199 :
日本@名無史さん:05/01/27 10:05:23
だいたい誰が孝徳の陰謀説を唱えてるの?
>>196 >>199 「ドラマでは」軽皇子はかなりドキュソな役割でした。
軽皇子陰謀説はあくまで学習院の遠山氏の学説です。
>>197 そのとおり、軽皇子の基盤はもともとそのあたり。
当時は即位すれば地元へ遷都するのはごく自然なこと。
>>198 >あんなドキュン
あんた、軽皇子に会ったことでも有るような言い方ですな。
どの部分をとらえてのドキュン扱いなのか言ってミソ。
まさかドラマを鵜呑みにした訳じゃ(ワラ
確かに軽皇子と中大兄、鎌足は互いに利用しあっていただけかも
しれないが、あの時点で利害関係が見事に一致していたのは事実。
198のかつがれ説も否定はできないが、首謀者説も十分ありえる。
いずれにせよ事件とカナリ深く関わっていたことだけは間違いない
でしょうな。
>いずれにせよ事件とカナリ深く関わっていたことだけは間違いないでしょうな。
当たり前だろ。少なくともかつがれてはいるんだから。
もう少し中身のあること言えよ。
202 :
日本@名無史さん:05/01/27 15:08:52
ところで、鎌足は、常陸の中臣氏出身でいいのかな?
203 :
日本@名無史さん:05/01/27 16:11:03
>>203 中身を考えてないのはアンタでは?
192で既に中身は言ってある。
早くドキュ扱いの理由を述べてくだされ。
>>202 203の言うとおり、前半生は不明だけれど朝廷成立以来の家臣(神官)
な訳だから、やっぱり大和近辺の出身と考えた方が自然かと。
但し垂仁紀には中臣氏の祖先が陸奥出身だったという記述はあるようです。
206 :
日本@名無史さん:05/01/27 19:23:53
不比等がタケミカヅチとフツヌシを祀ってるからねえ。
鎌足は多氏だったのかも知れない。不比等は鎌足の子ではないかも知れんが。
だとすると、占部氏をとりこんだのはいつ頃なのか?
そもそも昔は多系と占部系は別々に扱われていたのか?
207 :
日本@名無史さん:05/01/27 23:04:45
>>206 卜部家は中臣から出たことになってるんだっけ
鎌足は百済王子。
カマもタリも朝鮮語。
209 :
日本@名無史さん:05/01/28 00:21:00
>>208 デムパキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
鎌足は百済王子の扶余豊と共通点が多いのは偶然でしょうか。
韓人、鞍作を殺しつ。
212 :
日本@名無史さん:05/01/28 01:54:04
余豊璋説キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
韓人ってだれ?
>>210 あのなー、共通点ったって大織冠位の件くらいだろう?
「多い」ってさ、他に何がある?
「韓人、鞍作を殺しつ」もさ、古人大兄の「言ったとされる」言葉だよ。
乙巳の変の状況で、「中大兄と鎌足が殺りました」とかって
蘇我直系の皇子が言えるか?
しかも最初に斬りかかったのは中大兄だろ。
鎌足は弓だから(間合いが大きい)現場では目立っていない可能性も高い。
なら、百歩譲っても「韓人」に当たるのは中大兄としか読めん!
(もちろん皇子が韓人などありえないがナ)
それに場は三韓朝献の席なんだから、韓人の責任に転化するのが最も安全
だったという見方もある。(乙巳の変、最大の謎でもあるけれど)
なにより決定的なのは、中臣氏は神官の家系だってこと。
僧侶なら立派に勤まると思うけど…
渡来人に神官が勤まる訳ないだろ!!
鎌足が死ぬ前に「軍国の役に立てず…」と言っているのは何のことでしょうか。
216 :
日本@名無史さん:05/01/28 07:50:32
>>214 だよね。
それに、暗殺者側は偽装して潜伏していたというような、描写もアリマス。
217 :
日本@名無史さん:05/01/28 10:03:25
>>216 中大兄と鎌足が韓人に偽装して朝献の席に潜り込んでた可能性もあるのかな?
218 :
日本@名無史さん:05/01/28 10:04:42
中大兄、鎌足なんて乙巳の変の時はただの鉄砲玉みたいなもんだろ
>>219 いや、本来の鉄砲玉は網田と子麻呂だよ。
しくじった時の為に鎌足が弓で構えてたのだろう。
もともと中大兄は、事の正当性を母親でもある皇極帝に説明する役割があったはず。
成功しても命がないかも知れないのは網田と子麻呂。
失敗すれば命が無いのは中大兄と鎌足も含む。
首謀者は何とか生き延び、次の機会を狙うことを事前に仕組んでいるはずだから
あの場で一番目立っていなくて、一番得をする人物である軽皇子。
中大兄と鎌足は、さしずめ中間管理職的立場でしょう。
暗殺が失敗して、現場にいた人間が口封じのため
全員死んだとして、次の機会などあったのかな?
逆に考えて、中大兄がクーデターに参加したのはなんででしょう。
しかも、結構危険が伴いそうな役目で。
軽皇子(孝徳)の次の皇位を確実に狙うため?
古人大兄のほうが皇位継承争いで有利だったとしても
中大兄がばくちを打たなくても、古人の次に即位出来なかったのかな?
年も若いし、蘇我本家のライバルとなる有力な支援者もいなさそうだから、
排除されるような立場ではないような気がします。
>>221 やはり古人大兄が即位してしまうと、流れを戻すのは容易でなくなると思う。
そうなれば中大兄にしても軽皇子にしても吉野あたりに出家し、結果山背大兄と
同じ道を辿らざるを得なくなるだろうね。
次の機会としては…やはり壬申の時、大海人が採った方法しかないかも…
223 :
日本@名無史さん:05/01/29 11:08:33
この前鉄板の「京浜東北線スレッド」を見ていて(沿線に住んでるもので)、
偶然リンク先を開いたら、何とイラクでの日本人人質殺害映像!ショックでした。
で、あれを見てすぐに連想したのは「大化の改新」でした。
入鹿も首チョンパでしたし、今も首塚あるし。
生々しく大化の改新の恐ろしい現場を実感した次第です。
>>223 入鹿は首チョンパではない。
例の絵巻は室町時代に描かれたもので事実そのままの描写ではないし、書紀にもそんな
記述は無い。
確かに恐ろしい現場だったのだろうけど、権力争いなど今も昔もそんなモノだし、
もっともっと凄惨な場面なら歴史上いくらでもある。
なにより殺る方も殺られる方も一歩間違えば逆転するという、お互いまさに命がけ
の行動で、決して一方的なものではない。
時代背景や様々な事情を無視して、人質殺害と乙巳の変を結び付けてしまうのは
あまりに短絡的と思うのだが。
と、一応釣られてみるw
>>214 言い過ぎだったことは認めます。
断言は出来ませんね。
210があまりにDQNだったもので、つい…
他にも中大兄は2人いて、一人が葛城皇子、もう一人が余豊璋だったって説
とかもあるのは勿論承知しています。
しかし、簡単に「だれそれは渡来人」と言ってしまう風潮にどうしても「ハァ?」
となるのも事実です。
日本の歴史を考える上でそれを簡単に持ち出すと収集がつかなくなります。
いくら他国の王子が日本に来ていたとはいえ、所詮属国からの人質です。
政権の中枢に入り込んでどうこう、というのは根本的におかしいのでは?
↑のスレもひととおり目を通しましたが皆記紀を無視しすぎで、想像だけに
走っている物が殆どのように感じました。
個人的には中大兄=渡来人はまず無いと思っています。
227 :
入鹿:05/01/29 17:37:38
ガマタリザーン!
ナゼェ!ナゼェ、イルンデズ!
ハァハァ
オンドゥルラギッタンディスカー!
ウエェァ
228 :
日本@名無史さん:05/01/29 19:39:02
入鹿キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
日本書紀で、余豊が三輪山に蜜蜂を繁殖させようとして失敗したという記事の後に、
いきなり鎌足が神祇官に任命されたなどとして登場するのは偶然でしょうか。
偶然です。
最近は古事記でも三輪山の神の話の後に大歳神の系譜があるってんで、
二つの神を同一視する連中まで存在するんだよな。
ついていけないよ…
>>222 うーん、中大兄が古人大兄政権から排除される要因がいまいちよくわかりません。
それほど危険視されるほど、名望なり勢力があったのなら
本人がクーデターの中間管理職などやらなくてもいいような。
逆にいえば、クーデター当時は天皇の嫡子ということだけで大兄になったという
程度の立場だったのでは。
古人政権が出来て、後継者(古人の息子とか)が順調に成長したら、
皇位の目はない代わりに排除されるほどの力もない気がします。
232 :
日本@名無史さん:05/01/30 13:43:44
>>224 >>入鹿は首チョンパではない。
じゃあどうやって殺害されたの?
じゃあ首塚の首は殺害後に斬られたの?
>>231 中大兄はバリバリの舒明、皇極系後継者ですよね。
両親とも大王位に就いていたわけですから。
当時は危険人物視されていないにせよ、そのうち排除の対象にされるのは明白。
後の有馬皇子の悲劇を見ても判るように、時代は殺るか殺られるか。
だからこそ数少ない蘇我打倒のチャンスを逃す訳にはいかなかった。
その上で、皇極系軽皇子の理想とする中央集権体制と蘇我系豪族支配体制のどちらに
付くかの選択を迫られれば、迷う余地など無いのではないでしょうか。
無論そこに導くまでには、鎌足の策略が大きく影響した事は言うまでもないでしょう。
>>232 まず、飛び出した中大兄に頭から肩にかけて斬られ、子麻呂に足を斬られた。
そこで入鹿は何故自分が斬られなければならないかの理由を問う。
中大兄は入鹿が大王家転覆を狙う大罪人だと皇極に説明。
皇極は何も言わず立ち去ってしまう。
その直後、入鹿は子麻呂と網田にとどめを刺され、その遺体にはムシロをかけられ
雨降る中、中庭に放置された。
その後、遺体はそのまま蝦夷のもとに送られたため、蘇我邸では弔い合戦の準備が
進められたが、巨勢徳陀の説得により主力の漢直らが降伏。
ここまでと悟った蝦夷は館に火を放ち自害。
翌日、中大兄は蝦夷、入鹿親子の埋葬を許す。
大まかに言うと書紀では上記のような記述になってます。
どこにも首チョンパの記述は出てこないです。
首塚があるから、首チョンパでなけばならないと考えるのは本末転倒で、
罪人の供養碑を「首塚」なのだと解釈してもおかしくはないのでは?
しくじった時に鎌足が狙うのはあくまで網田と子麻呂ね。
そうすることによって中大兄と自分(鎌足)は謀反の情報を得たため
隠れて護衛をしていて、賊を成敗したと言い張っては最悪の自体を
避けようとする、言わば二重作戦。
したたかな鎌足の事、このくらいの事は十分に考えているはず。
その為には絶対に石川麻呂が仲間だとバレない必要があった。
にも関わらず石川麻呂はオロオロしだして、中大兄は焦りまくった。
網田と子麻呂もわかってかわからずか、中大兄がシビれを切らして
出るまで出て行けなかった、と言う風にも解釈できる。
だから220の中では
しくじった=失敗
じゃないので微妙なニュアンスの違いを読んでチョ。
>>230 藤原不比等が大和の土地神である三輪山の祭祀を封じ、皇祖神を伊勢に移して
民衆から隔絶させ、全国画一の神事の方式を定めているのは、
>>229の記事と無関係なのでしょうか。
230ではないが…
それと余豊璋とどういう関係が???
三輪山は国神だから、大本をみれば大王家の由来じゃないだろう?
元は神武が大物主神の娘、五十鈴依媛を正妃にしたところから。
しかしあくまで
地の神=豪族の祖
不比等がねらったのは、天皇を中心とした中央集権体制の仕上げに各古豪
の先祖とされる国神をまとめた上で
天つ神=天照大神=伊勢
国つ神=八百万神=出雲
として天皇の唯一絶対性を確立させようとした。
その裏には
藤原=律令制政治における太政官
中臣=伊勢神宮祭主を頂点とする神祇官
の思惑も見てとれる。
これ以上何の意味が???
それと余豊璋になんの関係が???
デムパはいい加減にしてくれ!!
>>233 >中大兄はバリバリの舒明、皇極系後継者ですよね。
>両親とも大王位に就いていたわけですから。
>当時は危険人物視されていないにせよ、そのうち排除の対象にされるのは明白。
>後の有馬皇子の悲劇を見ても判るように、時代は殺るか殺られるか。
>だからこそ数少ない蘇我打倒のチャンスを逃す訳にはいかなかった。
うーん、おっしゃるように軽皇子を立てても次は有馬皇子というライバルが
現れるのはわかっていることですよね。
古人を支持してたら、次代の皇位が安全に転がり込んできませんかね。
甘いかな。
古人の子供で後継者となりうるような立場の人物が現れなければだけど。
母親の皇極は積極的に蘇我氏と対立しないような気がするし、
その路線でいかなかったのは、やはり中大兄の目指す政治が蘇我入鹿のそれとは
異なっていたからでしょうか。
>>231 そこなんですよね…
ご周知のとおり、中大兄と古人大兄は異母兄弟な訳ですが、勢力図という
観点から見ると、この二人の間で真っ二つに分かれていたように思います。
山背大兄を討ったのは入鹿ですが、もともと山背大兄はバリバリの蘇我系
な訳で、皇極の働きかけがなければ討つ理由が見当たらないです。
ということは、皇極自身も蘇我中心の国家運営を必ずしも「良し」と思って
いなかったのではないでしょうか。
ところが古人大兄までは排除しきれなかった、そこまでやると蘇我体制の
完全否定になりますから。
この時点で古人大兄には嫡子がいましたから、古人大兄即位の後には中大兄
や軽皇子即位の目はなかったはずです。
だからこそ入鹿を直接排除する必要が出てきたのでは、と思う訳です。
結局古人大兄も最後は吉野に出家し、山背大兄と同じ運命をたどりますよね。
この時代、継承争いに敗れると例外なく吉野に出家、です。
仮に古人大兄が即位したならば、中大兄も軽皇子もその運命では?
(壬申での大海人も同じです、ただし彼のみ巻き返しに成功してますが)
古人大兄が蘇我に支持されてて、中大兄が反蘇我で、
山背皇子は孤立してたんじゃないの?
241 :
名無し募集中。。。:05/02/01 16:25:05
別に蘇我氏を滅ぼすためでもあるまいに
蘇我氏って渡来系ですか?
244 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:56:03
大化の改新=袋田滝
だと消防の頃は思っていた
消防の頃、火事の話かな?と思ってた。
我が家でもこの前笑った。ミヒツのコイって、密室の恋と思っていたのがいた。
スレ汚しゴメン
247 :
日本@名無史さん:05/02/23 02:23:03
蘇我氏を滅ぼしたのと大化の改新は全然別だろ?
これって教科書での教え方に問題があるのか?