952 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 19:42:36
続守言は捕虜として日本にやってきた。
薩弘恪は何故来朝したか不明。
953 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 19:44:43
日本から見れば朝鮮って目の上のたんこぶだよね。
朝鮮半島なんかなければいいのに。
954 :
日本のななし:2006/08/25(金) 20:00:32
日本は朝鮮を征服したことはあるけど
されたことは
一度も
無いよ。
そう考える人は世界史を勉強した方がいいね
955 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 08:06:27
全部倭人で書けるなら、唐人を使う必要はないわけで唐人が勝手に書き換えたかも
956 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 09:03:15
仮にも日本の正式な刊行物の内容を勝手に改変したりすれば発覚した時タダでは済まない事くらい唐人も分かってる筈だろ。
イタズラ心で気軽にやれる事じゃないよ。
957 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 10:32:42
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。
それ以前の帰化人が始まる4C中頃、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。
半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。
古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
958 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 18:04:05
半島に住んでいた倭人はどうなったの?
959 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 18:14:24
>>958 いろいろだろ。
そのまま半島人になったのもいれば
日本に引き上げてきたのもいれば
満州や中国にいっちゃったのもいるだろう
>>953 いや違うと思うぞ。
半島がなければ大陸と距離が離れ過ぎ、日本はもっと遅れた国になっていたはずだ。
もちろん、来やすいのは文化だけじゃなく兵隊さんもなんだが、
古代は三国で列島に進攻する暇ないし、半島統一以降はそれまで高句麗が受け持っていた
対大陸防衛に追われやはり列島と事を構えるなど出来ない。
近世以降は日本と同じく鎖国で、国外に打って出る気なし。
現代も結局、韓国があるから大陸からの地上部隊の上陸そんなに心配しなくてイイ。
口ではどーこー言いながら、歴史的に見て半島国家は日本にとって結構イイお隣さんだったと思うぞ。
961 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 19:26:04
>>957 公式に把握できない人数はその何倍も居ただろう
現在でも不法入国なんてのは良くある話
当時の記録に残っているのは主に奈良中心に把握できたごく一部の人数だけだと思われる
しかも記録に残ってない交流のあった時代が何百年ある
>>961 しかも記録に残ってない交流のあった時代が何百年ある
早い話、弥生時代のことでしょ。
人類学では現代人は平均すれば7:3で弥生系、とは良く聞く話。
963 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 19:57:38
朝鮮半島の古代人骨も現代人骨も弥生期の渡来人骨とは
一致しませんが何か?
朝鮮半島にはBC1Cからある瓦質土器(灰陶)も古墳期まで
伝わっていない。
>公式に把握できない人数はその何倍も居ただろう
ビビンバ妄想。
続日本紀は裏日本の漂流民の事まで事細かに書いているし、
一桁の位までその人数を明記している。
密入国しても食っていくには現地人の力が必要で、
結局、渡来人があれば全て御上に情報が入る。
964 :
とりあえず:2006/08/26(土) 20:02:26
960
いやいや、朝鮮なんか無くたって日本は遅れないよ。
遣唐使とか日中の民間交流は活発だったし{向こうはこっちを見下してるけど}
対大陸防衛とか鎖国とか言ってるけどあの国は古代から国力もないし
中国の属国でしかもそれを喜んでいたし。
韓国があろうがなかろうが大陸軍は来てただろうね。元みたく。
歴史的に見てもかの国は日本に害悪しかもたらさない
965 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 20:18:11
ちなみに、アジア周辺の現代人骨での調査で、弥生期の渡来人骨の
頭蓋に最も近かったのは、オロチョン、ウリチなどの満州北部から
アムールあたりの北方民族の人たちという非常に興味深いデータが
出ている。
朝鮮人は弥生期の渡来人骨とは全くほど遠いデータ結果であった。
966 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 23:13:45
>>961 たとえ公式記録の10倍ほど流入していても大した人数にはならないな。
人口の2%程度だろう。それより日本人とアイヌ人との混血の方がはるかに多い。
967 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 09:08:25
百済滅亡時は数万人が日本に移住したので、先にすんでた渡来人が未開の関東に移住させられた
968 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 11:36:06
日本書紀に隠されていた暗号
なぜ、男性天皇であった伝統が聖徳太子の時代から女性天皇に変ったのか。
このことに疑問を感じないのは不思議である。日本書紀は矛盾点が多く改ざん
されている可能性があるため、内容が難解で改ざんしにくい先代旧事本紀大成
経を調べてみると、推古天皇治世の中に突然、欽明天皇の事績が出てくる。こ
れにも改ざんの魔の手が伸びていた。何か手がかりがないかと見ていると、見
出しが目に入った。帝皇本紀上巻上に継体天皇の事績が書かれている。その後
を推定すると、上巻下が安閑天皇、中巻上が宣化天皇、中巻下が欽明天皇、下
巻上が敏達天皇、下巻下が崇俊天皇となる。次が聖皇本紀上巻上となっている。
聖徳太子の聖の字と一致するから、聖徳天皇に推定する。上巻下は高市天皇、
下巻上は天武天皇、下巻下は長屋天皇となる。このように推定した根拠を示す。
日本書紀によると、欽明天皇と石姫皇后の間に2男1女が生まれ、皇太子は
箭田珠勝大兄皇子と言い、二男は渟中倉太珠敷尊と言う。ここでおかしいのは、
二男の名前が本名でなく、諱(死後の尊称)であり、珠の一字からこれは箭田珠
勝大兄皇子の諱である。すると敏達天皇が亡くなればその皇太子が天皇になる
から、用明天皇の存在が消えてしまうのである。敏達天皇と広姫皇后の皇太子
押坂彦人大兄皇子の又の名を麻呂古皇子と言い、用明天皇と広子の長男も麻呂
古皇子と言う。同じ名前なら入れ替えても同じであると言う事は入れ替わった
と言う暗号である。押坂彦人大兄皇子は麻呂古皇子(朝鮮人)に入れ替わったの
である。彼は皇太子なのに天皇になれず、いつ亡くなったのか分からない。ま
るで聖徳太子とそっくりである。聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で、皇位
継承第1候補者で天皇になっていた。このことを隠すための嘘の女帝が推古天
皇である。用明天皇は聖徳太子の血筋を朝鮮人に卑しめて、天皇になれなかっ
たとするための虚構である。高貴な天皇家が朝鮮人を妻とする筈がない。
969 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 11:38:59
朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。
二人は天武天皇の血筋ではない。
天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。
970 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 16:26:52
★日本神話と稲作文化は中国南方に起源がある★
【諏訪春雄教授プロジェクト】
『東アジア地域の演劇形成過程の比較研究』
Study of a formative period of the East Asian's drama [Prof. Haruo Suwa]
■学習院大学・人文科学研究所=ホームページ■
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/rihum/project_suwa.html 中国の長江中流域で一万年以前に始まった稲作は、長い年月をかけて、
日本などのアジア諸国に伝来した。稲作は、農耕の技術だけが単独に広まったのではなく、
稲作に関わる祭祀も併せて伝来させた。
そうした祭祀の中で、演劇の発生・展開と深く関わったのが来訪神の祭りである。
複数の先祖の神々が、仮面をつけたり、蓑笠を着たりする異装の姿で、子孫の許へ訪れ、
文化を授けた始原の時間を再現する祭りは、稲作の誕生地に始まり、アジア各地に伝わった。
来訪神の祭りは、海を越えて日本にまで到達した。
971 :
日本のななし:2006/08/27(日) 17:12:46
日本神話はいろんなところの神話をつまみ食いして都合がいいように書かれたって知らないの?
972 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 17:15:03
古代朝鮮帝国の属国がなにをいうか。
973 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 17:52:18
【日韓】 金容雲漢陽大名誉教授「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3[08/25]
「お前がいくら嫌いダケド(싫다케도)、私はお前が好きだ。」
ここで「〜ダケド」は「〜だとしても」を短く発音した慶尚道(キョンサンド)の方言だ。
「ダケド」は日本語でも同じ発音と意味で使われる。
金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授は、現代日本語が慶尚道全羅道(チョンラド)の方言と
似ており、日本語は韓国語に由来したと主張する。金教授は最近出版した著書『日本語は韓国語だ』
(カナブックス)で、「ダケド」のように現代日本語に残っている慶尚道と全羅道方言を紹介する。
日本語の「〜だっけ」と「申し」は、全羅道方言の「〜당께(ダンケ)」と「마시(マシ、言葉)」に
それぞれ由来したというのだ。
金教授は7世紀以前まで、古代韓国語の発音が日本語のようにパッチム(終声になる子音字)がなくて
母音が単純で形態がそっくりだったと説明する。また嶺南と湖南地域では、日本の東海(日本海のこと)
隣接地域と往き来してお互いに意思疎通をしたはずだという分析だ。
金教授は、「言語は文化」と言い「日本語は韓国文化を収容した歴史と一緒に発展した」と強調した。
慶尚道でよく使う方言である「이바구(イパク、話)」が日本語の「イワク (曰く、おっしゃる)」と
変形された例は、韓国人が書く言葉を高級語として崇めた彼らの歴史が盛られているという説明だ。
【日本語は全て古代韓国語から始まった】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156556821/100-1001 トホホ・・・(苦笑
韓国語の「ダケド」は、20世紀になって、日本統治時代に日本語から韓国語に移植された
言葉でしょう。
日本語古語では、「だけど」は「されど」であり、日本語「だけど」が韓国語からきた言葉
という説は、非科学的だと思ふ。
むしろ、その存在自体が非科学的
975 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 18:51:47
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。
実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。
それ以前の帰化人が始まる4C中頃、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。
半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。
古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
977 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 07:52:21
つい最近まで日本国内だけでも方言がありなにを言ってるのかわからない
常態だったので、韓国内でも方言があってなにを言ってるのかわからないはずだ
それは一概に言えない。
日本では江戸時代になって封建領主の領地が数百にもなるほど細かく分配され、
領地を股にかける人間の移動が現代とは比べ物にならないくらい制限されて数百年を経た。
それが言語の地域差を拡大していたという影響がある。
ところが朝鮮半島では日本のような封建時代が存在せず、
統一新羅以降は基本的に全国が均質な中央集権体制が続いた。
民衆の貧しさや交通の未発達の為に朝鮮半島でも地域差が完全に解消された訳ではないが、
概ね5つほどの方言区分しか存在しないとされている。
979 :
とりあえず:2006/08/28(月) 10:38:38
972
古代漢帝国の属国が
中国の永遠の属国が
何ほざく?
980 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 13:46:16
>>987 それは俗説。
日本は封建時代でも国内の交通は発展していた。
半島では李朝末期で九つの「言語」があった。
李朝は商工業の発展を阻害する抑圧政策をとり
国内は全般的に貧しかったのでごく少数の役人の往来以外は
人の動きがなかった。
981 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 19:19:29
じょいんのことを、方言でべべ、べっちょ、ぼぼ、もも、おまん、おめん、とか
色々に分かれた原因は元が違うからでいまでも、おそそに統一されていない
982 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 20:48:42
>>977 江戸時代は現在より方言差は大きかっただろうが、上方と江戸ではお互いに
言葉が変だと言い争っているので、逆に見ると口論できるくらい意思疎通が可能
だったということだな。
東北弁も訛りがきついと言われていただけで何を言っているのか分からんとまで
は言われていない。
ただし、
幕末の動乱期に仙台藩と薩摩藩の会談を行なった際に通訳2名を置いて話をした
、というのは事実
通訳を置いたのは武士出身じゃない人間がいたか
もしくは単なる念のためだろうな。
武士同士なら江戸城の武家言葉を
標準語として共通して使えたはず。
江戸城の武家言葉たあ何ですかね?
武士の共通語でそ
>>984 そんなの話すのは殿さまと参勤交代の随行員くらい。
つーか薩摩は隠密を排除するためにわざと薩摩弁をしゃべってたし。
989 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:46:58
結局、朝鮮人の祖先は何人の系譜なんだろう????
それと日本との結びつきは????
ジャパニーズ
>>989 朝鮮人は高麗人にかなりの女真族が混血したもの。
高麗人は新羅人の子孫に若干のモンゴル系が混入したもの。
新羅人は辰韓人をベースに
南北朝期の中国人・倭人・高句麗人・百済人等がごちゃごちゃ混血したもの。
辰韓人は半島先住民をベースに
前漢時代の中国人が多少混血したもの。
半島先住民は多分縄文系か倭人系だろう。
半島先住民=出雲神族
この人たちはどこから来たの?
>>991 出雲神族なんてのは無い。出雲國造はただの倭人。
993 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 19:41:03
991 白木人
↑デンパ
995 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:01:22
長屋親王は天皇であった(桓武天皇の母は百済人で)この百済人に毒殺された
天皇は中国語読みではてんのうだが、日本語読みではあめのすめらきと読む。
天孫降臨説から天を前につけているが、皇の一字で天の下を治める尊と言う意
味である。また、王は1国を治める君主である。皇子は天皇の嫡流の子で親王
はその孫である。王子は嫡流外の子を指す。
昭和63年から長屋親王邸の木簡の発掘調査が行われた。邸宅は5.7ha
の広さで、不比等邸に匹敵する。
宅地東辺に掘られた溝から大量の木簡が発見された。
長屋親王宮大贄鮑十編
これは長屋親王に献上された干しアワビに付けられた荷札で、大贄とは天皇
の食物を表す。長屋親王は皇太子になる前に、天皇の代理を務めていた?献上
する者が親王と尊称し、大贄と書いた。
吉備内親王大命以符 婢筥入女進出
吉備内親王の命令で端女の筥入女を呼び出す。大命とは天皇の命令を表す。
これは長屋天皇の死後、その室である吉備内親王が天皇の代理を務めていた?
長屋親王御命符
長屋親王の命令書に御命が使われており、これも天皇の命令を表す。
長屋皇宮俵一石舂人夫
長屋天皇の宮で人夫が米一石搗く。
後皇子 後皇子命宮
後天皇の子 後天皇の子の宮殿
芳野幸行用貫簣
天皇の芳野御幸(外遊)用荷物
長屋親王邸の木簡が千年以上の間保存出来た理由は、粘土によって密閉され
て、空気と水から遮断されていたからです。溝に廃棄後すぐに、粘土で埋めら
れたと考えられる。すると、この木簡を後世に残そうとした意図が読み取れる。
以上のことから推論すると、長屋親王が前皇(聖徳天皇)の孫で後皇(高市天
皇)の死後、長屋親王が天皇の代理を務めたのは祖父、父が相次いで殺された
からである。後に天皇になったが藤原氏の陰謀によって毒殺された。その室吉
備内親王が天皇の代理を務めていたが、長屋天皇一族すべてが殺された。その
事実を後世に残そうとして、家臣が木簡を土に埋めて隠したのである。
996 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:03:42
資本主義経済は悪魔の偽りの経済だ
資本主義経済は弱者の犠牲の上に成り立つ経済であり、ちょうど江戸時代、
武士が百姓を奴隷にして重い年貢を取り立てて、百姓の生き血をすすっていた
事と同じである。その時は生き血をすすられて犠牲になる者が大勢いたから、
経済がなりたった。今のようにぜいたくになって、犠牲になる者が農家しかい
ない状態では経済が成り立つ訳がない。それが今の不況の原因である。勝ち組
が負け組の生き血をすすっているのだ。悪魔の吸血鬼アメリカに国益を絞り取
られ、国が破産しているのにそれを借金で誤魔化している。最後には国に、金
と資産をかすめとられ、円が大暴落して、日本は物を輸入することが出来なく
なって、食料危機となり大パニックとなる。後は戦争を待つのみ。
2・26事件はその悪魔の資本主義経済が原因で起こった
昭和11年2月26日、青年将校率いる決起部隊が政府要人を殺害する事件
が起きた。首謀者は暗黒裁判によって裁かれ銃殺刑に処せられた。
当時の日本は世界大恐慌の影響で経済が沈滞し、関東大震災によって発生し
た大量の不良手形が原因で銀行、企業が相次いで倒産し、民衆は金に困窮して
生活苦にあえいでいた。農村はアメリカ向け輸出生糸の暴落とそれに連動して
米価が暴落し、東北地方はそれに輪をかけて凶作にみまわれて飢餓に苦しみ、
娘の身売りなどで命の糸をつないでいた。
民衆が塗炭の苦しみにあえいでいる原因は、政権維持にしか眼中にない政党
と、これに結託し民衆の膏血を絞る財閥と、これを擁護して圧迫する官僚と腐
敗する軍部にあり、これらの特権階級が搾取しているからである。したがって
、疲弊した農民を救うためには、税金の免除と米価の安定を図る必要がある。
その障害となる特権階級の奸賊を倒し、国民を愛する天皇の考えが行き届く国
家に建て替えようと青年将校が決起した。しかし、昭和天皇は朝鮮人で偽天皇
だから、奸賊と同類で、彼らの尊い意志を無視して抹殺した。
彼らが頼りにした真崎大将はソ連の工作員で、満州侵略に反対していた皇道
派の軍人を抹殺するために、青年将校をそそのかし、実行させたのである。天
皇を中心とした統制派の軍部の陰謀である。
997 :
とりあえず:2006/09/02(土) 16:29:58
966
その偽りの経済が繁栄して共産主義国家が独裁制で落ちぶれてるのは何故?
998 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 16:54:04
偽りも何も、弱者の生き血を啜る事が経済活動の本質そのものなんだよ。
例えば全世界の全ての人間が均等に100億円ずつ所有している社会を想定してみるが良い。
現実の世界で100億円あれば一生働かなくても遊んで暮らせる程の財産である筈だが、
全人類が100億円ずつ持っていたら全人類が働かずに遊んで暮らせるようになると思うか?
皆が100億円持っていたら、街中でタクシーに乗ったりハンバーガー屋で朝食するにも数百円では済まない世の中になるだけだ。
100億円持ってる奴がわざわざ一日数万円の端金を稼ぐ為にタクシー乗務員やハンバーガー屋のバイトで人生の残り時間を費やす理由が無いからな。
999 :
とりあえず:2006/09/02(土) 19:39:30
998
正論すぎる。共産主義者どもはこれにどう反論するのだろうか?
1000 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:39:53
他の板どうなってんの?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。