乃木を語れ!その4

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1日本@名無史さん
日露戦争百周年、旅順陥落まであと半年。 乃木を語れ!
過去スレ/参照スレは>>2-5あたり。
2日本@名無史さん:04/06/06 04:18
「乃木さんて、どういうひと?」
http://mentai.2ch.net/history/kako/979/979984185.html
「続・乃木さんて、どういうひと?」
http://mentai.2ch.net/history/kako/1000/10003/1000326922.html

「乃木を語れ!」
http://academy.2ch.net/history/kako/1024/10244/1024412885.html
「乃木を語れ! その2」
http://academy2.2ch.net/history/kako/1045/10453/1045303325.html
「乃木を語れ! その3」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1052486923/l50
3:04/06/06 04:18
六月六日
第三軍司令部、張家屯に上陸。第一、第十一師団を指揮下に置く。

第三軍の旅順攻略戦は59000人あまりの死傷者を出した戦いである、
というのが一般的な見解だと思う。
これは公刊戦史第六巻巻末にある「第三軍死傷表」の数字59408人
(死15400、傷44008)によるものと思われる。この表は、明治三
十七年六月六日から翌年一月二日までの死傷者数を示したもの。

六月六日は、そういう日。
4日本@名無史さん:04/06/06 18:33
取り敢えず記念
5日本@名無史さん:04/06/06 23:12
○五日
午後、司令部上陸に先立ち、大庭中佐(軍参謀副長)と津野田参謀上陸。
第二軍司令部に到り、二個師団の指揮権の受授と爾後の作戦の打合を行う。
○六日
早朝、乃木将軍以下第三軍司令部上陸。行軍開始。
夜、亮甲店なる一寒村に天幕露営。乃木将軍、大将に昇任。
6日本@名無史さん:04/06/08 01:00
○七日
早朝、軍司令部は亮甲店を発し金州へ向かう。
午後、軍司令官、南山戦場を視察。
○八日
午前、軍司令部は大連北方約二里の北泡子崖に到着(以後約二ヶ月間滞在)。
午後、軍司令部にて第一・第十一師団長と共に将来の作戦を協議。
7日本@名無史さん:04/06/08 20:38
盛り上がら無いのでいったんageます
8日本@名無史さん:04/06/08 23:00
○九日
21時15分 NHK総合 その時歴史が動いた 「司令官の苦悩」



おっと間違い
○九日
軍司令官並びに参謀長以下、北部に於ける第一師団の陣地を巡視。
9日本@名無史さん:04/06/09 07:05
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/

↑ 乃木に関心のある人はどーぞ
10日本@名無史さん:04/06/09 20:28
あと1時間足らずか・・・
11日本@名無史さん:04/06/09 22:05
>>293 セバストポリやパリ攻略戦以外。半年以上掛かる方が珍しい。
1211:04/06/09 22:15
・・間違い・・
13日本@名無史さん:04/06/09 23:57
妥当な描写だったかな。
14日本@名無史さん:04/06/10 00:27
情報軽視から生じた、大本営側の戦争指導と現地の実態との乖離、という
のがテーマだったのかな?

旅順といえば28榴とか児玉とか、しかしこれらを言い出したらあっという間
にパンクしてたでしょうし、45分ではこれくらいダイジェストするのはやむ
を得ないところでしょうか。
15日本@名無史さん:04/06/10 00:29
○十日
軍司令官並びに参謀長以下、南部に於ける第十一師団方面を視察。
16日本@名無史さん:04/06/10 11:36
俺んちの近くに乃木神社とか大山巌の墓とかがある
17日本@名無史さん:04/06/11 00:16
○十一日
?(文献資料に記載なし)
18日本@名無史さん:04/06/12 00:08
○十二日
軍司令官は大連を視察。
19日本@名無史さん:04/06/12 23:27
○十三日
?(資料に記載なし)
20日本@名無史さん:04/06/13 18:16
資料はなくても妄想を膨らますのがこのスレの(ry
21日本@名無史さん:04/06/13 23:57
○十四日
白井・山岡・磯村参謀は第十一師団方面より施行する敵情偵察の検分に赴く。
22日本@名無史さん:04/06/15 21:38
○十五日
津野田参謀は第一師団左翼より第十一師団中央に在る敵情及び地形を偵察。
23日本@名無史さん:04/06/15 21:55
本放送は知らんが、昔の「歴史への招待」の本は結構内容濃かったように思うがな。
24日本@名無史さん:04/06/15 22:31
<フランダースの犬>の「ジェファンじいさん」にそっくり
25日本@名無史さん:04/06/15 23:16
とりあえずビール
26日本@名無史さん:04/06/15 23:18
>>25
NHKですな。
27日本@名無史さん:04/06/16 00:20
○十六日
正午、侍従武官並びに東宮武官を迎える。
28日本@名無史さん:04/06/17 00:01
乃木大将の小説とかでオススメはありますか?
昔歴史で習って興味があったのですが、今まで放置でした。
知りたい!
29日本@名無史さん:04/06/17 00:34
>>28
「坂の上の雲」 司馬遼太郎  
30日本@名無史さん:04/06/17 20:05
>>29
それを挙げた勇気に拍手。
31日本@名無史さん:04/06/17 20:07
乃木オナニ
32日本@名無史さん:04/06/17 22:08
>>28
戸川幸夫「乃木と東郷」
橋本昌樹「田原坂」 あたりを読んでから、「坂の上の雲」
その後で「坂の上の雲では分からない旅順攻防戦」別宮暖朗 で口直し、てなとこかな。
33日本@名無史さん:04/06/18 07:17
>>28 大濱徹也 乃木希典 

名署です。
34日本@名無史さん:04/06/18 21:07
>>33
小説ってのが読めないひとですね
35日本@名無史さん:04/06/18 21:14
>>34 「坂の上の雲では分からない旅順攻防戦」別宮暖朗

あなたには之が小説に見えるんでしょうね。
36日本@名無史さん:04/06/18 21:27
小説ってジャンルになると、結構限定されるな
乃木の小説となると、まずは32で挙がっている「乃木と東郷」だろうが、
これはかなり読み応えがあるので腰を据えて読まないと

あっさり読めるモノなら、
「賊将」(池波正太郎)に二○三高地攻略戦の時を描いた短編がある
37日本@名無史さん:04/06/18 21:32
あらら35に絡まれちゃった w

あのさ、32は小説をちゃんと挙げてるっしょ?
それに、どっちかってっと別宮本はおちゃらけで挙げてるんでしょうが >口直し

そこらへんの文章の形式ってゆーか、そーゆーの読めないとダメだよ
「名著」ってのがちゃんと書けるようになってからのレベルの話だが
38日本@名無史さん:04/06/18 21:35
>>37 カコワル・・
39日本@名無史さん:04/06/18 21:44
>>38
オマエガナー
人は恥をかいたことは忘れないという
もう「名署」なんて馬鹿はかかないだろう 得したね 羨ましいよ w
40日本@名無史さん:04/06/18 21:49
>>37 絡んでおいて絡まれちゃったなんてね・・。
41日本@名無史さん:04/06/18 23:33
○十七日
軍参謀長は第一師団司令部に赴く。
○十八日
津野田参謀は第十一師団の最左翼方面の状況視察に赴く。
この日、常陸丸以下二隻の遭難の電報を受ける。
42日本@名無史さん:04/06/18 23:39
>>28
有名どころとして「静寂の声」(渡辺淳一)なども。
>>32で挙げられている橋本昌樹「田原坂」は名著です。著者の橋本氏の
父親がかなりな立場にいた軍人で、貴重な資料に基づいて書かれたものと
いうことで、松本清張が絶賛していました。
43日本@名無史さん:04/06/18 23:42
○十九日
未明より運送船遭難に関する報告到来。第三軍の攻城材料の大部の喪失が判明。
午前中は種種その善後策を討究。
午後、大連の軍兵站監来営。
夕刻、大本営より電報。
「大連の掃海遅延すべきを以て、一時柳樹屯を使用せんとす。速に実地を偵察してその可否を報告すべし」
大庭参謀副長と井上参謀は大連へ出発。
44日本@名無史さん:04/06/19 15:35
情報ありがとうございます!そうか…小説というジャンルには拘らず、本だったら何でも大体いけるので、ジャンル問いません。これぞ!ていうのはありますか?
やはりドキュメンタリーというか、淡々と史実を辿るものが多いのかな…
45日本@名無史さん:04/06/19 22:07
>>44
ジャンルフリーとなると、33の挙げている 大濱徹也「乃木希典」は
なかなかものです。史料的価値すらもある、というのは言い過ぎか?
ただ、文庫版あとがきで「若き日の独断と偏見に彩られている」と
著者自身が言っているとおりの内容なのが残念。

私的なイチ押しはこれ。
スタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人(講談社学術文庫)」

外国人記者が、旅順戦での乃木大将を描いたもの。
薄いですが、なかなか読ませます。
46日本@名無史さん:04/06/20 01:12
○二十日
大庭参謀副長帰営、報告。大本営に返電。
「柳樹屯は攻城諸材料の揚陸に適せず。全力を傾注して大連の掃海を急ぐを
有利とする」
東郷連合艦隊司令長官より、陸戦重砲隊を編成し爾後第三軍の指揮に属せし
むる計画あるを通告せらる。
大本営より、山県元帥は参謀総長兼兵站総監に任じ、大山元帥は満州軍総司
令官、児玉大将は同総参謀長に補せられたること通報あり。
47日本@名無史さん:04/06/21 00:48
○二十一日
午前十時頃、連合艦隊司令部より来電。
「大連の掃海は大いに進捗し、来る二十五日頃より上陸地に使用することを得べく、
運送船五隻以下なればその掩護は確実である」
直ちにこれを大本営に移し、攻城諸材料の発送を促された。
午後、第二軍より電報。
「軍の兵站は目下頗る窮境に陥り、人馬の糧食は之を半減しなければならぬ。而して
将来もなお憂慮に堪えない。よって第三軍の使用に属する支那車輌及び大連に於いて
ろ獲した貨車二百台を、速やかに鉄道修理のうえ当方面に転送せしめられたし」
参謀らはあまり勝手な申分であるとて大いに異論を唱えたるも、軍司令官は
「この際は彼此いうべき時ではない全力を尽くして援助してやれ」と直ちに井上参謀
に工兵一中隊を付して大連に派遣し、まず鉄道の処理に着手せしめ、更に兵站監に命
じて支那車輌のみならず邦人の人夫もかの方面に転用せしめられた。
48日本@名無史さん:04/06/22 23:56
○二十二日
早朝、大本営より通報。
「鉄道および攻城用諸材料は二十五日より輸送を開始すべき」
軍司令官は参謀を集め爾後の作戦を諮問。まず前面の要地たる乱泥橋東方高地
歪頭山および北老敦山などを占領し海路輸送の確実を保つ事に決す。
これに関する命令下達及びその意図を徹底せしむるため、特に参謀長を第十一
師団司令部に派遣。
49日本@名無史さん:04/06/22 23:58
○二十三日
大連の三浦海軍少将より通報。
「湾内の航路開け、三千トン級の運用船は出入自在である」
午後、大本営に歪頭山及び双頂山の攻撃計画を報告、また連合艦隊に通報して
その協力を要求した。
夜、大本営より電報。
「後備歩兵第四旅団は来月三日頃乗船し、また新たに属せらるべき第九師団は
六日頃出発の予定である。これら諸隊到達する以前に於いて前進運動を開始す
ることは不得策ならむ」
軍司令官は「今日は最早これに服行すべき余地はない」と。
50日本@名無史さん:04/06/24 00:42
○二十四日
津野田参謀は台子山付近の砲兵陣地に至り敵情を視察。
総司令部より内訓。
「第三軍は速やかに旅順を攻略すべき画策を立つべし」
51日本@名無史さん:04/06/24 23:05
○二十五日
歪頭山・双頂山の敵を除去するため最初は第十一師団のみ推進するはずであったが、
その後敵情及び地形を偵察した結果、第一師団の左翼をも同時に活動せしむることに
決し、以下の要旨の命令を下した。
「諸隊は二十六日早朝前進を起こし、第一師団は標高三○○高地より同二三八高地に
亘る線を、また第十一師団は花紅溝西方高地より黄泥川陣家屯の南北高地に亘る線を
占領すべく、なしうれば標高三六八の高地(剣山)と老坐山北方高地とを敵の自由に
委せざるを要す」
井上参謀は第一師団に、安原参謀は第十一師団右縦隊に、山岡参謀は同中央縦隊に、
津野田参謀は左縦隊に到り、実況を視察すべく命ぜられた。
52日本@名無史さん:04/06/30 00:04
○二十六日
未明より各部隊は行動開始。
午前八時頃、双頂山およびその付近一帯の高地を奪取。
左縦隊の神尾少将は、奪取した高地より望遠鏡で敵情を視察し、太白山には堅固なる
工事あり愈々本陣地であることを確かめ、之より前進しないことに決した。
午前十一時頃、上記の命令を下す。
夜、山岡参謀より報告。
「第十一師団の中央縦隊は苦戦ののち標高三六八の高地(剣山)を占領」
○二十七日
事なし。
○二十八日
第十一師団より、占領地に関し詳細なる報告あり。
伊地知軍参謀長は白井、磯村参謀を従え実地検分に赴く。
○二十九日
無事。
○三十日
無事。
53日本@名無史さん:04/07/02 00:14
七月

○一日
敵の配備がいよいよ明瞭となる。
「双台溝より鞍子嶺を経て太白山付近に亘り本陣地を構成し、その前方に監視部隊を
配置してある」
これに対し我軍は約四キロを距てており、中央剣山に於いて著しく突出していたので、
ここが弱点であった。後続部隊(第九師団、後備歩兵第四旅団、野戦重砲兵主力)は
当時輸送中であるか又は内地出発以前であったので、暫く待機の姿勢を取ることとなる。
○二日
無事。
54日本@名無史さん:04/07/04 00:05
○三日
敵兵約一大隊太白山方面に現れ、前哨部隊と交戦。敵砲兵の射撃開始。
敵艦隊も出動して我が海軍と砲火を交え、逆襲の色彩濃厚となる。
夕刻にいたり敵は更に砲を増加し剣山に向かって火力を集中。
夜、歩兵約三大隊の攻撃。
○四日
未明、敵は太白山方面に火力を集中。
55日本@名無史さん:04/07/12 15:17
ageてみる
56日本@名無史さん:04/07/20 00:57
○四日つづき
午後、敵の猛火は剣山に移る。
午後三時頃、敵砲数は約二十門、敵歩兵は約十大隊を算するに至る。
土屋師団長は左右両翼隊より歩兵一大隊宛を引き抜き、これを中央の剣山に増援。
午後四時、大規模な敵艦隊が出動し第十一師団の左翼に向かい砲撃開始。
土屋師団長より電話報告。
「剣山に在りし我が山砲は敵砲火のため沈黙。歩兵は最早その位置を保持すること
困難。速やかに重砲隊を出動せしめて敵の海軍に対しせしめられん事を望む」
夜に入るも戦闘止まず。陣地は保持されたが、守備隊長は戦死。
57日本@名無史さん:04/07/20 01:08
○五日
敵の砲撃は漸次緩徐となり敵歩兵も退却し、戦闘終了。
この戦闘により剣山付近と小平島の占有が確実となり、後続部隊及び攻城用諸材料の輸送揚陸は著しく容易となり、かつその工程も多いに増加した。
後備歩兵第一旅団の整頓完了、第一線に入る。
後備歩兵第四旅団は数日後に南関嶺付近に集結の予定。
軍司令官は連合艦隊に向かって海軍参謀の派遣を要求。
58日本@名無史さん:04/07/20 01:10
○六日
無事。
○七日
無事。
○八日
第一師団の右翼隊は敵の将軍らしきものが陣地を巡視中なることを発見し砲火
を以て狙撃。距離遥遠にしてなんらの効果も無かった。
海軍陸戦重砲隊がこの日初めて彼我海軍の小戦闘に参加。長は黒井海軍大佐に
して、初めは十二吋砲六門と戦利砲十二門を有す。
59日本@名無史さん:04/07/20 01:14
○九日
戦況になんら変化無し。
○十日
軍参謀長は白井参謀を伴い新陣地の検分に赴く。
○十一日
後備歩兵第四旅団長竹内少将着任、爾後の作戦に関し指示。
夜、各方面にわたり敵の小夜襲あり。
○十二日
新任第一師団長松村中将の来営(伏見宮殿下の後任)。
夜、第十一師団左翼方面にて敵重砲弾が歩兵連隊本部に命中する。
60日本@名無史さん:04/07/20 01:16
○十三日
大本営の判断。
「旅順に在る敵の兵力を総員約一万五千」
「糧食は約五ヶ月間を支うべく、クロパトキンの来援を待つ事急なり」
61日本@名無史さん:04/07/20 01:20
○十四日
細谷第三艦隊はその旗艦を以て大山元帥の一行を大連に護衛すると通報。
○十五日
早朝、軍司令官は大連へ。大庭、津野田両参謀随行。
○十六日
前方には事なし。
○十七日
前方には事なし。
鉄道線路の修理完成し、大連より南関嶺まで試運転を開始。
62日本@名無史さん:04/07/20 01:23
○十八日
第九師団の先頭部隊が大連に到着。
○十九日
第九師団長大島中将、師団参謀長須永大佐を従え来営。
63日本@名無史さん:04/07/21 01:43
○二十日
軍参謀長は第一、第九、第十一師団の参謀長及び軍直属部隊の諸隊長らを招致
して将来の作戦に関する計画を内示。
岩村海軍中佐と伊集院大尉は艦隊参謀の資格に於いて当分第三軍に属すること
となり、新たに増加した十二斤砲四門と共に来着。
64日本@名無史さん:04/07/21 01:44
○二十一日
軍司令官は、二十五日より前進を起こさせむるため、諸兵団に向け以下の要旨
の命令を与える。
「第一師団は右翼兵団となり双台溝に、第九師団(後備歩兵第一旅団を含む)
は中央として鞍子嶺に、第十一師団は左翼として太白山に向かうべく、後備歩
兵第四旅団および二十五日以後に到達する第九師団の諸隊は軍の総予備となり
指名の地区に集合すべし」
このことを総司令官に報告し、かつ連合艦隊に通報。
65日本@名無史さん:04/07/24 23:57
○二十二日
敵艦三隻出動、小平島に新設した我が望楼に向かい砲撃。
双頂山の我が展望哨が、旅順方面の敵軍が係留飛球を翻翔するのを初めて報じた。
夜、連合艦隊より「前進陣地攻撃の場合には双台溝と旅順口南部の両方面より
有力なる援助を与うべき旨」の約束あり。
66日本@名無史さん:04/07/24 23:58
○二十三日
軍司令官は各師団長と会同し前進計画につき各自の意見を求め、種々打ち合わせ
の結果、二十五日より開始すべき行動を二十六日に延期とした。
この日初めて第九師団の歩兵隊が第一線に出て陣地に就く。
67日本@名無史さん:04/07/24 23:59
○二十四日
野戦砲兵第二旅団の先頭部隊大連に到着。

○二十五日
浦塩艦隊が太平洋上に跳梁することを知る。
68日本@名無史さん:04/07/29 00:45
○二十六日
早朝、軍司令部は利家屯北方高地に位置する。
砲撃開始、歩兵前進開始。
第一師団は地形上、第十一師団は防備の関係上、戦況殆ど進捗せず。
第九師団は凹字型高地に向けて突入したが、多大の損害を受けて撃退される。
午後、戦線は全くの交綏状態となる。
軍司令部は西部李家屯に移り露営。
69日本@名無史さん:04/07/29 00:46
○二十七日
早朝より砲撃開始。
各師団は各々の目標奪取に努めるも戦況進展せず。特に第十一師団左翼には
敵艦数隻現出し側背に猛射を受けたため一時悲境に陥った。
午後四時頃、第一師団は二七一高地を占領。第九師団は凹字型高地の一角に
足場を得る。
軍司令部は李家屯にて露営。
この夜、第十一師団は夜襲により太白山東方高地を奪取。
70日本@名無史さん:04/07/29 00:47
○二十八日
早朝より各部隊は前進開始。
敵兵の大部は昨夜中に退却しおり、午前中には予定の如く長嶺子より南北
英各石の線に達した。
軍司令部は西部李家屯にて露営。
71日本@名無史さん:04/07/29 00:48
○二十九日
軍司令官はこの日を休息に充て、また隊伍の整頓と軍需品の補給を図らしめた。
退却した露軍は鳳凰山−于大山の線に拠ったが、敵に工事の余裕を与えざるため
三十日を以てこの線を攻略するに決した。
午後三時、軍司令部は営城子に転移。
72日本@名無史さん:04/07/30 00:40
○三十日
鳳凰山−于大山への攻撃開始。
軍司令官は幕僚と共に双台溝南方にて督戦。第九師団は多数の死傷者を出す。
午前七時半、第一師団は鳳凰山、第九師団は于大山を略し、第十一師団は大孤
山直前に進出して敵を本防御線内に圧縮した。
軍司令官は攻囲線の編成に関する命令を下す。
「第一師団(含後備歩兵第一旅団)を右翼、第九師団を中央、第十一師団を左
翼として旅順を完全に封鎖してその出撃を防止する」
「攻城砲兵司令官(豊島少将)に命じて特種砲の展開を迅速ならしめる」
「海軍の十二吋砲二門を火石嶺子の谷地に排列し旅順市街の威嚇砲撃を決行せ
しめる」
軍司令部は営城子の旧宿営地に帰還。
73日本@名無史さん:04/07/31 00:52
○三十一日
重要地区内に於ける支那人の交通を遮断。
営城子−長嶺子間の鉄道の修復を急ぐ。
幕僚の大部を第一線に派出して敵情を偵察せしめる。
74日本@名無史さん:04/08/02 00:31
八月
○一日
津野田参謀は双台溝に至り、軍司令部の新位置を視察、かつその設営を為す。
○二日
早朝より、敵は気球を飛揚して我が陣地の内部を視察した。
我が軍もまた数機を飛揚したが、なんら実効は無かった。
軍司令官は敵情視察に赴く。
周家屯の第九師団司令部に立ち寄り、標高二二九高地に登り敵陣地を遠望。
午後四時頃帰途につく。
周家屯の野戦病院に立ち寄り、夕刻に双台溝の新軍司令部に入る。
75日本@名無史さん:04/08/03 19:35
たまにはage
76日本@名無史さん:04/08/05 03:01
○三日〜五日
三日〜五日の三日間、戦術上特記すべき出来事なし。
第一線は三四百米突〜千米突に近接し、日夜銃砲声絶えることなし。
敵は大孤山上より展望して我が端末停車場たる長嶺子を目標に重砲弾を射撃。
夜間は重要なる砲台には絶えず探照灯を点じ、また時々火箭を発射した。
この時期、大本営より戦況視察のため大本営より鋳方砲兵中佐来営。
また、総司令部よりは井口少将が来営。
井口少将と軍参謀長伊地知少将との間に攻撃開始の時期およびその実施の方法
に関し意見の衝突ありて大いに激論せられた。
77日本@名無史さん:04/08/06 03:09
○六日
大連−長嶺子間の鉄道修理成る。
軍司令官は第十一師団に向かい八日までに大孤山を奪取すべく命じた。
火石嶺子の海軍陸戦重砲隊の十二吋砲は六日までにその設備を終わる。
78日本@名無史さん:04/08/09 01:02
○七日
早朝より第十一師団は砲撃を開始。敵の砲兵を沈黙せしめるも、午後は天候
一変して雨となり濃霧山頂を覆い、我が砲兵の活動意の如くならず。
歩兵は数回の突撃ののち一角に取り付くも、敵の抵抗頑強にしてそのまま夜
を徹した。
海軍陸戦重砲隊は、市街に向けて威嚇砲撃を始める(約百発/一日)。
79日本@名無史さん:04/08/09 01:05
○八日
早朝より砲撃開始、雨と霧のため歩砲の協同は意の如くならず、天候の回復を待つ。
午前十一時、敵艦数隻出動。大孤山に肉薄する我歩兵の側背を猛射し惨状を呈した。
同師団は山砲六門を海岸線に配列し敵艦を砲撃、敵艦を後退せしめた。
午後八時頃、大孤山山頂を占領。
80日本@名無史さん:04/08/09 01:07
○九日
第十一師団は一部を以て大孤山の守備を確実にし、他の一部にて小弧山への
攻撃を続行。午後六時頃、小弧山をほとんど占領。
敵艦約十隻再び塩廠沖に出動し、我が部隊の側背を猛射。
午後七時には敵の歩兵により小弧山が奪還される。
夜、我が軍は夜襲を以て小弧山を強奪。
81日本@名無史さん:04/08/11 02:51
○十日
午前中はなんら変化無し。
午後に至り、各方面の展望哨から敵艦出動の兆あるを報告。
午後五時頃、老鉄山方面に殷々たる砲声を耳にした。
夕刻、敵の小艦艇約十隻再び塩廠付近に現出。
第十一師団にも相応の準備あり、敵は早々に港内に退避した。
○十一日
前日の海戦での我が海軍の苦戦を確かめた。
82日本@名無史さん:04/08/13 14:07
支援? age
83日本@名無史さん:04/08/13 16:27
桑原
84日本@名無史さん:04/08/14 00:01
○十二日
事なし。
○十三日
第一師団長は日中秘かに準備を整え、夜に入って一挙攻撃の企図を画策。
夜、夜襲により高崎山を占領。
85日本@名無史さん:04/08/14 00:04
○十四日
朝来二個の重要なる報告に接す。
一は我が第二艦隊が敵の浦塩艦隊に遭遇し之を撃破しリュウリック号を撃沈したこと。
二は俘虜尋問により、旅順の本防御線には二種の鉄条網あること。
我が軍は砲撃と歩兵の前進とを交互に応用して、逐次歩を進めた。
86日本@名無史さん:04/08/17 02:41
最近に研究だと乃木は帰化人の末裔らしいよ。
87日本@名無史さん:04/08/17 17:59
乃木は尼子からきたらしい
88日本@名無史さん:04/08/17 19:02
ちんこーーーーーー
89日本@名無史さん:04/08/18 04:11
○十五日
作戦よりも雑務に於いて多忙を極めた。すなわち御沙汰書の浄書、勧降文の作成
および露訳等のため。
正午、軍司令官は一時攻撃を中止せしめた。
○十六日
早朝、山岡参謀は聖旨ならびに勧降書を捧持して水師営に至り、これを交付。
翌十七日回答ありたき旨を伝える。
軍は、第一線の諸隊に当方より挑戦的行動に出るべからずとの訓示を宣布。
○十七日
朝来、侍従武官および東軍武官来営。
午前十時、敵の軍使来たるとの報告。敵は勧降を拒絶。
軍司令官は既に準備したる総攻撃の命令を頒布し、実施を十八日と定めた。
90日本@名無史さん:04/08/18 04:12
○十八日
総攻撃開始予定日なるも、天候のためこれを翌十九日に延期した。
91日本@名無史さん:04/08/19 00:54
○十九日
軍司令官は、払暁より幕僚を従えて二二九高地に位置して各方面を督戦。
連合艦隊は特に一支隊を双島湾方面に遊弋せしめて我が攻撃を援助した。
天明と共に砲撃開始。
第一師団は攻撃力を一七四高地と水師営南方の敵塁とに集中。
第九師団は右翼隊を以てまず龍眼北方高地の角面堡を強奪せんとす。
第十一師団は鶏巻山北堡塁と同東南砲台とを目標とし、翌日の行動を有利
ならしむるため、為し得る限り近接することに努めた。
92日本@名無史さん:04/08/20 23:55
(十九日)夜半、第一師団は一七四高地を奪取。

○二十日
軍司令部は依然二二九高地に位置。
津野田参謀は団山子付近に至り、翌日軍司令部となるべき場所を偵察。
93日本@名無史さん:04/08/21 02:46
○二十一日
未明、軍司令部は二二九高地より団山子東南方小丘に移る。
同時期に第九、第十一師団の突撃が始まる。
94日本@名無史さん:04/08/21 08:12
(二十一日)
天明後、新位置より戦況を展望。両師団より第一回の報告(不成功)。
軍司令官は後備歩兵第四旅団を第九師団の隷下に属せしめ、攻撃続行を命令。
また第十一師団にも奮進を督促。
第十一師団右翼隊は午前七時半突撃。砲台に突入したが全滅。
95日本@名無史さん:04/08/21 19:09
203高地は児玉源太郎が指揮をとっておとした→愚将
おちたときに偶然児玉源太郎が到着しただけ→名将
いくつか乃木に関する本を読みました。教育者としては好意的に評価されていたが、
軍人として意見が分かれていた。
乃木は名将・愚将どっち?
96日本@名無史さん:04/08/21 19:37
梵鐘
97日本@名無史さん:04/08/21 19:38
脳症
98日本@名無史さん:04/08/21 19:45
凍傷
99日本@名無史さん:04/08/21 19:57
場を読めない無邪気さは害悪と知れ >95
100日本@名無史さん:04/08/21 20:47
>>95
本職の軍人としてある程度以上のレベルに達しない人物が、人格者や教育者
として認められるというのも妙な話だろう。

乃木は、学習院院長になる直前、急逝した児玉の後任として参謀総長に推挙
されている。愚将・凡将レベルが参謀総長に推挙されるだろうか。
101日本@名無史さん:04/08/22 06:05
>>100

有栖川宮熾仁親王や 小松宮彰仁親王 、山縣有朋 が勤められるくらいの職ですよ。
102日本@名無史さん:04/08/22 06:23
皇族を例に出すあたりがとても恣意的なチョイスですね。

大山、山県、川上、奥、児玉、福島、上原…。

総長職のお歴々、そうそうたるメンバーですよ。
乃木将軍は、こういうメンバーに列せられる可能性があったということ。
103日本@名無史さん:04/08/22 06:41
>103 皇族でも勤められる職ですよ。山縣はいわずもがな。
104日本@名無史さん:04/08/22 06:44
参謀総長は「よきにはからへ」
105日本@名無史さん:04/08/23 06:51
○二十二日
軍司令部は依然団山子東南方小丘に位置。
両師団の払暁攻撃はいずれも不成功。
「数回の突撃成功せず、この上は強襲を断念する外なし。速に之を各師団に命令せよ」
軍司令官は軍参謀長に強襲断念を伝え、軍参謀長は両師団の参謀長を招致。
午前十時、両師団参謀長来着。軍命令の受領中に盤龍山東堡塁にて戦況の進展を見る。
軍司令官は軍参謀長および両師団参謀長に向かい、
「かくの如く情況に急変を来たしたる以上は最早他を顧る余地はない。死力を尽くして
奮闘せんのみである」と達せられる。
両師団は全力を尽くして盤龍山の攻撃を支援。
正午頃に東堡塁の約半分を奪取した。
以後情況は刻々不利になり、午後二時頃には殆ど絶望となる。
第九師団長は最後の予備隊二中隊を第一線に加え西堡塁の奪取を命じた。
午後三時頃、軍司令官は第一師団より歩兵二大隊を中央方面に招致すべく決心。
午後四時、両中隊は西堡塁を占領。
この後戦闘は交綏状態に陥るが、半宵以後は両堡塁の領有は確実となった。
午後六時、軍司令官は後備歩兵第三十八大隊の一大隊を更に第九師団に増加。
106日本@名無史さん:04/08/23 07:30
○二十三日
軍司令部は依然前日の位置に有り。
東西両堡塁には既に旭章旗翻る。
総司令官大山元帥より内訓的電報あり。
「たとえ多大の犠牲を払うも、一旦開始したる総攻撃は中止せざらんことを望む」
これを受けて幕僚は情況視察のため各方面に向かう。
各参謀報告。軍司令官は隊伍の整理と弾薬及び糧食の補給を策す。
午後二時頃、敵は積極的行動に出る。
敵の小艦艇数隻が第十一師団方面に出動。
夜、軍司令官の内訓に基き、今一度全力を挙げて敵陣の要部たる望台の奪取を決心。
これを両師団に伝え、同時に第一師団より部隊を抜き軍の総予備隊に充てた。
107日本@名無史さん:04/08/23 22:53
歴代参謀総長(M22.3.9以降)
有栖川宮熾仁
小松宮彰仁
川上操六
大山巖
山県有朋
奥保鞏 
長谷川好道
上原勇作
河合操
鈴木荘六
金谷範三
閑院宮載仁
杉山元
東条英機
梅津美治郎
108107ではないが:04/08/23 23:28
児玉大将が参謀総長として長く在職であれば、福島参謀らを重用して情報重視
の傾向となったかも知れない、という意見がある。
参謀総長職というのはこのように重要な職と見なすのが普通だろう。

歴代を見ると、明治期で皇族が参謀総長になっているのは初めのあたりだけ。
これを以て参謀総長職を「よきにはからえ」なんて揶揄するのはおかしいだろう。
なんてゆうか、傲慢不遜な物言いってゆうか。
109日本@名無史さん:04/08/23 23:40
>>102
児玉源太郎、福島安正は参謀次長の誤りだと思われ。
110109:04/08/23 23:42
児玉はありましたね、スマソ
111日本@名無史さん:04/08/24 00:06
>>109 >福島安正は参謀次長の誤りだと思われ。

某ページから適当にピックアップしたんで間違ったかもしんない。
いずれにしろ、参謀総長は大山、山県、奥、長谷川、上原と、元帥レベルの
人が座る職だと思っていいだろう。
川上、児玉だって急逝しなけりゃ間違いなく元帥になってたと思うし。
112日本@名無史さん:04/08/24 07:01
>>108 それで何時 乃木が参謀総長になったのでつか?

そりゃ参謀総長で成果を出して勤め終えたら、素晴らしいと思いますが。
派閥で推挙されただけですからね。
113日本@名無史さん:04/08/24 07:33
>>112
誰がどこで、「なった」と主張しているというのでつか?
誰も主張していないことを、さもそのような主張があるかのように言い眩ます
のは、何かのテクニックのつもりでつか?

君は君で、参謀総長職は「よきにはからえ」 だと思っていればよろしいの。
114日本@名無史さん:04/08/24 08:14
参謀総長職は「よきにはからえ」 なんて俺は主張してないよ。

>参謀総長職というのはこのように重要な職と見なすのが普通だろう。

台湾総督の児玉と乃木の結果を見る限り、役職が仕事をするのではなく、
人間が仕事をするのだなっと思うだけ。あぁあなたは役職が仕事をする
んでつかね。

115日本@名無史さん:04/08/24 08:41
>>114
>参謀総長職は「よきにはからえ」 なんて俺は主張してないよ。

>参謀総長は「よきにはからえ」>>104

なんか、乃木が参謀総長に推挙されていたことが気に入らないみたいね。
乃木を認めたくないがためか、参謀総長自体を貶める発言をするあたり、
あなたの思考過程には理解し難いものがあるよ。
116日本@名無史さん:04/08/24 10:41
別人だよ

自分は多数派とおもいこんでいる知しょうがいるスレでつね

よきにはからえ、が総参謀長を辱めるに展開する被害妄想はどうにかしてほしい
117日本@名無史さん:04/08/24 11:01
118日本@名無史さん:04/08/24 19:03
嶽原復活?
119日本@名無史さん:04/08/24 20:00
>>115
誰も「乃木が参謀総長になった」なんて馬鹿を言ってないって事は了解ですか。
混乱を呼び起こすだけの無責任っぷりがウリなんですか?

ここまでの要約。
・参謀総長ってのは皇族以外は元帥レベルの大将が務める程の職
・乃木は児玉の後任に推挙されていた

・どっかの誰かは「乃木が総長職になった」という発言があったと勘違いした
・どっかの誰かは皇族の就任を以て「〜でも勤められる」などと放言三昧
120日本@名無史さん:04/08/24 20:09
>>116
多数派だなんて、誰がどこで言っているんでしょうかね?

その「誰も言っていない事」を認識してしまうらしいハタ迷惑な珍能力は
先天性のものですか?後天性のものですか?
121日本@名無史さん:04/08/24 20:11
119の「>>115」は「>>114」の間違い。
122日本@名無史さん:04/08/25 00:00
○二十四日
未明より激烈なる銃砲声を聞く。払暁薄霧の間に兵の姿を見る。
諸報告は悉く悲観的の材料を以て充たされる。
軍司令官は午後四時頃強襲に依る総攻撃の中止を命じた。
軍司令部は柳樹房に移る。
「一箕夫れ九仞の功を全うせよ」の勅語を拝す。
123日本@名無史さん:04/08/25 00:05
○二十五日
二十三日より二十四日に亘り、大本営・総司令部と我が第三軍との間に兵力の増加及び
弾薬の補給等に関し、数次意見の交換あり。一時、後備歩兵第三旅団を第三軍に配属せ
られんとしたが、この日軍司令官は断然兵力の増加を拒絶、単に弾薬の補給と対壕作業
用の材料とを要求せられた。
敵の小規模の出撃あり。
盤龍山東西堡塁への敵の砲撃及び出動は、我軍に一日百五十〜二百余の損傷を与えた。
幕僚間にはこの地を旨趣すべきか又一時放擲すべきかの議論あり。
軍司令官の一言「血を以て獲取した砲台は血を以て防御しなければならぬ」を以て解決。
124日本@名無史さん:04/08/25 00:09
訂正(>>123下から2行目)
>幕僚間にはこの地を旨趣すべきか
→幕僚間にはこの地を死守すべきか
125日本@名無史さん:04/08/25 05:48
>>119 お纏め

>参謀総長ってのは皇族以外は元帥レベルの大将が務める程の職
レベルって何?レベルって。中将、大将でもって役職に就くと思ってましたが。
貴方の脳内では元帥レベルなのか。

>乃木は児玉の後任に推挙されていた
しかし推挙されただけ。他に奥も推挙され彼がなった。

どっかの誰かは推挙されたという事で持って偉大さを示そうとしているが、
結局は参謀総長になっていない。推薦されても落ちたら意味がない。
というか推薦した人の顔も立たない。
126日本@名無史さん:04/08/25 06:02
>>120 それでは貴方の意見は少数派と自覚しているのですね。
貴方の意見が多数派という思いこみがあるならば、
ハタ迷惑な珍能力ではないですからね。そのままずばりです。

だから粘着までして流布しているのですね。

>>108 の人は参謀総長職を「よきにはからえ」なんて揶揄でもって
参謀総長自体を貶める発言と取る被害妄想意識が強い人ですからね。
また参謀総長職が重要な職と偏った見方をするあまり、人が仕事を
することをどっかの彼方に忘却しているようです。

乃木は旅順攻略の緒戦において配下の情報をしっかり分析して
実情に近づけてましたか?またその努力はしていましたか?
気球の話やら現場将官の話を聞く限り、努力を怠ってます。
急がされていたから?とかはこういう点では関係ないです。

(ただし参謀本部にも問題はある。)
127日本@名無史さん:04/08/25 07:14
>>125
>他に奥も推挙され >落ちた
まるで二者選択のようなものがあったかのような書き方ですね。
山県による乃木の推挙を明治天皇が退け、それで奥が改めて推挙されたんで、
こういう経過を知っていれば、「落ちる」なんて言い回しにはなりませんね。

あなたは「乃木が参謀総長になった」なんてありもしない書き込みが見える
珍能力を備えている方だし、この程度のおかしな言い回しも、読み手側が許容
してあげなくちゃならないところなんでしょうがね。ヤレヤレ。

冒頭の「おまとめ」?なんてのも面白い言い回しですね。ギャグですか?
128日本@名無史さん:04/08/25 07:22
>>126
もっと論理的に書いて下さいね。

>>116「お前は自分が多数派だと思い込んでいる知しょうだ!」
   「だれがどこに自分が多数派って書いてあるってのか?」
>>126「ならば少数派という自覚があるのだな!」

いや大笑いしちゃった。酔っぱらいの言い掛かりでもここまで酷くなかろう。
129日本@名無史さん:04/08/25 08:23
1,自分の意見が多数派と考え、世間ではその意見は多数派。
2、自分の意見は少数派と考え、世間ではその意見は少数派。
3、自分の意見は多数派と考えるが、世間ではその意見は少数派。
4、自分の意見は少数派と考えるが、世間ではその意見は多数派。

3 4は世間知らずで勘違い君か知しょう
1 2どちらかを否定すれば確定。

論理的に分析もできない人がいるみたいですね。
その人は1 2も否定したがってるようにも取れる。
130日本@名無史さん:04/08/25 08:37
だ〜れも自分が多数派だとか少数派だとか言ってない、ってのがまだ見えてない。
まだ酔いが醒めないからなのか、それともこの思考回路がデフォなのか?ガクブル
131日本@名無史さん:04/08/25 08:53
誰も言ってないのにスルーもできない人がいるのね。

かなり気になるようだ。このスレの大半は〜とか頻繁使う人がいたな〜
132日本@名無史さん:04/08/25 15:19
どうでもいいことでごちゃごちゃ言うなよ。
児玉が超一流の軍人で、乃木は一流の軍人だったんだよ。
133日本@名無史さん:04/08/25 15:26
no gi
134日本@名無史さん:04/08/26 01:21
まあ陸軍次官や軍務局長というイメージではないかな。
吏才はあるほうではなさそう。
135日本@名無史さん:04/08/26 05:31
○二十六日
諸隊は鋭意隊伍の整理。
野砲砲弾は一門に付き約百発、重砲砲弾は僅かに十五発を残すに過ぎず。
連合艦隊は更に十二斤砲四門を増派すべく、
大本営は二十八珊榴弾砲六門を二十七日より発送すべきことを電報せられた。

この夜暴風雨、敵はやや大規模の逆襲を行う。
歩兵第三十六連隊長三原少将は龍眼北方に於いて戦死せられた。
136日本@名無史さん:04/08/27 05:19
あげとく
137日本@名無史さん:04/08/27 05:26
乃木を替えてはならん!!
138日本@名無史さん:04/08/30 00:20
○二十七〜二十八日
参謀に正攻法を具体的に講究すべく命ぜられた。
○二十九日
軍参謀長は、各師団の参謀長及び工兵隊長を会同。
将来の方針を示し、各自の意見を徴せられた。
○三十日
無事。
139日本@名無史さん:04/08/30 02:07
ここの過去スレで、攻城期間が長すぎるという話があった。
もしも第一回総攻撃で首尾良く陥落させていたとして、それでも6/16
から数えて70日ほど掛かったことになる。
第一回で落としたとしても、長いと思う人は長いと思うんだろう。
140日本@名無史さん:04/08/31 00:47
○三十一日
参謀は対壕作業に関する策案を提出。翌日より之を実行することとなる。
第一師団は二○三高地及び水師営南方諸堡塁に、第九師団は龍眼北方堡塁
及び鉢巻山に、第十一師団は東鶏巻山両堡塁に対して、正攻法を開始すべ
く命ぜられた。
141日本@名無史さん:04/09/04 00:41
九月

○一日〜三日
各師団は予定の目標に向かって鋭意工事を進める他、欠損の填補に努力。
二十八珊砲が内地の港湾を出たとの情報に接す。
軍司令官は攻城砲兵司令官に据付の準備を命じた。
盤龍山堡塁の占領にあたり活模範を示した諸勇士の氏名を大本営に特報。
142日本@名無史さん:04/09/04 00:42
○四日
侍従武官並びに東宮武官、慰問のため来営。
大本営より機関銃四十挺追給の通牒を与えられる。
一七四高地に於いて獲た書類中にステッセル、スミルノフ、コンドラテンコ等
の訓令綴りあり、翻訳取り調べの結果、要塞内部の状況はやや明瞭となった。
クロパトキンの密使が三十一日夜に旅順に入港したとの通報あり。
143日本@名無史さん:04/09/05 00:18
○五日
諸隊の損傷補充進み、重砲弾も一門約百発を算するに至る。
144日本@名無史さん:04/09/06 03:26
○六日
軍司令官は各師団長攻城砲兵司令官等を柳樹房に会同し、爾後の事を協議。
145日本@名無史さん:04/09/07 20:18
そろそろageよう
146暇人:04/09/08 16:32
神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる

うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり
147日本@名無史さん:04/09/09 00:17
○七日〜八日
来営中の侍従武官と東宮武官とは共に退去。
軍司令官は先に第一師団より徴収したる二大隊を原隊に復し、再び後備歩兵
第四旅団を軍の総予備に控置。
○九日
無異。
148日本@名無史さん:04/09/10 02:37
○十日
艦隊より四十七密速射砲四十門の補給を受ける。之を各師団等に分属。
九月に入り敵の砲撃及び夜襲は大いに減じ、我軍の損害も毎日四五十名となる。
149日本@名無史さん:04/09/11 01:14:29
○十一日
我が対壕作業大いに進捗。
数日後に到達すべき予定の補充兵を加え、まず敵本拠の枝葉を刈除するに決し、
各関係諸兵団に内命。同時に大本営、総司令部及び連合艦隊に報告。
150日本@名無史さん:04/09/13 00:00:06
○十二日
無事。
○十三日
無事。
151日本@名無史さん:04/09/16 00:07:43
○十四日
軍参謀長は各師団参謀長等を招致して、十九日より部分的攻撃を決行すべき旨
を伝えた。
二十八珊砲四門、王家旬子の臨時停車場に到着。直ちに卸下運搬を開始。
152日本@名無史さん:04/09/16 00:08:13
○十五日
帝国政府の新聞政策に関する悲観的情報に接する。
夜、敵兵、二回に亘り龍眼北方の我が陣地に向かって出撃。損傷約五十。
153日本@名無史さん:04/09/16 00:08:58
○十六日
前日より引き続き悲観的情報の対策を講究。
154日本@名無史さん:04/09/16 03:12:03
兵力分散しすぎな気はするよね。
せめて真っ正面の東北方面くらいさければいいのに。
偽装性が高くて防備が分からんでも、正面が1番堅い位は推測出来そうなもんだ。
155日本@名無史さん:04/09/16 07:41:23
>>154 推測してました。
156日本@名無史さん:04/09/16 09:33:47
>兵力分散
三個師団を並べている図を見ると、そう見えなくもないけどね。

現実には、三個師団全体が総力を挙げて全体的に総攻撃っていうことは
なくて、いわば「攻撃の重点」というものはあった。
そこから外れた所は、囮というか、防御側の方を分散させる効果がある。
157日本@名無史さん:04/09/16 14:56:16
「攻撃の重点」ドコー?
158日本@名無史さん:04/09/20 08:00:40
○十七日
軍司令官は部分的攻撃の正式命令を頒布。
159日本@名無史さん:04/09/20 08:01:11
○十八日
満州軍総参謀長来営。田中参謀ら同行。十九日よりの攻撃経過視察の為。
160日本@名無史さん:04/09/20 08:04:44
○十九日
早朝より軍司令部は二二九高地に位置。
我が砲兵は天明と共に指定の目標を砲撃。
正午頃総参謀長は軍司令部の新位置に登り、長谷川大将を交え軍司令官と共に、
且つ望み且つ談ず。
午後二時頃砲撃は熾盛を極める。
午後五時に至り砲撃の効果大いに現る。
第九師団の右翼隊は龍眼北方堡塁に向かって突入。
第一師団の左翼隊も又水師営南方諸堡塁に進撃。
薄暮に至り第九師団中央及び左翼隊も目標に肉薄するが爾後の状況は天候の為に
目撃能わず。
第一師団の右翼および中央方面に於いて後備歩兵第一旅団の諸隊は二○三高地の
鉄条網の線に達し、海鼠山の一角に取り付くもその後の戦況進展せず。
午後十時頃、軍司令官は柳樹房に復帰。
161日本@名無史さん:04/09/20 08:07:21
○二十日
午前六時半、龍眼北方堡塁占領の報に接す。
午前十時頃、軍司令官と総参謀長は共に攻城山に登り、各方面の戦況を観察。
午前十一時頃、水師営の敵第三塁陥落。一同携行したる水筒を傾け心許りの祝杯。
午後三時頃、総参謀長は大連に向けて出発。
午後五時頃、軍司令官下山。
午後六時半頃、海鼠山確実に占領。
二○三高地の状況は全く不明であり、その報告を督促したが遂に要領を得ず。
162日本@名無史さん:04/09/21 03:12:24
○二十一日
早朝、第一師団より二○三高地の防備に関する報告到来。
我が兵は巓頂の西南角に達し、敵と土石を投擲しつつあり。
163日本@名無史さん:04/09/22 00:10:24
○二十二日
第一師団より二○三高地攻撃不成功の報告あり。
軍参謀長は白井参謀を従えて同師団の戦況視察に赴く。
軍司令官は津野田参謀を従え王家旬子の二十八珊砲の検分に赴く。
164日本@名無史さん:04/09/23 00:23:23
○二十三日
早朝第一師団の右翼隊は全力を尽くして二○三高地を奪取せんとす。
正午頃、敵の砲兵が鳩湾方面に現れ、我が右側背より猛火を集中。
二○三高地の攻撃は失敗に帰した。
165日本@名無史さん:04/09/24 00:20:56
○二十四日
第九師団は龍眼北方堡塁を改築、更に二龍山に向け正攻作業を開始。
第十一師団も規定の目的に対して工程を進めた。
166日本@名無史さん:04/09/25 00:03:34
○二十五日
総参謀長来営。軍司令官及び軍参謀長と密談。
167日本@名無史さん:04/09/27 00:03:03
○二十六日
事無し。
168日本@名無史さん:04/09/27 00:04:08
○二十七日
軍司令官は総参謀長と火石嶺子の海軍陸戦重砲隊の所在に至り、威嚇砲撃の
実況を検討せられた。
169日本@名無史さん:04/09/29 00:21:49
○二十八日
無事。
170日本@名無史さん:04/09/29 00:23:02
○二十九日
払暁、二龍山山腹の我が攻路に向かって敵出撃、一時これを奪取する。
夜、攻路を奪還。
171日本@名無史さん:04/10/01 05:46:43
○三十日
記載無し。
172日本@名無史さん:04/10/01 05:47:13
十月
○一日
二十八珊砲初射撃。
午前九時頃、軍司令官は総参謀長と攻城山に登り砲撃の実況を視察。
173日本@名無史さん:04/10/03 00:03:43
○二日
朝来、両将軍は前日同様の行動。
夕刻、総参謀長は大連に出発。
夜間、敵は何故か我が陣地に向け銃砲を乱射。午前一時頃特に猛烈。
174日本@名無史さん:04/10/03 00:04:11
○三日
無事。
175日本@名無史さん:04/10/06 00:14:53
○四日
大本営より更に二十八珊砲六門を追加するとの予告あり。
軍司令官はその陣地として姜家屯及び碾盤溝の二箇所を選定。
176日本@名無史さん:04/10/06 00:16:37
○五日
未明、第十一師団は塩廠南方の敵陣地を奇襲。小口径速射砲数門を破壊。
午前、大本営より新たに六門の追加を電報。前後通算合計十八門となる。
177日本@名無史さん:04/10/06 00:19:02
○六日
軍参謀長は各師団参謀長らを会し、第二回総攻撃に関する詳細な訓示を与えた。
178日本@名無史さん:04/10/07 02:52:05
○七日
情況変化無し。
179日本@名無史さん:04/10/09 00:51:08
○八日
軍司令官は第一師団に命じて松樹山を目標として対壕作業を開始せしめる。
第九師団をして、先に発見した龍眼付近の貯水池を破壊せしめた。
180日本@名無史さん:04/10/09 00:51:36
○九日
記載無し。
181日本@名無史さん:04/10/10 00:41:55
○十日
未明、総参謀長より北方戦線に関する通報あり。
二十四・五日頃より、第二回総攻撃を施行せんとする旨を返電。
182日本@名無史さん:04/10/13 00:34:16
○十一日
朝来北方の戦況の通報あり。
連合艦隊より更に十五珊砲二門増加の予報あり。
夜、第一師団は松樹山脚の鉄道線路にある敵兵を駆逐して工事を進めた。
183日本@名無史さん:04/10/13 00:36:09
○十二日
払暁、敵の艦船十数隻が塩廠付近に出動との報告あり。殆ど事なし。
総参謀長より北方の状況に関し通報あり。
艦隊より、敵の密使並びに多数の弾薬及び糧食を拿捕との通報あり。
184日本@名無史さん:04/10/13 00:38:48
○十三日
正午頃、新任の遼東守備軍司令官、挨拶として来営。
軍参謀長は各師団参謀を会して総攻撃計画を内示。
午後三時頃、軍司令官は遼東守備軍司令官と攻城山に登る。
185日本@名無史さん:04/10/14 01:44:34
○十四日
拿捕せし露国将校、軍司令部に到達。直ちに尋問。のち、情報局に転送。
遼東守備軍司令官並びに海軍軍医総監を正賓として、露天に午餐会を開く。
186日本@名無史さん:04/10/17 00:04:02
○十五日
我が軍に於いて迫撃砲を採用。
187日本@名無史さん:04/10/17 00:04:54
○十六日
第九師団は作業の進捗に伴い、鉢巻山と二龍山中腹の散兵壕とを奪取。
この頃、我が軍に於いては砲弾の不足を感じる事痛切であり、屡々その
補給を電請したが殆ど意の如くならなかった。
188日本@名無史さん:04/10/17 00:05:55
○十七日
勅語を拝す。「開戦以来各自能くその職を尽くし云々」
軍司令官は、更に一層の努力を為し来るべき天長節までには必ず新局面を開かねばならぬと訓示。
将校以下約千二百名の補充が到達。
189日本@名無史さん:04/10/18 01:13:57
○十八日
万宝山の戦報に接す。
190日本@名無史さん:04/10/20 23:34:01
顔を見ると、どうもテディベアを思い出す。
191日本@名無史さん:04/10/20 23:59:42
○十九日
軍参謀長は各師団参謀を会して第二回総攻撃に関する細部の事項を討究。
第一師団に投降した捕虜より興味ある内情の披陳あり。
大本営より、特派員として鮫島中将が来営。
192日本@名無史さん:04/10/21 00:00:27
○二十日
連合艦隊より一大警報到来。
「敵のバルチック艦隊愈々出発。旅順の敵艦隊も脱出して之と策応するであろう」
193日本@名無史さん:04/10/21 00:01:19
○二十一日
山岡参謀ら、開城規約原案の起草に着手。
194日本@名無史さん:04/10/21 02:25:31
浮上
195日本@名無史さん:04/10/25 00:59:29
○二十二日
事無し。
○二十三日
軍参謀長は各師団参謀長を会同して第二回総攻撃のことを協議。
二十六日より砲撃開始、三十日突撃実施に決定。
○二十四日
記載無し。
196日本@名無史さん:04/10/25 01:00:59
○二十五日
早朝、第二回総攻撃に関する軍命令下る。
軍参謀らは実況視察のため各師団に派遣せらる。
197日本@名無史さん:04/10/26 00:26:19
○二十六日
払暁より砲撃開始。
軍司令官は早朝より攻城山頂に位置、日没後柳樹房に復帰。
午後五時頃、第一師団左翼隊及び第九師団左翼隊は松樹山及び二龍山の外岸頂に進出。
損害は比較的僅少であった。
198日本@名無史さん:04/10/27 05:26:23
○二十七日
早朝より砲撃を継続し突撃を繰り返すが、殆ど戦局の進展を見ず。
199日本@名無史さん:04/10/29 03:39:55
○二十八日
松樹山及び二龍山の攻撃隊より、外壕通過の由無き旨の報告あり。
爆発車を下附せられたが殆ど用を為さなかった。
軍司令官は攻城山に各師団長を招致して会議。
午後九時頃、「三十日に大々的最後の突撃を決行すべく」命令せられた。
200日本@名無史さん:04/10/29 03:40:30
○二十九日
早朝より砲撃開始。
歩兵との協同動作に関し綿密なる手段を講じ、両者協力して新局面の展開に努めた。
201日本@名無史さん:04/11/01 00:23:11
○三十日
突撃実施当日。
軍司令官以下攻城山に移り、各方面の戦闘を督励。
午後一時に至り突撃。
第十一師団は、東鶏巻山両堡塁及びQ堡塁に突入。
第九師団左翼隊は、P堡塁に突入。
第一師団左翼隊と第九師団右翼隊は、情況許さず突撃の決行に至らず。
第十一師団は、東鶏巻山に於いては外壕にて阻止せられ、Q堡塁に於いては
一たび奪取するも後続部隊続かず遂にその位置を失った。
第九師団左翼隊は、P堡塁突入後一気に之を占領し直ちに改造に着手すると
同時に後方連絡の事を顧慮し、位置の保持を得た。
夜に入り、軍司令官は柳樹房に復帰。
夜、敵は数回に渡り逆襲に及び、銃砲声絶えず。
午後六時頃、P堡塁は一時悲境に陥るも、遂に之を確保するを得た。
202日本@名無史さん:04/11/01 00:24:25
○三十一日
夜、軍司令官は各師団に対し猶一層の奮励努力を要求。
各師団は実情を具申して暫時の猶予を請うた。
第二回総攻撃の戦果はP堡塁の獲取に止まる。
203日本@名無史さん:04/11/02 02:24:12
十一月
○一日〜二日
緩徐なる砲撃の他特記すべき事なし。
204日本@名無史さん:04/11/03 01:00:08
○三日
天長節奉祝のため、午餐会を開く。従軍外国武官等来る。
205日本@名無史さん:04/11/06 04:38:27
○四日
軍参謀長は各師団参謀を会同して敵情及び工事の実況等を討究。
206日本@名無史さん:04/11/06 04:39:17
○五日
無事。
○六日
満州軍総参謀長より照電あり。「何日頃総攻撃を再興するや」
207日本@名無史さん:04/11/08 04:24:27
○七日
軍司令官参謀長以下、第一線の視察に赴く。
208日本@名無史さん:04/11/08 04:25:49
○八日
対壕作業援助のために北方より分遣せられた工兵隊が位置に就く。
209日本@名無史さん:04/11/09 23:22:10
○九日
大本営よりバルチック艦隊の東航に関する情報伝わる。
210日本@名無史さん:04/11/09 23:23:31
○十日
満州軍総司令官は北方の情況を伝え、近い将来に於いて第三軍を
北方面に転用せんとする意志を内報せられた。
軍司令官は、当分その実現は不可能であると回答。
211日本@名無史さん:04/11/13 05:53:25
○十一日
大本営は、第七師団を新たに第三軍に加える内意を報じた。
之を動機として、総司令官は第三軍の新攻撃策案を要求せられた。
212日本@名無史さん:04/11/13 05:53:59
○十二日
軍参謀長は各師団参謀長を会して将来の作戦を協議。
夜に入り大体の方針を決定。
213日本@名無史さん:04/11/13 05:54:52
○十三日
白井参謀は、攻撃策案を総司令官に報告する為に出発。
214日本@名無史さん:04/11/15 04:10:33
○十四日
軍司令官は今澤工兵大佐の創作せる十八珊迫撃砲と爆発車を閲覧。
215日本@名無史さん:04/11/15 04:12:00
○十五日
仏公使よりバルチック艦隊の編成および行程について詳細なる報告。
夜、総司令官は第三軍の砲兵旅団と野砲兵連隊を北方に急行せしむべく電命した。
大本営は御前会議の結果として左の情報を伝えた。
「速やかに旅順要塞を陥落すべく、もし能わざれば二○三高地を奪取して敵の
軍艦を処決せんことを望む」
本件に関し総司令官は「二○三高地の奪取には同意することが出来ない。望台
付近の高地を占領して要塞の死命を制することを努むべし」と附加せられた。
軍参謀長は、参謀会議を開き各自の意見を徴せられたが、異論百出何等の決定
も見なかった。
216日本@名無史さん:04/11/16 01:46:45
○十六日
大本営より至急電報あり。
第七師団は二十日頃逐次大連に到達すべしとの報道に接す。
217日本@名無史さん:04/11/19 03:17:15
○十七日
戦況に関しては特記すべき事なくも、受理する電報は悉く悲観的であった。
「北方に於いては敵は攻勢を執らんとする兆候あること」
「旅順港内に蟄伏しある敵艦中、五隻の戦闘艦は尚健在にして活躍自在なること」
「陸戦重砲隊の軍艦射撃の効果は甚だ軽少であったこと」など。
○十八日
参謀総長より特電あり。
軍司令官は各師団長を会して次の総攻撃に関する意見を徴せられた。
第一師団長より敵の中央地区に向かって大奇襲を決行せられん事の提議あり。
夜に入るまでその利害を討究せられたが、何ら決定を見ずして散会せられた。
十八日を中心として前後約一週間に亘り、山県有朋、児玉源太郎、東郷平八郎等
個人の名義を以て多数の私信が到着していた。
218日本@名無史さん:04/11/20 04:31:01
○十九日
勅語を拝す。奉答。
夜、軍参謀長は全部の参謀を会して奇襲の利害を討究せられた。
津野田参謀以外は反対。軍参謀長は決を採らずして散会せしめられた。
○二十日
バルチック艦隊がダカルを出発したとの情報に接す。
総司令部に向かい、二十五六日頃に第三回の総攻撃を開始すべき事を予報す。
219日本@名無史さん:04/11/21 00:40:24
○二十一日
軍参謀長は各師団参謀長を会し、細部の事項を討究し決定した。
第七師団長来着。
220日本@名無史さん:04/11/22 01:30:13
○二十二日
大本営、総司令部、艦隊に向かって如上の攻撃計画を報告。
津野田参謀は特別支隊の編成に着手。
221日本@名無史さん:04/11/23 03:07:31
○二十三日
津野田参謀は水師営西南方の標高九三高地に至り敵状を偵察。帰途中村少将と懇談。
222日本@名無史さん:04/11/24 03:08:50
○二十四日
第三回総攻撃に関する軍命令頒布。
223日本@名無史さん:04/11/26 02:20:27
○二十五日
特別支隊に与うる訓令を下す。
224日本@名無史さん:04/11/26 02:23:32
○二十六日
軍司令官は攻城山に登る。
午前十時頃、二龍山前の第九師団左翼隊に動揺が認められた。
「架設通路が破壊され、目下復旧工事中」とのこと。
正午過ぎ、砲撃開始。
午後一時半前、第十一師団は東鶏巻山北堡塁の爆破に続き突撃、諸処に格闘を惹起。
第九師団も少し遅れて鉢巻山、二龍山に突入した。
225日本@名無史さん:04/11/27 09:07:27
○二十六日つづき
午後五時頃、軍司令官は中村少将に「奇襲決行の訓令」を発す。
午後七時半前、総予備隊の一部を第九師団に増加。
大島中将は盤龍山東堡塁に進出。
午後八時、第一師団左翼隊は松樹山に突進したが、二回に亘り撃退せられた。
この夜、軍司令部は攻城山に露営。
午後十一時頃、第九師団は最後の突撃を敢行したが、全然失敗に帰した。
226日本@名無史さん:04/11/27 09:08:32
○二十七日
午前七時までに得たる情報は、各方面とも不利であった。
是に於て軍司令官は断然主攻撃の方針を一変し、全力を右翼に傾注して二○三高地を強奪すべく決心し、軍参謀長を第一師団司令部に急行せしめた。
大本営派遣の鮫島中将と総司令部参謀福島少将は之に同行せられた。
227日本@名無史さん:04/11/27 18:55:53
午後、二○三高地に対する砲撃は大いに正確となり、敵の塹壕を破壊した。
228日本@名無史さん:04/11/28 08:49:47
○二十八日
午前三時迄に第一師団右翼隊は二回突撃したが、二回とも悲惨なる結果に終わった。
午前九時頃第三回の突撃を決行し、敵の第三散兵壕に達したが敗退した。
中央隊の寺田中佐は赤坂山に於いて重傷を負い、戦死せられた。
午前十一時、軍司令官は総予備隊中より歩兵一大隊を第一師団に増加。
「如何なる事あるも攻撃を中止することなかれ」と命ぜられた。
229日本@名無史さん:04/11/28 19:25:43
午後六時半軍司令官は更に歩兵一大隊を第一師団に加えた。
夜に入り、第一師団は最後の突撃を決行して、二○三高地東北角と西南角の位置
にまで進出。併せて赤坂山を奪取せんとした。
230日本@名無史さん:04/11/29 07:11:28
○二十九日
午前二時頃、攻撃失敗の報告来る。
午前三時頃、津野田参謀は軍司令官に招致せらる。
その後、軍司令官は第七師団を加えた攻撃再興の準備を命令。
231日本@名無史さん:04/11/29 20:56:06
満州軍総参謀長、当地に急行せらるる旨の通報到来。
夜半、総参謀長より攻撃実行に関する諸種の注意が寄せられた。
232日本@名無史さん:04/11/30 08:56:34
○三十日
早朝より軍司令官は高崎山に赴き、この地より督戦せられた。
午前十時、右翼隊と中央隊は敵の第三散兵壕に肉迫。
彼我余りに接近していたから、最早小銃機関銃を発射すべき余地はなく、
主として爆弾を使用し、或いは木片、石塊を投擲した。
233日本@名無史さん:04/11/30 17:01:53
午後三時頃、我が兵再び東北・西南角を占領。
軍司令官は速やかに観測所を設置して軍艦射撃を決行すべく命ぜられた。
我が山砲の狙撃的猛射により、敵増援隊の窮縮の状は言語に絶した。
午後五時頃、大本営、総司令部、連合艦隊に向かい「確実に二○三高地を
占領した」と電報した。
234日本@名無史さん:04/11/30 19:34:39
軍司令官は午後六時過ぎ下山、帰営。
午後七時頃、敵は薄暮に乗じ大々的に逆襲を敢行して二○三高地を奪還。
235日本@名無史さん:04/11/30 22:27:47
軍司令官は八時半柳樹房に帰営。
午後十一時頃、白井参謀は軍参謀長に従って高崎山に急行せられた。
236日本@名無史さん:04/12/01 02:00:35
十二月
○一日
午前二時頃より、軍司令官、第七師団長と通話。続けて第九師団長と通話。
早朝より、各方面よりの祝電に接す。
午前十一時半頃、総参謀長は長嶺子の仮停車場に到着せられた。
大庭参謀これを迎えた。津野田参謀随行。
総参謀長はまず柳樹房の軍司令部に至り、午食ののち第一師団司令部に赴かれた。
第七師団長は軍司令官に向かい、午後三時の突撃予定を延期する事の許可を乞われた。
軍司令官は之を認可すると同時に、再開時期の選択を委任せられた。
夜、総参謀長は歩兵第十七連隊を当方面に招致すべき措置を取られた。
237日本@名無史さん:04/12/01 02:06:05
深度750スレ いくらなんでも危険でしょ?
238日本@名無史さん:04/12/02 21:10:59
○二日
攻撃再興を見ず。
軍司令官は工兵二中隊を第七師団長の隷下に属し、且つ第一、第七両師団の
作戦地境を画定せられた。
239日本@名無史さん:04/12/04 04:32:36
○三日
中央地区の野戦重砲兵連隊と、左翼の九珊砲二中隊とを右翼方面に移せしめた。
第十一師団配属の機関銃数門を、第七師団に転属せしめた。
鮫島中将は土屋中将に代わり第十一師団長に補せられた。
240日本@名無史さん:04/12/04 04:34:57
○四日
第七師団長は二○三高地攻撃実施を五日午前九時と定めた。
英国ニコルスン中将、観戦のため来営。
241会奉行:04/12/05 08:09:45
本日は。
第二十七連隊集成第三中隊。203高地西南山頂占領100周年記念日。
第二十八連隊集成第一中隊。203高地東北山頂占領100周年記念日。
集成第二十五連隊。203高地中央山頂占領100周年記念日。

であります。
242日本@名無史さん:04/12/05 08:23:28
自問自答うざーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
243日本@名無史さん:04/12/05 09:31:58
○五日
天明と共に砲撃開始。
午前十時、突撃隊は西南角を占領。
午後二時に至り、東北角と中間の鞍部を占領。
西南角に急設した観測所を基点として港内敵艦への砲撃を開始。
244日本@名無史さん:04/12/06 04:21:45
○六日
早朝より、正式設備を以てする軍艦射撃を開始。同時に突撃隊も進出。
午後一時、赤坂山占領。
午後三時、寺児溝北方及三里橋北方の高地にまで進出。
午後三時頃、軍司令官二○三高地を巡視。
245日本@名無史さん:04/12/07 00:58:03
○七日
我が軍の右翼部隊三里橋北方高地に進出するや、敵は軍使を派し、各方面共
一時休戦して死骸を収容せんことを提議。
軍司令官は二○三高地方面のみ提議に応ずと回答。
敵は之を不服として前の提議を撤回した。
満州軍総参謀長は高崎山より柳樹房に移り、軍司令部内の執務状況を査閲。
246日本@名無史さん:04/12/07 01:28:07
愛は〜死ーにまーすか〜
247日本@名無史さん:04/12/08 00:21:36
○八日
高崎山に在りし第一、第七両師団司令部を分離。
軍艦セバストポリー、港外に逃れ饅頭山下に仮泊。
248日本@名無史さん:04/12/08 23:09:21
なんで明治大帝は乃木を擁護したの?
249日本@名無史さん:04/12/09 23:51:55
○九日
総参謀長は幕僚に一場の訓示を与えて後、歩兵第十七連隊とともに北上の途に就く。
軍参謀長は参謀会議を開き、将来の作戦を討究し大体の方針を決定。
250日本@名無史さん:04/12/10 00:07:42
○十日
軍司令官は今度の策動に関する基礎的命令を下す。
第十一師団は北堡塁、第九師団は二龍山、第一師団は松樹山を唯一の攻撃目標と定め、
鋭意対壕作業の進捗を図るべきことを明示し、諸隊の配合を決行。
251日本@名無史さん:04/12/12 00:31:37
○十一日
貴衆両院より感謝状。
○十二日
水師営方面の第一線部隊長は俘虜名簿交換、及び死屍収容等に関し敵と直接談判。
結局不調に終わった。
252日本@名無史さん:04/12/14 02:16:10
○十三日
津野田参謀は右翼方面の状況視察に赴く。
帰来、第一師団を椅子山に、また第七師団を速かに太陽溝より鴨湖嘴に進出
せしめられん事を具申し、直ちに採決を得た。
敵の太平洋艦隊はこの日を以て全く終滅に期した。
○十四日
磯村参謀病気のため帰国。
253日本@名無史さん:04/12/15 04:57:32
○十五日
第十一師団長、東鶏巻山北堡塁攻撃の策案を披陳。軍司令官と軍参謀長はこれを認可。
第一師団より、椅子山に向けての対壕作業開始の報告あり。
第七師団より、十七日より楊樹房東方高地攻撃する旨の報告あり。
夜、連合艦隊はセバストポリーを襲撃、航海力を失わしめた。
敵、軍使を以て市街砲撃を抗議。
254日本@名無史さん:04/12/17 23:10:27
○十六日
早朝、軍司令官は参謀を特使として先の抗議に回答。
○十七日
午前九時、第七師団は敵の抵抗を受けずに楊樹房東方高地を占領。
軍司令官は「敵軍正に窮縮し、余命幾何もない様である。諸隊はこの際
大英断を以て積極的行動に出でん事を望む」と激励的訓示を発す。
255日本@名無史さん:04/12/18 13:48:32
○十八日
東鶏巻山北堡塁攻撃日。
早朝より軍司令官は幕僚を従えて攻城山に登り戦闘を督す。
午前九時、砲撃開始。
午後二時、胸檣爆破。突撃隊突入するも、この第一の突撃は失敗に帰した。
256日本@名無史さん:04/12/18 22:00:17
増援部隊を以て、午後十時頃より十二時の間に逐次に地歩を進め、遂に之を奪取。
この夜、右翼方面では第七師団が高丁山を占領した。
257日本@名無史さん:04/12/19 00:06:32
○十九日
左翼方面の北堡塁方面には何等の変化なし。
右翼方面の高丁山に、敵兵百余名の夜襲あり。
一時奪還されたが、間もなく我が兵之を回復した。
258日本@名無史さん:04/12/23 03:50:59
○二十日
連合艦隊司令長官、戦況実視のため来営。
敵の俘虜より、十三日のコンドラテンコ少将の戦没を知る。
○二十一日
事無し。
○二十二日
未明、右翼方面の後備歩兵第一旅団は後三羊頭北方高地を占領。
○二十三日
第七師団の右翼隊は楊樹溝東方高地に進出。
夜、敵は、松樹山の我が軍の坑道に反対坑道を設けてその進行を妨害した。
259日本@名無史さん:04/12/25 00:01:49
○二十四日
第九師団長は二龍山の攻撃計画の認可を請い、軍司令官は之を許可した。
○二十五日
後備歩兵第一旅団は新市街に近き大劉家屯を占領。
第七師団は後三羊頭村に進出。
軍司令官は旅順市街と老鉄山半島の交通遮断を命じた。
260日本@名無史さん:04/12/28 05:07:36
○二十六日
事無し。
○二十七日
事無し。
261日本@名無史さん:04/12/28 20:12:19
○二十八日
二龍山攻撃当日。
早朝より軍司令官は幕僚を従え攻城山に位置。
従来の準備砲撃なく、午前十時に俄然大爆発を決行。
同時に、第一の突撃部隊は急進して敵の軽砲線を占領。
我が砲兵は、敵の咽喉部を目標として増援隊の進出を妨害した。
午後四時、第二の突撃部隊は敵の重砲線に進出。
午後七時、敵は咽頭部の掩蓋に放火して大部は退いたが、約四十名は退路を
失い翌日未明まで頑強に抵抗した。
262日本@名無史さん:04/12/29 00:28:10
○二十九日
第一師団長より、松樹山攻撃予定の報告あり。軍司令官之を認可。
263日本@名無史さん:04/12/31 10:58:06
○三十日
第一師団左翼隊と攻城砲兵諸隊は攻撃準備。
先に二龍山を攻略した第九師団は、第一師団の松樹山攻撃と当時に盤龍山東西
堡塁より進出して支那旧囲壁を爆破して前途の障害を除去せんことを具申。
軍司令官之を許可。
264日本@名無史さん:04/12/31 10:59:17
○三十一日
松樹山攻撃当日。
軍司令官は攻城山に位置。
午前十時胸檣爆破。
265日本@名無史さん:04/12/31 21:15:45
我が軍の砲撃は咽喉部に集中、突撃隊は頂界線に進出。
午後六時頃占領。
同刻頃、第九師団は支那旧囲壁を爆破。夜半に進出して二龍山前の烏帽子山を占領。
266日本@名無史さん:05/01/01 10:40:56
○一日
昨夜半より激甚なる銃砲声起こる。各師団司令部に状況の報告を求めたが、
いずれも未だその時期に達せずとの返答にして、的確なる事情を知り得ず。
午前四時頃、第九師団より「先に烏帽子山に進出したる我が部隊が、敵の
退却に尾し独断を以て支那旧囲壁を越え、望台に向かって進出したる結果
である」との電話。
軍司令官は攻城山に向かう。
この時我が兵は、二龍山東南方のH砲台に肉迫し雌雄を決する最中。
午前七時頃、H高地を奪取。
敵は望台に退嬰してこれを固守したが、我が兵もまた之を尾す。
第九師団の左翼に連なる第十一師団の諸隊も驀進。
午前十一時頃、両師団の先頭部隊は八合目に達し、以後しばらく一進一退。
267日本@名無史さん:05/01/01 21:17:13
午後三時半頃、我が兵望台の頂上に達す。
午後四時に至る間、第一師団司令部より報告あり。
「水師営の南方我がC保塁に敵の軍使来たれり」
午後四時半頃、軍司令官は下山、柳樹房に復帰。
第七師団は、後三羊頭村南方の高地を占領。
晩餐は年始と戦勝とを同時に慶祝。
午後八時半、ステッセルの親書到来。津野田参謀は晩餐を中座して自室に戻り之を披見。
赤十字条約に関する抗議ならんとの予想に反し、開城の申込書であった。
親書を軍司令官および軍参謀長に呈示報告し、命を待って大本営、総司令部、連合艦隊
に打電。
開城規約起草委員は会同し、回答書を起稿。既に用意したる開城規約草案を具体的に
討究して午前三時に及んだ。
268日本@名無史さん:05/01/02 14:09:50
○二日
早朝、山岡参謀は回答書を持して水師営に至り、敵の将校に交付。
午前八時、軍参謀長は全権委員として水師営に向かう。
国際法顧問有賀博士、連合艦隊参謀、津野田参謀随行。
旅順港内に数回の大爆音を聞き、遠く黒煙の昇るを認めた。
午前十一時目的地に達し、会場の設備に着手。
午後一時過ぎ、露軍全権以下七名が会場に到達。
午前一時半頃、第一回の会見。
午前二時半頃、第二次の会見。
午後三時半頃、第三次の会見。
両軍全権の間に意見の合致を見たのは午後四時半であった。
269日本@名無史さん:05/01/02 21:30:44
午後九時四十五分、彼我両全権は開城規約及同付録に記名調印、互に之を交換。
午後十一時、帰途に就く。 全権は翌午前三時、柳樹房に帰着。
270日本@名無史さん:05/01/02 21:43:56
これにて、明治三十七年六月六日より翌年一月二日に及んだ旅順攻略戦の記録を
終える。
以上の記述は、第三軍司令部作戦参謀であった津野田是重氏の著書「斜陽と鉄血」
に拠った。

第三軍死傷者数
 自明治三十七年六月六日
 至明治三十八年一月二日
 (「明治三十七八年 日露戦史 第六巻」巻末付録より)

             死      傷        計
第一師団      2320   7370     9690
第七師団      2081   4676     6757
第九師団      4644  12579    17223
第十一師団     4072  10259    14331
後備歩兵第一旅団  1088   5514     6602
後備歩兵第四旅団   860   2067     2927
攻城特殊部隊      53    425      478
野戦砲兵第二旅団    39    137      176
機関砲各隊       35    148      183
海軍陸戦重砲隊     56    288      344
臨時配属工兵中隊    75    243      318
後備工兵各中隊     77    302      379

計        15400  44008  総計59408
271日本@名無史さん:05/01/03 11:33:01
違法なコピーだな。版権を持っている出版社に問い合わせしておこう。
272日本@名無史さん:05/01/04 01:28:07
痛い奴キター
273日本@名無史さん:05/01/04 07:20:36
どう痛いンだ?
274日本@名無史さん:05/01/04 14:10:59
厨ウゼー
275日本@名無史さん:05/01/08 07:41:46
age
276日本@名無史さん:05/01/24 00:18:57
以下余談。開城後より第三軍北上開始まで。
○三日
午前五時、津野田参謀は軍司令官の命に依りステッセル邸へ出発。
午前十時半頃、ス邸に到着。ス将軍に勅語を伝達し、また指揮権受領の声明を
ス将軍より得る。後日の会見については時日場所を留保し午後一時半頃退去。
軍司令部帰着後、会見の場所、時日を決定。
既に旅順市中には我が輜重諸隊入り露軍野戦病院に衛生材料を供給していた。
第一師団の部隊は担保の地域なる椅子山、案子山の砲台を占領し開城の実施を促した。
277日本@名無史さん:05/01/24 00:20:49
○四日
午前八時、津野田参謀と遼東守備軍司令部事務官は旅順市街に出発。
午前十一時頃ス邸に到着。鶏、葡萄酒、白菜などを贈る。
ス将軍と種種の談話あり。
両軍首将の会見を、期日は明日午前十一時、場所は水師営開城談判所と約す。
278日本@名無史さん:05/01/24 00:23:56
○五日
午前七時、津野田参謀はス将軍の案内かつ護衛のため先行。
午前八時、軍司令官等出発の予定。
午前十時五十分、ス将軍会見場に到着。
午前十一時半、軍司令官会見場に到着。直ちに会見。
午後一時頃、中庭にて記念の写真を撮影。その後告別。
津野田参謀はス将軍を官邸に送る。
本日は開城実施の第一日であり、堡塁、弾薬等種種の授受の手続き並に実行
に着手。
この日、旅順要塞の堡塁、砲台及艦艇の全部、他露国将校下士卒、日本人、
非戦闘員らを引継。
279日本@名無史さん:05/01/24 00:26:10
○六日
旅順陥落に関する勅語を拝す。
開城実施第二日。将校、下士卒などを受領。
○七日
皇太子殿下より令旨を賜る。
開城実施第三日にして、将校、下士卒らを受領。
他に要塞内部に散在する傷病者を点検、海軍職工を発見。
○八日
皇后陛下より令旨を賜る。
旅順鎮守府条例発布。柴山海軍中将は司令長官に補せられた。
○九日
特記すべき事なし。
280日本@名無史さん:05/01/24 00:27:11
○十日
ス将軍一行の出発準備整う。
○十一日
午前八時、ス将軍出発、長嶺子駅に向かう。津野田参謀同行。
道中、フォーク将軍と種種談話。
長嶺子駅には軍参謀長以下多数の見送りあり。
ス将軍一行は準備の列車に乗り大連に向け出発。津野田参謀同行。
道中、ス将軍、フ将軍、レイス将軍らと種種談話。
大連到着、一行は直ちに鎌倉丸に乗船。
○十二日
早朝、津野田参謀は一行と告別。
281日本@名無史さん:05/01/24 00:29:47
○十三日
入城式を施行。
北方の状況は急迫を告げ、総司令部よりの招電頗る頻繁。
新第三軍の編成に基き北進の計画を立て、その準備に着手。
○十四日
水師営南方に於いて戦死病没者の招魂祭を施行。
「維時明治三十八年一月十四日、第三軍司令官陸軍大将男爵乃木希典等、清酌
庶羞の奠を以て我が第三軍殉難将卒諸士の霊を祭る。
曩に我が軍の遼東半島に上陸せしより茲に百十有余日、其の間諸士は能く勇往
し能く健闘し鋒鏑砲火の下に命を致し或は風惨雨虐の間に病没せし者少しとせ
ず。而も其の功業遂に空しからず茲に旅順港内の敵艦隊は全滅に帰し敵要塞の
攻略を見るに至りしもの誠に諸士の遺烈に由る。
希典等諸子と生死を共にし而も大元帥陛下より優渥なる勅語を下賜せらるるに
会う、顧みて諸士が遺烈を思えば豈独り此の光栄を享るに忍んや。
嗚呼諸士と此の光栄を頒んとして幽明相隔つ、悲哉、乃ち全軍の旅順に入るや、
諸士が忠血を以て染みたる山川と要塞とを下瞰する所を相し、先づ地を清め壇
を設けて諸士が英魂を招く、希くは魂や髣髴として来り饗けよ」
夕刻、北方より急電あり。
「遅くも二月中旬までには遼陽付近に集中を終わるべし」
282日本@名無史さん:05/01/24 00:31:42
○十五日
軍司令部に大異動あり。軍参謀長は旅順要塞司令官に転じ、大庭、白井両参謀
は大本営付となり、小泉少将は軍参謀長に、河合参謀は同副長に、菅野少佐は
軍参謀に補せられた。
○十六日特記事項なし。
○十七日特記事項なし。
○十八日特記事項なし。
○十九日
第一・第二軍に従属したる外国武官等、戦跡視察のため来営。
津野田参謀はその接待を命ぜられる。
○二十日特記事項なし。
○二十一日特記事項なし。
○二十二日特記事項なし。
○二十三日特記事項なし。
○二十四日
軍司令官は第三軍の新幕僚を率いて柳樹房を発し北行の途に就く。
283日本@名無史さん
hosyu