746 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:43:36
戦後の共産主義者の陰謀だ
>>743 >神武の兄・稲飯命は半島に渡り新羅王になったというが、
神武元年は新羅建国以降じゃね?
>>748 いわゆる「新羅」というのは、学問的にはAD377年が史料上の初出であり、
この頃から一つの国としてのまとまりをもったと考えられている。
しかしそれ以前にも辰韓十二国の盟主としての「斯蘆国」としては
存在しており、三国史記の新羅本紀の伝える伝説上の建国=BC57年も
一概に否定すべきではない。実際には真番郡が廃止されたBC82年が
新羅(というか当時は斯蘆国)の独立の年なのであって、BC57年は
朴氏王朝の初代が即位した年ということであろう。
BC108年からBC82年までは漢帝国の領土だった時期であり、
それ以前には真番の真と番に訳された2大勢力が存在したらしき痕跡が
あるだけで詳細はわからない。しかしその中国人によって真と番に漢訳
された2大勢力なるものが後世でいうシラキ(斯蘆=辰韓)とハヘ(半跛=弁韓)
に相当することは容易に想像できるであろう。
つまりBC108年以前に、すでにシラキないしシラないしそれらに近い国名
をもった勢力は存在したのである。これを、BC57年に建国したいわゆる新羅と
区別して「古シラギ王朝」または「先シラギ国」と呼びたいと思う。
スサノオが渡ったという新羅、神武の兄・稲飯命が王になったという新羅、
天之日矛が弟に王位を譲ったという新羅は、この先行シラギのことであり、
上古の倭人が半島そのものをさす地名として最初に使った固有名詞でもあったのであろう。
う〜ん香ばしい
まぁ神武が実在とかほざいてるスレだからそりゃ香ばしいだろ。
まぁ神武が架空とかほざいてるレスだからそりゃ香ばしいだろ。
753 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:38:04
2倍暦なくば、実在をいえないとは困りものだ
2倍暦なんてなくても実在はいえるだろ。
755 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:00:29
二倍暦どころか、3倍暦、4倍暦ぐらいで補正して丁度良いぐらいだな
756 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:41:08
>>749 賛同。調べれば調べるほど、そうとしか思えなくなってきた。
倭人とそれ以外の境界線が、時代とともに南下してゆき、
最終的には現在のラインになったと考えても不思議ではない。
>>755 あのね・・・40代や50代で死んでる天皇もいるのに
そんなことしたら矛盾百出して支離滅裂になるよ。
シラギ-真-斯蘆-新羅
委奴-倭面土-邪馬台国-大和
委奴も倭面土もどっちも奴国=灘県(なのあがた)=那津屯倉=今の博多だろう。
邪馬台国=大和とは別の場所。
>>750 具体的な反論もできずに1行レスでレッテル貼りしくやつの方が
別の意味で香ばしいよ。
史記正義(唐代の注釈)に真番二国とあるが、真も番も中国人が中国風に一字表現
にしただけで何らかの現地語を写したものだろう。
80年代からは真番とは三世紀の「弁辰」(つまり辰韓と弁辰)のこととする説がでている。
さらに最近では、辰韓は斯蘆国(後の新羅=しらき)を中心とする韓、
弁韓は半跛国(後の大加羅=伴跛=はへ)を中心とする韓の意味だという説がでている。
そして日本書紀が「新羅」を「しらき」と読んだり「伴跛」を「はへ」と読んだりしてる
のは古訓に従ったもので古い地名を残したものだろう。
ということは結局、「真番」とは「しらき・はへ」の併称ということになるのではないか。
これのどこが香ばしいってのか?
760 :
鴨禰宜:2005/04/11(月) 07:53:12
筑前のことをシロヒワケといったが、シラギというのはシロヒワケの一部という意味では
なかろうか。
762 :
鴨禰宜:2005/04/11(月) 08:19:34
対馬、すなわち縄文時代からの日本、に近いから交易の関係で日本人、つうか、
縄文人の子孫が滞在するところといった意味でシロヒ>シロとなったということもあり
えるんじゃないかな。逆ということは朝鮮族は海洋性民族ではないことからちょっと
考えにくい。
763 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 11:24:17
朝鮮沿岸や南部、サイシュウ島などは海洋民族では?
764 :
鴨禰宜:2005/04/11(月) 12:12:19
鳥越憲三郎「古代朝鮮と倭族」に詳しく説明されている。
韓系の国には羅が付く
白日別のシロ
末盧のラ
クダラ
シラギのラギ
葛城のラギ
766 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 18:11:44
>>765そもそもジンム(神武)って発音も北方系だしな
767 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 21:33:19
>765
∞÷2=∞だろ。
n/2でn→∞に収束させるとn/2全体も∞に収束するじゃん。
つまり半永久も永久も同じ。
769 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:05:31
古文書に奇妙な年齢記録がある→2倍暦、あるいは不正確と知りつつ記述、
の2つの可能性があるんですよね?どちらがより真実に近いと云うには、
どのような要件が必要なんでしょうか。それぞれのご意見を伺いたいです。
換算しなおす知恵がなかったんだろ
773 :
↑:2005/04/12(火) 02:03:23
傀儡偽装スレ
お前は何がいいたいんだ? 単に神武実在説が気に入らないから荒らしたいわけか。
775 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:50:22
神武らしきのはいたけど神武はいなかっただろう
2倍暦は電波
当然神武のモデルはいたろう。複数の人間かもしれんが・・
2倍だの3倍だのという発想自体、古代的でない
じゃ、古代的な発想って何だYOw
778 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 00:54:35
國學院資料室でヤバイのが閲覧できます。背筋が凍りました。
779 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:14:29
>>778 何を見たの?教えて。
鮫の絵の装飾の鎧をつけた神武天皇の写真でもあるのかな?
ちなみに私は神武天皇に当たる人物は実在したと思います。
>>775-776 モデルといっても、二通りの意味がある。
甲)カムヤマトイワレヒコという名ではなかったが、
似たような経歴をもつ人物が、神武天皇がいたと推定される時代にいた。
乙)神武天皇は、後世の人物(崇神天皇とか天武天皇とか)をモデルに
して創作した虚像。
甲の場合は、神武は虚像ではなく実像に該当する実在Xの痕跡ということになる。
これはしかし、それは記紀の伝承の影に正確な本来の神武天皇が実在したという説
であり、結局のところ神武実在説と五十歩百歩だろう。
乙の場合は、70年代風のありふれた神武架空説でいまさらなんだもないが。
782 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:14:03
立太子の年齢=生年
これだ!!!!!
783 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:18:25
神武天皇陵ってホントは畝傍山そのものだろ
発掘調査した方が良いよ
大和三山の残り2つも陵墓だぜ
784 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 18:07:55
大阪市、厚遇調査委に市民派弁護士、人選も一任
大阪市は12日、カラ残業の原因や、公金304億円を投じたヤミ年金・退職金制度の導入の経緯を解明する特別調査委員会の責任者に、市民グループ「見張り番」代表世話人の辻公雄弁護士を起用すると発表した。
市が行政監視団体に協力を求めるのは異例。同委員会は外部委員主体の独立組織とし、人選や調査手法などは辻弁護士に一任する。
辻弁護士は「見張り番」がヤミ手当の返還を求めて大阪地裁に提訴し、市が1998年に「不適切、不透明な給与・手当は支給しない」として和解した住民訴訟の原告側代理人で、
市の議員接待が問題化した89年の公費乱脈事件以来、公金の使途を追及してきた。
外部の有識者らでつくる福利厚生制度等改革委員会(委員長・大平光代助役)は今月1日、カラ残業やヤミ年金・退職金が98年の和解以降も続いてきたと批判し、調査委の設置を提言。
大平助役は12日、会見で「カラ残業もヤミ年金・退職金も根は同じ。(和解)当時の代理人の辻弁護士に調査を任せる」と述べた。
辻弁護士は「(他の委員は)当時の弁護団を中心に見張り番や市民オンブズマンの公認会計士などを検討したい」としている。
一方、改革委は12日、外郭団体の福利厚生事業の見直しにも着手した。5月中に改善策をまとめる。
785 :
太:2005/04/13(水) 19:29:52
>>781 そうすると。平城天皇は後世の人物なる平成天皇をモデルにして創作した虚像なのか?
786 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 22:04:00
>783
邪馬台国の会のホームページに神武天皇陵の詳細がのってるよ。
それから2倍暦の解釈の仕方もね。ちょっとこじつけっぽいところもあるし、
真偽はともかく結構分かりやすい。
漏れも天照大神=卑弥呼説信じてるけど、一般にはオカルト、電波扱いだろなあ。
アマテラスの五代あとの神武天皇の時代からで現在皇紀2660年と言うのはちょっと無理で、実際は大体皇紀1800~1900年くらいのもんだと思う。
>皇紀1800~1900年くらい
「天照大神=卑弥呼説」から、この結論が導かれる過程が分からん。
>>781 丙)神武天皇だけでなく祟神天皇、四道将軍、建埴安彦も、
後世の人物をモデルに して創作した虚像。
祟神は信長の焼き写しで四道将軍は
北陸:柴田=大彦
山陰:明智=丹波道主
山陽:秀吉=吉備津彦
東海:滝川=武淳川別なのは明らか
柴田→鬼柴田→おにひこ(いろはで、「に」の次は「ほ」)→おほひこ→大彦
明智→ミンチ(音読み)→ミチ→道+明智といえば丹波→丹波道主
秀吉→サル→桃太郎のサル(前田→犬千代→イヌ、丹羽→にわ鳥→キジ?)→吉備津彦
滝川→たきがわ→たけかわ(武川)→たけぬなかわ→武淳川別
徳川家康→建埴安彦
徳:TOKU
母音を一つずらす(A→I→U→E→O→A)
健:TAKE
建=徳川
『いへ』やす=《はに》やす
『い』ろ《はに》ほ『へ』 『いへ』→《はに》
埴安=家康
本能寺の変=建埴安彦の乱
本能寺の変の首謀者は徳川家康であることも分かる
>>788 それは過去スレの傑作レスのコピペですな。
70年代に流行した反映論(おもな主導者は直木とか井上とか水野とか
あのへんの戦後古代史学を引っ張ってた大家・巨匠の方々)は
神武天皇の事績をばらばらにして「ここは天武の事績、このへんは斉明の
事績、どこらは誰それの事績・・・」と分解してそれらを切り貼りして
作った虚像だといったもんだ。
「でもそんなに分解して切り貼りしたら歴史上のほとんどの人間は作れ
てしまうだろ」といったのが鯨清。(70年代の実在派のひとり)
おかしなことに同時期に架空説では「神武は軍事、崇神は内政のことしか
出てこないからこれは一人の天皇の事績を二つにわけたんだろう」などといっていた。
事績が似てても架空の証拠、事績が違ってても架空の証拠。
やはり60年代や70年代の「左翼にあらずんば人にあらず」の時代の空気が
すべてを狂わせていたとしか思えないね。
790 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 17:30:01
神武は架空だな
似たような奴はいただろうが
791 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:09:40
神武架空説は架空だな。妄想が根拠。
792 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:49:21
天孫降臨した場所が日向の高千穂だとしたら、
天皇家の祖先=隼人系なんでしょうか?
魏志倭人伝にもあるように邪馬台国の人達は
刺青をするという記述からも南方系の民族なんでしょうか?
それとも一部の人が言うように半島から(北方から)
渡来したんでしょうか?
古墳が似ているとか、壁画が似ているといっても
それは朝鮮南部限定(旧百済地域)限定であって
源流というのは違うと思いますが。
793 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:49:43
>>792 シュメール人が発祥の一族でペルシャの滅亡などの動乱期にメソポタミヤ地方を船で去り、
インド・マレー半島沿岸を数百年かけて移動、
その間にインド・東南アジア・南方系の技術民を配下に入れ自らも混血して行った。
紀元前50年ころ華南地方に到達し内陸経由の文化と再合流したが再び東に移動、
紀元前後には南九州を経て倭族の居住していた九州北部に進出遠賀川流域に定着した。
この集団は鉄器文化とくに優れた刀剣技術をもち、
配下に造船・機織・工芸など技術系従属民を含む2000名ほどの一団で、
各地で文化的指導者となりながら東に移動して来た。
弥生後期ふたたび移動が開始される、
その中の500名弱が北九州を去り福井の敦賀湾付近に上陸、
日出る方角に美味し土地ありとて大和を目指した。
率いたのは長老達だが血統的中心人物はまだ幼いトヨという少女であり、
十三歳頃になって巫女的統治者となった。
後にアマテラスと呼ばれたリーダーであり、
その甥が「ハツクニシラス」と謚された崇神である。
795 :
日本@名無史さん:
アマテラスなんて国粋主義の読みであり、後世勝手にデタラメに読んだもの。
現地ではアマテル。
ハツクニシラスとは、新領地を統治するの意。最もハツクニシラしたのは継体。