【日露戦争】旅順攻略における白兵戦3【203高地】
601 :
日本@名無史さん:
602 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:35:02
攻めて攻めて攻めぬいた明治の青春!!!
603 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:39:43
江川の漫画はやく日露戦争に突入しないかな〜〜〜
604 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 00:23:18
最近このスレつまらん。
質が落ち始めている。
605 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 06:19:24
週末に子供の剣道の試合を観戦してきた。
開会式の後、演武ということで、居合いとか合気道などを数種目やるのだが、
その中に「銃剣道」というのがあった。いわゆる小銃に短剣をつけたあれ。
木刀をそれに合わせた長いものに仕立てて槍術のよに突くんだけれど、
妙にリアリティーと迫力があった。拝見するの初めてだったせいかな。
柔道、合気道、空手、はまあ現実的として剣道とかはなにかバーチャルなニュアンスがあって
真剣と竹刀・防具のスポーツってな感じなんだけど、「銃剣道」、、、。
なんか必殺とか人を殺す。という気迫があったよね。
なんか不思議に圧倒されてしまった感じ。
白兵戦だから、こんなネタでもいいでしょう。
銃剣道って日清・日露戦争あたりの白兵戦重視の頃に生まれた武道ですよねー
たしか
607 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 13:07:21
いやね。子供にはなんの抵抗もなく剣道推奨してたんだけど、
「礼にはじまり、礼におわる」っていう感じで。
居合いに対してもそんなに抵抗はなかったよね。チャンバラ好きだったし。
斬るのと、突くとの差なのでしょうか。
それとも演武の師範の先生の眼光というか気迫に引いてしまった。
ありゃ、完全に相手死ぬね。ここで、旅順の白兵戦を語っていた一参加者として、
妙にその生々しさが、きっとヘタレといわれてもしょうがないんだろうね。
いやはや、第三軍のみなさま御苦労様って、
午前中、仕事で近くによったので増上寺で拝んできたところ。
まぁ、ロスケやメリケンにはマシンガン乱射という手があるからのう。
銃剣道とガチでやればおもしろいかも。
609 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 21:02:27
うん、そりゃそうなんだけど。
当時のロシア陸軍が世界最強っていうのは数もそうだけど
白兵戦の強さっていうこともあったという話でしょ。
ましてやスラブだから体格もデカイしね。
無差別級k1って感じだよね。スーパーヘビー級対ライト級デスマッチ。
諸外国の観戦武官はこのあたりでも歓んだのかな。
610 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 21:19:09
いや、ロシア兵はやるきなしだったから
それほどでもなかったんじゃない
体格だったらドイツ人もでかいし
>>610 やる気無しってのはないだろ ロシア兵はガンガン突撃かけてきたぞ
今の日本人の中(自衛隊も含む)に
あの旅順要塞に突撃できる人はいるだろうか?
もし自分があの立場だったら
むりむり・・・・。
逆ギレして伊血遅切り比す奴が出るだろう。
それはそれでお国の為なんだが・・。
614 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:30:34
>>612 当時も変わらないと思う。一部の武士家系の将校は勇敢だったみたいだけれども。
615 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:42:00
>>612 テレビもなく情報が発達してない時代だからこそ
近代要塞の恐怖も知らず突撃できたんじゃない?
兵士一般が農村出身でスレてなく従順だった。真面目でもあるし・・・
617 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 01:04:44
日露戦争では一度も銃剣突撃命令は出てないぞ。
618 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 01:57:17
日露戦争までは純然たる独逸式の歩兵操典だよ。
火力至上主義の時代だったんでわけだが、
ロシアはフランス式だから白兵戦を挑んできたりした。
619 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 03:22:46
でも結局、弾丸の補給が出来ずに火力主義を徹底出来ずに戦後は白兵主義になった。
620 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 05:14:59
ロシア兵士の捕虜と行方不明者の数の多いこと。
上の命令でこんな極東くんだりまでやってきて、はやく帰りたいよ。
でも、攻めてこられちゃあ、仕方がない。
必死で守っちゃうもんね。本当は強いんだから。あっ、
撤退命令だ。
毎度これだと調子狂うんだウラー。
本来、ロシアの南下阻止は中国の役割だよなぁ。
出来なかった中国がチャンコロと呼ばれるわけだ
622 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 10:08:18
アジアにおいて独立国と呼べる国は日本だけだったからね。
まー反論もあろうかと思いますが。
朝鮮や中国がロシアを防いでくれていれば、
日本が出張る必要性はなかったでしょうね。
623 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 10:15:40
>>619 なってない。
日本陸軍の装備の変遷を見てみれば分かるが、ひたすら火力主義を通している。
日本軍は白兵戦強いんだぜ!というのはハッタリの部類。
624 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 11:01:00
625 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 11:12:30
韓国朝鮮という国と民族は自国をまとめるとか自立する能力に欠けている。
過去の歴史をみれば一目瞭然。別に日本が特別なことをしたわけじゃない。
そんなのが隣に存在するから危なっかしくてしょうがないんだよ。
ああ、すっきりした。
一応、他では言えないもので、この場をかりて
「王様の耳はロバの耳!」
626 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 11:24:41
隣国への配慮から
上陸用のボートでの訓練も遠慮する国ですから。
627 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:08:24
628 :
白馬青牛:2006/02/14(火) 23:53:04
このスレは久しぶりに書くが、白兵戦は、日露戦争でも日本陸軍の
お家芸であった。中には白兵戦で支那兵より弱い露軍如きに負ける
弱い部隊があったかも知れんが、その弱い部隊は何処の郷土部隊かいのう?
我が沙河会戦の広島第11聯隊の五里台子の占領においても、
「十月一日未明(午前二時頃)第三中隊の最高地占領を始めとして、
午前五時頃敵陣に突入し白兵戦となり、」とあり、戦闘の決勝が白兵戦に
よるのは、明治期であろうと昭和期であろうと変わりない。
白兵戦に負ければ、勝負付けが出来、爾後戦闘に支障をきたす。
絶対に負ける訳にはいかん。勝負事に体格も糞もない。体格で劣等感を
持つ日本男児がおるとは情け無い。役人化した武士の家系云々も関係
ない。勝負する相手に勝たにゃあ意味が無いんじゃがのう。
まあ、わしは、お国自慢板「郷土の英雄帝国陸軍師団の歴史」で、
昭和期の白兵戦について様々な例は書いておるが、広島部隊は、
中露英米豪等に白兵戦で負けたことは無い。
629 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:13:36
白襷隊に生き引導わたしたのは本願寺の坊さんだっけ?
さすが安芸門徒!
南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土!
結論 広島人が強いのは 親鸞聖人のおかげかな
630 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:40:08
>>617 >日露戦争では一度も銃剣突撃命令は出てないぞ。
要塞を攻めるのだから
火力至上主義の独逸式でも、火力で叩いた後は嫌でも
白兵突撃を強いられるのでは?
戦闘の決勝が白兵戦によるのは、独逸式でもフランス式でも変わりない
のでは?
俺は大正モラトリアムww
要塞に攻め込んでも銃撃戦でだいたいのロシヤ兵は撤退してる
>>1の考えてるようなサーベルや銃剣での俗に言う「白兵戦」はあまり無かったのでは。
>要塞に攻め込んでも銃撃戦でだいたいのロシヤ兵は撤退してる
撤退しているのだったら一日で陥落してるわな。
おいらは某小説読んで日露戦争に興味持ってから、第三軍で旅順に行った地域の方々は凄いと思いはじめた。
635 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 13:54:35
>>628 お久しぶりです!
また貴重なお話し聞かせて頂けると有り難いです。
637 :
白馬青牛:2006/02/17(金) 01:57:04
>>629 広島部隊は、思慮の浅い無謀な突撃を繰り返した訳では無いので。
広島部隊の浄土真宗の影響は、敵味方や現地民に対する温情に現れた
ものじゃと思う。
>>635 日露戦争では、戦記や一兵士の手記も少なく、当時の兵士の戦闘心理も
描写も少ない。また日露戦争体験者の曽祖父の話を祖父から幼い頃聞いた
ぐらいで、大雑把にしか言えませんが、戦闘の概要や事例について
語ってみたいと思います。
638 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 20:42:36
浄土真宗かあ、実は俺も真宗なんだよなあ。(親とか家系での話ね)
それはいいとして。
海軍とかは日蓮宗とか結構盛んだったのかな?
明治の軍隊とかは結構、信仰宗教が盛んだったんだろうか?
真之って日蓮宗にはまったんだっけ?
>>632 日清戦争では白兵戦はなかったって暖朗の本に書いてる
641 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:36:24
小笠原長生にすすめられて一時入信するも
しっくりいかなかったようですな。
海軍サークルは結構日蓮宗が多かったもでしょうかね。
真之は自分にフィットする信仰を色々探していたようです。
あの大本教にも入信しましたが、彼を満足させるものではなかったようです。
642 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 03:19:54
年も改まって2月も中旬
そろそろ黒溝台の戦いなんてどうでしょう。
いいねぇ、黒溝台。
644 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 08:33:41
黒溝台といえば、松川敏胤。
彼の人気は伊地知に匹敵するくらい、悪いね。
児玉はその才能というか優秀さを認めていたようだけれど、
これ、性格が厄してとの認識でよろしいのか?
645 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 09:09:59
ロシア陸軍が冬季に軍事行動を起こさない。というのは
ある程度の根拠はあったわけかな。
これ、もしかして、福島安正の提言なのかしら。
それとも、福島とは別に情報部を主宰していたいう松川の持論が強く働いた?
松川がその概念に固執したとすれば、後者の方なのかな。
646 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 09:29:21
いろいろ楽しくなってきたな
647 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 13:26:40
松川がというよりも児玉自身がそうあって欲しいとの願望があったんじゃないの。
砲弾とか第三軍の到着とか色々準備に時間を稼ぎたかったとか。
648 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:13:44
松川敏胤はそんなに嫌われますか
ダメですか?
それも司馬タンのせいですか
海は死にますか
ヤマハ春の音楽教室受講スタートですか
649 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 16:45:57
今の流れって、
旅順陥落
↓
第三軍、北上中のあたりですよね?
初心者ですみません。
650 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 16:48:24
このまま黒溝台にいけばスレから外ずれるぞ。
651 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 16:55:58
旅順→の流れが聞きたいので
黒溝台オッケーでいいっすよ。
そしてまた旅順。
そしてエンドレス!!
日露聞きたがり君より。
伊地知のエピソードって、せいぜい「送るに及ばず」と返電しただけじゃないのか。
もっともその返電の存在を示す証拠はないけど。
司馬煽り
654 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 05:20:14
イ、伊地知、、、。
また、そのどうどうめぐりなの。
旅順さんざんやって枯れてたんじゃない。
レベル落ちたと指摘されてるし。
乃木をちゃんと評価するには奉天会戦までいかないと
旅順だけじゃあ無理がある。と、思わない。
>>573>>575 真之のそんなとこが非常に魅力的
みんなに愛されるなにかを持ってたんだろうね。
======
なにかはよくわからないけど。
だから100年後も
早く黒溝台に行かないと。露すけが攻勢に出るような雰囲気なんだ。
し、信じ、てよぉ〜。
657 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:48:09
アノ リョジュンヲオトシタ、ノギ ガ ヤッテクルノデス。
ドウシヨウ〜
658 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:24:26
せかく秋山が報告しているのに。
だいたい鈴木何がしとか、
「日本の白兵主義」を貶したくて針小棒大、牽強付会する連中がいる。
それに加えて政治的な工作員、
さらに戦後社会で生まれた想像力しか働かない
身勝手な妄想でかつての日本陸軍を矮小化したい連中もいる。
軍板の醜さはそういう部分。
660 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:34:59
なんじゃ、爺。
急にどうした?
醜いにはオタクの世迷い言じゃ。
661 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:17:29
信じてもらえない秋山好古って、当時の陸軍では
さほどの存在ではなかったのかしらん?
662 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:29:54
永沼挺身隊始動!
孤高の男 秋山好古
664 :
白馬青牛:2006/02/21(火) 02:08:00
白兵戦は、日清戦争の大島旅団の大同江の激戦もそうであろう。
日清、北清(義和団事件)、日露戦に参戦した曾祖父の話を、幼い頃、
祖父から聞いた話からも伺える。まあわしの曾祖父は、筋の通らん曲がった
ことが嫌いで、気にいらん上官を制裁する「悪兵」の典型であったが。
明治期、白兵戦が無かったとするのは、古老の体験者の話を聞いて
おらん、現代思想から推測した意見に過ぎん。
広島第5師団が、感状を授与された黒溝台の戦闘であるが、
食糧が凍って食えないという困難な状況の中進軍した苦労もあった。
銃剣突撃命令はなかった、という話じゃないのか。
挺身騎兵隊は団子汁食ってたらしい。
むちゃ寒いから(それこそ飯が凍る)あったかい汁は好評だったそうな。
667 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 07:46:35
黒溝台の戦いはもともとは旅順支援の一貫として計画された。
ところが、行動するまえの旅順は陥落しちゃんたんだね。
ロシア軍が冬季に行動しないとする見解はあながち間違っては
いなかったかもしれないが、現実はやってきたわけだ。
どうする、松川君、児玉さん。
むしろ、松川・児玉以外のやつらは何をやっていたのかと。
669 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 14:01:24
日清戦争でも、兵隊どうしの小競り合いくらいはあったでしょう。
まあー白兵戦と呼ぶかどうかは知らないけど。
670 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 14:07:03
>>666 そうゆう微妙な情報大好きだよ(^O^)
なんかリアルで。
たんくす!!
671 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 16:25:49
その頃、乃木は、
奉天へ出発準備中。で、いいのかな?
672 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 18:21:56
立見第八師団始動!
黒溝台ー沈旦堡ー韓山台ー李大人屯
674 :
白馬青牛:2006/02/22(水) 01:23:32
>>669 命のヤリトリが、小競り合いぐらいとは可笑しげなことを言うのう。
話は変わり、2月22日と言うと、大山司令官の訓示。
「近く目前に横たわる会戦に於ては我は日本帝国軍の全力を挙げ敵は満洲
に用い得べき最大の兵力と思わるる軍隊を揚げ以て勝敗を賭せんとす。
是重要中の重要なる会戦にして此会戦に於て勝を制したるものは此会戦の
主人公となるべく実に日露戦争の関ヶ原と云うも不可ならん故に吾人は此
会戦の結果をして全戦役の決勝となす如く努めざるべからず従て土地を
略し、塹壕を陥るるは此大作戦の主眼にあらず。
要は須く可成多大の損害を敵に与へ敵をして復起つ能わざらしむるにあり
然るに諜報の伝うる所に依れば黒鳩禽(クロパトキン)大将は此度の
会戦に於て退却する者は日本兵の武器に斃れずして退走を罰する刀剣の
錆となるべしと命じたる由なり。
果たして真ならんか彼も亦此度の会戦を以て最後の決戦となすを知るべし
黒鳩禽大将の精神を以て精神となす時は其交戦の頑強なる敵に遭遇するの
覚悟を以て戦わざるべからず・・・」
675 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:34:57
立見さん幕府方で戊辰戦争のときも長岡で相当活躍してるね
若い頃から能力あんだね
立見さんは郷土の英雄w
677 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 05:36:28
第八師団といえば「八甲田山」じゃな。
因果なものじゃなあ
678 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 15:15:58
司馬は松川も扱き下ろしたぞ。
なぜ、松川を擁護する者はいないのか!?
捏造小説の正体を暴け。
日本国存亡の危機を救った作戦参謀の名誉を回復せよ。
松川は児玉のスケープゴートにされたと。
児玉は美化された英雄だと喝破せよ。
679 :
白馬青牛:2006/02/22(水) 22:47:31
立見尚文氏の評価は、広島人としてはねえ、難しい。広島第5師団への
感状の文面に福山第41聯隊の柳條口の戦闘に「敵の機先を制し我が二倍
する敵を撃襄したるは勇敢敏捷な動作にして」浜田第21聯隊、即ち、
村山支隊の「優勢なる敵の歩騎兵を撃襄し」として結果「其功績偉大なり
仍て感状を附与す」明治三十八年二月三日、第八師団長、男爵、立見尚文。
とあるが、広島第11聯隊の摺沢支隊の活躍が文面にない。
摺沢支隊は、弘前第8師団の苦戦を報じられ、救助すべき命を受け、広島
第11聯隊第一大隊(第四中隊欠)と第五中隊をして第8師団の左翼に
連携して黒溝台の攻撃に参加し、敵前500メートルまで進んだが隣接隊
との関係で一時蘇麻堡に還り、翌二十九日朝(午前8時すぎ)黒溝台を
占領、更に渾河を渡って烟台子までも占領した。爾後聯隊は大台において
第5師団の指揮下に復帰し敵の来襲に備えたが、二月四日朝に侍従武官が
宿営地に来着して勅語をたまわる。後に続く。
黒溝台会戦は一月でしょう?
第八師団、の生き残りが私の知り合いのひい爺さんにおります。(もう亡くなりましたが)
「八甲田山」へも福島大尉と行って来ました。
あの「映画」でラッパ吹いていた者です。
ちょいと聞いてる話があります。そんなに多くはありませんが。
勿論黒構台会戦の生き残りです。
立見尚文ってまじ人気ありますよね。
あの漫画家も立見さん大好きみたいだし。
682 :
白馬青牛:2006/02/22(水) 23:29:48
続き。侍従武官が来着、勅語を賜う。(このスレでは、感状、勅語等の
文面をカタカナをひらかなに直しております。)
「満洲軍は其の左翼に優勢なる敵を迎え勇猛果敢之を運河右岸に撃退し
其企画を挫折し多大の損害を与へたり 朕深く之に従事せし将卒の労苦を
察し其功績を嘉す」このとき聖旨の伝達に「両陛下は出征兵士の寒苦を
聞召され厳寒中も御座所の暖炉を焚かせ給わず」と。
上記の隣接隊との関係で蘇麻堡に還ったことも、鈍重で余り強くない
東北兵の弘前第8師団と仙台第2師団と共に闘う戦闘では仕方ない。
しかし、天聴にも達した武勲の広島第11聯隊の功績を無視した、
立見臨時司令官の態度は如何なるものか。さほど武勲のない弘前第8
師団長として、せめて黒溝台の功績は我が部隊にという身贔屓か。
臨時軍司令官(仙台2D、名古屋3D、広島5D、弘前8Dの)であれば、
公平に評価して貰いたいもんじゃ。
>>682 どういう理由で長々と書いているのかわからないけど
>鈍重で余り強くない
東北兵の弘前第8師団と仙台第2師団
というのはどうかな。
東北蔑視と、立見への悪意しか感じない。
684 :
白馬青牛:2006/02/23(木) 00:33:35
>>683 わしゃァは、以前このスレに「427」で書いた者じゃ。
お国自慢版「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」では、「205」じゃ。
前にも書いたことで解っとろう。気にいらんかったら、仙台第2師団、
多門二郎氏の『日露戦争日記』のP41のニブイ・ノロイにカバチたれえ
(文句を言え)。
鈍重で強くない東北兵がいやじゃったら、広島部隊と共に闘った戦闘で、
東北兵が上回る戦闘はあったんか?あったんなら何処の戦闘か言えいや。
根拠も挙げず感情論で、わしに因縁をつけ、カバチたれるとは、わりゃ、
柄が悪いのう。弱い部隊を強いと書く訳には行くまい。
東北人ガッツあるよ。粘り強いし。なんか体が大きい人多い気がするし。
いい奴多い。
俺は西日本のものだが東北人は好きだぞ。
まあまあ冷静に冷静に
真実を追い求めましょうよ
687 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:11:54
俺は東京モンだが、東北兵は強いと読んだ。
「都会のインテリ兵は、敵襲に会うと動転して、
機関銃の弾撃ち尽くしてしまう。そこへ行くと、
バカなんじゃねえのか?と思われる位の鈍重な田舎モンは、
『一点連射・三点連射』等、指揮官の命令通りに動く。
強い兵とは、一見、鈍重に見える」とあった。
まあ、指揮官が優秀ならっつう話で、実例挙げられないが…。
688 :
白馬青牛:2006/02/23(木) 02:27:42
>>685 好悪の問題では無く、東北兵が粘り強く闘った実例は?持久戦においても
比類ない武勲を立てた広島部隊と違うよ。
>>687 わしは、脳内の妄想はどうでも良い。必要なのは実例じゃ。
概ね無能な指揮官の命令通りに動くのは弱兵であると、お国自慢板
「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」にも再三書いたが、まだ読んどらん
のか?
宜昌で仙台第13師団が、敵の夜間攻撃に、不安にかられ発射し、
それが口火となって、敵影を確認せず夜通し乱射の失態を演じたことも、
救援の広島第39師団福山第232聯隊福島小隊が射撃せん限り、
一切の射撃を禁ずると内山第13師団長の命令で、さしもも乱射も止んだ
ぐらいじゃ。兵の強さとは、
「いちいち細かい命令指示をまたずに、自信を持って戦闘行動出来る能力。
各個人が、鍛えられた戦士でなければ、そこが弱点となって敵に抜かれる」
指揮官以前の能力の問題であり、各個人が、強くなければならぬ。
689 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 03:42:43
いやあ、懐かしいというか強烈というかアクの強い「205」
現・白馬青牛氏の広島節だな。
前回の登場も第二師団への批判からだったが
なんでそんなに東北師団に対して弱兵とするのか。
戦っているのはロシア兵なんだから、同じ日本人、日本軍、仲良く行こう。
秋山や立見師団を救うのも木越安綱の広島・第五師団じゃないか。
それはみんな認めていると思う。
それを他の師団が弱くて、如何に第五師団が強かったかという論法で攻めまくると
乃木擁護派同様に贔屓の引き倒しになってしまうんじゃないか。
>再三書いたが、まだ読んどらんのか?
読んどらんよ。
結局、またも負けたか第八連隊のように、
後世の評価がかんばしくない勢が、
日本軍一般を貶しているように思う。
もちろん日本軍と関係ない向きも(w)
白馬青牛
御国自慢板へ帰れ。
692 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 11:01:36
>>659 言葉が過ぎるぞ。
>乃木擁護派同様
原理主義的・乃木擁護派同様
狂信的・乃木擁護派同様
妄信的・乃木擁護派同様 など
一部出版社、宗教団体の煽動に乗る軽薄でトレンディーな
輩とは純粋に乃木を愛する乃木擁護派と一線を画して欲しい!
乃木は自ら祀られることを望んだのでは決してないのだ。
>>689 >秋山や立見師団を救うのも木越安綱の広島・第五師団じゃないか。
それはみんな認めていると思う。
同意
広島師団が強いのはよくわかったよ。
ただ日露スレなんだし第39師団を持ち出してまで強い強い
言うのはどうかと。
広島師団だけで日露戦争勝ったわけじゃあるまいし。
今は秋山支隊が必死に守ってるあたりですか?
696 :
白馬青牛:2006/02/24(金) 00:05:06
そういえば、最近「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」に書き込んで
おらんかったか。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1071589634/ 広島師団が歴戦の戦績から強いのは当然として、元来、元仙台13師団、
関幸輔氏が『日本一弱かった師団』で、大阪第4師団を「おとぼけ師団」
と愚弄したことに問題がある。大阪師団を批判出来るほど、仙台師団は
強かったんか?無血入城、功名心から司令部を動かし小細工をする体質、
前線で戦闘させるとよう負ける。師団体質がどうも気に入らん。
大阪師団のことを批判出来るほど強うは無いのに、関氏の文を引用する
馬鹿が多い。ほいで、日露戦争で言えば奉天一番乗りを果たしたのは
大阪第4師団じゃった。
697 :
白馬青牛:2006/02/24(金) 01:08:10
このスレはもうだめかもわからんね
699 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 09:49:12
秋山好古はどんな状況でもだめなんて諦めなかった。
そして、そのお弟子の豊辺新作大佐も。
激戦!沈旦堡。
700 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 12:17:57
立見の第八師団には八甲田山で生還をはたした
福島泰蔵大尉(当時、黒溝台での階級が確認できまへん)が参戦していたが
名誉の戦死。遂に、彼が訴えた雪中行軍の提言は受けいられなかったそうな。