上杉謙信=女性説を今こそ語る

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1日本@名無史さん
やっぱ女でしょ
2日本@名無史さん:05/02/27 14:03:48
>>1
理由述べよ!
3万年救護大本尊の朴蓮:05/02/27 14:04:09
実は私はイタリア人です。
4日本@名無史さん:05/02/27 14:04:58
戦をすれば生理で中断!
祭られてる甲冑はかなり小さめ!
それだけ!
5日本@名無史さん:05/02/28 16:14:00
越後の民謡(?)に

男勝りのまんとら様は〜

という下りがある。

あと謙信があたまに巻いてるのは越後の女性のおしゃれとして一般的なもの。
6日本@名無史さん:05/02/28 17:29:01
性同一性障害でメサイアコンプレックス。
ジャンヌ・ダルクと上杉謙信の共通点。
7日本@名無史さん:05/02/28 18:05:37
>>5
狂歌はどのようなものかご存知ですか?
越後の民謡ではありません。

あたまに巻いてるのは、平安時代でも剃髪した人が普通に巻いてました。
謙信が剃髪したのは何歳の時ですか?

8日本@名無史さん:05/03/01 01:33:03
>>7
剃髪する前から頭に巻いてたよ。

川中島の合戦の時には既に巻いてたが、まだ名前が上杉政虎の時。

9日本@名無史さん:05/03/01 01:43:43
長尾?
10日本@名無史さん:05/03/01 08:34:21
>>8
何年から?
またそれを示す史書とその内容は?
11日本@名無史さん:05/03/01 08:41:44
>>8
川中島での法体は後世の人の作り話と聞いたことがあります。
12名無し募集中。。。:05/03/01 09:03:02
やっぱオバちゃんでしょ
ttp://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg
13日本@名無史さん:05/03/01 12:40:25
あのさ(w
14日本@名無史さん:05/03/01 13:50:12
>>4
昔の人は現代人に比較して小さいですよ。
私が過去に見学した各種歴史資料館に展示している衣服(江戸時代や明治)も小さいです。

また参考にした資料の信憑性が高いとされるものですか?
生理中と断定する根拠は何ですか?


15日本@名無史さん:05/03/01 15:52:08
本格的になってきた!
16日本@名無史さん:05/03/03 20:08:53
<謙信女性説の主な論拠>

・謙信の死因は大虫(婦人病)である、と歴史書に書いてある。
・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
・謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女性扱いである。
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
17日本@名無史さん:05/03/03 20:57:54
>>16
やっとでてきましたね。
>・謙信の死因は大虫(婦人病)である、と歴史書に書いてある。

まず、大虫について
大虫は大虎の歪曲表現とも言われています。

ttp://tozanji.exblog.jp/m2005-02-01/ 
箇の焦尾の大虫とは虎です
ttp://2.suk2.tok2.com/user/yamakou/?y=2005&m=02&all=0
人々は彼を杜大虫と呼んでいた。大虫とは恐ろしいトラのことである

一般的には 大虎=お酒に絡むものです。

謙信は酒豪でした。肴なし、もしくは梅干で飲んでいました。
高血圧まっしぐらの嗜好です。脳溢血の症状に一致します。

ところで、
夫人病で元気だった人がいきなり倒れて、人事不詳に陥って
4日目に亡くなるような病気とは何ですか?

18日本@名無史さん:05/03/03 21:06:54
村上義清が好きで、上杉謙信は過剰なくらい庇護していたことは知ってるが。
ただ女だったら家督相続のときにもっと荒れそうなものだけどな。
19日本@名無史さん:05/03/03 21:25:54
>・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。

具体的にどの史書に出ていますか?またその文章を明示して下さい。

女性説の根拠に「松平記」の小田原勢に攻めのについて例にしている人がいますが、
「松平記」そのものが江戸時代に編纂されたもので資料としての価値は低いと
言われており、信憑性は定かではありません。
粉飾も多く見られ、史書として扱っていいかさえ論議されるほどです。

>・謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女である。

存在もよくわかりません。
しかし存在したとしてもこれだけでは根拠が薄いと思われます。
20日本@名無史さん:05/03/03 21:49:57
上記やや懐疑的な「松平記」の表記は「腹痛」です。

>・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている。

当時の通訳は今ほど外国語に通じていたとか考えられません。
ましてスペイン語 '伯父'と'伯母'の聞き間違い、'a'と'o'の書き間違えたのではないですか?

ゴンザレスの「日本についての報告書」には
「会津の上杉景勝が上杉謙信が開発した佐渡の黄金を運び隠し持っている。」
と書いているそうです。

この辺もかなり間違っています。
佐渡支配は景勝からで謙信はかかわっていません。
誰がどう教えたのでしょうね?




21日本@名無史さん:05/03/03 21:50:15
私は高橋友城のペニスを切断したの
22日本@名無史さん:05/03/04 04:01:47
お墓の建て方で見ると女のはずだって聞いた事あるな
意外と謙信=男派の人は現れないすね
23日本@名無史さん:05/03/04 07:03:22
女性説を取る方はもっと明細に内容を示してくれませんか?
検証可能な文献とその文章なりを明示して下さい。

>>22
上杉謙信の墓(林泉寺)が大小連なっているので、「母が子を抱いている」となるらしい。

ただし、林泉寺の説明では、小さいほうが元々の墓で、大きいほうは近代になって建立したということです。

比較的近い地域で家臣の移動(寝が入り)が確認されている武田や北条の
史書にはそれを思わせるものがありません。武田でも北条でも、敵将については詳しく
聞いているはずです。戦略の上でも重要です。

7歳で出家した謙信が何故、14歳の時に呼び戻され戦にでてのでしょうか?
出家した女子が戦いの為に戻されることはありません。

女人禁制の高野山に2回登山した。

謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女性にはありえない戒名)

生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。

再度、女性説を取る方はもっと明細に内容を示してくれませんか?
検証可能な文献とその文章なりを明示して下さい。
24日本@名無史さん:05/03/04 11:40:41
上杉謙信はかなりの大きな体格だと記録に残っているが、実際男としては、当時の平均くらいしかない。

だが女だとしたらかなり大柄なんだとか。
25日本@名無史さん:05/03/04 15:47:42
もし謙信が女性だったとすると、今までのイメージが…orz
26日本@名無史さん:05/03/04 16:13:34
女なわけないだろヴォケ。
27日本@名無史さん:05/03/04 17:03:42
>>26
理由言えよヴォケ!!!
28日本@名無史さん:05/03/04 17:39:32
>>24
子供の頃、他の子供より大きかったと書かれているものがあります。
子供の身長はあてになりません。
剣客の天徳寺了伯が威圧されたと言っているようですが、
堂々として凄みがあったのだと思います。
「名将言行録」では小柄とでてるようです。
主観はあてになりません。

>>26
ですよね。

29日本@名無史さん:05/03/04 17:45:59
>・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。

もっと具体的に、文献名とどの戦で何月何日と示してください。
年賦を確認すると、10日前後に幾度も戦っています。
30日本@名無史さん:05/03/04 17:52:38
川中島の戦い
31日本@名無史さん:05/03/04 17:59:41
>>30
「川中島の戦い」が 何?
32日本@名無史さん:05/03/04 22:01:04
あの肖像画がほんとなら女にはみえない
33日本@名無史さん:05/03/06 13:20:35
後から髭を付け足したと聞いたことがある
34日本@名無史さん:05/03/06 15:13:31
髭をとっても女に見えない。
35日本@名無史さん:05/03/06 20:31:42
>>33
誰に? 
36日本@名無史さん:05/03/06 22:39:32
>>33
適当に言っているとしか思えません。
もう少し・・・・何とかなりませんか?
37日本@名無史さん:05/03/06 22:44:00
お前等同人ネタはスルーしろ
38日本@名無史さん:05/03/06 23:38:13
適当というか後から髭付け足したっていうのは前にテレビで
謙信女説というのをやっていて、それでそう言ってたからじゃないの?
39日本@名無史さん:05/03/07 14:46:18
>>38
俺も前にそのTVで見た!
別に適当に言ってる訳じゃないと思う!
上杉謙信女性説で、後から上杉謙信の肖像画に髭を付け加えたとか
生理のことだとか…。
40日本@名無史さん:05/03/07 15:21:24
        /  (___  ___) ヽ
           ./     ノ 人 ヽ    ヽ
    __    ./    //  ヽ ヽ    .ヽ   / ̄\
  ./ ○ ヽ、 /    (__)  (_)    ヽ/  ○  \
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     .ヽ/::||::::::::::   (●)    (●)   ||/ヽ
      く ::||:::::::::::::::::   \___/    ||:::::::::ヽ
       ヽヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ_/
【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
41日本@名無史さん:05/03/07 17:56:04
気分を害されたら謝ります。
説明が少なく感じられて・・言い過ぎました。
(肖像画にはそれほど興味ありませんし。。。)

ところで、「テレビで放映すれば無条件で信じる」なんてしませんよね?
42日本@名無史さん:05/03/07 23:30:14
逆に確実に男って証明するのも無理だしな
これだけ女だった可能性の捨てきれない戦国武将も珍しいな

男まさりなんて男に普通言わねーもんな
43日本@名無史さん:05/03/08 00:12:12
そのなんとやらは知りませんが、
普通に考えて謙信の身分(その気になれば女性に事欠かない身分)で独身なら
世間はあることないこと噂することは想像に難くありません。

剣豪の柳生連也なども弱くなることを恐れて生涯独身です。

写真等で謙信の兜見たことありますか?
兜前立てに仏像のような物がついているものです。
説明文を読むとあの仏像は「飯縄権現の像」だとか。
飯縄信仰に依れば、修行を積むことで神の加護を神通力を得るが、
女性に心をとられれば神通力が失われるとされております。



44日本@名無史さん:05/03/08 01:14:23
女であるなら男で独身とは違って噂は出ないかもな
45日本@名無史さん:05/03/08 01:24:46
謙信がもっている青竹は

バイブ
46日本@名無史さん:05/03/08 01:34:18
女の子が7歳で寺に入るかよ!
47日本@名無史さん:05/03/08 01:41:46
墓掘り返してDNA鑑定すればはっきりするだろ
48日本@名無史さん:05/03/08 02:08:07
>>47
血判でDNA鑑定できる。

女論者は論理的に一つ一つ反証すること(出来れば学問立てで)

・元気な人間が、突然倒れて人事不詳のまま4目に亡くなる婦人科の病名
・幼女は寺で修行しない。
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献を複数
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしいものがない。
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。

49日本@名無史さん:05/03/08 02:51:55
男説の立場でレスしてる人同じ人?
言葉の端々から底意地の悪さが滲み出てるぞw

7歳で出家して14歳で戻されるなんて女じゃ有り得ないからなー
八切止夫さんの本読めばもっといろいろ女説の論拠読めるんだろうけど
50日本@名無史さん:05/03/08 13:15:30
>・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。

これはちょっと有力か?
51日本@名無史さん:05/03/08 14:04:05
不当な交通取締りに抗議するにはどうしたらよいか。私は免許更新のときの、安全協会費
を払わないというのを実行しています(いまどき払う人も少ないでしょうが)。一番手ごろで簡単ですしね。
交通安全協会は警察の典型的な天下り団体で脱税が発覚したり(日本交通安全協会が4億7千万も!)、告発本によれば、安全協会幹部と警察の飲み会にも使われているとのこと。

入会したところで、うすっぺらい会員証をくれるだけでメリットはないのでやめたほうが絶対にいいと思います。
私も最初に払ってしまい、激しく後悔しています。
免許センターでは、当然のごとく請求する人もいますので注意しましょう。100%支払いは任意です。
52日本@名無史さん:05/03/08 14:12:39
>7>10>14>17>19>20>23>28>29>33>41>43
一言でいうと友達にしたくないタイプ
感じ悪すぎ!
53日本@名無史さん:05/03/08 15:49:06
>>52が友達にしたいタイプはテレビで放映したことはすべて事実だと信じるくらい素直な人。
54日本@名無史さん:05/03/08 18:14:29
>>52
あんたも感じ悪いよ。

55日本@名無史さん:05/03/08 18:43:52
何月何日何曜日???どの本の何ページ目???
みたいに言われると感じ悪いわなw
無駄に偉そうだし

所詮珍説のひとつなんだからもっと寛容にできないもんかね
56日本@名無史さん:05/03/08 18:44:57
男派の立場で。女説で全うなのは >>16 
後半嫌味の >>22 
他はくだらない。
57日本@名無史さん:05/03/08 18:50:22
>>55
男派だから気持ちは分かるよ。
58日本@名無史さん:05/03/08 19:18:10
ここで議論してても上杉謙信が女だと言う、またやっぱり男だったと言う結論や証拠が出るわけでもなし
女だったら面白いな、くらいの気持ちで書き込めば良いのに。
59日本@名無史さん:05/03/08 22:38:33
高圧的な男性論者がいるのは確かだが
コイツいないと伸びない罠
60日本@名無史さん:05/03/08 22:53:44
男性派が生意気なのでこれからは積極的に女性説を喧伝していこうと思う。
言い続ければ事実になると思っているよ。俺は。
61日本@名無史さん:05/03/08 22:54:34
>>58
ヴォケ。
妄想は日本史板じゃなく
三戦ネタ向きだろ。

62日本@名無史さん:05/03/08 23:10:55
>>60
持論を展開するなら
アンタの「上杉謙信=女性」に行き着いた理由を聞かせてくれ。
とりあえず>>48あたりの書き込みに対し何も答えられないなら、
謙信の事についてロクに知りもせず持論のオナニーネタで
「こうだったらいいだろうな」と安易にスレ立てしたキモヲタと言わざるを得ない。

63日本@名無史さん:05/03/08 23:14:46
いやスレ立てたの俺じゃないし
64日本@名無史さん:05/03/08 23:17:36
俺のスタンスは真実か否かではなく、気に入るか気に入らないか、ですので
それで武将の名誉がどうなろうが学者の研究が徒労になろうが構わないのです。(^^)
65日本@名無史さん:05/03/08 23:39:45
今から地道に宣伝すれば200年後には定説になる可能性も
否定できないなw

>>62
持論って・・・真贋はともかくそう唱える歴史学者もいるんだから
無学な板住人の妄想とは言えないと思うが
66日本@名無史さん:05/03/08 23:40:27
謙信の身におきた大虫がそれかは知らないが、更年期障害がもとで免疫力が低下して
感染症を患い、そのまま死亡するケースは発展途上国などではよく見られる。
ただこれを婦人病と言うと無理があるし、寒冷地方でそう簡単に感染症に罹るとは考えづらい。
当時の診察技術がどれほどのものだったか、というのも鍵だね。
67日本@名無史さん:05/03/08 23:44:04
>>48
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。

ソースでも出してや
68日本@名無史さん:05/03/08 23:49:35
謙信女論で一番有名なのは八切止夫だと思うが
著書で高野山とか戒名とかの証拠に対してはどう説明してんのかな
そういうとこは全部スルーして都合のいいとこだけで本にしたのかなw
69日本@名無史さん:05/03/09 02:36:44
>>56
下らないとか言うなよ。
70日本@名無史さん:05/03/09 04:53:20
>>68
彼の中でそれらは全て信憑性の薄い資料です
71日本@名無史さん:05/03/09 15:12:34
見事に67には答えないという
72日本@名無史さん:05/03/09 16:31:49
このスレ甘ったれが多いな。

>>60は正論
73日本@名無史さん:05/03/09 18:27:37
>>60
同意。
74日本@名無史さん:05/03/09 20:22:57
http://www.koyasan.or.jp/reihokan/history/building/kenshin.htm 
謙信の名は天正2 年(1574)45歳で上洛した時、高野山にも訪れ、
その折り贈られた法名であるという。

天正22年11月13日以降 
大阪の石山本願寺、紀伊の高野山金剛寺、比叡山延暦寺、京都大徳寺参詣 
・・・by人物往来社 上杉謙信 

高野山文書(弟一級資料)、上杉文書(国宝)
天正2年12月19日
高野山無量光院 宝将幢寺清胤を師 として剃髪。
法印大和尚








75日本@名無史さん:05/03/09 20:41:23
ttp://www.kenshinyakata.com/kensinnenpu.htm
参考図書:歴史群像シリーズ・戦国セレクション「上杉謙信」(学研)
図説「上杉謙信と上杉鷹山」(花ヶ前盛明・横山昭男著・河出書房新社)

天文22(1553)11月 堺に行く。本願寺に使者派遣。高野山に参詣。
天正2(1574)12月 剃髪・出家し、法印大和尚に任じられる

高野山霊宝館
http://www.koyasan.or.jp/reihokan/history/building/kenshin.htm 
為権大僧都法印謙信
7672:05/03/09 20:46:26
このスレ甘ったれが多いな。

>>60はヴォケに訂正
77日本@名無史さん:05/03/09 22:06:09
間を取って、両性具有だった!!
78日本@名無史さん:05/03/09 22:11:19
ヴォケってなに語?
79日本@名無史さん:05/03/10 00:23:09
>>62 >>68
まさしく正論!
80日本@名無史さん:05/03/10 00:37:30
女性説支持してる学者っているの?
81日本@名無史さん:05/03/10 00:44:42
無双厨が妄想で騒いでるだけのネタだぞコレ・・。
アレをまさか本気にした奴がこんなスレたてたのか・・??
謙信=女性説は奴等が無双サイトで騒ぎ始めたのがキッカケの
ただの同人の妄想ネタ・・・(寒)
82日本@名無史さん:05/03/10 00:52:58
いや真偽の程は知らんが、TVでもやってた事だぞ?(信じる信じない関係なしに)
83日本@名無史さん:05/03/10 00:53:37
>>80
いたら怖いよー
84日本@名無史さん:05/03/10 01:05:39
>>82
>「テレビで放映すれば無条件で信じる」なんてしませんよね?

番組によっては証左より視聴率
85日本@名無史さん:05/03/10 01:11:21
86日本@名無史さん:05/03/10 01:34:09
>>83
怖くはないだろ
87日本@名無史さん:05/03/10 01:39:58
実際に男か女だったかどうかはともかく(俺は男だと思うけど)、
かなり女性的な性格の人物であることは確かみたいだね。
だから特に男らしいイメージを抱いているような人は、
周りに幼稚にうつるほど激しく否定したがる。本当に幼稚に映る。
88日本@名無史さん:05/03/10 02:07:17
>>87
女性的て
今の世の中じゃどんな行動したって
例える側によっちゃ女性的に見えるがな
89日本@名無史さん:05/03/10 04:19:29
なにその屁理屈
90日本@名無史さん:05/03/10 06:30:15
上杉謙信は確かに女かもしれないね。それも「大坂のおばちゃん」てきな(w

内政・外交能力が皆無。ヒステリックに出家してみたり、家臣をどなりつけたり。
大局観・定見が弱く(というかゼロ)、目先の小競り合いにやっきになる姿は
「地図の読めない2流武将」そのものだし。
やみくもな戦争行為も、更年期障害の発露と考えれば納得がいく。
91日本@名無史さん:05/03/10 07:37:07
スレ立て>1に責任もって提示してもらおう

>>4=1 
>戦をすれば生理で中断!

まともな文献まだー!

92日本@名無史さん:05/03/10 10:08:19
1.女人禁制の高野山に2回も登山した。
謙信は高野山、信州飯縄、戸隠の霊山などにたびたび参詣している。
もし、謙信が女性だったら、どうして世間に知られることなく
これの厳しい女人禁制の霊山に登山でき、多数の神官・僧侶をごまかすことが出来たのか。

2.謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記されている。
法名に権大僧都や居士という言葉は、女性には絶対使わない。
女性ならば大姉、大禅定尼となるはずである。
死後の法名までごまかすのにどのような手段をとったのだろうか?

3.生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。
和尚・愚僧という言葉も女性には絶対用いない。



んー・・敵を欺くためにも
自分から女説を周りにばら撒いたんでは?
そのほうが都合がよかったから。
93日本@名無史さん:05/03/10 14:51:03
飯縄権現のことだけど、確かダキニ天と同一視された関係で
女性にとってのご利益が何かあったような覚えがあるんだけど・・・
すまん、ここまで言っておいてなんだが思い出せないや。
思い出したらまた書き込みに来るよ。
94日本@名無史さん:05/03/10 15:09:00
マツケンの番組でやってたね。
95日本@名無史さん:05/03/10 15:19:54
マツケンは大河では柴田勝家・弁慶と完全にやられ役になってしまったね
96日本@名無史さん:05/03/10 17:38:59
簡単な話。上杉謙信は男女2人いたとすればノープロブレム(笑
97日本@名無史さん:05/03/10 17:48:15
また陽の目を見る時がきたな

ttp://ginrin.hp.infoseek.co.jp/cg/kensin01.jpg
98日本@名無史さん:05/03/10 18:05:30
女性説派より男性説派のほうに余裕が感じられないのはどう言う事だ。
99日本@名無史さん:05/03/10 18:19:54
>>92
>敵を欺くためにも
>自分から女説を周りにばら撒いたんでは?
>そのほうが都合がよかったから。

これは智略がある行為なのかな?
100日本@名無史さん:05/03/10 19:28:54
具体的にどう都合がいいんだ?
101日本@名無史さん:05/03/10 23:00:33
また陽の目を見る時がきたな

ttp://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg
102日本@名無史さん:05/03/11 14:48:07
対論なしでこのスレ終了。
103日本@名無史さん:05/03/11 16:58:46
もう終了かよ。
ってか、【上杉謙信=女性説を今こそ語る 】って事は
>>1は上杉謙信が女性だったと思ってるんだろ?
結論どうなんだ?
結局は、判断できませんでした。で終わり?
104日本@名無史さん:05/03/11 17:53:43
もうめんどくさいから日本史板では女ってことにしようぜ
105日本@名無史さん:05/03/11 18:06:01
結論は
>>74で決まり

106日本@名無史さん:05/03/11 20:00:25
必死だな
107日本@名無史さん:05/03/11 20:06:31
またダヴィンチ=コードか!
108日本@名無史さん:05/03/12 02:30:54
男派の人下にいちいちスペース空くから名無しでも
同一人物だってわかっちゃうぞw

とりあえず>>74>>105は同じ人だろ?w
109日本@名無史さん:05/03/12 07:20:56
とりあえず霊宝館HPを覆せるだけの論証を
110日本@名無史さん:05/03/12 07:41:46
また空いてる
わざとか
111日本@名無史さん:05/03/12 07:49:59
ネタをネタとして楽しめない人は2ちゃんねらに向いていない。
112日本@名無史さん:05/03/12 13:27:59
>真贋はともかくそう唱える歴史学者

誰?
113日本@名無史さん:05/03/12 14:22:06
愛の字の兜・・・
114日本@名無史さん:05/03/12 14:40:21
>>112
お前はヤなヤツとみた
115日本@名無史さん:05/03/12 15:59:31
このスレの論破君は必死なだけでユーモアセンスが感じられない
116日本@名無史さん:05/03/12 20:33:07
>>115
だよね。こんなの萌え系レベルの話しであってノストラダムスやネッシー並みの
世界なのに必死すぎる。

つーか>謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記されている。これって何処に?
謙信は『大阿舎利』か『庵主』じゃねえの?
117日本@名無史さん:05/03/12 20:56:30
女性が5万の兵と3000で戦うか?しかも信越の山を神出鬼没で駈けずり回って決して負けなかったとは?ちょっと考えにくいぞ。
118日本@名無史さん:05/03/12 22:44:22
>>116
必死になって女じゃない女じゃないと反論してくるから、
お前実は女性説に対して相当動揺してるんじゃないのかとからかいたくなってしまうよw
119日本@名無史さん:05/03/12 22:53:41
しかし、やっぱりあの肖像画が余計だったわね、チッ。
みんな萌えない?やっぱり萌えるでしょ?天下ムテキのあたしも
整理が重くてなかなか版図をひろげられない。だけど、
義を守るために今日も闘う。

ああ、そういう小説かアニメを誰か描いてくれないかしら。
これじゃあ、浮かばれないわ。
120日本@名無史さん:05/03/12 22:55:06
戦国最強の武将が、実は麗人だった!!!ああ、なんと萌え萌えな
展開なんだろう。いけないのは光栄だ!!光栄がもっともっと
謙信女性説を汲まないからいけないんだ!!!パパにいいつけてやるわ!!
121日本@名無史さん:05/03/12 22:58:44
>>117
古い例でも女王ボウディッカとか強い女性の例は結構あるよ
122日本@名無史さん:05/03/12 22:59:46
>>119-120
とりあえずもちつけ
123日本@名無史さん:05/03/12 23:01:33
言われてからはじめてギャグめいて騒ぎ出すのも単細胞だな
124日本@名無史さん:05/03/13 13:37:41
>>121
そこまでいかんでも日本には尼将軍北条政子がいるだろ。
まぁでも、女性の場合だとどちらかというと政治家のイメージが付いて周るけどね。
春日局も淀殿も戦場で活躍したというイメージはないし。
甲斐の虎に切りかかって傷をつけたのが女だと言われてもにわかには信じがたい。
125日本@名無史さん:05/03/13 15:48:22
そういえばあの一騎打ちは上杉方も影武者だったという説があるけど
本当なのだろうか
126日本@名無史さん:05/03/15 15:02:59
新潟県歴史博物館の紀要5号「上杉謙信の総合研究」によると
上杉謙信の画像には3系統あって、↓が法体の絵が生前のもの(伝自画自讃像、つまり自画像)。
あの髭面は米沢藩になってからのものだそうです。
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg

あと、状況証拠として↓
信長からもらった甲冑とコート(威毛が少女っぽい三つ編み)
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/2003/photo/030414a.jpg
能を舞ったときの衣装(ほかにも赤いのや金襴緞子のもある)
http://www.sengoku-expo.net/text/tf/images/L/637-cl01.jpg

詠歌
つらかりし 人こそあらめ 祈るとて 神にも尽くす わが心かな
(好きな人がいるというのに、祈る心も届きません。神仏に尽くす私なので、しかたがないのですが)
なれもまた 草の枕や ゆうひばり 裾野の原に落ちてなくなり
(ひばりさん、あなたも私と同じで寝床のない野宿の身なのですね。夕焼けの原っぱに
落ちて、まだ泣いていますか)

源氏物語や伊勢物語を愛読(上洛したときに、太閤近衛種家らに疑問点を聞いている)
安産祈願の居多神社を庇護。女性の護身具である逗子入り持ち仏を戦場に携行。
公家の女房や関東の諸侯(太田資正など)の女性縁者とじっこんにしていた。
喧嘩した相手の成田長康の幼子を抱いてあやしていた(松平記)。
三郎景虎や畠山義隆の家族を面倒見た。喜平次への伊呂波手本と手紙→母性愛強し
状況証拠ばっかだけど・・・。




127日本@名無史さん:05/03/15 19:37:42
>女論者は論理的に一つ一つ反証すること(出来れば学問立てで)

女論者ではないが……。
・元気な人間が、突然倒れて人事不詳のまま4目に亡くなる婦人科の病名
 =卵巣の実性腫瘍:かたいコブのようなもので、その80%が悪性。嚢腫にも
充実性腫瘍にも良性腫瘍と悪性腫瘍(卵巣ガン)がある。腫瘍が小さいうちは、
全く症状がない。(おりものの変化や月経異常などのサインはかなり大きくなって
から)他の病気で受診した際に、偶然発見されることが多い。嚢腫が大きくなると、
おなかの圧迫感、腰痛、しこりなどが見つけられる。さらに大きくなると周りの臓
器を圧迫して排尿排便がしづらくなったり、足がむくんだりする。ときには茎捻転
といって卵管や靭帯がグルッとねじれて、突然激しい吐き気や腹痛が起こり、ショ
ック状態になる場合がある。
・幼女は寺で修行しない。
 =加地春綱に嫁がせられかけて反抗→父為景はやむなく男児として育てた。虎千代
が元服したとき、三男の景康が亡くなっており、元服名の平三景虎は三郎の意味。黒
田信忠の叛乱で次兄景房が殺され、嫡男の晴景も病気。譜代の家臣直江実綱、守役の
栃尾本庄実乃、上杉重臣の大熊朝秀らが上田長尾家への対抗上、景虎を擁立する。古
志長尾家などがバックアップして、兄の養子として春日山城に入る。上田長尾政景を降伏させる。
128日本@名無史さん:05/03/15 19:39:05
>>127のつづき

・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献を複数
 =八切止夫氏の錯誤。旧暦は28日(平均的月経周期)ではなく、閏月に閏日を算入していた。
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしいものがない。
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。
 =八切氏の説では、上杉家において謙信のことを隠さなければならなかった。寛文
年間に大久保忠清が幕閣に「本朝通鑑」を編集させた際、上杉家に史料の提出が求めら
れたが、上杉家には満足な史料がなかった。元紀州徳川家の家臣で軍学者の宇佐美定祐、
吉良義央らが「川中島五度合戦」を編集して提出。この宇佐美は「北越軍談」など講談
ものの著者。だがおそらく、謙信は生前から男性として通していたのが真実に近いと思
われる。よって、名前や戒名はすべて男性名として遺された。 
129日本@名無史さん:05/03/15 20:45:32
>126
肖像画なら、こういうのもあるぞ。まるで尼僧
http://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/bunkazai/nisinzou.html
130日本@名無史さん:05/03/15 23:27:38
うーん、やっぱどう見ても女だよな
尼僧姿は某作家を連想させた
131日本@名無史さん:05/03/16 00:14:03
>129
僧形の人物を描いたのって、みんなそんな感じじゃん。
132日本@名無史さん:05/03/16 00:47:24
>>131
少なくとも、ヒゲは生えてないぞ
133日本@名無史さん:05/03/16 00:55:44
こいつ、女だぜ。やっぱ
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg
134日本@名無史さん:05/03/16 02:06:12
>>128
>おそらく、謙信は生前から男性として通していたのが真実に近いと思
>われる。

だとすると、なぜ伊勢亀山城主の松平忠明(謙信の死因を大虫と記したとされる人)がそれを知っていたのか?
公然の秘密だとしたら、それこそもっとはっきりした記録が残りそうなものなのだが。
135日本@名無史さん:05/03/16 02:24:45
>>134
松平忠明(豊臣氏滅亡以降の大阪城主、のちに亀山城主)が生前の謙信のことを
知っていたとは思われません。何かの伝聞がなければ、書けなかったはず。
彼(忠明)は直接知らなかったからこそ、伝聞で書いてしまったのでは?
上杉家が武家諸法度の手前、
必死になって、謙信が女性であったことを隠したというのが八切説ですが。
そうすると、うすうす知っていた天正期の人々は上杉家を慮って記録に
残せなかったとも考えられます。
136日本@名無史さん:05/03/16 02:44:30
俺は別に女性説派じゃないが
考えてみれば位牌とか登山記録なんて
当時のうちにいくらでも捏造できそうだよなぁ
137日本@名無史さん:05/03/16 06:28:14
>>136
既に捏造が在る。

謙 信 の 位 牌 に 権 大 僧 都 ・ 居 士 な ど と 明 記

いったい何処の位牌に書かれてるんだ?ソース出せやソース!
138日本@名無史さん:05/03/16 07:26:01
>132
剃髪後を描いた肖像画で、ヒゲの無いものは他の人物にもあるしなぁ。
139日本@名無史さん:05/03/16 08:34:59
隣の信虎とか
140日本@名無史さん:05/03/16 10:59:31
前出の新潟歴博紀要5号の長谷川伸氏
「上杉謙信の虚像―上杉謙信画像と要門派越後流軍学の展開」によると、
現存する謙信画像は28点らしい。例のヒゲ面系統は最古のものが、なんと
上杉鷹山の時代。ヒゲなしの最古のが自画像(自讃書あり)、漏れもオンナ
だと思うが。。。

http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg


141日本@名無史さん:05/03/16 11:23:44
謙信の最新画像ならここのフラッシュに入ってまつ
http://oresama-cinema.hp.infoseek.co.jp/sansen.html
142日本@名無史さん:05/03/16 11:51:30
>>135
松平忠明が伝聞で知りえた程度の秘密を、他の多くの人たちが上杉家を慮って記録しなかったというのは、上杉家の位置付けなどを考える限り不自然では?
つまり、上杉家以外の多くの人たちが、なぜ、この秘密を守らなければならなかったかが問題ですよ。

>>137
確か、高野山の上杉謙信霊屋(重文)の位牌に「為権大僧都法印謙信」とあったと思った。居士は知らない。
143日本@名無史さん:05/03/16 12:15:02
「当代記」の記述は「越後景虎歿す、大虫といふ」
だから、明らかに伝聞。当時はすでに謙信の神格化
が始まっていて、徳川宗家の甲州流軍学(甲陽軍鑑)に対抗して
尾張徳川家で要門派、紀伊徳川家で宇佐美派の上杉流
軍学が起こった時期。謙信が女だったとは、知っている
人がいたとしても、はばかられて記録できなかったのでは?
144日本@名無史さん:05/03/16 16:31:47
そもそも女だったと明確な記録が残ってたら
女性説なんて必要がなかっただろうなと思われ
145日本@名無史さん:05/03/16 17:29:50
満足な史料がなかったのはクーデター同然だったから
146日本@名無史さん:05/03/16 18:01:53
>>145
景勝の? 景勝が謙信殺した説があるね。
上杉家に代々伝わる暗い秘密ってのらしいけど、
それこそ謙信が女人だった・・・、ではないかと思うんだが。
147日本@名無史さん:05/03/16 19:26:56
やっぱり墓掘ろうよ墓
性別と死因調べて
ついでに伊達政宗みたいに蝋人形作ろうよ
148日本@名無史さん:05/03/16 20:01:47
>>74 の引用だが、おそレス。
>謙信の名は天正2 年(1574)45歳で上洛した時、高野山にも訪れ、
>その折り贈られた法名であるという。
45歳で上洛なんかしてないぞ。彼女の上洛は天文22年(24歳)と永禄2年(30歳)
の二回だけ。出家(謙信の号)も元亀元年(1570年41歳)、天正2年は二度関東越山。
謙信好きなら常識の範囲だが・・・。

149日本@名無史さん:05/03/16 21:41:02
なーんだ、偉そうに引用してたの、間違いだったんじゃん
150日本@名無史さん:05/03/16 21:56:08
>>148
待て、さりげなく「彼女」って書くな。まだ不明だ。

…とりあえず、「謙信は髭生やしてなかった」まではOKだよな。
151日本@名無史さん:05/03/16 22:01:56
信玄ほどの男なら、同じ空間で対峙した瞬間に、
その発せられたオーラで男か女か判別できるもの。
信玄が謙信について特に何も示唆するもの言い残してないなら、
謙信が女であることはない
152日本@名無史さん:05/03/16 22:08:07
高野山との関係が一番のハードルかな。
弘法大師の真筆まで直々に貰っているし。
153日本@名無史さん:05/03/16 22:44:37
>>151
なるほど…。しかし、その洞察力に優れた信玄は
大の女好き。自分だけの秘密にしておいて、ひそかに
謙信への思慕を育んでいたとしたら、不毛で徒労な川中島対陣も
理由が見えてくるかもしれんな。
>>152
それは問題じゃないと思うぞ。大量の金品を奉じた相手に、
女だからダメだとは言えないし、
「何だと、わたしは男だぞ。何なら調べてみるか?」
とか謙信に言われたら、高野山側も遠慮するだろう。
154日本@名無史さん:05/03/16 23:07:02
>150
>…とりあえず、「謙信は髭生やしてなかった」まではOKだよな。

まぁ、髭の描かれている武将も付け髭とかの可能性はある訳だが。
155日本@名無史さん:05/03/16 23:17:18
>154
うん? それは、謙信が付け髭をして、家臣や武将を
騙していたという推論にもなるのでしょうか?
少なくとも、内裏での帝への拝謁や高野山参拝の時とか
戦場でも。「漏れは男なのです」と。
156日本@名無史さん:05/03/16 23:31:03
>155
付け髭は肖像画を描くときの話だよ。
まぁ、威厳があるように見せるため秀吉なんかはそれ以外でも付けていたというが。

そもそも世の中には髭が薄い人もたくさんいるんだし、
髭が描かれていないことは非常に脆弱な根拠にしかならんな。
157日本@名無史さん:05/03/16 23:39:19
>>156
どっちにしても、林泉寺のは謙信の自画像なんだから
これまでヒゲ面で流布してきた上杉家の肖像画(江戸末期)
のは否定されるわけだ
158日本@名無史さん:05/03/17 00:14:22
もう髭の件はクリアしたってば!
159日本@名無史さん:05/03/17 02:11:14
他板からだが、こんなのあった。URLもダメだが。。民間伝承のたぐいか?

223 :無名武将@お腹せっぷく :04/12/14 17:47:53
こんなのあった↓

ttp://otdi5.jbbs.livedoor.jp/kitou/bbs_plain

この冬、八切止夫氏の「上杉謙信は女だった」を読みました。
実は、30年以上前、新井に住む叔父につれられて
春日山近くのあるお宅におじゃましたとき
そのおじいさんから、「謙信公は実は女性だった」と
聞かされたことがあります。
その家は謙信公が亡くなったあと、
「きへいじ様といくさになり、まけてみじょうをおいだされてた」
(今考えると御館の乱?)
と言っていました。
その時は、なぜ叔父がそのようなところへ連れて行ったのか、
また、なぜそのおじいさんがそんなことを私に話したのか
判りませんでしたが、実はこれが私が歴史好きになったルーツ
かもしれません。 
そんなことを、ふと思い出しました。
160日本@名無史さん:05/03/17 02:30:43
>>74の霊宝館HPのソースがどこだろうね。
幼少の頃、寺に預けられたってのも、その住職に近い人の家で育てられたって味方もできるし。
むしろ、大名の跡を継ぐ可能性がある子供が、簡単に寺に入れるかって方が疑問だ。

それ以外の現状では、女性武将なんてありえない=だから男性って意見が殆どだと思う。
状況的には女性っぽいな。
161日本@名無史さん:05/03/17 02:58:38
>>160
とりあえず、寺には入れるんじゃねーの?
今川家とかみたいに、御家騒動を生まない為に嫡男以外を寺に入れる家だってあるし。
162日本@名無史さん:05/03/17 03:19:21
謙信が女だったのなら
幾ら兄貴が凡将であっても
家督を兄から妹に家督を譲らせるような
判断は流石にしないと思う・・・。
163日本@名無史さん:05/03/17 04:52:39
いくら上田長尾の乗っ取りを防ぐためとは言っても
府内分家には小四郎景直とか弥五郎景通とかいたし
164日本@名無史さん:05/03/17 05:20:50
天才的な軍事的才能を持った謙信が、
実力主義の戦国時代の中で、長尾家の中で自然と権力を握るようになったと考える。

今川家みたいに、長男以外の男子を寺に入れるって考え自体が戦国時代にはレアだと思う。
165100:05/03/17 05:39:37
井上馨女性説
板垣退助女性説は?
166日本@名無史さん:05/03/17 11:36:40
>謙信が女だったのなら
>幾ら兄貴が凡将であっても
>家督を兄から妹に家督を譲らせるような
>判断は流石にしないと思う・・・。

はぁ? 兄の晴景は景虎(謙信)が家督を継いだ
5年後(天文22年)に病気で死んでますが。すぐ死ぬほど病気がち
だったから、やむなく妹を武将にしたのでは?
167日本@名無史さん:05/03/17 12:31:29
>>142
上杉謙信霊屋(重文)の位牌に「為権大僧都法印謙信」

それが出ると思ってたよ。でもさその廟は景勝死後に出来た物なのだから八切説
に対しての反論の要素に出すのは不適切じゃあないのか?
八切は謙信死後の上杉家が謙信=女を隠したって主張してるんだから。私は、別
に謙信が女なんて思ってはいないが、反論者持ち出す資料が不適切すぎる。幼少
の頃寺で修業し還俗させられた。って言うのもちょっと変。同じく還俗した義元
や隆信、義昭等々は僧籍としての名が有るよな。謙信は出家してた訳じゃ無いん
だから還俗じゃない。

謙信の幼少の頃寺で修行は、漫画の一休さんで出てくる千代坊(女の子)レベル
であって一休さんレベルじゃないんだよ(プゲラ
168日本@名無史さん:05/03/17 14:03:47
喝食ってことか
169日本@名無史さん:05/03/17 14:22:30
>>167
なるほど…卓見だな。
ところで、鎌倉時代から南北朝にかけて女性が甲冑を着て
戦うのは珍しくなかったそうだ。越後の城氏の板額御前とか。
戦国時代では伊予大祝水軍の鶴姫、美濃岩村城の艶御前(信長の叔母)
光成や幸村を退けた忍城の成田甲斐姫(のちに秀吉側室・秀頼乳母)
関が原の合戦に従軍した家康の側室英勝院(お梶→お勝)
正規に家督を譲られたのは、立花ギン千代(のちに道雪と結婚)
武田信玄の側室根津の方(新田次郎の小説では里見)
170日本@名無史さん:05/03/17 17:11:35
>>151
実は信玄も女性なんだよ。
171日本@名無史さん:05/03/17 18:00:33
>立花ギン千代(のちに道雪と結婚)
おい……。
172日本@名無史さん:05/03/17 21:00:48
更なる燃料投下。

@戦国女性の追加。今川寿桂尼(通称 女戦国大名)大乗院阿南(須賀川の女城
 主として、政宗をてこずらせた)常山城女軍の戦い(児島常山合戦)

A上杉家では代々、女性には長女・於亀、次女・於虎と名前を付けるのが
 しきたりであった?(謙信の通り名は阿虎?直江兼続の養女も阿虎?米沢
 藩二代藩主上杉定勝の次女が阿虎?)

B姫鶴一文字(謙信の愛刀)
173日本@名無史さん:05/03/18 00:13:03
>正規に家督を譲られたのは、立花ギン千代(のちに道雪と結婚)
宗茂と結婚が正しい。道雪はギン千代姫の親父だろ。
174日本@名無史さん:05/03/18 00:44:05
>>172
の@、神!
175日本@名無史さん:05/03/18 01:06:38
>>153
>「何だと、わたしは男だぞ。何なら調べてみるか?」
>とか謙信に言われたら、高野山側も遠慮するだろう。

ワロタ
176日本@名無史さん:05/03/18 01:17:42
謙信が女なのが公然の秘密だったっというのはどう?
レズというか今では性不一致なんたら?

もちろん対外的には男ということで高野山にも入山したと。
177日本@名無史さん:05/03/18 01:46:44
>>176
性同一性障害だったら、女ながら毘沙門天の化身として男武者ぶりを
発揮したということになるな。けど、それゆえに女であることを
秘匿したんでは? レズというより、男に組み敷かれるのはイヤだが、
美少年は好きだった、ではないだろうか。母性本能を感じさせる手紙や
史料は少なくないし。
そのいっぽうで、本当は男だったが性同一性障害で、女モノの小袖や
派手な衣装を好んだ。男なのに母性愛があった? というのもありか。
どっちにしても、普通の男ではないな。琵琶弾奏、漢詩よりも詠歌好き、
源氏物語や伊勢物語を愛読、人前でも涙をはばからなかった、青蓮院流の
流麗な書、金襴緞子や赤いビロードの服、余六や三郎など美少年を愛した。。
178日本@名無史さん:05/03/18 02:17:01
しばらく見てなかったら結構議論されてるね!
結局どっちの説が有力になってきたんだ?
179日本@名無史さん:05/03/18 02:56:52
>>178
有力も何も、もともと女性説なんて遊びでレスしてるだけ。

ここのスレ主で如何こう出来る訳が無い。古文書が読めて上杉系の史料はもとより
郷土史も引っ張り出しては読み、しかも未発表の史料を発見するくらいのバイタリ
ティーがあって、それを発表できるだけの社会的地位と才能が始めて何々説なる
ものを世に問うことが出来る。でも今あるピースじゃあ、もともと女性説なんて
成り立ってない。成り立たないものは幾ら議論したって意味が無い。故に妄想、
萌えの為だけの妄想スレ。
180日本@名無史さん:05/03/18 03:06:10
>>179
スレを全部読んでから負け惜しみを言え
男性説の大半が論破されてるじゃないか
喪前の文章は読みにくいというか、ほとんどラリってるぞ(WARAI)
181日本@名無史さん:05/03/18 03:14:25
>ここのスレ主で如何こう(ように論じることが?)出来る訳が無い。
>古文書が読めて上杉系の史料はもとより郷土史も引っ張り出しては読み、
(どの史料を読めというのか? わからんぞ)
>しかも未発表の史料を発見するくらいのバイタリティーがあって、
(未発表の史料って、誰が未発表なのか? 未発見の間違いでは?
 レスでここまで論じてきたバイタリティーはあると思うが)
>それを発表できるだけの社会的地位(社会的権威が必要なのか?)と
>才能(どんな才能が必要なのだ?)が始めて何々説なるものを世に問うことが出来る
182日本@名無史さん:05/03/18 03:41:45
別に女なら女でいいけど
なんで男みたいな名前にする必要があったの?
183日本@名無史さん:05/03/18 05:46:35
最低でもスレを読めよ
184日本@名無史さん:05/03/18 06:17:51
なんかまとめっぽいサイト見つけたよー。

http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm
185日本@名無史さん:05/03/18 10:28:15
>それを発表できるだけの社会的地位(社会的権威が必要なのか?)

これはあると思うぞ。つまり、偉い人が言ってるから
正しいのだという没主体的な立場なのだが。
たとえば、設楽原(長篠)の鉄砲3000挺3段撃ちも騎馬軍団突進説も
完全に論破されてるのに、論争を回避する学者たちはいまだに勝頼
アフォ説を垂れ流してるし。大半は江戸中期に作られた上杉謙信の
「男らしい」偶像に乗っかってる現状では、女性説も面倒がられる
んだろうな。江戸時代同様に、謙信が女では困る人が多いわけだ。
そもそも女性説の源流が先住渡来民族史観の八切先生だから、相手に
されないのかね。
186日本@名無史さん:05/03/18 15:16:47
そろそろ、このスレでは、謙信は女性だったという、
統一見解が出たという事でいいのかな。
187日本@名無史さん:05/03/18 15:33:18
結論が出たら、こっちに遊びに行く
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50
188日本@名無史さん:05/03/18 16:55:14
>>187
三戦かw
そういえば三戦の支援FLASHで実は謙信女の子とかいって女謙信の絵があったな
189日本@名無史さん:05/03/18 21:38:16
>>172の@
八戸南部の清心尼(八戸直政室・最後の女大名)は戦国から少し時代がズレるか?
190日本@名無史さん:05/03/18 21:53:51
>>189
ttp://toraneko.cside.com/newpage17.htm
ホントだ。初期とはいえ、幕藩体制下で女大名がいたとは・・・。
191日本@名無史さん:05/03/18 22:16:08
女性が女性のままで多々活躍しているのを見ると、
わざわざ男性として生きる必要は無かったのではないか、と謙信女性説に反論してみる。
192日本@名無史さん:05/03/18 22:51:42
>>191
謙信の時代の越後は国人領主連合だったので、守護職が女では
マズかったから隠した。謙信は男になりたかったと反論してみる。
193日本@名無史さん:05/03/18 23:26:48
うーむ・・・
194日本@名無史さん:05/03/19 00:39:18
謙信は男だった。つまりニューハーフ。これですべての謎が氷解するだろ。
195日本@名無史さん:05/03/19 00:45:57
>>194
はぁ? 女装癖があったとか、何らかの薬草を飲んでオパーイを
大きくしたとか、そういうことを言いたいのか? で、最愛の男は
誰だったというのか?
196日本@名無史さん:05/03/19 01:20:21
>最愛の男

前半生は直江実綱、後半生は河田長親かな。
197日本@名無史さん:05/03/19 01:39:54
やっぱ若いころは実綱か。景家じゃなぁ・・・。
小島弥太郎はどうなのかな。長親はもちろんだが、晩年は北条三郎かも。
近衛前久の求愛は迷惑だったのか? 足利義輝亡き後は、義昭なんぞには
食指が動かず、上洛しなかったとか。ほかに太田資正、佐竹義重。
肝心の信玄は、どうだったのだろうか。。。
198日本@名無史さん:05/03/19 02:49:07
>>197
うむ、景家ではな。
近衛前久は乱交パーティの主催者なイメージだよw
謙信タソはゲスト参加ってことで。
晩年のお相手が三郎だったなら、もう二十歳半ばも過ぎていい歳になってんだから、
直属の兵力を与えて後継の地位を万全にしてやれば良かったのに。
そう思うと微妙。
むしろ中条家に強引に養子に逝かせた吉江景泰とか、
ご寵愛の小姓組メンバーがお相手としてはガチではないかと。

で、生涯通じて秘めた想いの相手が信玄、弥太は健気な下僕系。
って何を熱く語っているのだ自分
199日本@名無史さん:05/03/19 11:20:17
ロマンがひろがるなあ
200日本@名無史さん:05/03/19 12:37:33
>>19
おお。大名は男でなければならないという反論への反論を、
そのような形で男性説に転用するものが現れるとは。

だが、そこまでいくと、更に逆に、いよいよ謙信=女性というのは確実になってきたという感じだな。
201日本@名無史さん:05/03/19 15:10:17
上杉謙信の遺骨って残ってないのかな。
もしあればDNA鑑定でもすればハッキリすると思うんだが。
伊達政宗の件もあるし、偉人の墓を開けるのは社会的に許されないわけじゃないだろ?
倫理的にはどうかとは思うけどさ。
202日本@名無史さん:05/03/19 16:13:09
>近衛前久

戦国時代の和田サン?
203日本@名無史さん:05/03/19 16:31:55
じゃあ、俺が調べてくる。
墓どこ??
204日本@名無史さん:05/03/19 18:52:52
>>200>>191へのレスか?
205日本@名無史さん:05/03/19 19:52:26
>203
米沢林泉寺の上杉廟だが、一度伽藍が焼けているので現存しているかどうか。
謙信の遺体は、大きな甕に甲冑を着せたまま蝋と漆で密閉したといわれている。
もし当時のまま保存されていたら、腐敗しないで残されているかも。
現在の上杉家は財団法人だから、申し入れてみるといい。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~nakayuki/sub4.htm
206日本@名無史さん:05/03/19 22:01:55
もし、彼女が生前のままの美麗な(松平記)姿で保存されてたら
今世紀の初頭を飾る歴史的ニュースだね。
207日本@名無史さん:05/03/19 23:18:13
>謙信の遺体は、大きな甕に甲冑を着せたまま蝋と漆で密閉したといわれている。

持ってまわりすぎてるな
カラなんじゃねーの
208日本@名無史さん:05/03/20 00:33:49
わたしもカラだと思う。
209日本@名無史さん:05/03/20 01:10:20
いつの間にか良スレになってるな
210日本@名無史さん:05/03/20 03:03:05
ttp://www.liar.co.jp/frechara.html

こういうゲームキボン
211日本@名無史さん:05/03/20 18:27:43
きもい
212日本@名無史さん:2005/03/21(月) 09:21:20
漆は水分を吸い取るから干物になって軽くなってるとか?
213日本@名無史さん:2005/03/21(月) 18:04:57
>>207
従来どおりの上杉謙信男性支持者はカラのほうが都合が良いからなぁ
214日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:33:54
215日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:55:29
>>184
これもある
216日本@名無史さん:2005/03/21(月) 23:31:56
結論から言うと♀であったろう。
但し、死後♂として奉らねばならない
何らかの理由が有った。
生前は本人も含めて♀で有ったことは
公然の事実であり特に隠し立ては無かった。
隠す理由も無かったと思われる。
217日本@名無史さん:2005/03/21(月) 23:51:23
八切止夫以外の人間が言い出したのなら、まだ信じたんだけどなぁ。
八切止夫の本は事実誤認が多すぎてネタにしかならんから。
218日本@名無史さん:2005/03/22(火) 10:10:47
八切止夫の事実誤認が多いのはたしかだが、信用のある人が唱えだした説なら
信じるというスタンスはどうかと思う。
たとえば過去に信用のあるゴットハンドさんが発見したことだからといって、
少しおかしいかな?とおもいつつ、みんな鵜呑みにしていたという例もある。
重要なことは、自ら常に真実を見出そうという目を持つことじゃないのかな?
歴史学という学問に対する資料や情報というものは常に玉石混交であり、
信用のある人物の説であっても怪しければ疑い、信用のない人物の説であっても
もっともであれば深く議論することで、真実と事実に少しでも近づけると思う。
それができない人は、教科書だけ読んで通ぶって人という印象をぬぐえない。
219日本@名無史さん:2005/03/22(火) 12:44:38
いや、だからDNA鑑定しようよ。要請くらいは出来るだろ?
学者でも2ちゃんねらでも話し合っても集まるのは状況証拠しかなく
性別をハッキリさせるのは物証しかない。
220日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:09:36
やりたきゃ勝手にやればいいじゃない
221日本@名無史さん:2005/03/22(火) 18:27:04
すげぇ盛り上がってる!
なんつーか1000行く話題だったんだな。
結果どうなるか楽しみ
222日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:56:04
男で有っても女であっても、歴史は変わらないし未来も
変わらない。どっちか分からない方がロマンが有ってよろし。
歴史はロマンです。事実の積み上げも大事だが、想像に
夢馳せるのも歴史の楽しみだと思う。
一番興醒めなのは、決め付けと独断で史実を断定してしまうこと。
別話であるが家康が4人も居たなんて、面白いじゃないか。
他に明智光秀が生き延びたという話も有るし、天草四郎時貞の父が
豊臣秀頼という話もある。
223日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:10:43
>事実の積み上げも大事だが、想像に
>夢馳せるのも歴史の楽しみだと思う。

日本史板って、何かにつけてソース出せ!
それは小説だろ?とかすぐ言うしね。
まぁ日本史板だし、それが嫌なら来るな!って思うシトいると思うけど、
あなたのレス見て救われたよ!
224日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:13:09
・・・ん?
積み上げた資料等から想像を膨らますってことじゃなかったのか。
225日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:14:37
>>224
そうですね
226日本@名無史さん:2005/03/22(火) 22:37:42
まあ一番確実なのはDNAなんだが、DNA鑑定云々っていうのはちょっと
難しいかもしれない。
上杉謙信っていうのは信仰の対象になってる感もあるし、財団のほうとしても
なかなかOKは出さないだろうと思う。
俺らにできることは上杉謙信が女なのかもしれないという可能性を議論をすること。
この説を唱えだしたのが怪しげな八切止夫であるならば、彼の提示した資料に
誤認がないか、変な解釈はないか、と資料をひとつひとつ洗うこと。
また八切止夫以外の資料を持ってきて男の可能性、女の可能性を検証していって、
上杉謙信は女のであったという可能性が大きいという流れになれば、将来的に
上杉謙信のDNA鑑定の許可も下りるんじゃないかと思う。
そうなればこのスレと住人が、歴史の真実を解き明かすきっかけのひとつに
なるわけで、それはそれですばらしいことなんじゃないかな?
227日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:11:17
女性説でまず検証できそうなのは
・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
の2つかな。
前者は年譜や家譜を見れば調べられそう。後者は…どこにあるんだろう?
228日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:37:52
>・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
旧暦に改めてみたけど、無理がある。大陰暦でも毎月が28日(女性の平均周期)ではないし、
365日なので毎年1日ずつ狂って行くんだな。
>・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
文献では、おそらく東洋文庫あたりに入ってるんじゃ? ちょっと、調べてみるね。
それよりも、越後のゴゼ唄伝承の明文化された史料がないかなあ。

>>226 激しく同意しまつ。
229日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:19:37
謙信が女なら憲政が家格がカナリ高い
上杉姓と関東管領職を譲る訳がないと思う。
いくら女謙信が有能でも「女」なら譲らないっしょ。
代々男が受け継いでるものなのに。
昔はそういうのが非常に厳しかったんだよね?
230日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:27:14
>>228
いわゆる旧暦とされている太陰太陽暦の月平均日数はおよそ29.5日です。
しかしこれだと一年が354日となり、実際の1年より11日ほど短くなるので、
約3年に1度「閏月」を作り、1年13ヶ月となる年を設け、暦と季節の関係を
調整するのが旧暦です。
このことと女性の平均月経周期が28日であることと照らし合わせると、毎月
10日前後に〜というのは特に矛盾することではないかと思います。
月経周期と暦の関係については、過去に月の替わりと月経周期が一致する女性を、
巫女の選定基準にしていたという地域もあります。

同意感謝。
231日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:31:33
>>229
はぁ? 2流戦国大名の佐竹に管領譲渡を断られ、宿敵の越後長尾に
すがった上杉憲政が「家格がカナリ高い」?? 時価は相当低かったはず。
尾っぽ打ち枯らして越後に逃げてきた管領様に、女武者の謙信は
付け髭でもして「わたくしに任せなさい」と返答したと思われ。
232日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:31:43
ちょっと検索して調べたが
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
の報告書はスペインで見たとあるなぁ。原文を確認しようがないじゃん。
233日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:42:18
>232
誰か、スペイン人の歴史学者に知り合いいないか?
もしくは、スペイン在住の歴史好きの友だちとか
234日本@名無史さん:2005/03/23(水) 01:30:59
>>229 >>231
扇谷上杉が後北条に滅ぼされ、武田と後北条に圧迫された
山内上杉の命脈を保つために、逆らったけど従来からの配下(越後長尾)
に頼み込んだのが実態だろう。どうにもならない管領家を受け入れ、
北信濃衆も受け入れ、摂関家の御曹司のわがままを聞いてやった謙信は
やっぱ優しい心根の女だろうよ。その反面、泣き虫で短気なところも。
235日本@名無史さん:2005/03/23(水) 01:36:05
女を当主にしてまで追い落とさなければならなかった程の無能ぶりなの?晴景は。氏真だってちゃんと当主やったのに
236日本@名無史さん:2005/03/23(水) 01:46:22
>235
相続から5年後に病気で死んだんだから、
「無能ぶり」というよりは「もう無理」だったんでは?
晴景の息子は早世したし、次男の景康三男の景房も死んじゃったし。
一説には亀姫(綾姫=仙洞院・政景室)のほうが荒武者で、男まさりの
女だったとも言われている。
237日本@名無史さん:2005/03/23(水) 02:58:08
科学的な検証をしないのは女性であることがバレると困る人達がいるから
238日本@名無史さん :2005/03/23(水) 07:04:31
>>237
そりゃあ被害妄想すぎる。幕藩体制下なら用心の為、或いはそう云う事もあった
かも知れないが、今の時代検証しない理由は経済的な事や検証する事情が弱いか
らではないかな?必要であれば幾らでもするだろ。

そういえば昔、「天皇陵に調査を入れないのは困る人達がいるからだ!」って
盛んに聞いたな。まあ、孝明天皇暗殺説やら明治天皇替え玉説なんてのも在る
し。また考古学好きの学生たちの中には大山古墳に泳いで渡った奴か居るとか
時々噂が出るよね…
239日本@名無史さん:2005/03/23(水) 08:43:24
景虎は請われて上杉家を襲名したと思われる。
既に当時、彼女?は最強の勢力を誇る軍団を率いていたし
人望も厚く知性教養、軍事のすべてに於いて他勢力を圧倒していた。
余談であるが、物品等の贈り物が大好きで、高価な品々を、
上洛しない代償として信長から貢がせていたのは事実。
姻戚略が無理なので、信長も調略にかなり苦労したのは想像に難くない。
240日本@名無史さん:2005/03/23(水) 10:15:30
ねぇ女で越後の国人達をまとめるなんて
普通無理なんじゃない?
男尊女卑の時代でしょう?
言うこと聞かないと思うんだけど。
241日本@名無史さん:2005/03/23(水) 10:21:20
とりあえず長尾為景の代から仕えていた
柿崎景家をぬっ殺してしまった
謙信は行動的に意味不明な点も多い。
242日本@名無史さん:2005/03/23(水) 10:26:12
戦に出てた謙信は影武者で
城に居た本物は女。
243日本@名無史さん:2005/03/23(水) 11:19:48
上杉謙信って泣き虫だった?
感情の起伏が激しいとか聞いた事あるが…
244日本@名無史さん:2005/03/23(水) 13:15:29
>男尊女卑の時代でしょう?
江戸時代じゃないんだから、女でも家督を継げたし城主にもなれたよ。
>柿崎景家をぬっ殺してしまった
事実じゃないらしいよ。
>上杉謙信って泣き虫だった?
平家物語を聞きながら、ボロボロと涙をこぼしたらしい。
人前で泣くのもはばからなかったとか。

245日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:46:13
>>234-235
相手が女だからこそ、高い家格にもかかわらず譲ったとも考えられる。
男なら、譲ったらそれっきり家名を乗っ取られることになる。
しかし女なら、跡継ぎがない以上、家名はこっちの親族に戻ってくる。
仮に養子をとったり、結婚して出産したとしてもその子は男系の家名を
継ぐ可能性が高いと踏んだんではないかな?あるいは最初から一代限り
という約束があったのかも知れぬ。
246日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:20:24
>>245
なるほど、御館の乱で上杉憲政が調停に乗り出した(殺されたが)
のは、そういう伏線が考えられますね。景勝の上杉姓が送れたのも
説明がつきます。卓見ですね、245様。
247日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:22:57
上杉謙信の墓は新潟県上越市林泉寺にあるそうだ。
この中の遺骸が男か女か・・・それがこのスレで語ること。
物的証拠はある。未知なる道へ踏み出すかどうかは、歴史家だけが決めることだな。
http://www.m-network.com/sengoku/haka/kenshin450h.html
248日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:24:18
憲政は北条からきた養子を庇ってましたね
249日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:25:27
憲政は越後で子供こさえたという説もある
250日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:41:20
男なら、やっぱ一番カッコいい武将だし、
女なら、女ですげえ人だよな。

謙信は神
251日本@名無史さん:2005/03/23(水) 20:10:23
>>247
そこ、遺骸(甕棺入り)はないぞ。
米沢の上杉廟にあるが、上杉神社にあったころ一度火災
に遭ってる。
252日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:43:59
戦で頭巾かぶってたのは
影武者が出てることがばれないための工夫
253日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:46:36
車懸りの陣は正に輪姦に等しい。
254日本@名無史さん:2005/03/23(水) 21:55:09
男がこんな羽織着るか?

http://montitti.cool.ne.jp/_private/kurenai.htm

255日本@名無史さん:2005/03/23(水) 22:58:04
わたしとしては、こんなドレッシーな装束で謙信サマが能を舞ったかと
思うと・・・。伝上杉謙信所用羽織
http://www.sengoku-expo.net/text/tf/images/L/637-cl01.jpg
256日本@名無史さん:2005/03/23(水) 23:26:27
謙信はとにかく何でも受け入れて大事に出来る性格なんだと思うよ
常識を超えて器の大きい男なんだよ。だから頼りにされまくってるだろ
村上義清や上杉憲政は駆け込み、寺にばっくれたら家臣が土下座で懺悔
生涯戦いあった氏康も、果ては信玄にすら・・・
穿った見方はよくない

-謙信の十のうち二つは大悪人で、怒りにまかせて事をなすのは非道
残り八つは大賢人で、猛勇、無欲、清潔、大器量、廉直で隠さず、明敏、
下には慈悲、忠諫をよく聞き入れ、乱世に得難い名将-
257日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:02:47
武田信玄みたいに男色はなかったの?
258日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:02:49
穿った見方って?
女将であったとすれば穿ったと言うことになるのか?
たとい謙信が女であったとしても謙信の武功や治政、器量を
貶めるものでも何でも無い。むしろ時の民衆や家臣団の鷹揚さや
人の本質を見極める力が有った証左である。
そういった資質(常識に囚われない人材の見極め)こそ現代人
に欠けているものでは無かろうか?
当時の民衆が、小泉純一郎を棟梁として担ぎ上げる事は
有り得ないでしょう。市民意識は現代人の方が明らかに低い。
259日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:11:58
女性ならではの短慮だが生真面目で、優しい人だったんでしょうね。
権謀術策が渦巻く戦国乱世に、あれほど諸侯の信頼と尊敬を得たのだから。
その代わり、不届きな国人領主の謀反や信玄の謀略で損をすることも多かったが。
260日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:27:01
謙信は義将だの聖将だのと大昔から絶賛されてるね。
これに匹敵する英雄は源義経か楠木正成くらいじゃね?
男でも女でも、まさに神であることに変わりないよ。
謙信が男だろうが女だろうが漏れは憧れ崇め続けるね。
261日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:34:06
>>260殿
御意! 同感にござる。
262日本@名無史さん:2005/03/24(木) 02:09:26
確かに、謙信公のまどろっこしさも清廉さや短気も、女だったら
納得がいくというか・・・。萌えるし。
263日本@名無史さん:2005/03/24(木) 06:45:48
細木数子みたいな感じだったかも?
それとも鈴木そのこ?土井たかこ?
和田アキ子?田中真紀子?
ひとつだけいえる事は、謙信は北条政子を尊敬していた。
264日本@名無史さん:2005/03/24(木) 11:49:56
源義経に心酔していて、趣味は戦術を考える事だったと聞いているが・・・。
265日本@名無史さん:2005/03/24(木) 14:01:23
しかし女だったら毘沙門天というより弁天様だよな…
266日本@名無史さん:2005/03/24(木) 14:43:17
平家物語も好きだったが、源氏物語の光源氏や
藤原定家にも心酔していたらしい。上杉家を継いでから
「藤原輝虎」の署名が多いのは、そういう理由だろうか。
弁天様よりも吉祥天だろうな。
267日本@名無史さん:2005/03/24(木) 15:19:09
しかし上杉と多く戦った武田側の資料には
謙信が女であるという資料が無いのは何でだろう。
女で武将、しかも強かったのなら
その珍しさから女でありながらなんとかかんとかって書いても良いとは思うのだが。
268日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:15:14
このスレ初めから読むのが面倒な人はこれ読むといい
 ↓
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm

それにしても、これ丸写ししただけで、あたかも自分で調べたかのように
書いてる人、けっこういるねw
269日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:33:30
>>267
武田側史料って、江戸時代に書かれた「甲陽軍鑑」とかの
ことか? そもそも高坂昌信なる人物が春日源助虎綱を無理やり
モデルにしたように、武田氏の史料なんて残ってなかったんだよ。
軍鑑には、よく読むと北条景虎を謙信と間違えてる個所もあるし。
北越軍談や上杉史料(川中島五度合戦)の宇佐美定行とか小島弥太郎
の実在性の程度に、女謙信は状況証拠を重ねて行くしかないはず。
いままでの通説は、大半が江戸時代の史料がもとなんだから。
270日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:39:20
>>268
八切説のまとめなら、肖像画の個所はデタラメだぞ
謙信の自画自讃像の概略はこのスレを全部読め!
271日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:58:38
謙信が女?笑わせるわ!
だったらもっと史実が残っているだろ?そんな珍しいもん。
ふつーーーーーーーーーーーーーに考えろよ?女だったら俺がハラキリしたる!

男だったら一人一人俺が抹殺しに行くからな。
272日本@名無史さん:2005/03/24(木) 18:09:49
>>271
内容で反論しろ、中身なさ杉。何も史料が残ってないから
情況証拠で女性説が有力なんじゃないか

※アフォが入り込んでスレが汚れるので、sage進行願います。
273日本@名無史さん:2005/03/24(木) 18:22:52
上杉謙信って七支刀使ってた人?
274日本@名無史さん:2005/03/24(木) 19:57:14
「秀吉は人間じゃなくチンパンジーだった!?」
「豊臣秀吉=チンパンジー説を今こそ語る」

誰か立ててくれ。
275日本@名無史さん:2005/03/24(木) 20:22:49
>272
sage進行でも、アホはまぎれ込むってばw
276無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 21:59:54
おいおい、なんか三戦板くせぇぞ!上げんなよ無学野郎!
      __,,,,.. --_─_一_-_-、-、、,,,,__      ギリ
ビキ  ,r'´-_-_‐_‐_‐_‐_-_-、`-、ミ`ヽ ヾ`ヽ、
   /,r',.-_‐_‐_‐_‐_-_-、ヾ ヽ ヽ丶、`ヾ 、ヽ
  /(.'´_-_‐_‐_‐_-_-、ヾヽヾ ))) ), )) ) )),)))ヘ
 l(i,i'´⌒ヾトヽ、ヾ ヾ ヾ ))_,ィ,'イ」〃川 jノjノjノ}
 !iゝ⌒))}!ヾヘヽ ),ィ_'イ」〃'″  フ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l   ビキ
 ヾ、ニ,,.ノノ〃ィ"::::::::::::::     /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!
        /  ノ'' ll ''ヽ ノ( |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
        | (●) (●)⌒ .\;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
        |  / ̄⌒ ̄ヽ          |
        |  | .l~ ̄~ヽ |          |
        |  ヽ  ̄~ ̄ ノ          |         !?
        |    ̄ ̄ ̄           |
277日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:11:38
まともに論ずるのはもちろん、ネタとしてもイマイチだなぁ。

三戦向きかどうかもわからんが、TVドラマのネタくらいにはなるんじゃない?
謙信にも姉妹くらいいただろうから、毘沙門堂にこもっちゃった間、その姉妹が指揮を執るとか。

278日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:25:41
>277
はぁ?
謙信に妹はいなかったし、姉の綾御前は長尾政景室(坂戸在城)ですが?
あなたも内容のない組なのですか?
279日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:04:50
みんなとんでもネタをサカナに楽しんでるのに、必死で女説を否定したり、
逆に
>272 みたいに
>何も史料が残ってないから 情況証拠で女性説が有力
なんて恐ろしく強引なカキコをみると激しくひいてしまうわいなw
そもそも情況証拠という言葉の意味位、辞書で調べてから使ってほしいね。

ま、この説の発端は、矢切が謙信の羽織をみて、はたと閃いた(思いついた?)
説なんだけど、結構面白いよね。
280日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:07:46
>>279
八切としては、謙信女性説と政宗女性説のどちらを先に唱え始めたのだろうか。
281日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:25:43
政宗女性説って愛姫が政宗の代わりに戦に出てたってやつだったと思うけど、
あれって後年愛姫が人質に行ってからはどう説明付けてるんだろ?
人質に送ったのは偽者とでもいうのだろうか。

まぁ、スレ違いなんですけどね。
282日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:30:12
>>297
はぁ?
>ま、この説の発端は、矢切が謙信の羽織をみて、はたと閃いた(思いついた?)
>説なんだけど、

違うぞ、八切の疑問の発端は白山神社だろw

>情況証拠という言葉の意味
自分で解説してみろや! わからなかったら、恥晒せになるぞ
答えられなかったら、教えてやるが

283日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:40:51
このスレ、謙信女説の厨房が常時待機してるらしく。
生半可な知ったかは、激烈に排撃されますなあ。
おお、怖い。退散しまつ。
284日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:58:10
分析してみたが、>>272に「内容がない」と批判された>>271の正体が>>297
だな
285日本@名無史さん:2005/03/25(金) 03:20:20
>>297
期待してるぞ
特に>>271 頑張って>>297を取ってくれ
286日本@名無史さん:2005/03/25(金) 09:18:38
分析してみたが、>284の正体は予言者だな
287日本@名無史さん:2005/03/25(金) 11:30:11
まぁ、このスレでも小説家でも学者でもそうだけど、説を立てたらそれを立証できなくては
歴史家とは言えないんじゃないか?
288日本@名無史さん:2005/03/25(金) 12:50:58
>>20
性別をわざわざ報告するんだから
やはり女性なんだろう
289日本@名無史さん:2005/03/25(金) 13:25:42
>>281
八切説の大要は、
奥州を席巻した猛将独眼竜政宗とその部将=愛姫と田村から付いて来た家臣たち。
朝鮮で役立たずと蔑まれ、上杉に負け南部にちょっかい出して失敗して百万石をふいにして、
大坂では同士討ちをやらかしたヘタレ政宗とその部将=藤次郎と伊達譜代の家臣たち。
史上言われる毒殺未遂事件で実は愛姫が毒殺されていた。
上方には知り合いがいないのをいいことに都に人質に送ったのは身代わり。
だそうですが。
290日本@名無史さん:2005/03/25(金) 16:30:44
謙信が女だったのは結構納得できる部分があるけど
政宗が女だったってのはちょっと抵抗あるなw
291日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:14:25
名護屋城に入場行進した時、政宗は自分が背が低いので
愛姫に騎馬させて影武者にしたって話は本当らしいよ
カッコいいと評判を取ったそうな
292日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:53:59
>>289
サンクス。
その説だと愛姫腹と言われる五郎八姫とか忠宗とか宗綱とかは
一体誰から生まれたことになってるんだろうな。

>>288
わざわざ報告したというか、単に景勝と謙信の続柄を書いただけだと思うぞ。
自分の国への報告書にいきなり「景勝は謙信が開発した金山を〜」とか書いても
読む方は意味が分からんだろ。
293日本@名無史さん:2005/03/25(金) 18:35:28
刀も触れない女をTOPにすえる思考って
この時点で問題ないか?
文句あるなら反乱起こせよヴォケって行為だぞ
294日本@名無史さん:2005/03/25(金) 18:44:39
実際に反乱起きまくってる訳だが。特に本庄とか北条とか。
何か問題あるか?
295日本@名無史さん:2005/03/25(金) 19:43:59
>>293 >刀も触れない女
意味不明だな。男尊女卑の江戸時代じゃないんだぞ。
296日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:05:03
>>291
政宗は当時としては平均よりやや長身だったとどこかで
見た記憶があるのだが・・・

たしか遺骨の鑑定結果だったと思う。
297日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:22:03
>>296
身長159cm、血液型B型の政宗の復元された容貌像は、
後頭部が張り出し前額部がふくらんだ頭脳明晰型の好男子だ。
ttp://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/ser.php?sf=2&cid=645&cfg=1
やっぱ、男だったらしい。身長159は平均よりチョイ低い。
謙信は156だから、男だとしたらかなり低い。

298279:2005/03/25(金) 22:48:05
>>282
君もかなりの困ったチャンだね。

>何も史料が残ってないから 情況証拠で女性説が有力
この文章を国語のテストに出したら、どうなるでしょうか?
全く史料は無いけれど、情況証拠はあるって事だな、と理解するよね。
史料でない情況証拠とやらって一体何ですかね?
わからないから、教えてw

情況証拠とは、もともと刑事事件で直接証拠とならない、間接証拠の事をいう
んだけど、事件の種類によって直接・間接証拠の区分が違ってくるから、それ
ぞれ具体的に示されているよ。
さて、君の言う歴史についての情況証拠という言葉は、明確に規定されている
のかな?明確にされていない言葉を使うのは、議論を混乱させるだけだよ。
ま、もともと煙に巻く為に使ってるのかもしれないけどw
と、柄にも無くマジレスしちっまった罠w

恥を忍んで質問するから、このレスで史料でない情況証拠って具体的に何をさ
すのかちゃんと教えてw
299279:2005/03/25(金) 22:59:56
>このレスで史料でない
レスとスレを間違えてます、スマソ。
300日本@名無史さん:2005/03/25(金) 23:08:14
w使いうぜー
301日本@名無史さん:2005/03/25(金) 23:40:23
このスレ読んでたら、


∧_∧   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    
( ≧皿≦)( ̄^ ̄ )<わかった、わかった!
(    ⊂     ) \_____

謙信は女に決まったんだよ
キィィィ!!!

って感じでつね
302日本@名無史さん:2005/03/26(土) 00:01:26
>>289(279)
リンク先が混乱してるので確かめてみたが、279の言ってるのは
八切氏が伝謙信の装束を見て、女ではないかと思ったということらしい。
で、それに突っ込みを入れた人の「史料と状況証拠」の概念が問題に?
どうでもいいけど、歴史的伝承(口承)も物件に基づいた分析も、
成文化された文書もふくめて、信用性はともかく全部が史料だ。その意味では
このスレッドにある書き込みは、ソースが明瞭なものは史料からの引用。
よく読めば、それなりに謙信女性説の史料の引用は豊富にあると思われるが。
303日本@名無史さん:2005/03/26(土) 00:19:13
>302
279氏のレスのここが問題なんでしょ?
>ま、この説の発端は、矢切が謙信の羽織をみて、
>はたと閃いた(思いついた?)説なんだけど、結構面白いよね。
たぶん、279氏は八切先生の本を読んでないと思われますが、
情況証拠とかいうのは、瑣末な問題じゃない?
304279:2005/03/26(土) 00:43:19
>>303
謙信ファンの女流作家が謙信の女性物と見まがう着物を見て、
これを見た人が謙信女説を唱えはじめた程です、と書いてたのを
思い出してカキコしたまでですよ。
ま、事の発端なんてこのスレ的には何の問題も無いでしょ。
305日本@名無史さん:2005/03/26(土) 00:50:32
史料=ゴンザレスのスペイン国王宛て国書、松平忠明の「当代記」の記述、
「松平記」の厩橋城での謙信の様子、謙信葬儀の記述
物件証拠=白山神社の女武者騎馬像、自画自讃像がどう見ても女
伝聞証拠=越後の尼僧の唄「まんとら様は男もかなわぬ大力無双……」
情況証拠=謙信の衣装が女っぽい、源氏物語や伊勢物語を愛読、詠歌に熱中、
安産の居多神社を庇護、祈祷の願文が女っぽい、御高祖頭巾(謙信頭巾?)、
喜平次への手紙や吉江景資への手紙が母性愛に満ちている
何か、ほかにもあったっけ?
306日本@名無史さん:2005/03/26(土) 00:57:36
>>304(279)
その女流作家は、安西篤子サンでつね?
なるふぉど、でちたッ。お疲れサマでつ。
307日本@名無史さん:2005/03/26(土) 01:15:31
>>305
文書だけが史料だと勘違いしてない?
308日本@名無史さん:2005/03/26(土) 01:43:11
かははっ・・・
>307殿よ、慧眼にして賢明なる307殿
だから言ってるだろう、
>成文化された文書もふくめて、信用性はともかく全部が史料だ。
だと! それよりも、新しい材料(史料)てのはねぇのかよ!?
309日本@名無史さん:2005/03/26(土) 01:52:22
何でもマターリと行きましょう
310日本@名無史さん:2005/03/26(土) 07:58:59
>>292
不明。影の正室でもいたのと違うか?
つーか、この本今は絶版だし普通の図書館ではお目にかかったことがないのでそこまで
言及されていたかどうかは記憶がない。
311日本@名無史さん:2005/03/26(土) 10:57:03
春だな。厨房DQNの巣窟とはこの事か。
312日本@名無史さん:2005/03/26(土) 14:40:20
何で正室も側室も取らないのか?
跡継ぎが欲しかったからこそ養子を迎え入れたのでしょ?
仮に男色だったとしても、正室や側室に子を生ませることは
可能だし、当時ほとんどの武将がバイセクシャルだったのは
公然の事実。確信的な状況証拠ではないのか?
313日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:05:46
養子は上条政繁、景勝、三郎景虎の他に女の子も何人か
いたらしいが、何で自分で産まなかったのかな
戦の連続で、のんびりと妊娠してるヒマがなかったのかな?
314日本@名無史さん:2005/03/26(土) 16:07:47
>>312
>確信的な
意味不明
315日本@名無史さん:2005/03/26(土) 17:54:50
>>314
312は女性説支持者で、結婚しなかったのは女性の当主故に出来なかったからって
言ってるのでは?
>>313
私は良くわからないんだけど、男系社会って在るルールがあるのでは?
例えば女性の天皇は居るがその子供が継がないとか、娘ばかりの場合その子の実子
が母親方の家を継ぐ場合、養子として家に入れ直さないといけないとか・・・
316日本@名無史さん:2005/03/26(土) 19:28:29
もう謙信=女ということで良いですかね?
取り立てて、謙信=男という史実は無い。勇猛果敢、義に篤く激情家、
そして武道に長けている戦国大名が女性の筈が無いという固定観念だけが
先行し現代に至る。   という事か...
317日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:12:59
名前が男名だったというのは、どうクリアするの
318日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:27:41
上の方で、愛姫の最期のことが出てたが、八切説では
政宗の小田原参陣の時に家臣たちが愛姫を殺して
その首を政宗が小田原に持参したという説だよ。
319日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:28:27
それと本物の政宗自身が女性だったという説ではないので
政宗の骨の鑑定は関係ない。
320日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:45:21
生理を理由に戦を止めて引き上げるって・・・
アホとしか言いようが無い説ですね。
321日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:47:44
女性物っぽい着物って母親のじゃないの?
マザコンだったて話しだし
母親のを着てたのか大事にもってたのか。
322日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:08:01
女っぽい着物の素材(金襴緞子)は京都で買ってるんだよ
真っ赤なマントは信長クンからの贈り物だし
323日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:09:00
黒田秀忠が再度反旗翻したとき
謙信は一族全て皆殺しにしたよね
それが16歳のとき。
女なのか・・・?
324日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:12:31
>>1-322
この程度の論拠なら、信長・秀吉・家康etcだれだって
女ってことにできるんじゃないの?
子供が何人いようが養子だったってことにすればいいだけw
325日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:16:48
>>317
>名前が男名だったというのは、どうクリアするの

だから、男装の麗人だったんだろ。

>>324
はぁ? 信長・秀吉・家康etcだれだって女
って、論拠(史料)あげてみろよ
326日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:17:30
正室・側室はどういうことにすればいいんだ
327日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:18:42
あぁ それから宣教師の描いた信長の顔のスケッチは明らかに男だったな。
328日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:21:46
謙信女説マンセー男
口癖が「はぁ?」の何時もの名無しがやってきたよ!
329日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:25:06
謙信の肖像画は28点(3系統)あるが、髭面系統のは江戸時代に
描かれたものばかり。自画自讃像(自画像)は、どう見ても女
信長の肖像画も20点以上あるが、1系統しかなく、どれも男
330日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:26:11
どうでもいいからageんなよ!
無知蒙昧がまぎれ込んでくるから
331日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:32:05
謙信はマザコン。
自分も母親のようになりたい。
だから着るものも母親の真似をし女のように振舞った。
謙信にとっての女とは母親のみ。
他の女なんぞ興味なし。
それを見た民は女のようなカッコをしてる謙信の歌を作った
その噂は京にまでにのぼり
京女は女の格好が好きな田舎侍相手などするはずもなかった。
京での出来事。
足利義輝「おぬしが景虎か。越後からよく来てく・・m9(^Д^)プギャーーーッ」
「お前、格好が面白いから白傘袋と毛氈の鞍覆の使用OK(・∀・)」
だったに違いない。
332日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:35:55

ぜんぶ屁理屈なんだから、信長・秀吉・家康だって女にできるさ。
理屈と膏薬はどこにでも着く
333日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:37:08
女子プロレスラーは生理でも、お客のためにリングに上がるんだが。
自分で戦闘するわけでもないのに軍を撤退させちゃうって、どうよ。
334日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:40:56
>333
いや、永禄4年の川中島では自分で戦ってる
生理でも戦ったから、血染めの感状になっちゃった
335日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:41:27
● 恋歌に詠んだ女性は  2003年 03月 09日
山形県米沢市の上杉神社に伝わる謙信の恋歌「祈歌」は、次のようなものである。

つらかりし人こそあらめ祈るとて 神にもつくすわがこころかな

生涯独身で禅僧同然の暮らしをした謙信に思われた女性が、本当にいたのであろうか。恋歌の裏付けは難しいが『松隣夜話』という史料には、珍しい謙信の恋が記されている。
相手の女性は、上野の平井城主、千葉采女(うねめ)の娘、伊勢。
謙信とむつまじい仲となったが、重臣たちが策を巡らせ、二人を遠ざけてしまった。
伊勢は、年明けに青龍寺という寺で尼となる。
謙信に仕えていた伊勢の叔父は話を聞き、他の家臣らと春日山から伊勢を迎えに行くが、
時遅しというわけである。
336日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:42:38
>ぜんぶ屁理屈なんだから、信長・秀吉・家康だって女にできるさ。
>理屈と膏薬はどこにでも着く

だからしてみろよ 口先だけの香具師だなあ
337日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:42:39
寺の老尼の話では、17歳で髪を切った伊勢は、
寺坊に閉じこもり時折、涙を流していた。
翌春、里帰りした伊勢は、桜の木陰で頭も上げられないほどに打ちしおれ、
一日泣き崩れていたが帰途、

「諸共に見しを名残の春ぞとは けふ白川の花の下かけ」

との歌を筆に残して寺に戻ったという。
散る桜の花びらのようにきれい過ぎて、頼りなく、本当かなと思う逸話である。
しかし似たような話が、一つや二つあっても不思議はないのではないか。
純粋で凛々(りり)しいイメージの若き謙信が、女性にもてぬわけがないであろう。
この他、謙信が思いを寄せたとされる女性には、後に善光寺の尼となった直江実綱の娘、
関白の近衛前久(さきひさ)の妹、絶姫がいる
338日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:44:16
女性に思われぬわけもないのに、生涯独身の謙信の女性観という意味で、
気になる存在は母の青岩院(法名)である。
新潟県上越市の越後一宮居多(こた)神社宮司で謙信研究家、花ケ前盛明さん著『上杉謙信』の年表によれば、
青岩院は夫の為景より41歳年下。後妻の可能性が強い。謙信は母が数えで19歳の時の子で、
林泉寺に預けられる7歳まで母の下で育てられた。
しかしその年、謙信は父を失い、母も若き未亡人となる。夫との年齢差、
その運命といい、青岩院には複雑な翳(かげり)が感じられる。

観音信仰に厚い母だったというが、謙信の熱心な信仰には当然その感化があったに違いない。
『上杉家御年譜』には、永禄11(1568)年5月に母が亡くなった時、
「管領(謙信)御悲嘆甚(はなは)ダ深シ」と伝えている。
マザコンなどと言っては失礼だが、母への思いに特別なものがあったように思える。
花ケ前さんも「それ以外、独身で通した理由が浮かばない」と言う。
339日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:45:44
>2003年 03月 09日

とは・・・、どこのサイトからのコピペなのだろう?
340日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:46:32
謎めいているのが、春日山城外郭跡(上越市)のはずれに
ポツンと一つ、謙信の母と伝えられる墓のあること。
戦国期の立派な五輪塔で、米沢に墓がないことなど、
伝承の可能性は高い。
とすれば、一族の墓地の林泉寺でなく、そこに葬られた訳はなんであろう。
近くに謙信が出陣の際、通った軍道跡がある。出陣を死後も見守っていたい、との母の思いであろうか。
何か、そうした意志でも想像しないと、腑(ふ)に落ちないのである。
歴史の変遷で山中に置き去りにされたような墓の前に立つと、
謙信に似た孤高な女性のイメージがしてならない。

もう一度「祈歌」に戻るならば、「つらかりし人」とは、誰であろう。
あれだけ神仏に帰依した謙信である。「神にもつくすわがこころかな」とは、
半端ではない。生涯、心に沈めた思いの女性を連想してしまうのは、思い過ごしであろうか。
341日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:48:16
どうでもいいけど、著作権法に抵触しそうなコピペだな
342日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:50:19
>>340
>「つらかりし人」とは、誰であろう。

足利義輝では? 少なくとも近衛前久ではないな
343日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:51:59
● 大胆なファッション   2003年 04月 06日
武将でありながら禅僧、修行僧イメージの強い謙信。
地味な人柄を想像されるかもしれないが、どうも違うようである。
若いころに2度も上洛。都で、最新の文化に刺激されたせいか、
当時の流行感覚の鋭い持ち主であった。
いい例がファッションセンスである。
米沢市の上杉神社に残る、謙信着用と伝わる衣装の数々には誰しも、
目を奪われるのではなかろうか。
特に武将の謙信にとって“晴れ”の舞台、戦場で着用する陣羽織は、
華麗そのものである。
紺緋羅紗(こんひらしゃ)袖替陣羽織は、生地は舶来品の羅紗を用いて袖が赤。
胴体部分は青、縁取りは赤。
その鮮やかで大胆な色彩の対比感覚は、並のものではない。
さらに裏地は萌黄(もえぎ)色の繊細な唐草模様で、表地と好対照な美を演出している。
344日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:53:21
この他、白の平絹に緑・赤・青の3色で背に描かれた、
堂々たる昇竜の図柄の陣羽織もある。
裏地は表地の白と対照的に紅色。
斬新、豪華けんらんなデザインに謙信の陽性で、豪儀な一面がよくしのばれる。
川中島で武田軍の裏をかき妻女山をひそかに下山、千曲川を渡り、
霧の中から突然現れて信玄を驚かせた謙信。
その用兵と大胆なファッション感覚には、通じるものもあるのではないか。

鎧(よろい)も、凝っていた。
熏韋素懸縅(くすべかわすがけおどし)腹巻と称される愛用の鎧もその一つ。
兜(かぶと)は金箔(きんぱく)漆をかけている。
額のシワ、眉(まゆ)の部分は鉄板を打ち出したデザイン、と表現が細かい。
兜の縅毛は、女の子がよくする三つ編みというのは、愛きょうであろうか。
肩をおおう大袖は、織田信長から贈られたもの。
兜以外は動きやすいように革製。
腕の部分は、普通は鎖が用いられるが、糸でつづった亀甲模様というのも、
こだわりが感じられる。
345日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:54:57
案内してくれた郷土史家の渡部守雄さんは「ものすごく、おしゃれな人。
鎧、馬具、着物も自分で図案を書いて作らせたという話です」と語っていた。日常の服装でも、竹雀の丸紋をあしらい、肩と裾(すそ)は紫、腰の部分を白抜きした小袖など、センスの良さをうかがわせる衣服が多い。

中には、金欄、銀欄、緞子(どんす)など、
舶来の16種類もの生地をはぎ合わせた胴服(羽織として用いた腰までの短い服)もある。つなぎ目は、黄色などの平絹で縫い取り。鮮やかで自由なデザインは、もはや芸術品と言ってよく、日本の染織工芸史上の傑作とも評されている。
胴服は、武士の間に当時広く流行。
帯は結ばず、小袖の上に重ねて着用したらしい。
その華やかな衣装姿を連想すれば、僧とは別の一面というか、
常に若々しい感覚を失わなかった謙信に身近な思いがするのではなかろうか。
346日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:57:49
世は大航海時代。日本にあっては、近世の扉が今しも開かれようかという時代である。
謙信の意外に傾(かぶ)いた趣味は、時代の流れに敏感であったせいであろう。
それを象徴するものとして、「謙信公愛用雨衣」として伝えられる
ヨーロッパ風マントがある。
同じ、おしゃれ派の信長から贈られたもので、赤地牡丹(ぼたん)唐草文のビロード仕立て。
外国製でヨーロッパ系のビロード地と、東洋系の牡丹唐草文が組み合わさったところに、
南蛮交易、大航海時代の文化がしのばれる。

謙信のハイカラで華麗なファッション趣味に食い込んで、せっせと贈り物をした信長。
その努力も大変だったろうが、天下取りという意味では、信長にうまくしてやられたようでもある。
347日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:06:25
謙信評は、当時から多く残されている。
しかし、関東の盟友、太田資正(三楽)ほど人柄を知り尽くしていた武将はいないに違いない。
資正は「十にして八つは大賢人、二つは大悪人ならん。
怒りに乗じて為し給ふ所、多くは僻事(ひがごと)なり」(名将言行録)
と述べている。

短気は、永禄9(1566)年の願文に自ら嘆いたことからも自覚ぶりがうかがえる。
永禄6年、鶴岡八幡宮での関東管領就任式で随従していた忍城主、
成田長泰の頭が高いと扇子で2度たたいたことがあった。
剣豪、塚原卜伝(ぼくでん)の弟子という猛者(もさ)の長泰に以後生涯にわたり反抗され、
苦労している。結果、まさに短気は損気であった。

資正が高く評価した面は、「謙信家法」にも通じるものがある。
「心に欲なき時は人を教ふ。心に誤りなき時は人を畏(おそ)れず、心に邪見なき時は人を育てる」
「心に曇なき時は心静かなり……」などの家法の内容は、
己に厳しき生き方の美学とも言える。
しかも織田信長らの峻烈(しゅんれつ)な生き方の美と違い、
謙信には温かさ、ある意味で甘さがあった。
何度も配下武将にそむかれながら、短気にもかかわらず概して許しているのである。
僧であるとの意識が生涯、強くあったからであろう。

かつて日本人が謙信を深く愛したのは、そうした心情であったように思える。
亡くなる数日前に出来上がり、高野山に納められた寿像(焼失)は僧体で描かれ、
「四十九年一睡間」とのみ記されていた。
人生の万感をあっさりと、謙信らしいと言える“辞世詩”ではないか。
348日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:06:51
↑違法コピペ、通報すました
349日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:08:02
そのコピペに何の意味が……
まあなんだ、謙信が女だったなら、エリザベス1世みたいに自分の婚姻を
材料にもっとうまく立ち回れるんじゃないかねという気がする。
350日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:11:36
これを読むと謙信が女っていうのは考えづらい点も多くあるね。
女性説は確かにその説だけを見ていけば女に見えてくるが
女性説で語られてる以外の部分もあわせて見ていくと
やっぱ男だったんだなと位置づけられたんだろうて。
351日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:16:41
>兜の縅毛は、女の子がよくする三つ編み
>謙信のハイカラで華麗なファッション趣味
>まさに短気は損気であった。

やっぱ、女だろ
352日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:33:07
ゴピペ乙彼
謙信女人説が補強されたようですね
353ワロス:2005/03/26(土) 22:38:13
謙信女説信じきってる奴に何を見せても無駄。
女性説の根本になってるネタが頭にこびり付いてるので
それを完全否定できる証拠がないと絶対に納得しない。
そんな奴がココで女性論をマンセーしてるんだからww
そもそも、ねぼりはぼり判るもんなんて他の武将ですら殆ど存在してねぇのにw
だから謙信がオカマだといっても男色だといっても
オカマじゃないといえるような、男色じゃないといえるような
確実で誰もが納得できうる証拠なんぞ無いから
この手の説ですらずっと言い続けれる。
こういうのはそんなレベルの何処までも終わらない話w
354日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:40:57
>案内してくれた郷土史家の渡部守雄さんは「ものすごく、おしゃれな人。
>鎧、馬具、着物も自分で図案を書いて作らせたという話です」と語っていた。
>日常の服装でも、竹雀の丸紋をあしらい、肩と裾(すそ)は紫、
>腰の部分を白抜きした小袖など、センスの良さをうかがわせる衣服が多い。

ファッションデザイナーみたいな美少女謙信タン
355日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:53:33
>>353
後半部、仰っている意味がよくわからないのですが
356日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:08:46
スレ初めからいる女説否定の人じゃないの?
言ってることは真っ当なのにあの文章の書き方で台無しな。
357日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:08:48
>>355
>>353 は自分で自分の考えがわかっていない
のだから、無理というもの。あまり苛めないように。
358日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:27:11
>>353
んで結局どこを縦読み?
359日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:36:02
>>325
>名前が男名だったというのは、どうクリアするの
につて
>だから、男装の麗人だったんだろ。

おつむ大丈夫?全然答えになってないヨw
360日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:42:53
>>359
意味不明だぞ
女だが、男装して男を名乗っていた
というのが最近の謙信女性説
361日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:49:27
>359
あげるなヴォケ!!
教養のないヴォケがまぎれ込むだろ!
362日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:00:25
>>360
>女だが、男装して男を名乗っていた
なんの為にそんなことしてたんでつか
363日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:01:03
そもそも謙信の名前が「山内上杉不識庵謙信尼」とか
「…烈女大姉」「長尾虎千代姫」とかだったら、
問題の女性説があるべくもないわな。
364日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:04:27
>>362
女だが、男になりたかった(性同一性障害)
男のフリをしなければ、越後の国人領主をまとめられなかった
戦場で、女だと侮られるのを嫌がった
ではないか?
365日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:08:24
語尾にWをつける香具師、だいたい内容がないのがわかる
366日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:13:48
ははは、そりゃそうだな
名前が女だったら、議論する前に謙信は女だわな
367日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:19:05
>>364
>男のフリをしなければ、越後の国人領主をまとめられなかった
という事は、国人みんなに男性だと信じ込ませていたとでも?
謙信は越後生まれだから、生まれた時から男として育てないと
欺けないわけだが、そういうことか?

>戦場で、女だと侮られるのを嫌がった
前線で戦うのならともかく、指揮官として戦うわけだから、
説得力なさすぎると思われ。。。
368日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:22:28
>>367
どうでもいい事だが
「リボンの騎士」を思い出した
369日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:23:19
>>364
その理由なら
女性説の一つにもある
生理で戦を終わらせ国に帰った
なんてもってのほかwwww
「謙信殿が生理だから撤退するぞ」なんて言ったら
しかも2度も3度もあろうものなら兵がブチキレルのが自然w

男だけど女になりたかった説(女装説)のがまだ納得できるかもw
男だけど女っぽいことしてっからこんな当主じゃやってけんと
国人に結構反乱されたりしたって感じw
リアル女だと鎧の重さも刀の重さも相当負担がかかるだろうし
これで女だったら少なくてもアジャコングばりの女だろうな。
370日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:31:38
>>367
>男性だと信じ込ませていたとでも
外見はごまかせても声でばれるから、そりゃ無理だべ
371日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:35:17
だから「当代記」とか「越後ごぜの伝承」に残ったんだろ
江戸時代の上杉氏が必死になって彼女の痕跡を消そうとしたのも
バレバレだったから?
372日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:40:21
何十年も毎月決まった日に生理になる女性って
ギネスブックものだな。
373日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:43:25
>371
バレバレでしょ、最前線で戦ってるんだもん。
女であることを隠しながら、信玄と太刀打ちする姿に
萌えるけどね。でもって、詠歌や服装の趣味がまるで女だときたら。
最高に興味深いひとだね。
374日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:49:36
これ、極めつけだなあ
やはり女か・・・

>兜の縅毛は、女の子がよくする三つ編み
>謙信のハイカラで華麗なファッション趣味
>まさに短気は損気であった。
375日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:52:06
なるほどね。
男装しても声でばれるから、他国の使者とも会う謙信が、女である事ごまか
せないな。
残るは、性同一性障害説しかないけど、謙信は障害者だったって事でみんな
OK牧場?
376日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:54:40
しっかし女で戦に出てたのなら
ションベンや糞はどこでしてたんだ?
最もポピュラーな垂れ流しなのか?
周りは男だらけだしやっぱ隠れてしてたのか?

あと城主ならただ居ればイイだけだから女でもできるだろうが
戦はそうはいかないだろ?
戦場での女のハンデをどう克服したのか気になるところ。
漫画じゃないんだし頭脳以外じゃ男に真っ向勝負では太刀打ちできないっしょ?
女じゃ猛者相手に一騎打ちなんぞ問題外だろうし
女の腕力じゃ剣や槍を振りまわす体力に限度すらある。
謙信の実身長はけっして大柄じゃないみたいだし
川中島の時に持ってた三尺(90センチ程?)の太刀なんぞ扱えるのか?
男ならチビでも筋力と瞬発力があるから、鎧着つつ槍を使えるだろうが
女ならこうは行かない。
軽い短刀もって振り回すのとではワケが違うし。

女謙信の場合は戦ではなんもしなかったとか?
または軍師っぽい役に徹して後ろから見てただけ?
377日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:55:30
>375
もう寝るが、それがしはOKにござる
ことさらに「障害」を流布するのは憚れるが
史料が残ってない合理的な理由は他にない
378日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:58:29
>>371
江戸時代の上杉氏が必死になって
消そうとしたのは女であるという痕跡じゃなく
実は遺体から謙信が暗殺された証拠(骨に刀傷か刺し傷があるなど)があるから
それを隠すためだったのでは。
暗殺より病死で死んだ方が家臣団はマヌケとは言われないしね。

なんて理不尽な妄想してみる。
379日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:59:10
>>376
「まんとら(政虎)さまは、男もかなわぬ大力無双」(越後ゴゼの伝承)
なんだぞ。最前線で戦った屈強な女武者だったと思われ
380日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:00:32
   ∧_∧   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    
( ≧皿≦)( ̄^ ̄ )<わかった、わかった!
(    ⊂     ) \_____

謙信は女に決まってんだよ
キィィィ!!!
381日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:01:14
   ∧_∧   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    
( ≧皿≦)( ̄^ ̄ )<わかった、わかった!
(    ⊂     ) \_____

謙信は女に決まってんだよ
キィィィ!!!
382日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:02:21
>378
織田信長の刺客、あるいは景勝の陰謀(暗殺)説ですね?
またそれはそれで、別スレ立てて議論することかと・・・
383日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:16:40
>>376
>しっかし女で戦に出てたのなら
>ションベンや糞はどこでしてたんだ?

バッカヤローッ! 女が立ちションして悪いかぁ!?
あたしぁ男なんだよ! うん? しゃがんでるとこ、見るなよッ・・・。
                  上杉謙信
384日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:20:44
昔は女性でも普通に立ちションしてたんだから問題ない。
385日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:31:41
デミ・ムーアの「GIジェーン」とかメグ・ライアンの「戦下の勇気」
とか観てると、女だって戦場で指揮を取れるのかなと思う。
越後の板額御前とか木曾の巴御前、岩村城の艶御前、伊予の鶴姫、
秀吉(石田三成、真田幸村)軍を退けた忍城の甲斐姫なんかも
女武者だったわけで…。
386日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:41:41
>>385
だから謙信は女だったんだってば
そうでも考えないと分裂症だぞ
戦の天才がこんな和歌を詠むか?

つらかりし 人こそあらめ 祈るとて 神にも尽くす わが心かな

なれもまた 草の枕や ゆうひばり 裾野の原に 落ちてなくなり
 
387日本@名無史さん:2005/03/27(日) 04:58:34
レズか
388日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:03:22
男性説の論者、少しレベルが低い。
389日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:15:53
>>388
レベルの高い君
>何十年も毎月決まった日に生理になる女性って
>ギネスブックものだな。
これ、論破して。
390日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:47:34
>>386
>戦の天才がこんな和歌を詠むか?
謙信が戦の天才じゃなかったとは、初耳だな
あんたこそ分裂症では?
391日本@名無史さん:2005/03/27(日) 09:36:15
女ながら戦の天才で、月のものの悩みが
弱点であった詠歌の天才?
392日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:01:53
>>380-381
どうでもいいが、ちょこちょこ水差すだけの煽りを入れてくる人は
一体何をそんなに必死になっているのか?
393日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:05:26
わーいあげちゃったよ申し訳ない
ソープ行って来る
394日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:57:29
>>385

そうすると、ことさら謙信だけが女であることを隠さねばならぬ
理由は乏しいな
395日本@名無史さん:2005/03/27(日) 13:30:05
>>384
そのレスを見て軽く衝撃を受けたことは黙っておこう。
396日本@名無史さん:2005/03/27(日) 13:57:17
春のせいかどうも厨くせぇレスが続いてるな。
ここ最近と、以前とではレスのレベル差が段違いだ。
もっとまともなこと言えんのかね。
397日本@名無史さん:2005/03/27(日) 14:16:44
議論はもうあらかた終わったってことさ
398日本@名無史さん:2005/03/27(日) 15:36:37
観点がずれるのでハッキリしておいた方が良い点が一つ。
存命中、自他ともに認める女将として活躍し、死後後人に
よりその性を偽らざる負えなかった。とう観点と、存命中から
女で有ることを隠し通し、男の武将として生き抜いたという観点。
俺は、明らかに前者だと思うから、女としての生理現象等々は
当時、問題とはならなかったと思う。
要するに、ジャンヌダルクかリボンの騎士の何れかであり、前者
が実体と思う。



399日本@名無史さん:2005/03/27(日) 16:33:06
>>399
そいつぁ無理じゃないかい?
ここに来る女性説支持者も、さすがに名前や戒名の点を
攻められるので「男だと偽ってた」説が多いし。
「男のフリをしていたが、衣装や趣味は女の子だった。
短慮で失敗とか命知らずで突撃するので、兵たちが
彼女を守るために命がけで奮戦して、謙信無敵神話が誕生した」
こういうのが現実的。男装説なら、男だった説にも反論しやすい。
男のフリをしていたが、知る人ぞ知る?
400日本@名無史さん:2005/03/27(日) 16:34:46
>>399× >>398だ↑
しまった、自問自答になった。
401日本@名無史さん:2005/03/27(日) 17:34:43
女性説信じてる人って
どんな姿の謙信像を思い浮かべてるの?

もしかして身体つきも華奢で
顔もアイドル並にカワイイ美少女が
まるで発泡スチロール製の刀でも振り回してるかのごとく
凄まじい斬撃スピードもちいて敵をばったばったと打ち倒す姿?
某あ○みのように。

和歌は手紙で性格は女っぽくても
外見まではああとは限らない。
頭はハゲ、筋肉ムキムキで少し太めの女性ってのが現実だよね?
まさにアジャコングのような体格。
あんな女なら戦でも結構やってけそうだし。
402日本@名無史さん:2005/03/27(日) 18:04:45
>>401
漫画と女子プロレスの見すぎ。

戦場で敵味方の兵が見とれたというんだから美女でしょ。
剃髪するのは45歳の時だから、晩年は自画像のとおり
下膨れの慈悲深い雰囲気の熟女。
403日本@名無史さん:2005/03/27(日) 20:10:14
>>402
>>401がプロレスなら
>>402は妄想願望激しすぎ。
戦場という言い回しがあることから
謙信の戦場での活躍を見て、みとれてたと考える方が自然。
もしくは山縣のようにあえて敵から目立つ用派手なものを着て注目を浴びてたか。

戦場で双方が謙信の「顔が美人」な部分に見とられたなんてのは
あまりにも女性説の都合がよすぎる解釈かとw
404日本@名無史さん:2005/03/27(日) 20:18:33
美人ならまこと美しきなんたらかんたら〜って感じで
歌にも残されてもいいのにね。女説の中にある和歌のように。
謙信と交流があった人物の中には、
謙信を誉めたたえる文章を残してる人も居ると思うけど
顔のことに関して書いてるのもの何も無いの?
美しい女だったら
戦が上手いだとか、考え方が優れてるだとかそんなんばっかじゃなく
当然普通に美人でもある、と触れて誉めると思うし。
どうだったんだろうねぇ

まぁ普通の女だったんじゃない?
405日本@名無史さん:2005/03/27(日) 20:58:23
「松平記」に、一同が謙信を見て「おお、麗しい」と感嘆したと伝える記述がある。
この「麗しい」は一説には当時の意味で男女間の「お慕いします」「愛してる」
とかの意味だったらしい。
406日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:04:24
田中真紀子みたいなもんじゃない?男勝りで豪傑。
407日本@名無史さん:2005/03/27(日) 22:32:05
眞紀子より和田アキ夫。
408日本@名無史さん:2005/03/27(日) 22:56:46
女説の皆さん
謙信が男名を名乗ってたのは、女であることがばれない為という説は
いくら男装しても、結局、声でばれるので成り立たない。
後は、性同一性障害つまり男になりたい願望説、しかないと思うけど
これに対して、異論・反論はないのかな。
ないなら、性同一性障害説にケテーイになるんだけど。
しかしこの説も、もろ女性風衣装の存在と完全に矛盾するわけだけどね。

409日本@名無史さん:2005/03/27(日) 23:33:46
>405
『松平記』の何年のところに書いてあるの?
410日本@名無史さん:2005/03/27(日) 23:48:19
女装するのは「かぶいた」なりなので特に問題ない。
謙信が美しかったというのは、現代との審美観の違い、とくに男色が
変態性向ではなかったということを気にとめるべき。

別に女性説を否定する気はないけど、穴だらけだよ。
でもこんなことガイシュツで、聞く耳もってないんだろうな……
411日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:00:11
>>408
>性同一性障害つまり男になりたい願望説
その言い方は誤解をまねく。
体は女だが、心は男というのが性同一性障害。
したがって、女っぽい着物を着たり、女性的な和歌を詠むのは、性同一性障害
でなかった証拠になりまつ。
412日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:50:13
美輪明宏、美川憲一、ピーター説もあるか?
→女装趣味の男説=セクシャリティーは男。
それともカバちゃん、オスギピーコ系の体は男、セックスは女説。
413日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:21:10
別にどっち派というわけでもないが、
謙信が女だった、というよりも謙信がオカマだったという話の方がショックがでかい。
414日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:25:19
>>410
俺だけかもしれないが、謙信が傾き者だったという話は耳にしたことがないな。
それこそ彼(或は彼女)ほどの武将がかぶくことを趣味にしていれば
前田利家の如く、一つや二つ話は残っているはず。
415日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:55:35
政宗が妻を影武者にしてたのさえ知らない人間がほとんどだし
416日本@名無史さん:2005/03/28(月) 02:43:37
だいたい、なんで女だったって言うのを隠す必要があるの?
隠して無かったとは言わせないわよーーーーーーーーーん!
隠してなかったら、それが一般の説になってるハズだからなーー。

だいたいだいたい、謙信が女だったっていう資料は残ってないんだろが!
もっと確信できるようなもん持ってこんかい!

服とかなんて、本当に謙信が着ていたものかどーか?って考える方が
可能性高いだろ!詩だって、何の理由にもならん。

大体、絵が男じゃい!

417日本@名無史さん:2005/03/28(月) 04:40:28

                                      ,),r ニ,イノ,!ィ
                    __,,,,,......,,,,,__ ヽ(  `! `!,r''彡'ノ ノ,ノ/´/´`
                 '、( ,. ‐''"´         ``''='、、'、 {f //,'/,rニン、レ'´
               !、  、/.. .._ __ ,,..          ヾ;,、゙!i;〃/ ;r'ノノ´ /`ヽ
          -、 ゞニ/_二´-、ー‐.:-‐ ニ''‐-:.、      'ッヾ='、ノ,rニ彡ノ‐'´_
       _  ヽ )ヽ.,;';ニ-‐:.、.: r.:ニ ‐''''ー ‐-:..、    '彡ヾjr ミ二≠、='、
       `ヾ:、ゝニ/、、..__,.、;. ; ;  _,,,,,,__.、ィ,ッ, :.  :..  、;三ンヽニ、ー- '  !
        、 ゞニ 彡=、;;;;;;ツ,: i;. '; '、;;;;;;;;;;、==ミミ.:     ミヾニ、;ヘ,、_,.
     ´`ヽ `ヾゝ:'、"i:.ィt=,=、::.  .:::::::: 元テ=、 .:      ミヾ三ーkニ、ー、,r'
      _  ゙ヾ、 ⌒ゞ}.:` ̄ ´/ .:::::::ヽ` ̄ ̄´;,:、、     ミヾニー'}キ‐'メ
     -ヽ、_ ゞ二/.´`'''´.::;′ ::::::.,  `  ´   ヾ 、   'ミヾーニ;{ゞ='ニ´-、
          ,.ニ、`{    ( ,、:. ,.-、 .:) 、           ;ゞミ三;}二ノ  
             `ヘ';  / `,.;.;.;.;.;.;.,´  ヽ     , , ,:,:,:,., ミ;;ヾ;、ニ'ヽニ´-'´
           ヘi;';. i .,.;';';';';';';';';';';';';.;., ヾ:.  .;';';';';';、';、';ヾヘヾ、゙i !彡'⌒    
            、};'; ;',r'_二二二`_ー 、:';.,.':  ';';';、';'、';';ミ;ミ;)ゝ:::.、l !、_,ノ
           、_'j;';';、´ ̄ ̄ ̄ ̄``ニー';';  .;';';ミ';';ミ;ミ;f (ッー 'ノ/、_,
           、_ 'ッ;';';` ̄,:;:, ̄ ̄´ .,.,.,';';.,.;';';ヾ';';ミ';ミ、´  ,r'ゞニ、
             `ーキ;ソ;'ノ;';!;'、;';';'、;';';';';';ヾ';';';'ミ';';ミ';ミ;ミ;'、 `7'''"ニヽ‐'
              ゝ-ゞ、ツ;'メ;'i;'ハ;;ゞ;;ヾ;;ヘ';';ヾ';ミ';ミ';ミ`::   |ミゞ-、 `
            ´,ニ、ー ヘ;ハ;ソ;r;ソ;リ;ハ;ゞ;ナ;イミゞ``::.    .:|_ー、ヽ、
           ´   'ー_ヘ:;":::"::`::::::`:::::`:::;;;:.:..:    :.:|;::ヽ
418日本@名無史さん:2005/03/28(月) 08:05:49
こーゆーの、ゲイ団体から抗議来るぞ

>とくに男色が
>変態性向ではなかったということを気にとめるべき。

419日本@名無史さん:2005/03/28(月) 08:08:03
>416
>大体、絵が男じゃい!
おまい、スレ全部嫁。謙信の自画像、どう見ても
女だぞ。リンクもある。
420日本@名無史さん:2005/03/28(月) 13:42:50
両性具有説って今まで出た?どうせトンデモ説ならこんなトンデモが
あってもいいと思い、考えてみた。もちろん根拠とか確証なんてものは
全然ないし問題点も多々あるのだが、自分の中では納得できちゃう
んだよね。
 両性具有(半陰陽)についての参考はこちら↓。
http://x51.org/x/05/02/0904.php

1.前提
 @ある時は男性、ある時は女性と外からの見られ方が変わった。
 A謙信自身はジェンダー(心の性)はどちらかというと女性だと
  認識していた。しかし男性としての身体的特徴から日々性に
  ついて悩んでいた。
 B少なくとも国内(自分の家)においては女性的側面を隠さなかった。
 Cしかし対外的(外面)は男性的に振る舞い、男性として活動した。
421420:2005/03/28(月) 13:44:41
2.数ある女性説の根拠や問題点を抜き出して照らし合わせる
  参考→http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm
 @死因は大虫(婦人病)
  女性としての身体機能を有していれば婦人病にもかかる。
 Aナゾの腹痛
  @同様に生理にもなる。
 B肖像画
  半陰陽なら外見もどちらとも取れる。↑に示した参考のページ参照。
  ちなみに髭も生える。
 C声でバレる
  バレないだろう。甲高い声、と認識されるくらいか。男性でも
  高い声の人はたくさん居る。織田信長の声も甲高かったらしい。
 D趣味・嗜好
  自らのジェンダーが女性と思っているならば、源氏物語愛読、和歌
  を好む、「つらかりし・・・」の女っぽい恋歌もおかしくはない。
  ただし、対外的には男としていたし、近衛前嗣や足利義輝らには
  男として接していたので、恋歌には驚かされた。
 E戦場で見とれる者多数
  これも女性としての麗しさ、男性としての勇猛さのどちらとも取れる。
 F白山神社の女性像の御神体、安産にご利益がある神社の庇護
  女性的側面から来るもの。
422420:2005/03/28(月) 13:45:45
 G妻帯しなかった(不犯)
  前提1−Aで書いたように、性に問題を抱えた身ならばこういう道
  をとっても不思議ではない。さらに問題なのが、当時の半陰陽者の
  社会的立場である。今でさえ社会的に確立され、理解されている立場
  とはいいにくい。ましてや大昔の認識はどうだったのか。恐らくは
  差別的扱いを受けるのが普通だったのではないか。そうすると、
  そんな立場の者がどうして大名に成れたのかと言う事になるが、
  それは“育てられ方”に問題があったのではないか?つまり、親
  (長尾為景)が「こいつは男子だ!」と公言してその通りに育てた
  なら。当時大名家では男子誕生が喜ばれた。そこで半陰陽が生まれた
  として、自分が為景ならどうする?
   @男子として育てる
   A女子として育てる
   B迷信から、「忌み子」などとレッテルを貼り、その場で殺す
   Cその他
  私なら@をとる。男子が多いほうがお得だから。当時は早死にして
  しまう例も少なくないし、嫡男が必ずしも家を守っていける力量が
  あるとは限らない。実際、嫡男晴景は力量不足で国内が荒れたため
  景虎が引っ張り出されるカタチになった。ただ、家臣たちは景虎の
  事情を知っていて、陰では良からぬ噂も流布するのだが、極端な
  実力社会において国外にまで名声がとどろく活躍を見せられては
  周りも黙らざるを得なくなった。実際、刃向かっても誰も勝てない。
  しかし、親としては子の行く末を案じていて、男子として育て、
  寺に入れながらも生きてゆくためにはそのまま御仏に仕える僧に
  なる道を歩ませたかったのではないか?悩みを抱える謙信としても、
  御仏の道が唯一の救いになっていたのかもしれない。
423420:2005/03/28(月) 13:47:07
 H女性説最大の難関と言われる、
  ・高野山登山
  対外的にに男としていればこれも可能になってしまう。入山拒否に
  あったなら、極端な話、陰茎を見せつけて男だと納得させてしまえ
  ばいい。
  ・位牌に「居士」
  さて、自分が半陰陽なら、「居士」「大姉」どっちをつける?
  ましてや高野山に登り、自らを「愚僧」と称し、死んで深く信仰
  している仏教の礼式に則って戒名をつけるとしたら。

とりあえずこれくらいに。まだあったら書くかも。長文申し訳ない。
424日本@名無史さん:2005/03/28(月) 14:41:48
>>420
素晴らしいなぁ
感服しました。
とくに、
>極端な話、陰茎を見せつけて男だと納得させてしまえばいい。

「何ッ、俺が女だと? これを見ろッ」
「ははーッ」  

425日本@名無史さん:2005/03/28(月) 16:30:35
ずっと前の方で「なぜ隠す必要があったんだよ!」と絶叫しているバカがいるが
八切説は「当時は女性であることを別に隠してなかったし周囲にも知られていた」という説。
当たり前のことはわざわざ書かないから返って直接的な表現としては史料に残りにくい。
426日本@名無史さん:2005/03/28(月) 16:37:55
>>425

くだらない
427日本@名無史さん:2005/03/28(月) 16:43:01
矢切のトンデモ本が根拠だったりする。
428日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:04:26
>>415
誰に向けて言ってるの?
429日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:03:37
八切止夫のネタに踊らされすぎ。
430日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:31:35
>>425
>当時は女性であることを別に隠してなかったし
それならなぜ、謙信が男名を名乗っていたのか、八切はどう説明しているの?
431日本@名無史さん:2005/03/28(月) 20:22:33
八切以前にも女性説はあったみたいよ
432日本@名無史さん:2005/03/28(月) 20:58:35
ふうん、あの時代に女の武将があそこまで大活躍してても、当たり前すぎて誰も書かない
んだねえ。
じゃ、他の武将も男か女か全然分からないな。みな、今に残っている肖像画は男に見えるが。
433日本@名無史さん:2005/03/28(月) 21:07:42
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 今年もまた春が来ました
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)
434日本@名無史さん:2005/03/28(月) 21:10:12
当時描かれた肖像画が男にしか見えない武将なら男と分かると思うが。
謙信存命中に描かれた肖像画が女にも見えるから女性説の根拠のひとつになってるんだが。

あと「女であることを隠していなかった」説は既にこのスレの誰も唱えていない気がするんだが。
435日本@名無史さん:2005/03/28(月) 21:56:06
んだねぇ。
436日本@名無史さん:2005/03/28(月) 21:58:39
謙信の衣装の選択は傾いていると言っても過言ではなく、
信長と同様、新世紀に向かう感性を持っていた。
但し、世間一般では、謙信とは義の人であり、ある意味聖者だった。
そして旧い秩序の守護者でもあった。

だから、正反対の矛盾した面を持つ謙信の、陽の部分が封印されたに過ぎないと思う。
謙信という人間は世間一般が思うようなステロタイプな性格ではなく、
多彩な感情を持つ豊かな心の持ち主だったのだろう。
437日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:21:10
肖像画が女性に見える説はなぁ、ほとんど肖像画を見たこと無い人間の寝言にしか思えんが。
438日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:02:08
スレのレベル云々言い始めると某日本史スレみたくなるから、やめれ。
439日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:13:06
>>437
これが熟女謙信、自讃(書)付きの自画像と伝えられてるらしい
440日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:14:20
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg
肝心のURL、貼り忘れた・・・>>439
441日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:20:38
>>436 同意
謙信が男とすれば、凛々しく禁欲的な男が
あの時代、あんな衣装を着ていた事は、粋だと言える。
無理やりオカマにする必要は、ないな。

新撰組の鬼の副長、土方歳三も日頃のイメージに似合わぬ、女々しいとさえ
言える俳句を残している。へたくそだけどねw


442日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:24:31
>>436 >>441
気持ちはわかるが、スレの趣旨と軸心がズレてないか?
443日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:24:50
反論者は謙信が男であったという事を証明する必要がある。
戒名なんて後人が事情を考慮して如何にでもなる。
生き様と史料を基に推測するとすれば...
444日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:39:19
>>443
>謙信が男であったという事を証明する必要
だから、謙信という名前がそもそも男じゃん、何で改めて証明する必要が
あるの?
戒名は、捏造説でもいいから、女説の人こそまず、なぜ謙信が男名だったか
について、合理的な説明をしてみなよ。君みたいに証明までしろ、とは言わ
んから。
445日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:39:52

いやはや、髭が描かれてないから「女」と断定か、かなわんねえ。
それに「伝自画像」ということは「伝」であって客観的に証明できない
状況にあるということで、「伝聖徳太子像」とかわらん罠
446日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:45:02
男の勘だが謙信は男だな。
447日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:46:34
>440の肖像画て、知らなかったよ
やっぱりオンナなのか
448日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:50:09
>>446
漏れも確信はないが、男の勘でいえば男
科学的合理的には両性具有
希望的には女だな
449日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:52:48
やれやれ、誰がスレをあげたかと思えばやっぱり厨か。
>>444
厨に合理的な説明をしてみなよといっても無理だべさ。

>>442
歌や着物で女だと決め付けようとしている連中に、一言いいたかったの
では。。。
450日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:54:55
戒名のことってあまり知らないんだけど、謙信ほど信心深くて
自身僧侶だったなら、なぜ「院号」をつけなかったんだろう??
なぜ「居士」か。単純な疑問。
451日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:58:46
 残念ながら毎月10前後に生理が起こるというのは不可解でならない。
 生理の周期は必ずではない。遅れることもあれば早まるときもある。
 毎月規則正しく生理が来るのだろうか?
 戦場なんかじゃ生理痛よりも過酷な痛みを蒙る奴等が死ぬほどいる
 大将が個人的な死ぬわけでもない毎月ある生理現象で撤退するなど普通じゃない。
 そんな事をすれば国人が不満もなしに黙ってるわけが無い。
 しかもそれが何度もあったとなると、そんな大将に貴方は我慢できますか?
 むしろこの説は毎月10日前後に何か大事な行事があり帰ってたのではないか。
452日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:09:38
>>451
たしかに
百姓女は生理でも朝から晩まで野良仕事するのに、
主将が生理でさぼってたら国人は離反するわな
453日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:14:06
>>451
漏れも、前から何十年も生理がずれない女性がいたら、ギネスブックもんだ
と書き込んでるのに、謙信女説の人は全然反論してきまへん。

454日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:14:23
いや、そもそも生理は問題外だぞ
旧暦に換算しても、毎月10日に休んでるわけじゃないから
むしろ、決定的に思えるのは髭なしの肖像画だな
他の戦国武将のと比較すると、男とは思えん
皆さんは率直にどうよ?
455日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:14:33
戦場で女が戦っているのであれば数多くの文献や文に残されてもいいはずなのに
不思議なことに謙信の事をよく知っている人物や、戦った相手の文献からは女であるという資料が無い。
書かれてあるのは戦上手であったり性格を褒め称えるもので合ったりするもの。
もし見惚れるほどの美人なれば、手紙などでまっさきに褒め称えられてもおかしくない。
  
スペイン使者の報告書。
使者が謙信に実際にあってるのならいざ知らず、
この使者は謙信自身には合っていない。
つまり謙信が男であるのか女であるのかその目で見てもいない。
  
瞽女唄の「白虫赤虫一二匹、まんじ巴とくるうなか、とらどしとらずきとらの日に、
うまれたまいしまんとらさまは、城山さまのおんために赤やりたててご出陣。『男もおよばぬ大力無双。』」なんですが
瞽女というのは一般的に「盲目」の女性遊行芸人。
つまりこの人は自分の目で謙信を見て歌ったわけでは無いという事ですよね。
456日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:16:49
「赤槍」というのは「平氏」(長尾氏)という意味?
前田慶次郎が顰蹙をかったという朱塗りの槍?
457日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:18:47
男名の問題を無視し続ける女性説者たち。
沈黙は金か?
458日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:20:08
>457
何度も答えてると思うが
女でありながら、男武者を名乗っていたと
459日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:22:15
何か、蒸し返しの多いスレだね
最低でも、全レスを読んでから書き込まないと
議論が拡散するよね
460日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:23:49
土方の俳句好きなんだが…
461日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:24:46
323 :日本@名無史さん :2005/03/26(土) 21:09:00
黒田秀忠が再度反旗翻したとき
謙信は一族全て皆殺しにしたよね
それが16歳のとき。
女なのか・・・?
462日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:30:54
そんな主観的女性像を押し付けられてもな
463日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:35:13
>>461殿は虫も殺さぬ女性が好きなのでありましょう
漏れ的にはツマラソ
巴御前は横田河原で越後城氏(平家方)との戦で7人も討ち取ってる
わけだし
464日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:37:05
伸びるなぁ、このスレ
けっこう熱いしなぁ
465日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:45:10
景勝への手紙についても、女性的に見えるのは、初出の訳が悪いのだ。
↓このように訳せば印象も変わるはずだ。

「陣中の無事を祈願してくれての手紙、感謝している。
見通しがつき次第春日山に戻るので、今回の戦についても話して聞かせよう。
重ねて感謝するが、手紙は嬉しかった。君の心がこもっていることがよく分かる。
そして字も益々上達していると見受けたぞ。手本を送るのでさらに学んでくれ。以上」

どうみても幼い甥(子)と、その成長を素直に楽しむ若き叔父(父)の心温まる交流そのものではないか!
466日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:46:23
影武者とか替え玉とか入れ替わりとか成済ましとかの説は無いか?
時に、女じゃ駄目なのか?美形の婦人ではなく、豪傑タイプの
女だったらどうさ?柔道無差別級で金メダルとった女居たじゃん?
467日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:47:53
>>455
あのー、不思議だから女人説なわけでは?
オンナだという文献や史料が残ってれば、謙信は即オンナだと思われ。
>不思議なことに謙信の事をよく知っている人物や、
>戦った相手の文献からは女であるという資料が無い。
468日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:48:19
>>458
あのねーw
女だった謙信が男名を名乗っててたというのが女説なのは、君が説明しなく
とも、このスレにいる皆は解ってんだよ。
>女でありながら、男武者を名乗っていたと
だからそりゃ、解ってるって。
謙信が男名をなのっていた理由がわからないからきいてるんだから、それを
合理的に説明してみなよ。
何度きいたら答えがかえってくるんだ。
469日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:56:17
>>465
誤訳でつ。正しい超訳は↓
「心のこもった子細なお便り、とくにお守りとしての巻数が届きました。
大変喜んでいますよ。わたくしもやがて用事が済み、もうすぐ帰れますので、
帰ったらいろいろとお話をしましょうね。返す返す、お便りを喜んでいます。
そうそう、喜平次の書の腕がいよいよ上達したようなので、お習字の手本を
書いておくりますネ 謹言 」
470日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:57:42
>468
スレ全部夜目、何度も出てるよ
471日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:04:35
>>468
質問しても激しくぼけた回答しかできない厨に何度質問しても無駄だと
思われ。。。

>>470
漏れスレ全部読んでるけど、468氏のいう合理的な説明は見なかったぞ。
具体的にどのレスがそうなのか指摘してくれ。
何度も出てるなら簡単な事だろ?
472日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:14:21
謙信女論者は、スレ全部読めで煙に巻こうとしている
といってみる
473日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:16:19

このへんでは?
191 :日本@名無史さん :05/03/18 22:16:08
女性が女性のままで多々活躍しているのを見ると、
わざわざ男性として生きる必要は無かったのではないか、と謙信女性説に反論してみる。
192 :日本@名無史さん :05/03/18 22:51:42
>>191
謙信の時代の越後は国人領主連合だったので、守護職が女では
マズかったから隠した。謙信は男になりたかったと反論してみる。
193 :日本@名無史さん :05/03/18 23:26:48
うーむ・・・
474日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:20:17
なんか、このやり取りみてると、
両性具有説が落しどころというか、ツボのような
気がしてきたぞ
475日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:35:41
これも説得力があったな(過去レスから引用↓)

寛文年間に大久保忠清が幕閣に「本朝通鑑」を編集させた際、上杉家に史料の提出が求めら
れたが、上杉家には満足な史料がなかった。元紀州徳川家の家臣で軍学者の宇佐美定祐、
吉良義央らが「川中島五度合戦」を編集して提出。この宇佐美は「北越軍談」など講談
ものの著者。だがおそらく、謙信は生前から男性として通していたのが真実に近いと思
われる。よって、名前や戒名はすべて男性名として遺された。 
476日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:36:17
ていうか女性説より
オカマ説のが当てはまるよ。
生理の問題もクリアーするし
着物の問題もクリアー
将軍にあえたのもクリアー
京女に興味もたれなかったのもクリアー

女性説はこじつけ論に近いものがあるけど
男だが女装趣味しいては女になりたかった(マザコンでもあったし)という
オカマ論のが全然すんなりいく。
477日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:38:05
>>475
満足な資料が無ければ女という理由が確定なの?
478日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:42:42
いや、寛政年間と明治20年代に、わざわざ髭面の肖像画
を描かねばならなかった上杉家の悩みを想像しる
なぜ、下膨れの女にしか見えない生前の肖像画ではなかったのかと
479日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:46:35
まぁ、何だな。信長が女人だつたという小説も
毎日新聞の夕刊に連載されてるが、2ちゃんですら
話題にはならない。政宗女説も、誰も本気になれんし。
だが、謙信女人説はここまで熱くなるわけだよ。
男性説というか、定説固執派もふくめて。
480日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:50:25
あの肖像画からわかること。

オカマにみえる。

着てるもの、もってる物に色気がまるで無い。

つーか手がごつい。

目は一重。

二重あごになりかけ。

信長の肖像画の顔も輪郭こんな丸いよね。

胸はたいら。

あえて、あぐら姿勢


結論

お世辞にも女には見えん。

481日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:53:18
うーん・・・
鶴姫や艶御前の場合は成り行きで女大将(城主)になった
わけだが、越後守護が女ではマズかっただろ?
正式に家督相続した立花ギン千代も、婿取りが前提だしな
独立性の強い豪族たちの手前、女であることを隠したが、
女らしさは失われなかった、てのが最近の謙信女性説なんだろ?
482日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:55:26
>480
悪いが、支離滅裂で意味不明だ
483日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:56:00
あの肖像画の謙信で女に見えるのなら
筒井順慶なんか女といっても不思議じゃなくなるね。
484日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:58:18
>>482
肖像画を見ての率直な感想だけど?
女性信者は女性に見える意見じゃなきゃ
見た目の感想をいうだけでも支離滅裂っていうのか?w
485日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:58:56
>あぐら姿勢
???
どうやら、禅宗の只管打坐を知らないらしい
486日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:01:20
そういや大友宗麟の肖像画も上杉謙信みたいな感じだけど
あれも女に見えるのか?
487日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:01:41
むしろ、どう見ても女性っぽいのは常安寺の僧形肖像では?
488日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:03:40
無知な香具師が印象だけで見ても、当時の肖像画(仏画)
は理解できんだろうよ!
489日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:04:32
んじゃ↑のどっかで言ってた
女性つーのは少なくても絵から証明できんってことだな
490日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:05:49
ちがうぞ、素人にはわからんと言っているのだ
491日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:13:32
専門的に言うと、正倉院の鳥毛立女人像(飛鳥)〜下膨れの平安美女
(源氏物語絵巻)の流れ。謙信が源氏物語の愛読者だったのは
周知のとおり。常安寺の仏画の様式(並二臣)は、室町中期からの流れ。
林泉寺の伝自画像は布に前者の流儀で描かれたものだが、自讃の鑑定
をしてみると自画像かどうか判明するはず。自讃(書)では、自画像説
が有力とされている。
492日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:19:41
いずれにしても、甲冑姿の江戸時代の謙信肖像画の流れと
明治時代の髭面謙信の流れとは、大きく隔たっているというのは
理解しろよ。問題はその隔たりの意味を、現代のわれわれが
何を読み取れるかだ。
493日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:20:15
494日本@名無史さん:2005/03/29(火) 03:49:46
>>492
うん? 正確にはこうだろ?
1法体の髭なし女(おばさん)っぽい肖像画の流れ→伝生前の自画像
2甲冑姿の男っぽい武者画像→伝江戸初期の絵師
3いちばん流布している髭面画像→1をもとに、明治時代に描かれた
4室町中期からとされる仏画様式→武田信虎あたりのも同じ形式主義の描写
5軍師みたいの→1をもとに、江戸期の軍師風に描かれたもの
※このうち、1と2が多数残っている。というか、元はひとつだが、
写しとして多数がある。ちなみに。2(最多)は、じつは複製の多い版画。
1は布に描いたものなので、自画像? 少なくとも生前のものと言われている
495日本@名無史さん:2005/03/29(火) 03:53:08
あっ、間違えたよぉ・・・>>494
>※このうち、1と2が多数残っている。というか、元はひとつだが、
>写しとして多数がある。ちなみに。2(最多)は、じつは複製の多い版画。
2=3です。汗・・・いちばんなじみのある3は、多色刷りの版画なのです

496日本@名無史さん:2005/03/29(火) 04:07:14
DNA鑑定きぼん
497日本@名無史さん:2005/03/29(火) 04:14:43
>>496
それが良い。
武田のように滅亡する事無く、紆余曲折はあっても明治まで
大名として存続した上杉氏。
それなのに始祖とも言うべき謙信は有名な川中島の事まで
江戸期に語られた伝承の内容が幅を利かせている。

神格化も良いが鑑定によって女性説以外にも色々な発見が
あるかもしれん。
どうよ?上杉財団。
498日本@名無史さん:2005/03/29(火) 05:40:15
>>497
けっきょく、このスレの結論は仰せの通りなのだが、
「便所の落書き」と称されるここでは、結論も結果も出ない。
 ♪君がためしや、千代の初雪(あなたがしてみなさい、この初雪にかけて)
景虎タンと歌合せの義輝公、御製。含意は、おまいが上杉財団に掛け合え!
わたしは御免だぞ、謙信公に関してわからないことは多すぎるが。

499日本@名無史さん:2005/03/29(火) 09:35:08
この際洗いざらい徹底的に調べることは今後の火種をなくすためにも良いように思うよ。
自分達の常識とかけ離れた説は、すぐに珍説と切り捨ててしまう傲慢さは学者にとっては致命的だ。
とは言っても俺は飢えすぎ財団の電話番号なんて知らんがな。
500日本@名無史さん:2005/03/29(火) 09:59:50
DNAから顔の復元とかもできるっけ?
性別の件もだけど忠実な謙信像が見たい
というかクローン作って欲しい
501日本@名無史さん:2005/03/29(火) 10:02:07
むしろ上杉財団に墓掘り返させるために
じゃんじゃん珍説奇説電波説を流すべし
 
502日本@名無史さん:2005/03/29(火) 15:51:23
謙信という名前が男説の根拠って弱くない?
仏教色の強い名前だから、中性的に見えるし。

戦場に出るくらいの女性だから、通称くらい勇ましい中性的なものを使っても
むしろ当然だと思うんだが。
503日本@名無史さん:2005/03/29(火) 15:55:02
生理が毎月狂わなければギネスブックだとか言ってる男説の論者がいるが、
謙信は毎月出陣していたのか? そもそも、この辺りがどうなのよ?

それと、生理周期が狂ったら狂ったで、
体調の気遣いをするのが女ってものだと思うが?

男説の論者、いかに?
504日本@名無史さん:2005/03/29(火) 16:03:53
初めてやったゲームブックでも謙信は女だったよ(´∀`)
505日本@名無史さん:2005/03/29(火) 16:30:11
初めて昔の肖像画みたが、本当に女っぽいね。びっくりした!
髭は不自然に無いし、なんか穏やかな顔した叔母ちゃんみたいだな。

でも、謙信って黒田秀忠の一族を皆殺しにしてんだね〜。
俺の謙信イメージでは、そういうことやる人じゃ無かっただけに、
ちょっとショックだ…
506日本@名無史さん:2005/03/29(火) 17:15:41
女のほうが残酷だぞ、感情で殺しちゃうし。
イングランドのメアリー女王とか、則天武皇とか。
でも、黒田を皆殺しにしたのは、2度目の叛乱だったし、
次兄の景康(史料に乏しいが)を殺されたあとだからな。
軍鑑や江戸時代の講談ものでは、行く先々で手討ちにしてる。
漏れ的には、小田城で奴隷売買を許可してる(別本和光院和漢合運)
ほうがショックだ。女大将が涼しい顔して、
「その娘子は二十貫文からの競りじゃ。いい体をしておるぞ、
さぁ買った買った」
ってな感じ?
507日本@名無史さん:2005/03/29(火) 18:59:28
>>505
筒井順慶
http://rekiju.hp.infoseek.co.jp/image/sengoku/junkei.JPG

大友宗麟
http://rekiju.hp.infoseek.co.jp/image/sengoku/ootomo.JPG

もしこいつ等にも女説があったら
この絵も女に見えてくる。

そんなもんだよ。
508日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:08:55 ID:
ぜんぜん、そうは見えないが・・・
謙信の唇の女っぽい色彩に比べるとねぇ
509日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:26:37
>>508
・・・・・・・・・・・・・・
510日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:31:15
>>508はブス専デブ専に共通するもんあるね。
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg
女っぽい色彩・・・・????つり?
女性画見たことある?
511日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:31:56
唇なら大友宗麟の方がキュート。
512日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:34:30
>>507 >>508
ちがうぞ、君たち。伝謙信自画自讃像の画風が問題なのだ。
女に見えるとか見えないとかではなく、女性を描いた伝統的な
画風なのだから女、ということになる。
そもそも講談もので描写されてる謙信は「ほそおもて」「頬が
青白く痩身」であって、現存する兜の頬当てを見ても頷ける。
ところが、自画像が下膨れなのは、女性を美化する画風で飛鳥時代、
平安時代から伝統的なものだと考えられる。美的価値は時代とともに
変わるものだが、西洋文明が入ってくるまで文書に残されている
美的価値は、女は下膨れが美女、男女ともに目が寄ってないこと、やせぎす
の容貌は貧相だというのが一般的で、江戸時代になって髪型の流行
がある程度なのだ。よってもって、謙信自画像は自分を女として美化
してみせたということになる。ちなみに、八切氏の謙信は肖像画を
描かせなかったは、誤説。死の直前にも描かせている。
513日本@名無史さん:2005/03/29(火) 20:50:16
そうなの?
514日本@名無史さん:2005/03/29(火) 21:21:16
>>510の肖像画、わたしも好きだな。
色調がいいね、いかにも戦国武者って感じがしないところも。
515日本@名無史さん:2005/03/29(火) 21:44:27
>512
まあ、見る目がない香具師が見ても、わからんということでつかね
516日本@名無史さん:2005/03/29(火) 22:19:32
このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
盛り上げてるというところか。
517日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:00:52
>>516
>粗雑な論理を展開
?? 論理があればまだしも、一知半解の香具師ばかりだから、
もう……。
518日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:11:52
若いころから女装
成長してからも華美・華奢な衣装
小姓に美童を揃える
しばしばヒステリックな大虐殺
黒人を寵愛
いっけん、やさ男
声は、はなはだ高い(宣教師の報告)














織田信長ですた
519日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:31:25
>>518
ageるな、ヴぉけ! うつけ者っ!
520日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:32:44

肖像画なら、家康だって「ふくよか」型の美女として捨てがたい
521日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:38:41
なっ、ちょっとでもageたら、こんなアホ↑が来るだろ
肖像画だけなら戦国武将の全員が女か?
522日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:47:24
>>521

いや、要するに全員女にするのが究極の目的
523日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:54:30
もう三戦レベルだな、内容が。
524468:2005/03/29(火) 23:55:27
男名だった問題について合理的な説明が本スレに何度も書かれてある、と言う
事で大いに期待したのに、
>>473 のたった2行だけとは、はぁー

>守護職が女ではマズかったから隠した
過去の女武将の存在や、国人達に女である事を隠しきるのは不可能だと、この
レスの後で論じられて、それに対する有効な反論は一切なされていないよ。
>謙信は男になりたかった
この性同一性障害説もその矛盾が指摘された後、全く異論が唱えられてない。
スレ全部読めと言ってた人、まず自分が全部読んでよ。

>>475
本スレになかったので、わざわざ別の過去スレからの引用とは、ご苦労様。
しかし、その文章なんか意味不明だな。謙信を男と思い込んでた宇佐美らの
資料を基に、幕府が「本朝通鑑」が編集したが為男名だけが残ったという解釈
でいいのかな?
「本朝通鑑」だけが、今日謙信を伝える資料となっているならその説も、説得
力はあるけどね。しかし、致命的なのは
>だがおそらく、謙信は生前から男性として通していた
そもそも、謙信が生まれる前から男性としてして通していた理由がわからない
のに、どうやって納得したらいいんですか?

>>502
政虎や景虎も中性的?

長文スマソです。

525日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:25:04
意気軒昂だった女性説派たちが、524氏の出現で一斉に姿が消えた
といってみる。
526日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:37:30
>>524
だいたい、こんなとこじゃ?
>481 :日本@名無史さん :2005/03/29(火) 01:53:18
>うーん・・・
>鶴姫や艶御前の場合は成り行きで女大将(城主)になった
>わけだが、越後守護が女ではマズかっただろ?
>正式に家督相続した立花ギン千代も、婿取りが前提だしな
>独立性の強い豪族たちの手前、女であることを隠したが、
>女らしさは失われなかった、てのが最近の謙信女性説なんだろ?

>本スレになかったので、わざわざ別の過去スレからの引用とは、ご苦労様。
 うん? 本スレにあった(>>128)けどな?

>>守護職が女ではマズかったから隠した
>過去の女武将の存在や、国人達に女である事を隠しきるのは不可能だと、この
>レスの後で論じられて、それに対する有効な反論は一切なされていないよ。
>>謙信は男になりたかった
>この性同一性障害説もその矛盾が指摘された後、全く異論が唱えられてない。
 わかってないなぁ……。
※性同一性障害=単純にいえば生まれついた性への違和感だが、
トランスセクシャルの場合は、女でありながら男でありたい欲求と同時に、
その欲求は異性の属性(自分に欠けているもの)への憧憬であって、
それが満たされると、本来の性の属性にアイデンティティを持つもの。
したがって、女(男)である自分を異化することにより、ジェンダーへの
反抗と同一化の狭間に立たされる(某ジェンダー学者の説)。女でありながら
男武者を願望し、女の属性を否定できない(上杉謙信)のような症例も不合理ではない
はずだと思うぞ。
527日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:40:47
>>524

>生前=生まれる前

御乱心ですかw
528日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:47:09
>>524殿 揚げ足スマソ・・・
>謙信が生まれる前から男性としてして通していた理由がわからない
生前(生きていたころ)を生前(生まれる前)と誤読しているような・・・?
生まれる前(胎内)で男性として通したとは、どうしても思われませんので。
529日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:59:12
>生前(生まれる前)

???日本語的に無理だろ!
530日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:59:48
>>528
そこで変成男子の秘法ですよw
531日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:03:27
>528
謙信は天才だから、生まれる前にアレコレ考えていた
かもしれんぞ。もしかしたら、川中島合戦の戦術も胎内で。
532日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:09:58
やっぱりこうなっちゃうの?

>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
533日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:15:14
>524 :468タン
>政虎や景虎も中性的?
はい、三戦板では、政虎(まんとら)は「まさこ」
景虎(かげとら)は「けいこ」と呼称しておるようです
534524:2005/03/30(水) 01:20:10
>>528
>揚げ足スマソ・・・
いえいえ、あなたの揚げ足とりでは、ありません。
謙信が(宇佐美らが)生まれる前から(上杉家が)男性としてして通していた理由
がわからない
と、書かないといけなかったのに、省略して書いてしまった自分に否がありま
す。スマソです。

>>526
これも、過去レスを過去スレと読み間違えた自分のミスです。
しかし、
>全く異論が唱えられてない。
は、事実でしょ。
異論を唱えたのは、あなたが初めての筈です。


535日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:24:01
>>534 :524
なんと言うか、すこぶる誠実な人だな……
536日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:45:21
>526
↓これって、ジェンダー論というよりフロイドだろ?
 アニマ(男性の体中にある理想の女性=女性願望)アニウス(女性の症例)
 異性になりたい願望だよ、けっきょく。そうすると、謙信は女装が好きだった?

>トランスセクシャルの場合は、女でありながら男でありたい欲求と同時に、
>その欲求は異性の属性(自分に欠けているもの)への憧憬であって、
>それが満たされると、本来の性の属性にアイデンティティを持つもの。
>したがって、女(男)である自分を異化することにより、ジェンダーへの
>反抗と同一化の狭間に立たされる
537日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:58:41
>アニマって・・
なんとなくわかるよ。
卑俗なハナシだけど・・、オナニーをする時に
女の気分になってするか、男の気分になってするか
自分の中にある女(男)の部分を意識するって、そういうこと?
538日本@名無史さん:2005/03/30(水) 02:04:19
>537
別の板に逝って寝
539日本@名無史さん:2005/03/30(水) 02:21:10
>>537クン
意味は間違ってないけど、若干スレ(板)違いですね。
540日本@名無史さん:2005/03/30(水) 02:29:46
肖像画を見て「女に見える」「女に見えない」って
いつまでも平行線だからやめませんか?

確かに、女だということを隠し通すのはかなり困難でしょうね
そのために越後からほとんど出ずに引きこもっていたのならともかく
あっちこっち出かけてるわけだし、行く先々で人の目もある
「謙信公は女だった!」なんて恰好のスクープになりそうなものなのに
女性説の根拠となっている資料はずいぶん回りくどい表現というか…

ただ、「女の可能性ゼロ!」とも言えないのがこの説の面白いところだなぁ
ハッハッハ
541日本@名無史さん:2005/03/30(水) 02:46:18
え? >>540
>「謙信公は女だった!」なんて恰好のスクープ
そんなものがあればあなた、頼山陽もあんなヘタな川中島の漢詩を
作らずに済んだでしょうね。ここで論じられてる女性説も、
そもそもなかったはずですけど? 歴史というのは確実な史料(成文)がないから、
つねに一見してトンデモの異説が論じられるのです。
ましてや、川中島合戦の存否も含めて、謙信公の痕跡は消されているのですから。
542日本@名無史さん:2005/03/30(水) 02:57:39
>>540
>肖像画を見て「女に見える」「女に見えない」って
>いつまでも平行線だからやめませんか?

ちゃんとレス読めよな。女に見えるか見えないかじゃなくて、
画風の問題なんだぞ! ageてるところをみても、ちゃんと
スレを読んでるとは思えんな。
543日本@名無史さん:2005/03/30(水) 04:06:20
>女性説の根拠となっている資料はずいぶん回りくどい表現というか…
仮説が回りくどいのは当然だろう。ナマの資料があれば、それで終わりだぞ。
544日本@名無史さん:2005/03/30(水) 09:00:06
>>535
同意。
男と偽ってた理由をのべられずに、くやしまぎれにアラさがしではしゃい
で、問題点をごまかそうとしてる廚どもと好対照だ。
545日本@名無史さん:2005/03/30(水) 09:20:25
>>533
大名として振舞うために、男名があった方が便利だったんだろうな。
むしろ謙信は、相撲をとるくらいだから、男性願望があったんだろうな。
546544:2005/03/30(水) 09:22:47
544の追加訂正
いかん、男と偽る事は不可能だという指摘をスルーしないと、
偽ってた理由がのべられない厨ども、と書かんとオイラも
アラ探しで煽られるなw

547日本@名無史さん:2005/03/30(水) 09:23:34
↓ここまでの流れを簡潔に説明
548日本@名無史さん:2005/03/30(水) 09:30:40

八切止夫の糟粕
549日本@名無史さん:2005/03/30(水) 09:44:08
司馬遼太郎の長宗我部元親の小説に、
女同士が采配を振るったり、武器を振りまわすシーンがあったな。
戦国時代の女が采配に不慣れって事は、別に無かったのかもね。
550日本@名無史さん:2005/03/30(水) 10:33:07
>>529
> >生前(生まれる前)
> ???日本語的に無理だろ!

ttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%B8%C1%B0&kind=jn&mode=0&base=1&row=1

まず日本語から勉強しなおせ
551日本@名無史さん:2005/03/30(水) 11:53:49
>>550
ん?
529はわかってるからそう言ってるんだろ?
552日本@名無史さん:2005/03/30(水) 11:57:18
史料研究の前に日本語の勉強か・・・
ますますレベルが低くなってきた。
553日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:11:58
>>550

恥の上塗り
554日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:48:27

謙信は女として生まれた。父は寺に預けて変成男子の法を施すよう依頼した。
結果、男根が生じた。めでたし、めでたし
555日本@名無史さん:2005/03/30(水) 13:31:01
ごめん、もう少しおもしろいネタを書き込んでくれ
萎えた
556日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:25:41
クリが肥大した女の子という事で
557日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:33:01
肖像画の画風なんてのも何も根拠にもならないなぁ。
当時の肖像画の中にも下膨れじゃない女性像もあれば、逆に下膨れな男性像もある。
肖像画のことで言い争うのは完全に不毛だ。
558日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:48:42
>>557
不毛だとは思えないね。もし本当に自画自讃像なら
謙信が自分を見せたかったのかという問題。
謙信に関する史料は、手紙も3人ほど祐筆がいたとされ、ほとんどが
後世のでっち上げと考えられているから、大きな手がかりだと思う。
>言い争うのは完全に不毛だ。
単に書き込みを楽しむつもりなら、日本史板は不向きなのでは?
559日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:50:04
スマソ、訂正↓
×謙信が自分を見せたかったのかという問題。
○謙信が自分をどう見せたかったのかという問題。

560日本@名無史さん:2005/03/30(水) 15:14:56
>558
そういう話の流れになればいいんだけれどねぇ。
561日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:00:05
自画像を、素人がみてもわからんが、見る人が見れば明らかに女性を
描いた伝統的な画風だと断言してるけど、超有名人のしかも、男性と
信じられてた人の画なら、それを指摘してる文献が存在するはずじゃな
いのか。
そういうのが、ある筈だよな。
562550:2005/03/30(水) 17:43:14
524と間違えた……orz
563日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:49:20
>561
ない。指摘したくても、活字する勇気のある学者は皆無。
そんなものがあれば、今ごろ2ちゃんなんぞで
こんな議論になってないだろ。
このスレッドが「謙信女性説」の最先端の
論壇なんだよ。めっちゃレベル低いけど。

564561:2005/03/30(水) 18:28:53
>>563
この絵は女性を描くときの伝統的な画風がとりいれられてる、と書くのに
なんで勇気が必要なんだw
その後に、ですからこの絵の人物は、女です。と書くには勇気(電波?)
が必要だけどね。
とにかく、知識がある人がみれば、誰でもわかる常識だとしら、画風に
ついて触れないことのほうが、逆にその人の鑑定知識を疑われるぞ。
あと、別に権威ある文献とかじゃなくもね本やサイトの孫引きでも
かまわんから、なんかないの?
565日本@名無史さん:2005/03/30(水) 18:52:11
>>561
肖像画の研究というのは、歴史研究者の意外な弱点なんですよ。
長谷川等伯の作といわれる有名な「伝武田信玄像」も、畠山義続
ではないかとされていますが、山梨県民(地元の歴史研究家)の
猛反発を受けてますよね。じつは明治時代からこの説はあったんですが、
ほとんど省みられることなく、例のでっぷりと肥った(貫禄のある?)
肖像画が信玄だとされてきたわけです。
謙信の場合も明治31年に作られた多色刷りの版画が、代表的な肖像画
とされていますが、構図からいってこのスレで問題になっている林泉寺
のものが元になってるのは容易に想像できます。ところで、じつは謙信
自身が蔵田五郎左衛門を通じて京都から画工を呼び寄せて描かせ、死去
した日に完成した「御雲昇天之図」という肖像画があるのですが、
高野山に納められていたこの肖像画が明治21年に焼失したため、
いちばん似たものをと、明治31年の肖像画(版画)が作られたわけです。
 ところが題名をみてもわかるとおり、おそらく構図はまるで違う
のではないか。むしろ、林泉寺のものを真似たのではないかと考えられて
います。焼失した「御雲昇天之図」の写し(貴重な絵画は写しが残されて
いることが多い)が発見されたら、謙信の本当の容貌が明らかになる
はずです。髭面の謙信なのか、女性っぽい印象の謙信なのかが・・・。
いずれにしても、中世肖像画の研究が本格的に始まったのは、つい
最近のことなのです。

566日本@名無史さん:2005/03/30(水) 19:05:27
謙信が男だろうが女だろうがどっちでもいいが
美女って言うのは無い。
567日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:44:46
大虫が当代記に書かれてあるとあるが
その資料には不思議なことに上杉謙信が女と書かれてない。
『その「当代記」を始め、古い文献には「越後景虎大虫にて卒す。」と書かれているものがいくつかある。』
と書いてるが「いくつか」というのは何の本なのか、ちゃんと書いてほしいところ。
マトメサイトは何故あえて当代記の名前だけを出し紹介してるのだろう。
他のどの資料にかかれてあったか知ってる人いる?

毎月10日前後に腹痛ってのも生理で帰ったと書いてないんでしょう?
つまり腹痛→生理というのはこの説を唱えてる人の思い込みでしかないと思うけど。
マトメサイト書き方は誤解を生むと思う。
そもそも謙信が女であるのなら腹痛とかかずに生理で帰っていたと書かないのか不思議。
女性の病気「大虫で死んだと」はっきり書いてるある古い資料が残ってあるのなら
「生理で戦から撤退した」と書いても問題無い時代だったんでしょうし。
何度も生理で帰ってあるなら腹痛って理由じゃなく生理で帰ったと書かないのが変。

568日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:58:01
>567
八切止夫は『当代記』しか挙げてないと思う。

公家や宗教関係者の日記には死因は書いてないのかなぁ?
569日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:02:53
肖像画なんだけど
マトメサイトに書いてある「女性説の上杉家を守るために謙信を男性化する必要があった」ってのが理由なら
今現代に現存している謙信の肖像画と言われるものは自然と全て男性ということになるんじゃない?
女というだけでお家の取り潰しにかかわるほどの事なら徹底されてただろうから。
その点から考えると戦国から江戸後期まで謙信が女性として書かれた絵というのは自然と残らないよね。
もしそんなものが勝手に書かれていたのであれば
当然男性と言い張っている上杉がクレームを出して潰すでしょうし。

女性説の理論で考えたなら
現存してある上杉謙信の絵は皆自然と
男性として書かれた絵だから問題なく残ってる絵となるんだが。

↑のほうでこの肖像画は女だろって言ってた
信者ぽいひとはこの点をどう思ってるの?
570日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:04:53
戦国時代には既に
「大虫は女しかかからない病気」って判ってたのか?
現代よりも遥かに医療や病気の知識が劣っているあの時代に。
571日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:25:30
>>569
例の自画像をもとにした髭面謙信が、たくさん残ってるよ
甲冑姿で髭面のも。どれも江戸時代に描かれたもの。
自画像だけが、見方によっては女に見えるわけで、
八切説のとおり、じょじょに髭を付けて男性化させていった
と思われ。(参考資料「新潟県歴博紀要」上杉謙信の虚像)
572日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:38:55
>「大虫は女しかかからない病気」って判ってたのか?

少し考えてから書けよ
八切説では婦人病であって、伝染病とかじゃないんだぞ
マムコから出血して死んだのなら、男には無理でしょう
と思われ

>他のどの資料にかかれてあったか知ってる人いる?
『松平記』じゃないのか?
573561:2005/03/30(水) 21:48:11
>>512
画風だけで女だと断定するのは、衣装が女性的だから女だと断定するのと
同じレペル。
単に謙信の美意識の問題だろ。

>>565
信玄のほかに、尊氏や頼朝なんかも肖像画疑惑あるよね。「御雲昇天之図」
の写しが見つかっても、謙信のものだと断定するのは、難しそうだな。
ましてやこのスレじゃ髭があっても、それは後から付けられたで、一発
轟沈w


574日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:03:04
そう、かならず謙信は女だという結論になるのだ。
それがイヤなら、このスレに来ないことだな。
575日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:14:16
キミに美術史の考古学的考証が無理なのはよくわかった。

>画風だけで女だと断定するのは、衣装が女性的だから女だと断定するのと
>同じレペル。
576日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:21:25
>>574
お前さんにふさわしいスレはこちら
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50
577日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:39:45
またこういう流れなのか↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
578日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:50:32
血ヲタスレみたいな流れだね。
579日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:25:14
つまりあまりに巧妙に男装していたため、家臣や他の大名や女人禁制の
お寺でもバレなかったってこと?
580日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:26:46
↓このスレを日高レポート風にまとめよ
581561:2005/03/30(水) 23:28:41
>>575
>キミに美術史の考古学的考証が無理なのはよくわかった
でたね、自称専門家の決めゼリフw

よくいるんだよね、こういうタイプが。。。
どっかのスレでは、突っ込まれると「俺は大学教授だ。無知なキミたちに
これが解るはずが無い」と叫んで暴れてたなぁw
582日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:43:32
>561タン
そうかなぁ・・君が最初に画風の分析を
放棄したんだろ? 日本画の歴史を勉強するでもなく
新潟県歴博紀要の「上杉謙信の虚像」を読んでるとも
思えないようだし。日本史板に来る以上、クレクレではない
独自の史料分析や歴史観を持つべきだと思うぞ
583561:2005/03/31(木) 00:02:25
>>582
おっと、まじレスさんくす。
584日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:22:31
これからこのスレは、誠実で生真面目な>>524さんと
少しやんちゃだが歴史研究に情熱のある>>561さんを中心に展開します。
おふた方が立派な謙信研究家に育つよう、皆様方の暖かい
ご支援を御願い申し上げ候
  恐惶謹言   不識庵♀
585日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:32:35
肖像画も顔以外の場所に着目すれば、あれは男性を描いたものだと一発で分かるのだが。
586日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:32:59
さりげに♀か(笑)
587日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:53:24
謙信女性論派も男性論派も中間派も、今このスレに残ってるのは、もう謙信
ファンだけだと思うんだ。
熱くしかし、仲良く語ろうぜ!
588日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:56:21
>>587
御意!
589日本@名無史さん:2005/03/31(木) 01:41:47
>>585
どこら辺りに着目すればいいの?
590日本@名無史さん:2005/03/31(木) 01:55:42
あぁぁぁ〜
激しく遺骨の鑑定して欲しい・・・

死因も一般に言われてる卒中じゃなく他の病気なのか?
激しく知りたくなってきた
591日本@名無史さん:2005/03/31(木) 02:03:45
585ではないが・・・
上杉神社の髭謙信は、右手に軍配・左手に数珠・刀は刀掛けに・足袋が見えない
林泉寺の髭なし謙信は、右手に扇子・左手に軍配と脇差(持っているのかな?)・
足袋が見える。
林泉寺には髭謙信(明治31年5月の讃)もあり、大阪城天守閣(享保頃)には
林泉寺の髭なし謙信の写し(要門軍学派)のがあるけど、軍配を持ってない。
根井浄氏所蔵のは髭なし系統の構図(右手に扇子、左手脇差と軍配)だが、
あごひげがある。同じ系統の京都大学のは鼻髭で、持ち物の構図は上記と同じ。
高野山清浄心院の甲冑姿のは、床机に腰掛けて右手に軍配・・・
てことは、軍配を右手に持つのか左手の脇に持っている(挿している)
というのが、大まかな違い。栃尾常安寺の「謙信並び二臣像」は、右手に扇子。
わかったぞ、軍配を右手に持つのか、扇子を右手に持つのか、ではないのか?!
592日本@名無史さん:2005/03/31(木) 02:13:47
>591の追加だが・・・
明日から、当時(戦国期と江戸期の)仏画と武将像の
「右手に軍配か扇子か?」をいろいろ調べてみるよ。
593日本@名無史さん:2005/03/31(木) 13:42:06
上杉謙信 山田邦明著 吉川弘文館刊

これ出版されたかどうか誰か、誰か知ってる?
594日本@名無史さん:2005/03/31(木) 14:15:23
595日本@名無史さん:2005/03/31(木) 20:34:12
>>594 悪い香具師だな

>>593 本当に出る予定の本なのか?
山田邦明なら「戦国のネットワーク」が好著だが。
596日本@名無史さん:2005/03/31(木) 20:35:58
「戦国のコミュニケーション」だった、スマソ 595
597日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:31:36

ま、よく分かんないんだけど漏れとしては
>「当代記」を始め、古い文献には「越後景虎大虫にて卒す。」
とか言われたって、「当代記」の筆者が曲直瀬道三とか、せめて医者とかなら
記述を信じようかという気になるが、シロートの単なる伝聞だったら信憑性は無いな。

それと「大虫」ってのも知らないんだけど、例えば北里研究所附属東洋医学総合研究所
医史文献研究室あたりが、絶対に男にありえない婦人病である、とか御墨付き出してくれんと
信じる気にはなれんわな〜
598日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:58:26
>>597 偉い医者連れて、タイムマシンで天正6年3月9日に
逝ってみるか、>>572でも読むべし
599日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:25:20
そもそも「ただし民俗では一般に虎のことを婉曲表現で大虫ということがあるそうです。色々虎に縁の逢った謙信(寅年生まれの寅年死亡)になぞったとも考えられる。」
とまとめサイトにも大虫というのもこの事だったのかもしれない。と書いてあるのに
ここの女性信者はナンデ死んだのは大虫しかありえないと思ってるの?
こういう点とか脳卒中でなんで死んだと言われてるのかのほうも見ろ。

>>572
>他のどの資料
オイオイ
『「松平記」そのものが江戸時代に編纂されたもので資料としての価値は低いと言われており』
という位置づけになってるんだから
大虫説ってこんなのにウサンクサイものに載ってんのかよ。
だから他の資料を紹介しなかったわけか。
600日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:50:47
>>599
 じゃ訊くが、江戸時代に編纂された史料(歴史書)以外に
信頼できるのがあるのか? 「妙法記」「信長公記」あたりしかないと
思われるが、599サンの信頼している史料を教えてくれ。
 そもそも、謙信が軍神だったという評価も「軍鑑」をもとに
した宇佐美講談しかないわけだ。言っておくが、男性説派も女性説派も
その意味不明の「まとめサイト」をもとに論じてるわけじゃないんだぞ。
確実なと思われる史料がないから女性説を切り口に、真の謙信像に迫ろうと
しているわけだよ。不確かとされる史料も当たりつつ、その根拠となった
伝承なり噂なり、記した人の真意、含意に肉迫する。それが歴史に向かう
態度だと思うぞ。
601日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:13:48
>599殿は「当代記」「松平記」が「ウサンクサイ」という理由を
簡潔に述べてくださいね。原書を読んだ上での評価でつか?
べつに読んでなくてもいいんでつが、権威ある国書刊行会で
「戦国期より江戸初期までの表裏を研究すべき、唯一の根本史料」
とされてきたわけでつよ。
602日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:36:57
さすがに驚いたな、『松平記』が「うさんくさい」とされていたとは・・・
もしそうだとすると、これをもとにした『本朝通鑑』も『本朝史記』(大日本史)
の戦国期の記述もトンデモということになるわな。日本史崩壊か?
603日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:41:06
>>584
524だけど、自分はそんなゴリッパな人間じゃありませんよ(汗
出張の多い職業なので、ご期待に答えられそうにもありませんが。

さて、女の謙信が男名を名乗った理由と考えられる説の一つ、謙信が男になり
たかったという性同一性障害説についてだけど
性同一性障害について、ちょっと調べてみたら、これって多種多様でレベルも
個人差があるようですな。性同一性障害としての矛盾が指摘されてたけど、
全然問題ないみたいです。つまり、男性的部分と女性的部分が色濃く同居して
る状態。だから、男名を名乗りたがったという説明。
しかし、この説のネックは、幼名の虎千代。
さすがに、幼名まで自分で名乗ることは、できんと思われ。

あと蛇足だけど、男が女装や化粧をするのは、広義の意味での性同一性障害
もあるけど、昔読んだ心理学の本によれば、変身願望もあるそうな。
それと、アニマとかは、うろ覚えだけど、ユングではなかったかと?
スレ違いスマソ

>>593
人物叢書だよね。まだ出版されてないみたいです。
出たら、自分もホシイッス。
604日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:51:03
>601
「当代記」と「松平記」を併記しちゃいかんだろ。前者は信憑性高いが、後者は…。
605日本@名無史さん:2005/04/01(金) 00:00:29
>603
たしかに名前の問題は、現在と違っていろいろ解釈が難しい
たとえば、
謙信=虎千代(八切説では阿虎)→平三景虎→政虎→輝虎→不識庵(謙信)
姉 =亀→綾→仙洞(桃)院
で、姉に亀姫、綾御前(綾御寮人)と尊称をつけることで、虎千代姫というのも
ありえてしまう。と言いますのも、謙信の平三という家中名が、彼(彼女)の
元服当時、為景の三男とされる景房が病没した後だったので、三郎とされたの
ではないかと考えられるからです。ふつう、長尾景虎に平三は挟みませんよね。
よって、虎千代姫もありえるのですが、むしろ「阿虎姫」のほうが自然だし……。
性同一性障害については、わたしも研究してみます。お説のとおり、アニマはユング派
ですね。またお仕事の合間にカキコしてください。人物叢書ですか、楽しみです。
606日本@名無史さん:2005/04/01(金) 00:11:00
途中に(景虎と政虎のあいだ)宗心という法名もありました(汗)605 拝
607日本@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:21:23
>>605
立花ギン千代の例もあるからなぁ・・・
608日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:08:15
皇紀2665/04/01(金) ?
今年度から、神武紀なのか?
609日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:09:15
慶長410/04/01(金) ?
何じゃこりゃ、楽しいけど。も、一回!
610日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:10:17
てすと
611日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:14:35
上のほうも皇紀とか慶長になってた。
顰蹙モノかもしれないが、ageてみるよ。
612日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:17:05
闇千代は幼名のままだったのかな?立花闇千代〜と続くのかな?“景虎”みたいな名が。
613日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:20:54
闇千代姫のまま、あとはケコーンしてから
何になったかは記録に残ってない。女は死んでから
名を残す? でも、何で慶長? 天文か永禄にしてほし。
614日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:30:09
三戦板に寄ってみたら、こーだった↓
黄帝生年紀年4716/04/01(金)
615日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:37:10
↓らしいよ
520 名前:出土地不明[] 投稿日:太陰太陽暦2665/04/01(金) 01:04:37 ID:Z3wkqw00
基本:皇紀
イスラム情勢:ヒジュラ太陽暦
創価・公明 神社仏閣:仏暦
ハングル:檀君暦
東亜+ 中国 三国志・戦国:黄帝誕生暦
極東 ニダー:主体暦
日本史板:慶長
中東+:ユダヤ暦
旧シャア:宇宙世紀
新シャア:コズミック・イラ
世界史:エジプト暦
懐かし系板:昭和
考古学板:太陰太陽暦
616日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:41:12
慶長年暦じゃ困るよな
謙信公死んでるもん。
617日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:55:41
ひろゆきのエイプリルフールか?
618日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 03:15:43
またこういう流れなのか↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
 とまでは言わないが、>>597 >>599はメゲたのだろうか?
 不毛な言い合いを避けてる(らしい)良スレなんだから、
 復活して欲しいものだ。泰平の世、慶長年間なんだし。
 

619日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 08:17:58
江戸時代の軍学者が謙信を男にした。
謙信の武名が上がったので、米沢藩は放置した。

こんなとこじゃないの?
620日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:10:08
謙信の武名は戦国当時から相当高かったんじゃないの?武田の越後攻めの
気運があったため成らずに終わったが、北条の小田原城を囲んだ時など
8〜11万といわれる関東勢を巻き込んだ動員を誇ったし、周辺に号令を
かければ(日和見を含めて)多大な影響力があったと見て間違いない。
それに徳川家康は謙信を尊敬していたという話を聞いた(これは確証はない)。
しかし、実際に尊敬していたとされる武田信玄と対等に戦った謙信を
評していた可能性はあるし、謙信が関東管領に就任した時など家康は
祝いの太刀を贈ったそうだ。だから江戸時代になってわざわざ謙信を
武において美化する必要はないと思うが・・・。 どうなんだかようわからん。
621620:慶長410/04/01(金) 11:18:07
ああ・・よく伝わらなかったな・・。↑のは“東照大権現様すら評した”謙信を
江戸になってわざわざ美化する必要がない、という意味でね、謙信が男だろうが
女だろうがどちらでもよく、あくまで「武名」というテーマで言ったことだ。
ちなみにオレは謙信女性説派。あしからず。
622日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 12:55:42
たしかに理由がわからないほど強い(敵が戦わずに逃げた)んだが、
大決戦というのは永禄4年の川中島以外あまりしてないんだよな。
敵を降伏させても滅亡するまで攻めずに許して、裏切られてる・・・。
その一方では、火付け盗賊まがいの戦ぶりだったとも伝えられてる。
わからん人なんだよ、謙信という武将は。短気で思慮が浅いかと思えば
めちゃ気遣いが細かい。願文なんか読むと、じつに女々しい。
女だったのだと言われたら、やっぱりね。と思ってしまうよ。
>620 もう天正年間には信玄と謙信は神様扱いだったらしいけど、
「甲陽軍鑑」が幕府の軍事の教科書になり、紀伊頼宣が宇佐美に
「北越軍記」を書かせてから謙信も本格的に神格化された。尾張も
上杉流軍学だから謙信派。けっきょくこの時期に捏造された謙信像が
江戸後期から戦前の忠臣愛国謙信神になったんだろな。たしか、元寇
の時の鎌倉武士とともに、軍歌にもなってたはず。戦前は信玄や家康
よりも圧倒的に人気があったらしい。長文スマソ。

623日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:05:02
家康は別に人気ないと思う
624日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:51:04
スレタイからそれるが、江戸時代の人たちが
戦国時代の武将をどう見ていたか。

浪花軍配堂発売(発行時期不詳)

東        西
大関 上杉謙信  武田信玄
関脇 毛利元就  北条氏康
小結 前田利家  島津義弘
前頭 加藤清正  柴田勝家
〃  伊達政宗  福島正則
〃  真田昌幸  大谷吉隆
(以下略)
ちなみに、秀吉や信長は行司になってる。
625日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:13:14
横綱は?
626日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:42:32
江戸時代は横綱は常任ではない。
大老みたいなもので、大関の中でとくに
強いのがなった。
627日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:43:49
追加。だから小結・関脇・大関で3役という。
628日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:14:48
かなりきわどいネタだが、なぜ謙信の史料が
上杉家に残されてなかったのか(本朝通鑑編纂の時、
慌てて吉良上野介や宇佐美某が作った)?
漢詩が得意だった武田信玄ですら、100首も収録した歌集があるのに、
謙信の和歌は連歌もふくめて10首もない(新古今調の技巧や繊細さは
素人でも、謙信のほうが上だとわかるが)。
意図的に謙信の史料が消去されたという仮説はどうだろう?
前に学研の『歴史群像上杉謙信』で「上杉家に代々伝えられた
という話・・・」は景勝(上田長尾氏)が謙信を暗殺した説だが、
意外と真実に近いのかもしれない。景勝は関が原合戦の前に大々的に
謙信の33回忌を行なって、謙信の神格化を謀っている(じつは法要の名目で
徳川家康との決戦を家臣に意志統一する軍議だったが)。
しかし、御館の乱の直後に比べて、景勝は謙信をあまり神格化しなかった
とされているのだ。御館の乱とは、いうまでもなく北条三郎(上杉景虎)に
味方した古志長尾氏(および旧上杉家臣団)と、上田長尾の景勝に味方する
旧長尾家臣団の因縁の衝突なわけで、関東管領を継ぐ予定だった三郎への
景勝のクーデターとされてきた。謙信存命中の三郎は二の丸に居住し、
軍役も課せられてなかった。つまり、家臣や関東諸侯に軍役を課す立場だった
と考えられる。御館の乱のとき、謙信の子飼いの直臣で実力者の河田長親が
最後まで去就をハッキリさせなかったことからも、三郎が山内上杉家の後継者
だったのは明白だと思う。いっぽう、景勝は弾正少弼の官名を禅譲されている
ので、越後守護代上杉氏を継ぐことはハッキリしていたと考えられる。
つまり、関東管領山内上杉家は三郎に、越後上杉家は景勝に、と。 
ではなぜ、景勝はクーデターを起こしたのだろうか? 仮に謙信が暗殺された
(このスレの死因が大虫か脳卒中かは対外的な名目として)のだとしたら、
実父の長尾政景を謙信に謀殺されたとかの動機もなくはないが、北条三郎を
寵愛する謙信(養母)への反発、もしくは家臣団の分裂があったのではないか?
古志長尾と上田長尾の対立に加えて、北条派と反北条派、上洛派と関東制圧派
・・・。みなさんは、どう考えますか?

629日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:18:23
>>600
>>601
>>602
女性説のマトメサイト見たこと無いのか?
この言葉って女性説のサイトでかかれてあった言葉だぞ?

630日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:25:47
目が見えない奴が書いてるとか
本人と会ってないやつが書いてるとか
そんなのは無しにして
「女」とハッキリ書いてる資料って何があるんですか?
631日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:26:05
>>629さん >>600の 
>言っておくが、男性説派も女性説派も
>その意味不明の「まとめサイト」をもとに論じてるわけじゃないんだぞ。
をよく嫁。あのサイトは、八切説を杜撰にまとめただけ。
三戦板じゃないんだから、自論で語れよ。レベル低すぎ。
632日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:04:03
またこういう流れなのか↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
633日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:12:42
>>628
武将預言書の謙信のページが燃やされてしまったからな
634日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:19:05
>>630
意味不明と思われ。本人と会ったやつが書いた資料(史料)しか
信頼できないとしたら、ほとんどの歴史史料が没だよな(笑)
「魏志倭人伝」を書いたやつも卑弥呼には会ってないし、
「記紀」を編集した連中も歴代の帝には会ってない。
「信長公記」の太田も、「軍鑑」の小幡も、「北越軍談」の宇佐美も同じだぞ。
書き手本人が記述対象本人に会っている史料の例がどのくらいあるのか、示してくれないか。
新しい視点なので、研究してみたい。
635日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:36:30
>628 >633
確かにミステリアスなんだよ、謙信の直接史料のほとんど
が意識的に燃やされたり、遺棄されたとしか思えないんだな。
このスレで議論されてた法体昇天図?も燃えてるし。
謙信公の麗しい詠歌が、わずか数点しか残ってないのは不思議
というよりも残念なばかりだ。女か男かは別としても。
636日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:16:46
>>628
謙信が後継者を景虎にしたのか景勝にしたのかは、
「武田氏研究28号」の桜井女史(小和田哲男氏の弟子)と、「上越市史」の別冊か
何かで、片桐某氏が論争してるのがある。読んでみましたが、御説のとおり「景虎に関東管領、
景勝に越後上杉を継承」が正しいのかなと思います。井上鋭夫氏もその説だったように記憶しています。
景勝の謙信暗殺説?? ありうるような気もしますが、東国きっての美少年だった
北条三郎景虎を謙信が寵愛して、景勝が嫉妬した。という衆道の世界に入ってしまいますね。
それとも、もう一歩踏み込んで謙信が女なのがバレそうになったから、殺してしまった?
というのが、このスレならではの主旨?
637日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:22:20
>>630
男説の根拠が片っ端から覆されてるわけで。
はっきり男と判る証拠って無いの?
638日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:36:36
まぁ、国民の常識になった「定説」をくつがえすのは大変な作業だよな。
長篠設楽原の織田軍の鉄砲3000挺説も、武田騎馬軍団説も
さんざんくつがえされてるのに、いまだにバカのひとつ覚えの「戦術革命」と
されているわけで。ましてや、400年以上も男だと信じられて
きた戦国の英雄を女だとするには、まだまだ時間がかかるだろうよ。
639日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:38:25
ァ千代について書こうとしてたら、もう書いてありますね。

>>613
ァ千代は通説では、生まれてから、死ぬまでァ千代となってます。
(一時期、宮永様と呼ばれたりしてますが、実名ではありません)

武将の幼名に千代や丸を付けていた時代ですから、当時として男っぽい
名前です。
ァ千代は信玄も会いたがったという、大友家の名将、立花道雪が高齢
になってから、やっと生まれた一人っ子でした。道雪は、驚くべしァ千代を女武将
として育てていたようです。それで、ァ千代という男っぽい名を付けたのかも。
やがて、主君宗麟の養子を迎えよとの説得も断り、数え年わずか7歳のァ
千代に家督をゆずってしました。女鉄砲隊を編成していたという説話もある女城主
の誕生です。
ただし、その後高橋家の利発な長男にほれ込み、無理を承知で婿養子に
していますが。
最初にァ千代は通説では、と書いたのは、ァ千代という名前以前に
今では、記録が残っていないが幼名があった可能性があるからです。
一般に、この時代では、女は幼名を婚約してから改めていた様なので
ァ千代という名前を結婚した時、改名しなかったのは、城主になった時
すでに改名していた可能性があるからです。

ま、要は虎千代と言う名前も女名としての可能性としては有り(普通に
考えたら男名に聞こえるけどw)、と言うことと
何らかの理由で謙信が女武将として育てられた可能性も有り、という
わけですな。今回は、女説に肩入れしてみました。

余談ですが、ァ千代の最後は悲惨ですな。またまた長文スマソ
640日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:39:22
>637
江戸時代に書かれた軍記物(フィクション)だけで、
信頼できる確実な史料はない。唯一、男性名だけ。
641日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:49:14
>>639
ァ千代ちゃんは「ァ姫」だったのかな、それとも「おァ」?
女の名前って、哀しいけど残されてませんねぇ。詳細、サンクス!
642日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:00:01
>>639
>ァ千代の最後は悲惨ですな。
スレ違いを承知で質問。ァ千代タンの悲惨な最後ってどんなだったの
でつか?
643日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:12:58
>>639ではないが・・・
通説では、立花宗茂との夫婦仲の問題。ァ千代は7歳の頃から立花家の
当主という自負や女武将の誇りを持ってあったが、宗茂に家督を奪われたと感じて、
夫婦仲は完全に冷え切っていたとされています。謙信が結婚しなかったのは、
「わたしに勝てる武将(男)が現れるまで、結婚なんかするものか」の気概だった。
と結論してみる・・・(笑)。

644日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:37:19
639さんの説にしたがうなら、
阿虎(幼名1)→虎千代(幼名2=女武将として育てられる)
→平三景虎(元服)→宗心(上洛時に受けた法名)→政虎(上杉姓拝領)
→輝虎(将軍義輝の編緯)→不識庵謙信(法名)か。
645日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:05:05
この流れじゃ、男性説があまりにも弱すぎ。
常連の方々の顰蹙を覚悟の上で、ageつ!
新しい血、新しい流れを入れましょう。
646日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:45:52
>>628>>636
三郎が関東管領山内上杉家を継承する約束は、
越相同盟締結時、既にあったとする有力な説もあるみたいね。

しかし、そもそもあの当時の関東管領ってどういう実権があったの?
仮に三郎が関東管領を継いだとして、
上田衆や信濃衆、直江だの斉藤だのを従えた越後国主の景勝に、
管領だからと云って命令を出せたんだろうか。その辺、謙信はどう考えてたのかな。
もしやあの2人が仲良くやっていけるものと妄想してたのだろか。わからん。

それにしても美貌に嫉妬して、ってのは何か嫌だな・・・BL小説じゃあるまいしな。
647日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:50:56
おおッ!!興味深いトンデモ説のオンパレード!!
上杉謙信が女だったのなら、四国の英雄長曽部元親なんてのも若いころは完全に女ですよ!
幼い頃から姫と呼ばれてたんですからねえ
個人的には大祝水軍の鶴姫が好きで、バストのある女性用の甲冑を何回か見にいきましたが
648日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:25:34
もし謙信が女で小姓抱えてたら、
そ れ こ そ 実 子 が 生 ま れ て る だ ろ ?

と言ってみるテスト。
649日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:26:12
う〜ん。>>646殿・・・
>そもそもあの当時の関東管領ってどういう実権があったの?
 謙信にとっては、永禄4年の栄光(11万人の兵を動員)が脳裏にあったんではないかな。
 北条氏と提携する決め手、武田氏を挟撃する決め手? 里見氏、佐竹氏、太田氏は
 越相同盟に反対しながらも、謙信の陣営にいたわけだし。
 
>仮に三郎が関東管領を継いだとして、
>上田衆や信濃衆、直江だの斉藤だのを従えた越後国主の景勝に、
>管領だからと云って命令を出せたんだろうか。
 ちょっと違うと思われます。直江景綱は柿崎景家、河田長親らとともに
越相同盟派で、景虎の取り次ぎ役もやってた。そもそも、関東管領は関東の
武士団に命令する権限はあっても、越後国内には何の権限もないのだから。
おそらく謙信は、東奔西走した自分の体験から、関東は三郎に、越後と北陸は
景勝に。と、考えていたのでは?

>もしやあの2人が仲良くやっていけるものと妄想してたのだろか。
 わたしはその秘密をBL小説にするつもりはありませんが、
>>628さん が述べておられるとおり、謙信・景勝・三郎の間に、
何らかの確執がなかったのだろうかと、そう考えてしまいます。
だって、御館の乱はあまりにも不用意な内紛です。
直江や山守などの直臣が、謙信の晩年に相次いで死んだのも、
何となく暗い予兆ですし。

650日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:36:19
>648
テストのつもりかも知れないけど、意外にツボを得ているかも。
天文年間に、1年だけ謙信の動静が明らかでない年がある(上杉氏年表参照)
のだ。その年に、謙信が妊娠していたとしたら・・・、卯松(喜平次景勝)が
彼女の実子だという可能性も否定はできない。
引用しましょうか?
「天文23年。前年上洛し、宗九から宗心の法号を受けた景虎だが、
この年の動静がはっきりしない……」(矢田俊文ほか編、2003年、高志書院刊)
651日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:38:23
>>230
私の月経周期は20日ですが。
だから平均にあわない人だっている。
652日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:42:43
諸説がいろいろあるけど、景勝は天文23年の前後に生まれてるんですよ。
翌天文24年が第二次川中島合戦で信玄と和議、25年に謙信は政治がイヤになって
引退表明の御出奔・・・。
650追加!
653日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:57:17
>>648
>もし謙信が女で小姓抱えてたら、

その小姓とは、誰だと思うのですか?
654日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:59:00
>>425
その説が一般論ですね。
謙信は普段女だとしられているからわざわざ女だと歴史に残す必要がなかった。
ベルばらのオスカルみたいなかんじでオープンだったんでしょう。
男だとしたのは、後世の謙信の一族によって。今知られてる謙信の肖像画は
江戸時代に作られたもの。
655日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:02:19
>>654
いえ、今知られてる謙信の肖像画は明治31年に作られた版画ですよ。
スレの前のほうを読んでください。
656日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:09:57
何だよ、またこういう流れなのかい? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
657日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:18:42
>>645
なるほど、たまにageると深夜でも伸びるわけか
>新しい血、新しい流れ
とはいえないまでも、チョー感心 ひとり言 スマソ!
658日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:46:37
まあ、この手の歴史論議は
南京大虐殺にしろ、アポロでっち上げにしろ同じような流れになるのなw
659日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:30:47
女性説では無いけど、読むと女性でも違和感がない。
信長に送られた西洋のドレスを喜んで着ている謙信の姿が目に浮かぶ。

http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/hero_kenshin.htm

大柄と思われてる和田アキ子の身長って、174cmで、
現代の男の平均身長と変わらないんだよね。
男勝りで大酒飲みで、周りに男が多いが、旦那一筋で浮いた話しがない。
上戸の女性には、割と平気でリーダーシップを取れるタイプがいる。
謙信は越後美人になると思うが、なんとなく姿が重なる。
660日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:49:11
名前だけど、政虎ってマントラの当て字っぽいよね。
謙信は仏教徒だし、阿虎や虎千代では侮られるとか家臣が言ったとしたら、
じゃあ政虎にしようかって考えても何も不思議ではない。
もちろん、北条政子を意識していた事も十分に考えられる。

景虎は、長尾家の棟梁は代々「景」を付けるって事で、景虎って事ではないのかな?
661日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 13:48:28
>>124>>263のあたりを読んだ感想でした。
政虎の政の字は、上杉憲政から一字拝領されたというのが通説ですね。
662日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 15:41:53
フリフリのドレスを着て悦に入る謙信
663日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:08:34
阿虎は、自発的にか担がれてかはわからないが、病弱な兄の代理で、
兄に万が一の事があれば、どこぞから婿養子を迎えるはずだったという、
第二子、第三子にありがちな状況じゃなかったんだろうか?

兄は復帰を果たせず、跡継ぎにも恵まれず、
婿候補は吊り合う相手が見つからなかったとか戦死したとか、
そういう状況じゃなかったのではないだろうか?
664日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 17:33:57
いや、担がれた段階では古志郡代栃尾城主だが。
三条長尾平六の叛乱を討ち破って、黒田秀忠の2度の
謀反を退けて、武名をあげる。このとき、次兄の景康
が黒田に殺され、三男の景房も病没しているので、病弱な晴景
の代わりに直江実綱、本庄実乃、大熊朝秀、中条藤資らが
景虎を擁立した。すでに近隣の諸国では内乱がおさまり、
越後も国人領主たちが連名して一国をまとめる時期に来ていた
という。そこで、長尾政景を守護代に擁立する派が晴景を
取り込んで、景虎を攻撃しようとする。
景虎はじつは女の子だが、戦の天才なので上記の諸侯が
結束して長尾政景を攻撃。めでたく越後一国はおさまりましたとさ。
彼女は兄の養子として家督を継ぎ、たまたま守護職上杉定実が
死んだので、彼女は越後守護になります。婿候補としては
年齢的に柿崎景家、色部勝長、本庄繁長あたりが考えられたが、
そうすると、上杉定実の伊達氏からの養子騒動の時のように
揚北衆が反発するので、見送られたのが実態ではなかろうか。
665日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:23:15
病弱な兄はまだ存命で、
その下の弟たちは相次いで亡くなり、
国主が他家から養子を取ろうとして内乱が起きたところ。

阿虎が婿養子を取れない理由が、悲しすぎるくらいに揃ってるな。
666日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:35:32
>>659
そのサイト読んでみたが、女だな。こりゃ。
667日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:24:56
つーかここのスレの議論て
既に研究してる人達が調べてるものばっかでしょ。
まだ一般公開が許されてない資料や文献らも
その人らは当然見てるだろうし。
その結果『男』ってなったんだろ。
668日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:27:16
萌えキモヲタと腐女子のドリームトーク程度の話題なんですね
669日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:51:37
家名存続の情熱と、慈愛の心が、戦国時代にあって、
尼将軍上杉謙信を浮かび上がらせたのか。
670日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 20:10:31
『定本上杉謙信』は買いですか?
671日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 20:37:17
>>670
買いだが、
絶版ではなかったかな。

>>667
なってない。まだ本格的に研究されてないから。
672日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 20:44:07
三戦板から誘導されてきた、妄想ヲタ君たちに、占領されちゃったね。
しかも、土日だw
673日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 21:18:24
>>672
うん? レベルが上がってると思うが
674日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 22:06:57
>このスレの流れをみてると、セルを倒したのはサタン説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>セルを倒したのは孫悟空説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
675日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 22:08:52
>>674
最新の学説では、孫悟空の息子の孫御飯が倒したとされているが?
676日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 22:10:08
>>667 いつものクレクレ君か?
>つーかここのスレの議論て
>既に研究してる人達が調べてるものばっかでしょ。
>まだ一般公開が許されてない資料や文献らも
>その人らは当然見てるだろうし。
>その結果『男』ってなったんだろ。

一般公開? 謙信の新史料が出たという話は聞いたことないぞ。
むしろ、史料分析、研究発表と言え。
同じ史料を解読したり、比較研究(分析)しても、歴史観が違えば正反対の結果になる。
謙信女性説なんて、そもそも正面きってやる研究者がいないだろうよ。
これまで発表されたものとしては、八切説が前人未到だったわけで、
だからと言って、現在の女性説は八切説にとどまるものでもない。
ぎゃくに言えば、男性説なんていうのも常識だとされてとくに研究されたわけでもないから
女性説はこれからの研究ジャンルなのだよ。
677日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:12:32
>667
学部の日本史専攻やマスターとまでは言わないが、
カルチャースクールでいいから、歴史学の基本を習ってこいよ。
内容なさすぎ、レベル低すぎる。
678日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:49:25
時に、史実に謙信が男だったという記述が有るのか?
このスレを読む限り、一部の肖像画の中にアゴヒゲ
を付けた画が有った事と、戒名が男だったという
事実だけ。
生き様や生前のコメント、遺文や歌、手紙、筆跡
等を分析すると限りなく女であったろうという様子が
伺える。
永遠に証明されることは無さそうなだけに、永遠に
議論が続く。しかしながら、男説を理論的に力強く
論じる論客が皆無なのがすごく残念である。
家系が男家に流れてしまう必然を考えると上杉家の
棟梁である以上出産はご法度。20代中盤位までは、
取敢えずの「繋ぎ」程度に考え、その後は
女として余生を全うしよう考えていたのだろう。
しかしながら…
679日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:53:41
>>676

そういうことであれば戦国(に限らずともよいが)の全武将について洗い直しだな。
これほど屁理屈をこねるのであれば、大半は性別不明となろうww
680日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:05:36
>>674
そういうことになれば孫悟空(に限らずとも良いが)ほかの天下一武道会優勝者についても洗い直しだな。
これほどへ理屈をこねるのであれば、大半は「実は弱かった」となろうwww
681日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:08:40
>>678
弘治二年(謙信27歳)の隠居騒動の時に、あとは合議制でと言いながら
彼女は長尾政景に家督を譲ろうとしたのではないかな。高野山ではなく、
比叡山に登ろうと考えていた(実際には、関山の真言道場に篭った)らしい。

>家系が男家に流れてしまう必然を考えると上杉家の
>棟梁である以上出産はご法度。

じっさいに、このへんの事情なんだろう。長尾(上田)政景では越後がまとまらない
というか、古志長尾や旧上杉一門が黙っていない。で、困った政景が説得して
謙信を翻意させた。もうそこから先は、武田信玄との川中島合戦や関東管領就任の
件もあって、女(尼僧)として余生を過ごすこともままならなくなった。
全体的にみると、永禄四年までは栄光に包まれているが、武将として生きた30代から
晩年までは試行錯誤、挫折のくり返しだったように感じられる。
682日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:10:21
女、もしく性倒錯者
683日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:16:13
>679
屁理屈はそのとおりだが、妻帯したり子供がいるのは、まず除外ですな。
上の条件をクリアできて「戦国(に限らずともよいが)の全武将について
洗い直し」する余地のある武将とは誰と誰なのか、名を挙げてみよ。
684日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:22:05
謙信の冠はピッコロのそれとよく似てる
やっぱ両性なんじゃない?
685日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:22:31
女説に一票
686日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:25:15
つーか、男性説(というのがあるのかどうか?)論者は
謙信がなぜ妻帯しなかったのか、このスレで何も述べてないよな。
学者の大半も、「神仏に戦勝を誓った」とか「真言密教の教えに従った」
とか、わけわかんないこと言ってるし。謙信は大酒飲んで、人殺しをしてるんだぞ。
真言密教の教えもクソもあるかい! 男性説の弱点は、謙信の生涯不犯・妻帯しなかったこと。
納得のいく反論を、キボンヌ!
687671:慶長410年,2005/04/03(日) 00:26:07
>>672
さんくすでつ
絶版じゃないけど、値段がきつかったので。
688日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:27:24
禁欲的かつ小姓好きだったんじゃないか?カトリックの神父が
そっちに走るのと同じようなもので。
689日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:35:36
>>688
男性説論者がイヤがる「衆道」(ホモ)説ですか…。
曹洞宗および真言密教が「衆道」を許していたとも思えないが、
近衛前久の手紙「少弼はわかもじ好き」や
慶長18年8月に景勝が「衆道」を上杉家中に禁じていることから
考えても、それは大いに考えられる。でも、謙信が女でジャニーズ系
というか、ホスト好みだったという傍証でもあるわけだ。
690日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:40:35
うむー・・・。男性説の人たちは、謙信がなぜ妻帯しなかったのか、
合理的な説明を陳述するべきだな。陪審員の心証では、
これが述べられないと、かなーり不利の様相。
691日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:47:44
>>687(672)
手元に当該図書を置いておきたいのでなければ、図書館で閲覧をお勧め。
たしかに労作だが、全史料を網羅してるわけではないし、同じ版元の
「上杉氏年表」で、編年的な概略はこと足りると思われ。出典もあるし。
まぁ、「定本…」は高価だから、それがしも図書館閲覧(コピー)なんです(泣)。
370ページで7300円は、高杉。
692561:慶長410年,2005/04/03(日) 00:56:37
585さんのカキコ以来、自身たっぷりだった>>512の反論がないねぇ。
それとも、もう肖像画の問題は解決したとでも。。。
>>585
たぶんあの事をいってるんだろうけど、あの絵は女だった謙信の男として
姿を描いたもの、と反論されて一発轟沈だ罠。
それが解ってるから具体的に指摘しないんだよね。

>>582
画風の分析を放棄したんじゃなくて、このスレ的には分析しても、不毛だ
と判断したんだよ。

693日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:03:04
>>692(561)さん
よくわからん。この↓の何に反論するのだ?
 585 :日本@名無史さん :2005/03/31(木) 00:32:35
 肖像画も顔以外の場所に着目すれば、あれは男性を描いたものだと一発で分かるのだが。

>たぶんあの事をいってるんだろうけど、あの絵は女だった謙信の男として
>姿を描いたもの、と反論されて一発轟沈だ罠。
>それが解ってるから具体的に指摘しないんだよね。

なんとも思わせぶりだが、具体的に指摘できない負け惜しみか?

>画風の分析を放棄したんじゃなくて、このスレ的には分析しても、不毛だ
>と判断したんだよ。

つまり、このスレから逃げるんですね?
反論があれば、さらに追い詰めます。キミの態度、悪すぎるから。





694日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:05:54
男性説の人たち、謙信の生涯不犯、不妻帯をちゃんと説明せぇ!!
695日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:09:07
禁欲が行き過ぎて小児愛系ホモになっちゃったんだよ。
696日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:12:26
>>694
ワロタ・・
だったら、禁欲でも何でもないじゃねぇか!
で、男性説てのは「小児愛系ホモ説」でいいのか??
謙信、きっと泣いてるぞ
697日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:13:36
失敗した! >>696のリンク>>694は、正しくは>>695だぁ!
698日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:21:48
そもそも>>561は、582とはこういう会話ではなかったのか?

 582 :日本@名無史さん :2005/03/30(水) 23:43:32
 >561タン
 そうかなぁ・・君が最初に画風の分析を
 放棄したんだろ? 日本画の歴史を勉強するでもなく
 新潟県歴博紀要の「上杉謙信の虚像」を読んでるとも
 思えないようだし。日本史板に来る以上、クレクレではない
 独自の史料分析や歴史観を持つべきだと思うぞ
 583 :561:2005/03/31(木) 00:02:25
 >>582
 おっと、まじレスさんくす。

で、感謝の気持ちが今になって薄れて、意味がないと開き直ったわけか?
そのへんの事情を、小一時間問い詰めてみたいものだな。

699日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:25:24
>689 これ、腐女子は喜びまつ

>男性説論者がイヤがる「衆道」(ホモ)説ですか…。
700日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:30:46
またこういう流れなのか? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
701日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:45:30
今後、このスレッドは「上杉謙信=ホモ説を今こそ語る」
に変更されます。
702日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 02:13:41
ホモ説にシフトするのもいいが、男性説を唱えてる人たちには
苦しいところだろう、謙信が生涯不犯・不妻帯の説明は・・・。
ホモでも、形だけ妻帯することは可能だったはずだからなぁ。
インポ説もあるようだし。たとえば、
謙信「巷間、ヘンな噂があるようだが、わたしには妻がいます」と。
それ(形だけの妻帯)もしなかった合理的な説明まで、
男性説論者?には、詳細に問われるわな。
703日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 02:48:23
俺も、もう一度言いたい。
男性説(というのがあるのかどうか?)論者は
謙信がなぜ妻帯しなかったのか、このスレで何も述べてないよな。
合理的な説明してみれ!
704日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 02:51:55
結局>>585の着目点が分からない俺。
>>591-592、何か分かった?
705日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:04:37
>>585=さんざん、このスレを汚してる>>561さんの自作自演だったと思われ。
 はしなくも、↓で露呈しました。
 692 :561:慶長410年,2005/04/03(日) 00:56:37
 585さんのカキコ以来、自身たっぷりだった>>512の反論がないねぇ。
 >>585
 たぶんあの事をいってるんだろうけど、あの絵は女だった謙信の男として
 姿を描いたもの、と反論されて一発轟沈だ罠。
 それが解ってるから具体的に指摘しないんだよね。

 「たぶんあの事」? つまり、自分の書き込みの拙さに悩んで、批判を煙に巻く戦法?

 >>591>>592さんには、その後の研鑽を期待していますが。
706日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:15:56
男性説の人たち、謙信が姦淫・妻帯しなかった理由
合理的に説明汁!!
707日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:30:12
むーん……。561タンの逃亡、許すまじ?
やんちゃだが可愛いヤツなんだから、あんまし苛めるなよな。
よくわからんが、いいことも言ってるようだし。
708日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:36:25
生前も謙信はこのスレのような中傷を受けてさぞ苦しかっただろうね。
要するに、ここの住人は
「男だったら女を抱きたいはずだ、でもしなかった。
だから女かホモか不具だったのだ」
程度の発想しかない凡人だから理解できない(考えてもみない)だけであり、

下衆な詮索好きで、賎民根性丸出しの品性としか言いようが無いな。
(何かどこかの国の方々に良くある思考形態なだけに・・・???)
709日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:40:58
>>708
貴殿こそ、下世話な揚げ足鳥で謙信公を貶めている自覚はあるのか?
自説がないレスほど、情けない無責任はないと思われ。
710日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:44:40
>女かホモか不具

人権擁護法案に、違反してまつ
711日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:51:58
>男だったら女を抱きたいはずだ、でもしなかった。>>708
そうではないだろ? 女性だと知られたくなかったら、
「妻帯したはず」だというのが、いまの論議の焦点。読解力の問題かな?
712日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 04:10:28
仮に謙信が女性で、しかし対外的に男として通していた場合、
形だけ妻帯するということはできなかったのだろうか?
とか言ってみる。
713日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 04:30:06
>>712
うーん。結果的に、そうしてないのはご承知のとおりだが、
女性説としては「対外的に男」としての外聞が通用していたか・・・。
たぶん、信玄あたりは簡単に掴んだだろうと思われるし、赤いマントを
謙信に贈った信長なんかも、知っていたとしても・・・。
そこまで配慮する必要がなかったのだろう、としか言えん。
まるでフィクションの「甲陽軍鑑」には、信玄の遺言として
「予が亡きあとは、謙信を頼れ。謙信は頼まれたら嫌とは
いえぬ男らしい男(!=引用者注)だから」とありますしね。

714日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 05:03:17
仮に男色で有ったとしても世継ぎは作れるはず。実際、棟梁の大半は両刀使い
であり一族存続のために必死で子作りをした。万一謙信が男であれば一族の
為に必死で子作りをした筈。ホモ(男色説)は有り得ない。
女性説の面々に確認したいが、機能不全説或いは性異質症候群の可能性は
有りか?
715日本@名無史さん:2005/04/03(日) 06:45:48
外人は謙信を叔父でなく叔母って言ってたんでしょ
716日本@名無史さん:2005/04/03(日) 08:45:11
>>714
可能性がないわけではないけど
それをどうやって証明することができるのか
717日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:56:05
妻帯しなかったといえば細川政元という先人がいる訳だが、
このスレにかかれば政元も女性になってしまうのだろうか?
718日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:10:25
>>717
話をそらして、謙信不妻帯の説明しにくさから
逃げているな?
719日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:16:22
仮にフロイスが謙信を景勝の叔父(男)と書いてれば、
男性説のこの上ない証拠になったと思うんだよ。

そこに叔母(女)と書いてるんだから、
女性説の有力な証拠になっっているはずなんだが。
720日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:23:59
>>719

それには原史料で確認しなければならない上に、伝聞という弱みがある
721日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:38:57
もう女性説は十分に述べられている。
男性説の謙信生涯不犯、不妻帯のナゾが
陳述されない場合、陪審としては女性説に軍配を
上げざるをえない。
722日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:40:43
妻帯しなかった理由は明石散人の『謎ジパング』に載っていた説がおもしろかった。
723日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:46:20
ちと話を整理してみよう。

男性説
・謙信はストイックでかっこよい戦国武将。仏に帰依する身なので、女には興味なかった。
・謙信はホモ武将。かーわいい男の子が大好き。女には興味なし。

女性説
・生前は対外的にも女性で通しており、徳川幕府にお家断絶されないために、江戸時代以降男性だということにでっち上げられた。
・生前から女性であることを隠し、男性のふりをしていた。

とまあ大きく分けて4パターンの意見がでていますね。
724日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:50:10
>>723
一番最初は1と3の説で争っていた。
2と4は男性説側がゴネて刷りかえられた末にでてきた意見。
725日本@名無史さん:2005/04/03(日) 12:46:12
謙信は両性具有者だったが、どちらの性でも子供を作れなかった説
726日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:06:52
>>724
1の説は不妻帯の理由がまだ曖昧
養子を少なくとも男子だけで3人、女子も何人か
もらうなど苦労してるのに、単に「女に興味がなかった」
では説明不足。戦国武将としては決定的に不利な
「世継ぎがいなかった」理由説明汁! 謙信に子供がいたら、
御館の乱も起きなかったわけだし。男ならどうして結婚しなかったのだ??
727日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:10:39
>仏に帰依する身なので、女には興味なかった。

信玄も仏に帰依する身だったし、本願寺顕如は何十人も
子供がいた。仏に帰依する身なのに、人殺しも大酒もやってる。
ゆえに、論理的に破綻してる。
728日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:31:20
>>707
だね。フクロに会うのを承知で書き込んでくるパワーは認めるべきだね。
中身はともかくとして(笑
729日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:08:40
>>713
となると、
「一応対外的に男としていた(女であることを隠してた)が、事実上半ば公然の秘密となっていた」
っていう感じ?
本人は公的には男として通していたけど、周囲は女であることを知ってた、と。
730692(561):2005/04/03(日) 17:22:34
>>705
まず、585さんの名誉の為にこれは断言しておく。
692≠585だ。それと散々スレを汚すほど、イパーイカキコしてもいない。
全部俺のせいにしないように。

>>698
クレクレはいかんとの提言に対して、いいこと言ってくれた!との感謝の
気持ちは、今でも変わってないけどな。

俺が、クレクレモードになったのは、肖像画をこれまで女を描く画風だと
指摘した人が1人もいなかったのかどうかを確認したかったから。
いなかったとすれば、512は世界で初めてそれを指摘した史上初の人物
という事になる罠。凄い!さすが美術史のプロだ!
ところで、>>512氏は、あの肖像画を
 1.女謙信の女としての肖像画
 2.女謙信の男としての肖像画
の、どちらだを、主張してるのか言ってくれ。
女性を描いた伝統的な画風という位だから1のはずだが。。。

忍者ハッタリ君と思われちゃかなわんので、追記
自説では、585さんの一発で男とわかる、とは言わんが、このスレの中で
実に鋭い指摘をしてしまっている人がいると書いておこう。
ギャラリーの人達は、この問題を静観して、512氏の返答を待ってほしい。
512氏が返答すれば、こっちも根拠を書くよ。
しかし、例えば着物の専門家が謙信の衣装を女物だと鑑定しても、謙信は
女だったと判定出来ないように、画をいくら分析したところで、性別を決定
できない、不毛の議論だと思うが。。。
731日本@名無史さん:2005/04/03(日) 17:38:55
忍者ハッタリ君はもういいよ、遊んでるだけなんだから。
襟の「打ち合わせ」のことが言いたいんなら、無駄だぞ。
雛人形じゃないんだから。
732日本@名無史さん:2005/04/03(日) 18:25:57
●上杉謙信が妻帯しなかった理由(諸説)●

通説(江戸時代の軍記物語など)
 「戦勝祈願のために、真言密教の教えを守った」
※今日でも多数派の説だが、真言密教にかぎらず仏教では、
飲酒、殺生(殺人)も禁じている。

井上鋭夫(いちおう謙信研究の第一人者)
 「子供が作れない体質だったので、それを恥じて結婚しなかった」
※子供のない夫婦は珍しくなかったので、ちょっと都合良すぎの説。

新田次郎(作家・『武田信玄』など)
 「美童好きのホモだった」
※信玄マンセーの作家だが、文献史料もあり有力な説。
 直木賞作家の安西篤子もホモ説だが、女性説に注目している。

海音寺潮五郎(作家・『天と地と』など)
 「宇佐美定行の娘を愛していたが、彼女が死んだので結婚しなかった」
※いちおう、偽史料とされる文献に謙信の恋人の記述がある。
 宇佐美とその娘は存在そのものがフィクション。

八切止夫(作家・『上杉謙信は女だった』など)
 「女だったので、結婚できなかった」
※このスレの人はご周知の説。
733日本@名無史さん:2005/04/03(日) 19:05:31
新田次郎はホモ説だったのか
そういえば、新田原作の大河ドラマの再放送見たが
柴田謙信が「菊丸、火花散らそうぞ!」てシーンがあったな
戦場で・・なのか、床の中で・・なのか、笑える
ちなみに、菊丸は小姓
734日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:45:07
調べてみたら、謙信は佐野昌綱の子も養子にしてるんだな。
だいたい何人くらい養子がいたんだろうか? エロい人よろしこ。
春日山城保育園??
735日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:39:08
>>730 :692(561):

じつに頭が悪いというか、懲りない香具師だな。

>たぶんあの事をいってるんだろうけど、あの絵は女だった謙信の男として
>姿を描いたもの、と反論されて一発轟沈だ罠。
>それが解ってるから具体的に指摘しないんだよね。

>ところで、>>512氏は、あの肖像画を
 1.女謙信の女としての肖像画
 2.女謙信の男としての肖像画
>の、どちらだを、主張してるのか言ってくれ。
>女性を描いた伝統的な画風という位だから1のはずだが。。。

バレバレじゃないか(笑)。512ではないが、答えてやろう。
画風というよりも、謙信が飛鳥美術いらいの平安調の下膨れ女人像
を意識したというのなら、女謙信の女性像。ただし、法体に軍装(男装)。
自讃は前半が七言対句、後半が禅文句なので、姿勢は曹洞宗の只管打坐を
意味する。ま、座禅を組んでいるのは見れば明らかだね。
つまり、僧侶でもあり武将でもある自分のトータルな姿を描いた点が、
自画像とされる所以なのだ。しかも、顔は女っぽい。
したがって、561クンが考えているほど、あの肖像画は単純ではないのだ。
上杉謙信公が複雑な人物であり、女人説が唱えられるほどナゾが多いように。
以上ッ。

736日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:01:36
オイオイ
男性説よりも女性説よりも
女になりたかった男、
つまり謙信オカマ説が一番有力だろ?

これなら何処にも穴が無い。
女らしい一面も
男でなければならない箇所も
文献も
全てこれなら問題なく解決する。

737日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:03:52
>732
男性説派で、謙信がヘテロだったという論者
まだいるのかね? 謙信信者を刺激したくないから
おもてむきは神仏に不犯を誓った、ってなこと言うんだろうけど

738日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:07:46
女性説信者のレスも
男性説信者の書かれてあるレスも
謙信がオカマだったのなら問題なく説明がつく。

性別は男で考え方は女
つまりオカマ。
そしてマザコン。
結婚するわけないわな。
男と関係は結べても結婚はできんし。
739日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:19:48
オカマ説なら、史料的に合致させてみて欲しい。
美童を愛した以外に、現在のところ謙信の性癖は認められない。
オカマに特有のデブ専ではなく、ハードゲイ系でもなかったことは、
謙信が信玄を忌み嫌ったことからも説明がつく。
仲の良かった信長も美系だしな。想像だけで語るのはラクだが、
それじゃ三戦板なみのレベルだ。
740日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:23:42
女性説
男性説(ホモ説含む)
両性具有説
オカマ説

上杉謙信の属性四国志か・・・
741日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:30:17
史料分析のない結論だけの論述は、日本史板では無効です!
742日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:45:59
今夜はこういう流れなのか? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で盛り上げ、
>オカマ説派というか史料も分析できない連中が無謀にも参入して
>恥を晒してるというところか。
743日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:53:15
ジャンヌダルクが成長して大人になったと考えればうまく行く?
そもそも女性用の甲冑なんて無いから、女なら赤く塗ったり頬被り
したり、派手なマントを羽織ったりするだろ?至極自然じゃないかい?
女の一生としては結構カッコいいぞ政虎。男勝りで酒豪の豪傑。
涙もろくて義に篤い。信長が金品財宝南蛮品を限りなく寄贈したのは
女心つかむ為か?信長が唯一姻戚調略の出来なかった相手が謙信。
しかし、意外と仲は良かった。確か謙信との合戦は無かったよな?
744日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:05:48
>>720
ネットで謙信を景勝の叔母(tia)と報告した資料の写真画像を見かけた事があるが・・・。

このスレと三戦にはなかった。
どなたか、写真があるURL期待しています。
745日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:06:56
>>743
いや、加賀の手取川合戦で謙信は、柴田勝家・丹羽長秀ら約4万を
ボコボコにしてる。秀吉は敵前逃亡・・・
謙信と信長の蜜月時代は長かったけどね。
史実ではないらしいけど、
謙信「あなたのこと、好きだったのに。将軍様をないがしろにして
安土に豪勢な城を建てているそうですね? わたしが上洛するのを
阻むつもりなの?」
信長「と、とんでもない! 上洛されるとのことですが、喧嘩をしても
俺が負けますので、腰に扇子一本の体で都見物の案内役をします。
もし合戦になって俺が負けても、美濃と尾張二国だけは安堵してくださいね」
謙信「来年の春、関東甲信越の大軍を率いて上洛します。首を洗って待ってなさい!」
信長「ひぇ〜!」
 という春日山日記という講談ものがある。
746日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:17:31
>>727
本願寺顕如は浄土真宗、
浄土真宗の僧侶は、妻帯も飲酒も禁じられていない。
747日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:21:42
念のため、オカマ説では、大虫や、tiaや、5尺2寸で大柄や、
マントラさまは男勝りの怪力無双と辻褄が合わないんだよな。
748日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:25:05
もう謙信は宇宙人だったことでいいよ
749日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:11:43
謙信は勝家は嫌いなタイプだろ?粗野で無教養なマッチョ親父だからな。
750日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:24:16
信長のマント(スペイン語でKAPA=カッパ)は残されてないが、
謙信に贈ったのと同じタイプで、色違いだったらしい。
たぶん、ひそかに噂で謙信が女だったと聞いた信長がカップルの
衣装として彼女に贈ったのだろうか?
「洛中洛外図(狩野永徳作)といっしょに、フロイスの国の雨よけ(マント)
を贈ります。織田木瓜家紋入りの壷袖も贈ります。洛中でデートして、
仲良くしましょうね 
謹言         上総介」

思わず、顔を赤らめる不識庵(謙信)だった。
751日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:36:38
>>750
ふたりして色ちがいの雨カッパ、京都の雨の中をデートかよ?
近衛前久が嫉妬するわな。
752日本@名無史さん:2005/04/04(月) 02:04:33
>745
おもしろ杉!!
>750も!
753日本@名無史さん:2005/04/04(月) 03:10:04
殺人鬼同士お似合いのカップルだわ!
754日本@名無史さん:2005/04/04(月) 12:00:21
>>735
>座禅を組んでいるのは見れば明らかだね
どの辺りが???
755日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:55:22
女性説を推しても矛盾が出る。
男性説を推しても矛盾が出る。

ま、まさか・・・・


上杉謙信は存在しなかった!?
756日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:06:29
>>755

ソレダ!!
757日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:35:20
男性なのか
女性なのか
オカマなのか
両性具有なのか
存在しなかったのか
入れ替わりがあったのか

何という人なんだ・・・上杉謙信・・・
758日本@名無史さん:2005/04/04(月) 17:22:17

恐るべし、さすが常人の尺度をもってしては計りしれぬ
759日本@名無史さん:2005/04/04(月) 17:40:09
    |┃
    |┃三    ,ィ, (fー--─‐- 、、
    |┃.    ,イ/〃        ヾ= 、
    |┃   N {                \
    |┃  ト.l ヽ               l
 ガラッ.|┃ 、ゝ丶         ,..ィ从    |
    |┃  \`.、_    _,. _彡'ノリ__,.ゝ、  |     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃三 `ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ    <  話は聞かせてもらったぞ!
    |┃.    |fjl、 ` ̄リj^ヾ)  ̄´ ノ レ リ     |   人類は滅亡する!
    |┃三  ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐'  ,ン       \____________
    |┃      l     r─‐-、   /:|
    |┃三     ト、  `二¨´  ,.イ |
    |┃     _亅::ヽ、    ./ i :ト、
    |┃  -‐''「 F′::  `:ー '´  ,.'  フ >ー、
    |┃    ト、ヾ;、..__     , '_,./ /l
760日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:10:46
ΩΩΩ<な、なんだって〜
761日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:04:58
大体最強の武力を持ってるくせに無欲で神様信じて美少年が好きとか常人じゃない
762730(561):2005/04/04(月) 20:56:41
>>512氏の見解を聞きたかったのに、低レベルの識者がわりこんできやがった。
この程度のが素人にはわからんとこのスレで威張ってたのか。
また、仕切りなおすの面倒だな。

>>735
>姿勢は曹洞宗の只管打坐を
>意味する。ま、座禅を組んでいるのは見れば明らかだね。

こんな事かいてる、あんたレベルの問題だすから、答えてみ。
只管打坐を知ってるなら、一発で答えられる問題だ。

下の画像の人物の座禅の組み方を何と呼ぶか番号で答えなさい。
http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg

1.半跏趺坐
2.結跏趺坐
3.現在伝わっていない、特殊なもの
ちなみに、俺のカンでは、答えは3.だな。

>じつに頭が悪いというか
人をこんな風に馬鹿にしたんだから、書き逃げはダメでつw
763日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:40:59
曹洞宗の座禅の作法なら、ほれ↓しかし、
本題(謙信が男か女か・林泉寺の肖像画の画風)からズレてると思うが?

ttp://www.sotozen-net.or.jp/
764日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:46:21
>>763
関係ないけどサイクル野郎の人のマンガがあって感激した
765日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:04:45
>>762
何度も叩かれて怒るのはわかるが、レスの意味がわからん。
その座禅の組み方で男女がわかるのか? 自讃の中身は検討してみたのか?
期待通りの答えじゃなかったので、完全に論点を移動させたとしか思えんぞ。
766日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:06:12
資料が少ないから参考にならないような物も中にはある
何を論点にすべきかも重要なファクター
767日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:43:22
768日本@名無史さん:2005/04/04(月) 22:43:54
>762
お前、そういう設問レスとかヤメたほうがいいぞ。
おまけに、相手のレスの文章を中途から引用して主旨を変えて
ビミョーに論点そらすとか、小賢しいと思われるだけ。
769日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:18:19
またスレ汚しか・・・
770日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:31:21
>>761
そう、謙信は神(毘沙門天)なのだ。
じっさいに、家臣が「おやかた様、この策。毘沙門天に具申してはいかが?」
と言ったとき、謙信は「毘沙門天ならここにいるじゃないの」と、法衣を
ひるがえして見せたという。
771日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:50:33
>>762 :730(561):2005/04/04(月) 20:56:41
>>512氏の見解を聞きたかったのに、低レベルの識者がわりこんできやがった。
>この程度のが素人にはわからんとこのスレで威張ってたのか。

 などと尊大にも大見得をきってみせるが、
 お前は、この↓「自讃(書)」の 内容を検討してみたのか?

>自讃は前半が七言対句、後半が禅文句なので、
>姿勢は曹洞宗の只管打坐を意味する。

 人のレスを改ざん引用するヒマがあったら、原典をあたってみろ。
 やっぱり頭悪すぎだな(笑)
772762:2005/04/04(月) 23:57:20
>>768
>512氏が返答すれば、こっちも根拠を書くよ。
俺のスタンスはあくまでこれ。
論点がずれてるのは、百も承知だが
>>765君みたいにあれが、謙信が座禅を組んでる姿だと、誤解すると
イカンので書いたんだ。
773日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:23:49
肖像画を見て回ったが、
確かに全体的にふっくらした凹凸や皺のない卵型という描き方は、
男の描き方にしては珍らしいのかな?
774日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:26:09
何をもめてるのかわからんが、772(762=もとは561?)
が「論点がずれてるのは、百も承知だが」というのなら、
謙信女性説(男性説)から「論点がずれて」も必要というのは何なの?
775日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:37:02
4月23日から米沢の上杉博物館で上杉氏の特別展があるらしい。
謙信の書状も多数開架されるが、祐筆が3人もいたという説があって、
どれが本物の謙信直筆なのやら、学芸員を質問攻めにして困らせるかも。
女っぽい筆致、報告するよ。
776日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:37:32
遺骨鑑定すれば一発なのに〜

漆で固めたなら腐ってないかもしれんし



開けてみたら空だったとかになりそうだがw
777日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:44:46
>772(762)
768だが、お前さんの「何々してくれれば、それがしも何々します」
という、武田晴信のような態度がよくない。ふつう謙信なら、
「わたしは正直に、こうですから、何々してください。もねがいします」
が正しい。その実直な女々しさに、毘沙門天はもとより、漏れたちも萌えるのだから。
778日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:46:11
武田晴信ワロスwwwwwwwwwwwwww
779日本@名無史さん:2005/04/05(火) 01:11:47
>>777
その代わり、神仏が願いを聞いてくれないと、謙信は
「どうしてなのですか? わたしはこんなに私欲ばありませんのに。
わかるように返答してください。武田晴信を許すのですか!キーッ!」とか、
なるんだろな。
780日本@名無史さん:2005/04/05(火) 01:37:00
短気な謙信公、神仏を難詰するというくだりだなW
貴女の起請文のとおり、短慮を直して健気(けなげ)に生きていってください。
謹言。
781762:2005/04/05(火) 01:52:58
ここまで、煽られてカキコし続けている理由が見当たらんので、消えるよ。
相手の文章からして、ディベートのコツをもった人間だと、感じたから、
こっちの手の内をみせると、すばやく理論武装されてしまうんだな。
言っとくけど、ホントに実力や知識をもった人間は間違っても、君たち
素人にはわかるまい、的な書き方はしない。
今まで、自分は黙ってたが、当時の絵画については、そこそこ知識はもって
いるのだが、それをひけらかす様な事は、したくなかった。
俺にマジレスしてくれた、人達のために、これだけは、書いておきたかった。

俺が、論拠をあきらかにしない事にクレクレモードで難詰する姿勢には、
うんざりだ。
あばよ。
782日本@名無史さん:2005/04/05(火) 02:08:10
>>781
>それをひけらかす様な事は、したくなかった

ここは議論をするスレなんだから、ひけらかしてもらわないと困る。
783日本@名無史さん:2005/04/05(火) 02:16:07
>>781>>762 >>730>>561)殿
ついに逝かれてしまったか…、このスレ的には惜しい人材を亡くしたと思う。
また別のカタチで(コテハン叩かれではなく)戻って来いよな。
合掌…、スレッド有志一同 拝。

※ちなみに、>>771が言う「自讃(書)」は、リンクされている林泉寺の肖像画
(じつは部分画像)にはない、伝謙信公直筆の書だ。
知りたければ、新潟歴博の研究紀要(5号)を取り寄せてみるといいだろう。
784日本@名無史さん:2005/04/05(火) 02:41:07
ま、いいんじゃないか。互いに熱くなって研鑽を深める。
男か女かはともかく、冥界の謙信公も微笑んでくれると思うぞ。
785日本@名無史さん:2005/04/05(火) 03:19:41
>>784さん >>783さん
>いいんじゃないか<とかじゃなくて、おかしいんじゃないのかな?
上のほうに「反論したら、さらに追い詰めます」みたく怖いのもあったけど。
>>781・561さんが論拠を明らかにしないまま立ち去るようになったのは、
このスレの人たちの狭量なのでは? 561さんの論点がズレてたとしても、
このまま、そのズレた論点も迷宮入りになっちゃうの?なんか釈然としません。 
786日本@名無史さん:2005/04/05(火) 04:14:20
結局>>781が何を論点にしたかったのかよく分からない俺っていうか結局>>585は分からずじまい?
787日本@名無史さん:2005/04/05(火) 04:25:03
>786
「のようであるな! 謙信殿よ」右近衛大将織田上総介信長
「まこと、すまぬことじゃが…。わたくしにも、わかりませぬ」山内上杉不識庵謙信
788日本@名無史さん:2005/04/05(火) 09:13:28
謙信が男だとしたら、毎月のように病に苦しむ病弱な人間ということになるんだよな。
それは可哀相だな。
789日本@名無史さん:2005/04/05(火) 13:22:08
>>755
僕たちの心の中にはいつまでも存在し続けるさ!
790日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:23:57
>>776
上杉謙信じゃないけど、歴史上の人物の遺骨を鑑定することについて
人類学の先生に聞いたことがあるので書いてみる

どんな埋葬をされたかが問題
1000年前の骨で、かなりきれいに残っていて、鑑定できるものがあるけど
500年前のものでも骨すら満足に残ってない、なんてケースも多いらすい
また骨が残っていても、DNAが壊れてしまっていたら満足なデータはとれない
(先生いわく「DNAは生もの!」だそうです)

それと性別の判断、男の染色体はXY、女の染色体はXX
Yが見つかれば確実に男だけどXだけ見つかっても女とは断定できない
女と判断するにはそれなりのサンプル量が必要
XY以外に骨格形成などの遺伝情報から性別の判断もできるけど、どっちにしても
どれだけの情報が壊れずに残っているか?

漏れは理系じゃないので用語の間違いは大目に見てくり
791日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:37:57
とりあえず内視鏡からって事にはならないのかな。
それとも、それだけでキトラ古墳のように傷むのかな?
792日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:26:04
埋葬されたの甕棺だろ? 焼酎の壷と同じで
液体は通さないが、空気は通すはず。
漆と蝋で固めたとはいっても、かなり劣化してると思うぞ。
793日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:41:50
正宗の場合はどうだたの?
794日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:59:00
政宗はしっかり骨が残っていた。本物かどうかはともかく。
795日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:02:59
いや、待てよ。謙信のことだから、酒漬けになってるんじゃないか?
醸造が進んで古酒化してアルコール濃度が高ければ、生前の御姿のまま
だったりして。もうオパーイもマソコもそのままで、見た目でも女だと
確認できるかも。上杉財団はすでにそれを知っていて、公表できないだけかと。
796日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:12:05
いや、それはちょっと無理があるだろう。
797日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:17:29
>796
あくまでも希望的観測だよ、胸を高鳴らせるだけの。
そう思うだけで楽しくなる。
798日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:18:58
上杉財団ってそもそも何者?
怪しい
799日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:28:48
>>798
よくは知らんが、リイド社から出た「武田信玄」(漫画・新田次郎原作)の
解説記事に「その後、上杉家は明治時代まで続き、現在は財団法人」とあった。
800日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:32:00
>>795
お前みたいな奴は
謙信が不細工な女だと
一転アンチになるタイプだな。
801日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:49:53
上杉財団。
くぐってみたが、どうやらこれらしい

財団法人米沢上杉文化振興財団

ただし、上杉家とは近くても別物。上杉家現当主は17代
802日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:36:15
ただゆかりの品を後世に残そうってだけの機関だよな
ちゃんと研究の余地がある物は調べるべき
803日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:47:20
昨日は
>762こと、お騒がせ561の思わせぶり発言にイライラさせられたが
落ち着いて、ツラツラ考えてみますた。

>>762の謎掛け問答的な問題書き込み
>>735
>姿勢は曹洞宗の只管打坐を
>意味する。
この中途はんばな部分引用をした意味がワカラン。
自讃についても、その後なんにも触れてないし・・・

>ま、座禅を組んでいるのは見れば明らかだね。
ここは、今日気がついたんだけど、>767にあるサイト
http://homepage3.nifty.com/toshoji/zen-kokoroe.htm
に、坐法や手の組み方に注目して、謙信の肖像画を観察すると、明らかに
座禅なんか組んでいない。謙信は普通の胡坐座りだ。お騒がせ561は、この事
を指摘したかったんじゃ?
昔の女の人は、一体どんな座り方をしてたんだろ?

512VS561の直接対決が実現していたなら、はっきりしたんだろうけどねェ。
804日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:02:59
姫鶴一文字の名前も実物も、実に娘の持ち物って感じだね。
805日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:17:48
>>803
おそらく>>735の主張は、自讃(みずから画を讃する書き込み)の禅文句
をもって、座禅像だと言うのだろう。ところが、例の肖像画は部分図であるから、
>>762(561)にはわからない。で、座り方が胡座にしか見えないので、座禅論議
に持ち込んだ。と、思われる。
 だが、そもそも561は「女謙信の女性画像」ではなく、「女謙信の男装画像」
だということをもって>>512の「伝統的画風」(=女性画像)を論破したかったのだろう。
あと、どこかに「襟の打ち合わせなんか無駄だぞ」とかいう書き込みがあったが、
男装説もここから反証できるのかもしれない。
 いずれにしても、735が期待したとおりの「答え」をしなかったものだから、
座禅論にのがれて、論点を完全に変えてしまおうとしたが、袋叩きにあってアボン。

>坐法や手の組み方に注目して、謙信の肖像画を観察すると、明らかに
>座禅なんか組んでいない。謙信は普通の胡坐座りだ。

 その通りだが、大太刀は置いたままだし、軍配も脇に挿してるだけ。
 絹布に描いた「伝自画像」だから、謙信の画力の限界だとしたら座禅を
組んでいるとも取れる。もうひとつ、自讃の書も謙信にしてはこれが拙いんだ。
絹布に顔料を擦りつけた感じで、青蓮院流の名手の書とは思えない。疲れてたのかな。
エロい人に筆跡鑑定してほし。とりあえず、気づいたことだけ。
806日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:37:19
>>805
というよりも、座禅とかは関係ないだろ。右手に扇子が何故なのか? だ。
たぶん、謙信は自分が軍事と神仏信仰だけの人ではなく、文化にも明るいのですよ。
と、そう表現したかったのではないか。
807日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:40:56
>>770
そう、謙信は生き仏なのだ。
じっさいに、家臣が「おやかた様、この策。神仏に具申してはいかが?」
と言ったとき、謙信は「観音様ならここにいるじゃないの」と、腰巻きを
ひるがえして見せたという。
808日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:08:31
>>808
ワロタ
809日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:08:52
>>807だった
810日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:31:55
五神合体の飯縄権現は男性神と女性神の相を併せ持つらしい。
両性具有説の信用度がUP?
811日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:43:27
>>810
たしか、謙信の色々威の兜の前立てが「飯縄権現」
だったね。両性具有説、わずかにアップですね。
812日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:02:11
>>805
ふーむ、鋭い!
という事は、お騒がせ561の失敗は、やっぱ762の書き込みだね。
おせっかい、735の出現(あるいは、512の自作自演?)で、計算が狂わされた。
怒りと、512が静観しているというプレッシャーから、>>762でワケワカラン書
き込みをしちゃった。
おせっかい735は謙信の「座禅像説」という致命的な失敗をしてくれてる訳だ
から、そこをうまくついて、崩せる可能性があったのに失敗して墓穴をほっ
た。そんなとこかな。

あと、
厨な質問でスマソだが、襟の打ち合わせで男女の区別がつきますかね?
洋服ならわかるけど。
813日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:22:59
>>812
お雛様は左前で、お内裏様が右前の打ち合わせかと。
向かって左に位置する内裏様がお雛様の胸に手を入れやすいだろ?
 と教わったことがありますが、
武将の肖像を見てると、全部左前。てことは、右前は公家だけなのかな?
814日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:38:18
>>812
ふーむ、鋭い!
2ちゃんでは、感情的になったほうが負けという好例ですね。
というか、そもそも好戦的になったところを、見透かされる?
>>813
衣冠束帯、狩衣も左前だよ。お雛様の例えは、壇上の並び方。
姫が右か左か、向かって左なんです。
815日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:39:38
姫が右か左か、向かって左なんです。

向かって右でした! 814
816812:2005/04/06(水) 00:41:57
>>813
>向かって左に位置する内裏様がお雛様の胸に手を入れやすいだろ?
ワラタ
自分でも調べてみまつ。
817日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:43:23
マターリとした流れで、よいですね。
できれば、もっとネタが欲しいところだが。
818日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:44:16
>775
上杉神社の方に展示してある武田打倒の願文と
イロハ手本は自筆だったはず。
博物館のすぐ近くにあるからついでに見てきてはいかが?
あと上杉氏年表っていう本にイロハ手本贈った時の写真が載ってたけど
女性的な筆跡だと思う。(これは字だけ見ればの話だけど)
819日本@名無史さん:2005/04/06(水) 02:06:16
>>818
ご助言、かたじけない。参考までに↓

http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/011monjyo2.htm
820日本@名無史さん:2005/04/06(水) 03:16:03
36歳で、謙信は急性関節炎で足を悪くしたってあるね。

更年期障害として、足の痺れ・むくみなども症状の一つらしいよ。
>>127の言ってる段階までいかなくても、
毎月生理痛に悩まされていた謙信なら、
変形性膝関節炎の自覚症状が出ても不思議じゃないかも。
821日本@名無史さん:2005/04/06(水) 09:15:46
痛風はストレスが多く飲酒の機会が多い中年期の人間に発症し、
腎臓病を併発している事が多い。

症状は顔や四肢の浮腫み。
下腹部の直接の痛みは無い。
822日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:12:00
両性具有説が濃厚になってきたな
823日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:55:51

小町=穴無しだろ
824日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:05:47
なんでやねん
825日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:10:37
謙信が、人身売買レートまで決めていたと聞いて鬱になった。
826日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:38:57
>>825
小田城の人身売買(永禄9年)ですね?
販売価格まで謙信の「御意」ではなかったはずだよ。
北関東の諸城下で奪ってきた人を売ったらしいが、商品の供給過剰で
二十文〜三十文と破格(2貫文が相場)だったらしい。
凶作の越後農民を戦場稼ぎさせて人身売買とは、けっこうやり手婆ですね。
でも、記録を見る限り武田軍のほうが徹底してます。男は黒川金山で死ぬまで
奴隷、女は慰安婦。
827日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:48:35
なんかネタないか〜

謙信が女であることを主張する新理論や、新証拠とか
828日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:05:16
>825
まあ戦国時代だからねえ。今の価値観で考えてはいけない。
829日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:32:16
>>825
それぐらいはしないと。
放置したら安く買いたたかれたりして返って不幸になるかも知れないじゃん。
830日本@名無史さん:2005/04/07(木) 03:44:06
どうでもいいけど、謙信と噂のあったという伊勢姫の親の、
上野国平井城主の、千葉采女って、女名だよね?
831日本@名無史さん:2005/04/07(木) 03:50:44
釆女はべつに女性名じゃないだろ。釆女司の長官の釆女正。官職名。
832日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:40:50
妹子も男でして、はい。んで、景虎はオンナ?・・なわけねーやな。
ところで、女性説においての名前問題もまだこれといった解決意見は
出てないね。
833日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:00:49
>>832
名前問題は、とっくの昔に解決済み
スレちゃんと読んでないだろ?
834日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:19:27
女だったら家督の時にもっと荒れるんじゃないか?
上杉家の養子になる辺りとか。
物理的、精神的、政治的な距離で、どれ位近しい人までが
謙信が女性であった事を知った上で納得して受け容れていたんだろうな?

例えば長尾家が断絶の危機に瀕した際、
群雄割拠の危険な時代にわざわざ女性を跡継ぎにするというリスクを背負うよりは、
長尾家の親類や政治的に近しい他家の人材を他所から養子に迎え入れる事で解決は出来るはず。
あるいはなぜそうしなかったか?
縁者も政治的に取引をしていた家にも優秀な男子がいなかった、とか?
(私の親戚が割と由緒ある家柄で、やはり女の子しか子供が居なかったのだが
何代も系譜を遡って、縁者から男子を跡取りとして養子にしたという経緯があるので
こういう事は可能だろうと。まあ、大正時代の話ですが)

もう一点、もし謙信が女性の場合、それこそメンスやそれに纏わる身体管理の点で
ちゃんと世話をしてやっていた人間がいたのだろうか。
メンスの時にお堂に篭っていたんじゃないか、という説については、
実際昔の風習ではメンス期間の女子を「穢れ」として村の外れの小屋に閉じ込めた、という例もあったようだが、
信心深い人間なら「メンス」という穢れのために信仰の場を使うと思えない。

あと、ホモ説に関して。
近衛前久(?)の日記に
謙信が若衆が好きで、接待の際に謙信から若衆を沢山用意してくれとリクエストがあった、
というような内容が残されていたみたいだが、
仮に謙信が女性だった場合、宗教上のモラルの上でそういうおおっぴらな要求を出すかな?
これは、謙信が男性ならば宗教的に不都合はない。

以上、疑問に思ったところを書き出したけど、どうなの?
835日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:57:07
長尾の家督を継ぐ前からカリスマ性が有ったのではなかろうか?
田村亮子が日本講道館の館長になったとしても、周りは納得するだろ?
話が脱線しすぎか....
836日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:59:15
長尾家は為景、政影、晴景と、景の字を継いでいたみたいだけど、
それまでに、景虎のように、景を頭に持ってきたのはいなかったのかな?

それに、幼名の虎を元服後も使用している例はどれくらいあるんだろうか?

元服をしない女性が、対外的な公式文章に、
虎千代や於虎では不都合と言うことで、
景の字を合わせて便宜上使用したのだろうか。
837日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:00:29
>>834
謙信が家督を継ぐまでの前史というか、越後の内乱を考えてみれば
本人が女性であれ、それほど不思議なことじゃないと思う。
上条定憲と長尾氏の対立や上杉定実の養子問題も、国人領主たちが
二つに分かれて内乱をくり返したわけで、とくに伊達氏からの養子問題では
伊達勢が養子賛成派の中条藤資を支援して、兵を越後領内に入れてるわけだ。
村上本庄は出羽に逃れ、安田氏は降伏、色川勝長は篭城。当初は養子賛成だった
長尾晴景も仕方なく朝廷の綸旨をもらって、中条を降伏させている。
国境を侵犯された国人領主たちは、相当に危機感を持ったのではないだろうか。
さらに三条平六の謀反、黒田秀忠の2度の謀反。ここで敢然と戦い、戦の天才ぶりを
発揮したのが景虎(謙信)だったわけで、このさい女でもいいや! となった。
彼女を棟梁にしようとしたのは、直江実綱、本庄実乃、大熊朝秀、中条藤資らで、
長尾一門では、母親の実家である古志長尾氏、長尾藤景も擁立派だったとされる。
のちに彼女が、天育光室あての手紙で
「兄が病弱のせいか、奥郡の者たちが府中に出仕せず、勝手気ままな振る舞いが
多かったのです。わたしは若輩でしたが、亡き父上のため、長尾の家名を汚さぬ
ために、思いがけなく府内に入って春日山城に移りました。不思議なことに国内
もおだやかになりました」と書いているとおり、重臣たちが謀って擁立したもの。
対抗馬は古志(長尾)と対立する上田(長尾)政景だったが、いかんせん少数派。
謙信に臣下したのは周知のとおり。この時期に越後一国が統一されていなければ、
信濃と同じ運命になるのは、誰の目にも明らかだったのだと思う。簡単にいえば、
謙信の初期政権は長尾宗家と古志長尾、上杉旧家臣団、揚北国人領主の連立政権で、
上田長尾が最終的に「仕方がない」と参加したのだと考えられる。戦に強ければ
女でも男でも何ら問題ではなかった。そこまで越後の国内事情は切羽詰まっていた
と思われ。とくに、黒田一族を皆殺しにしたのが大きかったね。それまでは、降伏
すれば許してたんだから、謙信は果断で凄い、と。
838日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:01:48
>>837のつづき
>>834
宗教上のことがとかく生涯不犯の理由とか、御説の「メンス」のことも反論にあるが、
人殺しや人身売買、大酒をくらった謙信に、どこまで宗教的な整合性を見出すかですな。
表向きは男性名を名乗り、そのように振舞っていたのだとしたら。
839日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:06:55
>>836

越後長尾氏 初代景恒→2代景忠→3代景春→4代高景
……9代為景→10代晴景→11代景虎(謙信)
840日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:48:41
841日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:53:33
>>834
戦国時代は、一国一城ではなく、全国に御館様の数は、数万と存在し、嫡子の戦死も珍しくはなかった時代。
女城主も女武将が実際にそれなりの数いたことは、おかしな事ではない。

景虎が家督を奪ったとされるのが二十歳過ぎで、兄の晴景は三十代後半で子がいない。
しかも数年後に病死するので、その頃から政務に差し障る重い病を患っていた可能性もある。

次兄と三兄は病死か戦死でいなくなっており、晴景の兄弟は、仙桃院と景虎だけ。

ここで父為景の兄である叔父の政景と、景虎の実権争いが起こるが、
景虎が男であれば、政虎が出張ってくるのは、筋としておかしい。

政景はあくまでも他家の人間。
晴景が生きている間は、実績のある景虎が晴景に代わって実権を握り、
その一方で政景と仙桃院の結婚により、政景との絆を強めた。

やがて晴景が死亡すると、景虎は引退を表明し、政景に当主の座を譲ろうとする。
だが、家臣の分裂や、他国との衝突を憂慮した政景や家臣団が、景虎の続投を要請。
政景と仙桃院との間に生まれた、最も長尾家に血が近い景勝を景虎の養子にする事で、跡継ぎ問題も解決させた。
842日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:00:24
>>841
御説ごもっとも。ただし、ここだけ誤記された模様。
>父為景の兄である叔父の政景
政景は3代景春の代に分家した傍流(上田長尾)の末裔で、
世代的には景虎と同じ。遠い従兄というところかと思われ。
843日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:07:22
>>837

トンクス。なるほど。どっかにも長尾家の関係者同士は仲が悪いってあったな。
しかしそれなら尚更普通に謙信が男だった方が納得がいくのだが。
女性だったらその能力から暫定的に棟梁にしたとしても、後の事を考えるなら
性を隠すより、政治的な味方を作るためにも他家から有能な婿を迎えると思うんだが。
しかし、女性であることを隠し通して棟梁になっても、他家から婿を迎えても
内部の不信感を招く事や士気が下がる事には変わりがないのかも知れん。

あと、子供の頃から僧に成るべく寺に預けられたというけど、
これ、女性の場合どうなんだろう?
男なら必ずしも僧にならずとも相応の教育の場として預けられる可能性は有るけど、
当時は姫も政治交渉の道具として機能したから、
かなり小さい頃から然るべき扱いを受けるんじゃないか?

宗教的な事で少なくとも殺生については、
宗教とはしばしば戦闘的なものであった、という事も考慮に入れたほうがいいと思う。
じゃなきゃ僧兵って要らないよな。
生涯不犯の事なら、今ですらそんなやつ沢山いるし。

結局この説って「やむをえずそうなったんじゃない?」とか、
「それほど不自然な事じゃないから」とか「どっちでもいいじゃん」っていうグレイゾーンによってのみ
「女性である」と断定してるようにしか見えないんだが・・・
女だとしたら当事者にとってあまりにもリスクが高すぎるというか・・・
844日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:19:37
>>843
他家から有能な婿養子を迎えるのはよいが、その場合
長尾家は、実質的にその家に乗っ取られることになると思われ。
毛利元就が吉川氏、小早川氏を乗っ取った政略と同じだ。

このスレッドの最新?女性説では
6歳の頃、加地氏(春綱)に嫁に出されかけた
阿虎姫が父親に反抗。やむなく、虎千代という男児名を
与えて寺で修行させた。当時の寺は、関東の足利学校(形態は寺)などに
みられるとおり、武家の子弟の学校。武士になるための教育の場
なのだ。足利学校出身だと、高禄で召抱えられたという。

女性説が「グレイゾーン」なのは、当然と思われ
ホワイトゾーンだったら、そもそも謙信男性説が葬られている
というか、女性説は「仮説」ではなく、歴史の教科書にも
「戦国史上、最強の女国主だった上杉謙信は、女の身で川中島合戦を戦い…」
てな記述になってるんでは?
845日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:27:00
宗教的にどうのこうのと言うが
この時期の比叡山なんて、女色はおろか男色あり
大酒ありの状態だぞ。まるで問題にならんな。
846日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:38:26
>843
>女だとしたら当事者にとってあまりにもリスクが高すぎるというか・・・

戦の神様だぞ、謙信は。文武両道の天才だぞ。
そのへんの普通の女性を想像するな。敵味方、みんなが本物の軍神だと
思い込んでいたのだから。信長の命令にもかかわらず、秀吉が逃げたのを考えてみろ。
847日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:57:38
あいかわらず、こういう流れなのか? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。

男性説派とか懐疑派は、基本的な勉強をしてないように思えるな
最近のクレクレ的なレスをみてると。まあ、クレクレでしか盛り上がらない
スレッドの現状でもあるわけだが。
848日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:29:53
まぁ、女性説派というのは、史料不足にもかかわらず
いっぱしに論陣を張っているわけで。
849日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:53:25
でもそれじゃ普通の人は納得しないだろ。
色々話を展開してくれるのはいいが、地に足がついたものが何一つない。
女性説の論拠の基本である死因や宣教師の手紙も、
誤字といってしまえばそれまでだしな。

つうか、せめてここに来ている人間だけでも納得させてくれないか。
説明されても釈然としないし気持ち悪いから懐疑派なんかも離れていくわけで。
850日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:00:07
>834

>物理的、精神的、政治的な距離で、どれ位近しい人までが
>謙信が女性であった事を知った上で納得して受け容れていたんだろうな?

たぶん、敵対的な国人領主や他国に対しては男性を装いつつも、
意外と女である自分をひけらかしていたんじゃないかな。
「姫のためなら死にます」「わが身に代えて、お守りいたします!」
てな感じだったら、謙信の越後勢が伝説的に強かったというのも
なるほどと思えるような気がする。
毘沙門天の生まれ変わりを自称した謙信には、卑弥呼のようなシャーマンの要素もあるわけで。
851日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:05:16
本気で謙信の確実な史料を研究してみたら
彼が男だったという「地に足がついたもの」なんて
確実なのは、名前以外にひとつもないよ。ぜんぶ、女っぽい。
852日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:16:03
>>849
君は歴史研究というものが、どのくらい長いスパンで行なわれているか
知ってるのか? 水戸光圀の本朝史記が成立したのは、じつに明治39年。
光圀公の死後300年近くだ。この時期に水戸黄門漫遊記が成立して
じっさいには旅を嫌っていた黄門(中納言)様は、いまだに諸国を
旅させられて、彼の諸国漫遊が国民の常識になっている。
謙信公亡き後、上杉家の史料がデッチあげられたのが100年後。
謙信を男だと断定した頼山陽は、さらに100年近くあと。
亡き八切止夫が女性説を唱えたのは、まだ30年前・・・。
焦るな!!


853日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:27:18
>852
なるほど。。
水戸黄門が旅行嫌いで、諸国漫遊なんかしてなかった
 と言われて、「ええっ?」と驚くのが大半の日本人。
上杉謙信が男ではなく、女だった
 と言われて、「ええっ?」と驚くのが大半の日本人。
だから歴史って面白い?
854日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:38:48
幾多の豪族が纏まらず、ドングリの背比べの如く他家を牽制し合う
状況にあった当時の越後にあって、家督の続かない女を棟梁にする事
によって、中立的な安定が保たれたのでは?
その後、景虎の力量と才覚が開花し一大勢力を支配する様になった
のではないかと思われる。
如何に!
855日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:39:29
>>853
849>普通の人は納得しないだろ=853>「ええっ?」と驚くのが大半の日本人
なのか??? ワロタ
856日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:40:35
>>854
卓見だな。
857日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:50:41
>>854
 なるほど。上田長尾氏が景虎(謙信)の家督相続を認めたのも、その説なら頷けるな。
 いずれは、われわれが継承できる、と。
858日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:27:09
>849
>つうか、せめてここに来ている人間だけでも納得させてくれないか。

お前を納得させるのは、かなり難しそうだ。
いい加減な活字化されたものに頼ってばかりで、自分で原史料をあたるようなタイプとは思えないし。
859日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:21:43
>>851

名前も男性説の根拠にはならないと思う。
名前も、謙信女性説の根拠の一つに成り得るのではないか。

幼名が虎千代で、元服後に景虎なんて、いかにも取って付けた印象しかない。
ここまで幼名と元服後の名前が近いのは、(創作くさい)日吉丸→秀吉くらいではないかな。

なぜ阿虎で通さなかったかというと、たとえば関東出兵の時に、公式文章に、
『北条を攻めますので兵を出してください。上杉於虎』なんて書いても、
通りが悪いからではないか。
860日本@名無史さん:2005/04/08(金) 10:10:31
いや、その「於虎」書状ならもっと味方が増えていたかもしれん
861日本@名無史さん:2005/04/08(金) 21:31:48
そろそろ日本史板の見解をまとめようか。

謙信は女性でした。
862日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:04:39
あと、適当に埋めて
次スレは
【美女か?】上杉謙信は女性だった【醜女か?】
863日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:44:47
男だろうが女だろうがどっちでもかまわんけど
美少女化するのはさすがにキモイ。
さらに謙信タンとか言ってる奴には嫌悪感を抱くw
864日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:49:45
>>859
んなこと言ってたら
女性説の全ては男性だからこそという言い訳の解釈もできるわけで
そういうのは異説全てにそれは当てはまることで
現代人の思考や解釈からくるこじつけ論になってしまうがな(・ω・)
865日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:52:18
>863さんではないが、
三戦板的な「タン」づけの書き込みは虫しませう。
素朴な疑問は男女説ともにプラスだが、なるべく史料分析のない
のも虫。
866日本@名無史さん:2005/04/08(金) 23:53:37
いいよ別に謙信タソで。もれは宦官だと思うけど。
867日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:00:06
ここは真面目な話しをするところだろ?
萌えなら三戦でやってくれ

女性説についてはまだグレイでよろしいか?
遺体鑑定できればなぁ
868日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:12:20
>>867 釣られるなョ
女体鑑定、じゃなかった遺体鑑定は無理だから、
筆跡鑑定から進めようじゃないか。上のほうにもあったが、
願文と喜平次(景勝)あての手紙、今回の上杉特別展で開架される
謙信書状が突破口だ。わたしの想像では、天文年間の書状は祐筆
(秘書)を使ってないと思えるのです。

869日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:23:21
不評の三戦板からでスマソ↓
どなたか、ご存知で?

549 :無名武将@お腹せっぷく :2005/04/08(金) 18:43:11
謙信は厠や寝室に男を近づけなかったという
女性説を聞いたことがあるけど、ソースない?
870日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:41:25
>869
謙信の軍記もの、いろいろ原書で読んだけど
ないと思うよ「男を」というのは。「北越軍記」「春日山日記」
(内容はほぼ同じ)あたりに、
晩年は暗殺をおそれて人を近づけなかったというのはあった。
調べてみるけど、その描写のなかに、おそらく「厠」「寝所」も。

信玄が「山」=厠(水洗式トイレ)の周囲を近習に警護させたのは有名で、
それに対して、謙信は毘沙門堂や寝所に何人も近づけなかった。
これも通説として、流布されてるが一次史料は不明。
871日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:56:28
>>867-868
グレーとするにも、男性説とする根拠が、女性説の1割にも満たないからなあ。
男性説論者が、頑張ってもこれ以上根拠を示せないというなら、1000も近いことだし、
女性説でまとめるしかないと思うが。
872日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:03:12
けっきょく、こういう流れは変わらないのか? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>少数の無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>女性説派というか多数の研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、わずかに懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
873日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:13:30
男性説派にとっては、>>561の自滅アボーンが痛かったな
あの子がいれば、まだ逆転は狙えたかもしれないのに
874日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:30:33
>868
「上越市史・別編1・上杉氏文書集」についてる別冊に
謙信の書状の写真が150ページ近くにわたって載ってます。
(謙信以外のあるけどほとんどは謙信)
中には祐筆が書いたのもあるんだろうけど
謙信直筆と言われてる「伊呂波尽手本」が全文載ってるので
これで大体の文字の筆跡は分かるかと。「伊呂波尽手本」は
漢字だけどひらがなと片仮名で書かれたいろは手本も載ってるよ。

875日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:37:54
結論
上杉謙信は女性
長宗我部元親は女性
大友宗麟は女性
筒井順慶は女性
織田信長は女性
伊達政宗は女性


つまり、戦国時代は女性たちのキャットファイトであったということだ。
876日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:48:41
>>874さま 情報ありがとうございます。潜ってみました。
しかし、4500円は高い。仕方ないけど・・・↓このサイトで買える。

ttp://www.city.joetsu.niigata.jp/gyosei/sisi/index.html
877日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:54:02
>868
言わずもがなとおもひますが、新潟歴博の紀要題号に
「上杉輝虎の文書と右筆」(福原圭一)があります。
「富岡家文書」が出典です。
878日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:56:15
>新潟歴博の紀要題号に ×

新潟歴博の第5号でした。スマソです。
879日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:04:44
>876
それでも史料としてはかなり求めやすい値段なんだけどね。
これ一冊で謙信時代のは大体カバーできるし。
他の文書集めたのなんて1万超えてるのばっかで正直財布が…
女性説関係無しに上杉に興味ある人は買って損はないと思います。
ただし現代語訳じゃないので古文、漢文に慣れてないと最初辛いかも。
880日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:13:35
>>877-878
「輝虎の文書・・」ということは、永禄4年以降ですか。
未読なので参考にしまつ。サンクス!
881日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:27:32
>>879
詳報、ありがとうございます
882日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:02:51
883日本@名無史さん:2005/04/09(土) 19:13:35
>>882
そういうのは三戦板に頼む。
884日本@名無史さん:2005/04/09(土) 19:31:59
謙信は若い頃に股に矢傷かなにかを受けた史実がある、
て読んだ覚えがあるような・・・。飲酒、殺人は置いといて
不犯は守ったねじれの原因はもしや・・・。

あと、信長の刺客に菊門を刺されて芯でしまったとか
いう俗説もあったなあ。流石にそれはないだろうと思った。
885日本@名無史さん:2005/04/09(土) 20:35:22
>>884
 なんか三板並みのネタだね。

 謙信の脚が悪かったのは、天正元年八月十日付の吉江景資夫妻
宛ての手紙(大意=息子さんがわたしの言うことを聞かないで、火縄銃の
標的になりそうだったので、いま捕らえて押し込めていますが、死なせて
しまったあなた方に申し訳ないので、処置したのです……)の中に
「身の事は不達に候間、小島を頼み、引きずり返し」(わたしは体が悪い
ので、小島に頼んで息子さんを引きずり返させました)とあるとおり。
これは永禄八年に病んだ瘧(おこり=関節炎)の後遺症。
 信長暗殺説は、信玄が笛に興味をもって歩み出たところを銃撃されたという
のと同じ、信長の幸運を人々が噂したもの。信玄の場合はともかく、謙信は
倒れてから数日経って死んでるからなぁ。しかし、死因が大虫(婦人病)なら
刺客に狙われたのは菊門ではなく、前の穴だろう。
886日本@名無史さん:2005/04/09(土) 20:38:39
>>885 ヌケがあった、スマソ。
>死なせてしまった(ら)あなた方に申し訳ないので、
887日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:50:48
良スレage
888日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:11:26
しばらく見ないうちに、完全に女性説が優勢に
なってるな・・・。
889日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:19:55
けっきょく、こういう流れになったのか? ↓
>このスレの流れをみてると、謙信男性説派というか
>当初は多数派だった無学な連中が必死になって粗雑な論理を展開しては、
>反論されてじょじょに脱落してゆき、最後は刀折れ矢尽きて、
>女性説派というか、当初は少数派だった研究熱心な連中にガツンとやられてる。
>その他、わずかに懐疑派というか真面目な連中が素朴な質問で
>盛り上げてるというところか。
890日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:42:13
で、実際女性説側に立って研究してる学者先生はどれくらいいるの?
891日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:43:29
ガツンどころか、ボコボコにやられてるぞ
もの言えば、くちびる寒し?
892日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:49:10
>で、実際女性説側に立って研究してる学者先生はどれくらいいるの?

と、こういう権威にひれ伏す方法しかないんだよ。
何だかんだいっても、業績が命の学者は歴史学会から干されたら
困るので、女性説に魅力を感じても何も言えないしな。
893日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:56:04
>>890
どうでもいいけど、仮に2ちゃんを見てる学者が
いたとしても、本名での書き込みは出来ないと思われ。
ここ(2ちゃん日本史板)でボコボコにされて、外部(学者先生)に
救いを求めるのは哀しすぎ。ここは民間の匿名研究者の独断場だからな。
894日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:00:21
うーん。女性説の研究者は、皆無でしょう・・・。
このスレッドに匿名で書き込んでいる研究者はいたとしても。
895日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:03:43
>>892
じゃあ歴史学会は科学的な論証によるものではなく、思い込みや慣習で態度を決めてるのか?
ここではこんなに女性説が優勢なのに?

「地球は回っている」と叫べる勇者はおらんのか?文系は腰抜けばっかりか?
896日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:09:58
>>895
そうではないのだです、生真面目で少壮な人よ。謙信が男性か女性かという
研究はまだ一度もなされていないのです。あまりにも史料がないにも等しいから、
このような匿名板でしか議論されないのです。君こそが、これから研鑽を積んで
コペルニクス的な展開をしてもらいたいものです。われわれは応援するぞ!
897日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:14:28
>>896
コペルニクスは「地球は丸い」

「地球が回っている」はガリレオ
898日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:15:52
>896
というよりも、上杉謙信男性説などというものがまだ存在していない
八切氏いらいの女性説は、仮に存在したとしても
899日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:20:03
>>897
教養あるじゃん。前途有望だっ!
900日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:29:14
>>895

>文系は腰抜けばっかりか?

御意…。わたしも含めて、歴史系は腰抜けばかりです。
アホな教授殿の本を出すために、おとうと弟子の論文をかき集めては
刊行された本を学生に「必読本」として売りつける。試験持込可(笑)。
出版社からの印税は、助成金を出してくれた大学に半分納めて、あとは教授の
懐に…。教授の鞄持ちをしても、専任講師の就職口があればと、ね。
謙信女性説? んなもん、勝手にやったら研究室勤務、首ですわ。
901日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:44:34
研究者の愚痴スレになってきたか・・・
902日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:06:04
>900
それがしは民間の研究者なのですが、自分の加盟している出版社系の学会誌に都合10回以上、謙信女性説の論文を投稿しました。
もちろん10回以上、没。。やはり大学の研究現場でも厳しいのですね。
903日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:52:39
まあただの糞論文だったってだけかもしれないけどね。
904日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:57:04
権威が・・・、という発言がありましたが、しっかりとした史料をもとに実証されているのであれば、
学会はちゃんと認めます。
だが衣装が紅くて女っぽい派手だから女だというのは、戦国末から寛永文化の様相を知らないからの発言であると思います。
>さすがに驚いたな、『松平記』が「うさんくさい」とされていたとは・・・
「松平記」も「当代記」も、史学では二次史料、三次史料として取り扱っています。
だからこそ本人や家臣が発給、出した判物、感状、書状などを地道に蓄積・データ化する作業をどこでも継続してやっています。
では謙信の初期肖像に髭がない、きゃしゃである、ということから女性、というのはどうかというと、図像学的には説得力に欠けます。
体質的に髭が薄い男はいますね。もともと髭が薄いのに、敢て髭を描けば実際の印象と異なった図像になってしまいます。
16世紀17世紀の肖像画に、現代的なリアリティーを求めることは困難です。
女性であることを示唆するような調度なり小物、そういう記号が謙信の肖像画に描かれてなければどうしようもない。
>じゃあ歴史学会は科学的な論証によるものではなく、思い込みや慣習で態度を決めてるのか?
>ここではこんなに女性説が優勢なのに?
ここで優勢である(?)ことの、どこが科学的な論証になるのかわかりませんが、
しかし、同時代の一時史料、もしくは信憑性のある史料で証明がつくならば、女性説は支持されてしかるべきですし、ちゃんと学会で支持されます。

900さんの研究室は、相当保守的な環境ですね。
大学に他から得た研究費用の何割かを大学に納めるのは、公立の大学ではよく聞きますが、
弟弟子の論文かき集めて刊行した本で、ちゃんとまとまった金額の印税が取れるんですか。
ならば、名の知れた、販売部数を誇る教授さん、良心的な出版社ですね。
友人に同様の境涯の者がおりますので、同情をこめて応援いたします。
902さんも、どうぞ頑張ってくださいね。
905日本@名無史さん:2005/04/10(日) 03:24:51
しっかりとした男性説との比較で女性説が劣るというならば、
謙信は男性だったとしていいと思うんだが。
906日本@名無史さん:2005/04/10(日) 08:48:43

ていうか、学会というレベルでは未だかつて『謙信女性説』など
俎上にのぼったことすらないでしょう
907日本@名無史さん:2005/04/10(日) 09:24:46
>>902

このスレに出てきている程度の内容なら、採用しないのは学会誌の見識ですね。
じぶんの誌面にクソは塗りたくないですから
908日本@名無史さん:2005/04/10(日) 09:35:52
権威主義の学会に対抗するには、世評のオピニオンリーダーたる2チャンが
先行して、論文を作り上げるしかない。このスレがきっかけで
本格的な研究が展開されると又2ちゃんに金字塔が建つぞ。みんなガンガレ!
史料を集めろ、墓を荒らせ、関係施設をガサ入れしれ!朝生のテーマに
乗せろ。実際問題、学会に認めれるより大衆的なコンセンサスをゲット
した方が研究がスムーズに行く可能性が高まるのではなかろうか?
909日本@名無史さん:2005/04/10(日) 09:38:11
謙信半陰陽説
910日本@名無史さん:2005/04/10(日) 10:21:26
謙信女性説にしろ、男性説にしろ、ろくな資料が無い。

男性説側も女性説側を黙らせられるほどの証拠を出すことは不可能だし、
女性説側もそう。

で、本来性別不明の謙信が、ありとあらゆるところで非科学的に男性とされていることが気に入らないわけだ。
911日本@名無史さん:2005/04/10(日) 10:25:19
史学会でも歴研でもいい、学会誌に立派な謙信男性説の論文が載ったら
女性説あきらめるよ。
912日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:30:12
こんなに有名人なのに、未だまともに性別について研究されてないとはな
913日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:37:53

女性論者の皆サン江

自費出版してあらゆる図書館・学会・マスコミ等に送りつけて下さい
個人が無理なら、共同出版で論集とするのもよいでしょう

なまあたたかく見守っています
914日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:59:40
>>913
先に男性論者がやったら、やってもいいよ
915日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:27:27
>>914

そんなアホな本ださんでも、国民の99%は謙信を男性だと思ってますからww
916日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:33:26
>>915
ろくな科学的根拠も無しにな
917日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:41:08

問題を提起したいほうが行動しない限り
常識(謙信=男性)は常識のまま
918日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:48:01
そう、まさに「地球は回っている」
919日本@名無史さん:2005/04/10(日) 13:16:26
状況証拠も物的証拠も、
質、量ともに圧倒的に女性論が勝っているというのに、
歴史家は見て見ぬ振りか。

まあ謙信女性説が通説となれば、
九割以上の歴史家の権威は失墜だもんな。
920日本@名無史さん:2005/04/10(日) 13:19:45
俺は女性説については良く知らないが、それを馬鹿にしている人の
多くが信じている死亡時49歳説を疑っている。
921日本@名無史さん:2005/04/10(日) 13:35:15
>>913
上杉は上杉でもスレ違いになるが、10年位前に末裔だと称する爺さんが「川越城を建てた
のは大田道灌ではなく上杉持朝であると訂正汁!」と川越市を訴えた時の話を思い出した。
結局は裁判所に「で、それがどう利害関係があるの?」ということで門前払いにされたわけ
だが、その時の記事に「今後はこの説を普及する本を作って川越市の姿勢を糺すつもりで
す」とコメントが載っていた。



・・・だが、それから長い年月が過ぎたが一度もそのようなニュースを聞かない。
念願を果たす前に逝ったのか? 爺さん。
その説に同意するかしないかとは別に、もう一騒ぎ起こす事だけは期待していたのに。(w
922日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:00:46
簡単に本にするとか言うけど、そう甘いもんじゃないよ
出版は構造不況だし、自費出版てのはボッタクリだし
923日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:23:13
そろそろ次スレの話をしようか
924日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:29:07
>>904
>では謙信の初期肖像に髭がない、きゃしゃである、ということから女性、というのはどうかというと、図像学的には説得力に欠けます。
>体質的に髭が薄い男はいますね。もともと髭が薄いのに、敢て髭を描けば実際の印象と異なった図像になってしまいます。

明治31年に作られた髭面肖像(版画)が今日の謙信男性説を常識化させたことを
無視してないか? 長らくこのスレッドで議論されてきた自画自讃像であること、
平安朝の画風? 28点も現存する謙信肖像の中で、自画自讃像だけが女性っぽく
見えることを、このレスは自分で検証したのだろうか?

>16世紀17世紀の肖像画に、現代的なリアリティーを求めることは困難です。
>女性であることを示唆するような調度なり小物、そういう記号が謙信の肖像画に描かれてなければどうしようもない。

 このレスも女性説(男装説)をことさらに無視する。肖像画にリアリティを
誰も求めてはいない。なぜ後世の絵に髭が加筆されたのか、16世紀(自画像なら)
の絵画様式を検証しなければならないと、このスレッドではくり返し論じられて
きたのだ。史学界の周辺にいるらしい?904ですら、この体たらく。
925日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:59:54
>>924
> 明治31年に作られた髭面肖像(版画)が今日の謙信男性説を常識化させたことを
> 無視してないか? 

って言うか、明治31年以前に女性説とその反論としての男性説って公式の場所で語られて
きてたのか?
反論がなければ、大抵の戦国武将が男性であるということに疑いを持つ人はあまりいない
のではないかと思うのだが謙信は既にその時点で疑いをもたれていたのか?


ちなみに、肖像画の解析ではなく武家風俗の話になるが、戦国時代は付け髭までして威厳
を出そうとしていたにもかかわらず、江戸時代には髭を蓄えないことが励行されていたそう
だが。
そうなると江戸時代の大名の何人かには「リボンの騎士」みたいなのがいてもおかしくはない
ことになるなぁ。髭がないんだから。
926日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:22:17
謙信が明確に「男性」と書かれているのは「軍鑑」が最初。
これをもとに、宇佐美定祐の軍記ものが書かれ、頼山陽が
漢詩とともに勇猛な武将だと粉飾した。
ところが、謙信の願文は明治時代の研究で女々しいと評価され
史学雑誌1号(明治22年)では、田中義成博士が軍記ものによる通説を否定。
男性説女性説ではないが、江戸時代の史料はことごとく否定されたのだ。

>ちなみに、肖像画の解析ではなく武家風俗の話になるが、戦国時代は付け髭までして威厳
>を出そうとしていたにもかかわらず、江戸時代には髭を蓄えないことが励行されていたそう
>だが。

謙信の髭なし自画像が戦国時代のものであって、江戸時代でないのはご存知のとおり。



927出土地不明:2005/04/10(日) 16:11:47
その自画自賛像というのは>>440の肖像ですか?
女っぽくみえるというのは主観でしょう。
この肖像画が女っぽいなら、教科書なんかにも載っている有名な一乗寺所蔵の伝教大師最澄の肖像は、もっと女っぽいですよ。
>なぜ後世の絵に髭が加筆されたのか
考えてもみてごらんなさい。直接本人を見たことがない英雄と仰ぐ人物を、時代が下れば下るほど理想化して描くのは自然な流れです。
この図像をみると、法体の姿であるにも関わらず、
傍らに太刀を置き、腰には脇差を差し、軍配までさしている。
身は出家であるが、武をもって敵を折伏する姿を表現していることは読み取れるが、
女性であることを明確に証する記号は何一つない。
顔立ちが女っぽくみえるから女だというのは、巌が人の顔にみえるから観音だ、地蔵だという論理と変わりがありません。
928日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:21:33
28点も肖像画が現存し、どれも男に見えるのに、
なぜ自画像だけが見る者にとって「主観的」にであれ
女っぽく見えるかということだろ?
>女性であることを明確に証する記号は何一つない。
ここの女性説では男装していたというのだから、当然至極。
ところで、画風(様式)の分析はどうよ?
929出土地不明:2005/04/10(日) 16:34:17
>なぜ自画像だけが見る者にとって「主観的」にであれ 女っぽく見えるかということだろ?
だから、女性説を前提にみれば女っぽくみえる、その程度のことじゃないですか。
「髭の薄い、ムチムチ顔の男の像は女である」とでもいうのでしょうか?
後年の肖像は偉大な武将・謙信というイメージで描いてゆけば、おのづから男っぽさが増していった、
といっているわけです。
>>女性であることを明確に証する記号は何一つない。
>ここの女性説では男装していたというのだから、当然至極。
だから、この図像で姿、持物で女性を徴するものは何もないと最初から申しているわけです。
むしろ、この図像は、法体の武人・謙信ということを意識して描いているのですから。
様式は戦国末〜江戸初期(16世紀〜17世紀前半)でよろしいでしょう。
930出土地不明:2005/04/10(日) 16:42:35
ついでにいえば、画像が小さいためにはっきりとは判断できませんが、
稚屈なところがないではないけれども、
この絵を描くには水墨画と違って金泥など顔料を用いており、
体躯のバランスがよくとれていることなどから考えると、
本当に自画像なのか、という不審感がないでもありません。
絵師が描いてもおかしくない、素人が描いたにしてはよく描けた肖像画です。
931日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:45:04
問題なのは、確実な生前の肖像画とされる「御雲昇天之図」(高野山)
が明治20年に焼けて、伝自画像をもとにした版画にうっすらとした
髭が描かれたか、ということ。なぜか焼けた生前の絵の代わりなら、
伝自画像をそのまま模写すれば済む話だとは思わないか??
 意識的に謙信=男性を印象付ける作為が感じられないか、ということだよ。
ちなみに、画風(様式)は飛鳥期の女人像・平安朝の下膨れ。謙信が
源氏物語絵巻を愛読していたのは周知のこと。
932日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:49:06
>絵師が描いてもおかしくない、素人が描いたにしてはよく描けた肖像画です。

いいえ、自讃の書を見ると、青蓮院流の名手謙信の書とは思えない稚拙さ
なんですよ。絹地だから顔料が使いにくいのかもしれませんけど。
絵師が描いた場合でも、自画自讃像と言うそうですが。
933出土地不明:2005/04/10(日) 16:56:58
>伝自画像をそのまま模写すれば済む話だとは思わないか??
>意識的に謙信=男性を印象付ける作為が感じられないか、ということだよ。
伝自画像をそのまま模写すれば済む話と簡単に言われるけれど、
模写するほうは、武田信玄と争った戦国の雄・謙信という認識で模写するというのです。
現在のように、原本は忠実に模写しなければならない、という意識が徹底していた訳ではありません。
>ちなみに、画風(様式)は飛鳥期の女人像・平安朝の下膨れ。謙信が
>源氏物語絵巻を愛読していたのは周知のこと。
なら、アニメが大好きな人は、眼のでかい、鼻のとんがったような自画像を描くというのですか?
論理としてめちゃくちゃです。
934日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:00:23
>現在のように、原本は忠実に模写しなければならない、という意識が徹底していた訳ではありません。
わざわざ髭を付けるか?
>アニメが大好きな人は、眼のでかい、鼻のとんがったような自画像を描くというのですか?
そうだと思うぞ。
935出土地不明:2005/04/10(日) 17:01:40
>自讃の書を見ると、青蓮院流の名手謙信の書とは思えない稚拙さ
440では讃の部分が写っていないのでなんともいいようがないですが、
禅僧系の讃なんて、荒っぽいもんです。
むしろ青蓮院流の讃だったら江戸期の作と疑います。
肖像の部分については、440画像をみる限りでは見解は変わりません。
936日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:07:45
>むしろ青蓮院流の讃だったら江戸期の作と疑います。

ちがいます。謙信は太閤近衛卿(三条西卿説あり)から青蓮院流の書画を習っていますが、
この青蓮院流の書は、江戸時代に御家流として大衆化するのです。
937出土地不明:2005/04/10(日) 17:08:13
わざわざ髭を付けるか?
戦国の雄・謙信という認識で模写すれば、より男っぽく描いてしまうことは充分あるのです。
現代の感覚で判断されると困ります。
>アニメが大好きな人は、眼のでかい、鼻のとんがったような自画像を描くというのですか?
そうだと思うぞ。
ああそうですか。アニメ好きな人というのはすさまじいものですね。
ちなみに平安(鎌倉でも)の貴族の男性も、多くは下ぶくれで描かれております。
938出土地不明:2005/04/10(日) 17:11:20
>謙信は太閤近衛卿(三条西卿説あり)から青蓮院流の書画を習っていますが、
>この青蓮院流の書は、江戸時代に御家流として大衆化するのです。
だからこそ、青蓮院流で讃が書かれていたら、却って江戸時代に書かれたのかと疑うといっているのです。
戦国期の肖像画で青蓮院流の讃というものは、管見の限り見たことがありません。
939日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:14:51
出土地不明さんは仮説を許さない方のようですが、
反論のための反論が多すぎて・・・。
画風(様式)は平安王朝風ということで、よいのですね?

>戦国の雄・謙信という認識で模写すれば、より男っぽく描いてしまうことは充分あるのです。
>現代の感覚で判断されると困ります。
これ、女性説の裏付けなんです。


940出土地不明:2005/04/10(日) 17:16:34
もし謙信=女性であるなら、少なくとも法名が女性のものであってほしいです。
そういう点から探ってみられてはどうですか?
941日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:17:00
>戦国期の肖像画で青蓮院流の讃というものは、管見の限り見たことがありません。

これについては、筆跡鑑定もふくめて調べてみます。
942出土地不明:2005/04/10(日) 17:19:42
>画風(様式)は平安王朝風ということで、よいのですね?
そうはならないでしょう。
しもぶくれの男を描いたら、彼は女である、ということになってしまう。
>>戦国の雄・謙信という認識で模写すれば、より男っぽく描いてしまうことは充分あるのです。
>>現代の感覚で判断されると困ります。
>これ、女性説の裏付けなんです。
なら、致命的に説得力が希薄であるといわざるを得ません。
もともと髭の薄い男の絵は女性の絵であるというに等しいから。
943出土地不明:2005/04/10(日) 17:22:24
どうぞいろんな視点、可能性から史料を捜査して頑張ってください。
私も明日職場で新潟県立歴史博物館の研究紀要5号を探してみます。
944出土地不明:2005/04/10(日) 17:25:21
(蛇足ですみません)人麻呂影供とか天神影供のような、和歌を書き付けたものは青蓮院流ということはよくあります。
厳密には、漢文の画賛では見たことがないということです。
945日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:25:29
>しもぶくれの男を描いたら、彼は女である、ということになってしまう。
現存する兜の頬当てを見る限り、謙信は下膨れではありません。
なぜ下膨れに描かれているのか? ここに自画像を解明するカギが
あるのではないかと思います。

>もともと髭の薄い男の絵は女性の絵であるというに等しいから。
「薄い」ではなく、「ない」でしょう? 他の謙信肖像画で、武将らしい口ひげ
が描かれているのもありますよ。これのみ、「ない」のです。
946出土地不明:2005/04/10(日) 17:29:10
>現存する兜の頬当てを見る限り、謙信は下膨れではありません。
その頬当は、肖像画が描かれていた頃の所用のものですか?
>他の謙信肖像画で、武将らしい口ひげ が描かれているのもありますよ。これのみ、「ない」のです。
だから薄くて描かなかったんでしょう。同時代のものでない、後年のものなら、書き加えることがあって自然と申上げているのです。
947日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:33:20
頬当ては金漆兜(伊予札素懸威)ですが、信長から贈られた
大壷袖(織田木瓜家紋入り)とセットですから、晩年のもの。
「ない」髭は描けませんよ。
948出土地不明:2005/04/10(日) 17:36:02
で、その頬当を用いたという記録はありますか?
>「ない」髭は描けませんよ。
だから、髭が薄い場合、目立たないから描かないということはあり得ると言っているのです。
949日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:38:35
当該の頬当てを「用いなかった」という記録はありますか?
950出土地不明:2005/04/10(日) 17:41:09
恐らく用いたとも、用いなかったとも書いてないでしょう。
そもそも信長が謙信の体つきを計測して作らせたとお思いですか?
謙信自身で命じて作られたならともかく。
951日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:43:33
頬当て(顔に用いるもの)と「体つき」は無関係ですが、
大壷袖(信長贈)のみ別物と鑑定されています。
つまり、謙信が作らせた甲冑に間違いありません。
952出土地不明:2005/04/10(日) 17:47:12
そうですか。
>謙信が作らせた甲冑に間違いありません
といい切れるといわれるならそういたしましょう。
ならば謙信は当時下ぶくれでない可能性があるということですね?
953日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:48:13
もう繰り返しません。
954出土地不明:2005/04/10(日) 17:50:52
私は合戦の作法、有職には詳しくありませんが、
合戦に際して頬当は必ず用いるものなのですね?
その甲冑を謙信は用いているのですね?
955出土地不明:2005/04/10(日) 17:55:29
ともかく、謙信の肖像は下膨れなのに、同時期の頬当がある。
当時の謙信は頬当が用いられないほどの下膨れでない、そういう論理は成り立つでしょう。
956出土地不明:2005/04/10(日) 18:00:23
こちらから検証していただきたいことがあります。
さきほども言いましたが、謙信の法名・不識院殿真光謙信というのが、
女性でも名乗れる法名なのか、男性しか名乗れないものなのか、ということです。
私は仏教のこういうことは判りませんので是非調べてみられてはどうですか?
957日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:18:44
スレッドを最初から読めばわかると思うが、
江戸時代に捏造された可能性があるとされてる
958日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:37:52
>954
金箔押頭形兜伊予札素懸威腹巻(上杉神社)なら
謙信がじっさいに使ったと考えられる。威毛が三つ編みになってるから。
たぶん、長い威毛が邪魔で、女の子らしく三つ編みにしたと思われ
959日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:52:14
>>958

コックは皆、長頭だと言いたいようだなw
960日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:58:51
>>959 意味不明
961日本@名無史さん:2005/04/10(日) 20:10:26
1600年代中ごろ、幕府による大名家取り潰しが多く、
上杉家も領地を半分に削られた。

ちまたでは色んな流派の軍学者が出たが、
武田信玄以上とされる上杉謙信が持ち上げられた。

上杉家としても、これ以上は領地を減らされないように、
謙信の名前を利用し、武家の名門となろうとしたのではないか。
962日本@名無史さん:2005/04/10(日) 20:41:14

拉致された日本人のものと専門家に鑑定された『写真』ですら間違いがあるのに
肖像画の心証が決め手なのだからww
963日本@名無史さん:2005/04/10(日) 20:49:52
>>962 意味不明
イッキにレベルが落ちたな
964日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:24:47
男性論者の決め手が戒名なんだろ?
江戸時代に入って付いた。
965日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:28:00
>960 >963
いちいち糞レスに反応するな。

そろそろ1000も近づいてきたので、次スレのタイトルを。
【女性か?】上杉謙信【男性か?】
<<上杉謙信=女性説を今こそ語る=第2幕>>
[激論!上杉謙信女性説2]


966日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:16:47
●●●上杉謙信●●●女性説A●●●
(長尾九曜紋をデザイン)

♀♀♀上杉謙信は女だった!2回戦♀♀♀

【美女か?】上杉謙信女性説を語る(弐)【醜女か?】

967日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:36:19
【毘神】上杉謙信は女だった2【美神】
968日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:02:56
徹底検証♂上杉謙信♀女性説2
969日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:13:21
どれもイマイチだなぁ・・
もっと、日本史板にふさわしいのを、と。

■■徹底史料分析!■上杉謙信女性説2■■

なんか、なぁ・・
970日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:37:08
 なんだかなぁ。
出土地不明氏VS名某無史さん氏の夕陽の決闘的
迫真バトルで、今夜は皆さん腰が引けたかな?
このあたりが、日本史板のシビアな面だね。

研究テーマを絞りつつ、次スレに行きたいもの。

と言いつつ、

→バトルトーク・上杉謙信女性説2・仁義なき戦い←

てな感じ。
971日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:54:31
>>970
もうひとつ、ピンとこないねぇ
広く意見を募ろう。で、ageスマソ
972日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:01:51
>>958
> たぶん、長い威毛が邪魔で、女の子らしく三つ編みにしたと思われ

女の子の髪型として三つ編みが常用されるようになったのはそれほど歴史と伝統があるの?
973テンプレ案:2005/04/11(月) 00:08:02
上杉謙信の性別について、まじめに科学的に議論するスレです。


【前スレ】

上杉謙信=女性説を今こそ語る
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1109480398/l50


【萌えはこちらへ】

@三戦板
【実際は男】上杉謙信は女の子 その3【謙信は男】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50
974日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:08:22
>972
はい、明日香のいにしえより、三つ編みの倣いはくだる平安、
鎌倉、室町の乱世まで、女童の髪型です。
                    恐惶謹言 於虎
975日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:13:05
>973
よしなに・・・。
976テンプレ案:2005/04/11(月) 00:16:55
<謙信女性説の主な論拠>

・謙信の死因は大虫(婦人病)である、と歴史書に書いてある。
・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
・謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女性扱いである。
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
・男性としては小柄なのに、「大柄」と評される。

<女性説における謙信の死因の一例>

元気な人間が、突然倒れて人事不詳のまま4目に亡くなる婦人科の病名
 =卵巣の実性腫瘍:かたいコブのようなもので、その80%が悪性。嚢腫にも
充実性腫瘍にも良性腫瘍と悪性腫瘍(卵巣ガン)がある。腫瘍が小さいうちは、
全く症状がない。(おりものの変化や月経異常などのサインはかなり大きくなって
から)他の病気で受診した際に、偶然発見されることが多い。嚢腫が大きくなると、
おなかの圧迫感、腰痛、しこりなどが見つけられる。さらに大きくなると周りの臓
器を圧迫して排尿排便がしづらくなったり、足がむくんだりする。ときには茎捻転
といって卵管や靭帯がグルッとねじれて、突然激しい吐き気や腹痛が起こり、ショ
ック状態になる場合がある。

<男性説側の主な反論>

・幼女は寺で修行しない。
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献を複数
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしいものがない。
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。

<すでに論破された男性説側の反論の一例>

・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)
977日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:19:26
>>976
乙!!!
978テンプレ案:2005/04/11(月) 00:22:26
979日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:24:24
>978
御意っ!
980日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:27:26
>>974
ぐぐったらこんなのが
ttp://mytown.asahi.com/nagano/news01.asp?kiji=3682

三つ編みの髪形の土偶の後頭部。
伊那市教育委員会は17日、同市内で頭髪を左右に三つ編みにした、縄文時代中期の土偶頭部が出土したと発表した。
同市教委は「髪形と耳飾りは具体的に表現され、当時の装飾が分かる貴重な出土物」としている。
同市山寺高尾町の市道工事現場で、埋蔵物遺跡を確認する調査で地下約60センチで見つかった。
御子柴泰正・調査団長によると、付近は縦穴住居跡で縄文中期中葉(約4500年前)の遺跡と見られ、土偶もその時期と見られる
981日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:29:44
>>980
え? 縄文からでしたか・・・
               於虎
982980:2005/04/11(月) 00:42:06
次スレ立ててくるよ。
983日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:44:46
>>978
あれっ・・・、このサイトには行けなかったです。大丈夫ですかね?
ttp://members8.cool.ne.jp/~montitti/_private/k-woman.htm
ttp://www1.odn.ne.jp/~notohatakeyama/hrnet/99contents/01kasugayama.html




984日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:45:42
>982
謝謝……。
985980:2005/04/11(月) 00:49:56
Have a nice surf !

無理でしたorz
986980:2005/04/11(月) 00:53:20
>>990
お願いします・・・
987日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:53:36
>>985;980
無理? アクセス規制? では、明晩・・・。
988日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:59:17
ダメぽ……
989日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:02:29
むむむ・・・
990日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:12:15
990っ!
991日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:15:11
やっぱ、ダメぽ・・・
992日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:33:47
次スレたたずに埋まっちゃったら、悪いけどこっちに避難させてもらおうか?

@三戦板
【実際は男】上杉謙信は女の子 その3【謙信は男】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1097084198/l50
993...
>992
この際、妙案かと……。あっちは過疎化してますし。