>まぁ、そうなんでしょうけど、上の方で言われている熊野の例もありますし、
行幸の回数と格式が相関関係にある訳ではないと思いますけどね。
いずれにしても、伊勢は平安期の二十二社(畿内ばっかりですけど)の筆頭ですし、
宇佐より軽んじられていたという根拠はないのではないですかね。
格式自体は単に神宮と呼ばれる伊勢が最高でしょう、それは。ただ、その伊勢が実は天皇家にあまり大事にされ
ていないこと、実際に足を運んでいないことも有名ですよ。聖武、持統も実は参拝しておらず、正味の参拝者は明
治天皇が最初。伊勢は天皇家にとって事実上の禁足地だったわけで、そのことからも伊勢のご本尊が伺えるとお
もうのですが。格がないというのは、もしかしたら付けられないということかも。恐れかしこみたてまつる、一種の祟
り神ですねw
一方石清水八幡の行幸は、物の本によると70数回だそうです。
比売大神・・・卑弥呼=天照
応神、神功・・・現政権の始祖で、卑弥呼の末裔
これらを本地垂迹説でまとめたことが聖武の描いた大和政権のグランドデザインであり、実際現存する神社の内半
数以上とも言われる八幡、また仏教勢力も後々まで天皇家の有力な基盤・・・、これは結果的に大成功だったので
はないでしょうか。伊沢元彦ではないが、これが日本という国の骨格ではないかと。
それに比べれば、同じく数多いが影の薄い天神様とは対照的でもあります。
930 :
豊前説:04/12/01 00:55:54
>>917 >投馬国が広島あたりというのもかなり無理があります。
書き方がまずかったですね。
正直、まだ投馬は私もどこだと思うといえる程の知識も持ち合わせて
いません。
しかし、水行のみで記されていることや、邪馬台国と同方向でありながら
同一直線上ではなさそうなことを考えて、中国地方のどこかといいたかった
わけで、別に広島に限定した意図はありません。
吉備や出雲、丹波(但馬などを含め)かもしれませんし、それらの複数を
含んだかもしれないとも思っています。
931 :
日本@名無史さん:04/12/01 01:11:49
神功皇后=卑弥呼なら壱与は、
932 :
豊前説:04/12/01 01:15:00
>>925 >卑弥呼が誰か分からなかった(直接の先祖ではないから)ので、
>偽装してしまった
直接の先祖ではなければ、触れなくてもよかったと思うし、触れても
全く別の政権だとはっきり記せばよかったのではと思います。
(中国でも政権が次々と代わっているのですから)
それを敢えてしなかったのは、やはり政権としてのつながりがあった
からなのではと思います。
ただし、応神出生の話など怪しい点がありますので、血のつながりに
関しては、?としておきます。
まだ十六だから。
934 :
豊前説:04/12/01 01:38:23
>>925 >分注にしろ、神功=卑弥呼と書いてますし、隋や唐も
>大和朝廷を邪馬台国の後継であると認識しているみたいですよね。
そうなんです。結局は、中国にはバレバレだったわけです。
で、あくまでも自分の解釈ですが・・・
邪馬台国と大和朝廷は別物と見せかけたが、編纂者はあとあと
ばれることを恐れた(ばれる可能性が高いと思っていた)。
よって、もしばれたとしても、神功紀に分注として卑弥呼を匂わせる
ことにより、神功を卑弥呼に思わせようとした。
そうすることにより、魏の配下であったのは、天皇ではなく、あくまで
皇后であったから、国として従ったのではないというように思い込ませ
ようとした、と思うのです。
935 :
日本@名無史さん:04/12/01 01:39:20
最初に八幡社が出来たのは8世紀初頭
神仏習合(本地垂迹説)を最初にとったのは宇佐だった
これが聖武に受けた
>>929 >その伊勢が実は天皇家にあまり大事にされ
>ていないこと、実際に足を運んでいないことも有名ですよ。
何も「伊勢大神が皇祖神として昔から大事にされていた」と主張するつもりは
ありませんよ。
元々伊勢大神は豊受神であって、東海地方の土着神だったと思います。
大和政権の勢力拡大に伴い、畿内周辺限定の神話から倭国全体の神話の創作が要請され、
その中で伊勢=聖=アマテラスとなったのではないでしょうか?
逆に、出雲=穢=オオクニヌシとなったと。
伊勢がアマテラスとされたように、8世紀以降に宇佐も応神とされたことは
十分に考えられる事かと思います。
前者が記紀編纂以前の話で、後者が編纂以後という話なだけで。
937 :
897:04/12/01 01:48:22
>>921 >では、なぜ分からない曖昧なことなのに、卑弥呼と神功皇后をあたかも
>同一人物のように、国家の正史に記したのでしょう?
書紀が中国を意識して編纂されたことは否定しませんよね?
瑣末な話に思えるんで詳細は省略しときます。
>もちろん仮説に過ぎませんが、宇佐神宮や神武天皇のことも含め、
>大和朝廷の正当性を主張するためと考えると以上のことは、
>無理なく解釈することが可能です。
結論から言えば、豊前説さんの主張は循環論法なんですよ。
「邪馬台国は豊前にあった。」
だから
「比売大神は卑弥呼。」あるいは、「宇佐は重視されていた。」
だから
「邪馬台国は豊前にあった。」
だから・・・・・以下ループ。
条件を与えて結論を導くには、前提としてその条件が少なくとも有力でなければ
話になりません。その条件に根拠が乏しいだけでなく、豊前説さんの場合は、
しばしば、条件と結論をひっくり返して互いに双方を補強しようとしているから論理が
循環しているんですよ。もちろんこれは仮説かどうかなんて関係ありません。
豊前説さんの主張しようとする結論は邪馬台国豊前説ですよね。であるならば、
その条件にすぎない宇佐重視説の前提に邪馬台国豊前説をもってくることは
できないはずです。
938 :
897:04/12/01 01:49:34
私がレスをつけたのは
>>893に対してなんで、話を戻しますけど、記紀に宇佐神宮が
書かれていないことを前提条件なしに読めば、宇佐神宮は重視されていなかったと
読むほかありません。
書いていないということは、1.なかった 2.どうでもよかった 3.隠した
一般的には、この3者しかありませんが、このうち前提条件が必要なのは3だけです。
まぁ、何でもいいんですけど、
「記紀にコカコーラのことが書いてないのはなかったからだ。」
コカコーラアメリカ20世紀発祥説とかいりませんよね。
「記紀にご飯のおいしい炊き方が書いてないのはどうでもよかったからだ。」
朝廷ご飯の味軽視説とかいりませんよね。
「記紀に宇佐神宮が書かれていないのは隠したからだ。」
この場合は、隠したという根拠が前提条件に必要です。さらにその条件として
邪馬台国豊前説をあげることは豊前説さんの論理の構造上難しいことは前述の
とおりです。
分かり切ったことは書かなかった、っていうのは駄目?
>>929 >一方石清水八幡の行幸は、物の本によると70数回だそうです。
まあ、近かったからでしょうなあ。
豊前説さん、こんばんは。 また明日がありますよw
>それは、魏に朝貢した邪馬台国は、中国の配下と考えられ、それを
正史に記すのは都合が悪かったのだと考えられるます。
↑
( ´_ゝ`)
これ、よく言われる説なんですが・・・・・。そんな国粋主義的大義名分論が、果たした当時あったのかどうか、
すこぶる疑問でして。実際朝貢貿易してて、遣唐使もお世話になりまくり、そんな尊大な考え方はどう考えて
も無かったのではないかと思われます。むしろ邪馬台国の直系なら、魏−南朝という中華の正統王朝に仕え
たことは誇るべき事ですし。まあ隋唐は北朝ですが。
白村江での大敗〜敗戦国として進駐軍を受け入れる、その後に書かれた正史でそんな視点を書くのは非常に
具合が悪いのではないでしょうか。半島の橋頭堡を放棄したとはいえ依然として最大最悪の脅威ですし。中国
の配下である方がステータスは上だったわけで、それが東アジア柵封体制ですよね。
私はこういった視点は後世の人間の考え方(水戸史学以来の朱子学)だと思います。
私は、やはり文字通りヤマトは邪馬台国の直系の子孫国家ではなく、簒奪者だから書けなかったのだと思いま
す。だから忌避し祭り上げる対象にして伊勢に押し込めた。それが天照=卑弥呼。あるいは元々の伊勢は先住
者の聖域だったのかも知れません。有り難がって伊勢参りとか喜んでいるけど、実際は内宮には入れませんよ
ね。そんな神社なんて他にはありません。みんなから柏手打って祈って貰えないなんてこれほど不幸なことも無
いでしょう。そこまでする必要があるほど卑弥呼って呪詛の力が強かったんですかね。まあ勿論天津神全部の代
表として祀ったのもあるでしょうが。
「その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対えず。故に中国焉(こ)れを疑う。」 とあるように、あからさまな嘘
を書くのも、倭国以来の日本観をちゃんと引き継いでいる唐に詰問されでもしたらすぐばれるし、この辺りが手の
打ち所というのが卑弥呼=神功をそれとなくほのめかす書き方。
942 :
豊前説:04/12/01 02:16:11
>>937 参りましたなあ。
私は専門家でもありませんし、完璧な論をもって屈伏させようという
意図で書いているわけでは毛頭ございません。
また現況では、結局は様々な根拠を基に推定し、最も矛盾なく
説明可能な説をみつけるしか、真実に迫れるのは難しいのでは
ないかと思っています。
よって、こう書くとずるいと思われるかもしれませんが、
この神功紀や邪馬台国記載の件についても、他に述べて
きた論の補強の一つとして私は捉えており、矛盾がなけれ
ばよし、もし矛盾を指摘されれば、これをよい機会と捉え
再考し、前進できるのではないかと思うのです。
よって、当方の説を否定していただくのは結構ですが、
できれば、どの辺がどういう風におかしいと、具体的に
示していただければありがたく思います。
943 :
豊前説:04/12/01 02:30:29
>>941 どうもです。
>私は、やはり文字通りヤマトは邪馬台国の直系の子孫国家ではなく、
>簒奪者だから書けなかったのだと思います。
説明が足りなかったようです。
私も、全くの直系であったとは思っていません。どこの国家でも
見られたように、恐らくは、皇室・政権内での内部抗争が幾度も
起こっており、そのために外部からも新たな血が入っていると
思います。
ただ、政権として流れを引き継いでいるというまでの意味で
かいたのであって、大和朝廷を引き継いだのが、あるいは九州
に残ったのが本家であったのか分家であったのかまでの結論
には、自分としては達していません。
>>938 記載が無いからとばっさり切り捨てるのは、なんかなあ。
897氏が自説を展開しない以上、簡単に切り捨てるのは
ずるいだろう。
そういう論調だと、せっかく良スレ化していたのに、
結局、みんないなくなるぞ。
945 :
日本@名無史さん:04/12/01 05:56:24
>>941 >私は、やはり文字通りヤマトは邪馬台国の直系の子孫国家ではなく、簒奪者だから書けなかったのだと思いま
す。
同意。
日本の事情をよく知らない中国人は、「大和朝廷は邪馬台国のこと」だと書いてはいるが、
日本書記で、「大和朝廷は邪馬台国のこと」と書けないはずはない。
大和朝廷の官僚さえも、邪馬台国がどこの国なのか解らなかったということ。
つまり、天照は卑弥呼ではない。
946 :
日本@名無史さん:04/12/01 06:42:59
>>942 >よって、当方の説を否定していただくのは結構ですが、
>できれば、どの辺がどういう風におかしいと、具体的に
>示していただければありがたく思います。
豊前説氏の説を評価する以前の問題だと、
>>937(897)氏は言ってるわけで。
つまり、豊前説氏の論理は「循環」してるのです。
宇佐が邪馬台国であったと結論付けるために、「宇佐が重要な土地だった」と、
豊前説氏が唱えるならばその「根拠」が必要でしょ?
しかし豊前説氏は、「宇佐に卑弥呼が祀られているから」という「仮定」を持ち出しています。
たとえば、宇佐から「親魏倭王」の金印が出たとか、
3世紀初頭に繁栄した遺跡が発見されたとか、
そういう誰しも納得しうる「根拠」を提示するなり、自分でもっと調べてください。
今まで豊前説氏が出した理由は、自分では整合性があるように思えてるかも知れませんが、
他人から見て「仮定」でしかないのです。
947 :
日本@名無史さん:04/12/01 07:02:19
>>たとえば、宇佐から「親魏倭王」の金印が出たとか、
>>3世紀初頭に繁栄した遺跡が発見されたとか、
無茶苦茶言うなよ。こんなの書けるわけないじゃん。
自分で調べるにしても、学者じゃないんだから、限界はあるし、
結局、学者や研究者が提示した資料や仮説を検討して、
その仮説を補強、発展、修正する程度のことしかできんだろ。
948 :
日本@名無史さん:04/12/01 07:11:23
それは、空想を楽しむということか?
第三者ぶっているが897=937=946だろ。
以前も同じこと言っていたが粘着だな。
目の敵にしてるみたい。
自分こそ
>>896で仮定ばかりしているのによくそんなことが
いえるもんだ。
>他人から見て「仮定」でしかないのです。
って、邪馬台国なんてどの説もみんな仮定なのは当たり前じゃん。
951 :
日本@名無史さん:04/12/01 07:51:09
たとえば熊本の向野田古墳も女王が祀られている。
4世紀以後も九州地方は、女性の王を擁立する慣習があったのだろう。
ヒメ大神も、宇佐地方の女王の一人だったかも知れない。
女だからといって邪馬台国の卑弥呼と結びつける根拠にはならないよ。
>慣習があったのだろう。
>だったかも知れない。
また、推測かよ。
豊前氏は、宇佐神宮以外に倭人伝や遺跡、銅など多方面から
アプローチしているだろう。
少しは、あんたもまともな説を出しなよ。
>>951 >4世紀以後も九州地方は、女性の王を擁立する慣習があったのだろう。
それって九州に卑弥呼がいたって証拠じゃないのかい?
954 :
鳴海孝之@四王朝交代説:04/12/01 09:29:00
神功皇后は邪馬台国の巫女。
955 :
日本@名無史さん:04/12/01 09:46:09
九州に邪馬台国があったとしても、
宇佐だとは決められないだろ。
日田かも知れないし。
956 :
鳴海孝之@四王朝交代説:04/12/01 09:46:41
PART13なのに、スレの流れは毎回一緒なんですよねw
PART1からほとんど変わらないんじゃないですか?
もうこれ以上の議論は無駄かな・・
957 :
日本@名無史さん:04/12/01 09:47:37
だって、過去スレ読めないんだよ。
過去スレウプしる。
958 :
日本@名無史さん:04/12/01 09:59:25
卑弥呼の「ミコ」と「巫女」を結びつけて考えるAHOが多いけど、倭人伝には狗奴国の男王卑弥弓呼と言うのが出て来る。
「卑弥呼」は「卑」+「弥呼」ではないんだ。「卑弥」+「呼」なんだよ。
そして「呼」は当時「コ」とは読まれなかったから「弥呼」と「巫女」を結びつけて考えるのはやめにしたほうが良い。
「呼」は「ふぉ」のような発音と考えられるから「王」だった可能性があるんじゃないか?
959 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:00:34
テンプレを作成して20〜30レスあたりに貼り付けておくと良いのではないでしょうか?
各説の主張内容を2レスほどに箇条書きして、あと質疑応答を「良くある質問」の如く追記するなど。
作成に関しては各説の主張者にお任せするとして
質疑応答については過去レス参照の元に纏め上げるなど。
これがある程度機能すると、ループ質問に対し「>>??を読んでから発言願います」の一文で対処できますよ。
ほとんどの長寿スレで採用され、一定の効果をあげているようです。
じゃあ次スレは959が立ててくれ。頼んだよ。
961 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:16:50
質疑応答に関してはQ&A形式がシンプルに纏まります。
Q、畿内説が「南」を「東」に読み替えるのは強引ではないか?
A、東を南と誤記(誤写)したなどという過去の文献史学見解によるものではなく
現在ほぼ位置が確認されている対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国への行程記事が
方向的には反時計回りに30度〜65度ものズレがあることを考慮している。
但しこれは畿内説肯定や九州説否定の材料には成り得ない。倭人伝記事への史料批判によるものである。
こんな感じでいかがですか?
これだと上記アンサーへの反論も展開しやすくなり、より議論が深まります。
962 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:20:34
>>960 やってみます。ただスレ立てに失敗した時の保険のため
当スレにコピペ用の空きレスを残しておいて下さい。
963 :
日本@名無史さん:04/12/01 10:24:07
>>958 同意。
古代の発音は現代とは違う。
魏志倭人伝には「狗古智卑狗(きこちひく?)」「卑弥呼(ひみこ?)」という役職が出てくるが、
「卑狗」「卑弥」は、「ひこ」「ひめ」に対応すると考えるべきだね。
つまり、卑弥呼を日巫女と考えるのは間違い。
だから、オオヒルメムチ=アマテラスが卑弥呼だと言う根拠は無くなるわけ。
天照大御神は男神説→天照大御神≠卑弥呼を意味することになる。卑弥呼は女性だから。
天照大御神=卑弥呼→天照大御神≠男性を意味することとなる。 同上
(正解)卑弥呼≠天照大御神 どちらも女性
965 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:38:24
うーん「このホストではしばらくスレッドが立てられません」との事です。
LANシステムと関係あるのでしょうかね?
次レスより基本3項目をコピペしますので、どなたかご協力お願いします。
966 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:39:12
967 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:40:07
968 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 10:42:21
「吉備、山陰、東部四国、丹後、河内、奈良盆地、東海、琵琶湖周辺、越、南関東など
これらの公益圏が倭国大乱(2世紀末まで)終結後に連合化して、原ヤマト連合を形成した。
(但し連合化の順番や内部での力関係は諸説ある。)」
これを3世紀の列島情勢だとする通説を採用したい。それを踏まえて
@(畿内説)この連合が倭人伝に言う倭国であり、邪馬台国連合である。
また後の大和朝廷の基礎となったのであろう。
魏への朝貢は、北九州を併合又は合併した後に行われたと考えられる。
卑弥呼は畿内纏向に居たとの説が中心だが、それ以外の土地に居た可能性も十分にある。
A(九州説)倭人伝に言う邪馬台国は、本州連合とは別の九州連合であろう。
後の大和朝廷との関連については、継続説と断絶説がある。
魏への朝貢は、狗奴国(南九州説と本州連合説がある)との対立や貿易権確保が目的である。
卑弥呼擁立時には原ヤマト連合とは合併していないとの見方が多数。
少数ながら原ヤマト連合を支配下においていたとの見方もある。
なお、卑弥呼の居館及び邪馬台国の位置は諸説ある。
なお大和朝廷との繋がりにおいては
a)邪馬台国は原ヤマト連合に滅ぼされたか吸収された。
b)九州連合と本州連合合併後、イニシアチブを執ったのが九州連合。
c)連合に際して血縁関係を結び、同族として融合化したのち派閥化した。
d)あくまで合併を拒み7世紀頃まで自治独立化した(九州王朝説)。
などが主な説であるが、畿内説論者でも邪馬台国と大和朝廷の断絶を支持する
考え方をしている者も少なくない。
また後世の壬申の乱や大化の改新などによる大和朝廷内の派閥争いの結果
記紀編纂時に恣意的な編集が見られると指摘するする動きも、九州、畿内支持に関わらずやはり根強い。
(神武東征、欠史八代、倭人伝の神功紀注釈への挿入、各天皇の即位状況、継体天皇問題
聖徳太子と蘇我氏、物部氏の役割、藤原氏の意図など、問題は山積である)
このため単純に畿内説や九州説といったカテゴリーでは括れないのが現状である。
969 :
日本@名無史さん:04/12/01 11:02:28
そういえば、天照大御神はどうして女神って呼ばれるようになったの?
性別の記載はどこにも無いよね?
970 :
日本@名無史さん:04/12/01 12:14:21
スサノヲが、アマテラスを姉御と呼んでる。
971 :
日本@名無史さん:04/12/01 12:26:21
だめだ。漏れのホストもはじかれた。
誰か頼む。
972 :
日本@名無史さん:04/12/01 12:49:16
立てときました。
973 :
老教授@畿内説纏向派:04/12/01 13:28:06
>>972 有難うございます。
あと当スレはdat落ち防止のため、書き込みを控えて頂ければありがたいです。
豊前説氏や一応九州王朝説氏も、まとめを次スレに記載したいのではないかと思いますので。
974 :
鳴海孝之@四王朝交代説:04/12/01 22:56:42
>>973 私は完全に貴方にとっては透明な存在ですか?w
975 :
日本@名無史さん:04/12/01 23:26:16
今日、NHKでドナウ・ラインの旅というのをやってましたが見ましたか?
神聖ローマ帝国の皇帝はハプスブルグ家だというのは有名ですが、
神聖ローマ帝国はもともと先帝候による選挙王政でした。
そして、この番組によれば、ハプスブルグ朝の初代ルドルフ1世が選ばれて王となったときには、
ハプスブルグというのは地方の一弱小領主に過ぎず、有力諸侯は弱小領主を王にしとけば、
自分たちの自由になると考えていたということです。
ところが、このルドルフ1世が結構優れもので王位にある間に確固たる権力を築いてしまったということです。
卑弥呼が共立されたときに事情も案外こんなものだったかもしれません。
都を定めるのに、力を持っている吉備とかを都にすると一悶着あるのは見えてるから、
それじゃあ、有力者のとくにいない大和にしとけっていうんで、纏向に都を置いた。
ところが卑弥呼とそのブレーンは結構優秀で、卑弥呼存命中に確固たる王権を作り上げてしまった。
ほかの地域が地団駄踏んでも後の祭・・・・
・・・・とか。
977 :
梅に:04/12/02 17:27:01
鶯