53 :
日本@名無史さん:03/07/07 13:34
征夷大将軍になりたいか?
54 :
日本@名無史さん:03/07/07 19:26
おー!
将軍・関白・太政大臣のどれかに任官したいぞー!
55 :
日本@名無史さん:03/07/09 15:46
佐々木四兄弟の中では三男の盛綱が一番地味かな。
__∧_∧_
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\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
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(^^)
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⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
うちの父方の祖父の家系、滋賀県出身で佐々木氏の末裔と聞いたんだが、、、
ほんとかな???
滋賀県にやっぱ多いだけ?
清和源氏以外の源氏で武家を生んだのは
嵯峨源氏
宇多源氏
のほかに何かある?
62 :
日本@名無史さん:03/09/29 21:01
62は間違い・・・
あともちろん村上源氏がある罠
64 :
日本@名無史さん:03/09/29 21:09
北畠家かな?
>>64 うん。
他に赤松、名和、別所など。
江戸時代の大名だったら有馬、奥平あたりがそうだな。
んで、この人たちは幕末までは被差別系なの?
八切史観によるとそーなんだが。
67 :
日本@名無史さん:03/09/29 22:24
この人たちは徐福系?新羅系?
69 :
日本@名無史さん:03/10/01 22:00
>>49 関ヶ原後元綱が3人の息子に領地を分けて大名から陥落。
だが、次男か3男かが家光のお気に入りとなって加増されて大名に復帰した筈ですよ。
70 :
日本@名無史さん:03/10/02 13:16
笹竜胆ってホントにロシアにも存在してるの?
71 :
日本@名無史さん:03/10/02 18:09
笹も竜胆もシベリアのような寒冷地では自生してません。
田舎にある家系図によると
佐々木成頼―章経―経方―季定―秀義―信綱―素経―頼経―宗信―成経―・・・
まだまだ続く。。となっているんだけど、信綱の息子の 素経 って
本とかネットで調べてみても名前が出てこない。
どなたか知ってる人いますか。
>>12 それ、真実は逆じゃねーの?
秀義の子たちはそろって、本佐々木氏と同じ”綱”を名前に付けてるけど
これは、本佐々木成綱の家系に佐々木秀義の家系が入ったてことじゃん?
74 :
日本@名無史さん:03/11/15 07:35
>>13 江戸時代なら、黒田家が宇多源氏の大名では最大かな。
>>21 皇室との婚姻関係で考えれば、公家は庭田家が最有力なんじゃ?
>>65 別所も有馬も元々赤松一族から出た家。
75 :
日本@名無史さん:03/11/16 16:38
新免も本位田も元々赤松一族から出た家。
76 :
日本@名無史さん:03/11/16 16:39
宮本武蔵は村上源氏?
77 :
日本@名無史さん:03/11/17 02:05
age!
>>72 泰経の誤写(又は72の誤読)でしょ。
信綱が秀義の子になってるのも併せて、ようは怪しい系図ってこと?
>>78 ありがとうございます。
たぶん私の誤読です。親父が実家でメモってきたものを書き写したので。
家柄に箔を付けるために家系図をでっち上げたりというのは、
昔からよくあることですので、絶対に正しい系図だと言えるものは少ない
でしょうね。ウチの系図も眉唾ものだと思ってます。
80 :
日本@名無史さん:03/11/20 03:55
>>78-79 てか信綱の子って、泰経じゃなくて泰綱(六角氏初代)じゃない?
81 :
日本@名無史さん:03/11/20 04:01
>>73 でも、佐々木一族の名前の「綱」の字って、高島(朽木)系以外では結局定着しないんだよね。
六角系や京極系では室町以降、「綱」の字を持つ人物はほとんど出なくなる。
82 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:03
室町期だと
六角氏・・・「頼」
京極氏・・・「高」
が通字だな。
83 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:38
別に「綱」を使い続ける必要はないんじゃないの?
実際、「頼」「高」も使い続けてる訳じゃないし、それまでなかった「綱」が
秀義の子たちに急に現われ、その後の2,3代は「綱」をつけた人物が多いのは事実。
佐々木氏の上位権力に「綱」を使っていた家があったかといえば・・・ある?
84 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:40
>>83 朽木氏は近代まで代々「綱」の字を使っている。
あっごめん、82に対するレスでした。
86 :
日本@名無史さん:03/12/06 03:32
保守
87 :
日本@名無史さん:03/12/06 03:48
ホシュピタル
88 :
日本@名無史さん:03/12/06 04:05
出雲・隱岐兩國守護職事、
任惣領割分之旨、去四月二日
被成 御判訖、宜被存知之由
所被仰下也、仍執逹如件、
天文廿一年六月廿八日 左衞門尉<松田藤頼>(花押)
大和守<飯尾堯連>(花押)
尼子民部少輔<晴久>殿
89 :
日本@名無史さん:03/12/06 04:15
↑
尼子家は下克上の成り上がり大名ではありません。
ちゃんと、京極本家から惣領権を分与されています。
90 :
日本@名無史さん:03/12/06 10:36
>>89 本家が移動することは他の大名家でもしばしばあったことだが、名字が変化していない
ので下克上に気づかれにくい。その点尼子氏は下手に名字を持っているだけに不利だな。
91 :
日本@名無史さん:03/12/06 17:22
>>90 でも一般向けの戦国大名の分類だと、本家が移動していても名字が一緒なら「守護大名出身」と書かれるのに、尼子家は「守護代出身」って不公平じゃない?
92 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:09
でも尼子初代の清定はどう考えても守護代でしょ?
93 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:20
ってか、つね久も追放された守護代だしょ。
94 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:37
>91
最上も斯波出身だけど足利一族とは書かれてない罠
得しているのは細川、島津くらいかな?
DQN本では長尾氏も得しているが・・・
95 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:55
そのくせ伊達を守護大名の系譜を引くものとして扱っているDQN本もあるな。
稙宗以前は守護じゃないのに。
>>95 まあ確かにそのとおりなんだが、陸奥はアホみたいにでかく、守護も置かれてなかったからね。
ただの国人扱いするのもなんだし守護扱いしちまえ、ってことでは?
97 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:24
とりあえず、奥羽の両探題で足利一門でもある大崎と最上を室町期守護に準じる扱いにするのなら多少は納得できるが。
しかし、稙宗が金で買ったわずか一度きりの守護補任状をもって伊達を守護というのなら、会津守護を自称していた蘆名なんかだって守護といって良いはずだ。藁
98 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:26
DQN光栄の攻略本なんかだと、伊達は守護大名の系譜で、朝倉は下克上で成り上がったというふうに書かれている。
朝倉のほうが40年以上早く守護職を手にしているんですが・・・。
99 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:30
>>92 清定の父・持久は将軍の偏諱を受けているよ。
100 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:37
101 :
日本@名無史さん:03/12/14 19:29
102 :
日本@名無史さん: