1 :
日本@名無史さん:
日中戦争の原因を考えて来いって宿題が学校でて、一応山川の
教科書をソースに考えてみたんですけど(↓)皆さんの意見お願いします。
○日本防衛→利益線の確保→日清戦争→朝鮮問題での日露対立(+国際情勢)→日露戦争→勝利(→戦争で何でも解決できる)
→日露協約で満州に利権を得る・・・満州開発・・・世界恐慌により、元々危うかった日本経済が危機的になる→満蒙は日本の生命線
→利権回収運動→日中戦争
○小作制の下の狭い国内市場→対中経済進出→嫌日
2 :
重複スレ禁止:2005/07/22(金) 02:37:13
3 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:42:16
失礼しました。
4 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:44:24
>>2
内容見たら、全然かぶってないじゃないですか。
5 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:54:54
>>4 それが自治厨クオリティww
大抵の自治厨は自分勝手な馬鹿か嘘つきばかり…気にすんな
6 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:57:35
>>5
ありがとうございます。
できれば>>1にも書き込んで。
7 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:01:12
8 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:10:40
>>7
質問してるつもりはありません。
上記スレでまともな回答がかえってくるとは思えません。
9 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:15:18
>>8 とりあえず
満州事変→停戦中に華北分離工作・西安事件→日中戦争(支那事変)
だぞ
一応区別しろよ
10 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:33:43
>>9
すいません。
でも、あんま直前期の細かいことは気にしないで。
大局的に日中戦争の原因について考えたいんですけど。
11 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:34:30
つまり
利権回収運動→日中戦争
この辺は僕としてはどうでもいいってことです。
12 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:39:58
>>10 満州事変当初は、中華民国も静観してた
満州事変終盤の熱河作戦で、万里の長城あたりまで占領範囲を拡大
それが後のゴタゴタの要因
根本的な原因は日本と中華民国が存在していたということにつきる。
しかし、それを言ってもしょうがないのでマジレスすれば、米国のペリー君が
余計なことしたり、英国が清とアヘン戦争しなければ日中戦争は起こらなかった。
というか、朝鮮人がもっとまともなら・・・
15 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:48:35
日中戦争の原因か、、、それは義和団事件のような外国人排斥運動に遡り、ひいては日本を東夷の国と見る中華思想に行き着く。今日の民間での対日運動に見るように、結局は中国人の性格に原因を求めるしかないんだな。
16 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:51:09
>>15 日本だって幕末に外国人排斥の嵐が吹き荒れたがな
下手に占領されたら、もっと酷かったろう
その点で中国を責める気にはなれない
17 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:09:39
そこが正に日本と中国、朝鮮の違いだ。日本人は自他双方の力量差を把握することができる。西欧に互する日本を創るために、倒幕運動を展開し、明治維新から近代国家を創ることができた。だが中国朝鮮は欧米人を単になぶり殺しにして勝ち誇っていた。その違いは大きかった。
18 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:19:41
というかみんなもっとまともに語ろ。
>>16 しかし幕府は外国人を守ったぞなもし。シナにおいては民衆が勝手にやったこととかいって、
政府の手には負えないみたいなこと言ってた。
20 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 06:13:53
学校のレベルにもよる
中学校ならあまり突き詰めるとやばい
21 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 06:59:02
枢軸ファシストの侵略の野望が第二次大戦を引き起こした主要な要因である事に議論の余地は無い。
豊田紡のスト暴動化、陸戦隊が出動 〔昭和11年11月21日 大阪毎日〕
〔上海本社特電23日発〕
上海東部の邦人紡績工場の争議は賃金値上げの実施によってひとまず沈静に
帰したが、西部紡績のうち豊田紡績ゼスフィルド工場では十七日午後六時の
交代時間に、一部男工の扇動により三千名の職工が怠業状態に入り、極めて
不穏な形勢をなすに至ったので、同工場では直ちに操業を停止し職工を帰宅
せしめたが、争議の首謀者とみられる男工の一団は第二工場に殺到し、
工場内部の機械設備を破壊し、事務所、食堂を荒し廻り暴動化の虞れがあっ
たので、同工場をやむなく操業を中止した。
第二工場の伊沢紡績課長は軽症を負ったが、工場一帯は工部局、公安局の手で
厳重警戒中であるが、騒擾により数名の職工が検束されたのでいったん工場外に
出た職工集団は午後十時に至るもなお解散せず、約一千名に及ぶ職工は工場
付近に集合して不穏の形勢を示しているので、かねて警戒中の我が陸戦隊員を
増派することとなり、陸戦隊員は数台のトラックに分乗、同工場に急行した。
なお豊田紡の争議は職工側から賃金値上げの要求が持ち出されず、いきなり
騒擾化したところに左翼団体抗日団の扇動運動による悪性のものとされ、七日
以来の在華紡争議において暴動化の過程をとった最初の争議として成り行きを
注目されている。
青島の日紡スト暴動化 〔昭和11年11月27日 大阪毎日〕
(青島二十六日発同盟〕
かねて怠業中の大日本紡の職工三千名は二十五日午後五時ごろ、二、三百名ずつ
一団となって四方街道付近を進行中、折から病院からの帰途、女中とともに自動車
で通りかかった豊田紡績支配人三田氏の令息勝悟君(十三)を襲撃、勝悟君は
顔面その他に負傷した。
右罷業騒ぎは国民党中央の声援を得て漸次悪化の傾向あり、青島市長沈鴻烈氏は
西青島総領事の了解を得て、賃金五分値上げの条件で調停に乗り出すこととなったが
罷業団側では来る三十日、給料受け取り後、全面的に罷業を拡大すると強がっている。
24 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 07:38:47
>>17 辛亥革命→北伐へと国家統一への道を歩みはじめたんだが。
25 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 17:15:20
日中戦争の原因だって?
決まってるじゃないか。
在中日本人の保護のために日本軍が出兵したことが原因だ。
反日ゲリラとの戦闘が激化し、泥沼戦争になってしまったのだ。
在外邦人なんか、「自己責任」ということでほうっておくべきだったのだ。
わざわざ治安のよくない国へ行くヤツが悪い。
今日、イラクへ行くヤツといっしょだ。
26 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:06:08
>>22,23
面白い記事ありがとう。
昔も今も同じようなことやってるね。
27 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 02:48:32
28 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:25:31
大体、日中戦争なんて言葉自体、おかしいよ。
当時、そんな言葉無いし。
29 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 05:22:14
ウヨ厨が屁理屈を捏ねてますwww
30 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:07:03
世界恐慌で先進国が非協力的だったから
アメリカはニューディール政策を〜とか言っても結局はブロック経済
急進的にソビエトだけが強くなりそれを食い止める役割を買って出たのが日本とドイツだったとも言える
31 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:10:48
ヽ(・∀・)ノ==●うんこー
が原因だろ
33 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 03:52:04
たがだがその程度誰でもしっとるがな
その程度がそれほど自慢かよ
35 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 19:20:32
それがウヨ厨クオリティ
36 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 03:05:13
32さんが、正しい歴史用語を答えただけでウヨか。
37 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 04:08:46
日本は条約改正に向けて正当な手続きを踏んだ。
鹿鳴館など、いまみると滑稽でも真摯な外交努力を積み重ねた。
中華民国は条約改正を武力でおこなおうとした。
しかもナチスドイツと手を組んでだ。
国際法上の侵略者は中国で日本ではない。
38 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 04:32:41
>>37 元々、日本の九カ国条約違反(北支介入)が衝突の原因
39 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 05:40:07
だから、その介入の原因を作ったのが中国。
>>38 九カ国条約の精神(既得権益の承認)を認めず革命外交を繰り広げた中国の責任も大きいよ。
41 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 05:48:09
>>39 >だから、その介入の原因を作ったのが中国。
日本が満州事変終盤の作戦で、万里の長城あたりまで占領したのが衝突の原因
42 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:01:01
43 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:24:57
>>1 久しぶりに群雄割拠して天下統一ゲームしてたんだよ。
面白そうじゃん。俺もまぜろと。
44 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:38:50
46 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 11:13:14
>>43 基本的に参加資格は民族を問わないからな。
48 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 13:26:28
49 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 07:38:47
>>1 日中戦争?支那事変と言いなさい。
原因は支那人が卑劣で馬鹿だからだよ。
50 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 09:11:29
ファシストの侵略に立ち向う勇敢なる人民の血と肉の上に連合国の勝利は達成されたのだ。
51 :
.:2005/08/01(月) 09:29:54
>>50 中国共産党が中国人民に何をしてきたのか知らないのか?
52 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 09:47:47
53 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 09:49:05
54 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:38:26
>>44 シナ大陸の真相は素晴らしいな。正しい知識がつく。
55 :
44:2005/08/03(水) 18:35:31
>>54 そのとおりです。
「暗黒大陸中国の真実」も名著です。是非お読みください。
豊田紡のスト暴動化、陸戦隊が出動 〔昭和11年11月21日 大阪毎日〕
〔上海本社特電23日発〕
上海東部の邦人紡績工場の争議は賃金値上げの実施によってひとまず沈静に
帰したが、西部紡績のうち豊田紡績ゼスフィルド工場では十七日午後六時の
交代時間に、一部男工の扇動により三千名の職工が怠業状態に入り、極めて
不穏な形勢をなすに至ったので、同工場では直ちに操業を停止し職工を帰宅
せしめたが、争議の首謀者とみられる男工の一団は第二工場に殺到し、
工場内部の機械設備を破壊し、事務所、食堂を荒し廻り暴動化の虞れがあっ
たので、同工場をやむなく操業を中止した。
第二工場の伊沢紡績課長は軽症を負ったが、工場一帯は工部局、公安局の手で
厳重警戒中であるが、騒擾により数名の職工が検束されたのでいったん工場外に
出た職工集団は午後十時に至るもなお解散せず、約一千名に及ぶ職工は工場
付近に集合して不穏の形勢を示しているので、かねて警戒中の我が陸戦隊員を
増派することとなり、陸戦隊員は数台のトラックに分乗、同工場に急行した。
なお豊田紡の争議は職工側から賃金値上げの要求が持ち出されず、いきなり
騒擾化したところに左翼団体抗日団の扇動運動による悪性のものとされ、七日
以来の在華紡争議において暴動化の過程をとった最初の争議として成り行きを
注目されている。
青島の日紡スト暴動化 〔昭和11年11月27日 大阪毎日〕
(青島二十六日発同盟〕
かねて怠業中の大日本紡の職工三千名は二十五日午後五時ごろ、二、三百名ずつ
一団となって四方街道付近を進行中、折から病院からの帰途、女中とともに自動車
で通りかかった豊田紡績支配人三田氏の令息勝悟君(十三)を襲撃、勝悟君は
顔面その他に負傷した。
右罷業騒ぎは国民党中央の声援を得て漸次悪化の傾向あり、青島市長沈鴻烈氏は
西青島総領事の了解を得て、賃金五分値上げの条件で調停に乗り出すこととなったが
罷業団側では来る三十日、給料受け取り後、全面的に罷業を拡大すると強がっている。
58 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:46:19
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
59 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:36:41
>>50 ファシスト?意味解ってんの?
それは、お前の国。
自民族優越主義の妄想に陥った枢軸ファシストが周辺諸国への膨張主義的野心を以って覇権を確立せんと侵略の触手を伸ばし始めたのだ。
61 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:06:09
62 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:16:01
63 :
ダツヲ:2005/08/04(木) 10:18:47
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍
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ヤンキーは欧州でイワンの馬鹿とタメを張ることを優先させ、
極東のイワンの弾除けのチンピラゴロツキは適当にあしらった。
65 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 18:02:06
>>40 ドキュソ輸出がマズー。
ま、大量殺戮など、
日本もアメリカも中国もロシアも
どこでもやるだろうけど。
66 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 07:17:43
日中戦争って歴史用語、いつ出来たんだ?
俺、こどもの頃は日華事変と習った。当時を知る親父は、
支那事変と言っていた。大東亜戦争(親父はそう呼んでた)と区別
してたね。中国とは、片手間でやっていた戦闘であり、
アメリカとは国を挙げての戦争であったと。
中国では、日本に勝ったと宣伝したいが為に、中日戦争としたいのだろうが
日本では、当時、事変と呼んでいたのが事実。
歴史用語を変えては、後世の人間が受けるイメージが、
まるで変わってしまう。
>>66 実質的には戦争だよ。
事変扱いとしたのは、中立法(アメリカの法律)で、
輸入規制に引っかかるのを懸念した等の理由。
近衛の「国民政府を相手にせず」
で短期終了の機会を絶ってしまった。
>中国とは、片手間でやっていた戦闘であり
気楽な認識だな。日本軍を買いかぶりすぎ。
後期の戦闘が散発的になったのは確かだが。
68 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 07:50:34
>>67 実質的には戦争だよ。
そういう認識は否定はしない。
それでは、66さんの言ってる、日中戦争って歴史用語は
いつ出来たんでしょう。
どんな理由であれ、そんな歴史用語は当時には無かった。
69 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 12:13:19
>>68 > どんな理由であれ、そんな歴史用語は当時には無かった。
百年戦争や三十年戦争も、当時にはなかった用語ですねw
いはゆる大東亜戦争といふ言葉の意味につきましては、昨年十二月
十三日、情報局から、「今次の対米英戦争は、支那事変をも含めて、こ
れを大東亜戦争と称ふことになつた。大東亜戦争とは、大東亜の新秩
序建設を目的とする戦争といふ意味であつて、戦争の遂行される地域
を、大東亜だけに限定するわけではない」といふ趣旨の発表をいたし
ましたが、このことは皆様もよく御記憶のことと思ひます。
すなはち、これにより明かなるごとく、大東亜戦争は、大東亜にお
いて新なる秩序を建設せむがための戦争であり、従つてこの戦争は、
欧州における、独伊両国を中心としての欧州新秩序のための戦争と、
密接なる関係を有し、欧州新秩序の建設と相俟つて、世界新秩序建設
の上に、極めて重大な役割を有してゐるのであります。
”大東亜戦争の意義とその使命” 情報局総裁 谷正之 1942.1.6
71 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:27:58
72 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:43:05
1931年石原莞爾中佐の計画による南満州鉄道爆破の
柳条湖事件から満州事変へ
73 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:49:55
消された「通州事件」
盧溝橋事件の約3週間後に起こった、おそるべき虐殺事件についてご存知でしょうか。
北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られません。
学校の教科書には全く出てきませんし、多くの歴史書や年表にも殆ど載っていません。
若い人たちは、事件の名前すら知らない人が殆どでしょう。
この通州事件というのは、昭和12年(1937)7月29日に起こった、
中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件です。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、
日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、
およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺したのです。
戦後の東京裁判で、弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として
提出しようとしました。しかし、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下されました。
この事件にふれてしまうと、日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという
判断があったからでしょう。ただ、通州事件の目撃者による口述書だけは受理されました。
中国の保安隊は、
日本人居留民を通州城内に集め、城門を閉じ、逃げられないようにして、
一斉に殺戮行為を開始したといいます。決して偶発的な出来事というわけではなく、
明らかに事前準備と計画をともなった組織的な行為だったのです。
当然ながら、この虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂させましたし、日本国内にも伝わって、
国民の中国に対する怒りは頂点に達しました。
盧溝橋事件は、純粋に軍どうしの衝突であり、それは現地で解決がはかられました。
ところが、この通州事件は明らかな国際法違反であり、
その殺し方はまさに鬼畜のしわざとも言えるものでした。
当時の日本人の反中国感情はこの事件を抜きにして理解することはできないのです。
また、この事件に触れずに日中戦争を語ることはできないと思います。
74 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:52:39
>>71 兵頭二十八って、
日本の九カ国条約無視、華北分離工作、北京占領等を無視、
張作霖殺害まで向こうの責任にして、
中国=上海攻撃で日中戦争を起こした張本人で卑怯者と言ってるんだろ。
恥知らずだね。
>>73 通州事件は、日本の傀儡政権に所属する中国人保安隊の事件だろ。
飼い犬に手を咬まれた事件。
日本政府と傀儡政権の間で、謝罪等の話は付いている。
中国人の残虐さを表す事件ではある。
76 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 02:45:45
通州事件って、殺された「日本人」と称する居留民の半数が朝鮮人
しかも阿片商売人
こういう時だけ日本人に入れてもらえる朝鮮人w
77 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 03:14:46
>>72 満州事変にも原因ってものがあるだろ
例えば、
満州事変
・1905(明治38)年の条約で日本人に認められた商工業、農業に必要な土地の商租権も、
中国官憲によって侵害された。1915(大正4)年には、「日本人に土地を商租した者は
売国罪として死刑に処する」との法律まで制定している。
翌年には奉天省政府が、日本人に「担保として地券(土地証明書)を使用し、あるいは担保
の名目で土地を売却した者は売国犯として扱う」との法令を下している。こうした法令が、過去
に遡ってまで適用され、日本人の南満州における商租権はまったく不可能になってしまった。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/mansyu_jihen_1.html
78 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:47:02
>こういう時だけ日本人に入れてもらえる朝鮮人w
そもそも、朝鮮併合自体から、日本人に組み入れる方針でしたが何か?
79 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:48:25
☆中越戦争 ・・・中国とベトナムの間で1979年に行われた戦争
1979年2月17日、中国共産党政府は雲南と広西から20万人の中国人民解放軍をベトナムに侵攻させた。
中国人民解放軍は、ベトナム領内の占領都市を徹底的に爆破したのち3月6日から撤退を始め3月16日撤退を完了した。
この戦争で、両軍とも戦死者約2万。ベトナム一般市民約1万人が犠牲になった。
この戦争でベトナム外相が江沢民に「中越戦争の謝罪」を要請したが、
「もっと未来志向にならなくてはならない」と江沢民は謝罪を拒否。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89
80 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:49:28
チベット独立運動・チベット人人権保護運動
中国製品不買運動・対中国ODA廃止運動
あなたは、子供を産めない女性たちがいるのを知っていますか?
子供を産むと罰金が科せられる女性たちがいるのを知っていますか?
中絶が強制され不妊手術をなされる女性たちがいるのを知っていますか?
それはチベット人女性たちです。中国は、チベット人女性に対してこうした非道行為を行い、チベット人の浄化を行っているのです。
あなたは、核の怖さを知っていますか? 放射能汚染の怖さを知っていますか? 核の放射能によって、体調を崩し死に至ります。
奇形児の原因でもあります。中国は、そうした核廃棄物をチベット高原に捨てているのです。
チベット人たちが、不可解な死を遂げ、多数の奇形児が誕生しています。
あなたは、こうした残虐非道な「中国」と仲良くなりたいのですか?
チベットの次は日本かもしれません。中国に対する抗議運動として、「中国製品不買運動・対中国ODA廃止運動」をしてみませんか?
健康に気を付ける方なら簡単です。中国産「毒野菜」を買わなければ良いのです。
環境意識の低い中国では、農薬にも産業廃棄物にも無頓着なので、野菜を初め確実に汚染されています。
健康に気を付けるために、中国産「毒野菜」を食べない、まずはこれから始めませんか?
>>1の宿題は終わったのかな。
学校では、15年戦争、日本の侵略って書いておかないと
良い点数は貰えないでつよ。
82 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 06:55:39
>>78 日本人であることの恩恵を一番うけたのは朝鮮人
伊達準之助も中国人たちをダマして船ごと沈めたしな。 日本は中華民国に酷いことをした。
84 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 07:07:01
昭和のテンコロが無能だった。
85 :
83:2005/09/19(月) 07:07:27
中国人民にはもちろん、蒋介石にも申し訳ない。
86 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 07:19:29
まあ、過去を抽出選別しての洗脳教育を中狂が止めて
日本人が草の根で
元寇から文化大革命など中国人が知らない歴史を教えてやらないとな
87 :
83:2005/09/19(月) 07:31:50
日本軍はパプアニューギニア人にも酷いことをした。 現地人女性を強姦して殺して、その肉を食べたり。 インドネシアではムスリム・ムスリマに天皇崇拝を強制したりもした(私もムスリムだったから、その苦痛はわかる)。
天皇崇拝ってアホだよな。
89 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 17:34:20
支那事変の潜在的原因
・・・・・・・・・・・・・・・・・
1933年5月の土肥原・秦徳順協定(塘沽協定)締結以後、関東軍は、華北5省の自治も策動し始めた。
1935年9月、天津駐屯軍司令官多田駿は、反満抗日分子の華北からの徹底駆逐、華北経済圈の独立、華北5省との軍事協力・赤化防止の3項目から成る声明を出した。
10月4日の閣議において、陸軍大臣川島義之も、華北自治奨励案を提出し、華北分離は日本の正式な政策となった。
当初、二十九軍軍長宋哲元、河北省主席商震、山東省主席韓復、山西綏遠綏靖主任閻錫山の4人が工作対象とされたが、彼らは傍観の態度をとり、自治政権の樹立に明確に賛同しなかった。
11月11日、土肥原は、蒋介石に不満を持っていた宋哲元に彼を首班として自治政権を樹立することを提案した。
同時に、11月20日まで自治を宣布しなければ、華北に日本軍を投入するとの最後通牒も突きつけた。
土肥原の行動を支援するために、関東軍司令官南次郎は、11月12日、独立混成第一旅団の山海関への派遣命令を下した。
また、16日、航空隊6個中隊が山海関、錦州地区に集結し、旅順、青島の巡洋艦と駆逐艦各1隻が大沽口に派遣された。
これらの圧力にも拘らず、宋哲元は、自治を行わないことを土肥原に通知した。宋哲元に対する工作失敗後、早稲田大学の卒業生で、日本通として知られる殷汝耕に狙いが定められた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
塘沽協定までで止めておけば、中国との戦争は回避できた。
90 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:00:32
>>88 だけど、天皇崇拝からの恩恵は計り知れなかい
91 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:52:20
>89
>塘沽協定までで止めておけば、中国との戦争は回避できた。
岡村寧次とか言ってるね。
92 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:09:24
>だけど、天皇崇拝からの恩恵は計り知れなかい
スマンが意味がわからない。具体的に書いてくれ
93 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 02:07:29
第三次北支処理要項のころはもう遅い?
94 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:12:13
95 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 20:24:03
「日本経済が危機的になる」の状況の時、
どうして戦争をしかけたのかよく分かりません。
戦争になれば経済はもっと悪くなると思いますが。
96 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:33:51
負ければね
アモリカも軍需産業活性化のためにイラク侵攻したろ?
97 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 01:27:06
あと戦時に乗じて、普段なら通し難いような経済政策を実行することもできた。
革新官僚なんかこれに近い考え。
満州善後条約と満鉄併行線禁止
ポーツマス条約で我国が遼東半島租借権と東支鉄道南満州支線(後の満鉄)を
ロシアから移譲されたことは既述した。ところで、このロシアの権益の移譲につい
てはロシアとの原締約国である清国の承諾が必要であり、そのことはポ条約にも
明記してあった。そこでポーツマス条約調印後の同年十二月、北京で日清間に
条約が結ばれ、右の権益移譲について我国は清国の承諾を得た。
これを「満州善後条約」とも云う。
後年中国は、所謂ナショナリズムの高揚に乗じて日本の在満権益一切を否認し
旅順・大連や南満州鉄道まで一方的に実力で回収せんとして「革命外交」なるもの
を展開し、これが日華間に紛議を生じ、満州事変の一因となったが、右諸権益は
露国及び清国が条約によって日本に譲渡したものであることを忘れてはならない。
いづれ書くことになろうが、日米開戦前夜、米国が我が方に突きつけてきた
ハルノートの中には右のポーツマス条約及び満州善後条約で日本が合法的に
取得した遼東半島租借権や満鉄さえ否認し、その撤廃を要求する項目を含んでゐた。
それは米国が仲介したポーツマス条約を米国自信が否認し、日本が日露戦争以前の
状態に戻ることを要求するに等しかった。
このようなハル・ノートを突きつけられた
日本が海戦を決意したのは是非もない次第だったと云へよう。
さて、この日清満州善後条約に関して重大な一点は、条約の付属議定書で、
満鉄の利益を保護するため、満鉄と併行する幹線や満鉄の利益を害する支線を
建設しないことを清国が承諾したことだ。この「満鉄併行線建設禁止」条項もまた、
後年中国側が次々と侵犯を重ねたため、満州事変に連なる日支間の重大争点を
形成していったのである。
99 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:47:02
age
100 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:51:23
100げっつ
>>95 ま、まて。別に仕掛けちゃいない。廬溝橋事件は偶発的(共産党の謀略説はあるものの…)に起こり、なしくずし的に支那事変へと発展した。
て、遅いか。
>>101 あえていうなら抗日を力でねじふせて、満州と北支利権みとめさせるためって
とこかな
103 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 03:42:19
北支事変は廊坊事件、広安門のような不法戦闘行動を起こした中国軍に対する討伐行動
一触即発。泥沼。
一撃を食らわして支那の抗日を打ち砕くって奴だけど
やっぱ一撃というからにはチハではちょっと・・・
>>103 以前から北京周辺に分離工作を掛けてたからな
散発的な事件を契機に北京を占領して、討伐というのも腑に落ちない
107 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 07:50:01
>>103 アメリカの論理と同じだな
勝手に世界各地に出張って、反発した地元から攻撃を受けるとテロリストのレッテルを貼って「討伐」
108 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:12:15
109 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:27:43
大蔵省エリート官僚・大平正芳の任務
http://tanakanews.com/jimbo/213.html#drag 日本の対中国中央機関として、1938年12月16日に設置された『興亜院』が、その
推進母胎となった。興亜院総裁は日本の首相であり、外、蔵、陸・海相を副総裁
とした。 翌39年3月10日、興亜院の現地機関として中国の華北、蒙疆、華中、
廈門、に『連絡部』を、青島(チンタオ)に『出張所』を設置した。
興亜院設置から約半年後の6月20日、仙台税務監督局・関税部長から転任し
たひとりの大蔵省エリート官僚が、『興亜院・蒙疆連絡部』の経済課主任として張
家口に到着した。1980年、「6月総選挙」のさなか、現職首相として急逝した大平
正芳その人であった。大平が蒙疆連絡部に着任する直前の6月9日に、「新アヘン
政策」が発表されていた。
この「新アヘン政策」は、『蒙古連合自治政府』(いわゆる「第二満州国」とい
われた『蒙疆政権』)の経済部煙政塩務科が作成した「蒙疆アヘン事情概説」(41
年9月)によると、「蒙疆、北支、中南支を通ずるアヘンの自給策確立を根本方針
として増産計画を樹立するため…新制度を創設した」とある。 翌42年3月付の
『蒙疆政権』内部文書に、「最近蒙疆経済特殊事情 最高顧問上京原稿」というの
がある。以下はその抜粋。
「(蒙疆政権の)健全なる発展はまず財政経済の確立にあるをもって、とりあえず
財源の確保に全力を傾倒し、その一策としてアヘン行政については、1)アヘンの
財政経済上における重要性、2)日支事変勃発にともなう占領地域内におけるアヘン
の欠乏、3)外国アヘン輸入による資金の円ブロック外流出防止、などの見地より…
従来区々なりしアヘン制度を撤廃し、これが一元化をはかり、準アヘン専売制度の形
式をとり、内においては漸減断禁政策、外にたいしてはこれが増産を企てんとする趣
旨にそうべく、成紀734年7月清査制度の成立をみたり。」
110 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:19:04
日中戦争の原因なんて、簡単な事だろう。
中国共産党に嵌められたんだよ。
嵌められる日本が馬鹿だったって事。
111 :
大學ヘ授:2006/01/22(日) 12:52:42
日支間の軍事衝突は事変であって戦争ではありません。
棄てはいい加減トリップ覚えろ
113 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 10:07:51
朝鮮半島での利権をめぐって起きたんじゃないの?
いずれにせよ朝鮮半島に打って出るからには
中国やロシアとの衝突は避けられなかっただろう。
そしていずれアメリカとも衝突が起こることは
必然であろう
114 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 12:58:19
明日テストで日中戦争についてまとめなさぃ。って出るんですけど、、、廬溝橋事件とかなんか色々出てきちゃって訳わかりません↓誰か日中戦争につぃて教えてくださぃ(´・ω・`)
明日・・・
中学か高校かわからんが間に合わないな。
時系列だけさらっとなぞっとけ
117 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 09:39:41
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896670116/250-4836139-1074665 大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六
中川 八洋 (著)
コピペだが
大東亜戦争=太平洋戦争に日本を引きずり込んだ当時の日本の総理大臣・近衛文麿が
共産主義者であった事実に関して、著者は様々な角度から明らかにしています。
そしてまた近衛上奏文が近衛自身の正体を覆い隠す為の大芝居であったことを著者は
完璧に論証しています。
朝日新聞が近年においても「平和を愛した理想主義者であった」と賛美している尾崎
秀実(近衛文麿のブレーンでありゾルゲ事件でソ連のスパイであることが発覚、処刑さ
れました)が雑誌「改造」や「中央公論」で、どのように日中戦争を泥沼化させるた
めの論陣を張ったか詳細に書かれています。
近衛文麿が共産主義者であったか否かは本書を一読すれば分かります。
左翼が一番恐れる本です。
ソ連の謀略だったんだろ。
119 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:33:15
ユン・チアンの「マオ」は面白いよ。
スターリンは、日本を中国の泥沼に引きずり込むため、
蒋介石配下の冬眠スパイを覚醒させ、上海で戦端を開かせた。
蒋介石も日本も全面戦争を望んでいなかったが、
日本は大陸奥地まで引きずり込まれ、蒋介石は精鋭部隊を失った。
結局、共産主義者のみが利する状況になった、という。
120 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:48:30
そうそう、あの戦争で一番得をしたのはどう見ても中国共産党のような気がする。
国民党も欧米からの圧力を気にする日本政府もどちらもこの戦争を望んではいなかったのでは?
121 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:50:22
当時朝鮮半島、満州は日本のもの!板垣が上海あたりでスケベ心も持っていた!でも中国内でゲリラ的に日本人を虐殺されてたのでまた何度抗議してもやめないので、アッタマ来て降伏させる為に侵攻して行ったのさ!
122 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:25:18
あと、アメリカも上手いことこの戦争にのっかたようにも見える。
アメリカが国民党のバックにしっかりつくことによって、国民党は対日徹底抗戦ができた。
いきおい日本がこの戦争を終わらせるためには、国民党と講和するか、アメリカを叩くかしか無かったと思う。
この戦争が太平洋戦争を不可避としたという意味では、後々考えてもこの戦争はイタかった。
123 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 01:03:21
第二次大戦で得したのは、どう見ても共産主義者。
日本を中国大陸に釘付けして、ソ連の安全をはかり、
蒋介石の軍に日本軍をぶつけてその弱体化をはかり、
アメリカを日本軍にぶつけて片付ける。
当時、ルーズベルトの周囲にもモスクワのスパイが暗躍していたという。
まあ、アメリカを引きずり込むことは、蒋介石と共産主義者の利害は一致していたけどね。
のちに国共内戦が再開したときに、蒋介石はしてやられることになる。
124 :
日本人:2006/04/06(木) 20:50:14
「事変」の時は職業軍人は危険手当、日当をもらい、戦争になるとなくなった、
というのは本当か?
125 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:55:59
内戦でヒヒー言ってた中国に堂々と政治的、軍事的、経済的に攻め込み、
米英独(1937まで)ソの支援でなんとかこらえる中国。日本は首都南京を陥落。
戦争終わるかな?中国、首都を漢口に。日本軍首都漢口攻略。戦争終わるかな?
中国、首都を重慶に。えーーーい、しつこい。日本軍、重慶猛爆撃、戦争終わるかな?
イギリス領事館炎上。イギリスぶち切れ。ならば重慶を攻め落とすまで。
だめです。重慶を攻撃した場合、死傷者は5万を超えます(レイテ戦では死者だけで9万越え)
なに?そんなに?ならばやめとこう。
えーいアメリカのやろう、中国の支援ばっかりしやがって、ゆるせねえ。アメリカと戦おう。
え?勝てるんですか?アメリカと戦争すんのは海軍だ。勝てるんじゃねえの?
どうしてです?その為にでっけえ戦艦つくってんだろ?
そうだ、俺たちにももっと戦争させろ!
あっ海軍さん(汗)
海軍は重慶の爆撃しかしてねえもんな。せんそうしねえとたくさん予算もらえねえもんな。
その通り、大和型戦艦もっと欲しい。翔鶴型空母とかも欲しい。
武器とお金欲しさに戦争かよ(独り言)
大もうけ大もうけ(by三菱、中島、その他)
127 :
日本人:
>>126
サイパン島にある戦車とか製造メーカーのとこ削ってわかんなくしてる。
やましいとこあったヤツはがしたんだろうな。軍人、それにたむろする軍需産業
のため国が疲弊、貧国強兵になったことが大戦突入理由じゃないか。