1 :
日本@名無史さん:
泥沼の戦争に突入した日本
各国の思惑は?
きっかけは?
当時何があった?
勝手な証言や妄想が多く、資料も時系列もごちゃごちゃなんで、まとめて
あと、似たようなスレの次スレとして活用してくれ
2 :
日本@名無史さん:04/12/07 18:21:56
そういう受動的なスレタイはどうかと思うが。
じゃあ
「整理しろ、てめえら!」
やっぱり受動だな orz
自分でやれるならスレ立てない
辛亥革命への対応を誤った。それがすべて。
まあしかし隣国で起きた革命を支持するのはなかなか難しい事だとは思うが。
5 :
日本@名無史さん:04/12/07 20:29:03
6 :
日本@名無史さん:04/12/07 21:13:23
中国で戦争「させられた」
7 :
日本@名無史さん:04/12/07 21:17:03
韓国に合併をさせられたし
8 :
日本@名無史さん:04/12/07 21:23:30
だからよ「させられた」はやめれ。「ホントはしたくなかったけど」
みたいな言い回しはどうかと。
他国の謀略によるところもあろうが、我が国とて国策として定め
能動的に行動した一方の当事者だ。
客観的に「戦争に至った経緯」とすべきでは?
蒋介石の上海攻撃でいやいや戦争せざるを得なくなったんだから、
させられたで構わんでしょ。
日本人の多くは支那を日清戦争時代の支那と見縊り、近代支那の実体を把握してゐなかつた。
支那人と云へば利己的で臆病者であると考へ、支那の社会は二、三の野心家や軍閥・権力家から動かされてるやうに早呑込みをしてゐた。
従つて日本の武力を以てすれば鎧袖一触、忽ちに支那を屈伏せしめ得ると思つてゐた。
11 :
日本@名無史さん:04/12/09 10:02:54
全部他国のせい
12 :
日本@名無史さん:04/12/09 12:45:41
それが支那人の言い訳さ。
13 :
日本@名無史さん:04/12/09 12:50:15
自分から人を殺しにいったのに・・・最低な責任転嫁
西洋の列強が諸悪の元凶だからね
スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダ、ロシア、ドイツ、アメリカ
世界的にろくな事をしていない。
インカ帝国が滅んだのも、インドの職人が腕を切り落とされたのも、今日のヨハネスブルクの治安悪化も
日本が鎖国を解かれたのも、朝鮮を併合せざるを得なかったのも、満州に親日国家を建国せざるを
得なくなったのも、全て西洋の弊害
秀吉の朝鮮出兵も元は中国の失礼な態度が原因
日本人が謝罪すべきなのは、倭寇の被害者、アイヌ民族、琉球王朝くらいではなかろうか
15 :
日本@名無史さん:04/12/12 12:34:13
倭寇って日本人より大陸の奴らが襲った場合がほとんど
16 :
日本@名無史さん:04/12/12 12:41:21
>>15 基本的にあの時代は○○人とか○○民族の帰属意識は薄い。
それはさておき、初期は日本人が多く参加していた。
それが中期以降になると虎の威を借りる何とやらで
今で言う、アイムザパニーズ状態となる。
17 :
日本@名無史さん:04/12/12 15:21:30
>>13 そうだね。本当に支那人には困ったものだ。
そうそう、支那では支那事変を8・13抗戦と呼んでいるそうだ。
自軍から上海陸戦隊を先制攻撃しておいてよく言うよ。
クーデター政権の誘惑は諸刃の剣ですた。
19 :
日本@名無史さん:04/12/12 17:36:08
上海バカがまたいるのか。原因と結果もわからんマヌケ。
(支那事変の前段階)
1904年、日本は日露戦争に勝利。中国東北部(満州)の鉄道権益を得る。
1928年、中国東北部の軍閥長・張作霖が、蒋介石(中華民国・国民政府・南京に本拠)の北伐に破れる。張作霖は北京政府を捨て後退を計る。
蒋介石の北伐に対抗する為に満州を占領しようと考えた日本軍部は張作霖を謀殺。日本政府の意向と異なる行動。事件を国民党の仕業にするがバレる。
張作霖の息子で満州軍閥を引き継いだ張学良は日本に激怒。蒋介石に従属し反日活動(鉄道の併設など)を行う。
1931年、日本軍部は満州で自作自演の鉄道爆破事件を起こし、中国人の仕業にする。政府の不拡大方針を無視して占領地域を拡大(満州事変)。政府は後に追随。
終盤で長城まで占領。奪回に来た中国軍への反撃で長城を越え北京を脅かす。中国側は国際連盟に訴える。
成立した満州国を国際連盟は認めず、日本の行為の正当性を否定。日本の権益は認める。決議に不満を持った日本は国際連盟を脱退、孤立化へ。33年に停戦協定。
1932年、日本軍部は上海で中国人を雇い、自作自演の日本人僧侶殺害事件を起こす。中国側と戦闘になり、上海へ派兵決定(第一次上海事変)。満州から世界の目をそらすのが目的とも言われ、現地の抗日団体の解散要求なども行った。約3ヶ月で停戦協定。
1935年、日本は華北5省(北京の周辺)を蒋介石の支配から切り離し傀儡政権の発足を画策。第二の満州にしようとする。
蒋介石は戦争回避の方針をとったが、中国共産党は「抗日救国宣言」を出して、内戦停止・一致抗日の世論を大いに盛り上げた。
西安事件をきっかけにして、蒋介石も共産党と共に抗日の決意をする。
(支那事変)
1937年7月7日 北京郊外で演習中に謎の発砲音。相手陣地の警告説、共産党の謀略説、様々だが被害無し。両陣営(日本・国民政府)は不拡大を確認。
再度発砲音の確認後、牟田口廉也連隊長は撃たれたら打ち返せと攻撃指示。(盧溝橋事件)直後に蒋介石は苑平城固守と兵の備えを通電。
↓
7月8日 北京では、各大学の学生が集会を開いて、対日宣戦を叫んだ。
↓
7月9日 北京特務機関と北京市長の間に、撤兵条件で合意に至る。両軍引き上げる。日本政府内では不拡大派が主流。(停戦までの犠牲者・日本11名中国30名)
↓
7月10日 中国側が攻撃を仕掛ける。 (日本側の犠牲者6名)
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7月11日 盧溝橋事件停戦。当日日本側は強硬派の「中国一撃論(簡単に潰せる)」に押され計5個師団10万人規模の派兵を決定。「北支事変」と呼ぶこととした。
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7月13日 現地を任され和平の方向で動いてきた中国第29軍・宋哲元軍長に対し、蒋介石は対日戦決定を通達。20日に考えを受け入れる。
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中国側からの散発的な攻撃(広安門事件など)が起きる。
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7月27日 日本側は兵力20万人の動員を決定。今後いかなることが起きようと、一切の責任は中国側にあるとの声明を発表した。国民政府も同様の声明を発表。
7月28日 日本軍、開戦通告を出し、北京を総攻撃し占領。
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7月29日 日本の傀儡政権下の中国人保安隊が暴発、日本人居留民の虐殺を行った(通州事件)。日本軍が起こした誤爆事件との関連の可能性もあり。
「日本軍敗走」という南京政府のデマを信じた保安隊の裏切りの可能性もあり。敵勢力が起こした事件ではないが、積極的に日本国内で報道され、中国人に対する敵意を煽る。
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8月4日 日本政府が停戦案を作成。9日に中国側との会見が予定された。
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8月9日 上海で日本兵2名が殺される事件が起きる(第二次上海事変)。停戦案も停止。華北では日本陸軍が同日に下令された察哈爾(チャハル)方面に対する作戦を開始。中国軍(湯恩伯軍と傅作義軍)攻撃が狙い。
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8月10日 海軍大臣・米内光政大将は陸軍部隊の動員準備を要求。杉山陸相は了承。
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8月11日 蒋介石は、上海攻撃を命令。
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8月13日 日本の上海海軍特別陸戦隊が中国軍と衝突。大軍の中国軍に包囲され苦戦。
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8月14日 日本政府、上海へ2個師団の動員令。
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8月15日 蒋介石は大本営を設置し全国総動員令、戦時体制を実施。日本海軍は同日より長崎県大村基地からの南京空襲を開始。
上海における戦役より政府はこの戦争自体の呼称を「北支事変」から「支那事変」へと改める。日本軍は蒋介石追撃戦(南京〜武漢〜重慶)を行い、戦争は拡大、長期化。
戦線を拡大する中でヨーロッパ情勢も絡み東南アジアの資源地帯に狙いを付ける。そこを支配する欧米列強と対立する事になり、南部仏印進駐を以て石油の禁輸処置(ABCD包囲網)が採られる。
日本はアジアを白人から解放するとの大義名分を持ち出し、窮鼠猫を噛む戦争へと追いやられる。
最重要点は満州事変だろう。
後の拡大派の動きも押さえられなくした。
石原は満州に専念する考えだったが、後任の武藤は「石原のまねをするだけ」と言いながら、盧溝橋を期として中国に対する強硬論を通した。
25 :
日本@名無史さん:04/12/17 16:18:12
何で書き込まれなくなったんだろう?
まあいいや、自分は支那事変は支那側の侵略だと思っているけど
日本の侵略と思っている人の意見が聞きたいな。
大陸や半島の人らに(比較的)正しい歴史を知ってもらうにはどうしたらいいんだろうな
市民運動? 政治圧力? サイバーアタック?
3番目が一番現実的か
あっちのBBSやサイトに事実を書きまくったらどういう反応をみせるんだろう
結局なぜ中国を侵略したの? のスレが見あたらないんですが
参謀本部作戦課長・武藤章大佐
盧溝橋事件に関して
「愉快な事が起こったね」
>>26 馬鹿の真似はしない方がいいよ。
それをやったらあいつらと変わらなくなる。
>>28 あちらが日本軍に先制攻撃したからさ。
>>30 盧溝橋では先に正式な攻撃命令を出したのは日本だが、きっかけの発砲音の正体が分からないんだよね。
一兵士の暴発説やら、共産党のスパイ説やら。
>>31 盧溝橋は現地で停戦が成立したんじゃなかったっけ?
>>32 しかし日本の強硬派や蒋介石がきっかけと捉えた事件である。
停戦で終わる話ではなかった。
>>33 そして国民党軍が上海に駐留していた日本海軍陸戦隊を
攻撃したことにより支那事変が始まったってこと?
>>34 日本の北京占領に対応した行動とも言われてるからな・・
報復論は向こうも使えるから水掛け論になるだけ
>>35 日本の北京占領が問題にされてるけど何なの?
37 :
日本@名無史さん:04/12/30 01:25:43
中国人にとっての北京は
とてつもなく重い存在だな。
かつては世界の中心と観念されていた。
38 :
日本@名無史さん:05/01/05 11:47:50
その北京を何度となく陥落されてるね。
39 :
日本@名無史さん:
何で書き込みがないんだろう?