、つまりなぜその地方でこういう土木事業ができたかというと、「公的権力」
であるその地方の国司が、武力によって原住民を狩り集めてきて強制使役し、寺院造
営をさせたからに他ならない。
507寺は作ったが僧は居れず :2006/05/20(土) 21:30:05
そこまでやらせたものなら、普請ができた後は、「後は引受けて候」と、坊
さんが寺に残って人々を集め説教をするべきだが、日本の坊さんは金儲け主義で、宗
教に身を打ち込むという信仰がないのか、はたまた原住民が酷使されるのを見て後の
祟りが思いやられ、どうも恐くてそこまでの度胸が出なかったのか、「仏つくって、
魂入れず」というのが仏家の言葉にあるが、この場合は、「寺は作ったが僧は居れず」
と、何処の寺もそうなった。
508怪奇な像を威嚇に用い:2006/05/20(土) 21:32:40
そこで、留守番に睨みのきくのをというので、今も東北のそうした寺には、「魔仏」
がそれぞれおいてあるのである。つまり原住民を恫喝し、恐喝する目的で、「四面」
「十一面」の恐ろしい明王や観音像がおかれていて、その当時は国司や役人も、これ
らの怪奇な像を威嚇に用い、「恐怖政治」をしいたものらしい。
509恐怖政治:2006/05/20(土) 21:44:29
「ヨーロッパでは、神は人民と共に、いやそれらに代ってまで受難される」のだが、
日本は違う。「恐怖と迫害をもって、よくまつらないと受難させてしまうぞ」という
恐喝が「怪奇」という具象になって、人民を睥睨しているのが、吾らの国の昔からの
伝統なのである。
510密教:2006/05/20(土) 21:45:23
ふつう「密教」とよばれるのは、真言派と天台派に二分され、これらの始祖
は、みな日本人で、遣唐船にのて向こうへ留学。そこで勉強して日本へ伝来させたも
のだ、ということにこれ迄なっている。
511「密教」というのは、いわゆる仏教ではない:2006/05/20(土) 21:47:05
しかし、「密教」というのは、いわゆる仏教ではない。それが証拠に、東寺の「真
言七祖」とよぶ七人のうち、四人まではインド人、一人がセイロン人、あと二人が、
「インド文を唐語に訳した」という中国人である。これでは、もし日本の坊さんが唐
へ留学したのなら話が変てこで、
「本場の印度カレーの料理法を習いに、わざわざ中国へ行った」ようなことになる。
512インド的なもの:2006/05/20(土) 21:48:31
空海の開いた高野山の諸像は、大正十五年の大火で焼失。今は写真しか現存しない
が、
「ふくよかに円い豊かな顔、その中心の鼻柱は高く唇も厚い。その表情はみな印度的
である」
といった解説が今日ではなされている。
「なぜ、インド的なものを中国に求めたか」また「求め得られたのか」について、こ
れまでの歴史を説く人は何も言っていない。
513植民地化:2006/05/20(土) 22:08:57
ヨーロッパ諸国が宣教師を先に送り込んで住民をキリスト教にして植民地化を完全
にしたごとく、最澄を送り込んできて天台宗。翌年には空海を派遣してきて、これが
今の高野山。
514仁明天皇:2006/05/20(土) 22:12:39
【深草】833〜850
仁明天皇と申し上げる。表向きは百済系桓武帝王朝の時代で、女官も昔の奈良の都の名残をとどめる朝鮮美人揃いだったが、唐より季節風で来日する勢力の圧迫が酷くなったため、騎馬系の源の常や契丹系の橘氏を登用し、
大臣にして対抗させたが、藤原良房が右大臣になるや契丹系を源氏並の庶民に格下げし、嘉祥三年三月十九日に帝を坊主になし、そして三日後には崩御された。
せっかく最澄や空海が唐から来たのに入信しなかったのが、仏教を国教に統一せんと意図していた藤原氏の怒りをかったものと推理される。
515空海に対する疑問:2006/05/20(土) 23:17:50
空海に対する疑問として
「空白の七年」が何故できたのか、
無名の一学僧が遣唐使船という国家的渡航法で入唐するチャンスを得た理由、
帰国後の大使の世間への出現と立身出世、大師の中国語の能力、
二ヶ月余りの海上漂流で大師だけが心身ともに健康な状態だった理由
516205:2006/05/22(月) 23:07:37
>503-513
征服したもの、されたもの、
キリスト教を信じたもの、
仏教の力に恐れを抱いたもの、
彼らは幸せだったのか。
それを決められるのですか?

>511
先進的な理論を学ぼうとするのは当然。
517205:2006/05/22(月) 23:08:54
空海さんが日本の神々をどのように
捉えていたのか、いまだに考えています。
融和の方法を知りたいためです。

高野建立の初の結界の時の啓白文より
「あらゆる東西南北四維上下七里の中の
一切の悪鬼神等は皆我が結界を出で去れ。
あらゆる一切の善神鬼等の利益有らむ者は
意に随って住せよ。
又願はくは、この道場はあまねく五類の諸天
及び地・水・火・風・空の五大の諸神ならびに
この朝開闢已来の皇帝皇后等の尊霊、
一切の天神地祗を以って檀主とす。」
518比叡の山:2006/05/23(火) 20:51:30
現代でさえケーブルカーに乗らなければ、とても登ってゆけぬ比叡の山頂に、巨岩、巨木を担わされ延々と蟻のように行列を作って、這い上ってゆき、
少しでももたつけば鞭や棒で乱打され、見せしめのため石で殴り殺された人々。
逃亡防止のため鎖で繋がれていたため、あの比叡の山の崖で一人でも足を滑らせたら、何十人も一度に断末魔の悲鳴をあげて墜し、谷底に死んでいったろう人々。
東大寺にしろ、あれを建てるのに何万の奴隷が酷使され何千の人間が血を吐き虐殺されたか。
519修羅:2006/05/23(火) 20:52:09
『修羅』と言う言葉がある。「コンピラフネフネ追ってに帆かけてシュラシュッシュ」のシュラはコンピーラと同じ古代バビロニア語である。
日本では海神金比羅、修羅とされている。大陸人が仏教を日本へ持ち込んだはいいが、排仏系の襲撃が激しく、だから寺は比叡の山頂や高野山、金剛峯の高所へ建てた。
今でもご本山と言うごとく堂宇を建立した。当時は建設会社は無いから、原住民を捕らえて来て使役に用いた。
巨岩や巨木を頂上へ運ぶのは大変だから、修羅(大きなソリのようなもので、古代エジプトでもピラミッド建設に使われた。この技術は中東方面より渡来の天の朝の民のものである)を作って工事をした。
日本は鉄鎖が少ないのでイチビの樹皮で編んだ縄で曳き上げたから、岩角で切れると巨木や巨岩の下敷になって多くが死んだ。修羅場、修羅の巷という語源はこれからである。
520日本@名無史さん:2006/05/23(火) 22:13:01
阿修羅毒爪拳
521日本@名無史さん:2006/05/23(火) 23:18:03

埼玉で無差別テロ? 黄金爆弾が町を恐怖に


 かつては成田闘争などで威力を轟かせた人糞詰め「黄金爆弾」が、主原料をイヌの糞に代えて復活。
そして昨年12月、埼玉県毛呂山町内の住宅街が、この新型黄金爆弾の恐怖に包まれた。
 この地区では民家の玄関先などでポリ袋入りのイヌの糞が炸裂する事件が十数件も発生。
厳戒態勢が続いていた今年3月、公務員(36)宅に投げ込んだ男がようやく取り押さえられた。
廃棄物処理法違反(投棄禁止)の疑いで書類送検されたのは、近所に住む会社員の男(57)。
犬の散歩コースで手当たりしだいに捨てたと供述、
「借金や仕事などでストレスがたまるとやった。投げ込むとスカッとした」というから、なんともお粗末。
522日本@名無史さん:2006/05/24(水) 07:29:37
>>517
205さんほど造詣が深いわけではないが、ダヴィンチ・コードの中のキリスト教以前の
土俗信仰や法華経のサンスクリット和訳に出てくる(自然への崇敬、恐怖の反映たる)
「神々」(あるいは精霊)への記述を見ると、日本の神々の記述も似たように思える
ので、空海が仏と神を対比してツジツマ合わせをしようとしたかどうか知らないが、
神々には教義はないので、単にワキ役・舞台装置・小道具の類いと思ったんじゃない
のか。

四天王、韋駄天、布袋様などはなんらかの「働き」(機能)を及ぼすものとして登場
するが、「さとり」にかかわる活動はしていない。西遊記のお供も玄奘の護衛はする
がそれ以上ではない。

八幡大菩薩というように、位に「菩薩」は使われるが、守護神ではあっても「教化」
活動はやっていないように思う。戦勝祈願とかで間接的に士気高揚に使われている
ので、(心象面で)間接教化といえばいえなくもない。マ、乱暴な愚見だが。
523205:2006/05/24(水) 22:50:25
>522
>517の文章では、「この朝開闢已来の
皇帝皇后等の尊霊、 一切の天神地祗」
を壇主としているので、扱いは最高のレベル
にあると思うのです。
もちろんそれは当時の天皇に対する
畏敬を表すためということもあるでしょうが。
524522:2006/05/24(水) 23:55:24
>>523 への直接のレスでありませんが、今夜NHKのその時歴史は動いたで、仏教の
民衆化をやっていた。それまで民衆をお寺に入れない、仏像を拝ませなかったという
のをどう見るかですが、単にそのような信仰を民衆に許さないというより、なにか
新しい知識や考え方で民衆をむやみに啓蒙しないという方針だったように思えて
仕方が無かった。行基も池を作ったり土木工事をやっているのも思い出したのですが
空海も池を作っているし、新知識・技術とも関連していると思えました。
こののち自分で開墾した土地は自分のものになると制度が変更されますが、土木工事
の知識は皆も必要としたことではないでしょうか。上流から水を引くには、水準を
どう測量するかなど知りたいことは多かったと思います。で、このようなことは
それまでの「神々」はやらないことでしょう。

神々のやることは、例えれば、病院の看護士みたいで、患者の面倒をみたり注意を
したりはしますが、患者の悩みや知識欲には応えないでしょう。痛いといえば痛み
止めは打ってくれるでしょうが。
といって看護士をないがしろにはできません。敬意をもって接するでしょう。
525日本原住民の屍:2006/05/25(木) 20:45:41
仏教側の勧学院派日本書紀では、百済人が日本原住民の奴隷を苛使し奈良の大
仏を建立したのを祝って、願文を奉ったとしている。奈良の町は大仏建立のために犠
牲となった日本原住民の屍で埋まったと言われる
526焼き殺し:2006/05/25(木) 21:03:38
東大寺のお水取りの行事、若狭神宮寺のイテキ呪法や各地の火祭りは今もイラン
 のヤスドの拝火宗と同じ。山焼きは逃亡賎民を捕らえる為や焼き殺しの残酷物語
 の名残りであったと判って頂きたい。
527日本@名無史さん:2006/05/27(土) 02:09:16
名前欄に題名書きこんで
原住民がどうの奴隷がこうの言ってる椰子に
聞きたいがそれソースあるのか?なかったら
妄想や電波も甚だしいぞ
528百済からわたってきた国骨富の孫:2006/05/27(土) 09:44:32
奈良大仏は、743年発布の大仏建立の詔からもうかがわれるように、聖武天皇の強いご意志が造らせたものです。大仏本体の鋳造は747年開始されて749年に完成しています。
「大仏殿碑文 (だいぶつでんひぶん)」は大仏建立に関係した工人として国中公麻呂(くになかのきみまろ)、
高市真国(たけちのまくに)、高市真麿 (たけちのままろ)、柿本男玉(かきもとのおたま)、
猪名部百世(いなべのももよ)、益田縄手(ますだのなわて) の6名をあげています。
国中公麻呂は663年百済(くだら) からわたってきた国骨富の孫で、東大寺の前進である金光明寺の造物所造仏長官として大仏建立計画のはじめから鋳造技術の総指揮者として活躍した人です。 
飛鳥大仏は仏教伝来とこれを信奉する推古天皇や蘇我氏が中国大陸の技術を導入して造り、奈良大仏は仏教文化の円熟した天平時代に体制の整った国家権力を駆使して聖武天皇がはげしい意欲を注いで造られました。
529行基:2006/05/27(土) 09:58:04
父は高志氏。高志氏は王仁(わに)の後裔とされる西文(かわちのあや)氏の一族で、即ち百済系渡来氏族。母は河内国大鳥郡の蜂田首の出。
530逃亡・流浪が頻発:2006/05/27(土) 09:59:36
河内国大鳥郡(現堺市)に生まれ、15歳で出家、道昭を師とし(注)、法相宗に帰依する。24歳の年、受戒。初め法興寺に住し、のち薬師寺に移る。
やがて山林修行に入り、この間に優れた呪力・神通力を身につけた。37歳の時、山を出て民間布教を始めたという。
710(和銅3)年の平城遷都の頃には、過酷な労働から役民たちの逃亡・流浪が頻発し、これら逃亡民のうち多くが行基のもとに集まり私度僧になった。
531人間ブルドーザー:2006/05/27(土) 10:06:09
 行基は、奈良時代の人間ブルドーザーである。
 昭和の人間ブルドーザー・田中角栄とは、対極を成す建設史上の巨星であろう。その業績の結果、彼は古代仏教界の鉄人・鑑真と並ぶ奈良時代の二大高僧として、小学校の教科書にも載るようになった。
532今昔物語集:2006/05/27(土) 10:07:05
平安時代の説話集『日本霊異記(にほんりょういき)』や『今昔物語集』などにこんな逸話が載っている。

 あるとき、行基は飛鳥(あすか。奈良県明日香村)で説法を行った。
 大勢の人々が説法を聞きにきていたが、その中に一人、イノシシの油で頭をなでつけていた女が混じっていた。
 行基は女に気付くと、こうどなった。
「クサッ! この血臭い女を、今すぐこの場から追い払え!」

 また難波(なにわ。大阪市)で説法をしていたとき、いっこうに泣き止まない駄々っ子を連れてきていた母親には、こう命じた。
「やかましい! 女よ、その子を今すぐ川に捨ててきなさい!」

533今昔物語集:2006/05/27(土) 10:12:19
天正十七(745)年、行基は大僧正(だいそうじょう)に任ぜられた。
 これには僧綱(そうごう。僧尼・寺院を支配する役所)のトップ・僧正を務めていた玄ムが不思議がった。
「何ですか、大僧正ってのは?」
 聖武天皇は平然と答えた。
「新しく、僧正の上に新設した僧綱の最高職だ」
 つまり行基は、玄ムを飛び越えて仏教界のトップを奪取したわけである。
「そんな。僧正であるわしの立場は……」
 玄ムは不満だった。
 聖武天皇はなだめた。
「僧正はこれからは行基の下で、大仏造立に励んでほしい」
「ヤツの下で!」
 玄ムはおもしろくなかった。
「なんでわしがヤツなんぞの下で! ケッ! 嫌なこっちゃ!」

 玄ムは悪いことを考えた。
 放火するなどして行基のすることなすこと邪魔してやった。
 燃え上がったのは、行基の怒りの炎であった。
「わしはいいことをやっているのじゃ! ええい、邪魔するヤツは排斥するのみじゃ!」
 行基は、当時頭角を現してきていた若手政治家・藤原仲麻呂と結ぶと、共に玄ム排斥を画策した。
 その結果、玄ムは飛ばされた。大宰府に左遷されたのである。

 その後、大仏造立は順調に進んだ。

534皆朝鮮人:2006/05/27(土) 10:25:46
金達寿氏は言う「大仏殿をこしらえた行基大僧正や比叡山のてっぺんに延暦寺を建てた最澄上人。
東大寺を建立した良弁和尚が、皆朝鮮人であったことを今だに知らぬ日本人が多いのは情けない」
535南京の大虐殺以上:2006/05/27(土) 10:27:04
「日帝が三十八年にわたって勝手気侭に振舞った怪しからん」と解放記念日には、テ
レビでも放映して抗議するが、郭を改名した藤原鎌足が渡来する迄の日本列島は、彼
らの先祖のナラ王朝。
 馬韓、辰韓、弁韓の三韓時代から西暦664年の藤原鎌足まで、彼らが日本原住民
に加えた残酷非道は、僅か三十八年間だけの日帝の圧政に比べれば、何十倍もの年数
の苛酷さであった。
 中国の方も郭将軍の部隊が御所を占領した西暦664年五月十七日からは、藤原王
朝をたて、南京の大虐殺以上のことを、かためて捕虜を生き埋め踏んづける根蓋(ね
ぶた)までやってくれている。
536何処の誰だったのであろうか:2006/05/27(土) 10:30:22
今日の奈良の大仏は松永弾正に焼かれた後、豊臣秀頼によって修復され、江戸時代にも改築されたものだが、
行基大僧正らによって鋳造された時点、起重機も電気溶接もなく、全てが人間の二本の手でやらねばならなかった時、
あれだけ巨大な物を作る場合どれだけ多くの人間が溶鉱炉の業火の中へ落ちて死んだか……。
行基やそのブレーンは朝鮮人であったとしてもそこで使役された労務者は誰だったのか。まさか当時の朝鮮に今の大林組や清水建設会社が在ったとは想えぬ。
といって行基たちが徴用で朝鮮から人を集めてくる筈もなく、また半島の季節労務者が出稼ぎに来たとも考えられぬ。

何万人と集められ鞭打たれ、灼熱のるつぼの中へ足踏み外し次々と悲鳴をあげ、
火中へ生きながら呑み込まれていった何千の者たち。もちろん労災保険もなかつたこの人間達はいったい何処の誰だったのであろうか。
537大阪市:2006/05/27(土) 11:00:10
■大阪市北区 兎我野町(通称:トキノ):古代朝鮮の都祈野(ときの)から名付けられました。
■大阪市中央区 久太郎町(通称:百済町):百済町と書いたのを後世に久太郎町とする。
■大阪市中央区 高麗橋(通称:コマ):朝鮮国使来朝のために架けたといわれる。橋の東端に難波高麗館がありました。
■大阪市中央区 難波(通称:ナルニワ):朝鮮語の「ナルニワ」が訛りナニワ、「日の出」る聖なる場所という意味。
■大阪市中央区 心斎橋(通称:新羅橋):心斎橋は昔、新羅橋だった。織田信長軍、石山本願寺軍攻撃配置図にも記載あり。
■大阪市鶴見区 鶴見区(通称:ツルミ):ツルミとは朝鮮語で鶴。古朝鮮語ではツル及びツルミで山を表した。
■大阪市小橋町(通称:オバセ):新羅系渡来人の小橋氏が由来。小橋でオバセと読みます。
■大阪市生野区(通称:イクノ):古代新羅系渡来人の生野長者が由来。
■大阪市生野区 林寺:古代このあたりに百済系渡来人である林史氏が居住しており、彼が立てた寺もありました。
■大阪市平野区 杭全(通称:クマタ):中世このあたりは杭全荘とよばれ、百済系渡来人の子孫である坂上広野麻呂の荘園であった。
■大阪市平野区 加美鞍作(通称:カミクラ):河内国渋川郡賀美郡といい、鞍作氏はじめ百済系渡来人が栄えた場所。
■大阪市東住吉区 百済貨物(通称:クダラ):生野区のあたりを古代、摂津国百済郡と呼び、百済系渡来人が多く住みついた。
■大阪市西成区(通称:ナル):東西に分かれる前は単にナリと言った。ナリはナルの転訛であり朝鮮語で太陽の意味。
■大阪市西成区 岸里玉出(通称:タムデ):古代新羅渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)の居住したところで、吉士が岸となる。
538日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:43:04
東夷=関東
539日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:46:50
しかし天皇は再び3月7日東京に向かい、この28日着。結局正式な遷都の布告は
なく、「天皇が東京にいる間は太政官も東京に置く」というなんとも玉虫色の
宣言がなされただけでした。しかも京都市民に向けて「東国は未開の地である
から度々行幸して教化するが、決して京都を見捨てたりしないので安心するよ
うに」というメッセージまで出されます。要するに日本の首都はどうも法的に
厳密なことをいうとまだ京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ、
臨時に東京が首都とみなされるということのようです。
540日本@名無史さん:2006/06/02(金) 01:08:09
山下智久(NEWS)“抱いてセニョール”

ウホッ!
541日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:17:21
他のスレにも関連質問をしたんだが、ここが的確なレスが貰えそうなので。

本地垂迹の件から岩波の法華経の文庫本を手に入れてサンスクリット和訳を読んでみた。
お経だからそんなもんと言われると話が終わるが、何億劫とか何万人とかの話が出てくる
と当時としてどういう受け止め方をしたのか気になった。お経には本論と方便とが
あるので、方便としての誇張といえばそうかとなるが、しっくり来ない。
あるいは、今でもお伽話や細木数子の話は好まれる?のでその類か。

ちとスレ違いになるが、諸兄のご意見をいただけるなら幸いです。
542205:2006/06/04(日) 06:34:56
同じような疑問を私も持ったことがあります。
現代では字句どおり解釈すると、人によっては
しっくりこないこともありえますね。
キリスト教でも黙示録の「14万4000人」という
人数をどう解釈するかということがあります。

私としては当時の菩薩の気持ちを想像して、
抽象的にその数を理解しようとしています。
文字で語りつくせないことがある以上、
ある種の直観は大事なのだと思います。
543205:2006/06/04(日) 06:36:28
ちょっと「方便」について否定的に聞こえたので。

Wikiより。
方便(ほうべん)は仏教用語であり、
初期〜中期大乗の経典では、仏の智慧
による衆生を済度に近づけるための巧みな
方法をいい、菩薩の重要な徳目である。
しかし7〜8世紀頃成立の後期大乗である
密教経典大日経では、方便を究極的に
仏の一切智智そのものとしており、
その意義に大きな転換がある。

大日経「三句の法門」
金剛薩タ「世尊よ、かかる智慧こそは、何をか因とし、
根とする、はたまた何ぞ究竟なる。」
如来「悟り求むるその言葉(菩提心)因とぞなして、
さらにまた、大けきあわれみ(大悲)根として、
手段(方便)を究竟となせよかし」
544541:2006/06/04(日) 11:13:43
>>542-543
レス感謝。窮極衆生済度になればいいんでお釈迦様の教えはいいことだとは思って
いますが、大勢の人が絡むとひどいことになるもんだと、引っかかっています。
いいところを拾って糧にするってことでしょうか。

しかし漢訳と対比すると、漢訳は大分立派な文章になっていますねえ。漢訳を元に
作られた解説書の見直しなんてやらないんでしょうね。伝言ゲームで内容がずれて
行くみたいで、気持ちが悪いです。
545葛城山 ◆oXqbe1bIkY :2006/06/05(月) 10:10:47
中華思想の地、中国において外国の宗教が生きていくことの困難さを考慮すれば
漢訳の意味がずれてしまった原因の一端を知ることができる。
あるいは現代人が漢文に十分通じていないということも原因の一つ。
たとえば、「即」「則」「輒」「乃」「曾」「載」という字、
日本人はこれらすべてを全部「すなわち」と読むが、
実は全部意味が違っていて用法が異なる。
今の仏教学者が漢訳経典を訳するときに、
このような微妙なニュアンスに配慮して行ってるものは極めて少ない。
546544=541:2006/06/05(月) 14:05:36
>>545
更に上手がこのスレにおられて感服。

件の本は 1967年第1刷で立正大学の先生のものだから、偏りがあるかなとも警戒
していたんですが、学者のせいかそこそこ批判的で、いい本だと最後は思いました。
あとがきに資料収集が進んでいるので改訂されるのを期待している旨の書き込みが
ありますが、改訂されないで今に至っているのが悔やまれます。

漢字の読みについては、「とぶ」の飛、跳、翔など、「いう」の言、道、白などで
いつも感じます。「子供の飛び出しに注意」の看板にはいつもヤレヤレと思います。
547日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:11:21
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもて、
おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとをし不便とおもふとも、
存知のごとくたすけがたければ、この慈悲、始終なし。
しかれば、念仏まうすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心にてさふらふべきと云々
548日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:16:32
空海は河内国渋川郡跡部郷いまの大阪府八尾市のJR八尾駅あたりの出身?
豊山派の教化誌に書いてあった。
549日本史上確実にホモである人物 :2006/06/10(土) 17:33:29
日本史上確実にホモである人物
空海
嵯峨天皇
藤原頼長
後白河法皇
平重盛
北条高時
近衛基家
足利義満
足利義教
足利義輝
織田信長
武田信玄
上杉謙信
徳川家光
徳川綱吉
徳川家宣
間部章房
西郷隆盛(薩摩藩士は殆どがホモ経験あり)
閑院宮純仁

他にいますか?教えてください。
550日本@名無史さん:2006/06/11(日) 03:43:00
つか古来男色は普通。

君を含む現代人にはきつい縛りなだけです。
551空海は中国人である:2006/06/12(月) 19:24:41
空海は中国人である
552日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:08:12
最澄には弟子兼恋人みたいな人がいたんでしょ?
でもその人は真言宗に走っちゃって、それでもしつこく追いかけてたら、
何故かご丁寧に空海代筆のきっつい絶縁状が来たって・・・。

痴情のもつれですか。
553日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:48:23
坊さんの男色は江戸時代では?
554最澄は朝鮮人である:2006/06/13(火) 19:27:45
最澄は朝鮮人である
555日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:14:35
>>553
義経も鞍馬でどうとかいう話があるので、もっと前では。
>>554
朝鮮という国は、紀元前と1392年以降でないと現れない。英語では今でも
korean と言う。最澄は渡来人の末裔とは言われるが、朝鮮人というのは
大雑把過ぎないか。大雑把でいいじゃんというなら、日本人の殆どが含ま
れる。どうせモンゴロイドだし。
渡来人と今半島にいる人の DNA は異なるいう話もある。これを議論して
いる専門スレもある。
556日本@名無史さん:2006/06/14(水) 10:28:30
↑はい?

ニホンジンノホトンドハ、「チョウセンジン」ニハフクマレマセンヨー。

半島の先住民「韓人(倭、苗とも呼ばれる?)」て解釈なら、若干納得
できますがねー。
557日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:45:07
特亜退散 反日調伏 
の護摩を焚いてくりゃれ。
558空海は中国人である :2006/06/14(水) 20:55:44
葛野は福州の地方役人に再三嘆願書をさしだした。ところがこれが悪文だったらしく、かえって立場を悪くしてしまった。
そこで、どういういきさつかはわからないが、空海が葛野に代わって嘆願書の代筆をすることになったのである。

 空海の文章は内容が非常に見事であり、しかも中国語としてもすばらしいものであったという。

559空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:01:20
空海は密教を本格的に伝授され、密教関係の経典を豊富に持ち帰ってきた。空海が示した経典の目録を見て、
最澄は空海と自分の密教の差がどの程度のものか、すぐに理解できたはずだ。最澄にとっては大ショックだったろう。

 空海の密教こそ正嫡であるのは明らかだった。最澄がもちかえった密教は片田舎の密教で、それは密教の断片にすぎず、しかもそのことを最澄が知らなかったということが露になった。

560空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:21:25
遣唐使船は全部で四隻で唐を目指したが、嵐に遭遇し、
二隻が遭難してしまった。
残りの二隻のうち、最澄の乗った船はなんとか先に唐にたどりついたが、
空海の乗った船は三十四日間も漂流し、長安よりはるか南、
現在の福建省沿岸に漂着した。
ここは、少数民族の越族の住む所であったが、
この頃には漢人が入植しており、福州都督府が置かれていた。
561空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:24:00
最澄と空海
あまりにも対照的な二人
最澄は幼いときから仏教を正式に学び
遣唐使になったころ既に桓武天皇の寵愛を受けていた。(管立の正統派)
空海は大学は中退するし、遣唐使になる直前まで私渡僧であった
当然朝廷では無名であった。
562空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:24:38
最澄は自分の密教が不完全なものであることを知って、真面目に
年下の、位も低かった空海に頭を下げ、教典を借りたり、空海から直接密教を学ぶ。
563空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:26:04
最澄の比叡山から日蓮も法然も親鸞も栄西も道元も出てくるのに
空海の高野山からは目だった宗教家は出てこない。
564空海は中国人である :2006/06/14(水) 21:27:18
胎蔵マンダラ(コーラス型)と金剛界マンダラ(ドラマ型)を
セットにして日本に持ち帰ったのは空海。実は2つをセットにしたのは
中国人のアイデアであった。

元祖インドから直輸入したチベットでは、金剛界マンダラのみである。
金剛界マンダラでは、同じ仏が違う場面状況で何度も登場する。
これに対して、胎蔵マンダラでは本尊の胎蔵大日如来をはじめ407尊
という大多数の仏たちが総出演する。
565空海は中国人である :2006/06/15(木) 05:44:46
空海に対する疑問として
「空白の七年」が何故できたのか、
無名の一学僧が遣唐使船という国家的渡航法で入唐するチャンスを得た理由、
帰国後の大使の世間への出現と立身出世、大師の中国語の能力、
二ヶ月余りの海上漂流で大師だけが心身ともに健康な状態だった理由
566日本@名無史さん:2006/06/15(木) 07:07:10
>>563
DOS - Windows と Mac みたいな感じがある。VHS と Beta Max でもいいが。
567日本@名無史さん:2006/06/15(木) 15:46:45
法華経のサンスクリット訳を読んでいて疑問に思ったのですが、
漢訳で「善男子(善女人)」となっている語が「良家の子(女)」と訳されています。
善男子というと「仏法に帰依した男」と(国語辞典などでは)出てきますが、
「良家の(kulu-)」とは身分制度での謂いかと調べましたが、インド・カーストの
第2階級(クシャトリア)との関連を言っているような記述もありますが、
はっきりしません。第3階級(バイシャ・平民)まで含むとか、お分かりの方がいら
っしゃいましたらお教え下さい。
568日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:18:38
■■オタク殺到■■ 戦国武将縁の寺・神社 ■■
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1118036056/

569日本人は一人も入っていない:2006/06/16(金) 13:44:55
真言天台の密教にしても、開祖と呼ぶのは4人のインド人やセイロン人、
それを唐訳したという唐人の計7人で、日本人は一人も入っていない。
これは延暦寺でも高野山でも公然の話で、「大乗寺社寺雑事記」等にははっきりと、
鹿園院(京の相国寺鹿苑院)に関し、「天竺人来る、住持となる」と文明18年の条には出てる。
つまり神様のノリトというのは聞いていても判るが、
お経というのは呪文を唱えて居るみたいに、
文字でなければさっぱり判らないのは、このわけなんだろう。
そして雑事記には、「天竺人は二条通りと三条坊門烏丸の間にある唐人屋敷に居住している。
昨日死んだ西忍入道も幼名はムスルといい、後に天次といつたもので、
こうした立野に固まっている連中は昔からの風習で<平氏>の姓を賜っている」と堂々と出ている。
570天竺とは:2006/06/16(金) 14:01:50
天竺とは、現在のインドのビハール州にある ナーランダ大僧院
(現在は遺跡となっています)をさします。
この地図 ではニューデリーの右ななめ下、
ネパールのカトマンズの下にパトナを確認できます。
この縮尺だとこのあたりが天竺です。
実際はパトナからナーランダまでさらに100kmぐらいあるそうです。
鉄道の場合、 パトナと ラージギルの間にナーランダがあります。
571日本@名無史さん:2006/06/18(日) 12:44:23
563
でも天皇は空海を優遇している印象がある。
572日本@名無史さん:2006/06/18(日) 13:57:40
>>571
最澄が優れているか、空海が優れているかというのは別にして、
大師号は空海は最澄に遅れること55年。最澄の功績は多くの僧侶を輩出したことに
あると思われるが、高野山は高野聖の活躍が言われている。片や公家階級、片や民衆
に食い込んだという手法の違いにも見える。
比叡山も派閥抗争がいろいろあったが、高野山もいろいろ。覚鑁さんは(高野山生え
抜きでなかったからか)追ん出された。
573高野聖を虐殺:2006/06/18(日) 14:05:19
1578年、信長は畿内の高野聖1383人を拉致・捕縛して虐殺した。
高野聖に成りすまし密偵活動を行うものがいた事に手を焼
いた末の行動であると言われているが、無実の罪で殺害さ
れた善良な高野聖も相当数にのぼると思われる。
574高野聖 :2006/06/18(日) 14:20:38
高野山における僧侶の中で、最下層に位置付けられ、一般に行商人を兼ねていた。
学侶方、行人方とともに高野山の一勢力となる。
諸国に高野信仰を広め、連歌を催すなど文芸活動を行い民衆に親しまれたが、
一部においては俗悪化し、「夜道怪(宿借)」とも呼ばれた。
575高野聖 :2006/06/18(日) 14:27:21
彼等はヒジリ方と呼ばれ、ヒジリの語源は日知り、日を知る人で、
その面で特殊技能と知識をもった人々である。彼等は高野山での地位は低く、
半僧半俗の者も多かったが、諸国を托鉢し無縁死者を供養して歩き、
大師の名を口にしながら無知な庶民と接していった。
その旅は中世来保証されていて高祖弘法大師の修行と称して全国を自由に
往来できたという。
高野聖は、ときには「高野聖に宿かすな…」などと庶民から蔑まれもしたが、
勧進といって結構のことを語って村人たちから寄進をあおぐ活動をしていた。
村の外から訪れて、村人たちに幸運についていろいろと話してくれる彼等の
存在は、古くから伝わるマレビト神ともつながり、黙々と村で暮らす人々に
とって実に歓迎すべきことだったと推察される。
大師信仰がこのように広まったことには、このような聖たちの功績があった
としても、根底では弘法大師の本質にある民衆性によるところが大きいといえる。
576家康、遊行禁止令:2006/06/18(日) 14:33:24
高野聖はつまり、用心棒的居候であるから、なんら束縛もなく、
自由に下山が出来た。一方修行僧は下山は禁止であった。
全国を自由に行脚する高野聖達は、真言教を表看板に賽銭稼ぎ、
無賃の宿借り、そして大師堂を農民に造らせ、弘法伝説、真言説法で、
お布施(?)を信仰者からかき集めていった。
一方、女子に対して悪事を働く者も居たらしい。
この高野聖の辺路行脚は江戸時代まで続き、その乱行ぶりは目に余
るものがあったらしい。ついに家康、遊行禁止令を出すもその効果
なく、その対策に苦慮したそうである。
577高野聖 :2006/06/18(日) 14:37:11
室町時代に、高野聖(こうやひじり)というものが大勢力をもっていた。高野聖は正規の僧では
なく、現代の会社に例えると、技術部が高野山の学侶で、営業や総務畑の社員が高野の行人
そしてセールスマンが高野聖だったといえる。高野聖は独特の風体をして全国に“お大師さん”
信仰をひろめてまわった。たとえば、亡くなった人があれば、「お骨を高野に納めましょう。」と預
かり、志納金をもらうのである。

高野聖が、四国ゆきをまず勧めたのは、上方の人たちに対してであっただろう。
578現世利益的:2006/06/18(日) 14:41:25
天台宗がどちらかと言えば精神論哲学的だったのに対し、
真言密教は現世利益的な秘術に見えて、
仏教に現世利益を求める当時の日本人に受けた
579街道をゆく:2006/06/18(日) 14:51:54
鎌倉期に出た法然、親鸞は平安期から存在していた念仏聖にたいし
て教養と組織を与えた人達であった。
中世以降、高野聖というものが存在しなければ、
空海のあの難しい体系が民衆に根づくはづはなかった。
空海の真言密教はまことにわかりにくい。
580アジール:2006/06/18(日) 14:56:50
網野さんの解説によると、そうした辺境にはアジールという、
隔離されはしているものの神聖な、自由な場が存在したのだそうです。その
代表が人里はなれた地や山林の寺院です。五十嵐さんによると、「寺院のアジール制は中
世において各地に存在したが、特に戦国の世においては敗残者、犯罪人が追手を逃れて寺
社に遁入するのが慣例化した。……アジールとして、後代まで遁入者を保護したのは紀州
の高野山であった。」(13頁)その高野山で修行する僧侶は高野聖となったのですが、そ
うであれば、聖(ひじり)たちの中には罪科人あがりの人々が散見されたことになります
ね。
581近世における主な差別戒名:2006/06/23(金) 22:24:09
以下は近世における主な差別戒名である。
「雪道禅畜門」(延宝時代・1673年〜1681年)
「道秋禅畜男」(元緑時代・1688年〜1704年)
「轉透屠女」「宗達革門」「智梅草尼」(1718(正徳8)年)
「卜生非男」(1743(寛保3)年)
「秋林屠士」(1779(安永8)年)
「基圓屠女」(1789(寛政元)年)
「奥身ト女」(1799年(寛政11)年)
「朴道僕男」(1806年(文化2)年)
「早耽○○賎女」(1809(文化1年)
「勝香鞁男」(1815年(文化11)年)
「栴陀羅男」(1828年(文政11)年)
「幻露非女」(1841(天保2)年)
582仏教および陰陽道によるケガレ観 :2006/06/23(金) 22:27:25

その原因は、6世紀に朝鮮半島の百済から伝来された仏教によるところ
が非常に大 きいのです。仏教による「殺生禁止」の思想と、
これも古代中国から伝わった陰陽道(オンミョウドウ)という呪術の
「禁忌・触穢」思想とあいまって、ケガレ観が強化 されたのです。
その結果、日常的に「ケガレ」に接している人を差別するようになっ た
と言われます。日常的に「ケガレ」に接している人とは、
人間や家畜等の死体に接 している人、出血・出産する人のことで、
死に関しては「黒不浄」、血に関しては「赤不浄」とよんで、
忌避・差別したのです。
このように仏教は、差別を生み出し、助長・拡大する大きな役割を持ち、
民衆の間 に広まっていきました。この影響は現在も続き、その顕著なも
のとして差別戒名「えた寺」ばかりをまとめた「部落組」という末寺組織
として、つい最近まで残って いました。しかし、宗教界は部落解放同盟
の指摘によってこれを悔い改め、差別の撤 廃につとめています。
陰陽道については、「大安・仏滅」等の六曜として現在も根強 く残り、
迷信など根拠のないいわれの一つとして、差別意識を支える土壌としての
役 割があります。
583差別戒名とは:2006/06/23(金) 22:30:36
差別戒名とは、その名の通り戒名された名前に差別用語が入ってい
る事を言います。例を挙げますと、『畜』や『似』そして『僕』
など一見問題無さそうに思える単語が問題なのです。
『畜』は動物を表し『似』は人間に似ていると言う意味を表しており、
どちらの字も人間ではないと言う見方がされます。
『僕』は人間のしもべ(僕)と解釈されてしまいます。
この様に、差別的な言葉を付けられた人は(特に戦時中に亡くなった人)
大勢存在しており、人権的に大きな問題となっています。
亡くなった人間に対して、何故そこまで人格を貶す必要があるのか疑問に思わされます。
584身元調査に悪用:2006/06/23(金) 22:33:38
深刻なのは、こうした墓石や寺院の過去帳が結婚や就職などの身元調査
に悪用されていた事実である。
 つまり生前の差別は、死後戒名差別と名を変え、
現在も生き続けているのである。
585仏教界と部落差別:2006/06/23(金) 23:18:48
仏教界と部落差別の問題はすでに長い歴史をもち,
仏教者自身がこの問題に真剣にたちむかうことが強く要望されつづけて
きたにもかかわらず,被差別部落を檀信徒として包摂することの多い
浄土真宗以外の宗派では,いたって関心が薄かった。1979年8月,
アメリカでの〈第3回世界宗教者平和会議〉の席上,曹洞宗宗務総長(当時)
が被差別部落の存在を否定する発言をしたことが,部落解放同盟の糾弾を
通じて宗教界に反省をもたらすきっかけとなり,81年には〈同和問題にと
りくむ宗教教団連帯会議〉が結成された。この一連の動きのなかで,
仏教界の部落差別をあらためて照らしだす鏡として〈差別戒名〉
のことが大きくクローズ・アップされるにいたり,長野県をはじめとして各
地で続々と発見された墓石の刻銘や過去帳の記載例は数十種に及び,
そのいずれもが被差別部落民であることをはっきりと示すものであって,
知る人を驚かしたが,その戒名一つ一つは,江戸時代を通じて連綿と,
〈あの世〉へ旅立っていった被差別部落の人々に僧侶が授けつづけてき
たものであり,仏教者の良心をいたく刺したのである。現在までの発見例は,
曹洞宗,真言宗,浄土真宗に及んでおり,従来,檀信徒に関する身元調
査に寺院の住職がかかわる場合が少なくはなかったこともあわせて深刻
な反省をもたらすと同時に,部落差別をとおして,仏教の立脚点,
現代的意義があらためて問い直されつつあるのは喜ばしい。
586「官僧僧団」と「遁世僧僧団」:2006/06/24(土) 16:37:40
奈良・平安時代の仏教は、「国家仏教」と呼ばれ、国家を対象とす
る仏教であった。そして中世になると、この国家仏教に対して批判
的な勢力が出現してくるが、松尾剛次氏は国家仏教、即ち旧仏教の
勢力を「官僧僧団」と呼び、それに批判的な勢力を「遁世僧僧団」
(同氏によると、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元、一遍、明恵、
叡尊、恵鎮などを中核とする僧団で、この僧団の仏教が鎌倉新仏教
であるとする)と呼んで区別している。そして両僧団の特徴につい
て次のように述べている。
587「官僧僧団」と「遁世僧僧団」:2006/06/24(土) 16:40:34
官僧たちは、天皇から得度(出家)を許可され、東大寺・観世音寺
・延暦寺の三戒壇 のいずれかで受戒して一人前の僧侶となった。
また、中心的存在の天皇に仕えることを 象徴する白衣(白袈裟)
を典型的な袈裟として着た。また、鎮護国家の祈を第一義の 
努めとし、種々の穢れを避けるため、葬式や、女人・非人救済な
どに従事するのを避け ていた。要するに、官僧僧団の宗教は共
同体に埋没した人々の救済をめざす共同体宗教 である。
他方、遁世僧僧団は、官僧身分から離脱した(そのことを当時、
遁世と称した) 僧を核として成立した僧団である。
遁世僧僧団は、天皇とは無関係に得度し、官僧僧団 のそれをモデ
ルとしながら独自の私的な授戒を行った。そして、異界の存在を象
徴する 黒衣を典型的な袈裟としていた。また、非人救済、女人救済、
葬式にも組織として従事 するなど、「個人」救済を第一義の努め
とした個人宗教である(23)。
588日本@名無史さん:2006/06/24(土) 19:08:27
細かいことだが、三戒壇の一つは延暦寺でなく、下野の薬師寺じゃね。

この薬師寺の発掘資料館のビデオで知ったが、延暦寺で受戒が可能になって
国立試験場が衰えたようだ。官立から民間への流れは昔からあった。

しかし仏教が当初国家仏教だったことに驚くには当たらない。
お釈迦様の時代、世の中を治めるには指導層の教化が重要だから、
「良家の子女」(中国で善男子・善女人と訳されたが)が主対象。
この点、儒教も統治者の心構えを説くところと共通している。

指導層の教化もせずに、(文盲も多い)下層・貧困層を教化しても
どうなるものでもあるまい。仏教が個人救済に向かうのは受け手側の
環境条件(財・生活時間・知識など)が整ってきたことにも関係する。
589神道系と仏教系:2006/06/24(土) 21:51:31
元々日本には土着宗教である神道系と
  外来宗教である仏教系という流れがあり、神道系の流れを汲む信長は、
  仏教系権威の絶滅を図ろうとしていたのではないかと言っています。
  信長は宗教改革を目指して仏教と対決し、時にはキリスト教を利用して
  改革を断行しようと目論んでいたのかもしれません。
  
  
  欣求浄土、厭離穢土といえば徳川家康が旗印に使っていました。という
  ことは家康は仏教系の流れを組む人物になるのでしょうかね。

  なにやら現代の改革を主張するリーダーに似たものを感じるのは私だけ
  でしょうか。

  日本の歴史は土着宗教系と仏教系勢力のせめぎ合いが明治維新まで続い
  てきたという
590 仏教派と神道派の対立:2006/06/24(土) 21:53:58
仏教派と神道派の対立ですが、
仏教派とは、最初に日本に入った北魏のもの
              よりも、そのあと、隋を経て、中国のスーパーパワーとなった唐と極めて強い関係があ
              ります。中国の唐の貴族層は、客家出身で、松竹梅とは、客家の貴族官僚・農民工人
              兵隊・商人料理人を意味します。日本で、松をめでる習慣は、本来、この唐時代の貴
              族のモノです。

               日本の仏教派は、日本に仏教が最初に持ち込まれたときとは全く違う考えで、仏教
              を広めました。それ以前に住み込んでいた人間=原住民に対し、統治の道具(思想統
              制と選抜の道具)として広め、その象徴に東大寺の大仏が建てられたのは、ご承知の
              とおり。
591 仏教は極端に血を嫌うところがあるんだが:2006/06/24(土) 21:59:10
仏教伝来が元凶だよ。

不殺生戒 不浄 なんて概念が周知されはじめてからだと思われ。

女性の生理でさえ不浄とされたんだから、ましてや動物を殺して
皮を剥ぎ取る作業はどうしても蔑視の対象になっただろうね。
仏教は極端に血を嫌うところがあるんだが、一方大儀のためには
殺人すら肯定するものもある。
オウム真理教が言ってた ポア なんてのは記憶に新しいね。
592朝鮮半島からの渡来人が祖先:2006/06/24(土) 22:01:09
昔と違い部落出身者がまともな職につけなくて芸能界に身を沈めるというのではなく、
血統の良い一般人までもが進んで芸能界に入る現在でも、
在日とならんで活躍しているのは古代から芸事で身を立ててきた
DNAのなせる業かね。

天皇家は朝鮮半島からの渡来人が祖先であり、
大和を支配するには外国人であるとまずいということから
無理やり日本古来の神様を祖先とするというとってつけた
ことを主張しているのだろう。
593教派神道:2006/06/24(土) 22:04:11
神道はそもそもB民(新羅系)の宗教でしょ?
 平安遷都によって仏教勢力(百済系)によって圧迫されてた。
 教派神道は明治維新時、薩長が設定した国家神道に入れても
 らえなかった神道グループが作った新興宗教で、明治・大正時代は
 ちょっぴり反政府組織でしょ。
 だから天皇制批判・反戦運動で弾圧されてる。
594百済VS新羅:2006/06/24(土) 22:05:23
オラの考察が正しければ

 北朝―本願寺―細川―足利
 南朝―仏光寺―山名―楠正成
    興正寺
だと思うんだよね。
信長VS一向宗は
マルクス的に
武士VS被差別民の構図で捉えられる
けど実際は信長は伊勢神宮関係者だし、南朝でしょ。足利追い出してるし。
神道系(新羅系)の被差別民だと思う。
家康はエタだけど新羅系を装ったんじゃない?
だから、征夷大将軍になれた。源氏を装ったから。
本質的な対立は百済VS新羅だけど
エタは北朝閥についてたと思う。
だから百済+唐+エタ勢力VS新羅系
が本質的な争いを呈していたのでは?
595戒壇院:2006/06/24(土) 22:18:38
内容:奈良東大寺内にある堂。鑑真が唐より来朝して大仏殿の前に戒壇を築
いて聖武天皇及び百官公卿400人が沙弥戒を受け、その後その土壇を大仏殿
の西に移し戒壇堂を築きそれを中心に金堂、三面僧房を具したのが戒壇院
の始まり。東大寺戒壇は四部律戒が中心で、五畿内以外の関東の受者の為
の下野薬師寺、九州の受者の為の筑紫観世音寺と合わせて天下の三戒壇。
これに対して延暦寺を開創した伝教大師最澄は、新たに「顕戒論」を著し、
法華一条の戒律を主張して南都の戒律と対立した。そして比叡山に新しい
戒壇を設立しようとしたが、示寂後に遺志を継ぐ弟子達により達成された。
596日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:06:21
東大寺は当時の7割の大きさしかないと聞いたけど、
本当はもっと大きかったんでしょうか?
597日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:37:07
>>596
大仏殿は小さいなったらしい。

>>595
唐招提寺にも戒壇の跡みたいなのがあるが、あれはなにに使ったんでしょう。
官僧の制度がゆるくなって、あそこでも始めたのかなあ。
598東大寺学園高1年E組:2006/06/25(日) 00:07:44
[奈良高1放火殺人]父親「失火願ったが…」 まだ面会せず
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2122226/detail
>  「もうちょっと、落ち着いてからにします」。長男の逮捕後、父親は捜査員に
> 長男と面会するか聞かれて、こう答えたという。

永遠に会おうとしない、に 5000カノッサ



吉川元祥(47) 泌尿器科医師 京都府立医科大学卒(大阪医科大学卒?)
 http://www.okanami.com/contents/subjectguidance/10_hitsunyo/index.htm
 (写真:http://www.imgup.org/iup225152.jpg
吉川民香(38) 神経内科医師 奈良県立医科大学卒 旧姓:上高垣内
吉川*太(16) 東大寺学園高1年E組
599東大寺学園:2006/06/25(日) 00:12:08
 
東大寺学園
卒業生数209
東大35 京大78
地帝一工28
600東大寺学園:2006/06/25(日) 00:16:47
教育方針
東大寺創建の精神にかんがみ、生あるものすべての共存・相互扶助への自覚
を深め、情操豊かな人間性の育成につとめる。
http://www.tdj.ac.jp/gaiyo/
601東大寺学園:2006/06/25(日) 00:32:22
校風
学園は奈良市の北郊、京阪奈学園都市に接する位置にあり、
風致地区にあって、周囲は緑に囲まれた、静かな環境にある。
かっては、東大寺境内にあって、1学年が2学級という小
さな学校であった。
寺子屋風の雰囲気の中で、文化的環境に恵まれ、教師と生徒との、
飾らぬ人間的触れ合いを通じて、人格・学力が形成されていった。
そのころの校風・伝統が今も生きており、校則でしばって規律を
教えこむのではなく、学園生活を明るくみんながそれぞれに楽
しみながら、自分の夢の実現に向かって歩んでゆくことを軸として、
お互いの個性・気風を尊重しながら、友情を育てて、のびのびと生活している。

602野田正彰教授(精神医学):2006/06/25(日) 09:44:49
関西学院大の野田正彰教授(精神医学)が、これまでに明らかになった供述や長男の文章、両親が離婚している家族関係などを手がかりに分析した。

 「努力して夢(医者への道)をかなえたい」

 長男が、小学校の卒業文集に寄せた「将来の夢…医者」という文章は、こう結ばれている。野田教授は「小学生らしい感情、自己体験が表れていない」と指摘。「こうなりたい」ではなく、「こうでなければいけない」と、親の期待を強く意識していたと分析する。

 「厳しく説教し、殴る父に憎しみを持っていた」

 父は深夜まで勉強に付き合い、時に暴力を交えて指導したとされる。野田教授は「息子の価値を成績で決めていたかに見える。長男は、成績を良くすることにしか、
自らの存在価値を見いだせなくなったのではないか」と語る。出世や成績でしか子どもを評価しない現代の日本社会の「エリート層の病理」とも。

 「(事件当日の)20日の保護者会で中間試験の成績についてのうそが発覚する」

 小学校時代は成績がトップだった長男は、関西有数の進学校に進み、中位の成績だった。野田教授は「小学校時代は自尊心を保ち、実母のいない寂しさも癒やされていたかもしれないが、進学後は父の望むような成績が取れず、
しっ責され、暴力を受けて追い詰められていった」と推測。保護者会で本当の成績が明らかになることから「感情的な支えがない中、殺意が生じたのでは」という。

 「むしゃくしゃして何もかも嫌になった」

 「放火は弱者の常とう手段」。野田教授は「母ら3人を殺すことが主目的ではない」と強調する。強い父を直接攻撃できないため、家や再婚相手など父に属するものを消すことを目的に火を付けた可能性があるという。
「成績低下が発覚する恐れもあり、父の所有物を消し、自らも『生きていてもしようがない』と、大それた行為に踏み切ったのでは」と分析した。
603煩悩具足の遁世僧「親鸞」:2006/06/25(日) 10:00:12
父親をして、その生き様の完璧を期したのであろうか・・・・・。
しかしながら、その実態はいびつである。
私はそのいびつさを否定する気はない。
以てそれは、人のことを言えた義理ではないからこそ、否定しないのである。
何故、「人間は時には失敗するものなのだ・・・・・」と教えられなかったのか?
決して失敗を肯定する訳ではないが、失敗を繰り返しながらも、
ほんの少しずつでも向上すればそれで良いではないか・・・・・、
その理(ことわり)があることを、彼は知らないままに犯行に及んだのである・・・・。
いびつな完璧主義ほど、恐ろしく忌まわしいものはない。
我々坊主の世界とて同じことである。
確かに坊主たるは、人間のメンタルな部分へ言及しうる生業ではある。
しかし、人間は「有情(うじょう)」なるが故に完璧ではない、
だからこそ、絶対慈悲たる存在である阿弥陀仏の慈悲にすがる外はないと説くのが、
他力本願の真面目を説く、煩悩具足の遁世僧「親鸞」の浄土真宗ではなかろうか・・・・・。
私はただ、阿弥陀仏の世界こそは「ありがとさん♪」としみじみと言えることにこそ、
全てがクリアな世界があると考えている。
坊主もまた時として、おかしな勘違いをする。
それは、彼の父親と同じ勘違いなのである。
誰も聖僧ぶる「あなた」に過大な期待などしていない。
医師とて同じことである。
医師はただその本文に徹すればいい訳で、間違いがあれば真摯にそれを認めればいいと思う。
息子たちにまで、その生業をして要求されていると錯覚する「完璧主義」を引き継がす必要はない。
604煩悩具足の遁世僧「親鸞」:2006/06/25(日) 10:01:31
坊主もまた然り。
私が「坊主」だっただけである。
もし宿命としても、それは後から自然に付いてくる・・・・・のではないだろうか。
「私」という存在に、例えばいずれ「我が子」ができた時、
子どもはその背中だけ見ておればいいのである。
子どもにいきなり「寺」を背負わせること自体、極めてナンセンスなのである・・・・・。
子どもは子どもなりに「自分はこうしたい・・・」という選択肢を考える余裕を与えてこそ、
「育み」は成り立っていくのではないのだろうか・・・・・。
子育て経験のない私が是くもいうのは、以て僭越以外、何物でもないけれども・・・・・。
彼は16歳という、まだまだこれからという時に、重大に犯罪を犯してしまった。
しかし、彼こそは阿弥陀仏が捨て置かぬ救いの対象であると願ってやまない・・・・・・。
彼は取り調べの中で、自ら犯した過ちを悔いているというのだから・・・・・。
605お水取り『修二会』 :2006/06/25(日) 10:30:17
東大寺大仏開眼以来1250年余り前から、幾多の戦乱に遭っても途切れる事なく連綿と今日に継承さた世界でも稀な宗教行事であるそうです。
鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、万民快楽、要するに人々の幸せを願う行事です。
二月堂下の広場に立ち、お松明の登場を待ちわびながら、夜空を見上げて、遠くペルシャの地で栄えた拝火教の様式が、この平城の都にシルクロードで運ばれたのではないか等と想像を巡らし、天平のロマンに思いを馳せるのも好いものですよ。
午後7時愈々、次々と点火された大松明が登廊を駆け上がり二月堂欄干上に、大松明が降りかざされ、燃え盛る火の玉から火の粉が飛び散る大スペクタルに、お堂の下で待ち構えていた善男善女は、我を忘れて歓声を上げます。
特に、大きな火の玉を作り、大松明を抱えて欄干を走り、四方八方に盛大に火の粉が飛び散ったときは大喝采が沸き起ります。
本来、厳粛な宗教行事故に拍手などもっての外ではありますが、練行衆(お水取りに参加している僧侶)も人の子、拍手が大きければ、気合が入り、更に格別のパフォーマンスを発揮してくれるようですよ(ホンとかな?)
606お水取り『修二会』 :2006/06/25(日) 10:31:12
当時、仏教が国家宗教として地位を確立され、東大寺はその頂点に立っていました。そのスポンサーである権力者にさえ畏怖の念を抱かせ、平伏せしめるような宗教行事を考え出した大演出家がいたことは驚きであります。
今日的に言えば、スピルバーグやルーカスを遥かに超えた大プロデューサーではないでしょうか。
火の魅力、それは二月堂のご本尊である観音像のようにえも言はれぬ美しさと慈悲深さ、温かさであり、不動明王の猛々しく、荒々しく、総ての邪悪なものを燃やし尽くす力強さだと思います。
小生などの時代は、子供の頃から炊事や風呂焚きに薪を使い、焚き火やどんど焚きで、火の有難さや恐ろしさを身に付けてきました。
今は、焚き火などはダイオキシンの発生源でとんでもないとお叱りを受け、家ではオール電化で調理器具はIH、お灯明の蝋燭も豆電球になってしまいました。
近年、火の恐ろしさを知らない、火をコントロール出来ない大人や子供が増えています。今日も、子供の悲惨な放火事件の記事があり、直情的な放火事件が多く、とんでもない惨事になっています。
小生は、火は大好きです。九州に在住した時は、阿蘇の高原の壮大な野焼きにボランティアで参加し、奈良に在住の今は、お水取りを毎年拝観しています。
燃え盛る火柱は、原始の血が沸き立ち、気力が充実してその一年間は、お蔭様で無病息災で過ごせます。
607仏教式スパルタ教育:2006/06/25(日) 10:40:42
■題名 : Re:東大寺は成り上がり

■名前 : コピペ

■日付 : 04/10/31(日) 9:46

■ 東大寺学園 ■元夜間高校で昭和40年代初頭までは奈良の底辺私立高校だった。

仏教式スパルタ教育で生徒をビシビシ鍛え始め進学校化した。

かつては生徒に座禅まで強要するほど厳しい校則の学校として有名だった。

現在では進学校化しているが昔から関西に住んでいる人からは敬遠されている。

類似校としては京都の洛南がある。ここもかつては荒れた不良学校だったが、

非情なスパルタ教育で進学校化した経緯がある。

関西では戦後すぐに進学校化したグループ(灘、甲陽学院、洛星、六甲など)と

新興進学校のグループ(洛南、東大寺、星光、西大和、清風南海)に分かれる。

後者のグループは進学校ではあるが名門校の仲間入りは決して出来ない悲しい現実がある。

特に昔から関西に住んでいて、これらの学校の昔の姿を知る人からは敬遠されている。

手元に昭和30年代〜昭和40年代の東大、京大、阪大の実績があるが、

東大寺や洛南の実績は灘・甲陽学院・洛星などと比べると悲惨なものである。

608コピペ :2006/06/25(日) 10:43:00
※参考その2(誇張・不確定情報あり)

<父親はこんな人>

不倫大好き、中田氏大好きで現在の妻とは職場内不倫の末の出来ちゃった婚

本当はサッカーしたかったのに無理矢理剣道部に入れ休日にもスパルタ特訓

日ごろから長男になぐるなどの暴力を振るっていた

長男の唯一の心の吐け口だった携帯電話を発見しては2つに折っていた

自分の学歴を棚にあげ一流校に進学させようといちいちうるさかった

<母親はこんな人>

職場不倫の末できちゃった婚でケコーン

日ごろから自分の子どもの子守を長男にさせていた

その間自分は仕事と趣味の吹奏楽やりまくり

そのくせ前妻の子の成績・生活態度については父親レベルでうるさかった

長男を除く4人でBBQをしたり、長男を除いた子ども2人とUSJに行ったり

近所の人は長男の存在を知らなかった(4人家族と思っていた)

609あぼーん:あぼーん
あぼーん
610コピペ :2006/06/25(日) 10:56:02
後妻の旧姓は「上高垣内」
奈良のとある政財界に力のある 理事長の娘というのがほぼ確定してるらしい。
ウエタカガイト一族は奈良で有名な医師の家系
吉川医師は韓国もしくは台湾系の在日では?とのうわさもある
(関西の泌尿器科のほとんどが韓国人医師とか?)
というわけで後妻の一族の方が地元的には偉かったのかもしれない
この名前自体に稀少性がある。
「上高垣内」一族っていったら、奈良では有名な医者系を輩出する一族。
コブつきでも医者というところに価値があるし、遺伝的な要素から考えても、両方とも頭が
よければ、頭の良い子が生まれる可能性は高くなる。
後妻の次男にかける期待は相当なものだったと思われ
しかも次男は補聴器をつけた障害児との噂もあり、現実のギャップが・・・これが父親のプレッシャー
につながった。厳しい父が監禁同然で勉強を強要してるとの同級生の2CH情報あり

吉川医師の親は駅前で薬局を経営。
親子の代からの医師でないばあい、勤務医が開業することは難しい。だが後妻の一族の方が
奈良で有名な医師の家系であるなら、開業も容易に可能となる。この打算から再婚したのであろうか?

長男は小学校のとき飛び級、のち数学オリンピック世界大会2位
次男は普通に一見して発達に障害があるとわかる程度です。

悪徳弁護士の攻撃で前妻はわが子を手放すことになったという情報アリ
後妻としては連れ子を立派に秀才医師に育て上げた、できた義母として世間の賞賛を浴びつつ
一族経営の勤務医として奴隷でこきつかい、社長として君臨。
その病院を障害ある次男に経営させると言う構想であったのかもしれない。

「全部灰になって消えてしまえ」って感じだろうか
611コピペ :2006/06/25(日) 10:58:20
実父母の離婚の時、長男が実母に引き取られなかったことが最大の不幸
だったけれど、さらに意地悪な継母が父親に成績のことをあれこれ告げ口して、
そのことで父親が長男を殴ったり、一家の行楽外出にも参加できない雰囲気に
されたり、とにかく長男に対する父親&継母からの虐待は(心理的なものも
含めて)ひどいものだったと言える。
実母と引き離された長男の気持ちなど一切無視で身勝手な離婚再婚を
繰り返す父親の我がままに翻弄された長男に同情する。
父親は自分のやってきた愚行を棚に上げて、長男の成績や医学部進学の
ことばかりプレッシャーをかけ続けたDQN父ちゃんそのもの。
普通に考えて、高校生の男子が血の繋がらない継母や子供とうまくやって
いくなんて至難の業だよ。そんな状況を放置するばかりか「成績が悪い」と
いうだけで長男を殴ったり、それを止めずに見ていた継母はDQNすぎる。
人間失格。こんな放火事件になるまで状況を楽観視していたDQN父ちゃん、
一生かかって反省しろ。
612「他人の不幸は蜜の味」はストレス解消にいい :2006/06/25(日) 13:53:08
他人の失敗や不幸をひそかに喜ぶのは、洋の東西を問わないらしい。ドイツの心理学者によると、これは健全な喜びであり、その人のストレス解消に大いに役に立っているそうだ。
 デュッセルドルフの心理分析の権威、クラウディス・ジ−ズは、11月18日、ドイツの新聞「ビルト」で、こう述べている。
 「他人の不幸を喜ぶのは、ドイツ語でシャ−デンフロイデ、というが、この種の喜びは、心の底からの笑いに通じる。それが、ストレス解消に大いに役に立っている。他人の不幸や失敗を笑うのは不謹慎だ、と言って、罪悪感を感じる人がいるが、その必要はない。
 しかし、笑いの対象にしている他人の不幸は、しばしば、笑っている本人自身の問題であることが多い。本人が気づかないだけのことだ。まさに、他人のふり見てわが振り直せ、の教訓がそこにある」
 それでは、喜びや笑いの対象になった人はどうすればいいのだろう。「みんなと一緒になって笑い飛ばしましょう」と、この女性心理学者はアドバイスしている。
613「他人の不幸は蜜の味」はストレス解消にいい :2006/06/25(日) 15:59:23
他人が自分より不幸になると、自分の幸せを感じるものなのです、
親しくても他人の病気や死は苦にならず逆に自分の健康に幸せを感
じるのです、良い事をしているようでも潜在的に他人の不幸をみて
自分の幸せを感じ喜んでいる、これは誰にでも有る煩悩なのです、
これが無い人は釈迦かキリストだけでしょう、
(だから、親鸞聖人は煩悩はどんなに難行苦行しても取り払うこと
は不可能な事だと悟りを開かれたのです)
614蜜の味とは:2006/06/25(日) 16:00:44
不幸な人は、他の人に幸せ感を与え、罪滅ぼしをしているのです、
罪滅ぼしというのは、自分自身が病気で辛いのも,他人に幸せ感を
与えているのも罪滅ぼしになるのです、つまり幸せも不幸も他人
と自分との差で感じる事なのです、
こんな事を書くと嫌われてしまうが、自分も他人もみな幸せだと
幸せを感じません他人が不幸だからこそ幸せを感じるのです、
他人の不幸は蜜の味といいます、私は喋っていますが、思ってい
て言わないのはもっと悪だ、仏教では殺すより殺そうと思う心の
方が何倍も悪い事だという、だから言うより思う方が悪い、
(蜜の味とは他人の病気に対して自分の健康を喜こぶ事です) 
615日本@名無史さん:2006/06/25(日) 17:07:13
そう!真実 、、 誰かの不幸が誰かの幸せな事は事実なのです!

だからイスラム圏の人びと
虐げられた貧困にむせび泣く人ビトは、大量殺戮を実行に映し
すっきりするべきなのです。 それは生きる道理!彼らの幸であり
血で血を洗う人類の免罪符なのです! ワハハハハ~
616仏の教え:2006/06/25(日) 17:54:31
東大寺学園の校長の会見も虫酸が走った。
あの席で薄ら笑いを浮かべるのが仏の教えなのかね。
成績を親に渡すという神経もわからない。
どんな学校かよく知らないが妙な卑しさが感じられてならない。
ちなみに私の父は「頼むから医者にならないでくれ」と言った。
無理させると命が危ないと思ったのかもしれない
617日本@名無史さん:2006/06/26(月) 19:03:02
志は高く持たないといけないが、身のほどもわきまえろということだろ。

ところで、世界遺産・モン・サン・ミシェルの紹介の番組を見ていて思ったが、
キリスト教の修道院は、巡礼先・ミサ・学問などと共に薬草栽培をやっていた
と言っていたが、日本のお寺は薬膳料理とかはあるが、医療にはあまり熱心
ではないように思うがどうだろう。鎌倉は極楽寺では治療したような話もある
が、多く例がないように思う。
618コピペ:2006/06/26(月) 19:37:23
家族歴まとめ。

父親(大阪医大卒)
母親(京都府立卒)
ともに奈良医大入局、そこで出会う、

このとき父親すでにバツイチで、再婚、子供二人(五歳と三歳)
そして、出会いから2年後に再婚。その時すでに@@中。

ちなみに、前妻はアルバイトの医局秘書。(奈良女卒)
前々妻からの@@婚。
離婚時に娘だけを連れて行く。息子は父親が「絶対に医者にする」と、渡さなかったらしい。
ちなみに、息子には「母親が捨てたんだ」と言っていたらしいが、
祖父母より本当のことを聞いていたらしい。

継母はお嬢様だが、家事能力は・・・。
息子はほとんどを祖父母宅ですごす。

ちなみに、母親は仕事を続けていたため、弟、妹の保育園の送り迎え、
休日に公園で遊ばすなどは長男お仕事であったらしい。

妹誕生後から、家族で、キャンプ、旅行へ良く行っていたが、受験を理由に長男は留守番。
寂しかったようだと、同級生が話している。
619コピペ:2006/06/26(月) 19:38:45
【0歳】実母と父親(31)の間に誕生、大阪に住む
【3歳】妹が生まれる、4人家族
【4〜6歳?】祖父母宅に預けられる、父母妹と離れ一人
【6歳】実母と父親が離婚成立、祖父母宅居候、母と妹には会えない
【小1】父親(38)と継母(29)が再婚、祖父母宅居候
    (継母は次男を妊娠中)
【小2】新家庭で次男誕生(父から一文字贈られる)
【小3】新家庭に祖父母宅から引き取られる、4人家族
    (継母は長女を妊娠中)
【小4】長女誕生、5人家族(継母から一文字贈られる)
    サッカーを辞めさせられ、塾通い
 〜  ICU生活が始まる
【小6】受験勉強のため年賀状禁止措置
【中1】名門私立中学校に入学、成績(順位)が下がる
    剣道部に入り、休まず続ける
    学校が禁止する塾通いがエスカレート
【中3】次男が小学校入学、送迎する
【高1】長男、家に放火
     継母(38)、異母弟(7)、異母妹(5)死亡
    父親(47)と長男(16)の2人家族になる
620トリップをどぞ:2006/06/26(月) 19:59:13
7Si3jitbck <= #516i4)G{
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7Si3lBtu16 <= #jSS/o[Tf
7SI3yR3/UI <= #BMId:[tf
7SI3Qzv4Yw <= #UmuT]7dz
7SI3sDLQmg <= #&QexTTm6
621日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:41:07
ドパルビン
622中世寺院と民衆:2006/07/03(月) 20:40:36
中世民衆を、戦争で被害を受ける哀れな被害者とみる歴史像は虚像である。
 著者はこう断言します。民衆は、もっとしたたかだったというのです。
映画『七人の侍』を見ると、なるほど農民のしたたかな強さが実感できます。
あの映画は、単なるフィクションではない。私は、確信しています。
 寺院も自ら武装していた。中世の寺院は、むしろ戦争の主体であった側面
の方が強い、河原者も自らを守る武装する集団としての実力をもっていた。
現代の通説では、中世の国家権力は幕府が掌握し、天皇は政治権力から切り
離され、宗教的権威をもつにすぎなかったとする。しかし、前近代において、
宗教や儀礼を経済や政治と区別された観念とみるとことは、歴史の実態と相
違する。中世の天皇は権威だけの存在とは言えない。その社会的支持基盤は、
民衆統合儀礼の社会システムそのものであった。天皇家は将軍家と並ぶ中世
社会の公権力であった。
 なるほど、政治と宗教とを明確に区別できたという現代的感覚で割り切る
のは間違いのようです。現代社会でも欧米に限らず、日本でも宗教を基盤と
する政党は存在するわけですから、よく考えると明確な二分説が成り立たな
いことは明らかなのですが・・・。
 戦前の天皇は日本国の統治権を掌握し、日本の軍隊を指揮命令する最高司
令官であり、大元帥(だいげんすい)と呼ばれていた。この大元帥という言
葉は、中世に盛んに行われていた太元帥法(たいげんのほう)という護国法
会(ほうえ)によっている。太元帥法は外敵から国土を防衛する法会であっ
た。そうなんだ。私は、ちっとも知りませんでした。中世の日本では、
飢饉や戦乱で男たちが減り、女性が男の2倍もいた。夫婦関係が成立しにく
い社会では多様な性関係が発達し、性道徳が混乱するのは、いつの時代も変
わらない。僧尼同宿の寺院生活が営まれていた。寺などで同宿する尼が妊娠
すると、実家に帰って出産し、産後に寺に戻ってまた仏道の生活を続ける。
中世の寺院は世俗化の頂点に達していた。
 生きのびるためには何でもあり、の世界になっていたんだな。
そう思いました。現代の世界もそうなりつつあるように思いますが、いかがでしょうか・・・。
623日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:17:47
ツラれて。
昔(といって、特に時代を特定しないが)は今ほど公共の建造物はなかった、
寺社は、学校、避難所、旅館、市民センタ、興行、砦などの多機能建造物であった。
金持ちが専用の菩提寺を作るとか、豪族の家に客人を泊めるとか、だんだんに
分化したが、今は文化財か信徒のたまの集会所でしかなくなった。

食卓がお袋の味を味合う場から、単に胃袋を満たすだけの場になるような、
「縁」が希薄化しつつあるように思う。
624弓削道鏡:2006/07/07(金) 22:52:55
弓削道鏡といえば奈良時代、称徳天皇(女帝、孝謙天皇の重祚)
に取り入りその愛人となり、ついには自らが天皇になろうとした怪僧であり、
巨根の持ち主でもあったという俗説が有名だ。
(ロシアの怪僧ラスプーチンと似ている?)。
江戸時代の川柳に、
  道鏡は座ると膝が三つ出来
  道鏡に根まで入れろと詔(みことのり)
  道鏡に崩御崩御と称徳言い    などが謳われている。
625大意:2006/07/07(金) 22:58:40
道鏡は「巨根(立派なイチモツ)」で女帝を惑乱
道鏡に「根元まで入れろ」と天皇が命令あそばされた。
称徳女帝は、道鏡に「死ぬ!死ぬ!」と身悶え?して言った。
626兄弟子良弁:2006/07/07(金) 23:03:24
歴史にもしは禁句だが、もし仮に道鏡が天皇の病を治さなければ、
彼は兄弟子良弁の後継者として東大寺管長となり、名僧としてあ
がめられていたはずだ。
627示談:2006/07/12(水) 20:53:48
10
0
                   ,,ニ―、 
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  L__二フ        | _l ゙ー]    /\'ノ
             (____,ゝ   ∠__/

628「平城京」を捨てた理由:2006/07/16(日) 18:34:45
「平城京」を捨てた理由としては、さまざまな説もあるが、
その中の「仏教」の問題というのが有力なようである。
当時は僧侶がかなりの権力をもっていたらしい。
「道鏡」などは女帝に取り入って「皇位」にまで就こうとしていたくらいで
あった。
当時の「平城京」には「大寺」が集中していた。狭い首都には「僧侶」
があふれていた。皆、国営の「寺」であった。

「平城京」の「大寺」は、「薬師寺」、「東大寺」、「唐招提寺」や他に
も多くある。先ほども言ったが、国営の「寺」であった。この「寺」を建
築し、修理し、「僧侶」に俸禄を与える。全てが「国持ち」の費用で運営
されてた。「僧侶」はいわば「公務員」であった。

このころの「僧侶」たちには「民の救済」などという理論はなく、
鎌倉仏教のように個人の安心立命のようなものもなかった。「僧侶」たち
の仕事は「原典」をひたすら勉強するという事だけだったようである。
その「僧侶」たちが、「権力」にまで横行し始める。「国費」で成り立っ
ている「大寺」が政治の場にまで影響を及ぼすようになる。
要は「平城京」から「逃げた」のである。
629「平城京」を捨てた理由:2006/07/16(日) 18:35:18
「平安京」に移ってから桓武天皇は、無名の「最澄」を抜擢して宮廷
の「僧」とした。平安時代が興した「大寺」は、最澄が興した
「比叡山延暦寺」と、空海の「高野山金剛峰寺」だけである。
どちらも「都」からは遠い場所に置かれた。
「平安京」は、「羅生門」を挟んで「東寺」と「西寺」が配置されて
設計されているが、これは「寺」というより「役所」と解釈するの
正解のようである。「平安京」には国営の「寺」は造られなかった。
「遷都」早々に建てられた「清水寺」も「坂上田村麻呂」の「私寺」
であった。
630日本@名無史さん:2006/07/17(月) 04:58:29
今で言うなら、もう特殊法人はいらん、自前でやって ってことだな。
631日本@名無史さん:2006/07/19(水) 21:21:20
待乳山の来ないこのスレにもう用はない。
632日本@名無史さん:2006/07/20(木) 04:11:47
飯でも空海?
633日本@名無史さん:2006/07/20(木) 20:56:29
次スレはクソつまんねえダジャレは禁止ってテンプレに入れねーとダメだな。
634日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:34:05
宗門大学一覧
浄土宗・浄土真宗の浄土系大学
埼玉工業大・大正大・淑徳大・東海学園大・☆佛教大・京都文教大
武蔵野大・同朋大・龍谷大・京都女子大・大谷大・大阪大谷大・兵庫大
以前の宗門では東洋大も含んでいたが、今は手を切っている。
曹洞宗
東北福祉大・駒澤大・駒澤女子大・愛知学院大
真言宗
大正大・高野山大・種智院大
天台宗
大正大・京都精華大
宗門大学 僧侶養成校「同宗派に複数ある場合ランク順」
浄土真宗本願寺派・・龍谷・同朋・九州龍谷短大
浄土真宗大谷派・・大谷・大谷短大
浄土宗・・佛教・大正・西山短大
曹洞宗・・駒澤・東北福祉・愛知学院・鶴見
臨済宗・・花園
日蓮宗・・立正・身延山
真言宗・・大正・種智院・高野山
天台宗・・大正

宗門大学 非僧侶養成大学
浄土真宗本願寺派・・京都女子・京都女子短大・武蔵野・兵庫
浄土真宗大谷派・・京都光華女子・大阪大谷・各地の大谷短大
浄土宗・・京都文教・淑徳・東海学園・埼玉工業・華頂女子短大・淑徳短大
曹洞宗・・駒澤女子
日蓮宗・・文教
和宗・・四天王寺国際仏教

635日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:39:58
>>634
同朋は大谷派
636日本@名無史さん:2006/07/23(日) 17:01:55
待乳はどうした?
もう来ないのか?
このスレを見捨てたのか?
637空海は中国人である :2006/08/05(土) 10:21:59
疑問は唐語である。空海は唐語が話せなかった最澄と違って自在に喋れた
という。だから最初からどんどん唐の仏教関係者に会って話が進んだのだ
ろう。しかし、中国の発音は日本語とはかなり違う。子音の発音が難しく、
簡単にはマスターできない。空海は言語習得でも天才性を発揮したのだろう。
それにしても、唐人と同じように唐語が話せた空海とは、何者だったのだ
ろう。
638空海は中国人である :2006/08/05(土) 10:24:27
30歳で遣唐使の船に乗るまでの空海の空白の7年もしくは9年というのは、
小説家・司馬遼太郎にしてもちょっと想像がつかない期間である。
そんなにも長い間、空海は密教の修行をしていたのであろうか。
そんなことを考えていた僕は、とんでもない想像をした。
入唐後の空海の手際のよさは水際立っている。まるで唐人のように唐語
を話し、会うべき人にすぐに会っている。そんなことが可能なのだろうか。
ここに、何かからくりがあるのではなかろうか。
639日本@名無史さん:2006/08/05(土) 10:36:36
渡来僧と付合いがあったんじゃないのか。お経はいまでも呉音かなにかで読む。
漢文も読み下しでなくそのままでも読めたのではないか。
640秀才と天才:2006/08/05(土) 11:18:57
最澄は「秀才」で空海は「天才」といった印象が非常に強く感じられる。
641空海の誤解:2006/08/05(土) 11:22:56
語学の天才であった空海も、中国滞在中、サンスクリット語は十分に
習得することができず、真言宗の教えの一部は、空海の誤解に基づい
ている部分があるのではないかという指摘を読みました。
642日本@名無史さん:2006/08/06(日) 14:17:37
>>641
今、大学出ててもマネの出来ないのがいるのに、多少のことはあるだろう。

法華宗では、漢訳の法華経を元とするというのがあるようだが、漢訳の法華経も
サンスクリット和訳を見ると、変なところがある。マ、有り難い方向に漢訳され
ているといえば言えようが。
643日本@名無史さん:2006/08/09(水) 18:31:45
まんだら探偵空海って小説面白いで
644宗門大学一覧 :2006/08/10(木) 21:03:08
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645曼荼羅とは:2006/08/13(日) 17:19:29
曼荼羅とは、仏教の世界観を図示したものであり、如来・菩薩・護法尊な
どの尊格が一定の幾何学的パターンに配置されています。語源はサンスク
リット語で輪円・壇を表すマンダラ(mandala)です。
 中期密教を代表する大日経に説かれる 胎蔵 たいぞう 曼荼羅と、金剛
頂経に説かれる金剛界曼荼羅の二つは、わが国に伝えられて両界曼荼羅と
なりました。
 日本に曼荼羅画を伝えたのは真言宗の祖、空海であり、その後日本では
大陸とは異なる独自の曼荼羅画が発展しました。
 チベットの曼荼羅画は、12世紀頃、ネパールの絵師が伝えた技術によ
りチベット仏教美術の開花期を迎え、その後多くの画風を発展させました。
 一方、 ネパールではヒンズー教とのマージにより、チベットとは異なる
画風が発展してきました。
646宗教即芸術:2006/08/13(日) 17:21:49
空海の素晴らしさの一つは、宗教即芸術という視点を持ってい
ることです。宗教家であって芸術家なんです。金と銀の曼荼羅を、
暗闇(やみ)に浮かび上がらせて立体的に見せ、生命の実像を見
せようとしたことなども、現代を先取りした空海の演出です
647日本@名無史さん:2006/08/14(月) 19:21:25
講談社「法然対明恵」町田宗鳳著を読んでいたら、鎌倉以降仏教が分派して庶民の
ものになったが、宗派仏教が定着した江戸時代以降の宗教文化に芸術品が少ないと
いう指摘があった。そして以降日本仏教は活力を失ったと。
もし復活するなら、再び統合型宗教への転換が必要だと。面白い視点だ。
648日本@名無史さん:2006/08/20(日) 14:17:12
「孕ませ屋」
新郎、新婦のどちらかの依頼により、新婚初夜に新婦に種付をする稼業。
場合よっては、式場でお色直しの際に、ウェディング姿の新婦にバックから注入することもある。
↓以下を5回コピペすると規制してくる、お試しあれw
この書き込みは、単なる愉快犯の仕業だそうです(阿部将英談
支障がないと本人から了承がありましたので、どんどんコピペしましょう(笑)
名誉毀損は本人から訴えがない限り名誉毀損ではありません(w
霊感商法詐欺師阿部将英フルフィルメント瞑想 http://www3.ezbbs.net/31/abedayo/
2ちゃんねる覚せい剤中毒者 阿部将英の摘発通報にご協力を http://www.nco.go.jp/email/ncorespons.html
※以下をコピペして送信ボタンを押すだけ。
★別サイトで引越ししたと嘘をついてた住所 神奈川県大和市中央 4-14-24-806
嘘ハッタリだらけのサイト フルフィルメント瞑想 どりーむろっじ http://d-lodge.com/
※本人は事実無根だとまたうそついてますが、覚せい剤検査を恐れ警察へいけない。
善人面装う「どりーむろっじ瞑想日記」 http://d-lodge.cocolog-nifty.com/blog/
★上記の者はインド古来のマントラ瞑想を伝授しますなどといって ネット検索で
適当に拾ったマントラを高額販売し嘘の遠隔透視で洗脳後に投資金をネコババする
の詐欺師で2ちゃんねるの宗教板運営し誹謗中傷係を勤める覚せい剤中毒です。
★偽名偽造銀行口座 みずほ銀行蒲田支店3160358アベマサヒデ
★↓上記偽口座を暴露したところ↓犯罪証拠隠滅のため下記の銀行口座へと変更する。
イーバンク銀行サンバ支店203(普)5002599 口座名ドリームロツジ アベ マサヒデ
★警察HP(阿部将英が実践する詐欺・利殖詐欺商法とは?) http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesd2009.htm
■宮本隆寛【阿部将英の詐欺仲間】(有)リバイバル代表2ch従業員経営学板担当 http://www.tmiyamo.com/
[email protected] 法人登記名宮本隆寛(偽名口座はタカノリ・隆徳)
東京都品川区小山台1丁目29番10号ルナ小山台201 偽名口座のHP http://www.tmiyamo.com/nikkei_ad.htm
問題の偽名銀行口座 三菱東京UFJ銀行 品川駅前支店 (普)1323975 名義 ミヤモトタカノリ
650日本@名無史さん:2006/09/10(日) 00:23:43
651日本@名無史さん:2006/09/10(日) 01:47:44
世の中、ホモの一人勝ち
652日本@名無史さん:2006/09/17(日) 01:55:31
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト,
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   おおなんという糞スレじゃ
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |   南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .|


653日本@名無史さん:2006/09/19(火) 02:55:58
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト,
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   おおなんという糞スレじゃ
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/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .|
http://houkisengen.hp.infoseek.co.jp/
「創価学会放棄宣言」
654日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:42:50
同行二人 
なぜ遍路は弘法大師と共に歩きたいと思うのですか?
655日本@名無史さん
しょせんそらうみも、坊主にすぎない