【初心者】スレッド立てる前に質問をPart6【歓迎】

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225日本@名無史さん
>>191
誰も答えていないので・・・

「紋船(あやふね)一件」。
琉球との貿易を印判(朱印状)の発行で管理しようとする
薩摩島津氏とそれを敬遠する琉球が対立した事件。
紋船とは琉球が薩摩に派遣した官船で、舳先に青雀黄龍の
装飾がされていたためこう呼ばれた。
印判をめぐる両者の対立は以前よりあったのだが、この時は
島津氏が紋船を当主の代替わりごとに派遣して慶賀すべし
と主張したこともあって問題はいっそう深刻になった。

事件後、島津氏は制裁措置として商船の琉球渡海を禁じた。
これにより、琉球は朝貢貿易によって買い取った唐物を
捌けなくなった。他国へ売ろうにも売ることが出来ない。
琉球はかつて東南アジア方面にも販路を持っていたのだが、
16世紀以降ポルトガルや倭寇の進出により貿易は不調となり
1570年を最後に断絶してしまっていた。
つまり当時の琉球は日本(薩摩)との交易に頼らざるを得ない
状況にあり、その足元を見た薩摩が高圧的な姿勢に出たわけだ。

結局、近々に冊封(とそれに伴う貿易)をひかえていた琉球は屈服し、
毎年のように薩摩へ使者を送って商船渡航を要請するほかなかった。
また国王から島津氏への書状や進物もいっそう丁重となり、
経済政治両面での薩摩の優位がほぼ確定することになった。