名門なのに思いっきりマイナーな六角氏の誕生から滅亡までを語って下さい。
思いっきりマイナーなお前が言うな
4 :
日本@名無史さん:04/01/01 12:19
渋いね。
5 :
日本@名無史さん:04/01/01 15:17
六角は滅亡してないと思うが
義治って大坂で死んだ?
いかんなあ。安土城建築の際、観音寺城から石垣を持ってきた
事位しか知らないよ。
8 :
日本@名無史さん:04/01/01 18:53
六角氏って、系図詐欺に利用されたから、どの系図が正確なのかわかりにくいらしいね。
9 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:06
>5
本当ですか ?
詳しい情報をぜひ!
10 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:39
六角佐々木氏は義治の死で滅んでいます。
12 :
日本@名無史さん:04/01/02 01:59
六角の血を引く家というのは残っていないのでしょうか ?
13 :
日本@名無史さん:04/01/02 03:56
あずみや、おーい竜馬で有名な
小山ゆう先生原作 − おれは六角!
14 :
日本@名無史さん:04/01/02 09:14
六角亭
15 :
日本@名無史さん:04/01/02 16:20
そういえば三角氏というのが六角の末裔らしいね。
京都だったっけ。
16 :
日本@名無史さん:04/01/04 17:47
保守
17 :
日本@名無史さん:04/01/04 17:50
近江の大名・六角氏は義定の代で行方不明になって、
公家の堀川広益が武家に転じて、江戸幕府高家となり、
六角を称している。
義治の系統は、義治の弟・義定の孫・定治が継いで、加賀前田藩士となった
との所伝があります。
人持組二千五十石の佐々木家がそれです。
義定の系統が青地氏をついで、これも加賀藩士だった気がする。
あぼーん
22 :
日本@名無史さん:04/01/06 02:14
この板には物知りが多くで勉強になります。
23 :
日本@名無史さん:04/01/11 00:24
六角氏の支流をたくさん教えてくだされ。
>>1 思いっきりマイナーって、おまえの知識の種本が光栄攻略本に限定されてるからだろ。
六角氏は中央に近い所領のせいもあって、歴史の世界では十分にメジャーだよ。
25 :
日本@名無史さん:04/01/11 21:09
信長の野望全国版の六角の弱さには参る。
26 :
日本@名無史さん:04/01/11 22:55
六角氏の一族で近世以降も残った家はあるの?
27 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:21
>>26 どの六角家かは知らないが、
高家六角氏は残ってるよ。
>>27 田中正造を投獄した領主が六角氏だったような・・・
29 :
日本@名無史さん:04/01/12 15:15
近江守護
佐々木氏から
六角氏(南近江)
京極氏(北近江) ⇒ 浅井氏
って司馬先生の本に書いてあったよ!
30 :
日本@名無史さん:04/01/12 15:21
残念ながら、高家六角氏は京都の公家の出身ですね。
田中正造を投獄した領主も高家六角氏です。
佐々木系の六角の子孫って、どうなったんでしょうか?
>>30 ご指摘かたじけない、公家出身の六角氏か・・・・けっこう混同されてるな・・・・
たしか朽木元綱の朽木氏は佐々木支流のはず。朽木氏なら、大身の旗本とか、
譜代(元綱三男)の系統がいますが。
32 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:17
六角氏の野望
33 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:20
>>32 どんな野望?
滋賀県のラーメン屋
征服?
34 :
順風壮麗貝 ◆tOWzPMTu8M :04/01/12 16:39
田中角栄って、誰ですか。
35 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:40
歌舞伎風を全国に広めることじゃないか。
37 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:25
六角って地名から取ったらしいけど
五角氏ってのはいないの?
>>37 建物が六角形だから。五角形の建造物が無ければだめ。
>38
五稜郭
40 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:00
>>29 浅井氏は、京極氏の被官ではあるが、一族ではない。
(つまり、宇田源氏佐々木氏族ではない)
なお、京極氏を室町時代の北近江守護とする説は、近年疑問視されている。
41 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:39
■宇多源氏を語るスレ■が消えてた・・・。
42 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:43
五稜郭なんて言うカッコいい名字ほすぃ
43 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:56
>40
蒲生家も血縁関係はないのでしょうか ?
>43
ホントかどうかは知らんが、自称藤原秀郷の子孫なので六角氏一門ではない。
過去に六角氏と血縁ある女性を妻に迎えたり養子にしたことはあるかもしれんが。
45 :
日本@名無史さん:04/01/19 01:30
>44
馬淵家から嫁が来てますね。
鴻池は京極→尼子→山中の流れですね
鴻池の山中は橘氏
48 :
日本@名無史さん:04/01/19 23:14
>47
ほぼ同族ですな。
>48
甲賀山中氏は忍者を束ねる側であってシノビノモノではないがな。
領主に伺候するし官位も授かるし知行も持つ。
51 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:21
山中鹿介は?
52 :
日本@名無史さん:04/01/22 03:00
足利義尚との戦闘で有名になった、
甲賀五十三家の山中大和守家の一員?
54 :
日本@名無史さん:04/01/22 03:03
六角・京極って最初は号だったんでしょ。
完全に苗字になったのは戦国期くらい?
55 :
日本@名無史さん:04/01/22 03:04
>>53 あれは鎌倉初期くらいに別れた佐々木一族では?
山中鹿介は橘姓。家紋も橘
山中鹿介は源姓。
58 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:37
>57
家紋は橘
59 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:57
>>40 浅井氏は自称・藤原北家三条流。
実際は、古代の浅井郡の郡司クラスの後裔ではないかといわれている。
61 :
日本@名無史さん:04/01/23 14:41
>>68 もしかして家紋が橘だから橘姓なんて幼稚なこといいたいのか?
63 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:19
で、68って誰だよ
64 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:35
65 :
日本@名無史さん:04/01/24 23:21
亀井静香ってどうよ ?
タマカクシ
67 :
日本@名無史さん:04/01/26 23:22
亀井静香って宇多源氏?
穂積
69 :
日本@名無史さん:04/01/27 02:48
佐々木小次郎は?
70 :
日本@名無史さん:04/01/27 19:29
71 :
日本@名無史さん:04/01/27 19:39
GIORGIO ARMANI池袋店の女性店員さんが六角さんといいます。スタイリッシュな人です。
72 :
日本@名無史さん:04/01/27 23:09
73 :
日本@名無史さん:04/01/28 18:27
>70
ウソこけアホ
>>67 も一人の亀井さんは宇多源氏 京極→尼子→山中の一族 津和野藩藩主の家系
75 :
日本@名無史さん:04/01/29 03:27
元JOVIJOVA(お笑い)の六角しんじは無関係でつか。
江口洋介の出てるビールの宣伝で「人生で初めて彼女が出来た〜」
って言ってるアゴの人ですけど。
76 :
日本@名無史さん:04/02/02 06:28
アゴイサム ?
77 :
日本@名無史さん:04/02/05 17:54
77げっとー
78 :
日本@名無史さん:04/02/06 02:35
六角館の殺人
79 :
日本@名無史さん:04/02/09 02:13
福島県猪苗代町に六角さんという医師がいました。
80 :
日本@名無史さん:04/02/12 23:32
京極、六角の間で婚姻はあったのでしょうか ?
最終的に勝ち抜き戦の勝者は朽木
82 :
日本@名無史さん:04/02/18 05:26
近江六角氏の姻戚です。
一応、実家に過去帳あります。
安土時代以降、中河内〜南河内の庄屋や大和の名主になったりして、
現在、大阪府柏原市や王子方面に子孫が点在しています。
名字はいろいろ。
山上、山下、多田、安堂、青木、誉田など。
83 :
日本@名無史さん:04/02/25 07:11
保守
84 :
日本@名無史さん:04/03/06 02:22
三角は ?
86 :
日本@名無史さん:04/03/13 00:47
三上寛 ?
87 :
日本@名無史さん:04/03/17 07:36
ゴリョウカク
88 :
日本@名無史さん:04/03/17 12:00
六角義秀について
誰か教えてください
89 :
日本@名無史さん:04/03/17 12:01
忍者は?
八角
錯覚
91 :
日本@名無史さん:04/03/20 03:40
笑福亭にかく は ?
鈍角
鋭角
93 :
日本@名無史さん:04/04/03 02:02
盛り上がらんね。
もしかして、角不二男も?
七角って人はいるの?
96 :
日本@名無史さん:04/04/09 23:10
いますよ
97 :
日本@名無史さん:04/04/09 23:22
ほんとかよ
98 :
日本@名無史さん:04/04/16 00:03
六角義秀について
誰か教えてください
100 :
日本@名無史さん:04/04/16 19:13
観音寺から安土、箕作、鯰江の城砦群は、六角氏自慢の大要塞であった。
が、織田氏の上洛にほとんどの家臣が降ったため、全く役に立たなかったらしい。
とりあえず分家のはずの京極よりはマイナーなイメージ。
で高家の公家流六角氏は佐々木一族とは無縁なんですか?
102 :
日本@名無史さん:04/04/16 22:37
義実実在説ってどうなんだろう
104 :
日本@名無史さん:04/04/16 23:31
安土といい佐和山城といい、まともに使われなかった城ばかり。
>>103 なるほど。読みたいがちと高い。
しかし自費出版だから図書館にも入らないだろうな。
106 :
日本@名無史さん:04/04/29 17:09
六角氏の苗字の順位は?
107 :
日本@名無史さん:04/05/02 00:21
順位って ?
よく判らないが、きっと6位だ。
109 :
日本@名無史さん:04/05/02 15:16
>>17 江戸時代の高家六角氏って堀河家の分家なんだ。
ってことは、村上源氏か?
110 :
日本@名無史さん:04/05/04 00:22
>108
どういう意味でっか ?
111 :
日本@名無史さん:04/05/04 00:44
一角
二角
三角
四角
五角
六角
112 :
日本@名無史さん:04/05/14 23:16
ありゃりゃ
113 :
日本@名無史さん:04/06/18 19:04
六角家の居城、観音寺城は安土城と尾根づたいにつながっていた。
安土城の屋根は8角形・・・。関連性はない。
115 :
日本@名無史さん:04/07/25 01:48
その2角の差があの二人の差だったんだよ。
四角の城を建てたやつは全員失格。
118 :
日本@名無史さん:04/08/21 21:43
建築家の六角鬼丈氏と関係があるのですか?
120 :
日本@名無史さん:04/09/16 20:35:33
121 :
日本@名無史さん:04/10/02 21:04:59
122 :
日本@名無史さん:04/10/29 00:40:05
123 :
日本@名無史さん:04/10/29 22:29:18
義賢の息子賢永ってどうなったんですか?直系は義治の婿養子定治の系統ですか?
124 :
日本@名無史さん:04/11/02 23:04:14
賢永は義賢の三男で二男に義定、義定の息子は高賢という。
125 :
日本@名無史さん:04/11/25 22:15:49
126 :
日本@名無史さん:04/11/26 02:51:03
ロッカクタカカタって、まるっきり早口言葉ではないか。
きっと当時は「コウケン」とか、読んでズボラしていたに違いない。
127 :
日本@名無史さん:04/11/26 19:27:25
六角義治の子、定治が「佐々木」に復姓(?)して、家康に仕えています。
だから旗本として残ってるのでないですかい?
あと、弟・六角義定も家康に仕えてるはず。
加賀藩にも「佐々木」名義で一族が存続してるはず。
それと、「”朝倉義景”実は六角からの養子説」ってのもありますね。
128 :
日本@名無史さん:04/11/26 20:38:19
六角義賢の子供が大坂城へ秀吉に拝謁した時に蒲生氏郷が太刀持ちをしたと
何か読んだのですが。氏郷はあくまで旧主君として尊重していたのだろうか。
129 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:58:14
一説には、朝倉義景、浅井長政は六角氏から入った養子だという。
130 :
日本@名無史さん:04/11/29 16:10:40
お前は2レス前も読めないのか
131 :
日本@名無史さん:04/12/01 11:16:12
たかだか近江半国の分際でなんで大大名あつかいされてたのかわかららん。
土岐だって一国だったけどあれは美濃だし。
132 :
日本@名無史さん:04/12/01 11:49:10
近江は一国で100万石の全国一の金持ち、ならぬ米持国。
半国でも50万石で、駿河、遠江の今川40万石よりもでかい。
防長2州の大内30万石よりもはるかに上。
133 :
日本@名無史さん:04/12/01 12:16:04
すげーな近江。
伊豆とか飛騨とか隠岐なんて1〜3万石ぐらいでしょ。
そのわりには近江大名って天下取れなかったのな。
地理的にもよかったと思うのだが。
足利将軍もよく逃げてきてたし上手く担ぐことは出来なかったのか・・・
134 :
日本@名無史さん:04/12/01 19:22:33
畿内のちょうど外側っていうような場所が
天下取りにちょうどいいんでしょ?尾張とか播磨とか
越前は山があって駄目みたいだけど
135 :
日本@名無史さん:04/12/01 19:45:35
>>133 地理的には良かったが、背後に敵対勢力がいるため上洛できなかった。
六角なら後ろに浅井がいて、浅井なら織田や斉藤がいる。
上洛するには背後を固めておかなければ無理。
信長は背後の家康と同盟し、浅井と同盟して上洛した。
今川義元も上洛のときは、例の善徳寺の同盟で、北条・武田と同盟した。
武田信玄も上洛のときには、一時敵対していた北条と同盟した。
結局そういうこと。
136 :
日本@名無史さん:04/12/02 02:16:39
浅井ってさ、そんなに勢力なかったと思うよ。
浅井とその背後にいる朝倉の影響でしょ。
138 :
日本@名無史さん:04/12/24 23:09:28
一角氏から十角氏まで実在するって本当?
139 :
日本@名無史さん:04/12/25 14:07:38
>>135 うそうそ
わかったような思い込みはやめよう
140 :
日本@名無史さん:04/12/28 22:43:00
三角(みすみ)ならたまに聞く
143 :
日本@名無史さん:05/02/15 18:41:22
ほかには?
144 :
日本@名無史さん:05/02/15 19:03:05
乃木、京極
145 :
日本@名無史さん:05/03/04 09:58:08
乃木?
146 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:26:25
嫡流以外の系統はどうなったんですか?時信の兄宗綱系とか高頼の兄満高系、氏頼の弟信詮系とか
147 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:30:18
及木?
148 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 14:21:16
及ホ?
149 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 20:02:20
朝倉義景は六角氏から養子に入ったという説がある
150 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 14:32:54
> _ _
> r〜f⌒i しj__ ト√¨トー、
> _ 厂ノ,..-ーt´¨i´:::::|⌒i;¬…tク-、
> r〈 ,>イ:::|:::::|:::::|:::::|:::::::|::::::|::::::|:::::i¬ん、
> >/l::::|:::⊥亠¬冖⌒ i冖ハ¬ト、,|::::|:::ヽ〉、
> {シ,.:!ー'' r´/(⌒て_厂¬r⌒ヒ_ト、ゝ、i_::|:||:i:}
> ∠/rーtノ⌒ー’....................../.ト、゙i ゝr-、|:||:;ト、
> ソー' i.............................../...〃.j\i........... しヘ::|(
> { ......|............./.. /..// / V......... しうノ
> l .....l.| /... // //─ - 、..........}Σト、ヽ、 ちゅぱちゅぱ美味しい
> ゙i i| ../ _≦./ =ー- 、|.. .. |⌒) \ヽ
> ゙i.....::゙i../,r):::;:d |ドく;;d |...........|.:::} l ヾi
> /∧ ...}〈ヘ{qトj」 └-''、⊥!........レ´ ゙i.i i‖
> // ∧...::トヽ ̄ 、 j!.........,il' ゝi ||
> 〃〃 i..::ト-ヽ、 ri、 ィ´|..... ,'| ヽi、
> 《 《 i、:|_ ` ー,- | ├<´ ト、|....../..|__,.-、 ||j
> /⌒\
> ( )
> | |
> | |
> │ │
> ___________________________________
> このスレを見た人は、10年以内にかならず氏にます。
> でも、逃れる方法はあります、
> ※10日以内に20箇所のスレにこれをはるのです
151 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 23:42:31
152 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:57:48
観音寺城
153 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:54:14
がどうした?
154 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 04:50:24
京都の六角堂とはどういう関係?
155 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 05:23:35
八角とはどういう関係?
156 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:52:52
呉服店創業する前の三井氏が仕えていたらしい。
そういや、尼子って近江の出身だったんだね。
158 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 20:00:00
六角氏、甲賀とはどういう関係だったんだろうか。
159 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 20:01:48
ツングースに差別された人たちでは?
それに日本(ツングース語)の系統ではないね。
おそらくヤマトか先住民族の末裔だよ。
160 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:26:30
ちがうよ
161 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 02:26:56
六角佐々木直綱の子孫を僭称しているおいら
162 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 23:23:52
勝手にしろ
六角定頼って、細川晴元の舅で仲が良かったけどこの同盟って六角にとってのメリットってあったのかな?
晴元に結構利用されてるイメージがあったけど。
164 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:26:13
笑福亭ニカク氏
165 :
ハサン:2005/09/17(土) 16:55:25
蜂須賀 正勝しってる?
166 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:57:14
>>161 俺と同族だなw
俺も直綱の子孫を僭称してる
167 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 00:24:26
江戸時代には吉良や大友同様、源氏の名族として高家になったそうだがあまりパタリと活動が伝わってこない
佐々木道誉>>>>>>>>>>>>>>>>六角氏頼
169 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 05:58:03
結局宇多源氏佐々木氏と本佐々木氏(佐々貴山氏)のからみはどうなんだ?
宇多源氏佐々木氏が本佐々木氏を養子・婚姻などを使って同族化したのか
それとも宇多源氏佐々木氏=本佐々木氏なのか
170 :
佐々木道誉:2005/09/29(木) 06:16:20
おれってどうよ?
171 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 05:17:52
佐々木道誉と藤堂高虎がかぶる
172 :
774:2005/10/14(金) 21:18:35 BE:233960696-#
:::::::::::::::::::::::::::::.
::::::\:☆ノノハ クゥ〜ン
::::::ミゝ从 ’w’)つ
::::::⊂__つノ
マイハマン巡回中
174 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 18:24:07
八角は名門?
>>174 うーん、あんまり名門だという話は聞かんな。
現当主は横綱まで行ったが。
で乃木は佐々木の係累なのかYO?
太郎定綱だか三郎盛綱だかの小説に書いてあったYOが?
177 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:17:28
六角は信長の野望では何であんなに弱いんだ!!
178 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 05:48:07
実際弱いだろ。
179 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 02:08:40
そうか?
180 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:33:30
age
181 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:37:03
age
182 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:26:18
六角氏てやっぱりジョウテイのイメージしかないや
183 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 07:02:26
_,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、
,r'" `ヽ.
__,,::r'7" ::. ヽ_
゙l | :: ゙) 7
| ヽ`l :: /ノ )
.| ヾミ,l _;;-==ェ;、 ,,,,,,,,,,,,,,,_ ヒ-彡|
〉"l,_l "-ー:ェェヮ;::) f';;_-ェェ-ニ ゙レr-{ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ヽ"::::''  ̄´.::;i, i `'' ̄ r';' } | 私のおじいさんがくれた初めてのCD
. ゙N l ::. ....:;イ;:' l 、 ,l,フ ノ | それはハッピー☆マテリアルで、私は4才でした。
. |_i"ヽ;:...:::/ ゙'''=-='''´`ヽ. /i l" < その曲はハッピーでスマイリーで、こんな素晴らしいCDがもらえる私は、
.| ::゙l ::´~===' '===''` ,il" .|'". | きっと特別な存在なのだと感じました。
.{ ::| 、 :: `::=====::" , il | |今では、私がおじいちゃん、孫にあげるのはもちろんハッピー☆マテリアル。
/ト、 :|. ゙l;: ,i' ,l' ノト、 \なぜなら、彼もまたオリジナル笑顔だからです。
/ .| \ゝ、゙l;: ,,/;;,ノ;r'" :| \ \__________________________
'" | `''-、`'ー--─'";;-'''" ,| \_
184 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 23:49:11
織田信長の母が六角氏の分家の出ということについてですが、
六角時信ー山内信詮ー山内義重ー山内詮秀ー土田秀遠(秀定とも)ー土田秀久ー土田政久ー土田御前ー織田信長
という系図でOKなんでしょうか?途中が曖昧なので詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
お願いします。
185 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:39:15
>1『六角』は近衛や鷹司と同じく家名であって、氏は『佐々木』ですがww
186 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:50:18
ところで八角の話はどうなった?
187 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 03:13:10
さよなら三角また来て四角
鉛筆は六角だね
188 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 03:28:43
189 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 13:39:56
佐々木哲は、どれくらい信頼できる学者なの?
191 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:54:47
>190それは姓だべ。
192 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:06:17
ウジか源、姓は朝臣だろ
193 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:34:46
>192姓(かばね)は朝臣、姓(セイ)は源
ややこしいな…
姓という漢字を、日本では意味を変えて使ったとでもいうか…
源姓足利氏斯波家とか、
藤姓足利氏佐野家とか言うでしょ?
高頼が幕臣領寺社領略奪。足利義尚が怒り六角氏追討の軍を出した…富子ー山名ー六角ラインと細川勝元が争ってたよね。今回細川氏にとって憎き六角氏追討は賛同できる内容だと思うけど、義尚の六角追討に政元は反対なのに義尚が強行したから幕軍の作戦を政元は六角氏に漏洩?
195 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:00:32
姉さん六角みこみこナース
196 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 23:42:14
織田信長の母が六角氏の分家の出ということについてですが、
六角時信ー山内信詮ー山内義重ー山内詮秀ー土田秀遠(秀定とも)ー土田秀久ー土田政久ー土田御前ー織田信長
という系図でOKなんでしょうか?途中が曖昧なので詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
お願いします。
(返答が無いので、コピペして上げました。)
197 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 11:36:38
六角って守護大名、戦国大名?
198 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 12:34:45
最近、昔の信長の野望で、六角プレイしてます!
今のところ、順調です!
西に行くか、東に行こうか、悩んでます?
199 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 13:14:16
守護大名
200 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 13:40:49
>>198 南に行ったら?
筒井だから、勝てそうじゃんw
201 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 18:34:15
>>189 史料編纂所では電波扱いされてるって聞いたことはある。
しかも東大出身といいながら、同世代の東大出の歴史研究者で面識のある人が
ほとんどいない不思議な人物。
佐々木哲って学者なの?
予備校の講師と思ってたが
203 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 18:47:07
>>185 苗字は佐々木。通称が六角では?
幕府発給の公式文書では絶対に苗字は佐々木で書かれている。六角で書かれてるのは見たことない。
>>193 斯波は、幕府発給文書では基本的に官途名だけで苗字が書かれない。
足利の苗字は禁止されているが、他の苗字も名乗りたくないからなのだろうか。
あと室町時代の記録なんかで出てくる通称としても、斯波より勘解由小路のほうが一般的な気がする。
204 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 18:46:19
>>202 国会図書館のサイトの論文検索でいくつかヒットする。
205 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:25:30
学閥に所属してなくても、
研究内容に捏造がなく、盗作もなければまぁよし。<佐々木哲
206 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 22:54:57
>>205 ちょっと電波が入ってるのは自分でも承知の上で確信犯的に主張してるタイプの人って、実はこの業界には結構いる気がするよ。
207 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 23:19:57
佐々木さんってやっぱり佐々木氏の子孫っていう自負があるのかな?
208 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 17:41:18
子孫かどうかはさておき、
学閥なんぞに縛られないのが2ch。
佐々木哲も「対等評価」しようよ。
間違いは間違いと指摘して。
・・・つーか指摘できるほど六角の知識ないわwwww
209 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 19:51:49
さよなら三角またきて四角
ろくな六角氏
210 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:46:58
六角氏は、守護大名として、何か歴史に残る事した?
近隣諸国との関係は?
官位などは、あるの?
なぜ戦国大名に、なれなかったの?
家臣たちは、どう思ってたのかな?
211 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:19:01
>>210 >六角氏は、守護大名として、何か歴史に残る事した?
・源平争乱期・・・佐々木4兄弟が源氏方として活躍
・承久の乱・・・当主が後鳥羽に味方
・鎌倉幕府滅亡時・・・北条仲時ら六波羅残党を見捨てて倒幕側に降伏
・南北朝期・・・原則北朝方
・永享の山門騒動・・・将軍義教の比叡山弾圧に協力
・応仁の乱・・・西軍方
・延徳〜明応期・・・将軍義尚・義材の六角征伐に反抗
・大永〜天文期・・・将軍義晴を近江に迎えて保護
・永禄11年・・・上洛を目指す織田信長に反抗
>官位などは、あるの?
鎌倉期以来の守護大名家なので無位無冠ということはないでしょう。
>なぜ戦国大名に、なれなかったの?
戦国大名かどうかは、判断する人の主観によって分かれます。
212 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:22:59
佐々木哲氏以外に六角氏の専門家はいないの?
>>209 中島みゆきじゃん!
>>212 六角そのものが専門って人はいなさそう。
214 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:34:51
信長が安土城を、築いたのだから、立地条件は、良いの?
215 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:38:04
本能寺の変に、自衛隊タイムスリップ!
216 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:21:35
>>212 さよなら三角
もしくは
またきて四角
もしくは
さよなら三角またきて四角
でググれ
狭いカルチャーの知識だけで生きてると、辛いぞ。・・・周囲が。
217 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:23:13
六角マンセー!
江戸時代にも高家で六角っているね。
219 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:50:21
加護亜依キター!
220 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 10:45:01
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
221 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:31:51
健康のため吸い過ぎには注意しましょう
222 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:35:14
六角ナット
223 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 04:49:07
六角棒
224 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 06:54:22
六角義賢って素直じゃなくてカワイイよな
225 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:20:16
佐々木発祥の地である滋賀(近江)に佐々木姓が少ないのは
六角氏が信長にやられたからか?
佐々木の中で分化か進んで他姓を名乗るようになったからではないかな
227 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 23:34:57
ふーん
228 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 23:23:20
信長の野望で、六角プレイしてます!
MアンドAで順調に、領土拡大してます!
ヤッパリ今も昔も、金次第ですね!
229 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 07:20:25
>225分家は苗字を名乗るからな。他の家もそうだろ?
230 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 17:26:03
六角の嫡流は江戸時代でも佐々木姓のままだと思うよ。
231 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 23:10:04
六角で、天下統一!
232 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 20:02:28
六角義賢の系統は、定頼の兄の氏綱の子孫がいたのを乗っ取ったって話は・・・・というのはどのぐらいの
信憑性があるんですかい?もしこれが嘘だと、斉藤道三二人説も怪しくなって来ちゃうんだが
233 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 20:39:31
佐々木の本家筋が六角だから。
佐々木を名乗るのも自然だな。
234 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 23:54:47
尼子の子孫も佐々木姓だけどね。
235 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 00:55:49
宇多源氏系は1度苗字をなのっても後に佐々木に複することが多いような
236 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:30:49
てか佐々木が本来の苗字だし。
238 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 13:55:20
>>237 高いなw
著者は自分が佐々木さんだから興味もったのだろうなw
240 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:08:18
241 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 04:47:56
姉三六角タコ錦〜♪
>>239 ここの住人はちゃんと読んで m9(^Д^)プギャー
…ぃゃぃゃ、突っ込んであげなきゃ佐々木タン可哀想ヂャマイカw
243 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:05:30
>>235 佐々木以外の苗字を名乗ったところで、結局「佐々木六角」「佐々木京極」「佐々木尼子」っていうからね。
注文してた『佐々木六角氏の系譜―系譜学の試み』がキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!
245 :
244:2006/04/08(土) 01:17:11
・・・・・
(´д`)ノ⌒◇
久頼と高頼の間の当主は佐々木たんの言うとおり政勝なんでしょうか
>>244 どう?面白い?
買う価値あるなら教えてねw
248 :
244:2006/04/10(月) 23:19:34
>>247 >>245 いやもうねぇ、面白いのは面白いよ。m9(^Д^)プギャー 的な意味でねw
「今日わたしが本書を公刊できたのは、実証歴史学の出版社として定評がある思文閣出版が
勇気ある判断をされたからだ。(←おわりにより抜粋)」
ってあるんだが、思文閣もどうしちゃったんだろ、蛮勇よねぇ〜、ってカンジ?
てか、例の某学校とやらに逝けば、わざわざ大枚wはたかんでも(ry
>>244 『佐々木六角氏の系譜―系譜学の試み』
早くも版元品切れ……。
よく売れてるんだね。
04/01に注文出したが遅かりし……。
>>249 某所より天災
[610] 先生の本 投稿者:阿波西條 投稿日:2006/04/02(Sun) 14:27:47
佐々木 哲 先生の本を注文したのですが、最大2週間はかかるそうで、残念です。
とても楽しみに待っております。
--------------------------------------------------------------------------
佐々木哲 > 現在は品薄状態です。よろしければ直接お分けいたしましょうか?
わたしのブログ<佐々木哲学校>から直接メールでご連絡下さい。 (2006/04/02(Sun)
阿波西條 > ありがとうございます。メールにてお願い致しました。
よろしくお願い致します。 (2006/04/03(Mon)
251 :
249:2006/04/12(水) 19:53:01
>>250 情報提供ありがとうございます。
しかし、流通在庫があるかと思ってすでに別のところに注文したのでその返事待ちをしないといけない状態です。
252 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:36:18
253 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 20:56:35
うほ
254 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 23:06:16
子孫は居るだろ。うちの先祖は、仮に山田とし
ておくが、過去にある歴史上の人物の首をマグレで取り讃岐だか
因幡国を与えられた。俺の先祖はその山田の弟の子供で
親分の山田がマグレで活躍したから
我が一家全員に小さいながら領土が与えられ
以後300年その地方の庄屋だった。
親分の山田は速攻で潰されが、
つまり歴史上は滅んだが、
我が家のように一族で歴史には登場しないが
続いてる子孫はいる。ましてや六角氏なんて歴史に登場したのは
本家親分だけだが
一族血族子孫で細々とやってるのは五万といる。
255 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 23:20:33
つまり歴史書には山田五郎、敵の首を取る。
なんて書いてるが、実際その無名の弟とか、
無名の甥とか、叔父とかも行動を共にしてたわけよ。
コネみたく小隊長にさせてもらったり。
で平和になったら報償で
小さな領土貰って
細々とやる。
時がたち本家とは関係なくなるから
本家の家計図には載らない。
本家が滅んだ時、その分家は領民に種付けると。実際は子孫いっぱい。
( ´_ゝ`)フーン
佐々木哲『佐々木六角氏の系譜―系譜学の試み』、やっとこさ入手。
期待以上の面白さ。
ここで素朴な疑問どすけど、発行早々に版元品切れになったのに思文閣さんは
何で増刷かけやらへんのやろ?普通やったらこれだけ売れたら増刷するやろに。
260 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:16:02
発掘
件の本なんですけど
たぶん佐々木タン的には特に重要であろう、戦国期とかの記述ってどおなんですか?
当方、中世でも前の方がテリトリーなので後ろの方はサパーリなんですが、
前の方の記述を見ると、しかるべき論拠を示すこともなく、一般には全く別人と
考えられている人物を、佐々木氏に引きつけている印象が否めないんですが。
詳しい人詳細キボンヌ
262 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:42:15
道誉が祖先か?
263 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:56:08
斯波義敏の父持種の母が佐々木氏出身とのことですが、六角でいいのかな。
(斯波と京極って結びつかない気が。。
あ、でも康暦の政変では義将と高秀が結んでますけどね)
詳しい方ご教授宜しくお願いします。
264 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:57:43
とんでもない
265 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 21:37:22
ん?
266 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 23:06:48
ひゃらーり
267 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 03:27:11
>>100 昔、某漫画で六角義賢は築城と軍略に明るい武将だったみたいな話を読んだ記憶があるんだけど
実際どうだったんだろう。人望があまりなかったのは察する事ができるけど
個人の戦績とか、治世に関する実績はどの程度あったんだろうか?
あと、これも何かで読んだんだけど
家臣の弓術の免許皆伝の某か弓の免許を受けたとか(義治は秀頼の弓の師範だったんだよね)
騎馬の名手であったとかいう話も聞いた記憶があるんだけども・・
ついで、ここで六角家臣団について語ってもok?六角一族だけじゃ話題持たなくないかな?ダメ?
>>126 名前で呼ぶ人も限られてるんじゃないの?
信長だって、実際に「信長」と名前で呼ばれることは無かっただろうし。
子供の頃は幼名、元服してからは官職名(自称含む)で呼ばれたりしたんだろーし。
観音寺山に住む山窩の頭目、佐々木山君が宇多天皇の子孫を仮冒したもの
270 :
日本@名無史さん:2006/09/10(日) 21:36:45
>>257 そうかなぁ。
本屋で見つけたときには「おっ!」と思って手に取ったけど、
「はぁ」と思って棚に戻したけどなぁ。
271 :
日本@名無史さん:2006/09/10(日) 21:39:10
六角満高って人は足利義満(義詮だっけ?)の落胤という説があるようですが、
それって信憑性はあるんですかね?
>>269 サンカってさぁ、近代になってからの警察用語から発した呼称だよね
273 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 16:08:50
274 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 12:20:06
三雲保守
276 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 14:27:17
age
277 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 16:28:24
俺の婆ちゃん六角だよ
278 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:15:10
加賀藩の六角はどうなったの?
屁が出る六角氏
280 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 06:21:08
281 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 08:23:09
282 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:12:36
283 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 18:42:35
ほー
284 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 04:09:30
朽木は佐々木の一門とはいえても、六角の一門といえるのか?
285 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:17:11
いえるだろ
286 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 15:34:35
いえない。
鎌倉時代に佐々木氏が4家(大原・高島・六角・京極)に分かれた。
朽木はこのうちの高島の分家なので、六角とは直接的な本末関係にない。
>>286 佐々木の四家のなかで六角が総領だったのなら、高島(や朽木)は六角の分家ってことでいいんじゃない?
288 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:09:36
京極は六角の惣領権に服していないし、朽木も同様。
武田と小笠原みたいなものですかね?
290 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:42:43
七頭のうち筆頭格は高嶋家ですか?
291 :
282:2007/04/08(日) 04:24:28
>>286 >>288 なるほど。よく知らないけど、一族だけど独立勢力だったってこと?
ところで、三淵の庶子が朽木を名乗って熊本藩士になってるんだが、なんで朽木?女系でも関係ないはず。親類には女系から山名を名乗る家も。
292 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 04:50:28
てか朽木の本家筋の高島って影薄いよな。
いつ頃までいるんだっけか?
戦国くらいだと近江国高島郡は全て朽木領ってイメージだけど。
294 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 03:33:35
六角の朽木に対する軍事指揮権は、近江守護という立場に基づくものであって、
佐々木氏の惣領としての立場に基づくものではないと理解していたけど、
違うのか?
だから六角は分国外にいる佐々木一族(塩冶とか隠岐とか尼子とか)に対しては
何の指揮権も持っていないはず。
>>294 「六角氏は京極氏に軍事指揮権を及ぼさないけど、朽木氏には及ぼしている」
ということを言いたかっただけです。
隠岐流佐々木一族は佐々木信綱の系統ではないからとりあえず別の問題だと思っていました。
296 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 16:28:03
京極が六角の分家ではなくて、朽木(高島)は六角の分家というのは・・・。
おかしくない?
298 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 19:47:05
それ以前に
>>295は
>>294に同意なのか不同意なのか立場を明確にして欲しいな。
六角の朽木に対する軍事指揮権は、
近江の守護としての立場に基づくと考えるのか、
それとも佐々木氏の惣領家としての立場に基づくと考えるのか、
どっちよ?
299 :
295:2007/04/16(月) 20:37:33
すみません。
>>294さんには同意ではありません。分国外ではないですし。大友と志賀のイメージで、鎌倉末期よりも独立性が低くなったのかと思ってました。
>>293 いやいや、斯波なめんなよwwww
一時期までは、そこそこすごかったんだぞー。
301 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 01:32:53
>>299 同意ではないということなら、
“六角の朽木に対する指揮権は佐々木氏惣領としての惣領権に基づく”と
主張されたいわけですよね?
そういうことであるならば、朽木のいる場所に関して、これが六角の
守護としての分国(近江)の内か外かは、特に関係ないのではないですか?
守護としての分国の外にいる一族であっても、宗家の惣領権に服している者に
対しては宗家の惣領権は及ぶわけですから。
それなのに貴方は「分国外ではない」という言い方をされました。
つまり、朽木のいる場所は六角の「分国内」であるということを強調されている
わけです。
しかしそこを強調されると、“朽木のいる場所は六角の分国内”、つまり
“朽木に対しては六角の守護権が及ぶ”、よって
“朽木に対する六角の指揮権は近江守護としての職権に基づくもの”という
流れのほうが自然に見えてきてしまいますよ。
を、なんか活況w
ってか、
>>301の語調ってどっかで見たことあるやうな
もしやこのスレの必読図書である「あの本」の著者様降臨?www
303 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 02:59:59
あの本て?
とりあえず「日本語が下手」「人に伝える文章製作技術がない」ということは理解した
305 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 09:46:51
六角との系譜的な親疎は、京極と朽木は同じ。
306 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 21:39:56
近江守護っていっても、半国だろ〜が。北近江の分国守護は京極家だし、高島郡もそれに含まれる。
つまり、朽木家が六角家の軍事指揮権に服すいわれはない。
307 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 21:54:20
そもそも朽木家は奉公衆だから。
308 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:54:53
高島七頭の惣領家は高島越中守家だから、朽木が高島に服するいわれはあるよね。
309 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:39:57
310 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:41:04
>>307 朽木が奉公衆になるのは稙綱以降でしょ。
311 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:31:20
近江源氏スレの様相を呈してきたな
312 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:39:43
近江源氏 = 宇多源氏なのか?
柏木・山本家(清和源氏義光流)は無視?
313 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:46:24
滋賀県民は近江源氏といえば宇多源氏、佐々木氏流のことと考えます
314 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 21:31:02
六角の子孫はどうなったの?
沢田源内とかいう詐欺師は別として、まともな子孫はいるの?
>>314 >沢田源内とかいう詐欺師
そゆこと言うとまた佐々木タンがw
316 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 22:24:33
しかし佐々木と言えば今は滋賀よりも東北だな
東北の佐々木率の高さは一体何故なんだぜ?
317 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 22:27:10
>>316畠山、葛西、工藤も多いぜ。本当の子孫は1%くらいか?
318 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 23:16:05
>>317 以前に仙台住んでたけど畠山・工藤・葛西なんて1人もいなかったぞ
佐藤とか阿部が多くないか?
教室の座席一列を佐々木だけで占めたことがあったな
佐藤工藤は犬のクソ
鈴木高橋馬のクソ
と、トーホグでは言いますが。
(それぐらいそこら辺にゴロゴロしている、という意味)
>>301 「京極氏も朽木氏も分国内にいるのに、
京極氏には軍事指揮権を及ぼさず、
朽木氏には軍事指揮権を及ぼしている」
と言っているのです。
佐々木信綱が持っていた惣領権を受け継いだのは誰か?
といえばやはり佐々木泰綱ですよね。
321 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 09:29:29
素朴な疑問だが、佐々木タンとかいう人はイオンド系の人?
323 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 09:48:11
324 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 12:56:30
素朴な疑問だが、イオンド系てどゆ意味?
わくわくする系
>>324 偽学位を出す「大学」の代表が「イオンド大学」。
ま、とんでも系というような意味かな。
327 :
324:2007/04/21(土) 16:13:43
328 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 22:53:11
329 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 22:58:21
>>320 京極は他国で自分が守護になるような家格だから、近江が本貫で近江に所領を
持っていても、近江守護の軍事指揮権には服しません。
朽木も幕府の奉公衆になった以降は、守護の軍事指揮権には服していません。
六角の軍事指揮権から抜け出していたからこそ、朽木は六角の滅亡の際、
巻き添えにならずにすみました。
その国に所領なんかを持っていても、他国守護や奉公衆は基本的にその国の
守護の統制下には入らないっていうのは、室町をやっていれば常識だよな?
330 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:39:28
>>320マサカとは思うが… 藻米、六角家が近江国まるまる全部の守護職だとは思ってないよな?
>>288で「京極は六角の惣領権に服していないし、朽木も同様」
という発言があったので、
私が
>>293で南北朝時代に朽木氏が六角氏の指揮下にあった事例を挙げました。
そうしたら
>>294で「だから六角は分国外にいる佐々木一族(塩冶とか隠岐とか尼子とか)に対しては
何の指揮権も持っていないはず」という発言があったので、
私は「朽木氏は分国外ではないし、南北朝時代に尼子氏は関係ないし」
と思って、不完全なレスをしてしまいました。
京極氏の分郡守護は坂田郡・伊香郡・浅井郡であり、高島郡は関係ありません。
すなわち独立性が高い京極氏は分郡守護という地位にあるが、
朽木氏の場合はそうではない、という趣旨で
>>320の発言をしました。
言葉足らずですみませんでした。
いつの間にか話題が南北朝時代から室町時代に変わってしまっているんですよね。
333 :
332:2007/04/22(日) 07:42:52
分郡守護を「分国内」と表現したのがまずかったのですね。
すみません。
分郡守護といっても不完全なものだと理解しているので。
南北朝時代の「惣領」の定義や、
朽木氏が奉公衆になった時期を始めに確定させた方が良いのかな?
334 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 14:14:29
だからさ、朽木が奉公衆になると六角の統制下から外れるのは、六角の朽木に
対する指揮権が佐々木氏惣領の立場ではなく近江守護の立場に
基づいていたからでしょう。
それと南北朝と室町は北朝側・武家側の制度としては基本的に連続しているので
全く別物として捉えようとするとかえっておかしな話になる。
335 :
333:2007/04/22(日) 15:33:19
信綱流佐々木氏の場合、惣領=近江守護とは言えませんか?
基本的に惣領権の本質とは、軍役の取りまとめではないでしょうか?
奉公衆であることを以って庶家であることを否定したら、
赤松本家と赤松伊豆守家、土岐氏と明智氏、なども否定することになりませんか?
336 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 15:48:28
>>335 土岐氏は、世保流と池田流のどちらを惣領家と考えてる?
337 :
335:2007/04/22(日) 16:04:25
この場合、どちらであっても議論は同じだと思いますが、
個人的には世保流です。
338 :
335:2007/04/22(日) 16:10:57
家系的な話と惣領権は別の話ですが、
室町幕府体制のなかでは、土岐康行の乱以降は、
美濃守護職を持っている池田流ということではないでしょうか?
>>335 京極が近江守護になった例があるんでそれはない。
しかもその論理だと、世保が美濃守護じゃなくなった以降の土岐氏が説明不能。
あと上杉や武田など複数の一族が守護職持っててどこが惣領か微妙な家は?
340 :
335:2007/04/22(日) 16:43:57
>>339 室町幕府の場合、将軍の指名で惣領が決まる、と私は理解しています(土岐氏、赤松氏、山名氏など)。
世保が美濃守護じゃなくなった以降は土岐惣領ではない、と思います。
京極氏や高島氏が近江守護になったのは「一時的な佐々木惣領職の交代」であると思います。
京極高詮が六角氏の養子になったのは、六角氏が佐々木惣領だからこそだと思います。
鎌倉時代からの佐々木氏における近江守護と、南北朝時代からの上杉氏を比較するのはどうかと思いますが・・・。
分国内外の話をしているときに、武田氏の例を挙げる意図がわかりませんが、
六角氏が佐々木信綱流の惣領ならば、例えば近江国内にいる京極一族はどうするのか、という趣旨でしょうか?
341 :
320:2007/04/22(日) 17:05:52
そもそも
>>320の話は朽木氏が奉公衆になる前の話なのに、
>>329で話がズレてしまった気がするのですが。
ここで下らない議論をしてる暇があったら論文でも書けや。
現在の研究動向に不満があるならそのほうが効果的だぞ。
343 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 19:42:13
佐々木イオンド学校の珍説は、信憑性あるの?
344 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 02:55:20
幕末の旗本。外国奉行佐々木信濃守顕発は関係者?
345 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 18:29:08
通字がちがうから、断定できないな。
346 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:05:28
佐々木小次郎は実在の人物であり、小次郎の残した子孫も今日まで実在する。
347 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:34:31
岩手には「佐々木」姓がたくさんいるけど、どうしてだろ?
348 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 22:29:30
北海道の佐々木の先祖って六角氏?
349 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 17:17:48
暇なんで佐々木氏の全盛期を考えてみた
1・平家滅亡〜承久の乱まで
一族で最大17ヶ国の守護を兼ねた時代
鎌倉幕府の下でここまで威勢を誇ったのは、北条氏以外では例がない
通称「5兄弟」時代
2・室町初期〜中期まで
分家の京極氏が四職の一つに数えられた時代
出雲・飛騨・隠岐などの守護を兼ねて、宗家六角氏を大いに凌いだ
通称「四職」時代
3・戦国初期〜中期まで
分家の分家の尼子氏が山陽山陰8ヶ国の守護を兼ねた時代
中国地方11ヶ国に勢力を伸張して毛利氏を屈服、西海の太守・大内氏を圧倒した
通称「尼子」時代
4・江戸時代
分家の分家(かもしれない)黒田氏が豊前福岡藩52万石を領した時代
秀吉にさえ恐れられた天才軍師・黒田官兵衛が親子二代で成し遂げた
通称「福岡」時代
350 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 20:41:54
>>347 岩手にいる佐々木氏は、ほとんどが鎌倉時代に南部氏とともに山梨から移住して来た者。当初の盛岡南部氏の拠点三戸で旧首長工藤氏を追い払うべく供に苦心してきた関係。幕末まで盛岡南部領土で、佐々木氏は歴代的に重要なポストについて来た。
>>349 5・21世紀〜
分家(かもしれない)亀井氏が引き入る国民新党が越中・備後・石見等を領有。天下取りを狙う。
>>350 それは初耳だ
なんか資料とかある?
岩手って言っても南北に長いから
北は主に南部領だが、南は旧葛西領だから
岩手にいる佐々木氏と言っても、数流あると思うんだよね…
旧葛西領の佐々木氏は水沢城主の佐々木氏を中心に
子孫が広がっていったようなんだが…
353 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 22:39:07
その葛西領にいた佐々木氏は、葛西氏崩潰後、伊達領氏に引き取られたろ。江刺氏が崩潰したときは、津軽氏に引き取られたし。盛岡南部の佐々木氏は、山梨からだよ。親戚の叔父(佐々木=下級武士)さんの家系図がそうだから何よりの証拠かな。
354 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 22:49:06
鎌倉以前の佐々木氏(滋賀から山梨に来た?)のことは分からん。六角氏との関係も。だから岩手に来た佐々木氏は、数系統あることはまちがいないだろうけど盛岡南部傘下の武家である佐々木氏は山梨が発詳。
>>354 今調べてみたが、確かに南部氏の家臣に佐々木姓は多いみたいだ
葛西よりずっと多いな
葛西家臣佐々木→伊達氏や留守氏に仕える、もしくは帰農
南部家臣佐々木→南部藩士に
大雑把にいうとこんな感じかな
356 :
日本@名無史さん:2007/07/05(木) 13:57:59
亀井琉球守久興が石見、備後、越中を領有?して津和野藩壊滅の理由は?竹下隠岐守には勝てないのか?
>>356 亀井の姫が青木出雲守の軍勢を打ち破りましたぞ。
シズカちゃんも一門を称しており、楠木氏の民ジイは御愛嬌ということで。
358 :
日本@名無史さん:2007/09/04(火) 01:06:18
現在、『系譜伝承論─佐々木六角氏系図の研究』(思文閣出版、2007年10月刊行予定)の再校を
進めると同時に、『絵画資料論─一遍聖絵の図像学』の執筆を進めている最中ですが、勉強会を
再開したいと思います。
『絵画資料論』が筆了間近ですので、一般書『反信長』執筆の準備をするにあたり、みなさんとお話し
するなかで、多くのヒントを得られると思ってのことです。
また東大現代文の解釈も、直接お話した方が、みなさんにより多くのものが伝わるのではないかと考えています。
とおるタンがまたぞろ動き出す悪寒!?
359 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 08:41:11
360 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:07:54
六角氏は天下を狙えたのに領土拡大を目指さなかったのは何故なのか。浅井久政との戦で勝ち本来浅井家は領土が半分以下にまで縮小するべき所を不問としてやった経緯がある。
361 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:40:27
>>360 近江は寺社領や荘園が多いから戦国大名化出来なかったんだろうな
362 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 19:32:15
>>361 京に近い大名等からは天下人は出づらいのか?お公家遊びが常態化して金を使い過ぎたとか。
地方大名の方が実力的覇権体制を敷きやすい場合が多いのは日本だけなのか。
ボンボンの尊氏や蛮民な楠木は論外として。
佐々木氏の主張って、どれくらい信憑性があるの?
(1)正しいんじゃないか
(2)そういう人物はいたとは言えそうだが、当主は定頼-義賢系じゃないの?
(3)これだけじゃ確定できない
(4)はいはい、デムパデムパ。
『佐々木六角氏の系譜』を読む限りでは、3番だなぁ。
3げと
366 :
日本@名無史さん:2007/11/07(水) 17:53:42
佐々木哲さんは立派な人です。
一時期、ブログなどで素人の質問にも丁寧に答えていました。
今は、ご多忙なようですが。
367 :
日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:26:55
宮島敬一『戦国期社会の形成と展開 ―浅井・六角氏と地域社会―』(吉川弘文館、1996年)
368 :
日本@名無史さん:2007/11/08(木) 16:26:05
>>358 2chでくすぶってないで、ちゃんとした論文書けよ。
おれは素人だから、論文なんか書かないが、アイデアくらいはある。
ヒント教えてやるよ。
六角義秀・義郷・氏郷が歴史から抹殺されたのは、秀吉との縁を徳川が嫌ったから
なんだよ。
方広寺鐘銘事件で分かるように、徳川幕府の初期は、豊臣潰しのためにはどんな難癖でもつけた。
建部某が沢田源内と江源武鑑を否定したのは、幕府におもねるためと、自身の出自を正当化するため。
徳川がその後長く続いたので、間違った学説が定着してしまった。
今、やっと、正しきに戻すときなのだ。
佐々木哲さんは、それをやってるんだ。
ろくに勉強もしないで、他人の業績を茶化すなよ。
自分が腐っていくだけだぜ。
369 :
358:2007/11/08(木) 22:39:21
>>368 当人すら忘れてた書き込みにレスをありがとうw
論文ねー。書いてるよ。貴方が仰るような「ちゃんとした論文」かは分からんケドね。
で、なんかステキなヒントをご下賜くださったご様子だけど、当方守備範囲が
中世の前の方なんで、折角ですが活用できないなぁ。スマソ。
素人だからなんて仰らず、ぜひ文章化して『歴史研究』あたりに投稿されてはどぉでしょう?
追伸:とおるタンの前著ですが、後半は知らんけど、鎌倉期までは氏独自の記述は
そのほとんどが目鱈出だよ
370 :
日本@名無史さん:2007/11/08(木) 23:38:21
豊前田川郡に六角姓がけっこうあるがどの系統?
>369
後半は牽強付会だらけ。おもしろいが辟易もする。
>>369 「目鱈出」って「出鱈目」の2ちゃん俗語ですか?
雰囲気的には「でたらめ」という意味でお使いなんだろうなとは思いますが、
実は「目鱈出」は「出鱈目」の反対語だ、なんちゅーことがあるといけないの
で、念のためお尋ねしたく存じます。
373 :
日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:04:14
茶化すってことは、業績が羨ましくもあるってことだろw
375 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:44:07
『系譜伝承論』 誰か買った?
376 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 01:03:30
ハイ六角ピー
377 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 11:40:20
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
378 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 02:56:29
一昔前の信長の野望の弱っちい大名から
いまや偽系図がまかり通るいかがわしい大名か
379 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 05:55:51
幼なじみが六角姓!
末裔かな〜今度聞いてみよ
380 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 17:08:30
>>369 鎌倉期については詳しくないので知らないけど、
室町期もかなり無茶な解釈が多いよ。
「江州宰相」が六角氏って・・・
381 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 15:02:57
>>380 宰相って参議だろ?
細川氏とかですら右京兆とかなのに、四職ですらない六角が参議になったってどうよ?
382 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:57:59
四職ですらない大内が従二位の兵部卿また大宰府の大弐
までなってるんだから
ないとはいえない!!!!!!!!!!!!!!!!!
ぶっちゃけると足利義晴のことなんだけどね
384 :
日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:44:19
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
385 :
日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:01:29
佐々木六角氏の幻の系譜
氏綱―義実―義秀―義郷―氏郷
by『大系図』
朝倉義景(『大系図』)と浅井久政(『浅井日記』)も
六角氏とされている。
まるで、2chの朝鮮・韓国ネタの世界ですな。
386 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:58:04
今の天皇の系図もうそばかり
佐々木タンのブログ見たけど
六角氏綱(1492-1528)・六角義実・義久(1510-1557・六角義秀(1532-1569))だとすると
・四郎殿父子として足利義晴の婚姻に出席(『天文三年甲午六月八日江州於桑実御台様むかへニ御祝目六』)
天文三年(1535年)当時3歳の子供が公の場に出るかね?まあ義秀より早くに生まれた息子がいたってことはありえるけど。
(義実の年齢からみてかなり厳しいと思うけど)
ついでに先に定頼が参上とあるが、陣代が当主より先に儀礼の場に登場するものですかね?
wikipedeia書いた人は四郎父子は氏綱と義実のこととしているけど、氏綱は既に死んでいるはずなんでこれもおかしい
・大永六年(一五六二)五月二十八日付青木社中宛六角隆頼願状・・・えーと六角義久さんはすでに死んでいるとしているから隆頼=義久説はおかしいですよ、先生。
天文十九年(1550)の義晴葬儀で義秀は剃髪して徳川と名乗っているって書いているから隆頼=義秀説も成り立たない。
何らかの事情で還俗して、(おそらく将軍から一字もらった)義久って名前を替えた?うーん、無理ありすぎな気が。
なんだかなあ。
あやしげな史料に基づいて、あやしげな論理でくみ上げた説ってところ?
388 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 02:03:17
沢田源内あげ。
389 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 02:05:14
六角氏郷あげ。
>>387 怪しげな論理をくみ上げて、怪しげな資料(資料を無理やり誤読したものもあり)で補完した
それなりの身分の名族でも没落すると、とたんに系図の位置があやふやだったり、
実名が判然しない人物がでてくるからな
392 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:06:31
はやくたどりついて!
393 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:47:42
>>391 沙沙貴神社の神主岳氏も江戸期に帝から姓を賜ったと神社備え付けの
系図の中で示しているがはっきり言うと嘘八百。適当につなぎ合わしてる。
佐々木高綱やその血縁者との血族ではない。明治期から明治政府によって変え
られた他人の系譜。
394 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:00:38
だろうな
395 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:11:51
世の中の鈴木の大半がニセ鈴木氏
396 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:39:53
あのう、私五角というんですが、武家や公家にいませんかね?
ユダヤ人だろ、君
398 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:46:05
あげ
399 :
日本@名無史さん:2009/01/19(月) 15:53:09
旗本になった江戸時代の動静はわからないのか?
>>399 あれは一族ではないだろ。姓を借りただけでもこのスレの対象かなー?
401 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 11:14:10
>>400 このように六角氏は六角義賢・義治父子の時代に大きく衰退し、
1568年、織田信長率いる上洛軍と戦って敗れ、領国を失うことになる。
その後、義賢と義治は信長に対してゲリラ的に抵抗したが、
結局は没落していった。のち豊臣秀吉あるいは豊臣秀次によって
家臣にとりたてられ、江戸時代には佐々木姓に復し旗本となった。
義治の弟六角義定(観音寺騒動の後に義治に当主の座を譲られたと
されるが、異説もある)の子孫も江戸幕府の旗本として残った。
こちらも本姓の佐々木姓を名乗っている。
これのこと。
>>401 公家から「六角」氏の旗本になったのと混同していた。スマン。
403 :
日本@名無史さん:2009/02/16(月) 09:15:48
あげ
404 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 01:57:52
よっ、暇か?は子孫かな?
六角氏の場合も分家は基本的に所領名などを苗字にしているから、
近世まで六角姓は基本的に本家に近い一族と考えて問題ないのかな。
407 :
越中=高島:2009/03/16(月) 22:32:33
>>292 室町時代に六角氏が将軍家に叛いたおり
高島氏は将軍家から近江守護に任じられているよ
朽木氏で近江守護になった者は残念ながらいない
やはり家の格としては高島氏が上
将軍家は六角・京極にならび高島を佐々木氏のなかで同格となりうる家とみていた
408 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:04:09
ふ〜ん
"六角"&"家系"でググると
『ラーメン六角家』なんてのがHitするのだが
何とかしてくれww
邪魔だ。。。
410 :
日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:33:03
あげ
411 :
日本@名無史さん:2009/09/19(土) 07:14:06
412 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:55:25
七角
ほう
おれは六角
415 :
日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:23:43
八角親方
保守
417 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 22:11:29
点検
418 :
日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:29:25
あげとく
419 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:53:11
420 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 00:09:25
age
421 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 00:12:40
六角近江守は数百石の小旗本とはいえ、表高家として、從四位下侍從という、大大名クラスの官位を
422 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 01:23:22
なんでとっとと六波羅裏切らなかった
あれが没落の序章だった
423 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:49:24
回りが見えなくなっていたんでしょうね。なにせ六角は求めることに夢中で
俺は直角