戦前の教育事情

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1日本@名無史さん
主に第一次世界大戦開始〜日中戦争開戦前。
2日本@名無史さん:05/01/03 23:23:56
2
3日本@名無史さん:05/01/04 19:19:01
何を明らかにしたいのか、サパーリわからん。
4日本@名無史さん:05/01/05 00:04:10
嫌な事でも無理やりやらせる教育
5日本@名無史さん:05/01/05 00:19:30
>>4
教育とはそういうものだよ。個人の好き嫌いなどは問題にならない。
だから勉強と言う。
6日本@名無史さん:05/01/05 00:27:47
後進国はいまだにやってるからね。
7日本@名無史さん:05/01/05 17:27:02
少なくとも、国民学校令が出るまでは、今の教育よりもましだったろうな。
8日本@名無史さん:05/01/17 05:46:06
おらが10年ちょい前までは教育勅語的な名残あったよ。男子皆坊主、女子髪肩上まで。ありゃひどいもんだね。地方にはまだそんなとこありまっせ。
朝から晩まで学校に缶詰め下校してダチと楽しく遊んだ記憶ないね。
ありゃ情操教育にはよくない。
9日本@名無史さん:05/01/17 05:47:31
それに多感な時期だしその後の生き方に少なからず悪影響でるね
そんなおらは失った10代取り戻したいね。
10日本@名無史さん:05/01/18 01:24:04
日本の教育は糞!
11日本@名無史さん:05/01/18 12:31:31
 教育勅語の渙発によつてわが国教学の大本は定められたのであるが、
明治五年の「学制」の精神(欧米の個人主義、功利主義的な実学主義)に
基づいて整備された国民教育の制度、内容は依然として根本的に
刷新されないばかりでなく、寧ろ明治末期より大正時代にかけては、
自由教育の名のもとに、わが教育界に欧米の個人主義、
自由主義的教育論が相次いで紹介され、わが国の教学は著るしく弛緩するに至つた。
 この弛緩に乗じて欧米、ソ聯の巧妙な思想戦が教育界に試みられ、
その結果國體を忘却して共産主義に走り、デモクラシーに心酔する多くの
学生を輩出するに至つたのである。
12日本@名無史さん:05/03/14 21:15:54
黒柳徹子が行ってたみたいな、フリースクールみたいな学校もあったんでそ?
13日本@名無史さん:05/03/14 22:19:49
>>8=>>9
俺の時代も坊主だったけど、楽しい10代だったぜ。
14日本@名無史さん:2005/04/13(水) 08:29:36
今でもアレなのに太平洋戦争前のアジアの学校なんてそりゃ凄い状態だったんだろうな。
やっぱり勉強や体育なんかで下手な成績出すと思いっきり殴られたりするのは普通だったの?
15日本@名無史さん:2005/04/27(水) 17:34:09
 すでに十年前のことであるが、バートランド・ラッセルはその『教育論』〔一九二六年〕の中で、日本の教育を批評して次のやうに云つた。
 神道は大学教授によつてすら問題にされることができず、日本における神学的専制である。
 そこにはまた同様の倫理的専制が存在し、国家主義、孝道等の如きは、疑ひを挟むことが許されず、従つて多くの種類の進歩が殆ど不可能にされてゐる。
 「この種の鋳型主義の大きな危険は、それが進歩の唯一の手段として革命を喚び起すかも知れないといふことである。
 この危険は、たとひ即刻ではなくとも、現実的であり、そして広く教育制度によつて招来されてゐる。」
 ラッセルによると、嘗てエズイタ派は近代日本と同様に、教育を制度−この場合にはカソリック教会−の安寧に従属させるといふ誤謬を犯した。
 エズイタ派の教育はその結果によつて批判された。
 反宗教改革、フランスにおける新教の失墜は大部分エズイタ派の努力によるものである。
 このやうな目的を達するために、彼等は藝術をセンチメンタルにし、思想を皮相的にし、道徳をルーズにした。
 彼等が作り出した諸弊害を払拭するために、結局において、フランス革命が必要であつた。
16日本@名無史さん:2005/05/12(木) 08:02:00
珍説出してごまかすな
明治維新の成功が教育の成功に負うことは、世界が認めるところである
17日本@名無史さん:2005/05/12(木) 11:37:59
 目下国民学校教職員はその職責の重大なるに比して、その待遇は甚
だ軽きに失してゐると考へますが、それに向つては国家が将来これを
適正ならしめるに努むべきことは勿論でありますが、それと同時にこ
の重大なる職務に携はる国民学校教職員に対し、児童の父兄はもちろ
ん、国民一般は十分の信頼と尊敬を払はなければならない。例へば制
度の上からは高位高官のものであつても、その官位は別として、教育
者の聖業に対して十分なる尊敬を払ふ意味に於いて国民学校教職員
に対して決して自己の配下にある小役人に過ぎないといふやうな態度
を以てこれに接するが如きことは、この際全然改められなければな
らないと考へます。もちろんこれに対して国民学校の職員諸君も、そ
の尊敬に値するだけの襟度と自重がなければならないことは、いふま
でもないことであります。
18日本@名無史さん:2005/05/12(木) 11:41:56
 抑々我が邦の教育は、教育に関する 勅語の奉戴を根本とすること
は云ふまでもなく明らかなことであるにもかかはりませず、誠に遺憾
なことではありますが、この本旨はいまに至るまで決して透徹してゐ
るとは云ひ難いのであります。その理由は多々数へ挙げることができ
ませうが、先づ考へられることは、学校教育が抽象的概念的な知識の
授受注入を主としまして、真にこれを実践に於いて体得せしめること
が、忽にされたことであります。
 これは従来、これも時勢の上から已むを得なかつたことではありま
すが、政治の主流が欧米文化輸入に向けられましたが為めに、ややも
すれば我が邦の國體の本義、伝統の本質、文化の特質を顧みることを
怠り勝ちになつたのと、同時に欧米文化輸入に急であつたため、模倣
に堕して自主的な創造精神が没却され勝ちになり、他人の創造した、
または他人の獲得してゐる知能をそのまま受取ることが学問すること
であると考へ誤られた結果でありまして、これが為めに、凡てのもの
ごとを観念的に取扱ふ傾向が生じまして、甚だ畏れ多いことでありま
すが、教育に関する 勅語の奉戴を口にしながら、往々単なる儀礼的
形式を充たすに過ぎないやうに見られるやうな状態さへも醸してゐる
のであります。


国民学校制度実施に際して   文部大臣 橋田邦彦 ’41.3.31
19日本@名無史さん:2005/05/12(木) 12:17:01
>>12
小学校で落ちこぼれ、友達もできず、黒柳徹子は現代の子供だったら
間違いなく引きこもりとなっていただろう。
しかし明治憲法下にあった国民学校は、その生い立ちからして
武士のエリート教育機関である「藩校」ではなく、
庶民の自発的な「寺子屋」に基礎を置く。
つまり、明治憲法下では今より自由な教育制度が認められていたのだ。
黒柳哲子は自由な校風の「電車の学校」ことトモエ学園に入ることにより救われた。

ここで考えさせられるのは「大日本帝国憲法」ってそんなに悪い憲法だったの?ということ。
明治憲法の方針「国是三則」には、
1.国家安全保障の確立 
2.国家主義の尊厳 
3.積極的国際貢献の思想

これに対峙する「昭和憲法」の基本原則
1.国民主権
2.基本的人権の尊重
3.平和主義

明治憲法下で自由な教育が認められていたのは「国家主権の尊厳」と何の矛盾もない。
「国家主権」なんていうと、戦後教育を受けたおれたちにはとんでもないようにうつるが、
これは国民の信仰、教育、歴史観、習俗、市民的諸権利等を
国家として国民に保証することであって、また国民は国家に貢献する義務を負うものである。
同時に、内政問題に対して外国の干渉を許さない姿勢をいう。

そして近年、靖国参拝や尖閣諸島問題などでの外国の内政干渉が問題になっているが、
日本政府として外国に毅然たる態度が取れないのは、昭和憲法の欠陥ではないのか。
20日本@名無史さん:2005/05/12(木) 13:29:13
兵役の義務がある時点でクソ憲法>大日本帝国憲法
21日本@名無史さん:2005/05/12(木) 14:52:43
地味に熱い教育史
22日本@名無史さん:2005/05/12(木) 17:10:56
日本人の母から大切な事を学んだ…マレーシア首相夫人
(読売新聞 於クアラルンプール 花田吉雄)

マレーシアのアブドラ・バダウィ首相夫人エンドンさん(64)はファーストレディーとして、
海外に国の伝統文化を紹介しながら、国民には家族の大切さを訴えている。こうした活動の
原点には日本人の母親の存在がある。
 エンドンさんは中国系とマレー系の混血女性が着てゐた伝統衣装「ニョニャ・ケバヤ」を
好んで着る。透き通るような薄手の布に繊細な刺しゅうを施したブラウスだ。最近では着る人
が少くなり、資料としても400点を収集した。好きなだけではない。首相夫人として伝統衣装
の復活と伝統産業の振興に意欲を燃やし、国内外で展覧会やファッションショーを開き、自ら
“広告塔”となって飛び回る。
「母がケバヤを好んでいたんです。日本の着物や帯も含め、アジアの伝統衣装に興味を持つ
ようになったのは、母の影響が大きいんです」 エンドンさんは穏やかな口調で話した。
マレー人に嫁いだ母は、家族にはマレー語と英語で接した。だがエンドンさんは「母は
常に夫に尽す女性で、伝統的な日本の専業主婦でした」と言ふ。娘は「結婚したら家庭円満
に、旦那さんの面倒をしっかり見るやうに」と教へられた。
23日本@名無史さん:2005/05/12(木) 17:56:53
日本の教育は伝統を否定するところから始まったような気がする。
24日本@名無史さん:2005/05/12(木) 22:43:49
>>20

クソ憲法かどうかは議論があろうが、当時は徴兵制が
一般的だったのでは?

アメリカは戦争に突入してから徴兵制を復活させたらしいけど。
25日本@名無史さん:2005/05/12(木) 22:44:22
>>20
それは兵隊に行くのが嫌だから「明治憲法は糞」だの言ってるだけだろ。
お前のように権利ばかりを主張し、義務を負いたがらない国民が増えると、国がだめになる。
ローマ帝国が滅んだのもそうだ。
26日本@名無史さん:2005/05/12(木) 23:03:56
ところで、戦前のエリート教育って国民に利益のあるものだったん
でしょうか?

旧制高校や陸軍士官学校、海軍兵学校は
エリート教育していたことで有名ですし、今でも保守派文化人の
中には旧制高校復活論を唱えている人がいますが、
本当にそれが国民にとって利益があるのか懐疑的に
思っているんですが・・・。
27日本@名無史さん:2005/05/12(木) 23:19:13
>>26
瀬島龍三翁に聴いてミソ。
28日本@名無史さん:2005/05/13(金) 07:09:03
歴代天皇の名前を暗記する教育
29日本@名無史さん:2005/05/13(金) 08:23:29
 エンドンさんは1965年、職場の同僚で当時高級官僚だったアブドラ首相と結婚。母の教へ
通り主婦として夫を支へ、2人の子を育てた。鴛鴦夫婦として有名だ。首相夫人としても、
マレー語で「愛と労り」を意味する基金を創設。女性の地位向上、子供への虐待問題に先頭に
立って取組む。「家族のきずなはすべての原点」という思いからだ。
 マハティール前首相は日本を手本にしたルック・イースト政策を推進した。当時内閣官房
長官だった アブドラ首相はよくこんな冗談を言ってゐたといふ。「私はずっと昔から、東を
見ることには慣れてゐた」
 母親の名をたずねると、エンドンさんは「マリアム・アブドラ」と答え、付け加えた。
「日本名は、キミエ」
 マリアムさん、日本名「小畑きみえ」さんは81歳になる今、クアラルンプール市内で
子供や孫たちに囲まれ元気に暮してゐた。笑顔を絶さぬ控えめな姿は「日本のお母さん」
といった感じだ。日本語を交えながら英語で話す。
 エンドンさんが「伝統的な日本の主婦」と評したと聞くと「日本人の両親の元で育った
からあたりまえですよ」と笑顔を見せた。父は寡黙で男らしく、母は夫を立て子供の躾に
厳しい主婦だったという。
 両親は長崎県島原の出身。父、小畑乙三さんは、二十歳のときに妻と共に英領マレーに
渡った。マリアムさんは渡航の船上で生れた。戦前、クアラルンプール郊外の港町で陶器
販売業と写真館を営んでゐた一家は戦後も同国に滞り、マリアムさんは地元の修道院付属
学校で英語教育を受けた。16歳でマレー人の鉱山技師と結婚、11人の子供をもうけた。そ
のうちの1人がエンドンさんだ。
 娘に付ては「私は幸せ。娘が家族を大事にし、弱者に手を差伸る活動をしてゐることに
誇りをもってゐます」と話す。ただ首相夫人になってからは、なかなか会ふ時間が無くて
残念といふ。
30日本@名無史さん:2005/05/13(金) 23:43:52
戦前の教育制度なら俺も大卒になれた筈なのに
31日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:06:45
>>15
ラッセルは論理学の分野ではそこそこの実績があるが、それ以外はすべてクソだからな。
私生活も滅茶苦茶だし。
32日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:08:49
>>20
徴兵の有るなしなんて結局地政学的状況で左右される。
当時徴兵制がなかったのは、島国の英米ぐらいだろ。
大陸に派兵する必要がない今の日本には徴兵制がないけど、
韓国人がその重荷をかぶっていると言える。
33日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:12:11
楽しい徴兵
いやなら止めろ朝鮮人
34日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:58:33
>>25
納税と勤労の義務を果たしてから言えやハゲ
35日本@名無史さん:2005/05/14(土) 10:42:09
>>25
まったく寄生虫のくせに義務義務と生意気なw
36日本@名無史さん:2005/05/14(土) 10:44:56
「学校」みたいに夜間中学通えば大丈夫い
37日本@名無史さん:2005/05/14(土) 13:17:06
先生が鞭を生徒に振りかざしていました
38日本@名無史さん:2005/05/14(土) 13:26:21
今もエゲレスとかでは鞭打ってるよな
39日本@名無史さん:2005/05/14(土) 21:08:38
>>19
それは昭和憲法というかコンスティチューションとか言ったほうが
いいのかもしれないです。原文にはWe,the Japanese People・・・とか
仰々しく書かれてますね。国民と書いていないので国民主権云々は
(国民主権概念自体の空疎さ不毛さはともかく)本来そこには成立し得ない
はずです。
アメリカ憲法にはWe,People of the United Statesと書いていてやはり国民
とはっきりは書いてないが ofが入っていることで微妙に国民(合州国保有
の人民)というニュアンスは出していると思う。しかしJapanese People
ではJapanとPeopleとの間に何のつながりもなく、ただ日本にいる人々
となってしまいます。

そんな歪んだ有様でもなんとかやってこれたのも、帝国憲法在ってこそ。
40日本@名無史さん:2005/05/14(土) 21:21:38
まあ初期アメリカの場合はイギリスやドイツなど他国からワケあって
移民した人が多かったから祖先の国を敬ってもいいがアメリカ国家
に忠誠を誓うべしという事情でアメリカ保有のピープルとしたのだろう。
41日本@名無史さん:2005/05/15(日) 02:54:19
日本国の憲法である以上、日本語の条文が原文であるのに決まっているのに、
草稿に過ぎない英文から、しかもさっぱり意味不明な解釈で国民主権が成立し得ないと決めつける

アメリカ憲法である以上、英文の条文が原文であるのに決まっているのに、
people of the United Statesを勝手に和訳した「合衆国の人民」を前提にしているとしか
思えない意味不明な解釈
people of the United Statesをpeople owned by the United States と解釈するのはかなり特殊
ネイティブの感覚ならまずはpeople belonging to the United Statesに感じるはずだが
people belonging to the United Statesに合衆国が保有するというニュアンスはほとんどない

よくそんな歪んだ有様で今まで生きてきたな
42日本@名無史さん:2005/05/15(日) 10:30:52
教育論がいつのまにか憲法論になっているが、当然のことなのかな?
それとも憲法スレがないからか?
43日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:37:37
戦前の教育制度の面白いところは、複線式を取りながら、抜け道や裏技が多いところだと思う。
44日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:52:35
戦前だったら、おまいらは大学どころか中学校にも行けない。
45日本@名無史さん:2005/05/15(日) 18:13:56
大正初期、旧制中学出て銀行に勤める人の家ってどんな家庭が多かったの?
46日本@名無史さん:2005/05/15(日) 18:17:20
商家の子供は商業学校の方が多い。
中学は勤め人の子供か地主の子供じゃないかな。
47日本@名無史さん:2005/05/15(日) 18:32:26
>>46
そうか・・・。
でも、その親は地方の材木商人で、弟の方は某関西系財閥の家に婿入りしていて、
地方の家の子がどうして裕福な家の娘と結婚できたんかな・・・?!
48日本@名無史さん:2005/05/16(月) 09:03:28
金持ちの地位が低かった
49日本@名無史さん:2005/05/16(月) 20:34:10
United Statesを合衆国と漢訳したのはchina人でしょう。
United Nationsを連合国と訳するのはまあ合ってるだろうがその要領で連合州とか連邦
と訳してみればネイティブの感覚に近くなるかもしれない。
50日本@名無史さん:2005/05/16(月) 23:40:13
>>49
誤爆?
51日本@名無史さん:2005/05/17(火) 17:30:19
農家の次男坊以下も商業学校に無理をして入学させている例も多いのでは?
52日本@名無史さん:2005/05/18(水) 00:06:47
高等小学校に入ることさえままならない昭和初期の農村部に於いて,
実質的に中等教育を担っていたの郷土聯隊と海兵団.
一兵卒からの入営,入団でも,本人の希望と努力次第では今の高専,
大学(除E・Fランク)以上の教育を受けることが出来た.

また,中産階級クラスに最高レベルの中・高等教育を施したのは江田
島の兵学校.これも卒後本人の適性次第では帝大に派遣されて,博
士号を取っている.

旧制中学への進学率が10%台,高等学校への進学できるなんて,プ
チブル以上という戦前社会に於いて,軍が教育機関として高く機能して
いたことは評価されるべきと思う.
53日本@名無史さん:2005/05/18(水) 00:33:48
>>52

師範学校はどうだったの?
本当に貧しくて軍学校へも行けなかった人にとって、唯一といって
良いほどの立身出世の手段だったと聞いたことがあるけど・・・。

当時の教師は今と違って、社会的にも尊敬される職業だったらしいし・・・。
54日本@名無史さん:2005/05/18(水) 01:23:29
>>53
そのとおりだと思うよ。師範学校は学費いらなかったからね。
ただ生徒は必ずしも貧乏人ではなく地元の名望家の子弟が中心だったと思う。

戦前の学校だと夜学も無視できない存在だね。
働きながら学んで官吏の試験にパスして立身出世するってのが大正時代あたりから
現実味を帯びてきた。でも実際に成功するのは難しかったけどね。

55日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:07:13
師範学校は自弁生と官費生がいましたが大正期以降は概ね自弁生の方が多くなります。
だから、最後まで、検定合格組のほうが多数派だったのです。
56日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:08:11
ちなみに教員の俸給は激安なので転職する人も多かったです。
57日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:10:54
軍隊の教育も重要でしょうが、軍隊で金を貯めたり(衣食住が無料なので10年ぐらいで
そこそこは貯まったようです)恩給を担保にして事業を始めたり進学をした人も結構いたようです。
58日本@名無史さん:2005/05/18(水) 17:10:41
>>37
それは偏見なんじゃない?当時の人の回顧録で軍に入って「学校と違って上官が人を殴るのに驚いた」
とかそんな描写あったし。
ただ人によってはそんなところもあったかもしれないが。
今と違って底辺DQN高校なんて無いんだろうね(当時は中学か)
59日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:21:31
>働きながら学んで官吏の試験にパスして立身出世するってのが大正時代あたりから

僕の祖父(明治34年生まれ)がまさにそれですわ。

貧しい商店の倅で、小学校卒で、給仕だか傭人だかで
郡役所に勤めました。

そしたら役所の上の人に目をかけられて、働きながら勉
強させて貰って、途中の学校(高小,中学)すっとばして
明治大学専門部(学士様になれなかったのは惜しかった)
に行かせて貰えたんだって。

卒業後は高等官に任官。
皇紀2600年式典で仁丹服姿の写真が残っています。

身内を自慢するようで気が引けるけど、寸暇を惜しんで
勉強したんだろうなあ、偉かったなあと尊敬する祖父です。
60日本@名無史さん:2005/05/19(木) 11:52:32
>>41
>people belonging to the United States
belong toの意味 は to be the property of 。
property  は something to be owned 所有されるところのものWで
possession 所有物ということ。
the people belonging to the United States アメリカの所有する人民ということになる。

あなたはたぶん to be a member of とかいいたかったんだろうが
memberはclubのごとき特権・限定階級の会員として使うのが普通で
(日本におけるクラブの用法とはまったく違う)、国家構成者としての
国民全般としては使わないだろう。
61日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:15:12
>>60
読み方も分からずに辞書を引用してでたらめ講釈か
さすが歪んでるな

Oxford Advanced Learner's Dictionary

belong to sb
1. to be owned by sb
2. an event, a competition, etc.

belong to sth
1. to be a member of a club, an organization, etc
2. to be part of a particular group type, or system
62日本@名無史さん:2005/05/20(金) 14:42:31
ここは、語学のスレですか?
63日本@名無史さん:2005/05/21(土) 06:06:13
なんでsthをサムシングとか書こうとしないのかなあ。。。




明治の大学生は今の大学生より英語ができたらしい。
64日本@名無史さん:2005/05/21(土) 08:53:45
そりゃ
明治時代の大学生 > 今の博士課程
だもん。
65日本@名無史さん:2005/05/21(土) 12:07:25
>>63
sbやsthは文字変数だからな
something とか書いたら熟語と区別が難しくなることがある
66日本@名無史さん:2005/05/21(土) 12:54:30
ようするに、おれら戦後の世代にとっての、戦前の教育の様子は
日教組教師によって伏せられていないかって事だ。
67日本@名無史さん:2005/05/21(土) 16:03:06
外国語は低学歴者の憧れ
68日本@名無史さん:2005/05/21(土) 17:30:10
http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm
昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕※参考
 全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
 特に受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、
禁止されている家庭教師料名目などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
 東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。
父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。
69日本@名無史さん:2005/05/21(土) 17:43:36
昭和初期頃の少年小説、たとえば『ああ玉杯に花うけて』(佐藤紅緑)
などを読むと当時の中学校生活の様子が分かるが本質的に今と変わらん。
弱い物いじめをする奴、ずる賢くカンニングをする奴、女をナンパする奴、
色々出てくる。
ただ、昔は不良な奴は退学処分になって淘汰されてたのが今の中学校とは違う。
70日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:37:05
>>69
むしろ今の高校と比べるべきでは?
71日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:11:30
ま、当時義務教育は小学校6年だけだったし
72日本@名無史さん:2005/05/22(日) 20:06:13
水木しげるの『コミック昭和史』をみると当時の学校の雰囲気が
よくわかるね
73日本@名無史さん:2005/05/23(月) 01:20:25
漫画でお勉強、ねw
74日本@名無史さん:2005/05/23(月) 01:55:56
おいおい、歴史の生き証人が描いてるんだぞ>水木しげる

歴史の証拠は文章だけじゃない。
75日本@名無史さん:2005/05/23(月) 08:07:46
>>66
自分でいくらでも調べられると思いますが?
76日本@名無史さん:2005/05/23(月) 08:41:08
今度は絵本でお勉強、ねw
77日本@名無史さん:2005/05/24(火) 17:55:29
のらくろなんかも面白い。
78日本@名無史さん:2005/05/24(火) 23:40:07
ウォーリーをさがせ
79日本@名無史さん:2005/05/25(水) 00:11:31
冒険ダン吉
80日本@名無史さん:2005/05/25(水) 00:33:10
タンクタンクロー
81ケリー:2005/05/25(水) 10:54:11
100満開生きたネコ
82日本@名無史さん:2005/05/25(水) 10:54:22
100満開生きたネコ
83日本@名無史さん:2005/05/25(水) 12:43:13
「坊っちゃん」なんかを読んでも、そう今と大きく変わらないんじゃないかと思った。
生徒像。
84日本@名無史さん:2005/05/25(水) 22:27:08
嗚呼玉杯に花うけて
85日本@名無史さん:2005/05/26(木) 07:55:58
>>83
同意。結構DQNな奴がいるしな。
86日本@名無史さん:2005/05/26(木) 16:22:54
宮沢賢治なんかもアブナイのでは?
87日本@名無史さん:2005/05/26(木) 17:32:24
少年賛歌
88日本@名無史さん:2005/05/26(木) 18:03:54
>>69-70
戦前の中学生は帽子(学帽)のひさしを∩形に曲げてたりもしていたらしい。
理由は今と同じくカッコいいから。
89日本@名無史さん:2005/05/26(木) 18:17:43
>>64
ならば明治20年代の高等中学校は大学に相当するかな。

微積分や物理や世界史など殆どの教科は英語で書かれた教科書
つまりあちらの教科書が使われていて、講義は全て英語。試験答案も英語で
作成しなければ即落第。その点今は有難い・・・
90日本@名無史さん:2005/05/26(木) 20:44:58
>>88
後女学生も今の女子高生同様に彼女ら独特のファッションがあったらしいよ。
それに学校が終わって街の遊技場などに遊びに行く女学生もいたらしい。
基本的には男も女も意外に今とたいして変わらない。
91日本@名無史さん:2005/05/26(木) 20:52:40
男女共学になったのが戦後のいいところだね。
男子高、女子高にノスタルジーを抱いてる人達も居なくはないが。
92日本@名無史さん:2005/05/26(木) 22:18:30
>>91
同意。共学が絶対いい。
戦前は中等学校(今の中・高校に相当)や大学では学校自体男女別に分けたらしいね。
でも芸術学校だけは男女共学だったらしい。
でも戦前って「男女七歳にして」って言葉があるけど本当に小学校低学年から男女で分けたの?

93日本@名無史さん:2005/05/29(日) 15:03:11
女子大出身者のほうが社会で使えるという説もあるらしいけど?
94日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:15:34
「よくってよ」とか「〜ですのよ」とかいうお蝶夫人言葉も、戦前の女学生の間で流行ってて、当時は世間から良く思われてなかったらしいね。
95日本@名無史さん:2005/05/29(日) 23:29:54
戦前の学生恋愛とか聞いたことあるけどどうやって知り合ったの?
学校は男女で違うし合コンなんかもなかっただろうし今と違ってガードが固そうだから
ナンパとかしたって無駄そうだし。
96日本@名無史さん:2005/05/30(月) 19:06:01
紅顔美談
97日本@名無史さん:2005/05/30(月) 20:56:49
戦前は男女の恋愛よりも同性同士の恋愛めいたものが盛んだったから。
(男はお稚児さん、女はS、ってやつ)
98日本@名無史さん:2005/05/30(月) 22:54:11
戦前の法律家の地位はどうだったの?

今でこそ、弁護士は知的エリート職の1つに数えられているが。
中央や明治の法科から弁護士はエリートとみなされていましたか?
それとも、戦前では、帝大出の弁護士しかダメだとか思われていたのかな?


99日本@名無史さん:2005/05/30(月) 23:01:17
>>98
公事宿 -> 法律家 
への社会的地位の変遷を調べるって面白そうですね.
100日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:51:27
戦前は法律職そのものが類似した学歴のなかでは非エリートでした。(高等文官試験や
俸給を調べればわかります)
英国支配下のインド高等文官と類似していると思います。
101日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:56:40
>>98
戦前の帝大法科は絶対数が少ないし(東大、京大、九大、東北大、京城大のみ)
官尊民卑の時代だから帝大出の弁護士自体少なかったと思う
しかし試験自体は難関だったし(高文司法科ね)一応エリートだったと思う

戦前の台湾では医者か弁護士というのが優秀な青年の憧れで(役人だと差別がある)
日本に留学する人も多かったらしい
特に明治大学への留学が多く、明治出身の弁護士が多かったらしい
102日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:58:34
行政に比べるとランクは低いと思います。
103日本@名無史さん:2005/06/01(水) 01:23:04
それは大嘘だね。
冗談にも、図書館で上体を15度前傾させて勉強しているのは行政科、30度が外交科、
45度が司法科の受験生といわれた。
104日本@名無史さん:2005/06/01(水) 10:07:40
>>98
そもそも明治の帝大は官吏養成の機関の要素が大きかったから
官吏じゃない弁護士はそんなに出してなかったはず。私立の法律学校が弁護士を排出していた。
法律学校の名門は早稲田、明治、中央、法政、日本大などで、
その後、帝大卒の弁護士が増えたとしても、そのあたりは変わってないんじゃないかな。
105日本@名無史さん:2005/06/01(水) 17:31:56
司法科は帝大卒だとかなり後まで無試験任官じゃなかったっけ?
106日本@名無史さん:2005/06/01(水) 19:57:10
平成17年度司法択一合格発表あげ。

戦前は、高文試験司法科と弁護士試験という風に分かれていたようですが。
検事、判事>>>>>弁護士だったというのはなんとなくわかりますが。
たとえば中央法科→開業弁護士 は戦前において「エリート職」や「高収入職」とみなされていたのでしょうか?
107日本@名無史さん:2005/06/01(水) 20:33:51
戦前というか旧刑訴法では自白絶対主義だから、
いったん起訴されたら無罪を勝ち取ることは難しく
弁護士の活動は限られていたし、また、民衆は、お上の
決めた法律の隙間をついて弁護するようなのは、三百代言と
言って蔑視していた。
108日本@名無史さん:2005/06/01(水) 21:19:32
旧制高等学校研究 第2部
ttp://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/joke/1109088467/l50
109日本@名無史さん:2005/06/02(木) 15:31:06
110日本@名無史さん:2005/06/02(木) 21:23:06
東京帝大でも、旧制高校から文学部や農学部はフリーパスらしかったようですが。

旧制高校から、
1.東京帝国大学法学部
2.東北帝国大学医学部
に進むのでは、どちらが難しかったのですか?
111大學ヘ授:2005/06/02(木) 23:29:14
 出鱈目を書きまくる皆さん、今晩は

 江戸時代の訴訟制度は糾問主義で當事者主義でありませんから、検事や弁護士を必要と
しません これは吟味筋≒刑事に於て顕著でしたが、出入筋≒民事でも同じ傾向はありま
した そこで時が下るにつれ主に後者の為、公事宿が出現し、公事師、代言人が發生しま
した 身分は町人で、裁判所の監督下、株仲間的に参入制限して営業してゐました 御用
聞と行政書士と旅館業を兼ねたやくざな稼業で、三百文で何とでも主張するので三百代言
と見下されましたが、一応門戸は張っておりました このあたりは日大の水元先生でした
か、日本弁護士前史として纏めておられます

 明治の御代、前代を受けて代言人の呼称を正式に採り、近代弁護士制度を發足せしめま
したが警察、學校、医師同様、初めは怪しい存在でした それでも時と共に制度が整備さ
れ、怪人や無能者は淘汰され、實力も地位も向上して行きました 姿三四郎は人力車夫を
しながら代言人を目指してゐますね 呼称が弁護士に代る頃には、もう立派な職業であっ
たといへませう
112日本@名無史さん:2005/06/02(木) 23:36:37
>>95
今も昔も若い者のやることはまったく同じ

昭和12年(1937).2.28〔学校よそに男女生徒数十名が桃いろ享楽 神楽坂の巣窟へ断 国民新聞引用〕
 神楽坂署保安係では牛込区肴町三三喫茶店「すゞめ」こと井上よし(三五)方に男女学生の出入が激しいのを怪しみ、よしを留置取調べたところ、昨年来「すゞめ」会の名の下に男女学生数十名を集め桃色会を組織、
手紙の交換やピクニツク酒の会などと学生にもあるまじき怪しげな交際を楽しんでゐたことが判明したので関係者を続々召喚取調べを続けてゐる。
 男子会員は渋谷区代々木大山町一〇六七錦城中学校四年生伊藤隆二(一八)-仮名-他同中学生八名、法政商業生十名、昭和第一商業生十名、同卒業生五名、早稲田中学生一名、順天中学生五名、日大予科生五名、東京歯科医専五名等、
女の会員は牛込区新小川町三の六恵助長女日本高女中途退学高田照子(一六)-仮名-他日本女子商業生二名、日本精華高女生三名、千代田高女生五名、同卒業生一名、京華高女五名、日本高女三名及び神楽坂付近の半玉三名、タイピスト三名で
これ等数十名の男女は小グループを作り、昨年春豊島園にピクニツクをしたのをはじめ、同八月には前後三回に亙つて片瀬海岸に海水浴に出かけ、更に十二月廿五日のクリスマスには神楽坂のカフエー「ドンプ」で晩餐会を、
本年一月二日には神楽坂のスタンド「ミカド」で新年宴会を開いたりしてゐるが、平常は毎日午後二時から八時まで会員相互の親睦を結ぶといふ名目で酒を飲み莨(たばこ)をふかしなど学校そつちのけの乱痴気振りを発揮してゐた。
同署では即時同店の営業停止を命じ、引続き男女学生を召喚説諭を加える。(国民新聞2.28夕刊引用)
http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm
113日本@名無史さん:2005/06/03(金) 02:06:32
ピクニック、海水浴に晩餐会、新年宴会‥
ちっとも同じじゃないな
昔のほうが硬かった事は明らか
114日本@名無史さん:2005/06/03(金) 02:21:58
同じじゃん
手紙の交換→メール交換
ピクニック酒の会→合コン
本質は変わらん
115日本@名無史さん:2005/06/03(金) 04:01:29
>>110
北杜夫は旧制松本高校から進学する際、東大医学部はきっぱりとあきらめ
東北大医学部を目指したと著書で述べている。
当時も医学部は難しかったようだ。
しかし難度と言う点では東大法学部のほうが上だとおもう。官吏養成の実績が抜きん出ている。
もっとも当時は旧制高校を卒業すればどこかの帝大にははいれたので(併願も可能)
受験は深刻なものではなかったと思う。
116日本@名無史さん:2005/06/03(金) 07:22:48
当人の素頭の良さも当然だが親の経済力の問題も大きいですなぁ。
117日本@名無史さん:2005/06/03(金) 11:16:24
戦前は、医師国家試験自体がなかったみたいですね。
「海軍アドミラル軍制物語」という本では、大学医学部(医科大学)卒と医学専門学校卒との、待遇の違いを述べています。
やはり、昇進において、少し差がついたようです。

戦前の医者は、現在のように、ある程度儲かる職業だったのですか?
医者が経済的に恵まれるようになるのは、保険制度が整ってからだと聞いたことがあるもんで。
118大學ヘ授:2005/06/03(金) 11:50:14
 憶測で物を断定する皆さん、お早うございます

 公事宿は株を買えば開業出來ましたから、二千萬円で権利を買ふ今日の新聞販賣店と
大して違ひません 公事師は更に手軽でした 明治になって代言人試験制度が始まり、
漸く近代的法曹概念、資格整備に向ひますが、當初は判検事とは切離した別個の試験で
した 官尊民卑の風潮は、今日でも田舎で強勢ですから、往時推して知る可し それで
も文明開化は法治主義と産業革命が二本柱ですから、法律や法律家の地位は向上して行
きます 末は博士か大臣か、法律書生は天下取り、今日に至る法科萬能の風潮は此処に
始まります

 採用試験は現代の科擧と呼ばれますが、シナの科擧と異り、近代法學教育は専門の高
等教育機関を要します 最初は司法省明法寮、次で帝大、更に私立の所謂五大法律學校
以下が設立されます 英吉利法律學校(中央)、東京専門學校(早稲田)、和佛(法政)、
明治、日本、専修‥ 後の方は入替ったり、全部数へて六大、七大と言ったりもします

 就中、中央は政府・司法省と東大を左右に引受けて民法典論争を展開し、遂に捻伏せ
て在野法律學校の頂点と看做されます 大正期の大學令改正でこれらは私立大學に昇格
し、今日も隆盛を誇ってゐます その頃には官立の帝大も追々整備されますが、工學士
と異り、法學士の数はそれほど必要を感じなかったので、帝大に法學教育は私學より緩
慢でした 九州帝國大學が法文學を設置したのは昭和に入ってから、北大で法學部が獨
立したのは近年のことです 東大京大以外の地方帝大は理系の大學で、文系ではなかっ
たのです

 この過程で、代言人試験を吸収、一本化した高騰文官試験が發足します 司法、外交、
行政に別れ、現行制度もこの延長線上にありますが、一番優しい行政科は、夏休みの準
備が悪くなければ秋の試験には合格する、と言はれました 今日でも國家公務員T種は、
外務公務員上級、司法試験より簡単です

 帝大、といっても二校だけ、の法科卒業生が試験免除になる制度は、大正年間に廃止
されました 半世紀以上にわたり毎年二百人前後の合格者を輩出する中央大學の勢威は
圧倒的でした
119日本@名無史さん:2005/06/03(金) 20:32:38
>>117
医者と軍人の家系のオレ様がきましたよ。
ウチのじいちゃん、戦前は県の衛生技師責任者だったみたいだけど、
あんま儲かるもんではないって印象は受けた。
一応、帝大首席と聞いているだよ。
120日本@名無史さん:2005/06/03(金) 21:40:50
>>119

それはすごい。

戦前は、医学部や医専を出て、陸軍や海軍の軍医にすすむコースは、どうだったんでしょうね?
戦前の軍の権威からいって、軍医は医師の進路として、あこがれだったんですかね?


121大學ヘ授:2005/06/03(金) 22:42:56
 高等文官試験司法科に合格すると、司法官試補に採用され、やがて判事と検事に振分け
られます 當時の制度では裁判所附属検事局でしたから、両者の区別は今日ほど大きくあ
りませんが、一応別コースです 弁護士は格下に見られましたが、同一試験で採用します
から、基本的に仲間です 法服も殆ど同じデザインです 戦前の高等官は世間より高給を
取ってゐましたが、弁護士はぴんきりですな 高収入かどうかは兎も角、権威ある職業で
はありました 平沼騏一郎氏の如く、司法官僚から總理大臣になる人も有りました
122日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:45:51
>>121
おまえどこにでも出てくるな
あ、自分で立てたのかw
123大學ヘ授:2005/06/03(金) 23:00:08
 戦前の教育体系はヨーロッパ型で、今より明快な能力主義でした 初等教育以外は
大衆化の必要を認めない 最終學歴校では職能教育を授かる したがって下級學校普
通科を卒へた者は上級學校へ進學する 中等學校レヴェルなら普通科を出た者は高等
學校レヴェルへの進學を前提とし、然らざる者は師範、農業、工業、商業等の職業系
に入學する 高等學校レヴェルも同じ 大學へ行く者は狭義の高校か予科へ 然らざ
る者は医専、高商、高等工業のやうな専門學校へ したがって医専出の医師が、大學
出の医師は勿論、大學卒業者一般より下に見られるのは極めて當然です 昔の日本も、
今日の世界も、學歴を重視しますから 
124大學ヘ授:2005/06/03(金) 23:10:45
 大体大學の医學部は一般の医師を養成するより医學者や専門医を養成する所でし
た 風邪医者、腹痛医者は医専出でしたので、最近でも、医師会の役員になりたが
るのは大學を出てゐない者ばかりだ、と悪口を言はれてゐます

 軍医の話ですが、海軍は軍医(養成)學校を持ちません 大學出を中尉、医専出
を少尉で採用しますが、人員を多く要さぬので、平時は學士中心の採用です 陸軍
は大所帯なので手荒く、最後は衛生兵や馬方までみんな医者にしてしまひました 
彼らは戦後、町医者となって無大學文盲の馬医者パワーを發揮し、周囲に恐れられ
たものです
125大學ヘ授:2005/06/03(金) 23:24:52
 医師も弁護士同様、江戸時代にはたいした職業でなく、勝手に開業できました
近代以降、資格試験制度が整ひ、段々地位、収入が向上しましたが、そもそも往時
は人の値打ちを収入では測りませんでしたぞ 何れにせよ医者は弁護士より下でし
たな 弁護士は學士で、高等文官資格保持者でしたが、町医者は専門学校出で、市
井の人でした

 さて、医専の入學試験は旧制高等學校より易しいので、町医者で終る人はここへ
入ります 医學部へはまづ大難関の高校生・天下の秀才となるのが先決で、高校を
出れば、どこかへ入れます 先に述べた通り、普通科卒業者は、原則無試験で上級
學校へ進學できます 第一、旧制高校38校の卒業生總数は東大の入學定員より少
いてふ少数精鋭教育ですから、大學入試なるものは中學教員免許取得者とか、専門
學校出とかいった傍系受験者のための制度です 高校生は、特に受験者が殺到する
東大法、医のやうな所だけの例外です
ます 
126日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:31:25
>>92
私の母によりますと、小学二年までは男女共学、三年以降は男女別学であったようです(校舎は同じ)。
ちなみに母は終戦時、小学四年生でした。
「男女七歳にして」は当時は現実だったのですね。

ちなみに母は中国・天津の小学校で、同じ学校には朝鮮人・台湾人・中国人・ロシア人などもいたそうです。
勿論日本の学校ですよ。
127日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:40:15
それじゃ、千葉医科大と東京商大って、どっちの入学の方が”より困難”だったの?

現在では、千葉大(医)>>>一橋 ですが、、、、
128日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:24:42
教授は日中戦争とはいわんだろう。
129日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:30:07
千葉医科大なんてあったかね
130日本@名無史さん:2005/06/04(土) 02:23:35
>120
軍医は志願したら幹部候補生の見習士官から始められるが・・・
志願しなかったら強制徴集で衛生兵2等兵から私的制裁の嵐。
志願でなら大尉、少佐になれていた筈の香具師でも
へたすりゃ万年2等兵。
131大學ヘ授:2005/06/04(土) 09:29:52
 それは兵隊にとられた場合の話です 本職の軍医は、娑婆の生徒時代に軍の依託學生と
なり、俸給を貰ひながら大學を出て、生涯を軍に投じ、大學出の本チャンなら平時でも概
ね佐官の上の方まで進みます でも、医學生にとって軍医の道が格別人氣が有った訳では
ありません 立派な進路ですが、傍流です 軍医も研究はしますが、斯界の先頭に立って
医學を切り拓くといふことでもありませんから

 皆さんは軍医を當然に医者と前提して論じておられますが、それは疑問です 海軍の軍
医は医者たる性格が濃く、海軍の中の医者、ですが陸軍は、医療を担當する軍人、で各部
将校の一種として軍人たる性格が濃厚です これは包帯所、野戦病院を率ゐるのに戦術判
断は勿論、戦闘能力を要するからです 海軍は軍艦の手術室に敵が突入して來て応戦だの
退却だのといふことはありませんから
132日本@名無史さん:2005/06/04(土) 09:49:31
>>112
まるで今と一緒だな。意外に戦前の若者も俺らが思うより好き勝手なことして
暮らしてたんだな。
133日本@名無史さん:2005/06/04(土) 10:04:51
戦前、彦根高商は慶應(理財)以上の待遇を受けていたというのはホントウですか?
現在の滋賀大(経済)と慶應(経済)からは、とても想像できません。
134日本@名無史さん:2005/06/04(土) 10:31:00
近江商人の養成所と言われてたくらいだからな。
まぁ、慶應行く金無いのが集まってたいうのが正解。
県立八幡商業てのがその上をいっていたらすいが・・。
135日本@名無史さん:2005/06/04(土) 10:34:22
>131
昭和の20年間はほとんど兵隊とは無縁な筈はないのだが・・。
136大學ヘ授:2005/06/04(土) 12:15:55
 彦根高商は旧制時代、名門でしたが、官立高等商業學校と私立慶応義塾大學の優劣は一
概に申せません 初めは前者優位で、時間と共に後者が間合を詰めて行ったものと推察し
ます 豊田の二代目も高商出、たしか横濱と名古屋、の學歴を買はれて婿入りしたもので
すね

 高等學校は勿論、之と轡を並べる予科、専門學校の権威は大したものでしたが、彦根は
高商の中でも上位だったと思ひます 恐らく上方を控え、近江商人の傳統を汲んだ立地な
のでせう 當時の高商仲間も東京(一橋大學)、横濱(國大)、名古屋(大學?)、神戸
(大學)と皆、今でも羽振りは悪くありません 彦根は凋落著しいですな、松本高校も信
州大學になって転落しました

 高等學校級たる高等商業と、中等學校級の實業學校たる商業學校では、初めから比較に
なりません
137大學ヘ授:2005/06/04(土) 12:39:44
 上下を言ふなら、そもそも商業だの経済だのは下目に見られました 文系は法科中心で、
東大からして法科と医科から始まったものです

 小官の時代、同じ高文合格の法學士でも、任官時から俸給はかなり違ひましたな 帝大
出は百円以上、私大出は八十円台でしたから、二三割も差を付けたでせうか それで旧五
大法律學校系は弁護士に流れ出したのです 司法部に限らず、高級官僚の世界では人を紹
介するのに卒業年次しか言ひません 東大法科に決まってゐるからです 偶に政治の人が
ゐると初めて學科名を言ひます 稀に他學部、他大學が紛れ込むと例外的に工學部とか
(建設省など)、京大とか言添えます 之は今日でも同じやうです なほ、高校(含予科)
を出てゐないと不利で、ここが大學のみを問題にする今日と異ります 誰がどの高校を出
たかは、知れ渡ってゐます 故に慶応は問題外です この点では、彦根高商から東大へ進
學した方が有利ですね

 東大法と東北大医の難易度は確言致しかねます 高校入學の段階で文科と理科に別れて
ゐましたから 医者は食ひはぐれ無く、法科は出世できますが、好みもありますからな 
質問者に判って頂きたいのは、昔、医學部や経済學部の人氣は高くなかったといふ事です
138大學ヘ授:2005/06/04(土) 12:53:37
 昭和12年の支那事変勃發までは、動員をかけておりません それどころか全く
戦争も事変も無い年が多く、軍人、したがって軍医の数も多くありませんでした 
徴兵適齢男子の大半が、兵隊とは無縁な暮しをしてゐたのです

 次に往時の青少年は今より堅物でしたな 引例はたかが合コンの類で官憲が出動
したといふもので、當時の眞面目さが偲ばれます 論者は往時の非行が今日も見ら
れることを論拠としますが、當り前ではありませんか 近時の方が非行は拡大して
ゐるのですから 今日の非行が往時も見られて初めて、両者は同一なり、と言へる
のです 昔の人は荷を担ぎ、今の人も荷を担ぎますが、これを以て往今の陸上輸送
が同じだとは全然申せません 昔の人は鉄道輸送も自動車輸送もしませんでしたか
ら 
139大學ヘ授:2005/06/04(土) 13:01:43
>>98
 弁護士は勝負の世界に生きてゐますから、學歴より實績です 花井卓三(中央大學)
以下猛者が揃ってゐましたな でも、そもそも自由業自体が不人氣で、司法官の方が
偉いと思はれてゐました これは法曹一元を謳ふ今日も払拭されて居りません なほ、
明治は質量ともに中央に匹敵するやうな存在ではありません
140日本@名無史さん:2005/06/04(土) 14:25:13
毎度のことだが、教授の独壇場です
141日本@名無史さん:2005/06/04(土) 17:34:46
秦郁彦先生の本では、陸軍各部の力関係は、
経理部>軍医部>法務部
だったそうな。
意外なことに。

主計士官の方が軍医より上?

142日本@名無史さん:2005/06/04(土) 17:45:30
なんだか学歴版みたいになってきたな
143日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:35:49
>141
そりゃ、金握ってるのは主計殿だし。
補給にぎってるのも主計殿。

経理の能力で持っているようなもん。
144日本@名無史さん:2005/06/04(土) 21:31:44
別に意外ではない。
経理より医務が優位の会社や役所は今だってあるまい。
医者の地位は低いと教授も書いてるだろ。
医者が偉いと思ってるのは低学歴の田舎者。
145日本@名無史さん:2005/06/04(土) 21:39:30
理系が威張れるのはメーカーだけ
医者がのさばるのは病院だけ
146日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:11:06
戦前は、ステータス的に 東京商大=東京高師 だったと主張する人が学歴板にいたんですけど、、、
ウソですよね?
147日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:39:04
>>145

>理系が威張れるのはメーカーだけ

理系を蔑視したいんだろうが、日本からメーカーが無くなったら
あんたもただじゃすまんだろ?
148日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:54:31
まあ、政府でも大蔵省が偉いしな。
149日本@名無史さん:2005/06/04(土) 23:08:03
むかしから不思議に思っていたんですが。

都道府県のトップ公立高校(旧制中学)は、普通は県庁所在地というか、都道府県行政の中心都市にあるものですよね。
例えば、
府立一中(日比谷高)
神戸一中(神戸高)
愛知一中(旭丘高)
福岡県中学修猷館(修猷館高)
というように。

なぜ、神奈川県だけは、トップ公立高校が県庁所在地横浜にある横浜一中(希望が丘高)ではなく、湘南中(湘南高)なのでしょう?
150日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:16:43
教育の無い者が論ずる教育史
151日本@名無史さん:2005/06/05(日) 04:53:34
戦前も私学はやはり早慶がよかったんですか?
152大學ヘ授:2005/06/05(日) 09:44:42
 戦前と申しても八十年近くあります その後期に限定して言へば、違ひます 大正期の
大學令改正で初めて私立大學が出現し、早慶もその中に含まれましたが、格別の存在では
ありませんでした 小職は司法官僚でしたが、法科では近年まで中央が圧倒的声望で、早
稲田はその滑止め、慶応に至っては無視されてゐました これは高等文官試験の合格者数
に端的に表れており、中央は早慶に十倍しました M地〇に着任した時、高等官7人中、
實に5人までが中央大學の同一研究室出身者に占められ、しかも當該研究室は大學内外で
弱小無名でした 法科に関する限り、東大以外對抗出來ませんでした

 尤も、私學全体が官學に劣位し、東大教授は日本医大へ講義に行ってお前らは風邪医者、
腹痛医者になれと言放ち、帰りは毎回必ず正門に立小便するといふ凄さですから、私立の
中の多少の優劣など虚しい話です

 戦前の受験競争は、高校入試、次で中學入試(七年制高等學校も有りき)が山場でした
 旧制高等學校を出て(その結果自動的に)帝大に學ぶ、これがエリート・コースです
でも、大學自体が限られた少数者の為の存在ですから、たとへ早慶でも、下々にはカコイ
イと思はれたでせうが、それは駒澤大學でも拓殖大學でも同じです 私立大學間の格差は
今より小さかったと言へませう
153日本@名無史さん:2005/06/05(日) 09:48:45
w出てくるな、バレバレ。
154大學ヘ授:2005/06/05(日) 09:56:52
 中學の時、F君の兄君が慶応大學と知って、申訳無けれど、一寸不吉と言ふか、
エンガチョに漢じました

 塩田良平先生でしたか、恋人の父親に、我家は代々東京帝大出へ嫁入りするのが
家法であるから慶応出の君はお断りだ、と振られて無念だったさうです

 某氏は陸軍で特幹の将校だった時、本チャンから、
「君は早稲田ださうだが、与太者には見えない」
と褒められたさうです 早稲田は与太者の學校だったのです

 でも以上は上つ方の話で、下町に育ち中央大學法學部を出た叔父が結婚した時、
新婦方親族が
「これで〇子さんも學士様のお嫁様になれるのね」
と言って感泣してゐましたな

 要するに、官尊民卑、官學崇拝であった、旧制高校を出ることが肝心であった、
私立大學間の格差は小さかった、医師の地位は今より低かった(高等官や大學出
が少い)といふことです
155大學ヘ授:2005/06/05(日) 10:37:18
 戦後、地価や医師、エンジニアの人氣が上昇したのは田舎の人のせいだと考へます
農民は地主や医者を偉いと思ってゐますから、上京すれば土地を買ひたがる、子弟を
医者や技師にしたがる でもそれは都人の感覚ではありません 華族や財閥がそんな
ものを望みますか? 教育の無い庶民の、ささやかな望みが顕れたものでありました
らう

 なほ陸海軍や宮内を別とすれば、戦前の重要官庁は先づ企画員、次で外務省でした
大蔵省が威張りだしたのは戦後日本に特有の現象です
156大學ヘ授:2005/06/05(日) 10:53:46
 今日の公務員、その地位は官吏、教師、公吏、警官の順であったと思ひます 師範学校の
話ですがこれは上級學校進學を前提しない實業學校ですから、中學(普通科)より格下です
 師範系が威張るには高校級の高等師範へ進まねばなりません 教育界(中等教育以下)に
ゐる限り、地方帝大並に大きな顔が出來ます

 普通科と言へば第七師團の軍機祭に招かれてゐますので、続はまた今度
 お励みなされ
157日本@名無史さん:2005/06/05(日) 14:31:32
>>138
近時の方が非行は拡大してゐるというのは、失礼ながら戦前の状況をあまりご存じではないようです。
リンク先のページをすべて読んでみてください。
http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm
158大學ヘ授:2005/06/05(日) 15:33:52
 大學級       高校級        中學級      義務教育

大學        高等學校(含豫科)   中學校   高等・尋常小學校
海軍大學校(甲)  高等〇〇學校      女學校      公學校
陸軍大學校     海軍兵學校       〇〇學校 
          海軍機関學校 海兵豫科 陸軍幼年學校
          海軍経理學校
          陸軍士官學校 陸士豫科(後、中央幼年學校)  

 註1 〇〇には商船、師範、工業、商業、水産、農業、女子〇〇等が入ります
 註2 女子大學は自称に過ぎず、高校級の専門學校です
 註3 軍の幹部養成校は小規模です
159大學ヘ授:2005/06/05(日) 15:52:03
 折角の戦車隊観閲を切上げて戻ったのに、早分り學制表がずれて残念

>>145
 東京高等商業學校は元、高等師範と同列でしたが、東京商科大學に改編されて一格上がり
ました 以後は高師より格上です でも教師は商人より敬意を払はれましたし、戦後の學制
改革で高師も教育大に昇格しましたから、関係者が俺の方が偉いといふなら、それも判らぬ
心情ではありません

>>157
 一見して素人の製作したDBで、刑法學も刑事學も心得ぬ人の趣味的サイトです 分類も
用語も出鱈目ではありませんか 戦前の犯罪なり非行なりを幾ら羅列したところで、これを
現代と比較検討しなければ、結論は出せません
160日本@名無史さん:2005/06/05(日) 16:50:31
>>159
一見されただけでしょうか。
ぜひ精読されて、もちろん他の正統的な資料も参照された上で、比較検討してみてください。
「近時の方が非行は拡大してゐる」というのは、どのような手続きを元に結論を出されたのでしょうか。
161日本@名無史さん:2005/06/05(日) 18:54:25
でもって、文理科大は?
高師の上だけど?
162日本@名無史さん:2005/06/05(日) 21:47:51
でもって師範は。
駅弁の教育学部か教育大に成り上がっていますが・・。
163大學ヘ授:2005/06/05(日) 23:21:35
                   出直し早分り學制表

 大學級        高校級        中學級      義務教育

大學         高等學校(含豫科)    中學校   高等・尋常小學校
海軍大學校(甲)  高等〇〇學校       女學校      公學校
陸軍大學校     海軍兵學校        〇〇學校 
            海軍機関學校 海兵豫科  陸軍幼年學校
            海軍経理學校
            陸軍士官學校 陸士豫科(後、中央幼年學校)  

 註1 大學級は高等教育、高校級は後期普通教育とは言ひでう準高等教育、中學
    級は前期中等教育、小學校は初等教育です
 註2 〇〇には商船、師範、工業、商業、水産、農業、女子〇〇等が入ります
 註3 女子大學は自称に過ぎず、高校級の専門學校です
 註4 軍の幹部養成校は小規模です
164大學ヘ授:2005/06/05(日) 23:28:33
 註5 公學校は現地語で初等教育を施す小學校
 註6 海大は甲種學生のみが所謂大學教育ですが、大尉から入學するので
    實質は今日の大學院博士課程です 陸大は中尉からですが、概ね同
    じです 
165大學ヘ授:2005/06/05(日) 23:53:06
 以上の制度は當時世界最先端と目された欧州型にて、人は能力に応じて教育を受ける権利を
有すると謳ふ現行憲法のり層を先取りするもの 馬鹿でもちょんでも進學させて大學まで幼稚
園並に引下げる現今は憲法違反です これと異り、昔は早期に進路を定めて術科教育を施し、
即戦力として世の中へ送り出すプラグマティズム、本人の希望、適性に応じた個別教育が顕著
です 普通科を出ただけでは教育を終へず、最終學歴校は必ず専門教育を施す、その前段まで
は所要の基礎學として普通學を修めるてふ、非常にすっきり明快なものでした 今は誰でも彼
でも普通科といふ、個性を無視した画一主義で、将來にも繫がらないのでやる氣を殺ぎます
166大學ヘ授:2005/06/06(月) 00:06:35
 今は小學校から高校まで、教師を皆、教諭と呼びますが、學制改革前は小學校なら
訓導、高校なら教授でした 實際、旧制高等學校の先生は帝國大學教授と掛持が少く
ありませんでした 先生の地位は高く、訓導でも村では尊敬され、生徒も畏敬してお
りました 高校教授ともなれば大したもので、田舎では転勤時、町村長以下總出の送
迎でした

 旧制高等學校生徒は「天下の秀才」にて、弊衣破帽、威風あたりをはらったもので
す 下宿の夫婦など、娘を押付けやうと企むので油断がなりません 高校生は、私大
生より偉い感じがしました 實際偉かったと思ひます 大体彼らは何者なのか、警官
を川へ投込んだり、下士官兵に敬禮されたり、周囲も憚っておりました
167日本@名無史さん:2005/06/06(月) 00:06:54
尻なのにね
168大學ヘ授:2005/06/06(月) 00:18:20
 一高か海兵か、と謳はれ、第一高等學校と海軍兵學校は全國の頂点に立ち、高校の
中では先づ一高、三校以下のナンバー・スクール、次に地名高等學校でした 北大豫
科はナンバー・スクール並でした 私立や公立も僅かにありましたが、これも正規の
高等學校であるかぎり、堂々の高校生でした 白線日本の破れ帽子に高下駄でマント
を翻し、原書を携へ、ドイツ語で哲學を論じ、酒を飲んで漢詩和歌をものし、時々剣
術柔術の早業を發揮して警官を懲しめます やくざなどはヘイコラしてゐました
169大學ヘ授:2005/06/06(月) 00:29:46
 最初の高等學校が大學豫備門から出發したやうに、高等學校といふものは沿革的に
帝大豫科だったのです 豫科を卒へれば本科へ進むが當然にて、今日、東大教養部の
學生が各學部へ進むのに似てゐます まして旧制高等學校38校の卒業生總数が今日
東大教養部の入學定員より少いてふ少数精鋭教育のもと、高校生は帝大進學を約束さ
れた人々でした 選り好みしなければ、東大も確實です 斯る風潮の中、高等學校を
経由せぬ傍系進學者が見劣りするのは已むを得ません
170大學ヘ授:2005/06/06(月) 00:40:46
 見劣りするもう一つの理由は、高等學校に於て理想的教育が行はれてゐると信じ
られたからです 傍系の東大生は、今の灘高出のやうに唯のガリベンかも知れませ
ん 文武忠孝、人格をしっかり鍛へられた旧制高校出でなければ信用が劣ります 
これは英國などでは今日も同じで、オックスフォードでもケンブリッジでも、パブ
リック・スクールを出たノーブレス・オブリージュの具現者でなければならないと
いふことのやうです この教育思想は、世界的には今も現役で、主流です
171日本@名無史さん:2005/06/06(月) 01:12:59
>>152
財界における慶應の地位はどのようなものだったんでしょうか?
また戦前私学で大学院の設置を許されたのが早慶の2校だけだったのは
なぜですか?
172大學ヘ授:2005/06/06(月) 08:44:26
 パブリック・スクール出身でない者がキングズ・カレッジへ進んでも孤立する、
と英國留學帰りの士から聞きました 獨佛以下も似たやうなものです

 さて専門學校生徒もソンケーされてゐました 彼らはそれ自体中々のエリート
でしたが、その氣になれば帝大進學も可能で、地方帝大は容易でした 傍系進學
にはなりますが、傍系の中では最も筋目が良く、また例へば高等師範卒業生が教
育界に投ずる限り、地方帝大へ進學するメリットは乏しかったのです 斯界では
高師が一番偉いのです

 戦前は學歴尊重でしたが、學歴の無い者にも優しく機会を差伸べました 低學
歴者にとっては、今より昔の方がチャンスに富んでゐたでせう 大貧民や低學歴
の提督将軍大臣社長が矢鱈とゐるのはこの故で、これを左翼學者は、大日本帝國
は縦の流動性が良かった、と申します
173大學ヘ授:2005/06/06(月) 09:11:56
 財界に於る慶応の地位は福澤存命中から既に高かったと訊いて居りますが、小職
自身の体感ではなく傳聞です 但し、之は財界のみに限った話で、世間でそのまま
通用はしません 財界自体の地位が低かったのです 小職は二大官庁を経験しまし
たが、其処では商人の來訪は大企業の社長本人といへども門の脇の汚い小部屋、商
人溜に入れられ、うっかり外へ出ると門番に怒鳴りつけられてゐたものです

 小職は教育史の専門家ではなく、経験的知見を述べてゐるだけですので、文部省
の細い政策は承知してゐません ただ、戦前、大學院と言ふものは一般的でなく、
帝大でもあまり聞きませんでしたな 大學院を軽んずる風潮は今日でも文系を中心
に濃厚に残ってゐます

 早稲田は五大法律學校に数へられましたが、慶応は入ってゐません 早慶は野球
用語にて、特別威張ったものではなかったと思ひます 有力私學には数へられてゐ
たでせうが、旧制大學時代は私大間の上下格差小さく、第一、大學格差と言へば官
立と私立の格差を意味しました 旧制高校から私大へ進む者は居りません
174大學ヘ授:2005/06/06(月) 09:38:53
 六大學の語が野球聯盟の名に過ぎず、頭の程度に関係無いやうに、早慶の語も
試合の組合せに由來するものでしかありません 明法戦や立東戦と同じですが、
最強が早慶だったので、一番の好取組として特に有名な言葉になり、今日に傳は
りました 昨今の巨神戦と同じです 戦前は野球と言へば東京六大學にて、職業
野球に人氣が移ったのは戦後のことです

 地方帝大に法學部の設置が無かった、或は著しく遅れた所為も有り、法科の順
位は東大、京大、中央だったと思ひます 財界はそもそも帝大出が行きたがらず、
日本郵船は昔、學士を迎へる為に岩崎自身が駆け回ったと聞いてゐます 大体、
帝大に商學部はありませんからな 往年の商業蔑視は随分で、戦時中は校名の商
業を全部経済に改めさせたほどです

 それでは左様なら
175日本@名無史さん:2005/06/06(月) 10:04:54
>>149

先生、この質問について教えてください。
なぜ、湘南中>>横浜一中 となってしまったのでしょう?
行政中枢と人口の面からみても、横浜市>>>>藤沢市 なのに。
176日本@名無史さん:2005/06/06(月) 10:35:46
>>173大学教授さんお詳しいですね 御幾つですか?
私は旧制の先生に直接教わった最後の世代です。小中は師範、高校は広島高師
大学は帝大が当たり前でした。今でも二高の寮歌を歌えますよ。

独逸は敗戦で「国体」をうしなったが教育制度は守り通しました。わが国は
「国体(天皇の免責)」にこだわったたがあっさり干渉を許しました。

旧制高校の復活をという声を聞きますが、もう不可能でしょう。現代の30歳くらい
でやっと当時の高校生の精神年齢くらいです。
やるとしたら30前後の社会人経験者がリセットする場として自分の金いける
場があるといいと思います。MBAは実学に傾きすぎで松下政経塾がやや近いですか?
177大學ヘ授:2005/06/06(月) 23:46:35
 ご丁寧なお言葉痛入ります
 山高くして水清き 里に住めども歳をへて 庭の夕の閑寂に 我人生の夕間暮
 されば馬齢の儀はお察し下さいませ
 薔薇と匂ふ旧制の、最後の卒業式は昭和25年だったかと記憶します
 色々ご高教賜り度きも、日を改めてご挨拶申上ます
 
178日本@名無史さん:2005/06/07(火) 00:59:28
文盲今や影も無し
179日本@名無史さん:2005/06/07(火) 01:32:25
史学、文学なんかは比較的簡単に進学できたようですし。
180日本@名無史さん:2005/06/07(火) 03:09:01
進学容易就職絶望。
181日本@名無史さん:2005/06/07(火) 09:06:06
それは今も同じ。
第一、地方帝大には文系学部自体が無かったって教授が書いてるだろ。
182日本@名無史さん:2005/06/07(火) 09:54:17
たとえば、東京帝大国史学科から、高等学校や士官学校の教官になるのは、難しかったんですかね?
183大學ヘ授:2005/06/07(火) 11:12:33
 昨夕、太平洋を俯瞰する温泉に入湯上陸して宵に帰ったたら、訴訟書類がどっと
届いてゐたので多忙になりました

 旧制高校は38校しかなく、且つ小規模校でしたので教官の口は少いです
 居心地の良い所なのであまり辞めませんし

 陸士に至っては1校のみ
 第一、文官教官の多くは非常勤講師です

 可能ではあっても、機会は多くないと思ひます
 なほ貴説は、高等學校教授の地位の高さを理解しておられないやうに感じます
 平でも高等官3等以上ですよ
184大學ヘ授:2005/06/07(火) 11:20:37
 大學出たての若い助教授など、偶に見ないでもありませんが、高等學校教授とは、
要するに今日の東大教養部教授なのです
 これは誇張でなく、私見では高等學校教授の方が偉かったとすら思ひます
 先に書いた如く、高校の先生は帝大の先生と兼任が多く、その上不始末で職を辞す
る時も、東大には残すが一高は辞めて貰ふ、と言った処理をしますから、へっぽこな
職ではないのです
 校長ともなれば、低くとも高等官二等、将官大臣級です
185大學ヘ授:2005/06/07(火) 11:31:03
 高校と同格の陸士、海兵校長が陸海軍中将で名だたる将星だったことを想起せられ度し
 終戦工作の海軍次官井上成美大将は海兵校長から、沖縄決戦の総帥牛嶋満大将は陸士校
長から、直接の異動です
 安部能成一高校長も文部大臣です
 昔は教育に最大の豫算と、最高の人材を投入しました
 今は明らかに手を抜いてゐます

 彼と等しく受けし種
 咲きて我世の花たれば
 薔薇と匂へ蘭麝の香
 土またさらば芳しう

 では法廷に注力しますので、また今度
186日本@名無史さん:2005/06/07(火) 14:47:45
              , ‐ ' ´  ̄ ̄ ` 丶、
            /              丶
              , ' r、'´    _ _      ヽ
           /  /ヽヽ__ ' ´   _____,, イ ヽ
          ,'  ,'  {_r'‐'',ニ二、ー===-‐'|l 、`、
           iヽ i //  '´  ̄`ヽヽ       l| l  i
        ,' ヽ l /  、>‐=、、      =ニヽ ! l  l
        ,' /⌒ l |  ´ /(__,!゛       `、! |  !    大日本帝國は最高よ!
       ,' ! '^> |!   i。_oソ     , ニ、,  ノ 丿        
       ,'  ヽ ヽ     ` ─       '⌒Y, ' /       
        /   |`T 、            j     /}´       ,'^!
     /   l l i iヽ     i` ーァ   /ノ      / /
      /    | | i i ! \   l_/    ノ |   {ヽ  / /
     ,'    | | i iノ   丶、 __  , イ | |   l } 〃 二ヽ
    ,'    r| | '´\_  / ,' ,′  | |   |└'{_/ ,─`、
   ,' , --─/ l | ─ 、 `X´ト、 ,′  | |  |  '-イ_ィ、 〉
187日本@名無史さん:2005/06/07(火) 16:44:11
今の高専も教授だっけ?
188日本@名無史さん:2005/06/07(火) 18:16:07
戦前、東京商大あたりを出て経理士(現在の会計士)になるという進路は、どのくらいステータスがあったんでしょう?
また、東京商大→陸軍経理部将校、海軍主計士官 というコースはどんなもんでしょう?
189日本@名無史さん:2005/06/07(火) 18:23:24
         台北第一師範学校校歌
                     作詞 安東正次  作曲 一条真一郎

一 天津日高照る現御神(あきつみかみ) 仰げばかしこし 御代の光
  高砂の島も 普天の下  教化はあまねし 率土の浜

二 檳榔の朝かげ 道を説くは  皇運扶翼の 高き使命
  蕃山のゆふべ 教を布く  任こそ重けれ 邦家の為

三 聖勅かがやく 神の御国  匂うは桜の はなのかざし
  大屯やまの 岩が根なす  心身明なれ 吾等の友

四 智徳を学びの 窓の練れば  み空に理想の光うごき
  淡水の河の たきつ瀬なす  操持清かれ 吾等が友

五 たふれて已まむの かたき誓い  南風薫ずる 芝山巌の
  殉国の御霊 しろしめさむ  心のかがみは 曇らぬ月
190日本@名無史さん:2005/06/07(火) 21:45:36
>>187
学長(or 総長) → 校長
学部長 → いない

けど,教授・助教授・講師・助手というヒエラルキーは
大学と変わらないよ.給与はわずかに低い.
191日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:07:35
            __.... ...___
           (´      ` ' 、r
           i^,          \                 、                   ,r'"´`"'i,
           '{ ii,    , -─- 、 \   _,, -r= ,==- 、   |i               /    ,|~ i,
          i } ', __,,,,,,,,,,,,............,,______///l''''T'''TT `i!`'┤、.           ,-/.     ,|__ i
          ', i',,´_ ':::::::::::::::::::::ヽ_,,`^,_/ 」  i! i!.i  .i___i__`i 'yー- 、、....,,,,,____   ノ       |  |
         ,-'‐'''テv "´`):::::::::::::::',      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      ,,,,,    ヽヽ ̄` " ' - .. !___.!
        ( :::::::ィ'´,、  ´::::::::::::=iニュ                   ,il||||||li     i i          `ゝ、
         `┐;;;;;ノ .::::::::::::::::::::=iニュ   _ ,,,, ... ... ,,,_.       '|||||||||!    .| |  <´⌒`""'''ーr、.´
           iト、'.....::;:;:;:;:;:;:;:::::;=rュ r' " ´          `"' 、  `'''''"    _ノ_,ノ.、、- ` ' 、     \
         |l  `  ̄"""'i|lテ_,,.ノ ゝr、                `'.、──'''''""           、.    \
           !|          `´    `'' ;;                  `'.、               `"''ー- ´
         `              ━=´、r 、   γ  ̄   ' 、 `'.、
                             `'' 、  ゝ、      )  `'.、
                              `'' 、  ` ー ´    `'.、
                                   `'' 、          `r=、
                                   `'' 、         `'.、
                                   ̄ ̄`'' 、_         〉
192日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:08:16
>>185
細かいけど.井上成美校長→次官は中将だよ.
米内大臣の下,しばらく中将で次官を勤めていたけれど,
ある時(5月かな?)むりやり大将に昇進させられて,次官
を辞め,軍事参議官に退いた.

米内さんが井上さんをむりやり大将にして,次官を辞めさ
せた理由には2説あって,一つは,あまりに終戦強硬派の
井上さんを米内さんが御しきれなくなったと言う説.

もう一つは,万一米内さんが倒れた(実際血圧250あった
らしいし,テロのおそれも高かった)時に,次の大臣候補と
して,大将にしておこうという深慮遠謀説.

当の井上さんが
「負け戦 大将だけは やはり出来」
と嫌みたっぷりの川柳を残したのは有名.
193日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:11:22
>188
海軍は海軍経理学校がありますからな。所詮は臨時雇いのスペア。
まだ短現の方が目があるが帝大出でないと苦しい。
まぁ、予備学生で特攻か陸戦で玉砕予定部隊がせいぜいだろう。

陸軍も似たようなもので、本流は経理学校卒業生。
兵隊で徴兵、さんざん殴られた挙げ句→甲幹。
こっちもスペアですな。
194日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:13:40
>192
井上がおったら纏まる話も纏まらないんで棚ageに500ウォン
195日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:24:24
東京帝大造船学科→海軍の造船士官はエリートコースだったの?
代表的な例は平賀譲造船中将(帝大総長)だが。
196日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:35:58
>>195
大戦末期に大量採用された技術科予備士官でなけ
れば超エリートでしょ.

造船学科の上から何人,名指しで海軍採用でしょ.
友鶴事件なんかもあったけど,大過なく過ごせば,
工廠造船部長,艦制本部附,工廠長など歴任が約
束されていたようなもんじゃない.
197日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:13:13
>>196 に追加.
学生時代から,海軍より存分な額の奨学金が出ていた.
198日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:24:56
                ┌三同┐ 目 || | □ □ |_.|.  無敵日本陸軍
              /| ̄ ̄|| ̄フ二 ゝ ̄|| ̄ ̄|\
            目|  |    ||. | |   | | ||    |  |目
            V|  |__||___.ゝ二∠_||__|  |V
        ┌/ ̄ ̄ ̄ヽ―――――/!ニ!ニ!ニ!ヽ ̄ ̄\┐
       / ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ ̄ ̄ ̄ ヽ
    (´⌒| ̄(Oo.) ̄||〇|  &  レ| [ト  &  |〇|| ̄(oO) ̄|(´⌒
   (´⌒ |____| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____|(´⌒(´⌒
 (´⌒(´⌒ |ヾ二二ソ|――――――――――――|ヾ二二ソ|(´⌒(´⌒(´⌒
  .(´⌒(⌒|ヾ二二ソ|――――――――――――|ヾ二二ソ| ガラガラガラ(´⌒
 (´⌒(´⌒ └――┘                 └――┘(´⌒(´⌒(´⌒(´⌒(´⌒
199日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:52:47
>>198
それは74式か? 90式か?
我らが愛すべきチハたんではなさそうですな。

幼年学校から偏向教育をしたことに対する
コメントを頂きたい。
200日本@名無史さん:2005/06/08(水) 00:04:12


         ─┬=====┬─┬─┬     向ふところ敵無し!
           ヽ┴-----┴ 、/_ /         最強チハ車
         ==||:|: 乃 :|: 「r-┴──o
   ____________ |:|:__ :|: ||--┬┘
   |ミ///ロ-D/   ~~|ミ|丘百~((==___
 . └┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤
   ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)
    ゝ(◎)(◎∩◎)(◎)(∩)ノ三ノ──ノ三ノ
201日本@名無史さん:2005/06/08(水) 00:52:45
>>190
ありがとうございました。
202日本@名無史さん:2005/06/08(水) 01:09:29
歴史なんて、現代が創造し、現代が生みだし広めて、現代にのみ存在するものだろ?
過去にや将来になんら形として残るものじゃない
現代の生んだ幻みたいなものなのに何を言っているのかと

教育もしかり。教育という概念は理解できるが、現実として存在しない
戦前などと区切りを設けたところで意味は無い

誰が話す教育を受けた?受けたのではなく勝手に学んだのだ

もし教育というものがあるとすれば、親や自分の近くにいる他人に感化されること
こう成りたい ああは成りたくない っといったことだろう?

好きじゃない(自発的に学ぼうとしない)ことを誰がする(学ぶ)だろうか?
203日本@名無史さん:2005/06/08(水) 01:16:28
金儲けといい暮らしのためだよね。
204日本@名無史さん:2005/06/08(水) 08:16:16
教育に失敗すると203みたいな物欲だけの利己主義者が育つ
205日本@名無史さん:2005/06/08(水) 08:24:52
204 :日本@名無史さん :2005/05/22(日) 15:44:39
2004年 国家T種 『5大上位省庁』 採用者数(法律、行政、経済)

経産省  東大18 京大2 慶応1
財務省  東大15 京大1 慶応1     一橋1 
警察庁  東大 9 京大3 慶応2 中央1 
外務省  東大14 京大3 慶応2 中央1 一橋2 早大1 筑波1 神戸1 ルーバン大1
総務省
自治分野 東大15 京大1 慶応1    
206大學ヘ授:2005/06/08(水) 09:23:09
 スレ違ひの皆さん、お早うございます

>188
 戦後の法改正で、公認会計士や税理士制度が整備され、その職能の必要度が高まるま
では、需要も少く、地味な職業でしたし、官立大學卒業者にとって威張るほどの職業で
はありませんが、下々から見れば旦那衆でしたらう 

 極く少数の本チャンを除き、大學から陸海軍へ行くといふのは単に兵隊に取られると
言ふことであって、進路や職業ではありません 今日の自衛隊は外部の大學出が一般幹
部候補生として入隊、任官して一生を捧げ、統幕議長までも累進出來ますが、旧制度で
は各部将校の一部を除き、単に数年間、兵役の義務を果してゐるだけです それでも軍
がその人を短期ヴォランティア人材としてどう評価するかてふ証ではありますが、よし
評価されずとも娑婆での地位には関係ありません 軍は公平平等な所で、東條さんが勢
威絶頂の時も、その子息は士官學校で日夜叩きのめされてゐました 海軍兵學校に至っ
ては 皇族殿下まで鉄拳を受けられました 乃木稀典大将も學習院長として生徒時代の
先帝陛下を殴り奉ったてふ噂ですから

 陸軍の幹部候補生は中學卒業の學歴で志願出來ましたが、一般の幹候試験に受かった
後、更に試験を重ねるので、採用手続としては比較的厳重です

 海軍豫備士官は専門學校以上の學歴を要します つまり海軍の方が高學歴です 主計
は短期現役士官と言って、主に帝大出の高級官僚を中尉に任じて二年間だけ教育し、戦
時に召集する制度です 戦後、總理大臣初め偉くなった人が多く、専門の研究書まで刊
行されてゐます 娑婆のエリートをそれなりに優遇したものですが、海軍内部ではまる
っきり片隅でした

>192
 技術科士官や軍属たる技師は海軍部内にあって「優遇される傍流」でした 中枢にも
頂点にも立ちませんが、それは理系の限界にて、順調に出世する帝大出の高官ですから、
世間的にはかなり偉い人です エリートコースと呼べます
207大學ヘ授:2005/06/08(水) 09:50:30
>176
 遅くなりました  m( _ _ )m

 仰せの趣、甚だご尤もにて、我國は有史以來初めて戦破れ、敵の占領に遭った為に
被占領の経験無く、いいやうにされてしまったと存じます 帰らぬ事ながら返す返す
も残念

 旧制高校復活運動はもう難しいですね 26をご覧下さい もう脳髄までカルトに侵
されてゐるのです 本來なら占領解除と同時に憲法以下占領の遺産を全て捨て去る可
きでした 内閣法制局長官林修三先生が昭和30年代でしたか、渡米してケーディス
大佐に遭ったら、
「何、日本はまだあの憲法使ってるのか!」
と椅子から腰を浮かせて驚いてゐたさうです これは調節長官から伺ひました

   國の盛りに人となり 國衰へて老となる      佐藤春夫

 御健筆を!
208176:2005/06/08(水) 10:08:21
親戚のお爺さんは学徒出陣で海軍に行ったので 海軍主計「少尉」でした。
あと少し早く生まれていたら短期現役で「中尉」だったのにと悔しがっていました。
海兵団も経験しています。
もっと聞きたかったのですが突然なくなってしまいました。

大學教授様 大変失礼ではございますが ご見識を後世に残すため御健筆いただけるよう
お願い申し上げます。
209176:2005/06/08(水) 10:17:39
>>208 私がお年寄りから聞いた話では 専門学校や師範学校の人たちが「大學」
になれることを喜んで干渉の尻馬に乗ったそうです。

我々は旧制高校の流れを汲んでいる教養部の先生を馬鹿にすることはありませんでしたが
いまの学生さんはパンキョウパンキョウと低く見ています。
われわれが伝統を伝えられなくてまことに申し訳なくお詫びいたします。
210日本@名無史さん:2005/06/08(水) 11:38:58
>>209
弊衣破帽で警官を川へ投込んだりする旧制高校生の精神年齢がほんとに高かったとお考えなんですか?
211大學ヘ授:2005/06/08(水) 12:09:27
 我ら両名に限らず、全國民がお考へでしたよ
 高校生の恐る可き力量は、その詩作を見るだけでも判ります
 少くは十六歳から入學する十代の少年ですから茶目もありますが、昔の人は早く老成
して早く世を去りました
 横暴な官憲を懲しめることはエリートたるの正義感、責任感の發露であります
 警察署長も同意見と見え、泣寝入りしてゐました
 警官成敗は例外ですが、高級軍人を窓からバーキャロー!と怒鳴り付けるのは高校の
風物詩でした
212日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:31:42
百武源吾(海軍兵学校第30期 海軍大学校第18期 海軍大将 軍事参議官)→九州帝國大学総長

(平賀中将のような学者でない)高級軍人が、大学のトップになることは珍しくなかったんですか?
213日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:36:54
石原莞爾陸軍中将も師団長から立命館大学総長
214日本@名無史さん:2005/06/08(水) 13:28:57
作家の中野孝次がなにかとても難しい試験(専検?)に合格して旧制高校に
はいったそうですがこれはどういうものでしょうか
また旧制中学卒の人が苦学して高文に受かった話を本で読みましたが
高文の受験資格の学歴はどうだったのでしょうか

215日本@名無史さん:2005/06/08(水) 14:21:17
田中角栄の秘蔵っ子議員だった山下元利と東大教授(商法)矢沢惇は、旧制一高同期で、伝説的秀才だったそうですが。
216日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:38:06
>211
まぁ豚箱にぶち込んでもいいんだが、へたすりゃ3年くらいしたら
とてもエロい人で県の警察部に降下してくる可能性大有りだもの。
そこらの警部風情でどうにか出来る範囲超えてるっしょ。

特高やら憲兵はその点、情け容赦無し。
赤とか主義者て事にしておけば、高校入った意味の半分位
消せる罠。
217大學ヘ授:2005/06/09(木) 00:04:07
>>59 >>214 
 現代日本だけが左翼的風潮から學歴を排斥するやうなことを(口だけ)言ひますが、
世界は、或は戦前の日本は之を積極的に評価します 大日本帝國が優れてゐたと思ふの
は、下層階級者にも進學の機会を譽へ、よし進學出來ずとも更に無學者に廣く門戸を開
いてゐたことです 陸軍幼年學校は中學一年修了「程度」、海軍兵學校は中學四年修了
「程度」の試験を課すといふだけで、實際には學歴なんか不要だったのです 米國の海
兵は大統領、副大統領、上院議員の推薦が必要です 大日本帝國は、人民の國や自由、
平等を標榜する諸國より、遥かに自由で平等だったのです

 高等文官試験は基礎學力を問ふ豫備試験と専門知識を問ふ本試験に分れ、高等學校卒
業者は豫備試験免除、低學歴者は之に合格することによって基礎學力を証明しました 
この制度は今日も継承され、司法一次、二次試験となってゐで、時々子供が司法試験に
合格と報ぜられるのは報道人が馬鹿でこの区別を知らないからです
218大學ヘ授:2005/06/09(木) 08:43:47
 同様にして高検、専検も無學歴者の為の高等學校、専門學校入學資格検定試験にて、
今日の大検の祖形ですが、大検よりは遥かに難しかったです

 なほ試験制度とは別に學校教育制度も、夜學、通信教育、社会人教育、生涯教育が
整備されてゐました 向學の志ある貧乏人は皆、夜間部か、せめて講義録や青年學校
で學んでゐました

 戦前、低學歴の貧乏人が矢鱈出世し、廟堂の大官、軍高官が立志傳中の人ばかりで、
貧家の子弟でないと出世出來ないかの如き観を呈したのも、斯る制度的支援があった
ればこそであります 官武一途庶民に至るまで各々その志を遂げ、人心をして倦まざ
らしめんことを要す、てふ五箇條御誓文の理想は、高度に遵奉されてゐたのです 小
學校を出て野良で小作仕事をしてゐた貧農の子が、しばしば陸軍大将や總理大臣にな
るのはこの故です
219大學ヘ授:2005/06/09(木) 09:22:01
 大學に教育學部や商學部が全然、または殆ど無い以上、教師や商人の養成は
高師や高商の役目にて、これが最高學府と成ります 廣島高師や彦根高商が昂
然と胸を張るのは斯うした事情も有りませう 他方、帝國大學には工學部が整
ってゐます 後に東京工業大學になる蔵前高等工業ですら、長崎高商、高等商
船程に名前が轟かないのは、斯界の最高學府でなかったからだと思ひます 勿
論、蔵前の生徒には帝大進學の途も有りましたが、高等學校理科の卒業者のや
うに指定席でなく、振ひ落されます

 商大設置以前、商人を目指す者が彦根高商か慶応理財かの選択を迫られたな
ら、前者を選ぶのに何の不思議もありません 三年の時と學資を費やすに値す
るか否か、商人らしく利益考量すれば、近畿や九州の俊秀は、近くの高商を選
ぶことが多いでせう 全國的声望もさうかも知れませんが、局地的には遠くの
私大、慶応より地元の官立、高商の方が尊敬されます 今日、偏差値高からぬ
北大が道内に君臨してゐるのと同じです
220大學ヘ授:2005/06/09(木) 10:14:00
 206 に
「陸軍の幹部候補生は中學卒業の學歴で志願出來ましたが、一般の幹候試験に
受かった後、更に試験を重ねるので、採用手続としては比較的厳重です」
と書きましたが、これは経理部将校選抜の話です 兵科甲幹試験合格者から更
に選んだ、といふことです

 法廷へ出ますのでさやうなら
 
221日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:24:13
新兵で入営して大将で辞める、これ最強
222日本@名無史さん:2005/06/09(木) 17:11:23
辻みたいな例もあるから。
223日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:11:18
一兵卒で入営した人は最大限どの程度出世できたのでしょうか
(のらくろは大尉で除隊しましたが)
同様に最下級で官吏になった人は最大限どの程度出世できたのでしょうか

224日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:26:11
>>223
少佐まで。だから、少佐には「兵隊元帥」の異名がある。
225日本@名無史さん:2005/06/09(木) 22:33:30
のらくろって士官学校だか大学校行ってなかったっけ?
226日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:43:16
漫画の話をしてどうする
227日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:47:55
漫画とはいえ当時の制度をほぼ正確に反映している。
軍隊経験がある人間が大勢いる時代からな
生きた資料とでもいうべきものさな。
228日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:49:53
漫画読みが威張るなよ
229大學ヘ授:2005/06/10(金) 10:51:56
 自信満々嘘を書く皆さん、お早うございます

 兵卒は正月に二等兵で入営し、翌年十一月に一等兵で満期除隊、兵の間は一年毎に
進級するのが普通です これは職業でなく、単に兵役の義務を履行してゐるに過ぎま
せん よって民法概念を借りれば、無償双務関係にて、労働對価たる給料は支払はれ
ません 塵紙代程度の小遣銭しか貰ひません

 軍隊は貧農の子弟にとってこの世にパラダイスなので、除隊したくない人も大勢ゐ
ます その場合、優秀者の上等兵なら下士志願します 中隊本部の准尉殿の御眼鏡に
適ひ、聯隊本部経由の工作が成功すれば、歩兵學校へ入校し、原隊へ戻ると判任官た
る下士官に任官します 伍長を皮切りに職業軍人の道を歩む訳ですが、これだけだと
将校に成れない事も有りませんが、平時なら准尉あたりで豫備役編入です このコー
スで一歩一歩兵卒から上がって行くのを特進と呼びます

 次に、少尉候補者といふ道があります 曹長の時に選抜試験を受け、少尉(奏任官
すなはち高等官)任官するものです 何年も軍務に就いた實歴に加へ知力、戦技で非
常に高倍率の篩にかかるので優秀者が多く、少尉一年目から強力な下級指揮官で、上
下の信頼も篤い存在です
230大學ヘ授:2005/06/10(金) 11:29:30
 三番目に甲種幹部候補生といふ道が有ります 一期選抜も終らぬ入営数ヵ月後から、
中學卒業以上の學歴者に限って志願出來ます 各地の豫備士官學校(長は陸軍少将)で
一年程度の速成教育を受け、見習士官でまた鍛へられ、少尉任官にします 少候が佐官
まで進むのに對し、幹候は特志でも大尉止りです 本人も進級するよりさっさと除隊し
たいでせう 娑婆の學歴を有する者は娑婆に帰るのが前提ですから、筋目は良いけれど
も、軍人社会の眞の仲間ではありません 低學歴でも少候の方が職業軍人です

 支那事変が長期化してから将校不足を補ふ目的で始まった制度で、人数は多かったで
すが、任官前の軍歴浅く、少尉の頃は信頼されません しかし學も有り、円満な常識人
多く、管理編成や教官としては悪く有りません 勿論中尉、大尉と進級し、戦闘経験を
重ねて行く中で知仁勇の指揮官に育ちます
231日本@名無史さん:2005/06/10(金) 14:13:19
軍板になってきていない?
232日本@名無史さん:2005/06/10(金) 19:01:40
質問です。
大日本帝国の三権のうち、なぜ司法部門だけ私大(中央大等)の跳梁を許していたんでしょうか?

中央大→判事→大審院長 とか
少し毛色が違いますが、
明治法律学校→司法省→陸軍法務官→5・15事件主席検察官→2・26事件主席検察官 とか

司法部門だけは、帝大(つまり東京帝大法科)一辺倒でない雰囲気です。
233大學ヘ授:2005/06/10(金) 20:50:23
 平時の軍隊は一大教育機関ですから、これを抜きに教育史は語れません 陸軍の方も
その氣で、教育總監は陸軍三長官の一人でした 眞崎甚三郎教育總監の更迭が二二六事
件の引金になったことはご存知でせう それほどの重職で、教育は平時軍隊に於て最大
の任務なのです

 早い話、軍隊教育を受ける者は、娑婆の中、高等教育を受ける者より多いのですから
 さうして、軍隊教育を受けた者は、満期後、社会教育、生涯教育等の場でそれを普及
せしめます 今、悪口を言はれてゐる西日本鉄道の配置教育にも確實な名残が見られま
す 衆人環視の中で直立不動、大音声で古参者に 
「何某運転士は何月何日何時何分何々駅發何々駅行何番列車に於て二分の遅れを出し、
 真に申訳有りません! 今後は決して遅れぬやう、粉骨砕身‥‥」
「何某二等兵は九九式短小銃殿の手入れを怠り、真に申訳無く有りました 今後は二度
 と‥‥」
 そっくりです

 國民の多数が高等小學校で學校教育を了へた當時、軍隊教育の比重は大であり、将兵、
殊に下級者は天與の好機に喜び勇んで久振りの勉學に励みました 兵舎の中で消灯後、
唯一点灯されてゐる厠の中は、立ったまま教範を熟讀する熱心な兵がゐたものです 
234大學ヘ授:2005/06/10(金) 21:07:05
 したがって軍隊教育の重要性を指摘する 52 は、必ずしも細部まで正確とは申し
ませんが、正しい核心を持つものです

 さて第四の道は、陸軍士官學校から正規の将校に成るものです これが本來の将
校養成課程で、前三者は時として数は多くとも、所詮変則或は臨時の将校です し
たがって陸軍部内は勿論、世間的に見ても陸士出こそ本チャンであり、職業軍人で
した 彼等は中尉進級から四年間、陸大の受験資格が有り、合格すると三年間、最
高度の教育を受けます(年数は時期により多少の変動あり) この陸大出こそ大陸
軍を背負って立つ、エリート軍人でした 襟に陸大出を示す天保銭の徽章を着け、
天下を睥睨し、低くとも高等官二等の少将までは進級しました 軍隊も一種學歴社
会なのです

 でも日本陸軍が偉かったのは、この道を一兵卒にまで開放してゐたことです 士
官學校には、どのクラスにも兵隊から入校を許されて來た者が居りました 小學校
出でも、陸士から陸大を出て将軍になれたのです
で  
235大學ヘ授:2005/06/10(金) 23:56:19
 近代日本の成功は多く教育の成功に負ふとは、世界の研究者が擧って指摘する所で
す さうしてその教育は、旧制高校に代表される娑婆の學校と、陸士海兵に代表され
る文武の二本柱から成ってゐました みんなで陸海軍と旧制高校に學び、明るい日本
の未來を切開きませう

>>232
 大日本帝國憲法体制は一応権力分立論ではありますが、必ずしも三権分立ではあり
ません さて小職はこの世界の人間でありましたが、理由は二点有ると思ひます 一
つは司法官僚は遵法精神が高いので不磨の大典の平等原則を遵奉した

 二つは高等文官試験合格者数の問題です 司法科の合格者数が中央二百、東大三十
では、中央の勢威が大きいのは當然です 高等文官試験は今日に至るまで、行政科よ
り司法科の方が段違ひに難しいのです 小職が學生だった頃、行政は司法の練習台か
滑り止めで皆、黙って受けて黙って合格し、黙って辞退しました 東大生は浪人して
まで受験を続けずとも、さっさと行政官に任官する道が有ります 中大生にも有りま
すが、先づ課長か精々局長止りです 同僚が大臣まで累進するのに、自分は初任給か
らして何割引です だから公平な軍や司法会官僚に人氣が集まるのでせう 往時、東
大の高文司法科−司法試験合格者数が少かった最大の原因は、東大生自身が望まなか
ったからです 大臣、検事總長、大審院長の司法三長官を歴任された林頼三郎先生も
中央でしたな 今日唯今も、中央大學出身の最高裁判事は幾人もゐます 
236日本@名無史さん:2005/06/11(土) 00:11:26
 旧制高等学校の誕生は、明治時代に遡ります。時の政府は、江戸時代の鎖国により
立ち遅れた文明を欧米並にするために富国強兵策をとりましたが、その富国の一環と
して西欧文明の吸収にカをいれました。そこで学術研究と教育の最高機関として帝国
大学を設けたのですが、なにしろ西欧の学問を勉強しようにも、本は全て英語、ドイ
ツ語、フランス語などの外国語のものばかり。大学に入学してからそれら外国語の勉
強を始めたのでは、研究などほど遠い。そこで、予備教育の過程として外国語学校が
出来、明冶19年高等中学校が、その後明治27年に高等学校と改称されました。これが
高等学校のスタート。旧制高等学校は、帝国大学への進学の特権を持つ言わぱエリー
ト校でありながら、各校独立した性格を持つ、世界にも類のない学制の学校でした。
その3年間は、大学に進学し専門教育を受ける前に得られた自由な人間形成の時期でも
あり、17才から19才位までの人生で一番多感な時に、自由自治の精神とともに、弊衣
破帽のバンカラなどに代表される旧制高校生の生活は、内面の充実をもって専しとす
る青年の心意気を示そうとするものでした。たとえそれが一部のエリートのための教
育であったにせよ、現代の教育に何かを示唆しているのではないでしょうか。
237日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:04:15
 第一高等学校(一高)は明治7(1874)年、東京外国語学校の英語科が独立した東京
英語学校に始まります。その後の学制改革により幾多の変遷を経て明治27(1894)年
第一高等学校となり、昭和10(1935)年本郷向ヶ岡弥生町(現東京大学農学部敷地)
から目黒区駒場(現東京大学教養学部敷地)に移転、昭和25(1950)年第二次大戦敗
戦後の学制改革により終焉を迎えました。設立の目的は、我が国の近代国家建設のため必要
な人材の育成でありましたが、全国から集まった優秀な生徒と、常に一流の教授陣とにより、
その目的は充分に達成されました。

 この間の卒業生は18,633人、政界、官界、財界、そして学界などあらゆる分野に有
為な人材を世に送り出しました。さらに小説・短歌・俳句などの文学、音楽・演劇・絵画な
どの芸術の分野にも多くの卒業生が活躍しました。また、戦前戦後を通じて多くの卒業生が
左翼陣営でも活躍しています。その反面、立身出世主義を目指すものだとの批判もありまし
た。しかし、栄華の巷を低く見つつ、流れる水に書き記したような消えて儚い名は追わずと
数多くの寮歌に歌われた心こそ一高生の自負するところだったのです。

 一高の特色としては、単なる高等教育機関に止まらないものがあります。これが、生徒に
よる自治制度と、皆寄宿制度(全寮制)です。1890年(明治23)2月、木下廣次校長
が、完成を見た東西2寮を開くに当り、自治を許す旨訓示、直ちに生徒側がこれを受け入れ
て自治制度、皆寄宿制が始まりました。東西2寮は、明治33(1900)年5寮に、大正
9(1920)年8寮となり、ここに他に類を見ない自治制度に基く皆寄宿制が完成しまし
た。以来、学校における学問の他に、寮室における先輩・後輩、文科生・理科生の別なく、
議論を交し、友情を深め、啓発・刺激し合った関係から、さらに有為な人格が形成されて行
きました。当初の設立目的から、さらに拡大された分野へと卒業生が志向したのも、このよ
うな寮生活から生れたと解されます。
238日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:05:38
 また、一高の歴史の中で見逃せないことは、明治29(1896)年から始まるアメリカ
人との野球試合に13戦11勝と天下を沸かせ、当時の日本人の国際社会への自信を高めた
こと、全寮制などをめぐる所謂「校風論」が盛んに行われ、校風を形成して来たこと、毎年
の紀念祭に作られた3百数十の寮歌があることでしょう。

 一高が生れてから130年、消滅してから50数年、その間、学校76年、皆寄宿制60
年、このような我が母校一高を後世に紹介するために、このサイトを公開しました。これか
らの我が国の高等教育のあり方を考える上で役立つことを期待します。

                           一  高  同  窓  会
239日本@名無史さん:2005/06/11(土) 09:31:19

 第一高等学校のホームページへようこそ!

 http://www6.ocn.ne.jp/~kohryoh/home.html
240大學ヘ授:2005/06/11(土) 12:13:14
 今日、各大學が少しでも良い學生を集めやうと腐心し、京大ですらてA日程だの、東大と
重複しないB日程のと騒ぐやうに、昔の大學だって優れた學生を欲しました 小職の世代だ
と直ちに論語「朽木は彫る可から不」を想起します 既に別コースを歩んでゐる陸士海兵海
機海経は別として、高校生は帝大にとって珠玉の志願者だったのです 私大には初めから高
嶺の花でした 或年、京大文科のどこかの學科に高校から数人入學したところ、大學側が今
年は大入りだと喜んで一大歓迎会を開いてくれたさうです

 斯る情勢下、帝國大學の一部學部學科が高校生に對し入學試験を實施したとしても、それ
は「天下の秀才」にとって大したものではないのです 高等學校中、必ずしも序列高からぬ
山間の地名高等學校の落第生すら全然勉強しないで東北帝大医學部の入學試験に合格するの
はこの所為です 帝大側の、否、大日本帝國の總意は、高校生を一人も余さず入學せしめ、
これに次ぐ官立専門學校卒業者も成る可く大勢引取り度い、といふことだったのです 慶応
豫科の卒業生が東北帝大医學部へ入學するのは容易ならぬことであり、中學教員免状取得者
が京大文學部に合格するのは決死の猛勉強を要するかも知れませんが、高校生には樂勝です
 第一、高校に入る為に受験勉強した中學生の話は聞いても、大學に入る為に受験勉強した
高校生の話は聞きません 高校に入學すれば受験はもうそこで終りです
241大學ヘ授:2005/06/11(土) 12:27:46
 以上は高校が元來帝大豫科たる制度上、必然的帰結であり、帝大側の採用経験上
の結論であり、何よりも「天下の秀才」の實力の反映でありました 今日東大博士
課程は東大修士課程修了者のみ外國語試験免除であり、慶応義塾大學は慶応高校卒
以下附属(新制)高校卒業者を殆ど全員引取るに付き何処からも苦情が出ないのと
似てゐます 似てゐないのは、旧制高校卒業有者数が、帝大入學定員より遥かに少
いてふことです 總体的に見れば、帝國大學は高校卒業生を篩にかける意思無く、
高校生を全員入れて、なほ余る余積にその他大勢を試験の上入れて遣はす、といふ
ことです

 よって松高生は警官を女鳥羽川に投込むことは有っても、大學入試の為にガリ勉
強したりはしません 
242日本@名無史さん:2005/06/11(土) 12:56:30
            ,′ _
           , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
        _/     l|/,     ゛、
      /:/    爪! l| il| |     ヽ
       /:::/   | l l``` "´| ト、 l    ゙、
.      !::::l   /|.lヽ!    リ }ハ_     i    好きです、日本の兵隊さん!  
     l::::|   l/l|二、    ,二., l  i l          
     |::::l i l,/_j::、     _j::、ヽl i ! !         
     l::::| l l! _ヒ」     ヾ┘ j l | |
      l::::i! i l l       ;     //l j i !
      !::::lヽ!、ヽ'、   、__,   ノ'// ///
.      j::::::!::::::ヽ゛、        ///!'´    
     i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
      !::::::::::!::::::::::!ノ        !:::::::::::!::l
    j::_,,-ヽ:::::::ヽ      iヽ:::::::::ヽ!
243日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:04:43
変な意味で言っているわけではないが、大学教授氏の軍教育関係のことは軍板で書いてもらうと
面白いと思う。
244日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:12:20
>243
まぁ、軍ヲタの叩き台間違い無しなんだけど。
245日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:40:00
↑ 刑罰スレ以来叩かれっ放しの怨恨で粘着する文盲
246日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:06:03
結局、文盲・罵倒しかレス出来ないのはwってことでオケ?
仮に教授=wであるとしたら、wのレスはほんと無駄だし、余計に荒らす原因ですよ。
教授で通していけばいいのに。
教授の興味深いレスは他スレ含めてあるのは事実。
些細なレスに過敏に反応するw氏、これが楽しいのかもしれないけど止めといたほうがいいですよ。
気に障るレスは無視しとけば?
折角のものも自ら壊している気がする。
247日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:32:03
荒しはおまいだろうが‥‥‥厚かましい香具師だ
248日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:58:09
荒らしも無く順調に行ってるスレなのになんだ何だ?
文盲もWもいない無関係な所へよその喧嘩を持ち込んで荒らすな!
249日本@名無史さん:2005/06/11(土) 20:26:58
客観的事実として、最初に荒らしたのは244。
250日本@名無史さん:2005/06/11(土) 20:31:19
             , ‐-‐ '''' ー.、
           /        ̄`ヽ、
     ,. '´ ̄`"           ::: \     女学生は兵隊さんが好き!
    //   .....: _、  :.. ! ::..     :. ::ヽ     
   〃/    .::/  ヽ :::::.!: l :::::..:.   :::::::: ヽ
  /'/    .::::l    l ,ム:r-'l::/、l::.  .: .::::::: :!
  '/:.:  :.!:::、::!   '´/',.-,/'_  リ  ,'::::::::::::. l
  l:::::. ::::.::ヽl _ヽ      イノ::lヽ'ノ  /::::__:. :::::.ヽ
  l::::!::::::::::::ゝィcヽ     ー`'‐/, ‐ '7::i  ヽ:... `ー '´ー'/
  ヽヽ、::::::::::i ゞ‐ソ :.      '´   7リ` i l .........: '´ /
   `ヽ`ヽワ:!  ヽ           ノ-' ノ ::::  _, _-'´
    、 - ' .'、  、-‐‐;         , 7:."´  _  _ン´
     ``ヽ、. ヽ  ヾ_ノ      ノ !::::::::........:_`-‐
        `"7ゝ、"     ,. - '´__!_" ´  ̄
             `ーr‐i_´ィ i ̄    !
             ! !  l !     l
             ! !.  ! !  , ‐', へ ..,,_
            , ノ,、.j - l ‐',、<     ` ー-- ..,,
         ,. - '´.へ レ'  ヽ'´ ```ヽ,        >ー 、
      ,ィ"´ ,/   j         〃      /     !
251大學ヘ授:2005/06/11(土) 20:50:49
 あらしの皆さん、御勇健にてや
 教育史談はわけわかで参加できない人があらしますから、あれた後の氣分直しに
別口の閑談一席
 以下は数十年前、故・馬屋原成男検事に伺った話である

 東北地方の、どちらがどちらか忘れたので仮に表日本側としておく 陸奥で殺人
事件が起った 種々の証拠から一人の男が容疑者として捜査線上に浮かび上がった
 山仕事をしてゐる貧しい男で、あらゆる証拠と状況は彼を犯人と指し示してゐた
が、唯一点、どうしても解けぬ難問があった 男には犯行時刻、奥羽山脈の向ふ側、
遥かに遠き裏日本側に所在した確証があったのである

 ヘリコプターも無く、交通未整備だった當時、太平洋側と日本海側の往來には長
大な時間を要した 男のアリバイは犯行時刻とぴったり一致してゐた訳ではなかっ
たが僅々数時間のズレしかなく、如何なる手段を講じても犯行・所在両地点間の移
動には数日を要すると見られた

 鐵壁のアリバイである 被告 / 弁護側から、犯行時刻に犯行現場に臨むことは
不可能、と主張されれば検察側は反論出來ず、公判維持は困難と見られた 捜査は
難航した……

 以上は實話にしてクイズに非ず 諸兄姉には如何被思召?  
252日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:00:18
やっぱり棒倒しや騎馬戦を復活しようぜ。
253日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:12:31
東京帝大経済科と京都帝大法科はどっちが格上だったの?
254日本@名無史さん:2005/06/11(土) 22:00:59
スキーとかそりとか。
255日本@名無史さん:2005/06/11(土) 22:09:01
>>251
田舎では新暦と旧暦が混在していて混乱した・・・・てことはないか
スキーで大滑降・・・・・無理か

死因が分からないので見当がつかない
256大學ヘ授:2005/06/11(土) 23:05:10
>>253
 如何なる場合も法科は経済より上位です 経済を出てもまともな就職先は有りません 
何となれば商人の地位低く、學生側が財界入りを好まない、財界も経済出を望まない 経
済學は商人より財政家に必要な學問ですが、大蔵、日銀以下の財政部門は法科を望む こ
れらは今日なほ維持されてゐる構造だと思ひます     

>>223
 官吏≠公務員
 先づ地方公務員は官吏に非ず 精々公吏
 官吏は文官と武官に二分されますが、共通の制度として上から親任官、勅任官、
奏任官、判任官に分れます
 奏任官以上は高等官です
 最上位の親任官は自由任用の建前が、殊に文官に残ってゐましたが、これを除く
勅任官、奏任官を9等に分かちます
257日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:19:36
             ;'.,;!::     i:::::::,'    ヽ.  |   i _,,,,,_       
            ,' |:::     |::/r‐'''''‐-、_ヽ.__!,、-'"~  ,i          
      プル     ,'/i::::     |:}::::〔  ,   ‐-} }=-'_"  ヽ、   プル   
      ,,、、_‐,,,,,~、、{{ヽ:::     !=;‐-{'"   ,,-‐i''''ヾ\`==‐-',、   -‐-、
    ,、‐'''´      ヽ::::::::::.....ノ、 \ー;;;;/  / ___ヽ. `、\ ノ ヾ'',´ ̄~~`'‐ 、,ヽ、
   r'          ヽ--‐'"ヾ.ヽ `ヽ~_  /-=、,,,,ヽ. ,、‐'"ノ  }       ヽ.
.   {                ヾ=;;、   ヾ'''‐-、、-‐' ~,‐'~ ,,、=ヽ.         }
    ', ` 、,,               `ヾ=、,,_   -‐''~_,,、‐;'~''~  i       ; i
    ',   \                  ~'''‐-‐''~`''''"           ,'´ i
    ヽ、  `;、                     .;            丿  ノ
      ` 、_,{ `‐、_                 ,米           ,、' ~`y'
         )  r' ~`'rr-、、,,,_          ,ノ"゛         _,、<   ,;;ゝ
        `~`i'   ,'r´:::::::::`;丶、 ,_    _,,、-'´,ノ ,ノ      ,、 ‐'"`, ';‐'"
          ,'  ,','::::::::::::::,'    `````  `"´ `"´~`''''''''''T´::::::::::::::',', |
          i   ,','::::::::::::::,'                   ',::::::::::::::::::ii :!
         ,r'"  ,','::::::::::::: ,'                   ',::::::::::::::::::!! i、
       r''"'  ノノ:::::::::::: ,'                   ',::::::::::::::::',', i!ヽ
       {____,、-'/:::::::::::::;;'                    ',:::::::::::::::::ヾ
258日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:02:17
三越なんかが、小僧さんからのたたき上げから大卒者にシフトを始めたのは
明治中期ごろだったっけ?
259日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:12:58
明治中期に学士さまが三越には勤めないだろうよ
260日本@名無史さん:2005/06/12(日) 08:34:30
戦前の早稲田は慶應とは比べものにならないほどのエリートですよね?
261大學ヘ授:2005/06/12(日) 09:34:04
 旧制九帝大の設立時期如以下 但し各校関係者古く言ひたがるので多少の論争有り

東京帝國大學 明治10年
京都帝國大學 明治30年
東北帝國大學 明治40年
九州帝國大學 明治44年
北海道帝國大學 大正7年
京城帝國大學 大正13年
台北帝國大學 昭和3年
大阪帝國大學 昭和6年
名古屋帝國大學 昭和14年

 明治中期には東大か、精々京大しかありませんので、三井越後屋が學士を大量採用する
のは無理でせう
262日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:40:01
東京帝国大や京都帝国大の文学部出の主要な就職先はどこですか?
中学校あたりの先生?
貧乏文士?
263日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:53:42
山地主様とか網元の旦那で無職ですよ。
ボランティアで教員とか(藁
264大學ヘ授:2005/06/12(日) 09:58:30
 私立大學は大正期の大學令により出現したもので、相互間の格差は小さかった
と思ひます 法律用語としても官立大學は「大學」、私立は「私立大學」と呼分
けるなど、もろに格下でしたが、私立大學間の上下はさほど氣にしなかったもの
です 慶応は歴史も一番古く、早稲田に大きく劣るとは感じません 大學生とし
てエリートのやうな顔が出來ないでもありませんが所詮、帝大へ行けない人たち
の集團でした

 私大に積極的意義を見出せるのは官立大學には無い、夜學の存在です 貧乏故
に昼間の學校へ行けない俊秀は、夜學に學んで志を伸べました 中央も法科と共
に夜學で鳴らし、高文合格者は夜學だけで他校の昼夜總数に勝りました 吉田先
生のやうに大審院判事まで登りつめた方も有ります 早稲田も夜學で有名でした
 駒澤は消防士の學費半額でしたから、一時消防總監以下、娑婆には珍しい駒澤
閥が成立しました 法政は都心の立地故か警官が多かったと、小野清一郎先生が
仰せです 當家も貧乏士族にて、父祖は慶応(関東大震災で潰る)関西大學の夜
間部です  
265大學ヘ授:2005/06/12(日) 10:14:56
 學は糊口に非ず、てふ考へ方から、就職に関係無く進路決定する氣分も有りまし
た そもそも勤め人に成りたくない、人に使はれるのは恥かしいのですから、卒業
したら月給取に成るのが當然だと思ってゐる今の若い人とは前提から違ひます 

 坊主が印哲に、神主が國文にといふやうに職業の素養として進む場合、全く趣味
、と言って悪ければ學者を目指す場合等々 教師志望も有ります 英語、國語、漢
文は需要が有りましたが、高校教授になるのは容易でありません 戦前の常識では、
教職に就く場合、最終學歴校の一段下の學校です 小學訓導は師範卒、中學教師は
高師卒、高校教授以下は大學卒
266日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:31:33
文学作品によく出てくる、代用教員制度について教えてください。
かの山本五十六が、海兵入試に失敗したら、代用教員で糊口をしのぎつつ、海兵受験を続けるつもりだったと、本で読んだことがあります。
中学出なら、簡単に代用教員に採用されたのですか?
あと、代用教員の社会的地位、給与等の待遇はどうだったのでしょうか?
267大學ヘ授:2005/06/12(日) 11:40:42
 無資格者が小學校の教壇に立つものです 古い時代、殊に田舎では小學校を出てその儘
代用教員といふ話を聞きました 給料は非常に安く、地位も高からず、まあアルバイトで
すが、田舎は現金収入、支出ともが少いこと、教師一般の地位が高いこと、教員資格が取
難いこと、今風の就職が余り望まれなかったこと等々から、悲惨といふ程でもありません
 何れ臨時の生計です 現代法制では旧代用教員を公務員に準じ共済費を出さうと騒いで
ゐます
268大學ヘ授:2005/06/12(日) 12:00:03
 元々訓導は師範出の職であり、それと形式同格、實質やや上位の長岡中學の
優等生なら、代用教員は容易と推察します しかし、こんな簡単に判ることは
自ら調べて欲しいものですな

 昔は人に使はれるのは奉公人であって、自営業者の方がカコイイ氣風が濃厚
でした 松下ホンダSONY‥直ぐ一旗あげて起業したのはこの為でもありま
したらう 貧乏を恥ともしませんでしたが、大企業の従業員も安月給取と呼ば
れ、學歴有る者が殺到するやうなことは、まぁ、あんまり無いのです 小職の
叔父は地方政客ですが、有名企業の社長に對しても家來に對するやうに話して
ゐました

 二度の勤めでHNのやうな職業にも就き、就職指導もしましたが、現今さへ
百貨店は人に威張るやうな職業ではありますまい 良し悪しは兎も角、流通一
般に格下です 
269浪人:2005/06/12(日) 12:53:35
>>265昔の学生が先生を敬って至ってのはその辺にもありそうですね
イメージとしては、昔の教師って智と徳を兼ね備えた感じですが
実際にはどうですか?
270日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:32:26
そら幻想だわ。特権を与えられた人間がどうなるか、この版にいる人間なら分かるでしょ。
271日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:34:26
>225
> のらくろって士官学校だか大学校行ってなかったっけ?

 陸軍の場合、少尉候補者という制度がありました。
軍曹から准尉の中で選抜された優秀者は、試験を受けて士官学校で教育を受けた後、
少尉に任官できる、というものです。
 ただ、昇進差別は大きく、戦争末期に少数が中佐になっただけ。陸軍大学校も、
筆記で通っても二次でかならず落とされるという状況だったとか。

 海軍の場合はもっと露骨で、准士官から上がった特務士官には基本的に指揮命令
権が与えられていませんでした。(末期には色々例外規定あり。)で、少佐以上に
は特務士官はないんで、少佐になるというのは兵科の士官になるという事であり、
めったに上がれるものではなかったとか。で、さらに中佐に昇進したという例も、
航空隊などで地上職の飛行長になれた人もおらず、事実上打ち止めだったそうです。

 (>224の「兵元帥」という異称のおこる所以ですね。)
272大學ヘ授:2005/06/12(日) 14:10:10
 その通りです 師道といふやうな道徳律が有って、これは質量共に教師界の中心をなす
師範系に於て最も顕著でした 子供の時から教師を一生の職と選び、毎朝
「我らは日本の教師なり!」
と叫んで只管研鑽して來た人々ですから、誇を以て「聖職」に打込んでゐました 火事に
なると火の中へ駆け込んで燃えながら生徒を探し、児童が溺るれば飛込んで己は力尽きて
死すとも教へ子は救ひました 頭が固いの傲慢のと言はれますが、今の教員養成制度より
勝ってゐたと信じます

 代用教員、東京下町では昭和の御代には見られなくなってゐましたが、田舎には残って
ゐたさうです この頃になると教員不足も解消してゐたのでせう、概ね中學か高等女學校
の卒業生が、母校の小學校で教へてゐましたから、資格が無いといふのは形式で、實力は
師範出の訓導に劣らないと思ひます
273日本@名無史さん:2005/06/12(日) 14:30:29
新制東京大学卒の首相ははまだ一人もいないけど
大學ヘ授さんは小泉首相みたいに私学出で首相になれてしまうことをどう思う?

274大學ヘ授:2005/06/12(日) 14:38:30
 少候は初めから上級将校養成課程ではないのですから、上級将校に進級しないのは
當り前です 士官學校も短期間の派遣教育であって、正規の陸士出ではありません 
高等教育を受けてゐない者に、近代戦の指揮官は務まりません

 特務士官は兵科将校であって、兵科以外の何者でもありません 軍令承行令により
指揮権も有ります 滅茶苦茶を書いてはなりません
 
275日本@名無史さん:2005/06/12(日) 14:40:47
帝国大学卒業と陸軍大学卒業はどっちが権威がある?
276大學ヘ授:2005/06/12(日) 14:52:36
 私立大學卒業者が内閣總理大臣に成っても構ひません 東大に限定した所で
格別好影響が有るとも思へません 昔の有識者は人物も立派でしたが、今は単
に勉強が出來るだけです でも余り偏差値の低い大學は勘弁願ひ度く、18歳
にして無能怠惰を証明された田分者は分際を弁へるが宜しからん 角栄も下品
も下品、善幸も格調無ければ、學校は出るに如かず

△ 三木 明治
△ 橋本 慶応
× 小淵 早稲田
△ 森  早稲田
277日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:03:40
>274
この詐称教授は、あいかわらずでたらめしか書かないね。
「軍令承行令」をちゃんと調べてから書いては如何ですか。

 特務士官は兵科ではありませんし、部隊指揮権限が与えられていなかったというの
は、有名な話ですが。兵科であれば呼称は単に少尉、大尉であって、特務とか機関と
いった科名はつきません。
 そもそも、特務士官どころか、正規の将校である機関科ですら、基本的には兵科の
下におかれていたんですけどね。(兵科の少尉と機関中佐がいた場合、部隊の指揮権
は兵科の方にある。「兵科将校在ラザルトキハ機関科将校軍令ヲ承行ス」とあるとお
り。特務士官の場合は、指揮官が認めた場合に「承行セシムルコトヲ得」という扱い
で、明白に差がありますし、その場合でも機関科の下になっています。)
278大學ヘ授:2005/06/12(日) 15:19:23
 特務科といふ科はありません
 
 機関科士官は機関将校ではあっても将校ではありません
 将校は兵科に限ったものです
279日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:36:21
>>272
時代によっても異なるけど、部内から年齢制限が緩和された形で陸士に進学した
人たちと混同されている可能性があるのでは?
280大學ヘ授:2005/06/12(日) 15:36:25
 といふ訳で知らぬことに口を出し、間違ひを指摘されると喚き罵るてふ醜態では戦後
教育の破綻を實証する悲惨な存在です 深く前非を悔て勉學に励みませ

 文官の話ですが、高等官は高等文官試験、判任官は普通文官試験で任用します これ
は文官任用令等で決まったことです 奏任官の下に官吏以下の身分が大勢あり、文官任
用を目指して頑張ってゐました 台湾總督府には一円技手といふのが有り、俸給一円で
晴れの文官服を着て張り切って働いてゐました これは公吏か何かとしての給料は従前
支給されてゐます 人件費一円で累進の機会を與へる妙手でした
281日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:38:18
>>280
割合イレギュラーの話もお好きなようですが、待遇官(官吏)の扱いは?
282日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:33:46
このすれおもしろい(・∀・)
283大學ヘ授:2005/06/12(日) 16:46:03
>>279
 如何にも、271 を見れば混同してゐるのは明らかです 前段は少尉候補者を誤解して
ゐます そもそも陸士卒業者でないのですから、陸大入校は豫定されて居りません 後
段は更に酷く、支離滅裂です 指揮権を全く持たぬ軍人といふものは存在しません 軍
隊指揮系統から除外する場合は軍属や文官にします 特務といふのは成上がり士官とい
ふ意味にて、科とは関係有りません 特務なる「科名」が存在するといふのも虚偽です

 文武官を問はず世の進運につれ、無學者を登用する余地は無くなって來ました 現行
制度ではV種(初級)採用の國家公務員も着任四年以内なら部内の試験を受けてU種に
直ることが出來ます でも官吏の世界で、無學文盲の徒が年功だけで累進することは出來ま
せん 實際仕事も出來はしません

 
284日本@名無史さん:2005/06/12(日) 16:50:49
防大学校も部内はかなり年齢制限が緩和されている。
無学文盲までいくと論外だろうが、スペシャリストは得てして経験により育成されるのでは?
285大學ヘ授:2005/06/12(日) 17:06:33
 高文行政科系統の一般省庁が今日、如何なる人事かといふと、まづ大多数は無知
蒙昧のU、V種採用です 昔の流刑地のやうな大田舎では官尊民卑の氣風を今に傳
へてゐますから、時代感覚の可笑しい者、學力劣等で進學出來ぬ高校生が受験して、
易しい試験で直ぐ採用になります 30代で頭を使はぬ部署の係長になりますが、
後は石のやうに動かず、退官前に課長補佐にでも成れば部内新聞に載るほどの大出
世です
 僅か数%の高文(T種)合格者(キャリア)は、24歳の7月1日付で係長、40
代で課長、後は實力と學閥で局長、次官を狙ひます 見込無しと判断すれば天下りま
す 同期が次官に就任すれば、他は全員転出して威張り易くしてやります 總じて、 
世間で騒ぐほど優秀ではありません T種でも本省採用でない、出先採用が少からず
ゐて、愈々困っ太ちゃんです
 中間に専門職、また準キャリア等がゐて、これは時に出來る人もゐます 文部省教
科書調査官等
286大學ヘ授:2005/06/12(日) 17:33:26
>>255
 犯人はサンカにて、ムササビの如く山中を翔破してゐたのです
 實際の事件には物凄い話が澤山あります
    
287名無し分隊士:2005/06/12(日) 18:51:43
無茶苦茶書いてるね,このプロフェッサーもどきは.

>特務士官は兵科将校であって、兵科以外の何者でもありません

掌機長,掌木工長,掌経理長,掌衣糧長の階級は?
予科練卒が(幸いにして無事)長く勤めた時の階級は?

>機関科士官は機関将校ではあっても将校ではありません

昭和17年の兵科・機関科統合までは兵科将校,機関科将校
だったんだけどね.
288日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:02:17
それで特務科ってあるの?
289名無し分隊士:2005/06/12(日) 19:16:44
特務科なんてありません.

兵から昇進して少尉〜大尉になった人を
特務少尉,特務主計中尉などと言うのです.

さらに上に行って少佐まで上がれると,特務
の文字がとれます.
兵からの昇進は,少佐までです.

漫画ジパングで諜報任務に就いている人(如月
だったかな)を”特務の中尉”などと言っています
が,大間違いです.
290日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:46:27
特務○○てのは海軍だけの制度でせうが
291日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:48:30
謀略や諜報などを担当する特務機関てのはあったがな
292日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:50:13
中野学校出身の爺様に聞いた話ですが、特務に階級はなかったそうです。
制服も着たことは無いと言っていました。任務によっては違うのかもしれませんが
その爺様は上海にいたそうです。
293日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:08:19
教授の御講義は大変勉強になります。
ところで、戦後教育の惨状は目を蔽うばかりです。新憲法は日本を
混乱の極みにまで陥れました。教授のような教養の有る方が生きる
には、さぞ辛い時代かと拝察いたします。かの清水澄博士も錦ヶ浦
にて自死なさいました。この日本の惨状を救うべく、警鐘を鳴ら
される為にも御自決なさってはいかがでしょうか。微力ながら介錯
仕りとう御座います。
294日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:11:23
>>289
>特務の中尉などと言っています
それは制度としての特務士官じゃなくて、特殊任務についてる中尉って文脈で言ってるんだから
おかしくないんでは?
295日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:14:39
陸軍でも階級として、特務曹長っていう階級(准尉の前進)はあったけど、それとは別の文脈で、特務機関の人員を特務の○○と
呼ぶことはあったでしょう。
296日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:15:40
http://f25.aaacafe.ne.jp/~zflag/mirrors/zai/
在日コリアン(外国人)のカク・チョンフン君は、「すげーえげつないいじめ
にあった」と主張している。何があったのかと言えば、外国人登録書を紛失し
たため 携帯せぬまま自転車の二人乗りをしていたところ、警察官に呼び止め
られた。彼は外 国人登録書不携帯がばれるのを恐れ、その場を全力で逃げ出
した。しかし力及ばず捕まって しまい、何度もごめんなさいと謝ったが「ふ
ざけんじゃねえ、このクソガキ」とくそみそに言われた。 そこで彼は「プッ
チーンと切れて」自分が韓国人であることを明かし、神奈川県警の一 連の不
祥事を厳しく責め立てた。加えて自分の父親(この場合息子と同様韓国籍と
考えられ る)は税金を払っているのに地方参政権すら与えられないことにつ
いても警官に抗議した。そうし たら警官に「じゃあなんで日本にいるんだ
よ?」と言われ、体が震えた彼は、
ムービーファイル
http://f25.aaa.livedoor.jp/~zflag/mirrors/zai/genejan1.wmv
297日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:17:27
>>292
じゃ、小野田少尉はなんだ?
298名無し分隊士:2005/06/12(日) 20:19:06
>>291
そうそう.特務機関はありました. ですから
>>294
の仰ることは尤もではあるのですが,やはり
階級として特務中尉がある以上,特務の中尉
と言う表現は奇異に感じます.
299日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:32:43
陸軍に特務士官がないからには、諜報活動(ほとんど陸軍だと思うが)
についてる人間が、特務の○○と言えば、特務機関の○○という意味でないの?
300日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:01:09
文盲の大嘘がばれたのはいいが、それをきっかけに特務機関スレになってしまった‥
301日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:05:56
>292
遊撃戦指導のために方面軍からルパング島の部隊に派遣された少尉殿。
302日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:43:16
 失礼。277の書き方では、どう読んでも「特務科」という科があったと書いている
ようにしか読めませんね。
 無論、特務士官は予備士官などと同じような区分で、科ではないです。(兵科の特
務士官もいれば、機関科や主計科の特務士官もいますし。)お詫びして訂正します。

 ただ、だからといって >274の
>特務士官は兵科将校であって、兵科以外の何者でもありません 軍令承行令により
>指揮権も有ります 滅茶苦茶を書いてはなりません
がでたらめであることには変わりありませんので、念の為。特務士官は将校ではな
いし、軍令承行令でいうところの指揮権も、原則としてありません。
 「教授」とやらは誤解しているようですが、軍令承行令でいう指揮権は部隊を指揮
する権限のことで、特務士官や予備士官は基本的には持っていません。
 (単に部署の一員として命令するだけなら、技術士官や軍医官、主計官などもで
きますが、それは軍令承行令でいうところの指揮とは別の話です。)
303日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:57:17
>279
>時代によっても異なるけど、部内から年齢制限が緩和された形で陸士に進学した
>人たちと混同されている可能性があるのでは?
 陸大に実質上門前払いされたというのは、少尉候補者出身者が書かれた話ですか
ら、混同という可能性はないでしょう。
 陸大入校を予定されていないというのはその通りでしょうが、資格として陸士卒
が求められていたわけではありませんから、釈然としない人がいて当然でしょうね。
304日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:08:53
年齢制限があつたような希ガス。
305日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:39:40
特務士官は兵科ではありませんしと書いてるのも重ね重ね文盲の間違い
306日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:52:18
文盲はヨクヨクお詫びして訂正するが良い。
307日本@名無史さん:2005/06/12(日) 22:55:59
>305
確かに「兵科将校ではない」と書かず、「兵科ではありません」としたのは
明らかに誤りですね。失礼しました。

ただ、
>特務士官は兵科将校であって、兵科以外の何者でもありません
というのも誤りですよ、「教授」。ハンドルを書き忘れたようですが。
308日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:09:20
かくして教授は屠腹して、戦後の学制に対して抗議するのであった。
309日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:10:18
「兵科将校ではない」と「兵科ではありません」は全く意味が違うが、
いつまでもだらだら言訳しとらんで先を急げや。夜も更けた。
310日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:13:32
朝日新聞の記事は他新聞と比べて一番まともではないだろうか?
日本が右傾化しないように社説で繰り返し述べている。
はき違えた愛国心を煽るようなマスコミを信じてはいけない。
売れさえすればいいという軽薄な商魂の論説ばかりが、
国を危うくするのは太平洋戦争で懲りたであろう。
機会ある毎に日本の過去の過ちに対する反省を促し、
関係諸国との友好を深めようとしているのが朝日新聞である。
なまじ知った歴史の一部で全てがわかった顔をすると恥をかくだけだ。
のうのうと生きていられるのは平和憲法のおかげであることは間違いない。
できもしない自主防衛を唱えていては過去の過ちを繰り返すだけである。
不利なことがわかっていながら、国民を煽って戦争に突入し、
買い物も切符が無ければ買えもしないような生活をさせながら、
運用される資金はすべて軍事行動向け。
動力になるべき燃料もなく、資源も無い日本が何の大義もない戦争を
推し進めるのは狂気の沙汰としか言い様が無い。
進軍ラッパをもう一度聞きたいのか?
311日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:14:59
>>310
変なもん貼るな!大學教授に言いつけるぞ!
312日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:26:33
>>310
アフォ!旧制高校さえ有れば無敵なのだ。
313大學ヘ授:2005/06/12(日) 23:28:53
 一日中罵り騒ぐ皆さんこんばんは 荒しの大量書込で話が散らかり申した

 日本語で特務機関とは陸軍の軍属だと辞典などには書いてゐますが疑はしいですな
 帝國海軍も、一般官憲も、外國(友好國軍、官、民)も無縁でないし、第一、要所を
占めるのは正規の陸軍将校です 奉天特務機関長を見よ 陸大出の天保銭也 岩畔機関、
藤原機関、南機関また同じ

 特務機関を特務とは呼びますまい 特務機関員を特務、例へば女特務、と呼ぶことは
絶無でないやうに感じます 特務の中尉と言へば、小職は特務中尉と取りますが、はて?

 小職自身、少候に一目置きはしますが、彼らは中學すら出てゐない小卒なのですから、
陸軍大學校どころではないでせう 無茶苦茶な話です 兵卒上がりでも正規の陸士卒業
者なら問題ありません 論者はこれと混同したやうです 次いで入校させるなら、甲種
幹部候補生出身将校中の學歴保持者でせう 少候はその後です 小學校出をいきなり大
學へ入れろといふ要求こそ常軌を逸してゐます
314日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:35:14
>>287-312
荒らし決定。
315日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:40:35
香具師らは昔、刑罰スレで世にも無残な完敗を喫してから逆恨みし、
教授に粘着しまくってる変態低脳ストーカー。
316日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:43:42
ふ〜ん。2chに過ぎないのにネェ。教授の話は面白いけどなあ。
317日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:00:31
気をつけろよ、気に入らない発言は全部教授の自作自演だとわめく。
だから君も教授自作自演だと言われる。
反教授派の総大将貧・民史まで教授の自作自演にされてる。
そんなはずあるかっつーの!
香具師らは百戦百敗で頭が可笑しくなったらしい。
ここでも真面目に礼儀正しく書いてる教授にいきなり口汚く喚き叫んで飛び掛るだろ。
318日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:12:39
ほー、教授は他のスレでも活躍されてるのか
自分はこのスレが初見
大変ためになる
319日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:22:38
国費奨学金スレ(中国板の過去ログ。帝大国際交流センター長としての知見から絶賛を博した。俺もここで出会った)
刑罰スレシリーズ(日本史板過去ログ。法制史学会理事たる教授と日本史学者貧民史の丁々発止の専門論争が圧巻)
大日本帝国憲法スレ、代官大阪城スレ、町奉行スレは今荒れてるスレ。
320日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:27:32
教授は有名人だったのね。

このスレがたまたま上がってたのを見て夢中でここまで
読んだけど(教授の話だけ抜粋して)、すごくおもすろい。
321日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:43:42
293みたいに他人の死を願う文盲はきもい異常者
322日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:56:12
なんだ303は!
混同してるのは書いてる少尉候補者出身将校じゃなくて、おまいだよ、お・ま・い!
人のせいにしてごまかすな!
323日本@名無史さん:2005/06/13(月) 03:38:14
どうしても軍隊にいきたがる。
確かに、平時の軍隊は教育と警衛が仕事である上に、戦前は教育行政にも文部省
内務省と並び関与したが、徴兵検査とくじ引きの組み合わせによる徴兵が行われていた
日本の教育を論じたければ、初等教育や義務化された前後の青年学校(実業補修学校でもいいけど)
のことを述べたほうがよいと思う。
例外的な教育を述べたければ、逓信省所管の学校や内務省所管の学校、外地や関東州の教育の法を述べればよいのでは?
軍事教育を中心に述べたければ、軍板に新スレを立てるべきでは?
324日本@名無史さん:2005/06/13(月) 12:22:14
どうしても軍隊にいきたがるのは文盲。
香具師ら(といっても2人ぐらいか)無教育なので教育論嫌い、凶暴なので軍事好き、粘着なのでいつまでも。
325日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:55:07
文盲の高圧的カキコも実は某サイトの丸写し。
唐突に場違いな予科練の話が出るのも元サイトのミスまで猿真似したから。
頭悪杉w
326日本@名無史さん:2005/06/14(火) 02:01:19
324 の文才というか、詩作の才に感動した。
327日本@名無史さん:2005/06/14(火) 08:24:40
教授のイタイトコロは間違いを書き込んでそれを指摘されても
関係ないはずの名無しサンがなぜかいつも都合よく登場し
指摘した人に対し文盲などと罵倒レスを始める。

そしてまともな根拠も示さずに「教授は常に正しい」だの
「教授のすばらしい話しには感動した」だのといった
不自然な名無しレスでスレが埋め尽くされる。

ちなみに教授サンはこちらの町政スレで半可通ブリをさらけだしてスレから逃亡中です
なぜか大量の擁護レスが付き捲ってますね(藁
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1106777894/l50
328日本@名無史さん:2005/06/14(火) 08:37:46
教授サンを擁護し相手を文盲と罵倒する名無しはその文体の癖からwと呼ばれています。

彼は教授が間違いを指摘されるとなぜか都合よく教授にかわって登場し
「教授は常に正しい」とか「相手が間違っている」とか言い出します。
しかしw氏は自分主張を裏付ける根拠は提示しません。

教授の間違いを指摘する側はきちんとその根拠を提示した上で
教授の主張が間違いであるとしています。
一方のw氏は声高に相手を「文盲」などと罵倒するか
「教授は正しい」と根拠も提示せずに主張するだけです。

このようにきわめて不自然なレスがw氏により連発されるのでした。
329日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:04:03
なるほど、教授さんはつい止むに止まれぬお気持ちから「自演」をしてしまったわけですね。
でも、まあ、2chではよくある事ですからw
330日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:13:12
大學ヘ授を名乗るわりには文章がひどく稚拙な感じがする。
わざわざ旧仮名遣いで書く意味もよく分からないし。

331日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:23:31

介護付有料老人ホームからカキコしてる郷土史家だろう
332日本@名無史さん:2005/06/14(火) 10:32:32
始まりました、自作自演攻撃。
何しろ教授=貧民史=Wだそーだもんね。
人は己を以って他をはかるとゆーから、327−331も一人で書いてるんだろー。
予科練丸写しがばれてご乱心w
333日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:14:54
教授やらwの身元が判明されるのも時間の問題。
少しばっかりやり過ぎたね。
合掌・・・
334日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:21:38
イイマカサレテ勝利宣言
これぞ文盲の得意技

時間的にも近接し、内容的にもスレ題放り出し下品凶暴剥き出し憎悪の個人攻撃で一貫
同一人物の自作自演確定
335日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:40:39
おまら!
いい加減に汁!
まさか321以降全部同一人物の愉快犯じゃあるまいな!
336日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:56:08
           /  ,,,,,,,,,,,;;;;;         \
          /''''',,,,;;''''           ,,,,,,,,,,,,,i;
          ;i,,,;;'''         ,,,,,,,;;;''''''''    l;
         .;i   ,,,,,,,,;;;''''''' ,,.-,,.'''       . i; 
          ;i,,,,,;;''''     ..i;粘;i;,,,,,;;;''''''''''''''''''''=i;  
        !;;;;.,ヽ  .,,,;;;iiiiiiiiiiii;i.着i;iiiiiiiiiiiiii;;;,,,  / ,,;;;;! 
         iiiiilll|||||||||||||||||||||||IIII||||||||||||||||||||lll,,;;!iiiii  _______
         iiiii|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||iiiiiiiiii  /          |
         `|||||||||||||||||| ● ||||||| ● ||||||||||||||||||"  | >>教授    |
          ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||   .| お前、     .|
        .((i|||||||||||||||||||"    `||||||||||||||||||||)) / 馬 鹿 だ ろ |
         ((i||||||||||||||||||   ̄ ̄  |||||||||||||||||||ノノ  ̄|______/
   __,,,;____.__ i|||||||||||||||||||iiiiiiiiiiiiiii|||||||||||||||||||||i__________,__
 iii"卍卍卍卍iii||||ii||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||ii||||卍卍卍卍卍`iiii
ii||||卍卍卍卍ii |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||卍卍卍卍卍i;||iii
i||||卍卍卍卍i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||卍卍卍卍卍i;|||iii
337日本@名無史さん:2005/06/14(火) 18:56:57
いやな言い方をすれば教授の書き込みは、吉川弘文館から出ている辞典(昭和、戦前
期の日本)などの引き写しと思われます。
338327:2005/06/14(火) 19:00:09
そして教授が窮地に陥るとなぜかいつも>>336のようなAA荒しが連発され
w氏が「文盲の仕業」、「教授が粘着されている」などと言い出しますですハイ。

いままでの経験からいうとw氏によるマッチポンプ犯行説が有力ですな。

それと教授サン達のイクナイところを指摘しておきましょう。

例えば誰かが根拠となる資料を提示して教授サンの間違いを指摘したとします。
それに対し教授サン達は反論しますが適切な根拠を提示する事はしません。

「提示されている資料は二次資料だから間違いに決まっている、だから相手の主張が間違ってる」
などと言い出します。

で教授サンの主張が正しいという根拠や提示されている資料が間違いだという根拠は何も提示されません。
すくなくとも自分の側が一次資料を提示した上で相手がの資料について「二次資料だから駄目」というのならば理解できますが
何も資料を提示しないでそのような事を言い出すのはイクナイですな。
339日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:04:46
教授のいぬ間の悪口
340日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:12:27

だから、やめろって。
お前、マゾか?他のスレも駄スレ化してるじゃないかよ!
341日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:22:55

荒しの癖に説教垂れるとは厚かましい香具師だ
真面目にスレ代を論じろよ
ここは教育史なんだぞ
変態粘着個人攻撃きもい
342日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:35:00
337 は酷い嘘だな。
ほんとにいやな言い方だ。
教授の書き込みのどこがその本の引き写しなのか挙げてみろ、この大うそつき!


343日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:47:33
>>341
>>342
荒らすな、しつこい
344日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:49:56
教授は本人の話から類推するに、当時生きていたと思われる。
345日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:07:13
荒らしはだろー
337=343
342に答えてきちんと論証してみろや

346日本@名無史さん:2005/06/15(水) 09:06:55

荒らしは誰だろー?
荒らしは337だろー?
荒らしはおまいだろー?
347大學ヘ授:2005/06/15(水) 11:00:32
 徹夜で怒鳴る皆さんお早うございます

 官吏任用の話が未成でした
 文官任用令以降、武官並に親任文官(概ね今日の新聞用語に言ふ「政治的任命職」
相當職の高等官)は、高等試験令に基く高等文官試験合格者に限定されました
 でもこれは高等官すなはち奏任官以上の話で、判任官は普通文官試験合格者の他、
學校出の採用、昇進が存在しました
 今だと學士の初級採用でも試験通貨を要しますが、昔は學校への信頼が篤く、學歴
を尊重したからです
 上司の方針で、試験合格者や實績者より學校出を優先させることは珍しくありませ
んでしたが、小職の實感でも、小卒の普通文官試験合格者より、中卒以上の學歴者の
方が有能、少くとも可塑性に富んでゐたと思ひます
348大學ヘ授:2005/06/15(水) 11:16:46
 大日本帝國や言はば國是として恵まれない者に希望を與へてゐましたから、
小卒でも高等文官試験や帝大、海兵以下を受験出來、高文に合格すれば無學歴
で本省の局長以上へ昇進することが可能でした その比率は著しく低いもので
はありませんでした が、それにしても高文に合格せねば、幾十年判任官を続
けても、奏任官以上への昇進は困難なこと、今日と同じです これは行政が複
雑高度化した今日、當然の処置だと考へます 現行制度上の中級採用以下も全
員、職業人としては馬鹿と見て差支へ有りません

 判任官より下に官吏に非ざる身分が多く有ったことは既述の通りです 彼ら
から見れば判任官でも官員様でした 若年者は多く官吏任官を目指し、そして
成功しました 上は夜學に通って高文突破、下は精励獨學して任官といった話
は日常耳にしたところです 民間でも給仕から社長とか、司法省の玄関に蹲っ
てゐた雑人がやがては司法大臣とか、巡査から内務大臣とか、数へ切れぬ立志
傳に溢れてゐたのです

 大日本帝國は夢と希望の國でした 
349日本@名無史さん:2005/06/15(水) 12:08:49
お雇いガイジンを忘れるな
350日本@名無史さん:2005/06/15(水) 14:43:16
このスレ面白くて(・∀・)イイ!!
無学文盲の実に矮小な自己正当化欲に基づいた自己主張がまかり通ってしまう
現代日本を、教授殿はどのように思われますか?
351日本@名無史さん:2005/06/15(水) 14:49:42
教育制度がどうだったかという話よりも、
実際の学校生活でこういうことがあったとかの具体的な
体験談っぽい話が聞きたいな。
352日本@名無史さん:2005/06/15(水) 19:37:48
>>351
賄い征伐とか?
353日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:26:17
戦前教育の原点、郷中教育だな。
相撲、騎馬戦、剣術で豪気を養う。
354日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:28:02
>348
司法省の玄関に蹲っ
てゐた雑人がやがては司法大臣とか、巡査から内務大臣とかとありますが具体的にはどなたでしょうか?


355日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:44:41
郷中教育は儒教ベースだから、きーんだい的視点からみると若干偏ってるというか視野が狭そう。
356大學ヘ授:2005/06/16(木) 09:50:20
 郷中教育は儒教がベースだとも見えません 影響は有りますが
 また儒學が、若干偏って視野が狭いてふことは無いでせう
 我らは儒學の native ですが、大層廣大無辺な世界です
 楚人弓を忘れ、楚人これを取る 子曰く云々

 ところで347 に
>武官並に親任文官(概ね今日の新聞用語に言ふ「政治的任命職」相當職の高等官)は、
  と書きましたが、
武官並に親任文官(概ね今日の新聞用語に言ふ「政治的任命職」相當職の高等官)以外は、
  の書損じでした
357日本@名無史さん:2005/06/16(木) 11:57:25
若衆宿はいつごろまで続いたのだろう
途中で青年団に移行したと聞くが
358日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:04:42
>>357
青年会(団)に切り替わったのは地域により異なりますが明治40年代から大正初期
ぐらいが多いです。
しかし、明治10年代に切り替えた地域もありますし、戦後まで並存していた地域も
あり、かなりばらついています。
359日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:08:49
若衆に対する非難は幕末には地域の有力者などから出ています。(地域によります)
このような非難が本格的に広がるのは、西村茂樹が帝国大学での講演において若衆
の風紀に対する非難をしたからとされています。(日本青年館の考えでは)
360日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:16:16
江戸時代の世襲制のなごりと大日本帝国の貧乏人出世ドリームがミックスして
うまく機能したのが日露戦争ころまでの時代だろう。その後は
貧乏人から出世したエリートが国を滅ぼした。高貴な義務というのは一代や
二代では育たない。シナの科挙の制度は日本ではずっとなかったのが明治時代に
高文試験として採用してしまった。さすがに宦官制度は導入しなかったがね。
361日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:57:37
既出だけど『坊ちゃん』読むと生徒も教師も今と変わらなかった気がするね。
生徒はDQN揃い。
教師も事なかれ主義で日和見のたぬき校長、
西洋かぶれで裏表の有る赤シャツ教頭(下宿の婆さんなんかはそれでも英語の教師だからと
赤シャツを偉いと思っている)、
腰ぎんちゃくの野だいこ。

漱石は教師経験があるから経験に基づいて描いてたんだろう。
362日本@名無史さん:2005/06/16(木) 18:51:30
帝大卒の赤シャツがむしろ漱石自身なんだよね。
校長よりも給料が高かったそうだ。
363日本@名無史さん:2005/06/16(木) 22:12:05
東京帝大を目指すような子弟のための、しかも義務教育外の中学校なので、あれを当時の普遍的現象と考えるのは
無理があると思う。
364日本@名無史さん:2005/06/16(木) 22:21:26
365日本@名無史さん:2005/06/17(金) 08:37:39
当時のエリートがあんなDQNだったのか。
教師の後つけていちいちその言動取り上げて笑いものにしたり、
教師の床の中にバッタ入れたり。
366日本@名無史さん:2005/06/17(金) 09:07:04
大袈裟なことを言うな
どうせ田舎の子供なんだからな
367大學ヘ授:2005/06/17(金) 11:15:43
 一昨日は裁判に勝って欣快に不堪
 執務室の窓から蒼海を眺めて、在りし日の帝國海軍に想ひを馳せてゐます

 中學生が皆、東大へ進む訳ではありませんし、エリート云々も間違ひではありませんが大袈裟です
 中學生が同じだとは露思いませんが、そもそも子供を對象に同じだと評しても仕方有りますまい 
乳児は皆同じであり、胎児は初め多種生物との異同もあやかならず

 昔の學校は校長先生も學生服、大正期の東京市長は詰襟で上下一体感がありましたな
368日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:29:40
東京府立一中に次ぐのは二中じゃなくて四中ですよね?
369日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:35:39
てんぷら先生
370日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:37:50
>>368
正解。ついでに一高と言えば一中、海兵と言えば四中、と言われた。
371日本@名無史さん:2005/06/17(金) 20:36:45
戦後民主教育はあきらかに失敗。
表面的な屁理屈や能書きばかり垂れて、肝のない弱虫君を量産してしまった。

相撲や騎馬戦で剛毅を養うべきだ。
372日本@名無史さん:2005/06/17(金) 20:40:11
相撲で体と体をぶつけあって
己の力を知ることは重要だぞ。

今は体同士をぶつけあうこともなく
妄想ばかりが肥大化した生徒が多いな。
373日本@名無史さん:2005/06/17(金) 20:46:10
俺の高校では柔道剣道必修だったよ。20年以上前の話だ。今はどうなんだろう?
374日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:17:52
>>370
大正時代に中高七年制の高校が出来て一高一中優位は崩れた
中学の段階で帝大進学が確定するほうがいいからね
375日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:23:41
でも尋常科のある七年生高校ってほとんどないでしょ
376日本@名無史さん:2005/06/18(土) 00:59:05
所詮私学だからな。
七年生高校のほとんどが・・・
377日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:02:15
官立2校しかないし・・・。
378日本@名無史さん:2005/06/18(土) 01:51:08
高等官五級
379370:2005/06/18(土) 09:23:33
旧制武蔵高や成城高、学習院もそうだったかな、といった七年制高等学校ができて
志望者が急増したのは事実だけど、一高一中の優位が崩れるほどだったのかな。
一高に代表されるナンバースクールのブランドはやはり強かった、という話を聞いたことがある。
ちなみに七年制高校出身で有名といえば、宮沢喜一(旧制武蔵高)かなあ。
380大學ヘ授:2005/06/18(土) 11:58:23
 七年生高等學校は戦前の受験競争の山場たる高校入試が要らないので人氣が有りました
でも一中一高より上といふことはありますまい
 また私立は多少格下です
 勲一等内閣法制局長官林修三先生のご葬儀で、東京高等學校の受付が大蔵省、外務省を
圧してゐたことを思ひ出します
381日本@名無史さん:2005/06/18(土) 12:27:13
入試は問題レベルと、倍率の双方から見ないとなんともいえませんね。
382374:2005/06/18(土) 12:58:14
岡崎 久彦氏(旧制武蔵高校)の著作に、七年生高校が出来てから都会ではこちらの方が
人気が高くなった、と書いてあったのでちょっと先走って解釈したかも知れません。
ちなみに岡崎氏は旧制高校復活論者で、東大・東工大などの名門校に、全員大学に入れることを
保障する付属校を作ればいいと言っています。
彼によると、最近の秀才は勉強のピントが合いすぎている、無駄な勉強が足りない・・・とのことです。

自分の知る限りでは武蔵・成蹊・成城・甲南・東京・府立といったところ。
全体的にリベラルな校風のようですね。都会の良家の子弟が中心かな。


383日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:52:03
校史を調べると書いてありますが、成蹊、成城などは陸士のすべり止めないし、
予備校化していました。
今日はそれを屈辱の歴史としているようですが。
384日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:53:25
>>382
いつの時代も受験専門の人間はいるのであまり意味がないような?
385日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:54:58
満州国関係の資料を見ると、大正新教育の学校を卒業した教員たちがかなり
現地で教職についています。
386日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:45:57
大正時代は地方でも自由主義的な教育が取り入れられたような。
戦時中教師をしていた女性の、自分の受けた教育の回顧を読むと
広島の山奥の小学校で意外なほど自由主義的な教育を受けていたので
ビックリしたことがある。
当時は教師(特に校長)の裁量でかなりのことが出来たみたい。

戦前といっても時代や学校によってかなりの違いがあるようだ。
387日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:25:29
永野修身(太平洋戦争時の海軍軍令部総長・元帥大将)が海軍兵学校の校長だったとき、海兵のカリキュラムにダルトンプラン(自習中心で自主性を尊重する教育)を導入した。
388日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:40:26
戦前というか昭和30年代頃までの教育というと
やたら体罰をしていたような印象があるが、その辺はどうなんでしょう?
389日本@名無史さん:2005/06/18(土) 19:45:21
大島渚が「日本には本来体罰なんぞなかった」と昔言っていたが。
390日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:54:58
麻布は?
391日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:57:11
寺子屋とこでは無かったな。破門てのある。
面倒見切れないからもう来なくていいよて感じで。
藩校でも同様に。この場合は放校=家禄に傷がつくというのはありがちだが・・。

明治政府の義務教育は徴兵制と一身同体だから・・。
兵隊作るのに破門やお暇は不味いだろう。
当然、殴りつけてでも言うことを聞かせるという発想になるなる罠。
392日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:58:08
昔の東大入試のテストみたことあるが
はっきりいって、今の入試より格段にムズイ
393日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:12:19
今の東大二次よりも?
394日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:54:49
昭和40〜50年代にかけて小学校教育受けたが、
体罰は普通にあった。ビンタも張られた。
東京都下の話。
395日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:10:11
>>394
つまり体罰がなくなったのは昭和の本当に最終の頃(昭和60年代)か平成に入ってからなのか。
396大學ヘ授:2005/06/19(日) 00:10:48
 ご葬儀は麻布の古刹でした 地下鉄の駅を上がって地上に出ると、矢鱈警官が立って
ゐるので何事か思ったら、ご葬儀の警備でした 会場では小職の前席が宇野總理、右へ
一人置いた隣が後藤田副總理でした といふと小職が認証官みたいですが、故人との親
疎か偶然でせう 貴顕紳士を網羅し、偉い方の冠婚葬祭は盛大なものです とまれ、最
後まで旧制高等學校を心の故郷としておられたのでせう

 義務教育と徴兵制が一体といふことは有りますまい 生徒の半分は女子です

 体罰も小學校だけで、それも軽度です
397日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:18:16
>>392
そりゃぁ、だって初期の頃の授業なんざ講師は全員外国人で外国語で授業だぜ。
いっとくが語学の授業ちゃうぜ、法学とか医学とかいう専門課程の授業がだぜ。
そりゃ優秀な学生じゃなきゃついていけんわな。
398日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:18:43
体罰は今でもあるよ、検索すればいっぱい出てくる
399日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:51:43
体罰は英仏でも法律で公認されてる
400日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:04:18
大戦末期の話なんだが
補充兵としてやってきた兵のなかには
40過ぎた助教授やら教授やらが混じっていたそうな

ある年寄りの二等兵は香港だったかの「同文書院で国文の教授をしてた」だそうな。

ほんとに末期的症状だわな。
401日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:36:39
しかし、教授が出てくるスレはどれも展開が一緒で・・・・

なぜか教授は根拠も示さずに「漏れは正しい」を連発するわ、間違いを指摘されるとだんまりだし。
すうとなぜか「文盲」と罵倒を連発する香具師が出てくるし。
さらにはなぜか「教授の話はすばらしい」だの「感動した」だのと連発する香具師は出てくるし。

すっげーなぞだよな〜。
402日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:45:41
>>401
それはいつものこと。
403日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:48:48
教育史の仲間から聞いた話によると、寺子屋では習いに行く前にどの程度の
体罰が行われるかを親が調べているようです。
もっとも、体罰といっても、お灸を据えるとか立ったまま音読を長時間させる
というレベルのようですが。
404日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:49:25
>>393
世界史・日本史だけで言うなら 88年度入試では、
今の大問1のような論述問題しかなかった。

私大の入試問題のような記号選択や、穴埋め、用語を
答えるだけの問題なんてなかった。
405日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:54:14
1888?
406日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:58:43
また文盲が嘘を並べているな
このスレで教授はえらく好評だ
基地外逝って良し
407日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:55:38
だから相撲を正式科目にして
鍛えるのが一番なんだよ。
モンゴル相撲に負けてる場合じゃねえ。
408日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:10:27
相撲よりボディビル人愚のほうがよい。
409大學ヘ授:2005/06/19(日) 21:52:38
>>354 羅卒から内務大臣に出世したのは「おほうら かねたけ」翁です 貧しくて懐中
  時計を買へぬ為、八角時計を肩に架けて巡邏してゐる所を大久保卿に見出されたのが
  立身の糸口でした

>>393 永野提督の兵學校教育改革は高く評価されてゐますが、ダルトン・プランは必ず
  しも成功と目されてゐないやうです

>>400 東亞同文書院なら上海でせう 國家危急の秋、老も若きも決然剣をとるのは當然
  です
410名無し分隊士:2005/06/19(日) 22:11:53
IDの出ないこの板って,古き良き?2chを彷彿とさせますな.

>>400
全くだね.国文の教授なら教官的ポストとか,国民宣撫の
報道班とかいくらでも適所があったのにね.
ほんとに陸式は不適材不適所甚だししいね.
411日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:21:54
郷土部隊の名誉を守れ!
412日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:21:29
教官なら予備学生やら予備士官のイキのいいのが山ほどおりますし・・。一年志願兵も志願しないようなヘタレはいりませんわな。
413大陸浪人:2005/06/19(日) 23:34:09
徴用で文官教官は?
414日本@名無史さん:2005/06/20(月) 15:17:20
>>394 同意

もう少し前の時代ですが気分は”戦前”でした。運動会で「国旗に向かって敬礼!」
とか怒鳴っていた体育教師はなんと日教組の地区幹部でした。日露戦争の話を
面白くやってくれるので人気がありましたが日教組のストには率先して
参加していました。(謎) 怒ると往復ビンタで子供を数メートル吹っ飛ばしていました。
親から文句がでたことはありません。
漏れは鼓笛隊員でしたので「軍艦マーチ」「君が代マーチ」今でもドレミで歌えます。
415日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:04:46
どれみーれど
どれみれどれー
みれどれー
416日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:13:34
まともな議論になると文盲は逃げ散る
417日本@名無史さん:2005/06/21(火) 01:58:53
広田弘毅なんかも石屋さんから書生を経たのでは?
418日本@名無史さん:2005/06/21(火) 02:00:46
戦前の教育と銘打っているのだからもう少し民衆レベルの教育に話を
もっていくべきでは?
軍隊の話はいいけど。(というか、軍板にある)
419日本@名無史さん:2005/06/21(火) 08:32:57
だれもが小学校に行くようになったのはいつ頃だろう
小学校の時間・教科は今と同じだろうか
小学生にたいして学校は就職の斡旋をしていたのだろうか
420日本@名無史さん:2005/06/21(火) 08:49:28
早稲田が出来て以降
戦前戦後通じてずっと
早稲田>>>慶應だったっていうのは本当?
421大學ヘ授:2005/06/21(火) 09:15:16
 嘘ですね
 慶応の方が歴史が古く、福翁存命中から一目置かれてゐました
 福澤個人の声望も高く、文部官僚が一々三田へ伺を立てるので、文部省は三田へ移った、
などと揶揄されたものです
 でも、どの道私學は下目に見られましたから、とりたてて両校を比較する人も少かった
と思ひます
 慶応は勉強が出來ない者の、早稲田は與太者の學校で、受験双六なら勝者とは申せませ
422日本@名無史さん:2005/06/21(火) 09:16:56
>>420
親戚の息子が慶応の法を受けるというのでそんなもん楽勝だろうと
いったら貴方の時代と違うと親から怒られた。早稲田の整形は当時から
難しかったが慶応法が同格になったのはいつころかな?

経営努力では慶應>>>早稲田でそれが反映しているのだろう。
423日本@名無史さん:2005/06/21(火) 09:39:43
戦争中の子供たちはこう言われて育てられた。

「国民は天皇陛下の赤子で、天皇陛下からもらった命は天皇にお返しすべきである」
「神州不滅だから日本は必ず戦争に勝ち、国難には神風が吹く」
「支那事変は正義の戦いで、邪魔をする鬼畜米英は断固撃滅する」
「日本兵は死を恐れないが支那兵は日本軍が突撃すると泣いて逃げる弱虫だ」
「天皇のために手柄を立てて名誉の戦死をせよ」

「沖縄戦 米兵は何を見たか 50年後の証言」吉田健正 彩流社 P164

「洞窟の外で泣いている女の子を見たことがある。背中に爆薬が仕掛けてあった。
数十メートルほど後方に、日本兵の姿が見えた。日本軍は、このように子供を
ブービートラップ(仕掛け爆弾)として使うことが多かったという。
米兵は子供を見ると、必ず駆けていって助ける。日本軍はそれを知っていて、
敵をおびき寄せる手段として子供を利用したのだという。マックの記憶では、
その子供は無事救出された」

フランク・マック(イリノイ州シートン在住)
第六海兵師団第二二連隊衛生兵
424日本@名無史さん:2005/06/21(火) 09:54:03
>>422
慶應法は昭和56年(46年だったかも)以降入試科目が
それまでの英数国社4科目から
英社2科目と小論に変わった。
そのときから偏差値は上がっていって今では経済より難しいし
司法試験合格者数でも中央法を上まわってる。
425日本@名無史さん:2005/06/21(火) 10:21:20
慶応が中央と比肩するようになったには最近。
累積合格者数、要するに法曹界の現役総数が十倍も違うから、向こう数十年、
慶応は中央に虐げられるだろう
426日本@名無史さん:2005/06/21(火) 10:47:42
4大法律事務所 パートナー及びアソシエイトの出身校(学部)

【パートナー】  東大  京大  一橋  慶應  早稲田  中央  その他
森・浜田松本   47    2    3    6     2     2    0   
A毛利・友常    39    3    0    2     1     3    2(学芸大1 非公表1)
長島大野常松   34   1     3    0     5     1    3(東北1 筑波1 日大1)
西村・ときわ    29   1     0    2     3     2    0
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           150   7    6    10    11    7    5 
           (76.5%) (3.6%) (3.1%)  (5.1%)  (5.6%)  (3.6%)  (2.6%)

【アソシエイト】  東大  京大  一橋  慶應  早稲田  中央  その他
森・浜田松本   65    8    6    29    6     0    5(名大1 神戸1 琉球1 上智1 青学1)
A毛利・友常    71   10    2    23   14     2    2(九州1 岡山→京大院1)
長島大野常松   85    5    5    25   14     2    2(横国1 上智1)
西村・ときわ    88    5    2    16   17     5    4(北大2 同志社1 名大→京大院1)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           309   28   15    93    51    9    13 
           (59.7%) (5.4%)  (2.9%)  (18.0%) (9.8%)  (1.7%)  (2.5%)

森・濱田松本 http://www.mhmjapan.com/index.php?p=10400200001000000000000
アンダーソン毛利・友常 http://www.andersonmoritomotsune.com/lawyer/
長島大野常松 http://www.noandt.com/lawyers/partner.html
西村ときわ http://www.jurists.co.jp/ja/attorney/a123.shtml
427日本@名無史さん:2005/06/21(火) 10:52:45
【司法試験合格者数】(昭和24年〜平成16年の累計)

 1 東京大学(6193人)
 2 中央大学(5333人)
 3 早稲田大(3913人)
 4 京都大学(2756人)
 5 慶応大学(1859人)

>>425
>現役総数が十倍も違うから
累計合格者数でもせいぜい3倍しかない。
428日本@名無史さん:2005/06/21(火) 12:37:09
大学進学率が1%だった時の大学事情を論じても意味無いよ
まだしも軍における教育を論じたほうが意義ある
429日本@名無史さん:2005/06/21(火) 12:59:38
でも軍の教育論じる香具師って
戦前と戦中を混同している香具師多くないか?
430日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:27:23
昔の早慶は高卒と同じ扱いだったとは戦前早大卒の言。
旧制高校にいくこと自体がちょっとしたエリートだったその頃では
庶民にとっては早慶でも日大でもそれなりの知識階層だし、
(大企業から見れば)高卒と同じ。という注意書きをつけるべきでしょう。
431日本@名無史さん:2005/06/21(火) 15:25:23
戦時中はすぐ戦地に送り込まなければならなかったので厳しかったんだろうねえ
ただ戦前すでに都会人にとっては軍隊は嫌悪されるような気風はあったようだ
地方の貧民にとってはパラダイスだったろうが
432日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:43:03
福沢がある意味カリスマだったので地方の金持ちなどで跡取にならない子が(酒造業など)
わざわざ慶応に行くことは、ままあった。
跡取になる子は理系や農業系に進学していることが多いけど。
433日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:44:31
なんでここの人は大学ネタが好きなの?(軍隊も)
秦氏や加藤女史の本が出回っているから?
434日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:49:08
>>433

ここは教育事情のスレですが何か?
435日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:53:07
高校生は帝大指定席だから、早慶よりずっと上
436日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:25:07
高校卒業して早慶へ進学するものは居ない
早慶は高校生から全く見下されていた
437日本@名無史さん:2005/06/22(水) 01:54:24
なんか早慶という言葉に敏感に反応する人がいるみたいですね。
438日本@名無史さん:2005/06/22(水) 02:17:28
私学全体が見下されていた
官学崇拝、官尊民卑だ
439大學ヘ授:2005/06/22(水) 09:33:21
 お早うございます
 司法界、法曹界では四大弁護士事務所とやらに勤務してゐても、格別偉いとも強いとも
思って貰へません
 そこが實業界と異ります
 寧ろ判事の方が秀才だと思はれます
 だいたいさうした所は商務や渉外中心ですから、若い時からそんな事務所に勤めると、
一般民刑事が分らなくなります
 現在小職と対峙してゐる弁護士も早大出の渉外系弁護士にて、お陰様で樂ちんです
 よって四大事務所集計といふのは異様の感を與へます
440日本@名無史さん:2005/06/22(水) 09:52:14
>>434
普通の人が受けられた教育、もしくは義務化されていた教育の話を聞きたいのですが。
441日本@名無史さん:2005/06/22(水) 10:48:28
人それぞれに興味は異る
自分の好みを押付けちゃいけないよ
442日本@名無史さん:2005/06/22(水) 11:09:30
話がループしているので。
443日本@名無史さん:2005/06/22(水) 11:39:53
普通の人は小学校→青年学校→陸軍
444日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:33:25
>>443
陸軍(海軍も)基本的には、籤引でしょう。
青年学校(実業補修学校)や青年師範学校に興味があるのだが?
445444:2005/06/22(水) 23:35:29
この辺の話は意外と資料がなく、文部省100年史をベースにしてしまって
います。(教育学部の院生などは)
446日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:22:39
>444
籤のがれで喜んでいたら
40過ぎて第二国民兵で引っ張られるのと
籤に当たって現役入隊。
40過ぎて召集されて超古兵殿になるのと
どちらが良いのかわかりませんね。
447日本@名無史さん:2005/06/23(木) 03:25:23
>大學ヘ授
早稲田が与太者の学校で慶應は何の学校でしたっけ?
448日本@名無史さん:2005/06/23(木) 03:34:45
大隈には福沢ほどのカリスマは無いから、早稲田は実業的な分野で
頑張ったのかな?
449日本@名無史さん:2005/06/23(木) 09:11:42
高校−帝大へ行けない、嫁の貰えない学校
450日本@名無史さん:2005/06/23(木) 15:46:10
小学校6年、その高等科2年ですよね
青年学校はその上に行く学校ですか
修業年限は何年でしょうか
男女とも行けたのでしょうか
451日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:13:11
青年学校令
http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasendetakan/seinengakkorei.htm

第七条 普通科ノ教授及訓練期間ハ二年トス
2 本科ノ教授及訓練期間ハ男子ニ在リテハ五年、女子ニ在リテハ三年トス但シ土地ノ情況ニ依リ男子ニ在リテハ四年、
女子ニ在リテハ二年ト為スコトヲ得
3 研究科ノ教授及訓練期間ハ一年以上トス
第八条 普通科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ尋常小学校卒業者又ハ之ニ相当スル素養アル者トス
2 本科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ普通科修了者、高等小学校卒業音又ハ之ニ相当スル素養アル者トス
3 研究科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ本科卒業者又ハ之ニ相当スル素養アル者トス


以上が原則ですが





附 則
2 青年学校ノ本科ノ教授及訓練期間ハ土地ノ情況ニ依リ道府県立ノ学校ニ在リテハ文部大臣、其ノ地ノ学校ニ在リテハ
地方長官ノ認可ヲ受ケ当分ノ内之ヲ男子ニ在リテハ二年又ハ三年ト為スコトヲ得




結論:ぼろぼろ。
452日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:50:37
先人の事績を卑語で謗るのは良くないね
節度を以て論じよう
453日本@名無史さん:2005/06/24(金) 01:00:27
>>450
年限については451さんの挙げたのが参考になると思います。
男女については、女子は任意で家政学関係の学問を中心としています。
面白いのは地域にも寄りますが、女子に「科学的」な家政学をある程度
教育した結果として、箱膳からちゃぶ台への食卓の移行が進みました。
また、時間ごとに家族が家に集まり食事を共にする習慣も青年学校の影響が
あるようです。(洗物を一回で済ませ、作り置きをしないほうが労働効率からも
衛生上からも好ましいのは想像ができます。)

454日本@名無史さん:2005/06/24(金) 01:03:43
教育の話から少しズレますが、青年学校で行われたハイキングや旅行
の類が男女共に娯楽の中で大きなウエイトを占めていました。
また、独自に出版なども行っており(地方の図書館などに機関紙の
現存が見られます)本人たちはそれなりに楽しんでいたようです。



455日本@名無史さん:2005/06/24(金) 01:09:35
男女共にスポーツに力を入れていましたが、出版活動にも力を入れていたので
肉体派も文学青年、少女も一応は居場所があったと思います。
当時、問題視されていたこととして、明らかに徴兵検査に合格できない青年が
学校の教練(特に武道と基本教練)をサボったことと、体力自慢や武道自慢
の青年が座学をサボることが挙げられます。
456日本@名無史さん:2005/06/24(金) 01:12:47
連続で書き込みますが、市町村の経済的な問題として実業補修学校と青年訓練所
の並立が問題でした。
校舎と教員がダブっていることも多く合併が望まれていたようです。
結果、青年学校に一本化されました。
457大學ヘ授:2005/06/24(金) 09:29:10
 青年學校は教育史の本などでは高く評価されてゐますが、實態は仕事の退けた夜分、
暗闇で小僧や徒弟がえい!やあ!と竹槍の稽古をしてゐた程度のものです
458日本@名無史さん:2005/06/24(金) 10:19:27
>>457
農村の学校と都市の学校を勘違いされているのでは?
企業内の青年学校はそのタイプが多いですが(例外はあります。技術系の会社などは
教育をやりすぎて、病人を出すほどでした)農村の場合は、座学は夜間、教練や体育は
農閑期の昼間でした。(午後が多いです)
また、竹やりで云々は戦争が始まってからで、少なくとも日中戦争前後は普段は腕自慢の
在郷軍人や師範学校で武道の教育を受けた教員、月一や隔月ぐらいで、武専や高師などで
教育、教導をしている人間を呼んでいた地域も多いです。
それらの、人件費がかなり、市町村に負担になっていたぐらいです。
だだ、文部省百年史に書かれているような、戦後の企業内教育の原型となり云々は自画自賛
が過ぎると思います。
459日本@名無史さん:2005/06/24(金) 10:20:57
むしろ青年学校の功績は、その教育そのものではなく、子供の教育に時間を
かけることを一般化したことにあると思います。(特に女子。)
460大學ヘ授:2005/06/24(金) 10:58:52
 如何にも小官は都会人なれど、青年學校と聞けば竹槍を思ひ出しますな
 近頃、青年學校修了者に竹槍インストラクターなら兎も角、中卒相當の學歴を
認めることには強い違和感を覚えます
 まぁ市民大學や老人大學の先祖でせう
 下層階級者ばかりでしたが、庶民教育、生涯教育等の努力としては評価出來ま

 「日中戦争」は左翼用語にて、不用意に用ひると信用を失ひますからご用心下
さい
461日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:01:06
>>460
国史大辞典に準拠しています。
とりあえず、日本史が専門なので。
462日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:03:13
>>460
竹やりは戦争末期です。
平時は、実銃がありました。
中古の村田や30式が多かったようですが。
463日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:05:48
>>460
ここは日本史板なので、辞典類で引ける用語を用いるのも礼儀かと?
そうでなければ、真偽を調べることが面倒になるでしょう。
464日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:19:20
青年学校の問題点はあまりにも内容のばらつきが多い点です。
地域史料などで残存している教科書を調べると分かりますが、農業、漁業や家政学
では今日の短大や専門学校レベルまで教えているところも多いです。
また、電灯会社や鉄道関係、工廠関係の企業内学校では今日の工業高校レベルのことを
教えています。
その反面、座学は適当に済ませ、スポーツや武道、機関紙の出版などに力を注いでいる
学校が多いのも事実です。
戦争が激化するにつれ、教育要員が動員される等でまともな教育が不可能に近くなりますが
それは、軍学校以外のすべての学校に言えることでしょう。
465日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:06:18
仙台人がいい加減に改訂 仙台人の一日 (2005.6)

朝6時起床、朝日に輝く仙台大観音に一礼
昨日の残りの牛タンシチューと笹かまで軽い朝食
泉中央駅まで妻の自家用車で送られ、ガラガラの市営南北線に乗車、地下鉄仙台駅に到着
8時買ってきたばかりの仙臺四郎土鈴を遥拝。ブスな嫁に三瓶に似てると言われたことを思い出す。
8時30分横浜出身の営業所長に挨拶。見栄を張って飲みに行く約束をする。
10時お茶の時間、お茶菓子は支倉焼き。見栄を張って同僚におごる。支払いはカッコよく七十七銀JCBカード
11時同僚の組合員から今野東・鎌田さゆり助命嘆願の回覧が来る。キレると怖い同僚なのでにこやかに受け取る。
12時お昼は利久のアメリカ産牛タンとかき徳の韓国産牡蠣フライで悩み牛タンにする。支払いは七十七銀JCBカード
13時知人から私用電話、自分の利益になりそうな話だけ聞く
14時お客から商品の在庫を聞かれるが「ないです、うちにはないです」と追い返す
15時おやつは白松がモナカ。また見栄を張って同僚におごる。支払いはやっぱりお金はないので七十七銀JCBカード
15時30分図書館から本の返済を促す電話に「オダズナよ!」と一喝。
16時2時間前の顧客からクレーム、東京本社の重役に怒られる「ゴシッパラヤゲル!」
17時残業する同僚を無視して帰宅の途につく
17時30分崇拝する仙台一ののっぽビルAERに一礼
路線価格の下落したサンモール一番町商店街を歩いてにぎわいに貢献する
18時00分青葉城に最敬礼と一礼
18時30分同僚と居酒屋へ。営業所長に奢る約束はまたしてもすっぽかす。おでんの串をごまかす。店主に捕まり怒られる。
ベガルタの試合開催日でDQN満載の市営南北線に乗車、泉中央のマンションに到着。
妥協して結婚したブスな嫁にうんざりする。
20時00分明日の話題のため楽天戦を見る。ボロ負けだが応援はしない。監督と選手の批判だけ。
21時15分はらこ飯をかきこみながら見栄を張って買った一ノ蔵すず音を空ける。子供が振っていたので空けたら炭酸が噴出して半分パーになる。
22時晩飯終了後、2ch、お国自慢板で岡山をたたくが、また岡山人に罵られ撃沈
23時歌手で仙台出身のさとう宗幸の全曲集を聞きながら布団へ。最近不眠なので清春まで聞いてしまう。
自分もいつかあこがれの東京で活躍する日を夢見ながら就寝。
466日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:15:05
中日戦争は日本の無条件降伏で幕を閉じました。
467日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:55:26
早慶が今の地位を築いたのは大学野球人気のお陰ってホント?
468日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:37:43
半ば本と
今でも大したこと無いけど
469日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:51:05
>>465 仙台 なつかしいなあ トンペイにいってました。
地元のリーマンの皆様は漏れたちに反感を持っているかと恐れてましたが
飲み屋などで大変親切にしていただきました。その節はありがとう。
仙台支社に転勤したいなあ。
470日本@名無史さん:2005/06/25(土) 02:06:41
>>467
そんなことない。
戦前から私学としてはこの二校だけがエリートだった。
471日本@名無史さん:2005/06/25(土) 02:20:05
中央とか明治とか法政みたいな法律学校って大学だったん?
472日本@名無史さん:2005/06/25(土) 02:51:13
青年学校のレスは勉強になるなあ。きめが細かい。

>>471
大正九年の大学令で大学になってますよ
大正年間は高等教育の普及が進みました
473大學ヘ授:2005/06/25(土) 10:26:23
 大學設置自体が國家の強力な統制下にあり、一律の基準によって規制されてゐまし
たから、帝大同士とか、私大同士といった同一グループ内の格差は小さかったのです
 これは今日も、我が旧領台湾、朝鮮で大學間格差の小さいことをご覧有れば想像が
つきませう

 上下格差を言ふなら私大全体が劣等大學で、今日も法律用語上、私大は「大學」で
なく「私立大學」で、ただ大學と言ったら私立は含まれません 「學長」も國立だけ
で、慶応の塾長も早稲田の總長も含まれません 慶応も早稲田も「大學」ではないの
です 大學野球の全盛期は昭和初年なれば、早慶戦は戦前から有名でしたが、誰も野
球の學校が偉いとは思ってゐません

 私立は貧乏ですから、金のかかる理系より文系學部中心になります これは理系中
心たりし帝大と競合しなやうにてふ経営判断も有ったかも知れません 元専門學校か
ら出發した私大は法律系、實業系、坊主系に三分され、商人は地位低く、坊主は俗世
と無縁なれば、五大法律學校系がやや優勢でした 英吉利(中央)、東京(早稲田)、
明治、和佛(法政)、日本、専修等々です 
474大學ヘ授:2005/06/25(土) 10:32:59
 同じ高文でも司法は難関ですから合格者の能力は保証されてゐますが、行政
は比較的易しいので、出身大學が明治や慶応だと、上司としては安心ならず、
當初は観察、調査を要します 一番手っ取り早いのは最初から採用しないこと
ですが、戦後は兎も角、戦前は明るく樂しい大日本帝國の國是から露骨な學歴
差別もならず、中々でした
475大學ヘ授:2005/06/25(土) 10:36:51
 青年學校の話ですが、ありゃ、學校でしたらうか 講習会の如きものだった
と思ひます 戦後、他の教育機関が形は変ても残存したのに、青年學校のみ跡
形も無く消え失せたのは學校でなかったからだと思ひます
476大學ヘ授:2005/06/25(土) 10:45:19
 さて早稲田を出て高文合格し、めでたく司法官僚になったとします 初任給が
帝大出なら百円大分越すのに、早稲田田圃は八十何円です 早大出は残念でせう
 でも國家の下す學歴−能力評価なのです 早稲田は、そして私大一般は、残念
無念安月給被差別大學なのです 毎年二百人近い合格者を輩出し、時に司法三長
官を占めた中央ですら例外ならず 況や僅々二、三十人で司法界の底辺を徘徊す
る早慶に於てをや
477大學ヘ授:2005/06/25(土) 11:07:05
 左様なる言訳の通ると思ひたまふや?
 名誉会長先生と口走る者は創価學会、尊師と叫ぶ者はオウムにて、左翼用語用ひる者は
左翼也
 赤い経典振り翳すとも世人許すまじ
 
478日本@名無史さん:2005/06/25(土) 11:16:57
海兵67期の撃墜王・笹井淳一少佐は府立一中(四修)
479日本@名無史さん:2005/06/25(土) 12:41:35
そーゆーエリートは無縁な青年学校
480日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:15:16
新制中学校というものは青年学校の成れの果て?
481日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:26:36
違うと教授が書いてるだろ。
そっちは高等小学校。
482日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:28:19
新制高校定時制が青年学校の成れの果て?
それとも職業科?
483日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:51:11
跡形も無く消え失せたと教授が書いてるだろ。
そっちは旧制中学で、夜間部は元々珍しくなかった。
484日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:56:24
>>481 >>483
教授本人乙!
教授の言うことなど鵜呑みに出来ないって、皆気付いているのに。
485日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:40:23
さぁ、文盲さん登場か!?
486日本@名無史さん:2005/06/26(日) 04:09:13
職業高校も、以前は花形だった‥
487日本@名無史さん:2005/06/26(日) 04:16:27
             ,. - ─── - 、
             /    ,       `ヽ.
            /〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、  ヽ
           | | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',   お兄ちゃん
            YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l  l    どうして仕事しないのぉ?     
           ! lハイJ |  ´|_jヽ. リ,! ! l. l |    字が読めないからぁ?
            |l |l.} ー ,   L _,ハl.lトl l. | l
            |l ilト、   n  ''  ,1l|ィ| |l l |
           _ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
       r7´   f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
       Y       ー个‐'t  ハ-、_'ゝ、
        ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿  ヽ l
        / (・__,)ゝi┬'´ハ`     '`|
          |ヽ, イ   ノ┴くヽヽ、    /
        `´ ゝ┬ヘ`ヽ   |  `ー‐1
488日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:05:57
>>477
誤爆の多い人だね。
489日本@名無史さん:2005/06/26(日) 08:04:55
>482
鹿児島は町村率高校→県立移管で統廃合のパターンですな。
教授閣下の仰るとおり。
tp://www-kyou.edu.kagoshima-u.ac.jp/users/kanda/k25.htm
490日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:42:58
地方では青年学校の存在感は大きかったと思うね。
戦前は家から通える場所に中学のない場所がざらにあった。
自分の父の故郷では戦前は中学進学、戦後は高校進学のために下宿しなければ
ならなかった。
そういった地方では青年学校は中等教育機関の代替としての存在感は大きかったとおもう。
491日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:04:35
青年学校は公設のものは夜間中学、企業内の物はそのまま、研修施設などとして
残った(吸収された)物もあれば消えたものもあります。(地域差が多いです)
ただ、復員してきた教員がそのまま新制中学、高校の教員になることは極めて多く
その意味では残存したといえるかもしれません。
青年師範学校は昭和18年に師範学校とともに専門学校に昇格します。
このため、新制国立大学に改組された例が大半です。
極めて興味深いのは、青年師範学校が専門学校に昇格すると共に定員が数倍に増加
していることです。
あちこちの学校で教育が中止状態であったのにも関わらず、その増加は以上です。
下級将校や下士官のソース(どちらに行くかは本人が考えることでしょう。)にされた
可能性もありますが(師範学校でも志願者がかなり出ています)資料不足もあり
今後の課題です。
492日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:11:04
戦後消えてしまった物が教育機関でないという論法ならば、皇學館も武専も陸士、海兵
も怪しくなるのでは?
むしろ、進駐時においてかなりの学校が自主的に閉校、改名をしています。(軍学校は
強制ですが)
その、ごたごたの合間に消えてしまった学校で直接的、間接的に復活を遂げた学校もあれば
跡形もなく消えた学校もあります。
国粋的、軍国的という理由で閉校したのは、当時の人としてみれば止むを得ないことかも
知れませんが、今日考えると妙な話です。
493日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:16:44
青年学校が中等教育の代替とはなり難かったと思います。
むしろ、青年会との組み合わせで、地域の農業レベルなどを引き上げた役割が
大きいと思います。
茶、タバコ、繭などの付加価値の高い作物は品評会により品質の向上が行われますが
それらの中心は青年学校で教育を受けた青年団員でした。
494日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:19:26
なにせ、青年学校は地域差、企業差が激しいものなので一概に論ずることは
不可能でしょう。
研究書や論文を読んでも、ある地域における教育という論じ方が主流です。
495日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:26:54
青年学校の特色は、OB≒青年団員(会員)であり青年団OBと在郷軍人会のメンバー
が重なることが多く、地域における圧力団体の側面を持っていたことです。
このことは、明治期に小学校OB、教員が夜学会などを立ち上げ(これが後の青年会、団です)
圧力団体となっていったことと類似していますが、国家が主導していた点で異なります。
ちなみに、青年団も実業補修学校も在郷軍人会も初期は任意団体(むしろ、同好会の類です)
でした。
496日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:57:34

 硬い真面目な話になれば
     逃げてぞ失せる明盲
497日本@名無史さん:2005/06/26(日) 23:56:21
詩歌になっても必ず文盲は沈黙するナ
498大學ヘ授:2005/06/27(月) 10:09:44
 青年學校といふのはそんな大した組織ではありません 高等小學校すら出てゐない
底辺層に社会人教育的に初等中等教育を施さんと、非常時の少し前に設置、終戦で消
滅した夜學です 校舎も小学校に間借り、専任の職員も少く、中々情無い存在です 
地域差といふより都市と農村の差でせうな 田舎の貧乏人は家郷で農業をしてゐまし
たから、小作人でも高等小學校は出てゐました 在郷には教育の傳統もありましたか
ら、卒業後も胸を張って夜學へ通へました 問題は都市労働者で、職工や徒弟、小僧
は尋常科を卒へただけで郷里、教育から切離され、夜學どころの騒ぎではありません
 したがってこのグループこそ問題の中心でした 農村の教育は元々在郷の傳統で、
しっかりしてゐたのです 
 
 青年學校は庶民教育、後一部義務教育、社会人教育として左翼學者の興味を惹き易
い存在ですが、夜間講習会以上のものではありません 最大の教科は軍事教練でした
 これは地域差無く全國一律です 前身の青年訓練所が軍事教練の為の組織でしたか
ら 残ってゐる教科書も結構ですが、さうした物を残せるのは企業内の私立校等で、
強力な母体を持たない大部分の青年學校は教科書も整はず、資料も残さず消えて行っ
たのです
499大學ヘ授:2005/06/27(月) 10:19:16
 鉄道が設置する青年學校は自然、鉄道學校風になり、講師陣も設備も教科内容も
しっかりし、廃止後も資料が残ります でも、殆どの青年學校はくたびれた後備の
下士官が、竹槍でなくとも銃剣術や戦闘教練を教へるのが主です 座學は勿論有っ
たやうですが、生徒が何しろ學問から遠い顔触れでした 高小相當課程と實業學校
對応課程が中心でした
500日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:57:03
 学術論争になると文盲諸君が参加してくれず残念
 精々罵倒大会の盛会を祈る
501日本@名無史さん:2005/06/28(火) 06:30:14
戦前の性教育はどのように行われていたのでしょうか?
502大學ヘ授:2005/06/28(火) 08:38:49
 維新回天以來、大日本帝國の躍進は世界史の奇跡と讃へられ、その要因筆頭に教育の
成功を擧げられますが、外國人の指摘を待つまでも無く、帝國はやる氣満々でした 國
力伸張に伴ひ、普通教育の拡充は澎湃たる要求となってゐましたから、前期中等教育の
普及、義務化は時代の要請でした 本來なら、中學級への全入を目指す可きでしたが、
それに代る便法として青年學校を急造したのです だからその普通科は高等小學校と同
じ2年、本科は中學級と同じ5年でした 當時、中學生は今の大學院生程も迫力有り、
要するにちょっとした高學歴であって人数も少かったですから、その収容定員を小學校
並に年齢人口分まで一擧拡大することは、設備の点からも、要員の点からも、豫算の点
からも困難でした そこで小學校を夜だけ借り、在郷軍人が手弁當で乗出す青年學校な
ら手軽に設置出來る訳です 青年學校は好感を以て迎へられましたが、所詮下層階級者
の行く夜間講習会で、生徒に帰属意識薄く、同窓会活動も無く、學歴と評価され難いの
はこの為です
503大學ヘ授:2005/06/28(火) 08:53:18
 高等小學校へ行くか青年學校へ行くか、中學入學か青年學校入校か、選択の
自由が有るなら誰だってまともな學校へ行きます 夜なら夜で夜間中學も無い
ではありません 進學出來ないからこそ青年學校で代替するのです 明治の昔
の代用小學校を想起しますが、それでもあっちの方が自前の校舎、教員を持ち
學校らしい學校でした 小生は中學時代、三縁山増上寺の佛飯を戴いた者です
が、往時既に半世紀の歴史有り、同窓には大臣も提督もゐました 卒業生は陸
士海兵高等學校初め、ほぼ全員上級學校へ進みました 青年學校では、上級學
校へ繫がらず、先輩も居らず、同窓の團結も無く、第一、知名度が全然無いの
です 
504大學ヘ授:2005/06/28(火) 09:15:08
 小職は、恵まれない環境の中刻苦勉励文武に勤しんだ同胞の事績をけなしたく
ありません 明治の先人を思はせる在郷指導者の奮闘にも敬意を表します また
貸すに時日を以てせば青年學校の整備發展は確實であったと信じて疑ひません 
その實現を見ずに戦破れたことを残念に思ひます されど赤魔の盲説が史實を曲
げることは容認出來ません

 大日本帝國は貧乏人に優しい、といふより貧乏人持ちの國家でした 指導者も
現役豫備後備退役の大貧民なれば、貧家の子弟が志を伸べることは、困難あれど
十分に可能でした 當家歴代でも昼間の學校に學んだのは小兵が始めてにて、父
祖伯叔皆、夜學か通信です それでも議員や社長になりました 高名な企業や學
校のオーナーや、川崎重工の重役もゐます 國乱れて忠臣出で、家貧しうして孝
子出づ 貧家から起って世に出ることは何ら珍しからず、普通のことだったので
す さうした中で青年學校へ行く人は、向學の志薄く、學力低き人々であったこ
とを指摘して置きます
505日本@名無史さん:2005/06/28(火) 13:30:35
青年師範学校は青年学校と連絡していますが?
また青年学校の専修科、高等科は概ね師範学校や専門学校扱いの学校と連絡していますが?
金のある人間が青年学校以外のの学校に進学するのは当たり前のことなので、とりたてて
述べるほどのことでは無いかと。

506日本@名無史さん:2005/06/28(火) 17:02:17
逓信官吏養成所はどうですかな
507日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:06:20
東亜同文書院について教えて。
508日本@名無史さん:2005/06/29(水) 03:03:48
509日本@名無史さん:2005/06/29(水) 05:29:01
決定版。

    
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12位 : 青学大・・・実績はMARCH最下位だが、ギャル系受験生には絶大な「ブランド」を誇る。明学の姉御分。

13位 : 関学大・・・最近凋落著しく、首都圏では「西の関東学院」。 今も昔も人気は関西限定。一応「西の青学」。
14位 : 関西大・・・「法科の関大」でそれなりに評価が高く、大阪私大の雄。「難関私大最後の牙城」。
15位 : 学習院・・・「皇室御用達」のみが看板の、小規模な学校。同類同格の「武蔵」「成蹊」「成城」とつるむ。

参考=国内最大予備校)http://www.keinet.ne.jp/keinet/doc/keinet/jyohoshi/05eikan/vol1/rank/
510日本@名無史さん:2005/06/29(水) 07:42:16
↑ 早朝から無関係なものをコピペする馬鹿
511日本@名無史さん:2005/06/29(水) 09:17:49
そりゃ違うな。
戦前の入試は無資格で受けられた。
青年学校から、負けずにへっぽこな学校へ行く者が少数居たって、上級学校に繫がっていたとはいえない。
まともな学校には繫がっていない、およそ進学を予定しない低学歴者用の研修教育だろ。
512日本@名無史さん:2005/06/29(水) 09:32:44
高等小学校へも進学できなかった売子や給仕、職工を集めて軍事教練するのが青年学校。
513日本@名無史さん:2005/06/29(水) 10:19:23
青年学校は戦中の教育事情
514日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:05:54
>>511
文部省100年史なんかの基礎的資料は読んだ?
あと「事典 昭和戦前期の日本」や{事典 昭和戦後期の日本」なんかでもいいけど。
515日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:14:00
>>512
都市労働者は一部の大企業、工廠以外、青年学校の教育が怪しい状態でした。
ドイツなどはそのような青年、少女たちが、エーデルワイス団や何チャラ海賊団
などを名乗り、ユーケントと対立をして官憲の介入を招いています。
また、スイングダンスなども、これらの青年、少女ほど先鋭的でない人間たちの
間で流行しました。
しかし、戦争が激しくなってくると共に、これらの青年たちが大挙して志願兵
となり問題が解決してしまいました。
日本に戻ると、都市の青年たちがあまり、青年学校、青年団の活動に熱心でなかった
ことまでは同じです。(目黒のような例外もあります。飛行機献納は彼らが最初とされて
います)
しかし、大挙して志願したという事実はなく謎の多い分野になっています。
516日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:16:21
>>507
愛知大学の校史があります。
また、OBたちにより纏められた資料があります。
517日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:16:57
鈴木善幸が首相になったとき
「田中角栄につづく小卒首相誕生!」
という報道に対し
「彼は水産講習所を出てるから大卒なみ」
という反論があったけど
こらはなんだろう
なんとなく官費で学べる学校みたいだが
518日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:29:55
国民学校の朝の体操は生活習慣病予防にいいぞ。
大正2桁から昭和1桁のみんな続けてくれ!!!!!!
規則正しい戦前教育は必ずしも悪くない。
大東亜共栄圏もEUと同じにアジアの生き残る道かもしれんぞ。
519日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:59:09
>517
田中角栄先生も中央工学校の卒業生なんだが・・・。
この学校、しっかり忘れられておるな。
520名無し分隊士:2005/06/29(水) 21:29:11
>>517
東京海洋大の前身ですよ.
海軍予備学生制度が本格的に始まる以前から,卒業生が
予備士官として登録されていたですね.

おっと,軍事ネタを出すと,文盲とか言われるかな?
521日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:23:47
文盲騒動は国語論争に由来する。
軍事関係無し。
522日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:44:25
真面目に論争してると突然罵りに割込んで荒すのが文盲
このスレ初めから読んで見
523日本@名無史さん:2005/06/30(木) 09:37:58
豫備學生と豫備士官は違ひます
水産講習所は元、専門學校ですが、歴史が浅いので無名でした
何れにせよ豫備學生にはなれません
精々豫備生徒です
商船出の船乗等、海事関係者は海軍豫備員だの豫備士官に成れました
524大學ヘ授:2005/06/30(木) 09:40:29
 海軍は陸軍よりも學歴に厳重で、士官と下士官兵の区別も厳格した
 良し悪しは兎も角、英國流です
525日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:07:01
近頃は変な学校の話ばかりだな。
庶民教育なら尋常小学校や兵営、海兵団の話でもしよう!

♬新兵さんは可哀想だネー 又寝て泣くのかヨー
526日本@名無史さん:2005/06/30(木) 16:40:49
オールドボーイスの初代リーダーだった故ジミー原田氏は
英国人夫婦が子供を残して帰国して祖父の日本人妻の戸籍に入った純外人なのに
海軍に取られて横須賀で勤務して「僕は帝国海軍」と言ってた
527日本@名無史さん:2005/06/30(木) 21:54:15
輝かしい帝国海軍の軍歴なら、自慢の一つも言わせてやれ
体操ならモチ海軍体操
528日本@名無史さん:2005/07/01(金) 02:23:05
陸海軍は一大教育機関
娑婆の学校に無い強みは、どんな馬鹿でも無理矢理一人前に鍛え上げること
軍隊に落第も落ちこぼれも無し
無敵の教育機関!
529日本@名無史さん:2005/07/01(金) 09:16:46
国民学校も忘れるな
530日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:25:18
植民地(外地)の教育について知りたい
普通学校(朝鮮)公学校(台湾)の修業年数は日本の小学校と同じだったのか
531日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:36:40
>>523
教授さんですね。
普段は名無しなんすね。
532日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:01:01
>531
いつものことさ
普段は名無しで文盲とかさけんでる文盲さんらしいよ
時々間違えるらしい
533日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:54:34
そーそー毎度のことさね(p
534日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:23:08
なぜか教授もwも文盲さんも同時に書き込まなくなるというなぞ(p
535日本@名無史さん:2005/07/07(木) 15:29:11
保守
536日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:06:33
まぁしばらくすると同時に復活するから大丈夫
537日本@名無史さん:2005/07/12(火) 04:52:34
高等文官試験合格者發表
538日本@名無史さん:2005/07/12(火) 05:05:46
田中角栄は故郷ではそこそこの家格。今の低学歴もずっと上等。
539日本@名無史さん:2005/07/12(火) 11:28:22
>>538
角栄は低学歴を逆手にとった感あり
540日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:34:10
>538
父上が巨乳ホルシュタインで失敗ひなきゃ
長岡中学から海軍兵学校で故海軍中佐だろうな。

総理→刑務所→半身不随とどっちがよかったのかは知らんが。
541日本@名無史さん:2005/07/18(月) 03:27:14
あげ
542日本@名無史さん:2005/07/18(月) 03:29:25
あげ
543日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:46:24
大学教授
544日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:20:37
>>530

台湾における植民地時代の日本語教育年表
http://www.age.ne.jp/x/oswcjlrc/longzemi/taiwantimeline.htm
朝鮮における植民地時代の日本語教育年表
http://www.age.ne.jp/x/oswcjlrc/longzemi/koreatimeline.htm

リンク先を見ていただければわかると思いますが、時期によって異なるので一概には言えない。



545日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:45:34
>>540
戦艦 シュレスヴィヒホルシュタイン
546日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:44:14
帝大法学部法律学科で訴訟法等を法律で定めた科目を履修した法学士は弁護士登録ができました
帝大経済学部で会計学等を履修した経済学士は計理士になれました
学制改革までこの制度はありましたが旧憲法下では帝大卒にはあまり魅力がなかったようです

青年学校は戦後新制中学校や定時制高校となり定時制が格下扱いの要因となりました
青年師範卒業生は大抵中学限定免許教師となり軍国教師の裏返しとしての左翼教師となった人が多かったです
青年師範の卒業生は大卒教師より頭悪かった 掛け算割り算もできないのもいた

高校多様化は終戦当時青年師範生徒の理想を体現したものであります
70歳代の連中が一番戦前の教育制度復活に命掛けてる
80代学徒出陣の連中は複線行き止まり教育制度や徴兵制度を嫌っている
戦争中小中学生青年学校生特に青年学校青年師範学校生だった
70代60代後半には気をつけよう 
547日本@名無史さん:2005/09/03(土) 14:59:42
548日本@名無史さん:2005/09/04(日) 20:25:06
俺は現代のやたら権利だとか平和とかゆとりとかみたいな
お上品なやり教育はやばいと思うよ。
頭でっかちで甘やかされすぎる。
あまりに文明化しすぎると民族が滅びるのは
歴史の証明するところ。
549日本@名無史さん:2005/09/04(日) 20:27:37
子供には多少野蛮でも
体験を通じてたくましく育って欲しい。
そんな教育、今ない。
まず体育祭で棒倒しを復活させるか
騎馬戦をやれ!
550日本@名無史さん:2005/09/04(日) 20:34:11
まずは武道必修
修身復活から
551日本@名無史さん:2005/09/04(日) 21:08:02
ヒキコモリのデブヲタどもは口だけは威勢がいいな
552日本@名無史さん:2005/09/04(日) 23:38:46
>>551 お前もな
553名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:55:55
ゆとり教育なぞ糞だ。
これからは野蛮教育だ!
教育勅語を唱えて、騎馬戦トーナメントをやれ!

女子は良妻賢母教育。
554名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:01:19
野蛮になれば必ず子供が増える。

一時限目

國史(天孫降臨と天壌無窮の神勅)

二時限目

武道(柔道締め技の練習)

三時限目

音楽(海ゆかば)
555日本@名無史さん:2005/09/22(木) 20:32:20
何かで見たけど戦前も女学生による援助交際とかほんの一部だがあったらしいな。
後服装も家を出る時は親の目があるので上品に装ったが途中通学途中の
駅とかで当時流行の女学生のスタイルに変身したりする子もいたそうだ。
又放課後、街に出くわしてスケートに行ったりする子もいたそうだ。
男も弊衣破帽とかいうわざと崩した帽子をかぶり放課後映画館とかに行く
中等学生もいたそうだ。
何か今の高校生とかとあまり変わらないなw
556日本@名無史さん:2005/09/22(木) 20:54:21
若者はどこの地域、時代でも既成秩序に挑戦的、反抗的です。
一面尊重する風でも原理的建前を主張することで同様の欲求を満たす場合が
ほとんど。
557日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:21:27
最近聞かなくなった言葉



「大和魂」
558日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:28:09
>>555
弊衣破帽はバンカラスタイルだがな
559日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:31:50
戦後教育てのは表明的には生徒の自主性だとか権利だとか
唱えるがその実態は理念なき教師による恣意的支配という
詐欺的教育だからな。
560日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:23:55
漏れ達の世代はリブフェミ運動真っ盛りで、小学女子
の騎乗戦もあったんだが。今じゃ無いのか?
561日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:43:11
ないよ。
仰げば尊しも歌わない。
562日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:02:00
戦前の中等学校の第一外国語も必ず英語?
563日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:48:39
>>555
後女学生の中にはわざと制服のスカートを短くする子もいたとか。
と言っても現代の女子高生のような超ミニスタイルでは全然なく膝が少し見える程度の
レベルだけどね。でも発想的には同じだね。
564日本@名無史さん:2005/10/28(金) 21:00:57
大正のカフェ女給なんて今のメイド喫茶と変わらんよなあ。
565日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:55:29
>>564
同意。白エプロンに着物は当時のまさにメイド衣装。
清楚の中に独特の萌え感覚があるのも一緒。
まさに戦前版メイド喫茶だよ、あれは。

>>562
確かそうだったと思う。戦前も日中・太平洋戦争前は英語教育を結構重視しているからね。
>>563
俺もそれ聞いたことがある。確かスカート丈が膝まで見えるようになった短いスカートが
昭和の始めごろ登場して当時のモダンガールとかがそれを履いた影響を女学生も受けて制服
のスカートもわざと短くしたとか。理由は今と同じ、お洒落でかわいくみせるため。
根本に流れる考え方は今も昔も変わらないって事だな。
566日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:29:52
戦前の帝大で予科があるところは予科からしか入れなかったの?
外部の高校や大学予科からも入れたの?
567日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:59:51
予科(後のナンバー高校)以外からも入れるようになっている
大正14〜昭和17年までの入学者数のデータがある(東京帝大法学部入学者数)
1高:1909人、3高:729人、浦和高:728人、5高:708人、6高:615人、
8高:491人、、静岡高:487人、以下数字は略すが、大阪高、浪速高、
松江高、成蹊高、福岡高、佐賀高、広島高など相当数入学している
ただ、旧制高校以外(専門学校なども含む)からの入学者は肩身の狭い思いを
したし、また、旧制高校から入った学生は他校からの入学者を蔑視したとか
陸士における陸幼卒業者と中学卒業者みたいな感じかw(前段は「学歴貴族の栄光と挫折」より
568567:2005/11/01(火) 19:12:05
ここでは、旧制高校→1高などナンバー高のことね
569日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:05:51
東大は予科がなかったんじゃなかったっけ?
一高が予科みたいなもんか。
帝大で予科があったのは北海道、京城、台北の植民地(準植民地)の帝大
570日本@名無史さん:2005/11/02(水) 16:39:07
東大には予備門というのがあった、これが後に1高になる
571日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:56:04
>>555
異性との出会いを求めてダンスホールとかに行く子もいたらしい。
まるでクラブに出入る女子高生そのものw
572日本@名無史さん:2005/11/04(金) 14:51:27
自由恋愛とか婚前交渉とかは無理でそ?
573日本@名無史さん:2005/11/04(金) 14:53:19
いつの時代にもふしだらな女はいるからな。
単に外的な規制が強いかどうかの差だけだ。
574日本@名無史さん:2005/11/04(金) 20:33:34
>>572
俺のひいじいさん(明治25年生まれ)は
自由恋愛の結果ひいばあさんと結婚したぞ。
575日本@名無史さん:2005/11/06(日) 00:58:16
>>572
今と比べて親の許婚や見合いでの結婚が多くて自由恋愛があまり主流じゃなかったのは確か。
しかし自由恋愛の末での結婚もあった。また学生結婚なんかもあったらしい。
自由恋愛が無理になったのは昭和の戦争が本格化していった頃(昭和12〜13年頃か?)からで
大正や昭和初期には未婚のカップル同士が街を闊歩する姿などもあったらしい。
576日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:58:25
戦前の中学生は学帽のひさしを∩形に曲げてた。
弊衣破帽で警官を川へ投込んだりする旧制高校生。
女学生は制服のスカートを短くした。
今に負けず劣らず活躍されていますね、戦前の学生w

577日本@名無史さん:2005/11/06(日) 22:00:17
おいおい、農村では富農でもない限り自由恋愛だろう。
578日本@名無史さん:2005/11/06(日) 22:02:57
彼氏、彼女って単語は戦前からあったんだよね。
戦時歌謡に「可愛い彼女を郷里に残して・・・・・・・」とかいうのがあった。
579日本@名無史さん:2005/11/09(水) 17:33:37
>>578
「彼氏」「彼女」は明治の後半か大正時代にできた言葉だったと思う。
それまでは男女の差関係なく「彼」だった。
580日本@名無史さん:2005/11/09(水) 18:42:47
恋人って意味で使われてたんだね。
581日本@名無史さん:2005/11/12(土) 16:30:59
>>575
大正〜昭和初期は戦前の中にあっては比較的自由教育が重んじられていた時代だからね。
だから自由恋愛なんかもある程度ありだったんだろうね。子供にとって反抗期は大切なことだ
と言う発想が現れたのも大正時代だしね。それまでは子の親に対する反抗=親不孝者、目上に対する
礼儀を知らない等と言う発想だったらしいし・・。
582日本@名無史さん:2005/11/12(土) 16:56:20
婚前男女の同棲が普通になったのは戦後だよね。
戦前も作家とかはしてた人いるみたいだが。
583日本@名無史さん:2005/11/14(月) 16:32:39

 陸軍士官学校 海軍兵学校 の文字をこのスレ内でよく見かけますが、
それぞれ一箇所しかなかったのでしょうか?( 防衛大学校みたいに )
それとも全国に複数校設置されたのでしょか?
 それと 陸軍幼年学校 というものも在ったようですが、これは明らかに士官学校とは異なるのものと捉えるべきか...


584日本@名無史さん:2005/11/14(月) 20:16:18
>583
軍事板にいって聞いたらよいで。

585日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:55:12
基本的に,兵学校は江田島のみと考えて良いです・・・が,

終戦末期には急速な生徒数増大に対応するため,分校ができた.たしか大原と岩国.
それと,兵科・機関科を一本化する際に,それまでの海軍機関学校を兵学校舞鶴分校とした.

陸軍は詳しくないけど,士官学校は東京のみだと思います.
幼年学校は,士官学校より更に若年者(旧制中学相当)の教育に当たった学校です.
これはほぼ軍管区毎に,各地にありました.
586日本@名無史さん:2005/11/16(水) 20:01:11
587日本@名無史さん:2005/11/16(水) 23:26:22
幼年学校は軍人の子弟の推薦ワクのようなものがあったと聞くが
いずれにせよ二十歳そこそこで年上の兵隊を指揮しなければならないのだから大変だな
588日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:10:21
加藤隼隊長は親父さんが爾霊山で手柄たてたおかげで入学とか・・。


アメリカなんぞは親の名誉勲章で孫まで無試験入学だったな。
589日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:01:02
るるぶ
590日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:09:17
陸軍にはかの有名な中野学校がある
591日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:39:46
>>>555
で、そういう香具師らが中等学校や女学校卒業すると当時は大概それから就職や家業を継ぐわけだが
その後一部の金持ちやエリートは大学や女子大に進学する。
で、そういう子らの中で進学した者は大学で男はモダンボーイ姿のラッパズボン
、女は断髪のモガ姿で銀座の酒場とかダンスホールに出入りしたりした。
要は高校時代DQNな香具師が大学でも相変わらずパワー全開でDQN丸出ししているといった感じ。
592日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:43:20
夜間中学で十分
593日本@名無史さん:2005/12/01(木) 21:39:32
夜学って昔からあったの?
594日本@名無史さん:2005/12/02(金) 03:27:58
神田界隈の有名私大は夜学が発祥
595日本@名無史さん:2005/12/03(土) 15:57:59
>>591
参考までに。こういうセフレ関係のDQNもいたらしいよ。

不良外人とモダンガール
http://www.geocities.jp/showahistory/history1/04c.html

596日本@名無史さん:2005/12/03(土) 16:27:57
現代とあんまり変わらんな。日本人の本質はいつも同じなのか。
597日本@名無史さん:2005/12/19(月) 20:01:29
だろうな。戦前から今日のDQNやオタクに当たるような人がいたらしいから。
598日本@名無史さん:2006/01/04(水) 18:41:18
戦前の日本男児は国家神道の価値観の下
女性は血のケガレのあるけがらわしい存在として
見下す硬派な男です!
599日本@名無史さん:2006/01/08(日) 23:37:36
600日本@名無史さん:2006/01/09(月) 18:43:50
600get
601日本@名無史さん:2006/01/16(月) 22:39:27
>>598
皆が皆そうではなかった。
602日本@名無史さん:2006/01/16(月) 22:44:29
大正デモクラシーに乗った新教育運動って即出?
603日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:10:25
>>602日本史板だと新教育運動の存在自体知らないと思うよ。
専門じゃないとなかなか情報無いから。
それに関しての弾圧云々で過度な偏重教育がなされたとか重要な流れがあるんだけどねw
604日本@名無史さん:2006/01/17(火) 15:06:05
>>603 教育史では常識だと思ってた新教育運動{大正自由主義教育運動}について書かれたサイトが見つからないw
ここまでマイナーなことなの?
とりあえず、有名どころの沢柳政太郎とかのウィキの説明載せておくわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9F%B3%E6%94%BF%E5%A4%AA%E9%83%8E
なんか、えらいショックだ
605日本@名無史さん:2006/01/19(木) 18:40:53
>>595
当方老人ホームで働いているのだがうちの老人ホームにいる今年98歳になるおじいちゃんが
「モダンだったばあさんを二十歳のとき街中で口説いて付き合い始めた末に結婚した」とか
言ってたけどその時俺は当時ナンパなんてないだろうし恋愛結婚のことを少し面白おかしく
言いたくてそう言ってるのかなと思っていたのだが・・・。
おじいちゃん、リアルでナンパしてたのか・・・。
606日本@名無史さん:2006/01/21(土) 20:53:18
>>605
同じような事例で、戦争に行ったじいちゃんが、カタコトの英語でビルマ人を軟派しまくってたっていう話をしてたのを
聴いたことがある。今も昔もかわらないんだなーと思った。
607日本@名無史さん:2006/01/21(土) 21:01:56
>>141
医者は現業の扱いで、戦前は地位が低いよ。
工場労働者とかの下層よりましだけど、中流では最下層でしょ。
もちろんこの中流=今の中流の意味ではない。
608日本@名無史さん:2006/01/21(土) 21:16:42
スレッドを見ると、戦前は官尊民卑とかぬかす無知がいるようだけど、
戦後こそ官尊民卑 戦前は、財界の地位は高いよ
609日本@名無史さん:2006/02/03(金) 10:43:58
とりあえず体罰は江戸時代以来の伝統
610日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:15:26
戦前は特高とか憲兵隊とかいう馬鹿がいたからね。
こいつらが惨殺された事件キボン
 では一句
   
 (昭和)天皇は糞で 右翼(戦前)は 蛆虫で。
611日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:43:59
下の句   東久邇宮 糞と稔(なる)彦
612日本@名無史さん:2006/02/20(月) 16:07:23
>>605
エログロ・ナンセンスの時代とか今の時代並に退廃的だからね。
不良モガがタトゥー入れたり女学生が制服のスカート短くしたり未成年者が喫煙して
補導されたり銀座を深夜までうろついてかつあげする不良モボがいたりとかまるで
今そっくりなことが沢山ある。
613日本@名無史さん:2006/02/20(月) 17:21:25
でも俺はエログロ時代結構好きだな。
まだ残る明治・大正の香りと昭和の新しさが両方あるし満州事変前の平和さがいい。
614日本@名無史さん:2006/03/11(土) 01:50:53
615日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:40:13
教育勅語(現代語訳)
俺様いつも考えてみるんだけどさ、俺の祖先の天照大神が、日本の国を作ったって事は
すげえよな。それ以来俺の家系がしっかりとこの国を支配する仕組みを作ったのは偉い。
この俺様の先祖たちの考えに従って、お前ら臣民は、俺様に忠誠を誓い、良くやってくれた。
俺の帝国日本が偉大なのは、この良く出来たシステムのお陰ってわけだ。
教育ちゅーもんの根本もそこに有る。

お前ら臣民は、放っておくと何やらかすかわかんねえから、オヤジやオフクロの言うことを良く
聞いてだな、兄弟喧嘩とかは程々にしておけ。夫婦でゴタゴタを起こすのは論外だ。
ダチを大切にして、お互いに協力し、よく勉強して、産業を強くして、俺様の帝国を内側から強力にしろ。

いいかお前ら、俺様の決めた憲法は絶対に守れ、俺様の決めた法律もだぞ。お前らは忠実な
犬の何倍も忠実でなくてはならない。犯罪とかやるんじゃねーぞ。万引きもコソ泥も許さん。
俺様の政府やお役人様には絶対逆らうんじゃねーぞ。 もし俺様の帝国が外国とドンパチ
やるときは、俺様の忠実な兵士として捨て駒になる覚悟で死ね。そうして俺様の偉大な帝国
に貢献しろ。俺様と俺様の偉大な家系の偉大さを世界に思い知らせろ。

いいか、お前らの祖先は先祖代々、俺様の先祖の下僕だ。そういう奴隷根性を発揮して
俺様に忠実 に生きるのは当然のことだ。それがお前ら下賎の輩にふさわしい生き方だ。
以上述べた事は、俺様の先祖が決めたことで、ずーっと昔から決まっていた仕組みだ。
これは今も変わらない。

このシステムは世界にあてはめても間違いの無いことだ。世界中の人間はすべて俺の下僕だ。
つまり世界征服も視野に入っているって事だ。すげえだろ?俺のこと尊敬するだろ?
だからな、おまえら臣民は、俺様の教えを片時も忘れず、俺様への忠義に励め。

明治二十三年十月三十日
睦仁 [印]
616日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:42:47
>>615また、その奴もってきたんだ。
いつみても悪意ありすぎの誤訳だね。訳した人は法律勉強すべきだなw
617日本@名無史さん:2006/03/11(土) 10:12:07
>>616
もうちょっと具体的に反論しろよ。
618日本@名無史さん:2006/03/11(土) 10:22:13
戦前の初等教育は儒教をベースとした修身教育が中核に据えられていた、
ということですな。
619日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:41:29
>>612
タトゥーや女学生のスカート短いスタイルはエログロ・ナンセンス期の
昭和3〜5年あたりに流行ったらしいね。
それでふと考えたんだけれどもし戦前に今の香具師がタイムマシンで行って
茶髪やミニスカ、ピアスなどを紹介したら意外にすぐに流行るのだろうか?
620日本@名無史さん
>>617 前の方で出て叩かれたて訳だから重複して指摘する必要ないんちゃう?
それに教育勅語について知ってるか、必修の法律やってれば間違ってるのわかるし

なんか戦前教育について、第二次戦直前の戦時教育しか知らない人多いな。
結構民主的だったり、先進的な教育方法行ってる時期もあったのにね