1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:38:25
2
3 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:42:51
つまり地主って何千年もその土地を守り続けていた人なの?
まあ東京みたくその土地の持ち主がどんどん変わり続ける土地もあれば
田舎みたいに歴史のある土地もあるのだろうが・・・
鈴木三右衛門
5 :
翁:2005/11/13(日) 01:15:06
宿題なのかい?まあいいや
【地主】自体は土地(村・地域)の有力者の意味ですよ、基本的には豪農(田んぼをたくさん持ってる)
の家だね。ただし、豪農といっても色々パターンがあって1のサイトなら源満仲の子孫(家を継いだもの)
がその村の有力者だね。このように大昔に権力者から任命された者が住み着く場合と・特に任命されてないが
昔からその村の有力者だったパターンと平家の落ち武者村みたいにある少数の人間が新たに村を創ったパターンがある
今でも田舎に行くと同じ名前の家が集中してる村があるけど、その場合その内の本家が大体地主だと考えて間違いは無い
地主の役目としては、年貢の集積(1箇所にまとめて領主に届ける)・労働力の確保(河川工事や城作り)・犯罪者の捜索
が主な仕事、これが中々厳しくて年貢が集められないと地主が自腹で負担するなど結構大変な役目。
その代わり農民でも名字帯刀か許されてたり余った年貢は地主が管理したりの特権はあった、まー判りやすく言えば
今の地方の役所(役場)みたいな仕事をしてたって事かな。
ただし現代の地主はただの土地所有者の意味しかない場合もあるから気おつけてね
また細かいこと判んなかったら質問しておくれ
6 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:29:11
地主の大半が源氏の子孫である可能性はある?
7 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:42:12
鎌倉時代に派遣された地主はそうじゃないの?
8 :
翁:2005/11/19(土) 18:23:25
可能性だけなら0ではないがほぼ無い。
どちらかと言えば地元民の可能性のほうが大きいだろう、立場上武士の経験がある
豪農の家系と考えられるが源氏につながる可能性といえばほぼ皆無と見て間違いない
9 :
6:2005/11/20(日) 20:55:33
うちは鳥取の地主だったが先祖は源氏だと聞いている。
同じように自分と同じ苗字の家が岡山の地主で調べてみると
同じように源氏であるという。
仮定で日本各地の地主が源氏で(というか天皇の血が入っており)
文字通り日本は神の国なのかな。。。と
10 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:07:25
日本国の一番古い地主は大国主だろ。
その後、天皇家が譲り受けて今に至る。
11 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:16:40
天皇家を神というなら、イワレビコより先に天下った
ニギハヤヒを祖神に持つ物部氏の方が古い。
12 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:19:52
うむ物部君も天孫の一族の証はもっていたからね。
しかし、天皇家のがより正統な天孫の一族だったわけだ。
13 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:24:56
反戦一坪地主の苦難の歴史について語っていきましょう。
14 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:31:34
よし日本の国土を全て天子様に
お返し申そうぜ!
15 :
6:2005/11/20(日) 21:44:24
1000年以上その土地を守ってきたらしいです。
うちのじいちゃんは戦前まで小作人だった。
今は地域で1番の土地持ち。他の人達はバブル期にいろいろ手を出して土地を失ったらしい。
漏れの母親は田舎の大地主の家(農地改革で没落)の出身なのだが、気に入らない人の話題が上ると、
「ちっ、小作人が」
と物凄い形相でぼそっと言う。
最低の土民レベルのお母様ですね( ´∀`)
品性のない地主って多いよね
多摩地域に、平家出身だと思われる地主がいるんだが
やっぱりそんな感じ。
今でも、元自分の土地に住んでいる人間を小作人だと思ってるw
でも、その人の家は興味深い
一族が住んでいる土地は、敷地の周りを堀らしきものが
めぐらされており、敷地内に神社や墓地もある。
昔は武家屋敷だったんだろうな
20 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 22:55:52
>>19 多摩方面だと、家柄良い家も多いからまだマシじゃない?
都市近郊だと、家柄悪く、土地成金の金持ちで態度もデカイ!
出が出だけに、品性のかけらも無い。
実際、訛りも秩父、児玉、多摩などの方が少ない。
21 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 22:58:31
うちは源氏系の思いっきり血統のよい地主でした。
なんでも不作の時にご近所の人に土地を全部あげてしまったとか・・・
22 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:07:12
>>21 そういう没落した旧地主に代わって台頭してきた階層が、
東京・埼玉・横浜、都市近郊地主の主流。
23 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:14:34
訂正
>>21 そういう没落した旧地主に代わって台頭してきた階層が、
東東京・南埼玉・横浜・川崎、都市近郊地主の主流。
24 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:24:30
特定郵便局局長
25 :
黒田:2005/12/03(土) 17:46:39
曽祖父・吉三郎(大阪府堺市出身、大阪で土管を作っていた平民)
祖父・慶太郎(明治15年生まれ、上海紡績代表取締役会長)
父・慶次郎
26 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:16:08
age
27 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:14:44
俺の家も地主
働かなくても生きていけるし
28 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:13:50
戦前日本最大の地主は実は天皇家
29 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:11:36
農地改革で没落した元地主は多いよね
やる気無くすし肉体労働に向かない体質の家系なので
一代か二代で貧乏人の仲間入りw
30 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:27:18
まあそれ以前はおいしい思いをしてたんだから、いいだろ
31 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:35:47
>>30 そうでもないぞw
新興の地主は知らんが、村の相談役や仲介役とかやってたから。
今の町長とかの仕事とヤクザ関係を合わせたものだと思えばいい。
ちなみに
>>27で言う様なのは、捨扶持、部屋住みの次男・三男のイメージだと思うよ
32 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:48:13
父方が新興地主で議員とかしてた。
工業関係の地域だったので、その地域一帯で原料から製品までを作って都市に運んでた。
一族総出で各監督から揉め事の仲裁、地域の人たちの面倒を見たりと暇なんてなかったとのこと。
他にも、地域の治安維持で役人と掛け合ったり、今で言うヤクザさんとつるんだりもしてたみたい。
戦後は、ほとんどを摂られちゃったけど、面倒をみたということで周りから助けてもらったって
33 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 18:47:19
日本一の土地持ちは誰なんだ。(面積で。)
戦前だと酒田の本間だろ
小作人一万人
三千人だったか
36 :
甲斐犬:2006/01/21(土) 19:33:23
農業とは、本来、天候や虫害や病気に左右されやすい不安定な産業であり、
さらに、貨幣経済の進展により、市場という不安定要因が加わる。
それに、人間の能力のうち、最も個人差の大きいものは、経済能力である。
無能な者は、マイナス値なのである。
だから、農村の貧富の拡大は、経済法則に則った自然な現象であり、それを
くい止める事は困難である。歴史上、よく、重税と兵役が貧富を拡大した、
などという説明がよくされるが、これは、一面に過ぎない。それは、理由
というより、重税と兵役を嫌う農民の願望なのである。
歴史研究家の多くが、農業と自営に対する理解が不足している。
37 :
甲斐犬:2006/01/21(土) 19:38:05
農村の貧困に対する最善の解決策は、戦後日本の高度経済成長。
都会の商工業に、農村の余剰労働力を引き込むのである。
これは、しばし歴史上られた耕地の平等配分よりも有効である
と思う。
38 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 19:51:09
鎌倉期・室町期の地頭→戦国期の国人→戦国時代の乗り切りに失敗→農民階級の大地主
ってのは多そう。
「戦国時代の乗り切りに失敗」ってところで成功した者は小大名に。
大成功したのは毛利家ような大大名。
地主を「御館様」、地代を「年貢」とか言ってたところも多い。
39 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 20:02:00
38は戦国時代という動乱期に「上」から落ちてきて地主に落ち着いた例。
動乱期には逆に貧民から成りあがって地主クラスに到達した「下克上」的地主も。
豊臣秀吉にはなりきれなかった農民。
40 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:55:59
甲斐犬降臨age
41 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:15:13
維新後地主ってのも多い
明治になって貨幣経済になった為に
現金を持っていない百姓は難渋した
そこで土地を担保に金貸しをして次々に私有地を広げていった者がいる
42 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:24:31
43 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 10:43:50
森ビルの森さんもいっぱい土地もってそうだよね。
あとリゾート開発やるために土地を塩漬けにしてた、コクドの堤一族とかも
所謂ところにニッポン(江戸)の田地売買は東照宮の禁制から歴史を
経て今にあると考えられる。
すると自ずと答えは見つかるw
45 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 13:47:04
>>42 明治以降、中央集権国家形成の一環として皇室財産を積極的に増大させた
結果、皇室が日本一の地主になったね。
もっとも、明治維新前までは、領主ではあっても地主ではなかったけど。
46 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 19:51:00
能仁寺に徳川家の墓石が…
堤が徳川家墓地を暴いた名残
47 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 13:12:59
ふーん
48 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 19:24:46
おまいらちゃんと勉強しなおしてこいよWWW
49 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:36:37
酒田の本間様について詳しく語れるやついるか
50 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:04:36
本間ゴルフ
51 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 14:11:37
本家じゃないだろ。
52 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 14:54:24
二木ゴルフ
53 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 22:32:23
二本松
54 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:16:24
>>1 東京からさほど遠くない某県にある某村も同じような状態だよ。
村長自らその一族。先代の村長もそう。で、もとは渡来人系で
鎌倉以前からその近辺にいたらしく当時は神官。
>54
そこは議会もあるような独立してる村か?
56 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:19:03
独立村です
57 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:22:54
むさしの村
58 :
小作人:2006/07/02(日) 15:04:54
1946年3月現在の話。
天皇所有の土地:13,384ku
大体長野県ぐらいの広さ。9割以上が山林。
現在は天皇の不動産所有は禁止。株式・国債は○
59 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 13:58:06
むさしまる
60 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 08:07:56
ん?
61 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 16:51:30
地主になりたい。
62 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:26:14
地主と一口に言ってもいろいろある。
平安時代の地主は荘園領主で、領内に多数の農民や奴婢を従える大農場経営型の地主。
これは他のアジアにもよく見られる。
それに対し江戸時代の地主は農民地主で、土地を小作人に貸し与えるという形態の、
土地私有制に基ずく地主。そしてその土地は売買や担保設定の対象になり、近代的な
土地所有制度の上に成り立つ。
因みに西欧列強がアジアやアフリカ、中南米でプランテーション経営を展開したのは、
それらの国々が元は平安時代型の地主制をとっていたからだ。だから西欧にとっては
植民地経営をやりやすかったと言える。
それに対し江戸時代は土地私有制が完成していたので、欧米は日本の植民地化にはあまり
乗り気ではなかったと思う。これがもし平安時代にやって来たら、日本は即刻西欧の
餌食になったはずだ。
63 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:35:43
>江戸時代は土地私有制が完成していた
土地制度史には相当の蓄積があると思うけど、いつの間にこんな説が出てきたの?
地租改正以前は、上級所有権はないままの、保有にすぎないって理解が通説だと思うけど
>>63 莫迦のにわか知識披露相手に粗探しするなんて・・・野暮だな。
もっと、この板の空気を嫁よ。
65 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:55:53
>63
日本は15世紀、近畿を中心に小家族制が発達する。
即ち夫婦と夫の両親、夫婦間に生まれた子供を一つの単位とし、この単位ごとに土地・家・
財産を持つというもの。これは太閤検地で全国化する。
もちろん検地では田畑永代売買禁止令により完全な所有権は得られなかったが、永代禁止令は
江戸時代では有効に機能せず、農民の土地売買は止めれなかった。
そこで17世紀末、勘定奉行荻原重秀は、相対(当事者間)による契約を優先させる処置を
とり、永代禁止令は事実上無効化した。
これをもって土地私有制の基礎が固められたことは事実だろう。
66 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:18:05
>>65 で、その完成した土地私有制とやらにくっついて離れない年貢について説明してみろよ
領主に年貢納めるのは地主。
小作人は年貢+小作料を地主に払うでオケ。
左巻きの人のアタマの中でわ小作人が領主に納める年貢率が
年貢+小作料=年貢になりまする。
よく年貢の部分より小作料の部分のほうがべらぼうに高かったりするのに。
68 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:46:18
>66
おまえは字を読めんのか?
土地私有制ってのは土地を私有すること。検地における一家一土地所有の原則も形態的に
私有だ。これは公地公民制や荘園制とは対照的。
例えば江戸の農民は、土地の所有権を持っていたので農作物を自由に売買できる。
だが荘園内の農民は、所有権は荘園領主。いくら豊作でも農民は勝手に農作物を
売買できん。だからこのようなシステムでは市場経済は成り立たない。
お前は年貢をいうが、今でも土地を持っていたら税金払うのは当たり前。
それより年貢の取立てという事をことさらに重視し、農村内における土地私有の浸透を
全く考察しないとは、マルキストか?
69 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:53:43
>>68 >例えば江戸の農民は、土地の所有権を持っていたので農作物を自由に売買できる。
で江戸時代の年貢は?
70 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 01:41:55
>69
3公7民から5公5民くらい。
それよりここは共産主義国家じゃねーんだ。
日本の歴史教育の問題点は、資本主義発展の考察を全くしないこと。だからまるで
明治時代に革命的変化が起き、いきなり資本主義が発達したかのような錯覚を持ってしまう。
だが、本当は歴史は連続しており、あくまで明治も江戸の延長にあるのだ。
考えてみろよ、もし平安時代にペリーが来ればどうなるか。いくら平安時代の日本人が一生懸命に
近代化を学んでも、近代化出来なかったはずだ。資本主義はあくまで人民が土地や財産の所有権を
握り、巨大な専属市場や消費社会が発達していて初めて、築けるんだ。
71 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 01:55:54
>資本主義はあくまで人民が土地や財産の所有権を握り
だから、土地の「所有」にぴったりくっついて離れない年貢の性質ってのは何よって聞いている訳なんだが
72 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 20:46:22
>71
お前は支配者による被支配者の搾取という歴史観しかないのか?
そりゃマルクス史観だぞ。
それに江戸時代の農民は二毛作で米以外の農作物も作っていたので、副収入もちゃんとあった
(だから問屋制家内工業が発達した)。
何度も言うが、俺は資本主義の歴史を考察したいんだ。江戸が暗黒か素晴らしいかなんて議論
しても無意味。そんなの解釈によっていくらでも変わるからな。
それより、江戸時代をはじめとする日本の歴史が、資本主義の発達の過程でどういう役割を
果たしたかを考える事のほうが、重要だ。
なのに、今までの歴史観はいかに年貢の取立てが激しかったかとか、いかに抑圧的な社会だった
かとか、そんなことばかり。これはマルキシズムの延長。これでは日本の歴史を論じたところで、
日本の資本主義の発展の理由がまるでわからない。だから物真似が上手いとか、一生懸命に
学んだとか、そんな間抜けな理由しか出てこなくなる。
いいかげんに抑圧史観から解放されなきゃね。
73 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:22:19
>今までの歴史観はいかに年貢の取立てが激しかったかとか、いかに抑圧的な
>社会だったかとか、そんなことばかり。
単におまいの勉強不足
江戸時代の商品経済の発展などとうの昔から議論されている
それと年貢徴収に代表される土地所有の問題とを整合的に説明する努力など
たくさんの研究で行われている
それらを読んで土地所有の問題を考えてみてくれたまえ
>だから問屋制家内工業が発達した
まさかとは思うが、これを資本主義とか言い出すんじゃないよね?
74 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 19:22:38
>73
お前の歴史観がよくわからん。どう考えても江戸時代は土地私有制だ。
当たり前だが、これは一家一土地所有という<所有形態としての>私有を言ってるのであり、
近代社会の<法治主義に基ずく>私有を言ってるんじゃないぞ。
ただ、日本が西欧の民法を導入できたのは、この所有形態としての土地私有制と、相対契約を
優先する処置がとられていたためだ。
それに俺は資本主義の歴史を研究すべしと言ってるのであり、「まさかとは思うが、これを
資本主義とか言い出すんじゃないよね?」などと質問する方がおかしすぎる。
資本主義に「決定的な」必要条件は、資本主義の精神を持った
資本家と労働者が登場すること。
76 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:08:39
以前はおいしい思いをしてたんだから、いいだろ
77 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 07:12:29
普通の農民は、どのくらいの広さの農地を持っていたのかな?
78 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:34:58
平地農民3000坪
79 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:21:09
73が論破され失踪してから2ヶ月か・・・元気にしているのかな>
文献調べたらうちの先祖二百数十町歩の土地もってたらしいけど、
これって中小地主?
小作戸数は忘れた
81 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:01:43
「地主」は明治以降の地主・小作制度(半封建的)の農地所有者をいう。
土地所有を百姓が認められるようになったのは、年貢台帳に名前を記載されるようになってから。
本百姓が衰退して、小作と地主に百姓が分化して以降は耕作者と土地所有者が同じ人間ではなくなったいく。
>>81 >土地所有を百姓が認められるようになったのは、年貢台帳に名前を記載されるようになってから。
すみません、それ以前の土地所有権は誰がもっていたんでしょうか
83 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:59:59
なあんだ 中岡さんや寅さん達 幕末の地主が何をしたか 日本の地主の役割とかの レスじゃないのね 失礼
84 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:35:24
>>82 荘園領主、荘官、地頭、・・・
といった人たちが重層的で複雑な所有関係を持っていた
85 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:38:45
>>80 数百町歩あれば日本では大地主。
内地では数町歩ていどの小地主がほとんどで、農地改革直前の千葉や埼玉だと
ほとんどの地主が5町歩未満で第一次農地改革の対象外だった。
86 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:43:15
内地の地主で大地主が多かったのは東北や新潟県。
関東や近畿だと、数町歩程度の不在地主が都会で商売や勤め人になってたりした。
88 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:53:33
宮尾登美子原作の「蔵」の主人公の家が、二百数十町歩の地主の家だったけど、ものすごい豪農っていう設定だったよ。あ、舞台は越後ね。
越後は多い
90 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:57:05
なんで新潟や東北に大地主が多いんだろう
>>91 幕藩権力が弱かったから、農民身分のまま大きな土地を所有できたのは。
と当てずっぽうなことを言ってみる。
他の地域だと、耕作者=所有者という感じで一度所有関係がリセットされている。
江戸時代中(とくに前期)はそのリセット状態が一応続いていた。
大規模に土地を所有するためには士分(領主)である必要があるけれど、
江戸時代は領主所有権はどんどん弱体化し、いつのまにか徴税権だけになっていた。
93 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 16:01:23
>>91 東北には奴隷制も近世まで続いていたしな
社会的な遅れと土地生産力の低さとが複合してのことと思われ
奴隷制って古代の奴婢じゃねえんだからよ
ソース出せや
95 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 17:58:49
あげ
96 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:02:25
ところで、地主で家柄がいい家というのは鎌倉期からずっと地主だったのかな?源氏の子孫を自称したりしてるが。それとも家柄がいいから戦争に強かったり賢かったりで段々と責任者みたくなったの?
97 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 22:40:19
近代日本最大の地主は天皇
by コミンテルン
>>29 うちも敗戦のせいで普通の古い家になってしまった。
戦争さえ負けなきゃこんなことには・・。あー負け戦最悪。
小作を奴隷のように使っていた大地主って東北と新潟しかいないんだよね
沖縄を奴隷のように使っていた鹿児島って
失敬な。うちは東北で没落した元地主だけど
小作を奴隷扱いなんてしてない。(と聴いている)
土地無くなった後は、酒屋やったり、アパート経営したり、株やったり、
いろんなことを並行して行って食いつないでた。
でもまあ、みんな小卒で稼いでる時代に、曽祖父母らやその前の人達は
東京や県庁所在地やらに進学しにいったんだ。当時の小作の人々に対して
負ったカルマを、いま返してると思っておこう・・。
って、なんで先祖の負い目を俺がー・・ 遺産にはプラスとマイナスが
あるのねん。。
文句ならアメリカへどうぞ
105 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:19:29
郡役所が廃止されて村役場時代に村の地図を書き換えて土地を取った地主は多いので
困る、地図はこずでじげんず、で絵図で法務局のできる前に書き換えたコピーを
役所に出して
106 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 09:16:30
村役場時代は規模が小さいのに、権限を大きく与えすぎたので
古図を書き換えたりして土地を里道を自分の物にするために書き換えたりして
役人が3人くらいしかいてないので悪いことやり放題で
107 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 12:21:59
>>6 わたす、両親共に元地主だが、
源氏ではないよ。
108 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:55:50
農地改革の際、竹は木なのか草なのかで問題になったらしい。
木にもあらず草にもあらぬ竹の世のはしに我が身はなりぬべらなり
古今集十八巻、高津内親王
竹藪は竹が木なら山林になり、竹が草なら農地になってしまう・・・
109 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:04:21
110 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:21:05
さっきNHKで出雲の山林大地主で鉄山師、田部家のドキュメントやってたよ。
111 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:12:26
農地改革の際名前のついてない土地を当時の役員名にしてたが
うれるころの今になって個人がお金を受け取ってる、ほんまは共有公用用地
112 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:40:12
規模の大きい郡役所が廃止されて規模の小さい村役場時代に
村の地図を書き換えて土地を取った地主は多いので、当時の小作は当然なにも言えないかも
戦後の法律も定着するまで混乱期にあり
113 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 02:07:54
ho-
114 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 12:27:40
115 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 15:56:08
地頭であった我が家はGHQに散々取られました。
今では戦後に取られた土地を金額に換算すると死にたくなります。
だから当家は今ではしがない一般庶民ですYO・・
祇園精舎の鐘の声
ああいやだ負け戦は。
117 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 21:04:54
文句は旧軍に言え。
118 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 22:55:40
繁華街の駅前の土地は、三国人に不法占拠されますた
119 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 15:05:18
日本のやーさんが頑張ってればな
120 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:01:03
うちの曾ばあさんは自分でがんばった。
池袋は極東(朝鮮人で今でも多い)や鈴木(何故か戦後親子で区会議長孫はラブホテル王)
といったヤクザが多くて
自分で縄を張って疎開もせずにがんばった土地以外は縄を張って変なやつを居つかせた。
疎開した家の土地は不法占拠されて涙金で追い出されるか、借地権を設定され
8割も土地を取られた。
121 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:06:29
鎌倉武士自体、荘園領主から見れば土地を横領、不法占拠してるヤクザだもんな。
地頭請だの下地中分だの、終戦直後のヤクザのやってることと似たり寄ったり。
122 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:34:57
現代の地主は大都市の宅地地主や貸しビルオーナーどもだな。
店子から小作料ならぬ高額の家賃を搾取している。
123 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:29:05
124 :
日本@名無史さん:2007/08/01(水) 14:01:52
>>121 荘園領主だって、朝廷から見れば領民と土地を掠め取るヤクザじゃん。
うちは昔からの地主かと思ってたら、実は明治初めに銀行業で儲かった先祖が土地を買いあさって地主になった家だった。
今は農地改革や分割相続で普通の農家だけど。
126 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 17:49:06
ちょっとお尋ねしますが、朝鮮人が地主になるなんて有り得ますか?
戦後のどさくさで名字を変えたらしいです。
なぜだろう?
怪しい。
日本中の駅前の一等地にパチンコ屋が建ってるよね
東京大阪の繁華街も戦後のどさくさの時に朝鮮人が勝手に占拠したらしいし
もうだめぽ
戦争中、焼け野原になっていても地権者が生存していれば看板をたてたりロープをはって目印にしていた。
そういうものがない土地は地権者が存在していないことは誰の目にもあきらかだった。
朝鮮人は主のいない土地をこうして不法に占拠していった。
129 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 23:20:48
西武もな
>125
うちの爺様の爺様もそのパターン。
買いあさったのが朝魚半とjか満州とか・・。
おかげで例の法則発動で・・・。
131 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 10:10:51
だから朝鮮人でも地主になれるの?
田舎の農村の場合はどうなのさ?
農民が朝鮮人のいうこと聞くかね?
金貸しだったみたいだけど。
俺は朝鮮人かも知れん。
>>131 なれるんじゃね?
スレ違いだけど自分の家が朝鮮人かどうかは、先祖の戸籍や除籍を取り寄せてみればいい
朝鮮人や帰化人ならその旨書いてあると思うよ
そりゃ朝鮮人でも法律上は内地の土地を購入できるわな。
ただ、朝鮮人に土地を売る日本人は多くないだろうし、実際売買の話が持ち上がれば
周囲の住民が反対運動起こすだろうから、実際上はほぼ不可能。
134 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 18:10:31
戦後のどさくさのときなら勝手に占有したから無問題
駅前のパチンコ屋はチョンだしね
金持ってれば日本人でも朝鮮人でも関係無いだろ。
戦前なんてハングル文字での選挙の投票さえ認められてる八紘一宇の国なんだし。
137 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 21:08:56
金持ってるけど税金払わない
それが朝鮮人
138 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 22:32:42
田無の場合、農地の9割が東京市の商業資本の所有地だった
昭和恐慌で没落した在村地主や自作農の土地を借金の抵当に取ったわけだが
さすがにこんな状態では農地改革も仕方がない
139 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:23:32
戦後に名前変えたってことはやっぱよそもんだったんかな?
朝鮮人は戦中、戦前から流入してたんだよね?
でもよそ者がそう簡単に受け入れられるもかね?
あと墓調べたんだけど両方歴史すげ〜浅かったんだけどこれは当然?
結婚して墓建てるとすると墓って無限に増えるわけ?そんでもって先祖の墓参りは次第にしなくなるってこと?
それもおかしいよな、先祖代々の墓って書いてあるし、、
ようわからん!
>>139 墓じゃなくて除籍謄本取れよ。一番確実だろ
>>139 次男以下は結婚すると、親や長男とは別の場所に墓を立てる
分家した一代目がお前のご先祖となる
その一代目からお前までが数代しかなかったってことだろ。
それから、明治まではお墓を立てるのはお金がかかったので
農民なら村役や豪農ぐらいしか立てられなかったと思われ。
過去帳見てご先祖の戒名に信士・信女が並んでたら普通の農民で墓はないクラスだ
142 :
日本@名無史さん:2007/08/09(木) 03:16:47
お応えありがとうございます。
みんな詳しいっすね。
でも書類取り寄せてまでは調べる気ないんです。
他の状況から考察したいんです。
取り敢えず瞼は一重です。
あと体毛が薄い。
韓流の女結構好き。
格闘技好き。
ちなみに元地主の本家は戦後田畑を失い、いくつかの事業に失敗し没落しました。
それでも敷地はただっ広いですね。300uぐらいあると思います。
それにしても戦後に名前変えたってのは決定的じゃないですか?
普通変えないよね。
まぁ先祖が朝鮮から来たとしても勇敢なチャレンジャーの血を引いてると解釈したいと思います。
>>142 お前の先祖はチャレンジャーの超鮮人
これでいいな
144 :
日本@名無史さん:2007/08/09(木) 08:34:10
うちの田舎じゃ昔から長男でも親とは別の自分の家建ててたし,墓は先祖代々じゃなくて一人一つだったからな。
145 :
日本@名無史さん:2007/08/09(木) 20:50:23
じゃあ墓無限にふえて先祖の墓はその内無縁墓地になるってことか。
146 :
日本@名無史さん:2007/08/09(木) 21:45:22
百年以上経ったらそろそろわからなくなってくる
147 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 00:05:42
それって根本にシステム欠陥あるんじゃ?
>>141 先祖の墓が不明になったり、風化した人は多いと思うけど
皆、墓はあったでしょ。
149 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 07:41:11
東北・新潟地方を除くと、日本の大地主の大部分は明治維新のどさくさで
成り上がった層だろう。江戸時代には東北・新潟以外にはたいした地主はいなかったので。
鴻池は例外的。
江戸時代、下級所有権(耕作権)のほうが圧倒的に強かったとはいえ、
上級所有権(領主権)は有名無実というほどは弱くないので、「地主化」は妨害されていた。
300年〜400年程前に、国を移動して
最終的に千町歩地主に成ってた家なんですが
ある程度の財力を持って国を移動するのは、どういった階層が考えられるか分かりますか?
>>151 最終的というのは? いつ頃千町歩になったんでしょうか
153 :
151:2007/08/10(金) 17:19:53
>>152 詳しくはわかりませんが、1800年前後の干拓事業に成功した頃だと思われます。
154 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 19:10:31
商人
155 :
151:2007/08/10(金) 19:54:34
>>154 なるほど、移動元の国から考えても、信憑性を感じます
有難うございました。
156 :
元地主より:2007/10/07(日) 15:08:32
★戦前の小作人の子供や孫にミンスは1兆円くれてやるそうだ、
そんなことしたら付け上がるぞ小作人は!by元地主
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1190987613/ 【コラム】農家切り捨て論のウソ - 小手先の保護政策が日本の農業を“自壊”に導く★2 [07/09/22]
1 :きのこ記者φ ★ :2007/09/28(金) 22:53:33 ID:???
農業政策は次期政権の重要課題の1つだ。
格差論議が高まる中、農家戸別所得補償を打ち出して参議院選挙で大勝した民主党に対抗して、
このところ自民党内でも公共事業拡大を求める声が強まっている。
しかし、農業問題に詳しい神門善久・明治学院大学教授は「農家保護策では根本的な問題は解決しない」と指摘する。
(以下、聞き手は日経ビジネスオンラインNBOの記者=谷川博)
NBO
農業政策は次期政権の重要課題です。参院選ではマスコミや野党が格差問題に絡めて「零細農家、切り捨て」と政府を批判し、
民主党は農家戸別所得補償を打ち出しました。
選挙で民主党が大勝したことで、自民党内でも同様の農家保護策を求める機運が高まっています。一連の動きをどう見ますか。
157 :
元地主より:2007/10/07(日) 15:09:22
神門
まず、「零細農家、切り捨て」などという論議は、農業問題に長年取り組んできた私のような立場からすれば、
ちゃんちゃらおかしい話です。第一、あれは大衆迎合的なマスコミが作り上げた“お涙頂戴”のストーリーでしょう。
そんなマスコミのストーリーに政党が便乗しているだけです。零細農家が切り捨てられるなんてことはあり得ません。
マスコミは「零細農家イコール弱者」のような形で描きたがりますが、現実には彼らほど恵まれた人たちはいない。
農地の固定資産税が軽減されているうえに、相続税もほとんどかかりません。たとえ“耕作放棄”をしていてもですよ。
そのうえ、農地を売却すれば大金を手にできる。「田んぼ1枚売って何千万円も儲けた」なんていう話はザラにある。
しかも、そうした農地の多くは敗戦後の米国主導の“農地解放”を通じて国からもらったようなものです。濡れ手で粟なんですよ。
最近、「仕事がなくて生活に行き詰まり、一家心中した」という悲惨なニュースを耳にしますが、あれは都市部の話です。
「農業に行き詰まり、生活苦のために零細農家が一家心中した」などという話は聞いたことがありません。
零細農家には切迫感がないのです。
NBO
しかし、参院選では小沢(一郎)さんが打ち出した戸別所得補償政策が零細農家の圧倒的支持を集め、
その結果、民主党が地方で圧勝したと言われています。やはり零細農家の生活には苦しいところもあるのではないですか。
158 :
元地主より:2007/10/07(日) 15:09:57
159 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 08:59:20
今や電車の中で朝日を読んでると馬鹿にされる時代だからな。他の新聞なら大丈夫なのに。
160 :
日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:28:47
近畿でも地主いるよ
母方の家が苗字帯刀の地主だった
江戸時代は造り酒屋もやってた
まあ、太平洋戦争に負けて没収つか小作人にわけちゃったはめになるけど
戦争中は山の木材が高く売れて儲けたから戦争なんかで金か稼ぐのは良くないなw
161 :
日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:55:15
>>159 お前如きに土地所有は一生縁が無えだろwww
162 :
日本@名無史さん:2007/10/23(火) 01:10:49
うちの親の実家は元地主だが、農地改革で小作関係が無くなっても元小作人の村人が頻繁に茶を飲みに
家に集まって村の集会所みたいな感じだったらしい。
>>162 それだけ小作人から慕われた地主だったということだろう。
先祖のことを誇っていいぞ。
いいねえ。ウチは元小作の近所の連中から以下のように呼ばれてるよ。
曾爺さん・・・殿様
爺さん・・・・旦那様
親父・・・・・若
オレ・・・・・呼び捨て
orz
親父さんの代あたりから呼び捨てだなw
166 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 18:03:48
先祖が地主だったというだけで、実態の伴わない不肖の子孫なんだから仕方なかろう。
167 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 18:13:58
東京とか大都市に出てしまえば、先祖がなんであろうが関係ない。
地元に残ってると先祖を意識しすぎて、没落感を感じるんじゃないのか?
ま、地主なんて、地租改正後に成り上がった商人か百姓あがりだけどな。
東京都心部に昔ながらの地主っているのかなあ…
友達のとこは見える一帯すべての土地の大地主で、バブルの頃は何百億って値がついてた
けど、ご先祖さんの土地は売られへんわって笑ってた。
奈良時代あたりから続く家だって言ってたから、そこらの武家よりも全然古い。
皇室から下賜された品も見せてもらった。
大昔からの地主はなんだかんだいって強烈だわ
170 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 02:27:17
うちは今でも近所の連中から以下のように呼ばれてるよ。
都市地主だけどね。
曾爺さん・・・ 旦那様 (只の地主で若死)
代父(曾爺の後家さんの再婚相手でもある)・・・仮親(屋号)
爺さん・・・・将校(終戦時大尉)
親父・・・・・社長
母・・・・奥さん(親父没後社長なんだが)
私・・・・・若社長
プロレタリア革命のために打倒すべき資本家階級ですね。
172 :
日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:52:05
藩からもらう給料が少ない下級武士には、郊外の土地を与えられて、そこに住んでいる百姓から年貢を取り立てていたっていうのは本当?
いわゆる「拝領町屋敷」なるもの。
拝領町屋敷には住む義務はなく、明治維新までは城下町に住んでいて、
藩がなくなると、城下町に住むところがなくなり、
拝領した土地に住み始め、そこで地主として生活していたというパターンもあるのかな?
その土地ではGHQが来るまで有力者でいたっていうやつ。
下級武士ではそういうやつもいたという話を聞いたんだが、これは事実だろうか?
173 :
日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:51:41
>>145 144じゃないが俺の一族はあまりにも墓石が増えてきたから
どの家も「○○家先祖代々」っていう大きい墓を作って今後はもう石塔を増やさないように取り決めた。
だからこれからは墓誌を建てて対応することになる。
うちもそんな感じだな
175 :
日本@名無史さん:2007/11/04(日) 13:17:25
>>172 長州藩なんかでも、経済的理由で武士の農村土着を認めていた。
井上馨の実家(上士、100石・大組)も山口の湯田温泉あたりに在住していて、
息子の馨が萩で殿さまの小姓をつとめていた。
176 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 22:55:46
江戸時代、地元の殿様の財政を凌駕し
農地改革でも土地を取られなかった
山林や塩田は対象から外れとられなかった
今も大地主、家は国の文化財で公開せず今も住んでいます
維持費用は結構かかるがね、ビクともしない。
177 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:02:18
176ですが祖父や祖母は、おカゴに乗って使用人を何人も引き連れ
学校や病院にいっていました
今もお手伝いさんがいっぱいいます
いまでもお客さんには、お抹茶をだしてます
今でも祖父や祖母は
お手伝いさんを呼ぶときには手をたたいて呼んでます。
頭悪そうってか、真性の書く文章だな
それともしょうがくせいか?
179 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:22:16
本当ですが何か?
脱税してそうだな
181 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:32:46
きちんと払うもんは払っています
税金対策は常識、庶民には関係ないがね
今も旧暦を使用することが多い
真の旧家はどこでも旧暦と新暦を使い分けています。
>>176 農地改革で取られなかったってどこの県ですか?
183 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:43:36
山林と塩田といってるでしょ?
田畑は片っ端から持っていかれたが、外れたものがあります
山林は後の林業の不況で没落したところがかなりある
農地改革でも土地を取られなかった
山林や塩田は対象から外れとられなかった
別に書いてあるってことは、山林塩田とは別の土地も取られなかったって意味に見える
どこだよwww
今でも初夜権があるんですか?
188 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:30:39
この文章から推察すると
兵庫県だと思う、赤穂市だと思う
塩田は水田の10倍いいときには20倍儲かったらしく
江戸時代塩田のみで1万石の地主がいた
岡山の野崎家は江戸後期から明治期に塩田王だが
江戸中期において日本一の塩田地主は赤穂の地主だったようです
藩も貧乏な藩だから殿様超えても不思議でない
江戸後期大名貸しが焦げ付いたそうだが、茶会を頻繁に開き暮らしは
まったくかわらなかったようである
明治初年のスーパーインフレで約20万両の利益を上げ
一気に持ち直し、塩田を再び買い戻し銀行も経営
海防費を負担して勲章をもらったりしたそうだ
そのお家に東本願寺伝来の大名物の茶入れが伝わっているが
おそらく廃仏毀釈の荒波で明治時代に行われた東本願寺宝物売り立てを
行ったときに流失した物をインフレでもうけた金で手に入れたのだと思う
出ないと江戸時代にさすがに茶道具の最高峰、大名物は伝わらないと思う
189 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:32:35
赤穂市教育委員会資料などによると
第二次世界大戦の後、塩田は農地改革でとられず
他の地主に比べ影響は少なかったとあるから
とられなかったのは間違いないでしょう
塩を取らなければ人間は生きていけないし
今では考えられないような病気になる
戦後円滑に塩を生産、流通させるためとらなかったのでしょう
塩田も昭和46年まで存在し生産し続けた
その後大地主の土地は県立公園と住宅地になっています
塩田自体がかなり田舎で開発されにくいところにあるのがほとんどですが
赤穂の塩田跡地は住宅地としてかなり整備されてます
塩田の地主の中でも住宅地持っている方は少ないでしょう
確かにお家は国の名勝だし今も公開せずお住みです
ただおじいさんはなくなりそれを気に美術品は赤穂市に寄贈され
そのお家の名を冠した記念館が作られています
ただすべての美術品を寄贈されたわけでもないようです
寄贈されるときに維持管理費として別に一億寄付されています
美術品の中には大名物の茶入れをはじめ重文級のものもあり
面白いものでは蹴鞠道具があります
鳥居家から免状をもらい歴代当主が蹴鞠をしていたようです
衣装や免状、さらには稽古帳まですべてありました
源氏物語屏風や三十六歌仙画帖、定家の掛け軸、重文級の茶道具
暮らしは貴族のような暮らしだったと推察できます。
190 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:38:30
今でも手をたたいてお手伝いさんを呼ぶというのは
大げさだと思う
お抹茶は出て気ても不思議でない
私の祖母なども実家に行ったときには正式なお抹茶以外は出てきません
先祖代々の名のあるお家ならお抹茶程度は出てくるだろうし
旧暦も用いるでしょう。
塩田って赤穂しかないのか?
間違った推測で2レスも長文書いて力説してたらバカみたいだぞ
本人なら普通に赤穂ですって書けばいいのにな
192 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:26:17
文化財にすんでいるというとおそらく赤穂かと思います
他で文化財を公開せずに住んでいる塩田の地主はいませんので
山林の地主は詳しくはわかりません
193 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:28:02
殿様を凌いだというところからもやはり赤穂の地主だろう
194 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:34:26
山林地主なら島根の田部長右衛門家は、戦後もずっと地元の有力者として君臨しているな。
戦前の大地主のまま、存続している稀有な例。
195 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:38:58
島根といえば内藤家も60万坪も
なんと個人保有でもってるな
何で法人にしないのかは不明・・・
島根って中村ってのが牛耳ってるって聞いたけど本当?
地価が都会の万分の1のド田舎の土地を何万坪持っててもたいして価値ないんだけどね
山林も輸入木材に押されて不況だし
198 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 07:01:45
田部家の場合でもそうだが、ただ山林を持ってるだけではなく、
他にも事業をやってたり、地方の名士としていろんな役職を引き受けたりしている。
199 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 07:07:40
赤穂の地主の場合、いくら安いとはいえ
住宅地をかなり持ってる
すぐに金になるところが他の地主と違うようだ
200 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 07:15:31
なんか赤穂の家の奴が潜伏してるようだなw
201 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 10:14:12
・山林はGHQでも農地解放で手をつけなかった。
・江戸時代は全国の原生林以外の山々の多くははげ山に近い状態だった。
・化学肥料普及以前、第一次大戦前には里山は燃料及び肥料確保のために極めて重要な存在だった。
・江戸期の製鉄業は、燃料確保のための山林の買収が切実な問題だった。
山林を史学的に語る場合に必要な情報は他には?
202 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 18:26:09
現代日本のいわゆる貧困層や膨大な数の自殺者の内訳はその大半が都市部中下層民なのに、
いざその対策の議論の段階になるとなぜかその焦点は農村地帯に向かう。
そして農家さん方の邸宅にまた立派な大瓦が増えるという・・・
過疎化
204 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 07:33:55
田舎では生命維持にもっとも必要な食は容易に確保されるからね。表面上の収入額ベースでは都市住民の方が
上でも、生命維持上の安定性は比較にならない。
沖縄って、農家の人がトラック一杯にキャベツを載せてダウンタウンに乗り付けて、一玉10円で叩き売るとか聞いたが、
あれは今もその状態なんだろうか。あの地は、都市と田舎の住民の心理的距離がほとんどないのかもしれないね。
沖縄の平均年収は本土の数割減、労働時間で補正すればほぼ同じなんだってさ。
過疎によって田舎住民に生命の危機があるとすれば、医療の問題くらいじゃないか? 種を撒く土地自体は、地元住民に
とってはどんどん増えてゆくわけだからな。
205 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 08:01:27
かつて過疎地で嫁不足が叫ばれたのは、女性の方が生活上の安定性確保よりも刺激を求める度合いが
強いためだろう。これまでは、都会の方が男女平等が進んでいたせいもあるが、むしろ女性が働くのは結婚
までの腰掛けという意識が強く、安定性確保の意識が弱かったことも原因だろう。今は随分変わったけど。
今の都会には刺激があっても、生まれ育った田舎ほどの生活上の安定性確保は到底望めないからね。
なお、宮本常一が書いてるけど、江戸時代とかでも娘たちがこっそり家を抜け出して他国で武家屋敷などで
奉公することがごく普通に行われていたのだそうだ。父親は猛反対するが、母親は自分の経験があるから
こっそり娘が抜け出すのを支援したりして。それを経験しないと、まともな嫁として働けなかったとも。周防国の
話。
いつの時代も変わらないかもしれない。
206 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 09:20:18
例の羽柴誠三秀吉って大地主なの?
207 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 18:14:21
TBSはこうして在日朝鮮人に乗っ取られた。 窓際社員の独り言です。
(1)1960年代
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主主義人民共和国」を"北朝鮮"と呼んでしまった、など)に対して、
朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に"在日枠"が密かに設けられる。
総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。
在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを握られ身動きがとれなくなっていく。
(2)1970年代
政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。
在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が社内で在日を積極登用。
「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」などと理想論を述べたのは良かったが、
しかし昇進差別をしなかったのは甘い日本人幹部だけで、課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。
異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。
208 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 18:15:35
(3)1980年代---90年代
昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、決定的なポストを占める。
某サヨク週刊誌の在日編集長をキャスターに迎えたニュース番組が、
学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。
1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を援護。あからさまな社会党支持。
(4)1990年代---2000年代
偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。
朝日新聞、系列のテレビ朝日が、どちらかといえば「北京の意」を汲んだ報道が多い。
バブル崩壊以降の景気低迷でただでさえ厳しい広告収入が、「サラ金」と「パチンコ」に大きく依存。まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が運営しているのがウチの放送局。
在日の局長が在日のスターを「作り上げる」ような番組制作が為され、その証拠に「筑紫哲也の番組名」が未だに存在する。
↑TBSなのか朝日なのかどっちのことを言いたいんだw
毎日新聞って、社内で右と左がガチでぶつかってるせいで舵取りが出来ないのが特徴じゃなかったか?
今の時代、マスコミはカオス状態が一番面白い。つーか今はNHKも含めてどこもカオスかもしれんが。
なお、ここは学問板だぞorz
>>169 豪族の子孫じゃね?俺の地元にもそんな地主さんがいたよ。
先祖が豪族系の神主で天皇から広大な土地を下賜されてる。
関西は豪族の子孫が多いから、そうなのかもしれないね
212 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 00:40:04
やっぱ日本の地主と小作人て西洋の貴族と労働者の関係とは違うんだな。
時代が変わっても慕って訪ねて来るなんて凄いことじゃない?
213 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 00:41:47
ところで地主ってどうゆう経緯で成るわけ?
イマイチわからんのだよね。
214 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 01:58:03
田畑が担保w
古墳時代、甕に埋葬された人骨とそのまま土葬されてた人骨は遺伝子レベルでかなり乖離が見られたという。
419 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/06(日) 23:12:04
江戸時代の地主は全部武士だからなあ。
農民は庄屋ですら、土地所有者ではないから。
421 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/01/06(日) 23:35:32
>>419 土地所有者じゃないのか
なぜか未だに土地だけはわんさか持ってるんだが
423 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/06(日) 23:40:39
>>421 それはな、明治政府の命令で、武士から強制的に、農民に下げ渡されたんだ>土地
そんなことも知らぬのか。
そのせいで士族が不満に思い、反乱を起こしてるぞ。
西南戦争だってその辺の不満もあるんだ。
424 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/07(月) 00:13:11
>>423 侍は土地を所有しているのではない。
所有しているのは自作農、町人、名主や庄屋などの地主。
知行権(徴税権、行政権、司法権)を持っているだけ。
このあたり見てきて反論があるならあちらでどうぞ
侍の子孫ですが没収した土地返してくれませんか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1181528743/ 425 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/07(月) 04:37:35
>>424 だから所有してるのは武士だって。
農地については完全に。
武士は江戸中後期とかは所有はしてないんだよな
知行権があるだけ
戦後の農地改革のせいで
日本の農業はダメになった
220 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 06:55:06
本宮ひろしの『大いなる完』って漫画の地主の描写が凄いんだが
221 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 08:08:38
地域にもよるけど庄屋や名主には臨済宗が多いな
222 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 10:36:11
在村の小地主はともかく
いわゆる大地主はすべて商系だよ
青森県最大の地主・野辺地の野村家は回船問屋
七戸の盛田家は近江商人が土着した呉服商
山形県の有名な本間家も北前船で儲けた商人だし
すべて金貸し→質流れで土地を入手のパターン
東北ばっかりだなw
224 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 17:11:23
ブルジョア寄生地主
>>224 その地主から土地を奪った経営を解せぬ小作どもが
今日では国家に寄生しているありさま
226 :
日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:26:08
瀬戸内の塩田地主ってどうなんでしょうね?
残念ながら専売制という悪法のせいで、今では塩田も塩漬けか、
用途転用したりして残っていませんが。
塩田地主は浜旦那って呼ばれて、浜子(労働者)を雇用してたんですよね。
いわゆる資本家階級ってとこですか?
身分的にはどうだったんでしょう?
旦那って呼ばれるくらいだから悪くはないと思いますが。
テレ東の塩田が劣化した件もヨロ
うちの塩田跡は未だ空地のまま。
230 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:53:11
赤穂の塩田地主の場合
茶室一棟なおすだけで一億以上かかった
もう一棟の茶室はいくらかかったかわかりません
そのほか土塀や蔵など直しています
いくら補助が出るといってもかなりの額だと思います
先祖代々の美術品を寄贈したときには
一億円維持管理費として寄付し
今は10億円で建てたホテルを経営しています
そのほかいまだ土地を住宅地を数多く所有し
国の文化財に指定された屋敷に
いまだ一般公開をほとんどすることなく
普通に生活しています、維持費はいったいいくらかかるか
生活は慎ましいそうですがとてもそんな風には見えません。
文化財に指定された家に住むのって大変なんだよなあ
ちょっと補修したくてもうるさいから辟易しちゃって、みんな他の家に住んだりしてる
そういう家って、手放した後は役所が管理してくれたりするの?
233 :
日本@名無史さん:2008/07/23(水) 01:12:58
大体が寄贈という形をとり
市町村が管理するようです
ただ住んでいる人の息吹がなくなり
ガランとしたただの見学施設になってしまいます
まれに市町村が買い取る場合もあるようです。
234 :
日本@名無史さん:2008/10/17(金) 01:50:45
俺も百町位の地主になれるように頑張る。
江戸時代の殿様は、土地の所有者なのか?
所有者は地主だろ
殿様は領主であっても地主ではない
領主と地主の違いは何?
知らんがな(´・ω・`)
建前上は公地公民の律令制度が江戸時代まで続いていたけど、
それ以後も土地の私有の法的根拠は、墾田永年私財法なの?
領主ってのは、政府や自治体のような位置付けだろ。
所有権を持つのは地主。
もっとも、村によっては、「古くからの地主」である庄屋層の地位が、
あたかも領主のごとき状態の例もあるようだが。
荘園領主→庄屋ってパターンが多そうだもんな
>241
昔は、「富農→庄屋」などといわれていたが、
近年の研究で、「荘園領主(など)→庄屋」という見方へ移りつつある感じだね。
領主層の内、豊臣期以後の、武士の離村強制時に、離村を嫌って残留したのが庄屋となった感じ。
(一部の地域では、1500年代、16世紀半ばごろから活動している庄屋もいたらしいが、
ほとんどの地域は16世紀より後から。)
庄屋は地主なの?
庄屋や名主、肝煎になれる家ってのは
それ相応の経済力と教養が求められた訳だから
多かれ少なかれ土地は持っているだろうな
日本における土地支配の変遷がわかる本ってありますか?
274 :名刺は切らしておりまして:2008/11/08(土) 21:53:47 ID:wLoLoBhM
昔の庄屋や地主といってもそんなに大きな田んぼや畑持ってたわけじゃない
大地主だけが話題になるけど小規模が殆ど一軒の地主に3軒から5軒の小作農がいた程度で生産性が高かった
わけじゃないよ昔の地主制度。
277 :名刺は切らしておりまして:2008/11/08(土) 22:04:06 ID:k/K5XuHC
東北型の地主は、その数倍から、数十倍の規模だよ。
地主は事実上経営者に近く。加工して出荷したりもしていた。
285 :名刺は切らしておりまして:2008/11/08(土) 22:35:54 ID:k/K5XuHC
関西型は基本小規模、ただし土地の生産性がけっこう高い。
そして耕作できない農地を貸しているだけ、というケースが多い。
(地主料は関西型のほうが倍くらい高い)
関西だけど10数件の小作を自分ちの敷地内に家建てて住まわせて働かせてた
って言ってたから、少なくとも10数件の小作はいたと思われ
田畑の土地面積の低い地方ですらこれだから、東北とかはもっと強烈だろうね
あっちは数100町歩の世界だから
太閤検地から後ずっと、他の村の農地を持ったり小作させたりすることに強い制限があったから、
自分の住んでる村より外の土地の地主は少ない、
基本的に村を単位としてると思っていい。
単位面積あたりの収穫量では、関西は東北より数倍も多いから(5倍を超える差があった)
面積で小さくても、経営規模は同レベルかもしれんよ。
249 :
日本@名無史さん:2008/11/29(土) 14:15:47
250 :
日本@名無史さん:2008/12/01(月) 18:12:54
戦前の地主は自分で大農場を経営していたわけではない。
日本の地主は直営地を経営するのではなく、小作に出すのが一般的だった。
また、数百町歩以上の大地主は、内地では東北や新潟などに限られており、
その他の地域は中小地主ばかりで、都市で会社員や商売を営む不在地主も多かった。
とくに千葉や埼玉などでは、ほとんどの地主が5町歩未満の小地主であり、
第一次農地改革の対象にならないものばかりだった。
こうした地主は、商人や金貸しが江戸後期の農村の階層分化の時期から
明治初年の松方財政の時期にかけて、土地を集積して成立したものであり、
零細な規模の小作地があちこちに分散していた。
こうした状況では地主が存続していても、集約的な大規模経営は不可能だった。
251 :
日本@名無史さん:2008/12/01(月) 18:15:40
農地改革の原型は、実は戦前の革新官僚によって練り上げられていた。
日本側の独自案が日の目を見たのが第一次農地改革。
ただし、これだと5町歩未満の小作地を所有する中小地主は対象外となるため、
上記の千葉・埼玉など大都市近郊の地主は無傷で残ることになった。
GHQは、これでは生ぬるすぎて改革の意味がないと、より徹底した改革を命じた。
そして急進的なソ連案を抑え、温和なイギリス案に基いたのものが第二次農地改革で、
これにより日本の寄生地主は中小地主にいたるまで解体された。
もっともイギリス自体は王室以下、貴族の大土地所有がいまなお現存しているが。
252 :
日本@名無史さん:2008/12/01(月) 18:17:29
日本の地主は直営地をほとんど持たず、小作地の経営は小作人に丸投げで、
ただ小作料を取るだけの「寄生地主」にすぎなかった。
(まあ、面倒見たり世話したりすることはあったろうが)
しかも、借金のカタに別々に手に入れた小作地が細切れ状に分散してるから、
大規模経営は物理的に不可能。
イギリスの貴族は小作に出さず、直営地で農業労働者を雇って経営するから、
そのあたり一帯に一円的に広がる領地で大規模経営が可能。
東北民は良かったな
奴隷解放令が実施されたんだから
マッカーサーに感謝しろよ
254 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:26:25
>>252 戦後、農地の区画整理行った
そのうえでなら、大規模経営できるのでは
>250
微妙な横レスだが、
「大阪府 農地改革史料」とか言う本を読む限り、
大正以後の時点での大阪府下でも、10ha以上(1000町歩)の大地主が実在する。
20ha以上の地主だっている。
大阪府の面積を考えたら、20ha以上が1〜2人と10ha以上が10人ちょっとでも、
きわめて大きな数字だろうと思うんだよ。
2000平方キロにも満たない、いわき市あたりと大差ない面積、高山市の面積を下回る、という、
狭い大阪府の面積を考えたらねえ。
10ha以上の大地主たち十数人(法人を含む)の所有地の合計だけで、大阪府の面積の0.1%ぐらいある感じか。
東北の場合と違って(?)、明治維新以後急速に、小地主の没落と大地主による寡占化が進んでいったみたい。
「直営地をもたない寄生地主」は、実質的に、ほとんど明治以後に出現したものだよ。
江戸時代には、ほとんどの地域では厳しく規制されてたし。
農地解放は、戦後の超インフレで農地売価の値段が二束三文になったのが原因。
マッカーサーのせいにするのは八つ当たりw
257 :
日本@名無史さん:2008/12/08(月) 19:46:11
やっぱ昔の地主は小作の可愛い娘を好き放題手込めに出来たんだろうか
妾作り放題?うらやましい
俺の先祖、戦前まで大地主、大正時代にアメリカ遊学、GHQの農地解放で没落
今、俺、派遣
日本が負けなければ俺も今頃アメリカかイギリス帰りで入れ食いだったはずなのに
258 :
日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:10:35
認知しなかったらしい。
>257
>やっぱ昔の地主は小作の可愛い娘を好き放題手込めに出来たんだろうか
それはないらしいぞ。
ただし。多くの女性たちの「最初の相手」になれた可能性はある。
通俗小説の言葉で言う「処女狩り」みたいな感じか?
地主・庄屋の役割ってわけじゃなくて、「(技術的に)うまい」「ある程度の年齢」が条件のようだがな。
庄屋とかの主要な地主が担当する場合が多かったらしいし。
ただ、妾とは別。
まあ、妾の1〜2人ぐらいは持てたかもしれんがな。
>俺の先祖、戦前まで大地主、大正時代にアメリカ遊学、GHQの農地解放で没落
>今、俺、派遣
いや、明治大正期、また昭和初期にも、大地主の没落は珍しくなかったから、
戦争に負けてなくても没落地主の一員だったかもしれんよ。
大地主が没落して、超大地主に集中するってか・・。
>>259 遠縁の古老曰く
普通は小作人の娘には手を出さなかったらしい。
興味もなかったってさ。
>261
だろうな。
庄屋とか名主とか、「身分制社会」のなかでは、小作人とは全く異なる身分だから、
通常の交流はない。
基本、他の村の庄屋・名主やら、下級武士(ここでは100石台〜数百石クラスのことで、
そういった武士に雇われる小者=>武士もどきのことではない)あたりの者としか、
通婚がなかったんだしな。
「小者」とか「下人」とかは、身分的には奴隷に近い位置付けで、小作より下級だし。
庄屋/名主>本百姓>(≒)小作>下人
だったわけ。
ま、なかには、小作の娘とか下人の娘に手を出すヤツもいたんだろうが、
獣姦に匹敵する非倫理的な行為と見なされてたんだろう。
>>261というか戦前戦後のある時期まで素人には手を出さないのが不文律でそ。大店の主が下人に手を付けるなんてありえない。
ただ殿はあるらしいが・・・何故だろう?
まあ、
同格の家柄の縁談相手が基本で、
似た地位の相手が数多くいる、一般的な庄屋と違い、
自分の家柄より格下の妻妾を複数持つことが基本である「殿様」の場合、
「不文律」に対する感覚が麻痺しやすいって事はあるかもなあ。
一ランク下と二ランク下、三ランク下との弁別を忘れる「殿」が、ごく稀には出現したんだろうさ。
もっとも、当の「不文律」だって、違反する人間がときおり現れては、
世間から後ろ指をさされたりしたものだろ。「殿」以外でも。
上のような理由から、「殿」は違反率が高めじゃないかとは思うがな。
うちの家は庄屋の家系で祖父がもの凄い遊び人だったわけ、それで父の兄弟達ってひょっとしてお手伝いさんの子もいるのかなって聞いたら。
昔はそういうことは厳しくて素人に手を出すことはまずなくて芸者遊びが基本だそう。
ただ・・・勝海舟。。。。っ
267 :
日本@名無史さん:2008/12/27(土) 15:57:19
ひでぇよな勝は
大阪府の中河内地方だけど、江戸時代の大和川付け替えで広大な農地が出現した。
開発者は地元の庄屋もあるけど大阪の商業資本が多い。開発免許のために公儀に
納めるお金は大和川付け替え費用も入ってたから結構割高だったらしい。
それで中小資本が開発したところは維持できなくて大資本が併合していった。
明治時代まで(極端なところは農地解放まで)一自然村まるごと同一人の所有
だったところがほとんど。
ただそういう新規開発の土地も公儀御料だけではなくどっかの領主がいる。
269 :
日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:49:42
>>268 20世紀後半に機械化して、村落消滅とかになっていればな。
とりあえず、戦後しばらくは、小作料率の法定化でしのいでおいて。
日本に、農業は必要でも農村要らない。
270 :
日本@名無史さん:2009/01/12(月) 16:28:13
フランスの方が大規模な農地をコンバインで耕作するか
外国人労働者を雇ってるのが、現状だな
271 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 14:31:29
戦中の巨椋池の干拓で開かれた新田はどうだったんだろ?
272 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:10:04
社有田
273 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 22:11:42
274 :
259:2009/02/08(日) 02:42:30
>>260-265 レスTHX
2ヶ月ぶりに見に来たわw
そうか・・・でも小作の娘に手を出さないってのは建前じゃないかなという気がする
やっぱ可愛い子とかもいたら男ならムズムズするだろうしこっそり手込めにしたんじゃなかろうか
この前、太宰治を主役にした漫画読んでたんだけど
初体験、お手伝いの女ですませてるしさ
親や親戚には言えないだろうしあってもこっそりなぁなぁにするんじゃないかなぁと思う
つまりやることたぁやってたんじゃないかという気がする、やりたい盛りな訳だし
庄屋は地域一帯の長、いってみれば王様、皇太子みたいな存在なわけだしさ
アメリカ憎しw
275 :
257:2009/02/08(日) 02:45:05
手篭めというか商売女以外に手を出した限りは一生面倒を見るってのが普通だったようだ
お妾さんって奴だな
レイーポみたいな無粋なことはしないし、やったら村で問題になる
なんか史実とか歴史とか関係なく、やりたいだけの猿と話してるようなむなしさを感じるが一応・・・
時代劇の影響だろ。現代になおしてみれば副首相ごときが現れてもどうってことないし、悪人切ったら大変
>276
村の中ではな。
村の外の場合、一概には言えん。
特に、仲が悪い村(時には敵対する村)の人間を相手にした場合は。
もっとも、そういう場合には村同士の戦争になることもあったんだろうけど。
>>275 かわいい小作の娘ってのが幻想なんだけどな
明治大正の農家の娘の写真見てみ。釣り細目出っ歯の不細工ぞろいだ
小作の娘なら風呂もろくに入らんし髪も着物もみすぼらしい
普段同階級の小奇麗な女たちを見てるのに、乞食女に目がいくかね
お前が普段可愛い女子高生や綺麗なOL見てるのに、ルンペンの臭い女に恋心抱く特殊性癖なら別だが
まあいつもの庄屋を貶めたいシナチョン あ の釣りなんだろうけどな
280 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 22:33:12
そんな娘を遊郭に売っても、買う男がいたんだね
娯楽少ないと性欲強いんですね
小作人をなめない方が良いよ。
なんといっても、この国の最大勢力だよ。
小作人は空気を読む能力が高いし、順応性もある。
今の時代は小作人の時代。
283 :
日本@名無史さん:2009/02/22(日) 02:18:21
オマエラの大半は小作人の子孫だろ。
江戸時代に小作人なんてそんなにいた?
>284
江戸時代末期なら、農民の半数は小作または自小作だったんじゃないかな。
明治末期から大正、昭和初期ぐらいだったら、農民の大多数は小作だったはず。
286 :
日本@名無史さん:2009/02/22(日) 19:48:38
闇小作の分際で何を言ってんの。
287 :
日本@名無史さん:2009/02/22(日) 19:55:47
想像で話をすんな
自分でもいくらかの農地を持ってるが、それでは足りないので地主から土地を借りて耕作する、
半自作・半小作の農家のことを自小作と呼ぶことがある。
自作の経営規模が小さくなることで増加したらしい。
江戸時代末には、いわゆる自作農よりも自小作の方が多かった。
うちは4町ほどの自作だけど隣村で遠い田んぼとかだとなんだかやで小作に出して
便利な場所の田んぼ借りて作るとかしてるんだけど・・。
江戸時代から同じことしてるんだけど・・
そういうのは・・。
4町は江戸時代では大きい方でしょ。うちは庄屋だけど1町いくかどうか
293 :
日本@名無史さん:2009/02/27(金) 19:16:17
小作人の力は決して弱くない。
小作料は地主と小作人の双方で決めるが夜10時を過ぎても決着がつかない場合も
あったらしい。
で、結局地主側が譲歩する場合が多かったんだと。
これは昭和一桁年代の話。
294 :
日本@名無史さん:2009/02/27(金) 20:30:00
木曽には馬小作の制度があった
295 :
日本@名無史さん:2009/02/27(金) 20:34:26
うちの近くに戦前かなり強引に土地を買い漁った人がいた。
豪壮なお屋敷を建てるが、モミジやツツジ等は金にならんと言う事で
当時、庭には実のなる木しか植えさせなかったそうな。
後年、その人が亡くなって立派なお墓が作られた。
周囲の人?は故人を偲んでその墓に下肥を掛けたと言うorz
今でもそのお屋敷や集積した土地もかなり残っていて
「見渡す限り○○家の山」というかんじ。
296 :
日本@名無史さん:2009/02/27(金) 23:27:34
東海地方だと今の大地主は
だいたい関ヶ原で東軍に協力した
みたい
このあたりの有力者は東か西につかなければ
ならなかったみたい
297 :
日本@名無史さん:2009/02/28(土) 01:23:43
終戦後「山林も農地解放される」とデマを飛ばして
千葉県市原あたりの森を安値で買いまくった人がいた
300 :
日本@名無史さん:2009/03/01(日) 06:38:42
ぽ
301 :
日本@名無史さん:2009/03/11(水) 18:31:01
nn
小作人は人数は多いが謎も多い。
おそらく、地主や庄屋と違い文書等で自らを語ることがほとんど無かったことも一因か。
不思議なサイレントマジョリティー、それが小作人。
303 :
日本@名無史さん:2009/03/21(土) 02:36:22
>>17 縁のない台詞だと思っていたが、最近吐きたくなる場面があった。
家が京都の地主だったんだが、その辺りは現在(というかもうずっと)高騰している場所
で不動産屋や大家が調子に乗りまくっている。
賃貸を探しに行って不動産屋にけんもほろろに扱われた時、
「こちらは大変高級で、みなさんが住みたがる場所ですので(お前はいらない)」とか
偉そうに言われた時、その台詞を言いそうになったね。
もちろん言わないよ。
身内にだって言えない。神経疑われちゃうよ。
これだけじゃ何だな。
うちは蔵も屋敷も手放したもんで、どういう経緯で地主になったのか等
不明なんだが、手柄説が濃厚だ。
それと少なくとも明治初頭から戦前(第二次世界大戦ですw)までは
同程度の地主同士でカッチリ縁組みしていた。
どこまで辿っても、地主からしか配偶者をもらっていない。
上とも下とも混じる事がなかったようだ。
これは全国的な慣習だったのか、京都は特に強固だったのかは分からない。
304 :
257:2009/03/21(土) 02:44:20
なぁ、日本が戦争負けてなけりゃあなぁ
今ごろ俺達、エスタヴリッシュメントだったのによぅ
鬼畜米英憎し!
>>303 高騰してる場所の地主が不動産屋に賃貸を探しに行った状況がよくわからんのだが
自分とこじゃないのか?
>>304 低脳はずっと数字コテつけといてくれな
あぼーんが楽だ
307 :
日本@名無史さん:2009/03/21(土) 20:02:05
「うちは元武家だった」とか「隣の町まで他人の土地を踏まずに行けた」
とか云うのは話十分の一ぐらいに聞かないと、聞いてるほうがバカを見る。
じいちゃんのウソツキ!
>>305 ご多分にもれず、現在は土地なしです。
恥ずかしい話だけど、身内でのもめ事とか色々あってね。
分家筋はまだ多少持っているみたいだけど、
分家筋に借りると怒る人達がいて、不動産屋に行くしかない事情。
で、不動産屋からは「案内?あー無理。物件見たければ、外から見れば?以上」で
切られている。
小作の方がかつて味わった屈辱はかようのものであったかと想像して
心を落ち着かせるしかない日々だ。
しかし今でも
>>177みたいな生活してる家があるんだね。
昔の地主はそういう感じだったみたいだけど。
縁組みの際にお手伝いさんを何人も引き連れて嫁入りしたり
子供一人一人に乳母がついたり…
私の所は昭和中期までかな、そういうのは。
今は自分でお風呂の掃除もして、自転車で行動する生活だよ。
お茶はお客様に召し上がりたいものをお尋ねして、
濃茶をご所望されれば点てさせて頂く。
桜のお茶もいいね。
昔の家はどこもそうだったんだろうけど、
夏になると一斉に家中の障子が簾戸へ
食器も陶磁器からガラス器に変わったそうだ。
この辺は今でも取り入れられるかね。
地主ごときがいい家だったとは思わないんだが
とりあえず体力はない家系だな。
これは切実な問題。
ウチも爺さんの代に、爺さんと継母、腹違いの弟達と相続争い。
小作達も徒党を組んで流血沙汰の抗争。
結局、爺さんは殆どの財産をむしり取られて家を追い出された。
腹違いの弟達も戦後の農地改革で殆どの土地を奪われて没落。
>>310 流血沙汰の抗争とはすごいね。
おじいさんはさぞかし気落ちされたことだろう。
本当に大方の地主は没落したね。
うちも養子を入れたあたりからややこしくなったみたいだよ。
数年前にそのややこしい養子(今も年間数億の地代収入がある)が
跡継ぎになってくれと行って来たけど、なんか断っちゃったよ。
そんな筋の養子に入ると親が悲しむし、いとこ達もみんな断ったしね。
貧乏なんだけどね、みんな。
最近屋敷の前を通ったら、どこかの会社の保養施設になっていたから
どうもその老養子も死んだっぽい。
孤独死かな、よく分からないけど。
>>308 そっか。大変だな
いっそ遠く離れた土地で住んでみると意外と楽だぞ
>夏になると簾戸やガラス器に
田舎だと数十年前まではそんな感じだったな
でもあれ大変なんだよね。一日仕事どころじゃない
農地改革で土地を取られたと思っている人は多いが、それは誤解。
農地の価格は、とても小作が買える値段ではなかった。
しかし、戦時中の価格統制と国債乱発で、戦後はハイパーインフレになり、
あっという間に小作でも買える値段になってしまった。
戦後の経済混乱で財を成すものもいれば、何が起こっているのかわからず失うものもいた。
なるほど…
自分の家の場合は、時代が変わったのにお金の使い方が変わらなかったのが
失った原因らしい。
>>313の後者になるのかな。
>>312 遠くかー。
本当だね。
>一日仕事どころじゃない
そうか。体力いるんだね。
体力より人手だね。
やはり、金がないとできないよ。
317 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:31:26
hosyu
高校の時の教師の実家が戦前規制地主で農地解放で全部取られたってぼやいていた。
で、食うために薬店始めたは良いが国民皆保険で往復ビンタ(爆
319 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:39:56
地主家系が周りに多いんだが、みんな真面目だな。
公務員、教師、士業が多い。
320 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:59:04
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
あいつ女だったのか
つかあぼ〜んに入れとけよ
この板でのお約束だぞ
322 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 02:18:15
地主神社
323 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:57:03
>東北民は良かったな
奴隷解放令が実施されたんだから
マッカーサーに感謝しろよ
お前らは東北人をなめているが、東北には武士や農民や商人しかいねえんだよ。 関西みたいに□□=奴隷がいなくて良かったよ、まったく。
東北には昭和まで名子などがいましたが?
穢れ職を一般人と分けてただけで、穢れ職も一般人がやるような地域住人なんてBと同じだよ
326 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:06:44
漏れの曽祖父は北陸の方から流れてきて
或る地主の家に奉公する。30年ほど働いたら、
家と幾らかの田畑とその家の苗字を貰ったと言う。
今でも盆暮れにはその家に挨拶に行く。
327 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 19:21:34
>>292の言ってる町って‘まち‘の町?
端とか坪とかの単位の町?
エロい人教えて。アホですいません。
>>327 昔の単位で町歩。1町歩≒1ha≒3000坪
親の故郷帰るとヘクタールや坪単位で話さない
みんな町歩とか県境、山単位で土地の話してたな
狭い狭い農地の少ないド田舎でも地主の話なんてそんな感じ
戦後、家の町(元村)も地主が何軒かあって、没落した家や、まだ土地はいくらかあって貸家や田畑を貸している家もある。
もっともそれだけでは生活は無理で、普通に淡々と働いているが。
逆に農地解放以来、威張っている元小作もいる。
地主ってのは、ちゃんと仕切ったり道義だってきちんとしてなきゃいけなかったんだよ。
今は、上に立てば何でもありだ。下品になったよ。
あぼーん
332 :
日本@名無史さん:2009/08/31(月) 01:00:22
>>326 まだ挨拶にいってるんだね。ご立派です。
現在、その地主さんの暮らしぶりはどんな感じですか?
333 :
日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:25:01
私の曽祖母の家も地主で、戦後の農地改革で
農地はすべてなくなったが、山だけ残ったそう。
山では松茸がたくさんとれたらしい。ちょっとうらやましい。
父は小さい頃松茸を焼きそばに入れて食べていたとのこと。
335 :
326:2009/09/12(土) 23:33:28
>>332有難うございます。
やはり、戦後の農地解放であらかたの土地は譲ったみたいです。
現在、幕末以来の家業である造り酒屋を営んでいます。
長男に嫁の成り手がいないのが悩みの種だそうです。
うちは戦国武将の家臣でした。やはり農地解放で土地は減ったけど農家やって、一部企業に土地貸してます。
山形の本間はなんで農地解放を免れた? 山ばっかだからか?
本間家は商家じゃないの?
皆さんに質問です。
うちは奈良中部の地主なんですが、非常に血縁関係が濃いです。
祖父と祖母(祖母の母は曾祖母の姉妹)が親戚関係、曾祖父と曾祖母も親戚関係です。本当に親戚関係がややこしい…。
昔は普通だったんでしょうか?
>>339 普通だね
昔は同格の家とじゃないと婚姻できなかったし、農家とかなら同郷同士じゃないとダメだっただろ
地方で同格の家ってのは限られてくるから血も濃くなる
>340
>農家とかなら同郷同士じゃないとダメだっただろ
さすがに同郷ってほど厳しい制限じゃないと思うが、近郊・近郷に限られるのが普通だよね
それでも、隣国とか遠国の人との婚姻もないわけではなかったはず。
ただ、いわゆる地主の場合、庄屋をはじめとする村役人クラスなら、
旗本とか御家人とかの中級武士との婚姻も許容されてたんじゃなかったか。
そういう感じの親類関係(婚姻関係じゃなく分家/遠縁の、だが)が実在したのは確か。
土地持ち農家がそうだってだけ
土地に縛られてたからね
商家や村役はこれにあらず
つか旗本は中級武士じゃないぞ
お目見えできるし上級武士だ
大身旗本なんて大名と変わらんし
>343
スマン、中間一人ないし数人ぐらいしか連れないレベルの末端をイメージしてた。
本間家ももともとは佐渡、、さらに元は厚木なんだな ルーツは・・。
森ビルの森さんもいっぱい土地もってそうだな
戦後の焼け野原をどさくさで買った学者さん森
348 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 13:37:06
うちのばあちゃんちもなんか村の共同墓地とは別の畑の真ん中に家一個分くらいの敷地に3mくらい土を盛って作ったでっかい塚に先祖の墓があって、ばあちゃんに聞いたけど、誰の墓なのかわからないって聞いたけど、
みんなもそういう先祖の塚ある?
349 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 13:44:49
それは何か特別なんじゃない?
誰の墓かわからんのがあるのは墓守が淘汰された昨今じゃデフォだけど
普通は個人墓といって数十年サイクルでまわされていたものだから。
塚を作って末代保存してあるってのは墓じゃなくて陵じゃんな
つか微禄の下級旗本をも上級武士というのは無理がないか。
あぼーん
あらあら
353 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 02:14:13
大阪南河内地区のマンション経営者の大半は、にわか成金。
農地改革で土地を貰った貧乏小作の末裔のくせに百姓もせずに偉そうにマンション経営。
その子供は100%がお気楽な公務員。
もらい物で生活してる香具師を乞食と言うが、そんな不労所得者からは乞食税を特別徴収すべきだ。
354 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 03:32:02
>>353 むしろ開拓だよ
戦後外地から引き上げてきた連中に山林をあてがった
北海道とかに入植した連中は悲惨だったけど
千葉の御料牧場の敷地を分けて貰った連中は空港用地になって大儲け
南河内は外環状が開拓の農地を買い上げて通ったんだ
>>353 そんなの南河内に限らん
どこでもそんなもんだ
あと〜地区とか言わないぞ
356 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:25:41
ぽん
357 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:49:08
>>339 普通ではないと思う。
うちは京都市内の地主で、明治初年からの結婚の詳細な調査履歴があるけど
身内同士の結婚はゼロだよ〜。
京都、大阪の同格の地主から嫁を貰ってます。
「同格の地主」という縛りは強かったようで、第二次世界大戦が終わるまで
全ての結婚がそうです。
ちなみに、上記のような事情から私の父方の先祖はみな様々な地域の地主だが
一つの例外もなく没落しておる。
京大阪は都会だから人口も多くて同格の地主が多かったんじゃないかな
地方だと同格の地主を同郷から探すのは割と大変だったりで
相手が見つからないと出家か養子行きなんだよね
359 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 15:04:12
田舎は少ないだろうね。
ただ地主の子供は都会の学校(女学校、旧制中学、師範学校、私塾等)に入ったから、
その縁があっただろうと思うんだけど。
それ(縁づくり)も含めて都会の学校に行かせたわけだし。
>>359うちは唯の庄屋の家計だが昭和初期に華族の外孫の嫁さんを貰ってる。昭和初期には同格もへったくれもないんじゃね?
ある程度の家柄以上ってのは当然あるだろうけど
>>360 >ある程度の家柄以上ってのは当然あるだろうけど
そういう意識をあらゆる階層が持つから、同格とかいう考え方ができてくる。
昭和にもなると、華族と資本家・地主の階層が同化しはじめたのかも。
血が濃いのは、地主だけじゃなく小作でもありえる。
うちの母方も小作の家だけど、数代前は血が濃かったらしい。
叔父×姪や、姉×弟もあったらしい。
家産もほとんどないし、同格の家にも不足しないような小作の家でも普通にあることかもしれない。
363 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 20:39:41
364 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 13:56:02
地主でも次男三男は兵役もあるし、家を継ぐことも出来ないで
都会に職を求めた人が多くあったはず。
だから都会の人口が増加した。
>>359 都会から離れた田舎だと女性を都会まで通わせるのは無理だったようだよ
うちは分家とかに養子口がない、縁組先がない場合は出家してた
寺を数件持ってたんで寺の主やってたみたいだけど、明治の合祀令のときにほとんど潰されたみたい
>>360 昭和になると財力で同格とかだから
麻生さんちとかそうだよね
庄屋さんが皇族と縁組だし
うちの地方だと家同士の同格婚が残ってたのは明治ぐらいだな
だからうちの明治までの親戚ってやたらと豪華なんだよね
落ちぶれた今でもちょっとだけつきあいが残ってるんだけど
その豪華な親戚に合わせるのが金銭面で大変だといってた
>>359 学生時代に個人間で縁を持つなんてほとんど無理だよ
女学校行ってた婆さんは、知らない男と口なんて利いたことなかった
そんなはしたないことできなかったって
369 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 22:24:56
>>366 うちの地方ってどこ?
ここ学問カテだし、最低限地方ぐらい書いて。
371 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 22:39:38
>>368 >学生時代に個人間で縁を持つなんてほとんど無理だよ
卒後50年経っても、旧制高校時代の仲間(の内でまだ生きてる連中)と
連絡とってるじいさんいっぱいいるよ。
同じ釜の飯を食って一緒に青春を過ごした仲間だからね。
女学校で男と直接知り合えとはいってない。
今の大学じゃないんだからw
間接的な縁の話だよ。
いやだから男女間での個人縁ってこと
男女で兄弟じゃないとまず無理
つか、明治でそんなことがあったら醜聞になってた
嘘みたいな本当の話
373 :
日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:51:54
男女が直接知り合うなんていってない。
そもそも自由恋愛の話をしてるんじゃないんだから。学閥や学校での縁を介したお見合いの話だよ。
明治大正と師範学校旧制中学行ってた親戚は全員自由恋愛で結婚してるな
なぜか学閥とか学校の縁でってのはいなくて成人してから縁のあった人ばかり
親の決めた人なんてって反骨精神があったのか単にみんな面食いだったのかは知らんw
>>363 東北の田舎。別に山奥とかでもない。普通の農業地帯。
339だけど、実家は商家出(今も製薬業・昔は紡績や材木もやってた)の地主だわ。祖母の家も商家出で北摂の大地主。
曾祖母の家は同じ県内の武家。
バイト先のオーナーが地主だったな。
土下座して地主の家に婿に入ったらしい。
378 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 16:31:04
商家出の地主って意味不明なんだけど、新しい地主のこと?
>>378 商売で得た利益を土地に換えたってことだろ
江戸時代から普通にあった
380 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 02:14:33
381 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 21:33:15
,,____
/三彡ミ三,,,,、___,ヾ、
/彡´:: ::´ ヾ、
,'ソリ:::::: オバマ命 ミi;
|ソ::::... :; :::... ヾ;i
i:::;:::::::: :;__ :::... :;ハ
,、_;リ_,;乍三ヾハ _ :|リ
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Yt |::::..´ V `..::::ノ:: {`ゞ'`:::Yrハ
{Y;:::::::: ` - ',,..::::〉 ;ヽ、___ノ::レ' 寄生地主制は解体!
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∧ 、::::::::::〈 _::::、,,,:::.. :::i 自作農創出の名目に日本の食糧自給率下げてヤレ!
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/:::::::::ヽ、\_::::::... ` ̄ ::/
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:::::::::::::::|::::::::::::::::::::::ハ `>=く |:::::::::::::::::\
:::::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::::! /:::V::| :|:::::::::::::::::::::::`:-..、
トルーマン大統領
>364
通例、都市部では未婚率が高くなりやすかったり、
疫病の流行頻度が高かったりと、いろいろな不都合が起きやすかったから、
流入する人々が多かった割には人口の増加が緩やかだったんだよね。
都市部の(名目的な)人口増加率よりももっと激しく人口が流入してたんだよ。
「都会に職を/食を求めた」人の多さは人口増加の度合いを大きく上回っていた。
どれほど多くの人が都市に流入したのかは、調べる方法すらない。とにかく、ムチャクチャ多かったらしい。
383 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 07:47:48
これは地主ですか?
母(59歳)の実家は大きい古民家で村のある地域の山の一番上に建ってて庭もあります。
今でも田も畑もあり母が言うには昔、地域の中では金持ちで不自由しなかった。って言ってました。
母が小さい頃は田畑の他に沢山の鶏や蚕や鯉やヤギは1頭だけ飼ってたみたいです。
母は特に先祖の事とか聞かなかったみたいで分からないけど小さい頃、土蔵に刀があった。どんなんか覚えてないけど家紋も見た事ある。と言ってました。
私の祖父が明治生まれで家は江戸時代からはあるらしいです。
曾祖父とかの墓もあるみたいなのでもっと前かもしれないですが。
地主だったんですかね?
なんだか気になったので。
384 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 21:43:05
じっくり歩いたことないけど、変だよね。
なんなんだろう? 結構な地価で、高級な場所であるにも関わらず
歌舞伎町とかなんかとは別の意味でちんぴらくさい
サラリーマンとは違う人たちが多かったり。
なんだかなあ
日本人は相続で大変な課税があるが
在日かの国は色々優遇があり
日本人が手放していくのと反対で
かの国人が土地をどんどん買っていくという話を聞いたことがある
>383
地主って言うか、庄屋/名主の家だったっぽい雰囲気だね
古くは城郭(と言っても平屋だろうが、天守閣の出現以前には城ってのは平屋だったわけだからして)
だったのではなかろうか。
386 :
日本@名無史さん:2010/03/25(木) 00:41:46
興味深いな
387 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 19:28:53
そうね
江戸時代ではお蔵番だったらしいが色々あって御家取り潰しになりました
鎌倉期に関東から薩摩に移住して以降順調に増え続け集落まるごと親戚状態
名字で呼んでも埒があかないから皆名前で呼び合ってるわよ〜とは祖母の談
本家は戦中に自治体長を務めてた
390 :
日本@名無史さん:2010/06/26(土) 23:24:41
何の話やねん
391 :
日本@名無史さん:2010/06/28(月) 17:57:29
>>313 ばーちゃんは「隣村以上離れてる農地は没収されるから、
小作人に二束三文で売った。」って言ってた。
没収されるよりはマシだから、小作人が出せる範囲の金を取ったというのが真相かと。
>>383 >>385も言ってるけど、おそらく郭や堀が残ってるのでは。
山の頂上にあるのは山城と思われる。
普通の農家なら水を入手しやすい山の麓に建てる。