1 :
日本@名無史さん:
武士らしい歩き方から、飯の食べ方、切腹の作法までなんでも語ってくだされ。
小笠原
3 :
日本@名無史さん:04/11/28 16:20:19
直角に曲がるらしいな・・・
4 :
上級武士末裔ニート:04/11/28 17:03:09
背筋をピンとし、偉そうにやや大股で、手はあまり振らず、
目線は遠くに歩くべし
背筋をピンとし、顔は常に食膳を見据え、瞬きはあまりせず、
黙々と食うべし
左下腹に突き刺し、一気に丹田まで切り裂き、刃を上にし、
全身全霊で突き上げるべし
5 :
日本@名無史さん:04/11/28 18:06:43
ホモじゃないと武士はつとまらない
7 :
日本@名無史さん:04/11/29 15:51:22
ホモが多かったのは戦国期から江戸初期。男色で出世した人も多し。
そういう人間関係で結ばれた家臣は主君が死んだ時に殉死するものとされてて、
江戸初期は殉死が異様に多い。自ら率先して腹切る場合もあり、周囲から圧力がかかって
やむを得ず腹を切る場合もあり。
元禄以降、儒教が盛んになってくると男色は廃れてきて、それと共に殉死も激減する。
それでも異様に田舎で戦国の気風が残ってる土地では男色が行われてたみたいだけど。
なんか殿様でも体の左側を下側にして寝るようしつけられたとか
読んだような気がする
不意打ちくらったときに刀を取りやすいようにだったと思う
元禄期には陰間茶屋が出てきますな
10 :
日本@名無史さん:04/11/30 22:00:28
武士はどうやって歩いてたの?
右手と右足を同時に出してたって誰かが言ってたけど…。
武士に限らず、和服だとそうしないと歩きづらい
>>10 手は知らないが右足と左足は交互に前に出していたと思う
>12
浴衣くらい着る機会ないのか?
裾の捌きやすさが違うよ
15 :
日本@名無史さん:05/01/04 09:47:07
月代って、毎日自分で剃ってたの?
17 :
日本@名無史さん:05/01/04 10:41:13
武という字は上辺の矛と盾が交わるのを止める男という意味
つまり戦争、争いをたった一人になっても止める男という意味
たとえば、太平洋戦争に反対した男とかいう男のこと
その意味で現代は百姓ばかり
太平洋戦争に反対したのは、全国でわずか十数名に過ぎない
現代日本は百姓どもの天下だ 百姓政治家に百姓官僚の天下だ
18 :
日本@名無史さん:05/01/04 10:50:36
武士の作法
セク時にゴム着用
子供が出来たら育てる
弱いものいじめしない
硬派である
タメ口はしない
…是非今の武士(男)に見習って欲しい。
19 :
日本@名無史さん:05/01/04 11:07:42
百姓にだけはなりたくない! 2chなんか見てるばやいじゃない。
「乱れ雲」がサイコスリラー? 正気か?
21 :
日本@名無史さん:05/01/25 03:53:43
>>16 ちゃんとお店に行って剃ってた。一番美しいのは2日目だとか。
22 :
日本@名無史さん:05/02/24 21:00:34
うそやろ?
23 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:30:31
刀の文化って
構えるのは右か左どちらでしたっけ?
よく考えると
右利きなら足は左が前じゃないと
自分を切る可能性があると思うが。
24 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 22:58:23
25 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 01:04:57
なにをいってるの?
>>23 左利きでも刀は左腰に差す。
構えは右が正で、左が逆。
八相なんて構えはどちらも普通にする。
ちなみに中級武家の末裔の自分は祖父に座って手をつくときには、必ず左>右と躾けられた。
斬りつけられても、利き手は無事なようにって理由で。
>>17はちゃんと漢字の意味を調べなおして
コォ━━━━щ(゚Д゚щ)━━━━イ!!!!
28 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:59:41
え?
29 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:09:15
30 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:44:17
31 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 06:32:12
>>21 きっちり抜くって聞いたことがある。
剃るだけの人の方が多そうだけど。
32 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:45:11
よその家を訪問したときは、式台から上がった座敷で静かに大刀を左手で鞘ごと
抜き、右手に持ち替え、応対者の雇い侍(あるいは主人の子息)に預ける。
応対者は袱紗で鞘の2ヶ所を握って持ち、主人のいる座敷に客を案内し、
挨拶して着座した客の背後に柄を左側にして置く。後ろに置くのは、客が害意の
ないことを示す作法。
だそうだ。もっとも脇差のほうは、風呂に入るときと寝るときを除いては一日中
身につけていたらしい。武士は常に臨戦態勢にあるべしということで。
33 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:55:20
34 :
?n?c?ae? ̄:2005/08/15(月) 02:18:20
当然、ナンバ歩き。
35 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 23:17:43
なにそれ?
背後に立つと怒る
38 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 23:59:58
39 :
ガルト:2005/10/07(金) 06:01:51
質問
忠臣蔵で浅野氏が吉良氏に、どんな服装で着たらいいのか知りたがって焦っていましたよネ。
少なくとも映画では。
松の廊下で斬り付けた時は大紋姿という偉い長い袴を穿いて、廊下をずって歩いてました。
なら公家との接待時は何を来てゆけば良かったんでしょうか?
>32
>武士は常に臨戦態勢にあるべしということで。
成人男子は百姓でも武士でも脇差を差すのがあたりまえの時代。のちに百姓が表で脇差を差すことを禁じられるが、
旅行などの時には自由に差せた。このように中世から続く武装権があって、刀を剥脱することは身分の剥脱に等しい
行為であった。
41 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:00:47
42 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:12:01
上位の侍の前で、後ろを振り向くのはご法度。
「謀反の意図あり」と受け取られ、殺されても仕方が無い。
43 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 16:46:19
戦国時代の武士は、必ず飯を真ん中から食べねばならない。
44 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 17:43:23
武士はたとえば懇意の同僚宅を訪ねて、玄関で挨拶して出て行くときも決して
相手に後ろを見せなかったそうだ、後ろ歩きして門まで行ったとか、後ろから
の不意打ちを警戒しての事。
戦陣では、縁起をかついで後ずさり禁止でしたね。
46 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:45:49
>>44 何だかただのバカに見えるよね
足を踏み外して転んだりしないのかねえ
それに門の中だけ後ろ歩きするのは意味あるのか
47 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 04:08:48
>>46 礼儀として相手に尻を向けないというなら判るけどな。
48 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 05:39:59
>>44 で、門の外に隠れている奴に、後頭部をポカッと殴られる
49 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 06:04:42
手と足を同じほうの側から出して歩いていた>武士
今やると池沼っぽくみえる。
50 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:46:10
作法じゃないけど武士は大小二刀の他に小刀のような物もう一本背中側の腰に
差してたと云う事を聞いたことあるんだが本当だろうか?それじゃ武士の代名詞
二本差しが三本差しになるな、でもそんな事あまりテレビの時代劇なんかでも見
たことがないし、常時の事ではないのかも知れないな。
51 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:00:32
52 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:15:55
>>50 小柄のことかな?背中には差していないが。
53 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:23:42
正しい切腹の作法
左腹に脇差を刺し右に引く。脇刺を抜きみぞあたりに刺し下に引いた後脇差を抜き首を刺す
54 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:08:39
江戸時代武士の服装を今の服装に例えると、
束帯→燕尾服に勲章付
大紋・直垂→燕尾服
長裃→礼服
継裃→普通のスーツ といったところか?
>>50 刀の滑り止め兼雑用兼手裏剣代用に刀の柄に小柄
右後ろに扇子(鉄扇、仕込含)
左後に煙草入、印籠(薬入)等
小柄までは普通ですよ?
鉄扇の使い方は小刀に準じます
左側抑えられたときの対処ですね
>>34 ナンバというか手と足は同じでなくとも歩けますけれど
ヘソ-右足のかかと-左足のかかとを線になるようにしましょう
はみ出さないように車道横の白線の上を歩く感じです
無声動画(映画)でも甲野氏の云う手と足を揃えて
というようなナンバでは歩いていないものは多数ありますよ
和装。武芸愛好家が増えることを願って
56 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 22:14:46
age
57 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 15:24:15
座るときは、刀を自分の右側に置くと言うのはよく聞くけど
当時の絵とか見ると、左に置いてるのがほとんどなのは、どうしてでしょうか
国によって儀礼は違います
たとえば土佐では刀を横差し落とし差はみぐるしいといいますので
英信流ではそのようにしています
けれども薩摩では示現流の使い方から
落とし差は当たり前ですし座り方もいわゆる居合座ではありませんよ
所作はむずかしいですよね
59 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:36:22
ほう
>>58 補足
英信流だと長刀の鍔や柄頭が体の中心ヘソのあたりにくるように水平ぎみにさすわけです
踏み込んでの一撃、長さもあるわけです
対して示現流の場合トンボに構えやすいように上に抜くわけですから水平に差すと抜きづらい
よって柄頭はあごの方向をむくわけですね
靴(草履)のかかとを揃えるのは 戦のときにすぐ出立できるように 火事のときすぐに逃げられるように
座布団を勧めるのは 床冷えを防ぐのと同時に床下などからの暗殺を防ぎやすくするため
また座布団をだすときに 半分おりにして運び 相手の前で広げて 上 真ん中 下の順番で 中心から両外に向かって
両手で平らにするのは小刀などを隠していないことを示すと同時に 綿を整えるため
現代でも残っている儀礼の一部は武家の作法が発祥です
小笠原流礼儀弓馬術でも習いに行けばいいんじゃね?
63 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 17:22:44
できるやつぁいないか
64 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:36:53
武士の決まり事
・やむを得ず廊下を走る場合は「山南走り」で走ること
士道に背かず、一度きめたことは例えそれがまわりから観れば間違っていようとも死ぬまで貫き通すこと。
66 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:26:31
今日はお勤めご苦労様にござります→こんにちは
左様ならば、これにて御免仕る→さようなら
挨拶言葉は、武士がルーツである。
67 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 11:24:05
かぶきものは目茶アナーキーな印象が
茶道 表千家にはわりと武家の作法がのこってるらしい
居合腰じゃなくて正座=>すぐに刃物沙汰になりにくい体勢 とか
69 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 10:26:03
70 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 17:00:40
長袴←殿中で暴れた時に、袴のすそを踏んづけてすぐ取り押さえられるようにする
71 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:16:52
>>57 相手に正対した時、刀を自分の右側に置くのは敵意無し、の所作。つまり
即時に抜刀出来ない為。左側に置くのは臨戦態勢で敵意有り、の意味なので
いたずらに誤解を招く危険があった。同様に刀掛けに柄を右向きに掛けるの
も同様。柄は左側へ向けて掛けるのが保管の意味合いが強い。
でも右抜刀の練習もしてるのが実際・・・だよね
寝る時は右手を下にして寝る
74 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 12:22:58
>>73 一橋慶喜も終生それをしていたとか。
やくざも同じですね。
75 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:41:11
ですね
寝てる間に寝返り打ったりしないんですか?
77 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 18:35:16
今日から
78 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 12:59:56
ん?
80 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:32:36
追加
左手は胸〜ヘソの辺にたらす
腕の骨で内臓を守る
84 :
日本@名無史さん:2006/10/04(水) 11:32:49
>>74 慶喜は親父殿に仕込まれたらしいからね。寝返りうてんように
寝床の両側に刃が置いてあったって話を読んだことがある
戦場で縁起を担ぐときって「勝栗」のほか何でしたっけ?
>>84 アワビ(打ち延し鮑)=敵を打ちのし 栗(勝ち栗)勝ち 昆布=喜ぶ
その後酒を注ぐ
ソビ ソビ バビ(一回目ちょろちょろどば) ソビ バビ(二回目ちょろどば) ソビ ソビ バビ(3回目ちょろちょろどば)『出陣之次第』抜粋
86 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 08:34:56
将軍が自分を指すときは、〔余〕ではなく、〔自分〕
漏れも右手を下にして寝るが、たまに身体の下敷きになって一切感覚が無くなる時があるな。
左手で右腕を持って動かすのだが、冷たくて重くて気持ち悪いw
88 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:56:37
気持ち悪い
89 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 11:04:38
>>71 床の間の本勝手と逆勝手の間では、人の座位置が逆になるので、刀の置き方も変わる。
また、仏壇神棚や神仏の名号の掛け軸が有れば、そちらに切っ先を向けてはダメ。
だから都合上、逆になることも多い。
90 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:33:51
西郷隆盛と勝海舟の談判の絵では、確か両者とも刀を左においていたはず
91 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:14:01
武士が「止めを刺す」とは、どこを刺すのですか?
「止め」とは一体全体身体の何処でしょうか?
92 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 02:20:05
分かったような
君らの師匠には、トラブルになるから外出しないようにいわないとな
普通、玄関の間がある屋敷では、座敷に通す時には打刀は預かるから脇差だけだね
打刀を持ち、座敷に上がるのは対等以下ですが、玄関で帯から抜き右手に持ち換え、着座では右脇に柄を後に置くか…背に置くんだよ
>着座では右脇に柄を後に置くか…背に置くんだよ
微妙に違う。
逆勝手の部屋だと左脇。
右脇は仮置きであって、仮座のとき。
着座は後ろに置く。
連座の時は、着座の時、主客のみが、後ろに置いた刀を、右側に柄を向ける。
次客以下は、左に柄を向ける。
真礼の時は、いちいち前に置いて結界とする。
この辺りは、二大武士作法の基本。
畳のへりを踏まない→畳と畳の隙間の床下から刀や槍などが飛び出し足を突かれないようにする為
他家を訪問した際、自分の履き物を外向きに並べておく→敵に襲われた際いつでも逃げられるように
貧乏公家さんは畳のへりを踏んだり履物を外向けに揃えたりはしなかったんだろうか
97 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:10:45
>>96 畳も草履もあつらえられない程まずしいんだよ。
座り方ってどうなんでしょう?
先日大河の独眼竜政宗を見たのですが、武将の人たちはあぐら(?)でした。
軍議オリシキって言われてますぇ
半身で方ひざ着いてもう一つは立てる
すぐ立ち上がれて刀も抜ける
101 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:47:13
102 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 02:49:57
二木謙一『中世武家の作法』を読め。
馬の乗り方から、弓矢の射方。酒の飲み方から、ものの食い方、坐り方、靴の履き方など、多くの
武家の礼法に適っているとされる所作が列記され、解説されている。
弓馬の道は小笠原流、それ以外が伊勢流、が多く用いられた。
小笠原流は生き残ったが、伊勢流は衰退した。
103 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 04:59:14
今月号の「秘伝」に小笠原流宗家が武士の作法について語ってるから読むべし。
武士の作法というのは簡素かつ合理的だというのを改めて認識。
さて、伊勢流は衰退したようだが、江戸時代には殿中儀礼、
諸儀式(婚礼とか)の故実は小笠原流が関わるようになった。
長時貞慶が流浪してたときに研究した成果なんだけどね。
室町時代の小笠原は弓馬故実家だけだけど、江戸時代に生き残った
小笠原流の宗家とは血統が違うし内容も若干異なる。
(室町時代の小笠原流宗家は少斎の家系。熊本藩家老に。)
あと料理関係では大草流なんてのもあるらしいね。
江戸時代初めに、田舎大名徳川家には京都将軍家のノウハウが全くないもんで
殿中儀礼を定めるのに困って細川家に教えてもらったんだよね。
たいして詳しくないのに知ったかしすぎましたね。失敬
104 :
日本@名無史さん:
>>102 二木謙一『中世武家の作法』
餅の食い方には笑ったよ。