【山伏】山岳信仰について語ろう【修験】

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1日本@名無史さん
仏教・神道に次ぐ「第三の信仰」と云われた修験道
その発生から、明治の廃止、戦後の復活について語る
祈祷宗教全般についても可
2山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:43
金峰山、白山、立山、大山、・・・地方の古い霊場といえば他には?
3岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 01:48
平安以降は、英彦山・求菩提山・宝満山・脊振霊仙寺・六郷満山…
池辺寺とかも入るかな?
4山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:48
ところで山岳修行をしていた僧侶の「山伏」は入るのでしょうか?
役行者はどうです?
5岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 01:56
英彦山の学問僧は「清僧」として、僧侶の位置付けだったと思います。
まあ、近世以降は普通の坊さん。
古い時代はどうなんでしょう?
6山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:57
とりあえず『梁塵秘抄』から

聖の住所はどこどこぞ 箕面よ勝尾よ 播磨なる書写の山
出雲の鰐淵や 日の御崎 南は熊野の那智とかや

聖の住所はどこどこぞ 大峰葛城石の槌 箕面よ勝尾よ
播磨の書写の山 南は熊野の那智新宮

聖の好むもの 木の節鹿角鹿の皮 蓑笠錫杖 木蓮子 火打笥岩屋の苔の衣

似たような情報は往生伝からも得られますね。
7岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 02:05
なるほど〈聖〉ですか…

「書写の山」とは何を表すのでしょうか?
8山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 02:09
>>7
性空上人や『峰相記』で有名な播磨の書写山のことですよ。
9岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 02:21
>>8
ああ、どうもありがとうございます(汗

やはり、〈山伏〉という固定化したイメージは近世以降のものかと思います。
各地で〈講〉が成立した後の…
10日本@名無史さん:04/02/05 22:00
明治元年「神仏分離令」
明治五年「修験道禁止令」
・・・宮司さんや禰宜さんに、当時のことを訊いてまわると、相当激しかったらしい。
  宝物の隠蔽、放火、離散・・・
11山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/05 23:42
走湯権現あげ
>>10
お寺に鳥居が建ってるチョット不思議なところは、調べてみると江戸時代に
修験系寺院だったものが多いですね。宿坊だったり。
〈お寺〉に成っちゃったところは、修験と縁が切れたところが多いみたいです。

話は変わりますが、前に古典落語に出てくる幽霊話を調べたところ、出てくる
江戸時代の「お坊様」は、ほとんど〈法印さん〉みたいですね。
明治以降の祈祷宗教の主体は、何に移行したんでしょうね?
〈拝み屋〉さんは?
13日本@名無史さん:04/02/06 21:37
よく知りませんが、明治政府は修験者の加持祈祷・薬剤処方などをずいぶん嫌ったようですね。
14岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/07 00:03
>>13
「修験道禁止令」によって、〈宗教者〉として生き残った修験者は、僧侶に
組み入れられたようです。
修験道の他に、陰陽道系(?)の土御門神道も明治政府に敵視され、壊滅し
たようですね。
廃仏毀釈による仏教排斥の他に、明治政府は〈祈祷宗教〉というか、〈拝み
屋〉に弾圧を加えたようです。
この辺が、後の〈新宗教〉発生の素地になったのでしょうか?
15山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:17
土御門家は江戸中期から神道色を強め、認可を出していた陰陽師らに葬送など
の死に関る仕事は引き受けないように命じていましたね。
修験とは商売敵のようなかたちで対立する事が多く、明和七年(一七七〇)に
は江戸の陰陽師が「ここ百年ほどの間に江戸の陰陽師は激減しており、このま
までは断絶の可能性すらある。その上修験は各所で占いをしているにも関らず
土御門家の認可を受けずに営業しているので差し止めて頂きたい」と訴えてい
ます。なおそれに対する当山派修験の回答は「こちらの占いは弘法大師依頼の
ものであり、土御門家に関るものではない」というもの。
結局寺社奉行は「陰陽師側の権益を侵すことになるから、修験は礼金を受け取
ってはならない」という判断を下しました。
村で同じようなことがあった場合にも江戸の役所まで訴えたそうです。
但し村落の「陰陽師」というのは臨時に占いや祓いを行い、更に寺子屋の師匠
もやれば医者もやるという村の知識人といったもので陰陽師が「本職」という訳
では無かったらしい。
村で年中行事として行われた祭祀にも特別に関与するということは無かった。
16山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:23
ただ陰陽師が廃止されたのは明治三年に出された天社神道禁止令による
ものでしたが、そこで問題とされたのはあくまでも江戸幕府の認可を受
けた土御門家配下が帯刀し絵符を立てて関所を通過するような旧時代の
権威を背負っていたことであって、宗教的な問題ではありませんでした。
事実明治六年には陰陽師公認案も出されましたが、残念ながら反対され
て立ち消えになってしまっています。
17岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/07 00:56
>>15-16 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYMさん
いつも御教示、ありがとうございます。

>陰陽師が「本職」という訳では無かったらしい。
>村で年中行事として行われた祭祀にも特別に関与するということは無かった。

とても興味深いお話です。
同じ〈祈祷宗教家〉であっても「村の陰陽師」は、地域に根付いた「講」に基づく「里山
伏」とはまた異なる存在であったわけですね。
「占い」で利害が衝突したにせよ、本来は棲み分けていたのでしょうね。
「村の陰陽師」も世襲が原則であったのでしょうか…
18山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:57
世襲であったようですね。ただ世代により得手不得手はあったようです。
19日本@名無史さん:04/02/07 01:05
三徳山三仏寺とか三木の伽耶院とかもかね。
20日本@名無史さん:04/02/07 01:37
山形(鳥海・出羽三山)は今でも修験が生きている風情なのに、
大都市圏だと江戸後期にはサービス業になってしまう感じがします。
21岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/10 11:29
>>20
近世に入ると「国の先達」→「里山伏」になってサービス産業化したみたい。
御山の山伏も宿坊単位に編成されて、各地の〈講〉を通じた檀家(?)も
相続の対象になってたようですね(もとから半俗ですが…)。
英彦山も構成だと、文献を見てみると、清僧(学問僧)、一般山伏、修行山伏、
神道系山伏(?)に分類できるみたいですけど…
22日本@名無史さん:04/02/29 00:18
下がり過ぎたので、ageます。
23山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/29 00:23
『大日本国法華経験記』や『今昔物語集』に登場する立山地獄に関する説話
がもっと多く残っていれば楽しめたのですが。
24日本@名無史さん:04/03/22 12:38
下がり過ぎたので、ageます。
25日本@名無史さん:04/03/24 16:46
>>21
いわゆる「霊術」といわれる病気治療と失業した山伏の関係を
調べているのですが、サービス産業というと具体的にはどんなもの
に従事していたのでしょうか。
>>25
>サービス産業
近世も中頃以降では、各地で修験霊山に参るための〈講〉が大きく発達していきます。
中世段階では「国の先達」であったものが近世では「里山伏」となり、〈講〉のツアー
コンダクターのような役目を果たしていったようです。
2725:04/03/26 10:23
ご回答ありがとうございました。またまた甘えて
質問しちゃいますが、
「国の先達」とはどういう意味でしょうか。
28岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/03/26 12:48
>>27
>国の先達

簡単にいうと、山岳修行の高度な指導を行える者が、拠点づくりとか維持のために平地にいる、
というような意味合いでしょうかね…

中世山伏達は自らの超人性を維持するために、激しい山岳修行を行っていたようです。
半世襲となって定住し、通過儀礼的な修行のみを行った近世山伏とはそこが違うみたいで、
呼び方も異なったようです。
29日本@名無史さん:04/03/26 16:06
先達ってもともとはどのようにして発生したモノなんでしょうか?
30日本@名無史さん:04/03/26 17:25
答えになっておりませんが
最大ですと3種の分業に発展することがあったそうです。

1:講を組織する現地駐在員=先達
2:講を聖地まで誘導する係=?
3:講を宿泊させ、現地案内する係=御師・先導師

今日の姿は良く知りませんが、私の知っている範囲で申します。
3はもっとも現地密着していますから今でもよく残っています。
1もきっとまだあるのでしょう。
2は少ないようです。滅んだかもしれません。
先達は1も2もやったというのが、一般的だと思います。
31age:04/04/12 13:34
落ちそうなのでageておきます。
32日本@名無史さん:04/04/12 13:43
>>30

それってニーズが増えた時に分業してただけでは??
33日本@名無史さん:04/04/12 21:27
ありがたいスレです。早速ですが質問させてください。
里山伏が何をしていたか知るのに、どんな文献があるでしょうか。
34日本@名無史さん:04/04/13 23:43
サンカって山の民となんか関係あるの?
35日本@名無史さん:04/04/30 09:24
下がりすぎ、age
36日本@名無史さん:04/05/01 14:27
この前、奈良の吉野に行ってきたんだけど、
西行庵(奥千本)のあたり(ほとんど頂上)に昔は大規模な寺院があったっていうんだけど、
食料はあの辺では作れないだろうし、食べ物はどうしてたんだろう?
誰か教えて!
37日本@名無史さん:04/05/01 17:53
そりゃー君、脱落者を(ry
38万年救護大本尊の朴蓮     :04/05/18 22:09
デムパを飛ばしたかったのだけれども
あまりに真面目過ぎる議論にここは黙ってage
39岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/05/19 08:56
>>38
絵に描いたような過疎スレに
ようこそ、いらっしゃって下さいました。

次は混ざって下さいね…
40日本@名無史さん:04/05/19 09:43
>36 山岳寺院の経営は、僧侶の何十倍という行人とか堂衆とか
いわれる下働きの人達でささえられていたそうです。
高野山が典型。そのへんは伊藤正敏さんなんかどうぞ。
吉野山の経営を調べるだけで、博士号とれまっせ。
41日本@名無史さん:04/06/06 15:14
修験あげ
42日本@名無史さん:04/06/09 02:44
43日本@名無史さん:04/06/10 11:25
修験者って古代ユダヤ教そのものだね。
44岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/11 00:27
>>43
どんな点が類似してるんです?
45日本@名無史さん:04/06/11 00:59
安土桃山時代の外国人宣教師が日本の修験者を見て
彼らの仕えている神は悪魔だが
キリスト教の宣教師よりもはるかに彼らのほうが立派だと
本国に書き送っている。
しかし(古代)ユダヤ教との比較はしていない模様。
46岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/11 08:48
>>45 ありがとうございます。
宣教師は、洛中で修験者と出会ったのでしょうか?
修行姿の修験者とは、会っていないのでしょうね。
47日本@名無史さん:04/06/11 10:26
>>40
高野山の堂衆の多くは中世土豪の次男三男
高野山の所領から好き勝手に実家へ年貢を回してた
48日本@名無史さん:04/06/11 13:36
>46
捨身の様子などを目撃しているようです
きっと修行姿も見ているでしょう
49日本@名無史さん:04/06/11 14:27
>46
耶蘇会宣教師の書簡
http://www.infomadonna.ne.jp/~hirohumi/yuwaku.htm
>>48  >>49
ありがとうございました。
51日本@名無史さん:04/06/13 23:04
役行者の時代は律令国家が成立しようとした時代ですが
私見によれば九州倭国と畿内大和政権の統一時代のように思います。

この激動の7C後半〜8C初において役行者が果たした役割は
一体なんだったのかを考えております。
例えば
1:戦乱が続いたり政情が不安定だと隠遁思想が発達するので
 そういう人生を極めた人
2:倭と大和の間で諜報活動をした人
3:倭と大和の間で調停工作をした人
4:時代に関係なく根っからの宗教者
5:滅び行く倭国の存続のために奔走した人
6:倭国のゲリラ

一体どうだったのでしょう?
52山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/13 23:14
「役の君小角を伊豆の島に流す。初め小角葛木山に住みて、咒術を以ちて
称へらる。外の従五位の下韓国の連廣足、これを師とす。後其の能を害ひ、
讒すに妖惑を以ちてす。故遠處に配されぬ。世相傳へて曰はく、小角能く
鬼神を役使ひて、水を汲み薪を採らしむ。若命を用ゐずば、即ち咒を以ち
て之を縛む、と。」
これだけです。系譜的にいえば、秦河勝に打たれた大生部多の類でしょう。
『日本霊異記』が無ければ、後世取り上げられたかどうかも怪しい。
53日本@名無史さん:04/06/13 23:29
役行者は、蚕を神と吹聴したわけですか。
54日本@名無史さん:04/06/26 12:27
今年の山岳修験学会は熊野だそうですが、詳細について
どこか情報出てないでしょうか?
御存じの方、リンクお願いします。
55日本@名無史さん:04/07/20 10:34
熊野世界遺産age
56日本@名無史さん:04/07/21 09:57
11月に山岳修験大会 公開シンポジウム、 研究発表など 新宮市

 日本山岳修験学会 (宮家準会長) 熊野学術大会実行委員会は6日、 新宮ユーアイホテルに関係者約25人が出席して開かれた。
同会、 実行委員会共催。
 今年11月6日 (土) 〜8日 (月) の期間、 新宮市で開かれる
世界遺産登録記念第25回日本山岳修験学会熊野学術大会に向けて開催。
日本学術会議会員、 慶応義塾大学名誉教授でもある宮家会長 (70) は
「最近学問の世界も、 広く地域の方々と学ばせてもらっています。
熊野古道を船で下る計画もあるので、 いろんな方々に喜んでもらいたい」 と述べた。 新宮市で開かれるのは、 平成2年以来2回目。
 役員の選任では、 上野哲弘市長を委員長に選出した。
任期は来年3月末まで。
 第25回大会では、 新宮地域職業訓練センターを会場に、 一般も参加して6日は公開シンポジウム、 7日は研究発表が行われる。 8日は会員などを対象に本宮町の大斎原から、 熊野川の川船下りも行われる。
 (紀南新報?)
57日本@名無史さん:04/08/16 14:08
さるべーじ
58日本@名無史さん:04/09/10 13:36
保全
59日本@名無史さん:04/09/10 20:44:53
なんかウチの先祖が山伏らしい。
60日本@名無史さん:04/09/14 23:53:41
ttp://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/
第3回高麗神社に伝わる文化財展
 日時 平成16年9月12日から23日午前9時から午後4時
 場所 高麗神社参集殿2階大広間
 テーマ 「高麗家と修験道」
高麗神社の社家高麗氏は江戸期まで、本山派の修験者でした。本年ユネスコ世界遺産に登録
された「紀伊山地の霊場と参詣道」の中でも大峯奥駈け道は高麗氏代々の行場でもあります。
計らずも記念すべき年に高麗家に伝わる修験時代の法具・文書を展示公開することとなりま
した。多くの皆様のご来場をお待ちしております。
 入場無料
 出展内容 高麗氏系図(レプリカ) 国指定重要文化財大般若波羅密多経 懸仏 独鈷 
鰐口(文明年間銘)他(出展品は都合により変更されることがありますのであらかじめご了
承下さい)
社誌編纂調査員による展示品の説明会を期間中、毎日2回(午前11時、午後2時30分)
行います。ただし19日(日)は休みとさせていただきます。
 期間中、国指定重要文化財高麗家住宅内を開放します。自由にご見学ください。
※6月19日に行われた「第一回渡来人の里講演会」李進煕先生のご講演の模様を期間中、
毎日午後1時より午後2時30分まで会場でビデオ上映いたします。(ただし、19日日曜
日は休みとさせていただきます。)ぜひ聴講下さい。
同じく世界遺産となりました、当社御祭神の故国高句麗の遺跡(古墳壁画)も一部パネル展
示いたします。
61日本@名無史さん:04/10/04 10:33:24
保全
62日本@名無史さん:04/10/21 22:54:50
今のような趣味の山登りは旧制高生がドイツ教養主義の影響を受けて始めたのでは
63日本@名無史さん:04/10/25 18:25:44
スポーツ登山の発祥はイギリスでは?
64日本@名無史さん:04/10/25 21:44:48
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」age!

いま、和歌山がアツい!
みんなで熊野・高野・吉野へ参ろう。
65日本@名無史さん :04/11/05 17:54:14
明日から新宮で山岳修験学会だね。
66日本@名無史さん:04/11/27 06:47:06
山岳修験学会はどうだったの?
67日本@名無史さん:04/12/05 17:57:42
木地師とは、日本全国の山をぶな、なら、などの良材を求めて歩き、おわんや盆の素材を
切り出し、素地を作り中にはろくろを使って形を整えることを生業とした山の民の集団です。
 木地師発祥のの地は滋賀県愛知郡小椋村であると言われています。
彼らは、絶えず移動すると言う職業の性格から生業の地位の高さを誇示する必要があるため、
土地の人達に、木地師の始祖は第55代文徳天皇の第一皇子である小野宮親王であり、朝廷の保護のもとにあるとの由来書を持ち歩き、全国どこの山でも七合目以上の山は自由に伐採出きるとの許可書を持ち歩いていました。
 木地師の多くは、小椋、小倉、筒井の姓が多く、移り住んだ場所にも小椋、小倉の地名が残っています。
68日本@名無史さん:04/12/06 00:07:33
う〜ん、蒲生君平
69日本@名無史さん:04/12/06 00:10:04
じゃなかった、蒲生氏郷
http://www.kougei.or.jp/crafts/0506/d0506-5.html
70日本@名無史さん:04/12/23 16:56:44
は?
71日本@名無史さん:05/01/08 23:36:07
へ?
72日本@名無史さん:05/01/30 22:43:06
73日本@名無史さん:05/02/13 22:05:36
ひ?
74日本@名無史さん:05/03/03 23:58:38
ふ?
75日本@名無史さん:05/03/08 00:15:21
>山形(鳥海・出羽三山)は今でも修験が生きている風情なのに、

女人禁制がとけたのも、最近だね。
76日本@名無史さん:05/03/08 00:39:35
ほ?
77日本@名無史さん:05/03/19 22:39:13
今日宝満山を登ってきました。
所々の岩々に刻まれた読み取れないほど浅くなった文字や、
石段の抉れ具合に歴史の古さを感じて調べていくうちにココへ
たどり着いた次第であります。
むずかしー事はワカランが、

「なんか、山はよかネ〜」

であります。
78日本@名無史さん:05/03/19 22:55:24
>>77
うらやますィ
79日本@名無史さん:05/03/20 00:30:06
意味深長な宝満山=三笠山

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakamaro/jnakamar.html
80日本@名無史さん:2005/04/06(水) 12:38:01
>>79

宝満山は大宰府の裏山

海の近くじゃないぞ
81日本@名無史さん:2005/04/06(水) 13:17:10
>>80
今の福岡市街って昔は海じゃねえの?
82日本@名無史さん:2005/04/06(水) 14:17:30
>>81
海つっても、博多駅ぐらいまでだぞ
83日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:39:14
>>80
はあ?海に沈没してないからこそ、壱岐から遠望できるんでしょうが。
84日本@名無史さん:2005/04/25(月) 19:30:01
age
85日本@名無史さん:2005/05/15(日) 14:30:08
age
86日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:12:27
吉野の金峰山寺だったか、柱にツツジの巨木を使ってるとかいってたな
あそこで拝まれたらキクーーという気がするな
下のほうで元女教師の修行僧だったか、ほら貝吹きながら拝んでいた
なんか、特殊なにおいのする場所だな
87日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:57:56
:::★::::: ::::::::☆::::: ::: ::
:::: : :::::。:::::::: ::::::.。
............. ☆ ......o ....
..☆... ........ .......*..
  。  ........ 。..... ...

   。o ○ daremo konaine
  .∧∧ヘヘ     
  (  ノ  ) 。o○ sodane
  ./  |  \   
 (___ノ(___ノ:::::::.:::::::
:::::::::::::: ::::::::::::::
88日本@名無史さん:2005/06/05(日) 12:32:19
kitayo
89日本@名無史さん:2005/06/13(月) 14:38:51
kaeroka...
90日本@名無史さん:2005/06/24(金) 02:00:21
うほうほ
91日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:20:44
92日本@名無史さん:2005/08/09(火) 21:09:13
笠置山も吉野も葛城・金剛山も修験のお山。
後醍醐天皇の足跡と修験はかなりだぶりますね。

93日本@名無史さん:2005/08/09(火) 21:20:14
ゆだやそのままじゃん
94日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:28:31
え?
95日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:57:56
96日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:29:13
97日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:58:50
98日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:06:56
99日本@名無史さん:2005/11/08(火) 03:00:32
権大僧都age
100キリ番マン:2005/11/20(日) 14:07:52
101日本@名無史さん:2005/11/20(日) 15:18:19
この間突然、霊能者の方に「あなたは えんのおずぬ の生まれ変わりです」
って言われたんだけど、どういう人なの?
102日本@名無史さん:2005/11/20(日) 15:35:26
>>101
山伏になれ
103日本@名無史さん:2005/11/24(木) 14:18:26
>>101

またなの?
104日本@名無史さん:2005/11/24(木) 14:52:12
>>101

お前の股間の角が小さいんだよ。
105日本@名無史さん:2005/12/10(土) 02:15:05
106101:2005/12/18(日) 13:12:50
そうなんか
107日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:31:34
age
108日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:35:04
山伏が密偵に使われたって本当?
109日本@名無史さん:2005/12/22(木) 02:55:12
>>108
戦国時代の島津氏では山伏を密偵、と言うか忍者のようにして使っていました。
島津義弘も国元の山伏を配下に置くため、聖護院にお願いして便宜的に修験者の資格を取っています。
詳しくは『キリシタンと修験道』あたり。
110山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/07(土) 15:01:08
>>108
『太平記』に、城頼顕が、敵陣に山伏・禅僧・遁世者らを入れ、虚報を広め
させて疑心暗鬼の状態に追い込んだという話があります。
ソースがソースだけに史実かどうか明らかではありませんが、戦国期まで
こうした利用が行われていたのは事実の様ですね。
111日本@名無史さん:2006/02/02(木) 19:53:13
まだ読んでないから保守しとこう
112日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:40:30
age
113日本@名無史さん:2006/02/24(金) 03:30:43
長野県寄りの岐阜県民の素朴な疑問

御嶽教も山岳信仰だよね?

あと近所には「行者様」と呼ばれる石仏(役小角みたいないでたち)があちこちにある。こういうのは修験道の名残なんだろか。
114日本@名無史さん:2006/03/12(日) 04:58:29
サンカにすごい興味あるんだけど。
誰かここで語っといてよ。
一ヵ月後にまとめて読みに来るから。
115日本@名無史さん:2006/03/13(月) 17:48:39
この板と民族板にサンカスレあるよ。
116日本@名無史さん:2006/03/14(火) 18:16:53
>>115
ありがとう!
117日本@名無史さん:2006/03/14(火) 18:54:33
隋書に607年の倭国留学僧の名前等も残さず記録されていれば
役小角伝説も生まれなかっただろう。教えは新しいものなのに
118日本@名無史さん:2006/03/14(火) 19:31:15
修験道?
119日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:04:10
>>117

道昭の方はどうだ?火葬墓の普及とからめて
120日本@名無史さん:2006/03/24(金) 22:26:14
修験者とサンカと忍者などの隠密はかぶってる?
121日本@名無史さん:2006/03/31(金) 17:36:28
なにが?
122日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:09:26
いろいろ
123日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:32:56
うほ
124日本@名無史さん:2006/05/21(日) 02:46:13
徐福がきた山=山岳信仰があった山
と考えたい。
125日本@名無史さん:2006/05/29(月) 05:37:02
山岳信仰としての修験道に類するものは日本だけ?

山上にある神社仏閣は皆修験道に関係?
126日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:38:07
摩利支天って何?
127日本@名無史さん:2006/06/15(木) 14:12:55
サンスクリット名 mar ̄ci。威光,陽索と訳され,摩里支,末利支,末利支提婆,
摩利支天菩醍とも称する。みずからの姿を隠し,障害を除いて利益を施す天部で,
梵天の子として古代インドの民間で信仰され,後に仏教に取り入れられた。

類似の名前のものとしては↓

古代ローマの軍神。ギリシア神話のアレスと同一視された。ローマの旧暦では
のちの第3月が正月であったが,古人はこれをマルスに献じてマルティウス
Martius 月と呼んだ。英語の March など,近代西欧語の3月名はここからき
ている。彼はユピテルに次ぐ国家の守護神としてあつく崇められ,開戦の際
には,将軍がフォルムのレギア(王宮)で彼の聖なる槍を振り,〈マルスよ,起き
よ〉と叫ぶならわしであった。祭儀は,古代人の軍事行動の開始期の3月とその
終止期の10月に集中しており,戦車競走,ラッパの祭,武具の潔めの祭などが
行われた。
128日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:42:59
へー、ありがとうございます。
甲斐駒ヶ岳の尾根に摩利支天と呼ばれる岩場があるので。
129日本@名無史さん:2006/06/24(土) 12:20:58
mar (蒙古、中国)馬
mare (英語)雌馬
関係ありますかね。
130日本@名無史さん:2006/06/24(土) 12:32:14
小学生の時、山で遊んでいた同級生が、
英彦山から来たという中年の修験者に性的イタズラをされた。
131日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:23:05
性的イタズラ?修験者が?
132日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:24:39
あほのイタズラ?
133日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:25:56
中途半端
134日本@名無史さん:2006/06/26(月) 11:55:17
山王神社・日枝神社・羽黒神社は山岳信仰なのですか?
其の他にもありますか?
135日本@名無史さん:2006/06/26(月) 20:27:57
熊野
136日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:30:52
吉野
137日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:45:37
歴史上の有名な修験者ってどういう人がいるの?
俺が知ってるのは役小角、泰澄、臥行者、浄定行者くらいしかいない。
138日本@名無史さん:2006/07/13(木) 00:32:35
未知
139日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:29:11
石鎚山もたまには思いだしてあげて下さい(´・ω・`)
140日本@名無史さん:2006/07/23(日) 11:32:28
わかりました
141日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:45:00
御嶽山も思い出してあげてください
142日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:08:54
わかりました
143日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:35:42
高尾山は? (′;ω;`)
144日本@名無史さん:2006/08/23(水) 14:40:38
…( ´_ゝ`)
145日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:31:28
修験道は役小角。先駆者は一言主。しかし、役小角は新羅でも修行。北朝鮮には
金剛山という景勝の地がある。これは江原道といって朝鮮半島の中央の辺り。
しかし、朝鮮では修験道は歴史的にあったかもしれないが、それが成長したのは
日本だろう。宇佐の伝承では英彦山の修験道は天竺と関係があるようだ。
鳥取県東伯郡三朝町三仏寺等にはガンダーラ、敦煌の感じが残っている。また、
三韓地方には月氏、インドなどとの関係を語る遺跡が多い。修験道の発生は中国
北西部、西蔵と見るのが正しかろう。
146日本@名無史さん:2006/08/27(日) 12:22:17
農村の民俗芸能とかに修験者たちはどれほどの影響を及ぼして
いるんだろう?羽黒山の神事や、早池峰山麓の神楽など修験者によって
伝承された神事・芸能は当然として、東日本の農村の伝統芸能には
修験者によって広められたらしいものがやたら多い気がする。
147日本@名無史さん:2006/10/10(火) 16:12:05
峰入り
148日本@名無史さん:2006/11/03(金) 13:11:14
  
149日本@名無史さん:2006/12/12(火) 00:11:06
保守
150日本@名無史さん:2006/12/12(火) 19:22:25
ユダヤ教神秘主義、密教・・・カバラ、カッバーラ・・・山伏(鞍馬の烏天狗)
経典トーラー(虎の巻き)、フィラクリティー(ときん)
151日本@名無史さん:2007/01/12(金) 03:04:55
千日行
152日本@名無史さん:2007/02/18(日) 00:25:12
英彦山
153日本@名無史さん:2007/03/15(木) 04:42:36
>>146
奥三河の花祭りも、白山の修験者が伝えたという伝承がある。
除災招福の芸能は、除災招福を職能とする宗教者と関連が深いのはある意味当然かも。
154日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:53:16
テレビで修験者の火渡りの儀式を見た。
最初は結構というか、非常に熱そうだが、終わりの方になると消えかけた灰の上を歩いている感じ。
155日本@名無史さん:2007/04/01(日) 23:56:07
修験学会ってあるんじゃなかったけ。
だれか情報を持っていないのか。
156日本@名無史さん:2007/04/14(土) 23:09:37
>>155

あるよ
日本山岳修験学会

事務局は福岡県立求菩提資料館においてある http://www9.ocn.ne.jp/~kubote/

刊行誌は『山岳修験』 http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/za0009.html
157日本@名無史さん:2007/04/15(日) 01:05:36
神としての天狗
神として信仰の対象となる程の大天狗には名が付いており、愛宕山の太郎坊、鞍馬山の僧正坊、
比良山の次郎坊の他、比叡山法性坊、英彦山豊前坊、富士山太郎坊、白峰山相模坊、
鞍馬山の鞍馬山僧正坊(鬼一法眼(鬼一法目)とも同一視される)等が知られる。
158日本@名無史さん:2007/04/15(日) 01:09:37
中世の修験道隆盛期には、[天狗=山伏]の観念が定着し、庶民は専ら山伏に帰依し、
天狗は守護仏・守護神としての霊験を極める。

著名な八天狗
愛宕山太郎坊 山城(京都)
鞍馬山僧正坊 山城(京都)
比良山次郎坊 近江(滋賀)
飯綱三郎    信濃(長野)
大山伯耆坊  伯耆(鳥取)&相模(神奈川)
彦山豊前坊  豊前(福岡)
大峯前鬼坊  大和(奈良)
白峰相模坊  讃岐(香川)
を始め、修験の霊山は天狗の坊名を競って連ねるようになる。

 しかし近世ともなると山伏があまりにも世俗化し、山伏自体の畏怖観念が薄れ始めると、
それと共に天狗は、学者によって妖怪として扱われたり、滑稽な天狗話が生まれる原因となった。


--------------------------------------------------------------------------------

その反面、秋葉信仰や金毘羅信仰などの天狗信仰が大流行する。信仰の根底には、天狗の持つ山の神の宗教性を庶民が頑なに守り伝えてきたことにある。


159日本@名無史さん:2007/04/15(日) 16:24:12
平田篤胤の『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』を昔、読んだときの感想。

神仙界でもなんでもなく、単に筑波山の修験者の修行の様子じゃないか。
一般人にとっては、修験者はそれだけ異界の人と見られていたのか。
160日本@名無史さん:2007/05/12(土) 02:20:41
>>158

>しかし近世ともなると山伏があまりにも世俗化し

英彦山文書では、各地の檀家が世襲山伏の相続の対象になっていて、面白いな。
161日本@名無史さん:2007/05/14(月) 08:54:57
江戸時代の世襲宗教家はすべて同じ。
寺の住職は先代から檀家を引き継ぐし、
伊勢の御師も、顧客を相続する。
162日本@名無史さん:2007/06/19(火) 23:52:05
163日本@名無史さん:2007/06/20(水) 00:46:13
各地で今夏の山開きが始まったね。富士講シーズン到来。

7月1日には、新宿の富士講「丸藤」は、今年も白の行衣を着て、
東京中の富士塚を七つ廻る「七富士参り」をするのかな。
164日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:20:57
関西では、大峰講は、あちこちにあるだろう。
今年、大峰登拝をする予定の人はいないのかな。
165日本@名無史さん:2007/06/24(日) 22:27:00
もうした
次はトジメ行くy
166日本@名無史さん:2007/06/25(月) 01:24:48
覗き、やりましたか?
167165:2007/07/01(日) 19:37:39
書くとばれるかな
小学生から5年はしたけれど
それからしてない
蟻の門渡りはいったよん
168日本@名無史さん:2007/07/01(日) 20:35:57
成人を迎える頃の人は、下山すると、
夜の性人式をやるって聞いたけど、
本当?
169日本@名無史さん:2007/07/11(水) 22:57:42
吉野大峰でも比叡でも、麓には必ず遊郭がありますよ。
170日本@名無史さん:2007/07/12(木) 00:23:01
精進落としも結構だけで、変な病気を持ち帰らないでね。
171日本@名無史さん:2007/09/08(土) 20:12:58
今でもあるの?
172日本@名無史さん:2007/09/08(土) 21:52:13
>171
今でもあるよ。
修験道をはじまりとし、のちには門跡寺院にもなった
京都の聖護院の特別拝観へ行ったとき、荒修行の写真が展示してあった。
岩山をよじ登ったり、先輩僧が絶壁から突き落とそうとしたりね。
志願すれば、一般人も大勢行っているみたいだよ。
173日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:43:28
しらねーよ
174日本@名無史さん:2007/10/15(月) 23:08:33
湯殿山の湯は気持ち良かった。湯に触った時の湯加減が・・・
175日本@名無史さん:2007/10/25(木) 22:52:39
ぬるぬる茶色山
176日本@名無史さん:2007/12/22(土) 14:13:07
ほすかな
177日本@名無史さん:2008/01/10(木) 22:29:24
修験道の始まった経緯ってどのようなものなのでしょうか?
178日本@名無史さん:2008/01/11(金) 00:13:45
山岳信仰+仏教
179美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/01/11(金) 01:03:15
>>143
高尾山は畿内へ高野山として天狗伝承や空海の伝承ごと移設されちゃってるね

あと位山(乗鞍山?)の天狗伝承も、畿内の鞍馬山の鞍馬天狗として天狗伝承ごと移設されてるよ


こういう事はハッキリさせといた方がいいと思うな

高尾山は丹生神社なども一緒に畿内に移設されてるけど、実際に水銀鉱脈の採掘が行われてた場所の符合点を始め、幾つかの符合点を探せば
畿内の方は後の時代に後から付けられたんだってのは普通は解ると思いますよ
180日本@名無史さん:2008/02/23(土) 09:48:16
峰入り
181日本@名無史さん:2008/03/10(月) 15:05:50
昨日
高尾山行ってきたんですが
白装束の格好の方々が
たくさんいて
その中の何人かが
白いリュックの下に
狸の毛皮をぶら下げて
歩いてらっしゃいました狸の毛皮は何か意味が
あるんでしようか?
182日本@名無史さん:2008/03/10(月) 22:42:25
>>181
濡れたところに座っても、濡れない。
183日本@名無史さん:2008/03/11(火) 16:02:31
>>182
濡れないって
だけなんですか?

昔から毛皮ぶら下げて
歩いてるものなのかな?
ちょっと気になりましたが
教えてくれて
ありがとうです。
184日本@名無史さん:2008/04/15(火) 19:44:56
修験に祈祷頼むときは詐欺も多いし、やたらと態度がでかいから気をつけろよ。
俺なんか、取っ組み合いのケンカになったよ。
弱みにつけこんで依頼者に命令してんじゃねえ。
しょせんは修験はオカルトマニアの集団ってことをまざまざと思い知らされたよ。
祈祷ならやっぱり祈祷寺院の方がいい。
修験の方が見た目はハデだが、中身は・・・。
185日本@名無史さん:2008/04/16(水) 01:51:43
>>184
天台?、真言?
どっち系?
186日本@名無史さん:2008/04/16(水) 03:39:08
山王信仰で有名な日吉、日枝神社も比叡山の鬼門守護だしね
187日本@名無史さん:2008/05/05(月) 00:47:47
なにを山岳に求めたの?
超能力?
それって「俗世の奴らとな特別な力を持つ俺」
になりたいだけなのとはチガウノカな?
188日本@名無史さん:2008/05/31(土) 10:56:24
うーん
189日本@名無史さん:2008/05/31(土) 11:08:21
ノアの方舟伝説。
大洪水の後たどり着いたところは、アララト山と富士山。
富士吉田にもゾロアスター教の火祭りが伝わる。

190日本@名無史さん:2008/06/09(月) 01:55:27
>>184
ttp://www7.ocn.ne.jp/~kinryu/

ここの管理人を見てるとまさにそんな感じです
191日本@名無史さん:2008/06/09(月) 07:01:26
でも、山岳信仰が日本人の第一宗教だったら
糞田舎で誰も来ない山岳地帯が
今頃參拜客の押し寄せる場所に変わってんだろうな。
192日本@名無史さん:2008/06/09(月) 12:41:47
鉱山探索の山師が起源ではなかろうか・・・
「丹」や鉄を探す技術者。
少彦名神は大国主神(大穴持神)と共に各地の山の温泉の側に祭られていたりする。
徐福伝説や道教につながる渡来技術者の系譜
193日本@名無史さん:2008/06/10(火) 00:51:37
>>192
うちの恩師は、修験の起源は「非教団道教」にあるといっていたが…
日本において「教団道教」が成立しなかったことを前提として。
194日本@名無史さん:2008/06/10(火) 05:02:34
阿闍利って店があるんだが修験者が経営してんのかな?
195日本@名無史さん:2008/07/12(土) 15:54:49
山に不思議な力を感じるのは
日本人と中国人だけなんだろ?
196日本@名無史さん:2008/07/15(火) 10:16:50
キリマンジャロ、アルプス、アンデス等々。
みんな昔は、神が宿る聖なる山でした。
197日本@名無史さん:2008/07/23(水) 17:01:32
>>190
その人は誰?
198日本@名無史さん:2008/07/24(木) 13:03:46
ここのスレタイいつも室伏に見えちゃう
199日本@名無史さん:2008/08/11(月) 22:47:34
関連スレ
【山伏】山伏、修験者の集い【修験道】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1212070393/
200日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:01:13
日本は歴史の古い国だから防水テントも防水リュックサックも携帯コンロも登山靴も酸素ボンベも乾燥食料も存在していない遠い過去から登山が行われていた。 

だいたいにおいて日本の山は,ご近所の裏山と同じく、気がついたら大昔からどっかの誰かが登っていて(←ってだれが気がつくんだ?)
最初に登ったのはだれかというのは不明なことが多い。あの日本一高い山の富士山だって、平安時代の文章に頂上のカルデラを
正確に描写した記述があるので,それ以前に人が登っているんだろうな,という程度のことしかわかっていない。
ところが,富山県にある剣岳は無茶苦茶危ない難攻不落の岩山なので,明治時代まで誰も登ったことがないと考えられていた。
だが、明治時代に初登頂のつもりで登った剣岳の山頂から人工的な物体(錆び付いた錫杖の頭部、槍の穂、古い焚き火跡)が発見されたのは有名な話である。 

有名人の例:藤原道長、西暦1007年に山上ヶ岳の山頂に出没する。 
http://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/data/kouko/88kiniro.html
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/070424/tokubetsu.html
http://www.yoshimisports.co.jp/blog/2007/06/post_26.html
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1027
http://kansaiart.hp.infoseek.co.jp/michinaga.htm
201日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:26:07
剱岳(つるぎだけ)は富山県・飛騨山脈(北アルプス)の立山連峰にある標高2999mの山。日本百名山の一つ。

「日本で最も危険な山」と言われている。

剱岳への登頂記録として語り草となっているのは、1907年(明治40年)7月の、陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らの登頂である。
柴崎は、当時の著名な登山家、小島烏水(1873年 - 1948年)と剱岳の「初登頂」を競っており、幾度かの失敗の後
ようやく本峰の山頂を踏むことができた。しかし、彼らがそこで発見したのは錆付いた鉄剣と銅製の錫杖の頭であった。
また古い焚き火跡もあったという。つまり、柴崎芳太郎らが初登頂ではなく、はるか昔に何者かによって登頂されていたのである。

http://osaka.yomiuri.co.jp/tokudane/td60807a.htm
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/tate/tenjikan/syakujo.htm
http://secondlife.yahoo.co.jp/supporter/article/DmnN0YaML1BEWyj0vGCwOL1tAPg-/4528/
この山について2009年に映画になる。
http://www.tsurugidake.jp/
202日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:53:02
このスレ久々のキチガイ系だね
203日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:21:50
オリンピックを見ていて思うのだけれど、日本人の潜在能力はすごいと思う。
現在は、価値観が多様で、多種多様な場面で能力を発揮できるけれど、
もし、縄文時代に、山を制する使命を帯びて先鋭を集めたら、登れない山な
どないと確信する。
204日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:30:27
山伏の姿は明らかにユダヤ密教カバラの姿で有り、
モーセ五書をトーラと良い、虎の巻きとはトーラの巻物である。
頭に載せるフィラクリティは頭巾(ときん)である。

山伏とは有る密命を帯びた集団で、烏天狗、山神様とも言われ
大和の危機迫れば有る者達の指揮の基、影の如く風の如く鳥の如く
駆け巡り、大和を汚す者達に天誅を下す。此の頃大和を汚す輩が繁殖中である。

山伏とはヤタガラスとも呼ばれ太陽の神様の使いとも言われる、
日蓮の名を語る魔教の輩どもに天誅を下して欲しいものだ。
205日本@名無史さん:2008/08/12(火) 01:19:46
神武の東征、壬申の乱の大海の王子、平安朝頃の藤原氏、源平合戦の源義経、
南北朝の後醍醐天皇、明治維新の天誅組、等々は皆吉野の山に入りヤタガラス
の力を借り勝利へと導いた、熊野の山には数十万の兵(木こり,猟,漁師)が居る。

じゃ如何して吉野の山なのか、そこには金峰山寺と言う修験者達の寺が有り、
金山の神が祀られて居る、吉野には数千年間の砂金、金鉱山からの埋蔵金が
有ると言われ、現に奈良の大仏の金鍍金は吉野の黄金と云われる。
京の都の真南に当たるのも意味有り気かな?太陽=黄金?
206日本@名無史さん:2008/08/12(火) 03:33:02
池田犬作の首を取る様、天狗様にお願いしよう!!!!!!!
207日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:39:30
日本の河川の90%に砂金が有ったと云われ、それらの砂金を数千年に渡り
集められた、さてそれらの砂金、鉱山の金、何処に消えたのだろう。

平安時代に面白い話が物語りに残って居る、都の金細工屋が検非使に捕まり
どこから金を持って来たかと尋問され、吉野の山に岩の如く有り少し盗んだと
証言の記録有り、修験者達が警備してたらしい熊野三山の事か?。

208日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:00:52
日本中の山伏ネットワークで黄金集めたんだろうね。

何処に隠してるんだろう。
209日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:57:52
表国家を支える影の国家みたいだな、表国家の千年分、1000倍位の国家予算かも。
210日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:59:07
なにこの阿言宗臭いスレッド(´Д`)
211日本@名無史さん:2008/08/13(水) 19:41:15
吉野山金峰山寺と高野山金剛峰寺は隣だけど関係有ったの?
どっちも「金の峰寺」って文字入ってるけど。
212日本@名無史さん:2008/08/13(水) 19:58:10
日本の黄金は、縄文人の手によって世界中に運び出されています。
ツタンカーメンの黄金の王座も日本から運ばれた黄金で作られているし、
ピラミッド建設技術も縄文人の技術で作られていました。
213日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:04:05
>>204
役の行者
ttp://homepage3.nifty.com/enno-f/ennogyoujya.jpg
ユダヤ教の装束(左上の写真に注目)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Prayer_Shawl.JPG

明治の神仏分離、修験廃止令以降、修験道自体仏教の一派としてかろうじて生き延びているが
大峯、葛城など修験の本場をはじめ全国の行場を訪れその修行の参加すれば、密教、仏教とは別の宗派である事は明白だ
例えば、在家出家と信者と僧侶を明確に分ける仏教に対して「半僧半俗」を旨とする点は仏教諸派とは明確に違う所だ
また、いわゆる新宗教も信者と教祖以下教団運営者との隔たりは前述の仏教諸派と構造は同じだ
しかしながら、修験道は先達制度といった縦の社会は有るものの信者も僧侶と同格の修行者である事にかわらない
「宗教」や「信仰」これを持つには非常に難しい時代だが、信者=修行者であるこの宗派は人間が本来持つ「信仰」の心
を感じる事が出来るダイナミズムがある
現代の宗教はうわべだけの「道徳」を「教え」として語るが、本来の「教え」とは何かが修行を通じて「感じる」事が出来る
宗教とは本来この姿なのかもしれない
214日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:44:57
>>211
熊野の山は有る者達の秘の世界で有り金庫、兵庫で有る、海沿いは海人熊野水軍が守り、
北部紀ノ川沿い東部は金峰山寺の修験者達が守り、西部は高野山金剛峰寺真言宗の
僧侶達が守ってる。

そして東の端には太陽(日)が昇り天を照らす天照皇大神宮を祀る伊勢神宮が有る、
まるで熊野山地は一つの国の如し。
215日本@名無史さん:2008/08/14(木) 21:41:35
>>214

有る者達って、何処のどちらさんかね??
216日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:05:00
有る者・・in it = イヌイット

こういう公式が成り立つのではないだろうか?
217日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:34:45
このスレどこの宗教団体がやってんの?
218日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:38:16
>>217
そういう前に信仰を語るなら宗教を知った方がいい
最低限新興宗教と古来からの宗派との見分けは付いてる?
219日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:44:55
*** 山伏の頭巾 *** 山伏の装束 ***

1.頭巾 - 2.鈴懸(篠懸) - 3.結袈裟(不動袈裟) - 4.最多角念珠 - 5.法螺 - 6.斑蓋(檜笠)
- 7.錫杖(菩薩錫杖) - 8.笈(箱笈) - 9.肩箱 - 10. - 11.引敷 - 12.脚半 - 13.八目の草鞋
- 14.檜扇 - 15.柴打 - 16.走縄(螺緒) - 17.??扇 - (カンマン着)
上がその一覧であるが、1.から12.を山伏十二道具、1.から16.までを山伏十六道具という。

山伏の装束 http://www.d6.dion.ne.jp/~zenkou/yamabusi/yamabusi.htm

エルサレム神殿の門には、天皇家の「16弁の菊花紋」と共通した紋章が刻み込まれています。
この紋章はイスラエル民族の紋章です。法螺と同じように、祭りのときには、ユダヤ人は羊の
角で作ったショーファーを使います、

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
220日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:44:09
>>219
確かに両方見たけど良く似てるね如何してだろう?
221日本@名無史さん:2008/08/16(土) 17:34:05

山岳信仰とは、山を崇め奉る信仰である。

基本的には山や、山にある大木、巨大な岩を信仰母体とすることが多い。  

山岳信仰の始まり                

山岳信仰は縄文時代に狩りの獲物をもたらし、家屋の材料や燃料を与えてくれるのは
山であるから、(縄文人)が山に対する感謝と畏敬の念をもっていたことから始まり、
山を神として崇拝し、一方で恐れるということは、農耕の伝播以降に始まったと考えられる。

山に対する信仰の基本は、豊かな収穫を祈ることにあったから、山の神は実際には田の神であった。
山の神が農作業の時期に山から降りてきて田の神になるというところも少なくなかった。

222日本@名無史さん:2008/08/16(土) 20:20:34
なんじゃこりゃ????
223日本@名無史さん:2008/08/17(日) 07:45:09
ユダヤ教と修験道の共通点の話題で盛り上がっているようだが、
大事な視点を見落としているね。
ユダヤ教は一人の神しか認めない厳格な一神教。
修験道は多数の神・仏を拝む多神教(的性格を帯びている)。
修験の側から多くの神々の一人としてユダヤの神を拝むことはあっても
ユダヤ教の側から修験の神仏を拝むことはありえないだろう。
少しぐらい衣帯が似てるからといって修験のルーツがユダヤにある、
という考えには賛成できない。
224日本@名無史さん:2008/08/17(日) 16:22:28
>>223 >ユダヤ教神秘主義カバラは一人の神しか認めない厳格な一神教じゃ無いよ。

カバラ - Wikipediaカバラ(קַבָּלָה qabbalah)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%A9

カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、 終末論、メシア論を伴う
神秘主義思想で ... したがってカバラーは一神教でありながら多神教や汎神論
に近い世界観を持つ。 別の解釈ではこの世界を一冊の書物とみなす。 ...
ja.wikipedia.org/wiki/カバラ - 33k - キャッシュ - 関連ページ

ユダヤ人は相当初、多神教だった: 聖書の知恵・聖書の旅「ユダヤ教」は同根の
「キリスト教」「イスラム教」 と同じく一神教であるが、ユダヤ人が遊牧民で
あったころ(ヘブライ人)は世界の他の民族と同じように、「アニミズム信仰」
で自然や物質に霊魂の存在を認めようとした多神教であった。 ...
bible21c.seesaa.net/article/53954833.html - 9k - キャッシュ - 関連ページ

225日本@名無史さん:2008/08/17(日) 17:43:20
アイザックの子孫相沢氏は、今も東北の山々で暮らしています。
226日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:39:49
カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う
神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば

「仏教の神秘思想である密教との類似性」を指摘されることがある。
227日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:11:08
へえ、ユダヤ教の中にも多神教や汎神論に近い思想の流れがあったんだ。眼からウロコ。
だとすればそれが日本に伝わったという意見に100%否定はできないがそれでも可能性はまだ薄いと思うね。
その理由としては、日本とユダヤの接点を明確に示す遺跡や史料が皆無。
多神教はインド・中国・バビロニア・エジプト・ギリシャなど日本・ユダヤ周辺諸国でも盛んだったことを考えれば、
多神教を以って日本・ユダヤの共通点とするには無理があること。
ただ、ヨガ(インドでの非アーリア的なもののルーツとしての)とか密教とかタントラとか、
聖なる者との合一体験を重視している点においては共通項はあるだろうね。

アイザックは英語読み。ユダヤ読みかラテン読みかはしらんがイサクなのでは?
228日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:13:57
イサクが木を切る〜トントント〜ントントント〜ン♪
日本の木こりの名前として定着しましたね。
229日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:33:09
230日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:59:27
う〜ん、カバラーを信奉するユダヤ教徒と、現在の正統?と言われているユダヤ教徒と
ごちゃ混ぜにされるとこじつけの感が強まるだけだなぁ
役の行者さんのお顔を見ると縄文人という感じがするし、山野を斗藪する修行法からいっても
縄文人の宗教がベースになってるのかなという実感はあるけど、カバラーは實修したことないしね。
ところで修験とカバラーを双修してみた体験があるのかな?
231日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:27:03
>>230  >ところで修験とカバラーを双修してみた体験があるのかな?

いいえ体験した事は無いです、只書物で楽しんでる程度です。
近くの山を少しばかりハイキングする位ですかね。
232日本@名無史さん:2008/08/20(水) 00:35:51
そもそも一神教なんて無理やり作った宗教形態
聖書は一神教の経典だけど古代のイスラエル人の歴史譚
登場人物を日本的な感覚での神に当てはめれば多神教として十分通用する
233日本@名無史さん:2008/09/22(月) 21:55:19
修験得度とはなんですか?修験でも赤い衣をきるのですか?{大徳寺}で検索したら
ホームページに関東修験會とありました。赤い衣の方が、醍醐の総長 仲田さんですか?
醍醐の行者の得度を仲田総長がされてるのでしょうか?「大徳寺のブログ」で検索して
下さい。当山派でしょうか?本山派でしょうか?教えて下さい。
234酔鯨 ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/22(月) 23:45:31
法印大五郎
235日本@名無史さん:2008/09/23(火) 01:48:43
なんでこんなカルトスレが日本史板にあるの?
236日本@名無史さん:2008/09/23(火) 19:51:06
修験道って日本に仏教が入る以前の信仰だろうね。
237日本@名無史さん:2008/09/23(火) 20:39:06
>>236
日本化された(教団化していない)道教って考え方もあるけどね。
まぁ、体系化されたのは間違い無く仏教以降だけどね。
238日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:53:47
此の頃法螺貝が少なく成ってるらしく高いんだって。
239日本@名無史さん:2008/09/26(金) 22:30:13
修験道はすばらしい1
240日本@名無史さん:2008/09/26(金) 22:31:20
修験道はすばらしい!
241日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:17:51
おお!
242日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:47:21
>>233
神社仏閣板で聞いたほうがいいよ
醍醐スレは荒れまくってる
243日本@名無史さん:2009/02/01(日) 22:12:40
そうなの?
244日本@名無史さん:2009/02/28(土) 22:00:07
あげ
245日本@名無史さん:2009/03/29(日) 11:34:59
233さん
醍醐派の場合の修験得度とは、醍醐には本宗と修験とに僧籍がわかれています。簡単に言うと修験とは在家の為の物と言うことです。
246日本@名無史さん:2009/03/29(日) 14:17:32
>>245
ここで言ってる修験得度は三宝院でのそれとは違うよ
抱いとく寺は醍醐じゃないし勝手に修験名乗ってるだけ
247日本@名無史さん:2009/03/29(日) 14:53:18
醍醐と大徳寺とごちゃまぜになっているようですね。いずれにせよ自分は醍醐の事しかわかりませんので参考までに書かせていただいたと言う事でお許しください。m(__)m
248日本@名無史さん:2009/04/07(火) 23:28:03
俺の親父は大先達だったが、くそみたいな病気で死んだぞ。
霊験なんかねえやい。
249日本@名無史さん:2009/04/08(水) 00:05:00
しかも息子はねらーだもんな。こういう世界は家族持ちには限界がある。
250日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:29:45
>>248
死なない人間はいないよ。
251日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:21:54
>>213
修験道とユダヤ教そっくりじゃん!びっくり!
252日本@名無史さん:2009/05/10(日) 07:51:10
ついでに、マリア様もそっくりだけどね
253日本@名無史さん:2009/07/19(日) 00:43:20
>>249
どんな人間も死ぬんだ
だけど魂に気付いた人は肉体があろうが無かろうがあまり関係ないんだ。
死因はどうあれ、お父様のご寿命はそこまでだったんだ。
まっとうされたと思うよ。
この世にいるものは、できるだけ近くに居てほしいというのはそれは心情だからしかたがない。
だけどあの世に行ったときにはまた会えるよ。
それまでこの世でがんばるしかない。
254日本@名無史さん:2009/07/19(日) 21:33:58
>>213 >>251
そんな頭巾かぶれば大抵似るだろ。
半僧半俗は浄土真宗がそうだな。
修験道って神道のひとつかと思ってた。
しかし神仏分離令で禁止になったとはな。

そう考えると『神仏分離令』ってのは
単純に神道と仏教を分けた政策ってわけでも無さそうだな。
神=絶対神=GODに対する天照大神を作ろうとでもしたのだろうか。
日本の神は八百万のはずなんだが
255日本@名無史さん:2009/07/19(日) 23:41:59
>>254
明治近代化のための全体主義国家建設のなごりだろ。
皇祖神話、皇祖神道、明治国家元首、全体主義、近代化。
山岳修験は近代化の妨げになると。
256日本@名無史さん:2009/07/20(月) 11:12:04
>>255
皇祖神話だって十分非近代的だけどな。
どうもその辺ひとクセありそうな。
世界では神仏分離と似たようなことをやった国はないのだろうか。

一般に土俗信仰(日本で言う神道)と大宗教(キリストイスラム仏)が融合して
存在してるのが国際宗教の形態だが。
日本以外にこれを分けようと試みた国はあるのだろうか。
257日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:26:49
さあて、古きに戻れと叫んだキリスト教者はいたけど。

たいがい融合の方向に行ってるな。あるいは吸収だ。
吸収される側は悲劇が付きまとってるよな。

修験道は古事記や日本書紀が書かれるはるか前から存在する土俗信仰で、それを役の行者さんが
あちこちの山を飛び回って足跡を残し、「修験道」というひとくくりのカテゴリーを築いたものだと思うよ。

258日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:00:38
修験道はバアル信仰とユダヤ教の混合したもの
牛頭天王はバアル神
259日本@名無史さん:2009/08/21(金) 09:40:48
質問したいのですがよろしくお願いします
ど素人が修験の道に入るにはどうしたらよいのでしょうか?
費用や期間など教えてください
よろしくお願いします
260日本@名無史さん:2009/08/22(土) 04:13:23
「滝行体験」とか「山伏さんと登山」とかって企画あるじゃない?
まずはそういうのに参加して、
体験してみるのがいいんじゃね?
そして自分についても、考えてみればいい。
体験して満足したり、あー無理、と思ったりするかもよ。
で、いろいろ話聞いて、コネ作って。
でもな、
軽い気持ちや妙な憧れ、
また逆にキモい熱心さは嫌われるよ。
実際の生活、現実社会、世間との付き合い、
そういうものの、バランス取れてないと。
261日本@名無史さん:2009/08/22(土) 04:18:30
まず山に登れることが先じゃね?
近所のハイキングすらやったことなけりゃ
山でなんにも出来ない
262日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:25:50
263日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:45:48
>>256
イスラムだと原理主義/復興主義かな。西欧列強進出とのからみで台頭。
でも、原点回帰してるつもりでも、土着の習俗がきっちり残ってたりしてる。
イスラムは政情不安になると、宗教保守派が権力を握るから、結局そういうことなんだろう。

修験者はスーフィー(聖者信仰)だな。
どこでも理詰めのと神秘体験するのとで分かれるもんなんだな。
264日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:03:09
なるへそ
265日本@名無史さん:2010/03/12(金) 23:24:46
やまぶし
266日本@名無史さん:2010/03/21(日) 16:50:37
山伏町
267日本@名無史さん:2010/04/30(金) 00:22:20
市ヶ谷か
268日本@名無史さん:2010/05/01(土) 19:29:35
ここまで細川政元無し。
269日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:15:28
昔、飯豊連峰の山頂で寛永通寶を一枚拾って今でも財布に持ってます。
270日本@名無史さん
最近修験道に憧れてるので、近く1日体験コース行ってきます
費用も2〜3千円だし、前日宿坊に泊まっても素泊まりなら3千円くらい