【男子禁制】大 奥【女の園】

このエントリーをはてなブックマークに追加
933日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:06:50
綱吉に数多い柳沢邸お成りがあった事以外は、検証不能の俗説・創作。
染子は元々柳沢の家臣の飯塚氏の娘で、御殿勤めの経験はない。
吉保の本妻に子がないので、見込まれて吉保の妾となり嫡子を生んだ。

染子・町子・お須免の方(2代目新典侍)の混乱が昔から多く、
それから派生した創作・俗説が入り混じってハチャメチャ。
後西院幽閉云々はこの大奥スレには無関係で、どうでもいい事。
934日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:13:17
脂肪院
935次代の大奥住民 :2006/06/16(金) 22:17:32
六代将軍徳川家宣(もと甲府宰相綱豊)
御台所近衛煕子(子は全て数日で死亡、後の天英院)
御台所付上臈錦小路(下級公家の息女)
太閤近衛基煕(煕子の父、江戸に逗留)
竹姫(綱吉養女、大典侍の姪、清閑寺煕定息女)
家千代(家宣第1子)
家千代生母右近の方(お古牟、後の法心院)
大五郎(家宣第2子)
大五郎生母新典侍(櫛笥内大臣養女園池須免子、柳沢吉保側室正親町弁子改め町子の従妹、後の蓮浄院)
鍋松(家宣第3子、後の七代家継)
鍋松生母左京の方(お喜世、後の月光院)
大奥御年寄江島(絵島、おみよ)
936日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:46:42
誰がなんと言ってもこの嵐は収まりそうもないな。
937日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:48:05
町子の『松陰日記』を読み通した人、誰かいませんか。
自分は持ってはいるがさすがにw、あまり丁寧に読んではいない。
938日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:49:21
コピペっぽいなとおもったら、元はここだよ。
ttp://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1085

八切止夫だもん。どうりで電波発してるよwww
どうせ染子のあたりも八切のコピペじゃねえの?
939日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:52:06
連投すまん

染子うんぬんも見つけた
ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/oooku.htm

やっぱり八切だった。

いまだに八切信者って生息してるんだね。
940日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:54:08
桂昌・院綱吉=朝鮮説、後西院幽閉説・・・いずれも三田村鳶魚も書いている。
但し、柳沢吉里=御落胤説は、「護国女太平記」などの俗書・稗説と
片付けられない、傍証がある。
941日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:56:00
桂昌院・綱吉=朝鮮説、後西院幽閉説・・・いずれも三田村鳶魚も書いている
・・・だから却って史的検証に耐えない。
但し、柳沢吉里=御落胤説は、「護国女太平記」などの俗書・稗説と
片づけられない、傍証がある。
942日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:21:22
このスレって、ペダンティズムの匂いフンプン。
イマジネーションで楽しむって遊びを知らない。
結局は受け売り。おのが博識(っていうより単なる読書量)を
誇っているだけ。
943日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:27:23
東急院
944日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:53:36
>942
それも原典、一次史料にはアクセスせず、
アクセスしても読み下せないもんだから、いわゆる解説本、評論本。
945日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:06:51
携帯院
946日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:25:29
>>942>>944
だったらなんか疲労してみ。
947日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:35:40
>>942
「イマジネーションで楽しむって遊び」は、他の大奥スレで出来るだろ。
大奥関連の諸説には、江戸時代から現代まで眉唾ものが多過ぎる。
そんな眉唾ものをできるだけ排除しようとする、このスレの傾向は、
まじめに度々書き込んでいる複数の常連達の大多数が、暗黙の内に合致した総意。

>>944
大奥関連に「原典」なんてものは存在しないよ。
かなり信頼できてしかも大奥関連を中心に据えた、刊行された史料は数少ない。
史料としては、『以貴小伝』以下等を読んでいれば充分。
ちょこっとだけ大奥に触れた部分もあるような、大部の一級史料の殆どに目を通す事は、
学者のためのスレじゃあるまいし、とても無理な話。
948日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:42:16
メロン院
949日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:54:56
実はそれほど専門研究もないんだよね。
辞典類でも三田村鳶魚が参考文献の冒頭に挙げられてるのが現実。
学者先生方はあんまりこおゆうことには関心ないからね。
長野ひろこ氏くらいかな、今んとこ参考になるのは。
斯様に江戸時代の随筆の類が今も重宝されるとゆうのは、
他にも風俗関係などの研究分野にはいまだに存在する。
現在でも学者先生より却って故日向子女史のほうが詳しかったりすることも珍しくない。
950日本@名無史さん:2006/06/17(土) 07:57:31
>>949
長野ひろこ氏って、調べたら中央大学の日本経済史の先生のようだけど、
参考になるもの、と言う中に刊行された著書があったら、共著でもよいので書名を教えて下さい。
学術論文なんかは、一般人には入手する事ができないので。
951日本@名無史さん:2006/06/17(土) 08:23:40
「幕藩制国家の政治構造と女性」(『江戸時代の女性たち』吉川弘文館、一九九〇年)
そこそこの規模の図書館なら置いてあるでしょう。
但しお望みの内容かどうかは不明。
952日本@名無史さん:2006/06/17(土) 09:12:11
>>951
ありがとうございます。図書館は性に合わないので、
絶版のようですが古書検索にあったので、購入検討します。
953日本@名無史さん:2006/06/17(土) 09:42:00
眼鏡院
954十三代将軍家定の正室澄心院:2006/06/17(土) 10:31:36
「徳川十五代記」の記載を先に引用すれば、
「十三代将軍家定の正室澄心院は、一条左大臣忠香の猶子明姫(はるひめ)となっているが、
畏き辺りの御落胤といわれている。姫は身長一メートル十センチにみたぬ短身で、
唐紙の把手まで頭が届かぬ幼女のごとき有様にて足袋は七文。
こびと姫と申上げた」とある。
955日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:35:59

しかし常識的に考えて幕府にケンカ売るようなマネするか?>こびと姫
956寿明姫は発育不全:2006/06/17(土) 11:03:48
家定には、天璋院で知られる篤子姫の前にふたりの御台所がいました。
一人目の御台所・鷹司政熙の女(むすめ)・有姫は、才色兼備で鼓をよくし、舅の徳川家慶にも気に入られ、
家定との仲もむつまじかったそうですが若くして死去します。
二人目の御台所一条忠良の女・寿明姫は発育不全で、子供のように小さかったと言われます。
寿明姫も若くして亡くなります。
こうして、三人目の御台所として迎えられたのが篤姫でした。
957家定 一説には脳性麻痺:2006/06/17(土) 11:15:52
家定は就任直後から後継問題が浮上するほど体が弱く、
一説には脳性麻痺だったとも言われているが、
将軍として指導権を示すことが出来なかった。1858年に死去、享年34。

家定は、庭の鳥を追いかけるなどする子供のような将軍であり、
煮豆やふかし芋などを作っていた為、松平慶永(春嶽)から「イモ公方」
などと呼ばれていたという。
また、ハリスと引見した際、頭を後方に反らし、
足を踏み鳴らすという異常な行動もとったといわれている。
958毒殺されたという説:2006/06/17(土) 11:18:17
その死は慶福が後継ぎに決まった直後であった為、
一橋派が家定を毒殺したのではないか、という説や、
逆に南紀派に毒殺されたという説がある。

959日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:23:02
>>954 一条忠香の「猶子」という表記は初めて聞いた。
「実の娘ではないという噂」なら見かけたが。
形式を踏んだ猶女(仮の養女)だったら、その旨と実家名が正式の記録に残るはず。
「徳川十五代記」=ボール紙表紙の明治時代の絵本。

>>956 鷹司任子と一条秀子は御台所になる前に死去。御簾中どまり。
ネーム付けたコピペ、みっともないからもうやめろよな。
丸コピペするだけで自分のものとして咀嚼し直していない書き込みは、荒らしそのもので迷惑。
9603人の正室:2006/06/17(土) 11:32:31
歴代将軍で3人の正室がいたのは家定のみ。正室が二人いたのも初代家康だけである。
最初の正室は、関白鷹司政通の養女(鷹司政熈の息女)有君任子。
次の正室は一条関白忠良の息女、明君秀子。
この二度の結婚は、家定がまだ西の丸にいた世子時代のことで、
二人の御簾中(将軍世子、御三家、御三卿の夫人のこと)が相次いで亡くなった後、家定が将軍に就任してから御台所として輿入れしてきたのが島津敬子、後の天璋院篤姫である。
961徳川十五代記:2006/06/17(土) 12:16:50
絵本 徳川十五代記 ボール紙表紙 清水市次郎原版人 鈴木喜右衛門飜刻人 明治 19 B B6 4500
962養子の種類 :2006/06/17(土) 12:21:01
養子の種類
 公家の養子の種類はいくつかあります。養子、猶子、実子の三種類です。この内、養子と猶子は
よく混同されます。よく、養子は相続目的、猶子は名目的と説明されますが、これは的を射ていませ
ん。後陽成院の皇子で近衛家を相続した信尋は養父信尹の猶子となっています。この場合は明ら
かに相続が目的です。

 私見の限りでは、ちょうど近世になるころまでは、猶子という表現が多いです。それが、近世にな
ると逆に、養子という表現が多くなります。とはいうものの、例外も多いです。養子、猶子の定義は
難しいかも知れません。

 つぎに実子についてですが、実はこれ、養子の一種なんです。この実子を訓み下すと「実ノ子トナ
ス」です。本当に自分の子の場合「子」とのみ記します。実の子としたわけですから、もちろん生家の
系譜から抹消されます。生物学的な親族の喪に服す必要もなくなります。

 実子は近世頃から見られるようになりました。そして近世末期には、ほとんどの養子が実子の形態
をとっていました。これは、禁中並公家諸法度で、公家が女系の縁で養子を取ることを禁止し、同姓
間でのみ許したことに関係しているといわれています。実子なら女系でもいいじゃんみたいな感じで
す。しかし、それだけでは、必ずしも説明できません。近世公家社会は謎だらけです。
http://www.c-able.ne.jp/~hiyoko/tyoutei/yousi.htm
963日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:45:37
>>957

>庭の鳥を追いかけるなどする子供のような将軍であり、

これは明らかな捏造なんだけどねwwwwwwwww
964徳川将軍家十五代のカルテ:2006/06/17(土) 12:58:22
綱吉の身長が120センチ台
http://www.webhaus.jp/m/index.php?num=211
965徳川将軍家十五代のカルテ:2006/06/17(土) 13:02:40
家康  159cm、
三代家光 157cm 
五代綱吉 124cm(!)
七代家継 135cm 
八代吉宗 155cm
966徳川将軍家十五代のカルテ:2006/06/17(土) 13:17:46
十五人のうち正室から生まれたのは、たった2人だけで、
ほとんどが側室の女性達だったのです。
その将軍達の生母は、農民の娘2人、魚商人の娘、
八百屋商人の娘、僧侶の娘、家臣の娘4人という
「庶民のご母堂様」達でした。
967日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:33:12
コミュニケーションを取ろうとする姿勢を持てない人間は、クズ。
968日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:26:54
もうすぐ1000いってしまうね。
ここ数か月でものすごい伸びた気がする。

969日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:48:39
>>968
ここをチラ裏にして
よそからのコピペしか能のないヴァカがいるから。
970庶民のご母堂様:2006/06/17(土) 16:34:00
>>966
ペニシリン等の抗生物質の無かった昔は産褥熱での死亡率も多く、
女にとっては子供を孕むはやすく、産むのは命がけの事だった。
それゆえ、明治までの大名の家記には「下受け産業」なる記載すらある。
これも武士の家ではた織りしているのを町家や百姓の娘達の内職に出すというのではない。
お産の時の消毒薬もなく、為に死ぬ場合も多かったので、
それゆえ出産は女体にとって危険極まる難事業ゆえ、
死んでもよい身分の低い女に代行させるだけのことゆえ「女人忠義」とも云うが、
文字通り下請けの産業(うみわざ)なのである。
971日本@名無史さん:2006/06/17(土) 16:56:15
>>968
次スレの>>1には、いくつか禁止事項の明記が必要だな。
下ネタ好き・〜かゑ・〜院・丸々コピペ………。
972庶民のご母堂様:2006/06/17(土) 16:59:27
幕末の和宮様だけでなく代々の将軍家は、
それぞれ遡れば京より正室を迎えているが、
正室から生まれた将軍は慶喜だけ
973その時の代用侍女:2006/06/17(土) 17:04:52
大名で将軍家の息女を貰ったものが、
もし身重にさせて出産の際に死なせでもしたら、
御家の一大事というので、接しても洩らさす゛、
放出用の女人を直ぐ近くに、
股間を開けて寝かせておいたり、
京の関白や摂家がその姫を嫁に出す際、
「もしお産でもして子を産む時に死にでもしたら、
折角縁組みしても何にもならぬ」というので、
その時の代用侍女を何人も伴わせて東下りしてきている。
974家斉の姫:2006/06/17(土) 17:11:08
五十八人の子女を作った将軍家斉の姫は各地の大名へ嫁入りしているが、
やはり一人も子供は産んでいない。
これはもし死なれたら大変と床の間の飾り物にされていたからである。
975身分低き女子をもって代わりをさせる:2006/06/17(土) 17:19:29
『医学天正記』の著で知られる曲直瀬道三の書き残したものに
「雖知苦斎」と題するのが残されていて、その中に、
「お産はそれ婦人の大役にして、産褥にて亡くなる者少なからず、
よって、腹は借りものと称して身分家柄の高き女性は己が子を産
むの煩わしさを避け、身分低き女子をもって代わりをさせる」
と出ている。
976日本@名無史さん:2006/06/17(土) 18:31:48
しかしドシロウトでもつっこめるようなネタばかり書いてうれしいんでしょうかね
特に>>972とか>>974
977日本@名無史さん:2006/06/17(土) 19:24:27
ttp://www.ma.megafit.net/~kt145/datai.htm

やっぱり八切信者の仕業。
たまには自分の言葉で書いてみたら(藁
978日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:26:07
工房院
979日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:44:00
皆さん真面目に読むこと無いのに〜〜
980日本@名無史さん:2006/06/17(土) 23:45:26
人参院
981日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:13:30
おい、新選組スレ見てみろ!やっぱ新選組ヲタは基地害だぞ!
982日本@名無史さん
ぼ院