1 :
日本@名無史さん:
クーデター
韓人、鞍作を殺しつ。
3 :
日本@名無史さん:04/12/31 14:36:26
「むしころす」なんて表現は他ではつかいません
4 :
日本@名無史さん:04/12/31 14:59:21
NHKでドラマ化されるのか
5 :
日本@名無史さん:04/12/31 15:20:46
嘘に嘘を重ねるわけだ。。。
先日の「その時歴史が動いた」では蘇我入鹿暗殺の黒幕は皇極天皇と軽皇子であるという某大学教授の説をもとに製作されたわけだが
1月3日のドラマが楽しみだ。
7 :
日本@名無史さん:05/01/01 11:26:26
釈迦如来の出世の時の梵王・帝釈の如くにてこそあらまじなれども、物部と守屋とを失ひし故に、只一門になりて位もあがり、国をも知行し、一門も繁昌せし故に、高挙をなして崇峻天皇を失ひたてまつり、王子を多く殺し、
結句は太子の御子二十三人を馬子がまご(孫)入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇は中臣の鎌子が計いとして、教主釈尊を造り奉りてあながちに申せしかば、入鹿の臣並に父等の一族一時に滅びぬ。
8 :
日本@名無史さん:05/01/01 12:09:02
>>6 おいおい、遠山は教授どころか助教授ですらないぞw
9 :
日本@名無史さん:05/01/01 22:04:24
昔から否定説あるよね
「改新」はなかった
ただのクーデターだった
という内容だったと思う
10 :
日本@名無史さん:05/01/01 22:10:51
BSで『大化改新』始まったよ。
いきなり鎌足の祖父は、関東の埴輪にあるようなトンガリ帽被っているよ。
鎌足は祓えが出来るらしいよ。
11 :
日本@名無史さん:05/01/01 22:21:02
俺は大化の改新=クーデターだと思っていたけど・・・
12 :
日本@名無史さん:05/01/01 23:07:31
NHKドラマでは、皇極女帝が入鹿を唆して父エミシと山背大兄を撃たせようとした設定。
13 :
日本@名無史さん:05/01/01 23:55:57
別に君主(天皇)廃して、新たな王朝や革命政府樹立では
ないから、クーデターではないでしょ。
ただの朝廷内の内部闘争でしょ。
>>13 権力内部で起きているから、クーデターなんじゃないのか?
あなたのいうのは革命でしょ?
新たな王朝というのは元祖の革命である易姓革命が有名。
日本には革命の歴史はありません。
15 :
日本@名無史さん:05/01/02 03:30:41
16 :
昔、名無しありけり:05/01/02 03:47:29
聖徳太子こそ三国人
17 :
日本@名無史さん:05/01/03 15:01:33
仏法日本に立ちし事は、蘇我の宿祢と馬子との父子二人の故ぞかし。
釈迦如来の出世の時の梵王・帝釈の如くにてこそあらまじなれども、物部と守屋とを失ひし故に、只一門になりて位もあがり、国をも知行し、一門も繁昌せし故に、高挙をなして崇峻天皇を失ひたてまつり、王子を多く殺し、
結句は太子の御子二十三人を馬子がまご(孫)入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇は中臣の鎌子が計いとして、教主釈尊を造り奉りてあながちに申せしかば、入鹿の臣並に父等の一族一時に滅びぬ。
18 :
日本@名無史さん:05/01/03 15:28:30
まぁ、中臣も中大兄も女帝の駒にすぎなかったわけだが
蘇我入鹿という名前〜
プールで輪っぱをくぐりそう〜
いるかいないかいたんだよ〜
蘇我蝦夷の長男だ〜
大化の改新で首都になるのは、
何と大阪の難波長柄豊埼宮なんだね。
法円坂にある難波宮史跡公園のところだね。
23 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:19:57
『この法は諸法の中において最も殊勝(すぐ)れたり。
解り難く入り難し、周公孔子もなお知ること能(あた)わざりき。
この法は能(よ)く無量無辺福徳果報を生じ、すなわち無上菩提を成し辨(わきま)うるに至る。
譬(たと)えば、人の意に随う宝を懐きて用うべき所に随いて盡(ことごと)く情(こころ)のままなるが如し。
この妙法の宝もまた然(しか)なり。祈(もと)め願うこと情のままにして乏しき所なし 云々』
24 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:22:49
聖徳太子の時も感じたけど、
縄文顔の俳優の起用は、どうかと思う。
25 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:24:24
大君
26 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:50:03
大火勝新
27 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:50:45
勝新
太郎
28 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:56:02
なかなかそれっぽい考証じゃないか。
>>22 その遺跡は天武朝のものなのはほぼ確実だが、
孝徳朝のものと同じなのかどうかはわからなーい。
29 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:56:19
朝鮮出兵まだ〜
30 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:58:39
31 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:08:51
蹴鞠で出会うんじゃないの〜?
32 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:19:47
鎌足が反戦て、白村江はどう説明すんだyo
33 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:38:07
史実との整合性についてはさておき、なかなか面白かった。
どうせあの時代は学者の間でも電波説が飛び交ってるから、
最大公約数みたいな史実の枠をはみ出さないように脚本を書いても仕方ないもんね。
渡部篤郎の服装ポイントは、やっぱ赤なのね。
35 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:40:46
第 十 条
「忿(いかり)を断ち、瞋(いきどおり)を捨てて、人の違(たが)うを怒らざれ。
人皆心あり。心各執(と)れることあり。
彼是(ぜ)なれば我は非なり。我非なれば彼は是(ぜ)なり。
我必ず聖(さか)しきあらず。彼必ず愚(おろか)にあらず。
共に是れ凡夫ならくのみ。是非の理(ことわり)、誰(たれ)か能く定むべけん。
相共に賢(さか)しく愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。
是れを以て彼の人瞋(いきどお)ると雖(いえど)も、還りて我が失を恐れよ。
我独り得たりと雖(いえど)も衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
36 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:41:11
第 一 条
「和(やわらぐ)を以て貴しとす。忤(さか)うることなきを宗(むね)とす。
人皆党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。
是を以て或は君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里に違(たが)えり。
然も、上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
事理自(おのずか)らに通(かよ)う。
何のことか成らざらん。」
37 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:42:29
南淵請安が殺されてしまいました
38 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:45:18
39 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:51:20
仏法日本に立ちし事は、蘇我の宿祢と馬子との父子二人の故ぞかし。
釈迦如来の出世の時の梵王・帝釈の如くにてこそあらまじなれども、物部と守屋とを失ひし故に、只一門になりて位もあがり、国をも知行し、一門も繁昌せし故に、高挙をなして崇峻天皇を失ひたてまつり、王子を多く殺し、
結句は太子の御子二十三人を馬子がまご(孫)入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇は中臣の鎌子が計いとして、教主釈尊を造り奉りてあながちに申せしかば、入鹿の臣並に父等の一族一時に滅びぬ。
40 :
40 ◆DMVtSSFzcg :05/01/03 22:00:50
テスト
41 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:03:51
入鹿のめざしたものと鎌足のめざしたものとの間にどれほどの違いがあったのだろうか・・・
42 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:15:36
日本書紀、古事記の記述と合わせると石川麻呂の声が震えたシーンぐらいしか
ふふんと思わせるところはなかったな。
43 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:16:14
しかしえらい途中からはしょっていきなり
クーデーターで終わりか。
44 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:16:32
てすつ
45 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:17:43
ドラマの感想を10文字でまとめます
「礼子姐さんエロかった」
以上
46 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:18:09
で、このあと民衆はより苦しむ結果になって
またこんなはずじゃなかったと言うんだろうか。
47 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:24:36
何か少女マンガな感じだけど結構面白かった。
与志古タソ萌え。
48 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:27:59
>>22 これは古代史ドラマ第2弾であって、もともとは
JOBKの新社屋を建てる際に地下の遺跡を発掘
したとか、それを今も保存しているとかいうのが
発端で、新社屋完成記念に「聖徳太子」を制作し
たのが第1弾なんだよね。
だから丁度いいじゃん。
49 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:30:05
聖徳太子て実在の人物?
50 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:31:25
天智天皇のもとで、中央集権はさらに進んだわけだが
51 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:37:19
中大兄皇子は脇役っぽい設定だったな。
それにしても視聴率あげるために
今はやりの韓流ドラマみたいな三角関係まで
もちこんで、肝心の内容は薄っぺらかったなw
いきなりクーデターになってびっくりしたわw
52 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:38:32
53 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:40:40
聖徳太子って後世の人がつけた名前だろ。
死後20年足らずでもう聖徳太子って呼ばれてたのか?
54 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:41:06
あの衣装はやっぱ時代考証はちゃんとしてるの?
南渕ショウアンは政治家だろ。処刑されたのも政治的な理由のはず。スレ違いかもしれんが、詳しい椰子いる?
56 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:47:09
あのドラマ、門脇禎二と猪熊兼勝が時代考証やってるそうだ。
それに比べてストーリーはちょっとしょぼかったな・・・
57 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:47:48
ってかタイトルを「乙巳の変」にしろよって感じの内容だったんですが・・
あと蘇我入鹿って南淵請安に教えを受けてたわけでしょ。
大化の改新で重要な中央集権国家体制という視点ではもっと描かれていい人物だと思ってみたり。
内容おかしくね?「入鹿がわるいから殺す」って薄っぺらい内容にしか見えなかったんだが。
大化改新ってタイトルつけるなら政治情勢とか突っ込むべきじゃなかったか?
韓流ドラマ見るオバハンに程度をあわせたらこんなもんか?
これがNHKか?受信料返せよ。薄っぺらい内容なら民放でやればいいんだよ
俳優に美術セットにいっぱいお金かけましたねーwwwwwwwwwwwwwwwwww
入鹿がカコイイ
そんだけ。
俳優には金かけてないよ>NHK
おい古人大兄皇子が全く出てこないってのはどういうことよ?
>>56 考証したのは内容じゃなくて、着ている物とか建物とか。
62 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:56:36
ジャニーズ頼みのNHKはクソ
63 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:57:36
国捕り物語見たかった。
広島在住
○国盗り物語
65 :
日本@名無史さん:05/01/03 23:13:13
国盗り物語と大化改新、俳優が重なってるの多かったな。
広島じゃテレビ東京系は流れないから、見れなかったorz
土曜の昼間とかに流れる可能性も0じゃないが
伊武雅刀
>>63 そういうときに役に立つのがP2Pですぜ旦那
味噌車の圧力で再放送を潰されたN特なんかも手に入 オイ!何ヲスル止メ ウワッ
70 :
日本@名無史さん:05/01/04 02:25:01
一番違和感あったのは
入鹿の総髪。
なんで結髪じゃねえの?
くわしい人、解説お願いします
71 :
日本@名無史さん:05/01/04 02:41:11
百済語喋るわ漢語喋るわ
実際に外国語を喋っていたという記述あるの?
72 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:11:18
第三弾は「壬申の乱」だろうな。
だいたい察しがつく。
73 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:36:58
なんか友情・恋愛ドラマでおわっちゃってがっかり。
古人大兄が出てこないのもおかしいし、中大兄・鎌足・入鹿は3人ともショウアンの教え子のはず。
クーデターのシーンも佐伯氏の描写ないし、いまいちかな〜
74 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:37:29
>>71 きっと飛鳥時代は奈良・平安時代と違い
皆イケイケの国際人だったんだよ、通訳使要らずの。
けして脚本家が左巻でも、現在の韓ry・・・何とかの風潮で喋らしたわけではない。
75 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:42:07
人身の乱をドラマ化するのも良いが、また恋愛・友情ドラマに換骨奪胎させるのだけは困る。
時代劇に名を借りたトレンデードラマという批判とえんさが海老ジョンイル局に集中する可能性細川たかし。
76 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:46:18
俺としての
古代史のドラマ化の楽しみは
建物とか衣服、髪型、装飾品が
どうなってるかって点です。
77 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:50:59
冒頭の爺さんや目の周りにペイントした巫女とか
あれって六世紀の人物埴輪を参考にしてるよね?
まぁこの時代の衣装の資料が少ないから仕方なんだろうけど。
四天王寺が飛鳥寺になってたね。
79 :
日本@名無史さん:05/01/04 04:34:11
鎌足やったジャニタレは演義はマアマアだが滑舌が良くないね。
中大兄皇子やった奴はクソだったが
ヨン様はなんででてないの?
81 :
日本@名無史さん:05/01/04 07:37:38
日本、大嫌いだから。
てゆうか、サマつけるな。
82 :
日本@名無史さん:05/01/04 08:10:26
第 一 条
「和(やわらぐ)を以て貴しとす。忤(さか)うることなきを宗(むね)とす。
人皆党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。
是を以て或は君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里に違(たが)えり。
然も、上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
事理自(おのずか)らに通(かよ)う。
何のことか成らざらん。」
第 十 条
「忿(いかり)を断ち、瞋(いきどおり)を捨てて、人の違(たが)うを怒らざれ。
人皆心あり。心各執(と)れることあり。
彼是(ぜ)なれば我は非なり。我非なれば彼は是(ぜ)なり。
我必ず聖(さか)しきあらず。彼必ず愚(おろか)にあらず。
共に是れ凡夫ならくのみ。是非の理(ことわり)、誰(たれ)か能く定むべけん。
相共に賢(さか)しく愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。
是れを以て彼の人瞋(いきどお)ると雖(いえど)も、還りて我が失を恐れよ。
我独り得たりと雖(いえど)も衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
83 :
日本@名無史さん:05/01/04 08:15:36
乙巳の変、という言葉自体、日本史学以外の世界では流通度が低い。
ここはタイトルが大化の改新でも仕方ない。
暗殺のところで終わっても仕方ない。
古人大兄王が出てこないのも、普段、日本史に触れたことのない人
への配慮だろう。あまり本格的にやると、せっかく興味を示してく
れた初心者がチャンネルを切り替えてしまうよ。
ワケワカランとか言って。
俺達だって(小学生の頃)、一番最初にこの事件に興味を持った時
の知識ってそんなもんだったじゃないか。
ただ、南淵請安を初めから入鹿・鎌足の勉強シーンに登場させてい
ないのは、御伽噺としても違和感があったとは思う。
弟子の中でも、中大兄王は別枠でもごまかしはできるのだが(請安
が邸宅に招かれて講義していたということにすれば何とか)。
これ以上書くと日本史板の範疇から外れるので、やめておく。
ニダニダ言ってる香具師が居たのが気になった…
85 :
日本@名無史さん:05/01/04 10:41:27
初心者対象にしても説明不足だったぞ。
つまんない男女関係をなしにして政争を丁寧に描けばもっと詳しくやっても大丈夫だった。
86 :
日本@名無史さん:05/01/04 10:44:48
ぺ・ヨンジュンはうんこだから出てません
唐の使者が難波津に700名の軍勢とともに来たことになってたけどそんな事実あったのでしょうか?
年表見てもどこにも書いてなかったもので・・・
88 :
日本@名無史さん:05/01/04 12:51:25
第 一 条
「和(やわらぐ)を以て貴しとす。忤(さか)うることなきを宗(むね)とす。
人皆党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。
是を以て或は君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里に違(たが)えり。
然も、上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
事理自(おのずか)らに通(かよ)う。
何のことか成らざらん。」
第 十 条
「忿(いかり)を断ち、瞋(いきどおり)を捨てて、人の違(たが)うを怒らざれ。
人皆心あり。心各執(と)れることあり。
彼是(ぜ)なれば我は非なり。我非なれば彼は是(ぜ)なり。
我必ず聖(さか)しきあらず。彼必ず愚(おろか)にあらず。
共に是れ凡夫ならくのみ。是非の理(ことわり)、誰(たれ)か能く定むべけん。
相共に賢(さか)しく愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。
是れを以て彼の人瞋(いきどお)ると雖(いえど)も、還りて我が失を恐れよ。
我独り得たりと雖(いえど)も衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
89 :
日本@名無史さん:05/01/04 13:16:45
初心者向けというのは分かるが、それにしても内容が薄すぎ。
やはり史実に忠実なほうが分かりやすくなるはず。
それが時間内で描けないのは、構成力のなさじゃないのかなー。
「ゆとり教育」云々もあるが、あまりにも国民を幼稚扱いしすぎなんんじゃないか。
ちなみに私は小5の歴史で古人大兄は習ったぞ。
90 :
日本@名無史さん:05/01/04 15:26:15
>>71 >百済語喋るわ漢語喋るわ...
蘇我蝦夷配下で登場してた船恵尺の喋りは百済語だったのか。船史氏って
百済系だったっけ?
92 :
日本@名無史さん:05/01/04 16:34:13
>>89 歴史オタの尺度で推し量るべきではない。
そこいらのオバチャンやオネエチャンに「古人大兄」なんていっても、ハァ?だから。
93 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:24:29
広葉樹林を意識した撮影場所とか、それなりに苦労して古代を表現してるよ。
>>71 >百済語喋るわ漢語喋るわ
>実際に外国語を喋っていたという記述あるの?
分からんが、この当時、日本語はまだなかったんじゃないの?
当時、百済人とは通訳なしで話してたらしいけど。
95 :
日本@名無史さん:05/01/04 19:37:13
あるよ。
当時の日本語は支那語や百済語とは異なる。
古代の朝鮮半島は長年に渡って倭人の勢力圏だから、百済人が倭国の言葉を話せるくらいは当たり前。
96 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:14:23
あのメロドラマみたいな三角関係の描写は、入鹿と鎌足の親密さを強調する為に必要な演出なんだよ。
鎌足は親友と幼馴染の二人の幸せを考えてお膳立てを整えてやり、
入鹿は恋敵が親友の鎌足であると知ったら即座に身を引く。
鎌足と入鹿が、身分を越えて真の親友である事を象徴する演出となっている。
損得勘定を越えて結ばれていたその二人の親友同士が、天下国家の為に決裂するという事が悲劇として描かれているのだ。
97 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:26:28
だからこそ、その天下国家の状況を緻密に描いて欲しかったんだよな。
3時間じゃ厳しいだろうけど。
>>95 倭人の言語はあっただろうけど、現在に繋がる日本語はなかったと思われる。
日本語は七世紀に造られたものだと思う。
百済語か新羅語の文法を基礎にして単語をすべて倭語に置き換えたりなんかして
人工的に作った言語だと思う。
99 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:40:14
>>98 でもその古代朝鮮語ってのの文献資料はあるの?
101 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:01:05
>>98 関ヶ原以来、薩摩が故意に訛りを強化したという説みたいな電波だな。
わざわざ言葉を人工的に切り替えるなんて、どうやるんだよ?
昔ながらの言葉を使ってる者を処罰するような政策を続けない限り無理な筈だが、そんな痕跡があるのかね?
102 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:03:39
>>101 万葉集が朝鮮語で読めるというのと同じ類の電波とおもわれ。
103 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:11:08
北九州の地名が半島の言葉で読めるともきいたぞ。
背振(セフリ)とか鳥栖(トス)とか・・・。
ちなみに奈良(ナラ)は半島の言葉で町って意味らしいね。
104 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:13:30
入鹿が死ぬ時、もう後戻り出来ぬぞ、って言葉には少し感慨を覚えた。
その後の藤原氏の隆盛を見れば、強い権力者がいることで国家は平安を
保つ。それ故権力者は必ず血みどろの政争に勝たねばならない。
悲哀を感じた。
105 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:16:12
高島礼子とオマンコしたい。
106 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:17:01
女帝の奴隷になって性奉仕したいです。
107 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:17:19
ソウルの語源が統べると同じという話を耳にした事があるな。
もしもそうなら、古代朝鮮語というのは昔の日本語という事だろ。
108 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:17:24
>>105 おまえの言葉がこのスレで一番説得力あるわ。
109 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:25:01
昔、アナウンサーの田丸美寿々が
蘇我倉山田石川麻呂のことを、
「そがのくら・やまだ・の・いしかわまろ」と読んで無知ぶりをテレビで曝け出したことを思い出した。
背振と鳥栖にはちゃんと由来があります。
しかも鳥栖は近代からの地名であり、そなたが聞いたのは全くのデマ。
ちなみに漏れ地元民
>103へのレスですた
113 :
日本@名無史さん:05/01/04 23:57:41
>>109 漏れが子どものころは学術書にも「そがのくらやまだのいしかわまろ」て書いてあったよ。
30年位前かなあ。田丸美寿々はしょせん素人なんだから勘弁してやれや。
114 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:51:24
古代朝鮮半島は倭人の勢力圏なのだから、百済語や新羅語は倭人の言葉から生じた方言である可能性が大きい。
しかし倭人の言葉を現代にまで伝えているのは現代日本語だけとなり、百済語や新羅語は文献等が極度に少なくて研究不可能の状態。
白村江以降、倭人の政権は朝鮮半島から撤退したので、その後の朝鮮半島は女真族や漢族などの流入に伴って言語も日本語からかけ離れていった。
奈良と同じ発音の単語が現代朝鮮語でどのような意味を持つにせよ、それは古代において倭人から伝えられた言葉の名残であったのでなければ単なる偶然だ。
115 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:54:43
>>109>>113 正しくは?しばらく離れているとこんがらがって分からんようになった。
「そがのくらのやまだのいしかわのまろ」か?
>114
漢字音等を見ると日本の方が自らかけ離れて行ったとしか思えんが。
117 :
日本@名無史さん:05/01/05 01:46:56
現代日本語における漢字の扱いは、音読みと訓読みに大別される事くらいは知ってるよな?
音読みというのは日本に伝わった当時の発音が比較的忠実に伝えられているものであり、現代支那語以上に古代支那語に近い。
何故それが分かるのかというと、客家語の発音と日本語の音読みが酷似しているからだ。
客家語というのは宋代までの中原での発音が現代に到るまであまり変化する事無く受け継がれているが、その発音が日本語に酷似している。
それ以降の支那ではモンゴルや満州からの流入が漢字の発音にも大きな影響を与え、古代支那語とは大きく異なるようになった。
現代朝鮮語の発音が現代支那語に比較的近いのは、朝鮮が支那同様にモンゴルや満州の影響を受けたからに他ならない。
118 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:05:25
日本語の漢字発音の方が正統派という事だね。
中国・朝鮮 王(わん)
日本旧仮名 王(わう)
現代語 王(おう)
というような事を言いたかったのだが。
120 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:28:24
客家人の先祖というのは、唐、宋の時代に首都が置かれた中原地方の貴族階級が主体だ。
満州人の先祖である女真人やモンゴル人による侵攻が度重なるにつれて中原から離れ、南方に逃げ延びて独自の文化を守り続ける血族集団として現代に至る。
歴史的には日本と殆ど交流がなかった客家集団の言語が日本語の漢字発音に酷似しているのは、日本語が唐、宋代の中原地方の発音を守り続けている証拠だ。
しかし、支那ではしばしば異民族の大量移住が発生しているので、唐、宋代の発音が正統派と言えるかどうかは疑問だ。
隋や唐は鮮卑人の政権だし、それ以前の五胡十六国や五代十国時代にも様々な異民族が入れ替わり立ち代り支那に流入している。
三国時代の終わりには特に人口減少が著しく、前漢末に6000万人いた漢人が4〜500万人程度になっている。
この時には特に魏の支配圏での人口が絶滅状態となり、北方の匈奴からの移民を奨励している。
それ以前には秦が支那を統一して戦国時代を終わらせたが、秦とはもともと中央アジア系の文化を持っていた民族であり、
始皇帝による統一以前の支那語をどれ程変えてしまったのかもよく分からない。
121 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:31:13
現代北京語 呉(ウー)
現代朝鮮語 呉(オ)
客家語 呉(ゴー)
日本語 呉(ゴ、くれ)
日本 イチ・ニー・サン
客家 イッ・ニー・サーム
韓国 イル・イー・サム
どっこいどっこいじゃん。
123 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:36:24
日本語の2は「にー」じゃなくて、「に」だ。
客家語の数詞は現代朝鮮語よりも日本語に近い。
4以降を比較すれば明白だ。
124 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:39:14
∧_∧
<`∀´>ニダ!!
125 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:43:00
(漢字音) 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
北京語 イー アル サン スー ウー リュー チー パー チュー シー
広東語 ヤット イー サム セー ウン ロック チャッ パ カウ サップ
客家語 イッ ニー サーム シー ウン ロック チット パット キィゥー サップ
朝鮮語 イル イ サム サ オ ノク チル パル ク ジプ
日本語 イチ ニ サン シ ゴ ロク シチ ハチ キュー(ク) ジュー
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-60.html
匈奴(フンヌ)
朝鮮 ヒュンノ
日本 キョウド
客家語では?
127 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:45:49
(漢字訓) 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
朝鮮語 ハナ トゥル セッ ネッ タソッ ヨソッ イルゴプ ヨドル アホプ ヨル
日本語 ひ(ぴ) ふ(ぷ) み よ いつ む なな や ここ と(そ)
128 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:49:05
手元に客家語辞典が無いから匈奴の読みは分からん。
>125 朝鮮語で6はユクかリュク10はシプだよ。
130 :
日本@名無史さん:05/01/05 02:52:14
現代朝鮮語でも発音は地方差が大きいからな。
有名なのがミサイル名にもなったノドンだが、これは南朝鮮の訛りで北朝鮮ではロドンとなる。
6をノク、10をジプなどと読む奴はイナカでも見たことねーよ。
132 :
日本@名無史さん:05/01/05 03:01:21
すると、お前が知らない地方なのかもな。
朝鮮語のS(シオッ)音は絶対に濁りませんが。
134 :
日本@名無史さん:05/01/05 03:09:19
1 il,hana 2 i,tul 3 sam,set 4 sa,net
5 o,daseot 6 ryug,yeoseot 7 chil,ilgob 8 pal,yeodeol
9 gu, ahob 10 sib,yeol
だってさ。
でも朝鮮語のアルファベット表記は日本人の感覚とは異なるから良く分からん。
135 :
日本@名無史さん:05/01/05 03:14:16
漢字とは無関係に発生した訓読みで数詞を比較すれば、日本語と現代朝鮮語はまったく無関係だと言える。
現代朝鮮語での「ナラ」がどんな意味であろうと、日本語由来でなければ単なる偶然だよ。
「まったく無関係」と思うのは現実逃避だねぇ。
1のハナは日本語になってるし。
6のヨソッは隣の手っつー意味で「よそ、よこ」に通じるし。
10のヨルは全部っつー意味でよろづのよろと関係あると思うが。
>135
ついでに楢の木のナラの語源を語ると、半島の森をハゲ山にしてしまった製鉄業者が
燃料を求めて列島に渡り「おらが国で使ってたのと同じ木だ」っつー意味でナラの木になったと思うが。
138 :
日本@名無史さん:05/01/05 07:56:36
現実逃避?
日本語で最初という意味を持つ場合もあるハナという単語が朝鮮語で数詞になった可能性ならありうるよ。
だが、数詞というのは本来極めて変化し難い単語だ。
朝鮮半島で1を意味する数詞は、日本に入ってきてない。
日本→朝鮮ならありうるが、朝鮮→日本とは考えられない。
6のヨソッってのも、日本語の意味が朝鮮で数詞化した可能性は否定しないが、日本語で6という数詞が他所、横を意味する根拠が無い。
10のヨルも同じ。もしもヨロズのヨルなら日本語の意味が朝鮮に伝わって数詞化しただけ。
奈良の語源についても、均すという意味で平地を指したというのが最も支持されている。
わざわざ楢の木をあの地に限って地名にする必然性が全く無いのでは、屁理屈にしか聞こえないね。
139 :
日本@名無史さん:05/01/05 08:02:33
朝鮮人にはたまたま日本語と似た単語が朝鮮語に存在する場合、無検証で朝鮮起源の単語だと思い込む習性がある
その際、因果関係とか時系列は黙殺される。もしくは忘却される。
俺は「朝鮮起源だ」ではなく「関係あると思う」と書いてんだけどね。
奈良はともかく、楢の木のナラの語源を、あなただったらどう説明しますか?
ヌン(目)ムル(水)→ナ・ミズ→ナミダ
ピッ(光線)カル(色彩)→ヒカリ
クレ(そう)ド(でも)→ケレド
日本語では最初からそうなってるというだけですが。
日本人と共通のDNA因子が認められる割合。
コーカソイド 四十数%
中国南方 四十数%
インドネシア諸島 五%
中国東北部・朝鮮 三〜四%
氷河期においても朝鮮半島と日本列島が地続きになった事実は無く、
コーカソイドの流入は氷河期に大陸と地続きであった北海道からであった。
昔の研究者は、自分達の研究成果が全て否定されるので(ry
143 :
日本@名無史さん:05/01/05 13:19:54
>>95 >古代の朝鮮半島は長年に渡って倭人の勢力圏
まじ?
144 :
日本@名無史さん:05/01/05 13:28:09
146 :
日本@名無史さん:05/01/05 21:22:42
大化改新のスレだよね?
一瞬、間違えたかと思ったよw
>147
まったくだな。
例え関わりがあっても、真面目なスレにしたかったら、
半島ネタはご法度ってことでしょう
149 :
日本@名無史さん:05/01/05 23:58:37
>>147-148 事の発端は先日放映された、NHKドラマ「大化の改新」の中での船史恵尺の・・・
そろそろ、別の視点から語りませうか
NHKが中身の無いドラマ放送したのがそもそもの…
151 :
ここで遠山美都男が一言:05/01/06 11:56:00
↓
遠山美都男です。
「もっと軽皇子を暗躍させろ!」
最近のNHKは半島に媚すぎだな。
155 :
日本@名無史さん:05/01/16 00:56:45
NHKのドラマって「大化の改新」じゃなくて「大化改新」なんだね。
つまり、別物っていう解釈をすればいいのかな?
御伽草子と、アニメ「お伽草子」みたいな。
156 :
日本@名無史さん:05/01/16 01:04:24
朝鮮人の方が日本人よりもチビだよ。
朝鮮人は日本との身長差を比較する際、、何故かいつも栄養状態が劣悪な北朝鮮でのデータを加算し忘れてるみたいだが。
157 :
日本@名無史さん:05/01/16 11:13:15
>>155 辞書で「たいかのかいしん」って引いてみろ。
>155
おまい、「なかとみのかまたり」って漢字で書いてみれ
159 :
155:05/01/16 18:23:26
>>157 「たいかのかいしん」をgoo辞書で調べましたが「大化の改新」と出ました。
>>158 「なかとみのかまたり」はgoo辞書、MS-IME変換ともに「中臣鎌足」ですね。
でも「たいかのかいしん」はgoo辞書、MS-IME変換ともに「大化の改新」でしたよ。
160 :
日本@名無史さん:05/01/16 22:00:33
聖徳太子の次は大化の改新か・・・
んじゃ来年のNHK古代史ドラマは聖武天皇の大仏建立ですな(w
162 :
日本@名無史さん:05/01/17 12:35:25
>159
正直救えないんじゃなかろうか?
ひらがなっていつ出来た代物なんだ?
163 :
日本@名無史さん:05/01/17 15:13:14
中臣は、
「なかつおみ」とも読める、また本拠地とされた生駒山西麓の牧岡神社付近は
ナガ(ナカ)スネヒコが神武を迎え撃った伝承の地でもある、
さらに奈良県側には鳥見・富雄の地名がある。
中臣氏はなにもの?
164 :
日本@名無史さん:05/01/17 20:22:44
>>163 「ナカトミ」の「ト」はその「ツオ」がつづまったものなので、「トミ」とは関係ないと思う
165 :
日本@名無史さん:05/01/17 20:23:46
166 :
155:05/01/17 20:51:50
>>162 ひらがなは平安時代に出来たと思ってます。
古代書ある中臣鎌足は現代語で「中臣鎌足」と書き
「なかとみのかまたり」のように書きには存在しない「の」を間に入れて読みます。
でも大化改新は現代語で「大化の改新」と書き(goo辞書、MS-IME変換、教科書)
普通に「たいかのかいしん」と読みます。
となると、大化改新に対してわざわざ「の」を付け足して「大化の改新」と書くのであれば、
その「の」に意味があると思っても不思議ではないと思います。
そしてNHKのドラマでは、あえて付けた「の」をさらにあえて外しているます。
そこで、NHKドラマは恋愛友情モノであり「大化の改新」としての出来事は
オマケ程度のようなものなので、それが「の」を外した意味だと捉え
御伽草子とお伽草子のようなものと解釈したわけです。
要は、NHKのドラマってダメダメだったねってこと言いたかっただけなんですけどね。
167 :
日本@名無史さん:05/01/17 20:58:59
「大化改新」って書いてたいかのかいしんって読むんだろ?わざわざ「の」って書くのは戦後になってからじゃね?
ナカツォミ?
nakatuomi
↓ uが脱落
nakatomi
170 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:23:42
連のナカツオミって?
171 :
日本@名無史さん:05/01/18 00:24:22
大臣→オオオミ
内臣→ウチツオミ
であるからして、「臣」はやはり「オミ」と読むのが自然か…
中臣→ナカツオミ→ナカツォミ→ナカトミ
なんだろう。
では豊臣も正しくはトヨツオミって事か???
豊臣も氏は藤原だし、なんか因縁めいたものを感じなくもないな。
>>171 豊臣は豊臣という姓で藤原ではない。秀吉が藤原の養子になってたことはあるけど。
>>170 臣は臣下の意味で、カバネではないんじゃないか?
174 :
日本@名無史さん:05/01/18 14:34:34
>>172 そっか、勘違いスマソ
調べてみたら
○平朝臣織田信長
○源朝臣徳川家康
×藤原朝臣豊臣秀吉
だと思とったが
○豊臣朝臣羽柴秀吉
だった。
よって、豊臣はカバネでした。
>>173 この頃の臣はカバネでしょ。
オミ、ムラジ、ミヤツコ、アタイなど。
>>174 じゃあ、なんで「中連」じゃなくて「中臣連」になったわけ?
>>175 「中臣」が「氏」、「連」が「姓」でしょ。
単に中臣は今で言う苗字(実際は違うが)と解釈すればいいんでは?
>>176 中臣と名乗るようになった由来とか伝わってるの?
「ナカトミ」という発音が先にあって、臣(オミorトミ)という漢字を当てたのでは。
>>177 そうかもしれないが、漢字伝来が先か「中臣」氏の誕生が先かは
本当のところわからない。
天皇が歴史に登場したときにはすでに中臣氏は家臣だし。
あくまで推察に過ぎないけれど、オミは主に政治を司る(のちの)姓だから
大化の時代と違って神事=政治だった頃は神官の役割が重要だったという
ことから「中」つ「臣」と氏を賜ったのかも。
氏、姓の概念が無い頃、右行くか左行くかを卜いで判断する役割としてね。
但し天皇家譜代の家臣の最高位は連姓で、臣姓では無いことから中臣氏も
後に連を賜った…
とかね、くどいようだがあくまで推察。(妄想か?)
>>172 >>174 豊臣ノ(氏)朝臣(姓)羽柴(名字)籐吉郎(名)秀吉(諱)
が正しいと思われ。
但し名字は平安後期に武士階級が半ば勝手に名乗りだしたものだから、鎌足のバヤイは
中臣ノ(氏)連(姓)鎌足(名)
のち
藤原ノ(氏)朝臣(姓)鎌足(名)
てことになる。
名字はいわゆる「家」で、氏は「血族」の呼称だから、例えば…
「北条家」は平氏だが平家ではない、「足利家」は源氏だが源家ではない、てな感じかな。
NHKの『大化改心』をご覧になった方なら、
数年前の『聖徳太子』もご覧になったとみて質問します。
用明天皇(近藤正臣)の即位式の時に中臣勝海(海部剛史)が祝詞の様なもの
を奏上しますが、あれは何だったのでしょうか?
「アキツミカミとオオヤシマクニしろしめす、
オオキミのみ前に天つ神のヨゴト称えゴトをさだめまつらんともぉ〜す〜。
タカマガハラにかむづまります、すめむつカムロギカムロミのみこともちて、
やおよろずのカミたちをつどいたまいて、・・・・・タカマガハラにことよさしたまいて、
トヨアシハラミズホノクニをたいらけくしろしめして、
アマツヒツギのアマツタカミクラにましまして、アマツミケのナガミケのコミケと・・・・・」
と、そんな言葉をうやうやしく天皇に奏上しているのですが。
181 :
日本@名無史さん:05/01/19 21:18:08
>>181 おお〜っ、早速にもかたじけなや勿体なや、有難うございまする〜っ。
正月にやってた大化の改新は糞
後味悪すぎ
ま、今のテレビドラマならあの程度が限界でしょ。
大化の改新とは、公地公民に代表される大王中心の中央集権
国家への変革のことを通常、指すでしょう?
あのドラマは改新を行うために障害となる蘇我本宗家を滅ぼす
「準備段階」の話のみ。
なので、あの内容で「大化の改新」という題名はおかしい。
ラブストーリーを否定するわけではないが、そんな時間があるなら
中大兄と鎌足が信頼関係を築いていく過程をもっと描くべき。
そこら辺が薄っぺらな内容に感じた最大の原因かと。
あれを観た小中学生が大化の改新を誤解してしまわないか心配。
個人的に古代は好きなので、ドラマになるのは嬉しい限りだが
あれなら年末にやってた「その時歴史は動いた」(黒幕軽皇子)
の45分の方がずっと内容が濃かったように思う。
タイトルが、
「大化の改新、前夜」
とかだったら良かったってことかね?
>>186 あの内容ならそのタイトルで相応しいと思うが。
または「鎌足と入鹿 〜大化の改新への道標」とか。
でも言いたいのはタイトル云々じゃなくって、物語って起承転結が基本
なのに「起承転」で終わっちゃってるってこと。
だってさ、もともと改新ありきでの入鹿暗殺だよ。
三韓朝献の大舞台で(たとえダミーだとしても)、しかも大王の眼前で
時の最高権力者を亡き者にしようって言うには、動機や中身があれでは
いかにも薄っぺらすぎる。
中大兄と鎌足が、強固な意志をもって改新の成功を強く心に誓いあい
クーデターの後、見事に国を変革させるって所までキチンと描かなきゃ
歴史ドラマとしての意味が全く無いって言いたい罠。
:けっきょくドラマでは、好戦派の独裁者をぬっ殺せってのが、行動の動機?
そう思うよ、ドラマ見た人は。
たぶん古代においては、朝政の場を血で汚すなんて大逆にも匹敵する行為だよ。
皇極女帝の面目まる潰れじゃん。実の子とはいえ、倫理的に許されんと思うよ。
中大兄がまず皇位を継いでから、臣下の入鹿を退けて、
謀反を企てれば兵を挙げて撃つというのが、王道ではないか?
>188
確かに動機そのものへの批判は倫理的には理解できますが、
史実では暗殺が成立してしまってますので、
その状況にケチつけても今更しょうがないことかと・・・・
入鹿は確かに帝の臣下だが、国への影響力は
入鹿>>>>>>>>>>山背大兄>>皇極帝 ぐらいでは?
蘇我家がある限り、中大兄の即位は未来永劫有り得ない。
それどころか山背大兄のように殺されてしまう危険すら…
誰を即位させるかは、入鹿の方針ひとつで決定されるんだから…
それなら皇極帝をあらかじめ取り込み、入鹿討伐の勅命を出してもらった方が
はるかに手っ取り早いはず。
でもそんな動きがあればすぐにでも帝のすげ替えを行なうか、崇峻帝のように
暗殺してしまうだろうね。
大体、ほとんどの軍も兵も牛耳ってるのは入鹿なんだから。
つまり、あの時点ではまず入鹿そのものを何とかしないと、どうにもならないって事。
入鹿暗殺以外に政権を獲れる可能性はゼロに思えるのだが。
主観的分析スマソ
>>190 あの頃の朝廷軍って、物部(既に滅んだが)とか巨勢とかの軍事担当氏族による
言わば私軍に発動を命じているのであって、完全にコントロール可能なものではなかった。
大和朝廷そのものが豪族連合の性格を残してる時代な訳で、
大王よりも蘇我のようなリーダー的な家が豪族を仕切ることだってありえた。
だからこそ律令国家への改造が急務だったんだね。わかる気がするな。
だから、遠山氏の軽皇子黒幕説には凄まじく説得力がある。
中央集権の律令制度を20歳そこそこの中大兄が自ら考え、しかも暗殺の
実行役になるなど、どう考えても不自然だ。
一般的には全て鎌足が仕組んだように思われているが、本来あの時点で
政治的には全くノーマークの人物のはず。
例え本当に入鹿と仲のいい学友だったとしても、だ。
しかも鎌足も実行役だし。
入鹿を暗殺し、天皇の権威を復活させ、来るべき半島での権益争いや
唐の脅威に備えるため国の方針を天皇中心に一本化しようと軽皇子が
決心し、中大兄と鎌足、石川麻呂らを動かしたのだと考えると本当に自然。
あのドラマでは軽皇子はアフォみたいな役だったが、次の孝徳帝は彼だしね。
第一あのくらいの大物がバックにいなけりゃ、中大兄や鎌足のような
下っ端がそんな簡単に時の最高権力者をハメれるはずないだろう。
補足
その為には山背大兄も邪魔だったので入鹿を使い真っ先に…
そう考えると孔明真っ青の計略家だわな〜。
ドラマでは女の大王の方が狡賢く描かれてた気がする
あの辺が気に入らなかったのだが
>>194 禿同
NHKの創る歴史ドラマっちゅう観点から見れば無茶苦茶。
まだ前の聖徳太子の方がずいぶんマシだった…
軽皇子がそれほどの謀略を仕掛けられた背景(支持勢力とか)は
どう描かれていたのでしょう?
私ドラマ見てないもので。
軽皇子ってそれほど単独で勢力を持っていた皇族だったのでしょうか。
197 :
日本@名無史さん:05/01/27 02:53:19
孝徳はなんで難波に遷都したんだろう。あっちに基盤を持ってたのかな?
孝徳はただ、かつがれただけだろ。あんなドキュンが謀略の首謀者なんてありえんよw
199 :
日本@名無史さん:05/01/27 10:05:23
だいたい誰が孝徳の陰謀説を唱えてるの?
>>196 >>199 「ドラマでは」軽皇子はかなりドキュソな役割でした。
軽皇子陰謀説はあくまで学習院の遠山氏の学説です。
>>197 そのとおり、軽皇子の基盤はもともとそのあたり。
当時は即位すれば地元へ遷都するのはごく自然なこと。
>>198 >あんなドキュン
あんた、軽皇子に会ったことでも有るような言い方ですな。
どの部分をとらえてのドキュン扱いなのか言ってミソ。
まさかドラマを鵜呑みにした訳じゃ(ワラ
確かに軽皇子と中大兄、鎌足は互いに利用しあっていただけかも
しれないが、あの時点で利害関係が見事に一致していたのは事実。
198のかつがれ説も否定はできないが、首謀者説も十分ありえる。
いずれにせよ事件とカナリ深く関わっていたことだけは間違いない
でしょうな。
>いずれにせよ事件とカナリ深く関わっていたことだけは間違いないでしょうな。
当たり前だろ。少なくともかつがれてはいるんだから。
もう少し中身のあること言えよ。
202 :
日本@名無史さん:05/01/27 15:08:52
ところで、鎌足は、常陸の中臣氏出身でいいのかな?
203 :
日本@名無史さん:05/01/27 16:11:03
>>203 中身を考えてないのはアンタでは?
192で既に中身は言ってある。
早くドキュ扱いの理由を述べてくだされ。
>>202 203の言うとおり、前半生は不明だけれど朝廷成立以来の家臣(神官)
な訳だから、やっぱり大和近辺の出身と考えた方が自然かと。
但し垂仁紀には中臣氏の祖先が陸奥出身だったという記述はあるようです。
206 :
日本@名無史さん:05/01/27 19:23:53
不比等がタケミカヅチとフツヌシを祀ってるからねえ。
鎌足は多氏だったのかも知れない。不比等は鎌足の子ではないかも知れんが。
だとすると、占部氏をとりこんだのはいつ頃なのか?
そもそも昔は多系と占部系は別々に扱われていたのか?
207 :
日本@名無史さん:05/01/27 23:04:45
>>206 卜部家は中臣から出たことになってるんだっけ
鎌足は百済王子。
カマもタリも朝鮮語。
209 :
日本@名無史さん:05/01/28 00:21:00
>>208 デムパキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
鎌足は百済王子の扶余豊と共通点が多いのは偶然でしょうか。
韓人、鞍作を殺しつ。
212 :
日本@名無史さん:05/01/28 01:54:04
余豊璋説キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
韓人ってだれ?
>>210 あのなー、共通点ったって大織冠位の件くらいだろう?
「多い」ってさ、他に何がある?
「韓人、鞍作を殺しつ」もさ、古人大兄の「言ったとされる」言葉だよ。
乙巳の変の状況で、「中大兄と鎌足が殺りました」とかって
蘇我直系の皇子が言えるか?
しかも最初に斬りかかったのは中大兄だろ。
鎌足は弓だから(間合いが大きい)現場では目立っていない可能性も高い。
なら、百歩譲っても「韓人」に当たるのは中大兄としか読めん!
(もちろん皇子が韓人などありえないがナ)
それに場は三韓朝献の席なんだから、韓人の責任に転化するのが最も安全
だったという見方もある。(乙巳の変、最大の謎でもあるけれど)
なにより決定的なのは、中臣氏は神官の家系だってこと。
僧侶なら立派に勤まると思うけど…
渡来人に神官が勤まる訳ないだろ!!
鎌足が死ぬ前に「軍国の役に立てず…」と言っているのは何のことでしょうか。
216 :
日本@名無史さん:05/01/28 07:50:32
>>214 だよね。
それに、暗殺者側は偽装して潜伏していたというような、描写もアリマス。
217 :
日本@名無史さん:05/01/28 10:03:25
>>216 中大兄と鎌足が韓人に偽装して朝献の席に潜り込んでた可能性もあるのかな?
218 :
日本@名無史さん:05/01/28 10:04:42
中大兄、鎌足なんて乙巳の変の時はただの鉄砲玉みたいなもんだろ
>>219 いや、本来の鉄砲玉は網田と子麻呂だよ。
しくじった時の為に鎌足が弓で構えてたのだろう。
もともと中大兄は、事の正当性を母親でもある皇極帝に説明する役割があったはず。
成功しても命がないかも知れないのは網田と子麻呂。
失敗すれば命が無いのは中大兄と鎌足も含む。
首謀者は何とか生き延び、次の機会を狙うことを事前に仕組んでいるはずだから
あの場で一番目立っていなくて、一番得をする人物である軽皇子。
中大兄と鎌足は、さしずめ中間管理職的立場でしょう。
暗殺が失敗して、現場にいた人間が口封じのため
全員死んだとして、次の機会などあったのかな?
逆に考えて、中大兄がクーデターに参加したのはなんででしょう。
しかも、結構危険が伴いそうな役目で。
軽皇子(孝徳)の次の皇位を確実に狙うため?
古人大兄のほうが皇位継承争いで有利だったとしても
中大兄がばくちを打たなくても、古人の次に即位出来なかったのかな?
年も若いし、蘇我本家のライバルとなる有力な支援者もいなさそうだから、
排除されるような立場ではないような気がします。
>>221 やはり古人大兄が即位してしまうと、流れを戻すのは容易でなくなると思う。
そうなれば中大兄にしても軽皇子にしても吉野あたりに出家し、結果山背大兄と
同じ道を辿らざるを得なくなるだろうね。
次の機会としては…やはり壬申の時、大海人が採った方法しかないかも…
223 :
日本@名無史さん:05/01/29 11:08:33
この前鉄板の「京浜東北線スレッド」を見ていて(沿線に住んでるもので)、
偶然リンク先を開いたら、何とイラクでの日本人人質殺害映像!ショックでした。
で、あれを見てすぐに連想したのは「大化の改新」でした。
入鹿も首チョンパでしたし、今も首塚あるし。
生々しく大化の改新の恐ろしい現場を実感した次第です。
>>223 入鹿は首チョンパではない。
例の絵巻は室町時代に描かれたもので事実そのままの描写ではないし、書紀にもそんな
記述は無い。
確かに恐ろしい現場だったのだろうけど、権力争いなど今も昔もそんなモノだし、
もっともっと凄惨な場面なら歴史上いくらでもある。
なにより殺る方も殺られる方も一歩間違えば逆転するという、お互いまさに命がけ
の行動で、決して一方的なものではない。
時代背景や様々な事情を無視して、人質殺害と乙巳の変を結び付けてしまうのは
あまりに短絡的と思うのだが。
と、一応釣られてみるw
>>214 言い過ぎだったことは認めます。
断言は出来ませんね。
210があまりにDQNだったもので、つい…
他にも中大兄は2人いて、一人が葛城皇子、もう一人が余豊璋だったって説
とかもあるのは勿論承知しています。
しかし、簡単に「だれそれは渡来人」と言ってしまう風潮にどうしても「ハァ?」
となるのも事実です。
日本の歴史を考える上でそれを簡単に持ち出すと収集がつかなくなります。
いくら他国の王子が日本に来ていたとはいえ、所詮属国からの人質です。
政権の中枢に入り込んでどうこう、というのは根本的におかしいのでは?
↑のスレもひととおり目を通しましたが皆記紀を無視しすぎで、想像だけに
走っている物が殆どのように感じました。
個人的には中大兄=渡来人はまず無いと思っています。
227 :
入鹿:05/01/29 17:37:38
ガマタリザーン!
ナゼェ!ナゼェ、イルンデズ!
ハァハァ
オンドゥルラギッタンディスカー!
ウエェァ
228 :
日本@名無史さん:05/01/29 19:39:02
入鹿キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
日本書紀で、余豊が三輪山に蜜蜂を繁殖させようとして失敗したという記事の後に、
いきなり鎌足が神祇官に任命されたなどとして登場するのは偶然でしょうか。
偶然です。
最近は古事記でも三輪山の神の話の後に大歳神の系譜があるってんで、
二つの神を同一視する連中まで存在するんだよな。
ついていけないよ…
>>222 うーん、中大兄が古人大兄政権から排除される要因がいまいちよくわかりません。
それほど危険視されるほど、名望なり勢力があったのなら
本人がクーデターの中間管理職などやらなくてもいいような。
逆にいえば、クーデター当時は天皇の嫡子ということだけで大兄になったという
程度の立場だったのでは。
古人政権が出来て、後継者(古人の息子とか)が順調に成長したら、
皇位の目はない代わりに排除されるほどの力もない気がします。
232 :
日本@名無史さん:05/01/30 13:43:44
>>224 >>入鹿は首チョンパではない。
じゃあどうやって殺害されたの?
じゃあ首塚の首は殺害後に斬られたの?
>>231 中大兄はバリバリの舒明、皇極系後継者ですよね。
両親とも大王位に就いていたわけですから。
当時は危険人物視されていないにせよ、そのうち排除の対象にされるのは明白。
後の有馬皇子の悲劇を見ても判るように、時代は殺るか殺られるか。
だからこそ数少ない蘇我打倒のチャンスを逃す訳にはいかなかった。
その上で、皇極系軽皇子の理想とする中央集権体制と蘇我系豪族支配体制のどちらに
付くかの選択を迫られれば、迷う余地など無いのではないでしょうか。
無論そこに導くまでには、鎌足の策略が大きく影響した事は言うまでもないでしょう。
>>232 まず、飛び出した中大兄に頭から肩にかけて斬られ、子麻呂に足を斬られた。
そこで入鹿は何故自分が斬られなければならないかの理由を問う。
中大兄は入鹿が大王家転覆を狙う大罪人だと皇極に説明。
皇極は何も言わず立ち去ってしまう。
その直後、入鹿は子麻呂と網田にとどめを刺され、その遺体にはムシロをかけられ
雨降る中、中庭に放置された。
その後、遺体はそのまま蝦夷のもとに送られたため、蘇我邸では弔い合戦の準備が
進められたが、巨勢徳陀の説得により主力の漢直らが降伏。
ここまでと悟った蝦夷は館に火を放ち自害。
翌日、中大兄は蝦夷、入鹿親子の埋葬を許す。
大まかに言うと書紀では上記のような記述になってます。
どこにも首チョンパの記述は出てこないです。
首塚があるから、首チョンパでなけばならないと考えるのは本末転倒で、
罪人の供養碑を「首塚」なのだと解釈してもおかしくはないのでは?
しくじった時に鎌足が狙うのはあくまで網田と子麻呂ね。
そうすることによって中大兄と自分(鎌足)は謀反の情報を得たため
隠れて護衛をしていて、賊を成敗したと言い張っては最悪の自体を
避けようとする、言わば二重作戦。
したたかな鎌足の事、このくらいの事は十分に考えているはず。
その為には絶対に石川麻呂が仲間だとバレない必要があった。
にも関わらず石川麻呂はオロオロしだして、中大兄は焦りまくった。
網田と子麻呂もわかってかわからずか、中大兄がシビれを切らして
出るまで出て行けなかった、と言う風にも解釈できる。
だから220の中では
しくじった=失敗
じゃないので微妙なニュアンスの違いを読んでチョ。
>>230 藤原不比等が大和の土地神である三輪山の祭祀を封じ、皇祖神を伊勢に移して
民衆から隔絶させ、全国画一の神事の方式を定めているのは、
>>229の記事と無関係なのでしょうか。
230ではないが…
それと余豊璋とどういう関係が???
三輪山は国神だから、大本をみれば大王家の由来じゃないだろう?
元は神武が大物主神の娘、五十鈴依媛を正妃にしたところから。
しかしあくまで
地の神=豪族の祖
不比等がねらったのは、天皇を中心とした中央集権体制の仕上げに各古豪
の先祖とされる国神をまとめた上で
天つ神=天照大神=伊勢
国つ神=八百万神=出雲
として天皇の唯一絶対性を確立させようとした。
その裏には
藤原=律令制政治における太政官
中臣=伊勢神宮祭主を頂点とする神祇官
の思惑も見てとれる。
これ以上何の意味が???
それと余豊璋になんの関係が???
デムパはいい加減にしてくれ!!
>>233 >中大兄はバリバリの舒明、皇極系後継者ですよね。
>両親とも大王位に就いていたわけですから。
>当時は危険人物視されていないにせよ、そのうち排除の対象にされるのは明白。
>後の有馬皇子の悲劇を見ても判るように、時代は殺るか殺られるか。
>だからこそ数少ない蘇我打倒のチャンスを逃す訳にはいかなかった。
うーん、おっしゃるように軽皇子を立てても次は有馬皇子というライバルが
現れるのはわかっていることですよね。
古人を支持してたら、次代の皇位が安全に転がり込んできませんかね。
甘いかな。
古人の子供で後継者となりうるような立場の人物が現れなければだけど。
母親の皇極は積極的に蘇我氏と対立しないような気がするし、
その路線でいかなかったのは、やはり中大兄の目指す政治が蘇我入鹿のそれとは
異なっていたからでしょうか。
>>231 そこなんですよね…
ご周知のとおり、中大兄と古人大兄は異母兄弟な訳ですが、勢力図という
観点から見ると、この二人の間で真っ二つに分かれていたように思います。
山背大兄を討ったのは入鹿ですが、もともと山背大兄はバリバリの蘇我系
な訳で、皇極の働きかけがなければ討つ理由が見当たらないです。
ということは、皇極自身も蘇我中心の国家運営を必ずしも「良し」と思って
いなかったのではないでしょうか。
ところが古人大兄までは排除しきれなかった、そこまでやると蘇我体制の
完全否定になりますから。
この時点で古人大兄には嫡子がいましたから、古人大兄即位の後には中大兄
や軽皇子即位の目はなかったはずです。
だからこそ入鹿を直接排除する必要が出てきたのでは、と思う訳です。
結局古人大兄も最後は吉野に出家し、山背大兄と同じ運命をたどりますよね。
この時代、継承争いに敗れると例外なく吉野に出家、です。
仮に古人大兄が即位したならば、中大兄も軽皇子もその運命では?
(壬申での大海人も同じです、ただし彼のみ巻き返しに成功してますが)
古人大兄が蘇我に支持されてて、中大兄が反蘇我で、
山背皇子は孤立してたんじゃないの?
241 :
名無し募集中。。。:05/02/01 16:25:05
別に蘇我氏を滅ぼすためでもあるまいに
蘇我氏って渡来系ですか?
244 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:56:03
大化の改新=袋田滝
だと消防の頃は思っていた
消防の頃、火事の話かな?と思ってた。
我が家でもこの前笑った。ミヒツのコイって、密室の恋と思っていたのがいた。
スレ汚しゴメン
247 :
日本@名無史さん:05/02/23 02:23:03
蘇我氏を滅ぼしたのと大化の改新は全然別だろ?
これって教科書での教え方に問題があるのか?