邪馬台国論争に終止符をうつスレ

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116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc
前スレが1000にいったので改めて立てました。
前スレでの最有力説は
邪馬台国の場所は北九州でその後大和朝廷に吸収された
というのが最も皆さんが納得される説でしたが
もっとこの説の信憑性を高めるために議論をしていきましょう。
また反論・異説もどんどん書き込んで盛り上げていきましょう。
216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/21(日) 20:08:49
卑弥呼は公孫氏らしいです
316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 09:29:23
are?
4プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/22(月) 12:32:48
「ヒッキー」君
ちょっと、レス付けさせてもらうよ!

別の関連スレにて(924)、
>もう限界だ
とか、言ってるのに
どうして、新にスレ建てたりするのか?

>>2
卑弥呼=公孫
ではないだろう。
魏に反旗を翻した公孫政権、普通、謀反人一族に対して「親魏倭王」の称号など下賜しないだろう。

ただ、公孫政権と深い繋がりがあったことは、否定出来ない
516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 10:02:11
>>4
前スレが1000までいったので一応新しいのを
立て直しただけですが。。たしかにもう
天皇陵発掘許可が降りるなりなんなりしないと
これ以上古代史研究の発展はないかもしれませんが・・
天皇陵発掘禁止は合憲なんでしょうか?
みんなで裁判でも起して違憲判決出させて
宮内庁から発掘許可を出させることはできないんでしょうか?
6日本@名無史さん:2005/08/24(水) 03:55:25
安本は記紀や遺跡とのまともな検証をせず、整合性が殆どない、
明治以降の地名の一致だけを根拠としてるんだよな。
なによりまず、始めに結論ありきで時系列、史記の詳細を検証せず
表面的な地名の一致、それも都合のいい部分だけを継ぎ合わせただけだよ。
記紀、遺跡、細かい地名をみると矛盾点だらけなのに、、
アン・ジョンファンの真骨頂!チョン理論全開!て感じ。
ホント、このこいつムカツク、最低な野郎だぜ!
7日本@名無史さん:2005/08/24(水) 04:24:47
水城を超えたか、あるいは秋月を超えた
邪馬台国(朝廷)の勢力はこの地の
隈の大豪族(羽白熊鷲)を征伐し、降臨した。
この甘木の熊鷹稲荷神社では熊鷲氏を祀っているという。
(この熊鷹稲荷神社は下関にもあり豊国から逃れた勢力のものかもしれない)
彼らはこの地を『安』と名付け朝倉(朝鮮の倉?)を置いた。
彼らはこの自然の要害ともいうべき
地形を利用し南方の隈の国と対峙したであろう。
しかし、この朝廷勢力の安堵も長くは続かずまた隈の反乱により
邪馬台国勢力はこの地を追われる事になった。
8日本@名無史さん:2005/08/24(水) 06:18:24
夷の上=井上
9日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:53:58
>>2
ソースは?
漫画でなきゃいいんだけど・・・
10日本@名無史さん:2005/08/24(水) 20:46:11
>>5
「一応新しいのを立て直した」このスレで何がやりたい?
重複する他のヤマタイスレとの差別化とか考えてるのかい。
もともと、このスレのパート1は、ネタスレ。
パート2は、どっかのお調子者が、何も考えずに立て逃げした。
オマエには、何か明確な考えがあるんだろうな。
何も無いんだったら、自分で責任を取って削除依頼を出したまえ。
2チャンで遊ぶのにもそれなりに「ルール」が有るんだよ。
11日本@名無史さん:2005/08/24(水) 21:41:51
お前ら聞いたかよ、コテハン叩き野郎が「ルール」を語ってるぜw

文面から察するに長いことこの板に住んでいるらしいが
いまだに「スルー」を覚えられないみたいだね
12日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:02:41
>>11 あんたも「スルー」を覚えれ。
13日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:17:49
卑弥呼=公孫氏というのは、漢文を読めない低脳君の妄想
14日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:31:59
>>13
>漢文を読めない低脳君

きちんと読めるようになるまで指導してやれよ
15日本@名無史さん:2005/08/26(金) 00:27:37
>>6
安本教授はつくる会創設時からの賛同者で日本人。
安本氏は官僚・研究員から教授にに転職したタイプだから、電波出まくりで、
師弟関係(院生・助手)からの人にとっては煙たいけど、根拠がない認定は頂けない。
http://web.archive.org/web/20041124024206/www.tsukurukai.com/02_about_us/06_support.html
16日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:21:08
>>15
>師弟関係(院生・助手)からの人にとっては煙たいけど、

意味が分からん。安本に歴史やってる院生や助手がいると思ってるのか?

>安本氏は官僚・研究員から教授にに転職したタイプだから

これも初耳だが、官僚だったのか?
17日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:21:11
>16
教授になるやつを大きく二つに分けると、
院生・助手・講師を経て教授になるやつ(師がいる)と、
研究員とか官僚からいきなり教授になるやつがいるって事だと思う。

安本は後者の人間。師がいないので、安本みたいなデンパ右翼教授になるのもいる。
18日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:34:00
>>15-17 気が済んだか
もうその辺にして消えろよ安本スレでも建てて
そこで思う存分カキコしてくれよ
な、とにかく
もう寝ろよ
19日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:47:13
古田・安本関係は賛否両論あるから
スレが荒れる原因になる
20日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:58:45
>>17
>安本は後者の人間。師がいないので、安本みたいなデンパ右翼教授になるのもいる。

違うだろ。教授職で歴史はやってないよ。
心理学だか、メディア論だかの先生が趣味でやってるだけ。
産能大の講座は歴史とは無関係。根本的に違う。
2116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 18:18:32
産能大学ってどこですか?
22日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:46:37
>>21 モノグサしないでググれ。
それに、いい加減スレ荒らすな 関係無いだろう
産能大学と邪馬台国は
23圭角:2005/08/27(土) 19:30:15
みなさん、おひまなんですねえ。
 スレ荒らしですか。わたしも同じと思われるかもしれませんねえ。
ところで、このスレタイトルは何でしたっけね。最近、夏枯れとヒッキーさんの
書込みで混乱しております。
 ヒッキーさん、一行スレのみはお止めなさいませな。22さんのおっしゃる通り
ですよ。
2416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/28(日) 09:06:35
自分は日本書紀の皇極天皇三年七月の条ににある常世虫の記述から、東国の富士川周辺に
養蚕の技術が浸透し始めたのが7世紀頃ではないかと考えています。
何やら虫をあがめる集団(たぶん秦氏の系統)が近くにやってきて、彼らの富と権力の源泉はどうもその虫がもたらすものだ……
という認識から、カーゴカルト同様に蚕に似た虫(たぶんアゲハチョウの幼虫)をあがめるという宗教的熱狂が生まれたと考えております。
異文化集団とであったときの、土着文化のパニックの典型的
パターンのような気がします。
してみると、養蚕の技術は北九州からかなり長い時間をかけて、じょじょに北上しているように思えますね。
養蚕技術は桑の木の植林と安定した桑の葉の供給がセットなので、
これも当然かも。ある場所に突如として養蚕の技術が出現するわけもなく、
また遠隔地に知識だけ伝えても、桑の葉の生産体制が整わないと、
絵に描いた餅ですからね。飛び石的に伝播するにしても、受け入れ先の
桑生産体制が熟さないと、無理ですから。
そう考えると、砂鉄(花崗岩)と豊富な木炭の供給という条件がそろう場所ならば、
技術者の移住によって飛び石的に遠隔地にも伝播する可能性が高い
金属製錬技術よりも、絹の出土の方が斬新的な気がするのです(素人考えですが)。
しかし諏訪地方の金属精錬に関する、永久保貴一先生の仮説などから鑑みて、
その可能性は否定できないような。
もちろん、常世虫騒動と邪馬台国の時代とは、時間的に離れすぎているので
傍証にはなりませんが、少なくとも養蚕の技術はおいそれとは伝播しないという、
間接的な証拠のような気はします。日本各地の最古の絹の出土状況を
グラフ化すると、そういう傾向(じょじょに北上している)が見えたら、
面白いんですが。そういう研究は、寡聞にして聞いた事がないのですけどね(笑)。
25日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:35:45
吉野ヶ里の冊の内側に掘りがある理由のはそれなりに
理由があると思う。
仮に外側だと勝手に埋められる可能性があるが、
内側だとその心配はない。
26ニワカ:2005/08/29(月) 19:35:52
吉野ヶ里って江戸時代のお城みたいなもので一般庶民は
柵の外で暮らしていたんですよね?
2716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/30(火) 10:54:20
古代史の研究で食っていくにはどうしたらいいのでしょう?
2816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/30(火) 14:49:44
卑弥呼は公孫氏だとどこに書かれているのですか?
29日本@名無史さん:2005/09/23(金) 10:27:05
上ーげましょう上げましょう。御古史につけた卑弥談呼、書いていくなら揚げましょう。
30日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:00:35
ここが新スレでよろしいか?
31日本@名無史さん:2005/09/23(金) 14:40:14
こんなクッセー知ったかヴァカが建てたスレなんか使うな!!!!!
32日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:51:49
狛犬は高麗の犬でしょうか
3316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/09/23(金) 20:41:51
ひどい・・あんまりだ
34太国:2005/09/23(金) 21:07:54
まあしょげないで・・・。
35日本@名無史さん:2005/09/24(土) 09:20:53
狛犬の事情はは別のとこで聞きましたので、実物を神社でみてこようと思います。
36日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:57:47
邪馬台国は四国山上説で決まりなのだ。
近畿説、九州説その他すべて撃破されてるではないか。

37日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:33:50
晋書 四夷伝倭人条
唐の太宗の勅撰、房玄齢らの「晋書」130巻(百納本)

倭人乱攻伐不定乃女子為王名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見

倭人があい攻伐したため女王を立てる 名を卑弥呼という 公孫の一族なり その女王の使いが、帯方郡に朝見する
38日本@名無史さん:2005/09/30(金) 08:42:22
組合形式の親会社が女王国で下請けの小国が組合会員の170くらいの男王の豪族
39日本@名無史さん:2005/10/01(土) 20:26:08
ということで、邪馬台国の女王卑弥呼は公孫氏派遣の倭国駐在司令官つうこと
戦後のマッカーサーみたいなものだ
40安曇連浜子:2005/10/01(土) 20:38:03
「晋書」に公孫氏と書いてあっても、他の文献ではどうなのかが知りたいでつ
37さん
41白木人:2005/10/01(土) 20:48:28
組合形式の理事長選びに、嫌われ者の白木人は選ばれなかったのか
42安曇連浜子:2005/10/01(土) 20:58:10
白木人て倭の小国に関係あるんで塚?漏れは特に関係ないように
思うけど・・・
43日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:01:53
>>40
阿毎氏だよ。国内では「天」とあててるだろ。
44安曇連浜子:2005/10/01(土) 21:04:23
>>43さん。その氏は隋書に出てるだけだから確定とまでは行かないと思います!
45日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:30:46
クソ学者どもは、晋書の一番大事な部分をわざと無視してる
倭人乱攻伐不定乃女子為王名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見
どう読んでも、宣帝(司馬い)の平らげし公孫の一族なりだよ
晋書以外では、こうまではっきりと書いてるのは見ない
晋書は唐の皇帝の勅撰だから、信頼度は高い
46白木人:2005/10/02(日) 08:11:22
たぶんヤマダ国が半島にあった事になるので、言いにくいのではないか
47日本@名無史さん:2005/10/02(日) 08:21:09
当然だ、魏志倭人伝でも狗邪韓国・対馬・壱岐は邪馬壱国の勢力下。
対馬海峡国家だったのだから、矛盾しない。
48日本@名無史さん:2005/10/02(日) 09:18:49
他書では公孫氏を平定後に卑弥呼の代理が朝貢に来たとなってて、
卑弥呼の出自は不明の方がこれからも泳ぎやすのではないか
49サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/10/02(日) 09:39:29
>>45
これは宣帝の公孫氏を平らげるや、その女王の遣使、帯方にいたりて朝見せり。
ではないですか。
卑弥呼の即位は183+1年で確定しています。一方の公孫氏は189年に独立ですから、
時期的にむりでしょう。
50日本@名無史さん:2005/10/02(日) 18:12:02
公孫改め皇孫になったわけね。
51日本@名無史さん:2005/10/02(日) 21:00:10
名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見

名を卑弥呼という 宣帝の平らげし公孫氏の一族なり その女王の使いが朝見する

ヘッポコ学者どもが、わざと曲解して卑弥呼の後で文節をきって
宣帝が公孫氏を平らげたあと、その女王の使いが朝見したなどと解説している
が、文章を全体的に解釈すれば、宣帝の平らげし公孫氏の一族なり となる
はなはだしい曲解解説書ではこの部分をカットしている
曲解された解説書をいくら読んで議論しても真実はわからない
原文、とくに写真版の原文を読む必要がある 解説書は怪しげなものばかりだ
日本の高名な学者どもは、優秀な捏造、曲解学者ばかりというのが現実だ
52太国:2005/10/02(日) 21:06:04
うあっはっは・・・!!!www
53日本@名無史さん:2005/10/02(日) 21:35:16
卑弥呼と公孫氏が親類で、同じ倭種ならいいが、そうでないと泳ぎきれなくてできしするのでは
54日本@名無史さん:2005/10/03(月) 08:58:23
公孫氏の親類の海部氏が別働隊として、南に行って建国したのが
5516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/03(月) 09:15:10
>>51
卑弥呼が公孫氏なわけないでしょ。
魏の敵だった公孫氏の残党が
朝貢などして魏が喜びますか?
56日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:58:14
公孫氏の古いまたいとこで、付き合いがなかったので、許されたかも
57日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:17:22
秦の始皇帝ならば、一族はおろか、九族まで惨殺されるでしょう
58日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:56:27
魏の国としては、呉、蜀などの強敵と対峙しており、南方の倭国が
朝貢してくれば、大喜びだろう 同じように大月氏に親魏大月王の金印を
贈っている 邪馬台国の女王の卑弥呼にも親魏倭王の金印を贈っている
公孫氏は朝鮮、倭国が勢力範囲で卑弥呼も公孫氏のバックアップで
女王に共立されたものだろう
天孫族というのも、本来は公孫族ではないか?と推測している
天も公も似たような意味だろう
今の時代でいえば、ブッシュの後押しで小泉が健在みたいなものだ
59日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:23:34
自ら太守の後と言う

60日本@名無史さん:2005/10/04(火) 03:34:59
僕のウツを治してくれるスレッドはここですか?
61日本@名無史さん:2005/10/04(火) 07:25:52
>>60
いいえ違います。
「大人の時間板夫婦生活スレ」にどうぞ…ウツ治ります
62日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:41:51
旧唐書 東夷伝 倭国条 日本条の原文を読むと
日本旧小国併倭国之地
日本は元は小さな国だったが、倭の国の土地を併合した
と書いてあるぞ
63日本@名無史さん:2005/10/05(水) 08:40:15
倭と倭人と倭の国と色々あって、倭が差別用語で、中国の周りに倭がいっぱいあった
らしいですよ。だから白木国の高官に元倭人が就任したり、白木から王妃を迎えたり
64安曇連浜子:2005/10/05(水) 17:01:59
>>62
旧唐書の話はおそらく中国人の勝手な想像の可能性が高いと思います
65日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:08:12
>64
旧唐書のほかの部分がむちゃくちゃで中国人の勝手な想像で書かれ
日本の古文献との整合性がないなら別だが、ほかの部分はちゃんとあってる
よって日本旧小国併倭国之地 の部分も正しい可能性が高い
日本の捏造専門歴史家の話よりよほど信用できる
なんせ、間違ってることがわかったら、即座に皇帝から首をはねられた
ほどだから、著者もでたらめは書けない なんといっても国書だ
そのへんの日本のヘッポコ歴史学者の書いた雑文とは重みが違う
いまどきの日本の捏造専門の歴史学者の与太話とはまったく違う
66日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:17:40
旧唐書の記述は誤っている。壱岐・対馬をずっと統治していたのは新羅で
あり、倭人ではない。
67日本@名無史さん:2005/10/05(水) 22:07:51
五月蝿い。半島へ帰れ。
68日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:45:07
邪馬台国が四国山上説なんて、トンデモ説もあるようだが
2世紀や3世紀だったら四国の山上には猿くらいしか、住んでない
人口も、たぶん200万〜300万くらいだろうから、わざわざ四国の山奥に
住む必要性はまったくない 都なんてとてもとても、、だろう
69妄想中:2005/10/08(土) 23:12:51
白木神社が日本中にあるけど、なんでやろ


70日本@名無史さん:2005/10/09(日) 03:30:24
ハタ坊が立てたんだろう。
71日本@名無史さん:2005/10/09(日) 06:19:07
ハタ坊「やったのは、ボクじゃないじょ…ぅ イヤミのオジサンだじょ…ぅ」

イヤミ「シェーッ!
私じゃないざんす」
72妄想中:2005/10/09(日) 10:57:00
まさか白木人が主要な働き手で、それで武人も好意をもったのか??
73安曇連浜子:2005/10/09(日) 12:16:14
この前晋書読んだら>>51の部分が出てた。が、卑弥呼が公孫だったわけでは
なくただ公孫に朝貢して公孫に官位(王クラスの)をもらっていたから公孫
一族だと思われたのでは?
74プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/10/09(日) 13:22:46
>>73
>公孫氏から叙任

叙任どころか
卑弥呼共立のお膳立ては、全て公孫政権の影響があった為に、擁立出来たものと考えてます。
共立=公孫政権の周辺首長への圧力
75日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:17:55
>名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也
公孫の氏なりと書いてある 氏姓という言葉があるように氏というのは
一族、または同族という意味だ よって公孫卑弥呼という姓名になる
2〜3世紀ごろの中国を見ると、王族はそれぞれ巫女を抱えて
祈祷をやりながら政治を行っていたようだから、卑弥呼も巫女の家系と
考えられる 魏の皇帝が汝の好物といって銅鏡を与えたところを見ると
あるいは、卑弥呼の正体を知っていたものと推察できる
76日本@名無史さん:2005/10/09(日) 22:43:39
190年代、に倭・韓・帯方郡に属す
266年魏から西晋になり帯方郡滅ぶ
77平四郎:2005/10/09(日) 23:13:24
>>76
313年韓族により攻略される

何が言いたいのか解らん
78日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:14:18
一般的には3世紀終盤に邪馬台国が東遷したから
銅鐸文化は廃れたと考えられてますが
僕は真実はその逆だったと考えています。
つまり畿内政権が邪馬台国を滅ぼしてから
銅鐸文化は消滅したと。三角縁神獣鏡も
畿内から大量出土し各地に配られてますし
邪馬台国の銅剣も持ち帰られたのでしょう。
ではなぜ畿内政権が邪馬台国の鏡や銅剣を
さも自分たちのものだというふうにしたのか?
79日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:15:00
それは1世紀後半〜2世紀前半にかけて
畿内に東遷してきた神武天皇が邪馬台国王家の者だったからでしょう。
しかし支流の落ちこぼれだったと思います。
その神武の子孫である畿内政権の王が邪馬台国を滅ぼした際
九州邪馬台国の存在を隠蔽し、自分たち(畿内政権)が
邪馬台国だというふうにすり替えが行われたのです。
それは記紀において神功皇后が卑弥呼であると
暗示してるところからも伺えます。つまり全く時代が異なると
わかっていながら卑弥呼は神功皇后である、つまり
畿内政権は邪馬台国であるとしているのです。


80日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:16:37
こう考えれば銅鐸文化が消滅した3世紀終盤に
邪馬台国が滅ぼされたことがわかります。
つまり壱与の時代にです。266年で中国への
朝貢がとまってしまった理由もこれで解けます。
そして記紀において邪馬台国の存在は隠蔽されているので
神武東征の出発点である日向もカモフラージュです。
日向は邪馬台国ではないということがわかります。
では邪馬台国はどこであったのか?
畿内政権が壱与を殺したとしたら壱与を祀る社があるはずです。
出雲大社の大国主や、中尊寺金色堂の奥州藤原氏のように
大国を治めていた王には怨霊を恐れて立派な社があります。
倭国30国の女王であった壱与にもそれがあるはずです。
これにあてはまるのは宇佐神宮しかありません。宇佐神宮の
比売大神が壱与です。宇佐神宮が伊勢神宮に次ぐ2番目の
格式を誇る宗廟なのも壱与が自分たちの本家である王であり
宇佐が自分たちの先祖の地だからです。
81平四郎:2005/10/10(月) 00:17:56
と十六歳の少年は考えるわけだ。
しかし、物証が無いね
それじゃぁ推理小説だよ
>神武が邪馬台国の枝
その証明をどうするかね
神武の実在性をどうする
82日本@名無史さん:2005/10/10(月) 08:44:31
状況証拠で説明したでしょ。
よく読んでください。
16歳の少年とは誰のことかしりませんがw
83日本@名無史さん:2005/10/10(月) 09:32:28
ヒッキー君、名無しデビュ−おめ
これでアホでドジで糞でトンマな書き込みをしてもOK!
誰が書き込んだのか見当も付きませんよ。
84平四郎:2005/10/10(月) 09:44:54
ヒッキーさん、邪馬台国の枝
神武の実在性の証拠が不十分と思われるが
これでは不起訴処分だ
85平四郎:2005/10/10(月) 10:31:30
>>79
>邪馬台国の支流のおちこぼれ
そんな無名の落ちこぼれ、将来の希望も無い
箸にも棒にもかからない、そんな奴の出来事なんか誰が覚えてるんだよ
誰が、彼の活躍の証言をしてやったんだよ えー、
8626歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 12:04:06
みなさんはじめまして。
16歳中卒ヒッキー氏の遺志を引き継ぎ
私がコテハンデビューいたしました。
8726歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 12:06:35
>>85
お答えしましょう。
神武は邪馬台国内ではおそらく亜流の存在だったので
東征したのです。邪馬台国内で不遇な扱いを受けていたので
記紀では邪馬台国の存在を隠蔽しているのです。
88日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:19:33
東征はだれそれとなくしてるかもしれない。
なぜ、邪馬台国連合の落ちこぼれが東征し、それが
大和朝廷と名乗る必要があるのか?
連合ではあるが邪馬台国ではないのだろ、
いってしまえばそいつらはヤマト的発音は聞きたくもないヤシらだろ
ぜーんぜんナンセンス。
何もかもがちぐはぐ。
8926歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 12:20:00
邪馬台国隠蔽説。
実にすばらしい。
学界で発表したいくらいです。
9026歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 12:23:29
>>88
お答えしましょう。
九州邪馬台(ヤマト)国を滅ぼしてから
畿内政権は大和(ヤマト)国を名乗ったのです。
つまり自分たちが邪馬台国だといいたいわけです。
本当は邪馬台国内で落ちこぼれであったので
そのコンプレックスからきてるのでしょう。
91日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:24:18
>>90くだらない。消えろ。
もっとそれらしい事言ってくれ。
9226歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 12:28:08
>>91
くだらなくありません。
めちゃめちゃ面白いじゃありませんか。
記紀で神功皇后が卑弥呼だと暗示してますし
すなわち邪馬台国は大和国だといいたいわけですよ。
嘘を言ってるのは自分たちでわかってるのでしょうけどw
93平四郎:2005/10/10(月) 13:02:06
裸同然、それも落ちこぼれの神武が、畿内を制圧し
尚且つ繁栄の基礎を作ったとは、到底思えませんが
残された邪馬台国より
畿内に移った神武の説明の方が大事かと。
それなりの軍資金も兵糧も必要でしょうし
単に、文字の羅列だけで面白おかしくカキカキしても一向に真実身に欠けますよ移動手段は舟ですか?
9426歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 13:05:55
記紀をよく読んでください。神武東征経路で
阿芸や吉備にも数年滞在しています。
ここで兵力を蓄えています。
兵力を出すことで見返りに大和朝廷内での
ポストでも約束したのでしょう。
9526歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 13:14:09
しかし神武もそれなりの人物だったのでしょうね。
じゃなきゃ吉備も協力しないでしょう。
幼少期の徳川吉宗くらいのポジションじゃなかったのでしょうか?
9626歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 13:28:21
すべてが一本の先につながった
97平四郎:2005/10/10(月) 13:44:45
>>95
>当時それなりの人物
それってどぉいう意味
>少年期の徳川吉宗
なんだそれ
自分のカキカキ見直してみな 笑えるよ
「私は九州邪馬台国の落ちこぼれ神武である。
頭が高い、控えおろう」ってか
たかが数年滞在しただけの馬の骨に、自分達の将来を託せますかって
兵も出せ、食糧も出せ
悪いようにはしない
吉備のヤシって、そんなのうてんきな奴らばっかかい
9826歳大卒ヒッキー ◆wWCooN6if6 :2005/10/10(月) 13:50:13
遅いレスですねw
とりあえず当時の時代背景を考えねばなりません。
当時は圧倒的に九州のほうが畿内より
先端をいっていたでしょう。つまり九州ブランド
なるものがあったと思うのです。
九州の有力国の一族ともなればそれなりに厚遇されたのでしょう。
兵力を出させるのに数年かかってるとこからみて
おそらく神武一族が吉備に九州の先端技術でも
教えて吉備の発展に貢献したからでしょう。
それで信頼をかちえて兵力を出させた。
99平四郎:2005/10/10(月) 14:08:11
>>98
>九州ブランド
それって雲の上から日本全土を見渡していませんか?当時の交通、情報状況を考えると
決してそのような物の見方は出来ない。
100日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:49:25
日本も一つでなかっただろう、本州は出雲がほぼ支配していたし
九州倭国は奴国が支配してたよ。出雲と奴国はほぼ間違いなく別種で
かつ同時代にあるってことは日本国は統一されていないということの
証拠でもある。畿内は長い間出雲勢力にあった。
101日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:28:12
そもそも魏志倭人伝に書かれている邪馬台国までのルートは
日本海ルートだろう 瀬戸内海ルートではない 魏志倭人伝に
瀬戸内海ルートだったら、「波静かとか、多い島、左右に大きい島」とか
何らかの風景描写があるはずだが、まったくそういうものが見えない、
中国人だったら、瀬戸内海くらいだったら海ではなく川に見えるのではないか?
以前、中国人が瀬戸内海を見て、これはどういう名前の川ですか?
と聞いたことがある 波静かということからして、彼らには海には見えないだろう
日本海ルートで邪馬台国へ行ったと考えるほうが、自然だろう
102日本@名無史さん:2005/10/11(火) 07:21:55
大バカ↑
103日本@名無史さん:2005/10/11(火) 13:00:07
>>101
>日本海ルートで邪馬台国へ行ったと考えるほうが、自然だろう

同意。

上陸地点は籠神社のある若狭湾。
そこから陸路で内陸に進めば、自動的に大和に到達する。

「東に倭人の国がある」というのは、若狭湾から東という意味だろ。
そこは蝦夷の国だ。

104安曇連浜子:2005/10/11(火) 15:57:18
その話は「邪馬台国大和説」が確定しないと成り立ちませんよね?>>101
105日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:18:11
>104
魏志倭人伝の伊都国を、いずも 出雲国と読めば
邪馬台国は吉備の国ということになる
106日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:22:35
倭人伝読むかぎり大和説はありえん。
例えば養蚕が行われてると倭人伝に書いてあり、
魏にも絹の贈り物をしてるが
記紀に仁徳天皇が近畿で養蚕してるのをみて
これは珍しいなんぞやこれは?
といった記録があるし、近畿で3世紀に養蚕は
普及していません。
107日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:33:21
そういや、畿内から絹の出土はありませんなあ。
108日本@名無史さん:2005/10/11(火) 21:34:35
日本最古の絹織物は2〜3世紀ごろの、鳥取県の青谷遺跡と吉野ヶ里遺跡だけ
だから、中国地方か、九州地方のどちらかということになる
絹織物で大和説は脱落
109日本@名無史さん:2005/10/12(水) 11:30:07
邪馬台国・・やまた・・宇治山田
  
文字類とみられる主な遺物
2世紀中期 大城遺跡(三重県安濃町) 「奉」の刻書土器
2世紀後半 貝蔵遺跡(三重県嬉野町) 「田」の墨書土器
3世紀前半 貝蔵遺跡(三重県嬉野町) 人面墨書土器
3世紀後半 三雲遺跡(福岡県前原市) 「竟(鏡)」の刻書土器
3世紀後半 根塚遺跡(長野県木島平村) 「大」の刻書土器
4世紀初頭 柳町遺跡(熊本県玉名市) 「田」のよろいの留め具
4世紀前半 片部遺跡(三重県嬉野町) 「田」の墨書土器
5世紀中期 稲荷台1号墳(千葉県市原市) 「王賜」などの鉄剣
5世紀後半 稲荷山古墳(埼玉県行田市) 「辛亥年」などの鉄剣
110安曇連浜子:2005/10/12(水) 16:24:39
>>109
コピペですか?それと宇治山田と邪馬台国っていまの地名がおなじなだけで
関連があるかどうかわからないと思います
111日本@名無史さん:2005/10/15(土) 20:26:54
そもそも生物学的にいってありえない万世一系論を唱えたから
それにあわせて歴史も改ざんせざるを得なくなった
無理やり関係ないのを親子に結びつけたりしたもんだから、おかしくなった
112シバザクラ:2005/10/17(月) 13:20:04
>>111さんへ。
現在古代天皇の系譜の研究をしています。
「関係ないのを親子に結びつけたり」とありますが、仲哀天皇以前でそのような関係のある天皇はおりますでしょうか。
具体的にお教えください。
113太国:2005/10/17(月) 15:32:43
>>87
不遇な扱いを受けていたというならば、記紀にそれを記述すればいいだけで、
女王国を隠匿する必要にはならんよ。
114日本@名無史さん:2005/10/17(月) 20:41:23
>112
仲哀の後だが、神宮の子供とされている応神天皇と神宮皇后の親子関係が
どうも年代があわない 疑っている 大和朝廷が唐に出した天皇の系図では
神宮皇后は神宮天皇と書かれている
ついでだが、古代船の野生号の実験では韓国の釜山から、下関水産高校の
生徒14人に漕がせても、潮流の関係で東に流され対馬に行けなかったそうだ
出雲のほうに流されそうになったので、随行のエンジン船で対馬に引っ張って
ようやく対馬にたどりつけたそうだ
あのあたりは潮流の関係でそうとう東に流されるようだ
上陸地点も松浦半島ではない可能性が高いように思われる
115シバザクラ:2005/10/17(月) 22:11:25
仲哀以前は正しい親子関係であるということでよろしいでしょうか。

プサンから出航したからつかなかったのであるから、もっと西の馬山か固城から出航すればよい。
116日本@名無史さん:2005/10/18(火) 21:11:37
仲哀以前は検証不能
というより、京都にある天皇家の菩提寺の泉湧寺の過去帳の
初代は天武天皇であることからして、真言宗の僧侶もそれ以前は
信頼性に乏しいと判断したようだ
117日本@名無史さん:2005/10/19(水) 08:21:51
信頼できるのは応神天皇からでしょ。
おそらく九州邪馬台国の王族で
東遷したんだろうけど、万世一系を守る
建前上そうは書けなかった。なので
邪馬台国の存在も隠すしかなかった。
118日本@名無史さん:2005/10/19(水) 08:34:31
神武〜崇神王朝の系譜は万世一系でもなんでもないでしょ。
おそらく葛城王朝とか三輪王朝とかそこいらへんの
王朝を無理やり万世一系にしただけ。
119日本@名無史さん:2005/10/19(水) 20:29:42
現在は、第八王朝という説もあるようだ。
120白木人:2005/10/19(水) 20:42:28
晩成1計でないと、コロコロ毎週変わるなんて言えるか

121日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:13:36
まさか、捕虜にしてた奴隷に逆に天皇がやられて、奴隷が天皇に
なったとかは、書きにくいわなあ
122日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:16:25
このスレもいよいよ「終止符」を打たなくてはいけませんな
だんだんオカルトに成ってきました。
123日本@名無史さん:2005/10/20(木) 00:08:57
九州邪馬台国は東遷して大和朝廷になったんだよ!!



124日本@名無史さん:2005/10/20(木) 12:40:57
ここのスレ主はどこに消え端だぁ
125太国:2005/10/20(木) 13:15:38
>>118
皇統は萬世一系
126日本@名無史さん:2005/10/20(木) 13:26:51
記紀には万世一系とは書いてないな。

ニニギからの血統が文武までずっと続いてはいるが、
枝分かれしていないとは言っていない。だから
血統がたくさん分かれていた可能性がある。

王統は神武からずっと続いて天武に至るとするだけで、
ニニギから文武までの中間でも王統が続いているとも言っていない。
途中が王様だったかどうかはまったく書いてない。

要するに「ニニギから王統が続いている」とは書いていないな。
血統の一つが文武まで続いていると言っているだけ。

こんなのは、皇統の万世一系ではない。
127太国:2005/10/20(木) 14:12:55
いますでに萬世一系は125代。天壌無窮の1/80は完了した。
わけのわからぬ寝言はもうしないでいい。皇統は地球の終末まで一系無窮の
永祚が続く。屁理屈はおしまいにしな。
128日本@名無史さん:2005/10/20(木) 19:26:44
だから、神武の1世代前は、王様でも天皇でもないんだよ。
単なるニニギの子孫。屁理屈ほお前だけ>127
129ゴジンム:2005/10/20(木) 19:30:11
130白木人:2005/10/20(木) 20:12:18
岡山の桃太郎は、鬼役が渡来系の温羅で、石舞台みたいな巨石があるのは

鬼役の外来の人は嫌われ役の白木やろか
131日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:12:34
日本人の悪い癖は、希望が願望になり、願望が現実になる
ウソも100回言えば真実になるという信仰を持ってることだな
鬼畜米英を唱えれば、米英に勝てると思うのと同じ法則だ
132ゴジンム:2005/10/20(木) 20:16:48
常盤ニ カキハニ 
カギリモアラジ
133日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:41:43
>>130
桃太郎のお話し、幼稚園で先生に絵本読んでもらわなかったのかなぁー

桃太郎に鬼は出ますが、新羅人なんか出てきませんよ違う絵本と間違えたのかな?
134日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:42:11
モモタロウって、モモソヒメと関係あると思うんだけど。

135日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:48:14
先生も、間違っちゃったね>>133は、訂正するね
新羅人は×で
渡来系の温羅が〇ね

>>134
そんなこと誰も解りません。 もし、「解った!」と言う人が居たら、その人はペテン師だから気をつけてね
136日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:05:14
>>135

でも、モモソヒメは、孝霊天皇の娘だし、
ワカタケヒコも、吉備臣の祖って、日本書紀に書いておるよ?

モモソヒメと、モモタロウは、「姉弟」って、ことだよね?
137日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:31:39
邪馬台国は九州。 出雲勢力が制圧していた畿内は別倭。

邪馬台国=九州勢力=後の日本。  畿内=いわゆる倭国。

2つの勢力の最終的な決着が大化の改新。
旧唐書(だっけ?)に書いてある通り、小国である日本が、大国の倭国を併合した。

もともと2つの国を、1つの国だと思わせるために日本書紀がつくられた。
これが混乱の元だと思う。
138太国:2005/10/20(木) 23:58:20
>>128
まだ寝言をムニャムニャ言ってるな?今度が神武以前のことノミをほじくり出したな?
寝言上げせずに散れ!皇統は、萬那無比として萬世一系に続くのだ。邪推はあきらめるんだな。
139日本@名無史さん:2005/10/21(金) 03:09:15
>>138

寝言は君だよ太国くんプゲラッチョ
140太国:2005/10/21(金) 07:36:23
ear それはうぬだ!
141太国:2005/10/21(金) 08:03:09
>>139
中国のようにだ、易姓革命の国は王統は分断され永続性がないから、易の卦のように
毎回毎回国名がひっきりなしに変化し、かの那は萬世一系の国體ではない。
しかしながら、わが神州は国名はつねに日本でありいまだ曽て皇統が分断されて
絶えたことはまるでない。このように日本の皇統は萬世一系であり、地球終末まで
一系無窮の永祚が続くのであり、このことから、この黄金の国ジパングを世界無比の
国體を有する世界唯一の国というのだ。他国にはまるでこれが無い。
すでに、天壌無窮は1/80が完了され、驚異驚異、一系無窮であるから、平成の現在も
皇統は継続している。かりに男児出生がなくても愛子さまが摂政となって時代への
継続は失われることはない。(愛子様は天皇にはならんよ。)
ただし、古代のある時期例外的に皇統と隣接並行しての王統の国があったのだ。
それが女王国であり、文武元明の世のあたりで王統は絶えている。
それがまるっきりわからん君はだ、言っていることが日本では寝言のみに終始する
無意味な理論となるなのだ。うぬが取り留めない戯言を発射する全く必要はない。w
142日本@名無史さん:2005/10/21(金) 14:03:57
>>141
日本人は混血民族なんだから、擬血縁社会を構築してきただけであって
その実は万世万系だろが!
143太国:2005/10/21(金) 15:43:07
それは王位についたのか?皇位についたのか?w
144日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:01:07
クソウヨは早く徴兵して、イラクか北朝鮮に派遣して欲しいものだ。
145日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:03:12
まずは、加羅・任那の復権からでしょうね。>派遣先
146日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:22:54
147日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:32:21
加羅・任那の前にクソウヨを竹島に送り込んで、竹島を奪回してもらおう
漁船を仕立てて、クソウヨを十字架にくくりつけて竹島に立てておこう
148:2005/10/22(土) 21:35:58
うあっはっは!お前さんがどうわめこうと、神州不滅!
149日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:40:19
クソウヨの頭のてっぺんから、ドリルで穴を開けて
ニトロでも流し込んでやりたいぜ
150ゴジンム:2005/10/22(土) 21:40:21
>>147  萬世一系 皇統護持
151ゴジンム:2005/10/22(土) 21:42:28
全世界 ハ 上御一人 ノ 統治下 ニ アリ
152日本@名無史さん:2005/10/23(日) 10:58:45
質問ですが、どしろうとのわてでも、気分が悪いのに 竹はとられるし、他もとられそうだし
153日本@名無史さん:2005/10/23(日) 21:31:32
ニニギとはニギハヤヒのことだろう
154日本@名無史さん:2005/10/23(日) 21:34:00
マキムクの合議制原始共産政権のメンバーはヤマト=ヤマタイ、イズモ、キビ、
その他で出来上がっていた?
155日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:57:59
天皇家は蘇我。
156日本@名無史さん:2005/10/24(月) 00:00:23
天皇家に苗字が無いのは最初有力豪族の持ち回りだったから。
157日本@名無史さん:2005/10/24(月) 00:04:33
今の天皇は天智系、
つまり継体(新潟出身)
天武(愛知、三重出身)から政権奪い。
現在の天皇の祖となった。
158日本@名無史さん:2005/10/24(月) 09:44:33
名字がないのに運転免許なんか取れるのか
159日本@名無史さん:2005/10/24(月) 13:08:49
昨日ラジオ(nack5)で、「耶馬台国は北九州」と断言してましたが。
どこがどうとか言う前に、断言したのがなんだかなー
16016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/27(木) 14:45:16
高木あき光氏著「邪馬台国の秘密」に書かれている
ことが真実ではないかと思い始めました。
東大医学部卒の天才神津恭介が見事に邪馬台国の場所を特定していますよ。
161日本@名無史さん:2005/10/27(木) 15:25:30
だーかーらー

邪馬台=大和

だって。
162日本@名無史さん:2005/10/27(木) 16:06:47
↑単純に考えて 間違いなし
163日本@名無史さん:2005/10/27(木) 19:33:34
阿蘇山が大和にあるとはシラナンダ
海に沈没して漁をするのが大和の特徴とはシラナンダ
金印が大和で出土したとはシラナンダ
164日本@名無史さん:2005/10/28(金) 09:28:13
倭国のうち卑弥呼が支配していた連合国を邪馬台国と称した
つまり北九州。世間の常識ですよ。
165日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:03:21
>>161
史書のほとんどがヤマ”イ”
166日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:58:46
>>165
2CHでのスレタイは全て「邪馬台」。
167日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:00:43
三国志ではすべて邪馬壱国
168日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:09:39
>>167
それを言うなら「邪馬壹國」な。
字義はそれなりに違うから以後きをつけるように。
169:2005/10/30(日) 01:54:32
馬鹿だな。一=壱=壹だ。以後気をつけるように。
170日本@名無史さん:2005/10/30(日) 02:05:16
>>169
また、エラク痛々しい奴だなw
まあ、人生は長い・・・勉学に勤しんでいれば何れ己の無知に気がつくだろう。
171:2005/10/30(日) 02:12:15
馬鹿だな。古代中国語をちょっとは勉強汁!
172日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:15:56
宗か唐だかの時代の印刷物から邪馬一国になったんだっけ?
173日本@名無史さん:2005/10/31(月) 15:26:32
スレ主はどこだあ
174日本@名無史さん:2005/11/02(水) 18:48:59
邪馬台国は九州内を何度か遷都した、九州の国。
阿蘇山と金印の国。邪馬台国系畿内人=天武と
土着系持統が唐の傀儡に変質した邪馬台国を滅ぼした。
175日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:04:54
>>172
そんな訳ねぇだろ
写本する度に誤写していたら何時かまた
正字に戻る可能性もあるわけだ
正字→誤写字→誤写字を誤写→正字に戻る
176日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:35:20
ここ5年以内で、畿内説で本書いた人って、白石さんとか数名では?
ここ10年に広げても、あまり居ない。

俺は、昔は、畿内説だったんだけど、90年ころから畿内説の学者が徐々に論争から
撤退しているような感じがしているのだが・・・
まあ、新聞では、相変わらず畿内説に有利な報道が多いけど、その内容が学者の
論文に反映されていない。・・・・・ほとんどが飛ばし記事なのか・・・

>>6 や >>17 で罵倒されている安本さんの本も多数読んだけど、畿内説よりずっと
説得力ある。少なくとも読む価値は十分にあると思います。
しかも、各出土物の分布では、10対1以上の差で北九州説という状況が90年頃に
ハッキリしていたようだし・・・

ちょうどその頃読んだ直木さんの本では、「私は、畿内説が正しいと思うが、これは
あくまでも文献史学からの検討によるものであり、考古学的考察とは異なる。」という
ようなことが書いてあって、気になったんだけど・・・その後、この論争から撤退してるし・・

ということで、この論争は実は95年頃には決着が付いてしまっていたようにも、見える
のですが・・・・・しんがりを勤めている白石さんには申し訳ないのですが・・・
177太国:2005/11/02(水) 20:14:53
臥海はこの件においても権威がな〜い。
178日本@名無史さん:2005/11/02(水) 23:31:34
>>176

もう畿内説で決着してるんだよ。
だから論争する価値もない。
いまだに九州説をぶちあげてる痛い自称歴史学者を生暖かくスルーしてるだけ。
179日本@名無史さん:2005/11/02(水) 23:39:08
>>178は神がかりの「定説おじさん」
180日本@名無史さん:2005/11/06(日) 10:29:21
邪馬台国はふつうに九州
181日本@名無史さん:2005/11/06(日) 10:57:03
つうか違った場合、どこが候補のわけ?
182日本@名無史さん:2005/11/07(月) 19:35:28
邪馬台(ヤマト)国はふつうに大和
183シバザクラ:2005/11/07(月) 19:44:34
邪馬台国が大和にあったわけはないだろう。
184シバザクラ:2005/11/07(月) 19:47:29
常識で考えて欲しい.
185日本@名無史さん:2005/11/07(月) 19:49:59
都督府・阿蘇山・金印・鉄器・馬

・・・畿内か九州か、常識で考えて欲しい
186日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:37:41
>都督府

大宰府と同じく大和(邪馬台)の出先機関にすぎない。

>阿蘇山

世界有数のカルデラ火山であり、取り分け珍しい山であるから書かれたにすぎない。

>金印

いまだ偽造説も根強い。本物だろうという決め手になっているのが
印の寸法だとか、んなもん他の印の寸法を真似すれば良い訳だから
だれでも簡単に作れてしまう。つうか、その金印は魏でなく後漢の
金印である事をお忘れなく。時代が違いすぎ。

>鉄器

大陸側から鉄で武装した奴らが攻めてきたら銅剣じゃ太刀打ちできないでしょ。
北九州は一番防備を固めなきゃいけない場所だから最新兵器の鉄を沢山配備しておいたワケ。

わかったか。

187日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:09:03
都督府は漢籍にあるとおり、歴代中国が置いた周辺国の府。大和政権が置いたことなし。

阿蘇山がカルデラ火山だという漢籍の記述なし。火山ならいくらでもある。「山海経」でも読んでおくがいい。

金印の捏造説は畿内信仰の病的な判断に支えられている。同時代でなくとも倭人の代表国として漢籍は一貫性を見ている。

畿内の鉄器はあまりにも貧困で、半島での永年戦争を戦えない。畿内には倭人の代表国が無かった証。
188日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:28:31
首都なので、いろいろと移動しました

見てきたわけでもありまへん
189日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:37:51
↑首都が移動すれば地価も変わる、当時の新聞見れば直ぐに解るだろう
税務署だって黙っちゃいない
卑弥呼の納税歴調べれば
住所も解るはず
190日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:48:03
学会において九州説が支持される事は未来永劫ない。
ろくな勉強もしてないアマチュアが、九州だ!九州だ!
なんてピーピーほざいても何も変わらない。
191日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:56:40
古田信者とか井沢信者とか洗脳されてる輩にはなにを言っても無駄だよ。
192太国:2005/11/07(月) 22:57:41
臥海が大恥をかくときがくるだろうな?w
193日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:05:51

>191安本信者もな
194日本@名無史さん:2005/11/08(火) 00:24:45
>>187

>都督府は漢籍にあるとおり、歴代中国が置いた周辺国の府。
>大和政権が置いたことなし。

大宰府の事を都督府と言うんだよ。そう言う意味で言ったの。
つうか都督府なんて卑弥呼の時代と関係ないだろ。

>阿蘇山がカルデラ火山だという漢籍の記述なし。
>火山ならいくらでもある。「山海経」でも読んでおくがいい。

あのねカルデラの様子が書いてないからって阿蘇山をそんじょそこらの火山と一緒にしないで
阿蘇山は世界最大級のカルデラ火山であり、その底辺面積は富士山よりもデカく噴火しなかったら
富士山よりも標高は高かったのだ。今でもそうだが当時はスッゲー珍しい山だったろうよ。

>金印の捏造説は畿内信仰の病的な判断に支えられている。
>同時代でなくとも倭人の代表国として漢籍は一貫性を見ている。

たとえそうだとしても150年も後の時代に其処にまだ首都が有ったって事にはならないだろう。
とっくの遥か昔に遷都してただろうよ。

>畿内の鉄器はあまりにも貧困で、半島での永年戦争を戦えない。畿内には倭人の代表国が無かった証。

つうか、当時貴重な鉄を畿内と北九州のどちらにも同じ量を配備出来るわけないだろ
北九州に配備するので精一杯。それに畿内の鉄はその殆どが溶けて無くなっちゃってるんで
貧困に見えるのはあたりまえだって。
195日本@名無史さん:2005/11/08(火) 00:37:54
都督府のことを大宰府と呼称する取り決めを、大和朝廷はしていない。

山海経を知っている中国人は、阿蘇山が世界唯一の火山だとは思っていない。国家の祈祷を行っていたから記述したのである。

畿内と金印とは無縁であることが明らかである。

九州の鉄もどんどん溶けて錆びている。畿内は鉄や鉄器の絶対量が少なすぎる。首都が守れなくて何でj極東の「大将軍」号をもらえるはずがあろうか?

だから九州しかあり得ない。
196日本@名無史さん:2005/11/08(火) 01:44:30
>>195

阿蘇山がそれだけ珍しくて偉大な神霊が宿る山であると信じていたからこそ、
大和から遠く離れた阿蘇山でわざわざ国家の祈願をしたのであって、
昔、その近くに邪馬台国があったからではないだろ。
つうか、隋書なんて遥かに新しい時代の記述を引っ張り出して来て
「隋書に阿蘇山の記述があるから邪馬台国は九州に有ったんだ!間違いない!」
なんて、なんかおかしいと思わないのか?

>鉄

敵に九州を占領されたら本州が占領されるのは時間の問題。
元寇の時、もし大宰府が陥落して九州が占領されていたら
おそらく日本は負けていただろう。
日本の場合、王都の守りを固めるよりも
まず敵を九州に上陸させない事がの方が大事なのだ。
197日本@名無史さん:2005/11/08(火) 02:31:04
阿蘇山の溶岩で棺を作ったのは、身分の低い豪族ばかりで、大王クラスじゃないんだな。大和朝廷が阿蘇山で祈祷した記録もない。

中国は、日本海から近江を通ってすぐ攻められるだろう。畿内に鉄器が無い理由は、邪馬台国は畿内じゃなかったからだ。畿内は大陸の国と交戦していないし、鉄資源の輸入も難しかったから、鉄器が無いのだ。
198日本@名無史さん:2005/11/08(火) 02:41:42
>中国は、日本海から近江を通ってすぐ攻められるだろう

簡単に言うなよ。んな事無理に決まってるだろ。
補給とかの事もヨーク考えてね。

199シバザクラ:2005/11/08(火) 11:11:35
邪馬台国畿内説を唱える学会は、世界の歴史、考古界の恥である。
200太国:2005/11/08(火) 11:34:57
臥海はいずれ大恥をかく。今のうちに俺の言う九州説にすれば小恥で済むだろう?w
201日本@名無史さん:2005/11/13(日) 16:01:35
塚、九州に邪馬台国がなくて他のどこにあんだっつーの
202日本@名無史さん:2005/11/13(日) 16:48:31
邪馬台=ヤマト
203シバザクラ:2005/11/13(日) 19:07:44
どうせ語呂合せで比定するなら、邪馬台→八幡平(ヤマンタイ)→ヤマトにしたら。
204サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/13(日) 19:54:10
困った問題が発生した。
卑弥呼の墓である桜ケ岡が、小城市の桜城館の江戸時代のジオラマをウツした写真では、前方後円墳にみえる。
卑弥呼の墓が前方後円墳ではこまるのですが。気のせいですよね。
205日本@名無史さん:2005/11/13(日) 21:06:36
日本の歴史学会は旧石器捏造問題で発覚したように
どの時代も学者の捏造ばかり、真に受けるアホの多いのが一番の問題
批判力ゼロの香具師ばかりだ
206太国:2005/11/13(日) 21:11:43
臥海はことここのスレの件と神代文字については強行路線であり、
逆に言えば、権威が無い。
207ハツクニシラス伝説 ◆HCmIhYMlyc :2005/11/17(木) 10:57:53
>>204
困った問題も何も
そこが邪馬台国ではありませんし
貴方がそこが邪馬台国だと思い込んでるだけでしょうに。
宇佐が邪馬台国ですでに決着済みです。
208日本@名無史さん:2005/11/17(木) 11:59:51
邪馬台国、吉備・出雲説が
最近、圧倒的に有利に成り出しているんだよな。

で、邪馬台国と激しく戦争していた南の国の狗奴国が
大和王権でしょう?

で、邪馬台国は敗れ去ったと。
209プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/17(木) 15:52:07
違う違う!
邪馬臺國=奴國(伊都東南百餘里二萬餘戸)

邪馬壹國=最後の奴國(架空)
210日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:49:56
邪馬台国は宇佐です!
211日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:53:04
>>208
>邪馬台国、吉備・出雲説が
>最近、圧倒的に有利に成り出しているんだよな。

機知外ですか?
誰からそんな出鱈目な事を聞いたんだ?
212日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:54:04
宇佐、宇佐、宇佐だってば!
213日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:57:11
邪馬台国は鹿児島県に有りました。
魏誌と古事記を素直に読めば
邪馬台国は鹿児島です。
214日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:58:34

機知外参上!!!!!!!
今直ぐ速攻氏ね!
215日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:52:04
>>213
その説は、かなり無理が有りますよ
臺与=行橋王朝ですか?
十日遅れて四国ですか?
紀・記はそれを隠しているんですよね
216シバザクラ:2005/11/17(木) 19:16:46
私が小城が邪馬台国であると思いこんでいるのは、魏志倭人伝を常識で正しく読めば、小城にいきつくからです。
誰かさんのように語呂語呂合わせや、希望や妄想の産物ではない。
217日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:55:57
シバザクラ=サガミハラハラ?
218プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/17(木) 20:27:10
>>216シバザクラさん

>常識に正しく読めば

その結果が小城ですか
成る程!

因みに、倭人伝は旅行記で無いことはご存知ですよね根底に、「中華」ありきで書かれていることも、ご存知ですよね
功績を讃える文は
「一を以って十と為す」こともご存知のうえ

常識に正しく読むとですよね!
219プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/17(木) 20:34:47
>>216 シバザクラさん

国家の借金(地方を含め)700兆円強
しかし、このうち500兆円程の借金は、直ぐに返済してはイケナイ借金である(返されては困る)事もご存知ですよね
220日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:45:33
>>216
プラムさん、何のはなしになちゃったんですか?
221プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/17(木) 20:59:10
>>220さん

700兆円という、うわべの数字だけで議論しては
本質を見誤る
700兆円を返済する議論等しても無意味、借金返済の議論をする時は
700兆円ではなく200兆円の借金返済を考えなければいけない
そう言う事!
222日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:28:08
魏志倭人伝には卑弥呼は魏の国に青玉を贈ったと書いてある
青玉つまり青いメノウ 青いメノウは九州も大和も算出しない
青いメノウを算出するのは日本でただひとつ、玉造だけ
よって邪馬台国は玉造を勢力範囲にする国に限られる
223プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/17(木) 21:41:09
>>222
そんな事何処にもカキコしてないけど
224日本@名無史さん:2005/11/17(木) 21:59:00
やっぱ、タコスレだな
225日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:29:04
そういえば常識も考えすぎると非常識になりませんか?
226シバキザクラ:2005/11/18(金) 19:21:57
邪馬台国行程問題についてあまりにもいい加減な論のようがおおすぎる。皆ぬるま湯につかってたるみきっている。
これからは、徹底的にシバキあげる必要がある。よってこれからは、HNをシバキザクラといたします。

邪馬台国論の非常識
1 東南陸行とかいているのに、東へ行く非常識。

反論してみてください。
227日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:47:02
邪馬台国=瀬戸内王権・中国地方本拠・北九州も勢力下=毛利家型王権
狗奴国=畿内王権・大和盆地南部本拠・濃尾平野も勢力下=織田家型王権

これで、ガチじゃね〜のか?

日本は農耕社会下では一定して
関東王権、畿内・濃尾王権、中国・北九州の瀬戸内王権
の3大勢力が並立する傾向が強い。
古代から近世まで、その傾向はそれほど変化が無いように思う。
228日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:50:52
中世の中国の使節が
日本国王だと思って交易した日本の勢力は
大内氏だったり毛利氏だったりするわけで。
ともに、中国地方・瀬戸内を本拠に
北九州にも侵攻・勢力圏においていた。

おそらく、古代の3世紀も、これと同じ状態のように思う。
229シバキザクラ:2005/11/18(金) 21:21:07
関東と畿内が並立はわかるが、瀬戸内政権をかんがえるとは奇抜だが、毛利家も含めて、事例がない。
230日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:02:59
何故、女王卑弥呼の時代の後の約100年間、
中国との公の関係が断絶したかというのが興味深い。
もし、邪馬台国がその後も継続していたら
こんなことは有り得ないはずだ。
つまり、その後の日本の政治状況が中国を嫌っていた可能性が高い。
この場合、邪馬台国を支援していた魏を嫌う国といえば

邪馬台国と絶えず戦闘を繰り返していた「狗奴国」

ちょうど、卑弥呼よりも少し後ぐらいに
崇神天皇が吉備や出雲を制圧して、四道を置いたという記述がある。
231日本@名無史さん:2005/11/19(土) 02:11:28
ペッ(*`3´) =3
神話かよ。

>卑弥呼よりも少し後ぐらいに崇神天皇が
232シバキザクラ:2005/11/19(土) 12:16:32
3,4世紀の倭子国の情勢を考えるとき、あまりにも魏志倭人伝に頼りすぎているのではないだろうか。
魏志倭人伝は倭の全体の政治情勢をくまなくのべているものではない。
邪馬台国に(または、その後の)対抗する勢力、たとえば大和政権の起源を狗奴国にもってくるひつようはsなく、倭人伝に記述されていない国とみることも大事である。
倭国の歴史を考える上で、あまりにも魏志倭人伝に依拠していては全体を見誤ることもある。
233プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/19(土) 12:41:47
>>232シバキザクラさん

>狗奴國は、邪馬台国の抵抗勢力

そうでしょうか?
倭人伝にはそのような事カキコしていませんよ!
「古事記や六国史」に行く前に、もう一度倭人伝をじっくり読み直されたら如何でしょう。
まだかなりの見落としが
有ると思います。
234サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/19(土) 12:52:53
えー、232は230の邪馬台国と堪えず戦闘を繰り返していた「狗奴国」に
たいして言っていますが、この表現の場合、狗奴国は邪馬台国の対抗勢力ではないでしょうか。
235シバキザクラ:2005/11/19(土) 12:56:41
えー、234は名前を間違えました。サガミハラハラではなくシバキザクラです。
サガミハラハラさんすみませんでした。
けどどうして間違えたんだろう。
236日本@名無史さん:2005/11/19(土) 13:57:34

かなりアタマが逝かれてちゃってるね(w
237日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:00:02
×逝かれてちゃってるね
○逝かれちゃってるね
238日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:01:34
揚げ足取りが一番痛々しいと思うけどね。
いや、老婆心ながら。
239日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:05:51
>>234
>>235
2重人格すか?
240日本@名無史さん:2005/11/19(土) 16:32:15
機知外なだけさ
241シバキザクラ:2005/11/19(土) 18:23:14
236,239,240のことより、226への反論はないのでしょうか。
なければ四○説のある方のように、「反論がなければ認めたものとします。」という具合に
してもよろしいでしょうか。
242日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:24:18

んなもん誰も認めてなんかないだろ。
きちんとした反論をして貰いたければ
こんな素人ばかりが来る所じゃなく
プロの方達が来る様な所へ行って
反論を求めろ。
243プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/19(土) 21:45:59
>>226シバキ倒されるシバザクラさん

>東南陸行と書いてあるのに東へ行く非常識

誰も指摘しませんので私が
シバザクラさん
単純なミスに、まだ気付きませんか?
244プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/19(土) 22:46:57
確か「サガミさん」の説だと、唐津に上陸した使者達は
松浦川沿いに多久市方面にでした。
でも、倭人伝には
「東南陸行五百里到伊都國…」と、カキコ
何故、多久方面に進むの?進め無いのに!
245プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/19(土) 23:23:21
どぉやら「反論に対す反論」がないようなので

「東南」に行かない常識を
※一般的に移動に関する方角の表示は、「南北」が先に来て「東南ではなく、南東」と書き表します。

国史編纂に携わる賢者が、こんな単純なミスをするはずが有りません
これには「意味」があるはずです!

「東西」が先に来る場合は方角ではなく、地域を表す場合に用いるようです。
しかし「東南陸行…」は、明らかに方角指定表示です。
よって「東南」ではなく「南東」とカキコしなければなりません。
よって
誤った「東南」には、進んではイケナイのです。
246プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/19(土) 23:48:26
では、次にカキコされてる奴國はどうでしょう

@「(東南)陸行五百里到伊都國」
A「(東南)至奴國百里」同じ(東南)ですが

@の場合、
方角+移動・距離+目的で、明らかに「方角指定」
Aの場合
方角+目的+距離で、「方角指定」では無く「地域」です
そのため、移動方法がカキコされてなく方角の次に@とは違う「目的」がカキコされてるのです。
だから@は誤りの「東南」であるがAの「東南」は
誤りではないのです。

東南アジアや東北地方と同じ使用方法です。
奴國よりも奴地方の方がお似合いかな!
247日本@名無史さん:2005/11/20(日) 02:21:33
う〜ん、プラムさん、冴えてますね!!
248日本@名無史さん:2005/11/20(日) 02:37:33
魏の使者達はいったいどこへ。
249日本@名無史さん:2005/11/20(日) 02:58:26
>>246
>>247
自作自演の自画自賛か( ',_ゝ`) プッ
250プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/20(日) 07:45:36
>>249
残念!!
その時間帯は夢の中

期待ハズレでごめんね!
251日本@名無史さん:2005/11/20(日) 12:37:18
シバキハラハラは逃亡ですか?
252やっぱりそうだったんですね:2005/11/20(日) 13:00:44
>>234-235
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. =シバキザクラ
253シバキザクラ:2005/11/21(月) 11:12:19
>>242 これにはアマチュアはプロの世界に口だしするな、という考えが根底に見え隠れします。
学問が専門化だけでなく、広く世間一般に公開され、自由な意見交換がされるようになって、(学問の民主化)久しいとおもっていたのですが、
いまどきこのような閉鎖的な非民主的なかたがおられるとはおどろきました。
アマ、プロにかかわらず、自由に意見を述べ合うのが、民主主義の基本だとおもいますです。
254シバキザクラ:2005/11/21(月) 11:20:37
後漢書に「シュジュより東南船を行ること一年、裸国・黒歯国に至る。」とあります。
プラムさん、245の事例をお示しください。
255プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/21(月) 12:43:21
>>254シバキザクラさん

陳寿カキコの東夷伝東沃沮に 『…其地形東北狭西南長…』と、あります。
この内容が「方位示唆」か「地域」かは、シバキザクラさんの判断に委ねます。
余り方位八分割の使用例を知りませんので、事例を示すことが出来ません。
もし、ご存知なら
そのつど、資料提供をお願いします。

役にたつかどうか解りませんが、いいHPを見つけましたので
http://www.chikyu-gakko.org/column/hushigi/hushigi_bn061.php4
256日本@名無史さん:2005/11/21(月) 14:40:23
都の西北早稲田〜の森に〜
257シバキザクラ:2005/11/22(火) 08:40:08
>>255の資料には問題がある。まず、載せた人がこの問題を検証した上で載せているようには思えない。誰かの思いつきのでたらめの空知識を鵜呑みにして
謝った情報を掲載しているのではないだろうか。
東北が方位示唆か、地域かというが、それでは、東というのはどちらをさすのかと考えれば、この論はでたらめであることがわかる。
私の感触では、東北西南等は戦前のもので、戦後は北東南西と表記するようにかわったのではないかと思っています。
もっとも、この表記どうりにしなければ、張りつけ獄門というわけでないので、
かならず、そのように使用しているというわけではありません。
それぞれの事情により、主に使用する人の主観や語呂のよさによって一般では使っているのではないかと思います。
南西諸島については、戦前も南西諸島であったのか、西南諸島とされていたのか、ご存知のかた教えてください。
258プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/22(火) 12:32:45
>>257シバキザクラさん

別に貴方の主観を聞きたい訳ではありません。
反論があるならば、きちんと間違いで有る事を指摘してほしいのです。
ましてや、この方位は
私個人の考えでは無く、方位に関する法則を述べているのです。
一個人の感覚だけで切り捨ててしまう問題ではありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%BD%8D
259プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/22(火) 13:03:08
シバキザクラさんもご存知と思われます。
倭人伝には、八分割方が四ヵ所登場します。
全て「東南」で
@帯方東南大海
A東南(陸行)
B東南至奴國
C東南(船行)
AとCには「行」の文字を使用し、明らかに「方角示唆」です。
@とBには使用されず、
B等は明らかに陸行と判断出来る所に使用されないのです。
方位の法則に従えば、AとCは間違った使用で、「否定」を表す文字記号です。
260シバキザクラ:2005/11/22(火) 19:10:11
ふしぎ日本語の」内容が、主観と妄想から成り立っている以上、その間違いを指摘してもなかなかうけいれられないものです。
その内容を信じて敷衍して、漢字の本場の人が書いた文を間違った使用などとは呆然阿然です。
少し古代史から離れてお休みになられては。
261:2005/11/22(火) 19:57:23
卑弥呼が神功皇后だというのは、これは間違い。
まるで藤林長門守が百々地三太夫だったという、過去の「石川五右衛門」のTV番組
の物語の結末のようだ。ww
262プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/22(火) 22:48:11
>>260シバキザクラさん

ワンレスだけ見ての判断カキコはいただけませんなぁー
>漢字の本場の人が書いた文を間違った使用などとは呆然阿然です。

間違えた等とカキコしてませんよ!
意図的に《文を錯ふるを以って義を見し》と、言ってるのです。

反論なら、それなりの反論理由を主観的でないものを提示して下さい。
263シバキザクラ:2005/11/23(水) 07:56:39
前にもかいたが、戦前は東北東南西北西南というように東と西を先にもってきた。
東洋では大昔からそうだった。
戦後、西洋の表記をとりいれて、北と南を先にもってくるようになりました。
258のwikipediaの方位表をごらんください。英語ではnorthやsouthが先にきているでしょう。

このようにしつこく反論しなければならないのは、この珍説がひとり歩きをしかねないからである。
よけいな混乱が又増えるので。
264安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/11/23(水) 09:24:32
>>262
晋の時代にそれほど孔子が重んじられていたかどうかは、わからないのですか?
265プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/23(水) 10:20:42
>>263シバキザクラさん
どぉやら
私の方位認識は西洋地理学のようです。
中国の古地図は、南(皇帝)を上に描くと言う
固定観念に、捕われていたようです

東南…〇とし
南東…×とします。

これでまた一つ知識が増えました。
ご指導ありがとうございました。
266日本@名無史さん:2005/11/23(水) 10:22:50
シバキザクラさんの柴木が成功したのですね・・・(泣)
267プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/23(水) 15:05:37
因みに、
八卦では
「東南」「南西」「西北」「北東」
だ、そうです
268プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/23(水) 16:19:10
>>264安曇さん
レスが遅くなりスマソです。

陳壽は、蜀の官吏(観閣令史)であり
後に、晋の著作郎に推挙「魏書」の編纂に携わるエリート中のエリートです。
その試験や根底に有るものは「孔子の儒学」では
269プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/23(水) 16:32:53
安曇さん
「宋」の時代ですが

http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/shisyo.html
270シバキザクラ:2005/11/25(金) 08:20:09
邪馬台国論の非常識を続けます。

松浦から前原まで船でいったほうが便利なのに、わざわざ上陸して陸路を進む非常識。
でいかがでしょう.
271プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/25(金) 22:08:55
>>270シバキザクラさん

測量の為なら歩くでしょう。
魏志倭人伝(地理誌)は、魏使の歩んだ行程とは言い切れませんよ!
魏略逸文にも、似た様な記事がカキコして有りますので 以前誰かが測量した資料を参考にしたと、捕える事が出来ます。
倭人伝には、後漢時代の記事もカキコしてありますので、その地理的位置も、後漢時代の資料かも知れません。
そうなると、魏使のコースは別コースと考えた所で、なんら違和感を感じません
272安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/11/27(日) 09:21:28
>>270
その通りなんですが、>>271や、私見では、倭人がおおよその距離を測って
使者に伝えたと、思っております。
>>268ありがとうございます。
273プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 15:56:42
>>272安曇さん

>倭人がおおよその距離を測り

倭人ではなく大陸の人です。
274安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/11/27(日) 17:39:28
根拠を気盆です・・・・
275プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 18:06:43
確か倭人達は里数を知らないんじゃなかったっけ?
中華の役人が測量せず
倭人の測量をそのまま採用し、正史に登用するとは考えずらい

それより、倭人の測量と言う根拠をしりたい。
華人による測量より、倭人の測量を証明出来れば
歴史的な価値が非常に高いと判断します。
倭人の測量となれば、里数も倭人独自の里数を使っている可能性が伺えるし
とにかく至急の証明を願います。
ワクワク ワクワク
276安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/11/27(日) 18:17:00
>>275
里数を知らないってことはないと思いますよ。根拠は、これだけだと
ちょっと弱いかもしれないですが、遺跡で環濠掘ったり、墓作る時に
なんらかの尺度を用いていたじゃないんですか?じゃなかったらあそ
こまで見事なものは作れないと思いますけどね・・・
277安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/11/27(日) 18:28:15
それに、そのまま倭人が測量したものを、「三国志」に掲載したとは思って
いませんよ。使者の手も若干加わっているでしょう。私見は「倭人が調べた
ものに、使者が実際旅して測ったものを使って補正した」ですね
278プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 19:23:51
安曇さん

それでは、私なりの根拠
【東夷伝倭人】
「…始(度)一海…」
この文は、ご存じかと
一般てきには、(始めて一海を渡り)と、訳されています。
(度)は(渡)の誤写とされ 移行の対馬から、壱岐からは(渡)の文字になっています。
しかし、魏略にも(度)の文字が使われているため
誤字誤写説はきえます。
では、どうしてここだけ(渡ではなく「度」の文字)を?
『度』の文字にはもう一つ〔測量する〕
と、言う意味も有ります。 要するに、『度』一文字だけで(わたる)と言う意味と、
(次スレ続く)
279プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 19:35:58
あ!(次レス)だ!スマソ

『度』の一文字で、
・始めて(わたる)と、言う意味と
・(測量)を始める
と、言う二通りの意味を表しています。
中国史書の根底には、より簡素によりリズムカルに

倭人以外の測量で有ることの私なりの根拠です。

土木関連の定点測量と、道里等の移動測量を
同一レベルで取り扱う事を私はさけます。
280日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:36:01
別に誤字でも何でもないよ。
誰だよ、誤写なんて言ってるのは。
281プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 19:42:17
>>280
もしかしたら私の勘違いかも
スマソ

でも、>>278-279のレスの内容を変更するに至りませんので、レスの大意は、維持!
282日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:17:08
一つの文字が一度に二つの意味ってか。
「易」に「たやすい」と「変える」の意味があるようにってか。
残念でした。文字は一緒でも別の語。つまり「はかる」はduo(入声)、
「わたる」はdu(去声)。後者は言うまでもなく「渡」と一緒。
易も「たやすい」は去声、「かえる」は入声。日本語では前者が「イ」
後者が「エキ」。楽のガク、ラク(音楽、楽しい)も同様。
例えば「循」には「したがう」「めぐる」の意味があり、どちらも
発音は同じ。こおゆう場合は通用する。更に言えば発音が同じであれば
字が違ってもよい。しかし一つの文字が、発音を異にする字義を同時に
意味することはあり得ない。漢文の常識。
283プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 20:28:38
>>282
詳しい説明 乙です!

その様な漢文の常識を越えている為、陳壽の文は意味解らず難しいとされ
後に、ハイショウイの註訳を付け加えるのでは

その辺はどうなのよ?
284日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:36:31
>その様な漢文の常識を越えている為、
>後に、ハイショウイの註訳を付け加えるのでは
>その辺はどうなのよ?

なるほど。後代になって注釈書が作成される書物ってのは
(私は有用な書物だからというのが理由だと思うが。
 誰も読まないようなしょうもない書物には注釈などされない)
漢文の常識を越えている為に、作成されるんですね。
もう、何もゆうことはありません。 せいぜいがんばって下さい。
285プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/27(日) 21:00:27
ん〜

遂に>>284にも見放されたみたいです。
ま!仕方ないでしょう。
286シバキザクラ:2005/11/29(火) 10:13:52
体調不良のため遅れましてもうしわけございません。
271への返答を致します.

魏使の歩んだ行程でないとすれば、行程記事は何のために書いたのかということになります。
別コースをとったすれば、それを書いたはずです。
・東水行五百里にして伊都国に到る。と記せばよいことになります。
また陳寿は何故測量の為に歩いたと言うその部分だけ選択してかいたのでしょうか。
(その余の旁国とか、陸行一月の部分はどうしたのかということになります。)
後漢の資料といいますが、この点は基本的に私とおなじです。もっともわたしは、箕子朝鮮
に由来するとかんがえますが。
この記事が邪馬台国の都への行程記事であると考える(疑問の余地はないのであるが)
ならば、やはり、魏使のいったコースを陳寿は書いたのではないでしょうか。
287プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/29(火) 12:43:19
>>286シバキザクラさん
体調不良の時は、余り無理なさらず!

私は、行程記事とは考えておりません。
後漢時代から続く地理的位置情報であり、各測量方法ならびにデーターを補足しているものと思います。
もし、行程だとすれば、
伊都國で一先ず区切りを入れるか
女王の都迄きちんとカキコしたはずです。

東夷伝倭人は、先行史料となる後漢書がないため
一魏朝だけと言う訳にはいかない性質を持った特異な史書と思われます。

一見中途半端に見える不彌國までのデーター
これは明らかに、このデーターだけ記載しておけば、(次レス続く)
288プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/11/29(火) 13:01:21
後漢朝〜魏朝の記事を補う事が出来たのではないでしょうか?
その根拠として、笵曄の後漢書ではこの記事に訂正を付ける事なく容認しています。
笵曄は、そうした内容を十分読み取り 後漢書の編纂に携わったと思われます。東南陸行五百里も、決して間違いでは無いのでしょう。
一つだけ言える事は、東夷伝倭人に書かれし国々だけで後漢時の必要事項は網羅されていると、言うことです。

以上が、魏使の行程記事では無いとする私見です。
289安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/01(木) 14:25:30
プラムさん、返答遅れて須磨祖。>>278->>279を見たのですが、>>277に、
>私見は「倭人が調べた
>ものに、使者が実際旅して測ったものを使って補正した」ですね
とカキコいたしました。ですが、「土木関連の定点測量と、道里等の移動測量
を 同一レベルで取り扱う事を私はさけます。」と書かれていたのは確かに
そうかもしれません。ですが、>>276にも書いたように、倭人が里数を知らなか
ったというのは賛同いたしかねます。

290的外れ:2005/12/01(木) 18:44:06
いわゆる、文明の退化ということでしょう。
太古は、里数をはかれたが、後世には距離をはかることができずに、日数であらわしたのです。
291的外れ:2005/12/01(木) 21:49:13
ということは、魏志倭人伝の時代には、里数は測れて、隋(だっけか?)の時代には里数で測量できなかったということか。
それは、大和王朝が九州の文化を継承していないということ、つまり、邪馬台国東遷はなかったことになるのだろうか。
それとも、魏志倭人伝の行程記事(倭人からの聞き書きだとするならば)があやふやなのは、当時既に里数の測定が不能になっていたということであろうか。
だとすれば、それはいつごろからの事なのか。
など色々推論できるようです。
292太国:2005/12/01(木) 21:50:56
東遷は無し。
293的外れ:2005/12/02(金) 09:12:20
倭人は距離をはかれないということで、倭人伝の里数は魏使が計測したということになっているようですが、
一里が何メートルかでもめている。当時の魏の長さではどうもあわないからである。そこで魏晋短里説がでてきたが、結局はうけいれなかった。
そこで魏晋では2通りの単位が使われたと考えたが、ドルでもアメリカドル、香港ドルとあるように、区別する名詞をいれるはずであるから、これもボツ
となる。
となると、この里数単位は半島や倭特有のものであるといえる。
倭人が距離を測れないとするならば、この里数は、陳寿が何かの記録からとったと考えるのが合理的である。
それにさらに、魏使の記録(おそらく里数は書いていない)をみて、つじつま合わせをしたものと考えられる。
だから、行程記事は何かちぐはぐであやふやなものとなったのであろうか。
294的外れ:2005/12/02(金) 09:31:20
ではその行程記事のもとの記録は、やはり、倭人が書いたものであると考えるのが適当である。
つまり、倭では、かつて、卑弥呼邪馬台国よりも優れた文明が栄えており、その時代にこのような距離を持って国々をあらわしていたのであるが、ワコク大乱のような戦乱によって、
かの文明が衰退し、卑弥呼の時代には里数が測れなくなっていたのではないだろうか。
その文明とは、糸島地方を中心としてあったようである。この有名な吉武高木遺蹟などはその一翼ではなかったであろうか、
吉武高木は邪馬台国時代よりはるかに古く、滅んだ後は回復されなかったようである。
なにかいっていることが、291とちがってきたのであるが、まだ考えがまとまっていないものですからご容赦ください。
295プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/02(金) 12:23:31
>>294
その考えを纏めるソース等があるのですか?
296プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/02(金) 12:44:16
後世の記事に『倭人は里数を知らない』とカキコしてあるし、
当時『倭人は里数を知っていた』と、証明するのも不可能な作業
しかし、中国では里数を表記出来、移動測量も可能だった。
ならば、当時の文献の里数は、中国人の測量結果と捕える事が自然と考える
そこに示された数値の正確さ云々は、別の問題である数値に関しては、
その裏側に政治的意図が見え隠れしている以上、関係ない話で有る
魏略にも里数が書いてあるので、基礎資料が存在したのでしょうが(漢時か魏時かは、解らない)、魏時に補足され
編纂時に、陳壽の意図が十分入った
297プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/02(金) 12:56:44
それでもまだ
倭人による測量とするのであれば、その合理的証明を期待します。
298安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/03(土) 12:49:35
>>296
それはどの書物に書いてあるのですか?
299プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/03(土) 18:37:32
>>287
『隋書東夷倭国』
夷人不知里数但計以日

夷人の中に倭人が入るかどうかが問題ですが!
300安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/04(日) 07:39:38
>>299
いや、明らかに入っていますね。ありがとうございます。
301日本@名無史さん:2005/12/04(日) 09:14:15
わざわざ倭國条に、倭国と無関係なことを書く御仁がいたらお目にかかりたいものだ。
302的外れ:2005/12/04(日) 13:23:41
はい、ここでお話しを整理してみましょう、
魏志倭人伝の記事の里の単位は、魏朝でつかわれていたものでないので、当時の中国人が計測して記録したものではない。
とすれば、これは、別な時代に計測した記録を載せたものである。
別な時代に計測した人が中国人であったのか、倭人であったのかについては、この単位がいつの時代につかわれていたものであるかを効ッ慮する必要がある。
そうすると、この単位は秦以前の単位であろうとかんがえられる。
となると、その時代に倭国に中国人が活躍していたとはおもわれないので、これは
倭人か半島人(亡命中国人を含む)であると考えられる。
ということから、倭人が計測したと考えて問題はないと思います.
303プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/04(日) 15:19:30
>>302

>魏志倭人伝の里の単位は、魏朝でつかっていたものではない

後漢朝或は公孫政権時又は魏朝時、交易と平行に行われた測量報告書が基礎となり
魏志倭人伝の編纂意図に沿った里数です。
そうした方が違和感が有りません

だから、
洛陽⇔遼東 四千里
郡⇔狗邪韓国 七千里
海峡 各千里
韓の方四千里

だからそれぞれの比率がバラバラなのです。
304安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/04(日) 15:37:22
でも、倭国の道が中国のように整っていたわけではないので、正確な
里数を測るのは不可能に近いと思います。
305プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/04(日) 17:29:57
里数の測量が困難でも、実際里数がカキコしてあるよ!
306安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/04(日) 17:54:15
>>305
返答遅れて須磨祖。一応>>277に書いたのが、>>304の理由ですね・・・
307プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/04(日) 19:37:06
>>306安曇さん

>>277の、>倭人が調べたもの

これを、どぉ証明するのです。
それに
>使者が旅をしながら
使者は、別な使者としての目的があるはず そんな悠長な旅等

魏志倭人伝地理志のカキコは、旅程ではなく
倭の地理的位置関係を示した文章でしょう 旅程にしては余りにも矛盾した経路であるし、無駄が多すぎます。
魏の時代の測量を想定すると、 測量可能なメンバーとしては『張政一行』が、最も可能性を秘めたメンバーかと
308日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:07:55
邪馬台国は四国とゆうことで一件落着しそうです。
309日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:10:20
考古学的物証は少ない物の文献的に見れば間違いなく邪馬台国は四国である事を指し示しているのです。
310日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:12:20
九州だの近畿だのほざいてるアホ連厨は、もうちょっと勉強したほうがいいよ。
311日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:13:11
まったくだ。
312プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/09(金) 21:19:00
>>309
では、
その文献の解説でもしてもらおうか?
313プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/09(金) 21:39:21
『魏書東夷伝倭人(陳壽)』
景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝献…
314太国:2005/12/09(金) 21:49:55
女王国は四国にあらず、九州なり。
315プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/09(金) 22:06:24
『梁書列伝諸夷倭』
魏景初三年公孫淵誅後卑弥呼始遣使朝貢魏以為親魏王仮金印紫綬
316シバキザクラ:2005/12/09(金) 22:22:46
私がシバカなくとも、支離滅裂になってきて、皆さん自滅しているようですね。
317プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/09(金) 23:07:02
景初二年十二月(公孫淵誅後)難升米洛陽に、詔書発布
景初三年次使都市牛利洛陽に
親魏倭王の位と金印・紫綬の下賜
318日本@名無史さん:2005/12/10(土) 11:02:50
「邪馬台国はどこですか」の次スレ気盆気盆気盆
319日本@名無史さん:2005/12/10(土) 11:18:30
邪馬台国がらみは山ほどあるだろ。
どんなスレ立てたって、プラムと太が荒らし回ってにたようなスレになるんだから
立てるだけ無駄。
320プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/10(土) 12:42:32
>>319

>プラムと太が荒らし回って

小心なんですね!
そんなもの論破すれば済むことでしょう。
名無しでコテの批判しても意味無いと思いますが?
321日本@名無史さん:2005/12/10(土) 22:55:39
というか、古墳時代の勢力形態も
ほぼ、中世の勢力形態と同じだったみたいでは?

日本みたいな人口密集地帯の島国は
だいたい、農耕社会下では同じようなことを
繰り返していたんだと思う。
322日本@名無史さん:2005/12/10(土) 23:15:00
なぞの古代の日本の勢力形態は、中世の日本の勢力形態と同じということらしい。
基本的に、日本は国土の80%が山間部である島国であり
稲作農耕の人口密集地帯だ。こういうところは、
農耕社会を通じて、同じような歴史を繰り返すらしい。

例えば、戦国時代、畿内・濃尾の織田家と、瀬戸内海周辺の毛利家が
事実上、覇権をかけて戦っていたが、
同じく3世紀も、畿内・濃尾の狗奴国(大和王権)と
瀬戸内海周辺の邪馬台国(吉備)による覇権争いだったらしい。

その後、中世では、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたが
古代でも、応神天皇が朝鮮出兵したていたとか...

また、最後のクライマックスとして
中世では、関が原の戦いがあったけど
古代では、壬申の乱が不破の関(後の関が原)であった。
323:2005/12/11(日) 23:40:43
という勘違いもあったそうです。
324シバキザクラ:2005/12/12(月) 11:24:23
何かこのスレ、ずいぶんとさびしくなりましたね。
1時は白熱の論争があったようですが。
木枯らしがまいちるように、皆さん静かにきえていったようですね。
それとも、どこかで密かに爪をといでいるのでしょうか。
325プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/12(月) 12:25:42
范曄は、陳壽の倭人伝を見・研究し陳壽の書かなかった後漢時代を補うかのように『後漢書・倭』を書き上げた。
そして范曄は、『邪馬臺國』の記事を後漢時代からの出来事とし、『邪馬』の文字を変える事なく記載した
そしてもう一つ『狗(拘)邪韓国』の名前も…
326プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/12(月) 12:35:09
一見、魏志倭人伝の丸写しに見える『後漢書・倭』
しかし、この范曄のカキコした内容を十分把握しない限り 陳壽のカキコした倭人伝の真実は、浮かび上がる事が無いのでは
陳壽は、三十の国を強調し尚且つ三十人の王をカキコした。
しかし范曄は、三十の国を強調することはなかった。
327日本@名無史さん:2005/12/12(月) 15:25:01
>>322
なるほど、歴史も系統発生を繰り返すということですね。

もしそうだとすると、邪馬台国が吉備というのは論理的じゃないのでは?

吉備が近畿より西の地域に、覇権を確立したことは一度もない。

中国・北九州を支配し、博多・堺を押さえて日明貿易を独占していた

周防・大内氏あたりが最も有力なんじゃなかろうか?

328シバキザクラ:2005/12/12(月) 19:33:42
後漢書は倭人伝の丸写しではありません。
例えば、邪馬壱国を邪馬台国というように変更しております。ただ後漢書執筆の時代では、邪馬台国と呼称されていました。それを、後漢の時代も邪馬台国と称していたと
まちがえたのです。その原因はイチの字とタイの字が似ていたために、邪馬壱国は邪馬台国の書き間違いだとおもってしまったのです。卑弥呼の最初の遣使の時は邪馬壱国と
称していたが、
直に「邪馬台国」と変更したのを知らずに、漢時代を通して邪馬台国と称していたと思ったわけです。時期に
329プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/12(月) 20:32:15
>>328シバキザクラさん

>後漢書執筆の時代では、邪馬台国と呼称されていました。

ソースは?
330シバキザクラ:2005/12/13(火) 07:59:14
後漢書東夷伝・倭です。岩波文庫本の原文の4行目です。
そもそも邪馬台国の初めの国名は委奴国です。
それが120年頃の倭面土国の滅亡後、邪馬の委の国すなわち邪馬壱(委)国となり、
親魏倭王の印を授受してから邪馬の大いなる委の国すなわち邪馬大委国これを中国人は大委を
台の字をあてはめ邪馬台国と表記しました。
倭国が中国で邪馬壱国となのったのは、卑弥呼の最初の遣使の時のみで2回目から邪馬台国をなのったために、
後漢書の著者は魏志倭人伝の壱は台の間違いだと思いこんだのです.
と後藤幸彦氏は「倭国歴訪」の中でのべておりました。
331プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 12:34:18
シバキザクラさん
変でスねぇー

>二回目から邪馬台国と

何処からも探り出せないのですけど

それに、後藤氏著書の『倭国歴訪』は、後藤氏の御配慮により拝読させて戴きました。
でも、范曄の勘違いだけで片付けてしまってもよろしいのでしょうか?
「委奴國」も金印だけの話し、その名前を文献から見つけ出すことが出来ません
332日本@名無史さん:2005/12/13(火) 12:42:27
w
333シバキザクラ:2005/12/13(火) 13:03:56
金印の委は後漢書倭伝に出てくる倭奴国王の倭の字を省略して委として刻したものです。
2回目からは邪馬台国と名乗ったという件ですが、さまざまな事象を勘案すると、そのように考えるのがもっとも
合理的だということです。勿論真実です。
334日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:57:45

真正キチガイ
335プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 18:08:58
シバキザクラさん
「倭」と「委」では、根本的に意味が違うとおもうし、後世の華人に理解されないこと必至です。
中国正史は、日本の読者に涙と笑いを提供する書物ではないはず
336シバザクラ:2005/12/13(火) 18:45:59
中国における外国の名称は原則当て字であり、意味をあらわすものではありません。
音が同一ならばよいのです。ただ省略する場合は元の字に近いものをあてます。
だから倭(い)と委(い)は、元に近い関係であり、倭と壱は別の表示となります。
337シバザクラ:2005/12/13(火) 18:49:07
キチガイ?いえ1行目は定説です。2行目は、そのうち定説となります。
338プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 20:27:20
シバザクラさん

漢字だけで表現する中国において、意味を問わない感じの表現は有り得ないと思います。
「倭」と「委」が同じ様な漢字に見えるのは、日本的感覚ではないでしょうか?
倭奴國=委奴國ならば
倭奴國=萎奴國
萎奴國=委奴國
の、公式が成立するんですね!
339プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 22:28:39
「邪」「馬」「狗」「奴」「卑」「不」「鬼」…etc…
これらが全て意味も無視し、ランダムに音だけで当て字したと?
どぉみても、意図的としか感じ取れないのですが!
「シバケ」ますか?
340シバザクラ:2005/12/14(水) 08:27:06
>>338の公式は成立します。ただ中国人は使用しなかっただけです。
>>339では、なんとかの音の表があってそのトップの音をランダムにあてたという説があります。もっとも私はその説はとりませんが。
当て字の際の字義ですが、倭語での意味はとりません。ただ選択する際に、上記のような卑しい意味の字を選ぶとかしたようです。
341サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/17(土) 16:40:59
このスレでは邪馬台国小城説にたったその余の旁国を紹介します。
奴はトと読んでください
斯馬国=糸島地方中にイ土国や志登国を含む。旧倭面土国の本拠
巳百支国=三瀬村            邪馬国=山国川河口の中津市
伊邪国=福岡市南部の弥永        キュウ臣国=玖珠市
都支国=吉武金武のあたり        巴利国=杷木町
弥奴国=御笠川の源流あたりか?     支惟国=わからなかったです。
好古都国=香椎の宮 博多はその南端   烏奴国=わからなかったです。
不呼国=遠賀川河口の岡田        奴国=山門
姐奴国=宗像 ツヤ岬あり
対蘇国=対馬北島
蘇奴国=北九州市の南東部
呼邑国=遠賀川中流
華奴蘇奴国=苅田町
鬼国=大分市
為吾国=大分県東部
鬼奴国=国東半島東部 鬼国と鬼奴国は逆かもしれない

尚金印奴国の漢の倭奴国の倭奴国は吉野ヶ里です。
342シバキザクラ:2005/12/19(月) 13:55:50
暇だったので、「邪馬台国はどこにあったのか?」というホームページをまとめてみた。
邪馬台国の所在地の一番人気は奈良県の巻向遺蹟付近で120票をえていた。
2位が福岡県の山門で91票であった。
地域別でおもなところをまとめてみると、
九州が492票(うち南九州が36票)   近畿が203票(内大和盆地が177) 関東97(千葉71茨城23)
岩手県八幡平が67 邪馬台国はないが60 西南諸島が49 外国が47(内インドネシアが16)   四国が27
北陸が21ということになります。
三分のニの人が邪馬台国は九州だとおもっているようですが、九州の候補地は散在しているということです。
343日本@名無史さん:2005/12/23(金) 19:43:53
>>324
木枯らし ×
枯れ葉  ○      だろ?
344シバキザクラ:2005/12/24(土) 08:28:13
>>343
はい、そのとうりです。書きこんでしまってから気づきました。
345サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/02(月) 13:03:37
その余の旁国について説明します。
その前に対馬国の馬の説明から。
倭人伝にでてくる「馬」のつく国は、対馬・邪馬・斯馬・邪馬台・投馬の五カ国である。
このうち、邪馬台国は戸七万、投馬国は戸五万であり、他はその余の旁国である。
この馬の字は、国や地名につけられる字のようである。つまり、所と言う意味を持ち、
対馬とはツイになっているところ(上島と下島は同じ形大きさで並んでいる(つ
まりツイになっている)とか国という意味となる。
「馬」は、住居でいうところの、床の間、居間、客間などにつかわれる「間」と同じ意味で、
ある地域を指しているようである。
当時の九州はいくつかの「間」にわけられ、更にその中にいくつかの国が存在していたのである。
対馬が「ツイマ」、九州北部が「ヤマ」、熊本県が「クマ」、鹿児島県西部が「サツマ」、宮崎県
と鹿児島県東部が「トウマ」、北へ海を渡り、半島南部が「ミマ」、糸島半島の周辺が「シマ」
となる。
346プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 13:27:51
サガミさん
『馬』の字意は(真ん中)だと記憶
間違ってたら スマソ
347日本@名無史さん:2006/01/02(月) 13:37:53
これを思い出した
ttp://www.shochian.com/harubaru.htm
348プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 13:52:28
では、『對海』をどう説明しますか?
349プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 17:48:10
>>346訂正

『馬』⇒真ん中 ×
『馬』⇒離れている 〇

でした。 スマソ
『對』⇒対の旧字で(真ん中・中間)
『海』は対馬海峡と朝鮮海峡の事
350サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/02(月) 18:32:17
いえ馬は住宅の『間』と同じような意味でつかっています。
尚、奴はトまたはドと発音し、住宅の「戸」と同じ意味をも持ちます.
對海はツイハイと発音しハイは南の意味ではないかとおもっています。
つまり、対馬の南島という意味です。
351プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/03(火) 07:45:47
サガミさん

『馬』を 住宅の『間』と同じ字意で使った場合
対馬の文字を見た漢人は、その島の様子を把握出来るでしょうか?
352サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/03(火) 08:50:57
文字だけでは、把握できません。説明を聞いてああそうかとおもいます。
文字を見た人と、漢字を当てはめた人は違いますので。
353サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/03(火) 09:22:48
斯馬国
斯馬国はその余の旁国の筆頭である。
福岡湾の西部に糸島半島なるものがある。糸島とは、「イ(リッシン扁に台)土」と
「島」の両郡が合体して糸島となったといわれる。島がこの斯馬にあたる。
馬のつくのは、その中に幾つかの国をふくんでいる。
一つは支石墓で有名な志登にあった志登国である。もう一つは、イト郡に名を残す
イ土国である。このイ土国を魏志倭人伝の伊都国と新井白石が誤解したため、後の邪馬台国論争を混迷
へと導くことになった。このイ土国も志登国も倭人伝には記載されていない。
一括して斯馬国となっている。ここは、倭面土国の故地である。
354サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 08:28:25
次ぎは説明の都合上、都支国にいく。
福岡市西部、室見川ぞいに、吉武(ヨシタケ)金武(カネタケ)の地名がならんでいる。
「都」は当時「タ」と発音されており、「支」は「キ」で、合わせて「タキ」と読む。
このヨシタケ、カネタケのタケがこの都支にあたる。ここが都支国である。
付近に下山門の駅がある。ここは山門庄のあったところである。
また日向の地名やクシフル山もある。神武天皇がいたという日向の宮はここである。
神武はやがて奈良県に移住し、そこに自分の故郷であるヤマトの地名をつけたのである。
尚、現在の福岡は黒田氏が移封されてから、黒田氏の故郷の播磨の福岡の地名をつけたのである。
355サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/05(木) 09:17:43
好古都国
ずいぶん古い話になるが、某テレビ番組で、レポーターが台湾まででかけて中国語の古代の発音が分るとか言う人に
倭人伝の国名をよんでもらう場面があった。その人は好古都をハォコタと発音した。
レポーターは、これはハカタのことではないかといっていた。これが私にとってその余の旁国探索の
ロゼッタストーンとなった。
ハカタとは現博多であって、福岡市の博多駅のあたりのことである。倭人伝のころは、辺りはひろい潟であった。但し博多のカタ
は潟のことではない。博多の地名が残っているからといって、そこが中心地であるとはならない。
江戸川が江戸の真中をながれていたわけではないと同じことである。
中心地捜しで目安となったのはやはり神社であった。そうすると博多の北に香椎宮がある。ここが好古都国の都であったところである。
博多の地名は好古都国の港に名が残ったのである。
その前に多婆那国について述べたい.この国は香椎にあった国である。東に立花山がある。また、この国は倭の都の東北一千里の所にあると
いうから、当時の倭都の吉野ヶ里から東北70キロのところであるから距離的に会う。
また、「三国遺事」に多婆那国は竜城国であるようにみられるが、そこはハカ国とも呼ぶとある。このハカとはハカタのハカである。
よって好古都国は香椎宮にあったと断言できる。
356日本@名無史さん:2006/01/05(木) 11:12:03
博多辺りは奴国ですね。
よって博多=好古都は無い。
残念。
357サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/05(木) 12:33:10
後にでてまいりますが、奴国は肥前山口です。間違いありません.
358日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:22:22
出てこなくて良いですから(w
359日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:19:50
>ずいぶん古い話になるが、某テレビ番組で、
>レポーターが台湾まででかけて中国語の古代の発音が分るとか言う人に
>倭人伝の国名をよんでもらう場面があった。その人は好古都をハォコタと発音した。
>レポーターは、これはハカタのことではないかといっていた。

このレポーター、井沢元彦はんですね。
お疑いなら井沢元彦はんの小説「顔の無い神々」のあとがきに
その経緯がちゃんと書かれてますよん。

あ、反切についてだすが、織田信長の「信長」の名前は
ある漢字の反切表記に由来しているってご存知ですかな?

え?サガミハラハラ氏はご存知ない?

あらまw

そんなんじゃ、織田信長マンセーの井沢元彦はんに笑われちゃいますよん。
360日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:37:57
井沢は超一級のキチガイである。
361日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:46:34
既に邪馬台国=大和で終止符は打たれてますから
362日本@名無史さん:2006/01/05(木) 15:51:33
いやいや四国ですよ。
363日本@名無史さん:2006/01/05(木) 22:40:00
宇佐だ!
364プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/06(金) 09:34:34
邪馬臺國は『列島の極南界』ですよ!
その地域は、三十国にて形成されております。
365太国:2006/01/06(金) 09:45:35
プラムさんは(略字で)邪馬台国の考えでしたか?
邪馬壱国は間違いとお思いかな〜?
366サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/06(金) 10:01:57
伊邪国
実はこの国は、カン苑という書物に広志に曰くとして2度国名が挙げられている.
それだけ重要な国と見ていいだろう。
斯馬国、都支国、好古国とハカタ湾沿岸にみてきた。
残る空白地域は福岡市南部である。
福岡市南部に筒井、井相田、井尻、桶井、井手、板付とイのつく地名が密集していrところがある。
それらの中心に弥永という地名がある。スク岡本遺蹟のちかくである。
弥永は現在ヤナガと発音しているが、北部九州では、イヤナガと発音していた。
このイヤが伊邪国のイヤである。
よって、この福岡市南部は奴国ではなく、伊邪国なのである。
367日本@名無史さん:2006/01/06(金) 10:54:04
こんなのあるよ

2005年度早稲田大学文学部退職教員最終講義
 
 福井 重雅 教授
 常識を疑うこと、それが歴史学の出発点
 −「後漢書」「三国志」の倭人の伝記をめぐって−
 1月18日(水) 14時40分〜16時10分
 34−453教室

誰か聞いてきたら報告しる!
368プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/06(金) 14:05:43
>>365 太国さん

邪馬臺國とは、范曄バージョンであり
邪馬壹國とは、陳壽バージョンです。

しかし、
邪馬臺國=邪馬壹國であることを証明することが大変困難な為
現在私は、邪馬臺國バージョンを主体に考えています。

…広島より…
369日本@名無史さん:2006/01/06(金) 15:17:53
>当時の九州はいくつかの「間」にわけられ、更にその中にいくつかの国が存在していたのである。
>対馬が「ツイマ」、九州北部が「ヤマ」、熊本県が「クマ」、鹿児島県西部が「サツマ」、宮崎県
>と鹿児島県東部が「トウマ」、北へ海を渡り、半島南部が「ミマ」、糸島半島の周辺が「シマ」
>となる。


面白い、君の説をもうちょっと開陳してくれ。
370サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/07(土) 08:49:56
不呼国
不彌国は小城である。つまり、不はオと発音するのである。(オギの前はオキといったが、
これは、ミをキにおきかえたのであって、転訛ではない。)
呼であるがこれは卑弥呼の呼である。卑弥呼はヒミカまたはピミカとよむのが本来である。
ピカピカとかヒカリのヒカであり、アイヌ語のピリカ(美しい素晴らしいの意味)と道義である。
よって不呼国はオカコクと読む。
博多湾沿いに北に進み、遠賀川の河口に岡田宮がある。ここが不呼国の都である。
371日本@名無史さん:2006/01/07(土) 08:57:17
372サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/08(日) 09:51:10
姐奴国
姐はシャと発音し奴はトと発音する。よってシャト国である。
岡田宮の近くに宗像神社があり、津屋崎がある。
ツヤはシャの転訛であろうか?
多婆那国の王が女国の王女をめとったとある。姐奴国の姐は女という意味である。多婆那国は香椎宮であるから、
女国とは隣国の姐奴国のことであろう。
倭人伝では、倭語には漢字を意味とは関係なくあてはめたのであるが、例外がないわけではない。
これは例外の一つであろう。
373サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/08(日) 12:33:42
姐奴国が女と関連がある字をえらんだと考えた理由の一つは、宗像神社の祭神が宗像三女神であることにある。当時、この三女神に
かんする伝承(多分に色っぽい(出雲神話のような)が残っており、その影響を受けたと考えられる。
374日本@名無史さん:2006/01/08(日) 15:30:57
>>372
「シャ」が「ツヤ」に転訛・・・・2chネラーらしい結論だw
375日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:50:06
サガミハラハラ氏にそろそろ伊都国=多久説を説明していだたきましょう!
376サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/09(月) 09:34:16
女国の話であるが、「三国遺事」という書物に「積女国」というのがでてまいります。
なにか裸の若い女性が積み重なっている国を連想するかもしれませんが、そのようなこととまったく
関係ございません。
「三国史記」とあわせてみると、これは女国のことであるとわかる。つまり、積女国の積の字が落ちて女国となったようである。
となると、シャト国はセキジョ国のことであるとなる。シャはセキの転訛である、とかくと2chネラ―らしい結論だと侮りをうけるので
別にかんがえます。積はシャクともよみます。つまり、これは呉音でシャクニョ国とよむのがよろしい。
大昔、この辺りでは、呉音の漢字表記がおこなわれていたらしいと聞いたことがあり、地名等で呉音でいうとあてはまるところがあると聞いたことがあります。
これはその一例であるのだろう。
このシャクニョのシャがこの姐奴国のシャである。クニョはどうなったのかはわかりません。
こうしてみると、宗像三女神、姐さんという意味のシャの字、積女国等の状況証拠からみて、
姐奴国は宗像であるとみてよい。
この件に関してはまだまだ論じることがあるが、所在地の話なのでこのあたりでおわりにします。
377サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/09(月) 09:48:39
対蘇国
不呼国の北西に跳び、対馬北島の国である。
南は対海国で北が対蘇国である。
対馬で興味深いのは、遺蹟遺物は南島より北島に多いということである。
対蘇の対は対の間の対、蘇は阿蘇や熊襲のソに通じるのであろうか。
浅茅湾にその名を残しているのだろうか?
378日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:52:42
福岡の小倉、筑豊域を確かにかつて岡と読んだというのは
聞いたことがあります。
379日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:55:17
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。又經十餘國、
達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。倭王遣小徳阿輩臺、従數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。

秦王国もおねがい
380サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/10(火) 09:35:45
蘇奴国
九州本土に戻り、不呼国から東へ蘇奴国へと至る。小倉から企救半島にかけてが、その領域であろうと推測
されるが、類似地名がまったく存在しない。
不呼国や次の華奴蘇奴国との位置関係から推定した。
381サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/10(火) 09:55:40
呼邑国
ここで不呼国に戻り、その南に呼邑国がある。遠賀川にそって、岡田・遠賀・嘉穂・香春・カイ田・香月
と「か」のつく地名が並んでいる。
ここは、呼人(かじん)の住む領域であり、呼人の住む邑邑という意味であろう。後の嘉麻郡であり、「呼馬」
と記されても良い地域である。
西の三郡山地をへだてて、西とは文化を異にしている。山地の西は甕棺墓地域であり、ここは箱式石棺墓である。
西の甕棺族は三郡山地を越えて、呼馬の国へと侵入し、その橋頭堡が立岩である。

ここまで見てくると、不呼国を中心にして姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国が存在することがわかる。
その余の旁国はアトランダムにならんでいるようではないようである。
グループがあるようであり、不呼国はその中心国とみられる。また三郡山地をはさんで、邪馬台国を中心とするグループと
異なった部族であるとみることができる。
382世界@名無史さん:2006/01/10(火) 13:23:07
邪馬台国の支配領域が知りたい!
383日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:12:56
香月は豊前畑城の城主で、ヤマトタケルのクマソ征伐の際に
鞍手で挙兵しこの時につけられた賜与された苗字です。
秦王国と何か関係ある可能性がある。

畑城の城主香月はその一派である。
その後香月は関東の麻生氏にこの城を明け渡し自身は山口で大内に使えた。
香月氏の分派は12世紀頃、筑前、筑後、肥前の
仏教の布教に努めたそうです。
漏れはその一族の末裔です。
384日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:22:56
ちなみに漏れは邪馬台国は宇佐、八幡近辺だと考えてる。
サガミさんはかなりきわどいとこついてますが、核心のとこが
弱い。
385日本@名無史さん:2006/01/10(火) 15:43:42
香る月ですね。
秦、弓月と無縁ではないはずです。
386日本@名無史さん:2006/01/10(火) 16:06:39
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/yamataikoku-yasumotosetu.htm
安本さんも微妙に揺れてるみたいだよ。
トヨの時代の中心は豊前宇佐近辺が中心だと認めてるしw
387プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/10(火) 16:16:42
>>386ヒッキー君
いつ頃から揺れ動いているか解る?
卑弥呼の時代と壹與の時代とで、都の位置が違う事については、
同意したい。
388日本@名無史さん:2006/01/10(火) 16:39:34
隈(くま)吉→隅吉→住吉
389日本@名無史さん:2006/01/10(火) 16:55:59
サガミさん。

そろそろ、サガミさんも小城から撤退した方がいいと思いますよ。
旧甕棺地域に邪馬台国があったとは考えられません。
ことらは征服された側です。
旧甕棺地域は有明海、玉名、熊本に広がる中九州文化圏と
基本的に同じものです。それは旧狗奴勢力でもあります。
390日本@名無史さん:2006/01/10(火) 17:50:14
ダイナミックな時の流れでみてください。
有明海を中心とした縄文文化の流れを組む弥生文化が甕棺文化
そして西九州縄文的弥生人の支石暮です。
いくらか半島の棄民を受け入れましたが基本的には有明海の縄文文化を
承継したものです。
本州、豊国の箱式墓が邪馬台国(出雲、大和)のものです。
甕棺は古い倭の文化であります。
倭国大乱、卑弥呼邪馬台国はまさに
その古い倭が崩壊する歴史を記述したものです。

391サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/11(水) 09:45:51
華奴蘇奴国
呼邑国から東に進むと、行橋平野に出る。ここが華奴蘇奴国である。
刈田町があり肝等(カト)庄がある。その北に曾根がある。華奴国と蘇奴国の南半が合併して
華奴蘇奴国となった。北部もやがて不呼国に吸収されてしまったことは、日本書紀の仲哀天皇紀
の領土献上のことからわかる。
この国の特異なことは華という国名である。卑字がつかわれているという倭人伝のなかで、好字が
つけられていて、しかも中華の華である。とても夷人につけるような字ではない。
ところでずうーっと後世になるが、「隋書タイ国伝」に「また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ」
とある。つまり、竹斯国の東に中国人と同じ人がすんでいたというのである。
それはこの華奴蘇奴国の後裔なのであろうか。秦王国は豊前にあったとする説もある。
山口県の土井が浜という所から墓地が発見され、そこの人骨は「北部九州山口タイプ」とされ
三郡山地東部のタイプとされている。そして彼等は中国山東省あたりから渡来したのではといわれている。
華奴蘇奴国もその範囲の中にはいる。倭人伝のころもその遺風があり、それで華という字で記したのであろうか。
中国人の移住にかんしては、徐福が有名であり、佐賀にはその伝説がある。
このとき九州に散在したとすれば、このあたりにも住みついた可能性は十分ある。
というわけで、かつて「華奴国蘇奴国は華人の国か」という論文を書いて「歴史研究」に投稿したがボツに
なってしまった(笑)。
なお不呼国とこの国は仲が悪かったらしく、景行天皇のときに、この国の女王は天皇に讒言し、呼人を虐殺させている。
392サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/12(木) 08:41:58
鬼国
紀の景行天皇紀に「碩田国(オオキタ)」の地名説話がでてくる。大分県のことである。
オオ・キ・タのキが鬼にあたる。
為吾国
豊後の国のどこかではと推測されるが、特定ができない。
鬼奴国
やはり豊後の国の一角であろう。
大分県海岸部には、キのつく地名がつらなっている。
安岐・杵築・臼杵・佐伯とある。
393たまご:2006/01/12(木) 10:40:09
倭人伝記載の国名が、倭人の言葉を音写した物である事が、
100%間違い無いという事を前提とするならば、
「對海国」の「海」は、「馬」の写し間違いなどでは無く、
元は「毎」だったものを、「海」の字に移し間違えた物と、
考えざるを得ない。と言う結論に達した。
僕は、サガミハラハラ氏の説は、支持出来ない。
394プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/12(木) 12:19:29
結局、両方とも『誤写』ですか!
日本人なら“いざしらず”中国の正史で…
どうなんでしょう。
かなり綿密な誤字・脱字の検査の上での
それが普通では?
395サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/12(木) 12:48:37
甕棺墓について。
甕棺墓は三郡山地以西に集中しており、邪馬台国もその範囲にはいる。
安本美典氏によれば、180年頃に突然終息しているという。
これは卑弥呼の即位(183年で確定、拙書 卑弥呼の登場 明窓出版社刊参照)の時期と重なる。
つまり、卑弥呼は即位と同じに、甕棺墓制を廃止する詔をだしたようである。。
墓制は宗教的なものであるから、宗教的立場の者からのご託宣でなければ民衆は納得しないであろう。

甕棺の起源であるが、半島(韓国南西部、私が東テイ国であると考えたところでは、北部九州の甕棺と瓜二つの写真の
スライドをチラッと見た。)や中国にも存在するという。日本の甕棺はそちらから伝来したとも考えられる。
ただ問題は、それらの甕棺がどのようなものなのか、私は実見(写真も含めて)していない(上記のスライドもちらっとである)ので、
どのくらい一致するのか確かなことはわからない。
よく同じ物があると聞いて実見したら、似ても似つかぬものであったことがある。(日本にもピラミッドがあるというので、みてみたら
三角形の自然の山であった。)
もし半島や中国の甕棺の写真があったらご紹介をおねがいいたします。
書名でもかまいませんです。
396たまご:2006/01/12(木) 14:11:56
「紹熙本」では、「対海」。「紹興本」では、「対馬」。
と書いてありますので、「対海」は「ツシマ」と読むべきでしょう。
しかし、通説に従い倭人語の音写であるとするならば、音で「海」は
H音ですので、M音で読むには、倭語でなければ有り得無い事です。
とすれば、「海」に似た字で中国語でM音で読む字「毎」(「侮」もあるか)
の誤写と考えざるを得ない訳です。魏志倭人伝には、誤字誤写と思われる
ものが他にも有りますので、誤写した可能性は大きいと考えています。
397日本@名無史さん:2006/01/12(木) 14:26:27
どこかの古墳から親魏倭王の金印が出てくるのを待つしかない。
他にも銀印や鏡や旗を渡したといわれているが、銀だと結構錆びるから
残っていない可能性もあるし、鏡は数が多すぎ、旗は間違いなく腐る。
残っているとしたら金印かなぁ。
398日本@名無史さん:2006/01/12(木) 15:29:04
さっさと皇室と宮内庁を廃止して調査させてもらいたいね。
399日本@名無史さん:2006/01/12(木) 15:58:49
↑右翼に殺られるぞい。
400日本@名無史さん:2006/01/12(木) 16:02:57
邪馬台国がどこかなんてほとんど分かってる。
邪馬台国は豊国から本州の大部分。
伊都国に常駐してた魏の使節にはその全貌がわからなかっただけ。
401日本@名無史さん:2006/01/12(木) 16:57:24
だと、フミ国から水行20日+水行10日+陸行1ヶ月は、
間違いって事になっちゃうぞ。
402日本@名無史さん:2006/01/12(木) 16:59:34
邪馬台国本部は近畿にあったかもしれない。
邪馬台国九州支部が豊国なのです。
403日本@名無史さん:2006/01/12(木) 17:09:56
もしかすると、九州に邪馬台国自体はなかったのかも
しかし、邪馬台国九州支部豊国を伊都国にいた魏の使節が
邪馬台国だと勘違いしてたのかもしれない。
404日本@名無史さん:2006/01/12(木) 17:13:06
なるほどね。それならありえるかもね。
405日本@名無史さん:2006/01/12(木) 17:20:05
要するに卑弥呼ってのは地方官吏みたいなもんか
406日本@名無史さん:2006/01/12(木) 17:32:01
魏の使節は何を勘違いしたのかを推測するしかないわけだけれど
彼らは倭(伊都国人)は南方人みたいな感覚でいたんだ。
倭というのは南方の島という感覚、彼らは遠い邪馬台国に支配
されているということから邪馬台国も南方の位置にあるものだと感じた。
しかし倭(九州)の東北にも国があることは認識していたみたいです。
だかこちらに邪馬台国の総本部があるということまでは
考えが及ばなかった。
407日本@名無史さん:2006/01/12(木) 18:18:40
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html
これみてわかると思いますが甕棺初期は熊本にもその中心があります。
隈本もその起源となりうる場所であり
基本的に西九州特有の文化であったと考えられます。
日田地方がもっとも東になると思う。
熊本(隈本)が伊都国と争う理由はないのです、同族なのです。
408日本@名無史さん:2006/01/12(木) 18:47:25
甕棺埋葬文化は鹿児島まで広がる西九州固有のもので
本州は箱式であるから
基本的に甕棺文化を持った人が現代日本人に及ぼした影響は
皆無ということです。本土日本人には一切無関係の文化なのです。
日田から東にさえ広がってないのですから・・

だからこれ以上この地域の墓荒らしをせずに
本州人の本当のルーツ探りに専念して欲しいモノです!
409日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:50:48
卑奴母離も伊都国も侏儒もちゃんと日本書紀に記述がある
日本書紀をちゃんと読めば倭人伝と日本書記の間の言語的な齟齬が大きくはないのがわかる
その書記が邪馬台国は大和朝廷だと言ってるのだから謎はないだろ

俺は明石先生の説に賛成ノシ

>>406
昔の中国の地図ではたびたび本州が南北逆に書かれてるもんな
410日本@名無史さん:2006/01/13(金) 01:08:56
>>409
邪馬台国の時代は大和に大和朝廷は無かったってのは理解できるよね、低脳君
もしかして石器時代から大和朝廷あったと思ってる?
日本書紀にそう書いてあるの?
411俺等05772:2006/01/13(金) 07:10:54
>>382 遊びに来ました
畿内説より見た傍国比定(三訂版)・・全部比定

傍国比定に際しては、各国をちりばめるのではなく、隙間が全て無くなるよう、各傍国で埋めるよ
う心がけた。しかしそれでも、空白域になってしまった場所がある。それが出雲を除く山陰・北陸
諸国【 石見、伯耆、因幡、但馬、(丹波+丹後)、若狭?、越 】で、この領域は 邪馬台国の直接の
統括下ではなく、出雲を通して間接的に統治されていたと思われる。

現代人が県名を数え挙げる時には、幾つかのブロックに分け、ブロック内では連続性を持たせて
列挙し、そのブロックが終ると不連続的に他のブロックに飛んで、また連続性を持たせて列挙し
て行き、全域を埋めていく。古代人も同様な方法で国名を数え挙げたと仮定した。

@ 東海・中部・北陸
斯馬(しま)國    志摩国=(志摩+伊勢の海側)
         伊勢:7世紀に、志摩、伊賀を含んだ国として成立。
己百支(じはき)國  尾張国=(尾張+三河+遠江)←前後の関係より推定。
伊'邪(いや)國    伊那国 ←那(da)の誤記と推定。
         8世紀以前の中国人には、daと naが、同音に聞こえた。
都支(たき)國    土岐国=(美濃の東半分)
彌奴(みな)國    美濃国=(美濃+飛騨)
         飛騨:風土記に云はく、この国は本(元) 美濃の内なり。
好古都(こかた)國  越後国 ←小潟国。信濃川の河洲には干潟が多かった。
         新潟:信濃川の河洲に新しく出来た潟。400年以上前の古い名前。
不呼(ほこ)國    信濃国 ←葉木(はこ)国。山地で葉や木の多い国。
姐奴(つな)國    駿河国=(駿河+甲斐) ←津の国。清水辺から東国へ船で行った。

A 四 国
対蘇(つさ)國    土佐国
蘇奴(さな)國    讃岐国
呼邑(こお)國    阿波国 ←嗚呼ロ巴(あぁわ) の誤記か?
華奴蘇奴國     伊予国 ←讃岐の対の国は伊予(金讃岐:銅産出より推定)(つづく)
412俺等05772:2006/01/13(金) 07:12:22
B 畿 内
鬼(き)國       紀伊国
為吾(いが)國    伊賀国=(伊賀+伊勢の山側)
         伊勢:7世紀に、志摩・伊賀を含んだ国として成立
鬼奴(きな)國    近江国 ←鬼奴彌(生海)國の誤記か?
邪馬(やま)國    山城国
躬臣(こじ)國    河内国=(河内+摂津+和泉) 摂津・和泉を含め汎河内国と呼ぶ。
         摂津:7世紀に津国として分離、和泉:霊亀二年(716)河内より分離。
C 西 国
巴利'(はり)國    播磨国
支惟(きゐ)國    吉備国=(備前(+美作)+備中+備後)
烏奴(あな)國    穴 国=(穴城(安芸)+周防+穴門(長門)) 鍾乳洞から付いた名か?
奴(な)國      筑紫国

D 敵 国
狗奴(くな)国    球磨国=建日向日豊久士比泥別
         狗奴国連合:日向+日(肥後+肥前の一部)+豊の一部+阿蘇山
−−−
E出雲連合(共立国)
空白域1=石見+出雲+伯耆+因幡+但馬+(丹波+丹後)+若狭?+越・・直接の従属国ではない。
 (ただし、投馬(づま)=出雲 のみ記載あり) 越は(越前+加賀+越中)国。
F不明国  空白域2=豊国
413俺等05772:2006/01/13(金) 07:24:36
>>411-412
邪馬台國の全体像
仮定1 邪馬台国時代、箱根越えは未だ不可能で、東国へ行くには伊豆半島を船で廻る必要があった。
仮定2 当時の魏の中国人には、日本は朝鮮半島から南に広がった島国という先入観があった。
 仮定2から、@〜Bのように方向を修正できる。
  @ 郡使が体験して記したことについては、方向をそのまま採用した。
  A 倭人から聞いた編者の熟知している地域に対しては、方向を90°時計回りに変えた。
  B 倭人から聞いた編者の不案内な地域に対しては、不案内が故に、方向をそのまま記した。

上の仮定を使うと、以下のような概略図を描くことが可能である。

   _            邪馬台國の全体像を、簡略図で示す(文字サイズを小に願います)。
─-┘ \倭と韓の国境    (末盧・伊都・奴・不彌は都市名(点)、後出の奴国は国名(面))
狗邪韓國\           (末盧=唐津、伊都=吉野ヶ里、奴=須玖、不彌=三雲の各遺跡)
 \
  ↓(南南東)
 対馬
  \ (東南)                                   女王圏の東境
    \      (東、水行二十日)                        |
    一支 ┌→−−−−−−−−−−→投馬國                |千余里
    |  ↑→−−−−−−−−−−−−−−−−→邪馬台國−−−→|−−−→倭種国(南関東)
    ↓  ↑   (東、水行十日、陸行一月)                   |       ↓
   末盧 不彌                                              ↓三千里
    \  ↑  奴                                             ↓
 (東南)\↑/  奴 国                                         ↓
      伊都                                             侏儒國(八丈島)
    −−−−−−−奴國と狗奴国の境

     狗 奴 國
414太国:2006/01/13(金) 07:33:09
>>409
大和朝廷とは言っていない。邪馬台国などない。
あったのは邪馬壼国だ。京都と東京都は別のようにな。w
415サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/13(金) 09:23:42
為吾国については、都の確定はできない。第一、吾はなんと発音するのか?
イゴというのか、イアと読む人もいる。為がイと読むことは共通しているようだ。
大分県南部とするならば、その対岸はイヨの国である。海峡を挟んで東がイヨの国で、
西がイゴ(ア)の国となるのか。豊の国のトヨが邪馬台国の台与の名から来たとする説があるが、
壱与だとする説からすると、伊予の国はイヨの名からきたといえるのだろうか?
吾をアと読む説から思い出したのだが、大分県西部(もしくは大分県)はアマといっていたとの説がある。
阿馬であろうか。ここを高天原とする説もある。アマの高い原といえ、日出生台や湯布院盆地や飯田高原
など広い原がある。そういえば阿蘇のアもなにか関連があるのだろうか。
416日本@名無史さん:2006/01/13(金) 09:38:42
>>410
邪馬台国の時代は日本書紀では神功皇后としっかり書かれている
417プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 09:39:16
サガミさん

>伊予の地名はイヨから

★はい!
私もそう考えます。
あくまで私見ですが
伊予の地名は、壱與から伝わる古地名が紀元かと
418太国:2006/01/13(金) 09:40:36
>>416
まあ、そのころの人物だ。ただ、しっかりとは書かれていないと思う。
419サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/13(金) 09:44:33
邪馬国
記述は北に戻り、中津平野にいく。山国川がある。耶馬渓もあるがこちらは江戸時代につけられたなである。
山国のヤマがそれにあたる。ただ馬が他の大きな地域を指す馬と同じかは不明である。
ヤマトという地名があれば、邪馬の戸口の国となり、トが落ちてヤマ国となったといえる。
大分県はアマの国だとすれば、ここはヤマの国境である。

キュウ(身に弓)臣国
山国川を遡り、盆地にでる。玖珠という盆地である。キュウシンが玖珠と転訛した。

巴利国
玖珠盆地から川の流れに沿って西へ下ると、杷木の町に出る。
杷木は巴木の転訛と考えられる。原鶴なる地名もある。

支惟国・烏奴国
この両国はどこかわからなかった。筑紫平野東部北部のどこかであろうことは推測できるのであるが。
浮羽郡のウが烏かなとも思うのだが。キイよもなるとお手上げであった。まあ、地名がかならずしも残っているわけでもないし。
420日本@名無史さん:2006/01/13(金) 14:54:52
投馬国=但馬地区
狗奴国=出雲
だと思う

邪馬台国はもちろん畿内な
421日本@名無史さん:2006/01/13(金) 14:56:21
アホ、畿内中心主義から抜け出せ。
422日本@名無史さん:2006/01/13(金) 15:44:37
九州説の弱点は3世紀半ばには畿内に祟神紀と一致する大規模都市が派生してることだな
祟神天皇は実在した可能性が高く神武天皇と同一視されることもあるから
少なくとも神武(日向朝)は台与の時代にはとっくの昔に東遷してたわけだぞ
423太国:2006/01/13(金) 15:47:11
ひとつも弱点になっちゃあいない。w
424日本@名無史さん:2006/01/13(金) 16:00:43
>>423
邪馬台国=クマソの人か?

邪馬台国九州説の人は
邪馬台国東遷都説の人が多いのに珍しいね
425太国:2006/01/13(金) 16:12:58
>>424
まあ、そこらへんだな。だが東遷などしちゃぁいないよ。邪馬壹国だよ。
426日本@名無史さん:2006/01/13(金) 16:15:45
>>425
まだそんなこと言ってる人がいたとわw
武彦ファンの方デツカ
427太国:2006/01/13(金) 16:23:32
>>426
別にファンではないです。他に、一般で支持している方々はまだいますよ。
428プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 16:32:35
漢時大倭王は邪馬臺國に居た。
これが史実
魏時倭王は邪馬壹國に都が有った。
これも史実

要するに邪馬臺國も、邪馬壹國も列島に共存していた期間がある
429太国:2006/01/13(金) 16:35:20
>>428
となると、二国で畿内の大和朝廷と九州の女王国との並立だな。
う〜ん、正解かもしれない。
430プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 16:42:05
邪馬臺國や邪馬壹國を一生懸命探しても見つかりません。
関東地方や中部地方を見つける事は出来ないでしょう。それと一緒!
431プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 17:57:14
『倭』とか『大倭』は、漢人が付けたもの!
だからちゃんと区別された
前漢時、列島の主な地域は『邪馬臺』(中華認識:大倭)と称し、一支配体制で有った。
【楽浪海中有倭人分為百餘國以歳時來献見云】
…漢書…

その一支配体制邪馬臺にも【自武帝滅朝鮮】
…後漢書…
以降、九州を中心に変化が生してきた。

この変化が、後の『邪馬壹』(倭)体制へと結び付き
従来の邪馬臺体制を脅かし、九州支配を断念
本州(一部四国含む)支配に減少
432プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 18:09:17
『九州を中心に変化』

これが「記・紀」で言う所の【天孫降臨】では?
433日本@名無史さん:2006/01/13(金) 18:39:38
>>424
何を持って東征というか知らないが、少なくとも伊都国など
旧甕棺地域の西九州勢力(熊本、福岡、佐賀、長崎)
が集団で大規模に東征したと言ってるような人は素人以外に居ないと思う。
安本さんでさえそうは言っていない。
安本さんは豊国の勢力の東征が大和朝廷の直接の始まりみたいに言っている。

安本さんの甘木説は正直地名のみが根拠です。
大和の地名に遠い甘木周辺の記憶を想い付けたというロマンチックな
もので多分に商業主義的な妄想に過ぎません。
彼も甘木自体に実質的な意味はほぼ無いというようなスタンスを
取っています。
434プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/13(金) 19:06:34
『金印』『天孫降臨』そして『1792470餘歳』

益々古代が面白く成ってきた!
435サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/14(土) 08:46:32
奴国
何度もしつこくいうが「奴」は「ト」と発音するのであって、「ナ」と発音はぜーったいにしない。
「ナ」と発音するようになったのは、戦後の邪馬台国論争の中で、博多を奴国にしたい学者達が
無理やり屁理屈をつけて「ナ」としたのだ。嘘も百篇いえば本当になるというわけで、今では「奴」は
「名」と発音していたことになり、中国の学者もだまされて「ナ」としてきているという。
おそろしい世の中になったものだ。
「奴(ト)」は戸という意味を基本としており、国とか入り口をあらわしている。
馬を間(マ)として、家屋の部屋をあらわすのを、地域にもつかったとしたが、古代人は
居住にかんして同じような言葉をつかったようである。
また地域を人名で(タケヒワケのように)表したこともあったようである。
ト(戸)の国であるから、狗奴国との境の戸口の国となり、筑後山門のことである。
熊本県にも山門があるようであるから、勢力争いの結果、国境が移動したのだろう。
もう一つの邪馬台国への行程上の奴国は肥前山口である。山口とは邪馬(北部九州のこと、屋間の意味か)の入り口をあらわす。
近くに砥川の地名がある。

巳百支国
背振山中の盆地がそれにあたるであろう。らしき地名はまったくない。
ここを私は、高天原であると考えている。

弥奴国
ミと発音するので、太宰府の南方にミのつく地名が散見されるのでそのあたりか?

以上でその余の旁国の説明を終わります.
436プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 09:31:56
サガミさん

「奴」は「ナ」⇒「成る」で(形作る)の意で、宜しいのでは!
437サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/14(土) 09:44:25
成るをナ1音であらわす用例を教えてください。それから考えます。
438日本@名無史さん:2006/01/14(土) 10:29:11
匈奴
439プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 10:57:41
サガミさん

成「ナ」と一文字だけで表す用例はないでしょう。
「奴」とは「ナ」と言う発音に対しての当て字(意味を伴う)であり

「奴」の文字を当用した共通の意味合いを持ったものと思います。

奴國は、その地域の(中)心的であり、地域形(成)の基礎的な意味合いかと
(ナか)(ナる)
とイメージする地域の当て字「奴」です。

☆少しコジツケ過ぎますか?

奴國は、古から表玄関である博多湾を抱き
その地域の中心的な役割を担い、国を形成してきた。【つまり『ナ』の地域】
440日本@名無史さん:2006/01/14(土) 11:24:01
>>435
なるほど、とすれば弥奴国は「ミト」と読めるので、現在の茨城(水戸)だなんてことは……ありえる?
441プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 15:30:25
サガミさんの場合
【東南陸行五百里到伊都國】
問題をスッキリさせてあげなければ、自説の再検討を説得させる事は
無理みたいですね!

では、簡単に次レスにて
私見を
442プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 16:42:41
>>441の続き

結論から言えば
伊都國は、末盧の港から東南五百里の方角に有るのでは無く(東西南北何処でも構わない)
まず、東南の方向へ歩く
そして五百里行くと伊都國に到。

そう陳壽は言おうとしている
…根拠…
魏略逸文には
【東南五百里到伊都國】
魏志 倭人伝には
【東南(陸行)五百里…】と、
わざわざ二文字増やし(陸行)を強調してるのです。伊都の方角を示す文なら、魏略と同じ文章で 構わないはず
それを敢えて、陸行の文字を付ける事により、具体的な文章にしています。
当時の交通手段に空路は、存在しません。
443日本@名無史さん:2006/01/14(土) 17:02:01
空は内が、海はある
444プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 17:22:03
>>443
海路なら続きの行程なので『又』で済むよ!


港から見て
目的地の直線方角と進路方向とは必ずしも一致しません。
特に、日本の様な地形では
目的地が北に有るのに、スタートし、暫く南に進むような事はしばしばです。
445プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/14(土) 17:43:53
『東南』とは
港から伊都に向かうに、選択しなければならない道の事です。
港から始まる何本かの道
伊都は、(東や北)にあろうとも『東南』方向道路を選択せよです。


以上が
シバキザクラさん
サガミハラハラさん
への 超遅レスです。
446サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/15(日) 08:45:58
だから東南方向に向うと、ずうーっと東南に続く道があって、自然に多久につくのですよ。
447プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/15(日) 10:21:46
>>446 サガミさん

それはあくまで「唐津」を港とした場合の検証ですよね!

陳壽がわざわざ二文字増やして「陸行」の文字を付け加えたのは、
『伊都は、東南に非ず』の注意書き
それに、
奴國・不彌國の百里は、行程距離では無い
これは、確か『漢書 地理志』に参考例があったはず
448サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/16(月) 08:14:04
わざわざ陸行をつけたのは、間違って水路前原へいってはいけないからですよ。
水路をとれば楽なのに、険しい陸路を指定するのはおかしいですので、
やはり、そのまま東南に進んで多久につくのが正解です。
奴国へは行程ではありません。不彌国へは、東行くとありますから行程です。
449日本@名無史さん:2006/01/16(月) 08:35:18
松浦の政治力が無視出来なかったからではないでしょうか?
縄文時代にはここが海洋交易の中心であったようですし
450プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/16(月) 12:33:15
サガミさん

>間違って水路前原へ

誰が間違うのです?
451日本@名無史さん:2006/01/16(月) 18:50:33
重複ゆえ、以下こちらで。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137226429/
452サガミハラハラ ◆dOL2PLFNfk :2006/01/16(月) 19:02:14
イトという地名にだまされて、魏使が「まっすぐ船で行けるじゃないか、」と。
453日本@名無史さん:2006/01/16(月) 20:11:58
>>451
重複じゃないよ。
ここは邪馬台国論争に終止符を打てると思ってるデムパな人が集うスレ。
>>1を参照のこと。
454プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/16(月) 21:02:43
そんなレスを一生懸命ROMってる貴方は、デムパの親方ですか?


サガミさん
苦しい回答ですよ!
455蒙古十三翼:2006/01/16(月) 21:19:52
小城(おぎ)の語源は、

「奥津城(おきつき=天皇の陵墓)」
地名として残ったと解釈した方がええんじゃないですかねえ?

「(卑弥呼の)奥津城」→→→「小城」

サガミさん、どうよ?
456サガミハラハラ ◆dOL2PLFNfk :2006/01/16(月) 22:23:17
苦しい解答?  そうでしょうね。唐津からずうーっと東南方へ行くのが正解ですから、それ以外
にあれこれいうのは苦しいですよ。
457サガミハラハラ ◆dOL2PLFNfk :2006/01/16(月) 22:32:07
小城は不彌国のオ・ミからきています。意味は分りません.
ミをキ(城か基の意味か)におきかえています。
九州では甘木や石木や牛木などがあり、そのキと同じ意味だと思います。
ただ卑弥呼以前からオミであり、いつオキになったかは不明です。
458日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:14:03
>>456>>457

サガミハラハラさん

東南へ向かって小城にたどりつく間、
あたり一面のお花が満開だったでしょうそうでしょう(笑
459日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:41:12
★古代カラ半島国家の歴史★

【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。
460日本@名無史さん:2006/01/18(水) 18:32:21
>>457
「肥前風土記」「和名抄」によると、
景行天皇の時代に、土蜘蛛が堡(おき)を作ったのが小城の地名の由来とありますが。
461日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:33:21
えー、土蜘蛛は九州人の祖先ですから
462日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:35:33
★古代カラ半島国家の歴史 2★

【任那】
地名の読みは、ミマナである。
日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。
志良岐の西側にあった日本国領土である。
任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。
神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や
久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。
崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が
置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。
これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など
の武器の製造にも利用された。
そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で
あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る
ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。
また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。
朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい
土地であった。

これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
463日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:48:04
>>462
ソースくれ、崇神というと
四道将軍による全国平定というのは、大彦命を北陸に、武淳川別命を東海に、吉備津彦命を西海に、
丹波道主命を丹波に遣わし、従わない者を討伐するように命じたというものである。

その崇神がそこ支配したのか
464日本@名無史さん:2006/01/18(水) 21:16:39
NHKみろ!!!

古代史にちかいぞ!
46516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/01/22(日) 12:42:10
神武天皇の橿原宮はたいした格式じゃないのが気になる。なぜだろうw
466サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/23(月) 12:23:25
姐奴国について。
前の方で、津屋岬(ツヤ岬)のツヤはシャの転訛ではないか?とのべたが、不評だったので改めて考えてみました。
最初はやはりシャ岬でシヤ岬となっていたが(どういう漢字をあてていたかはわからない)
このシが死に通じ死屋岬では縁起が悪いということで、縁起のよい艶(やはり色っぽい字ですね)の字を使うようにしました。
よって艶岬であった(またはしようとしたが)のが、色っぽ過ぎるので津屋岬の字にしたというのが正解であるとかんがえました。
つまり、日本は言霊の国なのです。
467プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/23(月) 12:29:07
サガミさん
電波ですか? …ククッ…
私も、電波です

「言霊」……やはりそこですか?

そのうちサガミさんの「ヒフミ」聞かせて下さい。
468サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/23(月) 14:24:49
電波?とんでもない。このような言い換えは地名においてはいくらでもありますよ。
469プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/23(月) 14:56:39
サガミさん
電波なんて冗談ですよ!

まさか元教職のサガミさんから“言霊”なんて出るとは思いませんでしたので
失礼しました。
470狗奴 ◆5dMQZo6/zY :2006/01/23(月) 22:41:18
井沢元彦さんの御本にありましたね「言霊の国 日本」
471日本@名無史さん:2006/01/24(火) 19:38:30
>>466
別に日本だけじゃないでしょw
中国や韓国でもそうだし。

愛新覚羅溥儀の「わが半生」にも
醇親王夫人だった西太后の妹(光緒帝の母親)が
ものすごく迷信深くて、
「四(Si)は死(Si)に通じるから『喜(Xi)』と言い換えなさい」
とか書かれているし。

それに今の中国でも嫌がらせの訴訟をする時の請求金額が
「四八〜」で始まるのは
「死叭(Si Ba=逝ってよし!)」って意味ですし。
(「毛沢東になりたかった女・劉暁慶」より)


あ、ちなみに韓国語の四(サ)と死(サ)も同じ発音ですよw
472日本@名無史さん:2006/02/03(金) 15:22:04
>>400
俺も実はそんな感じに思ってる。

ここからは勝手な推論だが、邪馬台国はなかったと思う。
魏が知りたかった邪馬台国(のモデル)は後の大和朝廷につながる畿内政権だとは思うが。

思うに、魏の使者は「邪馬台国」に行くつもりで九州の国々までは来たが、結果行けなかったので
そこで得た伝聞を調書として提出したのではないかと思う。

魏「実はヤマ何とかって大きな国に生きたいんだけど・・・」
九州「えっ!? 遠いよ!水行10日、いや、陸行1月・・・。」
魏「ここからまたそんなにかかるの!?参ったなあ、行くって言っちゃったしなあ・・・。
  知ってること教えて?」

もちろん魏の使者だって、「実は行けませんでした。」などと報告するはずはない。
現代でも営業マンが営業日報に「マンガ喫茶」と書かないようにねw

倭人伝見るとどうも九州までの道のりの描写よりその後の描写が曖昧に見えるんだが。
473日本@名無史さん:2006/02/07(火) 19:57:24
>>62
その史料の「併」は「しかしながら」と読む可能性はないですか?
47416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/07(火) 20:11:28
何を言っているのか。
魏の使者は邪馬台国まで赴き
卑弥呼の墓も見てますよ。
倭人伝よく読んでください
475日本@名無史さん:2006/02/07(火) 20:14:55
>>330
「壱(い)」と「委(ゐ)」は明らかに発音が違うと思うのですが・・・。
476日本@名無史さん:2006/02/07(火) 20:22:14
>>372
「奴」を「ト」と読むことは無理だと思うのですが。
477日本@名無史さん:2006/02/08(水) 13:04:03
>462
>【任那】
>地名の読みは、ミマナである。
>日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
>記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。

木入彦命(ミマキイリヒコ)のイリは沖縄の古語では西という意味らしい
つまりミマナの西に住んでいたからミマキイリヒコになったのではないか?
478太国:2006/02/08(水) 16:19:55
随分、沖縄と畿内とでは距離が遠すぎると思わんかね?w半島ともえらい遠い。w
479安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/08(水) 16:34:00
>>477
そう簡単に「沖縄の古語」と「ミマキイリビコ」の名前を直結させてい
いのでしょうか?その説は「沖縄の古語」と「大和朝廷が使っていた言
語」に、かなり似通った部分があるという証明がないと成り立ちません
よ。具体的な証明・ソース等気盆奴。
480日本@名無史さん:2006/02/08(水) 17:15:38
>477
沖縄の古語で「イリ」というのは、「西」を表すというのはNHKのラジオの
沖縄からの中継で地元民が「イリ」というのは「日が入る」から西の方角を
「イリ」と昔は言っていたというのを聞いて、ピンと来た
沖縄の古語と大和朝廷の言葉の類似だが、これについてはこれからの課題だが
隋書に倭人は「無文字唯刻木結縄」との記述があるように、倭人は文字を
木に刻んでいたり、縄を結んで数字は文字を表していたようだ
この結縄というのが沖縄に明治時代まで「藁算」ワラザンという形で残っていた
大和朝廷というより、倭人の正体を見極めるのに沖縄を研究する必要が
あるだろう
481日本@名無史さん:2006/02/08(水) 22:53:09
琉球語では東は「アガリ」だが、これは日が上がる方角の意。
西が「イリ」なのと綺麗に対義語になってる。
482日本@名無史さん:2006/02/09(木) 10:58:50
上宮記逸文の伊久牟尼利比古はどう読む
483日本@名無史さん:2006/02/09(木) 13:20:35
邪馬台国論争を見ていると、邪馬台国の倭人が漢字が読めたと錯覚している
前提での上の議論が多いようだ 当時の倭人がせいぜい縄を結んで
数字や文字を理解していた程度の民度で、到底大和朝廷などという言葉や
概念などがあるはずがない おそらく漢字の伝来は仏教の伝来からあたりだろうが
無文字状態の土人に近い生活レベルであるという前提で議論する必要がある
結縄という風習の名残が神社の注連縄や正月の注連縄などに残っているように
思える
484プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/09(木) 14:12:41
官は、文字を習い書に認め後世へ伝える
文字を知らない民衆は、言葉(音)で伝承する。
「ア・イ・ウ・エ・オ・ンと濁音」の組合せで


当時殆どの民衆は、文字の読み書きが出来なかった事は確か!
しかし、国政を司る官の中には、文字の読み書きが出来る人もいた
魏朝より数百年昔から、列島には文字を使用する大陸の人達が、往来していたのだから!
485日本@名無史さん:2006/02/09(木) 14:56:36
>484
>しかし、国政を司る官の中には、文字の読み書きが出来る人もいた

魏志倭人伝、隋書などの中国の古典にそのような記述はまったく見られない
もし、そのような人物がいるのであれば特記されてしかるべきだろう
希望としては漢字がわかる人がいたとしたいのだろうが、根拠が無い
486プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/09(木) 15:08:28
>>485
根拠が無いのはお互い様

倭人すべて読み書きが出来ない等と書いてない。

ま、言葉の繋がりさえ有れば事足りるけどな!
487日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:35:20
>>484
この時代の日本語は母音数が8である可能性が高い。
また撥音はないと考えられる。
488プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/09(木) 22:08:49
>>487

>母音は8つ

★母音は五つでは?
そして
濁音は省略記号で、意味を反転させる効果では?
489日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:37:35
>>488
8世紀以前の日本語が8母音だったのは常識では?
490日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:47:28
常識の通じないのがいるのが2chです
491日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:52:50
可能性が高いぐらいでも悪くないと思うが。
492日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:07:48
>>487には可能性が高いと書いた。
もうちょい整理すると、8世紀以前で国内に(後世の編纂物ではない)
同時代資料がある時代については、母音数が8つなのは“常識”。
この事実から考えてリアルタイムでの文献が残っていないそれ以前の時代も
日本語の母音数が8つであった“可能性が高い”。
とすれば誤解がないでしょうか。
493プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/09(木) 23:43:06
>>492
その八つの母音説があることを全く知らない訳では有りません。

では、その八つの母音とは何でしょうか?
御教授下さい。

>>490

>常識の無い

貴方はその常識、何処でしりましたか?
その時、何の疑いを持たずに受け入れたのでしょうか?

『ヤ』と言う音は⇒『ア+イ』 『ワ』は⇒『ア+ウ』ですよね!
494プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/10(金) 00:02:49
私は、言語学者では無いので断言出来ませんが!
今も昔も
あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ を ん ゐ ゑ

ですよね!
そして
は ひ ふ へ ほ⇒Hあ Hい Hう Hえ Hお

や⇒い+あ
わ⇒う+あ
を⇒う+お
495日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:43:45
アイヌ語はP音、F音、H音を区別する言語である。しかし次表のアイヌ語がある。

日本語 → アイヌ語
針(ぱり→はり) → Pachi
量(ぱかり→はかり) → Pakari
箆(ぺら→へら) → Pera
柄杓(ぴしゃく→ひしゃく) → Pishako
骨(ぽね→ほね) → Pone
振(ぷり→ふり) → Puri

これらは、古きアイヌ語に入った日本語ではないだろうか。
もし新しく入ったのなら、P、F、H音を区別するアイヌ語がなぜその音で伝えなかったのか。
つまり、まだ日本語がP音を使っていた古き時代にアイヌ語に入ったため、
そのままの発音、P音で伝わっているのである。

496日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:47:18
次の語群は梵語を写すのに用いられたものである。
「 」字は皆H音であるべき漢字であるが、か行に発音させられる。
理由は、当時の我国にH音がなかったため、これの類似のK音に写したと考えられる。
昔の日本にH音が無かった証拠としてあまりある。

Arahan → 阿羅「漢」(あらかん)
Maha → 摩「訶」(まか)
Hami → 「哈」密
Hasara → 「鶴」薩羅
Rohu → 羅「胡」
497日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:48:28
室町時代の謎謎に「母は二度出会い、父は一度も合わない、
これは何か。答えは唇」というものがあるが、
これは室町時代の京都では母を「ふぁふぁ」、父を「てぃてぃ」と発音していた証拠。
498日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:55:10
《上代8母音説》橋本進吉氏により提起され、現在迄学界で広く認められている説である。
上代=奈良期には、母音がアイウエオの5音の他に、イエオについては甲乙2類あり都合8母音であった。
それ故「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・(モ)・ヨ・ロ・ギ・ビ・ゲ・ベ・ゴ・ゾ・ド」には甲乙の音韻が2類あり、
都合87(or88)の音があったという。これを上代特殊仮名遣という。

《最近の反論》金沢大松本克己、奈良女子大森重敏など
古来日本語は8母音ではなく5母音であり、8母音というのは、渡来人達により漢字の国語化が行われた際の
一時的な虚像であるというものである。
平安期には8母音が死滅していたという事実は重要で、なぜ死滅したのかを明らかにしなければ
8母音説は説得力に欠ける。
499日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:59:38
今日、われわれは「日」と「火」とを書き分けている。
太陽は火の玉なのだからもともとは同じだなどという説は、
「日が」と「火が」がアクセントでも区別されていることを考えただけでも怪しいが、
上代特殊仮名遣で「日」が甲類に、「火」が乙類に属することが分かってまったく成り立たなくなった。
また、「ほかげ」といったら、「日陰」ではなく、「火影」のことである。
「火」が「ほ」と表現されることは古語ではほかにもたくさんあるが、「日」はつねに「ひ」である。
「火」のようにイ段(乙類)とオ段(乙類)が入れ替わる例としては、「木」がある。
「木の葉」「木陰」などを思い出されたい。
「青は藍より出でて藍より青し」というが、「青(あを)」と「藍(あゐ)」の関係も、
2文字めがともにワ行であるので、この部類に入る。
こういったことから、甲類の「イ」はもともと「イ」だったが、
乙類の「イ」は、乙類の「オ」に甲類の「イ」がついて融合したものだと考えられている。
500日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:05:59
「神」にも「カム」という読み方があった。
「神風の」といえば「伊勢」の枕詞だが、これは「かむかぜの」と読む。
アイヌ語では「神」のことを「カムイ」というが、これはきわめて古い段階での日本語からの借用語だと考えられている。
「神」の「ミ」が乙類であることはこれで納得していただけたと思うが、
では、同じく甲類の「ミ」を持つ「上」と「髪」にはつながりがあるのだろうか?
ここで「白髪」を「シラカ」と読むことを思い出していただきたい。
「髪」という言葉の古い形は「カ」であったと考えられる。
さらに、「網代(あじろ)」という地名や、「すずり」といった言葉を考えていただきたい。
「あじろ」は「あみしろ」、「すずり」が「炭摺り」であることは間違いない。
このように、「ミ」を取り除いた形が古い形と考えられる言葉の例はほかにもあり、「髪」もその一例と考えられるのである。
これに対して、「上」はこれ以上分解も変形もできないので、「髪」と「上」とのつながりはないと言えるのである。
501日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:10:14
日本語にはもともと「ん」という音はなかった。
この音が発生したのは、中国語の影響である。
当時の中国語にも「ん」で始まる音はなかった(現代上海語では「五」のことを(ng)というらしいが)。
したがって、日本語でも、「ん」は言葉の頭にくることはなく、言葉の中か最後に限って発生することになった。
中国語を漢語として取り入れたころ、「ん」の音は無視されることが多かった。
「あ」「す」「に」「て」というひらがなのもとは順に「安」「寸」「仁」「天」と考えられている。
502日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:59:26
>>501
>当時の中国語にも「ん」で始まる音はなかった(現代上海語では「五」のことを(ng)というらしいが)。

中古音以前の中国語には、音節頭に[ng]が来ることはあり得たはずだよ。
現代でも、広東語・福建語・ベトナム語などでは残っている。
大体の目安としては、現代日本語の漢字音ではガ行音になるもので、現代北京語や
現代朝鮮語の漢字音では、音節頭に子音がないものの殆どがこれに該当すると
考えられる。
503プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/10(金) 07:56:01
母音:イエオが甲乙に分かれ8母音に
甲乙分類は学問上、後付けで細分化されたものと判断し、基本的に音発声に伴う母音は、五つとしても
よいのではないか?


レスの付きが急に回復したみたいです。
ここの住人諸氏は、言語博士か?
504日本@名無史さん:2006/02/10(金) 13:58:53
アイウエオなんてのが出来たのは奈良時代以降ではないの?
2世紀、3世紀、邪馬台国の時代といえば
ヒフミヨイムナヤコト ヒフミ47音が使われていたと思える
505日本@名無史さん:2006/02/10(金) 14:25:14
>>503
誰が書いたものであっても皆一様に整然と書き分けがなされていて混同されないのは、発音が異なっていたからというのが橋本説の原点だからな。
反論もいろいろあるけど、言語学界の大勢が橋本説支持なのは、橋本説以上に合理的に説明できる説が出てこないからだろうね。

>>498
上代の仮名の書き分け自体は、最初に気がついたのは本居宣長らしい。
そして宣長の弟子の石塚龍麿がそれを体系化したが、これを発音の違いに基づくものと規定したのが橋本進吉というのが本当のところだろう。
但し細かいところには違いがある。
龍麿は「チ」についても書き分けがあるとしたが、橋本説では「チ」の書き分けは認められていない。
また龍麿が「ヌ」に書き分けがあるとしていたものについて、橋本説ではその片方(「毛野」や「科野」の「野」など)は「ノ」の乙類であるとしている。
506日本@名無史さん:2006/02/10(金) 14:26:16
なお、宣長や龍麿は上代の仮名の書き分けとして所謂上代特殊仮名遣いの他に「エ」についても書き分けがあると考えた。
しかし、これについてはア行の「エ」とヤ行の「エ」であることが奥村栄実(江戸末期の加賀藩家老)によって証明されている。
この2つの「エ」の区別は10世紀頃まで存在しており「あめつちの歌」にも反映されている。
さらに栄実は、2つの「エ」について誰が書いても間違えずに書き分けられる理由は発音が違っていたから、と主張した。

この発音が違うからという主張は、その後の言語学に大きな影響を与え、ア行音・ハ行音・ワ行音についても、中世前期頃までは明確に区別されるものが後世混同されるのは、元々発音が違っていたからという説へと繋がった。
橋本進吉の上代特殊仮名遣いも、こうした流れを踏まえて発音の違いという結論に達していると見られる。
507プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/10(金) 15:29:55
>>505-506
解説下さって感謝です。
未知の部分を覗いたような気分です。
508日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:12:20
詳しくは橋本進吉氏の「古代国語の音韻に就いて」などを読むのがよいでしょう。
橋本氏の説を受け入れるにしても受け入れないにしても、古代史を文献から研究するなら知っておいて損はない知識でしょう。
509日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:38:41
青空文庫にあったはず。
510プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/11(土) 00:48:58
>>508-509
しっかりメモりました。

先ずは図書館で探してみます。
511日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:02:00
青空文庫を知らないやつがいるな。

ほれ
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person61.html#sakuhin_list_1
512サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/11(土) 08:13:14
age
513日本@名無史さん:2006/02/11(土) 11:37:00
「邪馬台国」は宇佐で決着している!
514サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/11(土) 12:25:15
邪馬台国宇佐説はむりですよ。
515プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/11(土) 12:47:12
>>514サガミさん

サガミさんの説にも、相当なる矛盾を抱えていますよ!
これはほんの一部です。
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか20)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137226429/
516安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/11(土) 12:48:25
確かサガミさんは小城説でしたよね?間違いだったら須磨祖。
51716さい中卒ヒッキー:2006/02/11(土) 21:55:52
なぜ宇佐では無理があるのでしょうか?
518プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/11(土) 22:10:10
卑弥呼の墳墓は亀山ではなく
平原一号墳でしょう。
これって、定説では?

違うのですか?
519サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/11(土) 22:29:13
そうです。私は小城説です。
宇佐へは、マツロ国に上陸しなくとも、そのまま船に乗って宇佐まで行けますよ。
520プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/11(土) 22:35:46
サガミさん
陸行しか選択枠が無いコースに敢えて『陸行』などとカキコしませんよ!

『東南五百哩到伊都國』
これで十分です。
521日本@名無史さん:2006/02/12(日) 01:50:02
>>471
北京語・韓国語に限らず、「死」と「四」は声調を無視すれば
台湾語・広東語・上海語などでも同じですよ。
522日本@名無史さん:2006/02/12(日) 02:16:56
宇佐は、外来の神が日本の権威を利用して勢力を強めたとゆう感じだな。
祇園社の牛頭天皇が、スサノウと一緒になったようなもんだろう。
523プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 02:17:37
『陸行』の記載は、陳壽のオリジナル
魏略逸文にその文字を見つける事は出来ない。
524太国:2006/02/12(日) 09:24:19
宝玉類が畿内からばかり出るから女王国が畿内にあったことにはならない。
なぜか?当時の大陸へ宝玉類を持参するには、結局畿内から九州あたりまで運搬
しそれから大陸への搬送となるからであり、どっちで産出しようがいったんは
九州あたりに宝玉類が存在か通過することになるからだ。
だから畿内説が十歩譲って成立の可能性が出ても、これまた九州経由の不可避から
九州説もほぼ同条件で成立してしまうからなんだよ。w
まさか、畿内から直接大陸へ宝玉類が飛んでいったとは言うまいがね?w
それともロク(六)鳥か、六耳の猿のキント雲で飛んでいったのか?ww
525日本@名無史さん:2006/02/12(日) 09:51:29
卑弥呼が丹波出身のヤマトトトヒモモソヒメであることは間違いない。
神武東征の経緯から言って、日向の天孫族の親類が大和に勢力を張って
いたのも間違いない。この一族は扶余族であることも間違いない。
526日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:01:42
騎馬民族渡来説は扶余が蒙古のように一気に襲来してあっという間
に倭を席巻したようなイメージがあるが、他の豪族のように幾つか
の地域に根を張ってそのうちじわじわと政権中央に居座ったと考える
べきで、記紀の神話の中にちゃんと位置づけられていると考えるべき
527日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:06:34
ついでに倭に渡来した扶余がアッシリアだかバビロンだかを滅ぼして、
そこに捕らえられていたユダヤ民族を解放して、これと同化したスキタイ族
の一派であれば、日ユ同祖論も一挙に解決するが。
528日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:16:28
仏陀を生んだシャカ族というのはインドの一部を支配したスキタイ族
の一派であることがはっきりしてるが、シャカ族の王冠と大和や朝鮮
から出土する扶余族の王冠は非常に良く似たデザインをしている
529日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:23:21
天皇家にはたしかに土着のイメージがないし何か他の一族
から一目おかれていたようなイメージがある。それは彼等
が異形であって文化水準が高かったからで、それほどすざまし
い戦闘によらず政権中枢に座ったわけもわかるような希ガス。
530安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/12(日) 10:51:37
>>519
先生に申し上げときますが、「小城」では「水行十日」もかかりません。陸地
を歩くだけでは「邪馬台国」にはたどり着けないんですよ。
531プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 11:15:09
>>525
まだそんな事言ってるの!
卑弥呼や神功の名称は、一人に対する固有の名詞ではない。
その事は
日本書紀や三国史記に、照らし合わせれば一目瞭然
神功紀等は、三国史記の情報を旨く利用した典型だろう。

ガンバレ!
532日本@名無史さん:2006/02/12(日) 14:47:51
>>531
根拠レスです
533日本@名無史さん:2006/02/12(日) 14:50:16
古事記の天皇没年はだいたい合ってる。
日本書紀は古くなるほど天皇在位期間が極端に長くなる。
534プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 16:04:03
>>532
>根拠レス?

★卑弥呼はともかく
神功紀にカキコしてある史実の幅を見れば一目瞭然
とても一人の人物の在位期間中に起きた事件でないことが解る〈干支のズレ〉
(細かな内容は、暇が有ったら)
神功⇒偉大なるワザ
〈意味解釈は〉
天皇家最高位(権力者)

∴二世紀後半から四世紀末までの約二百年の間、
(天照一族)邪馬台では『神功』という女性最高権力者が支配していた事が解る。
535プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 16:10:34
>>533

古事記の干支は
どうやら後付けらしいから
(サガミ氏談)
536プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 18:38:48
>>534から解る事は、
天皇は必ずしも、最高位の権力者ではなく その女系“キミ”をもって最高位としたことが読みとれる。
この事は、後の天智紀の中にもその情景を伺える
【書紀 天智紀】
カマモチミシマヘナキセリオヤヒトヨヒトウタミ
537日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:09:03
>>534
在位期間が長すぎるからと言ってそれは日本書紀がなんらかの都合で
そうしたのであって、複数の人間をさしているとは限らないということです。
538日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:16:24
神功皇后は卑弥呼の宗女台与に決まってるじゃん。
539プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 21:51:36
>>537

>何らかの都合

★教えて!

敢えてここでは、詳しい内容を述べる事を、差し控えますが
一度ジックリ神功紀を…
540プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/12(日) 22:11:30
今の所、神功皇后を一人の人物とする根拠も無い訳ですし

人物の生存期間を“二倍暦説”とやらを使用したところで、史実の紀年迄、半分にする事は出来ないでしょう


★どうして『宋書』から、今まで使用していない『倭国』伝、『倭国』表記を使用して来たのでしょうか?
541サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/13(月) 19:50:33
昨日とある古代史の研究会にいってきました。そこで、あることがひっかかりましたので皆様のご意見をい伺いたいと思います。
晋書巻一
正始元年春正月東倭重訳納貢エン(いずくんぞの漢字)キ(老のしたに日)危須諸国弱水以南鮮卑名王皆遣使来献。
とありました。
ここで、注目すべきところは、「東倭」の語であります。「東夷」ではないのです。
倭人伝の正始元年では、帯方太守が使いを倭国に遣わしたとあり、倭国の使いがきたとは書いていない。
正月に東倭の使いがきたというのであるから、時間的にみて太守の使いへの返礼ではない。
そうすると、この東倭は邪馬台国ではない。
つまり、邪馬台国の東方にある倭人の住む国であると解釈できるのではないだろうか。
邪馬台国が九州ならば、この東倭とは、近畿地方の政権がおくった使者ではないだろうかと思うのであるがいかがでしょうか。
542安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/13(月) 19:55:40
>>541
別にそう考えなくてもいいと思います。関東地方、もしくは蝦夷の前身
となるような勢力が送ったと見てもよろしいのでは?
543プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/13(月) 20:05:25
>>541サガミさん

その『東倭』が邪馬台国の東に当たる国かどうかは別として
邪馬台国の東に在る国
それ則ち大倭『大国主一族』です。
列島は漢時から九州天照一族(倭)と本州大国主一族(大倭)に分裂してます。
544日本@名無史さん:2006/02/13(月) 20:30:24
東にある倭、ないしは東夷の倭の略か脱字だろ。
正始元年だから倭女王卑弥呼の遣使のことだろ。普通に考えろって。
545プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/13(月) 22:04:26
>>541

『晋書 高祖宣帝懿紀』
★240年春正月、東倭の通訳を介し朝見してきた。
焉耆・危須等の諸国、弱水以南鮮卑の王が使者を遣わし朝見した


魏志倭人伝にカキコしてある、朝見記事が全てじゃないだろうし
『以歳時来献見云』
定時朝見でしょう。
東倭=属国邪馬台三十国体制
546プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/13(月) 22:41:34
>>545訂正


東倭の通訳を介し……×

東倭が複数の通訳を介し……〇
54716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/16(木) 10:24:07
サガミさん、その東倭は前に僕も指摘しましたよ。
しかし東にある倭という意味だということが
一般的な解釈だということで僕も納得してしまいましたw
54816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/16(木) 10:28:08
ってか南の鮮卑と対比するために東の倭と書いただけでしょう。
卑弥呼のことだと思いますよ。
549圭角:2006/02/17(金) 16:23:02
宇佐説についての疑問を一言。
宇佐説をとった場合の相攻撃していた狗奴国は何処になりましょうか。
九州人の地理感覚では、阿蘇山久住山を隔てていながらの戦闘というものは
現実感がまったく無いです。
狗奴国を熊本とした場合ですが。
 狗奴国の比定は重要と思いますが、みなさん如何でしょうか。
550プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/17(金) 17:24:07
圭角さん ご無沙汰です。
★ところで
何故、狗奴國が一番最後にカキコしてあるのでしょう?そして
ここで「地理志第一部」が終わります。
551サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/18(土) 11:34:48
倭人伝の行路記事は誰がかいたのか?について。
倭人伝における1里は67.5mである。
これは、邪馬台国までの総距離数から1里は68mm弱とみれることと、古代の計測の資料から、
福永晋三氏が周代の1里が67.5mと算出したことから、確定的である。
つまり、倭人伝の行程記事は周代の記録(箕子朝鮮)をもとにして書かれているのである。
それは、漢が朝鮮を滅ぼした時に入手したものであろう。
ただ、魏の時代には、時代とともに変化したもの(倭国の都等)もあることから、編纂の際に訂正したところがある。
それが、倭人伝においてなにかちぐはぐしたところがある事由である。
尚、水行十日陸行一月は総日数である。

字の発音についてであるが、当時のひとは全て標準語をはなしていたわけではない。
方言もあったし、個人により、発音等もはっきりしないひともいたであろう(くわえ煙草でいう人はいなかったであろうが)。
当然聞く側もそうである。
通訳を介したとすればなおのことである。
55216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 11:55:40
狗奴国は熊本でいいでしょう。

次に斯馬国があり、次に已百支国あり、次に伊邪国あり、次に都支国あり、次に弥奴 国あり、次に好古都国あり、次に不呼国あり、
次に姐奴国あり、次に対蘇国あり、次に蘇奴国あり、次に呼邑国あり、次に華奴蘇奴国あり、次に鬼国あり、次に為吾国あり、
次に鬼奴国あり、次に邪馬国あり、次に躬臣国あり、次に巴利国あり、次に支惟国あり、次に烏奴国あり、次に奴国あり。
これが女王の(権力の)尽きる所である。
その南に狗奴国があり・・・

つまり上記にあげた卑弥呼の支配が及ぶ国々が宇佐の西に散らばっており、
その南に狗奴国があると倭人伝には書かれてるじゃありませんか。
「その南」の「その」というのはこれらの国々を指しているのでしょう。
55316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 11:58:02
では投馬国はどこになるのでしょうか?
陸行が韓国内陸行であることは倭人伝からも
伺えますが、となると水行20日の投馬国は
比較的九州にあるとすれば朝鮮半島から近いところに
あるのではないかと思うのですが。
55416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 12:02:04
なお壱岐から松浦半島に上陸した場合
せいぜい500里程度で倭人伝に書かれている
1000里とはかなりの誤差が生じる気がするのですが。
神湊上陸説ならば問題ないのですが。皆さん
神湊上陸説は支持してはいないのですか?
55516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 12:12:00
サガミさん、宇佐へは海路でいったほうがよいと
いいますが関門海峡を迂回し宇佐へいくよりは
神湊へ上陸後、陸路でいったほうが自然ではないですか?
また倭人伝では倭国の詳細な描写がありますし
こうした情報収集のためにも陸路でいろいろと
見て回ったとも考えられます。また伊都国に帯方郡の使者が
常駐しておりますし、伊都国に立ち寄るため陸路で
進んだと考えてもよいでしょう。いずれにせよやはり
海路でいっきに邪馬台国へいくより神湊上陸後、陸路を通るほうが自然なのです。
55616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 12:15:45
ところで古代史の研究会とやらは
どこでやってるのでしょう?暇なら
見にいきたいと思うのですが。
でも僕みたいなガキがいったら
浮いてしまうかな・・?
557圭角:2006/02/18(土) 12:53:14
プラムさん、こんにちわ。狗奴国が最後に記してある理由については
女王境界所盡
不属女王
ということで理解しておりましたが、不合理な所があるでしょうか。
558サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/18(土) 13:24:11
投馬国は宮崎県であると考えます。佐賀県南部から有明海をとおり、天草諸島をかいくぐりながらさらに南下、薩摩半島大隈半島をまわって西都市につきます。
壱岐唐津間は、勝本から西唐津八幡町までで58.6kmです。
鴻島(狗邪韓国固城から68km沖合いにある。ここまで内海行路、先が一海を渡る)
から小茂田浜まで54.4km、豆酸崎から勝本まで55.4kmで海上千余里はざっと54.4から58.6kmであり、
別に壱岐唐津間は短いことはないです。
私はまだいったことがないのですが、神湊から宇佐までは地形も複雑でけっこう難儀しそうですよ。
研究会はあちこちに顔をだしています。自分の研究になりそうなところはどこでもといった感じです。
559サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/18(土) 13:29:47
そうそう、昨日いった研究会で講師の倉本さんも水行十日陸行一月は総日数という
解釈でした。この解釈は次第に見とめられてきているようです。

560安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/18(土) 13:36:09
>>559
その「水行十日陸行一月は総日数」の根拠を教えてください。
56116さい中卒ヒッキー:2006/02/18(土) 14:01:17
サガミさんは現在の地形を基準に考えすぎなきがしますが。昔は違う地形だったんじゃないでしょうか?
562日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:14:58
出発点Aから到達点Bまでに掛かる水行十日の二倍の距離が
水行二十日だ

それを九州に求めるなら、水行二十日の到達点Cは必ず南九州の筈だ


そして水行十日の到達点Bは北九州である筈だ
出発点Aは帯方郡だからだ


とすれば、水行十日陸行一月が総日数であるのは自明じゃないか
563サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/18(土) 14:56:20
道順を誰かにきかれたとき、「あの店の角をまがって200mいくとT字路にぶつかるので左にすすみ、薬やの角を右にいった三軒目が
小泉さんのお宅ですよ。5分ぐらいですよ。」と説明することがあるでしょう。
道順をいってから最後に総時間を付け加えるということが。それですよ。

地形はそれほどかわっていませんよ。大きくかわったのは、不弥の港(小城市大江)が土砂に埋もれて平野のど真ん中になったくらいです。
564日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:57:30
卑弥呼はヤマトトトヒモモソヒメ これを前提にしない話はすべて無意味に終わる。
565サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/18(土) 14:59:59
総日数でないとすれば、水行十日と陸行一月の間になにか地名がなければおかしいですよ。
そうでなければ、何処に上陸するのかわからないですからね。
56616さい中卒ヒッキー:2006/02/18(土) 15:19:47
サガミさん、総日程がわかっていながらなぜ宇佐を否定なさるのか・・不弥国と邪馬台国は隣接してるので総日程で最後に書かれているのですよ
567日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:58:59
水行→ 1000里/日

水行>陸行だから

陸行→ 1000里/日 以下 コレ
568プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 16:57:35
>>557
狗奴國が最後に記載され、そこで地理志の区切りになっているのは
詰まり、
属国(同じ領域)の中で、郡よりいちばん遠い国(南)だからではないでしょうか?
もし、狗奴国が女王国の敵国で魏朝の属国外の国だとしたら、
いくら末端とは言え、同じテーブル上には乗せない事必至です。

属国外の国は、よその国
どぅしてもカキコしなければならないのなら、べつな場所での
戦争バージョン特別ステージで紹介するでしょう。
569プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 17:13:02
『不属女王』と『不属女王國』では
まったく意味が違ってくるのです。
たかだか『国』の一文字の話しかも知れませんが!
『不属女王』だからこそ
朝見記事のところで
『相攻撃』のところで、狗奴国だけではなく、『卑弥弓呼』の文字まで登場すると、考えるしだいです。
57016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 17:47:51
意味同じですよw
ほんと倭人伝の細かい解釈ばかりして・・
不毛すぎますね。
571プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 17:56:53
>>570 ヒッキー君

>意味同じ

★参考までに、
どのように同じか カキコしてみて下さい。
57216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 18:03:18
日本に服属していない。
日本国王に服属していない。

同じじゃないですかwてかそれがなんだっていう話ですが。
573プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 18:19:45
ヒッキー君

ありがとうございました。
ヒッキー君にお尋ねしますが
『卑弥呼』は天照一族であり、天皇家一族と
お考えですか?
そして、『卑弥呼』は固有の名詞であり一人と
お考えでしょうか?
(出来ましたら)
神功皇后についても、卑弥呼と、同じ見解をお聞かせください。
57416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 18:26:53
卑弥呼は天照で神武が応神でしょう。
欠史8代は物部王朝に婿入りした男たちの系譜でしょう。
万世一系の建前を守るために記紀では捏造が行われ
天照=卑弥呼と神武=応神を欠史8代より前にもっていった
と考えればいいんじゃないですか?
575プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 18:43:19
ヒッキー君

では、ヒッキー君は『固有の名詞』と
考えてるのですね!
私は、別スレにてもカキコしてあるように『代名詞』と、考えるしだいであり
特に、『神功』についてはその可能性大と…
『卑弥呼』についても、その可能性有りと考えます。(柳井茶臼山古墳)(平原一号墳)に、興味を感じますし
神武=倭国王「武」
を、基本姿勢にしております。

★すべて
天照一族の歴史と、考えます。
57616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 19:00:32
神武が武とかめちゃくちゃじゃないですかw
雄略でほぼ確定してるのに
577太国:2006/02/18(土) 19:41:35
>>574 そのうち

天照=卑弥呼=神功   神武=崇神=應神    となるんではないのかい?w

そうなると飛鳥さんの如きだね。w
578プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 19:47:32
ヒッキー君

>めちゃくちゃ

★めちゃくちゃですかねぇー?
579太国:2006/02/18(土) 19:50:28
平成=平城   になるのかい?w
580プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 21:08:51
>>579 太国さん

神武=武 と考えたのは
『神』=偉大な
と、言う意味から
『偉大な武』
そこから『神武=武』の、仮説が始まったしだいです。
581日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:12:08
神功 = 台与
582日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:17:43
天照=卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ
583日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:20:45
応神の周辺にウガヤフキアエズノミコトに相当する人物が出てくるか
がキーポイント
584太国:2006/02/18(土) 21:20:47
神武は武王ではないでしょう。w
ところで、俺等さんについていけなくなったんですか?
それとも、水油ですかな? 畿内説は成り立たんですよ。
585日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:22:19
ウガヤフキアエズノミコト=竹内宿禰
586日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:24:36
竹内文書がウガヤフキアエズ王朝を誇大化している訳は。
587太国:2006/02/18(土) 21:25:07
ここはイコール、イコールの板か?w
588プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 21:26:05
神功(斎)による独裁政権は、
後漢末期(170年頃)〜385年迄と、
考えています。

天皇家には、
後漢末より天皇より上位の(キミ?斎)制度が存在していたと、考えます。
589日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:27:06
応神天皇は仲哀天皇の子ではない。竹内宿禰 の子だ。
これを隠すために記紀は訳のわからん記述を多用している。
590太国:2006/02/18(土) 21:29:38
>>589
この板は探偵小説化してきた。そろそろ神津恭介の独断場となりそうだ?w
それとも、明智小五郎の招請かな〜?w
591日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:41:17
持統天皇は恐ろしい女だ。
倭を百済に売り渡した。
だいたい天の香具山などという一番神聖な場所に洗濯物を干す
などとトンデモないことを言い出すことからして危険思想の持ち主
であったことが解る。
592プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 21:52:42
>>590太国さん

私が 松下研三になり、彼を成吉思汗の世界へ引き込みますか?

>俺等さんの件

“水と油”ぐらいで引き下がる私ではありません。
あのスレにて述べた様に、ハイレベルな議論に負けたのです
もう一度あのスレの>>205を読んで見て下さい。
初めて“負けた”

『チラシの裏公式認定』のプラムが
初めて味わった挫折です。
59316さい中卒ヒッキー:2006/02/18(土) 21:55:44
宇佐を盗掘してくればなんかでてきますよ
594日本@名無史さん:2006/02/18(土) 22:01:08
義経=チンギスハン
595プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 22:32:27
高木氏は
その著書の中で 卑弥呼は宇佐神宮の下で眠っていると……


卑弥呼の墓は
原田の爺さんがしっかり掘り起こしてしまったはず

殆ど発掘調査されそうに無い場所を、選ぶなんて
小説家らしい選択!
『箸墓』も同じだね
596太国:2006/02/18(土) 22:39:56
あとで>205読んでみます。
ある理由っていうのは

『成吉思汗』が『崇峻天皇』の流れだという事を把握している意味です。
597太国:2006/02/18(土) 22:41:27
ちょっと言い方が過ぎました。
『源義経』が『崇峻天皇』の流れだということです。
598プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 23:07:15
>>596-597 太国さん

ワァォ!
初めて耳にしたフレーズです。


出来ましたら>>205 以前からの流れです。
身体が固まり、ツッコミが出来ませんでした。
59916さい中卒ヒッキー:2006/02/18(土) 23:23:32
皆さんちゃんとお仕事はされてるんですか?僕は父が死にそうなんで大学いかず就職することになりそうです
600プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 23:46:45
ま、とにかく
ガンバレや!
601日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:16:19
攻め滅ぼされる恐れがある相手に正確な位置を教えるわけはないだろう。
生口を贈ってごきげんとって、親魏倭王の金印もらって国内の権威を高める
卑弥呼またはその側近は相当な政治家だ。
602日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:18:45
むしろ北九州にあることが知れれば魏の皇帝が「以外と近いから
攻めてみようか」と言う気になるのを恐れて嘘をついたと見るべき。
603日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:19:51
↑ 以外→意外
604日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:30:04
遺骸
605プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/19(日) 00:40:15
>>602

>意外と近いから攻めてみようか

★昨日今日始まった朝見儀礼ではない、そんなわけなあだろう
もうちょっと原文よく読みなよ!

【漢時有朝見者今使譯所通三十國】…魏志倭人伝…
【使驛通於漢者三十許國】 …後漢書倭伝…

三十国はフリーパス
教えてくれなければ、自分達で調べるよ!
当然だろう。蛮夷の属国なんだから
606日本@名無史さん:2006/02/19(日) 02:16:31
>>596
伝説や私論はどうだろう?確実な証拠があるのならいいのですが…。
あと文献は読んでからこの板で話すことをお勧めしますよ。スレ違いすいません
607俺等05772:2006/02/19(日) 10:26:03
>>560
「度一海」の距離は皆、バラバラ。したがって、正しい値を示していない。
暫く距離論を連続で載します。なお、コンパスとはコンパスで図った距離です。

@ 從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
 ・仁川〜半島南西間:S 400km, 半島南西〜金海間:ENE 300km, 計 700km。
    (コンパス)(S →S, E →ENE, 一里=100m)。

A 始度一海千餘里 至對馬國。又南 渡一海千餘里 至一大國。又渡一海千餘里 至末盧國。
 ・金海〜上対馬間:SE 75km,   (コンパス)(× →SE, 一里=75m)。
 ・上対馬〜芦辺(壱岐)間:S 90km, (コンパス)( S → S, 一里=90m)。
 ・芦辺〜唐津間:SSE 50km。   (コンパス)(× →SSE, 一里=50m)。
 ・金海〜唐津間:計 215km。 直線距離では 金海〜唐津間:200km。
608俺等05772:2006/02/19(日) 10:40:40
陸行の場合、コンパスで図ると、どうしても実際の距離より短くなります。伊都國には
博多の南を設定しました。須玖岡本遺跡の北東に当ります。

B 東南 陸行 五百里 到伊都國。
 ・唐津〜博多の南:ENE 50km。 (コンパス)(SE →ENE, 一里=100m)。
C 東南 至奴國 百里。
 ・博多の南〜大宰府間:SE 10km。(コンパス)( SE →SE, 一里=100m)。
D 東行 至不彌國 百里。
 ・博多の南〜宇美間: E 10km。(コンパス)( E → E, 一里=100m)。
609日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:03:46
松浦市
61016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/19(日) 12:26:25
やはり卑弥呼は皆既日食で殺されてますね
611圭角:2006/02/20(月) 11:30:01
プラムさん、私は卑弥呼は固有名詞であると考えます。
その根拠は魏書三少帝紀の斉王紀の正始四年の次の記事です。
 冬十二月、倭国の女王卑弥呼が使者を派遣してささげ物を献上した。
さらにまた太和三年の明帝紀の次の記事です。
 大月氏国の王波調が使者をよこして貢物を献上したので波調を親魏大月氏王に任じた。
 
612プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/20(月) 11:58:12
>>611 圭角さん

その内容はあくまで魏朝に限定された出来事であります。
後漢時末期はどうでしょう?
共立されし女王卑弥呼と親魏倭王卑弥呼 このラインが=で結び付くなら「固有名詞」と、とらえた所で
何等差し支えは、ないと考えますが

どうしても、
柳井茶臼山の鏡と平原の鏡がひっかかるのです。
もう一つ、神功皇后も「代名詞」とする要因なのです
613日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:25:16
>>610
中卒というのが珍しくて、時々、読まさせていただいています。
学者になるつもりですか。素人向けの“古代史”評論家の途も
あります。その歳としては、文章もしっかりしており、可能性
はあると思います。
ただ気がかりなのは、ゴリゴリの“九州論者”でしょう? 趣味
を通すのなら、それでもいいでしょうが、本気でプロになりた
いのなら、いま一度、あなたの“思い込み”を解体する必要が
ありそうです。
学者をめざすか、雑文家で生きるか。どちらも、至難の道です。
それとも、趣味に遊ぶか。まず、目標設定を。
ちなみに、私も九州説です。

614日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:58:11
魏志倭人伝によると邪馬台国から魏の国に青色の大きな勾玉が
贈られているようですが、青色のメノウが産出しない九州や
大和からどうやって魏の国へ贈ったのか?教えてください
61516さい中卒ヒッキー:2006/02/20(月) 14:19:12
趣味で本読んでるだけですよ。邪馬台国なんかでは食えません。
616圭角:2006/02/20(月) 15:29:33
プラムさんへ。
プラムさんのおっしゃる後漢末時点というのが私には不明でありますが
曹操が兵を率いて洛陽に入り後漢の献帝を許に移したのが196年です。
この頃を後漢末時と考えてよろしいのであれば
卑弥呼が明帝に使者を送ったのが景初二年の238年ですから
同一人物と考えても自然で無理はないかと存じる次第です。
いかかでしょうか。
617圭角:2006/02/20(月) 15:39:09
プラムさんへ追伸
 帝紀において卑弥呼と波調の記述は同一様式です。つまり
大月氏国王波調
倭国女王卑弥呼
618日本@名無史さん:2006/02/20(月) 16:01:00
このスレ的に関裕二は×なの?
619プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/20(月) 17:41:07
>>616-617 圭角さん
ご意見ありがとうございます。

この「代名詞」私案
私も余り強調できるほど確たる根拠がありませんので自信が出来ましたら
またカキコしたく思います。

その時はまたよろしく
御意見のほどを!

★ところで
AD57年と107年の朝見記録について、考えをお聞きしたいのですが?
私の考えは、何度かレスしてありますので、文字数の都合上省略致します。
620サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/20(月) 19:09:55
俺等さん、コンパスで直線距離では精度がかなりおちます。
韓国の地図や九州の縮尺の小さな地図に自分で考えた行路を線でひき、1mmずつはかって算出しなければ意味がありません。
私はそのようにやりました。
621プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/20(月) 19:40:45
帯方郡⇔狗邪韓国は五千里です。
622618:2006/02/20(月) 19:58:05
ざっと見たけれど関裕二の話が出てきてないので、
単に知られて無いのか、このスレ的に×判定されているのかわからないけど、
とりあえずこのあいだ読んだ本の内容をば。個人的には、そこそこ納得のいく
流れかと思うので。

彼の考えによると、大和朝廷は邪馬台国と同時期に存在した。
発足した原因は、北部九州を支配していた邪馬台国が関門海峡を封鎖して
瀬戸内勢力に大陸との交易をさせなかったため。
大和朝廷の中心地は奈良の巻向、参加勢力は吉備(瀬戸内)、出雲、奈良。

その後、日本書紀に登場する神功皇后の九州征討によって邪馬台国(九州・山門)
は滅亡(or降伏)という流れ。
この後、彼の話は神功皇后が外征中に政変が起こって奈良を追われ、鹿児島に落
ち延び、息子の応神天皇が北部九州を経由して都入りしたのが日本書紀に出てくる
神武東征である、と続く。
623618:2006/02/20(月) 20:07:59
彼の話によれば、日本書紀の神功皇后の章に魏志倭人伝の引用があり、この人物が
トヨという女の神と関係があることから、彼女こそトヨであり、彼女は卑弥呼を討ち果たして
邪馬台国をのっとり、朝貢した、ということになってる。

この話はいずれも日本書紀の記述を基にしているので、今の史学界ではありえない話なん
だけど、彼の主張にもうなずける部分があると思う。

そもそも、6世紀以前の記述は不正確だと言う話もあるかもしれないけど、何故日本書紀は
その部分の記述を神話化する必要があったのか?
全く持ってその時期の話がわからなかったとすれば、何で日本書紀にその時期の記述を載
せる必要があったのかを考える必要があると思う。
時の権力者が過去におこったことを全く知らないはずもないわけで、口伝という形で過去の
政権がやったことはある程度わかってないとおかしい。

そう考えると、神話化されている部分は歴史を削除、捏造して真実が葬り去られた形跡なの
ではないか、と。彼は主張しているわけです。
624618:2006/02/20(月) 20:11:31
歴史書はそれを編纂した政権を美化する目的のために作られるわけだから、
その部分を差し引いて物証を吟味すればある程度は真実が読み取れる、と。

まぁ、そういう部分でなるほどな、と思ったので一応、参考までに書いてみました。
長文スマソ
625太国:2006/02/20(月) 20:33:37
日本書紀には武烈天皇等に関しては、えらく良くない行動が記述してあるのに、
これが何で政権の美化となるのか?
人面に一寸ニキビがあっても化粧をせず写真化している人像の状態ではないか?
これでは美化にはならん。
626日本@名無史さん:2006/02/20(月) 20:58:59
>>625
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%83%88%E5%A4%A9%E7%9A%87

8世紀に政権を握っていたのは傍流の継体天皇系なのだから、本流の武烈天皇をある
程度悪く書くのは基本と思われ。
古事記では悪くかかれてないらしいしね。
627太国:2006/02/20(月) 21:24:48
>>626
皇位を継いでくれときて天皇になっているのに、そんな大元を故意に悪く言う
わけがない。現実にひいき無く武烈天皇らのうまくない箇所を記述してるものだよ。
政権の化粧は大してやっちゃぁいないことを示す文なのだ。
選挙制度だったら前任の非を言い合うことはあるがね。
628日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:37:16
>>627
つまり、日本書紀には全て史実が書かれている、ということで落ち着きたいのかな?
あなたの日本書紀観が知りたい。

10歳で即位して17歳で死んだ理由が病気であればあなたの主張は通るけど、傍流の
継体天皇支持者による暗殺であれば、自らを美化正当化するのは普通。
謀略で政変に勝利した人間が政変に敗れた人物を悪く言うのは常識なわけだし、その
図式にのっとれば、政変で武烈天皇を葬った継体系の子孫が自らの祖を美化正当化し
たと考えるのが一番妥当だと思うのだけど?

そもそも、継体天皇は出自が怪しくて、即位から都入りに10年以上もかかっていることから、
大伴金村が適当に見つけてきたんじゃないか、とも言われている。だから、天皇系の系統は
この時点で一旦切れてしまっている、という説(新王朝説)もある。

ここまで材料が揃えば、日本書紀の狙いは明白だと思うのだけど。
629日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:40:51
継体天皇は越の出だからつまりはオオクニヌシノミコトが求婚したヌナカワヒメの
流れを汲む者だろう。

630日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:43:38
ツングース系であって天孫族の流れを汲んでいたということか?
631日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:46:21
継体 ヲ 持統 ス というおくり名には意味が在る。
632太国:2006/02/20(月) 21:46:31
皇統は萬世一系である。
美化するなら武烈の良くな部分を書かなけりゃぁいいんじゃあないか?w
孫悟空が有名界で閻魔帖を塗りつぶしたようにだ、白塗りのようなこと
をやれば、ニキビ腺痘やビキニ島線を消すように汚染を美化できるではないか?w
それがちゃぁんと書いてあるんだよ。化粧なんかはしていないということだ。
633日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:48:01
>>629
日本書紀の系図には、応神天皇と継体天皇を結ぶ5代に空白が含まれており、
そもそも皇族かどうかすら怪しい。
もし、疑う余地のない皇族であれば、都入りに何でそんなに時間がかかったのかが
引っかかる。
もちろん、>>629のとおりである可能性もあるけど、だとしたら、都入りに時間がかか
ったのはその間に都にあった抵抗勢力(武烈の後継者)と争っていた可能性もあるか
ら、やっぱり武烈をボロカスに書いたのには意図がある、ということになる。

だいたい、17で死んだ人間がいくら暴君だって、限度があるでしょ。
634太国:2006/02/20(月) 21:49:44
記紀は推理小説探偵小説ではな〜い。怪しいなんて神津恭介か?w
635日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:50:54
>>632
ネタで煽ってるの?
戦前の教科書では日本書紀のその部分はばっさり切り取られてるよ。
古代の天皇家の歴史は政変と謀略、裏切りの歴史なんだから、意図的
に醜く化粧されることもあるだろう。

なんでもない一般家庭の兄弟でさえ犬猿の仲だったりするんだから。
そこに政治権力が絡んだらどうなるかぐらいわからない?
636日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:53:30
>>634
>記紀は推理小説探偵小説ではな〜い。怪しいなんて神津恭介か?w 
なるほど、神様が高千穂に下りて、何をトチ狂ったのか鹿児島の野間岬みたいな
辺鄙なところを経由して都に行ったのも全部史実なのか。
そう思いたいなら一生思ってな(^Д^)ハハハ
637太国:2006/02/20(月) 21:55:20
>>635
これから数十年経つと日本がアメリカに負けたことを隠すのか?
ありのまま百年以上経過してもストレートで日本の教科書に載るわ。w
武烈の件もそんなところだ。不利を真面目に書いてるんだよ。
638太国:2006/02/20(月) 21:58:52
>>636
神武以前のことは古史古伝と記紀は記述が違うのでこうだとは俺は
言ってはいない。今のは神武以降のことだよ。
うぬも一生初詣、冠婚葬祭で鳥居をくぐらんでよろしい。
639日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:01:00
>>637
そこまで来ると何が煽りたいのかわからなくなってきてるぞ。
過去の歴史書に捏造や改変はありえないといいたいの?

アメリカに負けたことは隠してないけど、戦前に日本がやったことについては
だいぶ捏造改変が加えられてるよ。じゃなきゃ「新しい教科書」の論争なんか
起きないって。
南京大虐殺の被害者が数千人から30万人に増えてるじゃない。武烈の件も
あれと似たようなもんよ。
640日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:04:24
>>638
だから、君はどうしたいんだ?
俺は天皇、皇室、神道否定論者じゃないよ。継体については正体がはっきりしない部分がある
っていう学説があるといっただけじゃないか。
話をどうもっていきたいの?
641太国:2006/02/20(月) 22:05:25
>>639
それは確かにありますよ。
ここんところはよくない方向に書いてある。つまり八百長記載とはいい難いと
いうことだ。あんたの言う場合は、よくないところを逆に良く書いてある時で
そういう時はあんたの言うとおりかなり改変等がありうると観ていい。
642太国:2006/02/20(月) 22:07:58
>>640
否定論者じゃないにしては、最後の段の文字は露骨に過ぎてそう見えんぞ。
643日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:12:46
ごめん、ちょっと文章がわかりにくいんだけど、

>ここんところはよくない方向に書いてある。つまり八百長記載とはいい難いと いうことだ。
本当は良かったことを良くなかったと書いているのは捏造、改変ではないということでFA?

>あんたの言う場合は、よくないところを逆に良く書いてある時で そういう時はあんたの言うと
>おりかなり改変等がありうると観ていい。 
良くなかったことを良かったと書いているところは捏造、改変がある、ということでFA?

蘇我入鹿の件で蘇我氏がものすごい悪役になっていて、大化の改新であたかも滅ぼされたみ
たいな印象を受けるのに、、実際には大化の改新後も政権の中枢をにない続けていた=蘇我
氏は滅びてなかったし悪の一族でもなかった、という説についてはどう思う?
644日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:13:52
>>642
>>634の煽りでイラっとしただけ。そもそも、俺は反赤思想の持ち主なんだけど。
645太国:2006/02/20(月) 22:29:32
>>643
真に分かりにこいねぇ?w FAなんていうのは俺のような老人には理解できない。w
一般に八百長をやるときの状況、環境を考えれば捏造改変を含めてそこらへん
の事情がわかると思うぞ。君は若いのか?
利害だよ。利害がとてつもなくでかいと八百長や捏造、ひいては違反まで
やる可能性が強くなるのだ。それだけ言えばわかるんじゃないかの?
大化の改新のほうはおれの専門、レパートリー外ないので、詳しくは言わんが、
皇道は菊花が核心であり、外来の仏教は蓮華の蓮台が核心なのだ。
それが蓮華が中央で菊花がその外周ではうまくないのだ。これが蘇我氏専横だ。
逆に、菊花が中央で蓮華台が外周だと美麗になる。
そこに大兄皇子が勝利した究極的意味があるのだ。少し位理解できたかな?
それともまだわからんかな?
無小手版だと俺は疲労してしまう。往復の長論は小手先を頼む。w 疲れたぞ。
646太国:2006/02/20(月) 22:31:24
>>644
分かった。ギラギラしてる時もあろう。俺も長文でつかれている。
ならば、鳥居をくぐられたい。w
647618:2006/02/20(月) 22:41:29
話が元と離れすぎて段々わからなくなってきた。もうちょっと簡潔にお願い。
利害があれば歴史の捏造は行われる、といいたいわけでしょ?
善を悪と書き換えるのも、悪を善と書き換えるのもどちらも可能性があると思うのだけど。

図式としては
<現実>
前政権(善政)  ←放逐(暗殺)  現政権
これだと、現政権が悪者になってしまうので…

<歴史書では>
前政権(暴君だったことにする)  ←打倒(改革)  現政権
こういう図式にする必要がある。そこに歴史の改変がある。
という風に、一般にはこういう図式のために善政を敷いた為政者が
暴君呼ばわりされることは、中国の歴史書ではよくある話。
日本だけが例外とはいえないのでは?
648太国:2006/02/20(月) 23:04:24
>>647
君も若いのか〜?俺は無小手で疲れているから、長くはやめたいが〜?
いいかい、そういうことは確かにあるが、美化などと武烈のビキニ汚染を
考えれば、通常の考えでは無化粧の美化などしていない記述だと考えるべき
ことだ。それを考えに考えをこさえて <  >のようにひねくり回せば、
何でも不成立が成立の論に変じる。それがは小説のような論議で終始する。
そのようなことを小説ではないようにうっちゃり主張するならばだ、
想定的ではなく、現実論として濃厚な資料がうんと必要だよ。
確かに君のいうことは歴史的にありうるが、うっちゃり論ならばどんなん
だって、うっちゃれる。だから想定的でないよう直接の濃厚な文献、資料
等を持ってきて言わないと、有名無実のと想定推理だけに終始する。
それに、あの国は日本の萬世一系の国體ではなく、易姓革命の国體の
政変多大の国なのだ。力の強い者が善、弱いほうが悪という図式はいつ
の世でも通り相場だが〜。例外的ではないが国體の相違だから、頻度は
別として日本と中国を同一視で考えないほうがいいぞ。疲れたぞぅ。w
649プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/20(月) 23:08:46
四八一年 『日本建国』
初代神武天皇の誕生か?
650太国:2006/02/20(月) 23:10:53
プラムさん。余の実年表と500年以上の差がありますよ?w
651プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/20(月) 23:15:26
太国さん
180万年のうちのたかだか500年
気にしない!気にしない!
652日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:59:48
ああっ、太国さんとプラムさんが仲良くしてる!!

私は神武って、3世紀末の九州王朝軍の落ち武者だと思ってました。
653太国:2006/02/21(火) 07:49:59
>>652
もっと古いですな。しかし2倍暦にて考えるべきと思いますが?
654日本@名無史さん :2006/02/21(火) 07:54:07
日本書紀を読むと、編纂者の舎人親王に何度も質問したくなるよw。
655太国:2006/02/21(火) 07:57:19
お気持ちわかりますな?w
656的外れ:2006/02/21(火) 08:02:51
九州王朝の落ち武者って、九州王朝はどこかに攻め落とされて滅んだということですか?
相手は狗奴国でしょうか?
657太国:2006/02/21(火) 08:10:27
>>656
余のは特殊なアナログ的秘研究で九州王朝を覚知したものであり、古田先生の
研究のやり方、一般の研究家の文献的、考古学的研究要領とは違いますので、
そのへんの詳細となると余の照鳥居ではありませんから、そこんところは
分かりませんなぁ?w 九州王朝スレ等で同朝支持論者に聞いてみて下さい。
とにかく、同朝は文武天皇の御世前後に滅亡したことは確かです。
658太国:2006/02/21(火) 08:20:20
ははぁ、神武天皇のことですか?
一般に云われるようになった九州王朝ではなく、(あるとすればですが?)同朝
の前段階の神武以前の「前段階九州王朝」っていうことになります。
ウガヤフキアヘズ朝か?そこんところは今後の研究になりますな?w
ただ実年代は3世紀末ではなく、もっともっと古いですよ。やはり紀元前ですよ。
659糸人:2006/02/21(火) 08:36:14
邪馬台国の都跡が遂に発見されました。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが伺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。

参考 ニュースを伝えるHP 中段お知らせのトップ

http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
66016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/21(火) 10:28:56
安本氏の「邪馬台国の会」とかいうのの
講演会は参考になるんでしょうか?
暇なら東京に服買いにいくついでに
覗いてみようと思ってるのですが・・
661プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 10:30:56
【ちょっと(-。-)y-゚゚゚】

日本初代神武天皇
『神』『武』『天』『皇』【神】
・神〇……(神功)
・〇神……崇神 ・ 応神

【武】
・武〇……武烈
・〇武……天武

【天】
・天〇……天武・天智
・〇天……該当なし

【皇】
・皇〇……皇極
・〇皇……該当なし

(神武〜天武まで)
学者先生は、こんなことしないだろうから、少し遊んでみました。
662安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/21(火) 16:38:06
いまさらですが、>>618にレス付けときます。

関裕二の説は穴だらけ。彼は「トヨ」率いる大和朝廷軍が、筑後川流域の邪馬
台国を滅ぼして、「邪馬台国」を乗っ取った、みたいに書いています。それな
ばなぜ「卑弥呼が死んだ後」に王朝簒奪のようなことがあったと魏志倭人伝に
書いていないのか?この一点をもってして、関裕二の説は成り立たないことに
なるでしょう。まだ安本説のほうが説得力ありますね。
663サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/21(火) 18:53:17
水行十日陸行一月についてお尋ねします。
私はこの件について、「道案内時間付けたし説」つまり道順を説明した後に、何分ぐらいですよと所用時間をつけたす、ということだと考えているのですが、
いくら説明しても賛同する人が少ないようです。
そこでお尋ねするのですが、この説が受け入れられない理由事情ななんなのかお教えいただきたいとおもいます。
664太国:2006/02/21(火) 20:22:28
賛同したいなぁ。理由までも〜?
畿内説が成り立たなくなるからかなぁ? 何とも?だ。w
665俺等05772:2006/02/21(火) 20:38:04
>>620
水路の場合、コンパスで十分だと思います。陸路の場合、できるだけ
時刻表の営業距離を使うよう努めました。
666プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 20:55:16
>>663サガミさん

先生の説だと
水行十日 陸行一月は、郡からの行程日数

その辺から見直さねば!

投馬⇔女王の都、この行程日数が(水行十日陸行一月)ですよ!
そして
伊都国⇔女王の都は1500余里

〈付け加えるなら〉
奴国(博多湾)から反時計周り(沿岸コース)水行三十日陸行一月で女王の都に着きます。
【西海岸南下し東海岸沿いを北上】
女王の都→斯馬国……烏奴国→そして出発点奴国へ(距離千四百余里)
これで 九州一周が完成
国土調査の任務完了!
667日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:27:15
>>663

水行十日陸行一月

つまり、北九州から水行十日陸行一月もかかる遠い所に邪馬台国はあった
んです。

つまり、奈良のマキムクが邪馬台国。
668太国:2006/02/21(火) 21:30:24
>>667
大和朝廷と近くなるから、天皇と卑弥呼の付き合いはどうだったの?
神功が卑弥呼と言いたいのかな?
669プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 21:31:45
女王に直接用事のアル張政一行は奴(中)国で、属国国土調査隊と別れ
陸路→烏奴国……斯馬国→そして女王の都へ(距離約千四百里)

『張政』の行程距離(萬二千餘里)

『調査隊』の女王の都までの行程距離(約萬六百餘里+水行三十日+陸行一月)
九州西側は、地形影響+五島列島+天草諸島の関係上、船がベスト
670プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 22:02:52
だいいち
伊都国から千五百里で、どうやれば畿内まで辿りつけるのか?
“どこでもドア”?
671日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:56:59
>>668

卑弥呼は天皇家と血縁関係があるのかわからないけれど、擁立されて
女王になったので、王族と血縁関係のある正式な王ではなかったのかもしれない。

また、卑弥呼がアマテラスとすると、出雲がスサノオの可能性がある。

吉備や伊勢・志摩のアマ族、なども重要な役割を担っていたのかも。
67216さい中卒ヒッキー:2006/02/22(水) 00:51:54
超能力調査を邪馬台国論争にも導入するのも面白いかも
67316さい中卒ヒッキー:2006/02/22(水) 01:06:48
比売大神は神武の母の玉依姫らしいです。これで神武=応神、そして玉依=神功だと分かりましたね?
674日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:07:58
もう海の中のアトランティスだったでいいのでは?
675太国:2006/02/22(水) 06:52:55
>>671
天皇は先帝(景行)と卑弥呼を想い、マキムク行幸を果たして卑弥呼とそこで
会見したのか? それとも逆に卑弥呼は朝廷まで行ったのか?(>>667)
67616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/22(水) 10:41:16
女王国の東に海があるのは宇佐じゃないですか・・
なぜ皆さんそんなこともわからないのか・・
677サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 16:42:57
問題は女王国が邪馬台国をさすのか、女王の勢力範囲をさすのかということです。
これは女王の勢力範囲の東という意味です。
678日本@名無史さん:2006/02/23(木) 09:33:55
>>676
下のスレ >2 で良いんじゃないでしょうか。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1139060494/l50
679プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 10:10:45
女王国の東は四国でしょう。
佐賀の関から佐多岬を目指し八幡浜に!
『伊予』なんて意味深ですね

范曄のカキコと陳壽のカキコが若干違っているので
後漢時と魏時では『女王国東』の様子も、変化があったのでは
68016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/23(木) 10:23:05
>サガミさん
それは違うのではないでしょうか?
伊都国も女王国に統属していると倭人伝に書かれてますし
女王の支配力が及ぶ範囲が女王国ならば
伊都国も女王国のはずでは?

あと他スレでも書きましたが奴国内通過の際に里数を
消化しているという僕の考えは的を射ていませんかね?
奴国だけでなく末櫨国、伊都国、不弥国も合わせれば
12000余里までに足りない分は補えると思うのですが。
不弥国と隣接して邪馬台国があると考えればいいわけです。
681日本@名無史さん:2006/02/23(木) 11:37:33
ホー
682サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/23(木) 11:39:08
里数を消化しているなら、消化した里数も書いたはずです。
68316さい中卒ヒッキー:2006/02/23(木) 11:50:00
倭人伝はどこの国からどこの国へいくまで何里という書かれ方がなされてますし国内通過分は書かれていません。そういう書かれ方じゃないですか。なので邪馬台国まで12000里と不弥国まで10700里との間に若干の誤差が生じるのではないでしょうか?
68416さい中卒ヒッキー:2006/02/23(木) 11:54:39
まあ高木氏の余里を足していく説もなるほどと思いますが、僕の考える国内通過分を足すやり方のほうが自然ではないかと思いますよ
685業務連絡:2006/02/23(木) 12:12:55
16さい中卒ヒッキー=16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc ?
16さい中卒ヒッキー≠16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc ?
68616さい中卒ヒッキー:2006/02/23(木) 12:22:02
すいません。携帯から書き込んでるときはトリッブつけるのや変換するのがめんどくさいんでこのHNです
687日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:25:16
邪馬台国はムー大陸にあった
688日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:34:41
┌―――――――――┬――――┬―――――┬――――┬――――┐
│  帯方郡〜狗邪韓國│七千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│狗邪韓國〜對馬國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  對馬國〜一大國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  一大國〜末盧國  │  千余里│   ↓   │水行十日│水行十日│
├―――――――――┼――――┤   ↓   ├――――┼――――┤
│  末盧國〜伊都國  │  五百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  伊都國〜奴國   │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│   奴國〜女王境界│      │萬二千余里│   ↓  │   ↓  │
├―――――――――┼――――┴―――――┤   ↓  │   ↓  │
│女王境界〜邪馬壹國│道里可得略載不可得詳│陸行一月│   ↓  │
├―――――――――┼――――――――――┼――――┤   ↓  │
│邪馬壹國〜狗奴國  │               │      │   ↓  │
├―――――――――┼――――――――――┼――――┤   ↓  │
│        投馬國  │               │      │水行十日│
└―――――――――┴――――――――――┴――――┴――――┘
┌―――――――――┬――――┬―――――┬――――┬――――┐
│   奴國〜不彌國  │   百里│        │      │      │
└―――――――――┴――――┴―――――┴――――┴――――┘

チンタラやってんなよ、コレで決まりだろ
689サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/23(木) 18:52:22
陸行一月は韓国内陸行でとけます。ソウルから仁川まで1日、群山から固城までが
27日、唐津市西唐津から邪馬台国まで2日です。これできまりです。
690日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:16:09
>>689
ウソツケ
691安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/23(木) 20:18:18
>>689
韓国内陸行は変でしょう。「魏志」には、海岸に沿って水行すると書い
てあるんだから。
692プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 20:46:48
>>691

意義なーし!
693日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:48:16
陸行一月水行十日は女王境界まで郡から
派兵した場合の(侵略でも応援でも)
必要な兵糧(一人当たり)を記したのでは?
694日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:54:02
>>693
そうしないと都合わるいの
695日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:19:38
吉野ヶ里は邪馬台国?それとも狗奴国?
696サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/23(木) 23:30:46
海岸にしたがいて水行は韓国までです。
吉野ヶ里は邪馬壱国の都ですよ。
697日本@名無史さん:2006/02/23(木) 23:47:48
>>695

狗奴国は現鹿児島県です。
698日本@名無史さん:2006/02/23(木) 23:50:40
当時の列島支配は邪馬台国を中心とした中央集権体制なの?
69916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:09:08
僕の国内移動の際里数を消化してる考えの裏付けとしては例の
>女王国の東へ海を渡る事千余里で、また国がある。皆倭人である。
更に侏儒国(しゅじゅこく)がその南にある。この國は皆身長が三、四尺(90cm〜120cm)である。
女王国を去る事、四千余里である。
この文章の中にあります。女王国の東から1000余里、そして南へ
進んで侏儒国までで4000里、これは長すぎます。
せいぜい2000里程度です。なぜこのようなことになったのかというと
女王国から海を渡って1000里の国内を移動したからです。
「皆」倭人という言葉からも隅々まで見て回ったふしがあります。
そうでなければ4000里にはならないのです。


700プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 00:12:07
>>698
違います。
三世紀当時の列島は大きく二分され
本州を中心とする「大国(火)一族」と九州を中心とする「「天照(日)一族」です。
70116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:14:31
一応考えられる反論として、サガミさんあたりが
言いそうなことを先に言っておくと、女王国の東に
海があるというだけで女王国のすぐ東に海があるとは
限らない。なので小城でもこの文章は不自然ではないし
むしろ4000里という距離に附合するから問題ない。
とか言うでしょうねwしかしそれでは不自然なのです。
現代語でいうと、小城市の東の海を50キロ渡ると山口です。
というのと同じです。このような文章は不自然極まりないでしょう?
大分県の東の海を50キロ渡ると山口です。という文章のほうが
自然なのです。なのでやはり女王国のすぐ東に海があったと
考えるべきだと思います。
702日本@名無史さん:2006/02/24(金) 00:25:55
>>701
単なる思い込みだよ低能!
中卒は頭が悪くて困るよ
70316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:30:58
では中卒で馬鹿な僕にも分かるように
真実はどうだったのかを説明してみてくださいな
704日本@名無史さん:2006/02/24(金) 00:32:07
>700
ありがとうございます。


705日本@名無史さん:2006/02/24(金) 00:34:30
>>703
もっとよく勉強しろよ、低能!
貴様は本当に邪馬台国のことを勉強しているのか?

所詮、中卒か。。。
70616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:36:46
勉強などするわけないでしょw
どっかの誰かさんたちみたいにそこまでヲタじゃ
ありません。趣味で本をたまに読む程度です。
で、所詮中卒の僕にも分かるように貴方様の
意見をお聞かせ願いませんか?
70716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:45:40
少なくとも奴国は2万戸だし広そうだし伊都国から奴国内を移動して
不弥国へ行く際、かなりの里数を消化してることは間違いないでしょう。
その誤差分が帯方郡から女王国までの12000余里に含まれているのでしょう。

70816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 00:59:48
邪馬台国も多少誇張があるとはいえ7万戸だし、
宇佐〜大分にかけて、あと日向も含まれていたかもしれないな。
卑弥呼がいたところは宇佐だろうけどw
そう考えると神武東征が日向から始まり宇佐に立ち寄るのも
おそらく邪馬台国東遷を暗示してるんだと思います。
卑弥呼は天照大神と考えればいいわけです。
70916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 01:08:03
水行陸行の記述に関しては僕は中1のころから
帯方郡からの総日程ではないかと思ってました。
高木氏や古田氏の本を読んだらやはり僕と
同じ意見だったので確信がもてました。
伊都国からはすべて東よりに移動してるのでやはり
宇佐近辺が邪馬台国と考えるのが自然でしょうね。
里数の問題も解決したし、これにて一件落着。かな?w
710プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 07:55:48
ヒッキー君

ところで
二つの奴国の解釈はどうする?
君の「ヒッキー説」以外では、解釈困難と考えるけど!
次に次に……次にと、来ているんだから
これは一本のライン上の出来事 そう解釈するのが自然な行為

村なんて
海沿い、川沿い、平野にしかないんだから
国が二十も並ばる地域何て海沿いだよ!
711白木人 :2006/02/24(金) 09:17:44
二つの奴国は別なのか、同じ国なのかぜんぜんわかりまへん
71216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 10:49:18
奴国は別の国と解釈すべきなのではないでしょうか?
中村俊輔と中村俊介、名前は全く同じですが全くの別人ですw
それと一緒でしょう。次に次に・・の文章で奴国が最後に
登場するところから察して1番遠くに奴国はあるのです。
宇佐から西、熊本の上あたりから長崎の西海岸にかけて
これらの国は散らばってるんじゃないでしょうか?
そう考えれば次に次に・・の文章の後にその南に狗奴国ありと
いう文章が続くのも説明がつきます。その南の「その」は
これらの国々のことを指しているのでしょう。
713プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 11:34:09
>>712
「音」と「文字」が同じ、尚且つ同一文面上
それが全くの別物である可能性はほぼゼロですよ!

これを別物扱いする時は、かなり信憑性が持てる根拠を提示しなければ
いけません。
71416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 11:40:40
奴国の金印が志賀島で発見されたでしょう?
あそこが奴国でしょうwそして2万戸の奴国は博多。
おそらく奴国ははじめは広大な領土をもってましたが
それがだんだんと分割されていったと考えればいいわけです。
その残りカスの奴国が志賀島にあったので金印がでてきたのでしょうw
715プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 11:56:57
ヒッキー君

金印の文字は「委奴国」
私が言ってるのは「奴国」それが即=に結びつくのであれば
狗奴国や烏奴国も同一ですね!

ばらばらに成った奴国なら文字を変えて登場するでしょう。当て字なんだから!
71616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 12:16:46
プラムさん、最近おかしいんじゃないですか?w
委奴国ではなく委の奴国、つまり倭の奴国という
意味でしょうそれ。なんか最近おかしな宗教にでも
はまってしまったかのようなカキコばかりが目に付きますよw
717プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 12:30:34
>>716ヒッキー君

>宗教

★全く無縁ですよ。

「委奴国」=「倭奴国」
確かに間違えそうな文字ですね
でも「音」はどうでしょう「委奴」⇒(イナ)
「倭奴」⇒(ワナ)
で、しょうか?
これでは「言意」が違うような?
718サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 12:34:19
金印での「委奴」がただしくて書物の「倭奴」は誤写だという説があります。
わたしは「委奴」をつかうことにしました。
719サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 12:36:25
それとーっ、倭は古くはイと発音されていたようです。
720プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 12:43:51
ヒッキー君

文字の前に「音」ですよ
上古音が“どうとかこうとか”ではなく

「イ・ナ」と発音したから
華人がそれに、「委奴」の文字を当て嵌めただけ

しかしその前に「列島」の人は「イナ」と発音していた。
その地を「イ」と「ナ」の音を組合せて、だから「イ」には「イ」の意味があり「ナ」には「ナ」の意味がある
そして
「イとナ」を組合せて「イナ」になった。

だから
「イナ」と「ワナ」は
漢字が似ていても、別物なんです。
721プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 12:49:17
サガミさん

「イ」の音が、「ワ」に変化(転訛?)する事はありません
「ワ」⇒「ウ+ア」の合音です。
72216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 12:52:28
ほんとうにプラムさん、頭おかしくなっちゃったんじゃないですか?w
毎日毎日、こんなことばかりしている不健康な生活を送ってる
からですよ。もっと外でてスポーツでもしたらどうです?
ってか邪馬台国に関しては宇佐〜日向あたりで間違いないんじゃ
ないでしょうかね?否定するだけの材料もありませんしね。
723サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 12:55:55
たしか年初だったと思うのだが、邪馬台国の所在地を確定する為に、公的機関らしきところが、
学識者や有識者等が協議して決定すると言う話をきいたのだが、私のところにも声がかかるかと期待しているのですが、一向に声がかかりません。
皆さんの中でどなたかにお声がかかったでしょうか?
724サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 13:01:13
そうです。イがワに転かすることはありません。
ある時代からワと発音することになったのです。
72516さい中卒ヒッキー:2006/02/24(金) 13:12:57
そりゃサガミさんは小学校の教師でしょうに学識者じゃないじゃないてすか・・趣味でやってるだけでしょう。わはいだったんですかそれは初めて知りました
726プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 13:35:09
ヒッキー君

ご心配感謝

でも大丈夫です。
学生の時、部活動ばかりやっていて、勉学をかなり疎かにしていましたので
調度いいくらいです。

>サガミ先生

途中で「イ」から「ワ」に変わったなんて
子供達に授業で教えていたのですか?
727安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/24(金) 13:59:44
>>723
あなたが小城説を展開している限り声がかかることはないと思われます。
728サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 15:04:21
学識者有識者で協議では、邪馬台国は畿内マキムクあたりで決定でしょうかね。
729プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 15:05:47
もうそろそろ
「漢委奴國王」=「漢倭奴國王」だなんて
よしましょう。

「倭奴国」は「倭の奴の国」じゃぁなくて⇒「倭を奴する国」でしょう

そして
「委奴国」は「委を奴する国」ですよ

★どちらも一つの国を表すわけではありません。
730プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 15:18:05
>>728たぶん。
そうしたいが為の集まりでしょう
731プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 16:07:27
何故今頃。邪馬台国確定会議何だろう?
俗に畿内説と言われる諸氏の多くは、今更邪馬台国等眼中に無い筈
古代、纏向を中心に経済が大きく成長し、その経済やそれを基盤に発展する文化が、列島各地に
どのように影響しているか?
そして、そこに群がる利殖の権現達が後の大和朝廷にどのように結び付くかに
興味があるだけでは?
732サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/24(金) 16:13:51
奈にか皇室の起源に関係するからではないでしょうか。
丁度、女系天皇論議の高まっていた時ですから。
733日本@名無史さん:2006/02/24(金) 16:41:12
ようやく邪馬台国は宇佐だと確定されるのですね・・・
734プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 17:17:05
所詮
魏志 倭人伝に記載されてる行程記事
これを畿内の地へ引き込もうとすることが、どだいナンセンス! 纏向を中心に発展し繁栄した文化は、文献上登場する邪馬台国とは、別物だ!

邪馬台国九州説しか有り得ないのに、「畿内説」だ!なんて錦の御旗を掲げるなんて、時代錯誤もいいところ
畿内は『纏向文化』だろう、それも
経済的にかなり豊かな!
735プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 17:28:56
当時華人達の列島地理知識が、南北にのびた認識なら


『書くなよ!』

【倭人在帯方東南大海之中】何て

こんな文章零点だよ
736日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:34:10
>>729
アフォか。
中国語の語順は英語と同様、動詞+目的語。
低脳君は消えてください。
737日本@名無史さん:2006/02/24(金) 18:06:16
::::::::::::::::::|_!::lヽ:::::::::ハ::::::::::::::::::::::::::::::::i、::!  ノ
!:::::::::::::::::l-‐ェ!;ト ヽ:::::l ´!:::::::::::::::::::::::::::::l ` ヽ   幺ク 亡 月 |  ┼‐ .|] |]
l:::::::::::::::::「(;;;)ヽ、__、::レ'´l:::::::::/l、:::::::::::::l   /   小巴 三l三. ヽ_ノ / こ o o
 !:::::::::/l:::l__,,,rタ"゙、;!)、__!::::/ノ 〉、::::::::l   \
  l::::/ lヽ!    _ _   l;/´  ! >、::l  /
 ノノlヽ、_!    r――‐┐   /_ノ:::|  / 
   l::::::>、   レ,二二ェ!  /i:::::::::::l   ̄ ̄|_     /ヽ、  /\   /\    /
   l:::/ /::ヽ、 `ー-―-' ,ィ'::::!\:::::l    (ヽ、//\/   \/   \/   \/
   レ' ム-''´lヽ、  _,,./! ゙ヾ!__ヽ!    ヽ´ヽ、ヽ
           !   ̄     レ;'´  |  (,ゝ、 \ ヽ l、
       /| _,,.-/´  ;; .,,,-!  ヽ、 ヽ、 | | ! l
      / 斤'"〇 /´    ,;;:''" _,l_   ヽ ヽ/  l | l
     /; l、」_,,/     '' ゙;;/  ヽ、   〉  `ヽ  l/
    /!,r''´!/  /    ';,/"゙''':;,,,,;;''\ /     ,!
   / l ,;;  |l  /`'';, ,,   /   ,;;"゙  l     /
738プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 18:15:34
>>736
単純ですねぇー!
お経の様に“文法文法”って もっと物事を掘り下げる事が出来ないのですか?

「委奴国」の漢文翻訳をしているのではありませんよ「言意」を言ってるのです。
「言意」があって「字意」があって「意味解釈」でしょう。


文法通りに読むと
どのようになり、どのような結果になりますか?
ご教授下さい。
739プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 18:21:34
>>738訂正

言意……×

言意から判断する意味解釈……〇
74016さい中卒ヒッキー:2006/02/24(金) 18:24:28
もう僕の意見がすべて正しいということでいいでしょう。反論もでてこないじゃないですか
741プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 18:28:32
反論しても結果がでますか?
まだ二つの「奴国」の処理が済んでいません。

ヒッキー君!
742太国:2006/02/24(金) 20:22:04
>>728
そのように決定したら、あの連中はいずれ大恥をかくだろう。w
743白木人 :2006/02/24(金) 21:42:20
またなこくありなので、2個目でしょうね
744プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 21:53:31
白木人さん

同じステージに
同音、同字 註文なし
何処で見分けるの?
74516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 23:18:40
プラムさんはいつもいつもくだらないことにこだわりすぎですw
毎日こんなちょっとした解釈でああだこうだと言ってるのか・・
まあ一応説明しますと、
>次に斯馬国があり、次に已百支国あり、次に伊邪国あり、次に都支国あり、次に弥奴 国あり、次に好古都国あり、次に不呼国あり、
次に姐奴国あり、次に対蘇国あり、次に蘇奴国あり、次に呼邑国あり、次に華奴蘇奴国あり、次に鬼国あり、次に為吾国あり、
次に鬼奴国あり、次に邪馬国あり、次に躬臣国あり、次に巴利国あり、次に支惟国あり、次に烏奴国あり、次に奴国あり。
これが女王の(権力の)尽きる所である。

この文章で奴国が登場することが問題なんですよね?女王の権力の尽きるところと
書いてあるじゃありませんか。末櫨国も伊都国も女王の権力が及ぶ領域ですよ。
なのに書かれておらず、奴国だけ登場するのはおかしくありませんか?
また最後に奴国が登場することから奴国が女王の権力の及ぶ最も遠い
場所にあるのです。つまりこの奴国は2万戸の奴国とは別物です。
74616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 23:31:13
ちなみにちょっとしたニュースなのですが
侏儒国は葛城王朝のことのようです。
747プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 23:41:05
ヒッキー君

【此女王境界所盡】でしょう
『此』って、最後の「奴」限定ではないでしょう。
(斯馬国〜奴国)二十国全てを指すのでは!
要するにラインですよ
では、何のラインか?
『盡』
字意→地が途切れる
解釈→北九州の海岸沿い

これが、女王の北側権力限界地です。
74816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 23:42:39
「漢委奴國王」も漢の倭の奴の国王という意味ですよw
しっかりしてくださいプラムさん。
74916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/24(金) 23:46:35
ああまた病気がはじまったw
次に〜という文章から邪馬台国から奴国までの道順だと
僕が言ったことを賛同してたじゃありませんかw
なのになぜわからないのか。2万戸の奴国は邪馬台国から
比較的近いところにありますよ。なので別物です。

750プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 23:51:50
ヒッキー君
『漢・委奴国・王』です

『倭』ではありません『委』ですよ
751プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/24(金) 23:59:57
ヒッキー君

女王国=宇佐と仮定し
奴国=博多湾と仮定します
★この場合(斯馬→烏奴)はJR日豊本線→→(小倉経由)→→JR鹿児島本線 沿いです。
752狗奴 ◆5dMQZo6/zY :2006/02/25(土) 00:07:41
皆さん、この説はいかがですか?
↓↓↓
ttp://members2.jcom.home.ne.jp/1228105901/index.htm
75316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:08:18
ああプラムさん、斯馬→烏奴とかこれらの国は
今でいう村くらいの規模だってことがわかって
らっしゃらないようですね
754日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:12:45
>南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月
→南至邪馬壹國女王之所都、自郡至水行十日陸行一月

>自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
→自女王之所都以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳

>此女王境界所盡
→此女王連邦境界所盡

>自郡至女王國萬二千餘里
→自郡至女王境界萬二千餘里

だからこうだって言ってんだろ
755プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 00:17:33
ヒッキー君

だから
『次斯馬國』の前の文章は【自女王國以北其戸數道哩可得略載其餘旁國遠絶不可得詳】
〈翻訳〉
女王国の北側に位置する諸国(二十国)の規模や戸数の記載は省略(略載)する。
更にその北側(本州)には旁国(大倭)があるが、国交がないので、情報無し


これで 解りましたか!

ここには
後に、『一大率』も絡みますから大事な所です。


そろそろ一冊の本が書けるだけのカキコはしたでしょう。
75616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:17:53
漢字ばかりで読みにくいですよw
75716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:21:46
大倭は邪馬台国が派遣した役人ではないのですか?
交易を司る役人だと解釈するのが最も自然だと考えますが。
プラムさん、あまりにも自己中心的な解釈をしすぎですよ。
毎日邪馬台国ばかり考えてるから少しおかしくなってると思いますw
75816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:31:20
どうも小城説のサガミさんといい
へんな解釈ばかりするプラムさんといい
ここにいる方はおかしな方が多いですねw
思い込みが激しすぎますよ。
>ヒッキー君
『漢・委奴国・王』です

『倭』ではありません『委』ですよ

これも専門家の方に言ったら一蹴されるんじゃないですか?w
素人でもおかしいと思いますよ。
759日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:31:36
┌――――――――――┬――――┬―――――┬――――┬――――┐
│  帯方郡〜01狗邪韓國│七千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│狗邪韓國〜02對馬國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  對馬國〜03一大國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  一大國〜04末盧國  │  千余里│   ↓   │水行十日│水行十日│
│  末盧國〜05伊都國  │  五百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  伊都國〜06奴國   │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│   奴國〜07不彌國  │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│   奴國〜--女王境界│千四百里│萬二千余里│   ↓  │   ↓  │
├――――――――――┼――――┴―――――┤   ↓  │   ↓  │
│女王境界〜29烏奴國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  烏奴國〜28支惟國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  支惟國〜27巴利國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  巴利國〜26躬臣國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  躬臣國〜25邪馬國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  邪馬國〜24鬼奴國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  鬼奴國〜23為吾國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  為吾國〜22鬼國   │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  鬼國〜21華奴蘇奴國│道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│華奴蘇奴國〜20呼邑國│道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
760日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:34:04
│  呼邑國〜19蘇奴國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  蘇奴國〜18對蘇國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  對蘇國〜17姐奴國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  姐奴國〜16不呼國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  不呼國〜15好古都國│道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│好古都國〜14彌奴國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  彌奴國〜13都支國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  都支國〜12伊邪國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  伊邪國〜11已百支國│道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│已百支國〜10斯馬國  │道里可得略載不可得詳│   ↓  │   ↓  │
│  斯馬國〜09邪馬壹國│道里可得略載不可得詳│陸行一月│   ↓  │
├――――――――――┼――――┬―――――┼――――┤   ↓  │
│邪馬壹國〜30狗奴國  │      │        │      │   ↓  │
│  末盧國〜08投馬國  │      │        │      │水行十日│
│邪馬壹國〜31侏儒國  │      │        │      │      │
│        32裸國   │      │        │      │      │
│        33K齒國  │      │        │      │      │
└――――――――――┴――――┴―――――┴――――┴――――┘
761プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 00:35:11
ま、
こういう翻訳を入れたところで『勝手読み』『漢文を知らない低脳』と、言われるのが関の山!
掲示板では、自分の認識以外は全て否定に回りますからね

万人のうち一人でも興味を示してくれれば 嬉しいですね!


★女王の都は
豊前国周防灘沿岸地にあります。
762プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 00:42:24
ヒッキー君

それは大変だ
専門家の人達に老眼鏡をプレゼントしなければ!

私には『漢委奴国王』と
見えるのです。
ヒッキー君には、見えませんか?
ヒッキー君はかなりの近眼かな?
近眼の人にはプレゼントしませんよ!高価だから
給料飛んでしまい 嫁さんに追い出されますから
763日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:42:44
帯方群と通じている倭=九州は30国しかない

つまり奴国は1つしかない

よって帯方郡〜奴國〜邪馬壹國と云う位置関係


女王国とは女王境界〜09邪馬壹國までの全エリア

かつての委奴国とは伊都國の事
76416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:44:30
対馬国も壱岐国も国内通過分を加えれば
ちょうど12000余里になるんですよw
邪馬台国は宇佐を中心とした大分県〜宮崎にかけてで
ほぼ決まりでしょうに。ってか>>759の表もおかしいですよw
女王の権力が及ぶ範囲なのに交渉もなく詳細不明だなんて
滑稽な話がありますかいな?交渉がないその他周辺の国というのは
つまり本州や四国のことを指しているのでは?邪馬台国が宇佐だと
したら海があり交流しにくいので周辺にあっても交渉が少ないと
みていいんじゃないですか?
765日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:48:29
帯方郡からの人間は嘗ての金印王朝であった委奴国=伊都國までしか行かない、行けない、行かせない
76616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 00:57:30
このスレはおかしなことをいう人だらけですねw
767プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 00:59:24
国交が無いのは本州(大国一族)ですよ
女王の直轄地は
(豊前・豊後・日向)の本領とその他十九国と不彌国・奴国です。

緯度的に都より南にある奴と不彌は委細をカキコしたが(烏奴〜斯馬)は、以北にある為省略した
省略理由は、直轄地だから
768プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 01:04:41
『委奴国』とは
『天照一族が治める国』の事です。
76916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 01:04:46
いずれにせよ、邪馬台国を宇佐を中心とした地域で
東遷したことは判明したのですしいいじゃないですか
77016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 01:08:05
プラムさん、中卒の僕が言うのもなんですが
真っ当な大学へいって正規の教育を受けておられないのが
発言に滲み出てますよw
771プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 01:12:37
ヒッキー君


よくない!
この辺が曖昧になると、後にも先にも進めない
東征(侵略)は、大きく分けて二度起きた。

@卑弥呼の前の時代
A壹與から始まる二百年侵略 最後に神武が畿内に入り東征完了!
772プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 01:21:52
ま、
まっとうな大学出てちゃんとした教育を受けてもネェー
高卒程度でも
ここまで考えつくんですよそれを考えるとネェー
773日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:25:20
>>769
宇佐神宮は神武が立ち寄ったときに、ウサツオミ・ウサツヒメが
建てた足一騰宮が起源。
だから宇佐は倭政権の構成者・同盟者ではあるが、邪馬台国その
ものではない。
774日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:25:57
ウサツオミ→ウサツヒコ
775日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:26:03
>>763
委奴国=倭奴国だろ!!!
776日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:28:31
んじゃ委奴国=伊都國+奴國
77716さい中卒ヒッキー:2006/02/25(土) 01:33:22
なにをいってるのか
応神が神武なんですよ応神が祭られている宇佐神宮がやはり邪馬台国なんです。今朝生で天皇やってるんで見てみたら面白いですよ。邪馬台国に少しはからんでくるかも
778日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:34:09
神武≠崇神≠応神
779日本@名無史さん:2006/02/25(土) 02:15:15
天照≠卑弥呼≠台与≠神功
780日本@名無史さん:2006/02/25(土) 02:29:57
いま、>779が正解を言った。
781日本@名無史さん:2006/02/25(土) 07:20:09

【使大倭監之自女王國以北特置一大率検察諸國諸國畏憚之】
782サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/25(土) 08:33:42
北部九州からみて、本州や四国居住の倭人をどう表現するか?
倭国の東は不適である。なぜなら本州や四国も倭国の一部であるから。
邪馬台国の東は不適である。なぜなら邪馬台国は北部九州の一国であるから。
九州東岸の国をあげるのは不適である。なぜなら九州東岸豊前豊後を統一支配している国はないからである。
北部九州の東は不適である。なぜなら北部九州のみをさす呼称はなかったからである。
しかしながら北部九州を統括している国はあった。
それは女王の治める邪馬台国である。しかし邪馬台国の東とはかけない。
それで北部九州を統括している国として女王国とかいたのである。
よって女王国の東とは女王の統括している北部九州の東という意味である。
783圭角:2006/02/25(土) 09:12:08
卑弥呼は三少帝紀には俾弥呼と記してあります。
つまりニンベンが付いております。倭人伝では卑弥呼ですが。
プラムさんとヒッキーさんの委奴と倭奴いずれが正誤かという議論の参考になれば
幸甚です。
78416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 09:33:51
サガミさん、そんなとんでも説ばかり言ってるので
邪馬台国の調査チームからはお呼びがかからないんですよw
78516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 09:41:23
圭角さんからも言ってやってください。
プラムさんが最近おかしいんですw
78616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 09:54:48
そもそも神武なる人物が実在だと
いい大人の皆さんがそんなおとぎ話を
信じちゃってるんですか?w
787太国:2006/02/25(土) 10:03:41
>>786
記紀、古史古伝とも記述はほぼ一致している。実在を疑うのはおかしい。
78816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:12:09
やだなあ、サガミさん、プラムさんに引き続き
太国さんまでへんなこと言い出しちゃってw
皆さん毎日こんなとこにいきててちょっと頭が
いかれてしまったのかな?では太国さん、
紀元前660年ごろに神武が東征して統一国家を
作ったのですか?なるほど。日本の歴史はそんなに
古かったのかw
789安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/25(土) 10:14:56
ところで、明日の安本先生の講演会行く人います?
790プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 10:15:09
いたって正常です。

邪馬臺『ヤマ・タ・イ(ヒ)』
(タ)が地名です
★天照一族(イ/ヒ)が治める広大な(ヤマ)国(タ)


邪馬壹(ヤマ・イ)
★天照一族の勢力範囲
79116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:17:38
安本氏の講演会ですか・・
若い僕がいっても浮いてしまうだけなので
やめときます。だいたいくるのは年配の
おじいさんばかりでしょうからw
792太国:2006/02/25(土) 10:20:34
>>788
2倍暦の合理性からおかしくはない。
793安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/25(土) 10:25:17
>>791
自分は行こうかと思っています。学生ですけども。
79416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:25:27
やだなあ、3世紀の時点でもまだ九州邪馬台国と
畿内大和朝廷の2元国家体制なのに、それより以前に
統一国家を打ち立てる神武東征なんてあったわけがないでしょw
東征があったとしたら卑弥呼より後の時代、つまり
応神のころだと考えるのが妥当なんですよ。なぜこんなこともわからないのか。。
79516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:27:26
>安曇さん
おおっ若い方がこのようなところにいらしたのですか。
僕だけかと思ってました。ぜひ講演会に参加なさって
どんなもんだったか感想を聞かせてください。
たぶんおじいさんばかりでその場にいるのが恥ずかしくなる
気がしますがw
796安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/25(土) 10:31:19
>>795
OKです。ついでにあなたよりも しt(ryです。
797太国:2006/02/25(土) 10:31:52
>>794
神武勢が東へ来れば九州が空く。そこに女王国が勢力を張ってもおかしく
はない。w 記紀も古史古伝等も記述が大略合致していることから、
疑うのは合理性が見当たらない。
79816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:38:27
神武は九州を出るときは兵力はほとんど
もっていなかったでしょうに。吉備や安芸で
ほとんど兵を集めたんじゃなかったっけ?
そもそも吉備や安芸が神武に味方する理由も
ニギハヤヒが神武に恭順する理由もわからないんですがねw
ただ単に天皇家には徳があることを強調したかっただけの
フィクションだと考えますがw
79916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:39:35
>>796
僕より年下なら中学生ですか?
いやあ、同世代の人がいてなんかうれしいです
800太国:2006/02/25(土) 10:46:19
フィクションならば記紀も古史古伝も一致する箇所はすべて空想小説となる。
太安万侶、舎人親王も古史古伝の作者全員が小説を創作したことになる。
そこまでいい加減ではない。
それを主張するには資料、文献等を指し示して、納得可能な論拠を持って
こなくてはならない。それがなくそういうことを言っているのは
先の総理の言葉じゃないがガセと云われて某人のように立つ瀬がなくなる。
80116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/25(土) 10:58:17
これはしたり、
神武東征こそガセでしょうに。
太国さんのいう1世紀に神武が東征したなんて
いう裏付けがとれているのですか?
記紀にも古史小伝にも書かれてるからといってそれが
真実ではないでしょうに。では僕が神武東征がガセだと
考える根拠を提示いたします。書記にでてくる崇神天皇17年の記述です。
「今、海のほとりの民、船無きによりて甚だ歩運に苦しむ。それ国々
に令して舟を作らしめよと。冬10月に始めて舟を作る」
こうかかれています。崇神天皇のころに始めて舟を作る?
この当時ですらこの程度の造船技術しか畿内にはなかったと
書かれてるのにそれより何百年も前に九州から神武が東征してる
わけないでしょ。記紀の記述は矛盾だらけですよ。信憑性に欠けます。
802太国:2006/02/25(土) 11:03:09
神武天皇の兄弟らは常世国へ渡っているから、相当遠方まで航行は可能だ。
80316さい中卒ヒッキー:2006/02/25(土) 11:14:45
僕が言ってるのはそういうことではありません。神武の時代の造船技術が後世に伝搬されてないじゃありませんか。このようなことはありえません、つまり神武東征などガセです。太国さん、民主党じゃあるまいししっかりしてくださいよ~ヽ('ー`)ノ~
804太国:2006/02/25(土) 11:27:34
常世国等へ行ったことで、神武の兄弟稲氷命、三毛入野命がエジプト
のイナヒ王、ミケーヌ王だとの説がある。
早大の吉村教授のTV番組での説明だと、死後の国へ旅路する宗教的目的
からの木製の大船も遺跡から出ているそうだ。w
さらにエジプトから菊の御紋章も出ている。これなど東京上野の博物館で
公開され、余も現物を見させてもらっている。いい加減な物ではない。
さらにだ、「エジプトマヤ」を逆読みすると「大和富士絵」と読める。
マヤは女王国の二文字と合致しており)(馬邪)、おまけに

真矢−−−−−−−→矢的

となり、常世国と日本の連結性が分かる。ww
805圭角:2006/02/25(土) 11:33:47
鉄器の東漸や九部九州の文化の東への遷移こそが
神武東征や邪馬台国東遷の下地になっているものと思われます。ガセ論に賛意です。
806太国:2006/02/25(土) 11:59:21
そのくらいの思うではガセ論にはならぬ。
国会での例の論議でイハレた如く納得できる資料をもってこられないんではねぇ〜。
でないと、某党の某さんのように太安万侶が多大に迷惑する。
80716さい中卒ヒッキー:2006/02/25(土) 12:10:26
太国さんまで頭おかしくなっちゃった。°・(>_<)・°。しょうがないから麻雀でもしてこよう
808プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 12:52:47
私も
神武東征は、ガセではないと考えます。
神武は最後の仕上げ
二百年掛けて、やっと畿内に侵略できたのです。
それが五世紀末(日本誕生)

二世紀末、総統ニニギの戦死により、やむなく本州撤退を余儀なくされ
九州のみと成った“天照一族の本州侵略リバイバルです。
809日本@名無史さん:2006/02/25(土) 13:13:02
神武天皇は紀元前1c〜紀元1cだろ
810日本@名無史さん:2006/02/25(土) 13:15:53
なんだ太国も1cだと思ってるのか

御前はセンスのある奴だ
811太国:2006/02/25(土) 15:17:11
>>810
神武はB.C.100年前後ですね。
812日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:04:53
根拠不明なナンセンスな奴らだなw
813日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:12:47
後漢書倭伝

建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自大夫倭國之極南界也光武賜以印綬
                          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見



つまり後漢書の建武中元二年の倭国の範囲はここまで、当時の倭国は七国!!!
┌――――――――――┬――――┬―――――┬――――┬――――┐
│  帯方郡〜01狗邪韓國│七千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│狗邪韓國〜02對馬國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  對馬國〜03一大國  │  千余里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  一大國〜04末盧國  │  千余里│   ↓   │水行十日│水行十日│
│  末盧國〜05伊都國  │  五百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  伊都國〜06奴國   │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│   奴國〜07不彌國  │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│   奴國〜--女王境界│千四百里│萬二千余里│   ↓  │   ↓  │
├――――――――――┼――――┴―――――┤   ↓  │   ↓  │
814日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:24:08
単に記述が間違っているだけでしょ だから本当の事はわからない ただ想像するだけ
815プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 17:31:54
>>813
違うぞな!

【使驛通於漢者三十許国】後漢時も魏時も変わらず三十国

それに、女王国は後漢末期〜
816日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:33:34
倭王讃が履中・仁徳・応神のいずれにせよ、応神は4・5世紀の交の
ころとなる。これは好太王碑の391年の倭の渡海=神功の半島遠征
からも無理は無い。
その5代前が崇神となるが、1代30年として150年前、すなわち
250年ごろとなる。これも台与=トヨスキイリヒメの年代と合う。
その10代前が神武だから、ほぼ紀元前1世紀から紀元1世紀のころと
考えられる。
その10何代前が日本の始まりだが、これも弥生時代の始期と合う。
81716さい中卒ヒッキー:2006/02/25(土) 17:51:24
皆さんいい年しておとぎ話なんて信じちゃってるんですか?(*^_^*)
818日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:56:09
建武中元二年AD57の金印王朝連合が7ヶ国

女王国は景初二年AD239に認められる事になる新金印王朝連合21ヶ国

残り二ヶ国が30狗奴國 + 08投馬國

で計30ヶ国
819日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:09:41
温故知新 過去は甘酸っぱい、将来は何とかなるようで。
820日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:31:49
一応、このスレの為に答えを書くと、
邪馬台国は「阿波」です。
卑弥呼は、本来日尊(ヒルメ)命、日神子(日巫女)のことです。
皇統に繋がる日尊命、豊ヒルメ命(豊玉比売)は、
日本のどこにいたのか。それは阿波の国です。
821日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:00:46
あわわわ・・・・
822日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:41:52
オヨヨ・・・
823プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 22:25:56
あーっ!

子供会の副会長になってしまったー!
824プラム ◇RvhHf7kqyY:2006/02/25(土) 22:28:38
すいません誤爆しますた
825プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/25(土) 22:41:08
>>824
トリップが異常ですよ!
826日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:30:52
2ちゃんねるって自由な掲示板じゃないの?

 近頃、初心者さんが増えてきたので、お約束をつくってみました。
 基本的には、ユーザーの良識に任せたいのですが、
 「明文化したルールがない」ということを逆手にとってなにをしてもいいと誤解する人が多いので、、、

お約束・最低限のルールって?

 必要以上の馴れ合いは慎しむとか、
 暴言や第三者を不快にする書き込みはしないとか、
  
ほかに気をつけることは?

 まず、他人が見て面白いことを書きましょう。大勢の読者がいることを意識してください。
 サーバやシステムのリソースは無限じゃありません。
 スレッドを立てる前に、同じような内容のものがないか確認するのも忘れずに。。。
 データ量をむやみに増やしたり無駄にスレッドをあげたりすると、
 「荒らし」と呼ばれちゃうこともあります。

827日本@名無史さん:2006/02/26(日) 02:20:59
なんだプラムさんは子持ちか。
828日本@名無史さん:2006/02/26(日) 06:52:34
>>827
プラムは老人ニート。言葉が悪かったかな? 言い方を変えれば年金生活者。
1日中、暇なのさ。だから、相手をしてやってね。
829日本@名無史さん:2006/02/26(日) 08:48:17
>>804
なんたら半コックの神々の指紋っていうガセ話みたいだな
しまいにはアトランティスが出てくるぞ
830日本@名無史さん:2006/02/26(日) 08:50:34
後漢書倭伝

自女王國東度海千餘里至拘奴國、
自女王國南四千餘里至朱儒國。 人長三四尺。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自朱儒東南行船一年、 至裸國、黒齒國、


後漢書倭伝writerは、女王國の「南」に朱儒國があると認識している


ならば倭奴國は倭國之極南であるのは
建武中元二年の時点での話じゃないのか


やはり後漢書倭伝writerが倭国と捉えてる範囲は魏志倭人伝の7国じゃないのか?


それとも倭奴國以北に後に女王国と呼ばれる国々がなければならないのか?
831サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/26(日) 08:51:49
>>784
けど正論でしょ。
832太国:2006/02/26(日) 08:53:45
貴殿のいうとおりかも知れない。w
しかし、エジプトに菊花御紋章が出てるのは事実。
余も博物館の特別展でこの眼で確認している。これは厳粛なる事実だ。
その指紋の書は余は読んでないので分からない。
833日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:06:52
>>832
えー読んでないの?出版時ベストセラーだったよ。
博物館の特別展のあった年新宿でも乗っかり企画で展示があって
そのトンデモぶりを堪能しました。
文明のキーワードは太陽だと。
おきまりのムーなお話になっていってて金返せな落ちで楽しめた。
834プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 09:09:32
>>830

『倭国之極南界也』

倭奴国⇒列島を支配する
(九州島)

★九州島は列島の一番南に位置する。
(地理的位置情報)


後漢時女王国の東(度海千里・西四国)にあった拘奴国
は、魏時には
『女王國東渡海千餘哩復有國』
835太国:2006/02/26(日) 09:10:23
博物館も豚デモがあるよねぇ〜。w
836太国:2006/02/26(日) 09:15:58
余は「ムー大陸」っていうのはあんまり信じちゃぁいないんだ。w
837日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:18:35
整理しとこう

   倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國。
自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、
――――――――――――――――――――――
   建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、
倭國之極南界也。光武賜以印綬。安帝永初元年、
倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。
――――――――――――――――――――――


1、建武中元二年記事の倭国とは、かつて通じていた(?)凡百餘國全てを指し、
  倭奴國がその凡百餘國中で最南である。

2、建武中元二年記事の倭国とは、後漢書執筆時点で通じている三十許國を指し、
  倭奴國がその三十許國中で最南である。

3、建武中元二年記事の倭国とは、
  建武中元二年AD57時点での金印王朝連合(魏志倭人伝で云う)7国を指し、
  倭奴國がその7国中で最南である。
838日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:29:46
>倭奴国⇒列島を支配する

じゃあ倭奴国は最低凡百餘國を支配してたの?統一政権??根拠は?
839日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:29:52
>>836
あんまりって、そんなのはなから信じるなっ。 邪馬台国まで超国家にしないでね

ちなみに国立博物館の名誉のために言っとくけど、同時開催なんたら半コックは伊勢丹美術館。
しかしNHKエンタープライズ協賛。
840日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:37:02
列島っていってもどの範囲なんだかな
統一政権は厳しいんじゃないの
841日本@名無史さん:2006/02/26(日) 10:01:42
後漢書が出来たのはもっと後だろヴォケ>>837
842日本@名無史さん:2006/02/26(日) 10:05:09
んじゃ当時
843プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 10:06:40
>>838
『倭奴国』は一つの国を表す訳では無い。
『倭/ワ』⇒広がりを表す 『奴/ナ』⇒作りだす・支配する
⇒後漢時、属国として認可された三十国【三十許國】

『倭』は、その支配面積により変化する
『倭』⇒『大倭』
この場合『倭』が侵略行為により『大倭』に成った事を意味する。

AD57年の朝見は、
三十国体制『ヤマタ』の代表が『自称』大夫として朝見した事をカキコ

『倭』⇒中華からみた属国列島
だからと言って、列島全てが属国に成った訳では無い。『倭奴国』⇒属国三十国体制は列島の南にある
と、書いてある
844日本@名無史さん:2006/02/26(日) 11:10:10
倭奴国って国名でしょ?

じゃあ其大倭王居邪馬臺國の「邪馬臺國」は国名じゃないって云うの?

大倭だから、倭奴国が侵略して邪馬臺國を建てたと言いたいの?

その言い方だと侵略後が30国じゃないの?じゃあ侵略前は30国じゃないよね。
845プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 11:26:06
>>844
邪馬台国も倭奴国も
一固有の国名ではない。

それに、一固有の名詞だと何処でその知識を得ましたか?

倭伝に記載されている(人名や国名)は、
一固有の名詞と、とらえるよりも、『形容動詞』として 取り組んだほうが
すっきりする
846日本@名無史さん:2006/02/26(日) 11:39:30
魏志倭人伝では国名扱いじゃまいか

>>759-760

│  末盧國〜05伊都國  │  五百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │
│  伊都國〜06奴國   │   百里│   ↓   │   ↓  │   ↓  │

│  斯馬國〜09邪馬壹國│道里可得略載不可得詳│陸行一月│   ↓  │
847プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 12:06:03
>>844
【概略】
列島は紀元前二世紀末(自武帝滅朝鮮)以前“大国主一族”が、その大部分を支配(分為百餘國)していた。
そこに半島より“天照一族”が侵入(天孫降臨)九州に『ヤマタイ三十国体制』を築いた。
その“ヤマタイ”はAD57年後漢朝に朝見し、正式属国になり“大国主一族”とは一線を引いた
属国ヤマタイは、支配拡大の為元大国主領域に侵略(第一次東征)


続きは後で!
84816歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 14:04:27
サガミさんもプラムさんもおかしいですよw
やっぱりちゃんとした大学で歴史を専攻してない人は
でたらめになるんだな・・
84916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 14:25:23
>サガミさん
松本清張ですか?
女王国は邪馬台国のことですよ。
しっかりしてください。
僕が前に説明したレス読んでくれてないでしょw
850プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 14:39:57
狗邪韓国⇔対馬国って何里あるの?


大学行って史学をちゃんと勉強すると『九州説や畿内説』にわかれ
箸墓が“卑弥呼”の墓だ!と、言い出すの?

馬鹿らし!
85116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 14:43:22
プラムさん、もっとアバウトに考えたほうがいいですよ。
我々が思ってるほど当時の人たちが正確に何里とか
測ったわけないでしょ
852日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:43:40
千余里じゃねぇ?
853プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 14:59:47
>>852
もう一度倭人伝見てみな!そんな事書いて無いから。

>ヒッキー君
もっとアバウトに考えると『高木説』になるのかい?
85416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 15:06:55
>プラムさん
いえ、では「ヒッキー説」の
国内里数消費説を支持したいと思います。
倭人伝の記述はどこの国からどこの国までで
何里という書き方をしているので国内移動の際の
里数は書かれていません。なのでこの分を加えると
帯方郡から女王国まで12000余里になるのです。
不弥国までは10700里程度ですがね。
邪馬台国は不弥国と隣接しているので、水行陸行は
帯方郡からの総日程で書いてあるのです。
855日本@名無史さん:2006/02/26(日) 15:06:59
始度一海千餘里至對馬國
856プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 15:55:38
『卑弥呼』ってなぁーに?

★人の固有名詞ではありません。
現在に例えるなら“天文ヲタ”
『卑』⇒卑しい
『彌』⇒離れた天体・太陽『呼』⇒叫ぶ

(卑しく太陽に呼びかける)
皆既日食の太陽を呼び戻す行為を文字で表した。
彼女は、神と王の間に位置し“神の使”とし
王も平伏す絶大な地位を確立した。

彼女は天体現象を知っていて、それら現象を利用し最大のイリュージョンを、王や民の前でパフォーマンスしてみせた
85716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 16:14:07
プラムさん本当に頭がおかしくなっちゃったw
それって単なる当て字なだけなのに・・
858プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 16:23:48
>>855
すると
起点が狗邪韓国で、着点が対馬……千餘里ですか?

【到其北岸狗邪韓国七千餘哩】…魏志 倭人伝…

【七千餘哩始度一海海闊千餘哩名瀚海】…梁書 倭…
【七千餘哩始度一海又南千餘里度一海闊千餘里名瀚海】……北史 倭…


狗邪韓国どころか対馬の文字も消えます。
着点「対馬」はともかく
始点の設定は狗邪韓国ではありませんね!
859プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 16:27:30
>>857
ヒッキー君

漢字は当て字ですよ!
しかし「ヒ」「ミ」「カホ」の『音』も当て字ですか?
860日本@名無史さん:2006/02/26(日) 16:30:43
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、
漢時有朝見者、今使譯所通三十國。

從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、
到其北岸狗邪韓國、七千餘里、
始度一海、千餘里至對馬國

――――――――――――――――――――――――
対馬まで千餘里じゃん
86116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 16:39:44
中華思想で賎しい字を当ててるだけですよ。
文字自体に意味などありません。しっかりしてくださいプラムさん
86216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 16:42:28
ってか邪馬台国は宇佐でしょうに。
否定する人は早く理由を述べてくださいよ。
863プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 17:03:07
ヒッキー君
では

「ヒ」→日
「ミ」→離れた
「カホ」→操る

これが言意です。
足らない部分は誰か追記を
このヒミカホ→ヒミコに当てられた字が「卑彌呼」
当時の歴史学者は、倭語を熟知していたんですね!

『不彌』→フミ
不→否定
彌→遠い所(天体)

太陽が昇るを否定し
(太陽が沈む)
86416さい中卒ヒッキー:2006/02/26(日) 17:11:31
そりゃプラムさんの思い込みですよ。卑弥呼という名前にまで意味があるとはかんがえすぎでしょう
865プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 17:16:30
ヒッキー君
『宇佐否定』する前に

豊後伊美郷の人々が伊美別社に『八幡分霊』する折
近くにある八幡本家を差し置いて
山城岩清水八幡からの分霊をしたのでしょう?
866プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 18:08:01
ヒッキー君

>>861 >>864
の、意見は単なる思いつきでしょうか?
違うのであれば、その理由をカキコしてね!

>>862
マジに答えていただけるのでしょうか?
867プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 19:38:34
>>860
そうです
起点から対馬までは千餘里ですよ!
そして
郡からその「始点」までは七千餘里です。
始点=狗邪韓国と、した場合その前文【乍南乍東】をどのように解釈するのです。
【乍南乍東】の前文は【歴韓国】です。
868安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/26(日) 21:27:14
今日安本先生の講演に行ってきマスタ。論旨はとても明快でした。若者が自分
しかいなかったことが気に掛かりました。報告しときます。
869安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/26(日) 21:43:21
プラム氏、あなたは細部にこだわるあまり、「大局」をわかってないん
ですよ。また「最低限、これくらいは共通認識としろ」さんの降臨が期
待されますね。他の名無し・コテハンが何を言っても無駄でしょうから。
87016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 22:07:40
>安曇さん
おおっ行ってきたのですか!!
僕は地方に住んでるのでいけませんよ。
やはり若者はいませんでしたかw
その中よく頑張りましたね。面白かったのですか?
それはよかった。プラムさんはほんと細部にこだわりすぎで
対極を見失ってますよね。僕もそれは再三指摘してるのですが
日に日におかしくなる一方なのですw
871プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 22:25:05
>>869安曇さん

アリャリャ!
>もっと大局だって

確か一年ほど前
『プラム
文献は 大局だけで全てが片付く訳では無い もう少し細部の勉強をし出直せ』と

一年経ったら『大局』だって
>>847の概略を細部と言いますか 安曇さん
貴方も一年すれば解ります。
他人の説は自分で努力し崩す
872安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/26(日) 22:29:04
>>871
あなたが言ってることがあまりにも飛んでて、レスの付けようがないんですよ
。畿内説にしろ、九州説にしろ、「大局」を見失ったら終わりです。
87316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 22:29:15
サガミさん同様、邪馬台国にはまりすぎると
徐々に思い込みが激しくなりおかしくなるんだなw
僕も気をつけねば・・
87416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 22:30:35
プラムさん、はっきり言わせてもらうと
貴方の書き込みをみてるともう完全に異常者ですよw
毎日こんなこと書き込んでるなんてなんかの
宗教にはまった人みたいです
875太国:2006/02/26(日) 22:35:26
>>873
WW!
876プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 22:39:05
安曇さん

貴方の言われる『大局』ってなんですか?
ご披露あれ!
87716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 22:41:40
プラムさんはこの字はこういう意味があるとか
そういう細部にこだわりすぎです。そんなもの
当時の人でもないかぎりわかりゃしませんよw
878プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 22:51:02
ヒッキー君

正しく『あ』『い』『う』『え』『お』と、発音してみたら

文字の無い時代でも『音』は存在しており
何時の時代も変わらない
87916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/26(日) 22:52:44
プラムさん、それは言語学者の領域でしょう。
素人が口をはさむものではないですよ。
生兵法は怪我の元とはまさにこのことです。
880プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 23:07:42
ヒッキー君

そうですよ!
これを避けたら全てが闇の中 唯一生で経費のかからない考古学ですから

これから何度も大怪我をするでしょう
嫌だったら止めればいいだけ
881プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/26(日) 23:27:08
太国さん

『ひふみ』は楽しいです。でも、
ヤッパリ『電波』扱いされますね あっはっは


何故神に使える『司』が
『ミコ』と『シント』しか居ないかも解りました
882日本@名無史さん:2006/02/26(日) 23:27:22
せんでん

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/

大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html
883プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 00:02:35
陳壽は何故『魏書』に倭人伝を記したのか?


答えはいたって簡単
倭人伝を記するだけの十分な資料が当時現存していたからです。
88416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 00:02:43
やはり学歴ない人はいうこともめちゃくちゃだと
わかりましたwちゃんと勉強していい大学いかねば。
885プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 00:12:41
ヒッキー君

君のレス見ていると悲しくなる
頑張ってね!
しかし
大学行く前に、ちゃんと社会復帰しないと親御さんに迷惑かけるよ
886日本@名無史さん:2006/02/27(月) 01:01:12
プラムさんとヒッキーさんが、何か、いちゃいちゃしてる!!
887狗奴 ◆5dMQZo6/zY :2006/02/27(月) 01:10:14
>末慮国⇒博多湾のどこか(国というより村、四千余戸)
>伊都国⇒大宰府付近(国というより機関、千余戸)
>奴国⇒宇美川以西の福岡市あたり(2万余戸)
>不弥国⇒宇美川以東の福岡市あたり(村、千余戸)
>投馬国⇒熊本市あたり(5万余戸)
>邪馬台国⇒佐賀市を中心に筑後川流域一帯(7万余戸)
>其の余の傍国⇒不弥国から九州北〜東岸沿いに延岡あたりまで連なる村々
>狗奴国⇒宮崎市〜八代あたりまで勢力圏
888日本@名無史さん:2006/02/27(月) 04:15:56
>>867
> >>860
> そうです
> 起点から対馬までは千餘里ですよ!
> そして
> 郡からその「始点」までは七千餘里です。
> 始点=狗邪韓国と、した場合その前文【乍南乍東】をどのように解釈するのです。
> 【乍南乍東】の前文は【歴韓国】です。


だれかこのヴァカの言いたい事を翻訳しろ
889プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 07:09:56
>>888

【歴韓国】【乍南乍東】の条件を満たす狗邪韓国って何処ですか?
そのように聞いてます。

そのような条件を満たせる場所が陸地に存在していなければ『起点』は
狗邪韓国ではありませんとも、言っています

解りましたか
890プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 07:40:41
そんな事より
奴国=博多湾付近の証明さえ出来れば
女王の都は直ぐ解る
後千数百里

奴国の東に不彌国何だから不彌の東に女王の都
891日本@名無史さん:2006/02/27(月) 07:54:51
死国説が気になるあなたへは↓
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm
892日本@名無史さん:2006/02/27(月) 08:14:06
釜山あたりだろヴォケ
89316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:40:33
東へ東へと進んでることから
なぜ宇佐が邪馬台国だとわからないのか・・
女王国の東に海があるのも宇佐だし
宇佐神宮もあるしここが最も邪馬台国臭いじゃありませんか
894日本@名無史さん:2006/02/27(月) 11:26:24
空撮写真的にも無理は無い
895プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 11:41:32
宇佐より少し上り日豊本線でゆられると、宇佐より面白い所がある
国内消費などというマジックはいただけません。
その分野は
引田さんにまかせましょう。
伊都から残り千五百里です
89616さい中卒ヒッキー:2006/02/27(月) 11:55:53
なぜですか?国内消費を考慮するのがもっとも合理的な解釈だと考えますが。
897プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 11:57:13
宇佐神宮より住吉神社に、興味があります。
住吉神社って不彌国みたいで興味深々!
898プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 12:24:01
ヒッキー君の国内消費説の矛盾点は、往路の矛盾を全てゴール手前で解決しようとしたこと
帯方郡からスタートし、女王の都にゴール 12000里
では、
女王の都から
今までの経緯を全て白紙に戻した状態で里程を
説明できますか!
勿論白紙ですから『国内消費説等使えません』

どうです。
これが旨く出来れば、かなりの指示を集める事が出来ます。
899プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 12:33:50
往路で説明出来る人は、復路も説明出来る筈
この地理志が
行程記事も兼ねてるとすれば
畿内説諸氏も
試してみて下さい。
90016さい中卒ヒッキー:2006/02/27(月) 13:24:19
プラムさんの言ってる意味がわかりませんね往路?復路?えっ??
901日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:26:33
箱根駅伝だよキミィ
90216さい中卒ヒッキー:2006/02/27(月) 13:34:34
往路も復路もありませんよ。倭人伝に書かれてるのは往路のみのことについてですよ、しっかりして下さい。プラムさん
90316さい中卒ヒッキー:2006/02/27(月) 13:41:19
二つの奴国についても次に・・の文章が奴国までの道順だという僕の説を適用すれば別物だとわかるでしょうに。
904日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:44:39
よし!奴国は二つ!
905プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 14:23:29
奴国は一つ

これは韓伝からの引き継ぎです
906日本@名無史さん:2006/02/27(月) 14:45:24
よし!奴国は一つ!
907プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 15:31:52
女王の都→斯馬国〜烏奴国の次に登場する『奴国』迄は、
女王の都から博多にある『奴国』(二万餘戸)までの道順路

これで全ての行程(郡から女王の都)が揃いました。
チャンと行程がカキコされているので、伊都国や不彌国から女王の都まで“ワープ”しないの!

めでたしめでたし!
908日本@名無史さん:2006/02/27(月) 15:44:51
あぁー、例えば
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wacomp.html
ここの太平御覧 魏志倭人伝の所に

>其屬小國有二十一皆統之。

ってあるでしょ


すると、21国は、魏志倭人伝の側で云う斯馬國〜奴國までをカウントしないと21ヶ国にならない

とすると「小國」であるから、以前に出てきた二萬餘戸の奴国とは別の国であると


こう云うのはどうだろ?>>907
909日本@名無史さん:2006/02/27(月) 15:59:45
えー郡と通じているのは30国

邪馬臺國に属している21国が
魏志倭人伝で云う21国(斯馬國〜奴國)とするなら

奴國をダブルカウントするんだから
拘邪韓國〜奴國A〜奴國B〜狗奴國までで31国になる


とすると30国から漏れてるのは
韓土の拘邪韓國なのか、女王に服しない狗奴國か
910日本@名無史さん:2006/02/27(月) 17:23:27
>其八年、太守王[斤頁]到官。
>倭女王卑彌呼 與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。


「倭」   「女王」 「卑彌呼」與
 ↑     ↑     ↑
 ↓     ↓     ↓
「狗奴國」「男王」 「卑彌弓呼」素不和


つまり狗奴國が倭30国じゃなかったんだ!!


                                 ナ、ナンダッテー>Ω、ΩΩ
911太国:2006/02/27(月) 18:16:16
>>881
去年の9月号のムー誌の『禁断の古史古伝「物部文書」の謎』に少しヒフミの
記事がありましたなぁ。w
これを研究するに超したことはありませんが、積極的に古代史の論文の展開を
やるには向いていませんが、相手の論証を減殺するのに役立つことがあります。
軌道がそれるとデンパ扱いされますから、出すには十分注意が必要です。
それは上手に使えばえらく効果があることがありますが、2chには史学では
不向きです。論に耐えられたり特別な役立つことが可能ならばこれら関係スレ
に出しても効果があるとも云えます。
912プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 18:29:46
>>908
【其屬小国有二十一皆統之】
この文は太平御覧『倭人伝逸文』だけに見掛ける文のようです。
『紹興本・紹煕本』には、その文章を見掛けられませんので
何とも言えませんね!
編纂者であるリホウの独断解釈ともとれますから

狗奴国は属国三十国の一つでしょうし、もう一つは【朱儒国】と考えています。
913日本@名無史さん:2006/02/27(月) 19:10:19
まともな史家は、誰かさんと違って、原文を改変したり、
都合のよいところでぶった切って引用したりはしないと思うぞw
914プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 19:20:19
>>913

>原文の改変
>都合でぶった切り


★何処でそんな出来事があったのかな?
教えてくれよ
それは誰だい? えっ!
915日本@名無史さん:2006/02/27(月) 21:10:15
>>914
貴方が他人のレスを引用するときのことじゃないかな?
916プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 21:31:13
>>915
なるほど!
丸ごとコピーしてる訳では無いので
間違いが多々あることは確か 気をつけてはいるんだが
年取ると記憶力が鈍るね
917プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 23:22:56
>奴国のダブルカウント

★まともに考えれば有り得ない事
馬韓も弁辰韓でもダブルカウントか?

同じステージ、同じテーブルに「同音」の国があったなら文字は別にするだろう「当て字」なんだから
918日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:25:44
卑弥呼の墓って巨大古墳なんでしょ?
それを探せばいいんじゃないの?
宇佐にあるの?
919プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 00:01:53
>>918

何かの間違えでは?
そんな事何処にも書いてありません。
920日本@名無史さん:2006/02/28(火) 00:36:19
卑弥呼以て死す。大いに塚を作る。径百余歩、殉葬する者、奴卑百余人

卑弥呼が死んで直径100歩の墓が作られたって書いてあるじゃん。
しかも100人生き埋めにさせられたって。
巨大古墳から人骨が沢山出てくるところが卑弥呼の墓だよ。
92116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 01:00:38
もうプラムさん、奴国の件まで僕の意見に反論するのですか?
国内消費説も意味不明なこといって否定して・・
卑弥呼の墓なら魏からもらった品々が出てくるはずです。
特に魏の黄憧?なる旗がでてくるものと思われます。
奴国の件に関しては次に・・の文の最後に奴国がでてくるとこから
奴国は邪馬台国からかなり遠く離れたところにありますよ。
また>(魏の)使者が通じている所は三十国である。
倭人伝のこの文章から狗奴国は邪馬台国連合の敵国なので除外されます。
なので奴国がダブルカウントされ30国になるのです
92216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 01:07:52
いや、やはり旗はでてきませんw
スマソ
923藤村新一:2006/02/28(火) 02:14:49
俺が埋めとくから安心しろ
924日本@名無史さん:2006/02/28(火) 02:17:54
>16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc

mixiの原田実邪馬台国コミュで書かれた内容を盗作してないか、おまえ?
925日本@名無史さん:2006/02/28(火) 06:44:29
>>921
狗奴國が敵国でカウントせずで、奴国が2つ、
じゃあ拘邪韓國はカウントして良いの?委員だね?

>>912
拘邪韓國は?拘邪韓國の代わりが朱儒国って事?


>>911も固定なんだから一応
奴国が幾つあるか言ってよ、その場合の拘邪韓國と狗奴國は?

926プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 07:44:58
>>920

【大作冢徑百餘歩】
一歩=二十五a前後
大作=沢山作る(古墳群)百人分の墓と共に

沢山ある墓の一つが卑弥呼の墓、その大きさは約25b周りにある無数の墓が、その時の殉死者
927サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 08:01:58
>>920さん、小城市小城公園の桜ヶ岡が条件にぴったしです。
けど、生き埋めにしたとはどの資料から?

プラムさん、一歩=ニ十五センチって赤ちゃんのですか。
928920でない名無史さん:2006/02/28(火) 09:28:23
>>927
垂仁天皇廿八年記事を参照すると、生き埋めにしたとの解釈が可能ですね。
倭彦命が死んだ時、生き埋めにされた殉葬者が何日も死なず、夜も昼も
泣き喚いた、やがて死ぬと、犬や烏が食い荒らした。その悲惨さから、
殉葬が禁止され、埴輪を置くようになった。倭人伝の記事だけからは
生き埋めとは解釈できません。
92916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 09:33:58
盗作?失敬な。自分のカキコを盗作というんですか?
あれを書いたのも僕自身なのですw
93016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 09:35:10
サガミさん、そのようなところが
卑弥呼の墓であるわけないでしょw
公園?目を覚ましてください
931プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 09:40:56
>>927サガミさん

自然体の歩幅って、どんなに進んでも三十aがいいとこ 自分で試してみたら! だから
『歩』の字は
止+少なんです。

これはあくまで私見ですが!
象形文字から出来た字ではないとおもいます。
測量の根本は、自分の身体を使う事ですから

『一歩の起点は止まっている足、着点は動いた足が着地した場所』
すると
その幅は、自分の足のサイズ〜(少し+α)した程度に落ち着きます。
932サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 09:47:28
私の一歩(日本風)は70cmです。
なお中国の一歩は、日本の2歩にあたります。

しかし、倭人伝の行路記事のとおりにいくと、小城につくのですから。
そこに倭人伝の記述通りの岡があれば、そこが卑弥呼の墓でしょう。
93316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 09:58:36
倭人伝の行程とおりだと宇佐だと説明したでしょ。
そもそも卑弥呼ほどの人物の墓が名もない公園内に
あるわけないでしょw小城が当時の都なわけないでしょ
7万戸もそんな小さいとこにいるわけない。
サガミさん、早く我に帰ってください。
934太国:2006/02/28(火) 10:16:32
当時は公園じゃなかんたんでしょう?
93516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 10:36:07
卑弥呼といったら今の天皇陛下クラス
いやそれ以上でしょうに。
それが今や小城の公園に眠っているのですか?w
936プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 11:00:00
>>932サガミさん

その70aは自然に出せる歩幅ではないですよ!
それでは測量基準になりません。


>中国の一歩は日本の二歩
★そのモトネタは?
93716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 11:07:24
プラムさん、また病気が始まりましたねw
そのような歩数などで卑弥呼の墓など
確定できるわけがないでしょ。発掘調査を
待つしかないですよ。意味のない議論です。
938プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 11:20:41
>>937
ヒッキー君

もういい加減、推定で議論するのは止しましょう。
倭人伝に、『徑百餘歩』とカキコされていて
それについて各住人が意見を述べているのです。

>発掘しなければ解らない
★その通りです。
しかし、発掘すれば解るのですか?
既に調査が済んでいる可能性もあるのです。


>大学出てないからどうのこうの…
君の決まり文句ですね!
そんな事関係無いでしょう。
全てをさらけ出している場所じゃないんです。
93916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 11:23:33
徑百餘歩も曖昧すぎてわかりゃしませんよ。
魏の使者が歩いてだいたい百歩くらいだったかも
しれませんし、もしくは一歩が何メートルだという
基準がありそれをもとにすると百歩くらいだったかも
しれません。そもそも百歩というきりのいい数字も
うさんくさいですしおおよその数字と見るべきでしょう。
なので詳細な議論など不毛ではないかと言った次第であります。
940プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 11:38:03
ヒッキー君

>不毛

★確かにそのような推測が成立するかも知れません。しかし、【徑 百餘歩】と記述されている以上
曖昧にすることは好ましくないと考えます。

『周や可』ではなく『徑』を使用しています。
94116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 11:49:10
プラムさん、僕がなぜこのようなことをいうのかというと
1800年も昔のことを現代の僕らの認識で考えても
しょうがないと思うからです。1800年前の細かいことなど
わかりっこないです。大局的なことを考えるのがいいと思います。
942プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 11:55:57
でもそれって、
このスレに参加することを、否定しているのと同じ事では?
大局を述べた所で、『1800年前の出来事ですから』
で、全て片付いてしまいます。
歴史を語る事全てが無意味ですね
94316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 12:00:45
いえそうはいってませんよ。
プラムさんの言ってることは細かすぎて不毛だということです。
一週間前に夕食で何を食べたかとかそういうレベルの話ですw
944プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 12:17:15
>私の表現が細かい

★そうですか?
かなりおおざっぱにカキコしてるつもりですが!

でも、ヒッキー君の言わんとしていることは十分理解出来ます。
以前の私がそうでしたから以前はそれでよかったけれど、何時までも
そんな事繰り返す訳にもいきません
第一、スレの流れに付いて行けなくなりますし、広い範囲を掘り下げて議論することも出来ません。
945日本@名無史さん:2006/02/28(火) 14:49:24
細かくても大雑把でも、プラムさんとヒッキーさん応援age
946日本@名無史さん:2006/02/28(火) 15:16:36
不毛の議論ばかりでahoっぽく見えるなw
邪馬台国はココ宇佐にありました、って証拠がのこっているだろ?
さすがに境内裏の岩に刻まれた文様までピックアップした椰子はいまい
おまえら論語読みどもはモニターに向かっていつまでも吠えてなさいw
947日本@名無史さん:2006/02/28(火) 16:29:01
宇佐は単なる衛星国。
邪馬台国が宇佐にあったことはない。
大分県や宮崎県に邪馬台国はない。
948プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 17:14:54
邪馬臺(ヤマ・タ・イ〔ヒ〕)

ヤマ⇒大きな(広大な)
タ ⇒トチ(国名)
イ(ヒ)⇒太陽(日)天照一族

★天照一族が治める大きな(タ)国

だから
大国主の治める本州島とは違う地域!
詰まり、九州
天照一族が侵入する以前の九州・四国は、大国主一族狗奴国が支配する国だった
(記紀・後漢書参照)
94916さい中卒ヒッキー:2006/02/28(火) 19:17:39
プラムさんにはもうついていけません(>_<)
950日本@名無史さん:2006/02/28(火) 20:20:19
結局のところ、銅鏡百枚と親魏倭王の金印が
3世紀中ごろの墓から出ないと決着つかないんでしょ。
しかも径百余歩の冢なんてどでかいところから。
盗掘されてたら奴婢百余人の徇葬でもいいかも。

じゃあ、どこから出てくるか当てたら勝ちってことですよね。
東死国説の私は、阿波国の大麻山中腹1点しぼり。
(今なら万馬券!)
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

普通の阿波説だと八倉比売神社の古墳ですけど、
あれは時期が違うらしいからだめそう。

ほかの説だとどこだろう?箸墓とか?
951サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 20:27:01
>>933
七万戸は国全体の戸数で都の戸数ではありません。公園といっても児童公園ではありませんよ。
952サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 20:38:14
有名な公園にあるとすれば、例えば「十和田八幡平国立公園」のような大きな公園だとよろしいのですか。
八幡平(ハチマンタイ)はヤマタイの訛化だとか。
953プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 20:45:20
>>950

徑30bの墓がどでかいの?
954サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 20:58:47
稚拙な冗談はともかく、小城公園の桜ヶ岡は、南北192m(百三十七歩)東西154m(百十歩)一歩(中国の)は約百四十cmです。
屋や卵型の円墳です。
この古墳について「歴史研究」の最新号(20063月号)に一考を記しました。
ただ、192mと記すべきところを151mと誤記してしまいました。
折角ン万円の掲載料を払って載せたのに、肝心のところをミスってしまった。
955日本@名無史さん:2006/02/28(火) 21:40:48
ミスった分、挽回してください。
http://meisou.com/books_data/00181/00181.htm
956プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 21:43:59
サガミさん
『歩』の解釈に誤りあり!だいいち
『徑』の文字があることから単一墓では無い

早い話し
一歩とは一足(足のサイズ)です。
寸法とは体の一部を使って“なんぼ”
一歩70p等はグリーン上の話し

サガミさんも知ってる通り一里=三百歩
★(サガミ説=70p)
70×300=210b
★(プラム説=25p)
25×300=75b

サガミさんは確か一里=67.5bでしたよね
完全に矛盾しています。
957日本@名無史さん:2006/02/28(火) 21:46:25
958日本@名無史さん:2006/02/28(火) 22:02:43
サガミさんよ、あなたは子供たちに何を教えているんですか?

まさか主体思想なんか教えちゃいないでしょーね?

マジで不安だわ。
959日本@名無史さん:2006/02/28(火) 22:06:48
30メートルでもいいや、百人埋めてれば。
しかもきっと石室もあるんだよね、
狭そうだし大変だなあ。

冗談はさておき歩は里と対応するものだから
普通は150メートルくらいですよ。
(謎の短里は・・・まいいか。)
960日本@名無史さん:2006/02/28(火) 22:13:05
「歩」って面積の単位だよね・・・・・・
961プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 22:18:52
>>959

>普通150メートル

★わかんねぇー!
962プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 22:30:50
>>961

★一歩=約3.3u

しかし、この場合は距離
963サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 23:19:42
角川漢和中辞典p1311
一歩は周から前漢は1.35m、新後漢は1.3824m、魏は1.4472mとでています。
964サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 23:30:12
955さん957さんどうもありがとう。
皆さんも佐賀においでの際は是非、小城の町をおとずれてみてください。
小城分庁舎で、私の著作「倭国歴訪」がもらえると思います。
965日本@名無史さん:2006/02/28(火) 23:31:07
辞典で結論が出るなら楽ですが、参考にしかなりませんね。
966プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 23:35:25
距離の問題はこちらを参照下さい。
http://c-docomo.2ch.net/test/-/history/1140100181/i

198-199 です。
967サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 23:38:47
貝塚茂樹、藤野岩友、小野忍という、立派な学識者の先生方の編纂です。
968日本@名無史さん:2006/02/28(火) 23:59:03
>966
「美少女優良有料出会」で距離がわかるの?
969プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 00:00:16
しかし、
先生の一歩=70pは、誤りだった
すると
誤りから測定された卑弥呼の墓らしき物の比定も、間違いだった!
970サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/01(水) 00:01:09
プラムさん,一体何の商売をはじめるのですか。
971日本@名無史さん:2006/03/01(水) 00:08:04
子ども会の副会長が危険な商売を(ry
97216歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 00:28:11
サガミさん、貴方の説は女王国は邪馬台国ではなく
女王の権限が及ぶ範囲だという前提がないかぎり成り立たないと
言ったでしょ、倭人伝に伊都国は女王国に統属するという文章が
ありますし、サガミさんの説は根底から間違ってます。
プラムさん、二つの奴国は、別物だと言ってるでしょ。
郡に通じている国が30国なのです。邪馬台国の敵国の狗奴国は
除外されるに決まってるでしょ。ほんと物分りが悪い大人たちだなあ
97316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 00:55:17
さて僕のほうも話すネタがなくなってきたので
明日図書館に本借りにいってきますかな。
バイトが忙しくてあまり本も読めないけど。
97416歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 01:18:08
しかしサガミさんもプラムさんも
邪馬台国がそんなに好きならなぜ
大学で歴史学を専攻し研究者の道を目指さなかったのですか?
サガミさんは団塊の世代のちょっと後くらいかな?
それなら就職も恵まれてたような気がするのですが・・
プラムさんなどバブル期じゃないですか?研究職には
今とは比べ物にならないくらい楽に就けたらしいですが。
975日本@名無史さん:2006/03/01(水) 02:40:12
趣味だから燃えるんだよ。
976日本@名無史さん:2006/03/01(水) 05:01:37
16歳中卒ヒッキーの勝ちだな。
圧倒的に面白い。
977プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 05:46:20
あれ? リンク先間違えたか?
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか21)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1140100181/
ここの198-199 です


★ヒッキー君
邪馬台国に興味持ったのが一年半前 無理ですよ!
978950:2006/03/01(水) 05:47:59
たしかに面白い。
で、百余歩が150メートルは間違いだったわけ?面積??
こういうのできちんと勉強してないことがばれるよね。
勉強するには邪馬台国基本論文集という本があるよ。

四国東部説の矛盾点を挙げられる人います?
邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/

確かに記紀にある地名と合っていない。
筑紫日向といえば宮崎だろうし。出雲といえば島根だろうし。
諏訪といえば長野だろうし。けれど史実であるためには、
ローカルな話を拡大したものとしないと無理がないかな。
あとは戸数。面積では第一奴国の3.5倍くらいありそうだけど。
979サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/01(水) 08:52:56
研究者の道をめざしていたら、まず大學で教授や先輩のご機嫌をそこなわないように同調し、そのコネでどこかに潜り込み、
やはり、その界の中でほされないように、大勢に順応し、今頃は邪馬台国畿内説を主張しているでしょうな。
980太国:2006/03/01(水) 08:58:27
そうなるでしょうなぁ。w やむを得んです。
981日本@名無史さん:2006/03/01(水) 11:28:30
>>979-980
そういうのを妄想、正確には逃げ口上や逃避という。
君らの言うように教授や先輩の説に逆らえないのなら
なぜ東大は井上光貞の「狗奴国東遷説」に染まってないのだ?
京大が畿内自生説一辺倒でないのはなぜだ?
同志社が皆、モリコー先生の説に従わないのはなぜだ?
九大、関大、明大、国士舘などは全員が「連立政権説」を主張していないのはどうしてだ?

君らは根拠なき中傷でしか自己を防衛できない、心の弱さを恥じるべきだろうね。
もしくはそれすら出来ないほど、心の病が進行しているのかも知れないが
そうだとすると、君らの家族や近親者の心労は察するに余りある。
982太国:2006/03/01(水) 11:41:56
絶対的なことを言っているんではないです。
そこの上の方はいい人で結構じゃぁないですか?w
だが、一歩誤ると力関係でそうはいかないことがあると思いますな。
983サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/01(水) 12:51:11
皮肉をいったまでですが、そう思う事情はちょくちょくもれきこえてくる情報から
推測できるわけですよ。
984史学の徒:2006/03/01(水) 13:10:23
>サガミ氏、太国氏
それは学会の話ではなくて「邪馬台国の会」だとか「東アジアの文化を考える会」などの
擬似歴史つーかカルトでの話じゃないでしょうか?
ところでサガミ氏、卑弥呼の墓を特定したのなら
あなたはなぜそこを発掘調査しないのですか?
公園ならば私有地より話は簡単じゃないですか。
第一公園整備の際に何も出てこなかったのですか?小城市はそれほどマヌケなんでしょうか?
本を置いてもらってるのならば、市教委に話を持っていって
植樹や芝生整備などの施設改修の補完工事に、あなた共々立ち会えば良いじゃありませんか。
なぜそんな簡単なことをしないのですか?
それとお金を払ってまで論文を掲載してもらうような、さもしい行為はおやめになった方がよろしい。
ジャーナルでも季刊でも一般の投稿は募集してますし、優れた論考はアマチュアのものでも活字になっています。
そこから自費ではなく何冊もの論文集を出され、各研究所や教委から三顧の礼を持って迎えられた元アマチュアも大勢いらっしゃいます。
要するに、皆が認めないのは学会の責任でもなんでもなく
あなたの仮説が一読して間違いだと判るからで、それ以外の理由はありません。
そこまで言われて悔しければ、是非その公園の次回の補完工事には教委と共に立ち会って、物証を見つけてください。
98516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 13:36:28
例え学閥には従わなくてはならないとしても
心の中では違うと思ってればいいんじゃないですか?w
専門職に就いたほうが知識も豊富に入ってきますし
それが仕事でお金ももらえますしね。素人よりはいい気がします。
僕には無理ですがw

986日本@名無史さん:2006/03/01(水) 13:47:18
大和で金印が出てもそこは邪馬台国じゃないよ
98716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 13:53:04
そもそも金印がでてきたからそこが
邪馬台国だとはいえないのでは?
大和からでてきたとしても東遷したとき
もっていったのかもしれませんしね。
卑弥呼の墓からはおそらく金印はでてきませんよ。
なぜなら壱与が朝貢するとき金印を使っていると
思うからです。
988日本@名無史さん:2006/03/01(水) 15:28:57
畿内で阿蘇山を探してこい
989プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 17:23:45
【まとめ】
★帯方郡⇒(水行8000餘里)⇒対馬国⇒(水行1000餘里)⇒一大国⇒(水行1000餘里)⇒末盧国

★末盧国⇒(陸行五百里)⇒伊都国

★伊都国⇒奴国(伊都のある地点から見て東南にある広さ百里ほど戸数二万)
@張政達は、女王の都へ
A別動隊は、奴の港へ

@奴国⇒烏奴国⇒支惟国⇒……(略)…⇒巳百支国⇒斯馬国⇒《女王の都》
(郡から萬二千餘里・伊都国から千五百餘里)

A
奴国港から張政とは反対方向(西へ)を海岸沿いに⇒⇒(水行)長崎沖を通り⇒有明海に入り⇒(二十日)⇒投馬国:…続く…
990プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 17:41:57
【まとめ 2】>>989続き

★投馬国:海岸沿いを南へ⇒⇒(水行十日)⇒⇒投馬国と狗奴国の境界上陸
ここからは、海岸沿い(鹿児島)を陸行⇒⇒日向を北上(陸行一月)⇒⇒⇒⇒⇒⇒《女王の都》

(奴国港から反時計回りで水行三十日 陸行一月)

別:『張政さま!無事 属国(九州島)の調査完了しました。』
政:『御苦労!』
政:『今度は、四国に渡ってくれ』
別:『解りました。』


終止符を打ちました。
めでたしめでたし
991太国:2006/03/01(水) 17:44:36
>>984
それらの会は、擬似歴史とカルトに埋まっているんでしょうか?
考えにくいんですが?
992プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 17:49:59
《九州島調査結果》

九州の外周は、(水行三十日)+(陸行一月)+(千四〜五百里)

一日に進む基準が解れば
九州島(属国)の外周が解ります。
993日本@名無史さん:2006/03/01(水) 18:36:28
>>984
何にも出てこなかったら「鍋島藩に徹底的に壊されたから」って言い出しそうw
994サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/01(水) 19:08:08
何か随分と非現実的な夢想にみちた目で世の中を見る人がいるようですね。世の中、思うとおりにできないことはない、という妄想にみちておるようですね。
しかし、人によっては現実はそんなに順調に進むものではないのですよ。とてもめぐまれた才能と環境にめぐまれているのでしょうか。
お金については、あわよくばタダで載せてもらおうとするよりは、自腹(自費出版も)を切って載せるほうが、
私は潔いと思いますが。
それから、家族や近親者の心労は、我が強くって世間とおりあわず、軋轢のある人の家族ほうが強いのではないでしょうか。
最近関西の西の方の方が、箱根山のむこうへ飛ばされたとかの噂を聞きました。


最後に、ルールというわけではないでしょうが、当事者どうし罵り合ったりするのはともかく、家族等に言及するのは
避けていただきたいと思います。
995950:2006/03/01(水) 19:31:44
>987
畿内でも3世紀中ごろの古墳から
金印がでれば、決まりだよ。
東遷は時代が違いすぎる。

もちろん東遷って神武のことだよね。
ニギハヤヒってのもいるからちとやっかい。
でも正統ではないから持っていけないでしょ。

東遷っていう意味では、九州説と同類なんだよね。
四国説って。

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
996太国:2006/03/01(水) 19:47:54
>>994
ほぼ同意。「順風」の件、余もその二字のことをを思ってた。
997プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 20:06:55
まもなく1000です

皆さんも豊前目指して頑張ろう!





淡路島の歴史に詳しい人
何でもいいから教えて!
998日本@名無史さん:2006/03/01(水) 20:27:18
>>994
>何か随分と非現実的な夢想にみちた目で世の中を見る人がいるようですね。
あんたのことだよ。サガミ翁。

>世の中、思うとおりにできないことはない、という妄想にみちておるようですね。
妄想じゃなくって仏教の唯識論だよ。
ちったあ日本仏教の勉強でもしろや。

>家族等に言及するのは避けていただきたいと思います。
はい「定年離婚」っと。
99916さい中卒ヒッキー:2006/03/01(水) 21:15:27
ハツクニシラス伝説

という題名で邪馬台国の時代にタイムスリップした在日青年が古代日本をは日本人と半島人が共に作り上げていくさまをみて目覚めていくストーリーと現実世界で金印をめぐり殺人事件が次々におこる推理ものを融合した本を書こうと思いましたが挫折
1000日本@名無史さん:2006/03/01(水) 21:15:28
とりあえず、このスレでの結論を出そう。
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