戦国時代に蒙古襲来があったら

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
ムクリコクリなんて一捻りですね
2日本@名無史さん:04/07/01 21:49
だな。2
3日本@名無史さん:04/07/01 21:49
モンゴル人など信長様が皆殺し
4日本@名無史さん:04/07/01 21:51
ヌルハチだったら日本はひとたまりもなかった。
5日本@名無史さん:04/07/01 21:51
モンゴル兵を生け捕って、逆襲来。
6日本@名無史さん:04/07/01 21:59
豊臣政権時代だったら復讐心に萌える日本軍が大都まで進撃しそうだな
7日本@名無史さん:04/07/01 22:08
蒙古ないで、お願い。
8日本@名無史さん:04/07/01 22:51
九州勢にボコられてアボーン。
9日本@名無史さん:04/07/01 22:52
鉄砲が大量に出回っている日本の勝利
10日本@名無史さん:04/07/01 22:56
ヌルハチだったら、負けてたな。鉄砲じゃ勝てないし。
11日本@名無史さん:04/07/01 22:58
ヌルポだったら、負けてたな。鉄砲じゃ勝てないし。
1210:04/07/01 23:08

ヌルハチは、サルフの戦いにおいて
騎馬軍団で明と朝鮮の鉄砲・大砲隊を撃破したんだけど。
13日本@名無史さん:04/07/01 23:19
ヌルポはスゴイナ。
14日本@名無史さん:04/07/01 23:23
山田風太郎のネタになる。
15日本@名無史さん:04/07/01 23:26
山の多い日本で、騎馬軍団が鉄砲に負けない戦い方をするのはかなり難しそう。
16日本@名無史さん:04/07/01 23:38
博多湾がDデイ以上に悲惨な事になっている
17日本@名無史さん:04/07/01 23:39
  /       l___l   \         ||i
  |      ●  |    |  ●  |         |||i
  |         ヽ  /     |          ||||i
  \         ヽ/     /           ||||i    ガッ>>13
 /               \            |||||i
/                  |            ||||||i
|   /\ /       _    |           |||||||i
ヽ_/   Y      / /   /      ∧   ||||||||i
        ヽ    /__//  ノ       / 丶  ||||||||||i
        ヽ  .(_______ノ ヽ      /  丶||||||||||i
       /   / /    ノ     ノ    丶||||||ii
      /    / /    /    ノ      ヽ
     /    / /    /    <        >       /\        /"""ヾ
   /   / / /    ノ      \      /::.::.____/:::::::ヽ、      /;:;;:::''' |
 /   / / / |    |    |||||||||iヽ    /::.   ______.:::::::::::::  __ヽ_    |    .|
⊂__/  / /  |   ./  ||||||||||||||||||i\  ./ ::::::::/ __。\_ヽv // 。\   .|     |
       / /   ヽ_/  ||||||||||||||||||||||i ヽ // ̄ ̄√  ___丶  ̄ ̄\|   |     .|
      / /      ||||||||||||||||||||||||||||iヽ  ∨| ::::::::: / /   tーーー|ヽ  .::::: ::|  |     .|
 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 三三||||||||||||||||||||||||||||i  ヽ  | .:::::.  ..:   |    |ヽ  ..::::::| /     .|
/          三三|||||||||||||||||||||||i    \ .| :::      | |ヽニ⊃| |   ..::::::|ノ      /
ヽ         三三||||||||||||ii \        | :      | | |:::::T:: | !.  ..::::/      /
 ヽ_____三三||||||iii     \       \:      ト--^^^^^┤   /      /
18日本@名無史さん:04/07/02 01:03
泗川城の戦いで、明の大将薫一元率いる二十万の大軍を島津軍一手で引き受け、鉄砲を有効に活用、
二十倍の明軍を打ち破り、晋州川まで追撃して、敵兵の首三万八千余をあげる記録的な勝利を得た。

島津最強
19日本@名無史さん:04/07/02 01:07

清はなんで日本攻めて来なかったんだろう。
やはり、太閤軍の伝説的強さが伝わったのだろうか?
20日本@名無史さん:04/07/02 01:12
そう言えば、倭寇でも騒いでたんだっけ。
しかも倭人傭兵が東南アジアを侵略してた時期だったな。
明、清から見たら、上陸したく無い国、筆頭かも。
21日本@名無史さん:04/07/02 01:42
後金の騎馬軍団は、明のポルトガル式大砲にも勝ってる。

後金最強
22日本@名無史さん:04/07/02 01:47
という事は、伊達の騎馬鉄砲隊が最強なんですかね。
23日本@名無史さん:04/07/02 01:54
しかし大砲による負傷が元でヌルハチは死んだ。
24日本@名無史さん:04/07/02 02:15
戦国時代後期の日本の鉄砲装備数・率は世界最高だろ?
ポルトガルなんて目じゃねえだろ。

当然ヌルポチなんて相手にならん。
まあ、誰が指揮するかでけっこう変わるだろうけどな。
25日本@名無史さん:04/07/02 09:47
李朝が謝罪と(ry
26日本@名無史さん:04/07/02 10:36
ポルトガル船の来航を禁止した翌年に、またポルトガル船が来たので
焼き討ちにしたんだよね。
27日本@名無史さん:04/07/03 21:31
無敵豊臣軍、上海に上陸す
28日本@名無史さん:04/07/15 07:42
ヌルポなど島津軍だけでオールオッケイよ。
29日本@名無史さん:04/07/29 00:26
当時世界最強の陸軍国だからな。日本は
地上では負けないと思うよ。
秀吉の失敗も海軍が負けて補給路が絶たれただけで
地上戦は連戦連勝だったし
30日本@名無史さん:04/07/29 03:08
日本には、世界最強の武田騎馬軍団がいる。
31日本@名無史さん:04/07/29 03:19
三方ヶ原の戦いで、織田徳川連合軍一万一千の大軍を、武田軍3万が迎え撃ち、騎馬軍団の展開に適した広大な草原を有効に活用、
織田徳川連合軍を打ち破り、浜松城まで追撃して、敵兵の首一千余をあげる記録的な勝利を得た。

武田騎馬軍団最強
32日本@名無史さん:04/07/29 09:17
3倍の戦力で勝ったから最強?
後に長篠では逆に3倍の織田徳川連合軍に記録的な敗北をしていますが。
三方ヶ原の後徳川家は滅びなかったけど、長篠後武田家は滅んでますが。
33日本@名無史さん:04/07/29 10:00
ヌルポチVSチンギスハーン
34初心者:04/07/29 12:16
鎌倉時代だから《日本》という統率が取れていたが、
まさに戦国時代で統率の取れていない段階で、大丈夫なんだろうか?
35日本@名無史さん:04/07/29 21:30
>>34
蒙古襲来の時も、主に戦ったのは九州の御家人だからね。
中央の統制が取れていなくても、九州には強力な戦国大名がゴロゴロしてるから、
各大名が個別に戦っても十分撃破可能でしょう。
もし、南北朝時代や北山・東山時代にもう一回蒙古が襲ってきたら、日本はもう終わりでしたね。
36日本@名無史さん:04/07/29 21:37
>>32
そのとおり。
たった1000丁の織田鉄砲隊によって戦国最強とうたわれた武田騎馬軍団は全滅させられた。
武田騎馬軍団>>>>>>>>>>ヌルポ騎馬軍団であるから、織田鉄砲隊500人ほどで満州は制圧できると思われる。
37日本@名無史さん:04/07/30 00:35
大友宗麟が蒙古に味方し、竜造寺は蒙古に制圧され、島津はかろうじて薩摩南部を死守する。
毛利軍が小倉で大敗し、そのまま長門→安芸と追撃される。
織田軍団の秀吉と和睦したが既に遅く、小早川・吉川の両川家は討ち死。
輝元は捕えられ生きたまま皮を剥がれる。
織田信長本隊は謙信の上洛を警戒し安土を動けず、秀吉は姫路まで後退、篭城。
38日本@名無史さん:04/07/30 00:53
危機を感じた朝廷の斡旋により、謙信と信長と本願寺の和睦が成立。
謙信が越後勢七千を率いて上洛へ。
秀吉の姫路城篭城に手を焼いたモンゴル軍は一部を包囲に残し東へ侵攻。
背後の心配の無くなった信長軍が天王山に布陣。
鉄砲隊三段構えプラス淀川に鉄船を座礁させ艦砲射撃を行なう戦法でモンゴル軍10万を撃破。
浜側から大阪方面へ侵攻したモンゴル軍別働隊も、本願寺にて雑賀衆&一向宗の鉄砲隊に阻まれ退却。
モンゴル軍姫路まで退却。
謙信の越後勢が上洛後兵庫方面へ進出。
モンゴル軍も体勢を立て直し兵庫方面へ。
両軍が湊川付近で激突。
39日本@名無史さん:04/07/30 00:56
補給線が長くなったときが、日本は弱いんだよなー。

輸送人夫を「常用食」と考えている中国と、「非常食」とも考えていない日本との
差があるからなー。
40日本@名無史さん:04/07/30 01:05
謙信の車懸り(繰り引き)の戦法にてモンゴル軍敗走。
博多より援護に回るはずのモンゴル軍の水軍は瀬戸内海で村上水軍に撃破され既に大半が海の底に。
補給も援軍も無くモンゴル軍は一旦九州まで退却を決定。
謙信・信長軍を中心に追撃戦に移る。
姫路城より秀吉軍が打って出て敗走するモンゴル軍を襲撃。大打撃を与える。
薩摩でゲリラ戦を展開していた島津軍が優勢になり阿蘇あたりまで押し返す。
関門海峡には村上水軍が網を張りモンゴル軍は渡海できず。
謙信・信長軍の追撃や毛利残党の襲撃を受け本州に渡ったモンゴル軍壊滅。
この戦況に呼応するように九州各地で逼塞していた地侍が島津のもとに集まりゲリラ戦を展開。
大友宗麟の寝返りにてモンゴル軍は博多まで押し戻され退却。
海上にて村上・松浦水軍の追撃を受け半島にたどり着いた船は半数に満たなかった。
41日本@名無史さん:04/07/30 01:31
つまらん「
42日本@名無史さん:04/07/30 06:40
攻めてきたのがフビライ(元)なら戦国大名連合軍は楽勝だろうが、攻めてきたのが
これから女真の国を打ちたてようというヌルハチならそう簡単にはいかない。
43日本@名無史さん:04/07/30 23:49
モンゴル軍撃退後、謙信・信長両軍とも長門から兵を引かずにらみ合いが続く。
険悪な雰囲気の中、謙信が脳溢血で倒れ、二日後死去。
越後軍は信長軍に降伏・帰順する者が続出。
信長、労せずして中国地方を手中に収める。
44日本@名無史さん:04/07/31 00:06
毛利・上杉の援助の目がなくなった本願寺に信長に対抗する力は無く降伏。
翌年には浅井・朝倉共に滅ぼされる。
同時に信濃・甲斐に進出した信長軍により武田勝頼は追い詰められ、武田家滅亡。
かろうじて信長に対抗できる勢力は、関東の北条氏、九州を制圧した島津氏、モンゴルが侵攻中に蚊帳の外だった四国の長曽我部氏を残すのみとなった。
45日本@名無史さん:04/07/31 00:12
一方、日本大名連合軍に撃退されたモンゴル軍は再侵攻に備え半島及び江南地方で軍船の造船を急がせる。
信長は対島津戦に明智光秀・豊臣秀吉を、四国の長曽我部戦に丹羽長秀を、関東・東北制圧に柴田・滝川軍を向わせる。
46日本@名無史さん:04/07/31 00:43
>>39
>輸送人夫を「常用食」と考えている中国
意味が分からん。いくら人夫とはいえ、食べられると分かってたら、おとなしく輸送なんかしてないで
逃亡するか反乱を起こすだろう。
それに蒙古は中国じゃないよ。元軍はモンゴル人主導の下、モンゴル兵・南宋兵・高麗兵などで構成されていた。

>>42
世界史上最大の帝国である蒙古よりも、地方の一帝国に過ぎない清を評価する根拠を述べてもらいたい。
47日本@名無史さん:04/07/31 12:07
シャクシャインの乱を過剰すぎる軍事力で圧殺したのは
シャクシャインの背後に清がいるかもしれない、
と考えたからだとか。
48日本@名無史さん:04/07/31 12:18
>46
帝国の拡大が終わって勢いの無くなったクビライ期のモンゴルと
帝国勃興期のヌルハチでは勢いが違う罠。
モンゴルはモンゴルでも帝国勃興期にチンギス=カンやバトゥが攻めてきたらボロ負けしそうだな。

>地方の一帝国に過ぎない清

モンゴル帝国の東半分を押さえている大帝国であると思うが。
49日本@名無史さん:04/07/31 13:54
鉄砲が他の国から運良くもたらされたから勝てる。
外国の鉄砲によって日本の運命が分かれる。
50暇人:04/07/31 14:08
戦国時代は長い。戦国後期なら兎も角、前期なら如何なっていたか解らんね。
51日本@名無史さん:04/07/31 22:50

>>48
レスサンクス。

>帝国の拡大が終わって勢いの無くなったクビライ期のモンゴルと
>帝国勃興期のヌルハチでは勢いが違う罠。
まあ、そりゃそうだな。ただ蒙古襲来があったときは、元の建国期であり南宋を滅亡させた
時期でもあるから、まだまだ蒙古の勢いはあったと思う。

>モンゴルはモンゴルでも帝国勃興期にチンギス=カンやバトゥが攻めてきたらボロ負けしそうだな。
チンギスハーンvs平清盛 or チンギスハーンvs源頼朝
平家時代だったら京都陥落必至だが、その後各地でゲリラ戦が起こり、モンゴル軍は次第に消耗していくのではないだろうか。
東進してきたモンゴル軍を、木曽義仲が倶利伽羅峠で撃退して名をなし、
新しい武家王朝を作ってたりして。
勃興期の鎌倉幕府なら、鎌倉周辺での決戦でいい勝負が出来たかもしれないなあ。

>モンゴル帝国の東半分を押さえている大帝国であると思うが。
清帝国が、中国史上でも最大の版図を誇っていて、国内統治も他王朝に比べて卓越してたのは
おれも知ってるよ。
それでも清は地方の一帝国に過ぎないと思う。たとえ貴兄がおっしゃるとおりモンゴル帝国の
東半分を抑えていたとしても。
清が世界史に誇ることが出来る業績を政治・文化・科学の面で残したかといえば、なにも
残していないでしょう。

>>49
蒙古襲来で御家人達が苦戦したのは、一騎打ちなどの鎌倉期の戦い方が、歩兵を組織的に編成している元軍と戦うには効率が悪かったため。
応仁の乱後は足軽が登場しているため、もはや元軍の歩兵隊の戦い方は全く奇異なものとは言えず、対応も容易であったと考えられる。
従って、鉄砲は要素の一つに過ぎず、運命を決するほどの重要性は無い。

>>50
守護大名没落期なんかに蒙古襲来があったら、ひとたまりも無かったね。
52日本@名無史さん:04/07/31 23:23
疫病と風土の違いで実際に元軍将兵はかなり損耗していた。
53日本@名無史さん:04/08/01 03:28
家光が鄭成功の乱に呼応してたら面白かったかも。
家光自身はその気だったらしいしね。

家光と康熙帝。武士に襲い掛かる満州八旗。まあ妄想だけど
54日本@名無史さん:04/08/01 09:11
>>53
家光にその気はなかったよ。
むしろ「参戦すべし!」と主張する戦国の生き残り大名達に「どうぞ。勝手に行けばぁ?」と冷たく言い放ったらしい。
それで参戦派の大名はみんな黙ってしまったらしい。
55日本@名無史さん:04/08/02 23:47
「異形の逆襲」という仮想史小説があります。
なんでもモンゴルが日本の占領に成功し,皇室は隠岐に幽閉されます。
それから幾星霜,楠木正成が決起して後醍醐天皇を取り戻し,密教系カルト団体の力を借りてモンゴル軍を撃破,日本再興の軍を起こすという話です。
56日本@名無史さん:04/08/03 08:15
かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。
アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。

1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。
しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。

百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。

昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。

1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。

1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。

日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。

多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。
それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、
謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、
中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。
極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、
日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。

http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/030616ntyu.htm
57日本@名無史さん:04/08/03 20:40
>>56
勉強になった。サンクス。
>日本人は非常に謙虚で勉強好きで、絶えず進歩を求め
>そして滅私奉公の精神を持ち、忍耐強く、粘り強い民族で
>世界で最も優れている民族の一つであるということがわかる。

しかし、日本人もその優れた長所を失おうとしている。
朝鮮人が内部に潜り込んだ事によって、日本人の美徳が失われてしまった。
もし中国人がこのソースの提言に耳を傾け努力をしたら、日本は完膚なきまで叩きのめされるだろう。
58日本@名無史さん:04/08/03 22:51
>昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、
>中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。

日本の為政者に自国が華夷秩序の中にあるって自覚はあったの?
日本以上の大国であることに異存はなかっただろうと思うけど・・・
59ひう:04/08/03 23:05
>>56-57
何を勉強したの?

>1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、
>中国との間にすら何十年という格差が存在していた。
なぜ中国が近代化に手間取っているのかまだよく理解していない?

>中国人は、確かにめったに外部の民族を侵略しない。
ところどころ微妙な電波が混じっているのはご愛嬌か。







60ひう:04/08/03 23:09
中国は資源豊富か?砂漠化を心配したほうがいいよな
61日本@名無史さん:04/08/03 23:34

アメリカ大陸やオーストラリア大陸を最初に発見したのは中国人だった。
隋代の文献には既にカンガルーの記述が存在し、マルコポーロが訪れた北京の動物園にはコアラがいた。
アメリカ大陸やオーストラリア大陸に散在するオーパーツや説明不能とされるの壁画などはすべて中国人という存在で説明がつく。
62日本@名無史さん:04/08/04 00:11
Meたんも参拝してる靖国神社。
さあ!!そこの青年たちよキミたちもやらないか?

http://www.media-k.co.jp/jiten/imgbbs/bbs2/img-box/img20040804004628.jpg
63日本@名無史さん:04/08/05 11:48
モンゴル軍が騎馬隊を海上輸送に成功すれば日本は征服される。
元寇は騎馬軍団が上陸しなかった勝てた。
上陸してたら確実に負けてた。
64暇人:04/08/05 11:56
戦国時代は鎌倉時代と違い倭寇が盛んだった。制海権は日本側にあり、モンゴル軍の渡海作戦は失敗に終わる。
65日本@名無史さん:04/08/05 11:58
小船でえっちらおっちら漕いでいく舟で制海権は取れません。
66暇人:04/08/05 12:09
当時倭寇が中国・朝鮮沿岸部を盛んに襲撃し、如何に恐れられていたか知ってるかい?
67初心者:04/08/05 12:14
倭寇の主力は朝鮮人、それに呼応する中国人。
とはいえ、三国間で迷惑だったのは違いないが。
68日本@名無史さん:04/08/05 12:24
単なる海賊と組織だって編成された軍隊では全然違う。
単純に当時、大陸側で海上の安全を優先しなかっただけ。
日本に来襲をするつもりなら、まず倭寇を叩くべく海軍を編成する。
69日本@名無史さん:04/08/05 12:31
前期倭寇は日本人が多かった。リーダーはモンゴル系の名前。
後期倭寇は中国人が多い。リーダーは有名な中国人の彼。
70日本@名無史さん:04/08/05 12:38
>>58
向こうがそう思っていることは知っていた。
だが、それを本心で受け入れていたわけじゃない。
71暇人:04/08/05 12:55
戦国時代後期の日本人には既に南蛮人・紅毛人らとの交流もあり、その世界観は大きく飛躍している。華夷秩序や「中国だけが世界文明の中心である」という中華思想的な世界認識はないと思われる。
72日本@名無史さん:04/08/05 13:44
無知で悪いが朝貢してたのも時代によって意味が違うんだから
一概に中華思想がどうとかっていえなくね?

俺の中では聖徳太子まででつ
73日本@名無史さん:04/08/05 17:18
村上水軍が存在する限り、モンゴル軍の渡海は絶対にありえない。
74日本@名無史さん:04/08/05 19:28
蒙古だってわざわざ攻めてこない。
「もうこりごり」とか言ってるぞ、きっと。
75日本@名無史さん:04/08/05 21:59
もうこれ以上博多を燃やさないで
76日本@名無史さん:04/08/05 22:10
山田く〜ん、>>74の座布団、全部持ってって〜
77ひう:04/08/05 22:25
おまえら、自分勝手なことばかり言っていないで少しは蒙古の身にもなってやれ。
馬も羊も連れずにはるばる海に揺られてやって来たら山ばかり。
大勢引き連れてきた高麗の兵は役に立たず、喚くばかり。
そこへワラワラと集まって来ては、キチガイの如く突っ込んできては
首を刈ってゆく野蛮人ども。


もう草原に返してやれ。
78日本@名無史さん:04/08/06 00:10
>>75

作戦を変えて蝦夷地方面から攻め込むと思われ。
79日本@名無史さん:04/08/06 00:12
印パ両国だけが「当事国」だと思われていた「カシミール問題」に、
実は支那も一枚噛んでいたと言う事を書いた訳ですが、この地域の問題に支那が絡んだ事で、
引き起こされたもう一つの問題についても書いておきたいと思います。それは、平成10年、世界中に衝撃を走らせた印パ両国による「核実験」と、
その後の弾道ミサイル発射実験についてです。一般に、印パ両国の核武装は、互いの国に対する軍事的優位を保つ為とされ、
特にパキスタンについては、通常戦力で常に印度に劣勢である以上、それを挽回する為に核武装に走ったとされています。
まあ、この認識は基本的に正しいと思います。しかし、印度の核武装、と言うよりも核実験については疑問を抱かざるを得ません。
何故なら、印度はパキスタンに対して通常戦力に於いて常に優位にあり、パキスタンに先んじて核実験を強行する必要等無かったからです。
印度が核実験を強行した事が引き金となり、パキスタンも支那の技術支援を受けて核実験を強行、遂には両国共に核武装する事となった訳で、
印度が核実験に踏み切らなければ、パキスタンも無理して迄追随する事は無かったでしょうし、その後の両国核武装による
「核による均衡」等と言う事態を招く事もなかった事でしょう。しかし、現実に印度は核武装の道を選びました。
では、印度をして核武装に走らせたものとは一体何だったのか? 実は、印度が核武装した直接の要因は、支那にあるのです。
どう言う事かと言うと、米露の軍事偵察衛星の情報によって、印度国内の少なく共、90都市が支那の核弾道ミサイルの照準を合わされている事が判明したのです。
そこで、印度が考えた事は、「核に対しては、核を以て対抗する」、つまり、印度も軍事対抗上から核武装し、支那の諸都市に対して核ミサイルの照準を合わせる、
と言う事だったのです。でなければ、軍事的優位にある印度がパキスタンを刺激し、核武装に走らせる事を百も承知の上で、わざわざ、核実験強行と言う愚を犯す筈がありません。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/aksai_chin.html
80日本@名無史さん:04/08/06 02:12
結局神風で全滅
81日本@名無史さん:04/08/06 03:42
鉄砲が発達してからロシアがアジアの遊牧系諸族を次々撃破して
版図を拡大していったように、馬は鉄砲の音に慣らしておかないと
発砲音で驚いて使い物にならなくなるそうです。
欧米や戦国時代の軍隊は普段から鉄砲の音を馬に聞かせて訓練していたそうです。
82日本@名無史さん:04/08/06 08:09
>>56
>日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、
日露戦争時のエピソードを知らんの?
83ひう:04/08/06 10:57
日本がまだ縄文時代だったころ中国では殷や周といった文明ができていた。
日本にまともな文明ができたのはそれから何千年も後の奈良時代になってからだ。
それも中国から農耕や鉄器や文化が伝わったからだ。
つまり、中国がなければ今の日本はないだろう。それなのに、その恩を忘れ日本が侵略した事は、
最低の行為であろう。しかしメディアはその事をまともに公表せず、
日本がやられたことばかりしか放送しない。だからここにいるキチガイ野郎が、
増えるのだ。日本が犯してきた事しらんくせに中国や朝鮮の事を馬鹿にするな。
84日本@名無史さん:04/08/06 12:56
>つまり、中国がなければ今の日本はないだろう。

中国がなければ、別の国から文化が入ってきてるよw

>日本が侵略した事は、最低の行為であろう。
>しかしメディアはその事をまともに公表せず、

戦後五十年間以上、糞サヨと連携したマスコミが叩きまくっていますが。

85日本@名無史さん:04/08/06 17:38
日本軍は沖縄の人々をひどい目に合わせた
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091624737/l50

すごい戦いだゴクリ…(AA略
86日本@名無史さん:04/08/06 17:43
>>85
何言ってるんだ
琉球人は日本人のためにお役に立てて幸せに
死んでいったんだ
87日本@名無史さん:04/08/06 17:46
上記のスレで自称親米派が暴れてます
88ひう:04/08/06 21:07
>>83
何故よりによって俺の名を騙るのか分からん。

1万年に及ぶ縄文時代こそ日本の根っこ。
鉄器など中国王朝よりも古くから使われているぞ!
古代よりの技術大国、それが日本。
殷や周なんぞ、ゴミ捨て場みたいなもんだ。


89日本@名無史さん:04/08/07 08:53
>>56よい資料をありがとう
リン氏の論文は正確無比にして鋭い
90日本@名無史さん:04/08/07 10:07
>>89
大筋では言いたいことは納得だが、正確かと言われるとそうとも言えないと思うのだが・・。

>日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは
>迫害するという話は聞いたことがない。中国人は外国の捕虜に対して、非常に
>友好的である。中国で服役した日本人の捕虜達も人道的な扱いを受けてきたとの多くの証言がある。

嗚呼びっくり・・。


あと江戸期以前の文化の蓄積について一言も言及がなく、開国をした時点でも
中華文明のほうがはるかに先を行っている、と思っている点などが
物足りない。

91日本@名無史さん:04/08/07 10:15
ロボット技術の最先端

みなさん世界一のロボット先進国がどの国か知っていますか?
それは日本です
日本のテクノロジー無しでは現在のロボット産業は成り立たないと
言われるまでに我が国のロボット技術は飛び抜けて優秀です
幾多の苦難の果てに少年の頃の夢を追い続けた偉大な技術者達は
アトムへの可能性を十分に感じさせる素晴らしいロボットを作り上げた
10年前では絵空事でしかなかったロボット社会も実現はもはや時間の問題だと感じさせます
あらゆる技術の集大成であるロボットは間違いなく21世紀の日本の基幹産業となる事でしょう
本田技研 「ASIMO」 と ソニー 「SDR」
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/asimo.jpg
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/soni.jpg
みなさんにも現在日本のロボット技術が並ぶ者が無いほど世界最高のロボット技術だという事実を分かっていただけたと思う
92日本@名無史さん:04/08/07 10:16
だがしかしある国がロボット技術の最先端をひた走る我が日本にライバルとして参戦してきました
それは中華人民共和国
4000年の歴史を持ち12億の国民を従える超巨大国家
今回報じられた内容を紹介しよう中国湖南省の長砂国防科学技術大学で中国初の人間型ロボットを開発に成功
説明によると名前は
先行者
高さ1.4メートル 重さ20キロ
頭部 目 首 胴体 腕 足
人間と同様のパーツを持ち
さらに基本的な言語能力まで備えていると言う
中国政府直属の国防科学技術大学で開発された
まさに中国最先端技術の結晶である
これを報じた新華電社はこう言い切りました
先行者の開発により中国のロボット技術は日本の本田、ソニーのライバルとして最先端の先進国レベルに追いついた!!
さぁ中国政府の切り札
「先行者」の登場です!!
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robo.jpg

http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robotyuugoku.htm
93日本@名無史さん:04/08/07 11:12
獣姦が流行するんじゃないのかな
94日本@名無史さん:04/08/07 12:55
夷荻が侵攻してくるのに内戦を継続することの愚を悟り、諸大名は停戦を決意。
再び足利幕府、あるいは新たに朝廷を旗印に押し立てることで祖国防衛戦争を行うっていうのはどうだろう。
異民族を意識した日本人はもはや同種同根の日本人同士での争いをやめ、日本は緩やかに統合、国民国家へ向け近代化していく……。

そういえばインディペンデンス・デイもこんな話だったな。
95日本@名無史さん:04/08/08 19:47
モンゴルと言っても、弘安と文永の両役で主力(殆ど何だろうな)は旧南宋兵+高麗兵である。
仮に戦国時代に元寇があったとして、その設定を強引に適用すると主力は旧明兵+李氏朝鮮兵。

・・・理由は何となく解ると思うので省くが、戦意がかなり無いであろう。
   記憶違いかもしれないが李氏朝鮮は宗主国明から鉄砲を持つことを禁止されていたので
   戦力が劣る事は明々白々である。(「鉄砲をはじめて見た」とかいって逃出すかもな)

仮に戦意が高いモンゴル兵だったとしても輸送技術上、馬を余り輸送できず没だろう。



96日本@名無史さん:04/08/11 12:43
>>86
じゃあ、沖縄にいって同じことを那覇市の中心部で叫んできたら?
97日本@名無史さん:04/08/11 13:52
>>94
>夷荻が侵攻してくるのに内戦を継続することの愚を悟り
>諸大名は停戦を決意。
いやいや。
大友宗麟あたりが蒙古軍と内通して引き入れると思われ。

98日本@名無史さん:04/08/11 14:38
>>97
あのなぁ、
古今東西、いつでもどこでも海外紛争は絶えないが、
外国に寝返るのは中国人だけだぞ?
時代にかかわらず外国からの侵略はどこの民族も徹底抗戦してる。
大友が内通するとは思えない。
99日本@名無史さん:04/08/11 21:13
くノ一がオンドルへ潜り込み蒙古皇帝を暗殺もしくは暗愚化させる
100日本@名無史さん:04/08/12 02:26
元の皇帝って離宮ではオンドル暮らしだたですか
101日本@名無史さん:04/08/13 01:45
騎馬(馬乗騎射)VS徒歩(マ助っ人)
 蒙古        日本
 
  負        勝

だろうな。
    
102日本@名無史さん:04/08/13 03:43
大阪攻めでポルトガルだかイスパニアだかの軍艦を使っただけで
敵からも味方からも非難轟々で神君家康ですらやばくなって速攻で外国に頼るのを
断念したぐらいだからね。

対外的にはまとまりがあるわりには内輪で戦うのも好きなんだよなぁ。
103日本@名無史さん:04/08/13 04:16
つか騎馬民族が海を隔てた上に山がちな日本で猛威を振るうのは難しいんじゃない?
特に日本が戦国時代じゃさ。
104日本@名無史さん:04/08/13 07:04
>>103
よくそういうこと言う人いるけどさ、日本の主要部分って平地じゃん。
105日本@名無史さん:04/08/13 07:46
日本程度の平地の大きさじゃ強みを活かせないでしょ。
陸続きでもないし。
106日本@名無史さん:04/08/13 07:52
まぁ現在でさえ国土の70%が山林だからな。広いといえば関東平野くらいか。
107日本@名無史さん:04/08/13 08:28
ほかの平野だって戦うには十分すぎる広さだろ。
108日本@名無史さん:04/08/13 08:33
蒙古人は湿気に弱い
109日本@名無史さん:04/08/13 08:42
>>107
なんかピント外れ。
↓このスレでも見てくるといいかも。スレタイはちょっとあれだけど

【世界史上】モンゴル帝国最強伝説【最大版図】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025384452/
110日本@名無史さん:04/08/13 08:44
>>107
平野は少ないよ。
武田軍団が強かったのは、補給部隊の速さがピカ一だったから。
普通の馬は登り坂はOKだが下り坂は怖がってなかなか降りない。
ところが山国である甲斐国の牧で育った馬は山岳地帯を平気に往来する。
平原で育った蒙古馬に山岳地帯を行き来することは不可能。
馬が無ければ蒙古軍はただのカス。
111日本@名無史さん:04/08/13 09:43
投石器とか大砲などの重火器で京。大坂。名古屋とおさえればどっち転ぶかわからない
112日本@名無史さん:04/08/13 12:23
>>110
山国って言っても中心は平野じゃん?
ってか、古代に牧のあったとこって甲斐に限らず大抵そばに山があるような。
尤も山ん中で暮らしてたとは思えんが。
113日本@名無史さん:04/08/13 15:17
>>112
その中心部(京?)にたどり着くまでに突破すべき山城がいくつあると思ってるんだ?
戦国期だって設定だろ?
海の移動も瀬戸内海突破は不可能だし。
一度、日本列島のランドサット撮影写真を見るといいよ。面白いよ。
特に関東甲信越の映像と関東三国志の史実を比べて研究してみるといいよ。
114日本@名無史さん:04/08/13 19:51
>>99-100
オンドルルラギッタンディスカー!!
115日本@名無史さん:04/08/13 20:25
>>113
モンゴル人は中国で城攻めやりまくり。
しかもパシリとして中国人、朝鮮人も従えている。
弾除けにつかえるね。
あとイラン等山岳地帯も征服している。
116日本@名無史さん:04/08/13 21:52
ベトナムのような多湿な地域では敗退しているし、
モンケは体調を崩し、これが元で死亡している。
117日本@名無史さん:04/08/13 23:13
>>115
イランよりベトナムを参考にすべき。
多湿で森林山岳地帯。
それに中国の城と日本の城とは全然違う。
しかも戦国期には無数の城が日本国内にあった。
異民族が全部潰すのは絶対に不可能。
118日本@名無史さん:04/08/13 23:20
>>117
>しかも戦国期には無数の城が日本国内にあった。

大半は取るに足らない小城。
119日本@名無史さん:04/08/13 23:40
>>118
その小城に続いているのは小道な訳だが
120日本@名無史さん:04/08/14 00:09
放置するなり>>115の言うように子分にやらせれば。
121日本@名無史さん:04/08/14 00:32
つーか、小城なんか自落するだろ。

高麗みたく、平地蒙古、山倭人。
で、平地には支那人が入植。
倭人は食料に困って共食いをはじめる。

まるで台湾だな。
平地の支那人と山地の人食い原住民。
122日本@名無史さん:04/08/14 00:47
自落と言う言葉がよく分からないが、
放っておけということか?

放っておくにしても、
補給線断絶をさけるために
包囲できる兵力はおいてから進軍する。
兵糧切れても3ヶ月は持つとして
3ヶ月進軍分、補給線が伸びに伸びるわけだ。

手薄な兵站へのゲリラ戦が怖いな。
123日本@名無史さん:04/08/14 01:06
だな。
海に囲まれた日本列島で異民族が長期に軍事的占領を可能にするほどの補給の確保はどう考えても不可能。
地図のない時代に山に囲まれた日本列島での進軍は予想以上に厳しいものとなる。
しかも設定は戦国。100年も殺し合いしてたら民族は強くなる。
チンギスハーンの時代のモンゴルも殺し合いの中で強くなった。
つーか、マジで博多あたりでモンゴル軍全滅ってのが打倒でしょ。
水城を突破できずにねw
124日本@名無史さん:04/08/14 02:22
>>121
は外道。
降伏すれば高麗と同等の属国、徹底抗戦すれば台湾化が妥当だな。
小城なんぞ何の役にもたたんよ。小城なんぞで国が守れるんなら
征服される国なぞなくなってしまう。
125日本@名無史さん:04/08/14 08:57
蒙古は山がダメだという香具師がいるが、長安も四川も大理も山の中。
江南は長江もあれば山もある。気候も日本と大差ない。
異民族って言っても蒙古は圧倒的多数の人口を抱える異民族を支配したわけだが。
126日本@名無史さん:04/08/14 11:41
>>125
だから壮大な平原や山岳地帯で人もまばらな大陸と、猫の額ほどの土地を殺し合いで取り合うほど狭い日本とでは条件が全然違うって。
本気で戦国期の日本を攻めるらな大軍が必要。
そうなると海を渡って補給しなければならないし補給部隊も膨大になる。
陶と毛利の厳島の戦いを参考にすれば良い。
狭い場所で大軍を展開すればどうなるか。
127日本@名無史さん:04/08/14 16:51
つまり狭い島に多くの住民が暮らしている日本は
厳島の戦いのように小兵力で制圧できるということだろうか
128日本@名無史さん:04/08/14 17:32
>>127
厳島では水軍が毛利方に味方したのが大きかった。
なんにせよ日本を攻めるならまず水軍だな。
129日本@名無史さん:04/08/14 18:16
蒙古襲来で日本が苦戦した理由
・圧倒的兵力の差
これは戦国期なら問題なし。
・集団戦闘に不慣れ
これも戦国期なら問題なし、むしろ長槍隊がある日本側が有利か

べつに平地戦闘でもモンゴル軍たたけると思うけど。

あくまで鎌倉時のモンゴル軍だけどね。
130日本@名無史さん:04/08/14 20:21
>>129
禿同。鎌倉武士ごときに撃退されたモンゴル軍は弱い。
131日本@名無史さん:04/08/14 20:47
モンゴル人は新兵器の開発、使用に熱心だった。
戦国時代なら騎馬鉄砲隊くらい組織しとるかも試練。
132日本@名無史さん:04/08/14 21:10
>>126
中国は広いが人口も多い。
征服するには日本よりはるかに多い物量が必要。
が、モンゴルに限らず、北方遊牧民はそれを成し遂げてきた。
133日本@名無史さん:04/08/14 21:11
>>131
なにもやってないだろ
134日本@名無史さん:04/08/14 21:27
てつはう
回回砲
135日本@名無史さん:04/08/14 21:40
日本は勢力が分裂状態だろ。外寇って事で一致団結するか?
中央政府の機能なんて全くと言って良いほど無えんだから。
モンゴルだって当然、日本国内の分断工作を行うわな。
我方につけばこれこれの利益があるぞとね。
鉄砲の数が日本の方が多いとか言ってる奴いるけど
巨大なユーラシア帝国であるモンゴルがあの時代に成立してたら
その巨大な国力で日本の何十倍の鉄砲数の所持って事になるんじゃ
ねえか?
当然日本よりずうっと早く鉄砲所持してるだろうし。
136日本@名無史さん:04/08/14 21:51
しかも頼みの水軍は半島水軍にボコられる程度だし
137日本@名無史さん:04/08/14 22:27
実際漢人水軍はベトナムで敗退したし、従軍したモンゴル人自身も多数が体調を崩して死んだ。
また博多沖で停泊していた水軍でも疫病で多数の犠牲者を戦闘以前に出している。
こんな状態では一時に大軍を動員しても損失の補充が相当困難で続かないだろう。
138日本@名無史さん:04/08/14 22:43
しかしだな、よく考えてもみたまえ。

ゴルに荒らされた北九州なんて
島津様から見ればそれこそウマーですよ。

九州統一を成し遂げた後、
全軍を以て中国にたむろってるゴル軍を駆逐する。
最強島津様にすれば造作もないこと。
そのまま上洛して京都ウマーですよ。

結論。島津に利用されるだけされてお仕舞い。




ほんとに見てみてぇ・・・・・・それだけで十発は抜ける(゚д゚从
139日本@名無史さん:04/08/14 23:05
漏れは及川奈央の方がいいよ。
140日本@名無史さん:04/08/14 23:32
>>137
日本ではモンゴル人の持ち込んだ黒死病が大流行。
人口の三分の一を失い、再度攻めてきたモンゴル人にあっさり占領される。
141日本@名無史さん:04/08/15 00:21
>>136
まあ半島水軍にボコられたのは秀吉の権威を傘にきたマヌケな官僚どもだし。
九鬼水軍はさっさと戦線離脱で村上水軍は参加すらしていない。
>>140
それが一番可能性が高いなw
142日本@名無史さん:04/08/15 00:34
>>141
来島がぼこられてるよ。
戦死してるし。
143日本@名無史さん:04/08/15 00:36
>>142
村上の裏切り者の分家ねw
そりゃ仕方ない。
144日本@名無史さん:04/08/15 00:44
>>140
安田先生の本でも読んで勉強しろ
145日本@名無史さん:04/08/15 01:00

お前は桐野作人でも読んでろw
146日本@名無史さん:04/08/15 04:27
正直すまんかった
147日本@名無史さん:04/08/15 08:31
>>140
実際再度攻めようとしてたが江南やモンゴル内部で反乱がおこって日本を攻撃するどころではなくなったが。
黒死病の大流行は当時のヨーロッパの異常な不衛生ぶりが主要な原因らしいが。
モンゴルが侵攻した朝鮮やベトナムで黒死病で人口が激減したという話は聞かないが。

148日本@名無史さん:04/08/15 17:05
日本じゃ当時梅毒が流行ってたな。
149148:04/08/15 17:05
当時ってのは戦国時代ね。
150日本@名無史さん:04/08/15 20:11
南蛮坊主にうつされたんだよね
151日本@名無史さん:04/08/15 20:18
>150
宣教師と穴兄弟になった日本人がいたんですか!?
日本に来る宣教師はまともな性的嗜好をもってるとなんとなく思ってたんですが……。
152日本@名無史さん:04/08/16 00:35
マクロの海を乗り越えて 渡ってきた使者たちは
われら幼い日本人に 目覚めてくれと言って来た
153日本@名無史さん:04/08/16 01:24
南蛮人は宣教師だけでないぞ。
商人や水夫がほとんどだ。時代が下れば学者や旅行者なんかもでてくる。

梅毒は新大陸の病気で、スペイン人やポルトガル人によって初めて旧大陸に
持ち込まれて、リスボンやセビリャではじめに大流行した年から3年か5年後
に日本でも確認されている。
一瞬にして世界中に蔓延していったわけだ。
こう考えると、世界中の人間が直接ないしは間接的に強く結びついていることを
感じさせられるが、なんか最近梅毒の話が多くないか?
154日本@名無史さん:04/08/16 02:39
俺達梅毒だからね。
155日本@名無史さん:04/08/16 09:59
>152
亀レスだが、それはマクロス。
156日本@名無史さん:04/08/21 01:48
おまいら戦国期(特に末期)の日本の城軽視しすぎ。

織豊期の城は大砲あってもそうそう簡単に落ちないよ。
(大坂城は城ではなく人の問題で落ちただけ)
現に熊本城は帝国陸軍の猛攻でも50日以上陥落しなかったし。
土塁を石垣で覆ったその基本構造(上部建造物はあくまでサブ)は
大砲等の攻城兵器に対し極めて頑強な防御力を発揮するし
如何に持ちこたえるかではなく如何に効率的に寄せ手を火器を使って攻撃するかという思想で造られ
防衛線を守るのではなく攻撃側の侵攻ルートを限定させそこにキルゾーンを設定し面で守るというのは
まったくもって近代軍の陣地の防衛思想そのものです。

またヌルハチが仮に来てても輸送に困らん日本国内なら恐れるに足らんでしょう。
当時の日本の戦い方は単に火器を集中させるのではなく野戦築城が普通に行われたし
その中で機動力を有効に使おうとしても火力の差がありすぎて無理でつよ。

職業軍人中心で組織的にもプレ近代軍と言っていい状態のところまで来てたからな、当時の日本は。

そんな軍隊でもまともな情報持たずに海の向こうに攻めていったら(戦略的に)負けてしまうし
国家として日本の最大の弱点は情報機関が脆弱ってことだろうな、当時も50年前も今も。
157日本@名無史さん:04/08/21 11:03
アホナ質問だとは思うが・・・モンゴルに鉄砲はあるのか?
そもそのこのスレの時代設定があやふやじゃないか?
一概に戦国時代といっても
@北条早雲小田原奪取
A鉄砲伝来
B織田信長:豊臣秀吉の強大化
と、少なくとも3期に分けられるだろ?
そこらへんのトコ設定ヨロ〜
じゃなきゃ下手なことかけん
158日本@名無史さん:04/08/21 18:58
適当でいいんだよ。こんなスレでなにマジになってんの?
159日本@名無史さん:04/08/22 01:50
じゃあ適当ついでに
「もし戦国時代に蒙古襲来があったとして南雲機動部隊がそれを迎え撃ってたら?」
160日本@名無史さん:04/08/22 02:04
奇襲には成功するけど目当ての米機動部隊は発見できず。
161日本@名無史さん:04/08/22 02:15
じゃあ適当ついでに
「もし戦国時代に蒙古襲来があったとして河童がそれを迎え撃ってたら?」
162日本@名無史さん:04/08/22 12:58
屁の河童で一蹴に見えるも、内応によりモンゴル軍は河童の弱点を知る
キュウリを大量投入しておびきよせ、隙だらけの河童の頭の皿を乾かして終了
163日本@名無史さん:04/09/16 21:08:46
164日本@名無史さん:04/09/19 20:17:56
水滸伝の敵役が金ではなく日本という仮定の方が面白い。
165日本@名無史さん:04/10/06 21:01:30
ぬるぽ
166日本@名無史さん:04/11/06 22:15:57
167日本@名無史さん:04/11/07 02:19:34
>>164
水滸伝の敵役は遼じゃなかったっけ。
168日本@名無史さん:04/11/07 11:34:40
熊本城は帝国陸軍の猛攻でも50日以上陥落しなかったし

これってツッコミどころでしょうか?
169日本@名無史さん:04/11/27 01:04:08
もし戦国時代に蒙古襲来があったとして信長様がわけも無く
撃退してくれるでしょう
170日本@名無史さん:04/12/01 19:03:54
蒙古督戦隊が背後に控える漢人農民の津波の前に弾薬切れで壊滅する織田鉄砲隊
171日本@名無史さん:04/12/06 15:36:30
>>168

西南戦争時の薩軍の猛攻での誤りと思われ
172日本@名無史さん:04/12/23 16:57:33
そうなん?
173日本@名無史さん:05/01/03 00:16:53
174日本@名無史さん:05/01/14 01:48:58
戦国時代に日本に攻めてくる馬鹿はいない
175日本@名無史さん:05/01/18 11:31:27
きっと島津くんが助けてくれるよ
176日本@名無史さん:05/02/09 12:44:30
ホームでの戦いは有利だから。九州の半分くらいはモンゴル帝国になるかもね
177日本@名無史さん:05/02/10 20:13:35
>>1
戦国時代に起こっていたということはモンゴル帝国も
その時代の最高水準クラスの技術&軍事力を持っていたと考えた方がよいかと
思う。
2-176のカキコを見るにどうやら鎌倉頃の時代水準のモンゴル帝国が
応仁の乱以降の時代の日本に攻めたという話になりますぞ。
それだと日本が撃退できて当然です。
178日本@名無史さん:05/02/13 13:01:24
> その時代の最高水準クラスの技術&軍事力
三藩の乱を制定した頃の清かな?それは
179日本@名無史さん:05/02/24 23:10:45
そうじゃない
180日本@名無史さん:05/02/25 18:33:33
 当時で言えばオスマン帝国かイスパニアとか・・・
181日本@名無史さん:05/02/25 20:48:55
ティムールと後継者たちがもう一度大モンゴル帝国を復活させ、ユーラシア全域の統一に成功したら
リアルで可能性はあったような気もします。
この場合、北インドからバルカン半島や北アフリカまで史実でのムガール帝国や
オスマン帝国の取った地域も史実で出来た以上版図にできる可能性大だろうし
統治方式もモンゴルという反面?教師もおり、先進的なオスマン帝国や清朝に似た制度
をとってたかもしれず
より一層凄まじい世界帝国になったろうな・・
西欧諸国との接触やらも多いことだし軍事戦闘技術も発達したはずだし・・
182日本@名無史さん:05/02/26 21:51:48
 ティムール=モンゴル大帝国というのが一番妥当かなやはり
版図は史実のモンゴル帝国版図に+
インド、エジプト、トルコ、バルカン半島、アラビア半島沿岸部、北アフリカ
 東南アジア全域、フランス他欧州諸国が朝貢国
敵対するのはハプスブルグ(イスパニア)と日本あたりか・・
183日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:20:28
184日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:09:12
大混乱なんだろうけど、日本海あるからね。
補給もままならんしね。また神風になるだろうね。
逆の場合も(日本が攻める)秀吉が実証してくれた。
外交謀略上手ければなんとかなるかも。
185日本@名無史さん:2005/04/15(金) 01:03:56
そうかね
186日本@名無史さん:2005/05/04(水) 19:50:07
ちがうやろ
187日本@名無史さん:2005/05/04(水) 21:32:00
この文章は創価学会の現名誉会長の池田大作が会長時代に言ったことを
まとめた本からなんだけど広島や長崎の人はどう思う?
創価を弾圧したから原爆が落とされたんだってよ。


 先ほどから話がありましたが、大聖人様御在世に大聖人様を迫害したがゆえに
一国謗法であり、一国が正法を護持しなかったがゆえに他国侵逼の難、二回の
他国侵逼の難がございました。文永の役と弘安の役。その大きい難を通じて、
民衆は大聖人様の予言を少しずつ知ってきたわけでございますが、下って
大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾の
投下をされております。一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いです。
『会長講演集 第三巻』 P290
188日本@名無史さん:2005/05/04(水) 23:24:07
てつはう vs 火縄銃 多段打ち
189日本@名無史さん:2005/05/05(木) 09:56:56
蒙古は実際に襲来する前に何度も使者を送っていた。
もし戦国時代に同じ事をやっていたら……使者は何処へ行けばいいんだ?
京都へ行っても朝廷はまともな接待すら出来ないだろうし……。

まずは大内義隆が玄関口になるのかな?
そんで三好長慶→足利義輝と取り次いでもらうと。
義輝は
「これぞ天祐!蒙古襲来の脅威を過大に言い立てて各大名に危機感を抱かせ、足利将軍家のもとで結束させることが出来る!」
と自らの政治的実力を過大評価する。
そして散々に蒙古の使者を罵倒して追っ払う。
190日本@名無史さん:2005/05/07(土) 10:42:26
蒙古襲来も原爆も創価学会を弾圧したせいなんだ!
創価は基地外だね。
191日本@名無史さん:2005/05/27(金) 01:26:42
どういう意味?
192日本@名無史さん:2005/06/09(木) 22:30:09
蒙古斑
193日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:54:49
イスパニアはまだしもオスマンコ帝国は日本まで攻めてこられないだろ。
194日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:45:12
>そして散々に蒙古の使者を罵倒して追っ払う。

そして、蒙古来襲時、博多湾には義輝の首が・・・・
195日本@名無史さん:2005/06/11(土) 03:38:19
使者がどの時期に来るかも大きいと思う
関白様の世だったら、やっぱ斬られてるんかな
196日本@名無史さん:2005/06/11(土) 04:03:49
ここは遡って源平時代に蒙古が襲来
197日本@名無史さん:2005/06/11(土) 04:13:37
オスマン相手なら日本は壊滅。大和撫子がイスタンブールのハーレムで艶聞を振りまいて
いただろうよ。イェニチェリ>>>>戦国の日本兵
198日本@名無史さん:2005/06/11(土) 08:26:29
武士篭城⇒モンゴル農民虐殺⇒農民一揆⇒泥沼化
199日本@名無史さん:2005/06/11(土) 10:12:34
マジレスすると
もし来寇軍が日本の分裂に乗じてうまく国内の勢力を対抗させ、
つけ入ることができれば日本を征服できる。
しかしそれをするためには、かなり天才的な謀略家がいることが必要。
度々異民族の支配を受けたシナや朝鮮ならともかく、異国人に慣れない日本では
言語や習俗の壁から、それはかなり難しいと思われる。

もし上記のことができなければ、世界中のどの国のどの勢力が攻めてきても日本には勝てない。

・・・ってことで異論はありえないはずだと思うが。
200日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:57:38
>>199
うまく、保守・資本家、革新・共産主義派に分断しましたが(w
まあ最近はまたまとまってるような感じだけど
201日本@名無史さん:2005/06/19(日) 10:02:13
>>200
戦国時ではなく、現在ではねw
マジで現状の日本ってのは、客観的にみて元寇以上の危機ですよ。
シナ韓国のスパイに良いように操作されてるし
202日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:29:33
とりあえず源平とか戦国とか分裂時代に攻めてこなくてよかった。
蒙古はいい時期にせめて来てくれたな。
203日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:45:24
>>202
戦国については>>199
204日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:11:00
>>202

分裂時代に来寇してるじゃんよ。
一番槍をつけた竹崎季長なんて同族間の領地争いに敗れたから、蒙古の首でも挙げて
所領を手にしようとしているくらいだし。

源平や戦国は大分裂時代。
それ以外の時代は、意識の上では朝廷、実務の上では天下人の基である程度
まとまっている小分裂時代。
205日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:26:44
>>201
右と左に分かれたのは、支那チョン関係なくGHQの占領政策でしょ
206日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:45:57
207日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:05:37
北条実時が防塁を考えたんだよね?
208日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:31:03
在日の厨房は帰れ
209日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:43:50
210日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:47:41
211日本@名無史さん:2005/09/14(水) 02:30:23
212日本@名無史さん:2005/10/05(水) 19:01:47
213日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:39:46
うほ
214日本@名無史さん:2005/10/27(木) 02:05:16
戦術の違いで陸戦術になれば負けたと思う。
都合よく嵐がきたので運が良かっただけ。
215日本@名無史さん:2005/10/27(木) 02:13:31
つうか織田、徳川、毛利、島津、伊達、武田、上杉とかが仕切っていたら負けるだろ。織田なら海では鉄甲船があるし、陸では火繩銃、徳川なら陸では大砲が加わるしな。
216日本@名無史さん:2005/10/27(木) 02:16:05
鉄鉱船など古い日本武術そのものに通用するが、トロイの木馬と同じ。
217日本@名無史さん:2005/11/19(土) 03:55:28
水滸伝の敵役は遼じゃなかったっけ。
218匿名希望:2005/11/20(日) 00:03:53
ヌルハチは、騎馬軍団で明と朝鮮の鉄砲・大砲隊を撃破したが、明の鉄砲は火縄銃と全く別物だよ。
携帯式大砲というか筒で、射程、命中精度ともに火縄銃より格段に劣るものだった。
ヌルハチの騎馬軍団でも日本の鉄砲隊には勝てなかったはず。
219日本@名無史さん:2005/12/10(土) 12:27:13
220日本@名無史さん:2005/12/10(土) 19:02:55
里見家御家芸のゲリラ戦術を使う。
221日本@名無史さん:2005/12/12(月) 22:08:07
ならモンゴル側となってみていかに日本を侵略するか考えよ
222日本@名無史さん:2005/12/12(月) 22:47:13
>>214
>都合よく嵐がきたので運が良かっただけ。

なぜ彼らが嵐なのに博多に上陸もせず、海の上に居続けなければならなかったのか
考えたことないの?
223日本@名無史さん:2005/12/30(金) 19:58:56
チンギスハン「男にとって最大の幸せってなんだ?」

蒙古将軍達「草原で家族とのんびり遊牧が一番っす。」

チンギスハン「ちがう!」

蒙古将軍達「では幸せとはなんですか?」

チンギスハン「男にとって最大の幸福は、
敵を思う存分撃破し、駿馬を奪い、美しい
妻や娘を我がものにし、その悲しむ顔を見ることだ。」

蒙古将軍達「は、はぁ・・・」(実話)
224日本@名無史さん:2005/12/30(金) 22:02:18
>>223

チンギスハンの「ちがう!」って言葉がかわいい
225日本@名無史さん:2005/12/30(金) 22:55:10
「すすめ〜、日本を滅ぼせ〜」
蒙古軍の主力は朝鮮人だった。






どうやら到着できずに海に沈んだらしい。




慶 長 の 役 終 了 !
226日本@名無史さん:2005/12/30(金) 23:35:07
「慶長の役」は豊臣氏による朝鮮出兵で主力は朝鮮人ではなく日本人
水際で防がれて、上陸できないなんてことはなく
あっさり渡海して内陸まで攻め入ってるんだけど・・・
227日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:27:09
>>226
設定が戦国期だから妥当かと…ヒント1
228日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:32:07
>>223
チンギスハンはサドだったのねw

敵に捕われた最初の妻(ボルテ)を最後まで愛したのもわかる
気がする。多分夜な夜な虐めてたに違いないw
229日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:40:00
223はモンゴルに良くない感情を持つトルコ人の記述なので割り引いて見る必要がある。

230日本@名無史さん:2006/01/25(水) 02:14:49
火縄銃で終了
231日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:47:17
232日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:56:51
ヌルハチじゃなくて明と李朝の連合軍が攻めてきたらどうなっていただろう
というか後金も清も出来たときは江戸時代だろ、戦国時代に攻めてくる外敵
といったら明が一番可能性が高いと思うが
233日本@名無史さん:2006/03/29(水) 16:27:03
>>223
しかもチンギス自身が略奪婚で生まれた子だったりする。

>>232
多分撃退できたと思う
234日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:25:39
戦国時代ならば日本軍の糞尿攻撃が蒙古軍に炸裂!
これはガチ
235日本@名無史さん:2006/04/05(水) 05:38:54
>>232

戦国の時期による。
鉄砲が普及して一歩兵が火力を携帯しはじめた時期に、日本側のホームで戦ったら明軍の
勝利は絶望的。
それ以前の時期ならば日本の戦力・組織力分割したままなのでチャンスはある。
ただオイラトやタタールによる北部の侵略に対する戦い(土木の戦いで皇帝が捕虜)や
海岸部を攻撃する倭寇との戦い、さらに寧波の乱のように日本の細川・大友軍の鎮圧に明軍の指揮官・劉錦や袁□
が敗死するなどの諸問題(北虜南倭)があって明のコンディションも悪い。
236日本@名無史さん:2006/04/05(水) 13:44:43
塗る八の騎馬軍ってそんなに強いの?
237日本@名無史さん:2006/04/05(水) 13:48:24
ヌルハチには信玄率いる武田騎馬軍団をぶつければ勝てる。
238日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:50:54
明と日本の関係は朱元璋の時代にかなり緊張したことがあった。
洪武14年に日本が明に送った使節に無礼があったとして、明皇帝の朱元璋が
「返答次第では討伐軍を送る」と言って脅迫してきたんだ。
これに対して大宰府の懐良親王は「日本の防備は万全だから、明の討伐軍なんか
怖くないよ」って返信。
怒った朱元璋は日本に攻め込もうとしたんだけど、元が2回も完敗したんだから
という理由で結局は断念した。
239日本@名無史さん:2006/04/06(木) 14:38:10
>>238
もっと詳しく
240日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:45:17
>>239
寺田隆信著「永楽帝」中公文庫P226-227

懐良親王の朱元璋への返書
「・・・・・・乾坤は広大で、一人の君主の独占するものではなく、宇宙もひろくて、
それぞれの国にわかれております。天下は天下の天下であって、一人の天下では
ないのであります。・・・・・・聞けば、陛下(太祖)は、股肱の大将をえらび、
精鋭の軍をおこして、わが国に侵攻されるとのことでありますが、当方には、
水沢の地や山海の洲にも備えがございます。どうして、途に跪いて、陛下の意の
ままになりましょうか。・・・・・・われわれは、征伐を決しておそれるものでは
ありません」
241日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:42:41
「懐良」
これなんて読むんですか?
242日本@名無史さん:2006/04/14(金) 11:33:57
中華から見ると日本はホントに生意気で目障りな奴らだったんだなw

243日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:35:53
日本海があるだけでもやっかいなのに
日本から先には何もないから遠征の採算がとれない
しかしその国の君主は無礼にも「皇」の文字を使ってる
無視が一番だね
244日本@名無史さん:2006/04/14(金) 21:18:25
しかも中国軍は兵としても弱いしな・・
245日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:15:40
やはり地の利ってのは大きいよ、特に海があるってのは攻める側からすると
戦略を練るのも鬱になるくらいじゃないかw

過去二回の元寇時も嵐だけじゃなくて、小部隊での夜襲がかなりキツかったようだ
毎晩襲われたり、火を放たれたりしたらそりゃ嫌になるわな。
246日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:51:11
同じ島国でもイギリスはわりと頻繁に征服されているぞ。
247日本@名無史さん:2006/04/15(土) 17:37:48
ドーヴァー海峡じゃあ近すぎるってことじゃないか
248日本@名無史さん:2006/04/15(土) 17:55:02
>>247
北海を越えて侵攻したデンマークとかにも征服されているよ。
249日本@名無史さん:2006/04/15(土) 18:41:59
海を越えた侵略としては、やはりスペインのピサロがによるインカ征服が
もっともインパクトあるな。

武器の差、文明(侵略の意図)の差があるとこれほど少人数でも大海があっても侵略できてしまうんだな・・。



10万以上の大軍を送って果たせなかった蒙古(元)の日本侵略は・・・・
250日本@名無史さん:2006/04/15(土) 19:12:38
>>248
デンマークが進行したときはまだイギリスは国として未熟だったしな
動員できる兵の数がしれてる
251日本@名無史さん:2006/04/15(土) 20:25:02
つまり日本は国として未熟じゃなかったということか
252日本@名無史さん:2006/04/15(土) 20:53:40
元寇当時、現代に換算すると
モンゴル帝国=アメリカ合衆国、NATO・EU諸国、英連邦諸国、日本、ASEAN諸国
       中国、ロシア、インド、中東諸国
日本    =北朝鮮もしくはイラク
位の総合国力差があっただろ。
 元寇当時世界の人口・面積で半分以上を占めていたんだから。

逆に考えればそれだけの世界帝国だから、しかもそのとき各地に問題があって
局地的な戦に全国力をむけられなかったという僥倖があったのだが

 戦国時代に攻めてくるといってもモンゴル側の状況次第では、戦争はどうなるか
わかんねー。モンゴルが全国力を挙げて長期戦のかくごででてくれば
戦国と言う時代背景では日本側のほうが不利に働き負けるかも・・。

 
253日本@名無史さん:2006/04/15(土) 21:22:45
元が長期的に計画建てて海軍をじっくり育てていれば日本は間違いなく負けていた
フビライ一代で成すにはあまりに金のかかる戦争だったのだ。
ヴェトナムやインドネシアにまで手を出してたのも間違い
254日本@名無史さん:2006/04/15(土) 21:30:15
そんな計画たてられるかよ
255日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:21:38
>>254
なして?騎馬民族だから?
256日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:56:52
フビライ一代よりも時間と金をかけて日本遠征を計画する・・・・そんな計画できるのか?


それこそ帝国崩壊の要因になるんじゃ・
257日本@名無史さん:2006/04/16(日) 08:59:41
>>252
モンゴル帝国といっても元だけだと今の中国より狭いくらいじゃないの?
258日本@名無史さん:2006/04/16(日) 13:38:13
>>257
地図見たけど大して変わらない
まあ、ある程度まで大きいとあまり差がないと思う
259日本@名無史さん:2006/04/16(日) 13:51:44
ここのスレは安土桃山と戦国の区別が付かない馬鹿ばかり?
260日本@名無史さん:2006/04/16(日) 14:37:50
戦国連合軍で蒙古軍に立ち向かっていたらどうなってただろう?
興味深いな。
261日本@名無史さん:2006/04/16(日) 16:03:12
信長VSフビライは興味があるが信長は時宗と違って外交使節を斬首したりしないから
元寇は無い可能性が高い。友好国になる可能性もある
262日本@名無史さん:2006/04/16(日) 16:26:57
>>261
時宗だって文永の役の時は外交使節を斬首したりなんかしてないぞ。
文永の役で来日した使節がスパイ活動を行なっていたことが判明したから、
それ以後の使節は軍事機密を守るために斬首。
適切な処置だろ。
そもそも四方八方隣接した国にかたっぱしから侵略戦争をおこなってるモンゴル
と友好国になる可能性などない。
最初は友好国に見せかけて使節や商人と称するスパイを送り込み、相手の弱点を
調べ上げた上で侵略するのがモンゴルの常套手段なの。
鎌倉幕府は南宋との交易を通じて国際情勢に詳しかったから、相手に騙されず
最初から一切関係を持たないと言う正しい選択ができたんだよ。
263日本@名無史さん:2006/04/16(日) 16:43:53
1582年本能寺に滞在中の信長の下にモンゴルからの使節が現れた。
モンゴル帝国は東は明北部、朝鮮、西はカスピ海からさらに欧州まで伺おうとする大帝国である。
その使節の内容は蒙古に対する服属と通商を求めるものであった。
264日本@名無史さん:2006/04/16(日) 21:08:55
>>261
友好国、というのが怪しいわけで。

265日本@名無史さん:2006/04/17(月) 04:16:10
朝鮮ばりにへつらえば属国ぐらいにはなれたよ。
266日本@名無史さん:2006/04/17(月) 05:09:10
>>265
むしろ朝鮮の属国になればスルーしてもらえるんじゃね?
267日本@名無史さん:2006/04/17(月) 06:52:16
戦えば勝てるのに何でわざわざへつらって属国になる必要があるんだよ?
268日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:11:59
>明治期の日本に来たドイツの軍事顧問いわく、日本の地形はそれ自体が100個師団の守りに匹敵するそうです。
>そんなところに、海越えて侵攻するのに十数万程度の軍勢で兵站線の確保用の船舶もなく、
>現地調達前提では上陸に成功しても、日本本土の制圧は不可能。
269日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:56:31
問題は国内から蒙古に付くものが出たときだ。
270日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:33:11
それが最悪のシナリオ
蒙古は敵国の内紛につけ込むのは常套手段


271日本@名無史さん:2006/04/21(金) 09:01:11
鉄砲が、普及してからの騎馬民族の不振は衆知のことで膠着状態になった時点でモンゴルの負け。
272日本@名無史さん:2006/04/21(金) 16:18:39
実際には騎馬民族も鉄砲を使用した戦争に適応していたよ。
騎馬民族とその周辺の国々との力関係が逆転したのは、17世紀末になってから。
273日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:13:14
まあ今の相撲の状況を見れば、一目瞭然だろ
とても参考になる壮大な実験になってる
東西の両横綱がモンゴル人に占領される勢いだろ。
日蒙、ガチンコでぶつかれば
蒙古の優越ってこと。
相手を喰い殺すような気迫が違いすぎる
274日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:50:33
>>273
豊かな国の人間の肉体ほど弱いものはない
肉体と言うより心の問題かも

少なくとも今の日本人と昔の日本人を同じにしては駄目かと
275日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:22:36
>>83中国なんて国、2000年も前にあるか、バーカ!
276日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:26:05
>>275
そう中国が歴史古いつーのは誰もが知ること


日本の歴史は浅い。


くだらない質疑
277日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:27:20
>>56>昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。
明清交代のなかで、日本的華夷秩序が形成されるんだよ。昔って、いつかはっきりしろ。
278日本@名無史さん:2006/04/22(土) 10:40:36

今の中国人が『中国の歴史が長い』というのは、
アメリカ人が先住民の歴史を含めて、『アメリカの歴史は長い』というのと同じ。

おまえらはその歴史の後継者じゃないだろ
279日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:03:40
>今の中国人が『中国の歴史が長い』というのは、
>アメリカ人が先住民の歴史を含めて、『アメリカの歴史は長い』というのと同じ

全然同じじゃないだろ(笑
280日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:34:04
いや同じ。

今の中国人は北方から流入してきた騎馬民族系の諸民族の混血。
中華文明を築いた民族は南方へ押し出されるか、北方系民族に吸収されてしまった。

唐の時代ですでに中国大陸は古代文明とは異質な民族
281日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:44:49
北方系民族が中華文明を築いた民族に吸収されたんだろ。
でなきゃ中国でいまだに中国語や漢字が使われ続けてる理由が分からん。
282日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:53:30
昔の中国語と今の中国語は別
漢字を使っていたのはそれ以外に文字がないから
283日本@名無史さん:2006/04/22(土) 12:01:55
アメリカ先住民とアングロサクソンの違いほど、
北方騎馬民族系と中国人の違いはねえよ。こっちは所詮同じアジア人
284日本@名無史さん:2006/04/22(土) 12:10:53
アジア人という括りは広すぎて、ないものと同じ。
285日本@名無史さん:2006/04/22(土) 12:45:45
>>281
字は他にないから使ってただけだよ。
後漢末期辺りから、わざわざ発音記号のようなものを使って正しい発音を残そうとしていたが
焼け石に水で、今では別物になってしまっている。

流石にアメリカの先住民ほど少なくはないだろうがw
286日本@名無史さん:2006/04/22(土) 14:00:54
>>283
ということは、「日本5000年の歴史」というのも有りか?
日本の音読み方が古代中国の正確な発音に近いという話もある。
287日本@名無史さん:2006/04/22(土) 14:12:11
実は漢民族という民族はいない
漢民族と言うのは清末期に満州族に対して作られた対義語としての民族名
だから漢民族と言ってもかなりの混血民族
288日本@名無史さん:2006/04/22(土) 14:57:37
>>287
混血というより多民族だな。
アメリカ人をアメリカ民族というようなものではないか?
289日本@名無史さん:2006/04/22(土) 19:17:23
>>282
昔の日本語と今の日本語も別。
モンゴル語や満州語を話す民族に征服されたこともあれば、
パスパ文字や満州文字が作られたこともあった。
何でそっちは継承されなかったんだろうね。

>>286
漢字文化の中心地である中原から離れた周辺地域だからだろ。
中心より周辺に古い言葉が残りやすいのはよくあること。

>>287
漢民族とはシナ・チベット語族漢語派に属する言語を母語とする、
漢字・漢文文化を共有する人々のこと。

>>288
漢民族に限らず満州族やウイグル族、チベット族など56の民族全てひっくるめて、
今の中国では「中華民族」と呼んでいるらしい。民族というより国民だが。
290日本@名無史さん:2006/04/22(土) 19:54:14
>>289
>漢民族に限らず満州族やウイグル族、チベット族など56の民族全てひっくるめて、
中国側にはひっくるめるための根拠はあるのかな?
政治的な苦肉の策って感じだけど>中華民族という名称
291日本@名無史さん:2006/04/22(土) 20:03:02
>>289
読解力がないのか?
漢民族自体が、満州族やウイグル族、チベット族など56の民族と並ぶものではなく
中華民族と同列のものということなのだが。
292日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:44:03
>>286
ある意味、有りかもしれないな。
日本の起源を辿る上で、日本人の残した資料が限りなくない等しく、
魏志倭人伝などの中国側の資料をあてにしないと
何にも語れない状況がある訳で。
日本史と中国史は切っても切り離せず
リンクしてるようなもん
293日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:50:33
>>291
満州族やウイグル族、チベット族などは普通漢民族には含まれない。
やはりそれらの民族と区別できる定義があるのだろう。
294日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:19:19
戦国時代に蒙古襲来があったら、足利将軍がそれを奇貨として国内をまとめるのに利用するとかどう?
元の使者をわざと怒らせて日本侵攻を誘発し、国内の諸大名に向けては
「国難である!今こそ『いざ鎌倉』の精神で将軍家のもと夷テキを打ち払え!」
とか檄文を発し、統制力を取り戻すとか。
295日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:43:27
蒙古の戦術の仕方によるだろう

蒙古が調略を重視して
内紛を誘導する戦術に出たら日本の負け
296日本@名無史さん:2006/04/23(日) 07:31:21
ゲームじゃないんだから簡単に調略によって内紛なんか誘導できるわけないだろ。
297三光作戦:2006/04/23(日) 10:25:02

日中戦争時、抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、強圧的に拡大して
満州と中国との国境とした万里の長城線一帯を無人化する作戦を実施した。
指定地域内の住人を総て強制収容所に移住させ、ゲリラと住人との接触を断ち
ゲリラ出没地域での耕作を一切禁止するというものである。
その過程において、首を切り落とすなどして殺害した農民は8万1千人、
拷問のため施設送りの後処刑した者4万6千人。合計127000人を殺害した。
集落によっては村民が殆ど皆殺しになった所もある。
人囲いと言われる強制収容所は粗末なもので、宿舎は無く、移住させられた住民は露地に藁を敷き、露天で寝るしかなかった。
宿舎としてのバラックや要壁などは住民の手で作らされた。
農期には収容所近くの耕地で農作業を強制された。
収容所の環境は劣悪で、満足な食料、薬もなく、病気や飢えで何万もの人が命を落とした。

表題の三光とは、殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くすと言う意味である。

幾つか例を挙げると

豊潤県潘家峪では一度に1230人が虐殺された。
密雲西白連峪では、全村落を破壊し、最後に破壊から偶然逃れていた一軒を発見し、そこに居た70歳重体老人を家ごと焼殺、幼児2名を銃殺。
王廠溝、南大門一帯では、580人を逮捕し、380人を虐殺し、残り200人を強制労働の為、東北へ送り、内80%が死亡。
石柱子村では、村民700人中300人を虐殺。
興隆県秋木林、大莫峪では、全130戸から180人の青年壮年男を逮捕し、虐殺。寡婦の村とする。
興隆県ではその一帯に多数の寡婦の村が出来た。
更に寡婦の村を襲撃し、逮捕した者で使えそうな者を日本兵の慰め者にし、残りは処刑した。
興隆県では、人口16万人が戦後、10万人に減少していた。
大帽峪の村人など120人を後手に縛り、虐殺。
引っ立てて来た魯家峪住人を一人ずつ目隠しをして井戸の前に座らせ、
日本刀で首を跳ね飛ばしては井戸の中に放り込んだ。
298日本@名無史さん:2006/04/23(日) 10:57:37
>>296
お前の方がゲームやりすぎだと思う
実際の戦争こそ調略が多い
長曾我部元親が統一されていなかった四国をまとめた時
武力の行使が一割だとしたら、残り9割は対立勢力を煽ったりして調略で降伏させたもの
299日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:05:06
戦国時代に元軍が上陸したら
まず大友氏と元のタイマンだろうけど
大友氏は毛利という対立勢力がいるし、宗麟の無能さは言うまでもないし
元就に部下の謀反誘発されまくっている事実があるんですが
300日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:17:48
>>298
国内の戦国大名同士が調略し合うのと、外国の勢力が調略するのとは根本が
違うのだと言うことを理解しろ。
301日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:22:40
>>300全くその通り。
302日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:24:46
>>300
馬鹿ははじめに
当時はナショナリズムなんて存在しないことを理解してくれ
303日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:29:17
当時は戦国大名自身が軍資金を得るために
同じ日本人国民を諸外国に売りさばいていた時代だろ
唸るほど資金力のある元が大枚はたけば諸豪族なんて簡単に裏切るだろうが
それにしてもここは元の国力を過小評価する人が多いね
304日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:36:35
>>303
鎌倉幕府に完敗したからね。
305日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:39:29
うん。そのせいか世界史に無知すぎるんだろうな
元なんて中国の版図程度の国力としか理解してないのが多そう
306日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:43:16
おかしいなあ。
元寇の主力をつとめた高麗人や南人たちは直前までモンゴルとガチで戦ってきた歴戦の猛者たちだろ?
しかももともと歩兵が主力で集団戦もお手の物。
そんな彼らが平家滅亡以来、泰平の世で惰眠をむさぼってきた日本の武士を相手に遅れをとるとは到底思えない。
307日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:46:34
>>302
戦国の調略なんてほとんどが血縁や地盤など、お互いの共通するバックボーンを
利用したものだろ。
日本に何の基盤も持たない外国勢力が、いきなり入ってきて同じように調略を
成功させることができる訳ないだろ。
308日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:46:53
それだけならともかく
鎌倉幕府も過小評価気味なんだよな
なんでも戦国マンセーじゃないと気がすまないというか
309日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:51:53
>>307
無知すぎて話にならない
コネがなければ調略に取り掛かれないと思っているか
本気で?

モンゴルもかなり外国の混乱や内乱に乗じて勢力を拡大した国だけど殆ど調略によるもの

あの国は騎馬の印象が強すぎるんだなー。
310日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:52:41
>306
せめて北条時宗でもみろ。
奥州合戦はもとより、宝治合戦などかなり血なまぐさい権力闘争をやってるぞ?
311日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:01:57
>>309
その調略によって勢力を拡大してきたモンゴルが、日本に対しては調略を
おこなえなかったのは、それ相応の理由があるからだろ。
312日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:08:00
一定以上のバックボーンたる勢力基盤がないと調略は難しいけど
一般に外国の内乱に付込むやり方は珍しくも無いね。
言語や文化の違いはあるけど、ナショナリズムなんて無いに等しい時代ですから
日本は外国との戦争経験が少ないから、これを例外と捕らえがちだけど
実は常道
313日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:11:18
>>309
時代背景を考えるとまさにそのモンゴルが調略を使うに最適な条件がそろってる
少なくとも、絶対にモンゴルが調略を用いないと考えるは誤った認識
314日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:18:22
まずとりあえず戦国厨は
モンゴルが騎馬突撃しかしてこないという認識を改めてくれ
話はそこからだ
315日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:22:17
鎌倉時代が太平の世を貪っていた、というのは恐るべき無知ですな。

>>302
国家、ナショナリズムという言葉はなくとも、中世なりの日本という意識はあった。
元寇のときにおける幕府や朝廷の対応はその最たるもの。

日本側からすると、御家人が元に寝返ったあげく国を二分した戦になるのが最悪のシナリオ。
すぐれた情報網によって異国の内紛に付け込んで、領土を拡大してきた蒙古が、
どこまで日本の結束を切り崩すことができるか?
結果的には、元は日本の内紛を利用することができなかったし、御家人は元に寝返ることはなかった・・・。

316日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:27:37
高麗やロシアのようにモンゴルに対して自国を売って権力を得ようとする勢力が
乱立する国は、はっきり言ってそういう民族性なんだと思うがな。
大越のように国土のほとんどがモンゴルに蹂躙されても、最後まで抵抗を続けて
結局は独立を守った国もあるわけだし。
317日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:28:35
>>315
鎌倉時代は全国に及ぼすほどの統一政権があったし、一応一枚岩ではあったけど
戦国はそうではないじゃん。教会寄進領なんてのも存在したしね

オマイな。
昨日まで家族殺しあって戦っていた隣国同士が
モンゴルが攻めてきた瞬間。一致団結してお国の為なんてのはありえないよ
それこそゲームアニメの世界

モンゴルが大友氏に攻め込めば、そこらへんの反大友勢力は逆にモンゴル呼応して大友を攻める
これがむしろ普通
318日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:34:05
大陸の遊牧民族は、自分の一族という単位では結束するけれども
それ以上の存在には結束しない。
強い一族につく。
中華はもとから遊牧騎馬民族の他民族国家だし、その傾向を色濃く受け継いでいる。


蒙古は遊牧民族のドライ(?)な性質をよく知っていたし、
逆に妙にウェット(?)な結束を誇る日本はベトナムには苦戦し敗れている。
鎌倉武士の名誉心もキチガイじみていたし・・。



結論から言うと、キチガイじみた結束と名誉心は最強の武器。
319日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:35:03
訂正
×逆に妙にウェット(?)な結束を誇る日本はベトナムには苦戦し敗れている。
鎌倉武士の名誉心もキチガイじみていたし・・。
○逆に妙にウェット(?)な結束を誇る日本やベトナムには苦戦し敗れている。
鎌倉武士の名誉心もキチガイじみていたし・・。

320日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:39:43
調略の成功しやすい例

・諸領主、貴族間では絶えず権力抗争がある
・その対立領主の勢力が互いに拮抗しており、その拮抗からなかなか抜け出せない
・統一政権が存在しない、又は統一政権が存在するがごく一部の中央にしか支配力が及んでいない

多豪族間、国人領主間の抗争の絶えない日本戦国はまさに統一間の無い状態であったのでモンゴルには有利でしょう。
つまりその不安定さ故に、複数の権力者相手に右往左往していた各地の豪族たちを外交、領主とを謀略によって組み込み、その主家を内部崩壊(または降伏)へと導く、といった手段が容易に用いることが出来る。
特にこの時代にはナショナリズムというものがなかったから、日本のために一致団結というものは考えにくい
もし、あったのなら日本以外の中央アジアだってモンゴルに蹂躙されていませんよ。
あと、「日本人の民族性云々とか持ち出して、日本人だから日本を裏切ることは無い」という理論が散見しておりますが、もうこれは理論的根拠がないので
「ああ、そうですか」としか反論できないですね
321日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:40:22
鎌倉時代は鹿児島から青森まで完全に統一されてたんでしょう?
322日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:41:18
>>317
>昨日まで家族殺しあって戦っていた隣国同士が
>モンゴルが攻めてきた瞬間。一致団結してお国の為なんてのはありえないよ
>それこそゲームアニメの世界

鎌倉時代も御家人同士のいがみ合い・闘争は珍しくなかった。
実際に文永の役のときの指揮官は在地の御家人がとっていたため、
各御家人が言うことを聞かずに勝手にバラバラに進撃して苦戦している。
弘安の役には北条家の者が九州まできて指揮を執ったので、ようやく御家人の統率がとれた。

戦国期はさておき、鎌倉時代でも国内で敵同士だけども国外にはひとまず団結、という
図式は現実に生まれている。
共通の敵がいれば国内がまとまるのも歴史の常。
323日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:45:31
>>317
朱元璋の時代に明が日本に攻め込もうとした時だって、日本は戦国時代と
似たような状態だった。
大宰府と室町幕府は対立していたし、朱元璋もそのことを認識していた。
それでも室町幕府は明を利用して九州南朝を滅ぼそうとはしなかったし、
朱元璋も結局は日本侵攻を断念した。
324日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:46:45
蒙古の優れた情報力や調略も理解しているが、自分も含めて蒙古の力を
日本人がそれほど驚異的に思っていないのは、結局のところ撃退してしまったからだろうな。
欧州では今でも蒙古による侵略は暗黒の歴史とされていることに比べると天地の差がある。

日露戦争で日本がロシアに勝利したことを、日本人よりも東欧などの国のほうが評価しているのと
同じ理屈ですな。
結局勝ってしまったから、そんなに凄い相手だったのか理解しにくいという・・。
325日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:48:21
つまり当時も同じ日本人という意識があり、団結意識は当然あった。
俺もそう思うよ。
326日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:48:59
>>322
鎌倉でもそういった内紛があったのはわかる
しかし、それを戦国の分裂状態と同一視するのは危険。当時の日本は鎌倉という統一政権が存在したから
いくら抗争があっても、私紛争を止めてでも命令には従う義務はあるけど

モンゴルに大友が攻められて
毛利が援軍よこすか。ちょっと考えてみればわかる
秀吉の登場以降なら寄越すだろうが、それ以前は考えにくい
一致団結するにはそれぞれを上手く操る権力者みたいなのが必要だと思う
327日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:52:25
近代的なナショナリズム、国家意識とはもちろん異なるけれども、
中世日本も日本という意識があったし、それを利用(?)して幕府は国内への
実効支配を広げた側面もある。

共通の敵がいると国内がまとまるのは歴史の常。
けれども形勢不利になると、分裂するのも歴史の常。
少なくとも鎌倉期の日本は後者にはならなかった。


328日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:52:28
>>323
その朱元璋の話は九州の話だよね
明の使者が南朝が日本の正式王朝だと勘違いしたという逸話があるけど
それくらい、九州は当時南朝一色でまとまってたってことでしょ

戦国の大友は九州北部すらまともに押さえてないだろ
南朝と一緒にするのはおかしい
329日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:56:22
普通に、大友がモンゴルに攻められて
毛利や竜造寺が一緒にモンゴルと戦ってくれるを考えた方がよさそうだね

あと、諸豪族はモンゴル10万に攻められたらなだれをうって降伏すると思う
当時の九州で10万だせる勢力はないからね
330日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:56:43
戦国期に、蒙古が日本の内紛を誘うような調略を仕掛けてきた時、
戦国大名は如何に動くか?

当時信者を増やしながら植民地をつくる先兵の役割をはたしていたキリスト教と
キリシタン大名の動きをみれば参考になるのではないか?

331日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:03:14
キリスト教とは違うかね
まあ、アレも放置していたらやばいことになっていたと思うが‥

イギリスがインドの内紛に付込んで侵食していったあのやり方がむしろスタンダードでは

あと日本の民族性云々の議論は別の板でやってほしいが、諸大名なんて貿易の甘みや軍資金目当てに
同国民を売り飛ばしたりしているし、近代西洋のナショナリズムとは比べるまでも無いと思うよ
332日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:04:25
鎌倉時代の国力、軍事力はどのくらいあったの?
世界規模で見れば、アメリカみたいな存在?
333日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:05:00
毛利あたりは、モンゴルより大友を憎んでいるだろうから協力はありえない
334日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:05:36
>>328
明が南朝を正式王朝と勘違いしたのは、日本が大昔から外国との交渉を大宰府
のみでおこなっていたからで、九州がまとまっていたからではないよ。
335日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:07:39
戦国時代の国力、軍事力はどのくらいあったの?
世界規模で見れば、アメリカみたいな存在?
336日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:13:29
>>334
勿論大宰府の効果もあったけど
朱元璋はが、九州を見て
内乱状態なら付け込んで攻めてやろうと思っていたが、思ったより纏まっていたので断念したという話でしょ
大友だったら攻め込まれていた可能性はある。やはり南朝と大友は一緒に出来ないよ
337日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:02:17
>>324
想像力の欠如だろ。
こういう人に一番想像をしやすい手助けとなる
参考になるのは、日本の国技である相撲な。モンゴル人の勢い凄いだろ。
今の幕内のモンゴル人の割合、大変なことになってるな。
東西両横綱ともモンゴル人になりそう。
来場所なんか特に注目して見てごらん。いろいろ思いを巡らしながら・・
モンゴルでの相撲人気や視聴率は今や大変なもんだが、向こうでは
800年時を越えて、違う形で
蒙古日本襲来は大成功しつつあると心の中でほくそ笑む
338日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:06:42
そうそう、朝青流はチンギスハンにそっくり。生まれ変わりかな
339日本@名無史さん:2006/04/23(日) 17:22:41
>>337
想像力(妄想力)あり過ぎ
340日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:20:53
騎馬の使えない元軍(清軍)なんて、炭酸の無いコーラみたいなもんだろ。
日本本土で戦えば、堅牢な城郭と大量の鉄砲をもつ日本軍が負けるはずはない。

怖いのは調略だな。当時は国家という意識が全くないから、
利害しだいで国内が割れる可能性は十分ありうる。
341日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:36:07
『国家という意識がない』=『日本という意識がない』

ではないこともお忘れなく・・。
朝廷という存在がこういうときに光る。
我々は同じものを敬っているんだという意識。
342日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:23:43
特に当時の博多付近の小豪族については日本という意識すらないと思う
あの時代、天下とか日本とか大局的な視野にたっていた大名は信長くらいでしょう
情報通信がまともに発達していない、あの混乱期では視野が狭くなるのも仕方ないが
343日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:30:35
なぜに小豪族?

344日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:32:51
つーか
小豪族だけでなく大名クラスもそんな感じなんだって
345日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:48:18
要するに、普段は仲の悪いゴクウとベジータは普段仲が悪いわけだな
しかし、フリーザやブウ、セルみたいなが強大な敵に立ち向かうときは
「俺たち地球人」という意識を持って協力するわけじゃないか
これを「俺たち日本人」という形ですりかえればイメージしやすい

戦国時代の大友をゴクウに例えるなら、毛利はベジータ
元軍相手に足を引っ張り合うことはない

>>342はそう結論付けたいわけね
346日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:56:32
近代的な国家という意識がない代わりに、日本には朝廷という存在がある。
戦国期にも一応幕府はある・・。
危機感を持った将軍その他が、朝廷の権威を利用して防衛戦争に打って出る可能性もある。
なんだかんだ言って、出自の怪しい戦国大名ほど朝廷や官位を有り難がるから。

対外戦争をするときに、日本史のなかで朝廷という存在は実に存在意義がある。

347日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:58:32
だから普段からガチで抗争していた連中が、次の日から自発的に共同戦線を組むってのはありえないんだって
統一政府による強制力が外から働かない限り、人間の感情から考えると常識的に無理
348日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:00:30
逆に言うと、中華では王朝は常に打ち倒され構築されるから、日本の朝廷のような
『誰もが一目置く権威』としての役割は期待できない。

歴史上、少数の異民族にやすやすと侵略征服されている中華の対外戦争の弱さは
ここに本質がある。
349日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:01:58
>>346
君の言っていることは全く逆
官位をほしがる大名は一般的に名門といわれる大名だけでしょ。多くの大名は自称で済ませている
あと当時の朝廷は葬式代すらだせなかったんだよ
そんなにありがたいなら葬式代くらい出せないのの?その官位をほしがる大名とやらは
350日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:04:30
>>347
自発的、という意味が分からないのだが・・。

ある権力者が対外戦争を決意したときに、朝廷の権威を借りるわけですよ。
そうなると、それまで対立していた勢力同士も、朝廷には一目置いているから
なんとか手を結ぶことができる。
これを自発的というのか強制ととるのかは、勝手に判断すればいいと思うけれども。

351日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:06:19
戦国時代と仮定するなら
朝廷を持ち出すのは明らかに勉強不足だろ

まだ幕府の方を持ち出すなら理解できるが
352日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:09:23
>>349
そもそも官位とか朝廷とかへの憧れがなければ、自称で官位を名乗る必要もないわけで。
たとえ自称でもなんでも官位(らしきもの)を名乗れば、ハクがつく(権威をまとった気になれる)と
考えているためでしょ。

353日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:11:13
自称と公称の区別が付きづらい時代に官位などいらんな
354日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:12:25
>>353
ではなぜわざわざ官位を名乗っているのか?

355日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:13:11
あの時代は関白という天皇の全権委任の官位すらまったく関東に及ばなかったのだが
356日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:14:13
>>355
ではなぜわざわざ官位を名乗っていたのか?
357日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:16:41
>>356
なぜ事実を述べただけなのにに理由をつけなければいけないのかな
日本語も理解できないのか。
小田原征伐の件をクグってみろよ
358日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:19:41
>>357
だって、なんで役に立たない官位をわざわざ名乗っていたのか?
って素朴に不思議でしょ?


それと日本語は理解していますよw
クグッてみろよ、とか言われる筋合いはありません。
クグリません。

359日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:20:58
自称官位はファッションみたいなものでは。
箔がつくというかカッコよくみせるための
360日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:21:48
早い話が戦国大名にとって、官位はカッコつけ。
カッコイイと思っているから官位を名乗る。

でしょ?

361日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:22:37
>>359
そうです。
その通り。

362日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:23:05
そうだね
でもその程度のために命をかける人っていないでしょ?
ファッションはファッションだし
自称ですませた方が安く付く。
363日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:33:51
モンゴルを日本で迎撃するんなら絶対勝てるだろうが
こっちからモンゴルに攻め込むんだったらかなり厳しいだろうな。

なにしろ遊牧民は広い荒野の中を宮廷ごと移動してるので
足軽まで全員騎乗してないと敵の本隊に追いつくことすら難しいだろう。
364日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:38:13
イギリスと大陸の戦いの歴史を見ても、海を挟んだ侵略戦争は、
陸続きの国家同士の戦争とはまるで比べ物にならない。
365日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:40:54
戦国連合を組んでも朝鮮征伐に失敗したしな
海っていうのは最大の防波堤であると同時に攻撃の障壁だから

あのイギリスですら、一度失った大陸の領土は永久に戻せなかった
366日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:42:16
>>362
たかがファッション(朝廷・官位)のために命はかけないが、
同じファッション(朝廷・官位)をする敵と休戦する可能性はある。
それで十分
それがファッション(朝廷・官位)
367日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:43:21
>>365
そして話は>>246に戻る。


368日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:45:36
>>366
>同じファッション(朝廷・官位)をする敵と休戦する可能性はある。
実例が思いつかないので挙げてみて
369日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:55:13
中東の国だって普段は部族間で対立していても、反イスラム教に対しては共同戦線貼るしね


370日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:00:44
そうだね
湾岸戦争もイラク戦争も
イラクは一貫して共同戦線を張られていたしね。
ちなみに米国の空軍機が、イスラム教国の空港から出発してたしね
371日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:09:34
米国も宗教対立にならないように注意していたしね。

372日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:17:41
正攻法でモンゴルがくるようなら100%勝てるんじゃね
ただし調略とかを使われながらいかれるとなし崩し的にいかれるかもね
373日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:19:58
>>363
ホームで迎え撃つ方が有利に決まってるが、
絶対勝てる、絶対なんてない。どこまで日本の力を過信してるんだ。
百戦錬磨のモンゴル軍の
その土地に合わせた戦い方、順応性や対応能力を見くびってはいけない。
むしろ島国で、一つの価値観の基で
外の世界や異なる戦い方を知らない日本は明らかにヤバいよ
それとモンゴルには、相手が降参すれば
自分らと異なる宗教まで認める寛容さがあるんだから
374日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:22:11
まあ、日本をどうしても勝たせるためのシュミレーションスレなら
何を言っても無駄だけど
375363:2006/04/23(日) 23:49:40
まあ9割がたぐらいの気持ちでいったんだけど
376日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:56:56
>>373
>むしろ島国で、一つの価値観の基で
外の世界や異なる戦い方を知らない日本は明らかにヤバいよ

こっちも向こうの戦い方を知らないし、向こうのこっちの戦い方を知らない。
相手の戦い方を知らないのはお互い様だと思うが・・。
なんで日本だけが相手を知らないことになってるの?

それによく誤解されがちだけど、鎌倉期も江戸期も幕府は結構情報掴んでいるんだよ。
少なくとも巷で言われるような、幕府は海外情勢に全く無知ということはない。
島国というのは海のルートで情報が入りやすい面もある。
海は障害にもなるが、道にもなる。
海を人と情報の流通の障害としてしか見ないようでは日本史は語れないと思うが。

377日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:01:31
中国人なんて近代に入っても、夜襲奇襲の習慣がほとんどなかったくらいだからね。
朝はのんびりとお湯を沸かしてから暖かい食事、んでゆっくり突撃。

習慣がないというよりも、中華の場合、『地位の低い武官+大量にかき集めた農民兵』
という編成だからあまり小回りの効く戦い方ができないという事情が大きいのだけど。
378日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:12:07
三国志演技で夜襲奇襲の話が良く出るし
習慣が無いってことは無いんじゃないか
379日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:21:09
>>376
鎌倉や江戸はさすがにね‥
戦国期の大名なんて海外どころか自分の領地から半径20km以上先のことすらしらないようなのばかりだよ

赤松義祐なんて、1972年あたりに
「織田、三好、毛利どれについたらいいのかよくわからんのだけど」って重臣に議論させていたくらいだし
まあ、安土桃山あたりになれば大分情勢は変わってくるだろうけど
380日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:22:11
無いというか、できない。成功しにくい。

なぜなら夜襲奇襲は、戦に慣れ、緊密な意思疎通のできる集団じゃないと成功しないから。
古代中央集権制度で作られた中華式の編成ではなかなか難しい。
兵を大量に動員してドドドとゆくのが大陸式のやり方。
その中華式は蒙古をはじめとする少数だが剽悍な異民族にあっさりと侵略されてしまうわけだが。



それにしても三国志演義を根拠に出しますか!
一応突っ込んでおきました・・
381日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:27:43
>>379
そりゃピンキリだから。
鎌倉期だって猫の額ほどの領地のことしか頭にない御家人もいるし、
江戸期だってバカ殿はいる。

戦国期には倭寇などのように、海上で情報や人のやり取りが盛んなので、
良い港を持つ地方の支配者にその気があれば情報はすぐに集められる。
あの時代は日本人は東南アジア〜大陸〜半島と極めて広範囲に出回っている。

日本=島国=ずっと閉じこもっている、と考えるのは早計。

382日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:34:34
>習慣がないというよりも、中華の場合、『地位の低い武官+大量にかき集めた農民兵』
>という編成だからあまり小回りの効く戦い方ができないという事情が大きいのだけど。

農民を徴兵してたのは唐までだよ。
宋は余剰人口を傭兵として取り込んでいた(募兵制)。
元・明は世襲の軍戸から兵を出した。
清は世襲の八旗軍と募兵制の緑営。

明軍がべク・アルスランの本営を奇襲した例や昭莫多の戦いなんかを考えると
奇襲の成功と軍隊の規模に関係があるのか疑問に思える。
383日本@名無史さん:2006/04/24(月) 04:53:37
お前らは馬鹿多いよな
確かに蒙古兵は強い。
でも昔の日本人も強いぞ、
重い60`米俵もバリバリ担ぎ、女でも両手で持ったとか、足軽も6bの槍も使い熟した。
10万の兵を投入し、局地戦で勝利、港抑え、城奪っても兵糧が続く訳ないだろ、
一人1日500gの米を喰って5dね、20日で100d!ムリムリ。
日本の何処かに、そんな食料が集めてあるかな?
ゲリラ的夜襲で、もう不眠だしな。
その前に鉄砲8000丁保有の龍造寺に一蹴されるよね。
朝廷(天皇)が、ずーとあるんだから国家意識も勿論あるに決まってるだろ。
天孫降臨もニギハヤヒも家具屋姫もガチやで〜
384日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:24:58
伏兵をよく用いて寡兵で大軍をよく破る倭冦の戦い方にきりきりまいしている明軍を見ていると、明軍はとても鈍くさくみえる

385日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:48:42
倭寇はシナ人が主体です。
386日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:53:33
島国内だけでガチャガチャやってる戦国日本と、
異文化・人種を超えた異種格闘技戦を制してきた全盛期モンゴルと、
どっちが強いのか、
日本人モンゴル人以外の
第三者の判断に任さればいいだろ
387日本@名無史さん:2006/04/24(月) 09:03:44
現実に蒙古襲来の時には、島国内だけでガチャガチャやってる日本に、
モンゴル軍は大敗したじゃん。
388日本@名無史さん:2006/04/24(月) 09:33:29
>384-385
「籌海図編」には「真倭甚少、不過数十人、為前鋒」とあり、いわゆる「真倭」は
明人の船主に雇われて斬り込み部隊のような役割を果たしていたようだ。

日本刀を振りかざして突撃する「胡蝶の陣」に明の官軍は太刀打ちできなかった。
戚継光は民兵を集めて、槍、盾など数名のチームで一人の倭寇を殺す「鴛鴦陣」で
上陸してきた倭寇を撃退している。
389日本@名無史さん:2006/04/24(月) 09:56:21
中国は多民族国家だから調略に弱いのは当然だよ。
漢民族なんて、狭義のそれは五胡十六国で断絶したも同然だし、広義のそれは
せいぜい「清朝成立時に明の勢力下に居た人々」というくらいの意味しかない。

蒙古側が何を提示できるかにもよるけど、戦国期の日本については諸大名が
ヨーロッパ諸国にどの程度従う気があったかを考えればいいんじゃないか?
単なる取引相手か。それとも運命共同体として主と仰ぐつもりがあったか。
390日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:50:22
戦国大名、一時的に蒙古と手を組んでもすぐに解約しそう・・・。商売相手としては長続きすると思うけど。

391日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:55:15
島国でガチャガチャやっていると周りの国も日本人も思っているが、いざフタを開けると島国のレベルの高さに周りの国も当の日本人もびっくりするという面白さ


392日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:25:03
>>387
そのガチャガチャしているというソース
どうも鎌倉の御家人は戦国大名のように戦乱に明け暮れていたと考える馬鹿(在日)がいらっしゃるようですね
393日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:28:59
在日つーか鎌倉って結構平和な時代なのに、なんでも戦乱でないと気がすまないのかね
鎌倉の小競り合い程度ならどの時代、どの国を例にとっても平均的なレベルだろう
戦国なんて日本の一部、ごく例外なのに、なぜ日本の戦乱荒地みたく論じればならんのか
戦乱荒地とはまさに李氏朝鮮みたいな国をいう
394日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:30:39
鎌倉はたまにたまに戦争があったけどわりと平和でまとまっていた時期よ
平安の方が荒れていたかもしれん
395日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:34:00
>>389
明の倭寇は殆ど中国人だよ
396日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:34:23
鎌倉に限らず、中世は自力救済者会だから。
それに将軍(執権)は御家人の領地を認めるだけ。
あとは自治しなさいよ、というのが基本姿勢。


それを平和と言おうが野蛮というかはさておき。
もし鎌倉期が平和だとすると、平和な時代の鎌倉武士に元は敗れたわけか・・
397日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:10:22
そもそも戦国時代に蒙古がいても倭寇の脅威にさらされている限り日本を攻撃している余裕はない
ならば蒙古に倭寇を滅ぼすことができるか?と言われたら不可能だろう
日本人なんてほとんどいない倭寇だけど結果的に日本を守ってたわけだ
398日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:18:54
倭寇のなかの日本人(真倭)は、切り込みなどの武力を担う。
倭寇のなかの中国人・朝鮮人(偽倭)は、日本の武具甲冑を着込んで威嚇する。
俺は日本人だぞ!という。
日本人や日本の武具は周辺では名が通っていたのだろう。

そういえば、後の鄭成功も日本人部隊(と呼ばれる部隊)を使って戦をしていたな。
実のところは中身は中国人でも、少なくともそう吹聴することで相手への威嚇効果があると思われていたようだ。
399日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:22:45
戦国に関しては
調略、外交を巧みに駆使するモンゴル→モンゴルの勝ち
騎馬突撃による突撃を主体として使うモンゴル→日本の勝ち
だと思う
400日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:26:04
>>398
はい在日在日
後期倭寇は密貿易主体で、日本人は略奪等は行っていません
教科書レベルなんですが
401日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:27:16
>>398
ソース
402日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:28:50
なにこの在日マニアは?


403日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:30:43
取引が上手く行けば貿易、上手く行かなければ海賊。
密貿易なんてそんなものだろ
404日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:31:32
>>396
日本でも平和でか、もっとも安定していた時代のひとつと思う
これに比するのは徳川江戸の他無いといっても差し支えない
だからこそ元軍を破ったのは必然

つーか鎌倉を過小評価しすぎだよ
最大10万の兵力を動員できる力があるんだから室町より断然強い
405日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:32:23
>>403
だからソースだよ
在日
日本人が海賊になったという証拠
406日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:36:54
>>404
戦国でも10万以上の兵力を動員できた例は
上杉謙信を除けば秀吉以降だろうね
それ以外は大体数百〜数千規模
407日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:44:16
>>398
後期倭寇の密貿易を主体とするやつは王直のように日本に拠点を構えていることが多かった。当然日本人が多い。基本的に略奪はしないが密貿易だから明は取り締まった

逆に、略奪を主体とする倭寇は、倭寇とは名ばかりで中国の江南の陸地に拠点を置いているような山賊・海賊類で日本刀こそ所持していたものの大半は中国人
官軍を盛んに追い払っているこいつらは日本人もいたが、やはり中国人が大半を占めていた

後期倭寇といっても役割分担ははっきりしていましたよ
408日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:47:49
在日在日うるせえ奴がいるな
おまえが在日だろこの在日
409日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:48:49
役割分担がはっきりしていたというソースは
410日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:49:05
ついでにあの時期の賊は
区分が面倒だったのか明にはどうでもよかったことなのか
王朝側から、総括して「倭寇」と言われていた

明らかに倭寇と関係ない満州の山賊に対してもね
411日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:50:20
>>409
悪魔の証明って知っていますか
在日君。ないという証明は出せません
412日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:53:07
>>409
とりあえず「王直」でくぐれ
413日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:00:46
在日はなんでもかんでも倭寇を日本人としたがるのか
大体さ、重慶や益州、満州を襲っているに倭寇が日本人のはず無いだろ
教科書の地図でもみればすぐわかることなのに在日頭ワルス
414日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:09:43
倭寇のなかに日本人がいて、彼らが武力を担う。
それを言うとなんで俺が在日になるんだよ

密貿易が武力なしでできるのかよ、と。
415日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:09:53
>>413
誰か重慶や益州、満州を襲っている倭寇が日本人だと書き込んだ奴がいるのか?
416日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:12:00
>>414
後期倭寇の日本人は貿易主体なのは事実なのにそれを捻じ曲げようとするの
略奪主体の倭寇は中国、高麗人だぜ
417日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:12:21
王直は戦をしなかったのか?
418日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:14:14
>>416
略奪がどうとかはどうでもいいんだよ。

私貿易には武力が必要であって、その武力を日本人や日本武具が担っているといっただけ。
なんでそれを言った俺が在日扱いされるのかと。
419日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:14:28
>>414
当時の日本人は密貿易用の護身用の武力は用いたが略奪はしてませんよ
つーか、日本人が略奪していたというソース
420日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:16:09
>>416
密貿易に武力が必要??
海である以上護身用の武力は当然だろうけど
それ以上はしなかったでしょ。真倭は
勉強しているの??
421日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:16:50
>>419
>当時の日本人は密貿易用の護身用の武力は用いたが略奪はしてませんよ

俺は『日本人が略奪していた』とこのスレで言ったことはないよ。
勝手に略奪略奪在日在日喚いているのはおまえ
422日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:18:05
>>420
護身だの略奪だのどうでもいいし、略奪の話なんぞしていない。
勝手に略奪略奪在日在日喚いているのがおまえ 。

423日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:18:12
>>419
誰も「日本人が略奪してた」なんて書いてないだろ。
何をおまえは過剰に反応しているんだ?
424日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:19:00
>>42
わかった
略奪はしていないと認めたならまあ在日認定は取り消してやる

あくまで真倭は密貿易主体で、そこらへんの江南の海賊類は日本人じゃない

歴史的史実
425日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:21:13
>>424
なんだこいつは。


略奪在日野郎がうるさいので今夜はもう寝る。
ばーか
426日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:22:23
在日君が逃げたところで次の話題へいってみようか
427日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:28:49
倭寇のバックは今川了俊
428日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:34:37
でわ、在日ませいが良レスが流れまくったので
>>404
からはじめるか
429日本@名無史さん:2006/04/25(火) 01:24:25
略奪キチガイのせいでスレが劣化した
430日本@名無史さん:2006/04/25(火) 09:20:37
1523年に細川氏と大内氏の勘合使節が寧波で戦闘をはじめたときは(いわゆる寧波の乱)、
大内氏の軍勢が略奪・放火をしながら紹興まで進撃したそうだが、それは勘合貿易のトラブルであって
倭寇とはまた違うような気がする。

当時の中国側史料では「真倭二三偽倭七八」などの大雑把な数字は出されているが、
いわゆる嘉靖倭寇などで個々の略奪にくわわった「倭寇」の民族構成は、史料をみても
いまいちはっきりしない(捕虜の中に「真倭」がいると特筆されている場合はある)。

略奪と貿易にかんして真倭・偽倭の役割分担を論じるのは難しいのでないかと思える。
431日本@名無史さん:2006/04/25(火) 10:20:08
このスレとしては、倭冦の略奪行為よりも倭冦の武力の話のほうが有意義だと思う
432日本@名無史さん:2006/04/25(火) 10:23:00
当時の東南アジアでの日本人浪人集団の扱われ方からするに、日本の武力は周辺に比して際立っていたものと推測される
433日本@名無史さん:2006/04/25(火) 10:34:17
問題は結局調略外交を駆使されたら
日本も負ける可能性が否定できないってことだろう

日本人奴隷が海外で戦争奴隷として輸出されていたという事実は
裏を返せば、国内がそれだけ纏まりが無かったってことだし。

逆を言えばモンゴルがこういった戦力を用いて日本人同士で争わせることも調略でできたわけで
諸刃の剣ともいえなくもない
434日本@名無史さん:2006/04/25(火) 10:49:58
その戦争奴隷って説の根拠がわからん。
確かに奴隷として売られた日本人がいたのも事実だが、何か海外で傭兵やってる
日本人が全員奴隷だったみたいに勘違いしている奴もいるし。
例えばスペイン占領下のフィリピンとかだって、日本人街の中心は内藤如庵とかの
亡命していった奴だろ。
その他の東南アジアとかではヨーロッパの勢力と競争関係にあったわけだし、
アユタヤなんか一時はオランダ商館あたりが閉鎖寸前まで追い込まれている。
奴隷というのは無理があるのではないのか?
435日本@名無史さん:2006/04/25(火) 11:49:52
契約上隷属的な身分だったのかも知れないが、戦国時代の雑兵のような物騒な連中を
奴隷扱いすると買い手にとって危険だったかも知れない。

本当に哀れなのは新大陸に売り飛ばされて鉱山で使い捨ての労働力にされたりした人たちだ。
436日本@名無史さん:2006/04/25(火) 15:44:01
>>433
中国にしろ高麗にしろロシアにしろボロボロとモンゴルに寝返る奴が出てくるのは、
モンゴル軍がその国深くに侵攻し、あくまで抵抗を続けるか、モンゴル側について
生き残るかの二者択一を迫られてから。
モンゴル軍が国外にいる時に、わざわざ国内に引き込んで強力なライバルを増やす
ような真似をする馬鹿はいない。
元寇の時のように水際で完璧に撃退されてしまうようだと、調略を駆使すること
なんか無理だろ。
437日本@名無史さん:2006/04/25(火) 23:27:11
>>434
戦争奴隷ってのはでたらめではないよ
事実、スペインに売られた日本人奴隷の多くは戦争用の供されてた。特に東南アジアの日本人はほぼ戦争奴隷かそれに近い身分
あと、亡命であっても傭兵であっても結局のところ彼らは祖国を捨て他国に忠誠を誓った人たちなのだから基本的に反日勢力
鉱山で働く奴隷の多くはアフリカの奴隷。日本人は少ない。黒人は余っているのに戦争用に使える奴隷を態々鉱山ではたらかせる理由も無し

>>433
宋も高麗も元に侵略されていたときはわりと平穏な時期で戦国と事情が異なると思いますが
長崎が教会寄進領になっていた時期もあります、九州の大名は、隣国との戦争に勝つために進んで外国勢力の支援を得ようと目論んでいましたよ
キリスタン大名などはその典型でしょう。
それに鎌倉のようにはたして水際で撃退できますかね
元軍15万が博多湾に来襲したとして、これを迎え撃つ勢力はどちら様で??
よしんば、最盛期の大内が迎え撃ったところで大内の最大動員兵力は、月山の戦いから推定するに多く見積もっても、四万弱
尼子の備えなどを考慮してほぼ主力は中国地方と考えれば、博多沖に動員できるのは一万にも満たないと思いますが
果たして一万程度で15万の軍勢を止められますかね??
438日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:18:51
15万の軍勢は何を食べる? 3月持つ?
439日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:55:53
15万上陸すれば、傀儡政権作って引き上げるのがベターでは?
北九州の大名は大方臣従するだろうし、人質とってうまく各個撃破していく
そんなに難しくないだろうね
440日本@名無史さん:2006/04/26(水) 01:02:00
元寇時のまんまの勢力をそのままずっと保っていて
軍事力も発展していたとしたら普通に負けるだろうね
441日本@名無史さん:2006/04/26(水) 01:02:02
当時の日本は尾張半国か席巻できるから
もし戦国レースに元が加わるなら
元の国力なら十分、優勝候補だと思うけど
442日本@名無史さん:2006/04/26(水) 01:03:19
理論上の話だけど
当時の日本は尾張半国から席巻できるから
もし戦国レースに元が加わるなら
元のなら十分、優勝候補だと思うけど
443日本@名無史さん:2006/04/26(水) 01:10:44
弘安の役の元軍で江南から来た10万は農器具しかもってなかったらしい。
444日本@名無史さん:2006/04/26(水) 01:13:59
>>当時の日本は尾張半国か席巻できるから
>>もし戦国レースに元が加わるなら
>>元の国力なら十分、優勝候補だと思うけど
一生懸命日本語勉強しているんだね。
よくがんばった。感動した。
445442:2006/04/26(水) 01:21:21
ごめん
酔っ払っていて上手く文章にだせない
つーか、酔うとトタンに文章かけなくなるな 漏れは
二度も間違ってごめん
446日本@名無史さん:2006/04/26(水) 05:43:13
2回とも博多に来襲したのは?
まず九州を抑え、徐々に東に進軍してくつもりだったのかな?
山陰の何も備えない場所に上陸しなかったし。
丹後辺りから上陸、一気に南下し、
京の都を征圧するとか厳しいかな?
車なら2、3時間だが歩きじゃ山も多いしな。
九州の大名が元に従うなんて事はないな。
447日本@名無史さん:2006/04/26(水) 08:37:38
>>437
東南アジアの日本人にとって生活を支えていた大きな柱は、傭兵稼業と日本との朱印船貿易。
だから、朱印船が廃止されるのに伴って、東南アジアの日本人町も衰退するんじゃん。
「祖国を捨て他国に忠誠を誓った」とか「反日勢力」とか全然実情と一致していない。
自分は日本人だという意識があったから、故郷の神社に「お陰様でスペインの艦隊を全滅
させることができました」って絵馬を奉納したりしているんじゃん。
448日本@名無史さん:2006/04/26(水) 08:58:28
>>437
>特に東南アジアの日本人はほぼ戦争奴隷かそれに近い身分

おいおいでたらめ言うなよ
当時日本人は貿易のためにあちこち飛び回っているんだよ。
ついでに戦国期は戦乱の世と言えど、実際には農業生産量と人口は飛躍的に増大している。

元が中途半端に日本に手を出そうとしても、誰も魅力を感じないばかりか
軍事的にも恐怖を抱かない
449日本@名無史さん:2006/04/26(水) 09:29:57
弘安の役では14万の元軍を4万の鎌倉幕府軍が撃退だろ。
戦国時代に15万程度のモンゴル軍が襲来しても、大友あたりの動員力なら余裕で
撃退できるな。
450日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:15:35
>>当時日本人は貿易のためにあちこち飛び回っているんだよ。

違うよ。戦争に負けた領主側の兵が奴隷として
スペインに売り飛ばされた日本人奴隷が
東南アジアに買われただけ。
東南アジアもタイやミャンマーで戦争が絶えないたかったため、スペインにとって大きな市場となった。
これに比べれば貿易なんてほんとごく一部じゃん。
これを無視すると戦国期に飛ばされまくった日本人奴隷ってどこへ行ったの?という問題になる。
答えてくれ。ソース付きでね。まさか全部地球の裏側にいったなんて冗談はよしてくださいね


「祖国を捨て他国に忠誠を誓った」とか「反日勢力」とか全然実情と一致していない。
自分は日本人だという意識があったから、故郷の神社に「お陰様でスペインの艦隊を全滅
させることができました」って絵馬を奉納したりしているんじゃん。



アメリカの日系人は現地では被差別民族として扱われていたけど
太平洋戦争時にはアメリカ社会に積極的に協力したんだな

ナショナジズムないこの時代において
元軍が海外にいる対日戦に日本兵を雇うことは大いにありうる話
高山左近なんて典型例でしょ、少なくとも現政権からしてみれば潜在的な敵
戦に敗れて奴隷として売られた連中も同様
451日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:27:02
その前に戦国期に飛ばされまくった日本人奴隷の数とソースを答えてくれ。
452日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:28:24
>だから、朱印船が廃止されるのに伴って、東南アジアの日本人町も衰退するんじゃん。

日本町が衰退したのは、朱印船というか人の流れが無くなったからね。まあ衰退は当然だろうが
ただそれでも、あれだけの勢力を誇った日本町が出入りを禁じただけであの急激な衰退は説明付かないよ

日本町が衰退した最も大きな理由は、東南アジアが日本人を必要としなくなったことではないかな。
タイのアユタヤ太守まで勤めた山田長政なんて最後は毒殺らしいしね。
タイはビルマとの戦いが一段落すれば、戦争に長じた日本人を排除しようだろうね。
身分こそ低くても、武力もっているだけに国を乗っ取られる可能性もある
もし日本人が貿易主体で海外へ進出していたのなら、華僑のように地元に根付いていたと思うが
急激な衰退は日本人が戦争目的で輸出されていたことに事を発しているようにも。どうかな
453日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:39:56
>>451

池本幸三・布留川正博・下山晃共著
 『近代世界と奴隷制〜大西洋システムの中で〜』

という書籍がソース

日本人奴隷に結構触れている
数まではわかんね。
使節団の会話録にも、世界各地に日本の奴隷がいた‥の記録が残されている。


454日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:43:05
>>452
>日本町が衰退したのは、朱印船というか人の流れが無くなったからね。まあ衰退は当然だろうが

奴隷なら人の流れが途絶えても現地に留まるしかないから、急速に衰退したりしないだろ。
交易目的に本人の意思で現地に行っていたから、朱印船に廃止とともに居なくなるんだろうが・・・
それからアユタヤ王朝で武官として最高位だった山田長政が何で身分が低いことになるんだよ?
455日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:49:29
ついでに晩酌しながら適当に文を書いているので誤字脱字は多めに見てね

>大友あたりの動員力なら余裕
大友の動員力はせいぜい1万弱。全然余裕じゃなさそうね
毛利戦での動員がこれくらいだったからね
各地の陸地の支城の防衛を考慮しなければ四万だせそうだけどね

>元が中途半端に日本に手を出そうとしても、誰も魅力を感じないばかりか
軍事的にも恐怖を抱かない

あらあら、周り複数の敵に囲まれた大名にとって
元の存在は、貿易だけでも十分魅力的だと思いますが??
どうでしょうか。
456日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:51:31
>>454
山田長政は成功例の一部例外
しかし最後は暗殺なんだから、正直使い捨ての印象すら受ける
457日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:59:25
>>454
>奴隷なら人の流れが途絶えても現地に留まるしかないから、急速に衰退したりしないだろ。

朱印船貿易がなくなって久しい時期に
「日本人は危険すぎるから」という理由でアユタヤは焼きうちされて
日本人は迫害を受けた。この時期からも日本町が衰退して言ったわけですけど
458日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:21:21
当時は、あるとあらゆる国の人間が奴隷として売られていたから、その中に
日本人が含まれていたなんてことはわかっているんだよ。
そこから何で海外の日本人の大半が奴隷だったみたいな話に飛躍するんだ?
数にかんしては結局何もソースなんか無いじゃん。

あと、大友の動員力が1万弱というのだって滅茶苦茶だろ。
大友は龍造寺戦に6万以上、島津戦に4万以上を動員しているし、対毛利戦にだって
3万5000の兵力を投入してるだろ。
459日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:46:12
>>450
お前の言う戦争奴隷って、日本刀から甲冑から槍から鉄砲まで揃っている人達のことなのか?
貿易目指して海賊まがいの行為も辞さずの人達のことなのか?
オランダなどに傭兵として雇われた人達のことなのか?

>>458も言っているが、日本の奴隷がいたことは事実で驚くに値しないが、
その話からどうして海外にいた日本人=戦争奴隷、という話に飛躍するんだよ。
無理ありすぎでしょう。

460日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:16:19
>>458
大友は龍造寺戦に6万以上、島津戦に4万以上を動員しているし、対毛利戦にだって
3万5000の兵力を投入してるだろ。

実際はでたらめなんだなー
その六万も四万も少数の軍勢に完敗している。
本当に六万の兵が動員できたのなら、たかだか千人足らずの島津ゆ龍造寺に負けるはずが無いと思いますー
ということで大友の兵力には誇張があるのは確実
そういうわけで毛利の三万も誇張水増しなければ一万という数字はけっして嘘ではない
いかがですか

>>458も言っているが、日本の奴隷がいたことは事実で驚くに値しないが、
その話からどうして海外にいた日本人=戦争奴隷、という話に飛躍するんだよ。

いやいやご存知のとおり
当時の日本は戦国でして、日本人の奴隷は大方戦の経験が豊富でした
ならば、貴方がポルトガルの商人の立場で考えてみてください
この元足軽の日本人奴隷を鉱山で働かせますか?兵士として働かせますか?
言うまでも無いですね。ゆえに日本人奴隷=戦争用途というのは位置づけとしても普通なんじゃないでしょうか
461日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:21:01
するってえと、海外の日本人町は戦争奴隷の町ってわけかい?


そいつは豪気だな
462日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:24:22
> 実際はでたらめなんだなー
おいおい、少数に負けると大軍じゃなくなるのかよw
もっとまともなソースがあるかと思えばお前の妄想じゃないか
こうなると有名な桶狭間の今川軍も実際は1000人くらいだったのかねえ
463日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:28:45
>おいおい、少数に負けると大軍じゃなくなるのかよw
そうだよ
仮に四万が事実だとしても
たかが数千に負ける四万ってなんなんだったんだという問題になる
464日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:29:25
>>449によると14万の元軍を4万の鎌倉幕府軍が撃退したそうだ。
>>460の理論によると少数の軍に敗れるということは、兵力に誇張があったせいだから
元が実際に投入できた兵力はかなり少ないと思われる。
465日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:31:05
おまえの理論は極端なんだよ


日本人の奴隷がいる→海外日本人は戦争奴隷
少数が大軍に負ける→大軍の数は嘘

466日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:33:32
>>463
> 仮に四万が事実だとしても
> たかが数千に負ける四万ってなんなんだったんだという問題になる
まさにそのとおり
兵士数の問題じゃなく、不甲斐なさの問題
兵士数は勝敗の重要な要素ではあるが、「負けたから少なかったはず」という理屈は成り立たない
467日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:35:25
歴史上、中華は少数の異民族に安々と侵略されているが、
これは辺境の異民族の軍勢のほうが多かった、ということになるのか?!
468日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:35:38
テノチティトラン(現在のメキシコシティー)郊外のサン=クリス鉱山で1592年に起こった奴隷反乱の指導者は
鉱山の労務管理に従事してたサシチと伝えられる人物

ほかにも反乱鎮圧後処刑された指導者層の中に
シゲベイとかヨイチとかの名前も見える。

全部連れて行かれた日本人奴隷と見られる
469日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:37:25
日本人奴隷と見られる、って言われても困る。
どう判断しろと。

それに、この人達が奴隷だったとして、海外日本人がひとしく戦争奴隷である根拠にならない・・。

話がつながらないんだよ
470日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:41:27
なんというか「AはBに含まれる」と「AはBである」を混同している気が…
471日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:41:34
いったい誰の何の本を読んだら、
『海外日本人が戦争奴隷であり、売り飛ばされた』
と結論付けられるんだよ

472468:2006/04/27(木) 01:44:10
>469
海外の日本人が全員戦争奴隷だった訳ではないという例として出したのだが?
473日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:45:21
>>471
>>453
とはいえ、彼の論理的思考能力の欠如を考えると、本そのものより彼自身に問題がありそうだが
474日本@名無史さん:2006/04/27(木) 14:25:39
略奪キチガイの次は奴隷キチガイかよ

475洪茶丘:2006/04/28(金) 00:27:14
>467
異民族は結構強大な勢力を持っていたようです。
中国から見た視点が一般なようで彼らは蛮族として小勢力扱いされていますが、
実際は大軍を擁し中国の国境を絶えず侵して、領土も奪ったりしています。
ウイグルなどは現在も存在している国家です。(現在中国の強制属国)
476日本@名無史さん:2006/04/28(金) 08:00:42
とはいえ、中華軍に比べれば少ないはず。
遊牧民族は基本的に人口が少ないし
477洪茶丘:2006/04/29(土) 00:34:58
一度侵攻すれば降伏兵を加え兵力は一気に膨れ上がる
漢人は白人エリア西域にもたくさんいた。
478日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:24:50
降伏兵は中華の人間でしょ?
つまり少数の『蛮族』に簡単に寝返る大量の中華の人。

漢人漢人というけれど、漢人てどういう定義をしたらいいのか?
俺は漢人という言葉を使うのには抵抗がある。
なぜなら、狭義の漢人は唐代にはすでに滅んでいると考えているから。
混血したというにはあまりにドラスティックな変化すぎて、とても同じ漢人と呼ぶ気がしない
その後の漢人は、なんちゃって漢人。

479日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:49:10
元代の「漢人」の定義は簡単だ。
モンゴルに征服される以前の金国の支配下にあった民を指す。

遅れてモンゴルの支配下に入った南宋の遺民は「漢人」とはいわなかった。
「南人」「蛮子」などと呼ばれる。
480日本@名無史さん:2006/04/29(土) 11:03:49
それがいつの間にか、中国大陸のほとんどが漢人になっちゃったわけでしょ?

ありえねー


漢人はファンタジーだよ
481日本@名無史さん:2006/04/29(土) 11:21:24
>>480
×漢人になっちゃった
○漢人ということにした
482日本@名無史さん:2006/04/29(土) 12:23:59
つまり『漢人』という文字に騙されるなと。
483日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:12:18
 戦国時代に蒙古襲来があったとすれば過程として
@モンゴル帝国の成立期に日本が複数に分裂したままでいた。
 例 西国:平家政権、中部:義仲政権、関東:鎌倉政権、奥羽:藤原氏
に分裂したままで朝廷が適度に撹乱している状況。
 史実での義経に相当する人物が不在だったとか・・
Aモンゴル帝国が戦国時代まで継続していた。
B一度分裂しかけて再統合した。
 
 の3パターンがあると思われなんだが、 
484日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:20:59
 別に戦国武将とかに思い入れがないのなら
@のパターンでも十分日本の分裂状況はできあがっている。

Aのパターンだと、そこまで長く続いた場合覇気があるか疑問だ。
 先祖が一度元寇で失敗してるのを改めてしようという気もおきないと
 予測される。

 で、おなじみの戦国武将が出てほしいというなら
Bなのだが・・・
485日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:26:46
モンゴル帝国がフェードアウトしてからもモンゴルの継承国家
みたいのが萌芽しているので、そいつらを参考にして
再統合した「新モンゴル帝国」を考えると
 再統合した契機はティムール登場の時分か・・
帝政ロシア、ムガール帝国、オスマントルコ、サファービーペルシャ
明清を合わせたようなの・・
 それも欧州と接しているから欧州の大砲や鉄砲や戦術にも詳しく
なるだろうし欧州経由で船舶の技術やら入手可能だからな・・
そんなの相手では
486日本@名無史さん:2006/04/29(土) 18:14:03
欧州の戦術や大砲といっても、浪人集団に殲滅されたスペイン艦隊をみるかぎりそれほどずば抜けたものはないかと・・
487日本@名無史さん:2006/04/29(土) 18:22:11
例外だけを取り出す奴は馬鹿
488日本@名無史さん:2006/04/29(土) 18:26:36
じゃあ、スペイン軍(欧州)が日本軍と戦闘した例はあるの?
例外ではない例をあげてくださいな
489日本@名無史さん:2006/04/29(土) 20:49:27
マニラ総督府の軍隊がルソン島の北部にいた千人の倭寇を討伐したことがあるらしいが、詳細不明。
490日本@名無史さん:2006/04/30(日) 07:07:58
>>489
後期倭寇は日本人ではなくチャンコロですが
491日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:40:33
林鳳の残党?
492日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:40:41
元寇など新選組なら瞬殺
493日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:59:44
>>488
170人の手勢でゼーランディア城を攻略した浜田弥兵衛とか。
対スペインじゃないけど。
494日本@名無史さん:2006/04/30(日) 17:29:42
>>485
モンゴルの継承国家で欧州の大砲や鉄砲を使用し、スウェーデンの軍事顧問の戦術を
取り入れたジューンガル部は、17世紀末に清朝と戦ってボロ負けしたけどな。
産業革命以前の欧州の軍事力は過大評価。
495日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:00:19
というかそれ以前に鳥銃、仏朗機、紅夷大砲を大量配備した明が負けてる
496日本@名無史さん:2006/05/10(水) 14:07:05
493
日本側が勝利した話ばかりじゃ納得しない人がいる・・・
497日本@名無史さん:2006/05/10(水) 14:52:44
>496
ならおそらく日本人だと考えられている「タイフサ」なる者の軍勢がマニラ総督府を襲って
スペイン軍に撃退された話はどうか。
498日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:13:27
その話を詳しく
499日本@名無史さん:2006/05/11(木) 10:18:04
検索しても出てこないな・・・。
500日本@名無史さん:2006/05/11(木) 13:07:57
柴田賢一「八幡船」(興亜日本社 昭和17年)p188〜190より

その後、数年間は無事で過ぎたが、西紀一五八二年(わが天正十年、この年信長は光秀のために殺害され、
光秀は秀吉のために山崎に破らる)、またしても日本人タイフサなる者が二十六艘の船を率ひて北ルソンに
現れた。島人は猛烈な抵抗を試みたが、タイフサはこれを排除してカガヤン河口に上陸した。スペイン総督
ロンキロは形勢容易ならずと見て、ただちにこれを駆逐しようと考へ、ドン・パブロ・デ・カリオンに命じて、一百
名の兵士を乗せた軍艦を与へて北方に急行せしめた。フランシスコ派のフランシス・ドロリゲス、ドミニカン派
のクリストバル・デ・サルヴアチユラの二教父もまたこの遠征隊に加わつた。現在の常識からすれば僧侶と
第一線とは縁遠いものと思へるが、当時は僧侶が最前線に立つて国権と教権の拡張に専念したのである。
カリオンは一五八二年八月、ボリナオ島に至り同地で増援部隊を得て、ルソン島の最北端にあるボクセエドル
岬に進んだ。ボクセエドル岬には日本船があり、同地で二船隊は遭遇して激戦を交へ遂にスペイン軍は一
日本船を捕獲したが、日本人の勇気と日本刀の鋭利なことは今更のやうにスペイン人の舌を巻かせたので
ある。
この一戦に辛ふじて勝つたカリオンはボクセエドル岬の鼻をまはつて、濃霧のたすけをかりてカガヤン河に
入つて上陸した。しかしタイフサは、さきの一戦に敗れた日本兵のうち水を泳いで逃れ帰つた者からスペイン
軍の討伐を聞いてゐたので、上陸早々塹壕と砲台とを築いて日本軍の侵入に備へているスペイン軍の攻撃
を開始した。タイフサは陣頭に立つて味方の軍を指揮し、スペイン軍の陣営に殺到し、空手をもつてスペイン
人の大砲を掴まふとすること実に二回にも及んだと云ふ。スペイン人は砲口に脂を塗つてずべずべにして
日本人が攀ぢ登つて来るのを防ぎ、辛ふじてこの一大危機を免れた。しかし、このやうな個人的な勇気も最新
式の武器の前にはかなはず、第二回目の強襲の際には日本軍が受けた損害は甚だしく、流石のタイフサも
如何んともなしがたく遂にその部下を率ゐて海へ逃れた。
501日本@名無史さん:2006/05/12(金) 07:52:26
う〜ん、なんか怪しい文章だな・・・。
空手とか
502日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:34:39
この場合の空手はカラテじゃなくて「くうしゅ」
503日本@名無史さん:2006/05/12(金) 09:36:14
ですな

資料の信憑性としてはどうですか?
504日本@名無史さん:2006/05/12(金) 09:52:59
>503
ソースが明示されてないので何とも言えないですね。
多分スペイン側史料だろうけど。

Taifusaで検索してみたけどカガヤン地方の人たち以外
誰も関心をもってないっぽい。
505日本@名無史さん:2006/05/12(金) 12:59:14
最新式の兵器にかなはず〜のくだりが昭和17年の時代性を感じさせる
506日本@名無史さん:2006/05/12(金) 19:03:05
これか?
ttp://elgu2.ncc.gov.ph/cagayan/history.htm

神父さんの記述を元に書いているんだろうな。
信憑性はわからんが、筆者と時期がはっきりしているみたいだから
史料として第一級の可能性が高いと思うけど・・・。

まず史料としての裏付けが必要なんではないかな?
次に内容の信憑性についての研究だね。

柴田さん?以外だれかやってないの?
507日本@名無史さん:2006/05/12(金) 19:14:25
まぁ、日本人でない倭寇か海賊の可能性が高いけど・・・。
何故って?
だって日本人ならその当時最新式の装備を百姓足軽や商人の与力や海賊水軍であっても、少なからず持ってるもん。
508日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:08:49
当時の最新式の装備って・・・当世具足とか?
509日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:38:15
16世紀のフィリピンに赴任した神父さんの残したと云われる伝記に、
自国の最新式装備によって勝ち得たって記述があるんだよね?よんだ?
510日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:58:58
だいたいマゼラン遠征隊がラプラプ率いるフィリピン原住民に撃破されてるように
16世紀では兵器の差はそれほど決定的ではない。
511日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:59:55
最新の武器云々は、柴田賢一氏の装飾ではないか?
512日本@名無史さん:2006/05/12(金) 23:29:05
ラプラプ愛してる
513日本@名無史さん:2006/05/13(土) 02:36:17
真倭寇って最弱のスペインに撃退されたわけね
514日本@名無史さん:2006/05/13(土) 08:54:53
スペイン本土の陸軍はこの時代かなり強い方。
マニラ総督府には日本でいうと小大名程度の兵力しかないけど。
日本人や中国人の暴動を恐れて城壁の外に住まわせてたほどだ。
515日本@名無史さん:2006/05/13(土) 17:33:18
資料なさすぎてさっぱい分からん
516日本@名無史さん:2006/05/13(土) 20:15:06
実際この時代の倭寇は真倭という連中より
中国人主体の倭寇のほうが武力という面では上回っていたと思う
なにせ数が違うし、倭寇のトップが中国人だったのをみて解ると思うが
真倭はマイナーな部類に過ぎなかったのでは、

結果としてスペイン程度に撃退されても無理のないことかと
517日本@名無史さん:2006/05/13(土) 20:58:16
謎が謎を呼び、凄い結論が出た!



518日本@名無史さん:2006/05/13(土) 21:40:10
話の流れは面白いのだが、もはや別スレを立ててもいいぐらい話の分野が
本スレと違くなってきているよ。
519日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:54:11
>>516

どうだろう?
中国人は真倭(日本人)と中国人との区別がついていたし、
スペイン側も1567年のレガスピ総督の報告書で
「ルソン、ミンドロの両島には毎年、日本人や中国人が訪れ現地人と大規模な交易を行っている」
なんていっているから日本人と中国人の識別ぐらいはついてるみたいだよ。

その上でルソン島北部のアパリを占領していた海賊(日本甲螺)を日本人と断定して
報告している以上、おおよそ日本人の集団だと判断するのが正しいのではないだろうか?
(第一、日の沈まない帝国の正規軍と地方の海賊ぐらいじゃ勝負なんて目に見えてるだろ)
520日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:44:11
タイフサの以前にマニラを襲った海賊は指導者が明人で副官が和人だったらすぃ
521日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:04:41
>>第一、日の沈まない帝国の正規軍
こういうDQNが学問板にまだまだいるんだな
三戦板にでもカエレ
アジアにおけるスペインなんて当時、軍事力においては原住民に徒党組まれた程度で軽く敗走するレベルだよ
だから、その程度に敗れる真倭ってそこまで過大評価できんって所感を得るのは当然だろう

中国大陸の倭寇はべらぼうにつよかったがやはり中国人が多いしな。
522日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:29:33
>>521

「三戦板にでもカエレ 」といわれても三戦板には行ったことはないので帰りようは
ないよ。スペインに日の沈まない帝国という冠詞を付けたのを気に食わなかったみたいだが
事実、24時間のうちどこかしらのスペイン領は昼であるのだから物理的に広大な領土もった帝国
で間違いないよ、DQN扱いされるのは少し心外です。

確かに地方に派遣されていたスペイン軍はたいしたことはなかったらしいのは同感です。
商人の呂宋助左衛門が1593年に百人の部下を引き連れて突如侵攻した際、
スペイン総督は財宝を献じることで呂宋助左衛門と和睦するなど、防備が常に万全では
なかったという印象を受けます。

ところで中国人倭寇が強かったというのは、日本人なりスペイン人なりと戦った際、なんらかの
結果、大きな戦果を挙げたからでしょうか?
私の記憶するところでは、日本人海賊を明軍が避けるようになったので、中国人の倭寇も
日本刀を装備して倭を装ったと記憶しています。
523日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:38:12
じゃあ朝まで頑張れ
524日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:39:39
オランダ人ゲリラにも負けてるしね。
525日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:41:19
>ところで中国人倭寇が強かったというのは、日本人なりスペイン人なりと戦った際、なんらかの
>結果、大きな戦果を挙げたからでしょうか?


戦果はる。
つーか、中国の江南に拠点を構え、たびたび官軍を撃退した好戦的な倭寇は、偽倭が7割、真倭が三割と史書にある
言うまでも無いが明の官軍とスペインの派遣部隊じゃ相手が全然違うわけね

あと、当時のアジアの海を席巻していた倭寇の総元締めが中国人でしょ。
これは当時のアジア海の倭寇の総元締めが王直という中国人であった以上
中国人の倭寇を単なる「物まね倭寇」として片付けるのはどうかと思うがね。
倭寇全体の七割を占める中国人が組織内において高いステータスを持っていたのがうかがい知れる
526日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:42:58
>これは当時のアジア海の倭寇の総元締めが王直という中国人であった以上
この部分は消し忘れ
脳内削除で
527日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:47:18
>>倭寇全体の七割を占める中国人が組織内において高いステータス
山口組みたいにまとまった組織があったのか?
528日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:56:16
後期倭寇は纏まっていたよ
山口組の例えは当たらずとも遠からずだと思う
王直関連の書籍を調べれば解るが、あのころの倭寇は、大体、平戸からの指示で動かせたらしい
529日本@名無史さん:2006/05/14(日) 01:56:27
>>527

明史では「真の倭は十の三なり」
洋防輯略では「真倭は十の一」とあるから中国人の海賊がほとんどですね。
これらは史書によると「コン髪薙頂」、ようするに
頭をさかやき(月代)に剃り、ふんどし、日本刀で活動しました。

中国では愈大猷や戚継光といった将軍たちの活躍で中国人倭寇の鎮圧が進みます。
530日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:07:07
勘合貿易の廃止により日本の海賊が活発化で16世紀倭寇始まる。
豊臣秀吉の倭寇の取り締まりで16世紀倭寇終了。

数としてはほとんど少数の真倭が明軍を蹴散らし、中国人海賊がそれを真似し
拡大。
しかしわずかな真倭が統制されると中国人倭寇はもう活動不能で沈静化。
今も昔も数だけで弱々だな。
531日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:08:51
いやでも倭寇を沈静化させたのも中国人なんだけど
まあ馬鹿には解らんか
532日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:11:04
>数としてはほとんど少数の真倭が明軍を蹴散らし、
どこをどう縦読みすればそういう解釈になるかわからん
大切だと思わないか、相手の文をしっかり読むということがさ
533日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:12:28
では、なぜ少数の真倭を明軍が避ける?
中国人が真似をする?
534日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:14:00
あとスペインが日の沈まない帝国だという人間がDQNだという論拠を挙げてほしいものだな。
当時はそういわれてていたし、今も世界史用語でそう表現しているんだが。
535日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:14:42
>>533
武勇伝が轟いていたから
536日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:15:44
>>533
真倭だけ明がさけたという記録はないよ。真似した記録はあるけど
537日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:17:01
もちろん偽装した中国人倭寇も明軍は避けただろうよ。
538日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:19:47
実際、倭寇のトップが中国人だったことを考えると
中国人もそれなりに戦っていたのかな。
王直を中心とした中国人がデスクワークを担って、日本人は戦闘要員だったという役割分担があったかどうかもしらん。
暴力団も組織化してくると事務系のやつが上に行きやすいと聞くし
539日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:22:27
>>537
真倭、偽倭いちいち避けていたら中国本土の倭寇はどうやって鎮圧できるの?
中国本土に真倭がいたらどうするの? 避けるの? 
540日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:22:50
一割か三割だけの人間が戦闘員か・・・・7割か9割の人間が事務・・・・

戦闘員はよほど優秀だな。
ひきかえ事務はどんだけ頭数揃えるんだよ。
541日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:23:26
事務じゃねーよ裏方だよ
542日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:25:03
>>539

もちろん明軍も応戦していたよ。
戦果の著しい将軍名は先にあげたとうり。
543日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:28:42
王直は、武闘派でなかったのはたしか、稀に陣頭指揮をとるが。
地方の領主を懐柔させたり、倭寇を黙認させたりしているし頭脳派の倭寇だろうね
544日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:32:48
>>541
裏方つーか、戦闘以外の全て
兵站、武器、資金調達、調略、調整、指揮、編成をすべて中国人が担当していたとしたもだ
やはり七割は多すぎる
545日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:41:12
>>544
いや、当時の倭寇は戦闘がメインじゃないし。メインは密貿易
となると重要なのは、経理担当とかじゃないの
むしろ官僚七割、兵士三割でも組織としては成立するんで無いかな
546日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:45:08
武装商船なら確かにそれで説明はつく。
けど、その確証はまだ見つけてないよ・・・
547日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:46:54
普通に中国人も日本人も闘っていただろう。
で、結果として中国人の王直がその仲で頭角を現した
王直も若いころはバリバリの武闘派で、実力で真倭を従えていったのをお忘れなく
548日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:52:53
王直はタイのパタナーニでの密貿易で財を成した闇商人なのは
わかってるんだが、戦った経験は調べがつかない。
549日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:06:14
>>548
調べが付かないはずはないんだが
あんまり勉強してないのかな

盧七船団との戦い
「賊船13隻を拿捕し、賊千余を殺し、賊党7名を生け捕りにして、さらわれていた女性二人を取り返した」

倭寇二大勢力の一角だった陳思盻船団との戦いも直接陣頭指揮をとって
「これ以後は海上の勢力で王直の支配下に入らない者は自存することが出来なくなった。直の名は海舶に轟きわたった」
この戦いで陳思盻は降伏を余儀なくされて、「海上ついに二賊なし」となる『海寇議』
550日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:07:17
陳思盻との戦いでは
「大船7隻、小船20隻」の戦果とある。
551日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:10:07
なるほど、なかなか優秀な提督だったみたいだね。
552日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:11:21
しかし、ついに元寇から倭寇の話しになってしまったな。
553日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:16:56
「嘉靖大倭寇」の時期における倭寇の襲撃は殆ど王直の差し金だという記録もありますね
『世宗実録』は閏三月甲戌に「海賊汪直、ショウ[シ章]・広の群盗を糾し、各島の倭夷を勾集して大挙入寇し、連艦百余艘、海を蔽(おお)うて至る」と記し、
これに基づいて清初期に編纂された正史『明史』の日本伝は「(嘉靖)三十二年三月、汪直、諸倭を勾して大挙入寇す。連艦数百、海を蔽うて至る」と記し、月を間違えた上に汪直(王直)の艦隊の数が数倍に増えていたりします。
こうした「政府の公式記録」を読む限りは王直が「大倭寇」を指揮しているように見えるわけですが…。
554日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:29:34
倭寇で伸し上がっていく時は、自ら艦隊を指揮し、官軍や他勢力倭寇を力で切り従えていった
やがて海上の覇権を握ると、やんちゃなことはやめて油の乗ったマフィアのボスになっていったという感じか。
ちょうど、王直が平戸に拠点を構えたときは、もう海上の覇権が落ち着いていたから武力はあまり用いる必要が無かったからな
ゆえに日本人は王直というと密貿易商人というイメージしかない。
555日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:47:39

明確にランクをつけた組織化がなされていたと思われる王直集団の中に「〜大王」という地位があり、それが知られていたのかも、
明確なことは言えないわけですが…この「〜大王」連中について過去の研究では「真倭」つまり日本人であろうという見解があるらしい。

トップは中国人だけど、日本人幹部もいたようだね。
しかし、王直の倭寇について真倭と偽倭の区別をつけること自体ナンセンスにも思われる


これは撃退されたから偽倭だったとか。
中国人は事務系で日本人は武闘派でとか。
官軍は真倭は避けていたとか

なんてことは殆どありえない。
後半の倭寇は組織化が顕著であり、おそらく、日本人中国人混同編成が主流であろうからね。
556日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:55:08
まあ、アジアの海の覇者が中国人である以上
偽倭>>真倭でいいんだな

実際、真倭は偽倭である王直の風下になったわけだし
557日本@名無史さん:2006/05/14(日) 04:00:17
結果論で端的にいえば確かに偽倭が真倭を切り従えたともいえなくもないね

まあ、王直を偽倭と括るのはどうかと思うけどー
558日本@名無史さん:2006/05/14(日) 04:01:05
ああ、争点がやっとわかった。

猛威をふるた倭寇は中国人主導だよ。それは間違いない。
真倭が大きく取り上げられているけど偽倭は実は主力だったということを
ずっと言いたかったわけでしょ?
559日本@名無史さん:2006/05/14(日) 04:27:41
>>558
yes
いくら日本人が強くてマンセーだったとしても
所詮1割2割なんだから、普通に考えてこいつらが海上の主導権を握るなんてのは考えにくい
あんまり勘違い甚だしいのはやめてほしいね
560日本@名無史さん:2006/05/14(日) 06:47:19
清が(この時代にモンゴルはありえないので)日本に攻め込む→元寇と同じく海上で防がれ壊滅
日本が清に攻め込む→出鼻は良かったが、その後補給が続かず壊滅

こんな感じがする
561日本@名無史さん:2006/05/14(日) 06:59:09
蒙古襲来絵詞。何度見てもいいなぁ。
562日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:40:24
ワコウは他国籍軍だから、集団をイチイチこれは真倭、これは偽倭と分けられない。

明人は船の操作に秀で、また襲撃する現地(明)に詳しく、何より人を「現地調達」できるのだから多いのは当たり前。それでも日本の習俗、武具をまとっているのが、明軍や東南アジア地域からの日本観が僅間見える。
それてワコウが沈静化したのは、貿易が日本と清国に認められ公になったから。
貿易が非公式になると、そこに海賊兼密貿易が発生する。

洋の東西を問わずに密貿易と海賊は表裏一体。
563日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:57:57
>>559
明人なんか何万人いても、舐められるだけ。
明の武装をしても威嚇効果なし。

秀吉の朝鮮出兵のときに明軍の大軍の激弱ぶりをみれば、
明人が以下に弱いかが良く分かる。
564日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:49:21
>>559
朝鮮は道が開けていなかったから明の大軍が生かせる場所が無かった。
道路が無く。山が入り組んでいた為に兵を伏せやすい地形
朝鮮軍はあまりにあっけなく大敗したため、明軍が来るころにはこれらの地の理はすべて日本軍に奪われていた

平原でガチでやったら日本軍は大敗していたかもしれんよ。
日本軍も明軍との正面対決は出来るだけ避けて拠点防衛線に徹している。
でも最終的に徐々に押し込まれ、朝鮮南部割譲で手をうとうとした秀吉もよれすらはたせなかった。

後期倭寇で東アジアで猛威を振るっていたのは偽倭の方。日本人は中国人の風下にたっていた。
たまに孤軍で戦っても最弱のスペイン軍に撃退されるレベル



何万人いてもゴミな筈の中国人が実際後期倭寇の主役の座を
真倭はそいつらに組み入られていたんだよ。つまり脇役
日本人は中国倭寇の中間幹部がせいぜい。
戦闘でめぼしい活躍をしたのは大抵中国人
565日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:54:25
そういえば中国人ってスペインと戦ったの?
566日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:59:38
なんで大軍と平原で衝突しなきゃならんのか?
それこそ戦術の失敗だろに
567日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:59:48
要するに倭人は中国人の手下だったんだろ。
568日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:01:21
そもそもタイフサ関連の話はほとんど資料がない。
そこから強引に結論を持ってくる奴はみんな阿呆。

569日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:04:25
>>564
十万単位で出張ってきた明軍も、相対的に少数のはずの日本軍に個別の戦闘で大敗し、
最終的に明軍も日本軍もやる気なし。
秀吉の死後は朝鮮なんか放り出して両者で講和条約。

570日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:10:10
講和を破って、背後から追撃してこなかったっけ?
571日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:12:58
明にも優秀な指揮官はいたが、中華の常として、
戦のために役人によって狩り集められた農民は
軍事的な錬度も結束も極めて脆弱。
錬度の高い敵集団の戦術に滅法脆い。あげく異民族との戦闘では、だいたい内通者が少なからず登場し崩壊する。

日本の欠点としては、中華とは異なり長い封建社会のために
各戦国大名が率いる軍勢は概ね錬度が高く、戦闘には強いが、
大名同士を束ねるべき存在が大名に比較して軽く見られてしまうことにある。

572日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:15:26
>>570
講和の後で、撤退中の日本軍に朝鮮が追撃してきたのが
朝鮮自慢の李舜臣(朝鮮では不遇だったが)。
これも島津に討ち取られている。



573日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:17:26
タイフサなるものVSスペインの話は、このスレで始めてみたよ。
574日本@名無史さん:2006/05/14(日) 18:19:29
>>564
倭寇については同意。
後期倭寇のメインは中国人だということについては資料を沢山提示してもらえてうれしかった
おかげで大分、倭寇や王直の見方が変って面白かった。
575日本@名無史さん:2006/05/14(日) 18:25:35
王直が日本の倭寇を傘下においていたのは
中国を追い出された後に平戸を根城にしていことで明らかだろうが
今で言えば、中国のマフィアが日本の暴力団を傘下にして違法入国斡旋業をするようなものなのだろうかね
576日本@名無史さん:2006/05/14(日) 18:42:56
その王直は当地の大名に手厚く保護され、居住の許可を得ている。
いってみれば王直は外資系で貿易専門の戦国大名。
577日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:25:36

むしろ外交専門の大名といえるんでないか
578日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:45:21
外務大臣か
579日本@名無史さん:2006/05/15(月) 02:04:29
>>571
>明にも優秀な指揮官はいたが、中華の常として、
>戦のために役人によって狩り集められた農民は
>軍事的な錬度も結束も極めて脆弱。
>錬度の高い敵集団の戦術に滅法脆い。

明代の兵制は農民からの強制徴募ではない。
永代軍事義務をもつ「軍戸」出身の兵が軍の主力だった。
まともな練兵のシステムが存在していたようだが、軍戸に属することで上級軍人からの
搾取など様々な不利益があったために概して士気は低く、また脱走などが相次いで
16世紀には正規軍がほとんど使い物にならなくなっていた。

戚継光などは民間人から武勇に優れた者をスカウトして「戚家軍」と呼ばれる精鋭を作り
それによって倭寇撃退に成功している。
王陽明も民兵を組織して、風林火山を思わせる用兵で山賊を討伐している。

明の官軍が弱かったのは悪い意味でプロフェッショナルだったからでないかと思える。

ちなみに朝鮮の役で戦った明軍は戦場ではそれなりにまともな戦いぶりだったらしく
碧蹄館の戦いに参加した武士のひとりは「日本にてもかはとの働は稀成よし其沙汰候
何も武辺つよき唐人かと上衆も手ををかれ候や」と書き残している。
580日本@名無史さん:2006/05/22(月) 14:11:54
腐敗と堕落は中華の常
581日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:09:28
まさしく
582日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:28:53
要するに倭人は中国人の手下だったんだろ。
583日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:30:16
そうそう こそこそしていてね
584日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:39:51
>>582
>>583 PU取締中
585日本@名無史さん:2006/06/25(日) 13:27:51
>>576
「・・・当地の大名に・・・」とあるが具体的にどこの大名?
それと戦が終わったあとの王直の遭遇をもうちょっと詳しく
教えてもらえれば。
586日本@名無史さん:2006/06/25(日) 14:02:42
要するに「当地の大名」は中国人=王直の手下だったんだろ。
587日本@名無史さん:2006/06/25(日) 14:18:14
















上杉謙信最強














 
588日本@名無史さん:2006/06/26(月) 19:29:39
もう日本のが上だから
589日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:31:15
590日本@名無史さん:2006/07/05(水) 19:58:08
age
591日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:15:03
戦国も時代によって違うからなぁ。
全体的な武力では、元寇の軍、仮想拡大チムール帝国軍、明朝軍、清朝軍
と戦って引けを取らなかったと思うが、
統率力だな。
鎌倉幕府は曲がりなりにも日本の国を一つにまとめて対処することができた
のだが、
これが南北朝の時代だとどうなっていたかわからん。懐良親王や足利義満は
日本国王に任命されていたからなぁ。謀略に引っかかっていた可能性が
たかい。
戦国も秀吉以前だとそれこそ大友あたりが引き入れていたかもしれない。
秀吉、家康だとまず勝てるだろう。
信長でも何とかなるかもしれない。
謙信や信玄だとどうだろうか?戦場では引けを取らなかったと思うが
日本国全体を纏め上げて対処できたかどうかは疑問だ。
592日本@名無史さん:2006/07/16(日) 14:05:23
ひえ
593日本@名無史さん:2006/07/21(金) 20:39:15
騎馬軍団再現、戦闘シーンも…建国800年のモンゴル

 【ウランバートル=加藤隆則】建国を迎えたモンゴルで、初代皇帝チンギス・ハーンの騎馬軍団が再現され、海外の観光客を含む約3000人を前に10日、13世紀の軍服姿で戦闘シーンを披露した。

 建国記念行事の目玉イベントで、同国のエンフバヤル大統領、エンフボルド首相のほか、行事に協力している日本からも森喜朗前首相らが参加した。

 会場は首都ウランバートル南郊約45キロの草原。モンゴル国軍兵士による計500騎の騎馬軍が約45分間、弓矢やヤリ、剣による戦闘を演じた。同イベントは8月まで計30回開催の予定。

 800周年事業実行委員会の責任者ガラムオチルさん(70)は「世界最大の帝国を築いたモンゴル民族の偉大な力を改めて見直し、その力を特に今の若者たちに授けたい」と熱弁を振るった。

 見学に来ていた中学生バトオルンホー君(16)は「隊列がきれいで格好よかった。騎馬隊のことは本の中でしか知らなかったので、本物を見ることができ感激した」と話していた。

(2006年7月10日19時47分 読売新聞)

ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=66986
594日本@名無史さん:2006/07/21(金) 21:25:26
敵が対馬に襲来。朝廷から敕令。
従う大名と従わない大名にわかれる。
従わないのは賊軍に指定。賊軍の大名家の近くの大名に賊軍討伐令がでて賊軍大名離反が重なる。
敕令に従う大名で近くに賊軍がいないとこは堺と小倉に集結。大小各城と山々に兵を配備し待ち構える、

これでどう?
595日本@名無史さん:2006/07/22(土) 02:34:45
>>585
wikiによると、王直は1542年に松浦隆信に招かれて平戸に移った。
とあるけど・・。
また大内義隆とも積極的に関係を結んでいるようだ。
松浦はもともと鎌倉より海賊の拠点であるし、戦国期でも貿易に旨みを見出す戦国大教と
王直は利害が一致していたと思われる。
596日本@名無史さん:2006/07/22(土) 19:49:57
倭寇の8割9割が日本人じゃないんだが
597日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:44:13
>>596
それは時代による。

前期倭寇は蒙古襲来の直後から飛躍的に増えている。というか始まっている。
松浦や大隈などが田畑の生産の不向きな地域であることに加えて、特に松浦は蒙古襲来の折に
襲われた地域。
襲来後に海賊行為にて高麗地方が襲われたのは、多分に報復活動的な意味があったと思われる。
日本人にとては蒙古も高麗も同じ敵。兵の数では高麗の方が多く、また文永の役、公安の役とも
軍船の出発は高麗である。

後期倭寇は、ある資料では8割が偽倭と言われているが、誇張はあるだろうが、少なくとも記録上の半分は偽倭(にせやまと)だろう。
というのも、中国や朝鮮では辺境の反乱分子・賊を倭寇と称して記録しているためである。
特に貿易を認めていなかった明国にとって、密貿易を営む武装勢力はすべて賊であり、倭寇である。
だが、倭寇の落し物である剣術(影流?)の巻物(?)が明国に伝わっていたり、日本刀にまつわる逸話が豊富であることから
日本人が全く海賊に加わっていなかった訳ではなかったようだ。
598日本@名無史さん:2006/08/23(水) 12:53:06
平戸松浦氏も倭寇?
599日本@名無史さん:2006/08/26(土) 11:55:17
>>598
倭寇でおk
土地がやせていたから、領民を飢えさせないために海賊になるのはある程度しょうがなかった
600日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:15:44
西欧の歴史書では倭寇は好意的に書かれてる。
ルネサンス期のイタリアの商人など、ほとんど海賊みたいなもんだからな。
601日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:16:32
西欧の歴史書では倭寇は好意的に書かれてる。
ルネサンス期のイタリアの商人など、ほとんど海賊みたいなもんだからな。
602日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:40:53
ガミラスの歴史書では倭寇は好意的に書かれてる。
ガルマン期のガミラスの商人など野蛮人だからな。
603日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:56:22
西欧の歴史書ではモンゴルは悪意に満ちて書かれてる。
山賊に略奪された海賊みたいなもんなのにな
604日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:15:59
>>600
例えば?
軍事史関係の洋書で言及されてるのを読んだことはあるが
淡々とした扱いだった。
605日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:32:32
>>602
ちょっとまてw
なんでマゼラン星雲と銀河系中心部にある帝国に倭寇が出没するんだ?
ひょっとして宇宙戦艦ヤマトも倭寇に分類するのか?
606日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:55:36
>>605
世代的に宇宙戦艦ヤマトは知らんが倭寇にはウケたwww
607日本@名無史さん:2006/10/26(木) 14:12:10
あげ
608日本@名無史さん:2006/10/26(木) 20:59:41
朝青龍みたいのが大群で来たらとにかく逃げろ。
609日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:06:22
大宰府で魁皇と千代大海が迎え撃つよ。
610日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:35:19
>>609
二人ともめったに朝青龍に勝てないんだけど
611日本@名無史さん:2006/12/13(水) 02:07:20
>>18
チョンとチャンは数字捏造するのが好きだよなぁ〜
えっ島津の話?
先祖がチョンだから似たようなもんだ。
犬ばっか食ってるから頭がおかしくなるんだろう。
612日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:28:08
蒙古の末裔を豪語してるのはウイグル獄長
613日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:17:42
桶狭間以前や義昭が京に居る間は外敵という特例で室町幕府に従う気がするけど
一番危ないのが義昭追放あたりで信長の時代に来られたら危険じゃないか。
義昭追放〜秀吉天下統一以前はどの大名がなにしでかすか・・・。
単純に指揮官としてなら信長の問題なくても時勢的に。右大臣退任後は従わせる理由がない。
まぁそこは信長も急いで征夷大将軍にでもなるだろうけど。
614日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:11:38
日本選抜の最強軍団で当時の最新兵器で攻めたであろう秀吉連合でさえ中国の支配下にあって実質軍隊がなかった朝鮮にすら勝てなかったんだし
余裕で負けてただろ
615日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:10:10
当時のモンゴルには明を征服する力もなかったよ
616日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:13:31
わかんね、当時の博多周辺を支配していた大名の力によるんじゃね?
室町幕府の力で従うっていうけど、長崎あたりじゃポルトガルに教会寄進っていう名目
で土地やってたキリシタン大名がいただろ?
宗教がらみだからって理由もあるんだろうが、下手したら、上陸した地点と敵対してる大名が蒙古に味方して戦うなんて
ことが平気でありそう。
だから、最初の難関である、拠点を確保は比較的容易だから、その後は他の戦国大名と同じく、襲来した外国勢力の兵
力と財力しだいじゃね?
617日本@名無史さん:2007/01/14(日) 05:56:46
まず関門海峡は毛利・村上が押さえてるし、兵庫付近まで進出しても織田・徳川連合軍に勝てない。
織田方には陸は柴田・本田等がいるし海には九鬼がいる。
特に九鬼の持つ当時世界最強の艦船はどうしても撃沈出来ない。
村上の焙烙による飽和攻撃を関門海峡でやられたらチャーチルがやったマヌケな作戦と同じ結末じゃね?
618日本@名無史さん:2007/01/14(日) 06:05:29
世界最強の艦船なんか日本にあったけ?
619日本@名無史さん:2007/01/14(日) 09:34:43
当時世界最強だが鉄甲船。防御力と火力だけなら世界最強。だが速力は最低…
620日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:16:49
>>614
敵方はともかく、秀吉の出兵軍の編成はとても最強の選抜なんてものじゃないぞ。
出兵作戦成功を前提に考えてるから一門譜代が功を取れるように偏った編成だし、
原則二手に分かれた軍のそれぞれの大将は小西に加藤と譜代。この二人はともかく
小早川秀秋とか宇喜多秀家とかが徳川家康差し置いて大軍指揮して、失敗したりしてる。
その徳川家康は配下最大の領地兵力持ちながら諸事情あり、名護屋止まりだったと思う。
621日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:44:19
>>620
それ以前に朝鮮相手に戦ったという時点で…
622日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:17:58
>>621
だから敵はともかくって話しな。別に家康とかが主力なら勝てたとか言ってるわけじゃない。
623日本@名無史さん:2007/01/15(月) 02:36:13
>>619
スティーヴン・ターンブルって人が
「戦国時代の安宅舟に欧州の軍艦のようなカルヴァリン砲を搭載したとしても
発射の衝撃に耐えられないだろう」
とか書いてたけど。
624日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:30:35
宣教師がバチカン宛てへの報告書や商人等の日記にも書かれてるのは嘘ですか?信長の鉄甲船に大砲は四門程度しか搭載されてませんよ。
まさかネルソン提督の艦隊の艦船みたいな感じで何十門も搭載してたと思ってるんですか?
625日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:37:01
信長の鉄鋼船って迎撃専門だからな、蒙古襲来なら博多湾に整備とかありえるんじゃないか。
626日本@名無史さん:2007/01/16(火) 02:13:42
>>623
スティーヴン・ターンブルって誰?
627日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:13:37
元から日本国王の称号を得て再起を図ろうとする義昭
妄想だが
628日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:50:09
>>614
朝鮮には余裕で勝ったじゃん。
秀吉軍が負けたのはその後にやって来た明軍。
だから、秀吉も明も亡国扱いの朝鮮は無視して頭越しに講和交渉進めたんだろ。
629日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:13:06
秀吉の軍隊は挑戦人の鼻とか耳を切って持って帰ってきたって聞いたけどマジ?
630日本@名無史さん :2007/01/21(日) 03:05:36
秀吉の朝鮮遠征が戦後武士の雇用を補填する為とか言う説を唱える者もいるが、
実際はちがうだろう。秀吉政権は基本的に朝鮮商人の内政干渉が盛んな時代だ。
当然日本に来て商いする朝鮮人は国を追われた者である可能性があるわけだが、
朝鮮産高級品に異常な関心を持っていた秀吉が彼らにそそのかされて欲をだ
したと見るのが妥当。その証拠に朝鮮出兵という政策は大失敗に終り秀吉政権
崩壊の遠因になっている。その後の家康の江戸遷都や鎖国政策などがそういった
国内問題を物語っている。
631日本@名無史さん:2007/01/21(日) 03:52:09
>朝鮮産高級品

日本なら数少ない輸出品と称すが
さすが斜め上w
ものはいいようだねテラワロス
632日本@名無史さん:2007/01/21(日) 12:39:36
>家康の江戸遷都
633日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:34:40
>>630
> 秀吉の朝鮮遠征が戦後武士の雇用を補填する為とか言う説を唱える者もいるが、
いるの?
634日本@名無史さん:2007/03/08(木) 01:19:32
途中まで読んだがネ珍がネットソースでオナニーするスレ?
635日本@名無史さん:2007/03/17(土) 21:16:33
ん?
636日本@名無史さん:2007/04/23(月) 21:36:27
戦国時代にモンゴル帝国が残ってたら
馬の上から鉄砲撃ちまくりだろ
637日本@名無史さん:2007/05/09(水) 15:54:12
NHKスペシャル「高速ツアーバス・格安競争」5号車村瀬死ね
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/bus/1178121434/
638日本@名無史さん:2007/07/09(月) 01:40:29
>>636
モンゴルの騎兵が馬上から銃を撃つようになたのは、やっと19世紀の終わりにメタルカートリッジの
カービン銃が出来てからだよ。フリントロックでも馬上で弾薬の装填はかなりきついぞ。当時の欧州の
騎兵は拳銃とサーベルで武装していたから、だったら、昔ながらも短弓でも射程の長い蒙古弓つかっ
た方がよかっただろう。
でも、日本の足軽の密集部隊の火縄銃と槍襖の突破は難しいだろう。
639日本@名無史さん:2007/07/09(月) 06:07:59
>>18
島津の報告書では三万八千人となっているが、攻撃側の記録なので正確ではない。
明軍の報告書では八万人であり、恐らく過少申告なので実数十万人以上は確実。
対する島津軍の死者は二百人以下。
640日本@名無史さん:2007/07/09(月) 06:49:47
沖田畷の合戦…四千の兵で六万の竜造寺軍を破り、当主隆信を討ち取る。
シ四川城の合戦…ほとんど被害なしで明軍十万人以上を討ち取る。屠刑場状態。
露梁津の海戦…全軍の殿軍を買って出、敵将李瞬臣を討ち取る。
関ヶ原の合戦…三百の兵で十万の東軍を突っ切る。あまりの勇猛さに、戦後西軍で唯一所領を安堵される。
薩英戦争…世界の大英帝国の艦隊に大砲をぶっ放して退却させ、賠償拒否を貫く。


劣勢な状況で大舞台に立った時の島津の強さは異常なんだよな〜。
641日本@名無史さん:2007/07/09(月) 09:43:25
逆に岩屋城では…
642日本@名無史さん:2007/07/09(月) 15:44:02
1570年くらいだと
義昭筆頭に
信玄、謙信、氏康
信長、家康、雑賀
元就、元親
宗麟、熊、島津ファミリー
の戦国オールスターが迎撃
643日本@名無史さん:2007/07/09(月) 16:05:06
義昭にそんな力ねーよ。将軍が全国の大名を統制出来るとしたらせいぜい応仁の乱までだ。
644日本@名無史さん:2007/07/09(月) 17:42:44
まろの蒙古包囲網でモンゴル人息の根を止めてくれるでおじゃる
645日本@名無史さん:2007/07/09(月) 18:10:47
知らないから聞くけど、義昭て公家風の言葉遣いだったの?
646日本@名無史さん :2007/07/09(月) 18:57:37
松永久秀や小早川秀秋なら
日本での支配権条件に蒙古側に寝返るだろ。
647日本@名無史さん:2007/07/09(月) 23:19:51
>>645
四歳から二十九歳まで、奈良一条院で坊さん修行してたんだよ。
公家言葉はないんじゃないの?

戦国大名で今川義元みたいな極端な公家かぶれって、少数派。
648日本@名無史さん:2007/07/10(火) 00:39:19
>>642
越後の神兵を率いる伊庭義明どのも参じられようぞ
649日本@名無史さん:2007/07/10(火) 19:07:44
確かに、伊庭の神兵だけで蒙古を蹴散らしそうだが
越後から九州まで燃料が持つのか?w
650日本@名無史さん :2007/07/10(火) 22:50:15
焼き討ちに遭ったトラックに予備燃料大量に積んでたろ
651日本@名無史さん:2007/07/11(水) 23:07:07
おん敵 退散 伊庭さま 勝利
おん敵 退散 伊庭さま 勝利
652日本@名無史さん:2007/07/13(金) 08:04:51
日本が内戦で疲弊していると考えるのは実情に即して無い。
日本の内戦というのは特殊で、各大名が富国強兵に勤しんだ結果として
戦国時代を挟んで日本の人口は2倍。国力は格段に飛躍している。
そして外敵の進入というのは国内を纏める絶好の口実になる。
歴史でも外敵への対抗を理由に内戦を終結させた例は多い。
内戦の戦国時代でも諸大名が連合して10万近くの大軍を動員した例は少なからずあるのに
外敵の侵入に各大名が個別に当たるなんて想定こそ非現実的。

文禄・慶長の役では十数万の日本の遠征軍に朝鮮軍は一方的に敗北していて
明軍の大軍が到着しても、戦線を膠着するだけで精一杯だったことや
戦国時代にはいる直前の『応永の外寇』では
約2万の朝鮮兵が、10万石にも満たない宗氏の手勢にすら大敗しているのを見ても
元寇のように属国兵が大半の10万程度が来た所で問題にもならないだろう。
653日本@名無史さん:2007/07/17(火) 17:18:39
明軍にとっても朝鮮の救援なんか、はた迷惑だった。
賊を撃破してみたら朝鮮人ばかりだったという話もあるしな。
654日本@名無史さん:2007/07/17(火) 17:24:54
明は見栄張って朝鮮の救援なんてしなくていいのに。どうせ遠からず明自体も滅亡するんだから。
655日本@名無史さん :2007/07/18(水) 23:30:11
>>654
いや、明滅亡最大の原因が朝鮮救援による疲弊だから。
世界史にも影響与えてる秀吉
656日本@名無史さん:2007/07/19(木) 06:10:28
北虜南倭といった外圧が明滅亡の原因の一つだ。そんな事は誰でも知ってるわ。
だが仮に秀吉の朝鮮出兵が無くても、結局滅んだだろ。三十年ぐらい延命したとしても。
657日本@名無史さん:2007/07/19(木) 06:25:52
ぶっちゃげると、戦国期の後半の日本の軍事力は当時最強。最高品質の鉄砲を全世界の2倍所有している。
朝鮮出兵は兵站の関係と将兵の戦意の問題で秀吉の死をもって打ち切ったが、戦闘においては明・朝鮮軍の連戦連敗。
被害数(日本側は風土病も合わせても)も日本側と連合国側では桁が違う。
防衛に成功したと言う意味での大局的戦争の勝利は明・朝鮮側にあるが、損害はベトナム軍とアメリカ軍くらいの開きがある。
戦後、かなり朝鮮側がねつ造して日本軍の被害を水増ししたけど・・
ちなみに武士の戦闘能力は文永の役でも十二分に発揮されてるよ。
658日本@名無史さん:2007/07/19(木) 08:58:48
小早川や立花、島津だけでも充分に敵を撃破できる。
そのうち関東からも続々と増援があるから日本侵略は無理。
659日本@名無史さん :2007/07/19(木) 17:48:21
伊達の使節がイスパニア王に売国を持ちかけたが
我国の戦力でも日本落とすのは無理言われて
政宗も野望を諦めたとな
660日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:18:13
>全世界の2倍所有している

中国周辺とイスラム圏とヨーロッパの銃の数を足してそれを2倍ってことですか?
661日本@名無史さん:2007/07/20(金) 00:08:36
全世界って日本も含まれるんだから、その2倍を所有することは絶対無理w
662日本@名無史さん:2007/07/20(金) 08:57:04
全世界の7割位じゃなかったっけ?
これで艦船技術さえ優れてたら
欧州より先にフィリピン、南洋を大名達で分割してたかもな
663日本@名無史さん:2007/07/20(金) 17:05:06
連中は百年早く先駆けてるし、国内事情が外へ向かざるえなかったから、日本には無理じゃないかな?
信長くらい革新的な人物ならポルトガル船を模倣して、外へ向かう可能性もあるけどね。軍事力の関係上、そうなれば、兵站さえどうにかすれば圧勝出来る。
基本的に日本の軍事力はいつの時代も総じて高い。
664日本@名無史さん:2007/07/20(金) 17:35:45
まあ、戦国時代では、モンゴル帝国も攻めきれなかっただろうな

でも戦国前期、たとえば大内が陶に乗っ取られた直後あたりに蒙古来襲であれば
一定期間北九州に進駐できたかもしれん。
665日本@名無史さん:2007/07/20(金) 18:37:26
>>662
それだと大体>>660ぐらいか?>鉄砲数
666日本@名無史さん:2007/07/20(金) 19:16:25
>>664
時代区分は難しい問題を含むし、揚げ足取り気味で申し訳ないが
天文二十年前後を戦国前期とは言わんと思うよ、ふつう。


あと、火縄銃の数だけみて、楽観的なカキコが多いけど・・・
16世紀半ばを過ぎた時期に、対欧州戦を想定するなら火縄銃と
マスケット銃の戦闘力も考慮しないと日本に有利過ぎな気がする。
まぁ、種子島にもたらされた火縄銃自体、マラッカで製造された
劣化コピー品という説があるんで、東南アジアにマスケット銃が
十分な数、配備されていたかどうかという疑問はあるけどね。
667日本@名無史さん:2007/07/21(土) 05:21:50
…信長が本能寺の変で死ななかったら
やっぱ世界侵略したんだろうかね?
668日本@名無史さん:2007/07/21(土) 06:36:53
>>665
日本以外の全ての国の鉄砲の数が40万丁位(記憶違いでなければ)でその倍以上の数が日本にはあった。しかも性能は日本産が随一。後にも先にも軍事力において世界最強を誇れるのはこの時代だけ。
>>667
天才の考える事は予測がつきませんorzでも、敵からすれば、この人ほどやっかいな人物はいないだろうね
669日本@名無史さん:2007/07/21(土) 06:46:37
世界最強ならなぜ朝鮮すら奪えなかったんだろうな。
670日本@名無史さん:2007/07/21(土) 07:03:42
>>669
朝鮮出兵は朝鮮奪うつもり自体無いぞ
あんなモンただの通路に過ぎん
671日本@名無史さん:2007/07/21(土) 07:06:11
>>669
657を参考に。ベトナムにアメリカが負けた状況(国際世論からの批判は当時ないけど)に似ている。仮に勝っても、日本人には大陸で他の民族みたいな長期政権の確立は無理な気がする。感覚的に。
あくまで軍事力が世界最強。
672日本@名無史さん:2007/07/21(土) 08:28:43
>>670
通路を通る事さえ出来てねーじゃん(笑)
673日本@名無史さん:2007/07/21(土) 08:37:54
>>667
秀吉が政権を握る以前の日本の戦争の規模は大体ヨーロッパと同程度にすぎない。
674日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:03:16
>>672
最前線だった清正は朝鮮抜けて満洲侵攻してるがな。
675日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:09:21
戦闘、特に陸戦に限って言えば、朝鮮出兵時の日本は周辺地域に比べてずば抜けている。
2回の朝鮮出兵の陸戦で日本が敗れた戦は小規模の小競り合いがほとんどで、主力の決戦では
大勝している。数で言えば3〜4倍の明軍を撃破するのはデフォルトで、驚くべきことではない。
小西行長が敗れて引いたときも、数的には敵は自軍の約3〜4倍だった。
それでも疑問もなく勝てると思い込んでいたのだから、当時の日本軍の自信(慢心ともいべきか)は
凄まじいものがあった。

でもそれだけでは、戦争の目的を達せられないのは歴史の証明するとおり。
戦争と戦闘は違う。
ドラゴンボールの世界とは違う。
676日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:17:18
シ四川城で明軍を十万人討ち取った島津の功績はもっと評価されても良いと思うがな。
まあ侵略戦争だから公に誉められることは無いが。
677日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:22:27
日本には明国の領土を奪う動機がなかった。
国境を接する大陸の民族であれば、一方が繁栄すればもう一方は押されて縮小し、
一方が衰退すればもう一方は拡大するのが普通。両者はダイレクトに結びついている。
そこには継続的な隣人侵略の動機が存在する。
満州族はヌルハチ以来明国征服を目指して、実に3代目にして達成している。

ところが海を隔てた日本では、ちょうど海がショックを吸収する役割を果たして
大陸の民族が拡大しようが縮小しようが、直接には影響が跳ね返ってこない。
大陸の民族同士のような切実な『押しくらまんじゅう』が成立せずに
日本から大陸への侵攻も突発的なものとなる。大陸侵略という動機が持続しないのである。
もし、日本に大陸侵略の動機が真に強いのであれば、秀吉死後も徳川をはじめとして
誰かがまた攻め込んだであろう。
しかし、そうはならなかった。
678日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:30:17
海に囲まれた地域に住む民族にとって、大陸側に領土を所有することは
とても『面倒くさい』ことなのだ。
国境を接するがゆえに、常に慣れない土地で文化を異にする隣人との『押しくらまんじゅう』に巻き込まれる。
海に囲まれた地域に住む民族が欲しいのは、大陸の領土ではなく貿易から生まれる富である。
東シナ海を跋扈した海賊倭寇も、その目的は貿易による富だった。それが達せられないときに
武力を用いた。

朝鮮出兵(唐入り)は、侵略だの謝罪だのと言う次元ではない深い教訓を
日本人に与えている。
679日本@名無史さん:2007/07/21(土) 19:02:21
>海に囲まれた地域に住む民族にとって、大陸側に領土を所有することは
>とても『面倒くさい』ことなのだ。

頼まれもしないのにインド亜大陸を統一してしまったイギリスは・・・
680日本@名無史さん:2007/07/21(土) 20:14:48
植民地なら富は集めるだけだし島国にも向いてるよな。日本の場合、植民地(満州も)にインフラ整備とかしいてるけど、かつてのローマがそうであったように最後はこのやり方が一番利潤がある。
戦争に負けておしゃかになったけどね。この場合、全ての植民地支配国も道連れだけど。
どっちにしても、植民地ならともかく大陸での長期政権は677と678に書いてあるように無理だろうね。
681日本@名無史さん:2007/07/21(土) 23:07:43
>>1
いや別に鎌倉武士団も負けてねーし。
台風が無くても勝ってるしね。
左副元帥の劉復亨が少弐景資に撃たれて重傷負ってるし。
バカサヨ学者が日本の歴史学界を牛耳ってるから必要以上に日本側が弱いように言われてるが。
文永の役の場合は台風の記録が無いのに引き揚げてるんだ。
そりゃ一騎駆で突っ込んできて暴れる命知らずの鎌倉武士が殺しても殺しても突っ込んでくるんだから怖いだろ。
682日本@名無史さん:2007/07/22(日) 23:10:14
>バカサヨ学者が日本の歴史学界を牛耳ってるから必要以上に日本側が弱いように言われてる
ほんとにね。
例えば台風が来たお陰でなんとかなっただけですよぉ、という説明には
台風が来てるさなかに元軍が海に浮かんでなきゃならなかった理由、
(何故上陸できなかったか)つう当たり前のことが欠落してる。
683日本@名無史さん:2007/07/23(月) 07:48:46
文永の役について日本と高麗の史書が両方とも「合戦で元軍が負けた」と明記しているのに、
戦後の学者たちがそれを認めない理由って何?
684日本@名無史さん:2007/07/23(月) 10:01:18
皮肉ながら、戦前政府も戦後学者と足並を揃えるように武士の活躍を矮小化してるんだよな。
両者が武力での勝利を認めない理由は結局
左が、国防史観を挫く為に、日本を弱弱しく綴っておきたい
右が、神道意識高揚のために、神風で勝った事にしておきたい
って辺りだろう

誰も近代史以外注目してない新しい歴史教科書にしても、
元寇に目を通すと「台風で阻止された」程度の内容しか書かれていない。

大河ドラマでやっと武士の夜襲作戦等が描かれた訳だし、元寇に関しては今後も
左右どちらの息も掛かってない学者の研究が頼りって事だな。
685日本@名無史さん:2007/08/01(水) 00:03:00
あの大帝国元の皇帝であるフビライだってバカじゃない。
恐らく真の目的は日本征服ではなく朝鮮人と南宋人を大量に厄介払いする事だったと思う。
文永の役の時に1日の戦闘で矢が尽きるほどの装備で日本に攻めてきたって事。
粗悪な船で攻め入ってきたって事。
モンゴル人司令官の乗った船は台風で沈ずまずに幹部は無事に帰ってる事。
フビライにしてみれば西方のチャガタイハン国やオゴディハン国の方が怖いだろうし事実東方三王家という身内が反乱を起こしてる。
そんな状況で朝鮮人とか旧南宋人がチョロチョロしてたらウザイからうまく片付けたんじゃないかな?
勝てばそのまま日本に屯田兵として置き去りにすればいいし、負ければ海の藻屑にできる。
なかなか上手い戦略だと思うぞw
ベトナムでも負けてるけどそれも旧南宋人が主力だもんな。
当時の鎌倉武士もフビライの真の目的を薄々感じてたんじゃね?
当時の貴族が女の手に穴をあけ縄を通して連行するのは朝鮮の残虐な風習だと書いてるし。
その後の倭寇も高麗を集中的に狙って報復してる。
まあ日本の大学受験は大学入試センターの松浦功事業部長が言うように「教科書に載っていればよいので、史実に基づいているかどうかは検討していない」シロモノですからw
バカサヨが作った教科書に載ってる文言をただ暗記した奴が合格する試験なわけで。
授業で聞いた元寇はバカサヨの妄想の産物であって真実ではないわな。
686日本@名無史さん:2007/08/01(水) 00:34:22
まあそういうわけでもし戦国時代に蒙古襲来があったら島津軍だけでムクリコクリなんて一捻りですねw
687日本@名無史さん:2007/08/01(水) 00:57:00
日本軍の長所
世界一の鉄砲保有量
刀や槍などの白兵戦用の武具も優秀
100年の戦乱で鍛えられている個々人の戦闘力

日本軍の短所
鉄砲とは逆に大砲が少ない
移動用の軍馬が少なくほとんどの兵は徒歩でしか移動できない
陸上の戦闘力に比べれば水軍兵力はたいしたことがない
敵国のことをよく調べずに戦いに臨む悪癖(これは戦国に限った話ではないが)
688日本@名無史さん :2007/08/01(水) 09:03:38
>>685
ま、上で言われてるように
馬鹿サヨの教科書も馬鹿ウヨの教科書も信用できないって事で
この件は決着だな。
689日本@名無史さん:2007/08/02(木) 06:05:40
>>685
江南軍の司令官は難破して海上を漂っているところを救助されたんだが
690日本@名無史さん:2007/08/02(木) 12:00:00
>>689
江南軍って南宋じゃないの?
691日本@名無史さん:2007/08/03(金) 00:58:12
歴史群像シリーズの「北条時宗」で山形欣哉とかいう人が、元史によれば江南軍に「漢二万七千、蒙七千」が
含まれていたと書いてるんだけど、元史のどこに書いてあるのか見つからない・・・
692日本@名無史さん:2007/08/05(日) 01:14:10
もしかして原文読んでるのか?w
693日本@名無史さん:2007/08/14(火) 06:52:45
ディスカバリーチャンネルで特集してたけど覚えてる人いる?
猛烈に眠くてうろ覚えなんだけど

イカリの方向からして台風は来てたらしい
船が川舟と急造品で難破して当然
武士の襲撃が手ごわいので海上に留まってる内に病気蔓延&台風襲来

こんな感じでよかった?
694日本@名無史さん:2007/08/14(火) 14:36:50
693を見てはっと疑問が湧いた。島津は急造品の船でも小西を救出して敵軍の副将を皆殺しにしたよね?
急造でも勝てるのは島津が凄いの?宗主国連合がアレだったの?
695日本@名無史さん:2007/08/14(火) 14:56:14
>>693
弘安の役ではそんな感じでOKだよ。
鎌倉武士の猛攻を前に上陸できず博多周辺の海域をウロウロしてるうちに台風にやられた。
>>684
島津がすごいんでしょ。
すべての記録を調べたわけじゃないが、海戦自体はボロ負けだったみたいだよ。
明のジャンク戦は竜骨が有り当時の日本の大船は竜骨が無い。
追突されれば日本の船は粉々に粉砕される。
島津の船は戦艦じゃなくただの輸送船をかき集めただけで、しかも包囲されて座礁させられた。
かなりの数の薩摩兵が死んだそうな。
想像だがおそらく座礁させられた船を砦がわりにして鉄砲などの火器で反撃。
その後敵の船に乗り移って暴れまわったんじゃないかな?
白兵戦では島津はまさに鬼のような強さだったんだろうね。
島津軍の目的は小西軍の救出だったからとにかく敵をひきつけることが肝要。
見事に目的を達してる。
696日本@名無史さん:2007/08/14(火) 14:59:46
俺は>>37>>45が好きだな。
小説書いてくれ
697日本@名無史さん:2007/08/14(火) 19:05:36
>>696
今日初めて読んだw
面白いね!
698日本@名無史さん:2007/08/15(水) 03:14:29
>>696
それ書いた人ってかなり歴史に詳しい人だよね。
謙信が7000の兵を率いて上洛ってのは現実味がある。
「5000の兵があればどんな敵にも負けない」と常々謙信が言ってたそうだし。
そういうのを知ってて書いてそうだよね。
699日本@名無史さん:2007/08/15(水) 03:58:00
>>695
あれは陸上で戦ったって言ってたっけ?
小船で夜襲かけたって言ってたくだりがあった気がするんだけど記憶違い?
700694:2007/08/15(水) 06:25:58
>>695
島津怖いなw普通、完全にチェックメイトだよな。包囲座礁って。
あと、薩摩兵の戦死者(島津側の資料)は数十人くらいって、図書館の本にはあった。
701日本@名無史さん:2007/08/15(水) 12:02:35
泗川の戦いでも島津軍7000人だけで明朝鮮連合軍20万を撃破してるしね
損害もたった200人って本当にありえる数字なのかと不思議に思うよねw
702日本@名無史さん:2007/08/15(水) 18:40:12
>>702
明軍の数が正確かはよく判らんが、泗川直後の島津の戦死者は二名・・異常だな。
でも、中国史全体を眺めてみると、一軍の崩壊時での脆さ(無双で言う所の紙)は中国人の性分なのだろうと思う。
そうして考えてみれば、三国志とかの逆転劇の多さもなんか判る気がする。
やばい!逃げろ!次はあの方の元へ!・・みたいな。
話がやや脱線してるかな?すまん。
703702:2007/08/15(水) 19:06:30
>>701
704日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:26:43
わずか七千で十万人以上を虐殺できるってすごいよな
705日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:35:26
蒙古スレが虐殺スレになってるw
706日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:39:53
>>695
>海戦自体はボロ負けだったみたいだよ。

この人が詳しく調べてくれている。
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/meiryou+s.jpg
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/kanzantou.jpg
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/bunroku-hokyuu.jpg

翻訳されたものだけど、宣教師の報告書でも、
文禄の役初期(と言っても日本軍上陸後)には、海戦での日本軍不利を伝えらているが、
日本側が水軍の増強したからなのか、
水軍の不利は忘れられたかのように宣教師の報告からも消息が消えている。
707日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:55:36
>>706
日本語メタメタ・・・orz

訂正

翻訳された宣教師の報告書集を読んだことがあるけど、
確かに緒戦の頃(閑山島海戦?)には、宣教師の報告書にも、
日本水軍の不利が伝えられている。

しかし、これ以降は、日本水軍が増強された為か、
その手の報告がなされていない。

因みに小西からの報告が宣教師たちのネタ元なので、
京城撤退については詳しいんだけどね。

あと小西軍は、足の凍傷(草鞋が原因)や、口に合わない現地の食料(雑穀)に苦しんだそうだ。
708日本@名無史さん:2007/08/15(水) 21:14:56
>>707
>>695で書き込んだ海戦自体がボロ負けってのは露梁海戦の事に絞ってのつもりだよ。
ボロ負けと言っても明側に島津や小西や立花を追撃する余力が無かったって事は事実だし。
どう表現したらいいかな?
普通なら輸送船で敵に突っ込んで船も座礁させられて海戦の戦術的にはボロ負けなんだけど、なぜか朝鮮の李とか明の副司令官が戦死して日本側の島津義弘、宗義智、立花宗茂、小西行長らは無事に撤退してる。
表現が難しいねw
709日本@名無史さん:2007/08/15(水) 21:27:53
>>708
ああ・・・かなり恥ずかしい勘違い・・・ゴメン。
吊って来ます。
710日本@名無史さん:2007/08/15(水) 22:42:59
別に避難してるわけではありません
こちらこそボキャが少なく上手く表現できずごめんなさい
711日本@名無史さん:2007/08/16(木) 06:27:50
>普通なら輸送船で敵に突っ込んで船も座礁させられて海戦の戦術的にはボロ負けなんだけど、なぜか朝鮮の李とか明の副司令官が戦死

ふと思った。島津って、当時有数の釣り師だったよね・・まさか、な。
712日本@名無史さん:2007/08/19(日) 14:49:43
それは釣り野伏のことを言ってるのか?
713日本@名無史さん:2007/08/19(日) 16:02:46
うん
714日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:39:56
海戦でも釣り野伏をやらかすとは島津恐るべし
715日本@名無史さん:2007/08/21(火) 00:23:22
どうやってやるんだろう
716日本@名無史さん:2007/08/22(水) 17:22:53
出たとこ勝負とかじゃない?あ、これ、釣り野伏だわwとか
717日本@名無史さん:2007/08/22(水) 20:21:21
海で野伏ってどうやるんだろうって意味なんだが
718日本@名無史さん:2007/08/23(木) 19:06:17
釣り野伏のニュアンスが包囲殲滅で敵の頭をかみ砕く事だから、必ずしも伏して置かなくても結果その形に持ち込めれば良いんじゃないかな?
とりあえず、常日頃から切磋琢磨された戦闘ドクトリンをいかにその場の状況に合わせるかだから。
レイテ海戦の時みたいに華やかな艦隊運動ではないだろうけど・・まあ、この海戦自体は肝要の栗田艦隊の反転で水泡に帰したけどね。

719日本@名無史さん:2007/08/24(金) 06:23:07
>>717

海戦に例えるなら
ドイツ海軍がイギリス海軍にしかけた群狼作戦がそれに近いかも。

「倒してくれ」と言わんばかりの囮の為の部隊と包囲の為の部隊があって

「あの敵部隊は一人突出していて簡単に倒せそうだな」って安易に接敵すると
後続の全軍が一斉に攻撃目標を囮にかかった敵に向けてくる。
720日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:11:27
群狼作戦ってそんなやつかい?
721日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:57:48
船団を発見したやつが発信してワラワラ寄って来て袋叩きにするんじゃなかったかな?
722日本@名無史さん:2007/09/07(金) 12:00:48
うふふ
723日本@名無史さん :2007/09/07(金) 22:05:52
島津と言えば日露戦争
露帝側も釣り野伏してたけど
奉天迄で前進能力が尽きてた日本軍が「不運にも」難を逃れたんだったな

陸戦で完敗して、大陸から叩き落とされといた方が後の歴史にとっては幸運だったのに
米英と対立せず日本海さえ守ってりゃ平和なんだから
724日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:56:59
日露戦争しないってことは半島はロシアが分捕るってことだ
これが何を意味するか全然分かってないっぽいな
725日本@名無史さん:2007/09/09(日) 23:54:31
それが意味するものは…
国家ぐるみのストーカー行為の対象が日本ではなくロシアになるということ?

素敵やん
726日本@名無史さん:2007/09/10(月) 18:14:43
それで済むなら素敵だけどw
727日本@名無史さん :2007/09/18(火) 09:13:21
>>724

>725 日本海さえ守ってりゃ
端的に言えばそういう事だからな
米第七みたいに、
英軍艦が対馬海峡ウロウロしながら露を陸に封じ込めるだろ
で、島津薩摩閥の海の守りがそれをさらに固める
728日本@名無史さん:2007/09/18(火) 11:43:35
陸で完敗したとしても、日本海海戦の完勝さえあれば本国は安泰だろうな
729日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:05:28
だな
730日本@名無史さん:2007/12/26(水) 10:17:01
>>723
レッドサン ブラッククロスに繋がるのか
731日本@名無史さん:2007/12/27(木) 14:23:14
もしブッシュが聡明だったらもし織田信長が本能寺でしんでいなかったらもし
武田信玄がながいきしたら もし  もし  もしにんげんがいなかったら温暖化も環境汚染
もなかったろうにな
732日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:41:23
>>731
古生代の終わり(2億5千万年前)にも、温暖化と環境汚染があり、
大量絶滅が起きたのですが・・・
733日本@名無史さん:2008/01/05(土) 02:19:31
誰が汚染したの?
734日本@名無史さん:2008/01/05(土) 08:40:08
P-T境界で、ぐぐれ
735日本@名無史さん:2008/01/05(土) 20:29:20
バカにされてることに気づけよw
736日本@名無史さん:2008/02/15(金) 01:15:40
戦国自衛隊で一網打尽だろ
737日本@名無史さん
戦国自衛隊って、ザコ集団だろ…