1 :
日本@名無史さん:
うどん屋でも町人は武士に気をつかうの?
2 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:39
先に町人が2人でウドン食ってて、あとで武士が入ってきたら
急に話すのを止めたり、緊張の空気がながれますの?
席は町人と武士は隣同士とかOKなん?
3 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:41
武士専用のうどん屋とかあるの?
隣にすわったら、刀とか当らんようにするの?
4 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:43
江戸時代は暗黒時代だからな
絶対斬られたと思うよ。
町人がうどんを食うとは何事か!とか言って。
で、斬られたほうは泣き寝入り。
ほんと嫌だね武器を持った奴が威張り散らす封建社会は。
5 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:51
>>4 いくら武士でもやたらと人を斬っていると捕らえられる。
ていうか、うどんっていつからあったの?
そばは鎌倉時代に博多から広まったみたいだけど。
6 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:54
>>4 マジかよ
先に町人がバカ話しながら、うどん食ってて、武士が来たら
気をつかって、話を止めてシーンとなるのか?
ほんで、窮屈だから、早めにウドン食って店出たりするのか?
7 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:56
昔のアメリカの黒人と白人専用せきみたいにヨー
武士席と町人、農民席があるのか?
うんうん
8 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:57
お侍さんがうどん食べているなんてめずらしーって町人
どもからかわかられる
9 :
日本@名無史さん:04/01/10 23:58
うどん屋で武士と町人は口利けるのかよ?
オイ
10 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:00
うどん屋は安土桃山ぐらいからだろ
たぶん
11 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:01
武士がうどんなんて卑しい物お店でたべんだろ普通
12 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:04
うどん屋でそんなアンバイなら、銭湯では?
13 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:07
知ってる奴イネーーーーーーな
史学科出で研究した奴いるか?w
14 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:08
武士でもうどんは食うだろ。
奉行所の定廻り同心は女湯に入ったんだよ
なんで?
17 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:18
武士と町人が同じ店入れるのかよ?
暴れん坊将軍では、新さんと町人が和気あいあい話てるぞ
町人が旗本に冗談までいってるけど・・・・・・
うどんの名で麺類の形になったのは室町時代。
【麺そのものの呼称】
切り麦・・・小麦粉をねった生地を包丁で細く切ったもの
【食べ方による料理名の違い】
うどん・・・熱い汁に入れるもの
熱麦(あつむぎ)・・・ゆでたてを蒸籠に盛ったもの
冷や麦・・・茹でて冷やしたもの
19 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:37
江戸に限っての事だが、町人は武士に対して最低限の礼は守っても
卑屈な態度はとらなかった。
喧嘩沙汰になれば、法的には武士が切り捨て御免に出来たけれども
実際にそんな事をしたら、よくて蟄居、悪くすればお家断絶になり
かねないので、我慢するしかなかった。
江戸でうどんが流行ったのは江戸時代初期で、屋台の鍋焼きうどん
が主体だったので、時代劇に出てくるようなうどん屋ではなかった。
吉原の福山はうどんで有名な店だったが、これも郭内の茶屋へ出前
するのが主なので、うどん屋に武士と町人が同席するというのは難
しい。
18世紀に入るとすぐに江戸では蕎麦が流行し、うどん屋は順次蕎麦
屋に呼称を変えていったので、うどん屋で武士と町人が同席する機
会はますます少なくなっていく。
うどん屋にこだわらずにいえば、吉原、芝居見物など、町人のため
の施設に武士が入って行く時は、武士の方が気を使う事が多かった
ようだ。
20 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:50
お前ら!
うどんばっかり話題にすると
たどんの立場がないだろうが!
えっ ? たどんを知らないって ? 通じゃないね。
21 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:53
下級武士は庶民以上に生活が苦しいので、
庶民と同じ店ぐらい普通に行くでしょう。
22 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:53
やっぱ一人暮らしの町人とか浪人とかは
自炊しないでうどん屋とか蕎麦屋に3食食いにいってたのかね?
いまでいう朝はくわねーで昼マック夜は吉野家みたいな感じで。
嫁もらうまでは男はそんな感じではないかと思うのだが。
この辺の連中の食生活に興味があるのだがどこで調べればよいのだ?
23 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:08
次に徳川二百六十年間を支えてきた要素を挙げてみたいと思います。
まず、「小さな政府、低い税金」です。年貢(ねんぐ)は綱吉公のころには天領で三公七民になります。
江戸、大坂の町民は年貢ゼロでした。インフラ、公共財は発達し、教育水準、モラルは非常に高かった。
文化文政のころには江戸の町人男子の70−86%が読み書きができ、女子では25%。
これは、当時の英国一般男子の20−25%と比べても、驚くべき数字だと言えると思います。
武家の連座制に見られるような重い責任感、高い衛生管理、完全なリサイクル社会、二百五十五校もあった藩校での人格教育、
現在の小学校並みの約二万もあった寺子屋など、どれを取っても、その文化的水準の高さは世界に誇るに足ります。
最後に、この時代は身分社会ではあっても、場を変えれば武士と町人が平等な付き合いもできましたし、
そういう柔構造の中で自由な精神が育っていたということを申し上げたいと思います。
24 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:15
武士の食事
大名などは料理人をかかえ、選び抜かれた食材を使った料理を食べた。
刺身や酢のもの、煮物、焼物、吸物など種類も多く、上級武士もそれなりに食生活は豊かだった。
下級武士は暮らしに余裕もなく、汁、漬物、茶漬などが普通で質素なものだった。
江戸には独身の下級武士が多く、彼らは「賄い屋」とか「菜屋」の世話になっていた。
賄い屋
江戸城中の泊り番の者や組屋敷の独身者に一汁一菜の弁当を運んだり、
諸見付警固の番人や定期的に行われる寺社参詣の供回りなどに弁当を入れていた。
宅配弁当屋みたいなものか。
菜 屋
煮めしなどを売る惣菜屋。店売りのほか、数種類の惣菜を岡持ちに入れ、
天秤棒にかついで女手のない大名屋敷の勤番小屋、中間小屋などに売り歩く、振売りもあった。
25 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:17
>22
江戸時代は朝夕の二食が原則。
それでは腹が減るのでお八つに菓子や蕎麦を食った。
どっかへ行かなくても、長屋には飯もおかずも売りに来たし、
出前や屋台も豊富だったので、女房のいる家でも炊事しない事
もあった。
26 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:18
ちなみに、浪人は罪を犯せば町奉行所扱いなので町人と接しても滅多な事はできない。
27 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:20
つーか、うどん屋って、
江戸には蕎麦屋はあるが・・・・
28 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:21
うどん屋もかなりの数があったよ。
29 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:27
>19
>江戸に限っての事だが、町人は武士に対して最低限の礼は守っても
>卑屈な態度はとらなかった。
武士の側から見ても、自分が武士だというだけの理由で
町人に対して尊大な立場をとる者はいないよ。
いたらそいつはDQN。
町人と言えどもそやつを斬って捨てることを許す。
30 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:33
武士も町人も面子があったから、武士と町人が争うと生き死にの問題に関わる。
よって、事前にいざこざを回避するようになっていた。
町人も斬られたくないし、武士も失態で切腹させられたくはない。
31 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:34
芝居小屋で武士が隣にきても、町人は緊張せん訳かね?
そうかな?
今なら隣にヤクザが座る感じじゃないの
32 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:35
町人は気をつかうだろ
刀が触れないようにとかね。
33 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:37
>芝居小屋で武士が隣にきても、町人は緊張せん訳かね?
武士も気を使うよ。
町人とのいざこざは咎めの理由にもなりかねんから。
34 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:39
お互い気をつかうのかよwww
>>24 大名屋敷から汲み取った肥は栄養価が高いので
肥料業者から重宝がられたらしいねw
36 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:45
このころから
江戸ではマンコ
大阪ではオメコと呼ぶようになりました。
37 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:47
現在の人間が江戸時代のメシ食ったらウマイのかな?
目の付け所が良いですね、
>>1さん。
人・集団・土地ではなく物資・産業をテーマにするってのは。
39 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:53
>19
>喧嘩沙汰になれば、法的には武士が切り捨て御免に出来たけれども
>実際にそんな事をしたら、よくて蟄居、悪くすればお家断絶になり
>かねないので、我慢するしかなかった。
そうだと思うけど、
武士が侮辱されて我慢した上、堪忍袋の緒が切れて相手を斬った場合、
それでも処罰されたの?
もし処罰されたのなら、斬捨て御免は絵空事ということになるが。
40 :
日本@名無史さん:04/01/11 01:54
江戸では蕎麦、大阪ではうどん
町人と武士の気質か?
うんうん
41 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:07
まあ、もとどりを切られて役所にでも持ち込まれたら武士は100%自裁するからな。
結構大変なのだな、武士は。
42 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:16
武士は公務員、町人は民間って感じかな?
武装してる分警察官に近いのかも・・・
お堅い上司、面子や体面気にするつながりで。
43 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:19
>武士が侮辱されて
武士を侮辱する奴などそうそう居ない。
44 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:25
町人が足で踏んでこねたうどんを食わせることは、
武士に対する侮辱だろ。
45 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:29
>43
そうかな?
町人のほうでも、自分が腕力があって、相手の武士が弱そうだった場合、
斬れるもんなら斬ってみろ!みたいな事はあったんじゃないかな?
時代劇の見すぎかな?
46 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:31
>39
斬り捨て御免は武士階級の特権でしたが、その権利を行使するとご府内を騒がせたかどに
より切腹の義務もついて来ました。切腹は刑罰ではなくこれも武士の特権ですが。
町人が武士を殺せば刑罰死、武士が町人を殺せば切腹という名誉死、という違いが斬り捨
て御免の実体かと。
武士が大名の家中だった場合特には、幕府がその藩自体に難癖つける良い材料になるので
ひたすら我慢するしかありませんでした。そもそも江戸城下で刀抜くなんてとんでもない
話だったのです。
47 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:33
>45
旗本白束組の水野十郎左衛門と町奴の幡随院長兵衛の抗争なんかは史実として残ってる。
>武士が侮辱されて我慢した上、堪忍袋の緒が切れて相手を斬った場合、
>それでも処罰されたの?
以前に別スレで話がでたが法規上は切捨て御免という制度はあったが実質は死文化していた。
江戸時代初期はともかくとしてそれ以降では適用実績はほぼ皆無。
一応法規上では無礼を働いたという明確な証拠が必要とされている
第三者が見ている前で相手が無礼を働かないとNG
→ 二人きりの時に斬って無礼討ちを主張しても駄目
また無礼を働いたその時その場で討たないとNG
→ しばらくしてから思い出してむかついたので斬ったのは駄目
また無礼討ちではトドメはささないのが作法だそうな。
但し、これは主従関係にない他人同士の無礼討ちの話ね。
主従間での無礼討ちは上記の規制はうけません。
49 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:36
>46
ふーむ。
江戸城内どころか、江戸市中ですらそうだったのですか。
ところで、江戸を離れた場合ではどうだったのですか?
そこはもう無法地帯?
50 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:38
将軍様お膝元の町人>>>>超えられない壁>>>>>外様大名の勤番侍
51 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:42
同心の持ってる十手は相手の刀を受ける武器ではなく、
相手の刀のツバにひっかけて抜き出して「はい、刀抜い
たからレッドカードね」とする道具だった、という説を
聞いたことがある。つまり、容疑者を犯罪者に確定して
しまうわけね。
52 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:43
首都京都の町衆>>>>東夷の壁>>>>>幕府地江戸の町人
53 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:45
>51
きたねーなw
つーか、抜き取られた香具師も間抜けだねw
もっとも、同心の相手じゃ侍じゃなくて無宿者だっただろうけどね。
54 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:46
>ところで、江戸を離れた場合ではどうだったのですか?
>そこはもう無法地帯?
武士が他家の領地で地元の町人、農民を斬ったらえらい騒ぎになる。
外交問題。
55 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:49
>54
同意。
しかし自藩の領内ならなんとでもなりそうだが。
56 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:49
>相手の刀のツバにひっかけて抜き出して
どうやって引っ掛けるんだよw
>49
どの地域であってもそこの領主が存在しますよね。
そして領主は領民に対し排他的な生殺与奪の権利をもっています。
第三者が領民を殺害することは領主が保持する権利を侵害する事になり
その領主に対する敵対行為とみなされます。
従って江戸以外でも基本的には無礼討ちはないです。
ただし、無宿者は領民ではないのでその限りではありません。
とはいえ領主間の力関係で御三家などがごり押ししたケースなどは間々あります。
58 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:50
>しかし自藩の領内ならなんとでもなりそうだが。
とにかく、武士が町人や農民を斬ったら後々面倒な事になる。
領主がやたら領民を手討ちにしたりすると、幕府から不行跡を咎められる罠。
もっとも、そうなる前に家老連中が押し込めにしてしまうのが普通だが。
60 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:55
江戸時代の武士は、もめ事には関わらないし降りかかりもしないというのが重要。
できれば刀を抜きたくないというのが本音。
61 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:55
明治百話だったかで士族の商法ネタで武士が始めた食い物屋に町人が客として食べにいくという話があり
今までの癖で主人の武士がやたら威張っていて客である町人がぺこぺこして
「どっちが客だかわからない」などと町人が回想してましたね。
62 :
日本@名無史さん:04/01/11 02:56
>58
結局、刃傷沙汰はよほどのことでもない限り無かった訳ですね。
現代で例えるなら、銃の所持が許可されているアメリカでの喧嘩の末の
発砲みたいな。。
>56
「首領への道」の本田博太郎の刑事みたいな感じじゃないのか。
「ほぉ、道中差か、おまえこれ脇差ゆうには長すぎるやろ。ま、ええわ。で
もな、鯉口三寸抜いたらしょっぴくで(すきを見て十手を鯉口に引っかけて
引き抜く)。あ、おまえ、なんちゅうマネするんや。はい、御用や」
見てないとわかんないだろうけど。
64 :
日本@名無史さん:04/01/11 03:02
>63
ワラタ!
でも、抜かれるほうもそれを警戒してそうだがw
65 :
日本@名無史さん:04/01/11 03:08
事件がないことが良いことだと考えていた奉行所の同心がヤラセまでして事件を増やす事はしないが。
66 :
日本@名無史さん:04/01/11 03:11
「切り捨て御免」という武士の特権も、刀を抜くには相応の覚悟が必要で、いわば論理上の特権にすぎなかったという。
「『上役はごう慢な態度をとらない』とも、外国人は観察している。つまり庶民は武士に敬意は払っていたし、武士の方も庶民の感情を傷つけないように注意を払っていた。
それが、西洋人には『お互い干渉されない』とも、『上下の差がない』とも映った」と渡辺さん。
身分の垣根には“抜け道”もあった。金で旗本の株を買ったり、養子縁組などの手続きをとれば、庶民が武士になることはできた。
農民が代官や奉行になった例もある。成城大学の吉原健一郎教授は「芸」も“抜け道”の一つだったと指摘する。
「囲碁や生け花、音曲…。その道を究めれば、身分を飛び越えることができた。新井白石は市井の人ながら将軍の先生になったほどです」
むしろ、当時の一般庶民である農民や町民こそが、時代の主役であったという学説がある。
近世史が専門の元筑波大教授の田中圭一さんは「『村』こそが、社会の中核だった」と強調する。
「江戸時代は農地の売買がさかんになされています。土地は百姓の資産でした。開墾地も検地によって、百姓の土地所有権が確認された。
百姓は自らの土地で農業を経営し、自治で村を運営した。村は布や綿、紙、鉄製品などを生産する拠点でもあった。
しかも、それらの品はよその土地で高く売ることを目的に生産された。そうして、村から醸造業者や織物業者などが生まれていった。
百姓こそが新しい時代をつくっていた主役なのです」
67 :
日本@名無史さん:04/01/11 03:15
>>63 話としては面白いな。
刀にもよるだろうけど帯にある刀の柄を持って引っぱたら鞘ごと抜けるだろうな。
>>(すきを見て十手を鯉口に引っかけて引き抜く)
鯉口がどの部分なのか勉強してくだされ。
68 :
日本@名無史さん:04/01/11 03:17
佐川官兵衛は火消しと喧嘩して相手を斬り捨てた
うどんはどーしたw
71 :
日本@名無史さん:04/01/11 04:44
俺は武士の子孫だから分かるが武士はうどんをあまり食べないよ。
うどんよりソバを好む。
72 :
日本@名無史さん:04/01/11 05:29
グルメで知られた池波正太郎は、当時の食べ物のことを研究し、小説の中に
巧みに取り入れることで有名である。
特に「剣客商売」と「鬼平犯科帳」は、小説の中に登場する料理についての
グルメ本が出るぐらいに、食べ物の描写が豊富だ。
うどんは「鬼平犯科帳」にも出てくる。
江戸という舞台の関係上、蕎麦のほうが登場回数が多いが、うどんも「一本うどん」という
面白い料理が出てくる。
一本うどんは、今のうどんのようにたくさんの本数の麺があるのではなく、長い一本のうどんを
箸でちぎっては出汁につけて食べるというものだ。
この一本うどんの登場する回では、男色の盗賊に見初められた同心の木村忠吾が誘拐されると
いうものだが、一本うどんは単なる料理としてこの話に登場するのではなく、男根をイメージ
させる道具として取り扱われ、それによって木村忠吾が男色の盗賊に拉致されるという話の
ユーモラスさを、より引き立てるものとなっている。
73 :
日本@名無史さん:04/01/11 06:02
一本うどんを再現したお店あるね。
74 :
日本@名無史さん:04/01/11 06:46
江戸っ子はソバだろ。
麦の産地は土地がいいいがソバは荒地でも育つからな。
75 :
日本@名無史さん :04/01/11 11:24
うどん屋か...「守貞万稿」にはうどん屋の看板とか書いてあったような
76 :
日本@名無史さん:04/01/11 11:25
日本でも指折りの小麦生産地帯の北関東平野部では、
蕎麦よりうどんが主流やね。
秩父あたりの山間部では蕎麦も作るので、
昔からそばとうどんが昔から共存しているようだ。
漏れの親戚で郷士だった家が秩父にあるが、
客が来ると手打ちうどんを振舞う。
蕎麦も手打ちで作るが、それは自分で食べる為で、
客に出す場合は蕎麦じゃなくてうどんだそうだ。
ということは、山間部ではうどんのほうが蕎麦より
貴重だったということのなごりだろうね。
江戸ではどうしてあんなに蕎麦が人気あるんですかね。
77 :
日本@名無史さん:04/01/11 12:24
切捨て御免のスレじゃねーんだよ
うどん屋で農民と町人が同席したら、
農民は偉そうにするのか?、町人は気をつかうのか?
78 :
日本@名無史さん:04/01/11 12:32
農民のほうが慣れない町に出てびくびくしてるんじゃないかな。
そこの田舎もんって感じで町人から見られるよ、江戸ならね。
79 :
日本@名無史さん:04/01/11 12:45
農民は身分上、下の町人が綺麗な服を着て、金を持ってる
のを観たら、オカシイと思わないのか?
80 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:01
あげ
81 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:10
身分なんて形式上のこと。
普通の農民は普段町に出ることは少ないから町着もほとんど要らない。
町に出るとしたら農作物を売りにくる時くらいでしょう。
農作業にきれいな服なんか邪魔なだけ。野良着が一番。
82 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:16
密かに良スレなきがする
おもろい
83 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:19
>>81 農作物売りに着たとき、自分は貧しい服装、メシを食ってるのに
町人は綺麗な服に、エエ物食ってそう
うーーーん、 なにが士農工商と思うやろが
ボケェが
84 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:27
要するにあれか、よく学校の歴史の先生や大学教授たちの言う
「江戸期は差別社会で階級ごとに抑圧されていた。武士たちの圧政で
民衆の生活は苦しく一間の借家に一家全員ですみ明日の食にも事欠いた。
江戸っ子のいう宵越しの銭は持たないというがその証拠である。
特権階級の武士は何をしても赦され道端で戯れに切り捨ててもよかった。
証拠として辻斬りが頻繁し家光も将軍就任前に夜な夜な町人を切り捨てていた。
その他の裁判も武士以下はすさまじい拷問により捕まれば必ず自白するか、しなければ
そのまま殺されたが、武士は畳の上で一対一で取り調べ。拷問はなく刑罰も軽かった」というのは
全部嘘なんだな?高校以降の俺の当たった歴史担当教員は口をそろえて江戸期をこうののしってたが。
現代を表面的にはともかく中身は江戸期とかわらず、社会革命がおきないのがおかしいという奴までいたし。
85 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:27
>46
>町人が武士を殺せば刑罰死
殺された武士にも罪状が加わらないの?
町人に殺されるなんて武士にあるまじき大失態でしょ?
86 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:31
>>83 >農作物売りに着たとき、自分は貧しい服装、メシを食ってるのに
>町人は綺麗な服に、エエ物食ってそう
要は、農民が町人を見てこう思ったかどうかだよな。
必ずしもそう思わなかったんじゃないかと。
むしろ人が多くて窮屈な町の生活は嫌だとかさ。
農民のほうが町人より可哀想だと決め付ける前提はおかしいよ。
87 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:39
>>84 そういうことを言う大学や高校の先生など、いまどきほとんどいない。
つーか、大学の先生の書いた本で、そういうステレオタイプは否定されてるし、
高校は受験用の暗記第一の勉強で、そんなことダラダラ話すヒマなどない。
高校の日本史教員である俺が言ってるんだから間違いない。
おまいらは学校の現場も知らずに、固定観念だけでいい加減なこといいすぎ。
いまの教師の大半は一職業人であり、俺も歴史が好きで教員になっただけ。
変な妄想を抱くな。
88 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:39
飯の話しようぜ?江戸時代の。
時代劇見ると(多分)職務中に同心が飯屋で飯食ったり
酒飲んだりしつつ情報集めて(というか他の客の話偶然聞いてみたいな)
るけどああいういことしてたのか?
89 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:40
農民にとって江戸で町人になると言う事は土地も身分の捨てて
乞食になるのと同じ位の覚悟がいったんじゃない。
90 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:43
>>88 実際はどうだかしらんが
同心や岡引は暇なときいつも飯屋でなんか食ってるイメージがあるw
91 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:45
>84
>「江戸期は差別社会で階級ごとに抑圧されていた。武士たちの圧政で
>民衆の生活は苦しく一間の借家に一家全員ですみ明日の食にも事欠いた。
話が一般的すぎ&抽象的すぎ。ステレオタイプ。
>江戸っ子のいう宵越しの銭は持たないというがその証拠である。
なんの証拠?関係ない話じゃんw
>特権階級の武士は何をしても赦され道端で戯れに切り捨ててもよかった。
そうじゃないことは過去ログを見れば分かる。
>辻斬りが頻繁し
頻発とはどれくらい?はなはだあいまいな言い方だね。
>家光も将軍就任前に夜な夜な町人を切り捨てていた。
これは知らん。ソースキボン。
>武士以下はすさまじい拷問により捕まれば必ず自白するか、しなければ
そのまま殺されたが、武士は畳の上で一対一で取り調べ。
これはある程度当たってますな。武士に拷問はなかったが、
それなりのことをすれば切腹。切腹は刑罰ではないが・・・
町人を見て贅沢でいいなぁとおもいました。
4公六民とか、3公7民で、食うや食わずですわ
仕事はキツイし
町人の生活に萌えまくりでしたわ。
93 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:54
町人も武士も、モノ喰う時にぺちゃくちゃ口はきかなかった。
屋台では、喰ったらとっとと金払って立ち去った。
94 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:55
>>92 4公6民はいうに及ばず、3公7民でも庄屋に蔵が建つ。
わかっていってるか?
95 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:55
だから飯の話しよーや
うどん食いたくなったので箱根蕎麦にいってきます。
96 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:55
>>94 ちょい日本語が変だった。
3公7民はいうに及ばず、4公6民でも庄屋に蔵が建つ。
だ。
97 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:56
おおよそ、旗本御家人と町人との関係は円満だった。
98 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:57
>>92 最下層の水のみはイザ知らず
重税という意味では現代日本のほうがよっぽど。
江戸時代に今の税率課したらもう一揆起こりまくりで藩は改易。
当主は空前絶後の馬鹿殿様として末代まで語り継がれるであろう。
99 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:57
>94
それを言うなら
3公7民はいうに及ばず、4公6民でも庄屋に蔵が建つ。
でしょ。重箱の隅つついてスマソw
100 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:59
だからお前ら飯の話しようっていってんだよ
年貢とか切捨てとか話したい奴はよそいけよ・゚・(ノД`)・゚・
101 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:59
>98
ワロタ
102 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:01
>100
箱根蕎麦に行ってくるんじゃなかったのかよw
103 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:02
104 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:04
経済格差
商人>>>>武士(一般ピープル武士)>>>職人>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>農民
105 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:05
今の普通のリーマンなら税金安いだろ
バカか?
106 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:05
「切り捨て御免」という武士の特権も、刀を抜くには相応の覚悟が必要で、いわば論理上の特権にすぎなかったという。
「『上役はごう慢な態度をとらない』とも、外国人は観察している。つまり庶民は武士に敬意は払っていたし、武士の方も庶民の感情を傷つけないように注意を払っていた。
それが、西洋人には『お互い干渉されない』とも、『上下の差がない』とも映った」と渡辺さん。
身分の垣根には“抜け道”もあった。金で旗本の株を買ったり、養子縁組などの手続きをとれば、庶民が武士になることはできた。
農民が代官や奉行になった例もある。成城大学の吉原健一郎教授は「芸」も“抜け道”の一つだったと指摘する。
「囲碁や生け花、音曲…。その道を究めれば、身分を飛び越えることができた。新井白石は市井の人ながら将軍の先生になったほどです」
むしろ、当時の一般庶民である農民や町民こそが、時代の主役であったという学説がある。
近世史が専門の元筑波大教授の田中圭一さんは「『村』こそが、社会の中核だった」と強調する。
「江戸時代は農地の売買がさかんになされています。土地は百姓の資産でした。開墾地も検地によって、百姓の土地所有権が確認された。
百姓は自らの土地で農業を経営し、自治で村を運営した。村は布や綿、紙、鉄製品などを生産する拠点でもあった。
しかも、それらの品はよその土地で高く売ることを目的に生産された。そうして、村から醸造業者や織物業者などが生まれていった。
百姓こそが新しい時代をつくっていた主役なのです」
107 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:06
おい106
繰り返しによってウ罪に処す。
108 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:08
次に徳川二百六十年間を支えてきた要素を挙げてみたいと思います。
まず、「小さな政府、低い税金」です。年貢(ねんぐ)は綱吉公のころには天領で三公七民になります。
江戸、大坂の町民は年貢ゼロでした。インフラ、公共財は発達し、教育水準、モラルは非常に高かった。
文化文政のころには江戸の町人男子の70−86%が読み書きができ、女子では25%。
これは、当時の英国一般男子の20−25%と比べても、驚くべき数字だと言えると思います。
武家の連座制に見られるような重い責任感、高い衛生管理、完全なリサイクル社会、二百五十五校もあった藩校での人格教育、
現在の小学校並みの約二万もあった寺子屋など、どれを取っても、その文化的水準の高さは世界に誇るに足ります。
最後に、この時代は身分社会ではあっても、場を変えれば武士と町人が平等な付き合いもできましたし、
そういう柔構造の中で自由な精神が育っていたということを申し上げたいと思います。
109 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:09
c
110 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:09
>>105 それでもたけーよ
消費税またあがるし。
しかもそれが朝鮮半島に貢がれるんだぜ?
朝銀とか総連とか通して。
大勲位最中先生は引退したけどまだ生きてるし、
他にもいっぱいいるからよ。
俺らの税金で将軍様を養ってるんだぞ?
同じ将軍様でも異国の将軍様だぞ。
江戸期の年貢で李朝が潤ってるようなもんだぞ。
111 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:10
>>108 このコピペうぜえな。
そもそも、紀州藩なんぞは7公3民だったしな。塗炭の苦しみって奴よ。
112 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:12
113 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:14
やっぱ江戸のうどんも今みたいに出汁が真っ黒だったんかな?
114 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:17
東京の立ち食い屋でうどん食う奴は馬鹿。蕎麦を食え蕎麦を!
あの出汁は蕎麦を食うときに一番旨いように設計されてるんだよ。
うどんは関西人を騙すおまけに過ぎない。
115 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:17
>そもそも、紀州藩なんぞは7公3民だったしな。塗炭の苦しみって奴よ。
或る一時期だろ。
116 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:23
117 :
日本@名無史さん:04/01/11 14:59
東京のうどんのダシは真っ黒
あの神経が分からん
マズーーーーーーーーーイ
118 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:01
真っ黒の汁にネギがぷかぷかまるでゲロだなw
119 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:04
120 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:06
121 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:17
122 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:29
124 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:48
うどんに話を戻すぞ。
正徳3年(1713)初演の歌舞伎十八番「助六」に登場するのは福山のうどん。
このあたりまでは、江戸でもうどんが好まれていた。
享保元年(1716)二八蕎麦屋が現れて以後、江戸庶民の好みは蕎麦に傾く。
18世紀前半が江戸は蕎麦という事になった境目だろうな。
125 :
柳家小さん:04/01/11 16:07
…ウドンヤサン、アンタモカゼヒイテルノカイ?
126 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:14
じゃ、落語の時蕎麦は18世紀後半以降か
127 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:27
>>122-123 これだから無知はいやだねぇ。
こっちゃあ本所松坂町よ。江戸地図でも目を皿のようにしてみて見ろい。
ところあたりが旗本・御家人の巣だったこともしらねぇようじゃ、
おめえらこの板にいる資格はねぇよ。
>>123 支配領域というのはヤクザで言えば縄張りということであって、
居住地ではないよ。
129 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:36
本所というと七不思議で大震災のときに熱竜巻で焼かれて全滅したという・・・
いや、そんなことはいいや。うどんスレだしな。
そういや本所七不思議で蕎麦だかうどんだかの屋台の話があったようななかったような・・・
131 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:41
>>129 「消えずの行灯」だな。
本所南割下水付近を流して歩く屋台の二八蕎麦屋はいつも無人で明かりが消えない。
誰かが油をさしているわけでもないのにかならず行灯はついているという…
怖いかどうかは別としてw昔鬼太郎でも出てたよ。
二八蕎麦屋であるところを考えるとこれも時蕎麦同様18世紀以降に成立した伝承(?)なんだろうな。
132 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:47
うどんが好きかそばが好きかでその人の出自が分かります。
うどん派=貧乏人または一般庶民
そば派=裕福層、上級武士階級
面白いように当ります。お試しあれ。
133 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:50
>128
本所松坂町と聞いてピンと来ない奴は江戸時代について語る資格なしだな。
134 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:55
>>129 東京大空襲でもな。
しかし、べらぼう共がおおいや。
135 :
日本@名無史さん:04/01/11 17:11
136 :
日本@名無史さん:04/01/11 17:14
「時そば」という東京落語がある。東京落語といっても、上方落語
の「時うどん」を換骨奪胎したものだ。作者は三代目柳家小さん
(1856〜1930)。東京で蕎麦が広く一般的に食されるようになったの
はそう古くからではなく、幕末から明治にかけてのことだ。
137 :
日本@名無史さん:04/01/11 17:16
138 :
日本@名無史さん:04/01/11 17:53
天明飢饉で小麦を生産する農家が増えたため北関東ではうどんが好まれた。
北関東の武士は普通にうどんを食べていたはず。
139 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:17
うどんは庶民の食べ物 そばは武家が好むもの これ定説
>>132、139
根拠は?
蕎麦の好きな江戸っ子は全員武士ですか?w
バッカじゃないの。
そもそも地方によってもうどん・蕎麦どっちの勢力圏かは違うし、どっちが好きか?って
現代人に言ってるのか?
141 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:28
囲碁と将棋じゃないんだから武士と庶民で区別はないと思う。
寛延4年(1751)、そばの聖典『蕎麦全書』が刊行される。
中に、「蕎麦切り屋といわずして大方温飩屋と唱ふる」との記述がある。
この背景は、うどんの方が上等な食べ物とみなされ、貴族や僧侶と
いった上流階級で好まれ、そばは奴の食べ物といやしめられていたから、
と解釈される。
小麦粉の増量材としてそば粉が使われていたのである。
そばを好む貴人は豊臣秀吉ぐらいだった、とのエピソードもある。
だが、この頃から以降、そばとうどんの地位の逆転現象が起こった、
と考えられる。 らしい
143 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:31
上級武士や公家などは、うどんは食べないよ。
うどん=下劣という感覚があったからね。
確かに太い麺を頬張る姿は下品だね。
144 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:36
うどんよりにゅうめんだよな。
145 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:41
藻前らアフォか
最強の麺類はキシメンだぎゃー
146 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:48
ツーなら家系ラーメソだろ
147 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:53
うどん食ってきました
うちの周りは畑と田んぼしかないので
往復4時間もかかってしまった
しかも電車賃のほうがうどん代よりたかいし
>>135 おいてけ掘って本所だったのか。
スレ違いスマン。
149 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:04
蕎麦は米が獲れない痩せた寒冷地だ。
江戸は信州とか痩せた土地に近いから、蕎麦を食う
よって蕎麦が貧乏人の食い物
オメコとオマンコていつから、呼び名がかわったの?
151 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:11
>149
蕎麦は食事じゃなくてスナックなんだよ。おやつ感覚。
だから、うどんみたいに腹持ちがいいのは嫌われて、ちょっと小腹がすいた
時にたぐれて、晩飯までに腹が減る蕎麦が好まれたの。
152 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:11
武家屋敷の中枢、麻布に有名な更科そばがあるが
武家地付近ににうどん屋ってないなあ・・・
やはりそばは、武士の食べ物、 うどんは庶民の食べ物 で決着
オメコとオマンコていつから、呼び名がかわったの?
154 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:17
毎月晦日は蕎麦の日
これは職人たちが月末に蕎麦食ってたから
155 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:18
うどん・・・・讃岐 温暖 肥沃な土地 関西圏
ソバ・・・・・信州 寒冷 痩せた土地 関東圏
156 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:18
うどんは商人の食べ物
そばは武士の食べ物
うどんもそばも庶民の食べ物、どっちも一杯十六文。
158 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:30
蕎麦といっても、大名屋敷に納める「大名蕎麦」というのがあった。
鯛のすり身を入れる「鯛切り」、海老のすり身を入れる「海老切り」等、
高級食材をつなぎにする蕎麦は庶民には食べられなかった。
159 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:30
ソバは夜鷹の食べ物
160 :
日本@名無史さん:04/01/11 21:29
夜鷹そばの江戸
夜鷹そばは江戸のもの。夜鷹(娼婦)が出るほど遅くに辻に出ていた。屋台の蕎麦屋、ひょっとして「そばに」夜鷹もいて夜遊び客目当てに
「ねぇ〜ちょいとそこのおぁに〜さんあたいと遊んでっておくれよ」将軍家の家臣団だけでなく全国の大名が江戸上下屋敷を構え、多くの江戸詰め役を置き、
果ては浪人までが集まって来ていた江戸。武士が大半の土地を所有し、家屋敷も持ち大手を振って我が物顔の江戸。
町人は遠慮窮屈の日常で鬱積も溜まっただったろうことへの反動があって「てやんでぇいっ、江戸っ子は宵越しの金なんか持たねぇ〜ってんだいっ!」
江戸へ売られたりお江戸に出さえすれば何とかなる、そんな女性も多かった。差別的称し方・夜遊び客と言い、どこかお江戸には賑わいの陰に哀しさがある。
夜鳴うどんの浪速
夜鳴うどんは浪速のもの。夜鳴鳥のように遅くによく働くうどん屋台をいう。商売熱心な浪速では夜鳴うどん客もその時間まで同じ様に働く人が多く、
夜遊び人の客はあまりいなかったのでは。ならば夜鷹も出る幕もなかったか「ちょくちょく寄ってくれはってお〜きに。こんな時間までお働きでっか。
よぉお〜お気張りやっしゃやな〜、体だけは気ぃ〜つけとくれやっしゃ」夜鳴うどん屋もきっと昼は何かで稼いでいて、その内きっとちゃんとした店をと頑張っていたのでは。
浪速には目的・目標を持った人が集まったようです。
161 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:48
夜鷹そば
私娼とは関係なく、落語家の三遊亭円朝が『月謡萩江一節−萩江露友伝』の中で、
「夜鷹そばは夜鷹が食うからではない。お鷹匠の拳の冷えるのに手焙りを供するた
め、享保年間(一七一六〜一七三六年)、往来に出て手当てを致し、其廉(そのか
ど)を以て蕎麦屋甚兵衛というものが願って出て、お許しになったので夜鷹そばと
いうがナ。夜お鷹匠の手を焙るお鷹そばというのだ」と語り、お鷹そばが転訛して
「夜鷹そば」になった.
162 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:49
武士=そば 庶民=うどん のイメージだな
163 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:54
町人=そば だろ。
164 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:00
江戸後期には、そば=粋、うどん=野暮というのが通例になってる。
165 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:00
江戸じゃあ侍から江戸っ子から犬まで蕎麦。
土地によって違うでしょう。
167 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:04
江戸では蕎麦といっても、それは外食の場合であって、
家では蕎麦よりもうどんの煮込みやらを食べてたみたいよ。
168 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:10
>165
犬の好物は白米というのが常識だった。
>>167 のびた蕎麦は食えたもんじゃないが、うどんならなんとか食える。
まぁこれも江戸だけかもしれないが。
170 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:12
猫の好物は鯵の開き
171 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:14
まぐろなんか猫またぎって言われてたくれぇで、猫でも食わない。
172 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:14
武家=禅宗=蕎麦 どーよ?
173 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:16
>172
ステレオタイプだな
174 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:19
>169
煮込み蕎麦なんか想像すらできんもんね。
蕎麦は冷たいやつをろくに噛まずにかっこむ。
うどんは寒い冬にふぅふぅ言いながら煮込みを食う。
175 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:20
江戸時代の「飲食店」にはイスやテーブルと言う物は無かった事は御存じか?
(茶店の『しょうぎ』は除く)
イス・テーブルのシステムが広まったのは震災以後であると聞いた事が有る。
176 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:20
うどん=浄土真宗本願寺派=百姓
177 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:24
>175
池波の小説なんかを読むと、
居酒屋の小あがりで一杯やりながら旨いものを食うところなんかが
よく出てくるが。あれは嘘かい?
参勤交代のお武家さん方が江戸で蕎麦の味を知って地方に広めたのかも。
179 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:27
>177
小あがりは座敷だし
180 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:28
イスとテーブルかいな、
そりゃ江戸時代にはなかったでしょうよ。
181 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:30
だいたい武士が行儀悪く店や屋台で飯食べることはないんじゃなぇの
182 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:31
うどん=下り物
蕎麦=下らない物
>>181 武士にも色々だーな、お国では真面目でも他人の目を気にしなくていい
江戸でははめをはずしている。
184 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:36
今でも気の利いた蕎麦屋はそうだけど、江戸の蕎麦屋は軽く一杯やる店でもあった。
185 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:37
江戸っ子は地方から江戸に上ってくる田舎侍を馬鹿にしてたくらいだから、
侍ごときにへいこらしてたまるかくらいは内心思っていたんじゃないかな。
但し、それを態度に出すかどうかは別ね。
>>184 海苔や蒲鉾をつまみにキューとな、そばの茹で上がる間のつなぎってえもんよ。
187 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:45
江戸時代の関西のうどん屋ってどんなもんなのかな。
188 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:50
うどんで一杯やるというのはちょっと変だね。
うどんは食事だという気がするが、蕎麦は軽いから酒に似合う。
189 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:59
>185
てやんでぇえっ、二本差しを恐がって道の端ばっか
歩けるかってんでぇい!
190 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:00
>江戸に上ってくる
「江戸に上がる」という言葉はない。
191 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:01
蕎麦=おやつ
うどん=飯
193 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:04
そう言えば確か国定忠治にうどんの逸話があったな。
194 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:07
群馬、埼玉は今でも小麦粉文化圏だね。
北関東はうどん文化圏
196 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:16
埼玉でも秩父は蕎麦
なにげに団子屋多いよね、埼玉って。
198 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:18
団子は小麦じゃないけどね、多い気がする
足で踏んでこねるウドンは不潔きわまりない。
18歳以下の未婚の美女が踏んだウドン以外食べたくない。
200 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:31
武士はうどんなんか食わないだろ。
金持ちが団地に好まないように、武士がうどんを食う確率は極めて低い。
201 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:36
武士もうどん食べるよw
ループ開始
203 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:47
うどんの出汁の鰹節(かつおぶし)は勝男武士に通じるということで,武家社会の江戸で重宝がられた。大阪は昆布。
204 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:49
205 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:49
武士うどん食べない
206 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:49
武士は蕎麦、町人は饂飩
207 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:50
俺の観てる時代劇で武士がうどん食ってるシーンはひとつもない!
もう一度言う!ひとつもない!!
208 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:56
浪速蕎麦・うどん屋の数
江戸時代、浪速蕎麦屋の数がどれほどあったかは定かではない。
うどん屋ならまだしも、それでも江戸の蕎麦屋ほど多くはなかった。
そのせいか浪速蕎麦・うどんの記録も逸話も究めて少ない。
江戸っ子の日常に無くてはならなかった蕎麦屋、浪花っ子にはそれほどでもなかったうどん屋。
まして蕎麦屋ここ今に到っても「東京は蕎麦」に繋がった?
209 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:11
>207
鬼平は一本うどん食ってるし、武田信玄はほうとう食ってる
211 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:20
ここはうどんスレだろ。
蕎麦の話は他でやってくれ
212 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:24
十割蕎麦じゃ無い限り、普通つなぎに小麦は入ってるよな。それでも蕎麦だろ。
そば粉5割うどん粉(小麦粉)5割でも蕎麦だろ。
じゃあそば粉1割小麦粉9割でも蕎麦か?
>212
立ち食いそばには、ほとんどそれくらいのがあると思う。
214 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:33
誰か立ち食い蕎麦屋の息子がいたら、ためしに0割蕎麦(小麦100%)で
店に出してくれYO!色が白い更科粉だから高級品ですとか言えば
みんな騙されるぞw
215 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:41
最近の技術で小麦100%がやっとできるようになったとかニュースでやってた。
216 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:43
つーか、もはやそれは蕎麦ちゃうって・・・
それは中華そばだ。
北関東では武士も普通にうどん食っていたはずだけどな?
後でソース探しとく
219 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:53
貴様ら地方の田舎もん(しかも百姓末裔)には認識あるはずもないが
麺といえば酒井製麺
220 :
日本@名無史さん:04/01/12 02:54
運動量の差じゃないですか?カロリー消費量の違いだと思います。
体を動かす人とそうでない人の違いでしょう。歴史的に見れば、公家文化と武士の文化の違いでしょうね。
これについて、織田信長にまつわる有名な話があります。三好家が織田信長に滅ぼされたとき、
三好家で公家料理を研究していた人が捕虜になります。数年たって、信長の家臣が名のある料理人だから、
料理を作らせたらどうかと信長に勧めました。信長はこの人物をすっかり忘れていたのですが、
家臣の進言通り料理を作るよう命令します。翌日、信長はできた料理を楽しみにして食べるのですが、
水っぽくて食べられない。手討ちになりそうなところを、もう一回チャンスをくださいと料理人。
次の日に作ったものは大変おいしかった。しかし、この料理人は内心では信長のことをばかにしました。
最初に作ったのは公家料理。後で作ったのは田舎料理。信長ほどの人だから教養人だと思って公家料理を出したが通用しない。
尾張の豆味噌文化圏の人なので、味が濃いのです。家康も三河出身ですからほぼ同じような好みだったと思いますよ。
221 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:00
>220
西陣の大旦那衆は日ごろ忙しく体を動かしているので、
塩気が多い食事をとっていたそうな。
それと似たようなもんでしょ。
222 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:09
関東の濃い味、関西の薄味などと良く言われるがこれはなんの事はない。
東京の食文化は田舎の食文化だからである。
「食」といったものが文化とまでに昇華されるにはある程度の時間とその土地の発展性がどうしても必要だ。
関西は京都を中心に長い間日本の都であったのに比べ江戸は徳川の時代からの都である。
江戸が都になってから400年、京都に都が置かれてからはその3倍以上の時間がある。
こりゃ、どうしたって西の料理の味の方が洗練されてくるのは当然。東京の味は大雑把な濃い口だが、
京都などの繊細で微妙な薄味は田舎である江戸では理解され難かったのである。
そうすると東京はどうしても濃い口が定番になってくる。拙者などは京都でざるそばを食した事があるのだがはっきり言って味が無かった。
坂東武者の舌には京の都の味は合わなかった。やはり蕎麦は関東だなぁ(大阪のうどんは旨いと思ったのだけれどね)。
大阪、関西の食べ物はそれなりにあるが東京の食べ物(和食)というと何だろう?「もんじゃ」くらいだろうなぁ
(「おでん」も元々は「関東炊き」といって関東が起源だったのだが)元々は「文字焼き」、これが訛って「もんじゃ焼き」、
けっこう旨いんだけどこれを嫌う関西人も多いんだよね(好きな人もたまにはいるが)。
という事で東京の味は和食だとあまりない。ところが東京は明治以来西洋文化の発信地でもあった。
つまり現在日本中にあるコーヒーを始めとする洋食の殆どは東京発信である。
東京に流入してきた西洋の味を東京で日本人の舌に合う味に加工してそれを全国に配信し続けてきた。
だから東京の味は洋食の味でもある(東京には今でも様々な洋食の老舗が多々ある)。
でもまぁ、これを東京オリジナルと見るか所詮西洋の傀儡と見るかは人それぞれでしょう。
223 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:36
淡口醤油のほうが濃口醤油より塩分が多いんですぜ。
それより、薄口醤油に比べて濃口醤油には旨みが圧倒的に多い。
関西では淡口醤油の欠点を補うため昆布のだしを補った。
関東でも鰹だしはあるが、なにより濃口醤油の旨みはだしを脇役にして
余りあるもの。見た目の色の違いはそんなに重要ではない。
濃口醤油はすごい。世界に広がっているのも濃口。
224 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:38
たしかに薄口醤油の方が塩分は多いね。
関西の薄味と言われるけれど、色が薄いだけで塩味は東京と変わらん。
226 :
日本@名無史さん:04/01/12 11:52
よく大阪者が東京のうどんは汁が濃くて飲めんと文句をいうけど、
東京のうどん、そばは「かけ」、つまりつけ汁を温めてぶっかけて
あるので飲むものではない。いわばソースなのだ。濃くてあたりまえ。
基本的にスープである大阪の素うどんとは出自の違う別の料理なの。
だから、温かい蕎麦を頼んでも薄めて飲むようにそば湯が出る。
228 :
日本@名無史さん:04/01/12 12:11
発生的には本当だよ。江戸時代のかけそばは、皿にもった冷たいそばに薬味とつけ汁をぶっか
けたもの。現在の冷やかけそばみたいなものがかけそばのルーツ。
230 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:44
東京人の若者に蕎麦湯を楽しむ粋な奴は少ないな。
江戸っ子が減ったからだろう。
たまに東京に行く度にガッカリする。
231 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:45
>>230 つか、蕎麦屋自体、蕎麦湯をださねえ店が増えた
232 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:46
こないだ富士蕎麦で
カウンターの上に蕎麦湯ポットが置いてあるのを発見してびっくりした
セルフ蕎麦湯w
233 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:47
>231
頼めば出すよ。普通
234 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:53
>>233 うん、そば湯くださいって頼んで出してもらうのは、先に出されて
冷めちゃうよりうれしい。
235 :
日本@名無史さん:04/01/12 13:59
関西人で江戸蕎麦好きは集合!
236 :
日本@名無史さん:04/01/12 14:00
最近は蕎麦湯を別の釜でわざわざ作って、
ポタージュみたいな蕎麦湯を出すところがあるそうです。
237 :
日本@名無史さん:04/01/12 14:22
>ポタージュみたいな蕎麦湯を出すところがあるそうです。
そりゃイカン!
238 :
日本@名無史さん:04/01/12 14:51
そろそろ、江戸暗黒患者が来そうだ。
239 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:58
やはり行列のできる
うどん屋とかあったんだろうな・・・。
勿論、無化調!
240 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:30
関西で昆布だしの味が定着するのは江戸時代の北前船以降だろ?
そんなに古い話でもないんだよな。
それ以前はどうやってうどん食ってたんだろ?
241 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:31
うどん
の
発祥地はどこだ?
242 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:32
江戸のうどんのスープは塩辛暗黒スープ。
243 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:32
江戸=蕎麦 浪速=うどん
と言われるが、大阪には浪速の「うどん屋」に関してエピソードも記録もそれほど残っていない。
江戸っ子の蕎麦好き程の執着は無かったようだ。
244 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:34
大阪人は昔から腐った魚と魚の目玉ばかり食べてた
245 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:35
夜鳴き饂飩
だよね?
246 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:35
塩辛暗黒スープはキムチ系列。
247 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:38
なるほど、だから江戸っ子は粗暴でイラチなんですね。
248 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:40
東京コミックショー と チャンバラトリオ
戦わば・・・。
249 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:41
関西人は謝罪しろ!
近畿地方に住む貴族・豪族たちが勢力範囲を次第に広げ、関東地方を組み入れると、
関東地方は「未開の地」から税金を搾り取る「収奪の地」に変わった。
関東の食べ物は口に合いません。
大阪の食べ物も口に合いません。
252 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:53
京都の食べ物なんか見てくれだけやん
大阪の食べ物は好きです。
251は私ではありません。
255 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:56
餃子の王将
の本店は?
京都やろ。
あんなん京都料理ちゃう。
257 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:03
まぁ、うどんは関西、蕎麦は関東やろな
258 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:07
讃岐はいわずと知れたうどんの地だけど、実際美味いね。
前に出張で行った時、駅の立ち食いでもびっくりするくらい美味しかったよ。
259 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:15
260 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:18
そばは信濃。
261 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:33
江戸=蕎麦 浪速=うどん
と言われるが、大阪には浪速の「うどん屋」に関してエピソードも記録もそれほど残っていない。
江戸っ子の蕎麦好き程の執着は無かったようだ。
262 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:34
ラーメンは東京。
263 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:45
>ラーメンは東京。
それは言わないでくれ
264 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:46
浮世絵や草双紙を見ると飲食店の座敷に武士も町人もごっちゃに座ってたりする。
あと、風呂も一緒に入っているよ。
賢愚湊銭湯新話 / 山東京伝作 ← 「霞亭」で見れるよ。9ページと13ページ
266 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:53
>>265 お侍さんも町人も仲良しだったんだね!
金さんも長七郎も吉宗も
みんな仲良し!
267 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:54
江戸の風呂は半身浴
268 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:04
>>267 健康ブームだったのか?
発掘あるある瓦版とか
思いきり生瓦版とか
あったりしてな。
269 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:28
うどんの歴史は古く、遠く奈良時代とも、また平安時代に弘法大師(空海)が中国(唐)へ渡ったときにその技法を持ち帰ったとも言われております。
当初は混沌(こんとん)という小麦粉で作った飴入りの団子状のもので、現在のギョーザやワンタンのようなものであったようです。その後、
混沌(こんとん)が温飩(うんどん)となり、饂飩(うどん)となったというのが定説です。
鎌倉時代に入ると禅僧によって中国から新しい麺の製法がもたらされ、これは切り麦と呼ばれました。
江戸時代に入るまでうどんは菓子屋で作られており、江戸時代に入ってから初めて「うどん屋」が登場します。
ところで、きつねうどんの発祥の地はなんと大阪!東京では、幕末から明治維新にかけて "うどん焼き" が新しい感覚のうどんとして出てきます。
そして、鍋焼きうどんが大流行したようです。
270 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:38
江戸時代に出来た最初の銭湯とはっ?
徳川家康が江戸入りした翌年、天正十六年(一五九一)に江戸に最初の湯屋が開業しました!
●場所●銭瓶橋(ぜにかめばし)のたもと
(銭瓶橋・・・橋を架ける工事中に土の中から銭の入った瓶が発見されたことから名付けられた。)
●創業者●伊勢から来た男・与一
●風呂銭●永楽一銭(永楽通宝一枚)
<当時の人々の感想>
風呂になれていない人が多かったので、伊勢風呂の特徴である熱い湯の熱気で息がつまり、更には風呂焚きの煙まで中に入ってきて目もあけられません(XoX)・・・とのこと。
お江戸始めの風呂は蒸風呂でごわす。
江戸初期〜中期まで「入浴する」と言えば、もっぱら蒸風呂でした。床が竹の簀の子に(すのこ)なっていて、
釜で湯を沸かして作った蒸気が簀の子が簀の子の間からあがる仕掛けの風呂でした。蒸風呂の入浴方法は・・・
(一)蒸気で体を蒸す。(二)蒸風呂の外に設けられた陸湯(おかゆ)で汗を流す。(三)洗い場で垢を落とす。
次第に風呂が定着してくるようになると、しょっちゅう浴客が出入りするようになり、
戸を頻繁に開け閉めするので蒸気が逃げてしまうようになってしまいました。そこで登場したのが、石榴口(ざくろぐち)です。
石榴口の出来た元禄前の風呂風俗。天和二年(一六八二)刊「好色一代男」より
風呂の入り口に上から板をはり、浴客はその下を這うようにして中にはいります。この石榴口のおかげで蒸気は逃げづらくなりましたが・・・
風呂の中は更に暗くなり、暗い所に蒸気がこもりすぎて、のぼせて卒倒する者もいたそうです。
●石榴口の由来●低い鴨居(かもい)の下からかがんで入る・・・つまりかがみいる(鏡鋳る)で、鏡磨きには石榴の実の汁を用いたところから、
一つのしゃれ言葉として使われ始めたそうです。
271 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:44
蕎麦好きだけど、蕎麦を食うのは小腹が空いた時、
もりを食うのがうまいな。夏は冷麦もいいね。
冬は鍋焼きか煮込みうどんをじっくり食いたいねぇ。
冬の寒い時、立ち食いのてんぷら蕎麦を食うのもいいなぁ。
あー食いたくなってきた。
272 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:21
ここの住人てスゲー歴オタだな
うどんだけでこれだけ盛り上がるちゅうのは
幅広い知識があるんでつね
273 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:25
>立ち食いのてんぷら蕎麦を食うのもいいなぁ
自分に御褒美の時だな。
274 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:26
美味いこと言うね
275 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:26
江戸時代のうどん屋にての会話
相席になった場合
主人 お武家様、満席にて相席でもよろしいですか?
武士 かまわん、 失礼するぞ
町人 どうぞ、お武家様
武士 近頃、商いはどうじゃ
町人 手前どもは、忙しいばかりで、金儲けにはなりません。
武士 お互い、たいへんじゃのう
これぐらいの身分のない緊張感のない関係なんでつか?
276 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:29
>275
他人同士がそんなにぺちゃくちゃ喋らないと思われ。
277 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:31
つーか単なるバカ。武家はうどん食わないしw。
278 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:32
変なのはスルーね
279 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:32
>つーか単なるバカ。武家はうどん食わないしw。
嘘
280 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:33
大阪屋敷詰めの侍ならうどんくらい食ったろうよ。
281 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:37
1つは雉めんがきしめんになったとする説。
名古屋の大久保将監という武士が、キジ肉を平打ちうどんの具にして藩主に献上し、気に入られたのが始まりとか、
282 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:39
きしめん食べたことないけど、雉が入ってるもんなのか?
関東では平打ちのうどんをひもかわというが。
283 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:40
石返し
(いしがえし) 別名:「鍋屋敷」
地口落
出典:古典落語6 小さん集 (ちくま文庫)
このお話は、笑い話というよりは、どちらかというと、
江戸時代の侍に対して町人の恨みつらみを代弁してくれるといった趣を持っています。
話の筋は、武家屋敷にうどんを売りに行ったところ、支払いを断られたので、
今度は汁粉と称して餅の代わりに石を入れたものを売りつけるというものです。
オチは、石を返した行為と「意趣返し」をかけたもの。
284 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:42
うどんでもソバでもいいんだよ
ボケェが
町人と武士との関係やねんから
285 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:42
おいおい、うどん食いたくなっちまったじゃねーかよw
東京エリアでうまいうどんのお店教えてプリーズ。
286 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:46
一般化すればこんな感じかと。
武士→町人(呼び捨て・敬語なし)
町人→武士(様付け・敬語)
287 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:53
武士の食事は、主食は飯、強飯(こわめし)、干飯(ほしいい)や雑穀(ざっこく)を食べ、
副食には魚や野菜、木の実などを食べていました。ほかにも、狩りで射とめたしかの肉、
うどんやとうふなどの加工品も食べました
288 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:01
武士でも余裕でうどん食うわ
吉宗は大のうどん好き
289 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:02
江戸時代の食事
将軍・大名
徳川家康公は質素な食事をとおしたので、後を次いだ将軍や大名もこれにならい、簡素で栄養のバランスが
とれた食事をしていました。やがて、世の中が落ち着いてくると、次第に食品数が増えてきて、贅沢な食事
になっていきました。
武士
一般の武士の食事は簡素なもので、普段は飯にみそ汁、漬け物など「一汁一菜」でした。行事や祝い事があ
ると、魚や野菜の煮物、豆腐、卵などがつきました。
町人
一般の商人や奉公人たちの食事は質素でした。白米の飯に朝はみそ汁、昼は煮物、夜は漬け物がつく程度で、
魚は月に3回ほどしか食べられませんでした。しかし、お腹が空いたときなどは、すし、そば、天ぷらなど
の外食をすることもありました。
農民
普通の農民の食事は、麦飯に野菜のおかずで、もっと貧しい農民になると、野菜を入れた雑炊やキビ、アワ
の飯という粗末な食事でした。しかし、農民の食事にはいろいろな制限が加えられており、麦、アワ、ヒエ
などの雑穀を食べるようにすすめられ、豆腐やうどん、そばなどの製造にまで制限が加えられていました。
290 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:07
八丁堀も夜の張り込みは
饂飩だ!
産休、曙橋ね。そこ関西風?
明日逝ってみるんで詳しくおせーて。
293 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:26
幕末に日本に来たハリスが風呂が混浴だったのにえらい驚いたって話だが
江戸初期も混浴だったのだろうか・・・。
295 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:28
296 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:28
>>293 混浴禁止令は何度も出ているが結局混浴になっている。
297 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:29
298 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:38
>>269 古代から中世にかけての麺類は索餅、麦縄と呼ばれた
手延べそうめんが主流だったのではないでしょうか。
うどんのような切り麺は麺棒やのし板を作るのに必要な
木工技術が発達し始めた、鎌倉・南北朝頃から普及
し始めたのではないかと石毛先生は推測しておられます。
299 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:40
関西でも年越し蕎麦ってあるの?
300 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:40
301 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:44
>関西でも年越し蕎麦ってあるの?
現代はあるよ
302 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:44
ちなみに東北の山奥の方では昭和30年代まで蒸し風呂だった。
303 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:48
混浴で勃起しまくりなんですか
304 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:55
水沢うどんは讃岐うどんよりうまいと思う。
讃岐うどんは腰があるというけど、ただ硬いだけのような気がする。
305 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:58
蕎麦は水がきれいなところじゃないと美味しくない。
関西は水が汚いから蕎麦がまずいんだと思う。
306 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:02
>>305 現代の話かな?
日本に流通しているそば粉の99%は輸入そば粉だからね。
美味しい蕎麦屋はそんな粉を使わない、だから高いけどね。
>>304 水沢うどんに稲庭うどん、関東では館林か。
讃岐系とはちがうよね、うどんといっても色々ある。
冬は名古屋の味噌煮込うどんがいいね
こんなに発展するとは・・・・!このスレ。
310 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:07
>307
水沢うどんも上州
312 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:12
北関東は今でこそ小麦の主産地だが、江戸時代にも米の裏作で小麦を
作っていたんだべか?だとしたら、当時としては相当豊かな土地だべな。
裏作の小麦はまるまる全部百姓の取り分だべ?
313 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:13
>311
あ、水沢って岩手じゃなくて、伊香保温泉の近くに水沢観音というのがあって、
その門前町がうどん屋ばっかりなのさ。
埼玉の加須のうどんも有名だな。江戸時代に治めていたの誰だ?
316 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:28
>315
天領じゃないかな
隣に忍藩があったが、加須は領内ではないよ
317 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:34
だいたいが救荒作物の蕎麦より麦のほうがおいしいよ。
そんな蕎麦を文化流行にしたのは先人の努力技術だとは思う。
318 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:36
屋台でしょ?
加須あたりは旗本領、設楽氏・前田氏・万年氏・・・。
320 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:54
>317
うどんの美味さは普遍的っぽいが、
蕎麦はの美味さは嗜好品的だよね。
栄養は蕎麦のほうがあるらしいけど。
>>320 江戸時代ではどちらも食い物だ。
昨日のレスに大名蕎麦とかあったけどありゃ変人大名の記録だし。
基本は大名うどんだな。
食い物を趣味嗜好にできるのは大名くらいと言う事だ。
322 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:13
・かけそばの汁
鰹だし、濃口醤油、味醂などを煮詰めて寝かせたもり蕎麦用の汁をお湯でのばしたもの。
。素うどんの汁
昆布などでとった出汁に薄口醤油、味醂などで味をつけたもの。
素うどんの汁は飲むためのものだが、かけそばの汁は麺に味をつけるためのものなのだな。
323 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:19
>321
旦那、そうは言っても江戸っ子の初物好きは大変なもんでしたぜ。
初鰹なんざ女房を質に入れてでもってぇぐれぇで。
もっともあっしら貧乏人には手が届きませんがねぇ、旦那、
死ぬまでに一遍でいいから初鰹てぇ奴を食いたいと思ってるんですが、
無理だろうねぇ、畜生め、おっと、旦那のことじゃありませんよ。
>>322 そこから考えられる事は、
もりが基本であった江戸は熱物を出さずに早食いが基本のファーストフード。
325 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:23
326 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:25
このスレいい匂いがするぞ!
327 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:27
>322
東京の立ち食いうどんがまずいのはそのため。
うどんは蕎麦のついでに置いてあるだけ。
あんなの関東人でも美味いと思わないが、
結構注文する香具師がいるのは不思議。
>>326 おぅ!兄さんも、うめぇもんの話の ひとつやふたつ語ってくれろや。
329 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:29
武家(上級)の末裔のものだが、資料によると、漏れの先祖は
年越し蕎麦は食べたものの、それ以外、ほとんど蕎麦もうどんも
食べなかったそう。和菓子は食後によく食べていた、とある。
>>327 そうですかい東京の蕎麦はいけませんかい、江戸の蕎麦を食わしてやりてぇなぁ。
331 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:32
>330
ちゃんと読め!
蕎麦が不味いとは言ってねぇ!
蕎麦の出汁で食ううどんが不味いんだよ!
この唐変木め!
>>331 ごめんこうむりやした、こちとら学がないもんでまっつぐが物言いしかできないもんでね。
333 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:37
わかりゃいいってよぉ、兄さん
まあ一杯飲みねぇw
>>329 あっしも毎年初釜ってぇやつで菓子は食いますよ。
なんですかねぇあれは、甘いごぼうのはさまったやつですがね。
>>333 おっ旦那こりゃありがてぇや。
遠慮無しにいただきやす。
48時間で330レス越えか・・・。恐るべしw
日本史板としては凄いな。
しかもかなり良スレ
殿様か旦那か分かりませんがね、武士というからには
茶の湯の心得は相当のもんでござんしょ。
青黄粉にむくの皮を入れてかきまわすあれじゃろ
江戸時代の武士と商人の関係がうどん屋とかではどうだろう?
と建てたのですが、いろいろ発展して嬉しい限りです。
うんうん
最初は、クソスレ扱いで倉庫逝きとも思いましたが、
他スレで徳川家康の息子達を建て増した。
徳川家は狂気の血筋が議論中です。詳しい方レスてください。
343 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:25
そういや紀之国坂ののっぺらぼうの話、
あれって屋台の蕎麦屋だっけ?うどんやだっけ?
344 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:26
ちゅーか武士はうどん食わないよ
『「いくらだい?」「十六文でございます」
「銭がこまけえから、まちげえるといけねえな。勘定してやろう。
手ぇ出しな。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、
いま何時でぇ」「九つで」「十、十一、十二……」』
346 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:27
うんうん武士はうどん食わん。
今でいうと国会議員が吉牛食ってるようなもん。
全く食わなかったわけではないが
食うことはひじょうに稀であった。
手打ちが手討ちに通じるので武士が嫌ったとか、そういう話はないの?
348 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:30
ファーストフードの蕎麦を食うのは下級武士。
そうそう武士は蕎麦食うよ。
349 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:37
>>347 とりあえず俺が今言えるのは、
武家は、打ち首を連想する為、花ごと落ちる椿を嫌ったらしい。
ウナギも関東は背開きなのは、腹開きが切腹に通じるから。
351 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:46
>うんうん武士はうどん食わん。
嘘
352 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:47
うどんの出汁の鰹節(かつおぶし)は勝男武士に通じるということで,
武家社会の江戸で重宝がられた。大阪は昆布。
353 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:48
>うんうん武士はうどん食わん。
それは嘘。
うどんの出汁の鰹節(かつおぶし)は勝男武士に通じるということで,
武家社会の江戸で重宝がられた。大阪は昆布。
354 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/13 00:49
>>1 当時に武士や町人の日記に書いてるんとちゃう?
「うどん屋に行ったら武士がいて緊張した」という感じで
355 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:49
武士は、うどんより蕎麦を好む。
356 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:52
>武士は、うどんより蕎麦を好む。
何故?
357 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:52
椿の花は古い武家屋敷にも古木がありますね。
鰻の背開き腹開きは調理方の違いでしょう、腹開きは脂が落ちやすいとかの。
蕎麦は蕎麦切りといわれていたわけで言葉の意味では武士階級には嫌われる食べ物だったはず。
358 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:52
>うんうん武士はうどん食わん。
それは嘘。
うどんの出汁の鰹節(かつおぶし)は勝男武士に通じるということで,
武家社会の江戸で重宝がられた。大阪は昆布。
359 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:55
武士と商人はマンコの呼び名が違うのか?
教えれ
将軍はオマンとよんでたらしい
家重は特に
360 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:56
>349
武士は椿を嫌うという話は知ってるが、うちは武家だが庭に椿がある。
親も椿は嫌いだと言っていたのだが矛盾だなぁ。
忠臣蔵だったか忘れたが、隣の屋敷から流れてくる小川に流した
椿の花の色を合図にして云々ていう話があったね。武家屋敷に椿がいっぱい。
なんなんだろうな。
361 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:57
>359
俺は武家の末裔だが、俺自身は「プッシーちゃん」と呼んどる。
362 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:58
井沢元彦大先生は農民は白米余裕で食ってた説出してるが
ホント?
>360
それは椿三十郎だ
364 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:01
>>357 椿の古木がある武家屋敷とは具体的に何処でしょう?
明治以降に官軍が見せしめに植えたのではなく?そんな話は聞いたことあります。
地域により違ったみたいですが、一般に武家は椿を嫌ったのは本当のようです。
365 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:03
>>359
俺も武家の末裔だが、俺自身は「子猫ちゃん」と呼んどる。
367 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:08
江戸の初期、うどんも蕎麦も菓子屋で売られていた。菓子屋が副業として営んでいたのである。
そのうちに、うどん屋が独立し、かたわらで「蕎麦切り」も売った。
蕎麦が江戸っ子の人気を得て、店として独立していくのはその後である。
独立した頃は、蕎麦屋も「うどん屋」と呼んでいたらしい。庶民には、うどんの方が親しまれていたからである。
しかし、江戸の半ばも過ぎると、この傾向は逆転する。さらに、末期になると、蕎麦屋は大繁盛とブレークするのである。
幕末の万延元年(1860年)、江戸府内には店構えの蕎麦屋だけで、実に3760余軒もあったというから驚きである。
368 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:12
見事に散る桜と椿になんの違いがあるというのか。
369 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:14
むしろ一気に落ちる椿のほうが潔い。
桜の散り様は未練がましいとも言える。
370 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:21
武家屋敷に椿の木がないは伝説です。
371 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:24
このスレまれにみる良スレ
このスレ建てた1は神
茶の席に椿を活けて武士を迎えないぐらいの事はあったかも。
373 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:27
>372
千利休ならあえてしそうだが
374 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:29
どうだろう竹が好きな利休だし。
375 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:30
竹と椿は相性が悪い?
376 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:31
下級武士は庶民以上に生活が苦しいので、
庶民と同じ店ぐらい普通に行くでしょう。
377 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:31
378 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:32
竹を割ったような性格、椿の落ちたような死に様。
379 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:33
あ、それはそうかもね。
武家屋敷に竹は似合わない。
でも田舎の郷士の家には似合そうだ。
380 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:35
反骨の利休なら竹でも梅でもなんでもあり
(買い被りすぎか)
381 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:35
武家屋敷の竹は弓矢の材料だぞ
382 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:37
>381
江戸期以前はそうだったかも。
383 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:38
ところで強引ですがw
利休はうどんを食べたのでしょうか?
384 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:38
おめさんがたお武家の庭とお公家の庭の違いは知っていますか。
利休庵てそば屋なら知ってるが
386 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:47
庭の違いは知らないけど襖絵なら、松の木がどーんとあって
派手なのが武家好みだね。公家のことは知らん。
387 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:54
武士が屋台のてんぷら食ってる絵を見たことあるけど、ああいう絵は
実際のことなのかなぁ。浪人かも知らんけど。
388 :
日本@名無史さん:04/01/13 01:57
とりあえず、武家が好む木
クロガネモチ モミジ ケヤキ シダレザクラ サザンカ・・・
このうち3つ以上あったらお前らの庭を武家屋敷と呼んでやろう
389 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:03
>388
ソースきぼん
390 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:14
>>388 こりゃまた難しい庭づくりだ。
クロガネモチなてぇ木はなかなかこっちじゃ大きくならねぇよ。
391 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:16
すでに満ち足りているくそ俳優が、人きりを演じるのに無理がある。
392 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:17
しったて
>>388の旦那のいう木で難しいのはクロガネモチだけやんすな。
あとはもうわっしらのとくいのものでえ。
395 :
日本@名無史さん:04/01/13 04:05
↑のHPにあった髪結いの店の絵でも、官軍風の武士と町人が
同席してるな。
396 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:12
武家と町人は仲良くやってたよたいてい。
勝小吉の随筆や海舟の氷川清話とか読んでいると笑っちゃう。
ただ、やっぱり町人は武家相手だと緊張はしたみたいだね。
それと、飲み食い処では、やっぱり、腰のものにだけ気を付けていた。
日本橋の鳥屋で、子供が刀を足に引っかけたとかで斬り合いになった
上田馬之助の例もあるし。
397 :
日本@名無史さん:04/01/13 09:50
やっぱり、町人は緊張してたんや
スレの主旨はこのことやで
町人VS農民
町人は緊張するの?
398 :
日本@名無史さん:04/01/13 11:01
町人だけでなく、武士も農民も全員、相手に非礼がないようにある意味、
緊張していた。町人が武士に対してだけ緊張していたわけではない。
町人対町人、町人対農民、農民対農民、すべて気をつかっていた。
江戸時代というのはそういう礼儀を重んずる社会。
儒学や石門心学で身分に関係なくそういう思想を叩き込まれていたから。
武士が町人のいる場所に入る時は「許せよ」とあいさつ。
町人が銭湯に入る時は「冷えもんでございます」とあいさつ。
上田馬之助みたいなのが出たのは幕末の動乱期だから、太平期の江戸で
そんな事したら切腹物です。
まあ、あれですよ。
武士に対して町人が無礼な事をしても「町房は礼儀を知らないね(藁」とスルーするのが
正しい武士のあり方です。粘着するのは田舎者。
400 :
日本@名無史さん:04/01/13 12:19
うどん食いたくなってきた
余は藪のかき南そばを所望じゃ
402 :
日本@名無史さん:04/01/13 12:34
藪は高いからなぁ。。
>399
田舎侍が「無礼者!」とか怒鳴っても、「さむらい必死だな(w」が江戸の町人
404 :
日本@名無史さん:04/01/13 12:49
江戸の蕎麦は、つゆが塩辛くてダシが薄いので不味いのう。
>404
蕎麦の香りを楽しまずにつゆどっぷりつけるのは田舎者ですが、何か?
406 :
日本@名無史さん:04/01/13 12:55
わしゃ田舎者じゃき、言うてみたぜよ。
407 :
こちらもやってくれ:04/01/13 12:55
>241
例によって半島起源説がどこからとなく沸いてくる。
408 :
日本@名無史さん:04/01/13 13:12
世界の麺類の起源は中国だな
オイラの小さい時はラーメンなんていわずに、支那ソバだったんだけどねぇ。
なんで支那ソバがいけなくて、シナチクがいいのか、わかないねぇ。
413 :
日本@名無史さん:04/01/13 14:09
414 :
日本@名無史さん:04/01/13 15:15
昼はうどんにしました。ウマー
415 :
日本@名無史さん:04/01/13 15:21
江戸っ子の真髄は「痩せ我慢」
武士道も「痩せ我慢」
416 :
日本@名無史さん:04/01/13 15:33
m
417 :
日本@名無史さん:04/01/13 15:57
江戸で有名なうどん専門店は行徳に本店があった笹屋くらいで、
一般的には蕎麦屋がうどんをだしていた。
418 :
日本@名無史さん:04/01/13 17:35
そろそろ本題の陰間茶屋に移ろう。
419 :
こちらもやってくれ:04/01/13 17:41
>408
半島起源説は事実とは関係なく湧いてくるものですが、何か?
420 :
日本@名無史さん:04/01/13 17:45
>>419 それはしょうがないだろ。
なんたって、ビッグバンはウリナラ起源なんだからよ。あいつらにかかっちゃ。
放置こそ美徳。
421 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:01
m9( ^,_J^)ノ <北朝鮮のない地球は要らない、とのたまう国の兄弟だし
冷麺が世界に伝わってスパゲティやうどんになりました、か?
423 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:25
町人も身分制度で
農民の方が上と認識して、礼儀をつくし、敬語でつか?
農民は町人にたいして、自分が上と思いまんの?
424 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:33
>>423 大阪にいるとわかりにくかろうな、その辺の機微は。
425 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:37
士農工商より実際は総合で判断すると
士商工農ちゃうの
農民が一番つらそう。
商の三井家とか住友家が農より下のはずないやん。
天井に金魚飼ってた淀屋のたつちゃんとか
426 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:37
大阪はもう朝鮮だから?
427 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:41
428 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:46
429 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:59
430 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:13
一番つらいから逆に武士のすぐ下の階級にしたんだよ。>百姓
実際武士にとって米を作る百姓の存在が一番大事。
431 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:15
百姓は生かさぬよう殺さぬよう・・生殺しですな。
432 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:27
士農工商とは身分の順位を規定する言葉ではない。
本来は士農工商であるべきという理想論なんだよ。
433 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:29
つーか武士にとって大事な順だろ、農工商
434 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:37
>>433 儒教思想です。
農=物を作り出す者、工=それを加工する物、商=なにも作らず右から左へ産物を移動するだけの者。
士農工商の身分よりもその中での階層の方が問題だろうな。
大名と大商人、下級御家人と長屋の職人は、それぞれ付き合いが出来ても
大名と足軽、大旦那と丁稚みたいに、同じ身分の中でも階層が違うと付き合えない。
436 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:43
ほぉ、勉強すますた。
ただ食うだけの武士が儒教思想では一番上なのか。
437 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:50
儒教が都合良かったから利用したのね。
438 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:56
>>405 別に粋がって蕎麦をつゆにちょっとしかつけてる訳じゃないよ。
全然逆だって。どっぷりつゆにつけたら辛くて食えないからそうしてるまで。
全部つゆにつけたら辛くて食えたもんじゃねえよ。
漏れはちょっとしたつけないけど、それでも
チェーサーもらうくらいだよ、実際。辛くてうっすら汗が出る。
言っとくが、辛いというのは塩辛いという意味な。
ま、つゆをちょっとしかつけないと、蕎麦の味が分かりやすくていいがね。
つゆが辛いのは東京だけで、田舎に行くと薄くて甘辛いつゆだね。
あれなら全部つけてちょうどいい。
江戸時代の武士は官僚だからな、今でも仕事しない公務員が給料いいのと同じ。
440 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:01
士農工商とい言葉が一般に流布したのは明治以降。
本来の意味とは違い幕府の悪政の元とされた、故に意味が通じない。
441 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:01
公務員が馬鹿に見えてしょうがないんすけどw
侍も馬鹿に見えたのかな。
442 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:04
>>441 社会制度が違いますからね、公務員と武士を比較する意味ば分かりません。
443 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:06
ま、戦前の官吏は位階勲等とかあったから、武士に近いな。
444 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:09
公務員=公僕(古臭い言葉だが)
武士とは全く違います。比較することすら(ry
445 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:12
現在の叙勲制にも位階あるな、改正されそうだけど。
446 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:12
トランプの4種類のマークは、当時のヨーロッパでの4つの階級を表している。
4つの階級とは、聖職・貴族・商人・農民。
スペードは貴族階級の槍
クローバーは農民の生活
ダイヤは商人の仕事
ハートは教会の騎士の紋章
※ジョーカーは身分の枠をはみ出した浮浪民か?
447 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:14
448 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:14
叙勲と位階は表裏一体。
位階を無くすといっても、叙勲そのものが位付けだという罠
449 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:16
うどんの話は〜。
450 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:17
うどん屋で話す与太話だと思えばジャンルなんでもありだなw
蕎麦屋ならもっと粋なんだけどw
451 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:56
東京には江戸以来の蕎麦屋はあるが、うどん屋は聞いたことないな。
老舗のうどん屋というのは日本の何処かにあるのだろうか。
452 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:58
453 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:59
>>451 讃岐、大阪
なんぼでもあるわ
在日の方ですか?
454 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:03
大阪のうどん定食も江戸時代からあった?
456 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:05
うどんは釜玉うどんに限る
うんうん
457 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:05
今でも営業中の日本最古(?)のうどん屋は上州水沢観音門前にある。
天正10年(1582年)創業だと。
「炭水化物に炭水化物」などと言ってはいけない。・・・断じてな。
459 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:07
東京の蕎麦老舗ならざっとでも、
蓮玉庵、砂場、更科布屋、永坂更科とかいろいろあるけどさ。
460 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:11
461 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:11
うどんもうまいけどすいとんもうまい!
大阪にはたこ焼き定食が江戸時代にあったらしい
463 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:14
たこ焼き定食ってたこ焼き+飯か?
よう食わんわ
464 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:17
>>462 たこ焼きは明治のころに会津人が大阪で広めた食べ物。
たしか「美味しんぼ」にそうかいてあった。
466 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:20
海がない会津でなんでタコなんや?
467 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:25
大阪人でタコきらいな香具師は100人中何人?
タコ嫌いならタコ焼き食えへんで
468 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:26
469 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:28
東京で大阪風タコ焼きと銘打って商売している奴。
生のドロドロたこ焼きやねん。
470 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:31
鹿児島にマヨ蛸があるよ!
たこ焼きの中にマヨネーズ!
471 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:34
>>466 大阪の会津屋のことでしょ
ソース無しでけっこう美味い
472 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:35
マヨタコ下火ぎみぢゃん。。
473 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:36
武士はラーメンを食べない・・・と思ったら、水戸黄門が食ってた。
474 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:40
うどんを名物としている地方には老舗はない。
結論でいいかな?
475 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:42
>474
意味わからん
マヨ蛸?・・・初耳ですなw
是非、地方グルメ特集で鹿児島取材をやって欲しいですな。
477 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:45
最近、カラオケとか生協とかでしか聞かんよ?マヨタコ
478 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:47
大阪焼きは昔はまったことあるけど、マヨタコはちょっと・・
479 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:53
武士は飯を食わない
480 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:54
ブシハクワネド
481 :
植木屋棟梁:04/01/14 00:09
よっ旦那あいかわらず貧乏ですかい、でへへ
ああ奥様に若様・・失礼いたしやす。
うちのボンクラが不味い物をつくりましたんで、へへ
お口汚しにどうぞお収めください。
玉石混淆だな、このスレ。江戸時代って言っても、関ヶ原以降だけでも268年もあるんだし、
家康の江戸入府から数えたらもっと長いんだから、ちゃんと時代区分を明示して語ろうや。
江戸時代の風俗の転換期は、元禄と化政の二つ。特に元禄は重要で、1日3食が定着し、
畳が一般にも普及しだし(それまでは板の間が主流)、蓑笠に変わって雨傘が普及した。
外食が普及しだしたのもこの時代。
振り袖火事からの復興で、大量の大工や人夫が流入したため、彼らに食事を供する専門の
店が出現し(最初は茶漬けみたいなものを供した)、それが時代劇で見るような縄暖簾の
食い物屋に発展していった訳だ。つまり、五代将軍綱吉の時代の初期は、外食産業自体が
まだまだ萌芽の時期だった。この当時は、先に書いた茶漬けや、屋台の元祖である串に刺
した田楽の辻売りが出現した程度の外食産業しかなかったのだよ。
だから、そもそも武士は外食する習慣がなかった。食事はだいたい家ですませ、遠出や家に
帰れない場合は弁当を持参するのが常であった。武士は出かける時必ず中間や小物と呼ばれる
家来を同行させるのが常で、彼らに弁当(といっても重箱重ねで、仕事で出かける場合は同役の
分も持ち回りで用意した)を持たせていたんだ。少なくとも、綱吉の時代ぐらいまでは武士が
庶民と同じ店に入って食事する事自体、あり得ないのだ(店もないし)。
元禄の頃は、武士が浄瑠璃や芝居を見ようと思ったら、編み笠をかぶって顔を隠して入場して
いたぐらいだから。
武士が蕎麦屋に入るようになったのは江戸時代も後期、少なくとも化政時代以降と考えて良い。
それも、同心とか庶民と近いところで仕事をしていた人間が中心で、江戸詰めの藩士は、
ほとんど立ち寄らなかったと考えて良い。
>>482 まぁ面を隠すような旦那がどいんだけおえらいかしらね。
江戸の喰い物といえば、蕎麦、寿司、天麩羅、鰻が思い浮かぶんだが、
こういう一つの料理だけを扱う「専門店」が、
店舗として成立したのはいつ頃なんだろうか。
これらの喰い物で、蕎麦、寿司は元々屋台で出されたもので、
町人にとってのファストフードのようなものだったと思うが、
天麩羅、鰻もそうだったんだろうか。
>>484 屋台はな俺らも借りてやったこともあらぁな。
お店もってやれるヤツラは味もよけりゃ度胸もいいという気風のヤツラよ。
>植木屋棟梁
月いくらの売り上げだよ
植木屋なら棟梁でなく親方だろ
>>487 よっ、そこの旦那。
植木屋が棟梁じゃいけないかい。
489 :
日本@名無史さん:04/01/14 02:50
>植木屋が棟梁
床屋の親方よりえらいんだね!
棟梁である大工が、鳶の頭、植木屋の親方らを差配するもんだと
大工だった爺ちゃんがいってた。
491 :
日本@名無史さん:04/01/14 04:31
日本に大統領制がないのは伊藤博文が
「大統領なんて響きが大工の棟梁みたいでださいよね」って言ったから。
492 :
日本@名無史さん:04/01/14 04:31
むかしは よみせで インチキな植木をうっていたな!
494 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:04
今日の昼飯はうどんにしよう
495 :
こちらもやってくれ:04/01/14 11:06
>484
鰻は不明だが
天麩羅は屋台ファーストフードの代表格だったね。
鰻も屋台からで江戸で最初の店舗は安永六年(1777)オープンですと。
497 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:15
鰻は江戸風に限るな。
関西のほうの蒸してないのは脂強すぎ。
つってもこの辺は好みの問題だけどね。
498 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:21
鍋焼きうどんいいのう。元祖はどこだろう?
499 :
こちらもやってくれ:04/01/14 11:23
安永のころは天麩羅は屋台ファーストフードだね。
天麩羅という名前が確立したのがこのころ。
天麩羅が座敷で食する料理屋で供されるのは嘉永文久といった
幕末になってから。
屋台系天麩羅は関東大震災のころまであったみたい。
500 :
こちらもやってくれ:04/01/14 11:26
>498
お約束。半島起源説がどこからともなく湧いてくる。
501 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:28
502 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:33
うどん食いてぇよぉ〜〜〜
>502
マンモス西 ?
505 :
日本@名無史さん:04/01/14 13:14
>マンモス西 ?
ワラタ
506 :
日本@名無史さん:04/01/14 14:21
蕎麦の食い逃げ犯を捕まえたら犯人に「店員でもないのに余計なことするな!」て、怒られた。
507 :
日本@名無史さん:04/01/14 14:28
玉石混淆だな、このスレ。遅レスだが、椿の木について。
武家屋敷に椿があっても、不思議ではない。当時、椿の栽培は大流行して、朝顔同様に
変わり椿(要するに突然変異の希少種な)が高額で取引されていた。この、椿栽培熱が
高まりすぎた(=武士が売買による収入に走った)為に幕府が禁止した。栽培そのもの
より、利殖の手段とした事が問題視された訳だ。で、その時に付加された難癖が、
「椿は花が丸ごとポロリと落ちるので、打ち首を連想させるので武家にふさわしくない」
というヤツ。椿による利殖を控えろと言うお達しが、いつのまにか首がぽろりに
すり替わってしまったわけだ。
まぁ、実際問題としてこの風評のおかげで、椿の栽培熱はじょじょに小さくなっていき、
後の牡丹や胡蝶蘭、朝顔や盆栽への栽培熱へと移っていく。ただ、椿の場合、その実から
良質の椿油が取れるため、鬢付け油や食用油としての需要があり、観用と実益をかねて
盛んに栽培された。
椿を嫌うという風潮は確かにあったが、だからと言って武士の家には椿がないというのは極論。
たとえば、昔は自宅に松の木を植えると、風の強い日に松は風に吹かれてビュービューと
大きな音を発するので、賊や暗殺者の侵入に気づかないので良くないと言うのが江戸時代初期には
常識だったのだが、それも時代とともに忘れ去られてしまったりして、大きな松が何本も
植えてある大名屋敷はごく普通の光景になったわけだ。むしろ、こちらの方が実際問題として
重要なのだが、けっこう忘れられてる。
ちょっと長くなるので分けて書くな。
椿の首ぽろりも、本来の目的と理由が良くわからなくなって、風説が定着した可能性が高い。
家康の村正伝説と一緒だな。村正が徳川家に祟ると言う伝説も、あれは嘘。なぜなら、家康自身が
相当の村正コレクターで、一族に村正を下賜したり、形見分けとして贈っているのだ。つまり、
家康は村正を愛好し、徳川&松平の一門に贈ったため、他の大名家が徳川一門に遠慮して、
村正を差さなくなったのだが、いつの間にか「なぜ村正を差さないのか?」という理由が
良くわからなくなって、妖刀村正伝説が一人歩きしてしまったわけだ。
椿の木も、武士階級が没落してきて、少しでも現金収入を確保するためには、首がぽろり云々は
あんまり関係なくなってしまう。それでも、体面を気にする家では椿ではなく山茶花を植えた。
こちらも、同じ椿科の植物で良質の山茶花油が取れる(ただし、椿より小粒なのと実の乾燥に
時間がかかる。天日干しでだいたい倍ぐらいの時間が必要)ので、盛んに栽培された。
地方では、例えば萩に行くと、家々にミカンや八朔などの柑橘類が多く植えられている。
貧乏な長州藩士が、それを売って生活費の足しにしていた名残なのだ。
あともうひとつ、椿を植えた場合のデメリットがある。椿は、害虫が割り合い発生し易い。
木の幹に大量の毛虫が発生して蠢いてるという事が多い。これが他の木に害を及ぼすのと、
江戸の武士は広い屋敷を利用しての盆栽作りを内職にしていた家が多いため、そちらへの
被害を避けるために椿は忌避された。また、葉が密集する椿は、日当たりが悪くなる事なども、
忌避された理由のひとつかもしれない。
510 :
日本@名無史さん:04/01/14 15:11
m9( ^,_J^)ノ < 直接、植木鉢に小便入れたら、植木が枯れた。
kouei34
511 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:13
m9( ^,_J^)ノ <510の感想求む!
kouei34
512 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:18
513 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:23
m9( ^,_J^)ノ <もっと!
kouei34
514 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:25
m9( ^,_J^)ノ <もっと!
kouei34
515 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:01
516 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:40
蕎麦屋はしゃれた一杯飲み屋みたいな伝統があるけど
饂飩屋で酒を出したのかなぁ
517 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:44
m9( ^,_J^)ノ <うどんは腹持ちがする。
kouei34
518 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:47
武士と町人は結婚できるの?
できません
520 :
日本@名無史さん:04/01/14 19:52
>>518 できるよ。
有名処では、勝海舟の嫁がそう。
一度、家格にあった家の養女にしてから嫁がせた。
勝海舟は元賤民のなんちゃって武士だから参考にならない
522 :
日本@名無史さん:04/01/14 20:06
>>521 海舟はれっきとした旗本だぜ。
なんちゃってなのは曾祖父。
田原藩家老渡辺崋山の妹は商家に嫁いでいる。
524 :
日本@名無史さん:04/01/14 20:09
大奥にも、美人と名高い商家の娘とか多く入ってるしな。
526 :
日本@名無史さん:04/01/14 20:16
さすがに大名の正室にはいないが、一般武士のレベルなら通婚はあった。
528 :
日本@名無史さん:04/01/14 20:48
鴻池の娘を誰だかが娶ってなかったっけ?
529 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:21
農民と町人の結婚はOK?
農民の方が妥協する感じなんかな?
格はワシの方が上やけど、貰ってやるみたいな感じ?
派生して農民同士の結婚は、同じ村やりも
他の村から嫁を貰う方が多いのかな?
農民でも恋愛結婚は少ないの?
530 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:25
531 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:29
>>529 違う村から嫁を取る時は、地域によってはかなり揉めたらしい。
特に西日本。
532 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:30
農民の息子が商家に奉公に出ていることからもわかるように、
農民と町人の間に身分の上下なんてないよ。
百姓と町人は並列で、それぞれの集団の中に身分がある。
江戸の町に限れば、農民が格上だなんて町人は思ってないよ。
農閑期の農民は下男として商家で飯炊きとかするんだから、よくて「田舎のお人」、
悪くて「どん百姓」として下に見ている。
534 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:34
535 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:37
農民の次男、三男は一生独身なん?
兄貴の田借りて、奴隷みたいなもん?
んで兄貴の嫁に欲情して、セックルして
子供ができるが、兄貴は知らずに自分の子と思い育てるなんてありそう
なんですが
536 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:41
>農民と町人の間に身分の上下なんてないよ。
形式上身分差がないと、農民やってられへんやん。
一番キツイ労働して、自分が作った米も食えずに
一番損やから、逃げ道で武士の次の身分にして
誤魔化されたんやろ
うんうん
537 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:42
百姓は嫁もらえるのは長男だけなの?
538 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:43
m9( ^,_J^)ノ <江戸っ子は関西に負けまいとする。
kouei34
539 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:43
>>535 能力ある子は都会に出て、奉公をするか職人になった。
頭のいい子は学者になったり医者になったりした。
そのあたりは、養子の口もあったし、嫁とって家を構えたりもできたから。
無能な人間は穀潰しと呼ばれつつひっそり生きた。
やくざになるものも多かった。
540 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:49
だから、能力のない普通の農家の次男、三男は一生チョンガーですか?
童貞で死ぬのも多かったんかな
541 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:51
どこかで聞きかじったのだが、農民の次男三男の食い詰め者が、
村を逃げて江戸に出てきて都市生活者になることが多かったらしいけど、
もし見つからなかったとして、その子供らは身分的にどうなるの?
そもそも、士農工商の、工商の部分ていうのは、厳格に戸籍みたいなもんで
管理されてたんでしょうか?特に江戸の場合。
542 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:54
>>541 国に帰ればいいんだけど、帰らなかったら無宿者だね。
御上に捕まると入れ墨される。
543 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:00
>>542 墨入りになっちゃうと、エタヒニンの類?
そして
木枯らし紋次郎になる
545 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:10
546 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:28
武士と農民と大工と魚屋がうどん屋でほぼ同時に同じのを注文した場合、
やっぱりうどんは武士→農民→大工→魚屋の順に出されたのだろうか。
547 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:30
戸籍から外されると無宿者でなかったっけ?
何か悪さしてつかまったらそいつの家族も責任を負わされる。
ごろつきになっちゃった時点で家族があらかじめそいつを戸籍から外す。
そうするとそいつの家族じゃないと言うことで責任を負わなくてすむので。
で、無宿人の出来上がり、と。
大工=職人のトップ、魚屋=いなせが身上。
というところから考えて、
大工「おう、俺たちゃ後で構わねェから、お武家とお百姓に先に、な」
魚屋「おうさ」
武家「かたじけない」
農民「ありがとうごぜえます」
というところだろ。
550 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:44
>>547 別に。ただ、身分順に出すのかな、と。
小心者なウェイターの自分が江戸時代に生きてたら、たぶん気になってしょうがない。
551 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:49
注文順に出しますよそんなもん。
552 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:50
m9( ^,_J^)ノ <幕末の写真見たけど、百姓は筋肉質だね
kouei34
553 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:55
554 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:04
555 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:06
556 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:31
さすがうどん屋スレ
557 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:47
そういや先生、昔は鶴を食っていて、大久保彦左衛門だか誰かが、
将軍様から食わせてもらって嬉しかったてな話を小耳に挟んだ覚えがあるんですが、
その鶴ってーのは一体、丹頂鶴のことですかい?
戸籍、と書いたのはわかりやすくするためで。
人別やらなんやら。制度として住民を把握してはいるようです。
559 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:07
m9( ^,_J^)ノ <江戸時代の諸大名が鶴等の鳥獣保護の御触れを出していたが、明治維新で無効になって乱獲が起こった。
kouei34
560 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:15
農民の次女、三女は一生独身なん?
561 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:29
>>541 ちゃんと町の長屋とかに定住しててまっとうに金稼いだり
大工とかに弟子入りして修行したりしてても
無宿人なんですか?
562 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:34
>>561 定住する場合は、庄屋なり親方なり棟梁なり大旦那なりが
町方に届けてくれるわけです。
そこで、手形なり居住資格なりが得られるわけです。
563 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:35
>>561 町内人別帳とかあとはお寺さんのやつ。
江戸に流入した人達への、人払い令は何度も出ている。
実行力はなかったみたいだが。
毎年、宗門改帳というのを名主とか町年寄がお上に提出する。
内容はどこの寺の檀徒かを記したもので、これが戸籍替わり。
生まれ故郷を出て来ても、江戸でこれに載ればOK。
565 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:39
566 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:39
567 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:40
568 :
日本@名無史さん:04/01/15 00:40
じゃ、江戸に出てきたらとりあえず家探しとして
大体この辺に住もうと思ったらその地元の大家さんとかに
「部屋探してるんですけど}みたいなこと言うわけ?
569 :
日本@名無史さん:04/01/15 02:20
基本的に長屋住まいするには紹介が必要。
身元引請人がいないと無理だが、そこはそれ立て前社会なので金で何とか
なる場合もあったようだ。
571 :
日本@名無史さん:04/01/15 02:46
落語でズズッと音を立てて蕎麦を食べるのは、明治時代に関西の「時うどん」を「時そば」
として移植してからの事らしい。志ん朝のはもっと粋なツツッっと感じだった。
>567
保護令が出るまでは婚姻の宴席などでも
鶴の吸い物はでてた。
573 :
日本@名無史さん:04/01/15 10:02
571へ
m9( ^,_J^)ノ <うどんのズズッは、味噌汁のズズッと同じ理屈だね
kouei34
574 :
日本@名無史さん:04/01/15 10:03
m9( ^,_J^)ノ <今更なんだけど、俺はkouei34の善の部分
kouei34
575 :
日本@名無史さん:04/01/15 10:51
卒論はこのテーマでいくか
題名「U・DON」
576 :
日本@名無史さん:04/01/15 11:24
>>575 お前は何を考えてるんだ?おいおい、なっちゃないぜ。
「U・DON」 じゃ、単なる食料で終わっちゃうだろが。
いいか、このスレをよく読んで見れ。何故、ここまで伸びたか。
何処にその可能性が潜んでいたか。そうだ、よく考えてみるんだ。
もう分かったね?そう、そうなんだ。大切なのは「うどん屋」とした所なんだ。
これにより、うどん屋に見られる江戸期の風俗・身分・うどんの起源やら
外食産業の実情やら・・とにかくたくさんのことが見えてくるんだ。
よって卒論のテーマは「U・DON・YA」にするのが正しいのである。
577 :
日本@名無史さん:04/01/15 11:28
「Udo・Nya」にするとスワヒリ語っぽい。
短時間でこれだけレスが付いたスレを建てたボキは
初めて自分で自分を褒めたくなりまつた
579 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:16
うどん屋に出かける町人なんて貧乏町人ではないのか?
金持ち商人は家に持ってこさせるよ。
うち商人だったけど、付き合いは武士でもかなり
上のほうとしかなかったというね。
580 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:11
江戸の長屋に住む一人者って、
実際毎日何を食べていたんだろうね。
581 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:21
ガスはない水道はない電気もない
そこそこ稼ぐ香具師はやっぱり外食だな
蕎麦・うどん・天ぷら・寿司・うなぎ・・・
結構いい暮らしじゃん。
582 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:31
>>579 江戸時代に出前などはあったのだろうか。
583 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:33
>>580 自炊生活でしょうね。
米炊いて味噌汁つくっておかずは漬物。
584 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:37
>>582 丁稚奉公の使用人に買ってこさせるんだよ。
586 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:44
昔の人は一度の食事で1升の米を食べたっていうのはほんとうなのか?
587 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:46
588 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:47
江戸時代、やっぱ肉を食べられないのはつらい
>>586 一人1日五合程度を食べる。
食えるだけの稼ぎがあればだけどね。
>>587 井戸と便所は屋外で共同。
井戸といっても江戸市中の場合は水道ですけどね。
591 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:53
>>588 薬喰いと称してイノシシなどは食べていたようです。
江戸以来の老舗「ももんじや」は現在も営業してますね。
593 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:55
594 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:56
武士と町人の住んでる場所って違うの?
595 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:56
>585
盛りなら伸びない
>>594 基本的には武士町と商人町は別でした。商人も同業者は同じ町内。
時代が降るに連れ区分はあいまいになっていきます。
597 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:00
住込みの使用人は百姓の出だから、
うどん打つことなんか朝飯前よ。
「吾助、久しぶりにうどんが食べたくなった。打ってくれるか」
「はい、旦那様」
てなもんだろ
598 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:05
町人が武士に気遣うのって、現在で言うと、一般人がヤクザっぽい人を
恐れるのと似ている。
600 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:07
刀を恐れているだけで、アポンな武士に心服してるわけではない。
601 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:09
今の時代もヤクザはさまざまな特権を持っている。
武士とソクーリだ。
602 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:11
武士はうどん屋にいっても勘定を払うときに計算ができない。
知的職業についている町人に尊敬されるわけはない。
戦国時代も、堺商人の利休に田舎大名がバカにされまくっていたのと
同じやね。
603 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:12
604 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:14
>>603 ん?
社長=商人
ヒラ=うどん屋に気軽にやってくるような中下級武士?
605 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:14
一日五合なら年間で二石近くか、結構消費するんだな。
606 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:17
江戸時代も今とあまり変わらないよ。
私企業の社長は下っ端公務員にも気を使うが、それは利権を
握っているから。中国じゃあ、警察官が飯おごれやって
昼時間になると私企業にやってくるらしいし。
607 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:20
4の煽りから始まって面白いスレです。
608 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:24
ちょっと法律違反を見逃してくれって武士に
金を積むことがあるので下手に出ているだけ。
金持ち商人がなんで革命を起さなかったかは
けっこう快適だったから。
武士は貧乏だし、町人が満足に金儲けできるように
治安維持をしてくれる。
身分の違いとかいってる人はかなり脳が天気。
609 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:27
視点の違いでどうとでも言えるさ
どっちも間違いではない。
610 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:29
江戸町奉行=亀井静香みたいなもん?
611 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:32
静香。名前からしてギャグ
612 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:38
あのおっさんは武家の家系らしいから、
本当は「しずか」ではなく、「しずあき」とか「しずみち」とか適当に読んだりするのかも。
613 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:43
亀井って藩主の家があったけど、あれ関係?
体制の違う過去の時代を現代に当て嵌めるのjは無意味だよ。
615 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:53
日本の武士って変なんだよね。
身分制にしたいなら、卒族なんて士族に入れるべきじゃないのに。
韓国の両班やその他西欧の騎士には下っ端兵卒など含まれないよ。
なんか時代劇の悪影響が感じられる展開だね。
617 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:57
>>615 それは明治政府の成り立ちに元があるからですよ。
618 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:01
m9( ^,_J^)ノ <うどんはうどん屋。百姓が作れるとは限らない
kouei34
619 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:04
うどんは、蕎麦に比べ火力と水を大量に必要とする。
それに対して、蕎麦は調理が簡単。
そのため、火事に弱い江戸ではうどんは流行らず、蕎麦が主流となった。
620 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:04
>>618 お百姓さんは自給自足、なんでも作れます。
そんなお百姓さんが都会に出てうどんやになったりそばやになったりです。
621 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:06
>>619 >>うどんは、蕎麦に比べ火力と水を大量に必要とする。
うどんも蕎麦も大差ないだろ。
622 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:11
人口の9割を占める農民は貧しいしわざわざ町にうどん
食べにきたりはしないんだろうから
うどん屋ってそんなにいらなかったんじゃないの?
町人+武士だったわけだよね?あわせて1割程度?
623 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:14
うどん屋って、きっと他に食う道がない苦肉の策だったんだろな。
士農工商の最下層の最下層だな。
うどん一杯何文だったんでしょうか
625 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:17
都市部では農民は少ないだろ。
626 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:19
うどん屋って職人(工)?
627 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:19
>>624 過去レス読めよ。
文化文政期でうどんもそばも一杯十六文。
>>622 江戸時代を語るにおいては、江戸という都市を語っている人と他国を語る人がいる。
628 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:26
>>626 士農工商は儒学だか朱子学の理想論に出てくる言葉だよ。
629 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:28
>農=物を作り出す者、工=それを加工する物、
>商=なにも作らず右から左へ産物を移動するだけの者
前のほうのレスより。これによるとうどん屋は工だな。
>>627 一杯十六文てことは
現在の貨幣価値からいうと
吉野屋の牛丼280円より高いてこと?
このスレ見てたら食いたくなってきた。
632 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:40
現代の貨幣価値で言うといくらなの?
高くてもいいんじゃないの?
だって別に貧乏人は店でうどん食べなくてもいいわけだし。
金がなくて足軽はうどん屋に入れなかったんじゃない?
きっとうどん屋は足軽の憧れの的だったんだよ。
633 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:48
>>632 きっと三人の足軽で一杯のかけうどんを注文する涙の物語が繰り広げられてただろうね。
634 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:51
>>633 その足軽頭は行方知れずになったそうな。
635 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:53
うどんと蕎麦では必要な火力はかなり 違うと思う。素麺ならもっと少なくて すみそうだけど。 麺類に関しては「つるつる物語」という 本が詳しい。大きめの図書館なら有ると思うよ
636 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:54
まあそういう涙ぐましい足軽もいたわけだが、
一方で、因縁つけて刀を振りかざして暴れて、
金も払わず食い逃げする足軽もいて、町人の恐怖の
的だったわけだ。
637 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:58
>>636 そういう輩は足軽ではない、奴(ヤッコ)だ。
638 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:09
今でいう和田アキ子だ。
>>597 「へへ吾助の爺さんうどん打ってるなぁ」
「ごしょうばんごしょうばんって事で、お初ちゃんおいら達にもよろしくな。」
640 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:29
>>639 「なにいってんのさ。あんたたち、普段は田舎もん田舎もんって馬鹿にしてるくせに、勝手じゃないのさ!」
641 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:43
永坂更級の開祖は太物商つまり木綿商人だった
>>640 「おおいおめぇが田舎もんいうからお初ちゃんj怒ってるじゃねえか」
「んだオメがワルいでオメなぬが言え」
643 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:51
>>642 「おいおい、なんでえ、そのしどろもどろは・・・あっ、てめえ、さてはお初ちゃんにほの字かい?」
「な、なにいってやんでえ、だいたいおれはjhgぁkjぎあい」
644 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:56
m9( ^,_J^)ノ <衆道はどうした?
kouei34
この流れはもういいよ。
648 :
日本@名無史さん:04/01/16 02:14
そうめん屋や冷や麦屋はあったのか? 屋台とかでも
江戸時代の物価を今の貨幣価値に換算するのってけっこう難しいよね。
単純に1文=○円と言えない。
たとえば食い物はめちゃくちゃ安いが着物はめちゃくちゃ高い。
当時の下女は1年の給金が3両と言うが、これは今の貨幣で12万円くらいらしい。
いまどき住み込み賄い付きでも年収12万で食っていけるやつはなかなかいない。
650 :
日本@名無史さん:04/01/16 02:28
米価の上下によって食い物全体の値段も上下したんじゃないの。
>>649 歴史家のお歴々は米価換算で当時と現代の物価を比較するからね。
653 :
日本@名無史さん:04/01/16 03:34
654 :
日本@名無史さん:04/01/16 09:15
武士・町人っていう以前に、ここに人間性があるのは、今の時代だって一緒でしょ。
武士に尊敬されていた町人もいるし(新門の辰とかね)、
武士としては徹底的に同役に嫌われて、とうとう死ぬまで小普請役だったけど、
勝小吉みたいに本所の名物男だったのもいるし。
小吉は、やくざモンにまで慕われていて、ちょっと伝記読むとおもしろい。
655 :
日本@名無史さん:04/01/16 11:26
昭和30年代初期の頃、うどん1杯15円 めし1杯30円
今は、うどんとめしの立場が逆転してしまったね。
江戸時代、うどん・そばが16文だとすると、めし1杯はいくらだったんだろ。
656 :
日本@名無史さん:04/01/16 12:24
m9( ^,_J^)ノ <江戸時代は、銀相場、金相場あったみたいだね。
kouei34
657 :
日本@名無史さん:04/01/16 15:33
江戸時代の金経済圏は尾張、江戸を含む表東日本であり、一方銀経済圏はそれ以外の西日本及び大半の裏日本であった。
経済力の比率はおおざっぱにいって、金:銀=4:6。当時の日本経済の中心は大阪(商業の中心地)、
京都(当時随一の軽工業中心地)を中心とする銀経済圏であった。
人口では大差ないが自分の領地から米を得る武士が多い江戸に比べ、
米の消費者では多くを抱える大阪が米取り引きの中心となったのは当然であった。
金経済圏にその中心を置く幕府は初期から銀経済圏を押え込みあるいは手なずける為に様々な方策をとった。
大阪、京都、長崎の直轄もその一つであり、また膝元の江戸商人を大阪に乗り込ませるよう計ったのもそうであった。
後者は大阪商人の猛反発(それを後押しした加賀藩などの動き)によって失敗に終った。
やがて幕藩体制が緩みはじめると、直接に銀−金レートの操作(具体的には銀貨の改悪)などもおこなった。
銀経済圏は故に日本史の影の立役者でもある。薩摩・長州の倒幕には銀経済資本の影が見てとれるし、
なによりも八代将軍吉宗の紀州は御三家で唯一銀経済のバックアップを得られたところである。
田沼意次の政策もそうした二つの経済圏の統御という点から考えることができる。
三井のような大商人は二つの経済圏という状況をうまく利用した。
三井はそもそも御服問屋で、京都(当時の手工業の中心:銀経済圏)で作られた服を江戸(金経済圏)に売っていたが、
その便宜のため両替商をはじめた。やがて銀−金レートの相場自体で利益を得るようになり、幕府のおかかえとなってからは、
天領の米を大阪で換金、それを江戸に送る日数(20〜30日)の間、自由に運用することで利益を得た。
三井は米の代金を直接(船などで)江戸に送ることをせず、江戸の三井から直接引き落とした(今の為替みたいなもの)。
あるときは銀−金変換で富を得、またあるときは変換せずそれ本来の市場で運用することで利益を得たのである。
658 :
日本@名無史さん:04/01/16 15:39
江戸時代の金1両は、今のお金のいくらぐらいに相当するのでしょうか。
しかし、これは難問です。当時と現在では社会や経済の仕組みが全く異なっているからです。
一応の計算では、江戸時代の中頃(元文小判)の1両は、米価では約4万円程度になるようです(日銀貨幣博物館)。
これを前提条件にして伊達62万石を今の価格へ換算してみると、現在、米1俵(60kg)は約16千円(平成11年産の政府買入価格)ですから、
4万円で米2.5俵購入できることになり、62万石は約250億円となります。
平成11年度宮城県一般会計予算が約8500億円ですので、現在の財政規模がいかに大きくなっているかが分かります。
ちなみに、現在の国家予算は約80兆円ですが、江戸時代の幕府は400万石でしたので、今の価格に換算すると約1,600億円となります。
660 :
日本@名無史さん:04/01/16 16:16
62万石ってのは(農業)総生産でしょ。
661 :
日本@名無史さん:04/01/16 19:47
m9( ^,_J^)ノ <うどん+御飯でも、うどんの具をオカズにするよ。俺の場合。
kouei34
663 :
日本@名無史さん:04/01/16 20:28
>>648 室町時代にそうめん師という専門の職人が出現し、そうめん座の記録
もある。また京にはそうめん屋があったこともわかっている。
手延べそうめんは、うどんと違い相当の技術の熟練が必要な
ため、専門の職人が製造し、消費者は商品としてつくられた
そうめんを購入する流通が早くから確立したと言われている。
664 :
日本@名無史さん:04/01/16 20:31
>>662 m9( ^,_J^)ノ <君自身が要らない。
kouei34
よく分からないのは、
江戸に奉公に出るのと、
村を逃げ出して江戸で働く、の違いは何?
どう区別するの。
666 :
日本@名無史さん:04/01/16 22:53
>>665 村を逃げ出して江戸に奉公に出る。
メデタシメデタシ
667 :
日本@名無史さん:04/01/16 23:22
665へ
通常の就職と家出の違い
いやいや、何度か村に追い返そうという政策があったじゃん。
そのとき、どう区別して追い返したわけ?
奉公はOkだったの。
農家の跡取りが江戸に出て来ちゃ困るじゃん。年貢取れなくなっちゃうから。
でも次男三男や娘は奉公に出てもそれは問題ない。
区別は、ちょっと前に話の出ていた人別帖でわかるっしょ?
670 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:31
大名家の何万石というのは、米の取れ高よりも、その石高によって定まっている
戦備をするという事の意味の方が大きいのです。
>>670 加賀の前田家の石高が突出しているのは、何故なんだ?
田舎だから潰されなかっただけかw
>>671 豊臣恩顧の家なのに徳川家についたから。
673 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:49
>>671 前田利常が鼻毛を伸ばしたから
うんうん
農民がら税金(年貢を)とり
町人は、無税かよ
ひどい時代だな
675 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:50
うどんの産地は何がいいって
いいオンナが多いことだね
676 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:52
>674
お百姓さんは地主だから固定資産税を払うのです。
677 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:53
前田家は加賀、能登、越中から四国全部に国換えの打診があったが
断った。 国替えしてたら、面白かったのにね
城は高松か?高知か?松山か?それとも徳島か?
678 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:55
前田が四国全土を領地にするのは夢があるね。
高松を居城にしてたら、今ごろ100万都市になってたかもね
なにをもって田舎と言っているのか分からないが。
当時の日本海は舟運交通の要路だ。
>>675 讃岐男に阿波女、伊予の学者に土佐の鬼。だっけ
あれ?うどんは讃岐だな。
682 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:10
>674
今は逆じゃねーかよ
そういや武士に税金ってあったのか?
683 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:15
武士は律令制でいう租庸調の庸を一生支払ってるようなものかな
684 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:16
江戸幕府の御家人の場合、役職のない者のうち、三千石以上で、
以前に布衣をつけられる格の役職についていた者は寄合、
それ以外は小普請と呼ばれ、それぞれ石高に応じた無役御役金を上納した。
キャッシュバックだなw
685 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:19
うどんは鍋焼きうどんからカレーうどんまで認められるが、
私は、蕎麦はざる蕎麦以外は駄目だ・・・・・
686 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:20
租庸調の庸って軍役だっけ?
武士の場合は自発的つーか、自負心からくるものなので、
軍役と言われると、ちょっと納得できない。
687 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:22
うち商家だけど地主でもあった。
田舎の藩だったんでもうかったぶんを他に投資できなくて
土地を買ってたらしい。百姓雇って耕させてたとか聞いたよ。
688 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:24
>>685 ざるだとぉ?てやんでいっ
江戸っ子は盛りでい!
689 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:31
ざるはもりより高級なやつだよ。
海苔がのってるのは最近の話。
690 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:35
>689
つーか、今はのりがあるが無いかだけの違いしかない。
昔は違ったが。
691 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:36
ぼくはカレーうどんが好きです
勝海舟も好きだったそうですよ
692 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:39
きつねとかたぬきとかいうのはいつ頃からそう呼び出したんだろうか。
694 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:45
ざるは蒸す。盛りはゆでる。
695 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:49
ざるでももりでも知ったこっちゃないのだが、
ざるの海苔は邪魔なんだよ。歯に引っかかる。
696 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:53
カレーうどんだって
697 :
日本@名無史さん:04/01/17 09:17
濃口醤油が登場した時期と蕎麦が流行した時期は
どちらも江戸中期だね。濃口醤油が存在しなかったら
蕎麦もこれほど流行らなかっただろうな。江戸前の寿司もな。
698 :
名無し転がし:04/01/17 10:10
「〜食い物見世は蕎麦屋ばかり
天か玉子の抜きで飲むのも しみったれた話だから〜」
699 :
日本@名無史さん:04/01/17 15:29
m9( ^,_J^)ノ <蕎麦にマヨは邪道!
kouei34
700 :
日本@名無史さん:04/01/17 15:29
700
>698
おめェそういいながら入谷の蕎麦屋で、味は二だが盛のいい蕎麦食ってなかったか。
702 :
日本@名無史さん:04/01/17 17:54
ごまうどんたべたよ(・∀・)
703 :
日本@名無史さん:04/01/17 20:39
雪の中ざる蕎麦食ってきた
帰り道凍死するかと思った
玉石混淆だな、このスレ。
実際に手打ちうどんや手打ち蕎麦を調理した事ない香具師が想像と妄想を書いてるし。
うどんも蕎麦(かけ蕎麦)も、江戸時代後期の調理不法では差し水(びっくり水)をしたり
するので、使う水は大差ない。
いわゆる盛りそばの類いは、江戸時代後期にはやった。お芝居の中ではあるが、
忠臣蔵の四十七士が腹ごしらえに喰うのはかけ蕎麦なのも、初期の頃はかけ蕎麦が
主流だったから。
盛り蕎麦を「蒸篭(せいろ)」と言うように、かけ蕎麦と現在の盛り蕎麦の間には、
実は蒸し蕎麦とでも言うべき蒸篭によって蒸した蕎麦があった。ただし、この調理方法では
ぼそぼそした食感で、あまり美味いとは言えない。濃い口醤油の普及云々以前に、
調理法の問題で美味くないのだ。
現行のざる蕎麦は、一度茹でて冷水で引き締め、表面のぬめりを取ったものだ。
茹でる水量は釜の大きさが同じなら差はない。むしろ、水の使用量ではうどんよりも
水で洗う蕎麦の方が多いぐらいだ。水で引き締めた蕎麦はザルを使って水切りするから
ざる蕎麦なのだ。蒸篭は蒸篭を使うから。理の当然。
ここからは、資料にもよるので定説ではない部分もあるが、手間ひまの分だけ、
最初は蒸し蕎麦の方がざるそばよりも高級とされていたようだ。
現在は調理法は一緒で、名前と海苔が乗るか乗らないかぐらいしか差がないのに、
値段に開きがあるのはこの名残とも考えられる。
これは水餃子と焼き餃子の関係と似ている。もともと焼き餃子は、水餃子の残り物を下男下女が
食すための食い方であり、今でも中国に行けば水餃子が本来の餃子であるのといっしょ。
屋台でも、焼き餃子は滅多にお目にかかれない。
念のために補注。忠臣蔵の連中が討ち入り前に蕎麦を食ったと言う史実はない。
出前を出したと言う蕎麦屋も、当時は存在しない。
706 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:04
俺(学生一人暮らし)の平均的な一日の食事って
朝 食わない
昼 おにぎり(コンビ二)×2
夜 ご飯2杯、納豆、漬物
なんだが、ひょっとして江戸時代の人より貧しいのか?俺は。
707 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:09
炭水化物ばっかの食生活は良くないですよ。
野菜を食べましょう。
709 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:14
野菜はたまに大根おろしとかにんじんおろしとか食べますよ
710 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:15
いつからうどんにいなり寿司がつくようになったんですかね
711 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:18
>706
つーか、えらい小食だな。
もっと食え!
712 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:21
>>710 うどんに稲荷寿司?
どこの地域?初耳じゃ
713 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:23
人参おろしってなんだ?
煎じて飲めば万病に効くとかそういうやつか?
714 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:48
人参おろしは身体によくない。
>712
最近流行ってる、
セミセルフのうどん屋でもおにぎりコーナにいなり寿司も並べてるところ
多いよ。。。
716 :
日本@名無史さん:04/01/18 01:24
大阪が原点じゃないの?>稲荷寿司とうどんのカップリング
717 :
日本@名無史さん:04/01/18 01:29
そういえば蕎麦とかうどんに寿司が付くセットのメニューはよく見るな。
和食系のファミレスとかで。
麺類と米物は違う職業だな、江戸時代は。
719 :
日本@名無史さん:04/01/18 01:47
てゆうか、いつからうどんに揚げが乗るように?
それから、お稲荷さんはどうして揚げが好物に?
720 :
日本@名無史さん:04/01/18 02:03
>719 勝手な推測だが油揚げは狐色だからでは? 共食いになるか
>>720 当たってるかどうかは俺にはわからんが、きみ想像力あるね。面白い説だ。
>>722 あんたのはあぶらげでなくてあわびが好物だから別物でしょ。
671 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/01/18 02:03
>719 勝手な推測だが油揚げは狐色だからでは? 共食いになるか
672 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/01/18 02:14
>>720 当たってるかどうかは俺にはわからんが、きみ想像力あるね。面白い説だ。
673 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/01/18 02:15
>>719 おいらもオイナリがついてるが
725 :
日本@名無史さん:04/01/18 02:29
お稲荷さんには火がつきもの。
油揚げにしろ天麩羅にしろ火だな。
726 :
日本@名無史さん:04/01/18 04:47
貧しい土地でしか栽培されなかった蕎麦を江戸の武士が好んだと言うのは、
米が満足にとれず蕎麦を売るしかない貧乏藩のサムライが流行らせたのか?
うどんより美味いからだよ
728 :
日本@名無史さん:04/01/18 06:58
日本人は命がけで食をまっとうする、奇異な人種である。
“ふぐ”と呼ばれる味のしない毒魚を高額で食す。
“マムシ”と呼ばれる毒蛇を、酒に漬け込んでリキュールを造る。その臭いたるや凄まじい。
しかし、なんといっても理解し難いのは、正月に食される“餅(モチ)”である。
これは特別なライスを練ってつくった食品で、日本の正月には欠かせない食品だ。
この“餅”という食品は大変な粘着力と弾力を持っているため、うっかり飲み込めば喉に詰まってしまい、窒息死してしまう。
実際に日本では、毎年、何人もの国民が、“餅”を喉に詰まらせて死にいたっている。
恐らくその数は“ふぐ”や“マムシ”とは比較にならないくらい多い。
にもかかわらず、この“餅”を、“元旦(1月1日)”の朝に命がけで食すのが、
日本の正月の伝統的な儀式なのである。
私は、この儀式を知ることで、
“大和魂(カミカゼアタックの精神)”や“武士道(ハラキリの精神)”が
日本人にとって、真から身近な行為なのだと、心から驚嘆させられたのである。
729 :
日本@名無史さん:04/01/18 07:37
>>728 ルース・ベネディクトの文章か?w
ちなみになか卯のうどんはうまい。
730 :
日本@名無史さん:04/01/18 08:20
731 :
日本@名無史さん:04/01/18 08:23
なか卯いえば親子丼がうまい。でも食いすぎて秋田。
732 :
日本@名無史さん:04/01/18 12:58
きつねの好物はネズミの油揚げ(ネズミのフライ?)
ネズミがとれて、きつねの好物 → 「油揚げ」になったと思われ
うどんに「いなりずし」の油揚げをのせて食したのがキツネうどんの始まり
だとすると、うどんと「いなりずし」はかなり古くからセットで食べられていた事になる
733 :
日本@名無史さん:04/01/18 13:02
いなりずしの油揚げをうどんにのせたあとの飯は、そのままたべるの?
>>733 いなりずしを分解して食うと枕元にあの人が立つよ。
735 :
日本@名無史さん:04/01/18 17:28
>>733 いなりずしから油揚げをはがして乗せるのではなくて
いなりずしの形にする前の、甘辛く煮た油揚げを乗せたもの。
坂本龍馬
玉石混淆だな、このスレ。
ネタで書いてる香具師、知ったかかましている香具師、いろいろだね。
実は狐は油揚げが大好きである。古典落語に「王子の狐」という話があるように、
江戸時代は割合と民家の近くにまで狐や狸がすんでいた。なにしろ、江戸時代は
鶴が飛来していたぐらいだからね。で、実際問題として油揚げ(揚げオカベ)を
狐に失敬されると言う事件が、昔から頻発していたのだ。油揚げを狐が好きと言うのは、
経験則から得られた好物なのだ。
というより、狐は油揚げより油が大好きなのだ。例えば北海道のゴルフ場とかには、
狐が出現する。そしてOBになったゴルフボールを盗んでいく。理由は、
ゴルフボールの芯に巻かれている糸に塗られた、油分を好むからである。
狐は油脂分をかなり好む性質があるので、油揚げを人間から失敬するのである。
狸蕎麦は、単にきつねうどんとの語呂合わせから命名されただけで、
狸が天かすを好むと言う訳ではない。昔、NHKの教養娯楽番組「ウルトラアイ」で
実験してみたところ、狸は狸蕎麦には目もくれず、きつねうどんをむさぼるように
食べていた。
739 :
講釈師見てきたような嘘を言い:04/01/18 23:20
>738
狐は油揚げを食べることは食べる。だが決して好物なんかじゃねぇぞ。
おいなりさんの形が男性器に似ているので、20性器フォックスという洒落なんだよ
741 :
日本@名無史さん:04/01/18 23:58
玉石混淆だな、このスレ。
関西では秀吉が女性器のことを
「おーめんこい、おーめんこい だぎゃ」→おめこ
関東では家康が
お万の方の女性器が閉まりがよく
「おまんのはいい」→オマンコ
と呼ぶようになったのデアール
742 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:12
大坂ではきつねうどんのことをたぬきいうんやで
743 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:15
>>742 タヌキはソバじゃ
田舎者 オマエ大坂てカキコしてるし
九州から出てきたんか ボケェが
744 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:17
関西人てやっぱり家で使う醤油は薄口醤油だけなん?
745 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:24
>>742 きつねうどんはきつねうどんや
アホか
揚げにソバがタヌキそば
当たり前やろ
氏ね
けつねうどん
747 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:34
油揚げ+うどん=きつね
油揚げ+そば=たぬき
分っかりにくいねぇ。
748 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:37
あんな甘ったるいもんそんなに食わない。関東では。
749 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:45
ラーメン板もあるのなら、うどん・そば板も欲しいな。
750 :
日本@名無史さん:04/01/19 01:13
意外な穴場。
小田急の各駅にある「箱根そば」という立ち食いそば屋はうまい。
そこら辺のそば屋よりもずっとうまい。
751 :
通りすがり:04/01/19 01:39
面白いスレですな。
>>731にもあるように旨いもんでも
飽きるもんと飽きないもんがある。
吉牛のように案外あっさりしてるもんは
飽きにくいってことだけだろうか。
ここは一つ食文化史的に解析してみて欲しい。
>>739 >>というより、狐は油揚げより油が大好きなのだ。
ちゃんと読んでから反論しろw
玉石混淆の「石」ってのはおまえだろ。
753 :
日本@名無史さん:04/01/19 02:40
オレの婆さんは子供の頃鳶に油揚げをさらわれた貴重な体験をしている
754 :
日本@名無史さん:04/01/19 02:47
古代中国の話に油で揚げた鼠の揚げ物が出てきて、
京と時代の斉藤道三が、自分んちの商売品である油で
やってみようってなって、食ってみたら事の外美味しかったから売り出した。
それが日本の揚げ物料理の元祖になった。
参考文献『国盗り物語』司○○太郎
道三が油売りってのはもう否定されてるし
756 :
日本@名無史さん:04/01/19 03:51
>>750 それよりも「大船軒」がおいしい。
麺のコシが立ち食いとは思えないほどある。
でももうないんだっけ?
757 :
日本@名無史さん:04/01/19 04:43
斉藤道三って二人いたんだろ?
浪人から土岐家の主席家老まで上り詰めた切れ者初代道三と
やめときゃいいのに国乗っ取って息子に反逆されて死んだ2代目の凡庸道三
斉藤道三って二人いたんだろ?
歌唄って名前の売れた三木道三と
やめときゃいいのにヤクザと喧嘩して死んだ空手チョップの力道三
759 :
日本@名無史さん:04/01/19 04:59
上杉の家臣に「斎 道二」っていう微妙に斉藤道三に足りない名前の人がいるよ
760 :
日本@名無史さん:04/01/19 07:11
_________________
./\ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \
/ /\ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \
./ / /\ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \
/_/_/__┌───────────────────
|=ら ギ||うどん!
|= ∫ =:|.└v──┬────────────────
|= め コ..:|. ∧∧. | まだ看板にはラーメンって書いてある。
|=ん =:|| (,,゚Д゚) └─v┬───────────────
~~||~~~..|| (|. ギ||) │うどんや。
.|| || ===┻== ∧∧└v─∧_∧ ── ∧_∧─ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌┴┬┴┴――┴( ,,゚Д)─―(´∀` )──(・∀・ )< うどんやだからな!
│ └┬――――/ |─―⊂ ) ─ ⊂ )┴\_______
└┬─┴┬― 〜( ノ─― ( ○ ).── (. ○).┬┘
│ | | ̄ ̄| | ̄ ̄| | ̄ ̄| |
│ | | ̄ ̄| | ̄ ̄| | ̄ ̄| | (・∀・ )コウイウノモイイカモネ。!
"""~""" ""^ """" ^ ~~""""~""" ""^ """" ^ ~ ~ ""^ """""""~""" ""^ """
>>751 吉牛の味を案外あっさりと感じる人もいるんだね。
762 :
日本@名無史さん:04/01/19 12:50
斉藤道三のお父さんが油売りなんだよね。
764 :
日本@名無史さん:04/01/19 21:29
>761
油が抜けたパサパサの肉のことを言っているのだと思われ
あのパサパサ加減がポイントなのかな。OG肉じゃだめだーって話は。
>>762 そう。親父が油売りで貯めた金で、息子を寺に預けて学問を身につけさせた。
親子二代の立身出世譚が、いつの間にか息子に集約されてしまったのだね。
親父の立つ瀬ないなぁ。で、息子は凡庸と侮ってた孫に殺された訳だから、
親子孫の三代の話としてみると、もっとふくらみが出るのにね。
そうそう、この前大学の後輩の家(浅草のど真ん中)に遊びにいったら、
じいさん(御年八十歳)が「蕎麦でもたぐってくかい?」て言ってくれました。
もう、絶滅寸前の江戸前の言葉を聞いて、うれしかったなぁ。もちろん、
「おう、そこをしだりにへぇったところに旨い蕎麦屋があるんだよ」と。
VIVA! 江戸前。
767 :
日本@名無史さん:04/01/20 03:56
>766
兄さん、そう思ってくれるなら「ど真ん中」じゃなしに「まん真ん中」といっつくれるかい
768 :
日本@名無史さん:04/01/20 04:11
うどん屋が出てる資料を探したら、草双紙にあった。
のれんに「江戸屋」
箱型看板に
よしの葛あんかけ温飩
名物 うんどん
品書きに
江戸流
あんかけうんどん
三輪さうめん
干温飩あり
品書きにもう一品あったが不勉強で崩し字が読めない。
浮世絵や草双紙で蕎麦屋はよく見るけど、うどん屋は中々見つけられないね。
769 :
日本@名無史さん:04/01/20 04:19
あんかけってアンコが乗ってるの?
道三は京都のお寺の小坊主になっったんでしょ。
玉石混淆だな、このスレ。
ど真ん中/コーナーに投げ分ける能力のない投手が、ホームランボールの
絶好球を真ん中に投げてしまった時などに、「糞ボール」の意味を込めて
否定的な意味で使う。「ど」自体の用法が「ど田舎」「どぐされ」とか
からも、それはわかる罠。でも、最近の解説者とかは意味をわからずに
肯定的な文脈で使ってるな。「のべつまんべんなく」とか「土気がない」
とか「墓石を掘る」という新語を使う連中だし。
元は関西弁。「このどめんたがぁ!」とか使う。江戸前だと「このアマぁ!」
ってなるかな。まぁ、野球自体はもともと関西が盛んで、六大学野球以前は
関西中心だったし、日本初のプロ野球球団は関西だしね。読売巨人の前身と
なったヤツ、あれより古い。それが阪急ブレーブスに繋がっていく。
まん真ん中/上記とは逆に、真ん中である事が肯定的な意味合いの文脈で
使用される。ただ〜し「まんまん」と言うのは、女性の性器を差す幼児語
(類例=チンポコをちんちん、金玉をたまたま)と同じなため、忌避される
傾向がある。別に江戸前の言葉と言う訳ではない。
どーでもいいが、川崎球場の揚げ竹輪うどんは旨かった。
長年東京に住んでるうどん好きだがあんかけうどんというのははじめて聞いた。
やはり親の代で東京に出てきた程度の人間ではこれが限界か。orz
774 :
日本@名無史さん:04/01/20 11:27
>>768で紹介されている草双紙に
のれんに江戸屋
品書きに
江戸流、、、
と書いてあるそうだから
これは「江戸の町」を描いた物ではないね、たぶん。
京都の町に、「京風料理」を看板にする店がないのと同じ
ちなみに、あんかけうどんは、葛あん(葛によってダシにとろみを付けたもの)
をかけて食すもの、おろし生姜と一緒に食べると美味
(関西では、寒い時、風邪をひいたとき、腹をこわしたときによくたべる)
775 :
日本@名無史さん:04/01/20 11:27
>>773 うどん屋さんに行けば普通にあるだろう。
あんかけうどんは。
>>768 干饂飩ってなんだろう?
普通のうどんと三輪そうめんに乾麺のうどんなのかなぁ。
776 :
日本@名無史さん:04/01/20 11:31
うどんは事ある時のハレの食べもので、江戸時代には日常農村で
うどんを打って食べることをお上から禁じられていました。
贅沢と見られていて、田舎でうどんを打つのは検視の訪問の時か
ハレの時にのみ許されていました。
寛永19年(1642)には飢饉対策として幕府から代官に御触書が
出されていて、農民に対しうどん・きり麦・そうめん等の売買を禁じて
います。禁じられていても普及していたからでしょう。
777 :
日本@名無史さん:04/01/20 13:35
幕府も、男色の禁令は出さなかったね。
778 :
日本@名無史さん:04/01/20 14:50
h
779 :
日本@名無史さん:04/01/20 17:49
どの都市部でも、大きい所は純然たる地方色は消えつつあるな。
780 :
日本@名無史さん:04/01/20 18:01
反戦馬鹿団体にも気付いて欲しいのだが・・・。
こちらが戦争を望まなくても、敵が攻めてきたら始まるのだ。
「おう、そこをしだりにへぇったところに旨い蕎麦屋があるんだよ」
>>766のじいさん格好ええ!
782 :
日本@名無史さん:04/01/21 10:46
都民は、江戸っ子と東京人のどっちを認めてほしいのだろうか?
783 :
日本@名無史さん:04/01/21 10:48
現在の東京において江戸っ子は絶滅種に近い存在。
784 :
日本@名無史さん:04/01/21 12:18
ソバのほうがうまい
785 :
日本@名無史さん:04/01/21 12:35
東京の一日のウンコの排出量って、どのくらい?
786 :
日本@名無史さん:04/01/21 12:40
江戸の範囲は今の区名でいうとどこ?
787 :
日本@名無史さん:04/01/21 12:49
千代田区は確実。
788 :
日本@名無史さん:04/01/21 12:57
b
789 :
日本@名無史さん:04/01/21 13:36
すっぽりと全域が江戸にはいるのは千代田だけでないかい? 後は、どこかはみ出しそうな気がする
790 :
日本@名無史さん:04/01/21 14:12
旧日本軍が暴走できたのは政権をコントロールできたから。
自衛隊とまるで立場が違う。
791 :
日本@名無史さん:04/01/21 15:47
旧日本軍が暴走できたのは政権をコントロールできたから。
自衛隊とまるで立場が違う。
思想もまるで違うしな。
中央区は?
>>792中央区は半分が海中。漏れの御幼少時代、月島海水浴場で水泳
訓練。越中島 霊岸島・・・・第二次戦後も農家経営者が数十人いました。
農家経営者はうどんかスイトン用の小麦栽培したと思われ。サツマイモ、米
には土壌がむいてないのかな?米は不忍池あたりで栽培。イモは江戸の高地
の赤土層などに栽培がむいてたから主にその方面。
795 :
日本@名無史さん:04/01/21 17:36
ソウメンは江戸期は高級食品だった?
うどんは麦をそのまま脱穀して炊いて食べるのに比較して、
粉にする分、もう一手間かかる。つまり、贅沢品。
蕎麦も粉にする手間は一緒だが、荒れ地でも育つために救荒作物として奨励された。
荒れ地で育つ割に栄養価が高い。ただし、面積あたりの収穫量では米よりもかなり少ない。
797 :
日本@名無史さん:04/01/21 20:49
ウンコ
798 :
日本@名無史さん:04/01/21 21:42
そばはある程度腕のある店じゃないとうまくない。
なんと言っても乾燥して粉っぽくなった時のザラつく食感が大嫌い。
やっぱうどんの方がうまい。
そんな蕎麦食うなよ
800 :
日本@名無史さん:04/01/22 02:25
みどりのたぬき
801 :
日本@名無史さん:04/01/22 02:50
大学生のときは毎年年越し蕎麦蕎麦粉から作ってたんだけど
就職してからはみどりのたぬきで済ませるようになってしまいました。
近所のサミットの年内閉店間際の異常に安くなった生ものを買ってきながら食う
パッと読んで亀レスを少々。
>>383 古い茶会記では茶菓子の一種として素麺やうどんが出た記録がある。
よってほぼ確実に食べてる。堺の人だし。
>>473 その饗応の前にうどんを自ら打って馳走したそうな。
…ってことは上級武士でもうどんを食べてるな。
>>497 ちゃんとした店に行けば嫌な顔せず炭を弱くしてじっくり燻しながら
脂を落としてくれる。煮るときにどうしても旨みを逃がしてしまう
関東風にも欠点はあるな。仰る通り好みの問題だが。
803 :
日本@名無史さん:04/01/22 15:08
>>802 >>煮るときにどうしても旨みを逃がしてしまう
>>関東風・・・
煮ないよ。
804 :
日本@名無史さん:04/01/22 20:22
b
煮鰻…フランス料理だな
806 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:15
u
蕎麦と穴子の白焼きと吟醸酒
大阪人に産まれなくてよかたと思ふ
808 :
日本@名無史さん:04/01/23 00:13
>大阪人に産まれなくてよかたと思ふ
それぐらい、大阪人も食べるが。
へーフランス料理で煮鰻なんてあるんだ。
810 :
日本@名無史さん:04/01/23 00:50
イギリス人も鰻食うね。
玉石混淆だな、このスレ。
燻すって、いろんな木のチップとかを使って人為的に不完全燃焼じ様態を作って、
煙を使って表面の水分を飛ばす事だぜ? まぁ、こう書くと何やら複雑そうだが。
煙を使って表面を乾燥させて保存性を高め、木の煙の香りをつけて風味を増すって
いう効果もあるが。
ひょっとして、「燻す=いぶす」と「炙る(焙る)=あぶる」の違いもわからんのか?
あと、ウナギを煮るってなんだよ。白焼きって、煮るんじゃないぞ、あれは!
皮側から焼き色がつくぐらいに焼いてから身側も焼いて油を落として、それから
冷水につけてさらに脂を落としてから蒸して、タレをつけて三段階に焼くのが
関東風だが、煮るなんておまえ。
ひょっとして「煮る=にる」と「蒸す=むす」の違いもわからんのか?
最近、「玉石混淆」という四字熟語が流行ってるのか?w
それはそうと、日本とヨーロッパではウナギの大きさが違うらしいな。別種かな。
うどんの薬味はどうだったんだろう?
うちは葱一択。七味など入れん。
江戸は七味より七色だな
ざるうどんにでーこんおろしだろ
817 :
日本@名無史さん:04/01/23 10:49
通なら一味。
818 :
日本@名無史さん:04/01/23 20:43
そのような元軍に対し、日本の軍勢は、古来と何ら変わらぬ戦闘法で挑みかかった。
強い戦闘力を持つ代表者がまず出てきて、相手の代表者と刀槍を合わせるというものである。
戦いあう者同志の理解があって初めて成立する、このような戦闘様式は、
同民族内の勢力争いという枠を出なかった日本の戦においては、
無為な殺戮を防いで勝敗の趨勢を決するという点で、よく機能していた。
農耕を主に、領内の生産物による自給自足経済の上に立脚した権力者にとって、
生産者の減少は常に避けられるべきであり、戦に駆り出された下級兵士の生命までを
奪い去ることは無用だとする気分が、戦闘を代表する者にはあって、
それが雑兵と武人を差別化し、やがてある種の美意識を伴って様式化し、
武者たちに重んじられるようになったのだと、筆者は思う。
戦闘法というよりは、むしろ作法と言ってよく、しかしながら、襲来した元軍にとって、
そのような戦闘様式は、滑稽であったに相違ない。
「遠からん者は音にも聞け、目にも見よ。我こそは……」と名乗りをあげて単騎突入する日本の将は、
元軍の集団に押し包まれて、他愛なく殺されてしまった。
北九州の上陸戦において、圧倒的な勝利を得ていた元軍であるが、
何故かそのまま留まるということをせず、日没前後に全軍が船へと引き揚げてしまった。
容易ならぬ気象の変調あるを予測して、早々に引き揚げて避難しようとしたためなのか、
或いは、無謀と知って単騎突入してくる日本軍の戦振りを不気味に思ったためなのか、
彼らが引き揚げていった理由は、よく分からぬ。
博多の沖で碇泊中に、たまたま吹き荒れた大嵐に遭って、艦船のほとんどが転覆してしまい、
その結果、侵攻戦は頓挫し、元軍は帰国を余儀なくされた。
819 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:42
820 :
日本@名無史さん:04/01/24 00:14
武士と町人と農民の関係キボンヌ
武士>>>>>>>>>>>>農=工=商
でOK?
士>農>工>商
いや、江戸在住民>>>>>>>それ以外
旗本&御家人&江戸在府&江戸の商人&江戸の職人>>>>>>田舎出の武士、農民
>>820 激しくスレ違い。
それに日本の身分制度は中国や欧米のような過酷なものじゃない。
八百屋の娘が将軍の生母になって従二位とか貰えるんだから。
町人が武士の株買ったりして武士になったり、わりと流動的。
あと、皇太子サマが雅子様と結婚する前の話だが、
ある外交官が、イギリス人だったかに嫁のなり手のなさを嘆いたところ、
「なぜヨーロッパの王家から嫁をもらわないんだ? 適齢期の娘がいて、
日本の皇室と仲の良い王家なんていくらもある」と言われて、愕然としたと。
欧州ではそれが当たり前だし、そうやって各王家は血縁関係を強化した。
欧米での生活経験も長く、異国の文化に理解が深い外交官でも、
皇太子妃を民間から迎えるのは違和感なくても、外国の王家から迎えると言う
発想がまったくなかった事と、そう言われて「それはできない」と感じた自分に、
非常に日本人的なものを感じたのが愕然とした理由。
ただ、多少なりとも日本人的な感覚を持ってるヤツなら、
「ただの名もない庶民でも、日本人なら皇太子妃になってもいい」
「他国の王女でどんなに高貴な生まれでも、外国人は皇太子不可」
って感覚を無意識に持ってるはずだよね。
ほとんどの外国の王家では、これは逆だろう。
同国人でも階級が違えばダメだし、外国人でも高貴な身分なら大丈夫。
つまり、日本人の中には儀礼としての身分の違いはあっても、
本質的のそれは越えられない壁ではない。中国や欧米の感覚とは違うのだ。
まぁ、これが「日本人の見えないナショナリズム」の根源でもあるのだが、
すれ違いなのでこれ以上はヤマヤメ。
そりゃあんた、日本の皇室はヨーロッパのような世俗領主の長じゃなくて
神官の長だからだよ。
ローマ教皇の後継者になぜ、ダライ・ラマを任命しないのか? とカトリ
ックに質問してみれば、何故、天皇家に海外王室の血を入れないのかと聞
かれた日本人のような、ハァな反応がかえってくるさ。
将軍家が続いていたなら外国の血が入っても無問題だったろうな。
でも、神道は日本民族の氏神を祀る宗教その神祇を執り行なうのが天皇の役目、
そこに異人の血が入るのは祖霊に対して畏れ多いという事だろう。
明治以降、天皇を西洋の皇帝になぞらえようとしたけれど、基本的に神に捧げる
米を作る法皇だから、われらが陛下は。
漏れは別に外国の王家の血が入っても気にしないが。
ベッキー顔の愛子たんか。悪くないかもね。
大日本帝国皇帝の末裔に見合う王家って今ないだろ。
ローマ帝国皇帝とか清朝皇帝とかロシア皇帝でないと、大英帝国「国王」じゃ貫目不足。
花を取るか実を取るかっちゅーことですわな。
>>823 江戸時代のうどん屋という場所の仮定で武士と町人の関係とか
それに付随することなら、なんでもOKなんだよ。
ボケェが
最初から読め
>>830 820はそう言う前提での身分についての質問だったのか?
まぁ、スレ立てした本人が認定してるならそれでもいいが。
てか、824以降のレスはスレ違いじゃないのか?w
どーでもいいか。ご無礼しました。
832 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:47
>いや、江戸在住民>>>>>>>それ以外
京の都在住民>>>>>>>>>>それ以外
833 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:55
今の皇室の顔見ると外国の血が入ったほうがいいね。
834 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:18
イギリスあたりから?
835 :
日本@名無史さん:04/01/24 16:27
江戸時代って身分制つってもアメリカの黒人差別みたいに
うどん屋で武士オンリーとか町人オンリーとかってテーブル分けされるような
差別は無かったんでしょ?
>>830=
>>1 は、皇室スレ住人だったのか。
そっちの輩が入り込んできてレベルが下がった。
うざい。もうお開きだな、このスレ。
>>835 テーブルなんて無いよ。座敷。
くそう、江戸東京博物館の平賀源内展 行き忘れた。
江戸には味噌煮込みうどんがないんだね
>>836 オマエはクソ クルナ
なにが皇室スレ住人?訳の分からんこと言うな
オレが皇室なんて一回もかいてないわ
オマエは読解能力もなにもないクソだ
クルナ なんやその皇室スレてキモイよ
840 :
日本@名無史さん:04/01/24 21:57
836
このスレが面白かったのはせいぜい700くらいまでだな
それ以降は(ry
味噌煮込みうどんなんて食べるのは名古屋のキティだけ!
>>841 味噌煮込みうどんは戦後にできた食べ物だな。
この時間にスレが上がると犯行室のキティが書きまくり松。
845 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:00
何年か前の冬になか卯で味噌煮込みうどんあったが、
まあまあうまかったと記憶している。
846 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:04
>>840 テメエ、いつもウザいんだよ!!
芸のない悪態こいた御託ばかり並べやがって!!
馬鹿のくせに!!!!!!!!!!!
テメエの粘着ストーカーぶりは気持ち悪いんだよ!!
変態やろう!!!!!!
847 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:10
>846
ネンチャクストーカ?
自分のことじゃねぇか、それ (ワラ
>848
失礼な。ま、このスレにもう用は無い。さらば。
850 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:18
テメエ、馬鹿だからいつも臭いんだよ!!
臭ってるんだよ!!!
体臭に口臭が不細工のお前は酷いの!!!
2ちゃんだからってゆるされるもんじゃねーよ!!!!
┌─┐
|も.|
|う |
│来│
│ね│
│え .|
│よ .|
バカ ゴルァ │ !!.│
└─┤ プンプン
ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ ( `Д)
| ̄八 ̄|─| ̄三 ̄|─| ̄六 ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄ . ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎−>┘◎
852 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:24
>>850 ゴラァ!おめーこそどうにかしろよ
キチガイ
853 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:25
何でもかんでも味噌で処理するなよ!
でも味噌煮込みうどん好き
正油うどんも好き
ダメなのは酢うどん
漏れは酢がダメだから。
855 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:33
バカが集まりすぎたので終了するか
856 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:33
鍋焼きうどんもうまいっす
857 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:34
>>856 寒い日にはいいね。天ぷらはいるようになったのはいつ頃からなんだろう?
858 :
日本@名無史さん:04/01/24 22:47
油揚げをきつねうどんと命名した人ってだれ?
>>857 もとは並んだ屋台のうどん屋で素うどんを買って隣の屋台のてんぷらを乗っけたんだろうね。
現代だいえば牛丼ツユダクの起源みたいなものかな。
>>855 自分自身が馬鹿だと知らなければいけないよ。
酢うどん?
863 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:43
素股うどん
864 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:44
蕎麦のほうがうまいって
865 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:57
「外国の血を入れる」といえば和洋折衷、というわけだ。馬鹿どもよ「鴨南蛮」の起源を教えてください。
866 :
日本@名無史さん:04/01/25 07:18
さんざん色んな種類のうどんを食ってきたが、やはり
素うどん天かすぶっかけにかなうものは無いと悟った。
いや、素うどん生姜汁入りのほうが旨いよ。
868 :
日本@名無史さん:04/01/25 13:20
素うどん食い逃げが一番美味い。
869 :
日本@名無史さん:04/01/25 13:39
どうせ食い逃げなら海老天うどんくらい食え
870 :
日本@名無史さん:04/01/25 13:39
一杯の素うどんじゃ
しゃれにもならねぇ
871 :
日本@名無史さん:04/01/25 21:04
>どうせ食い逃げなら海老天うどんくらい食え
天ぷらの分、罪が重い!?
873 :
日本@名無史さん:04/01/25 21:42
>871
石抱きの石の上に海老天をのせる。
それくらいの違いじゃな
>>873 てて・・・てやんでぃ、
食い逃げで石まで抱かされてたまるかってだい。
10両で死罪の時代なんで、高げな茶寮とかいって適当に食い倒せば
石抱きなんぞ軽すぎるお裁きかもな。
素ウドン食い逃げで刺青とかもアホくさいが。…丼マーク彫られそう。
876 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:03
>>高げな茶寮
大盤振る舞いで10両は軽く行く。
よって死罪確定。
877 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:06
よほどの重罪でなければ拷問はないだろ。
878 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:07
つーか、今の時代食い逃げして捕まったら
どんな処分されるの?
879 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:08
丁稚が店の金三両ちょろまかしたらさ。
丁稚は死罪、店の主人は店取り潰しで江戸払い。
880 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:10
石抱きは刑罰というより取り調べの一環。
刑罰は石抱きの後に来る。
881 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:12
>879
はぁ?
なんで主人まで取り潰し?
管理不行き届きってか?
あんまりだ!
882 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:14
>>881 はぁ、といわれてもねぇ〜。
それが常識だったんだからさ。
>882
それが分かっててさ
追いそれとお上に届け出るものはあるめぇよ。
884 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:20
つーか、今の時代食い逃げして捕まったら
どんな処分されるの?
誰か教えてよー
885 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:22
>>884 交番で怒られて、引き取り人がいないと留置所。
886 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:26
いつまでも親にしかとされたらずーっと留置所なの?
>>886 説教くらって放免、もうやめよスレ違いだ。
888 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:29
>>886 良い子は早く寝ろ。
悪い子も寝さない。
889 :
日本@名無史さん:04/01/26 01:24
江戸時代はとても野蛮なイメージがあります。しかし、実際に調べてみると冤罪(えんざい)を防止するために簡単ではありますが、
裁判の下調べをする等「体裁」を重んずる傾向がとても強く、『拷問』も余程のことがなければ用いられなかったようです。
なぜなら当時の人は、拷問にかけなければ自白がとれない、と言うことを『恥ずかしいこと』と考えていたからです。
従って、武士の横暴や幕府の恣意的な政治、と言うイメージはあまり現実とは合致しないようです。
一見残虐なようにも見えますが、その残虐さにはそれなりの理由と配慮があったんですね。
900げと。
糞スレなのでパト2はいらんな。
890 名前:日本@名無史さん :04/01/26 01:31
900げと。
糞スレなのでパト2はいらんな。
>879
江戸時代の記録をちゃんと読んでいれば、手代あたりが店の金をごまかしたら、
身元引受人である親が賠償して表沙汰にはしない、という慣例がある事ぐらい
わかるはずなんだがな。
何で江戸店持ちの伊勢商人が江戸で現地採用せずに伊勢から店員を雇っていた
かといえば、そういう保証ができるためさ。
第一、店の者が使い込みをしましたからとお上に訴えでもしたら、あの店は社
員教育がなってない、という事になって店の暖簾に関わる。
黙阿弥の白浪物でも見て勉強しろ。
>>879 そういう意味で、真っ当なら縁故・紹介就職だよね。長屋に住むのに仲介者が
必要なのと同じ。後、奉公人が暖簾分けしてもらったりすると自分の故郷の村の
者を、呼んだりとかする形になったり・・。家を飛び出したヤシが、江戸で就職して
食っていくのは簡単では無い・・
ここまで読んで、気になったこと
>蕎麦は水がきれいなところじゃないと美味しくない。
>関西は水が汚いから蕎麦がまずいんだと思う。
という意見があったが、関西で一括りするのはヤメレ。
関西でも京都、兵庫等では清酒の製造が盛んで、
水が不味いということはないハズ。
がしかし、現在の飲料水となる水道は琵琶湖〜淀川から
取っている所が多い筈なので、かなり当たりな意見ではあります。
ついでながら、江戸と京都では井戸の作りも違ったハズ(何かで読んだ)。
>江戸っ子の言葉
基本的にべらんめえ口調は職人言葉。当たり前だが江戸生まれでも
武士は使わないし、商人も使わない。
商売人が「てやんでえ〜、べらぼうめ、おとといきやがれ〜」なんて言うハズないw
だから植木屋棟梁(ホントは親方だと俺も思うが)、使ってるのは正しいが、他の人は
何の職人なんだろうかと気になったり・・・
江戸の商人でも呉服屋なんかは、京言葉、伊勢言葉を使ってた方が信用になったらしいよ。
フランス料理屋のシェフがフランス人、みたいな箔がついたんだろうね。
895 :
日本@名無史さん:04/01/26 10:47
>>893 江戸言葉といわれるものは、べらんめえ調に限ったものではないし、
職人だけが使ったと言うものでもないよ。
幕臣も結構伝法にしゃべってる人は多かったし
たとえば勝小吉・海舟親子や山岡鉄舟、高橋泥舟などの文献には、
江戸言葉を日常使っていた跡が伺えるし、
公務で使う武家言葉と、日常暮らしに使う言葉のダブルスタンダードがあったわけで
「このべら棒が」
というしゃべり方は広く江戸で使われていた事を否定し切れるものではないと思うよ。
>>893 江戸の下町は井戸じゃねえよ。
こちとら水道の水で産湯をつかったちゃきちゃきの江戸っ子でい。
897 :
日本@名無史さん:04/01/26 14:18
898 :
日本@名無史さん:04/01/26 14:24
与力は江戸の下町に住まわされていたのでべらんめえ口調だった
らしいよ。
江戸の水道
玉川上水、神田上水、亀有上水、
青山上水、三田上水、千川上水、
華麗に910ゲト。
糞スレなんでPart2はいらねぇよ、とっときな。
901 :
日本@名無史さん:04/01/26 17:26
900 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/01/26(月) 15:34
華麗に910ゲト。
糞スレなんでPart2はいらねぇよ、とっときな。
レス番号のずれは、一部2chブラウザの不具合かな?
ログを削除して、読み込み直したらどうだろう。
903 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:22
>899
その水道てのはどういうシステムなのですか?
蛇口ひねれば水が出てくるというものではないことくらい分かりますが、
いまいちどんなものか想像つかないもので・・
904 :
日本@名無史さん:04/01/26 21:32
江戸「時代」なのに、場所を江戸に限定するのはどうかと?
大坂、京都、名古屋、金沢
いろいろあるやん
>903
玉川の水を地下水道で江戸の町の隅々に配水している。
それを井戸でくみ上げる形式。
906 :
日本@名無史さん:04/01/26 22:11
>>904 場所を江戸に限定しているとは思えないのだが。
話題提供汁!
>>905 水道といっても川の水を引いているわけだ。
生水では飲めないだろうね。
いまどきの玉川の水とはちがうよ
909 :
日本@名無史さん:04/01/26 22:40
大坂の町人は武士をバカにしてました。
マジよん
バカにしたくても武士がめったに見つからない罠
911 :
日本@名無史さん:04/01/26 23:02
わざわざ、武士を見つけにいきまちた。
大坂城の近所とか
江戸の井戸で魚釣りは出来たかな。
913 :
日本@名無史さん:04/01/27 07:00
>911
そないな一文にもならんこと、わざわざやりますかいな
あほくさ
てやんでぇでござるよがっはっは
915 :
日本@名無史さん:04/01/27 13:52
京都では、町人は公家にいろいろ恵んでやってるし、まあ
バカにしてる。江戸から来た武士たちはその公家にヘコヘコしてる。
それをみて町人は→
916 :
日本@名無史さん:04/01/27 13:53
公家>武士って思うだろうしねー
917 :
日本@名無史さん:04/01/27 14:32
京都にいる江戸から来た武士は、公家の監督役だぞ。ヘコヘコする道理がない。
公家にヘコヘコしているのは京の青侍だ。
918 :
日本@名無史さん:04/01/27 20:25
微妙に面白いスレ
919 :
日本@名無史さん:04/01/27 20:43
公家もうどん食うの?
920 :
日本@名無史さん:04/01/27 20:45
ステレオタイプを承知で言うが、
公家の喋り方はオカマみたいで相当きもい。
あんなのにからまれたら漏れは多分張り倒すなw
お公家はんにはうどんが似合いはる。
公家は素麺とか冷麦っぽくない?
「うどん・そば板」の新設を要望したいのだが、どこに提出すればいいの?
心配せんでもええがな。
次のスレは私が立てるさかいな。
927 :
日本@名無史さん:04/01/28 19:46
昔のアメリカの黒人と白人専用せきみたいにヨー
武士席と町人、農民席があるのか?
うんうん
928 :
日本@名無史さん:04/01/28 19:47
929 :
BS2 だよ:04/01/28 19:51
〔江戸開府四百年シリーズ 大江戸繁盛記〕
「広重・百景ミステリーツアー」
BS2 後8・00〜9・50
今ならば、さしずめ観光ガイドブックかタウン情報誌か。
安藤広重の「名所江戸百景」は、江戸時代に人気を集めた
浮世絵の中でも傑作と名高い。
シリーズ第2夜は、この浮世絵をもとに、4人のツアーガイドが
江戸の名所を訪ね、江戸っ子が愛した娯楽や風俗の世界を
堪能していただく。
全118枚のラインナップを数える「名所江戸百景」。
ここには、猿若町の芝居、吉原の遊郭、上野の花見など、
江戸っ子たちが愛したさまざまな娯楽文化が、大胆な構図で
色鮮やかに記録されている。
[出 演]
いとうせいこう (作家)、中山 忍 (女優)、ダニエル・カール (タレント)、
林家こぶ平 (落語家)、奥貫 薫 (女優)、石澤典夫アナウンサー
930 :
日本@名無史さん:04/01/28 21:28
うどん屋って他の外食産業と比べて繁盛したのだろうか?
931 :
日本@名無史さん:04/01/28 22:22
おめこ
932 :
日本@名無史さん:04/01/29 01:59
天皇>公家>武家
位は知らんが楽しい暮らしをしていたのは商人だ。
936 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:12
江戸時代はとても野蛮なイメージがあります。しかし、実際に調べてみると冤罪(えんざい)を防止するために簡単ではありますが、
裁判の下調べをする等「体裁」を重んずる傾向がとても強く、『拷問』も余程のことがなければ用いられなかったようです。
なぜなら当時の人は、拷問にかけなければ自白がとれない、と言うことを『恥ずかしいこと』と考えていたからです。
従って、武士の横暴や幕府の恣意的な政治、と言うイメージはあまり現実とは合致しないようです。
一見残虐なようにも見えますが、その残虐さにはそれなりの理由と配慮があったんですね。
>>936 刑罰の罰が死刑が多いですから犯罪はまさに命がけ。
938 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:44
素うどん食い逃げも死罪?
もちろん、手討ちです、うどんだけに。
940 :
日本@名無史さん:04/01/30 01:23
いやいや ソウメンだから
島流しかもな
ところで江戸で一般の犯罪人が実際処刑されたのは何人ぐらいだろうか
941 :
日本@名無史さん:04/01/30 01:23
>>933 商人ったって経営者サイドだけでしょ
楽しいだけだったら長屋の職人連中だって楽しかったと思うよ
942 :
日本@名無史さん:04/01/30 01:26
>>940 以前計算した。1日2.5人〜3人くらいになる。
実際は手続がマンドクセから当事者同士で内済にさせることがほとんどだったらしいけど。
944 :
日本@名無史さん:04/01/30 12:03
日本において、人間の糞尿を有機肥料として使用する技術はいつ頃発明されたのでしょうか。
先日NHKの番組で、宣教師の証言として(いつの時代か失念)
京都の町は非常に清潔である、家々の前に便所が有り、通行人に自由に使用させていた。
との放送が有りました。
糞尿が商品となるなら、便所の所有者にとって有利な事ですしね。
江戸の町が100万都市であった事も、京都の町が1000年以上続いた事も
この技術が有ったからではないでしょうか。
945 :
日本@名無史さん:04/01/30 14:25
>>927 上級武士と下級武士の席はあったみたいだけど。
>>945 上級武士でも、物好きなやつは変装して下々の者と芝居観たりしてるんだよなぁ。
947 :
日本@名無史さん:04/01/30 14:54
次スレは江戸期の食文化全般のスレにしたいものよの
948 :
日本@名無史さん:04/01/30 16:16
>>946 芝居小屋は、払った値段によって見る席が決まるからね。
上級武士は貧乏だから、雑席(藁の上とか)にしか座れなかったみたいね。
949 :
日本@名無史さん:04/01/30 16:54
>>947 現在、江戸文化を語ってるスレはありますか?
ベタな話、お江戸でござる的な
960Get!!!
糞スレだから其の弐はいらんな
951 :
日本@名無史さん:04/01/30 19:19
952 :
日本@名無史さん:04/01/30 19:32
>>948 当時の上級武士ってそんなに貧乏だったの?
旗本とかずいぶん貰ってそうなんだけどな
953 :
日本@名無史さん:04/01/30 20:18
>>952 出る分も多いのだよ、与力役宅の発掘調査で身分に相応しくない遺物がでたりとかさ。
身分と裕福さはイコールではないな、幕末期の大名はほとんど借金まみれだし。
954 :
日本@名無史さん:04/01/30 20:27
江戸幕府の基本方針は「諸大名を弱らせて徳川の安泰」だから、大名は大変。
955 :
日本@名無史さん:04/01/30 20:35
>>950 >960Get!!!
>糞スレだから其の弐はいらんな
氏ねよ 950をゲットやろ
氏ね
自作自演50%含有スレはここですか?
957 :
日本@名無史さん:04/01/31 02:58
>>948 金があるなしではなく、役持ちの武士が芝居なんか行ってるとマズイんだよ。
「鸚鵡聾中記」 (元禄御畳奉行の日記 神坂次郎、中公文庫)
幕府内の人事異動で、まずいって事になってる時代と、本当にまずい事になる時代が交互に来ていたようだ。
962 :
日本@名無史さん:04/01/31 11:38
>>957 大名とかは芝居小屋を貸しきったり、歌舞伎役者を屋敷に呼んだり
していたのにね。下っ端は辛いね。
963 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:41
「贅沢は悪」
964 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:56
>957
江戸じゃなくて国元なら、
藩にもよるが芝居も見られたんじゃないか。
もっとも、芝居小屋があるほどの大都市は、
江戸以外には数えるほどしかない罠。
武士は能楽を観るものなのです。
蜂須賀侯は芝居好き。
>>964 規模を云々しなければ、江戸以外にも芝居小屋はたくさんあると思うぞ。
それから「鸚鵡聾中記」 (元禄御畳奉行の日記 神坂次郎、中公文庫)は
尾張藩、朝日文左衛門重章の日記で、ちょっと前にベストセラーになったよ。
大須あたりの芝居小屋へ行くのに変装してるね。
968 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:39
吉原の高給女郎は大名しかかえませんでした。
969 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:43
970 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:45
藤枝外記ぐらいの大身の旗本でも買えるぞ。
972 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:56
次スレは980よろしく
武士とか町人の文化スレ
973 :
日本@名無史さん:04/01/31 15:07
>>963 芝居見物なんて別に贅沢ってほどでもないし。
貧乏な武士には贅沢なんだろうけどw
974 :
日本@名無史さん:04/01/31 15:21
陰間
975 :
日本@名無史さん:04/01/31 16:30
>973
高い席と安い席では飛行機のファーストと格安チケットぐらい違ったんだよ。
席題だけじゃなく芝居茶屋への心付けや飲み食いの金もかかるし、まあ、今の
感覚でいえばブロードウェイにミュージカル見に行くぐらいの覚悟はいるな。
976 :
日本@名無史さん:04/01/31 21:28
今日うどんを食った。
977 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:54
>>970 ずいぶん高額なんだな
今でいえば一晩幾らよ?
978 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:06
300万位やろ
979 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:08
1000取り合戦始め
981
982
983
984
985 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:35
986
987
988
989 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:48
>9 名前:日本@名無史さん 投稿日:04/01/31 23:45
>江戸時代の女郎は生中だしで
>避妊はどうしてたんですか?
膣内に詰め物とかの避妊法があったらしいよ。
990 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:51
990ゲト
991 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:52
991
992 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:58
992
993 :
日本@名無史さん:04/01/31 23:59
華麗に994ゲト
颯爽とに995ゲト
さりげなく996ゲト
997 :
日本@名無史さん:04/02/01 00:30
一人遊びのオナニーに付き合って997摂取。
998 :
日本@名無史さん:04/02/01 00:36
v
suri-nainn
豪快に1000ゲト
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。