1 :
濃姫大好き!:
濃姫=帰蝶
が大好きな者 集まれ〜!集まって下さい!集まれや!
姫様について語ろうよ!
姫様の参加もいいぞよ!
さあ、始めるぞよ!
2 :
濃姫大好き!:2005/06/06(月) 10:41:03
あっ、ちなみに私が、会員No.1 だ!
3 :
織田信長:2005/06/06(月) 19:35:08
5 :
濃姫大好き!:2005/06/06(月) 19:48:42
今日のお話。
濃姫=帰蝶の史料は少ないぞよ。
1535年 天文4年 岐阜鷺山城 帰蝶さんが誕生!
父 斉藤道三
母 小見の方
またの名を「鷺山殿」とも言うらしいぞよ。
この内容でどうだ???
多数の意見を求むぞよ。
6 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:15:51
明智光秀の従兄弟という説あり
7 :
織田信長:2005/06/06(月) 20:30:10
8 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 21:07:19
>>5 小見の方は、えらく美人だったという。
そして、帰蝶もしかり。
そんな彼女を、道三は膝の上に乗せるほどに可愛がったという逸話あり。
生まれたのは、鷺山ではなく稲葉山城(後の岐阜城)という説もあるぞ。
ついでにいえば、その頃ってつっこみようがない。
どうだと言われても困る・・・
もう少し、時代を下らせないか?
現存してる史料全部出してもたかが知れてるんじゃないか?
出し惜しみせずに出せ。
姫スレや関連姫スレで充分語られてるからね・・・。
12 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 01:56:03
お濃好きには、肩身が狭い昨今
なぜに、彼女に関する史料がここまで少ないのか…
13 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 02:43:41
秀吉や家康に協力しなかったからじゃねえ〜の?
(特に秀吉)
14 :
濃姫大好き!:2005/06/07(火) 05:07:17
1548年 天文17年 信長との婚約話が出てくるぞよ。
帰蝶、14歳の秋?だったぞよ。
>>8 あの、マムシさんも親バカだったのね。
いつの時代も親ばか、には変化がないって事なのね。
?いつの時代がいいの???
>>11 そのスレ、何処にあるの???
>>12>>13 協力しなかったのか、出来なかったのか、どっちなの???
その点を詳しく、教えてほしいぞよ。
>>14 >そのスレ、何処にあるの???
濃姫大好きってわざわざスレまでたててんのにマジで言ってるの?
日本史板、三戦板眺めりゃ色々あるじゃん。
16 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 15:01:42
>>14 13ではないが、協力しなかったの方ではないかなと。
彼女は賢かったという逸話もあるから、権力闘争に関わって、
利用されるのを、避けたんではないかな。
清州会議に顔を出さなかったのも、光秀云々もあるだろうが、
何よりも自分の影響力を知っていたからこそ、あえて出席しなかったのでは
ないだろうかと。織田家がこれ以上分断するのを避ける為にもね。
17 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 19:01:10
>>12 お濃に限らず、斎藤家自体の史料が無さ過ぎに思う。
個人意見だが、池田家に何か伝わっていそうな気がする。
18 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 20:48:42
信長が岐阜(稲葉山)城を占拠した時にはしんでるよ。
19 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 21:27:46
口臭臭杉
20 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:10:44
死んだとも生きてたともないのがこの人でしょ。
21 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:20:57
>>18 仮に死んでいたとして、壷事件・しうとめ記述・竜興の馬場殿側室差出拒否に
そして、陽華院についてはどうお考えで?
22 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:06:22
>>21 養華院だよ、と一応ツッコミ。
濃姫離縁説、死亡説派の人々は、あの壷事件の「信長本妻」を別人だと考えてるようで。
確か、楠戸義昭だっけ?武功夜話・吉乃マンセーの人だけど、その人は、
馬場殿が結局、信長に嫁して本妻になったのではないか、とか書いてたように記憶。
学研wwwの文庫だったような。記憶違いだったら誰か訂正よろ。
つーか、信長の妻妾で一次史料に記述が残ってるのって、
信長公記の道三息女の婚姻の記事と、
言継卿記の「信長本妻」と「信長妾なべ」、崇福寺のおなべ自筆の書状、
あとは信孝の生母が公家の女房衆に贈り物したかという記録ぐらいのもんなんでしょ?
26人もいたという子供達の母親なんて殆ど誰が誰かも知れてない状態。
三戦板でもさんざんループしてるのを見てたんだが思わず書き込みw
三戦板ついでに、そこからのコピペで悪いけど、馬場殿ついてはこの解釈が妥当だと思われ
320 :無名武将@お腹せっぷく :2005/05/13(金)
>竜興申さるるは、信長は故道三の婿なれば、
>信長妻の為に姪なれば、其の妻死後に遣し難し
この文章からして、竜興は信長に馬場殿を渡すことを断ったみたいだな
仮に信長妻死後なら、信長との関係を踏まえた上で、
むしろ、信長の希望通り喜んでやったと思うぞ…
それに、妾としてだろ?正妻が存在していたから妾じゃないのか?
斎藤家(一色家)の娘を妾としてというのだから、
正妻もそれなりの身分なのは、推測できる。
そして、信長は道三の婿の関係から、(馬場殿は)その妻をもって
姪にもあたるからと、竜興は理由も言ってるわけで、
文面的に断ってる感じから、これらを総合的に考えれば、
馬場殿は、あんたのかみさんの姪にもあたるわけだから、
道三の娘であるかみさんが死んでもいないのに、
(叔母としての心情からも)その姪を妾としてやれっかよって
感じではないのか?
24 :
濃姫大好き!:2005/06/08(水) 06:17:34
1549年 天文18年 1月? 帰蝶15歳
信長さまとの結納を行こないましたぞよ。
この時の気持ち・・・。(想像)
父様に言われ仕方なく〜。兄様は反対しているみたいぞよ?
この時代は政略結婚がほとんどなのかしら???
帰蝶について、超〜詳しいサイトを知ってみえる方はおられますか???
いろいろ徘徊したけれど、新情報はないのよね〜。
25 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 01:46:25
>>22 文庫版が出ているのかはわからないけど、
毎日新聞社刊・信長と女たちー激動と流転の一族ーという
本の中で、そのことを書いてるよ。
この人は、
>>23のコピペの部分を引用して、さりげなく濃姫の死を
明言してると言っているけど、書かれている死後以下の部分を読むと、
濃姫の死より、むしろ生きているってことを証明しているようにしか
思えないんだよねw
詳しくは、三戦ネタだからあっちのスレに書くけど、
竜興は、奇怪なことって言っているし、信長もそれに対し憎き申し分なりと返事。
濃姫が生きているからこそ、竜興は奇怪と言ったのだろうし、
信長も、こんな返事をしたんじゃないかなって思う。
仮に、本当に死んでいたとすれば、信長は逆に納得したろうから。
>>25 その作家がとは言わんが、武功&吉乃マンセー者は、吉乃の吉は吉法師の吉と平気な顔で
言ってのける痛さがウリだからな。
27 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 03:14:12
>吉乃の吉は吉法師の吉
なんや、その腐女子丸出しの解釈はw
28 :
濃姫大好き!:2005/06/09(木) 08:21:58
1549年 天文18年 ?月 帰蝶15歳
結婚式を行ったぞよ♪
那古野城でいいのかな、それとも古渡城なのかな?
新婦なので、待遇も良かったのかしら。
八切曰く、奇妙丸の奇は、奇蝶の奇
30 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:00:56
>>29 それでは、まるで信忠はお濃の実子って意味あいになるなw
っておい?!
>>1 知ってて類似スレ平気でたてるアフォなんじゃね。