1 :
日本@名無史さん :
04/11/05 04:32:50 江南厨なるレッテルまで作ってやたらと反発するやついるけどさ 米作りに来たのに米のとれない華北や半島から来るわけねーじゃん 普通に江南だろ?江南だったら何か拙いことでもあるの?
2 :
日本@名無史さん :04/11/05 04:41:21
3 :
日本@名無史さん :04/11/05 04:58:39
全くの素人ですが新聞等の知識では 江南が通説だと思ってたんですがちがうんですか? 稲のDNAで確定したと思ってるんですが・・
内々のセンズリネタは、対外的には終わってるんだろ。
5 :
日本@名無史さん :04/11/05 21:15:57
弥生人江南説の根拠は稲作と中国の古書に倭人が大夫と自称したという記述の 2つだけ。ほとんど明確な史実もないし、形質とかDNAとかHLAとか科学的なものが 入るともう全くダメダメ。 学会では稲作は単に縄文人が持ち帰ったものとする説が既に有力。 江南説は、稲作を日本に持ち込んだのが江南からの渡来人だという証拠を 出さない限りもう無理だろう。
6 :
日本@名無史さん :04/11/05 21:46:55
なんかこう、ガツンと来る決定的なものが、江南説には無いんだよな。
シベリアや半島見てるほうが身のためだよ先生方。
8 :
日本@名無史さん :04/11/05 22:21:13
>>6 そうそう。
あとは熱狂的な同一人物によるいつもの創作世界を
長々延々と聞かされるだけで。
9 :
日本@名無史さん :04/11/06 01:42:57
華北説だって土井ヶ浜と漢代の山東省の骨がって念仏みたいに言ってるだけだし 土井ヶ浜って紀元ごろの遺跡でしょ?弥生もかなりたったあとなわけで そんなに重要度が高いとは思えんのですよ ただ単に難民が居ただけじゃないの? それにGm遺伝子型の割合が似てるとかでブリヤート持ち出すのも疑問 ABO血液型だと日本と割合が似てるのはチベットなわけだが だからって日本人はチベットから来たというやつはいないのに Gm見てバイカル湖から来たとのたまうやつは居る不思議
10 :
日本@名無史さん :04/11/07 20:43:42
●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
11 :
日本@名無史さん :04/11/07 20:44:58
●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
12 :
日本@名無史さん :04/11/07 20:46:10
土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
13 :
日本@名無史さん :04/11/07 21:04:49
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の 日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分 にしたがって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で 著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭 のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の 中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は 最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。 同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。 以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が 密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は 漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが むしろ縁が深い。
14 :
日本@名無史さん :04/11/11 22:02:50
弥生人を科学的に見ると、 弥生人骨の形質は、中頭、のっぺり、低鼻、面長、長身、で華北人に近い。 弥生人のDNAは、本州人のDNAの50%に中国に多いタイプと韓国に多いタイプ (おそらく北方民族)が半々ずつの割合で検出されるところから、 中国と北方民族の混血と考えられる。 弥生人のHLAは、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度 で検出されるB52-DR2が本州日本人に平均10%ほど見られることから、 B52-DR2を高頻度で持っていたと考えられる。しかし、B52-DR2は韓国には2〜3%、 華北には1%しか見られない。ところがモンゴルには5%も見られる。 以上、それぞれ焦点が合わず、なかなか結論に至らないが、いずれにしても 華北からモンゴルあたりである事はもう間違いないだろう。
15 :
中田マルサス失地王 :04/11/12 17:02:51
この手のスレを見ていつも思うのだが・・・・・・ 「文化をもたらした人々と、 生物学的特徴を後世に残した人々が同じとは限らない。」 ってことに誰も気が付かないんだな。
文化ったて色々あるだろう、浅いのやら深いのやら。 生物学的特徴で言えば、何れ見てくれは、東アジアは北京人種化よ。 遺伝子的には、ルーツ的な痕跡は残しそうだがそれも無意味になるだろ。
18 :
日本@名無史さん :04/11/14 00:39:53
渡来人は本当の意味では稲作など持ってきてはいない。 渡来人が来た時、既に日本は水田稲作をしていた。 稲作は6500年以上前に日本に入り、朝鮮半島には日本の縄文人から朝鮮の土着民 に約4000年前頃に伝わった。水田稲作も約3000年前頃に日本に入り、 同じ頃に朝鮮半島南部にも伝わっていた。渡来人が来る約6〜700年前には 既に日本も朝鮮半島南部も水田稲作をしていたのである。 既に水田稲作をしていた日本に、渡来人が持ち込んだという稲作文化は 朝鮮半島南部の稲作文化の中に中国の影響が見られるという。 渡来人は遼東半島あたりから朝鮮半島に侵入して、朝鮮半島南部で初めて稲作と 出会ったと考えられる。
19 :
日本@名無史さん :04/11/14 01:20:52
20 :
日本@名無史さん :04/11/14 02:29:03
関西人は日本唯一のチョンゴロイド!
21 :
日本@名無史さん :04/11/14 08:04:28
関西人はHLAから見ると朝鮮人よりモンゴル人の方が近い。 関西人のB52-DR2は10%だが、朝鮮は2〜3%、モンゴル人は5%。 日本人と朝鮮人のHLAの種類は6割も違う。 日本人と朝鮮人は全然違う。 弥生人は遼東半島を経て、朝鮮半島西岸を南下して朝鮮半島南東部から 九州北部に入ったのだろう。
22 :
日本@名無史さん :04/11/14 10:54:35
日本人と朝鮮人のHLAの種類は6割も違うのだが、関西人は同じなんだよ!
中国の江南流民が半島流れ、自らの故郷の地名を付け入植、半島の江南民が日本に移民しその土地を江南と 名付け入植。
24 :
日本@名無史さん :04/11/14 11:37:01
上海旅行に行ったら、あんまりにも関西人と顔形が似ていて びっくりしたよ。
中国が負けそうになったら・・・(ryの彼も何となく・・・(w
>>22 在日と知らずにサンプリング対象にすればだろう。
いくらなんでも。
27 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:29:00
弥生人の起源は江南で間違いないよ 江南から東シナ海を越えて 韓半島を経て来た
28 :
日本@名無史さん :04/11/14 15:42:38
関西人に一番多いHLA、B52-DR2は、関西人には10%以上だが朝鮮人は2〜3%。 関西人と朝鮮人はこれくらい全く違う。
29 :
日本@名無史さん :04/11/14 15:46:40
江南のB52-DR2は1%未満で全くお話にならない。
30 :
日本@名無史さん :04/11/14 19:59:11
渡来人は本当の意味では稲作など持ってきてはいない。 渡来人が来た時、既に日本は水田稲作をしていた。 稲作は6500年以上前に日本に入り、朝鮮半島には日本の縄文人から朝鮮の土着民 に約4000年前頃に伝わった。水田稲作も約3000年前頃に日本に入り、 同じ頃に朝鮮半島南部にも伝わっていた。つまり渡来人が来る約6〜700年前には 既に日本も朝鮮半島南部も水田稲作をしていたのである。 既に水田稲作をしていた日本に、渡来人が持ち込んだという稲作文化は 朝鮮半島南部の稲作文化の中に中国の影響が見られるという。 渡来人は遼東半島あたりから朝鮮半島に侵入して、朝鮮半島南部で初めて稲作と 出会ったと考えられる。
31 :
日本@名無史さん :04/11/15 12:21:32
渡来人=ボートピープルでFAなの? 関係ないけど韓国はなんで韓国なんですか? 韓非子の子孫?
32 :
日本@名無史さん :04/11/15 12:42:57
弥生文化が縄文人が始めた説で激しく疑問なのは じゃあなんでアイヌ語と日本語通じないんだよ?ってこと 縄文人が主体だったらアイヌ語が日本語になるはずでしょ?
>>32 時代背景と民族性をまるで理解していない馬鹿発見。
34 :
日本@名無史さん :04/11/15 20:26:16
日本全国にまんべんなく広がった縄文人は琉球に多いタイプのDNAを持つ縄文人。
つまり縄文人と言えば、琉球に多いタイプのDNAを持つ縄文人の事。
おそらく25000年前にシベリアから樺太に入り、日本全国に広がっていったのだろう。
先発の琉球に多いタイプのDNAを持つ縄文人に遅れること5000年から10000年後、
ようやくアイヌに多いタイプのDNAを持つ縄文人が樺太に入ったが、日本全国に
あまり広がり切れなかったと考えられる。
関東と中部の縄文人骨の形質が違うそうだが、やはりアイヌに多いタイプのDNAを
持つ縄文人が関東に流入してきたからではないだろうか?
また、リンクの表から朝鮮や台湾にも、琉球に多いタイプのDNAを持つ縄文人が
日本から渡っている事も同時に分かる。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
35 :
日本@名無史さん :04/11/15 20:36:58
縄文人とアイヌはDNAから違っているんだよ。 つまりアイヌは縄文人とは異人種だった訳だよ。 アイヌは縄文人のかなり後に樺太に入り、縄文人の後を追っかけて いったんだと思われる。しかし、時すでに遅し。 アイヌは日本全国にあまり広がれなかった。 縄文人はそれくらい飛び抜けて足の速い集団だったんだよ。
36 :
日本@名無史さん :04/11/16 14:52:45
無理があるな縄文人≒後のアイヌ民族と考えたほうが蓋然性があるよ
38 :
日本@名無史さん :04/11/17 17:46:19
あるよ
39 :
日本@名無史さん :04/11/17 20:49:13
琉球とアイヌはDNAのみならず、HLAでも全然違うんだよね。 むろん本州人とも全然違う訳だが。 形質では両者は似ているが、琉球人は短頭、アイヌは長頭。 両者は元は同じだっただろうが、シベリアで分かれたのだろう。 先に樺太に入ったのが琉球タイプの縄文人、 後に入ったのがアイヌタイプの縄文人。
40 :
日本@名無史さん :04/11/18 21:35:46
DNAで見ると、本州人のDNAの50%は、中国に多いDNAと韓国に多いDNAが 半々で混ざっている。 HLAで見ると、日本人最多のB52-DR2はモンゴル東部あたりに多い。 さあ、おまえらも この謎を解きなさい。
41 :
日本@名無史さん :04/11/18 21:50:00
B52-DR2は、 西日本人には13%もあるが、韓国には2〜3%しかなく、 華北にはたったの1%しかないが、モンゴルには5%に上がる。 その源流はモンゴル東部らしいが、モンゴル東部自体のデータまでは 分からない。
高句麗人しか考えられんだろw つまり日本が一番高句麗人に近いと言う事だ。
43 :
日本@名無史さん :04/11/18 22:59:00
ソースは?
44 :
日本@名無史さん :04/11/18 23:03:52
渡来人が日本に来た時、高句麗なんてまだ無かったはずだが。
45 :
日本@名無史さん :04/11/18 23:29:56
BC4C頃の朝鮮北部とその周辺は、 半島北西部に華北人による古朝鮮、 半島北東部にワイ、満州南部に貊、満州南東部に粛慎、 満州南西部に東胡、内モンゴルに匈奴。 ワイ、貊、粛慎は満州系、匈奴と東胡は蒙古系。 モンゴル東部に地理的に一番近いのは東胡。
46 :
日本@名無史さん :04/11/18 23:40:43
満州族の人は超短頭だが、内モンゴルの人は中頭。 弥生人の頭骨に近い。 華北人が朝鮮に侵入する前に、モンゴル東部から満州南西部、 満州南西部から朝鮮半島西部を通って、朝鮮半島南東部に至って、 九州北部に渡ったのではないか?
おいおい! 小麦の文明といわれていたインダス文明の遺跡から、稲のプラントオパールが見つかってるぞ!! インダス文明の後期(BC2000年頃)には稲作が行われてたんだよ、チンカスども!! チョンコだ山東だモンゴルだ? どうでもいいんだよ、クソども!!
「穢」「貊」は満州系でも蒙古系でもない。 「粛慎」→「邑婁」はツングース系。 「東胡」→「烏桓」はモンゴル系。 「匈奴」はトルコ系。
49 :
日本@名無史さん :04/11/19 22:07:03
「匈奴」はモンゴル系・トルコ系の二説がある。
50 :
日本@名無史さん :04/11/19 22:44:22
HLAで見ると、西日本人は朝鮮人とは全然違うが、モンゴル人とはかなり近い。
しかしモンゴル人は酒に強い。
52 :
日本@名無史さん :04/11/20 01:08:25
53 :
日本@名無史さん :04/11/20 02:45:12
モンゴル族でも今のモンゴル国のモンゴル人 南方系新モンゴロイドの赤のGM遺伝子は日本人よりずっと多い。 日本人に近いのはブリヤート人。
>>49 匈奴は、昔はトルコ系とモンゴル系に分派する前の古アルタイ系とする説もあったが(今でもあるが)
最近はやはりトルコ系とする説がいくらか盛り返してると聞く。
(いくらか強くなった程度で、定説になったわけでもなんでもないが)
しかしモンゴル系という説はきいたことがないぞ。
なんだこの池沼を装った釣りスレは・・・。 しかもおまいら考古学板でやれよ・・・。
56 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:10:54
53は白痴か?
57 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:27:00
>>53 そのとおり
GM遺伝子ではっきりとそうなっている。
58 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:32:13
タイ人の下戸率は5%しかない。 タイ人はもと雲南にいた華南人。 つまり華南人は酒に強い。 酒に弱いのは華北より北の人種。
59 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:35:25
>>57 自作自演はいいけど、南方系新モンゴロイドは頂けないね。
お笑いだよw
60 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:43:23
>>59 自作自演だけどいいじゃん。そのとおりなんだから。
61 :
日本@名無史さん :04/11/20 18:54:53
下戸遺伝子は突然変異
62 :
日本@名無史さん :04/11/20 19:38:13
あのーそもそも、 江南の漢民族は、漢の滅亡とともに絶滅したと考えれば、 現在の江南の民族と日本人を比較する方がどうかしてると思うのですが・・・ 漢民族は、日本列島にガラパゴスのように閉じ込められたと思われます。 大陸はこの2000年ぐちゃぐちゃです。
63 :
日本@名無史さん :04/11/20 20:04:28
日本に来たのは華北人が朝鮮半島に進入する前に 朝鮮半島に侵入したモンゴル東部人。
64 :
日本@名無史さん :04/11/20 20:26:22
モンゴル東部→満州南西部→遼東→朝鮮半島西岸→ 朝鮮半島南東部(稲作GET!)→対馬・壱岐→九州北部 それとも、 モンゴル東部→内モンゴル→遼東→朝鮮半島西岸→ 朝鮮半島南東部(稲作GET!)→対馬・壱岐→九州北部 のいずれか。
65 :
日本@名無史さん :04/11/21 00:38:44
66 :
日本@名無史さん :04/11/21 14:04:33
その図の役割ももう終わった。 B52-DR2の起源はモンゴル東部。華北ではない。 日本人最多で平均10%、西日本人にいたっては13%も見られる。 しかし韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか見られない。 つまり華北から来たとは考え難い。直接モンゴル東部から朝鮮を経て 日本に入ったのである。 B46-DR9は中国南部に起源を持つと見られるが、本土日本人で5番目の 頻度で2.2%しか見られない。江南から入ったかどうかも疑わしい。 B54-DR4は本土日本人で4番目の頻度で3.1%ほどしか見られないが、 沖縄では6.1%も見られる。 今まで中国南部に起源を持つと見られてきたが、シベリアのブリアート・ モンゴルや満州族でも1%以上認められ、南方系とは言えなくなっている。 縄文人の持っていたHLAという可能性も高い。
67 :
日本@名無史さん :04/11/21 14:10:45
HLAで見ると、華北や江南ではなく、モンゴル東部が圧勝なのだよ。
68 :
日本@名無史さん :04/11/21 14:16:09
>>66 その図のB52-DR2の出はモンゴル東部も含まれてないか?
>華北人は1%
華北のみの1%なのか、中国全体の1%どっち?
中国全体の1%ならばかなりの人数だろう
69 :
日本@名無史さん :04/11/21 14:20:35
華北のみ。
70 :
日本@名無史さん :04/11/21 14:38:32
HLAで見ると、驚くべきことに江上波夫の騎馬民族説が再浮上 してくるんだよね。 ただし、そのまんま騎馬民族で来たのではなくて、遼東あたりで 華北文化に、朝鮮南部あたりで稲作文化に洗練されて日本に やって来たとは思うが。
71 :
日本@名無史さん :04/11/21 15:06:40
騎馬民族って北九州の極一部だけじゃん
72 :
日本@名無史さん :04/11/22 12:05:14
だからさーそういう%の数字が似てる似てないって意味ねーだろ? 中華が上書きされて辺縁は取り残されただけと考えるのが自然だ 離島や陸の孤島は新しい波の影響をあまり受けなかっただけで だからって離島と陸の孤島が繋がってるわけじゃないだろ だって日本人と似てるのはいつもモンゴル、チベット。いいか?チベットだぞチベット。遠すぎ 新潟震源の地震があって新潟が震度5、東京と福井が共に震度3だったとする それを見て東京の地震は福井から来た!だって数字が同じだもんとかいってると同じだよ
73 :
日本@名無史さん :04/11/22 13:37:50
大陸にしがみついた人々と、海を渡り和合した人とは 遺伝子や肉体的に似てると言っても違う。 日本に文化を伝えてやったと云うが、 彼等は大陸に魂を引かれた人々の集まりで 大陸を喰い潰そうとしているのだ。 あの北京でさえ砂漠に飲み込まれようとしている。 それほどに大陸は疲れきっている。
74 :
日本@名無史さん :04/11/23 01:44:41
科学の力は偉大なり。 中国とはあまり関係が無かった。 弥生人の正体はゲルマン民族大移動よろしく、 民族大移動してきたモンゴル東部人。
75 :
日本@名無史さん :04/11/23 01:55:59
江南起源だと日本でも女頃して田んぼに埋めてたってことになるので拙い
76 :
日本@名無史さん :04/11/23 11:58:35
科学的に見ると、B52-DR2を高頻度で持つ集団がモンゴル東部から 朝鮮半島を一気に駆け抜けてきて九州北部に上陸した事になる。 朝鮮半島にほとんど足跡を残さないという足の速さから、当初は身軽で 移動しやすい数十人〜数百人くらいの少数集団だったのではないか? 当時日本には既に稲作はあったが、彼らは朝鮮南部で初めて出会った水田稲作を 九州北部に持ち込み、稲作を更に進化させていくと同時に生産経済を確立する。 安定した生産によって少数だった集団もどんどん人口が膨らみ、 ついに九州北部を抜け出し、山陰にまで広がり、日本海側を北上していく。 やがて彼らは山陽、近畿にも広がり始め、倭が形成されていった。
>>76 そんなわけないだろ。騎馬民族の支配者なんて少数で、先住民の多くを支配するんだからな。
もともと分布してたところに半島だけ別の勢力が食い込んできたとみるべき。
78 :
日本@名無史さん :04/11/23 13:13:12
B52-DR2の起源はモンゴル東部。 日本人最多のHLAで本州日本人に平均10%もの高頻度で検出される。 西日本人にいたっては13%もの高頻度で検出される。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
79 :
日本@名無史さん :04/11/23 13:23:40
弥生人は新大陸から結核菌と回虫を持って来た 支那人は昔から迷惑者
80 :
日本@名無史さん :04/11/23 13:26:26
支那人って日本人に出る蒙古班あまり出ないだろ。
81 :
日本@名無史さん :04/11/23 13:31:54
あれは蒙古、満洲、朝鮮、日本人に現れる 支那人には回虫と結核が出る
82 :
日本@名無史さん :04/11/23 14:03:24
酒が飲めないいはゆる下戸は、太古の昔に一人のあるモンゴル人の体内に起きた 遺伝子の突然変異が原因である。 そのモンゴル人の血を引いてゐるものだけが先天的に酒が飲めない。
モンゴル人は物凄い酒豪だが(笑)
84 :
日本@名無史さん :04/11/23 21:34:24
85 :
日本@名無史さん :04/11/23 21:39:42
>>83 で、結局ソース無いんだろ?
脳内ソース君w
86 :
日本@名無史さん :04/11/23 21:50:53
>>83 三重県人、愛知県人は日本でもトップクラスの下戸率だが、
そこの出身の俺は物凄い酒豪なんだが(爆)
87 :
日本@名無史さん :04/11/23 22:28:58
>ハンギョスは東北アジア民族と頭形態を比べた結果でも韓国人は耳から >脳天までの頭高さが高い一方モンゴル人は低く現われるなどモンゴルで >分離した単一民族ではない可能性が大きいと指摘した. 朝鮮人はモンゴル系よりツングース系が強い人種。 だから日本人より下戸が少ない。
88 :
日本@名無史さん :04/11/23 23:28:24
下戸遺伝子は江南のはず 蒙古に下戸遺伝子とは私も聞かない
89 :
日本@名無史さん :04/11/24 00:30:39
結局そのソースはない。 江南なんてウソ! 下戸遺伝子は北方にいた新モンゴロイドのもの。 ただし持たない新モンゴロイドの集団もある。
モンゴル人が下戸なんていったら笑われるぞ。
91 :
日本@名無史さん :04/11/24 10:55:26
だからね、日本列島だけは人種のガラパゴスなんだって。何でわかんないの? 大陸中原なんて、人種の大移動の連続で一定の集落が続いたためしがない。 華北や江南は、遺伝チェックの意味ないよ
そう言うことなんだがアフォが多い。 平和ボケでその裏のヤバサも気づかん。
日本人種は列島で独自に発生、進化しますた
94 :
日本@名無史さん :04/11/24 19:19:57
>>75 人身御供なんて日本でも普通の習慣だろ
>>82 モンゴルで下戸なんて普通に死にますね。死に絶えます
茶以前は馬乳酒がぶ飲みしてビタミンとってたのに
95 :
日本@名無史さん :04/11/24 21:37:18
―― 確かにそう考えると、図表1のような都道府県別の色分けも納得できますね。
そういった意味では、コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、
若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいるというのは、歴史と照らし合せて
考えると、かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、
とても興味が湧いてきます。
http://www2.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
96 :
日本@名無史さん :04/11/24 21:40:57
モンゴル下戸は死なず、 ハンガリーやインドでも生きてますw
97 :
日本@名無史さん :04/11/25 20:38:39
私の場合、周囲のモンゴル人が珍しく下戸であったり、超マジメであったり、
私自身、女であることが幸いしてか、まだそれほどまでの攻撃は受けていないが、
それでも、右手にアルヒ(モンゴル・ウォッカ)、左手にシミン・アルヒ
(乳から作った自家製蒸留酒)の杯を持たされ、両手が下ろせなくなった状態で、
バター状になった乳製品の油(客用に作ってくれたご馳走である)を飲まされた
ことがある。
http://www.gld.mmtr.or.jp/~shiho/homepage/essay2.htm 周囲のモンゴル人が珍しく下戸であったり
周囲のモンゴル人が珍しく下戸であったり
周囲のモンゴル人が珍しく下戸であったり
周囲のモンゴル人が珍しく下戸であったり
98 :
日本@名無史さん :04/11/25 20:40:35
周囲のモンゴル人が下戸という事は、モンゴル人の下戸は本当は 珍しくはないのではないか?
>>98 思いっきり酒豪だよ。モンゴル行ってみれば?
100 :
日本@名無史さん :04/11/25 22:41:44
酒豪なんてどこにも居るんだよ。 日本で下戸率の最も高い地域である愛知岐阜三重静岡出身の 酒豪なんか腐るほど居るだろ。 中国の下戸は中国北部に多いそうだよ。 下戸は中国の北から侵入したんだよ。 中国の北、 つまりそれはモンゴル。
101 :
日本@名無史さん :04/11/26 02:48:23
モンゴル人は、昔からモンゴルにいたの? 日本人だけが移動した?
>>100 >中国の北、
>つまりそれはモンゴル。
はああ?
日本人の42〜45%の人は酒に弱いタイプです。ちなみに、ベトナム人は53%、中国漢民族は45%、 モンゴル人は30%、韓国人は25%、フィリピン人は13%、タイ人は8%、黒人や白人、アラブ人、インド人は0%です。
104 :
日本@名無史さん :04/11/26 03:39:18
もともとの縄文人は酒に強かった。 酒に弱いのは弥生人が持ちこんだ特徴。 弥生人はインドシナ半島あたりで発祥し、 その後北上して朝鮮経由で日本に流れ着いた連中。 ベトナム人と弥生人が共に超下戸なのもうなずけるね。
105 :
日本@名無史さん :04/11/26 18:23:20
やっぱ江南だな
106 :
日本@名無史さん :04/11/26 23:38:21
―― 確かにそう考えると、図表1のような都道府県別の色分けも納得できますね。
そういった意味では、コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、
若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいるというのは、歴史と照らし合せて
考えると、かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、
とても興味が湧いてきます。
http://www2.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
インド人にも若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいる
かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証
インド人にも若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいる
107 :
日本@名無史さん :04/11/27 00:05:35
>日本人の42〜45%の人は酒に弱いタイプです。ちなみに、ベトナム人は >53%、中国漢民族は45%、モンゴル人は30%、韓国人は25%、 >フィリピン人は13%、タイ人は8%、黒人や白人、アラブ人、インド人は >0%です。 で、ソースは? インド人が0%って事は無いし、 このデータ、どこか変ですね。 半分は創作と見たが。 とにかくソースが出ない限り信憑性無し。
109 :
日本@名無史さん :04/11/27 00:23:42
タイ人は8%なのに、ベトナム人は53%ってのは、どう見ても嘘。 タイとベトナムは数百キロくらいしか離れていないんだよ。
110 :
日本@名無史さん :04/11/27 00:36:56
ググっても、そんなソース一切出てこないが。
ググれば直ぐ出てくるがw
日本人の42〜45%の人は酒に弱いタイプです。中国漢民族は45%、モンゴル人は30%、韓国人は25% この辺はもう腐るほど出てるよ。
113 :
日本@名無史さん :04/11/27 07:36:59
だから、早くソースを出せよ。 とりわけ特に、 ベトナム人は53%、モンゴル人は30%、フィリピン人は13%、 インド人は0% のソースを出しなさい。
モンゴロイドにはALDH2の働きが弱い(低活性型)か、またはまったくない (不活性型)人が多く存在します。その割合は民族によってさまざまですが、 なかでも日本人と中国南部の人には他のアジアの人たちよりお酒に弱い人が多いようです。 (筑波大学 原田勝二・Journal of Anthropological Society of Nippon,Vol 99.NO.2.1991)
116 :
日本@名無史さん :04/11/27 14:03:01
やっぱ江南は弱いよな
117 :
日本@名無史さん :04/11/27 14:17:58
下戸の弥生人は突然変異による奇形人間
118 :
日本@名無史さん :04/11/27 21:07:30
>ベトナム人は53%、モンゴル人は30%、インド人は0% なんだ、もう1日も経つのに、出てきたのはフィリピン13%だけか それ以外のこれらデータのソースがちっとも出てこないがどうした? ひょっとして、おまえが捏造したのか? このままだと捏造が確定するぞ。 忘れているだけかもしれないので、温情でもう1日だけ おまえに時間をやろう。 明日の夕方までに、これらのデータのソースが出てこないならば、 自動的にこれらのデータはおまえの捏造だと確定する。
119 :
日本@名無史さん :04/11/28 12:04:46
おらおら、タイムリミットが近づいてるぞ。
120 :
日本@名無史さん :04/11/28 17:53:05
おい、もう夕方になっちまったぞ。 まだソースが出てこないようだが。 捏造確定か?
121 :
日本@名無史さん :04/11/28 20:00:06
ハイ、時間切れ! 捏造確定。 >ベトナム人は53%、モンゴル人は30%、インド人は0% これらのデータは何もソースが無く、捏造されたデータだと判明致しました。
122 :
日本@名無史さん :04/11/29 00:13:44
周辺から推測して、 ベトナム人は10〜15%、モンゴル人は40〜50%、インド人は2〜3% くらいが妥当なところでしょう。
123 :
日本@名無史さん :04/12/05 16:49:51
江南だということが証明されたな
124 :
日本@名無史さん :04/12/06 17:39:04
うむ。照明されたな。コレで満足か?
125 :
日本@名無史さん :04/12/08 16:07:41
漢民族は今でこそ10億以上もいて中国大陸全体を占めている感があるが、 先史時代には華北の、それも西方の「その他大勢」民族のひとつに過ぎなかったわけだろ。 江南にしても山東にしても、非漢民族がたくさんいたわけだ。 それが、膨張する漢民族に滅ぼされたか、同化されたか、追い出された。 いずれにしろ、漢民族はこの限りで侵略者だ。 大陸で滅んだ民族の一部が日本に来ていることは大いにありうるだろう。 ひょっとしたらそれが今の日本人の多数派なのかのしれないし。 遺伝子うんぬんの研究も確かに科学的な感じはするが、現存する遺伝子の相互比較だけじゃなくて、 滅んだ民族の復元を考えないと本当は実情に合わないよな。 邪推に近づくから、学者はやらないだろう。 だから2ちゃんでやる、ってのはどう?
126 :
日本@名無史さん :04/12/08 16:46:47
弥生人のルーツは日本 外国に弥生人なんていない
珍説を唱えて撃沈する前に、少しは勉強するように。
128 :
日本@名無史さん :04/12/08 20:35:49
本州日本人のHLAのB52-DR2の比率は10%、 中国人は華北でさえ、たったのわずか1%。 華南なんてほとんど無い。 中国説って完全に撃沈って言うじゃな〜い♪ 残念!
そもそも日本人なんて高度な混血なんだから、弥生人がどうとか縄文人がどうとか言えないだろ? と言う常識の声が聞こえる。
130 :
日本@名無史さん :04/12/08 22:14:36
いいや。 日本人は混血が少なかった民族。 島国だったせいか、パブロタイプがよく保存されている。 日本人はパブロタイプから見ると東南アジアからはほとんど来ていない。 例えばタイで見られる南方のパブロタイプが日本人には全く検出されないが、 朝鮮人には検出される。 また日本人と朝鮮人はHLAが6割も違う。 朝鮮人はほとんど異人種と言ってよい。 弥生人が持ち込んだ日本人最多のHLAが朝鮮人にはわずかしか検出されない。 しかしモンゴル人からはかなり検出される。 日本人と朝鮮人は新モンゴロイドの部分から違う。
131 :
日本@名無史さん :04/12/08 22:25:52
高度な混血は、むしろ朝鮮人や中国人の方。 分かったかね。 江南狂いの在日中国人の支那竹クンw
日本人のうち、縄文系と思われる遺伝型は 南方系と近いんだが‥ 渡来系と朝鮮南部も、全ど同一人種だし。
133 :
日本@名無史さん :04/12/09 17:33:10
そりゃあまた古い説を
シベリアで二重目になるかよ、政治的な理由だよ。 そろそろヤバイゾ。内々のセンズリネタは。
135 :
日本@名無史さん :04/12/09 21:44:48
>>132 やれやれ、とり残され過ぎ。
手遅れか?
>>134 縄文人は25000年前の間氷期に列島に入ったシベリアン。
まだ新モンゴロイド化していない。
>>135 2chで出回ってる、一部狂乱学者の珍説を信じるなよ‥
あふぉすぎ。。。
137 :
日本@名無史さん :04/12/14 21:05:11
だよなぁ。シベリア舐めすぎだろ 北海道とは桁がちがう寒さなんだぞ アイヌ民族(続縄文人)の衣装見ても防寒適当だしさ
138 :
日本@名無史さん :04/12/14 21:19:26
縄文人もアイヌも前の間氷期のシベリアンだよ。 前の間氷期のシベリアンとは、つまり古モンゴロイドの事。 縄文人はアイヌとはDNAから異人種だが、 両者とも前の間氷期のシベリアのどこかにいた。 gm遺伝子から見てもアイヌと縄文人の血の濃い琉球などは 完全にシベリア系。 その後、氷期になり、シベリアに残った集団は新モンゴロイド に進化し、列島に入ったものは古モンゴロイドを維持した。 そして現在、我々は次の間氷期にいます。 今も氷河期である事を知らない輩が多いが、実は今も氷河期の 真っ只中なのだよ。 ただ間氷期だから温暖なだけで、今も立派な氷河期なのだよ。 氷河期は200万年前から始まり今も続いている。
ゆんゆんですね、琉球がシベリア系って‥ 目をクリーニングに出した方がいいかと。。
だからさーGmは日本人とシベリア諸民族が afb1b3(例のサイトの赤色)の洗礼をあんまりうけてないってだけで 同祖だって証拠にはならんと思うのよ afb1b3の描く波紋の同心円上にあるってだけの話でしょ
141 :
日本@名無史さん :04/12/15 00:37:32
前の間氷期って…。リス=ヴュルム間氷期が終わったのって7万年前だろ? 縄文時代が始まったのいつよw? そりゃさ縄文時代より以前にも日本には人いたけど縄文人との連続性は確認されてないだろ
142 :
日本@名無史さん :04/12/15 20:40:55
>>139 縄文人が本州から九州に入ったのが13000年前。
九州から琉球に渡ったのは8000年前。
縄文人が樺太からやって来たシベリアの古モンゴロイドなのは言うまでもない。
>>141 前の氷期は20000〜12000年前。
それまでが前の間氷期。
143 :
日本@名無史さん :04/12/16 01:42:23
どうやら根本的な知識が間違ってるやつが居るな もう少し氷河期について勉強してくれ シベリアだの古モンゴロイドだの言うのはそれからにしろ
144 :
日本@名無史さん :04/12/16 06:36:59
おまえがな。
145 :
日本@名無史さん :04/12/16 08:23:53
寒くなれば南へ。 暑くなれば北へ。 縄文期は暑かった。 縄文人が北から来たというヤシは頓馬。 北から来たのは旧石器人だ。 縄文人は南から。 これ常識。 弥生時代はやや寒気だが、農業が発達してきていた時代に簡単に移動する事はないだろう。 北方民族は船に乗るのは得意じゃない。 移動したのは呉越の戦争で戦乱を避けて逃げてきた半農半漁の江南人というのが妥当。 魏に朝遣してきた倭人も自ら呉の末裔といっている。
上の段は全面的に同意 ただ、江南から来たのは旧世代の渡来人でしょ 弥生人は朝鮮半島南部の人々が渡って来たと推定するのが妥当。
147 :
日本@名無史さん :04/12/16 12:15:13
そもそも朝鮮南部は倭の領域でしょ その「倭」がどっからきたかの話であって
釣りにしても滑稽無糖すぎるな
149 :
日本@名無史さん :04/12/16 20:16:24
日本人最多のHLAであるB52-DR2の起源はモンゴル東部。 本州日本人に平均10%もの高頻度で検出され、 西日本人に至っては13%もの高頻度で検出される。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。 日本人と朝鮮人は新モンゴロイドの種からして違う。 つまり、朝鮮人は異人種です。もちろん華北人も。 しかし、モンゴル人には5.9%も検出される。
あほ‥ 極一部だけを切り取っても意味無いの。。。
151 :
日本@名無史さん :04/12/16 21:27:22
あほはおまえ。 華南人のB52-DR2の頻度、0.?〜0%。 華南人が弥生人である可能性と同じくらいのパーセンテージだねw
2段めに関して「だけ」はその通り あとはアホすぎ‥
153 :
日本@名無史さん :04/12/16 22:33:33
おまえの根拠はもう三国志以外に何も無い。 おまえは既に裸の王様。 あとの人生は三国志を聖書のように解釈するだけに費やして果てよ。 アハハハハハ
154 :
日本@名無史さん :04/12/16 22:36:15
>>1 ふーん。
日本人の祖先は、様々なルートで日本列島に何次にも亘って渡来してきたんじゃないのかね?
江南以外からは、誰も日本に来なかったんだ。
そんな説があったなんて、初めて知ったよ。
155 :
ぼん :04/12/17 00:13:15
愛知県江南市
156 :
日本@名無史さん :04/12/17 17:39:53
157 :
日本@名無史さん :04/12/17 22:53:11
>>156 華北や半島から来たわけが無いと書いてあるが?
決め付けが嫌いなだけ。
自分だけが正しいと言っている様で不快。
いろんな連中が、いろんな時代に、いろんなとこから来てたんだろ。
渡来人は江南からも来てるが、弥生人となると朝鮮南部だしね。
160 :
日本@名無史さん :04/12/18 07:33:06
ただ、朝鮮半島人が来た訳じゃないけどね。 朝鮮南部は単なる通過点。
161 :
日本@名無史さん :04/12/18 11:01:19
弥生時代のキーとなった集団は江南だろ だいたい朝鮮半島の内部の稲作開始年代って 時代とともに南下じゃなくて北上だぞ。陸路がどうでもいい証拠だ
162 :
日本@名無史さん :04/12/18 18:09:44
◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半 国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学 協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化 物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は 紀元前十世紀後半」と発表した。 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。
渡来人がやって来るずっと前から水田稲作は日本にあった。 つまり水田稲作は渡来人から始まったものではない。 渡来人は移動通過点の朝鮮南部で朝鮮南部式の水田稲作を 九州北部にただ単に運んだだけ。
>>164 渡来人は江南からも来ているから稲作に関しては、その時に伝播したんじゃないの?
ただし、弥生人となると話は別。
166 :
日本@名無史さん :04/12/18 21:41:22
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは
焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の
弥生遺跡に共通する特徴です。そうしたことから私は、ひょっとすると
縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで
目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。
縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、
朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの
曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性
があると思うわけです。
―― なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。
確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が
朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析と
いうのは、本当にいろいろなことが分りますね。
http://www2.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html
167 :
日本@名無史さん :04/12/18 21:53:42
稲作は6500年前から日本にあるし、8000年以上前から縄文人は 海洋民になっていたから、農耕民の江南人が日本列島に来る理由より、 海洋民の縄文人の方が江南に渡っていた理由の方が強いんだよね。 静大の佐藤教授など、学会も縄文人自身で持ち込んだという学説が有力。 ただし、朝鮮半島ではなく江南あたりで直接縄文人が学んだのだと 思うが。
168 :
日本@名無史さん :04/12/18 22:00:43
CHLAーA24−B54−DRB1*0405(DR4) 本土日本人 3,1%、 沖縄人 6,1%、 韓国人 1,2%、 中国朝鮮族 0,9%、 中国満族 1,2%、 シベリア・ブリアート人 1,3% このハプロタイプは、文献(a)では、国内では、南方に偏っており、 沖縄での最多ハプロタイプであり、南九州・南四国・東海・神奈川でも 比較的多いとされ、中国南部でも多いとされていましたが(つまり江南 などの南方出自を窺わせる)、文献(c)では何とシベリアのブリアート・ モンゴルや、中国満族(満州族)でも、認められ、このハプロタイプの 起源も南方系とはいえなくなりました。以前は、このハプロタイプを、 江南出自の百越の一派で、あるいは水稲耕作をもたらした集団とも考えて いたのですが、とりあえず、不明とせざるを得ません。「夏人」のハプロ タイプである可能性も含め、いろいろと考えていますが、周辺諸民族の 頻度、特にチベット族などのそれが解らないと決定困難だと思われます。
169 :
日本@名無史さん :04/12/18 22:01:51
170 :
日本@名無史さん :04/12/18 22:07:01
パブロタイプから見ても、江南、華南のHLAともに少なくて弱い。 しかも江南起源と言われていたHLAも北方民族でも結構見られるため、 今や起源も南方系のHLAとは言えなくなってきた。
171 :
日本@名無史さん :04/12/18 22:49:29
河姆渡が7000年前で 岡山の朝寝鼻貝塚が6000年前だったら 稲作自体は発生からわずか1000年で伝播してるし 思いっきり縄文時代だから実は弥生の始まりと稲作って関係ないんじゃないの? 弥生って何かね?って話になってくるな
172 :
日本@名無史さん :04/12/18 23:17:49
鉄じゃね? 呉越は鉄器を用いてたけど秦は青銅器だったらしいね
173 :
日本@名無史さん :04/12/19 00:22:25
違う。 弥生時代の始まり=水田稲作の始まり。 6500年前に縄文人が持ち込んだのは焼畑稲作。 今も世界で一番 魚介類や海産物を消費している国は日本。 縄文漁労民たちは想像以上に頻繁に大陸を海を越えて行き来していたのだろう。
大陸から来てるにしては、旧楚呉越と縄文人は特徴が一致しないけどな 縄文人は、マレー系と江南渡来の混血とかじゃないのか?
175 :
日本@名無史さん :04/12/19 08:03:18
呉の人民って鯨面文身してたんでしょ
176 :
日本@名無史さん :04/12/19 10:36:10
入れ墨も縄文人が稲作と同時に持ち帰ったか、江南人に伝えたか、
どちらかだろうね。
>>174 縄文人の方が中国に渡っていたの。縄文人は漁労民。海洋民。
>>176 >縄文人は漁労民。海洋民。
それは分かってるけど、人相がイマイチ似てないじゃん。
178 :
日本@名無史さん :04/12/19 21:10:23
人が渡航する事と定着する事は別だろうに。 江南と日本は縄文時代から交流しているが、 それは縄文海洋民が一方的に江南に行って文化交流していただけの事。
あぁ‥それは無い、勝手な妄想。 後代になっても、渡航は難事業だったのに 行くだけならまだしも、往復はまず無い。
180 :
日本@名無史さん :04/12/20 20:51:44
縄文人は太平洋中を駆け回っていた元祖バイキング。 今も世界で一番 魚介類や海産物を消費している国は日本。 縄文漁労民たちは漁業を兼ねて海を越え、想像以上に頻繁に大陸を行き来していた。 農耕民の江南人が日本列島に来る理由より、 海洋民の縄文人の方が江南に渡っていた理由の方が全然強い。
181 :
日本@名無史さん :04/12/20 22:59:13
おれ、シーカヤックやるんだけど、小船で大陸まで行くのは結構な大事業になると思う。 対馬−釜山間は、現代のシーカヤックで、天気のいい日を選んで、だいたい10時間ぐらいで渡れるらしいけど、 これは、ほとんど手ぶらの状態。
182 :
日本@名無史さん :04/12/20 23:42:05
朝鮮人はもちろん、台湾人にも縄文人やアイヌや本土日本人の DNAが合せて10%近く検出される。 縄文漁労民は台湾を経由して華南や華中をしばしば訪れ、 稲作を持ち帰ったのだろう。
183 :
日本@名無史さん :04/12/20 23:55:38
>>182 20〜30年に数度、というレベルが限界じゃねぇの?
しばしばというのは、どう考えても無理だと思う。
ただの交易なら年がら年中やってたろ。
185 :
日本@名無史さん :04/12/21 08:53:37
帆はいつごろからあったのよ?
186 :
日本@名無史さん :04/12/23 12:10:56
縄文時代は丸木舟で帆はまだ使ってなかったみたいだね。
なら、縄文漁労民とやらは純粋な海洋民でないな マレー系の海洋民は、早い時期から帆を使ってたらしいから。
188 :
日本@名無史さん :04/12/24 17:10:29
マレー・ポリネシア系住民の太平洋の島々への拡散は案外新しく 3500年前くらいからだろ。この時代だと中国は殷だし 日本は縄文晩期でとっくに水田もある 時代が違うのでマレー人の帆うんぬんは全く関係が無いと思う
189 :
日本@名無史さん :04/12/24 22:55:25
日本人は左翼洗脳され過ぎて、渡来人が日本列島に来るという概念ばかりで、 日本列島人が海外に渡るという概念が欠落しているね。
>>188 マレー・ポリネシア系住民の血が入って無いとすると
縄文人の特徴は、近隣の民族のどれとも一致しない様な。。。
191 :
日本@名無史さん :04/12/25 01:28:54
そりゃそうでしょう。 縄文人は25000年前の温暖だった間氷期の頃のシベリア人だもの。 まだ新モンゴロイド化していない。 温暖な日本列島に入って新モンゴロイド化を免れ、古モンゴロイドを維持した。
アイヌ人は古代インカ人と遺伝子配列がほとんど同じです。
>>190 大陸と島じゃどっちが遺伝学やその他の保存性が高いか
馬鹿でも大体の見当ぐらいつくだろ。
194 :
日本@名無史さん :04/12/25 02:01:40
縄文人は、船を操るのは得意だった=でなきゃ日本列島を共通文化でまとめられるわけがない。 ところが、帆は使わないんだな。 日本人は、小船を自力で動かすことに固執した。弥生以後も、縄文の精神は受け継がれる。 遣唐使の時代でも、ろくな帆船を作らなかった。中国・新羅に学べば訳はなかったのに。 戦国の村上水軍ですら、小船の機動力をあくまで軸にしていた。。 鉄と青銅だな、渡来人の流れを厳密につかまねばならないのは。それこそ弥生人。 鉄は、インド―東南アジア―江南―日本が有力だが、、、日本のほうが出現が早いんだよな、江南より。
>大陸と島じゃどっちが遺伝学やその他の保存性が高いか
>馬鹿でも大体の見当ぐらいつくだろ。
‥まあ、とりあえずは日本語を勉強しろ。
>>191 ゴメン、弥生人の1世代前って意味で使ってるのかと思ってた。
196 :
日本@名無史さん :04/12/25 10:00:38
鉄はいつ頃から日本や江南で出現したのかね?
197 :
日本@名無史さん :04/12/25 15:52:55
>>191 だからシベリア君は間氷期と亜間氷期の区別が出来るようになってから発言しろってば
198 :
日本@名無史さん :04/12/25 18:01:59
氷期以外は間氷期でいいじゃないの。細かい奴。
シベリア君はあまり、ロシアの学者にのせられんこっちゃな。 裏にきな臭い戦略が隠れたりしてるもんだ。
201 :
日本@名無史さん :04/12/30 08:45:18
日本とシュメールは同祖ですよね? www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/kojiki.html
202 :
日本@名無史さん :04/12/30 10:30:54
高卒就職者って就職先決まって祝福されるの? 親とかは心の奥底ではスゲー悲しんでるよ。 オレとかが行ってた大学進学率ほぼ100%の進学校だと、学年350人中2〜3人就職、1人専門がいたが コソコソと冷たい視線や嘲笑い、暴言、哀れがられてたし、この高校を卒業しても気やすく名乗るなよ!って言われてたな。 教師の態度も変わるし卒業式にはとうていでられません。 ある教師が学校の名をけなすクズとか社会の敗者とか言ってたな。 逆に浪人も60人くらいいたが彼らの扱いは将来があるということで学校側がバックアップしてやるぞ!安心しろ!みたいなこと言ってて手厚かった。 この差はなんざんしょ? とりあえず、こんな僕から言わせてもらうと高卒なんか直視できないほど恥ずかしいよ。 だって僕の育った環境からすればアリエナイし同じ人間ってか、高卒は人間ではないんだもん。
203 :
本題に戻り :04/12/30 11:02:57
204 :
日本@名無史さん :04/12/30 11:23:46
そりゃ呉から日本に来た人もいるでしょう。 でもHLAから見てもごく僅かだけだけどね。 むろん彼らが弥生人ではないが。 弥生人はB52-DR2を高頻度に持つモンゴル辺りの人類集団。
205 :
本題に戻り :04/12/30 11:32:43
つうか、現在という時点を取ると呉から来た連中よりはモンゴル系DNAの繁殖率が 高かったのか、多数生き残っているって事じゃないの?弥生時代には逆にモンゴル系 がマイノリティーだったといった姿も想像できるよね。統計的発掘人骨でどこまでな 真実に迫れるのかなー。
206 :
本題に戻り :04/12/30 11:46:44
まー、商(殷)が崩壊する時点でヤンシャオ系の部族がどの程度各地に散ら ばったのかが問題だ。モスコウ北部にまで広がるツングース、アラスカ近辺 まで伸びる粛慎、ビルマ、タイの少数民族、ニュージーランドのマオリ等の 江南文化の爆発も視野において考えてみたいね。こないだもテレビでやったけど 四川省の山奥では未だに老婆に舟形木棺を生前にプレゼントしている。 卑弥呼の時代さながらだね。
207 :
日本@名無史さん :04/12/30 13:51:50
弥生人は日本に来てから増えた事には同意する。 でも弥生人は人類学的見地から江南人じゃない。 江南人が日本に来たという事ばかり考えているからダメなんだ。 その発想自体がダメなんだ。 その左翼発想がダメなんだ。 日本から江南へ行っていたという発想ができないからダメなんだ。
なんと言ったらいいのやら‥
どう考えても、江南、山東、南朝鮮から渡来してきたに決まってると思うが。
>>204 、それは分かったがモンゴル人は何所からワープしてきたのかね?
209 :
日本@名無史さん :04/12/31 09:17:50
674 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/12/31 03:11:04 ID:voFA2wBp この手のスレではNHKなどの番組の影響で アイヌや縄文人など以外は大陸から流入、征服してきたという前提で話しがちだが・・・ もともと日本列島や中国沿岸などアジア全域に海洋民族がまたがって住んでいて とくに日本からは積極的に中国沿岸へでかけていったんだよ。 もともと中国人は泳ぐ習慣もなく、沿岸部にすみついた異民族で「全身にイレズミをいれ 積極的に泳いで魚をとり暮す」連中を恐れていた。 これは昔の日本人の風俗習慣にもぴたり一致する。 かれらは日本からやってきて中国沿岸に住みついたとも考えられるし、その逆もいえる。 まあ国境を越えた同族だな。 そして中国の古代文明が興りはじめたのは山東半島など沿岸部からだったといわれてる。 亀甲文字から漢字を考えたのも彼等だよ。 のちに周など西方の遊牧民帝国に征服されてあとかたもなくなったが。 ちなみに、現代の中国人の一割に、アイヌや縄文系など日本列島固有の遺伝子を持つ者がいる。 つまり中国の一億から2億は・・・
210 :
日本@名無史さん :04/12/31 09:27:54
>>208 モンゴル辺りから東胡という部族が遼東に降りて住んでいたが、
燕人に追われて、その一部が南下し朝鮮半島西岸に一時居た。
その後半島東南部まで行ったのだろう。
そこで土着人と縄文人に出会い、稲作と乗船を取り入れた。
>>210 燕人に追われた北狄はともかく、東胡はモンゴルと関係無いぞ
勝手な捏造か?それとも、そんな珍説があるのか?
212 :
日本@名無史さん :05/01/06 16:41:16
NHKの愛知万博の宣伝番組で 日本は世界で最初に氷河期が終わって温暖化したから 食糧不足で世界初の農耕文明が起こり 縄文土器が出来たって言ってたけど・・・どうなんだろ・・・電波?
4/1の宣伝用じゃないかなぁ‥
214 :
日本@名無史さん :05/01/07 22:47:46
BC2004年にシュメールが滅亡、脱出した民族が、船に乗ってカラチ、モヘンジョダロへ移住、 BC2000〜1600年頃に、崑崙山脈にいたスメル族(クメル族→コウメ→コウメイ族)と融合して、 インド南端などを経由しスマトラ、インドネシア、ベトナムなどを移住しながら、 最終的に日本までたどり着いたものと考えられます。 そしてこの人々が「大和族・海人族」として記憶されるようになったのです。 この海人族は新しい土地に拠点を作り、九州を中心の先住の毛族と共生していったと考えられます。 最大拠点は日向で日向王国=高天原となり、内陸には深入りせず、 主として「津」に船だまりをつくって生活し、 各地に毛族と和合した集落が出来、米作を広めていったと思われます。
215 :
日本@名無史さん :05/01/08 17:21:45
↓江南馬鹿の下戸率捏造が発覚しときの模様 121 :日本@名無史さん :04/11/28 20:00:06 ハイ、時間切れ! 捏造確定。 >ベトナム人は53%、モンゴル人は30%、インド人は0% これらのデータは何もソースが無く、捏造されたデータだと判明致しました。
216 :
日本@名無史さん :05/01/09 23:41:06
217 :
日本@名無史さん :05/01/10 01:25:35
縄文時代や弥生時代に列島に住んでいた人達を、 「日本人」と呼ぶのはいただけない。
218 :
日本@名無史さん :05/01/10 01:29:04
じゃ、帰ればいいんじゃないの?
219 :
日本@名無史さん :05/01/10 02:23:52
>>211 大興安嶺東部の東胡(柔然、烏丸、契丹、鮮卑、拓跋、室韋、
特に「新唐書」室韋伝にある蒙瓦部がモンゴル始祖か?)が
モンゴルと関係無いと言い切れる根拠は?
>>219 生活スタイルが異なるし、文化風習も違う点が多い
何より骨格が違う。
モンゴルは突ケツなんかと同じトルコ系、匈奴に近いかと。
221 :
売国学者 :05/01/10 23:36:19
>1 拙い
だいたい、世界的に古代人の航海能力が見直されているときに、 日本の研究者は、北も南も視野が狭すぎ。 朝鮮は見えてもサハリン・沿海州は見えない。 一方華南や台湾は、この世の果てだと思ってやがる。長江も下流しか見えない。
223 :
日本@名無史さん :05/01/10 23:57:50
>>220 生活スタイルは、東胡は農耕も兼ねているので違うだろうが、
文化風習についてはどう違うのか?
人種、骨格においては、モンゴルも大興安嶺からモンゴル高原に
移住したおり、以前の住民と血が混じりあっているであろう。
トルコ系でも、丁零や突厥の原住地である、セレンゲ河からバイカル湖に
わたる地区や、アルタイ地方では農耕も行われており、これらの
支配支族がモンゴル高原を征服した時には混血もあろう。
現在のトルコ系でカザフ人とキルギス人は、モンゴロイド的であるが、
カザフ人が幅の広い顔で、キルギスの方がやや細面の顔と違いもある
のだろう。モンゴルにおいても地方で違いがあるかも知れない。
224 :
日本@名無史さん :05/01/11 00:53:42
実は骨格は近いんだよ。 弥生人骨は中頭。 内モンゴルからブリアートにかけては今でも中頭の地域なんだよ。 満族や朝鮮族が超短頭だというのに。
>>220 >>223 モンゴルはツングース系ともトルコ系とも違う
ツングース系は半農半牧、トルコ系も部族によっては農耕を行ってたみたいだけども
モンゴルの諸部族は完全な遊牧、それから
詳しくは覚えてないけど葬儀、埋葬の方法や信仰する対象に違いがあった気がする。
トルコ系はコーカソイドだからモンゴル系やツングース系とはそもそも人種がちがうでそ。
>>219 は「東胡」を興安嶺あたりの諸民族の総称と思ってるみたいだけど用語の使い方まちがってる。
>トルコ系はコーカソイド 馬鹿すぎ
228 :
日本@名無史さん :05/01/11 20:06:34
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15) 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2% このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。 又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると 考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c) で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも 高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。 私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に 高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に 南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面 に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・ 民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
229 :
日本@名無史さん :05/01/11 20:29:57
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、 更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住 遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、 更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住 遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、 更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住 遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、 更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住 遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、 更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
230 :
日本@名無史さん :05/01/11 21:24:27
どっから引用してきたんだよ
231 :
日本@名無史さん :05/01/11 22:05:00
>>225 モンゴルの諸部族は完全な遊牧?
モンゴル時代のバイカル湖に住んだメルキトや大興安嶺のオンギラトは
農耕もやっていたのでは。現在のバイカル湖畔のブリヤートや大興安嶺に
住むダブール族は農耕を行っているのではないのか。
つまり民族と言うより環境において違うと思う。
>>226 トルコ系でもシベリアに住むサハ(ヤクート)、アルタイの諸部族は
「新唐書」回こつ(骨+鳥)伝にある結骨の「赤髪緑眼」等を除き、
モンゴロイドではないのか。キルギス、カザフもモンゴロイド要素が
強く、コーカソイド要素はウズベク、ウィグル、トルクメン、タタール
アゼルバイジャン、オスマンと移動するに従い多くなって行くのでは。
それと東胡はどこに住んでいたのか?
中国の史書では大興安嶺地方の諸民族とあるが。
揚げ足とりはやめれ。 匈奴、突厥、昔のキルギスはトルコ系でコーカソイド。東胡、烏丸はモンゴル系でコーカソイド。 鮮卑、柔然、拓跋、契丹はモンゴル系でモンゴロイド。今のキルギスはトルコ系でモンゴロイド。 遊牧民なんかただでさえ混血しまくってんだから例外を言い出したらきりがない。 大枠でいえばトルコ系は言語系統の概念だが人種的にはコーカソイドが主流といってまちがいない。
>>231 バイカル湖畔のブリヤートはともかく
東胡や大興安嶺地方の民族は大概ツングースだと思うけど‥
モンゴル系の部族が居住したことはあまり無いでしょ。
>>232 東胡、烏丸はツングース系じゃないの?鮮卑もモンゴル系じゃ無かった様な。
>>233 何をいってるのかな???興安嶺は今でもモンゴル人が主流でそ。
>東胡、烏丸はツングース系じゃないの?鮮卑もモンゴル系じゃ無かった様な。
東胡、烏丸をモンゴル系というのは鮮卑からの類推。
だから可能性としてはツングース系の可能性もなくはない。直接の根拠はないけど。
鮮卑をモンゴル系というのは鮮卑語が残ってるから間違いない。
若干のツングース系らしき単語が混ざってるが、ほぼモンゴル系で問題ない。
(遊牧民だから多少の混血は当たり前ってことで)
人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島 人類の起源は日本列島
236 :
日本@名無史さん :05/01/12 16:25:41
池沼か?
237 :
日本@名無史さん :05/01/12 22:43:40
>>232 突厥の支配支族はキョルテギン像からモンゴロイドだと思うが。
昔のキルギスは、現在のキルギスとの関連は分からんが、結骨は、
又は「かつかつし」で現在コーカソイド要素のあるハカス族かも。
トルコ系がコーカソイドが主流は?だがモンゴル、ツングースも含め
言語系統の概念には同意します。
>>233 居住というより、219にも書いたがモンゴル系は、大興安嶺から
起こったのではないのか?
大興安嶺地方はエヴェンキ、オロチョンのツングース系両者合わせて
一万人前後モンゴル系ダブールは五万二千人と1973年で古いが、
現在でも内モンゴル自治区となっています。
238 :
日本@名無史さん :05/01/13 10:47:44
アメリカから渡って来たって人いたけど俺もそう思う
>>237 突厥の支配氏族はアセナ氏族で中国人と混血してるんじゃないの?匈奴のらんてい氏みたいに。
昔のキルギスと今のキルギスはほとんど歴史的な関係はない。
昔のキルギスは「その中に時々目や髪の黒いのがいてそれは李陵の子孫という」という記述あり
多数派がコーカソイドだったと推定できる。今のキルギスタンはモンゴロイドだが
中央アジア諸国の民族名はソ連時代にかなり恣意的につけられたみたい。
トルコ系は今のトルコ、中央アジア諸国、ウイグル自治区をみれば
コーカソイドが主流といってまちがいないでしょう。キルギスタンみたいな例外もあるが。
>>237 モンゴル系は蒙古高原で起こったんジャマイカ?
中国の史書に載った最初の部が大興安嶺の部だっただけで。
大興安嶺地方〜とありますけど、ツングース系は女真〜清の時代に全国に散った上に
漢民族と同化したから、少ないのは当然の様な。
ちょうど接点だから、両民族とも混在していたとは思いますが。
>>239 トルコ系は丁零が発祥じゃないの?
どう考えても元はモンゴロイドかと、今は混血が進んでいるから
コーカソイドの要素も強くなってるかもしれんけど。
突厥も亀茲に住んでいた事からしてコーカソイドとは考えにくい。
>>241 丁霊は南シベリア発祥でしょうね、それ以上溯れないのでよくわかりませんが。
ところで、それだとなぜモンゴロイドになるのですか???
>突厥も亀茲に住んでいた事からしてコーカソイドとは考えにくい。
意味がわかりません。亀茲が発祥の地だとでも?
突厥が元来居た地域は亀茲だけど。。
244 :
日本@名無史さん :05/01/13 23:08:13
>>236 突厥の阿史那氏を含め、モンゴル高原や中国を支配した種族の多くは
大興安嶺、バイカル湖畔からセレンゲ川、アルタイ地方等周辺地から
起こり、(丁零、柔然、鮮卑、拓跋、堅昆、契丹、蒙古、オイラート等)
例えばバイカル地方は丁零から唐代の骨利幹までトルコ系(人種は?)、
モンゴル時代のメルキトや湖西側のオイラートは、トルコ化から
モンゴル化された種族で、逆にチャガタイトルコ人の様、モンゴル人が
トルコ語化された場合もあるのでは、ないでしょうか。
>>237 モンゴル時代、モンゴルのキヤト氏族とタイチウト氏族は大興安嶺から
モンゴル高原に移住したが、カタギン氏族やサルジウト氏族それに
オンギラトも大興安嶺に住んでいた。満州人が興った頃も大興安嶺東部の
ノン江等はモンゴル系のホルチン部(清朝帝室の最も高い外戚になる)
が住み海西女真は松花江あたり、建州女真は遼河以東で、吉林省扶余
あたりが、モンゴルとツングースの境界だったのでは。
245 :
日本@名無史さん :05/01/13 23:33:14
247 :
日本@名無史さん :05/01/14 02:54:35
>>246 我が文章が拙文であることは、申し訳ないと認めるとして、
文法的にわかりにくいのは、あなたの読解力にも問題があると思うが。
わかりにくいところを具体的に述べていただきたい。
あなたの言う、私自身の日本語が、篇か編あるいは変なのか知らないが。
>>246 多少説明が煩雑だけど、文章はかなり整ってると思うが。
>>244 モンゴル族とツングースが近縁にあるなんて‥
てっきり、モンゴル−トルコ族が近縁なんだとばかり思ってた。。。
>1 まずいに決まっているでしょ。
250 :
日本@名無史さん :05/01/15 16:17:16
251 :
日本@名無史さん :05/01/15 23:32:13
AHLAーA33−B44−DRB1*1302(DR13)
本土日本人 4,8%、 韓国人 5,1%、 中国朝鮮族 3,5%、
中国北部漢族 2,0%
このハプロタイプは、韓国人で多く(文献(a)(b)では韓国人最多ハプロ
タイプ)、分布は@のA24−B52−DR15と似るも、分布の中心は、
北陸から秋田にかけてとされ、私はこのハプロタイプは、韓族を代表するもの
と、考えました。
分布の中心は、北陸から秋田にかけて 分布の中心は、北陸から秋田にかけて
分布の中心は、北陸から秋田にかけて 分布の中心は、北陸から秋田にかけて
分布の中心は、北陸から秋田にかけて 分布の中心は、北陸から秋田にかけて
分布の中心は、北陸から秋田にかけて 分布の中心は、北陸から秋田にかけて
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
>>248 近縁って?
モンゴル語系とトルコ語系の方が同じ遊牧民として文化的には近縁なんじゃないの?
ツングース語系とモンゴル語系はモンゴロイドとしては近縁だろうけど文化的にはちょっと。
253 :
日本@名無史さん :05/01/16 02:47:48
>>252 環境によって違う。大興安嶺のモンゴル系室韋は「無羊少馬多牛豚」で
多くの粟や麦があり、網で魚を取る。靺鞨は「無牛多豚」で馬も多いのは
満州平野が馬飼育に適していたともいえる。
モンゴル高原や中国を支配した、部族の多くが遊牧民というより、
周辺地に住む、元来森林生活者で、農耕が併用された集団であったと
思いますが。
254 :
日本@名無史さん :05/01/16 12:25:22
255 :
日本@名無史さん :05/01/23 22:05:02
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは
焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の
弥生遺跡に共通する特徴です。そうしたことから私は、ひょっとすると
縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで
目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。
縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、
朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの
曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性
があると思うわけです。
―― なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。
確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が
朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析と
いうのは、本当にいろいろなことが分りますね。
http://www2.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html
256 :
日本@名無史さん :05/01/24 20:45:37
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%
257 :
日本@名無史さん :05/01/26 03:17:32
基本的知識の補充をしたい。 1・ 日本列島は、 北から南まで、人類生息の最適地だった事が 集積跡や縄文土器から証明されるんだが、 朝鮮半島は 文明以前の時期の人類集積跡や、土器などから、 人類の生息地としてどの程度の環境だったと推測できるんだ?
国語の採点をすればいいのか?
259 :
日本@名無史さん :05/01/28 00:13:18
よくわからんが農耕以前は落葉樹林帯が一番すみやすいんじゃないか? 秋に果実がとれるしサケもとれるしな。針葉樹林帯はくいもんがなさそうだし 熱帯は食いもんがあっても疫病が発生しやすいと思う 半島は南部は住みやすそうだか北部が人外魔境なのでそこが蓋をするかたちで 大陸の一部というより列島の一部だったんじゃないかな?テリトリー的に
260 :
日本@名無史さん :05/01/29 11:50:22
実際、韓国人から縄文人のmtDNAが19%ほど検出される。 しかし弥生期の渡来人が持ち込んだと見られる西日本人を中心とした 日本人最多のHLA遺伝子のB52-DR2(DR15)は韓国人はとても低いのに、 モンゴル人は高い。 これら最近の科学の結果は何を意味しているのだろう?
261 :
日本@名無史さん :05/01/29 23:31:13
よく言われる 渤海日本兄弟(扶余)説では、 新羅(朝鮮人)と扶余系は、歴史的に対立関係にあるよね。 モンゴルと扶余が近ければ、 新羅系朝鮮人だけ仲間はずれってことだろ
262 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:30:33
大体弥生人ってなんなんだろうね? 弥生時代の遺跡から出る米の大半は、熱帯ジャポニカ=縄文以来の焼畑の米だそうだよ。 つまり、弥生と言うのは縄文の発展形なのであって、そこにあちこちからの渡来人が いろいろな文化を持ち込んで融合させていったものだ。 弥生人によって歴史が始まると言うのが、もう終わりなんだよ。学会の抵抗は激しいだろうが 今は自然科学というものがあるんでね。 話は変わるが、中国長江流域の 楚 を建国したのは北方アジア系種族だそうだから モンゴルに近い血筋が、長江→江南→日本と来た可能性だってあるぞ。
263 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:52:08
弥生人最大の特徴のB52-DR15(B52-DR2)が江南は全然無い。
>学会の抵抗は激しいだろうが ? 学界にも「激しく」抵抗してる奴はいないだろ?
265 :
日本@名無史さん :05/01/31 05:20:57
中国3000年の歴史で、1位2位を争うほど、 易姓革命の騒乱があった、江南の現在の住人が、 2000年前の住人であったとは到底思えず、 現在の遺伝形質に関係なくても不思議はない。
266 :
日本@名無史さん :05/01/31 11:30:47
268 :
日本@名無史さん :05/02/01 21:36:58
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
269 :
日本@名無史さん :05/02/01 23:26:25
モンゴルと関係無いと
270 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :05/02/02 22:54:39
>>228 >ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15)
>本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
>韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%
この遺伝子の分布の相対比は蒙古斑の分布とにているね。
この遺伝子は中国東シナ海沿岸部の中国人も他地方の中国人より高いはず。
271 :
日本@名無史さん :05/02/03 01:00:37
こっ、こんなところに、大好きさんが!!
272 :
しばらく :05/02/03 10:01:35
ツングース、ブリャート等の中国南部起源を説く外国学者が いるらしい。江南にいたものがシベリア、日本に分岐して進んだ ということはどうだろうか。
273 :
しばらく :05/02/03 10:21:02
これとは別に姜族的なものが満蒙又は山東省経由及び山東省からは秦族が 入ってきている。狼、狐、石像、兵主、徐福伝説がそうだ。神武、モモソヒメ、 タケツヌミ、鴨は鳥夷であり、山東省から三韓経由支石墳、甕棺と共に 入ってきたのではないかという感じがするね。
274 :
しばらく :05/02/03 11:47:23
碧眼金髪の北欧コーカソイドは本来印欧語ではなく、印欧語は 中近東より北上してきた地中海系黒髪のアラブ系コーカソイド が森林地帯で碧眼金髪族と接触した結果発生したとする説があるが この地中海系黒髪のアラブ系コーカソイドがウイグル、タタール及び シュメール、タミール、ウラル、アルタイ言語と関係があるんではない だろうか。印欧語をアルタイ語の下において検討してみよう。
275 :
日本@名無史さん :05/02/03 20:23:25
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
276 :
日本@名無史さん :05/02/03 21:42:41
277 :
日本@名無史さん :05/02/03 22:04:45
華北にはB52-DR2が1%程度しかありませんから〜
残 念 !
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが ~~~~~~~~~~ 突っ込みどころ満載だなw
279 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :05/02/05 00:47:09
ブリアートは何パーセント? 10%以上? 華中東シナ海沿岸部は何パーセント? 2〜3%?
280 :
日本@名無史さん :05/02/05 01:46:33
B52-DR15(DR2)の故郷は本当はモンゴルではなくて、もっと北方の ブリアートあたりだと俺も見ている。 華中はほとんど検出されない。 中国は華北の1%以外、B52-DR15はほとんど無いようだね。
281 :
日本@名無史さん :05/02/05 08:38:02
関西・中国地方・九州北部や、
南朝鮮・モンゴル・古代華北で多い遺伝子はB52-DR2。
つまり、関西人・中国地方人・九州北部人と、
南朝鮮人・モンゴル人・古代華北人は、同一の血を持つ民族である。
まゆ毛から、あご下までが長い瓜実形の顔・
短頭か中頭・せまいひたい・目と離れたまゆ毛・一重まぶた・細く小さい目・浅い彫り・低い鼻・蒙古ひだなどの特徴が完全に一致する。
朝鮮半島北部で、満州人による高句麗=高麗の建国などがあった為、
朝鮮半島北部・華北などでは満州人との混血が起こり、現在の朝鮮半島北部・華北などではB52-DR2は少ない。
西日本人=南朝鮮人=モンゴル人=古代華北人
http://uploader.zive.net/file/10904.jpg
282 :
日本@名無史さん :05/02/05 21:56:19
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
283 :
日本@名無史さん :05/02/05 22:07:19
6000年前から華北には新モンゴロイドが侵入して、在来種と混血している。 にもかかわらず、華北人のB52-DR15は1%。西日本人は10%超。 つまり、華北に入った新モンゴロイドは、日本の弥生人とはルーツの異なる 新モンゴロイドである。 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠古代華北人
284 :
日本@名無史さん :05/02/06 01:02:31
中国みたいな人の入れ替わりが激しい所の「現代人」を調べてなんか意味あんのか? あいつら何度も内戦で絶滅しかかってるぞ
285 :
日本@名無史さん :05/02/06 01:33:52
日本の弥生時代にあたる後漢の時代でも中国人口は、 なんとなんと5000万人も居たんだよ。 たとえ1/10に激減したとしても500万人も居るんだよ。 そんな簡単に遺伝子が変わってしまうような人口規模じゃないのさ。
5000万もいたってのは後漢じゃなくて前漢。 中国四千年の中で瞬間風速的なもの。
287 :
日本@名無史さん :05/02/06 11:59:05
華北から2300年くらい前の骨が見つかり、渡来系弥生人の骨と特徴が同じだった為、
中国の戦国時代の、華北の難民が朝鮮半島に逃れ、その一部が日本に来たという事になる。
手こぎ舟で華北から日本に来るのは難しいが、朝鮮半島最南端から日本は、目視できるほど近い。
現在の華北・朝鮮半島北部でB52-DR2の遺伝子が減ってしまった理由は、
朝鮮半島北部で、満州人による高句麗=高麗の建国などがあり、
朝鮮半島北部・華北などでは満州人などとの混血が起こった為。
韓国南部ではB52-DR2が、かなり検出されるから、
弥生人は朝鮮半島を素通りしたわけではない。
東日本人も西日本人と混血しているから、
全ての日本人に、少なからず、朝鮮人の血が流れているのだ。
朝鮮人をバカにするのは、先祖に対して失礼だぞ。
NHKと国立科学博物館の共同制作番組、NHKスペシャル・日本人はるかな旅で、そう説明していた。
文句があるなら人類学者に言えよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005V47U/249-9198818-8468320
288 :
日本@名無史さん :05/02/06 13:06:15
最初の2行だけがNHKで、あと全部がオマエの創作とはワラッタww
289 :
日本@名無史さん :05/02/06 13:18:13
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
290 :
日本@名無史さん :05/02/06 16:13:37
朝鮮人は入れ替わったって言ってるのに中国は入れ替わってないと言い張る根拠は何よ?
291 :
日本@名無史さん :05/02/06 18:47:11
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15) 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2% このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。 又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると 考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c) で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも 高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。 私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に 高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に 南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面 に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・ 民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
292 :
日本@名無史さん :05/02/06 19:04:16
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
293 :
日本@名無史さん :05/02/06 20:08:23
昔は人類も動物も一箇所におらず
気候や自然環境により北へ南へと移動していた。
つまり、どこでも混在しているということになる。
>>287 その朝鮮人の祖先はry
さらにその祖先はry
というように全く持ってナンセンスなのである。
294 :
日本@名無史さん :05/02/06 20:20:09
つか、おまえがナンセンスにしたいだけなんだろ。 元は同じでも今は違うものは違う。 進化というものを怨むんだな。
295 :
日本@名無史さん :05/02/06 20:31:14
進化?
296 :
日本@名無史さん :05/02/06 20:36:54
297 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :05/02/06 21:07:16
>>287 朝鮮人の成立は600年ほど前でしょう?
朝鮮人の成立は朝鮮語で統一された時ではないでしょうか?
朝鮮半島の北部と南部では生物学的人種(遺伝子)が違うと自分自身も認めていますね。
生物学的に人種が異なり言語も未統一なら、700年前には朝鮮人はいなかったといえますね。
半島南部(特に半島南西部)の人達は700年前までは韓人になりますね。
298 :
日本@名無史さん :05/02/07 01:50:22
半島南部が縄文人で北部が 扶余=弥生人ってことか
299 :
日本@名無史さん :05/02/07 02:40:56
弥生人は東胡だよ。 満州東部にいた夫余とは種族が異なる満州西部から 南下したモンゴル系の新モンゴロイド。
300 :
日本@名無史さん :05/02/07 02:46:43
扶余が弥生人なら、西日本人最多のHLAハプロタイプ B52-DR15の頻度が朝鮮半島人も10%超でないとつじつまが合わない。 でも実際は朝鮮半島人のB52-DR15は1〜2%。
朝鮮人も中国人も入れ替わりまくり。
302 :
日本@名無史さん :05/02/08 00:21:51
>>299 扶余は、満州西北部に起源があり、その領域も、東遼河あたりから
吉林省農安が中心地だったと思いますが。北扶余の後裔の達末婁や達姤が、
唐代に東胡の室韋族(モンゴル部族の起源)の一部とされていた。
いずれにしても、大興安嶺(半農半牧+狩猟+漁労)から、西方の
モンゴル高原に移住し遊牧民化された(柔然、蒙古)部族と違い、
東部蒙古地区といわれた大興安嶺東部や松花江で興ったモンゴル系や
ツングース系の満州諸民族(半農半牧+狩猟+漁労)は、
(鮮卑、扶余、高句麗、契丹、女真、満州等)農耕社会に
同化力が強いという共通項があると思います。
303 :
日本@名無史さん :05/02/08 01:24:14
>>297 朝鮮半島の北部の(北朝鮮北部)と南部(北朝鮮南部から韓国)では
人種、気質が違うと思います。半島北部は、古来より燕人や楽浪等の
漢人が多く移住し、満州蒙古諸民族の影響もあり、南部の韓人とは違い、
遼寧の漢人に似て気性も荒い。
南の韓人では、殴り合いがめったになく、口論がひつこく続き、
終わったと思ったら一時間後も同じ口論をまた始める。
北では、口より先に手というより、相手の顔面に頭突きをくらわす。
満州の漢人も相手を殺傷させる喧嘩が多かったようで、
南北朝鮮は、北に美人が多く南は美人が少ない等も含め、同一民族とは
思えないほどだと、戦前にあちらにおられた人からよく聞いた話です。
むろん、めったに口論や喧嘩をしない、モンゴル系や満州ツングース系は
南北朝鮮半島の人達と気質において大きく違いますが。
304 :
日本@名無史さん :05/02/08 09:45:57
>>300 おいおいB52-DR15君の主張は『朝鮮半島は人間が入れ替わった』だろ?
入れ替わったんだから西日本と同じじゃなくてもおかしくないよ言うことコロコロかえんなよ
>>302 同意。
>>303 は同意できないが‥
>満州蒙古諸民族の影響もあり、南部の韓人とは違い、遼寧の漢人に似て気性も荒い。
殴り合いがめったになく、口論がひつこく続くのは、むしろ漢民族の方だと思う
それに満州に蒙古の諸民族なんて居たっけ?
鮮卑、扶余、高句麗、契丹、女真、満州等を農耕社会と決め付けるのはどうかと思うぞ。
>>287 >手こぎ舟で華北から日本に来るのは難しいが、朝鮮半島最南端から日本は、目視できるほど近い。
とんでもないぞ。対馬はそうかもしれんがな。
いやまあ距離も見えるのもそうでして。 ただ距離ほど行き来が簡単でないのは確かだけど、少なくとも瀬戸内海九州から大阪まで行くのとは 比べものにならない。鹿児島から奄美大島や沖縄行くよりも遙かに行きやすいし。
>>308 >少なくとも瀬戸内海九州から大阪まで行くのとは比べものにならない
は比べ物にならないほど簡単だって言いたい訳?これこそトンデモないぞ
瀬戸内の波やうねりの無さは特筆すべきものがある。潮は速いがな
310 :
日本@名無史さん :05/02/08 18:54:38
311 :
日本@名無史さん :05/02/08 18:55:15
関西・中国地方・九州北部や、
南韓国・モンゴル・古代華北で多い遺伝子はB52-DR2。
つまり、関西人・中国地方人・九州北部人と、
南韓国人・モンゴル人・古代華北人は、同一の血を持つ民族である。
まゆ毛から、あご下までが長い瓜実形の顔・
短頭か中頭・せまいひたい・目と離れたまゆ毛・一重まぶた・細く小さい目・浅い彫り・低い鼻・蒙古ひだ・
大きい歯・薄い体毛・短い手足などの特徴が完全に一致する。
朝鮮半島北部で、満州人による高句麗=高麗の建国などがあった為、
朝鮮半島北部・華北などでは満州人との混血が起こり、現在の朝鮮半島北部・華北などではB52-DR2は少ない。
西日本人=南韓国人=モンゴル人=古代華北人
http://uploader.zive.net/file/10904.jpg
312 :
日本@名無史さん :05/02/08 21:06:10
>関東人・東北人・アイヌ人は、白人と関係が深く、朝鮮人とは無関係。 これは笑うところですか?w >南韓国・古代華北で多い遺伝子はB52-DR2。 ソースは?
313 :
日本@名無史さん :05/02/08 22:42:59
>>305 漢民族の気質も一概にいえず地域によって違う。
山海関以東の関東の漢人は、「関東漢子」といわれ違いがあるのでは。
満州西部(東部蒙古地区)は、現在内蒙古自治区なのだが。
清末の東三省は吉林省扶余あたりまで、以西は蒙古ジェリム盟だったと
思う。現在の吉林省はかなり西まで延びている。
>>306 農耕社会とはゆうておらんのですが。むしろ満州はかって森林地帯が
多く狩猟民という色合いが強いと思う。乾燥地帯である熱河地方は、
遊牧民であるが、農業も兼ねていた。
さらに北の鮮卑系拓跋や室韋の故地に住むモンゴル系ダブール族は、
「戦前、麦栽培等の農業が主で莫大な数の家畜を飼うことはなかった。
鶏を飼い、ノン江での魚釣りと山に野営し狩猟をする。」
近隣のツングース系オロチヨン族が狩猟を生業としているのに対し、
農業の比重が高い。つまり狩猟とともに農耕を兼ねている集団から、
征服王朝の支配者が出ているといえるのだが。
>>309 玄界灘の荒いのは承知の上。
でも、朝鮮−九州は半日だが、瀬戸内海横断は当時なら西→東でも3日はかかる。
しかも瀬戸内諸国に干渉される可能性や、沢山の難所の通過もあるよ。
まして故郷が半島だった人も多い、文物も入り乱れている、日常的に戦争までしてる、
となれば畿内より半島の方が感覚として遙かに近かったのは自明。
ちなみに、「暮れる」が呉(クレ)から来ているとも言われるし、今でもある地方では静か
な日の海岸では中国語が聞こえるというそうな。中国に対しても、畿内より近いという感
覚もあったかもしれませんね。記紀の神代記の「芦原中津国」のイメージが貧弱すぎて、
余計にそう思います。そんな遠方へ神武を派遣したというのは、案外ただの口減らしだっ
たという説にも納得できる部分があります。
関東では木暮とか小暮なんかは、高句麗系の末裔だと言われているんだけどな・・・ 他にも小倉などあるけど。
熊が付く姓も高句麗と縁があるらしいと聞く(ちなみに当方関東人)
317 :
日本@名無史さん :05/02/09 20:36:35
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
318 :
日本@名無史さん :05/02/09 20:37:43
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
319 :
日本@名無史さん :05/02/10 10:03:09
各時代の頭蓋骨を分析して得た頭長と頭幅の比である頭長幅示数をみると、 日本人の頭長は平均196〜182ミリ、頭幅は平均156〜147ミリで、頭長幅指数は77〜86である。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。
320 :
日本@名無史さん :05/02/10 19:45:30
↑終わってしまった形質クン。もう必死w
321 :
日本@名無史さん :05/02/11 15:54:55
どっちみち、渡来系弥生人=朝鮮人だから、全ての日本人に、朝鮮人の血が流れているんだよ。 下の項目が1つも該当しない人は、いないだろう。 下の特徴は、渡来系弥生人=朝鮮人か、満州系朝鮮人の特徴。 まゆ毛から、あご下までが長い瓜実形の顔・ 短頭か中頭・ せまいひたいか、中くらいの広さのひたい・ 目と離れたまゆ毛・ 一重まぶた・ 細く小さい目・ 浅い彫り・ 低い鼻・ 蒙古ひだ・ 大きい歯・ 純血のアイヌ人や白人に比べ、ひげや体毛が薄い・ 短い手足 など 大朝鮮・大中華の血が流れている事を、誇りにして生きよう。 朝鮮人・中国人を、ばかにする事は、先祖に対して失礼だぞ。
322 :
日本@名無史さん :05/02/12 08:38:21
渡来系弥生人=朝鮮人なんて学問系板じゃ、今さら犬も食わないよww 学問系以外の板に都落ちして、アホどもに流布してろよw
323 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:10:33
半島人って怖いね…剣道・侍・空手・焼き肉・ドラえもんはおろか人種までウリナラオリジナルにしてしまう。 なぜそこまでオリジナルにこだわるんだろうか?
324 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:22:27
何を言っても分らない朴念仁なんだね、元右翼って。 朝鮮人が日本を支配後、自分達は天から降りて来た神の末裔などと 日本人に教え込んだ神話にしがみ付いている狂信者なんだから。 朝鮮人に支配されて来た事を認めるのを自尊心がどうしても許さないのだろう。 なんとも哀れと言うか、その結果、朝鮮人が作った天皇制にしがみ付くと言うジレンマに陥っている。
325 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:25:32
なるほど、南朝鮮では歴史をそう教えているのか! いやータメになるなあ。 そのギャグ続けてよ。面白いから。
326 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:42:14
↑ 在日乙
327 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:46:06
神はまず朝鮮半島に降り立ったが そこに住む民衆のあまりの斜め上ぶりに あわてて逃げ出して東方の島国に 新たに国を作り直した これが真相
328 :
日本@名無史さん :05/02/12 09:57:33
朝鮮に瓜二つの神話があるというのなら、天皇が半島から来たという話はわからんでもないが、 全くそうではないし。檀君神話と日本神話に共通点なし。 「文物が朝鮮半島を経由して日本に伝わった」という偏見を捨てる必要があるのではないか? 日本は元来、国土が肥沃で温暖だが、この優位性は古代においてはさらに大きな国力だった。 日本人が朝鮮半島に進出していたというのが実態であろう。 仏教が朝鮮半島を経由して伝わったからといってそれを他の事例に当てはめるのは極端な考えだ。 そもそも朝鮮半島に入ってすぐに、朝鮮人のアレンジなどが加わることなく、 まさしく「経由」しただけで日本へも伝播していた。タイムラグがほとんどないのである。 当時日本が所有していた朝鮮半島の支配地域を経由して伝わっていたとみてよい。 朝鮮人がしばしば誇りとする日本への文化伝播経路には、肝心の現地朝鮮人が関与していない。
330 :
日本@名無史さん :05/02/12 17:36:56
神話なんてもんは、日本を支配した後で作られたものなんだよ。 朝鮮の神話も時の政権が都合の良いようにこしらえたお話だろう。 朝鮮人は日本を支配した後、自分たちの素性をひた隠しに隠して来た。 朝鮮と同じ神話を使う訳が無い。 仏教の伝播は、僧が一人半島を渡って来ればそれで伝わる。 しかし、民族の大移動となるとそうは行かない。 女も子供も老人も居る。家財も、家畜もある。当然何ヶ月も掛かる。 その間の食料も調達しなければならない。 しかも、海を渡るには多数の船を建造しなければならない。 朝鮮人が日本に侵入して来た当時、既に朝鮮半島では幾つもの勢力に分れ激しく鎬を削っていた。 そこに、何千何万の異民族が入って来ることは実際上不可能。 朝鮮半島では、当時既に中国から製鉄技術が伝わっており、それにより作られた鍬、鋤、鎌などの農機具を用いて 農業生産量が飛躍的に伸びていた。 それに伴い人口が爆発していた。 その勢いを得て、鉄製の武器を持って日本に侵入して来たのである。
>>330 今時、それで釣れますか?
早い段階で日本から朝鮮半島に進出していた人々が
関東軍よろしく日本本土に攻め込んできたとは考える力はないのか?
完全な異民族の支配を受け入れるほど日本は弱かったと言うのだね。
侵略者が半島帰りの言葉の通じる同じ民族だったとしたら?
わざわざ日本に古い稲作技術を導入したとか抜かす時点でオワットルだろ。
333 :
日本@名無史さん :05/02/12 18:15:57
西日本人の祖先である弥生人はモンゴルより北方から来た人たちで、 朝鮮半島を軽く素通りして西日本まで流れてきた流民。 朝鮮半島人とは遺伝的にもほとんど関係が無い人々。
331 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 05/02/12 18:12:02
>>330 今時、それで釣れますか?
早い段階で日本から朝鮮半島に進出していた人々が
関東軍よろしく日本本土に攻め込んできたとは考える力はないのか?
完全な異民族の支配を受け入れるほど日本は弱かったと言うのだね。
侵略者が半島帰りの言葉の通じる同じ民族だったとしたら?
日本本土って何?
糞ウヨはヌー速でオナってろよ。
>完全な異民族の支配を受け入れるほど日本は弱かったと言うのだね。
この辺うんこの香りがするな。強いも弱いも当時の半島や日本列島の人口しってる?
335 :
日本@名無史さん :05/02/12 18:42:55
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
336 :
日本@名無史さん :05/02/12 22:11:03
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
337 :
日本@名無史さん :05/02/13 05:00:46
>>329 ええと朝鮮にも天孫降臨型の神話があるんですけど頭大丈夫ですか?
338 :
日本@名無史さん :05/02/13 05:27:32
モンゴル人は義経の子孫だから、日本人とつながりが深いのは当たり前。
339 :
日本@名無史さん :05/02/13 05:28:07
なんですぐ一つに限定しようとするの? 渡って来た人ですら混血かもしんないのに。
340 :
日本@名無史さん :05/02/13 07:29:46
>>180 >縄文漁労民たちは漁業を兼ねて海を越え、想像以上に頻繁に大陸を行き来していた。
>農耕民の江南人が日本列島に来る理由より、海洋民の縄文人の方が江南に渡って..
沿岸航海と渡海航海の難易差を知らぬ現代都市民の妄想だなあ。頻繁に大陸を行き来だ
なんて。邦人が意図的に江南に出向く動機が何もないし。
>>179 が正しい。
342 :
日本@名無史さん :05/02/13 20:13:40
343 :
日本@名無史さん :05/02/13 20:27:55
韓国、台湾にはアイヌによく見られるmtDNAも検出され、 台湾に至っては本土日本人によく見られるmtDNAも検出される。
344 :
日本@名無史さん :05/02/14 03:45:12
宝来氏の研究自体はいいんだけど、発表の仕方が悪質すぎだな
「○○人に良く見られるタイプ」なんて誤解してくれと言わんばかりの命名だ
三島市民という超ローカルなサンプルでもって本土日本人を代表させちゃうのもどうかと思うし
中国人に至っては台湾の本省人。母系遺伝のミトコンドリア遺伝子を扱ってるのに
移民一世の多くが現地人(高砂族)を娶ったとされてる本省人を使うのはちょっとどうなのよ?
>>342 本土日本人に良く見られるタイプといっても別に日本列島で発生した遺伝子では無いから
日本から台湾や半島に人が移動した証拠にはならない。これは理解できる?
345 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:41:49
>本土日本人に良く見られるタイプといっても別に日本列島で発生した遺伝子では無いから >日本から台湾や半島に人が移動した証拠にはならない。これは理解できる? ハーイ、で、そのソースは?
346 :
日本@名無史さん :05/02/15 00:22:32
んなの変異の差で大体いつ発生した遺伝子かわかるんだよ ちったぁ調べろやクズ
347 :
日本@名無史さん :05/02/15 00:42:41
ソースが出せないと上の発言は自動的に捏造としますが。 よろしいですね?
348 :
日本@名無史さん :05/02/15 07:36:12
勝手に思って他所で話して恥じかけば良いな
349 :
日本@名無史さん :05/02/15 12:20:44
中国で、弥生人によく似た人骨が出て来たとNHKで放送してたが、 その遺骨が現代朝鮮人と完全に一致している事は報道したのかな。 してないだろ。偏向してるね。
DNAも案外いい加減だね。 半島でも旧百済地域や加耶地域の当時の人のDNAなんてわからんし、日本だってどんな 時期にどれだけ縄文と弥生が混血したかなんてわからん。 中国だって、異民族の侵入から定住まで、日本列島どころじゃない距離を移動してたりする しね。
351 :
日本@名無史さん :05/02/15 20:53:37
久々に江南電波はけーん! まーたまた、江南ヴォケした在日中国人がおかしな妄想を始めたので、 善良なる日本人種の皆さんは感化されぬよう、充分注意して下され。 >漢化されて長い時間がたつ今でもA型頻度の高さなどの遺伝的形質や文化的親近性を >残している長江下流域周辺(弥生人渡来の時期には呉・越の国)〜山東半島が >弥生人の基盤で呉(長江下流域)や徐福(山東半島、こちらはもっと古い)の大船団で >日本(九州〜近畿。前者は特に瀬戸内海沿岸)へ向かい、彼らの一部だけが北へ向かった >と 考える方が自然だと思う。また弥生人Uともいうべき華南(丸顔・短頭・O型が多い・ >かなり下戸)からは、もう少し少ない人数が三重を中心に近畿・中部三県などに移住した >とすれば、遺伝的な傾向の説明がかなり付くと思う。
352 :
日本@名無史さん :05/02/15 21:11:24
353 :
日本@名無史さん :05/02/15 21:41:43
だいたい、そんな科学の力に頼らずとも、顔だけで分かるじゃない。 中国人は華北人ですら二重が多くて、日本の弥生系と言われている人の 顔とは違うし、江南人や華南人は東南アジア人に近くなり、 顔が全然違っているじゃない。 弥生人が江南とか言ってる奴って目が腐ってるんじゃないの?
354 :
日本@名無史さん :05/02/16 20:29:01
江南人は暖かい方面の顔で、西日本人は寒い方面の顔。
355 :
日本@名無史さん :05/02/16 20:33:12
356 :
日本@名無史さん :05/02/19 11:02:12
◎縄文前期地層から稲の細胞化石、新たな起源論争も 岡山県灘崎町の彦崎貝塚で、約6000年前(縄文時代前期)の地層から、 稲のプラント・オパール(細胞化石)が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期のものとしては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石の 量が大量で、小麦などのプラント・オパールも見つかったことから、町教委は 「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」としている。しかし、 縄文時代晩期に大陸から伝わったとされるわが国稲作の起源の定説を約3000年 以上もさかのぼることになり、新たな起源論争が起こりそうだ。
史跡整備に伴って発掘した際に採取した土を分析したところ、地下2・5メートル
の土壌から、土1グラム当たり約2―3000個に達する稲のプラント・オパールが
見つかった。これは朝寝鼻貝塚の数千倍の量に当たる。
主にジャポニカ米系統とみられ、イチョウの葉状の形で、大きさは約30―60
マイクロ・メートル(1マイクロ・メートルは1000分の1ミリ)。小麦、キビ、
ヒエ、アフリカ原産のシコクビエやコウリャンなども少量見つかった。
これに対し、西本豊弘・国立歴史民俗博物館教授(環境考古学)は「プラント・
オパールは非常に小さく、古い時代の地層に移動するのは普通」として、年代測定など
とのクロスチェックの必要性を強調している。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20050218i516.htm
358 :
日本@名無史さん :05/02/19 11:27:01
河姆渡が約8000-7000年前だからまぁ普通 1000年もありゃ余裕で伝わるだろ 今までがおかしい
359 :
日本@名無史さん :05/02/19 13:25:32
縄文人は漁労民だもの。 中国や朝鮮に行かない方がおかしいわな。
360 :
日本@名無史さん :05/02/19 19:40:12
361 :
しばらく :05/02/19 22:20:04
箕子朝鮮を含む河姆渡文化担架者である東モンゴルタタール系集団が南下してきたと 予想してみたい。トルコ神話では地底の鴨がなんだかを銜えて出てくるそうな。 これを機会にハンドルを鴨禰宜に代えるかな。
362 :
日本@名無史さん :05/02/20 00:53:19
でも、弥生人は朝鮮半島は通過しただけで、 朝鮮半島には遺伝子をあまり残さなかったんだな。 ◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 モンゴル 5,9%、韓国人 1,4%、本土日本人 8,6%
363 :
鴨禰宜 :05/02/20 07:43:45
平壌、大同江方面への無文土器、甕棺、支石墳、細型銅剣の出現を殷/商の崩壊に伴う 山東省方面からの河姆渡稲作文化の移動と見る。他方、扶与族等の満州系神話に卵生 説話が加味されるのはこの文化圏への北方からの満州系種族の南下があったものと考 えられる。箕子朝鮮もこうした動きの中にあったのであろう。
364 :
鴨禰宜 :05/02/20 08:10:38
支石墓は↓河姆渡文化のドルメンから由来するものであろうが
http://mansonge.hp.infoseek.co.jp/mjf/mjf-73.html 細型銅剣は河姆渡文化が北上して紅山文化に入り、遼河方面を経由し
南下する経路をたどるものだろう。紅山文化では牛河梁遺跡・碧眼女神像
が発掘されているが、今年の正月のNHKシルクロードで放映されたウルムチ
近辺のコーカソイドの墓の被葬者が交易で玉を得ていたと伝えられた。楯築
遺跡の神体石にはモンゴルの神像と共通するものがあり、豊前の狛犬石像にも
天竺を思わせる手法が残っているものがある。
365 :
鴨禰宜 :05/02/20 08:32:23
支石墓/甕棺は鳥夷の風習であり、宗教的には黄帝と戦った蚩尤を神と祀る。弥生の
開始と共に背振山脈を囲むように分布する甕棺↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html#1 は次第に姿を変え、スクナヒコナ、神武、ヤマトトトビモモソヒメ等に色々な形で
現れるが、概念的には鳥が羽を広げた木型の葬具、ヤマトタケル伝説などがよく
その内容を伝えている。
九州に渡来したこの宗教がどのように箸墓の大型前方後円墳、兵主神社に開花する
のかを考えると、山東省方面から馬韓、辰韓へと入ってくる第二の波、徐福の影が
大きい。イフク、イフキ、ユフツ、フツ、ホトなどの数多くの言葉とヒボコ、具体的な
形象としてツヌガアラヒト、スサノオ等が蚩尤を表している。スクナヒコナは少昊<皋)
というところか。
366 :
鴨禰宜 :05/02/20 09:03:09
アカルヒメが秦の末裔の王子と離婚して難波に出戻る際に、王子が沢に牛を連れてゆく 農民を畜殺の容疑で逮捕、投獄するというのがあるが、これは秦の始皇帝時代の法匪と いうような風潮を何百年も経てよく残していると思う。
367 :
鴨禰宜 :05/02/20 09:15:01
秦を滅ぼすは胡なりといわれて長城を築いた始皇帝に毛沢東全集を献上したら どうなるかは察するに余りあるが、この胡とはスキタイの末裔であるイラン系、ところが ローマ帝国を蹂躙した匈奴はどうもウラルのマジャール族の様だ。一方月と星を国旗と するオスマントルコはヤクート、アゼルバイジャンなどと同様トルコ系。これが倭国にも 入り込んでいるようでフツヌシが怪しい星があるとして高天原議会で証言をしている。 後世、星辰を信ずるものとされたこの一族は渡来した秦系の影にあった月支系だろう。
368 :
鴨禰宜 :05/02/20 09:22:24
出雲族は蚩尤をスサノオとして中国系から仕入れる一方、大月氏とつながりのあった 月支国からはギリシャ神話、黄泉の国を仕入れ、高句麗からは大武神、武塔神なども 仕入れたのであろう。出雲は海人族のリゾート地であったのかもしれない。
369 :
鴨禰宜 :05/02/20 09:59:53
蒙古の名物として銅製の馬乳缶があるが、銅鐸の起源として遊牧民王族が 河姆渡系の銅鈴を改良して馬乳缶にする途中で発生したということもありえ るんじゃないか。あの円筒形の持つ起源は馬乳を入れる桶じゃなかっただろうか。 吉野ヶ里にも朝鮮小銅鐸みたいなのがあったようだけど楯築あたりで突然 円筒型容器、特殊器台が出現する背景としてはどうだろう。
370 :
日本@名無史さん :05/02/20 10:59:21
遺伝的にモンゴルよりもおそらくもっと北なんだろうな。実際は。 モンゴル周辺の民族のHLAを虱潰しに調べれば、 弥生人の故郷などもう分かったも同然。
371 :
鴨禰宜 :05/02/20 11:44:27
モンゴルの裏はアルタイといって古来コーカソイドとモンゴロイドが雑居 していた地方。
372 :
日本@名無史さん :05/02/20 11:53:30
日本語はアルタイ語に近いんじゃなかったか?
>>372 ウラル・アルタイ語圏であることは確かなようだが、最近の学説からはそう一筋縄には行かないようだ。
>>367 オスマントルコの「月」はコンスタンチノープル陥落に由来するもので
時代からいってまったく関係ない。
月支は馬韓。秦とは関係ない。
375 :
鴨禰宜 :05/02/20 16:29:17
http://www.geocities.com/Pentagon/Bunker/6066/ayyildiz.html 言うまでもなく、半月と太陽/星は事実トルコがイスラムになる前からの古代からの
トルコのものなのだ。
Needless to say, the origins of the Crescent & Sun/star are in fact Turkish from
ancient times, pre-Islamic.
トルコ族はシベリアと中央アジアの草原を馬に乗ってノマド的に移動していた頃、
シャーマニズム、更に大事な点は天神(Tanri)を日月等の他の神格を信奉し帝他のだ。
The Turks believed in Shamanisim and more importantly the one supreme Sky God (Tanri) along side others gods like that of the Moon & Sun, when they roamed nomadicaly on horseback in the steppes of Siberia & central Asia.
376 :
鴨禰宜 :05/02/20 16:38:02
辰王(韓王)は(馬韓の)月支国に治し・・・ 候準(秦始皇帝の子孫の準が姓を韓氏と名乗り)既に僭号して王を称し 燕の亡人・衛満(衛氏朝鮮・戦国時代の燕国の朝鮮侯)の攻奪するところとなる。 その左右宮人を将(ひき)いて海に走入し 韓地に居し、(項羽と劉邦の戦いで逃げた秦始皇帝の子孫の準が)自ら韓王と号す。 漢の時(馬韓は)楽浪郡に属し、四時朝謁す。
377 :
鴨禰宜 :05/02/20 16:40:46
↑これを「平原光沢の地」を得た徐福の子孫とするのが鴨禰宜の仮説。 話が合うんじゃよ。
合ってない。時代もルートもちがう。
379 :
鴨禰宜 :05/02/20 17:05:34
弥生の始まる頃から3000年有余以前に喜界が島カルデラが爆発、火砕流が 指宿に達した。東北以南の列島は厚い火山灰に埋もれた。津波は揚子江を 逆流し不周山を崩した。共工は失脚した。この頃から河姆渡文化の北上が開始 された。それは現在モスクワの北方のツングース、トルコ、イランのアゼルバイ ジャン等に6000年のスパンで移動した。ところが今から3000年頃前気候の寒冷化の せいかモンゴリア高原方面から朝鮮半島を南下する動きが始まった。・・・こんなこと を考えている。面白いのは喜界が島カルデラによって地軸が傾いたような記録のある こと。今回のスマトラ沖では規模が小さくて観測ができなかったが喜界が島のやつは グローバルだったので天体観測で異常が発見できたのかもね。
スパンの長いマクロな話とスパンの短いミクロな話を ごっちゃにいうなよ。他人を説得する気あるのか?
381 :
鴨禰宜 :05/02/20 17:26:00
説得できるかな。
382 :
鴨禰宜 :05/02/20 17:46:34
>>376 補足説明
月氏と馬韓だけど:
ネットで購入した後漢書によると:
「馬韓は最も大きく、ともにその種族の者を立てて辰王とし、目支国に都
を置き、三韓の地全ての王とした。(魏志には「目支国に都を置いた。」
ではなく、「月支国を治めた。」とある。校補は、魏志及び通志は目を
月とし、附載五十余国もまた月支国に作り、ここに目支国とするのは
誤りであるとする。だが、月支は西域の国名であり、魏志及び通志が
月支国とするのは、後の人間が月支国の名をよく見ていたので、憶測
で改めたのではないだろうか。) 」
383 :
鴨禰宜 :05/02/20 18:48:45
385 :
鴨禰宜 :05/02/20 22:01:48
よく目視すると、目支なんて書いてある。無視しようか。
後漢書の「目支」が正しく魏志の「月支」は誤写という説が有力。
387 :
鴨禰宜 :05/02/21 08:03:48
http://www.geocities.jp/hjsxs295/sub04.html 「金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が
1隻現れました。その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗
っていました。そのとき彼女は16才の美しい処女でした。彼女は天神の
命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。許黄玉は、一度も会ったこと
のない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に乗ってきたのでし
た。船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が乗ってき
た船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵
という寺を建ててそこで暮らしました。現在の長游社がそれです。国際結婚
をした首露王は王妃許黄玉との間に10名の王子が生まれました。首露王
は、その中の二人に許氏の姓を与え、代を継がせました。それで、今でも
金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。同じ氏族であることを証明してい
ます。」
http://www.lifeinkorea.com/cgi-bin/travel2j.cfm?TravelID=337 「首露王 は西暦42年駕洛国の始祖で辯韓の故地に国を建て491年間の王
業を築き上げました。 首露王即位7年(西暦48年)にインドの阿踰陀国の公
州 許黄玉が船に乗って到着し首露王の王妃に迎え、 金海金氏のの始祖
でもあります。」
↑後漢はAD100年に西域の国に金印を授与している。
BC3000-BC2000年頃に初期遊牧民がアルタイ・インダス峡谷を往来してい
たような類似岩面陰刻があるという。↓
http://www.silk-road.com/artl/westchina.shtml 昨夜放映されたシルクロードにはトルファンにおけるビルマ人の像があった。
インダス峡谷経由の交易は非常に長期に継続されている可能性は排除できない。
388 :
鴨禰宜 :05/02/21 08:17:40
思い付いたことを全部書き込むなっての 少しは知識を身に付けてからにしてくれ。
390 :
鴨禰宜 :05/02/21 17:38:05
皆さん、思いついたことは全部、どしどし書いてください。但し↑こういう不真面目な もの、中傷は絶対避けましょう。
>>390 迷惑だよ。
>>387 なんか三国史記みりゃ誰だって知ってることだし
それが
>>388 と何のつながりがあるんだ?
意味不明な断片情報はりまくってスレ流しするのは明らかに荒らし行為。
ちゃんとスレテーマに沿った内容を書いてください。
392 :
鴨禰宜 :05/02/22 07:36:30
弥生人の起源が江南だったらなぜ拙いの? (よく言われるのは)ハプロタイプが北方起源を示唆する。 しからば北方起源のものが南下して列島に入るということはないか。 満州の付与系、高句麗、百済がある。しかし、ハプロタイプ的にはモンゴル ないし更に以西の地方からの移動が示唆される。ここで馬韓に月氏と似た 目支なる地名がある。月氏ではないとする声もあるが、首露王とインド王族の 結婚の話がある。九州北部では西域のガラス製品が出土する。インドと中国を 結ぶような広域の交流があるのならモンゴルの彼方と弥生時代の日本、倭国 との接触の可能性はないであろうか。そこに来てNHKでのBC2000年頃、これは 殷の時代であろうか、すでに西洋との交流の遺跡がある。するとヤンシャオ文化 への中央アジア農耕文化の影響も考えられるが、同様にカラスク文化から 紅山文化、遼寧式銅剣、大同江の支石墓、北部九州の甕棺、支石墓文化 の流れによって弥生時代の日本に人が流れる可能性もあるのではないか。
393 :
鴨禰宜 :05/02/22 08:00:38
>>387 >金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が
>1隻現れました。その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗
>っていました。そのとき彼女は16才の美しい処女でした。彼女は天神の
>命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。
物部東遷の「磐舟」の意味が遠距離の部族集団移動という古代のキーワード
であったのかナーと思わせる。
394 :
日本@名無史さん :05/02/22 11:33:09
ハプロタイプなど何の参考にもならんよ いや、勘違いしないでくれ。ハプロタイプ自体が非科学的だと言ってるわけじゃない ハプロタイプが同じだから日本とモンゴルは同祖で日本と中韓は同祖でないというのが非科学的 ではハプロタイプが示している事実とはなんなのか?それは 「日本やモンゴル、西域などの辺境に古い型のハプロタイプがよく残ってますね」 ただそれだけのことだと思うよ
395 :
鴨禰宜 :05/02/22 12:09:18
河姆渡→山東半島→遼東半島→楽浪・帯方、やはりこのコースがないとおかしいね。 ハプロタイプだけをいうとこれがなくなるようで困っていたが、江南、北方両方のコース を考えると無理がなくなる。
396 :
日本@名無史さん :05/02/22 20:08:43
>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。
http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html B44-DR7はタイから中国人に多いHLAハプロタイプ。
朝鮮半島には河姆渡→山東半島→遼東半島→楽浪・帯方、
やはりこのコースで、楽浪郡の華北人を通じて入ったハプロタイプと思われる。
この東南アジアから朝鮮にまで広がるパブロタイプが
日本人にはほとんど無い。
という事は、弥生人はやはり華北人ではないどころか、
中国大陸とは全く関係が無い人種という事になる。
397 :
日本@名無史さん :05/02/22 20:46:23
縄文時代、東南アジアで最も多く日本に渡って来たのはベトナム人です。 マスコミでは、それがバレない様にベトナムでの取材番組があっても、 現地人の顔をなるべく映さない様にしています。
自国の文化全て朝鮮人が起源だって真実が嫌なんだろ? だから必死なのさ。プ
400 :
日本@名無史さん :05/02/22 22:07:20
日本の守護大名っているけど、あれって朝鮮半島から渡ってきた 刀鍛冶(神官)の子孫なんだよ。 つまり 優れた文化を持った人々→神 で、なにが言いたいか分かるよな?そゆ事。 右翼・・・おっと、江南厨w必死だなwwwww
401 :
日本@名無史さん :05/02/22 22:58:07
江南厨も朝鮮厨も同じ電波じゃないの。 弥生人はもっと遥か遠いモンゴルあたりの北方から南下して、 朝鮮半島を素通りして九州北部に上陸後、西日本一帯に広がっただけ。
402 :
日本@名無史さん :05/02/23 02:57:32
>>401 モンゴル人は稲作しないだろ。だから謎なんだよ。
大昔の華北人が難民になってあちこちに拡散したんだよ。 日本にきた連中(弥生人)と東蒙古に逃げた連中だけがたまたま残っただけ。
あほかw
405 :
日本@名無史さん :05/02/23 14:22:11
関東は、朝鮮人が入植して作られた地域であったことが証明されてますよ。 現在でも関東では朝鮮人が大量流入中! 東京圏の大多数が 400年以内の ■ 帰 化 朝 鮮 人 の 子 孫 ■ そもそも徳川家康が嫌がった「江戸」の背景となった 武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、★百済人による入植地だった。 府中は国の司(つかさ)が百済人 と決められていた時期があります。 崩壊した百済の支配層を受け容れ亡命させるためですね。 桓武天皇以来、東夷(あずまえびす!!)が住む関東の姿とは アイヌ系の先住民と朝鮮の百済の人の入植地であり、時代ごとの政権からの派遣の 源氏や平氏が割拠する土地だった。 ( 「 海老〜 」、「 蝦〜 」 ) 7世紀後半以降、 新羅が朝鮮半島を統一するという情勢を受けて、政治的には、 これまでの日本各地の渡来人を東国の 武 蔵 にまとめる必要がおきた。 〓 666 年 「 百済人男女 2千余人 東国移住 」 〓 716 年 「 高麗郡の設置 関東の高麗人 1779人を武蔵国に移す 」 〓 760 年 「 新羅人131人を武蔵の地へ移り住む 」 1600年 1700年 1800年 1920年 1960年 15 万人 85 万人 130 万人 400 万人* 1000万人* 武家に対し、 町人は江戸の全体面積の 15 〜20%の土地に65万人が生活。 多摩川以西はおろか新宿区、世田谷区、目黒区なども帰化大陸、朝鮮人だらけ! 隅田川以東の 足立区〜江東区は 上総の国 で、 江戸ではない。 大凶の地。 外堀以外の地、 埼玉、 千葉、 神奈川も帰化系の人間が大多数にのぼる。 明治以降の不法入国者(関東)も100万以上にものぼる。消えるどころか現在でも急増しているのだ。 韓国人と関東人の強姦好きは、同じ血統だったからなのか!
406 :
日本@名無史さん :05/02/23 20:19:17
>モンゴル人は稲作しないだろ。だから謎なんだよ。 謎にしておきたかったんだろ?w でも、ここの皆さん、弥生人が来るずーっと前の、BC10Cから九州北部や 朝鮮南部に水田稲作があったの知ってますからw 移動途中の朝鮮南部で稲作を覚えた事くらい、馬鹿でも分かりますからw 残念!
407 :
日本@名無史さん :05/02/23 20:23:03
>>402 雲南省にいるモンゴル族の人たちは稲作農業していますがw
408 :
日本@名無史さん :05/02/23 20:59:25
そりゃ、雲南へ行ってから稲作をおぼえたんだろ! 大体、倭人という呼称も元々は漢人が江南に住む稲作民族に対してつけた蔑称だわな。 日本からきた使者が顔、身体に入れ墨をしているのを見て、日本人に対しても 倭人と呼んだんだわ。コイツラ江南の連中と風俗が同じだわ、とな。 少なくとも文化は江南からきたんじゃないかい?
409 :
日本@名無史さん :05/02/23 22:07:24
縄文漁労民の文化の可能性もあるよ。 縄文期の東シナ海は彼らの活動の場だったんだから。
モンゴル人は征服先の民族の名をなのるってことはあり得ん罠。
411 :
日本@名無史さん :05/02/24 00:09:12
603 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:52:41 ID:cpb9odv7 縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。 四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。 その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ 当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。 一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の 五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。 604 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:54:32 ID:cpb9odv7 東京大学名誉教授の埴原さんの分析では先住民(縄文系)と渡来系の混血率は 近畿地方は渡来系9に対し先住民1の割合だった。全国の大学に保管してある 現代人の頭骨を調査して統計処理してみると、日本人全体からみれば近畿人の骨 が異質な形態をしていた。渡来系の影響が近畿では濃厚なのである。
412 :
日本@名無史さん :05/02/24 00:10:01
>>405 各種計測から、
関西人を含む西日本人は、朝鮮人に近く、
関東人を含む東日本人は、北方縄文人≒白人に近い事が判明しています。
朝鮮部○周辺以外の、関東郊外に行くと、ひたいが広く、頭が前後に長い人が圧倒的に多い。
関西朝鮮人・西日本朝鮮人・本家朝鮮人は、ひたいがせまく、頭が前後に短い。
関東人と、関西朝鮮人・西日本朝鮮人・本家朝鮮人は人種が全く違う。
どさくさに、まぎれて、関東人を仲間にしようとするな、薄汚い関西朝鮮人・西日本朝鮮人め。
手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離
朝鮮 0
近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。www
中部 0.012
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048←関東はここ。
東北 0.068←東北はここ。
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118
山口敏「日本人の顔と身体」より
縄文人と現代人の頭蓋計測に基づく、縄文人からのマラノビス距離では
縄文人≒白人0 アイヌ2.8 沖縄3.7 東北6.1 関東7.6 九州9.7 畿内10.2 朝鮮15.8
>>412 縄文人と朝鮮渡来人の混血したのが関東人だろうがw
>>413 縄文と弥生の混血ってのは日本人ぜんぶだろw
415 :
日本@名無史さん :05/02/24 22:16:17
>>412 だから、西日本人と朝鮮人は、形質から新モンゴロイドの血統がともに強いと
考えられるが、その新モンゴロイドの種族がそれぞれ異なっていたというだけだろ。
西日本人はモンゴル人に近い新モンゴロイドで、朝鮮人はそれ以外の
新モンゴロイドというだけ。
たいして意味のある差だとも思えないが。
学問板で嫌韓厨はウザ杉 もの凄い馬鹿に見える もともと古代の人口なんて列島半島合わせても弥生時代中期で10万人程度。 それでどこの血がどうとか何の意味も無い。 さっさと死ねよ。
>>416 というか大間違いだしな‥
勉強してないのバレバレ。
419 :
日本@名無史さん :05/02/25 21:55:29
>>415 関西人・中国地方人は同じ新モンゴロイドだが、
関西人だけ、ぶっちぎりで朝鮮人に近い、
現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。
手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離
朝鮮 0
近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。www
中部 0.012
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048←関東はここ。
東北 0.068←東北はここ。
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118
山口敏「日本人の顔と身体」より
チャーチルは日本人の事を中国人と猿との混血、と言っていたそうじゃないか。
宮ノ本遺跡:縄文から弥生期の住居跡を確認 移行期の遺跡、県南で初−−阿南 /徳島 県埋蔵文化財センターは23日、阿南市長生町の宮ノ本遺跡で縄文時代晩期と弥生時代前期の住居跡を確認したと発表した。 縄文から弥生時代への移行期の遺跡が県南部で見つかったのは初めて。同センターは「弥生文化の広がりを知るうえで非常に 重要な資料」としている。26日午後2時から現地説明会が開催される。 桑野川の水害対策事業に伴う発掘調査として昨年4月から実施した。住居跡は縄文時代晩期(紀元前5世紀ごろ)の地層から 6基、弥生時代前期(紀元前3世紀ごろ)の地層から2基が見つかった。いずれも直径4〜6・5メートルの竪穴式住居。弥生時代 の遺跡からは稲穂を刈るための石包丁などが見つかっており、稲作が盛んだったことを示している。縄文時代の地層からは稲作 道具は見つかっていないが、低地で河川の近くという住居の立地条件を考えると、水田による耕作が行なわれていた可能性が高 いという。なお、県内で同一の遺跡から縄文、弥生両時代の住居跡が見つかった例は、これまでにない。
「丹後王国」裏付けへ期待膨らむ 京丹後 2005年度に発掘調査着手
弥生時代最大級の墳丘墓である京都府京丹後市峰山町赤坂の赤坂今井墳丘墓について、市は2005年度に、
墓の主が眠るとされる「第一埋葬部」の発掘調査に着手する。木棺内の調査は初めて。墓の主に近い人物が葬ら
れたとされる第四埋葬部からは豪華な頭飾りが出土しており、「丹後王国」の裏付けにつながる成果が出るか、早
くも期待が集まっている。
同墳丘墓は、方形で弥生時代後期末(3世紀前半)に築造された。2000年に行われた第四埋葬部の発掘調査
では、多量のガラス製勾(まが)玉などで作られた頭飾りが出土。飾りには中国産顔料「漢青」が使われていたこと
も分かり、かつて丹後地方にあったとされる強大な勢力「丹後王国」の存在をうかがわせた。
第一埋葬部は墳頂部にあり、墓穴は縦14メートル、幅10・5メートルと同時代では国内最大の大きさ。2000年
の調査で木棺が納められていることまでは確認されたが、財政面や時期的な理由で棺内は調査されなかった。
市は、同墳丘墓を「日本の宝。史跡整備をしたい」(中山泰市長)として、新年度一般会計当初予算案に発掘調査
費2200万円を計上。市史跡整備検討委員会の了承を経て、専門機関に委託し、「今年の夏か秋に発掘したい」
(市教委)としている。
第四埋葬部の発掘に携わった市教委の岡林峰夫主事は「丹後の王墓といえる遺跡。発掘が実現すれば、それ
なりの出土品や成果がでるのでは」と期待を膨らませている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050224-00000049-kyt-l26
424 :
日本@名無史さん :05/02/26 01:16:35
>>415 朝鮮人に近いんじゃなくて、新モンゴロイドに近いんだろw
朝鮮人と別種のなw
425 :
日本@名無史さん :05/03/03 22:33:26
朝鮮人は弥生人の血をほとんど引いていない。 ◎B52-DR15の頻度 モンゴル 5.9%、 韓国 1.4%、 西日本 10%超 つまり朝鮮半島はただ通過しただけ。 朝鮮人は弥生人とは別のルーツの新モンゴロイドの種族だと考えられる。
426 :
日本@名無史さん :05/03/05 18:25:02
問題の江南人は弥生人の証のであるB52-DR15が空っぽ。 江 南 人 は B 5 2 - D R 1 5 が 空 っ ぽ !
427 :
日本@名無史さん :05/03/05 18:40:35
>>425 捏造?HLA値にまーだしがみ付いてたの、素人くん。w
西日本人全部が朝鮮系じゃないんだよ。
侵入して来たのは当時の人口比、僅か5%なんだよ。
428 :
日本@名無史さん :05/03/05 19:27:48
偉大な朝鮮民族は優性遺伝子なので、僅か5%でも鼠算式に増えていきますですよ
>>427 50%近くなかったっけ?
膨大な数の遺伝子群の中からHLAだけ比較しても意味無いのは同意。
430 :
日本@名無史さん :05/03/05 22:43:46
>侵入して来たのは当時の人口比、僅か5%なんだよ。 で、そのソースは?
431 :
日本@名無史さん :05/03/07 21:20:01
432 :
日本@名無史さん :05/03/08 19:18:10
弥生人はHLAを使って科学的に見れば、モンゴルからシベリアあたりの、 朝鮮人があまり持たないHLAハプロタイプを高頻度で持つアルタイ系の 単一民族で、朝鮮半島を素通りして九州北部にやって来たのち、 人口爆発して西日本に広がった。 弥生人は単に通過した先々で学んだ農業技術を持ってきただけで、 水田稲作自体はもとから日本にBC10C頃からあったのである。
433 :
日本@名無史さん :05/03/09 18:52:36
>その後の大きな変化は、弥生時代の始まりのころだろう。稲作農耕を >運んできたのは朝鮮半島経由かどうかは別にして、中国長江流域から >その南のあたりの南方系の人々。 アハハハハハ アハ アハ アハハハハハ
434 :
日本@名無史さん :05/03/10 06:05:25
関西から、かなり離れた西日本に住んでいる、弥生系西日本人が中頭・中額なのに対して、 関西周辺人は短頭・短額(狭額)、 関西周辺人は弥生系ではなく、帰化朝鮮系。
弥生系=帰化朝鮮系
>>434 の言う弥生系西日本人=縄文人の色が濃い混血
436 :
日本@名無史さん :05/03/11 01:13:25
関東から九州北部まで短頭なんだが。 関西周辺も短頭化したのはここ100年200年。
437 :
tociguri :05/03/11 02:18:56
弥生人が朝鮮系(朝鮮人の祖先)だったとすると日本語と朝鮮語は英語と ドイツ語位似て居なければならないがそんな単語は殆ど見当たらない。 高句麗語と日本語が40%の共通性があるとしても、40%なら分離後、 5000年位経過しなければそれほどの相違が出て来ないらしい。 ということは渡来人が5%程度で、それも短期間で日本人に同化されて しまったということなのだろう。
438 :
日本@名無史さん :05/03/11 04:26:37
ここか。 たしかにイチミヤあたりは さかのぼれるな。 弥生か。
439 :
日本@名無史さん :05/03/11 18:28:00
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
440 :
日本@名無史さん :05/03/11 23:32:54
441 :
日本@名無史さん :05/03/11 23:36:54
各時代の頭蓋骨を分析して得た頭長と頭幅の比である頭長幅示数をみると、 日本人の頭長は平均196〜182ミリ、頭幅は平均156〜147ミリで、頭長幅指数は77〜86である。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。
442 :
tociguri :05/03/12 01:06:48
とにかく言語が日本語と朝鮮語の間にほとんど共通性がない、ということは日本へ 渡来した半島系の人間が大集団ではなかったということだろう。大集団なら日本語と 朝鮮語がもっと似ているはずだ。 そして日本語の高低アクセントやng(柔らかいガ行音)のある発音は東南アジアや 中国との関連を示し、開音節はマレーポリネシア語との関連を示しているそうで 閉音節の朝鮮語とは大いに異なる点だとされている。 言語から見れば日本語には南方系の要素も大きいということだろう。
443 :
日本@名無史さん :05/03/12 01:11:56
縄文漁労民は台湾を足場にして、江南や華南、フィリピンあたりの 遠洋まで簡単に行っていたらしいから、言葉の影響は受けただろうね。
444 :
日本@名無史さん :05/03/12 02:29:26
446 :
tociguri :05/03/12 05:56:04
朝鮮語は動詞と形容詞が同じ活用をする。日本語は別の活用をする。日本語と文法が 死ぬほど似ているのはトルコ語が一番だろう。特に動詞と助動詞の繋がり方が殆ど同じだ。 朝鮮語と日本語とは過去形の作り方さえ異なるが、トルコ語は動詞の連用形にdi, duを付ける。(日本古語tu) その他 aru,woru>var yoi,ii>iyi などの類似語が あるが朝鮮語にはこんな基本的な単語に類似がない。 数詞にも トルコ語 bir(1),uc(3),doert(4),bes(5),dokuz(9) 日本語 pito, mitu, yotu itu towo の類似があるが朝鮮語とは全然違う。 少し齧っただけでも日本語は朝鮮語よりモンゴル語やトルコ語に近いという印象を 受ける。
本当に少し齧ってるなら、そんな印象は持たんよ 文法が似すぎるほど似ている。
言語構造そのものはうり二つって言ってもいいんだがな。 単語については、短・中期的にもすぐ分化していくって言う説と、逆に単語の方が根幹という説と 決着もついてないので、単語の違いを持って日韓の言語の違いを説明することは何とも言えない。 少なくとも古代朝鮮語とはかなり共通していたのではないだろうか。朝鮮が大陸系が次々に来るこ とによって変形、日本は渡来系支配氏族が多数の旧弥生・縄文混血系や縄文系に同化され、双方 が分化していったと見るのが自然だろう。 ただし、いわゆる朝鮮語族と、北九州や任那の倭人との言語上の関係もまだよくわからないし、難し い問題だね。日本でも海人族、天人族の関係もわかっていないし。
>>448 文法の類似性をもって
言語の親縁性を語っちゃダメ
これ言語学の初歩の初歩だぞ
451 :
日本@名無史さん :05/03/12 12:16:39
453 :
日本@名無史さん :05/03/12 20:56:05
てゆうか、日本語と朝鮮語がにてるのはニッテイ支配のせいもあるんじゃないの。 単語レベルじゃなくて、文法とか表現レベルでも。 独立して朝鮮語が日本語を参考に近代語化したから日本語に似てきたという話を聞いたが。
454 :
tociguri :05/03/12 22:47:43
朝鮮語もかなり研究したらしい大野晋氏は日本語とタミル語の文法が細かいところ まで類似していると書いていたが、朝鮮語についてはそういう発言はないようだ。 単語の類似は高句麗語とは40%程度あったらしいが、40%しかないのは分離し てから4000年ほど経過しなければ出て来ないほど遠い関係ということらしい。 (高句麗語と新羅語も40%程度の類似) 朝鮮語の場合は分離後、7000年以上と言われている。縄文時代の初期にまで遡ることに なり、歴史時代の話ではないだろう。 半島から非倭人系の人間が渡来していても日本語に影響を与えるほどの集団ではなくて 2、3代経過すれば日本語を話す人間になってしまった(吸収同化された)のだろう。
455 :
tociguri :05/03/12 23:01:46
文法が細かいところまで同じ、ということが渡来系の証拠なら、朝鮮人も ツングース系やモンゴル系が渡来して建国した国家だとも言える。 モンゴルもツングースも日本も朝鮮も区別が付かなくなるだろう。 半島南部に倭人が居たというのも第一に言語が異なっていたことが、種族の 特徴になるものと思われる。
456 :
日本@名無史さん :05/03/12 23:30:05
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4% 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である 朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
>>454 そんな教授がいるとしたら電波か馬鹿なんだが‥
458 :
日本@名無史さん :05/03/13 18:34:25
で、問題の江南人は弥生人の証であるB52-DR15が空っぽ。 江 南 人 は B 5 2 - D R 1 5 が 空 っ ぽ !
459 :
日本@名無史さん :05/03/13 18:53:10
『現代の』 江南人な B 5 2 - D R 1 5クンは朝鮮半島は人が入れ替わったと主張するくせに 江南人は人が入れ替わってない前提で話すのおかしくないですか?
460 :
日本@名無史さん :05/03/13 19:26:20
俺は朝鮮半島の人が入れ替わったなんて言った事は一度もないが。 俺は、 モンゴル以北からB52-DR15を持つ集団が南下して、 朝鮮半島を素通りで通過して、九州北部に上陸後、 西日本一帯に広がっていった と提唱しているだけだが。 中国は、中国全土がB52-DR15が空っぽだからな。 人が入れ替わろうが、入れ替わらなかろうが、 弥生人の故郷の候補から完全にリタイアだからね。
461 :
日本@名無史さん :05/03/13 20:19:57
江南くんは考えが幼稚だね。 入れ替わったから2500年前とは違うんだと言いたいんだろうが、 元支配前の昔の方が、中国のB52-DR15はもっと空っぽだったと思われ。
江南というか濃尾平野は遡るとものすごく古くまで言えるな。
463 :
日本@名無史さん :05/03/13 21:39:12
それって濃尾平野と関東の縄文人骨の形質に差があるって話だろ? それは、ただ単に関東にアイヌが流入してきたからだよ。
464 :
日本@名無史さん :05/03/13 21:42:14
それに濃尾平野を含む東海地方に顕著なハプロタイプはB44-DR13. 日本と朝鮮半島に特に多く見られるハプロタイプ。
アイヌが関東に流入???あほかよw
466 :
日本@名無史さん :05/03/13 22:31:21
>>466 そのサイト自体が電波。「アイヌ」は文化概念。つまりアイヌ文化の集団をアイヌ族というので
あって、人種概念ではない。人種概念としてのアイヌは単にアイヌとはいわず「アイヌ人種」
もしくは「アイノイド」という。これをごっちゃにいう奴は似非学者。
アイヌは縄文人の子孫だろ。 本州日本人にアイヌと共通する遺伝子傾向があるのは当たり前。
469 :
日本@名無史さん :05/03/14 00:50:11
>>467 それは国立遺伝学研究所のDNAデータだが。
アイヌは最初の縄文人ではない。
アイヌは縄文人に遅れて列島に入ってきたんだよ。
471 :
日本@名無史さん :05/03/14 01:11:01
樺太からに決まってるでしょ
樺太アイヌは北海道から北上したんだが…?
473 :
日本@名無史さん :05/03/14 01:29:23
もう一度、そのデータをよく見てみな。 北海道、本州、琉球、韓国、台湾。 どこの地域にアイヌによく見られるDNAが圧倒的に多いかな?
474 :
日本@名無史さん :05/03/14 01:39:11
アイヌに見られるDNAってネーミングに騙されすぎだろ
475 :
日本@名無史さん :05/03/14 19:22:59
で、肝心の江南人は弥生人の証であるB52-DR15が空っぽ。 江 南 人 は B 5 2 - D R 1 5 が 空 っ ぽ !
B52-DR15が同じでも、輪の両端が繋がってるだけかもしれんぞ
477 :
日本@名無史さん :05/03/15 11:25:57
そうそう同じ波紋の上にあるだけだろ
478 :
日本@名無史さん :05/03/16 22:42:55
586 :日本@名無史さん :05/03/15 22:33:19
>>581 大陸と言うと中国を思わせるので、モンゴル以北と誤解の無いように。
ちなみに西日本人に飛び抜けて高頻度のB52-DR15(B52-DR2)の
中国の頻度は、山東半島までの華北の北半分でもたったの1%ほど。
華北の南半分以南からはほとんど無くなってしまう。
つまり倭人が中国から渡来した可能性はほとんど無いって事。
? 江南には、タイ族やオーストロアジア系も沢山いたはずだ。 これらの民族が今東南アジアにいるのは、歴史時代以降の民族移動の結果だから、 3000年以上前の民族分布地図ができないと、DNAベースの議論は無理だわな。
480 :
日本@名無史さん :05/03/17 18:23:33
>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。
http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html B44-DR7はタイから中国人に多いHLAハプロタイプ。
朝鮮半島には河姆渡→山東半島→遼東半島→楽浪・帯方、
やはりこのコースで、楽浪郡の華北人を通じて入ったハプロタイプと思われる。
この東南アジアから朝鮮にまで広がるパブロタイプが
日本人にはほとんど無い。
という事は、弥生人はやはり華北人ではないどころか、
中国大陸とは全く関係が無い人種という事になる。
481 :
日本@名無史さん :05/03/17 18:41:05
免疫系に関係するDNAは環境でかなり強い選択を受けるんだが‥ ルーツを探るには全く向いてない
483 :
日本@名無史さん :05/03/19 01:57:56
現代人の人種系統のルーツ分析にはMTDNAが一番向いていないだろうね。 あれは原始時代の今は存在しない人種の事しかわからない欠陥材料。
484 :
日本@名無史さん :05/03/20 01:09:59
江 南 は カ ラ ッ ポ !
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
485 :
日本@名無史さん :05/03/20 01:57:22
しかし 渡来人のルートってなぜ、朝鮮半島からだけになんのかね 半島経由で渡ってくるにも、沿岸ぞいで来ないとだめだろ、道路もできてないし 山とか、今より大木が生い茂ってたんじゃねーの(鉄器がある程度普及しねーと) 近いからって、舟を作る技術や航海術がないと渡れないぜ。 (舟に乗せてもらえば別だろうけど) 潮の流れが海峡は速いし、筏程度じゃ死体しか渡らないよ。
486 :
日本@名無史さん :05/03/20 02:35:45
弥生人はモンゴルから朝鮮半島を侵略しながら通過してきたんだろ。 あとは朝鮮半島南部で對馬の漁労民を捕まえて、 舟をハイジャックすれば良いだけじゃない。
487 :
日本@名無史さん :05/03/20 02:50:34
悪魔のようなやっちゃのう。
>>486 違いますw
遊牧民が平原を避けて山林の多い土地に侵略するワケがない
しかも遊牧民は滅多に定住しませんからw
489 :
日本@名無史さん :2005/03/21(月) 22:09:39
カ ラ ッ ポ の 中 国 & 江 南 も ヨ ロ シ ク !
えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
490 :
日本@名無史さん :2005/03/21(月) 22:56:46
>>488 モンゴル系が、全て遊牧民だと断言出来るのですか。その根拠は?
東胡の烏丸や、あるいは室韋にも農耕の記述も出ているのですが。
バイカル湖畔や大興安嶺で、定住生活をしたモンゴル系の諸民族は
どうなるのですか?
491 :
日本@名無史さん :2005/03/22(火) 02:32:43
しかし、弥生人たちはモンゴル辺りから朝鮮半島を短期間で縦断すた時に やっぱり馬を使ったのだろうか? 誰か教えてエロい人!
492 :
鴨禰宜 :2005/03/22(火) 08:17:23
スサノオは馬の皮を剥いだり、馬で農耕しようとして、生つめをはがされたり 毛を抜かれたりの重罪を受ける。しかしスサノオ神話の本拠地の山陰からは 銅鐸破壊、布留式土器、そして、埴輪等が近畿に南下してくる。狼はモンゴル・ タタールのシンボルであるが東日本へと広がる。布留式土器同時代の箸墓 の周濠からは世界最古と思われる鐙が出土する。岡山楯築遺跡神体石は モンゴル地方に残る立石で囲う墳墓形式で、カザフスタンのタタール古墳同様の 中円双方(ヒゲ)墳(クルガン)、神体石と同一の神像は現在もモンゴル地方に 残る。ホケノ山、鳴門萩原1号墳は楽浪郡と同はん鏡を持つ。こういうことを考えて 天孫地祇の二元対立の意味を見ると、騎馬民族は九州北部辺りで馬の持込を 禁じられたが、古墳労働者として裏日本の四隅、岡山楯築、そして、東瀬戸内海 沿岸で積石、木郭、ついには前方後円墳という成り行きが想定される。
493 :
日本@名無史さん :2005/03/22(火) 08:18:52
>弥生人たちはモンゴル辺りから朝鮮半島を短期間で縦断 ・・・哀れよな。 能動的に移動したという先入観がある人は。 単なる奴隷階層の強制移住だろ。 合理性を超えた民族移動がある場合、それは被支配層の強制移住。 朝鮮人が沿海州の朝鮮族が中央アジアへ移動した事実も、 史料がなかった場合には、偉大な民族の勢力拡大として後世に語るのだろうなぁ。 ・・・哀れよな。
>>490 モンゴル系の大部分は遊牧民ですよ?
東胡の烏丸や、あるいは室韋はツングースだと思うが
バイカル湖畔はともかく、大興安嶺には定住生活をした部族はおらんがな
大興安嶺地域に住み着くのと定住生活は違うし。
495 :
日本@名無史さん :2005/03/22(火) 23:41:29
>>494 モンゴル系の大部分は遊牧民か?環境において違うであろう。現在、
雲南遠征の末裔である雲南モンゴル人や青海の土族も農耕民であろう。
それにモンゴル人が元来遊牧民か?クローソンの「トルコ語および
モンゴル語の研究」から中世モンゴル語の牧畜用語の大部分がトルコ語
からの借用語であるのだが。トルコ語は牧畜、農業用語に豊富で農業と
関連をもつ牧畜民で、牧畜用語にはインド=ヨーロッパ系の借用語も
あり、トルコ人も元来森林地帯に生活する集団であろう。室韋の
蒙瓦部(モンゴル)がツングース系であれば、モンゴル時代の大興安嶺に
住んだモンゴル部族のカタギン氏やサルジウト氏もツングース系なのか?
生活様式がツングースに近いが東胡はモンゴル系であろう。大興安嶺の
室韋も遊牧的要素を否定しないが、農耕と穴居生活の記述もあり、更に
以前の時代、烏丸(遊牧的ではあるが農耕の記述あり)や契丹の地である
シラムレン河(西遼河)の青銅器文化(夏家店文化)の集落は城壁や壕等
防御施設をもつ定着的な生活で、同時に犬、豚、牛、羊を飼育していた、
純遊牧民では無く農主牧副であったといえるのだが。
遺伝子系統と言語系統と生活様式をごちゃごちゃにしてる馬鹿がいるな。 つーか遺伝子厨にはそういうタイプの馬鹿が多い。
>>495 盛り上がってるとこすまんが
烏丸、契丹はモンゴルじゃないですよ。
498 :
日本@名無史さん :2005/03/23(水) 18:23:41
◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
烏丸は言語はモンゴル系だが人種的には中央アジア的なコーカソイド(トルコっぽい奴)。 契丹は言語はモンゴル系、人種は北方モンゴロイド(今のモンゴル人と大差ない)
500 :
日本@名無史さん :2005/03/23(水) 22:21:48
契丹は四世紀にシラムレン流域に定住したモンゴル系とツングース系の混血によるけっこう新しめの新生民族。
499と500は同じことです。 北方モンゴロイドとは別名ツングース人種。 時系列でいえば契丹がモンゴル系というよりモンゴルが契丹系なわけで。
502 :
日本@名無史さん :2005/03/24(木) 19:55:48
HLAを見ると、本土日本人には8.6%、特に西日本人には10%超と超高頻度に見られる日本人最多の
ハプロタイプは、韓国に行くと1.4%、中国華北の北部では約1%ほどしか無いが、モンゴルに行くと
5.9%に跳ね上がる。そうすると日本人最多のハプロタイプはモンゴルあたりから来た北方新モンゴ
ロイドと分かり、韓国人や中国人とはあまり関係が無い人類集団である事も同時に分かる。北方新
モンゴロイドは、まず中国系とアルタイ系に南北に分かれ、更にアルタイ系はトルコ系、モンゴル系、
ツングース系に分かれた事が知られているが、本土日本人はこの中のモンゴル系に近い事が分かる。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm しかし、宝来のmtDNAで日本人のmtDNAを見てみると、それは韓国人によく見られるタイプと中国人に
よく見られるタイプの複合体でしか表されておらず、それが肝心のモンゴル系である事が一切出てこ
ない。つまり、mtDNAでは北方新モンゴロイドは全て韓国人によく見られるタイプと中国人によく見られ
るタイプの複合体としか識別できず、それ以上の種類までは識別できない非常に性能と精度の低い
遺伝学材料であるようなのだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm 何も知らない人間がこんな性能と精度の疑わしい材料で日本人の人種系統を見たらどうなるだろう。
日本人は土着系と韓国人と中国人の混合体といとも簡単に錯誤してしまうではないか。
そういった意味でも宝来のmtDNAは危険極まりない粗悪な遺伝学材料と言わねばならないだろう。
503 :
日本@名無史さん :2005/03/30(水) 17:37:43
てす
504 :
日本@名無史さん :2005/03/30(水) 21:50:05
ツングース人種と言うと、ツングース語、ツングース文化を使うツングース系民族 と勘違いする。 ツングース人種よりも北蒙古人種と言ってくれ。
505 :
日本@名無史さん :2005/03/30(水) 22:03:46
506 :
日本@名無史さん :2005/03/30(水) 22:14:40
縄文人も弥生人もブリアートな気がする。 2万年前のブリアートと2500年前のブリアートが2万年ぶりに 劇的な再会を果たした場所。それが日本列島だったのではないか?
507 :
日本@名無史さん :2005/03/31(木) 03:47:25
>>505 gm型で見ると、ツングース系のオロチョン族やツングース族
(ツングースだけでは、どの部族かわからない)のほうが、
モンゴル、トルコ系のブリアート、ヤクートやツングース系の
エヴェンキ族より黄色のstが多いと思いますが。
508 :
日本@名無史さん :2005/03/31(木) 18:51:46
gm遺伝子の正確さが、HLAによって裏付けされたようなものだね。
509 :
日本@名無史さん :慶長410/04/01(金) 03:52:33
シロコゴルフの『北方ツングースの社会構造』より 「ツングースはこびへつらうことを甚だしく嫌う。 こびへつらわされることも嫌うから、 ツングースは例えばブリアートをこのために嫌うのである。 他の民族集団に於いてはあらゆる形式の偽善や宣言が彼等自身が 知らぬまま発展して、一系の自然な不変の態度となっているが、 ツングースに於いてはかかる態度は見られないことである。 彼等は、見栄を張ることを虚偽の一形式と考える。」
510 :
日本@名無史さん :慶長410/04/02(土) 01:35:56
HLAで次に真っ先に調査すべきは、ブリアート、エヴェンキ、ヤクート、 これら3つの民族のHLAだろう。
511 :
日本@名無史さん :慶長410年,2005/04/03(日) 01:30:43
>>510 調べて来いよ勝手にw この脳内人類学者がっw
512 :
日本@名無史さん :2005/04/03(日) 23:08:09
弥生人の起源に王手!
513 :
日本@名無史さん :2005/04/03(日) 23:25:31
弥生人の起源にチェック!
514 :
日本@名無史さん :2005/04/04(月) 00:52:12
カ ラ ッ ポ の 中 国 & 江 南 も ヨ ロ シ ク !
えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
515 :
日本@名無史さん :2005/04/04(月) 08:40:52
コピペ厨そろそろあぼーん設定するか
516 :
日本@名無史さん :2005/04/04(月) 19:17:50
>>515 また昔のように江南デムパをみんなに聞かせてやれよw
517 :
鴨禰宜 :2005/04/10(日) 18:26:04
518 :
日本@名無史さん :2005/04/10(日) 19:00:43
モンゴルの周辺のHLAをしらみ潰しかけろ。
519 :
鴨禰宜 :2005/04/10(日) 19:04:25
Analysis of Mitochondrial DNA Lineages in Yakuts ↑これってどうよ。
520 :
鴨禰宜 :2005/04/10(日) 19:05:13
521 :
日本@名無史さん :2005/04/10(日) 19:17:00
DNAではルーツ解明はかなり難しいんだよ。 なぜなら、弥生人が渡来してから日本は日本で土着系と 混血してるし、ルーツとなった人種もその後、 他の人種と混血している。 それに、mtDNAを例に挙げれば、モンゴル人であろうがブリアート人 であろうが、新モンゴロイドは全て、中国人に多いタイプと韓国に 多いタイプ、その2つのmtDNAが比率を変えて合わさった人種としか 出されてこない。 今のところHLA以上のルーツ解明方法はないだろうね。
522 :
日本@名無史さん :2005/04/10(日) 20:21:04
どのデーターでも朝鮮半島は日本列島と大陸の中間にあるな。
523 :
鴨禰宜 :2005/04/10(日) 21:05:56
524 :
鴨禰宜 :2005/04/10(日) 21:22:04
525 :
鴨禰宜 :2005/04/11(月) 13:26:03
>>514 日本人におけるモンゴル地方とのHLA共通点、神社の石囲い(瑞垣)、鹿の神聖視、
狼、狛犬、狐信仰、道祖神、地蔵の起源は楯築遺跡>石板墳墓文化(ザバイカル・
モンゴル青銅器初期鉄器時代(BC7-3世紀)・・・
表面には駆ける鹿の像を彫刻した石板、往々にして板状石柱(鹿石
http://oldchita.megalink.ru/archeolog/plate_thumb/deerstone.gif )の囲いをめぐらしてある。石板墳墓文化を残した牧畜民族の物質文化
(青銅製器具武具および獣文)は南シベリア文化(カラスク、タガール文化)
との多くの共通点を持つ。)にある。
http://oldchita.megalink.ru/index.htm この文化を具現化した渡来神がスサノオである。スサノオは三韓北部から辰韓経由で
日本に入るが北部九州で倭国女王辛国息長大姫(大目尊)に排斥され出雲を経て楯築
で崩御、その子孫大国主オオナムチは東進し大和に入る。この文化的足跡はナマハゲの
お面が楯築神面石同様エウロペイド要素を残す長頭形であったり、鹿の踊りが広く関東、
東北にも普及することから、稲作文化を越えてエミシの領域にまで拡散したことを示し
ている。思想的には狼、鹿のほかに月、星に関連するものであり、後に道教的なものと
習合している。
石板墳墓文化についてはネット上ではサーチにかからないのでこの書き込みが本邦初
かもしれない。
なお、石板を円形にする墳墓は韓国にあった記憶がある。
526 :
鴨禰宜 :2005/04/11(月) 14:16:23
>和邇(烏桓)、烏丸 ・・・・・・。
528 :
日本@名無史さん :2005/04/11(月) 22:31:03
529 :
日本@名無史さん :2005/04/11(月) 22:36:30
530 :
日本@名無史さん :2005/04/19(火) 19:20:13
531 :
日本@名無史さん :2005/04/20(水) 23:16:19
>>530 イラナさんは、ホルチン部(地方、北緯41度〜47度、東経116度〜
123度の概ね大興安嶺以東の東部蒙古地区、満州西部の遼河が中心)
出身ですね。
清朝(満州人)の帝室の最も地位の高い外戚であり、順治帝の皇后も
そうでしたね。
モンゴル人でも、満州蒙古人といわれたホルチン部とチャハル部や
ハルハ部とでは、HLAでも違いがあるのでしょうか?
ホルチン部の方は、イラナさんの様なタイプが多いという印象でしたが、
ハルハ部の方は、やや顔の幅が広い方が多いと思いました。
532 :
日本@名無史さん :2005/04/20(水) 23:34:38
そりゃHLAの違いはあるよ。 B52-DR15の頻度だって変わってくるだろう。 HLAの種類は1000万近くもあるのだ。 つまり世界の人種を地理的に1000万分割できる ピンポイント爆撃機のような恐るべき超ハイテクシステムなわけ。 モンゴルだけでも何千にも分割できるんじゃないか?
533 :
日本@名無史さん :2005/04/20(水) 23:45:23
弥生人の故郷をピンポイントで撃ち抜くことができるのがHLA。 ただし、そこまで調査できればの話だがなw
534 :
日本@名無史さん :2005/04/22(金) 06:44:24
水稲と鉄は江南だ。だれがなんと言おうと、こうなんである。歴史の事実。
535 :
日本@名無史さん :2005/04/22(金) 19:20:34
536 :
日本@名無史さん :2005/04/22(金) 21:09:25
なんだろ。な〜チョンよ。 チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン チョン 朝鮮半島からはるばるきたよ。 ちょんちょんチョンチョンチョンチョンチョン 463 45654648546546574+5 44546 45465464654654646546878321 吉野ケ里遺跡もつくったよ。 チョンチョンンチョンチョンチョチョンチョン チョン98756454 チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン そののちキンキにわたってよ チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン 大和政権つくったよー チョンチョンチョンチョンチョンチョン チョン 薩摩の島津ももちろんチョンだよー チョンチョンチョンチョンチョンチョン 九州隼人もチョンだよー チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン 犬でもなんでもたべるのよー チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン
537 :
日本@名無史さん :2005/04/23(土) 22:49:53
頭のおかしくなった朝鮮人かw
538 :
日本@名無史さん :2005/05/03(火) 01:34:17
中国人の起源が日本人だったら何か拙いの?
539 :
日本@名無史さん :2005/05/03(火) 05:51:19
縄文地域のやつにとって、 関西を煽れるかどうかが問題であって 学問的なことなんてどうだっていいのだろう それか、朝鮮関係者 日本人の祖がモンゴルや中国だと都合が悪くなるのだろう
540 :
鴨禰宜 :2005/05/03(火) 07:10:10
縄文時代中期、今から、5千年以上前に喜界カルデラの地球規模の噴火があり、 縄文人は、多分、各地に離散したと思う。この時の津波、地震は江南を直撃した はずで彼らもまた南北に離散を始めた可能性がある。そうしてはるか北方のアルタイ 方面まで移動した後、また、半島経由列島に向けての南下が始まったと言うことだろう。
541 :
日本@名無史さん :2005/05/03(火) 11:27:04
稲作は縄文時代からあったかも知れないという学者はいるが 江南に見られる水田稲作は完全に弥生人が日本に持ってきたものだよ あと弥生人骨も多数見つかっている
542 :
紹興酒 :2005/05/03(火) 11:58:00
ラオチュー老酒とは、中国産の醸造酒の総称である。特に紹興酒を指す。 その製法は米、小麦、に薬草を加え麹に相当するものを加えて作る。 醸造酒であり米が原料であることから、日本酒に近いといえる。 紹興は、春秋時代の越の本拠地といってよい。このことから、弥生人は江南 からともいえる。 が、そもそも、民族源流というものは特定されるべき性質のものに非ず。
543 :
日本@名無史さん :2005/05/04(水) 22:26:33
◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半 国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学 協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化 物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は 紀元前十世紀後半」と発表した。 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。
544 :
:2005/05/04(水) 22:27:05
545 :
:2005/05/04(水) 22:38:29
在日中国人が居るから、みんな気を付けてくれ。 水田稲作の開始は紀元前十世紀後半で弥生人渡来の5〜700年近くも前。 つまり水田稲作は縄文人が輸入して持ち込んだもの。 弥生人が来たときには既に水田稲作はあったんだよ。 弥生人は農業技術を持ち込んだだけで水田稲作など 持ち込んではいない。 弥生人の末裔である西日本人にふんだんに見られる遺伝子は モンゴル人と一致するものであって、これが中国人にはほとんど無い。 逆にタイや中国にふんだんに見られる遺伝子が日本人には無い。
546 :
日本@名無史さん :2005/05/07(土) 20:34:47
547 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 03:57:46
古墳時代以降、朝鮮人は満州人などと混血して、B52-DR2・B44-DR13は半減しているから、 それ以前、朝鮮人にB52-DR2・B44-DR13は、現在の倍以上は、あったと計算できる。 一方、日本は、古墳時代以降は、総人口と比べて大量移民と呼べるものは、なかったから、HLAは、ほとんど変化していない。 B44-DR13は、縄文人・最多地帯の関東で5.7%と低いのに、 縄文人・超過疎地帯の関西・濃尾平野付近では6.6%〜10.7%に、はね上がる。 この事から、B44-DR13が縄文人のものではないという事が、わかる。 B44-DR13は、渡来系弥生人=古代朝鮮人が、朝鮮から日本に持ちこんだもの。 >東京大学名誉教授の埴原さんの分析では縄文人と渡来系朝鮮人の混血率は >近畿地方は渡来系朝鮮人9に対し縄文人1の割合だった。全国の大学に保管してある >現代人の頭骨を調査して統計処理してみると、日本人全体からみれば近畿人の骨 >が異質な形態をしていた。渡来系朝鮮人の影響が近畿では濃厚なのである。 > >「B44ーDR13」は関東で5,7%とさほど多くない。 >韓国は7,0%で北陸7,2%から秋田に多く、近畿6,6%、 >東海10,7%でも頻度が高い。日本中央部に多いタイプ。 > > >「B52−DR2」は日本人全体で最も多い。 >韓国1,8%華北2,8%モンゴル5,9%とモンゴル人に多い >ハプロタイプ。山陽で13,8%九州北部で13,5%近畿で13,1% >山形、福島でも12〜13%関東は9,4%南九州や青森、岩手で6%前後 >沖縄で2%程度。 B52-DR2は韓国で2-3%くらい検出される。
548 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 03:58:56
>縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。 >四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。 >その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ >当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。 >一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の >五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。
549 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 03:59:40
大阪平野人&濃尾平野人などの関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイドだが、 大阪平野人&濃尾平野人などの関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。www 中部 0.012←濃尾平野はここ。 中国 0.035 九州 0.035 四国 0.038 東京 0.048←関東はここ。 東北 0.068←東北はここ。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より
550 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 20:37:39
Λ_Λ <丶`Д´> <ということニダ
551 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 20:44:58
キチガイの立てたゴミスレだな。 この自大野郎が。
552 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 20:53:20
どうも、ルーツ工作や人種工作も、古代史工作同様に 在日ホロン部どもの対日戦略の一環みたいだね。 日本人は人種とルーツに疎いから狙われるんだよ。 今後はこの辺の知識も日本人は力を入れて在日の工作を 徹底的に排除していかないと日本人は危険だよ。
手遅れちゃ手遅れだよもう。
554 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 20:59:54
↑張本人ね
555 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 21:08:46
江南とは上海や蘇州のあたりなのか?
556 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 21:09:17
/ ̄\ .r ┤ ト、 パチンコ (´`) ∩ |. \_/ ヽ (´ヽ )i⌒i,| | __( ̄ | `ヽ !、∪ノ`.|第七十三代学生横綱 | __)_ノ ) ノ ヽ___) ノ (()) (_ノ⌒ ̄ (⌒) i⌒ヽ ,〜((((((((〜〜、 ノ ~.レ-r┐つきひざ | 〉 ( _(((((((((_ ) ノ__ | .| ト、 三十路/ ̄ヽ ノ (/ ~^^^^^~^^~ヽ ) 〈 ̄ `-Lλ_レ′ | ノ_/、/⌒i( ;;;;;;;; ;;;;;;;; )  ̄`ー‐---‐/´) / ̄ヽノ i / i. ( -=・= =・=- ) i´ヽ/ ノ 6勝9敗据え置き | i |⌒iノ/ ( (oo) ) / ノノー―‐┐ `ー ´;ヾ `~' i ( )3( ) ―イ ´ノ ーーイ `ヽ ⌒ヽ/ ヽ (____二二二_____) (、 ̄´ 〈 ___ノ i 〉  ̄`ー―-(_ノ/⌒ーー 、 ヽ / 増廚に届け、この思い! i (⌒ ,ヽたるんだ腹 `ー /^‐━, ヽ_( ̄ ̄ ,) 無気力相撲 /ノ―、='、 / ̄`ヽ´ ̄ヽ_ i (_ ̄_ ノ /´ / / ̄`i、 / / ) ヽ(____ノ ノ 丿 l | `i 〈 ヽ ,ノ⌒ | 〈 l 〈 〉 | / ヽ_ , _ |合資会社増健商店 ゝ ,/ ノ i i! 〉 〉 ヽ、 ノ (_ノ|, 、|| ヽ⌒ヽ | | | ⌒ヽノ ヽ_ノ \_ノ
557 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 21:25:08
相撲なのか八卦掌なのか
558 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 21:28:09
華南人=カナン人 つまり、華南人とは古代イスラエル建国時に追放された原住民だったんだ!!!
559 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 21:35:03
その追放は失楽園とは違うのか?
560 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 22:48:07
561 :
日本@名無史さん :2005/05/08(日) 23:02:56
霊性の違いということか。まあ動物というだけではないからねえ。
関西が朝鮮人だと困る→関西の日本人 関東が朝鮮人だと困る→関東の日本人 東北が朝鮮人だと困る→東北の日本人 九州が朝鮮人だと困る→九州の日本人 関西でも関東でも東北でも九州でも なんでもいいから朝鮮人にしたい→朝鮮人
563 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 03:23:46
陳滅亡で、500万人を切った、万里の長城以南の漢民族 は、 どんな遺伝子を持っていたのだろうか? 現代の中国人は鮮卑系の子孫である。 中国や朝鮮と日本人の遺伝子が違うというのは、 日本人は、鮮卑系の遺伝子と違うという意味でしかない。 日本人が、2000年前の江南の漢民族と遺伝子が違うとはいえない。 旧江南漢民族と、日本類型モンゴル民族は、全く違う遺伝子だろうか。
564 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 03:30:24
みんなモンゴロイド
>>563 鮮卑系の子孫は12世紀に滅んだ。その後の華北中国人は契丹人女真人渤海人高麗人の混血。
566 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 07:48:37
>>565 陳滅亡時に漢民族が推計500万というのは、詳細データのあるWEBを見たことがあるが、
12世紀の鮮卑族の減衰は、専門ページを見たことがない。
鮮卑に混血していったというだけの事じゃないの?
567 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 19:43:08
>日本人が、2000年前の江南の漢民族と遺伝子が違うとはいえない。 HLA遺伝子は同じハプロタイプを持っていたら100%祖先を共有する 絶対的なものなんだよ。 その弥生系に飛びぬけて高頻度のHLA遺伝子を華中人はほとんど持っていない。 高頻度に持っている事が分かっているのは今のところモンゴル人だけ。 おそらく、ブリアート、エヴェンキも高頻度に持っているだろう。
568 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 19:53:25
加害者は加害者を広げたがるという法則があるそうだ。 科学者ならわかるだろうか?
569 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 20:04:27
570 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 20:10:06
学識はないということか
>>569 YAP+とgmではチベットと酷似でないかい。
まあ、半島とは関係ないことが分っちゃったのでどうでもいいけどな。
あー。そういえば弥生遺伝子であるHLA−A24−B52−DR15
だけど、中国南部でもでるんだよな。ある地方で。
とはいえ、そのことが弥生人が江南からと言うことでは必ずしもない。
というのも、その部族?は北からの移住者という伝承を伝えていると
のことであったから。
以前netでみたが、だれか挙げてくれないだろうか。
572 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 20:34:24
雲南省の方の蒙古族だろ。稲作民になっているとか。
>>572 お、さんきゅ。
ところでそれはHLAとの関連も指摘していた?
おれがみたのはHLAとの関連であったが。
574 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 21:00:25
元代にモンゴル軍の兵士や官吏として雲南にやってきて、そのまま
定住したのが、現在の雲南に住むモンゴル族の祖先であると言われている。
周囲の漢、イ族などと通婚し、田畑を耕し、湖では魚をとって、中国北部
のモンゴル族とはかなり違った生活習慣であり、今では遊牧民族の面影は
あまりない。言葉も漢語だ。一時期、村の学校ではモンゴル語を教えたこと
もあったが、今は行われていないようだ。
彼らは建築技術にすぐれ、雲南各地で建築の仕事をしている。村を歩くと、
立派な門構えの民家があって、その建築技術のレベルの高さを思わせる。
http://www.asia-photo.net/yunnan/minzu/mongolzu/mongol.html
575 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 21:09:30
悪いがHLAのページは知らんな。 B52-DR15はモンゴル全体ではなくモンゴルの一部に多いらしいから、 もっと北方からモンゴルに流れてきたんだと思われ。
576 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 21:13:42
西アジアからヨーロッパに進出したのがコーカソイドで、 西アジアからシベリアを通って東アジアに進出したのが縄文人。 中国華南あたりに生息してた原人+東南アジア人の子孫が弥生人。
577 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 21:26:22
>西アジアからヨーロッパに進出したのがコーカソイドで、 >西アジアからシベリアを通って東アジアに進出したのが縄文人。 と来るなら、その縄文人が寒冷化で新モンゴロイドに 進化したのが弥生人と来るだろ普通は。
578 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 21:32:21
579 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 22:01:27
そもそも今のモンゴル人はオイラート系でそ? ブリヤート族とかサハ族に近い、北方トルコ語族系の。。。 1453年、オイラートのイェセン=ハーンがモンゴルの大ハーンになった時に 「オイラートの血を引く者以外は皆殺しにせよ」と命令して 実行しちゃったもんだから。。。
>>566 北朝以後の華北人は鮮卑じゃなくて
実態としては「鮮卑と漢人の混血」であり
名称としては「漢人」(つまり名称の変化なし)
したがって12世紀に民族交代があっても
名称はあいかわらず「漢人」のまま。
12世紀の「漢人」とは金帝国支配下の華北人をさす。
「漢八種」と分類され、その中に契丹人や女真人や渤海人などはあるが
それ以前の漢人(鮮卑と漢人の混血の子孫)はいない。つまりこの時点で消滅している。
581 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 23:09:53
どうやって消えるんだよ。手品じゃあるまいし。
じゃ鮮卑系以前の漢人はどうやって消えたんだい?手品かな?
583 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 16:54:47
日本の明仁天皇が昨年12月の68歳の誕生日に、半島との混血をカミングアウト。 「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、 韓国とのゆかりを感じています、皇太子の顔をよく見てください。」という驚くべき発言をしたのだ、しかも突然に。 皇室が韓国とのゆかりを公に認めたことは明治以降なかった。 だが、W杯を控えたこの時期に天皇が発言したことは偶然ではない。 過激な右翼的言動や、たとえば『新しい歴史教科書』を編纂したような考えをもつ人たちに 自制を促すための発言だった、と皇室事情に詳しい人物は言う。 明仁天皇は、音楽、儒教、仏教という韓国が日本にもたらした三つの影響にも言及した。 その背景には、日本の植民地支配で韓国が受けた苦々しい記憶を和らげようという意図が感じられる。 「会見でのご発言は、天皇ご自身のお考えをきちんと述べたものだと思う。
584 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 17:50:37
585 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 17:51:05
現代朝鮮に最も近いのは、関西周辺。 大阪平野人&濃尾平野人などの関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイドだが、 大阪平野人&濃尾平野人などの関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。www 中部 0.012←関西に近い濃尾平野はここ。 中国 0.035 九州 0.035 四国 0.038 東京 0.048←関東はここ。 東北 0.068←東北はここ。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より
586 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 17:51:46
20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、 これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、 短頭地域である関西地区の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。 形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、 人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。 中国人は古代から現代まで一貫して中頭。 朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。 日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、 アイヌ人は古代から 現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、 混血によって形質が変化したと見て良いだろう。
587 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 18:41:56
Λ_Λ <丶`Д´> <ということニダ
588 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 21:47:26
短頭で鼻がつぶれてる弥生人や朝鮮人の顔は、 南方モンゴロイドの特徴が強く現れてる。
589 :
日本@名無史さん :2005/05/11(水) 19:19:36
弥生人骨は中頭だよ。 北方モンゴロイドの鼻は潰れているんじゃなくて、狭鼻〜中鼻で、 のっぺりした低鼻だから、外鼻(外に見えている鼻の部分)自体の体積が小さいの。 しかし、南方モンゴロイドやニグロイドは低いが、その分広鼻だから、 外鼻自体の体積は大きくなる。 白人も同じ。狭鼻だが、その分高いので、外鼻自体の体積は大きくなる。 鼻は気温が高いところほど外鼻全体の体積は大きくなり、 湿度の高いところほど広く、湿度の低いところほど狭くなるため、 熱い砂漠のアラブ人の鼻は世界一高みが出るが、体積自体は熱帯雨林の ニグロイドの潰れた大鼻と大して変わらないのである。 もっと簡単に言えば、同じ気温なら湿度が低いところの集団の方が 鼻に高みが出る。
590 :
日本@名無史さん :2005/05/12(木) 04:00:10
北朝の後、 鮮卑と漢人の混血 って表現は、定量表現がないので、 1%なのか99%なのか まるで結果が違う。 陳の民衆500万人が漢人だとして、 鮮卑側の人口規模の方が はるかに大きいだろう。この混血の定量の推計が欲しいなー 仮に陳代の民衆の漢人が 完全に消滅してたとしたら、遺伝子に残らないのは仕方ない 8世紀ごろの対岸の日本では、 南北朝までの渡来を、漢 漢人、 唐以降を、唐、大唐 として明確にわけている。 明らかに別文明・別人種だったのでは?
>>590 なぜ陳を例にだすのか皆目わからないのだが?
陳は南朝だろうが。
あなたは黄河流域の漢人も長江流域の漢人も
名前が同じ「漢人」だから人種も同じだったと思ってるわけ???
漢帝国〜三国志の頃まで、中原の人種はおもに黄河流域に分布し
長江流域は異民族の世界だった。そこに支配者として少数の者が
中原から乗り込んできていた。
長江流域の人間の多くは南蛮系の異民族。それが唐代を通じて
徐々に漢文化に同化されて「南方漢人」になっただけ。
鮮卑の子孫というのは「北方漢人」のことだ。
あぼーん
593 :
日本@名無史さん :2005/05/14(土) 02:30:27
>>591 はっはっは。 よい機会なので専門書で勉強してください。
1・ 南北朝の時代前、中原の漢民族は、万里の北方民族の侵略にあって、
長江流域の南朝への民族大移動を行った。結果長江の人口はなんと倍増。
2・ 1を平たく言えば、南北朝の時、まず黄河の漢民族は消滅して、鮮卑系民族に
乗っ取られてしまった。
3・ 南北朝の終了が重要なのは、 南に移った漢民族まで
鮮卑系の北系の侵略にあって滅亡した。ということ。
>>唐代を通じてじょじょに漢化して・・
それは北朝のこと。 鮮卑民族も唐代を通じて漢化を完成させた。
南朝は六朝文化というくらい漢文明でもっとも華麗な漢文化の集大成だよ。
残念ながら、陳がほろんで、漢民族は鮮卑に混血した。
どの程度の漢民族の血が継承されたのかは不明だ。
漢化する前の山東〜江蘇らへんにライ夷って民族がいたじゃん その民族と弥生人は関係ありそうな気がするんだけど
>>593 はっはっはじゃねーよw
あなたのいってることは悪いけどデタラメだよ。
南北朝時代の南朝は、北方からきた漢族の都市は建業と江夏くらいで
実態としては南北分裂というよりも僻地への亡命政権。
民族大移動なんて事実はない。小移動ならちょこちょこ記述があるが。
六朝文化というのは都市部の文化だから北方移民の文化だよ
しかしそれが全土の住民の文化とごっちゃに思うのは
古代や中世の多元的多層的な社会を、まるで近代の国民が成立したかのように
かんちがいして見ているわけで歴史の基本を知らないドキュンの証拠。
江南の蛮族の漢化していく過程については川本芳昭の研究が
有名でいろいろ出てるから勉強したらいいよ。
596 :
日本@名無史さん :2005/05/16(月) 01:06:08
>>595 はっはっはっは
南朝による人口倍増も知らないんじゃ
何いっても無駄。
専門書もたくさんあるだろうから
勉強し直した方がいいよ。
HPで解説ページ発見したら、アップしておくよ
>>596 またソースはインターネットか。
悪いこといわないからちゃんと本読めって。
まぁそのサイト発見とやらも期待して待ってるけどw
598 :
日本@名無史さん :2005/05/16(月) 22:24:37
http://www.tetsuonakamura.com/nakamura/toyokeizaishi-s03.htm これを見ると、前漢の人口は劉宋の時に十分の一に激減の500万人。
当然、陳の滅亡時はさらに激減してるだろう。
さらに、テキストの4・隋・唐時代の 2行目以降にあるように、
漢代の1・9の南・北の人口比が、隋・唐時代の南への移民政策
により、元朝時代には、北・南 が9:1 の人口比に
逆転するのだ。
事実は歴然としている。 南北朝の終わりに南朝にいた
2−300万人程度の漢民族は、元朝の時に
北方鮮卑民族により圧倒的にボリュームで混血され、
もはや、前漢までの漢民族の遺伝子など、元朝の時点で
残っていないレベルになってしまっているのだ。
599 :
日本@名無史さん :2005/05/16(月) 22:26:57
>>598 の訂正
5行目
により、元朝時代には、北・南 が9:1 の人口比に
↓
により、元朝時代には、南:北が9:1の人口比に
戸籍と漢人の数がイコールだと思ってるなら、相当おめでたいぞ‥
>>598 人口比率は意味ないだろ。
同時期に江南でふえた実数と華北でへった実数が同じなら大移動の可能性もあるが。
江南でふえたのはそれまで異民族扱いだった連中が都市化して
中国の戸籍に編入されたからだ。
602 :
日本@名無史さん :2005/05/20(金) 03:02:19
>>601 比に意味があるんだよ。
北の人口が1になって南が9になったということは、
北が民族大移動した以外に説明しようがない。
異民族の籍が増えたのはあるだろうが、
それは北も事情をいっしょ。むしろ北方から絶え間なく民族が
侵略してくる事情をかんがえれば、北も同様に増えるはずだ
とにかく、これが、このスレにおいて重要なのは、
現代の江南のDNAの分析結果は、決して2000年前の江南の民族のDNAも
あらわしていないし、 また2000年前の漢民族のDNAもあらわしていないということだ。
>>602 あほか。1対1だったのに一方が10倍になれば、
もう一方はぜんぜん減ってなくても10分の1になるじゃんw
オマエは「比」をわかってるのか?まずこの段階でダメ。
それと華北と江南では現在でも人種が異なる。
味噌も糞も鮮卑でござんすじゃ通らないんだよ。
604 :
日本@名無史さん :2005/05/21(土) 23:45:18
>>602 アホ
9:1 が 1:9 になるのは、100倍
移動がなければありえんよ
605 :
修正 :2005/05/21(土) 23:47:47
606 :
日本@名無史さん :2005/05/22(日) 03:17:45
だめだこりゃw
そもそも >南北朝の終わりに南朝にいた2−300万人程度の漢民族 とか言ってる時点でムチムチ君決定。
608 :
日本@名無史さん :2005/05/22(日) 03:38:56
江南江南言いまくってた創作野郎はもう来んのかな? 来たら思いっきり笑いものだけどなw
>>604 なにを逝ってるのかよくわからんが。数字はたとえだろ?
実際問題 9:1 が 1:9 にもなってないし
なにかが100倍 にもなってない。
610 :
日本@名無史さん :2005/05/24(火) 04:38:57
おまえら、
>>598 のソースをもとにした話だろ、
ソースに文句があるなら
>>598 のソースに文句を言えよ
>>598 のソースは、詳しくもないのに奇を衒って妙なことを書くなよw
612 :
日本@名無史さん :2005/05/25(水) 03:58:57
>>598 の URLに研究者のたてた客観データがある。
この研究者は、この客観データをもとに、
テキスト4・隋・唐の時代 の2行目以降に、重要な結果を記述している。
それは、
漢代の 北・南の人口比9:1 が 隋を境に逆転していき、
元朝には 1:9 になる という記述である。
で、俺の結論だが
南の人口だけが100倍になるはずがないのだから、
北の鮮卑族が南に移動して、南の漢民族を10倍に希釈した
という意味となるだろう。
で、この解釈を否定するには 3つの方法がある。
1・ 研究者の根拠の元データの否定
2・ 研究者の結論の否定
3・ 北が南に移動したという俺の結論の否定
理知的に、どこを否定したいのか明らかにしてもらいたいね
文は見て無いけど、人口の推定表が滅茶苦茶だぞw 前漢と西晋の数値が明らかにおかしい。 それから、北部の人口減少と南部の増加は 北部が、森林の過剰伐採や合わない農業方式で 植生の変化と土地の劣化をさせた事と、楚以来一部でしか発展してなかった 南部地域が発展したのが原因だろ。
614 :
日本@名無史さん :2005/05/25(水) 15:02:52
呉の太白は全身に刺青を施していたらしい(当時刺青は蛮族の証) 越も漢民族とは異なった蛮族が建てた国らしい 越を滅ぼした楚もまた周を中心とした中原諸国からは蛮族として蔑まれたらしい とウェキペディアの解説でもあるように 春秋時代〜戦国時代この辺りの民族が漢民族でなかったとは容易に想像できる。 九州ではBC500頃、熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカが混植される地域で早稲種が誕生する 九州へめざす避難民らには朗報だったろう。
615 :
日本@名無史さん :2005/05/26(木) 20:59:34
むしろ日本から中国に渡ったんだろ。 中国人から縄文人やアイヌのmtDNAが1割近く出てくる。 日本人から中国や韓国に多いmtDNAが出てくると思ったら、 HLAからそれはモンゴル人に近い集団のもので、中国人や韓国人の もではなかったと。 そういうこった。
616 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 22:43:02
弥生人は科学的に遺伝学的に江南は全く無理。 日本と江南の関係を考えるなら、 むしろ縄文人と江南の関係を洗うべき。
617 :
日本@名無史さん :2005/05/30(月) 02:00:07
血統的には華北系、文化的には江南系でそ。 華北派は江南との文化的なつながりをことさら軽視するのをやめるべき。 江南派は文化的な影響と遺伝子の共通性をごっちゃにいうのはやめるべき。 これでいいだろ?
618 :
日本@名無史さん :2005/05/30(月) 02:30:32
>>615 >むしろ日本から中国に渡ったんだろ。
むしろサンプルの信頼性を問うてみるべきだな
十分に分析に耐えうると考えられるものなのか
そういうこった。
619 :
日本@名無史さん :2005/05/30(月) 19:30:18
620 :
日本@名無史さん :2005/05/30(月) 22:44:59
多くの遺伝学で科学的に日本人の遺伝子を解析すると中国は全く無理。 日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は 必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めす。 つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と 朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、西日本一帯に広がって 土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。 朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種が住んでいたが、弥生人が 朝鮮半島を素通りして日本列島に消えていったその数百年後、 ついに華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年も支配された後、 今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島北部を侵略され、 土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、ここにようやく 朝鮮民族が形成されていったのである。
621 :
日本@名無史さん :2005/05/31(火) 02:01:27
>>619 まずそのソースで弥生以降の渡来人で江南地方のソレとは異なる明確な根拠になりうるとでも
思っているのかい?
子々孫々その地に定住続けているなら日本人は縄文人ばかりになってしまうと
いう矛盾に気づけよな。
てか日本は無人島だわw
622 :
日本@名無史さん :2005/05/31(火) 23:45:42
だから、宝来のmtDNAで役に立つのは縄文人やアイヌのmtDNAだけで、 渡来人、つまり新モンゴロイドの部分はどこを取っても、 全て中国に多いタイプと韓国に多いタイプの複合体と出されてくるだけで さっぱり役に立たんのだ。 縄文人(琉球に多いタイプ)、アイヌ、日本固有のmtDNAだけの参考にすべし。
623 :
日本@名無史さん :2005/06/01(水) 01:20:11
だから、それを参考にしたとして江南からの渡来人はなかったという根拠というか 証拠にはならないの。 ね、スレがスレだからさ。 江南からの渡来を否定するだけの説得力がそれには無い。 それだけ。
624 :
日本@名無史さん :2005/06/02(木) 19:31:50
江南人の渡来人はあったに決まってるじゃないの。 ただし、のちに日本人種の主流になっていく弥生人と呼ばれている 新モンゴロイド集団ではないがな。 それに江南からやって来ても定着したとは限らない。 渡来と定着はまた別なんだよ。 gm遺伝子、HLA遺伝子、その他の多くの遺伝学を総合的に見ると 日本人種は中国とは関係が極めて薄い。
中国中国いうけど 大陸の民族移動の激しさはどれくらい考慮に入れてるのかね>>all
626 :
日本@名無史さん :2005/06/03(金) 17:09:30
争いによる民族移動を考慮すべきだが、その要因である 文化の衝突吸収崩壊による民族移動を強調したいものだね 個の勢力が拡大すれば争いがおこる、勝者は異文化を吸収し より高雅なものにしたはずで、負者は辺鄙に行き復興を考えただろう。 追いやられた勢力のなかには再度機会を狙った者達もいれば 安住のちを貪欲に求めていった者達もいただろう 古代中国がこのループであるとするならば、華僑拡散なみに 古代でもかなりの民族拡散があったと考えてもいいのではないかな? そに一部には江南勢力もいた、そんなもんでしょ。
627 :
日本@名無史さん :2005/06/03(金) 18:59:20
628 :
日本@名無史さん :2005/06/09(木) 00:04:25
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、ブリアートあたりから 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は ほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
629 :
日本@名無史さん :2005/06/09(木) 19:35:35
●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
630 :
日本@名無史さん :2005/06/10(金) 23:47:56
>>629 つーかそのコピペで要するに何がいいたいのだ?
631 :
日本@名無史さん :2005/06/11(土) 18:13:06
632 :
日本@名無史さん :2005/06/11(土) 18:14:45
>>630 弥生人は朝鮮半島から渡来したと言うよりも、ブリアートあたりから
朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。
朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は
ほとんど定着していない。
だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、
同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
わずかしか見られない。
その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。
これが日本人にはほとんどない。
日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。
朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
まだやってたのか‥ 残念ながら朝鮮半島人と日本人の遺伝形質は 中国人、ブリアートあたりから人、モンゴル人と比べて かなり高頻度で一致するんですヨ!
634 :
日本@名無史さん :2005/06/12(日) 22:13:53
>そもそも日本人種なんて存在しない。
日本人種の存在を証明する事は非常に簡単。日本人種に一番近い人種は間違いなく
朝鮮人であるが、朝鮮人は日本人種と似ているが、その容貌や身体的特徴はかなり違う。
頭示数、二重瞼率、発毛の具合、朝鮮人の外見は日本人種とはかなり違っている。
また朝鮮人のHLA遺伝子は日本人種と6割近くも違っている。
日本人種に一番近い朝鮮人でさえもこの程度なのである。
その他のアジアの人種ならば、それ以上に違っているという事になる。
つまり、日本人種は日本列島だけに存在する日本独特の人種である。
また、YAP+遺伝子を東アジアで唯一持っているのは日本人種だけである。
YAP+遺伝子は日本人種が間違いなく存在しているという決定的な証拠である。
日本の周辺人種にはこのYAP+が全くない。
http://recon.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040907115249.jpg
>>631-632 そんなこたぁない。
弥生人が中国からきたとしても、朝鮮人と日本人の遺伝子の差は説明つくよ。
渡来系弥生人がきたのは前3世紀〜前1世紀くらいの頃。
その頃はまだ現在の朝鮮人も現在の中国人も存在していない。
現在の朝鮮人種ができたのは高麗が滅んで李氏朝鮮が
旧高麗領と咸鏡南北道・慈江道・両江道の女真族を併合してから。
つまり朝鮮人とは女真族と高麗人の混血人種。
渡来系弥生人と同種の古代華北人は、黄巾の乱から五胡の乱にかけて
の混乱期に減少して鮮卑族と混血して人種的に変化してしまった。
高麗人の元である新羅人のそのまた元は辰韓人。
これは真番郡時代にきた中国人と先住民との混血。
これらは渡来系弥生人が日本にきたとされる時代より後の話。
しかし仮に百歩譲って、
>>631-632 の言う通りだとしても
>>629 のコピペと
>>631-632 の主張内容とが
なんの関係があるのかあいかわらず意味不明。
636 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 17:54:11
俺の白人へのいつもの ガイダンス 日本人: 移民も侵略もなく、古代の極東のアジア人が、 ガラパゴス島のように最低でも1500年閉ざされて発展したレアな民族 朝鮮人: この2000年間で、900回に渡り大陸の侵略に会い最低1000年もの間、 アジア大陸の植民地地域であったため、人種的には完全に雑種 その国名に半島の1700年前の「韓」をつけたことで 現代の朝鮮人が、歴史的人種の継続性を信じてしまい、 近年では、日本のルーツと言いはじめて、日本はいつも迷惑を被っている。 しかし、彼らのルールは大陸各地の支配層の雑種であり 島の閉じ込められていた日本人とは、遺伝的に全く関係ないんです
637 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 21:10:07
高句麗人が満州東部から朝鮮半島北部を侵略する前、
華北人が華北から朝鮮半島を侵略する前、
弥生人が北方から朝鮮半島を素通りして日本へと消え去る前、
朝鮮半島にはこんな土着人が住んでいました↓↓↓↓↓
こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html 韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
638 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 21:12:18
●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
639 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 21:12:45
640 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 21:13:48
弥生人は朝鮮半島から渡来したと言うよりも、ブリアートあたりから 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで弥生人はほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
641 :
日本@名無史さん :2005/06/15(水) 21:14:13
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は 必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。 つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と 朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、 土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。 朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種の土着系が住んでいたと考えられるが、 弥生人が素通りして日本列島へと消えていったその数百年後、 ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も 支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島 北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、 ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
642 :
日本@名無史さん :2005/06/16(木) 20:23:52
江南どころか華北も関係が極めて薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
643 :
日本@名無史さん :2005/06/17(金) 00:42:29
同じ事ばかり繰り返し言ってる香具師って一体どうよ? 覚えたてのこと言いふらかして満足している香具師 は中身がないって定説だよ だよね
644 :
日本@名無史さん :2005/06/17(金) 00:50:14
>>643 悔しければ、それ以上のものを出してくることでしょう。
そうでなければ、ただの負け犬の負け惜しみ。
だよね。
645 :
日本@名無史さん :2005/06/18(土) 01:42:39
何を出せばいいの?ちんこか? 頼れる頭がないと、確かに つらいよね ん〜でも、どっかでコピペするから大丈夫! そっか・・・ 文体すらパクル香具師って間違いないよねw
646 :
日本@名無史さん :2005/06/18(土) 18:56:44
>いわゆる弥生人というのは山東半島近辺の新モンゴロイドという説が有力だね >当時の山東半島は漢の支配が及んでいなかったのだろう、丁度漢の侵攻から >逃れるような形で日本列島に移住してきたのだろう。 華北人、つまり中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は、 長身、中頭、面長、狭鼻、「二重まぶた」などの外見的特徴を持ち、 南方モンゴロイドと同系統の先住人種に、約6000年前に南下した 北方新モンゴロイドが混血して誕生した人種。 漢が山東半島に侵攻しようがしまいが、中央モンゴロイドは もともと南方モンゴロイドと同系統の人種の方がはるかに古く、 この人種がベースな訳だよ。 ところが、多くの遺伝学で南方モンゴロイドの遺伝子が朝鮮人には 見られるが、日本人にはほとんど出てこない。 つまり弥生人の故郷は中国ではありえない。
647 :
日本@名無史さん :2005/06/18(土) 21:33:13
648 :
日本@名無史さん :2005/06/18(土) 21:33:40
1)Gm遺伝子の分布によって、蒙古民族は、「南方系」と「北方系」に大別される。 そして、日本民族は「北方系」である。 南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7〜8%であって、それほど高いモノではない。 2)日本民族は、北海道から沖縄に至るまで、ことGm遺伝子に関する限り、驚くほど等質である。 3)アイヌの人々も、遺伝子構成に於いて、一般日本人と殆ど変わらない。 4)他の日本人集団と、幾分の相違を示すアイヌと沖縄・宮古の人々とがまったく等質である。 6)中国の場合は、Gm遺伝子の頻度分布に、南北方向の勾配がみとめられる。 漢民族の場合は、「北方型」と「南方型」の二つの型の存在を考えないと、 分布パターンの説明が難しい。 7)日本民族に高頻度に見られる遺伝子パターンの特徴は、バイカル湖畔のブリアートを ピークとして四方に流れており、蒙古、オロチョン、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、 コリヤークエスキモーに高頻度で、その源流はバイカル湖畔とするのが妥当と見られる。 そして、松本氏は次のように結論する 「日本民族は、北方型蒙古系民族に属し、そのおおもとの起源は、 シベリアのバイカル湖畔と推定できる。」
649 :
日本@名無史さん :2005/06/19(日) 01:04:25
江南どころか華北も関係が極めて薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
650 :
日本@名無史さん :2005/06/19(日) 01:14:21
中国人は華北人でさえ二重まぶたがほとんどで、 顔の彫りもそんなに浅くはないんだよ。 華中以南はほとんどが二重まぶたで南方的な顔になっていく。 日本の弥生系とは全然違う顔立ち。 顔だけで中国ではない事が分かるよ。
651 :
日本@名無史さん :2005/06/19(日) 14:06:54
朝鮮人・中国人は、被征服民族地域なので、雑種の代表格。 日本人は、孤立人種地域なので、純血種が多い。 日本人を、雑種とくらべても意味がない。
>>648 2)日本民族は、北海道から沖縄に至るまで、ことGm遺伝子に関する限り、驚くほど等質である。
Gm遺伝子は環境の選択を強く受けるからね‥
弥生人は華北からきたんだろ。 なんで「現在の」中国人と比べて 弥生人と中国は関係が浅いなんていってるのか わけがわからんな。
630 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/06/10(金) 23:47:56
>>629 つーかそのコピペで要するに何がいいたいのだ?
631 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/06/11(土) 18:13:06
>>630 弥生人の源郷が中国ならば、遺伝子的に朝鮮人とこんなにも差は付かないはず。
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html >タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。
http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html 632 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/06/11(土) 18:14:45
>>630 弥生人は朝鮮半島から渡来したと言うよりも、ブリアートあたりから
朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。
朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は
ほとんど定着していない。
だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、
同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
わずかしか見られない。
その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。
これが日本人にはほとんどない。
日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。
朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
635 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:2005/06/13(月) 11:52:31
>>631-632 そんなこたぁない。
弥生人が中国からきたとしても、朝鮮人と日本人の遺伝子の差は説明つくよ。
渡来系弥生人がきたのは前3世紀〜前1世紀くらいの頃。
その頃はまだ現在の朝鮮人も現在の中国人も存在していない。
現在の朝鮮人種ができたのは高麗が滅んで李氏朝鮮が
旧高麗領と咸鏡南北道・慈江道・両江道の女真族を併合してから。
つまり朝鮮人とは女真族と高麗人の混血人種。
渡来系弥生人と同種の古代華北人は、黄巾の乱から五胡の乱にかけて
の混乱期に減少して鮮卑族と混血して人種的に変化してしまった。
高麗人の元である新羅人のそのまた元は辰韓人。
これは真番郡時代にきた中国人と先住民との混血。
これらは渡来系弥生人が日本にきたとされる時代より後の話。
しかし仮に百歩譲って、
>>631-632 の言う通りだとしても
>>629 のコピペと
>>631-632 の主張内容とが
なんの関係があるのかあいかわらず意味不明。
656 :
日本@名無史さん :2005/06/22(水) 20:19:51
そうか。じゃあ、分るまでガッツリ貼り続けてやるぜ。 ●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。 ↑こういう経緯があったから、↓こんな事になっちまったんだろがw
657 :
日本@名無史さん :2005/06/22(水) 20:20:43
658 :
日本@名無史さん :2005/06/22(水) 21:56:12
>>656 だからさ。
656は単なる半島史の年表だろ。
657がいってるのは半島人の方が日本人より混血の
度合いが高いっていう当たり前のことじゃん。
656からいえることはいろいろあり得るのであって
とくに657にしか結びつかないというわけではないし
657をいうためには特に656が必要というわけでもない。
両者になんの関係があるのかわからんのだが?
659 :
日本@名無史さん :2005/06/22(水) 21:58:36
そうか。じゃあ、分るまでガッツリ貼り続けてやるぜ。 ●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
660 :
↑ :2005/06/23(木) 02:25:36
>↑こういう経緯があったから、↓こんな事になっちまったんだろがw >そうか。じゃあ、分るまでガッツリ貼り続けてやるぜ ↑ コイツの実力www バカは氏んでいいよ
その年表、箕子朝鮮の存在を前提にしてる段階でかなり問題あるな。 細かい部分はあちこち間違ってるし。
662 :
日本@名無史さん :2005/06/23(木) 23:17:52
脈絡不明のコピペは切迫神経症のはじまり。
664 :
日本@名無史さん :2005/06/24(金) 00:31:09
>いわゆる弥生人というのは山東半島近辺の新モンゴロイドという説が有力だね >当時の山東半島は漢の支配が及んでいなかったのだろう、丁度漢の侵攻から >逃れるような形で日本列島に移住してきたのだろう。 華北人、つまり中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は、 長身、中頭、面長、狭鼻、「二重まぶた」などの外見的特徴を持ち、 南方モンゴロイドと同系統の先住人種に、約6000年前に南下した 北方新モンゴロイドが混血して誕生した人種。 漢が山東半島に侵攻しようがしまいが、中央モンゴロイドは もともと南方モンゴロイドと同系統の人種の方がはるかに古く、 この人種がベースな訳だよ。 ところが、多くの遺伝学で南方モンゴロイドの遺伝子が朝鮮人には 見られるが、日本人にはほとんど出てこない。 つまり弥生人の故郷は中国ではありえない。
665 :
日本@名無史さん :2005/06/24(金) 01:47:42
>>664 誰あてのレスだよ?w
コピペ房は入ってくんなよ、つか氏ねよw
666 :
日本@名無史さん :2005/06/24(金) 01:51:11
大体中国から弥生人は入ってきてはいないと言い切ってる時点で オツムの程度を宣伝しているようなもんだなw
667 :
日本@名無史さん :2005/06/25(土) 00:23:00
そうか。じゃあ、分るまでガッツリ貼り続けてやるぜ。 ●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
668 :
日本@名無史さん :2005/06/25(土) 20:04:36
669 :
日本@名無史さん :2005/06/25(土) 23:42:53
華北人、つまり中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は、 長身、中頭、面長、狭鼻、「二重まぶた」などの外見的特徴を持ち、 南方モンゴロイドと同系統の先住人種に、約6000年前に南下した 北方新モンゴロイドが混血して誕生した人種である。 つまり中央モンゴロイドはもともと南方モンゴロイドと同系統の人種の 方がはるかに古く、この人種がベースである。 ところが、HLA遺伝学で南方モンゴロイドや中国人に多いハプロタイプ が朝鮮人には見られるが、日本人にはほとんど見られない。 つまり弥生人の故郷は中国ではありえない。
670 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 20:31:15
江南どころか華北とも極めて関係が薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
671 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 22:11:36
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、ブリアートあたりから 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は ほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
>>667 とうとう壊れたかw それとも最初からキチなのかな?
673 :
日本@名無史さん :2005/06/28(火) 19:42:45
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は 必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。 つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と 朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、 土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。 朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種の土着系が住んでいたと考えられるが、 弥生人が素通りして日本列島へと消えていったその数百年後、 ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も 支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島 北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、 ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
675 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 12:47:23
>>671 GJ
後半付け加えて欲しい。
その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島北部を侵略され、
土着系たちは4世紀には「韓」と地域総称される。
その後7世紀まで華北の政変の移民を受け続ける。
(この時の華北移民の影響は日本に漢文化として影響を与える)
8世紀以降華北の勝者である、鮮卑系からはじまり18世紀まで
数百回におよび大陸から「朝鮮」という総称で支配と血の高配を受け続け
18世紀の時点で、4世紀の「韓」とは全く異種の「朝鮮人」として完成される
676 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 13:55:38
朝鮮人による自作自演だな、日本人は差別ばかりでウリらを苦しめるニダ! ってか?シネヨ鮮人
田植えに履く、田下駄は朝鮮にはなく、江南にはあるとならた、 高床・ねずみ返し、正倉院校倉も南方系ちゃうの。
678 :
・ :2005/06/29(水) 17:35:16
そうやね。あゆを取る鵜飼もそうだね。 田下駄の出た登呂遺跡、卑弥呼さんの少し前の時代やね。 その卑弥呼さんの時代に、日本の少し上の支那よりにお島があっ て、お国があったんだけど、支那の人が見にいったら、支那さんを 困らせたセンピ(鮮卑)という人と、とても似ているんだって。 でも、卑弥呼さんは、どうも南方系の人じゃないかと、支那の人は お国に言っているの。 またその時代なんだけど、支那や朝鮮の人がヨクソ(沃沮)と呼ぶ 日本と向え合わせの所があって、そこの偉いお爺さんに聞いた話 で、海の向こうには、子供を海に捨ててしまう人が居るっていって 驚いているのね。 酷い話なんだけど、とても大切なものを捨てて、みんなを幸福にし ようとするのは一杯ある話なの。日本ではそういうのをエビス様と して、幸福を呼ぶ神様として、今まで大切にしてるのね。 だから、 2chの人達が、ょぅι゛ょ ょぅι゛ょ と書くのは、幸福にしてください という、ずーと昔からの日本人の気持ちのあらわれなの。 これは、きっとお船に乗っている時の名残かも知れないわね。
679 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 19:38:48
そうだよ。トラクターもコンバインもアメリカでよく見かけるしな。 弥生人はきっとアメリカからやって来たんだよ。
680 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 20:14:07
>>675 >18世紀の時点で、4世紀の「韓」とは全く異種の「朝鮮人」として完成される
ただ4Cの時点で既に半島人には中国人と満州人の血が流れているし、
日本人とは全然違う人種になってしまっている。
まあ、弥生人が朝鮮半島に定着せず、通過して日本に渡ってしまった
時点で、朝鮮人とは全く違う人種民族になった事が決定した訳だけど。
681 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:22:51
半島の天皇同祖論を排除する為にも、 ここはきっちり、3つの時代点ともに異種である防御をはろう。 以後の倭人との違いの何かが発生 ↓ ★4Cから 韓人に 漢人・鮮卑人の大流入が避けられない時代背景 ↓ ★7Cから 新羅人に 次の1000年で、大陸の異民族の侵略を数百回受け その間、常に華北系の交配を受ける ↓ ★18Cまで 朝鮮人と呼ばれる存在に 子孫継続は、この間の大陸諸覇族の侵略者の超混血である ↓ ★19C 彼らは突如4Cの韓人を名乗り、 日本人へルーツへの超勘違いと捏造が始まる 「おまえら朝鮮人は、遺伝的に 韓人とすらもはや関係ないだろ!」
682 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:38:20
韓人というのは漢四郡で支配していた華北人と土着人の混血したものを 指すのか、それとも単に土着人を指すのか?
683 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:45:37
>>673 ブリアート自体が、雑種民族であろう。
モンゴルあたりから満洲を素通りして、
南下したという根拠はどこにあるんか?
684 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:48:35
いずれにせよ倭人の王と思われる天皇ことオオキミは、 華北人の朝鮮征服よりずっと前に日本に上陸して しまっていた事だけは確か。
685 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:53:09
686 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:56:21
>>683 ブリアート自体は純血民族であろう。
モンゴルあたりから満洲を素通りして、
南下しなかったという根拠はどこにあるんか?
687 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 22:59:48
>>683 ◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm 日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
688 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 23:10:24
>>680 明確な答えはないね、
4Cまでは、韓人=倭人 縄文人説もあるし
北方系フヨ族 説もある
中国人・高句麗人ではないことは明らかだろう。
魏志において、百済などの解説では、
その住人を、 高句麗人・中国人・ 倭人・ 新羅人 と明記しているので
それぞれが別の存在である事は認識されていたと推察できる。
689 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 23:20:23
>>686 ブリアートが純潔民族?初めて聞いた。歴史的に考えられん。
バイカル北部のツングースを、同化しておらんという根拠でも
見つかったんか?モンゴル、ブリアート化あるいはヤクート化した
ツングースが多いと思うが如何に。
HLAでも、日本とブリアートが近いという根拠を見つけることが、
出来たんか?
見つかったのであれば、ブリアートのB52−DR15(DR−2)を
是非提示してもらいたい。
690 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 23:24:21
>>689 ブリアートが混血民族?初めて聞いた。歴史的に考えられん。
バイカル北部のツングースを、同化しているという根拠でも
見つかったんか?モンゴル、ブリアート化あるいはヤクート化した
ツングースが多いとは思わないが如何に。
HLAでも、日本とブリアートが近くないという根拠を見つけることが、
出来たんか?
見つかったのであれば、ブリアートのB52−DR15(DR−2)を
是非提示してもらいたい。
691 :
日本@名無史さん :2005/06/29(水) 23:52:26
>>690 われは、低脳か?歴史を知らず、具体的根拠をいえず、人の文をまねて
言い返すだけじゃろうが。ヤクートはツングースの氏族によって養取
されておる。マンコヴァ・ツングースはブリアート化されておろうが。
しかも、ヤクート(サハ)の属するトルコ系やブリアート、モンゴル系
諸民族は、人種概念ではのうて言語概念じゃろうが。
ほいで、B52−DR15(DR2)の資料は、モンゴル系のハルハ部か。
あるいはチャハル部かホルチン部か?
692 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 00:46:28
ブリアート化あるいはヤクート化すると混血せにゃならんのか? じゃあ、アメリカ化した日本はアメリカの混血だらけですねww 混血したら同一人種だったって事もありえるぞw
693 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:18:49
↑w コピペの方が良いんじゃないか?
694 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:26:29
そのうちもっと明確に分かる時がやって来るから、 それまで首を洗って待っとれやw
695 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:33:37
↑氏ねよボケw
696 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:40:21
今度は朝鮮妄想も中国妄想も跡形も無く吹っ飛ぶでw 今のうちに朝鮮説や中国説唱えとるタコ作家のリストアップ しとかなあかんなwwww
697 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:42:43
↑黙れチョン
698 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 01:50:29
>そのうちもっと明確に分かる時がやって来るから 具体的に何が分るのですか? あなた自身気付いていないようだけど 人の文脈パクルわ内容は抽象的だわで意味不明なんですけど。
699 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:01:47
そうか。じゃあ、分るまでガッツリ貼り続けてやるぜ。 ●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
700 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:03:08
701 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:03:57
華北人、つまり中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は、 長身、中頭、面長、狭鼻、「二重まぶた」などの外見的特徴を持ち、 南方モンゴロイドと同系統の先住人種に、約6000年前に南下した 北方新モンゴロイドが混血して誕生した人種である。 つまり中央モンゴロイドはもともと南方モンゴロイドと同系統の人種の 方がはるかに古く、この人種がベースである。 ところが、HLA遺伝学で南方モンゴロイドや中国人に多いハプロタイプ が朝鮮人には見られるが、日本人にはほとんど見られない。 つまり弥生人の故郷は中国ではありえない。
702 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:05:05
江南どころか華北とも極めて関係が薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
703 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:05:54
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、ブリアートあたりから 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は ほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
704 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:07:20
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は 必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。 つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と 朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、 土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。 朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種の土着系が住んでいたと考えられるが、 弥生人が素通りして日本列島へと消えていったその数百年後、 ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も 支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島 北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、 ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
705 :
日本@名無史さん :2005/07/01(金) 00:48:22
今度は朝鮮妄想も中国妄想も跡形も無く吹っ飛ぶでw 今のうちに朝鮮説や中国説唱えとるタコ作家のリストアップ しとかなあかんなwwww ↑ コピペを一生懸命やってる香具師の正体w 馬鹿は氏ねえよ
コピペだらけじゃねーかよ。糞スレにして面白いのか?
707 :
日本@名無史さん :2005/07/01(金) 22:08:58
708 :
日本@名無史さん :2005/07/07(木) 20:24:57
日本人には中国人に多いハプロタイプが出てこんの。 中国人にも日本人に多いハプロタイプがわずかしか出てこんの。 しかし、弥生期に中国人に侵略された朝鮮人には中国に多い ハプロタイプが出てくるの。 だから弥生人は中国からではありえんの。
709 :
日本@名無史さん :2005/07/07(木) 20:34:36
へ〜じゃ弥生人はどこら来たの?海の向こうのアメリカ大陸?
710 :
日本@名無史さん :2005/07/07(木) 20:39:54
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、ブリアートあたりから 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は ほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
日本のハロプロライブはコンサートやミュージカルだけでなく 運動会やフットサルもある。
712 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 14:07:33
日本人・中国人・モンゴル人・渡来系弥生人は、中頭で、 絶壁頭ではない。 関西朝鮮人・本家朝鮮人は、短頭で、 頭を横から見ると、 頭の前後の長さが上下で、ほぼ同じで、 頭の後ろが、上下で、ほぼ垂直に一直線になる絶壁頭。 頭を横・上から見れば、異人種である事が明白。 ※短頭=頭が左右に長く、前後に短い 長頭=頭が左右に短く、前後に長い 中頭=短頭と長頭の中間
713 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 18:31:46
>>708 朝鮮半島からも同じハプロタイプはでない。
それ以前にどこかから渡来してきたわけだから、江南そのものよりそれ以前にいた地域を洗うべき。
中央アジアやチベット、雲南省あたりが怪しい。
714 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 19:02:48
715 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 19:03:19
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
716 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 19:03:47
日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。
◎本土日本
B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%
◎韓国
B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%
>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。
http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
717 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 19:09:58
弥生人が江南人だからといって卑屈になるこたーない!
なぜかベトナム人と日本人ってけっこう顔が似てるんだよなー 中国、朝鮮人よりずっと近い感じ。
あぼーん
720 :
日本@名無史さん :2005/07/10(日) 19:07:08
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html 強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
721 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 07:47:26
各時代の頭蓋骨を分析して得た頭長と頭幅の比である頭長幅示数をみると、 日本人の頭長は平均196〜182ミリ、頭幅は平均156〜147ミリで、頭長幅指数は77〜86である。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。 これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。 なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。これらは弥生時代以後に渡来した人々の分布を示している。
722 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 14:28:13
>>721 弥生時代以後に渡来した人々の分布を示しているというのは完全に間違い。
なぜなら、西日本で出土する縄文人骨も弥生人骨も中頭だからだ。
しかも100年前までは日本のほぼ全域が中頭だった。
また東北地方で弥生系が多い秋田や山形などは今も中頭地域である。
この1世紀間における日本人種の短頭化は生活環境の変化による
形質の進化だと考えられる。
723 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 14:34:44
>生活環境の変化による 形質の進化だと考えられる。 最近は逆に、多量移民説が支持されてるらしい
724 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 14:37:30
725 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 14:39:15
朝日新聞の記事は他新聞と比べて一番まともではないだろうか? 日本が右傾化しないように社説で繰り返し述べている。 はき違えた愛国心を煽るようなマスコミを信じてはいけない。 売れさえすればいいという軽薄な商魂の論説ばかりが、 国を危うくするのは太平洋戦争で懲りたであろう。 機会ある毎に日本の過去の過ちに対する反省を促し、 関係諸国との友好を深めようとしているのが朝日新聞である。 なまじ知った歴史の一部で全てがわかった顔をすると恥をかくだけだ。 のうのうと生きていられるのは平和憲法のおかげであることは間違いない。 できもしない自主防衛を唱えていては過去の過ちを繰り返すだけである。 不利なことがわかっていながら、国民を煽って戦争に突入し、 買い物も切符が無ければ買えもしないような生活をさせながら、 運用される資金はすべて軍事行動向け。 動力になるべき燃料もなく、資源も無い日本が何の大義もない戦争を 推し進めるのは狂気の沙汰としか言い様が無い。 進軍ラッパをもう一度聞きたいのか?
朝鮮半島に持ち込まれた中国人の遺伝子は、李朝期がもっとも多いと思う。 もちろん衛氏時代や楽浪時代、それ以降でも断続的に交配は行われただろうが、 それ以前に北方モンゴロイドは、東北アジアに拡散していたわけで、 これが、弥生人の直接の起源。 鉄器、弥生式土器や墓制は、朝鮮半島から、水稲栽培や醗酵技術は山東半島から それぞれBC10世紀ごろ、環東シナ海交易によってもたらされた。
727 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 18:47:23
>>722 確かに形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、
人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。
中国人は古代から現代まで一貫して中頭。
朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。
日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、
アイヌ人は古代から現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、
混血によって形質が変化したと見て良いだろう。
特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、
これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、
朝鮮と同じで、短頭地域である関西地区の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。
728 :
722 :2005/07/16(土) 18:55:32
>>727 実はそれ、俺のレス。
そのレスは全部撤回させていただく。
729 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:07:57
たしかに江南には黄河文明よりも古い 長江文明があり稲作が行われていたのは否定のできない事実だ ただ縄文時代の縄文人の航海技術を持ってすれば 縄文人が稲作を学んで持ち帰ってもなんら不思議でないし 戦乱の大陸から逃げ出してきた江南の難民が 縄文日本への移民の結果 稲作を伝えたのかもしれない どこをどうすれば侵略・征服になるんだ? 少なくとも江南の人はミャオ族に代表されるように 農耕民族で侵略とか征服とかは文化的に違うだろw
730 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:30:45
弥生人は北方モンゴロイド。 江南とはさっぱりさらさら関係無いのだが。
731 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:32:58
北九州地域の異なる2つのタイプの渡来系弥生人 / 中国東北部起源と長江流域起源
--------------------------------------------------------------------------------
最近では、北部九州の渡来系弥生人と、中国大陸の同時代人骨との比較研究も進んでいる。
ミトコンドリアのDNA分析などから、
山東半島や江南地域の出土人骨とは高い親縁性のある事が指摘されて始めている。
渡来系弥生人は同じ北部九州でも長身で顔が細く華奢な「北九州」タイプと、
やや横幅が張った彫りの深い「西北九州」タイプに分かれる。
前者は山東、朝鮮半島から中国東北部起源、
後者は山東、朝鮮半島から長江流域起源
の可能性か高いという。
和佐野喜久生氏(佐賀大学農学部)は、
日中韓の炭化米を調査した結果、同じ短粒米でも、
玄界灘沿岸地域のものが丸く小さいのに対して、
有明海沿岸地域のそれは、やや長めで大きい事を突き止めた。
前者は同時代の半島のモノに近く、
後者は中国の長江や淮河流域のモノに近いという。
この結果は期せずして、人骨の二つのタイプと一致している。
--------------------------------------------------------------------------------
日本の歴史02 王権の誕生 寺沢 薫著 講談社より
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/roots2.html
732 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:34:17
733 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:40:36
>ミトコンドリアのDNA分析などから、 mtDNAはルーツ捜査において極めて精度が低く劣悪なシロモノ。
734 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:46:26
ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
735 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 19:51:37
どっちにしても 水田稲作は江南で9500年前に行われていたことが 発掘によって確認されているし まあしかし縄文人が畑作で稲作をやっていたのも これ発掘により確認されている しかし朝鮮半島は・・・・ なんもないだろ 普通に見れば と水田稲作が伝わったと考えるのが 発掘調査より妥当だろう まあ 江南→日本→朝鮮という経路も十分考えられるがw
736 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 20:00:49
ルーツ捜査において極端に飛びぬけて秀でているのはHLAだけ。 ハプロタイプの数が実に1000万種類と圧倒的。 ハプロタイプの数がわずか数十種類しかないmtDNAや他の遺伝学の 10万倍以上の精度と特定力。 しかもmtDNAの遺伝的系統の割合は、古い系統が新しい系統の割合を 剋する関係であるため、ウソ割合であって実際の割合ではない。 過去にこんな系統がいましたよ、残存している本当のところの割合は 分かりませんが、という程度にしか使えない。 分かる事と言えば過去にやって来た大雑把な系統だけ。 現在の実際の系統には全く使えないのだ。
737 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 20:29:40
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる 縄文人が日本を占拠していた時期に、モンゴルから朝鮮半島を経て 渡来したもの。B52−DR2、弥生人である。 特徴として、頬骨が発達している すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに 朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人 B44−DR13である。 顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている 関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、 西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる 現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、 関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。 中部 0.012←関西のとなりの濃尾平野はここ。 中国 0.035 九州 0.035 四国 0.038 東京 0.048←関東はここ。 東北 0.068←東北はここ。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
738 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 20:43:31
>すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに >朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、 >新しく関西周辺に入ってきた渡来人B44−DR13である。 B52-DR15が日本とモンゴルで高頻度の場所が二極化しているのに対し、 B44-DR13は高頻度の場所が日本と韓国しかなく、 一番頻度が高い地域が東海地方と来れば、東海地方から広がって いったと見るのが正解。
739 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 23:20:29
亜種を含めたら数倍になる、韓国人最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のハプロタイプの1つなわけねーだろ。
韓国人には、
琉球系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかない。
縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
740 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 23:57:40
mtDNAの琉球に多い縄文人タイプは韓国人が17.4%、本土日本人が16.1% と韓国人が僅かに多く、日韓ほぼ同じくらいなんですねえ。 アイヌのタイプは韓国人が1.6%、本土日本人が8.1%と大差が出る。 その中で韓国人最多HLAハプロタイプB44-DR13の頻度が 韓国人5.1%≒本土日本人4.8%、または韓国人4.5%≒本土日本人5.2% と韓国人と本土日本人で割合がほぼ同じ。 ありゃま、どーしましょうwwww 韓国の琉球に多い縄文人タイプとB44-DR13はどこからやって来たんでしょうねwwww
741 :
日本@名無史さん :2005/07/17(日) 15:45:15
●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族 が朝鮮王に封ぜられたといわれる。 ●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が 朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で ある王険城を都とし、3代約90年間存続。 ●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯 の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止) で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。 ●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。 魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
742 :
日本@名無史さん :2005/07/17(日) 15:45:56
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html 強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
743 :
日本@名無史さん :2005/07/17(日) 15:46:37
HLA遺伝子で日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。
◎本土日本
B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%
◎韓国
B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%
>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。
http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
744 :
日本@名無史さん :2005/07/17(日) 15:47:03
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、モンゴル以北から 朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。 朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は ほとんど定着していない。 だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、 同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが わずかしか見られない。 その代わり、中国人に多く見られるハプロタイプが朝鮮人には見られる。 これが日本人にはほとんどない。 日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国人に侵略されたからである。 朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
745 :
日本@名無史さん :2005/07/17(日) 15:48:19
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は 必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。 つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と 朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、 土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。 朝鮮半島は当初は日本の縄文系に近い先住民が住んでいたと考えられるが、 弥生人が素通りして日本列島へと消えていったしばらく後、 ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も 支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島 北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、 ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
この人は、何で毎週同じことばかり書き捨てに来るんだろう?
雲南や貴州、東チベットの少数民族の遺伝的形質って細かく調べられてるの?
748 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 11:08:37
北九州地域の異なる2つのタイプの渡来系弥生人 / 中国東北部起源と長江流域起源
--------------------------------------------------------------------------------
最近では、北部九州の渡来系弥生人と、中国大陸の同時代人骨との比較研究も進んでいる。
ミトコンドリアのDNA分析などから、
山東半島や江南地域の出土人骨とは高い親縁性のある事が指摘されて始めている。
渡来系弥生人は同じ北部九州でも長身で顔が細く華奢な「北九州」タイプと、
やや横幅が張った彫りの深い「西北九州」タイプに分かれる。
前者は山東、朝鮮半島から中国東北部起源、
後者は山東、朝鮮半島から長江流域起源
の可能性か高いという。
和佐野喜久生氏(佐賀大学農学部)は、
日中韓の炭化米を調査した結果、同じ短粒米でも、
玄界灘沿岸地域のものが丸く小さいのに対して、
有明海沿岸地域のそれは、やや長めで大きい事を突き止めた。
前者は同時代の半島のモノに近く、
後者は中国の長江や淮河流域のモノに近いという。
この結果は期せずして、人骨の二つのタイプと一致している。
日本の歴史02 王権の誕生 寺沢 薫著 講談社より
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/roots2.html 日本人のルーツ
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/index.html ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
749 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 11:10:03
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる 縄文人が日本を占拠していた時期に、朝鮮半島を経て 渡来したもの。B52−DR2、弥生人である。 特徴として、頬骨が発達している すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに 朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人 B44−DR13である。 顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている 関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、 西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる 現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、 関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。 中部 0.012←関西のとなりの濃尾平野はここ。 中国 0.035 九州 0.035 四国 0.038 東京 0.048←関東はここ。 東北 0.068←東北はここ。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
750 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 11:10:50
亜種を含めたら数倍になる、韓国人最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のハプロタイプの1つなわけねーだろ。
韓国人には、
琉球系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかない。
縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
751 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 15:52:54
何でもっと明快な結果の出るY染色体の研究が無視されるのかな日本では?
752 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 21:02:48
>>748 >ミトコンドリアのDNA分析などから、
>山東半島や江南地域の出土人骨とは高い親縁性のある事が指摘されて始めている。
で、そのソースは?
>渡来系弥生人は同じ北部九州でも長身で顔が細く華奢な「北九州」タイプと、
>やや横幅が張った彫りの深い「西北九州」タイプに分かれる。
>前者は山東、朝鮮半島から中国東北部起源、後者は山東、朝鮮半島から長江流域起源
で、ソースは?
753 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 21:20:31
>>748 >ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
確かにmtDNAのハプロタイプは数十種類しかなく、実際の系統の頻度とは一致しない
古い母系統ほど頻度が残ってしまうウソ頻度の精度の低いものだね。
精度が低いからこれはダメダメだ→「ミトコンドリアのDNA分析
などから、山東半島や江南地域の出土人骨とは高い親縁性のある事が
指摘されて始めている。」
754 :
日本@名無史さん :2005/07/19(火) 21:34:19
>>749 >B52−DR2、弥生人である。 特徴として、頬骨が発達している
頬骨が発達しているのは縄文人のほう。
弥生人骨の頭蓋は中頭、頬が目立たず、眼窩が丸くて鼻骨が低い。
>すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに朝鮮北部から、瀬戸内海を
>渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人B44−DR13である。
B44-DR13の日本の分布状況はな、西日本から中部地方一帯にB44-DR13が
広がっていたところに、西日本からB44-DR13をえぐるようにB52-DR15が
広がっていったような感じの分布の仕方なのだよ。
755 :
日本@名無史さん :2005/07/23(土) 22:18:26
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる 縄文人が日本を占拠していた時期に、朝鮮半島を経て 渡来したもの。B52−DR2、弥生人である。 特徴として、頬骨が発達している すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに 朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人 B44−DR13である。 顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている 関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、 西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる 現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、 関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。 中部 0.012←関西のとなりの濃尾平野はここ。 中国 0.035 九州 0.035 四国 0.038 東京 0.048←関東はここ。 東北 0.068←東北はここ。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より ハプロタイプは、ルーツ捜査において極めて精度が低く、人種間距離が計算できない劣悪なシロモノ。
756 :
日本@名無史さん :2005/07/24(日) 19:59:25
↑色黒、頬より頭が小さい不格好な長顔、のっぺら低鼻、うすうすハの字眉、 離れた細い寄り目、めくれ突き出したビビンバ唇 寄り目ビビンバは撲滅せんといかんな。
757 :
日本@名無史さん :2005/07/24(日) 20:00:09
秦人はのちの漢人、前の燕人。華北人。中央モンゴロイド。 夫余はのちの高句麗人。満州東部人。北方モンゴロイド。 韓人は6000年以上前に日本から渡った先住民。北方古モンゴロイド。 モンゴル方面から北方モンゴロイドの倭人が朝鮮半島西岸を通過して 渡海して日本へと消えていった後から、燕人に始まる中央モンゴロイドの 華北人が徐々に朝鮮半島に入植し始め、続く秦人、続く漢人でついに 半島全土は侵略され、楽浪を通して歴代の華北王朝の支配下に置かれたが、 ようやく満州東部から倭人とは別種の北方モンゴロイドの高句麗が侵入して 楽浪を滅ぼし、ここでようやく中央モンゴロイドこと華北人による400年 以上にも及ぶ朝鮮支配は終焉を迎えた。
758 :
日本@名無史さん :2005/07/24(日) 20:00:47
中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は華北に広がる人種で、 南方モンゴロイドと同系統の先住民に6000年前に北方新モンゴロイド が侵入して交配した混血人種である。 中央モンゴロイドは北方新モンゴロイドや南方モンゴロイドのように 自然に進化して誕生した人種ではなく、両者の交雑によって生じた。 朝鮮人は2〜3割の土着の北方古モンゴロイドと3〜4割の中央モンゴロイド と3〜5割の北方新モンゴロイドと交雑した人種と考えられる。 朝鮮人の血の半分以上は新モンゴロイド由来であろうが、遺伝学から 日本の北方新モンゴロイドとは別系統という事も分かっている。 重要な事は、朝鮮人は中央モンゴロイド(南方モンゴロイドと北方新モンゴロイド の混血人種)を通して間接的に入ってきた北方新モンゴロイドの血も あるという事で、これが日本人とは大きく異なる特徴の一つでもある。
759 :
日本@名無史さん :2005/07/26(火) 05:59:42
亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13は、縄文人のHLAの1つではなく、
渡来人のHLAの1つ。
もし、亜種を含めたら数倍になる、朝鮮人の最多ハプロタイプ・B44−DR13が、縄文人のHLAの1つなら、
朝鮮人は、沖縄人やアイヌ人と同じ縄文系という事になるが、
朝鮮人に縄文顔の人は、10人に、1人か2人しかいなく、非常にマイナーな存在。
朝鮮人が縄文系に見えるなら、あんた、精神病院に行ったほうがいいよ。
韓国人には、
琉球系縄文人=沖縄系縄文人の遺伝子が約17%しかなく、
アイヌ系縄文人の遺伝子が約1%しかなく、
非常に、マイナーな遺伝子。
縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)にはアイヌのmtDNAが入ってくる。
アイヌは東日本までは確実に南下したようだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
760 :
日本@名無史さん :2005/07/30(土) 12:54:28
761 :
日本@名無史さん :2005/08/05(金) 00:04:31
江南系渡来人=関西人と考えていいのかな?
>>760 遺伝子の分布をぬきにして単純に顔つきだけ調べると
「現在の」江南中国人と似た顔は東海地方に一番多く
次ぎに山陽あたり。ただし全国的に平均に散らばっており
偏差は大きくない。あえてあげればという程度
>762 形質や「現在の」も意味ないよ。 日本の学者に考古学系を本当にオープンに晒してるの?
>>762 日本語がおかしい。ちゃんとわかるように言ってくれ。
765 :
日本@名無史さん :2005/08/06(土) 14:10:27
>>762 そりゃ北方古モンゴロイドから南方モンゴロイドが派生したんだから
形質は似るわな。
でも、日本人からは中国人にポピュラーな遺伝子やハプロタイプが
ほとんど出てこない。
中国人(特に華中以南)にも日本人にポピュラーな遺伝子やハプロタイプが
ほとんど出てこない。
766 :
日本@名無史さん :2005/08/07(日) 18:12:28
秦人はのちの漢人、前の燕人。華北人。中央モンゴロイド。 夫余はのちの高句麗人。満州東部人。北方モンゴロイド。 韓人は6000年以上前に日本から渡った先住民。北方古モンゴロイド。 モンゴル方面から北方モンゴロイドの倭人が朝鮮半島西岸を通過して 渡海して日本へと消えていった後から、燕人に始まる中央モンゴロイドの 華北人が徐々に朝鮮半島に入植し始め、続く秦人、続く漢人でついに 半島全土は侵略され、楽浪を通して歴代の華北王朝の支配下に置かれたが、 ようやく満州東部から倭人とは別種の北方モンゴロイドの高句麗が侵入して 楽浪を滅ぼし、ここでようやく中央モンゴロイドこと華北人による400年 以上にも及ぶ朝鮮支配は終焉を迎えた。
767 :
日本@名無史さん :2005/08/07(日) 18:13:03
中央モンゴロイド(中央蒙古人種)は華北に広がる人種で、 南方モンゴロイドと同系統の先住民に6000年前に北方新モンゴロイド が侵入して交配した混血人種である。 中央モンゴロイドは北方新モンゴロイドや南方モンゴロイドのように 自然に進化して誕生した人種ではなく、両者の交雑によって生じた。 朝鮮人は2〜3割の土着の北方古モンゴロイドと3〜4割の中央モンゴロイド と3〜5割の北方新モンゴロイドと交雑した人種と考えられる。 朝鮮人の血の半分以上は新モンゴロイド由来であろうが、遺伝学から 日本の北方新モンゴロイドとは別系統という事も分かっている。 重要な事は、朝鮮人は中央モンゴロイド(南方モンゴロイドと北方新モンゴロイド の混血人種)を通して間接的に入ってきた北方新モンゴロイドの血も あるという事で、これが日本人とは大きく異なる特徴の一つでもある。
またコピペキチガイのお出ましか。いつまでやってんだか。
769 :
日本@名無史さん :2005/08/08(月) 03:47:15
>>765 >秦人はのちの漢人、前の燕人。華北人。中央モンゴロイド。
華北人が中央モンゴロイドになったのは五胡十六国の後。
燕・秦・漢の頃には人種がちがう。
>夫余はのちの高句麗人。満州東部人。北方モンゴロイド。
満州が北方モンゴロイドになったのは女真族が主役になってから。
最初からそうだったわけではない。
民族移動を考慮せず現代の人種の分布を
そのまま古代にあてはめようとしても正しいわけないだろ。
770 :
日本@名無史さん :2005/08/12(金) 14:39:27
771 :
日本@名無史さん :2005/08/12(金) 20:08:01
6000年ほど前、北方モンゴロイドが南下し、南方モンゴロイドと同系統の 大陸の土着人たちと混ざって中央モンゴロイドは生まれてますが何か?
772 :
日本@名無史さん :2005/08/13(土) 13:48:49
773 :
日本@名無史さん :2005/08/13(土) 13:53:37
西晋時代でも中国人口は1600万人も居る。 五胡十六国時代に華北に入った異民族が何百万人もあったとは 考えられない。 せいぜい数万〜数十万人程度。 華北人の人種コンテンツはほとんど変わっていない。 華北人が中央モンゴロイドになったのはもっと遥かに 人口が少なかった6000年前。 北方モンゴロイドが南下して華北に流入したとき。
774 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 01:07:51
下戸遺伝子は学術的にはモンゴルから中国北部が起源だとされており、 たった一人から始まり、世代間で確実に遺伝して爆発的に増加しながら アジア中に拡散していった。 祖先に一人でも下戸遺伝子が入ると子孫は高確率で下戸遺伝子を持ち、 下戸遺伝子人口を増やしていくので、下戸遺伝子はルーツ特定には全く使えない。 下戸遺伝子は「ある」「ない」「その中間」の3つしかない。 つまり、ハプロタイプがたったの3つしかない血液型よりも識別能力の 低い、つまり精度の低い遺伝学なのである。
775 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 04:16:57
>>768 何いってんの、南朝が滅んだ時の漢人は500万人まで減少だよ。
その後300年で、5000万人ってさ、漢人構成種が大幅に増えたって事。
その点で、人種の継承なんてありえないよ
776 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 17:54:38
>南朝が滅んだ時の漢人は500万人まで減少 学術ソースを出せ。 おまえの脳内ソースは一切不要。
777 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 17:58:02
>>1 その後に侵略した連中が華北、半島北部の連中だからだな
間違いない!
778 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 18:14:35
江南どころか華北さえ極めて関係が薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
779 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 18:25:38
http://www.tetsuonakamura.com/nakamura/toyokeizaishi-s03.htm これを見ると、前漢の人口は劉宋の時に十分の一に激減の500万人。
当然、陳の滅亡時はさらに激減してるだろう。
さらに、テキストの (4・隋・唐時代)の 2行目以降にあるように、
漢代の1・9の南・北の人口比が、隋・唐時代の南への移民政策
により、元朝時代には、南・北 が9:1 の人口比に
逆転するのだ。
結論
南北朝の終わりに南朝にいた 2−300万人程度に減少した漢民族は、
その後、北方鮮卑民族の子孫の500年にわたる移民により
圧倒的にボリュームで混血され、 もはや、
前漢までの漢民族の遺伝子など、元朝の時点で残っていない
と結論付けられる。
ここで、南方系異民族の流入説も検討しよう。その場合は、南と北が
1:9から9:1 に逆転せず、5:5 になるはずである。したがって、
11世紀ころの大勢は胡民族なのである。
780 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 18:31:05
推定断定が多いのに文章が分かりずらい、 見る人に全く訴えるものがない
781 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 18:48:20
>>775 素直に、僕納得できない って言え。
見る人に全く ってあたりがサヨクっぽいな
782 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 18:53:37
何レス潘間違えて落ち着きの無いレスしてんの? 無駄なレスはゴミ同然でスルー
783 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 20:08:15
下戸遺伝子は学術的にはモンゴルから中国北部が起源だとされており、 たった一人から始まり、世代間で確実に遺伝して爆発的に人口増加しながら アジア中に拡散して、今現在、世界中に6億人以上が下戸遺伝子を持つと見られる。 下戸遺伝子の遺伝形式はHLAなどに見られるような両親から半々で遺伝子を 受け継ぐといった通常の遺伝形式ではなく、祖先に一人でも下戸遺伝子が 入ると相当な高確率で子孫は下戸遺伝子を受け継ぐといった遺伝形式である と考えられる。 そうでなければ1人から6億人まで下戸遺伝子を持つ人口を増やす事は不可能である。 下戸遺伝子は「ある(DD型)」「ない(NN型)」「その中間(ND型)」の 3つしかない。 つまりハプロタイプがたったの3つしかない、ルーツ特定においては 血液型より識別能力の低い、つまり精度が低い、粗野な遺伝学なのである。 本土日本人は下戸遺伝子が多いから中国から来たという言動は、 アイヌは下戸遺伝子がほとんど無いからアフリカから来たという言行と 同じ事である。 下戸遺伝子から分かる事は、下戸遺伝子を持つ日本人はアジア中のどこか から来たという事だけで、それ以上の事は分からないのである。
保守
785 :
日本@名無史さん :2005/09/03(土) 14:43:01
◎江南どころか華北さえ極めて関係が薄い。
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
786 :
日本@名無史さん :2005/09/07(水) 23:04:51
渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強く、母系しか分からない mtDNAは渡来人の故郷捜しにはあまり適していない。 頭蓋の形質は時代とともにかなり変化するから渡来人の故郷探し にはあまり参考にはならない。 しかし、一重まぶたの出現率や蒙古斑などの肉体的特徴は骨格の様には 簡単に変化しないので非常に重要な手がかりとなる。 本土日本人の40%前後は一重まぶたであるが、中国人は華北人から 人種的特徴に二重まぶたと明記されていて、一重まぶたは 少なく、華中人や華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 しかも、蒙古斑に至っては肉眼で確認できる中国人はわずかで、 ほとんどの中国人は蒙古斑を確認できない。
787 :
日本@名無史さん :2005/09/07(水) 23:07:50
日本人のYAP+因子の所有率から、渡来人が女性を伴った場合から 全く伴わなかった場合まで計算に織り込んで、日本人は最低で45%、 最高で72.5%までが土着系で、残りの27.5〜55%の部分が渡来系で あると簡単に分かるが、 土着人の末裔とされるアイヌと琉球人が二重まぶたであるところから、 その間に存在していた本土土着人が二重まぶたであった事などは 当然として、 その日本人の27.5〜55%を占める渡来系が華中(江南)や華南から やって来たとするならば、華中(江南)や華南から日本に上陸後、 突然、二重まぶたから一重まぶたに進化して、本土日本人の40%を占める 一重まぶたの人たちになり、華中(江南)や華南ではほとんど確認できない 蒙古斑を本土日本人全体にバリバリにもたらしたという人類学史上まれに 見る奇々怪々な怪奇現象があったという事になる。
789 :
日本@名無史さん :2005/09/10(土) 13:32:48
華北人(シニーデ=中央モンゴロイド)は二重まぶた。 人種的的特徴は、長身、中頭、狭鼻、蒙古ひだ、「二重まぶた」など。 つまり中国人は二重まぶたの人種。 しかし本土日本人の40%前後は一重まぶた。 日本人のYAP+から計算して、本土日本人の血の半分弱前後が渡来系だが、 そうすると渡来系の8割以上が一重まぶたであったという事であり、 二重まぶたの中国人に渡来系を求める事は全く不可能である。 華中人(江南人)や華南人が本当に渡来系であったのなら、 本土日本人に一重まぶたの人などほとんど存在していないであろう。
790 :
日本@名無史さん :2005/09/10(土) 15:26:03
江南人、華南人なんかほとんど混ざっていない。 華北人(シニーデ=中央モンゴロイド)は二重まぶた。 人種的的特徴は、長身、中頭、狭鼻、蒙古ひだ、「二重まぶた」など。 華北人にも一重まぶたの人は居るが2〜3割の少数派で、 それより南方人の華中人、華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 つまり中国人は二重まぶたの人種。 しかし本土日本人の40%前後は一重まぶた。 日本人のYAP+から計算して、本土日本人の血の半分弱前後が渡来系だが、 そうすると渡来系の8割以上が一重まぶたという事であり、 二重まぶたの中国人に渡来系を求める事は全く不可能である。 華中人(江南人)や華南人が本当に渡来系であったのなら、 本土日本人に一重まぶたなどほとんど存在していないはず。
791 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 18:29:15
日本人全体のYAP+遺伝子の所有率が約45%であるところから、 日本人男性の約45%までが土着系(縄文系)だと簡単に分かるが、 渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を 男性と同率で連れてきた場合と全く連れてこなかった場合まで 織り込んで計算すると、日本人全体の約45〜72.5%までが土着系 だと簡単に分かる。 その逆数の約27.5〜55%が渡来系であり、実は渡来系は 日本人全体の半分以下の可能性の方が強い。 遺伝学については、特にmtDNAはモンゴルから華南まで、 東アジアはどこも一緒と出てくるゆえ、渡来人の故郷を探るという 意味では識別精度は形質人類学より劣っていると言わざるを得ない。 形質でも蒙古襞や時代差の大きい頭蓋の扁平具合などあまり参考にならない。
792 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 18:29:47
問題なのはズバリ 「 一 重 ま ぶ た 」 の出現率である。 華北人にも一重まぶたの人は居るが少数派で、それより南方人の 華中人、華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 つまり中国人はほとんど二重まぶたの人種である。しかし、 本 土 日 本 人 の 4 0 % 前 後 は 一 重 ま ぶ た 。 本土日本人の血の半分「弱」前後が渡来系だとYAP+で分かったが、 そうすると渡来系の原種は一重まぶた率が8割以上の人種であった事 も同時に分かり、二重まぶたがほとんどの中国人に渡来系を求める 事自体、全く持って愚の骨頂と言えよう。
793 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 18:30:34
一重まぶただけではない。 「 蒙 古 斑 」 も渡来人の故郷を探る上で非常に重要な肉体的ファクターである。 蒙古斑に至っては肉眼で確認できる中国人は少数で、ほとんど多くの 中国人は蒙古斑を肉眼で確認できない。 蒙古班を肉眼でほとんどの児童に確認できる人種。それは日本人と 「 モ ン ゴ ル 人 」 である。 これらの事をきちんと識別できている正しい遺伝学指標は mtDNAではなく、gm遺伝子とHLAである事も付け加えておこう。
794 :
日本@名無史さん :2005/09/12(月) 15:29:48
いろいろ混ざってるからこそ一重もあれば二重もあるんだろうが。
795 :
日本@名無史さん :2005/09/14(水) 21:47:05
渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強く、母系しか分からない mtDNAは渡来人の故郷捜しにはあまり適していない。 むしろmtDNAは土着系の遺伝子を見る方が適した遺伝学指標。 頭蓋の形質は時代とともにかなり変化するから渡来人の故郷探し にはあまり参考にはならない。 しかし、一重まぶたの出現率や蒙古斑などの肉体的特徴は骨格の様には 簡単に変化しないので非常に重要な手がかりとなる。 本土日本人の40%前後は一重まぶたであるが、中国人は華北人から 人種的特徴に二重まぶたと明記されていて、一重まぶたは 少なく、華中人や華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 しかも、蒙古斑に至っては肉眼で確認できる中国人はわずかで、 ほとんどの中国人は蒙古斑を確認できない。
796 :
日本@名無史さん :2005/09/14(水) 21:48:59
日本人全体でのYAP+遺伝子の所有率は約45%であるが、渡来人は女性を あまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を男性と同率で連れてきた 場合と全く連れてこなかった場合まで織り込んで計算すると、日本人は 45〜72.5%までが土着系で、その逆数の27.5〜55%が渡来系と簡単に分かる。 土着人の末裔とされるアイヌと琉球人が二重まぶたであるところから、 その間に存在していた本土土着人が二重まぶたであった事などは 当然として、 その日本人の27.5〜55%を占める渡来系が本当に華中(江南)や華南から やって来たとするならば、渡来人は華中(江南)や華南から日本に上陸後、 突如、二重まぶたから一重まぶたに進化して、本土日本人の40%を占める 一重まぶたの人たちになり、華中(江南)や華南ではほとんど確認できない 蒙古斑を日本人全体にもたらしたという人類学史上まれに見る奇々怪々な 怪奇現象があったという事になる。
いろんなとこからいろんなのが来てたってことだろ。
798 :
日本@名無史さん :2005/09/17(土) 13:31:37
いいや、来ていない。 mtDNAが示す東アジア全体での母系の遺伝子構成やその割合はほとんど同じ なのにもかかわらず、日本人にはYAP+遺伝子が全体で約45%も残っている。 つまりmtDNAは東アジアの母系はほとんど土着系という事を意味している。 土着系でなければ、東アジア全体でこうも奇麗に遺伝子のコンテンツも その割合もこんなにも酷似しないだろうし、渡来系ばかりなら、 東アジア全体で、ある地域ではあるハプログループが多く、ある場所では それが少ない、ある地域ではほとんど無いという感じで コンテンツも その割合ももっと激しくバラバラのはずだろう。 しかし、東アジア全体のmtDNAのハプログループはコンテンツも その割合も奇麗に酷似している。 要するに、東アジア全体で同じ系統が大きな分岐をしては重なり、 大きな分岐をして重なりというように、古きが新しきを取り込み ながら遺伝子の種類を増やしてきただけの話。
きてないのなら、なんで日本人にはいろんな顔つきが混在してんだよ?
45%? じゃ残りの55%は別系統なんだろ? 混ざってるってことじゃねーか。
夏も終わりですね
厨認定して逃げ切れるとはギャラリーは思ってくれないぞw
803 :
日本@名無史さん :2005/09/18(日) 18:19:47
800の知能指数の低さに哀しみを感じる初秋の夕暮れ・・・ >日本人全体でのYAP+遺伝子の所有率は約45%であるが、渡来人は女性を >あまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を男性と同率で連れてきた >場合と全く連れてこなかった場合まで織り込んで計算すると、日本人は >45〜72.5%までが土着系で、その逆数の27.5〜55%が渡来系と簡単に分かる。
↑土着系と渡来系が混ざってるって自分でいってるじゃん。池沼か?
805 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 19:37:55
806 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 19:41:41
807 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:18:57
弥生人と当時の江南の人骨が似ているって聞いてたんだけど 江南地方から稲作とともに 華北や日本に広がったっていう説はどうなったの?
808 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:22:12
日本人全体のYAP+遺伝子の所有率が約45%であるところから、 日本人男性の約45%までが土着系(縄文系)だと分かるが、一般的に 渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を男性と 同率で連れてきた場合と全く連れてこなかった場合までを想定し計算すると、 日本人全体の約45〜72.5%までが土着系だと簡単に分かる。 その逆数になる約27.5〜55%が渡来系という事になり、実は渡来系は 日本人全体の半分以下の可能性の方が強いという事も分かる。 遺伝学については、特にmtDNAなどはモンゴルから華南まで、東アジアは どこもほとんど一緒と出てくるゆえ、渡来人の故郷を探るという目的に おいての識別精度は形質人類学より劣っていると言わざるを得ない。 形質でも頭蓋の頭示数や扁平具合などは時代差が大きくあまり参考にならない。 問題なのはズバリ 「 一 重 ま ぶ た 」 の出現率である。
809 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:22:58
華北人、つまり中央モンゴロイド(シナ人種、シニーデ)は二重まぶたの 人種で、蒙古ひだが無い人も少なくない。一重まぶたの人も居るが少数派で、 それより南方人の華中人、華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 つまり中国人はほとんど二重まぶたの人種なのである。しかし、 本 土 日 本 人 の 4 0 % 前 後 は 一 重 ま ぶ た 。 本土日本人の血の半分「弱」前後が渡来系だとYAP+で分かったが、 そうすると渡来系の原種は一重まぶた率が8割以上の人種であった事 も同時に分かり、二重まぶたがほとんどの中国人に渡来系を求める 事自体、全く持って愚の骨頂と言えよう。
810 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:30:45
だから 江南人が 日本を含め多くの地域に進出したって言う説 稲作の人口扶養能力が 人口の増加と伝播を助けたという説 現在人のDNAや目蓋が当時も同じ分布だって言う 学説でも有るの?
811 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:41:35
渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強く、母系しか分からない mtDNAは渡来人の故郷捜しにはあまり適していない。 むしろmtDNAは土着系の遺伝子を見る方が適した遺伝学指標。 頭蓋の形質は時代とともにかなり変化するから渡来人の故郷探し にはあまり参考にはならない。 しかし、一重まぶたの出現率や蒙古斑などの肉体的特徴は骨格の様には 簡単に変化しないので非常に重要な手がかりとなる。 本土日本人の40%前後が一重まぶたであるが、中国人は華北人から 人種的特徴に二重まぶたと明記されていて、一重まぶたは 少なく、華中人や華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 しかも、蒙古斑に至っては、日本人の出現率が99.5%であるところから、 土着系も渡来系も蒙古斑の出現率は99%以上である事になるが、 上海の華中人の蒙古斑の出現率は94.6%と日本人より5%も低い。
812 :
日本@名無史さん :2005/09/21(水) 20:43:20
日本人全体でのYAP+遺伝子の所有率は約45%であるが、渡来人は女性を あまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を男性と同率で連れてきた 場合と全く連れてこなかった場合まで織り込んで計算すると、日本人は 45〜72.5%までが土着系で、その逆数の27.5〜55%が渡来系と簡単に分かる。 土着系の末裔とされるアイヌと琉球人が二重まぶたであるところから、 その間に存在していた本土の土着系が二重まぶたであった事などは 当然として、 その日本人の27.5〜55%を占める渡来系が本当に華中(江南)や華南から やって来たとするならば、渡来人は華中(江南)や華南から日本に上陸後、 突如、二重まぶたから一重まぶたに変化して、その本土日本人の40%を 占める一重まぶたの人たちになり、華中(江南)では94.6%だった蒙古斑の 出現率を99.5%と日本人全体から全く減らす事が無かったという人類学史上 まれに見る奇々怪々な怪奇現象があったという事になる。
>45〜72.5%までが土着系で、その逆数の27.5〜55%が渡来系 つまり、日本人は土着系と渡来系の混血ってことじゃんよw
814 :
日本@名無史さん :2005/09/22(木) 21:24:05
YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。
中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。
http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
815 :
日本@名無史さん :2005/09/24(土) 18:37:32
日本人全体のYAP+遺伝子の所有率が約45%であるところから、 日本人男性の約45%までが土着系(縄文系)だと分かるが、一般的に 渡来人は女性をあまり伴わない傾向が強いため、渡来系が女性を男性と 同率で連れてきた場合と全く連れてこなかった場合までを想定し計算すると、 日本人全体の約45〜72.5%までが土着系だと簡単に分かる。 その逆数になる約27.5〜55%が渡来系という事になり、実は渡来系は 日本人全体の半分以下の可能性の方が強いという事も分かる。 遺伝学については、特にmtDNAなどはモンゴルから華南まで、東アジアは どこもほとんど一緒と出てくるゆえ、渡来人の故郷を探るという目的に おいての識別精度は形質人類学より劣っていると言わざるを得ない。 形質でも頭蓋の頭示数や扁平具合などは時代差が大きくあまり参考にならない。 問題なのはズバリ 「 一 重 ま ぶ た 」 の出現率である。
816 :
日本@名無史さん :2005/09/24(土) 18:38:10
華北人、つまり中央モンゴロイド(シナ人種、シニーデ)は二重まぶたの 人種で、蒙古ひだが無い人も少なくない。一重まぶたの人も居るが少数派で、 それより南方人の華中人、華南人に至ってはほとんどが二重まぶたである。 つまり中国人はほとんど二重まぶたの人種なのである。しかし、 本 土 日 本 人 の 4 0 % 前 後 は 一 重 ま ぶ た 。 本土日本人の血の半分「弱」前後が渡来系だとYAP+で分かったが、 そうすると渡来系の原種は一重まぶた率が8割以上の人種であった事 も同時に分かり、二重まぶたがほとんどの中国人に渡来系を求める 事自体、全くもって愚の骨頂と言えよう。
817 :
日本@名無史さん :2005/10/04(火) 20:37:38
弥生系は中国からなんて来ていないよ。 華北人の属する中央モンゴロイド(中央蒙古人種、シナ人種、シニーデ)は 二重まぶたの人種で、蒙古ひだの無い人も珍しくない。 アイヌの話じゃないよ。 長身、中頭、北方モンゴロイドに顕著な頬骨の突出が弱い、 北方モンゴロイドほど鼻が低くない、顔の扁平さが弱い、などの理由から、 シナ人種の先祖はコーカソイドとする説が一時有力だったが、今は否定されている。 一方で日本の弥生系は一重まぶたで低鼻でのっぺりした顔面を持つ人種。 弥生系が本当に中国からやって来たとするならば、渡来人は中国から 日本に上陸後、 寒冷化対応もせぬまま、突如、二重まぶたから 一重まぶたに変化して、日本人の40%を占める一重まぶたの人たちに なり、低くない鼻と扁平さの弱い顔から低鼻でのっぺりした顔に 変化したいう人類学史上まれに見る奇々怪々な怪奇現象があったと いう事になる。 今のmtDNAの解釈は形質人類学以下。もう間違いだらけである。
818 :
日本@名無史さん :2005/10/04(火) 21:27:27
今の華北人の先祖≠弥生人 昔の漢民族=弥生人 で、いいじゃん。 そもそも、南朝が滅んだ時に大陸の漢民族はほぼ滅んだんだよ。 中央モンゴロイドが弥生人と違うのは当然だ
819 :
日本@名無史さん :2005/10/04(火) 21:39:37
いいことないじゃんw 南朝が滅んだ時に昔の華北人の多くは江南に逃げた。 つまり、江南人こそ昔の華北人の後裔という事になる訳だが、 江南人の容貌は今の華北人の容貌よりも更に817の傾向が 顕著になってしまうのだよ。 自殺発言だよw
820 :
日本@名無史さん :2005/10/04(火) 22:36:55
それに、昔の華北人が五胡十六国時代に侵入した北方民族と本当に そっくりそのまま入れ替わっているなら、シナ人種は北方モンゴロイド のように一重まぶたが多く、ほとんどに蒙古ひだが見られ、秀でた 頬骨を持ち、顔面の扁平さが強いとされているはずだが、 実際は二重まぶたで、蒙古ひだが無い人も少なくなく、頬骨の突出が 弱く、顔面の扁平さが弱いという事で、シナ人種の祖先は コーカソイドではないかなんていう説など間違っても浮上しないはず。 五胡十六国時代に侵入した異民族は100万人もいなかっただろう。 おそらくシナ人種は古代から8割がたは変わっていない。 昔の華北人は今も健在だよ。
>>819-820 そうじゃない。
江南へ逃げてきたのは貴族階級が主で
庶民階級の難民もあったはあったけど
血統的には江南の先住民に吸収されてしまった。
江南中国人というのは文化的に漢文化に同化されただけで
実際には南蛮系の異民族の子孫。
それから現在の華北中国人は北方民族の子孫だが
契丹人・女真人・高麗人・渤海人などの雑多な民族の
混血であって一概に五胡十六国の時に侵入してきた
北方民族の子孫がストレートにきてるわけではぜんぜんない。
百歩譲っても五胡十六国の時の北方民族の主流は鮮卑族
であって北方モンゴロイドではない。
現在の人種配置を前提にして「北から来たなら一重のはずだ」
なんていう言い草は時系列が倒錯している。
822 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:31:21
契丹人・女真人・高麗人・渤海人って、それだって貴族階級が主だろが。 それに何十万人、何百万人も来たのかね? それにすべて定着したのかね? それにその時代あたりの華北人口は既に1億人はいるだろ。 朝鮮半島で一重まぶたが6割だが、鮮卑が居たのはモンゴル高原だろ。 8割がた一重まぶたに決まってるじゃないの。 それに鮮卑が北方モンゴロイドでないというソースは?
823 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:33:04
そうそう。GJ 現在の中国人= (南蛮+鮮卑)の子孫 弥生人=漢民族の一派 が、歴史の整合性からみてすっきりする。
824 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:38:08
戸数推計で、南朝の終りが漢民族500万人 その後滅亡。 鮮卑=北方モンゴロイド ってソースの方こそ示さなきゃだめだろ。
825 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:45:33
>南朝の終りが漢民族500万人 これのソースは?
826 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:48:58
つまり、 華北人(鮮卑+南蛮)の形質=二重まぶた 漢民族の形質=一重まぶた 弥生人=漢民族 で、なんの非整合性があるのか? って事だね
827 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:50:24
昔の華北人が一重まぶたで、それより北から来た北方民族に 蹴散らされて、今の二重まぶたで顔の扁平さが弱い華北人に なりましたってか。 馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの?
828 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 00:58:12
829 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 01:33:28
830 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 02:54:44
戸籍登録だけの調査だから。 で、そこから驚愕の事実がわかるよ。 漢民族籍が消えていって、隋唐(鮮卑)籍で10倍ってのは それだけ大量の非漢族の血が入ってきたって事。 南北の人口比が逆転したり、 弥生人のころの華北人と、その後の華北人が人種的に完璧に違う事がよくわかる。
831 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 02:59:42
そもそも華北人=二重瞼というのがダウトだろ。 現実の華北人を見ればそんなことが嘘であることはすぐ分かる。 見た感じ半分以上は一重瞼だ。日本人平均より高いだろう。 だが俺は秦漢時代の中原漢族が絶滅したという説には賛成しないけどね。 陝西・河南省あたりの主流は「兵馬俑」の一般兵士のような顔が今でも主流だ。 一重または奥二重で、目尻が釣り上がっている。 ただ、顔は面長で鼻筋が通っていることが多いので 輪郭が小判型でとことん扁平な蒙古・朝鮮的な顔とは違うが。
832 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 03:44:09
隋唐の初旬で、絶滅ということはないが、 中旬以降の異民族による戸籍の増大を見ると 事実上、血は消えていったと見るのが正解だよ。
>>822 >契丹人・女真人・高麗人・渤海人って、それだって貴族階級が主だろが。
>それに何十万人、何百万人も来たのかね?それにすべて定着したのかね?
いや全然。おまえは何をいってるんだ?これは12世紀の戸籍調査での話だぞ。
>それにその時代あたりの華北人口は既に1億人はいるだろ。
そんなにいないと思うけど。金代の話だから。いたとしても
それが「契丹人・女真人・高麗人・渤海人」の混血ってこと。
>朝鮮半島で一重まぶたが6割だが、鮮卑が居たのはモンゴル高原だろ。
>8割がた一重まぶたに決まってるじゃないの。
なにがいいたいのかさっぱり意味不明。
モンゴル人とモンゴル高原の区別がつかないのか?
日本にいれば在日でも日本人種だ、という理屈かw
>それに鮮卑が北方モンゴロイドでないというソースは?
鮮卑は東胡の子孫、東胡は「胡」(深目赤毛長身の種族)の一種。
世界史板の匈奴フン族スレに詳しい議論あるよ。
>>825 それはよく知らないがもしかしたら陳が滅亡した時の人口じゃないの?
今の議論からするとちょっと関係ない数字かと。
>>826-827 「古華北型」 (鮮卑侵入以前の漢代の華北中国人)は一重だよ。
(本当に一重だったかどうかはよくわからんが骨格的には弥生
人骨と同じ。遺伝子まではよくわからんがたぶん類似の範囲だろ)
でもこの考えを馬鹿よばわりする827にはまともな対案などないだろ。
どうせ歴史的変遷を無視して現在の遺伝子分布をネタにした
火病コピペするしか能がないんだろ。
>>828-829 770万ってのは東魏の数値で隋じゃないだろ。隋は4600万であってるよ。
>>829 北上したなんて話は誰もしてない。よく読め。
>>828 がいってるのは江南中国人のことだろう。
>>831 現在の華北人は統計的には二重は多いんだが、
村長や地域の顔役、共産党の幹部、企業の重役などは
典型的な北方モンゴロイド風な顔(モンゴル人っぽいの)が多い。
それ以外の庶民はあまり目立たないので、見た感じ一重が多い
ような錯覚するだけ。ただし日本人より二重が多いかどうかは微妙。
日本人だって「一重が多い」と言い張ってる奴はおかしい。
それと「中原漢族の絶滅」というのは民族レベルの話であって
もともと人種レベルの話ではない。陝西あたりは秦人の子孫で
秦人は戎狄が漢文化に同化したもの。後世の鮮卑にむしろ近い。
「顔は面長で鼻筋が通っている」ってのは合ってる。
とりあえず、コピペを繰り返すやつの主張は信じないことにしてる
837 :
日本@名無史さん :2005/10/12(水) 23:06:08
>>835 =うんこシナ人w
>「古華北型」 (鮮卑侵入以前の漢代の華北中国人)は一重だよ。
おまえ究極の馬鹿じゃねえのw
昔の華北人が一重まぶたで、それより北から来た北方民族に
蹴散らされて、今の二重まぶたで顔の扁平さの弱い華北人に
なりましたってか。
ア ホ も 休 み 休 み 言 え や
こ の ウ ン コ シ ナ 人 が w w
>>837 おや、反論できないと火病ですかい。どうやら支那人以下の朝○人だったようでw
>「古華北型」 (鮮卑侵入以前の漢代の華北中国人)は一重だよ。 >(本当に一重だったかどうかはよくわからんが骨格的には弥生 > 人骨と同じ。遺伝子まではよくわからんがたぶん類似の範囲だろ) ↑別に「一重だ」と断定はしてないが? そもそも人種的特徴は多岐に渡るのに なぜに「まぶた」の一点だけですべてを語ろうとするのか。 一重か二重かを基準にして他を捨象してもよい という論証があってしかる後にこそはじめて妥当な論法か どうかが吟味されるはずだが・・・?
840 :
日本@名無史さん :2005/10/13(木) 19:19:19
そもそも華北が二重が多いという時点で違う。 どう考えても華北は一重多いだろうw
842 :
日本@名無史さん :2005/10/14(金) 16:23:38
瑣末な話はどうでもいいよ、 弥生時代初期の万里長城以南の華人は絶滅した可能性が高いため、 現代中国人と日本人の遺伝子の違いで、 弥生人起源、旧漢民族説を否定する事はできない。 で、この話は終了としようや
843 :
日本@名無史さん :2005/10/15(土) 13:43:08
日本人種の約半分が一重まぶたなんだぜw 昔の華北人が一重まぶたで、それより北から来た北方民族に 蹴散らされて、今の二重まぶたで顔の扁平さの弱い華北人に なりましたってか。 ア ホ も 休 み 休 み 言 え や こ の ウ ン コ シ ナ 人 が w w
845 :
日本@名無史さん :2005/10/19(水) 22:38:59
逆に日本人種の残りの約半分が二重まぶた。 シナ人種は二重まぶたの人種であるから、その二重まぶたの日本人種は シナ人種からきているのかもしれない。 しかし日本人種はシナ人種に無いYAP+遺伝子を平均で約45%も持っている。 アイヌや琉球人から土着系が一重まぶたという事はあり得ないから、 その約半分の二重まぶたの日本人種はその45%のYAP+遺伝子を持つ 土着系から来ているという事になる。 そうなると、日本人種に見られる一重まぶたの人も二重まぶたの人も シナ人種とはほとんど関係が無い人類集団という事になる。
シナ人が二重まぶた? アホかよw
847 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 12:06:41
シナ人種が二重まぶたなのは人類学の常識。
中国人は、日本人と同じかそれ以上に濃い顔の人が多いと思う。 太い眉毛が印象的な周恩来とか。孫文も濃い顔。毛沢東もケ小平も二重瞼だし。 王毅駐日大使も二重瞼の濃い顔をしている。 中国ではキツネ目の人は少数派。江沢民とか江沢民とか。
どうやら847は北京にも上海にも内陸にもいったことないらしいw
850 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 18:58:41
どうやら849は衛星放送を知らないらしいw 中央電視台、北京電視台、上海電視台、台湾電視とか、 たまに拝見させてもらってるよ。 色使いがハデで、内容が日本以上に馬鹿馬鹿しいものが多く、 言葉は分からないけど結構面白いんだよねw 意識して、中国人の顔をチェックしてみると、中国人は一重まぶたの人が ホント少ない事がよく分かる。
俳優やタレントの顔ばかりみてちゃダメだよw
852 :
日本@名無史さん :2005/11/03(木) 17:59:04
で、シナチクはいつまで弥生人のふりをしているつもりなの?w
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
10%のちがいしかない段階でどうなのかって疑問が・・・
日本 10% モンゴル 5% これから類推されることは日本からモンゴルへ移ったと考えられる。 つまり義経がry
855 :
日本@名無史さん :2005/11/07(月) 16:21:29
>>849 いや、義経はともかくありうるね。
半島南部の倭人が騎馬を加えた時点で、北方移動する方法は生まれる。
856 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/08(火) 10:58:54
スレ違いかもしれませんが、質問させてください。 倭人は、朝鮮海峡付近で発生したという説を聞いた事があります。半島南部ももとは倭人が住んでいたという説です。 ですから対馬壱岐は現在倭人の末裔である日本人がすんでいます。 ところが同じ海峡にありながら、済州島は倭の範囲に入っていないようです。 これは何故なのでしょうか。
講釈師、見てきたような嘘を言い、てのが多いんだろうね。 ちょっと前までは中国北部の方が文化の中心と考えて、 その直系の中国人が住み着いたという説の方が気持ち良かったんじゃないの。 でも土間式住居に住み餃子食ってる伝統なんて日本には全く無いもんな。 顔だって江南の方が近い印象だもんな。 偏執狂みたいな学説なんかより、日本人自身が行ってみりゃ直感でわかるよ。
現代の情況みても古代のことはわからんだろ。 秦漢時代の家屋は床に座る形式で日本に近いよ。 隋唐時代の椅子とテーブルは騎馬民族の影響。 時代によって文化はかわるんだよ。日本だってそうだろ。 現代の中国人だけみて即断するのは素人丸出しな早とちり。
859 :
日本@名無史さん :2005/11/09(水) 19:50:38
↑遺伝子真っ赤っか、浅黒い、潰れた広鼻、ギョロ目、分厚い唇 のうんこの臭いのする汚らしい南シナ人種の台湾人wwww
860 :
hanwudi :2005/11/09(水) 19:51:03
仕事は強盗 趣味は殺人 (南京大虐殺) 癖は嘘 (日本国の歴史教科書の歪曲) これぞ日本人
あらすな。
現代の中国人だけ見てるわけないでしょ。 まず稲作は南アジアから入ってきたもの、というより 寒冷地では育たない。日本はどうかというと九州四国 から中部地方あたりまでなら稲作に向いてるが、それより 北は粟やヒエや麦の方が向いている。 今北海道まで稲作ができるのは品種改良ができたつい 最近の事。だから江戸時代でさえ米は貨幣のように貴重な ものだった。そして稲作には高床式が向いている。 最初から麦や粟が主食だったら苦労して米なんか作るか? 古代中国北部で稲作が盛んだったとも思えないな。 だから古代中国北部に餅や赤飯の習慣があったとも 思えないんだよ。餃子の歴史は古いぜ。 活字になったものだけ信じるのはどんなもんかな。
863 :
日本@名無史さん :2005/11/15(火) 14:30:28
バイカル湖周辺の倭人 普通に考えれば、倭人が北方に移住したでOKだろ。 で、弥生人は長江から米を持って移住してきた
>>856 まず史料的(魏志韓伝)に済州島(耽羅国たむらの島)はこう書かれています。
又有州胡在馬韓之西海中大島上。其人差短小、言語不與韓同、
皆kon[冠髟脚兀]頭如鮮卑、但衣韋、好養牛及豬。其衣有上無下、
略如裸勢。乘船往來、市買韓中。
風俗は、南方系(裸勢)、北方系(頭如鮮卑&好養牛及豬)を合わせた
ようなもので、当時の三韓や倭とは少し違います。
ただ、土地の語り継がれた逸話では、倭と徐福の関係を島の始まりと
していますし(高麗地理誌)、また海女という点で同じ漁法があり、土着と
外来との層が合ったとも考えられます。
「倭の範囲」というのを政治的勢力に限定すれば、後の琉球のように
倭はあまりこだわっていません。まぁ政治目的に対する価値が無かっ
たんでしょうね。
865 :
日本@名無史さん :2005/11/15(火) 20:25:21
弥生人(倭人)はモンゴルあたりから流れてきて日本に渡った移動民 だったんだから、そりゃ半島南部にも一時滞在するわな。 半島南部まで来ないと日本への安全な渡海ができないぜよ。 弥生人は半島南部に滞在中、稲作など朝鮮南部の文化の影響を受け、 それを日本に持ち込んだ。 半島南部の土着人が来た訳ではないのだよ。 異種が異種の朝鮮文化を更に異種の地である日本に持ち込んだというトリック。
866 :
日本@名無史さん :2005/11/15(火) 20:33:37
半島南部に一時滞在していただけの流民に済州島の必要はなかろう。
867 :
日本@名無史さん :2005/11/16(水) 00:53:27
だから、なんでモンゴルから倭にくるんだよ 逆でいいじゃん。 倭人がモンゴルに行ったじゃだめなのか?
868 :
日本@名無史さん :2005/11/16(水) 01:04:19
渡来人の史実や遺跡や遺物はあっても、 そんな史実や遺跡や遺物はないからな。 倭人がモンゴルに行ったのなら、あちらに日本に関係したものが いっぱい出てくるだろうが。
869 :
日本@名無史さん :2005/11/16(水) 01:08:27
>>867 なんで騎馬文化皆無の倭人が
モンゴルに行くんだ
870 :
日本@名無史さん :2005/11/16(水) 01:20:29
そんなもん同じことだろ 縄文土器がモンゴルから出てない= 1・モンゴル人が縄文人になったわけではない 2・縄文人がモンゴル人になったわけではない となるだろ。 弥生人だって同じ事
871 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/16(水) 07:36:57
済州島の件ありがとうございました。
872 :
日本@名無史さん :2005/11/18(金) 22:13:33
超ウルトラ簡単に言えば、 中国人は華北人も華南人も二重まぶたがほとんどの人種。 日本人は平均で約45%がYAP+遺伝子を持ち、一重まぶたと二重まぶたが 約半々の人種。 二重まぶたの日本人はYAP+遺伝子と符合するから、 残り半分の一重まぶたの日本人は一体何者??という事になる。 中国人が弥生人なら、温帯の日本に来た後、一重まぶたになったという事になる。 寒冷化適応も無しで。
873 :
日本@名無史さん :2005/11/18(金) 23:50:47
えーつまり、 縄文人は一重だったって事? まあ縄文土器のルーツがシベリアあたりにあるらしいので それでもいいけど、 そこに、二重の弥生人が中国から流れてきたって事?
874 :
日本@名無史さん :2005/11/18(金) 23:53:29
お茶目なおとぼけ台湾人くんでしたぁー
875 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 14:20:42
よーっしゃ! 台湾人にも分かるように、もっと超ウルトラ簡単に教えてあげよう。 中国人はYAP+遺伝子が全く無く、二重まぶたがほとんどの人種。 日本人は平均で約45%がYAP+遺伝子を持ち、一重まぶたと二重まぶたが 約半々の人種。 半分の二重まぶたの日本人はその約45%のYAP+遺伝子の人たちだから、 中国人が弥生人なら日本には一重まぶたがほとんど居ないという事に なってしまう。 さて、残り半分の一重まぶたの日本人は一体何者でしょう??
876 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 18:34:06
中国人 二重NOYAP 日本人 二重YAP 一重NOYAP ここまで判った。 日本以外で 二重YAP 一重NOYAP は、どこの地域の人なの?
877 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 18:45:39
一重NO YAPはモンゴル・満州より北方でシベリア東部を除く。
878 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 18:49:21
そんなもん弥生人の起源は江南に決まってるさ! 細〜い目の人種は戦後のドサクサに紛れて日本に入り込んで一気に増えたんだよ! 日本人 二重YAP 一重NOYAP ← 戦後どさくさの細目たち なのはあきらかです。
879 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 18:52:56
880 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 18:59:59
謎の未確認非行物体AFOが飛来してるな。
881 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 19:03:35
じゃー 二重YAPは?
882 :
日本@名無史さん :2005/11/19(土) 19:04:20
煽りを煽りと見抜けるなんとやら。。って確か、唇おばけが言ってなかった?
883 :
日本@名無史さん :2005/11/26(土) 23:09:46
一重まぶた率は本土日本人は40%、朝鮮人は60%くらい。 しかし日本も朝鮮も月平均気温が-10℃以下になる地域のほとんどない 温暖な地域で、一重まぶたが発生するような気候環境にないのである。 さて、その一重まぶたの40%の日本人、60%の朝鮮人はどこから来たのでしょうか?
まあ、同じ所から来たかは疑問だし、時期も同じとは限らんがなw
885 :
日本@名無史さん :2005/12/01(木) 19:45:52
そのまえに、 北欧の人の色素沈着のない理由と 二重の比率についての相関関係について 論述してくれ
886 :
日本@名無史さん :2005/12/01(木) 20:39:44
江南出自、山東半島から、一部朝鮮半島南端経由 北九州から山陰。 別に不思議はない。 だからといって 「山東半島と江南は日本の領土」なんて誰も言わんぞよ。
887 :
日本@名無史さん :2005/12/03(土) 19:40:05
↑遺伝子真っ赤っか、浅黒い、潰れた広鼻、ギョロ目、分厚い唇 で、いつも八角の臭いを漂わせる汚らしい南シナ人種の台湾人ww
江南出自山東半島経由→西日本定着 と思うけど、漢民族ではなかったでしょう。 どっちか言うと大陸の少数民族?
889 :
日本@名無史さん :2005/12/03(土) 20:10:04
↑ジサクジエンの激しい台湾の南人
890 :
的外れ :2005/12/04(日) 16:10:47
「論衡」に次ぎのようにあります。 「周の時天下太平、越裳白雉を献じ、倭人チョウそうを貢す。成王の時、越裳雉を献じ、倭人暢草を貢す。」 ところがそれから1399年後の「晋書武帝紀」に 「太康十年には東夷絶遠30余国、西南夷20余国来献す」とあります。 越裳とは中国南西部と今まで考えていました。東夷の倭人と西南の越人という組み合わせです。 ところがこれでは、はるか遠い倭人と越人がまるで示し合わせて貢献しているようである。 しかし距離的に見て、両者が相談して来訪することはまずないであろう。 となると、両者は隣りあわせであったと考えられるのではないであろうか。 となると、ここの越裳とは、倭人の隣り、半島西南部であったのではないだろうか。 越人の元の本拠は長江河口からその南とみられる。しかしその植民地が既に半島なん西部に築かれて いたのではないだろうか。 呉越の戦いのとき、多くの越人が東海に逃れたというが、盲目滅法逃げたわけではないであろう。 やはり、同朋が住んでいて交流があったからであろう。(半島南西部からは、長江沿岸地帯の遺物が多く出土する。) 西南夷20余国とは、半島南西部のことで、馬韓の南方部の国々であったのではないだろうか。そして、 そこがかつて越人が殖民していた土地であると考えれば、その隣接していた倭人地域の国々とともに貢献してきたとしても不思議ではない。 よって越裳とは、半島南西部のことである。 一方本家の越は、追われて中国西南部へと移動したが、後漢の時代には、半島の越と半島の越とを混同することもあり、倭を本家の隣りと 間違い、有無するところタンジ・朱崖(本家の越の隣りあたり)とおなじと書かれてしまった。
891 :
日本@名無史さん :2005/12/04(日) 16:25:11
いつもの妄想創作乙枯れ
892 :
的外れ :2005/12/04(日) 16:41:44
もう少し具体的に叩いていただけませんでしょうか。
893 :
日本@名無史さん :2005/12/04(日) 16:43:00
もう叩く価値さえないよ。
894 :
的外れ :2005/12/04(日) 18:32:42
どういう所が、でしょうか?
895 :
日本@名無史さん :2005/12/04(日) 21:46:18
1世紀の論衡が 証明している最大のポイントは、 1世紀の漢人にとって、 ・ 「倭」とは 国名を指さない用語である ・ 1000年も前の周の時も、漢の東の隣人は、倭と呼ぶ これが常識だったという事である。
896 :
的外れ :2005/12/04(日) 22:27:02
いや、今の課題は半島に越の植民地はあったのかということです。 済州島を考えるに、半島南部に住んでいたのは倭人だけではないようですが。
897 :
日本@名無史さん :2005/12/04(日) 22:34:01
898 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 15:56:24
>>897 絵巻物に限らず浮世絵なんかも鏡越しに描いた大変リアルな世界のようで・・w
お化けみたいでキモイ描写だけど気にしない・・・w
抽象画をもちだして似ていないとは幼稚園児っぽい理屈だけど気にしないw
899 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 16:11:40
もしかして、それって
>>897 が思う江南人のイメージ?
900 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 16:14:15
普通に江南、山東、南朝鮮から渡来してきた集団はかなりの数いただろう 別に否定することでもなかろうに。
901 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 16:28:26
糞鮮人は日本の支配層を百済人にもっていきたいのさ、だから必死に否定したがる
>>887 みたいにねW 釣られていることも知らずにWW
902 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 18:38:08
まあ少なからず賎人はいるよ、板全体にかなりの数でね。
903 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 19:46:19
違うだろ、 チョンの問題は、百済を朝鮮の歴史に組み入れてるとこだろ。 正しくは、漢と扶余と倭の歴史であって、現在の朝鮮人は滅ぼした側
904 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 20:09:01
そして支那畜と台湾猿も賎人の半分くらい居る事だね。 弥生人の中国誘致、江南誘致してる香具師等の正体。
905 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 20:09:45
>1.江南説は最近の学会では常説になりつつあるよ。殆ど常説かな。 証拠は、DNAと日本語の漢字音と中国の江南音の共通性。 海流説、対馬海流を渡る困難と長江流域から 黒潮に乗って日本に来る利便性。 当時の北方中国と半島は麦栽培。 最近は半島伝播説が陰うすいよね。 昔と違って、地政学だけで決めないから、今は。 大陸文化の伝播も圧倒的に江南伝播が今は常識。 文化伝播で一番重要なのが言語音なんだって。 ちなみに、韓国の漢字音は北方音、今の北京語との 共通音が多い。 日本は呉音、今の上海語と共通音が多い。 この二つの音はまったく別物の発音。 半島経由の文化伝播は意外に少ないらしい。 最近では常識になってきてる。 半島人はすべて半島から伝わったって思ってるらしいが、 最近の技術で事実が明らかにされてるそうだ。 そうだよね、エンジンの無い船を対馬海流の浮かべれば 殆どの確率でロシア沿海州に行くよね。対馬海流って 想像以上に流れが速い海流だもんね。
906 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 20:16:29
何の不都合もない。 と同時に日本人のほぼ100%に朝鮮半島からの渡来人の血が一部は混ざっていることも何の問題もない。 現に朝鮮人であることは問題だが、気化した人は更生したわけだから何の問題もない。 まして、千年以上前の先祖がどうあろうと今は同じ日本人である。 間抜けな分断策に乗せられたりしないで、日本人同士仲良くやりましょう。
907 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 20:17:16
ほーら出てきたw
908 :
日本@名無史さん :2005/12/05(月) 20:28:36
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。 実はほとんど流れていない。 続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。 高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。 それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。 帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。 それ以前の帰化人が始まる5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて 2〜3000人くらい。 半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。 古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、 朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
近畿・瀬戸内の「ヤマト系日本人」にかぎって言えば 江南→朝鮮半島南端沿岸部→北九州から山陰 で広がったと考えても、まったくおかしくない。 なぜ朝鮮半島や中国沿岸部、そして日本人を ひとつの民族として語るのかが不思議だ。
江南にしがみつくおまえの存在の方が遥かに不思議だw
911 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:17:04
てかスレの本分をわきまえていない、お前の精神年齢は低そうだけどなw
912 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:28:13
913 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:32:20
江南人が弥生人やて。 在日中国人ってあほやねクスクス
914 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:38:43
>>913 在日中国人やてw 在日でいいだろ?な?w チョンガーよww
915 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:46:33
弥生人の殆どは朝鮮半島からのものだ、倭奴の祖先は半島から 追放された塵ども、分かったか!www
916 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 00:52:39
煽りっぽいけどチョンガーは氏んでね
917 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 01:39:02
918 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 17:22:30
さあ、そんな貴方にクイズです! 一重まぶた率が本土日本人は40%、朝鮮人は60%くらい。 しかし日本も朝鮮も月平均気温が-10℃以下になる地域のほとんどない 温暖な地域で、一重まぶたが発生するような気候環境にないのである。 さて、その一重まぶたの40%の日本人、60%の朝鮮人はどこから来たのでしょうか?
>>918 40%の日本人=天界
60%の朝鮮人=魔界
920 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 19:36:10
>>913 そんなアホなあなたに質問です。
北欧人種の色素の少なさと二重まぶたの因果関係を説明しましょう。
921 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 19:51:50
北欧は高緯度にあり直射日光そのものも弱いが日照時間も少ないゆえに ビタミンDの獲得のためにメラニン生成の少ないタイプが選択されていったが、 高緯度でもメキシコ暖流の恩恵により温暖な気候条件のため一重まぶたに ならずに済んだのである。
922 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 20:07:42
>>916 屁理屈なあなたに質問です。
一重の白人種をあげてください。
温寒で一重二重が説明できれば、白人種も同じようになるはずと思うはずです。
私はそんなあなたが、寒暖ロジックで一重二重を説明できると思えた理由を私は知りたい(笑
923 :
平和市民!!日中友好!! :2005/12/06(火) 20:10:09
924 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 16:42:47
江南にしろ華北にしろ、弥生人中国説はもう完全に崩落したね。 もう二度と陽の目を見ることはないだろう。 あとは台湾猿を含めた在日チャンコロどもが焼け野原の虚空に向かって、 ただ、江南!江南!と虚しく吠えるだけ。ワラ
925 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 16:57:17
はいはい弥生人の起源は朝鮮人朝鮮人
926 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 17:03:24
ネ タ 尽 き た の か ? マ ン ネ リ ネ タ で 終 わ る の が こ の 手 口 の ス レ ッ ド つまらぬと書き込みしたら煽りが入り半永久無限RECあきるね
927 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 17:09:01
と煽りの張本人が申しておりますよ、おまえら
928 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 17:13:09
ごちゃごちゃと五月蝿い!弥生人は江南から来たんだよ!江南!江南!
929 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 17:15:14
↑だまれ朝鮮人参
930 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 20:18:02
Q.弥生人江南説派ってなあに? A.弥生人江南説派とは、水田稲作を基礎にして中国の古書を独善的な 解釈でもって、ただひたすら江南江南と繰り返すだけの人たちの事。 二本柱だった一つの水田稲作は日本ではBC10C以前から既に始まっていた 事が2002年に判明し、最後の砦はただひたすら中国の古書の独善的な 解釈のみとなった。
931 :
日本@名無史さん :2005/12/08(木) 01:45:29
で、二重が温暖で一重が寒冷 っていう根拠 早くプリーズ
932 :
日本@名無史さん :2005/12/08(木) 01:49:54
厨房説は毎度ながら意味不明!
933 :
日本@名無史さん :2005/12/09(金) 16:34:35
弥生人が本当に江南から来たのなら、何で当時の江南の主流だった灰陶や 灰釉陶、古代江南の良渚文化の主流であった黒陶や伝わってないのか? 何で紅陶文化と支石墓文化なのかね? これらは当時の朝鮮から満州にかけての文化ですよ。
934 :
日本@名無史さん :2005/12/09(金) 20:47:51
>>928 俺は江南派なんだが、ようーーーーやく、納得する反駁に出会えたよ。
ありがとう。 江南の漢民族と、弥生人の 陶器の比較ってのを比較してるサイトあるかな
935 :
日本@名無史さん :2005/12/09(金) 23:38:34
江南説炎上
936 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 07:54:08
江南地方における陶器の変遷についてkwsk
937 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 09:27:47
江南から命からがら日本に逃げて来た亡命者が、焼き物の技術者を日本に連れ て来るかよ。居徳遺跡や吉野ケ里遺跡の年代が、秦統一時期に下がらない限り 江南説は説得力をもつ。 下の年表で見る限り、弥生人の渡来は、呉や越の滅亡と密接に関係している。 日中の年表対比から見た渡来弥生人のルーツ 中国側戦国時代の年表 日本側弥生時代薄明期の年表 前473年 呉が越に滅ぼされる 約2500年前 高知県土佐市、居徳遺跡 金属器で殺傷 前379年 越が呉に遷都する 前334年 越が楚に滅ぼされる 約2300年前 土井ヶ浜遺跡 縄文人と異なる身体の渡来系弥生人 約2300年前 泉大津市池上曽根遺跡の始まり(大規模工房&蛸壺) 約22X0年前 吉野ケ里遺跡丘陵南端周辺で始まる 前223年 楚が秦に滅ぼされる 前222年 燕・代、秦に滅ぼされる 前221年 秦が斉を滅ぼし天下を統一 前219年 徐福、第2回出航
938 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 09:49:20
>>933 支石墓は縄文時代後期に入っている。半島と交易があった以上、当然の出来事。
半島では支石墓の下に甕棺は無いだろう。うわべだけの流行だよ。その証拠に、
直に支石墓は廃れてしまう。
939 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 11:42:59
940 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 14:31:28
中国・江南の土トン(土偏に敦)墓と吉野ケ里遺跡墳丘墓の関係について
吉野ケ里遺跡墳丘墓(B.C.1世紀)と中国・長江下流域の江南に多く見かけられる土トン墓(どとんぼ)
(B.C.800〜500)との関係が論じられている。吉野ヶ里墳丘墓の版築様(層状)の丁寧で高密な締固め
のルーツは中国・長江下流域の江南に多く見かけられる土トン墓(どとんぼ)(B.C.800〜500)では
ないかといわれている。
http://www2.saganet.ne.jp/niesu/zyofuku/dotonbo.htm もし、この関係が正しければ他の根拠と併せて、北九州弥生人のルーツは山東省付近で無く、長江
下流域ということがかなり確実になると思われる。
941 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 16:16:05
942 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 17:03:27
陶器だけで江南説だけでなく華北説など中国説は全部崩れる。 そして当時の江南の墓は土トン墓。 墓を取ってみても、弥生人が本当に江南から来たのなら、何で当時の 江南の主流だった土トン墓が九州北部の弥生遺跡で主流になっていないのか? 九州北部の弥生遺跡の墓の主流はご存知、支石墓と甕棺墓。 支石墓の下に甕棺墓が埋まっているといった形で出土してくる。 もちろん江南には支石墓も甕棺墓もない。 紅陶文化と支石墓文化は当時の朝鮮から満州にかけての文化。 しかし朝鮮半島から出土する古代人骨は弥生人骨とは全く異なり、 むしろ縄文人骨に似ている。 そうなると残る満州以北が必然的に弥生人の故郷という事になってくる。
943 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 17:10:47
そうなると残る満州以北が必然的に弥生人の故郷という事になってくる。
944 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 17:29:11
支石墓は縄文時代に既に北九州に入っている。これは縄文人が半島と交易して いた影響。半島からの民族移動であれば、支石墓+甕棺墓にはならない。 焼き物技術者が日本に来ているのなら、当然、ロクロも持ち込まれてるはず。 弥生式土器は紅陶文化という程のことではない。酸化炎で焼けば赤くなり、 還元炎で焼けば、黒い焼き物ができる。ただそれだけ。
945 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 17:59:15
誰が半島からの民族移動だと言った? 満州以北からの民族移動だと言っている。 その人類集団が土着集団と融合して支石墓+甕棺墓になるのは 至極自然な事である。 BC4C末、本当に弥生人が江南から来たのなら、そんな弥生土器の ような極めて粗野で原始的なものではなく、江南で彼らがいつも 見慣れ、使い慣れた灰釉陶をすぐに日本でも焼くようになったはず。
946 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 18:04:33
947 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 18:11:47
>>946 すみません、ソースが使えなくなっています。別のを探してみます。 <(_ _)>
948 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 18:14:16
水田稲作が伝わったのはBC10C以上前。 石包丁もその頃だろう。 弥生人とは全然関係がない。
949 :
俺等05772 :2005/12/10(土) 19:28:19
近畿地方の石包丁 近畿地方の石包丁は「半月形外彎刀」「半月形直線刀」「紡錘形」と様々な型のものが使われており、 「紡錘形」は遼東半島に出土し、「半月形直線刀」は大陸全土から出土することから、同じ渡来弥生 人でも、呉・越以外の地(山東半島、遼東半島)からやって来た可能性が高い。 南九州出土の石包丁 両端にきざみ目を入れた石包丁は南九州出土の特徴で、中国では黄河中流域(洛陽付近)の他、台湾か らも出土する。黄河中流域と南九州は離れ過ぎているので、南九州のきざみ目を入れた石包丁は、 台湾との関係が考えらる。 >水田稲作が伝わったのはBC10C以上前。石包丁もその頃だろう。 もしそうなら、石包丁の種類が各地毎に異なるはずがない。つまり、何も調べず、感だけでしゃべっ てる事は明白。(^^;
950 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 20:44:31
>同じ渡来弥生人でも、呉・越以外の地(山東半島、遼東半島)から >やって来た可能性が高い。 いや、高くないな。特に山東半島からは。 何で印文硬陶や灰釉陶も同時に入ってこないのかね? せめて灰陶くらいでも。 日本にやって来たのはもっと蛮族だよ。 石包丁はBC2C末に置かれた楽浪に定期的に訪れていた倭人自身が 持ち込んだ技術だと思うがね。
951 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 21:19:12
北方アジアにはいつ頃から石包丁があったのかな?
952 :
日本@名無史さん :2005/12/11(日) 01:37:18
陶器の遺物は、大陸地図上はどう分布してるんだ? 日本列島でさえ、様々な遺物の分布は局地化する傾向にある。 その灰陶の類は、江南全域で広く出てるのか? また百済ではどうだ? 百済はその人口に中国人が多数占めたと 文献に記されている。 百済に灰陶が多数あるなら 中国人の渡来=灰陶の遺物が残る という図式が成立するのは認めるしかないな 百済にないなら、無関係ということになる。
953 :
日本@名無史さん :2005/12/11(日) 18:43:37
>>952 おまいの脳内年表どーなってんだよw
渡来人はBC4C末で、弥生時代は3Cまでだよ。
百済は4Cからだから、言いたいのは馬韓の事だと思うんだが、
朝鮮半島に灰陶が入ってきたのはどうもBC2C末に置かれた楽浪郡からの
ようで、漢代の灰陶の流れを汲む楽浪瓦質土器(楽浪土器)というのが
最初らしく、在地土器と共存していた。朝鮮南部での瓦質土器の出現は
BC1C頃で、やはり三韓軟質土器という弥生土器に近い土器と共存していた
らしい。(下のリンク参照)
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2000a_41.html 日本における最初の灰陶は5Cの須恵器からであり、倭の属国になった
半島の帰化人によってもたらされたのは皆さんよくご存知の通り。
954 :
日本@名無史さん :2005/12/11(日) 19:29:37
955 :
日本@名無史さん :2005/12/11(日) 21:48:48
弥生人が本当に江南から来たのなら、何で当時の江南の主流だった灰釉陶 や印文硬陶、古代江南の良渚文化の主流であった黒陶が伝わってないのか? 何で土とん墓が全く普及してないのか? 何で紅陶文化と支石墓文化なのか? これらは当時の朝鮮から満州にかけての文化ですよ。
956 :
日本@名無史さん :2005/12/13(火) 22:19:09
BC7〜8Cの春秋時代の中国では刀貨や布貨など、すでに青銅貨が使われていた そうだが、その青銅貨も伝わってない。 漢字の原型である金文も伝わっていない。
957 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 02:31:47
古代といえど漢字を知りうる機会は万とあったろうに 何故、香具師らは文献や石文にして残さなかったのだろう? 古墳時代はおろか邪馬台国時代にはすでに漢字は入っていたと 見るのが妥当だろう。単に伝わってなかったのか?まさかねw
958 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 16:03:02
漢字の古典の現物(写本)は、日本が最大に保有している。 つまり、中国でさえ現物は残ってないんだよ。 漢字の普及の実際を比較するなら土器を比べるしかないかもしんないなー 中国の陶器で、漢字が記載されてる陶器はどの程度あるんだろう。
959 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 22:44:49
青銅器などの金属器に残された漢字の前身が金文、石などに残された漢字の 前身が石文で、合わせて金石文と言う。 日本の青銅器にも石などにも、金石文が出てきたという報告はない。
>>956 それに関しては、国策で移民を奨励したとかインテリ層が移民してきたとか
そういう条件が無ければ伝わらなくても不思議ではないと思うんだけど。
俺も江南起源というのは支持してないが。
961 :
日本@名無史さん :2005/12/15(木) 17:07:25
>>960 100万人も渡来して1人もいねえのか?w
962 :
日本@名無史さん :2005/12/15(木) 18:39:15
貝貨もあるし、青銅器もあった。 しかも青銅器は国内で作っていた。 当時の江南人は金属貨幣を知っているはずなのに、 弥生遺跡に金属貨幣は出てこない。 日本が初めて金属貨幣を作って使い始めたのは7〜8Cから。
> 日本が初めて金属貨幣を作って使い始めたのは7〜8Cから。 ということは、金属貨幣が流通していた地域は弥生人の起源から外れるということになりますね。
流通していたからといって作っていたとは限らない
965 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 20:23:13
灰釉陶、印文焼陶、土とん墓、青銅貨、金石文。 当時、江南で主流だった文化は何一つとして弥生遺跡から出てこない。
966 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 20:30:58
>>963 いえいえ、持って来ても役に立たなかったから、鋳潰して銅鐸や広型銅剣
にしたと、考えた方が良いですよ。
967 :
966 :2005/12/16(金) 20:38:48
>>965 焼き物技術者は海外へ亡命する必要がありません。異民族が入って来ようと
技術さえ持っていれば、食べて行けます。土とん墓は吉野ヶ里遺跡に影響を
受けたと思われる墓が見つかっている。断言は出来ないけど。
968 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 20:45:36
>>967 じゃあ、何で弥生土器の焼き物技術者は亡命してきたの?w
じゃあ、何で江南には甕棺墓も支石墓も出てこないの?w
969 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 21:22:07
土とん墓に影響を受けたって、単なる仮説だろ?w しかもそれって一基だけだけだろ?w あんな土を盛っただけの墓、世界中にあるだろがw
970 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 22:05:15
日本はまともな銅山がなかったんだよ。 しかし市場経済が進んだ日本では貨幣は絶対必要。 それで、足利がどうしても銅銭が必要となり、 中国から勘合貿易で輸入した。 当時の中国は朝貢スタイルじゃないと貿易できないので 天皇を出すわけにはいかず、将軍が日王として貿易を開始。 日本の金属貨幣の問題は、単に鉱山の問題。
971 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 22:10:30
弥生期の日本では青銅器を自国で作っていますが。 なぜ青銅貨だけ作らなかったの?w
972 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 22:18:04
採れる資源がないから
973 :
日本@名無史さん :2005/12/16(金) 22:28:46
当時、実用的な鉄器に対し、日本で作られていた銅剣も銅矛も銅鐸も 実際には使われない宝器的な扱いの装飾品だったんだが。 資源が無いのに、どうして実用的な青銅貨だけ作らないの?
逆に、なんでそんなものを作らなきゃならないのか? 物々交換の世の中でむりに貨幣を鋳造する意味がない。 現に皇朝十二銭とか普及しなかったわけだし。
975 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 01:47:46
>>950 の「もっと蛮族」が核心部分だと思うけど。
稲作文化から弥生人(の一部)の故郷を
中国中南部に求める香具師がイメージしているのは
青銅貨幣を持ったり漢字を読めたり灰陶を作れるような
「広義の漢文明圏」に属する香具師ではないはずだが。
(楚にしても、屈原は既に「漢字で」詩を書いているわけで十分に漢文化圏内)
もっと中原から見れば「外側」にいた蛮族で、
日本に渡航した時期ももっと古いはず。
鳥越憲三郎あたりが実地調査を行った
リス族だのヤオ族だの、あのあたりの部族の祖先になるだろう。
彼らは19世紀に至っても文字すら獲得していないからね。
今ではほぼ全く残存していないが
オーストロネシア系言語に近い言語を話していた可能性もある。
日本語とタイ系言語やビルマ系言語とはほとんど共通点がない。
人種的に見れば、稲作技術だけが伝播した可能性も高いけどなw
リス族やらヤオ族やらがなんで日本にこなきゃならんのか さっぱりわからんな。 文化人類学的に興味深い共通性があるのはただちに 二千年程度の近い古代の交流があったという証明にはならないよ。 鳥越みたいな昔風の発想は現在の水準では援用できない。
977 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 14:21:44
何でリス族やらヤオ族やらの南方モンゴロイドが日本に来なきゃならんのか
さっぱり意味が分からんね。
九州北部の支石墓下の甕棺墓から出土する弥生期の渡来人骨の頭蓋は
扁平で顔が高く北方モンゴロイド的特徴を持つ。
しかし、この人骨は朝鮮半島から出土する古代人骨とは全く異なる。
>>974 物々交換だけでないが。
貝貨や金銀も使われていた。
978 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 14:38:42
>>974 じゃあ、なんで銅剣、銅矛、銅鐸こそ、
作らなきゃならないのか?
宝器的な扱いに終わり実際には全く使われず、
それこそ無理に鋳造する意味がない。
リスやヤオの先祖ではなく、現代の大陸ではすでに消滅した民族集団が 江南から日本に来たのだろう。
>>987 神宝だからだろ。宗教的なものに合理的な解釈でなんでそんなものを、といっても始まらない。
「なんで巨大古墳を・・・」「なんで寺院を・・・」といってもしょうがないだろ。
その時代の文化で「そういうもの」に権威を感じてたんだろうから。
基本的に銅剣・銅矛は神話学の第二機能、銅鐸は第三機能で、
原始以来の神話的観念の延長として受容されたからどんどん非実用的
なものとして発達しえた。銅貨もまた第三機能の宝器として
受容される可能性はあったと思うが、先にその地位に銅鐸が
居座ってしまったので貨幣は行き場を失ったんじゃないか。
>>979 そりゃわかるが先祖といいかえたところでなぜ日本にこなきゃ
ならんのかわからないって事にはかわりないでしょ。
なぜ日本にこなきゃならんのかなどと問うまでもなく そこが豊かであれば人は勝手にやってくるわけで
983 :
日本@名無史さん :2005/12/18(日) 12:58:16
次スレの季節
984 :
日本@名無史さん :2005/12/18(日) 14:23:26
985 :
日本@名無史さん :2005/12/18(日) 14:29:45
糞スレ立て乙 市ね
986 :
日本@名無史さん :2005/12/18(日) 15:07:43
>>980 銅鏃はしっかり実用されてましたが何か?
987 :
980 :2005/12/18(日) 20:31:02
>>986 そりゃ実用品だからだろ。
なんでアンカーがおれを差してるのかよくわからん。
>>978 にでも言ってくれ。
988 :
日本@名無史さん :2005/12/19(月) 14:36:20
>>980 最初から作ってもいないのがどうして行き場を失うんだよ。w
作ってもいない青銅貨をどうして最初から宝器と決め付けているのかも意味不明。
貝貨や金銀は貨幣として使われてたんだよ。
銅剣・銅矛は鉄器に取って代わられたから宝器になっただけで、
青銅貨は鉄貨にできないから宝器にしておく意味がないだろ。
青銅貨を作らなかった理由だた一つ。
ただ単純に渡来人の故郷に青銅貨が存在しなかったから知らなかっただけ。
989 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:03:01
マンモスを追って東日本や北日本に流れついたジョウモンジン その郷地がバイカル湖やブリヤート近辺。 それとは別に南九州には黒潮にのってきた南方に民がいた、もう分かるだろ? 区別すなやアホども。
990 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:11:52
何言いたいのかわからんぞ、アホ。
991 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:17:04
早速アホ一匹つれてらー さぁてと寝るとしよう。
992 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:18:54
頭でもうったのか?
993 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:22:05
雑魚は黙ってろw
994 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:25:24
誰?↑ キチガイつか分裂症?
995 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 01:27:44
男はだまって1000まであと5
996 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 07:34:34
>>978 祀器は昔の人にとって大事だよ。今だって冠婚葬祭があるじゃないか。
997 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 14:49:50
だから、なんでもっと実用的な、当時江南で使用されていた青銅貨は 無いんだという事が問題なんだろ? しかも中国に銅鐸は無いぜ。
998 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 16:16:10
ブリヤート出自→サハリン経由日本定着 江南出自山東半島経由→西日本定着 朝鮮半島出自→部落地区定着
999 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 16:34:24
×ブリヤート出自→サハリン経由日本定着 ←アイヌが消滅してしまう。 ×江南出自山東半島経由→西日本定着 ←遺伝子が全く違うし、一重まぶたが全然足りない。 △朝鮮半島出自→部落地区定着 ←半島帰化人は10000人未満。ほとんどの部落は日本人の部落。
1000 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 16:35:26
1001 :
1001 :
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