【土橋】中世の城に(;´Д`)ハァハァ汁2【虎口】
1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 19:37:29
2ゲト
3 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 09:54:05
道南の館見ている人いる?
大館、勝山館など見たんだけど、なかなかの規模でした。
>>3 10年程前に勝山館と志苔館を見てきました。
勝山館は虎口両脇の土塁上に柵が復元されてたけど、当時はほんとに発掘で検出されたのかなぁ、と疑問に思ってました。
志苔館は夏草で覆われてました。今はどうなんだろう。
当時はまだお城見学で済ませてたので、事前に何の資料も揃えてないばかりか、現地での記録も取っていません。
今から思うと惜しいことをしました。
もっとも観光目的で行ったので、同行者からは嫌がられたでしょうが。
>4
おお、ご覧になりましたか。どちらも保存状態のよい館ですね。
志苔館も観に行きました。私が行ったとき(昨年秋)は
きれいに下草が刈ってありました。
勝山館には、今年の春に行ったのですが、勝山館のそばに資料館が
できてました。付近の墳墓群を含む関連資料が展示されていて
勉強になりました。
勝山館は、本郭の発掘が進んでいますが、歩いてみた印象では、
周辺の尾根にも相当規模の遺構が眠っていそうです。
このほか、花沢館と州崎館(上の国)、泊館(江差)、原口館と大館(松前)を
観ました。
大館は、残念ながら下草が多くて観づらく、また、畑や植林で
遺構が破壊されているようですが、発掘すれば、勝山館に匹敵する遺構が
出てきそうです。州崎館、泊館についても同じことが言えると思います。
(泊館については位置も特定されていないようですが。)
6 :
4:2005/06/06(月) 23:09:07
>>5 > 勝山館のそばに資料館ができてました。
な、な、なんと!
見に行きたい。
しかし、遠い。あまりにも遠すぎる…。
> このほか、花沢館と州崎館(上の国)、泊館(江差)、原口館と大館(松前)を観ました。
私は観光目的だったのでせいぜい松前城と五稜郭をみた程度です。
しかも二日酔いであまり覚えていません。情けない…。
7 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 10:20:44
前略
入梅でつね。皆さん、山城探索は藪との戦いになります。
健康、害虫、蛇、熊に気を付けて下さい。
草々
この夏、出雲方面に遠征を企てています。
月山富田城跡は、夏でもある程度探索可能でしょうか?
何年か前、キレイに整備されてる写真を見たことがあるのですが、あれは
大河ドラマの「毛利元就」放送にあわせて行ったっぽいので、もしかして
現在はもう藪に埋もれてしまってたりするんでしょうか。
>8
数年前の夏に行ったが、本城付近は整備されていておおむね全体を
見ることができた。
ただ、新宮党の出城などは、時間がなくて見られなかったけど、
こちらまで下草刈りされているかどうかは微妙ではないかな。
中途半端で役に立たなそうな情報ですまん。
>9
情報ありがとうございます。
夏でもある程度の探索は可能そうですね。「完全に藪化してしまっていて、
とりつくことすら不可能」みたいなこともありえるのかな、と心配になって
ましたので。安心しました。
自分も毛利元就の頃に行きましたが
よく整備されていたと思います
本丸付近が良かったです
私は7年程前だったでしょうか。
本丸にはスズメバチの巣があって難儀した記憶があります。
さすがに今はないでしょけど。
新宮党館は下草が狩ってあって見やすかったように覚えていますが、
発掘調査の詳しい紹介がなく少し不満でした。
今はどうでしょうか。
機会があればもう一度行きたいと考えてますが、遠いのでなかなか実現していません。
>12
マムシも困るけど、ハチも困りますね。
私は、今年の5月に道南の勝山館に行ったのですが、野草が花盛り
だったためか、まだ5月というのにハチがわんさか。
しかも、黒い服だったのでつきまとわれまくり。
おかげで大手口の登城路が十分に見られませんでしたorz
新宮党館は時間がなくて行けませんでしたが、結構な規模なんでしょうか?
本城と比べるとどんなもんでしょう。
14 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:38:13
>>13 結構広かったような記憶が。谷中の平地を利用した館跡だったと思います。
新宮党の墓もありました。
富田城は、尼子と言うより堀尾氏の遺構で整備されていますね。
山中御殿平下の竹薮に多数の削平地を見たのを記憶しています。
随分昔の話なので、変わってしまっていると思いますが。
>>13 新宮党館は草は刈られてるけど堀とかの遺構はなかった。説明板は立ってる。
むしろ館跡まで行くまでの道に毛利元秋の墓とか山中鹿介生誕の地など見るとこ多いよ。
毛利元就と言えば、10年くらい前に吉田郡山城跡に行ったときは、山頂からの展望が
木々に遮られて全くなかったな。旧城跡への道も藪化していて分からなかったし。
大河ドラマを機に、少しは整備されたのだろうか。
最近訪ねた方いますか?
17 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 14:20:34
>>16 自分は、吉田郡山城を発掘調査やその後の整備をしたと聞いていないが。
小倉山城・吉川元春館跡は知られているけど。
>>17 保存管理計画はできてるから散策道ぐらいは整備されてるんじゃないかな?
もっとも
>>16氏がどこまでの整備を望まれているのかはわからないが。
あ、そうそう、郡山城の山上部は発掘されてないけど、麓は何ヶ所か調査されてるよ。
19 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 21:12:58
>>18 麓の数箇所の調査箇所を教えてくだされ。
メンドイなら、調査主体を教えてくだされ。
20 :
18:2005/06/24(金) 22:50:35
管見の限り、いわゆる御里屋敷推定地の試掘調査(県の中世遺跡調査班のやつ)と
県の埋文センターの報告書(持ってないんで場所はわかりません)が2冊、
吉田町地域振興事業団による大通院谷の調査がありますよ。
去年郡山行ったとき、古城が薮で悲しかった。
それ以外はほぼ見れたのでクタクタになった。
22 :
19:2005/06/25(土) 08:35:52
>>20 サンクスです。地域振興事業団は知りませんでした。
23 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:39:52
白米城伝説あげ。
お盆に帰った時に久々に白米城に登ってみるかな
中世の城に行くと、なぜかよくHな本が落ちている。ちょっとこれについて語ろうや。
んー、関東?こっちは見たことないけど。
オレもみたことないな。
まず25は、自分の見た状況について詳述せよ。
28 :
25:2005/07/06(水) 01:11:16
うっそー、関東だけなのかな。
状況っつーか、なにげに人目につかなそうな場所にけっこう落ちてるよ。
覚えている範囲では都内の深大寺城、滝山城、茨城の小幡城、石神城、などなど。
オフ会とかだと「おっ、えっへっへ・・」なんて言いながら通過してるw
想像するに・・・
中世城跡の、しかも目につかなそうな場所なんて、城オタしか普通は行かない
はず。それか土地勘のある地元の人間。
よって、エロ本がたまっちゃって始末に困った地元の若者が捨てていったものと
思われる。
なんか当たり前の結論でごめん。
玉縄城を思う存分見学したい
>>29 近世城郭だが、高知城では大量の女子学生の制服・体操服が廃棄されていた
事件があった。特に公園化された城跡は廃棄しやすいのでは?
>>30 前スレにもあったが・・・
堂々と身分証明書を学校側に提示して、交渉してみるべし。
健闘を祈る。報告を希望する。
>>30 日曜日を狙ってみたら?学校は休みで守衛はいるので諏訪壇くらいは見学させてもらえたよ。
日曜ったって、部活動くらいやってただろうに
勇気あるね
玉縄城に行ってもガカーリするだけだと思われ。
むしろ藤沢市の大庭城を見学するほうが吉。
レス無いところを見ると、別な妄想を抱かれているようで。
玉縄城の主郭が破壊されていなかったら、凄い景観だったことでしょう。
往時を想像してしまいます。私も少し妄想がチラッと・・・
寝た方が良さそうです。お休みなさい。
37 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:34:24
>>25 淀城天守台の内側の外から見えにくい場所に
女性の下着が幾つかあった。
下着ドロの秘密基地か?
ホテル代の無い貧乏カポーの憩いの場か?
みんなセミナー行くの?
どこのセミナー?
女学生の制服やら女モノの下着やら、そんな色っぽい落し物見たことないぞ
悪趣味な、地面に棒を立てて先にマネキンの首が差してあるのを見たことならある
自分以外ひとけのない中世の城跡でそんなのと遭遇した日には、正直腰抜かしそうに
なったぞ。
41 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:21:08
>>39 中城研のセミナだろ?
申し込み締め切りは昨日だった・・・
>>40 笠間でマネキンという話は聞いた事あるなぁ。
42 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 03:17:47
おととい(月曜日)に岩殿山城跡に行ってきました。
5分くらい登って、最初にある冠木門と「岩殿山」の説明版だけ見て下山
しました。
暑くて疲れたから。
秋にまた行こうと思います。
この時期は城跡巡りは止めた方が。
マムシも出るし。家の周りにも出現するが。
小山田氏ですな
で、セミナー行くの?
46 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:07:19
>>41 笠間城の生首マネキン、俺の親父も見たって言ってたなぁ(4年ほど前)
ところでこの夏東北に行こうと思ってるのだが、
羽後檜山城や羽後独鈷城って遺構らしい遺構ある?
誰か知ってる人いたら情報キボン
47 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:25:14
独鈷城は1kmx400mの広さ。檜山城は国指定。
遺構はたぶんあるだろうね。
48 :
46:2005/07/23(土) 15:39:52
>>47 意外と独鈷城広いんですなぁ。
檜山城が国指定ってことは知ってましたが、
ネットで検索する限り公園化されてるようで。
整備しすぎて遺構が消えてなけりゃいいんだけど。
かといって遺構が藪の中に消えるのも・・・
夏の藪に入るのは嫌なもんですな('A`)
49 :
47:2005/07/29(金) 01:00:34
逆に国指定で遺構のまったくない城ってあるかな?
国指定って何だろう。(笑)
50 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 09:26:24
>>49 国指定になったばかりに、
中世以来の遺構を「わかりやすくする」ために
重機で土塁を作ったり、堀を掘り下げたり・・・
やたらと清潔感あふれて、完全に公園化された城があります('A`)
伊丹(有岡)城はあれだけで国指定史跡なのかと思った。
指定の基準がよくわからん。
52 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:41:56
伊丹城は確か、「日本初の天守」が存在したことと、城域に城下町を含んだ
「惣(総)構え」が存在したことが指定の理由だったと思う。
当時としては立派な石垣が出土したとかは付録です。
53 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:50:47
52
で、ついでに思うわけですが。
新聞を見ていると、毎年(数年おきに?)何件か都道府県から史跡や名勝が
国に推薦されていて、そのうちの何件かが審査を通っているようです。
つまり国宝や国指定重要文化財や国指定史跡や国指定名勝とかって、
少しずつ増えているわけですよね。
災害や事故で無き物になるものもあるでしょうけど、数的には新規指定分と
釣り合いが取れているのでしょうか?
それとも、刻一刻と少しずつ増え続けているのでしょうか?
54 :
47:2005/08/03(水) 08:24:50
>それとも、刻一刻と少しずつ増え続けているのでしょうか?
お金はまだ大丈夫だから安心していいよ。
城は複数でまとめて指定するのが今後の傾向みたい。
また、寺院も国指定を受けるみたいだね。
55 :
筒井城址:2005/08/04(木) 17:47:14
行ってきました。堀の跡やら土塁やらはすぐに見つかったけれど、城址碑の場所がなかなかわからなかった。
何故素直に神社境内に建てぬ?
あんなところは普通入っていかねーよな。
県有地や地元の篤志家などの所有地に立てる事が多いからね…。
神主さんのいない神社なんかは、氏子全員に図らなければならないから…。
57 :
55:2005/08/09(火) 10:58:03
なるほど、いろいろなしがらみがやはりあるのですね。
筒井城跡にいかれるかたへ。
近鉄筒井駅で下車。東口?(筒井町側)に出て、左方へ商店街を歩きます。
店が途切れる辺りで道が左右に分かれます。よく見ると案内柱が立っていますので、
そこにある「筒井城跡至」の案内に従って歩きます。すると、吉野街道との交差点(と
いうほどの大層なものではありませんが)にでます。
案内は「直進」とありますが、目の前には路地が。
迷わず行けよ行けば分かるさ
ということで路地に入り、抜けると、城址碑にいきつきます。
堀跡などは、神社周辺を歩けば見つかります。周辺は住宅街です。
大和郡山市の教育委員会で筒井城の良い資料を頒布しているという話を聞きましたので
城址散策される方は散策前に入手されたほうが(・∀・)イイかも。
58 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 13:15:33
東京埼玉あたりで、お勧めの城跡ってどこになりますか?
やはり滝山城?
59 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 15:14:38
江戸城、八王子城、菅谷城、杉山城あたりがおすすめ
鉢形城もいいよ。
資料館も出来たし。
61 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:58:18
松山城もいいですね。
川越城の本丸御殿と櫓跡、岩槻城もいいですよ。
渋いところで滝の城もある。
後北条系の城は押さえたいね。
結構、堀や土塁が残ってて、良くも悪くも保存にあまり力を入れてない。
63 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:43:54
>>60 鉢形の資料館はほんの少しの遺物と城のプラモ以外はつまらん・・・
というか殆ど何もなく、お目当ての特別展でも無い限りは・・・
でも城自体は素晴らしいね!
64 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:21:14
御北条氏の山中城は、この季節でもハァハァできますか?冬まで待つべきですか?
65 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:59:13
余裕でハァハァできるから大丈夫>山中
66 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:34:00
あの壁のようないい加減な復元土塁に惑わされないようにね。
あんな土塁ねーべ!(笑)
67 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:34:22
八王子城は気をつけて行くべし。下手したら取り付かれるぞ。特に落城した日やお盆には絶対に行くな。行ったことはあるがなんか見られてるような気がしてダメだった。
68 :
66:2005/08/13(土) 20:16:26
俺が67を見ておくから安心してくれ。
俺は数え切れないくらい行ったが、全くそういう気分になった事がない。
69 :
64:2005/08/13(土) 20:54:09
×御北条 ○後北条
お盆あけたら山中城行ってきます(⌒∇⌒)
八王子にしても鉢形にしてもちょっと整備しすぎじゃない?
71 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 11:47:38
玉縄城みたいな現状よりはいいんじゃない?
>>67 全国に、落城した城なんていくらでもあるのに、なんで八王子だけお化けが
出るの?
(ホンネ)
んなもん気にしてたら、城跡めぐりなんてやってらんねーよ!!
東京埼玉からは少し外れるが、茨城の坂東市にある
逆井城はいいお城だった・・・
閑話休題、今年から城跡巡りを始めたのですが、この
スレの皆さんが『これは見ろ!!』というお勧めはあります?
まぁ、何が出ようが仏さんに勝るものはないだろ。
あ、熊に遇った人がいたな。
お化けなんてかわいいもんだ。
遇ったら話し聞きたいぐらいだ。
76 :
64:2005/08/17(水) 21:29:36
山中城でハァハァしてきました。障子堀に畝堀、もう堪りません(;´Д`)
岱崎曲輪から本丸までゆっくりみてまわって2時間ちょっと。
「ちょっと整備されすぎ(植樹も多い)で、山城っぽくないー」と拗ねたくなるほど、整備されてい
ます。
解説板、縄張り図、案内板完備。駐車場完備。
岱崎曲輪の芝生の上で、彼方に広がる海を眺めながらお弁当でも食べたらもうサイコー。
子供連れで行ったら、子供も喜んで走り回るでしょう。家族サービスもできる、稀有な山城。
バス停からもすぐです。「山中城跡」で降りれば岱崎曲輪入り口が目の前、「山中」で降りれば
三の丸跡がすぐです。
JR三島駅南口から沼津登山東海バスの元箱根港行きに乗って、25分くらいで「山中城跡」バ
ス停です。乗車賃片道590円。9時から17時頃までは一時間に1本の運行ですので、時間の
確認は忘れずに。
77 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:57:52
ここの住人はPS2の「ICO」をプレイしたら思わず射精してしまうくらいの古城ヲタなのか?
78 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:58:54
ってここ日本史板か。失敬
79 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:45:37
中世城を庭園風に公園化してるとこ、
まったりするには最高だよ。
近くにあるんで、よく夕涼みがてら訪ねては
日暮れまでぼーっとしてる。
80 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:12:19
73
国指定、県指定あたりなら
ハズレも少ないかと。
整備状況でハズレる事があるけど。
それと、ビキナーなら遺構状況がよい城をに
時間かける事をすすめるよ。
81 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:30:45
福島の桑折西山城、お薦め。国指定だが、あんまり整備されていない。
駐車スペースも少ない。が、破城の様子がよく分かり、枡形が良く
残っている。伊達の城ね。
埼玉県の花園城はえかったよ。
83 :
80:2005/08/25(木) 02:10:59
オラの花園タン・・・(;´Д`)ハァハァ
84 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 03:53:44
ずいぶん前だが戸石城へ行ったよ。
さすがは信玄が苦戦したというだけの地形だった。
でも雑木がはびこりすぎ。
太い根っこが土壇に食い込んでた。
昔は若木のうちに切って薪にしてたんだろうがなぁ。
85 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 03:47:44
砥石城最近行ったけど、結構整備されてたよ
まぁ、地形は同意ですけど
登山に近い地形だからなw
小学生の頃、遠足で(駿河)葛山城跡にいったんだが
「面倒くせー」としか思わなかったな。
よもや十数年後には「堀切(;´Д`)ハァハァ 」ってな感じの
危ない大人になっているとは思いもよらなかったw
87 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 10:12:43
葛山城跡って遠足コースなんだ。
今度、堀切(;´Д`)ハァハァしてみるよ。
88 :
46:2005/08/29(月) 13:33:54
>>85 「戸石崩れ」って言うけど、
足元の砂がホントに崩れてきたのにはワロタなぁw
あと、馬場でカモシカに遭ったお
さて、檜山城やら独鈷城やら東北お城めぐり行ってきました∠(`・ω・´)
檜山城:帯曲輪が主要な曲輪全てを取り囲むようにしてあったのが印象的。
主郭後方の詰の城?にあった高土塁と、枡形虎口はすごかった
独鈷城:丘にある、館。陸奥浪岡城が林の中に存在するイメージ。
主郭部はクモ&アブに怖気づいて遠巻きに見てましたw
そういや和田山住んでた叔父が遠足で竹田城まで言ったっていってたなあ
かなりしんどそうだ
出石城の背後の山の上にあった有子山城跡へは、車道があって車で行けたりしますか?
それとも、徒歩で登るしかないのでしょうか。
91 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:14:07
徒歩で行くしかなかった記憶あり
92 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:16:24
91の言う通り。熊に注意な山だね。
94 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:17:39
あすこは、破城の跡も見所ですな。
95 :
90:2005/09/07(水) 09:51:11
情報ありがとうございます。
今度あの辺へ行くことになって、滅多に行けるところではないから(当方関東在住)
是非行ってみたいと思っていたのですが、子供連れでは難しそうですね。
かなり険しい山だそうだし、まして熊まで出るのではw
竹田だけで我慢します。
96 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:50:08
>>95 家族ズレなら、城下で出石そば食べて満足するべし。
97 :
92:2005/09/08(木) 01:57:33
林道はOK。
斜面にキツイ箇所があり、子供と一緒だと泣かれそうだね。
城下から山頂の石垣が直線的に見えてカッコいいね。
生半可な観光客なぞは寄せ付けない急峻な山、その上にたどりつくと目の前に
展開する堀切・削平地・石垣・・・そしてはるか眼下に望む城下町。
う〜想像しただけでマイ火縄銃が点火されそうw
もう断腸の思いでカットですよ。
山城の堀切をうまく撮影する方法を伝授キボンヌ。
あれって上から撮影だと立体感出しにくいし、
横からだと水平に空中移動でもしないかぎり深さが表現しにくいから難しい米。
101 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:45:29
堀底から両方の斜面が画面の左右に入るように撮るってのは?
103 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:32:47
実例きぼんぬ
104 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:50:04
堀切の形状を撮る事が重要なわけで、基本的に堀切の上端と底面
を入れ、堀切の断面が表現できればいいのでは?
その堀切の規模によってケースバイケースでしょう。
105 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 22:02:47
90さんはもう竹田城で(;´Д`)ハァハァされたのだろうか?
ボクは信州諏訪の上原城で(;´Д`)ハァハァしてきました。
車道から三の郭跡へ向かう道に西国観音の石仏が並んでいるのが
ちょっと不思議でした。
諏訪氏終焉の城、桑原城には麓まで行って断念しました。
車で登ろうとしたのですが、砂利でタイヤが横滑りしまくったので・・・
運転が下手なだけか・・・歩いて登る時間はなし・・・
晩秋にでも徒歩で再チャレンジしたいものです。
諏訪氏と諏訪大社に興味のある方へ。
諏訪市史 上巻を御覧になるといいかも。
106 :
日本@名無史さん:2005/09/20(火) 20:17:40
千早城へ行った方おられますか?
遺構の方は現在どうなっていますか?
千早城は数ある山城なかでも行くのにとても難所なところと聞きますが。
>>106 誰から聞いたん?
「数ある山城のなかでも、とりわけ困難」は大げさじゃないのかな
108 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 18:53:52
千早城へ行ったことある人たちは、
よくあの石段がきついと言うな。
山城をよく行く人でさえ言うから、
難所は難所だろう。
>>106 上に神社があって、そこから金剛山の登山道へも行けるようになっている。
遺構の方は、曲輪があったと感じるくらいで、
これといって残ってないような気がしたが。
109 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:26:26
110 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:49:46
>>95 竹田城の山頂への車道は、昨年の台風による崖崩れを補修中で、通行禁止になってます。
途中までもいけない。
工事にまだ今年いっぱいぐらいかかるようなことが書いてありました。
地元の人に聞いたら歩いて上るのはかなり大変とのことで
時間もなかったしあきらめました。
111 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 20:33:37
112 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 23:46:37
>>105 桑原(´・ω・)モッタイナス
主要部入り口までは上り口の駐車場から歩いて15分〜20分くらいだったかな。
晴れた青空の綺麗な日に行かれることをお勧めします。
上原より諏訪湖に近く、展望がいいのでマジで諏訪湖きれいです。
113 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 23:53:58
千葉にある香取神宮の境内、要石のある辺りに土塁があるよね。あれも城跡なのかな。
ところで、中性の城跡と言われるところには、特に公園化していないようなところ
だと、郭の中に小さな神社があるところが結構多いような気がする。
114 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:06:00
そりゃ寺や神社も領地もちますから武装します。
115 :
越山会:2005/09/23(金) 02:17:18
ここみてから私もいろんな城を登りたくなりました。
越後者なんでまずは地元の有名武将の城を制覇したいとおもいます。
柏崎というとけ住なんでまずは車で十分から二十分くらいで行ける城たち→北条高広の北城条。斎藤朝信の赤田城と家来の野呂一拍の勝山城、宇佐美の枇杷島城、安田長秀だか顕元だかの安田城と上条氏の上条城を攻めたいとおもいます。
116 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:37:42
千早城って行ったことある奴あまりいないようだな。
レスが少ないところをみると。
有名な中世の山城なのに。
>>116 遺構の見所が少ないからじゃないかな?
図面見ても行く気にならんのよねぇ。
118 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:22:50
>>117 図面で見ると千早城はどうなっていたの?
>>118 ピーク部分はほぼ自然地形でその周りに曲輪が段状に続いてる。
120 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:36:46
>>113 元々郭の中に神様を祀っていた城は多いよ。
神様は必須だと思うんだけどね。
121 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:51:49
>>123 当方121ではないが、天下の鎌倉幕府軍相手に戦い抜いた高名な城とはどのような
立地・縄張り(たとえ天険のみを頼りとした貧相なものであったとしても)なのか、
一度この目で見てみたいと常々思っている。
>>90&
>>95です。
情報・アドバイス等ありがとうございました。
この3連休で関東から長駆、但馬まで遠征してきました。
竹田城跡は、駐車場まで行けましたよ。
縄張り、石垣の立派さ、遺構の保存整備状況等すべてが素晴らしく、正直、自分の
眼前に展開する光景が信じられない思いでした。
もうハァハァなんてもんじゃなく、失禁モノでしたw
126 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 20:15:17
>>123 >>121の言うように、幕府軍相手に立て籠もって撃退しているからなあ。
千早城は天然の要害になっているの?
土塁や堀切などを防御施設を作らなくても十分要害になっているのでしょうか?
127 :
123:2005/09/26(月) 21:26:24
>>126 国土地理院の地形図見てるだけで現地に行ったこともないんだけど、
千早集落からの比高差は150mほどですね。
よくいわれる詰の城とさほど変わらないようにも思えます。
(そもそも居館と詰城というスタイルが一般的かどうかは疑問視されてますが)
天然の要害かどうかは主観的な話なので、
>>124氏が言うように現地を歩かなければなんともいえないですね。
ただし、千早集落から登っただけでは天然の要害を実感できるかどうか疑問ですね。
道の駅辺りから細い谷道を歩いたうえに、山を登ってこそ天然の要害だと思えるのかもしれませんね。
128 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 12:16:39
楠木城跡、炎上示す壁土発見 「太平記」の逸話裏づけ?
南北朝時代の武将、楠木正成が鎌倉幕府軍との合戦に使った大阪府千早赤阪村の楠木城(上赤坂城)跡の
発掘調査で、14世紀に使われた瓦質(がしつ)土器や焼けた壁土が見つかったと、同村教委が23日発表した。
同城が1934年に国史跡に指定されて以来初の発掘調査で、村教委は「『太平記』にある城に火が放たれた話
との関連や、城が16世紀まで何度か改修されて使われたことがわかった」と話している。
城跡は金剛山から北西方向に伸びる山の尾根にある。標高349メートルの最頂部の主郭(本丸)跡の約20平
方メートルを発掘したところ、多数の柱穴や鉄くぎ、土師器(はじき)、青磁のわんなどが見つかった。城の炎上を
示す赤変した壁土などが柱穴の中から出土し、落城後に整地されていたことが判明した。
村教委や中世史専門家による「太平記」などの文献調査によると、同城は正成が1332年の第二次挙兵の際、
金剛山麓(ろく)の千早城とともに整備。幕府軍の包囲下で、楠木方の大将平野将監(しょうげん)が立てこもって
奮戦したが、翌33年に落城した。
1360年には正成の子正儀(まさのり)が北朝の軍勢の攻撃を受けて落城。その時の模様は「太平記」巻第34
に「この城にて敵を支へん事は叶(かな)はじとて、(中略)赤坂の城に火を懸けて、金剛山の奥へ入りにけり」と記
されている。だが、この「赤坂の城」が楠木城かどうかは、これまで専門家の間でも議論になっていた。
「図説中世城郭事典」の編集などで知られる村田修三・大阪大名誉教授(日本中世史・城郭史)は「焼けた壁土
の出土で、火を放たれた城が楠木城だった可能性が高くなった。瓦質土器の発見で、城が楠木正成らが生きた
時代に使われていたことが、考古学的に裏づけられた」と評価する。
ttp://www.asahi.com/culture/update/0927/001.html
戦国期に改修されずに、南北朝の頃のままの遺構が堪能できる城跡ってどんな
ところがある?
自分が知ってる(行ったことある)のは福島県の霊山くらいだが。
130 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:19:32
>>127 結局のところ千早城へ行ったことある方の解説待ちですか。
>>130 そうですね。
でも、ご自身の足で現地を歩かれたほうが天然の要害かどうかは理解できるのではないでしょうか?
132 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:43:21
>>131 でも見所とかある程度予備知識がないと、
効率的に見れない。
あまりググっても予備知識といえるもの無いし。
133 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 05:02:16
宮島に行ったついでに、宮尾城跡にも行ってみた。毛利元就の厳島合戦の際に
使用された城だそうだが、尾根の先端を掘切で切断した砦のような狭い城跡でした。
毛利軍は包ヶ浦に上陸して弥山の尾根を横切って陶軍の背後を襲ったらしいですが
弥山を登った私には、あの尾根を武装した大群が上り下りしたってのは、ちょっと
想像つかないというか、きつかっただろうなと。
134 :
:2005/09/30(金) 05:23:20
竹田城はたしかに素晴らしい
和田山の友達に竹田城の素晴らしさを語ったけど竹田城馬鹿にしてた・・・
何も無い和田山で唯一誇れる物なのに
ところで心霊スポットらしいですよ竹田城
城域は視界を遮るような木々は一切なくて、整備され過ぎってくらいの広々と
した開放的な雰囲気で、オバケが出る余地なさそうだったけどな・・・
ところで、駐車場から花屋敷にとりつく急な階段を登っていくと、土の城
時代の名残と思われる小さな堀切と削平地があるよね。
それ見て、ハァハァできる自分も「病気だな」と実感しますた
今日、飯櫃城・坂田城・成東城・田間城・東金城と行ってきました。
ひざガクガクです。
年だから筋肉痛はあさってあたりかな?
137 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 03:07:27
飯櫃城って、大半が畑になっているところか?
俺も行ったことあるな。確か、成田空港の近くで飛行機が低空で飛んでいくのが見えた。
138 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 06:03:06
>>137 そうです。怖いくらい飛行機低空でした。
>>138 実は初心者で案内板がないと何を見てよいのか分からない人間です。
飯櫃も鳥瞰図が載ってるHPを見て出直したくらいです。
津辺城は藪が多く素人目に複雑そうでしたのでやめました。
山形県上山市にある伊達の境目の城の中山城に行って来た。
麓は道路建設に伴う発掘調査中。肝心の城は主郭に石垣の櫓台が見られ、
枡形虎口数箇所、小規模な土塁、清水と意外と見所の多い城だった。
『伊達天正記』にも出てくる城。麓には段状に家臣屋敷の名残があり、
今でもその地割を生かして宅地とされている。道も鍵の手になったり
している。道幅も二間あるかどうか。
しかし、城跡の現状はシダ類を中心に雑草が繁茂し、やや歩くのに難あり。
ただ、緩いスロープ状の城道が残ているので、それを利用すれば腰まで
草があっても楽に登れた。伊達系の城って、結構しっかりした城道が残って
いる所が多いように思う。
141 :
140:2005/10/06(木) 00:28:00
境目の城(;´Д`)ハァハァ
143 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 21:28:03
皆さん、熊には気を付けて下さい。
144 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 13:41:00
今月、藤井尚夫氏の本が出るけど、知っている人いる?
>>144 へー、知らなかったです。
はやく読みたいですね。
河出書房新社みたいだよ。イラストに期待。一般向け入門書みたい。
藤井尚夫『ドキュメント戦国の城』河出書房新社 10月発売予定。
2625円なり。
149 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 19:03:55
さいたま市立博物館とさいたま市立浦和博物館で特別展「戦国時代のさいたま 城と館からさぐる」を
やっていますよ。
>>150 出てるよ。600円。
2館が結構離れているのが厄介。
図録はもちろん共通。
>>151 ありがと!
県立歴史資料館でやった『埼玉の戦国時代 城』といっしょの図録ですかね?
153 :
151:2005/10/16(日) 02:59:11
>>152 別物だよ。
岩槻市がさいたま市に吸収合併した記念の特別展なので、
文字通りさいたま市の中世城郭というか岩槻城が中心の展示。
大宮では岩槻城がメインの展示(プラス寿能城)になってて、
浦和がそれ以外の城館の展示(周辺も含む)ということになっている。
154 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 09:56:01
先月だったかな、ナイトスクープに群馬の秘湯ってのが出てて、画面の隅に石組が映るわけですよ。
ググってみたら昭和初期に出来た温泉宿の基礎でした。
温泉はガラメキ温泉てやつです。
156 :
151:2005/10/20(木) 02:04:55
157 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 20:47:51
小田城はどうでしょうか?
158 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 00:48:05
小田城は発掘が続いてます。
うまくいけば虎口石垣が見学できるかもね。
159 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 20:29:49
>>158 石垣?
小田城は完全な平坦地で高台にもなってないのに、
虎口に石垣なんかあるのか?
小田城は各郭を川から水を引き込んだ堀で区切って
敵の侵入を防ぐ城のような。
堀の護岸に石垣を用いるのならばともかく、
虎口に石垣があるとは思えない。
>>159 関東〜東北の平城には土塁の虎口部分だけ石垣で補強ってパターン多いよ。
他にも腰巻土塁とか鉢巻土塁とか言われている折衷様式とか。
君は関東人でないどころか関東の城を見に行ったこともないようでつね。
161 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:33:11
>>160 そりゃまあそうだが、
西国だって高台を利用しないで虎口を土塁や石垣で形成している城はあるよ、
近世の城だが、姫路城や大坂城などのように。
ただ、小田城の立地条件や図面を見た限り、
虎口に石垣があるとは思えないと感じただけだ。
>>161 夏にあった全国城郭研究者セミナーのレジュメを見たが、
南西虎口の内側両脇に石積みがあったそうだ。
第1面なので、教育委員会では戦国・安土桃山期と推定している。
たぶん、
>>158のいう石垣とはこのことではないかと。
163 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 01:28:01
岐阜城・金華山とか、今じゃまあコンクリ作りのしょっぺえ城なんだけど、
ロープウェイで登ったりできるわけですけども、
こんな山城、信長に「おまwwwwwちょwwwww来いwwwww」とか呼び出されたら
昔の武将とか登ってたんでしょ、徒歩で。
すげえな、昔の人w
164 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 14:03:12
>>163 稲葉山城は下に居館あるけどな。
上までの上り下り、運動不足の体には辛すぎw
帰りは百曲がりを下ってきたけど足がガクガクになってた。
誰か山腹にあるという砦にいってきた人いる?
俺は気力が尽きてそこまで行けなかったんだけど。
とりあえずスレ落城阻止しておく
166 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 02:41:52
>>163 >>155のナイトスクープつながりで思い出した。
「岐阜城を一夜攻め」なんて依頼があった。
足軽かなんかの格好して、麓から攻め上ってた。
確か、あまりのつらさに依頼者(20歳)が途中から半泣きだったような。
スレ違いでスイマセン、ちょっと曖昧な質問なんですが
中世の城が題材で内藤昌さんの安土城の断面図が描かれた
ちょっと大きめの本を知ってる方いませんか?
家の近くに小田井城というのがある。火山灰地の谷を防衛線とした堅城で、武田信玄軍に滅ぼされた。
もしここに大名家が居城を築いたら、隣の小田井宿場町を取り込んでどんな縄張りをしたか、
地図に書き込んでいろいろ遊んでいる。
169 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:12:44
>>168 小田井原・・・もしや生首三千の戦いの場所か?
170 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 22:23:55
>>167 亀レスですまんが、80年代辺りの文献を当ってくだされ。大体あの頃は
内藤案が主流だった。
昔、平凡社から内藤昌復元案のペーパーモデルが出てた。
一部、内部も表現されている。多宝塔の辺りね。
解説文に断面図有り。
171 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 20:51:58
自落防止age
172 :
155:2005/11/19(土) 01:16:34
>>166 ありましたね〜、探偵は石田靖だったかな。
城とは関係ないけど、今日ニュースになってた人と同じ苗字の姉弟が、ルーツ探しを依頼してたりもした。
173 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:14:56
さぁオマイラ
山城めぐりに最適な季節になってきましたよ
三重県在住の俺は車で1時間以内の範囲にまだ見ぬ城が200以上あるので楽しみは尽きない
174 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 22:28:09
突然ですが、史跡見学会のお知らせです!!
「石神井城と城山」
11月23日(水・祝)12時
石神井図書館・南側駐輪場広場集合
参加費=200円(資料代)
※雨天中止
[コース]
池淵史跡公園〜つげの木稲荷跡〜殿塚〜姫塚〜西の館跡〜大濠跡
〜石神井台1丁目遺跡〜穴弁天〜氷川神社〜石神井城内郭〜
道場寺〜三宝寺〜愛宕山城跡(早稲田高等学院)
所要=3時間半
距離=約3Km
事前申し込みは不要です。練馬区郷土史研究会の会員が分かり易く
ご説明いたしますので、どなたでもどうぞお気軽にご参加ください!
175 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 23:02:38
古い中世の城に興味を持ちました
我が家の近くにもいくつかあるようです
虎口とか堀切とか専門用語がよくわからないので勉強になるサイトを教えていただきたい
あと中世の城跡の見方とかも知りたい
素人なので城の一部なのか自然のものなのかの区別がつかない
176 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 22:15:55
あげときます。
中世城跡探索系HPに掲載されてる城以外の情報はどうすれば手に入りますか?
雑誌「歴史群像」の今月号によると天正伊賀の乱当時、伊賀には600以上の城があったらしいのだが
一割しか現存していないとしても60
埋蔵文化センターとかに問い合わせるしかないか
>>178 中世城館調査報告書集成なんかが有効かと。
東洋書林から出てるよ。古本屋でも運がよければ見つかる。
その名の通り各県教育委員会の調査報告書をまとめたものだけど、
中部地方だけで5巻もある。
各巻5〜700ページ構成で値段も大きさ半端じゃないけど全ての所在地や歴史、
遺構が現存するものは縄張り図までが明確になってる。
あとは各県教育委員会発行の調査報告書とか、定番だと日本城郭大系とかかな?
中部方面の城郭大系なら(既に絶版で古本だけど)比較的入手は容易。
城郭大系は少し情報が古いけど、各県ごとに所在地が明記されている。
180 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:27:27
174ですが、明日いよいよ見学会なのでお知らせあげしておきます。
石神井図書館への行き方ですが、西武池袋線石神井公園駅(池袋から
急行で1つ目、準急で2つ目)下車、南口より徒歩12分または
西武バス14番系統「荻窪行き」で「JA東京あおば」下車、北へ
徒歩1分です。
皆様の参加をお待ちしています。
182 :
178:2005/11/22(火) 22:10:53
レスサンクスです
一度図書館で調べてみようと思います
183 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 00:24:05
age
184 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:16:34
土手とかの盛り土を見ただけで城を想像してしまうよな
185 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:28:28
歴史読本のバックナンバー調べて買ったら?
いくつか出てるはず
186 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:33:49
千早城のことは日本城郭研究会だっけ
そこに聞けば 17支城だけでなく
もっと見つかってるかもしんないから
187 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 15:26:39
自分で城を発見した人はいる?
188 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:50:46
既に出ている縄張図に未記載の曲輪や堀切を見つけたことはあるよ。
あと、知人の家が城館址なのはナイショだ。地元の教育委員会も公式には
把握していないんだが。素人目に分るんだけども。
189 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:54:45
>>184 あなたは、「埋文病」にかかりつつあります。
そのうち、工事現場のブルーシート、記念碑、只の木柱にも萌え
だします。その時は重症です。
190 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:03:32
やばい俺も埋文病だ
191 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:50:51
やばい俺もだ。
木柱とか記念碑を発見すると、車Uターンさせて見に行くわ
192 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:40:11
北白川将軍地蔵山城と中尾城を見学しようツアー
集合、銀閣寺
解散、大文字山
193 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:41:57
槙島城から物集女城に行って嵐山城を巡るツアー
集合、巨椋インターチェンジ
解散、神護寺
194 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:45:47
河内十七箇所を京街道にて歩く。
榎並城(遺構無し)から森口城(遺構無し)。そして柴島城(遺構無し)
から三宅城(遺構無し)を巡る。
集合、地下鉄谷町線野江内代駅
解散、太陽の塔
195 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 06:26:50
オフ会?
196 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 16:19:08
藤井尚夫氏著『ドキュメント 戦国の城』を購入した。
半分以上が旧作の使用で、ちょっとガッカリ。2500円(税別)は、
ちと高い。頁数もそんなに無いし。
その本はいくつくらいの山城が紹介されてんの?
写真とか城の歴史とか城での戦いについては詳しいのかな?
198 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 23:09:13
>>197 戦国大名の居城、城攻め、復元といったテーマ別に代表的な城館を紹介。
著者のイラスト、現状写真あり。イラスト中心なので、文章のボリュ
ームは当然少ない。取り上げている城館は20城程。B5(?)サイズ、
111ページ。河出書房新社刊。
おお!
早速本屋へ行ってくるよ
(・∀・)ニヤニヤ
北関東でお勧めの城跡はありませんか?
戦国期のものがみたい
いろいろあるけど・・・私が好きなのは逆井城。茨城の坂東市(旧猿島町)にある
後北条の城で、櫓や土塀が戦国の城!って感じで復元されてる。
土塁や堀はそのままだし。
情報ありがとうございます
幸い割と近場なので早速週末に訪ねてみます。
>>201 逆井城が戦国の城を忠実に再現しているとは
とてもじゃないが言い難いな。
まず復元土塁の傾斜が緩やか過ぎるし、低過ぎる。
戦国の城の土塁はもっと傾斜が急で高い。
204 :
201:2005/12/02(金) 22:05:05
むー、まぁ、最初の雰囲気つかみというか・・・他に、戦国期の城っていうと、
太田金山とか唐沢山とか、そういうメジャーなトコしか知らんのですよ。
>>203氏のお勧めは?
>>204 そもそも中世の城の遺構なんて、
ほとんど残ってないからお勧めはあまりないな。
しいて言うならば、山中城(中世の城になるかな?)や、千早城とか。
千早城は遺構らしきものはなく現在は神社になっているが、
充分「天然の要害」という感じが見て取れるので、いいと思う。
金剛山登山も兼ねることもできるし。
東海地区だと
岐阜の明智城が遺構がほぼ完全に残ってる。公園化もされてないしお勧めかな。
探索にも便利なところにあるし。
他にも大給城とか遺構のほぼ残っている中世の城は多いよ。
愛知の三河地区は特におすすめ。
有名どころは公園化されてたりするところもあるけど山間部の無名のところがいいかな。
>>203 そういうのは大抵、遺構を地中保存する為に
土を被せた上で復元しているからではないかな?
お勧めの山中城もそうだよね。
208 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 12:05:53
ほとんどただの森林みたいな所を想像力を駆使して見学するのがいいんじゃねーか
公園化されてるところなんて(゚听)イラネ
箕輪城なんでどうよ?
空掘りぐらいしかないが
210 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 15:11:35
公園化されてると改変多くて難易度が高過ぎ
>>206 でも中世の城の遺構は、
公園化されてテーマパークのような感じに
なってしまっているところが多いからな。
だから
>>203の指摘するように復元土塁はいい加減なものになってしまっている。
中にはコンクリート製の復元土塁のところもあるくらい。
>>207 遺構の保存上しかたがないにしても
忠実に復元してほしい気もする。
両立できないことはないし。
できないのならば、地域の資料館に、
模型で復元という手もある。
>>210 全く同感。
212 :
210:2005/12/03(土) 21:39:25
山中城の古写真を見てもらえれば分かるけど、
今我々が見学できる山中城の立派な急な土塁は
あれは間違った整備で嘘っぱちですよ。
>>212 >あれは間違った整備で嘘っぱちですよ
それは風雨に晒された土塁しかみてないから、
往時の実際の土塁がどういうものか理解していないことからくる錯覚。
急で無ければ、防御施設として用がなさない。
>>212 掻揚げ式の土塁でも、
よくある遺構の残っている城の土塁のような
そんなに緩やかな勾配の土塁は無いよ。
塀のようなものにしないと、
要塞の塁にならない。
近世の城と違って城というより軍事的な要塞だからな
216 :
210:2005/12/04(日) 20:15:05
土木を途中で放棄してしまったような痕跡のある山中城ですが、
土塁だけはしっかりと版築して急な土塁を実現したのか?
守り手の移動力を削ぎ落とすような土塁の構造が後北条氏の最高傑作か?
などなど、疑問だらけです。
まずは三浦正幸の城の作り方図典というような
本が出てたと思うので、そこの土塁のページに目を通してみるといいですよ。
217 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 20:31:43
>>216 >土塁だけはしっかりと版築して急な土塁を実現したのか?
城として重要なものだから、当然しっかりと築く。
何より途中で放棄したような感じがするのは、
長い間手入れもされず放置されてきたから、
その上で強引に復元すればいたし方の無い。
>守り手の移動力を削ぎ落とすような土塁の構造が後北条氏の最高傑作か?
土塁には武者走りがあるのが通常、
そもそも城は立て籠もるもので、打って出るならば馬出しから行う。
だな、城砦の保塁なんだから、
土塀のように急斜面に形成しないと駄目だし、
役割からして簡単にそのまま歩いて登れるようではいけない。
もっとも近代の砲撃戦を考慮した城砦の保塁ならば、
緩斜面でも可だが、この場合そうではない。
>>216 要塞の塁という性格からすれば、
土塁は塀のようにしなければならないよ。
よくある遺構ののような土塁では、
要塞の塁にならない。
220 :
210:2005/12/04(日) 21:59:47
>城として重要なものだから、当然しっかりと築く。
>何より途中で放棄したような感じがするのは、
土塁をしっかり築けば後世になろうとも十分な高さを残すものです。
そういう土塁を見た事ありません?
途中で放棄されたような土塁になってしまうのは
しっかり築いてないからですよ。
>>220 日本の土質では風雨に流されやすい。
あの古代の水城でさえ廃棄された土塁の感があるし、
御土居なんてその典型。
最新の工法で作られた盛土での道路などでも、
よく土砂崩れとかある。
222 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 22:06:07
平安・鎌倉時代の土塁で現存しているではないか。
223 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 14:00:39
>>222 現存しているからといって、
それが当時の形そのままで残っているかは全く別。
そりゃ誰も当時の城を見てないんだからわからんわな
しかしそこは想像力を働かせて見学せねばならんところだからね
226 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:40:51
江戸期の城でも関東なんかはみな戦国期とほぼ同じ形式じゃないの?
どこも土塁に堀に板塀ぐらいのものだし
228 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 23:37:20
城廻がもっとメジャーな趣味にならないかなあ。
単純に趣味とする人が増えなくてもいい、もっと社会的に認知されて、地元や自治体に草刈などの最低限の整備がなされて案内板が立ち、安易に人を殺し、死体を山林に遺棄するような事件が少しでも減らないだろうか。
230 :
210:2005/12/06(火) 00:47:12
>しかしそこは想像力を働かせて見学せねばならんところだからね
まぁ、そうなんだけどね。
山中城のようないい加減な土塁を見てしまうと
あれが真実であると焼きついてしまうんだよね。
ところで急な土塁って、そんな話を唱えてる研究家でも居るのかな?
居るようだったら教えて欲しい。
そんな事を言いそうなヘボな研究家の本を見たけど
さすがにそんな事は言ってなかったものでして。
福島城の土塁と堀のセットは壮大なものですね。
最近の発掘で若干使用時期が広がったけど、
古くて良好に残ってるのは間違いないね。
>>230 > そんな事を言いそうなヘボな研究家
誰のことなんだろ?
本出すような人だから、あの人かな?
話は変わるけど、昔、群馬県埋文事業団の紀要に土塁の論文が載ってたね。
232 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 07:56:17
>>210 山中城こそがもっとも真実の土塁というもの。
土に半ば埋もれたり、雨で崩れたり土が流れたような土塁や
それを「真実」だとおもって再現した好い加減な再現土塁を見てしまうと、
あれが真実であると焼きついてしまうんだよね。
>>226の福島城のような残ってる土塁も長年ほったらかしで
野晒しにされていたためか、
土に半ば埋もれたり、雨で崩れたり土が流れたような土塁になっているね。
233 :
210:2005/12/06(火) 08:23:50
>>232 まぁ、そんなに粘らずとも一度は土塁の論文などに
目を通すなり自分で勉強するといいよ。
>>233 どの論文、文献でも角度で言えば、
45度〜60度くらいが日本の城の土塁の勾配となっていますが?
そんなに自説に拘らないで広い目でみればいかがでしょう?
>>234 7、80°の傾斜の土塁も少なくないよ。
その辺は、どんな城に関する本にあるな。
>>226 そこに残っている土塁はほとんど原形をとどめていませんが、何か?
>>210 まずは土塁の役割から考えてみよう!
そうすればなぜ急傾斜が必要かわかる。
もっとも、海外のそれとは違い日本の土塁の場合、
城内の様子を隠して見えなくするという要素もあるが、
第一の役割ではない。
いい感じで議論がされてるね
知的なスレ(・∀・)イイ!!
岩手県盛岡市にはいくさの名そのままの
前九年町やら安倍舘町があって、それなり
に遺跡が残っている。
240 :
210:2005/12/07(水) 08:29:30
>まずは土塁の役割から考えてみよう!
とすれば角度45度以上の土塁は登る事すらままならないから
45度以上の傾斜は無用であるという事ですな。
別に土塁の傾斜に定義はない
1゚でも90゚でも作りたい人の勝手だよ
騒ぐほどの事じゃない
ちょっと脇からスミマセン。
疑問に思っていた事ですが、
山城にこもる場合、水はどうやって補給するつもりだったのでしょうか?
乾期だと困るのでは。
水のでる所に築城するのが基本です
普通どんな標高が高い山城でも井戸があります
館跡と城跡の違いは?
>>241 角度45度程度ではそんなに登るの難しくないよ。
スキー場での斜面でも結構ある。
それ以上は少なくともないと、
歩いて簡単に登れてしまう。
>>242 地形や土質から井戸を掘っても水の出ないところにも築城してあるところも結構
ありますが、そういうところには雨水を貯めておく施設とかがあった城もあるみたいです。
そういう城と井戸に関しての話がのっていた「東海の古城ハイキング100選」
という城跡探索の本があったのですが現在絶版ですね。図書館とかにあればいいですが。
>>210 土塁は完全な平坦地のようなところで、
切岸が地形上形成できないところの代用なわけなんだから、
よくある切岸くらいの傾斜でなければならないよ。
逆に言えば、なぜ充分傾斜のあるような場所でも、
切岸を態々形成しているのを考えれば理解できると思う。
「東海の古城ハイキング100選」
読みてぇぇぇぇええええ!!!
図書館行った方がいいのかな(´・ω・`)
切岸を見るのに丁度いい城ありますか?
鎌倉以外に。
250 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:02:54
>>242 水ノ手でありますか?自分の地方には、水脈が無く、近くの川まで汲みに
行って実に難儀だった、という伝承の残る山城が有ります。井戸の残る
城も多いですが、水ノ手が伏流水などが山城の斜面などに湧き出でている
例も多いです。現在でも良い水が出て、飲料に適う場所があります。
自分は、その水で珈琲や水割りを飲んでおります。あなたも一杯いかが
ですか?
251 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:43:15
>>236 原形というよりも、残存しているといった方がいいかもな。
中世前期にさかのぼる土塁としては保存状態が良好だと思う。
城下の十三湊も惣構の雰囲気がある。
252 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:45:24
防御性集落?
253 :
210:2005/12/08(木) 01:26:20
>>245 簡単に登れると思うでしょ。
でも今の城は土に埋もれて地面はずぼずぼで登り易いのですよ。
実際に堅く叩き締められた傾斜を上がってみるとかなりしんどいですよ。
三浦正幸氏の著書に「絶対に登れない」とすらありますから。
>>247 切岸と土塁の傾斜は構造上、全く異なります。
切岸の方が土塁よりも傾斜が付きやすいですね。
堀も切岸と同じように土を削り取っていくわけで
箱堀のようにほぼ垂直な造成が可能ですが、
土塁に垂直な造成は不可能です。
>>249 長野県の戸石城(戸石崩れで有名なやつ)に
切岸の看板があるから見落とさないと思うよ。
>>250 うちの近所にも水の手がない城があります。
全面発掘すれば出てくるんだろという可能性もありますけど、
水の手は必ずあるのか?と問うとよく分かりません。
何かの本には川から水を引き上げる城があったように思いますし。
254 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 07:47:33
>>253 その本にそう書いてあるから登れるとは短絡的だな。
>>245も言ってるが、45°くらいの斜面のスキー場は珍しくない、
それにそのようなところでも雪の積もってさらに登りにくいはずなのに、
簡単に歩いて登れてしまう。
だから45°では不十分でそれ城は不要。
また、川の護岸堤で叩き土塁と基本的な工法のものを見てみるといい、
大抵そこは護岸目的だから傾斜は緩やかで45°くらいの傾斜。
堅く叩き締められた傾斜になっているから実際に登ってみるといいよ、
簡単に歩いて登れるから。
それにほぼ垂直でなければならないと指摘されているのではない、
45°以上が少なくとも必要とされているだけだ。
255 :
210:2005/12/08(木) 08:32:06
雪は積もっていれば歩きやすいでしょうに。
それを堅く叩き締めればアイスバーンのようになって歩けなくなるでしょう。
堅く叩き締める意味分かる?
256 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 11:13:57
鎌倉市の山の尾根歩けばいくらでも鎌倉期の土塁出てくる
詳しくは市役所へ
257 :
250:2005/12/08(木) 11:32:31
>>253 自分は、あなたのレスは必要ないであります。
まあ、別に登れない物を作る必要はないけどね
あくまで動きを鈍らせる目的だから
実際は内側から弓や鉄砲で撃つわけだし
高くて傾斜がきついに越したことはないけどね
>>244 明確な区別のしかたは無いのかもしれないが、「館跡」の場合は単郭であったり平地に築かれて
いることが多いかな。
もちろん上記の場合でも「○○城跡」と表記する場合もあるが、逆に山上や台地上に築かれた郭群を
「館跡」と表記するケースは少ないようです。
260 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 17:23:19
250はウザイ
>>255 お前は雪をなめている。
雪は柔硬どちらであろうが、歩きにくい。
それに大抵スキー場では硬くなっている場合が多い。
262 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 17:35:53
プ(^∀^)ゲラゲラ シネヤカスドモ
>>210 角度45度の斜面のスキー場で歩いてみるといいよ。
雪がアイスバーンになってようが、やわらかいままつもってようが、
簡単に登れてしまうから。
また、雪はアイスバーンになってようが、やわらかいままつもってようが
何も無いところより歩きにくくなっている、
それでも角度45度の斜面のスキー場は歩いて登れてしまう。
>>258 単に動きを鈍らせる目的なら逆茂木・乱杭などの方が、
費用対効果で効率的。手入れ補修も土塁より容易。
土塁は鈍らせるという表現以上に、
遮断するという表現の方が適切ではないか。土塀のように。
>>253 構造上の問題を言っているのではない。
その役割上の問題を指摘しているのだ。
傾斜が切岸のようにきつい傾斜でなければ
代用にならないという問題だ。
版築工法ならば、60°程度のの傾斜の耐久性のある土塁は、
日本の土質でもつくることができる。
265 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 11:23:24
>>264 版築なんて金や工期がかかる方法を数万箇所あるすべての中世城で行ったとはとても思えないのですが…
ほとんどの城は掻き揚げ土塁で、廃城まで定期的に補修し続けていたのではないでしょうか?
266 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 15:39:13
まぁ廃城になってから300年以上経過してるのが大半だからね
森林とかになったら痛みも激しいし
>>265 陣城ならばともかく本格的で恒常的に兵を配備している城ならば、
版築で土塁をつくる。
まあ、掻揚げ土塁の城も多いがな、
その場合、入念に丁寧に広く深く堀を穿って水堀にしている。
そろそろトリでもつけたら?
文体で大体わかるけど。
こちらが見るところは山間部が多いので空堀ばかりだ。
サバ土のところの掻き揚げだと急傾斜の土塁は厳しいみたい。
271 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 23:41:04
>>264 脇からすみません。版築で築かれた60°の傾斜がある土塁はどこの城郭もしくは
館のことですか。代表的な事例がありましたら、紹介してください。
272 :
210:2005/12/10(土) 00:10:34
>>265 自分もそう思うよ。
特に山城ともなると版築に必要な異なる種類の土を
準備するのも大変でしょうから、なおさら困難でしょうね。
山城に土塁は皆無とまではいかないけれども切岸が多い感じがしますね。
>>271 山中城の一部の復元土塁に60度オーバーの困りもんの土塁があります。
273 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 08:27:13
>>271 山中城がある。そこがもっとも戦国の城にある
当時の土塁を忠実に再現している。
>>272 しかし、版築工法でつくられた土塁も多い。
山城に土塁が多用されないのは切岸をつくって防衛できるからだろ、
それができないところは土塁を切岸のような勾配の土塁をつくる。
>>271 まともな考証がされて復元土塁が形成されている城は、
どこでも60°くらいの傾斜になっているよ。
>>275 池沼か?「どこでも」と書かれているんだから、
それが事例だろ。ありふれた事例と指摘されているんだろ。
日本語をよく理解しろよ。
>池沼か?
本スレと違って当スレはこれまでマターリ進行してきたんだ。
そういう挑発的な表現はやめとけって。
しかし、あまりに読解能力の無いやつがくると
そんな誰でもそんな表現が出てしまう。
それはどんなスレでも同じ傾向がある。
279 :
271です:2005/12/10(土) 21:36:25
混乱してるようですが。
「事例」という表現をつかったのは、現存している土塁だけでなく
かつては存在していたが、後世の開発行為で消滅してしまったか、
または発掘で確認されたものの、保護のために埋め戻されて現状では
見ることができないのも含めたつもりですが、
山中城以外にはないですか?
虎口に築かれている場合がある「かざし土塁」と「しとみ土塁」について詳しい人いる?
それぞれの利点や特長について解説おながいしまつ。
あと、関東近辺で顕著に見られる城があれば情報よろしくw
>>280 それらの土塁は
>>237のいう城内の様子を隠して
見えなくするという要素を前面に押し出し重視した土塁。
盛岡市の前九年町あたりにはいまも土塁跡があるよ。
まぁ土塁ヲタは川の堤防でも見てろってことだ
287 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 20:41:35
いまだに山中城信者が居るとは
どの研究家も今では
かつては最新の整備だったけど
と言います。
土塁とは〜であるべき、とか
80年代から進歩していない論調なところを見るとただの城好きなんでしょ。
研究者と同じレベルで語るのはかわいそうだと思うよ。
ただの城好きですが?
>>287-288 だから、好い加減な勾配の緩やかな復元土塁をみて、
これが実際の当時の土塁の形状だと思ってしまうんじゃない?
291 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 18:09:43
290は確信犯?
急な復元土塁を見て勘違いだろ
>>291 お前が勘違い。
緩やかな復元土塁を見て勘違いだろ
293 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:05:33
中井均『戦国の堅城』U 学研
今月発売だそうな。
閑話休題
↓
各々方、斯様に馳走なされては水掛け論になりまするぞ。
さて。この間勝龍寺城に行ってきました。
こぎれいな公園で、正直期待はずれでしたが
勝龍寺城の北にある神足城(或は神足屋敷。現・神足神社)は
城郭らしい地形と堀がしっかり残ってて(*´д`*)ハァハァできました
チラシの裏だけど、お許し願上げ申し候。
295 :
294:2005/12/13(火) 22:08:42
296 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:13:45
>>295 内容の感想は?
それによって購入の是非を決めたい。
お願いします。
297 :
294:2005/12/13(火) 23:21:14
>>296 まだざっと目を通しただけだけど・・・
副題が「戦略・戦術に応じた多彩な城郭群」となっている通り、
軍事的に城郭を考察している論稿が多い。
前回は城を作っていた時代に目を向けたものが多かったから、
評価は人によって分かれるんじゃないかな。
個人的には前回は城郭→時代を捉える理論が、わかりやすく書かれていておもしろかった
298 :
296:2005/12/14(水) 01:00:16
>>297 有難うございます。
私の住む地方は田舎で、入荷が遅いものでして。軍事的な面の考察と言う
事ですので、機能面も考察されているのでしょうか。
取り寄せてみることに致します。
299 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:12:10
> 軍事的に城郭を考察している論稿が多い。
西股氏がやってるんでしょうね。
前作では杉山城や菅谷館が滅茶苦茶でしたし、
武田流やら北条流やらでまるで江戸時代の軍学者がこの世に現れたかのような話。
心配です。研究ではなく娯楽本とでも思えば許せるけど。
言い過ぎじゃないかな。
気持ちはわかるけど。
せめて実名は伏せましょう。
301 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 06:21:42
>>300 この程度で言いすぎならば評論なんて成り立たないよ。
閉ざされた環境でやっていると異なる意見は煙たくなる。
302 :
299:2005/12/14(水) 09:39:41
とりあえず、金払った分だけの事だけは言わせてもらうよ。
いい加減な記事の削減を願ってるし。
303 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 11:46:52
天守も石垣もない山か森みたいな城を嬉しがって見に行くようなマニアには
やはり正確な検証が必要でしょう
じゃあまずはどこがどう滅茶苦茶なのか、そこのところから伺いましょうか
>>301 そりゃそうだけど、匿名掲示板で実名を挙げて批判するのは、
たとえその批判があたっていたとしても、あまり感心できるものではないかな、
と思ったまでです。
>>302 私は今のところ立ち読みしかしてませんが、氏以外にも軍事的な記述が目についたし、
そういう意図でもって編集されているのでしょう。
杉山の話はシンポ以降、どのような見解になってましたか?
306 :
299:2005/12/15(木) 00:02:33
最近、「戦国の城」というシンポジウムの本が出ましたので
杉山城についてはそれを読むといいですよ。
そして西股・松岡氏の論が新しいです。
西股氏はもっと議論が必要だと説いてます。まぁ、割愛。
松岡氏は遺物の編年について曖昧な点を指摘してます。
松岡氏のご指摘はごもっともではあるのですが、
一部の編年についてですから、その曖昧な遺物を除外して
他の遺物で考察すればいいだけで、大局的にはあまり揺るがないでしょうね。
杉山城についてはシンポジウム当日に八巻氏のプリントが
別途配られていましたが、これが最も縄張り研究者の本心を
表現した内容と考えております。
>>306 詳細にご教示いただきましてありがとうございます。
『戦国の城』は高志書院から出てるやつですね。
こちらもまだ未入手です。
杉山の問題は耐震強度偽造問題に似ていて、縄張り研究では大名系城郭論など華やかな議論がなされてきたのですが、
それらの根拠とするものがやはり弱かったのではないでしょうか。
研究というものはやはりそれなりに信頼できる資料を積み重ねていくことによって成り立つわけですので、
安易に近世地誌に頼ったり、軍事論に固執したりの積み重ねでは、それはそれで意味のあることですが、
やはり学術的ではないような気がします。
もっとも、残された史料には限りがあるわけですし、軍事は城館遺跡という性格上、大きな意味を持つことですので、
それらも絶対に必要な研究なわけですが、それらだけに終始していては、いっこうに進歩できないように思います。
私自身は縄張り研究も城館研究の一分野だと思っているので(逆にいうと城館研究は縄張り研究だけとは思っていません)、
より深く議論が進められることを期待しています。
308 :
299:2005/12/15(木) 08:24:51
>それなりに信頼できる資料を積み重ねていくことによって成り立つわけです
そういうことでしょうね。
今後、杉山のように徐々に事例が増えてくであろう考古を裏付け材料として
縄張り研究が展開されるならば、別の世界が見えてくると思うのですが
そうもいかないのでしょうね。
309 :
299:2005/12/15(木) 20:58:00
>>304 本当に聞きたい?
戦国の堅城の1と2とで既に矛盾を
抱えてると思うよ。
まだ入手してないけど。
310 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 22:17:56
>>309 304じゃないけど、聞きたいです。
>>306 お手数ですが、八巻氏のプリントの内容もおねがいします。
312 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:01:14
『戦国の堅城』Uの中の折込チラシを見てくれ。
そう、「日本の城」シリーズがある。その裏に「歴史群像シリーズ」
がある。その中の『山内一豊』の表紙絵を見てくれ。「千代」と
おぼしき女性の絵がビミョーに笑える。
313 :
299:2005/12/15(木) 23:04:14
八巻氏のプリントは、
従来、杉山城の虎口は滝山城の虎口が3箇所酷似しているから
縄張り研究において杉山城は滝山城を真似て作った後北条氏の城だと考えられてきた。
しかし、杉山城の発掘によって後北条氏以前の年代に遡る事が分かったので
滝山城が杉山城を真似て作った可能性が出てきた。
これはまったくもって驚きである・・・・
こんな感じでした。極く真っ当なご意見で、ある程度杉山の発掘について容認してます。
戦国の堅城については入手してからにします。時間があればですが。
もちろん、いい本だと思いますよ。全部がいいとは言いませんけど。
314 :
310:2005/12/15(木) 23:11:15
>>313 有難う御座います。
八巻氏の至極最もな素直なご意見ですね。
315 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 06:12:51
俺は最近になって中世の山城に興味をもった口だが
このスレはためになる
316 :
299:2005/12/16(金) 21:19:58
戦国の堅城2を買って読んだけど、細かい事を抜きにして
前作のような破天荒な記事は見当たらなかった。
最後の30選で埼玉県が小倉城だったね。さすがに杉山の記事は書けなかったか?
317 :
299:2005/12/16(金) 22:35:20
これだけは説明しておきましょう。
>戦国の堅城の1と2とで既に矛盾を抱えてると思うよ。
これは菅谷館で、2では畠山氏が菅谷館に居たという確証は無いと
いう内容が書かれています。
古文書に「畠山が菅谷を発った」という話がある事から
従来は菅谷館=畠山氏という話でした。
ところが発掘してみるとその時代の遺物がさっぱり出てこないわけでして、
菅谷は菅谷でも畠山氏が居たのは菅谷館であるかどうかは
定かでなくなってきたために、現在は確証は無いという事になっています。
つまり考古を信用しての話です。
今、菅谷館にある三ツ鱗の旗は偽物です。
戦国の堅城1の杉山城の話のところには
菅谷館は後北条氏の時代は平坦基地であったと述べられてます。
菅谷館の発掘成果として後北条の時代の遺物は出ておらず、
畠山氏以前または近世の遺物だけです。
もし考古を信用するのであれば後北条氏はあり得ない話です。
ここが矛盾してるわけですね。
まるで都合の良い時だけ考古を信用したりしなかったりしてるみたいですけど
途中で意見を変えただけかもしれませんから・・・・・
318 :
299:2005/12/16(金) 22:40:54
うわ。誤字脱字だらけ。
>平坦基地
兵站基地
>菅谷館の発掘成果として後北条の時代の遺物は出ておらず、
>畠山氏以前または近世の遺物だけです。
菅谷館の発掘成果として後北条の時代の遺物は出ておらず、
畠山氏以降〜後北条氏以前、または近世の遺物だけです。
>>317 実は私も貴方の御回答をお待ちしておりました。
私はまだどちらも未入手なのですが、
貴方の言うとおり、1と2での矛盾は氏自身の時間的変遷の中での考え方の変化だと思います。
1はシンポ前に刊行されているわけですし、2ではシンポの成果を踏まえて執筆されたのでしょう。
そういった意味では縄張り研究に(というか氏が)考古の成果が取り入れられつつあると
評価することもできるかもしれませんね。
もっとも、氏自身、考古の世界に身を置いておられるので、こういった恣意的な取り入れ方は感心はできませんが。
320 :
299:2005/12/16(金) 23:21:54
先のシンポジウムで「後北条氏は戦闘に特化したから遺物が出ない」と言ってましたから・・・
つまり発掘で後北条氏の遺物が出ず、縄張りが氏の思うところの後北条氏であれば
全てを「後北条氏は戦闘に特化したから遺物が出ない」の一言で
片付ける事ができてしまうわけでして、残念ながら恣意的なところは元々感じております。
321 :
299:2005/12/16(金) 23:26:23
まずい。本音を書いてしまった。
意見を変えたかもしれませんねぇ。遅かった・・・・・・・
322 :
中世の城跡ツアー大阪編:2005/12/17(土) 00:18:42
伊丹空港→伊丹城(ショボイ公園)→池田城(ショボイ公園)
→三宅城(遺構無し。近くに小学校)→柴島城(遺構無し。近くに浄水場)
→榎並城(遺構無し。近くに小学校)→森口城(遺構無し)→三箇城(遺構無し)
→若江城(遺構無し)→高屋城(古墳。入れない)→丹下城(古墳。入れない)
→大阪城(コンクリ天守)→野田城(遺構無し)→福島城(遺構無し)
→天王寺城(遺構無し)→関空
323 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 12:40:42
>>320 >「戦闘に特化したから遺物が出ない」
素朴な疑問ですが、生活居住空間でなければ遺物は出ないと断言できる
ものなんでしょうか?戦闘に特化した施設だとしても、物の廃棄の可能性は
完全に排除され得るのでしょうか。菅谷館が兵站基地なら、余計物が出て
くる(出土する)と思うのですが。
と、私は思うのです。
>>322 野田・福島に城があったとはとても思えん
戦国の堅城2買ったよ
相変わらず内容は濃い
ここのスレ住人はとりあえず買っとけ
>>322 飛行機で大阪まできたのか?
せっかく近畿まで来たのなら近江とか甲賀とか伊賀のほうが面白いと思うが
大規模(安土とか観音寺)から館クラス(甲賀や伊賀)まで無数といっていいほどあるぞ
327 :
294:2005/12/17(土) 19:15:59
>>322 326さんも言ってるけど、もう少し見るところあったと思うんだけどなあ
摂津(大阪)だったら高槻城、芥川山城、
河内なら飯盛山城とか・・・
あと、足を伸ばして天王山の宝寺城。
竹林の中の崩れかかった石垣は感動モノ。
>>324 石山合戦時の城では?
328 :
299:2005/12/17(土) 23:08:42
>>323 私もそう思いますよ。
反論材料としてそういうあやふやな論を持ち出されてもね。
329 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 23:10:00
名古屋城と大阪城のコンクリ天守に告ぐ
エレベーター邪魔っ
330 :
↑:2005/12/17(土) 23:11:08
外に付いてるやつね
331 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 07:07:53
今日は早起きして城めぐりするぞー!て気合いれてたのに
雪かよ・・・
332 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:45:41
『戦国の堅城』Uに載っていた、新潟県の荒砥城に雪の日に行った
ことがある。雪中行軍は悲惨だった。降りてからのラーメンは旨かった
なあ。
333 :
299:2005/12/18(日) 23:24:46
雪中行軍は二度とするものかと思いつつも
登山口に来てしまうと不思議と登ってしまうものでして
困ったもんです。
先駆者の足跡があるとなおさらです。
真っ白な積雪にくっきりと見える城の縄張りは美しいよ。
335 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 08:55:00
積もった城では敵に雪を投げたんだろうなw
336 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 12:46:02
森口城、ふぉんとだ。何もない。守口駅と百貨店しかない。
一つ先の駅が土居という。森口城の土塁でもあったのかな。
>>335 刀や槍を放り出して
キャッキャ言いながら雪だまぶつけ合う武者たち・・・(*´д`*)ハァハァw
今週、観音寺城と安土城に出陣します。
雪で彦根城の多聞櫓の漆喰が落ちたみたいだけど、
観音寺や安土は大丈夫かなあ・・・
338 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 06:47:07
観音寺なんて今更雪くらいでは崩れないと思われ
ところで観音寺は城全域を見学しようと思ったらほとんど一日がかりになるんじゃない?
上半分とかならいいけど
安土と両方いけばかなり体力使うけどゲップがでるほど石垣が見れる
しかし週末だとまだかなり雪が残ってるでしょうな
339 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 09:49:17
皆さん、雪の時、装備はどうしてます?
俺は基本的に雪の日に城は行かないなぁ
特に山城は危険じゃね?
天守閣のある近世の城だと雪景色も絵になると思うけど
341 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:53:11
雪だるまを作って槍で突いてみたり、
竪堀に雪だるまを転がしてみたり、
連続畝堀で滑って競争してみたり・・・・
装備は平装だけどなるべく長靴がいいね。
342 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 11:05:29
オマイラって城には一人で行くの?
俺はいつも一人だが地域住民に不審者と思われないか不安だ
343 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 12:50:45
>>342 近所の住民に声を掛ける。畑で農作業している年寄りとかに。
地元住民からの遺跡情報・伝承が得られることがある。この辺で発掘調査は
無かったかとか、茶碗の欠片がよく畑で出ないかとか訊いてみる。
学校周辺は、最近神経質になっているので、学校に接触してから行った
方が良い。館跡や近世の陣屋跡が学校の敷地になっていることが結構ある。
林道などは要注意。自分が不審者と見られるより、本当の不審者に遭遇
する可能性がある。
344 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 12:59:31
>>341 登山用の靴か安全靴がいいと思うよ。最低キャラバンシューズ。
長靴はカポカポいって長時間履いていると疲れない?
カメラについては、様々な意見が有ると思うけど自分は降雪時
では普通のカメラを使用。
地図類の保護できるビニールケースのような物も必携。
あと、雪の中では「酒」。下戸の自分も水の様に飲めてしまう。
345 :
341:2005/12/21(水) 13:26:10
>>344 長靴はカポカポですね。
金があれば確かにキャラバンシューズ!
でも寒さのせいか多くを車の中に忘れてしまうんだよね。
田舎の城跡は大概小学校なんかになってるんだよな
市街地は高校
だから入りづらい…
やはり、学校側に直接事情説明するしか無いかと。
それが嫌なら、面倒だけど、都道府県の教育庁文化課あたりの埋蔵文化財
担当に訊いて見る。話の仕方次第では簡単な資料のコピーくらいは送って
もらえる。または、地元の城郭研究団体を紹介してもらう。埋蔵文化財
関係者には高校の教員が大体いるので、学校にはコネを付け易いと思う。
348 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:39:55
age
教員が埋文センターに出向してる県ならそれもいいかもしれないけど、
文化課は所轄が違うから話がややこしくなるだけのような気がするけどなぁ。
調査目的ならともかく、単なる見学だけなら事前に学校に直接お願いして、
断られたら諦めたほうがいいと思うよ。
なかには断られた腹いせに礼儀をわきまえずに文句をいう人もいるようだけど、
お城好きの評判を下げるだけで、はっきりいっていい迷惑。
城郭研究者が馬鹿にされる遠因。
350 :
347:2005/12/21(水) 22:59:48
>>349 都道府県での違いもあるだろうけど、うちの県は県庁の文化課に
埋蔵文化財係があるよ。知り合いの担当がプロパーと教員が勤めて
るよ。
351 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:17:36
まあ、土地所有者の許可を取って見に行きましょう。
>>350 教員が埋文に出向してるところって結構あるみたいですけど、大変でしょうねぇ。
学校の先生がいきなり現場やらされて分層とかできるんでしょうか…?
それとも班長の指揮の下、雑用係?
353 :
350:2005/12/21(水) 23:40:55
>>352 教育財団の場合、考古学専攻の者を教員として採用し、財団に回して
調査に従事させます。
又、プロパーを県職採用で採り、埋文センターに出向、調査時には
プロパーの下に発掘現場の規模に応じて教員が付くパターンも
あります。
後者のある都道府県を知ってますが、考古学専攻で無い教員ばかりの
所がありました(哲学専攻、地理学専攻など)。そこでは分層を出来
る人は殆どいませんでした。実態は調査補助員と言う所でしょうか。
驚いた事に素人の退職教員を使っているところもありました。
むろん、彼らは雑用係でした。
長文失礼いたしました。
>>353 ありがとうございます。
スレ違いなのでこの話題はこの辺にしときましょうか。
せっかくの三連休なのにまた雪ですよ。
雪とともに危険なのが、日没後の下山。
結構、経験してる人がいるはず。
355 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 06:49:53
山城は明るいうちに行って明るいうちに下山しましょう
雪の山城へ行って堀切りに落ちたり古井戸に落ちたりしないようにね
山城の帰り道で薄暗くなってくるとマジ焦るよな。
357 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 20:32:09
人間焦ると選択誤るしね
早めに下山したいね
358 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 21:18:01
高所の山城攻めや藪漕ぎはやはり午前中がベストかな。朝早くに行動開始して1城、もしくは2城。
昼食後は近隣の丘城や平城、城址公園や資料館というのが漏れのパターン。
オフ会でもこのパターンがいいと思う。昼食直後に再び山登りってのはちょっと萎えるな。
359 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 22:25:27
城の規模、家からの距離にもよるが
朝9時現地到着したらまず小さめの城を二つか三つ見学しメインの大きめの城へいきじっくり時間をかけて見学する
途中、腹が減ったら城内で弁当を食う
充分見学したら帰宅
というパターンが多い
目的地が遠い場合も朝から見学したいので前の晩から現地で車中泊することも多い
360 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 01:22:09
安土城
駅から遠いぞ
気をつけろ
観音寺
足が棒だぜ
覚悟しろ
大阪城
コンクリ天守だ
味気ない
五稜郭
気分は西洋
あんがとさん
名古屋城
エレベーター付きだよ
近代ビル
安場氏館
個人宅だよ
侵入するな
井元城
その見所
馬出だけ
名古屋以外マイナーでスマソ
城の麓で車内泊、よくするが
最近自殺者多いような、
ふと気がつくと、缶コーヒーとかワンカップとかタバコとかと一緒に花が添えてある。
夜が明けてから気がつく。小谷、鎌歯、、、、
363 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:17:56
age
364 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:22:43
近くに城在るけど、灯台下暗しというか
遠足でも行かなかったし、興味持ってから行った
他の城の写真とか、鎧、甲冑が展示されてて興奮した。
城かあいいよ城
366 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 08:00:47
俺も近くに城あるよんw
数万の秀吉軍相手にわずか1200の城兵で45日間戦った伊勢峰城がw
しかも秀吉軍の犠牲者20000超えたっていわれてるしw
でも今はほとんど整備されてなくて山林状態(´・ω・`)
何!直にでも白色化した鉄砲玉拾いに行く!
369 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 12:04:55
父親譲りの軍才を如何なく発揮したというあの名将・織田信雄か!
・・・・といわれるような戦いぶりを聞いた事がない織田信雄か。(´・ω・`)
370 :
366:2005/12/24(土) 15:12:41
というわけで久々に伊勢峰城に行ってみたがやはり山林状態
天然の要害を利用した城だが逆にそれが災いして見るべき部分、というかハァハァ出来る所が少ない
支城の古城城のほうが三重の堀とかあって城好きには楽しめる
ちなみにに攻め手の大将は羽柴秀吉だよ
城側は滝川一益の甥、滝川義太夫
それと織田信雄が大軍で攻めて惨敗したのは第一次天正伊賀の乱
371 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:51:46
>>370 伊勢峰城行ったことあるよ。
あまり整備されていない山城って感じだった。
それでも県指定史跡みたいだけどね。
372 :
337:2005/12/24(土) 19:29:26
昨日帰ってきますた。
さすがに吹雪の中を攻城するのはヤバイと思って・・・
安土城考古博物館&信長の館、彦根城は行ってきた。
考古博物館までは歩いたんだけど、着いたときには雪だるま状態。
中に入ったら受付の女の人二人に
「よくこんな日に来られましたねぇ」って爆笑されたw
しかしこの週に限ってとんでもない大雪になるとはorz
自分は、安土城考古博物館の喫茶コーナーで、チャイ(インド風紅茶)
を注文した第一号である。
374 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:47:18
雪や雨だと受付の綺麗なねーちゃんと話していたいね。(´・ω・`)
山谷と帰した城郭がいいのだよ
雨や雪でも薮を掻き分け泥にまみれながら攻め上がるのさ
376 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 07:16:24
>>374 こういう所の受付のねーちゃんって城のこと全然知らないことが多いよな。
信長、秀吉、家康の肖像画見せて「どれが秀吉でしょう?」てやっても答えられなかったりしそう(´・ω・`)
377 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 07:19:36
楽しそうだね。(´・ω・`)
物を知ってる受付も居るけど、そのときは大抵おばちゃんだね。
寒い時は山城登りにかぎるね
汗だくになるよ、ホント
これはもうスポーツだね
379 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:24:39
調子に乗ってスタスタと歩いて遺構を見逃した事、数知れず。(´・ω・`)
380 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:50:05
あるあるwww
土塁とか見逃して通り過ぎてしまったり
縄張り図見ながら何時も同じ所を行き来したり
家に帰ってから見逃した所に後悔したりwww
381 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:22:42
あるある探検隊だね。(´・ω・`)
ほないくよ。西川君!
縄張り図にない遺構を見つけて縄張り図を何度も見直す
あるある探検隊・・・・・・
382 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:51:59
はいっはいっはいはいはい
あるある探検隊あるある探検隊
城跡いうてもなにもない
拝っ廃っ灰敗杯
383 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 18:17:07
ようわからんわ
この寒いのに城跡行く気にならんよ
384 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 18:28:25
>>382 語呂がいいですね。(´・ω・`)
城跡ゆうても 藪だらけ はいっはいっ・・・
>>383 確かに行く気は・・・
でも今の時期だからこそというのもあるしね。
とりあえずマムシの心配はない。あと雑草が枯れて見やすくなるとか。
蚊がいないのもありがたい。行くとこがあまり整備されてないこともあるが。
寒いのを我慢すればこの時期がいいかも。雪がなければ・・
石碑だ!見に行きゃ「忠魂碑」・・
( ´-)ハイ! ( ´-)ハイ! ( ´-)ハイ! ( )ハイ! (゚∀゚)ハイ!
あるある探検隊!あるある探検隊!
387 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 17:50:51
基準は難しいけど当代一の縄張り研究家とは誰?
388 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:41:14
うーん縄張り研究は戦国時代を調査する時の重要な項目だが
一般的な認知が低いからね
389 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 10:29:13
みなさん
中世の城が出てくる映画ってありますか?
出来れば城での戦闘シーンがあるやつが見たいです
実は昨日黒沢明の乱借りたんだけど
一応、戦国の山城っぽいのが出てくるのですが
土塁なし、堀なし、切岸なし、馬出なし、堀切りなし
あるのは石垣と櫓、天守、それらを囲むさくと石垣作りの虎口
こんな城ねーだろ(゚听)
390 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 11:46:12
クレヨンしんちゃんの前作の映画に出てくる城は意外とよくできてますよ。
城のイラスト本を下敷きにしてると思われます。
でも実写版を期待してたなら駄目ですが。
映画だと兵士たちがどのように機能するのか面白いですね。
>>387 高田徹に一票
クレヨンしんちゃんってオイ・・・
しかし戦国物の映画に出てくる城って近世の城ばかりで萎え
とくにクロサワ物は外人相手に作ってるからダメダメだな
クレヨンしんちゃんの映画の城、モデルは逆井城でいいんだよな?
たしか。
394 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 00:36:04
逆井城の報告書や復元建造物はイマイチだけど、
ああやって映画の下敷きにした時に雰囲気がある方なんだという事を再認識・・・
明日行く城の地形図ダウンロードしようと思ってたのに、
国土地理院の地図閲覧のページに行けない (´・ω・`)
きっと今日の市町村合併にあわせて地図の書き換えしてるんだな。
みなさん明けましておめでとうございます。
今年も楽しくお城めぐりのできる一年でありますように。
今年の初訪城はどこにいこうかなぁ・・・
今年の初詣城は山中城行きます。
398 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 12:31:16
山城で初日の出みてきた
日当たりがよいから案外ふもとの居住区より快適な気がしました
399 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:06:32
age
400 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 10:57:17
里美八犬伝に中世城館みたいなのが出てくる件について
>>400 天守が出てこないだけテレビドラマとしてはマシなんじゃないか。
正月休み中に戦国の堅城Uを読んだが、何か研究論文
というより空想小説を読んでいる気になった。
ブームらしいからプロアマ問わずいろんな城郭本が出版
されるらしいけど、ちゃんと裏付けがきちんとした本が流通
して欲しいね。
「戦国の城」(高志書院)とか。
403 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:10:03
最近の城郭本は乱発のせいか質が落ちたというか
執筆陣に強烈な縄張り研究家が加わる事が多いように思います。
現状の縄張り研究は確立したところがなく(基礎ができてない)、
研究者によって意見はいくらでも割れるんですよね。
基礎研究を重点的に固めればいいのでしょうけど、それができないのでしょう。
そんな状況で縄張り中心に執筆するものだから妄想だとか言われちゃったりで。
何も知らない人が読めばきっと実体のない縄張り論とやらを信じきってしまうでしょうね。
昨年頃に出版された「日本の城」も同様ですね。
「戦国の城」はよくできた本ですが、やはり縄張り研究家の西股氏の論は飛躍が多過ぎます。
特に比企型虎口の年代感が覆ってしまいそうな状況が何よりも痛過ぎます。
松岡氏の論は劣勢ながらも無難なところを丁寧に突いてますね。
404 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:14:31
縄張りはそんなに重要ではないよ。
要するに、大量の食料と、大勢の兵と、大きな城だったら勝てないまでも負けない。
極端な話、城は例えば五稜郭みたいな十字砲火狙いなどしなくても、
巨大な正方形、巨大な長方形、巨大な円形で充分。
勿論、水堀は重要だね。空堀だったら竪堀障子堀のような小細工はいらない。
底に膝ぐらいまで水を張っておくだけで良い。
それならば船は使えないし、ごっつい歩きにくい。沼を作るのだ。
でかい城。
大坂本願寺、大坂城、小田原城(1590を除く)はそれで、負けなかった(勝てもしなかったけど)。
姫路城とか熊本城とかは最悪。守りにくいだけだ。得に天守などに石落としはいらない。
大手門を破られて城に攻め込まれた時点で負け。
天守に敵兵が近寄ってきた時には城主はもう切腹している。
熊本城は確かに西郷軍の攻撃を防いだ。ただし、それは城がでかかったからだ。
中に入られればお終い(神風連の乱の時には城に入られている)
巨大な城に立て籠もり、城内に入れない。近寄らせない。
でかければよいのだ。縄張りは関係ない。
405 :
403:2006/01/04(水) 02:35:21
>>404 縄張りは城の堅さとはあまり関係ないでしょうね。
本丸虎口をいかに工夫を凝らしたところで
そこが攻撃されている時点で終わってますからね。
おっしゃる通り。
あまりけちょんけちょんに書くのもなんですので少しだけ称賛モード。
縄張りによる直感力というものは発掘で掘る場所の目安になるので
考古で意外と役に立ってたりもします。
篭城を一日でも延ばせれば、それによって後詰が来る日数を稼げるって考えじゃないの?
長篠城なんかは数ある郭が落とされていく最中で織田徳川連合軍が到着してるし。
>大量の食料と、大勢の兵と、大きな城
こういう条件のところは少数派なわけだし。攻める方の条件もことなるわけだし。
少数の事例を全部に当てはめるのは無意味だよ。時代背景も異なるわけだし。
縄張りというか築城場所の選定は重要だよね。
408 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:13:19
居住タイプの城か砦タイプの城かでも異なる。
当然長期戦になれば衣食住が重要な鍵を握るわけだし。
409 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 15:08:09
縄張りは重要だよ
不利だから篭城するんだし
兵力、武器弾薬、食糧が充分にあれば篭城なんてしないし
寡兵で戦うには城に頼らざるを得ない
不利じゃなくても城を基盤に戦うやり方もあるが
それでも出来るだけ堅固な城の方がよいに越したことはない
410 :
402:2006/01/04(水) 16:55:45
402だが403の考え方に非常に近いものがある。
同じような事を考えている人が少なくないんだろうな。
何となく嬉しいよ。
○×先生の論は否定できないって風潮が最近、特に顕著だし。
なかなか盛り上がってますね。
縄張り研究が随分と批判されていますが、これは近年の武田系城郭や杉山シンポをうけてのものと推測します。
ここではおもに丸馬出や角馬出による大名系城郭論が問題視されてきたわけですが、
これは80年代半ばの千田氏の織豊系城郭論に触発されたものだと思います。
織豊系城郭は虎口による分析が有効だったわけですが、それが他の大名系城郭にも有効かどうか、
そもそも大名系城郭自体が実体を持つのかどうか、そこが十分検証されることなく、
単に共通性を持つことのみをもって論じられてきたような印象を受けます。
千田氏の論はたんなる編年論ではなく、形体変化を追ったものですので、
きわめて考古的な手法なのですが、その方法論自体が十分理解されずに援用されてきたのではないでしょうか。
>>410氏のいう
> ○×先生の論は否定できないって風潮
が誰のことを指しているのかわかりませんが、これらの論を築きあげてきた
中世城郭研究会の主要メンバーを指しているとすれば、心中察します。
悲しいのはここでの縄張り研究に対する反批判がすべて軍事論からのみである点ですね。
私自身は城郭を考える上では軍事ももちろん重要ですが、
そればかり見ていると城郭の本質を見失う危険性があると考えています。
現に城郭研究ではパーツ論だけではなく、多様な議論がなされています。
>403氏の批判は杉山シンポや『戦国の堅城』を読まれてのものと推測しますが、
軍事以外の視点から城郭研究を志している研究者もいることを忘れてはならないでしょう。
もっとも、『戦国の堅城』に関してはあそこまで軍事一辺倒になった背景には
一般書籍として売上を上げなければならない事情もあるわけですので、
そのあたりは専門書と同一に扱っての批判はどうかとも思いますが。
412 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 18:47:28
それでも読物として戦国の堅城は面白い
>>411 >もっとも、『戦国の堅城』に関してはあそこまで軍事一辺倒になった背景には
>一般書籍として売上を上げなければならない事情もあるわけですので、
>そのあたりは専門書と同一に扱っての批判はどうかとも思いますが。
これ関係者またはそれに近い人物が書いているのであればかなりの問題発言だそ。
一般書籍として営利目的として書いているのだから批判するのはおかしいだと?
ならば帯書にでもそういった注釈を入れて販売すべきではないのか。
購入した読者に対して失礼極まりない発言。
>>413 う〜ん、心証を害してしまったようですね。すみません。
ま、『戦国の堅城』に関しては買う前に少しでも立ち読みしてれば内容は把握できたと思うので、
その時点で専門書ではないと判断すれば買わずにすむこともできたと思いますよ。
私は買ってませんし。
>軍事一辺倒になった背景には 一般書籍として売上を上げなければならない事情もある
というのは私の勝手な推測です。
誤解を招いたようですみません。
執筆陣や内容から、編集者の意図を勝手に読み取ってみました。
あながち外れていないとも思いますが。
もっとも、学術書ならともかく、『戦国の堅城』を批判したところで、生産的な議論になるとは思いませんが。
>>413 まったく関係ない横レスだけど、出版物が営利目的なのはしょうがないよ。
みんなそれで飯食ってるわけなんだし。
研究者、郷土史家、歴史マニア、夏休みの自由研究。
どのレベルの読者想定して出版するかは出版社の自由なわけだしさ。
経営方針の違いなんだよ。
416 :
413:2006/01/04(水) 20:31:43
>>415 いや、出版社が営利目的なのは当然なんだけど、414の言う趣旨が「出版社が
そういうスタイルなので、執筆者がそれに合わせて書いた」と読み取れるのが
気に障ったのだ。
卑しくも城郭研究者の第一人者としての地位を築いている人々が、自らの名で
執筆しておいて「いや、それは一般書籍だからそれなりに書きました」って言わ
れたんじゃ買ったほうはたまらんだろ。
他の世界に置き換えてみたらわかる。
「消化試合だから適当に投げました」みたいな話ではないか。
一番問題なのは一般書籍と専門書の識別がわからないビギナーが購入する
可能性もあるっていうことだ。
414が関係者じゃないことを望みたいよ。
417 :
403:2006/01/04(水) 20:59:26
>一番問題なのは一般書籍と専門書の識別がわからないビギナーが購入する
>可能性もあるっていうことだ。
そうですね。
先にも書きましたけど縄張り研究は個人の感性に頼るところが多く
研究者によって意見の相違も多く、学問としてはまだまだ確立してません。
しかし、ビギナーがあの本を読めばきっと縄張り研究が確立したかのような
錯覚に陥ると思いますよ。
そういう意味では書の批判はビギナーに補足するわけであり
生産的であると思うのですけど。
>軍事以外の視点から城郭研究を志している研究者もいることを忘れてはならないでしょう。
縄張り研究者は色々いらっしゃるでしょうからがんばって欲しいですね。
最近の中城研はぱっとしないですし。
戦国の堅城3では松岡氏が執筆してくれませんかね。
まさに俺が戦国城ビギナーなわけだが・・・。
戦国の堅城1と2はまさにバイブルのように読みまくりました。
なにしろ戦国当時の想像図があるのがビギナーにはわかり易い。
これとていろいろ間違った部分はあるのだろうがビギナーの俺としては
「へー昔はここはこんな感じだったんだ」
と想像力を膨らませて実際の城跡見物にも役に立っているよ。
>>416 こうゆうのって関係者なら図書寄贈があったり、興味があったら自分で買ったりすると思いますけど、
立ち読みで内容を判断して買ってない関係者って、どうゆう人を想像されているのでしょうか。
勝手な推測って書いたのに…。
自分の思う内容と違う本を買った不満を私にぶつけられてもお門違いだと思いますよ。
ビニールに入れられて中を読めずに買ったならともかく、ご自身で判断して購入されたのなら
潔く諦めたほうがいいと思います。
>>417 たしかに縄張り研究は学問としては確立していないでしょう。
故に批判をするのは簡単なことです。
それよりも、どうすれば城館遺跡を隣接諸学の批判に耐えうる史料として活用できるか、
を考えたほうが城郭研究をするうえではより生産的だと思うわけです。
これまでのところ、軍事的な視点ではダメだ、の繰り返しのように思いましたので、
もうそれはわかったから他の話題をしましょう、という意味も含んでいます。
他の視点で『戦国の堅城』の批判があるなら、もっと出していただければ盛り上がるでしょうね。
>>418 何度も読みかえすと、本当にこんなこと言えるのだろうか?と思う個所も出てくるかもしれません。
そう思ったときに他のいろんな本を読んで検証するなり、現地に赴いてご自身で検証しだすと、
あなたもお城の研究者への第一歩を歩みだします。
単にお城めぐりをするだけでも楽しいので、
いろんなお城を見てください。
420 :
403:2006/01/05(木) 08:06:38
>そう思ったときに他のいろんな本を読んで検証するなり、現地に赴いてご自身で検証しだすと、
そういう自分で考える方向に行ってくればいいんですけどね。
よその掲示板などで本に書いてあるんだとか暴れだされると困るんですよね。
NHKのいい加減な歴史番組を見て、あの番組が語ってるのは正しいと
暴れてた人が過去に居て、いくら教えてもNHKはうそをつかないとかで
盲目な信者に成り下がって・・
NHKの番組で言ってることは100%正しいよ
間違いない
422 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:06:34
有名な縄張り研究者が自信に満ちて語っているのだから
間違いない
423 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:35:17
戦国の堅城に書いてあることは100%正しいよ
間違いない
424 :
土橋信鏡:2006/01/06(金) 23:15:39
オレの居城越前亥山城を見に来い!
神社になっとるぞ。でもちゃんと堀がのこってんだから。
一乗谷や大野城に行くなら亥山城もどじょよろすく。
425 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:45:17
土橋信鏡の言ってることは100%正しいよ
間違いない
>>424 堀だけじゃね-
やっぱ土塁も残ってなきゃ
427 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 19:13:09
城好きなら、やっぱり縄張重視だね。
城郭研究に考古偏重の傾向が強くなっているけど。
所詮、一時代の一面を解明しているにすぎない。
考古の弱点は副葬のケース、後世に改変されているケースのホローができない。
トレンチの入れ方で、結果は代わってしまう。
そして、遺跡の破壊行為そのものであること。
城好きは、地上観察であれこれ推論を組み立てられる
縄張論が一番。杉山城の事例なんて、糞そのものだ。
428 :
403:2006/01/07(土) 21:42:46
>考古の弱点は副葬のケース、後世に改変されているケースのホローができない。
一部のイレギュラーな遺物が存在すると
その遺物のフォローはできないでしょうけど、
他の遺物から考古による時代観は変わらないと思いますよ。
>トレンチの入れ方で、結果は代わってしまう。
変わる可能性はありますが、変わらない手法を選べばいいだけです。
例えば杉山城のように全面発掘に到ると結果は変わりません。
>城好きは、地上観察であれこれ推論を組み立てられる
>縄張論が一番。
発掘を行うにあたって、縄張りは知っておいた方がいいですし、
縄張りを考えるには考古を知っておくと表面観察からより多くの
可能性を見出せるようになります。
城郭研究の上で縄張は避けて通れないと思う。特に個人研究者にとっては。
考古学調査は個人的に行うのは不可能に近いし、文献も限りがある。
ただ、他領域から縄張研究の成果を覆すような新発見が出たときに、どう対応するかが重要だと思う。
新発見を取り込んで、縄張論を修正していくのか。
あくまでもこれまでの縄張論を守り、新発見をはねつけるのか。
あまりに、「〜はこうあるべき」というような従来の概念にとらわれてしまうと、
縄張研究そのものが発展しないように感じる。
閉鎖的になってしまわないのかと危惧してしまう。
>>428 >杉山城のように全面発掘に到ると結果は変わりません。
杉山の問題では遺物の成果から縄張り研究は窮地に立たされてるけど、
実はトレンチの入れ方でまだ可能性は残されてるわけなんですよね。
>>427氏が言ってる意味とは若干違うかもしれませんが、
周辺尾根に広がる曲輪群にはまだ考古学的な調査は着手されていないわけです。
周辺尾根が駐屯地の機能を持ち、主郭近辺は生活空間でなかったとすれば
調査区から当該期の遺物が出ないことも仮定としてはありえる話です。
現在言われている遺物の年代観はあくまでも調査区内のものですから。
ただし、そのような考古学的手法の限界を指摘するだけではただの上げ足取りになるので、
今後、さまざまな手法を用いて城郭の運用形態を解明する必要があるでしょう。
(縄張りだけではダメ)
また、考古側の課題としてはトレンチ調査でなくても遺物の分布調査でもいいので
周辺尾根の様相を把握する必要があるでしょう。
>発掘を行うにあたって、縄張りは知っておいた方がいいですし、
>縄張りを考えるには考古を知っておくと表面観察からより多くの
>可能性を見出せるようになります。
おっしゃる通りだと思います。
それぞれの限界を認識したうえで見解を突き合わせ、
よりよい成果が生み出されるといいですね。
互いが拒絶しあうようでは本当の意味での実態を見失うことにもなりかねます。
431 :
403:2006/01/07(土) 23:40:28
>閉鎖的になってしまわないのかと危惧してしまう。
既に閉鎖的だと思ってます。
>周辺尾根に広がる曲輪群にはまだ考古学的な調査は着手されていないわけです。
さすがに今現在ではまだ主郭の1つ2つ下くらいの曲輪をやっている
程度ですが、数年待てば結果が出るはずです。
残念ながら縄張り研究者が喜びそうな成果が出る気配すらないのが現状です。
話は変わりますが、典型的な後北条氏の城と言われてきた茅ヶ崎城に
関する発掘の成果発表が今月か来月にあります。
こちらも縄張り論を覆してますので興味のある方はどうぞ。
432 :
403:2006/01/07(土) 23:45:38
433 :
402:2006/01/08(日) 06:20:46
403はいい仕事してくれる
話変わって実際、杉山や茅ヶ崎が扇谷上杉時代になると時代背景
からいって納得しやすくなるんだよね
杉山に類似した縄張をもつ青梅の枡形山なんかも巷間言われる
後北条城郭から三田氏城郭に脱皮する可能性もでてくる。
もともと後北条があそこに城を築く目的が理解できなかった訳だし。
同じく青梅の今井あたりもおそらく基本プランは扇谷上杉時代では
なかろうかと個人的には考えている
434 :
403:2006/01/08(日) 07:18:07
>同じく青梅の今井あたりもおそらく基本プランは扇谷上杉時代では
>なかろうかと個人的には考えている
勝沼も含めて私もそんなイメージです。
>>434 勝沼は個人的には現状では難しい位置付けで捕らえている。
基本は扇谷上杉でも後北条が相当改変しているように思えて
ならない。
あの明確な大きな馬出と内外の枡形というもの存在を扇谷
上杉時代まで遡って考えることができるかがポイントだと
思う。
ここらもまとめて発掘してもらえると貴重な事例になりそうだね。
436 :
土橋信鏡(朝倉景鏡):2006/01/08(日) 16:03:03
一乗谷を訪れた時は、ぜひオレの朝倉式部大輔館跡
を見てくれ。道路で寸断されてるけどな。
水堀跡もあってイイゼ。
一乗谷の谷間で水堀がある館はオレのと義景のしか
ないんだから。斎藤龍興の館跡にも水堀はあるけど
あれは上城戸の外だからな。
いかにオレが朝倉家中随一の重臣であったかを思う
存分堪能してくれ。一乗谷、あれはいいところだ。
寒いけどな。
>>434 大橋康二氏が『海を渡った陶磁器』のなかで勝沼の遺物について若干触れていたように記憶していますが、
勝沼の発掘成果についてまとまった文献ってあるんでしょうか?
438 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:46:49
ない
439 :
403:2006/01/10(火) 08:09:50
勝沼は学習院大次第なんだろうね
440 :
402:2006/01/10(火) 20:31:21
>>439 勝沼は昭和41年にも都で掘っていなかったでしょうか?
それが学習院でしたっけ。
441 :
403:2006/01/10(火) 21:10:06
>>440 そういう事です。
『海を渡った陶磁器』という事は舶来品だろうから
年代ははっきりしないだろうけれども威信財として価値があるのかなぁと予想。
442 :
402:2006/01/10(火) 21:51:02
>>441 いつもさんくす
ということは勝沼も大部分は未発掘ということですね
楽しみ楽しみ
専門が別分野の人間から見ると現実重視の考古のほうが縄
張論よりも抵抗なく受け入れられる
多摩ニュータウンで偶然見つかった小山城は年代特定でき
るようなものなかったんだよね
>>440 勝沼の調査は昭和45年のようです。
大橋康二・福島宗人「青梅地方の中世城郭」『奥田直栄先生追悼論集』(1989、学習院大学輔仁会史学部)に
勝沼城・藤橋城・盾の城の調査報告が載っているようですよ。
うちの県立図書館にはおいてない…。
>>441 立ち読みだったんで詳しい内容は覚えてません。すみません。
444 :
403:2006/01/11(水) 06:58:38
勝沼の発掘は生徒さんたちに掘らせて・・・という教育の一環のようで
掘った跡が今でも残って凸凹になってるようです。
おそらくは精査された情報提供は先生も居ないので不可能と私は見ています。
『奥田直栄先生追悼論集』にあるのはせいぜいチープな内容かなぁと予想。
小山城は不明と聞いてるので遺物は出てこなかったのかもね。
445 :
日本@名無史さん:2006/01/13(金) 13:30:00
榎並城を復元して三好政長のお墓を建てよう
446 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 19:17:42
春になるまでに行きたい城に行かなきゃな
虫の苦手な私は春夏は城巡り出来ないのよ
とくに毛虫テラキモス(´・ω・`)
>>446 俺はクモが大の苦手で(´・ω・`)
それにヤブ蚊がうざいし
・・・かといって北国住人は冬だと雪中行軍しなきゃいけないし・・・
クモや毛虫よりもセミが嫌い。
何が嫌いって、あの死んだフリが。
449 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 00:17:09
本日、天候が回復したので岩櫃城に行ってきました。
山城のキャリアが浅い上に(今回で三回目)雪が残り、おそらく昨日の雨で
ぬかるんだ所もありで大苦戦でした。縦横に張り巡らされた堀が見所とのこと
でしたけど縄張り図を眺めながら写真をとってメモしてとやっていたら日没時間が
近くなって見たいところの半分くらいしか見れませんでした。残念。
さらに二の丸付近の傾斜で滑って買ったばかりのリュックが泥まみれに・・・
でも真田昌幸がここに佇んでいたかと思うと感慨深いものがありました。
雪が溶ける時期に再出撃します。
450 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:30:56
癶(癶;゚ё゚;)癶 カサカサ
451 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 06:50:06
蛇にも気をつけてね
452 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 07:49:14
そういえば、この間千田さんがナイトスクープにでていたな
453 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 09:53:44
>>452 くわしく
なんで千田さんが・・・小和田さんなら見たことあるけど
454 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 21:05:25
オオカミの糞を電子レンジで温めていた
455 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 01:25:56
岩櫃城周辺にて 熊出没注意の看板でびびったぞ
456 :
403:2006/01/19(木) 20:02:17
岩櫃はたまにでるそうだね
鹿は見たけど
457 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 23:43:45
この前、岩櫃にいった者だけど自分もその看板見てびっくり。
今の時期なら大丈夫なんだろうけど春以降は怖いなー。
とりあえずできる防止策は鈴つけて歩くくらい?
ほかには狩猟禁止の看板もあったよ。
あと気をつけるのはイノシシとかスズメバチとかですかね。
458 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 00:30:50
安土城は大手道より百々橋口道の方がいい
もっといいのは台所道だが今は通行止め
八角平は良かったなあ。もう立ち入り禁止になって随分たつ
謎の切石踊り場がなつかしい
御池がなつかしい
大手門周辺はもういいですから
早く天主北方域を調査してください
>>454 千田さんそんなこともやってるのか?
なんかよくわからんなぁw
>>457 あの手の看板びびるよねぇ
一度鈴鳴らしてなくてカモシカと目が合ったことあるけど
それ以来動物にあうのが怖くていつも鈴鳴らしながら歩いてるよw
460 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 12:59:12
安土城はいいから観音寺城を発掘してくれ
安土城が終わり次第やりますよ。
462 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:10:27
>>456 ワシも鹿に遭遇したぞ。
岩櫃山の断崖のイメージが強い城だけど、
城の東側にある登城口から目指せば
お手軽なお城。
463 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:10:50
早くおわってよーー
観音寺城は凄いぞ。
狭苦しい安土城の本丸。
ものすごい広い観音寺城の本丸と池田丸と平井丸
流石は戦国一の城であるな。
で、あるか。
464 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 17:08:32
観音寺城(´・ω・`)テライキタス
古びた石垣の数々(・∀・)イイ!!
465 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 18:40:59
近くて遠い彦根城
歩き地図なしで彦根城目指すのは厳しい!
466 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 23:55:12
>>464 行きたいなぁ。
どこのお城でもいいから、とにかく早く石垣や曲輪で(*´д`*)ハァハァしたい
>>465 彦根駅から一直線だけど・・・(´・ω・`)?
467 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 01:48:41
コンクリ丸出しの大阪城はダメだった。
石垣がとにかくダメだった。
十年くらい前に補修した石垣は大問題である。
大阪府に、大阪市に、中央区に抗議したい。
チェーンソー?かなにかで積み木みたいに綺麗に長方形や三角形に切っている。
その上、昔の石垣とは質も色も違っている石を使っている。
さすが大阪だ。なーんにも考えてない。天下りの連中がテキトーにそこらの石を使ってやっただけ。
小豆島に行ってそこで石を切りだそうなんて考えない。
大阪市石垣補修予算1000万(税金)→官僚が300万くすねる
現場では700万→100円の石を使って699万9900円を浮かす。
天下りの奴が600万くすねる→作業員15人に99万9900円を分け与える
きっとこうだ。
だって大阪だもん。
日本一税金を無駄遣いしてる大阪だもん。
大阪城は嫌いじゃないよ。
近世城郭の一つの完成形だし中掘、内堀、それらの石垣群は見ごたえがある。
たしかに細かいところを見ると改悪されてるところが目につくが・・・
>>466 このスレ的な城なら、そしてどこでもいいのならあなたの住む所から1時間以内にいくつか
城があるのではないかな?
北海道とか沖縄じゃなければ
小田原城だろ、最悪なのは。
中世じゃないんだけどさ。
本丸付近で糞尿の臭いで萎えるのってここくらいじゃないの?
北海道にはアイヌのチャシ址や和人館址がたくさんある。勝山館址(上ノ国町)に行け。
沖縄にもグスク址がたくさんあって、いくつかは世界遺産に登録されている。今帰仁城(今帰仁村)へ行け。
471 :
403:2006/01/22(日) 23:50:31
小田原の本丸の動物たちは期日は知らないけど撤去される予定です。
472 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 00:50:53
大阪人は城跡を潰すのが好き。大切な財産として残そうとは考えない。
ひたすら宅地にしてしまう。何てったって前方後円墳潰すくらいだから。大山古墳の南にあった大塚古墳とか
主要な城で宅地や学校にされて無くなった城
池田城、三宅城、高槻城、茨木城、中島城、堀城、野田城、福島城、天王寺城、榎並城、森口城、三箇城、若江城
畑になった城
上赤坂城、下赤坂城、私部城、
どうでもいい城
コンクリ大阪城(その上にせ天守)、コンクリ岸和田城(その上にせ天守)
山城だったので助かった城。
芥川城、飯盛山城、烏帽子形城、千早城
古墳だったので助かった城。
高屋城(安閑天皇陵)、誉田城(応神天皇陵)、丹下城
古墳だったのでむしろ畑にされて助からなかった城
今城塚城?名前不明(本当の継体天皇陵である今城塚古墳)、津堂山城
浄水場にされた城
柴島城
>>468 ええ、アパートの裏に秀吉も陣取った織豊系城郭が御座候います。
でも北国は雪がまた降ってきて。・゚・(ノД`)・゚・。
なんだか上杉輝虎や柴田勝家の気分になれるかも・・・( *´д`)
>>469 結構動物園になってるお城あるよね。
いくら公園敷地の有効利用とはいえ・・・
474 :
469:2006/01/23(月) 22:04:37
最寄の城=石神井城
面影なんか一切ねぇ・・・orz
>>471 それでも残るは鉄骨天守だよね。
後北条時代の本丸をメインにしてほしいw
>>473 雪相手に篭城気をつけてね。
城址公園って発想事態が間違えてるような気がするよ
475 :
403:2006/01/24(火) 00:05:41
>後北条時代の本丸をメインにしてほしいw
そういえば後北条氏の時代の主郭(畝が発掘されてます)であった
八幡山の学校の移転問題はいまだに解決してないね。
神奈川県知事だか副知事がそこの学校出身者だから
今の県議会では学校の移転は難しそうだね。
石神井城は豊島区史の縄張り図を片手に改めて行きたいもんです。
>ええ、アパートの裏に秀吉も陣取った織豊系城郭が御座候います。
もしかして白鳥城?
476 :
402:2006/01/24(火) 20:08:17
個人的には石神井は興味深い題材なんだけどね
時代背景もはっきりしていて、かつ発掘でもそれが裏付けられていて
いかにもミッシングリンク的な縄張しているし。
一般受けはしないだろうけどさ
それとよく話題に上るけど城址の活用方法って難しいよ。
早い話、俺たち城オタが最も望む形態とおもわれるもの(山中城タイプ)は
、一般人の集客性は乏しく、維持費もかかる
「税金の無駄遣いするな」って過半数から言われるんだ
そういった意味では、城址に博物館やら遊具やら公園やら動物園を併設して
複合施設にして集客性を向上させるのは致し方ないよね。
いろいろ意見あると思うけど、城址は所詮、遊休地なんだから公園化して有効
活用するのがベストな選択肢だと思うな
>>475 Σ( ゚д゚)
wwwうぇww身元が割れるw
>>476 近世城郭を例にして悪いけど・・・
一昨年信濃松代城に行ったんだけど、やたらと観光客がいた。
復元建造物ができる前の松代城には、同好の士と思われる人くらいしかいなかった。
同じときに戸倉上山田温泉の上にある荒砥城にも行ってきたけど、
温泉に泊まったと思しき老人団体が見学中だった。
城跡そのものを活用することは難しいけど、
一般の人たちにとっての「城」(=構造物のある城)にして
生き残らせる手立てはあると思う。少なくとも観光地周辺においては。
ただの公園同様の扱いにしてしまっては、資料でもある城跡がもったいないんじゃないかな。
478 :
402:2006/01/25(水) 06:16:43
>>477 俺は遊休地なのだから有効活用すべき、といっているんだから
もちろん復元建築物もありだと思うよ(復元ならね。創造のケース
も多いけど)。
ただし、地域性の意向もあったりするから、一概にこうすべきと
は言えないと思うな。
その選択肢として、動物園も可と考えている。
関東地方では、最近、かなりお金かけて整備した城址があるけど
(鉢形、飛山、難波田)、維持していけるんだろうか、って懸念もあり
479 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 07:09:31
本来存在しないはずの天守閣なんかが作られたらめもあてられない
>>477 俺が松代城に行った時は土建屋の団体が来てて「門なんか作っても意味ない!なんで天守閣造らないんだ!」と叫んでいたが。
師戸城の保存の仕方(印旛沼公園)はいいような気がする。
481 :
403:2006/01/26(木) 09:22:47
>>478 予算は大丈夫ですよ。
でも管理がおざなりの国指定史跡も結構多い気がしますけどね。
>>480 しょうがない事言ってる団体ですね。
482 :
402:2006/01/26(木) 22:20:03
>>481 だけど国はもとよりどの地方自治体も赤字のところが多いから
いずれは公園維持費は削られていくと思うんですよね。
実際、東京都などでは見直しを始めているし。
もうひとつ、城址を公園化するリスクは雑木林を伐採してしまうこ
ともあるようですね。
遺構が直接風雨にさらされ、地中の水分の循環性も欠くから
崩壊もおきやすくなる。
実際、山中城もあちこち崩れてきてますね
483 :
403:2006/01/26(木) 23:07:50
ごめん、ごめん。
自分は国の管轄(つまり文化庁)は大丈夫か?っていう
つもりで話してました。
例の鉢形や飛山は国指定なんで。難波田は市だけど。
自治体レベルはよく分かりません。
しかしまぁ、理屈でいけば史跡が増えて金が使われて破綻するのは
間違いないんだけど、破綻までには至らないような。(笑)
山梨県にあったよね。ないはずのところに天守閣。
>>478 レスの読みようが浅かったようでスマソ
なんかこの流れ見てたら、行政が主体となって維持・振興を行う事が難しく思えてきたなぁ・・・
次元の違う話とはわかってるけど、
やっぱり地域の町内会あたりが自発的に保護活動するのが
(自然にも、財政的にも)無理ないのかな。
486 :
◆mPbZXZBV7s :2006/01/27(金) 00:29:57
史跡整備と活用か。
そういや、石垣整備調査研究会って今日だっけ?
487 :
402:2006/01/27(金) 06:44:03
488 :
403:2006/01/27(金) 08:26:19
489 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 15:10:34
( ´_ゝ`)フーン
相方城燃えちゃったみたいね。
491 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:10:39
>>490 ググってみた。あの放火の山火事で燃えちゃった山?
テレビで見てて、テレビ塔がある山だし
なんかお城があったような山だなと思ったら・・・
残ってる石垣は大丈夫なのかな
492 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 22:23:47
大丈夫だよ
>>491 そ、そ、そ。
BSニュースの映像見てたら、石垣下の道あたりまで火の手が来てたみたいですよ。
ヘリからの映像に石垣がばっちり映ってたから、ちょっと得した気分です。
功名が辻の影響で掛川城あたりはにぎわうだろうねぇ。
お土産にも一豊の妻とかって名前ついてるくらいだし。
学術としての保存もそうなんだけどさ
一般の人に歴史を理解してもらうための努力+自治体の努力で保存できないかな?
地方豪族のあり方と国が統一されるまでとか焦点当てるといいものができそうな気がする。
たとえば三河なんかだと家康の時代まででも十分おもしろいじゃない?
清康の代で西三河に勢力を広げて非業の死。広忠の代で今川氏の庇護の下旧領回復。
そして家康が領主として復活するまでをメインに、奥平氏とか鵜殿氏とか吉良氏なんかを
大いに含めて描いていけばいい作品ができると思うし、観光資源になるんだけどねぇ。
岡崎城は十分役目果たしてるけど、上州箕輪城とかもったいないよなぁ
495 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:24:39
大河は三好に限る。
土一揆で有名な三好之長、長秀父子。
細川晴元の武の象徴、三好元長
近畿の覇者、三好長慶。
彼らが関わる河内十七箇所
十七箇所城こと榎並城を復元しよう。
いいかげん城跡に学校たてるな。
>>493 やっぱりかぁ。ふと「自焼自落」行為を思い出した。
その時代に城を焼いたらどれくらい防御性が落ちるんだろ。
もちろん構造物は失われるけど、
石垣や地形に与える影響ってどれほどのもんなんだろうか。
>>494 考えてる市町村では考えてるんだろうけど、それもまとまりがないからねぇ。
古い地名は消えるし、住民サービスが所によって悪化する大合併だけど、
この辺で利点が発揮されて、まとまりのある城郭群として紹介されればいいなぁ。
497 :
403:2006/01/31(火) 01:31:17
とはいっても岩村のように整備されてしまうと
史実そっちのけで「女城主」のような客寄せ最優先で
でっち上げなキャッチを持ち上げそうだし。
498 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 17:43:26
墨俣城よりましだろ
499 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 17:47:08
遅レス。
ナイトスクープで千田先生は狼煙の方法について
指南していました。動物園で狼の糞拾いにも
付き添い、で、北海道の研究会へと旅だっていきました。
ノシ。ちなみに狼煙は成功せなんだです。
500 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:18:05
501 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:28:00
しかし城イコール天守閣と考える人がほとんどだからな
502 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 10:37:40
日野江城が破壊されますた。
504 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 14:43:43
北有馬町に抗議のメールをしてみた。
私は首都圏に住む歴史ファンの一人です。
この度、日野江城のニュースを聞き残念でなりません。
全国の城を暇を見つけては行脚するのが趣味でしたが、
完全な姿の日野江城はもはや見ることができないかと思うと
非常に残念です。
今日、中世の城跡の大部分がその立地から、学校や住宅に姿を変えております。
これは過去の大きな遺産が失われているのです。
文化財に指定されていなくとも、今後このような暴挙は慎むべきだと考えております。
よそ者が言うべきことではないかもしれませんが、
私のような人間が訪れる事で微々たる観光収入、経済効果もあるわけです。
日本人の宝の保護、よくよく考えていただければ幸いです。
駄文だなwwwwwwwww・・・orz
>>505 俺も抗議のメールした。長崎県民として恥ずかしい限り。
507 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:12:11
>>504 この時代になんとずさんな・・・実はままあることだったり・・・。
数年前に地元でも道路工事に伴って、指定されてる土塁が無許可で崩されたことがあった。
きっと指定されてないものは今も人知れず開発と一緒に消えていってるんだろうな。
>>505 いいんじゃない?気持ちが伝わる文だと思うよ。
508 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 15:21:56
昔は鉄塔工事で壊された山城も結構あったな。城じゃないけど、茨城の
霞ヶ浦近くの古墳が、きれいに造成されているのに驚いたことが昔あった。
509 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 21:20:22
510 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 21:36:16
室町時代に前期里見氏の居城となった、館山市の「稲村城跡」を紹介
するイベントが、四日に市内で開かれる。有志による保存会結成から
十年を経た今年は、行政や地元地区が初めて参加。国の文化財指定を
目指す動きが盛り上がっている。
稲村城は十五世紀後半に造られ、十六世紀前半の内乱で里見義豊が
滅びるまで里見氏が居城とした。主郭や土塁、堀切などを設けた東西
五百メートル、南北五百メートルの丘を中心とする城で、戦国時代前期
の城の形を伝える貴重な遺構とされる。
一時は道路建設計画で存続が危ぶまれたが、一九九六年に発足した
「里見氏稲村城跡を保存する会」が保存運動を展開。その後発足した
特定非営利活動法人(NPO法人)「南房総文化財・戦跡保存活用
フォーラム」と連携して、国の文化財指定を目指してきた。
今回のイベントは、数年来開いていた「里見紀行」を拡大する形で、
保存する会と同フォーラムが主催。「わたしたちの稲村城跡大発見」と
銘打ち、市や地元の館野地区コミュニティー委員会などが初めて参画する。
当日は稲村城跡を歩いて見学する第一部、専門家がスライドを交えて
講義する第二部、各分野の七人が座談会を行う第三部に分かれている。
第一部は午前九時四十五分から、同市稲の「成勇館山店」向かいの
空き地(JR九重駅から徒歩十分)で受け付ける。参加費百円。第二・三部
は館野小学校体育館で午後零時半から受け付け。無料。会場で資料冊子
を販売する。問い合わせは保存する会へ。
(問い合わせ電話番号省略、ソース元でご確認ください)
ソース(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/cba/20060202/lcl_____cba_____002.shtml
511 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:52:00
(^-^)中世の城が若い女性の間で大人気!
ナウなヤングに大人気!
512 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:35:21
なんてチョベリグ!なご意見!
514 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:35:06
515 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 17:36:47
有馬の町長はアホ確定
516 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 19:09:11
北有馬のタリバンと呼ぼう。
歴史に理解のない町みたいだね。
俺のところもそうだよ。
市長が土建屋とつるんでるから、歴史はあっても遺跡は出ないw
もちろん城跡も放置プレー。
でも無理に公園化するよりいいかも…
518 :
505:2006/02/06(月) 21:10:25
いまだ北有馬町から返事はこないよ。
国に抗議文出したときは返事きたんだけど・・・。
ここまできたら、国指定を取り消したほうがいいのかもね。
520 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:22:32
>>518 たぶん個人には来ないよ
「○×城館研究会」とかで出せば来るかもしれないが
521 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 01:36:36
近頃は説明責任というのを負ってるので
自治体から個人に返事が来るよ。
ただし、集中すると時間がかかる場合もあるけど。
522 :
402:2006/02/07(火) 05:26:59
>>521 市町村や団体によって対応違いますよ
経験上、約3割ぐらいは回答こないです
なんかメールをたらい回ししているうちに音沙汰がなくなるみたい
523 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 16:33:23
ここのスレ住人は歴史兼地理マニアだよね?
もちろん気になる城址をグーグルアースで上から見るだろん?
ひとつひとつの城址の遺構ははっきりしないけど、
城址群に印をつけていくと国防網の様子が浮かび上がって(;´Д`)ハアハア
524 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 18:34:38
パスコのいくとこガイドなら見られる
>>523のレスを見て初めてグーグルアースをDしてみた。
正直サンクス。できれば城址群にしるしをつけた、スクリーンショットをうpしてくれると
大変ありがたいな
国土情報ウェブマッピングシステムだと、若干昔のが見れる
最新のより、古いのが見たい人も多いのでは?
>>526 私は国土情報マッピング派ですよ。
五稜郭とか見た時は感動しました。
見慣れてくると、平地居館探しや山城でも運良く伐採してあれば土塁が見れたりします。
528 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 00:44:26
>>528 思ってた以上に悪質ですね。
学芸員も、把握してませんでしたは通じないんじゃない?
>>528 >「新市に影響が残らないように」
壊してしまった遺構は元に戻らないのに・・・・
「幕引き」はかってるな、減給程度で。
531 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 18:52:25
(´∀`∩)↑age↑
532 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 18:59:49
>>532 「埋もれた古城」以外知らなかった。ありがとう。
534 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:29:04
大河ドラマ功名が辻に出てくる城はよくあるトホホな戦国城じゃなく土塁もあって一応苦しいながらも当時の城っぽくしてある。
足利の館も堀と土塁があって戦国城館っぽくて(・∀・)イイ!
535 :
402:2006/02/13(月) 05:43:23
>>532 関東圏でもっとも有名なサイトをはじめ人気どころが抜けているね
デザイン重視の選定かな
個人サイトといえば、中城研サイトに面白いことが書いてある
ttp://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/links.html >城に関する Web ページは今日、随分多い。ただ、そこではやはり
>先行研究の位置づけがどうしてもおざなりになる傾向があるし、や
>やもするとどのページをみても変わり映えしない内容が多いのとの
>印象を免れることはできない。お遊びと割り切るのならそれもよいか
>も知れないが、少なくともそれぞれの作者にこだわりや自覚がある
>のならば先行研究にも目を通したり、正当に評価し、その成果のど
>こからどこまでを頼ったのか、どこからどこまでが Web ページ管理
>人のオリジナリティなのかを明らかにしていく姿勢が求められてくる
>と思われる。
ここまで書くかとも思うが、反面いいえて妙だとも思う。
ちょっと前にラジオで面白い事例があったので時間があるとき書くよ
536 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 07:30:32
537 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 15:28:32
538 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 15:32:52
>528そんなカスが町長か…
>>538 「政治家のレベルは、住人のレベルを反映している」って言うしな
540 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 14:35:01
>>535 >関東圏でもっとも有名なサイトをはじめ人気どころが抜けているね
有名人気どころを教えてください。
541 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:48:48
城総合スレは粘着のキチガイが荒らしで廃棄処分にしようとしているね。
多数派を装っているようだけど、実際には自演バレバレ(w
>>541 そういう荒らしは基本的にスルーして、
スレッドを進行して行けばいい。
粘着キチガイは城総合スレッドに居座ったまんま。
544 :
402:2006/02/15(水) 19:48:50
>>540 個人サイトを2chからリンク貼るのはちょっと抵抗あるので、具体的な
URLはご勘弁。
ただし、Yahooカテゴリにも載っているサイトなので調べるとすぐわかり
ますよ。
ただし、僕は個人サイトはあまり活用しておらず、自治体発行の文献
とか研究者とかいたものを見るようにしている。
個人サイトに対する見解は中城研とほぼ同じなもので。
545 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:40:42
>>530 この時期にニュースになった背景に新市の市長選が絡んでいるみたい。早い時期にわかっていて対応していたのにわざわざ某候補者が出馬表明してからマスコミに焚きつけて・・・。
今NHKで観音寺城出たな
547 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:09:17
>>545 史跡の無許可破壊はどこでもニュースになるんだけど
北有馬町がきちんと報告もせずズルズルと今にまで引っ張って
しまったのが最大の問題でしょ。
548 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 13:46:50
>>547 実は問題が発覚した時にはすぐに県や文化庁に相談したらしいが、それをリークした連中が今度の合併する新しい市の市長選に利用しようとマスコミとかにバラしたとの噂があります。
バラされる前に国民に公表するのが当然だろう。
550 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 20:40:37
隠せば隠すほどバラされれば
ニュースになりやすいだろうに
アホな町長だ
551 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:48:17
552 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 16:46:09
>>550 少なくとも県などには報告していたみたいだから隠蔽にはあたらないだろう。文句言っている連中は市長選からみの腐れ外道連中。
そろそろ原点に立ち返ろう。
史 跡 を 荒 ら す な !
554 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 07:49:19
本佐倉城跡発掘調査現地説明会
日 時 平成18年2月25日(土)11時〜15時
場 所 国史跡本佐倉城跡(京成線大佐倉駅から徒歩約15分)
問合せ 財団法人印旛郡市文化財センター
その他 申込不要、無料
雨天中止(足元の状況により中止の場合もあります)
駐車場はありません。
八王子城跡の滝が涸れたってね
プ、プ、プギャープギャプギャプ♪
\ ププププギャプギャププギャプギャ/
♪ (^Д^) ♪
_m9 )>_ キュッキュ♪
/.◎。/◎。/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
下手すりゃ地下水涸れて地盤沈下、果てには遺構崩落かww
石原慎太郎GJ!クソ役人どもGJ!!公共事業GJ!!!シネカス!!!!
>>532 私のサイトを貼ってくれてありがとう。今後もがんがりますw
>>556 あの滝が涸れたのは残念ですね。やはり圏央道建設が影響!?
558 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 15:54:35
−y( ´Д`)。oO○
>>559 先週会社の同僚が行ってきたけど滝は水がなかったって。
ほかにも影響が出ないか心配だよね。
561 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 06:54:54
あげ
562 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 23:14:24
565 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 07:51:11
567 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 07:18:47
ここのスレ住人で自宅が中世城館跡だという人はいませんか?
先週、伊賀の川東という所に行ったのですがあちこちに土塁や石垣に囲まれた中世城館跡があって中の住居には現在も子孫と思われる人が住んでいる様子でした。
天正伊賀の乱当時の地侍か豪族の城館跡に現在も住み続ける人の話を伺いたいのだが
いきなり知らない人の家に行く勇気がない
蔵とかにはお宝とか眠ってそうだし
568 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 09:30:39
>>565 熊本の宇土城の別称のことかと思ったよ・・・
>>567 伊賀のそういう城は外側からの鑑賞でおしまいだろうね。
569 :
566:2006/03/11(土) 21:26:19
小西城行ってきたよ。多少の藪漕ぎはあるものの主郭の虎口、土塁、横堀は見ごたえあった。
こんなに遺構が見事で伝承も残っている城を破壊するのは惜しいよ・・・
夏はヤヴァそうだし、見るならまだ寒いいまのうち。
570 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 07:55:08
秋元城の歴史を探る講演会が開かれます。
3月19日午後二時から君津市地域情報センター視聴覚室(君津中央図書館二階)
講師は県立房総のむらの井上哲朗氏
571 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:31:59
やっぱ戦をしていない近世の軟弱城じゃだめだよね。
上州箕輪城くらい激戦を繰り返してくれてるとロマンに浸れるし
>>571 ??戊辰戦争から西南戦争にかけて幾多の舞台になった
近世城郭。
木を見て森を見ない議論はやめれ
天正〜慶長期に実戦を経験した近世城郭はたくさんあるよ。
>>571は無知すぎ。
574 :
571:2006/03/14(火) 23:32:44
>>572-
>>573 違う違う。近世城郭すべてを指してるんじゃなくって、
実戦経験の無い城だけを指して言ったつもりだったんだよ。
日本語不自由ですまんな。
ただ俺の個人的な意見として、政治的中心地としての城郭には魅力を感じないのね。
軍事拠点としての城郭にしか興味なくてさ。
戊辰戦争の宇都宮城とか有名な北越戦争などは存じてますが、
戦闘そのものが近代化する以前が好きなんだよ。
もろ個人的な好みでね
荒らすつもりはないけどな
>>573 「天正」が何故、近世なのだ?
>>574 母体数に対する比率からいえば、中世城郭のほうが近世城郭よりも
実戦経験のない割合が高いはずだが
>政治的中心地としての城郭には魅力を感じないのね。
>軍事拠点としての城郭にしか興味なくてさ。
中世城郭=軍事拠点、近世城郭=政治拠点などという前近代的な
発想はやめたほうがいいよ
>>575 近世城郭の嚆矢といわれる安土城が出現したのが天正年間(1573−1592)なんだから間違ってないでしょ。
577 :
402:2006/03/15(水) 21:57:17
>>575 むしろ中世に政治的な城がどれくらいあったのか?
>>576 関が原以降ならともかく、
移行期なら時期よりも築城方法などで判断したほうがよいのでは?
>>578 横レスするけど・・・
有事の際の城と、政治的な城館は両者ともに膨大な数に上るんじゃない?
政治的な「城」っていうのは土豪クラスの屋敷・館から守護所までを含む、広い概念だと思うし。
数の上での比較は、この場合意味がないと思うよ。
581 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 00:59:46
有事の際の城=政治的な城館
というのもあるし、境界が難しいね。
近頃、中城研の松岡氏が方形居館でも結構な防御力があるという論を唱えてるし。
鑁阿寺も意外と大したもんかもね。
100選的には方形居館のようなものを入れたかったと予想するよ。
>>581 時代・地域を代表する城という選定基準があって、
47都道府県から満遍なく
時代ごとに象徴的なもの
ってことで、吉野ケ里遺跡も入っている。
>>581の予想のように方形居館を選出するに当たって、
地域のバランスの兼ね合いで、鑁阿寺が選ばれたんじゃないかと。
愛知4つは多すぎかな。名古屋城は規模、保存状態からして当然として
犬山は天守の知名度だけ(本丸か)だし、岡崎はもそれほどとは。
名古屋城と長篠城だけでもいいかな。
その分を岐阜の苗木城にまわしてほしかった。
584 :
402:2006/03/18(土) 21:13:09
推測するに「日本100名城」 の選考基準は
@ その城自体が一般の人でもハイキング気分で訪問できるほど整備されている
A 周辺が観光地である
なのかな。
中には山中城のような例外もあるけど。
@、Aの観点だと確かに栃木では鑁阿寺が一番かもね。
観光協会とタイアップしていそうだね
585 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:13:46
>>583 長篠はいらん。長篠の戦いといっても、有名な決戦場は設楽ヶ原。遺構も空堀+土塁が一部のみ。武田 vs 徳川・織田の戦いを意識するなら、発掘調査が進む高天神城のほうが上。
>>584 山中城はばっちりの公園整備。駐車場完備だし、バス停もある。どこが例外じゃ?
586 :
402:2006/03/19(日) 07:20:12
>>585 山中城は@は該当するよな、ただし文字通り、山の中にあって周辺に観光施設はないのでAは該当しないだろ。
587 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 09:39:40
選考基準はこれです。
1.優れた文化財・史跡
2.著名な歴史の舞台
3.時代・地域の代表
>>587 表向きはそうなんだが、その漠然としたものは・・・
栃木県で考えると、唐沢山城や烏山城が歴史的・史跡的に足利氏館(鑁阿寺)よりも
劣っていると考えるフリークはまずいないよね(寺院建築物は別として)。
足利氏館=足利尊氏の住まい=一般認識=観光資源
が選定理由と考えてしまうのだ。
まあ、人が選ぶものはえてしてこういうものだけど。
>3.時代・地域の代表
結局、これが大きな要素を占めていて、バランスを取るための取捨選択の結果では。
栃木県内での順位付けじゃなくて全体でのバランスがあるから、
唐沢山城・烏山城>足利氏館
であっても、逆転することはありえると思う。
まあ、4月から100選のスタンプラリーがあるらしいから、
スタンプラリーが行える城というのが念頭にあったのかもしれないが。
それにしても、選考委員が
新谷洋二(選定委員長・日本城郭協会理事・東京大名誉教授)、小和田哲男(静岡大)、
黒田日出男(立正大)、千田嘉博(奈良大)、平井聖(昭和女子大)、村井益男(日本大)
と、これだけの人をそろえての結果としては無難すぎる。
590 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 08:20:37
茨城県はまるで御三家の城しかないみたいで不敏じゃ
591 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 19:03:03
和歌山モナー
592 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 21:52:26
茨城には水戸黄門のロケ地西山荘がある
ちょっと詳しい人なら古河城や関城、瓜連城、真壁城なんかも思い浮かべる
茨城といえば小田城じゃね?
茨城といえば逆井城じゃね?
え?茨城県に茨城って城、もしくは茨城城ってないの?w
596 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 07:35:51
大阪に茨木城があるよw
597 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 20:12:35
取手には取手砦があるとか?W
まるでドリフのコントだな
質問です。山城国の山城、もしくは山城城はどこにあるのでしょうか?
600 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:13:40
それは君の心の中にあるはずだw
601 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:04:27
>>599 とりあえず、京都市内の山城跡についてなら、京都市内にお住まいでしたら
『京都市遺跡地図台帳』を図書館ででも見てください。
京都市のHPにも出ています。
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/maibun/isekitizu.html それとこの本に結構詳しく載っています。
山下 正男 『京都市内およびその近辺の中世城郭 −復元図と関連資料−』
『京都大学人文科学研究所調査報告』第35号
少し古い本なので、今では宅地等に埋もれてしまったものもありますが……
それと非売品のようで、私は北山の京都府立総合資料館で見つけました。
書庫に入っているので受付で頼めば出してくれます。
都といっても戦国時代には結構縮小していて、市内は中小豪族がうようよしていたので
結構それなりに遺構のある山城はありますよ。
>>601 アンタいい人だなw
そんなおまいが大好きだw
603 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 07:17:44
あの馬鹿町長とうとう刑事告発受けたな
604 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 15:42:39
>>599 京都の大きな図書館か(府立総合資料館・市中央図書館・府立図書館など)、
旧山城国にあたる市町村の図書館で
『○○町史』の類を片っ端から調べてみるというのも手。
山城というのを京都市以南とイメージしているのなら、
南北朝の抗争、山城国一揆など、結構ごたごたがあった地域なので中小城砦は多い。
その時代の項や遺跡の項にその地方の城砦がまとまって載っていることもある。
あと京都は江戸時代に書かれた地誌も多く、
その翻刻版も大きな図書館の郷土史コーナーにあり、そこに城址の記事が載っていたりもする。
それと力になれなくてスマンが、山城城というのは聞いたことないな……
誰か知ってる人、よろしく。
本来、山代あるいは山背だから、城とは関係ないだろうにw
606 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:30:09
607 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:10:55
最近、車でドライブしていてると竹薮が気になる。
竹薮の脇に石造物が有ると萌えてしまう。地籍図が見たくなる。
畑の畝が土塁に見えてくる。
白い標柱が有るので、車を路肩に止め近寄ると、
「世界人類が平和でありますように」
と書いてあった。
茨城自体が城なんだよ
茨 城
ほら、大体中世の城って現在だとど田舎な場所にあるだろ
609 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:27:54
常陸大宮にはヘタレ城がある。
610 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:29:09
常陸大宮にはヘタレ城がある。
611 :
あきまさ:2006/03/31(金) 17:56:40
静岡城
彦根城
612 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 18:15:09
茨城は有名な城ほどヘタってる
マイナーな城を攻めるが吉
茨城だと石神城がすごくね?
614 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 17:35:10
神奈川や東京の城はマイナーなほどヘタってる。
615 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 23:11:30
北区の滝野川城とか。
616 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 03:49:02
稲付城、平塚城もそうだね。
・・・・あのさ、城だったからといって元々全てが土塁や空堀
持っていたとか考えるわけじゃないよな
段切りに柵をめぐらしただけのものだってあるんだよ。
それに平塚や滝野川はあくまで比定地だから、「ヘタり」に
名を連ねるのはおかしいぜよ
618 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:03:22
段切りが多そうというのは理解できるけれど、
ヘタりいうのは現在の遺構残存状況のつもり。
つまり比定地であっても遺構残存状況良好ならば
そこが比定地になる可能性が高いわけだ。
618が何を言いたいのかわからない。
サイトとか運営しているならばもっと勉強しておくれ。
620 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 08:59:17
じゃあ段切りがよく残ったマイナーな城を挙げてごらんよ。
>段切りに柵をめぐらしただけのものだってあるんだよ。
もちろんこういう城址もあるけど、ファンとしてはいまいち萌えないんだよな。
622 :
617:2006/04/07(金) 19:59:01
どうも話が噛みあっていない
618は469や571と同一人物っぽいな。
水戸城や土浦城などは場所も特定されていて、往時の縄張も
明確だ。
しかし、現状、そのほとんどが消滅しているので「へたっている」
という表現は的確だ。
しかし、滝野川や平塚は場所すら特定されておらず、縄張など
は一切不明だ。
だから遺構が消滅したのか、もともと簡素なものだったのか
わからず「へたっている」という表現は的確でないということだ。
どうせ一昔前の本を読んで平塚神社や金剛寺を城址として先
入観もってみているのだろうがな
623 :
617:2006/04/07(金) 20:06:38
それとマイナーな城ってくだらない定義は何なんだよ。
稲付や平塚がマイナーに位置づけられるのであれば、さほど知識
はなさそうだな。
「段切」や「比定」の言葉の意味は勉強しておけな。
理解が間違えているぞ。
段切などは珍しくもなく、あちこちの山城で普通に見られるだろ
城ヲタにとってはメジャーでも、一般人が知らなきゃマイナー城。
ヲタにとって聖地のような竹田城、滝山城とて、一般人でいう大坂城や姫路城に比べりゃマイナー城。
ましてや稲付だの平塚などは知らなくても困らないマイナー中のマイナー城。
ヲタにとっての常識は、一般人にとってはトリビアと同じ。
625 :
618:2006/04/07(金) 22:34:38
469や571は違うからね。
618が言いたいのは元の遺構状況という事だよね。
発掘などでいい感じの堀が出てくれば評価が上がるんだろうね。
私(618)が言ってるのは現状残ってる遺構状況の事で、
発掘などでいい感じの堀が出てきても評価は変わらない。
今現在見えている遺構の話。
626 :
618:2006/04/07(金) 22:42:22
>618が言いたいのは元の遺構状況という事だよね。
617だった。スマン
昨日は城の日。なので霞ヶ浦湖畔の木原城に行ってきた。
空堀深い!土塁高い!!で一人大喜びしていたのだが、子供連れの
保護者様に変な目で見られた・・・orz
あそこ例に寄って小学校の横で公園化されてるから
小学生とか親子で遊びにきてる人多いんだよね
俺も2回ほど行ったけど不審そうに見られてすぐに帰ったorz
もっとよく見たいのに…
関東の人はいいなあ。うちの方じゃ、山城には残雪があるよ。
館跡か町に近い丘陵上の城しか行けない。林道を通るような所は
雪で入れないし。
やはり城好きは西国に住むに限るね。
落葉樹林帯もいいで
おしっこしたいよ、どうしよう。
昔の人はこんな時間にどうしていたんだろう。
633 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 07:52:10
東北も城を見るいい季節となって参りました。
草に邪魔されず城跡見られます。
昨日は地元のドマイナーな館探査。犬に二回吠えられただけですみました。
日中戦争時、抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、強圧的に拡大して
満州と中国との国境とした万里の長城線一帯を無人化する作戦を実施した。
指定地域内の住人を総て強制収容所に移住させ、ゲリラと住人との接触を断ち
ゲリラ出没地域での耕作を一切禁止するというものである。
その過程において、首を切り落とすなどして殺害した農民は8万1千人、
拷問のため施設送りの後処刑した者4万6千人。合計127000人を殺害した。
集落によっては村民が殆ど皆殺しになった所もある。
人囲いと言われる強制収容所は粗末なもので、宿舎は無く、移住させられた住民は露地に藁を敷き、露天で寝るしかなかった。
宿舎としてのバラックや要壁などは住民の手で作らされた。
農期には収容所近くの耕地で農作業を強制された。
収容所の環境は劣悪で、満足な食料、薬もなく、病気や飢えで何万もの人が命を落とした。
表題の三光とは、殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くすと言う意味である。
幾つか例を挙げると
豊潤県潘家峪では一度に1230人が虐殺された。
密雲西白連峪では、全村落を破壊し、最後に破壊から偶然逃れていた一軒を発見し、そこに居た70歳重体老人を家ごと焼殺、幼児2名を銃殺。
王廠溝、南大門一帯では、580人を逮捕し、380人を虐殺し、残り200人を強制労働の為、東北へ送り、内80%が死亡。
石柱子村では、村民700人中300人を虐殺。
興隆県秋木林、大莫峪では、全130戸から180人の青年壮年男を逮捕し、虐殺。寡婦の村とする。
興隆県ではその一帯に多数の寡婦の村が出来た。
更に寡婦の村を襲撃し、逮捕した者で使えそうな者を日本兵の慰め者にし、残りは処刑した。
興隆県では、人口16万人が戦後、10万人に減少していた。
大帽峪の村人など120人を後手に縛り、虐殺。
引っ立てて来た魯家峪住人を一人ずつ目隠しをして井戸の前に座らせ、
日本刀で首を跳ね飛ばしては井戸の中に放り込んだ。
635 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:05:26
害虫がうっとうしい季節になってきました
蛇も怖いし
636 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 15:04:05
北陸ではゴールデンウィークが限界かなぁ。
昨日も蚊がいっぱい居たし。蛇も活動開始したみたい。
でもなにより、熊が怖い('A`)
637 :
圏央道:2006/04/24(月) 01:16:28
とったどー!
圏央道に討取られた城
八王子城
小西城
広谷北城
638 :
翼くん:2006/04/24(月) 17:31:30
熊はともだち!
639 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 01:53:58
熊とったどー!
640 :
安土町民 ◆H2XCX55MKU :2006/05/02(火) 04:56:39
安土城、観音寺城と聞いてやってきますた。
安土には、もっとマニアックな城が後2つありまつ。
それは、
木 村 城 & 箕 作 城
日本五大山城とは
三大+観音寺とあと一つどこなのでしょうか?
五大山城と三大山城は別です。
三大山城(幕末まで存続した近世山城)
美濃岩村城
大和高取城
備中松山城
五大山城(中世戦国大名の居城)
越後春日山城(上杉氏)
能登七尾城(畠山氏)
近江観音寺城(六角氏)
近江小谷城(浅井氏)
出雲月山富田城(尼子氏)
月山富田城をはずし、以下の四城を加えたものを戦国八名城といいます。
甲斐要害山城(武田氏)
大和信貴山城(松永氏)
越前一乗谷城(朝倉氏)
美濃稲葉山城(斎藤氏)
643 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:30:11
八王子城は山中に在り現市街は横山と言う名前だったが、落城後に城下町が麓に移り、新しい八王子が出来た。
七尾市街も同じ理由により、香島(または加島津)から七尾に名前が変わる。
>642
ありがとうございます!
もっと勉強します!
お尋ねついでにもう一つ。
先日、坂城村と上田市境の和合城に行く途中、耕雲寺に寄りました。
立派な堀切があり、もしかして城跡にできた寺なのでしょうか?
どなたかわかりませんか?
教えてちゃんですいません。
>>644 城館跡ではないはずです。
「日本城郭大系」にも「図解 山城探訪」にも掲載されていませんね。
でも、『信玄の家臣だった人物が住職を勤め、信玄が立ち寄ったことがある』
という伝説があったと思います。
もしかしたら、居館として城塞化されていたのかも知れません。
オイオイ
城郭体系載ってない城いくらでもある
ないはずと言い切れる根拠にならん
647 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:53:56
>>646 じゃあ何に載っていなかったら「ないはず」と言えるか教えてくれ。
「○○村誌」「○○町誌」だってピンキリだぞ
649 :
648:2006/05/07(日) 00:01:48
ないはずと言い切らなきゃいいだけだろ
651 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:49:46
悪魔の証明は疲れるよ。そういう質問はやめようよ。
>>646は、『日本城郭大系』は昭和54年頃の出版で、その後の
史資料にも当るべきだと言いたいんだろう。
またくだらない揚げ足とりが始まっているし。
城の同好者って中世の土豪みたいに反目することが多いよな。
それにたいした裏付けもなく、書き込み者を勝手に特定してURLも貼っている。
自分で責任もって「あぼーん」しておけよ
現時点での
653 :
652:2006/05/07(日) 10:24:08
悪いミスった
現時点での城と認定されたものを特定するのには各都道府県が
毎年まとめている埋蔵文化財の台帳が適当と思う。
もっともこれに漏れているからといって城でないとは断言できないが
城郭大系よりバックボーンがしっかりしている。
そもそも城とその他の中世遺跡の識別も難しいしな。
ごもっとも
655 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:51:59
流れを無視してカキコ。
実家に帰ったとき、山菜取りに動員されて山へいってきますた。
途中で中世山城の案内板を見つけて雑木林をよじ登り、尾根筋へ。
しばらく歩くと深さ2mくらいの堀切があり、
さらにその向こうには結構広い平坦面があった。帯曲輪もついてた。
(;´Д`)'`ァ'`ァ しながら遺構を見て、じゃあ元の上り口に戻ろうかとおもって尾根筋を戻った。
山すそには道があるはずなので、
適当に谷を選んで降りていくと、見事見たことの無い景色。しかも道路ではなく溜池が目の前に。
遭難!?と焦りまくって10分くらい近くを歩き回ってから
上り口に意外と近いことに気づき、ようやく下界に戻れた。
方向音痴な自分が、地図・縄張り図やコンパスを持たずに入ったのがまずかったみたい。
シーズンも終わりに近いけど、皆さんも準備を十分にしてからお城めぐりを為されたく候(・∀・)ノシ
>>655 そのご経験
最高の城址めぐりですね(^3^)
657 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:41:26
埋蔵文化財の台帳では現在の基準では城館にならないような遺跡を
いまだに引きずってるのもあるし、完全を追求するのは大変そう。
>>657 >現在の基準では城館にならないような遺跡
はぁ?
現在の基準って何w
なんだか貴方自身が勘違いしていそう
おー、ケンカしろケンカしろ
661 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:09:49
都道府県の遺跡台帳に把握されていない城館跡はよくあります。又、城館
跡でない事が発掘調査等で判明していても、城館跡と記載されたままの物も
たまにあります。更新抹消を怠った担当者の怠慢でしょう。
悉皆調査報告書でも漏れているものはあります。
>>657 現在の基準とは興味深い命題です。城館であることの現在の研究水準からの
定義でしょうか。
662 :
657:2006/05/09(火) 00:32:59
で、現在の基準って何?
664 :
652:2006/05/09(火) 20:03:20
妙な展開になってきているが、俺は遺跡台帳が完璧だなんて一言も
書いていないぞ。
遺跡台帳の欠点はたしかにある。
661が書いたように一度登録した候補地に対して発掘調査が行われ
結果が否定的であってもそのまま掲載され続けることもある。
一つにはいかにも行政的なのだが、「一度、登録されてしまうと完全
否定するのが難しい」という要素もあるようだ。
ようは「全域掘っているわけではないから完全に否定できない」と駄
々をこねる輩もいるってことだ
最大の欠点は都道府県によっては、丸秘扱いで一般には公開され
ていないところがあること、及び都道府県によって編集の仕方が違う
っていうことだと思う。
ただし、上の様な部分を差し引いても昭和50年代に発行されて、
それ以降はメンテされていない城郭大系や悉皆調査報告書に較べると
年度ごとの更新しているだけマシだと考えている
ちなみに657の言っている「現在の基準」というヤツはそんな高尚のもの
ではないはずだぞ。
たぶん、日本語が不自由なだけだ。
665 :
657:2006/05/09(火) 22:16:49
× 年度ごとの更新しているだけマシだと考えている
○ 年度ごとに更新しているだけマシだと考えている
×「現在の基準」というヤツはそんな高尚のものではないはずだぞ。
○「現在の基準」というヤツはそんな高尚なものではないはずだぞ。
>たぶん、日本語が不自由なだけだ。
確かに日本語が不自由なのは明白。
オレの完敗だ!
666 :
652:2006/05/10(水) 05:22:32
>>665 2chの書き込みで「てにをは」をチェックしているリアル馬鹿がいるとは・・・
こんなつまらないヤツにからんだ俺が間抜けだった
667 :
657:2006/05/10(水) 08:00:21
>>652 その人の馬鹿っぽさというのは言葉の節々に現れるからチェックするもんですよ。
それはさておき、日本語がどうとか言いつつ、何より自分がまともに使えてない。
まともに指摘されるとくだらないと言い出し、相手を馬鹿と言い出す始末。
そんな相手に対して「現在の基準」を説いたところで理解できんだろ。
そろそろくだらんからやめようぜ
669 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 08:40:07
× こんなつまらないヤツにからんだ俺が間抜けだった
○ こんなつまらないヤツにからんだ俺が間抜けだった。
670 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:37:43
○こんなつまらない俺が間抜けだった。
671 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 07:50:56
×2chの書き込みで
○2ちゃんねるの書き込みで
672 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 06:57:26
観音寺城あげ
673 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 17:17:22
ぼちぼちまったり観音寺で進行
674 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 01:05:27
積石石垣保守。
675 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 15:18:55
これからの季節、草に埋もれる空堀あげ
草むしりキボンヌ
677 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 00:07:20
むしり過ぎて本丸が消滅
雨降りすぎて空堀が水堀にならないのだろうか?
679 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 10:19:45
雨が多過ぎたら、水攻めという事に。
空堀ってやたら水捌けいいよな
どんなに大雨降っても余り水溜まらんよ
最近いつもよく通る道沿いに城跡があることがわかった。
大半は破壊されてるようだが、一部土塁と空堀が残っていた。
地元の人でも知らない人が多いらしい。
682 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:29:39
>>681 地元教育委員会に通報しました?それとも、教育委員会把握の上での
工事でも有ったのでしょうか。
683 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 01:16:02
( ´_ゝ`)フーン
685 :
681:2006/05/24(水) 06:49:54
その城が削られて道路が作られているのだが、それも数十年前のこと。
○○城跡の看板も小さいながらあるので市公認だと思う。
たいして価値のある城でもないのだろう。
おっちょうどいいや
サイトのコンテンツとして価値があるから
全国の城跡所在地をウィキでリストアップするってのは無理としても
隠滅城跡のリスト(城名・所在地・隠滅理由)だけでも作れない?
688 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:30:23
大阪府茨木市在住ですが、
茨木東映という映画館があった跡地で発掘調査が行われてるのを通りがかりで見かけました。
フェンス越しに覗いてみると、石垣らしい石積みと、その手前に一段低い所があってその中は木材が散乱し、
石積みの向こう側には建物の柱の跡らしい穴が数多く・・・。
近所には本丸跡と言われる「茨木小学校」に、城主中川清秀の菩提寺である「梅林寺」があります。
もしかしたら「茨木城」の遺構発見か!?と一人興奮しておりますw
現地説明会があれば行きたいな、と楽しみ楽しみ。
689 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 02:21:40
片桐且元の石垣の可能性もあるけど非常に興味深いですね。
690 :
688:2006/05/29(月) 17:50:35
「茨木城」?の発掘現場、今日も見てきました。
石積みのあった所は既に埋め戻されていましたが、堀の中はまだ調査が続いていました。
現場にいた学者風の人に遺構について尋ねると、やはり「茨木城」の跡である、とのこと。
時代は室町時代から「茨木城」破却後までの幅があるそうです。
石積みは「茨木城」より新しい時代の物ですが、その隣にあった建物跡は
室町時代の物もあり、その時代の土師器も出土したそうです。
また、堀の中からは建築資材として加工された木材が数点出土した他、
戸に使われていたような木組みの板や、「輿」と思われる板、
障子などが打ち捨てられたような様子で出土していました。
発掘現場は明日には全て埋め戻され、説明会や発表といった事もされないとの事でしたが、
今迄移築された城門以外の遺物が無かった「茨木城」の遺構を見ることが出来て
本当に良かったです。
691 :
689:2006/05/29(月) 20:15:53
ナイスレポ!おつ!
692 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 20:58:40
高い土塁が四方を囲んでる城が見たい
出来れば土塁の外側は空堀がいいのだが
あそこはeね
695 :
日本@名無史さん:2006/06/07(水) 08:21:50
城の城門移築あげ
福岡県の秋月城を見に行ってみたが、見る影もなく無残だった
>>696 虎口の改修痕跡が分かるところなんか面白かったけど。
あと、荒平とか古処山には行きましたか?
>>696 観光客の通るとこだけって感じだよな、あれ。
699 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:30:52
堀切りあげ
浅井の小谷城へ戦国の堅城2片手に行ってきた。
戦国の堅城の推定想像図がいかに間違いだらけなのかがよくわかった。
今の季節に山城登りは危険がいっぱい。
蜂、蛇、熊、毛虫、ムカデなどの生き物は当然だが
雑草が生い茂る中に古井戸なんかあると落ちそうになる
702 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 17:39:13
梅雨時期の雨上がりに薮漕ぎし、薮を抜けたら上着・ズボンにナメクジが10匹くっついてた経験あり。
>>702 城跡捜しならまずは地元の図書館へ行くことを薦める。
>>703 山ひるにも注意が必要だよ。
蛞蝓は今の時期だと小さいけど盆すぎると大きくなって気持ち悪い。
昨日は長野の冠者岳城へ行ってきた。
あまりの登山のキツサに泣きそうになりながら約1時間半かけて登った。
帰りは途中から雨が降ってきて苦行のようだった。
で、肝心の城だが山頂に着いた時にはバテてしまって歩き回る元気もなくちゃんと見ていない。
せっかくの休日に何やってんだろ俺(´・ω・`)
708 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 19:19:57
>>707 熊に襲われず無事に帰宅出来たことに喜べよ
あちこちで熊の被害が出てるし死者もいるからな
今の季節に山城へ行くのはマジで熊に気をつけろ
石垣より土累に萌える俺がきましたよ(・∀・)
どんなに登山が苦しい山城でも高い土累や深い空堀、谷底のような堀切り見ると疲れが吹っ飛ぶよ。
登山の楽しみと城の楽しみ、一粒で二度おいしい山城はやめられんwww
この季節、薮の中へ入るのは抵抗があるよな。
クモの巣はうっとおしいし、蜂も多いし、蛇もいる。
雑草が多いのも×
711 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 06:38:01
そろそろ中城研シンポの時期だ。
浅井の小谷城へ行きたいのだが今の時期は止めたほうがいい?
5大山城の一つと言われるが登山はきついのだろうか?
クマは駐車場の先で待っている。
715 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 17:14:40
あこ
716 :
712:2006/06/23(金) 17:57:28
>>713 駐車場から先のことを言ってるのだが
>>714 クマって本当にいるの?
見た奴いるのか?
クマ見た事なーい、出ても不思議じゃない
きつい事はきついが、本丸まではそうでもない、京極丸跡は・・・
小谷城は清水谷から登らなければ大したことはないだろう
720 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:59:44
鎌刃城へ行くこと思えば楽勝ダヨ
>>716 駐車場から先はそれほどキツくないよ。
俺がおととしの秋に登ろうとした時「熊がこないだ出たばっかりだからやめろ」と地元の観光協会の人に言われた。俺はヘタレだからその言葉に従って冬に行き直した。
小谷城なら最近行ったよ。
車で登れば登山自体はたいしたことないが
蜂と蛇がすごく多かったよ。
ところで小谷城の天守台にのってた天守閣は彦根城に移築されたって言われてるが
時期的に考えて小谷城に天守閣があったとは思えないのだが。
彦根城に移築されたというのは大津城天守では?
724 :
722:2006/06/25(日) 15:43:54
いや小谷城の天守台に説明板があってそこに書いてあった。
たしか彦根城の櫓のどれか。
佐和山城の天守も彦根城の櫓として移築されたらしいが、佐和山城に天守なんかあったんか?
725 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 13:50:11
墨俣一夜城に天守が立ってるけどあれはなんだ?
>>724 小谷城天守→西の丸三重櫓(伝承のみ)
大津城天守→彦根城天守
現存しない物では長浜城天守→山崎三重櫓もあったけど
佐和山城の天守も移築されてたっけ?多聞櫓のこと?
小谷、佐和山に天守があってもおかしくないと思うけど
小谷城から彦根城に移築するには落城から時間が経ちすぎてる気がする。
>>725 オブジェ
727 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 20:51:08
登り石垣の上を歩いて見物できる城ある?
728 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:06:43
誰か落ち着いて屋外ファックできる城跡教えてくれ
730 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:56:00
陛下に失礼です。
>>727 三重の安濃津城(いわゆる津城ね)
石垣の上から堀を見ると高所が苦手な俺はガクブルだ
732 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:59:58
>>728 昔、宝島という雑誌の「最近何処でファックしましたか?」という
アンケートの設問に、「名古屋城」と答えていたやつがいたな。
733 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:10:55
734 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:42:29
>>732 お城で盛り上がっているカップルって、アチコチにいるんじゃない?
カメラを構えて、違うところを盛り上がってしまった諸君も大勢いるはずダ。
735 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:44:42
>>727 彦根城は未確認だが、
洲本城、竹田城は叶姉妹だ。
736 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 17:16:28
>>731 伊賀上野城や大坂城の石垣の上に立てないぞ。それでは。
737 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:21:05
土累の城ばかり見ていると近世の城のスケールの大きさにビックリすることがある
>>731は「登り石垣」が何なのかわかっていない。
739 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:12:10
登り石垣ならぬ登り土塁をのある城はどこでしょうか?
武者走りを歩くことができてよく残っているところが良いですね。
740 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:27:38
登り土塁は芥川山城にあるよ。
741 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 19:38:04
国人クラスの城を見に行ったんだが、途中の林道が壊れていて、それ以上
行けなかった。
と、言う事で残念あげ。
>>742 新潟県新発田市の竹俣城。竹俣氏の城。
スキー場に向う道から林道に入るんだけど、林道から廃鉱山があったらしい
地域から入るんだけど、雪解けの湧水などで道が破壊された模様でした。
立ち入り禁止になっていた。ちなみに長尾為景の攻撃を撃退した城。
744 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 17:53:24
( ´_ゝ`)フーン
745 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:00:13
道がなかったら直登すればいいのに。
俺なんて最近行った山城、登山口がわからなかったから直登したよ。
( ´_ゝ`)フーン
>>746 フーンばかりじゃなくなんか喋れよ!
それとも蛇や虫が怖くて山に入れないから嫉妬してるのか(・∀・)ニヤニヤ
( ´_ゝ`)ムシキライ
つxxxxxx 虎落やるからおちけつ
( ´_ゝ`)モガリキライ
つ■■■■■ じゃあ横矢ドゾー
■
■■■■■■■
752 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 17:54:36
長野でお勧めの山城はどこですか?
夏休みに行く予定なんで
出来るだけ遺稿がはっきり残ってる所がいいです
753 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 01:10:42
754 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 06:56:44
出来れば諏訪湖から松本あたりで
755 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 14:28:27
んじゃ、まずは有名所で上原城かな。
756 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:37:07
>>754 >755氏の言うとおり、上原城がひとつ。
あと、近隣の桑原城が登りやすいし、有名だし景色もきれいだからおすすめ。
松本なら小笠原氏居城の林城。延々と段郭が続くよ。
行ったことはないけど、林城周辺の支城群もすごいみたい。
少し足を伸ばせば丘城だけど、仁科五郎殿で有名な高遠城、藤沢氏の福与城など。
話は違うけど、桜の散る頃に行くお城って感動的ですよね。
近世ではないが盛岡の厨川城は堀の遺構がそのまま町内の区割りになっていたりして面白いというか不思議だった。
758 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 18:31:40
( ´_ゝ`)フーン
( ´_ゝ`)・・・・
( ´_ゝ`) で?
759 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/17(月) 19:10:55
石垣は大和高取城だってば ♪
760 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:35:36
一方向のみ防御が目的の城
の情報ください( ゚д゚)クレ
761 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 01:46:15
防塁関係なら知っているが、地域は何処?
竹田城はマジに凄いね
世界遺産でもいいような気がした
763 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 09:30:43
>の情報ください( ゚д゚)クレ
(゚д゚ )ヤダネ
764 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 11:06:01
(´・ω・`)意地悪だね
765 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 12:07:58
googleマップで新潟県の村上城の竪堀が見えたよ。色部氏の平林城は
ブルーシートが見える。
小田城はよう見える。
766 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:36:29
(゚д゚ )タダノ アマノジャク ダヨ
今まで実家に近過ぎるという理由で花輪城跡に行ってみた。
orz
>実家に近過ぎるという理由で行った事がなかった
でした(´・ω・`)
小西城さようなら
小幡城さようなら
770 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 12:37:36
埼玉三名城
川越城
岩槻城
忍城
埼玉三名城
鉢形城
松山城
杉山城
最近は小さな館跡とかのほうが好きだ。
773 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 15:08:56
千早城は?
ここにもスレあったんだ・・・戦国時代板にも書きましたが・・・
マイナーな城跡見に行くと、地元駅前商店のオヤジやタクの運ちゃんなんかに
「何もないよ」
って言われんのちょ〜ムカつく。
山ん中歩き回ってる間、ずっとぶつぶつ独り言言ってる。
「水の手あるじゃん!」
「こんな深い堀切だって!」
「石積みだー!」
「土塁イイ!」
メシも食わずに熱中して駅前に戻ってくると、さっきの連中が
「何もなかったろ?」
オイラも人がいいからさ
「何もないね」
なんて相づち打っちゃって…、今度聞かれたら
「埋蔵金があったよ」
くらい言ってやるか。
さ〜て次はどこに出陣しよっかな。
>>774 > 「埋蔵金があったよ」
> くらい言ってやるか。
バカが真に受けて掘り荒らすからやめろ
776 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 13:27:41
「藤井戦国史」はどうなったんだ?最近見れないが。
777 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 17:40:23
町田のほうに小野路城ってあるな。
小野小町が目を洗ったという井戸もある
778 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 02:02:16
中世の城址に俗悪な復興天守とか建てて欲しくないな
藤村君が自決した山には城はないのかね?
>>778 城にはそういうのがないと駄目だというお偉方が多いのだろうね。
しかも遺構の破壊もおかまいなしで公園化と。
>>781 >しかも遺構の破壊もおかまいなしで公園化と。
本末転倒だな・・・終わっとる。
>>780 踏査中に仏さんにご対面してしまうと、事情聴取なんかで厄介らしい。
「陸奥の城塞」閉鎖悲しい。何かあったのかな。
>>784 閉鎖か・・・お気に入りに入れていたらリンク切れしてて、移動したのかと思ってたら
昨年東北に行った時に参考にさせてもらっただけに、残念至極(´・ω・`)
786 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 02:14:23
城跡で鉄砲玉とか矢じりを見つけたことってある?
787 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:57:10
中世城郭でよく分からないのは、竪堀。
そこから大石を転がし攻手を攻撃したというが、
現状のそれらしき溝は侵食によると思われるものも多い。
>そこから大石を転がし攻手を攻撃したというが
そんな攻撃は初めて聞いたけど、ホントにそうなの?
攻城側が斜面を横移動するのを阻止する為のもんだと思ってた。
789 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 14:35:45
ある山城跡に行った時、
この溝は竪堀といって云々の説明を聞いた
記憶があるんだけど、人工のものというより
自然の溝に見えたよ。
まあ「城址公園」ということで地名としての情報が残されているのと
石垣くらいが残っててれば御の字かな。
名古屋城の、かつての外丸を官公舎で埋め尽くしてあるのは
正しいような、口惜しいような。
>>790 あまり史跡を奉りすぎず、しかし破壊せず
敬いつつ溶け込んで利用するというのも、良い継承方法だと思う。
あれで官庁の建築物が魅力的ならなー。市役所と県庁以外は味気ないビルばっか。
斎藤慎一『中世城館の実像』 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 続刊予定!
+ +
∧_∧ +
(0゜・∀・) ワクテカ!
(0゜∪ ∪ +
と__)__) +
今の時期はスズメバチが怖い。
立て続けに二人亡くなってるし。
俺は藪にも結構つっこんでいくのだが
ハチのことは正直気にしていなかったので怖くなった。
ハチは蛇よりも速いし、360度どこからでも攻撃してくるし、やっかいだよ。
>>793 蜂の一刺しとかで、有名になったおばさんどうしてるのかな
796 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:44:54
往時の形状を偲ばせる、
土塁で囲まれた最高の城はどこでしょうか?
>>796 四陵郭
◎往時の形状を偲ばせる、
◎土塁で囲まれた
>>792 もう、店頭に並んでるよ。
『中世武士の城』
が正式なタイトル。
「城郭ファン必読の書」とありながら、
「天守閣はなかった! ここまでわかった中世城館の実像」
と書いてあった帯は、何か違う気がした。
買ったばかりなので、目次とぱらぱらとめくった印象でいうと、
今までに無い切り口になっていて面白そう。
800 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:53:40
越後の荒戸城はどうだ?たったいま見てきたがもういろんな意味でイキそう
802 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 16:23:15
>>797 胸壁にもならないくらい、
ちゃちな土塁いや土盛じゃないかw
803 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 11:43:19
石川県津幡町の龍ヶ峰城に登城。
近年に歩道整備したのに、今では草ボウボウ。まあ、あの立地じゃ
人は行かないわな。ただ景色は良かった。通なら行く価値あり。
804 :
792:2006/09/24(日) 23:43:35
>>799 買ってきました。
今から読みますが、ぱらぱらと開いた感想を述べると、
城館を中世史研究の中に位置付けようという姿勢に好感が持てます。
奥山庄のくだりなどは、近々、同成社から刊行予定の水澤幸一氏の著書を参考にすると
より一層理解が深まるのではないでしょうか。
805 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:55:08
>>792 この人の話って裏付けが深いね。
そのくせ「あとがき」で今思っている事をざっと書いたとかで。
水澤幸一氏の著書とやらに目を通してみます。
806 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 22:48:46
斎藤慎一さんて、千田さんを一寸批判してたよね。自分は好感持てるけど。
807 :
792:2006/09/26(火) 23:28:55
>>805 読了しました。
景観復元に宗教施設を含めて考察する事例はこれまでもたくさんありましたが、
そこに極楽往生と現世利益という性格付けを行われたのには正直驚きと戸惑いを覚えました。
私自身はこの著書から多くの示唆を得ることができ、非常に有益となりました。
みなさんにも一読されることをお勧めします。
値段もお手ごろですし…。
808 :
805:2006/09/27(水) 07:53:32
>>807 >極楽往生と現世利益という性格付け
正にそこが重要なのだと思います。
勉強不足のせいか私も戸惑いの方が強いけど。
809 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:26:24
土塁の城でお勧めは無いかなあ?
齋藤さんの一番凄いところはインターネットの活用方法を
よくご存知という点にあるのでは。
811 :
792:2006/10/02(月) 20:12:57
水澤幸一『奥山荘城館遺跡』 同成社 1,890円(税込み)
出てるようです。
812 :
805:2006/10/02(月) 23:36:56
813 :
792:2006/10/03(火) 23:08:04
うちの近所の本屋さんにはまだ並んでなかった…(´・ω・`)
815 :
792:2006/10/10(火) 23:22:29
水澤幸一『奥山荘城館遺跡』 日本の遺跡15 同成社 1,890円(税込み)
藤木久志『土一揆と城の戦国を行く』 朝日選書808 朝日新聞社 1,300円+税
本日購入しました。
さっそく読みにかかりたいところですが、しばらく時間がない(´・ω・`)
藤木先生のはほとんど読んだことのあるやつばっかりだけど…
816 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 15:11:35
>>815 朝日が歴史書出してるからなんか怖いけどおもしろそうだな
817 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:31:20
809さん、
どちらにお住まいですか、それによりますが
茨城の小幡城、三島の山中城、愛知の古宮城は良かったです、
818 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 00:08:32
先日静岡の仲明城に行ったが、二重堀切が良かった。
819 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:54:51
>>816 この一行のレスでこいつのレベルが知れるから怖いね。
どうしてこんなやつがしたり顔で"学問カテゴリ"の"日本史板"にレスできるんだぜ。
>>809 小幡城は道路工事で一部消滅するから見といたほうがいいぞ。
>>810 齋藤さんがやってるジャンルでは珍しいね。
関東の地方史やってる研究者が愛好者との交流に留めず、もっとネットの世界に来てくれると楽しいんだが。
名古屋の小牧山城のふもとには
山ひとつまるまる囲むくらいのデカくて長い土塁があります。
(自分の井の中の蛙的意見かもしれんが)
しかも道を通すために削って開けた箇所の断面に
解説付きのプラスチックの透明のカバーがついてて、
時代ごとの盛り土が地層みたいに見ることができるので面白いかも。
あと空堀とか虎口の跡とかもいろいろ残ってるのでそちらもぜひ。
茨城じゃない。
823 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:09:00
クマーが出すぎで困ってるクマー。
城跡に行ったら、近所の農家の爺ちゃんに
「隣の本村じゃ、今日、4頭撃ったんだよ。熊出るよー。気をつけな」
と言われました。
皆さん、如何お過ごしでしょうか。クマーには気をつけて下さい。
824 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 02:24:29
昔の武将らはクマーが出たら戦ってたんだろうか?
825 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:52:36
>>820 あれはすごかった。
結局、別の用事で来てたんで頂上まで上らなかったけど。
ところで、以前、何かの歴史雑誌に載ってた「謎の城」というのに興味がある。
古墳を砦代わりに使ったのは有名だけど、小さな丘をぐるっと空堀で囲んで
あとは連絡用の土橋だけとか、山の登山口に強固な虎口「しか」作っていない
「城」とか、野戦陣地的な「城」というのは近世以前らしいと思う。
826 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 22:09:36
八王子城の御主殿の滝が枯れたそうですが今はどうなってるんだろうか?
827 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:33:22
>>827 当時の道はさっぱりなくなったりしてる可能性がある
そこに住んでいるとは限らない、てかほぼ住んではいない
水の手は重要なので井戸なりなんなり作ってた
829 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 17:02:17
>>827 多くの山城の居住地は山裾です。
信長や毛利元就らは山頂ライフでした。
830 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:48:19
>>828>>829 そうですか。どうもありがとうございました。
戦になれば山城に行ってたのですね、奥方や子供も
連れて行ってたのでしょうか。
831 :
829:2006/11/05(日) 15:14:32
安土城で信長は一族を山の上に居住させていたわけですが、
勝手に下山して遊んだ侍女らを斬り捨てており、
かなりガードが固かったようです。
山裾に居を構えていた場合、戦時に一番安全な詰城に連れて行ったと思われます。
832 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:26:01
城総合スレは↓のような電波がいるからな。城総合スレはレベルが低くなっている。
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格
833 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:00:31
>>832 そいつは単なる池沼だと思うが。
城砦としての寺町は、
城を領内に一つしか保有できなくなった
近世以後で中世の話題じゃないなw
835 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 00:23:48
今朝朝日新聞で記事見たんだけど
「全国中・高校生歴史サミット2006」発表内容知りたい。
836 :
829:2006/11/08(水) 00:52:37
10:30〜12:30
【研究発表・午前の部】
1.「高岡城を探る」(高岡第一高等学校(富山県) 歴史研究同好会)
2.「中世の城館 富松城について」(兵庫県立尼崎高等学校)
3.「向羽黒山城跡の総合的研究」(福島県立葵高等学校 社会部)
4.「急峻な山城と川湊、勝山」(岡山県立勝山高等学校 歴史サミットプロジェクトチーム)
13:25〜14:25
【研究発表・午後の部】
5.「中世荘園土庄(肥土庄)〜ひらけゴマ〜」(香川県立土庄高等学校 歴史研究班)
6.「城下町にみる「四神思想」」(洗足学園高等学校(神奈川県) K会)
つ
http://www.abc-proj.jp/contents/summit2006/program001.html
>>836 そこまでは検索で知ってたんですが、つっこんだ内容を知りたかったんです。
>>838 はぁ。初めから発表内容が知りたいといったはずですが。
参加者や、参加学校の地方では講演の一部でも記事になってたりあるかもでしょ。
840 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:15:15
そんなもん、無きに等しい。
無茶な注文。
841 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:58:10
当日配付された報告資料集があるらしいから、それを探すのが吉。
>>841 そうなんですか。
近所に出た学校があるんで、周辺の古本屋をこまめにチェックします。
>>842 だったら直接学校なり事務局なりに問い合わせたほうが早いだろ。
迷惑にならない範囲で。
844 :
841:2006/11/11(土) 09:26:57
>周辺の古本屋をこまめにチェックします。
何年待つ気だ?。気が短いようで随分長いヤシ棚。
843のコメントが正しい。まずはググれ。
漏れはもう事務局に依頼した。どうなるか分からんが。
どうして?
「新聞記事でシンポを知り、ググって発表タイトルを調べ
その上で、2ちゃんで発表内容について知らないか聞く。
わざわざググれば分かる既知の情報を教えてくれる人もいたが
報告書として纏められたことは分かった。
じゃ、その内古本屋に回るだろうから待つか。」
おかしい?高校生の学芸会みたいなシンポなんだからこれで十分。
846 :
841:2006/11/22(水) 03:40:38
>おかしい?高校生の学芸会みたいなシンポなんだからこれで十分。
とてもおかしい。根本的におかしい。
発表内容が知りたいという最初の質問からいえば失礼
このうえない。深く知るつもりもないならいいかげんなこと
聞くな。
それに高校生も一生懸命やってるんだし、貴様も興味を持ったの
なら、「学芸会みたいなシンポ」なんて貶め方はないだろ。
847 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 18:08:09
どうみたっておかしい。
大リーグボール1号がバットに当たるくらいにおかしい。
まぁ、板が荒れるのはつまらんからそろそろ次の話題に進もうぜ。
えっと、
「オ前ハ野球人形ダ!」
・・・すまん、いきなり話題振られたので取り乱したようだ。
とりあえず前に小諸城に行ったんだが空堀がすごかった・・・。
冬が近づいて皆城攻め休止なのか?
そろそろクマさんやヘビさんも冬眠に近づいているからある意味好都合じゃね
しかし凍死のおそれ(ry
二上山城(;´Д`)ハァハァ
852 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 17:05:41
遂に初雪だ。
自分は新潟在住だから、山城踏査は命取りだ。関東の人が羨ましい。
真冬に湯沢の荒砥城に行った。寒かったなあ。
ふーん(´_ゝ`)
こっちはこれからシーズンなのだ( ̄ー ̄)
>>852 凄いな。一歩足踏み外せば死ぬような所だらけじゃないか。
俺はバス使って行ったが、国道歩いているときが一番怖かった。
855 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 00:33:25
誰か武勇伝でも俺に聞かせてくれ。
山城めぐりの季節になってきました
こんど岩殿山城にでも行こうかな
857 :
日本@名無史さん :2006/12/05(火) 18:58:13
我輩も明日、駿河国の朝比奈・小瀬戸・奥池ヶ谷の各城に行くぞ〜。
858 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:24:35
やっぱ夏より冬の城攻めのほうが楽だな
最近行った中では備中猿掛城が良かったな。本丸にある巨大な土塁が良かった
859 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:43:11
>>854 荒砥城の斜面も下ってみました。そうしたら、なんと長大な曲輪が
何本も!新曲輪発見か?と思ったんですが、単なる雪崩防止の段切り
でした。
ちなみに、本物の堀切は、良く見る図面より長く伸びているよう
です。
860 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:32:36
雪景色の土塁掻きあげ
雪景色の土塁(;´Д`)ハァハァ
うちの方は雪降らんからうらやましぃ
まぁ大した城はないんだけどね…orz
来年はどこいくかな?
みなさん、新春初踏査はどこですか?
まだ行ってないけど、
広島県の神辺城と相方城かな
864 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:05:20
ツツガムシには用心しろよ。
865 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:30:32
初踏査。
新潟県胎内市の土沢館。縄張は南出羽の伊達系統の城館址に似ていた。
黒川氏関連の城と思われ。遺存状態から恐らく16C後半以降の状態の模様。
尾根をぶった切る大型の箱堀・大土塁、広い主郭。畝状竪堀数箇所確認。
1月5日時点では雪が殆ど無かった。
無難に菅谷館
あれだけ残ってるのは江戸時代とかに大寒所でもあったのかな
ちと不思議
870 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:38:26
山本勘助が築城術の講釈たれてるw
872 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:38:29
新潟の方で山城行って来たが、雪が殆ど無かった。
と言うことで、上げ。
873 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 06:14:09
色部氏の平林城行ったことある方います?
地元なんで今度行ってみようと思います。
874 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:51:39
>>873 今年は雪が少ないから、加護山要害も大丈夫かもしれません(コンデショ
ンを確認してから行った方が良いかも)。下の居館部の虎口は要チェック
です(通常の進入路から見て左側の導線の先に枡形空間有り)。あと、山
際のラインの土塁・堀も見た方が良いです。居館部(平林城)周辺にも土
塁が有ります(数台の駐車スペース近く、プレハブ裏手)。
金子拓男氏辺りの文献をチェックされると良いかも知れません。
しかし、確認調査がされて随分経つけど如何なったんだろう?
一時復元計画の話もあったんだが。予算が付かなくなったのか?
875 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 13:01:04
三重の霧山城いったら野犬がおそってきてやばかった
876 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 13:55:21
877 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 22:54:03
本日、休日だったので雪の薄らと残る山城に行った。
点々と野兎の足跡、碁石形の糞が見られた。やがて城道が見えて来たので
足を速めた。日陰になっている竪堀が見られたので底に下りる。底に雪が
少し残っていて足跡が見えた。丸い形に何本かの先の尖った放射線状に並
んだ足跡が。熊とは限らないがチキンな自分は城跡を後にした。
878 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:56:24
先日の土曜日に比叡山の近くの壺笠山城に登った。
藪で遺構は、ほとんど確認できず。
更に帰りに道に迷い、死ぬかと思った。あそこへは
行ってはならぬ。
879 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:22:12
3月3日に興国寺城の現説あるぞ いくべし
880 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:10:24
風林火山 荒砥城あげ
風林火山 海ノ口城あげ
882 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:02:05
この間、新潟の上杉景勝方に落とされた城を見てきた。新潟県内なのだが、
暖冬で雪は無し。そして熊らしき、まだ湿った糞が点々と・・・
しまいに「ウー」と言う唸る声。周辺の潅木を見ると皮が剥がれていた。
ガサゴソと音がしたんで、こっちも何故か「ウーウー」と唸ってしまった。
その効果が有ったとは思わ無いが、無事、城跡のポイントの写真撮影を終え
下山。熊には会わず、目にしたのはウサギさんだけだった。
皆さん今年は熊の冬眠明けが早いみたいです。秋田県では既に山仕事の方が
熊に襲われ、軽症を負っているそうです。気を付けて下さいね。
883 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 00:42:32
おぬし・・・・・・軍師か!
884 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 14:33:33
軍師と言うより山師かな。
岩手の久慈城行ってきました。城のそばまで行くバスは
一日3便くらいしかない。
藪がひどいらしいが、今の時期なら大丈夫だろうと思っていったら
入り口あたりは笹がびっしり。かろうじて道は分かった。
ある程度行けば作業用の道路があり、たどっていけば本丸までは楽勝。
でも空堀や堀切は荒れ放題なのできつかった。
草生えるともう見てられなくなるだろう。
熊は出ませんでしたか?
887 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 22:58:40
東日本じゃ、熊は出てるよ。おいらなんか、先日カモシカとばったり会っち
まったよ。山城跡の麓を歩いていたら、視線を感じるんでその方を見たら、
人の良さそうなデカイ顔の奴が草叢で顔だけ出してこっちを見てるんだ。は
あ?あんた誰?と思ってよく見たらカモシカだった。数メートルしか離れて
いなかった。自分が踵を返すとカモシカちゃんも立ち去った。
北海道以外は熊はツキノワグマなんで、山では咳払いをする、声をたまに出
せば大体遭遇する可能性は低い。あと山中では木と落ちている糞と足跡に
注意。木の皮が剥がされかつ爪のあとがあったら注意。木の上の枝にも変な
葉や枝の塊が無いかも注意。山道で先が死角になっている地点前では必ず音
を出すべし。藪漕や万が一の時の為に鉈は持って行ったほうがいい。
888 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 12:22:05
明日海の口城に集合な
交通の便、悪そうだな
890 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 23:34:36
今頃888は真っ暗な本丸跡から一人城下を眺めているのだろうか?
891 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 00:03:13
892 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 13:04:47
てめーら海の口城にこなかったな ちくしょう 今度こそ今週の土曜日の正午岩殿山城本丸に集合な
893 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 15:06:33
>>893 なんで、お前は寒そうな所ばかり指定するんだよ!海ノ口城なんか、
夜−7度だぞ!凍えちまうよ。
894 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 08:51:46
とうとう明日になった雪降りそうだけど岩殿山城にこいや
895 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 12:22:33
何もない大阪府
池田 茨城 高槻 中島 野田 福島 榎並 守口 大塚
若江 三箇 高屋
跡形もなく
皆消滅
残ったの
コンクリ大阪城
クソ岸和田城
896 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 14:53:47
>>894 いよいよ明日か!
一番槍を立てるのは誰であろうのお
897 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 19:47:53
898 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 19:51:42
では、合言葉を決めようぞ!
一案だが、
「ホリエモン」と読んだら、
「死刑でいいよ」と答えよ。
899 :
897:2007/03/16(金) 19:53:06
訂正じゃ。
読んだら→呼んだら
900 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 15:37:13
岩殿山城の稚児落しで昼寝したい。
901 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 17:25:56
合言葉変更な。
「月宮」と呼んだら、 「うぐぅぅぅ」と答えるんだぞ。
(Д゜三゜Д゜)
で、岩殿に行ったの?
904 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 20:29:48
だれも来ねー ということで今週の土曜日の正午に新府城本丸集合
905 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 04:55:30
中世の山城の曲輪内部はとても狭いので、籠城といっても
主力は麓に展開していたんでしょうな。
906 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 11:50:48
そこまで兵力ないと思う
(Д゜三゜Д゜)
お猿の山の高崎山(大分)も城址だ。
登っても猿と観光客しかいない。
909 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 16:03:01
新府城オフおつかれ〜
集まったのか!
911 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 00:16:30
大儀!であった!
912 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:57:12
最近、面白い本ない?
>>912 滋賀県立安土城考古博物館編 『信長の城・秀吉の城』 サンライズ出版
914 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 12:41:05
ああ、そうか。どうもどうも。買ってみよう。
915 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:28:32
GW突入なわけだが、おまえら何処の城に行く?
あたくしはシャトー・ド・ヴェルサイユへ参りますの。
917 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 09:05:02
街中の中世城館跡(近世に代官所として使用)回ってたら
カモシカがいた!みんな慣れっこなのか、吃驚してたの俺一人。
飼われているわけでもなさそうだったが。
>>918 ( ´w`)<それはカモシカか?もしかしたらエゾシカかもしれん!ナンチテ
>>918 街中とは珍しい。山の中では数メートル先で目撃したが。案外カワイイ。
松等かなり食い荒らしている模様。
921 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 23:15:58
明日から信濃攻め。村上の居城や上田原の古戦場に行く。
交通混雑が心配
922 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 14:29:58
戸石城は行ったほうがいい。
923 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:53:20
924 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:05:23
知覧城に行った事あるけど、交通に無理があるという事?
925 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 23:35:43
>>826 滝は死んだよ。
地元なんでね。圏央道のせいだ。
もうどうでもいいやって感じ。
祟りでもあればいいと思うよ、マジで。
>>925 二度目の落城ですか
とても残念ですね
水が枯れたことで風水に悪影響とかあるでしょうかね・・・
場所は言わないけど、間違って登った山で未発見の城址見つけちゃった。
地元教委に一応知らせておいたが。
既に作成された縄張図を持って見ていたんだが、全く違う縄張なんで地図で
確認したら、隣の尾根だった。GPSのような新兵器がないんで怪我の功名か。
928 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 01:22:13
よくある話だ。
929 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 11:35:28
930 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 18:12:01
昨夜の大河見てさっそく布引城址に来たぞ。
今から東京に帰れるかな?
931 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 17:39:43
熊本城は朝鮮人が建てたとNews23でいってたってほんとう?
932 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 18:52:16
津久井城なら登ったことあるけどな
933 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 18:58:58
>>931 加藤主計頭清正公が竣工した熊本城から弓を引いて矢を放ち、
その矢が落ちたところに朝鮮人を住まわせて被差別部落になったって伝承がある。
>>927 新しく山城を見つけたら、報告の義務があるのですか?
近日中、言い伝えだけを頼りに、
山城を調べに行く予定です。
935 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 10:02:59
義務は無いだろうけど、報告してくれれば教育委員会の人たちは喜んでくれるのでは。
で、そういうところに出入りしてれば自分の知らない情報の入手源が出来るわけで。
まぁ、どうでもいいような。
言い伝えですか。私は地名で調べる方が好きだなぁ。
936 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 18:37:48
滝山城(*´д`*)ハァハァwハァハァw
>>934 地形や地名もチェックした方がいいよ。闇雲に登ると体力消耗で、
大した山でなくとも遭難、怪我の恐れがあるよ。
兎に角、下調べが大事だと思う。
当たり前だけど、大体、合理的理由で築城するので緩い地形に遮断
線を設けるんで、そっちから登るといい。急斜面から直登りすると
危険。
938 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 21:50:57
にょたい城(*´д`*)ハァハァwハァハァw
939 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 22:21:52
ばかもの!ww
>934
通常、史跡を見るレベルの高い人ほど高齢になり、
山城のある山に登る機会すら減ります。
公務員は他の仕事もあり、好き勝手に山城散策だけというのも
出来ないわけで、そういったアマチュアで知識のある人が
探してくれるのは願ったりだそうですが、
いざ行ってみれば果樹園や茶畑、杉畑ということも多々あって
無駄足も多いのでどっちがどうとは言えないらしい。
941 :
940:2007/06/04(月) 23:28:03
<補足>
なんらかの農地で人の手が入ったものが
放置されて史跡のように見えるものも多いということ。
プロでも惑わされる事はたまにあるようです。
942 :
日本@名無史さん:2007/06/05(火) 02:03:32
確かに畑か曲輪か分からない時が・・・
943 :
敦賀市疋壇城:2007/06/05(火) 12:43:34
にいったらまさにそんな感じでした。学校跡の本郭?はゲートボール場に、櫓台跡から麓の神社までの郭群跡はことごとく畑となっています。畑の土留め用に造った石垣なのか、城の遺構の石垣なのか、シロートの私には判断が難しい物もありました。
944 :
934:2007/06/05(火) 21:23:45
>>935>>937>>940 レスありがとうございます。
装備は会社の登山会の人に聞き、コンパスや高度計を用意し、
細かい持参品のリストも貰ったので、それを参考にするつもりです。
下見にも行ったんですが、麓に寺があり、その後ろから緩い斜面が続いているようでしたが、
山の所有者の古い先祖の墓や祠が山の中にあるそうで、
そこまでは所有者の方が利用してる道を行く事にしました。
と言う訳で、山の所有者の入山許可を貰いましたので、
天候が良ければ次の金・土曜日に登って来ます。
追伸、
偶然のレスなんでしょうが、私は滝山城の近くに住んでおります。
>>944 時間が有ったら、調査のご報告をして下さいな。
当方は北陸なんだが、道の付いていない山城はそろそろ難しくなってきた。
先月は熊が近くにいたし。気を付けて調査に当たって下さい。
>>945 ありがとうございます。
現地調査はこれからも続けますが、主郭と思われる所は確認しました。
あと、道無き山を歩く変わった趣味の方から、
『人も入らない山なのに凹んだ立派な道がある』と言う情報も得まして確認してきたのですが、
空堀だと思われました。
今後は、図書館にも通って文献に載ってないか探してみようと思ってます。
追伸
北陸は私の祖先が織豊期に縁のある地で、毎年少しずつ城巡りをしてます。
今年も行く予定です。
踏み跡も無い山城探訪は梅雨でおしまい。
948 :
日本@名無史さん:2007/06/23(土) 10:17:14
俺はGWで終わってるよ
949 :
武陽陰士:2007/06/23(土) 13:11:47
マジで言うけどマムシには気をつけて
950 :
日本@名無史さん:2007/06/24(日) 21:15:18
北陸というと
富山の松倉城
能登の七尾城
加賀の和田山城
が良かったな
951 :
日本@名無史さん:2007/07/05(木) 19:12:46
北陸と言えば、新潟の竹俣氏の竹俣城に4月に行った。
登りの取っ掛かりが解らず、直登りした。
二間幅程の城道が雷状に残り、径4,5m位の井戸跡も残っていた。
主郭近くに「滴水城址」の石碑あり。
952 :
日本@名無史さん:2007/07/13(金) 15:06:49
千葉県東金市にある大豆谷館について知っている人いますか?いたら教えて下さい。お願いします。
953 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 16:15:50
>>952 県の悉皆調査報告書にはあたってみた?
千葉県教育委員会に質問しなよ。親切な担当者に当たれば、遺跡カードや
地図のコピーを郵送してくれるかもよ。市でもいいけど。千葉県は城郭
研究団体があるから、そちらでも問い合わせを。
自分は某県で担当やってたことが有るけど、出来るだけ資料のコピーは
公開していた。行政は利用すべし。
954 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:06:21
a
955 :
日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:33:19
千葉県なら市原市月出に月出城址がある。
登録もされていない城跡だから瓦とか礎石も
そのまんま残ってるから、地味なファンにはたまらない。
礎石や瓦は近世の可能性が高いyo!
957 :
大豆谷勘助:2007/08/07(火) 15:04:10
日本@名無史さん教えてくれてありがとう。質問してみようと思う。
特に千葉県の中世の城は礎石ではなく
ほとんどが柱穴なんだyo!
聞いてみてne!
959 :
日本@名無史さん:2007/08/13(月) 18:04:41
中世城郭の多くは掘立柱建物だが・・・
調査に参加したことがあるけど、山城は遺物が少ないなあ。
使用後、清掃を掛ける(清める?)のだろうか?
その辺の所、詳しい人います?
>遺物が少ない
落城や放棄でなければ別の城に移動したからじゃ?
山梨県の勝沼城のようにたまに礎石がある県もあるyo!
遺物が少ないのは定かでないけど、
使用期間が短かったー
生活が山裾だから遺物が出ないとかー
難しいne!
962 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 08:55:55
居館部を除いた中世城郭の発掘調査で、多くの場合、出土遺物は少ない。
恒常的な居住空間ではない事もあるのだろう。
思うんだが、落城や放棄の際に儀礼的な清めや、それに伴う清掃があるの
ではないのか?
意図的な行為があるのでは?
と、勝手に想像する訳であります。
落城後に掃除するのは当たり前。
死体が転がってるんだから。
城を捨てて逃げるときは大抵火をかける。
これを「自焼没落」という。
965 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 21:17:52
死体があれば、考えるまでも無く当然清掃することは予想される。
問題は、それに伴う祭祀などが有るかという事だろう。
966 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 22:35:35
清め→えた非人
ともっていきたいのか
遺物の分布論を読んでていつも不思議に思うのは、
貯蔵・調理・供膳の分布がただちに屋敷空間の機能に結び付けられることが多いけど、
それって城が機能してたままの状態で廃城になったことが前提なんだよね。
でも実際は掃除することも想定されるし、供膳具は城が機能している段階でも移動するもんなんじゃないの?
968 :
日本@名無史さん:2007/08/17(金) 14:39:28
発掘は「出てきた遺物」に対して評価を与える。
「出てこない遺物」に対しては評価できないね。
969 :
日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:35:34
遺物だけでなく遺構の評価もよろしく。
>>お城
ここでアドバイスもらってるんだから、
あそこの掲示板に居座るのやめろよ。
お前の日記みたいになってるじゃん
971 :
日本@名無史さん:2007/08/17(金) 20:45:33
>>お城
って何だ?
972 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 02:34:04
>>969 遺構とは縄張りの事かな?
例えば織豊城郭に限定して話を易しくしても
礎石・石垣・瓦の3点セットと定義している。
縄張りからの定義はできない。
縄張りの本に中世城郭について簡単に定義しているけど、
著者によって意見はバラバラだし、
そう簡単に定義できるものじゃないだろうね。
973 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 02:46:55
974 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 09:30:20
確かに・・・
975 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:11:49
根本的なことがわからずに語ってる感がある
ここはひとつ根本的な事を教えてやってよ。
977は根本的にわかってないね