卑弥呼

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1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:36:55
2げとならダイヤモンド映像復活!
3日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:12:18
3げとなら本人復帰!
4日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:05:20
貧民子
5日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:12:49
村西とおるどこいった?
6日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:14:25
6なら惑星共同体復活!!
7太国:2005/08/05(金) 22:11:41
世に卑弥呼は天照大御神だという主張をする御仁が割かし多いのではないだろうか?
それとは別に、天照大御神は男神だという者もけっこう居る。
この両論が同時に成立させようと云うのならば、卑弥呼は男となってしまう。w
ここに、この二論が考え過ぎだったという不様が見えてくる。
8太国:2005/08/08(月) 21:43:55
卑弥呼も天照大御神もどちらも女性だよ。
9太国:2005/08/08(月) 21:55:33
卑弥呼は特殊神道の『鬼道』、天照大御神は原始神道の『古神道』だな。
10太国:2005/08/08(月) 22:00:55
卑弥呼は正面に円形の鏡(日像鏡)のある冠をかぶっています。
天照大御神は正面に八角形の鏡(八咫鏡)のある冠をかぶっています。
既に説明したとおりですが、聴きもらした方のため、再度解説。
11日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:59:28
日の御子
日の皇子
日の皇女
のどれかであって
日の巫女ではない
と思うよ
12 :2005/08/11(木) 18:52:08
卑弥呼は美人だったとは思うのですが
毛深い美人だったでしょうか
それとも、つり目の美人だったでしょうか
あるいは、鬼道に通じる徐福の末裔でしょうか

スレを汚すような質問で恐縮。重要なポイントだと思うので・・・
13太国玉:2005/08/11(木) 19:32:00
すごい質問ですねえ。誰に質問してるのかしら?
ふっふらした顔立ちの女性ですわ。頭に日像鏡の正面についた冠をつけていますの。
冠の頂部に針のような細い角形のアンテナがありますわ。
眼がつり気味かは正確には判然としませんが、それほど釣っている感じはないようですね。
毛深いかどうかヌードまでは知りません。w
14サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/11(木) 20:31:48
九州ですので吉永小百合様並の美人だったはずです。
長寿だったようですが、年をとっても小百合様のように魅力的だったとおもいます。
15日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:12:12
卑弥呼と豊丸って、どっちが先だっけ?
16日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:04:31
>>15ばんさん、スレちがいです。
1716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 10:09:28
卑弥呼は大和朝廷が九州統治のために派遣した巫女です。

18日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:12:58
いえ、卑弥呼は共立されたのですから、大和朝廷も九州も統治したのです。
派遣社員のような立場ではありません
19日本@名無史さん:2005/08/12(金) 10:16:08
邪馬台国が支配したのは畿内だ! 
ヒミココは死ね!
2016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 10:21:37
いえ、大和朝廷側と九州で話し合って
九州の王は卑弥呼ということで共立したのです。
21日本@名無史さん:2005/08/12(金) 15:10:58
それならば、魏志倭人伝に大和朝廷に相当する国が記されているのではないでしょうか。
22:2005/08/12(金) 16:03:43
>>21
そのとおり。
23虎視眈々:2005/08/12(金) 22:22:05
>>21
 魏志倭人伝の内容はあまり信用しないほうがいいです。中華思想にもとづいて、中国はまわりの国々を東夷、
西戎、南蛮、北てきと呼んで卑下し、自分の国を美化して記述しています。

 中国の事実の捏造、隠蔽の体質は昔も今もあまりかわっていないわけです。
24日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:33:15
http://inoues.net/wajindenx.html
ここに畿内大和、あるいは出雲を思わせる記述があります。

女王國より北の地方は、
特別に一大率(いちだいそつ)を置いて、諸国を検察させている。

僕はこれをみると当時の情景が目に浮かぶようで好きです。
25日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:42:33
>>23
虎視眈々と工作するな!
26日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:40:31
狗奴国はどこに?
27日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:45:07
鳥栖(都支国)、三養基郡(已百支国)、杷木(巴利国)あたり
まで女王国統治下だったらしいので
その南は狗奴国連合ですね
28石宮:2005/08/13(土) 08:29:21
三養基郡は三井郡と養父郡と基イ郡を合併した郡で新しい地名です。
2916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 08:44:39
卑弥呼は九州の巫女さん。
邪馬台国は畿内政権の中央集権化活動が
始まるにつれて吸収されたとさ
30プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/13(土) 09:15:59
>大和と九州の協議により卑弥呼を共立した。

当時の交通や環境を考えると大和と九州の間で幾度も協議の席を設けるなどは、不可能だし、まさにナンセンス
情報伝達手段すら発展していない時代、さらに、国乱れし時に遠地間の交渉など不可能だよ
31日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:38:12
邪馬台国は大和国の属国だったのではなく大和国そのものだった。
しかし狗奴国の王、熊襲の菊池さんが頻繁に攻め込んで暴れるので
おちおち国造りも出来ない。
「とりあえず首都を畿内に移して力をつけてから菊池の奴をぎゅうぎゅう言わせてやろうぜ」

こんな感じ?

32日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:45:05
そんなことありえると思う?
邪馬台国ってのがそもそも侵略色の濃い革命政権なのですよ、
みな渋々卑弥呼に従ってるのですよ。そして畿内や本州では九州とは
比較にならない巨大な政権が既にあったのですよ。
33日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:48:39
巨大な遺跡があるからといってその国が強国であったとは限りませんよね?
どこかで、何かが間違っている。だから解決しないんです。

     ”比較にならない巨大な政権”

この辺かなり怪しい。
可能性が低いのは認めますがね。

34日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:50:12
>>33
中国大陸に求めるか
35日本@名無史さん:2005/08/13(土) 20:07:16
http://www.hist.shimane-u.ac.jp/kouko/List.htm
この連中が作ったんでしょ、本州の巨大古墳と
大倭の一大率軍隊。
http://inoues.net/wajindenx.html
3616歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 08:42:22
大倭というのは大和朝廷のことですよね?
だとしたら大和朝廷が交易ルート確保のために
九州邪馬台国を支援していたのかもしれませんね。
3716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 10:30:51
>>30
ですから大和朝廷側は
伊都国に一大卒を派遣してるのではありませんか?
38日本@名無史さん:2005/08/14(日) 11:21:55
大倭は「やまと」とはよみませんし、大和朝廷のことでもありません。
大は「ダ」、倭は「ヰ」と発音します。
中国人の漢字は当て字であり、大や倭に大きいとか、倭国とかの意味はありません。
39圭角:2005/08/14(日) 13:10:09
ご承知のとおり、卑弥呼の初見は魏書東夷伝倭人条ではありませんね。
ご承知のとおり、正史三国志魏書第四巻の三少帝紀に初出するものですよね。
 正始四年冬十二月、倭国の女王卑弥呼が使者を派遣して捧げ物を献上した。

せっかくの、卑弥呼というスレタイトルですから、このあたりから始めませんか。
40日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:39:04
アマテラス=卑弥呼の線は捨てがたいですよね

熊襲にてこずっているのに業を煮やしたスサノヲが卑弥呼を殺して
邪馬台国の王になった。しかし前後に不吉な天文現象が起きたりして
いわゆる岩戸神話が生まれた・・・

でもこれだと年齢が合わない・・・
卑弥呼は年齢を逆さば読んでいたんじゃない?
卑弥呼も女王になったときは13歳くらいだったとすれば合う。
結論 北九州人にはロリヲタが多い。

せっかくの、卑弥呼というスレタイトルですから、このあたりから始めませんか。
41日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:00:33
卑弥呼の即位は種々の資料からかんがえるに、183年とかんがえられます。
没年は247年ですので、64年の在位となります。
このあたりから始めませんか?
42日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:35:14
64年! 昭和天皇みたいな人だったんですね。
43:2005/08/15(月) 20:43:09
>>40
アマテラスは男か?女か?いずれか?
44日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:05:27
女神です。神社には女性用の装飾品が残っていますから。
45:2005/08/15(月) 21:10:20
>>44
だろうな?そうでないと、卑弥呼は男だという論法に進展する。
46プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 22:05:47
>>41
では
何故後漢書に、朝貢の記録が無いのか
4716歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 07:45:23
卑弥呼は即位したとき
すでに年食ってるみたいなことが
倭人伝にかかれてたきがしましたが・・
48日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:42:51
朝貢する際には、本ものですよと言う証拠に、国書に封印していきます。
ところが、卑弥呼が朝貢した時に、封印する印を紛失していたために、
正式な朝貢とは認められずに、正式な記録にのこらなかったのです。
紛失した印は、江戸時代に志賀島から発見されました。
49プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 09:34:24
>>48
封印する印といっても、最初に朝貢するときは
誰も印など持ち合わせていないでしょう。
その印を受け取る為に朝貢するのではないのですか?
それに、180年代の卑弥呼即位に関しては、卑弥呼の年齢に対しての矛盾点が残りますし、
中華王朝では珍しい、女王国からの朝貢を、後漢の帝紀に記載しないこと事態が不自然です。
乱れていた倭で、新しい女王を擁立したのに238(9)まで約六十年間も中華王朝にその存在をアピールしなかった事になります。
そのような事から、卑弥呼擁立を180年代にすることは謎を増やしてしまうだけです。
5016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 09:39:15
卑弥呼が女王に就任したときすでに年をとっていると
言っているのですし卑弥呼の女王即位は
220年ごろとみるべきではないでしょうか?
51日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:53:39
倭国乱は卑弥呼の共立をもって収束しております.乱は桓霊の間とされています。
それは霊帝の没年の189年以前であることは動かないとされています。
それと卑弥呼は新王朝の創始者ではなく、それまでの倭国の継承者です。
年をとっているというのは、魏と通交を始めた時にはという意味だと思います.
52プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 09:57:04
「卑弥呼擁立180年代の矛盾」
卑弥呼が当時珍しい長寿であったとしても、AD180年代には未だ十代がいいところでしょう
壹與が13で即位したときは、卑弥呼という女王の前例があったし、何と言っても魏王朝のバックアップがありました。
しかし、卑弥呼が十代で即位するには余りにも難題が多すぎます。
仮に「プリンセス天功」の様にマジックを使ったとしても、結局の所
男王(摂政?)が実際の政治を担当することになり
倭が乱れていた時と状況が変わりません。
壹與の時と違い
朝貢歴がありませんので、中華王朝からのバックアップ考えられない
5316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:03:03
通交を始めたときは年をとってたという意味ですか。
実際の政治は弟がやってたんじゃなかったですっけ?
ちょっと待ってください。卑弥呼の弟って・・
かなり卑弥呼より若いことになりませんか?
54日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:23:35
少し話逸れ申しあけありませんが、
プラムさんは
茨城を中心とした古史古伝秀真伝をどのように
理解されていますでしょうか?
5516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:27:58
古史古伝???
難しいなあ・・
なんのことやらさっぱり
56日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:34:09
>>55紛い物ぽいのあるが幾つか参考になりそうなものはある。
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kodai-bunsyo3.htm
ぐぐって調べると新しい発見があるかも
57プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 11:23:54
>>54さん 茨城の郷土史ですかぁー
茨城の郷土史の原点はやはり「常陸風土記」ではないでしょうか?
あとは、筑波山を中心に語られている歌や 筑波を根城にする神の事が文献上書かれておりますが、
茨城=常陸風土記でしょう。

それに、茨城は文献資料や言い伝えより
考古資料で調べる古代史の方が進んでいる所です。
縄文遺跡の宝庫ですし、舟塚山の巨大古墳 虎塚・花園の装飾墳(大塚氏著書)現在、高速道建設に伴う遺跡発掘が近所で盛んです。
横道に逸れましたが、
茨城は、常陸風土記と筑波の神々神話に集約されます。
58日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:31:42
茨城は日本の黎明期においても極めて重要な地域と思うけど
出雲、狗奴始め各国の影響が見られる
59日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:00:36
倭国の乱れは、王位継承を巡る問題であったとかんがえられます。王が全国の総意で即位したのであるから、なにも問題はないと思います。
卑弥呼の弟については、資料が少なすぎてわかりません。
弟自体が本当に卑弥呼の弟であるのか、兄弟で政務をとるしきたりがあったとすれば、
名目的に弟であった可能性もあります。
60圭角:2005/08/16(火) 13:21:20
倭国大乱は、内的には経済欲望の衝突多発期に当たっていたこと、外的には
後漢の衰退混乱が因と考えます。
王位継承を巡る乱というのは失当と存じます。壬申の乱がその代表例かとは
思いますが、王位継承というのならば、その以前に統一政権の存在を前提と
しなくてはならぬ必要が生じるからです。
61日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:19:01
秀真伝、上記は特に研究する価値がありそうだけど・・
天皇族が神武の前に数十世代あるという
記述が共通しているのが興味深い。
上の二つの古文書は一つの突破口になりそうに思えてならない。
62日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:47:26
日向族の北方系侵入阻止逸話なんか四隅墓の分布、
孤立した北方人土井が浜人と被る。
63日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:05:41
倭国乱の前に、男の王が七、八十年統治したとあります。その後の倭王を誰にするかで
乱がおこったのです。
64日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:07:35
なぜそこまでもめる必要があったかが重要だな
6516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 19:16:50
おそらく鉄かなんかの利権のためだと思われます。
それまで王になってたものは朝鮮半島との
鉄の交易で他の国の王と決定的な差別化ができてましたが
中国大陸のほうで後漢の権威が揺らぎ始め朝鮮半島にも
その余波が及び、交易がままならなくなったので
各国の力が均衡してしまい、誰を王位にするのかということで
けんかになったのでは?詳しいことは若輩者の僕には
わかりませんけど。
66日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:22:26
人間の面子と欲望、そして1度こじれると、特に人が死んだりすると復讐の念も生じ、あとはいつ果てるとも知れぬ泥沼です。
67日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:29:05
>>65それもあろうが、
俺はもっと根深い民族対立だと思うよ。
倭(西九州)の習俗と宇佐豊国の地域の新羅臭い文化の差異はとても
見過ごすことはできない。
68日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:29:47
くわしくは自分の立てたスレでご確認を
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1123811439/l50
6916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 19:34:29
やはり僕はまだ未熟者でしたw
スレ読んでもレベル高すぎて
なんのことやらよくわからないことが
山ほどあります。もう少し勉強してから
きたほうがいいかな・・
70日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:36:32
>>69
ぐぐれば少しは理解出来るはず。
どうせ、ここの連中は古代史の専門家なんていやしないw
71日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:40:13
http://inoues.net/wajindenx.html
ここで確認しな、倭王との謁見
72日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:48:37
http://inoues.net/ruins/welcome2.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi1.html
遺跡資料
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_4.htm
第二章、日本周辺の国々の伝承

記紀以前の古文書もご確認を、これらを鵜呑みにするではなく
参考資料として総合的にご判断下さい。
上記(うえつふみ)
秀真伝(ほつまつたえ)
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)
神武以前の古代長期政権ウガヤ朝の存在の可能性
73日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:00:26
スサノオが殺したのは八秦のオロチ(地元民)であっても
山人、あるいは大和のオロチであっても
スサノオを中心とした
出雲・武蔵族(高句麗系、蝦夷系)と
新羅系と土着隼人、山人系の連合政権との対立か・・
ここまで半島臭くなると京都チョン安が必死になるのも分かる・・
74日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:24:31
>>55
>倭国の乱れは、王位継承を巡る問題であったとかんがえられます。王が全国の総意で即位したのであるから、なにも問題はないと思います。

倭人伝読みこれが全国朝だと断じ、書いてある弟を否定するとは
作為的としかいいようありませんね・・
75日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:55:58
>>59の全国は、倭国乱に関したすべての国といういみです。
弟については、兄弟で統治となるならば、兄弟のいない人は王になれないのか?とかんがえると、
名目的な兄弟(義兄弟)をつくるしかないのではとかんがえました。
76日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:06:22
今頃何してるんだろ。
もう1回復帰しないかなあ
77日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:55:19
266年以降邪馬台国が朝貢しなくなったのは、
その必要がなくなったからではないでしょうか?

目と鼻の先にある半島南部から鉄鉱石を輸入し製鉄したんですよ。
もちろん八幡で。
78プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/18(木) 20:56:28
>>77
266年以降朝貢しなかったのではなく 記録されていないだけでは
266年からは、新に晋王朝に冊封され、313年に楽浪郡が高句麗に、帯方郡が韓族により滅ぼされ
晋王朝とのパイプが遮断され 歳時の礼が途絶えたと、見るべきでは?

これはあくまで、倭の体制が変わらないでここまで経過したとしての 私見ですが
79日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:10:40
素人考えではありますが、楽浪、帯方を失ったのは
倭のせいだと魏は考えていたのでは?
倭の頼りなさが、その後の中華外交にも影響し白村江では
完全に敵国扱いとなってしまった。
80日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:22:11
九州の縄文土器は薄手で炭素分、有機分が少ないという事です。
これは乃ち高温の炉をもっていたという事に他なりません。
その意味で九州の縄文土器は弥生期の土器と大して変わりありません。
この高温炉をもってすれば酸化鉄の還元も容易に行えたでしょう。
事実、大分の国東半島の遺跡では紀元前7世紀の製鉄所跡と鉄器が
見つかったそうです。驚きました。
81日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:08:57
明治時代、近くに炭田があるから、というのが八幡に製鉄所を作るときの
理由のひとつだったそうです。
たたら製鉄の燃料が手軽かつ安価に入手できたわけです。
82日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:33:32
本人降臨きぼん
83日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:30:35
ヒメミコ
84日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:39:15
2005年の現代に俺は生きている
ということは、1800年も前の卑弥呼の時代にも
俺の祖先が生きていて、冗談言って笑ったり、怒ったり泣いたり
雨に打たれたり雪に凍えたり、山を駆けたり海に潜ったりしていたんだ。

そいつがどんな奴だったか知りたくなって、ふと鏡をのぞいて見たら
ひとつだけ分かった。
 
「・・・・・・・お前、頭が大きかっただろ!」
85日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:40:24
??
86日本@名無史さん:2005/08/24(水) 09:18:39
卑弥呼は在位64年、鬼道に通じたシャーマンであり強烈なカリスマ性を
持っていた。死後に伝説となり天照大神として祭られた。

卑弥呼の死が後の天の岩戸神話になったのなら、少し変ですよね
そのころ暴れていたのはスサノオではなく狗奴国だったはず・・・

天照大神
87:2005/08/24(水) 13:02:08
おおいに変だ。w 
時代が逆だよ。
88日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:29:39
意図的かどうかはともかくとして
ごっちゃになって神話化されたということでしょうか?
89ニワカ:2005/08/27(土) 08:18:57
日向がヒミコと読めないこともない件について
議論はあるのでしょうか?
9016歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 08:37:09
卑弥呼は葛城氏
91日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:47:33
葛城氏って勝氏と関係ありそうではあるがな、
っていうかそういう突発的な発言はやっぱ幼いな、おまえ。
92日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:50:13
やっぱさ、この卑弥呼の時代が基本だよな。
全く違う時代だけれど、天草四郎の乱もガッコで習ったのと全然違う
裏があるそうで、これもどうも現天皇族と関係ありそうだぜ。。。
9316歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 08:53:08
秦氏が1枚絡んでる気がする
94ニワカ:2005/08/27(土) 09:14:09
トヨが豊国になったのなら、卑弥呼ほどのカリスマが
地名として名を残していないのは不思議かと・・・
9516歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/27(土) 09:15:13
日向=ヒムカ=ヒミコ
96日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:28:17
東日本ではアテルイとかアラハバキとか伝説を語り継ぐものが
いるが九州の神とか王については
誰一人語る人がいない状態に等しいから2chでも
情報ほとんどあつまらない。
天皇家による古代からの虐殺・虐待の歴史があるから、
もう誰も口に出さないのだろうか
97圭角:2005/08/27(土) 19:22:40
アテルイ。
 懐かしいなあと思っております。昔、盛岡のとある料理屋で食事した折に、そこの
ご主人が、自分はその子孫であると語っておられました。その真偽はともかくも、
96さんの書込みは正しいのではと存じます。
 記紀がそれまでの歴史の真実を消してしまったからと考えるからであります。
98圭角:2005/08/27(土) 19:58:09
92さん。
 天草四郎との比較論をもっともっと聞かせてくださいませ。
わたしがこのスレで以前に言及したことですので、いかにお考えかは
大変に関心興味がある次第です。
 島原城の展示資料によると、乱に加担した地域というのは意外に狭い。
ということから、畿内説による広域政治連合のもとに拠る卑弥呼共立は
非現実的であると思料しております。
99ニワカ:2005/08/29(月) 18:34:52
卑弥呼が記紀に残っていないのは、やっぱり朝貢して
シナに媚びへつらったと見なされたからでしょうか?
五王の朝貢にしても明白なのに一貫して無視しているのは・・
白村江でボロ負けしたのがよっぽど悔しかったのでしょうか?
100日本@名無史さん:2005/08/29(月) 19:02:20
白村江の敗北は記されているし、五王とは時代が違うから一括にはできる問題ではないかと。
10116歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/29(月) 19:04:14
白村江敗北は天智の策略
102きつねちゃん:2005/08/30(火) 06:30:42
卑弥呼は紀元前に中国から渡来し、富士山の近くに住んだ徐福の末裔だった
木花咲耶姫だった説もあるよ
木花咲耶姫だったとすると、邪馬台国は九州鹿児島県になり、
桜島の火山灰で埋もれてしまっている可能性があるね
さくら島の呼び方も、さくや島だった可能性もあるしね
ttp://www.youdocan.ne.jp/mukasi/konohanasaku.html
103niwaka:2005/08/30(火) 08:25:54
>>102
父の大山津見神(おおやまつみのかみ)の名前はそそられますね
山人はヤマトと読めるし・・・・・。
104日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:25:46
渡来人は大きく分ければ呉と越の2種類
越は出雲から日本海側に沿って展開し
呉は太平洋側に展開し勢力は越を上まっていた
邪馬台国は卑弥呼が新羅の親戚に使者を送っていることからみて
越系の国だった.
105日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:29:12
プサン辺りの訛りは東京アクセント、
ソウルは無アクセントに近いらしい。
畿内訛りは中国系?
106日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:55:32
アマテラスをコロす時のやり口は中国人以外に例を知らない。
ゆえに、スサノオは中国系だと思っています。
107日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:41:52
日本で初めてフェラチオをしたのが卑弥呼
108日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:08:18
卑弥呼が亡くなると、国中が乱れ、壱与が女王になって平和になる。
天照大神が岩戸に隠れると、国中が真っ暗闇になり、岩戸から出ると明るくなる。

岩戸に隠れると言うのは、尊い人が亡くなることを意味する。

要するに、卑弥呼と壱与の二人が、一人の天照大神伝説になった。
109日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:10:00
卑弥呼とはヒメヒコの総称をときの支那人が「卑弥呼」と当て字をした。
110日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:10:12
違うな

その説で行けばアマテラスも二人居たんだろ
111:2005/09/10(土) 00:11:59
? ? ? w w
112日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:14:10
記紀から感じるのは、岩戸に隠れる前の天照大神と
岩戸から出た後の天照大神には微妙な違いがある。

やっぱり別人じゃないかと思う。
113:2005/09/10(土) 00:18:26
どこに微妙な違いがあるの?
114日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:20:05
ティンコが生える前と生えた後の違い
115日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:23:18
たとえば、岩戸を出てからの天照大神には、高皇産霊尊が
対で語られるほど多く登場することになる。

岩戸に隠れる前は全く出てこなかったのに。
116日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:24:24
そんなにアマテラスって重要か?
もれは記紀編纂時の政治状況を反映させてると
いう部分が大きいと思うけどね
117:2005/09/10(土) 00:25:04
重要である。
118日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:26:48
高地性集落でゴロゴロしてたのって天神だろ
119日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:30:05
天照大神と言うのは、宮中三殿のど真ん中に祀られている。しかも大きい。
両脇にあるのが、歴代天皇を祭った神殿と八百万の神を祭った神殿。
天皇家にとって、天照大神がいかに重要化がわかる。
120日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:34:24
南朝の拠点にはアマテラスは祀られていなかった。
全く記紀にない神である。
121日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:36:49
天照大神は、出雲を実質的に征服したし、神武天皇の曾おじいさんである
邇邇芸命を日向に下らせた。
日本統一の先駆けじゃないかと思う。

壱与は偉かった。だから、天皇家の最も重要な皇祖神なのだ。
122日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:41:58
ニニギってのは新しい行政官という意味らしいね。

アマテラスとか天孫、天神がそんなに重要なら
もっとそれ迄の人名にもあってもいいように思うが
無いでしょう?

そもそも神武はハヤヒト(隼人)のようだし、イザナギ神話も
隼人ぽいし、魏志倭人伝の海岸線の倭人も隼人ぽいし・・
123日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:42:36
アマテルって対馬じゃねぇーの?
124日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:45:48
天の岩戸が日向

天孫降臨が筑紫の日向

神武は肥後

神武東征が日向
125日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:46:52
魏志倭人伝からすると、南にある狗奴国の存在があるから、隼人と言うのは、
微妙じゃないだろうか。

文化的にも隼人は異質だし。もっとも、肝属半島は日向と同じ文化圏のようだが。
126日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:48:04

125

肝属半島ではなく、肝属平野の間違い。
127日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:49:03
アマ

海人
海部
海女
亜麻


新唐書の阿毎氏のアマシが天氏じゃないのは
 アマ-天-アマテラス
 アマ-海人-スサノヲ

の両方に掛かってるからじゃねぇ?
128日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:56:15
大和朝廷があった当時は隼人の風俗(五島列島含む)は異質だけれど、
大和朝廷は畿内の出雲の流れも汲んでいるわけで、
九州の倭人とはかなり違う文化だろう。
倭人伝当時伊邪国人が、畿内大和のような生活をしていたとは考えられない。
129日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:00:51
狗奴国は隈系であるから九州の内陸部
福岡市城南区七隈西隈等、西北部九州から大隅半島まで
九州西半分全てが候補地になる。
そもそも太宰府が百隈という位隈系の拠点である。
130日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:03:43
肥後も肥前も基本は火(肥)の国
文化的には同系である。
131日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:05:27
無アクセント地域(肥前内陸部、肥後、筑後、日向)
東京アクセント(豊前、豊後、筑前)
薩摩アクセント(薩摩、大隅)
132日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:07:00
異質と言ったのは、日向と隼人の比較でのこと。
日向と大和にはかなりの類似性があるのだけど。
古墳にしても、宮崎平野のものと大和盆地には類似性がある。

たとえば、墓制が違う。
土器にしても、延岡平野、宮崎平野、肝属平野には類似性がある。
しかし、ほかの鹿児島県のものとはちょっと違う。

だから、倭人伝に登場する国のどこかに比定するとすれば、
狗奴国が適当かなと。
133日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:09:41
日向は倭人伝当時、既に、もぬけの殻だという説があり
漏れもそれを支持しています。
134日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:12:09
海幸彦=狗奴国=隼人
135日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:18:29
神武はイザナギの末裔だと思います。
イザナギは能古の島の海人(隼人)で半島南部や九州、瀬戸内の
沿岸部に勢力をもっていますが、出雲(根の国(島 根))で
異質な勢力に遭遇します。その後、出雲的な文化を受け入れ
日向で古墳作り畿内の勢力と統一王朝構想を練り始めたんじゃないかと・・
大和は日向の飛び地みたいなものではないかと
136日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:21:03
神武は山幸彦系であって、山幸彦に痛い目にあった海幸彦=隼人じゃない
137日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:30:17
記紀みても神武はハヤヒト系としか・・
138日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:33:00
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/owari/ajiyoshi.htm
天孫とか天神、アマ テラスってここみてもやっぱり
伊勢・尾張近辺の人の信仰としか思えない。
139日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:34:07
じゃあ内輪喧嘩か
140日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:34:03
全て部族の神話を一本のストーリーに纏めたエロい人が居たんです
141日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:34:23
卑弥呼はアマテラスでは?卑弥呼は日の巫女、あるいは女王(ひめみこ)が本来の意味で、大和朝廷の言葉と類似している。
142:2005/09/10(土) 12:43:39
>>141
卑弥呼は天照大御神に非ず。時代が全然違う。
143日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:34:23
っていうか、オイラは卑弥呼は議論するほどの大物ではなかった、と思ってる。
おそらく村長もしくは区議会議員くらいかな。
144日本@名無史さん:2005/09/10(土) 14:18:29
不比等は卑弥呼が死んだときに日食があったなんて知らなかったから
岩戸神話とアマテラス殺害事件をくっつけちゃったんだろう。
145日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:50:35
アマテラスは何故、朝貢しなかったの?
帥升や卑弥呼でさえしているのに、皇祖神と言われる天照大神なのに・・・
146太国:2005/09/24(土) 19:47:09
天照大御神はもっともっともっと悠遠の神代のお方です。
朝貢っていうのは相手の国があって、出来ていてのこと。
それより、古い古い古い大昔のお姫さま。
147天山:2005/09/25(日) 13:32:56
天孫降臨は紀元前100〜200年頃の出来事と推測されているようです。
天照大御神は天孫降臨したニニギノミコトのお祖母さん、
卑弥呼は紀元3世紀の人ですから、
両者は時代が300〜400年ほど違います。
148日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:36:27
アマテラスって言うのは太陽の神様ってこと
太陽を重視するのは農業
神話にも高天原と書いてあるので

日本には稲作は早くから始まっており
その天候を知ったり左右するために
気象がわかる人間をトップに立てていたはず

149太国:2005/09/28(水) 23:41:39
高天原 営田→エデン ・・・・・か。
150日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:09:04
ぶっちゃけ卑弥呼って呉人?越人?百済人?新羅人?騎馬民族?ツングース?
それとも原住民?

>>14
吉永小百合だったら確かに力が入るけどさw 
俺の理性は何故か小野ヨーコのJPG画像を押し付けてくるんだよね・・・・
151天山:2005/10/07(金) 00:02:50
卑弥呼は、福岡県の筑豊地区で生まれ育ったと読みました。
当然当時は筑豊という地域名はありません。筑紫の内陸地、田川、飯塚、直方の
あたりでしょうか。
卑弥呼の存在を目くらますために作り上げられたといわれる神功皇后の足跡は
異常と思うほどに北部九州に残っているようです。
神社仏閣の縁起などには神功皇后の名前、ゆかりが多数です。
152Vtec:2005/10/07(金) 23:13:26
卑彌呼は肥後八代の女王、後漢末に北部九州の委奴国を攻撃して内乱に。
卑彌呼の共立で合意、筑紫勢力(盟主委奴国)と肥後勢力(盟主邪馬壱国)が
休戦。地方王権の大和とは別に、大倭国として中国・韓と国交・交易。
http://www.mctv.ne.jp/~kawai/vtec/

153日本@名無史さん:2005/10/12(水) 17:58:17
共立ってとこがミソだと思っています。

女王になった時、卑弥呼はまだ若かっただろうし
壱与に至っては、ほんの13歳・・・・
能力や徳を認められたわけではなく、やんごとなき「血」によって
彼女たちは選ばれたわけだ。
154天山:2005/10/14(金) 00:12:51
卑弥呼について
1 まとめる力がなければ有力者達は従わない
2 知識と伝達能力がなければ中国歴史書には残らない
これは、卑弥呼がそれなりの実力者であったろうことをしのばせる。
しかし、
▼1 いわゆる日本の歴史には形跡がない
これは、王朝交代による無視、存在滅却の事例である。
しかし、日本では、その後、王朝交代がないので、再批判がなされていない。
いわば学者は居眠り状態である。
155日本@名無史さん:2005/10/20(木) 18:27:46
大国主命の事績が残っていて、64年間も倭の女王として君臨していた
卑弥呼を無視、存在滅却したとは考えられない話ですよ。
156天山:2005/10/22(土) 21:50:30
その考えられないことが、実際に行われていたわけです。
日本書紀、古事記には卑弥呼の話はないそうです。
157日本@名無史さん:2005/10/23(日) 08:51:05
大国主命の伝承や出雲大社とは別の形で残されたとは考えられませんか?
たとえばアマテラスとか天岩戸神話。
158日本@名無史さん:2005/10/24(月) 02:15:56
AVで活躍していたよ。今どうしているのかな?

お世話になりました。
159日本@名無史さん:2005/10/24(月) 02:41:43
>>153 女性だったり年が幼かったりするのは古代ではむしろ神聖だったりするから判断は難しい。
160日本@名無史さん:2005/10/24(月) 09:42:12
64年間も王として君臨してるわけがないでしょw
半分の32年間だよ。
161日本@名無史さん:2005/10/28(金) 14:03:46
昭和天皇関係。〜昭和64年まであるが?
162日本@名無史さん:2005/10/28(金) 18:30:15
卑弥呼って個人名でなく称号だろ?
他の国にもヒコとかヒミキコとか似たようなのが出てくるし。
163日本@名無史さん:2005/10/28(金) 19:18:00
皆既日食がおこったから殺されたんですか?
164日本@名無史さん:2005/10/28(金) 19:24:01
日本の歴史にないのは、卑弥呼が日本ではなく、倭国の
165日本@名無史さん:2005/10/31(月) 19:26:24
卑弥呼が称号なら次の女王も卑弥呼のはず。
倭人伝にトヨの名前が出てくるのは何故ですか?
166日本@名無史さん:2005/10/31(月) 19:38:47
>>158
結婚して、離婚して、今では平穏に暮らしているそうだ。
なお卑弥呼シリーズが裏DVDになっていて今は40人目か50人目の人が出ている。
卑弥呼と聞いて助平なほうにそれたが、日本書紀の天岩戸の話にもストリップを踊ると
いう話があったなぁ。あとおMんこを箸でつく話とか。あの次代はわりと性におおらか
だったのかもしれん。
167日本@名無史さん:2005/10/31(月) 19:58:31
なんだ?卑弥呼AV女の事じゃねぇか?ここはアダルト板か?
168日本@名無史さん:2005/10/31(月) 20:45:01
いや、悪いww
卑弥呼と聞くとつい助平なほうに連想してしまって、
AVネタじゃなくても、日本書紀だってわりと助平なネタはあるし、
卑弥呼は、手塚治の漫画だとヒステリーの乳がん患者にされてしまうし、
つい、弟とできていたのかとか考えてしまうのだ。
169日本@名無史さん:2005/11/03(木) 16:25:51
この国の最初の王様が卑弥呼。
死んで皇祖神アマテラスになりました。

しかし神様が外国にペコペコしているのは変ですよね?
そこで時代を神代に移し、天照大神として崇めることにました。
人間としての女王卑弥呼は日本の歴史から完全に消されてしまったのです。
170太国:2005/11/03(木) 19:30:01
日神は卑弥呼にあらず。
171日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:34:48
天照大神は、紀元前1世紀の対馬の王。
卑弥呼は紀元後3世紀の北部九州本土の王。
時代も場所もまったく違う別人。
172日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:50:08
>>165

どちらも卑弥呼にしたら紛らわしいからだろ。
173定ちゃん ◆e8G3HDKGd. :2005/11/05(土) 10:51:17
卑弥呼=八百比丘尼=定ちゃん
ヾ(`・π・)ノ゛
 (  カミングアウト フォー
174日本@名無史さん:2005/11/05(土) 19:41:00
>>170 171
そう思っていただければ不比等としては願ったりかなったり
175日本@名無史さん:2005/12/03(土) 21:09:36
そうかえ
176日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:00:36
age
177日本@名無史さん:2005/12/20(火) 20:55:20
巫女の妃でわなかろうか
178日本@名無史さん:2005/12/23(金) 15:09:31
また天照大神は卑弥呼を神格化したという説が有力だと思います。
天照の名である 「オオヒルメ」は「ル」の部分が古語の「ノ」であり
実際には「ヒノメ」。ヒノメとは太陽に仕える巫女の意味で、同じく太陽に
仕えた卑弥呼と符号している。

卑弥呼の死亡時に北九州で日食が起こり、それが偉大な女王の死を強烈に
印象づけ神話として伝えられたのだろう。また天照が再び岩から出てきた
記述は、卑弥呼の後を継いで即位したトヨと思われる。

神話を見ると岩から出てきた天照は、それまでの天照と違い常に他の神と
団体で行動している。時には他の神々に権限を行使されて押さえつけれら
れている。天の岩屋事件以前の天照は常に単独で行動し、強大な勢力で
他の神々を圧巻してきたのだが、天の岩屋事件以降以後の天照はまったく
別神にように感じられる。

これは13歳で即位したトヨの事で、恐らく年若い為摂政のような立場の
人間が政治に手を貸していたのだろう。また天皇の平均在位を統計論から
見た場合、ちょうど天照と卑弥呼の時代が重なり合う。
179日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:51:23
服部っていう苗字は秀吉の時代に中国から招いた機織や
縫製の職人が祖なんだそうだ。
そのネーミングが古式に習ったものなら物部や阿部は
呉人の末裔を自称した卑弥呼ら中国系九州王朝の子孫と考えられる。
180日本@名無史さん:2006/01/07(土) 09:59:51
女王の名はヒミコではなく「ヒメと呼ばれている」だ。
ヤマトトトヒモモソヒメとは当時の倭人でさえ誰も呼ばなかったのだろう
ましてやシナチクに至っては・・・
181日本@名無史さん:2006/01/21(土) 22:48:21
ヤマタイカ説はここではどうなの?
182がいやまん:2006/01/26(木) 11:55:09
日本で女性兵士に関連する人はと言えば
イザナギ  墓を暴き女性兵士に追われる
神武    女性兵士を遣ってイワレを攻める
ヒミコ    多くの女官を従える
細木数子 時給制エキストラかもしれないが多くの巫女を従えて登場する
しかし、女性を多数抱えるということは雇用者にとっては大変な負担であるし、その
維持費用は恐るべきものであったであろう。トイレ、入浴、化粧、衣類保管などの問題
がある。風紀の問題もあるし、教育、軍事訓練などの問題もあろう。考古学的にこんな
ことがありえるのは纏向遺跡、記述に残されたものとしては倭人伝のヒミコに絞って
考えるべき問題だと思う。しからば、イザナギは何のために墓を暴いたか。ここになぞが
ある。ヒミコの死は後継者選定ルールのないままに起こり、武田信玄、秦始皇帝の
ように公表が送れ、一部の豪族が死亡日時を確定しようとしたのではなかろうか。
183日本@名無史さん:2006/01/26(木) 12:58:44
天照大神でなく、神功皇后でしょう。
184日本@名無史さん:2006/02/17(金) 09:27:06
>>180
自分もそう聞いた。っていうかこれテレビでやってなかった?
「卑弥呼」はシナーがつけた呼称。だから「卑」なんて漢字が入ってる。
「ひめ」と呼ばれていた以上、当時の統治者は他にいたと思う。


死んだ後に神格化されたなら、
神道風に解釈するならそりゃ非業の死を遂げたからじゃ・・・
卑弥呼失脚のきっかけは、立て続けに起きた2度の日食と聞いた覚えがありますが。
185横から失礼します。糸:2006/02/23(木) 14:23:19
邪馬台国の都跡が遂に発見されたもようです。。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが窺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。

参考HP 中段お知らせのトップ

http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
186日本@名無史さん:2006/02/27(月) 16:51:36
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
187”女王の墓”平原歴史公園オープン:2006/03/16(木) 14:18:58
卑弥呼女王の墓、祭地ともいわれる平原王墓域の歴史公園、明後日オープンのお知らせ
日本一の弥生の銅鏡 王剣 首飾りの宝石類数千個出土の豪華絢爛さは、他に抜きん出ています。
(出土品展示は伊都博物館で)

平原王墓歴史公園開園ニュース速報
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/ito-news.html

前原市波多江駅下車 貸自転車15分で高祖山連峰、日向峠、雷山、背振山脈に囲まれた平原遺跡が見られます。車の交通量がすくなく緑豊かな農村地帯です。古代に思いを馳せることができます。
188日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:10:34
189がいやまん:2006/04/11(火) 14:09:31
漏れは前々から宇佐神宮が応神によってあらされている感じがあり、また、
甘木朝倉地方に大和に共通する地名の多いことを不思議に思っていたが
その謎を解く試みとしてこういうのがある↓
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/6_J.html
190日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:31:36
あかくら
191日本@名無史さん:2006/05/22(月) 03:09:09
>>188
http://saioh.sub.jp/izen/24/senko/senko.html

ゆかこ・・・斎王・・・ゆかこ・・・
192日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:07:06
カンダルフ
193日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:54:59
ロードオブザリング 指輪 
194日本@名無史さん :2006/06/25(日) 23:49:42
そう、卑弥呼の都はロードオブザリングでいうところの
エルフの都でエルフの長が卑弥呼です。
卑弥呼の都は、交通の要衝で、天然の要塞のまちで、
現在も天満宮が祭られているところ。
奴国から東に100里の場所です。
不弥国(ふみ)の長で、不弥姫(フミコ)です。
中国の従者は卑弥呼と記述しました。
筑後平野は30余国にわかれていましたが、卑弥呼を
筑後平野の交通の要衝に都を設け、邪馬台国として
治安を統一しました。
連絡には、のろしを使い、その痕跡がこうごう石として
筑後平野の各国の山の頂にあります。
195日本@名無史さん :2006/06/26(月) 00:02:23
魏志倭人伝には帯方郡から、壱岐、伊都国、奴国、不弥国まで
の距離を、東南500里、東100里と不弥国まできちんと記述しており、
そこからさきは、水行・陸行の記述に変えています。
なぜなら、不弥国が卑弥呼の都で、邪馬台国そのものだから、
そこで、距離の記述は簡潔しているのです。
卑弥呼の国はその後の歴史上も、他国からの侵略の一大拠点として
機能しています。 水城・基山の名称もその名残です。
196日本@名無史さん:2006/06/26(月) 14:21:13
>>169
それあり得る。
なんたって「親魏倭王」であって、神様じゃないからね。
大和朝廷が邪馬台国から派生したとして、中国の古文書に載る
有名人で朝貢していたことがバレルと、アマテラスも箔が無く
なるからなぁ…

皇室は、邪馬台国時代の歴史を必死で隠している気配が見られる。
菊のタブーとは、実は、この事じゃないの?
197太国:2006/06/26(月) 14:36:11
女王国が九州にあり、畿内の朝廷の場とかけ離れていたために畿内に九州の情報
があまり伝わらず、記紀への記録が薄弱にならざるを得なかったということ
です。隠すだけ利害が大とはなっていないと思いますよ。
198日本@名無史さん:2006/06/26(月) 15:05:57
うにゃ。
畿内と北九州は、結構近い。
関東へ行くには、山が多くてかなり苦労するが。
邪馬台国からおん出た奈良一派が、九州をねじ伏せ
に来たのだから、卑弥呼とは縁が深くてもおかしく
ない。
199太国:2006/06/26(月) 15:26:18
>>198
江戸時代でも、江戸の刃傷を遠方の播州赤穂まで早馬で行って伝達するのに苦労
をしているのだ。貴殿はまるで卑弥呼の生存していた古代に新幹線でも通って
いるような感覚で古代史を考えるから、近隣のごとく感じる誤認をするのだ。
実際は当時において、それはそれは遠隔だったんだよ。
200太国:2006/06/26(月) 15:27:55
まあ映画とかで見てるから、早馬でなしに早かごだったかもしれぬが?
それならなおさらだろうが?
201日本@名無史さん:2006/06/26(月) 17:51:34
>>199
江戸から赤穂は遠いよ。
それに、奈良大和勢力は、九州を攻略しているが?
202太国:2006/06/26(月) 17:57:56
>>201
いつの話だい? それは本気に戦いを挑むならできないことはないがね。
まだまだほんの少ししかやれないことだ。無謀でも無理にはそれは可能でがね。
そうとうの兵力、財力の消耗がひどいはずだろう。
畿内と九州と全く交通がなかったわけではないが、ひんぱんには大変な訳さ。w
203日本@名無史さん :2006/06/26(月) 18:01:34
奈良大和勢力が九州の野蛮人にかなうわけがない。
204日本@名無史さん:2006/06/26(月) 18:28:11
弥生人の骨格は華奢らしいから、吉野ヶ里の連中もヒョロヒョロの細腕
だったんじゃないの?
205日本@名無史さん:2006/06/29(木) 14:39:42
>>187
卑弥呼の墓ってのは、結局どうなったんだ?
206日本@名無史さん :2006/06/29(木) 15:35:04
宮内庁が隠してるらしいよ。
207日本@名無史さん:2006/06/29(木) 15:47:55
>>199 九州〜近畿は当然、船だっただろう。瀬戸内海は運河のようなもので
古代のハイウェイだったはずだ。
208日本@名無史さん:2006/06/29(木) 16:10:30
道は無かっただろうからメインストリートは海路ですね。
209日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:24:32
>>208
あ…その可能性を忘れてた(汗
陸路山越えは厳しいな。
とすると、どこで船団を仕入れたかだ。
210日本@名無史さん :2006/07/01(土) 16:01:32
>>207
平和な考え方だが、そんなに瀬戸内海は平和ではないし、流れが急すぎて
運河みたいな訳にはいかない。
海賊(倭寇)はいただろうし、浅瀬であh潮の流れがはやいので、とても
古代の手漕ぎ船では、たちうちできない。
陸路が安全なはず。
211日本@名無史さん:2006/07/01(土) 16:19:08
いや、鉄器・青銅器の出土物や祭器の分布をみれば岡山・香川までの
瀬戸内海沿岸は九州との深い交易関係があったことが読み取れる。
また神武東征の神話をよく読めば、大坂湾に入るまではあちこちで逗
留している。つまり同じ九州の勢力圏にあったと考えてよい。
神武が苦闘するのは大坂湾に入ってからである。
212日本@名無史さん:2006/07/01(土) 16:20:50
>>210
瀬戸内海に海賊がいたという証拠は?
213日本@名無史さん:2006/07/03(月) 01:40:48
水軍の事を考えれば、もっと昔からそういう属性の団体はあったのかもな。
214日本@名無史さん :2006/07/03(月) 16:34:51
確かに海賊がいると考える方が、、海賊がいないという根拠をさがすより、
確立はたかいと思われる。
呼称は「海賊」ではないかもしれないが・・
215日本@名無史さん:2006/07/03(月) 16:38:43
海賊が繁盛するほどの船の通行量はなかったでしょうね。
216日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:22:02
>>215
古墳時代には、舟に関係する埋葬形態や副葬品がごまんとあるからねぇ。
案外、船乗りは沢山いたんじゃないか?
217日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:15:31
西〜南側はもともと海を渡ってきた人たちの勢力が大きかったからねえ。
218日本@名無史さん:2006/07/04(火) 07:41:46
船関係は、東北・関東でも多く見られるよ。
219唐松山:2006/07/07(金) 20:46:14
書き込みをさせて頂きます。

倭人伝の読み方
 官 の名前に注目しましょう。
対馬、一大、狗奴国、  卑狗 ・・・・・彦
投馬国、        彌彌・・・・・・ミミ・・・・・神武の子供等
伊都国         爾支・・ニキ・・禰宜・プラス・巫女
伊都国は大神社・・九州の一宮、総社 司る(掌る)は輸入=鉄
輸入した鉄の配分を決めるのは、卑弥呼
この辺から読み直しましょう。
220日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:18:31
>>205

>卑弥呼の墓
>>既に二つとも発掘調査済み
221日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:33:39
水軍、海賊はいつも甲冑、武器を身につけて睨んでるとお思いでしょうか!
ふだんは小船に乗って水没し貝を採ったりする海士をしたり漁師をしたり
陸(おか)に上がれば米も作り野菜も作る、邪馬台国の時代こんな人達
いませんか?、いざ戦と成れば皆よって軍団となるんですよ。
222日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:40:52
対馬がチョンに戦略的買収されているのに、日本人はバカだなぁ。
対馬の次は壱岐、次は九州だぞ。
223日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:54:18
ひふみ  よ  いむな  やこと
卑不彌  よ  忌むな  世事、 邪馬台国は我らがいただくスマン!
224日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:18:45
じょうすい
225日本@名無史さん:2006/07/19(水) 18:07:48
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
226日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:10:18
今、1308に居るというのが 分からんのか!
227日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:16:25
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
卑弥呼の墓は、宇佐神宮だよ。
228名無し募集中:2006/07/22(土) 21:24:58
>>227
気持ちはわからんでもないが、そうも一方的にやると反感買うだけだよ。
子供じゃないんだから。
229日本@名無史さん:2006/07/29(土) 23:18:24
>>228

>>227は宇佐だと主張したい人が書いたのか、
宇佐はありえないと思った人が馬鹿にするために書いたのか
分からなくないか?
私は、どっちかというと後者みたいな意味にとったが。

私の考えとしてはありえなくはないけど、
どっちかと言えば、トヨじゃないかな。
230日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:25:24
どっちにしろ書き込み方が幼稚だ。
231日本@名無史さん:2006/07/30(日) 09:44:37
いや、反対する側の荒らし行為で
主張する側が貶められたら可哀想かなって思ったんだよ。

>>228は、主張する側を非難しているように見えたんでね。

まあ、>>227はどっちが書いたかは分からんのだけどね。
232日出ずる処の愛国者:2006/07/30(日) 11:40:13

卑弥呼は当て字

本来の意味は『ひみこ』・・『日御子』・・『日の御子』・・『太陽の子孫』・・『天照大神』だと思う。

あくまでオレの意見、それも本の受け売りだが

233日本@名無史さん:2006/07/30(日) 13:16:41
>>227はどうせ
高木の本(邪馬台国の秘密)を見て、一時的に盲信しただけだろうから
234日本@名無史さん:2006/07/30(日) 22:46:06
ちょっと馬面だったけど、
綺麗な身体に綺麗な万個だったなあ。
235日本@名無史さん:2006/08/24(木) 12:58:32
なんやそれ
236日本@名無史さん:2006/08/24(木) 13:21:39
皇子・巫女・御子・皇女・神子

全部ミコって読めるからややこしいな。
237日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:20:54
日本書紀ってどこから正史として読めんの?
なんとなくニニギ以降かなと思ってんだが
238日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:21:32
精子ω握ぎぎ
239日本@名無史さん:2006/10/04(水) 01:33:19
>>232
現代読みで読んだ結果を推測してどうすんの?
240日本@名無史さん:2006/10/29(日) 08:47:09
卑弥呼の都は奈良
241日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:45:57
卑弥呼は青谷でトヨは淀江だな
242日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:05:44
>>233
高木彬光は小説家、ジンギスカンの秘密にしても、自分で信じて
書いてるんじゃねえよ。
243日本@名無史さん
>>232
本来の意味は秘密子
水蛭子だったらこわいな。