1 :
日本@名無史さん:
業績があるのに、過小評価されている歴史上の人物について語りませんか。
私からは
先ずは、『今川義元』だ。
海道一の弓取りと呼ばれてました。
2 :
日本@名無史さん:05/01/03 14:31:24
田沼意次
・干拓事業で耕地開拓
・貨幣改革で貨幣の流通促進
・座の容認による商業資本の重視
・ロシアの南下に対処するための北海道開発計画
松平某のせいでこれらの改革が滅茶苦茶にされた
三井高利
現在日本の繁栄の礎を築いた江戸中期の商人の代表的人物として、
もっとドラマ等でとりあげるべきなのではないかと。
大村益次郎
陸軍の創始者、官軍の事実上の最高司令官で第二次長州征伐や上野戦争では
華々しい戦果をあげているにも関わらず日本史や幕末に興味が無い人間は名前すら知らない。
5 :
日本@名無史さん:05/01/03 19:41:46
幣原喜重郎だろ
6 :
日本@名無史さん:05/01/03 19:48:14
加藤鷹
7 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:03:05
真田信之だろ
8 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:17:07
西周
10 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:49:58
全員妥当。
石原幹事だろ
11 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:10:19
ニクソン
12 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:24:33
辻政信
13 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:30:32
南雲忠一
14 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:31:10
小西行長
15 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:32:33
阿部大老。
襲撃だって、なんのその!
16 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:32:53
小倉優子
17 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:34:06
平原綾香
18 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:34:47
大塚愛
19 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:35:28
石田三成
20 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:37:05
21 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:43:02
大江広元
武家の時代を築いた影の功労者
22 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:51:55
やっぱ吉良でしょ。
地元では名君。
23 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:54:43
大久保利通
偉大な政治家
25 :
井上満則:05/01/04 14:02:47
歴史自体が無意味だ
こんな国滅びろ
26 :
日本@名無史さん:05/01/04 14:04:21
徳川慶喜
27 :
日本@名無史さん:05/01/04 14:47:25
畠山重忠
昔はともかく今は知名度低すぎ
28 :
日本@名無史さん:05/01/04 14:54:30
たいていの2代目。
逆に3代目は過大評価されることが多い。
29 :
日本@名無史さん:05/01/04 14:55:17
福沢諭吉
普通の人には、人種差別を否定した人みたいに思われてる。
30 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:16:28
前園
31 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:31:04
シーボルト
おれ!
33 :
日本@名無史さん:05/01/04 18:05:04
緒方洪庵
34 :
日本@名無史さん:05/01/04 18:11:59
35 :
日本@名無史さん:05/01/04 18:29:17
ジーコ
36 :
日本@名無史さん:05/01/04 18:32:17
37 :
日本@名無史さん:05/01/04 19:30:18
>>34 ほら、不比等・義時・秀忠とか・・・他には思いつかないが。
>>37 不比等は俺の心の中で初代待遇。
鎌足は一代で滅んで、不比等が再興したイメージ。
39 :
日本@名無史さん:05/01/04 20:02:37
岸信介
40 :
日本@名無史さん:05/01/04 20:21:29
木戸孝允
41 :
日本@名無史さん:05/01/04 20:44:53
井伊直弼
42 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:49:53
2代目シリーズ
近代天皇という意味では2代目の、大正天皇
43 :
日本@名無史さん:05/01/04 23:33:12
役小角、道鏡
44 :
日本@名無史さん:05/01/04 23:34:26
金売吉次
45 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:42:43
中岡慎太郎ですな
46 :
日本@名無史さん:05/01/05 03:49:39
三角大福の4人は皆低く評価されている気がする。
47 :
日本@名無史さん:05/01/05 04:34:46
長岡外史
>>46 中が長期政権&長寿でこの前まで現役だったからなー。
三は革新の右よりも左な非主流派だから影薄い。
角は疑獄と金竹の造反と病気で退場。
大は在任中急死でこの世からも退場。
ただ福は息子と弟子が今第一線にいるから
今後評価の見直しもあり得るかと。
49 :
日本@名無史さん:05/01/05 06:35:57
飛び加藤
服部半蔵、猿飛佐助、
ケムマキなどの、有名忍者の蔭に隠れ、実力NO1であるにも関わらず知名度が低い。
50 :
日本@名無史さん:05/01/05 12:13:45
中岡慎太郎
51 :
日本@名無史さん:05/01/05 13:17:48
北朝の天皇の方々。
天皇である事はみとめてるんだから、だれかもっともちあげたらいいのに。
52 :
日本@名無史さん:05/01/05 13:21:37
徳川秀忠。
息子家光を自殺に追い込み、
親父家康に豊臣家滅亡の汚名を着せ、
男兄弟達を次々に消し去った。
で、記録にもある事だが、なんたら天皇に娘を送り込み、
他の女性に子供ができたら全部消し去った。
その圧力で7才の女帝が誕生。
もう少し、クローズアップされていい人物だとおもう。
中西太
怪童と呼ばれ、怪我さえなければ
900本のホームランを打ったといわれる天才
鬼束ちひろ
こんなに上手くて、楽曲もいいのに
なんで売れないのか?
徳川家治
田沼意次を起用したあたりはさすが
57 :
日本@名無史さん:05/01/05 23:41:22
田沼意次
実際は先見の目があって重商主義を行ったという一面もあるのに商人とグルって
賄賂によって重商主義をとっただけという賄賂野郎という一面ばかり言われている。
>>57 最近は歴史番組とかで盛んに取り上げられてる気がするし、評価されてるんじゃないのか?
逆に松平定信が過小評価されている気がする。
白河藩主としての実績はかなり評価してもいいと思うし、
老中としても「幕府財政建て直し」という目的はそれなりに
クリアしているわけだし。
60 :
日本@名無史さん:05/01/06 00:49:23
荻原重秀
ってどう? 新井白石が悪口言い過ぎで評価が低くなった気がする・・・
61 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:35:24
豊臣秀次
秀長亡き後、九州征伐の間、京、大阪の内政に尽力
文禄の役のとき兵糧や武器の調達で尽力した
主の居なくなった金沢文庫や足利学校の本を保護、写本した
殺生関白として自害に追い込まれる
松平定信なんだが賛否両論あるが、近視眼的で着眼が偏頗な点は否定できない。
白河藩主時代に餓死者を一人も出させなったという逸話があるが
事実なんだろうが、それは会津、宇都宮などにまで手を回して米を
かいしめた結果のことであって、したがって宇都宮や会津では餓死者が
増大し、恨みを買っている。
老中首座になった後も、勘定吟味役をなぜか廃止している。
会計検査院を廃止するようなもので彼がどれだけ財政収支に配慮していたか疑問符がつく。
定信失脚後松平信明はこれを復活している。
63 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:41:46
秀次が自刃に追い込まれたのはほんとにおしい!
64 :
日本@名無史さん:05/01/06 04:31:37
>>61 小牧・長久手の戦いで大敗した大たわけだが
65 :
日本@名無史さん:05/01/06 04:37:09
>>64 そもそも、いきなりド素人を総大将に任命した秀吉が悪いのでは?
66 :
日本@名無史さん:05/01/06 04:38:34
黒田如水。最後まで天下獲りを諦めなかった男!息子が関が原で活躍し家康から膝をついてまで喜ばれた
という話をしたら「お前の左手は何をしていた?」は有名な話し。
67 :
日本@名無史さん:05/01/06 04:56:48
香川親和
長宗我部元親次男
父、元親に讃岐香川家に養子にだされた
讃岐への出兵では大将として多大な戦果をあげている
信親亡き後、秀吉に跡継ぎにも任命されている
が元親は四男盛親を跡継ぎに
そして幽閉
その後病死とも自害とも暗殺とも言われる謎の死
かわいそすぎる
もっと評価を
68 :
日本@名無史さん:05/01/06 05:03:01
おまいら良く聞け、今官位スレに何かレスすれば官位をやるぞ
69 :
◆FYiXlX6Jvk :05/01/06 05:51:42
>>68 官位板の鎌倉です。
他の板をまわりむやみやたらに触れまわれば荒らしとみなされます。
即刻その行動をやめてください。
皆様御迷惑おかけしました。
70 :
日本@名無史さん:05/01/06 06:26:42
66>
如水が言うように九州全土を手中に治めることは不可能と思われ…
薩摩には島津本隊が残ってるし
大友などの遺臣かき集めたとしても戦えば壊滅は必至かと
晩年の如水は過大評価され過ぎてると思う。
71 :
???? ◆VgMkRE6jec :05/01/06 07:22:19
『官位』板を誰かが煽っていますが無視して下さい。もし迷惑をかけていましたら、すいませんでした。
官位板使者
72 :
日本@名無史さん:05/01/06 20:19:44
>>70 しかし内政をかき乱されて統制とれていない国が多かったし
九州全土は無理としてもかなり拡大できたかも?
と言いつつ俺も過大評価だと思うが
とくに関ヶ原を短期決戦だと読めなかったことが最大の落ち度かな
73 :
日本@名無史さん:05/01/06 22:38:24
「天下を取りなされ」などとほざく官兵衛ちゃんは人間的には評価できない
74 :
日本@名無史さん:05/01/06 22:41:08
やっぱ小栗上野介じゃない?
75 :
日本@名無史さん:05/01/06 23:55:11
松尾 多勢子
76 :
日本@名無史さん:05/01/07 00:20:55
朝倉義景
滅んだとか動かなかったとか、
文化を振興し、信長を何度も撃退しているのに、他の大名よりも『へたれ』
として認識されすぎ。
77 :
日本@名無史さん:05/01/07 00:22:29
田代まさしはもっと評価してもいいな
78 :
日本@名無史さん:05/01/07 08:33:06
田代ネ申は別格。
我々凡人如きがネ申に評価を下すなど畏れ多い。
徳川吉宗は?
蘭学の積極的導入とかほかの改革者たちとは一線を画してるのに
あつかいはそんなかわらないし、
81 :
日本@名無史さん:05/01/17 03:12:17
松平慶永。てか幕末の越前藩
82 :
日本@名無史さん:05/01/18 14:16:05
>>79 吉宗はどっちかと言うと過大評価じゃねえ。
83 :
日本@名無史さん:05/01/18 14:26:31
ひ
84 :
日本@名無史さん:05/01/18 14:31:50
足利義政
85 :
日本@名無史さん:05/01/18 21:09:41
佐々木道誉 はどうかな?知らない人も多そうだが・・・
86 :
日本@名無史さん:05/01/18 23:47:20
足利義満って、道誉?
数十人の征夷大将軍の中でも屈指の、日本史にインパクトを与えた人だと思うが
87 :
日本@名無史さん:05/01/19 00:27:59
幕末だと堀織部正だな
謎の自決を遂げたが
死後堀の遺書なるものが偽造されて流布し
尊皇攘夷の志士に大きな影響を及ぼした
プロパガンダをするのにちょうどいい時期に死んだためだが
88 :
日本@名無史さん :05/01/19 00:38:18
英雄の二代目北条氏政や今川氏真
そして武田勝頼だろう
軍鑑のイメージが一人歩きしている
毛利隆元
偉大な父、有能な2人の弟に挟まれ陰が薄く
ぼんくら息子の父として肩身の狭いところだが
実直な人柄で、家臣の信頼は厚かった。
90 :
日本@名無史さん:05/01/19 00:58:30
足利尊氏だな
戦前教育では大逆賊あつかいだけど
負けた南朝が正統ってこたないだろにね よっぽど悔しかったんだろな
天皇指名権に近いモノがあったとみるね
(なにより、いまだに天皇家から嫌われているのが証拠だよ)
信長もここらへんを目指したんじゃないか?
秀吉、家康は遠く及ばず
91 :
日本@名無史さん:05/01/19 10:10:05
>>90 そういう意味では直義の方を評価すべきなのかも。
尊氏は天皇を大事にしすぎた為、南朝を許すような部分があったように思える。
その点では、弟の直義が優れていたんじゃないかな?
でも義経と直義で扱いがこうも違うとは笑えるよなw
直義さんは戦下手だから・・・
直義さんは保守的な人だから…
芹沢鴨。
実は真の尊皇思想の持ち主。
95 :
日本@名無史さん:05/01/19 15:19:29
96 :
日本@名無史さん:05/01/19 15:22:02
源頼朝
97 :
日本@名無史さん:05/01/19 23:01:55
天武天皇。おそらく「日本」という国号、「天皇」という称号を使い出したのは
彼だと思う。つまり真の初代天皇で日本を作った男だと思うが知名度低い。
(仮にそうじゃなくても「古事記」「日本書紀」の編纂を命じて「日本は神の子孫
である天皇が治める国」という思想を広めたんだから日本史への影響度高いわりに
一般での知名度マジ低い)
98 :
日本@名無史さん:05/01/19 23:24:19
天智天皇=中大兄皇子は誰でも知ってるが、天武は知名度低いな。
既出かも知れんが、秋山
東郷平八郎の参謀だった人
100 :
日本@名無史さん:05/01/19 23:41:45
天皇を超えた存在というのが今までないからねぇ
天皇を倒したとしても、その人が天皇になった訳で
そういうことを考えると面白いよね
可能性があったのは誰か ってことだけどね
GHQか?
102 :
日本@名無史さん:05/01/20 12:42:52
>>56 その田沼の起用を進言したのは父家重じゃなかったっけ。
言語障害、女色に耽ったりとあまりいいイメージはないが、
人を見る目はそれなりにあったよう。
あと徳川将軍でいえば家宣とか?
103 :
日本@名無史さん:05/01/20 13:31:38
信長が超過大評価になっているぶん、秀吉と家康の扱いが悪すぎ。
秀吉は天下統一を実現した。
家康は天下泰平を築いた。
この2人がいなければ天下統一は実現しなかっただろう。
しかし信長がいなくても…歴史はさほど変わるまい。
いまだに詐欺師呼ばわりされる清河八郎。
天武を挙げるくらいなら、高市皇子だな。
天智,天武,持統の三帝にも劣らない事績なのに知名度は...orz
106 :
日本@名無史さん:05/01/20 14:50:52
107 :
日本@名無史さん:05/01/20 14:58:18
>>103 信長が7割方安定させた政権にクーデターが起こった時、それを沈静化させた上で
ライバルを蹴落としながら実質の後継者となったのが秀吉。
その秀吉の死後は、秀吉が生前から裏で根回ししまくってた家康が政権を乗っ取り、
江戸幕府を開いたって感じに受け取れるけど、実際はどうだったんだろうね?
108 :
日本@名無史さん:05/01/20 15:19:53
下瀬パウダーの下瀬雅允で
109 :
日本@名無史さん:05/01/20 22:39:37
東條英機
この人は未だに昭和天皇の影の様な存在のままで語るのさえ憚られている…
110 :
日本@名無史さん:05/01/20 22:57:25
朝までテレビで言ってたけどね
A級戦犯のうち生きた人はその後、国会議員や大臣になって
恩給も素晴らしかったらしい→名誉回復
死んだA級戦犯たちはご存知のとおり
全世界の嫌われ者・不名誉極まりなしでそのまま
靖国参拝でいまだに問題視されてるんだと
遺族が言ってるらしいね
歴史って残酷だよね
111 :
日本@名無史さん:05/01/20 23:08:42
>>109 狂おしいほど同意。
東條さんは、あまりに あまりに 日本人らしい男だと思う。
寡黙で不器用でクソ真面目でさ。
余談だが若い頃、嫌いだった俺の父親にそっくりなんだよ。
112 :
日本@名無史さん:05/01/21 19:47:40
英樹は軍人・戦時中の政治家としてはあまり優秀ではないと思う
しかし東京裁判の態度は立派だった
自決しても死にきれなかったのは天命だったのかもね
113 :
日本@名無史さん:05/01/21 19:50:58
軍人としては優秀だと思うけど
神経質で気が小さくて重箱の隅をつっつくようなタイプ。
こんな上司や先輩イヤだ。
115 :
日本@名無史さん:05/01/21 20:17:40
信長そっくりだもんな
116 :
日本@名無史さん:05/01/21 20:36:26
東條は部下思いの人間だったのになぁ…
こんな所も過小評価されとるね…
>>115 東条さんはむしろ三成タイプだと思う。
自決していたと思っていたけど、死に切れなかったの?
>>113 軍人としてもどうかな。
官僚としてなら優秀だろう。むしろ内務省あたりに入った方が幸せだったかもしれん。
119 :
日本@名無史さん:05/01/26 00:11:06
関が原で負けてしまった石田三成も江戸時代以降
過小評価されてきたんじゃない。
既出だが大正天皇は戦前作られたイメージが強すぎだよなぁ。
昭和天皇を神聖視させるための踏み台にされた感が強い。
まぁ今再評価機運が高まってるような感じはあるけど。
実際とても人間味を感じる面白い人だと思うんだが、何故宮内庁は
いまだに色々未公開のままにしてるんだろう。
121 :
日本@名無史さん:05/01/26 10:45:45
早死にしたし
なんと言っても血が濃すぎるし
やっぱり何らかの障害を持っていたんじゃないの
122 :
日本@名無史さん:05/01/26 15:42:11
黒田官兵衛
山本権兵衛
海軍育ての親
藤原不比等
藤原千年の基礎を築いたのは父鎌足ではない
>>125 まあそうだな。
比較される人物が過大評価されているだけか。
前尾繁三郎
灘尾弘吉
椎名悦三郎
広瀬武夫
129 :
日本@名無史さん:05/01/27 13:28:22
130 :
日本@名無史さん:05/01/27 13:55:36
赤禰武人
131 :
日本@名無史さん:05/01/27 14:24:41
うっかり八兵衛
132 :
日本@名無史さん:05/01/27 16:45:29
八戸順叔
>>131 歴史上の人物?
架空の人はだめ。
神武天皇とか
134 :
日本@名無史さん:05/01/28 09:25:53
小泉純一郎
135 :
日本@名無史さん:05/01/28 20:06:02
>135
その男は過大評価です。
>>135 確かに…
レス番を間違えるような奴が大した奴とは思えんな。
137 :
日本@名無史さん:05/01/29 08:40:08
蒲生氏郷
早死にしたのが悔やまれる。
過大評価なら上杉謙信だろうね。カルトな戦争屋だろ。
神武天皇・・・単なる居座り強盗の村長
>>137 今以上の評価を与えても過大評価だろう。
ただでさえ過大気味なのに。
143 :
日本@名無史さん:05/01/30 00:20:35
戸澤盛安
畔田翠山
南方熊楠
144 :
日本@名無史さん:05/01/30 01:44:53
菊地武光
真田幸村
特攻隊長でごわす。
146 :
日本@名無史さん:05/01/30 02:37:28
松永弾正
148 :
日本@名無史さん:05/01/31 05:42:07
>>142 蒲生の評価が過大気味ということはありえないでしょ。知名度ないしね。戦さは強かったよ。
歴史ヲタ以外は名前も知らんしね>氏郷
150 :
日本@名無史さん:05/02/01 17:23:16
やっぱ中岡慎太郎じゃない?
龍馬と一緒に殺されなければ維新後は
活躍できただろうに・・
151 :
日本@名無史さん:05/02/04 22:08:40
小松帯刀は?
152 :
日本@名無史さん:05/02/04 23:12:11
評価が低いと言うか、むしろ悪評燦々たる山県有朋。
軍政家としては優れてたね。
仲の悪かった原敬でさえ山県が存命な間は、無謀な戦争を
することはないだろうと言っていたらしいからね。
松平容保ってどうよ?
155 :
日本@名無史さん:05/02/10 10:27:08
吉村虎太郎はもっと評価されていいな。
156 :
日本@名無史さん:05/02/10 11:32:53
>>40にでてるけど木戸孝允こと桂小五郎。
このおっさんが長生きしてたら、太平洋戦争を回避できたと思う。
あと堀悌吉。
157 :
日本@名無史さん:05/02/10 11:38:05
徳川秀忠
軍才はからっきしだが、政略は父親なんかよりもずば抜けてると思うが
158 :
日本@名無史さん:05/02/11 01:54:00
持統天皇・・・大和朝廷の基礎を作った。西日本の統一を史上初行った。
>>156 同意。俺もそう思うよ。
あと、
>>155も言ってるが、吉村虎太郎は評価低すぎやしねえか?
160 :
日本@名無史さん:05/02/11 09:03:05
大隈重信も入れてくださいな。
161 :
日本@名無史さん:05/02/11 09:14:04
名宰相・保科正之
もっと小学生が知っているくらいでないとおかしい。
162 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:05:08
日本の歴史は表が半分、裏が半分
裏の半分は主に修験者などが担っていた
この修験者ってのが面白い連中で、表に名前が出ないことを
誇りにしている連中だ だから無名
中世から近世にかけて重要な節目で重要な働きをしてるようだが無名により不明
無名の修験の連中が一番過小評価されているのが日本の歴史、日本の正史
163 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:29:19
何といっても過小評価されているのは世良修蔵だろ。
仙台のヘタレが逆切れしたために思わぬ不覚を取ったせいで散々な書かれようだが、もし
生き残って新政府に加わっていたら官僚・政治家コースでも軍人コースでも相当なレベル
に達していたと思う。
日露戦争で世良が外務大臣・満州軍総司令官・聯合艦隊司令長官のどれかに就いていた
ら、史実以上の成果を出せたはずだ。
>>162 すっげー興味深い。
吉村寅太郎は、ホント、評価低いね。
司馬遼太郎のせいかなぁ?
大久保も西郷も岩倉も山県もみなリアリストで冷静な主眼を持っていたのよ。
近代化のためには少々重税や人権の制限をしたとしても日本を暗黒な軍国主義国家にしようだなんて考えていなかった。
太平洋戦争を引き起こしたのは数十年後の官僚的で狂信的な一部軍人と政治家
とその権力者達の扇動にまんまと乗っかってしまった大多数の国民
167 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:51:08
169 :
日本@名無史さん:05/02/12 01:22:53
結城秀康。豊臣秀次。
170 :
日本@名無史さん:05/02/12 19:17:57
薩夜麻
171 :
日本@名無史さん:05/02/12 21:07:02
それほど修験について詳しくも無いが、修験の霊場などに行くと
そんなことが書いてあった
修験、忍者、山の民、鉱山関係者などが錯綜してるように思える
裏の情報ネットワークがあって、敵味方入り乱れての情報交換をやっていたのだろう
家康の天下にしても、事前に裏のネットワークでは暗黙の合意が出来ていたようだ
徳川時代になって世の中が安定してくると、農民になったり商人になったりして
地下に潜ったようだが彼らの暗躍は歴史上からは抹殺されているようだ
武田信玄にしても徳川家康にしても一説には上忍といううわさもあるくらいで
戦国期の真相は表面からだけではわからない
武田信玄の戦国時代の仇名は「長足坊主」といわれていたくらい
情報、諜報活動に優れていた 信長もその諜報活動を恐れていた
172 :
日本@名無史さん:05/02/13 12:57:24
木越安綱は?
彼が尻拭いをする羽目になった前任の上原勇作のその後と比べたら
「現役」の2文字を取り去るために彼が払った代償はあまりに大きい。
これを契機に原や浜口等が臨時代理にしろ現役どころか文官でも
軍務大臣になれる寸前までいったわけだし、
後に2.26事件後の広田内閣組閣の条件に陸軍が真っ先にこれの撤回を持ち出し
実際に次の宇垣内閣を流産させたんだからもっと評価されてもいいのでは?
なにしろ評価どころかかなり大きな人名辞典でも名前すら載ってないし、
陸軍だけではなく歴史からも抹殺されて可哀相すぎる。
173 :
日本@名無史さん:05/02/17 01:55:21
平清盛
174 :
日本@名無史さん:05/02/17 03:12:12
福地源一郎
175 :
日本@名無史さん:05/02/17 03:35:07
坂本龍馬などは本当は裏の人。
生き残った勝海舟の発言があったり
戦後、司馬が掘り起こし小説にしたからであって。
176 :
日本@名無史さん:05/02/17 03:36:49
幕末の外国奉行はみな、かなり過小評価だと思う。
177 :
日本@名無史さん:05/02/17 05:36:33
香川敬三
司馬ファンと新撰組ファンと有馬藤太のせいで過少評価されてる。
各地の志士の情報を伝え歩いた行動力
岩倉側近として公家や志士の間を飛び回った交渉力
岩倉遣欧使節団に自費参加してでも各国の皇室を見てまわった先見性
宮内省で皇室の近代化を推し進めた改革力
皇室外交を中心的に展開させた外交力
日露戦争の士気を高めた皇后の夢作戦の戦略性
どれを取っても一流なのに。
土方がずっと官軍に抵抗した事でも明らかなように、近藤を生かしていたら官軍に抵抗する存在となったはず。
土方同様いつかは殺す必要があっただろう。この判断も正しいはず。殺す際にも実際には温情あるやり方をしていた。
寄せ集めの旧式の軍を任されて、大鳥圭介に宇都宮城を奪われたのも酌量の余地ありだろう。
司馬のせいで陰険な性格だとかされているが、本当にそうなら皇室外交上の重職を明治国家が任せるだろうか?
また、旧主家である水戸徳川家や慶喜にも義を重んじていた。慶喜を公爵家にしたのは香川の力によるところが大きい。
山田方谷
鷹山より寧ろこっちだろう、今見習うべきは、いや鷹山も凄い乃は認めるが
しかし、なんでこの師の薫陶を受けて河合継之介みたいなのが出るかなあ
つか河合を評価する理由が分からん、単純に状況の読めない馬鹿だろうあれは
179 :
日本@名無史さん:05/02/17 06:16:19
土方久元はどうなんだろう?
180 :
日本@名無史さん:05/02/17 06:19:53
>>178 状況の読めない馬鹿が北越戦争で官軍相手に大立ち回りしたなら
それは喜劇の一種だな。
181 :
日本@名無史さん:05/02/18 09:49:26
>>152>>153 その原の暗殺の一報を聞いて卒倒したらしいね。
政敵でも人物は見る。ただのDQNではできないことだ。「怨念」とまで言って
ドロドロの選挙をしている2世3世議員にも見習って欲しい。
山縣は長生きしすぎたんだよ。もともとはゴリゴリの保守派で議会や普選には終始
反対していた。西南戦争直後にでもポックリ逝ってたら高杉くらいの評価は受けたろうね。
山県は「嫌いだが優秀なのは認める」ってやつが大半じゃない?
評価自体はされてると思う。
「でもやっぱり嫌い」が最後につくが。
183 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:25:46
上杉ようざんって過大評価だろう
本間一族のアドバイスを少々聞いてやってただけなのだから
本人もなんでほめられるのか?よくわからんって言ってるくらいだから
あの時代に、藩政改革のスターみたいなのを作り出す必要があったから
作り上げられただけだろう
184 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:37:32
過小評価はやっぱり江藤新平だな
185 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:47:32
山田方谷も小さな藩で、たまたま鉄鉱の鉱山があったから
農機具を作って販売して成功しただけで、とても日本の国で
通用するとは思えないな 大久保利通からの勧誘を断ったのは
自分の力量をよく知ってたから賢明な策だったな
もともと農民上がりだしね
186 :
日本@名無史さん:05/02/19 23:35:05
阿比留父娘
187 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:36:12
楠正茂
生き方がカッコイイから大河ドラマの主役になってもいい。
189 :
日本@名無史さん:05/02/20 06:55:49
俺のかーちゃん
>>187 太平記でほとんど主役だったし。て言う以前に今以上更に評価しろと?
楠木ならむしろ正儀。既に再評価されてる気もするが。
191 :
日本@名無史さん:05/02/20 11:37:13
楠木正繁
192 :
日本@名無史さん:05/02/20 13:17:42
清河八郎
193 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:40:47
梁川星巌
有名な詩人であり、攘夷主義者であったが
安政の大獄で逮捕の直前にコロリで病死→「詩に上手」(死に上手:詩人星巌に引っかけたネタ)
何というトホホな評価であろか
老先生も浮かばれまいて
死期を悟ったとき「男子、婦女子の手に死なず」(だったと思う)と言って
夫人を病室の外に出し、病床に正座して臨終を迎えたという
194 :
日本@名無史さん:05/02/20 16:13:51
高野長英
東郷平八郎
最近は教科書に載ってないそうです。
196 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:34:43
アラスカで奴隷にされていた難破日本人
南光坊天海(1536?〜1643)
徳川家康の側近として力を揮い、日光東照宮を建立した人物。
しかし、日本史の教科書には登場しない。
天海出ないの?
崇伝はテストに出た記憶があるのに。
>>198 出ない。
「徳川家康」「日光東照宮」が出ていて何故「天海」が出ないのか未だに謎。
九鬼隆一
201 :
日本@名無史さん:05/02/21 21:25:17
天海を密教の本で見た俺が来ましたよ。
202 :
日本@名無史さん:05/02/21 21:50:14
秋山真之
明石元二郎
ある意味では日本史だけでなく、世界史のトピック(ロシア革命)に関与したキーパーソン
児玉源太郎(1852〜1906)
日露戦争の旅順戦に於いて指揮を執り、旅順を陥落させた陸軍軍人。
ちなみに、菅直人氏の長男・源太郎氏の名前の由来は、児玉源太郎らしい。
>204
お前馬鹿?
206 :
日本@名無史さん:05/02/22 21:04:57
>>177 確かに香川が司馬の小説のままの卑劣な人物かどうかは、
当時の立場や本人との利害関係で評価が違ってくると思うが。
>土方がずっと官軍に抵抗した事でも明らかなように、近藤を生かしていたら官軍に抵抗する存在となったはず。
ここは香川を擁護するあまり間違った方向で弁護をしている。
近藤は官軍になりたかったので、生かしておいても大人しく下獄して
一切の抵抗も煽動もしないだろう。
京都時代に長州や土佐の恨みを買っているから、死刑はまぬがれまいが。
それを見抜けなかった近藤がバカなだけ。
207 :
日本@名無史さん:05/02/22 22:02:08
土方久元
土方雄久
210 :
日本@名無史さん:05/02/23 12:15:54
細川幽斎・・・兵500で籠城、1万5千を迎え撃つ
細川忠興・・・プチ信長
細川忠利・・・晩年の武蔵が唯一仕官した人格者
211 :
日本@名無史さん:05/02/23 21:19:26
>>187 楠木正成はNHK「その時歴史が動いた」で今放映中だべ
212 :
日本@名無史さん:05/02/23 21:53:08
玉木文之進。
松下村塾の設立者。
吉田松陰や乃木希典の師。
吉田松陰が有名になって「吉田松陰のお師匠さん」という、
イメージだけど順番から言ったら玉木文之進が松陰を作った。
213 :
日本@名無史さん:05/02/23 21:58:18
214 :
日本@名無史さん:05/02/24 19:53:08
山口多聞評価低いと思います
215 :
日本@名無史さん:05/02/26 15:35:18
土佐の武市半平太
見るからに人に長たる威厳があったと記録に残っているし
中岡慎太郎も西郷と並ぶべき人物であると言っている。
しかし坂本竜馬ファンの策謀により評価は高くない。
残念だ
216 :
日本@名無史さん:05/02/26 17:59:58
維新後に長州閥の連中がそれまで無名に等しい存在だった吉田松陰を宣伝したので
土佐人も負けじと武市を持ち上げようとしたが世間の受け止め方は
「あんな人殺しを評価するなんて。」とまったく振るわなかったそうだ。
やっぱ人斬り以蔵を使った数々の暗殺が明るみになったのがまずかった。
その点では西郷隆盛なんか人斬り飼ってても未だに敬天愛人イメージが強い。
217 :
日本@名無史さん:05/03/01 12:37:32
薩夜麻 邪馬台国の後継国、イ妥国の最後の王
都督として列島に君臨した
218 :
日本@名無史さん:05/03/01 15:48:17
田沼意次
最近叩かれてるけど斉藤一はもう少し評価されてもいいと思う。
汚れ役をやるのは本人も辛かったろう。
大塔宮護良親王なんかはもっと評価されてもいいと思う。
223 :
日本@名無史さん:05/03/11 18:09:46
ageよう。
>>222 ちょっと論点は変わるけど後醍醐天皇が護良の処置を誤ったんだと思う。
わが子ながら手を焼いたのは分かるが、讒言を聞いてあんな処置をしてなければ建武政権も
もうすこし寿命が延びてたんじゃないかな。
224 :
日本@名無史さん:05/03/11 18:16:11
近衛文麿
世間ではちょっとバカだと思われてるけど
本当は大バカだった
なので過小評価
松平春嶽
松平春嶽は結構評価されてると思うが
227 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:36:11
坂の上の雲の秋山真之かっこいかったね
228 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:45:40
北条高広もいい味出してるな。
伊東甲子太郎。独自の理論で富国強兵を何気に先取りしていた大開国策。
ある程度仕方ないとは思うが小説などでの扱い見ると何とも
>>229 同意
小説とか読んでるとなんだか切なくなる
231 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 22:46:16
高橋是清
現代の日本の不況を克服するには
氏がとった方法で必要十分!
田中角栄。
ロッキード事件とか自民党の数の論理の創始者でイメージは
かなり悪いが、日本列島改造論はちゃんと評価されないと。
改造論の計画はまだ継続中だがな
土佐の過小評価は武智じゃなくて吉田東洋
234 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 01:14:38
六代将軍 家宣
先代の阿呆な動物愛護令をばっさり廃止。これだけも大功績。
師匠ともいうべき新井白石があれほど絶賛してるわりに
ドラマその他の主人公になかなかならん。
235 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 04:55:08
大鳥圭介。元凶は司馬の小説。
236 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 05:03:30
井伊直弼を震え上がらせた宇和島藩家老・松根図書。
アーネスト・サトウも評価している。
237 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 06:43:49
立花壱岐
こういう人物こそ学校で教えるべきだろう
238 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 06:51:45
横井小楠
239 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 07:16:24
横井小楠が憲法九条を知ったら泣くね
正に技術平和立国の日本
これまた現代の長州派に潰されそうな悪寒だが
240 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:26:25
砂川捨丸師
生涯吉本の禄を食むことのなかったこの大漫才師は
よしもと史観演芸史で低い扱いをうけている。
241 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:18:57
漫才骨董品の砂川捨丸でございま〜す、ポン!
242 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 19:46:04
谷干城だろ、新撰組びいきの連中の間では非常に狡猾な奴
にされているが、台湾出兵などでも活躍した。土佐閥の一人や。
243 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 22:09:54
谷と山川の友情は萌え
244 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 22:13:43
>>234 徳川家宣は新井白石が身内びいきで絶賛しているだけで実際はボンクラ。
245 :
231:2005/05/01(日) 23:43:40
246 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 01:45:21
>244
白石による評価は身内みたいなもんだから差し引いてみるとしても
綱豊をボンクラというのは言いすぎではないか。
247 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:07:52
北条氏綱はどうよ。
上で氏政の名が上がっていたが、2代氏綱ももっと評価されていいと思う。
領国拡げたし、第一次国府台合戦勝ってるし。
何よりも氏康作ったしw
248 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:30:23
伊藤博文
249 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 19:32:28
山県有朋。司馬が嫌ってた人物には過小評価が多いな。
250 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 19:55:27
恩田杢
251 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 20:55:26
森要蔵
岸信介なんてどうよ。
253 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 00:26:14
>27 畠山重忠に同意。
数々の武勇伝が有るにも拘らず、大河でもスルーの予感。
あらゆるスレで語られてるとおり、結構ファンは居るというのに。
254 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 01:25:18
足利義教。横死しなけりゃ幕府を立て直してたかも。
「万人恐怖」の将軍だかんね。
>>253 源平合戦は義仲や義経が矢面に立って頼朝は後ろにいたってイメージの
せいだろうね。
頼朝直臣はどうしても影が薄くなる。
256 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 16:04:01
>255
影が薄い上に、謀反の疑いをかけられて(冤罪)討たれるなんて、不憫だなぁ。
257 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 17:11:23
長州藩の清水清太郎。正義派の代表として尽力。現代では桂が長州藩のリーダー
と認識されているが、彼はあくまで幹部の一人。他には毛利登人や楢崎も全く評
価が無いが実績はある。高杉はこの二人に最大の賛辞を送っている。
258 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 00:39:13
岡田幾 (良元村村長 現在の宝塚市の一部)
まず誰もしらんわな。
昨今女性首長の活躍が目立つが
昭和20年代にも女性の首長はいた。
このことはもうすこし語られてもよい。
259 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 00:42:29
260 :
>259:2005/05/22(日) 00:54:26
岐阜県の松野友って人は人は1950年代に町長になって
平成の御世まで町長をつづけていた。
この人が女性首長のはしりかな。
261 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 01:02:58
>>すまそ
松野が町長になったのは1947年だな。
平成まで町長だったということは在任期間男女あわせて最長?
262 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:45:29
織田信秀
263 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 03:26:53
一条兼良に一票
この人は生前から「自分は天神(菅原道真)を上回る日本最高の学者であるのに
自分の名前は後世の人に天神ほどは知られないのだろう、それが残念だ」
と嘆いていた。
そんなわけで兼良は道真をとても嫌っていたそうだ。
この人は当時完全に埋もれていた源氏物語などの平安文学を掘り起こして復刊
日本の文化史上重要な功績がある。
それに較べて菅原道真は なんか功績があるのだろうか
しかし、後世の知名度や評価はまさに本人の嘆いたとおりになったのでありました。
264 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 04:12:19
小栗上野介かな。顔つきが明治の偉人の中でも飛びぬけてる
品があるというか、威があるというか・・
265 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 00:30:46 BE:51264588-
酒井玄蕃
266 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 18:49:17
>土佐の過小評価は武智じゃなくて吉田東洋
土佐でいえば藩祖の明神様が過小評価 じゃないか
後の世に物語になってるのは
馬の購入資金として奥さんがヘソクリだしてくれたエピーソードが
中心だし。
やっぱ、和田義盛だろ。豪胆で義理人情にあつい武士の中の武士だろ
268 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:23:32
269 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 05:02:47
雑賀孫一だ!
雑賀孫一は実在するの?
俺には雑賀衆への恐怖や畏敬の念を擬人化しただけのような気がするのだが
雑賀孫一って、代々の雑賀衆の棟梁みんなそうじゃないの?
重意も重兼も重朝も重次も孫一だし。
実在すると言えば実在するし、個人を指す言葉じゃないってだけ。
272 :
270:2005/06/14(火) 22:50:20
重秀=孫一の意味で発言してました
重秀は実在する?
知らん。
俺は重秀=重兼か重朝ぐらいに考えてる。
一応本願寺文書か何かに重秀って名前が出てくるらしいけど、途中で変名したと思ってる。
大鳥圭介
斎藤弥九朗
276 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 02:01:25
だれそれ?
277 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:22:17
278 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:56:44
279 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:30:32
桐野利秋(中村半次郎)
剣の腕だけじゃなく日記や和歌を残したり
昔聞いた講談の話を思い出してそれを会津若松城受け取りの際に活用する、
久光公に「懸河の雄弁家」と中井桜洲には「一個の棟梁」と評される、
市来の記述によるといち早く民権や立憲政体などに興味を持つ等
実はかなりの切れ者である。
・・・が、只の噂でしかなかった青竹の話(野村忍介はこの話を否定しているにも関わらず)や
桐野が若者を指揮して西南戦争の発端を作ったなどの話を勝手に事実に置き換えられ、
無学だったという事だけで字も書けない猪突猛進な芋侍とされるなど
今の評価はかなり新政府の桐野を戦犯にしようという企みに影響されすぎている。
もう一度評価し直さなければならない人物だと思う。
280 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 23:26:38
松永男妾久秀
徳川綱吉
282 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:47:59
柴田武雄海軍大佐
文武天皇
初の恒久首都構想=藤原京
人事・税制の抜本改革=大宝律令
貨幣鋳造計画策定=和同開珎(施行は死後)
悪しき慣習・古墳造営の禁止
水質汚染で藤原京廃棄(数少ない失敗)=平城京建設着工(移転は死後)
来る度に日本を混乱させた半島難民の受入拒否(最大の功績)
もちろん不比等も協力してるが、前例にすべきフォーマットが何も無い
時代にここまでやれたのはかなりすごいと思う。史上最強に推したい。
284 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:07:57
散々、既出だと思うが中岡慎太郎はドラマや小説などでいつも
「坂本の盟友」扱いでカワイソス
徳川宗春
某時代劇の影響か、凄い悪役にされてる
286 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:51:47
福岡孝悌も過小評価されてない?
司馬によってつまらない人物として貶められてるのあるせいか
というか司馬史観が土佐の上士の過小評価って多いよな
教科書にはでてくるけど、ドラマだとまっさきに省かれるし
287 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 07:09:57
島津義久。もっともっと評価されてしかるベキ
289 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 22:46:48
あげ
290 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:53:33
豊臣秀長。晩年の狂った兄を支え、豊臣政権を持ちこたえさせた。
平重盛。晩年の狂った父を支え、平氏政権を持ちこたえさせた。
291 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:16:28
日蓮
292 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:45:00
義政より後の足利将軍。評価も何も、名前すら覚えてもらえない人多すぎ。
せいぜい、信長や秀吉を描いたドラマで、義輝が殺されたり、義昭が敵役で
出たりする程度。一応将軍だよ。将軍!それに日本国王でもあるのに。
>>290 秀長は秀吉が一番狂ってたころには死んでたでしょw
まあ秀長が死んだから狂ったのかもしれんが
294 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 09:31:26
一遍
小早川秀秋
優柔不断・裏切り者の代名詞みたいに言われてるよな
296 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 12:02:14
>295
その通りじゃないのか?
297 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:22:10
>>296 まぁ、裏切りに対する礼状まで書いてる北政所について
もうすこし評価を固める必要がある罠。
298 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:31:55
北条義時
なんかいろいろと。最大は承久の乱。
昭和天皇。
300 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:31:14
>>299 先帝の歴史への影響力を認めるということは
戦争責任をも認めるということになるよ。
北条義時なら泰時のほうがいいな。武士の鑑っぽい。
302 :
名無的発言者:2005/08/03(水) 22:16:56
足利義輝かな・・・
せめて、足利将軍の1・3・7代と一緒に覚えてくれてもいいんじゃない
足利義輝に功績あった?単にゲームで強いだけじゃないの?
一の太刀を授けられた
朽木谷に逃げた
最後頑張った
これぐらいか?
305 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:27:42
徳川家茂
河井継之助
彼がいなければ日本の野球の発展はなかった。
307 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:12:06
真田信之
308 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:01:45
松田千秋。北号作戦の時の手腕は神業!
309 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:10:04
乃木希典はどうなのよ
310 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:33:31
高杉晋作に決まっとるわい。維新三傑に木戸の換わりに入れるべし。
>>309 一時期(日露戦争後)過大評価されすぎていたので今の評価で充分
312 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:57:08
末次信正大将。レーダーが未発達の時代に日米戦争になったなら、
この人ならば、大戦果を収めたと思う。自らが発展させた漸減邀撃戦略に
おごることなく、常に改善点に頭をなやせてたのは素晴らしい。
サイパン奪回を期待され、軍令部総長として現役復活を期待されたのも、当然と言えよう。
313 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:24:57
服部半蔵(初代)
半蔵率いる忍び組が存在しなければ、家康の天下は存在しなかったに違いない。
314 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:33:17
大日本帝国陸軍大将秋山好古
日本陸軍騎兵の父で日露戦争では世界一ひ弱な騎兵隊と呼ばれていた日本軍の騎兵隊を率いてコサック騎兵隊と闘った最期の古武士。
315 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 03:33:38
ここであえて信長
ただの虐殺マニアの破壊王だと思われがちだが実は理知的かつ度量がでかい。
同じ虐殺者でもポルポトや毛などは違う。
>315
わりと知ってる。
>>315 信長に関しては色々徳川天下の時に作り話やら何やらで付加えられた事が多いだけ
普通に知ってる人は知ってる
嫌いな人は徹底的に嫌いだから認めようとせんがね
318 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:26:16
信長は過大評価されているところが多いから
毛利勝永
惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず
>>318 まぁ、それは家康自信を過大評価しようとしたという過去が(ryってのもあるんだがね
信長ねぇ
一地方豪族みたいな身からあそこまでの勢力・権力をもちえた手腕は評価すべき。
結局日本統一まではできなかったことも評価すべき。
どーも評価する人によってふり幅が大きいね
322 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 21:13:57
徳川家綱
末期養子の禁の緩和、殉死の禁止など功績は多いが、
教科書では殆ど触れられない。
323 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:33:39
その点秀吉は信長と家康の間に入って評価が低いと思う。
信長のおかげと言っても、やはり実力がなければ下賎の身から天下人は無理。
もっと評価しても良いと思うよ。
ちなみに信長の評価は>321に同意。
324 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:54:38
真田幸隆は活躍の割に武田四天王の陰に隠れてません?
>>323 秀吉に関してはこれ以上どう評価しろと?
327 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:56:43
漏れは藤堂高虎。
250年後鳥羽伏見の寝返りも実は藩祖の高虎が残した秘密の口伝に従って寝返ったとも言うぐらい
政治手腕は卓抜していた。
若い頃は主を7度変えたとも言う野心を徳川の旗下に下ってから毛程も見せず
江戸城に登城する時は門番にも輿を降りて挨拶したと言うへりくだり。
これは当時の戦国武将で出来たのは彼だけだろう。
だから後年譜代と同等以上の受け上野東照宮に家康、天海と並んで御神体が安置される程、幕府の厚遇を受けた。
これはやはり渡来人の末裔という血筋が卓越した築城技術も然ることながら
彼の人と和を成す政治手腕が成就したものだ。
328 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 02:04:37
来島又兵衛に一票
蛤御門の変であんなに頑張ったのに
>>327 加藤嘉明を会津に転封させたあたり、やっぱり陰険だ。
大阪の陣でも負けかけとるし。やはりあまり好きになれん。
最初のほうに名前出てるが、幣原喜重郎は現代日本を語るうえで重要な保守政治家だな。
死にかけのジジイに外交手腕だけでなく、あんな政治手腕もあるとは、
墓場から掘り返した吉田茂当人もビックリだ。
>>327 主を7度変えたっていうか、単に主が死んだり潰されただけだよな、ほとんど。
毛利元就
332 :
初年兵:2005/08/12(金) 12:57:30
過小評価はされてないけど、あまり有名じゃない栗林忠道陸軍中将、中川州男大佐
。(栗林中将は硫黄島で、中川大佐はぺりりゅー島で戦死)
333 :
初年兵:2005/08/12(金) 12:59:22
ぺりりゅーをカタカナに変換し忘れましたm(_ _)m
334 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 13:00:20
薩長側の人間は過大評価され、敵対した人間は過小評価される傾向にあるな。
335 :
初年兵:2005/08/12(金) 13:01:26
勝てば官軍負ければ賊軍状態ですね
でも大鳥圭介とかは割と会津側に過小評価されがちな気がする
>>334 織田豊臣徳川系の人間が過大評価され、それ以外の大名系の人間が過小評価される傾向と一緒だ。
338 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:45:59
毛利輝元
さすがに、西軍の大将が三成はかわいそう。彼あっての関ヶ原なのに
339 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:00:15
渋江内膳政光
>>337 あの三人は偉大だから過大評価ということはない
342 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 22:29:53
小栗上野介忠順
343 :
?♪:2005/09/03(土) 15:45:08
山県大弐(明和3年の明和事件で倒幕を計画したとして刑死.主著『柳子新論』)
明治になってから「尊王家」といふことで,正四位を追贈され,山県神社に神としてまつられる.
しかし,そんな後世の扱ひを山県大弐本人が知ったら,よろこぶだらうか?
真にラディカルな革命思想家としてこそ評価されるべき人物.
野津道貫
幕末から日露戦争まで陸軍として戦い続けたが
今じゃほとんど無名
竜馬、信長、聖徳太子と酒飲んでみたい…ネット調査
酒を酌み交わしてみたい歴史上の人物ベスト3は、坂本竜馬、織田信長、聖徳太子――。
アサヒビールが、全国の成人男女を対象に実施したインターネット調査で、こんな結果が出た。
坂本竜馬は「現在の日本をどうすればいいのか聞いてみたい」(50代男性)、
織田信長は「斬新なアイデアをどう思いついたのか語り合いたい」(40代男性)、
聖徳太子は「一人一人の話を聞いて、助言してくれそう」(30代女性)などの理由で支持を集めた。
男性は「江戸幕府が300年続いた秘けつを徳川家康に聞いてみたい」(70代)、
「豊臣秀吉に世渡りのコツを聞きたい」(40代)など、
戦国時代の「勝ち組」武将を相手にあげる人が多かった。
女性からは「クレオパトラに、ぜいたくな暮らしぶりと恋愛遍歴を聞いて参考にしたい」(40代)という声も聞かれた。
調査は、8月31日から9月6日にかけて行われ、1558人が答えた。
(2005年9月9日21時25分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050909i413.htm @坂本竜馬 13.1%
A織田信長 11.4%
B聖徳太子 7.6%
C徳川家康 5.0%
Dクレオパトラ 3.0%
E豊臣秀吉 2.8%
F紫式部 2.6%
G小野小町 1.7%
H卑弥呼 1.7%
>>345 一緒に酒飲んでみたくない相手なら、福島正則だな。
切腹させられたり斬殺されても翌日すっかり忘れられてたら悲しすぎる。
347 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 01:20:51
北条義時
独眼竜将軍 山地正治
349 :
348:2005/09/19(月) 01:39:29
しつこいですよ>一緒に酒を飲んでみたい云々をいろんなスレにコペピしている人
350 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 03:32:40
高田十兵衛
(`・ω・´)←この顔文字を最初に作った人
351 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 06:04:02
石原莞爾 実はかなり大人物。知られるべき人
>>302 足利将軍の7代って義勝だが・・・
>>350 m9(^Д^)プギャー←漏れはこの顔文字を最初に作った人かな。
353 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 18:09:39
今日NHKで藤堂高虎やるよ。
見なきゃダメだよ。
楽しみにして見るけど、藤堂高虎は過小評価の歴史上人物ではないと思う。
うまく立ち回って、戦国の勝者の一人になれたんだから。
時の権力者を嗅ぎ分ける嗅覚は天才的だな。もちろん、それだけの人物ではないが。
梶原景時
彼は後のどんな本にも悪く書かれている気がする
逆に、悪く書かれている本が全然ないのが畠山重忠
まあ、武士の鏡だったからだろうけど
356 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:07:36
過小評価されてるとは思わないけど
「そのとき歴史が〜」で取り上げることに「ハア?誰?」と
思ってる人は多いだろうね。
その時歴史見るの忘れたぁぁ!!!1
羽柴小一郎秀長(秀吉の弟)が、評価低いというか
あまり知られてないね。
黒木為禎
360 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 11:37:53
>>354 そんな事は無い。
一番良く知られて無いのが彼の渡来人を先祖に持つ1門が持ってた特殊技術。
彼等の持っていた鉱山開発や金精製技術、築城技術&土木治水技術は多分当時世界でも最先端を行っていたはず。
特に彼の作った今治城は当時世界でも大変珍しい大規模な水上要塞だった。
この江戸初期日本はアジアの第1等の国でありまた世界先進国に相応しい国だったのに
徳川大事で鎖国をして築城、造船技術、また鉄砲、大筒などの兵器製造技術までも封印してしまった。
彼の政治能力からすればすでにこの国の行く末がこの時見えていたのではないだろうか?
彼は役目上伊賀の忍者を傘下に入れていたが関が原の例で見ても情報収集能力は目を見張る物が有った。
こうゆう人物を藩祖に持ったからこそ藤堂家は250年後ああも鮮やかに徳川を見限れたとも言える。
361 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:22:13
>>329 あと大坂の陣では押されたが藤堂家は敗走していない。
井伊隊と共に長宗我部や木村重成などの倍する敵を前面に受け次々主だった物頭が戦死する激戦の中を支え切ったのだ。
この士気の高さは侍大将に渡辺勘兵衛が居たのが大きかったが
やはりそれ以上に高虎自身が勇猛果敢だった事を表している。
戦後彼が死んで火葬に際した時 遺体を改めた時の記述が残っているが
彼の遺体は体中傷だらけで手の指、足の指は所々欠けていたそうだ。
その多くはこの晩年の大坂夏の陣で受けた傷らしい。
脆かったのは夏の陣2日目に井伊、藤堂に代わり先鋒を受け持った徳川譜代の連中だよ。
真田信繁と毛利勝永の猛攻撃に大崩に崩れて1時はまったく軍勢として機能していない様相を体したが
次鋒に控えていた井伊隊と藤堂隊が槍を揃えて踏みとどまり押し返したから辛うじて瓦解を免れた
伊達政宗が敗走して来た旗本隊を撃ち殺してる事を見ても1時的には総退却状態だったのかも知れない。
唯一の例外は無謀な特攻を仕掛け早々に毛利勝永へ首を預けた本多忠朝だが
大将を討ち取られた事で先鋒隊隊総崩れの原因を作ったことを考えればコイツが一番罪が重いかも知れない。
この時家康は敗走する馬上3度まで腹を切ろうとしたが近習に押さえられ辛うじて生き残った。
高虎は食い過ぎで太っちょになってからも強かった、らしい。 馬は大変だったろうが(笑)
363 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 00:51:07
松永弾正
なんかとにかく悪人と言うイメージしかないが
出自のよくわからんスタートを考えればすごい
官位も主君とならんでるし
364 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 01:11:15
足利義稙
あの根性がすごい
義昭と同じぐらいには評価されてもいいと思う
小西行長
とにかく影が薄いが清正と並んでるわけで只者ではないと思う
365 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 01:21:34
小村寿太郎
高橋是清
家康が腹を切ろうと思ったってのは眉唾
367 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 20:35:41
そう、毒を飲んで死のうとしていた
豊臣秀長
戦の指揮を取れば全勝。経営能力もあり、羽柴家の財力をすべて支えていた。
領地の大和・紀伊100万石の経営を立て直して、雑賀などの難しい国人
もみごとに統治した。
性格は温厚で人当たりがよく、秀吉から「うちうちのことはすべてひでながに」
と書状で書かれるほど信頼されていた。
また、破産したり秀吉の勘気にふれて追い出されたものを、取り直させた。
369 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:39:32
☆★過大評価の歴史上人物★☆
↑ここと比べると、褒めるこのスレはなかなか伸びないなw
371 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 16:18:57
頼朝と家康
日本の夜明けともいうべき鎌倉時代と、中世から脱却し近世から近代へと
発展した江戸時代。ともに日本の歴史を大きく前進させている。日本史の中
でも政治が良かった時代も鎌倉時代と江戸時代。
その二つの時代を始めた存在でありながら、偉大といわれつつも大した評価を
受けていないのがこの二人。
頼朝より義経の方がすげえとか思っている奴が多いし、家康の成果の多くは
信長・秀吉の成果を掠め取ったもんだなどといわれる。
かなり低評価を受けている。
源実朝。彼の在任中は将軍親裁を止められる事もなく、京の朝廷とも
蜜月が続いた。歌人としても一流。
鎌倉時代の傀儡と言われる将軍達
九条頼経・宗尊親王等。
>>371 >家康の成果の多くは 信長・秀吉の成果を掠め取ったもんだなどといわれる。
それまでの過大評価の裏返し。
神君なんて言われてんだもん。
「お前そんなに偉いんかよ?信、秀の成果の横取りだろうがよ。」
と言われても仕方ない。
頼朝は正当に評価されてるよ。
歴史の教科書では戦国時代なんてほんのちょっとだけど、頼朝は結構ページ割いてくれてる。
信、秀は演劇化されなければ一般にあまり知られなかったろうけど、頼朝は教育受けた奴なら誰でも知ってる。
過大評価スレがなくなった
375 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:45:13
夢想流杖術の開祖・夢想権之助。
史実の彼は、武人界の中でも超一流といえるであろう、
超人的に文武両道に秀でた激烈エリート。
しかも、高級武家の御曹司で、おまけに超イケ面だったらしい。
因みに、岡倉天心も、過小評価されすぎと言えるな。。
376 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:57:09
今川氏真
今の世ならロナウジーニョ並みのファンタジスタになれたのに・・・
377 :
日本@名無史:2005/11/20(日) 00:48:40
吉田稔麿。
生きていれば、初代総理・・・。
氏真は所詮ケマリだろw
サッカーは蹴るだけじゃなく走るんですよ。走れんのかよあのボッチャンwwww
>>378 多分、現代人の普通の人よりは走れると思います。
ミスター・完投 斉藤雅樹
383 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 13:37:23
過小評価されてると思うなら、せめて名前ぐらい
正しく書け。「斉藤」ではなく「斎藤」だ。
384 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 04:06:43
足利直義
辻政信
すくなくとも馬鹿じゃない
>>385 馬鹿じゃないのくらいは誰も知ってる
でも、馬鹿には詐欺師は務まらないものだ
387 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 16:57:42
蒲生氏郷
388 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 19:44:38
すでに評価はされているが、もっとされてもいいと思うのが、福沢諭吉。
389 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 20:43:39
吉田松陰、高杉晋作、星亨、
信長は過大、秀吉は正常、家康は過小。
木崎原の戦い ○義弘軍200 対 ●伊東軍3000
島津のお家芸、釣り野伏で見事勝利。 この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍20000 対 ●大友軍45000
九州の覇者を賭けた戦い。最初は大友が押しまくるが、義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。
こんな大規模な野戦をガチでやって大友軍の死者2万人、武将多数戦死という一方的な大勝利を収めている。
稀な大勝利、武田信玄 対 上杉謙信の川中島合戦と比べるとその大勝利ぶりが際立っている。
以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5000 対 ●龍造寺軍60000
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。
戸次川でも長宗我部信親・十河存保を討ち取るが、指揮官を討ち取るというのは野戦では珍しく、それを何度もやり遂げている島津家久は戦国一の戦上手といえよう。
戸次川の戦い ○家久軍10000 対 ●豊臣四国連合軍
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。
この戦いで長宗我部信親・十河存保戦死。 長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7000 対 ●明・朝鮮軍200000
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、 朝鮮にいる将たちに帰国命令が下りる。 それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃し散々に打ち破った。
明軍の死者は8万。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。
順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め、朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。
秀吉は大名の領地加増を禁止してたが 島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍300 対 ●東軍80000
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。家康は島津を恐れ、関が原後も減封する事が出来なかった。
393 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 18:39:21
武田信繁
真田昌幸は生まれた次男に真田信繁(幸村)と名づけている程
武田家中でも信頼された人物。
394 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 19:16:18
近江八幡市以外で豊臣秀次が高く評価されてるところってないかねえ…
あと、秀次の評価が低いのは近親相姦疑惑
(名前忘れたが側室並びにその娘まで手を出したと言う噂)
もあると思う。
395 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 22:58:20
396 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 02:45:38
徳川家重
言語が不明瞭で引きこもりで失禁も頻繁。
将軍不適格と見られがちだが
田沼意次を発掘したり、
結構いい将軍だったのでは
>>396 自分の力量をわかっていたからこそでしょう。
>>397 そういう自覚はあったからただの白痴扱いにされないわけね。
豊臣秀吉
樋口季一郎少将は既出ですか?
現段階では、隠れた偉人と思う。
イスラエルでは有名で毎年、慰霊されている。
田沼(のような能臣)は、馬だ。
それも、名馬といってもいい。
将軍(など君主)は騎手だ。
優れた騎手というものは、
馬と同じぐらいに速く走れなきゃいかんのか?
騎手の能力とは、ひとえに、馬を乗りこなすことだろ。
自力で走る必要などない。
名馬を乗りこなしたからには名騎手なんじゃないか。
(アルスラーン戦記ふうに)
402 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 14:47:18
信長に関しては、一向一揆殲滅とか、比叡山攻略とかそっち方面のせいで
・京都方面において、嫌うのが「通」とされる
・仏教系の学校で悪く教えがち
・(関西方面に多い)一向衆系の新興宗教カルトなんかで滅茶苦茶に言う
・層化も(宗教弾圧が怖いから)滅茶苦茶に言う
ので「やたらと嫌う」厨が生まれるのです。
「やたらと過大評価」な奴にも困りますが。
403 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 23:10:08
有名所で言えばまず思いつくのは石田三成だな
最近は大分評価が見直されてきてはいるが
405 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 19:37:38
団塊世代の頃は明智光秀と吉良上野介がボロクソだったな
源 義親
けっこうボロクソに言われているが。
詳細は不明!?
407 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:53:45
鎮西八郎為朝
俺の脳内じゃ日本一
長野業正。氏康、信玄、謙信くらい、とは言わないが、もちっと知名度上がってもいいと思ふ。
大河とは言わないが、スペシャルドラマくらい作られてもいいと思ふ。
409 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 06:35:20
尼子経久
自分的には北条早雲なみに評価されても良いのでは・・・
410 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 06:58:36
神保修理
彼を死に追いやらなければ会津藩を救う道はあった。
411 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 10:37:21
星亨
武力が100近くありますからね(プッ
414 :
無色庵:2006/03/26(日) 20:41:52
小早川隆景
秀秋に比べて知名度が低い。
黒田如水より秀吉に重用されてます。五大老の一人だったし。
(上杉景勝+直江兼続よりも知名度低いかも)
416 :
投票所:2006/03/28(火) 23:34:44
417 :
日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:26:50
杉浦重剛
皇室典範改正女系天皇への道が取りざたされる昨今の状況を思うと
時の権力者山縣と戦って若き裕仁天皇と良子さんを守った
この人はもっと再評価されてよい。
418 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:38:26
419 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:43:16
お前何様?
俺様
421 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:08:52
源範頼こそ、再評価されるべきだろ。最近凡将と言われることは減ってきた
が、彼こそ源平合戦の主役の一人だし。
統一という事業においての秀吉。
信長の事業を引き継いだに過ぎないという見方をされることも多いが、
信長の敵性勢力徹底殲滅方針で秀吉のようなスピード統一を果たせたかは疑問が残る。
423 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 23:51:18
なるほど、そういう見方もあるのか。
足利義教を忘れてないか?室町最高の将軍は彼だ。
425 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:14:51
運慶
426 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:09:58
田沼意次
今川義元だろ。
当時の戦国大名としてはかなり先進的な統治を行っているし。
最期があっけなかったばかりに生前の業績が全て否定されているようで口惜しい。
428 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 02:11:08
児玉誉士夫
429 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 02:42:10
前田慶次は天下を狙えるほどの器量を持ちながら、天下など目もくれず、自由気侭に生きた。
それなのにまだまだ評価されてない
ソース:信長の野望、戦国無双
430 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 18:21:37
>>429 もっとうまく釣ってくれ
足利義教とかはどう? 政教分離も一定の成果を挙げてるし
431 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 23:24:17
横井小楠
島津 斉彬
433 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:29:10
中岡慎太郎だ。
なんといっても、この人がいなけりゃ竜馬はただの空想家でおわっただろ。
もっと評価されてしかるべき。
上島竜兵
>>434 確かに現在は単なるヨゴレ芸人扱いで、その間の取り方の上手さなどが
正当に評価されてるとは言い難いが。
百年ぐらいたったらお笑い通の高評価だけが後世に残って「21世紀初頭
の喜劇王」などと言われて過大評価されてるかもな。
後藤新平。
満州国がなくなったものだから、彼の先進的な都市計画も水泡に帰した。
河井継之助
近代的軍隊を作り上げ薩長軍と互角に渡り合ったのに、
長岡ではいまだ国賊扱い。
438 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:04:50
山田長政
朝日と毎日がいいかげんな記事を書いたせいで架空の人物だと思い込んでる奴が多い。
大原雪斎かなぁ。
徳川家康は不遇な少年時代を経てきたと言うけど実は最高の恩師に
恵まれたと思う。義元配下時の働きは外交戦術共に100点満点で120点以上。
すなわち優秀すぎたため死後あっと言う間に桶狭間のような悲劇が起こった。
と、思う。
>439
神君の影響で江戸時代250年ずっと賢者の代名詞。
評価激高。
藤田西湖だな。
分身の術、潜り影、忍法ムササビ、リアルNINJAが100人も居れば日本は戦争に勝っていたと思う。
指揮官が馬鹿だから無理?
関孝和。鎖国されてる中で微積分、三次方程式から虚数の概念まで独力で見つけだす。
アインシュタイン級の天才だと思うのだが。
443 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:21:19
使え
今川義元。
牟田口廉也。
小心な卑怯者という評価が多いが、日本史上最低最悪の売国奴。
NHKの大河ドラマで扱って、敢えて汚れ役やらせたら非難されまくりながら空前の視聴率を取ると思う。
446 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:52:18
だれそれ?
マジで知らんのか?つじーんと並ぶ有名な御方だぞ
448 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:10:20
2ch的には有名だが、普通の高校生や大学生はムッチーもつじーんも知らんぞ。
449 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:58:17
北条早雲。
戦国の立役者。四公六民による善政。
五代に渡って繁栄する後北条氏の創始者。
優秀な子孫を作る種を持つ。
450 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 23:46:09
足利義教 阿部正弘
451 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 00:21:37
>>444 ムッチーに匹敵する富永恭司閣下をお忘れなく
富永閣下は逃げただけし、特攻も戦果があったから小物だろう。
ムッチーとカワベンはインパールの桁はずれた愚策が英軍に利したため戦犯としては無罪。戦後は豪邸に住み、自己弁護に終始した愉快犯だぞ。大河ドラマ作って欲しい。
453 :
ががが:2006/09/01(金) 21:03:24
真田十勇士 霧隠才蔵
454 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:50:46
>>437 >長岡ではいまだ国賊扱い
ホントかよ。小林虎三郎と一緒にCGでもってTVCM
されているのを新潟ローカルで見たけど。
455 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 04:50:52
北条早雲は3公7民じゃない??
456 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 06:47:03
織田秀信はどうだろか。
清洲会議の後いまいち存在感がないんだが、祖父似で傾いた甲冑を纏ったり、
改易時に見せた家臣達に対する優しさといい、
ちょっと気になる人物。
>>456 改易の家臣の優しさは司馬の小説だけじゃないの?
羽柴清三秀吉。
黄金の茶室持っているんだよ!
三井理峯様。
杉山茂丸
>>457 でも司馬の場合、初芽みたいな完全架空人物以外の実在人物行動(発言ではなく)については概ね出典があるこ
とが多いぞ。全くの創作とは言い切れないと思う。
ただ、その出典が一次資料からX次資料まで玉石混交なだけでw
461 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 02:50:16
小早川隆景
462 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 03:25:34
歴史評論家 【河合敦】
佐竹とか。
東軍についてたらまた違ったかしら。
465 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 00:14:26
北里柴三郎。
過小評価とはいえんが、
なんでペテン師の野口の方が札になったり子供向きの伝記がたくさんかかれている
その対比でいえば一般の評価低すぎ。、
466 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:06:40
>>465 今朝のラジオを聞いての書き込みか?
と思ったら夜中の書き込みだな。スマソ。
467 :
OPS:2006/10/26(木) 22:43:18
佐竹は西軍について東北で戦ったけどその後家康に祝着とかわからない
行動とったから秋田にとばされたんだよ。
468 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 07:57:13
>>465 北里大学がメジャーになってたら違ったろうにね…
469 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 09:19:36
平賀源内
受験なんかじゃ全然出てこない
>>467 別にわけわからなくないよ
単に三成と親しい当主と家康に接近を図っていた隠居の思惑の違いでそうなった
佐竹家としての統一した行動がなく、家中が完全に二分していた
471 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:16:06
>468
星薬科大がメジャーになったら
星一(星新一の父)も今日の世間的評価も違ったかな。
472 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 01:15:10
>>468 北里大は充分メジャーだ。
北里の研究所も。
>>471 それは地味だ。
普通、所在はおろか存在すら知らん。
北里はお札になってもいいくらいだがその生き様が地味に見えるんだろ
もともと熊本の豪農の息子で金にも不自由しなかったし優秀だったし
野口の方が漫画の主人公みたいな境遇だったから同情する人も多かったんだろ
野口はその実態を知ると、ますます漫画臭いけどな
「ありえないぐらい悪人」で。
確か恩師が苦労して捻出した渡米費用を宴会でどんちゃん騒ぎして一夜で使い果たしたんだっけ?
こういった恩を仇でかえして開き直るところはB地区民に非常に共通している
476 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:16:01
>>475 結婚を前提にある娘の親が渡米費用だした。
その金も宴会に消える。。
渡米後、野口は米の女性と結婚。
結婚詐欺で警察沙汰になっても文句いえない。
----------------------------------------------
貧しい農家の出でありながら野口には学生時代から浪費癖があった。
天才にありがちな一般的な常識感覚の欠如みたいな部分がこの
人にもあったのだろう。
こんなアホな無駄遣いをやらかした野口にそれでも経済援助を
した人がいたのは、その才を多くの人が買っていたということでもある。
477 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:23:30
後花園天皇
478 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 12:16:44
村上武吉
479 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:00:34
水野美濃守忠篤
>473
北里は帝大なんかではだいぶ晩熟だったようだね。
栄達にもあまり興味なく、好きな研究をマイペースで進める人だった。
その点では早熟で狷介で論争好きな森鴎外とは対照的。
コッホは北里が可愛くて仕方なかったらしい。
コッホもたまたま貰った顕微鏡が面白くて開業医の仕事が手につかず、
奥さんがしばしばグチをこぼしたぐらいの人間だったので、
馬は合ったように思われる。
481 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 15:29:09
ダグラス・マッカーサー
日本史上、空前絶後の大権力者。
どんな天皇も、将軍も、あれほど日本を
好きにできる権力を得たことは無かった。
482 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 12:15:37
斎藤義龍
483 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 12:41:27
平頼盛
徳川秀忠
日本史上を語る上で、徳川幕府260年の歴史は欠かせないものである。
その礎を築いたのが、征夷大将軍 徳川秀忠である。
彼の将軍時代に、有力大名のことごとくを改易し、
参勤交代させ、江戸の政(まつりごと)の殆どに出費させて力を削いだ。
その時代に有力大名の力を削いでおいたからこそ、
幕府にケンカを売れるほどの、力のある大名が以後に生まれる
事はなかったのだ。それ故の幕府260年である。
無論こういった彼の政策の裏で、家康が生きている間に
大御所として睨みをきかせつつ、秀忠の威光を高めておこう
といった狙いもあっただろうし、政(まつりごと)に関しては、
本多正信などの有能な家臣達の暗躍があっただろう。
また関ヶ原に向かう道中では真田親子にコケにされ、
遅参する失態を演じたり、そういった戦での
凡庸さ、実績のなさが、彼のそういった一連の評価を貶めているように思う。
俺個人としてはそれらを割引しても、秀忠の評価はもう少し高くて良いと
思っているのである。
485 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:33:57
【高橋是清】
一般的には過小評価でもないが、なんせ2chに彼のスレがなかったので。
成功と失敗が半々の人物なので、成功の事績。
特許局にて特許・商標制度を整備。
日露戦争時にイギリスで外債募集に成功。かなりの巨額。
組閣→辞職の後、政界から引退していたが、
1927金融恐慌に際し乞われて大蔵大臣就任、
全国銀行の一斉休業、支払猶予(モラトリアム)、
大量の新札発行によって貨幣供給を一時的に増大させ、恐慌的金融危機を収拾。
新札は後に回収した。
1929世界恐慌起こる。
またも乞われて蔵相。
金輸出の禁止、公共事業を拡大させ、
積極財政による不況脱出をはかり、成功する。
ケインズに先駆けて積極財政の利を説き、
講学上の乗数効果ともとれる示唆を行っていたことが注目される。
ただし、積極財政を行うにあたっては、
現代日本で悪名高い赤字国債の創始者でもあり、評価が分かれる。
もっとも是清自身は赤字国債をあくまでスポット的な対処と考えており、
これは現在でも赤字国債の起債が個別立法によること、
また以下に述べる顛末からも推測される。
予算拡大を要求する軍部に、一度は妥協し予算拡大をするも、
しかしその後は一貫して緊縮を呼びかけ、精力的に活動。
これが軍部の反感や不興を買い、226事件で暗殺される。
若い頃は投機で一文なしになった経験が多かった為か、
カネのことに嗅覚が利き、また果断の人だったようである。
486 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 00:51:20
アテルイ
487 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 01:44:54
一橋治済・・・とか。
政治家としてはあれだけど、権謀術策では田沼意次も松平定信も翻弄されたんじゃね?
488 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:40:57
>>484 ゲームだとだいぶ評価は上がってるね。
戦争に関する部分以外は一流になってる。
>>484 秀忠本人が際立って有能とするより、
初代の偉大さを肌身を持ってうかがい知る長老組、
意見を上げる側近達が極めて優秀だったと考える方が自然。
その意見を素直に聞いた秀忠は決して無能な人間ではないということ
490 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 13:28:19
秀忠個人の魅力って何?
491 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 16:53:18
>485
失敗談。
勝海舟の息子の随伴でアメリカに渡るが、
船中、酒ばかり飲んで仲間の金まで飲み尽くす。
アメリカでは騙されて奴隷契約書にサインし、奴隷に。
帰国後は米を始めあらゆる相場に手を出すが、全て失敗し、莫大な借金を残す。
一時は芸者の荷物持ちもしていたとされるが、実際はヒモであった。
その後、つてを頼って出仕。
ほどなく、官僚としてのキャリアを全て擲って中南米での銀鉱事業(国家事業)に従事するが、失敗。
大損失を出す。自らも出資者の1人になっていたため、またも大借金。
晩年は徐々に実績の出せる人間に生長する。
「自分は運がいい」というのが信念だった。
実際、後年成功した金融・財政政策もおよそ博打のようであり、
不成功に終われば国家百年の大失態となったであろう。
国民からは「ダルマさん」と呼ばれ、親しまれていた。
492 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 01:50:57
北条泰時がかなり熱い
493 :
484:2006/12/03(日) 04:25:50
>>488 うん。武将としての実績は殆どないから、
俺もゲームや一般的な通説での武将評価には賛同してる。
>>489 改易された大名はさておくけど、石田三成ほどには、
身内からの人望は低くなかったようには思えるよねw
>>490 武将としても政治家としても、魅力と聞かれれば
どうなんだろうね、俺も良く分からない。
ただ
>>489へのレスで書いたように、改易された
外様からの人望はさておきだけど、家康の死後も
家が二つに割れなかったし、大きな謀反のくわだて
とかもなかったようだので、人間的魅力という点のみは、
並の大名ぐらいにはあったように思うんだけどね。
ただこのスレタイで過小評価されてる人物という事では、
俺個人としては、秀忠の武将・政治家としての能力や評価が
低い事で、彼の一つだけの大きな功績、それは徳川幕府260年の
礎を築いた事、この功績までもが一緒くたに過小評価されてしまって
いるように思ってて。
その一つの実績ぐらいはせめて、もう少しぐらい、
評価されても良いのではと。
494 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:43:23
杉原千畝
一応、ユダヤ人は評価しているようだが。
白洲次郎
奥さんの方が有名?
495 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 01:58:19
石田三成だなぁ…
賤ヶ岳の七本槍が過大評価されすぎだっつーの
七本槍なんて、何もやってねーじゃん
496 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 02:18:15
>>493 三成りほどに〜って三成を過小評価してるがな。
まあ、それは置いておいて、色々書いてるけど並の大名並にとか唯一の〜とか、あんたが秀忠を過小評価してる。
497 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 02:41:03
>>495 加藤清正 福島政則 など先陣切ったよ!
498 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:06:15
三吉慎蔵
499 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:29:19
江山治三郎
彼ほど過小評価されている人はいない
>>496 三成の政治力も実績も高く評価してるよ。
但し、関ヶ原の件を見ても、人望は高くは評価できない。
501 :
日本@名無史さん :2006/12/07(木) 13:57:04
>>500 496ではないが、すると三成より人望があったのは誰だというんだ?
宇喜多秀家? 大谷吉継? 小西行長? どれも三成に比べると見劣りするがねぇ。
まさか増田長盛なんていうなよw
502 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:20:58
楠木正儀
脇屋義助
503 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 07:29:48
それを言うなら新田義貞
朝鮮出兵征伐しに遠征しに行った
>>501 加藤清正 小西行長 らが主役の大河みてみたい。
また朝鮮側から顰蹙かうことになるかな?
505 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 01:29:50
>>504 誰かが頑張って原作書くしかないでしょうね。
それだけの力量がある作家がいるかなぁ。国際問題になりかねない
テーマだしねぇ。
史料が乏しいのが難点。現地調査もできないし。
南朝鮮もそうだけど、特にコニタンとセイショコが突っ込んだ先は、現在
北 朝 鮮 領 土
だから。
507 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 21:52:47
>>506 そかぁ。しょうがない・・・
俺は、碧蹄館の戦い辺りをドラマで再現して欲しいがなぁ
勝った小早川隆景・立花宗茂の捨て身の作戦も、それで負けたとはいえ
祖承訓のアホが踏んだり蹴ったりの大敗を喫した後を受けて、平壌まで
を奪還した李如松の戦いの件は面白そうだが。
用兵思想から何から何まで違う異種対異種みたいな戦争は面白そうだな
日本は鉄砲、あちらは弩から火縄じゃない銃、はてはロケット兵器みたいなのまであるし
戦火に巻き込まれる側はたまったものでないけどな
509 :
日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:14:52
小早川が出たからと言うわけではないが
大谷刑部少輔吉継に一票入れるよ
>>509 むしろ過大評価されてるような
関ヶ原のときは打つ手が全て裏目に出た
まあその頃は死期が近いといわれてたから、病が篤くなって思考力が低下していたのかもしれんが
広沢真臣と副島種臣の両参議。
参議っちゃあ相当の高官だが、大概の
幕末〜明治の小説やドラマにおいて
ことごとく存在そのものがスルー。
512 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 04:43:14
>>508 そう。まさにそれが碧蹄館の戦いの最大の見所なんだね。
李如松は沈イケイという策士を使ってコニタンを油断させ、大砲・砲弾を
調達し、平壌城を砲撃した。見る間に落城して、コニタンと宗義智は漢城
まで敗走して小早川と立花・宇喜多秀家に救助を乞うたが、小早川と立花
は敢えて城を捨てて、碧蹄館の草原に伏兵の鉄砲隊を伏せた。李軍は漢城
を砲撃し始めたが、その背後を衝き、機動力のない砲兵を置き去りにした
李軍を碧蹄館までおびき寄せて、鉄砲隊の一斉射撃で撃退した。まさに絵
に描いたような陽動作戦。生粋の戦国大名らしい戦いぶりは、商人上がり
のコニタンを驚愕させたとか。
立花宗茂も過小評価されている武将かもしれないな。
513 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:13:42
井沢先生
514 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:54:42
>>513 荒れるスレの影響を他スレに持ってこないように。
515 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:43:21
大江卓は過小評価。
516 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:49:12
なに?そのコニタンって・・・・・・小西行長のこと?
517 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:02:59
立花宗茂の評価はもともと「生涯不敗の名将」じゃないのか?
>>500 10万石ちょっとであれだけの大軍を集めたのは逆にすごいんじゃないの三成
200万石超の家康に対抗できたのはやっぱり人望あるからじゃないのかな
真田昌幸は過小だな
戦国最強だろ、どうみても
520 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:34:39
>>518 堺屋太一が面白い事書いてるぞ。
官僚が発議してうまく取りまとめると、取り敢えず人は寄ってくるらしい。
ただし、その後取りまとめ続けられるかどうかは、力量次第。
堺屋自身が万博を引き合いに出して、自分(当時通産官僚)の体験談と
ダブらせて書いていた。
521 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:36:54
522 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:41:01
523 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 00:28:26
過小評価の歴史上の人物といえばやっぱリンゴスターだな。
なあ、戦国最強とか言うの虚しくないか?
細川頼之かなあ
もうちょっと知名度あってもいい気がするんだよな
525 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:17:50
>>524 頼之さんは潔すぎかなぁ。
死ぬまで戦ってたら、知名度上がったかも。
526 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:28:49
高田屋嘉兵衛
527 :
日本@名無史さん :2006/12/20(水) 04:07:20
高田屋嘉兵衛と大黒屋光太夫、
どっちが過大評価?
529 :
日本@名無史さん :2006/12/20(水) 09:06:58
二人とも何をしたから評価されているか、の問題だね。
ロシアとの国交という点なら大黒屋のほうが断然勝っている。
高田屋はこの点特に何かしたというほどではない。
ちなみに同時代にロシアと関わった人たちに津太夫と五郎治って人たちがいて、
二人とも吉村昭が本の題材にしているけど、
大黒屋や高田屋の陰になっているこの両名こそ過小評価ではないか。
1R 漂流民の対決・大黒屋光太夫vs津太夫
精神力・・・津太夫の勝
(放浪の間、生き残ったのは光太夫一行17人中5人、津太夫16人中13人)
ロシア研究・・・光太夫の勝
(光太夫は大黒屋光太夫史料集全四巻、北サ聞略など。津太夫は環海異聞のみ)
その他評価
光太夫は初めてロシアから帰国した日本人、津太夫は初めて世界一周した日本人。
自分の意思ではないと思うが、津太夫はちょっとばかり記念すべき人物。
2R 抑留民の対決・五郎治vs高田屋嘉兵衛
日本での実績・・・嘉兵衛の勝(大商人。五郎治はたんなる番人)
帰国後の活躍・・・五郎治の勝(天然痘予防を施した)
なお五郎治は北東アジアの民俗学において現在でも注目されている。
番外 この時代のロシア関係者ですごい奴列伝
継右衛門・・・カムチャツカから小舟で帰ってきた豪の者
重吉・・・一年以上も漂流して太平洋を横断した不屈の精神
530 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:29:05
本間宗久
酒田の豪商、享保期の日本一の相場師。大阪商人なんてメじゃない。
酒田五法(六法とも)は現在の株価テクニカル分析の嚆矢にあたる。
上杉景勝
真田昌幸
丹羽長秀
532 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:43:37
井伊直弼
533 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:51:54
大彦命、葛城襲津彦、雄略天皇、物部麁鹿火、大伴金村
高市皇子、長屋王、懐良親王、徳川宗春、松平頼該
島津斉彬、菊麿王
534 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:28:59
聖徳太子、天智天皇、藤原道長、平清盛、源頼朝、北条泰時
足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、田沼意次、西郷隆盛、
原敬、王貞治、稲尾和久、昭和天皇、手塚治虫
535 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:35:35
観世元清(世阿弥)
シカゴで、Zeamiについて聞かされたとき、そんな有名人だと認識してなかった。
536 :
芸術部門:2006/12/24(日) 19:49:38
北山修、西岡たかし、吉田拓郎
江戸川乱歩、横溝正史、松本清張、半村良
537 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:28:38
藤原穆子
538 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:23:37
三条天皇。道長に対して時に意見し時に妥協して
彼なりに努力したことをもっと評価していい気がする。。
人としても優しさとか強さをちゃんと持ってると思う。
539 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 20:38:13
池田果菜子
540 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:06:27
源実朝。
北条氏の操り人形とか和歌好きのだめ将軍とか言われるけど。
政の勉強をしたり、自分で裁判したり。
僧侶の政治への口出しをやめさせたり、みなが縁起が悪いといって修復に反対した橋を「あるほうがみなの便利なのだから」と修復させたり。
やることはやってると思う。
541 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:58:08
源つながりで源範頼
鎌倉殿頼朝や天才的軍人義経にはさまれて地味だが、平家滅亡には功績があった
義経の引き立て役みたいな無能大将扱いは気の毒
542 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:45:36
後三条天皇
藤原氏の専制政治を実質的に終了させたのはこの人
だけど院政をほとんど出来なかったというだけで
後代の上皇たちと比べると扱いが小さい
島津久光
544 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 19:38:21
足利義教
九州・鎌倉・比叡山を制圧したのは義教の功績なのに、学者も小説家も低い評価
暗殺されたのはマイナスかもしれないが、それだったら信長はなんであんなに評価されてるんだ
545 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:25:33
546 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:26:50
547 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:51:41
>>544 信長は後継者として秀吉・家康がいたけど、義教はそうではなかったから。
(征夷大将軍としての後継者はいるけど、考え方の後継者かな)
でも、人物の評価は、当事者以外の影響もあるから運不運が感じられるね。
548 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:27:50
比叡山延暦寺を最初に焼き払ったのは義教だったよね?
549 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:05:22
ずばりグローバルな天才、伊達政宗!
ずばり九鬼家〜極小三田藩主、藩校に福沢諭吉を招致等、教育を柱に文部大臣等を輩出。
焼き払われたのに同じことをする比叡は流石
そんだけ勢力として強かったということなんだろうが…
義教は、焼き払ったというより
追い詰めて焼身自殺させたと読んだが、焼き払ったが主流なの?
信長についてだけど、あれを後継者とはちょっと呼びがたいような気もする
その後の織田家を見ると簒奪に近いような、秀吉なぁ・・・
延暦寺、二度繰り返すなっていうか、避難訓練しとけ
552 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 22:29:21
浅井久政、同・長政の父、六角氏に服従や長政の妻に六角家臣
の娘を娶らせたりしそれにより家臣団が反発クーデターおこされるなど
したため評価が低い、しかし研究されると主国に内政干渉跳ね除け
朝倉と同盟など画策なにより、甲斐武田の信虎は追放されたのに
久政は追放は愚かかっこたる発言力をもった、まあこれにより朝倉
依存の滅亡路線に邁進させるか゛、、
553 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:28:52
室町幕府の将軍で将軍としての力量があったのは義満と義教ぐらいなのかな?
554 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:59:39
考えようなら義輝もあったかも、義輝は剣術が印象だけど各地
戦争調停したし当時の実力者三好松永にやっかいがられてに暗殺されたし
謙信、信長も挨拶にいってるし
556 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:57:19
>>555過大評価にでてたましたか、まあ剣術やるまえ別のなにかしろって
気もしないでもないな、、
557 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:02:35
剣術なんて匹夫がすることだからね。
義満、義持、義教
足利将軍は優秀な人はいても最後にポカをする
559 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 00:03:16
>>551 信長の後継・・・。
織田家と言う存在をベースに考えるのなら、簒奪という表現で正しいと思います。
天下統一という考え方、でしょうか。
まぁ、実力による後継というのは、戦国時代の冷徹な現実かもしれません。
でも実力者が死ぬ度に、周りの多数の人間は決戦に巻き込まれ、光秀か、秀吉か
はたまた三成か、家康か、という命がけの選択を迫られることになり、その度に
大変な思いをしたことでしょうね。
その意味では、家康が幕府を開き、すぐに秀忠に後を継がせたのは、全国の大名
にとっては、ある意味、コンセンサスが得られるような方策だったかも知れませ
ん。
秀吉が織田秀吉を名乗った訳ではないからな。
そして朝廷という外部の機関が主家である織田家当主より家臣の羽柴秀吉を評価して、
次々に位階官職を与え、結果としては織田家より家格が高くなってしまった、
という形をとっているだけだ。表向きは。
織田家の家臣を羽柴家に取り込むのは法理的にはたぶん与力制度でも使ったんじゃないか。
教えて、エロイ人。
信長って出てくると、分かりきってることを長々と語るスレが出現するのは定説か
562 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:17:05
>>544 義教は守護大名統制にも成功していたのにね。
湯起請みたいな神秘主義も嫌われている原因なのかな?
しかし、天台座主だった人間が徹底的な将軍独裁路線を推し進め比叡山にも
容赦しないなんて誰も予想できなかっただろうなぁ。
563 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 05:18:32
564 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:29:55
過小評価
光明皇后
565 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:08:41
小栗上野介忠順。
日本最初の近代的造船所(ドック)を作った。
幕府が滅びるドサクサが不運。
高杉晋作
桂小五郎
山南敬助
桂の評価が低いのは司馬のせいだと思う
567 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 18:00:22
上東門院彰子。
中宮時代に比べまったく語られないし、詮子に比べ
扱い小さすぎる。
彼女は父親とか詮子の失敗?を見てきたせいか、敵
をつくらない手腕に於いては二人の上だと思う。
568 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 06:56:28
清少納言。
まあ今でも過少ではないのだが。
ただ源氏物語に比べると、
後世系譜を引いた文学が少なかった為に、
日本史上最大級の感性作家でありながらそういう認識は薄い。
569 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 07:23:13
源平時代から三人を推薦しとこう・・・
源行家
平宗盛
藤原泰衡
570 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:55:40
いいねぇ、源 行家…
俺もあの人好き。
平頼綱
572 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:05:07
北条義時
井伊直弼
徳川慶喜
山内容堂
が四天王。
水野勝成
本多政重
北条氏政兄弟すべて。
あたりかな。
574 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:09:07
人物じゃないけど「太平記」
戦前までは、「平家物語」と並ぶ二大軍記物として日本人に親しまれたが
戦後は皇国史観への反動なのか「平家物語」に比べて凋落が著しい
映像化も殆どされない
575 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 22:14:26
北条泰時
保科正之
徳富蘇峰
576 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:42:06
藤原道長。
論文や小説で、よく「道長→悪 彰子→善」っていう構図を
見るけど違うんじゃないかと思う。二人ともそう見える役を
やる宿命だった。(例外的に、三条天皇とか定子への仕打ち
はひどいと思うけど…後者に脩子が怒ったのは自然だね)
二人は当然のことをしただけで、人間としてそんなに落差は
ないと思う。娘のほうが利口で自分の見せ方が上手いけどw
577 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:20:23
>>574 楠木正成は戦前と戦後で極端に評価が変わった人物だね
>>576 道長はむしろ過大評価だとおもう。
こいつ政治的にはなにもしてない
579 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:40:43
原市之進
存命していれば、徳川版大久保利通になっている可能性が大。
見識・学問・人脈・智謀全てにおいて西郷・大久保に並ぶ。
それを山岡鉄舟や高橋泥舟のような目先の見えない豪傑連中の扇動を受けた
若い幕臣の手にかかり殺された。
小栗忠順は先見性と行政手腕はあるけど、原のような人脈と謀略の才はないし、
勝海舟は人脈と先見性はあるけど、江戸徳川家100万石計画がこけたように謀略は
いまいちだし、行政手腕は小栗のように残っていない。
大久保忠寛は気骨・見識・行政手腕(海防掛)・先見性(勝海舟を抜擢したのはこの人)はあるけど、
謀略の才に欠けるし・・・
というわけで、原市之進に一票。
580 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:53:15
耶律楚材
これまでに三好長慶の名前がないのは意外。
過小評価されている戦国武将というスレでは名前が挙がっているのに。
やっぱり地味だからだろうか。
582 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:58:24
>>579 原市之進はやっぱり水戸尊攘派の流れに看做されちゃうんだろうね。
個人票より流れ優先の歴史的考えだと、個人的才覚や行動は過小評価
されがち・・・
>>581 地味・・・
筒井順慶の様に洞ヶ峠(史実ではないかもだが)のお話にもならない。
>>582 地味ってのは三戦板にあるスレのことだよ。
今は荒らしによって乗っ取られたような状況だけど。
話にならないとか言われたから過小だと思う理由を主に挙げるが、
・管領家を相手に下克上
・3英傑に次ぐくらいの所領を獲得
・一時的とはいえ幕府の権力を掌握
・堺を利用した政策は信長に受け継がれる
などあるがこれらは中央に関わっていたことも考えれば教科書に載ってもいいレベルだと思いますがね。
地味・・・
585 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:20:38
ジミー
小野 友五郎
常陸笠間の牧野家の3両2人扶持の足軽の倅から人生を始め、咸臨丸アメリカ航海時、測量方兼運用方として勤務、
熱病と船酔いで役に立たなかった艦長の勝海舟に代わり活躍、木村摂津守の評価も手伝い、帰国後、将軍家茂と
単独で謁見する名誉をいただく。
文久元年(1861)7月に幕臣に取り立てられると、軍艦頭取、勘定奉行勝手方勘定組頭、勘定吟味役を歴任。
慶応3年(1867)1月には、甲鉄艦購入使節団の正使を務め、渡米。
帰国後の同年10月には、勘定奉行勝手方勘定奉行並に就任する。
慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いでは、敗戦の責任を取らされて、4月、牢に入れられる。
維新後、罪が許されると、民部省に出仕し、鉄道建設に携わる。
明治10年(1877)工部省を退官する。余生を教育、製塩事業に注ぐ。
明治31年(1898)82歳で死去。
徳川時代は、徳川家内部において、小栗忠順ら実力派吏僚層に属し、海軍、経済、外交に足跡を残した。
退官後の人生は算盤、洋算において日本でも高名な数学家であった。
数学の歴史を紐解くと、たいていこの人の名前が出てくる。
徳富蘇峰
戦前の言論界の大御所にして、東条英機の作成した開戦の詔勅を添削したと言う話でしょ。
今で言えば、堺屋太一、竹村健一、渡辺恒雄を足して3で割った平均値より高い影響力を持っていると思うけど。
内務参事官(官僚=堺屋太一)、国家主義、国民新聞主催(言論人・新聞社主催=渡辺恒雄)、人気があり、
全国に後援会がある、独特の理論を展開する。(蘇峰会=竹村会・竹村健一)
けど、戦前は大人気だったけど、今は、すっかり、言論人に無視されているね。
軍・官・財閥はよく叩かれたけど、徳富蘇峰とそのシンパはうまく逃げたよね。
影響力を考えたら、過小評価できないんだけど。
590 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 13:56:48
ひたちのすけ
591 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:53:23
やっぱ足利義教だな
592 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:09:55
三条天皇、小一条院。
とくに後者はあの道長に自分の准太上天皇の位を約束
させるなんてどれだけ頭いいんだよって思う。よく取
り上げられててファンも多い?敦康親王とかよりは彼
のほうがいろいろと努力してる☆☆
徳川秀忠じゃないかなあ、なんとなく
594 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:14:17
三条天皇はなぜ道長を誅殺しなかったのか。
反逆行為に及ばんとする臣下を成敗するのは何ら問題がない。
595 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 07:29:24
冷泉天皇
596 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 13:50:11
北条氏康
597 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 17:40:00
毛利興元
598 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:33:05
蘇我入鹿
599 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:38:30
江戸時代の大老・側用人・老中首座
600 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:25:28
安倍晋三
601 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:00:01
衆議院議員杉村太蔵先生しかいない
602 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 18:20:43
前田利久
603 :
日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:18:51
ころたまえもん
>>596 そうかもしれんな
民政、軍事において信玄や謙信、家康よりも上に思える
三国同盟に縛られなければもっと領地拡大してたかもしれん
605 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:41:39
加藤友三郎
606 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 18:47:56
大迫貞清
難治の静岡を治めた名県令
三島通庸
土木県令
607 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 18:50:07
悪源太義平:源氏嫡流の雄
源 義家
平家と源氏両方の血をひいており、前九年と後三年で活躍。
世間ではあまり評価されてない気がします。
609 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 22:13:42
大迫貞清〜!!
勝海舟は知っている!
610 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 22:15:13
611 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:48:57
612 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:52:22
>>611 府中の大國魂神社の近くに八幡太郎義家の銅像もあるよ。
新田義貞は府中の分倍河原駅前
613 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:53:43
府中といえば三億円事件の犯人の銅像は建ってないね・・・
614 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:42:35
>>613 俺の銅像だなんて恥ずかしいやめてくれよ
615 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 12:03:06
葛山氏元
616 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:42:03
荻生祖来や山片番頭も教科書に必ず出てくるし、
実際評価すべき人たちなんだが、
たいていの人は受験が終わると忘れる。
617 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:00:41
安藤昌益
レーニンをも唸らせた。
幕末の庄内藩はもうちょっと評価されてもいい気がする
丹羽長秀
目立たないが軍事面でも非常に優秀
>>70 禿同
黒田、竹中は過大評価
弟の秀長はその分過小に評価されている
秀吉政権乱れた時期と秀長の死は一致してるしな
あれだな。
たまーに出てくる、新撰組の悪役に回されてる人たちの再評価とか。
俺も非常に気持ちはよく分かるし、実際小説とかでの悪人っぷりが気の毒だし
特に思想が文字で残ってる伊東とか、生きていたらどうなったかと思うんだが
いかんせん、皆、何も残してないからな。
そもそも新撰組自体が、歴史的には、ほとんど何も。
それが辛い……
622 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:58:57
>>608 盛岡だとかなり高い評価になってるぞ義家
ただ晩年末期の相続とかの采配ミスとかで
息子達の無駄な争いから殺し合いにまで発展したのを見ると
やっぱりあんまり高い評価にまでなれないんだよなぁ
実際彼の晩年末から数十年間源氏は低迷期に入ってたし
足利義満、細川頼之、今川貞世
幕末期の徳川幕府の外国方。(水野忠徳、岩瀬忠震、堀織部正、竹本正雅など・・・・・)
金もなく、力もなく、口先だけで、欧米列強の外圧を可能な限り跳ね除けた外交能力はもう少し評価されても良いのではないか?
外国だけではなく、薩摩島津家・長州毛利家・水戸徳川家に代表される攘夷勢力に足を引っ張られ、揚げ足を取られるなど、
その苦労は並大抵の物ではない。
薩摩島津家・長州毛利家にしても、戊辰戦争で勝利を収めて外交を担当したとたん、徳川幕府以上の対外従属外交を行い、
政権内部の攘夷派を憤慨させ、横井小楠や大村益次郎暗殺の原因の一つとなった。
明治4年(1871)の国事犯事件は攘夷派の粛清、追放の一幕ではないだろうか?
また、明治4年(1871)の岩倉遣外使節団に派遣された通訳や書記官はそのほとんどが徳川幕府の外国方の役人であったことは、
当時の日本の外交がどんなにあがいても、力がないがぎり、条約に組み込まれた体制から抜け出せないという事実を再確認したに
過ぎないのだから。
625 :
日本@名無史さん:2007/02/17(土) 19:49:52
調所広郷
あくどい事やっても薩摩の財政を立て直した男。
彼の財政再建がなければ
薩摩は西洋技術を導入できなかっただろうし、
戊辰戦争の戦費も賄えなかっただろう。
ある意味明治維新を成功させた男。
ま、本人にそんなつもりは全くなかっただろうけど。
も少し知られてもいいと思う。
>>625 村田清風も入れてあげなよ。
彼もきわどい財政再建策をやって、長州毛利家の財政を立て直した男。
彼の財政再建策のおかけで、毛利家は戊辰戦争まで食いつなぐことが出来たのだから。
なんせ、高杉晋作が数万両使い込んでも、何とかなるくらいの蓄えを残すきっかけを作った人だからねぇ。
これが会津松平家なら、今頃高杉は公費使い込みにより悪けりゃ切腹、家名断絶。
よくても、身分不相応の借財によって蟄居、謹慎ってこともあるからね。
(身分不相応の借財という例は、天保末期に盛岡南部家の江戸留守居役を勤めた瀬山命助が千両の使い込みが発覚して、留守居役を御免、国許に帰され蟄居、謹慎の処分を受けた実例がある。)
627 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 07:39:13
真田昌幸
やたらと派手に目立つ息子の勢いの陰に埋もれている気がする。
無敗将軍酒井玄蕃
629 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:54:10
>>627 だったら素地を作った幸隆もだな。
でも俺は、あの一族で好きなのは大介。
630 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:59:51
>>626 625です。
村田清風忘れてた。
村田清風さんごめんなさい×100。
626さん指摘ありがとうございます×100。
村田か調所のどちらかでいいから(本当は2人共)、
ドラマ化して欲しい!
631 :
名無し募集中。。。:2007/02/20(火) 06:57:23
>>630 今の日本一億総薩摩(長州)藩ってくらい借金まみれだからね
是非見てみたいよ
秀吉弟の秀長
>>625調所広郷は、島津久光を批判できない分、
斉彬派によって貶められたんだよね。
残された 調所広郷の一族の末路は、悲惨すぎる。
>>421 平家物語の著者があまり知らないので書かれなかったらしいな。
あと、曽我兄弟の仇討ちの後に、闇に葬られたような感じで死に方かいまいちよくわからないため。
そういえは、平家は範頼の九州侵攻のため逃げ場が無くて、壇ノ浦になったらしいし。
635 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:05:44
範頼さんは、最期はどうだったんだろうね。
富士の巻き狩り(曽我兄弟の仇討ち)事件以来、消息不明。殺されたのかな。
いまいち最期がパッとしないから。人生のストーリーを描けないと、有名に
なれないという要素はないかなー。
一説には、富士の巻き狩り(曽我兄弟の仇討ち)事件は、大庭影能・岡崎義実に
よるクーデターで、源範頼を源頼朝の代わりに担ぐつもりだったというねえ。
>625-626
戦費はドイツやイギリスから借りて、戦うことはできたかもね。
ただし、その後借金でもれなく日本は植民地化しただろうが……
うわ、本当に偉大だ
徳川家茂(第14代将軍)
敵方にはそうでもないけど、味方の徳川家内部では人気が高かった。
曲者の勝海舟や小栗忠順、大久保忠寛などが、文句の一言も言わずに働くのは彼にそれなりの人徳があったから。
この場合、比較の対象としての一橋慶喜が父親の徳川斉昭の影響で幕臣や大奥に嫌われていたのが大きかった。
また、義兄の孝明天皇も彼を高く評価していた。
彼の場合、性格が鷹揚としていて、細かいところに拘らないのが逆に幕臣たちの人気に繋がったのでは。
宗義智
朝鮮との交渉とか色々見るべきところは多い
640 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:52:15
徳川家康
街道一の弓取りw
孝明天皇
この人の思惑に日本中が翻弄された。(安政五カ国条約の勅許、尊攘浪士殺戮の勅許、第1次、第2次長州征伐etc・・・)
この人の死去によって、日本の歴史が大きく動いた。
(坂本竜馬の殺害なんか問題にならない。)
この人が存命していたら、戊辰戦争は承久の乱のような形になっていたのでは・・・・・
事実、徳川家から見た鳥羽・伏見の戦いは承久の故事を再現すると言っていたから。
歌川豊国
歌川派を浮世絵業界最大手に押し上げた歴代豊国の皆さん。
歌川派にあらずは絵師にあらず。
江戸庶民の人気はダントツだったのに。
>641
もし暗殺だったとしたら、
彼を殺した人間こそが、維新の立役者だろう、って言われるくらいだしね。
重要人物だという認識は、結構あると思うよ。
その割にイマイチ話題に出されんが……
前田利常
馬鹿のフリをして加賀100万石を守った漢
平清盛
646 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 01:57:10
浅野長政 秀吉の朝鮮侵略を真っ向から反対批判した(秀吉に狐にとりつかれると当人に言った)
五奉行筆頭でありながら他にリードを取られたりしたが生き残った、秀吉の古参でありながら
一番に見限った、補佐を諦めた悲しい先見者 けど過小評価もあるけど労多く栄華少なしでひっそりと
咲く名花も好きだなそれも美徳あえて功績伝えずに静かに役目を終えて消えていく
647 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 02:44:55
648 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 02:59:14
>>647 だな。しかし以外に岩倉小説って無いよね。有る?批難したいが、細かいとこ良く知らんから軽々には出来ないなぁ。誰か書いてくれー。ちゃんと調べて。多分嫌いになれるだろうけどやっぱ
しかし、岩倉・西郷・大久保辺りのチーム・ザ謀臣ズって、誰が結局中心だったのか取り沙汰されないよね。利用し合ってたのかな?それか他に黒幕いたとか?
それぞれが立てられるせいで、闇の中な幕末陰謀史。
関孝和。
受けた教育と到達した学問レベルの差から考えると、ニュートン、アインシュタインの上だろう。
650 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 00:31:11
>>649 上とまではいえないがね。ニュートン、ライプニッツと微積分では同等だろう。
やはり数式で表現できないのがネックになったかな。
数式なしであそこまで数学理論を立てたのは凄いが、業績の評価はハンデの克服とは違うから。
アインシュタインは、比較するのは無謀じゃ。
発見時期からしたら上だろ。
といいたいところだが、最近では弟子達の捏造であることがry
月並みだが、スティーブ・ウォズニャックを推しておく。
ゲイツより偉大だと信仰する者も居るがやはり評価は低すぎ。
なら俺は、ブライアン・カーニハンとデニス・リッチー
もっと評価されたって良いくらいだ
654 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 21:10:17
牟田口将軍
インパールさえ無かったら無敗の将軍だったのに
>>652 出世にまったく興味がないそうだね。
ずーっと社員番号1の平開発者のまま。
>>653 トンプソン&リッチーはチューリング賞だがカーニハンは…?
三人が中心でUNIX&Cを作ったように言われるが、実態はどうなんだろうか。
656 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 10:24:48
とりあえず
中岡慎太郎
大隈重信
後鳥羽上皇
655ですが板違いでした。すみません。
o(_ _)o
いや、パーソナルコンピュータのパイオニアは既に歴史上の人物。
一年で他の業界の10年陳腐化が進む世界で、30年前の人だし。
吉川元春。
毛利3兄弟の中では一番地味だが、小早川隆景と違って秀吉と距離を取ったことは、二十年後本家改役を救い、三百年後の倒幕を呼んだ。
660 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 02:27:23
六角定頼
ちと調べて見たら楽市楽座最初にやったらしい 信長がそれを真似たとのこと
ピエール・キュリー。
知名度は奥さんの数桁下。
仮にもノーベル賞学者なんだが。
662 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 19:15:47
田沼意次。賄賂政治のイメージしかない。
田中角栄
賄賂はいただけないけど
この人がいなかったら地域格差が今以上になってた
吉田東洋
薩摩島津家における調所広郷、長州毛利家における村田清風、になるはずだった。
彼が山内豊信から全幅の信頼を得て、財政再建と政治の刷新を行っている途中で、赤字垂れ流しの無能無策な門閥家臣団と手を組んだ武市半平太の策謀で暗殺されてしまった。
おかげで土佐山内家は赤字体質から脱却できず、明治3年(1870)、太政官に提出した会計書類の中で、山内家は借金270万両、内外国商人からの借金が99万両といわれている。
人材の育成にも力を入れ、岩崎弥太郎、後藤象二郎、板垣退助、佐々木孝行、福岡孝弟など、経済、政治、軍事面の人材育成に手腕を発揮した。
テロやりっぱなしの武市半平太なんかとは大違い・・・・・(おとなしく土佐で剣術道場を営んでいればいいものを・・・・・)
665 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:50:21
清河八郎
666 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 05:20:36
豊臣秀吉
悪い意味で、橋本龍太郎。
大蔵大臣時代、総量規制でバブルをつぶし、湾岸戦争では、90億ドル(当時で100兆円)を出した。
総理大臣時代、六大改革などいったけど、省庁をただくっつけただけで、中身は変わらず。
外交手腕は劣悪で、アメリカに「チンピラ」、中国には「ヤクザ」をいわれるほど、こけおどしの張ったり外交。
父龍伍の後を継いで議員になったものの、厚生族の族議員のボスとして君臨し、政治資金ほしさの為にミドリ十字などの製薬会社から献金を受ける代わりに
ミスを見逃し、結果、薬害エイズの問題が深刻かつ厄介になったのは、云うまでもない。
こいつの政治的失政のおかげで、命失ったの何百万人いるのかな?
そう考えると、悪い意味で、過小評価されている。
ジュール・ブリュネ
まさに「ラストサムライ」
阿部 忠秋
保科正之、松平信綱、酒井忠勝らと共に、三代将軍家光から四代将軍家綱の代にかけて武断政治から文治政治への路線変更を図った人々。
前者三人は最近、再評価が進んでいるけど、この人だけ取り残されている。
この人も、前者三人に負けず劣らず、外交の安定(無駄に対外戦争をしなかった)、内政の充実、特に経済基盤の拡大(新田開発や西廻り・東廻り航路の充実など)、
徳川の平和の創立に貢献したと考えます。
670 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 18:24:24
水野忠成
この人は評価されていいはず。
671 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 18:34:37
朱蒙
672 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 20:04:32
お前らみたいなゴミクズにあーだこーだ言われるやつら皆哀れ
>667
90億ドルが100兆円な時、あったんだね。
一億や一兆が何百万か知ってる?
義務教育前半で習うと思ってた。
>>674 ありがとよ。
一兆円強か。戦費はね。
けど、1990年当時で、世界に金は出すけど、血は流さないというマイナスイメージの払拭に費やしたお金は100兆円でも追いつかないのではないのかぇ。
当時の保守系評論家は戦費で100兆円出しても評価されない。というのをよく耳にしたのでね。
それよりは、100人の自衛隊員を兵隊を出したほうが評価されると、というのをよく耳にしたのでね。
1990年当時での空気というやつだよ。
戦争反対論や海部総理をイラクに行かせて人質を解放しろとか、軍事評論家が陽の目を出て、したり顔で解説したりとか、
自衛隊を多国籍軍に参加させて国際貢献だとかね。
676 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 13:28:02
陽の目は出るものではなく、見るもの。
したり顔でトンデモ解説をしているのは、あんただよ。
撤退をお勧めします。
667の桁はずれた間抜けさは、呆れるを通り越して、むしろ感心させられた。
北畠顕家
最初に風林火山使ったのはこの人
680 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 09:09:47
風林火山を使うのが高い評価につながるのか?
681 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 10:51:59
浅草新町弾左衛門役所・石垣源七、笠原忠七
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
683 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 22:18:28
蘇我馬子
足利義満
池田勇人 この3人がいなければ今の日本は違っていた。
684 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 16:09:20
北条時宗が一番過小評価だろうな。orz
で楠木正成に平将門かな。
林子平もだな。
685 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 16:47:34
彰義隊もだよ。(人物名じゃないけど)
人間(日本人)は、勝ち負けや損得だけで動く訳じゃない、事を教えてくれる。
万に一つも勝機が無いことは、百も承知してた。
それでも、誇りや恩義に重きを置いた、報われなかった人達。
政権の変り目で不安定な江戸の治安を守ってたのも彰義隊。
江戸っ子の人気を集めてたそうだ。
幕末への影響なら鳥井ようぞう(上手く変換出来ない orz)が一番じゃね?
悪い意味で。
過小評価されているのは、優れた実績を残している人たちばかりではない。
松平定信も愚民化政策とか悪い部分は伏せられているな。
687 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 23:28:02
耀蔵?
688 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 00:45:05
『畠山重忠』
源義経のせいで、影が薄くなった。
伊藤宗看。
敵味方の全ての駒がある状態からを捨てて最後は三枚で詰む117手詰めの詰め将棋を、コンピュータのない時代に作ったのが凄い。
江戸時代の棋士と今のプロにあるであろう力量の差を考えても本当にずば抜けているはず。
前谷惟光、田河水泡、白土三平
手塚治虫ばかり称えられすぎ
692 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 02:09:41
近藤勇かな
ありゃ、もっと悪人だろw、ガハハハハハ
自分は尊氏、義教云々よりも義詮を推薦。
尊氏は戦争弱かったし・・・・。それよりも世の中を治める基盤を作ったのが
義詮なんだしもう少し評価してもいいと思ふ。
個人的には長曾我部氏や佐竹氏がいまいち中途半端
に終わってしまっているのが、もったいないと思ふ。
694 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 23:18:42
>693
尊氏って戦争弱いか?
絶体絶命に追い込まれても不思議と巻き返す勝ち運があるのに。
今村均大将閣下。
栗林が映画の影響でかなり英雄視されているが、今村閣下は別格の軍人。
>>695 今村は陸軍きっての人格者というイメージで、軍人としての能力はよくわからんな
まあ栗林も兵卒に慕われていたが
>>605 おお、オレも激しく同意。
氏がいなくなってからの日本は・・
新田義貞
699 :
日本@名無史さん:2007/07/15(日) 13:12:39
杉原千畝だろう。
過小評価しすぎだ。
700 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 15:15:24
タモリ。
702 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 09:54:44
吉田松陰
「富国強兵して北海道、台湾、朝鮮、満州を奪い、アメリカを砕いた後にヨーロッパを倒せば世界統一は可能である」
と江戸時代に説いている。
史実と照らし合わせても、当時としては恐るべき国際観。
703 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 17:40:45
アメリカを砕くどころか満州を奪うことも出来ないし、
朝鮮なんかとったって維持が大変だということに気づいていたらもっと良かった。
つまり不可能なことを可能だというあたりは信長厨レベルの馬鹿ということ。
吉田松陰がどう過大評価なの?
706 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 18:47:02
吉田松陰=現在で言うと信長厨。
症状:
史実と自分の願望の区別がつかない。
無理なことを可能だと言い張る。
仮定を前提にして結論は断言する、本末転倒のキチガイ。
707 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 19:04:48
帥升
日本史上、文献に名の残る最初の人物
初代天皇かも知れない
何が無理なのか意味不明
松陰の予測は後の大日本帝国の帝国主義の過程そのものであり、現実に日本は台湾も朝鮮も満州も領有しているわけだがw
しかもこれは1850年代に説かれた物なので第一次大戦によるアメリカの焼け太りなどは勿論知らない
当然もっと長生きしていればより時代に則した策を立てていたはずだろう
709 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 19:39:21
そのころのアメリカはたいした実力ないだろ。
でも江戸時代の日本にも満州とるだけの力量はなかったw
>>708 1850年のあたりなら日本だって海を越えて戦う技術は持っていませんが?
帝国主義の過程そのものというが、開国から欧米の技術を取り入れたという過程を、
吉田松陰信者は無視していますね。
松陰のような攘夷論者の言うこと聞いていたら満州どころか朝鮮に行く航行技術も身につかん。
攘夷論じたい、時代に則していない。
吉田松陰はすげえ。
芯なめた、シンドバッド開くくらいまではともかく、シンガポール恋しがるまでいくと爆笑間違いなし。
吉田松陰死んじゃ嫌!最後までやり遂げて欲しかった。
712 :
日本@名無史さん:2007/07/23(月) 16:09:04
徳川斉昭
攘夷派の首領みたいな感じだが、あの人たしか自藩に洋式軍隊作ろうとしたり、息子に牛痘ほどこしたり、海外渡洋計画たてたりしてるから。
松平慶永や島津斉彬にも影響与えている。俺的に、彼らみたいな開明的な人物が後継者ポジションにいるのがただの夷人嫌いじゃない感を強める。
713 :
日本@名無史さん:2007/07/23(月) 20:36:40
松陰の論は石原完爾の「世界最終戦論」に通じるな。或いは石原が松陰を下敷きにしたのか。
714 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 17:47:10
そして行き着いたところが東条英機。
715 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 19:24:48
いや、行き着いた官軍男が朝鮮雌ホール内で大感激の巻だろ
足利尊氏は地味
秀吉のこと過小評価とかよく耳にするけど
大河とかでもあれ程高視聴率を叩き出しておいて
しかも日本の好きな偉人ランキングで常に上位の秀吉が
過小評価されているわけねーじゃん
秀吉が過小評価なんて意見はねえだろ。
秀吉と秀長を混同してね?
マイナーどころで鬼庭綱元。
仙台藩や宇和島藩の行政を一手に引き受けたのに、なぜ内政手腕が評価されないんだ?
戦闘でもそれなりに活躍してるのに、片倉に能力吸われてるとしか思えない評価。
井伊直弼
なんか悪者扱いされてる気がする。
一応あの時代に海外に目を向けてたわけだし、アメリカに勝てるわけないからしょうがない。
過大評価は日本の天皇自体。
>>717 秀吉が過小と言われるのは統率手腕で、これはほぼ大勢が「過小」だと言っている。
そりゃそうだ、一般的な評価でも、天下取ってるのに、武田信玄より軍事が下手とか言われてたらなぁ・・・。
秀吉は戦上手というより、負けない戦しかできなかった。
謙信ですら落とせなかった小田原城も、酒盛りしながら落とせたし九州討伐も島津がいくら強くてもやる気なくなる程の兵力差があった。
負けたくても負けない。さらに全勝無敗の秀長もいる。
723 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 03:17:27
足利尊氏
幕府創立者の源頼朝や徳川家康と変わらない業績がありながら、
明治日本では朝敵とされ業績を否定されていたため一般的知名度は両者に比べて圧倒的に低い。
教科書の記述等を見てもパッとしないイメージしか湧かない。
724 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 03:45:21
有馬氏倫
尊氏はぐずぐずな幕府になってしまったところがまずい
まあ一番評価されていないのは武将としてかなり戦ができた点だろう
楠木のせいで不当に低くみられている
726 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 06:47:37
萩原近江守重秀
知らないなら書くな。そんな奴いねーから
728 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 07:12:16
足利尊氏か。
戦前の国史の影響かな。
河内源氏で綾部出身、為政者としてもなかなかなのに、
何故か京都では人気ない。
729 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 09:35:47
横井小楠
徳の無い藩主や天皇は天誅という思想の志士。
幕末維新の怪物。
730 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 10:34:34
南朝を正当とする明治以降は言わずもがなだが、新田の傍流を名乗る徳川の政権下でも尊氏は徹底的におとしめられたらしい。
「長生きしてたらこうなってたはず」とか「これこれの可能性がある」とかが多いな
そんなものは業績ではないのだが
とりあえず後醍醐と楠木正成は天皇マンセー時代の遺物に近い。
733 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 07:58:55
後醍醐は単なるキチガイ。
734 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 08:21:42
@両統迭立を無視して勝手に自分の皇子を立太子し、持明院統、幕府の反発を買う
A「文保の和談」そのものを反古にすべく、二度に渡って倒幕を企てる
B三種の神器の引き渡しを条件に足利方と和睦するが、
偽の三種の神器を渡して吉野に逃げ朝廷を開く
まさに理不尽大王
735 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 08:35:07
>>730 太平記のせいだろ
文学作品をあなどることなかれ
後代及ぼした影響は甚大
736 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 19:46:51
小笠原長行
>>735 蘇我氏が漢字変えられて単なる悪人にされたしな。
実際天皇はどうでもいい。
何しても勝った方が間違っていても正しく書かれるのが文学作品だし。
たこ八郎
739 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 06:43:20
藤原不比等の名前が出てないのはなんで?
大政所。
息子2人が神憑り的に優秀。
741 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 12:07:03
>>720 まったくだ。あの時点では井伊大老の方に先見の明があった。
742 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 12:12:49
不比等公の場合、大河の主役になぞならなくても、その偉大さはあまねく知れ渡っているということでしょう
>>741 やっぱそう思う?
不平等条約のその後や安政の大獄等負の面もあるが、開国しなかったり条約を結ばなかったら今の日本そのものがどうなってたのかわからん。
山田顕義
745 :
日本@名無史さん:2007/08/26(日) 01:04:38
>>743 俺も思った。一幕臣の身分で大方の世論や朝廷の方針に逆らって勝手に条約締結するなど、
余程の信念がないかぎり出来ないぞ。
>>730 尊氏が貶められた具体例を教えてくれ。
>>735 太平記読んでから言えよ。読まないでよくそういうこと言えるな。
>>746 訂正
× 尊氏が貶められた具体例を教えてくれ。
○ 徳川政権下で、尊氏が徹底的に貶められていたという具体例を教えてくれ。
中岡慎太郎
この人が長州側説得に行ったんでしょ?
どう考えても薩摩説得するより遥かに労力が要ります
749 :
日本@名無史さん:2007/09/17(月) 10:43:06
>>735が太平記を読んでいないとは限らないだろ。
750 :
日本@名無史さん:2007/09/17(月) 12:09:58
日本最大の偉人 金原明善先生の名が出ていないこのスレも
たいしたことねえな。
>>745 一幕臣って当時の井伊は幕府の最高権力者だぞ
敵対勢力は片っ端から粛清して集権を図り、お飾りの将軍以上の権力を持っていた
752 :
日本@名無史さん:2007/09/20(木) 19:11:40
斉藤隆夫
おそらく明治以降の国会議員でベストの政治家。
753 :
日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:01:49
>大方の世論や朝廷の方針に逆らって
ちょっと違ってて、当時の「おかみ」が大の異人嫌いなだけだったとか
754 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 19:24:30
勝小吉って千葉周作より強かったんじゃない?
755 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 07:48:15
毛利輝元
関が原での失態から「お坊ちゃん大名」「暗愚の三代目」の印象が強いが、
関が原での四分の三にもわたるの領地の失領、それに伴う新領主への弁済、
大坂陣への出陣、名古屋城等への城普請で疲弊しきった藩の財政を益田元
祥のような有能なプレーンがいたとはいえ、十数年で再建した手腕は見事。
756 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 07:50:29
田沼意次
757 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 08:53:48
毛利輝元って妙に安部晋三に似てるな。
758 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 11:20:39
それはない
759 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 16:24:07
760 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 22:29:44
勝小吉「尚歯会はわしのしごきに勝てんかった。」
761 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 07:18:02
昭和天皇、終戦を決める権限は全くないのに
終戦をほぼ独断で決めて実行したこと
終戦になれば天皇の死刑は確実と思われていたのに
この決断は見事
なんか最近、終戦を決める権限が昭和天皇にはあったのに
判断ミスで終戦を引き延ばしたとか勘違いしているアホがいるので
762 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 07:38:51
>>261 日本がズタボロで降伏しようかと考えてた時「やられぱっなしはくやしいから、一泡食わせヤろう」発言が天皇からあり、その為降伏出来ず、原子爆弾を落とされたと書いてある本を読んだよ
昭和天皇に終戦を決める権限は全くなかったので
その本の内容は間違い
以上
まあ、歴史認識の歪んだ左翼が書いた本でしょうな。
765 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 09:10:48
ウヨサヨに関係なく、開戦終戦の最終的な権限はあったよ。
ただ、発動するととんでもないことになるから、伝家の宝刀は抜けなかった。
昭和天皇自身が、開戦に関しても「自分がヴェトー(拒否権)を発動したら、
強硬派に殺されただろう」と述懐してる。
昭和天皇なんて軍部の手のひらで泳がされてた哀れなペットの虫だよ
軍部が手のひらをぐっと握れば、ぐしゃっと潰れて死んでしまう
767 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 09:54:59
大元帥としては、個々の作戦にけっこう下問や口出ししてたそうだ。
ウヨサヨに関係なく、開戦終戦の最終的な権限はなかったよ。
あったとか言ってる奴はどんだけ馬鹿なんだ。
>>767 確かにしてたけど、問題にならない程度の介入しかしていないよ。
そのせいで昭和天皇は政治や軍への不介入を撤収しすぎた
もっと政治や軍に介入すべきだったと批判された
大正期の政治家や軍人・文化人と比較すると、経済界の人物は過小評価されがちなのでは。
ソレナンテ=エ=ロゲ
17世紀のフランスにおいてエロゲの普及に尽力
原敬。
それなりの評価はあるけどもっと評価してよいのでは。
773 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:45:12
だな
現代日本の中岡慎太郎の評価の低さは異常
所詮歴史なんて権力者や軍人や政治家のことを教えるものでしかないんだ
農業の歴史とか工業の歴史とかをもっとよく教えるべきなんだ
日本の歴史教育なんて本当にごみくずだよ
776 :
日本@名無史さん:2007/10/24(水) 14:57:30
>>775 他の国の歴史教育も同じだと思うがな。
特に農民や労働者を重んじる主義をタテマエにしている国はもっと酷い。
権力者、軍人、政治家、文化人、労働者、農民、商人
それぞれの立場はそれぞれの立場でよい。
歴史を捉える側の問題だろうな。
777 :
日本@名無史さん:2007/10/24(水) 20:27:43
河口 慧海はもっと評価してもいいのでは?
海外ではいまだに、チベット旅行記が引用されているのに、日本ではマイナーすぎる感が否めない。
酉陽雑爼に出てくる日本の学僧金剛三昧がチベット経由でインドにいったのなら、慧海は日本で二番目にチベットへ行った人になるけど。
778 :
日本@名無史さん:2007/10/26(金) 15:10:44
高杉晋作
>>777 板違いだが
チベット絡みだとヘディンの功績が西欧では完全に抹殺されてるらしいな
781 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 03:27:01
源義時
782 :
日本@名無史さん :2007/11/22(木) 12:05:03
>263
菅原道真は、当時破綻していた律令経済体制を、徴税請負人(受領)制度に変換しようとしていたという説がある。
これを道真の手でやられると、藤原氏なんぞは消し飛んでしまう。そこで忠平が、見栄も外聞もなく道真を失脚させ、
その後その制度を自分の手で導入したとされている(「消された政治家菅原道真」)。
この説が正しいとすると、道真を再評価する必要があることになる。
もっとも、そのおかげで人民の絞られる纐纈は、前代よりずっと多くなったわけだが。
783 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 20:37:17
>>782 道真を陥れたのは忠平じゃない。時平だ。
784 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 22:37:17
山縣有朋
過小評価というより悪役にされすぎ
785 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 23:05:09
足利義教
786 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 17:25:05
>>782 道真が左遷された最大の理由は、
藤原氏が行ってきた外戚政策を自ら行おうとしたからじゃなかった?
菅原道真の娘衍子は宇多天皇の女御。
道真のほかの娘の一人は宇多天皇の皇子斎世親王の妃で、
道真が左遷されたときに斎世親王は28歳の若さで出家している。
道真が醍醐天皇を廃して娘婿斎世親王を即位させようと
したとして左遷されたはず。
道真は醍醐天皇下ではほとんど政治力を発揮できなかったしね。
たとえ左遷がなくても。
醍醐天皇の中宮は時平の妹藤原温子で、醍醐天皇は時平を重んじ、道真を入れなかった。
787 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 19:40:55
西郷隆盛
維新の最大の功労者なのに充分評価されていない。
788 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 19:54:33
西郷さんは評価されてるよ
ただ、新政府に対した反乱軍の
大将になっちゃったからね
つか、維新最大の功労者は
やっぱ長州藩だと思う
短い期間であれだけ激動な内政と
数多くの犠牲者を出してるし
長州の誰々ってんじゃなく
あの地域全体が功労賞だと思うよ
789 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 19:59:33
小説にもなったがぱっとしない九戸政実。
彼は氏郷が率いた豊臣軍を破っている
790 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 20:33:40
>>784日本人って権力者とか大金持ちとか大出世とか嫌うのが多いだけだよ。
791 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 20:38:36
太田資愛
794 :
日本@名無史さん:2007/11/25(日) 22:53:52
徳川秀忠
795 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 15:11:50
安室奈美恵
796 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 15:45:48
三好長慶
798 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 20:00:20
倉木麻衣
799 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 21:07:36
安部心臓
800 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:45:22
野口英世
801 :
日本@名無史さん:2007/11/27(火) 22:16:08
星亨じゃね
佐藤栄作
803 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 07:46:30
佐藤よりも池田隼人だ。
>>803 佐藤は過大で池田が過小な気がする。
過大か過小かは別の話ではあるが、吉野作造はあえて天皇主権そのものを批判しなかったことで、その後自らの思想を実現させたね。
中江兆民も恩賜的民権で本当の中身をぼかした。
805 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 13:52:47
高市皇子
806 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:15:19
欽明天皇
に尽きる!
807 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:19:47
前原一誠
泰西王侯騎馬図の所有者だったと昨日初めて知った
808 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:22:40
横井小楠
嘉悦氏房
809 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:48:04
久下田蕃竜斉
810 :
58:2007/12/30(日) 20:04:16
芸術家なんて、みんな過大評価
弟子から見れば師匠は偉大だけど、
歴史的には、名も無い職工であるべき。
「作品を残し、名を残さす」が美徳。
そもそも作者の名前が重要になったのは、
裏金の取引に美術作品が利用されはじめてから。
今でもそう。
811 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:21:14
西郷隆盛と高杉晋作
812 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:22:13
星亨、原敬
813 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:29:11
今藤玄俊
814 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:56:56
大正大帝
815 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 11:54:20
那須与一
816 :
日本@名無史さん:2008/01/02(水) 23:07:08
源能有
新田義貞
後世の評価はケチョンケチョンだけど、南朝では唯一全国の武士を指揮できる血筋を備えた武将。
尊氏もそれを危険視して義貞打倒を旗印に上げた。
尊氏が征夷大将軍に任ぜられたのも義貞が死んだから。
818 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 14:24:34
そうだねぇ
新田貞義は北條家を倒した以降はどうも落ち目だし
結局は血筋だけでは天下は握れないということか
820 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 15:18:31
鎌倉幕府を攻撃し、北条一族を壊滅させたのは新田義貞
それをわずか年4歳の尊氏の嫡男千寿王のおかげだと
(鎌倉を脱出し、新田義貞のもとへ身を寄せていた)
言っている尊氏は見苦しい
新田義貞は過少評価、足利尊氏は過大評価
>>819 当時は血筋が最も重要なファクターだよ。
後醍醐が義貞をもり立てたのも尊氏に対抗できる血筋であるから。
楠木正成や高師直はどう逆さにふっても将軍宣下はおろか全国支配する資格すらない。
せいぜい師直みたいに尊氏の威光を利用するしかない。
>>821 もちろん血筋は重要でしょう。
問題は血筋+実力が伴わなかったから新田は敗れた。同じ高血の尊氏が勝者
になったというところに、新田の限界を感じるのだが。
尊氏と義貞の差は実力というより、鎌倉時代の幕府内での足利氏と新田氏の地位の差だよ。
足利氏は北条氏に次ぐ有力御家人だったのに対し、新田氏は守護職はおろか義貞の代には無位無官。
守護クラスの有力武士達からみれば、自分たちより確実に格上の尊氏に従うことには何の抵抗もなかったろうが、血筋はいいがこの間まで自分より下だった義貞に従うのは抵抗はあるだろ。
824 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 20:29:37
血筋は良くても、せいぜい200しか動員できない男だったからな。
これが尊氏と渡り合えたのは奇跡的だ。
負けたことだけで評価を下げているが、互角に戦ったことをもっと評価すべきだね。
825 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 22:07:32
互角じゃないよ。負けてばかりだ。鎌倉攻めは護良親王と尊氏が動員した軍勢で勝った。
小西行長は何故評価されないんだろう?
西軍についた負け組だからか
俺。俺は過小評価されすぎてる。
でっかいことをやってやる。それも世間を震撼させる悪事だ。
てなわけでちょっとピンポンダッシュとスカートめくりしてくる。
>>826 キリシタンで商人出身ということで柔弱なイメージがある
実際には豪胆極まりなかったのに
当時の海商なんて倭寇でなくても海賊みたいな面があったから当然といえば当然
むしろ対立してた加藤清正のほうが史実の豪傑イメージとは似ても似つかん人物なんだが
829 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 02:30:31
>>826 答えは簡単。
「資料がほとんどないから。」
評価しようがない。
おまけに三成一味でキリシタン。
徳川江戸時代史観でなにも残らない。
コニタンスレッドも、gdgdで終わったしな、、、
830 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 13:13:05
>825
>護良親王が動員した軍勢
護良親王が投入した軍勢など新田より少ないだろう
足利にあっさり刺し殺されてるし
832 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 09:35:05
トニーブレア
青木昆陽でしょ。
サツマイモの本格的な開発を始めて、飢饉から多くの人命を救ったわりに
扱いが小さすぎ。
834 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 14:59:01
徳川綱吉
835 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 16:29:48
836 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 20:57:26
徳川家重
ただのバカではない
小松帯刀
大河ドラマ「篤姫」を観て初めて知りました。
恥ずかしい・・・・
837 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 03:37:20
天皇制(継体・欽明)を作り上げて、仏教を導入した人物!日本史の土台を作った人物!
「蘇我稲目・馬子」親子 意外になし!
838 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 09:47:04
蘇我稲目・馬子については過小評価どころか
どうも悪役になってしまっているから
まずその辺りの名誉回復をしてほしいものだね
>>825 > 互角じゃないよ。負けてばかりだ。
そんなこたぁない。一度は京都から追い落とした。
あの戦いも数の上では劣勢だったな。
>鎌倉攻めは護良親王と尊氏が動員した軍勢で勝った。
動員という言葉は相応しくないな。
確かに尊氏は軍勢催促状を何通か出していたみたいだが
義貞が挙兵して緒戦に勝利するまでは結局みんな日和っていただけ。
雪崩のように大きな流れを作ったのはあくまで義貞の挙兵あってこそ。
だいたい書状出すだけで軍勢を動員したことになるんだったら、
最大の功労者は綸旨乱発の後醍醐天皇ということになるぞ。
840 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 21:07:29
応仁の乱後の室町幕府を牛耳った細川政元とか晴元あたり。
841 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:47:07
「蘇我」を悪者にしなければならない理由こそが、「日本史の秘密=天皇制が何故成立したか?」にあるからだよ?
「蘇我稲目・馬子」と欽明天皇の関係は面白いよ!宮内庁は喜ばないと思うけど!
しかし、「蘇我一族の聖徳太子」はなぜか、いい子でいれるのはなぜか?
842 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:54:29
聖徳太子は、用明天皇と穴穂部間人皇后の息子。両親とも「蘇我馬子」の姉と妹を母とする完全な「蘇我一族」!
しかも、神道より密教的な流行りの仏教を異常なまでに信じた「蘇我一族の一員」だ!不思議!
歴史は何を隠して成立しているのか?
843 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 01:04:31
石橋湛山
長谷川如是閑
武田泰淳
844 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 01:57:55
「ひかり苔」って、〇〇食べちゃう話だったけ?
>>840 細川政元は政治手腕、戦の勝率など決して凡庸ではないが
本人のやる気の無さや奇行の部分でマイナスされてるね
個人的には天才と呼んで支障は無いと思う
昭和の聖将今村均だろう
上に一人いたけど、かなり知名度が低い人物
同じ軍人でも乃木や東郷らに比べるとほとんどの人が誰それ状態の人
上にもあるけど、勝ち戦がないとかよく言われるが俺に言わせりゃ
名将の中の名将、食が兵の命であることを良く知っていた人物
今のアメリカ軍の戦略なんか見りゃわかるが補給線こそ戦争の要
それを誰よりも知っていた、アメリカの幾度にもわたる切り崩し作戦にも
かかわらず、自給自足作戦を行っていた彼の陣は戦争終盤までよくその
戦線を保持していたと言う
陸軍大学校を首席で卒業、同期には「あの」東条英機が
彼がもし首相であれば、あの悲劇は免れたやも知れない。。。
まぁ現実彼は中央から遠ざけられていたわけだが。。。
>>840 「畿内政権」を牛耳ったトコで、評価が大きくナランのは当然だと思う。
848 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:16:21
橘諸兄
849 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 22:16:43
850 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 22:31:46
足利義満は?
851 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 22:35:19
コロボックル
852 :
武陽隠士:2008/02/08(金) 22:37:42
>>846 > 彼がもし首相であれば、あの悲劇は免れたやも知れない。。。
もうあの状況じゃ誰が首相であっても大差無いだろ。
どんなに優秀でも個人の力量で大きな歴史の流れは変えられない。
854 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:58:57
高丘親王。
平安時代初期に仏教を極めるため、
六十歳をすぎて入唐し、インドに向かう途中
シンガポールあたりで消息を絶った人。
元皇太子。薬子の変で失脚したあと仏籍にはいった。
なにか功績をのこしたわけではないが(空海のイメージのモデルではある)
数奇な人生という点ではもっと注目されていい。
松永弾正みたいに。
大倉喜八郎といれてみる。
死の商人、政商といわれるが、渋沢栄一と並んで明治日本の資本主義の形成に貢献した。
渋沢、岩崎弥太郎、五代友厚の影に隠れがちであるが、もう少し大きく扱われもいい。
856 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:16:35
最上義光
政宗のせいでただの小悪党扱い
857 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:09:41
永井尚志。
大政奉還のときはよく頑張ったと思う。
それと曾孫が三島由紀夫というのも悪くない。
悠々自適だったとはいえ爵位くらいやってほしい。
>>856 どんな香具師かと思ってwikiで調べたけど、過大評価だな
>>857 永井尚志の息子、すなわち三島由紀夫の爺さんは横領や詐欺で度々逮捕されているね。
極めつけは明治天皇の御真筆捏造詐欺事件での逮捕。
861 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:15:15
佐久間信盛。
いやウィキで調べるのは構わんが、何で今まで知らなかった人物なのに
「過大評価」って解るんだ?
>>836 遅レスすまそ。
小松帯刀。
西郷、大久保をあの気難しい久光を納得させて登用させるのだから、なかなかの手腕だよ。
実際、薩摩島津家が外国商人(主としてグラバー商会等)と借財や兵器購入の交渉をするときの最高責任者でもある。
五代友厚らが実務をまとめるが、最終的な決定は小松や桂久武が行っていたからね。
イギリス公使のパークスも小松の識見を高く評価していた。
だからこそ、明治三年(1870)の死去は早すぎる死と惜しまれた。
この人が死去してから、久光の西郷、大久保に対する嫌悪感は強くなるし、
西郷、大久保の方でも久光を厄介者と見做していたからね。
逆に久光、西郷、大久保の三人の人間関係を取り持っていたから早く死んだのも知れないし・・・・・
薩摩閥の不幸は、小松の死去後この3人の人間関係を取り持つだけの人物が不在であったという事なのかもしれない。
大久保一翁。
865 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:41:13
源範頼
866 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 15:07:34
>>863 小松帯刀を篤姫と絡ませるのはやめてほしい。
フジでやった「大奥」でも今回大河の「篤姫」でも
篤姫の鹿児島時代の恋人役で出てくる。
実際には面識すらなかっただろうに。
>>866 フジの「大奥」て菅野美穂のやつか?
篤姫の薩摩時代の恋人は出てきたが、小松帯刀ではなかったはずだけど…
もし昔のドラマの事だったらすまん
千利休しかいないだろ
>>868 それを言ったら秀長では?
石田三成らが専横するまでの豊臣政権は
内政・軍事は秀長、外交は利休・孝高が支えていたが
秀長は過小評価され過ぎ
870 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 04:44:01
>>869 過少評価ではないと思うが
ほとんどの本に秀長が生きてれば豊臣政権は延命できたと評価されてる
人格もすばらしかったらしいし。家康と渡り合えるただ1人の人だろ
871 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 12:19:27
登山家としての佐々成正
厳冬の北アを当時の装備で越えたチャレンジ精神は称賛に値する。
>871
確かにその視点はなかったあああ。
>>871 で、1942年の日本軍の装備でオーエンスタンレー越えをやらせようとした辻ーんはその間違った子孫とも言える。
875 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 12:06:35
その佐々の子孫が雪山の山荘攻略で指揮をとったのはなにかの因縁だろうか?
876 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 22:32:18
八甲田山でも指揮とればよかったのに
877 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 00:38:32
成正は北ア越えの経験を生かして西穂や剣に城を築き
修験者味方に引き入れ
秀吉と戦えば勝てたかもしれない
878 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:19:48
>秀吉と戦えば勝てたかもしれない
無理でしょう。
秀吉軍は信長軍を継承する国際的にも超最新鋭軍隊。
修験は、昔ながらの僧兵。
零戦(修験)とB29(秀吉軍)の差ぐらいある。
879 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 17:44:53
池田大作
大作は戦国時代に生まれてたら大名になれたほどの人物
戦前なら満州浪人で財貯めて戦後、フィクサー
秀吉、角栄と並ぶ風雲児
>>878 織田は一向宗の農民にボコられまくりですが?
881 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 00:31:38
>>880 一向衆は最新鋭の武器を装備した農民の皮を被った武装集団
つーか兵農分離が進んでたのって織田だけじゃね?
どこらへんが?
884 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 01:35:29
茶屋四郎次郎
甲斐の虎 武田信玄
逆臣文化人 明智光秀
成り上がり太閤 豊臣秀吉
日の本一のツワモノ 真田幸村
この騒々たるメンバーでさえ殺せなかった、家康を天婦羅数匹で
地獄に突き落とした天才商人
もっと評価されていい
アジア解放の魁、東郷平八郎
東郷閣下の勇気と武勇が全アジア人に希望の灯をともした
886 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 03:25:14
このスレは武田勝頼の為にあるのだろ?
>>885 東郷はきちんと評価されてるだろ
むしろ晩年の老害ぶりを考えたら過大なくらいだ
過小評価は追撃を成功させた上村彦之丞と佐藤鉄太郎じゃねえの?
888 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 17:48:21
大野治房とか毛利勝永はどうよ?
大阪での毛利の活躍は実は幸村と同等かそれ以上なのだが。
佐々はもう少し評価してもいいな
あまり知られてないが信長死後も上杉景勝を攻め続け春日山麓の
名立谷浜周辺に陣を張っていたんだよね
あの上杉家も内通していた新発田と佐々に挟まれ実は存亡の危機を脱していなかった
その後帰国した佐々は登山家へ転向、熊の着ぐるみ着て冬山へ入ったらしい
890 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 19:00:44
徳川家重
言語不明瞭なだけで無能というわけではない。
大過無く世を治めたのは評価されるべき。
>890
大御所(吉宗)のおかげという人も多いが、実は吉宗の死後9年の間大過なく治めているんだよな。
吉宗が死んだ年には家治は15歳になっているんだから、ほんとに吉宗のおかげで何とかやってた
のならこのとき隠居してるはず。
しかも、隠居後の吉宗はぼけてたという説もあるし。
893 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/18(金) 22:22:09
…ということを大石慎三郎が言ってるんだが、
いつのまにかネット上のデータになっているなw
894 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/18(金) 22:23:27
895 :
愛のエメラルド:2008/04/18(金) 22:52:25
知名度は多少上がっては来ているものの
山田顕義の評価が低すぎると思う。
鳥羽伏見の戦いの時に京都の長州軍を陣頭指揮したのは山田ですぜ。
また函館戦争の官軍の総指揮官は身長148センチのちびっこ若大将
山田市之允のちの山田顕義です。
896 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:14:02
大川周明
東京裁判で責任能力が認められないほど発狂したのに、戦後の著書で、イスラム教の脅威を予言するほどの彗眼をみせた。
その脅威的な回復力はもっと評価されていい
897 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/19(土) 00:11:13
>>896 あれは狂人の振りをしたんだって説も強いけど?
私もそう思うし、つまらない奴だとも思ってる
898 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 09:52:12
899 :
名無しさん@八周年:2008/04/19(土) 13:09:28
徳川家斉
歴代将軍ぶっちぎり最長の50年君臨
15代のうちの1代でしかないのに
徳川時代の五分の一はこのひとの天下
家康も家光も綱吉も吉宗も遠く及ばない
おかげでこのひとの時代のイメージが
江戸時代全部のイメージになってしまった
900 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 13:38:04
小栗忠順
この人もっと評価されていいんじゃね?
901 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 14:49:18
ドクター中松氏
>>900 幕府側では勝の次くらいの評価なんじゃね。
904 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 15:00:03
ドクター中松と言えば灯油ペッコンペッコン
フロッピーディスクについては、ドクター中松こと中松義郎が、発明及び特許
を取得したと主張しているが、これは事実ではない。
中松が発明したものは「ナカビゾン」もしくは「積紙式完全自動連奏蓄音器」
と呼ばれるものである。1948年に特許申請され、1952年に登録された。ナカビ
ゾンは、何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄
音機の譜面読みとり部分が左右に振れることで、譜面を読み込み演奏するもの
である。簡単に言うと、「レコードジャケットに穴を開けて、中身を取り出さ
ずにそのまま使えるようにする」という特許であり、フロッピーディスクでは
磁性体が塗布された円盤が用いられていることや、セクタ単位のランダムアク
セスが可能なことから、全くの別物であると言える。
907 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 15:57:10
ドクター中松と言えば
キャタピラのついた移動式原子炉
フロッピーディスクを開発したIBMは、自社の特許を守るため、当時フロッピ
ーディスクの構造に抵触しそうな他者の特許に対しては契約を結んでいた。
この中に中松の特許も含まれており、1979年2月に中松とIBMは「非独占的特許
使用契約」という形で契約を行っている。これは、IBMがフロッピーディスク
を日本で発売する際に、中松との紛争を避ける目的で行われたものである。
その契約内容は、技術的なものではなく、エンベロープの意匠に関するもので
あったとされている。(IBMによるサブマリン特許対策という説もある。)
なお、この契約が行われた時点でIBMは既にフロッピーディスクを生産してお
り、さらに5.25インチ型もシュガート社から発売されているため、中松がフロ
ッピーディスクを発明したという事実はないが、未だに信じている人は多い。
かつて五ツ木書房が「Selett」の宣伝のために、中松が「私の発明にはフロッ
ピーディスクがある」と言うテレビCMを流したこともある。
909 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/19(土) 23:53:21
武陽隠士(私じゃなく江戸時代のね)。
凄い人だけど、パンピーにはいまいち知名度ないんだな。
余談だが、いつかこの人の正体をある程度特定して
私の名前を国史大辞典に載せるのが私の夢(参照論文名が載るからね)。
ああそんときは私の本名、2ちゃんねらーにバレちゃうな(笑)
まあ数十年後かもしんないからいいや。
910 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/19(土) 23:55:30
911 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 11:04:05
全然笑えねえ冗談だな
912 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/20(日) 20:55:48
913 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 21:23:21
前田利長
親父が有名なのと早々に家康の軍門に下ったせいでヘタレ扱い。
織豊政権での武功、高岡の整備、大身で幕府からにらまれる立場にもかかわらず
改易や減封をされることなく家を存続させた政治力。
もっと評価されていいはずだが、父母や利常に功績を吸われた感がある。
914 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 21:50:06
915 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/21(月) 23:42:41
>>914 あなたに言っても詮無いけど、
武陽隠士の正体につながる証拠は、実は私には目星がいくらかついてる。
これは私だけ気がついてるある事柄から可能なもので、他の素人さん及びアカデミックな研究者が束になって、いくらやっても無駄なことだ。
ただ何十年かかるか分からない。
早ければ十年以内。遅いときは数十年かかる。
いずれにせよ
大した業績にはなる。
ただ私の実名はでることになるが…
>>915 言っても詮無いことだと思っているのなら、言わないで頂きたい。
あなたの実名がどうだろうと我々の知ったことではない。ご自分の
ブログにでも書かれたら如何ですか?
水野勝成
別に大大名というわけではないが
生涯がマンガ的すぎて面白い人物
乃木希典
司馬によって不当に貶められたが、旅順を落としたのは彼である。
>早ければ十年以内。遅いときは数十年かかる。
えらく幅あるな。
>>918 彼じゃなくても落とせたんじゃないの?
黒木とかさ。
斉藤隆夫。
彼こそサムライだ。
922 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 20:48:16
923 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:00:12
福地桜痴
>>920 落とせたかもしれないし、落とせなかったかもしれない。
実際に落としたのは乃木
しかし指揮権を移譲した場合も「落とした」と言えるんだろうか
結果論で言うならモンゴメリーなんかも名将と言っていいのかな。
最明寺入道
929 :
日本@名無史さん:2008/05/07(水) 18:36:49
徳川家宣
930 :
日本@名無史さん:2008/05/07(水) 18:39:14
乃木希典は戦前軍神として祭り上げられすぎたから
その反動だろう
明治天皇が死んだら妻と一緒に殉職なんて
天皇主権国家にはもってこいの人物だった
931 :
日本@名無史さん:2008/05/08(木) 01:26:29
茨木長隆と寺沢正成。
どちらも当時の政権の構成員としてかなり重要な地位を占めているのに、どうにも
影が薄い
>>925 戦術も何もなしでただ闇雲に突っ込ませて膨大な被害出したのが乃木だよな
だから無能といわれてるわけだ
>>932 乃木は上から時間ないから突撃しろと言われたんじゃなかった?
世界初の近代要塞攻略なんだし、そのあとの要塞戦の惨状みると
そこまで非難される戦いでもないと思うけど。
あと指揮権の移譲は司馬遼太郎の創作って話もあるらしい
なんでも裏付ける資料がなにもないとか
第一次大戦でも連合国・同盟国ともに乃木同様の失敗を繰り返してる
ことを考えると言われるほど無能でもないが
決して「名将」ではない罠
人格者の凡将といった所か
司馬厨うぜえ
乃木厨うぜえ
>>936は乃木を低評価してるのが司馬だけだと思ってるんだろ
ベクトルが反対なだけで立派な司馬厨だなw
>>938 司馬とその影響受けた作家&読者以外に
乃木を低評価している奴がいたら教えてくれ。
>>939 こいつの脳内では歴史小説どころか軍事関連著書の著者まで司馬に影響受けてるらしいなw
さすが国民的作家www
つーか
実際リアルタイムでの乃木の叩かれっぷりは凄まじかったろ
まあ乃木の功罪はともかく、ある意味で健全な国家だったわけだが
乃木が無策だったのは事実だが、無策のまま突撃せざるを得なかったのは自分達の旅順艦隊撃滅作戦失敗
の尻拭いを押し付けた海軍や、実情を見ず急げ急げと急かす満州軍司令部の責でもあるからな
>>940 > 軍事関連著書の著者
だから誰?具体名挙げられないの?
「軍事関連書」って例えば何?書名挙げてよ。
>>941 具体的に、どの人が、どのような評価を乃木に下したの?
>>942 だな。「評価は低いが実は有能スレ」でも
坑道戦を仕掛けるとか、当時の技術でやっているんだよね
ただ東洋一の要塞を攻略するのに対して弾薬と時間があまりに無さ過ぎた。
黒木や奥が司令官でも、規模の大小こそあれ乃木と似たような失敗はしていたと思う。
要塞攻略の不手際については乃木にも確かに問題はあるが、
そもそも第三軍が能力をはるかに超える仕事を強要されていたという点は差し引くべきでしょう。
って言われてる。戦略の甘さのツケを現場に押しつける。後の戦争でも遺憾なく発揮されてる。
>>943 いや、どれかも何もw
質問に質問で返すのはタブーと言われるがこれは聞き返さずにはいられんw
乃木が「名将」だなんて記してる軍事関係書があったら挙げてくれw
日露戦争について記述したどの文献でも司馬の作ったようなイメージほど無能ではないと書かれて
はいてもお世辞にも名将とは書かれてないだろw
>>945 >
>>943 > 質問に質問で返すのはタブーと言われるがこれは聞き返さずにはいられんw
きみはいつも「w」ばかり使って、ホント失礼な奴だね。
だいたいタブーだとわかっているならやるなよ。
> 乃木が「名将」だなんて記してる軍事関係書があったら挙げてくれw
話をそらさないで貰いたい。
こちらは乃木を愚将だと書いている「軍事関連書」が何かを訊ねているだけだ。
> 日露戦争について記述したどの文献でも司馬の作ったようなイメージほど無能ではないと書かれて
> はいてもお世辞にも名将とは書かれてないだろw
重ねていうが、話をそらさないで貰いたい。
乃木を低評価している「文献」or「軍事関係書」とは何なのか、
具体的な書名と著者名を挙げてくれ、と言っているだけだ。
簡単なことなのに、いまだに答えが無いのは、
あんたが「文献」だの「軍事関連書」だのを
実際には読んでいない、と考えて宜しいか?
>>945 > 日露戦争について記述したどの文献でも司馬の作ったようなイメージほど無能ではないと書かれて
> はいてもお世辞にも名将とは書かれてないだろw
だから、それはすでに「低評価」とはいえないだろ。
こっちが聞いているのは司馬級の「低評価」を乃木に下している
「軍事関連書」及びその著者のことなんだが?
948 :
日本@名無史さん:2008/06/06(金) 21:09:22
北畠親房
自分一身の俗な野望も大きかった策士。
未編成の奥州を息子に支配させ、強大な武力富力を手中にする。
摂関家特に藤氏を遠ざける策をとり、村上源氏北畠を押し出す。
常に皇子を担ぎ、「万が一」に備えるのも忘れない。
公家の中にも乱世に期待する人物がいた、ということだな。
949 :
日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:13:20
950 :
日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:16:04
俺の息子
951 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/06(金) 23:16:49
952 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/09(月) 00:45:35
みんな沈黙だな
反駁期待してたんだが。
ここにしばらくは常駐しようと思ってさ。
まあいいや。
乃木にも司馬にもあんまり興味ないから
953 :
日本@名無史さん:2008/06/09(月) 01:09:57
岩瀬忠震の評価が低い
954 :
日本@名無史さん:2008/06/09(月) 12:33:49
東条英機
隠れ民主主義者であった東条は日本を真の民主主義国にするために、自ら泥を被り、亡国の可能性もある大博打に打って出た。
昭和帝もこれは承認していた。
だから昭和帝の東条に対する信頼は揺るがなかったし、東京裁判で東条は「帝の御意志に反したことは無い」と 断言した。
955 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 19:52:45
宇多天皇
延喜天暦の治の業績はほとんど彼のもの。むしろ、病気で寝込んでいた醍醐天皇が何であれだけ評価されるかわからん。
安達泰盛
元寇の対応やその後の論功行賞での彼の活躍は見張るべきものがある。彼が殺されたから鎌倉幕府がつぶれたといっても過言ではない
武田信虎
武田信玄が過大評価されてるせいで、彼が混乱していた甲斐一国を(いささか問題があるとはいえ)まとめた業績はでかいと思う。
武田信玄が重用した側近とかも実は彼が発掘していたりする。
956 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 23:45:24
中岡慎太郎
大久保利通
田沼意次
958 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 01:19:27
豊臣秀長
959 :
とびどぐもたないでください:2008/06/16(月) 05:58:17
>>955 宇多天皇は阿衡で基経に負けたからイメージダウンなんだろうね。
醍醐天皇は形式上は摂関をおかなかったし、荘園整理もしたし、格式もできたし、表面だけ見ると「あるべき政治の姿」だからね。古今集もつくられて華やかだし。
どの国の歴史でもそうだが、最盛期を現出した為政者ばかり過大評価されて、その前の為政者が過小評価されていることが、ままあるな。「最盛期」なんて前の為政者の遺産のおかげであることも多いんだが。
960 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 06:42:31
安達秋田城介泰盛なんて教科書に出てくる有名人じゃん
961 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 22:50:09
>>951 殉死の時点では読んでないといってる(ほんとか知らんが)し
『機密日露戦史』の内容と明らかに異なる、いくら小説とはいえ捏造に近いところもありますがね。
962 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:31:23
963 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:00:08
前田慶次郎
度胸もあったし、弁もたち、機転も利いた。
一方で、記録を怠らないなど、学識もあった。
もう少し早く生まれていたら、
大大名に成れていたろう。
964 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:02:39
(再掲)
兄多毛比命。
関東の覇者なのに、ほとんど知られていない。
石見から武蔵に来た、一介の移民でありながら、
現在の埼玉、千葉、東京、神奈川を手中に収め、
故郷の石見の国造(古墳時代の大名)にも息子を据えた。
全国一の大国造(大大名)で、鉄剣の出た稲荷山古墳の被葬者。
死後、腹違いの息子どうしが跡目を争った
「武蔵国造の乱」は、なぜか有名。
965 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:15:34
九戸政実
966 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:17:19
浅井久政
968 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:36:09
松平広忠
彼が今川について家を保ったことで、後の家康の活躍があった。
969 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:26:32
加藤司書
970 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 16:04:54
織田信雄
朝比奈隆
小澤征爾ばっかり持て囃されてるのが気に入らない。
972 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 17:50:43
大蔵常永
973 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 18:28:17
北条氏政
974 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 22:46:24
おいしいボンクラのスケベ
必殺再就職請負人
975 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:05:35
足利義教
一条兼良
東常縁
荻原重秀
欽明天皇
978 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:15:38
毛利輝元
979 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:17:39
大内義隆
980 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:25:46
斎藤義龍
981 :
日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:38:49
豊臣秀長
>>948 その息子の方がこのスレに相応しいのではあるまいか。
20歳にもならない若い公家の身で地盤も持たない奥州で兵力を蓄えて、朝敵である武家の棟梁足利相手に
合戦挑んで負かしたなんてちょっと凄過ぎる。
顕家は過大評価だろ。最近は特に。