【初心者】スレッド立てる前に質問をPart6【歓迎】
ほぼ日本史に関する質問だけなので、
必要ないと思うので前スレにあった関係スレ貼りません。
3 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:00
>>1 おつかれさま〜
関連すれも一応はっといた方がいいと思うけど?
前スレはdat落ちですか?
4 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:01
5 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:02
6 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:02
7 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:02
8 :
日本@名無史さん:04/03/06 16:23
9 :
日本@名無史さん:04/03/06 23:42
大日本皇道館に付いて教えて下さい。
10 :
日本@名無史さん:04/03/06 23:57
平井理央がフジのアナウンサーになるって本当ですか?
11 :
日本@名無史さん:04/03/07 07:21
12 :
日本@名無史さん:04/03/07 18:49
あげ
13 :
日本@名無史さん:04/03/07 19:59
たそがれ清兵衛は50石取りで貧乏暮らし5公5民としても25石ですが・・・
庄屋でも50石ぐらいのは結構いるのでは?そんな貧乏ですか?50石は。
たそがれは20石ぐらい何かの理由でとられてたからかな?
>>13 庄屋のことはわからないが、清兵衛は蔵米取り(米を現物支給される)なので、
50石がそのまま収入だよ。
15 :
日本@名無史さん:04/03/10 15:53
age
16 :
日本@名無史さん:04/03/10 17:39
ハインケルはどうしてナチス上層部に嫌われてたんですか
17 :
日本@名無史さん:04/03/10 18:20
ワロタ
19 :
日本@名無史さん:04/03/11 04:56
日本史とは少し違うかも知れないけど、よろしくです。
昔の日本海軍が出てくる小説などを読んでいると、
「三時の方向に、敵艦・・・」などという表現が出てきます。
毎回、三時の方向って、どっち?、と思うんですが、
どこを調べたら、このようなことが解説されているのか分かりません。
ご存知の方、教えてください!
20 :
日本@名無史さん:04/03/11 05:15
>19
進行方向が基準
21 :
日本@名無史さん:04/03/11 06:01
おー、とすると、進行方向を12時として、
3時の方向というのは、進行方向の右ということなんですね。
そういうことだったのか! ありがとうー!
>19
南や北を12時としている場合もあるから
軍板で聞いた方がよいのでは?
23 :
日本@名無史さん:04/03/11 22:25
_
/`: '\
/ : ヽ
O .: O ///|
| : | / ///
|⊃ .: ⊂| / /
/ lニ) : (ニl \ / /
/ ,ィ'lニ) .: (ニl ト、 \/\/
/|lニ) (ニl| \ /
| ニl ) ( lニ.| `ー'
|ニ二 V二ニ|
↑
これってザラブ星人でしたっけ?
(´-`).oO なんで特撮板で聞かないんだろう・・・
久しぶりに来たら前スレdate落ちしてましたか。
>>13 どうも、米価換算だと50〜100石取りと言うのは貧乏なイメージが強いけど、
そこら辺は元禄期まではむしろ中級に分類できる身分のようですね。
もちろん各藩によって事情は違いますが、100石取りだと100〜200坪の屋敷を
与えられたりしていますね(尾張藩の場合)。元禄から享保時代に生きた
武士が書いた「鸚鵡朧中記」という日記を読むと、100石取りだけど実収は
役職に就いた晩年で60石。勤めは8日に1度で、飲み食いに観劇と、かなり人生を
謳歌しているような感じです。
元禄以降の物価上昇と貨幣経済の発達で、武士階級は相対的に貧乏になり、
藩による扶持米の一部借り上げなどで、実際の収入はどんどん減って困窮したようです。
まぁ、映画の話ですし、どの時期か特定できませんが文化文政以降なら、
50石で実収は半分以下で、貧乏と言うのはありうるかも。
>>23 たぶんメトロン星人Jr.ではないかと(笑)。ザラブ星人は銀と金の体色↓
http://f1.aaacafe.ne.jp/~snapfit/b-sakuhin/b03-003a.htm むしろゴドラ星人の方が似てないか?
てか、メトロン、ゴトラ、ペガッサって造形が似てるなぁ(独り言)。
27 :
日本@名無史さん:04/03/12 00:14
>>26 尾張藩は地方知行制なので、比較対象にならないよ。
「鸚鵡朧中記」にも、自分の知行地に赴いて、免率とか、
年貢徴収に立ち会った記事が載っていると思うのですが、、、
29 :
日本@名無史さん:04/03/12 01:10
>>26 >50石で実収は半分以下
蔵米取りの場合、そのまま50石が実収だって!
それとも、扶持米を換金したときに収入が目減りしたということを言いたいのかな?
30 :
日本@名無史さん:04/03/12 08:47
平等院鳳凰堂の左右対称の作りの名称を教えてください
すごく気になってます!!
>>25 司令部などの第三者が、個個の進行方向を全て把握して三時だ九時だと言うのかい?
32 :
日本@名無史さん:04/03/12 21:30
33 :
日本@名無史さん:04/03/12 22:17
皇居は明治新政府が接収する前は江戸城でした。
これは誰でも知っています。
それでは、赤坂御用地は接収前は何だったのですか?
まんまだなw
なーんだ、やっぱりそうだったのか。
38 :
日本@名無史さん:04/03/13 01:10
海野平の合戦について詳しく教えてください。
39 :
日本@名無史さん:04/03/13 06:15
>>29 >蔵米取りの場合、そのまま50石が実収だって!
蔵米取りの場合、ふつう石では表現しません。
40 :
日本@名無史さん:04/03/13 11:22
>>39 「ふつう」って?具体的な事例をあげてください
41 :
日本@名無史さん:04/03/13 12:23
戦前に存在した皇室の離宮、御用邸を全部教えて下さい。
42 :
日本@名無史さん:04/03/13 14:33
こんな日本に誰がした(渡部昇一、谷沢永一)っていう本は
この板ではどのような扱いなのですか?
43 :
日本@名無史さん:04/03/13 15:29
>>40 蔵米取りは「石」ではありません。
「石」は知行取りの場合です。
44 :
日本@名無史さん:04/03/13 16:33
>>41 漏れがあるかもしれんが
大宮御所
高輪御所
赤坂離宮
霞ヶ関離宮
浜離宮
芝離宮
新宿御苑
箱根離宮
日光田母沢御用邸
葉山御用邸
沼津御用邸
名古屋離宮
二条離宮
京都御所
桂離宮
修学院離宮
武庫離宮
45 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:10
此処に居る皆さんってすごく日本史に詳しいんですけど、独学ですか?
私は現在中学3年生で、教科書や学校で配布された資料集や問題集を見ても常識範囲のしか載ってません。
高校になったらもっと詳しく習うんでしょうかね?
日本史には興味あるのでもっと詳しく知りたいんです。
46 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:23
図書館にある通史「日本の歴史」の各巻を読むだけでも、かなりの知識が得られる。
あと、自分の興味のある時代やテーマは、講談社や中公の新書を読むのがいい。
>>46 ありがとうございます<(_ _)>
参考にさせてもらいます。
48 :
日本@名無史さん:04/03/13 20:34
49 :
日本@名無史さん:04/03/13 21:32
>48
裏事情板へ逝け
50 :
日本@名無史さん:04/03/13 21:38
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
■ この事件の裏側の衝撃的な真相
■ ヤフー460万人データ流出事件の犯人は、
■ 池○大作S価学会の闇の謀略部隊だった
--------------------------------------------------------------------------
大新聞は流さないがこれは疑惑の宗教法人S価学会の腐敗した恥部を再び示した
偉そうに清潔なフリをしてこの国の政治のキャスチングボートを握って
いるように振る舞っている公○党の支持母体の暗部が突然明るみに出た一部始終
--------------------------------------------------------------------------
日刊ゲンダイが1面で特集 (ヤ○ーBBとS価の関係)
1面(カラー)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/901.jpg 2面
http://ahiru.zive.net/joyful/img/902.jpg 創○学会元幹部: 竹○誠○(55)
現在、聖○新聞広告部長。
また、共犯のY浅輝昭(61)も○価学会信者
との報道(1面記事参照)
布教活動や選挙活動に使用できるのでYBBの名簿に目をつけた(記事より)
52 :
日本@名無史さん:04/03/13 21:42
アントネスクが鉄衛団を弾圧するようになった経緯を教えてください
53 :
日本@名無史さん:04/03/13 22:06
義経の「八そう飛び」って何ですか?
壇ノ浦の戦いの頃、安徳天皇は何歳だったんですか?教えてください。
56 :
日本@名無史さん:04/03/14 11:20
57 :
日本@名無史さん:04/03/14 13:59
「日本の歴史」シリーズみたいなやつを全巻ドカンと揃えて置こうと思うのですが、
どの出版社のがいいですかね?左右に偏った史観は避けたいのですが…
>>44にも名の出てる芝離宮、ここにある石柱はなんですか?
59 :
日本@名無史さん:04/03/14 15:50
>>57 岩波講座ならブクオフでスリップつきの新刊同然の
やけてないのが一冊\100で売っている。
60 :
日本@名無史さん:04/03/14 22:35
大河の新撰組で近藤勇は農民出身と言うことで幕府の剣術なんたらになれませんでしたが
千葉周作も農民出身・・・江戸時代剣術で名を成したのは多くは農民出身では?
61 :
日本@名無史さん:04/03/14 23:05
||// ∧_∧|∧_∧
||/ ( ´・ω・)( ) うんこくさい
|| ( )|( ● )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'
_____
||// ∧_∧|∧_∧
||/ (n´・ω・)n ) 何かクサいなぁウンコついてない?
|| (ソ 丿|ヽ ● )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'
_____
||// ∧_∧|∧_∧
||/ r( (n´・ω・`n) ウンコついてないけど何かクサい不思議・・・
|| ヽ ● )|( )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'
63 :
日本@名無史さん:04/03/15 17:44
信長で有名な幸若舞「敦盛」の全体を知りたいのですが、
ネットで調べてみても、あの有名な部分しか見つかりません。
このことが載っている本やサイトをご存じの方、教えてください。
64 :
日本@名無史さん:04/03/16 20:52
>>9 もとは建国会という赤尾敏を中心とする右翼団体。
1925年ころ,社会主義的方向から〈皇室中心の国家主義運動〉へと転じた赤尾は,
左翼のメーデーに対抗して,建国祭挙行の必要を各方面に説き,26年2月11日,
第1回建国祭を挙行した。
と同時に赤尾はそれとは別に建国会を創立した(会長上杉慎吉,顧問頭山満・
平沼騏一郎ら,理事長赤尾,書記長津久井竜雄)。その後,赤尾らの反ソ・反共
の過激な直接行動への不満から,上杉をはじめ有力者が脱会し,赤尾の個人的
団体の色彩を濃くした。
29年には津久井らも脱会。この結果,同会は国家社会主義的傾向を弱め,反共
一点ばりの運動を展開することになると同時に,会勢も衰退の傾向をたどる。
38年以降,同会は,日独伊三国同盟,反英運動,翼賛運動,日ソ中立条約など
に批判的な独自の立場をとった。
言論出版集会結社等取締法にもとづき,42年5月,政治結社を思想結社に改組,
7月には大日本皇道会と改称した。終戦後,会は解散させられた。
>>64 長文レス激感謝、感激。
追加質問スマソですが、大日本皇賛会に付いても教えて下され。
それと大日本皇道館や大日本皇賛会が発行した明治大帝の御尊影に付いても御教示賜りたい。
66 :
日本@名無史さん:04/03/16 21:02
>>56 >日本女性の下着
1923年の関東大震災,32年の白木屋の火事が契機となり,着物にも
ズロースをはくことがすすめられ普及した。
>ふんどし
延喜式では、褌を「したのはかま」「あわせのしたのはかま」と訓。
「ふんどし」という用語は、江戸初期ごろから。
67 :
日本@名無史さん:04/03/16 21:37
>>66 >1923年の関東大震災,32年の白木屋の火事が契機となり,着物にも
>ズロースをはくことがすすめられ普及した。
最近その説は俗説であると否定する研究が出た気がするが
まあ おおよそそのぐらいの時期というくらいに思えばいかが
69 :
日本@名無史さん:04/03/17 00:00
>>53 八艘飛び=壇ノ浦の戦いでの名シーン。平氏の勇将能登守教経(一の谷の戦いで死んだと言う説もある。
後世の脚色の可能性が高い)が乗った船が、義経の船に体当たりした際、教経は義経に襲いかかろうと
したが、義経は弓の長さの二倍ほども離れた他の船へヒラリと飛び乗って逃れた。その身のこなしに
教経は、義経追跡をあきらめた。『平家物語』第十一巻、『源平盛衰記』第四十三巻にある話だが、
両書とも義経が一艘飛んだことを記すのみ。だが、謹製の歌舞伎の脚色などでふえたらしい。
義経には他にも、自分の弓を取り落とした際、船から船にピョンピョンと飛んで、落とした弓を
無理して拾ったと言う話があり、なぜそんな無茶をしたのかと言う部下の問いに、叔父の鎮西為朝の
ような強弓なら良いが、自分の張りの弱い弓では「あれが源氏の大将の弓か」とあざ笑われるので、
無理して取りにいったと答えたと言う話もあり、これを八艘飛びと言う話もあるようだが、
これは「弓流し」と言うエピソード。なんか混同して書いてるサイトが多数ある。正確には前述の方。
安徳天皇=高倉天皇と平清盛の娘、建礼門院徳子の間に生まれた第一皇子。外祖父清盛の意により、
生後一ヶ月で立太子。清盛が治承三年(1179)クーデターで独裁体制を築くと翌年三歳で天皇位即位。
寿永二年(1183)、源義仲の軍勢に京を追われ、平家一門とともに西国を転々とし、文治元年(1185)
祖母の平時子(二位の尼)に抱かれて壇ノ浦で入水。このとき三種の神器のうち宝剣が海中に没した。
数え年八歳。
>>56 白木や説は最近は俗説という指摘も多い。あと、女性も生理の時は褌のような下帯をつけていた。
下着としての機能と言うが、陰部を隠す機能としての下着という概念は、実はかなり近代的な物。
昭和40年代ぐらいまでは、田舎のバァさんはわりと平気でトップレスで出歩いていた(松本人志も
小学校時代の思い出として、ふつうにしなびた乳をぶら下げた上半身裸のバァさんがいたと言ってた)。
日本人に取ってオッパイってのは性器と言う感覚はなかったし、同様に、下半身ももちろん隠すべき
秘部ではあったけど、西洋のようにそこまで隠蔽すべき部分でもなかったようである。江戸時代は、
あの程度で充分だった。逆にビクトリア朝の女性など「おばに脚があるとは11歳まで知らなかった」
と言う笑い話があるぐらい、性器どころか脚ですら旦那以外に見せなかった。
>>56 我々がイメージするフンドシは、いわゆる越中褌。元々は相撲の廻しと同じように、ただの布(だいた
い身長と同じ長さ)を使っていた。ホモ雑誌で良く見かけるオムツみたいな褌がこれ。いわゆる六尺褌
というやつ。締め込みという言い方の方が一般的だったようだが。ただし、後ろから見ると越中褌が
尻を覆うのに対して、こちらはTバック(笑)。時代劇でたまに見かけるように、もっと長い布を腹部に
ぐるぐる巻きにしていたりと、何パターンかあるし、呼び方も不浄のものという意識があったのか、
いろいろあるようだ。相撲の廻しも昭和の世の玉錦ぐらいまでは「ふんどし」と呼んでいたようで、
褌担ぎという呼び名にその名残がある。なお、六尺褌は実際の六尺ではなく、鯨尺の六尺だから、
実際はもっと長いとウチのバーさんが言ってた記憶がある(うちのじーさんは越中褌を死ぬまで愛用)。
九州では「へこ」という言い方が近年まで使われていた。東京でも「兵児帯」と呼び名に「へこ」と
いう言葉が残っているので、元は締め込み一般を指す言葉だったのだろうと思われる。ただ、六尺褌だ
と布を多く使うので、横紐がついた越中褌が後年普及した。ただこれも、現在のように短い布を前に
たらす形式というのは割り合い新しく、乃木大将が切腹した時などのように、両端に横紐があり、
後ろから前に持ってきた布の端を機微に括りつける形にして、腹掛けのようにしていたようである。
桂文珍のように、健康のために褌愛好派多い。通気性が良く、陰嚢の温度を上げないので、
不妊症に悩む夫婦に、褌をすすめる医者も多い。金冷法?
>>60 質問なのか独り言なのかわからんが、いちおう知ってる範囲で。たとえば周作の師匠の浅利も元は
アサリ売りだったし、幕末の剣聖と言われた男谷精一郎も、元は金貸しのじいさんが御家人株を
金で買った成り上がり。実際、現在の我々が考えているよりは身分間の流動は緩やかだった。
実際、農民も町人も学べる町道場が発達したのは、化政時代から幕末期。人口比から言っても
町人や農民が圧倒的に多かった訳だし、当然武士階級以外から健脚が多く出てきても不思議は
なかった状況はある。
だからと言って、農民が多かったとは言えんわな。千葉周作も、士官こそしていなかったが、
代々剣術家の家系であったし、新撰組の母体となった天然理心流の盛んだった多摩地方は、
元々半農半武の八王子千人同心の本拠地。ただ、世襲制で放っといても家を継いで侍になれた
連中に比較して、剣一本で立身出世を目指していた町人達の方が、練習もまじめで精進した
という部分はあっただろうね。ただし、近藤も千葉も農民ではないし、土方も農業もやって
いたが薬売りとか手広くやっていた豪農。なんだかんだ言っても治安の良い日本で、剣術の
稽古に時間をさけたのは、農民や町人でも多くは富裕層だというのを考えて良いと思う。
>>63 幸若舞は一般に幸若舞三十六番と言われ、実際には50曲以上の謡で構成されている。信長の
愛唱したのは三部構成の第二部、熊谷発心の件りにある。全文は無理でも、ちょっとググれば
下記の文章ぐらいは見つけられる。
さる程に、熊谷は(経盛の返し状)をよくよく見てあれば、菩提の心ぞ起こりける。(寿永四年三月)
今月十六日に讃岐八島を攻めらるべしと聞いてあり、我も人も憂き世にながらえて、かかる物憂き
目にも、また直実やあはずらめ。思えば此の世は常の住みかにあらず。草葉に置く白露、水に宿る
月ょりなほはやし。金谷に花を詠し、栄花は先立って無常の風に誘わるる。南楼の月をもてあそぶ
輩も、月に先立つて有為の雲に隠れり。人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者の有るべきか。是を菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思
い定め」、以下熊谷は都に上り敦盛の獄門首を盗み取って荼毘に付し、遺骨を奉じ、黒谷の法然上
人の許に投じて出家する。
化天が本来なのだが、読みが「げてん」のせいか下天のほうが定着してしまっているようだが。
72の訂正
×機微
○首
76 :
日本@名無史さん:04/03/17 16:01
>>69 かなり独特のフォントではあるもののアルファベットですね。
上が「MIKADO」下が「SHAWA HIROHITO」と読めます。
…しゃあわ?
日本史の研究者ってあんまり博士っていわれなくないですか?
81 :
日本@名無史さん:04/03/18 00:18
日本の初代皇后=昭憲皇后
日本の初代皇太子=大正天皇
でOKでしょうか?
また
皇族のランクがあるとするならば
皇太子と皇后や皇后と皇太后はどっちのほうが上なんでしょうか?
82 :
日本@名無史さん:04/03/18 00:21
皇族の序列
皇后
太皇太后
皇太后
皇太子
皇太子妃
皇太孫
皇太孫妃
親王
親王妃
内親王
王、王妃、女王
>>81 >日本の初代皇后=昭憲皇后
>日本の初代皇太子=大正天皇
>でOKでしょうか?
なんでそう思ったのか知りたいところだね。
84 :
日本@名無史さん:04/03/18 00:54
>>83 歴史の事はよく知らんが
皇后、皇太子という概念
明治天皇よりも前からあったのでしょうか?
江戸時代の天皇の嫁=皇后とは言い切れないのでは?
皇太子もしかり
85 :
日本@名無史さん:04/03/18 01:01
>>84 律令、という言葉を聞いたことがあるでしょうか
そりゃ明治以降の皇后・皇太子とは違うが
用語としてはがんばって遅く見積もっても大宝律令の施行(701年)まで遡ります
大宝君の文章ワカンナイw
現在は疑義も呈されてるが、天武天皇は「皇太弟」だったと日本書紀に記されている。
当時は「皇太弟」と言う概念はなかった、天武天皇の皇位継承の正当性を高めるため、
日本書紀で付会されたとする説が現在有力だが、少なくとも日本書紀の成立の頃には、
「皇太子」「皇太弟」といっった概念がすでに生まれていたと考えられる。
もともと、天智天皇も天武天皇も、部族連合的の議長(神輿)的な存在だった大王位を、
隋唐のような強大な中央集権国家にするというプランがあり、そのために天皇の権威を
高める必要性があった。日本という国号や、天皇という呼称が対外的に使用されだした
のも天智天武期と考えられている。
日本書紀は天皇位の万世一系を強調するために編纂されたのだから、用語としてはもちろん
用法や当時の人達の意識としても、天皇という特別な存在とその後継者としての皇太子、
その伴侶としての皇后という概念は、天智天武期に成立していたと考えて問題ないのでは?
でなきゃ、持統が天皇位につけないっしょ。
88 :
日本@名無史さん:04/03/18 11:06
>>59 岩波講座ですか。ありがとうございました!そろえてみます。
実家に古い戸籍の写しがありましたが、
「平民」とか「平民○○と結婚」とか書いてあります。
これがいわゆる壬申戸籍ですか?
他スレにも書きましたが返信が返ってこないのでこちらに書きます。
91 :
日本@名無史さん:04/03/19 19:56
733 :日本@名無史さん :04/03/07 22:57
>>732は研究史の読めないバカでした。
自ら低脳だってことを全世界に晒して、恥ずかしくないのかね、こいつ。
( ´,_ゝ`)プッ
469 :日本@名無史さん :04/03/07 20:51
勧告人って結局はそのパターンかよ。
頭悪いのを全世界に自ら晒して、よく恥ずかしくないな。
( ´,_ゝ`)プッ
92 :
日本@名無史さん:04/03/19 19:58
>五胡十六国以降
これは京都学派の時代区分。
宋代以降を中世とする方が学界では主流派ではなかったかと。
ただしこういう時代区分論(論争)は
中国史でも日本史でも、ここ30年ほどは全く流行らなくなっているが。
93 :
日本@名無史さん:04/03/20 04:10
新撰組の、近藤勇、沖田総司、土方歳三
この3人の偉さの順番教えてくださいお願いします
あと読み方は左から順に
こんどういさむ、おきたそうし、ひじかたとしぞう、
これであってますか
94 :
日本@名無史さん:04/03/20 04:22
>93
近藤(局長)>土方(副長)>沖田
の順で偉い
近藤は「いさみ」沖田は「そうじ」が正しい
95 :
日本@名無史さん:04/03/20 04:27
>>94 !!!
即レスありがとうございます!
あやうく間違えるとこでした(`・ω・´)
板倉勝静は松平定信の子だそうですが、本当
>>90 そういう文章の一部分だけでは、情報が少なくてわからないと思うよ。
質問が返ってこないのは、自分の質問の仕方が悪いからと考えた方が良いよ。
ひょっとしたら、前スレから左翼にありがちな「まず結論ありき」の誘導質問を
してる変なヤツがいるから、みんな無視してるだけかもしれないけどw
壬申戸籍から被差別部落問題に話を持っていこうって魂胆か?と勘ぐられてもしょうがないわな。
ここは質問スレッドであって思想や天皇制の是非を語る場ではないしね。
いちおうまじめに答えておくと、平民という言葉自体が普及したのは明治以後だから、
普通に考えて明治以降の戸籍なんじゃないのかな?
わが国で最初の近代的な戸籍といわれる「壬申戸籍」ができたのが1872年(明治5年)、
封印されたのが1968年 (昭和43年)だから、古さの度合いとかが分からない以上、
多分そうとしか言えない。
江戸時代は基本的に戸籍はお寺さんに届ける宗旨人別帳(宗旨人別御改帳。帖とも)に
記載され、転出する時はこれを書き換えたりもしてるしね。
それ以前は、よほどの名家でないと戸籍と言うかそういう記録自体がないしね。
まさか庚午年籍を所有している訳じゃないだろうし。
大日本帝国の対外的呼称ってなんでしょうか?
グレートジャパンエンパイアでしょうか?
>>87 天皇の場合は子供を産むのが仕事だから
正式な嫁(皇后)がいてもそれが不良品だったら困るんじゃないの?
>>65に答えて!
>>98 Japanese Empire(ジャパニーズエンパイアー)です。
102 :
日本@名無史さん:04/03/20 21:29
現在では世界唯一の帝国として残ったから、
The Empire でも日本の代名詞になるぞ。
103 :
日本@名無史さん:04/03/20 21:49
帝国オタ、必死だな。
残念ながら日本は帝国ではないよ。
>>102 じゃ、今上帝か皇太子or秋條宮が正真正銘のラストエンペラーになるのですね!
105 :
考える名無しさん:04/03/20 22:57
>103
なんで?
いまどき「必死だな」なんてレス 見るとは思わなかった。
56でございます。皆様下着についてありがとうございました。
当該スレへコピペさせていただきます。
お礼かたがた age
羽生名人の飛車、必死だな
109 :
日本@名無史さん:04/03/22 21:56
自作自演の高校生がいるスレはここですか?
110 :
日本@名無史さん:04/03/22 22:04
まず、質問する時はちゃんとルールを守りなさい。
次に、他人に迷惑をかけないようにしなさい。
そして、回答が遅いからといって逆ギレしたり督促したりしないように。
最後に、解決したら、お礼の一言ぐらいは書きなさい。
ルールを守らないと解決が遅れるだけだ。
2ちゃんねるはキミのために存在しているのではない。みんなのためだ。
回答者が全てを犠牲にしてキミのために尽くす理由はないはずだ。
答が出てるのに勝手に無視して同じ質問を繰り返すのは愚の骨頂だ。
今回、キミは自力ではどうしようもない疑問にぶつかった。
しかし、2ちゃんねらー有志のおかげで解決したはずだ。
2ちゃんねるは悪い所か?
2ちゃんねるは荒らしてもいいと思うか?
2ちゃんねるは誰のものだ?キミか?ひろゆきか?俺か?違うだろ?
このスレッドは、キミのように問題に陥った初心者を
救うためにある。そして回答者は誰かの手助けになるのならと、純粋な
ボランティア精神で回答してくれている。
これを深く心に刻み込め。そしていつか、この掲示板で誰かの手助けが
出来るように歴史について勉強していけ。
111 :
日本@名無史さん:04/03/23 07:05
>>99 何が言いたいの?
こいつが変な方向に議論を持っていきたい左翼?
>2ちゃんねるは誰のものだ?キミか?ひろゆきか?俺か?違うだろ?
2ちゃんねるは、ひろゆきとそのトリマキのものだと思うが、、、
>110が、サーバーの費用を負担していたり、ひろゆきが敗訴したとき共同責任をとる立場ならスマソ。
大多数の2ch住人が、ひろゆきの横暴には不満を感じていても、ここにいてるのは
他者から責任や義務を問われないからだと思ワレ。
つか、この時期に(ry
コピペやテンプレらしきものにレスしなくていいから
115 :
日本@名無史さん:04/03/23 21:39
>>115 >「てにをは」って何ですか?
「助詞」って学校で習った?
日本語表現で重要な物だよ。外国人には難しいらしいけどね。
118 :
日本@名無史さん:04/03/23 22:02
>>117 ありがとう。
何ていうか、何で「てにをは」っていうのかなぁって
思って調べたんです。
「て」って助詞でしたっけ。
で調べたら博士家の云々と全く予想外の文章が出てきたので
分からなくなりました。
今読んでた本によると世界最古の文明を作ったシュメール人の
シュメール語には「てにをは」があったそうだ。膠着語と言うらしい。
119 :
日本@名無史さん:04/03/23 22:43
120 :
日本@名無史さん:04/03/24 01:11
121 :
日本@名無史さん:04/03/24 10:17
尻の菊座って何ですか?
ケツアナ?
123 :
日本@名無史さん:04/03/25 02:52
文禄・慶長の役を題材にした本を教えて下さい。
難しい学術書以外のものを希望。
また、文禄・慶長の役を詳しく扱っている
サイトがあれば教えて下さい。
検索したが詳しく書いているところが無かったので。
アマゾンドットコムで検索したら何冊かあった。
125 :
日本@名無史さん:04/03/25 05:09
もっとageろよ
>>123 入手しやすいのであれば
『文禄慶長の役−空虚なる御陣』(上垣内憲一著 講談社学術文庫)
というのがあるが。
他に、ネット本屋で「文禄慶長の役」とか「朝鮮出兵」などで
検索すると結構出てくると思う。
それとも小説が良いの?
127 :
日本@名無史さん:04/03/25 22:32
ちょんまげの起源はなんですか?
江戸初期はみんな頭をそっていたのに後期になると剃らない人もいたのはなぜですか?
最近、幕末に興味を持ち出した初心者です。
映画や時代劇を見ていると、薩摩兵の指揮官がなにやら獅子舞のような出で立ちで
登場していますが、あれはなんなのでしょうか。名称さえ判らず、調べようがありません。
よろしければ、ご教授おねがいします。
129 :
日本@名無史さん:04/03/25 23:18
age
シャグマってなんか意味あるんですか
132 :
日本@名無史さん:04/03/25 23:27
>>127 戦国時代、戦で兜をかぶっていると中が蒸れて貧血かなにか
起きてしまうので髪の毛でちょんまげを作って兜の中に空洞を
作りそれを避けたのがきっかけと何かで聞いた。
江戸後期になればそんな必要もないのできっちり髷の上部と
下部との落差を作らなくなったと容易に推測できる。
しかし当時の人に直接聞いた訳じゃない。
幕末の長州藩の偉さの序列をお願いします。
有名どころだけでいいんで・・・
桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、伊藤俊輔、大村益次郎etc
他にも重要な人物いたらお願いします。
>>127 132に追加すると、日本人は元々総髪(髪の毛を伸ばして後ろでポニーテールのように
まとめたりしていた)だった。平安貴族とかの髪型ね。だがそれでは兜をかぶった時に
内部に熱がこもって蒸れてのぼせる(貧血ではないよ)ので、ツムジのあたりを中心に
剃りようになった(これを月代を剃ると言う)。これが実用的に剃る必要のない町人に
もそのままファッションとして定着した。
実際に兜をかぶる時は、あの髷の形のままで被らない。そんな事をしたら頭が痛くなる。
根元で縛って後ろにたらすか、もっと緩く束ねて後ろでまとめてたりしてた。一般に、
「チョンマゲ」と髷を総称して言うが、これは横から見た髪を結わえた形が「ゝ(ちょん)」
という字に似ている髷の形であり、時代劇の同心などの髷は厳密には丁髷(ちょんまげ)
ではない。本来は隠居した人間とかがする髷の形である(髪のボリュームが少なくても
結える髪型だから)。実際は本多髷など非情にたくさんの髷のバリエーションがあった。
132の言う髷の上部と下部の落差というのが良くわからんが、映画『七人の侍』などは
わりと考証にこだわっているので、農民の「農民髷」など、時代劇ではあまりなじみの
ない髷とか結わせているので、参考になるかも。
幕末になると、例えば新撰組の近藤勇とか土方歳三など、月代を剃らずに総髪にしたり
している写真が残されているように、みんながみんな月代を剃っていた訳ではなくなる。
やはり、時代時代によって流行り廃りがあるのだ。平賀源内のように、細くて長い髷を
結ってたりと、時代によって違う。「いなせだねぇ!」のいなせとは、江戸の若い衆が
髷を出世魚のイナの背中の形に整えていたので、イナ背と言うように、現在の髪型と
同じぐらい細かくファッションにはこだわっていた。
>>128 赤熊(しゃぐま)白熊(はぐま)黒熊(こぐま)
ヤクの毛で作った、威嚇・防湿・防寒用の飾り。連獅子の髪の毛のようなモノですな。
徳川家康が大量に所持しており(外国の難破船から大量に出てきたらしい)戦功のあった
武将に与えていた。歴史は古いのだ。
江戸城開城後、蔵から大量に出てきたヤクの毛を戦利品として、こぞって持ち帰った倒幕派が
勝者の証であり威示のために白熊は長州、赤熊は土佐、黒熊は薩摩藩士がかぶったらしい。
だから、本来は鳥羽伏見の戦いとかで政府軍が被ってるのはおかしいのだがな。会津や五稜郭
なら問題ないが。西郷が赤いのを被ってるのも、本来はおかしいが、明治時代に書かれた
錦絵とか、かなり考証的にはいい加減だし。
136 :
日本@名無史さん:04/03/26 10:01
>>132,134
127です。勉強になりました。ありがとうございました。
ということは、髷は強制されてやっていたものではないんですね?
時代劇などで町民は髷を横に曲げていたりしていますがあれもおしゃれだったんでしょうか
137 :
日本@名無史さん:04/03/26 13:55
>>136 まげとはまげるからまげというのであって
まげていないのはまげとは言わない。
詳細は
>>138が解説する。
自分のスレへおかえりください
139 :
日本@名無史さん:04/03/26 15:17
日本の歴史ってどの位凄いの?中国、朝鮮の方が歴史が当然長いですけど、
日本の歴史って世界的にみたら長いんですか?
徳川幕府が300年続いたのって世界的にみたらとてつもなく凄い事なの?
140 :
日本@名無史さん:04/03/26 19:18
全然すごくないです。
ちなみに外国では日本の歴史はだいたい14世紀ごろに始まったと考えられています。
そだねw
外国では火炎式土器とか源氏物語も知られていないし。
Kの国みたく、石碑以外の文献は日本や中国にしかない国が、
半万年の歴史があることは諸外国の研究者が認めているのとは大違いだね。
142 :
日本@名無史さん:04/03/26 23:03
他スレにあったんですが、由緒百姓ってなんですか?
また変な左翼が自作自演レスしてるよ。
自問自答しにくんなってばw
144 :
日本@名無史さん:04/03/27 00:00
なんか、下の文章が、あっちこっちで笑いものになってますが、
本当のところはどうなんでしょう。
やっぱり、大間違いなんですか?
↓
>義経の伊予守任官により、最終的には頼朝の面子は、朝廷によりぺしゃんこにされている
>時間関係は、頼朝が義経を追放、義経が伊予守任官でいいんですよね。
>プロ野球で例えたら、クビにした外人が大リーグで大活躍してるみたいなものですか?
>>110の人が自分で質問して自分で答えてるって書いてあったんですけど、
そういうことなんですか?
シャグマは、以前も出てた気がするんですがこれはコピペなんでしょうか?
145 :
日本@名無史さん:04/03/27 00:01
堺屋太一はどうなの?
146 :
日本@名無史さん:04/03/27 00:11
ダルビッシュって宗旨は何よ?
147 :
日本@名無史さん:04/03/27 02:09
すいません。
高卒DQNでも分かる全共闘やその周辺についての分かりやすい本があれば
教えていただきたいのですが。
よろしくお願いいたします。
>>147 放送中のを記録して
百回聞け!
そうすれば
なんとなく分かった
気分になれる
多分・・・
150 :
日本@名無史さん:04/03/27 13:55
>>144の答えをお願いします!
>全共闘
ビギナーズシリーズに全学連だか全共闘がある。
立花の「中核派対核マル派」もおもしろい。
151 :
日本@名無史さん:04/03/27 14:24
そんな変なモノに興味を持たず、もっと古い時代のマトモな歴史を読め。
152 :
日本@名無史さん:04/03/27 17:37
スイマセン。
いくつか質問させてください。
徳川の歴代将軍の評価ってどうなんでしょう?
どんな人でどんな功績があるか1〜15まで
分かりやすく教えてください。
また、幕末の国内情勢が複雑でよく
分かりません。
佐幕派と攘夷派に分かれていたと思いますが、
開国派というのはどちらなんでしょう?
幕末に存在した組織や人物が〜派に属していたか
教えてください。
佐幕派・・会津藩
攘夷派・・長州藩 といった具合に。
教えて君でスイマセンがよろしくお願いいたします。
153 :
日本@名無史さん:04/03/27 17:41
>>152 あなたの場合
初心者にもほどがあるようです。
教科書や参考書の類をよんでみることからはじめてください。
佐幕と攘夷と攘夷にわかれていたわけではありません。
佐幕と攘夷のことばの意味から考えてください。
むしろ開国派と攘夷派とで対になるとは思いませんか?
>>152 あの頃の日本人、佐幕派も討幕派もほぼ100%の人が攘夷をしたかった。
・・・と、いうことで終了。
155 :
日本@名無史さん:04/03/27 18:54
軍人勅諭には「世論に惑わず政治に拘らず」とありますが、
昭和期の政治的軍人達は、自分達の行動が勅諭の精神に
反してるとは思わなかったのでしょうか?
陸軍は全員勅諭を暗記させられますよね?
>>155 君は校則や交通ルールを完全に守っていると言えるかね?
急いでいるとか何とか言ってルールを無視したことはないかね?
権力と名誉を獲る為にルールを破ろうという輩がいて、
しかもそれを厳しく取り締まらないという環境ならどんな無法者が出てきても驚くべきことではない。
君は歴史の勉強よりまず実際の生活を誠実に見つめ、同時代に生きる人をもっと観察し知るべきだ。
漏れの友人の公務員は自転車でも歩いているときでも交通ルールは完全に守っているよ。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 20:23
>>152 ペリー「開国シテクダサーイ」(開国)
↓
不平等条約締結、西洋の産物流入
↓
幕府情けねー、西洋は進んでいる、あと社会不安キター
↓
水戸藩「今の幕閣はなっとらん。攘夷じゃ!尊王じゃ!」(尊王攘夷派の思想的支柱)
↓
西南雄藩下級藩士「その通り!あとついでに門閥制度改革モナー」
↓
安政の大獄
井伊直弼「水戸藩ウザイ。氏ね」
↓
桜田門外の変
水戸藩「ゲハハ 思い知ったか…あれれ?」(水戸藩、やりすぎで影響力喪失)
↓
京都政治サロン化。「公武合体ってどうよ?」「外人、攘夷討ちじゃー!」←過激
↓
幕府「京の治安をなんとかせにゃ、オロオロ」頼むよ、会津藩、薩摩藩、あと地味だけど越前藩」
会津・薩摩「了解じゃー」
新撰組「オラたちが京の治安を守るぞ!」
↓
池田屋事件
長州「おのれー幕府めーこの恨みはらさでおくべきか」長州VS幕府確定
↓
薩英戦争・馬関戦争
イギリス「イエロー、弱すぎ ワラ」
薩長「西洋ツエー、日本ヤバイ」(攘夷の挫折)
↓
禁門の変・長州討伐失敗
長州「幕府弱いっての ゲラゲラ」
↓
坂本「んー、幕府も攘夷もダメだしー、これからは天皇中心・開国だって。やっぱ」
薩摩「いいね」
長州「いいね」
↓
大政奉還
徳川慶喜「時代は変わったな…」
会津「いいけど俺ら見捨てんなよ〜」
↓
尾張・越前・土佐藩「納得いかねー。慶喜弱腰すぎ」
鳥羽・伏見の戦い
新政府「よっしゃ。あとは東北だけじゃい」
↓
戊辰戦争
長岡藩「武装中立っていってんのに、なんで攻めてくんのさ!」
会津藩「なんで俺ばかり貧乏くじ…」
↓
明治天皇「ま、当然の帰結だな」
>>156 そりゃそうだけど、事あるごとに「天皇陛下の軍隊」って言ってるのに、
当の天皇の勅語に反してるんじゃ格好がつかないよ。
一応、陸軍大臣とその政治幕僚である軍務局課員が政治に携わるのは当然の話。
それ以外の奴らに関しては、軍人勅諭に反してる。
164 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:45
>>159〜161
・水戸藩の尊皇攘夷は、佐幕の枠内です。倒幕なんて一回も言ってません!!!!!!!!!!!
・水戸藩は藩として井伊直弼殺害にかかわってません!!!!!!!!!
・長州VS幕府は、8月18日の政変からです。池田屋事件からではありません!!!!!!!!
・慶喜は大政奉還であきらめてません。大阪脱出後もあきらめてなかったと言う説もある位です!!!!
・坂本竜馬は天皇中心なんていってません。徳川温存派で薩長に殺された説もある位です!!!!!
165 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:50
好きにやらせてやれよ、暇なんだろ・・・
ただ、工房レベルの基本的な事実を知らないのは困るがなw。
166 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:56
政治に口を出してたのは軍の中上層部。
彼らは、天皇が操りなのを知っている。
小さな忠義と大きな忠義を使い分け、
天皇の意思に反しても、天皇のためになると思ったら動くのが、
真の忠義だと発言してはばからなかった。
かつ、昭和天皇は軍部に人気が無くて、なめられていた。
さらに、軍最高上層部に、若造の造反を許してしまう、
薩摩の若者組に対するような甘い悪弊があった。
つまり、軍部に規律が無かった。下剋上的でさえあった。
>水戸藩の尊皇攘夷は、佐幕の枠内です。倒幕なんて一回も言ってません
>>159-161でも一回も言ってませんよ。
>・水戸藩は藩として井伊直弼殺害にかかわってません・長州VS幕府は、8月18日の政変からです。池田屋事件からではありません
>・慶喜は大政奉還であきらめてません。大阪脱出後もあきらめてなかったと言う説もある位です
>・坂本竜馬は天皇中心なんていってません。徳川温存派で薩長に殺された説もある位です
単純化して説明している部分はありますよ。
168 :
日本@名無史さん:04/03/27 22:00
産経新聞で好評連載中の蘇る民族の歴史や
前に連載された古代からの伝言について
語るスレはありますでしょうか?
169 :
日本@名無史さん:04/03/27 22:17
>桜田門外の変
>水戸藩「ゲハハ 思い知ったか…あれれ?」(水戸藩、やりすぎで影響力喪失)
どうみても水戸藩は反幕府にみえる。水戸藩は幕府尊重の枠内での尊皇攘夷です。
>池田屋事件
>長州「おのれー幕府めーこの恨みはらさでおくべきか」長州VS幕府確定
おい、おい、単純化ではすまないだろ。
>坂本「んー、幕府も攘夷もダメだしー、これからは天皇中心・開国だって。やっぱ」
天皇中心が単純化から出てくるのか?
単純化するのは勝手たが、間違いは間違い。
事実誤認、つまり基礎知識の不足。
不満があるなら謝罪訂正してからにしなさい。
170 :
日本@名無史さん:04/03/27 22:20
まだ??????????
144 :日本@名無史さん :04/03/27 00:00
なんか、下の文章が、あっちこっちで笑いものになってますが、
本当のところはどうなんでしょう。
やっぱり、大間違いなんですか?
↓
>義経の伊予守任官により、最終的には頼朝の面子は、朝廷によりぺしゃんこにされている
>時間関係は、頼朝が義経を追放、義経が伊予守任官でいいんですよね。
>プロ野球で例えたら、クビにした外人が大リーグで大活躍してるみたいなものですか?
>>110の人が自分で質問して自分で答えてるって書いてあったんですけど、
そういうことなんですか?
シャグマは、以前も出てた気がするんですがこれはコピペなんでしょうか?
>不満があるなら謝罪訂正してからにしなさい。
朝鮮人みたいだな。
>どうみても水戸藩は反幕府にみえる
それはあなたの主観だなー。「水戸藩は倒幕」とは一言も言っていないよ。
事実誤認を謝罪して欲しいなw
>おい、おい、単純化ではすまないだろ。
池田屋が長州の倒幕姿勢確定の一因であることは明らかだよねー。
で、そのへんの流れを全部説明してると長すぎるわけで。
>天皇中心が単純化から出てくるのか?
薩長同盟が倒幕勢力とその後の明治政府の原型だというのを説明しただけ。
竜馬が天皇主義者かどうかまでは考えて台詞をあてなかった。
ここはまあ事実誤認といわれればしょうがないね。ごめんよ。
>どうみても水戸藩は反幕府にみえる。水戸藩は幕府尊重の枠内での尊皇攘夷です。
反幕府の幕府尊重・・・
単純化するのは勝手たが、語彙不足。
事実誤導、つまり基礎学力の不足。
不満があるなら謝罪訂正してからにしなさい。
一度教科書で概要を読んで、幕末の人物を取り扱った新書でも読めば概ね分かると思うが。
中公新書の『王政復古』はかなり良いんだけど、教科書で出てくる程度の言葉や概要が理解できてないと
これも良く分からんと思う。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 23:53
176 :
現役学部生:04/03/28 21:27
>>3さん
長州藩の倒幕への藩論確定は、1864年末〜1865年だそうです!
尊皇攘夷と幕府支持は、両立するそうです!!
>水戸藩は幕府尊重の枠内での尊皇攘夷です。
だから、これは、正しいそうです!
早く
>>144を論破してください!
144 :日本@名無史さん :04/03/27 00:00
なんか、下の文章が、あっちこっちで笑いものになってますが、
本当のところはどうなんでしょう。
やっぱり、大間違いなんですか?
↓
>義経の伊予守任官により、最終的には頼朝の面子は、朝廷によりぺしゃんこにされている
>時間関係は、頼朝が義経を追放、義経が伊予守任官でいいんですよね。
>プロ野球で例えたら、クビにした外人が大リーグで大活躍してるみたいなものですか?
177 :
日本@名無史さん:04/03/28 21:36
TVで長屋門+土塀の庄屋屋敷をやっており一揆のとき隠れる隠し部屋などやっていましたけど・・・
長屋門+土塀=悪政を敷いた庄屋
普通の門+板塀=善政を敷いた庄屋 という図式が成り立ちますか?
178 :
3さんて誰?:04/03/28 21:37
尊王も攘夷も、幕藩体制に本来そなわった考え方であるが、
幕末に外国船の来航が多くなり、鎖国の維持が危うくなったとき、
幕藩体制の秩序を再強化するための政治理論として、尊王攘夷論が登場した。
その支柱となったのは、徳川斉昭や藤田東湖が唱えた後期水戸学。
↑
キモですキモ!
179 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:11
攘夷決行→8・18政変→池田屋→蛤御門→下関砲撃→第一次長州出兵
→第二次長州出兵
180 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:17
>中公新書の『王政復古』
おいおい、序章以外は1867年からの内容だど。
だめじゃん。
181 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:38
最近日本史板の過去ログがいっこうにhtml化されないのは何か理由があるのですか?
裁判費用&賠償金が大変なんだよ、ひろゆき
コタヘテクダサレ
>>184 文字を写したヤツ、つまり印刷でしょ。
押してる印も、これは陛下の書かれた字の写しですって書いてる訳だから、
自己申告みたいなものでしょ。国や宮内省の印ならともかく、
なんの権威も信憑性もないな。
小林幸子の実家にあった、西郷隆盛の書の写しみたいなものだね。
明治にはわりとこういうヤツは出回ってるよ。
どうでもいいけど、左巻きなスレッドまとめてageてる香具師がいるなw
博士スレageんのはうざい
>>185 明治大帝の字なんですか?
つー事は宮内庁辺りに本物が在ると?
188 :
日本@名無史さん:04/03/29 16:06
日本史板低迷してんな
事情通の方に質問です。
「歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ」はなぜあんなに荒れているんですか?
>どうでもいいけど、左巻きなスレッドまとめてageてる香具師がいるなw
別スレでブサヨと在日が、ハンだの極東だのにリンク貼りまくっているからだろ・・・
まぁウヨを呼び込んだだけで惨敗したようだが。
191 :
日本@名無史さん:04/03/29 22:49
あるHPで
「1575年3月29日
島津義久が琉球使節に対し、島津氏の使僧が粗略な扱いを受けたことなどを詰問、両者の関係が悪化する。」
と紹介されていたのですが、ぐぐってもこの事件の概要すらはっきりしません。
何が原因でこんなにもめたのか。事件の経緯はどうだったのか。
沖縄史には全く疎いのでエライ皆様のご教示お待ちしてます
>>175は本物を写したのか、それとも真っ赤な偽物か?
誰か答えて下さい。
阿衡の紛議って結局どういう事件?
「基経が役職にキレた」「広相が基経の悪口を宇多に垂らした」
2つの話が分かれてるんだが
当方リア工なり
194 :
日本@名無史さん:04/03/29 23:44
桶狭間の今川義元のような
トップがやられて総崩れになった戦いって
他にはどんなのがありますか?
195 :
日本@名無史さん:04/03/30 03:16
光源氏を散髪したひとはどんなハサミをつかっていたの?
糸切鋏?まさか毛抜きじゃないよね?
198 :
日本@名無史さん:04/03/30 07:56
質問。博士はなんで見苦しいの?
199 :
日本@名無史さん:04/03/30 08:45
200 :
日本@名無史さん:04/03/30 08:52
201 :
日本@名無史さん:04/03/31 00:05
多分10年くらい前だと思うのですが、
日本史をJ−POPのような音楽に乗せて歌っていくCDがあったと思うんですが、
ご存知の方はいらっしゃいませんか?
202 :
日本@名無史さん:04/03/31 00:18
>>195 はさみ自体は糸切りみたいな形のものしかなかったらしい。
儀式なんかではそれが使われることがあったらしいけど。
他は剃刀とか小刀みたいなやつと聞いたような。
うろ覚えスマソ
175
質問ばっかしてねぇで、ちっとは自分で調べろ。
基本的な事は答えてあるんだから、自分で図書館で明治天皇関係の
研究書をあたれば、有名な書なら本物が掲載されてるだろうし、
たとえそれがなくても、和歌とかも含めて明治天皇の字はわりと残されているから、
筆跡を比べてみれば素人でも真贋はある程度わかる。
書道やってた人間の目から見ると、かなり稚拙な字なのは確かだけどな。
よほどの専門家でない限り、「真筆ではないと思われるが、写しの元になった
書の存在は今のところ確認できない。100%ないと断言する材料はない」ぐらいしか
言えないって、わからねぇのか?
>>195 平安時代は基本的に男は総髪。
カミソリでも、毛の先を持って髪の上を滑らすような感じで
髪の毛を奇麗にカットできるよ。現在でも腕の良い散髪屋だと、
そうやって髪の毛を最初に荒く整え、その後でハサミで細かくカットするが、
平安時代ならその程度で充分。ほつれ毛は和鋏でカットするかもしれんが。
相撲で床山さんが力士の髪を整え、和鋏で切り揃えてるのを見た事ない?
和鋏も昔は普通に散髪に使われてるのだが、今は裁縫にしか使われないから、
使わないものだと思い込むのかね、若い人は。
205 :
日本@名無史さん:04/04/02 01:04
明治四年に外務卿副島種臣が樺太を二百万円で買収しようとしましたが、
当時の二百万は現在の幾ら位ですか?
>>204 出来のいい和鋏は毛や糸の類を切るのにいいんだよな。
感触通りに切れるんで好んで使っている。
>>205 明治四年は金一両(純金1.5g)=一円と定めた年。
最近の金1g=1500円程度とすると
2000000÷1.5×1500=二億円でしょうか。
かき間違い。二十億円。
>>208 たったの廿億で広大な樺太島が買収出来かけた事は凄いですね。
210 :
日本@名無史さん:04/04/02 18:59
旗本と藩主ってどう違うの?
バカなおいらにもわかるようにスゴーく簡単に教えてくらはい。
211 :
日本@名無史さん:04/04/02 19:18
将軍と主従関係にある武士のうち
領地1万石以上の者が大名=藩主
1万石以下の者は旗本または御家人。
眞子様のスレ貼ってくださいm(__)m
できれば画像も欲しいです。
おながいします。
>>127 >>132>>134は半分間違い(これは月代の起源)。
マゲは冠の固定用、肖像画でもいいけど冠に横棒(こんなの⇒―∩―)あるでしょ、あれをマゲに刺して固定している。
>>181 一年以上経ってもhtml化されてない板もあります(その間にサーバーが3回か4回かわって、鯖ごとログが消えてたり)。
自分が覗いてる板では三戦・洋楽は比較的早くhtml化され、日本史板も遅いもののhtml化はされている
テレビ番組・ドラマ・芸能人系は一向にhtml化される気配がない。今はニュー速の網野氏訃報スレが無事html化されるか心配。
>>211様、サンクス。
再クエスチョン!
老中と大老どう違うの?
そして、どっちがどのくらい偉いの??
史学を志すには
>>97さんのような想像力も必要ですか?
>>215 大老は臨時職。老中はいつもいる。
大老は名誉職の場合も多いが、
井伊直弼のように実権を握ると老中より権力がある場合があった。
>>217様
と、いうことは例えると大老は自民党副総裁で
老中は自民党幹事長ということでつか?
219 :
日本@名無史さん:04/04/03 03:22
宿題か?
220 :
携帯の212:04/04/03 10:03
無視しないでー(´Д⊂
皇室ヲタはどこへいけばいいの?
221 :
日本@名無史さん:04/04/03 10:06
ありがとうー
でも違うんだー
眞子様の携帯待ち受け画像が欲しいだけなんだー
ぐぐりました。
でも駄目でした。
>>191 誰も答えていないので・・・
「紋船(あやふね)一件」。
琉球との貿易を印判(朱印状)の発行で管理しようとする
薩摩島津氏とそれを敬遠する琉球が対立した事件。
紋船とは琉球が薩摩に派遣した官船で、舳先に青雀黄龍の
装飾がされていたためこう呼ばれた。
印判をめぐる両者の対立は以前よりあったのだが、この時は
島津氏が紋船を当主の代替わりごとに派遣して慶賀すべし
と主張したこともあって問題はいっそう深刻になった。
事件後、島津氏は制裁措置として商船の琉球渡海を禁じた。
これにより、琉球は朝貢貿易によって買い取った唐物を
捌けなくなった。他国へ売ろうにも売ることが出来ない。
琉球はかつて東南アジア方面にも販路を持っていたのだが、
16世紀以降ポルトガルや倭寇の進出により貿易は不調となり
1570年を最後に断絶してしまっていた。
つまり当時の琉球は日本(薩摩)との交易に頼らざるを得ない
状況にあり、その足元を見た薩摩が高圧的な姿勢に出たわけだ。
結局、近々に冊封(とそれに伴う貿易)をひかえていた琉球は屈服し、
毎年のように薩摩へ使者を送って商船渡航を要請するほかなかった。
また国王から島津氏への書状や進物もいっそう丁重となり、
経済政治両面での薩摩の優位がほぼ確定することになった。
226 :
日本@名無史さん:04/04/03 23:16
自作自演もここまでレベルが下がると情けない
「三韓」って馬韓・辰韓・弁韓か高句麗・百済・新羅のどっちなの?
228 :
日本@名無史さん:04/04/04 00:53
229 :
日本@名無史さん:04/04/04 11:09
>>227 一般には馬韓・辰韓・弁韓。
もとは半島南部韓族の総称。転じて朝鮮民族一般を指す場合もある。
230 :
日本@名無史さん:04/04/04 11:10
お願いします。
「国学」の概説がわかるいい本知りませんか?
232 :
日本@名無史さん:04/04/04 11:30
233 :
日本@名無史さん :04/04/04 11:57
戦国最長の同盟は浅井・朝倉同盟ですか?織田・徳川同盟は1561年〜本能寺の1582年までだけど浅井・朝倉
同盟はもっと長いし。同盟開始年不明〜両家滅亡1572年まで。戦国末期から幕末までというのはなしで。
234 :
奈良 ◆2ch.DQN7gY :04/04/04 13:01
尊王攘夷運動がなければ、天皇マンセーの国にはならなかったのでぃすか?
235 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:09
そんなの無くても昔からだよ。そうでなければ古代に滅びてるよ
236 :
奈良 ◆2ch.DQN7gY :04/04/04 13:29
だって、なんか一時天皇なんてどうでもいいっていう空気だったじゃん
237 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:33
238 :
奈良 ◆2ch.DQN7gY :04/04/04 13:34
武士が調子に乗り始めたときから明治くらいまで
239 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:38
蘇我入鹿はいらな〜いって天皇殺しちゃったけどね
240 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:38
>武士が調子に乗り始めた
これはいつを指すのかよくわからんが
鎌倉中期頃を指すとすると
尊攘運動が盛んになるまで、かなりのタイムスパンがある。
これだと
>>234の質問の趣旨と合わないような気がするが。
241 :
奈良 ◆2ch.DQN7gY :04/04/04 13:40
>>239 崇峻天皇に代わる別の天皇(大王と言った方が妥当だが)を、その後立てているから
天皇(大王)そのものが要らないと考えたわけではないだろう。
243 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:42
71 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/02/10 19:32
蘇我馬子(一部では蘇我天皇とか)
550?〜626 ?歳
蘇我馬子の地盤は父の蘇我稲目の時代に築かれた。
文献にはすでに宣化、欽明帝の時代には大臣として稲目の名が載っている。
馬子もまた、用明、祟峻、推古の3帝の外祖父として権勢をふるう。
馬子が大臣として登場するのは、第30代敏達天皇の時代からで572年4月3日の天皇即位の日に大臣に就任している。
その権威は帝を超え、聖徳太子と同じく仏教に帰依していた。それゆえ排仏主義者の物部守屋と敵対していた。
馬子は、守屋が帝に立てようとしていた穴穂部皇子を殺し、穴穂部と仲がいい宅部皇子も殺害する。
そして宿敵である守屋を倒すと、敵がいなくなりついには天皇の命さえも軽く扱った。
ある日、祟峻天皇が献上されてきた猪を見ていつかkの猪のように、憎いと思う者を殺したいと語ったことからこの帝は馬子に殺されてしまう。
日本書紀には推古帝が、馬子が夜に何か言えば夜のうちに。朝何か言えば朝のうちになんでも聞き入れてきたと語ったとされている。
244 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:44
245 :
日本@名無史さん:04/04/04 13:45
>>240 >尊王攘夷運動がなければ、天皇マンセーの国にはならなかったのでぃすか?
>だって、なんか一時天皇なんてどうでもいいっていう空気だったじゃん
あなたの2つの発言をこのようにつなげてみると
「一時」というのは、近世の一時期としか読めないのだが。
247 :
日本@名無史さん:04/04/04 16:31
>>232 国学の江戸時代における思想界における位置とか、民衆への広がり具合とかが
わかる本を探してます。
お願いします。
604 :日本@名無史さん :04/04/02 23:20
>>603 5 :【小吉】 ◆tckDSNWp2. :04/03/09 20:02
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
こんな良スレに博士ネタを持ってくんな。荒らす気か?
250 :
ジェンコ商会役員:04/04/04 17:52
支那で古代から行われてる、外敵を攻撃してる様に見せ掛け実態は権力闘争してる事を何と言うんでしたっけ?
今回の靖国参拝批判も胡錦濤と江沢民の之だった様な…。
251 :
日本@名無史さん:04/04/04 18:47
書誌学の知識があまりないので分からないのですが、
例えば論語の注釈書やなんかで複数巻ある場合、例えば一巻目の冒頭に
「学而篇」と題がついている場合なんかがありますが、こうした場合、
「学而篇」のようなものは内題と称していいでしょうか?
内題というのはあくまで巻等に付けられた書物の正式名称(論語とか)だけをいうので
しょうか? 篇名でも書物の中にあれば内題と呼んでもいいのでしょうか?
>今回の靖国参拝批判も胡錦濤と江沢民の之だった様な…
明らかなスレ違いですが・・・
靖国問題は70年代までは存在しません。
70年代に旧社会党の現職議員が中国で無理矢理政治問題にしたのです。
その後中国・朝鮮はこれを有用な政治カードとして利用しております。
胡錦濤は自国民とチベット人を虐殺して現在の地位を得ています。ケ小平ラインの人物ですね。
チベット自治区党委員会書記だった1989年、ラサ暴動に遭遇。
戒厳令を敷いて徹底的に弾圧した。それが胡の「勲章」となった。
チベット自治区党委の任期明けの92年10月には、党中央政治局常務委員に「三段跳び」で昇格したことをみると、この勲章がいかに大きな意味を持ったかが分かる。
おそらく胡錦涛がラサ暴動に遭遇したのは、単なる偶然ではない。胡がチベットに派遣されたのは88年12月だったが、
その年3月にも、ラサでチベット人デモと治安警官隊が衝突、少なくとも24人が死亡する事件があった。
89年3月10日は、ダライ・ラマのチベット独立宣言に至ったラサ暴動の30周年にあたる。
その対策要員として、胡が急きょ派遣されたと考える方が正しいだろう。
当時、共産党幹部の人事をとり仕切っていたのはケ小平だから、胡の力量・手腕を買ってチベットへ派遣したのだろう。その期待にみごとに応えたのである。
同じ89年、北京では4月22日の胡耀邦(元中国共産党総書記)追悼大会をきっかけに学生らの
民主化要求運動が起こり、ついには6月4日、戒厳部隊が天安門広場を武力制圧する天安門事件となった。
この鎮圧モデルの原型となったのが、ラサ暴動の戒厳令だったのである。こうしてみると、
胡錦涛の勲章の大きさの理由が分かる。政治局常務委員入りを、ケ小平による抜擢とみる見方が強いが、
それは「ひいき」に近い行為ではない。当然すぎるほど当然の抜擢だったのである。
>支那で古代から行われてる
ローマの間違いでは?
>>251 古文・漢文板で質問したほうがいいかも。
日本ってにっぽんorにほんどっちが正しいのでしょうか?
正式にはにっぽん
258 :
日本@名無史さん:04/04/05 10:12
259 :
日本@名無史さん:04/04/05 11:00
確か日本政府はにっぽんこくと最近定めていたはず
260 :
日本@名無史さん:04/04/05 11:01
261 :
日本@名無史さん:04/04/05 12:43
どこかの官公庁のサイトに載ってないかな
「にほん」をどう読むかを、思い切り単純化した歴史
------------------------------
古代 Nipon→Nippon
-------------↓------↓-------
中世 Nifon ↓
-------------↓------↓-------
近世〜現代 Nihon Nippon
「にほん」 「にっぽん」
------------------------------
263 :
日本@名無史さん:04/04/05 20:45
日本の女性はいつごろからムダ毛を気にするようになったんですか?
264 :
日本@名無史さん:04/04/05 21:59
265 :
日本@名無史さん:04/04/05 22:34
消防のころ雑学本で「にっぽん」と読んだ気がするのだが
根拠規定が見つからないよ。
法律サイトで「国名」「国号」「にっぽん」で検索ヒットしないし。。。
お台場は江戸時代に大砲を設置したからお台場という名前なのですか?
そうだよ
>>265 手元に日本の切手があったらごらんになってください。
「NIPPON]
と印刷されてますよ。
269 :
日本@名無史さん:04/04/06 02:13
>>268 それは正式名称というより、発音上の問題です。
nihonだとフランス語ではにふぉんとなるからnipponにしたらしい
271 :
日本@名無史さん:04/04/06 02:37
前田正名の通称教えて下さい。
才之亟?
どうでもいいことだけど、この日本史板の歴史って、
歴史→日本史(世界史と分裂)→日本史(南北朝時代)
→日本史(南朝滅亡し今に至る)
という流れで正しいですか?
>>250 指桑罵槐(しそうばかい)」
読み下しは「桑を指さして槐を罵る」でしょ。
別に外敵に限定した話でもないんだがね。
表記上の正式な読みは「にっぽん」。明治の初期に読みを統一しようと言う気運が高まり、
その流れで「大日本帝国憲法」も、「にっぽん」と読ませている。
対外的にも「にっぽんこく」が正式名称。国連にも自国の発音としてはこれで申請してある。
ただ、慣用的に「にほん」と「にっぽん」が混在しているけどね。
正式な読み方で「にほん」と読む例外がいくつかあるが、
そのひとつが「日本橋」。
もう二つぐらいあったはずだが、失念。国土地理院とかの正式な地名の呼称は、
このような歴史があって人口に膾炙しているもの以外は、すべて「にっぽん」で
統一されているはずだよ。NHKも、アナウンサーは慣用例以外は「にっぽん」で統一している。
>>216 自分の意図を見抜かれて、今頃遅レスでつか?
図星突かれて必死だなプゲラ
そりゃ切手とか紙幣にNIPPONて書いてるのは知ってるけど。
その規定が法条文に見つからない。
(国号)
第 条 わが国の国号は「日本国」とし,「にっぽんこく」と読む。
↑こんな感じのものが見当たらないのだ。
その国連への加盟条約みたいなのがどうなってるかup希望。
277 :
日本@名無史さん:04/04/06 07:57
>>274 「おえど、にっぽんば〜し〜♪」と、あるように、
江戸の日本橋は「にっぽんばし」だったはずです。
278 :
日本@名無史さん:04/04/06 08:21
日本は「にほん」「にっぽん」と両方ありますが、
三本は「さんほん」「さんぽん」どっちですか?
279 :
日本@名無史さん:04/04/06 10:02
DQN って何?
東北地方の角力渡世集団について調べているのですが、
江戸角力や大坂角力などとの違いを教えて下さい
281 :
日本@名無史さん:04/04/06 12:54
正式名称は、日本国。通称は、日本。
国名には2通りの読み方があるが、正式な読み方は定められていない。
なお、日本語にH音が登場したのは江戸時代になってからのことであるという国語音韻学上の常識からすれば、
「にほん」より「にっぽん」が古いことは自明であり、その過程で「にふぉん」とも発音されていた時期があることも、
『日葡辞書』などの記録に明らかである。また「やまと」とも訓じ、古くは「ひのもと」と読まれていた可能性も示唆されている。
なお、日本という国名が最初に定められたのは、701年施行の大宝律令とされる。
公式の英語表記は、japan (ジャパン)。
ジャパン、ジャポン、ヤポン、ハポンなどの、世界の多くの言語において日本を意味する固有名詞は、
ある時期にある地域の中国語で「日本国」を発音したものを写し取ったジパング(Zipangu)あるいは
ジャパング(Japang)を語源とする。日本国(にっぽんこく)→ジッポンクウ→ジポング→ジパング 説が有力
282 :
日本@名無史さん:04/04/06 12:55
おそらくは70年代ににっぽんと政府が定めたというのはそう言えということであって
正式に文書化したわけではないと思われ
283 :
日本@名無史さん:04/04/06 15:56
すみません
7200年前の日本はどんな時代だったか教えてください。
284 :
日本@名無史さん:04/04/06 18:01
>>283
のび太の日本誕生
286 :
名無しさんどっとこむ:04/04/06 19:23
うっかり将軍
うけるよ
ご存じの方いらっしゃらないのでしょうか
どこかに誘導していただければありがたいのですが
288 :
日本@名無史さん:04/04/06 20:44
1970年7月14日に佐藤内閣が政府は「日本」の読み方を「ニッポン」に統一すると閣議決定している。
>>288 ありがとう ググったら5〜6件ヒットした。
どれも年表に一行程度の内容だが。
290 :
日本@名無史さん:04/04/06 21:35
291 :
日本@名無史さん:04/04/06 21:56
293 :
日本@名無史さん:04/04/06 23:26
なあ、卑弥呼の王朝が天皇家になったのか?
それともぜんぜん関係ないの?
294 :
日本@名無史さん:04/04/06 23:30
天照大神が現在、最も有力な説。
卑弥呼の没したとされる年の前後に1回、北九州で皆既日食がおきたことが天文学的計算より明らかになっており、
古事記・日本書紀における天岩戸に天照大神が隠れたという記事に相当するのではないかと考えられている。
また統計学的手法によって、天皇の平均在位年を求めると、丁度卑弥呼が生きていた時代に、天照大神が生きていた計算になる。
また、このような説もある。皆既日食が発生したことで、太陽神(日=ヒ)に仕える巫女(=ミコ)である卑弥呼の霊力がなくなったしてと、
邪馬台国の人々が、卑弥呼を惨殺した。そして、皆既日食が終わったあとに、邪馬台国は混乱したが、台与を新たな太陽神に仕える巫女として選んだ。
このことが、古事記・日本書紀において、天岩戸に一度隠れた天照大神が再び出てきた(=復活した)という記事につながっていったのだと考えられる。
卑弥呼が天照大神であるという説によれば、邪馬台国は九州にあり、卑弥呼の子孫(=神武天皇)が、九州から畿内へと征服を行ったと考えられる。
予備知識なしで訊いたもんだから、こんなに論争がある問題だとは
思わなかったなー。ありがと。そっちに逝ってくる
297 :
日本@名無史さん:04/04/07 01:02
668 名前: 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs [sage] 投稿日: 04/04/07 00:56
>>667 他の質問スレの寂れ方には敵いません
「にほん」か「にっぽん」かとか
激しく既出だしね
よっしゃこい
665 名前: 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs 投稿日: 04/04/07 00:50
>>661 久々の質問だが
しらん
よっしゃこい
671 名前: 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs [sage] 投稿日: 04/04/07 01:02
>>669 「しらん」をいまさら責められても・・・
「しらん」の初出は、スレ誕生の7分後
9 名前: 歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw 投稿日: 03/04/02 00:51
>>2 本能寺の変なんてなかった
>>3 その人の何が聞きたいの?
>>5 剥いてよく洗ってた
>>6 知らん
「よっしゃこい」を使い始める前から「しらん」はあったのよ
よっしゃこい
300 :
日本@名無史さん:04/04/07 01:46
日本史上の人名の諱って、「春」「秋」「冬」は時々目にしますが、「夏」ってほとんど見かけないのはどうしてなのでしょうか?
ちょっと考えても、藤原真夏(冬嗣の庶兄)、高師夏(師直の庶子)、畠山義夏(義就の初名)くらいしか思いつきません。
301 :
日本@名無史さん:04/04/07 01:53
302 :
日本@名無史さん:04/04/07 02:30
303 :
日本@名無史さん:04/04/07 02:32
304 :
日本@名無史さん:04/04/07 09:01
>>304 どんな記事だった?リンク先404だよ。
306 :
日本@名無史さん:04/04/07 14:42
>>305 普通に見れるぞ・・・まあ、一応貼っとくか
大リーグ開幕戦でダフ屋行為の疑い 男2人を現行犯逮捕
--------------------------------------------------------------------------------
東京ドームで30日夜あった大リーグ、ヤンキース対デビルレイズの日本開幕戦でダフ屋行為をしたとして、
警視庁は31日、東京都江東区東砂2丁目、無職徳川雅一(38)と住所不定、無職伊藤一二(56)の両容疑者を、
都迷惑防止条例違反(ダフ屋行為)の疑いで現行犯逮捕した、と発表した。
生活安全特別捜査隊の調べでは、徳川容疑者は30日午後6時15分ごろ、文京区の東京ドーム付近のビル内で、
内野の指定席B券(定価1万円)を、鳥取県境港市の会社員(45)に2万円で売った疑い。これとは別に伊藤容疑者は同じころ、
東京都三鷹市の会社員(41)から外野指定席(同5000円)を50円で買った疑い。
307 :
日本@名無史さん:04/04/07 15:08
朝鮮系じゃないの?
>>275 違うよ。
4行のレスからあれだけ想像できるのがただ凄いと感じただけで
特に否定的な気持でレスしたわけじゃないですよ。
つかゴミスレあげるな!
311 :
日本@名無史さん:04/04/08 11:03
あげ
┏ ━ゝヽ''人∧━∧从━〆A!゚━━┓。
╋┓“〓┃ < ゝ\',冫。’ 、 ' 〃Ν ; ゛△│´'´,.ゝ'┃. ●┃ ┃┃
┃┃_.━┛ヤ━━━━━━━∧_∧━━━━━━━━━━ ━┛ ・ ・
∇ ┠─Σ┼ ○<,,`∀´,,>○ 冫 そ',´; ┨'゚,。来てやったニダー!
.。冫▽ < ゝ、 ,ノ 乙 ≧ ▽
。 ┃ Σ (⌒ゞ ,l, 、'’ │ て く
┠─ム┼ ゝ,,ノ ノゝ. 、,,’.┼ ァ Ζ┨ ミo'’`
。、゚`。、 i/ レ' o。了 、'’ × 个o
○ ┃ `、,~´+√ ▽ ',!ヽ.◇ o┃
┗〆━┷ Z,.' /┷━''o ヾo┷+\━┛,゛;
313 :
日本@名無史さん:04/04/09 04:21
314 :
日本@名無史さん:04/04/09 16:49
質問させて下さい。
桓武天皇が班田収授の期間を6年から12年に延長させたのですが
その理由がわかりません。
教科書などでは確実に行わせるためと書かれていますが6年では無理
だったのでしょうか?
316 :
日本@名無史さん:04/04/12 14:31
大正デモクラシーは今の民主主義と全く変わるところはないのでしょうか?
>>316 白根。
民本主義と吉野作造で調べて見ろ。
318 :
日本@名無史さん:04/04/12 20:17
ここの「日本史」板を見つけて日が浅い。
「●●とともに苦難を乗り越えて行く」スレはいいですね。
ところで、過去の●●にはどんな人物がいたのでしょうか。
倉庫スレまでたどるのは大変なので、よろしく。
320 :
日本@名無史さん:04/04/14 01:24
江戸時代の日本の農民って
西欧封建制における農奴とほぼ同じと考えていいんですか?
321 :
日本@名無史さん:04/04/14 01:42
●Far away[2000.5.17] (華原朋美)Believe in Future [2000.2.23]
(浜崎)幸せは 口にすれば ほら 指の隙間 こぼれ落ちてゆく
(華原)幸せは いつだって 指の隙間を こぼれてく
●SEASONS [2000.6.7] (中島みゆき)時代
(浜崎)今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても
そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう
(中島)今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて ・・・ そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
●SEASONS [2000.6.7] (GLAY)ずっと2人で・・・(作詞:Takuro)[95.5.17]
(浜崎) 君に話した夢に 嘘は ひとつもなかった
(Takuro)あなたに話した夢に 何ひとつ そう何ひとつ 嘘など ないから
●SEASONS [2000.6.7] ドラマ「愛していると言ってくれ」(脚本:北川悦吏子)
(浜崎)今日がとても楽しいと 明日も きっと楽しくって そんな日々が
続いてく そう思っていた あの頃
(北川)あの頃は、今日楽しいと、明日も同じように きっと楽しい日が
続くんだと思ったわ
●SEASONS [2000.6.7] (松山千春)季節の中で
(浜崎)巡り巡りゆく限りある季節の中に ・・・そして 何を見つけるだろう
(松山)巡る巡る季節の中で あなたは 何を見つけるだろう
●SURREAL[2000.9.27] (ZARD)マイフレンド(作詞:坂井泉水)[96.1.8]
(浜崎)一人ぼっちで感じる孤独より 二人でいても感じる 孤独の方が辛い
(坂井)一人でいる時の淋しさより 二人でいる 孤独の方が哀しい
●girlish [2000.9.27] (B'z)あいかわらずな僕ら[91.11.27]
(浜崎)正しいとか 間違ってるだなんて たいした問題じゃなくて
(稲葉)いつでも正しい人なんているのかな まあそんな事たいした問題じゃないね
家内奉公の下人は奴隷かな?
324 :
日本@名無史さん:04/04/14 19:56
>>322 中世史家も、近世史家も
近世を封建制と見る点では一致していると思うのだが。
>>324 『木を見て森を見ず』
あいかわらずだね
コテハンは止めたの?
>コテハンは止めたの?
はあ?
327 :
日本@名無史さん:04/04/16 18:39
ゴロヴニンの「日本幽囚記」に、「日本人はシナ人を軽蔑してる」
って記述があったのですが、江戸時代にすでに日本人は
中国人を軽蔑していたのですか?
328 :
日本@名無史さん:04/04/16 20:30
初めてこの板にやってきました
原爆について質問したいんですけど
@原爆落とされたから降伏したと言われてますけど、それを示す記録とか残ってるんですか?議事録とか日記とか 原爆のために誰々がこういうふうに考え方を変えたというふうな
A降伏に追い込むために民間人の上に原爆を落とすということはアリなんですか?フセインが降伏しないんでバグダッドに原爆を落とすと言ってるのと同じように聞こえんですけど(もちろん時代はまったく違いますが)
僕は右でも左でもなく(たぶん)、知識として知りたいんですけど、どなたか教えてください
329 :
日本@名無史さん:04/04/16 21:46
>>328 1.日本が降伏したのは、原爆の被害に驚いたからではありません。
それまで中立だったソ連が攻めてきたからです。
2.非武装の民間人を殺すのは国際法違反です。原爆投下ももちろん国際法違反です。
「日本は家内制手工業が盛んだ。だから民家も軍需工場だ」
という素晴らしい理屈で無差別爆撃を正当化してます。
331 :
日本@名無史さん:04/04/16 21:56
質問です。
竹内理三の「平安遺文」という本に載っている文献を現代語に
下した本があれば教えてもらえませんか?
332 :
日本@名無史さん:04/04/16 22:23
吉田茂らの保守一派が原爆や空襲を非難しない理由がわかるかな?
彼らは、日本を敗北に追い込んだ米軍に感謝しているんだよ。
理由は、アジア侵略派軍部を叩き潰してくれて、出番を作ってくれたから。
だから、戦後保守政権は、一度も原爆や無差別空襲に抗議も非難もしてない。
右翼はみんな対米追従派になって犬の尻尾フリでこれまた抗議も非難もできない。
左翼だけが抗議・非難してきた。
それを押さえつけ、口封じしようとして来たのが歴代保守政権と右翼。
これでいいかな?3くん。
>>322 それは本歌取りなんだよ、平成の歌姫、現代を代表する女流歌人だけはあるw
334 :
日本@名無史さん:04/04/16 22:37
戦時中の日本政府は空襲や原爆投下を「国際法違反」としてちゃんとアメリカ政府に抗議しているんだよね。
これは正論。
まあ、日本軍自身も南京や重慶を空襲しているからオマエモナーだけどさ。
335 :
日本@名無史さん:04/04/16 23:57
元勲優遇の勅語(げんくんゆうぐうのちょくご)
天皇が個人的に特に依頼して自分を補佐するように求める勅語。
いわゆる元老に与えられ、次期首相の指名権を握るなどの権勢をふるう根拠になった。
「ご」
まあ日本なりドイツなりが原爆の開発に成功していたら、
躊躇わず使用しただろうからなー。
ちなみに大戦中、最大の死者数を出した爆撃は、東京でも広島でもなく、ドイツのドレスデン。
昼夜3回に渡る波状攻撃で、街はまさに塵芥と化した。正確な死者数は不明(東欧から大量の難民が流れ込んでいた為)。
この爆撃は、まさにドレスデンという街を地上から消滅させる為に冷酷な計画の下、実行された。
詳しくは児島襄でも読んでくれ。
ゲルニカ以来、世界中が狂っていったんだろうな。
もう西側先進国が無差別爆撃をすることはないだろう。
イラクで民間人の犠牲が出て騒がれてるが、あくまで誤爆だしね。
第二次大戦中のアメリカ軍なら、ファルージャを徹底的に
爆撃して廃墟にしてから掃討するだろうな。
人間は少しずつだが進歩してるよ。
338 :
日本@名無史さん:04/04/17 11:28
>>336 日本軍内部では毒ガス使用に関して「それは卑怯だ!」といわれたようですが・・・史実かどうかは分かりませんが・・・。
339 :
日本@名無史さん:04/04/17 11:32
340 :
日本@名無史さん:04/04/17 15:09
戦前の日本で外国人と結婚した人っているのでしょうか?
もしそうなった場合、相手の外国人の国籍はどうなるのでしょうか?
日本が戦争に負けると植民地だった国の人は日本国籍を外されるわけですよね?
じゃあ外国人と結婚した人も元の国籍に戻されるのでしょうか?
またどこの国の人と結婚する事が多かったのでしょうか?
341 :
日本@名無史さん:04/04/17 22:22
ゲルニカ空襲の6年前に日本が無差別空襲してるんだよね。
1931年10月8日、錦州方面から反撃の勢いを示す張学良軍に対し、偵察機・戦闘機
混成の11機で約2tの爆弾を投下。けっこう国際世論に非難されてたみたい。
342 :
日本@名無史さん:04/04/17 22:42
1931年の時点で、偵察機・戦闘機混成の11機が約2tもの爆弾を投下できたのか?
機種は何だろう?
343 :
日本@名無史さん:04/04/17 22:57
87式軽爆撃機1機で500kgの爆弾を搭載できるが。
344 :
日本@名無史さん:04/04/17 23:19
>ゲルニカ空襲の6年前に日本が無差別空襲してるんだよね。
フィリピンでのアギナルドの独立運動に手を焼いた米は
非戦闘員の大量虐殺と、民間人の住居を焼き払い農地を
破壊していたわけで・・・
映画『市民ケーン』のモデルとなった人物は、
日清・日露戦争での日本軍を批判しても
自国の蛮行はパプテスマ風に正当化しているんだよね。
このまま続けると
どこより先にどの国が非戦闘員を無差別に殺し始めたのか?
でスレが立ちそうw
>>346 >このまま続けると
>どこより先にどの国が非戦闘員を無差別に殺し始めたのか?
>でスレが立ちそうw
つうか非戦闘員を無差別に殺さなくなったのはいつかを探した方が速いくらいです
20世紀になって大量に殺す事例が目立つだけで
有史以来、非戦闘員の無差別殺戮は日常茶飯事ですから
古代ギリシャなんか敵の城落としたら中の男を皆殺しなんてあちこち出てきます
殺さなくなったのは湾岸戦争以降かな
湾岸戦争も微妙だし、
そもそも、スパイ(平服で行動している敵)は殺しているんだから、線引きは無意味だろ。
反戦運動家が騒ぐかどうかの違いだと思うが。
350 :
日本@名無史さん:04/04/19 21:36
別にアメ公を擁護する気は全くないが、フィリピン・アメリカ戦争は、
フィリピンが後半ゲリラ戦にうつったわけで、非戦闘員虐殺かは微妙かと。
日本軍の旅順虐殺あたりが近代戦非戦闘員無差別殺戮の出だしだったりして。
乃木に責任はあるのか??
>>350 すまん。もしかしたらモロ族と混同しているかもしれない。
>フィリピンが後半ゲリラ戦にうつったわけで、非戦闘員虐殺かは微妙かと
村に残っている老人・女・子供のみを数万人殺すのは微妙なのかな?
アジア初の共和国を防衛し、スペインから奪還したばかりの自由を守ろうとしていたフィリピンの民間人と
革命軍を、ジェイコブ・スミス大将の軍勢が無差別に虐殺していた時、「私は捕虜などいらない。
諸君には、殺し、焼き尽くしてもらいたい。殺せば殺すほど、焼き尽くせば尽くすほど、私を喜ばせる」
というのが将軍命令だった。スミスは配下の部隊にサマル島を「鳥も通わぬ裸の荒れ地」にしてしまえと命じた。
一人の兵士が殺害下限年齢を指示してくださいと伺いをたてると、スミスは「10才以上は全部だ」と応じた。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/aiz/iraqof_sp-3.html ミンダナオのイスラム教徒はスペインからフィリピンの統治を譲り受けたアメリカに対しても抵抗、
1899年の比米戦争勃発とほぼ同時にモロ・アメリカ戦争が始まる。
中でも女性や子供を含む600人が虐殺されたダホ山の戦い(ホロ島、1906年)は有名で、
現在でもタウスグ族には強い反米感情が残っている。
1915年、スルー王国はアメリカと協定を結んでついにその支配下に下った。
http://www.t-macs.com/kiso/his/his_9.htm
>>350 >日本軍の旅順虐殺あたりが近代戦非戦闘員無差別殺戮の出だしだったりして。
日清戦争が近代の嚆矢とするのなら必然的に確定ですねw
清仏戦争以前が近代では無いとする発想は実に斬新です。
私は↓話を想起しますが如何でしょうか?(露土戦争やクリミア戦争は検索するのが面倒なので、、、)
当時のギリシャにおいては、「モンテ・クリスト伯」で有名な太守アリ・パシャ(1741‐1822)が大きな勢力を持っていました。
彼が1820年にトルコに反旗を翻したのが、ギリシャ独立戦争の端緒を開きます。
これに呼応して、ギリシャ各地で秘密結社などを中心とした反乱が起こり、1822年には独立を宣言するものすら現れました。
これに対し、トルコは徹底的弾圧に向かいます。
ドラクロワが描いた「シオの虐殺」(1822年、キオス島でトルコ軍が島民を虐殺した事件)も、この過程で起こった悲劇でした。
http://www3.tky.3web.ne.jp/~psyche/nog/Europe5.html
353 :
日本@名無史さん:04/04/19 23:20
非戦闘員の無差別殺戮が国際法違反とされる以前の事例を持ち出しても意味はなかろう。
『陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)』は1899年、及び1907年のハーグ平和会議にて締結されました。
ちなみに日本の締結は1912年です。
355 :
日本@名無史さん:04/04/19 23:33
>非戦闘員の無差別殺戮が国際法違反
誰も守らないことでのみ有名なやつ?
ちなみにベトナム戦争での韓国軍の虐殺はアノ、ホンカツでさえ無視できなかったね。
356 :
日本@名無史さん:04/04/19 23:45
357 :
日本@名無史さん:04/04/19 23:53
韓国では「朝鮮戦争」を「韓国戦争」というのか、知らなかったよ。
358 :
日本@名無史さん:04/04/20 00:47
中国人がチベットやウイグルで日々虐殺を行なっている最中に
おまいら何の話をしているんだ?
「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・
破壊・強奪・強姦が行われた。15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされ
た。僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術
によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ
事)」等の民族浄化に力を入れた。生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣
きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。「ジュネーブ法律家国
際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動におい
てばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばか
りでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。溺死させられ
たり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊
って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわ
たを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の
面前でなされた。犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いら
れた。」とある。
ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、
まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四〜六千万人といわれる。
360 :
日本@名無史さん:04/04/20 06:55
少し前までやっていた、「牡丹と薔薇」というドラマは
「あれは歴史上の人物をモデルにしている」と知人は言っていたのですが、
一体、誰をモデルにしたドラマだったのですか?
ヘキサゴンでダイジェストを見たのですが、あまりにも内容が激しかったので、
気になって質問しました。
>>340がスルーされているようだがw
ドキュメンタリーにもよく取り上げられている光子・クーデンホーフは
オーストリア人(正確に言えばチェコの貴族)と結婚した。
第一次世界大戦時に日本とオーストリアは敵対関係となったが
光子は日本に帰国していないし、オーストリア国籍も剥奪されなかった模様。
他にもA級戦犯となって獄死した東郷重徳の妻はドイツ人だし、
外国人と結婚していた日本人は結構多いと思うが。
もしピントの外れた回答だったらスマソ
362 :
日本@名無史さん:04/04/20 12:28
ちょんまげの結い方が載っているサイトを教えてください。
青木周蔵の嫁もたしかドイツ人
364 :
日本@名無史さん:04/04/21 02:41
日本一規模が大きい日本史の掲示板はここだと思うんですが
海外サイトで大きい日本史の掲示板はどこですか?
365 :
日本@名無史さん:04/04/21 19:45
みずらの結い方が載っているサイトを教えてください。
1995〜97年ごろに図書館で借りて読んだ本を探しています。
タイトルも著者も版元も忘れてしまいました。
図書館の蔵書検索をしても見つけ出すことができません。
内容は、徳川信康についての本で、
信康は信長の命令によって殺されたのではなく、
信康と岡崎衆の結束を恐れ、反乱を未然に防ぐために
家康自らの命令で自害させた、という考察をした本です。
この本知ってるよ、という方がいらっしゃいましたら教えてください。
よろしくお願いします。
>>365 今ぐぐって見ましたが、結い方が載っているサイトはないようですな。
図書館で髪型に関する本を探される方が早く情報にたどり着けるかと。
webcatで検索したら、比較的あたらしそうな本では
「日本の髪型と髪飾りの歴史」橋本澄子著(源流社)
というのが出てきた。結い方まで載っているかどうかは不明。
ちなみに「みずら」ではなく「みづら」です。
弥生時代ごろ墓の副葬品から身分の違いがあったと推測できるようですが
縄文時代に副葬品を埋める習慣がなかったことから
ただ単に時代の流れで副葬品を埋めるようになった(多いほど時代が新しい)とは
考えられなかったのですか?
369 :
日本@名無史さん:04/04/23 23:02
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
それぞれのお薦め本と、この時代の総合的なお薦め本を教えてチョ。
370 :
日本@名無史さん:04/04/24 00:04
皇室って明治天皇よりまえはお寺に葬られてたって本当ですか?
京都の泉湧寺がそうで、御寺と呼ばれてたそうなのですが・・・
だとしたら皇室が日ごろ行っている神道っぽい儀式はいったい
いつから行われていたのですか?
古代期と近現代を除けば火葬が一般的だった
皇室祭祀は室町時代にはかなり絶望的なほど衰退して
江戸期も幕府の許しがなければ行えなかった
372 :
日本@名無史さん:04/04/24 00:16
今日テレ東の番組に、例の武功夜話をもってる前野家が秀吉の自筆自画像入り書状を公開してたんだけど
紙などは一先ず置いといて、あれみてて筆跡で判別つけられる人いないもんかね。
トホホ人物伝か
>>370 江戸時代までは神道と仏教が一部、一緒くたな思想なってたの
明治の初めに廃仏毀釈がおこなわれて神と仏が分離された
で、皇室的にはもともと神道を原理にしていたのが明治時代に整備されて今にいたる
375 :
日本@名無史さん:04/04/24 12:12
>>366 消された後継者 徳川家康秘聞 典厩五郎著
世界文化社 ISBN4-418-94511-3 226ページ 1994年11月発行
これではないですか?
376 :
日本@名無史さん:04/04/24 19:11
>19 名前:学生さんは名前がない 投稿日:04/04/24 17:59 ID:e2ZDU0K2
>>4
>今上陛下は系図上"朝鮮人"の血を引いている。
>でもそれは強調して言うほどじゃない。この程度であれば誰でも混血していておかしくない。
>またその"朝鮮人"というのも今の"韓国人"とは違う民族と言っていいほど違う。
>今上陛下が朝鮮人なのであれば、韓国人はモンゴル人と言っても差し支えはない。
というのがあったんですが、具体的にどういうことなんでしょうか。
377 :
日本@名無史さん:04/04/24 19:19
質問というか発見だけども、武将の系図の捏造は平家なら平家と全く無関係では無いのでは?織田信長も母方が平家らしいとか、後北条氏も早雲の母が鎌倉北条氏の子孫と知りました。捏造する場合は母方の祖先や親戚の祖先から接点を探しているのでは?
関東大震災の時に朝鮮人が強盗略奪のデマで数千人が虐殺された、と
よく言われていますが、実際はどの程度信頼性があるんでしょうか?
なんか南京大虐殺と同じでずいぶん誇張されているような気がするんですが。
阪神大震災で地震の数時間後に、特定地区で
不自然な出火が多発していたことを考えれば、
活断層付近で生活している日本人は色色と考えねば
ならないことがあるのは事実。
381 :
日本@名無史さん:04/04/24 22:41
>>378 そのデマを流したのは某新聞です。
自然発生的に流れたのではありません。
実際に何人が殺されたかは不明。
警察が出動して朝鮮人を保護しています。
>>381 正力松太郎とかが流したって噂を聞いた事あるけど、確定した話なの?
>>379-383 レスサンクス
南京大虐殺とは違って何桁も
誇張しているいうわけでもなさそうですね。
>>382 表紙見てそれ以上読むの止めた。
勉強ってなあ…もうちょい権威あるところをソースにしてくれ。
官公庁とか新聞とか。
(別に君の意見を否定するわけではないよ。コヴァとかが嫌いなだけ)
386 :
日本@名無史さん:04/04/25 06:44
387 :
日本@名無史さん:04/04/25 14:04
この板でいいのか分かりませんが
分かる方がいたら教えてください。
昭和22年の1000円って今の価値にするといくら位ですか?
388 :
日本@名無史さん:04/04/25 14:23
苗字が「半澤(沢)」の歴史人物いますか?
どんなマイナーな人物でもいいです。お願いします。
>>375 すごい!この本だと思います。
どうもありがとうございました。
>>387 手元にある岩淵辰雄の『敗るる日まで』という本は、
昭和21年12月発売、230ページで25円
参考までに
コンドームが輸入される前の避妊の方法はどうだったのですか?
394 :
日本@名無史さん:04/04/26 00:45
395 :
日本@名無史さん:04/04/27 01:05
戦国期の庄屋というのは江戸期の庄屋とは違うのですか?
396 :
日本@名無史さん:04/04/28 13:31
新撰組駐屯の八木家は郷士だと思うんですが、当主は庶民ヘアですがどうしてですか?帯刀もしてないようですが・・・。
397 :
日本@名無史さん:04/04/28 16:38
毎年夏の奈良文化財研究所の木簡洗浄のアルバイトというのは
どういう人が雇用されるのですか。
398 :
日本@名無史さん:04/04/28 16:44
>>394 中国の遣隋使より前の倭人の図でないかい。
未開ぶりがよくわかるようにカリカルチュアしてある。
実際、このレベルだったのが悲しいが。
399 :
日本@名無史さん:04/04/28 16:45
>>398 わざと裸足に書かれてるんだよね。
半島人は靴をはいてるんだなこれが。
400 :
日本@名無史さん:04/04/28 16:47
このスレは、だんだんワンパターン化してきてるなぁ。
自作厨房は時間がたくさんあるからなぁ。
毎日家にいられてうらやましいぜ。
それはそれでいろいろ苦労があるんですよ〜
402 :
日本@名無史さん:04/04/28 21:00
日本統治時代の台湾の中等学校って
内地人と台湾人は共学だったんですか?
朝鮮では最後まで別学だったようですが。
403 :
日本@名無史さん:04/04/29 02:22
諭吉「天は人の上に人を作らず」って何かの引用だって聞いたんですが?
405 :
日本@名無史さん:04/04/29 03:59
406 :
日本@名無史さん:04/04/29 05:21
薩摩のおなごの正装は、透け襦袢って本当け?
407 :
日本@名無史さん:04/04/29 09:22
一品流水学集が載ってるサイト無いですよね?
図書館行かなきゃいけないか・・・・・・
>>401 家にいて飽きないの?
バイトとかもしてないの?
409 :
日本@名無史さん:04/04/29 14:16
幕末の土佐勤王党で、武市半平太切腹の前後で切腹した上士の人っているのでしょうか?
どうも郷士の集まりって印象があるのですが。。。
>>410 切腹したかどうかは知らんが、党に上士はいたと記憶している。
412 :
日本@名無史さん:04/04/29 22:37
杉田玄白は、成卿の顔を見ることができたのですか?
生まれた年が一緒なので、玄白が死んだ日と成卿の誕生日、どっちが早いのかと思いまして。
畿内ってどこからどのあたりのことを言うんでしょうか?
414 :
日本@名無史さん:04/04/30 02:02
415 :
日本@名無史さん:04/04/30 09:30
416 :
日本@名無史さん:04/04/30 09:37
>>410 調べてわからんなら、維新ネタでコテハン探してカラメ
3: ♪幕末の801カップリング♪ (42)
6: 土方歳三はホモ (310)
13: 明治維新とは一体なんだったのか?2 (737)
22: 最近の大河ドラマは面白くない (867)
29: 勇者竜馬vsエスケープ新選組and他旧幕府側勢力 (201)
31: お前ら、高杉晋作のスレがないってどういことよ! (607)
32: なぜ明治時代になるといきなりチビが増えたのか? (81)
51: 【維新】清河八郎【回天】 (151)
54: 最強宰相大久保利通 その三 (218)
60: 【花神】大村益次郎は英雄か?その2 (898)
63: 日本史をガンダム風に語れ (107)
64: 日韓併合は日本の歴史上の最大の過ちだ (470)
65: 【坂本 竜馬】って誰に殺されたのか語ろう★☆A (64)
79: 新撰組つまらないとか言ってけど結局見るんだろ? (140)
82: ● 土方歳三は単なる殺し屋! ● (399)
86: 【金沢市民をみると吐き気がするのですが・・】 (7)
93: 桂小五郎(木戸孝允)について語るスレ (321)
94: 中岡慎太郎 (262)
417 :
日本@名無史さん:04/04/30 09:37
Q.日本は中国から律令は取り入れたのに、どうして科挙は取り入れなかったのですか?
また、人材登用に影響はなかったのでしょうか?
外人が書いた日本史の本で(洋書OK)おすすめのはありますか?
日本史学会・業界の常識にとらわれていない面白いのがあれば読みたいです。
420 :
日本@名無史さん:04/05/02 14:48
質問です。
日本の近代化って、西洋ですでに完成したシステムを
そのまま受け入れたものだと言われたりもしますけど、
例えば今でも狩猟採集で暮らしている民族に
いきなり工場を与えて資本主義のシステムを教えても
うまく近代化できるはずはないですよね?
つまり日本が上手く近代化できたのって
江戸時代にそれなりの基盤ができていたからじゃないかと思うんですが
そういうことを書いてる本(言ってる研究者)があれば(いれば)教えてください。
よろしくお願いします!!
>日本の近代化って、西洋ですでに完成したシステムを
>そのまま受け入れたものだと言われたりもしますけど
西洋ですでに完成したシステムをそのまま受け入れて近代化した国ってあるのか?
西洋ですでに完成したシステムって具体的にはなんだろう・・・
>>385 ちゃんと読もうね。
引用してある資料は、官公庁とか新聞とか研究者の資料を、
ちゃんと異論/別論も含めて丁寧に検証している。だいたい、
グースはコヴァじゃないよ。小林の間違いも、山本のいい加減な
批判ではなく、ちゃんと資料に基づいて指摘している。
読みもせずにそういう事を言うのって「まず、結論ありき」の
左翼にありがちな態度で、そういう態度でいると山本弘のように
南京大虐殺関係の本は何十冊も読破した!と豪語しときながら、
間違いだらけの文章書いて赤っ恥をかき、基礎的な文献すら実は
読まずに、自分の脳内で数字をでっち上げていた事がばれ、
実は肯定派の偏った本や資料だけを読んでいた事が明るみに出て、
信頼を失う事になるよ。
423 :
日本@名無史さん:04/05/03 00:36
ホームページか何かで、
中世〜戦国時代の地図で、郡まで区分けされてる地図は
が記載されているものはありませんか?
424 :
日本@名無史さん:04/05/03 01:04
>>423 江戸時代のなら古地図をあつかっている古本屋を
こまめに探せば¥2000〜4000ぐらいで入手可。
宿場間の移動日数も把握できるやつはちと高いが
一万円あれば買える。
>>421 システムというか、大規模な工場とか憲法とかそういうもののつもりで書きました。
426 :
日本@名無史さん:04/05/04 16:35
NHKの新撰組が不評なようだけど
簡単に言ってどこらへんがおかしいの?
427 :
日本@名無史さん:04/05/04 18:08
>>426 @キャスティング
A丁髷・衣装・セット以外は現代劇にしか見えないところ
新撰組に限らないけど。
429 :
日本@名無史さん:04/05/04 22:29
清浦奎吾伯爵の素性と授爵の理由について詳細ギボン
430 :
日本@名無史さん:04/05/05 10:21
誰か赤坂御殿について教えてください。
431 :
日本@名無史さん:04/05/05 14:01
青森で10世紀から11世紀にかけての蝦夷の集落、防御性集落あるいは宗教施設跡といわれきたものの
防御性集落と見る説の有力な根拠となりうる遺跡が発掘されたようです。
それはいいとして、記事によると遺跡は既に道路になって一部しか残っていないようですが
なぜ道路になったあとに記事が出るんでしょうか。
>>431 行政と業者が工事を早くやらないと予算と売上が計上されないから。
今日の日経新聞朝刊私の履歴書の最後の段落にある
ボンボの意味を教えて下さい。
抜粋
(昔(昭和初期?)の炭坑の回想)
鍛冶屋の倅は餓鬼大将だから、何かと言えばそこに屯していたが、
ありとき、この餓鬼大将が、自分の妹を暗い片隅に寝せて、
ぼくたちひとりひとりに上に乗っかれと言う。
幼い妹の裾がはだけて、白い足がころりとしている。
嫌だと言ったが、その子もぼくも殴られるのが怖く、二人して重なった。
その内に股間が擦れてきたような案配で、痛くなり二人とも泣き出した。
のちに、田中小実昌が、兄貴は4歳の時にボンボした、
と何かに書きつづっているのは、このことだ。
質問です。
1、江戸時代、農民以外(職人とか商人)は年貢を治めなかったのですか?
2、やはり江戸時代、各藩が集めた年貢は幕府に「上納」されたりしたのですか?
1.屋敷にも年貢はかかる。ただし町人は地子免許(年貢がかからない)ことが多い。
2.吉宗の上米制のような特殊な例を除けば、基本的に上納はない。
437 :
日本@名無史さん:04/05/05 20:50
治安維持法による獄死者って何人ぐらいなんでしょうか?
刑務所の待遇はどんなもんだったんですかね?
438 :
日本@名無史さん:04/05/05 21:58
川上操六の操六って通称?諱?どっち?
もう一つの名前は何?
439 :
日本@名無史さん:04/05/05 22:15
断片的な情報をいれながら
程度の低い自作の適当な歴史作ってる中学生(どうやら武士ヲタ)
やめなさい。
ママに言いつけるわよ。
>>426 NHKは通常、方言指導や考証の専門家を入れてかなり史実に沿った(もしくは
そういう説もある、程度には根拠のある)内容を心掛けるのだが『新撰組」は
坂本龍馬と近藤勇が江戸でであっていたとか、史実無視が甚だしいのも、
旧来の大河ファンには不評のようです。
>>433 なんか悲しいな。
日本初の発見で、諸説あるうちの一つを裏付ける重要な遺跡らしいのに。
遺跡の発掘内容が公表されると道路が造れないって思ったのかな。
んとに、本来誰よりも国を愛して然るべき官僕が率先して史跡を侵して
サヨクプロ市民が保護活動してんだからわけわかんなくなる。
442 :
日本@名無史さん:04/05/07 19:45
酒造業の多くは明治以後創業ですが、これは江戸期は無許可で作っており明治になり許可を取ったということですか?
パチンコでCR何とか新撰組を打って以来、
「新撰組ってもしかしたら面白いんじゃないか?」
と思い立ったので何かしらから、新選組を学ぼうと思うのですが、
とっつき易い「初めての新撰組」みたいな書籍はあるでしょうか?
皆様はどんな媒体から新撰組に入りましたか?
別に書籍に限らなくてもいいので何かお勧めがあれば
(飽くまでもコアなものでなく初心者向けで)
教えて頂けないでしょうか?
一応は小説で入門しようと思いますが、DVDや映画など…又は
横山三国志のような入り方も悪くは無いと思ってますので、
幅広い入門法を教えて頂けないでしょうか?
>>442 発想が飛躍しすぎ。無許可も何も、江戸時代は許認可性の商売ではないし。
運上金や冥加金をおさめるのがイヤなどぶろく作りはいたかもしれんが、
それはしょせん甘酒に毛が生えたぐらいの生産量だしね。
上で誰かが書いてたけど、酒造りってのは設備とかも含めてかなりの資本が
ないとできない大規模な事業だから、富農層や幕府の肝煎りで始めたりした。
明治維新と言う時代の転換期に、時流に乗って儲けた連中が、
堅い商売(元手はいるが儲けも大きい)として始めたからだと思われ。
だいたい、灘伏見の関西の大手酒造メーカーはほとんどが江戸時代創業だろ?
つうか独立創業したんでないの?
446 :
日本@名無史さん:04/05/08 23:33
家にいて飽きないの?
バイトとかもしてないの?
447 :
日本@名無史さん:04/05/08 23:35
>>422 ちゃんと読もうね。
引用してある資料は、官公庁とか新聞とか研究者の資料を、
ちゃんと異論/別論も含めて丁寧に検証している。だいたい、
グースはコヴァじゃないよ。小林の間違いも、山本のいい加減な
批判ではなく、ちゃんと資料に基づいて指摘している。
読みもせずにそういう事を言うのって「まず、結論ありき」の
バカウヨにありがちな態度で、そういう態度でいると自由主義史観のように
南京大虐殺関係の本は何十冊も読破した!と豪語しときながら、
間違いだらけの文章書いて赤っ恥をかき、基礎的な文献すら実は
読まずに、自分の脳内で数字をでっち上げていた事がばれ、
実はマボロシ派の偏った本や資料だけを読んでいた事が明るみに出て、
信頼を失う事になるよ。
回答率低いな。
449 :
日本@名無史さん:04/05/08 23:59
>>448 明治なると諱などはなくなる。幼名は小六であったようだ。
450 :
日本@名無史さん:04/05/08 23:59
>>450 レスありがとうございます。
早速、黒鉄新撰組をググってみてもなかなかの好評価の様ですね。
明日にでも黒鉄新撰組を購入してみる事にしてみます。
もっともっと興味が駆り立てられるような
話だといいのですが(ドキドキ…)
452 :
日本@名無史さん:04/05/09 03:30
質問です。
今日引越しの片付けをしていたら過去帳が出てきました。
年代順で亡くなった人の名前が書いていたのですが、明治以前は
名前が2種類ありました。一つは今の苗字の人と、もう一つは○○屋(萬屋みたいな)
という名前の人です。両方共私の先祖らしいのですが、何故2つに名前が分かれてる
のか不思議です。
どうか教えてください。
453 :
日本@名無史さん:04/05/09 03:34
>>452 よくわからないけど、屋号と名字は両方あってもおかしくよ…
たとえば三井は越後屋だしね。
454 :
日本@名無史さん:04/05/09 04:18
>>454 類似スレがたくさんあるからこれ以上は迷惑。
>>452 江戸時代、身分はどうあれ、商売をやっていた家だと屋号を名乗って
いたのが普通。武士か、武士で無くとも苗字帯刀を許されていた者は
苗字も名乗る(公言する)ことができた。
龍馬の場合、苗字は坂本、屋号は才谷屋で、いづれも使っている。
>>452 歌舞伎も音羽屋だの成駒家だのの屋号が、名字とは別にあるでしょ。
あと、武士階級以外は名字がなかった訳ではないよ。地名とかから取った
簡単な物だったりする場合も多いけど、わりと家伝の名字はあった。
ただ、それを公的に名乗れなかっただけ。そのため、屋号という形で
カモフラージュしていたのよ。
龍馬の場合も、坂本と言う名字は先祖が武家の株を買って養子になった名字なので、
暗殺された時は才谷が通称として使われてたようだね。先祖伝来の名字の方が
愛着も使用頻度も大きかったんじゃないのかな。
>>449 其は存じ上げて居りますが、操六は江戸時代に元服したので通称と諱が有る筈。
460 :
日本@名無史さん:04/05/10 06:33
五衛府から六衛府への変化を教えて下さい。
一応、私の知識(正しいのかどうか判りませんが)だと、
五衛府・・・衛門府、左右衛士府、左右兵衛府
六衛府・・・左右近衛府、左右兵衛府、左右衛門府
だったと思います。
しかし、こないだ何の気なしに辞典をめくっていたら、
「左右衛士府が左右衛門府になった」
って書いてありました。
これらの機関は、それぞれどういう役割で、またどういう経緯で五衛府から六衛府になったのでしょうか?
よろしくお願いします。
461 :
日本@名無史さん:04/05/10 09:11
462 :
日本@名無史さん:04/05/10 23:06
江戸の奇妙な格好をした若者のことを何て言っていたか教えて下さい。
忘れて出てこないのですが、歌舞伎者ではないです
463 :
日本@名無史さん:04/05/10 23:14
通人?
464 :
日本@名無史さん:04/05/11 00:53
傾奇者?
465 :
日本@名無史さん:04/05/11 02:01
すきもの、ちんぴら。
正解を書いたらまずいのか?
467 :
日本@名無史さん:04/05/11 03:19
468 :
日本@名無史さん:04/05/11 03:27
信濃の名門伴野氏は江戸時代どうなりました?
469 :
日本@名無史さん:04/05/11 13:03
ゲームで
今川義元「まろを守れ」ってあるのですが
どうして今川が自分のことをまろって言うんですか?
470 :
日本@名無史さん:04/05/11 13:16
471 :
日本@名無史さん:04/05/11 14:20
472 :
日本@名無史さん:04/05/11 14:28
>>471 唐代(厳密には周)以降は「日本国王」という扱い。
冊封を受けない、つまり官爵を受けない不臣の国王。
>>472 それは、従属関係の無い独立国として認められていた
と思って良いのですか?
474 :
日本@名無史さん :04/05/11 14:41
日本史唯一、乱の成功例は壬申の乱だけだったかな?
>>473 そう、従属関係にはありません。格下の相手とは思っていたんでしょうが。
秀吉の朝鮮役後に送られた明国国書は「秀吉を日本国王に冊封する」って内容じゃなかったか。
あれが唯一の例外なの?
478 :
日本@名無史さん:04/05/11 19:46
でも秀吉が蹴ったんだから結局その冊封は成立してない。
479 :
日本@名無史さん:04/05/11 20:34
倭の五王は南朝から冊封をうけているが
飛鳥時代以降足利義満までは冊封をうけていない。
義満は永楽帝から日本国王に封ぜられているが
天皇の存在をどのように考えるかという問題が残る。
それは秀吉の場合も同じだろう。
480 :
日本@名無史さん:04/05/11 21:20
日清戦争の賠償金
二億両(テール〉
の、「テール」って何語ですか。
今の中国語で、両はテールではないですよね。
どなたか、お教えください。
481 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:34
質問ですが、
福沢諭吉の文明開化に果たした役割について教えてください。
482 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:41
うちの先祖は代々商人で、安政年間の地図にも商家として載っています。
そこには、「海老屋」という屋号と名前が書いてありました。
文久3年に建てられた墓が残っているのですが、その墓石には「○○家
代々乃墓」と刻まれているんです。
江戸時代に苗字が許されていたのって、武士だけだと学校で習った記憶が
あるのですが、なぜ江戸時代の商人に苗字があるのでしょうか?
ちなみに、○○は今でも我が家の苗字です。
>483
レスありがとうございます。
明治に入って四民平等になって、そこで武士以外も苗字を名乗るようになったって言うのは
正確ではないんですね。
>>482 詳しくは「苗字帯刀」スレを読んで欲しい。
歴史群像シリーズの話はどこのスレッドですればいいですか?
書籍板できけば?内容に付いてなら、そのジャンルによる。
>485
レスありがとうございます。
長年の疑問が解決しました。東海道の宿場町なので、御用商人だったのかもしれません。
490 :
日本@名無史さん:04/05/12 14:33
491 :
日本@名無史さん:04/05/12 18:30
あのー、江戸時代の話になりますが、
もしも武士が浪人になった場合、あとの生活は何して暮らすんでしょうか?
傘貼りだけでは生きていけないでしょうし。
また、武士として再就職もできたのでしょうか?
「寺子屋の先生」と「道場の先生」がツートップ。
腕に覚えがあればガードマンやら物盗りやら。
でも大抵は町人と大差ない暮らしになっていく。
493 :
日本@名無史さん:04/05/12 22:38
494 :
日本@名無史さん:04/05/12 23:46
悪徳商人の用心棒とか
495 :
日本@名無史さん:04/05/12 23:49
敵討ちの助太刀!やっぱこれだろ。
496 :
ネコはいつから:04/05/13 21:43
可愛くないのに受領なサギがいる話はなにかで聞きましたが、
ネコ可愛がりな帝記とかは伝わっていないのでしょうか?
497 :
日本@名無史さん:04/05/14 12:12
歴代首相の姓(源平藤橘)はわかりますか?
498 :
日本@名無史さん:04/05/14 20:55
平城京や平安京、藤原京の名の由来が知りたいです。
499 :
日本@名無史さん:04/05/14 21:49
京都などでお茶漬けを指して「おぶづけ」「ぶぶづけ」
お茶を指して「おぶ」「ぶぶ」などどいいますが、
この「おぶ」「ぶぶ」の語源は何なのでしょうか?
私は「お湯」が「おぶ」になまったのではないのかなと思ったのですが、
お湯やお茶を「ふーふー」冷ます様から「おふう」「おぶう」などと
いわれるようになったのではという話も聞きました。
真相はどうなのでしょう?
501 :
日本@名無史さん:04/05/14 22:04
天皇の祖先は韓国人なのに日本人はなぜ隠すのか?
502 :
日本@名無史さん:04/05/14 22:44
すいません、室町時代の生活のことについてなんですが
城主に仕えてる侍は普段どこに住んでいたのですか?
お城の中ですか?
それとも畑とかある別の家があってそこから通って
いたのでしょうか?
独身と妻帯者は違うのでしょうか?
503 :
日本@名無史さん:04/05/14 22:48
>>502 普段は自分の土地でお百姓さんしていますた。
504 :
日本@名無史さん:04/05/14 22:51
内閣府と内閣官房ってどう違うんですか?
505 :
日本@名無史さん:04/05/14 22:52
>>503 すいませんもっと詳しく訊いていいですか?
たとえば城主のおそば近くに仕えてる侍はどうだったのでしょうか。
お百姓をしていた侍はどれくらいの地位の人なのでしょうか。
506 :
日本@名無史さん:04/05/14 23:08
ああ、細々訊いてすいません。この時代の話を書こうと思ったのですが
いざとなると分からない事だらけで・・・。
楠正成などが普段お百姓をしていたとか、(鎌倉時代の人に
なるか)戦国時代の武士達が普段は自分の土地で百姓をしており
戦も農業の休みの時期を見てやったとかは文字で知っているのですが
たとえば浪人だったという明智光秀が仕官したとき、土地を与えられて
そこで農業しながら通ってたのかなとか、それとも一時的に城に
住み着いたのかなとか・・・。人質とか取ってたときその人質を住まわす
場所も城の中にあったみたいなことを大河ドラマでやってたし。
今一実態がつかめなかったもので・・・。
>>506 地域によっても違うし答えられない。
中世は複雑だから人物設定や地域を決めればなんでも書き放題だったり。
508 :
日本@名無史さん:04/05/14 23:16
網野先生だ石井先生だ笠松先生だ
その辺を読めば答えが出るだろう
509 :
日本@名無史さん:04/05/14 23:29
>>507 えっと、それは特定の地域だとハッキリしてるということ
なのでしょうか。それともよく実態が分からないので
いい加減に書いても大丈夫と言うことでしょうか。
すいません、何度も訊いちゃって。
>>502 >>506 >>509 どういう立場の人間を描くかで全然違うと思うのだが…
ともあれ、ある程度上の人間だと、もちろん田畑を耕してばかりはいられない。
下の者の冠婚葬祭、集落の祭事や共同作業の指揮、訴訟の調停、犯罪者の
捕縛、商売、領主や上士とのお付き合いなどなどで忙しい。この辺は名主・
庄屋・村長などと一緒。これ以下だと「武器を持ってて使うこともある農民」。
勿論土地住まい。逆に、これ以上だと土地経営は村の長に任せて、お勤め
で何処かへ行ったり戦の準備や占領地の指揮監督etc...で家を空けている
こともある。
ただ、室町時代は近侍の者以外は城(屋敷)近くに住む事はあまりない。
守護大名はそう仕事が多いわけじゃないから近侍の者も多くないし、
先ほど述べたように、大抵の武士は土地での仕事が多いから。それに、
呼びつけられて一番遠い国境から府に出向くにしても、何十日もかかる
わけじゃないから不便でもない。
戦国時代になってからは、戦が多いこと、下克上の心配、そして何よりも
大名が権限を強化して多忙になってきたから、多くの家臣達を城(屋敷)
近くに住まわせざるを得なくなってくるけれど。
結果、江戸時代になってリーマンのような武士が増えてくるんで、それ
以前は室町時代も戦国時代も似たり寄ったりじゃないかな。
書きたい人物像(地位、地域など)を具体的に設定して、どういう一年を
暮らしているのか、似たような人物の一年の生活を取り上げて考えると
いいよ。ここで考慮するべきなのは移動時間。
鎌倉時代の守護の財源について教えてください
それなりの「行政機構」みたいなものは備えていたはずだと思いますが、
運営用のリソースはどこから得ていたのでしょうか?
守護にはたしか給料がともなわないんじゃなかったっけ?
地頭としての給料の中から自前で費用を負担する。
513 :
日本@名無史さん:04/05/15 05:03
戦国・武田家のことについて質問させていただきます。
もう、すでに出た話題かもしれませんが…
信虎時代の家臣に、「虎」の字がつく人が多いのは分かるんです。
主君から偏諱を賜ったのでしょう。
でも信玄時代だと、「昌」の字が多いような気がするんです。
昌豊・昌景・昌幸・昌信・昌胤・昌輝・昌次・昌恒・・・・
これ、なんでですかね?
信玄って「晴信」の前は「信昌」とでも名乗っていたんでしょうか。
「晴」は将軍からの偏諱だから、「信」は武田家の通字だからあげられないのでしょうけど、じゃあ、なぜその代わりが「昌」なのか…
信玄の曽祖父に「信昌」という人がいますが、さすがにこれは関係ないですよね。
「晴」の代わりに「昌」だとしても、「昌」にする根拠が知りたいのです。
どなたかご存知でしたら、是非ご教授いただけるとありがたいのですが。よろしくお願いします。
514 :
日本@名無史さん:04/05/15 09:21
今年って皇紀何年ですか?
515 :
日本@名無史さん:04/05/15 09:40
>>510 有難うございます、参考になりました。
書こうと思ってる人物設定は、守護大名に仕えるそこそこ身分のある
家臣、を警護するような立場の人で、イメージとしては代々仕えてる
訳ではなくて没落した家の人でたまたまその家臣の人に雇われた
17歳ぐらいの人物なんですけど。(設定に無理があるかなあ・・・)
こういう場合、土地を持たないでその家臣の人の家に住み込んでるの
かな?とか考えたりしてたんですけど。
まだ訊きたい事がたくさんあるんですが、ここでずっと居ついていたら
他の方の質問の邪魔になるのでスレを立ててみようと思います。
516 :
日本@名無史さん:04/05/15 09:50
517 :
日本@名無史さん:04/05/15 14:33
518 :
日本@名無史さん:04/05/15 15:38
卑呼子の宗女壱与←宗女って何?
519 :
日本@名無史さん:04/05/15 20:12
〉〉517
信虎のじいちゃん=信玄の曽祖父、ですよね?
521 :
日本@名無史さん:04/05/16 01:05
生麦事件って英国人が殺されたわけですけど、
殺されたのが庶民だったら問題なかったんですかね。
通常、切捨て御免みたいなことはまず無かったと聞いたことがあります。
しかも他藩の領内で事件を起こしている訳で、普通に関係者は切腹ではないのですか?
>>518 当時の日本の音を漢字に当てているだけだよ。
523 :
日本@名無史さん:04/05/16 13:01
>>513 「昌」が多い、というのは単なる妄想ではないかという気がするが。
例えば信玄の子供達は1ダース以上いるが、
「昌」がついた名前は確かなかったと記憶している。
配下の武将達にしても、「昌」のつく、活躍した武将を集めてくれば、
それだけの数にはなるだろうが、「昌」のつかない武将はもっと多い。
武田家に「昌」がついた人間がいることを勘案するならば、
そのくらいいてもむしろ自然ではなかろうか。
だいたい、多い少ないは印象論になり易いのだから、
どうしてもそう主張したいのならば、
1.武田家における「昌」とつく武将(武将も、従卒何人以上とか定義を明確にして)
が全体の何%いて
2.他家に比べてどうなのか、
を示す必要がある。
その際、高遠家・諏訪家等信州の武将や
今川旧臣のような移籍組は統計上どう扱うのかも、
基準をはっきりさせねばならないしな。
>>513 「昌」は信玄の曽祖父から頂いたものでいいとおもいますよ。
信昌は武田家の守護復権に成果をあげています。
永昌院、長生寺開基となるなど寺院との関係を重要視しているのも伺えます。
信玄にとって手本となる人物だったと思われます。
昌には「広く栄える」意味があるので縁起の良さもあったかもしれません。
推察の域はでないのですが、信玄公の言葉が記録として残ってないのなら、信昌でFA。
>>523 彼は主張しにきているのではなく質問してるんだが・・・
逝ってる事もめちゃくちゃだな。釣りにしては無駄に長いし
>>521 大名行列に立ち塞がったら切り捨てられるというのは常識。当然の行動だったわけ。
>通常、切捨て御免みたいなことはまず無かったと聞いたことがあります。
これは本当、私事で切り捨てる事を禁じていたため。仇討ちさえ禁止されていました。
526 :
日本@名無史さん:04/05/16 16:43
>>524 どこがめちゃくちゃなのか説明したまえ。
質問者は、「昌」が多いとした上で質問しているわけだが、
その、多いと決めつけているところに問題があり、
ゆえに質問自体が成り立たないのではないか、というのが拙論の要旨である。
したがって、どうしてもその質問に回答を貰いたいなら、
まず、その前提条件である「昌」が客観的数字として多いかどうかを
示す必要があるではないか。
>523=>526
餅漬
無理に難しい言葉を使って背伸びせずに普段の言葉で落ち着いて書いてくれんものか・・・
528 :
日本@名無史さん:04/05/16 18:47
>>526 >でも信玄時代だと、「昌」の字が多いような気がするんです。
気がすると言っているだけで、決めつけてはいないと思うのですが
ささやかな疑問を難癖つけて踏みつけにするのはどうかと
848 :日本@名無史さん :04/04/30 00:27
ハゲしくガイシュツかもしれませんが…
信虎時代の家臣に、「虎」の字がつく人が多いのは分かるんです。
主君から偏諱を賜ったのでしょう。
でも信玄時代だと、「昌」の字が多いような気がするんです。
昌豊・昌景・昌幸・昌信・昌胤・・・・
これ、なんでですかね?
信玄って「晴信」の前は「信昌」とでも名乗っていたんでしょうか。
教えて、エロい人。
>ささやかな疑問を難癖つけて踏みつけにするのはどうかと
マルチは嫌われる、ただそれだけのこと。
530 :
日本@名無史さん:04/05/16 20:01
>528
気がするだろうが何だろうが、
それを前提とした質問をしている以上、
「それは単なる気のせいだ」と指摘してやるのも回答の内。
>524
丁寧なお答え、誠にありがとうございます。
>523>526
質問の前提が妄想であり、それを証明しない限り、質問として成り立たない、
とおっしゃるなら、それで十分です。ご返信、ありがとうございます。
どうしてもそう主張したいわけではありませんので。
こちらには、統計学的に証明する手立てがありません。
では、以下の質問ならどうでしょうか。
「信玄時代の偏諱は、なんでしょうか?」
「信玄時代に、偏諱の授与はあったのでしょうか?」
>例えば信玄の子供達は1ダース以上いるが、
>「昌」がついた名前は確かなかったと記憶している。
足利将軍家と細川京兆家、また織田家や後北条家の例を見ても、偏諱とは、基本的に
兄弟や息子ではなく、家臣に与えるものだと思います。兄弟や息子の場合、通字の
ほうを使うと思います。
>武田家に「昌」がついた人間がいることを勘案するならば、
>そのくらいいてもむしろ自然ではなかろうか。
武田家に「昌」の字のついた人間はいましたが、主君レベル(偏諱を与えられるレ
ベル)だと、「信昌」(信玄の曽祖父)くらいです。「そのくらいいてむしろ当然」
になる理由がわかりません。
>529
あちこちに質問したのは事実です。それがマナー違反なら謝ります。
申し訳ありませんでした。
532 :
日本@名無史さん:04/05/17 02:29
>>531 君にどうこういうつもりはないが
>足利将軍家と細川京兆家、また織田家や後北条家の例を見ても、偏諱とは、基本的に
>兄弟や息子ではなく、家臣に与えるものだと思います。兄弟や息子の場合、通字の
>ほうを使うと思います。
これは少しちがうと思う。
例えば織田では長益は兄弟だし、北条では直重は息子だし。
そもそも北条、織田、武田等では通字を偏諱として与えることが多いし。
>532
>通字を偏諱として与えることが多いし。
「多い」「少ない」という言葉は、使うのを控えたほうが・・・。
それはさておき、
もちろん例外はありますが、私は、例えば足利将軍家と細川京兆家の諱を見て、
・将軍家一族は「義」の字を諱の始めにつける(通字)
(斯波、畠山なども「義」の字を多用してますね。)
・将軍家家臣は、将軍の諱の下の字をもらい、それを上につける(偏諱)
(鎌倉公方の諱は、このパターンが結構いますね。)
と、単純に考えていました。他の家の諱を見ても、大体このパターンでうまく行く
ケースが多かったもので。武田家も、北条家も、織田家も、大方このパターンかな、と。
(もちろん、通字や偏諱はそれぞれ変わりますが。)
江戸期の将軍家と御三家の諱も、そうかなあ。
でも、そんなに単純じゃないようですね。大事な通字を家臣に与えることもあるし。
(信玄の長男は、将軍家の通字をもらってますね。)
もうちょっと自分で調べてみますね。いろいろどうも。
ところで、
「信玄時代の偏諱は、なんでしょうか?」
「信玄時代に、偏諱の授与はあったのでしょうか?」
には、答えていただけませんか?
534 :
日本@名無史さん:04/05/17 18:56
>533
マルチポスト厨に対するにふさわしい回答はこうだな。
「知らん。
よっしゃこい」
武田家に「昌」がついた人間は多いと俺も思うよ。
なんでかは俺も気になる。
>543
満足?
知らんのやったら答えんでええよ。ここ「質問スレ」やし。
どっかからパクってきたような煽り文句も大して面白くないし。
でも、そこそこ楽しめたからいいや。
あの、もういい加減、本来の「初心者用質問スレ」に戻しませんか?
とりあえず、私はこれで。
曾祖父の名の一字を与えるということを
偏諱と呼べるんですかね。
538 :
日本@名無史さん:04/05/17 21:03
信長が長宗我部元親を評して「鳥なき島の蝙蝠」といってますが、どういう意味なんでしょうか。
本来は三戦板のほうがいいのでしょうが、そういう雰囲気ではないのでここに書き込みました。
539 :
日本@名無史さん:04/05/17 23:18
もし、15代で江戸時代が終わっていなければ、現代はどういう風に変化してたんでしょうかね・・・。
今とあまりかわってないんじゃないか?
ただ、諸藩が残って連邦国家みたいになってたと思うけど。
541 :
日本@名無史さん:04/05/18 01:44
>>538 「鳥がいない島では蝙蝠しか飛ぶ生き物がいないから目立つけど、
しょせん蝙蝠、鳥とは比べものにはならない」ってな感じですかね。
元親は周囲に強敵がいないから勢力を伸ばしているだけで
実力は二流というわけです。
ここで聞いたもんかどうか迷ったのですが、とりあえず聞いてみます。
日本人って、宗教的にものすごく寛容ですよね?
いい加減、と言ってもいいかもしれない。キリスト教の祭礼も、仏教のお祭りも、神道の行事も
同時に行ってもなんとも思わないし、べつだん不思議にも思わない。
でも外国のヒトはそうじゃない。
こういう宗教的いい加減さってのは、いったいどこからきているんでしょうかね?
わかるかた、どうか教えてください。
これについて書かれた本をご紹介くださってもいいです。
543 :
二本@名無史さん:04/05/18 03:06
こんばんわー。
最近、「おーい竜馬」を読み終わり、今まであまり好きではなかった
日本史に興味を持ち始めました。
幕末は面白い!と思い、新撰組関連の本も数冊読みました。
そして、300年(?)続いた徳川幕府に興味を持ち、徳川家康
に興味を持ち、ライバルの豊臣秀吉を読み、戦国時代に興味を
もち・・・・という所で、ふと疑問が湧いたのです。
天皇って、いつから居たのですか?
天皇の最初って、誰なのでしょうか・・・?
気になって、ぐぐってみているのですが、適切なキーワード
も思いつかず、探しきれないでいます。
ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。
544 :
日本@名無史さん:04/05/18 03:24
>>541 蝙蝠は鳥と獣の諍いで二枚舌を使うけど
偶偶、四国には鳥がいないので
元親は自分を獣だと偽って擦り寄ってきたにすぎない。
つまり信長は元親を辺幅常無き人物と見なしたのでは?
>>542 一神教と多神教。
質問スレで確かな根拠もなく答えるのはいかがなものかと思う。
>>542 吉野裕子の『隠された神々』を読むと、日本の神道の神々が、実は道教の神々を元に名前を変えた
(あるいは創作された)事が分かります。
その道教も、荘子の思想をベースに老子の存在を後に創作して開祖的な位置に置き、中国土着の民間信仰と
神仙思想を混淆して作られたとする説もあるぐらいです。論語や荘子を始め、孟子にも著名な思想家として
老子の話が一切出てこないため、孟子以降の時期に、いわゆる通俗道教が形成されたと考えられています。
司馬遷の史記では、老子のまとまった記述が出ていますので、孟子以降漢代初頭に道教は成立しました。
中国は実は他民族国家で、多様な民族の伝承説話が色々とあり、道教の発達の過程でそれらを取り入れ
ていった形跡が認められます。このように、日本の神道の元になったと考えられる道教自体が、土俗信仰の
混淆と言う特徴があります。分かり易い所では、西遊記でしょうか。あの中では、道教の神様であるはずの
天帝と、仏教のお釈迦様、儒教の孔子が並列して神様として扱われていますよね。あのようなゆるさ、
他宗教に寛容な部分が、日本の神道のベースにあるのでしょう。日本自体の自然信仰と道教(具体的には
よりオカルティックな要素が多い五斗米道と考えられる)がさらに混淆して、現在の日本人の宗教観が
成立したと考えられます。
もちろん、もっと多様な原因と切り口もあるでしょうが、ひとつの見方として。
>中国は実は他民族国家で、
中国を単一民族国家だと考えている人ってどんな人?
二、三十年ぐらい前はそういう考え方が一般的だったんですか?
>>542 ちくま新書 「日本人はなぜ無宗教なのか」、阿満利麿著
浄土真宗関係の人が書いているので自分の宗教に引き寄せて書いてあるものの
自然宗教の形で日本人の宗教観の分析をしています
>天皇の最初って
そういうスレがあるよ
551 :
日本@名無史さん:04/05/18 19:13
前田利家の愛刀の名前を教えてください。
すまん。
龍馬の血液型って何か解る人いますか?
554 :
日本@名無史さん:04/05/18 20:45
>>552 知らん。
それに前田利家はむしろ槍だと思うが。
>>553 いや、飛び散った血の付いた屏風とかあるから、
今の技術なら検証出来てるんじゃないかと思って。
ただ、ぐぐっても、ひっかからなかったんだけど…。
>>551 検索すりゃいくつでもでてくるよ
有名な愛刀家なんだから
557 :
日本@名無史さん:04/05/18 21:38
マニュファクチュア
マニファクチュア
マニュファクチェア
マニフェクチュア
どれが正しいんだ?
普通はマニュファクチュア
たぶんこれはそれっぽく聞こえ、なおかつ
元の綴りを類推しやすいという便宜による
>>555 その通りですが、実際に調べられたという話がないようなので、
血液型も判ってないという次第。ところであの屏風、確か文化
財でしたよね。調べたいと言っても許可が下りるかどうか。
560 :
日本@名無史さん:04/05/19 00:14
入唐八家の常暁の師の名前を教えて下さい。
>>547 初心者にありがちな誤解(漢民族という民族が実態としてあると思い込む)を
そうではないよ、と言ってるだけじゃん。二、三十年ぐらい前ぐらいどころか、
普通の日本人にとっては、中国の神話が南方系の神話や北方系のツングース系の
神話の混淆であり、司馬遷の時代の伝承ですら黄河流域を中心とした、いわゆる
本来の漢民族の神話伝承が希薄である事なんて、常識でもなんでもないでしょ。
三国時代に人口が激減し、実際の人口構成的にはトルコ系民族が現在にも続く
漢民族の主流であるってことをここで言及してもしゃあないでしょうに。
レベルの低い突っ込みだね。
>>561 レベルの低い突っ込みだね。
頼むから君一人で日本史板のレベルを落とすのは止めてくれ。
デムパを書きたいなら、それようのスレがあるだろ。
何処とは言わんが・・・
初心者向け質問スレで議論おっぱじめるバカはどっか逝けよ
564 :
日本@名無史さん:04/05/19 22:26
小官は、言い合い隔離スレを作るべきと意見具申いたします。
>>564 デムパは所構わず飛び回るので隔離不能、故に却下。
>初心者にありがちな誤解(漢民族という民族が実態としてあると思い込む)をそうではないよ、と言ってるだけじゃん
漢民族のみが中国人民なんですか・・・
561は日本語が苦手なのか?
それともチベットやウイグル等の民族浄化は終了したと思いこんでいるのか?
>>566 よく分らんが、日本を語るのに琉球やアイヌ人を除外して大和民族のみを語っていると言いたいのか?
自分の知識をひけらかしたいというだけの理由で何かを語りたがる中高生は珍しく無いわけで・・・
大人になるということは何を為すべきかということを認識できるというわけで・・・
厨房がスレの雰囲気を悪くするのは見苦しいわけで・・・
ここは初心者質問スレなわけで・・・
バランスの良い住み分けを期待したいわけで・・・
そこんとこ一つよろしく。
569 :
日本@名無史さん:04/05/20 22:02
なぁ、質問したいんだが・・・。
5代では、柳沢吉保
6・7代では、間部詮房
9代では、大岡忠光
・・・
という風に、側用人が居ることに対して 吉宗は側用人を設置しなかったのか。
事実上、大岡忠相らが側用人なのか?
570 :
日本@名無史さん:04/05/20 22:25
>>569 吉宗が新設した御用取次の有馬氏倫・加納久通が側用人のようなもの。
紀州藩出身の彼らは享保11年には1万石の大名となっている。
571 :
日本@名無史さん:04/05/21 00:08
572 :
日本@名無史さん:04/05/21 15:16
ああ、ジェームズ三木脚本の「徳川吉宗」は面白かったなあ……
三谷に時代劇は無理ほ
573 :
日本@名無史さん:04/05/21 22:12
日本で一般庶民が写真を撮るようになったのはいつ頃からですか?自分の写真ね!
574 :
日本@名無史さん:04/05/22 09:44
武家時代の、将軍と武家の関係について軽く説明して頂けないでしょうか。(統治方法というのでしょうかね) お願いします。
575 :
日本@名無史さん:04/05/22 14:44
日本の歴史が簡潔に分かるような(できたら西暦何年から何時代だとかがすぐに分かるような)
サイト教えてくれませんか?自分で調べるの面倒くさいんで教えてくださいでつ^^
576 :
日本@名無史さん:04/05/22 16:14
江戸時代などで江戸城勤務で午前10時に老中などが出勤する場合
もし寝坊などで遅刻したら士道不覚悟で切腹、断絶にあるんでしょうか?
それとも身分の低い人はそうなるけど、役職がある人は不問?
577 :
日本@名無史さん:04/05/22 17:29
何で高校の歴史教科書等は縄文時代を
原始共産制として説明しているんでしょうか?
日本国は北朝鮮のような地上の楽園国家なんですか?
578 :
日本@名無史さん:04/05/22 17:42
>>577 古代は人々が自由を謳歌していました。
共産主義の賜物ですが、天皇という侵略者が
日向の地からおしよせ縄文の人々を大虐殺して
独裁政治を敷き、神として崇拝せよと命じました。
つまり日本は昔共産主義の国ということですよ。
579 :
日本@名無史さん:04/05/22 18:13
>>576 遅刻ぐらいだったらせいぜい出仕を短期間止められるぐらいじゃないかな?
武士にあらざる所行でも犯罪行為じゃなかったら切腹まではいかないと思います。
追放、遠流ぐらいだと思います。
でも老中が寝坊で遅刻って・・・1人暮らしじゃないんだから
580 :
日本@名無史さん:04/05/22 18:19
>>579 下級藩士や役人などはどうだったんでしょう。
581 :
日本@名無史さん:04/05/22 18:40
昭和天皇が死んだときテレビはCMがなかったと思いますが
そのときのスポンサーってテレビ局に金を払ったんでしょうか?
スポンサーからの全く金が入らなかったら大赤字ですよね?
逆に宣伝もないのにスポンサー料を払う必要もないですよね
それとも契約だから決まっているのか?
582 :
日本@名無史さん:04/05/22 20:08
すいません、安田講堂の事件について知りたいんですが、
どこにいけばいいでしょうか?
583 :
日本@名無史さん:04/05/22 20:36
584 :
日本@名無史さん:04/05/23 08:57
銀河帝国には白人しかいないのはどう考えてもおかしいよ。
同盟は帝国の圧制を逃れた人が作った国。
帝国は地球も領土の一部。
それと、ヤンは白人のフレデリカと結婚したが、同盟には人種偏見はないのか。
グリーンヒル大将「娘を黄色い猿などと結婚させん」って思ってたりして。
585 :
日本@名無史さん:04/05/23 17:24
>581
スポンサーにお伺いを立て、スポンサーサイドで自粛を決定。
特番ブッちぎった場合のイメージダウンを計算に入れれば、それほど損な話でもない。
586 :
日本@名無史さん:04/05/23 17:25
>584
厨房田中芳樹の書いた厨房向けノベルに何を期待しておられるので?
587 :
日本@名無史さん:04/05/23 20:43
古地図にかんするスレありましたか?
日本のダムとかで沈む前の地名とか知りたいんですが。
588 :
日本@名無史さん:04/05/23 22:02
卑弥呼の宗女って壹与と壱与のどちらが正しいのですか??
>>585 質問スレで確かな根拠もなく答えるのはいかがなものかと思う。
つか、妄想は妄想レスだと書いとけ
590 :
日本@名無史さん:04/05/24 09:21
>>548 :日本@名無史さん :04/05/18 13:54
>
>>542 >ちくま新書 「日本人はなぜ無宗教なのか」、阿満利麿著
>浄土真宗関係の人が書いているので自分の宗教に引き寄せて書いてあるものの
>自然宗教の形で日本人の宗教観の分析をしています
別に無視してもいいんだが、ネタとして言わしてもらえば・・・
新しい本を読んでから、ウキウキと質問して自分で答えるのは止めてくれ(爆笑。
自作自演厨房にはもうあきた。昔はしっかりしてたのになぁ、このスレ。
たったひとりの〜のおかげで・・・ハァ
591 :
日本@名無史さん:04/05/24 09:28
>>561 :日本@名無史さん :04/05/19 12:59
>三国時代に人口が激減し、実際の人口構成的にはトルコ系民族が現在にも続く
>漢民族の主流であるってことをここで言及してもしゃあないでしょうに。
しかし、ちゃんと勉強したことないのがモロバレのレスだな。
どうして、まずちゃんとした入門書をきちんと読まないのかな。
だから、こんなふうなトンデモ本のパクリとなるw。
あと、自作自演にさらに横から入るレスまで自作自演するの止めてねw。
バレバレで腹いたい。age・sageもたまにまちがえないでね!
ところで、義経任官の件と桜の件と近現代もダメだった件て何?
誰かキボンヌ!
こんなバカひさびさにみた
>>594 そうですよね。
シナ・チベット語族、シナ・タイ語族という言語学的範疇以外は、
最新の学問的成果からでさえ答えることができない漢民族について、
バサっと両断できる本をバカにしちゃいけないですよね。
たとえ、学界で相手にされてなくたって2チャンじゃ関係ないっすよね!
594 :
日本@名無史さん:04/05/24 17:00
595 :
日本@名無史さん:04/05/24 18:10
数も満足に数えられない池沼が学問板にいるのかよ
こいつら文系人間だから5以上は数えられないと思われ。
597 :
日本@名無史さん:04/05/24 23:09
司馬遼太郎が「江戸時代はほとんど汚職はなかった」と
何度も著作のなかで書いているんですが本当でしょうか?
信じられないんですが。
>質問スレで確かな根拠もなく答えるのはいかがなものかと思う。
そう思う確かな根拠もなくケチをつけるのはいかがなものかと思う。
>>599 >545>589
どちらへのレスかわからんが鼬害に根拠を明示することはしない。
ふさわしい板でたずねてごらん。
君が間違っている。
あと>545は漏れではないから、こっちは漏れも根拠をお尋ねしたい・・・
601 :
日本@名無史さん:04/05/25 01:10
空海と弘法大師ってどっちが正式名称なんですか?なんで名前が2つもあるの??
グーグルで検索してみたけど、難しくてよくわからなかったです。
DQNの僕にもわかるように詳しく且つ簡潔に教えてくだされ、どなたか偏差値の高いエロイ人。
空海は本名。苗字は『陸(りく)』 あわせて陸空海
なかなか洒落っ気のある名に見えるが、実際は日本書紀からの引用(推古天皇)
弘法大師の大師は天皇より送られる称号。お坊さんの最高位。ちなみに今まで
に三人しかいない。(一休大師、沢庵大師、弘法大師)
弘法は、筆のブランドの名前。広島の熊野というところで生産される筆を指して
弘法筆という。弘法も筆の誤りという格言は、ここから来ている。
中国へ留学して筆の作り方をこの地に伝えたことから空海も弘法と呼ばれるように
なった。
ちなみに大師号は死んでから与えられたので、生前は本名の空海でとおしていた。
読んだらお礼ちょうだいね。
ありがとうございます。勉強になりました。
つか、ここ親切なエロイ人が多いから安心するわ。
>>603 いかにどうしようもない質問でもネタで答えるのは良くないな。
606 :
日本@名無史さん:04/05/25 10:09
>>602 ( ・∀・)つIジュウマンエン
ちょっと少ないけど御礼です、とっといてください。
>>604 横レス失礼します。
「三人しか大師号を与えられた人がいない」という意味では?
ネタはネタスレでやれ。
>どちらへのレスかわからんが鼬害に根拠を明示することはしない。
俺はソースは出さないが他人はソースを出す必要がある、とは、
大したジャイアニズムですね。
ネタはネタ板でやれ。
……ここか!
>>602,
>>604,
>>607 大師号は朝廷から賜る諡号で
866年に最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師を賜ったのを初めとして、
多くの大師号がおくられています。
612 :
日本@名無史さん:04/05/25 21:31
>>601 空海って言うのは坊主になってからつけた名前
弘法大師って言うのは死んだ後、栄誉をたたえて送られた名前
だから生前は空海って呼ばれてた
>>611 ネタに突っ込まなくてもいいと思います
613 :
日本@名無史さん:04/05/25 21:45
教科書で「平氏は悪者、源氏は英雄」とされるのは、神戸が嫌いで、且つ
鎌倉を英雄の造った町としたい関東人の発想からなんでしょうか?
しかも、同じ平氏でも平将門(関東出身)が英雄っぽく扱われているのも
ますます解かりません。
614 :
日本@名無史さん:04/05/25 22:11
>教科書で「平氏は悪者、源氏は英雄」
そういう教科書を知らないのだが
具体例を挙げてくれませんか?
615 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:11
>>614 マンガ日本の歴史を見ると、明らかに源氏はイケメン(正義の味方風)、
平氏はギャグ顔(悪者風)に描かれています。
616 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:18
617 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:25
江戸時代以前のフツーの家屋には天井が無かったって本当?
>>612 初心者スレなんだから、ネタでもなんでも間違いは指摘しとくべきでしょう。
619 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:41
>>613 教科書ではなく、一般的なイメージとして書くがよいと
620 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:44
一般的に関西人は悪者イメージがあるんだから間違いではない
621 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:46
関西人が関東人より劣っているのは事実。
622 :
日本@名無史さん:04/05/25 23:52
623 :
横浜在住・平氏の子孫:04/05/26 00:21
鎌倉の将軍は源氏で、武士の棟梁。
しかし、それを支えた関東武士団の主だったのは平家の庶流なのは、忘れられがち。
平家は、壇ノ浦で滅び、平家の流れです、というと「落ち武者」っていうやつは、関東
関西問わず、歴史知らず。
嘘を嘘と見抜けない人は(ry
2ちゃんに何を期待してんだか…。
しょせんここはお遊び。
625 :
日本@名無史さん:04/05/26 04:47
歴史的にはどう考えても関東人の方がやばいだろ・・・
つか、おわっとる
620=621=625
自演厨の馬鹿はスルー
627 :
日本@名無史さん:04/05/26 15:01
同一人物認定キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
チョン市ね
自演すな
629 :
日本@名無史さん:04/05/26 15:51
在日認定キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
628氏に禿同
以下スルーでよろ
631 :
627 ◆G2NM99TIzo :04/05/26 16:00
名前消し忘れてまつよ
自演するなと言う奴が、自演するんでつかw
必死に騙りだったとレスするに100プゲラw
↓
おまいらやめれ。
どうでもいいが、在日認定だけはいかんな。
学問板住民のすることじゃない。
633 :
日本@名無史さん:04/05/26 16:08
ぶっちゃけありえなーい
>>613 もう30〜40年くらいになるのだけれど、
日本史という学問とは、
「世界史の発展法則」が日本にあてはまることを証明する学問である、
という一団がいた時代があったんですね。
その法則を四捨五入していうと、
人類社会というのは、奴隷制→封建制→資本主義→社会主義
という発展段階(ひとつくらいぬけてるかもしれん)を経て発展するので、
共産革命というのは歴史の必然であり、すべての社会・国家は
いずれ共産国家になる、ということになります。
で、彼らの頭の中では、
源氏というのは、「武士階級」を結集して奴隷制的古代的貴族社会を打倒し、
日本をひとつうえの発展段階に押し上げた英雄的存在であり、同時に
「階級闘争のシンボル」であったのに対し、
平氏は「武士階級」を裏切って古代的貴族階級の走狗となった
「階級の敵」
だったわけです。
(平将門はそれに失敗した先駆者だったという扱い)
別に、関東・関西は関係ありません。
いまの学界では、このような日本史の見方は抹殺されています。
ちょっと考えればこのような分け方は無意味である、ということは誰でもわかりますから。
が、世間には、そのころにうえつけられたイメージが残っているんでしょうね。
635 :
日本@名無史さん:04/05/26 19:44
そりゃあ「源頼朝は悪者。その悪者がつくった町が鎌倉。」なんて言われたら
神奈川人はみな嫌な顔をするだろうからね。
平清盛(神戸・福原京をつくった人)が悪者とされるのは、神戸が関東人から
嫌われている、というのも理由の一つだと思う。
まぁ結局、日本の歴史の教科書作ってるのが東京の出版社(関東人)だからね。
↑
おいおいw
〜人、〜人と勝手にくぎって一般化する香具師は学問板には
い ら な い 。
>>634 でも、石母田正の『中世的世界の形成』とかは
未だに史学の「古典的名著」とされてたりする・・・
639 :
日本@名無史さん:04/05/26 21:01
横書きの文字を右から読む様に為ったのは何時頃から何時迄ですか?
テスト直前で
「ウワッツラの知識でいいからとにかく言葉を暗記しないと・・・」
と切羽詰って時間の無いときに限って
日本史のいろいろな事例の意味や、つながりがわかり
日本史の勉強がスゴく面白くなるのは何故ですか?
わからない事象を資料集や辞典で調べたりするとそこに書いてある参照も読みたくなり
参照参照の無限リンクで軽く1時間以上戻ってこれなくなる。
非常に迷惑です。やめてください。
で、つぎのテストまでまた興味を失う、と。
641 :
日本@名無史さん:04/05/26 21:30
江戸時代(特に中期)の穢多と否認の違いについて教えていただけますでしょうか。
642 :
日本@名無史さん:04/05/26 21:35
すいませんが日本の投票権は、戦前は男子のみしか無かったですよね。
アメリカは男女共に投票権があり、ドイツもソ連も男女ともに
投票権があったはず。
戦前の日本はあまり民主的な政治ではなかったと言う事ですかね?
>>639 横書きはすべて左からよみます。
右から読む横書きに見えるものは、一行一文字の縦書きにすぎません。
よって右から読む横書きは存在しません。
フランス、スイスの女性参政権は戦後だよ。
>>642 アメリカの黒人はいつ選挙権あたえられたのかな?
1945年当時、いったいどれくらいの数の国が男女共に選挙権が与えられていたのだろうね。
当時日本人の多くは農家。そして家制度。仕事も家族単位で行うことが多かった。
そういった社会で一家族一票から二票(代表者として男)と考えるのは変だろうか。
しかしそういった制度自体も実際に民主的だったかどうかともあまり関係ない。
選挙だけなら北朝鮮だってやってる。
戦前といっても長い。時代によってぜんぜんちがう。
だからオマイが自分で色々しらべるこった。勉強になるぞ。図書館行け。
非人を否認と書いて質問してくる不誠実な奴の質問には答えたくない。
647 :
日本@名無史さん:04/05/26 23:36
時代劇見てたらお侍さんがよく刀を腰に2本差してますが、あの刀にはそれ
ぞれどんな意味があるんですか?あと、あんな風に腰に差しているだけ
なのに、戦っている時に抜け落ちたりしないんですか?教えてください。
648 :
日本@名無史さん:04/05/27 00:50
649 :
日本@名無史さん:04/05/27 01:08
だからあれは一行一文字の縦書きなんでしょって…。
俺は643じゃないが、このくらいの知識古典を勉強した人間なら
常識と思うが…。
あんまり痛いことは言わない方がいいぞ。世の中広いんだ。
>>646 もうちょっとやさしくいいなよ。
-----
はにこ
ちん
-----
↑
これが縦書き
-----
はちにんこ
-----
↑
これも一行一文字の縦書き
-----
こんちには
-----
↑
これが横書き
-----
つまり横書きとは左から一文字づつ書くこと。
昔の人は横書きってつもりで右から書いていたわけじゃなくて、
縦書きのつもりで右からかいていた。意識の問題ね。
でも縦書きより横書きが優勢になってきてから、その意識も
消えてしまって、昔は横書きは右から書いていたって勘違いしてるってこと。
しかし実際には横書き(つまり左から一文字づつね)は盛んにされてたよ。
別に全部右からってわけじゃない。
>>648 プ
猛者の集うこのスレで中途半端に他人を批判しないほうがいいって見本だなw
さらしage!
>猛者の集うこのスレで
・・・・・・
653 :
日本@名無史さん:04/05/27 01:43
確かに猛者はいないかもなw
>>648氏が痛いのは事実だが。。。
654 :
日本@名無史さん:04/05/27 15:18
屁理屈言うなよ。なにが一行一文字だよ。実質横書きだろ?
そういうのを揚げ足取りっていうんだよ。
まじ戦前の新聞見とけ。そこには右からの横書きがある。
あれが全部縦書きってのか?
はっきりいってあきれかえってんだよ。
痛いのはお前たちです。
655 :
日本@名無史さん:04/05/27 15:21
654にはげどう!
横に書いてるのに縦書きなんておかしい。
そんなの揚げ足取りっていうんだよ。
656 :
日本@名無史さん:04/05/27 15:22
俺も654さんの意見が正しいと思うな。
他の意見は屁理屈に聞こえるよ。
多分社会では通用しないと思う。
新聞は本文が縦書きで右から左方向に行を取るから、リードもそれにあわせてるだけ。
本文が横書きのもの(理工学書や語学の文法書など)は当時から左から右に書いた。
リード→見出し
すまんね
659 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:30
室町〜戦国時代くらいまでを一通り学べる書籍ってないっすかね?
通史のテキストよりちょっこす詳しいくらいで。
660 :
日本@名無史さん:04/05/27 17:48
あわせてたって、一文字ずつ書くならそれはもう横書きじゃないのか?
屁理屈がすぎる
661 :
日本@名無史さん:04/05/27 19:14
池沼が必死に自作自演してますね。
泣けてきます。
648は池沼。
自分の知識が否定されたのがそんなに悔しいのか?
663 :
日本@名無史さん:04/05/28 04:09
基地外さらしage
664 :
日本@名無史さん:04/05/28 08:36
とても学術的な板とは思えない、低レベルなカキコの応酬・・・
665 :
日本@名無史さん:04/05/28 11:33
日本史板でいいのかな・・・
とにかく質問があります。
皆さん、横井正一さんってご存知ですか?グアム島で戦争が終わったことも知らずに隠れていたあの人です。
それでその横井氏が本当は脱走兵だったとか、敵前逃亡したんだとかいう話を聞いたんですが、これは事実なんでしょうか?
ちょっと気になったもので。
667 :
日本@名無史さん:04/05/28 12:34
で、池沼の648は横書きの件、納得したのか?
668 :
日本@名無史さん:04/05/28 13:56
で、ぼちぼち>659の件ご返事いただけませんでしょうか?
ひとつよろ。
>>668 室町〜戦国っていう時代だけじゃなくて、
その時代のどういう事を知りたいのかを示した方が良いかと。
質問が具体的になればなるほど、それに対する答えも具体的にできる。
質問が曖昧だと答えも曖昧になる。
質問を上手にしようね。
670 :
日本@名無史さん:04/05/28 16:23
今、幕末のことを調べるために防長回天史を見ているのですが
その中に引用されている「小倉在陣日記」という日記の筆者は誰か
ご存知の方いませんか?
671 :
日本@名無史さん:04/05/29 00:37
享保の改革について
貨幣経済に広がりにともなって、農民が栽培するようになった綿・菜種
などの作物をなんと言うのですか?
673 :
日本@名無史さん:04/05/29 01:26
>672
thx
674 :
日本@名無史さん:04/05/29 15:33
648 :日本@名無史さん :04/05/27 00:50
>>643 は?
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
戦前の新聞の見出し見ろや。
見ましたが、なにか?
675 :
日本@名無史さん:04/05/29 16:13
>>ダミヤン666
>日本史板でいいのかな・・・
軍事板行け。
676 :
日本@名無史さん:04/05/30 00:08
平安時代前半を描いたオススメの歴史小説なんかないですか?
677 :
日本@名無史さん:04/05/30 00:37
>>676 悪いこと言わん。源氏物語読め。
究極のリアル。当時の宮廷文化が手にとるようにわかる。
基本だぞ。
679 :
日本@名無史さん:04/05/30 09:19
切腹って超痛いじゃないですか。
なんであんなセレモニーが普及したんですか?
喉掻き切ったほうがよほど楽に死ねるだろうし。
蛮勇を示すとかそんなのですか?
680 :
日本@名無史さん:04/05/30 09:21
小林ひとみは、現役のAV嬢なんだけど彼女には子どもがいたよね。
多分、中学生ぐらいと思うんだけど、母親がカメラの前で股を開いているのを、
どう思っているんだろうか。
それとPTAで学校に行っても問題にはならないんだろうか。
色々と考えると、恐ろしいよ。
681 :
日本@名無史さん:04/05/30 10:21
>678 あんなエロ小説を勧めるな
>679 なんとなく
682 :
日本@名無史さん:04/05/30 11:05
質問なのですが江戸城で鯉口三寸切ったら改易と聞きますがこういうことをして
改易・減封とかになった大名って有名な浅野家以外にもいるんでしょうか?
>>682 有名どころでは、
1684年、稲葉正休が堀田正俊に対し
1784年、佐野善左衛門が田沼意知に対し、
刃傷事件を起こしてますね。
(堀田は即死、田沼は後にこの怪我がもとで死亡)
稲葉はその場に居合わせたものにより斬殺、
佐野は切腹です。
両家ともに断絶です。
そのほか、江戸城内での刃傷事件は、5件(合計7件)の記録が残っているようですね。
すべて、加害者側が家名断絶・本人(死亡の場合は嫡子が)切腹、
被害者側はおとがめなしです。
684 :
日本@名無史さん:04/05/30 14:43
>>678 >>681 そのとおり。
いくら名作とはいえ、倫理的におかしな作品を読むのはこの先の
人格形成上よろしくないと思われ。
いわゆるエロチックな描写が多くあり、こんな作品をありがたがっている
人間は、どうかしている。
源氏物語は読むべきではない。
>>676 >>678 永井路子の『王朝序曲』とか。
平安前期を舞台にした小説は非常に少ない。のでお薦めもへったくれも無いというのが実状。
『源氏物語』の成立は11cなので平安中期かな?
質問です。
日本人は戦国期の終わりから江戸時代の最初の辺まで、(鎖国が徹底するまで)
わりと多くの日本人が、中国(明)、台湾、東南アジア、etc,etcに渡ってますよね。
また、日本人奴隷が東南アジアにいたという話もあります(秀吉のキリシタン禁制
の原因ともいわれています)。
山田長政で有名なアユタヤ(都市名)なんぞに、日本人街が出来て、最大1000〜
1500の日本人がいたといわれます。まあ山田長政自体が実在の人物で無いという
説もありますが・・。
タイ以外でもそこそこの日本人がいたわけですが、鎖国が完成する(帰国、出国の
禁止)と私が知ってるような歴史書では、「日本人街は衰退してしまいました。」という
記述とともにその後どうなったかはわからんが、無くなってしまいます。
アユタヤに関しては、山田長政(あるいはそれに当る人)の死後、焼き払われたと
いう記述があるというですが、その他の日本人街はどうなったのでしょうか。
当然、混血化がすすみ、その国に溶けてしまった。つうのが正しのでしょうが、少数
民族になって(ベトナムには中国人「漢人」系少数民族がいるという話です)残っている
ような情報は有りませんでしょうか。
>>683 ありがとうございます
結構、あるんですね
688 :
日本@名無史さん:04/05/30 22:45
江戸時代の力士は帯刀が許されてたんですか?関取だけ?
それと、関西と関東と別々に協会があったんでしょうか。
明治時代、全録公責証書を貰った士族が商売を始めて失敗し、
抱えた借金のかたに娘を売りに…
と言う事が良くあったと聞いたのですが事実でしょうか?
またもし事実なら何処に売りに出されたのでしょうか?(色町や紡績工場など)
スレタイには歓迎って書いてあるけどな、本当は歓迎なんてしねえからな。
おまいら覚悟して質問してこいよ。
692 :
日本@名無史さん:04/05/31 20:09
>683
>被害者側はおとがめなしです。
なあんだ、赤穂藩の主張していた「ケンカ両成敗だから吉良も罰せ」は
単なる言いがかりだったのか。
693 :
日本@名無史さん:04/05/31 20:55
>>692 被害者側が手を出してないから喧嘩両成敗はないしょっお!
694 :
日本@名無史さん:04/05/31 21:17
>>692-693 改易にこそならないけど、堀田なんかは実高が表高半分の所に転封されたようだが。
事件後、吉良の扱いは悪くならなかったのかな。
695 :
日本@名無史さん:04/05/31 21:24
>>694 江戸城に近い呉服橋の屋敷地を江戸城から遠い墨田川向こうの本所に移されました。
696 :
日本@名無史さん:04/05/31 21:29
>>695 高家だと石高は大した事ないから処分もそんなもんなんだね。
697 :
日本@名無史さん:04/05/31 21:54
吉良の官位は従四位上の少将だからな、並みの大名より上なんだよ。
698 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:20
じゃあ、官位下げるとかすれば、忠臣蔵の連中も討ち入らなかった
かもしれないね
699 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:26
>>698 官位を定めるはミカドゆえ幕府の知る事ではない。
700 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:28
>>698 どのような論理でその結論が出てくるのだ?
>>698 だから、基本的に忠臣蔵は、
赤穂浪士のいいがかりなんだって。
>699
江戸時代の官位って、朝廷が自主的に決めてたの?
幕府から依頼されるとかじゃなくて?
>700
面子の問題みたいだから、そこまですれば溜飲が下がる
んじゃないかと思って
703 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:53
高い官位を取得する為に公家工作をする人はいた。
幕府政権は緩やかな中央集権国家だから直接天皇家に接するもあり。
ここは雑談スレ?
705 :
日本@名無史さん:04/06/01 00:12
このスレで黒がねヒロシ「新撰組」がお勧めされていたので読んだ
で、その中にあった記述だが、
幕末になっても佐幕側の藩兵はまだ、手柄首を腰にぶら下げたり、
名乗りをあげたりしていたのか?
706 :
日本@名無史さん:04/06/01 00:39
707 :
日本@名無史さん:04/06/01 00:42
歴史への小説やドラマの影響力が恐いなぁと思っていたら、
漫画もあるのか?
708 :
日本@名無史さん:04/06/01 09:53
忠臣蔵ネタだけど
刃傷お家断絶の使者をのせた早駕篭が赤穂の家老宅へ急行なんて話があるけど
それの駕篭賃や宿場の支払いってどうなってたの?
急ぎの駕篭が各宿毎に人足代を払っていくなんて考えられんし
あとで纏めて?
709 :
日本@名無史さん:04/06/01 09:59
710 :
日本@名無史さん:04/06/01 11:06
インパール作戦のスレってないですか?
あるいは、大東亜戦争における日本軍の作戦についてのスレとか。
712 :
日本@名無史さん:04/06/01 13:58
>>711 歴史的に見てどうとかいうスレはないんですか?
もしないようでしたら、軍事板に行ってみます。
>>712 大東亜戦争全般のスレならある。
しかし、戦略的政治的な面からアプローチしたものしかない。
それもIFものや歴史的価値からの討論といったものであって、
作戦級まで語れる人はここにはいないと言っていい。ご希望
に添えるものは、おそらく見つからないと思う。
未回答の物だけ、知ってる範囲で。
>>617 囲炉裏などで煙を上に逃がすために天井がなかったようです。今でも田舎の旧家にはそういうのが多くあります。
>>647 戦国時代は3本持ってる合戦の絵もたくさん残っているので、特に決まってはいませんでしたが、後に慣習的に
2本になったようです。ただ、ちょっと失念しましたが一本指しが伝統の藩もあったように思います。
庶民も、旅行などの護身用として脇差しを一本だけ差す事が認められていました。脇差しは二尺以下の刀とされて
いましたが、ヤクザなどが長脇差しと称して作らせていたようです。
時代劇などで 刀の下緒(さげお)を鞘に巻いたまま帯に差しているので誤解がありますが、本来は鞘の下緒を
解いて、帯や袴に絡めて抜けないようにしていました。
>>679 蛮勇というのはどうかと。勇を示すという意識だったのは確かでしょうし、基本的に刑死とは意味合いも違いますし。
あと、介錯がいない場合には最後に喉を突きます。普通に腹を切っただけでは数時間は死なない場合が多いようです。
>>688 番付上位の力士は、大名のお抱えで士分格ですので、帯刀していました。身長が2メートル以上あった釈迦ヶ嶽と
いう力士の帯刀が千葉に残されていますが、刃渡りが4尺以上もある大振りな物です。多くの力士を抱えた雲州公の
地元の島根県立博物館には、雷電の刀なども残っています。
現在の協会とは違いますが、相撲会所という組織は江戸・大阪・京都の3つにありました。
715 :
日本@名無史さん:04/06/01 21:01
江戸時代の長崎貿易で実学医学の蘭書は沢山入ってきたようですが、
政治思想、哲学系の蘭書は入ってこなかったのでしょうか?
グロチウスやエラスムスなどが入ってくれば日本も随分変わったと思うのですが。
勿論沢山入ってきてるよ。
幕末から明治にかけての動きにはそういう外からの知識も影響を与えてる。
でないといきなり変革なんてできない。
島津氏は源氏の流れですか?
また島津氏の系譜について議論されているスレはありますか?
>>716 カントのような哲学書は入ってこなかったんですかね?
721 :
日本@名無史さん:04/06/05 19:59
795 :オイオイ、そりゃないだろ(爆笑 :04/06/04 22:56
702 :698 :04/05/31 22:35
>699
江戸時代の官位って、朝廷が自主的に決めてたの?
幕府から依頼されるとかじゃなくて?
703 :日本@名無史さん :04/05/31 22:53
高い官位を取得する為に公家工作をする人はいた。
幕府政権は緩やかな中央集権国家だから直接天皇家に接するもあり。
715 :日本@名無史さん :04/06/01 21:01
江戸時代の長崎貿易で実学医学の蘭書は沢山入ってきたようですが、
政治思想、哲学系の蘭書は入ってこなかったのでしょうか?
グロチウスやエラスムスなどが入ってくれば日本も随分変わったと思うのですが。
716 :日本@名無史さん :04/06/02 06:46
勿論沢山入ってきてるよ。
幕末から明治にかけての動きにはそういう外からの知識も影響を与えてる。
でないといきなり変革なんてできない。
専門外ですが・・・
門に関する定期的な質問は、つまりません。
ちなみに私は旧帝大の修士課程後期です。
725 :
日本@名無史さん:04/06/06 00:11
ワラタよ!
643 :日本@名無史さん :04/05/26 21:58
>>639 横書きはすべて左からよみます。
右から読む横書きに見えるものは、一行一文字の縦書きにすぎません。
よって右から読む横書きは存在しません。
>>639 横書きはすべて左からよみます。
右から読む横書きに見えるものは、一行一文字の縦書きにすぎません。
よって右から読む横書きは存在しません。
726 :
日本@名無史さん:04/06/06 00:41
>>723 すいません・・・門が好きなだけなんですが。
>>726 あまり気になさらずに
「修士課程後期」なんて日本の大学院には存在しませんから
サヨクウザイ
シソウヲカタリタイナラコヴァイタニデモイケ
アサハカナチシキヲフリマワシテ
ジサクジエン
キモイ
729 :
日本@名無史さん:04/06/06 12:54
宮本武蔵の生誕地には岡山説と兵庫説があり、在京マスコミは
徹底して岡山説を持ち上げようとしますが、それは兵庫(神戸)が
嫌われてるからですか?
ウヨクウザイ
シソウヲカタリタイナラコヴァイタニデモイケ
アサハカナチシキヲフリマワシテ
ジサクジエン
キモイ
732 :
日本@名無史さん:04/06/06 13:26
>>721 冠木門だったものに後代屋根を乗っけたんじゃないのかな
734 :
日本@名無史さん:04/06/06 21:09
>>732 ウヨとか天皇信者って、いつの時代でもバカが多いんですね。
それとも、バカだからウヨとか天皇信者になるのですか?
どっちなんですかね?
735 :
日本@名無史さん:04/06/06 21:15
一体どこで聞いたら良いものか分からずやってまいりました。
質問があります。
年の表記方法なのですが、現在でも元号による表記は西暦
と並んで日本では広く使われていますが、皇紀の方はまず
見かけません。
なぜ皇紀は廃れてしまったのでしょうか?
736 :
日本@名無史さん:04/06/06 21:26
>本来の日本語には「横書き」は存在しないのである
わるいけど、こう読み取るんだよw。
リブレットの次は岩波新書か。自作君は左寄りの本が好きなんだな。
737 :
日本@名無史さん:04/06/06 21:35
>>735 皇紀って実は、あんまり使われてなかったんだよ。
1930年代になってさえ、左翼の紀元節反対運動がおきている。
極論すれば、行事の時と戦中に一部で使われただけ。
1948年の祝日法で、国会で紀元節を廃止してます。
反省に基づいて、嘘をペケしたんでしょうね。
インドネシアでどうのとかはやめといてねw。
>>734 何で在日をバカだって断言するの?
それとも、>734は無知だから、在日ウヨが、天皇に嫌悪感を持たせるために街宣車を走らせているのを知らないの?
どっちなんですかね?
739 :
日本@名無史さん:04/06/06 22:27
>>733 ありがとうございます。>>677にもあるように門に横壁があるのが不思議なんです・・・。
740 :
日本@名無史さん:04/06/06 22:52
>>739 なんでしょう?現代建築作家の意匠かな?
古い建築ではないのではないかな。
嘘をペケって、西暦自体もあやしいもんでしょ
質問です。
大谷吉継の旗印って「黒地に白餅三つ」と言われてるんですが、
インターネッツで検索してみると、どうにも青っぽい画像がいっぱい出てきます。
本当は何色だったんでせうか?
743 :
日本@名無史さん:04/06/06 23:38
>>741 質問の意味不明です。
>>742 例えばどのサイトでしょうか?染め物は経年で色も変わります。
英語だって縦書きしたり右からの横書きする例外もあるんだから
そりゃ例外さがせば日本語だってある罠。
基本は
>643 :日本@名無史さん :04/05/26 21:58
>
>>639 >横書きはすべて左からよみます。
>右から読む横書きに見えるものは、一行一文字の縦書きにすぎません。
>よって右から読む横書きは存在しません。
でまちがってはおらんよ。
746 :
日本@名無史さん:04/06/07 00:45
>>742 遠くから見ると黒く見えたのかな?
日本語の色の表現は現代とは違うのでしょうね。
新緑の色を青葉ともいいますし。
747 :
日本@名無史さん:04/06/07 02:29
超誤爆でした。マジすんまそん。
749 :
日本@名無史さん:04/06/07 18:46
2ちゃんねらーって、なんでメガネブタばっかりなの?
751 :
日本@名無史さん:04/06/07 20:50
平安以降の日本に奴隷制度はあったのでしょうか?
人攫い、人買いの話は良くありますが、一応それらは違法行為ですよね?
制度としての奴隷制は律令制の崩壊後はなかったのでしょうか?
オマエモナー 【おまえ・もなー】
自分は確かにそうだが、お前だってそうだろという時に用いる。
諸刃の剣。
753 :
日本@名無史さん:04/06/07 21:16
そうともかぎらないんだな。
生きた日本語を知らない
>>752が知らないのも無理もないが。
われわれ日本人は辞書で日本語を習うわけじゃないからねえ。
755 :
日本@名無史さん:04/06/07 21:40
>そうともかぎらないんだな。
なぜはっきり否定しない?
757 :
日本@名無史さん:04/06/07 23:35
738は、なんで過剰反応しているんだ?
大和魂は右横書きだ!って軍の足を引っ張るのはのは、バカウヨではないのか???
758 :
日本@名無史さん:04/06/07 23:41
この人の読み取り能力が標準でしょう。
当時の教師や生徒は、「横書きは右から」と事実として認識してたからね。
理屈はともかく、当時の国民の認識の問題だからねぇ。
年寄りに聞くといいね。
ところで一番下の行の意味はわからないけど、なんだろ。
↓
736 :日本@名無史さん :04/06/06 21:26
>本来の日本語には「横書き」は存在しないのである
わるいけど、こう読み取るんだよw。
リブレットの次は岩波新書か。自作君は左寄りの本が好きなんだな。
山本大先生を罵倒する基地外グースを論破してください。
僕は馬鹿なのでできません。
お願いします。
南京大虐殺は絶対ありましたよね?
ね?
ね?
ね!
>当時の教師や生徒は、「横書きは右から」と事実として認識してたからね
おいおい…
「太平洋戦争」と「(第二次)世界大戦」の位置づけを教えてもらえないでしょうか?
「第二次世界大戦」を、「太平洋戦争」を含めて言う人もいますし
別のものだという人もいるんですよね。
第二次世界大戦のなかにヨーロッパの戦いや太平洋での戦いがあるのでは。
763 :
日本@名無史さん:04/06/08 18:03
自分なりに色々調べましたが分かりませんでした。
頼朝は、味方に付いた武士と???を結んで御家人とした。???の部分を教えて
ください。
765 :
日本@名無史さん:04/06/08 19:26
766 :
日本@名無史さん:04/06/08 19:45
御恩と奉公の関係
767 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:24
戦前の新聞の右横書きが、右横書きではないと・・・
あの岩波の著者もそんな曲解されては浮かばれまい・・・
768 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:27
769 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:43
安土城の本丸御殿は天皇行幸用さらにいえば「そのまま住まわせる気でいたんではないか」とさえ言われますが
とすると左右逆に造られている清涼殿と安土城本丸では、大臣以下の公卿たちが座る場所もテレコになりますよね。
それって官職の序列ー右より左が上。左大臣は東(日が昇る方角)に座るーの否定や崩壊になりませんか?
外観の復元からいえば、昨年ヴァチカンの偉い人に日本人が選ばれましたが
信長が宣教師に贈ってヴァチカンに所蔵されているという安土城の絵を捜せるくらいの力もてるのかな。
770 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:18
>>688 ありがとうございます。
新選組(大河)で舞の海演じる関取が帯刀していたものできになったんですが
帯刀していたということは、大名のお抱えだった可能性もあるんですか。
芹沢は殺しちゃってタニマチの大名からお咎めなかったんだろうか。
興行や協会の規模は全国・地方どっちでしょうか?
771 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:26
>>769 濱尾枢機卿は教皇庁政府の大臣(移住・移動者司牧評議会議長)
歴史と関係のないところだな。
772 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:28
>>771 ちょっと捜してくれませんか、ぐらいの提言してくれないかな。
774 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:31
>>772 ヴァチカンの官僚主義では他部署へなにか言う事など出来ません。
残念。
776 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:50
ヴァチカンに安土城の絵図面があるという伝説があるのかな?
もしそうなら濱尾枢機卿にお手紙でも書いてみればいいのでは。
発見できたならヴァチカンにとっても悪い事はあるまい。
777 :
日本@名無史さん:04/06/09 08:58
日本の植民地政策は移出超過で本国に何の経済的利益を齎さなかったどころか
大損害を蒙ったそうですが
そういう政策がなぜ議会=有権者に受け入れられらんですか?
確か当時も帝国議会に予算審議権ってありましたよね。
778 :
日本@名無史さん:04/06/09 11:04
質問 天皇の他にミカド、朝廷っていくつか名称があるけど、どう違うのですか?
779 :
日本@名無史さん:04/06/09 14:19
質問なのですが。
1800年前後の高田藩の関本丈左について知っておられる方はおられますでしょうか?
また、関本丈左について詳しく書かれた資料などはありますでしょうか?
よろしくお願いします。
>>777 当時の日本は、とにかく移民先を必要とし、市場を必要としていたことを忘れちゃいけません。
朝鮮も台湾も、マジで前近代の辺鄙なところだというのは百も承知。北海道も然り。満州は
(封禁政策のせいもあって)勢力の空白地でした。ならば「開拓しましょう、投資しましょう」と
来るのは当然じゃないでしょうか。しかも、アメリカさんを中心として次第に日本からの移民が
排除され貿易が止められたとあっては、こういった所に固執して活路を見出そうとするしか
ないのではないですか?
>>777 帝国主義が当時の先進国のトレンドだったから。
台湾も朝鮮も満州も、それこそなーんにもなかったが、資本を投下して(身銭を切って)、どうにか市場に育てようとした。
太平洋戦争では、「アジアの解放」をお題目に、極東の植民地を列強から切り離して自陣へ組み込もうとした。
しかし資本を回収する前に敗戦、そして全損。
まーしくじったってことやね。
782 :
日本@名無史さん:04/06/09 21:29
>>781-780 長期的には利益があがる予定があったってことですか?
そんな暢気な話でよく国民が納得しましたね。
>>782 ひょっとして、十年やそこ等で、開拓や開発というものが揚々とした成果を
上げられるとお思いでしたか?赤字続きとはいえ、1940年代はアヘンなど
悪習の駆逐にほぼ成功した段階であり、発展するにはこれからだった事を
忘れてはいませんか?
784 :
日本@名無史さん:04/06/09 22:23
農業以外は放置でプランテーション、農業基地に徹するとか
原住民は皆殺しにするか放逐するかして日本人移民を投入するとか短期的に利益を上げる方法はあったんじゃないですか?
もしかして天然さんなのか…?
単純に経営というものを理解していないだけではないかと。
スルーできんのは
アラシの自演だからか?
>>768 >新聞は縦書き
ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
右横書きの題字を見たことないのぉぉぉぉぉぉぉ???????
>朝鮮支配
貿易は日本本土の黒字だよ。
そのほか、民間資本はぼろもうけしまくりだよ。
インフラ投資や軍事インフラ投資が赤字は当たり前。民間資本のために投資だからw。
その計算方法ならならイギリスのインド統治も赤字になる。
朝鮮でも満州でも台湾でも、民間資本はしっかり大儲けしています。
10万人の在朝鮮日本人が、2000万人(?)の朝鮮人の土地の1/20を所有。
つまり、朝鮮に行くと、現地人の10倍の豊かな暮らしができた。
剣術、弓術は剣道、弓道として現代に残りましたが
なんで槍術だけは現代武道として昇華されずに廃れてしまったんですか?
790 :
日本@名無史さん:04/06/10 20:45
歴代天皇で皇帝号を自ら名乗ったのって後醍醐天皇だけですか?
明治天皇
槍術>残ってるに決まってる。ぐぐれ。
793 :
日本@名無史さん:04/06/10 21:00
794 :
日本@名無史さん:04/06/10 21:09
サハリンの自然を残すためには日本の領土にならないほうがいいね。
ロシア領の方がサハリンとクリルの大地にとっては幸せだろうな。
最近、改憲論が高まっていますが、そういうときにはたいてい「今の憲法は
GHQに押しつけられたものだから」という話を聞かされます。
これは歴史的に正しいのでしょうか。この説を覆す、あるいは疑義を差し挟むような
資料や論説は存在しないのでしょうか。
796 :
日本@名無史さん:04/06/11 02:31
長州って今でいうところ何県?
>>795 むしろ、きちんと当時の法律と大日本帝国憲法にしたがって改憲したから
正統とみなすのが主流だよ。
もちろん押し付け憲法とみなして正統性なしとする意見があるのも事実。
だが、正統性なんてみんなが納得するかどうか程度のもんだと思われ。
798 :
日本@名無史さん:04/06/11 02:45
>>796 おいおい…。
長州県にきまってるだろ…。
小学校からやり直し。
799 :
日本@名無史さん:04/06/11 02:48
徳川幕府は今でいうと何県ですか?
>>794 クリルの大地は幸せを感じることはありません。
「地球は泣いている!」系の方ですか?
キチガイは帰ってください。
>>788 >ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
>右横書きの題字を見たことないのぉぉぉぉぉぉぉ???????
根本から理解してないな。
793氏の挙げたリンク先読んで来い。
ちなみに一行一文字を横書きと認識する意識の上での変化は、すでに日露戦争後には
起きていて、太平洋戦争直前には若者のほとんどは一行一文字を横書きと
認識していた。
だがまあ、学問的には今でも一行一文字になってる。
なぜ右横書きとしないかというと、縦書きのルールが適用できる場面や文字でしか
使用しないから。
本物の横書きが普及してから、一行一文字の右横書は廃れた。
これは縦書きする機会が減ったためと、アルファベットの普及のため。
もうこれでおわりにしようや。
縦書きを右上から書き始めるので、横書きも右上から左へとかいたのだろ。
805 :
日本@名無史さん:04/06/11 06:13
>なぜ右横書きとしないかというと、縦書きのルールが適用できる場面や文字でしか
>使用しないから。
横レスだが、つけくわえてあげよう
純粋に右横書きだけの本はほとんど存在しなかった
右横書きの文章は、ほとんどの場合縦書きと混合
横書きのみの文章は当初より左書。真の横書きのため、下に段落が移動する概念があるのに対し、
右横書きは一部の例外をのぞき、下へ段落移動は存在しない
つまり縦書きの変形
よって右横書きとは縦書きの一行一字とする説が有力である
806 :
日本@名無史さん:04/06/11 06:32
>>805 ばかじゃねーの?
いいから戦前の新聞見てミロや。しっかり右横書きしてるからよ。
妄想カキコしてんじゃねーよ。
807 :
日本@名無史さん:04/06/11 06:39
どーいどーい超はげどー。
右横書きもみたことないとは痛すぎる。
文盲か?
808 :
日本@名無史さん:04/06/11 06:50
証拠というのなら、本文が右横書きのを出せや。
>>762 ありがとう。
第二次世界大戦中の、日本が参戦した「太平洋での戦争」を言うのですね。
>>803 >ちなみに一行一文字を横書きと認識する意識の上での変化は、すでに日露戦争後には
>起きていて、太平洋戦争直前には若者のほとんどは一行一文字を横書きと
>認識していた
「学問的にとかはともかく、一般国民は、日本語の横書きは右からと認識していた」
と、認めてるようなので、終了ーーーーーーーーーーーーー!
政府が明治憲法的な〈憲法改正要綱〉から異質の原理をもつ〈憲法改正草案要綱〉
に突如として転換し、憲法問題の決着を急いだ理由が問題。
総司令部の強要があったからだとする〈押しつけ憲法論〉は,正確ではない。
国際・国内情勢からみて、完全な共和制の要求をかわし、天皇の戦争責任と
大きな政治的社会的変革を避けるためには、新しい憲法原理を受け入れること
が必要だとする総司令部の態度や説明を『日本政府なりに了解したから』だ、
というほうが正確。
1946年3月20日、幣原首相は、枢密院で極東委員会の発足にふれて、以下のよう
に述べた。
〈此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に誠に
喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて
懼(おそ)るべきものがあったように思われ危機一髪ともいうべきであったと思う
のである〉。
同年4月10日、男女平等の直接普通選挙による衆議院議員の総選挙が行われた。
5月16日、第90帝国議会が召集され、日本国憲法は、明治憲法の定める改正手続(73条)
に従って、貴族院を含む帝国議会で審議され、若干の修正をへて、11月3日に公布された。
つまり、押し付けられたと言うより、国民の革命意識高揚から天皇制を守るため、
日本支配者層が、ガス抜きと言うか、避難路として、日本国憲法を熱望した。
?
つりだと思うが、
日本語の横書きは右からと認識していた
と、
一行一文字を横書きと認識していた
は大違いだと思うが…。
814 :
日本@名無史さん:04/06/11 20:36
前近代の日本にも権利と義務っていう概念はあったんですか?
>つまり、押し付けられたと言うより、国民の革命意識高揚から天皇制を守るため、
>日本支配者層が、ガス抜きと言うか、避難路として、日本国憲法を熱望した。
・・・・・・
戦前のサヨクには支持できる人もいてるが、
戦後のブサヨは基地害にしか見えないのは何故だろう・・・
つか>812は十人前後へのアンケートの結果が国民の総意だと強弁する毎日新聞が大好きなんだろうな・・・
816 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:11
>>813 >日本語の横書きは右からと認識していた
大違いと言うよりも、こっちが普通です。
年配者と話をしてみてください。お願いします。m(__)m
817 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:24
>>812 ありがとうございました。
日本国憲法が、押し付けとはいえないことがよくわかりました。
新憲法公布日は、日本中お祭り騒ぎで、東京大会では天皇臨席でしたね。
特に、幣原談話が的を得てると感じました。
新議会で、9条に反対したのは共産党だけでしたね。
保守政権は前文や9条に賛成答弁してましたね。不思議なもんですね。
>1946年3月20日、幣原首相は、枢密院で極東委員会の発足にふれて、以下のよう
>に述べた。
>〈此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に誠に
>喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて
>懼(おそ)るべきものがあったように思われ危機一髪ともいうべきであったと思う
>のである〉。
818 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:32
横書きの話はもういい加減新スレでも立ててよそでやってください
819 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:37
横書きの話は、右横書きとの認識が普通で決着がついたようなので、
もう止めてください。
ここでやって欲しくないです。どこかへ逝ってください。
820 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:46
毎日のアンケートって新憲法賛否のアンケートのこと?
それって有名だよね。100人ちかい規模のはず。
十人ちょっとのソースキボンヌ!
占領下ではアンケートさえ禁止されていたってウヨがよく嘘つくけどね。
原爆も空襲も保守や右翼は口を閉じてたなぁ。対米追従だったからなぁ。
>>817 天皇の地位を定めた憲法が無かったら立憲君主制も無いし、
立憲君主制以前に、ああいう憲法が無かったら天皇は政府
国家とは何の関係もない只の人にされてしまう。
となれば、それこそ昭和天皇は煮て食おうが焼いて食おうが
おかまいなしな次第となるんだよな、連合国側にとっては。
でも、憲法で定められてしまったら天皇に対してそんなことを
することはできない。現在でもそうだが、現役の元首を裁判に
かけることはないから。(政府が消滅していたならばまた別の
話と思うかもしれないが、このケースでも、元首は既に『現役』
ではないのだ)
そして、天皇(の地位)が定められなかったら後継(今上陛下)
が天皇になる道もまた、完全に絶たれてしまうことになっていた。
>>812の幣原の談話はこのことを言いたかったんだと漏れは
思っているが、如何。
822 :
日本@名無史さん:04/06/12 00:14
まじ縦書き小僧、お前らキチガイだろ?
爺さんに聞いてみろよ。右から書いてたっていうからな。
もう決着済み。アフォかよ。
戦前は横書きは右なんだよ。左書ってなんだよw
学問的にどうだって言うんだ?
そういうのは屁理屈言うんだよw
うざい。市ね。
823 :
日本@名無史さん:04/06/12 00:16
縦書き小僧は学問学問うるせえんだよな。
横に書いてたんだから横だろ?
学問と死ね。
はげどう。
808を見れば右から書いてるのわかるだろ?
学問では一行一文字かなにかしらんが、横は横。
正論は正論なんだよ。
俺も同意。
もう縦書きのサヨキチガイは帰れ。
日本古来から横書きは右。
左が正論だったことは歴史的にないw
826 :
日本@名無史さん:04/06/12 00:22
縦書き小僧は文盲か?まじうける。
学問学問しか言えねえしよー。
戦前の新聞の見出しも読めねえ奴が、学問とはわらわせるw
激しく同意。
戦前は右書き。これ正論。
決着済み。
さて、決着ついたようですが、
縦書きを主張していたサヨの悔しい顔が浮かぶようですw
戦前とは言うまい、ちょっと古い横書きの看板とか見た事ないか?
830 :
日本@名無史さん:04/06/12 00:26
おれも言わせてもらう。
「学問的にとかはともかく、一般国民は、日本語の横書きは右からと認識していた」
と、認めてるようなので、終了ーーーーーーーーーーーーー!
まさに学問しか出来ないあたまでっかちですねw
831 :
日本@名無史さん:04/06/12 00:27
>>829 あれも右から書いてるよなw
縦書きとかわけわかめ。
キチガイだろ
ただでさえ梅雨でジメジメしてるのに、このスレは…
834 :
日本@名無史さん:04/06/12 02:52
おや、だんまりのようですね?
縦書き房は反論もありませんか。
学問はどうあれ戦前は右書きしかなかったという事実をつきつけられ、
完全に終了しましたね?
それでは終了。完全勝利wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
835 :
日本@名無史さん:04/06/12 02:54
えっ? 横書きが右か左かの話だったの?
学問はどうあれって言ってるけど、ここ一応学問板だからねえ…。
通説うんぬんより学問的なことの方が重要だと思うが。
>>725もそうだけど、なんでこの件になると粘着がいるんだろう…。
そもそも論点が違うと思った。過去スレ読んでみればいいと思う。
そしてもう終わりにしようや。
>>820 毎日が何人でサンプルしてるかしらないけど、十人ってことは無いよね。
百人でもちょっと少ない。五百人は欲しい。
多分電話調査で千人ってとこじゃないかな。多分だけど。
839 :
日本@名無史さん:04/06/12 04:08
ほんとマジで年配者に聞いて見てください!
当時は右書きだったんですから!
なんで自分で調べないかな?
そろそろ理解してくださいよ。この通り!m(__)m
840 :
日本@名無史さん:04/06/12 04:13
つか、戦前が右横書きだったって知らない香具師がいるのか!?
ぶっちゃけありえなーい。
841 :
日本@名無史さん:04/06/12 04:16
ブサヨはなんでも左じゃないと納得できないようだな。
>>836 ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
ブサヨって右横書きの題字を見たことないのぉぉぉぉぉぉぉ???????
843 :
こいつら誰ですか?:04/06/12 05:41
ま 左 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ
小 か 様 L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 何
学 .り な //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す と
生 と. こ /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か 童
ま お と l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 貞
で る が i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, と
じ の l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ
ゃ は ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
ぞ 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 止 笑 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ ま い 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ら が | ',.' ,  ̄ , ' ノ // ヽ,
ハ ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く ん > ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
ハ ハ / ノ. | ヽ フ / ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
844 :
日本@名無史さん:04/06/12 08:19
れっきとして存在する右横書きが存在しないなんて、
まじ意味わからんよな。
本当に日本人か?
氏ねよ。
公共の概念が欠落している右翼モドキがいるのはこのスレでしょうか?
846 :
日本@名無史さん:04/06/12 09:20
だからといって右書きが存在した事実はかわらない。
正論は正論。
>>848 朝日は反日日本人を含む反日勢力のための新聞で
毎日はプロ世界市民のための新聞
微妙に違う
850 :
日本@名無史さん:04/06/12 10:10
851 :
日本@名無史さん:04/06/12 10:47
1、「戦前戦中は右横書きはあったが普通」で終了
2、「新憲法は、おしつけでなく保守層が必要とした」で終了
このスレを荒らしているのは、
中世の天皇スレで逃げ回っている多重自作自演の3氏=現役学部生=旧帝大。
荒らしている理由
1、せっかくリブレットや岩波新書で仕入れたネタが読解力不足のために
論破されてしまうから。特に、今は縦書きの件。自信たっぷりに出てきて、
論破され、自分で自分をあおって荒らす異常人格ぶり。
しかも、サヨだとかわめいて自分のバカウヨぶりをアピールしてしまった。
2、戦後憲法は押し付けられたと、レスしようと思ってたら、
詳しい人に、いきさつを暴かれてしまって、しかたないので毎日攻撃。
ここでも、今や新聞とはいえなくなってしまった某支持をにおわす
バカウヨぶりを暴露。
>>821〜
>>850はすべて同一人物。涙!
自分のスレへお帰りください。
854 :
日本@名無史さん:04/06/12 11:18
自作自演房はウザイから消えてくれ。
学問の場に思想を持ち込んで、自分勝手な解釈をするヤツは
右だろうが左だろうが、ただのバカだ。
横書きというフォーマットは
戦前においては1行で構成される「見出し」にしか使われなかったと思う。
したがって1行1字の縦書きという解釈も可能。
「右横書き」という確固たるフォーマットが成立していると主張する諸君は
複数行からなる1ページすべてが
右横書きで書かれている例を示すべきだろう。
>>851はなにが見えてるんだ?
妄想もほどほどにしたほうがいいぞ。
860 :
日本@名無史さん:04/06/12 17:11
>>857 しつこい。
お願いですから、年配の方に聞いてみてください。m(__)m
戦前は右書きだったんです。
>>860 私も歴史研究者の端くれだから
戦前の新聞などの横書きの見出しが
右から書かれていることは知っている。
ただしそれはあくまで「見出し」の話。
本文すべて右横書きで書かれている書物があったら教えて欲しい。
これを示さない限り
「右横書き=1行1字の縦書き」説を崩したことにはならない。
863 :
日本@名無史さん:04/06/12 17:41
このことは『故左金吾兼野州太守平公墳記』(『俗群書類従巻百九十二』)のなかでも
「耽美和歌之道、辱後醍醐皇帝寵命、於武者所、献歌章、而名聞四方矣」とあります。
だそうですけど後醍醐皇帝っていうのは本人が自分で名乗ったんですか?
それともこの本書いた人が勝手に称号を皇帝にしたんですか?
>>862 同意。
あったとしても超例外だわな。
問題はフォーマットとして確立してないこと。
右横書きの長文フォーマットなんて存在しない。
そもそも句読点さえ打てない。
865 :
日本@名無史さん:04/06/12 17:53
ですから戦前の新聞を読むなり、年配の方に聞いてみてくださいってば。
お願いします。m(__)m
>>865 君が戦前の新聞調べて、こういう例があると提示するのが筋でしょう。
867 :
日本@名無史さん:04/06/12 18:24
過去レス読めば縦書き派が論破されてることわかるんで、うざいです。
終了してるんです。帰ってください。m(__)m
要するに
>>643が「右から読む横書きは存在しません」なんて、
書いたのが全ての元凶だな。
それに対して
>>654が「屁理屈言うなよ。なにが一行一文字だよ」
なんて書くから混乱に拍車をかけたわけだな。
で、あとは粘着しまくり。
とりあえず双方とも歴史の知識高めるよりも、
コミュニケーション能力高めたほうがいいね。
869 :
日本@名無史さん:04/06/12 19:18
横書き論があまりに鬱陶しいので、別スレを立てようと思ったのですが、立てられませんでした
どなたか立ててください
でもって、この人達を誘導してあげて下さい
いや、学問的には存在せんのは事実としてもよい。
問題は説明不足だったこと。これが問題。
コミュニケーション能力高めたほうがいいね。っていうのは禿同。
そしてこの問題は以後禁止にしたい。
871 :
日本@名無史さん:04/06/12 19:21
>>858のリンク先が示すように
戦前でも本文が左横書きの書物は存在するが
右横書きの書物は存在しない。
右横書きは見出しのみに用いる特殊なフォーマット。
これが結論ではないのか。
872 :
日本@名無史さん:04/06/13 07:51
質問。
立川真言流について調べてるんだけど、なにかよい資料とかないかな。
どなたか紹介してくだされ。
出来れば儀式の内容が詳しく説明されてるやつがいいんだけど。
--------
>>869 荒らしはどうせわざとだろうから無視でいいとしても、俺はなんだか
>>851から強烈な電波を感じるんだが…。
なんかマジで言ってるみたいで、すさまじくぞっとする。
敵の情報も「なぜか」詳しく知ってるし、ストーリーも出来てる…。
サイコさんってこういうの言うんだろうか。
考えすぎだと思うが2ちゃんには色んな人が来てるからなあ。
>>872 フィールドワークもお忘れなく。
石船神社には今でも護良親王の首級とされてるものが信仰をあつめてるぞ。
百聞は一見にしかず。本物みればどうなってるかわかる部分もあるから見せてもらえ。
851にはワロタw俺も強烈な電波を浴びて、ぶるってたとこだw
>>821-
>>850がえんえん全て同一人物に見えるってのはすさまじいな。
しかもそいつのプロフ、動機、読んでる本、書き込み時の心情まで見えてるという電波系エリート。
どうしても戦前は右書きが主流だったとみとめさせたいみたいだしw
875 :
日本@名無史さん:04/06/13 17:45
実朝が死んだあと、なんで北条氏が将軍にならなかったの?
承久の乱の後、なんで幕府は朝廷を滅ぼさなかったの?
876 :
日本@名無史さん:04/06/13 18:02
またなにか見えてるやつがいるな…
877 :
日本@名無史さん:04/06/13 18:08
おねがい!
尾張国郡司百姓等解文なんですが、
裁断せられんことを請ふ 例挙の外に、3箇年の収納、暗に以って、加徴せる
正税四十三万千二百四十八束の息利十二万九千三百七十四束四把一分の事。
ここの部分だけ詳しく知りたいのですが、具体的どのようなことを訴えているのですか?
よく分からないんですが、稲の利息が30%くらいだったということですかね?
878 :
日本@名無史さん:04/06/13 18:12
>フィールドワークもお忘れなく。
ううう…これが一番苦手なんですよ…。
どこか今でも立川真言流に近い儀式をやってるとこ知りませんか?
多分静岡あたりにはあるかもと思ってるんだけど…。
>>876 キチガイさんはほっときなされ。
荒らすのが目的なんだから。
880 :
日本@名無史さん:04/06/13 19:06
881 :
日本@名無史さん:04/06/13 21:24
承久の乱の後、なんで幕府は朝廷をつぶさなかったの?
日本国において天皇はアンタッチャブルです。
国造りの神の家ですから。
883 :
日本@名無史さん:04/06/13 21:46
まあ国造りの神というか、造った国を奪った神の家だがな
885 :
日本@名無史さん:04/06/13 21:58
潰す、とはいかなくてもなぜ
幕府と同じところに置いて管理しなかったの?
競争相手としてやっかいだが
自分たちを権威付けするためには必要ならそうしたほうがよかっと思うんですが。
886 :
日本@名無史さん:04/06/13 23:34
上皇を島流しとかして、
天皇を幕府が決めるなんてことするくらいなら、
さっさと無くした方が楽じゃん。
887 :
日本@名無史さん:04/06/14 01:07
島流しとかしといて何がアンタッチャブルだよって感じ
888-
源氏物語はよく最古の小説と言われますが、
小説にかぎらないフィクションは源氏物語以前にもあります。
各地の神話、民話、ギリシャの劇の台本など。
叙事詩や歴史書だって半分フィクションだし、
旧約聖書もかなり創作部分があると思います。
とすると、最古の小説としての意義はなんなのでしょうか?
なぜ民話や神話を小説と称してはいけないのでしょうか?
890 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:32
勝海舟の妾の子、梅太郎の嫁であるクララさんの日記(明治8年〜)をご存知の方は
いらっしゃいますか?私は明治の雰囲気が実に面白く活写されていると思うのですが。
ネットで調べても、あまり語られる事が少ないようなのですが、皆さんどう思われているか知りたいです。
勝海舟のスレッドが見当たらないので、ここに書かせていただきました。なぜないのでしょうか…
>>889 近代的なコンセプトで言う小説 novel はフィクションの中の一ジャンルで、
作中の世界では現実の人間とほぼ同様の行動を取る人物が描かれます。
神様や人間離れした英雄、人語を解する動物や現実にはありえない怪物が
登場するフィクションは本来の意味での小説ではありません。
また、戯曲や叙事詩と異なり小説は散文で書かれ、歴史書とは違って、
最初からすべてが虚構であることを前提に書かれます。
源氏物語は上記の小説のコンセプトに非常に近い作品なので、最古の小説
というキャッチフレーズが付けられたというわけです。もちろん、それは
単に気の利いた言い回し以上のものではなく、近代小説の源流は源氏物語に
あるとか、源氏物語は近代小説であるとかいったことを意味しているわけ
ではありません。よって「最古の小説の意義」なんてものもありません。
ちょっと不正確なので補足しておきますが、
>>891でいう「小説」は近代的な
リアリズム小説のことです。
> 神様や人間離れした英雄、人語を解する動物や現実にはありえない怪物が
> 登場するフィクションは本来の意味での小説ではありません。
はリアリズム小説ではないということで、そういったものが小説ではない
とまでは言えませんね。
源氏物語はリアリズム小説によく似ているという意味に解してください。
893 :
日本@名無史さん:04/06/14 17:38
出来そこない板
最近、「聖徳太子はいなかった」という感じのタイトルで聖徳太子が存在しなかったのは明白っ
・・・そんな本が出ているのですが。
飛鳥時代は不勉強で、この説がトンデモなのか充分有り得る話としてすでに認知されつつあるのかもよくわかりません。
2ch日本史板ではどんな説が有力か気になりました。詳しい方がいたらいくばくかの講釈をお願いします。
895 :
日本@名無史さん:04/06/14 18:30
そもそも日本に親韓がいるのはなぜだ?
なぜ?
>>895 親韓の定義はいろいろあるのでしょうが・・・
「隣国と友好を謳歌する日本」なんて光景が望ましいものである価値観あるかぎり、親韓は途絶えないでしょう。
私は親韓です。
>>891-892 んんっと、纏めると近代小説というのは
・フィクションの一ジャンルであること
何故フィクションなのかというと
・架空の人物のみが登場する事
・そして当然ながら最初から最後までストーリーも虚構である事
・しかし、その登場人物の行動は極めて現実的であること
・散文体であること
ですか…ストーリーは現実的でなくてもいいわけなのか…。
↑なんか違うような・・・
899 :
日本@名無史さん:04/06/15 00:32
日本で最古の小説 「竹取物語」
女性が著わした世界最古の小説 「源氏物語」
竹取物語は、「物語のいできはじめの親」(『源氏物語』絵合巻)と呼ばれ、『源氏物語』に内容の言及があり
最初にできた物語といわれています。
奈良朝の貴族が好んで読んだという『遊仙窟』(張文成 著)も
小説のはずなんだけどな・・・
世界「最古」の長編小説ね。
世界「最古」の長編小説 マーハーバーラタ
ごめん。
世界最古の「長編」小説だった。
904 :
日本@名無史さん:04/06/15 13:48
教えてください、お願いします。
農民とか町民に苗字が復活したのはたしか明治ですよね?
それでは、いつから苗字が無くなったのですか?
教えてください。
公式の場で名乗れなかっただけで、苗字自体はちゃんとありました。ただ把握
しきれていなかった為に明治に混乱した家もあったようですが。
>>905 ありがとうございます。
ということは、明治になって新しい苗字をよくお寺さんにつけてもらっていたのは
混乱した家だったのですね、納得しました
本当にありがとうございます。
>>906 お寺の坊さんにつけて貰ったとよく言われるが、
お寺の坊さんに過去帳で調べてもらったという
意味にも捉えられないかな。
>>907 はい、そのようにもとれますね。
過去帳がありますもんね
それといつから公式に苗字を名乗ってはいけなかったんですか?
909 :
日本@名無史さん:04/06/15 20:32
池田屋騒動に関してなのですが、
古高俊太郎が自白したとされる尊攘派志士たちの計画、
一、京都市中に火を放つ。場合によっては御所も。
一、中川宮と松平容保を討つ。その他佐幕派公卿・諸大名を襲う。
一、混乱に乗じて天皇を奪い、長州に連れ去る。
これらの計画は実際のところどこまでが本当なのでしょうか。
いくら過激派とはいえ、最初の項目に関しては民の支持を失うと思うのですが…。
また、この自白内容は永倉の「顛末記」以外にも確認できるのでしょうか?
長くなりましたが、どなたか教えて下さい。よろしくお願いします。
910 :
日本@名無史さん:04/06/15 20:56
土佐郷士で出世した人はいるの?
911 :
日本@名無史さん:04/06/16 15:14
「浪士文久報国記事 」は所謂永倉新八日記で「顛末記」のタネ本。
>>911-912 レスありがとうございます。
幕府側以外の記録は残ってないんでしょうか。
尊攘派の生き残り連中の反論が残ってない以上、
やはり古高の自白内容はほぼ真実だったんでしょうかね…。
897に付け加えると、著者が不詳の場合はちょっとばかし小説と言い難い気がする。
物語ではあるけどね。
琵琶法師が語り伝えた平家物語とかは、
>>各地の神話、民話、ギリシャの劇の台本など。
>>叙事詩や歴史書だって半分フィクションだし、
>>旧約聖書もかなり創作部分があると思います。
といっしょで、著者が特定の個人ではなく、伝承の中で
徐々に形成された物語は小説とは言い難いよね。
フィクションだから小説というのは、ちょっと乱暴。
荒唐無稽なフィクションで、なおかつ作者が特定できる
講談や落語なども、小説と重なるけど小説そのものではない。
シェイクスピアや近松門左衛門などの劇の台本でありながら
小説と言うか文学と認定されている者もあるわけだから、
そこの著者なりの人間に対するオリジナリティがある洞察が
不可欠なような気がする。だから、著者の特定が不可欠のような。
竹取物語にも、当時の政治状況の風刺が含まれているらしいし。
特に近代的な小説って、人間の内面への洞察が不可欠なような。
漱石や鴎外の小説が勧善懲悪の「物語」とは一線を画すようにね。
どっちにしろ、定義が難しいね。
【小説】
文学の一形式。
散文体の文学で、一八世紀以後、近代市民社会の生活・道徳・思想を背景に完成した。
作者が自由な方法とスタイルで、不特定多数の読者を対象に人間や社会を描く様式。
〔坪内逍遥が「小説神髄」で novel の訳語として用いた〕
【私小説】
(1)小説の一体で,「私」という作者自身が自己の生活体験をこと細かに叙述しながら,
その間の心境を正直に書いていく作品のことをいう。
大正時代が全盛期で,昭和の現代にわたって衰えていない。
日本文学史の伝統の中で,和歌俳句を中心とする韻文学の占める位置は重くて散文の
物語類にさえ大きく影響しているが,したがって抒情文学的な身辺描写や心理描写を重んじる創作が,
近代の朝明け明治時代の小説の中で重きをなしていることは見逃せない。私小説は心境小説の別名とも見られ,
それに対立して本格小説論がやがて盛んとなったのは,文学におけるフィクションの重視と構想上の理想追求との
結果でもあったが,自然主義文学や階級闘争の文学に刺激されて高まった人間改造・社会改造への文学参加の意識の問題が強烈となったからである。思想や社会機構の変革に歩調を合わせる文学の世界で,
深刻な人生観・宇宙観にもとづく私小説の存在価値が問われよう。
(2)イッヒ-ロマンの訳語。
917 :
日本@名無史さん:04/06/17 10:01
918 :
日本@名無史さん:04/06/18 01:49
戦前の日本では、方言の抹殺が政策的に推進されてたのですか?
>>918 むしろ戦後。高度成長で、地方から都市部への労働人口が必要になり、
標準語教育熱が高まった(というより、企業側の要請でもあった)。
吉原で「ありんす」とかの言葉が生まれたのも、地方出身者の遊女が
訛りを隠し、円滑にコミュニケーションを取るため。企業も、
社員が文化的に均質な方が生産効率が高まるからね。
今の40代後半から60代前半の人間は、方言を禁じられたために
上手く喋れないと、奄美大島のおじさんが前にNHKで語っていたよ。
そうだろうな…
うちのところでも老人は堂々と方言を喋るが、
中年は喋らない。堂々と忌み嫌っていた(苦笑)。
それ以下は中年ほど忌み嫌わないが、喋れない。ヘタ。
>>921 参考までに。
三種の神器は、鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、勾玉は宮中三殿の賢所。
923 :
日本@名無史さん:04/06/18 18:54
>>920 おい!自演野郎のディスティ!
お前こんなところにも出没してやがるのか?
トリップつけたまま自演やっちゃったディスティについてはこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1084186997/l50 905 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 14:57
生物を知らないのはあなたでしょう(笑)
あなたが詳しいというならナチズムとダーウィニズムの関係について語って欲しいな。
わたしより詳しいとはおもえないが。
言っておきますがわたしは生物の教師。本職です。
プロを相手にしてよく言える(苦笑)
近現代ドイツにかんしてはおそらくわたしが一番くわしいですよ。
でないとコテハンなんかにはなりません。
2ちゃんねるに書き込むのは初心者ですが、馬鹿が多いという噂は本当ですね(苦笑)
906 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 15:01
おれはディスティ・ノヴァにも一理あると思うな。
今騙りがはやっている。
彼もその被害者なんだろう。
本当に彼が書き込んだレスだけ見ればそんなやつとは思えない。
お前こそずっと彼に粘着していた張本人ではないのか?
ノヴァ、アホは無視してほどほどにがんばれや。
>>921 ご神体が五つ…というよりも、正確には、神体を納める座が五つあるのです。
賢所(かしこどころ)に「一ノ御座」「ニノ御座」のニ座。
皇霊殿(こうれいでん)に歴代天皇と皇族のものが各一座ずつ。
神殿は一座。
925 :
日本@名無史さん:04/06/18 21:40
ヨーロッパは、18世紀頃はまだトイレは普及していなかったそうです。
日本で風呂・便所が使われるようになったのはいつ頃からですか?
>>925 パリの下水道は17世紀には完成をみている。
ベルサイユ宮殿にも1728年には水洗トイレが設置された。
ただし現在のパリでも見られるが古い建物のトイレは地下に
あることが多い、下水道に近い場所にトイレがあるためだ。
故に上階の住人は尿瓶に用を足して窓から捨てる。
日本のトイレは鎌倉時代には「閑所」といわれていました。
日本では人糞は肥料にする為流してすてずに貯めているのです。
風呂は温泉などを除きますと、江戸初期は蒸し風呂です。
927 :
日本@名無史さん:04/06/19 23:07
今日仕事中にふと思った。
よく田舎に行くと「ここには平家の落人伝説が・・」
とか聞くけど、何で平家はあんなにまで逃げまくってたの?
地の果てみたいなトコとか、徹底的な山の中とか。
ヨロシコです。
>>927 伝説です。山奥の開拓者にとっては先祖の伝来を平氏に置くのです。
dd
>>927 928に付け加えて、学会の主流ではないが、ちょっと面白い説がある。
成人T型細胞白血病と言う、エイズなどと同じレトロウィルスが引き起こす白血病がある。
この病気、母子感染するのだが潜伏期間が異常に長いため(だいたい50年)に、
昔は発病する前に寿命がつきていたので近年になって発見されたのだが、
大阪や京都などでは保有者がほとんどいないのに、僻地、特に平家の落人伝説が
あるぐらいのド僻地になればなるほど、保有率が高まるんだと。
もちろん、平家の公達が成人T型細胞白血病のウィルスを保有していた訳ではなく、
どうもそういうド僻地の人間というのは、縄文形の狩猟採集民や、
焼き畑や陸稲と言った、かなり古い文化を持つ先住種族だった可能性があるんだ。
椎葉村の焼き畑とか、明らかに弥生系水田稲作民の流入によって、
次第に追われていった先住民の可能性がある。木地師なども含めて、
非農耕民は縄文の系譜を引いている可能性があり、木地師が天皇の権威を
自分のよりどころとしたように、縄文系先住民が平家の貴種流離譚を取り入れた可能性が高い。
北条氏も平氏だったように、そこまで平氏が迫害された訳でもないからね。
931 :
日本@名無史さん:04/06/20 04:03
織田信長の最盛期つまり本能寺の変の直前の
石高は何万石ぐらい?
天下統一した秀吉や、家康よりも多い気がするけど。
知っている人はいるかな?
知っている人はいるとおもうよ。
うちの大学の教授は知ってるだろうね。
はい質問に答えたよ。
>>931 四百数十万石くらい、検地していないからわからない。
934 :
日本@名無史さん:04/06/20 05:58
木曽義仲に従った信濃の土豪達はその後どうなったのですか?漠然とした質問ですが・・・。
乾っていう苗字はどこで多いのでしょうか?
やはり関西ですか?
>>935 チョンの名前だよ。
お前、自分がチョンかどうか気になってたんだろうけど、
これで自分がチョンだってわかったねw
あーあ大ショックwww
死んだらいいよ。
>>936 弘前藩の家老に乾四郎兵衛という人がいる。
日本人だと思うが。
938 :
日本@名無史さん:04/06/20 19:04
そいつざいにちだもん
ここは初心者の質問スレだから
ネタはご遠慮願いたい。
だから、レスするほうが痛いって。
スルーしろよ…。
そうだな。
スルーして直接
>>935にレスすべきだな。
直レスは房のやること。
無視はどこの板でもスレでも基本だと思われ。
荒れる原因にもなるし、キリがない。
そんなこともわからないようでは・・・
誰が荒らしているのやら・・・
>>935 清和源氏土岐氏流、宇多源氏佐々木氏流、藤原氏小山氏流、大神氏など諸流。
日本の名字ランキング680位。
だとさ。
945 :
日本@名無史さん:04/06/21 00:40
真田について語れる板ってありますか?探したんですが見つからなくて…
947 :
日本@名無史さん:04/06/21 08:27
板チでしたら誘導お願いします。
「大東亜帝国」とはなんなんでしょう?
ぐぐってはみたものの全然関係ないものばかりで。
おながいします。
948 :
日本@名無史さん:04/06/21 09:03
949 :
日本@名無史さん:04/06/21 09:15
清盛亡き後の平家の総大将、平宗盛は捕らえられたあと、どうしたの?
950 :
日本@名無史さん:04/06/21 10:39
義経と└(゚∀゚└)ハッスル!ハッスル!!(┘゚∀゚)┘ ハッスル!ハッスル!!
951 :
日本@名無史さん:04/06/21 21:56
85年壇ノ浦で一門が滅亡したさい、自決しえず子の清宗とともに源義経に
捕らえられ鎌倉に送られた。
さらに京都へ送り返される途中、近江篠原で斬られ、首を獄門にかけられた。
952 :
日本@名無史さん:04/06/22 00:21
新選組隊士・永倉新八の幻の手記の発表以降、新撰組に関するニュースは
ありますか?
954 :
日本@名無史さん:04/06/22 00:47
江戸時代の大名は参勤交代で江戸にいることが義務付けられてる期間に
江戸城に何日かごとに出仕してたと記憶してるんですが
帰国や江戸に来たときの挨拶以外の時は江戸城に何をしに出仕するんですか?
>>954 大名とはいえ役付きではない大名が毎日出仕するかよ。
>>954 色々儀式があるのです。
正月から始まって、儀式の連続です。
957 :
日本@名無史さん:04/06/22 09:50
>>936 >チョンの名前だよ。
じゃあ、第二次伊藤(博文)内閣の内務大臣には、チョンが就いたんですねw
958 :
日本@名無史さん:04/06/22 21:07
〉946さん。ありがとうです
959 :
日本@名無史さん:04/06/22 22:38
>954
ちなみに儀式のないときは、剣術の修練か、学問。
懐によほど余裕があるなら、吉原へ。
質問: 摂政と関白ってどう違うの?詳しく勝つ簡潔にお願い!
どなたか偏差値の高いエロい人、教えてチョンマゲ。
>>960 摂政…天皇(君主)の代理人
関白…天皇(君主)の後見人 (令外官)
>>961 サンクス、偏差値の高いエロい人。
だけど、オラの脳みそでは代理人と後見人の違いが理解できましぇーん。
もうちっとわかりやすくお願いしマスダ。
>>962 摂政というのは、天皇(君主)が幼若だったり身体的精神的理由から政務を行えない場合、
天皇(君主)の政務、主として詔勅を書いたり任官したりを(ほぼ)全面的に代行する者を
いいます。故に「代理人」と書いたのです。
代理人ですから、天皇(君主)が全く政務にタッチしなくともよいし、天皇(君主)が政務の
内容を知らない形になってもよいのです。そのように認知された地位だからです。ですから、
天皇(君主)がいなくなっても存在することができますし、突然天皇(君主)不在になった
場合、摂政が政務を執って空位の間を繋げるとこともアリです。
関白というのは、また違います。
「天皇が成人したら、摂政が関白になる…」というのは「摂関政治」の項で勉強したと思わ
れますが、成人したら…即ち、天皇が政務を取れるようになったら、代理人(摂政)は辞め
なくてはならない訳でしょ?それでも天皇の政務に関与し続けるには…これが関白という
令外官ができたきっかけ。元々は天皇に上奏される文章を先んじて閲覧する(内覧という)
権限から始まっているとか。
摂政との大きな違いは、最終的な決裁者があくまで天皇であること、即ち、関白は天皇をし
て全く天皇の政務にタッチさせない、あるいは政務の内容を知らない形にさせておくという
ことなど(建前上)できないということです。ですから天皇がいなくなったら存在することも
(建前上)できないのです。
あくまでも補佐役。ただし、監督のような、実質上位の補佐役ですが。
>>963 >>964 ものすごーーーーーく分かり易い説明、サンクス。
お礼にオレの姉貴(S女子高2)のバージンあげます。
まーーわりと美人のほうだと思うので、よかったら喰ってください。
高校二年・・・
子供イラネ。
高校二年・・・
ババァイラネ。
968 :
日本@名無史さん:04/06/24 17:34
沙也可は原田信種ってことで良いですか?
語っているスレが見つからなかったので。
沙也可は雑賀党の一員じゃないかって説はなかったっけ。
973 :
日本@名無史さん:04/06/28 21:50
968です。
>>969 ご紹介いただいたサイト、読み込んでしまいました。
ロマンとして沙也可が原田種信だったらいいなあと、
ますます妄想にふけってしまいます。
実家が熊本だというだけで、なのですが。
>>970 >清水書院では、
>「朝鮮に攻め込んだ日本の武将のなかには、
>朝鮮の文化に感心して朝鮮軍に味方した者もいた」
とまで言い切ってしまうのは、教科書としてどうなんでしょうね。
お2人ともありがとうございました。
「文化に感心して」味方するのは文人だけ(サヨクみたいなの)
武人やそれ以外でなど、常識的にありえないでしょうに…