神武天皇を無視した日本古代史研究に喝だ!

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1イハレヒコホホデミ
『神武天皇をまともに研究しようとしない学者は、学者とは言えません。
結局戦後の記紀無視は、戦前の記紀盲信の裏返しで、全く同じ態度に過ぎません。』
で02/08/30に始まったスレも代替わりで新スレです。
また〜り1000を目指しましょう、目標は06/06/06でど〜だ!

前スレ:
神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1030710295/
2日本@名無史さん:04/07/09 15:58
2げと?
3日本@名無史さん:04/07/09 16:59
神武天皇がないと初めがなくなる。無責任だよなー。
4天之御名無主:04/07/10 15:33
オオヤマト、邪馬台国の輪郭を太陽山岳宗教の軸、水系、山系によって設計したのが
神武記であり、これがないと箸墓、纒向などの建設の意味がわからなくなる。
話は変わるけど、神武東遷の考古学的証拠はないらしい。しかし、箸墓という結果
が鏡や矛による山岳測量の結果であり、大和の立地条件が甘木に似ているのは
何かがあるからである。神武の痕跡がないのは、例えば、神武が大和の遠征を終
えた後更に尾張、美濃等東方に移動したことかもしれない。
5日本史@名無しさん:04/07/10 16:23
何かはあっただろうな。地名の酷似なども明らかだし。

ただ、東遷という言葉は辞めるべきだろうな。神武記の行程は、どう見ても一大征服譚とか壮挙
とか言うにはほど遠い。単に呼ばれて来て返り討ちにあったとか、通過を許可されず兄を討ち取
られたとか、その程度だろう。兵数的にも。
しかもよそ者だから、これをもって初代とすると言うことは、即ち九州からの血を大和に運んだか
らだということしか考えられない。もしかしたら、三種の神器を持っていたとか言うことかもしれな
いが、いずれにしても、シンボリックな意味での何かを運んだと言うことだろう。
6天之御名無主:04/07/10 18:41
練丹関係の術、これは丹ニギ家の特技、は非常に得意だが、吉野縦走とか香具山
の埴の奪取等のリスキーな裏ワザは若い者に代行させている。イスケヨリヒメと激しく
愛を交わしたしたというのは相手が神妻なんだからやや編集者の暴走だな。
全体的に相当の年配者の感じであるし、若い人のできるワザではない。掖上のホホマ
の岡というのは葛城の高天原しか考えられない。陽峰間、陽峰出見だろう。この辺は
非常に建国ムードがあるなー。高天原、葛城なんて言葉もないようだし、古い。全てが
嘘とは思えない。この高天原がなければ箸墓はありえないという因果関係にあると思う。
つまり和歌山-熱田を結ぶ太陽線。この辺が奥が深い。銅鐸圏成立後に結果的に
成立した話かも。甘木邪馬台国の青写真が織り込まれているようだし。
7>5:04/07/10 18:52
なことはない。
高地性集落の分布は、戦国時代の山城に次ぐもの。
大規模な緊張状態があったことは考古学的にも裏づけられます。
8天之御名無主:04/07/10 19:40
箸墓の前頂と後頂中心を結ぶ線、これは後円が穴師山、前方が葛城方向。これが
高天原経由葛城を2山連ね、紀伊国懸社に入ると見ている。間違ったらごめん。
この延長線上に熱田が来ると思っているんだがね。
9日本@名無史さん:04/07/11 00:47
イザナギとイザナミの子孫である山幸彦と豊玉姫が結婚し子供が生まれるが、
豊玉姫は「私が出産するところを決して見ないで下さい」と夫の山幸彦に頼む。
しかし、山幸彦は妻の出産をこっそりのぞき見てしまう。そして、彼が見たの
は苦痛にのたうちながら出産をしている一匹のワニだった。夫に自分の正体を
見られたワニの娘豊玉姫はそれを恥じて海へ帰ってしまうが、この時生まれた
男の子は後に豊玉姫の妹、つまり伯母であるワニの娘と結婚して数人の子供を
設ける。この四番目の子が神武天皇である。つまり、神武天皇の母はワニだった
のだ。
10日本@名無史さん:04/07/11 02:57
>>9
祖母もワニ
11天之御名無主:04/07/11 05:03
三輪神社には千尋鰐、姫神という古い石碑が残る。和邇氏は天皇后を出す家柄。
倭人、倭奴、鬼、アイヌ(人間という意味だったかな)と似ている。原住民という意味かな。
12天之御名無主:04/07/11 06:22
神武記とは纒向の前段階である近畿銅鐸圏成立を物語っているが、纒向建設の
前夜のような感じがする。景初二年(AD238年)六月、倭女王遣大夫難升米(生部
=銅精錬担当か)等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。辛酉AD181年
起算31年4月1日の国見はAD211年となる。多分春分の日であったのだろう。神武の
墓はホケノ山古墳かもしれない。
13天之御名無主:04/07/11 09:10
初代天皇の略歴はこんなところか↓

AD189年 生誕
AD204年 15才立太子 AD174 (+30)45才 日向出発+30=AD204
AD205年 吉備到着 乙卯AD175+30=AD205
AD208年 吉備出発 戊午AD178+30=AD208
AD209年 大和討伐 己未AD179+30=AD209
 辛酉説、神婚説による創作(庚申AD180成婚 J1AD181辛酉即位52)
AD211年 建国 J31AD211国見(+30) [春分の日が建国記念日]
AD222年 皇太子立つ J42AD222 93 崩御宝暦33+2=35才 
AD224年 崩御 J76崩御127(+30+2)
14日本史@名無しさん:04/07/11 09:24
建国というのも怪しい。単に土地貰って封じられたって程度ではないか。奈良盆地の覇者も、
南部の首長も別にいたよ、きっと。
15名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:40
説得力のあるやつだせ
どうだろう、俺的には研究が為されなくとも致し方ないかと…
まともに研究が進むとどういう効果が期待できるのか
サルでもわかるようにセツメーしてくり
18天之御名無主:04/07/11 20:11
ネー、パパ、建国記念日って何の日。
ん、それはね、日本ができた日なんだよ。その日までは皆まだ幼稚園に入らないで
お父さんや、お母さんとおうちにいたんだけど、その日から日本という幼稚園ができ
お遊戯やかけっこなんかできるようになったんだ。お歌もね。白地に赤いなんてね。
わー、パパって何でも知ってるんだね。
19日本@名無史さん:04/07/11 21:44
だから、橿原遺跡が出てるだろ。

それから、江戸天皇スレの続編も立てろ
20日本@名無史さん:04/07/12 22:00
他スレにも書いたが
神武天皇は特に海との関連の記述が多い。
おそらく日向を拠点に瀬戸内海をテリトリーとする
海民だったのではないか。神武東征の記述はそれを十分思わせる。
21日本@名無史さん:04/07/12 22:06
上陸作戦に弱いところも海賊、いや海民っぽいね。
22日本@名無史さん:04/07/12 22:15
神武天皇が海民なら
天御中主神は北極星。 かなり古くから天皇家に信仰されていたことになるが
充分つじつまが合う。
23日本@名無史さん:04/07/12 22:30
で、母方のワニだが
これは当時の言葉でサメのこと。
つまり、神武はサメを母とする
海賊団シャークスのヘッドなわけだ。

まあ、これくらいの基礎知識は覚えておいてくれたまへ。
24日本史@名無しさん:04/07/12 23:02
確かに、上陸戦でぼろぼろにされてたのにはるばる熊野までいく航海技術は
大したものですな。
25日本@名無史さん:04/07/12 23:36
じゃあ今上が晩餐会でフカヒレ食べてるけど



先祖殺しになるね!
26日本@名無史さん:04/07/14 20:45
神武が海民だったとすると
そのイメージは随分変わってくる。

六尺褌に曲玉以外はほとんど裸。
曲玉はたしかに海民の装飾具ぽい。当時の海民の風習で全身に刺青をしていた可能性もある。

神武東征の遺跡がないのは当たり前。
彼等の縄張りは海が主体なのだから。
27日本@名無史さん:04/07/14 22:07
神武天皇ファン倶楽部会員募集中!
28ゴジンム:04/07/14 22:11
パチパチ 拍手
29日本@名無史さん:04/07/14 22:17
なんで架空と言い張るやつがいるの?
架空という証拠はあるの?
30日本@名無史さん:04/07/14 22:23
いや、素手に架空説は駆逐されつつあり。
現在は海民説が優勢となりつつあり。
31日本@名無史さん:04/07/14 22:29
海民説のさらなる有力な証拠は
まだまだありすぎるほどあるのだが
ここは一つ神武ファン諸君からの
報告を待つ。
32日本@名無史さん:04/07/14 22:38
海賊王神武の子孫としては
白村江の海戦の敗北は痛い
33佐野:04/07/15 21:12
>>14
いいんだよ「建国」で。小さくても自分の国なら。
34日本@名無史さん:04/07/16 22:36
なんだよ。否定派はスレしょっぱなから
降参か。
35日本史@名無しさん:04/07/17 09:08
肯定派といってもウヨも混じってるかなあ・・・。
36狭野:04/07/17 20:46
海民なのは母方の一族だろ?
つまり支配下に置いてたわけで、神武帝自身が海民というのはどうかな?
37日本@名無史さん:04/07/17 21:20
母方が海民なら海民だろ。東征後は陸にあがったようだが。
38日本@名無史さん:04/07/18 01:24
父方の立場は?
39日本@名無史さん:04/07/18 02:34
神武みたいな朝鮮人はイラネ。
海民って何よ?エラ張ってるだけじゃん。
40海民神武:04/07/18 09:17
>38
父方は記紀の記述どおり北方系の流れものかもな。
しかし、古代日本は母系社会であることをお忘れなく
41日本@名無史さん:04/07/18 11:23
初期邪馬台国の官の一人。
卑弥呼の頃は崇神、垂仁、孝昭、額田らが邪馬台国の官となっていた。
42日本@名無史さん:04/07/18 11:29
神武天皇の即位が、なんで紀元前660年にされたか知っていますか?
43日本@名無史さん:04/07/18 11:43
古事記と日本書紀で年齢が違うんだよな。
44日本史@名無しさん:04/07/18 11:47
単純に年齢を足しただけ。あり得ない。

ただ、年齢については、平均を取る説、昔の一年の数え方が今と違ったという説などいろいろある。

古代人の年齢がおかしいのは日本の天皇だけでなく、中国の王様やギリシャ時代の人たちなど、
沢山ある。それだけあると、さすがに全部嘘と片づけられなくなる。どうせ嘘なら百とか300とかきり
のいい数字にすればいいが、どれもこれも具体的数字になっている。

このことから、昔は収穫ごとで1年、或いは月の満ち欠けで一年など色々あったのではないかと。
実際、太陽暦の一年は正しい天文学的知識がないと出来ない。それまでにも年齢を数えることは
あったので、何を基準にしたかが問題となる。
45日本@名無史さん:04/07/18 11:50
>>41
卑弥呼の官の一人、孝昭(ミマツ)が神武の五代後であることを考えると、
神武は2世紀前半ぐらいの人だと思う。
46日本@名無史さん:04/07/18 12:00
>>42
古代中国の辛酉革命の考え方によるものだね。
推古天皇の摂政となった聖徳太子が国史の編纂を始めたのが601年で、
そこから1260年遡ったのが紀元前660年となる。古代中国では、干支
が一巡する60年を1元とし、それに1蔀(ぼう)=21元を掛けた1260年に
一度の辛酉の年に国家の大革命が起こるとされた。
いわゆる皇紀(神武天皇即位紀元)は、1872年の太政官布告第342号で
定められたもので、初めて日本の自立を宣揚した聖徳太子の国史編纂
開始年より遡って作り出されたものだね。
47日本@名無史さん:04/07/18 12:08
>>44
>単純に年齢を足しただけ

これが諸悪の根源だと思う。つまり、間違ってる。
昔の結婚事情を考えれば、1代の間隔が15〜20年、兄弟継承があるなら、10年ぐらい。
どんなに長生きしようが、早死にしようが、関係なくこの程度である。
48日本@名無史さん:04/07/18 21:20
ヒミコとの関係って何か新資料でも
見付かったのでしょうか?

辛酉革命に基づくというのは、あくまでミチヨ君の説にすぎません
49日本@名無史さん:04/07/18 21:30
ウヨの集うスレはここでつか?
50日本@名無史さん:04/07/18 21:57
ヒミコの官の一人ってはじめて聞いた。
もう少し、資料などもだしながら詳しく
教えてくれたまへ
51日本@名無史さん:04/07/18 23:05
>>50
神武は卑弥呼の前の時代の人。
おそらく、倭国大乱の時期か?

卑弥呼の時代は
伊支馬(イクメ):垂仁天皇(イクメイリヒコイサチ)
彌馬升(ミマシ):考昭天皇(ミマツヒコ・カヱシネ)
彌馬獲支(ミマカキ):崇神天皇(ミマキイリヒコイニヱ)
奴佳[革是](ヌカテ):額田氏?

ちなみに、内藤湖南は各々の天皇の御名代としています。
52日本@名無史さん:04/07/18 23:26
>>51
垂仁天皇は纒向磯珠城宮つまり纒向の王
考昭天皇は掖上池心宮つまり葛城の王
崇神天皇は磯城端籬宮つまり 磯城の王

このように、邪馬台国の実態は畿内の有力な諸王の連合国だと思う。
53日本@名無史さん:04/07/18 23:48
邪馬台国の官の名前と天皇の名前が一致することは昔から知られていたが、
戦前は皇国史観から、崇神、垂仁、孝昭が同時代だったと言うことは受けいられ
なかった。



54狭野:04/07/19 00:09
>>51
伊支馬の馬は甲類、伊久米の米は乙類なんだが。
あと、奴佳テは中臣。

>>52
纏向遺跡の最盛期は4世紀だよ。

>>53
名前は後から受け継いでも一致する。それだけでは邪馬台国と同時代とはいえない。
現に津島、壱岐の官、「ヒコ」はかなり後の時代まで使われている。
また、伊都国の官「爾支」は、「ニニギ」、あるいは「ニギハヤヒ」と一致するので、これはやはり後世にその名を襲ったと考えるべきではないか。
時代に関してだが、そもそも崇神垂仁は親子なんだから同時代でおかしくないし、在位年数が短ければ、孝昭朝から崇神朝まで、10年と立っていないということも十分ありうる。
それだけで皇統譜を疑う根拠とはならない。
55日本史@名無しさん:04/07/19 07:34
>>54

とりあえず>>53とは矛盾してない。というか、>>54の言ってることにはきちんとした
バックボーンがあるので、知ってから批判する方が良い。
56天之御名無主:04/07/19 12:25
>>伊都国の官「爾支」は、「ニニギ」、あるいは「ニギハヤヒ」と一致するので、これは
やはり後世にその名を襲ったと考えるべきではないか。

長髄彦というのは実在とは思うが神武記に組み込まれたのは7世紀の高句麗滅亡、
亡命渡来の頃ではないかと思う。「ニギハヤヒ」の編集もこの辺で行われたとすると
始めに官「爾支」があった。また、ニニギは「丹」+「ニキ」、練丹呪術者(神武同様)と
するとこのニキもやはり同様の7世紀頃の造語と見える。はじめに「ニキ」ありきと
いうことかね。
57日本@名無史さん:04/07/19 13:03
>>54
>伊支馬の馬は甲類、伊久米の米は乙類なんだが。

3世紀の中国人が聞き取った倭語で、甲類・乙類を聞き分けたかどうか疑問。
上代特殊仮名遣いも確立する前のことですし。

>あと、奴佳テは中臣。

中臣氏は、神武〜垂仁あたりの説話に登場していないので、
近畿の王であったかどうか疑問。

58日本@名無史さん:04/07/19 13:05
>>57
>中臣氏は、神武〜垂仁あたりの説話に登場していないので、
>近畿の王であったかどうか疑問。

とはいえ、額田氏も同じようなものなので、不明ですが。

59日本@名無史さん:04/07/19 21:52
>>53
>ヤマタイ国の官の名と天皇の名の一致

はずかしながらまったく知りませんでした。
60日本@名無史さん:04/07/19 21:56
>58
中臣氏はたしか
天孫降臨以来の天皇の家臣では?
61日本@名無史さん:04/07/19 22:27
素朴な疑問だが、まきむく遺跡の成立が3世紀はじめなのに、なぜ
4世紀の崇神天皇が初代天皇と主張する馬鹿が未だに存在するの?
62日本@名無史さん:04/07/19 22:39
豪族間の抗争に勝ち抜き、そのリーダーとしての地位を確立したのは
崇神天皇。崇神天皇が初めてスメラミコト(天皇)と称された。スメラ
ミコトとは、「国を統(す)べる尊い方」という意味。崇神天皇が「ハツ
クニシラススメラミコト」(初めて国を支配し統治された尊い方)と
称されたのが何よりの証拠。崇神までの9人は、彼等が実在であったと
しても天皇ではなく、支配権を争う有力豪族の長であった。
63日本@名無史さん:04/07/19 23:45
>>61
>4世紀の崇神天皇

根拠は?
64日本@名無史さん:04/07/20 00:08
いくらなんでも縄文時代に天皇はいねえうわなにをするやめ・・・・・
65日本@名無史さん:04/07/20 01:22
>>64
縄文時代の集落はすでに都市機能をもっていたし、
農耕も始まっていたし、社会は階層化してすでに首長層がいた。
したがって、縄文時代に初期の王権が存在してもなんの不思議もない。

ところが…

前10世紀に弥生早期が始まってしまう。
神武天皇は仮に日本書紀の記述をそのまま信じたとしても前7世紀の存在。
したがって神武天皇が縄文時代の人間ではありえない。
66天之御名無主:04/07/20 06:09
神話のスケールでは天皇は何百年も生きるが、実際は在位何十年だろう。また、最初
の数百年は神武-綏靖の時がいい例で殺し合いで次の天皇を決めるのが常識であった
と考えるのが妥当だ。
67天之御名無主:04/07/20 06:11
しかし男性側から見れば残酷だが女性側から見ればゆっくり進む女系社会で
アローハ的なもんだったんとちゃーうか。
68日本@名無史さん:04/07/20 06:59
>>66
>天皇は何百年も生きる

そんな天皇はいません。
69天之御名無主:04/07/20 08:00
そうだね。武シウチの宿禰だったかな、何百年もってのは。記紀は欠史8代にせよ
卑弥呼の司4人が2世代とすればヤマトという邪馬台国の国名が付されているし、
初国しろすとか、-神、神功 等で王朝の切れ目を伝えているし、年令の甘さを除けば
しっかりしている。特に神武などは日向というのを出雲に変えると大体考古学的に
整合している。7-8世紀の学者も倭人伝とか朝鮮の史書を参照しながら各豪族の
伝承、地誌などを考慮して作成された傑作だ。話を変えるが昨夜世界遺産で高句麗
遺跡の古墳とか壁画をやってたが、全くカルチャーショック、黒船のような規模だね。
7-8世紀の天皇が高句麗文化の高さにしびれて神武を作ったのもよくわかった。
70日本@名無史さん:04/07/20 08:20
>>69
己の妄想のために現実を曲げて伝える
君のような人間を見ると吐き気がする

>7-8世紀の学者も倭人伝とか朝鮮の史書を参照しながら

朝鮮最古の史書は1145年三国史記


二度と同じ事は言わせるなよ
71天之御名無主:04/07/20 08:39
日本書紀には百済記なんてかいてあるが、間違いないと思う。
72日本@名無史さん:04/07/20 12:58
>>69の内容もいい加減かもしれんが、>>70は日本書紀に当時の朝鮮文献が引用されていることを
しらないのだろうか…。
2ちゃんばかりで専門に勉強したことはないのだろう。合掌。
73日本@名無史さん:04/07/20 15:52
しょうがないね。>>69にマジレスしましょう。

寿命が長いのは、多くの神話伝承にあるが、今の半年や、月齢がかつて1年と呼称されたことは
十分考えられる。欠史八代問題は、反皇国史観としての津田説の苦しい言いがかりであって、
1945年に価値のなくなった説だと思う。日向を出雲に改ざんして読むのは、よほどの根拠がない限り
やってはいけないことだから、すばらしい根拠を示すべきであるが、どうせ無いだろうから、
電波というべきである。記紀を傑作というが、古事記は公認を解かれて地下に潜ったのだから、
九州邪馬台国側の資料を盛り込まないで完成させてしまったあとで資料が手に入り、
あわてて日本書紀に作り直しんだろう。高句麗が滅んだ後にあこがれても仕方あるまい、
だいいち高句麗人が亡命してきているから、変な幻想もないし、お互い隋唐のほうがよほど立派
であることを知っているだろうに。ちなみに高句麗は紀元前からあったが、倭人が中国に
貢献したのはBC1000年ごろからだから、高句麗文化など弥生の倭人から見て1000年遅い。
神武は高句麗を野蛮人として馬鹿にしていただろう
74日本@名無史さん:04/07/20 18:22
マジレスって、「俺の”マジ”を見せ付けてやるぜー」ってことで
真面目に(文献から理知的に弁証して)答えましたってことじゃないのね。
75天之御名無主:04/07/20 18:37
話というのはその程度ユライでいないと面白くない。倭人がBC1000に殷か、商か
に貢献というのもはじめて聞くが面白い。山形県日本海岸に殷代の刀子などが
来ている。高知県の居徳遺跡であったか、やはり中国と交易していた気配がある。
話しかえるが、スマソ。昨日テレビで見た高句麗古墳の壁画の被葬者、よく見れば
目が切れ上がっており、ギリャーク等、いわゆる、ショウキ様とか、水滸伝の挿絵に
登場するところもあるが、現代の明治天皇みたいに面長な感じ。あれってやっぱ関連
あるんか。又は明治天皇のお写真の方が何らかの歴史的修正をされているのか
その辺はヨウわからんがね。しかし、貫禄は十分だったな。まー、日本も世界一級の
古墳はゴロゴロしてるんだけど7-8世紀の人たちも、現代人もその中身は見たことな
いんだもんな。
76日本史@名無しさん:04/07/21 08:54
なあ、神武って三種の神器持ってたって思う?
漏れはそれが「皇統」の実体だと思うが。実際血統的に何度も変わってる見たいし。
77天之御名無主:04/07/21 10:34
神武って三種の神器持っていなかった。特に玉だよな-.。鏡はヤタガラスに化けている。
三種の神器の概念のできる以前のことのようだ。長髄彦と相互確認したレガリアは天の
ハハヤ、カチユキ(矢を入れて携帯する容器)だね。この2点で天下が取れたんだ。
筑紫岡ミナトというのは志賀島近辺だろうか、目的不明に寄港しているが、その辺で
長髄と同じ品物を貰ったんだろう。この辺が面白いよな。日本国王になるには筑紫の
許可が必要だったということを意味するんだから。
78天之御名無主:04/07/21 10:36
神武記を作った人は邪馬台国九州説だったんだろうな(w
79天之御名無主:04/07/21 10:43
相互確認ではなく一方的な長髄彦の出自確認の取調べであったのかも。
いずれにせよ、筑紫岡ミナト又は宇佐神宮辺りでそういうのを出していたって
感じが残る。
80天之御名無主:04/07/21 10:44
倭人伝の直前の倭国の実態はこれが真実ではないのかね。
81天之御名無主:04/07/21 11:26
神武が志賀島に金印紫綬を取りに来る。巫女王が驚愕し金印を隠匿し、兵を集め
神武を責める。神武は巫女王を殺すが、かろうじて宇佐まで撤退し、更に東方に逃
れる。こうしたこともありえるよね。
82日本@名無史さん:04/07/21 17:26
>>81
その金印はどれよ?
しんぎ?
かんのわの?
83天之御名無主:04/07/21 17:34
時代的に漢委奴国印のことね。変なところから出土したという。
84日本史@名無しさん:04/07/21 19:16
>三種の神器の概念のできる以前のことのようだ

弥生王墓から出土するから・・・・・。


>時代的に漢委奴国印のことね。変なところから出土したという。

「いと国」と読めばそのままなわけだが。
85天之御名無主:04/07/21 19:45
神武記は九州王国時代より古いはずはないのに3種の神器のルール的な
概念を持っていないということは新しい時代の創造でもなく、古い時代であって
九州ではなく後進的な近畿の部族によって作られたものということかもしれない。
高天原を辺鄙な日向に持ってくるところも九州王国の本場の話とは思えない。
甘木・朝倉、吉野ヶ里などで語られていた神話は朝鮮神話と同じに近かったのでは
なかろうか。
86一応九州王朝説:04/07/21 19:49
>>85

単に古すぎたから記紀の編者が解らなかっただけだとおもうよ。>日向

でも、根本的問題として、何故宮崎を日向というのかがわかっていないから
その意味ではまだ何を言っても仮説になるけど。
87天之御名無主:04/07/21 19:54
日向は台湾南部、東岸、出雲、東北などとつながりを持つ縄文時代からの聖地だと
思う。九州北部が弥生時代に入るはるかな昔から豊かな神話があったのだろう。
八重山諸島に近い花連に岩戸をでっかくしたタラコ渓谷なんて聖地があり、アミ族
というのが鳥の毛を頭につけて踊っている。銅鐸にもよくあるやつだ。
88日本@名無史さん:04/07/21 21:21
>三種の神器の概念のできる以前のことのようだ

王位継承のレガリアとしての三つの宝器というモチーフは古いよ
89日本@名無史さん:04/07/21 21:23
>>84
「委奴」は音韻学的に「いと」とは読めない。
いつの時代の説を引っ張ってんだ?いい加減にしろよ
90日本史@名無しさん:04/07/22 06:44
どの音韻学でつか?ソースキボンヌ
91狭野:04/07/22 16:04
古墳の副葬品として鏡剣玉のセットは定番。
大和朝廷の始まりと古墳の発生、発展はリンクしてるんじゃないか?
92天之御名無主:04/07/22 17:33
リンクしていると思う。倭国乱の動乱の代償として勝ち取ったシステムだ。目に見えた
シンボルがあって当然。
93日本@名無史さん:04/07/22 21:59
リンクしてないだろ
94日本@名無史さん:04/07/22 23:34
福岡平野の須玖岡本遺跡群、那珂比恵遺跡群が弥生集落では最大級で、遺物の質や集落の計画性がダントツ。
糸島の三雲遺跡も匹敵する可能性があるが、調査範囲が少なく不明瞭。これらは規模的にマキムクに匹敵する。
これら3遺跡は弥生中期中ごろに巨大化し、須玖は弥生終末まで、他は古墳前期にも繁栄が存続するようだ。
唐古鍵遺跡は30ha、須玖岡本や那珂比恵は100ha以上。
那珂では2kmの直線道路痕跡が存在するらしく、また須玖岡本の青銅器鋳型の出土数や出土頻度は唐古とは比べ物にならない。
福岡の研究者に言わせると、吉野ヶ里と唐古鍵が同程度の規模と構造と言う。
あと、壱岐の原ノ辻も同じぐらい。
邪馬台国は大和でもいいけど(マキムク出現以降ね)、畿内派は九州のこともよく調べておいてね。
あと九州派の人も、伊都国、奴国が質的規模的に最高ランクで、他地区はその下であることをわかってね。


95>85:04/07/22 23:36
それは、日本書紀(一書を除く)
古事記では「筑紫の日向」で、「韓国に相対している」としている。
勉強しなさい。
96日本@名無史さん:04/07/22 23:59
>>95
古事記の時代に「韓国」という国は存在しない。
韓国というのは略称で、大韓帝国(1897〜1910)と
大韓民国(1948〜)のことを言う。
97日本@名無史さん:04/07/23 00:00
おいおい…
98>96:04/07/23 00:02
つべこべ言わずに読め。
ちゃんと書いてあるよ。

99日本@名無史さん:04/07/23 00:05
韓国っつう呼称はそれ以前に…
まあいいやどうでもw
100日本@名無史さん:04/07/23 00:06
>>98
そのレスおかしいよ。
普通なら、古事記の原文を挙げて「ちゃんと書いてある。わかったか!」
というのが筋だよ。
101日本@名無史さん:04/07/23 00:09
>>96
馬韓、弁韓、辰韓の三韓を総称して、韓国(からのくに)と呼んでいたんだよ。

102日本@名無史さん:04/07/23 00:10
それ以前に韓国=帝国と民国の略称っていうのはどうなんだ?
まさかそれ以前に韓国なんて言い方は無いとでも?
103>100:04/07/23 00:11
買って読め。
だいたい、お前こんな初歩も知らないのかよ。

104日本@名無史さん:04/07/23 00:12
唐も「カラ」って読むよな。
大陸の諸国を漠然と指して、「カラ」と日本では呼んでいたのかもな。
105日本@名無史さん:04/07/23 00:18
>>102
「韓国(かんこく)」という言い方それ以前にはないよ。
「韓国」と書いてあれば「かんこく」と読むのが常識なので、>>95
は「韓国(からのくに)」ときちんと書く配慮に欠けていたということ
だ。
>>104
「唐」「韓」を「から」あるいは「からくに」と読んだ。日本でもそう呼んで
いた。「唐天竺(からてんじく)=中国とインド」という言い方がある。
これは日本側の呼び方で、昔の日本人にとっての世界を表した言い方。
106日本@名無史さん:04/07/23 00:19
おいおい…
107日本@名無史さん:04/07/23 00:21
なんていうか手遅れなんでしょう。
無視して次行きましょう。
108日本@名無史さん:04/07/23 00:23
>>103
君が>>95と同一人物ならば、「韓国(からのくに)」ときちんと
書かなかったことを詫びるのが当然であるにもかかわらず、そ
ういう無礼な言い方をするのはなぜなのか?

109>105:04/07/23 00:23
そんな常識的なことにフリガナを付けるまでもない。
100は単なる無知。
110日本@名無史さん:04/07/23 00:24
でさ、結局レガリアとしての神器って、もともと鏡は無かった気がするんだけど、そこんとこみんなどうよ?
111日本@名無史さん:04/07/23 00:25
>>109
韓国を「からのくに」と読むのが常識とは聞いて呆れる。
君は「韓国ドラマ」を「からのくにドラマ」といい、韓国
大統領を「からのくに大統領」と言っているのかい?
112日本@名無史さん:04/07/23 00:26
馬鹿な私にもわかるように、振り仮名つけないお前が悪い!
ここの住民は皆わかってるのに、私一人はわからなくて、偉そうに語って大恥かいた!
謝罪と賠(ry
馬鹿にも配慮しる!
113日本@名無史さん:04/07/23 00:28
>>109
普通古事記で韓国っつったら「からのくに」だよなあ…

ルビないからって怒るのはなんだかなという感じだよなあ
114>112:04/07/23 00:29

半万年謝罪致します。
115日本@名無史さん:04/07/23 00:34
日本@名無史さん :04/07/19 22:27
素朴な疑問だが、まきむく遺跡の成立が3世紀はじめなのに、なぜ
4世紀の崇神天皇が初代天皇と主張する馬鹿が未だに存在するの?


116日本@名無史さん:04/07/23 00:35
はっきりした証拠がないからだよ。
117>116:04/07/23 00:36
文献が根拠ですが、何か。
118日本@名無史さん:04/07/23 00:41
まだまだ推測にすぎまい。
119>118:04/07/23 00:42
いないっていう証拠はなんなのさ。
120日本@名無史さん:04/07/23 00:48
なるほど、山野氏が世界史板に移動するわけだ。
121>120:04/07/23 00:50
なんでだよ?馬鹿にすんのか?
122日本@名無史さん:04/07/23 00:56
津田史観信者がなぜ多いの?
123日本@名無史さん:04/07/23 01:03
120だが、どっちともいえないが実際のところではないのか?
ま、通りすがりだから討論する気はないけど、勝手にやっておくんなまし。
124>123:04/07/23 01:08
だからその根拠は?古墳時代が4世紀開始というのは昔の説ですよ。
125日本@名無史さん:04/07/23 01:17
だいたい津田史観ってマルクス主義でしょ。化石みたいなもんよ。
126日本@名無史さん:04/07/23 01:25
横レスだけど、確かにここのレベルでは学問にはなってないかもね
津田が正しいとか正しくないとかそれ以前の問題だと思われ
127日本@名無史さん:04/07/23 01:31
もう一ついわせてもらえれば、123氏はどっちとも言えないと言っただけで、古墳時代が四世紀始まりとも、
津田氏を支持するとも何も言ってないとおもうけど
こんなレベルの住民が幅をきかせてるから目ぼしいコテはどっかに行っちゃうし、糞板と呼ばれちゃうんだと思うよ

そんな私も日本史板にはとっくに見切りをつけてる一人なんだけどさ
残りかす同士でがんばりなさい
では
128日本@名無史さん:04/07/23 01:35
まあ確かにはっきりした証拠が無いことの証拠を出せと言う方がおかしいわなw
はっきりとした証拠があるなら、証拠がある方が出すのが筋だろうしな。
129日本@名無史さん:04/07/23 03:38
なんかもう少しなんとかならんもんかな。
俺も一時期よりはマシになったとはいえ、この板終了寸前だと思うし。
自治も削除もまったく機能してない。
130日本@名無史さん:04/07/23 03:56
>>127
じゃあ君は
何処の板に行っちゃうの?
131日本@名無史さん:04/07/23 05:15
やっぱ世界史板なんじゃない?
それっぽい話題もよく出てるよ。

▽▽▽ 世界史板のコテハンを語れ5 ▽▽▽
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1090149447/l50

ここの117くらいから移住者の話が出てる。
132日本@名無史さん:04/07/23 05:45
>>131
読んだ

幕末偉人スレ、戦国偉人スレ、天皇スレ、太平洋戦争スレ…
日本史板なのにこんなのばっかりじゃ人も逃げるでしょうなあ

院政期や鎌倉仏教をしっぽり語れるみたいなスレもないと、コテハンは逃げたままでしょうなあ…
どうでもいいけどさ
133>128:04/07/23 22:14
だから、文献が証拠だっつーの。
違うというなら、別の文献か考古学的な証拠を出せよ。
134日本@名無史さん:04/07/23 23:00
神武天皇というより欠史8代の問題ってのは、簡単に言うと、

@大昔に小林秀雄、都出比呂史などの考古学者がアプリオリに
 古墳時代は4世紀に始まる、と仮定。よって文献も崇神=初代
 倭王と同調。

 しかし、月日が経ち、

A纏向遺跡の年代から倭王権形成の時期が2世紀終末〜3世紀初頭
 と大幅に繰り上がる。
Aこのため、実在が予測されていた崇神天皇の前に数人の大王の存在
 が確実視。一部の学者が唱えるように仮に箸中山古墳が崇神陵であ
 るとしても纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、ホケノ山古墳?
 が王墓と想定。削平されたまたは不明のものを入れるともう少しある
 可能性。

と考古学の方は進歩したが、文献の方が検討が止まってしまってるということだね。
ことだわな。まあ、考古でも箸中山=最初の前方古墳説を死守するのもいるけどね。 
135日本@名無史さん:04/07/23 23:11
確かに津田はマルクス主義者ではないわな。大変な天皇崇拝者だったようだね。
でも左翼に利用されたけどね。
136>91:04/07/24 00:24
どう考えてもそうだよね。
でも、昔は、そんなこと言うと、「神武東征伝説の亡霊ニダ」
喚きちらす学者がいてまともに議論できなかったらしいね
(佐原真とかさ)。原田大六が生前無視されていたのもこれが
理由だってよ。
137日本@名無史さん:04/07/24 00:39
古事記では、神武天皇が韓国に天下りしたって本当?
もしかして古事記は、壇君古史みたいな贋物の古史古伝じゃないの?
138日本@名無史さん:04/07/24 00:54
>>137
(゚Д゚ )ハァ?
139日本@名無史さん:04/07/24 00:55
葛城王朝説はどうよ>決死八大(何故か変換できない)
140日本@名無史さん:04/07/24 02:51
決死八大(何故か変換できない)の実在を主張してる人って
電波の人を別とすれば、鳥越先生以外にいるの?
141日本史@名無しさん:04/07/24 07:55
闕史八代テスト
142日本@名無史さん:04/07/24 09:59
>>134
那珂説だと、崇神崩御は3世紀半ばなんだが。
つまり、3世紀前半ぐらいの人。
143日本@名無史さん:04/07/24 10:10
那珂説を元にすると、崇神、垂仁は卑弥呼と同時代(3世紀前半)の人。
とすれば、

邪馬台国の官
伊支馬(イクメ):垂仁天皇(イクメイリヒコイサチ)
彌馬升(ミマシ):考昭天皇(ミマツヒコ・カヱシネ)
彌馬獲支(ミマカキ):崇神天皇(ミマキイリヒコイニヱ)
奴佳[革是](ヌカテ):額田または中臣?

という説は非常にリアルでしょ?
144日本史@名無しさん:04/07/24 18:51
那珂説名なんかどうでもいいが。

まあそれぐらいだろうね、年代的には。
145日本@名無史さん:04/07/24 20:19
>>140
葛城王朝なら門脇説があるよ。
最初の王権は南北交代だったっての。
146>140:04/07/25 22:46
欠史8代そのものかどうかしらんが、マキムク石塚等の被葬者として、
「それに該当する大王が「考古学的には、」想定されざる得ない。」
が検討が進んでいない、ということですね。

147日本@名無史さん:04/07/25 23:13
想定されざる得ない???
148日本@名無史さん:04/07/26 01:40
崇神以降の実在性は高いといわれるけれど、
考古学とか、中国/朝鮮の文献とのすりあわせでは
記紀の系譜はなかなか一致しないだよなあ。
崇神以降も、後の造作の天皇が挿入されてたりするのだろうし。
とりあえず欽明からではないのかな、皇室的にさかのぼれるあたりって。
149日本@名無史さん:04/07/26 03:42
またキチガイが現れた。
素直に見れば神武までさかのぼれるっつーの。
違うというなら、別の文献か考古学的な証拠を出せよ。
150日本@名無史さん:04/07/26 21:42
>>148

こんなことすり合わせられる中国の文献ってどんなのがあるの?

あ、ついでに聞くと、朝鮮の文献って間違いだよね?問題外じゃないの?
151日本@名無史さん:04/07/26 21:46
>朝鮮の文献って間違いだよね?問題外じゃないの?

なんだその短絡的な認識は…
ちょっと2ちゃんのやりすぎと違うか?
一般解説書でもいいからきちんと本読んだ方がいいぞ…
152日本@名無史さん:04/07/26 21:50
>>151

>>70 は嘘ですか?
153日本@名無史さん:04/07/26 21:51
>>150
「宋史」日本伝に日本の僧が「王年代記」ってのを献上した、とあるの。
問題はその「王年代記」なんだけど・・・。
154狭野:04/07/26 22:03
>>143
○○ヒコの○○の部分は後世のおくり名だよ。
順番も合ってないし、邪馬台国の官と同一人物のように言うのは早計じゃないか。
155日本@名無史さん:04/07/26 22:03
>>152
嘘だねえ。
逸文を除く現存最古の歴史書という意味においては
>朝鮮最古の史書は1145年三国史記
でいいけど、失われただけでそれ以前から朝鮮では歴史書は編まれていたし。
それこそ日本より古くから編まれていた可能性が高い。
例えば日本書紀の朝鮮経営に関する記述は当時の百済本記なんかを大量に引用してる。

朝鮮だから即、間違書物とするのはどうかと思うが。
156>148:04/07/26 22:04
おい、知ったかぶりすんじゃねえぞ。
朝鮮の資料って何だよ?言ってみろ。
157日本@名無史さん:04/07/26 22:05
>>155

じゃあすり合わせられる文献名を挙げてみてください
158日本@名無史さん:04/07/26 22:07
広開土王碑や記紀の逸文、後の時代に書かれた三国志記、考古学的発掘資料など
色々あると思うが…。

まあ横レスだ。気にすんな。
159狭野:04/07/26 22:10
>>150
> 朝鮮の文献って間違いだよね?問題外じゃないの?

間違いがあるのは当たり前だし、檀君や古朝鮮のような問題外の記述がある文献も確かにあるが、三国史記はおおむね信頼していい。
160日本@名無史さん:04/07/26 22:11
ちょこっと書き込んでみたが、120氏の言わんとしていることがわかった。
あまりにレベルが低すぎ。
161日本@名無史さん:04/07/26 22:13
マルクス主義者ばっかり
世界史に逃げた山野もだけどな
162日本@名無史さん:04/07/26 22:13
>>159

でも、8世紀の史書を12世紀の史書の方を基準にすり合わせるのっておかしくない?
163日本@名無史さん:04/07/26 22:17
必ずしもそうとはいえない。
時代が下ることによる情報の劣化も考慮することは重要だが、なにより朝鮮側には日本の都合の悪いことを
隠蔽したり歪曲する必然性がないため、客観資料として活用することもできる。
12世紀といってもその内容は前の時代の資料を基にして書いているわけでもあるし。
朝鮮の歴史書は12世紀にいきなりできあがったわけではないからね。
164日本@名無史さん:04/07/26 22:28
>>163

「必ずしも」という表現が味噌だとは思うが、現地から遠く離れた国の史書が
どの程度信頼できるのかってのを時間差と考えあわせると、すりあわせが
できないからと言って12世紀の海外の史書の方を基準に考えるのもおかしな話では?

まあもっとも最初の>>148のレスを読み直してみるに、少なくとも欽明までは海外
の文献を参照しても存在するであって、それ以前は海外の文献からはわから
ないってことなら問題ないのか
165日本@名無史さん:04/07/26 22:31
俺はどっち派でもないから、わざと曖昧にしてるんだよ。
人によって中国でも記紀でもなんでも基準にしてくれ。その辺は説しだいだ。
166>142:04/07/26 22:44
崇神陵については、いくつか説があるが、主として
@行燈山古墳(現崇神陵)or渋谷向山古墳(現景行陵)
A箸中山古墳(現箸墓)
B西殿塚古墳
が候補になっている。

Aの年代を思い切りあげる人だと2世紀半ばという人もいる(あんまりいないが)。
そういうかなり無理な設定をした場合でもホケノ山以前の大王墓が数個あるわけで、
崇神=神武というのは考古学的には全然無理だね。

崩年318年説を採って、1.とすると10個程度大王墓(と思われるもの)
が空くわけだ。
167>159:04/07/26 22:47
10世紀以降の資料であり、同時代性に乏しい。
一級資料とは言えないね。
参考程度のもんだよ。
168日本@名無史さん:04/07/26 22:51
>参考程度のもんだよ。

山野氏が世界史に移住するはずです。
169>159:04/07/26 23:03
そもそも、朝鮮半島には10世紀より前の古典ってないですよ。
三国史記は、中国の文献、記紀、広開土王碑との比較で使われるだけであって、
それ単独で使うなんてことはしないですね。
170日本@名無史さん:04/07/26 23:04
そりゃあんただけだw
171日本@名無史さん:04/07/26 23:07
チョソが一匹まぎれているな。
172日本@名無史さん:04/07/26 23:09
チョン認定キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
173>170:04/07/26 23:12
おい、朝鮮人よ。
基本的に時代が近い資料が優先するのが決まりなんだよ。
お前に国ではどうか知らんがな。
174日本@名無史さん:04/07/26 23:12
山野氏が世界史に移住するはずです。
175日本@名無史さん:04/07/26 23:16
古事記では、神武天皇が韓国に天下りしたって本当?
もしかして古事記は、壇君古史みたいな贋物の古史古伝じゃないの?


176日本@名無史さん:04/07/26 23:21
韓国の学会では、高句麗が「朝鮮民族の国」とされているそうですからね。
何でもありだよ。
177日本@名無史さん:04/07/26 23:22
息子が人食いってのが凄い
178日本@名無史さん:04/07/26 23:22
595 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 04/07/26 07:50
億万世一系天皇制

戦前の旧憲法(大日本帝国憲法)では、「日本は「万世一系」の天皇がこれを統治する」と書かれていました。
「万世一系」とは初代・神武天皇から現代まで一度も断絶することなく(王朝の交替もなく)連綿と続いてきたと言った意味ですが、
現在は「騎馬民族征服王朝説」等によって「否定」されています。ところが、「古史古伝」−特に『竹内文書』の世界では、
「万世一系」どころか、それを遙かに越える「億万世一系」の天皇制が描かれています。

主な「古史古伝」所載の歴代王朝

竹内文書 天神(アマツカミ)七代
上古王朝・二十五代神皇
鵜草葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝・七十三代天皇
神倭(カムヤマト)王朝・人皇(現王朝)
宮下文書 天之世(アメノヨ)・天之神(アメノカミ)七代
天之御中世(アメノミナカヨ)・火高見(ホタカミ)十五代
高天原之世(タカマノハラノヨ)・天神(アマツカミ)七代
豊阿始原之世(トヨアシハラノヨ)・地神(クニツカミ)五代
宇家澗不二合須世(ウガヤフジアハスノヨ)・五十一代

ウガヤフキアエズ王朝

『記紀』に登場する神武天皇の父・ウガヤフキアエズ尊(ミコト)が、「古史古伝」では73(又は72)代、
あるいは51代続いた「王朝」とされています。又、ウガヤ朝の歴代天皇は皆、「ウガヤフキアエズ尊」の諡号(死後に贈られる称号)を
代々世襲した共されています。この辺りは、歌舞伎の名門・「市川団十郎」が名跡を「襲名」しているのと同じです。
179日本@名無史さん:04/07/26 23:24
>>166
崇神天皇は崩年318年説と崩年258年説とあるのですが、そもそも、その元となった
古事記の分注崩年干支が信用できるかという問題もあるんですがね。
日本に暦が入ったのは6世紀以降だし。
180>179:04/07/26 23:31
だから、たとえどっちの崩年を採用しても、初代の大王とは言えないのですよ。
「考古学的」にはね。

昔の森浩一さんにみたいに何が何でも箸中山を最初の古墳として、ホケノ山等は
箸中山の陪塚だとしない限り無理ですが、今時そんな学者はおらんでしょう。
181>179:04/07/26 23:37
あるいは、安本某のようにニギハヤヒ勢力がホケノ山等を作ったしない限りね。
これもほとんど賛同者はいないでしょうな。
182日本@名無史さん:04/07/26 23:39
 [邪馬台国の遺跡か?今世紀最初の大型発見]

福岡県教育委員会は1日、昨年末から行われていた発掘調査の結果を発表した。
 これによると、福岡県廿日市朝倉郡の平塚川付近の山の一部が3世紀中要の円墳であることを確認し、内部の石室から親魏倭王の金印を含む、木 簡、鏡や鉄矛など150点近い遺物を発見したと発表した。
 また、高齢の女性のものとみられる人骨も発見され、調査団はこの人骨が3世紀末頃に死んだ「女王」のものである可能性が高いと述べた。
 石槨は小型玄武岩を積み上げた独自のもので、棺などは見つかっていない。
 調査団は人骨を囲むように置かれていた鏡の破片を 精巧な舶載鏡と見ているが、結論は現在材質と様式の精査を依頼している橿原考古学研究所の結果待ちである。
 この一連の発見により、これまでの古代史の趨勢は大きく変わることになる。
 ここ数年、邪馬台国近畿説を裏付ける発掘が多かったが、所謂「論争」が再燃すると思われる。

 産業能率大学教授・安本美典氏の話

 「世紀、いや神武以来の大発見である。近年の考古学の成果は、近畿説のドグマに支配されたものが多く、科学的なものとはいえなかったが、これで決定的になった。おそらくこの直後、邪馬台国勢力は、近畿に東遷し、大和朝廷となったのだろう。
 私の数理文献学によっても、このことは裏付けられる。」

 国立歴史民俗博物館企画調整官・白石太一郎氏の話

 「確かに大発見であるものの、これまでの考古学の成果を無視してはならない。邪馬台国は近畿であったとするのが、合理的である。即断してはならない。
  近畿にあった邪馬台国、すなわち大和王権が、この地方に魏鏡などをさらに下賜したのではないかとも考えられる。」
 (読売新聞)
                              [4月1日22時33分更新]
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20001702-00097737-reu-int


183日本@名無史さん:04/07/26 23:42
朝鮮の古典って、高麗朝に入ったはずのニンニクが半万年前に存在したという
アノとんでも伝説かよ。
184日本@名無史さん:04/07/27 22:05
朝鮮の本にニンニクが出てきてもいいじゃん。
185日本@名無史さん:04/07/27 22:22
三国遺事を史書だとみなす奴はいません。
186>179:04/07/27 22:39
>崇神天皇は崩年318年説と崩年258年説とあるのですが、そもそも、その元となった
>古事記の分注崩年干支が信用できるかという問題もあるんですがね。
>日本に暦が入ったのは6世紀以降だし。

この人、何が言いたいんだろうね。
まさか、崇神が3世紀初頭の人間だといいたいのか?
とんだ珍説だね。
187日本@名無史さん:04/07/27 22:44
>>186
>この人、何が言いたいんだろうね。

文字通りの意味しかない。
古事記の分注崩年干支が信用できるかどうかという問題があるということ。

>まさか、崇神が3世紀初頭の人間だといいたいのか?

そうとは言っていないし、断定できない。
188>187:04/07/27 23:13
干支が信用できないからと言って、2世紀前半までは到底上がらないですよ。
258年だとたいていの学者は上げすぎだと言うでしょうね。
上げる学者でも、2世紀半ば〜後半=箸中山の被葬者どまりでそれ以上上げる
人はいない。少なくとも考古学者にはね。
いずれにせよ、崇神以前の大王がいるわけです。
このあたり知りたいなら最近の考古学の本を読んだ方がいいですな。
所詮、昔の文献の人の説は昔の考古学の知見を元にしていますから、崇神天皇は神武天皇
なんて頓珍漢な結論になっちゃうわけでね。
189188:04/07/27 23:16
失礼、「2世紀」→「3世紀」に訂正。
190:04/07/27 23:19
>>178
皇統は地球終末まで萬世一系なり。
191日本@名無史さん:04/07/28 00:19
>>188
ご存知のように箸墓についてはいろいろと議論があり、
一部には卑弥呼の墓(つまり3世紀前半)として有力と
思っている向きがあるようです。

>いずれにせよ、崇神以前の大王がいるわけです。

この点については、異論はありません。

192日本@名無史さん:04/07/28 00:23
>>191
3世紀前半じゃなく3世紀半ばですね。
すいません。
193日本@名無史さん:04/07/28 01:26
現崇神陵については、河上前k研所長も否定が正しいとしているくらいだよ。
昔から最低これくらいはあってるだろって感じだったよ。
箸墓は、卑弥呼の墓にしたいつー誘惑は否定できんわな。記紀にも合うしな。
でもその前が何で畝傍とか磯城なんておかしな伝承になっちゃっているのかね?
文献でこういうの研究している奴いないのかねえ。

194日本@名無史さん:04/07/28 03:09
門脇禎二 『葛城と古代国家』
195日本@名無史さん:04/07/28 03:17
行燈山が所伝の通り崇神陵だとして、
それより以前と考えられる(白石説)
外山茶臼山とメスリ山のぬしは一体誰なんでしょうか?
つか、この2つはなぜ宮内庁の指定から漏れてるのですかね?
196日本@名無史さん:04/07/28 04:08
崇神朝の末期に半島からソナカシチがきてるから、その時に干支が入ってきたんだろ。
整合的で、なんの問題もないじゃん。
197天之御名無主:04/07/28 09:04
とりあえず-箸墓(倭迹迹日百襲姫命)→西殿塚(倭迹迹稚屋媛命)→外山茶臼山
(考元)→メスリ山(開化)→行燈山(伝崇神)→渋谷向山(景行)ということにしてみる。

参考まで:
「大王墳の変遷」
「大和東南部(箸墓→西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山(伝崇神)→
渋谷向山)に始まり、大和北部(五社神→宝来山→佐紀陵山→佐紀石塚山)に
移ります。次いで大阪平野に移り、古市・百舌鳥古墳群に交互に大王墳が造ら
れます。すなわち、古市(津堂城山→仲津山)、百舌鳥(百舌鳥陵山)、古市
(誉田御廟山)、百舌鳥(大仙→土師ニサンザイ)、古市(岡ミサンザイ)であります。
その後、大王墳は一旦大和(鳥屋ミサンザイ)に戻りますが、突如摂津北部
今城塚)に移動します。次いで、百舌鳥と古市の中間地(河内大塚山)に造られ、
再び大和南部(平田梅山→見瀬丸山)に帰り、巨大な前方後円墳の築造は終
わるのです。 」
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-45.html
http://shrine.s25.xrea.com/kourei.html
桜井茶臼山古墳範囲確認発掘調査
http://www.kashikoken.jp/from-site/2002/chausuyama.html
「遺存した遺物には、鹿角をかたどった玉杖や玉葉、そして銅鏃・鉄鏃・鉄剣・
鉄刀の武器類や石製腕飾類、さらに内行花紋鏡・方格規矩鏡・三角縁神獣鏡・
画紋帯神獣鏡・斜縁二神二獣鏡等の約20面分の銅鏡片があります。」
メスリ山古墳
http://www2.begin.or.jp/sakura/mesuri.htm
「磐余地域の前期古墳として最大規模を誇り、かつ王権や軍事権をも掌握した
人物が披葬者として推定され、メスリ山古墳の周囲に7世紀になって大型方墳群
を作った阿倍氏の存在から、彼らの祖「オオビコ」の墓説も考えられる。」
198天之御名無主:04/07/28 09:11
すると、神武記にこの辺の土地柄が多く入ってしまっている。孝元の前の孝霊あたりを
神武記の吉備に持ってくると都合が良い。欠史8代のその前の辺りは縦に読まずに横に
並べると孝昭辺りで尾張、綏靖辺りに越などの感じがある。
199>198:04/07/29 00:09
そりゃ、おかしい。前期古墳が入ってないじゃん。
だいたい、こんな感じだろ。

@纒向石塚古墳
A勝山古墳
B矢塚古墳
C東田大塚古墳
Dホケノ山古墳
E箸中山古墳
F西殿塚古墳
G外山茶臼山古墳
Hメスリ山古墳
I行燈山古墳(伝崇神)
J谷向山古墳(景行)
これで、見ると、崇神の前に9人でちょうどだな。
GHは、大王墓でないという学者もいるけどな。
200>194:04/07/29 00:19
葛城国だろ。それは考古学的におかしいよね。
古い用語だけどいわゆる「イリ王朝」とその前の大王墓には断絶がない
わけでね。少なくとも最初から王墓は一貫しておおやまと古墳群にあるから
それを前提にしないと駄目だよね。
201日本@名無史さん:04/07/29 00:26
箸墓崇神陵説だと、西殿塚古墳、外山茶臼山古墳、メスリ山古墳、
行燈山古墳(伝崇神)の処理ができんな。
やっぱ、現比定が適当だろうな。
202>195:04/07/29 00:29
場所が離れているからという理由で大王墓にしない学者もいるな。
内容的にはおかしくない。ただ、茶臼山は葺石がないという難点
があるけど。
203日本@名無史さん:04/07/29 00:39
この前、直木孝次郎?っておっさんの本読んだら、

1.崇神は初代大王だ。4世紀半(ヲイヲイ・・)。
2.神武東遷は河内王朝の大和進撃(これが既にアホなんだが・・)を元にしたデッチアゲ
3.継体は、単なる豪族で、新王朝を建設した。

と珍説のオンパレードだったぞ。
文献のおっさんらしいが、なんでこんなアホがまかり通っているんだ?
204日本@名無史さん:04/07/29 00:49
奈良・天理のマバカ古墳、最古級の前方後円墳

奈良県天理市のマバカ古墳(全長74メートル、前方後円墳)の前方部に沿った溝から
3世紀中ごろとみられる土器が出土したと18日、県立橿原考古学研究所が発表した。
最古の古墳とされる約4キロ南のホケノ山古墳(3世紀中ごろ)に匹敵する最古級の
前方後円墳とみられ、同研究所は、初期大和王権の成立過程を探る重要な資料としている。

マバカ古墳は天理市から桜井市にまたがる大和(おおやまと)古墳群の一つ。出土した
土器は、弥生土器の流れをくむ素焼きの古い土師器(はじき)で、庄内(しょうない)式
と呼ばれる様式。墳丘西端の前方部に沿った約500平方メートルを調査し、深さ20〜
90センチの溝から、この様式のかめ、つぼなどの破片が多数出土した。この土器は、
ホケノ山古墳からも出土している。

卑弥呼の墓という説がある箸墓(はしはか)古墳(桜井市)は、マバカ古墳の南方約4
キロにあり、出土した土器から3世紀後半とみられている。同研究所は、今回の土器の
出土から、マバカ古墳が箸墓古墳より古い可能性が高くなったとしている。

http://www.asahi.com/culture/update/1118/005.html


205天之御名無主:04/07/29 07:15
カムヌナカワミミ、ヌナキイリヒメに出てくるヌナカワ、ヌナキ、これって上越の姫川近辺
としたのでは余りにも飛び過ぎており、ミマキに対応するヌナキという地方が隣接して
存在していたのではないかと思うが、マバカはこのヌナキに対応する聖域だろうか。
206天之御名無主:04/07/29 07:25
南北軸を持つ古墳は天の御中主(北極星)を崇拝するのとちがうか。
秩父神社は天の御中主と万思兼命だが、非常に古いらしい。
207日本@名無史さん:04/07/29 08:03
>>204
URLの先が消えてる。

橿原考研のマバカ古墳のページ
http://www.kashikoken.jp/from-site/2002/mabaka1.html
208日本史@名無しさん:04/07/29 08:04
土器一つ出てきたぐらいで年代が云々いうなよ。アフォが。

それにまた「可能性が出てきた」かよw 税金でそんなことしか言えないって、頭
おかしいのとちゃう?
209日本@名無史さん:04/07/29 08:14
>>203
>3.継体は、単なる豪族で、新王朝を建設した。

これは珍説とは言いがたいがな。
210日本@名無史さん:04/07/29 08:16
箸墓古墳の次はマバカ古墳が卑弥呼の墓ですか・・・・

狼少年の逸話を思い出す

も う 疲 れ た よ
211日本史@名無しさん:04/07/29 09:28
3 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/07/09 16:59
神武天皇がないと初めがなくなる。無責任だよなー。


↑ これのことか?
212日本@名無史さん:04/07/29 15:38
神武天皇は2世紀ごろの天皇じゃないかなあ。
欠史八代の天皇は実際には即位してない皇族か
もしくは有力豪族を縦に並べて年齢を二倍にしたと推測。
辛酉の年に神武即位を持ってくるためにね。
そして崇神〜仁徳も年齢を二倍にしたとして、
実際はこんな感じかなっと思ってみた。

神武 115年〜153年
崇神 153年〜187年
垂仁 187年〜237年
景行 237年〜267年
成務 267年〜297年
仲哀 297年〜301年
神功 301年〜336年
応神 336年〜356年
仁徳 356年〜399年
履中 400年〜405年
反正 406年〜410年
允恭 412年〜453年
安康 453年〜456年
雄略 456年〜479年
213天之御名無主:04/07/29 15:56
卑弥呼=モモソは崇神の御宇に崩御と見て良いんじゃないか。この一族は孝霊系統
で吉備からマキムクに来た。何とかネコという名前は卑弥呼政権閣僚程度の意味か。
これらマキムク系の他に東海系がいた。これがマバカ古墳の近辺。
214天之御名無主:04/07/29 16:08
神武って関門海峡から博多のほうに向かっているが、父親の名前のウガヤフキアエズ
って言うのが五伽耶関連ではないかという気がする。神武の頃は九州王朝時代であり、
神武の父は伊都国の属国であった金官加羅国の王でなかったのかナーという気がする。
215狭野:04/07/29 19:28
卑弥呼=モモソ説とは懐かしいな。モモソ姫は女王じゃないぞ。
216天之御名無主:04/07/29 22:05
倭国史観では姫と魏史観では女王の違い。倭国史観というが8世紀頃の皇国史観の
ようなもので当時の対中戦略が背景にあろう。女王共立などというのはなかなか勉強
したものではないか。顔は拝ませてもらっていないんだから実際どんなものなのかは
よくわかっていないだろう。モモソヒメの妹にも良く似た名前がいるがこの辺がトヨでは
ないのかね。
217>212:04/07/29 22:45
そりゃ、上げすぎだ。
マキムクの上限一番上げる石野博信でも180年頃。
マキムク石塚が200年頃。
218>215:04/07/29 22:48
外伝なんていい加減なもんだよ。ほかの時代みればあんたも分かるよ。
219>209:04/07/29 22:51
河内王朝以上の珍説じゃないの。
コレ、上宮記ありましたっていう時点で終わってんだよね。
考古学的証拠も全くないしね。
220>197:04/07/29 23:02
メスリ山と茶臼山を大王墓でないとして、西殿塚を崇神陵、箸墓をモモソヒメ
=卑弥呼陵にして、布留期の始まりを3世紀半ばまで上げると記紀、延喜式、
倭人伝の3つがぎりぎり読めるんじゃないの。
布留期の始まりをここまで上げていいのか問題だけど、これからまた上がるん
じゃないかね。
221日本@名無史さん:04/07/29 23:06
こんなレベルの住民が幅をきかせてるから目ぼしいコテはどっかに行っちゃうし、糞板と呼ばれちゃうんだと思うよ

そんな私も日本史板にはとっくに見切りをつけてる一人なんだけどさ
残りかす同士でがんばりなさい
では

222日本@名無史さん:04/07/29 23:13
古事記では、神武天皇が韓国に天下りしたって本当?
もしかして古事記は、壇君古史みたいな贋物の古史古伝じゃないの?




223日本@名無史さん:04/07/29 23:21
>>221

反論できずに逃げるのにかっこつけるな、見苦しいぞw
224日本@名無史さん:04/07/29 23:25
壇君古史って何?
ぐぐってもみつからない
225>224:04/07/29 23:33
「壇君シリーズ」ってあるらしいよ。
古典を装っているが、全部大韓民国で作られたそうな(w
でもこういうのを真に受ける団体がいて、政府に圧力かけて
国定教科書にものっとるらしい。
まあ、三国遺事の壇君伝説も高麗時代のねつ造なんだけどね。
226日本@名無史さん:04/07/29 23:35
>>224
檀奇古史の間違いと思われ
227>226:04/07/30 00:06
どんな中身なの。教えて。
228日本@名無史さん:04/07/30 00:06
JIEN Z
229日本@名無史さん:04/07/30 00:19
直木孝次郎がデンパ扱いか…
230日本@名無史さん:04/07/30 00:51
>>219
上宮記がどうしたって?

>考古学的証拠も全くないしね。

異民族が攻めて来たわけじゃないので考古学的証拠っていうものはないだろう。
231日本@名無史さん:04/07/30 01:01
ふつうの人が創価学会員を逆折伏するのはなかなか難しいもので
232日本@名無史さん:04/07/30 02:14
>>224
桓檀古記・檀奇古史・揆園史話の3書は
1960年代に世に出た朝鮮史の根本史料
古朝鮮を研究するには欠かせませんなw
233日本@名無史さん:04/07/30 18:04
>>229
電波とは行かなくても津田化石ではあるだろ。
234日本@名無史さん:04/07/30 23:01
残り滓スレッドだな
235日本@名無史さん:04/07/30 23:04
>>231
それ、ウマ過ぎ!!
236>230:04/07/30 23:05
当時、畿内に匹敵する古墳は、越前ないし近江にはない。
鉄器の量も畿内が圧倒。全然、駄目駄目だね。
237>229:04/07/30 23:08
倭王権が4世紀半ばに始まるというような見解は、電波以外の
何者でもないじゃないの。
238日本@名無史さん:04/07/30 23:12
こんなレベルの住民が幅をきかせてるから目ぼしいコテはどっかに行っちゃうし、糞板と呼ばれちゃうんだと思うよ

そんな私も日本史板にはとっくに見切りをつけてる一人なんだけどさ
残りかす同士でがんばりなさい
では



239日本@名無史さん:04/07/30 23:13
>>238

反論できないなら黙って逃げてろよw
240>239:04/07/30 23:15
このスレッドレベル低すぎ。
まともな反論をしてみろ。
241日本@名無史さん:04/07/30 23:15
そこいらの受け売りやコピペより
せっかくここで神武と海の深い関係が
発掘されたんだから
その話をふくらませるべきだったんじゃないかな
242日本@名無史さん:04/07/30 23:15
>>240

何に反論するんだよw
243>232:04/07/30 23:17
それの中身教えろよ。
244>242:04/07/30 23:18
神武の実在を信じるなんて頭悪すぎです。
津田史観に文句あるなら理論的に反論してみなさい。
245ゴジンム:04/07/30 23:20
クソスレでなく重要スレ!
246日本@名無史さん:04/07/30 23:20
>>244

は?津田史観そのものが理論的じゃないだろ?
神武が実在しないという根拠なんてないじゃん
247日本@名無史さん:04/07/30 23:21
神武天皇がいなくても、我々庶民は何も困らないではありませんか。
248日本@名無史さん:04/07/30 23:22
>>247

いても困らないよ。歴史なんてそんなもんだろ?
249>209:04/07/30 23:29
いわゆる息長古墳群は、大きくても50メートル程度でして、葛城、吉備の
ような豪族の墳墓とは隔絶しています。
考古学的には、新王朝を立てるような力はなかったと見るのが妥当ですね。
血のつながりのない豪族でもよければ、これらの豪族でもいいわけですが、
そうはなってはいないということです。
250>246:04/07/30 23:30
では、具体的に津田史観の問題だと思うところを理由附きで列挙してみなさい。
251:04/07/30 23:34
『道臣命在世記』(星雲社)口語訳
が出ました。参考にされたい。
252日本@名無史さん:04/07/30 23:34
>>250

前スレ読めば、さんざんやられてるじゃん。読んでるんだろ?
253>252:04/07/30 23:47
そんなことはしらん。
列挙しなさい。
254日本@名無史さん:04/07/30 23:54
>>253

要するに読んでないんだな?

まあいい、じゃあまず下の見解に反論してくれ

ttp://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/zaii05.htm
255>229:04/07/30 23:56
電波つーか、おじいちゃんだから知識が30年くらい前に停止したのではないの。
たとえば、その昔、小林行雄は椿井大塚山古墳が最初の前方後円墳(もち4世紀
以降が前提)で箸墓がその次という説を唱えていた。こういうの昔考古学知見が彼の
歴史観のベースなんじゃないの。
256>254:04/07/30 23:59
古田が出てくる時点で問題外。
257>248:04/07/31 00:00
プロレタリア人民に天皇は不要です。
258日本@名無史さん:04/07/31 00:04
>>256

どう問題外なんだよw
俺にしたら、津田が出てくる時点で問題外なんだが、そういう回答はゆるされるのかよ
259日本@名無史さん:04/07/31 00:07
>>257

じゃあ必要なのは娯楽と健康と税金の知識だけだね
260>258:04/07/31 00:17
オイオイ、そりゃ今見ると津田は駄目駄目だけどさ、古田って
偽史オヤジ担ぐようなおっさんだろ。駄目さのレベルが違うよ。
だいたい、古田なんて学者扱いされてないよ。
古田ってまともな雑誌に論文のったことあんのか?
261日本@名無史さん:04/07/31 00:18
アズマ、チョソ、古田信者、西都信者、津田信者、
江上信者など電波野郎の入スレを固く禁じます。


262日本@名無史さん:04/07/31 00:22
>>260

じゃあこれでいいか?

ttp://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/kodaisi01.htm
263日本@名無史さん:04/07/31 00:28
>>260

古田の他の業績はともかく、ここに書いてある津田史観の欠点の指摘は間違いなのか?
この部分に限った話で
264>262:04/07/31 00:31
これ、原田大六そのままじゃん。

ただ、これ早すぎ。倭王権成立をここまで上げる学者はいない。
神武がいてもいなくてもいいんだけど、考古学を無視しちゃ
駄目だよ。
結論は反対のこと言ってるけど、直木孝次郎と同じレベルだよ。

>神武天皇の即位は、ほぼ二世紀半ばとしておけば無難であろう。
 
265日本@名無史さん:04/07/31 00:37
>263
津田史観は、朝鮮民族をはじめとするアジア人民に多大な災禍をもたらした
皇国史観を徹底的に批判し、これを殲滅的に解体したことに大きな意義があった。
極右暴力集団「新しい教科書を作る会」のような超国家主義に向かう動きが
ある中、その歴史的意義は、決して否定されることはないであろう。
266日本@名無史さん:04/07/31 00:37
>>264

ああ、そうなんだ。ちなみに俺も神武がいるかいないかはどうでもいいよ。
実在も不在も確実な立証はまずできないだろうからね。敗走するくせに
負け犬の遠吠えをほざく>>238をからかっただけ。
267日本@名無史さん:04/07/31 00:45
>266
君が嫌いな津田の代表的主張とその論拠を言ってみなさい。
そしてどこがおかしいかを君自身の言葉で言いなさい。
268日本@名無史さん:04/07/31 00:46
>263
津田史観は、朝鮮民族をはじめとするアジア人民に多大な災禍をもたらした
皇国史観を徹底的に批判し、これを殲滅的に解体したことに大きな意義があった。
極右暴力集団「新しい教科書を作る会」のような超国家主義に向かう動きが
ある中、その歴史的意義は、決して否定されることはないであろう。

269>262:04/07/31 00:48
干支の考えもどうかね。
318年で別にそんなに問題ないよ。
270日本@名無史さん:04/07/31 00:49
>>267

は?津田問題に関しては俺が示したリンク先に書いてあることで十分だろ。
早く反論しろやw
271日本@名無史さん:04/07/31 01:13
津田の一言一句を今も信奉してる学者なら電波かもしれんけど、
津田を(ついでに直木を)電波と切り捨てるのは、
白石とか宣長を電波あつかいするのとあまり違わないような気がする。
272日本@名無史さん:04/07/31 02:55
>>249
古墳の大きさと勢力の大きさとは関係ないでしょ?
家格とかそういうもので決まるんじゃねーの?

273日本@名無史さん:04/07/31 03:15
神武天皇って2600年前ではなく
1800年前の人物らしいな。
初期の10代の天皇が、やたら年齢が長いのは
1年を二季で考えていたからそうだ。
274日本@名無史さん:04/07/31 03:17
基本的に墓の大きさ=勢力の大きさじゃないんだよな。
むしろ国家基盤の定まっていない初期の大王ほど大きな墓を作ると思う。
あと、地方豪族は家格みたいなもので、決まるような気がする。
それと、大王と比肩しうるほど大きな墓を作ると大王から睨まれるおそれもある。

275>274:04/07/31 10:59
なことはないですよ。
吉備臣のような大豪族(文献上の)は、考古学的に見ても
大王墓に匹敵するような墳墓を築造しています。
反論するなら物証を上げないと意味ないですよ。
276日本@名無史さん:04/07/31 11:22
誰とは言わんが、なんでこいつはこんな喧嘩腰なんだ?
277日本@名無史さん:04/07/31 11:26
議論するなら津田史観の定義をしっかりしないと駄目じゃないの。
みんなが上げているようなものは、津田ひとりで作った説じゃないよ。
水野好を経て井上光貞が完成させたもんだよね。
とりあえず、まとめると、
(前提)
記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。



278つづき:04/07/31 11:42
1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
 がない。

2.河内王朝説(主に水野)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上は景行のみ実在を肯定)。
 崇神の王朝とは、血統が断絶。
3.継体新王朝説(井上は否定。)
・記紀に5代の間の系図がない。
・5代というのは後世の皇族の範囲を元に設定した。
・即位後都が奈良外に置かれたのは新王朝に対する畿内豪族の
 抵抗があったと想定。
279日本@名無史さん:04/07/31 11:43
こんなレベルの住民が幅をきかせてるから目ぼしいコテはどっかに行っちゃうし、糞板と呼ばれちゃうんだと思うよ

そんな私も日本史板にはとっくに見切りをつけてる一人なんだけどさ
残りかす同士でがんばりなさい
では





280追加:04/07/31 11:50
1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・大和王権は、弥生時代の畿内在地勢力がそのまま成長したものであり、
 東征のような事実は否定されるべき(とされていた。)
281>271:04/07/31 11:55
どこが電波でないのか教えてくれ。

それから白石はともなく宣長のように今日でも通用する学説と(全部じゃないが)、
ほんの数十年の間に考古学的な齟齬を来すようになった津田学説
を比較するのは失礼じゃないの。

282日本@名無史さん:04/07/31 14:13
>>275
逆に「古墳の大きさ=勢力の大きさ」って言うのを証明しろよ。
283日本@名無史さん:04/07/31 14:19
>>278
1.崇神=初代大王(4世紀半)
>・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
>の名称をもとにねつ造された。

清寧天皇は白髪武広国押稚日本根子尊( しらがたけひろくにおしわかやまとねこ )
という名前だが、捏造なのか?

>・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。

宮内庁が掘らせないんだろ?


>・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
> がない。

若御毛沼命、豊御毛沼命、狭野命という実名らしき名前も伝わっている。

284日本@名無史さん:04/07/31 14:27
津田学説というのは、終戦直後という特殊な時代において、
政治的に受け入れられたのであって、文献的にも考古学的
にも疑問点だらけ。
今の時代の人間が見れば、ただの電波にしか見えないのも
無理はない。
285日本@名無史さん:04/07/31 17:08
そうそう、その頃は名古屋大のグループが物理学にマルクス主義を導入しようとしてたし。
ある意味狂った時代だった。
286>282:04/08/01 01:12
アホか、お前は。少なくとも「古墳時代以降」は、
古墳の大きさ=前方後円墳体制における地位を表象(都出)
というのが考古学の通説だろ。
そんなことも知らずにカキコすんじゃねえ。

287>284:04/08/01 01:18
「皇国史観教科書」の強制が開始されようとする今、皇国史観を完膚
無きまで粉砕した津田学説の意義はますます見直されようとしている。
虚妄とねつ造に満ちたの日本神話をファシズムに利用させてはならない。
津田史観を発展させ、アジア人民と連帯のもと真の人民による歴史の解明
を進めるべきです。
288日本@名無史さん:04/08/01 01:22
>>286
その通説に根拠はないね。
吉備のような半独立した国の場合は、大王に関係なく自分の墓を作れるかもしれないが、
たとえば、大和朝廷の臣下の場合は、必ずしも当てはまらないと思う。
あと、継体天皇自身がたいした勢力でなくても、大和の豪族となんらかの誼を通じていた
と当然、考えられる。
289日本@名無史さん:04/08/01 01:24
>>287
だから、学問を政治的に利用するのは止めてくれ。
政治板でも行って主張してろ。
290日本@名無史さん:04/08/01 01:26
>>287
あんたの言う「皇国史観教科書」って何?
読んだことねーなそんなもの。
291>272:04/08/01 01:30
そのとおりだ。古墳の大きさと勢力の大きさは関係がない。
人民に待望された若き類い希なる英雄が、縮地方などの卓越した戦術
で旧階級を倒し、その圧制から人民を解放することは歴史にしばしば
見られるところであり、歴史の法則である。
継体は、いわば鋼鉄の霊将であり、人民の支持を得て、腐敗した旧大和朝廷
を完膚無きまでうち破った。
皇国史観の輩はこれを否定する。
だが、真理を見抜くものは、歴史をも見抜く。
皇国史観はでたらめだ。
292>288:04/08/01 01:38
>その通説に根拠はないね。
お前が意味がないと言おうと、そういう理屈で考古学は動いているんだよ。

>たとえば、大和朝廷の臣下の場合は、必ずしも当てはまらないと思う。
>吉備のような半独立した国の場合は、大王に関係なく自分の墓を作れるかもしれないが、
吉備も葛城も「臣」だ。古典を一から読め。それから吉備が「半独立」で息長が「半独立」
でないという証拠をだせよ。

>と、継体天皇自身がたいした勢力でなくても、大和の豪族となんらかの誼を通じていた
>と当然、考えられる。
じゃあ、誼とやらの証拠を出せよ。

293>289:04/08/01 01:40
よく言えるものだ。
歴史を政治に利用しているのは津田学説を否定する皇国史観側ではないか。
我々はそれを阻止しようとしているのだ。
294日本@名無史さん:04/08/01 01:42
古事記記載の祟神天皇の没年干支(戊寅の年)をもとにすると、
祟神天皇は258年に亡くなった。
卑弥呼が没したのは、248年ごろと考えられるので、
祟神天皇の時代は、ほぼ、卑弥呼の時代である。
祟神天皇の時代に巫女として活躍した倭迹迹日百襲姫こそ卑弥呼のことである。
また、倭迹迹日百襲姫の墓である箸墓が、卑弥呼の墓である。



295日本@名無史さん:04/08/01 01:55
さらに言えば扶余については晋書に、「質実剛健」という言葉で表せるような
記述があるが、これは日本の武士社会の気風につながっているかもしれない。


つまり、


日本の武士道は扶余の気風の最後の生き残りであるかもしれないのだ。




296日本@名無史さん:04/08/01 01:56
今日、我々は豊富な実物に基づいて伽耶と日本の実用武器を比較し、その
系統論をひねくることができる。
なぜこんなことが可能なのか? と言えばそれは伽耶地域と日本の古墳
から実用武器が出土するからだが、こんなことは滅多にない幸運なのだ。
このことをだれも取り上げないのは不思議なくらいだ。

王や上級者の墓そのものに、物々しい実用武器を埋葬するということは、
王権が武力と分離していない、すなわち王じしんが戦闘者ないし指揮官
であったことを示していると思われるが、このような現象は半島では
4〜6世紀の伽耶地域にのみ見られるだけで、それ以前の伽耶にはなく、
時代を通じて高句麗や百済にもない。
わが国では古墳時代中期に見られるだけで、それ以前にも以後にもない。
奈良、平安時代になればたちまち王権と武力は分離し、武士は貴族から
見下げられる存在となる。

このような4〜6世紀の現象を説明するには、同じく実用武器を埋葬した
扶余本国の風習がそのままの形で金官/伽耶地域に伝わり、それがなん
らかの形でさらに日本にも伝播した、というしかない。
伝播は人の移動か、「文化受容」か、どちらかである。
しかしこのような基本的な問題を「文化受容」で済ませられるだろうか?
すぐに引き合いに出されるのが明治以後の西洋文明の受容だが、それなら
天皇陵そのものに西洋伝来の「機関銃」や「戦車」を埋葬するのか?
ということである。
297日本@名無史さん:04/08/01 01:58
3世紀末の狗耶韓国で王墓の形式が変化して扶余式の木郭墓が作られるようになった。
これが扶余式であることは満洲の扶余遺跡との比較などで証明されることだ。
これは狗耶韓国がわざわざ扶余式を採用したか、それとも満洲から扶余がやって来たか、
どちらかだ。そしてそれが後者であることは別の傍証から推定される。
これはたまたま扶余が、恐らく満洲から直接やって来たために、同じような墓を作った
ことから起こったことだ。

しかしそれが常に起こるかというと、それは「逆は必ずしも真ならず」、
高句麗や百済の例がある。つまり、扶余式の墓を作れば扶余であることがわかるが、
扶余は常に扶余式の墓を作るかというと、それは成り立たないのだ。
だから、「扶余は木郭墓」というのはスポーツやゲームのルールではありませんよ、
という話をしたのだ。

298日本@名無史さん:04/08/01 01:59
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299日本@名無史さん:04/08/01 02:00
なんでチョンって古代にこだわるのかね。
そもそも高句麗といまのチョンって遺伝子レベル以外で全然関係ないじゃん。



300日本@名無史さん:04/08/01 02:09
>>292
>そういう理屈で考古学は動いているんだよ。

例外のない規則というのはないし、学問は宗教ではない。

>吉備も葛城も「臣」だ。古典を一から読め。

それは、7、8世紀に書かれた記紀の記述がそうだったからといって、
過去必ずしも、そうだったとは言い切れない。

>それから吉備が「半独立」で息長が「半独立」 でないという証拠をだせよ。

たとえば、崇神天皇の四道将軍の一人として吉備津彦の名前がある。
崇神天皇の時代は少なくとも地方の有力豪族であったと思われる。
息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長帯姫でありことから、応神朝
となんらかの繋がりがあったと考えられる。

>じゃあ、誼とやらの証拠を出せよ。

可能性の問題だよ。いくら遺跡が発掘されたって、当時どういう情勢
だったなどという証拠にはならないし、文献的には記紀以外は廃棄
されているので可能性しか語れない。

物部麁鹿火が磐井の乱に行っていることから、物部氏となんらかの
つながりがあったとしても不思議ではない。また、蘇我氏が継体天皇
以降に急速に勢力を伸ばしてくることから、何らかの繋がりがあっても
おかしくない。
301日本@名無史さん:04/08/01 09:45

>それは、7、8世紀に書かれた記紀の記述がそうだったからといって、
>過去必ずしも、そうだったとは言い切れない。

だから、「そうでなかった根拠」を出せなければ、それは君の単なる感想文にすぎないの。

>たとえば、崇神天皇の四道将軍の一人として吉備津彦の名前がある。
>崇神天皇の時代は少なくとも地方の有力豪族であったと思われる。
>息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長帯姫でありことから、応神朝
>となんらかの繋がりがあったと考えられる。
理屈になっとらんな。葛城は、皇妃を出したが、大きな古墳を作っているぞ。
そもそも、葛城や吉備は、皇別だから繋がりまくりなんだよ。
繋がりまくりの葛城や吉備が作れて、息長が作れない理由を示せよ。

>可能性の問題だよ。いくら遺跡が発掘されたって、当時どういう情勢
>だったなどという証拠にはならないし、文献的には記紀以外は廃棄
>されているので可能性しか語れない。
学問の世界ではある仮説を立てるには何らかの根拠が必要。
君の感想文なんて意味ないの。

>物部麁鹿火が磐井の乱に行っていることから、物部氏となんらかの
>つながりがあったとしても不思議ではない。
また、妄想か。物部と息長のつながりの証拠を出せ。

>また、蘇我氏が継体天皇以降に急速に勢力を伸ばしてくることから、何らかの繋がりがあっても
>おかしくない。
同上。
302日本@名無史さん:04/08/01 09:54
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303日本@名無史さん:04/08/01 09:55
神武天皇というより欠史8代の問題ってのは、簡単に言うと、

@大昔に小林秀雄、都出比呂史などの考古学者がアプリオリに
 古墳時代は4世紀に始まる、と仮定。よって文献も崇神=初代
 倭王と同調。

 しかし、月日が経ち、

A纏向遺跡の年代から倭王権形成の時期が2世紀終末〜3世紀初頭
 と大幅に繰り上がる。
Aこのため、実在が予測されていた崇神天皇の前に数人の大王の存在
 が確実視。一部の学者が唱えるように仮に箸中山古墳が崇神陵であ
 るとしても纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、ホケノ山古墳?
 が王墓と想定。削平されたまたは不明のものを入れるともう少しある
 可能性。

と考古学の方は進歩したが、文献の方が検討が止まってしまってるということだね。
ことだわな。まあ、考古でも箸中山=最初の前方古墳説を死守するのもいるけどね。 


304日本@名無史さん:04/08/01 09:57
横レスだけど、確かにここのレベルでは学問にはなってないかもね
津田が正しいとか正しくないとかそれ以前の問題だと思われ


305日本@名無史さん:04/08/01 09:59
山野氏が世界史板に移動するはずだ。
保守反動の皇国史観相手の議論は意味がない。
306日本@名無史さん:04/08/01 10:49
>>301
>葛城は、皇妃を出したが、大きな古墳を作っているぞ。
>そもそも、葛城や吉備は、皇別だから繋がりまくりなんだよ。

それは時代によって違うでしょ?
なんもかんも、ごっちゃにして論ずるのはおかしい。

>また、妄想か。物部と息長のつながりの証拠を出せ。

記紀に書いてあることが妄想だとでも?
継体朝において、物部氏と蘇我氏が有力豪族となった背景を考えれば、
継体天皇の即位となんらか関係あったと考えても不思議ではない。
結果から原因を推測するのは、けして妄想ではない。

>学問の世界ではある仮説を立てるには何らかの根拠が必要。

文献は証拠にならないのか?

307日本@名無史さん:04/08/01 11:28
>>301は何か勘違いしているようだが、応神五世孫の継体天皇が即位できたことが
そもそも異常事態なんだが。
>>301の論法で行くと、継体天皇の即位自体否定できそうだな。
「古墳が小さい近江の皇族が即位できるわけがない。
そもそも、応神五世孫なんていう血縁関係の薄い者が天皇になれるわけがない」ってか?w
308日本@名無史さん:04/08/01 11:51
>>307
確かに。
>>301はいったい何を否定したがっているんだか良く分からん。
309日本@名無史さん:04/08/01 12:02
応神天皇と血縁関係だった者は、多分数多くいただろうし、
継体天皇より血縁関係が近いものは何人か(何十人か?)
いたに違いない。
にもかかわらず、継体天皇が即位できたのはなんらか政治的
な背景があったと考えるのは妥当である。
息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長氏出身であることから、
息長氏出身の継体天皇が即位できても不思議ではない。

310日本@名無史さん:04/08/01 12:16
>>309
わかった。
>>301は「神功皇后は架空なので、息長氏と応神朝は関係ない。」
ということを主張したいんじゃないかな?

311日本@名無史さん:04/08/01 12:40
なんだかよくわからねえ話だが
俺の頭が悪いのか?
俺には神武天皇と関係ない話がつづいてるようにしか見えない。
312日本@名無史さん:04/08/01 12:42
>>310
いや、それはうがちすぎで、>>286を否定されたんで、
ムキになってるだけじゃないの?
人間は感情の動物だからねえ。(笑)
313日本@名無史さん:04/08/01 12:43
なんとやら学説だかなんだか
しらねえがこのスレは
純粋に神武天皇の存在を探求する
雄大な古代ロマンのスレだ。
ちまちましたウヨサヨ議論ならレスつかないほうがマシだから
よそ行きやがれ。
314日本@名無史さん:04/08/01 13:08
誰だよ山野って。
長いことこの板いるがしらねえぞ。
315天之御名無主:04/08/01 14:04
純粋に神武天皇の存在を探求する雄大な古代ロマンのスレってのはいい言葉だなー。
神武は古墳の痕跡はないが太陽崇拝のように山中行軍をするし、鏡を思わせるヤタガラ
ス、鬼道を思わせる錬丹術、鳥のシンボル等と九州と近畿を結ぶ東遷等邪馬台国建設
直前の状況を物語っている。多分神武の後継者がその事業を継承して箸墓建設に進む
ことになるのだろうが、神武記は相当抜けているところがある。関門海峡を岡のミナトに
進むところがあるが、この辺が重大である。この辺でピッチャー交代で、天日槍、アカルヒメ
的な東遷があったのではないかな。大和の方面も相当複雑で長髄彦だけではなかったと
思うんだけど。
316日本@名無史さん:04/08/01 14:53
>>315
>鏡を思わせるヤタガラス

ヤタガラスは古事記によれば人名で子孫まで記載されていますが。
サッカーのWCで「3本足の神話上の動物」とか解説していて、
ビックリしたけど。

>鬼道を思わせる錬丹術

具体的に何を指してるんですか?
317日本@名無史さん:04/08/01 14:59
たとえば、

(蘇我の)馬子は名前からして、神話上の馬のことである。

とか書いてあったら、おかしいと思わないか?
318日本@名無史さん:04/08/01 15:07
某電波本で

欠史八代の天皇は妖精の名前

とか言うのを読んで、大笑いしたけどね。
319日本@名無史さん:04/08/01 17:04
神武記が抜けている部分があるのは
やむをえない。
記紀編纂時にすでに伝説として
口承で伝えられてきたのだから。
320日本@名無史さん:04/08/01 18:11
なんでやねん。
帝記は無視かよ。

ほんと電波ばっかりだな。
321日本@名無史さん:04/08/01 18:11
旧辞記だろ
322日本@名無史さん:04/08/01 21:56
今の神武天皇陵って、いわゆる「神武田」を埋めちゃったんだっけ?
他にも候補地があったはずだが。
323天之御名無主:04/08/01 22:09
神武の練丹術とは丹生川の川上で御神酒瓶を作り川魚を毒殺して占いをしている
こと。他にも多くの怪しげな術を使っておりシャーマンであったことには間違いはないと
思われる。
324日本@名無史さん:04/08/01 22:22
>>323
その、他にも多くの怪しげな術(=妖術?)っていうのはどんなん?
2つ、3つ教えて〜?
325日本@名無史さん:04/08/01 22:22
大体、日本語は韓国(大韓民国)の昔、当時は高句麗、新羅、白村江、任那と言った
から来た言葉が殆んど
やまと言葉は朝鮮半島の言葉から8割方できている、これは根拠のない私の空論ですが
326ゴジンム:04/08/01 22:23
PuPu??
327日本@名無史さん:04/08/01 22:28
やたがらす、とは八咫鴉(烏)
やたの鏡、と同じ八咫の鏡
328日本@名無史さん:04/08/01 22:29
>>326 ぷぷ、とは
329日本@名無史さん:04/08/01 22:51
もともと新羅は倭人の国だろ?
半島人の春秋に国を奪われた
330日本@名無史さん:04/08/01 23:33
妖精?どんな御名だったのかなあ? 奇説珍説跋扈か〜?
331日本@名無史さん:04/08/01 23:38
>>316
>>ヤタガラスは古事記によれば人名で子孫まで記載されていますが。

古事記じゃなくて、日本書紀だろ?

葛野主殿県主(かどののとのもりのあがたぬし)が八咫烏の子孫。
332日本@名無史さん:04/08/02 00:38
>>331

それってカモ氏?カモ氏の先祖って八咫烏だよね?
333日本@名無史さん:04/08/02 00:54
>>332
そうみたいだな。

賀茂探求(23)熊野と賀茂の神
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo23.htm
334日本@名無史さん:04/08/02 01:00
かもにインコック鶏姦のお話ですか
335日本@名無史さん:04/08/02 03:28
文献史学と考古学いずれもが
神武実在の証明をあきらめてる
336日本@名無史さん:04/08/02 03:29
普通に言えばそうだな。
337日本@名無史さん:04/08/02 04:10
神武天皇陵の場所に元々あった土まんじゅうに、一族長イワレヒコが眠っていたりして。
338天之御名無主:04/08/02 06:04
神武の妖術---水を使わずに多くの平たい土器にいっぱいの飴を作る、ヤタガラス
を飛ばす。
(カラスはオウムと同様、人語を覚える。)
339日本@名無史さん:04/08/02 07:12
神武はこれ!マジシャンか?
340天之御名無主:04/08/02 07:45
神武の別名ヒコホホデミを英語訳してみる。
Sun Child & Mountainpeak Rising Sun Watcherということで指導的シャーマンであること
が読み取れる。在地性の強いもので土地が変わると慣れるまでに年月を要する職業だろ
う。
341>306:04/08/02 22:36
>葛城は、皇妃を出したが、大きな古墳を作っているぞ。
>そもそも、葛城や吉備は、皇別だから繋がりまくりなんだよ。
>それは時代によって違うでしょ?
>なんもかんも、ごっちゃにして論ずるのはおかしい。
>また、妄想か。物部と息長のつながりの証拠を出せ。
>記紀に書いてあることが妄想だとでも?

おい、嘘つくなよ。
記紀には、即位前に息長と蘇我や物部が関係があったなんてことは書いていない。

>継体朝において、物部氏と蘇我氏が有力豪族となった背景を考えれば、
>継体天皇の即位となんらか関係あったと考えても不思議ではない。
>結果から原因を推測するのは、けして妄想ではない。

そら。お前の単なる妄想。

>学問の世界ではある仮説を立てるには何らかの根拠が必要。
>文献は証拠にならないのか?
継体が「新王朝」だって書いているのかよ?書いてないよな。

342日本@名無史さん:04/08/02 22:45
神武天皇や東征伝承をそのまま信じている人って、いるんだね。
応神が九州に縁のある大王であるのは認めるけど。


343日本@名無史さん:04/08/02 22:47
いくらでもいるんじゃないんだすか?
344>322:04/08/02 22:48
3つ候補の中から今のにきめちゃったとさ。

345>343:04/08/02 22:51
だって尋常小学校出身ならともかく何で今の人がそんなの信じるんですか?
神武天皇ってヤタガラスとか海彦・山彦の人でしょ。
346日本@名無史さん:04/08/02 22:52
>>341
感情的な反論に答える気になれないなあ。

ところで、質問。

・継体は実在すると思っているの?

・応神五世孫の継体はなぜ天皇になれたか?

・神宮皇后は実在するのか?

これに答えろよ。
347日本@名無史さん:04/08/02 22:53
>>345
日本書紀も読んだことないのか?
348>309:04/08/02 23:01
>息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長氏出身であることから、
>息長氏出身の継体天皇が即位できても不思議ではない。
あの、一応言っておくと、息長氏は、応神天皇の皇子である若野毛二俣王の子である意富富杵王
を祖とする氏族の一つです(記)。なので、仲哀の后である神功皇后とは、関係ありません。
名前が同じだからそういうことを主張する人もいるようですが、少数説ですね。

349>347:04/08/02 23:05
だって日本書記って単なる伝説でしょ。旧約聖書を史実だって言い張るようなもんでしょ。
あなたバベルの塔が本当にあったと思ってるの。
350日本@名無史さん:04/08/02 23:06
>>345
>>神武天皇ってヤタガラスとか海彦・山彦の人でしょ。

海彦・山彦は神武記にはでてこないが。
351日本@名無史さん:04/08/02 23:07
伝説でなくかなり精度の高い歴史書
352日本@名無史さん:04/08/02 23:07
>>349
朝鮮学校ではそう教わっているんですか?w
天智も天武も伝説だと。
353>346:04/08/02 23:11
神武天皇と関係ない話すんなよ。やりたきゃ他でやれよ。
354>352:04/08/02 23:13
すぐ朝鮮朝鮮っていう悪い癖はやめようよ。
神武天皇が架空の存在だというのは定説でしょ。
朝日新聞にもかいてあっったよ。
355ゴジンム:04/08/02 23:15
Pu!
356日本@名無史さん:04/08/02 23:15
>>朝日新聞にもかいてあっったよ。

釣り決定
357>356:04/08/02 23:19
違うよ。朝日新聞にこう書いてあったわけ。
「新しい教科書を作る会の教科書には天皇が124代と書いている。これは
 ウソだ。この中には架空の天皇がいる・・・」ってね。朝日って大新聞だろ。
 ネットとか辞書で検索してみても 同じように架空っていう解説が多いのさ。

358日本@名無史さん:04/08/02 23:21
餌が粗悪すぎるな。
359>348:04/08/02 23:23
名前は同じという以外に共通点のないミマキイリヒコ=ミマナ渡来王並のおもしろい電波説だね。
360346:04/08/02 23:24
神宮皇后じゃなくて神功皇后ね。
>>341 のご高説を伺いたいですな。
361日本@名無史さん:04/08/02 23:28
>>359
何が言いたいか分からんが、任那はミマキイリヒコの名前から取ったということは
日本書紀に書いてあるが。
362>358:04/08/02 23:29
餌じゃないよ。あんたも検索してみなよ。

これとかさ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A0%E5%8F%B2%E5%85%AB%E4%BB%A3
363>361:04/08/02 23:33
違う違う。江上は、それをさかさまに解釈して名前が同じなので逆に崇神天皇は
ミマナからの騎馬民族渡来者と主張したわけ。
364日本@名無史さん:04/08/02 23:35
>>363
そんなことは知ってるが。
考古学的にとっくに否定されているだろ?
365日本@名無史さん:04/08/02 23:35
欠史八代

そもそもこれらの八代の天皇については、中国の革命思想
(辛酉革命)に合わせるために天皇家のルーツがかなり古い
ところにあると思わせるべく、系譜上の天皇を偽作したため
生まれたという説が有力である。
366日本@名無史さん:04/08/02 23:38
>>365
それなら、もっとふやしてるよ。8つくらいじゃあんまり意味ない。
367狭野:04/08/02 23:39
その通り。
神武天皇と崇神天皇に事跡が吸収されたんだよ。
368日本@名無史さん:04/08/02 23:41
>>365
それは有力説とはちがいます。

そもそも、辛酉革命に合わせるために系譜上の天皇を偽作したのならば、
あのように無茶な年齢構成にしなくても、
8代ではなく間を16代にすれば無理なくもっともらしく偽作できるはずです。

最近の有力な説は、8代というのはなんらか実際に伝承があったものであろうが、
辛酉革命に合わせるために在位年数や年齢を引き延ばした、というものです。

そのうえで、その8代は単なる1豪族時代だった時の伝承先祖という説と、
すでに8代のときには何らかの勢力を確保していたという説で、わかれています。
369日本@名無史さん:04/08/02 23:42
勘違いしないでよ。江上信者じゃないよ。名前が同じだけで短絡
する発想がなんかなあとおもっただけ。
370日本@名無史さん:04/08/02 23:55
284 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/07/31 14:27
津田学説というのは、終戦直後という特殊な時代において、
政治的に受け入れられたのであって、文献的にも考古学的
にも疑問点だらけ。
今の時代の人間が見れば、ただの電波にしか見えないのも
無理はない。
371日本@名無史さん:04/08/02 23:59
10人程度でいいのではないですかね。前に誰かが列挙したものに年代を付けると、

(現崇神陵以前の大王墓)
@纒向石塚古墳(庄内1)
A勝山古墳(庄内2?)
B矢塚古墳(庄内3)
C東田大塚古墳(布留0)
Dホケノ山古墳(布留0?)
E箸中山古墳(布留0)
F外山茶臼山古墳(布留1)
G西殿塚古墳(布留1?)
Hメスリ山古墳(布留2)
*年代は、伊達、橋本等による。

という感じでしょうか。まあ、こういのもいますので確定ではないですけど。
(大王墓かも?)
中山大塚、下池山、黒塚、東殿塚、メクリ山1号?
372日本@名無史さん:04/08/03 00:04
>息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長氏出身であることから、
>息長氏出身の継体天皇が即位できても不思議ではない。

アホ丸出し。津田史観ってこんな奴ばっかなの。
373日本@名無史さん:04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
374日本@名無史さん:04/08/03 00:07
それはバベルじゃない。
ジックラド。

アホ乙。
375狭野:04/08/03 00:08
神武帝から崇神帝まで、10代638年。
この時代、1代=1世なので、1世平均63.8年。
これは1世30年が、1年2歳で2倍に伸びたと言うことじゃないか?
376日本@名無史さん:04/08/03 00:08
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
377日本@名無史さん:04/08/03 00:08
>368
でもそう書いてあるよ。確かに左翼かもしれないけど一流新聞である
朝日新聞も言ってるじゃん。一般にはそう信じられてることは確かなんじゃない。
東大とかの学者達はなんて言っているのよ。

378狭野:04/08/03 00:09
>>377
それが即ち津田説。
379日本@名無史さん:04/08/03 00:10
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
373 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/03 00:06
>>349

おい、バベルの塔は実在してるぞw
基盤跡が実際に発掘されている
380日本@名無史さん:04/08/03 00:10
でもそれはモデルになったらしい塔があるってだけでしょ。
神の怒りで壊されたなんてあなた信じているの。
381狭野:04/08/03 00:11
少なくとも日本には無いので、この話はこれまで。
382日本@名無史さん:04/08/03 00:12
>>374

「ジックラド」ではない。「ジグラット」。

アホ乙。

383日本@名無史さん:04/08/03 00:12
まあ確かにはっきりした証拠が無いことの証拠を出せと言う方がおかしいわなw
はっきりとした証拠があるなら、証拠がある方が出すのが筋だろうしな。

384日本@名無史さん:04/08/03 00:14
>>382
訳の違いだな。
アホ乙。
385日本@名無史さん:04/08/03 00:15
7/20 うっっ!はっっ!辰輝です。 テスト帰ってきました。 っと言うことで、
試験結果発表(カラフルに! 高い順に発表でしゅ! 1位!世界史・・・97
点(ジックラトをジックラドと書いてしまい-3点・・・泣)
386日本@名無史さん:04/08/03 00:16
横レスマジレスだが、古い訳ではジックラドだね
懐かしい響きではある
387日本@名無史さん:04/08/03 00:20
>>386
ベニスベネチアの違いみたいなもん。
どちらでもよいが今ではジクラットもしくはジックラトが主流か。

>>377
新聞は新説を先走って書くからちょっといただけない。
朝日は産経よりは古代史はマシだが。
388>372:04/08/03 00:22
>>息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長氏出身であることから、
>>息長氏出身の継体天皇が即位できても不思議ではない。

>アホ丸出し。津田史観ってこんな奴ばっかなの。

アホ以外津田史観を信じることはできません。
389日本@名無史さん:04/08/03 00:24
>>388
そうなのか?
正確に言うと津田説じゃないかもしれないが、
神功皇后は架空というのが定説じゃないの?
390日本@名無史さん:04/08/03 00:27
普通は神功皇后は架空とされてるよな。
391日本@名無史さん:04/08/03 00:27
>>388
分かりにくくてごめん。
つまり、神功皇后の実在を前提とした、

>>息長氏は応神天皇の母(神功皇后)は息長氏出身であることから、
>>息長氏出身の継体天皇が即位できても不思議ではない。

これは津田説と違うんじゃないの?
392日本@名無史さん:04/08/03 00:28
つーか応神の家系じたいが怪しい。
親父もなんかあやふやだし。
393日本@名無史さん:04/08/03 00:31
昔の話なら、直木孝次郎の応神、仁徳実は1人だった説なんてのもある。
後、文献学者の最高傑作は井上光貞の
「クナ国は、騎馬民族で、その王である応神が東遷し、河内王朝説を樹立」
ってのがある。これ今読むと凄いよね。古田、安本なんて目じゃないっすよ。

文献の連中って記紀は8世紀の捏造とか言うけど、自分が捏造しちゃうんだよね。
394狭野:04/08/03 00:34
津田説及びその後継説が、長い間定説扱いされてきたことは事実。
本当は「主流」と言うべきだが。
しかしその実態は、「始馭天下之天皇」と「御肇國天皇」という全然別の言葉を、
「ハツクニシラス」で同じだなどと、子供でもわかる出鱈目を平気で言う連中だった。
395>391:04/08/03 00:50
代表的な津田一派(というのかしらんが)直木孝次郎は、
崇神、応神(実は仁徳だった(驚)のみ実在で神功は
当然に架空としとるな。息長真人なら神功(実在かしらんが)
とは関係ないんじゃないの。津田信者というより単に無知な
だけだろ。
396日本@名無史さん:04/08/03 00:55
それもすげえ飛躍した話だよな。
でもさあ、戦後すぐから、崇神陵の前に西殿塚、箸墓、茶臼山、メスリ山
くらいはわかってたんだよね。古墳見りゃウソってわかるじゃんって世界だよね。
397日本@名無史さん:04/08/03 00:56
>>374

「ジックラド」ではない。「ジグラット」。

アホ乙。



398日本@名無史さん:04/08/03 00:59
>>397

>>386
>>387

頑張れ。
399日本@名無史さん:04/08/03 01:00
>394
「皇国史観教科書」の強制が開始されようとする今、皇国史観を完膚
無きまで粉砕した津田学説の意義はますます見直されようとしている。
虚妄とねつ造に満ちたの日本神話をファシズムに利用させてはならない。
津田史観を発展させ、アジア人民と連帯のもと真の人民による歴史の解明
を進めるべきです。


400日本@名無史さん:04/08/03 01:03
幕末偉人スレ、戦国偉人スレ、天皇スレ、太平洋戦争スレ…
日本史板なのにこんなのばっかりじゃ人も逃げるでしょうなあ

院政期や鎌倉仏教をしっぽり語れるみたいなスレもないと、コテハンは逃げたままでしょうなあ…
どうでもいいけどさ

401日本@名無史さん:04/08/03 01:03
同意
402狭野:04/08/03 01:05
>>400
ぜひ立てて下さい。
403日本@名無史さん:04/08/03 01:09
山野氏が逃げるはずだ。
404日本@名無史さん:04/08/03 01:11
山野氏も立てて欲しいって言ってたよ。
非難先の世界史板でだけどね。
中世が完全に抜けてるのが駄目駄目で、日本史板はアホばっかりなんだそうだ。
405日本@名無史さん:04/08/03 01:14
神武天皇、神宮皇后たー懐かしいね。それゆけ戦時中スレッド。
406>346:04/08/03 01:18
おい、くだらないこと言ってないで、早く、以下に答えろよ。

>葛城は、皇妃を出したが、大きな古墳を作っているぞ。
>そもそも、葛城や吉備は、皇別だから繋がりまくりなんだよ。
>それは時代によって違うでしょ?
>なんもかんも、ごっちゃにして論ずるのはおかしい。
>また、妄想か。物部と息長のつながりの証拠を出せ。
>記紀に書いてあることが妄想だとでも?

おい、嘘つくなよ。
記紀には、即位前に息長と蘇我や物部が関係があったなんてことは書いていない。

>継体朝において、物部氏と蘇我氏が有力豪族となった背景を考えれば、
>継体天皇の即位となんらか関係あったと考えても不思議ではない。
>結果から原因を推測するのは、けして妄想ではない。

そら。お前の単なる妄想。

>学問の世界ではある仮説を立てるには何らかの根拠が必要。
>文献は証拠にならないのか?
継体が「新王朝」だって書いているのかよ?書いてないよな。

407>404:04/08/03 01:29
創価学会員に説得は意味なし。
408日本@名無史さん:04/08/03 21:36
10人程度でいいのではないですかね。前に誰かが列挙したものに年代を付けると、

(現崇神陵以前の大王墓)
@纒向石塚古墳(庄内1)
A勝山古墳(庄内2?)
B矢塚古墳(庄内3)
C東田大塚古墳(布留0)
Dホケノ山古墳(布留0?)
E箸中山古墳(布留0)
F外山茶臼山古墳(布留1)
G西殿塚古墳(布留1?)
Hメスリ山古墳(布留2)
*年代は、伊達、橋本等による。

という感じでしょうか。まあ、こういのもいますので確定ではないですけど。
(大王墓かも?)
中山大塚、下池山、黒塚、東殿塚、メクリ山1号?


409>379:04/08/03 21:48
それは、新バビロニアのマルドック神殿付属のジッグラドで、そんなに
古いもんじゃないです。
410>354:04/08/03 21:55
江上先生は考古学者ですが、何か。
奥野正男先生も考古学者ですが、何か。
411>410:04/08/03 21:59
最近発見されたマカバ山もあるな。
412>391:04/08/03 22:14
津田は、神功皇后非実在説だね、当然。
それから神功皇后は開化帝の子孫で、応神帝の子孫である継体帝の先祖とは関係ないよ。
(開化ー彦座王ー山代之大筒木真若王ー迦邇米雷王ー息長宿禰王ー息長足姫)
息長という名前がついた皇族は、他にも何人もいて(舒明帝とかね)、これも実在が疑わしい
倭武系でもいるわな。
(倭建命―息長田別王―河派仲彦―弟媛(息長真若中比売))

こんなの古代史イロハの初歩中の初歩だよ。山野氏とやらが逃げるはずだわな。

413これが津田史観です:04/08/03 22:21
(前提)
記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。

1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
 がない。

2.河内王朝説(主に水野)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上は景行のみ実在を肯定)。
 崇神の王朝とは、血統が断絶。
3.継体新王朝説(井上は否定。)
・記紀に5代の間の系図がない。
・5代というのは後世の皇族の範囲を元に設定した。
・即位後都が奈良外に置かれたのは新王朝に対する畿内豪族の
 抵抗があったと想定。
414>151:04/08/03 22:25
捏造と言うかほとんどパクリ。

建前では、朝鮮の古い歴史書をまとめて書ということになっていますが、
この書が書かれた12世紀には、すでにそんなものはなくなっていたので、
中国や日本の歴史書から、それらを引用していたとされる(あくまでも
「される」。)部分を逆引用してまとめたもの。

ただし、元ネタがしっかりしていることや、これをまとめた金富軾
(キムブシク)は、親中国派だったということで、朝鮮人に特有な
誇大妄想狂的な内容にはなっていないので、歴史書としての価値はある。


415日本@名無史さん:04/08/04 00:09
>>406
>>346はどうした?逃げるのか?w

この人「朝生」に出てた「聖徳太子って知ってるか?」って聞かれて切れた奴か?w
>>346じゃ質問多い?じゃあ、一つに絞るよ。

武烈と血縁関係の薄い応神五世孫の継体は、なぜ天皇になれたの?




416日本@名無史さん:04/08/04 01:01
>応神帝の子孫である継体帝の先祖とは関係ないよ。

応神〜継体間の系譜は不明です。
記紀でさえ採用しなかった、上宮記逸文の系譜は信用できない。
417狭野:04/08/04 21:11
上宮記逸文の用字法は古く、記紀が採用しなかったからと言って信用できないとはいえない。
418>416:04/08/04 22:50
そりゃそうだけどさあ、神功皇后息長真人説は笑っちゃうよね。
アホにも限度があるよな。これって例の古田某かなんかの新しい珍説なのかね?
419これが津田史観だ:04/08/04 22:56
このスレッドのアホの珍説も追加しました。

(前提)
記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。

1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
 がない。

2.河内王朝説(主に水野)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上は景行のみ実在を肯定)。
 崇神の王朝とは、血統が断絶。
3.継体新王朝説(井上は否定。)
・記紀に5代の間の系図がない。
・5代というのは後世の皇族の範囲を元に設定した。
・即位後都が奈良外に置かれたのは新王朝に対する畿内豪族の
 抵抗があったと想定。
・実は、神功皇后は、息長真人氏出身だった(このスレッドのアホ一匹が主張)

420日本@名無史さん:04/08/04 23:03
記紀自体が正当性を捏造するために編纂されたんだから。
421>418:04/08/04 23:24
蘇我氏在日説並のデムパ説だな。
422>416:04/08/04 23:28
書記は系図一巻(散逸して現存せず)というのが別にあるので全部の系図を
載せているわけではありません。
423日本@名無史さん:04/08/04 23:37

天皇在日説=江上
蘇我在日説=門脇
全部在日説=小林恵子(w
424>421:04/08/04 23:48
葛城在日説もあったぞ。名前忘れたけど。
文献家って言ったもん勝ちの世界だね。
425>415:04/08/04 23:53
天皇じゃないが徳川慶喜はもっと遠いけど。
426日本@名無史さん:04/08/04 23:55
平清盛は桓武の五代孫だが
427日本@名無史さん:04/08/05 00:00
大正天皇に子供ができなかったら、南朝系に行って20世代くらい
飛んでたよな。こんど旧宮家復活だとそうなっちゃうかね。
マジで足利義満と後小松天皇より離れてんじゃん。
428日本@名無史さん:04/08/05 00:07
光仁も天智の3世孫。いなくなったらしょうがない。
429日本@名無史さん:04/08/05 00:21
412 :>391 :04/08/03 22:14
津田は、神功皇后非実在説だね、当然。
それから神功皇后は開化帝の子孫で、応神帝の子孫である継体帝の先祖とは関係ないよ。
(開化ー彦座王ー山代之大筒木真若王ー迦邇米雷王ー息長宿禰王ー息長足姫)
息長という名前がついた皇族は、他にも何人もいて(舒明帝とかね)、これも実在が疑わしい
倭武系でもいるわな。
(倭建命―息長田別王―河派仲彦―弟媛(息長真若中比売))

こんなの古代史イロハの初歩中の初歩だよ。山野氏とやらが逃げるはずだわな。



430日本@名無史さん:04/08/05 00:57
暴れん坊将軍も5世孫か?たしか尾張の4世孫に競り勝ったよね。
431日本@名無史さん:04/08/05 22:31
蘇我は 孝元ー彦太忍信ー屋主忍男武雄心ー武内宿禰
の後裔氏族を称し、葛城・波多・紀・許勢・平群と同族と称していた。
葛城は安康事件で円大臣が誅殺され没落。平群は武烈時代に真鳥大臣が誅殺され没落したため、
継体当時は許勢と蘇我が大臣格として台頭し、蘇我が他を圧倒していった。いうならば藤原氏に
於ける南・北・式・京各家の中で南・式・京が没落し、北家が他を圧倒していった様とよく似て
いる。(紀は細々ながら存続し、平安期においても下級公家として命脈を保つ)

蘇我氏自体は、
石川ー満智ー韓子ー高麗ー稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿 とされているが、満智は「古語拾遺」にお
いて「検校三蔵」とされており、大王家の財政を担当したことが窺えるが、当時はなお葛城・平
群の下風に立っていたと思われる。 また韓子は征新羅将軍として陣没したとされており、この
頃から特に渡来人系を勢力下に取り入れたものと思われる。

なお、「満智」が漢風名であること、百済の名門貴族で不祥事によって倭国に亡命したかもしれ
ない「木満致」と同じ「マンチ」であること、その子が「韓子」「高麗」という名をもつこと、
等からこれを同一人であるとする他愛ない語呂合わせが「蘇我渡来人説」の基礎となっている。

もとより、当時は入質している百済王子やその子孫、秦や漢の子孫を称する渡来人、さらには高
麗工人等の様々な渡来人が存在しており、ある意味では日本の戦後に韓国系・北朝鮮系・中国系
・台湾系。。。が存在していたと同様の状況ににある。
この様な情勢下にあって、韓国系亡命者が在日外国人を統轄することは、到底有り得ないが、同
様に当時においても百済の亡命貴族がこれらを統轄し得たとは、まず考え難いのではないか。


432日本@名無史さん:04/08/05 22:32
「古語拾遺」は平城天皇 大同2(807)年に、天太玉命の子孫と称する斎部広成が著したもので、
もともと同格であった天児屋根命の子孫中臣氏(鎌足系統は藤原氏に改姓)が祭祀を独占している
ことに抗議したもの。従って過去の両氏の伝統・関係を神話時代から記述しており、記紀とは若干
異なる部分もあるが、蘇我氏については雄略紀に次の記事がある。
「此れより後、諸国の貢調、歳年に盈ち溢れき。更に大蔵を立てて、蘇我麻智宿禰をして三蔵(斎
蔵・内蔵・大蔵)を検校しめ、秦氏をして其の物を出納せしめ、東西の文氏をして、其の簿を勘へ
録さしむ。。。」
ここでは書紀履中紀の「満智」ではなく、「麻智」としている。こういった漢字表記の相違は、古
代には随処に見られることであり、洒落た漢風名というより、単に「マチ」という名を書紀が「満
智」と漢字で表したに過ぎないと思われる。あるいはこの記事に見られるように渡来系人を傘下に
おさめていたことから、彼自身がこういった漢風表現にしていたかも知れないが。(続く)


433日本@名無史さん:04/08/05 22:33
「木(羅)満致」は三国史記では、倭武王上表(478年)の3年前、蓋鹵王21(475)年に百済
が高句麗に敗れ、熊津に遷都した時に随伴したと言う記事があるが、その後は不明となっている。
書紀では、応神紀25年に、
「百済の直支王薨りぬ。即ち子久爾辛立ちて王となる。王年幼し。木満致、国政を執る。王の母
と相婬けて多いに無礼。天皇聞しめして召す」
とあり、応神25年は294年(明らかなデタラメ)であるが、久爾辛王の即位は420年と思われ、
この記事はほぼ倭王讃から珍(仁徳?履中?)の時代にあたる。もとより年代的には疑問がある
が、三国史記を基礎とすれば「420年代に倭国に召喚された木満致が、珍時代に蘇我満智として
倭国で国政に関与し、その後帰国してから百済で蓋鹵王に仕えて475年に熊津遷都に随伴し、そ
の後再び武時代に倭国に渡来して蘇我氏の祖となった?」
何だかわけが分からんことになる。。。特に同一人とすべき根拠もなく、明らかに別人と見る
べきだろう。


434日本@名無史さん:04/08/05 22:34
神武天皇は壬申の乱以降、明治になって橿原神宮が創建されるまで
祀られていない。
435日本@名無史さん:04/08/05 22:44
こういうのもあんぞ。チョンだけど。

新羅第21代 宣徳王(在位780〜785)
初代の10世孫。母は17代の娘。
前王を殺した反乱者を倒し即位。

新羅第22代 元聖王(在位785〜799)
初代の12世孫で、先代の盟友。
前王の後継者がいなかったため群臣に推戴されて即位。



436日本@名無史さん:04/08/05 22:50
なぜ朝鮮人を差別するのかわからない。外国人なのに。
437津田信者マトリックス:04/08/05 23:11
(前提)
記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。
1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
 がない。
・ミマキイリヒコは、任那出身の騎馬民族だった(江上)

2.河内王朝説(主に水野)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上は景行のみ実在を肯定)。
 崇神の王朝とは、血統が断絶。
・クナ国は、騎馬民族で、その王である応神が東遷し、河内王朝説を樹立(井上)
3.継体新王朝説(井上は否定。)
・記紀に5代の間の系図がない。
・5代というのは後世の皇族の範囲を元に設定した。
・即位後都が奈良外に置かれたのは新王朝に対する畿内豪族の
 抵抗があったと想定。
・実は、神功皇后は、息長真人氏出身だった(このスレッドのアホ一匹が主張)

蘇我在日説(門脇)、葛城在日説(某)、全部在日説(小林恵子)
438日本@名無史さん:04/08/06 00:36
話を神武に戻せば、神武の東征は実は、五瀬命を団長とする開拓集団が、
自分たちの国を探しに行ったと解釈することもできるな。
安芸国7年、吉備国に8年もいたのは、準備期間として長すぎるので、
最初から畿内に行くつもりだったのか疑問。

こういうところが、リアリティがあって、どうも架空と思えない。
439日本@名無史さん:04/08/06 00:51
おもえないんだ
440日本@名無史さん:04/08/06 01:03
古事記の東征は書紀の継体の遷都と重なるものがあるな
441日本@名無史さん:04/08/06 08:25
>>440
ねえよ。出発点が違う。
442>441:04/08/06 22:08
いや、それも例のデムパ直木孝次郎が言ってたぞ。
それに壬申の乱=神武東征の経路説を唱えていたな。
マジで。
443日本@名無史さん:04/08/06 23:13
神武天皇なる者を実在したと断定した上で話を進めても無意味ではないか。
444日本@名無史さん:04/08/07 01:30
最初の大王=神武とするなら
いたに決まってるだろう。
事績の内容は別だ。
445日本@名無史さん:04/08/07 01:33
それなりな人物はいたのでは?
446日本@名無史さん:04/08/07 01:51
日本武尊はいかにも伝説的なんだが、神武東征はリアリティがあるんだよな。
447日本@名無史さん:04/08/07 02:16
神武は東征の途中、安芸で死んだ。
448日本@名無史さん:04/08/07 02:32
神武なんて存在しなかったのに(プ
449日本@名無史さん:04/08/07 08:58
誰も神武そのものの実在など言ってないが?(w
450日本@名無史さん:04/08/07 10:53
神武東征という言葉自体、おかしいんだよな。
実際は、五瀬命が畿内に侵入して、若御毛沼命(狭野命)はついていっただけ。
五瀬命が死んで、若御毛沼命は指導者になった。
あと、記紀にははっきり書いていないがナガスネヒコには負けたようだな。
日本書紀にはニギハヤヒがナガスネヒコを殺したと書いてある。
451日本@名無史さん:04/08/07 11:18
神武東征については神話・伝説的部分はほとんどない。
上で論じたとおり、ヤタカラスは人の名前。
熊野の神熊の話は、行軍(敗走?)中に単に熊に出会ったという話。
唯一、金色の鳶の伝説があるが、これは日本書紀のみにあり、
古事記に無いので、後世付加されたものと思われる。
452日本@名無史さん:04/08/07 11:28
古代開祖の大王には伝説が伴うのは当然であり、それをもって架空というのはおかしい。
たとえば、漢の高祖、劉邦には行く先々で瑞雲が見えたという伝説が残っているが、
これをもって劉邦が架空などという説は聞いたことがない。
453日本@名無史さん:04/08/07 11:35
金鵄とヤタカラスって原型は同じモンじゃないの?
454日本@名無史さん:04/08/07 11:41
戦前生まれの人に神武架空と思う人が多いのは、金色の鳶の
伝説が教科書に採用されたからだと思う。
つまり、皇国史観の裏返しだ。
455天之御名無主:04/08/07 13:01
>>金鵄とヤタカラスって原型は同じモンじゃないの?
同じじゃない。トンビってのは空中を飛翔するもので、翼を広げた姿がかっこいい。
三本足のカラスはトルコ族がトルコにまで話を広げている。これは東夷の話と思うん
だけど。インドの学説では三本足とは日の出、天頂、日の入りを表す意味らしい。
神武のトビはトトビモモソとの関係で天下取りをシンボライズしているのじゃないか。
モモソは百磯城から考えると多数の首長に共立された、つまり、ソというのは石の
ことだろう。つまりトトビモモソで飛ぶ鳥の形の国土の、つまり、邪馬台国、と同時に
共立された倭国の女王であるという意味と我輩は勝手に解釈しとるんじゃが。
ついでながら、ヤタガラス、ヤタというのは直径だろう。半径で考えると16の花弁。
これが太陽を象徴したものと思う。ヤタガラスというのはそうした形の鏡に映る太陽、
3本足のカラスのような黒点のある太陽だと思う。
456天之御名無主:04/08/07 13:11
ペルーナスカにも鳥の飛ぶ線を置石で描く遺跡があるが、これは太陽に対する
供物、お慰みのようなものといわれている。アメリカなんてのは縄文時代に人の
いなかった所なんだから、思想的に日本の思想の亜流かもしれない。
457天之御名無主:04/08/07 15:50
神武と大熊、古事記だったか、大熊が仄かに現れてという表現は実にドラマチックな
表現でどこかの劇場でそういうシーンを見ている感じがする。こんな文章を作った人は
現代ならばディズニーなんかから高額でヘッドハントされるんじゃないだろうか。殺された
戸畔は典型的な北東アジアの熊シャーマネスであり、これを殺戮する神武は鳥トーテム
をもつ半島系のシャーマンだったのだと思う。歴史とはなんと残酷ではないか。
458日本@名無史さん:04/08/07 16:10
アホだw
459日本@名無史さん:04/08/07 16:10
神武と大熊、古事記だったか、大熊が仄かに現れてという表現は実にドラマチックな
表現でどこかの劇場でそういうシーンを見ている感じがする。こんな文章を作った人は
現代ならばディズニーなんかから高額でヘッドハントされるんじゃないだろうか。

神武と大熊、古事記だったか、大熊が仄かに現れてという表現は実にドラマチックな
表現でどこかの劇場でそういうシーンを見ている感じがする。こんな文章を作った人は
現代ならばディズニーなんかから高額でヘッドハントされるんじゃないだろうか。

神武と大熊、古事記だったか、大熊が仄かに現れてという表現は実にドラマチックな
表現でどこかの劇場でそういうシーンを見ている感じがする。こんな文章を作った人は
現代ならばディズニーなんかから高額でヘッドハントされるんじゃないだろうか。






( ´,_ゝ`)プッ
460日本@名無史さん:04/08/07 16:11
アニメっつうのが笑えるな
461日本@名無史さん:04/08/07 18:46
いや、もれはTDLのアトラクションを想像したw
神武パレードイイ!
462日本@名無史さん:04/08/07 18:48
たしかにいいかもしれん。
絶対赤字だろうがねw
463狭野:04/08/07 20:49
>>434
> 神武天皇は壬申の乱以降、明治になって橿原神宮が創建されるまで
> 祀られていない。

神武帝を祀る宮崎神宮は、建久8(1197)年、社殿造営の記録がある。
464日本@名無史さん:04/08/07 20:51
ディズニー=アニメとしか思えない奴はアホ
言うまでもないが映画会社を指す
パールハーバーもディズニーだ
アホばっか
465狭野:04/08/07 21:59
東宝の「日本誕生」は、そのタイトルにも拘らず主人公はヤマトタケル。
「日本誕生」と言ったら普通神武東征だろう。
466日本@名無史さん:04/08/07 22:04
スサノヲではないところを突っ込むのではないか?
467狭野:04/08/07 23:12
あれはやっぱり平田篤胤の「ヤマトタケル=スサノヲ説」をヒントにしたのか?
468日本@名無史さん:04/08/07 23:22
そんな高度なことは考えてなかった気ガス。
ヤマタケをスサノヲと同一視することは民間では大昔からされてたから、
わかりやすくしただけだと思われ。

所詮大衆映画。
469日本@名無史さん:04/08/08 01:51
d
470日本@名無史さん:04/08/08 02:03
>>465
>「日本誕生」と言ったら

イザナギ、イザナミだろ?
471日本@名無史さん:04/08/08 02:10
(津田史観の根本テーゼ)
 記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。
1.崇神=初代大王だった(4世紀半)(ほぼ全員の文献史家が主張)
・崇神天皇、任那出身の扶余系騎馬民族の英雄的指導者だった(江上)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名がない。

2.河内王朝説(水野好、直木孝次郎)
・応神天皇と仁徳天皇は、おどろくべきことに実は、同一人物だった(直木孝次郎)
・クナ国は、騎馬民族で、その王である応神が東遷し、河内王朝説を樹立(井上光貞)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上光貞は景行のみ実在を肯定)。
 このため、崇神の王朝とは、血統が断絶。





472日本@名無史さん:04/08/08 09:57
多くの場合、記紀の古代の記述は必ず
眉唾ものであるという前提から入っているが、
記紀の記述を裏付ける
考古学的発見は多くあるが
記紀の記述が捏造である考古学的資料の発見がいままでにあったのだろうか。
473日本@名無史さん:04/08/08 10:04
>>450>>451
ちゃんと原典をよみたまへ。
ナガスネヒコに負けたことは
はっきり書いてある。
たしか、
記には追い討ちをうけた皇軍の兵が
恐怖のあまりくそをもらした話も。

その敗戦から熊野迂回の奇襲作戦に変更
474日本@名無史さん:04/08/08 10:12
>>422
的確なご意見です。
スレ違いですが継体帝
の系譜ははっきりさていることは
いまや常識。

記紀はあくまで捏造とハナから決めてかかる
悪意に満ちた記紀に対する態度を
改めるべきです。
475日本@名無史さん:04/08/08 11:32
>>474
現存しない系図を元に論じてもしょうがないですよ。
不必要なまでに系譜を載せている古事記に系譜が記載されていないこと
を考えれば、信頼すべき系譜が古事記編纂時には残っていなかったと
考えられます。
476日本@名無史さん:04/08/08 11:33
ちょっと?なとこもあるが、概ね同意
普通に考えればかなり怪しい奴ではある
477日本@名無史さん:04/08/08 11:41
>475
>を考えれば、信頼すべき系譜が古事記編纂時には残っていなかったと
>考えられます。
上宮記1伝は、推古朝遺文が定説。
古事記より古いわけでね。こんな初歩的なことだよ。
山野氏が逃げるはずだね。
478日本@名無史さん:04/08/08 11:58
>>477
「上宮記逸文」の系譜を古事記編者(太安麻呂)が
信用していなかったか、知らなかったんでしょうね。
いずれにせよ、「上宮記逸文」が古いから絶対的に
信頼できるかというとそうは思わない。
479日本@名無史さん:04/08/08 12:08
神武天皇に依存しないと日本を語れない情けない奴らは滅びろ!!
480日本@名無史さん:04/08/08 14:40
誰も依存してないだろ
文盲か?
481日本@名無史さん:04/08/08 14:55
携帯帝については
スレ違いだが上に他の人も書いているとおり、
釈日本紀に詳細な系譜が引用されており
その信憑性は高いと見られている。
それすら怪しいという意見は根拠なく
日本の古い記録は全部インチキという
悪意に満ちた見解からのもので
相手にする必要はない。
482日本@名無史さん:04/08/08 15:07
神武天皇捏造説は
いずれもたしかな根拠にかける推測ばかりである。

記紀編纂時、すでに 大昔の話となっていた
この話がそれでもかなりの具体性をもって語られている事実をみても、
この話が捏造されたものでなく
先祖に関する伝説として語り継がれてきたものを採用したものとみるべきではなかろうか。
483日本@名無史さん:04/08/08 16:05
申し訳ない、今
>>473 に書いた皇軍脱糞について
調べてまたが見当たらなかった。
別の記述と間違えたようだ。
たしか地名の起源として語られていたが

しかし、山野って誰だよ。 このスレにいたのか?どっかよそでやれ。
484日本@名無史さん:04/08/08 16:09
神武天皇と海人のつながりに話を
戻したいが
原典を読まない素人ばかりだから話が進まないのが
残念。

485海人系:04/08/08 16:16
母方の祖父ワタツミノ神は
阿曇連(北九州沿岸の海人系豪族)が信仰した神。
神武東征に主力軍として活躍した
久米氏も海人系の隼人系氏族。
486日本@名無史さん:04/08/08 17:00
山野を知らない日本史板住民・・・。
山野が逃げるはずだよw
487日本@名無史さん:04/08/08 17:10
>486
くだらんレスつけるな
488日本@名無史さん:04/08/08 17:12
山野は古代史のことはもとから大して知らないだろ。
民俗板や神社仏閣板でよく見かけるぞ

489日本@名無史さん:04/08/08 17:19
山野は古代史もお前らより知ってるが、ここのレベルが低すぎて相手にしてないだけ。
490日本@名無史さん:04/08/08 17:55
>>489
そこらへんでやめとけ。
お前の今の日本史板の状態を悲しむ気持ちはわかるがな。
491津田信者赤っ恥を晒す:04/08/08 18:28



477 :日本@名無史さん :04/08/08 11:41
>475
>を考えれば、信頼すべき系譜が古事記編纂時には残っていなかったと
>考えられます。
上宮記1伝は、推古朝遺文が定説。
古事記より古いわけでね。こんな初歩的なことだよ。
山野氏が逃げるはずだね

492日本@名無史さん:04/08/08 18:30
ただの煽りあいのスレかよ。
山野氏が逃げるはずだね。
493天之御名無主:04/08/08 18:31
海人族が媒体となって国土の統一が行われたことを東遷という風に表現する
からおかしくなったんだ。共立状態という首長国連邦状態は倭人伝の後も
ズーット続いたんじゃないか。ただし、血統書みたいなのは各豪族が持っていた。
494日本@名無史さん:04/08/08 18:46
首長国連邦
首長国連邦
首長国連邦
首長国連邦
首長国連邦
首長国連邦
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首長国連邦
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首長国連邦
495日本@名無史さん:04/08/08 18:47
ここは、津田信者のアホさを晒すスレッドです。
496日本@名無史さん:04/08/08 18:48
議論の場に信者とかそういう概念持ち出すほうがウざい。
氏ねって感じ。
つうか氏ね。
497>179:04/08/08 18:58
田中卓先生は、垂仁天皇没年を住吉神社神代記を元に西暦311年
(辛未の年)とし、この年を絶対年度として崇神天皇没年度を
60年遡り西暦258年とされているそうです。
498日本@名無史さん:04/08/08 19:00
津田信者と古田信者はどっちが凄いんですか。
499日本@名無史さん:04/08/08 21:07
>>497
それだと、卑弥呼はまさに崇神、垂仁と同時代の人間ということになりますね。

魏志倭人伝に出ていた、邪馬台国の官の

伊支馬(イクメ):垂仁天皇(イクメイリヒコイサチ)
彌馬獲支(ミマカキ):崇神天皇(ミマキイリヒコイニヱ)

という比定は、ほぼ確定かな。
500日本@名無史さん:04/08/08 21:19
ちなみに、箸墓で卑弥呼に擬されているヤマトトモモソヒメは、
まさに崇神記に記されていますね。
偶然とは思えない。
501日本@名無史さん:04/08/08 21:50
>現存しない系図を元に論じてもしょうがないですよ。
>不必要なまでに系譜を載せている古事記に系譜が記載されていないこと
>を考えれば、信頼すべき系譜が古事記編纂時には残っていなかったと
>考えられます。

これウヨの釣り。ミエミエです。



502日本@名無史さん:04/08/08 22:06

(現崇神陵以前の大王墓)
@纒向石塚古墳(庄内1)
A勝山古墳(庄内2?)
B矢塚古墳(庄内3)
C東田大塚古墳(布留0)
Dホケノ山古墳(布留0?)
E箸中山古墳(布留0)
F外山茶臼山古墳(布留1)
G西殿塚古墳(布留1?)
Hメスリ山古墳(布留2)
*年代は、伊達、橋本等による。

という感じでしょうか。まあ、こういのもいますので確定ではないですけど。
(大王墓かも?)
中山大塚、下池山、黒塚、東殿塚、メクリ山1号?




503日本@名無史さん:04/08/08 22:11
メスリ山と茶臼山を大王墓でないとして、西殿塚を崇神陵、箸墓をモモソヒメ
=卑弥呼陵にして、布留期の始まりを3世紀半ばまで上げると記紀、延喜式、
倭人伝の3つがぎりぎり読めるんじゃないの。
布留期の始まりをここまで上げていいのか問題だけど、これからまた上がるん
じゃないかね。


504日本@名無史さん:04/08/08 22:23
>481
そうだよな。しかし最近の若い文献の連中は、津田史観の反動か
記紀に忠実だね。熊谷氏とか。これはこれでいいんかね。
505日本@名無史さん:04/08/09 08:43
>>501
反論できないということですか?
506日本@名無史さん:04/08/09 09:19
天の岩戸が開くのをマターリ待つスレ
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/aasaloon/1074007556/l50
507日本@名無史さん:04/08/09 12:20
2600年前か崇神かで揉める訳だが
トヨ勢力が北九州に居場所を失い九州南部に逃げ延びたのは
卑弥呼死後の3世紀の事だろう
南九州に別の勢力が生まれたからと言って北九州や出雲、畿内勢力が
勢いを失った訳ではないまだまだ成長過程である
で日向時代に昔(出雲、畿内)のつてを頼り東征したと言う事です
508日本@名無史さん:04/08/09 20:59
考古学的には邪馬台国畿内説が圧倒的に有利であって、3世紀以降に
邪馬台国が東遷したというのもちょっと考えられない。
509天之御名無主:04/08/09 21:16
陳寿がもっと詳しく倭人伝を書かないからこういうことになるw。でも余り詳しく
書きすぎると魏帝から隼人の方角に鏡を渡すといっておきながら東国の倭種
とやらばかりに横流しをしたな。この裏切りものめ。てなことになりかねない。
510日本@名無史さん:04/08/09 23:44
結局ね、卑弥呼というのはシャーマン的女王で、崇神、垂仁天皇というのは
邪馬台国の官だったわけで、それは魏志倭人伝に書いてあるわけね。
でも、戦前は皇国史観によって、こういう見方は否定されていたわけです。

511日本@名無史さん:04/08/09 23:47
日本書紀はこういう過去を誤魔化すために、120年紀年を繰り上げて
神功皇后に割り当てたわけです。無意味に紀年を引き伸ばしたわけ
ではない。神功皇后は私は実在だと思ってますがね。
512日本@名無史さん:04/08/09 23:55
誤解を招かないようにいうと、記紀に書いてあることはなんでもかんでも
事実だといっている訳でなくて、日本武尊は明らかに架空ですね。
ただなぜ日本武尊の伝説のような架空の話を史書の中に持ってきたのか
というのは一考の余地があると思います。

513日本@名無史さん:04/08/10 01:19
倭国大乱は祟神の四道将軍派遣が原因ですか?
514日本@名無史さん:04/08/10 01:36
412 :>391 :04/08/03 22:14
津田は、神功皇后非実在説だね、当然。
それから神功皇后は開化帝の子孫で、応神帝の子孫である継体帝の先祖とは関係ないよ。
(開化ー彦座王ー山代之大筒木真若王ー迦邇米雷王ー息長宿禰王ー息長足姫)
息長という名前がついた皇族は、他にも何人もいて(舒明帝とかね)、これも実在が疑わしい
倭武系でもいるわな。
(倭建命―息長田別王―河派仲彦―弟媛(息長真若中比売))

こんなの古代史イロハの初歩中の初歩だよ。山野氏とやらが逃げるはずだわな。





515日本@名無史さん:04/08/10 05:41
武埴安彦は狗奴国の卑弥弓呼
516天之御名無主:04/08/10 08:13
富山県に氷見というところがあるが案外古い由緒があるようだ。
ヒミクコも、タケハニヤスも一蓮托生、鏡革命によって抹殺された銅鐸圏の残党、
平家とか、豊臣とかと同じようなものではないか。
517天之御名無主:04/08/10 08:37
神武は香具山の埴を盗んで王朝を建て、タケハニヤスも同じルールに従っており、
世代が接近しているようである。しかし、甲子園で敗退するとその砂を袋に詰めて
持ち帰ったり、S字甕に雲出川の砂を混ぜたり、日本人はごく普通の風習なのかな。
518天之御名無主:04/08/10 09:43
邪馬台国時代の倭国はゲーム三国志のようなものではなく、高校野球程度の人数編成
だったのだろう。移動は丸木舟だから神武みたいな遠征チームは極めて不利で、長髄彦
のような在地軍団の一斉射撃を受けると直ちに全滅したであろう。陸上チームは残存の
丸木舟をどこまでも追いかけて討ち取ることができる。日向出身にしても1日分程度の水、
食料しか積めなかったであろう。全国制覇などというのは陸上軍でなければ不可能だと
思う。
519天之御名無主:04/08/10 09:50
陸上から奈良盆地を攻撃できるのは吉備-河内、丹後-摂津、尾張-近江方面からで
あり、このいずれかが神武記の背景にあると思うが、長髄彦が鳥見山に陣取るという
のは吉備方面からの侵略ではなかったのだろうか。
520日本@名無史さん:04/08/10 10:31
結局、ヤマトタケルというのは架空の人物で、崇神朝と応神の系統を
結びつけるために挿入された伝説的人物というのが、定説でしょうね。
521天之御名無主:04/08/10 10:57
ヤマトタケルは征夷大将軍のような実務を与えられているが、タケシウチの宿禰とか、
葛城の卒彦にも感じられるものであって、一大卒という形で中国側が触れているように
倭国にもそれなりに官職というものがあったということではないのかと思わせる。
皇族、大王の身内のものであって、王位を継承しないものが任命され、オオビコもその
類であったのだろう。当時は母系社会であり、縦の系列の順位などはなく、卑弥呼の
ようなシャーマンがお告げや、呪いで王位を決めたのかもしれない。
522天之御名無主:04/08/10 11:02
話を変えるが、投馬というのは但馬であるとすると、玄界灘から親潮に乗って豊岡近辺に
直行し、長丁場の南行水行すれば邪馬台国に達するが、神武もこの但馬方面から河内を
攻めたと考えると現実的だがナー。
523狭野:04/08/11 20:51
古代の英雄の総合像としてのヤマトタケルと、ヤマトタケルとよばれたヲウスノ命とは、一応分けて考える必要がある。
タケルの事跡が一人のものではないと言うことと、個人としてのタケルの実在とは別の問題であるのに、混同する議論が戦後の歴史学に目立つのはいただけない。
524日本@名無史さん:04/08/12 03:03
同意
525JR西、政治家を糾弾:04/08/12 03:39
愛知県木曽川町(人口3万)に出来たダイヤモンドシティ(年間308億売上予想)の影響で
名鉄黒田駅の乗降客(開業以前は一日500人程度)が10倍の5000人になったらしい。 
 
 参考文献  商業界 販売革新8月号 ダイヤモンドシティ社長のインタビューより

これを単純にダイヤモンドシティアルル(12万奈良橿原 JR金橋駅 年間325億の売上予想)で当てはめると
当然以下のように輸送改善さえすれば5000人以上の乗降客を見込めただろう。

畝傍〜JR難波、北新地    時間3本
畝傍〜奈良、京都     時間2本
畝傍〜橋本、和歌山    時間1本

地方拠点法により60万人の中心拠点都市として選ばれてる
巨大都市・政令指定古都橿原の中心駅、畝傍(貴賓室あり)を始発、終着にする。

そしてJR金橋に西口出口を設ける。

アルルの敷地〜金橋駅は直線で240メートル以下=徒歩3分
http://www.mapfan.com/m.cgi

交通網悪くして、発展なし。
JRの利便性なくして、知名度・観光客増加なし。

JR金橋の吸収圏 近鉄真菅、松塚、坊城、浮孔周辺
526:04/08/14 09:52
神武記はかなりリアルである。
東征の軍主力を南方系海人勢力に
おきながらも神武本人には
北方系の要素がみられる。

記紀、そして日本人に見られる
北方系、南方系の接点の原点がここに見られる。
527日本@名無史さん:04/08/14 10:06
>>519
詳細希望
その辺の地理に疎いので
もちろん鳥見が今のどのあたりかはご存じですよね
528:04/08/14 10:16
ずばり言わせてもらうが
神武記を一編でも読んでから書き込め。
529日本@名無史さん:04/08/14 10:19
>>520-523
それで?
その話がどう神武天皇とつながっていくか
最後まで聞かせてください
530日本@名無史さん:04/08/14 10:25
>>518
長スネ彦に海上まで追い討ちを
かけられるほどの海軍力があったと?
531日本@名無史さん:04/08/14 10:34
>>509>>510
これどこからのコピペ?出典は?
俺の記憶では魏史倭人伝に
こんな書きこみはなかったが。
隼人の方角だとか
はじめて聞いた。
532日本@名無史さん:04/08/14 20:29
厨房、丸一日沈黙したままか
533日本@名無史さん:04/08/15 09:27
厨房砲台完全に壊滅したかな。
神武記も読まず適当なことを
さんざん書き散らしてきたからな。
534日本@名無史さん:04/08/15 19:40
厨房他のスレでは相変わらず威勢がいい
535日本@名無史さん:04/08/15 21:37
いみふめい
536日本@名無史さん:04/08/16 09:54
>>527-531
に早く答えろ
537日本@名無史さん:04/08/16 16:55
>520
なことはない。古市古墳群に先立つ古墳群がないこと、中小古墳
が奈良盆地に継続して集中することから、王朝の断絶はないという
のが定説。
538日本@名無史さん:04/08/16 21:25
神武記で注目すべきは
別系統の天孫が登場すること。

これをどう解釈するか。
539日本@名無史さん:04/08/16 21:27
>>537
つまり、応神天皇が九州からきたというのは記紀の嘘といいたいのかね?
540日本@名無史さん:04/08/16 21:29
>539
こら西都厨、いろんなとこを荒らすのはやめろ。
541日本@名無史さん:04/08/16 21:32
>>540
誤解ですよ。

>>別系統の天孫が登場すること。

天孫族が多くいたと考えれば、別に問題ない。


542:04/08/16 21:47
じつは私も
王朝交代というか
血統交代のようなことはあったのでは
ないかとも思います。
ただ古代の風習からして
なんらかの形で前の王朝を継承した形を
とっている場合、
同じ血統にあるものと見なされたと
思われます。

その方法で一番可能性が高いのは
入り婿という形で
また大ジョウ祭にも
そのような要素があったと思われます。
543日本@名無史さん:04/08/16 21:50
応神とか継体のことを言ってるのか?
言ってるのかって聞いてるんだよ!?
544日本@名無史さん:04/08/16 21:52
540さんの言うように前王朝にとってかわった新王朝が同じ天孫族であった
場合も前王朝を継承した=神武天皇の血統を継承した
とみなされたかもしれません。
545:04/08/16 21:56
この古代の血統の継承の概念には
上宮家の血脈の概念がやや参考に
なるかも知れません。

また、のちの剣術流派の新陰流の系譜は
それを血脈であると
表現したものもあったと記憶しています。
546日本@名無史さん:04/08/17 01:48
>>539
九州関連の人は幾人かいるが、
九州から来たというのは、王朝断絶には当たらない。
天皇家の実家はもともと九州にあるので。
547日本@名無史さん:04/08/17 06:23
九州というか韓国だろ。
548日本@名無史さん:04/08/17 09:31
>539
応神が朝鮮人などとは記紀には書いてありません
捏造は止めましょう。
549日本@名無史さん:04/08/17 11:26
>>547
皇室は韓国経由で九州に来たと広く信じられているが、
中国江南地区から南西諸島−南九州経由で来た
という説の方が有力と思います。

魏略にも、卑弥呼たちが「自分達の先祖は呉の人」と
自称していて、著者も文化風習(鯨面文身など)から、
確かにそうかもしれないと追認している。

他にも、漢字の音読みが
主に(漢音でなく)呉音が採用されているなど
状況証拠は中国江南説に有利なものが多い。

九州南部の古墳を発掘すれば、物的証拠も出てくると思われるが、
現在は宮内庁によってその地域の古墳の発掘を禁止されている。
550>549:04/08/17 11:50
なことは言われていない。
弥生文化の多くの要素が江南から来ているだろうと
民俗学者や農学者が唱えているだけ。
551日本@名無史さん:04/08/17 12:38
>>550
だから、「多くの人は韓国経由と信じている」と最初に断っているでしょ。

だけど、実際に中国の歴史書を漢文のまま読んでごらん。
邪馬台国の人達は、自分達は呉人の末裔だといってますから。
そして、著者の中国人も、確かに鯨面文身など文化が同じで、
地理的に東に進めば着くのでそうかもしれんという態度をとってるから。

そして、漢字の音読みの大半は呉音で読まれているのも事実です。
メ(芽)とか、ホ(穂)とかの稲作用語も江南語由来という説も聞いたことがあります。

日本の歴史上にも、この件が何度か表に出ています。
応神天皇が、そういう記述のある異朝の歴史書を焼き捨てたとか、
日本書紀の講義録で、天皇家の氏姓が「姫(キ)」氏であるとか。
(これは呉の王朝の氏姓と同一)
552日本@名無史さん:04/08/17 18:53
>>549>>551
いくら夏休みだからってトンデモ本からの受け売りはやめてくれ
553日本@名無史さん:04/08/17 20:35
>>552
あなたが無知なだけです。
よく考えてみなさい。


魏略逸文をはじめ、中国の歴史書に、
「呉人の末裔であると自称している」
という旨の記述はありますか、ありませんか?

それに対して著者が、中国会稽の鯨面分身の話を持ち出したり、
まさに会稽東冶の東といったりしてますか、してませんか?

「神皇正統記」にはそういう書があることを認めた上で
それらを焼き払った記事はありますか、ありませんか?

日本における漢字の音読みの多くは、漢音ですか?
それとも、呉音ですか?


具体的に反論できるところが1つでもありますか?
554>553:04/08/17 20:40
おい、チョン
お前は立ち入り禁止だ。
555日本@名無史さん:04/08/18 18:40
>>553
>日本における漢字の音読みの多くは、漢音ですか?
それとも、呉音ですか?

どっちでもいいよ、そんなことは。
呉と日本は近いんだから、漢字の読みに関してはその影響を受けるのはある意味当然。
そんなもので日本の皇室がどこから来たかの決め手になんかなるわけない。
日本語とシナ語は全く質の違う言語。
極端にいえばおまえの理屈は日本で使っている英語が英国風ではなく米国風だから
日本人は米国から来た、と言ってるのと同じ。
そもそもシナの歴史書なんて、日本に関する記述は曖昧な伝聞ばかり。
魏志倭人伝の著者は日本に来てさえいない。
そんなものを一級資料であるかのように扱ってモノを言うのは
いまどき50以上のオサーンかチョンかチャンコロしかいない。
人を無知という前におまえがry
556日本@名無史さん:04/08/18 18:43
古事記や日本書紀は捏造と決めつける癖に
中国の歴史書だと無条件に信じる馬鹿サヨ学者が戦後は増えた
557:04/08/18 19:04
古代皇室がどこから来たか?
これを判断するのは非常に難しいと思います。

ただいままで述べてきたように神武記には
南方的在地勢力=海人のうえに
君臨する北方的王=神武
の姿が描かれています。
このへんのところを
もう少し研究していけば
なにか手がかりがあるかも知れません。
558日本@名無史さん:04/08/18 20:16
>>555
確かに、挙げてある証拠の1つ1つは、決定的な証拠ではない。
しかし、1つ1つが弱い証拠でも、
全てが同じ方向に向いている場合は、話が別だ。
偶然で説明するのが段々苦しくなってくる。

決定的な物証は、南九州の古墳の中に眠っています。
「この地域の古墳は、重要なものではない」
と主張する人もいるけど、
それなら何故、発掘を禁止されているのでしょう。


現段階で、江南からと決定する必要はないが、
1つの有力な説であることは間違いない。
あなた方の反論が、「決定的な証拠ではない」
程度であることからも分かるでしょう。
「決定的ではないものの、それを示す証拠が沢山ある」のです。

私は、記紀を偽書とは思っていませんよ。
真実に基づいた内容が書かれていると思っています。
ほぼ全ての内容において、
「書いてあることに対応する、何らかの事実があった」
と考えています。
559日本@名無史さん:04/08/18 21:24
558は西都厨だろ。
隔離スレッドに行け。
560日本@名無史さん:04/08/20 19:58
>>549ー551
の説は一応それなりに検討する価値はあると
思いますが、書いてる人が実際にそれらの資料に目を通しているのか
それとも他の人に指摘されているとおり
トンデモ本の受け売りかが問題である。
個人的には微妙にずれている気がするし、日本語の文法がおかしいと
思います。
561日本@名無史さん:04/08/20 20:02
日本語がおかしいと思うのは
>>553
の書き込みです。
562日本@名無史さん:04/08/20 20:25
>>549>>551

漢音と呉音のそれぞれの由来を考えると、
呉音=江南から伝来、とはならない。

呉音は、当初は華北でも使われていた発音の系統。
西晋末以後の遊牧民侵入の結果、遊牧民系の発音が混入して
漢音に変化しただけのこと。

三国時代の魏の発音は、当然ながら
漢音よりも呉音に近い発音だった。
563日本@名無史さん:04/08/20 21:40
>>562
学術的な意見をありがとうございます。

ところで、当時の江南あたりは
どの程度、北方騎馬系文化の
影響を受けていたんでしょうか?
もしかして北方系、南方系の混在は
日本で起きたのではなく、大陸で起きたものがそのまま伝えられたのでは、と
少なくとも天孫族は当初からそうゆう性格があったのかもしれません。
564日本@名無史さん:04/08/20 21:43
これは、どこかで聞いただけの話ですが、
稲作の伝来も、水稲と陸稲で2回あったとかで、
一方は江南方面から、他方は半島方面からだったとか。

そういう経緯も考えると、
皇室が江南から来たのか、半島から来たのか
決めるのは難しいかもしれませんね。

とりあえず、どっちでもおかしくないような気がします。
565日本@名無史さん:04/08/20 22:02
>>564
稲の伝播が 北→南 というのは、あまり考えられない、というのを
聞いたことがありますよ。
566日本@名無史さん:04/08/20 22:48
華北の要素もあれば江南の要素もあるってことだよ
どうしてどっちか一方に決めつける?
567日本@名無史さん:04/08/21 02:55
神武の母親も祖母も鮫(隼人)
少なくとも神武は75%以上隼人
568日本@名無史さん:04/08/21 09:43
皇室がどこから来たなんて、所詮与太話。
569日本@名無史さん:04/08/21 12:37
>>567
古事記にある鰐(ワニ=サメの意味)の嫁を貰った伝説ですよね。

あれはヤッパリ四国の大豪族である和邇(わに)氏から
嫁を取って和合したという、九州邪馬台国の
東への勢力拡大を表していると思うのですが。
570日本@名無史さん:04/08/21 14:52
そうではない。
ワニとはそのままアマゾンに住むワニのことである。
魚のサメなどというのは妄言。
地上で魚が出産するか?
某スレで自演などされてきちんと主張できなかったが、ここでは主張させてもらう。
ワニ厨などという言葉も使用禁止。
571日本@名無史さん:04/08/21 17:31
じゃあワニが海に住んでるのは問題ないのかw
572:04/08/21 19:45
貴様らいい加減にせえ。
人の書き込みをまったく読んでないのか?
他人と対話する気がないなら日記でもつけろ。典型的な臆病オナニストだな。
母方の系譜は
>>485
に記してある。話を後退させるなや。

宿題やったのかよ。
573日本@名無史さん:04/08/21 19:51
>>567-571
なめんなコラ。あちこちになんの根拠もない適当な妄想を書き込むな。 ここはある程度公共性のある掲示板だぞ。
574日本@名無史さん:04/08/21 20:09
わかってないやつが多すぎ。
ちなみにこんなのもある。
ttp://www.fis-net.co.jp/topic/fishname/same.html
ワニが魚だというなら根拠をあげてみたまえ。
仕切りと罵倒ばかりで読むべきレスがない。
575日本@名無史さん:04/08/21 22:13
「皇国史観教科書」の強制が開始されようとする今、皇国史観を完膚
無きまで粉砕した津田学説の意義はますます見直されようとしている。
虚妄とねつ造に満ちたの日本神話をファシズムに利用させてはならない。
津田史観を発展させ、アジア人民と連帯のもと真の人民による歴史の解明
を進めるべきです。




576日本@名無史さん:04/08/21 23:08




│            _
│         /  ̄   ̄ \
│        /、          ヽ
J         |・ |―-、       |
         q -´ 二 ヽ      |
        ノ_ ー  |      |
         \. ̄`  |      /
         O===== |
        /          |
        /    /      |
577民神質問スレ542 ◆PQWO5bvkqE :04/08/21 23:12
>>574 なんで「アマゾンのワニ」なんて主張の仕方をするのか説明したまえw
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1088342011/571
でも指摘したが、どうせあげるなら揚子江ワニだろ
578日本@名無史さん:04/08/21 23:14
ワニ厨うざいよ。スレタイ読めよ低脳。
579日本@名無史さん:04/08/21 23:41
よくわからんが揉め事はよそへ行ってやってくれ。
電波の577はそもそも消えてくれ。
580日本@名無史さん:04/08/22 06:13
だからさ。ワニはワニだろ。サメじゃないだろ。
まぁ仮にサメだとする。で?だから?
581狭野:04/08/28 22:45
じゃあ仮にワニだとする。だから?
582日本@名無史さん:04/08/30 16:56
「皇国史観教科書」の強制が開始されようとする今、皇国史観を完膚
無きまで粉砕した津田学説の意義はますます見直されようとしている。
虚妄とねつ造に満ちたの日本神話をファシズムに利用させてはならない。
津田史観を発展させ、アジア人民と連帯のもと真の人民による歴史の解明
を進めるべきです。






583日本@名無史さん:04/08/30 17:09
(前提)
記紀の応神までの記述は、六世紀の中ごろ以後に、大和朝廷の有力者により、
皇室が日本を統治する正当性を証明ようとする政治的意図にしたがって、
ねつ造されたものである。
1.崇神=初代大王(4世紀半)
(根拠)
・初期天皇に見られる荘重な「ヤマトネコ」といった名称は、後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された。
・崇神より前の記紀に記述された陵墓に考古学的証拠がない。
・古墳時代は4世紀から始まる(と当時はされていた。)。
・カムヤマトイワレビコは美称であり、後世の大王のように実名
 がない。
・ミマキイリヒコは、任那出身の騎馬民族だった(江上)



584日本@名無史さん:04/08/30 17:09

2.河内王朝説(主に水野)
(根拠)
・百舌、古市に陵墓が移動する、大陸系と思われる鉄製武器の埋葬が増加。
 など「イリ王朝」との間に断絶が見られる。
・景行以下の「タラシヒコ」という名称は後世の大王 
 の名称をもとにねつ造された(井上は景行のみ実在を肯定)。
 崇神の王朝とは、血統が断絶。
・クナ国は、騎馬民族で、その王である応神が東遷し、河内王朝説を樹立(井上)
3.継体新王朝説(井上は否定。)
・記紀に5代の間の系図がない。
・5代というのは後世の皇族の範囲を元に設定した。
・即位後都が奈良外に置かれたのは新王朝に対する畿内豪族の
 抵抗があったと想定。
・実は、神功皇后は、息長真人氏出身だった(このスレッドのアホ一匹が主張)

蘇我在日説(門脇)、葛城在日説(某)、全部在日説(小林恵子)
585日本@名無史さん:04/08/31 00:44
前から疑問だったのが景行天皇の九州征服(巡行)に熊襲が出てこないこと。
日本武尊や仲哀天皇には、強大な勢力としてかかれていると思うんだが。
景行天皇が九州を征服したのに、仲哀天皇が熊襲と戦っているのも変だが。
586日本@名無史さん:04/08/31 00:56
>>585
訂正

×前から疑問だったのが景行天皇の九州征服(巡行)に熊襲が出てこないこと。
○ 前から疑問だったのが景行天皇の九州征服(巡行)に熊襲が強大な勢力として
  出てこないこと。


587日本@名無史さん:04/08/31 01:01
だから、熊襲は強大じゃなかったんでそ。べつに問題ないと思うが。
588日本@名無史さん:04/08/31 01:09
>>582
情報と言論の自由がある現代日本で、
皇国史観だけを盲信してる人はいません。
だからご心配なく。

それより今は、言論も情報も統制され、
偏狭な民族主義で
独裁的な政権しかない、北朝鮮や中国や韓国の方が危険です。

あなたの執念を、現在危険な国々への牽制に向けましょう。
589日本@名無史さん:04/09/04 22:50
文献の学者が電波をとばさなくなったのは、加茂岩倉と籠神社あたりか?
出雲大社が決定的だったのかね。
590日本@名無史さん:04/09/05 06:44
稲荷山鉄剣からだよ
591日本@名無史さん:04/09/05 21:05
よく知ってるね。
考古学が紀紀の記述を裏付ける結果と
なったわけで
それまで電波と思われていた紀紀の記述に対する評価は一変した。
592日本@名無史さん:04/09/05 21:27
面倒くさいから伊弉諾尊を初代にしちゃおうよ。
593狭野:04/09/05 22:03
神武帝が初代なのは、一つには天孫族は天照大神の直流じゃない(当時は末子相続。天の忍穂耳の尊は長男)から。
それと、大和朝廷は神武帝の立てた王朝だから。
594日本@名無史さん:04/09/05 22:32
まあ、しかし記紀と考古学が違ったこともある。
仁徳天皇が作ったとかいう池とかは、もっと後だったな。
陵墓も合わないのがあるな。特に崇神より前は全然合ってないね。
なんでかね。
595日本@名無史さん:04/09/06 00:34
age
596日本@名無史さん:04/09/06 01:02
考古学の編年が間違ってるからでしょ
597日本@名無史さん:04/09/06 03:48
日本紀は当初BC290を初代天皇即位の年としていた
598日本@名無史さん:04/09/07 00:10
海部氏系図の本を出しているのが小学校の教師だったりするのは何故?
599日本@名無史さん:04/09/07 00:21
ただの古代史マニアが本だしたってだけだろ。
600日本@名無史さん:04/09/07 06:00
>588
その三つの国は現代史でさえ捏造ばっかりしているからなあw
601:04/09/09 20:38
高千穂近辺には高千穂千年王国という
伝承があるらしい。
高千穂の山奥に外部の侵略をまったく受けずに栄えた
独立国があったと。
神武天皇はやはりその国から来た人ではなかろうか。
602狭野:04/09/09 20:54
それって古史古伝では?
603:04/09/10 21:07:11
地元に伝わる伝承と聞いたが
604日本@名無史さん:04/09/10 23:18:20
>>603
神社伝承の大半は古史古伝をよりどころにしています。
そういった神社伝承が、いつしか「地元に伝わる伝承」となったんでは?
605日本@名無史さん:04/09/11 04:35:59
>神社伝承の大半は古史古伝をよりどころに

あほですか
606日本@名無史さん:04/09/11 12:54:52
>>605

604はいわゆる「古史古伝」の意味がわかってねーんだろ。まあ知らなけりゃ
文字通り解釈しちまうんだろうな
607日本@名無史さん:04/09/11 20:35:08
ほんと604のような
わかってないことを
もっともらしく言うやつは迷惑だ
608日本@名無史さん:04/09/11 20:40:56
竹内文書について
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/kodaisi/takeuchi/fmonjo.htm

竹内文書歴代天皇系譜
http://www8.plala.or.jp/feedingspot/takeuchitennou.html
ウガヤ朝が七十三代続き、その後異変が起こりウガヤ朝は滅亡する。
不合朝の最後の天皇が神倭朝の初代「神武天皇」である。


嘘かも知れませんが凄い内容ですね。
609日本@名無史さん:04/09/11 23:22:29
>>608

古史古伝系のスレいけ
610日本@名無史さん:04/09/12 12:02:56
河内王朝説なんかまだあるの?
今は邪馬台国九州説なみの珍説だろ。
611日本@名無史さん:04/09/13 00:46:36
畿内説とともに消えた説だろ
612604@名無史さん:04/09/13 03:15:37
>>605 >>607
旧事紀大成経や秀真そのもの、
あるいはそれを作った人物の同類たちが、
神社の由緒を偽作して回ったんですよ。

全国の神社の由緒の大多数は、
江戸時代にそうやって偽作された。

本当の伝説は捨て去られ、今に伝わってはいない。
613日本@名無史さん:04/09/13 05:21:56
河内は弥生時代「海」だったんだから、「河内王朝」などあったはずない。
614日本@名無史さん:04/09/13 05:48:02
615日本@名無史さん:04/09/13 19:15:16
>>612
江戸時代に日本全国の神社をまわるなんて
すごい機動力と組織力ですね。

なんという組織の人たちですか?
616日本@名無史さん:04/09/13 22:36:04
>614
アホか?
大山古墳は、海の中か?
河内王朝説が否定されるのは、百舌古墳群に先立つ古墳がほとんど
ないからだよ。
617狭野:04/09/14 00:34:38
>>616
本当は>>613が正しい。
618日本@名無史さん:04/09/15 23:27:28
古田武彦は、和田さんが発見した古代東北の歴史を評価している。

こしこでんを無視するな。
619日本@名無史さん:04/09/16 21:09:00
こしこでんはネタ。
和田氏の文書を支持したことが古田氏の評判を地に落とした。
それ以前は、「結論はともかくとして、
研究手法には(少なくとも、手法の一部は)高い価値があると評価されていたのに、
ツガルソトサングンシ支持の結果、すべての評価を失ったわけ。
620日本@名無史さん:04/09/16 23:44:23
昔は出雲大社の存在を「否定する学者がいたのは本当ですか?
621日本@名無史さん:04/09/17 22:46:12
神武天皇というより欠史8代の問題ってのは、簡単に言うと、

@大昔に小林秀雄、都出比呂史などの考古学者がアプリオリに
 古墳時代は4世紀に始まる、と仮定。よって文献も崇神=初代
 倭王と同調。

 しかし、月日が経ち、

A纏向遺跡の年代から倭王権形成の時期が2世紀終末〜3世紀初頭
 と大幅に繰り上がる。
Aこのため、実在が予測されていた崇神天皇の前に数人の大王の存在
 が確実視。一部の学者が唱えるように仮に箸中山古墳が崇神陵であ
 るとしても纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、ホケノ山古墳?
 が王墓と想定。削平されたまたは不明のものを入れるともう少しある
 可能性。

と考古学の方は進歩したが、文献の方が検討が止まってしまってるということだね。
ことだわな。まあ、考古でも箸中山=最初の前方古墳説を死守するのもいるけどね。 


622日本@名無史さん:04/09/18 21:09:59
なるほど。
考古学ってのはウソが作りにくい世界だからね。
作ったやつもいたが・・
623日本@名無史さん:04/09/18 21:27:13
>>621
現在崇神陵に比定されている行燈山古墳では、布留式の小型丸底壺などが出土しており
年代的にも矛盾がなく、比定に問題がないと見る人が多いようだ。

箸墓は伝承通りに8代孝元天皇の姉or妹のヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼で良さそう。
624狭野:04/09/19 00:36:23
モモソヒメ=卑弥呼というのはどうか?
政治の主導権は握ってないだろ?
625日本@名無史さん:04/09/20 00:35:08
なんで欠史八代の陵墓の比定が間違っているのかを考えた方
がいいのだが。
そういう方向にすすまなかったのは何故だろうね。
626日本@名無史さん:04/09/20 09:07:07
>>624
魏志倭人伝には、卑弥呼は人目に触れず祭祀を司り
実際の政治は弟がやっていたと書いてありますが
627日本@名無史さん:04/09/20 11:17:48
サヨの文献学者ばっかじゃなくて田中卓とか語ろうよ。
628日本@名無史さん:04/09/20 15:55:54
田中卓の本たかいけど何冊か読んだよ
記紀の伝承を尊重しようという態度はいいね。
あと王朝交代説や天皇架空説を論破してるとこは痛快。
でも、年代推定や邪馬台国論は正直どうかな?って感じだったけど。
629狭野:04/09/20 18:02:53
>>626
スマソ。いい間違えた。
政治には関わっていたとは書いていないが。
それと卑弥呼の祭祀は祭政一致の妻子なので、政治でもある。
630日本@名無史さん:04/09/22 23:19:46
田中卓も意見変えてるだろ。
今は日向なんか言ってないよ。
631日本@名無史さん:04/10/02 23:04:21
皇国史観
632日本@名無史さん:04/10/04 01:27:38
え〜、年数なんですが・・・。
神武帝から崇神帝まで伝承の系譜が枝別れしておりませんです。
これ、否定派の人の根拠のひとつですね。
で、実在派の人もこれを根拠にしていますね。

私は、何らかの事情で正確に伝わらなかったので、仕方なく、
親子にしているだけではないか、と考えています。

といっても、王朝は断絶していないと考えます。
なぜなら、一貫して大王一族に「姓」がないからです。
大陸の人だったら、自分のエゴを押し付け、「姓」を名乗るはず。
あちらの使節が訪日した際に「阿毎」氏が国王で、となっていますが、
そんな姓は大陸にはありません。
本当は姓がないのに、単に勘違いしただけでしょう。
633日本@名無史さん:04/10/04 01:34:15
さて、本題の年数の話とまいりましょう。

100歳以上の年齢が続くので否定、という人がいます。
それをデフォルメと解釈しても、古くなり過ぎる、という人もいます。

しかし、私の仮説では、「系譜を枝別れにしないから」矛盾するのだと
考えます。
どこでどう枝別れしていたかは、今日では不明です。
しかし、欠史八代を実在と主張するならば、あの一直線な系譜を暫定譜
とみて証拠集めに走るのもよいのではないでしょうか。
634日本@名無史さん:04/10/04 01:42:51
ちなみに、ここで何人の方々が「魏志」をもとに、卑弥呼の「部下」の
名前に「大王」の名前と類似するものがあることを指摘されています。

あれ、「部下」じゃないですよね。
卑弥呼を「女王」にするから、「官」になっちゃうわけで、卑弥呼を単に
「大王一族の巫女」と考えた場合、「官」と記録されている人物は、地方
を治めている王族なのではないのでしょうか。

となると、あの方々は、「兄弟」・「従兄弟」・「再従兄弟」・「おじ・おい」
のような(その他の方向も含めて)関係だったのが実状と読めるのです。

どうでしょうか。
635狭野:04/10/04 21:34:01
初代神武帝即位から十代崇神帝崩御まで、十代630年。
一代平均63年で、これは1年2歳の場合の、一世代30年に合致する。
どうも古い時代のことはよくわからないので、機械的に処理しているようにも見える。
636日本@名無史さん:04/10/04 22:32:30
もっと代数が多かったのに途中が脱落して簡略化したために代数が減った可能性もあるだろ。
中東の粘土版とかだと時代によって系図が簡略化されて代数がへっていく過程がわかるんだけどね。
63725歳♂投馬国王の子孫:04/10/04 23:48:56
実は天皇家は神武から続く万世一系じゃないんだよね・・
神武=崇神の可能性は高いけど、まず神武が、東征して
第一次大和朝廷作ってるよね。おそらく邪馬台国の王なんだけど、
とりあえず熊襲(狗奴国)との戦いが終わって、畿内物部王朝の
勢力が九州に及んだんで東征に出て、あっさり畿内を制圧してるよね。
たぶん物部王朝は邪馬台国の背後に控えてる中国の力が怖くて
すぐに恭順したんだろうね。次に、応神天皇が東征に出て
第2次大和朝廷作ってるよね。現在の天皇家は、第3次大和朝廷。
応神王朝の血統が絶えたから、福井の豪族引っ張り出して王に
しただけなんだよねw
638日本@名無史さん:04/10/05 04:18:06
>まず神武が、東征して
第一次大和朝廷作ってるよね。おそらく邪馬台国の王なんだけど、

その仮説の根拠とするところは何?
639日本@名無史さん:04/10/05 12:22:45
相手にすんなw
640ゴジンム:04/10/05 14:26:17
>>637
wwwww!
641日本@名無史さん:04/10/06 00:37:52
古代史を中心に買ってはいけない電波作家のリストを作りました。
みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。

【買ってはいけないアマチュア著述家等一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築だった)


642日本@名無史さん:04/10/06 00:44:02
>632
>神武帝から崇神帝まで伝承の系譜が枝別れしておりませんです。
>これ、否定派の人の根拠のひとつですね。
>で、実在派の人もこれを根拠にしていますね。
>私は、何らかの事情で正確に伝わらなかったので、仕方なく、
>親子にしているだけではないか、と考えています

これは昔の説。
その後発見された稲荷山鉄剣、海部氏系図などはすべて「・・・その児・・・」
で代を繋いでいる(他例では円珍系図)。
なので古い系図は基本的にこの形態であり、それを受け記紀の記述が直系
相続の書きぶりとなったとする説が有力(大津透氏)。
643羽狗狸法師:04/10/06 00:46:37

日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても
武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。
彼らは「正直さ」のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族は
いないと思われる。

          宣教師  フランシスコ・ザビエル


644日本@名無史さん:04/10/15 22:30:35
rstrs
645狭野:04/11/07 18:31:15
現在、「諸君」誌上で田中卓皇學館大名誉教授が、「祖国再建」を好評連載中!
646日本@名無史さん:04/11/26 09:07:21
諸君!
647日本@名無史さん:04/11/28 19:21:21
>>632-634
いいね。斬新で説得力ある。
648寛恕不如意背反網倫理:04/11/29 22:38:24
神武・タギシミミは大和宿禰に計略にかかり大和に連れ込まれて綏靖に
殺された。マフィアの世界だなー。しかし、タギシミミ没後すぐに筑紫を
制圧するような強い力はなかったんだろう。九州にはヤイミミなんていう豪族が
いたようだな。邪馬台国時代の奴国国造のニギというのは相当の大物だろうな。
649寛恕不如意背反網倫理:04/11/30 08:11:42
丹沙を丹というが、丹ニギという神武系は九州、岡山で相当丹沙が集まっている
ことと神武が吉野で丹沙を使用していることから、九州系の対中輸出業者、つまり
鏡などの輸入業者という意味かもしれない。
650狭野:04/11/30 19:41:16
>>648
イハレヒコがいつカムヌナカハミミに殺されたって?
651寛恕不如意背反網倫理:04/12/01 22:36:36
失礼、タギシミミだね。イワレビコは死因なんかははっきりしない。別に敵はなかった。
ツーカ、初代天皇だからあんまり派手には死ねない。次第に影が薄くなって死んだ。
三輪神社なんかでも奥さんのイスケヨリ姫だと思うが、女関係ばかりのお宮が残る。
女系社会だから男の値打ちは低かったんだね。神婚なんていうのは話だけだと思う。
タギシミミと神武だってどんな関係かはわからない。カムヌナカワミミのヌナカワって
上越のほうかな。崇神、応神、継体など北陸方面の出身であるとしないと天皇になれない
ジンクスじゃないが、なんかそういうこだわりがあるみたいだなー。崇神は奥さんだがね。
652寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 08:56:06
話は変わるが8世紀に対中外交政策上背伸びをして国史を作る必要があったのは
事実であろうが、国史編纂に関与した関係者は、天皇も含め、事実を捏造するような
ことはさほどなく、多分神武は弥生の無政府状態を締めくくる画期的実在だったんだ
ろうと思う。ふわふわした女神が見え隠れするのは魏志倭人伝などの伝える卑弥呼
などはいわゆる表面にでてこないシャーマンを描写したものでこれまた真実だろう。
おそらく神武というのは倭人伝にある初代の男王のことで、いわゆる倭国乱のころ
で、当初から諸説があったんじゃないかな。九州系であっておかしくはないが、近畿
勢の内乱に利用された人間であったのかもね。

653寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 09:12:29
若狭湾近辺から始祖天皇がよく出てくるのは古代あの辺は海人族の
跋扈するところで先進地である北九州、関門などとのつながりが強かった
のではないかな。奈良というのは東京のようなもんで農業、商業などには
強いが政治家はいなかったのでないかね。投馬国というのはイザナミがらみ
のような気がするんだが。
654寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 15:06:08
八咫鏡、八咫烏という神器は矛等と一緒になって伊都国、豊前経由瀬戸内海を東遷
したのだろう。岩戸儀式のために宇佐あたりから高千穂に立ち寄ったことは考えられる。
神武というのは高千穂の神主かもしれない。伊都国平原で八咫鏡を祭っていた女王が
崩御した後、鏡を纒向に移動させる一大イベントが神武東遷であったのだろう。
これが瀬戸内海経由であったのか、山陰経由であったのかわからないが私は
出雲をスキップして丹後に入ったのではないかと思う。伊都国と丹後は地形が似ている。
655寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 15:19:32
神武東遷は筑後、豊前で確立していたと見られる鏡、太陽崇拝天体観測、
山岳測量技術が大和盆地南部に伝わったことでもある。
656寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 16:18:22
しかし岡山の楯築遺跡、纒向の箸墓のような古墳は九州で発達したのではなく
あくまでも東瀬戸内海独自のものなのだから、古墳建設の基盤になった北部九州の
太陽崇拝儀式は東遷以外に東瀬戸内海の勢力が筑後・豊前に出向いて習得、特に、
海人族が積極的に仲介したというシナリオもありえる。
657寛恕不如意背反網倫理:04/12/02 16:24:42
神武記などは九州に出迎えに行ったことになっているが、これが真相ではないのかな。
さすがにお姫様だけは宇佐、安芸、など各地の著名なシャーマンを利用、最終的には
河内、摂津、あるいは、元伊勢、そして、大和という風になったのだろう。
658寛恕不如意背反網倫理:04/12/03 14:34:22
平原女王は埋蔵八咫鏡のスケールからいって後漢時代の倭国シャーマン(アマテラス
見たいなもの)であったのであろうが、崩御されると日食が起こり、後漢末期でもあり
政情は不安定。ここで鏡宗教を編み出したのが神武と同期の思兼命。この男こそ
古墳時代を築いたフィクサーだった。ただ出身はどうやら金属資源探査のテクノクラート
でいわば理系だったようだ。神武はマジシャン、政治家、武闘集団であり、やや格は下だったのかもしれない。だから神武時代というよりか思兼時代といったほうがいいのかも
しれない。テクノクラートにはイシゴリトメというのがあるが、後に十市氏から出た鏡作り
担当部長十市ゴリと銅鉱石精錬担当生部(ナシベ)が公孫に後漢鏡輸入のために派遣され
魏の公孫征伐に直面邪馬台国時代が始まるのであろう。
659寛恕不如意背反網倫理:04/12/03 15:37:56
崩御された平原女王を八咫鏡に封じ込め、これを大和に東遷させ、大和、東海、関東に
拡散を始めていた銅鐸文化の破壊者である山陰系鉄器文化を押さえ列島を統一する
という思兼命の天才的発想によりあたかもUFOによるがごとき纒向新都建設された。
面白いのはこれが神武の2年ごろとされることである。つまり、神武は蚊帳の外のよう
なのだ。
660寛恕不如意背反網倫理:04/12/03 19:26:39
しかし、神武の話にも八咫烏を飛ばすのが出てくる。山の尾根伝いに八咫鏡を
持ったものがピカピカ光通信を行って神様の送受信をやっていたのだろう。とすると
神武は既に鏡を持っていた。つまり、思兼命の発明以降、あるいは、その神器を
もって近畿に入ってきたのかもしれない。この辺は極めて重大なところだがはっ
きりしない。神武の話には相当抜けがあるようだ。
661日本@名無史さん:04/12/03 19:40:49
神武は応神です。
662日本@名無史さん:04/12/03 20:33:48
なんか、乙
663寛恕不如意背反網倫理:04/12/03 20:37:29
応神は倭の五王の始祖であり、河内に世界最大級の古墳を築いた人々の
初代王でしょう。そうした地域的古墳群はその前が佐紀盾並、更にその前が
オオヤマトなどとありますが、神武というのはそうした古墳時代の草創期、つまり、
まだ国の姿がなかった頃の初めての全国規模の人間として、論理的にあるはずなんです。
神武はなぜ古墳時代が始まったのか、なぜ鏡が必要なのかのなぞを秘めた男のようですね。
664日本@名無史さん:04/12/04 06:01:42
また妄想のオンパレードか・・・やれやれ
665寛恕不如意背反網倫理:04/12/04 16:27:47
神武は多分纒向建設の始まる前に崩御したのであろうが、香具山のふもとで
夏至の太陽線が纒向の方角を狙んだ場所に葬られたとされている。神武の敵とは
出雲系と見られる長髄彦の義兄弟ウマシマジだったのじゃないかな。しかし、ニギハヤヒ、
ニニギ更には奴国の首長ニキなんていうのは筑豊の人間の感じであり、神武も相だった
ないかとおもう。ところで、八咫烏というのは太陽の化身であるカラスが封じ込められた
状態の八咫鏡のことであると考える。どうやら神武はこれをもってきたようだ。
神武記には勇ましい戦闘シーンばかりが入り、八咫鏡は神話の岩戸儀式の方に入れら
れてしまっている。神武の話は作られたというよりか、壊されている感じがするんだがなー。
それとも神武というのは長髄彦同様戦士の一面を持った、吉野ヶ里の勇者のような
人だったのかしらね。

666寛恕不如意背反網倫理:04/12/04 20:25:04
記紀、伝承は鏡を使用した岩戸儀式を考案した思兼命の叡智を絶賛し、
伊勢神宮に祭っている。その背景はよくわからないが、勝海舟の江戸城
無血開城のように、筑紫と出雲の間で倭国を引き裂くような内乱の可能性が
あったのを鏡の東遷という形、シャーマン共立という形で切り抜けたという
歴史があったのか。伊勢神宮に眠る思兼命の魂に聞いてみたいものだ。
667狭野:04/12/04 21:32:40
>>665
「入れられてしまってる」じゃねえよ。「八咫」ってのは大きさで、要するにでかいってことを表してんだよ。
八咫鏡=八咫烏なんて誰も言ってねえよ。
668寛恕不如意背反網倫理:04/12/04 22:01:03
わしは誰も考えんことを考えるんじゃ。カラスの勝手じゃろう。
669寛恕不如意背反網倫理:04/12/05 09:59:55
わしの推論では筑紫は古来、チクシといったが、更に太古に置いてはタケシといった
はずだ。タギシミミというのは筑紫王。カケシウチの宿禰というのは筑紫征討将軍のこと。
これなどは葛城の襲津彦が伊都国、つまり糸島、シマに大卒として派遣されていたので
葛城にいるシマの宿禰ということで説明がつき、建内という役職が非常に古いことを
示していると考えておるんじゃ。面白いのは出雲のタギシハマ、天の安川ということは
出雲が筑紫を占領していた、つまり、門司から夜須あたりは出雲の支配下にあったと
考えられるのじゃ。筑紫の国にあった竹のカーテンというかの。神武時代の謎はこうした
発想によって読み取るべきなんじゃ。ただこれは海人族の管轄区の話かもしれないね。
投馬国という中国地方東部の一大海人族王国があり出雲はその中核であったということ
もあるかな。アマテラス、アカルヒメなどの発想は半島南端の倭国領土にいた呉の末裔の
海人族が持ち込んだものだと思う。
670寛恕不如意背反網倫理:04/12/05 10:12:30
記紀、出雲神賀詞を脈々と流れるメーンテーマは国土建設の取引条件だ。つまり
日本はオーダー(発注書)でできたのではなく、出雲と筑紫の契約によってできたのだ
というのが記紀の骨子であると思う。要するに、鏡、古墳の宗教の下に銅鐸時代に
活躍し、鉄器文化導入にも一役買った出雲族は一線から引退した。なんだか新撰組
見たいになっちゃったな。いいじゃないか、もうすぐ年末だ。近藤勇もおしまいかな。
671日本@名無史さん:04/12/05 13:26:05
つうか神武天皇は神
672寛恕不如意背反網倫理:04/12/05 14:59:31
古事記も神武は人皇よりは半ば神だといってるようだ。しかし、タカミムスビのような
100%神様とは違うよなー。この辺は執筆者のさじ加減だと思うんだが、アマテラス
も多少神様らしくないところがある。記紀が史書であり、聖典であるという二面性
を持たされたからそうなるんだろう。遠慮せずに人間的な要素は史実から来ている
という想定で進めるべきじゃないかな。逆に神様部分を神学としてしっかり整理して
いないから混乱が出ているのかもね。
673日本@名無史さん:04/12/05 17:31:24
今回、法隆寺から焼失壁画の一部が
見付かったことで
日本書紀
674日本@名無史さん:04/12/05 17:37:53
日本書紀の信頼性がますます高まった。
かつては左翼アカデミズから偽書とまで決めつけられた
書紀だが、その後の考古学的発見により
近年その歴史的価値はますます高まっている
675日本@名無史さん:04/12/06 05:45:56
>>674
お前はヴァカか?
676日本@名無史さん:04/12/12 11:34:29
>675 考古学を知らないのか?
677寛恕不如意背反網倫理:04/12/18 09:36:11
山陰の影響下、庄内式土器が生まれる。山陰地方から銅鐸の廃止が始まる。岡山、楯築遺跡が造営される。
東瀬戸内に積石墳、前方後円墳、鏡の埋納が始まる。橋墓、布留式土器が始まる。記紀が示唆するのは
鏡儀式の起源の九州北部での日食との関係を持った発生である。半島、九州、近畿には太陽信仰シャーマン、
特に、女性シャーマンの渡来を示唆するものがあり、平原遺跡からは八咫鏡ではないかと思しき大型鏡が
出土する。記紀のメーンテーマは出雲と九州の戦いである。こうしたことを背景に私は、神武に出てくる
八咫烏を八咫鏡と太陽の象徴である烏の合成されたものと見る。神武とは古くから九州に伝来している、
鳥(神武の場合は鳶)トーテムをもつ、中国沿海部出自の文化保持者ではないかと思う。これが九州に甕棺、
支石墓・ドルメンをもたらしたのだろう。
神武が最初に近畿に鏡と持ち込んだ。そして何代目かの女性シャーマンが完成された橋墓を背景に邪馬台国
を代表していたと私は見ている。
678寛恕不如意背反網倫理:04/12/18 09:38:57
おっとっと、橋墓とは箸墓のことじゃ(箸とは聖徳太子の時代に中国の風習を緊急に取り入れてできたもののようじゃな)。
679日本@名無史さん:04/12/18 12:51:28
八咫烏は人名なんですが。
鏡とか烏とかどこに書いてあるんですか?
蘇我馬子は馬の子ですか?
680寛恕不如意背反網倫理:04/12/18 17:30:16
人名になって、身元もはっきりしてますね。おっしゃるとおり。でも、人名らしく
見えないんですね。だから、これを人名とせずに鏡、烏などの別に意味から
解釈してみたいんです。チャレンジですがね。
681狭野:04/12/18 22:48:24
八咫烏は軍装の一種。
ただ、絵として表す場合は昔から三本足の烏として表されている。
682寛恕不如意背反網倫理:04/12/19 11:08:24
いやー、勉強になりました。行軍には興味があります。
683日本@名無史さん:04/12/19 11:11:10
応神天皇のスレはここですか?
684寛恕不如意背反網倫理:04/12/21 20:30:34
八咫烏、八咫鏡の関連だが、思兼命の発案による岩戸神事というのが、鏡を
矛でぶら下げ岩戸のかなたに差込み、鏡の中に太陽を取り込み、太陽を再生さす
秘法と考えると、八咫烏というのは太陽の象徴である三本足(朝、昼、晩)の烏
の鏡ということになるのでないか。ホアカリ、ホスセリなどは火と日の伝承が
誤って伝えられたものと解釈する。
685ゴジンム:04/12/22 10:51:15
>>683
否、神武天皇のスレです。
686狭野:04/12/23 15:30:20
>>684
「太陽の象徴の烏」というのはあくまで支那の伝承だからね。
我が国に関してはどこにもそんな伝承は痕跡すら残っていない。
大体八咫烏が太陽なら、天照大神はカラスってことか?
カモノタケツヌミノミコトは天照大神と同じ神様か?
687寛恕不如意背反網倫理:04/12/24 09:25:29
>太陽の象徴の烏」というのはあくまで支那の伝承だからね。
>我が国に関してはどこにもそんな伝承は痕跡すら残っていない。

韓国東南部に日本が製鉄プラント輸出をしたところでホコウというところがある。浦項
と書いたかな。そこの伝説に烏の名前の入ったヨンさんという男女のシャーマンつーか
そうしたものが、日本に移る話がある。日本に移ると新羅の太陽が消えて王様がおわてた
というが、どうも連中は三国人のようだ(シナ人かな)。

おっしゃるように日本には烏が太陽であることを示す伝承がない。だが、熊野神社には
カラスをあしらったデザインが残っている。これはあの辺に徐福伝説が残ることとも関係
はないだろうか。

那智大社にはナギというきがあるんだが、室戸から高知に向かう自動車道の真ん中に
ナギがあった。イザナギの墓所は熊野の近所だがこのへんはどうなってんのかな。

神武の戦闘が最も激しかったいなさの彼方は三輪山の麓の出雲だ。神武の敵は誰
だったんだ。長髄彦だけではあるまい。
688寛恕不如意背反網倫理:04/12/24 09:49:52
>大体八咫烏が太陽なら、天照大神はカラスってことか?
>カモノタケツヌミノミコトは天照大神と同じ神様か?

アマテラスの伊勢神宮はもともと狐、これは赤坂豊川稲荷の本社である
豊川神社と同じだが、アイヌの神話にはよく登場するらしい。
そういう話がある。

タケツヌのタケツ、タギシなどはチクシの古名でタケシという言葉が
あったのではないかと考えているんだ。タギシミミという言葉が筑紫の
大王という意味となる。出雲のタギシ浜というのは出雲ではく大和か、
または筑紫であった可能性もある。

記紀は金科玉条で読んではだめだぞ。


689狭野:04/12/26 20:00:04
悪いけど、俺は愛知県民でね。豊川稲荷についてはよく知ってるんだ。
豊川稲荷は豊川閣妙厳寺というれっきとした寺。
稲荷は本尊ではなく、山門の守護神だが、その正体は仏教のダキニ天で、天照大神ともアイヌともまるで関係がない。
それが稲荷と呼ばれるのは、ダキニ天が稲荷の本地仏とされているため。
そもそも稲荷自体狐ではない。狐は稲荷の使いに過ぎない。
いや、ていうか、そもそも何でいきなり狐が? カラスはどうなった?

> タケツヌのタケツ、タギシなどはチクシの古名でタケシという言葉が
> あったのではないかと考えているんだ。タギシミミという言葉が筑紫の
> 大王という意味となる。出雲のタギシ浜というのは出雲ではく大和か、
> または筑紫であった可能性もある。

で、タケツヌミノミコトが太陽神だという話はどうなった?
690狭野:04/12/27 21:47:04
伊勢神宮が狐ってのは多分外宮のことを言ってるんだろう。
外宮の祭神「豊受大神」は、稲荷大明神「倉稲魂神」と同じであるという構図に、神使である狐を稲荷と同一視する考えが結びつき、
更に天照大神と豊受大神を不可分とする二宮一光説と相俟って生まれた、トンデモ説だろう。
691寛恕不如意背反網倫理:04/12/28 11:12:57
狭野さんのほうが詳しいので勉強させてもらう。漏れは学識においてはちょっと勝てないが
色色と発想をめぐらすのが好きなんだ。熱田神宮、豊川稲荷が本来伊勢方面から逃れてきたということはないのかね。
692日本@名無史さん:04/12/28 12:44:15
今、CSで無料放送してるチャンネル桜っていう右翼チャンネルではよく「2000年以上
の日本の歴史」とかいってるよ。
693日本@名無史さん:04/12/28 17:21:24
>>691
神社仏閣板できいた方が詳しい話きけると思うけど。
694狭野:04/12/28 20:51:40
>>691
熱田神宮も豊川稲荷も、有名だから文献もサイトも豊富だよ。
695日本@名無史さん:04/12/29 00:57:31
>>692
マジレスすると、神武は1,2世紀の人だと思う。
つまり卑弥呼よりちょっと前の人。
卑弥呼は崇神、垂仁と同世代。
696寛恕不如意背反網倫理:04/12/29 16:30:50
卑弥呼は多分神武を祖としていたんじゃないか、つまり、卑弥呼の鬼道は
神武の丹沙を入れた壷を川に流したり、鳶を弓に止まらしたりするシャーマニズム
を忠実に守っていたのではないかと思う。神武が香具山の土でヒラカという土器を
作ったというのは神武の時代に何らかの土器製造技術の変化が行われたのでは
ないだろうか。考古学的には弥生式土器が庄内式土器に変化するころ活躍したのでは
ないかと思う。鳥飛百石姫というのも神武の継承者で鳥の(ひょっとすると凧上げ)
等をやってたんじゃないかと思うんだがね。鳥飛百石というのは筑豊と同様の
東に向かって鳥が飛ぶように集落、遺跡の配置をした国と考えるんだけど。
神武の子のタギシ耳が惨殺されるのを考えると、神武とは大和の集団に利用された
九州の傭兵の長であったのかもしれない。
697寛恕不如意背反網倫理:04/12/29 18:57:29
狭野さん有益な情報ありがとうございました。そちらのほうを覗いてみます。
698日本@名無史さん:04/12/29 20:47:18
日本って国は何時どんな風に出来たの?
学校の先生は教えてくれない。
699寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 08:26:03
紀元前1千年紀は弥生時代という中国の長江下流域から水田農業を伴う人的、物的な
流れを伴う一つの時代であり、この時代に日本の基礎が築かれたが統一国家的な意識は
なく、その末期においても百余国などといわれるとおりどんぐりの背比べのような状態。

弥生末期に九州の銅剣銅矛、中国近畿東海の銅鐸などの広域文化圏ができ、更には
近畿の前方後円墳・鏡文化が中心となって弥生式文化が古墳時代に入る。この当時
の象徴的な遺跡が岡山の楯築遺跡、奈良県の箸墓古墳であり、神武東遷の話と邪馬
台国の話を重ね、更に、各種古墳、銅鐸消滅、鏡出土の地理的動きを見ると日本が
ある時点に統一され(多分高天原において卑弥呼が共立され)た時点があるように思
える。

おそらくは神武の没後、東海・吉備の勢力によって纒向に多分ヒモロギと呼ばれたで
あろう箸墓が建設され国土の誕生を祝ったのではないかと思うのですがね、
700寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 09:18:17
太陽や月の恩恵を受けるものはその恩恵を租庸調としてアマテラスを奉じるものに
奉げなくてはならないというのがその根本思想であり、この中央集権思想を妨害する
在来の大国主、スクナヒコナなどの国つ神との宗教管轄権(国土)献上への要求
がまさに日本統一の基本姿勢であり、鏡がそのシンボルであったと思う。
とんでもない発想だが、熊野の神々はこの時期に神武によって大和を追われたものでは
なかったのかな。すなわち、今の出雲の地名の残る三輪山周辺はその故地でなかった
のではないだろうか。
701日本@名無史さん:04/12/30 09:29:44
ジンムという響きはモンゴル語の響きに似てる。
702寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 09:38:39
アマテラスというのは平原遺跡の女王のような存在が神格化されたもので、本来はタカミムスビの神を祭る巫女王
のようなものであり、吉野ヶ里方面で当時としては世界最先端の絹の機織工場などを経営していたのでないかと思
っている。この女王の墓からは巨大な鏡が発掘されているが、これを岡の港から和歌山方面に運んだのは神武でな
かったのだろうか。
703寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 09:43:22
神武なんていう漢字を入れ知恵したのは高句麗滅亡の際に亡命してきたインテリ
が高句麗神話の鄒牟なんかをもじったもので、当て字であることには間違いない。
おまけに長髄彦も高句麗のストーリーのキャラクターらしい。しかし、それはそうとして
神武自身は実在したのではないかと思う。
704狭野:04/12/30 18:29:34
記紀を見ると、大和朝廷の祭器として、天照大神より一貫しているのは鏡。
銅剣でも銅矛でも銅鉾でも銅鐸でもなく、その後に出現する鏡である。
要するに少なくとも神武朝は、それほど古い時代のことではないということだ。
で、我が国で出土する鏡の中で、古い時代に属する魏晋鏡の分布(三角縁神獣鏡はもっと後)を見ると、弥生時代までは九州だが、古墳時代よりは近畿にその中心が移っている。
つまり神武朝の始まりは古墳時代ということだ。
古墳時代がいつから始まるかという問題もあるが、大体3世紀、卑弥呼と同時代かそれ以降と見ていいだろう。
神武朝が卑弥呼と同時代以降であれば、卑弥呼=天照大神と見て差し支えないのではないか。
705寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 20:23:06
邪馬台国畿内説には賛成。神武が古くないことにも賛成。ただし天照大神の機織工場
は吉野ヶ里でないかなという点とヤタノ鏡ではないかという大形鏡が出土する前原遺跡、
近くにはオノゴ島もあるし、どうもあの辺がくさい。しかし天照大神という呼び方は邪馬台国
で誕生し、卑弥呼がそのモデルかもしれない。その線もありえるのではと考える次第。
706日本@名無史さん:04/12/30 20:24:48
倭国大乱時代が
天孫降臨とそれに先立つ
先遣隊による平定の時期
707寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 21:01:38
天孫側にフツヌシという鉄剣を使う戦闘集団のようなものがいたのではないだろうか。あるいは
フツノミタマというのが鉄製の名刀であったのかもしれない。古墳末期において鉄の良く出回って
いるのは肥前、肥後なので天孫の一部はこの辺かもしれないと思っているんだけど。また、出雲よりか
鳥取、丹後地方の可能性もある。天孫という考えに薩長土肥のようなものを考えてみたいのであるが、
魏志倭人伝に出てくる投馬国というのが人口が多くて怪しい。
708狭野:04/12/30 21:37:22
言っとくけど、漏れは九州説というか、東遷説だからね。邪馬台国は古墳時代より前だよ。
709日本@名無史さん:04/12/30 22:14:10
東遷説には俺も同意
710寛恕不如意背反網倫理:04/12/30 22:32:24
平原の女王は多分帥升の後の倭国女王であり、絶大なカリスマを持っていたが、後継者がなかった。伊都国に治した。
その没後にニニギ、ホホデミ・神武等の男性王が出て東遷計画を打ち出し、最終的には吉備楯築遺跡(アマツイワサカ)で全国
高天原大会が開かれ卑弥呼j共立が決定された。神武は和歌山市付近から大和に入った。・・・こんな感じがするんだがね。
711狭野:04/12/30 23:04:20
ふむ、同時代に分かれたと見るわけか。
国内文献に登場するカリスマ天照大神と、国外文献に登場するカリスマ卑弥呼、鏡でつながる両者を結びつけるつもりは無いと。
712日本@名無史さん:04/12/31 00:29:41
神武天皇の持っていた天孫のみしるしは天羽羽矢(あめのははや)と歩靫(かちゆき)。
鏡とか剣とか勾玉とかそういうものが三種の神器になる前の話だと思う。
713寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 07:58:01
この前後関係が重要だなー。国土統一の結果、旧管轄権保持者に3種の神器を献上
させたものだろう。勾玉はヌナカワといわれるl越の国、剣は出雲で四隅突出型古墳
地方、鏡は筑豊だが、天孫自体の出自はどこなんだろう。天孫とは天照大神を祀る
祭祀集団と解釈する。崇神、応神、継体等が登場するたびに若狭湾沿岸からの出自が
喧伝されるのは、海部、尾張系図の通り初代王は大和宿禰でなかったんじゃないかなー。
高千穂で行われた神事と出自を強引に結び合わせている気がする。
714寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 08:21:58
天照大神、日向三代等は後漢時代の北部九州の伝承であり、後漢の衰退と共に倭国乱が発生し
伝承とか鏡は東遷したのであろう。これを媒介したのは海人族と中国、近畿北部の「投馬国」ではなかった
だろうか。
715寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 08:47:18
倭国乱でもって倭国の重心が東に移るのは弁辰の鉄資源を独占してきた九州北部の権益が後漢の衰退と共に
鳥取・若狭湾周辺に移動した結果ではないのかと思う。当時は出雲の製鉄技術なんかはまだ発達していなかったはずで
輸入品の鉄剣が幅を利かせていたのでないかな。しかし出雲には銅剣銅鐸時代からのシャーマニズムがあり、近畿を中心に
祭祀権を握っていた。国土統一にはこの祭祀権を奪う新しい天孫降臨神話が必要であった。そこで大和宿禰らは九州王朝の
末裔神武を招聘し、次の代でカムヌナカワミミがその子を始末して大和朝廷を創設したが、天下のいまだ定まらない動きがあり、
古の九州北部の伝統を復活し、女性巫女王を祭り上げた。これが卑弥呼でその晩年に崇神が登場する。
716太国玉:04/12/31 09:52:39
>>701 (例)スマン→スマソ
ジンムテンノウ(神武天皇)→テムジンノウソ(鉄木真の嘘)
717寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 10:47:29
神武の倭国統一後倭国は革新的投馬圏(吉備・播磨・讃岐)と保守的な狗奴圏
(近江・尾張・遠江)に分裂、狗奴圏の王孝昭は倭国連邦を離脱、投馬圏
の王孝霊が魏との国交時代に政権を担当するも、娘の卑弥呼を国内的に
トップに据えて不安定ながら一応倭国を統一していたと考える。しかし、狗奴圏
からの侵攻が相次ぎ遂には中間的な位置にあった丹後勢力から崇神が
王に選出され初めて安定した国となった。
718寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 12:15:08
アルタイ、満蒙朝鮮、沿海州の古代の指導者は全て日本に亡命し、半島などに
残ったのはワイ族というサンズイに汚らわしいという字の民族ではないかと思う。
特に北朝鮮にはこの傾向が強く、韓国のヨンさんなどは日本に近いのではないか
と思っているのだけど。
719寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 12:24:24
孔子が筏があれば日本に亡命したいといっていたというくらい今も昔も漢民族
というのは付き合いにくかったらしい。覇権主義って言うのかなー。孔子なんかは
日本人に近かったのかもしれないね。秦の始皇帝も山西省に入る以前には山東半島
の東夷出身という説がある。彼がしょっちゅう東の海を眺めていたのもご先祖の関係かも
知れない。
今から6千年以上前の喜界が島カルデラの大噴火で縄文人が周辺諸国にあふれ
出したことが遠因かななどとも考えている。
720寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 16:59:02
ところで狗奴圏が保守的というのは三遠式銅鐸文化圏、廻間土器、前方後方墳等のローカルカラーを堅持したということだろう。
しかし、伊勢の椿神社の遺構であるとか、近江の伊勢遺跡を見ると前方後円墳とかストーンサークルのような楯築遺跡を髣髴させる
アイディアがある。楯築で行われたであろう高天原議会時代には狗奴圏と投馬圏は仲が良かったものと考える。楯築でトルコ族の
古墳である中円双方墳が取り入れられているのは馬韓月支族のアイディアかと思われるが、これは弁辰の倭地の影響もあるのだろう。
トルコ族は狼を信奉するので、狼の遺跡をプロットすると彼らは中国地方から本州北部方面に流れたようだ。
721寛恕不如意背反網倫理:04/12/31 18:07:55
倭国の首府が伊都国から纒向に東遷するのは一足飛びでなく、それは神武東遷にもあるが吉備を経由している。
吉備は投馬圏の首府であり、楯築遺跡の建設はここが一つの倭国の新首府の候補地であったのかもしれない。
こうした東遷の契機は恒霊の間の倭国乱であるが、それは後漢に冊封された北部九州の地位が後漢の弱体化で揺らぎ
弁辰の鉄を独占してきた北部九州の権益が投馬圏の日本海沿岸である鳥取、丹後に移行したことが原因と考える。
弁辰の権益が投馬圏に移行したことにより投馬圏の南部である播磨、讃岐、阿波、河内方面に弁辰地方からの異民族の
墓制が導入される。こうした背景で北部九州のカリスマ女王が崩御し、高千穂で禊を行い、新都を纒向に求めて祭祀儀礼が
海人族によって移動される。これをメドレー風の物語としたのが神武神話ではないだろうか。
722日本@名無史さん:05/01/01 18:28:08
あけましておめでとうございます
723寛恕不如意背反網倫理:05/01/01 19:48:27
おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
724狭野:05/01/02 14:38:01
明けましておめでとうございます。
725狭野:05/01/02 15:58:57
>>712
遅レススマソ。
それはそもそもナガスネヒコが、ニギハヤヒのみしるしとして出した物で、同族だという証明としてイハレヒコ一行も出したと見るのが妥当だろう。
即ち天津神の御子(ヤマトの王族)が皆持っていたものではないか。
三種の神器とは少し性格が異なるものだと思う。
726狭野:05/01/02 20:54:48
そもそも王位(皇位)継承の印というもの自体、王権が固まってからのものだろうしね。
727日本@名無史さん:05/01/03 07:58:02
王権が固まる前っていつの話?
東征前に九州にいた頃から九州の豪族としては固まってるだろ?
その頃は九州の王権じゃんよ。
728寛恕不如意背反網倫理:05/01/03 13:09:23
天孫が山上に降臨した後から中つ国が平定されるというのは逆であって、先ず
中つ国(平原光沢の地)がまとまってから国見を行う高天原が決定されるのであろう。
UFOに乗って飛来した天孫族が下界を制圧するとか、天上の高天原があり出雲大社
のような高殿、虹のような浮橋が天地を結ぶという美しいメルヘンができるのはそうした
話を語ることを半ば職業とする人々の存在を許容するだけの大きな集合が成立したと
いうことだと思う。
各地に「高地性集落」ができるのは農業単位(集落)が統合され拡大してゆく過程では
ないかと思う。
神武東遷を国譲り時代の後においているのは順当に見えるが、国譲りのプロセスは
神武東遷で終了したとするよりむしろ開始されたといったほうがいいのでは
なかろうか。国譲り時代の多くの話は欠史8代の歴史であった可能性があると思うの
だが。
天照大神(太陽)が自分を崇拝するためにこの鏡を見よとして授けた鏡は崇神によって
宮中を出て、倭姫の時代に伊勢に至る。
この鏡は豊前で作られ、高千穂での儀式を終えた後、瀬戸内海を東遷し、紀州から
大和に入ったと考えると話がよく合う。
729日本@名無史さん:05/01/03 14:06:19
天空を飛来したような話は記紀に無いだろう(天孫関連での話)。
「あま族」という部族と民族の中間みたいな人間が海辺で暮らしていたわけだが
この「あま」という発音に「天」という字を宛てただけである。

対馬から遠ざかれば「天下る」という表現もした。「あま」の女王(男説もあるが)
アマテルは、天族の代表者だったから孫のニニギは「天孫」である。
ニニギが対馬から筑紫のクシフルダケに上陸した行為を「天孫降臨」という。
別に空中から降り立ったわけじゃない。
730日本@名無史さん:05/01/03 14:22:05
>>686
>カモノタケツヌミノミコトは天照大神と同じ神様か?
賀茂建角身命はイワレヒコを支援した先住葛城賀茂族を、人称で
表してるに過ぎないだろ。
731日本@名無史さん:05/01/03 18:09:55
少し違う話題で恐縮なのですが、
霊剣フツノミタマは石上神宮にあるんですよね?
鹿島神宮ではないですよね?
732日本@名無史さん:05/01/03 18:19:45
>>729
>「あま族」という部族と民族の中間みたいな人間が海辺で暮らしていた...
「あま族」=天族=海人族ということですか。民族の中間みたいな人間って、
何族のことですか?
733狭野:05/01/03 18:47:49
>>727
豪族は王ではないよ。
初めから書くと、俺は天孫族出身のイワレヒコは、邪馬台国の傍流の王子の家系で、王位継承者ではなかったと見ている。
根拠は末子相続の時代に長男の家系だということと、火山灰土で土地のやせた南九州に行かされた事。
そこの代官のような立場だったのだろう。それ故にこそ、神武帝が王朝の創始者として伝えられているわけだ。
「王権の確立」とは、列島の支配者としての王権の確立。
まあ要するに、国の規模が天下に覇を唱えるに相応しいぐらいになるってことね。
時期としては抽象的な「天下」が具体的な「国」になった崇神朝前後。

ただ、これは三種の神器に関するひとつの考え方。
もっと単純に、余りにも当たり前のことなので、天孫降臨のところで一度書いたから、それ以降は何か特別のこと(宮中から出すとか)がない限り書かなかっただけの話だという見方もできる。

>>732
「あま族」という、部族と民族の中間みたいな・・・だと思います。「人間」じゃなくて「人々」と書くべきだったな。
734寛恕不如意背反網倫理:05/01/03 19:21:00
アマには海があったか。ムムー。
735日本@名無史さん:05/01/04 07:28:08
ずいぶん前から勝手な憶測を書き垂れるだけの電波スレになっちゃってるね
昔はこんなじゃなかったけども。かなしいことだ。
736寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 10:40:26
畿内に大和政権ができる原因を記紀の中に追究するために色々と考えをめぐら
せているが、なかなかすっきりしたものがない。瀬戸内海東部に画文帯神獣鏡、
前方後円墳文化が自然発生したのか---こりゃーないだろう。原因のないことは
ない。今考えているのは倭国が後漢から金印を貰った時代に半島南部は倭国の
一部であったのではないかということだ。まー、仮に古朝鮮があったにせよ、金印を
貰うような政治的存在ではなかったのでは。少なくとも倭国は鉄を取っていたのは
間違いない。また、後漢との通交はあったわけで半島を経由した往来はあったはず
である。この辺の感覚を記紀で求めると何と仲哀、神功 時代となる。すると、オキナガ
タラシヒメ、タラシナカツヒコ等に出てくるナガ、ナカというのは奴の国のことで、タラシ
というのは金印の紫綬、オモイカネノミコトというのは金印という重い金属製品を持って
国王の側近を勤める補佐官かな。・・・
737寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 10:48:08
日出る国の国史に漢の属国であった歴史は白村江の後の倭国にとっては
由々しい問題であったに違いない。そこで打順を変えた編年が行われたとしても
なんら不思議ではない。
738寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 10:53:20
立太子などの天皇家の儀式に出てくる長ったらしい帯(タラシとも読める)を見ている
と金印の紫綬というか、帯というか長ったらしいものを当時の国王がどのように着用して
のかがわかる気がするんじゃがなー。どうかのー。
739寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 10:57:00
こうしてナガスネヒコという言葉を見てみるとまたしても「ナガ」があるではないか。
彼もまた奴の国の出身者であったのかな。
740寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 11:04:48
国史は国の社歴書。そこにはじめから土下座外交をするように弊社は御社の子会社
でありましたと書いたものを黙認して遣唐使に持たせたのでは何のための天皇じゃと
いわれたであろう。
741太国玉:05/01/04 11:11:14
(例)スマン→スマソ
ジンムテンノウ(神武天皇)→ウノソテムジン(鵜野祖鉄木真)
(訳)鉄木真の祖は高天原広野姫(さらに神武天皇)
742寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 11:31:18
こうしてみると邪馬台国の約50年ほど前に没したとされる平原の女王はタラシヒメの
称号を持っていたのかもしれない。そこに当時の倭国では最大数の鏡とか、八咫鏡
ではないかといわれる大型鏡が埋葬さtれているという事実は三種の神器の一つが
この地方から、高千穂での禊を終えて大和に移されること、つまり、神武神話に欠け
ている部分と、天照大神のモデルともなる部分ではないだろうかというのがわしの
考えじゃ。どうかの。
743日本@名無史さん:05/01/04 11:59:53
>>742
ん〜…くそ説でつねw

偽厨は勉強しろ!
744日本@名無史さん:05/01/04 12:12:16
>>742
おまいの考えはわかったから何の史料からそこまで導いた?ないんなら信憑性のかけらもない訳だが
745寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 12:12:31
邪馬台国の誕生はAD219年の後漢滅亡を契機に九州奴国金印が失効するすることと
なんらかの関係があるのかもしれない。「金印」の切れ目は縁の切れ目、相手はコスイ
中国である。この辺でキャッチャーも変えなくっちゃとばかり、重心を東に移し、匪賊の
ような公孫との貿易再開によって鏡等を輸入。卑弥呼が公孫に遣使すると、彼は魏に
殺され、魏は何を間違えたのか邪馬台国卑弥呼を買いかぶって大量の鏡を提供。
多分倭国が呉の太白の子孫で、呉を裏切るとでも思ったのか、血迷って邪馬台国を
台湾あたりと誤解した。これが倭国には大きなプラスになったのであろう、魏使を案内
なんかするときは行きは南だ、帰りは北だと嘘をついたのだと思う。
746日本@名無史さん:05/01/04 12:16:44
>>745
よ、何を根拠に言ってんの?何を元に言ってんの?あなたが言ってることはそれらしく聞こえるが、何の史料・史書を参考にしたか書いてない時点で妄想に過ぎないと思うが。
747寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 12:24:16
そういわれるとチョイ弱いねー---笑
748日本@名無史さん:05/01/04 12:29:21
結局は誇大妄想の巣か?おまいらは所詮そんなとこ。そして、その程度の人間が様々な説に愚痴る…いい加減学位取得しろ
749日本@名無史さん:05/01/04 12:55:56
証拠なんて、誰も出せなかったから、今まで未決着なわけだ。
学位のある大学者だって、いろんな仮定を組み合わせては
蓋然性の高いかどうか洞察してみて、あまり自信が無い説は
発表しないで心の奥にしまっておく。しかしこの段階の考察は
滋味に富んだものであり、脇が甘いことも含めて楽しい内容だ。

私は「寛恕不如意背反網倫理」氏の話をそのように聞いている。
脇が甘いだろうし、理論武装もしていないだろうし、証拠固めが
出来ていないだろうと思うが、価値が無いのではまったく無い。
750日本@名無史さん:05/01/04 13:15:10
価値はないよ、当てずっぽうが役に立つほど学問は甘くも浅くもないよ。
一般論で誤摩化してる暇があったら普通に勉強しなさいな。
751日本@名無史さん:05/01/04 13:29:57
学者は未発表の考察をたくさんしているわけで、それ自体に価値がある。
ただし、知性の無い>>750以外の人類にのみ価値がある。
752寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 13:33:35
邪馬台国関連でホケノ山の年輪なんかを測定するとAD210年代とかの値が出るというので因果関係に自信はもてない。
しかし、科学が万能ではないと思うんだ。10年程度の誤差があってもいいんじゃないか。後漢滅亡という国際情勢に
あわせて纒向建設に着工したということもありえるよね。
753日本@名無史さん:05/01/04 13:34:44
>>751
なあ〜に?これは?
知性のない>>750といっているのか?
知性のない、(>>750以外)の人類
なのか??「知性のない」とは>>750にかかるのか?人類にかかるのか?
754日本@名無史さん:05/01/04 13:35:51
>>753
知性を使えよ。
755日本@名無史さん:05/01/04 13:38:13
人類にかかれば、数十億人が知性のないという話になる。
756寛恕不如意背反網倫理:05/01/04 13:43:10
ホケノ山の被葬者が後漢滅亡に時を合わせて死んだというのはおかしい。既に
素地があった。ホケノ山古墳の後で纒向都市建設、箸墓建設が始まったとしなく
っちゃおかしいな。この点、先生方のご意見を拝聴したいものです。
757日本@名無史さん:05/01/04 18:23:42
藻前らちゃんと過去スレ読めよ。このスレの痴性ぶりがよくわかるだろ。
758日本@名無史さん:05/01/04 18:25:34
面倒臭いから嫌だ
759寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 08:08:02
神武はその皇后イスケヨリヒメを7人のショートリストから最終選別する儀式上不可欠。つまり、纒向に新都を
建設し、倭国女王を選出する時代に不可欠である。纒向地方には三輪山があり、金毘羅さまと同様、大物主
が神様で、これを維持する氏子集団はあったはずだが、天孫は地元出身者を女性祭主に選出することを禁じ
ミホツ姫を派遣している。ところが、現在の三輪神社はイスケヨリヒメ第一に祀っている。ミホツ姫は山から相当
離れた里のほうの神社に鎮座している。神武のじの字もなく、天皇社という祠を路傍に配しているがこれは崇神
天皇用である。これはイスケヨリヒメこそ初代纒向の女王であったことを意味していると思う。崇神記を見ても
労働条件は過酷なようであり、卑弥呼は一代ではなかったかも知れない。神武がイスケヨリヒメと結婚し、葦の茂る
新居で新婚生活を送ったのならなぜ先妻の子供のタギシミミがイスケヨリヒメとの子、カムヌナカワミミ(上越市長
見たいな響きがする)に殺される必要があるのかを考えると全ては統一倭国建設をメルヘン化したものとしか思え
ないのだ。
760寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 08:19:49
三輪山山頂の祠はヒムカイノミコ神社というそうだが、「ヒムカイノミコ」とはヒミコとも聞こえるし、狗奴国「ヒミキコ」とも聞こえる。
中国人が何か間違ったのかもしれないね。
761寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 08:25:33
あるいはまた狗奴国というのが大和乃至は河内を追われた先住民が東海乃至は南紀乃至は山陰に逃げ込んだのかも。
762寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 08:48:00
天孫とは米英ユダヤ人選挙民、ヤマタイ国とはイスラエル、狗奴国とはパレスチナ解放組織と考えるとヒミコ時代の
邪馬台国の国情が良く理解できるのではないだろうか。
763寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 10:56:27
纒向建設に参加したものに兵主神および徐市(十市)を奉じる秦韓ヒボコがあったのではないかと想定している。彼らは秦始皇帝崩御
の頃、三東を発し、遼東、楽浪、馬韓経て秦韓に達した後、弁辰において倭人系シャーマン(アカルヒメ)と共同で鉄を取っていたが、
アカルヒメが鉄資源の枯渇で見切りをつけ難波に引き返した後を追うように播磨に入り、纒向建設後は出石あたりに領土を安堵された
のでなかろうか。投馬国の消長、瀬戸内海東部の変貌の背後に渡来集団の影を見る。高天原倭国政府は彼らの思想的影響を極度に
警戒邪宗門扱いした。特に製鉄技術者に危険な狼宗教を信じるトルコ系(ヒミコ時代に金印を貰っている月支はアレクサンダー帝国の
末裔であり、日本神話にギリシャ神話の要素、インドに入った何とか語の要素を持ち込んだのも彼らか)等がおり、これを許容した
大国主政権に対して高天原倭国政府は政権の返上を求めたのではないか。ちなみに、吉備にはナシベ(生部)という姓があるがこれは
銅鉱石から銅を分離する業者のことであるという。邪馬台国はこうした技術屋を公孫に派遣していた。ちょっとした産業スパイではなか
ったのか。
764寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 11:01:02
素盞嗚尊に対する天照大神の怒りは邪宗門乃至は異民族に対する高天原倭国政府の取締りのスローガンだと思う。
765寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 11:34:58
この時代の廻間土器には共鳴現象というか、明治維新前夜に似たムードがあるという。これは黒船到来のような
何らかの社会変動の傾向が出ていると思われるのだが。さしずめ大国主とは徳川慶喜のようなものか。
766寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 12:47:34
邪馬台国外交官の難升米は生部とよめ、都市牛利は十市凝とよめるが、これは都の十市で凝、鏡の鋳型、を製造している
といった意味ではないか。すると、生部が産銅部長、都市牛利は鋳型部長であり、外交官の名の下に活動する輸入担当者ということに
なるのだが、当時は宗教的結社のメンバーでそのトップがヒミコということであったのかもしれない。
767寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 12:58:04
東京から17号線で日本海沿岸に出るあたりにヤヒコ神社があり、ヤヒコの神が船で鏡を持ってきたことに
由来するらしい。邪馬台国にもヤヤコというややこしい名前があるが、寺泊といったか、あの辺は磐越道にも近い。
後に、ヌナカワワケ、オオ彦が合図で合同するが、磐越自動車道の構想は非常に古かったといえるのかもしれない。
768寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 13:04:11
スマソ、会津で合流の間違いでした。
769寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 13:46:35
応神朝であったか、秦氏、夕月君が来ているが、渡来民来朝が何度もあった、又は、
応神朝とされるものが、現実には弥生末期であったのが、記紀編集の都合上繰り下
げられたということも否定はできないと思う。弥生末期に秦韓から豊前に渡来し、その後
最終的には備前、播磨あたりに落ち着いたという筋を考えてみたが、あくまでも仮説で
あり、立証はできない。だが、箸墓は何故兵主神社を向いているのかの謎に挑戦する
あまりこうした仮説を展開するに至った。挑戦こそこの2chの利点であろう。
770寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 16:08:01
更に言わせて貰うと・・・
タギシ>タケシ>チクシ>ツクシというように言葉が変化したと想定するとタギシミミとは筑紫王となり、これがイスケヨリヒメを
頂点とする大和朝廷によって征伐されたということになり、考古学の立証する通りの邪馬台国建設となる。つまり、日本史は
東遷ではなく西征から始まっているのだ。
771寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 16:19:04
高天原とは神武天皇の国見の地に近い、葛城の高天原であると考えたい。
772寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 16:44:24
神武が岡の港に寄港するがその先が抜けている。ここに筑紫王タギシミミが三種の神器をもって乗船し、大和に向かったと
いうような記事があったのではないか。
773:05/01/05 19:47:35
『道臣命在世記』(荒深道斉筆録)星雲社発売 口語訳(副題 神武太平記)

 
774寛恕不如意背反網倫理:05/01/05 20:11:15
タケシウチのスクネを筑紫討のスクネと読めるのであればタギシミミが筑紫王を意味する
ことの補強になるのだが。
775:05/01/05 20:22:49
『実録 神武天皇紀』(荒深道斉筆録)山雅房刊
776寛恕不如意背反網倫理:05/01/06 09:56:04
コテハン「寛恕不如意背反網倫理」は長すぎる。夕べ、二代目市川団十郎というNHKを見ていたら「しばらく」という言葉があった。
これからはコテハンを「しばらく」にしようと思う。それから固定観念に囚われることを防ぐために毎日、史観、人生観を変えてゆきたい。
先生といわれる人間ほどの阿呆にはなりたくないし、先生になれるはずもない。じゃーね。しばらく
777日本@名無史さん:05/01/06 10:08:50
>>775
山雅書房のそれまだ出てたっけ?
778:05/01/06 10:22:43
余の持っているのは昭和52年発行のもの。今は入手困難ではないだろうか?
東京、花小金井の神道団体「道ひらき」(現在もそこに在るかは知らない)に
同書の在庫があるかどうか聞いてみるといい。まだあるかも知れないので。
779日本@名無史さん:05/01/06 17:24:25
ずいぶんとナウなヤングだね。
780狭野:05/01/06 21:15:16
>>775
漏れも持ってるw
世界を支配してるのに北海道を知らなかったというあれw
781ゴジンム:05/01/06 21:52:13
>>780
解説を。
782狭野:05/01/06 23:38:50
>>781
と本につき知る必要なし。
神武帝の側近道臣命が、霊媒(荒深道斉)を通して自動書記で著わした神武天皇一代記。
人類は日本から出て各地に散ったんだそーだ。

前に熱田神宮の建国記念の集まりに出たら、これをマジで信じてる爺さんが結構多くて、
「こいつらが古代天皇研究の足を引っ張ってるんだなー」と思ったもんだ。
783日本@名無史さん:05/01/07 05:26:56
誰が知らないんだろう?
784日本@名無史さん:05/01/07 09:41:40
>>778
いや、今でも山雅房で扱ってるかと思ってきいたんだよ。
あんまり懐かしくてつい。漏れはリアルタイムで買ったからw

花小金井にあったのは「真幸基座」という支部で、
その本はその支部のオリジナル企画。とっくの昔に支部ないよ。

>>780,>>782
あれれ、けっこう知ってるやついるんだねw
785日本@名無史さん:05/01/07 11:09:22
ヲタク・アイテムですか?『実録 神武天皇紀』(荒深道斉筆録)山雅房刊
786日本@名無史さん:05/01/07 17:22:17
そうか?神国日本に人類が発生したのか?それとも否か?
日本は世界の縮図か?世界地図を見ると確かに似ている。
豊葦原の中津国とは、やはり日本のことか??
787日本@名無史さん:05/01/07 20:09:55
>>780
いやあの本の中の設定では世界を支配していたのは神武天皇より二千年前、
で、神武天皇が世界各地に調査隊(?)を派遣して
二千年ぶりに世界を再統一するという話じゃなかったっけ?
788日本@名無史さん:05/01/07 20:16:13
前神武
789日本@名無史さん:05/01/07 22:52:51
狭野=神武天皇
広野=持統天皇
790日本@名無史さん:05/01/08 12:12:06
>>782,>>778
それ四種類くらいある

1、最初の「道臣命在世記」これは昭和初期のもの。漏れはもってない。

2、戦後になって改題「神武太平記」上中下の三巻。内容はほとんど同じだと思う。

3、それを現代語に訳したのが「実録神武天皇紀」>>778,>>775のもの。上巻しかでなかった。

4、最近はまた「道臣命在世記 神武太平記」ってのが自負出版系の出版社から出回ってる。
  これはまた別人が3をいくらか訳し直しとわずかながら書き足しをしたもの。
  誤字脱字が多い。2と比べると注釈とか間違ってるところが多い。
791狭野:05/01/08 22:44:37
>>790
自負出版てなんかいかにも気負った感じでいいねw
792:05/01/09 16:35:31
『忍日伝天孫記』荒深道斉筆録
793日本@名無史さん:05/01/09 17:59:58
>>771
>高天原とは神武天皇の国見の地に近い、葛城の高天原である...
葛城山麓の高鴨神社近辺のことですか。するとイワレヒコが、河内日下から大和入りを
試みて撃退され、沿岸を南下し紀伊・伊勢境から再上陸するのは、合点がいかぬ遠回りで
解せぬ進軍経路になりませんか。
794日本@名無史さん:05/01/09 22:31:48
神武天皇というより欠史8代の問題ってのは、簡単に言うと、

@大昔に小林秀雄、都出比呂史などの考古学者がアプリオリに
 古墳時代は4世紀に始まる、と仮定。よって文献も崇神=初代
 倭王と同調。

 しかし、月日が経ち、

A纏向遺跡の年代から倭王権形成の時期が2世紀終末〜3世紀初頭
 と大幅に繰り上がる。
Aこのため、実在が予測されていた崇神天皇の前に数人の大王の存在
 が確実視。一部の学者が唱えるように仮に箸中山古墳が崇神陵であ
 るとしても纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、ホケノ山古墳?
 が王墓と想定。削平されたまたは不明のものを入れるともう少しある
 可能性。

と考古学の方は進歩したが、文献の方が検討が止まってしまってるということだね。
ことだわな。まあ、考古でも箸中山=最初の前方古墳説を死守するのもいるけどね。 




795:05/01/09 22:49:30
>>771 >>793
古事記はその冒頭にあらゆる記述に先走って高天原の存在から文を進めている。
その後に国生みの話があり、大倭豊秋津島が出来たことを説明している。
従って、葛城に高天原があったとは考えられない。
しかしながら、真のこの高天原から、第2第3の高天原を現出したということは
本当なのである。そういう意味では葛城が候補にあげられてもあながち
間違いではないが、これを進展し過ぎるとどこもかしこも高天原になってしまう
ので、警戒は捨てられない。正なる読み方はタカアマハラである。
796日本@名無史さん:05/01/09 23:03:13
だから壱岐の南の高台の岳ノ辻が高天原だってば。
http://www.ikikankou.com/img/08/map001.pdf

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakamaro/jnakamar.html
797:05/01/09 23:10:32
>>796
壱岐島は大倭豊秋津島の後の国生みとして古事記に載っているわけだから、当然
先述になっている本来の真の高天原ではない。
しかし>795で説明したとおり、第2第3の高天原がありうることから、
壱岐も高天原の片隣はあったとは言える。
798日本@名無史さん:05/01/09 23:34:28
では、普通名詞でしょう。
あま族のテリトリーにある見晴らしのよい高台。
799日本@名無史さん:05/01/09 23:55:31
>>794
>欠史8代の問題...
『勘注系図』から探る、欠史八代の実年代
ttp://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/6-1yasumaro.htm
800日本@名無史さん:05/01/10 14:10:58
>>979
>壱岐島は大倭豊秋津島の後の国生みとして古事記に載っているわけだから、
>当然先述になっている本来の真の高天原ではない。

8世紀の大和朝廷下で作られた古事記では、高天原がどこを指すのか
混乱しているだけでしょう。天照大神は紀元前の人ですからね。
801:05/01/10 14:51:48
>>800
確かに混乱というのはありうる。たとえば古事記と日本書紀とでは天皇の寿命
が全然といってよいくらい相違がある。
なれど、高天原に関しては註に強く「天」の文字はアマ(阿麻)と読めとして
高天原の語の正なる読み方を確実に指定している。
これは後代に読みに混乱の起きないように気を配っているものであり、
高天原の場所が須佐之男命の乱暴での混乱、破壊がないように警戒しているため
であるから、『高天原』に関しては記には混乱の心配はない。
802しばらく:05/01/10 15:09:01
寛恕不如意背反網倫理から勝手に改名しました。

>>高天原とは神武天皇の国見の地に近い、葛城の高天原である...

>葛城山麓の高鴨神社近辺のことですか。するとイワレヒコが、河内日下から
>大和入りを試みて撃退され、沿岸を南下し紀伊・伊勢境から再上陸するのは、
>合点がいかぬ遠回りで解せぬ進軍経路になりませんか。

鋭いご指摘であると思います。兵站に非常に苦労しているし、吉野縦走は
季節によってはインパール、八甲平縦走です。ただ熊野で戦闘を行っているし
初瀬川のいなさに敵の本陣があったような感じで、そこに対する奇襲攻撃のよう
です。ナガスネ軍が生駒方面に常駐している隙を突いたのではなかろうかと思います。
いなさの辺には三輪山山ろくに出雲という地名が残ります。多分敵は出雲だったのかな。
邪馬台国建国後も出雲とは冷戦状態が続いているようです。天孫の神アマテラスは崇神
いたるまで三輪山に祭られることはありませんでした。崇神の代に短期間祭られた後は
巡幸を重ねて伊勢に落ち着きます。この辺が出雲と天孫の実力のバロメータじゃないで
しょうか。

803日本@名無史さん:05/01/10 15:43:30
>>801
畿内にアマ族本来の生活を維持している人はまれだったでしょう。
イギリス人の祖先はヴァイキングだったが、王家にその時代の伝承が
どれだけ残っていたかは疑問。
「読み」程度しか正確で無かったでしょう。
804:05/01/12 10:51:39
須佐之男命の乱暴、混乱防止のため、かつ「削偽定実」の説明あって、その古事記では
とりわけ『高天原』に関しては混乱の心配はしないでよい。
805しばらく:05/01/12 11:16:34
スサノオの命の件ですが、
漏れは渡来系の、特に、水田耕作、養蚕などに無理解の部民に対する
高天原の規制を明文化したものと見たい。
806日本@名無史さん:05/01/12 13:15:57
>>804
>古事記ではとりわけ『高天原』に関しては
>混乱の心配はしないでよい

古事記編纂でいくら「削偽定実」したところで、
1000年前の出来事ですから、すべての伝承が
混乱していて「定実」しようがなかったわけです。
桃太郎伝説発祥の地も、各地で奪い合いしてますね。
「ヤマト」地名の奪い合いなどもっとひどい。
高天原も例外じゃありません。
807:05/01/12 13:23:29
ならば不定実と書かれてるよ。
808ダーウィン神:05/01/12 15:34:30
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
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人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
人類の起源は日本列島
809日本@名無史さん:05/01/12 23:00:22
日向だろ
810日本@名無史さん:05/01/12 23:34:20
>>807
史記のマネした修辞を信じてるワケね。
で、「高天原の場所を削偽定実した」ってどこに書いてあるの?
811日本@名無史さん:05/01/13 00:40:40
橿原神宮は修学旅行にもスルーされてるな。
春日大社に負けてどうする
812日本@名無史さん:05/01/13 00:43:07
近代あわてて「橿原」地名を探して、
急ごしらえの橿原神宮など行く気も起きぬ。
813狭野:05/01/13 19:05:47
高天原に関しては、本来は日本列島のどこかにあったとしても、記紀編纂者は少なくとも天上と信じていたわけで、地上のどこかをさしているとはつゆ思わなかった。
従って「混乱」は有り得ない。現代の歴史学と混同してはいけない。
地上に求めるとすれば、天孫降臨の高千穂(これも諸説あるが)の近くと見るのが自然だろう。

なお、「天」を「あま」と読むというのは、「あめ」ではないということであって、高天原を「たかあまはら」と読むということではない。
814日本@名無史さん:05/01/13 19:38:58
>地上のどこかをさしているとはつゆ思わなかった。

真実から乖離したこういう状態を
いくら「削偽定実」しても混乱した状態といいます。
815狭野:05/01/13 19:53:23
いやだから今と一緒にしちゃ駄目だって。
816日本@名無史さん:05/01/13 19:59:54
そんな論議はしてないって→C

私:今日の学術的観点から見て混乱しているでしょう。・・・・A

太氏:削偽定実したから混乱はない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・B

狭野氏:古事記編纂者に混乱という自覚はない。・・・・・・・・C
817:05/01/13 21:03:03
ここは神武天皇のスレなので詳細は省くものの
高天原はタカアマハラと読むのが正解なのだ。余は孤塁を守る。
しかし、>>813 狭野氏の説明は他は順当な解釈であるな。
818狭野:05/01/13 21:48:43
>>816
>>813は高天原の場所のみに関する発言であり、記紀に混乱はない、ということではありません。
それと、信仰と伝承と歴史が未分化だからといって、現代の価値観から「真実から乖離している」と見るのはいかがなものか。

>>817
「たかあまはら」と読むのは教派神道系の人に多いようですね。
神社神道系の人には余りいないようで。
819816:05/01/13 21:53:26
>>818
だ〜か〜ら〜 高天原の場所の話以外していませんが。
高天原の場所が後世、どこだかわからずに空想的になってきたのです。
古事記について語りたいなら、別な話題としてやってください。
820狭野:05/01/13 22:12:11
>>819
いやだから、
> 高天原の場所が後世、どこだかわからずに空想的になってきたのです。
その状態を「混乱」「真実から乖離」と評するのは現代の価値観であって、研究の態度としては適切ではないと言ってる訳です。
「混乱」とカギカッコでくくったのはそういう意味。
821日本@名無史さん:05/01/14 01:05:58
記の分注(高の下の天を訓みてアマと云う)は
「アメ」ではないということを示しているだけ。母音連接を嫌う古代日本人が
「タカ+アマ」と読んでいたとは考えにくい。

↑みたいな授業を受けた。つかノート探ってて見つけました。
ただ、「アメ」と「アマ」の違いについてはノートとってなかったのか
よくわからない。
822日本@名無史さん:05/01/14 01:33:54
天上でしかありえないだろ。
823日本@名無史さん:05/01/14 01:39:05
>>820
>〜と評するのは現代の価値観であって、
>研究の態度としては適切ではないと言ってる訳です。

はあ?
価値観と態度を並列に置いて文意は破綻してますよ。
現代の価値観など誰も話題にしていなくて、
学術的に文献批判してるんです。
824日本@名無史さん:05/01/14 02:10:12
学術的でない現代の価値観とか
現代の価値観ではない学術的態度なんてあるのかw
825日本@名無史さん:05/01/14 02:13:45
ええ、世間には、学術的でない現代の価値観だらけですが何か
826日本@名無史さん:05/01/14 02:21:27
>>812
幕末に、天皇が攘夷の決意を宣言しに大和に参るということで
当時公武合体政策で天皇を取り込もうとしていた幕府が、
十分な検証もせず急遽機嫌とりに建てたようですしな。
本当は丸山の方が本命らしいね。
827日本@名無史さん:05/01/14 21:10:46
>>826
それは神武天皇陵(畝傍山東北陵)の話? 「橿原」にはまた別の経緯があっただよ。

古代地名の橿原は中世に消滅。江戸期に入って、多くの史家がその聖跡を求めようと
実地調査に踏み切った。しかし、手掛かりは『神武紀』に「畝傍山東南橿原地」とある記述のみ。
『大和志』以下の諸地誌、益軒や宣長さえも、畝傍山の東南に「橿原」の遺称地を探し出せず、
「東南」を西南の誤写と断じた上で、葛上郡の柏原(現御所市)に比定する始末だった。
ところが、津田長道は翁の口碑から、東南麓に「橿原の井」と云う古井戸の存在を知ったという(卯花日記,1829)。
おそらく、これが橿原「再発見」の嚆矢かも? 幕末から明治にかけては、天皇陵の治定を切っ掛けに、
在野からも聖跡顕彰の機運が高まった。大和高取の人、西内成郷は「橿原宮の御舊蹟」の
「諸説紛々たりし」を遺憾として、宮跡を追究すべく10余年間に亘って古書・口碑の類を
渉猟した結果、畝傍山の東麓に磐余、東南に橿原井・階段橋・宝賀の小字が残ることから、
この地域を以て宮跡と確信、1888年2月、内務大臣宛に橿原宮跡の顕彰を請願した。翌年7月に
勅許が下ると、畝傍の高畠を中心とする5町2反余を買収、京都御所の内侍所を賜って本殿、神嘉殿を
賜って拝殿(現神楽殿)と成し、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命の2柱を祭神とする橿原神宮を創建した。
828日本@名無史さん:05/01/16 20:04:44
>>827
すごい執念だな
829しばらく:05/01/17 12:46:35
こういう努力があってこそ文化財の保護ができるわけで、文化庁の先駆者かな。
継体、欽明などについてもやってほしかったなー。
830日本@名無史さん:05/01/17 19:46:38 ,
捏造って大事なことなんですか???

>こういう努力があってこそ文化財の保護ができるわけで
831日本@名無史さん:05/01/17 20:42:22
当然の事ながら、宮殿の遺構は検出されなかったしね。>橿原遺跡

>>829
因みに、継体の樟葉宮跡はただの伝承地に過ぎないが、府史跡の指定を受けているな。
832日本@名無史さん:05/01/17 20:52:27
事実上の始祖は崇神かもしれないけど、だからといって神武が架空だったとは言えない。10代前のご先祖を始祖と崇めたのだろう。
833日本@名無史さん:05/01/18 01:49:27
神武がうそなら、初めがいないんだから万世一系もうそになるの?
834しばらく:05/01/18 07:28:51
うそでもいいから宮内庁の陵墓に指定されれば乱開発は逃れられたであろうに。
話は変わるが、先祖のいない人はない。たとえ崇神天皇であってもその10代前が
いなくては絶対この世には生まれない。問題は記述内容が神がかっているという
ことだけだよ。記紀の製作者は一書に、一書にといって考えられないほど史実追求に
真面目である。忠実に伝えようとしている。実態が何であったにせよ神武記も史実を
述べているに違いない。箸墓の設計には方角的に橿原近辺が基準になる。
835ゴジンム:05/01/18 07:39:47
皇統は萬世一系。
836しばらく:05/01/18 07:51:33
昔は、皇室典範なんてないのさ。愛子様程度の子供の天皇でも親の都合では
安徳天皇のように海に沈められる。だからといってうそをついたというのではなく、
親子の順番に歴代天皇を横綱のように記録したということだ。うそというより国体
に切れ目のないことを対外的に誇示する目的と考えたい。周辺にそんな国があ
るんだからしょうがないんだね。
837しばらく:05/01/18 08:05:09
ホケノ山古墳被葬者はヒミコの祖に当たる人ではないかとされるが、その人の
出身地を示す枕元の壷は山口県製。山口県の周防灘の対岸、国東半島には
ヒコホホデミ生誕の地イムレがある。漏れはこの辺がくさいと見ているんだがね。
838しばらく:05/01/18 08:15:59
崇神天皇についてはミマカキ、垂仁天皇はイキマといって、2代目あたりの
共立女王の政権にいたものが、女王崩御後ミマカキがアラタマ、アラヒト的
天皇となったものと見ている。ただしイキマのいうことは何でも聞いていたようだ。
親子であってもおかしくはない。
839しばらく:05/01/18 08:26:39
話は変わるがその天孫生誕の地付近にはストーンサークルがあるという。
今まで気づかなかったが、古代人は日抱きといって太陽光線を囲んだらしい。
ストーンサークルとは天と人が接触するタカアマガハラではなかったのかな。
840しばらく:05/01/18 08:44:57
木曾の飛騨にも日抱社というのが太古からあるらしいが、豊前の日田にもある。
日田は英彦山にオシホミミが降臨する伝説があるという。すなわち、この地において
従来オオナムチの管轄下にあった北部九州の神鏡が天孫に渡されたと考えたい。
天孫がオオナムチに譲歩したものの中に天の安川のインフラ整備がある。これは
夜須川と考えるのが順当と思うのだ。
841しばらく:05/01/18 08:56:04
では神武は岡の港に何をしにいたのだという質問もあろうかと思う。この付近の
神武記は神功、仲哀等に使用されてしまったのでないかと思うのだがな。
仲哀が鏡を受け取る、その後に密室殺人なんておかしい。
842しばらく:05/01/18 09:02:17
なぜおかしいかというと鏡はすでに崇神のときに宮中を出て桧原神社あたりかに
祭られることになってるんだからね。
843しばらく:05/01/18 09:07:32
鏡は英彦山頂上の儀式を経て遠賀川を下り岡の港で神武に渡された
という話があるとちょうどいいのだがな。
844ゴジンム:05/01/18 09:35:19
う〜ん?何とも?
845しばらく:05/01/18 14:13:00
洩れとしては日向で岩戸儀式があり、鏡はそこで再生された太陽を入力された
後で記の国方面に向かうストーリーが欲しい。
846狭野:05/01/18 19:08:33
神武記が史実を述べていると言いながら、好き勝手に物語を構築する態度はどうか。
古代の皇統符に関しては、
>親子の順番に歴代天皇を横綱のように記録した
というしばらく氏の見解の通りだろうが、そうなった理由を
>国体に切れ目のないことを対外的に誇示する目的
とは穿ちすぎではないか。
単純に「わからなくなっていたから」でいいんでないの?
847日本@名無史さん:05/01/18 19:13:56
根拠もなく妄想だけで記紀を疑うのはやめろ。
書いてるとおり素直に受け取ればいいんだよ。
記紀は、学問とは程遠い藻前らのパズルごっこのおもちゃじゃない。
848狭野:05/01/18 19:20:02
基本的には同意だが、だからといって神武天皇が縄文時代の人だということも素直に受け取るのはどうかと思う。
849:05/01/18 20:32:04
「大和」の前→『和』(倭)
『周』と言う。
を合わせて『調和』という。
周王朝 B.C.660をまたぎ交わるか?
邪馬壹国(邪馬一国)を一の日本。大和を二の日本。
一日本史(一ニホンシ)→シンホニー[逆読み](symphony)
850日本@名無史さん:05/01/18 22:32:23
神武天皇が縄文時代の人間であったら何か困るのか?
851日本@名無史さん:05/01/18 22:46:31
>>850
誰がか?神武天皇が困る事か?それともここの論者が困る事か?
それとも当時の住民がか?
852日本@名無史さん:05/01/18 23:13:39
神武の年代などは、多倍年暦で考えればせいぜい4世紀だろう。
何も困らない。
853日本@名無史さん:05/01/19 00:00:03
4世紀ってことはないだろう
854日本@名無史さん:05/01/19 00:52:12
5世紀か?
855しばらく:05/01/19 08:47:27
>>850
神武の先祖のアマテラスが鏡を使う人であるというのが縄文時代以降
であるということの一つですね。縄文時代は洗面器のような土器でも
つかっていたのかしらね。
856しばらく:05/01/19 08:51:56
それとアマテラスは陸稲ではなく水田耕作をしているということも。
さらに機織もやっている。九州北部に漢の鏡が入る時代よりは古くはない。
857日本@名無史さん:05/01/19 21:12:45
>>855
鏡の伝承はあとから付けられたもの。神武の頃は伝承よりも古い文化の中にいたはず。
858日本@名無史さん:05/01/19 21:18:51
多倍年暦なぞありえません。
そういうものはありえません。
859:05/01/19 21:30:20
そんな証拠もありません
860日本@名無史さん:05/01/19 21:37:11
ありえません。
ソースも、ありえないものばかりで、ありえません。
あったら、世界史の奇跡です。
861日本@名無史さん:05/01/19 21:50:13
聖書や記紀がそうでしょ。
>>860は戦前の皇国史観の逆戻りか、おめでたい人だ。
862日本@名無史さん:05/01/19 21:55:09
>>861
日本語の意味が成立してません。
在位年間一つ説明できない2倍暦は、存在しません。
863日本@名無史さん:05/01/19 22:02:00
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
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中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
中国語と日本語と英語とアラビア語とロシア語の起源は朝鮮半島の高句麗語
864しばらく:05/01/20 10:15:34
根拠もなく記紀を疑うのではなく、根拠を持って肯定しよう。
どうやら、神武天皇は天照大神の皇孫だ。
こちらに書き込んであるので最新のやつを見てくれ。
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART16
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104463143/

865狭野:05/01/20 19:41:42
そもそもなぜ神武創業がB.C.660年になったのか。
これは魏の使いが邪馬台国を訪れた240年から、ちょうど900年前にあたる。
即ち、二倍年暦による一世代60年×15世代である。
尤も、書紀が卑弥呼とする神功皇后は、世代で言えば14世にあたり、一世代異なるが、神功皇后が誰の摂政かということを考えた場合、
既に崩御している仲哀帝ではありえず、これは15世応神帝の摂政と考えるのが妥当であろう。
つまり神功皇后の時代は15世代目と考えられていたと考えても、差し支えはないということだ。
そんなわけで、神武創業は、二倍年暦を知らずに「昔は一世代60年だった」と思い込んだ書紀編纂者が、
魏志にある正始元(240)年から15世代遡らせた年だということになる。
866日本@名無史さん:05/01/21 03:44:16
実際の神武がいたのはAD2世紀くらいかな
867日本@名無史さん:05/01/21 12:24:11
2倍年暦年なぞ存在しません。
なんで、存在したら、そんなことも編纂者が知らないんだ。
ありえない!
二倍年暦を前提にしている文はずべて前提が狂ってます。
868日本@名無史さん:05/01/21 12:39:50
知らないんじゃなくて「利用した」が正しい。
卑弥呼・壱与と神功皇后をダブらせるために。
869日本@名無史さん:05/01/21 13:00:47
それも、ありえません。
二倍年暦関係はずべてお花畑電波です。
870:05/01/21 15:08:59
卑弥呼は神功皇后に非ず。邪馬壹国は大和朝廷ではない。
魏志倭人伝には成務、仲哀、應神、武内宿禰の御名がまったく無いと見てよい。
871日本@名無史さん:05/01/22 00:25:26
結論だけ書かれても「ハァそうすか」ってだけで、否定も肯定もしようがないな。
結論だけじゃなくて、その結論に至った途中の思考過程を説明しろよ。
872しばらく:05/01/22 13:18:59
記紀の作者は馬番の連勝単式な史感はしておらず、連勝複式
であり、非常に慎重。あるレースの全ての馬券を買うというか、
競馬新聞のような書き方をしている。現代人だけがこのデータから
馬番連勝をしようとするのは記紀の編集方針から外れる。
873しばらく:05/01/22 13:28:24
記紀はあまりにも学術を追求しすぎ倭人伝のヒミコとオキナガタラシ姫
との整合をとろうとした。これは現在でいえば九州説にあたる。しかし、江戸時代
よりはるかな昔にそこまでよくも研究したものだと改めて尊敬する。
874:05/01/22 18:52:47
>>871
変動、隣接の邪馬台国のスレと考古学の同スレに書いてある。そこを読め。
875日本@名無史さん:05/01/22 19:46:42
>>837
>国東半島にはヒコホホデミ生誕の地イムレがある...
現在の地名でどの地区のことですか?
876しばらく:05/01/22 19:59:11
イノムレヤマという地名で残っているようです。↓
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=33.36.11.308&el=131.31.08.908&la=1&fi=1&skey=%c3%f6%b7%b2%bb%b3&sc=5
又聞きでして。スマソ。
877しばらく:05/01/23 10:08:13
崇神御名「イニエ」は供物を射る人と解釈でき、イムレ<猪群<猪を飼っている
ところと解釈すると関連性がある。
878狭野:05/01/23 23:06:21
二倍年暦が無いとしたら、神武帝即位から応神帝崩御までの15世代の平均在位年数が、64年強であることの説明がつかない。
俗に言う「一世代30年」の二倍に余りにも合致しすぎている。これをどう説明するのか。
また、編纂者がそれを知らなかったことは特に怪しむべきことではない。
在位年数が激減する履中帝即位から、書紀編纂の天武帝の詔まで、281年が経っているが、
200年前のことが失われるはずがないというのは幻想に過ぎない。
情報過多の現代ですら、わずか68年前の南京攻略戦について、れっきとした学者が、紛れもない戦闘行為を虐殺と思い込んでいる例がある。
時代時代の常識とは、案外簡単に失われるものだ。
いわんや、この時代においてをや。

>>870
> 魏志倭人伝には成務、仲哀、應神、武内宿禰の御名がまったく無いと見てよい。
そりゃ当たり前だ。それはもっと後の時代だ。
879:05/01/23 23:25:48
じゃあ天皇の名が魏志倭人伝の卑弥呼女王国と対応する時期の天皇の御名は?
その天皇が伝にありそうなのか?
880日本@名無史さん:05/01/23 23:47:03
>>879
孝霊とか崇神とかの頃でしょ
881:05/01/23 23:52:36
>>880さん
その天皇は魏志倭人伝に記述が無いだろう?
だから第7代〜10代の天皇が卑弥呼の対応の時代だったとしても、大和朝廷とは別物
であり、女王国が九州にあったことは不動なわけである。
882狭野:05/01/24 00:09:51
女王国は九州にあり、卑弥呼は天照大神。
安本説だが、年代と卑弥呼の否定に関してはこれを指示する。
邪馬台国は確かに大和朝廷とは別物。
前にも書いたが、神武帝(あるいは天孫)は末子相続の時代の長男の系統、つまり傍流ゆえ、厳密に言えば前身とも言いがたい。
要するに大和朝廷とは、邪馬台国の王族イハレヒコが、独自に創始した王朝ということだ。
883狭野:05/01/24 00:11:07
スマソ。「否定」じゃなくて「比定」ね。
884:05/01/24 00:13:01
狭野氏
利口な貴殿でも、卑弥呼=天照大神 だと言うのかい?
卑弥呼は日神ではないぞ。
885日本@名無史さん:05/01/24 00:24:02
>>884
天照大神は大日■貴(おおひるめのむち)と言って、日神を祀る巫女王ですよ
886狭野:05/01/24 00:25:28
イコールというとちょっと違う。
今に伝わる天照大神は、もともとの太陽神と、その巫女である卑弥呼が融合した神格だということだ。
卑弥呼のキーワード、鏡、巫女、女王に合致するのは天照大神だけ。
また、卑弥呼の没したとされる248年に大規模な日食があったことが知られているが、これは岩戸隠れと符合する。
書紀の一書に大御神の別名として「オホヒルメ」とあるが、これは巫女という意味だということは>>885氏の言う通り。
887:05/01/24 00:33:47
まったく、お話にならんのう。
天照大御神は超ミス・ユニバース級の素敵なお方
で、八角形の鏡が額上にくる鏡の
冠をつけている極めて神々しい美女なのだ。
卑弥呼姫は円形の鏡の冠をつけていて特殊神道の鬼道をやっている女性
なのだよ。お休みなさい。
888日本@名無史さん:05/01/24 00:35:11
>>887
もしそうだとしたら卑弥呼を神格化したからじゃね?
889日本@名無史さん:05/01/24 00:35:45
アマテラスは別に冠をつけてないよ
890日本@名無史さん:05/01/24 08:11:31
>>886
アマテラスが太陽神と巫女の融合という説は昔からあるけど
津田左右吉だっけ?アマテラスもオオヒルメもどっちも男神=太陽神で
それと融合している巫女の名は消失しているとの説もある。
891しばらく:05/01/24 11:24:55
ヒラバル女王の遺跡では大きな柱、大きな鏡などがあり、太陽と高木の神
を拝んでいたようだ。ホアカリという言葉も太陽神と読め、考え方としては
天照と同じだ。アマテル、アカルヒメなどもある。天照大神というのはこれら
一切を統合した最高神でないか。太陽が一つなのに神が分かれているのは
非合理だ。少なくとも朝廷にとって統一しないと不都合だ。国の乱れとなる。
外国であれば以後天照以外の太陽神を標榜する名称の使用を禁じるといった
勅令が出てもおかしくはないのだが、初期大和朝廷は高天原合議制のような
物を長いこと引きずっていたのであろうか。われわれとしては古代の状況が
客観的に見えるので効した記紀は優れた史書と評価するんだけど。
892日本@名無史さん:05/01/24 11:58:44
壇君伝説といい勝負
893しばらく:05/01/24 12:16:36
檀君というのは、よくしらないが、朝鮮族が殷においてその支配下にあった
というのだと思う。するとその間の半島は倭人が主体の国であったということ
になるのであろうか。
894しばらく:05/01/24 12:21:48
満州蒙古も倭人の国というような話もある。満蒙、半島については客観的な
調査研究が行われず、何も調査せず主張ばかりして、世界遺産などは日本の
援助なしには維持できないようだ。国が歴史に口を出したりするんだから
戦前の日本と同じじゃないか。
895日本@名無史さん:05/01/24 15:43:50
>>878
説明できないことを説明したいからといって、
2倍暦という思いつきで解釈してはいけません。
2倍暦のソースはどれもトンデモです。
896日本@名無史さん:05/01/24 15:52:43
>>895
禿堂。
2倍暦って、学問とパズルごっこを混同してるドキュンには
すごく魅力的にみえるんだろうな。こいつらは自分の感覚に嵌ったら
もう盲目なんで、逝ってもダメだろう。
897日本@名無史さん:05/01/24 16:49:57
>>895
おお、同じ考えの人が2人も。
私も全く同感です。
以前の誰かが出しているネタというか理由を見たら、
ふざけたようなものばかりでした。
全く思いつきに過ぎないものばかりでした。
しまいには、インかがどうしたなどとまでいいだして、
それも見当違いの話でした。
2倍暦を使わずに考えを深めていった方がいいとお思います。
898日本@名無史さん:05/01/24 18:19:46
インカ帝国?マヤ文明か?あれは電波だ。
899狭野:05/01/24 18:29:57
>>895-897
それじゃ仮説なんて出せないでしょw
いいから二倍暦を使わずに説明してよ。
900日本@名無史さん:05/01/24 19:12:21
記紀同士の天皇の寿命の齟齬も2倍年暦で説明がつくだろう。
説明できない電波説こそ問題だ。
901日本@名無史さん:05/01/24 19:27:20
神武は架空、これ定説
902日本@名無史さん:05/01/24 19:38:30
定説じゃなくて、津田左右吉の思いつき
903日本@名無史さん:05/01/24 21:57:35
>>902
神武が実在と予想されると書いてある、
書店で買える歴史事典か百科事典をあげてよ。
できるだけ多く頼むね。
904日本@名無史さん:05/01/24 21:59:15
>>899
架空。以上。
905日本@名無史さん:05/01/24 22:04:54
神武伝説は往古の覇者東漸を記した歴史というより、7世紀前後に王権の
儀式、大嘗祭とかかわりつつ記紀神話の一環として語りだされたもの。
大嘗祭に基礎をおく神話の一典型は、大嘗宮での新天子誕生の秘儀を
説話化した瓊瓊杵尊の降臨譚だが、神武伝説はこの天孫降臨神話の地上的・
世俗的再話といえる。神武の穀霊的素性を示す幼名は、彼が瓊瓊杵尊の分身
であることをあらわし、熊野での危機とその克服は降臨譚と同じく死と復活
の儀式の型をふんでいる。ただ前者の天界より地上へという宇宙的・神話的展開
に対し、後者が日向から大和への遍歴・征服の筋をとるのは、大嘗祭の
地上的部分、とくに国覓儀礼にもとづくから。
国覓は天子が都とするに足るよき地を求めることで、7世紀末以前の都城が
天子一代限りとされていた時代には即位式中の一重要部分であった。
実際の国覓は大和周辺のあれこれの地を卜占等により選定するが、神武伝説は
それを歴代都城の地にほかならぬ大和そのものの発見、治定として典型化
している。
それこそが初代君主にもっともふさわしい事業とされたのだろう。
906日本@名無史さん:05/01/24 22:21:15
>>903
神武が架空という決定的根拠を
まずたくさん挙げてね。
907日本@名無史さん:05/01/24 22:30:05
>>890
オオヒルメって名前からして女神じゃんw
908日本@名無史さん:05/01/24 22:31:19
架空なら遡らせるのは10代じゃ済まないだろw 中国みたいに
909日本@名無史さん:05/01/24 22:43:47
津田史観は、朝鮮民族をはじめとするアジア人民に多大な災禍をもたらした
皇国史観を徹底的に批判し、これを殲滅的に解体したことに大きな意義があった。
極右暴力集団「新しい教科書を作る会」のような超国家主義に向かう動きが
ある中、その歴史的意義は、決して否定されることはないであろう。



910日本@名無史さん:05/01/25 09:19:41
>>906
架空が定説でいくらでも本に出ているんだから、
いたと思いたい人が史料を出さなきゃね。

で、いたという歴史事典はまだ?
911日本@名無史さん:05/01/25 11:15:36
>>910
そりゃそうだ。
存在したという珍説を言いたいのなら
>>906が決定的根拠を出すのが筋。
912日本@名無史さん:05/01/25 11:18:31
逆だろ。記紀の否定を証拠立てるのが先決。肯定の証拠は不要。
913日本@名無史さん:05/01/25 12:25:12
逆だよ。神武否定はもう定説になっているんだから、
それを覆す新説を証拠立てるのが先決。
914日本@名無史さん:05/01/25 12:26:56
特に2倍暦なぞという電波はやめれってこったな
推理は自由だがな
915日本@名無史さん:05/01/25 21:02:41
根拠の無い定説がすきなのか。
916日本@名無史さん:05/01/25 22:25:41
学問の蓄積をどう考える?
917日本@名無史さん:05/01/25 22:34:35
神武などいない。寝言は寝て言え。
918ゴジンム:05/01/25 22:38:06
プププププップ!
919日本@名無史さん:05/01/25 22:53:12
根拠の無い蓄積が好きなのか
920日本@名無史さん:05/01/25 23:32:37
>913
そりゃ昔の定説でしょ。
昔は、考古学者が4世紀初頭を倭王権成立の時期といい加減に
おいていたためにほぼ実在が想定される崇神を初代大王と
仮定できただけのことにすぎません。

現在、倭王権成立は、早い人では2世紀末まで上げてますから
崇神の前にも数人の大王がいたことは確実ですね。

921日本@名無史さん:05/01/26 00:55:18
世論調査では、一番重要な権利は、財産権と言論の自由と出た(民主主義は、五位)男女平等は、所詮この世は、男女しか居ないから、憲法に無くても有る程度は、守られる(財産権や言論の自由が守られ無いと大変な事になる)
財政負担を、言うなら重要な財産権を、皇室に認めるべきだろ
しかし左翼は、男女平等は、言うが最も重要な財産権や言論の自由を認めようとしない
922日本@名無史さん:05/01/26 01:09:54
アメリカでさえ進化論を否定してる州も有るくらいだから、神武が実在でも皇紀か2665年でもそう言う教育をしても良かれと思うが。
学会はどうか知らんが、世間では神武と言う認識は定着してるんだから。
923日本@名無史さん:05/01/26 11:07:13
学界だっていつまでも津田左右吉ひきずってるわけじゃなくて
最近は記紀の皇室系図を尊重しようという気運はなくもない。
ただ2倍歴とか言ってる奴は少なくとも学界ではきわめて少数。
2倍歴論者がいるために、記紀の皇室系図を尊重すること自体が
ドキュンであるかのようなおかしな空気ができて非常にやりにくい。
924日本@名無史さん:05/01/26 12:54:50
記紀間で天皇の寿命の齟齬がある説明はしなくていいわけね?
そっちのほうが、非学問のDQNだろ。
925日本@名無史さん:05/01/26 13:14:45
>>924
そのことと2倍歴云々は別問題でそ。2倍歴論者は、記紀間の齟齬は
「必ず整合するはず」と決めつけてる。これは「魏志倭人伝に誤りはないから
ちゃんと読めば邪馬台国がどこか必ずわかる」というどこかの電波と似てるな。
926日本@名無史さん:05/01/26 18:17:12
説明できないのを放置する電波説?
927日本@名無史さん:05/01/26 18:21:12
神武以下数代をもっともらしく創作しなかったのはなぜですか?
928日本@名無史さん:05/01/26 21:16:28
>>925
わからないものをわからないと認めるのが学問的態度。
わかるはずだと決めつけるのは予断的態度。学問じゃない。

>>927
伝承を重んじたからでそ。
929日本@名無史さん:05/01/26 21:27:16
>>928
逆でしょ。齟齬を無視して、2倍年暦で合理的に解釈できることも
どんどん無視して、他人を否定しちゃうのは非学問。。
その上「八代は創作」と断定しちゃうのも非学問。
930日本@名無史さん:05/01/26 21:31:02
>>929
2倍暦の問題と八代架空説の問題という次元の異なる話を
いきなり同列に並べて平気な、そういう態度が電波丸出しだろ。
931日本@名無史さん:05/01/26 22:35:16
本人がごっちゃにしてるんだから、本人に言え
932日本@名無史さん:05/01/26 22:55:01
ちゃんと>>929本人に逝ってるが?
933日本@名無史さん:05/01/26 23:13:11
>>923>>928にも言ってやれよ
934日本@名無史さん:05/01/26 23:30:27
>>923>>928は別に「2倍暦の問題と八代架空説の問題をごっちゃ」にはしてないが?
935日本@名無史さん:05/01/26 23:43:00
それを>>930に言ってやれよ、勘違いしてるから。
936日本@名無史さん:05/01/26 23:46:05
2倍歴ってのは学者でもいますよ。
原田大六とかね。
定説ではないですけど。
937日本@名無史さん:05/01/26 23:49:18
春と秋を年初とする暦は、珍しいものじゃない。
日本列島でも普通にあったと見るべき。
938日本@名無史さん:05/01/27 00:47:49
気候考古学って分野があってそこの大御所は2倍歴論者ですな。
ただ、書記の年代は無茶苦茶で信用できるもんじゃありませんね
939930:05/01/27 01:45:04
>>935
>>929がごっちゃに言ってる」って事実を書いただけだが。
漏れは別にごっちゃにはしてないよ。

940日本@名無史さん:05/01/27 02:18:04
やっと気づいたのか、遅すぎるだろ
941日本@名無史さん:05/01/27 03:14:12
>>940
藻前は誰で、誰に向かって逝ってんだ?自分で意味わかってるのか?
942日本@名無史さん:05/01/27 11:10:10
2倍暦は電波だね。
943日本@名無史さん:05/01/27 11:16:10
「全て創作だ」っていうのが否定論者で、
「何らかの伝承を反映したものだ〜全てリアル」というのが肯定論者ってことでいいんだよね。
944日本@名無史さん:05/01/27 13:39:34
「何らかの伝承を反映したものと創作」が否定論者で、
「すべてリアル」というのが肯定論者。
945日本@名無史さん:05/01/27 13:56:55
そういう区別に実益があるとは思えないが、敢えて区別するなら
肯定論者、一部肯定(否定)論者、否定論者だろう。
結局ほとんどが一部肯定(否定)論者。
946日本@名無史さん:05/01/27 14:31:56
漏れは「すべてリアル&2倍暦はイラネ」派。
947日本@名無史さん:05/01/27 17:05:08
確かに。
2倍暦が入ると電波扱いとなるからな。
948日本@名無史さん:05/01/27 18:03:17
2倍暦追放運動を起こそう!
949狭野:05/01/27 19:39:31
電波人間タケヒコが唱えたものが全て電波となるわけではない。
他にも唱えている学者がいるわけだからね。>二倍暦

>>946
「すべてリアル」(当然年代もだろ?)の方がよっぽど電波。
950ゴジンム:05/01/27 19:41:44
ウ〜ン???
951日本@名無史さん:05/01/27 20:37:50
で、世界中に2倍年暦があるわけだが。
952日本@名無史さん:05/01/27 20:41:43
2倍暦が電波とは思わない。だが、
2倍暦で記紀年代を解釈すべきではない。
>>938の通り、もともとがメチャクチャ
953:05/01/27 20:44:19
B.C.581年1月8日
954狭野:05/01/27 21:03:36
そうメチャクチャでもない。例えば60が基本数になってるといった法則性らしきものはある。
955:05/01/27 21:09:50
B.C.548年7月3日
956日本@名無史さん:05/01/27 21:32:58
>>954
言ってみな。例えば?
957:05/01/27 21:36:23
B.C.510年2月4日
958日本@名無史さん:05/01/27 21:51:43
>>951
ソースは?
959太国玉:05/01/27 21:54:19
B.C.475年1月9日
960日本@名無史さん:05/01/27 22:06:41
春分と秋分も2倍年暦
961太国:05/01/27 22:08:29
B.C.392年1月7日
962日本@名無史さん:05/01/27 22:16:26
>>960
で?それがどうして2倍年暦なわけ?
こじつけですか?
963日本@名無史さん:05/01/27 22:18:56
そもそも、「年」の定義がいつから今のようになったのか、言えるのか>否定派
964太国:05/01/27 22:20:56
B.C.290年1月12日
965日本@名無史さん:05/01/27 23:00:43
2倍暦年は別に電波説じゃなくてちゃんとした学者も主張してるわな。
ただ、応用できるのは古代天皇の宝年くらいだね。
966太国:05/01/27 23:21:33
B.C.214年1月14日
967日本@名無史さん:05/01/28 11:20:18
いつ、2倍暦をいかなる理由でやめたのかいえるのか>肯定派
968日本@名無史さん:05/01/28 12:00:12
だから続いてるでしょ、春分と秋分
969太国:05/01/28 14:01:00
B.C.157年11月12日
970日本@名無史さん:05/01/28 16:05:17
>>968
だから、2倍暦を、いつ、どうして、やめたかと聞いてるの。
日本語の意味わかるよね?
971日本@名無史さん:05/01/28 17:31:56
>>970
やめとけ。
無茶苦茶な屁理屈が返ってくるだけ。
答えなんかないのが2倍暦w。
972日本@名無史さん:05/01/28 18:14:38
春分と秋分はやめてないなあ。
973日本@名無史さん:05/01/28 18:31:49
何で2倍暦だけやめたのかって聞きたいよねw
974:05/01/28 18:51:12
B.C.97年1月13日
975日本@名無史さん:05/01/28 20:46:52
やめてないんだから、いつから今の暦になったかききたいね
976日本@名無史さん:05/01/28 21:25:35
>>975
春分と秋分は2倍暦の証拠にならないよ。
頭の中は大丈夫?
977日本@名無史さん:05/01/28 21:54:32
はあ?証拠じゃなくて、残存だが。
978日本@名無史さん:05/01/28 21:58:08
>>975
日本語の意味がわからんのだが?
今も2倍暦だといってるのか?
979日本@名無史さん:05/01/28 22:06:21
残存してるな。
で、今の年暦がいつから始まったか、言って貰おうか?
980日本@名無史さん:05/01/28 22:11:45
残存?関連性のソースは?
2倍暦がいつなくなったのか、言って貰おうか?
981太国玉:05/01/28 22:13:12
B.C.29年1月2日
982日本@名無史さん:05/01/28 22:17:15
残存?関連性のソースは?
2倍暦がいつなくなったのか、言って貰おうか?
983日本@名無史さん:05/01/28 22:46:32
残存してるな。
で、今の年暦がいつから始まったか、言って貰おうか?
984日本@名無史さん:05/01/28 23:10:39
神武天皇というより欠史8代の問題ってのは、簡単に言うと、

@大昔に小林秀雄、都出比呂史などの考古学者がアプリオリに
 古墳時代は4世紀に始まる、と仮定。よって文献も崇神=初代
 倭王と同調。

 しかし、月日が経ち、

A纏向遺跡の年代から倭王権形成の時期が2世紀終末〜3世紀初頭
 と大幅に繰り上がる。
Aこのため、実在が予測されていた崇神天皇の前に数人の大王の存在
 が確実視。一部の学者が唱えるように仮に箸中山古墳が崇神陵であ
 るとしても纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、ホケノ山古墳?
 が王墓と想定。削平されたまたは不明のものを入れるともう少しある
 可能性。

と考古学の方は進歩したが、文献の方が検討が止まってしまってるということだね。
ことだわな。まあ、考古でも箸中山=最初の前方古墳説を死守するのもいるけどね。 


985日本@名無史さん:05/01/29 12:06:18
>>983
何も答えられないのか。
2倍暦信者はこれだから・・・
986日本@名無史さん:05/01/29 12:20:52
>>983
苦しそうだな
987日本@名無史さん:05/01/29 12:21:03
2倍暦は残存してるな。終わってないな。
ところであいつは結局、
今の年暦がいつから始まったか、言わないで逃げちゃったね。
988日本@名無史さん:05/01/29 14:42:12
>>987
どこに残存してるのw?
2倍暦はいつまで続いてたか、結局、答えられないんだねw?
やはり、
2倍暦は電波!
989日本@名無史さん:05/01/29 15:03:10
【2600年続く日本国の誇り男系男子天皇制の意見を伝える為のメールサイト】
<2chでの議論は大切だが、表明する事が肝要>

○自民党=男系男子を維持する方が多い党
http://www.jimin.jp/jimin/main/mono.html
○安倍晋三衆議院=男系男子主張者
http://newleader.s-abe.or.jp/modules/contact/
○首相官邸=我が国の中枢
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
○宮内庁=皇室関係の一切を統括
[email protected]

NHKすら男系男子を報道していない。
安易な男女平等を皇室に持ち込むべきではない。

990狭野:05/01/29 16:59:54
2倍暦の残存を言うなら年2回の大祓いだろ? 

それから「古代天皇の年代は2倍暦で決められていると考える」ことと「2倍暦を導入すれば実年代がわかる」こととは別だからね。
991日本@名無史さん:05/01/29 17:06:11
「2倍暦を導入すれば実年代がわかる」ことと
「2倍暦を導入すれば記紀の齟齬を説明できる」ことも
まったくべつだなあ〜
992日本@名無史さん:05/01/29 17:23:10
>大祓い
あれ、年に総計6回やってるらしいね。6倍暦かなw。
993狭野:05/01/29 17:29:01
>>991
おいおい何同じこと言ってんだよw

>>992
元々は2回。
994日本@名無史さん:05/01/29 18:12:38
伊勢神宮では6月と12月と言いたいんだろうが、

ところが、神嘗・新嘗でもそれぞれやってるんだな。

元々ね。
995狭野:05/01/29 18:23:32
生憎だったな。延喜式のことを言ってるんだよ。
996日本@名無史さん:05/01/29 19:19:43
とにかく2倍暦は残存してるな。終わってないな。
997狭野:05/01/29 19:24:54
だが、このスレはもうすぐ終わるな。
998ゴジンム:05/01/29 19:35:06
神州はやはり不滅か!
999日本@名無史さん:05/01/29 19:37:43
神武紀元は軸の時代。
1000狭野:05/01/29 19:38:08
1000!
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