1 :
日本@名無史さん:
源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱について語ろう。
2
3 :
日本@名無史さん:05/02/01 06:11:57
源満仲−−頼光の源氏嫡流の系統だからね。
4 :
日本@名無史さん:05/02/01 06:22:54
5 :
日本@名無史さん:05/02/02 02:29:10
多田行綱は、義経と行動を共にするんだよね。
6 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/02 10:27:57
『玉葉』によれば、一の谷の合戦では、山手から攻めて一番手柄です。
義経が追討されてからは、逆に追いかけていますが。
7 :
日本@名無史さん:05/02/02 12:04:05
行綱の右顧左眄的処世は、中小企業の主を連想させるね。
8 :
日本@名無史さん:05/02/02 16:06:33
多田源氏ってことは
本願寺スレッドと親交を結ばねばなりませんね。
下間池田氏ってことで。
9 :
日本@名無史さん:05/02/03 14:39:14
多田行綱は平家物語では密告者として矮小に描かれているが、
源氏霊廟の多田神社の源氏まつりでは、源満仲、頼光や八幡太郎義家と並び、
多田行綱公として、馬上の凛々しい鎧武者として武者行列に登場している。
ちなみに、多田神社発行の「源満仲没後○○年」というテレフォン・カードを
持っているが、多田行綱記念の品は出ないのだろうか。
10 :
日本@名無史さん:05/02/03 14:42:52
11 :
日本@名無史さん:05/02/17 02:49:57
摂津源氏の中で「多田」を苗字にした多田氏(頼綱→明国の系統)
と源姓を使い続けた源頼政(頼綱→仲政の系統)の場合、どちらの
系統が清和源氏の嫡流(この場合、満仲以来の家督を受け継いできた
系統という意味で)なんだろうか。
源行綱
馬場頼政
13 :
日本@名無史さん:05/02/17 20:34:55
たしか多田神社の参詣道に笹川良一の大きな名前を刻んである石柱を見たが
笹川は清和源氏を標榜してたはず
まあ、あのオッサンはアチコチ金をばらまいてるから多田神社に寄進でもしたのか
それとも縁でもあるのだろうかな
14 :
日本@名無史さん:05/02/17 21:11:21
系図までは買えたがノーベル平和賞は無理だったってことさ。
15 :
日本@名無史さん:05/02/17 21:13:52
笹川は大それたことを考えず、ノーベル飴でも食べてりゃいいのよ。
16 :
日本@名無史さん:05/02/18 03:32:04
>>12 馬場仲政や馬場頼政の馬場は、号であって、まだ苗字ではない。
源行綱の多田は、行綱かその子から苗字として定着する。
17 :
日本@名無史さん:05/02/18 03:35:24
18 :
日本@名無史さん:05/02/18 04:56:46
>
>>16 >馬場仲政や馬場頼政の馬場は、号であって、まだ苗字ではない。
>源行綱の多田は、行綱かその子から苗字として定着する。
それぞれソース希望。
19 :
日本@名無史さん:05/02/19 18:29:15
源頼朝に多田庄を没収された後の多田行綱について書かれている
資料は無いのだろうか。
>>18 仲政や頼政の馬場が号であるのは、彼らは源仲政、源頼政として各種の文献に登場することからも明らか。
行綱の多田は、苗字化しているため、行綱は、源行綱ではなく多田行綱として文献に登場。
>>20 >仲政や頼政の馬場が号であるのは、彼らは源仲政、源頼政として各種の文献に登場することからも明らか。
>行綱の多田は、苗字化しているため、行綱は、源行綱ではなく多田行綱として文献に登場。
どういうこと?源行綱という名は徳川家康を源家康と呼ぶようなもので、
通常そういう名では文献に登場しないということなのかな?
その割には有名だよね?源行綱って名前。
不思議だなぁ。
>>21 源行綱という表記は有名ではないよ。源家康という表記も有名ではないように。
行綱は、平家物語でも公家の日記でも多田行綱として記されている。
不思議でも何でもないよ。
23 :
日本@名無史さん:05/02/20 13:53:02
24 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:09:47
じゃあ平氏の嫡流ってどこになるの?
清盛ではないよね。将門の一門?
25 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:17:15
行綱と頼政、
どっちが
源頼光の嫡流なんですか?
26 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:19:21
嫡流の家系図ないの?
源家嫡流
源経基--満仲--頼光--頼国--頼綱--仲政--頼政--仲綱--有綱==光信--光基--光衡--
28 :
日本@名無史さん:05/02/20 17:01:31
29 :
日本@名無史さん:05/02/20 19:56:57
嫡流とは何ぞや?
30 :
日本@名無史さん:05/02/20 20:01:52
>>22 ええっ!?
山川の人名辞典には「源行綱」で出てたよ?
何でだろう??
31 :
日本@名無史さん:05/02/20 21:23:36
平家物語では多田蔵人行綱。
十、鹿の谷の事
「武士には多田蔵人行綱を始めとして、北面の者ども多く與力してげり。」
32 :
日本@名無史さん:05/02/21 04:44:28
33 :
日本@名無史さん:05/02/21 17:10:30
>28
>多田の嫡流は戦国時代どうしてたの?
あくまでも私見だが、行綱が頼朝に多田庄から追放された後は多田一族は
各地に四散(もちろん多田庄に残った者達もいただろうが)して多田宗家の
概念は徐々になくなっていったのではないだろうか。多田氏の系図(行綱の系統)
のほとんどは行綱までか行綱より1〜2代目くらいまでしか書かれていない場合が
ほとんどで、戦国時代まで続いている系図はなかなか無いのでは。
>29
>嫡流とは何ぞや?
本来なら先代から家督を受け継いできた系統のことを指すと思うが、
時が経つと「嫡流」の系統よりも活躍して、その一族全体の中で
「主流派」となる系統が出てくることもあって次第にその主流派が
世間からは嫡流となされてくるのではないかな。
例えば頼光が生きていた頃は、世間も頼光自身も弟の頼信も頼光系が嫡流
だと思ってただろうが、頼光の死後はこの概念が微妙になっていき、
頼義、義家が奥州で合戦を経た後は河内源氏が清和源氏全体の中で主流派、
及び世間からは「嫡流」と見なされるようになっていき、頼信系の人たち
も自分達河内源氏こそ清和源氏の嫡流と思うようになっていったのでは。
つまり奥州で合戦をしたのが河内源氏ではなく、摂津源氏だったら頼光系は
名実ともに後々まで「嫡流」と見なされたかも知れないと思う。
以上全て私見、及び長文ですみません。
34 :
日本@名無史さん:05/02/21 18:09:39
>>33 そもそも頼光、頼信の時代に「嫡流」という概念はあったのだろうか?
35 :
日本@名無史さん:05/02/21 19:13:59
それはそうと大河ドラマ「義経」に多田行綱は出てくるのかな。
まあ摂関家なんかも庶流の庶流のそのまた庶流のまた庶流……
本来の嫡流は南家豊成流でしょうし。
北家でも三男真楯の家系だし、冬嗣だって同母兄がいたし、
本来は日野家のほうが内麻呂流の嫡流だよな。
師輔も長男じゃないし、道長の父親も長男じゃないし、
道長本人も四男か五男だし。あースレ違い長々とご免。
多田行綱の家系
行綱─行定(多田太郎)
─行実(多田二郎)
─定綱(多田三郎)─光綱─重綱
─基綱(多田蔵人)─重綱─宗重─長重─重国
─行盛()
38 :
日本@名無史さん:05/02/21 21:57:55
>>34 あったと思うよ。古代の蘇我氏でも本宗家という意識があったから。
嫡流という言葉ではないにせよ、それに似た意識はあったろうし、
かりにまだ未生だったとしても、嫡子という意識はあった。家督相続の対象。
源満仲の嫡子は源頼光であり、頼親は大和国宇野に、頼信は河内国壷井に、今で言う「分家」。
頼光の嫡子は、頼光の子であり、そうして嫡子は子の中から選ばれ、頼親や頼信の系統に移ることはない。
39 :
日本@名無史さん:05/02/21 22:02:02
40 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:32:09
>>38 摂津源氏の嫡流は多田、河内源氏の嫡流は石川かね?
それぞれ本拠地を譲られたから。
41 :
日本@名無史さん:05/02/22 12:37:19
>>34 単独相続が確立される前だから、嫡庶の別は余り問題にならなかっただろうけど
敢えていうなら、大納言元方女の産んだ頼信の子孫が嫡流。
1は至るところで摂津源氏が嫡流=土岐氏が嫡流と喚く気違い。
スレ建ておつかれ>1
42 :
日本@名無史さん:05/02/22 12:45:23
>>38 「今で言う分家」なんて概念ないだろ当時。
>>摂津源氏のことはあなたに任すが、河内源氏の嫡流が石川って何だ?
本拠地相続=嫡流 ではなかろうが。
他の源氏が石川を嫡流と仰いだか>No
義朝が頼政を嫡流と仰いだか>No
頼政が義朝を嫡流と仰いだか>No
従って彼等の間の嫡庶について論じるのは意味はない。
しかし頼朝が政権を樹立した時点で清和源氏の頂点に立ったのは頼朝。
これを清和源氏の嫡流というなら鎌倉の源氏三代がそうであり、
鎌倉三代滅亡後は、幕閣の地位、声望、実力から足利氏が其の座を継承した。
鎌倉・室町期にあっても土岐氏が嫡流とかほざいている摂津厨は痛すぎ。
43 :
日本@名無史さん:05/02/22 12:55:32
摂津厨のせいでウィキペディア(の該当箇所)の価値が激減したな。
河内源氏とかは後世の人間が便宜上そう呼んでいるだけだろ。
「頼朝は河内源氏の七代目」なんて当人も思ってないだろうし、
現代でもそんなこと言ってるのはお前だけ。
44 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:30:02
今までこの手のスレが立つと必ずといっていいほど摂津源氏と
河内源氏のどちらが嫡流かという話になってくるが、とりあえず
今回の趣旨は多田行綱(または多田氏に関することでもいいのかな)
なので、そっちに話を戻しましょうよ。
45 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:36:23
清和源氏武士団の形成地である兵庫県川西市の多田神社の源氏まつりには、
源満仲や頼光、頼信、義家から実朝まで歴代の源家武者の甲冑騎馬の武者行列があるが、
我らが多田行綱も、「多田行綱公」として義家と並ぶ武者として登場している。
46 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:47:11
>>42 源家嫡流はともかく、河内源氏の嫡流は源為義であり、
本拠地を相続した源義時の一族は、土着の傍流となり石川氏、石川源氏となる。
石川氏の位置は、摂津源氏の多田氏と似たようなもの(本拠地相続と土着傍流)。
義朝や頼政の頃になると、同じく源氏だが、別の系統という意識が強かったと思う。
土岐氏嫡流の件は、土岐氏が攝津源氏の嫡流ということであって、源氏全体のことではないだろう。
つまり、河内源氏の嫡流の位置は足利氏が継ぎ、摂津源氏は土岐氏ということだろう。
>>44 でもスレタイは「源家嫡流●多田蔵人行綱●摂津源氏」だよ?
逝綱が摂津源氏嫡流か?さらには摂津源氏は源家嫡流か?
そもそも当時「嫡流」の概念があったか、という話題は思いっきりこのスレにマッチするものだと思われ。
48 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:52:56
>>45 多田神社の源氏まつりの武者行列には、大和源氏の源頼親や宇野氏は登場していない。
大和源氏は影が薄いからなのか。
49 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:57:55
でも1は
「源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱について語ろう」
と言ってるが。
50 :
日本@名無史さん:05/02/22 14:58:23
摂津源氏・源頼光〜源頼政の嫡流継承は土岐氏・本拠地相続は多田氏
河内源氏・源頼信〜源義朝の嫡流継承は足利氏・本拠地相続は石川氏
大和源氏・源頼親〜源親治の嫡流継承は宇野氏・本拠地相続は宇野氏
51 :
日本@名無史さん:05/02/22 15:31:37
源家嫡流は、嵯峨源氏(渡辺)競だったのです。
源仲綱や源頼朝ではなく、まして源(多田)行綱ではありません。
ニッポン放送とフジテレビのようなねじれ現象だったのです!
なーんて、当時の源家としての本流意識は、
清華家でもある村上源氏(久我)雅通,通親あたりにあったんじゃ?
武家として名が通っていた清和源氏は、覇者となったもん勝ちだから
基本的には、河内・頼義,義家流が本流で、頼朝受刑中は別系の
摂津・頼政,仲綱が嫡流意識を持っていたんだろう。
あれ?行綱は・・・
どーも風見鶏的な行動が多くて好きになれないんだよね。
52 :
日本@名無史さん:05/02/22 15:39:15
53 :
日本@名無史さん:05/02/22 16:11:03
>>51 それは公家源氏、武家源氏総体としての「源氏長者」のことでしょう。
ここで、いわれる「源家嫡流」というのは、
源経基にはじまる清和源氏の中の武家源氏のことでしょう。
54 :
日本@名無史さん:05/02/22 16:13:11
河内源氏が、地方である坂東に転進したのは、嫡流意識がなかったからでしょう。
嫡流意識があれば、今で言えば首都である都の京都にいると思います。
55 :
日本@名無史さん:05/02/22 16:14:38
多田神社が昭和35年に刊行した「現代語訳 多田五代記」という本を
持っているが、それによると満仲の長男は頼光ではなく「満正」という
人物(満仲の弟の満政とは別人)がいて、子の満信か孫の満秀のどちらかが
多田満信(もしくは多田満秀)として頼義、義家と共に奥州の合戦に参戦
しているが、そもそも満仲の長男とされている「満正」は実在したのだろうか、
それとも「多田五代記」の中だけの架空の人物なのだろうか。
56 :
日本@名無史さん:05/02/22 16:24:01
実朝と一緒に鶴岡八幡宮で殺された源仲章という人は、どの家系ですか?
57 :
日本@名無史さん:05/02/22 16:25:50
何源氏かは忘れたが清和源氏ではなかったと思う。
義家死後子孫はたいした官についたわけでもなく、当人やその周辺は別と
して経基流の中でも為義、義朝、頼朝の系統が嫡流と認識されていたとは
思えない。もちろん頼信・頼義流の嫡流とは思われていただろうけど。
いわゆる清和源氏の嫡流と世間が認めたのは、早くても頼朝が従四位下だ
ったかな?になったとき以降でしょう。
59 :
日本@名無史さん:05/02/22 20:13:33
>>49 で、私はそのスレタイに異議を申し立ててるのです。
60 :
日本@名無史さん:05/02/22 20:15:32
大体頼光が嫡子かどうかを論ずるならともかく、
頼朝が傍流で行綱が嫡流なんて、
>>1は妄想きつ過ぎ。
61 :
日本@名無史さん:05/02/22 21:58:04
頼朝は傍流で、行綱の方がはるかに源氏嫡流に近いということでせう。
62 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:32:25
百歩譲って頼光が満仲の嫡子だったとしても
嫡流=嫡子の子孫
とは必ずしも云えないのでは。
(嫡庶の交替は普遍的に起こり得る)
義家の時代、遅くとも頼朝の時代には
この家系が源氏の嫡流というのが一般的な認識でしょ。
63 :
日本@名無史さん:05/02/23 00:27:37
>>62 >この家系が源氏の嫡流というのが一般的な認識でしょ。
どういう史料に基づいた主張?
64 :
日本@名無史さん:05/02/23 03:28:46
>62
>百歩譲って頼光が満仲の嫡子だったとしても
頼光が満仲の嫡子だというのは間違いないのでは。
どう考えても頼信が満仲の嫡子だとは考えにくいが。
>(嫡庶の交替は普遍的に起こり得る)
よりも「主流派の交替は普遍的に起こり得る」
の方が分かりやすいのでは。
>義家の時代、遅くとも頼朝の時代には
>この家系が源氏の嫡流というのが一般的な認識でしょ。
同意。河内源氏が東国で活躍しなかったら、清和源氏は
ここまで発展しなかったかも。
河内源氏の嫡流、摂津源氏の嫡流という考えはあったと思うが、
清和源氏の嫡流など頼朝段階まで存在しなかったのだと思う。
まあその時々で勢いの有る家系が嫡流を主張したかもしれないが、
大して力の差があったわけでもなく「世間は認めてないけど」の世界。
それと頼朝が義朝の嫡子なのは多分間違いがなさそうだけど、
義朝は長子には違いないにしても、本当に嫡子だったのだろうか?
勝てば官軍で当主面をしているけど、本当は義平的存在だったのでは?
本来的には義仲が嫡流だったのかもしれない。
まあ幕府成立後は何を言っても負け犬の遠吠えなのは事実だが、
嫡流云々はただの頼朝の宣伝戦略だと疑う姿勢も必要ではなかろうか。
地方武士を組織したことが興隆につながった。
確かに後世の目で見ると事実だけど、人の考えはすぐには変わらない。
当時の人は宮廷で官職が高い方が偉いと思っていたはず。
従三位の頼政は頼朝のことを没落した傍流の小僧とか思っていたのではなかろうか。
67 :
日本@名無史さん:05/02/23 14:30:54
>65
保元物語によると1154年に為義は為朝の乱行の責任をとらされて検非違使を
解任、同時に家督を義朝に譲ったと記述されているので、これが事実なら
家督を受け継いだ義朝が為義の嫡子と考えてもいいのでは。
保元物語だしなぁ
>>64 頼光の母は源俊女、頼信の母は大納言藤原元方女で頼信の母の方が身分が高い。
但し母の身分だけで嫡庶は必ずしも決まらないんだろうね。
頼光は頼信より相当年上だったし。
それで頼光が嫡子でも、その系統が嫡流ではないのは、
あたかも藤原不比等の嫡子は武智麻呂だが、
南家ではなく北家が藤原氏嫡流であるのと同様と云えるのでは。
まぁ64さんみたいに「主流派」といってもいいけど、「家」とか「氏族」の話をしているので
私は「嫡流」という言葉がよりしっくりくる。
>>65 義賢って義朝の同母弟じゃなかったっけ。
>>66 >従三位の頼政は頼朝のことを没落した傍流の小僧とか思っていたのではなかろうか。
それはそうだろう。
但しそれは頼政が従三位なのに対し頼朝が無位無官の流人だからであって、
頼政が頼光の子孫だからではない。
従って頼朝が従二位権大納言右近衛大将になったら、多田何某なんて傍流もいいところだ。
嫡流行綱? 寝言は寝てからどーぞ!>1
71 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:18:55
>>62 源家重代の鎧と太刀が
満仲→頼光→頼信→頼義と相伝されたという。
俗説かもしれないけど、そうであればなおさら、世間はこのように
嫡流(主流といってもいいけど)が遷移したと見ていたということの
証左だろうね。
ところで源太産着って結局どこ逝っちゃったの?
73 :
日本@名無史さん:05/02/24 05:39:22
源太産着というのは河内源氏相伝のものだよね。
河内源氏や摂津源氏や大和源氏を含む清和源氏全体のものではなくて。
74 :
日本@名無史さん:05/02/24 06:47:08
>>73 違う。
満仲→頼光→頼信→頼義と相伝された。
75 :
日本@名無史さん:05/02/24 07:29:32
>>74 違うよ。 源太産着は河内源氏だけのもの。満仲や摂津源氏の頼光とは関係ない。
76 :
日本@名無史さん:05/02/24 07:31:08
77 :
日本@名無史さん:05/02/24 08:12:41
>>74 「髭切り」の相伝と、「源太産着」の相伝を混同しているのでは?
78 :
日本@名無史さん:05/02/24 16:09:27
源頼政って今大河で丹波哲郎がやってる役?
79 :
日本@名無史さん:05/02/24 21:15:49
>>69 異母兄弟です。義賢と同母なのは義憲です。
80 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:43:01
>>62 狂人の
>>1なんかほっとけよ。
>>1がいくら喚いたって、頼信系が清和源氏嫡流で
多田行綱なんて傍流ってのは常識なんだからさ。
いくら
>>1が阿呆スレ建てたって、共通認識は変わるものではない。
あんたが言うように嫡流必ずしも嫡子の系統ではないんだから。
>>54 いや、頼光の子孫には、頼信系も含めた清和源氏全体の嫡流なんて意識ないだろ。
大体
>嫡流意識があれば、今で言えば首都である都の京都にいると思います。
なんて言い出したら、東京は
>>1みたいな狂人で溢れかえるぜ。
81 :
日本@名無史さん:05/02/25 02:28:23
82 :
日本@名無史さん:05/02/25 03:35:00
>>80 「嫡流必ずしも嫡子の系統ではない」
新説だなw
「嫡子の系統」ではない「嫡流」とは何?
説明求む。
83 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:03:36
>>82 満仲の嫡子は頼光だが、その後武士の信望を集め、のち幕府を開いた頼信の子孫が嫡流となった。
藤原不比等の嫡子は武智麻呂だが、天皇の外戚として摂政・関白となった北家が嫡流となった。
84 :
日本@名無史さん:05/02/26 03:21:06
>>83 現象の羅列であって、説明になってないよ。
85 :
日本@名無史さん:05/02/26 04:44:44
嫡流を宗家あるいは長者の意味で使っているのでは?
勿論、間違ってるが。
結局傍流(頼朝や織田)だろうと詐称(徳川)だろうと、大出世後自分で嫡流だと主張し、
世間様が認めれば嫡流なんです。
で一度そうなってしまうと、遡って傍流が嫡流に変身。
忠盛・清盛系の平氏なんかそれでしょう、正直本来は貞盛流の中でも傍流も傍流。
>>80 >いや、頼光の子孫には、頼信系も含めた清和源氏全体の嫡流なんて意識ないだろ。
頼信の子孫にも頼光系も含めた清和源氏全体の嫡流なんて意識はなかったと思います。
頼朝以後は別ですが。
仮に有ったとしても他流を含めて世間は認めていないでしょう。
清和源氏全体の嫡流と言う概念は頼朝か足利尊氏本人かその周囲が作り出したもので、
それ以前にはなかったのではないでしょうか。
>>86 >頼信の子孫にも頼光系も含めた清和源氏全体の嫡流なんて意識はなかったと思います。
同意。
「清和源氏」自体、後世の人間が講学上そう呼んでいるだけで、
当時そんな呼称はなかったんだろうし。
>>源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱
という1の記述に違和感を感じたので。
嫡流の対義語は庶流、
主流の対義語が傍流であり、
開幕後は武家源氏の主流が頼朝であることは疑いなく、
これに対して行綱が嫡流かどうかなんてことは、
(行綱本人は知らんが)当時誰も問題にしなかったのでは。
88 :
日本@名無史さん:05/02/27 04:00:43
>>80=87
「嫡流必ずしも嫡子の系統ではない」
新説だなw
「嫡子の系統」ではない「嫡流」とは何?
現象の羅列ではなく、まともな説明求む。
89 :
村上源氏が嫡流:05/02/27 10:31:11
>>88 繰り返しになるが私が云ってるのは、嫡流の交替は普遍的に起こりうるという
ことなんだが。
あなたが「現象の羅列」とよぶところの事実の列挙こそが
何よりの説明と思う。
特に摂家について反論できるならぜひお聞きしたい。
90 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:27:55
>>89 あなたは「嫡流」の説明をしていない。
あなたの言う「嫡流の交替は普遍的に起こりうる」は、
嫡流の説明になってないよ。
「事実の列挙こそが何よりの説明と思う。」
違うと思うよ。事実の列挙はそれ以上でも以下でもない。
反論を求める前に、問われていることにお答え下さい。
91 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:36:53
「源家」嫡流
と
「源氏」嫡流
の違いは何?
92 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:55:26
問題の発端は、
>源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱
という
>>1のいかれた文言だな。
93 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:09:52
パリ伯とシャンボール伯どっちがブルボン家の嫡流?みたいなものか?
そうでもないな。
多田行綱では征夷大将軍従二位権大納言右近衛大将源頼朝とは比較にならん。
94 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:14:45
>>92 確かに
>>1はいかれてるが、だからといって、河内源氏が嫡流というわけでもあるまい。
95 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:16:08
>>1は、せめて
源家嫡流●源三位頼政●摂津源氏
というスレタイにすべきだった。
私が云う嫡流とは、その氏族を代表する家なり人物ということ。
ちがう、嫡流とは嫡子の系統だとあなたは反論するだろうが、
同時代人が、源頼朝と多田行綱を較べて、
前者は頼信の子孫で後者は頼光の子孫だから行綱が嫡流で頼朝は傍流
とか一々考えないでしょう。
「武の家」源氏の代表は最早摂津源氏ではなく、頼朝の家ということに、
同時代人も現代の我々の大多数も異論はないはず。
そういう社会的認識という意味で、私は「嫡流の交替」という表現を使ったまでで、
少なくとも
>>源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱
というような使い方に較べたら遥かにまともだと思うが。
それと私は「反論できるなら」お聞きしたいと云ったまでで、
不可能であれば無理に反論しなくていいのでご安心を。
98 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:28:29
>>96 「その氏族を代表する家なり人物」を嫡流と見るのも新説。
それは「氏の長者」であり、嫡流とはまた別だよ。
貴氏が嫡流について書いていることは、氏の長者として読めば問題は無い。
すなわち貴氏は、「氏の長者」と「嫡流」を混同されているようだ。
99 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:42:45
100 :
99:05/02/28 00:43:58
101 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:47:05
102 :
89:05/02/28 01:44:23
>>98 なんか面白い議論になってきたね。
以下私も感情的な書き込みは控えることにする。
>「その氏族を代表する家なり人物」を嫡流と見るのも新説。
いや、一般的認識として、例えば「藤原氏の嫡流は摂家」では?(南家じゃなくて。)
>それは「氏の長者」であり、嫡流とはまた別だよ。
>貴氏が嫡流について書いていることは、氏の長者として読めば問題は無い。
>すなわち貴氏は、「氏の長者」と「嫡流」を混同されているようだ。
いや、頼朝は源氏長者ではないが、清和源氏の嫡流。
(平氏政権に対峙する源氏の代表という意味で。)
頼家・実朝は源氏長者ではないが、清和源氏の嫡流。
(頼朝が樹立した源氏政権の長という意味で。)
尊氏・義詮は源氏長者ではないが、清和源氏の嫡流。
(いわゆる「源平交替思想」が尊氏にとって追い風となったのも、
尊氏が源氏の代表とみなされていたからにほかならない。)
従って私が嫡流について書いていることを、氏長者として読むと論点がずれる。
103 :
92:05/02/28 02:50:45
>>94 私は河内源氏が嫡流とは言ってなくて、
河内源氏と摂津源氏の嫡庶を論じるのは無意味、
>>1が「嫡流」の反対概念として「傍流」を対置しているのはおかしい、
という立場なんだけど。
104 :
日本@名無史さん:05/02/28 16:05:01
摂津源氏の嫡流の系図って無いの?できるだけ近代ので
105 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:18:49
106 :
日本@名無史さん:05/03/01 01:00:54
>>98は手に負えなくなるとだんまりか。
やっぱ頭悪いな。
>>102 何が「私も感情的な書き込みは控えることにする。」だよこの偽善者野郎。
98の愚かさを世間に知らしめるために、もっと真面目に叩いたらどうなんだ?おい
107 :
日本@名無史さん:05/03/01 01:27:21
>>105 近代って言っても明治とかじゃなくて、戦国時代辺り。
摂津源氏の嫡流の系図が鎌倉時代辺りで途切れているので。
108 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:03:15
109 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:05:08
110 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:21:06
>>90は
>>89に
「反論を求める前に、問われていることにお答え下さい。」
と要求した。
>>89は問われていることに答えたあとで
「それと私は「反論できるなら」お聞きしたいと云ったまでで、
不可能であれば無理に反論しなくていいのでご安心を。」
と皮肉な一言。
>>90は皮肉が通じないのか、心底馬鹿で反論するのが不可能だったのか知らんが黙殺。
彼等の対決を楽しみにしているのは俺だけじゃないと思うんだが。
能力ないなりにせいぜい頑張れ
>>90。黙殺はいかんよ。
111 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:50:23
結局、源氏嫡流は摂津源氏なの?
それとも傍流の河内源氏の子孫の頼朝が強引に嫡流にしちゃったの?
武家源氏の嫡流なんていないでしょう。
頼朝が幕府を開いて、他の源氏との差を強調するため言い出したことじゃないの?
113 :
日本@名無史さん:05/03/01 20:15:59
源氏嫡流などというものは、源頼朝の勝手な創作でしょう。
114 :
日本@名無史さん:05/03/01 20:47:19
源氏たって、公家源氏と武家源氏があるだろう
武家源氏はまあ、鎌倉幕府を開いた頼朝が実力で棟梁だろう
名門といえば、甲斐源氏だろう
摂津や河内なんて傍流のように思える
そんなのいたのか?って感じ
115 :
日本@名無史さん:05/03/01 20:51:02
116 :
日本@名無史さん:05/03/01 20:58:51
土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
とんま源氏だな
明智光秀も土岐源氏だろう ロクなのがいないな
117 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:13:32
じゃあ亀山源氏にすっか。
「源氏」
と
「源家」
の区別のついてない
>>1はアホとしか言いようがない。
119 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:06:25
120 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:20:50
>>114 後代から見ればそうかも。
しかし、摂津源氏がおおもとで、そこから河内源氏が分れ、
河内源氏は、頼信、頼義、義家で武家の棟梁になる。
頼朝は河内源氏の子孫。
甲斐源氏は、河内源氏の支流。
河内源氏は、義朝の時に一度壊滅しているから、
系譜に断絶感があるのは事実。
源平合戦の時の河内源氏は石川源氏であり、摂津源氏は多田源氏で、
いずれも傍流化している。
121 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:30:23
122 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:36:39
大和源氏は、宇野源氏か?
123 :
日本@名無史さん:05/03/02 21:55:39
>>11 行綱たちだって源姓すててないでしょうよ
満仲から伝領していた多田庄の名で呼ばれてただけ。
>>16 号と名字の線引きはどこでするの
>>20ってこと?
だとしたら、頼政が嫡流として一角の人物なら
都の邸宅か所領の名を冠した号は無かったんでしょうかね。
代々九条を号したわけでもない兼実とその子が
九条兼実・良経と呼ばれているから
父子で小松を号した重盛一家はこれからは平重盛・維盛ではなく
小松重盛・維盛・資盛とされるべきですね。
126 :
日本@名無史さん:05/03/03 04:07:29
だから『平安時代史事典』は藤原兼実というように
全て姓で立項している。引きにくいことこの上ない。
>>124 そうだね。「号」が名高く、文献に多く登場したとしても、
本人がそれを苗字、家名にしたとは限らないし。
難しいな。
128 :
日本@名無史さん:05/03/03 11:13:23
多田の系図はないの?
頼政以降の信用できるの。
129 :
日本@名無史さん:05/03/04 01:18:38
>>116 >土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
>とんま源氏だな
まぁそれはちっと言い過ぎだろうが、そもそもこれだけ煽られるのも
土岐ヲタがあちこちで摂津が嫡流だの土岐が嫡流だのと喚いてるからだな。
天に唾するとはこのことだな。
130 :
日本@名無史さん:05/03/04 02:08:33
>>129 このスレは、土岐氏ではなく多田氏を嫡流としているから
摂津源氏嫡流派の中の別派なんだね。
131 :
日本@名無史さん:05/03/05 05:38:41
132 :
日本@名無史さん:05/03/06 23:14:16
摂津ヲタがいくら喚いても、大勢は変わらない。
哀れだ。
133 :
日本@名無史さん:05/03/07 21:39:15
↑
こいつ馬鹿の典型。
大勢なんてもとから無いじゃんw
134 :
多田康綱:05/03/08 03:05:41
良スレだね
135 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:35:00
136 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:37:14
満仲ー頼光ー頼国までが嫡流なのは確実だかそのつぎは誰?
>>136 −頼綱−明国−といきたいのが摂津多田厨
−頼綱−仲政−といきたいのが摂津土岐厨
138 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:57:07
ほう、頼光ー頼国ー頼綱ときたか。
嫡流は多田ってことで異議なしか?
139 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:58:09
140 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:05:55
嫡流は、源頼政の系統で、それを継いだ土岐氏だよ。
多田氏は嫡流にはならない。
141 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:06:59
つまり馬場仲政----馬場頼政の馬場系が源氏嫡流ということか。
142 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:17:48
>>138の続きで
頼綱ー仲政ー頼政までは確実に嫡流で異議なし?
143 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:19:38
源頼政っていま大河で丹波哲郎が演じている役?
あの人が平安末期の清和源氏の嫡流ということか。
144 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:40:43
現在異議の無い源氏嫡流
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政
145 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:45:47
源氏嫡流
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政ー仲綱ー有綱ー光信ー光基ー光衡ー光行ー光定ー頼貞
146 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:48:15
伊豆三郎頼朝も鞍馬九郎義経も傍流です。
147 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:50:02
148 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:04:44
149 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:14:05
鎌倉義平
伊豆頼朝
蒲 範頼
鞍馬義経
新宮行家
志田義広
木曽義仲
武田信義
150 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:17:22
151 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:31:02
最後まで諦めない義平は良いね。不屈の闘士。
152 :
日本@名無史さん:05/03/08 22:57:53
鎌倉源太 義平
伊豆三郎 頼朝
蒲 六郎 範頼
鞍馬九郎 義経
153 :
日本@名無史さん:05/03/09 00:37:51
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政ー仲綱ー有綱ー光信ー光基ー光衡ー光行ー光定ー頼貞
で異議ないの?
その後は、どうなったのか?現在でも存在している?
>>131のwikipediaっておもしろいすね。
「父満仲がはじめて源氏武士団を形成した本拠地の摂津国川辺郡多田(現・兵庫県川西市多田)の地を相続し」たからこそ「清和源氏の嫡流」と呼べ
多田が源氏の本拠地だからこそ頼朝もこれを行綱から没収したにもかかわらず
「摂津源氏は、多田を苗字とする多田源氏系統と、源姓を保持する源氏嫡流系統に別れ」てしまうのか。
源氏の嫡流に「本拠地の摂津国川辺郡多田」はかんけーねーんじゃん。とんだダブスタ論証だ。
155 :
日本@名無史さん:05/03/09 07:44:03
>>144 >現在異議の無い源氏嫡流
異議あり。源氏嫡流は久我氏。
このスレタイは清和源氏に限定してない。
156 :
日本@名無史さん:05/03/09 07:45:40
>>133がいくら喚いても、大勢は変わらない。
哀れだ。
摂津ヲタ延々自作自演御苦労。
157 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:18:29
>>155 久我氏は源氏嫡流ではなくて源氏長者だよ。
「源氏嫡流」と「源氏長者」を混同しないように。
158 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:20:25
>156
おまえが一番哀れww
気づけよ。
鏡で自分の顔を見てみろ。猿が写っているだろうwww
159 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:41:52
ヲタだろうが何だろうが摂津が嫡流なんだろ。
嫡流などいない
嫡流は頼朝
髭切をもっていたから
Wikipediaはこの点を無視している
162 :
日本@名無史さん:05/03/10 10:11:00
髭切ってだれが作ったの?
河内源氏がつくったとしたら、意味ないじゃん
163 :
日本@名無史さん:05/03/10 11:12:14
>162
確か多田満仲だったと思う。
164 :
日本@名無史さん:05/03/10 14:34:30
じゃあ嫡流でもいいか。
摂津と河内は両方嫡流ってことにしよう。
165 :
日本@名無史さん:05/03/10 16:21:58
166 :
日本@名無史さん:05/03/10 21:18:12
兵庫県川西市の多田神社は源氏の霊廟として満仲、頼光の墓所があり、
大阪河内の通法寺跡には頼信、頼義、義家の墓所がある。
歴代の足利将軍は死後、遺骨を清和源氏の象徴である義家の眠る通法寺ではなく
多田神社に分納しているし、歴代の徳川将軍も足利将軍に倣って位牌を多田神社
に納めている。
東京都中野区にも多田神社があるが、由緒によると頼義、義家が満仲を祭るために
建てたという。
行綱はともかく満仲はやはり源氏の子孫の人たから崇敬されていたんだろう。
源氏三社(六孫王神社、多田神社、壷井八幡宮)の中でも多田神社には
清和源氏同族会もあるしね。 行綱でなく申し訳ない。多田つながりという
ことで失礼。
167 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:41:41
>>158 大した想像力だが、お前の猿面と一緒にしないでくれまいか。
平日の昼間からご苦労。
春休みの学生さんか、無職の引きこもりだろうが、
まぁ頑張ってくれ給え。
168 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:47:52
>>157 >「源氏嫡流」と「源氏長者」を混同しないように。
って、両者がどう違うか説明してくれるかね。
もっとも説明する能力ないなら無理にとは言わないが。
摂津源氏が清和源氏の嫡流とか喚き続けるのは君の勝手だが、
清和源氏の嫡流=源氏の嫡流ではないだろうが。
169 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:50:14
>>149 鎌倉義平
伊豆頼朝
蒲 範頼
鞍馬義経
って君の脳内でしか通じないような変な名字つけて楽しいか?
益々摂津ヲタ=狂人と思われるだけだと思うが。。
源氏 嫡流 嵯峨源氏
主流 清和源氏
清和源氏 嫡流 摂津源氏(頼光-頼国・・・)
主流 河内源氏(頼信-頼義・・・)
摂津源氏 嫡流 多田氏(頼綱-明国-行国・・・)
主流 馬場氏(頼綱-仲正-頼政・・・)
分流 土岐氏(国房-光国-光信・・・)
河内源氏 嫡流 義家流(義親-為義-義朝・・・)
俺の感覚ではこんな感じ。
栄えたのが主流、親(先代)の後を継いだのが嫡流って感じで妄想してみた。
つかもう別々の家として見てしまった方がよさそうだがのぅ
自覚してるじゃん。妄想って。
172 :
日本@名無史さん:05/03/11 14:08:30
摂津源氏と河内源氏の嫡流の系図をもっと詳しくキボン
173 :
日本@名無史さん:05/03/11 15:47:56
多田太郎
174 :
日本@名無史さん:05/03/12 02:06:06
>170
確かに摂津源氏と河内源氏は同じ清和源氏といっても、かなり初めの頃に
分かれているので、別々の家系と見た方がよさそうな気もするが、吾妻鏡
には頼朝が「多田の蔵人(行綱のこと)は奇怪にて勘当つかまつり」
という記述がある。
「勘当」とは通常、家族とか親戚縁者に使うものだから、吾妻鏡に
書いてあることが事実なら少なくとも頼朝は行綱のことを同じ清和源氏
の同族の者と思っていたのでは。
行綱以外でも摂津源氏の源広綱(頼政の次男)が清和源氏一族の者として
頼朝に内挙されて駿河守になっているしね。
175 :
日本@名無史さん:05/03/12 02:51:03
>「勘当」とは通常、家族とか親戚縁者に使う
それは近現代の話。
昔は主従関係、上下関係、師弟関係など諸関係間で行われた。
176 :
日本@名無史さん:05/03/12 10:42:55
摂津源氏と河内源氏の嫡流の系図をもっと詳しくキボン。
177 :
日本@名無史さん:05/03/12 11:20:31
>>174 ってことは、
征夷大将軍従二位権大納言右近衛大将頼朝卿>>>>>>>奇怪な多田の蔵人(行綱のこと)
でOK?
行綱が頼朝に勘当されてる時点で、
「源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱」
という
>>1の言説は無意味に帰しているのでは。
摂津源氏の源広綱の駿河守任官だって頼朝卿の内挙のお蔭だろ。
それからくれくれ厨の172=176に云いたいが、
皇位や氏長者の継承のような明確な明確な形で「嫡流」が相続されるわけではなかろうが。
新田義重がすぐには頼朝に従わなかったのも、廃嫡された義親の子孫なんかより
自分こそが、という彼なりの嫡流意識があったからではないだろうか。
結局嫡流っていっても、実力、声望、社会的認識と無関係ではいられないということではないかね。
(つまり義重にはそれらがなかったということだが。)
178 :
日本@名無史さん:05/03/12 11:36:29
>>158 武門の家に生まれた者、仇敵の命を狙うのは当然のことだろうが。
それをテロリスト呼ばわりとは、あなたの不見識にも呆れるばかりだ。
摂津厨が、その歪んだ史観を吹聴するため、頼信流を貶めるようなことばかり
書いていると、益々Wikipedia時代の価値が下がるということに
なぜ気がつかないのかね。
179 :
日本@名無史さん:05/03/12 11:37:36
失礼。「Wikipedia自体」ね。↑
180 :
日本@名無史さん:05/03/12 18:26:45
摂津の嫡流は
頼綱ー明国ー行国ー頼盛ー行綱(多田)
頼綱ー仲政ー頼政(馬場)
どっちですか?
清和源氏&摂津源氏の嫡流はどこか?の前に疑問が
「嫡流」の定義とは何か?
★長男
★母親の家格が高い者
★父親or家長or遺族が決定した者
★父親or家長or先祖伝来の領地を引き継いだ者
★氏族内での有力者
★官位の高低
★家宝を継いだ者
★家号を名乗らず氏を名乗った者
★自ら嫡流と名乗った者
etc...
又それぞれの資料・史跡の有無と信憑性。
★上項目に多く該当し後世数多くの人が認めた者。
これらの項目の取り方の違いで随分別れる。
確定したら面白いけど無理だろうなぁ
182 :
日本@名無史さん:05/03/13 11:38:58
氏族内の有力者や官位の高いものとなると徳川みたいな者が源氏の嫡流となってしまうから、
>>181の上から4つの定義でいいんじゃない?
>>182 別に徳川が嫡流で良いじゃん。
少なくとも江戸時代はそう自称していたし、
周囲も認めていた(認めざるを得なかった)
んだからさ。
184 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:05:53
徳川は源氏ではなく、賤民の子孫でしょ。
一時藤原を名乗ってる時もあったし。
>>182 徳川家が源氏の嫡流となると困るの?
上4つで決めるとすると
@(清)満仲〜満正〜
(摂)頼光〜頼国〜頼弘〜
A(清)満仲〜頼信〜
(摂)全員の母親が解らず特定不可
B(清)(摂)特定できず全く不明
C(清)経基王の領地って?
(摂)頼光〜頼国〜頼綱〜明国〜
>>183 自称して、認知されてれば嫡流なの?
>>185 他人が認めない嫡流に何の意味がある?
幾ら喚こうが誰も認めないのは、
摂津源氏厨も一緒だが。
>>186 だから嫡流の意味と意義って何よ?
辞書引いてみたが、マチマチなんだわ
【嫡流】
『大辞泉』家督を受け伝えていく家柄。正統の血筋。
『大辞林』本家の血筋。正統の家系。
【家督】
『大辞泉』
1 その家を継ぐべき子。あととり。嫡子。
2 相続すべきその家の財産・事業などの総体。跡目。「―を譲る」
3 民法旧規定で、戸主の身分に備わる権利と義務。戸主の地位。
4 中世、一門・一族の長。棟梁(とうりよう)。
5 江戸時代、武士が、主君から与えられた封禄。跡式。
『大辞林』
(1)家を継ぐべき人。嫡子。あとつぎ。
(2)戸主の地位。民法旧規定では、それに伴うすべての権利・義務を含める。
「―を継ぐ」
(3)中世、一門・一族の長。棟梁。
(4)江戸時代、武士が主君から与えられた世襲の家禄。跡式。跡目。
(5)遺産。家産。
【本家】
『大辞泉』
1 一族の中心となる血筋の家。
2 流派などで、そのおおもととなる家。家元。宗家。「観世流の―」
3 分家の出たもとの家。分家。
4 妻の親のほうの家。里方。
5 「本所(ほんじよ)(1 )」に同じ。
>>187のつづき
『大辞林』
(1)一門・一族の主となる家筋。おおもとの家筋。
(2)分家から見て、分かれ出たもとの家。
(3)荘園の領家(領主)の上にある名義上の荘園領所有者。
【正統】
『大辞泉』
1 正しい系統・血筋。嫡流。「源氏の―」
2 創始者の教え・学説・思想などを正しく受け継いでいること。「保守の―を自認する」
3 その時代、その社会で最も妥当とされる思想や立場。「戦争中―とされた思想」
『大辞林』
(1)(いくつかに分かれたうちの)正しい系統や血筋。
(2)始祖の学説や教義を忠実に伝えていること。正しい学統。
さっぱりわからん
嫡流などいない
190 :
日本@名無史さん:05/03/13 17:35:54
とりあえず結論出そうよ。
摂津源氏の嫡流はどこか?って。
191 :
日本@名無史さん:05/03/13 18:51:14
>>181 ★長男→長男でない嫡男もいるでしょ。
★母親の家格が高い者
→藤原元方女>源俊女、で頼信流が嫡流。
>>185も同意見?
★父親or家長or遺族が決定した者→まだ単独相続が確立してない
★父親or家長or先祖伝来の領地を引き継いだ者
→これだと頼光→多田氏、となるが、義家流の嫡流がが石川氏?あり得ないでしょ。
したがってこの基準では決められないのでは。
193 :
日本@名無史さん:05/03/14 10:10:51
嫡流は親の家督を継いだものか。
家督の定義もよくわからんが、ある時代に栄えた氏長者が嫡流というのは絶対違うと思う。
大体今の時代どこが栄えているとかないし、徳川や久我が嫡流なんていうのは間違っている、と思う。
194 :
日本@名無史さん:05/03/14 10:26:29
195 :
日本@名無史さん:05/03/14 12:05:24
その時代時代で最も高位高官を出した家が嫡流に決まっているだろ
どんどん変遷するのだ
いくら長男・長子云々って言ったところで、乞食に落ちぶれたら
嫡流もクソもないw
197 :
日本@名無史さん:05/03/14 13:39:03
>>196 「 その時代時代で最も高位高官を出した家が嫡流に決まっているだろ
どんどん変遷するのだ」
新説だね。論拠などを詳述してよ。
198 :
日本@名無史さん:05/03/14 14:27:33
高位高官なんぞない現代ではどうなるんだよ。
お前の頭の中では歴史は戦前で終わってるらしいな
199 :
日本@名無史さん:05/03/14 14:58:12
200 :
日本@名無史さん:05/03/14 15:06:06
太田道灌が源氏嫡流であることは異議なし。
201 :
日本@名無史さん:05/03/14 16:18:22
>>193 徳川・久我は源氏長者って言ってただけ。嫡流とは言って無いと思われ。
>>194 Wikiの信憑性は?
>>196 落ちぶれたら嫡流もクソも無いって何故?所領や血縁は要らないの??
>>195、
>>199-201 嫡流とは書いてないけど?
頼朝は一応広綱を駿河守任じているが、結局冷遇され醍醐寺に隠棲している。
あと『太田家譜』では、多田氏族と自ら書いてるがその辺はどうなる?
>>194のwikiの項目の最終更新って源氏嫡流以外は全部このスレができたあとなのな。
204 :
日本@名無史さん:05/03/15 02:05:53
源氏さんちのばあい
★長男 【頼光】
★母親の家格が高い者 【頼信】
★父親or家長or遺族が決定した者 【頼光】
★父親or家長or先祖伝来の領地を引き継いだ者 【満仲→頼光・・・行綱】
★氏族内での有力者 【頼光→頼国→頼親→頼義→義家・・・義朝→頼政→頼朝・・・足利氏】
花田さんちのばあい
★長男 【勝】
★母親の家格が高い者 同腹なので【勝】
★父親or家長or遺族が決定した者 伯父の横綱名跡【勝】
★父親or家長or先祖伝来の領地を引き継いだ者 【光司】
★氏族内での有力者 【光司】
★官位の高低 【光司】
205 :
日本@名無史さん:05/03/15 05:30:53
源頼政の子孫は、鎌倉時代も、伊豆の国守であり、
大内守護の任に就いていたんだね。
206 :
日本@名無史さん:05/03/15 05:32:00
頼朝の伊豆配流の時の伊豆の国守は、摂津源氏だった。
207 :
日本@名無史さん:05/03/15 11:39:42
太田道灌が摂津源氏の嫡流とは驚き。
208 :
日本@名無史さん:05/03/15 15:31:21
209 :
日本@名無史さん:05/03/15 15:36:22
┌宗綱──宗仲【下間氏】【川那部氏】
│
├有綱【大河内氏】【大橋氏】【牧村氏】
│
┌仲綱─┼頼成【田代氏】 ┌隆綱──国綱(太田氏へ)
│ │ │
│ ├══広綱─────┴広直──広方 ┌政兼
│ │ │
│ └頼季【伊豆氏】 ┌正保 ├久兼
│ │ │
│ ┌兼隆【鳥羽氏】 ├仲顕──仲久─┴顕教
│ │ │
│ ├重広 ┌政顕─┴行重─┬宗綱─┬貞綱─┬光将─┬国綱──光綱───┐
│ │ │ │ │ │ │ │
│ ├成実──成家 │ ├良弁 ├改阿 ├慶阿 ├兼範 │
│ │ │ │ │ │ │ │
【馬場】頼政─┼兼綱─┴【大河内】顕綱─┤ └政綱 ├氏綱 └頼幸 └貞仲──政之 │
210 :
日本@名無史さん:05/03/15 15:38:45
失礼
頼政(馬場)ー仲綱ー広綱ー隆綱ー国綱→太田氏
211 :
日本@名無史さん:05/03/15 15:42:12
212 :
日本@名無史さん:05/03/15 17:17:31
太田の嫡流は岩付太田氏
214 :
しったかぶり:05/03/15 23:36:37
>209
ちょっとお聞きしますが、「多田貞綱」という人が、南北朝期に
北畠顕家と共に、奥州に来てるんですが、この系図にある貞綱でしょうか?
1338年の石津の戦いで顕家と共に戦死したかとも思えるんですが。
参考
建武元年(1334年)四月晦日
多田貞綱書状 (南部家文書)
糠部郡闕所事
一戸 工藤四郎左衛門入道跡
同子息左衛門次郎跡 八戸上尻内
八戸 工藤三郎兵衛尉跡
三戸 横溝新五郎入道跡
南部又二郎殿 戸貫出羽前司殿 河村又二郎入道殿
両三人預由候 能々郡内可有御警固候 諸事御談合
候者可宣候 恐々謹言
建武元年四月晦日 源貞綱(花押)
南部又次郎殿
215 :
日本@名無史さん:05/03/16 01:20:42
>211
摂津源氏嫡流は、美濃源氏の土岐氏だよ。
土岐光信が、源頼政の系統を継ぎ、摂津源氏嫡流の後継者となっている。
216 :
日本@名無史さん:05/03/16 01:24:50
清和源氏
摂津源氏(兵庫県川西市多田)
嫡統 源頼光、源頼政
嫡流継承 土岐氏
拠点継承 多田氏
河内源氏(大阪府羽曳野市石川)
嫡統 源頼信、源義家、源頼朝
嫡流継承 足利氏
拠点継承 石川氏
訂正
★母親の家格が高い者 【陽成天皇を抜けば第三皇子の貞元親王】
↓
★母親の家格が高い者 【陽成天皇を抜けば第四皇子の貞保親王】
まだやってるのか。
だから、正しい嫡流の定義だ。
嫡流とは、嫡子の、嫡子による子孫だ。
嫡子とは正妻(嫡妻)の子供。
つまり、頼朝は嫡子だが義経は嫡子ではない。
ただし後年、家督相続者の意味で嫡子が使われ、
また、男系子孫の意味で嫡流が使われることがある。
(おもに武家の話だが)
このスレで、ある氏族を嫡流と言い張るヤツが粘着してるが、
それは「主流」の意味で使っているようだ。
「主流」かどうかは認識の問題なので勝手にやってくれ。
ただ、「主流」の意味で嫡流の語を使うのは誤用だ。
220 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:18:03
つまり土岐が嫡流というのは間違いということですな。
221 :
日本@名無史さん:05/03/16 11:08:28
多田行綱の家系
行綱─行定(多田太郎)
─行実(多田二郎)
─定綱(多田三郎)─光綱─重綱
─基綱(多田蔵人)─重綱─宗重─長重─重国
─行盛()
これってどうなの?
222 :
日本@名無史さん:05/03/16 11:12:08
ここまでをまとめると、
平安末期の時点で摂津源氏の嫡流は源頼政。
そして源頼政の直系の子孫は太田氏か大河内氏ということでいいですか?
223 :
日本@名無史さん:05/03/16 11:27:06
224 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:02:49
土岐が嫡流なんていってる奴は証拠を示せ。
まあたぶんないだろうが。
225 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:58:09
太田氏は清和源氏の末流といわれている。
すなわち、以仁王の挙兵で討死した源三位頼政・仲綱父子の後裔である。
頼政の子広綱は兄仲綱の養子で、頼朝は彼を鎌倉御家人に取り立てた。
その子隆綱は、皇室領丹波五箇庄の預所となる。
そして、資国が丹波国太田郷に住し、太田氏を名乗るようになった。
226 :
日本@名無史さん:05/03/16 16:14:14
太田氏が摂津源氏の嫡流と結論出していいんですか?
次の人からは賛成か反対を書き込んでくれ。
あと理由も。
どうでもいいっすよ
228 :
日本@名無史さん:05/03/16 16:54:07
道灌(源六郎)が御曹司ってことで賛成
229 :
日本@名無史さん:05/03/16 18:02:57
摂津源氏の嫡流が富川五郎左衛門家であることは定説です。
230 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:43:39
武田信玄の子孫の家で見た馬場家系図(武田四名臣の一人馬場信春の家のもの)によると、
源頼政の父の源仲政の大伯父になる源国房の孫の土岐光信の子の光基が、源仲綱の名跡を
継いでいる。
だからといって土岐光基が嫡流の源仲綱の後継とまでは断言しないが、そういう家系の消息が
あるということ。
231 :
日本@名無史さん:05/03/17 10:50:14
232 :
日本@名無史さん:05/03/17 16:24:09
異議なーし
>>219 なるほど、説得力のある説ですね。
幾つか質問
1、その定義の出展元はどこでしょうか?勉強したい意味もあるのでお願いします。
2、正妻と側室の違いとは?やはり家格でしょうか?
3、生母が不詳の場合は?
4、養子を取った場合は養子が嫡子ですか?
又、他に実子が居る場合、後から実子ができた場合は?
5、養子を迎える時の養子の選定基準は?
>>230 なるほど、頼政流の嫡流を土岐氏が継承した可能性が有る資料があるといことですね。
ただ、「馬場系図」の信憑性も兎も角、
広綱に実子があった可能性も「太田系図」等で載っているので、何故
遠戚の光基が継いだのか解りかねます、もっと近親の従弟などもいたはずですし。
234 :
日本@名無史さん:05/03/18 00:19:18
太田氏が摂津源氏の嫡流なり
235 :
日本@名無史さん:05/03/18 01:10:05
以前は「嫡流」とは「家督を継いできた系統」のことを指すと思っていた。
(他の庶流よりも落ちぶれようが、長男でなかろうが要は先代から
[後継者]とされた者の流れだと思っていた)
でも、このスレを見ていると分からなくなってきた。
「嫡流」とはコロコロ変わるものだとしたら、それはもう系統の「流れ」
に基づいてなく「個人」が基準になってしまうので、おかしいような
気がする。それなら「嫡流」ではなく「嫡人」とか「嫡者」と呼んだ
方がいい気がする(藤原氏の氏長者のようなかんじ)。
例えば史実では頼朝の系統は絶えてしまったが、仮に鎌倉幕府滅亡時まで
頼朝の子孫が北条の傀儡のまま存続していたとして、室町幕府が成立し
足利が将軍、及び清和源氏内で1番の主流になったとする。
この場合、落ちぶれたとはいえ頼朝の系統はもう嫡流でないということに
なってしまうのか?
236 :
日本@名無史さん:05/03/18 01:22:53
栄えた家=嫡流というのは誤り。
そんなことをいったら現代ではどうなる?
嫡流は存在しないことになってしまう。
武田の嫡流の子孫が現在栄えているとは思えない。
237 :
日本@名無史さん:05/03/18 02:47:18
嫡流とは、嫡子の系譜。
238 :
日本@名無史さん:05/03/18 11:07:31
摂津源氏の嫡流は太田氏
河内源氏の嫡流は吉見氏
でいいんだよな?
239 :
日本@名無史さん:05/03/18 19:52:44
240 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:19:10
太田の嫡流は太田(北条)源五郎の死によって途絶えた
241 :
日本@名無史さん:05/03/19 01:27:03
摂津源氏嫡流が六孫王流の清和源氏の嫡流だから、
清和源氏の嫡流は太田氏なの?
太田氏は資清(道灌の父)以前の記録が信憑性に掛け、清和源氏では無く、
武蔵七党の猪俣党或は私市党の出で有る可能性も捨て切れていない。
又、太田氏の嫡流岩付太田氏は、尹資の子弓六郎が早逝してその家系を断絶している。
243 :
日本@名無史さん:05/03/19 10:59:36
なぜ武蔵七党なんて説がでてきたんだろう。
太田氏が摂津源氏の嫡流ってことですっきりしたかったんだけど。
あと江戸太田氏は大名になったよな。
244 :
日本@名無史さん:05/03/19 11:36:44
>>238 蒲の遊女が産んだ子で、謀叛人として配流された者の
子孫の吉見が嫡流な訳がない。
為義が家督を継いだ経緯からして、
彼の子孫が嫡流というのは極めて流動的であり、
実朝死後、実力・声望から次第に足利氏が嫡流となったのも
無理からぬところであった。
>>241 「摂津源氏嫡流が六孫王流の清和源氏の嫡流」ということに固執するから
「清和源氏の嫡流は太田氏」とかいう妙なことになる。
繰返すが頼光流とと頼信流の嫡庶を論じるのは無意味。
245 :
日本@名無史さん:05/03/19 11:49:57
では摂津源氏の嫡流はどこになるのですか?
それぞれの家(足利将軍家とか鎌倉公方家)とかの嫡流(当主)はあるかもしれないけど、
氏の嫡流なんてないんじゃないの?
例えば藤原氏の嫡流は誰よ?長男の子孫の南家の末裔?
5摂家のどこか?
247 :
日本@名無史さん:05/03/19 12:18:15
248 :
sage:05/03/19 12:57:38
源氏は、源頼光の摂津源氏が嫡流だったが、源頼政が死に、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時点で、
それまでの源氏嫡流は消滅し、頼朝が新たに自らを源氏嫡流としたため、
そこから逆算して頼朝の先祖の河内源氏が、源氏嫡流の源頼朝の祖として嫡流視される。
しかし、源頼朝の家は実朝で滅び、源頼朝の家を嫡流とする源氏嫡流観は消滅。
源頼朝の家の絶えた後、源氏の一族で最大の勢力を持っていたのは足利氏であり、
足利氏が自らを源氏嫡流と称する。
このように源氏嫡流は、
摂津源氏(源頼光〜源頼政)時代
河内源氏(源頼朝〜源実朝)時代
足利氏時代
と変遷しているといえるのではないか。
249 :
日本@名無史さん:05/03/19 16:01:50
>>247 土岐が嫡流という証拠を載せてくれ。
頼政には実子がいたのになぜ土岐が継ぐ必要あるんだろう?
250 :
日本@名無史さん:05/03/19 18:25:38
129 :日本@名無史さん :05/03/04 01:18:38
>>116 >土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
>とんま源氏だな
まぁそれはちっと言い過ぎだろうが、そもそもこれだけ煽られるのも
土岐ヲタがあちこちで摂津が嫡流だの土岐が嫡流だのと喚いてるからだな。
天に唾するとはこのことだな。
251 :
日本@名無史さん:05/03/19 23:59:37
土岐が嫡流なんていうのはおかしいが、摂津が嫡流というのは間違いないと思うよ。
世の中には頼朝は陽成源氏だとデンパ飛ばしたくせに
他人の認識に陰でケチつけるような情けない学者がいるんだよ(プ
無能学者に研究者を名乗る資格なし、河内源氏にも源氏を名乗る資格なし。
30代の時に石松丸秀勝が生まれたもののその後は子が出来ず
40代を過ぎて淀との間にのみ立て続けに子が出来た豊臣秀吉。
50代を過ぎて直方女との間にのみ立て続けに男子が出来た源頼義。
頼義(988〜1075)―52歳差―義家(1039〜1106)
未婚ならまだしも既婚
しかも一夫一妻でもない時代に50歳まで子がないってのはどうよ
限りなく種無しの疑惑が強いと思うんだが。
親兄弟での畜生並みの殺し合いも下賎の血を想起させる(ゲラゲラ
253 :
日本@名無史さん:05/03/20 04:58:57
>>252 そういう下衆の勘繰りは、お前の品性の表れだな。
摂津ヲタめ、旗色悪しと見るやこの妄言か。
254 :
日本@名無史さん:05/03/20 06:34:34
いや、めっちゃ怪しいだろ。
255 :
日本@名無史さん:05/03/20 12:31:41
>>252はいかれているが、摂津源氏が嫡流でしょ。
256 :
日本@名無史さん:05/03/20 18:38:07
摂津源氏は嫡流だし、頼義は種無し
嫡流が摂津源氏だろうが河内源氏だろうが大和源氏だろうが、
なんら歴史は変わらん
258 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 09:40:23
>>256 頼義は嫡男の義家以外にも子供を作ってるよ。
頼義のお子様方
義家 義綱 義光 頼俊 快誉 藤原時房室
260 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:14:36
海道小太郎室はどうなの?
261 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:18:18
>>260 その人って、もう一人の頼義の娘さんのこと?
263 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:54:03
264 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 17:10:32
>>262 そうそう
系図には出てないんでしたっけ?
266 :
衣笠宮:2005/03/21(月) 20:35:32
>>181 :「嫡流」の定義とは何か?
★長男
★母親の家格が高い者
★父親or家長or遺族が決定した者
★父親or家長or先祖伝来の領地を引き継いだ者
★氏族内での有力者
★官位の高低
★家宝を継いだ者
★家号を名乗らず氏を名乗った者
★自ら嫡流と名乗った者
現象の羅列ではなく、まともな説明求む。
嫡子とは跡取りのこと。嫡流とは本家。
本家の家督を受け継ぎ、先祖の位牌を代々受け継いで供養している家。
藤原鎌足の位牌は、源経基の位牌は、今どこの家にある?
藤原道長や源頼朝は、嫡流ではなく主流と言った方がいいかも知れません。
↑
あんたの引用の仕方紛らわしい。
火災で焼けたので作り直しました
とか言えば誰でも作れるには作れるだろなぁ
そんなんが何個も有ったら判断できん。
位牌だけではは根拠には足りん。
269 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 15:56:48
一応確認しとくけど
>>1のいう源行綱は嫡流じゃないんだよな。
嫡流は頼政?
しらねー
いや、密告者・満仲(安和の変)の直系は、密告者・行綱(鹿ヶ谷)だ!
272 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:13:43
273 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:51:16
>>252-
元服した頃から普通にしてて52まで子供が出来ないなんてあるわけないだろ
直方の娘とやるまでの40年間は間違えて後ろの方に入れてたんだよ。
>>273 なるほど。夜伽経験豊富な直方の娘に正しいやり方を指導してもらったんだね。
長年の疑問が氷解したよ。どうもサンクス。
なわけねー
頼義は50才まで童貞だったんだよ。
血筋的には平岡が嫡流である
277 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 12:04:48
源氏ースペード
キング 源満仲
クイーン不明
ジャック源頼光
10源頼信
9源義家
8源為義
7源頼政
6源義朝
5源義平
4源頼朝
3源義仲
2源範頼
1源義経
278 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 15:42:42
それならこっちの方がいい。
源氏 平氏
キング源満仲 平高望
ジャック源頼光 平将門
10源頼信 平貞盛
9源頼義 平忠常
8源義家 平忠盛
7源頼政 平清盛
6源義朝 平時忠
5源義平 平重盛
4源頼朝 平忠度
3源義仲 平知盛
2源範頼 平教経
1源義経 平敦盛
源氏・スペードなら平氏・ハート、藤原氏・クラブ、橘氏・ダイヤにしたらいい。
橘は結構きついが、源平藤橘トランプみたいにして発売すれば
源氏のクイーン:源長定
源氏のキングは経基だと思う・・・
281 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:19:38
経基も高棟も坊ちゃんでキングの資格はない。高望ならすこし骨がありそうだが。
282 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:26:28
>>273-274 なるほどねぇ
頼義と同年代の奥さんたちは夫頼義に「そっちじゃない」と言えなかった。
しかしずっと年下の孫娘のように年の離れた直方娘にはそれが言えた
「おっさん、そっちじゃねーってwバカ?」
かくして男52にして後継ぎを得る頼義。めでたしめでたし。
って、頼義の長男て義家だよな?52で義家が生まれるまで後嗣とか貰わなかったのか?
っていうか、前九年の役のときに頼義はじじいだったのかー!
元気だな。
284 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:08:36
>>284 頼政は、源氏の長老として、源氏の血筋を守るために養子をたくさん持ったらしい。
例えば、源義賢の嫡子で、木曽義仲の兄になる源仲家も頼政が養子にしている。
286 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:08:10
頼政の嫡子は仲綱ですよね?
では仲綱の嫡子は誰なのですか
たんばてつろう
288 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 23:58:24
>>286 宗綱。父や祖父とともに宇治で自害している。
仲政流の嫡流はここで終わっている。
有綱はその弟で、義経の与力となってちょっと活躍。
289 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:19:32
そうだよ俺が50すぎまで童貞だった頼義だよ!
文句あっかこの野郎!
292 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 11:18:38
で宗綱以降の嫡流はどうなったの
293 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:17:57
摂津源氏は最高だよ
294 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:48:19
行綱はあんまりぱっとしないね。
もっと血統、行動ともに真の源氏と言えるやつらを語るスレを立てようゼ。
295 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:51:57
源氏を語るニセ家系が多いから
血統、行動ともに
真の源氏と呼べるやつを探そうゼ
296 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:29:09
「日本武士団棟梁家★源氏の人々」
て感じのスレ立希望
357 名前:名無しさん@おどらにゃソンソン[] 投稿日:田代暦49/04/01(金) 23:53:25 ID:YzmdJ0y/
美容板にて多田祭り美容板にしては驚異的なスピードで埋まるスレ。
298 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:25:30
宗綱以降の系図がどうなってるかだよな。
299 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:37:04
300 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:40:44
太田氏、大河内氏、下間氏が摂津源氏の嫡流候補ということか。
さすがにどの家も活躍しているな。
302 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:18:50
下間氏の家紋が土岐氏と同じ桔梗というのが気になるが、嫡流なんだろう。
303 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 14:58:37
本願寺の下間が嫡流か。
一向一揆も捨てたもんじゃないね
いっき
305 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:26:05
で太田氏、大河内氏、下間氏のどれが摂津源氏の嫡流な訳?
306 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:07:07
土岐氏
307 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 14:49:10
まだいたか。
土岐が嫡流である証拠を提示せよ。
川那部氏なんですが 姓氏家系大辞典によると
1.下間氏と同族にして本願寺門徒中、屈指の氏也。清和源氏と称す。川那部系図に 頼政-仲綱云々
と
2.近江の川那部氏 野洲郡金森城に依る云々
と、2項目あったのですが、この両者は関係あるのでしょうか?
詳しい人、お願いします。
309 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:51:29
姓氏家系大辞典には源氏の嫡流、平氏の嫡流はどこだと載ってるの?
>>309 すみません、308ですけど昨日図書館でちらっと見ただけなので良く分かりません。
1.下間氏と同族にして本願寺門徒中、屈指の氏也。清和源氏と称す。川那部系図に 頼政-仲綱云々
は、「川那部系図」からの引用のようですが、下間氏と川那部氏の関係がわからないし。
俺の姓が川那部で、いわゆるルーツ探しのまね事を最近始めたんだけど
手がかりが少なくて、スレちがいかなと思いつつコソーリ質問させてもらいました。
(ごめんなさい、源氏の嫡流を探してるわけじゃないんです)
親の代まで京都、本願寺信徒です。
311 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:41:49
じゃあ頼政につながる可能性ありますね
312 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:20:10
摂津源氏嫡流の源頼政の名跡を継いだのは源光長(土岐太郎光信)。
313 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:11:11
315 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:00:19
土岐が摂津源氏の嫡流だという証拠を詳しくキボン
ここは妄想だらけだな
317 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:45:02
なんで土岐が頼政の名跡を継ぐ必要があるんだ?
実子いるのに。
318 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:18:56
319 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 17:46:48
源平合戦の時、行綱と頼政のどっちが摂津源氏の嫡流だったわけ?
書物によってどっちも嫡流だという記載が見れる。
2ちゃんブラウザ使わない人なのかな・・・
いずれにせよ土岐ではないわな。
百歩譲っても。
322 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:22:32
頼国の五男が頼綱であるが、摂津多田荘を相続。
その嫡流の四代目が行綱。
また同時代に馬場氏流の頼政がおり、清盛の信頼もあって源三位を称するに至った。
頼政が宇治で自刃した時、嫡男仲綱、嫡孫宗綱、三男兼綱らも同時に自刃。
こうして頼政の嫡流を継ぐことになったのが嫡孫宗綱の弟有綱。
323 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:32:04
有綱は義経の娘を娶って女婿となったために、義経が頼朝に追われるようになると
潜伏したが大和に隠れているところを急襲され自刃した。
こうして、頼政流の嫡流は有綱の弟広綱が継ぎ、摂津国太田に本拠を移し太田氏を称した。
しかし以降は振るわず、嫡流は頼政の四男頼兼に移った。
大内裏の警護をする大内守護に就任し頼兼の系統は大内氏を称した。
その頃には鎌倉幕府も成立しており、宮中の雑事を幕府に報告するなどの役割を果たした。
324 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:40:54
しかし、承久の乱では京方の攻撃を受け、頼兼の嫡男大内頼茂は討ち死に。
こうして、またも嫡流の地位は、頼政の弟頼行に移ることになる。
しかし、頼行は陰謀を企てたとして佐渡配流が決定したが、
自害し嫡男宗頼は越後小国保に下って小国氏を称した。
一族は越後各地に繁栄し、大中川、小中川、小船津などと称し、
この系統が大内氏滅亡の後を受けて頼綱流の嫡流と目される。
325 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:50:45
以上は「天皇家と多田源氏」奥富敬之著 より借りた。
太田氏は振るわなかったといっても、室町時代には一時守護になったこともあるのだから、
嫡流といえなくもないと思う。
いづれにせよ摂津源氏頼綱流の嫡流は太田氏か小国氏ということになる。
ちなみに頼綱の長兄頼弘の家系は血筋的には嫡流という自負があるため、
最後まで源の姓を守って地名などを苗字としなかったが、重用されることもなく、史上名を残した人物も出ていない。
326 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:54:52
清和源氏血筋上の嫡流の系図(長男の家系)
清和天皇ー陽成天皇ー元平親王ー経基王ー満仲ー頼光ー頼国ー頼弘ー家光ー淳国ー国光ー惟光ー・・・
太田道灌はやはり源氏の嫡流だったのか
>>327 まだ清和源氏=陽成天皇子孫とか言ってるのか…p
奥富の説なんか鵜呑みにしてる馬鹿は逝っておしまいなさい。
330 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:33:49
やはり源氏嫡流は摂津源氏なんですね。
331 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:45:51
>>329 清和源氏=陽成源氏は常識。生年月日を調べればすぐ分かる。
お前のような無知に反論する資格無し。
332 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:51:22
頼綱は確かに由緒ある多田を名乗ったし子孫も繁栄したが、
実父はは頼国ではなく、頼範(満仲七男で頼光の養子)という説もある。
これに基づくと、頼政や行綱は河内源氏の頼信よりも弟の子孫ということになるわな。
まああくまでも、血統上の話に限定してのことだが。
>>329 未だに清和源氏の子孫などと言ってる馬鹿がいたとは驚き。
334 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:01:48
貞純親王って系図では有名だけど、何やったのか全然わからん。
335 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 13:43:08
>>323 >こうして、頼政流の嫡流は有綱の弟広綱が継ぎ、摂津国太田に本拠を移し太田氏を称した。
>しかし以降は振るわず、嫡流は頼政の四男頼兼に移った。
その通り、嫡流と本流はしばしば同義であって、
勢力が衰えれば世間から嫡流とは見られなくなる。
それも分からず
「源家傍流の源頼朝・義経に対して源家嫡流の源行綱」
とか喚き続ける摂津ヲタには困ったものだ。
336 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 15:48:46
>>335 でも勢力があれば嫡流というものではないと思うよ。
頼朝だって伊豆に配流された時勢力なんて無いに等しかったからね。
血筋的には行綱が嫡流というのも一理あるし、
太田氏の勢力が弱かったから頼政流の嫡流が移ったかどうかは、
あくまで一人の学者の意見であってはっきりしない。
まあ嫡流とは血筋と勢力の兼合いなんだろうと思う。
だから徳川家康なんかも足利氏や新田氏には一目置いていたしね。
337 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 15:53:28
続き
ちなみに、源氏の嫡流が継承するという髭切と膝丸は満仲が作らせた後、
嫡男の頼光が継ぎ、その後甥で頼信の嫡男頼義が継ぎ、以降河内源氏の嫡流が継いだ。
天皇家の三種の神器みたいなものだろう。
頼朝のあと髭切は行方不明になったとも、徳川家康の手に渡ったとも言われる・・・。
338 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:02:26
つまり自称源氏の嫡流は平安末期乱立していた訳。
1、河内源氏の嫡流の頼朝
2、多田行綱
3、源(馬場)頼政
4、血筋的にはまさしく嫡流の源惟光
339 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:44:17
結局、太田氏が頼綱流の嫡流ということで決着ついたな。
340 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:29:59
>>338 で、政権樹立後は文句なく頼朝、ってことだね。
341 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:36:25
>>336 >まあ嫡流とは血筋と勢力の兼合いなんだろうと思う。
同意。スレタイに即して云えば、同時代人は頼朝(政権樹立後)と行綱を較べて
従二位権大納言右近衛大将頼朝こそが嫡流、と認識することはあっても、
頼朝の先祖が頼信、行綱の先祖が頼光、頼光が兄で、、、
等とごちゃごちゃ考えた上で行綱が嫡流だとかは思わないだろうからね。
342 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:11:29
343 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:36:05
摂津源氏は、源氏嫡流でありながら、武門の主流は、頼光の弟の頼信にはじまり坂東へ勢力を扶植し、
武家棟梁となった庶流の河内源氏のものとなる。
後に河内源氏の流れを汲む源頼朝が鎌倉に幕府を開き、自らの河内源氏を嫡流と称したことから遡り、
源頼光の弟の源頼信にはじまり、頼義、義家と続く河内源氏が嫡流と見られるようになる。
しかし、源頼政までは摂津源氏が源氏嫡流であり、頼政一族の死により源氏嫡流は滅び、
新しく源頼朝から、次の時代の源氏嫡流が始まったと見るべきだろう。
源頼朝の一族が源実朝で滅びるや、頼朝の源氏嫡流は滅び、源氏一族の中で最大勢力であり、
源義国に始まる下野源氏の足利氏が京都の室町に幕府を開き源氏嫡流を称するようになる。
344 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 11:36:28
>>338 源惟光なんて、ある意味興味深いよな。
長幼の序でみれば、彼が清和源氏の嫡流なのに
全くといっていいほど無名。
しかも、多田行綱や馬場頼政とかは、そこそこの名も知られていて、
武門の源氏というイメージがあるけど、
源惟光はそういうイメージが無い。
345 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 11:16:05
もともと武蔵土着の太田氏が上杉氏にあやかって
関東下向と言い出したという説もあるようだが
347 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:18:46
初代広綱は播磨国揖保郡太田邑発祥との説もあるが、多田系図に丹州太田元祖とあり丹後国桑田郡太田邑に住したことは明らかである。
2代隆綱(丹後国桑田郡太田邑、丹後国船井郡五箇庄を賜う)。
3代国綱(丹後国桑田郡太田邑、丹後国船井郡五箇庄を賜う)。
4代資国(丹後国桑田郡太田邑→相模国) ※文永年中に移住。
5代資治(相模国)。
6代資兼(相模国)。
7代資房(相模国)。
8代資清(相模国。武蔵国足立郡与野郷、笹目郷を賜う)。
9代資長〔道灌〕(相模国。武蔵国足立郡与野郷、笹目郷)。
348 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:20:53
太田道灌の先祖が頼政ってはっきりわかる資料とかないのかな
349 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:30:41
太田道灌
歌集「慕景集」があり、世に軍法師範といわれ文武両道の英傑。
諸葛孔明の生れ変わりとも言われた。
江戸城築城、山吹伝説などが有名。
350 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:37:48
太田氏は清和源氏の末流といわれている。
源三位頼政の後裔資国が丹波国太田郷に住し、
太田氏を名乗るようになった。
資国は同国上杉郷の地頭上杉重房につかえることになったが、
このつながりが関東管領上杉氏と家宰太田氏との結び付きのはじまりとなった。
やはり、上杉に従って東国へ移住したと考えたほうが自然だと思う。
351 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:39:18
太田も上杉も丹波国にいた訳か。
確かにそれを考えると太田道灌の先祖は頼政になるのが正しいな
352 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:43:21
勧修寺流藤原重房は、「丹波国」何鹿郡上杉庄を領し、
そこを名字の地とした。
この重房が鎌倉幕府六代将軍として京都から宗尊親王が迎えられた時、
親王に従って鎌倉に下向したのが上杉氏の始まりである。
同時代に太田資国も丹波から移住している。
353 :
55:2005/04/12(火) 16:49:03
寛政重修諸家譜巻第二百八十三(刊本第五 一六〇頁)
土岐頼次のところに、家康から獅子王の剣をもらったとある。
これが徳川公認の頼政の嫡流ってことになるんじゃないか?
354 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:58:48
>352
何で上杉重房は北条じゃなくて足利に仕えたの?
355 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 10:33:16
354と356は同一人物なのか?
尋常じゃないみたいだが・・・。
>>357 > 尋常じゃないみたいだが・・・。
どこらへんが?
359 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:30:54
っていうか356みたいな自分の無知をカミングアウトしたアホにいっても無駄。
間違いを指摘され逆ギレする厨房だからな。
360 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:34:29
太田氏は名族という事で家康に召しだされ大名になったくらいだから、
頼政流の嫡流だと思われていたんだろう。
それとも太田道灌以来の名門としか見られていなかったのだろうか?
361 :
354:2005/04/14(木) 00:35:59
>356は俺じゃないぞ。
播磨屋さんには結構お世話になってる身分なんで、播磨屋さんの悪口など間違っても書かんぞ。
362 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:56:07
播磨屋さんって誰?
>>362 勘定奉行とつるんで三河屋に濡れ衣を着せてけっしょ(←なぜか変換できない)にして
財産を奪った挙句、徳田某とその手の者に成敗された人だよ
364 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 16:20:45
365 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 16:44:39
それじゃ名門とは呼べないと思うが。
>>360 >名族という事で
じっさいは女縁じゃなかったか?
367 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 04:43:52
源氏嫡流は摂津源氏らしいけれど、
じゃあ摂津源氏の嫡流はどれなの?
土岐氏ではないの?
368 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 09:16:06
370 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 14:38:37
>>368 頼政流って何?
源頼政の系譜を継承したのが土岐氏だよ。
371 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:46:11
証拠を示せ
372 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:49:25
373 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:54:20
宇治の戦いで仲綱が死亡したあと嫡流の地位を継いだのは、弟の広綱。
これ常識
374 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 02:51:54
多田行綱の話に戻るが、そもそも清和源氏全体の中で
多田氏の家格というか位置づけって、どのくらいのものなんだろうか?
375 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 09:11:38
色々読んできたけど嫡流が土岐という説が最も説得力が無いのは明白ですね。
>>353 なるほど。どのような経過があったにせよ、家康の手に入った
「獅子王」の剣が、改めて土岐頼次に下賜されたということは
(空想的・観念的嫡流論はともかく)徳川幕府は頼政の公式な
後継者は土岐氏とみなしていたのだな
>
ttp://www.kyosendo.co.jp/rensai/rensai11-20/rensai18.html > 鵺(ぬえ。[空+鳥]とも書く)退治で有名な源三位(げんざんみ)
>頼政とは、位が三位だった源頼政のことだが、鵺退治の頃はまだ
>兵庫頭で、三位にはなっていない。
> 『平家物語』(巻四の「鵺」)によると、近衛天皇の仁平(1151
>〜1154)の頃、毎夜、天皇が何ものかに怯え、気を失われることが
>あった。夜毎、東三条の森の方から一むらの黒雲がやって来て御所
>を覆うと、必ず天皇が怯えられた。当時兵庫頭だった頼政が勅命を
>受けて、猪早太(いのはやた)という家来一人を随えて夜、宮中に
>参内して待っていると、やがて黒雲が御殿の上を覆い始めた。
>頼政がきっと見上げると、雲の中に怪しいものの姿が見えた。頼政
>が持っていた重藤の弓に矢をつがえて射ると、手応えがあって何か
>落ちて来た。猪早太が駆け寄って刀で続けざまに九回刺した。人々
>が火を点してよく見ると、頭は猿で胴体は狸、尾は蛇、手足は虎の
>怪物で、鳴き声は[空+鳥]に似ていたという。天皇は御感のあまりに、
>「獅子王」という御剣を頼政に賜わった。
378 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 11:35:45
>>377 徳川氏の「見なし」を根拠にするなら、源氏嫡流は徳川ってことになるがそれでいいのか?
細川のような気がする
380 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 12:22:04
嫡流など幻想に過ぎぬ
>>380 >嫡流など幻想に過ぎぬ
まったくその通りです。嫡流の地位は実力で勝ち取るものです。
江戸時代の源氏嫡流は「徳川」です。疑問の余地などありません
家康の前でヘマをやった新田は500石かそこらで、やっと高家の末席だもんなあ
383 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:25:12
家康が与えた獅子王を根拠に嫡流扱いとはめでたいな。
それ以前は嫡流でなかったということになる。
家康は源氏の嫡流でないことは認めている。(暗黙の了解で源氏ですらないことも認めていた)
岩松を旗本にしたのも、自分と同じ新田の嫡流だと認めていたから。
家康が摂津源氏の嫡流だと認めていたのは太田氏である。
頼政以来の名門として大名にまでなった。
>>383 なんら資料もあげず、カキコされてもなあ(苦笑)
385 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:03:55
で土岐が頼政の正式な後継者というマトモな証拠は無いの?
387 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:11:09
388 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:12:42
>>384 妄想はいいから、土岐が頼政流の嫡流だという証拠を示せ
389 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:23:24
家康や秀吉は
名門ヲタだったりする。
徳川将軍は源氏長者
おちぶれ臣属したものが何を言おうが負け犬の遠吠え
嫡流厨は「歴史上の事実」を認めない、自分が念ずるものが
歴史になると思っている歴史妄想捏造厨
妄想、妄想、妄想ですって。
だから妄想だって言ってるじゃないですか。
魑魅魍魎がうようよしている。
393 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:36:11
源氏長者と源氏の嫡流は違うんだよな。
藤原氏とは訳が違う。
それも分からず徳川が嫡流と言い張るとは情けないな。
過去の事実を見つめられないヤシは、オカルト板へ
知恵遅れの肢体不自由児が生活保護を受けながら
「俺が嫡流だ、宗家だ、家元だ」と、よだれとなみだをたれ流しながら
わめいているような気味悪いスレですね
396 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:39:41
宇治の戦いの後、広綱が摂津源氏の嫡流となり、太田氏を称したんだよ。
土岐が嫡流などと言い張っても歴史は変わらない。
ここで静観していたが、太田が嫡流みたいだね。
嫡流の地位は流転する、実力のないものが何をほざこうがry
机上の空論が好きな人は哲学板のほうがいいんじゃないかな?
理論だけで史的事実が認められないようだから
400 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:50:47
>>398は嫡流とは何たるかを全く理解できないアホとしか思えない。
いくら実力があろうとも、血筋が庶流では嫡流とは言わない。
だいたい実力ってなんだよ?
土地をもってることか?それとも金を持ってる事か?
それじゃ現代では嫡流の子孫が何処にいるのか分からん
>>400 現代の話などしておりませんが。源氏の嫡流などというのは歴史上の概念で
21世紀の現代においてそんなことをいうこと自体アナクロニズムです
>>398はどうしようもない馬鹿だが、
嫡流とは権力と血筋の兼ね合いと言える。
つまり、徳川がいくら権力を持っていようと嫡流とは言わないし、これは家康自身も認めている。
だが現代で嫡流の子孫を語るときはもっぱら血筋だけだな。
403 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:56:18
>>401は歴史と言うものが江戸時代で終わってると妄想してるらしいめでたい奴。
404 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:17:07
で結局、摂津源氏の嫡流はどこなのですか?
405 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:23:24
要は嫡流なんて流動的なもんなんでしょ?
406 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:30:51
太田氏
例えば享和元年辛酉、時の天皇は光格天皇、
将軍は徳川家斉、そして理論上の
源氏の嫡流は○野×右衛門・・とか確定(w)
して面白い?
ていうか史学に益がありますか?
現在、たとえば見合いの席でも、就職の面接の席でも
今日の源氏の嫡流は・・云々と言い出したら狂人認定必至ですが
>>405 そのとおりです。そして明治以降に「源氏嫡流」なんていうのは
時代錯誤の阿呆です
410 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 07:57:17
源氏嫡流は土岐氏ですか?
>>410 ガキの悪戯、老人のたわごとなのだから、土岐でも太田でもその他の何かでもよい。
好き勝手に妄想をふくらませてよい。特定したところで何の歴史上の価値もない
412 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 17:47:49
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__ ,,.. -─一¬ヾ´ヽ、;;;;;;;;;;;``;;;.、 `''ー---‐ ''"´ /ヽ、
このレスを見た人間は十三日以内に死にます。
※あなたに訪れる死を回避する方法が一つだけあります。
それはこのコピペを一時間以内に7つ、別のスレに貼り付ける事です
ごめんなさい。死にたくないんです。
史学とは「過去の歴史上の事実」を取り扱うのだから
例えば
「太田氏は全国の源氏から嫡流として一定の崇敬を受けていた。証拠は・・」とか
「土岐氏は全国の一般大衆から源氏の嫡流と見なされていた。根拠は・・」とか
「○○氏は将軍・皇室から源氏の嫡流としての礼遇を受けていた。史料は・・」とか
いうのでなければ何の価値もない。事実がないのに勝手に認定したところで
何の意味もないし妄想に過ぎない。
414 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 23:19:59
摂津源氏嫡流は土岐氏
河内源氏嫡流は足利氏
でいいんじゃない。
415 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 09:50:37
土岐は美濃源氏だよ。
摂津源氏の傍流
416 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:21:10
>>415 違うよ。土岐光信が源頼政の名跡を継ぎ、
美濃源氏の土岐氏が摂津源氏の嫡流になっているのだよ。
417 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 16:11:05
∧∧
[] ( ゚д゚) <すいません。ちょっと通りますよ・・・。
||____(_つ¶つ¶___
/ ̄:l: .―:l:――――:l:/___ヽ,―、_
| :|:./ E:|: EEEEl :|:|: :  ̄ ̄||`l
/ ̄ ̄ヽ ̄ヽ EEEEl :|:|:__:___||._|
/ ,●、 | |777777|:| l, ―┴、┴――、
| ●| |.● | |/////// .:|:| / ヽ ヽ"ξバキバキバキ
ヽ `●' .| |====:|:| |==?==l=∴:,,,,ハヽ
ヽ____/_/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~'ヽ_____/_*;:ミ;;)?゚;)つ ←
>>414-416
419 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:16:01
足利氏は頼朝系が絶えた後、清和源氏の嫡流を自称していたが
土岐氏は自身が摂津源氏の嫡流と自称したことなんてあったっけ?
結局、清和源氏の嫡流なんて何に基づいて嫡流とするかによって
答えが変わってくる(血筋 or 家督 or 実力があって周りや世間が認めた
or 後世から見た結果論 etc)。
420 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:17:55
史板厨って何でこういうくだらない議論が好きなんだろう?
421 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 08:36:44
>>419 単純に、摂津源氏、河内源氏
それぞれの嫡流が衰退・断絶した後
それぞれの流派でもっとも繁栄したのが
足利氏と土岐氏だったから、そうなったんじゃないのか?
422 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 11:22:56
土岐より太田の方が繁栄していた訳だが。
>>422 マジに知らないのだが、太田という守護はいたか?
424 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:16:43
但馬の守護だったじゃん。
それに江戸時代には大名と高家くらい違う。
>>424 サンクス!それは間違いなく頼政流ですか?
血統だけよくて農民・足軽になっていたら?
僧籍で子孫がいたら?(浄土真宗など)
427 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:53:03
つまり自称源氏の嫡流は平安末期乱立していた訳。
1、河内源氏の嫡流の頼朝
2、多田行綱
3、源(馬場)頼政
4、血筋的にはまさしく嫡流の源惟光
と上の方にあったが、源惟光 の子孫で僧になった者もおるらしい。
428 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 17:00:34
但馬の守護は、関東御家人の太田氏である。
といっても鎌倉末期までで、室町時代は土岐の方が栄えていた。
しかし、家康は太田を名族として大名にまでしたのに対し、
土岐は高家として家名を残すのみであった。
とはいえどちらも名族であることは間違いない。
429 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 17:10:36
浦野と山田を宗家とする尾張源氏は美濃源氏分流.頼朝より嫡流に近いらしい。
大名だった両家は承久で滅んだ。尾張源氏はみな消えてしまった。例外は水野で、
戦国時代、僧将の水野宗春と、大名岩田氏を滅ぼした梟雄の水野信元がでて大いに
栄えた。
>428
庶流だけど、土岐も一応大名として残ったし老中も輩出した。
ようするに、生き残ったのは庶流ばっかりと
432 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 00:00:25
譜代大名の土岐は庶流の明智氏。
嫡流である土岐頼芸の子孫は旗本になった。
あと、紀州藩士の豊島家も土岐の庶流。
433 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 00:20:32
434 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 05:37:11
やはり摂津源氏の嫡流は土岐氏でいいの?
436 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 12:19:38
前から土岐が嫡流だと言い張る奴がいるが何一つ証拠が無いが・・・。
頼政の子孫がいるのにわざわざ傍流の系図に家督を譲る必要ないだろ
いいかげんにしろよ、どっちでもいいだろ。実体のないものをいつまでも・・
幽霊を論じているのと同じだろが
439 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 16:30:49
どこが嫡流という話はもうどうでもいい。
そもそもこのスレって多田行綱について語るスレじゃなかったのか。
440 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 17:40:31
で行綱の子孫はどうなったの?
442 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 21:49:06
行綱だけじゃスレがもたないというのは理解できる。
しかし行き場の無い摂津厨の温床を作ってしまったという意味で、
>>1は宇治平等院で腹を切って詫びるしかないだろう。
すいません嫡流を決定したとして、なにかメリットでもあるんでしょうか?
444 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 03:23:17
多田神社では、多田行綱は、八幡太郎義家と並ぶ英雄だよ。
じゃあ頼政流の嫡流って太田氏なの?
446 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 11:49:13
そう常識。
嫡流厨は、こりないなぁ。日本語が読めないのか、学習機能がないのか。
やれやれ
| 俺の立てたスレなんだ!!!
| age続けるんだ!!!
| 名スレにするんだ!!!
| きっと職人さんも来てくれる!!!
\___________ ____
∨ カタカタ____ ___
∧_∧ ||\ .\ |◎ |
(.#`Д´) || | ̄ ̄| |:[].|
∧_∧ . ┌( つ/ ̄l| / ̄ ̄/ ..| =|
∧_∧ ( TДT) |└ ヽ |二二二」二二二二二二二二」
( TДT) ( つつ  ̄]||__) | || | ||
(つ つ / / / ./ ̄\ / || / ||
と_)_) (___)__) ◎ ◎ .[___|| .[___||
∧
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|
>>1よ、もういいんだ・・・・・・・
| 本当に良く頑張った・・・もう充分じゃないか・・・
| 楽になっていいんだ・・
このスレの
>>1もこういう心境なんだろうなぁ・・・・
449 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 23:02:37
451 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 11:42:42
wikipediaによると足利氏が嫡流となっているが徳川には続いてないな。
源満仲---源頼光---源頼政(摂津源氏)/源頼朝(河内源氏・鎌倉幕府将軍家)/足利尊氏(河内源氏・室町幕府将軍家)
足利が嫡流だとして、阿波と喜連川のどっちなの?
452 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:10:04
どちらでもない
453 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 09:29:49
阿波だろ。
足利義弘氏が現当主
454 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 17:41:32
455 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:02:26
下野源氏の足利氏と、美濃源氏の土岐氏が、
それぞれ河内源氏と摂津源氏の嫡流なんですか?
自分で調べてみれば?
457 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 08:57:07
>>455 そう。
源氏嫡流=摂津源氏=土岐氏
だよ。
458 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 10:47:18
マルチうざ
459 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 11:12:08
摂津源氏の源頼政の系統をすべて列記してみて。
>>457 お前よそのスレにも書いてたな。
そんなに土岐を担いでお前に何の得があんの?
461 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 17:20:20
馬鹿の妄想はわかんね。
462 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 12:37:09
まあまあ。日本では土岐は貴重なんだから、あんまり土岐擁護派をいじめるな。
463 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 14:37:55
でも残念ながら土岐は嫡流じゃありません。
464 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 16:19:55
源氏嫡流は
六孫王--源満仲--頼光----頼政----光信----土岐氏
じゃないの?
465 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 16:43:42
なんで頼政から光信に繋がるだよ
頼政には実子いるだろうが
466 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 16:53:04
長男の家系を嫡流というと
頼光 ━ 頼国 ━ 頼弘 ━ 家光 ━ 淳国 ━ 国光 ━ 惟光
となる。
また頼政を源氏の嫡流とした場合
頼綱━仲政━頼政━広綱━隆綱━国綱━資国━資治━資兼━資房━資清━資長(道灌)
となる。
しかし室町時代には嫡流といえば足利氏になっていた。
実力のあるものが嫡流と称した
468 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 17:48:06
でも家康は嫡流じゃないんだよね。
469 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 20:59:55
かつては「摂津源氏が嫡流」というだけでずいぶんなデムパに見えたのに、
最近はさらにグレードアップして「土岐が嫡流」ですか。
何かもう「摂津が嫡流」だけではそれほどなアレにも
見えなくなってきたところが、怖いというか何というかw
470 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 22:19:44
とにかく言い続けることが大事なんだよね。
フライデーかなんかに道灌の子孫が出てたな。
「資って字がスケベっぽくて恥ずかしかった」とか言ってた。
会社の部下には徳川なんとか(本家か御三家か忘れた)がいて「徳川くん」と呼んでたんだって。
まぁ太田でも土岐でもいいけどさ、
分家に主導権握られちゃったお間抜け本家ってことか
473 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 11:49:33
太田氏を土岐なんかと一緒にしないでください。
土岐氏を太田なんかと一緒にしないでください。
475 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 13:40:36
で土岐が摂津源氏の嫡流だという証拠はどこにある訳?
476 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 03:19:45
>475
しつこく頑張ってるね、アンチ土岐クンw
477 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 07:34:40
で、その嫡流の土岐何某とやらは、なんで天下を狙わなかったの?
足利家に従わないで自立することも可能だったろうに。
何で天下ねらわにゃならんの?
わけわかめ。
479 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 09:51:07
馬鹿の一つ覚えみたいに土岐土岐ってうるせーな。
480 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:09:10
481 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:22:48
北条土岐政
482 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:26:06
>>480 粘着氏ね
お前がいると話がループする
早く消えろ
馬鹿がきた予感
485 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 11:53:40
>>116 >土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
>とんま源氏だな
まぁそれはちっと言い過ぎだろうが、そもそもこれだけ煽られるのも
土岐ヲタがあちこちで摂津が嫡流だの土岐が嫡流だのと喚いてるからだな。
天に唾するとはこのことだな。
486 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:03:23
>>485 あんた前に同じ書き込みしてなかったか?
まあ土岐やら徳川が嫡流などと言ってるのは馬鹿だけだが
何処が嫡流であろうとどうでも良いよ。
多田行綱を話そうぜ。
土岐嫡流に執着してる人は本当は何が目的なんだ?
村興しか何か?
488 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:31:39
>>486 土岐と徳川を対等に並べるあたりに、あんたの馬鹿ぶりが見えます。
土岐は少なくとも源氏だが、徳川は乞食坊主の詐称でしょう。
489 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:34:54
多田神社の源氏まつりを見たことがあるが、
多田行綱は、源頼光や八幡太郎義家と同格の源氏の武者として扱われていた。
鎧兜に「多田行綱公」と記された幟をつけて馬上武者として登場。
490 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:41:36
地元の祭りでどうであれ、多田行綱が英雄的人物とは思えんが。
鹿ケ谷の密告者。
で、なんだっけ。頼朝に「多田行綱は素行が悪い」とか云われて勘当だろ。
491 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 12:46:05
>>488 487は土岐と徳川が対等とは云ってないだろ。
「徳川は乞食坊主の詐称」にはあなたに同意するが、
487は土岐嫡流説も徳川嫡流説も別の意味で妥当と云えない
と云っているのでは。
土岐嫡流説→未だ誰も根拠を示せていない。
徳川嫡流説→武家の最高峰に立ったからといって源氏でないことは周知の事実。
492 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:50:33
源氏の嫡流として違和感ないのが足利あたりか。
摂津が嫡流というのも一理あるが、
それが頼光が頼信の兄であったと言う根拠をもちだすなら
行綱も頼政もまた長男の家系ではないことになる。
長男の家系でいうなら源惟光がこれになるが、ほとんど活躍していない。
また実力のあるものが嫡流というのもはっきりしない。
493 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:34:05
今日は尊氏公の命日らしいですよ。
合掌
>>492 それ前にも書いたけど何か反感買ったんだよな。
どうも奴らの言い分は頼光が長男というのと違う所にあるらしい。
まあどっちでもいいがw
495 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:02:44
>494
おそらく摂津支持者は、「頼光が長男だから」というのが理由ではなく、
「家督」が満仲から頼光に継承されたというのが理由じゃないかな。
496 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 00:16:56
>>495 「家督」が満仲から頼光に継承されたって史実として確認できるのかなぁ。
当時は単独相続じゃないんじゃない?
大体身分で云ったら頼信の母(大納言元方女)>頼光の母(源俊女)だぞ。
497 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 02:56:00
確かに満仲の生きていた時代は単独相続じゃなかったかも。
そうなると満仲の死後は誰が源家(清和)の家長だったんだろう?
頼光の位置づけって頼信と比べてどうだったんだろう?
498 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 03:30:33
頼光は親爺の満仲の本拠地の摂津国多田を相続しているから嫡流では?
頼親は大和国宇野に、頼信は河内国壷井に、今で言えば分家したようなものだからね。
499 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 09:37:08
髭切は満仲が莫大な資産にものを言わせて作らせたものだが継承順序は以下の通りになる。
満仲ー頼光=頼義ー義家=為義ー義朝ー頼朝
頼光から頼義への継承を「源氏嫡流の交代」と呼ぶ説もある。
500 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 09:38:39
清和源氏嫡流ー足利氏
河内源氏嫡流ー同上
摂津源氏嫡流ー太田氏
という事か
501 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:21:04
>>499, 500
Thanks. 結論出ましたね。
大体足利氏の御代に、
足利氏が源氏嫡流だと思っていない同時代人がいたとは思えない。
502 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:23:11
>>498 その論理だと、義家の嫡子は坪井を相続した石川義時
頼光流の嫡流は多田氏ということになるが。
どう?おかしくない?
503 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:26:26
Sorry 壷井ね。
504 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:37:22
頼朝の子孫が悉く滅んだ後、嫡流は足利に移ったといわれている。
が室町幕府が滅んで徳川が将軍になっても嫡流の地位は徳川に移動していない。
そして現代に移るが、喜連川か平島かが争点という事になる。
505 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:49:49
大体、徳川家の御代に、
徳川家が源氏嫡流だと思っていない同時代人がいたとは思えない。
徳川時代に「うちが源氏嫡流だ」なんて主張したら、
ひとひねりで蛆虫みたいに潰されたろうな
508 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 14:40:58
>頼朝の子孫が悉く滅んだ後、嫡流は足利に移ったといわれている。
実は証拠はない。
頼朝の「イエ」を継いだのは、
後家の政子であり、
その養子の九条頼経であった。
もちろん、イエと嫡流は違うけど…
そもそも、嫡流なんて概念あったのか?
一族間での争いに勝った者が後に嫡流と呼ばれたのかもしれない
嫡流だなんて言ってるやつは遠からずホームレス
86 :日本@名無史さん :05/02/26 09:53:48
結局傍流(頼朝や織田)だろうと詐称(徳川)だろうと、大出世後自分で嫡流だと主張し、
世間様が認めれば嫡流なんです。
で一度そうなってしまうと、遡って傍流が嫡流に変身。
忠盛・清盛系の平氏なんかそれでしょう、正直本来は貞盛流の中でも傍流も傍流。
513 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 09:35:57
現在の清和源氏嫡流といえばやはり足利氏になる。
514 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 09:54:55
515 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 10:04:03
平島は進悟氏が養子に入ってしまったから、ある意味断絶だな。
進悟氏の実家は足利氏と何か関係あるのか?
516 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 03:02:06
源氏嫡流の摂津源氏において源頼政(馬場頼政)と、源行綱(多田行綱)の関係はどうだったの?
517 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 18:17:16
ババとタダ
518 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 18:23:32
519 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:28:58
平安時代の武士といえば、鬼や妖怪退治に見られる不気味な強さの象徴。
頼政にはその流れをくんでヌエ退治の伝説をもつが、行綱にはこれといったものがない。
つーか、オレは聞いたこと無い。地元にその手の伝承なりがあったら教えてくれ
520 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:05:40
伝説は後世において先祖顕彰のために作られるからね。
だから伝説は必ずしも事実とはかぎらず、むしろ事実とは正反対であったりする。
その典型が、源頼光の大江山の鬼(酒呑童子)退治の説話だろう。
また、頼光四天王の筆頭の渡辺綱も、頼光の子孫で摂津の渡辺党を傘下にした源頼政との関係を強めるため、
渡辺党の先祖の渡辺綱と、頼政の先祖の頼光の関係を後から作りだしたとされる。
頼光の大江山の説話は、室町時代に作られたものだが、頼政の鵺退治も同じ。
これらは足利氏の先祖顕彰と関係がある。
多田行綱についてはそのような肯定的な伝承がなく、「平家物語」の密告者としてのプロフィールしか
伝わっていないということは、後世が多田行綱を先祖として顕彰する必要がなかったことだろう。
源頼信−頼義−義家あたりはその手の魑魅魍魎話ないよな。
522 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 04:03:04
「後世が多田行綱を先祖として顕彰する必要がなかったことだろう。」
かわいそうな多田行綱・・・。
ここは多田行綱スレなのだから、もっと多田行綱を応援しよう。
>>520 とすれば、なにゆえ多田行綱が卑怯な密告者としてのみ
伝承されるようなったかを考察することは意義がある
524 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 09:21:19
525 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:33:06
壺井八幡宮って、どうなの?
526 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 14:33:53
>525
河内源氏三代(頼信、頼義、義家)の墓所があって、清和源氏三社
(六孫王神社、多田神社、壷井八幡宮)のひとつ。
527 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 15:41:02
>>524 おれもそいつが書き込んだスレッドをみたが、
北条氏が平氏ではないとする説を妄説だと言っていたな。
一度型にはまると他の説を一切受け付けない人間らしいw
528 :
525:2005/05/04(水) 16:08:01
>>526 スレッドを呼んで、祖父の話を思い出したので書きました。
すみません。当方、苗字が壺井と言います。
祖父の話だと、昔、なにかの戦いがあって、河内の国にいたのだけども
讃岐に移動したと聞きました。
ここに関係するのでしょうか?
529 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 16:24:04
源為朝の子孫っているの?
531 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 11:55:09
>>528 河内源氏の本拠地は、現在の住所では大阪府羽曳野市壷井という所ですが、
同地を相続した義家の五男の義時の子孫の石川源氏には、壷井、壺井という苗字はなかったと思います。
石川源氏ではなく、壷井(壺井)の地におり、同地の地名から名のられた苗字ではないでしょうか。
532 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 07:45:27
>>523 多田行綱は、義経軍の主要戦力を構成した組織だった多田源氏棟梁だから頼朝から敵視されたんだよ。
533 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 17:03:19
嫡流は
清和源氏嫡流 足利氏
河内源氏嫡流 同上
摂津源氏嫡流 太田氏
村上源氏嫡流 久我氏
宇多源氏嫡流 佐々木氏(六角氏)
桓武平氏嫡流(高棟流) 西洞院家
桓武平氏嫡流(高望流) 伊勢氏
藤原氏嫡流 近衛家
源義朝の直系の子孫は
希義流の土佐吉良氏
範頼流の吉見氏
全成流の阿野氏
平家直系の子孫は
清盛の弟頼盛の子孫ら(八木氏など)
534 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 18:10:51
しかし、頼朝から追放された後の行綱の記録が全く無いのは
なぜなんだろう。
せめて、「多田庄を追われた行綱は〜で死んだ」ぐらいの
記録があってもよさそうなんだがな。
535 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:08:03
>>534 消息不明ということで、実は生き延びていたのかもしれない。
>>534 はなばなしく討死なら記録される筈。所領を失い
気が狂って「おれが嫡流だ・直系だ・宗家だ・棟梁だ」と言いつつ野垂れ死に
実は大陸に渡った
多田行綱こそジンギスカンだったのかもしれない。
539 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 10:53:06
いづれにせよ子孫がいたところで全く信用ならんな
太田も多田のパクリだと言うしな。どちらもオホタだからな
541 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 15:26:53
それゆえ、太田氏が多田源氏の宗家だとも言われるだけどね。
でもなぜか多田行綱の5代後の子孫までの系図が残っているんだよな。
だから、太田氏は多田氏とは無関係。後世、系図をつなげただけ
543 :
日本@名無史さん:2005/05/08(日) 11:39:29
でも太田氏は鎌倉時代でも丹波の守護だったぞ。
544 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 03:53:35
やはり源氏は多田氏であり、多田行綱みたいですね。
545 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 16:03:53
多田満仲の娘に多田満子って、いる?
江戸時代に多田爺とか多田人成とかいるよ
547 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 18:06:43
源静
が嫡流
548 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 19:10:23
549 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 15:32:40
多田満頼は、やはり多田源氏の子孫?
550 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 15:50:49
江戸時代は、只の饅頭(多田満仲)と言われ
完全にネタ化していた多田氏
552 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 11:53:08
多田氏はやはり源氏の嫡流なのですか?
553 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 12:42:11
夏目漱石「坊ちゃん」の主人公は、自称多田満仲の後裔。
554 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 15:15:16
555 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 03:25:59
無敵の多田源氏
誰にも相手にされない多田源氏
557 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:49:03
そもそもこのスレは多田源氏のスレですが。
558 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:54:04
いや下間家がいるでしょ、池田の支藩になったのが。
559 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 11:01:34
嫡流をはっきりするために家宝なんてものができるようになったのでつ
三種の神器と同じで各家で伝わるの
例えば佐々木源氏の嫡流ネタはなぜか尼子がもってたのよね
六角でも京極でもなく
で、なにが嫡流かってのは、その時点で身内の一番強いやつなのよ
逆に一番強い奴が嫡流でつって言えば、周りは認めざるをえんでしょうに
他人が他所の家の嫡流を語ることは全く意味がないのよ
>>560 >例えば佐々木源氏の嫡流ネタはなぜか尼子がもってたのよね
詳細きぼんぬ
562 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 09:01:16
>>560 はげどう。嫡流は自称するものに非ず。世間・周囲が嫡流と認めるものなり
563 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 17:08:49
それは江戸時代までの話。
源氏の嫡流はどうなる。
今一番強い奴って誰よ。
>>563 だから、おまいは厨だと(ry
そういうことをすべて廃止したのが、明治維新
おっしゃるとおり
566 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 09:59:12
はあ?
嫡流って言う言葉はいつから廃止されたのwwwwwwwwwwww
総本家 本家 分家
家はこんな感じで使ってる
いまでもうちは嫡流などと言う言葉を使ってる所があるが?
実力のある奴が嫡流っていうのはズレもいいところだな
ここの連中は、尊卑分脈と群書類従系図部と寛政重修諸家譜かなんかを並べて
罫線つなげて、これが源氏の嫡流だとか言ってニタニタ笑っているんだろうな
お〜〜〜肝
長男の家系が嫡流じゃないからな
もっと勉強しなさい
571 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 17:37:02
源家嫡流は摂津源氏系の土岐氏なの?
頼朝は関東武士の棟梁である八幡太郎義家の嫡流ということで意味があり、
頼朝が征夷大将軍(あるいは右大将家)になってから武家の統領としての
源家の血筋に対する信仰は強化された。
それだけのことが何故わからんのかね。
不思議だwww
土岐氏が嫡流としてだ
鎌倉時代の土岐君「鎌倉殿〜、ははーーーっ」
室町時代の土岐君「公方様〜、ははーーーっ」
徳川時代の土岐君「上様〜、ははーーーっ」
明治時代の土岐君「か、か、華族の末席にでも加えてくだしゃれ><」
土岐君が言うところの庶流の常に下位に置かれてるw
結局、チカラもないのに嫡流なんてありえないわけよww
トキテラワロスwwwww
今でも嫡流とか言ってる568みたいな低脳がいるが、身内の中で使ってる
俗語と一緒にするなよ、バカがw
584 :
日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:57:13
やっぱ源氏嫡流は土岐氏なんですね。
586 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 10:02:02
太田氏
多田を持ってこようが、土岐だろうが太田だろうが無駄は無駄。
事実のないところにデッチアゲしたところで、歴史学上『無価値』
588 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:25:47
↑
無知な馬鹿が吠えてるよw
589 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:34:29
↑
無知な馬鹿が吠えてるよw
590 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:37:28
>>587 で、「事実」とは何?
また、歴史学上、価値有るものとは何?
自分の見解を開陳しないと、ただの落書きですよ。
史学とは「過去の歴史上の事実」を取り扱うのだから
例えば
「太田氏は全国の源氏から嫡流として一定の崇敬を受けていた。証拠は・・」とか
「土岐氏は全国の一般大衆から源氏の嫡流と見なされていた。根拠は・・」とか
「○○氏は将軍・皇室から源氏の嫡流としての礼遇を受けていた。史料は・・」とか
いうのでなければ何の価値もない。事実がないのに勝手に認定したところで
何の意味もないし妄想に過ぎない。
592 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 00:52:08
源氏嫡流について教えて下さい。
摂津源氏のどの系統が嫡流なのですか?
多田氏? 土岐氏? 太田氏?
>>592 土岐だけど、この話になるとアラシが元気になっちゃうので今後は慎んでください。
>>592 太田だけど、この話になるとアラシが元気になっちゃうので今後は慎んでください。
596 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 16:05:55
源氏嫡流は足利氏。
摂津から河内に移ったのが、@頼光→頼信、A頼政→鎌倉将軍家→足利氏
と2説ある。
どっちにしろ土岐、太田などが出てきた時点ですでに嫡流は河内源氏のものであった。
597 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 16:06:24
結論でたので終了
つーか、このスレは存在理由がないので終了
599 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 05:30:22
>>592 摂津源氏の源頼政以降の源氏嫡流は、摂津源氏を継承した土岐光信以降の土岐氏です。
光信の父光国は源義家に対して
「自分の父の国房は頼国五男だが頼国は頼光長男で頼光は満仲長男である」
という理由で自分のほうが嫡流筋であると自己主張したらしい。
このように摂津源氏の各流の中でも、ヘンなプライドの高さという点では
土岐は出発時点ですでに抜きん出ていたようだ。
>>599 摂津源氏の嫡流は頼政の死を持って途絶えました。
以後嫡流を名乗るものは全て単なる僭称に過ぎません。
602 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 10:28:58
>>601 その通り。
トキは天然記念物だが、キンが日本では最後の一羽だった・・・。
603 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 10:32:17
伊丹市+川西市→行綱市
河内源氏の祖 頼信の母は大納言藤原元方の娘。
その兄 頼光の母方は四位クラスの朝臣だったよな。
605 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 23:42:35
>>604 源満仲の嫡男は、源頼光だよ。源頼信ではない。
ただ、頼義や義家の頃に東国の武士を傘下にしたため、武家源氏の主流になる。
このあたりが、大内守護の摂津源氏との関係で微妙なところだろうな。
しかし、系譜上では、やはり源頼政までは摂津源氏が、源満仲の嫡流でしょう。
その後は源頼政の一族は有綱などを残して壊滅状態になり、
源氏嫡流は、バトルロイヤルつまり勝ち抜き合戦状態になったところがあると思われる。
605 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/05/29(日) 23:42:35
>>604 源満仲の嫡男は、源頼光だよ。源頼信ではない。
母親の出自が劣るのに嫡男になれたの?
何故?
607 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 14:43:07
>606
多田神社のサイトによると、満仲が41歳の時に頼光が誕生、
頼信が誕生したのは満仲が63歳の時となっている。
頼光が満仲の嫡男なのはこのあたりが関係あるかも。
男子が生まれていないならともかく、既に男子をもうけていて頼光を
後継者と決めた後で63歳になって突然、頼光を廃嫡にはしないだろう。
よく引き合いに出される「髭切の太刀」も満仲から頼光へと伝承
されている。後に頼義の手に渡っているが頼信は「髭切」を受け取っていない。
結局、満仲は妻たちの身分の上下だけで後継者を決めなかったのでは。
満仲が頼信を後継者と決めていたなら、所領内に銀山を持つ裕福な多田の地を
頼信に与えていたはず。そうでないところを考えると満仲の嫡男は頼信ではなく
頼光なのでは。
608 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 02:46:29
頼光と頼信は、兄弟であり親しかったそうであるし、
頼光と頼義は、伯父と甥の関係だから、頼光が「髭切」を自分の嫡子ではなく、
甥の頼義に与えたことは考えられるね。
609 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 10:32:06
>>607 608
髭切の継承を以て源氏嫡流が頼義流となったという見解もあるね。
一理あると思う。
610 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 15:05:45
>604
× 頼信の母は大納言藤原元方の娘
○ 頼信の母は大納言藤原元方の子、右京大夫藤原致忠の娘
611 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 17:47:17
>610
元方女と致忠女、両説あるよ。
612 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 23:34:17
髭切は、現在は、京都の北野天満宮にあるらしいけれど・・・?
613 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:39:04
>>600 上皇に矢を射掛けたり、土岐って○○ばっかだな!
614 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 09:03:11
土岐氏は源氏嫡流ですから。
>>600 でもそのことに怒った義家が僅かな手勢を率いて国房宅を急襲。
不意を突かれた国房は命からがら館の裏山に逃げ込んだ。
当時義家は10歳。←wwwwwwwwwwwwwww
616 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 08:33:32
土岐氏が源氏嫡流になるのは、源頼政の死後だから、
義家の頃の話はみんな架空のことだよ。
>自分の父の国房は頼国五男だが
この時点で嫡流を名乗る資格はないと思われ
戦国自衛隊で
「土岐衆じゃ〜」っていうのがあったね
620 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 10:32:01
621 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 18:15:59
>>620 >616は、>600に対するレスだと思う。
それでも意味不明だろ
623 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:44:02
>>622 いや、意味はたどれるよ。
>600は、義家の時代に土岐が嫡流と主張したと書いているが、
>616は、土岐が嫡流を主張したのは頼政の死後だから、>600の言う話はありえないと言ってるんだよ。
624 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:22:18
土岐氏って自身が嫡流だと主張した事実はあるのかな?
「土岐氏=清和源氏嫡流」論者って本能寺の変の後、山崎の合戦で
明智光秀が羽柴秀吉に勝ってたら、明智が以後は清和源氏の嫡流だ
と主張したんだろうな。
仮に光秀が征夷大将軍にでもなっていて、徳川が一大名のままだとしたら
清和源氏全体の嫡流は摂津源氏の中の土岐氏の流れだと歴史書には書かれる
のかな。
625 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:32:57
>>624 >「土岐氏=清和源氏嫡流」論者って本能寺の変の後、山崎の合戦で
>明智光秀が羽柴秀吉に勝ってたら、明智が以後は清和源氏の嫡流だ
>と主張したんだろうな。
「土岐氏=清和源氏嫡流」論者ってのは、実力者=嫡流視してないということだから、
そういう実力者=嫡流という考え方と相容れないと思うんだが。
>仮に光秀が征夷大将軍にでもなっていて、徳川が一大名のままだとしたら
>清和源氏全体の嫡流は摂津源氏の中の土岐氏の流れだと歴史書には書かれる
>のかな。
もちろん。
626 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 01:21:48
>>624 土岐源氏嫡流説なるものを言っている奴は、
平安時代末期の土岐光信が、源頼政の名跡を継いだと言っている(ここではその真偽は問わないが)。
後代の明智光秀のことなど言ってない。
だから明智の話はどうでもいい。
>ここではその真偽は問わないが
論ずるまでもなく土岐が嫡流ってことだね。
禿同
628 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 10:23:13
>>116 >土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
>とんま源氏だな
まぁそれはちっと言い過ぎだろうが、そもそもこれだけ煽られるのも
土岐ヲタがあちこちで摂津が嫡流だの土岐が嫡流だのと喚いてるからだな。
天に唾するとはこのことだな。
土岐が自他共に清和源氏嫡流を認めていたら、
頼朝の時代にすでに滅ぼされているんじゃ?
ましてや惣領制の色濃い時代に傍流に従うとも思えない。
嫡流意識がありながら従ったのなら土岐は相当なヘタレだな。
従った時点で嫡流などは主家に移行。でないと生き残れない。
つか近縁やその家自体の嫡流意識はあったと思うが、
(新田&足利、頼朝&義仲、武田&逸見、佐竹等)
清和源氏全体の嫡流など無いだろ。
平氏もそうだけど嫡流の話題自体ナンセンス。
>>628 お前の言いたい事は十分わかった。
がしつけーよ
>>623 はぁ?お前
>>600よく読めよ。
>>光信の父光国は源義家に対して
「自分の父の国房は頼国五男だが頼国は頼光長男で頼光は満仲長男である」
という理由で自分のほうが嫡流筋であると自己主張したらしい。
このように摂津源氏の各流の中でも、ヘンなプライドの高さという点では
土岐は出発時点ですでに抜きん出ていたようだ。
でお前が書いたのが
>義家の時代に土岐が嫡流と主張したと書いているが
↑・・・どこにも書いてないと思うが。
もう一度説明頼む。
・天下を取った実力者である徳川が嫡流
・土岐が源氏嫡流
↑氏ね
行綱の話題は完全にもうどっかいっちゃってるね…。
誰も行綱になんて興味ないのさ
多田源氏の嫡流は夏目漱石でOK?
636 :
623:2005/06/05(日) 01:08:45
637 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:06:28
>>636 こりゃ、とんでもないDQNがきたな
>>600と
>>623が別人なのは明らかだろうw
意味不明な反論する前に、しかっりとした日本語を勉強しなさい。
639 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 10:35:34
「筆頭」という言葉を使え
嫡流だと代々の嫡男の家なのか栄えた家を指すのか不明。
「嫡男の家」で言えば嫡流は摂津源氏は頼政の死をもって、
河内は源氏は実朝の死をもって滅亡したと考えるのが常識。
>>639 学術用語として確立してるのか?
でなければお前の妄想なんだが。
>>640 とりあえず「嫡流」という言葉を辞書で引け
642 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:24:44
嫡流が筆頭やら栄えた家の意味で使われてるから混乱が起きる。
栄えた家って言う定義だと代々嫡男が継承した家をいえども、
現代に貧乏だと栄えた家ではない=嫡流ではない。とおかしな事が起こる。
644 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 17:19:10
嫁。そうすれば嫡流の意味が理解できる。
・天下を取った実力者である徳川が嫡流
・土岐が源氏嫡流
↑氏ね
長崎頼綱が平氏嫡流
↑氏ね
いや、だからさ、
「〜筆頭」という言い方が、
定着してるのか?
してないなら、
2ちゃんでグダグダ言っても
仕方がないぞ。
648 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 19:43:34
>>642 不比等の嫡男の家系と言う意味では南家だが、嫡流は北家(摂関家)。
長嫡子(盲人)−長嫡子(不具)−長嫡子(変態)−長嫡子(不能)www
嫡流厨のなれの果て
650 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 21:16:19
>>644 よんだ。
土岐氏が源氏嫡流であることがようやく理解できた。
御指導感謝!
651 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 00:22:20
源氏嫡流は土岐氏
平氏嫡流は長崎氏
だよね。
>>651 たわけ。
下賎の長崎などと土岐氏を並べるでない。
不遜であろう。
654 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 12:05:20
やっぱり土岐氏が源氏嫡流ということですね。
655 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 15:32:19
656 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 00:21:13
>>654 そう。土岐氏は、源氏嫡流の摂津源氏の正系ですから。
657 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 08:18:01
先月で40年勤め上げた会社を定年退職し、妻に「あなたは無趣味だから」
とパソコンを薦められ退職金で購入、設定をやってもらったお店の人に
「ここ面白いですよ」と言われるままに来てみれば・・・。
特にひどいのは「日本@名無史さん」とかいう人です。
実名が出てないからといえ、あまりにその言動には目に余りますよ!
それに同じような酷いことをほかの・・・「スレ」っていうんですか?
に書きこんで・・・。
少ない時間でこんなに書きこむなんてかなりの労力を使っていると思います。
そのエネルギーをスポーツとかにつぎ込んではいかがですか?
長文失礼いたしました。
↑よく「sage」できましたね
平氏も源氏も嫡流が絶えたことを考えると
源氏筆頭は足利氏
平氏筆頭(高望流)は伊勢氏か千葉氏
になりそうだな
661 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 09:16:06
源氏筆頭足利氏
662 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:31:26
筆頭なんて訳の分らない言葉を使うことは無意味。
663 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:50:23
嫡流の土岐氏を無視しては源氏を語ることは出来ないよ。
664 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 13:18:38
五摂家「筆頭」近衛家というのも無意味なのかよ?
使われてんのに
>>664 藤原氏筆頭、源氏筆頭、って用例はあるの?
源氏の棟梁でいいよ
源氏の棟梁は細川護煕氏。
668 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 07:16:40
多田行綱ってカッコいいね。
多田行綱ってカコワルイ。
670 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 08:29:36
陶芸家の真似事やってる細川護煕氏が源氏の棟梁な分けないだろ
671 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 11:01:28
672 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 14:10:09
今、源氏の筆頭は誰?
徳川恒孝公
674 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:16:55
なんで徳川が登場すんだよ。馬鹿
675 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:46:27
足利義弘公
676 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:51:33
義弘氏の親父さんはどこから養子にきたの?
足利なんぞ所詮は旧子爵
旧公爵の徳川か島津が妥当だろう
678 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:09:08
「多田」をまともに読めないやつらは死ね!オオタヒカリじゃねーYO!
話しかわって、多田道太郎とかどうなのよ?
それから以外と、「多田」という地名は地方にあったりするナ。
もう消えている場合もあるが。
679 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 05:24:11
源氏の「嫡流」と「棟梁」は違うんですね。
680 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 08:33:19
当たり前じゃん。
嫡流と棟梁を一緒に使ってる奴はここの一部の馬鹿だけ。
足利も徳川も所詮は棟梁な訳
681 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 08:40:39
嫡流 社長の家の跡継ぎ
棟梁 現場の最高責任者
で、あってる?
682 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 10:29:41
兵庫県川西市では「源氏のふるさと大使」を任命している。
30歳以上の同市関係者のみなれる。
684 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 08:01:01
摂津源氏が、源氏嫡流
河内源氏が、源氏棟梁
685 :
尾張守:2005/06/16(木) 17:12:59
棟梁でない嫡流に何か意味あるのか?
686 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:20:46
ってゆうか同時代人は、例えば「棟梁は頼朝だが嫡流は行綱」とか考えんだろ。
684に付き合うのは時間の無駄に過ぎんからほっとけ。
>>685 棟梁は、実力によるもので、
嫡流は、正統によるもの。
688 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 10:41:30
江戸時代は棟梁が徳川家(名目上)
嫡流は既に断絶(源実朝の滅亡によって)
689 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:58:05
徳川時代も源氏嫡流は土岐だったみたい。
棟梁は徳川だけれども。
馬鹿にされると判っていて書き込む
>>689の心理がわからない
長崎だ土岐だといってる基地外を相手にするな
692 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:29:20
あくまで徳川は名目上ね。
実質の筆頭はその後も公方と呼ばれた足利氏か。
筆頭厨ウザイ
694 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:07:22
筆頭なんて概念はあったのか?
勝手にいいかげんなものを作るなよ。
695 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 07:47:49
696 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 08:03:09
源氏の嫡流?
佐竹に決まっているだろ!
島津や徳川なんて経歴詐称。
足利や土岐は没落中。
清和源氏の血統の大名は佐竹だけ!
と旧性佐竹(佐竹氏出身)のうちのかみさんが叫んでおりますw
697 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 08:20:12
>>695 ほう。どんな結論が出たのかね、筆頭厨サン?
698 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:04:57
>>697普通に五摂家筆頭っていうじゃん。それよりお前嫡流の意味分かってる?
699 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:12:55
嫡流とは「家督を受け伝えていく家柄」との意味だが、
源実朝の死後誰も家督をついでいない。
よって源氏の嫡流が滅亡したのは明白。
嫡流厨がいくら必死に騒いだ所で無いものは無いのだから仕方がない。
>>698 五摂家筆頭というのはあくまで「五つの摂関家」の筆頭というだけで、
一族の筆頭?を意味するものではない。
老中筆頭や高家筆頭と同じくグループの序列第一位をさす言葉。
仮に源氏の久我が摂家であっても使われるような言葉だ。
>>700お前自身「一族の筆頭」っていってるじゃん。
それにここで嫡流を喚いてる奴らは筆頭の意味で間違って使ってるように見えるが
703 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:41:56
>>698 五摂家筆頭以外に使ってる例を教えてくれ。
>>700が言うように、あくまで
「グループの序列第一位」という意味なんだから。
あと、「源氏筆頭」という言い方をしている
研究者も教えてくれ。
>>699 『尊卑分脈』では義国の項に
「今世相続源氏流正嫡也」
(脇坂氏本などでは「今世相続源氏正嫡流也」)、
足利氏の項に
「今代相続源氏正統此流也」
とある訳だが。
>>701-702 間違って使う奴が愚か。ただそれだけのこと。
つーか、「?」ちゃんとついてるだろ。
広報活動ご苦労さん、筆頭厨君。
源氏筆頭 の検索結果 5 件中 1 - 5 件目 (0.41 秒)
・・・( ´,_ゝ`)プッ
705 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:47:46
既に
>>665で言ってるけど、
近衛家をして「五摂家筆頭」という言い方はしても、
「藤原氏筆頭」と言うか?
筆頭厨ちゃんは、都合の悪い質問はスルーするのな。
2ちゃんを荒らすより、
まずは学術用語として定着させてくれや。
>>700=
>>703 朝っぱらからお勤めご苦労さん、嫡流厨君w
自演はホドホドにねw
バレバレだよw
古いいいかがんな言葉などにとらわれず、そろそろ合理性に目覚めようよw
707 :
703:2005/06/19(日) 10:02:49
は?
勝手に自作自演認定するなよ。
厨の特徴だな。
>古いいいかがんな言葉などにとらわれず
タイプミスする位焦ってるなp
「筆頭」という言葉を、お前以外に使ってる人がいるのか?
>合理性
嫡流という言葉が気に入らないなら、
「正統」という言葉に置き換えてもいいけど?
それから漏れは別に嫡流厨でもなんでもねーよ。
別に源氏嫡流がどこでも良い。
つーか、こいつ、マジで池沼っぽいな。
ひ、筆頭厨錯乱したか??
709 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:07:16
いやそいつは嫡流厨
筆頭という言葉はちゃんと使われている。
>>705 藤原氏筆頭近衛家
・・・普通に使われてますね
藤原氏筆頭近衛家に該当するページが見つかりませんでした。
検索のヒント
- キーワードに誤字・脱字がないか確かめてください。
- 違うキーワードを使ってみてください。
- より一般的な言葉を使ってみてください。
713 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:19:06
ぐぐってようやく分かった。
筆頭厨は
「日本の苗字7000傑」厨だったんだ。
源氏と平氏の子孫スレで暴れてるのも
お前だろ。
>・・・普通に使われてますね
だから例を挙げてくれや。
普通に引っかからないけど。
>>712はどこか別世界に
アクセスしてるのか?
715 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:21:38
どうでもいいが源氏の嫡流っていうのは実朝で滅亡してるよな
っていうかなんでみんな必死なのさ
必死になってるのは君だけだと思われ。
717 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:25:21
718 :
715:2005/06/19(日) 10:27:01
>>716八つ当たりはよしてくれ。
俺は上とは関係ない。
お前もそうだが必死だらけだなw
そうだなw
何で俺たちは必死なんだろう????
720 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:34:37
所詮、実朝死後の源氏嫡流は存在しないと言う事で結論いいのでは?
土岐だ足利だと言い出す馬鹿が出てくるだけ。
そもそもここは源行綱のスレだったと・・・思う。
↑
まあ落ち着け。冷静に推敲してからカキコしろ。
何でおまいはいつもそう必死なんだ?
722 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:45:06
↑正論だと思うがなぜ?推敲してから反論すればいいのに
嫡流も筆頭も存在しないということで終了
724 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:57:03
多田蔵人源行綱は最高だよ。
725 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:09:39
さすがヘタレ経基の子孫だよ
726 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:36:37
鎌倉頼朝
727 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:47:05
ヘタレ経基ーチクリ満仲ー・・・−アホの行綱
まさにサラブレッド、名門の中の名門だね
728 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:12:59
729 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:20:21
730 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 13:11:13
731 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 12:44:50
多田源氏は最高だよ。
732 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 15:24:55
やはり多田だと盛り上がらないねw
733 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 15:46:29
一時は「嫡流」などという無意味な話で盛り上がったけどな。
馬鹿が騒いでただけだな。
734 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:40:46
多田は源氏嫡流ではないよ。
735 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 11:43:11
736 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:22:57
っていうか
それ書いた香具師がここ来て暴れてる。
737 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 16:51:41
そうなのか
例えばこのスレの誰?
738 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:45:44
源氏嫡流は摂津源氏だよ。
土岐氏については分らないが。
739 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 08:27:11
摂津源氏:源家嫡流
河内源氏:武家棟梁
740 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 07:10:11
源(多田)頼綱は頼光の弟の子だと思いますか。
僕、個人的には到底思えないのですが。
もし、そうなら当時から言われていた筈。
どなたか、見解お願いします。
741 :
はげ丸:2005/07/26(火) 10:31:45
源氏嫡流、棟梁は固すぎる簡単に本家、分家と言うのはいかが?
本家は承認をするだけ、分家筆頭が将軍に成るこれが真実、承認=系図売り
さて系図売りの家系は誰!!秀吉は西本願寺、家康は東本願寺、信長の倅は黄金
、さて本家はどこだ、これ謎です坊主は本来世俗の嫡流等に関心をもってはいけないのです
戦国時代が出現します
742 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 10:43:28
743 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 21:32:07
741``すみません和訳いたします 信長未承認 信長倅承認代金黄金45枚約225kg
秀吉費用西本願寺不使用、家康費用東本願寺使用いずれにしても大変な金額ですね
費用は繋がりの低いほうが高い機のでしょうか?? 訳はいかが
最後に未承認のつけは半殺しです
744 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 08:06:11
>741, 743
何が言いたいのか意味不明。
745 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:14:03
言いたいことは、将軍職は分家の仕事、これから出てくることは土岐氏なんて問題外、以上
746 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 13:47:44
土岐氏こそ源氏嫡流なんでしょう?
747 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 21:25:30
でも土岐氏って他の清和源氏の系統からは嫡流と認識されていたのか疑問。
摂津源氏が清和源氏の嫡流だというのは、分からなくもないが
土岐氏自体が自らを清和源氏の嫡流だと主張したことなんてあったのか?
多田神社の清和源氏同族会の中では土岐氏は嫡流だと認識されているんだろうか。
748 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:18:01
自称、他称はわかりませんが本家がどこかの判定は朝廷がされていたようですから
それ以外の家系はほとんど自称なんでしょうね。最初の頼朝自体承認する本家の人間が
当時誰も居ないから分家の俺が成りますとしている(平家物語が宣伝用の媒体)と古来から
言い伝えられているようです(確証はありません)誰かが将軍に立候補すると時の朝廷が本家に
チェックを入れるのが慣習とかこれも確証はありませんが、誰かこの辺に詳しい人居ますか?
749 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 15:21:51
保守。
750 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:28:53
土地を継いだものが嫡流という考え方はないのでしょうか?
摂津多田の地は、行綱追放後、家臣筋の塩川氏が治めるところ
となりましたが、程近い能勢の地黄では、江戸時代の終わり
まで頼国後裔の能勢氏の領地となっています。
戦国期の当主、頼次は、”源頼次”と名乗っていた形跡があり
摂津源氏直系と認められていた可能性があります。
傍証はありませんが。
751 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:55:11
中川清秀はどうなるんですか?
どなたか見解を。
752 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:24:55
753 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 14:25:00
源氏嫡流太田ドーカン
平氏嫡流北条ソーウン
因みに同い年。しかしまさかまさかの大河落選
754 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:19:58
age
755 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:58:45
厨
756 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:13:14
でも、太田氏は多田支流を仮冒と書かれていたりしますが
これってどうなの?
757 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 16:03:06
age
源氏嫡流は摂津源氏でいいの?
759 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 01:06:11
いいも何も、実際そうでしょう。
でも、清和源氏の主流は河内源氏です。
760 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 01:11:30
埼玉県鴻巣市箕田
渡辺姓は東北に多いのです
自称源氏で三つ星紋
762 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 22:21:46
>>760 鴻巣には源の誰かさんすんでいた館跡があります
箕田じゃなかったと思いますが
ちなみに鴻巣高校の横に館跡があります
ちなみに私の母校でありますハイ
763 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:08:33
age
764 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 02:55:56
源氏嫡流は多田氏なの?
765 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 03:04:22
源氏嫡流は源氏だよ
太田土管
北条運送
767 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 09:21:39
age
こんなカス・スレを上げる馬鹿がいるとはww
769 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 13:24:12
源氏の中では、清和源氏が圧倒的に有名。
しかし、中央での栄達は無い。
中央のエリート
嵯峨源氏、宇多源氏、村上源氏にその主流の地位は
明け渡したと考えるべき。
770 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 10:24:29
清和源氏嫡流の土岐氏について教えて下さい。
土岐氏の当主は現存していますか。
771 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 16:33:05
772 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 13:43:07
土岐氏きは、清和源氏嫡流だった摂津源氏の一族で、摂津源氏嫡流だが、
土岐氏が摂津源氏嫡流になった時点で、摂津源氏が清和源氏の嫡流足りえたかどうかだな。
773 :
日本@名無史さん:
>770
確か、徳川旗本になった土岐家は江戸中期に断絶したのでは..