【家康】 関ヶ原の戦い 十一 【三成】

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1日本@名無史さん
前スレ
【家康】 関ヶ原の戦い 十 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=1124498701
【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539399/l50
【徳川】 関ヶ原の戦い 九 【毛利】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1128328526/

三戦板
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/l50

950あたりになったら次スレ立てよう。
2日本@名無史さん:2005/11/17(木) 17:24:48
2ならば2ダーが天下統一
3日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:15:14
小早川の問題点
4日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:31:50
下痢が止まりません
5日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:05:03
卜斎記に西軍移動理由が書いてある、普通に知っていればそれが家康が意図した結果ではない事なのがわかる。
状況証拠も同じ。
もしかして卜斎記の内容を知らないとか?軍役の件も全く知らないようだったしね。
その割には基準々々繰り返していたけど(笑。

西軍が陣を敷いた位置を調べれば一目瞭然。

西軍が東軍が攻めてくるかどうか考えたかはわからない。
移動すると西軍に対して、攻撃する意思がなかったかもわからない。
しかし事実として、14日夜半に西軍は強行軍で移動し、東軍は攻撃せずに西軍の後を追った。
6日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:13:42
関ヶ原への移動理由が書かれており、しかも家康が意図した結果ではないと判断できるのだが?
決戦するなら大垣から出てくる時叩けば良いし、朝まで待って対峙する必要性もない。
これは残された史料による状況証拠で十分判断可能ですが?

それで、決戦意図があったという根拠は?
西軍が当初は関ヶ原での布陣を考えてなかったのは、遺構によって明らかと書いた。
14日の緊急移動によって街道封鎖したに過ぎない。

関ヶ原で決戦する、迎撃するという根拠出してね。
7日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:15:28
家康本隊弱体説の椰子に(あるいはそれ以外でも良いが)計算してもらいたい

上記または晒されているHPで、両隊の万石以上の武将の総石高数を

これを計算すれば、弱体説の根拠がないことが明確になる
8日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:27:34
>>985
総石数って…。弱体説というか、そういうのは兵数の事を言いたい訳じゃないんじゃ
ないの。
>>949のヒトのレスにもあるように3万もの軍勢を指揮する上で万石クラスの「備」が
多いほうが指揮しやすいという事では?
当然、万石以下の武将が少なくとも指揮は出来るが上級司令部(つーか本営)の指揮上
の負担は大きくなる、というような意味かと。
なんか前スレの最後の方のレスの応酬みてると双方観点が合ってないような…。
9日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:28:16
ゴメン。
上のアンカーは>>7です。
10日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:12:34
家康本隊最強厨必死だなww
11日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:18:05
こっちにもコピペ貼ってある!!
12日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:20:37
>>11
三戦板にもあるよ。
13日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:23:26
なんか盛り上がってるね。
盛りのついた犬のティムポみたいだw
14日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:11:32
>>8
兵数を言いたいじゃのじゃないのか?

じゃあ何を言いたいのか?

備えが多い方がかえって負担が増すかもよ?

というか、どっちが備えが多いのか?
15日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:12:05
家康本隊最弱厨必死だなww
16日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:13:49
最弱?誰が最弱って言ってるのかね?
レス番希望。
17日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:26:54
最強?誰が最強って言ってるのかね?
レス番希望。
18日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:31:38
>>17
前スレ>>826>>883>>884>>978

で、誰が最弱って言ってるのかね?
19日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:41:21
>>18
弱体説の椰子では?
20日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:51:30
>>19
ほう。詳しいな。が、生憎最弱などと言ってるレスは見たことがない。
レス番希望。
21日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:54:16
>>20
弱体説の椰子に聞けば?
22日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:01:51
>>21
生憎最弱などと言ってるレスは見たことがない。
弱体説の椰子とやらが言ってるのももちろん見たことがない。
レス番希望。
23日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:10:22
>>22
レス番の文脈では「最強」でも正しいのでは?
24日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:11:23
>>22
万石以上でないとダメらしいが?
25日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:15:42
>>23
生憎そちらが何を言ってるのかよくわからんのだが、
「最強」ではなく「最弱」と主張しているレスの番号はどれかと聞いている。
26日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:18:29
>>25
生憎万石以上でないとダメという主張以外は不明だ

万石以上ないとダメなのか?
27日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:21:15
>>26
なんでそんなこと聞かれるのかさっぱりわからんが、
「最弱」と主張しているレスの番号はどれかと聞いている。
28日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:24:16
>>27
最弱を知ってどうするのか?
29日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:26:58
>>22
とりあえず、確かに私は関ヶ原にした部隊の中では、
家康本隊は最強の部類に入るのではないかとはいっているけどね。
そして、確かも最弱だといっているレスも見たことはない。

しかし、むしろ私としてはただ弱いと言っている人に、
では具体的にどの程度の戦力しかなかったと考えるのか、その意見を聞きたい。
ちなみに、3万のうち仮に1万しか有効に動かせないとしても、
それは数だけでも宇喜多隊に次ぐものだし、
その宇喜多隊が内訌でがたがただったことを考えれば、
関ヶ原にいた部隊の中ではほぼ最大の戦力を持っていたのは家康隊だとといっても、
あながち大間違いだとは思わないが。
30日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:30:42
>>28
「最弱を知る」ではなくて「最弱」を唱えてるレスを見てみたい。
生憎自分は見た記憶がないが。
31日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:33:08
>>30
つくろうか?
32日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:34:23
まあ、弱かったと言っている人は、3万の数にしては弱かったといいたいだけで、
具体的にはどのくらいの戦力だったかとかにはいっさい興味がないのかも知れないが。
私は個人的には正にそこに興味があるのだし、関ヶ原の戦いという戦争について考察する上で、
そこに展開した部隊の戦力、特に相対的な戦力を考察するのは無意味なことだとは思わない。

ただ、弱いと言ってもそれがどの程度だったか具体的に考慮しなければ、
それが戦場でどのように作用するかもわからないのだし。
無論完璧な事実を考察することは不可能でも、
ある程度推定することくらいはしても良いだろうと。
33日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:35:27
>>29
家康隊最強で問題ないだろう

弱体説は根拠があやふやになってきている

関ヶ原で最大戦力ということは間違いないのでは
34日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:36:40
>>30
関ヶ原では決戦する意図がなかったというのはどうか?
35日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:39:04
>>31
つくっていらん。
ただどこにそんなレスがあるのか聞きたいだけだ。

>>30
同意が得られて何よりだ。
やはり>>15はただのキチガイの戯言だったということか。
自分に読み違えがあったのかと思ってしまったよ。
36日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:41:12
>>35
関ヶ原では決戦する意図がなかったという吉外だっているんだぞ

それぐらいは大した問題ではない

よく考えて見ろ
3729:2005/11/17(木) 22:47:23
というか、なんか間違いだらけで、無茶苦茶読みにくい文章で失礼。

とりあえず、私としては家康本隊が3万という兵力のわりには、
弱体なものだったのではないか、という意見には特に異論はないので、
もしそういっている人たちが、家康本隊の具体的な戦力についてはさほど興味がなく、
特別意見もないというなら、もう対立点もないことになるので、
これ以上話す必要もないと思うのだけど。
38日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:48:12
>>36
よくわからんが、とんでもないキチガイのことを
「それぐらいは大した問題ではない」の一言で片付けられるそちらの感覚に吃驚した。
「レス番はどれか」という極めて単純な質問に、
訳の分からんレスを延々とつけ続けた輩にも吃驚させられたが。
39日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:52:21
>>38
そうか?
関ヶ原では決戦意図がなかったに比べれば大したことはないだろ

事実弱体だと主張しているのもいるからな

あんたはここは初めてなのか?
40日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:53:29
>>37
いや、オレは特に弱体ではないと考えているが?
4129:2005/11/17(木) 23:02:09
>>40
うむ、そっちとは意見の対立が残るね。
個人的には3万の軍を総司令官一人で指揮するのは難しいと思うので、
やはり数千人単位で兵を指揮できる武将が4・5人くらいはいないと、
3万全てを有効に動かすのは難しいと思う。
42日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:04:57
>>39
いや、前スレはほぼ読んだぞ。
頓珍漢なレスをつけ続ける奴とか、自説の根拠は述べないくせに延々と質問を続ける奴とか、
やたらと言いがかりをつける奴とか、ニートとかが巣くっていて恐ろしいところだと思った。

そういえば決戦意図についての話も前スレで出ていたようだが、
「決戦意図があった」とするほうは、相手に質問してばかりで自説の根拠らしいものは提示できなかったな。
非常に残念だった。
43日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:13:54
>>42
そうそう、あんたが言うようなところだよ

だから特に驚くほどのことではないだろ

根拠ない説をえんえんと続ける奴とかな
44日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:14:52
前置きしとくと私の意見は徳川最弱じゃなく、実際この3万の軍勢を動かすとなったら
『部隊運営が大変だったろう』という意見に過ぎないので、その点誤爆しないよう
お願いしますね。

部隊運営が大変そうだな、というのは現代の軍隊に置きかえれば分かりやすいかも。

1)元帥(家康)と佐官数名で兵30000からなる計3個師団を率い待機中。
2)中将1名(井伊)・少将(忠吉)1名;各々、独立旅団による攻勢を展開中。
3)中将1名(本多)は1個大隊直率しつつ前線督励中。

1)は指揮可能。ただ2)の部隊に比べれば3個師団からなる1個軍団(長官は本来は
中将クラスだが)を指揮する司令部は元帥1名+佐官数名でこれだけの規模の
部隊を攻撃的任務についたら指揮官は大変だ。佐官クラスを師団長的任務に充てるか
夥しい数の中隊の集合体として、
軍団司令部---中隊本部
として指揮すると考えると使番がスゴイ人数必要になる…。手間も大変だが命令の伝達
だけでスゴイ時間掛かる。
史実みたいにゆっくり前進して西軍に威圧感与える程度ならOKだろう。
攻めこまれても防衛戦なら3万もいりゃ、なんとかなるかな。
西軍にもそんな余裕ないしね。ただ大阪夏の陣みたいなこともある。
少数でも士気の高い部隊複数が多方面から波状攻撃してきたら、危険な
局面が無いともいえんわな。
45日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:18:41
>>41
3万を一人で動かすのは難しいには同意

ただスタッフがいるということを考えれば
動かせると考える

もちろん総司令官の資質にもよるが
46日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:19:27
>>44
すまん、むしろ分かりにくい。
47日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:20:30
>>44
なるほど。分かりやすい例をあげての説得力のある主張だね。
どうやら家康本隊は欠陥を抱えていたようだな。
48日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:21:01
徳川の周りを囲む石田軍も裏切り行為の賜物、
49日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:26:05
>>45
主張があまりに簡潔で残念。
>>44氏のように具体的な運用法に踏み込んでくれると分かりやすい。
50日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:30:32
>>46
ゴメン。

簡単にいうと万石クラスの武将がある程度以上いたら本陣からの指示を出す先も要約
されててラク、つまり『命令系統がより簡略化される』というメリットと、何か
咄嗟の変事(敵勢の急な攻勢とか、近くの味方の潰走とか)があったとき、万石
クラスの武将なら経験・能力あってはじめてそれだけの高禄なんだから、『いちいち家康
が指示出さなくとも当面の臨機応変に対応出来る』という2点くらいはあるでしょう。

家康は数百クラスの部隊の進退まで指示ださなきゃならないとしたら、それだけで負担は
あるし、そういう能力は戦全般に使いたいのが正直なところでしょう。

>>47
いや欠陥とかいっちゃうと誤爆されるんで勘弁して下さい。
そういう『問題点があった可能性』というところですね、はい。
51日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:30:43
>>44
大軍の運営が大変には同意

ただどのぐらいのコマンドチェーンを維持できていたかによるな

兵が少ない方が機敏な動きができるだろうが、その分指揮の手間はかかるということだよな
52日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:33:36
>>50
万石なくても、臨機応変に対応できる可能性がある罠

必ずしも能力に基づいての石高ではないだろう
53日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:36:12
>>50
じゃあ、あえて攻撃的に運用するなら、
全軍ではなく司令官が1個師団程度を率いるしかないというような意見については、
いかがお考えでしょうか。
54日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:42:32
しかしだ、
仮に1万くらいなら攻撃的に運用できたとしても、
わざわざ3万から1万だけ切り離して自ら攻撃を仕掛けるなんていうのは、
はっきり言って下策。
3万全軍で敵軍の威嚇、自軍への督戦に用いた方が効果的。
要するに陣場野への移動及び、小早川への鉄砲。
つまり、史実の家康の運用が最も現実的でかつ効果的効率的なものだったということ。
55日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:44:20
>>52
お気持ちは分かりますが、例えば知行3000石の旗本の一人が、手勢100足らずを
率いて臨機応変の要に見合った『効果ある軍事的アクション』を有効に且つ迅速に
実施できるかといえば困難なのではないでしょうか。

これも現代の軍隊を例に出してすいませんが、仮に優秀な中隊長がいるとします。
彼は敵部隊の動きから、この方面に敵の大規模攻勢が起こりうると判断したとします。
彼が臨機応変に対処できるのは、自分の中隊の現在の任務放棄しない範囲での
『1個中隊』による対応なのです。敵の攻勢が数個中隊か大隊規模なら僥倖を望めますが
それ以上になれば、やはり困難といわざるを得ないのではないでしょうか。

つまり、前線指揮官には『権限・能力・兵力』がなければ有効なアクションを取るのは
難しいと考えます。
ノルマンディのロンメル元帥のように如何にノルマンディと予測していても決定的な装甲
部隊兵力の指揮権が彼の手元に無ければ、十分な反撃が無し得ないのと同様な理屈です。
56日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:46:53
まあ、オレらがここで何を言おうが勝手だが、家康はオレらより遙かに戦を知っていたことは確か
57日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:47:40
>>54
史実では井伊直政、松平忠吉、本多忠勝は
本隊から切り離されて自ら攻撃を仕掛けていたが・・・。
58日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:48:14
>>42
あまり相手にしない方がいいですよ、>>43見てわかる通り日本語通じてませんから。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130423030/895/
>島津の数は、旧軍の推定でも石高通りではない
>島津は特殊事例として特に記述されており、一般に決戦時には
>石高に準じた兵数を動員する

と言うのに対して

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130423030/897/
>しかも関ヶ原は結果として決戦となったのであって、当初から決戦目的ではない。

とレスした所、

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130423030/898/
>少なくとも家康は決戦するつもりだし、三成は迎撃するつもりであった

と反論した>>36君は、家康の決戦意図を示す説明・根拠まだかな?
でないと卜斎記の説明も出来ないよ。
59日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:51:04
>>55
いや、その説明には特に異論はないのだが
要は万石であれば効果的でそうでなければ有効でないとは言い切れないということ

提起の例であれば、それ相応の部隊規模が必要と言うことには同意

例えば1万石の大名であれば300人率いているとして、1500人に襲撃されれば
1個中隊VS大隊規模攻勢と同じ構図になる
60日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:52:36
>>58
決戦する意図がないという証明はまだ?

僕再起?
61日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:54:34
決戦する意図がないという椰子がまた現れたようだなw

椰子はぼくさいきで全て済ますつもりらしいが・・・・
62日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:56:12
>>58
家康弱体説の説明はまだできないのか?
63日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:56:36
>>61
いや、それ以前に改行厨がまた暴れているようなんだが・・・。
64日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:56:43
>>53
どういうシチュエーションかにもよると思いますが、基本的には>>54氏が書かれている
ようにブラフとしての3万余としての使い方が損害もなく、もっとも効果的でしょう。
家康としては太閤恩顧大名を前衛で使い、彼等を抑えまた督戦する意味で3万の軍勢は
指揮系統がどうとか以前の問題として『戦略的重み』を持つもので、この運用が損害も
少なく最良です。

敢えて1万だけ抽出する状況というのがあまり理解できなくて申し訳無いのですが
1)宇喜多勢が福島勢を打ち破る。
2)小早川勢が西軍につきそう。
3)南宮山が動く。

ということかと思いますが1)と2)は崩れる前に3万でジリジリ前進していく方が
面倒もなく効果もあがりそう。
3)の場合は正面にも敵があり太閤恩顧大名の手前、3万で動くことは出来ないので
一万だけ抽出する可能性ありますか。でも南宮山が参戦したら何万置いてても東軍の
士気は相当下がるから家康は退却してもおかしくないかも。信長なら絶対退却だがw
65日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:56:47
>>60
決戦する意図だったのを証明してください。
自分は少なくとも結果として決戦になった根拠の史料名まで挙げています。
君は何一つ説明すらしていません。

まだですか?
66日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:57:28
>>62
なにそれ?
そんな事書いた覚えないし。
67日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:59:01
>>65
決戦する意図がなかったという証明は?
あの説明では証明にはならないだろ

早く証明してくれ
68日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:00:08
>>66
もう忘れたの???
69日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:00:45
また馬鹿が頓珍漢な言いがかりをつけているのか・・・。
70日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:01:19
>>68
レス番きぼんぬ
71日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:01:26
>>67
こっちに質問する前に、少しだけでも自論の説明してよ。
軍役や基準の件でも、こちらだけ答えて、こちらの質問に答えもしなかったんですが。

証明するから、そちらもしてよ。
72日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:02:48
>>71
じゃあ何を説明して欲しいのか?

決戦する意図があったかどうかか?
73日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:03:43
>>71
まず聞きたいのだが決戦があったことは知っているのか?
74日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:04:59
>>70
前スレを読んでくれ

たくさん書いてあるだろ
75日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:06:02
>>70
覚えていないのか???

おまえ弱体説なんだろ?
76日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:06:03
>>67
え?家康って最初っから関が原で決戦するつもりだったの?
てっきり夜逃げした西軍を追ってったら
たまたま関ヶ原で決戦することになったんだとばかり思ってたよ。

なんか証明する史料あるの?
77日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:07:39
>>76
最しょっからって、いつを指しているのか?

状況に応じて、決戦するかどうか、決戦場所を決めるものだろ

最初から、決戦場所を決めて変更しないというものでもない
78日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:08:57
家康の本隊が弱体化など主張した覚えは一切ありません。
主張したと勘違いした訳わからない輩に噛み付かれはしましたが。

>>72-73
レスの無駄なので、まとめてください。
>>58の通り、当初から決戦する意図があったかを説明し根拠提示してください。
君は一般に決戦時には石高に応じた動員をすると主張しております。
よって動員をかけた当初から決戦を意図していたと言ってるのです。

自分は家康も三成も決戦を意図しておらず、関ヶ原でのあの結果は成り行き上、決戦になった
結果として決戦になったと書いております。
決戦になった結果をもって、決戦を意図していたとは言いませんので。
79日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:09:41
>>75
全く身に覚えがない。
なんか本人なのに俺俺詐欺の電話を受けてるような気分だ。
あんたひょっとして犯罪歴とか豊富?
80日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:13:22
>>78
家康は少なくとも決戦を意図していた
それを目的としていた

両軍が決戦するつもりがなかったのに何故戦闘になったのか?
81日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:14:20
>>79
弱体説でない?

ぼくさいきか?
82日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:14:42
>>77
出陣したときから。

では状況に応じて、決戦するかどうか、決戦場所をどこにするかの判断は
どのように移り変わっていったのかな?
そして関ヶ原を決戦場に選んだのはいつ?
83日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:15:41
>>78
>家康は少なくとも決戦を意図していた
>それを目的としていた
だから、これを証明してください。
戦闘になった結果をもって決戦を意図していたとは言いません。

君は西軍挙兵時点から、決戦を意図していたと書いてるのですよ?
84日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:15:41
>>59
万石クラス、つまり大名クラスの重臣は小勢の旗本を臨時の指揮下(寄騎)として既に
幾つかの旗本衆を組み込んでいる可能性もあると思いますが、そうでなかった場合にしろ
家中でもその大名級という高位は当然認識されおり、周辺の旗本衆に命じて行動する
『緊急の指揮権』がより確立され易いと思います。
しかし相手が同位あるいは下位であった場合は、容易に臨機応変の指揮とは
なりますまい。

たとえば、ある中尉が緊急事態と判断する。だが手元にはわずか1個中隊。
やむなく隣接する部隊に共同攻撃・防衛を提案するが先方は大尉。判断応力と
聞き分けの良い人間なら幸いだがそうとは限らない。いずれにしても上官に
説明をしなくてはならず、大尉がウンというのか、司令部に問い合わせるという
のか中尉の判断に同意しないのかは全く読めない。
それがある程度の職権・兵力を有する大佐ならば自分の指揮下にある連隊だけで
なく周辺に点在する大隊・中隊を臨時の命令であったとしても指揮下において
相応の兵力を比較的迅速に展開できると考える次第です。

長くなりましたが『知行が多い』とは「自己兵力が多い」こともありますが、
『組織上の地位も相応に高い』という側面を併せて勘案して頂ければ御理解頂ける
ものと信じます。
85日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:18:14
>>82

江戸を出た時点で決戦するつもり
大垣を攻める気はなし
関ヶ原に誘き出して決戦しようとした
関ヶ原方面に移動したときに
86日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:19:18
>>84
同意。
当時は身分制の時代だったからね。
上から命令だからといって同輩や下級者の命令にすんなりと従えるものではない。
才能よりもむしろ身分。禄高は重要だ。
87日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:19:24
>>83
ではまず決戦するつもりが無かったが決戦になったという証明をしてくれ
88日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:22:38
>>87
いやだから、君が証明してくれないと話しにならないでしょう?
決戦を意図していたと推察出来る史料名でもいいから出すべきでしょう?

こちらは卜斎記挙げてるじゃないですか?
そちらがせめて史料名挙げて説明してくれたら、卜斎記の内容も挙げると主張してるのですが。
89日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:22:45
>>85
1.江戸を出た時点で決戦するつもり

2.大垣を攻める気はなし

3.関ヶ原に誘き出して決戦しようとした
 関ヶ原方面に移動したときに

それぞれソースきぼんぬ。
90日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:24:18
自分は>>82>>89氏とは別人ですので。
91日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:25:12
>>84
まあそうなると万石クラスではなくとも、石高差があればよいと言うことだ
例えば、8000石と5000石

それから万石クラスに緊急指揮権が与えられているのか否かが問題になる
緊急時であれば、指揮系統を無視できるのかも知れないが、それはそれで問題
92日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:25:13
改行厨人気だなw
93日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:26:30
>>88
よくわからないが、そっちが証明しないのになんで証明しなければいけないのか?
94日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:28:18
>>90
弱体説なのか?
95日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:30:12
ところで前スレにこんなのがあったんだけど。

833 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/11/15(火) 14:52:17
弱い派は榊原が兵を率いていないとか頓珍漢なことを言っていたが?

どこにもそんなこと書いていないような。
強い派?の捏造?
96日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:30:14
>>93
君が今まで一切証明してないから。

自分は前スレから、決戦する意図の証明を求めてた。
しかし君はこちらに質問してばかりで、一切説明すらなかったから。

97日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:31:46
>>96
よくわからん
まず自分で証明して見せてくれ

質問したら、証明義務が発生すると言うことなのか?
98日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:31:52
ああ、改行厨=質問厨か。
なんかバラバラだったピースが繋がり始めたぞ。
99日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:32:33
>>95
言っていたよ

よくレスを読まないとわからないけどね
100日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:34:28
>>97
なに!?よくわからんのに適当なこといって、散々誤魔化してきたのか?
あきれた奴だな。

まずは「ごめんなさい」が先だろうが。
101日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:34:42
>>86
御理解頂きありがとうございます。

>>91
そうだ。正にアナタの言うとおりですよ。
だから家康本陣3万は指揮系統が大変で部隊運用が大変だと申し上げているわけです。
>84で挙げたのは現代軍隊を叩き台にした場合の一般論ですから。
>>91氏にはわざわざ補足頂き、ありがとうございます。
102日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:34:52
>>97
えと、君は証明する気がないと言う事でいいですか?

自分は決戦する意図がなかったのを、卜斎記、足りなければ細川家記で説明できます。
一応史料名まで提示しました、君が史料名付きで説明してくれれば、内容も紹介します。
と主張してるけど、君は何一つ書かない。

同じ土俵にすら上がらない。
103日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:35:27
>>100
おまえが馬鹿なことばかり言っていただけだろ
謝れよ
104日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:36:21
>>89には触れないw
105日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:36:31
>>99
いや、よーく読んだよ。
でもなかった。>>15のように暴走した厨の戯言かな?
106日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:37:23
>>101
運用が大変だということには同意
ただだからといって万石クラスを基準にして強弱が決まるとは言えないだろう
107 :2005/11/18(金) 00:39:38
馬鹿だったのは吉川。いったん家康負けさせてから
恩を売るなんて発想ない時点で、ただの小役人。
108日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:39:49
決戦どうとか言ってる連中、もうヤメレ。
双方決戦かどうかなんて議論する気も知識もないんだろう。両方退場してくれた方が
ありがたいネ。ROMってる皆さんもそう思ってるはずだよ。
イタズラは止めてもう寝ろよな。
109日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:39:56
>>102
こっちはあんたのおかしな主張に対して疑問を浴びせているだけだ

証明する義務はない

こっちの質問には答えないので説明もできないしね
110日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:40:53
>>105
書いてあるよw
でもわからないのならしょうがない
111日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:41:14
>>108
お前が正しい歴史を語って黙らせてみろよ。
112日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:42:01
>>106
そりゃ一概に言えないでしょ。
貴方のお考えをもう少し詳しく。
113日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:42:15
>>102
あなたは、偉そうなことを言っているだけで、説明する気はないのでしょう?

ちゃんと説明すれば、相手が何を言おうとも、説明したことになりますよ
114日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:43:16
>>112
上記参照

あるいは、どの辺が疑問?
115日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:45:54
過疎板にしては速いなw
116日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:46:03
>>107
一端負けさせられないと思ったから、戦わなかったんだよ
117日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:46:27
つーか言い合いしてるのひょっとして自作自演じゃねーの?
普通こんなツマンネー応酬、まともなヤシやらんだろ。
明日は良い天気だからさ、たまには表にでて友達探せよな、ニート君w
118日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:47:08
>>113
>ちゃんと説明すれば、相手が何を言おうとも、説明したことになりますよ
いえ、前スレから読んでも君はこちらの疑問に一切答えてくれませんでした。
こちらは出来るだけ答えたのにです。

答える気ないので、自分ももう止めにします。
まともに答えてくれれば、それなりに有意義な問答もあったのでしょうが。

ついでに関ヶ原の家康本陣の陣備知りたければ、武徳編年集成に一応記載あります。
それを見てからでも話出来るのでは?
三河時代から長篠、小田原、関ヶ原まで一応の軍制がありますんで。
119日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:47:39
>>114
もう少し書いてよ。チョ-抽象的じゃんよ。
120日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:47:40
自作自演の分けないだろ、厨房

もう遅いから根名よ
121日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:48:38
>>110
うむ。それっぽいのはあるんだが。

763 名前: 748 投稿日: 2005/11/14(月) 19:03:42
>>760
いや違う。井伊・忠吉は別に軍勢率いており、本軍三万では>>757で訂正
したように万石以上は酒井重忠しかいない。分かっていると思うがこの酒井
は四天王の酒井じゃない。
これみて大差無いって、もはや何とも申し上げ様がないですな。

764 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/14(月) 19:05:56
>>763
じゃあ榊原は軍勢持っていないのか?


弱い派とやらが「榊原が兵を率いていない」などと言っているレスはないしな。
なんでここで「じゃあ榊原は軍勢持っていないのか?」というレスが入るのか全くもって意味不明なのだ。
改行厨?とやらのただの言いがかりの可能性もある。
122日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:49:04
>>118
掲示板なので相手は一人だけではない
ちゃんとした文であれば相手が何といおうが成立する
まあ無理に書く必要もないがね
123日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:49:14
自作自演じゃなきゃ、どっちも低能ケテーイだね。
124日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:50:53
>>119
万石の武将+小兵力で1.6万石相当と8000石クラス2人であれば
どちらが強いとも断定できない
125日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:51:59
>>118
厨がそんなもの読むとは思えんが・・・。
適当なこといって、突っ込まれたら質問返しすればいいと思ってる奴だから。
126日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:52:01
>>121
いやいや、だいたいビンゴ!
127日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:52:59
>>123
おまえが一番なw
128日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:53:15
>>122
それでは知識のひけらかしになってしまうし、自分が得るものが何もない。
本人ははぐらかして答えず、しかも興味ないから止めろという人もいますので、
これでは続ける意味ないと思いますので。

ご忠告感謝。
129日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:54:17
>>126
あ、やっぱり厨の戯言だったのか。
全くどうしようもないね、改行厨って。
130日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:54:25
>>118
残念だな

両軍とも決戦意図がないのに決戦になったというのは初耳だよ

どこをどう読めばそんなことになるのか非常に不可解だ
131日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:55:40
>>128
知識のひけらかしでもいい
というか、そんな高尚な所でもないことは、最初からわかっていたでしょうに
132日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:56:27
改行厨ってなんか北朝鮮のアナウンサーみたいだな。
133日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:57:05
>>129
いや、書いてあるよ
よく夜皆
134日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:59:12
>ALL
頑張れよ
135日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:00:10
>>134
オマエモナ
136日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:02:24
>>124
ごもっとも。簡単にはどっちが有利とかは言えないですね。
だが指揮権として16000石分の兵力を単一の指揮官の判断だけで動かせる
のと、8000石分の兵力がと指揮権が二つに分かれてる場合ではぜんぜんちがうよ。
二人の意見がいつも一緒なら良いけど、そうもいかないよね。
たとえば一人は敵勢は南から来ると、考えもう一人は南と西からくると考えた場合、
軍議も同位者だけに難しい。
更に言えば撤退する場合にどうしても全滅覚悟の殿軍を置かなきゃならないとき、
一体どっちから殿軍だすかの微妙な決定を同意者で決めなくてはならない。

近代・現代の軍隊ではこの辺りの微妙且つウエットな部分を先任優先で解決しているが
身分・禄高・武士の対面などで当時は現代より遥かに複雑な関係だと思います。

あくまで『相対的』に見て、石高の多い武将が指揮する方が『部隊運営上、円滑』とだけ
申し上げます。
例外を挙げ出したら切りがないので『相対的』というところで矛を収めて頂けませんか?
137日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:05:48
>>136
なんかえらい気を遣った物言いだな

そんなにつっこまっるのが怖いのかよ?w
138日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:07:15
                  マチクタビレタ〜
      ☆ チンチン〃   Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < 89のソースマダー?
マチクタビレタ〜 \_/⊂ ⊂_ )   \____
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   マチクタビレタ〜
139日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:07:38
>>137
いや、ループされたら疲れるからw
もう眠いしね。
140日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:09:20
そういえば改行厨は>>89をスルーしたままだな。
逃げたか?
141日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:11:40
>>136
家康の指揮組織が一体どのようなものであったのか正確にはわからない
例えば指揮代行を立てたのかどうか、指揮委譲するとすればどの程度なのか
万石以下の部隊はどのような指揮系統で動かしたのか
142136:2005/11/18(金) 01:12:48
>>139
オイオイややこしくしないで下さいよ。誰ですか貴方は?

私が言いたいのは相対論と例外論を述べ出すと議論に決着見ないですから。
私の意見はあくまで『相対論」として見て頂きたい。
>124氏の意見はそれはそれとして一つの意見ですが、納得を頂ければそれにこした
ありませんからね。
眠いは私もですが…。


143136:2005/11/18(金) 01:14:59
>>141
いや貴方同様私も知りませんよ。もし分かったら御教授下さい。
もう寝ます、すいません…。
144日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:17:57
>>142
大軍の運営は容易ではない
これについては合意ということでいいと思う

ただ万石格を基準に強弱が決まるかというと
そうとも言えないのではないかというのが
オレの現在の思考だ
145日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:18:48
>>143
オヤスミ-
146日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:22:13
>大軍の運営は容易ではない
>これについては合意ということでいいと思う

んなもん当り前田炉w
こんなことで合意ってwww
147136:2005/11/18(金) 01:25:12
寝ようと思ったらレスありましたねw なかなか寝させてもらえないなぁ。
>>144
貴方の意見はそれはそれで結構じゃないですか。
ただ残念なのは、少なくとも私は>>136で一つの例を提示したつもりなので、そちらの
言うところの『ただ知行で決まらぬ軍勢の強弱』というのは何かを御提示して頂けると
私にも貴方の意見の根拠が理解できますのでよろしければ書いておいて下さい。
「ただそちらの意見は納得いかない」と宣言されても返答にも困りますしね。
148日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:28:42
>>147
>124
149日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:29:24
>>146よ、
笑っちゃいけネェよ。誰にだって進歩する瞬間ってヤツがある。
暖かく見守ってやれィ。
150日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:30:16
>>149
そうだそうだ!!!
151136:2005/11/18(金) 01:36:46
>>148
どう言う意味これ?
もしこれが>>144氏の回答だとすれば、
まさか>>124が貴方の言う例だっていう意味なの?

 124 :日本@名無史さん :2005/11/18(金) 00:50:53
 >>119
 万石の武将+小兵力で1.6万石相当と8000石クラス2人であれば
 どちらが強いとも断定できない

これじゃ>>144と内容同じだよ。
124≠144だと願いたいね。なんか疲れたし、もう限界。

落ちますね。皆さんオヤスミ〜。
152大和天狗:2005/11/18(金) 01:37:18
ガキ共はお寝んねか、いよいよ俺様の出番だなって、
100越してるぞオイ。
それにしても殺し合いを検討している割にはお粗末だ。
弟子も相変わらずの様だし。
ネタは幾らでもあるがいい加減面倒だ。
まあきっと以前みたいに、
そろそろ俺様にコテンパンパンにヤラレたい頃だろうが、
あいにく暇がねーぞ、フハハハハハハハハハハ。

エド教の盲目な信者から見れば、
痔部教は異教徒で背教者の類か。
どちらも相容れぬ訳だ。
俺様から見れば、
どちらも宗門の殻から抜け出せぬ邪教徒だな。
小早川神社の金吾祭なら面白そうだ♪
神仏のご加護があります様に。

そうか、加持祈祷があるな。
弟子よ、
鞍馬天狗ヨ、おまいヤッテみろ。
153日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:37:20
>>147
単に万石格の数だけでは、決まらないと言うことでは?

知行で決まらぬということではなくて
154日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:40:44
頓珍漢な新説を言い出して
突っ込まれると逆切れして
おまえが証明しろというのは基地外
155日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:56:04
いつも家康厨がボコボコにされてるなここw
156日本@名無史さん:2005/11/18(金) 03:09:02
9月14日、赤坂にて家康は高虎から東軍諸将の士気が高いこと、
大津城が開城したことなどの報告を聞いてる。
その後、直政・忠勝の両軍監を呼んで今後の方針について話し合ってるわけだ。
近日中に敵の戦力が増強される局面、更にはこちらの士気が高い状況で決戦をためらうのか?
遅刻してきている秀忠の本隊を悠長に待つほど家康がボケてるとは思えんが
157日本@名無史さん:2005/11/18(金) 03:10:39
おや、家康弱体厨まだいたの?
早く説明してよ
それとも逆切れして証明しろって言うの?
158日本@名無史さん:2005/11/18(金) 07:00:14
うおお
逆切れしたニートが誰もいなくなった深夜にこそーり暴れてるよお
かっこわりい
159日本@名無史さん:2005/11/18(金) 07:09:04
>>108
禿同
160日本@名無史さん:2005/11/18(金) 07:17:08
>>157
真夜中に何やってんだw
16129:2005/11/18(金) 07:57:33
>>54>>64
ええと、ずい分亀レスになってしまったが。
私も別に実際に1万くらいだけで攻撃的に使っただろうとか、
ましてその方が有利だっただろうなどと言うとつもりはないですよ。
ただ、実際には攻撃には使わず、威嚇や鼓舞にのみに使うにしても、
「守備的にしか使えない」のと「万一の場合には数は目減りしても攻撃的にも使える」では、
ずい分影響が違うだろうと。

要は3万の軍にしては弱い(攻撃的でない)というだけで、
少なくとも1万の軍くらいの戦力はあったと考えた方が妥当だ、
とこちらが考えているということさえ御理解いただければ結構で、
繰り返しますが、実際にそのように運用する方が良かったなどとは言うつもりはありません。
162日本@名無史さん:2005/11/18(金) 09:32:23
攻撃的とか防御的とか抽象的なことでなく
分離させたときの大将候補が少ないとかそんなマイナス面じゃないの?
家康本隊からはすでに大垣と南宮山対策で別動しているわけで
あそこまで決戦場が絞られていれば不利ってことはないのでは?
163日本@名無史さん:2005/11/18(金) 09:53:06
>>162
すまんが、
>攻撃的とか防御的とか抽象的なことでなく
>分離させたときの大将候補が少ないとかそんなマイナス面じゃないの?
と、
>家康本隊からはすでに大垣と南宮山対策で別動しているわけで

>あそこまで決戦場が絞られていれば不利ってことはないのでは?
のつながりがよくわからん。
164日本@名無史さん:2005/11/18(金) 10:44:57
両軍が決戦するつもりがなかったのに決戦になったという奴
どういう根拠があってそんなことを言っているのか
説明できないからって相手に証明義務があるというような言い逃れをせずに
ちゃんと証明してみろ
165日本@名無史さん:2005/11/18(金) 12:08:11
》164が今、良いこと言った。
166日本@名無史さん:2005/11/18(金) 12:40:51
禿道
167日本@名無史さん:2005/11/18(金) 14:37:48
自演ワロス
168日本@名無史さん:2005/11/18(金) 18:50:39
>>163
思うに、別働隊の大将となるべき武将がいないのが問題だが、
既に必要な方面には別働隊が出ており、これ以上出す必要はない。
よって実質的な問題点は既にないということでは?
169日本@名無史さん:2005/11/18(金) 20:26:57
今日の昼間もニート君が頑張って盛り上げたようだな。
重畳至極。
170日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:19:33
>>168
驚天動地の読解力に敬服します。
普通本人じゃないとそんな風には読めんだろうね。
つまり総大将さえいれば、有力武将がいなくても問題ないって言う主張なんだろうね。
171日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:29:04
>>170
いやそんなに驚くほどのことじゃあないと思うが。
文章読む限り、私にはそのような意味にしか取れないと思うけど、
或いは間違っている可能性もあるしね。

で、私は正しくそういう主張をしているのだろうと思った。
それから念のため言っておくけど、私は>>162の意見には全く同調しないよ。
172日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:51:23
>>171
異論があるならはっきり論証してみろよ
卑怯者ではないならばできるはずだ
173日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:31:09
>>172
まあ、この話に深入りするつもりもないんだけど、
例えば、まず>>162は「分離させたときの大将候補が少ないとかそんなマイナス面じゃないの?」
と言っているが、このスレで問題とされているのはそうではなく、
分離して云々は関係なく、3万という大軍を指揮すること自体が難しいだろうということなのだから、
不利ではないと主張するなら、このことについてなぜそれが不利ではないのかを説明しなければならない。

次に「決戦場が絞られている」とのことだが、
確かに後方には別働隊がいるが、前面は石田隊の笹尾山から大谷隊まで2km近くの戦線が広がり、
その上小早川もどう動くかわからないし、後方だって別働隊だけで防げる保証はなく、
到底絞られているとはいえない状況だったので、
決戦場が絞られているから、不利ではないというのは根拠に乏しい。

とりあえずはこんなところか。
174日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:32:02
>>118
まだ見てたら、松野主馬の事教えてくれないか?
なんか前スレで触れてただろ?
松野主馬が命令無視したりして秀秋の軍勢が大谷に押し返されたんだよな?
奥平貞治もそれで死んでるし
175日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:54:47
>>173
大軍の指揮が難しいに同意だが、どの規模だとどのように困難なのか
解明が困難だ
3万だと困難で3000は困難ではないのか
1万はどうで6000はどうか

後方は既に動きがないので、戦場ではなくなった
もちろん絶対ないとは言えないので、そのために抑えを置いた
176日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:09:36
>>175
ふーん。
あんたにとって大軍とはどれくらいのものなんだ?
あんたはどれくらいの兵力から、どういう理由で指揮が難しいと考えるんだ?
はっきり論証してみろよ。
卑怯者ではないならばできるはずだ。
177日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:15:38
指揮どうとか言ってる連中、もうヤメレ。
双方指揮がどうかなんて議論する気も知識もないんだろう。両方退場してくれた方が
ありがたいネ。ROMってる皆さんもそう思ってるはずだよ。
イタズラは止めてもう寝ろよな。
178日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:18:35
>>176
まずおまえが論証してみたらどうか?
卑怯者ではないからできるのだろ?
179日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:19:20
>>177
だったらお前が歴史の真実を大胆に摘示し、その手の連中を見事黙らせて見せろよ
卑怯者ではないならばできるはずだ
180日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:19:21
自分は決戦する意図がなかったのを、卜斎記、足りなければ細川家記で説明できます。
一応史料名まで提示しました、君が史料名付きで説明してくれれば、内容も紹介します。
181日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:20:31
>>177
つか、ネタが嫌なら、別のネタを振れよ
182日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:20:51
>>175
1万石以上の家臣がいなくても困難ではない兵力はどのくらいかってこと?

ならば3千ならまず大丈夫。
3千くらいの兵を動員するのは10万石ほどの領主ということになるが、
そのくらいの領主の配下に、1万石以上つまり総領地の1割以上を持つ家臣は、
普通はいなかったと思われるから、
当時の標準では3千くらいの部隊は万石以上の配下武将無しで動かすのが普通だろう。

石高20万石、兵6千くらいもまあ大丈夫だろう、
このクラスの大名だと万石取りの家臣がいてもおかしくはない、
しかし、例えば関ヶ原時代の福島正則あたりがこのくらいだが、
その時期の福島家家臣に万石取り以上の家臣はいなかったはずだが、
福島隊は関ヶ原で十分活躍した。

しかし、兵力で1万5千、石高で50万石を超えるくらいになると、
複数の万石以上の大身の家臣無しで指揮するのはかなり困難。
実際に関ヶ原で57万石1万5千余を率いた宇喜多家隊は、
万石以上の家臣が明石全登以外におらず、兵力の割りに弱体だったといわれるし、
関ヶ原後50万石の大名となった福島家には万石以上の家臣が複数いるから、
大体そのくらいの規模になればそのような体制を組むのが一般的だと思われる。

よって万石以上の家臣無しで指揮できる最大数は、
おおよそ6千以上から1万5千ではほぼ無理といった感じ。
まあ、関ヶ原の家康本隊には万石以上の家臣も全くいなかったわけではないし、
家康本人の指揮能力にも期待して、
ざっと1万から1万2千くらいなら指揮できたと考えてよいのでは?
183日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:21:27
>>178
おいおい、突っ込まれてるのはお前のほうなんだぞ?
またいつものように逃げるのか?w
184日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:26:18
>>182
この考えに沿えば6000までは指揮できると言うことになる
3万は、6000の5個部隊になる
5個部隊程度であれば、スタッフを使って指揮できないことはないのでは

実は結論の1万ぐらいなら充分可能に賛成なのだが
185日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:27:10
>>183
いやおまえだよ
いつも口だけで逃げるのかい?w
186日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:27:48
ところで>>89の回答はまだなのかね?
187日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:28:48
      マチクタビレタ〜   ∧  マチクタビレ∧  マチクタビレタ〜     マチクタビレタ〜
 マチクタビレタ〜       ./  ヽ      ./  ヽ      マチクタビレタ〜      マチクタビレタ〜
    マチクタビレタ〜    /   ヽ―――/   ヽ   マチクタビレタ〜  マチクタビレタ〜
   マチクタビレタ〜   /        l___l    \        マチクタビレタ〜    マチクタビレタ〜
チン☆          |      ●  |    |  ●  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  チン☆  へ    |   へ     ヽ  ./     | < ねえ、>>85のソースまだー?
    ヽ   \\  \  \\    ヽ/     /    \_______________
チン☆       \\  .> \\          ヽ           マチクタビレタ〜
   チン☆     \\/    \\  _      |  マチクタビレタ〜     マチクタビレタ〜
      \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/  / ̄   ヽ    /___   マチクタビレタ〜    マチクタビレタ〜
   チン☆  \回回回回回/ ̄ ̄ヽ         /     /|     マチクタビレタ〜
 チン☆     \___/  チン☆ ヽ____ノ    /  |        マチクタビレタ〜
                                      /    | マチクタビレタ〜     マチクタビレタ〜
  ___________________/       |      マチクタビレタ〜
                             |
188日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:28:58
>>186
早く証明汁!!!
189日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:29:23
>>184
ん?では徳川本隊のうち2万は制御不能だったと主張するのか?
190日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:30:08
>>187
僕再起だよ
191日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:31:15
>>185
おやおや、やはり逃げるのかいw
ニートなんだから調べる時間は腐るほどあるんだろうけどねぇw
192日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:31:25
>>189
制御不能とは?

3万まで可能かも知れない

1万なら充分可能と主張
193日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:32:13
>>191
ニートだから調べられるんだろ?
早く証明してくれよw
194日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:32:36
>>191
え?改行厨ってニートだったの?
やはりというか、なんというか・・・。
195日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:34:05
>>192
論証よろしく。
196日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:34:48
改行厨=質問厨=大(ry
2、3年前から常駐してるニート
197日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:34:56
証明厨はニートだった
学校に行っていないから日本語が意味不明w
可愛そうだなw
198日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:35:42
>>195
上記参照

何か疑問でも?
199日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:36:39
>>194
改行厨については>>42に書いてある。
気をつけられたし。
200日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:37:37
学校に行ってないから日本語意味不明w
可哀相だなw
^^^^^^^
201日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:37:58
>>198
上記ってどれのことよ?
202日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:38:24
>>197
証明柱は何も証明しないが相手に証明汁と叫び続ける厨
基地外
203日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:39:33
>>200
そうだな
可哀想な証明厨
日本語がわからないんだよw
学校に行っていないからね
2chでしか勉強していない
204日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:40:19
改行厨とは?

頓珍漢なレスをつけ続ける
自説の根拠は述べないくせに延々と質問を続ける
やたらと言いがかりをつける
2、3年前から常駐してるニート
学校に行っていないから日本語が意味不明
205日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:40:34
>>201
疑問点があるのなら適当に突っ込んでくれ
206日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:41:20
>>204
なんか城スレにいた城壁厨みたいだな。
同一人物か?
207日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:41:29
>>184
その5部隊、というか残り4部隊を指揮する武将がいないってこと。
或いは家康からの指示を受ける武将がね。
それぞれの部隊をまとめる者がいなければ、5個程度を指揮すればよいということにはならない、
膨大な数の小隊を指揮しなければならずそれはほとんど不可能。

で、そういう各部隊の指揮官・まとめ役になるのは、
大抵の場合は万石以上の大身の家臣で、そういうものが家康本隊には少なかったと。
そういうものが少なくとも大丈夫だというなら、
それは普通の指揮体制とは違うものということになるから、
どう違うのか、その根拠まで含めて説明しなければならない。
それに、福島や明石だから5千なり8千なりの部隊を指揮出来るのであって、
万石以上なら誰でも出来るわけじゃあないしね。

まあ、もちろん実際の部隊指揮はそんな簡単なものではないだろうが、
物凄く簡単に言うとそういうこと。
208日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:42:23
頓珍漢な新説を言い出して
突っ込まれると逆切れして
おまえが証明しろというのは基地外
209日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:42:44
>>206
城壁厨本人、間違いなく
210日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:43:22
>>205
なんでいまだに改行厨なんかやってるの?
なんで日本語不得意なの?
211日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:46:58
>>207
まとめるものは、家康の直属指揮下ということにして
スタッフが判断し指揮する

つまり20万石クラスの代行をスタッフが行うと言うこと
この場合指揮系統を予めある程度決定しておかなければならないけどね
212日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:47:51
>>208
間違いなく、証明厨のニート
学校に行っていないから意味不明
213日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:48:51
>>211
スタッフって具体的に誰がやるんだい?
214日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:49:20
城壁厨も自演ばかりしてたな・・・。
こりゃキッツイなぁ
215日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:50:04
>>211
あなたがそう思う分には勝手だけど、
それを他人に納得させるには、
そのような変則的な指揮体制が存在したことを、
証明しなければならないよ。
216日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:50:30
>>213
家康の周りにいた人々
使い番以外で、参謀の役割を果たした人間がいるだろう
217日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:52:06
「人々」ってあなたそりゃあいくらなんでも適当すぎじゃあないか?
218日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:52:42
>>216
だから誰よ?
それくらいになると、それなりに名のある武将なんだろうね?
219日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:53:20
>>214
あんた結構マニアだなw
220日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:54:24
>>215
そうだね

しかし例えば福島に指揮系統が存在していたとすれば
徳川に指揮系統が存在していてもおかしくはない

福島でも誰でも良いけど、指揮系統って確認できるの
221日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:55:47
>217
具体的には史料がないんじゃないか

>218
名はあったかもしれないし、ないかも

例えると大企業の課長クラス
222日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:57:54
>>221
素直に告白し、許しを乞え。
「すいません、分かりません。適当なことを言いました。ごめんなさい」と。
223日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:58:21
>>222
オマエガナー
224日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:00:04
具体的な史料があるのかないのかもわからない
名があるのかなにのかもわからない

要は妄想ですよって事だ
225日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:01:15
>>220
福島隊は実際に宇喜多相手に健闘した。
つまり指揮系統が機能したという実例があるわけだ。
徳川はどうよ?
226日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:03:10
ニートの改行厨は毎日がホリデーでいいね。
明日は土曜日だけど、彼にとっては平日も土曜日も同じなんだろうな。
・・・おそすみ。
227日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:03:34
>>225
実例はないか、史料がない

しかし指揮系統が存在しないかどうかは証明できないのでは?
228日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:04:21
ニート証明厨は学校に行っていないから、休みは関係ないよ
229日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:05:43
史料がない×
史料を知らない○
230日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:06:45
学研の本が基準ですから、残念!!!!
231日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:07:21
>>227
史料が無いというが、あんたはどういう史料をあたった結果、史料がない、という結論に達したのかね?
232日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:07:58
>>227
なるほど。自説の証明ができないと告白するわけだな。
つまりすべては改行厨の妄想であったと。
233日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:08:02
僕再起に書いてあったよ
証明できるよ

だからまず証明汁!
二とー証明厨!!!
234日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:09:04
>>231
そういうあなたは?
235日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:09:10
>>227
学研の本や司馬遼の『関ヶ原』にはのってなかったの?
236日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:10:09
>>232
全ては証明虫の妄想であったということ
237日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:10:13
>>220
福島隊は特に特別な指揮のシステムがなくとも指揮出来るくらいの数だろう。
しかし、家康の3万はそうではない、
だから、それでも、万石以上の家臣が少なくとも指揮できたというなら、
それを可能とする特別な指揮のシステムがあったという根拠を出せってこと。
238日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:10:39
朝昼晩に深夜まで改行厨って凄い常駐してんのね
239日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:11:06
ヽ  ノ      `ヽ r´     ヾ ソ
  ~ヽヽ       U      /ノ
   ヽノ

          .∧_∧
-´⌒二⊃   < `Д´> ⊂二⌒丶
 _ソ.     (つ>227つ    ヾ__
          人  Y
         レ (_フ
      改行厨がいるぞ!
240日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:11:54
>>237
福島隊は特に特別な指揮のシステムがなくとも指揮出来るくらいの数だろう。

この根拠は?

1万石の大名がいれば指揮できるという根拠は?
241日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:12:39
>>235
なかったのでは?

あったの?
242日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:14:09
証明虫はニートで学校に行かなかった
どこにでも常駐しているよ
243日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:14:43
227 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/19(土) 01:03:34
>>225
実例はないか、史料がない

しかし指揮系統が存在しないかどうかは証明できないのでは?

231 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/19(土) 01:07:21
>>227
史料が無いというが、あんたはどういう史料をあたった結果、史料がない、という結論に達したのかね?

234 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/19(土) 01:09:04
>>231
そういうあなたは?


すごい受け答え。
改行厨はディベートの達人だなw
ニートなんかやめてビジネススクールの講師にでもなればいいのにw
244日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:15:36
>>241
おめーが聞かれてるんだよ、バカw
245日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:17:06
>>243
ディベート学校に行っているよ

でも証明虫の詭弁には勝てないなorz
246日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:18:05
頓珍漢な新説を言い出して
突っ込まれると逆切れして
おまえが証明しろというのは基地外
247日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:19:10
>>240
>1万石の大名がいれば指揮できるという根拠は?


>184 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/19(土) 00:26:18
>>182
>この考えに沿えば6000までは指揮できると言うことになる
>3万は、6000の5個部隊になる
>5個部隊程度であれば、スタッフを使って指揮できないことはないのでは

>実は結論の1万ぐらいなら充分可能に賛成なのだが


おいおい、自分で十分可能だっていってんじゃん・・・。
大丈夫かよ???
248日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:20:23
証明ってのはね、
何かがあったと主張する方がしなければならないのだよ。
249日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:20:44
>>247
おっと、改行厨の馬鹿な日本語能力が感染しちまったわい。
忘れてくれ。
250日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:22:35
>>245
詭弁ってどのレス?
251改行厨ガイドライン:2005/11/19(土) 01:24:50
|1.江戸を出た時点で決戦するつもり
|2.大垣を攻める気はなし
|3.関ヶ原に誘き出して決戦しようとした 関ヶ原方面に移動したときに
|4.徳川に特別な指揮系統が存在していてもおかしくはない
|5.指揮したのは、使い番以外で、参謀の役割を果たした人間
|6.5と6を証明する史料はない

|・改行厨はどの時間でもすぐに答えてくれるリアルニートの常駐君です。
|・彼への質問は逆に質問で返って来ます。
|・他に質問厨、城壁厨などの呼び名があります。
|・三戦板にも出入りし、自演なぞも日常茶飯事です。
|・ちょっと言葉が痛いですので気をつけましょう。
|.  Λ Λ  /
| ( ・∀・)⊃
〜/U  /
. レ レ  ̄ ̄ ̄



252日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:27:07
>>245
正直、お前を見直した。
日本語能力0で向上心の欠片も無いゴクツブシのニート野郎だと思ってたんだが、
少なくとも自分の数多い弱点の一つを克服しようと努力はしてたんだな。
馬鹿にしてほんのわずかすまんかった。
253日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:28:27
そうか、とうとう改行厨もガイドライン化されたか・・・。
なんか感慨深いものがあるな。
254日本@名無史さん:2005/11/19(土) 05:15:37
ふぅ、全部読んだ…
みんなよく説明も出来ない、読解力もない、そんな学研が愛読書クラス
の家康最強厨なんかとやり合えるな
その忍耐力には関心するが、イライラするからやめてくれ
255日本@名無史さん:2005/11/19(土) 09:39:32
つーか、知行万石以下の中級家臣が千人単位の部隊を指揮すると何か問題有るの?
他家でもやっていることでは?
256日本@名無史さん:2005/11/19(土) 11:37:24
>>255
そりゃあ石高は家中での序列や大まかな地位もあらわすわけだし、
自前で数百くらいの兵を動かせなければ難しいでしょう。
それこそ何か特別な指揮体制が確立でもされていない限りまあ無理。
他家でもそんな例は特にないでしょう。
もしあればあげて欲しいくらいだ。

>>240
そういうことは、
何か特別な指揮のシステムがあったことを示すような根拠を提示してから言うべきだね。
257日本@名無史さん:2005/11/19(土) 12:32:14
徳川家って小牧長久手以降は大阪の陣まで戦っていないんじゃない?

譜代大名は強いのかな?弱いのかな?

水野勝成はまあまあだったけど本多忠朝は?

でも、本多政重は実績残したな、敵軍として。

関ヶ原の万石以下の家臣は期待される実力を発揮できるのかな?
258日本@名無史さん:2005/11/19(土) 12:46:33
小田原征伐までは戦ってたと思う
259日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:41:04
>>240
 >>237
 福島隊は特に特別な指揮のシステムがなくとも指揮出来るくらいの数だろう。

 この根拠は?

 1万石の大名がいれば指揮できるという根拠は?

このディベート君には困ったものだ。

福島6000は清洲20万石に見合った動員兵力で家老も福島丹波守・尾関石見守・長尾隼人正
という他家にも知られた武将達だが当時の禄高は分からないが関ヶ原後で1〜2万石に加増
されたところを見れば、関ヶ原戦時は万石未満と思って良いだろう。
つまり他家と比較してもそれほど差異の無い、特に特殊な編成ではない普遍的なもの。
この一般的編成に根拠を求めるのは具の骨頂としか言い様がない。
万石クラスの武将がいた方が指揮系統がスムースになるとは散々いろんなヒトがオマエに
レス付けてくれたろうに。
どうしようもないねぇ君は。
260日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:55:37
結局は中間指揮職に就いた人間の能力次第だろ。

本多正純も本多政重ぐらいの働きはするかもな。
261日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:57:51
>>255
誰も万石以下の家臣が多数の兵を率いてはいけないとは言ってない
その場合戦力として落ちてしまうのではないかと言っている
家康が正則のように自ら大音声で采配を揮い3万を自在に動かすと思い込ん
いる人達へ発せられたレスということを認識したほうがよい
正則のように1代で築き上げたワンマン体制の会社であればまだしも
従業員3万人を抱える企業で、1000人いる課長の指揮を社長が直接
取っているなんて会社は、情報伝達方法の発達した現代でもない
262日本@名無史さん:2005/11/19(土) 18:10:18
>>259
確かに6000なら大丈夫なんて問題ではないと考える
正則が組織体制が整った名家に生まれていれば6000でも確立された組織体制
の中で采配を揮うことになるだろう
但し、1代で自ら作り上げた組織の場合はある程度のワンマン体制は存続出来る
もちろん本人の能力やカリスマ性にもよるが
263日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:11:36
えらい事になってる(笑、早目に打ち切って正解だった。

>>174
松野主馬の話は始末記や軍記大成やらで内容が違ってますので一概にどうとは言えませんが
奥平藤兵衛貞治の討死は、小早川勢が大谷勢に押し返された云々とは別かと。

松野主馬の主命拒否話は大成でも異説載せてるぐらい曖昧なものですが
小早川秀秋の大谷勢への攻撃命令に対して従わずに、戦線離脱したのは確かなようです。

大雑把に言いますと、主命拒否して手勢率いて戦線離脱した。
主命に従わないのも西軍への攻撃も、道に背くとし、奥平貞治に手勢を引き渡して、一人で落ち延びた。
とまぁこんなものです。

当初、奥平貞治は福島勢などの目付であり、宇喜多勢との激戦の中で、伊丹兵庫や村越兵庫とともに討死してます。
が、軍記大成では松野主馬の手勢を預かり大谷勢に突撃して討死と変わってます。
福島勢などの目付をしていた奥平貞治が何故小早川の陣に居たのか?と言う疑問なんですが
大成によると、小早川勢の東軍加担の動きが遅かったので、奥平貞治が小早川先陣へ攻撃を即しに行ったとあります。
まぁ松野主馬の話と奥平貞治の討死を上手く繋げて話しに盛り上がりをつけた程度と考えてください。

大谷勢が押し返した等の話は、山中村の大谷陣跡から本格的な空堀跡など見つかっており
ある程度の攻勢に耐え得るだけの備えは出来ていたので、小早川勢の攻勢に対して
抵抗出来るだけのものはあったとは考えられますが、しかしそれは永続的でなく、一時的なものと考えています。
264日本@名無史さん:2005/11/20(日) 00:55:25
奥平貞治は万石取り?
265日本@名無史さん:2005/11/20(日) 10:25:04
三成と光秀を間違えそうになる
266日本@名無史さん:2005/11/20(日) 16:31:12
広家の陣営にも軍使を派遣してなかったか?
267日本@名無史さん:2005/11/20(日) 19:02:15
結局、徳川弱体説を唱えてるやつは何が言いたいんだろ。
そんなの所詮は「薄かった」程度でたいした問題にはならんだろう。
ましてや徳川の出番もなく関ヶ原は西軍の大敗に終わったのだし。
268日本@名無史さん:2005/11/20(日) 19:26:51
>>267
???
弱体説?
そんなもん唱えてる奴などいないぞ?
改行厨が相手側にそんなレッテルを貼って喚いてるだけ。
269日本@名無史さん:2005/11/20(日) 20:42:41
3万の軍勢に何人万石取りか居れば満足なの?
270日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:38:33
満足ねぇ・・・
意味不明w
271金吾秀秋:2005/11/21(月) 02:09:19
まったく、松野はひきょうなやつだな(´・ω・`)
272日本@名無史さん:2005/11/21(月) 06:46:29
確かに何人いれば妥当なんだろうね
273日本@名無史さん:2005/11/21(月) 06:47:45
三方が原とかは三千人に一人ぐらいか?
小牧は知らん。
274日本@名無史さん:2005/11/21(月) 07:42:21
大体のところでいうと、
約1万7千ほどの兵力だった宇喜多家で、本来なら万石取りが6人はいたはずだから、
3万の軍ならまずは10人前後は欲しいといったところではあるまいか。
275日本@名無史さん:2005/11/21(月) 08:14:02
でも留守番もいるんだからさ。
276日本@名無史さん:2005/11/21(月) 13:02:35
つまり三千人に一人か
277日本@名無史さん:2005/11/21(月) 19:20:36
どこの大名も不足気味だよ。
278日本@名無史さん:2005/11/21(月) 20:28:34
>>275
じゃあ10人弱くらいのものかな。
279日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:36:56
ここまで万石取りが〜指揮官が〜と揉めてるのに
なぜ資料を読んで検討しようというのがないのだろう??????
280日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:21:41
三千人というと五人役で六万石、三人役なら十万石か…w
281日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:24:20
指揮官の人数だけの問題ではないからだよ
一回従業員3万クラスの会社へ就職してみ

282日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:52:19
会社は一応業界日本一だが、三万人もいないなw
283日本@名無史さん:2005/11/22(火) 01:25:45
会社は下手に人数が多いより少数精鋭の方がいい。
戦闘部隊も数だけで使えなきゃダメだろな。
284改行厨ガイドライン:2005/11/22(火) 02:15:20
|1.江戸を出た時点で決戦するつもり
|2.大垣を攻める気はなし
|3.関ヶ原に誘き出して決戦しようとした 関ヶ原方面に移動したときに
|4.徳川に特別な指揮系統が存在していてもおかしくはない
|5.指揮したのは、使い番以外で、参謀の役割を果たした人間
|6.5を証明する史料はない

|・改行厨はどの時間でも即レス、2、3年前から常駐するリアルニート君です。
|・彼への質問は逆に質問で返って来ます。
|・他に質問厨、城壁厨などの呼び名があります。
|・三戦板にも出入りし、自演なぞも日常茶飯事です。
|・思い込みが激しく、頓珍漢なレスをつけ続けます。
|・学校に行っていないから、ちょっと言葉が痛いですので気をつけましょう。
|・自説の根拠は述べないくせに延々と言いがかりをつけます。
|・彼の資料は学研、または歴史群像です。
|.  Λ Λ  /
| ( ・∀・)⊃
〜/U  /
. レ レ  ̄ ̄ ̄
285日本@名無史さん:2005/11/22(火) 02:30:49
あれ?関ヶ原をネタにして
喧嘩腰になるスレはここですか?

誰がニートとかそんな個人情報どうどもいいっての。
286日本@名無史さん:2005/11/22(火) 16:05:45
小笠原は?
287日本@名無史さん:2005/11/22(火) 19:35:26
>>280
何も3000人を全て自身の手勢でそろえるような配下が必要と言う話ではあるまい。
288日本@名無史さん:2005/11/22(火) 23:16:48
またかよ
289日本@名無史さん:2005/11/23(水) 08:59:26
部隊の指揮・運用と言う点で語ることが関ヶ原の徳川で困難なら人数的にも比較的近い
姉川合戦の織田勢の陣割で比較して見ればよい。織田23,000余の軍勢を率いたのは先手
から順に、
坂井尚政・池田恒興・木下秀吉・柴田勝家・森可成・佐久間信盛・織田信長
で信長本陣5,000、他は各3,000。全部で13段の備えとあるので本陣以外の各隊は
前後二段に分けてた可能性もある。
武将はこの豪華な顔ぶれで23,000余を指揮して尚且つ人数で劣勢の浅井勢に11段まで
破られたとあるが、もし23,000余の軍勢をより少数の武将で指揮したと仮定して、
織田信長13,000、木下5,000、池田5,000で指揮したとすれば、部隊運営は更に困難で
あったはずだ。
織田家の軍制は知行による、というよりも任務に応じて寄騎が付けられるので同じ
武将であっても、合戦の度に率いる人数は一定ではないが、織田信長ですら23,000を
率いるのにこれだけの武将を擁したというのは一つ参考になるのではなかろうか。
290日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:01:14
で、坂井尚政・池田恒興・木下秀吉・柴田勝家・森可成・佐久間信盛の知行は?
291日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:31:40
家康
先手   松平忠吉(武蔵忍 10.0万石)、 井伊直政(上野箕輪 12.0万石)
軍監   本多忠勝(上総大多喜 10.0万石)
大番頭  松平重勝(不明)、 水野重央(武蔵 0.7万石)、 水野分長 (−)
百人組頭 成瀬正成(下総栗原 0.4万石)
鉄砲頭  安藤直次(武蔵穴師 0.1万石)
持筒頭  渡辺守綱(武蔵松山 0.3万石)
御馬前  本多正純(−)、 西郷忠員(下総生実 0.2万石)、 牧野信成(武蔵石戸 0.5万石)旗本備  永井直勝(上総市原 0.5万石)、 阿部正次(武蔵鳩谷 0.5万石)、 奥平忠明 (上野小幡 0.7万石)
     本多康俊(下総小篠 0.5万石)、 西尾吉次(武蔵原市 0.5万石)、 本多正重 (−)
後備   奥平信昌(上野小幡 3.0万石)、 大須賀忠政(上総久留里 3.0万石)、 本多成重(下総井野 0.3万石)
     戸田尊次(伊豆下田 0.5万石)
南宮山  本多忠朝(なし)
大垣城  水野勝成(三河刈谷 3.0万石)、 戸田康長(武蔵深谷 1.0万石)
292日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:32:49
秀忠
先手榊原康政(上野館林 10.0万石)、
老臣大久保忠隣(相模小田原 6.5万石)、 本多正信(上野八幡 1.0万石)、
供奉酒井家次(下総垂井 3.0万石)、 本多忠政(−)、 本多康重(上野白井 2.0万石)、
牧野康成(上野大胡 2.0万石)、 酒井重忠(武蔵川越 1.0万石)、 酒井忠世(武蔵川越 0.5万石)、
酒井忠利(武蔵川越 0.3万石)、 高力忠房(武蔵岩槻 2.0万石)、 土岐定義(下総守屋 1.0万石)、
小笠原信之(武蔵本庄 1.0万石)、 諏訪頼水(上野総社河 1.2万石)、 安部信盛(武蔵榛沢 0.5万石)、
戸田一西(武蔵鯨井 0.5万石)、 高木正次(相模海老名 0.5万石)、 青山忠成(相模高座 0.5万石)、
内藤清成(相模当麻 0.5万石)、 土屋忠直(相模禰宜内 0.3万石)、
御使番土井利勝(上総鼠穴 0.1万石)、
後備奥平家昌(−)、 菅沼忠政(上野吉井2.0万石)、
293日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:34:19
万石(以上/以下)、家康軍(7/18)の万石以上七人、秀忠軍(12/11)
関ヶ原後、家康軍(14/11)、秀忠軍(20/3)
294日本@名無史さん:2005/11/23(水) 11:08:08
まず福島に、万石以上の武将が何人いたのかを明らかにしないと

万石派の説だと万石いないと指揮できないということだからね

あと1万石あると、何人指揮できるの?
295日本@名無史さん:2005/11/23(水) 11:11:06
>>259
万石派の説によれば、福島は指揮できないことになるが?

で、その直後に、万石クラスがいれば指揮できるというのは論理矛盾だが?

日本語わかるのか?
296日本@名無史さん:2005/11/23(水) 11:27:03
人数や石高だけの問題でもないと思うがな
本来の徳川軍として布陣し、榊原や井伊、本多、大久保他有力武将が全て
戦闘状態だった時と同じ状況が関ヶ原の家康本陣だということだね
関ヶ原の場合は榊原ら有力武将の変わりが福島であり黒田でありその他の
東軍諸将だったということ
そういう状況において家康本陣は3万の精鋭部隊が未だ戦力を温存している
なんて言い方はしないと思うがな
もしこの本陣まで西軍の一部が取り付くくらい押していたとしたら、
「後もう一押し」と西軍が多いに勢い付くだろう
そうなれば毛利はともかく小早川や小川ら4将、長曾我部、長束、安国寺らも
東軍に向かって怒涛のように押し寄せる可能性もある
ただ、残念ながら史実はそこまで西軍優勢の状況には一度もならなかった
297日本@名無史さん:2005/11/23(水) 11:35:15
>>296
精鋭温存で特に問題はないのでは
実際に主力を温存しておいたので

長曾我部、長束、安国寺らは、山があるので、戦闘が見えない

小早川らは、福島らが崩れていたのを見ても静観

本隊にとりついたぐらいでは、まだまだ動かないであろう
298日本@名無史さん:2005/11/23(水) 12:18:08
>>297
>実際に主力を温存しておいたので

井伊も忠吉も忠勝も戦闘中であった
実際の主力を温存していたとは誰を指しているのか?

>長曾我部、長束、安国寺らは、山があるので、戦闘が見えない

南宮山方面の諸将は偵察も放っていないと思ってるのか?
299日本@名無史さん:2005/11/23(水) 12:21:59
>>295
何言ってんの?
福島家には万石取りの家臣はいなかったと思われるので、
6000くらいなら万石取りくらいの家臣なしでも指揮できるのだろうってはなしだろう。
300日本@名無史さん:2005/11/23(水) 12:30:19
>>296
南宮山辺りの西軍は大垣寄りに陣を構えていたという記憶があるが
そこから主戦場に参加するには手間がかかるんでないの
301日本@名無史さん:2005/11/23(水) 12:40:12
多かれ少なかれ東軍と通じていた部隊は別として、
西軍は最初からその主力がほとんど全て交戦中、
対して東軍はその実力はともかく家康率いる本隊3万が待機中。
この状況で西軍の一部が家康本隊に取り付いてところで、
「後もう一押し」とはいえないわな。
やっと五分の態勢に持ち込む為のきっかけが出来た程度のもの。

無論陣に篭って防戦一方の西軍にはその余力すらないわけだが。
302日本@名無史さん:2005/11/23(水) 12:59:59
>>300
長束・安国寺は浅野・池田勢と小競合いになってる
長曾我部は伊勢街道(だったかな?)方面から北上可能ではないかな
303日本@名無史さん:2005/11/23(水) 14:36:54
>>295
万石以上の武将がいた方がBetterというのは30,000もの大軍の場合。
福島の20万石・6000余の指揮は他の一般的大名と同程度の動員・編成に過ぎない。
この程度の軍勢の場合であれば家老クラスが万石以上というのは絶対条件ではなく、
数千石でも十分。出来るだけ簡単に書くように心掛けますね。
私の言いたいことは>>299さんのおっしゃる通りの主旨です。
304信親:2005/11/23(水) 14:45:04
弟でなく私が采配を揮うことが出来るなら
伊勢街道を北上し小早川を牽制出来る位置に布陣後、吉田兄弟らに手勢2000人余り
を与え、大谷勢と戦闘中の藤堂,京極隊へ横槍を入れさせこの方面の展開を有利に
しておき小川ら4将へも共同して事にあたる督戦の使者を送る
金吾殿へも同じだが、最後に一言付け加えたい
「東軍へ加担したいならば、この信親がお相手致そう」

弟にもこれくらいやって欲しかったのう…
305日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:02:42
家康本陣の3万が本当に精鋭中の精鋭なら、もっと早い段階で前線投入がなされて
もおかしくない。
宇喜多勢に押し捲られた福島勢への後巻なり、石田側面を固める小西陣なり
3万とは言わず、1万余でもただじっとしているよりは用兵の妙を発揮する場面も
あったはずではないか?
石田本陣前面はヒト大杉な状況だが小西・宇喜多周辺はそうでもない。ここを
早期に敗退させられば東軍の士気があがるどころか、より決定的な戦果を自らの
手勢で挙げる事も可能だったと勘案する。

徳川弱体説をとなえるものではないが、三駿遠の頃は地元でもあり三河兵の
従順且つ強兵振りと主従の結束力を誇っていたが、関東入りした後はいわば
こうしたアドヴァンテージは弱められたと言ってよい。これは後年徳川幕府が
諸侯の戦力ダウンを意図して転封をさせた事からも実証性があるといって良い。
また、関東以降は徳川勢は大きな戦に接しておらず、綺羅星の如き配下武将の
実績と実力はともかく、その軍勢としての戦力は推し量るのは容易ではない。
306日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:27:42
毛利の不戦、小早川の行動は戦う前から計算できた事。
とはいえ実際に戦場でそのようにならないと家康は動けない。
有力武将を欠き三万の質は悪いが、いても予備なら大して変わらない。
307日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:30:42
>>305
家康本隊は開戦早々砲弾の降り注ぐ最前線に進出し、家康自ら采配を振るって松尾山を攻略した。
家康の奮戦が無ければ既に総崩れだった黒田隊、細川隊は壊滅し、合戦は東軍の大敗に終わっていただろう。
308日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:33:57
>>305
いや、幾らなんでも1万からの部隊を本隊からわけて運用するのは、
それを指揮する武将が存在しないので無理。
徳川本隊の実力がどの程度であったとしても、
もし実際に実戦に投入して運用するには家康本人が指揮するほかなく、
実質的に投入の機会は一回しかない。

そして、小早川が未だに動かない段階で、家康本隊が戦闘に参加し、
その後万が一にでも小早川が東軍を攻めては、さすがにやばいことになるので、
その点がはっきりするまで実戦投入は出来ない。
ならば、小早川が西軍を攻めるように恫喝する為に用いた方が効果的で危険も少ない。

つまり、家康が実際に用いた運用法がもっとも有効だったということ。
このことと家康本隊の実力云々は基本的に関係ない。
309日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:36:28
>>304
悪い案じゃあないかも知れないが、勇敢すぎw
あんまりはりきると討ち死にしても知らないよ?
310305:2005/11/23(水) 15:42:11
>>306
徳川本陣3万余には一定以上の能力・経験に裏打ちされた数千石・数百石或いは
それ以下の旗本衆を率いる武将が不足しており、攻勢任務に投入するには些か無理が
あり、306氏が言うように予備&ブラフとしての役割をメインに置く用兵としたとも
言える。
本来は「備」の大将の出来る指揮官の充実した秀忠を使いたいところだが、296氏の
いうようにこの場合の攻勢部隊とは黒田・細川・福島ら豊臣恩顧大名だ。

徳川3万は様々な観点から予備に置くのが適当な部隊だったと言える。
311日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:50:14
なんか盛り上がってると思ったら、また改行厨が出現したのかよ。
312305:2005/11/23(水) 16:13:45
>>308
いや、つまるところ私が言いたいのは>>310にあるように徳川勢は攻勢の機会は
幾度かあったが出来なかった、つまり攻勢任務に投入するには指揮官層には5000
以上の部隊を有機的に活用できる武将が足りず、一定以上の機動的攻勢には投入
には、やや無理があったという意見です。
313日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:18:23
それには異論はないけど、
だったら精鋭中の精鋭ならって言い方はちょっと違うのではないかと。
314日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:20:59
>>310
秀忠が合流してたら関ヶ原で三成が戦ったでしょうか。
それはまた別の話になってしまう。
指揮官がいても家康の行動は史実と変わらないのでは。
315信親:2005/11/23(水) 16:22:18
>>309
すいません、九州攻め前哨戦の戸次川で既に討死してます…w
316日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:28:26
本田や井伊にもっと兵を分ける事も出来ただろうが、家康はやっていない。
317305:2005/11/23(水) 16:30:49
>>313
ゴメン。紛らわしかったね。

>>314
秀忠合流と言うのはまったく異なる仮説で、突然それを持ち出して反論
されても困るなぁ。ましてや秀忠合流で三成が戦うって良く意味が?
318日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:36:29
>>317
秀忠を使いたいとあるのでそう書きました。
319日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:39:44
仮に家康三万に指揮官がいても、毛利小早川の実際の行動を見るまでは
家康は動けないのではないかと。
320305:2005/11/23(水) 16:49:13
>>318
使いたいって、本来関ヶ原に間に合えば誰でも使うでしょ。
手元に秀忠隊はないのでって意味だよ。
>>319
きっと誰かがこの意見言うとおもってた。もっともな御意見です。それゆえの
10,000前後の投入です。この軍勢の投入で小西−大谷ラインのどこかに突破点を
見出せば、小早川は逆に東軍へ加勢する判断を早めるでしょう。最大の効果は
『家康動く』という戦慄を西軍、特に去就明らかでない連中には大きな影響を
史実よりも早期に与えると考えた次第。
毛利・吉川に至っては西軍優位であっても空弁当な訳で、家康動けば空弁当を
更にオカワリするんじゃないかと。
321日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:59:26
>>320
小早川か動かなかったら投入したでしょう。
小早川用に兵を残して家康本人が二万で行ったかも。

だから俺も秀忠は別の話だと書いている。
322日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:04:25
>>298
本隊が残っているでしょ

偵察はよくわからないかもよ
少なくともすぐにはわからない
323日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:05:16
>>299
万石ないと指揮できないらしいぞ
324日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:06:34
>>303
betterということなのか?

6000であれば、万石がいなくても指揮できると?
325日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:09:29
>>304
信親なら、東軍に荷担するのでは?

小早川を牽制できる位置はない・・・
大谷の陣の横に行くか?
326日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:11:35
>>310
徳川隊は、精鋭であり、予備として適当であったから予備においた

秀忠隊や他のしょたいと同内容であり、特に差はない
327日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:17:00
>>323
誰もそんな事言っていないが・・・・
328日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:19:19
>>327
1万石とそれ以下では見えない壁があるらしい・・・
329日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:20:21
>>320
一万は誰に任せるんですか?
330日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:39:49
>>326
家康本隊は精鋭も適当もなく予備になるのが当たり前の状況では。
何千の部隊が本隊にいないなら小部隊が伝令と各自の判断で戦う事になるでしょう。
331日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:54:54
>>329
>>319の段階で仮に指揮官がいたらってことになっているんだから、
その突込みを>>320にされても困るだろう。
332日本@名無史さん:2005/11/23(水) 18:07:01
>>331
いないって事ですかね。
一万人で誰かに攻撃させるのと、押さえを残して
家康本人が攻撃するのはどちらが有効ですかね?
333日本@名無史さん:2005/11/23(水) 18:57:22
>>330


何千の部隊が本隊にいない???
334日本@名無史さん:2005/11/23(水) 18:58:15
>>332
普通に考えれば、家康直率

てか、実際にそうしたけど
335日本@名無史さん:2005/11/23(水) 19:29:57
>>330
ある意味では、何千の部隊はどこにもいない

いるのは、徳川3万の部隊
336日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:15:20
指揮官がいても前線の部隊が引かないと隙間ないでしょ?
337日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:16:58
ある意味、本陣を薄くして政略を優先した家康の凄味を感じるな。
338日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:24:27
>>334
家康が10000直率して、残りの20000は御留守番なの?
339信親:2005/11/23(水) 20:43:27
>>325
小早川を牽制出来る位置⇒行動を起こした際に追撃又は横槍出来る位置
伊勢街道を北上することになれば小早川の東隣となるかな
340日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:45:22
横レスになるが織田は一族で西軍についてるのに
有楽だけなぜ東軍についたのか教えてくれ
341日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:45:59
>>337
いや、あの戦力で充分と見たのだろう
342日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:48:05
>>338
たぶん、そんなもんじゃない
3万全軍では攻めていないでしょ
それに家康に呼応して、小早川と四将が参戦しているから
一気にバランスが崩れて東軍優位に
343日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:49:31
>>339
戦場の図を見ればわかるけど、小早川の側面は、四将
344日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:47:43
改行厨って面白いね。
一つずつこまめにレスを付けていく。
しかも根拠なしで質問レスw
345日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:34:33
>>343
4将は前方じゃないのか?
346金吾秀秋:2005/11/24(木) 04:12:15
朽木ちゃんも脇坂ちゃんも赤座ちゃんも、みんなカルピス
「おいしいおいしい」って飲んでたよ(´・ω・`)
347日本@名無史さん:2005/11/24(木) 09:06:30
万石以上でなくても与えられた任務をこなせれば問題なし。
348日本@名無史さん:2005/11/24(木) 14:33:16
>>347
実例を聞きたい。
だれがどういう任務をこなしたの?
349日本@名無史さん:2005/11/24(木) 15:54:27
>>342
二万残して一万しか投入しないなら家康以外に任せた方がいい。
一万をまとめて任せる相手がいれば。
小早川を当てにもしない。

秀秋の裏切りで崩れた西軍を見て、家康は総攻撃をした。
350日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:02:31
どーして根拠もないのに家康の軍勢の構成を決め付けてるの?
資料あるのに何故確かめないの?
351日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:06:52
>>350
お前が書けばいいんじゃないか?
話を進展させたいのなら。
352日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:25:26
話が進展してないから言ったんだけど。
どういう結論にしたいのかもわかんないし。
当事者達だけで根拠もなしに延々言い争いし続けられても迷惑。
353日本@名無史さん:2005/11/25(金) 08:20:46
>>350
お前の言う構成ってのは>>291の事か?
俺は家康本隊については昔のスレではしたがこのスレではもうしてない。
家康本隊の構成だけで戦法が決まったのか。
少々構成がどうであれ状況的にもあの戦い方がいいんじゃないかと。
ついでにもし総攻撃のきっかけの小早川が動かなかったら
小早川が向かってきたら家康はどう対応するつもりだったのかなと。

もう構成の話はしてないの、俺は。あまり意味がない気がするから。
だから構成の話や指揮の話にはレスしてない。
だからお前が書けというのよ。
354日本@名無史さん:2005/11/25(金) 08:41:23
まだこの話してんの
355日本@名無史さん:2005/11/25(金) 09:35:55
お前は何の話してんの
356日本@名無史さん:2005/11/25(金) 18:56:26
>>353が「俺は」と言っても誰だかさっぱりわからないんだが。
内容読む限り、タラレバで延々言い争いしてるのか?

構成に意味ないんじゃなく、タラレバが意味ない気にならんのか。
つーか意味ないとかレスしてないなら、何のレスしてんだよ。
何の為に指揮官〜、構成が〜、ってこっちにはさっぱり意味わからない争い続けて
どういう結論にしたいのか当事者以外、理解出来んからと言われたらこれ。
しかもこっちに書けとか、何この池沼。

小早川が向かってきたら?総攻撃のきっかけの小早川とか意味わかんない。
何?総攻撃って?総崩れのきっかけの間違い?
357日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:26:49
>>356
じゃいいよ。
話が通じないなら意味ない。
悪かったな。
358日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:05:26
おらおら稼がんか
359日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:21:14
では、次のネタどうぞ。
360日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:54:49
>>356
どちらにも両極端過ぎるレスがある
(個人的には家康本陣は最強みたいな思い込みレスがウザイが)
ただ普通に考えて徳川軍の大半の主力部隊は秀忠隊に属していたという
のは事実で根拠がなくはないし今更史料を提出するレベルの話でもない
要するに君がいうようなタラレバの話ばかりではない
君がその辺を把握しているなら極端な意見はスルーすれば済むだろう
細部に拘れば永遠と議論(になってないが)は続く

>小早川が向かってきたら?総攻撃のきっかけの小早川とか意味わかんない。
>何?総攻撃って?総崩れのきっかけの間違い?

こういうのも汲み取ればわかるだろうに上げ足取るから長引くんじゃない?
押しつ押されつしていた状況から一転大攻勢に出れたきっかけを金吾が
作っていなかったら?逆に金吾が東軍に向かって来ていた場合、その時の
家康の対応は?ってこったろ



361日本@名無史さん:2005/11/26(土) 13:14:42
>普通に考えて徳川軍の大半の主力部隊は秀忠隊に属していたという
>のは事実で根拠がなくはないし
1600年当時の徳川の何が主力だったのか、根拠があるなら根拠を出して説明してくれ。
まさか榊原などがいれば主力になったとは言わないよね?
知行地の石高が高ければ主力だとかも言わないよね?
一の先備え七手と二の先備え七手なんかを考慮したうえだよね?
細部に拘るも何も、極端どころか見当違いなやり取りにし読めないが。
君の普通ってのが、史学的な普通であることを願うばかり。

ちなみに家康が関東入府し219万石あった知行地の内、本多や井伊、榊原などは
徳川家からは大名領として扱われてる、これは『徳川家康文書の研究』で立証されてるからどーぞ。
219万石のうち、95万石が大名領、旗本領が2万5千石、寺社領が1万5千石、残り120万石が徳川家蔵入地。
君らのなかで徳川蔵入地120万石からの軍勢はどう扱われるの?家康や秀忠直属?

>押しつ押されつしていた状況から一転大攻勢に出れたきっかけを金吾が
>作っていなかったら?逆に金吾が東軍に向かって来ていた場合、その時の
>家康の対応は?ってこったろ
押しつ押されつしていた状況?秀秋による大谷吉継への攻撃から、東軍が一転大攻勢に出れた?
これが確認できる資料って何?軍記物でさえ押しつ押されつしていた状況とはとても読めないし
秀秋の攻撃で東軍が一大攻勢に出れた風にさえ書かれてないけど?

さらに小早川秀秋が東軍へ向かってきたなんて、東軍が敗走でもしない限り有りえませんが?
東軍が敗走するって事は、宇喜多や小西、大谷、石田隊でのみ東軍を敗走させれたと?
これこそ前提無視したタラレバなんだけど、その辺わかってるの?
362日本@名無史さん:2005/11/26(土) 14:43:43
ダメだコリャ。
363日本@名無史さん:2005/11/26(土) 14:47:11
>>361
貴殿のように、三河物語や甲陽軍鑑の記述を全て真実と考えてるお方は、
とても御目出度い。
「現存する記録に、そのように書いてある」だけで、事実は誰にもわからない。
だから、あれこれ好き勝手に妄想するのが面白いんだがねえ。

面白さが理解できない部分は趣向の違いだから良いとして、事実にこだわろ
うとすればするほど、事実に近づけないことは理解したほうが良い。

残っている記録が、入念にルポルタージュされたものではないのは明白で、
自分にとって不都合があればごまかし、不明な点は風聞と憶測で書いたもの
でしかない。
元にしようとする記録が厳密には不正確な要素を多分に含んでいるのに、
それが史実であるかのように言うのは馬鹿げている。

残っている記録では、本当のことを証明しきれるものは無いんだよw
大雑把な経過と結果がわかるに過ぎない。
364日本@名無史さん:2005/11/26(土) 14:59:18
>>363
>三河物語や甲陽軍鑑の記述を全て真実と考えてるお方
どこにそんな事書いてるのか聞きたいんだが。
そちらの程度に合わせて、「軍記物でさえ書かれてない」と書いたら甲陽軍鑑鵜呑みになっちゃうの?

根拠ある、今更史料を提出するレベルじゃないと言いつつ、根拠聞いたら>>363の返答なの?
史料で全て証明出来ないのは当たり前、でも推測は可能、その為の史料批判であり、史料検証。
根拠=史料ではないよ。

ていうか、あれこれ好き勝手な妄想で言い争い続けてたの?
それなら三戦板でやってくれないかな?
あっちはネタ趣味だから、ここはあくまで学術板ね。

>>361に対して、内容の反論は一切ないし、言う事は史料が全てじゃないから〜?
事実に拘ろうとすると事実に近づけないとか、君は事実を知ってるかのような決め付けするしね。
近付くか遠のくかの判断は、事実を知っていないと出来ないんだが。
事実は誰にもわからないのに凄いことだw

365日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:06:22
ついでに甲陽軍鑑と三河物語は同列に扱う人は初めて見たよ。
366日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:13:54
我ら家中の人持分の内、少も大身なる者共をハ、
大形秀忠に附て木曽路へ差越し、我ら事ハ旗本の侍共ばかりを召連
367日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:19:43
>>366
貴殿のように、三河物語や甲陽軍鑑の記述を全て真実と考えてるお方は、
とても御目出度い。
「現存する記録に、そのように書いてある」だけで、事実は誰にもわからない。
面白さが理解できない部分は趣向の違いだから良いとして、事実にこだわろ
うとすればするほど、事実に近づけないことは理解したほうが良い。

残っている記録が、入念にルポルタージュされたものではないのは明白で、
自分にとって不都合があればごまかし、不明な点は風聞と憶測で書いたもの
でしかない。
元にしようとする記録が厳密には不正確な要素を多分に含んでいるのに、
それが史実であるかのように言うのは馬鹿げている。

残っている記録では、本当のことを証明しきれるものは無いんだよw
大雑把な経過と結果がわかるに過ぎない。
368日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:23:49
せがれめに計られた
369日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:34:07
>>367
網野史観を勘違いした池沼のようだ
370日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:37:30
すぐ上のコピペじゃん...orz
371日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:45:16
史料を持ったノーコン変化球投手。
372日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:18:51
戦闘は午前八時頃開始され、正午頃までの戦局は容易に決しなかった。
松尾山上の小早川秀秋が東軍の銃撃に促されて、山を下って大谷陣地に突入するに及び
東軍は総攻撃に移り、大谷は自刃し、小西・宇喜多が相次いで崩れ、石田もまた敗れ
島津は退路を失い、東軍を突破して伊勢に逃れ、午後二時頃に至り合戦は東軍の完勝
で終わった、という風に徳川家康文書の研究の中村孝也は徳川家康公傳に書いてるな。
373日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:01:30
徳川家康公傳は家康伝の内容をそのまま写したヤツだよな?
さすがに手元にないなぁ。

でも付け加えるならば、「徳川家康文書の研究」は研究論文。
「徳川家康公傳」は故中村氏の初期のまとめ紹介本。
同列に語られてもね、関ヶ原の経緯なんかも適当に流した内容だしね。

>>360>>363>>372なのかな?
>>366>>368は史料名書いて欲しいね。
374日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:17:53
>>373
バカが。
375金吾秀秋:2005/11/27(日) 04:02:49
バカが(´・ω・`)
376日本@名無史さん:2005/11/27(日) 10:37:22
三河物語という歴史書は筆者の大久保彦左衛門の歴史書に対する考え方が問題。

うろ覚えだか、ある逸話では大久保が部下の若い武士と談笑しているさいに
若い武士が「源義経はこういう時はこういう立派な立ち振る舞いをなされたそうですな」と言った所、
大久保は「馬鹿者、歴史書に書いてある事を全て本気にして義経の立派な逸話を全て信じておるのか?
歴史書なんてのは人物や家を美化するために事実半分、嘘半分に書いてあるのだぞ」と語ったという。

大久保の言う事はもっともだと思うが、こんな事を公言するような人物の書いた歴史書の信用性はとても低い。
実際、三河物語はかなり徳川マンセー・大久保マンセーに書かれているので大久保の発言と一致してる。
377日本@名無史さん:2005/11/27(日) 10:46:27
大久保の歴史書に関する考え方は「偏っている」というよりは単に「正直なだけ」なのかもしれない。
実際、多くの歴史書が大久保のように豪快に公言していなくても、
主家やひいきの人物・勢力などに偏向し脚色や虚偽や誇張も多いのだろう。
しかし信長公記の著者、太田牛一のように「嘘偽りは一切書いてない」と宣言している人物もいる。
378日本@名無史さん:2005/11/27(日) 15:59:13
で、徳川家康文書の研究の後に書いた徳川家康公傳に中村孝也が嘘を書いたと。
379大和天狗:2005/11/27(日) 16:49:23
★★★★★史料を持ったノーコン変化球投手
★★★★★この表現はこのスレに関係なく素晴らしい。
★★★★★五つ星だ。
★★★★★変化球投手より、単にノーコンピッチャーだけでも良かったかな。
★★★★★ここのスレ上の話として直球を投げないから変化球としたのは、良く分かるw
380日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:01:43
>>376
三河物語読んでいないのバレバレなんですがw
どの辺りが徳川マンセーなんですか?
381日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:12:01
で、徳川家康文書の研究の後に書いた徳川家康公傳に中村孝也が嘘を書いたと。
      ↑
徳川家康公傳・徳川家康公伝 1965年 
徳川家康文書の研究 1971年

なるほど
382日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:26:13
>>381
それでいいのか?
383日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:42:18
三河物語は三河譜代マンセー本で徳川マンセー本ではないよな。
ていうか三河物語は歴史書なのか?
384日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:01:00
>>381
徳川家康文書の研究を主とする学蹟で1961(昭和三十六)年十一月に紫綬褒章
同書の学術的価値を認められて翌1962(昭和三十七)年五月学士院賞受領
385日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:17:13
>>384
『徳川家康文書の研究』上 日本学術振興会(1958、新訂版1980)
『徳川家康文書の研究』中 日本学術振興会(1959、新訂版1980)
『徳川家康文書の研究』下‐一 日本学術振興会(1960、新訂版1980)
『徳川家康文書の研究』下‐二 日本学術振興会(1960、新訂版1982)
『徳川家康文書の研究』拾遺集 日本学術振興会(1971)

完成は1971年ですが何か?まさか上巻で終わりなんですか?
386日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:20:24
>>385
まず全四冊で出し、家康公傳の後に拾遺を出した。
387日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:23:30
まず全四冊で出し
   ↑
嘘書くな
388日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:30:44
>>387
満四箇年を費して、徳川家康文書の研究全四巻を刊行し、更にその後に見出して
徳川家康文書拾遺集に採録したものがすでに百二十通に上っている。
この拾遺集も他日一冊にまとめたいと思っている。
と徳川家康公傳の後書き(昭和四十一年一月十五日)に中村孝也が書いている。
389日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:32:28
間違えた。後書きは昭和四十年です。
390日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:40:17
>>388
拾遺集で巻頭に「収録しきれなかった、新たに見出された文書を・・・」と書いてるがな
っつーことで文書は全四巻予定でもなんでもないし
391日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:48:00
そうだな。拾遺集を含めた徳川家康文書の研究の「完成」は徳川家康公傳の後。
しかしまず全四冊で出している。
この四冊は徳川家康公傳より先に書かれている。
これで何か問題があるかな?
392日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:56:04
しかしまず全四冊で出している。 →>>390
全四巻予定でも、なんでもない

本当にありがとうごいざいました
393日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:58:02
で、徳川家康文書の研究の後に書いた徳川家康公傳に中村孝也が嘘を書いたと。
                 ↓
拾遺集を含めた徳川家康文書の研究の「完成」は徳川家康公傳の後。

拾遺集は『徳川家康文書の研究』ではないようだ
394日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:58:30
書いた本人が何度も全四巻と書いている。

以上。
395日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:18:19
古典文学編 三河物語
h
ttp://www.hamajima.co.jp/aichi_bungaku/koten/39.shtml

三河物語は子孫に対して主家への忠節を説いた”文学作品”という事です。
396日本@名無史さん:2005/11/28(月) 01:23:41
>>361
>ていうか、あれこれ好き勝手な妄想で言い争い続けてたの?
>それなら三戦板でやってくれないかな?
>あっちはネタ趣味だから、ここはあくまで学術板ね。

では君のその学術板らしい内容のレスというのを見てみようじゃないか
まさかただの批判厨じゃないよね?
1600年頃の徳川軍の主力構成等について思う存分語ってくれ
さぁどうぞ↓


397日本@名無史さん:2005/11/28(月) 01:33:54
>>396
>>361氏の言うところの
>さらに小早川秀秋が東軍へ向かってきたなんて、東軍が敗走でもしない限り有りえませんが?

主力構成よりこの辺りの学術板らしい見解を聞いてみたいね
ここが学術板なんだから妄想はいらないと言い切る氏にはその史料根拠があるはず
まさか・・・妄想??
398日本@名無史さん:2005/11/28(月) 03:29:21
>>396-397
多分まともな返事は返らないよ。
史料を持ってるだけのちょっと頭がおかしい人だと思う。
399金吾秀秋:2005/11/28(月) 03:34:14
まったく、史料を持ってるだけのちょっと頭がおかしい人には、
あきれたもんだぜ(´・ω・`)
400日本@名無史さん:2005/11/28(月) 10:15:01
この酷い自演は何だw
改行厨か?
401日本@名無史さん:2005/11/28(月) 10:26:20
このスレ、まるで関ヶ原だね。
402日本@名無史さん:2005/11/28(月) 11:36:31
>>400
>>396-399は哀れな人なんで生温かく見守りませう

類似スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132995219/
テララロスwwwwwwwww
403日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:28:56
じゃ、まともなレスが出るまで放置しよう。
404日本@名無史さん:2005/11/28(月) 15:19:00
関ヶ原は決戦というより、単なる追撃戦でしょ?
前日に小早川秀秋は、松尾山を守備する伊東正盛隊
(この部隊は大谷吉継の配下だった)を蹴散らして、強引に松尾山
山上に陣取っている。西軍から見れば、この行動は小早川勢がはっきり
東軍側に付いたと見えるだろう。また、松尾山から大谷勢の横腹を
狙うには、まっすぐ駆け下りたのでは駄目で、一旦西側に迂回して、
それから向きを北に変える必要がある。(まっすぐ降りると、
藤堂隊の横に出てしまう。)かなりの距離がある事から、
正午頃大谷隊に襲い掛かる為には、午前9時頃から行動する必要がある。
(これは歴史群像が実地調査していた。)
小早川は日和見なんかしていた訳じゃなくて、少なくとも決戦当日より
数日前には、はっきり東軍側として行動していた。

戦略上の重要な後方策源を敵に奪われた三成は大垣城より撤退を
開始、これを掴んだ家康は直ちに追撃。西軍は捕捉されて壊滅と
言うのが、実際の真相だと思うが。
405日本@名無史さん:2005/11/28(月) 16:23:54
伊勢方面へ行くつもりが
近江高宮に向かったという話があるくらいだしねぇ。
406日本@名無史さん:2005/11/28(月) 17:07:25
話が変わったな。
407日本@名無史さん:2005/11/28(月) 17:54:26
>>396-399

頭おかしいのはお前だ!
408日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:14:08
>>407
お前「ら」だよ。
409日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:41:32
>>408>>396-399の内のどれ?
410日本@名無史さん:2005/11/28(月) 19:07:57
>>404

85 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/11/18(金) 00:18:14
>>82

江戸を出た時点で決戦するつもり
大垣を攻める気はなし
関ヶ原に誘き出して決戦しようとした
関ヶ原方面に移動したときに
411日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:59:31
>>404
では小早川隊は午前九時頃に動き出して正午頃に大谷隊を攻撃したという事ですか?
412大和天狗:2005/11/28(月) 21:23:59
■■このスレ、まるで関ヶ原だね。
■■上手い座布団二枚だ。
■■同じ人物なのかな?
■■だとしたらセンスが素晴らしい!
■■実は「○○○だぜ」も結構笑わしてもらっている。
413日本@名無史さん:2005/11/28(月) 21:47:56
>>404
下りとはいえ山道ということで仮に100m進むのに2分かかったとしても、
3時間で9kmは行軍できる。
関ヶ原自体が南北2km東西3kmほどの盆地なのに、
どこをどう大回りすればそんなに時間がかかるというのか。
414日本@名無史さん:2005/11/28(月) 21:55:26
>>413
それが脳内史観なのですよ。
415日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:18:53
>>404
正解です
そのとおり
416日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:22:39
>>415
自演、乙。
417日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:33:17
>>413
馬鹿か?まず合戦に参加するために内府と打ち合わせをしないといけないだろうが。
松尾山から桃配り山へ、既に前線へ出た可能性もある内府とすれ違ったかもしれないから、
桃配り山から陣場野へ。
陣場野から松尾山へ戻り、弁当を使う。腹が減っては戦ができないから当然。
それからいくさ。

松尾山から桃配り山〜陣場野へ行軍するのに1時間。
陣場野から松尾山へ帰陣するのに30分。
弁当に1時間。
大谷陣へ30分。これでぴったり3時間。

合戦当日の小早川軍

8:00起床・朝食
9:00桃配り山〜陣場野へ出陣
10:00陣場野から帰陣
10:30弁当
11:30大谷討伐に出陣
12:00交戦、大勝

9時から行動してたと見るのが妥当だろう。
418日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:38:43
>>417
乙。
まったく、実際にそのくらいのことしないと3時間もの時間を移動には使えないわな。
419411:2005/11/28(月) 23:41:55
>>413-418
俺の楽しみを奪うなよな。
420金吾秀秋:2005/11/29(火) 00:23:50
見るのが妥当なんだぜ(´・ω・`)
421日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:34:59
>>361氏の言うところの
>さらに小早川秀秋が東軍へ向かってきたなんて、東軍が敗走でもしない限り有りえませんが?

主力構成よりこの辺りの学術板らしい見解を聞いてみたいね
ここが学術板なんだから妄想はいらないと言い切る氏にはその史料根拠があるはず

これまだー?
422日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:36:29
西軍 の検索結果 約 139,000 件
東軍 の検索結果 約 97,400 件
http://www.google.com/

西軍の勝ち わはー!
423日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:59:58
「俺と兄貴は何でも知ってるんだ」

「オーストラリアの首都は?」

「兄貴が答える」
424大和天狗:2005/11/29(火) 01:16:07
「俺様と弟子は何でも知ってるんだ」

「アウストラロピテクス・・アレ?」

「金吾が応えるんだぜ(`・ω・´)」
425大和天狗:2005/11/29(火) 01:30:13
で、史料を持ってるだけのちょっと頭がおかしいあきれた人は、
デスクトップの廻りに取り敢えずあるだけ陳列しているのかな?
因みに俺様は、廻りに歴史史料なーーーーーんにもないんだぜw
それがどうしたって?どーもしねーよ。疲れてるな俺・・・様。
426日本@名無史さん:2005/11/29(火) 02:41:42
アウストラロピテスは人類最古の園児じゃなくなったぽいよ
427日本@名無史さん:2005/11/29(火) 08:10:14
金吾さまってニートのあこがれの存在だよな
428日本@名無史さん:2005/11/29(火) 10:14:16
ガダルカナルの日本軍は、僅か数キロ進むのに数日かかってる。
1万5000もの人間が移動する場合、山道の起伏ももちろんそうだが、
細い道を通過して、先頭が戦場に出ただけでは話しにならん。

それなりの人数が前線に到着し、部隊展開を行って初めて可能だ。
装備類が到着してからの準備作業も当然必要。
15,000もの人間が一度に移動なんかしようものなら、大渋滞で
戦どころじゃなくなる。100人程度が移動するのと訳が違うだろう。

おまいらのセンスのなさにあきれるな。
429日本@名無史さん:2005/11/29(火) 11:59:17
>>428
関ヶ原の時代の軍隊が山を下るのに3時間かかっていたんじゃ
話しにならんよ。
攻撃命令が出れば、先鋒だけでも突っ込んでいく。

岐阜城攻め始めるのに何時間もかかったか?
430日本@名無史さん:2005/11/29(火) 12:10:17
金吾中納言は筑前・名島30万石で兵力は当時の動員実績から言って7500〜8000という
ところだろう。
旧軍参本の戦史研究で小早川家の石高が誤っていたのが定着したといわれている。
30万石で15000も動員となると1万石当たりの動員が500人となり、当時の平均の倍だ。
後北条氏の小田原篭城のような戦ならともかく、はるばる筑前から会津まで出兵するのに
当たって総動員はそうそうは掛けられない。同じ九州の黒田・小西・島津などにしても
総動員ではない。
推測に過ぎないが金吾中納言の関ヶ原での実勢は最大でも7000程度だったのでは
あるまいか。
431日本@名無史さん:2005/11/29(火) 12:42:54
ガダルカナルの行軍と関ヶ原の行軍を一緒にする奴は頭がおかしい。
432日本@名無史さん:2005/11/29(火) 12:56:02
ここで仮に、
家康=師団長、5〜10万石の大名=連隊長、1〜5万石未満の大名=大隊長、それ以下の旗本=中隊長
と考えてみよう。
一般的には、師団長は直接中隊長に対して指揮権は発動しない。必ず連隊長→大隊長→中隊長という経路を辿る。
決まりだからという面もあるかもしれないが、実務上そんな面倒なことはしない。
旧日本陸軍の完全編成三単位師団を例にとれば歩兵だけに限っても27個の中隊があるからだ。
身近なところでは、同好会等の連絡網もそうだ。会長が会員全てに電話しなければならないというのは愚の骨頂だ。
電話や電信の発達した近代においてもそうなのだから、ましてや連絡手段を使番に頼る16世紀をや。
また、建制ではなく臨時的な編成として行なわれたのが大名を寄親・小身旗本を与力として編成してある程度独立し
て行動できる規模の部隊を作ることである。ただし、この場合寄親があまりに小身なため直属の家臣が少ない場合
与力はその指示に従わないことがある。
厳密に言えば条件は違うが、大坂夏の陣で道明寺口の先鋒大将となった水野勝成や島原の乱の鎮圧軍大将となっ
た板倉重昌などの立場に似ている。
勝成は配下に追撃を命じるが誰も従わなかったし、重昌は自ら突出して討死した。
故に、大身の武将をあまり帯同していない場合頭数の割に戦力が発揮できないという話になる。

果たして、家康は東部戦線の全ての部隊を連隊単位で総司令部から遠隔操作しようとしたヒトラーのような愚を冒す
人物だったのだろうか?
433日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:06:14
>428
人数の実数はともかく、当時の野戦と、近代戦の軍事行動は同じではないよ。
数キロ移動というが、当時の戦略では先鋒などきちんと割当があり、数百単位で
活動していたろう。
万や千単位での集団軍事活動を、突撃形式で行った話など俺は聞いた事がない。
当時から〜隊という部隊活動が当たり前だったのに、なぜそんな話になるのか?
本陣の位置は前線より数キロであっても、先鋒隊や、工作部隊は数キロなんか
離れてやしないだろうよ。

だいたい教育も悪い。長篠の戦いも、織田3000丁の鉄砲の一斉射撃なんか
トンデモ論を未だに語るバカがいる。
434日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:14:01
>>432
おまいのようなバカは二度と書き込むな。一生ロムってろ。
435日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:18:19
小早川の軍隊の移動にどのくらいかかるかは、当時の地形や
道の形状、距離等正確にチェックしないとなんとも言えんな。
ただ実戦力1万としても山道が狭く、相応に距離があり、
出口に敵が展開しているとなると、2〜3時間かかる可能性はある。

前日に西軍の伊東隊を撃破しているのが事実なら、当然、それに対して
ある程度の備えをしているはずだしな。簡単にはいかんだろう。
ましてや相手は大谷吉継だ。大軍を易々展開させるような愚は犯さないと
思うぞ。実際は早く到着したんだが、大谷隊に巧妙にあしらわれて、
部隊の本格的展開と攻撃が正午頃になったとするなら、ありえる話だ。
436日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:38:23
>>435
小早川は伊藤を撃破はしていまい。してたらその時点で東軍じゃんw
伊藤隊を強制的に松尾山から追い出したってことだよ。
437sage:2005/11/29(火) 13:48:17
>>432
家康本陣の指揮は意外に難しいって事では良い例の挙げ方だと思う。
ただ残念ながらこのスレでは、どうも『部隊運用』という観点を持てないヒトが多いから
受け入れられにくいみたいだ。
かくいう私も過去に現代軍隊を例に挙げたが、「家康最弱説」などという奇天烈な
レッテル貼られて???な結果だった。改行厨に引っ掻き回された背景もあったがw
「結果」で物事を論じるのは良いが、物事を多面的に見ていくのも大事な事。
家康=勝者、故に家康配下=最強、というだけでは如何なものかとは思うね。
スレ違いスマソ
438日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:49:06
>>437
sage損ねた…。
439日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:49:39
>>437
基地外に同意するのも基地外
440日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:53:11
>>437は妥当。
>>428は頭がおかしい。
441日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:56:58
>>439
>437はどうして基地外と?
いきなり決める付けられるアンタが基地外じゃねーの?
442日本@名無史さん:2005/11/29(火) 14:05:24
百歩譲って>>432が基地外、>>437は騙されてるってことにしよう。
皆の衆、それでよろしいな?(w
443日本@名無史さん:2005/11/29(火) 14:18:44
>>442
>>432>>437は区別すべきだな。
444日本@名無史さん:2005/11/29(火) 15:13:28
>>432には歴史を語る資格がない。小学生からやり直せ。
445日本@名無史さん:2005/11/29(火) 15:53:20
金吾が裏切った時に小西も裏切ればよかったのにな?
446日本@名無史さん:2005/11/29(火) 16:48:26
447日本@名無史さん:2005/11/29(火) 18:49:57
現代の軍隊を例に挙げるのがおかしい、家康の軍勢の構成を調べれば済む話。
しかし基地外とか騙されてると批難するのは筋違いも甚だしい。
そこまで罵倒されることなのか?軍を家康と秀忠の二手に分け、小田原以来実戦経験が皆無な徳川勢が
弱体化してるのでは?と疑問に思うのも理解できるが、実際に戦闘したのではないのでなんともね。
さらに後の大坂陣では醜態を晒してるけどね。

松尾山の小早川が大谷を襲うまでの時間経過には興味ある。
>>404が歴史群像で実地調査されてる結果を記載してるようだが、いくら城塞化して
多少の混乱(松野主馬)あったとはいえ、3時間もかかるのかというのはかなり疑問。
使者のやりとりで時間かかったのを理由に挙げてるが、当日の直前にそのような連絡をするのだろうか?
以前から家康へ使者を送っており、この時には黒田からの目付がいたのに。

>>396-397に返答しようかと思ったが、いつものように自演で懸命に煽ってるのを読んで萎えたから止めとこう。
少しテンパってるようで文体替えられないようになってるようだしね。

早くID表示にならないかなぁ。
448日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:37:06
>>437
別に多くないだろ。
大体は動かすなら1万前後くらいの兵力が妥当ではって感じであったと思う。
何が何でも3万全てを自由に指揮出来るなんて言っていたのはごく少数だと感じたが、
無論印象に過ぎないが、少なくともそんな事を言っていた者が多かった根拠は何もない。

まあ、少なくとも一人は苛烈に言い続けていた者もいたから、
あなたの印象としては多くいたかのように感じたかもしれないが、
それがスレの多数派だと受け取られかねない言い方はいかがなものか。
449日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:41:30
>>435
それなら、普通大谷隊との小競り合いが始まった時点で、
小早川東軍について西軍を攻めると言うと思うぞ。
実際、小早川が大谷隊に攻めかかってからしばらくは、
そんな感じだったのだろう。
450日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:01:38
現代の軍隊と同じ、とは誰も言ってないだろう。
いろいろ例を挙げたが、一つの分かり易い例として挙げたと思えば良いんじゃないの?
というか、現代軍隊を例に挙げることの『どの部分』が間違っているのかを先ずは
指摘するのが筋ではないだろうか?
451日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:39:07
小早川隊がガダルカナルを行軍してる所を想像してみよう。
452日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:42:45
あとこの板で自演を問題視しても無意味だと思うぞ。
言う方も言われた方も証明する術がない。
453日本@名無史さん:2005/11/29(火) 22:36:08
基地外スレになってるな
454450:2005/11/29(火) 23:07:19
現代軍隊の「編成と指揮系統」を例に挙げている訳でガ島行軍とは分けて考えている。
小早川勢が松尾山を下って部隊を展開するのにさすがに3時間は掛かるまい。

455日本@名無史さん:2005/11/29(火) 23:14:34
頭がおかしいと指摘しているのはガダルカナル行軍と関ヶ原行軍を一緒にしている所だ。
456日本@名無史さん:2005/11/29(火) 23:35:03
今東照軍鑑による三河時代の徳川氏の職制と家臣
団の構成を見ているが、だから何だって感じだな。
457日本@名無史さん:2005/11/29(火) 23:55:36
歴史群像による実地調査で三時間かかる。
これはまぁそうですかと。
しかし九時に下山を始めたというなら、それを裏付ける史料がないと何とも言えない罠。
458日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:42:52
>>457
その実地調査で三時間と言う話から既に捏造ですから
459日本@名無史さん:2005/11/30(水) 02:27:20
>>458
どうでもいいよ。
九時に動いてたら他の話が噛み合わなくなるような。

>>432のように軍隊を例に上げるのは全然問題ないと思う。
結構当てはまる部分もあるのでは。
しかし>>447の言うように実際にどうだったかを調べないとなんとも。
史料勉強しないで軍隊の話してもそりゃ結論は出ない罠。
460日本@名無史さん:2005/11/30(水) 09:19:38
歴史群像の資料だと、大谷隊の側面を攻撃するコースを小早川が
取った場合、その移動が東軍の部隊からはほとんど視認出来ないと
書かれている。その結果、東軍前線の兵隊からすれば、『小早川が
ぐずぐずしていたから、酷い目にあったんだ=小早川は裏切りだ。』
という話しになって、それが一般的に流布したのではないかと推測している。
つまり、大谷隊に小早川勢が襲い掛かったのは、正午よりかなり早かったが、
大谷隊の事前準備の陣の突破にてこずり、ようやく東軍前線兵士に視認できる
場所まで出てきたのが正午頃だったと言うのが事実に近いのでは?
辻褄の合わない話しではない気がするぞ。
461日本@名無史さん:2005/11/30(水) 09:59:03
連絡将校がいたんだから寝返りを決して出陣した時点で
家康や黒田に連絡飛ばしただろ
常識的に
462日本@名無史さん:2005/11/30(水) 11:05:50
連絡将校を飛ばしたんだとしても、正しいことを連絡するとはかぎらない。
463日本@名無史さん:2005/11/30(水) 12:09:33
なんで味方に嘘報告するんだよ
464日本@名無史さん:2005/11/30(水) 14:01:26
味方のフリをしてるってこともある。
家康も90%は確信していても、裏切ると見せて実は....
ってなことも頭に入れていただろう。
465日本@名無史さん:2005/11/30(水) 21:24:45
>>460
東軍の位置からは小早川勢の行動が見えなかったと言う事ね。
確かに松尾山城や大谷陣の山中は遺跡調査でも、かなり本格的な陣跡が見つかってるし
佐々部一斎留書でも「柏原と山中との間の関所の峠左右へ取上り、城の如くに普請これ有り御陣取り候」と
あるから、突破に時間かかったとも考えられる。

でも、それならば戦後にいつ頃から行動したのか弁明しないものだろうか?
数ある関ヶ原関連史料で、関ヶ原合戦以前から小早川が東軍に通じてるというのは東西両軍で
周知になってはいたとはあるが、それでも小早川が合戦での返忠をかなり後としてはいる。

まぁでも小早川勢の行動を正午辺りとしてるのは軍記だけで、その他の史料では
明確な時間経過を書いていないので、午前9時に始まり正午に小早川勢が動き、
午後2時に終了という流れ自体違っているのかもしれないけどね。

使者に関しては、14日に松尾山城に小早川が入ったのは、以前から使者を送っていた家康が
清洲から岐阜を越え、大垣周辺に出てくるのを知ってと考えられるし、小早川としては
自分の行動を逐一家康へ報告はするだろう。
ましてや黒田からは目付までつけられてるのだから、黒田を通じて家康へ状況報告が入らない訳がない。
ならば、家康としては当初から行動で示せとなるだろうし、小早川も散々使者送ったにも関わらず
追い返されてるので、行動で信頼を得るとなる訳で、それが14日の松尾山占拠であり、
合戦中の大谷攻撃ではないのだろうか?
それを合戦最中に使者のやり取りで、再確認するのだろうか?

どちらにしろ、もう少し検証の余地ありかな。
466日本@名無史さん:2005/11/30(水) 21:58:39
解説乙
467大和天狗:2005/11/30(水) 22:00:23
本物の基地害は俺様と弟子なんだぜ
つまり
ダース・シディアスとダース・ベイダー
よ・き・か・なーーーーーっア〜〜〜〜〜ッハッハッハッハッハ----
468日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:13:36
この戦いに負けたのはすべて毛利が悪い。
大将以下、家臣が何もしないで終わったのはもうバカとしか言いようがない。
広家なんぞ早くブチ殺して前に出て戦いやがれ。
輝元も大坂城に立てこもってないで戦えよ。
と、関が原という言葉を聞くと時々、こう思う。
469日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:41:51
>>464
東軍の目付けが小早川の陣中にいるのですが。

そして目付けがいた以上実際にはもっと早くから攻撃していたのに、
東軍から見えなかったため、なかなか参戦しなかった、
日和見していたと思われてしまったという考えは全く現実味がない。

もちろん、目付けが参戦の報告を怠慢していたとか、
何らかの理由を考えようとすれば不可能ではないが、
そのようなことを証明する、或いはせめてそのように類推できる根拠がなければ、
到底説得力のある説とは言えない。
470日本@名無史さん:2005/12/01(木) 00:40:09
目付けが参戦を促しても、動く潮時は我らに任せろと動かなかった。
471金吾秀秋:2005/12/01(木) 00:52:50
目付けちゃんはカルピス飲んでお昼寝してるよ(´・ω・`)
472日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:52:05
>>469
確かに石田、徳川の両者からの目付けがいたようだ。
473日本@名無史さん:2005/12/01(木) 03:08:29
関ヶ原の戦の所要時間は6時間だったかな?
霧靄で前方の敵が見えなかったらしいな!

今も関ヶ原あたりは霧靄になる。
474日本@名無史さん:2005/12/01(木) 03:34:22
>>472
西軍からも目付けが行ってたとは知らなんだ。
合戦前に三成と平岡頼勝が会談はしてる。
475日本@名無史さん:2005/12/01(木) 07:54:45
>>470
無論そんなところだろう、
具体的な状況はともかく、直ぐには動かなかったというのが一般的な話。
実は開戦後比較的早くに動いていた、なんていうのは、
トンデモ以外の何物でもない。
476日本@名無史さん:2005/12/01(木) 10:55:24
西軍の目付けがいたという資料は、まともな物にはないはずで、
小説かなんかの俗説。居たというのならソースきぼん。

大体、軍陣に敵味方双方の目付けが同時に存在できると思うか?
477日本@名無史さん:2005/12/01(木) 10:57:22
>>469
目付けが居ようが居まいが、東軍前線の兵士には関係ないでしょ?
彼らには小早川がぐずぐずしていたと映って、それは裏切りに逡巡した
せいだと彼らによって流布されるというのは、あると思うよ。

そりゃ、家康を含めた高級指揮官クラスは事実を知っていたにせよだ。
関ヶ原合戦後、50万石も小早川に加増しているのは、家康が
その成果を高く評価している証拠だと思う。


478日本@名無史さん:2005/12/01(木) 12:07:11
小早川が早々と寝返ったのなら
大谷隊は横槍食らいながら前面に押し出してたのかよ
もはや吉継の軍才は神の領域だぞ…
479日本@名無史さん:2005/12/01(木) 13:45:48
当日の大谷隊の具体的な戦いぶりは、『奮戦した』という事
以外に詳しくはわからない。横槍を受けながら押しでたと言うのも、
うそとも本当とも言えない。

恐らく、圧倒的な大軍と乱戦になり、とにかく戦うだけ戦ったの
だろう。ここが先途と心を決めていただろうからね。
関ヶ原にある吉継の墓には、今も線香の煙が切れる事はないそうだ。
合掌。
480日本@名無史さん:2005/12/01(木) 17:04:26
>>459
> >>432のように軍隊を例に上げるのは全然問題ないと思う。
> 結構当てはまる部分もあるのでは。

問題大有り。つーか、あなたがそう考えてること自体が>>432の術中にはまってるんだよ。
一つも当てはまるところなんかないよ。全部思い込みの産物じゃないか。
481日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:12:11
で、ひたすら史料嫁と。
編成や指揮の話は進まないから置いとこう。
482日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:52:38
>>477
秀吉に減封されたのを入れても50万石も加増されて無いだろ
483日本@名無史さん:2005/12/01(木) 19:49:39
>>477
ほう、兵士たちの噂話の方が、首脳部の認識よりも歴史に残ると?

まあ、あるいは、そういうこともあるかもしれないが、だいぶ不自然な話だろう。
いずれにしろ積極的にそのような説を支持する根拠は何もない。
484日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:17:13
>>472
どうも「石田、徳川の両者からの目付けがいた」を調べても出てこないのだが。
黒田から派遣された大久保猪之助は名前も見受けられるが、石田・徳川の目付の存在を確認できないのだが。
485日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:24:41
徳川の目付けとしては奥平貞治がいたよ。
ちなみに大谷隊との戦闘で死亡している。
486日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:38:15
奥平貞治は秀秋の目付けではありません、大谷隊との戦闘で死んだのも違います。
軍記大成みたいな軍記だけでなく、他の史料も読みましょう。

彼は福島隊や藤堂、京極隊などの目付衆の1人で、その中で討死してます。
487日本@名無史さん:2005/12/01(木) 21:40:45
徳川は偵察隊のお話があったな。
秀秋が動かないと報告して家康の指示で鉄砲を撃った。
488日本@名無史さん:2005/12/01(木) 21:53:50
>>486
それはどういう史料に書いてあるので?
489日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:06:44
奥平家譜、大垣藩地方雑記、庵主物語、関ヶ原記。
軍記大成でさえ、奥平貞治は最初は福島隊などの一番備の目付とされてるけどね。
大成では、秀秋の催促に行って松野主馬の軍勢を譲られて突撃して死んだというトンデモ話に豹変してるが。
490日本@名無史さん:2005/12/02(金) 00:04:27
とりあえず中公新書の関ヶ原合戦/二木謙一\740と
朝日新聞社のフィールドワーク関ヶ原合戦/藤井尚夫\2000読んどけば大外ししないよ。
参謀本部の日本戦史関原役はネットで見られる。

飽き足らなかったら参考文献に当たればいいんじゃない。
491日本@名無史さん:2005/12/02(金) 02:17:06
三成が10時過ぎに狼煙を上げていたとすると、それまでは小早川が行動を
起こしていなかったということだろう
三成は希望的観測で小早川や毛利が東軍へ攻撃をしてくれる可能性を信じ
狼煙を上げたと取る以外に狼煙の合図を送る意味がなくなってしまう
小早川がそれまで動いていなかったとすれば、その狼煙の合図で毛利が
動くかどうか様子を見守る可能性が高い
とすると少なくとも11時くらいまでは動いていないということになる
三成が本当に合図の狼煙を上げたのかどうかはわからんが
492日本@名無史さん:2005/12/02(金) 08:16:36
左近の屁かもしれないし
493日本@名無史さん:2005/12/02(金) 11:33:43
三成がのろしを上げた事を証明する史実はない。
これは小説とか俗説に出てくる話。

きちんとした資料に出てこないので、事実ではない可能性が高い。
大体、前日西軍撃退して松尾山に陣取る小早川に狼煙上げてる様では、
まあ、負けるのは当然かと。
494日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:18:19
飛躍してますなぁ
495日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:32:00
もうこうなると関ヶ原の戦い自体あったか怪しい
捏造かもしれん
そもそも三成が存在したかも(ry
496日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:55:14
戦で合図の狼煙を上げるのは常識。だから書かれていないと思われ。
497日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:55:53
三成は生き延びた光秀であったとか
498日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:41:11
合戦中、色々な連絡事項で狼煙を上げるのは事実だろうが、
それが小早川の裏切りの督促用の狼煙なのかどうかはわからない。
従って、狼煙その物は小早川の行動の検証には使えない。

494や495は飛躍だ怪しいだいうなら、これらの事実を否定する
明確なソースを出すべき。
伊東正盛(西軍)が小早川に松尾山を追い出されているのは、
明確な事実。
499日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:45:01
小早川が三成に味方したら、三成も持ちこたえたろう。
500日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:53:18
500
501日本@名無史さん:2005/12/02(金) 16:56:15
んだとー
ソースソース言うなら違うと証明できるソースだせや
502日本@名無史さん:2005/12/02(金) 17:08:55
>>480
禿同。>>432は史料どころか小学校一年生の国語の教科書すら理解できないレベルだと思われ。
>>432みたいな池沼はとりあえず百年ロムれ。
503日本@名無史さん:2005/12/02(金) 22:26:47
>>502 それは言い過ぎ。お前みたいなのが居たら、
せっかくの議論が台無し。
うせろ。
504日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:15:29
>>503
>>502は小学校一年生どころか3歳児とどっこいだから
505日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:24:37
506大和天狗:2005/12/03(土) 00:24:40
狼煙はケムリなんだぜ
オマイラより3歳児の方がマシかもしれないンダぜ
オレ様は疲れているんだぜ

やっぱり金吾チャンの方が上手い
507日本@名無史さん:2005/12/03(土) 03:06:54
狼煙はうんこ
508日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:46:14
家康公の率いる三万の軍勢は天下無敵! むしろ東軍の豊臣大名が全滅してからが本当の勝負。
それがわからないのはモグリだね。>>432!おまいとかのことだよ。(w
509日本@名無史さん:2005/12/03(土) 20:17:24
家康は実は関ヶ原の戦いで戦死してた、という説があるらしいですが
それについて詳しい本教えてもらえませんか?
510日本@名無史さん:2005/12/03(土) 20:35:17
「説」にはなってないだろw
511509:2005/12/03(土) 20:36:03
えっ、単なる妄想ネタなんですか?
512日本@名無史さん:2005/12/03(土) 21:16:57
>>509-511
それって説でもなんでもなく、
単なる隆慶一郎の小説「影武者徳川家康」の中の話しだろ。

家康が幼少の頃に小坊主と入れ替わったとか
大阪の陣で死んだという説なら、
一応は「義経=チンギス説」とどっこいの珍説・奇説としてあるんだが。
「関ヶ原で死んだ」というのは隆の小説にしか出てこない話しだろう。
513日本@名無史さん:2005/12/03(土) 21:20:33
一応、小説を通して新説を主張するケースもあるが
隆慶一郎はそんな事を言っていない。
家康が幼少の頃に入れ替わったと主張する「史疑徳川家康」とか「家康に影武者がいた」という話しを元に
単に小説としておもしろおかしく書いただけ。

あと「妄想」ってのも違う気がする。
「小説」は架空の話しではあるが
「小説」を「妄想」とは普通言わないだろう。
514金吾秀秋:2005/12/05(月) 02:55:41
実は、漏れ様も、幼少の頃に入れ替わったんだぜ(´・ω・`)
515日本@名無史さん:2005/12/05(月) 08:13:18
東軍はなんで島津に逃げられたの?
516日本@名無史さん:2005/12/05(月) 17:04:20
そりゃ東軍の将兵も疲弊してたからな。一応追っかけてはみるが、未だ余力のある島津勢の決死の逃走には
手を焼いたんだろうな。痛手被るほどしゃかりきに追っかけたのはイケイケ馬鹿の井伊直政ぐらいなんじゃないの。
と適当に答えてみる。
517日本@名無史さん:2005/12/05(月) 19:29:16
>>512
いや確かそういう説はあったはず。
徳川幕府が出来てから将軍秀忠が関が原近辺(どこか忘れた)の某寺に
極秘に参っていたという話があるそうで・・

家康が事前に死んでいたとしたら久能山から日光へと移したりする
行為にも含む点がでてくる罠。
 
518日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:03:54
自分の存在意義を確立するためにくだらない新説を無理矢理こじつけてでっちあげる歴史研究家は全員生き埋めにすべき
オマエラも珍説奇説の類をいちいち相手にするな
519日本@名無史さん:2005/12/06(火) 08:22:12
>>515
島津は前進逃走する時に「旗を巻いていた」そうで、
東軍の多くがてっきり味方だと思ってたんじゃないの?

それと島津は別に東軍をぶち抜いて退却したわけではなく、
後方が撤退する西軍でごった返して渋滞してたために
敵のいないとこをコソコソと旗を巻いて逃げただけ。
西軍を追撃する東軍と後方の徳川隊の間に大きな間隙が開いてたからね。

井伊がそれを見つけて追撃したという事。
520日本@名無史さん:2005/12/06(火) 08:47:07
逆に井伊は凄いな
521日本@名無史さん:2005/12/06(火) 09:19:16
実は井伊には戦術眼が無かったんじゃないか?
522日本@名無史さん:2005/12/06(火) 09:58:20
抜け駆けを小部隊でやったけど、部隊の大部分は後方にいたので疲れていなくて
余力があっただけでしょ。
それに前線部隊は十分に戦功を稼いだけど、後方部隊はそれがないので敗走追撃
という、前線での首取りよりは格落ちするような仕事でも稼がなきゃいけない
必要性があった。
敗走する西軍の追撃に参加したのは、ほとんどが後方勤務部隊。
前線部隊はつかれきっているし、戦功報告などでそれどころじゃない。

それに、井伊と彼が支援する松平忠吉は、家康の跡目は狙えないまでもとりあえず
アピールしておく必要があったからね。
点数稼ぎに必死にならざるをえない事情があった。
523日本@名無史さん:2005/12/06(火) 11:09:41
井伊は必死だったのか
524日本@名無史さん:2005/12/06(火) 13:28:28
必死すぎて結局自滅するんだよね…
カワイソス
525日本@名無史さん:2005/12/06(火) 15:32:58
正則も秀秋も必死だったろうなぁ
526日本@名無史さん:2005/12/06(火) 23:29:23
井伊に取って忠吉は娘婿だから、その初陣を華々しく飾ってあげようと
しただけだろう
527金吾秀秋:2005/12/07(水) 04:40:43
必死だったんだぜ(´・ω・`)
528日本@名無史さん:2005/12/07(水) 09:57:11
話しは戻るが、三成は9月14日に小早川が松尾山を占拠した段階で、
小早川を軍議を行う為と称して大垣城に呼び出したが、小早川は応じな
かった。それ以前に既に内応の噂があったから、何度も本人を呼び出そうと
したが、(呼び出して幽閉しようとしたという話しが多いが、真偽は不明)
小早川は病とかなんとか称して、応じていない。

本来、松尾山は毛利の本軍を入れる計画で、かなり前より松尾山城として、
強化工事がなされており、合戦当日には立派な城塞と化していた。
しかも大垣城の後方連絡線上の重要な策源地でもある。
そこに9月14日に潜在的敵性勢力である小早川勢が入城。(この時点で
以前の状況から9割方東軍と見なすべきだろう。)しかも
西軍伊東正盛隊を追い出して。

西軍にとって、合戦当日小早川が味方に付くというより、どちらにも
つかないで動かないで欲しいという願いだったのじゃないかと思う。
これでも東軍に対して、かなり劣勢だが、事前構築していた陣地で
何とか踏ん張れると思っていたのかもしれない。

いずれにせよ、合戦当日西軍勝利の可能性は10%以下と思う。
529日本@名無史さん:2005/12/07(水) 11:12:20
井伊かっこいい
530日本@名無史さん:2005/12/07(水) 13:37:54
陣地を構築したといっても前々から関ヶ原に居た大谷隊あたりしか実際は大して作ってなかったそうだぞ
石田などの陣地にはあまり遺構が見られなかったらしい
531金吾秀秋:2005/12/08(木) 02:57:16
松尾山のお城はかこいいんだぞ(´・ω・`)
532日本@名無史さん:2005/12/08(木) 16:08:28
陣変えした吉継が元居た陣はどうなったんだ?
533日本@名無史さん:2005/12/12(月) 16:06:40
age
534金吾秀秋:2005/12/13(火) 02:59:39
>>532
そんなとこでうんこしてないよ(´・ω・`)
535日本@名無史さん:2005/12/14(水) 22:35:37
>>489
>軍記大成でさえ、奥平貞治は最初は福島隊などの一番備の目付とされてるけどね。

これは間違い。

関原軍記大成巻之二十四「内府公岡山御出馬」
「此時、奥平監物定勝入道道久が五男、奥平藤兵衛貞治を、筑前中納言秀秋の陣所に遣さる。是は秀秋裏切りの時、戦功を糺し給はん為の御目付なり」

東軍の陣立てを記した部分のすぐ後に明記してある。
536日本@名無史さん:2005/12/16(金) 11:09:26
松阪城って西軍に落とされたんですか?
古田重勝はどうやって関ヶ原の本戦に参加したんですか?
教えて下さい
537日本@名無史さん:2005/12/17(土) 22:56:39
関ヶ原まで西軍を追ったのは東軍の致命的なミスだよな。
持久戦で秀忠軍の到着や敵の寝返りを待っていれば勝ち目はあがり、
たとえ負けても惨敗の危険は少ない。
関ヶ原で西軍に包囲されたせいで、敵の寝返りが無ければ全滅必至という危機的状況に追いこまれてる。
538金吾秀秋:2005/12/18(日) 04:04:07
家康を負いこんだんだぜ(´・ω・`)
539日本@名無史さん:2005/12/18(日) 11:41:41
>>536
松阪城も安濃津城も落とされていない、富田も古田も分部もみんな関ヶ原で戦ってる
540日本@名無史さん:2005/12/18(日) 11:51:38
>>537
西軍の布陣がちゃんと完了する前に関ヶ原に先着して追撃戦にでも持ち込んでいればと妄想してみるが
結局西軍に出し抜かれた形となった
541日本@名無史さん:2005/12/19(月) 00:47:31
>>536
松阪城はどうやら落とされていないようだ。

ttp://www.matsusaka.ne.jp/sakura/history/rekisi-3.html
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai94.html

あと、関ヶ原本戦に参加したのは古田重勝ではなく、茶人として有名な古田重然。
542金吾秀秋:2005/12/19(月) 01:34:19
寒いね(´・ω・`)
543日本@名無史さん:2005/12/19(月) 11:44:28
>>537
致命的ミスではまったくない。既に小早川が東軍についていたのが、
14日の時点で明らかで、西軍の伊東正盛を追い出して松尾山を占拠した
という事は、逆に西軍が袋の鼠になった事を意味する。

西軍は単純に東軍に追撃されて崩壊したに過ぎない。
その意味で三成はボンクラ。
544日本@名無史さん:2005/12/19(月) 12:05:20
あんな大軍に寝返られたらどうしょうもないな
秀秋を丸め込めなかったあたりが限界といえばそれまでだけど
545日本@名無史さん:2005/12/19(月) 14:27:13
>>541
あれは古田織部だったのか
じゃ今までの関ヶ原の資料はみんな間違ってたわけね
546常陸介:2005/12/19(月) 18:28:48
関ヶ原で死んだ説を去年テレビで見ました
547日本@名無史さん:2005/12/19(月) 20:15:03
>>543
追い出した、という表現を使うと、
いかにも勇ましく、あたかも東軍側についているように聞こえるが、
後世になって稲葉が自分の裏切りを糊塗するためにそう主張したに過ぎない。
548日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:27:04
>>543
結果を知ってる今だからこそそう言えるが、
小早川が松尾山を占拠したこと自体が、東軍を釣り出そうとした策略の可能性も考えられた。
もしそうだったならば東軍は完全に負けていた。
小早川の動きに全ての望みをかけるなんて、ベストな戦略だったとは思えない。
もしそれがベストだとしたら、よっぽど家康は必死だったと見え、
そこまで追いこんだ三成は、とてもボンクラなどではない。
549日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:41:42
小早川秀秋が、家康も三成もやればよかったのに・・・・

小早川が天下統一してたらおもしろいのに・・・・・・
550日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:58:03
>>545
参謀本部の日本戦史で古田重勝(1020人)を
関ヶ原の東軍兵力にカウントしているから、
その影響だろうな。
551日本@名無史さん:2005/12/19(月) 23:07:48
家康は秀秋が東軍につくのをかなり信用していたと思うよ。
伏見城攻撃では確かに敵対的な行動を取ったが、
その直後に謝罪の手紙をよこし、以後まったく西軍として動かず、
14日には具体的に松尾山すら占拠し、なにより小早川の陣中には黒田家の軍艦すらいた。
信じる根拠は十分にあった、もちろんリスクはゼロには出来ないが、
戦でリスクをゼロにするなんてのはもともと不可能だから甘んじて受け入れるべきレベルだ。

ところが肝心の当日には、土壇場で関白という破格の条件を出すという、
三成の一種の策略と、眼前の戦いで思いのほか西軍が健闘しているという状況のせいで、
この期に及んで秀秋は迷ってしまった。
つまり、まさにゼロに出来なかったそのリスクが顕在化してしまった。と。
このことは家康を不用意だったと責めるよりも、
むしろ策略面・戦術面での三成及び西軍の大健闘を褒めるべきだと思う。

つまり、家康も三成も少なくともけして、ぼんくらなどではなかったと言えるだろう。
552金吾秀秋:2005/12/20(火) 02:59:15
家康は必死で、三成はぼんくら(´・ω・`)
553日本@名無史さん:2005/12/20(火) 03:04:12
小早川頼み。
554:2005/12/20(火) 13:06:45
大谷吉継は小早川の裏切りまでは予測してたが.脇坂.小川.赤座.朽木.の
小大名勢の反転までは予測せず.破れさった。
吉継の与力の大名.平塚為広も戸田盛政 も吉継同様本当によく戦った。
吉継の戦意が高かったのはわかるとしても.この2大名がなぜ.こんなに勇戦
したのかわからない。わけ教えて.エロい人。
555日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:10:40
秀吉って本当人望(というか豊臣政権体制自体もろいけど)ないんだなー。
大谷さんでさえ、最初東軍に付こうと思ったぐらいだしな…。
やっぱ晩年が悪かったか。
556日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:44:38
>>555
別に毛利&三成=豊臣方で東軍が反秀吉ってわけでもないしな
そんなこと言ったら信長って・・・
557日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:02:32
反秀吉というと吉川ぐらいか?
黒田なんて如水は秀吉が死んだ途端浪人雇うし。
東軍の殆どが石田嫌いという皮肉。

織田は異常だよ。荒木、松永(これは例外か)、明智とまぁ3度も
謀反にあうんだから。3度目の正直で死んじゃったけど。
558日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:51:20
信長とスターリンって、どこか似てる気がする。
ただ、信長は日本人で、スターリンより猜疑心が小さかったんで、
畳の上で死ねなかった。

作戦上では特に名作戦家ではなく、失敗も相当している所も
共通点。部下の支配の仕方も同じ。裏切りが多いのも共通。

物量で力かませに押し切るのが基本というのも同じ。

スターリンって、信長の生まれ変わりだったりして。
559日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:52:44
????
生まれ変わりとか信じてる人?
560日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:53:36
スケート信成に髭つけてみる。
561日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:55:47
謀反くらいこの時代にはどこの家にもある事だろう
それがあるからって人望が無いと結論づけるのはどうかと
関が原は反秀吉というよりむしろ秀吉並みの強力な中枢を求めた結果と
考えた方がいいかもしれない
562日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:01:37
信長・家康は存命中に何度か家臣が造反・出奔してるが、
秀吉の場合生前誰かに裏切られたことあったっけ?
563日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:51:13
age
564日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:13:33
別所長治?
565日本@名無史さん:2005/12/21(水) 19:44:17
むしろ秀吉が裏切りの連続だったわけで
566日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:35:06
>>562
・・・佐々??
でもあれは違うよな。

豊臣秀吉も武功夜話じゃ
ものすごい書かれですな。
凡愚って秀秋じゃあないんだから。
567日本@名無史さん:2005/12/22(木) 08:35:00
佐々は秀吉の家臣になったことはないよ
568金吾秀秋:2005/12/22(木) 17:45:56
まったく、凡愚なやつはイヤだなぁ(´・ω・`)
569日本@名無史さん:2005/12/22(木) 19:20:45
関が原の後
本当の石田三成は徳川家康の指示で徳川四天王の一人
榊原が客人としてかくまっていたという説があると
最近知ったのだが・・なぜこういう説が出るの?
570日本@名無史さん:2005/12/22(木) 20:06:25
そんな説きいたことないな。

小説とかに影響されすぎじゃね?
571日本@名無史さん:2005/12/23(金) 00:03:06
>>567
あほ?
572日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:25:23
age
573:2005/12/23(金) 12:22:25
>>555 刑部は.家康と上杉の和睦を目的に東軍に参加しようとした。刑部と
直江なんか馬があいそうだが。
574金吾秀秋:2005/12/23(金) 17:53:06
実は、漏れ様も、刑部や直江と馬が合うんだぜ(´・ω・`)
575日本@名無史さん:2005/12/23(金) 22:12:27
秀頼自身(若いから無理だろうが)が出陣したらまた違って面白かっただろうに。
なんか西軍は勿体無いなあ。
576日本@名無史さん:2005/12/23(金) 22:14:24
 関が原で敗戦しても、総大将の毛利中納言は大坂城にいる訳だが、「秀頼
を担いで篭城戦じゃ」とすれば、豊臣恩顧の大名達も攻撃をためらうよ。
 
577日本@名無史さん:2005/12/23(金) 23:06:24
そもそも毛利家のいない軍議で勝手に関ヶ原で戦うのを決めといて
後になってから参加しないと文句をいう資格はない
総大将を差し置いて一部将にすぎない三成が決めたことに従えといのは筋違い
むしろ南宮山まで来てつきあってくれたことに感謝すべきだな
578日本@名無史さん:2005/12/24(土) 03:05:46
>>作戦上では特に名作戦家ではなく、失敗も相当している所も
>>共通点。部下の支配の仕方も同じ。裏切りが多いのも共通。
桶狭間長篠があるだろう。
どこが似ている
思いつきでいうな はげ
579日本@名無史さん:2005/12/24(土) 03:33:44
>>578
信長は、少なくとも謙信のような100戦100勝のような武将ではないよ、
斉藤義龍にも及ばなかったくらいだ。
桶狭間は窮鼠猫をかんだら、たまたまうまくいったというだけ。
580日本@名無史さん:2005/12/24(土) 07:49:55
徳川側についた武将
伊達・
石田側についた武将
581日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:55:46
信長は大坂野田での戦いもそうだし、朝倉攻めでもそうだが、
潜在的敵性勢力を軽く見すぎて攻撃され、あと一歩の所でやられる
所だった。敵側にマインシュタインやロンメルみたいな奴がいたら、
一溜まりもなかったと思う。桶狭間はかなり運が良かった部分があるし、
(義元が仮に生きて帰ったら、その後はああは簡単にいかないはず。)
長篠は単に物量で圧倒した戦いに過ぎない。(鉄砲があそこまでなくても、
恐らくは勝利していた。)

当時の武将としては兵站ロジスティックや武器の新機軸の導入、
総合的な戦略部分では飛びぬけているが、戦術家としてはむしろ平凡。
同数同戦備で戦うと家康には勝てなかったと思う。
潜在的敵性勢力に対する油断は最後まで払拭されず、
本能寺を迎える原因になったと思う。
582日本@名無史さん:2005/12/24(土) 10:47:10
桶狭間はともかく長篠の戦は単に物量による勝利だからなあ。
583;:2005/12/24(土) 18:12:03
織田の師団長のうち.確かに.柴田と秀吉はタイプが違うが優秀だが.丹羽.
滝川.光秀.は凡庸とは言わんが.たいしたことないと思う。
584金吾秀秋:2005/12/24(土) 18:18:50
まったくたいしたないやつらだぜ(´・ω・`)

今からケーキ食べるからね(´・ω・`)
585日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:32:30
信長の戦は物量で相手を圧倒する作戦が基本。
桶狭間のときの恐怖が心に染み着いてたのかもね。
586日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:53:53
トラウマってやつね。

ところで金吾が加藤を助けたといわれているが
金吾は百姓や女子どもを殺しただけで実際に助けに行ったのは
立花統虎って聞いたんですが、本当かなー。
587日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:58:53
小早川秀秋って何気に凄くない?
家康から忠誠を行動で示せって言われたら、西軍の急所となる松尾山を抑えるし、
その結果三成から好条件も引き出している。
好条件をひきだしつつ、どっちについても勝ち組になれる立場をつくったなんて、
とても19の若造とは思えない。
588日本@名無史さん:2005/12/25(日) 01:42:52
どっちにつくにしろ即座に決断して、
最初からそちらにつくつもりでしたってことに出来ていればその通りかもしれないが、
最後の最後に躊躇して全て台無し。

意図的に好条件を引き出したというよりも、
思いもよらず出てきた破格の条件に心が揺れてしまって、
決断が遅くなり失敗したって処だろう。
589日本@名無史さん:2005/12/25(日) 02:01:57
台無しは赤座や小川じゃないか
寝返って、佐和山城まで攻めたのに改易。悲しすぎる
590日本@名無史さん:2005/12/25(日) 02:18:35
彼らは事前の根回しがなかったからな、
まあ、問題外。
591日本@名無史さん:2005/12/25(日) 02:23:09
小早川は狂い死にしなければ現実でも勝ち組ではないか。
まあ、裏切り者呼ばわりされたことと狂い死にに因果関係がないとは言い切れないが、
少なくともあったという根拠もない。
592日本@名無史さん:2005/12/25(日) 02:30:23
赤座は天狗党で子孫が有名になるからいいんじゃないの?
593日本@名無史さん:2005/12/25(日) 03:07:09
小早川は徳川ヤレばえがったのに・・・・・・・
秀秋
594日本@名無史さん:2005/12/25(日) 03:09:34
小川と赤座は徳川をやればよかった
595とまり:2005/12/25(日) 06:35:28
大阪生まれの西軍派からゆうと、せめて関ケ原の戦いまで五大老の一人、前田利家が生きていて、総大将を秀頼にし、打倒家康に豊臣恩顧が結集すれば勝っていたんだがなー…前田利家の死は痛たかった
596没個性化されたレス↓:2005/12/25(日) 06:52:49
利家生きてれば、関ケ原にはならんかったろ
597日本@名無史さん:2005/12/25(日) 16:58:09
秀頼が総大将なら、何もできなくなるが?
指揮できない
598日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:54:06
利家がもうあと数年元気だったら大阪方と伏見方に諸大名が分かれて第二の
山崎合戦になる予感。
599日本@名無史さん:2005/12/25(日) 18:04:35
織田信長の桶狭間の奇襲だが近年は信長公記などの研究から奇襲ではなく強襲説が
有力になってきたと聞いたが…。ちょっと手元にないが講談社学術文庫の
「信長の戦争」に桶狭間・長條合戦などについて書いてあり、成る程と思ったよ。
内容はうろ覚えでスマンところだが、通説に近いところは大雨で悪天候が少数の
織田勢に有利に働いた点で、たまたま信長が押し破った敵勢が義元先備でって
感じだった(マジでスマン)。
まぁ信長の基本戦略は米軍みたく戦略段階で敵方を圧倒する状況を作り出し、
敵勢より多勢に、強力に、より有利になるまで時期を待ち、潰しに掛かるって
やり方かと。天才というよりは「負けない戦争」の準備を粛々と進めるタイプ。
ヤバイと思ったら単騎でも逃げちゃうのは、ある意味「天才」かと。
600日本@名無史さん:2005/12/25(日) 18:59:19
>>599
桶狭間が「奇襲か強襲か」というのは、ここでは特に問題にならないと思うが。
奇襲であれ強襲であれ、押し寄せる今川の大軍に相当のプレッシャーを受けたのは変わりないんだから。
601甲斐犬:2005/12/25(日) 19:03:06
封建時代の内戦ちゅうのは、多数派工作が勝利のカギ。中小の領主をより多く、
より熱烈にまとめあげたものが、たいてい勝つ。
その意味で、関ヶ原は、封建時代の内戦の典型例。ただし、少数の熱烈な支持者
が多数の義理支持者よりも強いことはある。少数が多数を敗った戦いはこの側面が
強いだろう。
まっ、どっちみち、陣形なんかは、さほど重要では無い。
602日本@名無史さん:2005/12/25(日) 19:18:27
陣形は重要だろうが、関ヶ原に限って言えば
陣形がどうだというレベルの話ではなくなっているな
603日本@名無史さん:2005/12/25(日) 19:29:38
輝元も増田連れて関ヶ原にさっさと出陣すりゃよかったのに
大阪城には豊臣直轄軍だけで3万以上いるんだから
604日本@名無史さん:2005/12/25(日) 19:52:26
他の五大老を殺ったのは、半蔵でしょう。都合よく死にすぎ。
605日本@名無史さん:2005/12/25(日) 21:57:37
>>588
台無しじゃないよ。
あの時点でどっちにつこうが、勝利への貢献度は非常に大きいんだから、
戦後の論功行賞で無下な扱いは受けない。つか実際に受けなかったしな。

つーかそもそも、戦況が煮詰まる前に裏切っても、あまり効果ないんじゃ?
606日本@名無史さん:2005/12/25(日) 22:03:44
>>605
煮詰まる前でも戦果をあげたなら評価される

史実では一応戦果と判断されたんだろ
607日本@名無史さん:2005/12/25(日) 22:59:59
>>606
煮詰まる前に裏切っても、勝敗の決定打になりにくいって事。
早々に裏切ってそれなりに西軍に持ちこたえられれば、
他の将に決定打を持っていかれるし、最悪敗軍となる。
それより自らが決定打になったほうが、敗軍となるリスクは低いし評価も高まる。
608大和天狗:2005/12/26(月) 13:21:10
ケーキの残り食べたんだぜw
609日本@名無史さん:2005/12/26(月) 17:38:26
    , -.―――--.、
   ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
  .i;}'       "ミ;;;;:}
  |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
  |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|      __________
  |  ー' | ` -     ト'{    / 君たちは何故戦車の上に
 .「|   イ_i _ >、     }〉}   <  百貨店を作ろうとするんだね?
 `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、  .!-'     \
   |    ='"     |        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {
  丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ
''"〜ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-
   ヽ、oヽ/ \  /o/  |
610日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:46:08
ついに同士スターリン閣下の登場だぁ!
611日本@名無史さん:2005/12/26(月) 21:54:26
大野治長って本戦で東軍にいたんでしょ
西軍には豊臣黄母衣衆がいるから同士討ちじゃないの?
612日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:27:33
家康暗殺疑惑で関東に流されていたが会津征伐の前に許されて従軍して宇喜多家の鉄砲頭を討ち取ったらしい
元々関ヶ原自体同士討ちの戦いじゃないか
613日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:08:29
秀頼の親衛隊である豊臣黄母衣衆に攻めかかった東軍豊臣恩顧の武将達って逆賊にならないの?
614日本@名無史さん:2005/12/27(火) 02:17:57
みんな家康に踊らされていただけだと思うよ。
結局、東軍の豊臣恩顧の大名ってその程度の力(政治的にも石高でも)しか
無かったってこと。
前田利家が死んだ時点ですでに勝負は決まっていた。
615金吾秀秋:2005/12/27(火) 04:53:18
すでに決まっていたんだぜ(´・ω・`)
616日本@名無史さん:2005/12/27(火) 05:23:24
WOWOWアニメの影響か????????????
617日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:37:28
                ,. -‐==、、
             ,. ===、、       .  i       :::ト、
           _,/      `ヾ´´`ヽ、 ゚ .l ウォトカ:::ト、\ ウラーーーー!
           // ウォトカ::::/  :::::!===l      :::|ス. ',
             /./       .::::/トカ ::::l    |  __ ..... _::::|} ヽ l-、  
.           ,ィク ,'..__    .::::/    ::::l ウォl '´    `)'`ヽ ヾ;\
       /::{゙ ヽ、 ``丶、;/‐‐- 、::::l     `'::┬‐--<_   } ./;:::::\
     /::::::::!   ,>---‐'゙ー- ...__)イ ,. -‐‐-、ト、   |l::ヽ /;';'★:::\    
.     /|:::★;';'\/} (ヽ、  _/|   (´    _,.ィ!::ヽ.  ヾー'´;';';';';';';';';:: /ヽ、 
   / ,ノ:::;';';';';';';';';'/  /ヽ、二ニ-イ   ヾT ¨´ ,/;';';::`、. \';';';';';';';';';';〈::...


618日本@名無史さん:2005/12/27(火) 13:32:27
本戦で戦った筒井定次って唯一加増されてないんだな
なんでだろう?
619日本@名無史さん:2005/12/27(火) 14:23:04
おかしいね
悪いことはしていないはずだが
620日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:04:51
何処で聞いたか忘れたが留守中に居城の伊賀上野城があっさり落とされたから
621日本@名無史さん:2005/12/27(火) 22:16:42
もし、そうだとすればなかなかすごい理由だな
不甲斐ないからということか
622日本@名無史さん:2005/12/27(火) 22:53:28
大物では、筒井と細川くらいか?
623日本@名無史さん:2005/12/27(火) 22:56:31

 ┌─────┐
 |   ,,,,,,,,,,,   | ソビエト連邦最高会議では次スレ建立が
 |  [|,,,,★,|]  |  満場一致で承認された
 | (__・∀・) |  
 |/´~ V:V~ヽ.|
 └─────┘
            ,,,,,,,,,,     ,,,,,,,,,,,
            [|,,,★,|]    [|,,,★,|]
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          i^i ̄(iノ '^:^')  /~ : ~ヽ  [|,,,★,,|] \ 
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624日本@名無史さん:2005/12/28(水) 14:29:54
>>620
筒井は20万石だから6000人は動員できるけど実際は兵力の半分ぐらい率いて東軍に参加してるね
上野城には3000人ぐらい篭城してたのかな
だったら伏見城攻め、大津城攻め、安濃津城攻め並に有名になってるはずだけどな
625日本@名無史さん:2005/12/28(水) 17:18:01
筒井定次が加増なしだったのは
東軍を苦しめた島左近の件もあるんだろうね
幽斉、京極、富田は開城しても加増されてるもんね
基本的に家康に嫌われてるね
洞ヶ峠の語源になった大名だし
626日本@名無史さん:2005/12/28(水) 18:15:18
>>624
その筒井の兵力って旧参謀本部の日本戦史で石高9万5千石をもとに3人役にして出した数字だよ
9万5千〜20万と上下で倍も開きがあるんだが何故だろう
627日本@名無史さん:2005/12/28(水) 18:42:04
旧参謀本部は間違いが多いな
628日本@名無史さん:2005/12/28(水) 19:18:39
豊臣政権末期と徳川政権初期の国高

畿内
    豊臣  徳川
山城 225262 216070
大和 448945 444130
摂津 356069 290900
河内 242105 308850
和泉 141512 138700

東海道
伊賀 100000 95900
伊勢 567105 572700
志摩 17854 17800
尾張 571737 520000
三河 290715 350000
遠江 251160 280000
駿河 150000 172000
伊豆 69832 72000
甲斐 227616 240000
相模 194304 194000
武蔵 667126 840000
安房 45045 92000
上総 378892 378000
下総 393255 393000
常陸 530008 753000

筒井は9万5千石が正解でしょうね
寄せ手の摂津高槻城主新庄直頼は三万石で兵力は900人だから
3000もいたら落とせない
629日本@名無史さん:2005/12/28(水) 21:13:12
伊賀上野城でも攻城戦あったんか
知らんかった
630日本@名無史さん:2005/12/28(水) 21:42:30
>>629
畿内じゃ本多俊政の大和高取城も毛利輝元に攻められてるが最後まで持ち堪えてる
安濃津城、松阪城、長島城、竹鼻城は常識として
美濃の八幡城、福束城、高須城、駒野城、津屋城とか攻め落とされたのはあまり知られていないようで
残念だ
631日本@名無史さん:2005/12/29(木) 03:44:53
長島城って鍋島が包囲してたんだっけ?
なんか途中で父親からの命令で中立したとか聞いたけど
632日本@名無史さん:2005/12/29(木) 12:46:54
>>607
その場でのリスクは低くなるが、
それじゃあどちらが勝っても日和見していやがったと思われる。
それは長期的に見た場合得策とはいえないよ。

まあ、小早川には長期的な視点なんてなかったかもしれないが。
633日本@名無史さん:2005/12/31(土) 04:13:04
宇喜多も毛利秀元も北上せず鍋島といっしょになって長島城強襲して清洲目指せば
勝ったのにね
アホだね
634日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:47:01
三成の要請で美濃に呼ばれたんじゃないのか
ネットの掲示板で見た情報なんだが清洲を目指そうと言う原長頼と三成の要請そのままに美濃へ行こうとする伊勢方面軍の目付の長束正家とで揉めたそうだが
635日本@名無史さん :2006/01/01(日) 02:51:40
福島正則改易の理由のひとつに家康本陣に突撃してくる島津軍を
あえて交戦せずに見逃したことも理由のひとつだそうだ

家康は井伊直政が島津追撃の時に負った傷が元で数年後死亡したことを
随分根に持っていたみたいだし

島津の本当の怖さを知らない徳川譜代の武将達もどうかと思うけどな
636日本@名無史さん:2006/01/01(日) 03:00:21
>>633
その時点の清洲城にはかなりの兵力がいたから難しいのでは
包囲してると西上してくる家康3万の軍勢に挟撃され
かえって殲滅されるかも

それより三成は東軍が反転してくる前に速攻で清洲を落とせばよかった
留守居しかいないから石田と小西の軍勢だけで十分やれたはず
初手から間違ってるわな
637日本@名無史さん:2006/01/01(日) 08:24:36
>>636
小城じゃないから、石田・小西隊だけでは簡単に落とせないだろ。
638日本@名無史さん:2006/01/01(日) 09:41:22
三成が大垣城に入ったのが8月10日、東軍先発隊が清洲城に入ったのが8月14日。
移動に費やす時間も考えれば城攻めに使えるのは3日間のみ。
守将がアホなら岐阜城のように2日間で陥落って可能性もあるが、まあ普通は無理だわな。
石田・小西隊のみでは兵力も1万強くらいだし。
もし城攻めをしていれば、その最中に東軍先発隊3万余に攻撃されて壊滅って落ちになっただろう。
639金吾秀秋:2006/01/02(月) 00:19:25
まったく、岐阜城の守将はアホだなぁ(´・ω・`)
640日本@名無史さん:2006/01/02(月) 09:33:45
清洲の留守居が西軍に城を明け渡すかどうかで揉めたと以前読んだ記憶が
あるけれど
鍋島は長島城を抑えるという理由で大垣へ行かなかった希ガス
641日本@名無史さん:2006/01/02(月) 20:21:42
平塚為広って凄かったの?
642日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:34:01
清洲明け渡しを断固として拒否したのは大崎長行だな
平塚は戸田勝成(重政)とともに病の大谷吉継に代わって大谷隊を指揮していたと聞くから凄いんじゃないの
643日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:11:53
信長の桶狭間強襲説は怪しいね。一番、恩賞を受けたのがなぜか
義元をうちとった男ではなくて簗田政綱になっている。
簗田政綱の功績は義元本陣の位置をさぐりだして知らせたこととされている。
他はどんな恩賞の理由があると考えられるだろうか。義元をうちとったので
この戦いは信長の大勝利になった。そのことに関係する大手柄でなければならない。
やはり奇襲説が正しいだろう。
644日本@名無史さん:2006/01/03(火) 04:47:00
>>595
秀吉が特定個人に依存する政治システムをつくったのが問題だよな
逆に、なぜ家康がつくったシステムは家康死後も機能したんだろ
645日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:12:01
>>644
徳川は幾代に渡る地縁血縁の裾野が広い。
のみならずリーダー不在で他国に隷属した経験を持ち
そのなかで徳川を守り立てないと己と己が家は盛り立たないという意識を持った
連中が中核に強固に固まっていった。
 主君個人というより徳川という家への忠義と結束を持つ人材が多くいた。
それに家康は子供にも秀吉よりは数と才能の面で恵まれていた。

加えて家康は歴史などに造詣が深く緻密に万が一のことを配慮した
体制を生きている限り作り続けた。

アリとキリギリスの寓話のようなもんかな。二人の生き方を見ると
646日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:22:56
>>644
秀吉が陽なら
家康は陰。

家康はいまの中国共産党の組織的統治、隣組的統治をおこなったわけだ。
秀吉は個人的すぎる 夢のまた夢の世界に生き死に、そして奪われた。
647日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:23:53
はっきり言って、江戸時代は日本の汚点。
648日本@名無史さん:2006/01/03(火) 14:59:07
豊臣政権が存続していたら、黒船の頃にはとっくに大東亜共栄圏ができてたろうに
649日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:08:25
関ヶ原後、池田輝政が姫路52万石の藩主となるが、息子忠継が備前28万石、
同じく忠雄が淡路6万石、輝政の弟長吉が鳥取8万石を与えられ、池田一門で
西国に100万石近く領有することになる。

しかし、忠雄の没後、光仲と光政が領土を交換するかたちで転封になったとき、
おたがい32万石くらいになっているので合計しても60数万石。

この差額の石高はどこにいったんだろう?
650日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:22:34
さすがに釣られる馬鹿はもういないか。
651日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:56:13
ちょっと考えてみる。

西国将軍・池田輝政の時代、一門で支配してた総石高は100万石というが、
姫路52万石、備前28万石、淡路6万石で86万石。
これに弟長吉の鳥取8万石を合わせて94万石だが、これは計算に入るのだろうか?

輝政の死後、長男利隆が姫路藩主となった際、10万石を弟忠継に譲っているが、
これは兄から弟への移動だから、一門の総石高が減ったわけではない。
さらに備前の忠継が急死したあと、弟の忠雄が備前を相続したが、このとき淡路の
6万石は没収されたのか?

さらに姫路の利隆の死後、遺児光政が鳥取に移封になった際、幼少を理由に10万石
減封されているので、ここで総石高は減っている。

まとまると、
輝政時代 姫路52+備前28+淡路6
利隆時代 姫路42+備前38
光政時代 鳥取32+備前32+備前の支藩
652金吾秀秋:2006/01/03(火) 19:45:43
岡山城(´・ω・`)
653日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:03:08
家康の婿、外孫とかいっても、ことあるごとに領土削減されてるな。

忠雄が兄の相続したときに淡路を取り上げたり、光政が相続したときに
10万石取り上げたりと・・・

徳川縁故の家で、とくに罪もないのにカワイソス・・・
654金吾秀秋:2006/01/03(火) 23:42:53
まったく、かわいそうなやつだなぁ(´・ω・`)
655日本@名無史さん:2006/01/04(水) 03:16:19
家康の250万石の内訳いえる人いる?
656金吾秀秋:2006/01/04(水) 04:13:30
江戸城(´・ω・`)
657日本@名無史さん:2006/01/04(水) 21:50:06
――--.、   \     ウ  ,,,,,,,,,,,,,   |~~|ウ ,,,,,,,,,,,,,   |~~| /
リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ  \    ラ  [,,|,,,★,,|,]  | |ラ [,,|,,,★,,|,] │ /     ウォッカ マダー
    "ミ;;;;:}    \  │ ( ・∀・)/ / │ ( ・∀・)/ /          ,,,,,,,,,,,,,,,
 , _,,,..、  |;;;:|     \   /|\/|  /  /|\/|   /  ☆ チン  〃  ミ,,,,,,,,,,,,;;ミ
 ヒ''tュ_  i;;;;|      \ / |~~|:~~ /  / |~~|:~~  /     ヽ ___\(\´_>`)
 ` -     ト'{       .\ |  |:  |    |  |:  /          \_/⊂ ⊂_)_
_ >、     }〉}・         \     ∧∧∧∧ /         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/| 
|;|||llii;;,>、 .!-' <同志よ      \   < 予 ロ >        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
='"    |                \<    .シ >         |  毛    蟹   .|/ 
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――――――――――――――― <    の >――――――――――――――――――
NASAの科学者たちは10年の歳月と < !   >    | |                 `ヽ/「ワ,|
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                      /            \   /l l 、      ,/ ├‐'゙
                     /  п           \.ノr'  レ ヽ¬、,,.... -‐   |
  一方ロシアは鉛筆を使った  /  (`Д) 溜めんな クソ ! \ヽ,,,,,r''´     ノ    |  
658日本@名無史さん:2006/01/05(木) 05:27:24
毛利秀元・吉川広家・長束正家・安国寺恵瓊は八月五日に伊勢入りしているから
東軍が戻ってくるまでに伊勢攻略と清洲城攻略はできたはず
戦犯はこいつら
659日本@名無史さん:2006/01/05(木) 19:46:00
その九日後には東軍先鋒が清洲についているから、時間的に不可能だろう。
660日本@名無史さん:2006/01/06(金) 04:47:33
age
661日本@名無史さん:2006/01/07(土) 04:16:30
>>659
全部空城同然なんだから楽勝で落とせる
662日本@名無史さん:2006/01/07(土) 09:11:16
>>661
いや、全然そんな事ありませんが、
実際の攻略も何日もかかっているし。
663日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:31:12
>>658
西軍の毛利秀元・吉川・長曾我部ら30,000余は8/5に伊勢入りしたとはいえ、それは
東軍の安濃津城攻略の為である。当時伊勢は小身の大名が多かったが交通の要衝である
安濃津城に富田信高・分部光嘉・古田重勝ら2,000弱が篭城し8/24に陥落。
つまり、東軍の東海道諸隊の清洲城入り前での攻略は不可能という事になる。

ここで>>658氏の意見を拡大解釈して迅速に尾張清洲を突くことを考察すると
2,000弱の安濃津城にはとりあえず長曾我部の6,000余を備えに残し、8/6以降に
北上し伊勢の西軍勢力である氏家行広・滝川雄利・岡本宗憲らと合流する。
尾張・伊勢国境の長島城には福島正頼の篭る伊勢長島城があるが福島正頼は所領は
わずかに1万石で、氏家・滝川・岡本の諸将が2,000弱の手兵があることから彼等に
備えを任せ、毛利秀元ら本隊は清洲を短兵急に突くという手も無いことは無いが…。
後方に2個所も敵方拠点を残しての用兵は、あまりにリスクも大きい上に、上記の
作戦を取っても清洲攻略に使える日数は2、3日あるか無いかのタイミングだ。
東海道を馳せ下ってくる東軍も長島城包囲と清洲急襲の報は船舶によっていち早く
伝えられる可能性もあり、東軍が進撃速度を速めれば伊勢西軍の時間的猶予は殆ど
無い、という事になろう。
結論としては、少々無理な作戦・展開で考えても清洲奪取は困難であると言える。
664日本@名無史さん:2006/01/08(日) 02:37:28
根本的に勘違いしているな
富田も分部も古田も福島正頼も福島正則らといっしょにいるんだから
楽勝で落とせるだろ
665世界@名無史さん:2006/01/08(日) 18:12:28
毛利軍が家康軍の背後を突けば西軍の勝利だったんじゃないのかな?
666日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:42:18
たぶんね。でも長期戦になると、秀忠軍がくるからわかんないな。
667日本@名無しさん:2006/01/08(日) 18:51:35
>>666
毛利と同じ南宮山に布陣した長宗我部の土佐兵6千が戦わなかったことは、
実にもったいない。土佐兵は精鋭といわれていて、大阪の陣では、藤堂高虎軍を
ほぼ総崩れにさせているくらいだ。
毛利と長宗我部が一斉に山を降りて、徳川本陣を突けば家康は討ち取られたと思う。
668日本@名無史さん:2006/01/08(日) 19:13:47
山内一豊が食い止めるから無理。
669日本@名無史さん:2006/01/08(日) 20:28:07
吉川広家さえいなければ西軍が勝っていたよ。
670日本@名無史さん:2006/01/08(日) 22:47:39
富田信高・分部光嘉・古田重勝・福島正頼らって小山にいたの?
いつ伊勢に帰ってきたの?
671日本@名無史さん:2006/01/08(日) 22:48:56
家康も関ヶ原だけは、命がけだったろう
672日本@名無しさん:2006/01/08(日) 23:05:39
>>670
富田信高も可哀相だよな。坂崎出羽守の妹が自身の妻だから、
徳川に味方して小山から伊勢・安濃津城に篭り、わずか2千の兵で
毛利の大軍3万と戦ったのに・・・

坂崎家の内紛に巻き込まれ、坂崎出羽と対立して、
領地没収の憂き目を見るとは・・・

673金吾秀秋:2006/01/09(月) 00:16:40
>>669
漏れ様も、そう思うよ(´・ω・`)
674日本@名無しさん:2006/01/09(月) 00:32:23
石田三成の長男・石田重家が104歳まで生きたといわれていること。
びっくりしました。
675大和天狗:2006/01/09(月) 01:13:27
金吾ちゃん前程忙しくないみたいだ
676日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:47:28
>>664
実際に落せなかったのに何を言っているのやら、
富田信高らは西軍の攻撃が始まる前に居城に帰ってきていたはず。
677日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:33:32
清洲がどうこうなどというのは、戦略全般を見れば大した
問題じゃない。それより三成が馬鹿なのは、上杉討伐に向かった家康が、
上杉と全面戦闘状態になってから挙兵しなかった事。そうすれば西に
向けられる兵力は相当減ったはずで、(何しろ白川近辺の上杉勢は7万
近かった。)西軍は戦略的挟撃体制が取れて有利になったはず。
挙兵のタイミングが早すぎる。
678日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:51:32
そこで伊達政宗ですよ!
679日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:45:00
また出たな、三成の挙兵のタイミングが早すぎたというレス。
もう何度も何度も否定されているというのに。
680日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:34:47
三成の西軍の実態とは豊臣家の正式許可を得た家康を主将とする上杉討伐軍の軍勢の
一部を畿内において毛利中納言・宇喜多中納言らの書状によって家康討伐の軍勢と成した
というものである。
上杉氏と家康が確実に開戦するまで待っていては、これらの軍勢はどんどん関東に行軍
してしまい、西軍勢力の必然的減少を招く。
実際には上杉と家康は開戦こそしなかったが関東・奥羽の東軍勢力を拘引せしめ、東軍に
第2戦線を強要したことで一応の戦略的目標は達したと評価して良いのでは、と思う。
681日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:38:41
>>677
1.西軍は家康に従って上杉攻めへ参加する予定の軍勢を、
関所を封鎖してなかば無理やり自軍に組み込んでいる。
挙兵が遅れればそういう連中が関東に行ってしまうので兵力が集まらない。

2.そもそも上方、大坂城内それどころか西軍陣中にすら家康派が多数いるので、
謀議を行った後挙兵を遅らせていては計画がばれてしまう可能性が極めて高く、
計画が出来たなら出来るだけ早く挙兵する必要があった。
682日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:00:23
>>677 自分も昔はそう思ってましたよ^^:。
しかしながら、挙兵が遅れたらどうなるか。
立花宗茂・小早川秀秋・宇喜多秀家・吉川広家・長宋我部・大谷などの第二次会津部隊までが、
家康のほうに流れます。つまり三成はこれらの部隊を大坂に集めて挙兵した。
もし遅れていたら、挙兵自体できません。
むしろ挙兵が実際より早かったら有利になってます。上手くやれば福島・黒田などを無理やり西軍にできたかも・・・
683日本@名無史さん:2006/01/10(火) 00:33:39
>>682
福島・黒田らは殺したいほど三成を憎んでいたからさすがにどうだろう?
というか、それらの連中は家康と同じかそれ以前に関東に向かっていたのでは、
家康はそこら辺は抜け目ないですよ。
684日本@名無史さん:2006/01/10(火) 03:03:11
>653
>とくに罪もないのに

つ荒木又右衛門のあだ討ち事件
685日本@名無史さん:2006/01/10(火) 09:08:47
上杉が血迷って最上なんかに攻め入るからなぁ〜。
関東に全軍で攻撃を集中していれば、展開は変わったかも。
毛利も上杉も諸事受身で戦国大名とも思えん有様。
この2つの大名が積極果敢じゃなかった事が最大の敗因。
686日本@名無史さん:2006/01/10(火) 09:58:31
「三成が」挙兵するなら、あのタイミング以外に無いと思うけどな。
三成だって自分の忠義示さねばとも思うし、あの時、三成の他に合戦まで
漕ぎ着けられる人間が他にいるとも思えないし。実際に家康を討ち取れる
可能性も多いにあったんだから関ヶ原は真っ向否定はできない。
それ以外に、どう家康を阻止すればよかったのだろうか。
まぁ、関ヶ原で勝ったことで家康の天下取りがグンと近付いたのは事実だろうけど。
687日本@名無しさん:2006/01/10(火) 10:25:45
三成は、島津をしっかりと味方につけるべきだった。
島津軍が1万余ほど関ヶ原にいて、全力で戦ってくれればなーーー。
688日本@名無史さん:2006/01/10(火) 11:51:35
>>682
大筋で同意だが

立花宗茂
宇喜多秀家
吉川広家

彼らは西軍であろう


大谷

大谷はほっておけば東軍というか上杉征伐にいくが
三成が頼めば死んでくれるかも
689日本@名無史さん:2006/01/10(火) 17:31:41
上杉は東北勢の抑えとしていい働きしただろ。関東いったって家康たちに緊張を与えるのは出来るが留守居の軍がたくさん居るんだから関ヶ原がもし半年くらいの長期戦になったとしても攻略は無理だろ。

でも東北で最上倒せば日和見の伊達も味方につきやすくなり短期間で東北を統一できそうだったんでは?そして背後の敵を無くしたところで東北の勢力を呑み込んだ大軍を率い西上してやれば良い形になる。
690日本@名無史さん:2006/01/10(火) 17:40:26
>>689
家康に長期緊張を与えるだけでも良いのでは?東軍諸将にも不安が募り士気ダウン西軍に優位な状況ができるだろ
691日本@名無史さん:2006/01/10(火) 17:45:29
だがまあ長期戦略にするには三法師ちゃんが岐阜でしっかりしてくれんとな^^
692世界@名無史さん:2006/01/10(火) 17:47:53
家康軍の背後を毛利軍が突き、前方を小早川軍が突く!
693日本@名無史さん:2006/01/10(火) 18:36:00
突けないよ。それより西軍が東軍先鋒到着時に攻めかかるのはどうだろう?
694日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:12:00
>693
当時の日本人はそういうやり方は嫌いなんじゃないかと思う。
実際、戦いが始まる前でも相手にも分かるように合図をして
から軍事行動をとった。
到着時に攻めかかるのは西軍全部が協力していたかは分からない。
家康と密約していたから。
もしそれで決着をつけるには他の軍は無視して家康軍の
横っ腹を突けばいいかな。
695日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:13:50
家康と密約していた西軍武将がいた。
696日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:29:14
>>694

>当時の日本人はそういうやり方は嫌いなんじゃないかと思う。

いや、アナタこりゃ買被り過ぎでしょ。隙があれば突っ込んでくるだろw
当時、双方夜間行軍の上、天候不良や明け方の霧で敵味方の状況がサッパリだったんで
みんな状況がはっきりするまで動けなかっただけだ。
697日本@名無しさん:2006/01/10(火) 20:15:47
>>691
織田秀信(三法師ちゃんw)も、なぜ西軍に味方したのか不思議だ。
織田家の天下を豊臣家に奪われ、豊臣恩顧の石田・福島・加藤以下の禄高(岐阜13万石)
にさせられたのに。

698日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:17:10
江戸の留守居部隊はせいぜい数万で、2線級部隊だから、上杉が
本気で攻めたら結構良い線いったと思うぞ。関東全般見れば5万程度は
居た様だが、2線級には違いない。
699日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:51:32
空城の安濃津も長島も清洲も楽勝で落とせてたのに
なんで落とさなかったんだろうね
落としていたら勝っていたのに
西軍ってアホだね
700日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:52:25
関東の守備に5万もいたら上杉勢5万への押さえとしては十分すぎるくらいだな。
積極的攻勢に出る必要はなくただ守っていればいいだけなんだから、
もっと少なくてもいいくらいだ。

というか、上杉が南下すればよかっただなんていうのは、
結果を知った我々だからこそ言えることだよな。
関が原の合戦がたった一日で終わるなんて、当時はほとんど誰も思っていなかっただろう。
長期的視野に立ってみれば、上杉の取った戦略は決して間違いではない。
たった一日で敗退した上方勢が情けないだけ。
701日本@名無しさん:2006/01/10(火) 21:04:52
西軍には常陸の佐竹義宣54万石がいるだろ。
兵力は1万3千くらいかな。
佐竹があやふやな態度ではなく、
挙兵して江戸を襲撃する「ふり」でも示せば、
おもしろいことになったかもしれん。



702日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:38:48
というか、そういった動きを全部見た上で
家康は関ヶ原で決戦にむかったのだが?
703日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:54:29
もう少し(2日くらい)決戦(関ヶ原)を遅らせれば、大津が落ち、立花宗茂等15000と田辺城の
小野木公郷等20000が到着していたのに。
704日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:55:49
上杉景勝と佐竹義宣が本気で江戸をとればよかったんじゃない?
705日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:56:29
特に積極的で、武勇も兵力もある、立花宗茂と毛利秀包が到着できなかったのは致命傷。
この2人だけでも居たら、小早川を返り討ちに出来たはず
706日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:10:42
石田三成も西軍武将達ともうちょっと心を通わせなければならない。
そうすれば西軍武将達にも同情が起こったりするかもしれないのに。
707日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:15:14
>>706 三成が皆に毎日手紙を送る。
三成「ヤッホー 小早川君!!」「病気って聞いたけど大丈夫??」
秀秋「まァね^^:」
三成「無理しないでね。でもちゃんと戦ってくれよ(o'u≦o)b 」
秀秋「( -ω-)ンー   うん・・・・」
三成「関白にしてあげるから頑張って!!」
秀秋「うそ!!! 分かった頑張る」
三成「期待してるよ!!」
みたいな・・・・
708日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:32:05
>706 たしかに石田三成は憎まれていたからな〜。
西軍武将達と本気で心を通わせていればよかったかもな。
709日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:35:40
中間管理職の悲しい定め・・・・
したから(武断派)から報告を偽っていると疑われ、しまいには暗殺されかけた。
しかも秀吉を一番に思う三成は、秀吉の暗い部分を全て背負った   悲しい
710日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:12:14
>>699
空城ではなかったからです。
711日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:13:59
>>693
東軍の先鋒が清洲に到着した段階で、
美濃に展開していた西軍よりも兵力が多くなっているから、
攻めかかったら普通に壊滅したでしょう。
712日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:16:49
>>688
他はともかく吉川が西軍?
それに、宇喜多も立花も挙兵の計画を早くから知っていたわけではないので、
放って置いたら関東に行ってしまう。
そうなったら、その情勢で西軍にはつけないでしょう。
713日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:20:20
>>698
最上も抜けなかった上杉が?
714日本@名無しさん:2006/01/11(水) 00:16:07
何とか前田利長を途中で寝返らせれば、三成は勝てたかもしれん。
(母親が徳川の人質であることは知っているけど)

家康が美濃国に入った頃、前田・丹羽・大谷連合軍2万余で突然挙兵。
越後の堀秀治を牽制しつつ、信州の真田昌幸相手に混乱気味の秀忠軍を撃破する。(毛利元就と尼子晴久の安芸郡山城篭城戦を参考)
その後関ヶ原に向かうふりをして、常陸の佐竹義宣と手を結び、宇都宮ついで江戸城を攻め落とす。
伊達政宗を懐柔し、上杉景勝を江戸に迎え、6万の大軍で一気に東海道を進み家康を挟み撃ちにする。

江戸城陥落時に、秀頼が福島・浅野・池田宛に徳川追討の密書を送れば
なお効果的。

715日本@名無史さん:2006/01/11(水) 00:28:54
長いものに巻かれろが信条の前田家にそれを期待するのは無茶。
716日本@名無史さん:2006/01/11(水) 00:34:16
>>712
関東に行っても西軍につけるよ

家康が放置すればだが
717日本@名無史さん:2006/01/11(水) 00:54:23
>696さんの、隙があれば突っ込んでくるというのは、
もし明るくて天候もよいとき、戦いをする合図もしないで一気に
攻めかかるということですか?当時の日本人は武士道精神が強く、
そんなことしないと思いますが。
718日本@名無史さん:2006/01/11(水) 02:06:29
>704
江戸取るにもまず最上を何とかしなきゃいけない。
719日本@名無史さん:2006/01/11(水) 02:16:58
>>717
アナタの言う武士道とは江戸期に入って確立された『現代的理解』としての武士道。
1600年当時は戦国時代の武士道だよ。「主を七度替えて一人前」の言葉がまだ生きている
時代。正々堂々正面からとは江戸期の葉隠か源平の昔かハリウッド的な武士道だ。
だいたい太閤秀吉がどういう方法で天下平定したか知った上でモノ言ってんのかね。
自分だけのイメージだけで書き散らしちゃいけないな。もう少し本を読もう。
敢えて噛み砕いて言うならば安土桃山・織豊時代の武辺と江戸期の侍じゃあ
現代の「スポーツ武道」と「古武道」くらいの差はある。スポーツ武道とは文字通り
「スポーツ」。つまりスポーツマンシップのフェア精神。古武道とは云い返れば
「相手の戦闘力を効率的に制圧する技術」だよ。
現代では師範にもよるが古流では稽古中に隙を見せればエライ事になる。オレも昔とある
古流を学んでいた際にヤレヤレと思って気を抜いて太刀収めたら小太刀投げられたもんだw

余計なことも書いたが、江戸期と当時の武家気質や教育にも相当差があることは三戦板で
さえ常識だろう。
とはいえ江戸期も末期になれば実際斬り合いも増えてまたやや実践的になる。新撰組の
戦闘方法の3対1で合い向かう方法は米軍の対ゼロ戦と同じで、自己の損害を抑えつつ確実に
相手を仕留める方法でアナタのいう武士道でも騎士道でさえもないだろうが、命の遣り取り
してるのに合図なんぞしてられんだろう。
戦闘は勝てば良く、その方法論に美醜は無い。
720日本@名無史さん:2006/01/11(水) 04:31:00
>>707
三成「金吾様!!」「ご病気はいかがでしょうか??」
秀秋「ふーん(´・ω・`)」
三成「ご無理はなさらないでください。お元気になられたら何卒お願いします 」
秀秋「三成ちゃんもカルピス飲む(´・ω・`)?」
三成「ははぁ、恐れながら頂戴つかまつります。」「あぁおいしい」
秀秋「漏れ様の靴なめる(´・ω・`)?」
三成「ははぁ、ありがたき幸せ。」「ペロペロペロ。」
秀秋「まったく、三成はかわいいやつだなぁ(´・ω・`)」
三成「勝利のあかつきには、是非とも関白として天下を統べてください。」
秀秋「土下座する(´・ω・`)?」
三成「はい!! もう仰せのままに。」(土下座)
秀秋「三回回ってワンって言う(´・ω・`)?」
三成「それはもう喜んで!!」「ぐるぐるぐる ワン!!」
秀秋「そろそろあきてきたから、これでおしまい(´・ω・`)」
三成「えぇ?! そんな・・・」

みたいな・・・・
721日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:13:28
誰が誰やらわからんな。
722日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:21:45
石田と小早川の会話?
723日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:31:15
>717 戦いをする合図っていうのは正式に闘いが始まる
前や闘いが終わったあとにホラ貝みたいなものを吹くことって
いいたいの?
724日本@名無史さん:2006/01/11(水) 17:25:16
じゃあ宇喜多秀家は準備の整わない敵を倒そうとした卑怯者か。
725日本@名無史さん:2006/01/11(水) 19:24:42
命を的に殺し合いするのに「今から攻め寄せるよ〜」なぁんて悠長なことはありえん。
例外は倶梨伽羅峠の如き奇襲作戦の仕上げ段階で油断した敵勢の士気を徹底的に打ち
ひしぐ時だけだ。
>>717君は武士道というものを相当メルヘンチックに解釈した奇特な方だ。何を言って
聞かせても納得すまいよ。
これ以上この奇特人を責めぬが吉というものだ。
726日本@名無史さん:2006/01/11(水) 20:24:04
つか霧で見えんし、なんか発砲しはじめるし
家康も急に本陣前進するし
727日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:37:41
島津軍千六百人はいくらなんでも少なすぎ。
一万人は動員できたろう。
728日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:38:56
>>725
一般論としては、名乗りを上げなきゃ武功にならんよ。
いきなり混戦じゃ、死に損になっちまう。
729日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:41:25
>>727
同意。

三成は、せっかく「精鋭」といわれていた島津、長宗我部、立花を
味方につけたのに、うまく使うことができず「宝の持ち腐れ」にしてしまった。
730日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:45:27
関ヶ原合戦で、真田昌幸が幸村に数百の兵を与えて
石田三成に従軍させておけば、何かしてくれたに違いない。
731日本@名無史さん:2006/01/11(水) 23:51:53
>>727 島津家は反乱があったり財政難があったりで遠征する兵力をそろえることが出来なかった。
その上反豊臣の思想が強かった。
何故義弘が西軍(豊臣系)かというと、島津の代表として京や大坂にいることが多かったから
秀吉に可愛がられたから、義弘だけは親豊臣。
732日本@名無史さん:2006/01/11(水) 23:55:34
三成の所領が佐和山だけではなく、近江全土だったら、かなり変わっただろうな。
進軍楽だし、近江全体では78万石だから。
23000位は楽勝だろう。関ヶ原に近いし。
733日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:16:41
>>732
だろうな。
とりあえず三成に総大将になってもおかしくないだけの石高があれば良かった。
734日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:22:39
三戦版に(以下ry
735日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:26:46
>>734
堅いこというなよ。
日本史板と三戦板の関ヶ原スレ、両方ともお気に入りに入れてあるから区別付かんのよ。
736日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:04:28
>>728
名乗りってアンタねぇ源平の頃じゃないんだよ…。
当時は既に集団戦の時代だよ。「やぁやぁ我こそはどこそこの住人…」なんてやってる
やつぁいないの。鉄砲・槍衆の集団戦の中で後で論功行賞で詮議の為に意匠を凝らした
兜・指物・前立・陣羽織などが派手になったのがこの時代だ。
それに決定的なのはアナタの言ってるのは個人としての戦だろう。今、語られてるのは大軍
同士の合戦の話しだよ。肥の無双みたくゴッツイ強い奴が暴れまくるというフィクション
を語る場ではあるまい。
平安末期から織豊時代にかけての戦の変遷を見れば御理解頂けると思う。
737日本@名無史さん:2006/01/12(木) 06:33:04
>>736
注目を集めねば武功にはならんのだよ。
君のいっているような合戦は、桶狭間の奇襲などに限定されている。

ゲーム感覚でいるのなら三戦版に(以下ry
738日本@名無史さん:2006/01/12(木) 07:46:55
>>737
どうみても728の方がナンセンスだと思う
736の言い分は筋通ってるけどな。兜とかを派手にして他人とある程度区別出来るように
するのが桶狭間だけで使える戦法なの?奇抜な意見だネェw
739日本@名無史さん:2006/01/12(木) 10:10:53
>>729
島津は機嫌を損ねてしまった

長曽我部は東軍寄り
740日本@名無史さん:2006/01/12(木) 10:12:23
>>737
旗印とかあるし、戦後の首実検もあるよ
741日本@名無史さん:2006/01/12(木) 16:10:48
今年の冬くらいには一豊さまのかっこいい関ヶ原での勇姿が見えるんだろうな
一豊の関ヶ原があれなだけに、最後は全部奥さんの手柄でしたって結末になりそう。
鬼嫁とかそういうのに迎合して
742日本@名無史さん:2006/01/12(木) 21:46:35
>>739 長曽我部が東軍よりだって?!
会津征伐には行こうとしてたけど、東軍に入るつもりなんて無かっただろう。
大体その気があったら、さっさと東軍に付いてる筈。
その上、関ヶ原後、所領没収されてるし、大坂では中心核だぞ
743日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:04:17
>>742
東軍につこうとしたが、うまくできなかったらしい
外交下手
所領は大幅減封で済むはずだったが・・・・
744日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:05:22
>>741
どっちかが死ぬまで放映するのかね
それとも関ヶ原あたりで終了か?
745日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:20:50
毛利元就が関ヶ原の時生きていたらどちらに付いただろう?
746日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:59:36
それなら小早川隆景が生きていたifのことを考えた方が面白いんじゃないの?

まず間違いなく東軍につくだろうね
747日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:17:00
中立か西軍だろうな。総帥になんかならないだろうが、かなり活躍しそう。
元就自ら毛利の全軍を率いて(40000人くらい)真っ先に清洲を落とすだろう。
748日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:50:58
>>740
証言してくれる奴がいなければ武功にならんのだが。
749日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:56:29
>>748
首があってもだめか

だいたい誰か見てるんじゃないか
一人では戦っていないだろ
750大和天狗:2006/01/13(金) 00:39:40
いっいっいかん・・・ムムム
金吾ちゃんも俺様みたく忙しくて大変だね
失言だった、赦してくれ
そう、俺様がいつも弟子を許していた様に
751日本@名無史さん:2006/01/13(金) 00:50:35
今、NHKみろ!
752日本@名無史さん:2006/01/13(金) 01:00:47
加藤大名 福島大名
753日本@名無史さん:2006/01/13(金) 01:02:27
NHK?
754日本@名無史さん:2006/01/13(金) 01:33:46
終わりました。

その時歴史が動いた!

関ヶ原三成の側の見方
755日本@名無史さん:2006/01/13(金) 02:07:24
私は再起するつもりでいた
756日本@名無史さん:2006/01/13(金) 02:10:30
逃げ言葉だよ逃げ言葉(^_^;)
757日本@名無史さん :2006/01/13(金) 02:10:32
>>743
その説は聞いたことあるけど、家康は少しでも味方を増やしたいと思っているから、
長曽我部盛親が、家康と本多正信宛に密書and誓紙血判を送れば済むと思う。

758日本@名無史さん:2006/01/13(金) 04:06:28
関ヶ原の「戦術・戦略」について語らないか?
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1134184711/
759日本@名無史さん:2006/01/13(金) 12:26:56
>>757
いや少しでもという意識ではない
誰でもイイから少しでもと思っていたのは三成
760日本@名無史さん:2006/01/13(金) 15:55:42
>>757
そういうつなぎをつけるための使者が家康の下へつかなかったんだよ。
当時の状況では使者を送れば必ず相手の下につくってものではない、
そういうことが確実に出来るかどうかも、外交や策略が上手いかどうかの基準のひとだから、
長宗我部は外交が下手だったから東軍につけなかったといっても間違いではない。
まあ、単純に運が悪かっただけかもしれないけど。
761日本@名無史さん:2006/01/13(金) 19:34:51
>>746
>>小早川隆景が生きていたら、まず間違いなく東軍につくだろうね
そんな保障はない。あれほどの家康の横紙破りと横暴を見て毛利の行く末に
不安を募らせ一族を上げて西軍に加担する可能性もあるし、前田利家と連携して
家康を押さえ込んで関が原事態が起きないくらいに家康にダメージを与えておく
可能性もある。



762日本@名無史さん:2006/01/13(金) 21:53:35
>>761
小早川隆景が生きていたら、彼が加担した方が勝つ。
これは間違いないな。
となれば、現実主義の家康は、なんとしてでも隆景を味方につけるか、それが無理そうなら隆景の寿命を待つだろうな。
763日本@名無史さん:2006/01/13(金) 22:43:35
利家が生きていればという仮定がしばしばされるが
利家が死んだからこそ、前田を制した後に関ヶ原を開始した

大坂攻めも、清正らが死んだからという要素も大きい
正則は生きていたが
764日本@名無史さん:2006/01/13(金) 22:49:22
小西前線送りすぎたな
765日本@名無史さん:2006/01/14(土) 01:26:39
家康は敵の寿命を待って行動を開始するんだね。

毛利家が上杉家みたく本気になるようだったら、家康は輝元が死ぬのを待つのか?
766日本@名無史さん:2006/01/14(土) 05:59:48
状況が許せば生きていても行動するんじゃない?

前田が死んだから、次は三成と対立・失脚させ→上杉に因縁つけ→次は毛利というながれで
ことが進んでたよね。
(上杉を討伐して敵がいなくなったら絶対、遅かれ早かれ毛利にも因縁つけたよ)
767日本@名無史さん:2006/01/14(土) 06:40:58
上杉軍は、家康との決戦も辞さずとの高飛車な態度を
とっていたが、内実は徳川本隊が会津に入ってくるこ
とに怯えていた。

反転が決まったとき、上杉の軍勢は、歓喜の叫び声を
上げたといわれる。
768金吾秀秋:2006/01/14(土) 10:18:42
今日も寒いね(´・ω・`)
769日本@名無史さん:2006/01/14(土) 11:43:36
>反転が決まったとき、上杉の軍勢は、歓喜の叫び声を上げたといわれる。

へぇ、そうだったの。信憑性の高い史料が残ってるの?

770日本@名無史さん:2006/01/14(土) 11:54:04
そんな資料は残ってないが
まあ、全員が追撃を要求したわけでもないんだろ
771日本@名無史さん:2006/01/14(土) 13:43:07
最上と伊達がもっと野望を抱けば上杉と合流して、西軍と東軍に加えて北軍
ができあがったのに。北軍は南下し反応した秀忠軍を打ち破り江戸を攻める勢いで南下
家康は諸所のいなくなった江戸で篭城するか、内応の連携も完成しないうちに
西軍撃破に向かうのか。最悪、北軍に追いつかれて、敗北。西軍出る幕無し。
上杉・最上・伊達で奥州関東を制覇し、数年後大阪に謀反。
秀頼は幼く、指揮をとった三成も北軍に敗北。こうして戦国は終わる。
772日本@名無史さん:2006/01/14(土) 15:01:54
>>760
三成が佐和山に逼塞している頃は、家康が伏見・大坂城西の丸を掌握して
最高実力者になり、国政を堂々と指導していた。諸大名の挨拶もうけている。

長宗我部が徳川と接触できる機会は、三成挙兵前なら、いくらでもあった。
三成挙兵の前なら、一応天下はまとまっているから公の使者が殺されることは無いと思う。

773日本@名無史さん:2006/01/14(土) 15:49:46
>>772
いや、普通に挙兵後の話だけど。
長宗我部は挙兵計画自体知らないのだから、
そういうことになったらあなたに付きますよ、
なんて話が事前に出来るわけがありませんが。
774日本@名無史さん:2006/01/14(土) 16:14:55
あのな、東京関東圏>大阪関西圏>>>名古屋>>>>>>札幌、仙台、福岡>>地方都市

こんな感じなのよ。
いいか?東京、大阪は格が違うの大都会!
札幌のような小都会とは雲泥の差。
でもな、札幌のような小都会と地方都市との差はあまりないの!

これで分かるよな?
要するに札幌も東京から見れば田舎なの。

都会の高学歴でもまあまあオシャレだ。それは昔から都会は洗練されているからだ。
でも田舎の高学歴(駅弁も含む)=ダサイは自明の理。
どこの田舎でもそうだよ。

よし、結論は・・・・

はい、北大は田舎!
はい、北大は田舎の高学歴!
はい、北大はダサイ!

はい、正解!!!

こうゆうこと。反論できるかな?
775日本@名無史さん:2006/01/14(土) 19:36:28
>>765
輝元より秀元のがやっかいかとおもわれ
776日本@名無史さん:2006/01/14(土) 22:36:48
>>773
情勢判断できるのであれば、家康が何をやろうとしているか
ある程度推測できる
777日本@名無史さん:2006/01/14(土) 22:50:48
>>773
家康がいずれ豊臣家を討ち天下を取ろうとしていることは、勘がいい大名や
公家には、大坂城西の丸を占領された時点でわかっていたようだ。

778日本@名無史さん:2006/01/15(日) 08:40:23
何を根拠に、推測できるとか、わかっていたようだとか、言っているのか分からないが、
長宗我部にはそれが分からなかったってだけでしょう。

いずれにしても、東軍につこうとしたが上手くいかなかった、
という事実に変わりはない。
779日本@名無史さん:2006/01/15(日) 13:09:23
そんなに徳川家康が怖いのか?
780日本@名無史さん:2006/01/15(日) 13:26:10
家康は秀吉の朝鮮征伐の時から、天下取ろうと
企んでいたんじゃないの?だから家康は征伐に
加担してなかったとか?
781日本@名無史さん:2006/01/15(日) 13:38:58
島津軍10000位で家康本陣を急行突破していたら、
おもしろそうだな。
782日本@名無史さん:2006/01/15(日) 14:53:53
>>780
さすがに太閤が矍鑠としてた頃は、出征命令出てれば家康といえども逆らえないだろ。
徳川は朝鮮出兵に関しては後備を申し付けられていたはずだ。福島正則なんかも出征
していなかったはずだ。
783日本@名無史さん:2006/01/15(日) 15:32:44
なんで負けた大名たちを潰すんだ!!
家臣にすればいいじゃないか!!
だいだい家康は豊臣を滅ぼす必要があったのか!!
784日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:06:03
>>783
ネタだよね、これ
785日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:13:12
>>777
いやせいぜい鎌倉幕府における執権北条氏のように豊臣摂関家をお飾りにして
執権徳川氏が天下を動かしていくのだろう程度の考えだろう。
潰すつもりとは誰も考えてなかったと思われる。
>>782
いや、そこまで遠大な考えもってたか、アノ時点ではせいぜい
火の粉が飛び掛らないように戦々恐々として
ついでに状況を利用して「豊臣家の仮想敵国」からの脱却目指して
与党工作していたくらいだろう。
786日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:43:10
関ヶ原での跡継ぎ秀忠の軍事面での無能振りを心配した家康が、
自身が生存中の間に豊臣家を滅ぼそうと決意した、
というもっともらしい解釈を唱えてる人もいるね
まあ家康にとっての「決断の時」がいつだったかは今となっては知るすべも無いけど
787日本@名無史さん:2006/01/15(日) 18:52:34
そりゃ、光秀を倒すために出馬したが、無駄な徒労に終わり帰路に着いてる時だろ
788日本@名無史さん:2006/01/15(日) 21:06:09
158800人
141490人

 なんの戦いに動員された人数でしょう!!   
789日本@名無史さん:2006/01/16(月) 08:23:17
この人数にどれだけの石高必要なんだろうか
790日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:40:20
>>789 上が529万3333石 下は471万6333石
791日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:44:35
三成が武断派7将に襲撃された時ってまだ奉行筆頭だよね?(謹慎する直前)
だったら、まだ権力があるんだから、襲った武断派を処罰するチャンスじゃんか。
ついでにその7将以外の武将も処罰すれば武断派を一気に粛清できるではないか。
792日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:48:21
>>788
朝鮮出兵だろ。
>>791
奉行は、秀吉という大樹のもとで威力を発揮できると思われ。
この時は、内大臣・家康が国政の主導権を握っている。

793日本@名無史さん:2006/01/16(月) 22:30:24
>>792
家康が国政の主導権を掌握ってのはどうだろう。
太閤存命の間の五大老は特に目立った行政参与はあったっけ?
行政は太閤と奉行衆が掌握していたと思うけどね。
794日本@名無史さん:2006/01/16(月) 22:42:24
だから、秀吉死後のことだろ。
秀吉生存中の行政関与では、大坂城中壁書で五大老が署名している。
795日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:10:09
>>791
七将の襲撃はなかったという説を調べてみることを勧める。

清正や三災がそんな危ない行動に出るとは、俺にも思えん。
796日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:14:01
>>791
うんにゃ。奉行第四席。
797日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:44:13
>>795
そんなに危ないかね?

まあ暴挙だとは思うが
798金吾秀秋:2006/01/17(火) 00:12:49
まったく、七将の暴挙には、困ったもんだぜ(´・ω・`)
799日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:12:30
>>793
秀吉のしご五大老の前田利家が家や巣に対抗できる権力をもっていた。
しんでから襲撃されたからどうにもならんわな
800日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:13:49
801日本@名無史さん:2006/01/17(火) 17:10:32
野球のプロ野球も関ヶ原
802日本@名無史さん:2006/01/17(火) 17:11:39
野球のプロ野球?間違えた
803大和天狗:2006/01/22(日) 01:35:48
伸びんなコラ
804日本@名無史さん :2006/01/22(日) 08:42:41
三成の方は関ヶ原でたとえ勝って、家康を討ち取ったとしても
豊臣家は応仁の乱後の室町幕府みたいになってただけっぽい…
805日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:08:39
だから?
806日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:11:23
>804
何でそういえるの?
807日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:36:39
室町幕府みたいに、複数の強大な外様勢力が存在することになるからでしょう。
特に一戦で家康をしとめられなかった場合、ほぼ確実に長い内乱になるだろうから、
直接的に戦国時代に逆戻り。
808日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:55:20
もし家康が関ヶ原で敗れて、秀忠と合流して江戸まで
逃げ帰ったとしたらやはり豊臣家相手に徹底抗戦するだろうか?
史実で家康が毛利家や上杉家にした仕置(当主交代・大幅減封)程度なら
意外とあっさり恭順しそうだと思う
もちろん三成は反対するだろうけど
809日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:59:46
>>808
条件によっては抗戦だろう
特に大幅減封なら
当主交代ぐらいなら実害なしだから受け入れるかも
810日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:19:23
>>808
当主交代はともかく、減封は規模によるんじゃないかね。
秀忠不参加なら軍の主力は温存されているし、
上杉や毛利がやられたような6分の1なんて大幅減封まですんなり受け入れるとは思えない。

それなりの石高、例えば100万石以上とかを残した上で恭順すれば、
それは結局、有力外様勢力が残ってしまうことになり、
短期的には戦乱は鎮まっても、長期的には不安定化の一因になる。
811日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:36:19
関ヶ原の戦い後は毛利も上杉も戦力的にはほとんど無傷だったはずでは?
それに有力外様勢力が大量にあるのは大坂の陣で豊臣家が滅びるまでの徳川家も同じ
秀忠・家光の二代が有力大名の改易を断行したから幕府が安定したわけで、
西軍首脳が同じようにすれば全く問題はないと思うがどうか
三成にぴったりの仕事じゃないか
812日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:43:39
>>811
戦力的に無償かどうかよりも、現有戦力で抗戦できるかどうかが判断材料

家康なら抗戦するであろうし、他は屈服した
813日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:54:30
>>811
秀忠や家光が強権を発動できたのは、幕府の石高が圧倒的だったから
っていうのもあるよ。
逆に、豊臣家本体って石高が少ないからね。
そんな状況で三成が強権発動したとして、外様大名達がすんなりと
それに従うかどうか。
814日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:03:33
>>811
>>812さんの指摘の通り。
同様に主力の実戦投入がなかったとしても、そもそもの戦力が違う。

外様の改易も基本的に同様。
確かに江戸幕府も当初は外様は有力だったが、豊臣政権のそれとは規模が違う。
豊臣政権では譜代大名を含めない豊臣家だけの石高220万石程度に対して、
徳川250万、毛利120万、上杉120万、前田85万等々と外様の相対的な規模が大きすぎる、
徳川幕府では同様に譜代大名含めない徳川家の石高だけ600万石、
対する外様大名は前田家100万石が最大で他は大きな者でも5・60万石、
この圧倒的な勢力差があったからこそ徳川幕府は大規模な改易に踏み込めた。
加えて、幕府成立後12年間も家康本人がにらみを効かせていたのに対して、
関ヶ原後西軍が勝ったとしても豊臣家当主は幼児に過ぎないという事実は変わらない。

そんな情勢で、三成が無理に改易でもしようとすればそれこそ戦乱の火種になるだけ。
815日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:06:05
>>813
いや、秀吉は有力大名の減封や改易をよくやっている。

例えば、丹羽長重(120万石から4万石)、蒲生秀行(92万石から18万石)
織田信雄(120万石〜2万石)など。
816日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:08:20
というか、西軍が勝ったら、西軍総大将毛利輝元の存在が大きくなって、
豊臣家が直接的に勢力を伸ばすことは難しいだろう。
だといっても、輝元に即座に全国を統治するだけの気概と実力があったかというとかなり疑問。
多かれ少なかれ混乱は続くだろう。

徳川政権は唯でさえ強大だった徳川が、圧倒的勝利でさらに強くなったから、
強固な政権になったのであって、西軍が勝った場合に同じことを期待するのは無理だわな。
最終的にどうなるにしろ、もうひと波乱はあるだろう。
817日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:18:26
>>815
そりゃあ秀吉本人がいればねえ。
818日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:23:13
>>816
実際に関ヶ原で戦った宇喜多秀家(五大老での序列も上)と
何もしなかった毛利家との軋轢が生じるだろうね。所領も隣同士だし。
819日本@名無史さん:2006/01/22(日) 17:25:00
てすと
820日本@名無史さん:2006/01/22(日) 17:39:58
仮に徳川が滅亡したとしたら、再び戦国になるかも
821日本@名無史さん:2006/01/22(日) 18:00:43
西軍が勝ったら、年齢的に考えて伊達政宗が一番有利かな。
上杉と結んで、速攻で関東平野に繰り出すだろう。

黒田如水はもう年だし。
822日本@名無史さん:2006/01/22(日) 18:16:19
>>821
ただ政宗が旧領回復を優先すると上杉と対立することになる
秀吉はわざと火種になるような配置にしたようだ
823日本@名無史さん:2006/01/22(日) 18:38:44
>>822
それのせいで関ヶ原で上杉が江戸を襲えなかったのも皮肉といえば皮肉だな
まー、安全だと確信できるような隣人じゃないと東軍挟撃なんてできなかっただろうけど
824日本@名無史さん:2006/01/22(日) 23:13:59
仮想になってしまうが、上杉・伊達連合軍が成立したら
脅威だと考えたんだろうな
なかなか未来予想は難しい
825日本@名無史さん:2006/01/23(月) 00:20:10
ついにニューヨークでバッシング始まったぞ!

日本チームのため、そして伝説的なプレーヤーである王監督のためにプレーすることを拒否するのは、
礼節が重んじられる日本という国においてはあるまじき行為といえるのではないか。

The other players rejected requests to play for Japan and its legendary manager, Sadaharu Oh,
a seemingly dishonorable act in a country where honor is highly valued.

http://www.nytimes.com/2006/01/22/sports/baseball/22chass.ready.html


826日本@名無史さん:2006/01/23(月) 00:47:00
>>791
予断だが池田輝政はなんかの事件で三成のとりなしで助かった事があり、
三成には恩義まであったんだけどな。
もし七将の襲撃が史実なら池田はなにを思って三成を襲ったのか。
827日本@名無史さん:2006/01/23(月) 00:47:47
「予断」は「余談」のまちがい。
返還ミスしただけでえらく意味が変わるもんだな
828金吾秀秋:2006/01/23(月) 01:21:36
まったく、輝政の思っていることは理解に苦しむぜ(´・ω・`)
829日本@名無史さん:2006/01/23(月) 02:36:28
>>826
例の7将襲撃事件なんだけど、池田は襲撃事件には加わってない。
その前の石田三成の朝鮮の役での訴える7将には入っていたけど、
池田は一度も朝鮮の役に行かされていないらしい。
家康の命令で7将を煽ってただけでは?
830日本@名無史さん:2006/01/23(月) 02:54:52
三成訴追事件には入っていた、池田と加藤嘉明が襲撃事件では
いなくなって、代わりに藤堂高虎と蜂須賀家政が加わる。で七将。

固定メンバーは 加藤清正、福島、細川、黒田、浅野幸長。
831日本@名無史さん:2006/01/23(月) 07:10:28
>>830
襲撃が史実だとしても、七将が誰だったかは特定できない。
これは常識。
832日本@名無史さん:2006/01/23(月) 08:12:10
池田が三成の取り成しで助かったってなんだろ?
小牧長久手後の相続問題?
秀次事件?
833日本@名無史さん:2006/01/23(月) 08:21:48
輝政は城が作れればなんでもいいんだよ
834日本@名無史さん:2006/01/23(月) 08:31:48
へー、そうなんだ、納得
835日本@名無史さん:2006/01/23(月) 12:07:06
小早川秀秋って行動次第じゃ真田幸村の如く英雄視されたかもなと思う。
小早川が寝返らないでも東軍は勝ったと思うけど、1万の兵を寝返らせる事で
西軍勝利の可能性を消したという意味で東軍家康に大いに貢献したけど、逆にあの瞬間に
義父への忠節を選んで家康の本陣に幸村が如く突撃してればもしかしたら討ち取れたか、取れぬ
までも東軍を大いに混乱させて優性に持ち込めたかもしれない。それを見て観戦してた
軍勢が動けば総数では西軍が上回るし、陣形を見れば有利なのは西軍。好機であった点は

小原川隊が裏切る直前に家康は本陣をかなり前進させてたし、島津並の突進すれば射程距離。
東軍も2時間の接戦で疲弊し始めていたし。あと三成が松尾山に大規模な野戦砦を築いていたらしい
ので、それは正に大阪での真田丸の如き役割。突進で討たぬまでもその砦を使えば幸村並の活躍はできたかもしれん。
全ては夢のまた夢だけどな。
836日本@名無史さん:2006/01/23(月) 14:04:03
>>835 西軍優位とならば.吉川広家も動かざる負えなかっただろう
ね。
837日本@名無史さん:2006/01/23(月) 16:11:53
西軍が勝った後に三成になんで加勢しなかったのか攻められるしな。まさに金吾様の立場w
838日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:11:47
秀秋のやったことって、
賤が岳の前田利家と同じなのに、
その後の評価の違いはなんだろう
839日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:15:17
前田利家→まがりなりにも加賀百万石
小早川秀秋→しぼんぬ
840日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:20:43
前田利家は織田の旧家臣連中から嫌われていたよ。
特に嫌っていたのは丹羽長秀の息子の長重。
丹羽が死んだら、前田に所領取られたし。
江戸時代の大名の詰め所でも、あまりに仲が悪すぎて
丹羽と前田は同席させない決まりだったらしい。
841日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:36:22
>>840
丹羽長秀の所領120万石は、越前・若狭2ヶ国だろ。
前田家の所領にはなっていないと思うが・・・。
842日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:40:24
織田家中では丹羽のほうが格上だったのに、逆転されたから
根に持つのはわかるけど、

丹羽長秀が120万石(こんなになかったという説あり)を
もらったその年に死んで、息子は直後4万石くらいにされてるし
根に持つほど120万石に親しんでなかったと思うんだけど。
843日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:57:19
丹羽長重は、前田攻めのときには「ぜひ自分に先鋒を!」と
家康に嘆願していたのに、前田が徳川方につくと、
西軍に組した。よほど嫌いだったのだろう。

>>841
wikiに丹羽が加賀など123万石ゲットって書いてあったよ。

844日本@名無史さん:2006/01/23(月) 22:19:20
>>841
越前と若狭では100万石も行かないから、
多分加賀もあったのではないかい?詳しくは知らないが。
845日本@名無史さん:2006/01/23(月) 22:45:51
丹羽家の所領は南加賀2郡だ。前田家は、丹羽家の所領没収で加増されていない。

前田家の加賀国の所領は、北加賀2郡(石川・河北郡)。
丹羽家の加賀国の所領は、南加賀2郡(江沼・能美郡)。 
846日本@名無史さん:2006/01/23(月) 22:57:45
関ヶ原後の加増で、丹羽の旧領地を召し上げたのでは?
847日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:00:35
丹羽(長重)が前田を毛嫌いしていたのは事実だよ。
それが天下に聞こえて土井利勝が前田と丹羽の扱いについて
規定したくらい。
もし旧領をとられたことが関係でないとすると単なる嫉妬か。
織田時代は丹羽>前田だったのに、秀吉時代前田>>>丹羽に
なったことについて。
848日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:59:05
>>835
小早川秀秋が裏切らなかったら、東軍勝利はありえないと思うよ。
逆に、小早川が動かなくても西軍はいずれ勝てたと思う。
西軍主力約4万は高地。しかも陣を構えてる。
東軍がいくら正面から押しても崩れないと思う。東軍はあんな大軍で、関ヶ原の盆地に入ってしまったので、過密状態。
大筒でも打ち込まれたら大混乱になる。
小早川隊は側面から攻撃したから勝てただけで、正面から行ったら、膠着状態じゃない?
849日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:37:45
>>848
>小早川が動かなくても西軍はいずれ勝てた

普通に旗本3万を投入したら東軍が勝ってたと思うけど。
850日本@名無史さん:2006/01/24(火) 06:55:59
>>849
万単位で投入できれば有利だけど、個別投入しか出来ないだろう。
バラバラの軍隊は崩れるのも簡単。

家康隊3万は過大評価されていると思うぞ。
851日本@名無史さん:2006/01/24(火) 12:12:05
>>848
陣形は素晴らしくても、実際に戦ってた宇喜多隊らだけの形じゃ
せっかくの陣形の両翼が働かないから兵数で劣ればいずれ疲弊して後詰に潰されるよ。
三成が当初に計画したように、宇喜多小西大谷がせきとめて機を見て横槍で損害させる
のが戦法だった。でもその狼煙に答える隊も居なく実情は正面激突。
開始から二時間たっても攻めぎ合いしてるくらいだから、地の利も陣形も活用できてない。
852日本@名無史さん:2006/01/24(火) 13:15:37
>>850
なんで個別投入しかできないのか?
853日本@名無史さん:2006/01/24(火) 15:53:41
関ヶ原で一番俺が理解出来ないのは、関ヶ原合戦後、どうして豊臣家の
石高が220万石から65万石まであっさり減らされたのかということ。
豊臣恩顧の大名連中がどうしてこれを黙って見ていたのか。
また、一応家康は豊臣家の御為という大義名分にて戦を行ったはずではなかったのか?
あまりこの件について触れている本がないので、わかる方教えて頂けませんか?
854日本@名無史さん:2006/01/24(火) 16:48:10
家康が豊臣の領地を
関ヶ原の功労者に勝手に分け与えたんでしょ
関ヶ原前に結んだ婚姻関係が効果的に働いたし
もう家康以上の戦上手は
この世にいませんし
誰も文句言えない
855日本@名無史さん:2006/01/24(火) 17:08:52
豊臣家の領地はいきなり65万石に落とされたわけじゃなく段階が踏まれている
蔵入地への影響力が薄くなった結果、直轄地として残ったのが65万石だ(関ヶ原が終わってからも数年程は片桐且元とかが管理について署名してたっぽい。大抵は徳川の奉行との連署だったらしいけど)
吉川弘文館の「人物叢書 片桐且元」という本に詳しく載ってたのでこの本はお勧め
856大和天狗:2006/01/24(火) 20:05:20
フム
857日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:10:22
ちょっとありえないよなあ

家康の為すがまま
858日本@名無史さん:2006/01/24(火) 22:41:30
>>850
それ以前に陣を構えているから崩れにくいというのは、
崩壊しにくいということではあるが、
同時に陣でも守りを固めているのだから、主導権を握れないということでもある。
つまり、主動的に勝利をつかむのは難しい。
何しろ陣から打って出たら、多勢に無勢で直ぐにやられてしまうから出るに出られない、
実際陣の前で戦っていた島左近はあえなく負傷して撤退している。

それから、当時の大砲は炸裂弾ではないからさほどの効果は見込めない、
現に三成の陣からは実際に大砲が打ち込まれたが、それで東軍が崩れたという事実はない。
859日本@名無史さん:2006/01/25(水) 12:59:52
毛利軍が家康軍の背後を突き、それをみた小早川軍が
家康の前方を突くという可能性はあったのかな?
そしたら吉川軍や長宋我部軍も動くだろう。
西軍に不戦や裏切りがなく本気で戦っていたら
家康軍を壊滅させることは十分出来たはずだ!
毛利輝元軍4万人が大阪まで来ていたが間に合えば
よかったよ。
家康も敗勢を悟り素早く逃げ出すであろう。
秀忠軍4万で再度挑戦。
といっても関ヶ原と全国にいる東軍武将も西軍に寝返り
家康と秀忠は負けて最終的に豊臣氏が天下統一。
860日本@名無史さん:2006/01/25(水) 15:37:52
小西行長は、関が原では石田、大谷、宇喜多とくらべてあまり活躍してない気がするが、戦闘は上手でなかったの?でも文禄・慶長の役では大活躍してるけど?
861日本@名無史さん:2006/01/25(水) 18:02:57
関ヶ原の最大の功労者は若造且つ豊臣や毛利と関係の深い秀秋。
徳川家にとっては面白くないから、そりゃ悪評流されたり暗殺(疑惑)されたりするわな。
いいかげん、家康の過大評価や秀秋の過小評価はやめとけ。
862日本@名無史さん:2006/01/25(水) 19:57:54
正力松太郎賞:徳川家康
最高殊勲選手:福島正則
敢闘選手:大谷吉継
優秀選手:小早川秀秋
優秀選手:黒田長政
優秀選手:島津義弘
863日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:20:42
>>859
南宮山の降り口に吉川が布陣しているため、吉川が動かない限り
毛利は動けません。
というか、君の言うことはifばかりだな。
864日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:33:23
小早川秀秋の裏切りが過大評価されてる気がする。(もちろん重要だが)
麓の大谷世継は600の精鋭で小早川を山に追い返したといわれている。
その後、予想しない裏切りがあった(脇坂・赤座・朽木・小川)
そして崩れた。
つまり、ここで脇坂等4200が大谷隊として参戦すれば、逆転もあったような気がする。
というか、脇坂等がさっさと参戦してれば、藤堂・京極なんて崩せた筈。
その後、大谷・戸田・平塚・脇坂など(計9000)が福島の側面を突き
福島敗走。
どう?
865日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:39:16
質問なんだけど、小川祐忠と赤座直安ってなんで傍観してたの?
脇坂・朽木は藤堂高虎を介して東軍にない通してるから分かるけど。


それにしても脇坂安治って賢いねェ。小早川が裏切るって確信して、元から内通してるから。
それに、大谷吉継を騙せるってことはかなり謀将??
866日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:53:53
脇坂安治って三成襲撃のメンバーにも入っていたと言われるから、三成と顔を合わす機会があったらさぞ気まずかったんじゃないかw
あと吉継って麾下から京極高次にも離反されて大津城に籠られてるんだよな。そうして見るとそんなに謀将だったのか?と思う
867日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:58:02
人望ある というのが大谷吉継の通説
なのに、結構裏切られてるね。 あと大谷吉継って何でそんなに麾下の武将(大名)
が多いんだ?本人は5万石なのに。京極なんて倍の10万石だよ
868日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:24:25
どっちかというと奉行としての役割が多かった人だから、
五奉行などと同じで、石高の割には政権内で重要な地位にあったとか?
869日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:27:04
>>861
結局、最後の最後で迷って躊躇したのが失点大。
前から約束していたのだから、
さっさと東軍につけばまだ心証も良かっただろうが、
4時間も迷った上ではね。
870日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:31:55
賤が岳の前田利家は小早川と同じことをやって、70万石もらい
ました。
871日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:51:13
>>869
三成に関白にしてやると言われれば
迷っても仕方ないかも。
まあそのへんが家康に心証を悪くしたんだろうけど。
やっぱ決断力は必要だね。
872日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:00:24
>>871
普通に西軍として参戦して勝利
・・関白になり、筑前35万石+播磨20〜30万石+山城20万石
史実のように東軍に裏切る
・・備前57万石
領地を治めにくい(西軍主力の旧領 尚且つ秀秋は裏切り者だから)
世間かからの風当たりが強い(裏切りものだから)
後味が悪い(裏切りものだから)
信用されない(裏切りものだから)



明らかに西軍として参戦したほうがとく。
873日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:12:20
それを言ったら福島や加藤だって同じだろ。
結果から考えれば西軍についていた方がよかったでしょ。
874日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:13:56
何かと非難されやすい小早川だが
責められるべきは福島だろ。
福島がアホすぎなんだって。
875日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:14:13
そういえば、秀秋って関ヶ原後も中納言だった?
876日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:26:38
>863君の言うことはifばかりだな。
考えることぐらいは自由だろ


877日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:31:13
>863
っつうか南宮山の下り口には他にも
あるんじゃねーの!?
878日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:42:20
毛利秀元「さぁ〜て 弁当も食ったことだし、いざ出陣といこいうかの♪」
吉川広家「未だです 若様。時は未だです。今しばらくお待ちを。」
秀元「いっつも 邪魔なオサーンだなぁ 構わん 出陣するぞ!!」
吉川「進路を塞ぐしかない。味方は攻撃できないだろうから・・・」
秀元「全軍!!!山を下り、麓の徳川のジジイを討つぞ!!」
秀元「また 吉川が邪魔しておる。構わん。押しつぶせwww」
吉川「な、なんだって!?」
 吉川広家 討ち死に
879日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:44:37
だっふんだー バリバリバリバリ
880日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:45:39
>>870
賤が岳で同じことをした不破と金森はほとんど省みられなかったけどね。

前田が重用されたのは、秀吉と個人的に特に親しい関係だったからでしょう、
そういう特別なコネがあれば、土壇場の裏切りも何とかなるだろうが。
881日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:55:08
>>872
西軍で勝てればね。
繰り返し繰り返し言われていることだけど、
小早川が行動した時点で、西軍にはもはや予備戦力は皆無だったが、
東軍には家康本隊3万が丸々残っていた。

その家康本隊の実質的な戦力に疑問を投げかける者もいるが、
仮に3万という数ほどの戦力はなかったとしても、
通説で1万5千、実数は8千ほどだったという小早川隊にとって、
強敵だったことは間違いないし。
そもそも当時の小早川に家康隊の本当の実力が見極められたとも限らない、
確実に確認出来るのは、西軍には余裕はないが東軍には3万の余裕があるという事実。

どっちについたほうが勝てる確率が高いか考えれば答えは明白。
まあ、関白とか言われて迷ったのは事実だろうけど、
結局は確実性の高いほうについたというだけのこと。
882日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:00:30
関白だろうが何だろうが、空手形であれば、無意味

家康は実際に領土をくれた
883日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:08:45
小早川が西軍に付けば南宮山が動いた可能性も高いでしょう。
だからこそ小早川も迷ったんでしょ。
結果的にはより可能性が高いほうについたわけだけど。
884日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:21:20
吉川は動かないだろうね、
その段階で動いてもメリットがない、というか正確には吉川はそう思っていた。
秀元に吉川を蹴散らしてでも動く度胸があれば或いは毛利隊は動いたかも。
885日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:24:27
西軍8万2千 東軍7万5千
886日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:33:43
>>881
3万といえど、兵器ではない。人間だ。裏切る筈の軍勢が自分のほうに向かってくれば、
戦意喪失して逃げ回る。
実際に宇喜多・小西なんて大谷が崩れた直後に収集つかなくなって敗走。
精神的な面の考慮しないとな。
あと、予備がないと言っってるけど、背後には、毛利・吉川・長宋我部2万8千がいるよ。
887日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:34:50
>>885
その数字、南宮山に布陣した毛利隊他約2万5千は西軍の数に含めているのに、
その南宮山に備えていた池田・浅井・山内ら約1万4千を、
東軍の数に含めないのはなぜなのかね?
含めれば東軍は約8万9千なわけだが。
888日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:42:16
西軍主力は、桃配山に伏兵を配置しそれを機に戦闘開始。
小早川を背後にするのはかなり危険が伴うが、数で優る東軍を抑えるには、
南宮山の山麓の中仙道を押さえるしかない。
時間稼げば、立花など1万5千も到着できる。
889日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:45:05
>885、>887
っということは関ヶ原にいる東西両軍は17万1千人か。
15万人じゃないな。秀吉の文禄・慶長両方の兵力よりも
多いな。
890日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:45:57
>>886
正面の敵と戦っていたところを側面から攻撃された宇喜多・小西と同じに考えてどうするね?
大体、兵士たちまで小早川裏切りを知っていたわけはない、ただ敵が攻めてきただけ。

それから、予備は不測の事態の際に即座に対応できるから予備といえるのであって、
小早川隊がどちらにつくか判断するのに、
既に陣場野まで出張ってきている家康本隊と、小早川隊から見れば、
かなり遠くにいる毛利隊とを同じように比べることは出来ないよ。
891日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:48:19
糞意見だけど、
大谷は結構前から関ヶ原に着陣していたから、家系の準備とか出来たかもしれん。


   石田三成> 
  島津義弘>   
 小西行長>
宇喜多秀家>       地雷(三国志演義みたいに)
大谷吉継>

     脇坂安治>
       小早川秀秋>                  <吉川広家  <安国寺エケイ
                                <毛利秀元  <長束正家 <長宋我部盛親
892日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:49:35
>>891 家計× 火計○
893日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:49:48
西軍10000000人 東軍10人
894日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:51:05
>>889
もちろん、さらにいえば周辺には大垣城に残った西軍約5千と、
それを攻めていた東軍約1万2千もいる。
895日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:58:58
>891
吉川、安国寺、毛利、長束、長宋我部を
宇喜多、大谷のあたりに並べて、東軍と向かい合うようにすれば
嫌でも戦わなければならないな。
896日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:01:22
三成が、或いは宇喜多でもいいが、
リーダーシップをとって各隊の配置とかを自由に決められたなら良かったのだけどね。
897日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:04:52
>894
17万1千人に1万7千人を加えると
計18万8千人かぎょえ〜〜〜〜〜〜!!
898日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:13:29
やはり秀頼と輝元が大阪城を出るしかなかったのか?
899日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:18:06
>>897

関ヶ原に駆けつける予定だった秀忠軍3万8千と
前田利長軍2万弱もいるよ。
900日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:26:28
小早川が西軍に寝返ればかなり勝機はあったと思うよ。
秀忠は江戸まで逃げ帰るんじゃないかな。
んで徳川討伐。
901日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:28:14
関ヶ原で西軍が勝てば前田も秀忠も逃げ帰るしかない。
902日本@名無史さん:2006/01/26(木) 02:21:07
加藤清正が関が原で戦わなかったのが不思議。九州で戦うように家康に頼まれたのか?
903金吾秀秋:2006/01/26(木) 03:57:27
>>882
くれたんだぜ(´・ω・`)
904日本@名無史さん:2006/01/26(木) 06:38:03
>>902
三成嫌いの印象が強いが、清正の去就ははっきりしない為、
家康は東征軍への参加を謝絶したのではないだろうか。

正則と如水倅が寝返っても何とかなるが、清正の軍まで
一緒になると危ない(or清正と正則の談合を恐れた)と
考えたのかもしれんし。

↑は妄想だけど、実際には関ヶ原の東軍諸将も西軍と
二股をかけていたのだから、単純な構図で考えるのは
無理でしょう。
905日本@名無史さん:2006/01/26(木) 08:02:32
黒田官兵衛も見張ってなきゃいけないしな。
熊本城の秀頼の間とか会見のこととか少なくとも正則以上には家康を警戒していたし。
906日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:02:10
小早川が東軍に突撃したら藤堂や田中などはその場で寝返るな
907日本@名無史さん:2006/01/26(木) 11:15:40
>>904
西軍と二股とは?
908日本@名無史さん:2006/01/26(木) 11:20:23
家康が突撃したら小早川はその場で寝返る
909日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:02:18
関ヶ原とは関係の無いカキコになるが「照君の間」は実際は「将軍の間」の隠語だという話がある
二条城の会見にしても清正は家康にお願いして豊臣家への人質(娘婿になる予定の徳川頼宣)を用意してもらっているから、清正が秀頼のお供をすることは家康もあらかじめ了解していたと思われる
清正なら豊臣の天下を再び戻そうと徳川と戦ってくれただろうという気持ちはわかるが片桐且元と大して変わらん。且元みたいに結局は秀頼を徳川傘下にしようと説得したと思う
910日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:34:42
>>909
ということは、もしも清正が生きている時に大坂の陣があったら、
戦後に切腹するということか。
911日本@名無史さん:2006/01/26(木) 20:12:14
単なる例え話だよ
そのまま鵜呑みにしないでくれ
912日本@名無史さん:2006/01/26(木) 21:58:03
あのころ柳生はなにしてたんだ?石舟斎は宗矩を徳川に、兵庫介を加藤清正
にやってどちらが勝っても柳生は安泰にしようとしたのか?宗矩は近畿の
情勢を伝える役割だったのかな?


913日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:10:49
 なんにせよ、豊臣滅亡のA級戦犯は正則だよなー。三成憎し、を利用されているだけだと
気付きもせんで。もっとも、三成についたところで将来は怪しいが。

でも、秀頼が秀吉の子供でなければ、豊臣家に義理はないよな。大好きなまんかかさまは
放逐されてるようなもんだし。それに、秀頼が秀吉の子供でないというウワサは当時から
あっただろうし。
914日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:41:00
実際、豊臣の血筋は完全に断絶してるの?
915日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:10:17
秀吉の血は、完全に断絶した。今の日本人は、一滴も受け継いでいない。
916金吾秀秋:2006/01/27(金) 03:00:07
まったく、正則のA級戦犯めが(´・ω・`)
917日本@名無史さん:2006/01/27(金) 03:09:17
>>916
おまえが言うなw
918日本@名無史さん:2006/01/27(金) 04:15:55
小早川より福島の方が罪は重いよ。
919日本@名無史さん:2006/01/27(金) 04:18:36
義理はないって言うけど、大恩ある亡き太閤さまが
秀頼を頼むと言っていたわけで
福島の行動は豊臣家を滅ぼすことになった。
あの世で叱責されているだろうよ。
920日本@名無史さん:2006/01/27(金) 05:52:59
「あの世」では秀吉は信長に責められて正則を叱責するどころではないだろw
921日本@名無史さん:2006/01/27(金) 06:02:00
>>909
清正は政治センスの欠片もない
第一に、秀吉の死直後、朝鮮へ渡っていた諸侯をまとめて天下を取ろうと思えば取れる。
第二に、西軍をまとめあげ、秀吉がやったようにのし上がっていけばよかった。

が、あまりにもバカ正直なのかそんなことを考えもしなかったんだろうな。
922日本@名無史さん:2006/01/27(金) 07:32:22
>>920
秀吉の本を読んでみたが、秀吉は夢の中で信長にあの世に連れて行かれそうになったらしい(「利家夜話」が出典になってた)
923日本@名無史さん:2006/01/27(金) 09:56:01
福島が悪いなら石田もダメだろ
924日本@名無史さん:2006/01/27(金) 13:52:25
石田は忠臣だよ。
悪いのはどう見ても福島正則。
925日本@名無史さん:2006/01/27(金) 17:05:48
石田や藤堂や清正や黒田(父)はみんな家康の意図もわかっていたでしょう
正則がわかってなかった。天下取る意思はあったと警戒してても、関ヶ原が決定打になると思ってなかったんだろう
926日本@名無史さん:2006/01/27(金) 21:44:23
>>921
清正の権限でそんな事出来るわけないでしょう。
誇大妄想過ぎる。
927日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:34:14
福島も忠臣
石田がいなければ、特に他の武将と戦うつもりはないだろ
928日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:56:23
結局、近江派と尾張派の確執を生前に解決できなかった秀吉に責任がある
かと……。
929日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:16:14
福島は忠臣かもしれないが
かなりの馬鹿だったのは間違いない
930日本@名無史さん:2006/01/28(土) 10:00:48
>>929
石田は忠臣かもしれないが
かなりの馬鹿だったのは間違いない
931御前等:2006/01/28(土) 10:29:47
北の政所が一番の馬鹿。
932日本@名無史さん:2006/01/28(土) 11:08:16
北のは、もうだめぽと思ったんだろ
彼女が前に出ていけば、淀がババア引っ込めと言って
さらに大混乱になったかもな
933日本@名無史さん:2006/01/28(土) 12:55:42
>>921
清正贔屓の俺としては聞き捨てならん。
政治センスではなく、天下を治めるだけの欲も器もなかっただけ。
肥後統治、熊本城築城、だけでも評価に値すると思うが。

934日本@名無史さん:2006/01/28(土) 12:59:58
>>902
清正は如水にのみ従うと言ってみたり、大和をくれるなら西軍につくと言ったりしていたらしい。

935日本@名無史さん:2006/01/28(土) 15:42:51
ただ、家康は清正が死んでからでないと、大阪の陣を起こせなかったわけで。
家康のなかでは大きな存在だったのでは?
936日本@名無史さん:2006/01/28(土) 16:33:31
>>927
石田がいるだけで東軍について豊臣滅亡に拍車かける人間は忠臣とはとても言えないだろう。

あと清正の政治と統治は別物だろう。熊本を支配した実力はあるが、政略という意味での
先を読む力とは別。といっても九州の清正になにが出来るって九州で軍事活動するくらい
だから、関ヶ原を論点には語れない。むしろ九州にいたという立場のほうが重要だと思う。

三成も同じで、関ヶ原で敗者になったから暗愚だとか馬鹿というのは筋違い。
天下簒奪を阻止するなら関ヶ原を起こしたという結果は必然だし、そのせいで家康の天下とり
を早めたとしてもいずれ決戦はあるだろうし、焦ったようでも「三成が」起こすには
あのタイミングしかないし、戦国武将に、しかも根っからの豊臣っ子に自分は退いても
後に豊臣を託せというのは無理だし、そのあと誰かが家康を討つにしても出来たか
どうかはまったく未知数。そもそも関ヶ原は家康討伐計画では上出来だったと思うけど。
937日本@名無史さん:2006/01/28(土) 16:43:26
>>935
そうだね。
清正と島津が大阪に付いたとすれば、その時点で
徳川の天下獲りが画餅に帰す可能性が高い。

清正・島津→正則・毛利→黒田・鍋島→東国諸侯の様子見
となる可能性が高いのでは?
938日本@名無史さん:2006/01/28(土) 17:10:22
清正が死んだのは1611年、清正の死と大坂の陣に直接の因果関係があるとは思えないね。
大名である以上お家大事はどこも同じ、
実際の大坂の陣ではたった一大名すらも大坂方に立たなかったのに、
清正だけは例外だとするのは幾らなんでも根拠がなさ過ぎる。

逆に言えば、例えば仮に福島正則が大坂の陣より前に死んでいたなら、
福島が生きている間は大坂の陣を起こせなかった、
正則なら生きていれば大坂についていただろう、と言われたと思う。
939日本@名無史さん:2006/01/28(土) 19:54:24
>>936
豊臣滅亡に拍車をかけたという意識はなかっただろう

予知しろということなら、三成も予知していないのでダメ
940日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:08:25
>>939
三成は家康の脅威をある程度予知してたから関ヶ原に決起したんだろう。
実質、関ヶ原で天下とてしまうという事の重要性を正則清正は分かるべきだった。
予知というよりその時に。秀吉が据えた東海の備えが丸ごと家康に取られてるし。
三成が決起しなかったらどうなるか分からないけど、事が起きた時点で東軍に積極的に
関わったのは家康に天下取らせたことになった。
941日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:31:50
だいたい17世紀になっても日本は国内戦をやってたのか!!
西洋とかは海外に侵攻してるというのに!!
当時の日本もいい加減、とっとと海外に侵攻しろよ!!
秀吉が海外に軍を送ったがそれを契機に海外侵攻をすれば
よかったのによ!!!!!!!!!!!!!!!!
942日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:42:37
1615年 豊臣家滅亡
1619年 福島正則改易。
1621年 日本、満州のヌルハチと同盟を結ぶ。
1623年 朝鮮出兵、15万人が渡海。
1625年 朝鮮探題を設置。土井利勝が任命される。
943日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:04:43
>>940
三成は正則らが自分に味方するとでも思ったのだろうか
思ったとすれば馬鹿だし、思わないでやったのなら
滅亡に荷担?
944日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:10:32
>>943
そんな単純な構図でしか歴史を捉えられないのか・・・

お前にとっての関ヶ原って、平板でつまらないものなんだろうな。
945日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:30:27
東軍は家康だけであとは全部西軍。
戦上手の家康なら勝てるだろう〜〜〜〜〜〜〜〜。
946日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:42:24
堺の商人の間では、今後は徳川・徳川勝利という風潮だったらしい。
西軍についた大名には、金も船も武器も貸してくれなかったとか。
豊臣家は畿内の商業を独占していたから嫌われていたらしい。
信長→秀吉に変わるときに、自由都市・堺の代官が松井友閑から
石田三成に代わり、統制も厳しくなって嫌われていた。
947日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:07:22
>>941
国内を磐石にしてからじゃないと無理
国内が不安定な状態でやって失敗したのが文禄・慶長の役
948日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:27:17
外征って別に国内情勢が不安定かどうかって成否にあまり影響しないんじゃないの?
世界史上国内の不満を逸らすために他国を侵略、みたいな例は多いし、
ナポレオン戦争みたいに大成功しちゃうこともある
文禄・慶長の役が失敗したのは別の要因(将兵の士気の低さや兵站の不備)によるものが大きいと思う
949金吾秀秋:2006/01/29(日) 01:39:41
漏れ様の輝ける活躍にケチつけるクソどもがいたことも大きい(´・ω・`)
950日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:54:41
なんと! 自衛隊が事もあろうか、あの戦国時代にタイムスリップ!!

     ドラマ 「戦国自衛隊」 くるよ。   

日テレ版 「戦国自衛隊」 大仕掛け (YOMIURI ONLINE)
31日、来月7日 2部構成
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060120et13.htm
戦国自衛隊・関ヶ原の戦い
http://www.ntv.co.jp/sengoku/
第一部 1月31日(火) よる9時放送〜
第二部 2月 7日(火) よる9時放送〜

     役名     …………   配役
伊庭明義(3等陸佐) ………… 反町隆史
嶋村拓也(3等陸佐) ………… 渡部篤郎
徳川家康       ………… 津川雅彦
本多正信       ………… 長門裕之
石田三成       ………… 竹中直人
島  左近       ………… 松方弘樹
小早川秀秋      ………… 藤原竜也
豊臣秀頼       ………… 杉村怜音
淀の方         ………… 秋吉久美子

テレビドラマ板  【反町】戦国自衛隊〜関ヶ原の戦い〜
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1132143710/l20

(映画版もあるよ)  戦国自衛隊1549 PART7
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1122221936/  
951日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:05:00
石田は天才だろ。
952日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:06:15
少なくとも福島よりは戦上手だと思うよ。
福島なんて関ヶ原でも宇喜田にボコボコにされてたじゃん。
953日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:12:20
三成は数日間山で身を潜めていた、その後見つかり打ち首
954日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:14:10
関ヶ原の時点ですでに徳川がかなりの権力を握っていたわけで
関ヶ原を起こさなければそのままずるずるといって
徳川が天下をとったのは間違いない。
あそこまでいい勝負に持っていったのはすごいよ。
福島なんかあっさり改易されてあぼーんだろw
955日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:27:23
>>943
正則らが味方につくと思ってたら、あんな軍勢集めるひつようもないわけで
家康直属なら2万そこらで、正則らを含んだ7万超と対抗するために8万の軍勢あつめた。
956日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:49:06
石田三成は良く戦った。と評価する
957日本@名無史さん:2006/01/29(日) 20:06:09
俺は家康が大嫌いだ!!
朝鮮征伐で活躍した武将を殺しやがって!!
てめーは活躍してねーくせによ!!
958日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:09:06
>>955
結果大敗したわけだが?
959日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:12:32
誘導ですよ〜〜〜〜〜〜〜〜

http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1138272236/l50
960日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:06:05
最近のホリエモンって、宇喜多秀家に見えてしょうがない。
天国→地獄
宇喜多=豊臣家の大老&秀吉の養子&若い
堀江=六本木の王様&若い

八丈島=東京拘置所
961金吾秀秋:2006/01/30(月) 03:08:38
まったく、そのとおりだぜ。
実力もないくせにえらそうにしやがって(´・ω・`)
962日本@名無史さん:2006/01/30(月) 16:33:48
何で詐欺師堀豚が宇喜多なんだよw
963日本@名無史さん:2006/01/30(月) 16:35:59
宇喜多秀家→豊臣家のプリンス
欲豚→成り上がり詐欺師

共通点は若いってだけじゃんw
964日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:12:44
宇喜多秀家隊 17220人
どうだ強いだろ。
965日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:14:17
じゃあ信長でどうよ?
966日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:16:29
>>958
意図がどうかと、結果は別物だろうが
967日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:19:49
じゃあ島津でどうよ?
968日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:22:28
堀江に例えられたらかわいそう・・・・
969日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:39:14
島津は貧乏だけど強い

ホリエモンとは違うだろ
970日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:47:50
971日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:54:00
>969
島津vs信長っていう意味だよ。
(ホリエモンとは関係ない。)
972日本@名無史さん:2006/01/30(月) 18:57:10
新スレまだうあー
973大和天狗:2006/01/30(月) 19:00:31
映画『金吾』
金吾中納言こと小早川秀秋の心理描写、その葛藤に焦点をあてた超対策。
製作/大和天狗
監督/鞍馬天狗(弟子)
主演/金吾中納言−岡田准一
  /徳川内府 −本木雅弘
  /石治少  −中居正広
  /備前中納言−稲垣吾郎
  /他オールスターキャスト
974日本@名無史さん:2006/01/30(月) 19:10:05
もうキャスト考えるスレ立ててくれ
975日本@名無史さん:2006/01/30(月) 19:26:44
>>973
> 映画『金吾』
> 金吾中納言こと小早川秀秋の心理描写、その葛藤に焦点をあてた超対策。
> 製作/大和天狗
> 監督/鞍馬天狗(弟子)
> 主演/金吾中納言−岡田准一  キムタク
>   /徳川内府 −本木雅弘
>   /石治少  −中居正広  渡部
>   /備前中納言−稲垣吾郎
>   /他オールスターキャスト
淀 伊藤美咲
976日本@名無史さん:2006/01/30(月) 20:50:52
金吾中納言 渡辺いっけい
徳川内府  中尾彬
石治少   山本耕史
備前中納言 渡辺徹
淀     杉田かおる
福島正則  小澤征悦
977日本@名無史さん:2006/01/30(月) 21:15:49
渡辺いっけいは本多正純がいいな
葵のイメージが強くて
978日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:28:41
小早川は別にあほじゃなかったと思うよ。
979日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:48:54
三成の使者「ということでくれぐれも宜しく!ではこれにて」

キムタク小早川「おい。ちょ待てよ」
980日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:02:16
西軍
石田三成   山本耕史
島勝猛     照英
宇喜多秀家  阿部寛
大谷吉継   豊川悦司
小西行長   緒形直人
島津義弘   今井雅之
毛利秀元   小池徹平
吉川広家   浅野忠信
安国寺恵瓊  石坂浩二
上杉景勝   陣内孝則
毛利輝元   森本レオ
淀君      松たか子

東軍
徳川家康   中尾彬
松平忠吉   藤木直人
井伊直正   草刈正雄
福島正則   中村獅童
黒田長政   段田安則
細川忠興   細川茂樹
加藤嘉明   西村雅彦
京極高知   押尾学
前田利長   本木雅弘
981日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:17:03
淀君      松たか子

イイ!
982日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:18:46
昔淀君やってたよな。
松たか子ハァハァ
983日本@名無史さん
しょうがない

ガラシャ 伊藤美咲