やっぱ北条氏といえば小田原じゃなくて鎌倉でしょう。
鎌倉幕府執権として一時代を築いた北条執権16代について語りましょう。
3 :
日本@名無史さん:03/11/22 16:34
北条政子も源頼朝にアナルSEXを求めていたのだろうか
4 :
日本@名無史さん:03/11/22 16:53
赤橋、金沢、名越、塩田、大仏、常葉、極楽寺
平頼綱が孤児で寺で育てられていたというのは大河ドラマの創作だよな?
6 :
日本@名無史さん:03/11/22 17:21
>>3 北条時政は娘と婿のアナルセックスを覗き見していたらしい。
7 :
日本@名無史さん:03/11/22 17:26
>>5 いつの時の大河ですか?
それにしても、一昨年の大河、北条時宗は酷かったな。
突っ込みどころは山ほどあったけど、
時頼(渡辺謙)と長時(川崎麻世)の関係が正しく描けていなかった
これが一番。
まあ、ドラマといってしまえばそれまでなんだけど。
8 :
日本@名無史さん:03/11/22 17:44
12代執権北条基時のことをよくご存知の方いらっしゃいませんか?
9 :
日本@名無史さん:03/11/22 17:49
>>7 >いつの時の大河ですか?
一昨年の大河だろ。
10 :
日本@名無史さん:03/11/22 18:11
>>8 基時は13代執権ということを知っています。
12代は煕時。
11 :
日本@名無史さん:03/11/22 18:48
>>8>>10 13代執権基時は、元弘3年5月22日歿。
息子の仲時(六波羅探題北方)の死を聞き、失意のうちに自害。
13 :
日本@名無史さん:03/11/22 19:41
>>11 最期は仲時が28歳だから、基時は50歳前後か。
14 :
日本@名無史さん:03/11/22 20:10
15 :
日本@名無史さん:03/11/22 20:12
塩田義政の子の国時って、年齢的には時宗と同世代なのに、幕府滅亡時まで生存してる。
「長時を・・・殺せ・・・。時輔を・・・殺せ・・・。」
「ち、父上!!」
17 :
日本@名無史さん:03/11/22 20:42
7代政村は時政幽閉時に粛正されかかったのに
ずっと後には時宗の補佐役になり
自ら執権の座にもついた。
この人は遊泳術に長じた人物だったのだろうか?
でないと謀略渦巻く幕府中枢で生き延びれなかったはずだ。
18 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:05
>>14 政村の家系には赤橋や金沢みたいな苗字はないの?
あと、太平記に出てくる名越高家は、名越家の末裔?
19 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:07
「赤橋」や「金沢」も後世の人間が数ばかり多い北条一族の識別のためにつけた称号だけどな。
当時の北条一族が自ら名乗っていたわけではない。
20 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:12
>>19 後世っていうよりは同時代の他人からでは。他の北条と区別するため住所で読んだんだろう。
ちなみに、平頼盛は池殿、平重盛は小松殿って呼ばれていたし。
21 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:37
でも、足利一族の今川とか細川とかは、当時からの名字なんだよね。
22 :
日本@名無史さん:03/11/22 22:19
>>21 今川とか細川は、一族というより家臣扱いだからな。
23 :
日本@名無史さん:03/11/22 22:27
>>22 細川はともかく、吉良と同格の今川が家臣扱いなのか?
24 :
日本@名無史さん:03/11/22 23:49
>>17 温厚篤実を装い、政敵を作らないようなポジションに就けるよう腐心していたらしい。
要は窓際に長くいたってことね。
25 :
日本@名無史さん:03/11/23 00:11
>>24 しかし地方(九州、奥州など)には下向していないな。
赴任は京都だけ。
26 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:56
>>25 元寇より前だから、鎮西探題はないでしょ。
27 :
日本@名無史さん:03/11/23 03:22
>>18 政村は大仏じゃなかったっけ。
>>21 足利一門の中で一番格が高かった斯波氏は足利幕府成立時まで足利氏を名乗っていたな。
足利直義が錦小路殿と呼ばれたようなもんか。
28 :
日本@名無史さん:03/11/23 03:50
29 :
世界@名無史さん:03/11/23 05:21
>>28 「大仏を建立するのに力を貸したという意味だろ。
>>29 どう読めばそういう解釈が出来る?
27=29さんよ。
31 :
日本@名無史さん:03/11/23 09:28
32 :
日本@名無史さん:03/11/23 12:25
北条時行って、鎌倉幕府滅亡の年からさらに20年も生き延びていたんですね。
33 :
日本@名無史さん:03/11/23 13:17
>>24 「酒色、日々に濃くなりにき」(春秋記)
アル中のフリをして、権力欲はないというアピールにしていたと見える。
34 :
日本@名無史さん:03/11/23 14:23
>>32 時行といえば、中先代の乱ですか。
しかし足利の討手からよく逃げられたものだ。
35 :
日本@名無史さん:03/11/23 16:00
時行って、南北朝が分裂すると南朝に属して新田義貞の息子達なんかと共同歩調をとるんだよな。
でも、新田義貞って父親の高時が死ぬ原因になった鎌倉攻めをやった人物だよ。
それよりも、北条一族とも血縁関係の強い足利尊氏についたほうが良かったような気がするのだが。
足利が鎌倉幕府を裏切ったのは、そのときの成り行きで仕方がなかったという面が多分にあるし、尊氏の性格なら時行の帰参を許しそうな気がするのだが。
36 :
日本@名無史さん:03/11/23 16:03
>>27 大仏は時房の子・朝直の系統。
さらに直義は三条殿のほうが一般的。
37 :
日本@名無史さん:03/11/23 21:32
>>35 足利尊氏は打算だけの人物。
すでに時代は北条時行を必要としていなかったから帰参はありえなかっただろう。
利用価値のない人間には冷淡、これは歴史が物語る権力者の思考だね。
38 :
日本@名無史さん:03/11/23 23:08
>>37 尊氏って直義と師直をどちらも切れずにフラフラしているような人物だぞ。
39 :
日本@名無史さん:03/11/23 23:10
北条時行って子孫いるの?
40 :
日本@名無史さん:03/11/23 23:28
>>18 名越系図
朝時―時章―公時―時家―貞家―高家
何か年代的に合わないような気がしないでもない。
41 :
日本@名無史さん:03/11/23 23:31
>>40 世代数は得宗家と同じ。
得宗家 泰時―時氏―時頼―時宗―貞時―高時
名越家 朝時―時章―公時―時家―貞家―高家
42 :
日本@名無史さん:03/11/23 23:46
義時の子から分かれた各家の世代数
得宗家 泰時−時氏−時頼−時宗−貞時−高時−邦時
名越家 朝時−時章−公時−時家−貞家−高家
赤橋家 重時−長時−義宗−久時−守時
常葉家 政村−時村−為時−熙時−茂時
金沢家 実泰−実時−顕時−貞顕−貞将
43 :
日本@名無史さん:03/11/24 00:34
>>38 しかし最後はどっちも見捨てたよ。
弟・直義にいたっては毒殺(異説あり)したくらい。
44 :
日本@名無史さん:03/11/24 12:01
45 :
日本@名無史さん:03/11/24 17:15
>>44 中先代の乱で時行が死んだなんて聞いたことないぞ。
46 :
日本@名無史さん:03/11/24 17:50
>45
まぁそりゃそうなんだが。。。
47 :
日本@名無史さん:03/11/24 17:51
種子島家
実は北条家の子孫
種子島時尭=北条時尭
48 :
日本@名無史さん:03/11/24 19:05
本人(時政)→息子(義時)→孫(泰時)→曾孫(時氏)→玄孫(時頼)
→来孫(時宗)→昆孫(貞時)→仍孫(高時)→雲孫(時行)
本人(時政)→娘(時子)→孫(義氏)→曾孫(泰氏)→玄孫(頼氏)
→来孫(家時)→昆孫(貞氏)→仍孫(尊氏)→雲孫(義詮)
本人(時政)→息子(義時)→孫(泰時)→曾孫(??)→玄孫(泰氏)
→来孫(頼氏)→昆孫(家時)→仍孫(貞氏)→雲孫(尊氏)
本人(時政)→息子(義時)→孫(泰時)→曾孫(時氏)→玄孫(??)
→来孫(頼氏)→昆孫(家時)→仍孫(貞氏)→雲孫(尊氏)
本人(時政)→息子(義時)→孫(重時)→曾孫(時茂)→玄孫(??)
→来孫(貞氏)→昆孫(高氏)→仍孫(義詮)→雲孫(義満)
本人(時政)→息子(義時)→孫(重時)→曾孫(長時)→玄孫(義宗)
→来孫(久時)→昆孫(登子)→仍孫(義詮)→雲孫(義満)
49 :
日本@名無史さん:03/11/24 19:45
>>45 そう、時行死没は乱の18年後だけど、子は乱の中で死ななかったっけ?
乱の首謀者の一人、諏訪頼重(天文年間の当主と同名)自害の巻き添えを食らったとかいう話…
50 :
日本@名無史さん:03/11/24 20:11
>>49 時行って1335年時点で子供がいるような歳とは思えないのだが。
高時が1303年生まれだぞ。
51 :
日本@名無史さん:03/11/24 20:19
北条時行は二度目に捕らえられ斬首。子孫たちは現世まで続いているでしょう。
子には輝時(石神井城城主)などがいます。
52 :
日本@名無史さん:03/11/24 20:19
53 :
日本@名無史さん:03/11/24 20:33
54 :
日本@名無史さん:03/11/24 22:36
系図纂要なんかだと北条早雲も時行の玄孫くらいになっているけど、あの間の人物はすべて捏造?
55 :
日本@名無史さん:03/11/24 22:57
>>54 説はたくさんあるのでどれが定説かは分かりません。
桓武平氏の平直方から伊勢氏、熊谷直実、北条時政
の名門3つに分かれている説もあります。その中の
伊勢氏は北条早雲に繋がる系統だとも言われています。
伊勢新九郎盛時(親の名前か?)が早雲の本名で。人々からは
早雲と呼ばれました。自分からは早雲とは名乗らなかったそうです。
56 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:24
>>55 そういうことを聞いているんじゃないです。
系図纂要に書かれた時行の子や孫の人名は実在の人物でそこに後北条を無理矢理繋ぎ合わせたものなのか、それとも系図纂要の時行以降の人物はすべて架空なのかということを聞いています。
同時代史料上では、伊勢入道あるいは宗瑞入道あたりが一般的で、北条早雲という呼び方が後世のものというのは知っています。
57 :
日本@名無史さん:03/11/24 23:29
平直方の嫡流は、北条というより熊谷じゃない?
熊谷は代々「直」の字を受け継いでいるし。
58 :
日本@名無史さん:03/11/25 10:26
59 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:43
北条時輔に詳しい人いる?
62 :
日本@名無史さん:03/11/25 23:23
時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔時輔
63 :
日本@名無史さん:03/11/26 01:25
数ある武家の中でも系図に捏造の少ないのが北条氏らしい。
時代は違うけど、徳川氏なんかモロでっちあげでしょ?
>>63 そりゃー基本的に一族が展開したのが
鎌倉時代だけだからなあ。
でも、時政以前は怪しいよね。
下手すると平直方後裔というのだって怪しいし。
65 :
日本@名無史さん:03/11/26 03:02
義時毒殺説について
皆様の見解はいかがですか?
66 :
日本@名無史さん:03/11/26 17:12
ガセ
67 :
日本@名無史さん:03/11/26 23:23
68 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:03
時輔って、時宗に目の敵にされたのだろうか?
69 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:06
>>68 さしたる証拠もなしに処刑しているところを見ると相当目の敵にしていたようですな
70 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:59
71 :
日本@名無史さん:03/11/27 19:26
一昨年の大河はひどかった・・・
72 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/27 19:42
間違いなくワーストですね。二木先生への学者仲間からの抗議も一番酷かったとか。
73 :
日本@名無史さん:03/11/27 20:47
二木先生はいつまで時代考証への名義貸しを続けるのですか?
74 :
日本@名無史さん:03/11/27 21:30
合戦シーンは今でもたまに観てるぞ
75 :
日本@名無史さん:03/11/27 21:32
北条時宗の大河のビデオってないの?
76 :
日本@名無史さん:03/11/27 22:08
鎌倉幕府は将軍家の存在が泣ける
77 :
日本@名無史さん:03/11/27 23:04
同じ中世を扱った大河ドラマでも、「太平記」は確実にベスト5くらいには入るのに、「時宗」の評価は間違いなく最下位ですね。
78 :
日本@名無史さん:03/11/27 23:07
太平記も時代考証けっこういい加減だけど歴史ファンの支持は強い。
ドラマの出来不出来は考証と関係ないんだよね。
北条時広じゃ〜
>>47 種子島時尭=北条時尭
確かに、時がついてるな。
系図希望。
81 :
日本@名無史さん:03/11/28 00:02
>>77 故あらばこそ、こゝに書き置くなれ。
死するに當たり、我より後の子に託す。
我に代はりて天下を取り、遠祖の遺託を成し遂げよ。
我、盛運を思ふや多年。
然れども、我に徳なく、夢むなしく破れ、僅かに家名を守らむがため、一命をなげうつのみ。
我より後の子に託す。
我が意を繼げよかし。
我に代はりて、天下を取れ!
82 :
日本@名無史さん:03/11/28 00:12
>>78 一昨年の大河は、素人が見ても明らかにおかしいだろと思うような場面が多すぎた。
たとえば、主人公の妻や母が異常なほどの反戦主義者だったり。
少なくとも、武家の家で教育を受けたものが、「死ぬな」とか「戦争は嫌だ」とかというようなことを、内心そう思っていたとしても、夫や息子に向かって執拗に何度も言ったりするだろうか?
こういうところは、見ていた誰もが違和感を感じたはずだと思う。
あとは、主役級の人物の歿年や死因をいじりすぎたことで、ある程度の知識があるファンの評価も、さらに下げることになった。
83 :
日本@名無史さん:03/11/28 00:14
大河「時宗」は、普通のドラマのように以下のテロップを最後に入れるべきだった。
「このドラマはフィクションであり、実在の歴史上の人物・事件とは一切関係がありません」
84 :
日本@名無史さん:03/11/28 00:15
平頼綱や長崎円喜は平氏だけど
得宗の身内人って平家の残党が多いのかな?
平氏だから平家の残党とは限らないでしょ。
長崎(平)や伊豆の土豪。
伊勢平氏後裔説は後世のもの。
86 :
日本@名無史さん:03/11/28 00:19
>>78 しかし、時代考証という点で「北条時宗」よりも酷い大河は、前にも後にも見たことがない。
87 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:03
何だか、大河ドラマ「北条時宗」叩きスレみたいになってきたね・・・
88 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:06
>85
長崎氏は平重盛の末裔となっているが・・・
89 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:30
平禅門頼綱の父・盛綱の名前に「盛」の字があるのは、やはり伊勢平氏直系であることを意識しているから?
あと、関氏も代々「盛」の字を使うね。
90 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:32
91 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:03
92 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:05
93 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:12
戦国時代や幕末に集中していた近年の大河の時代設定の中では
個人的には鎌倉後期というのは目新しく感じたのだが・・
そもそも、主人公の人生があまりにも短すぎたのもストーリーが史実から大きく逸脱する要因だったのでは?
94 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:19
創作を入れるにしても、明らかにあり得ないような創作は、逆にしらけてしまう。
蒙古語が公用語であるはずの元の宮廷でフビライが中国語を喋っていたり、あげくのはてはマルコ・ポーロが日本語を喋ったり。藁
95 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:23
北条時輔が二月騒動で生き延び
北条時輔が大陸にわたりフビライと会ったり
あげくのはてには北条時輔が中国語喋っていたり
よくわからん!
96 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:34
>>93 短命な主人公の大河は過去にもいくつかあった(源義経、坂本竜馬など)。
1年間視聴者を引き付けられるだけのエピソードが少なかったということでしょ。
97 :
日本@名無史さん:03/11/28 22:24
>>96 エピソードの少ない主人公なのは企画段階でわかっていたはずなのだが。
結局、ドラマがまずいのはスタッフがアフォだからだ。
98 :
日本@名無史さん:03/11/28 22:43
さいとう・たかをさんが描いた
劇画 北条時宗 は名作にゃのにゃ〜。
99 :
日本@名無史さん:03/11/28 22:52
>>98 あれに出てくる名越光時・時幸兄弟は、なんかゴルゴを付け狙う香港マフィアみたいな顔だな。
関白が宮中で腹を切ったり・・・。二条は鎌倉まで行ったのに出て来なかったし。
あの劇画で、ゴルゴっぽい顔してんのは、謝太郎だと思う・・・・。
大河よりも、劇画 北条時宗のほうが、なんか泣けた・・・・。
102 :
日本@名無史さん:03/11/28 23:42
劇画版も関白が切腹するのか?
103 :
日本@名無史さん:03/11/28 23:43
んな、まさか・・・。
104 :
日本@名無史さん:03/11/29 06:09
劇画版は九条道家が暗殺されたことになっていて、がっかりしてそれ以上読むのをやめてしまったが、出来はどんなものなんだろう?
105 :
((≡ ̄♀ ̄≡)):03/11/29 06:10
106 :
日本@名無史さん:03/11/29 12:11
高時は史料ではボロカスに書かれているがそれほど暗愚な人物だったのだろうか?
107 :
日本@名無史さん:03/11/29 15:33
>>94 クビライは蒙古語をしゃべっていたが。
>>95 北条実時は、漢文から世界情勢を読み取っていた。鎌倉には宋から来た高僧が多いので、
北条家に中国語に堪能なものがいてもおかしくはないだろう。時輔が本当に堪能だったかは
分からんが。
>>106 断じて違う。後醍醐や足利の捏造。
108 :
日本@名無史さん:03/11/29 20:24
>>98 石川某さん(長井号の影武者)が描いた北条時宗は迷作にゃのにゃ〜。
109 :
日本@名無史さん:03/11/29 21:27
>107
しかし高時が未曾有の国難、あるいは幕府存立の危機を乗り越えるだけの器量に欠けていた事は
幕府滅亡という事実で証明されてはいないか?
110 :
日本@名無史さん:03/11/30 00:45
>>109 あの段階では誰が得宗であろうと、鎌倉幕府は滅びる運命にあった。
>>108 それはしらなかったのニャ。。。
早速、明日よんでみるにょにゃ〜。
112 :
日本@名無史さん:03/11/30 02:42
>>106 まあ暗愚だったらそもそも回りが隠しちゃうからね。大○天皇みたいに(w
113 :
日本@名無史さん:03/11/30 04:32
>>109 政権滅亡=暗愚というのはいかがなものか。
それをいったら織田政権は信長の時代で終了したわけだし、
徳川慶喜は15代の将軍のうちでも有能な方だったと思うし。
ちなみに俺は北条高時はさほど無能では無かったと思う口。
鎌倉幕府滅亡時の北条方の見事な戦いぶりは、高時がそれなりに
信望があったのではないかと思っている。
平家、奥州藤原家に比べるとね。
>>113 禿げ同。あの時の北条方の戦い方、徹底抗戦ぶりは徳川幕府方をはるかに凌駕する本気度。
115 :
日本@名無史さん:03/11/30 08:34
>114
裏切れば生き残れた?可能性もありそうな赤橋守時も自害してるし
やっぱり時勢なんだろうな。
何せ滅んだのが突然ですからね。
平家なんかはジワジワやられた口だけど、
鎌倉幕府は部下の謀叛で一気に倒された。
北条もまさかこんなにあっさり滅ぶとは思わなかったんじゃないかと
日本史年表を見て感じた。
117 :
日本@名無史さん:03/11/30 17:12
鎌倉幕府ってある意味権勢の絶頂で倒されているんだよね。
一瞬のうちに日本中から見放されて滅亡している。
得宗専制政権の何がそんなに嫌われたのか、謎だよね。
118 :
日本@名無史さん:03/11/30 19:14
>117 権勢の絶頂?多分それはないと思われ。時宗が領地を部下に譲らなかった上に無意味な徳政令を出した時点で権勢もなにもないでしょ!多分だよ!
119 :
日本@名無史さん:03/11/30 19:16
江戸時代に室鳩巣が「高時は暗君といわれてたのに何故、滅亡時に一門300人
もが(高時に従って)揃って死んだのか」と疑問をはさんでた、
というのを何かの本で読んだことがある
120 :
日本@名無史さん:03/11/30 19:22
121 :
日本@名無史さん:03/11/30 20:19
>>119 得宗御内人から見た高時と、外様御家人から見た高時とは、大きく違うんだろうな。
122 :
日本@名無史さん:03/11/30 20:34
15代執権金沢貞顕って高時の傀儡?
中公の「日本の歴史」別巻5・年表の記事では
1326年(嘉暦1年)3月、「高時,出家し執権を辞職.金沢貞顕,執権となり即日辞する.」
となっている。
「即日辞する」 1日で辞めたってことですか?
123 :
日本@名無史さん:03/11/30 20:51
滅亡の原因
武家政権の鎌倉をつぶすことは本意では無かったかもしれんが
鎌倉幕府は御家人を救済することが出来なかった。
よって御家人は幕府から離れていった。
124 :
日本@名無史さん:03/11/30 21:04
「太平記」だったか、片岡鶴太郎演じる北条高時は
馬鹿でもなく、俊英でもなく、
ただの嫌味なオヤジにしか見えなかった。
125 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:19
126 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:27
>>115 鎌倉幕府はかなりあっさりと滅んでしまったから、幕府滅亡時に鎌倉にも六波羅にもいなかった場合、北条一族でも生き残れる可能性はあったと思う。
赤橋守時の妻は、のちに建武政権下で恩賞を貰っているし。
127 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:42
128 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:46
足利貞氏の正妻(金沢貞顕の妹)も幕府滅亡後まで生き残っている。
129 :
日本@名無史さん:03/11/30 23:10
>>125 赤橋守時室どころか、北条貞時室・高時室などの
北条一族の女子は大勢生き残って、
伊豆北条で戦没者の菩提を弔っていたらしい。
>>128 鎌倉浄妙寺の縁起に載ってるだけで、
実際はいつ頃まで生きていたのか分からない。
そもそも、貞顕の姉なのか、妹かさえ分からない。
130 :
日本@名無史さん:03/12/01 00:10
日本の場合、体制さえ転覆してしまえば、
わざわざ前の権力者の一族を皆殺しにするなんて事は少ないからな。
日本列島の中である意味なあなあでやってる訳だから。
131 :
日本@名無史さん:03/12/01 00:38
>>126 赤橋守時の妻が、のちに建武政権下で貰った恩賞というのは、守時が足利尊氏の妻子の鎌倉脱出の手引きをしたことに対するものらしい。
てか、尊氏の妻子って守時の妹と甥なんだけどな。
132 :
日本@名無史さん:03/12/01 00:50
>>131 それ、初耳だわ。
ソース教えてくれると嬉しい。
133 :
日本@名無史さん:03/12/01 10:52
ていうかソースも何も室町幕府のあり方の根幹を決めた縁戚関係なので...
足利は北条から鎌倉を引き継いだという点で武家の首長と認められた
前執権の御婿殿というステータスは他家を黙らせる持ち球だったはず
赤橋守時関係なら鎮西探題も拝命している
鎮西奉行職の小弐を差し置いて引き続き九州探題を設置したのは
尊氏が武家政権たる北条氏支配をそのまま継承した政治的事実を如実に物語っている
134 :
日本@名無史さん:03/12/01 10:57
九州には糸田 きく 種子島 桜田など
鎮西探題以外にも北条一族が勢力を伸ばしている
135 :
日本@名無史さん:03/12/01 16:46
>>133 鎌倉幕府最後の鎮西探題は、守時の弟の英時。
136 :
日本@名無史さん:03/12/01 18:36
時行の子は氏を変えていたな。北条ではなかったな。
137 :
日本@名無史さん:03/12/01 19:47
横井氏
138 :
日本@名無史さん:03/12/01 21:42
>>133 そうじゃなくって
>建武政権下で貰った恩賞というのは、
>守時が足利尊氏の妻子の鎌倉脱出の手引きを
>したことに対するものらしい。
の部分。
それが事実なら、『太平記』の
「盛時足利殿に女性方の縁に成ぬる間、
相摸殿を奉始、一家の人々、
さこそ心をも置給らめ。是勇士の所恥也。」
という守時の言葉は全くの虚構だということ
になるわけだが…。
139 :
日本@名無史さん:03/12/02 00:03
>>138 守時は、北条一族の幕府執権としての立場と、足利家の親戚筋としての立場と、両方に対して誠意を尽くしたと解すべきでは?
自らは滅亡する鎌倉と運命をともにすると決意していても、鎌倉への忠誠心とは別の立場で尊氏の妻子の鎌倉脱出を手引きしたところでなんら不思議はない。
実際、足利尊氏の妾腹の子(直冬ではない)が一人、鎌倉脱出に失敗して殺されている事実を考えても、登子・千寿王(義詮)がともに無事脱出できたのは、鎌倉側に手引きをしたものがいた可能性は高い。
140 :
日本@名無史さん:03/12/02 00:37
>>139 「鎌倉側に手引きをしたものがいた可能性」
はあっても、それが赤橋守時であるという証拠、
そしてそのソースはどこ?と聞いてるのだが。
139の言う足利高氏の子は竹若の事だと思うんだが、
竹若がいたのは叔父である
覺遍が院務であった伊豆走湯山密厳院。
鎌倉にいた千寿王とはちょっとケースが違うんじゃないか?
141 :
日本@名無史さん:03/12/02 01:31
>>140 赤橋守時の妻が、建武政権下で恩賞を貰っているという事実がそれを示唆している。
「登子を、足利御台所をよろしくお願い申す! さて、もうひと合戦」
・・・最高に泣ける。
143 :
日本@名無史さん:03/12/02 15:43
憶測は三戦板でやれよ
144 :
日本@名無史さん:03/12/02 20:03
>>125 保暦間記によれば
高時は執権職辞任にあたり弟の泰家に後を継がせるつもりでいたが、
内管領長崎高資が勝手に貞顕を後任に据えてしまった(このあたりからも高時の無力無能ぶりがうかがえるが)。
憤懣やるかたない泰家が近いうちに貞顕を討つだろうという噂が鎌倉に流れたため、
もともと就任に前向きでなかった貞顕は嫌気が差して10日あまりで辞職し、出家したとのこと。
まあそれでも貞顕は幕府滅亡時には勇戦するのだが。
145 :
日本@名無史さん:03/12/02 20:51
>>144 勇戦したのは子の貞冬であって、断じて貞顕ではない。
146 :
日本@名無史さん:03/12/02 21:25
鎌倉北条氏っていろいろ内紛を繰り返した割りには、最後はほとんど寝返り者を出さずに仲良く滅亡したな。
147 :
日本@名無史さん:03/12/03 04:38
そもそも北条氏は家柄という点では全く大したことがないわけ(平氏系)で、
実権を握る根拠は頼朝の妻の一族であるという事に過ぎない。
家柄が最も重要視される中世武家社会において
彼らより家柄の良い多くの諸侯は、彼らが幕府の実権を握るのは、
基本的に懐疑的だったのではないか。
だから北条氏は常に微妙な立場に置かれていたと思われる。
彼らの平均寿命が特に短い原因は、多分この微妙な立場からくる
ストレスだったのではないだろうか。
家柄が大したことの無い彼らは常に無力な将軍の「代役」としての立場を
貫き、自身が「王」になるのを避ける必要があったはずなのに、
鎌倉末期にはその北条氏自身が権勢を誇るようになってしまった。
これが滅亡の大いなる原因と見る。
ただ面白いのは源氏は平家を滅ぼしたはずなのに、
結局平家が実権を握ってしまった事だな。
148 :
日本@名無史さん:03/12/03 10:24
>>147 平氏系だから家柄が低いというわけではないだろ。
平氏でも名家とされる家はいくらでもある。
北条の場合は、平直方から時政までの途中の系図にはっきりしない部分があり、若干の胡散臭さを残しているから。
149 :
日本@名無史さん:03/12/03 21:35
>>146 北条氏は「平氏」ではあっても、
いわゆる「平家」じゃないぞ。
北条義時は、源頼朝の「家子」だから、
単なる政子の弟、という立場ではない。
150 :
日本@名無史さん:03/12/03 22:37
でも、鎌倉時代の有力御家人(例えば、足利、安達、三浦、佐々木etc)ってほぼ例外なく北条家と親戚なんだよね。
151 :
日本@名無史さん:03/12/03 22:52
どうして北条は将軍にならなかったのかなあ。
実力は事実上の日本国王だったのに。
152 :
日本@名無史さん:03/12/03 23:12
>事実上の日本国王だったのに。
朝廷は?
153 :
日本@名無史さん:03/12/03 23:30
北条時政は京都、というか、平頼盛と関係があったのかな?
後妻の牧の方は確か平頼盛に使えていた女官で、実家も頼盛の領地の管理人。
時政の娘、というか政子は平氏の一門の山木と結婚までいった。
154 :
日本@名無史さん:03/12/04 00:30
>>151 承久の乱の時は将軍は不在だった。というより実朝が死んでから乱を挟んで
7年間将軍はいなかった。でも幕府は機能したし、なにより朝廷をやっつける
ほどの歴史的成果を残した。じゃあ別に将軍なんて、いてもいなくても、どうでも
いいじゃん。まあ、京都からの人質を将軍にするってことになってたっけ。
じゃ、とりあえずヤツラを将軍にさせとくか。
と考えるようになった。というのは穿ち過ぎか…
155 :
日本@名無史さん:03/12/04 02:51
>>153 頼盛の子孫は鎌倉御家人になったんだっけ?
156 :
日本@名無史さん:03/12/04 03:30
>>155 なるけど男系子孫は絶える。
領地は女系で相伝される。
池大納言領は興味深い。
157 :
日本@名無史さん:03/12/04 03:40
それにしても時氏以降の得宗家の当主はみんな短命だよな。
158 :
日本@名無史さん:03/12/04 03:48
159 :
日本@名無史さん:03/12/04 03:56
160 :
日本@名無史さん:03/12/04 03:58
>>157 最近は過労死とする説が有力みたいだね。
162 :
日本@名無史さん:03/12/04 12:30
>>155 頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、九州かどこかの田舎に移り住んだようです。
163 :
日本@名無史さん:03/12/04 12:33
>>162 ぱっとするとかしないとかって…
芸能人じゃないんだし、引越しでもないんだから。w
164 :
日本@名無史さん:03/12/04 19:29
>>163 はあ?
ぱっとするとかしないとかって、芸能人以外に対しても使われてますし、実際引越したのですから。w
165 :
日本@名無史さん:03/12/04 22:55
>>162 >>156 >>155 頼盛の子孫として有名なのは孫の保教。
ただし御家人ではなく公家。
承久の乱で宮方に与し、処刑される。
以後頼盛家は振るわず。
166 :
日本@名無史さん:03/12/05 02:39
>>164 粘着もいいけど。
自分の無知を晒すだけだよw
167 :
日本@名無史さん:03/12/05 07:21
>>166 はあ?
論理的に反論できないと、すぐ粘着とか言ってごまかすのもな。そのほうがよっぽど粘着だよ。
168 :
日本@名無史さん:03/12/05 13:43
>>166 論理的に反論って・・・
ぱっとするしないとか、引越ししたとかしないとか。
どこに論理があるの?
国語の勉強を一からはじめた方がいいね。
歴史のはなしはそれからだ。
それとも釣りですか?
169 :
日本@名無史さん:03/12/05 18:02
>>168 「頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、九州かどこかの田舎に移り住んだようです。」
に対して、
普通は、
「いや、頼盛の子孫はその後引き続き京にいて、活躍していた」
とかいって反論すべきなのに、
「芸能人じゃないんだし、引越しでもないんだから。w」
といった文章のどこに論理性があるのだろう。単なる言いがかりに過ぎないね。
で、そのうえ、
「粘着もいいけど。自分の無知を晒すだけだよw」
なんていった日には、非論理的どころか品性も疑われるよ。
もう少し常識といったものを身に付けたほうがいいいのでは?
歴史の話はそれからですね。
それとも釣りですか?
170 :
日本@名無史さん:03/12/06 00:32
私、あまり、詳しくはないのですが、
鎌倉時代が一番好きです。
171 :
日本@名無史さん:03/12/06 01:30
>>169 釣りじゃなくて本当のバカだとわかった。
そもそも>「いや、頼盛の子孫はその後引き続き京にいて、活躍していた」
これが論理的な反論とはあきれたよ。
「頼盛の子孫はその後ぱっとして、どこにも移り住んでいないようです。」
せめてこのくらいにしてくれなきゃw
それからついでに「ぱっとする」と「ぱっとしない」の基準を教えてくれよw
172 :
日本@名無史さん:03/12/06 01:35
頼盛なんかどうでもいいよ。
北条氏の話をしようよ。
くだらん質問です
戦国の北条とは関係ないんですよね?
174 :
日本@名無史さん:03/12/06 01:58
176 :
日本@名無史さん:03/12/06 02:38
間接的にという意味では関係あるね。
北条改姓の一番の意味は鎌倉北条の後継としてのものらしいし。
177 :
日本@名無史さん:03/12/06 02:42
178 :
日本@名無史さん:03/12/06 09:42
>>171 いやいや、本当に単なる言いかがりとしか思えなくなってきたな。
であれば、最初から
「頼盛の子孫はその後ぱっとして、どこにも移り住んでいないようです。」
と反論すればいいだけなのですが。。。
それを、
「ぱっとするとかしないとかって…
芸能人じゃないんだし、引越しでもないんだから。w」
などどいう、幼稚なコメントをして。。。。
ほんと、あなたは困り者ですな。
179 :
日本@名無史さん:03/12/06 15:04
>>178 ぷぷぷぷぷ
煽りですか?
でも幼稚なレスには幼稚なコメントしか付かないぞ。
それよりおれも
>>171にように「ぱっとする」「ぱっとしない」の基準をききたい。
180 :
日本@名無史さん:03/12/06 17:50
>>179 幼稚なレスだから幼稚なコメントつけるなんて子供ぽいですな。
「ぱっとする」「ぱっとしない」との基準が知りたい?
日本語知らないのかな。子供っぽいレスですな。
181 :
日本@名無史さん:03/12/06 17:58
>>180 なんか、「ぱっとする」「ぱっとしない」に関心集まってるな。
なんか重要なの?あまり重要でもないと思うが。
182 :
日本@名無史さん:03/12/06 18:02
>>181 おいおい、「ぱっとしない」は確かにこっちが使ったが、「ぱっとすつとかしないとか」っては
183 :
日本@名無史さん:03/12/06 18:03
184 :
日本@名無史さん:03/12/06 19:06
185 :
日本@名無史さん:03/12/06 19:22
そろそろ北条氏の話題に戻さないか?
遅レスだが、
>>141 それって、『相州文書』の
伊豆国三浦荘内壹萬疋田地、
為守時後家尼通盛活計、
知行せらるべくてえり、
天気此の如し、之を悉せ以て状す、
元弘三年十一月二十二日 右中辨
を元にしたんだろうが、
これって「恩賞」じゃないだろ。
そもそも、「比志島文書」の「足利氏新恩所領目録」
にも見えるように、赤橋守時の所領は
建武政権に没収されており、
守時後家には恐らく譲られてはいない。
だからこそ「活計」という表現になったわけで、
生活基盤を失ったものの、守時後家は
足利氏の縁戚に連なることから保護された、
と解釈するべきじゃないか?
もっとも守時後家は、これからそう離れない
建武五年には没するわけだが。
186 :
日本@名無史さん:03/12/06 20:51
>>185 但し、没収された赤橋家の所領も、大半は足利家とその一族に与えられた。
中世においては、為政者にに敵対して滅ぼされた者の所領は、その者の一族で為政者側についたものに与えられるという慣習があり、赤橋家の場合は足利家が一番近い近親者と見なされた結果と言える。
187 :
日本@名無史さん:03/12/06 20:54
南北朝期だと、塩冶氏の没落後に同じ佐々木一族である京極氏にその遺領が移っているような例があるね。
188 :
日本@名無史さん:03/12/06 21:20
>>186 >赤橋家の場合は足利家が一番近い近親者と見なされた結果と言える。
そりゃ尊氏の室が赤橋登子なんだから、
生き残った氏族じゃそうだろうさ。
だが「足利氏新恩所領目録」を見たことがあるかい?
ここに出てくるのは
北条泰家・大仏貞直・甘縄時顕・赤橋守時・
大方禅尼(北条貞時室)・大仏維貞
の所領なんだが、北条泰家と大仏貞直の所領が
圧倒的に多い。
この二人と足利氏の関係は?
確かに186が言うような慣習というのは存在したが、
必ずしもそれが守られたというものでもない。
また、
>没収された赤橋家の所領も、大半は足利家とその一族に与えられた。
これも、「足利氏新恩所領目録」からは
僅か二箇所が抽出されるだけで、
妥当な表現とはいえないだろう。
それとも、他に赤橋家の所領が
足利氏に渡ったという史料があるなら
教えてくれ。
189 :
日本@名無史さん:03/12/06 21:21
>>185 >知行せらるべくてえり
じゃなくて、知行せらるべし、てえれば、な。
細かいところをおろそかにすると、あとあと
恥をかくぞよ。
190 :
日本@名無史さん:03/12/07 01:49
191 :
日本@名無史さん:03/12/07 01:52
192 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:03
>>183 話題を戻してすまんが
日本語にお詳しいそうだから、はやく「ぱっとする」という基準を教えてくれw
193 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:17
赤橋守時「なにとぞこの赤橋に新田の防ぎをお命じ給わりたく・・・」
長崎円喜「なりませぬぞ!赤橋は寝返り者じゃ。妹婿が北条家に弓引くを見て見ぬ振りをした謀反の片割れじゃ。そのような者に兵を率いさせ戦に出すなど言語道断でござりまする!」
北条高時「高時はそうは思わぬ」
長崎円喜「太守!」
北条高時「寝返り者ならわざわざわしに会いには来ぬ。のう、赤橋。よう訪ねてきた。互いに信じられぬままでは何ともあさましい。わけてこの高時は人一倍の寂しがり。わしの陣に赤橋の如き強者が一人増えたと思うと心が少し賑やかになる」
金沢貞顕「太守!」
覚海尼「太守!」
北条高時「行くが良い。ともに鎌倉は祖先の地。御辺もわしもほかに逃げて行く国はない。その鎌倉を兵や馬で踏みにじる者あらば、戦致すほかあるまい」
赤橋守時「かたじけのう存じまする」
北条高時「武運をのう」
赤橋守時「ははっ」
・・・・・
北条高時「赤橋め。ながの別れに参ったのじゃ。生きて帰らぬつもりぞ」
194 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:29
195 :
日本@名無史さん:03/12/07 04:31
あれが最後の大河だったね
196 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:00
まだ時宗があるよ。
197 :
日本@名無史さん:03/12/07 05:06
時宗なんてDQNの最たるもんだよ
赤マント‥‥
やっぱり脚本はジェームス三木かな
葵三代とか。多少歴史的不満はあるが
ドラマとしては安心して見れる。
199 :
足利家時置文:03/12/07 05:12
故あらばこそ、こゝに書き置くなれ。
死するに當たり、我より後の子に託す。
我に代はりて天下を取り、遠祖の遺託を成し遂げよ。
我、盛運を思ふや多年。
然れども、我に徳なく、夢むなしく破れ、僅かに家名を守らむがため、一命をなげうつのみ。
我より後の子に託す。
我が意を繼げよかし。
我に代はりて、天下を取れ!
北条家滅亡は京に20万もの討伐軍を展開していたにも関わらず
楠木正成の籠城を半年以上も落とせなかったのが痛い。
結局足利尊氏の叛旗により六波羅探題と討伐軍は壊滅してしまった。
鎌倉も天然の要塞だったが、干潮時に海から攻められるとあっさり落ちた。
202 :
日本@名無史さん:03/12/07 10:06
203 :
日本@名無史さん:03/12/07 10:13
>>193 俺も最初「太守」と思っていたが、台守らしい。でも辞書とかないし、ソースは不明。
204 :
日本@名無史さん:03/12/07 11:15
「太守」だろ。相州太守。相模守のことだな。
205 :
日本@名無史さん :03/12/07 11:23
206 :
日本@名無史さん:03/12/07 11:43
時輔は京都で討伐された後、吉野に落ち延びたという
記述があるものもあることはある。
だから大河で生きていても全くおかしいわけではない。
207 :
日本@名無史さん:03/12/07 12:50
>>206 「保暦間記」だね。
つか、大河のほうがその記述を無理矢理ふくらませたんだろ。
でも一昨年の大河はおかしいとかおかしくないとか言う以前に正直つまらなかった
>>202 おいおい
言い出しっぺのおまえは答えられないのかw
209 :
日本@名無史さん:03/12/07 13:55
211 :
日本@名無史さん:03/12/07 15:27
212 :
日本@名無史さん:03/12/07 16:31
>>209 >頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず
「ぱっとせず」と書いたのは162の君のようだが?
213 :
日本@名無史さん:03/12/07 17:18
214 :
日本@名無史さん:03/12/07 17:28
>>212は何を知りたいのであろうか?
「ぱっとせず」とか「ぱっとするとかしないとかって」っていうのは
>>162も
>>163も当然の如く使っているから、少なくとも両当事者間では争点になってませんよ。
第三者の貴殿が一体なんでそこまで当事者が全くこだわってないことに固執するのでしょうか?
それに
>>211にもあるように
>>165で頼盛の子孫について触れらていますが。
何が貴殿を駆り立てているのでしょうか?
215 :
日本@名無史さん:03/12/07 19:11
話を元に戻そうぜ。
北条義時の「義」は誰からもらったのか?
三浦義村なら、源氏累代の家のものとして「義」をつけてもおかしくないが。
義時は誰からもらったのか。しかも兄貴は宗時だよ。
216 :
日本@名無史さん:03/12/07 19:25
>>215 鎌倉時代に偏諱を与える・もらう習慣はあったの?
217 :
日本@名無史さん:03/12/07 19:28
>216
あった。北条家と足利家の系図を見てみな。
218 :
日本@名無史さん:03/12/07 20:57
足利高氏の高は北条高時から、
足利尊氏の尊は後醍醐からもらった。
219 :
日本@名無史さん:03/12/07 20:59
みんな赤橋守時っていうけど、それって北条守時ともいうよね?よく分からないから聞いてみました
北条泰時:足利泰氏
北条時頼:足利頼氏
北条時宗:足利家時(?)・足利家宗(斯波)
北条貞時:足利貞時・足利家貞(斯波)
北条高時:足利高義・高氏(尊氏)・高国(直義)・足利高経(斯波)
逆に足利→北条の例としては
足利利氏(頼氏):北条時利(時輔)
の例があるね。
221 :
日本@名無史さん:03/12/07 21:55
>>219 実際には「赤橋守時」と名乗ったが、歴史学では面倒なので便宜上
「北条守時」にしている。
これは、金沢文庫をつくったのが本当は「金澤實時」なのに、
歴史学では「北条実時」と書くのと同じ。
223 :
日本@名無史さん:03/12/07 22:19
224 :
日本@名無史さん:03/12/08 00:02
時頼ってすてき。
225 :
日本@名無史さん:03/12/08 00:28
>>220 もっとストレートに足利(斯波)宗氏がいるよ。
宗氏=家貞とされるので、
時期的には時宗とはちょっとずれる。
227 :
日本@名無史さん:03/12/08 02:29
吉良貞義はどう?
あと、今川貞世は年代的にずれるね。
228 :
日本@名無史さん:03/12/08 02:37
鎌倉時代は単純に一字書出しじゃなくて元服の烏帽子親だろ。
229 :
日本@名無史さん:03/12/08 02:48
>>214=213=162だろ?
わかりやすいねぇ君。
ところで俺も「ぱっとする」という基準が知りたいよ。
能書きはいいから教えてくれよ。
どうしたら「ぱっとして」どうなったら「ぱっとしない」のか。
それが君と163の争点みたいだから。
230 :
日本@名無史さん:03/12/08 06:51
>>229 そういう君は理解力ゼロだね。今までの指摘よく読んでね。
それよりも何が君を駆り立てているのかな?
ほんとうこっちも知りたいよ。
231 :
日本@名無史さん:03/12/08 06:55
>>229 はっとするとかしないとかが論点?
何を寝言言っているのかな?
>>162も
>>163も全く触れていないよ(W
こだわっているのは第三者のきみだけだ。
現に
>>163も質問していないだろう?
>>163は明確に「ぱっとするとかしないとかって」といって続いて「芸能人じゃあるまいし」といっている。
つまり
>>163は明確に「ぱっとするとかしないとかって」について理解しているからこそ、芸能人にのみ当てはまり、歴史上の知見を言うのに不適切であるといっているのだよ。
そんなことも読解できないとは。
相当な無能力か単なる粘着、いや偏執なだけだね。
232 :
日本@名無史さん:03/12/08 07:03
233 :
日本@名無史さん:03/12/08 07:16
>>228 なるほど。
例えば、時頼、時宗は、確か将軍から一字もらったのに、それが時の下とは解せなかった。
普通、上位者から一字もらったら、最初につけるはずなのに。綱吉→吉宗だし。
無礼ではないかと思っていたのだが。そうでもないんだね。
234 :
日本@名無史さん:03/12/08 07:18
>>227 鎌倉時代、吉良も斯波も足利から独立した存在と認知されていたのだろう。
235 :
日本@名無史さん:03/12/08 12:11
>>234 吉良、斯波、畠山、岩松あたりは御家人として認知されていた。
また、今川は吉良の分家、渋川や石橋は斯波の分家という扱いだった。
236 :
日本@名無史さん:03/12/08 12:12
新田系も、山名・里見・世良田は独立の御家人の扱い。
237 :
日本@名無史さん:03/12/09 00:26
足利氏の裏切りは予想つかなかったのかな?
>>230-232 連続書きこみご苦労さん。
残念ながら(?)163じゃないけど。w
はやく「ぱっとする」基準を教えてよ。
つべこべ能書きをたれるだけで
いつまでたっても答えが出ないんだけど。w
それに君いってること矛盾してるよ。
239 :
日本@名無史さん:03/12/09 03:43
佐々木道誉「鎌倉殿の命でな、足利殿に備えておった。身内だけでは乱を鎮められず、外様の足利を使うとは北条もぶざま・・・」
足利尊氏「その北条にまだ未練を持っている御辺もなかなかのぶざまじゃ」
佐々木道誉「そのぶざまな田舎大名に助けを借りねば鎌倉を攻められぬ源氏の大将もおるでな!」
足利尊氏「鎌倉を攻めるつもりはない」
・・・・・
足利尊氏「わしは京の都・六波羅を攻める!」
佐々木道誉「京を?」
足利尊氏「今、北条殿の大方の軍は鎌倉を離れ、この京周辺に集まっておる。千早の楠木攻めにその大半が、残りが播磨に進出の赤松勢に向かっておる。これを背後から討つ。やってみねばわからぬが、勝ち目はある。
・・・北条殿もおろかじゃ。京に手も足もすべて送り込んでしもうた。六波羅を落とせば、鎌倉はもはや頭だけで死んだも同然じゃ。
・・・判官殿、わしは御辺に兵を貸せとは申さぬ。ただ黙ってここを通してくれればよい。それで、天下が動く。
・・・これからのまつりごとは、京で行わねば駄目じゃ。朝廷もある。商人もいる。楠木殿のような武士もいる。西国の豊かな物資が市場に溢れておる。鎌倉にいて東国だけ見ていては、もはや天下は治まらぬ。それゆえ、まず京を攻める!」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう!
・・・ただ、一つ気に入らぬ。わしにただ見ておれというのが気に入らぬ。わしも京へ連れて行かれよ。わしにも、二、三千の兵はある!」
足利尊氏「まあ、それもよかろう。苦しかるまい?」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
240 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:05
>>238 何度も無駄な書き込みご苦労さん。
>>163はどっかいったようだし、「ぱっとする」「しない」の基準について両者間で重要なことではないし、もめてもないし。
それよりも君がなんで「ぱっとする」「しない」の基準についてこうも偏執的に知りたがっているのか教えてよ。
日本史の上で特に意義深いとは全く思えないが、君の偏執ぶりの理由を知りたいからさ。
241 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:12
>>240 しかし、
>>238もおもしろいな。
横から現れて、当事者間で特に争点となってないことに、かくも偏執的にこだわるのは。
ぱっとする、しないで歴史が変わるのかな(w
まあ、彼(女)にとっては一大事なんだろうな。
242 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:14
243 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:23
244 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:26
>>237 結局、足利の力を借りねばならないくらい追い詰められたということかな。
それに一族の名越も一緒だったし。その名越が戦死したのが痛かった。見張り役がいなくなったわけだし。
しかし、名越もどちらかというと反得宗系だし。
得宗も落ちるだけ落ちたのかも。
245 :
日本@名無史さん:03/12/09 08:29
>>240-241=243
俺も横レスですまんが、あんたがどう答えるかに興味がある。
当事者間では争点で無いとか、言い訳を並べているが。
そんなのは答えない理由にならない。
ところがあんたは163に振るばかりで、少しも答えていない。
おそらく答えられないのだろう。
だとしたら、素直に謝るべきだ。
またそれを指摘されたからといって、つまらん粘着をしないことだ。
違ったらご免ね。でもそう推測した。あんたの答えを待つ。
246 :
日本@名無史さん:03/12/09 09:11
247 :
日本@名無史さん:03/12/09 09:15
>>245 俺もあんたがなんでそんなに「ぱっとするかしないか」にこだわるのか聞きたい。
単なる嫌がらせであろう?
そもそも答える義務はないし、答えたところで何がわかるのかな?
そもそも「ぱっとしない」は「ぱっとしない」であろう?
そこになんで基準が出てくるのか意味不明。
基準ていったい何?そこを教えてくれよ。(w
248 :
日本@名無史さん:03/12/09 09:18
>>245 そもそも、基準を設けて意見を言っているわけではないが。
>>162の文脈をもっとよめ。
それで分からなければもっと詳しく説明してくれというべきであろう?
そもそも無駄な質問をした挙句、誤れとはずいぶんな言い草だな。
249 :
日本@名無史さん:03/12/09 11:18
板違いです。
削除依頼してください。
糞スレ終了
糞スレ終了
糞スレ終了
糞スレ終了
糞スレ終了
255 :
日本@名無史さん:03/12/09 12:03
age
256 :
日本@名無史さん:03/12/09 12:53
別に糞スレではないだろう。
257 :
日本@名無史さん:03/12/09 13:48
糞スレではないが、糞レスが多い。
258 :
日本@名無史さん:03/12/09 16:38
クソレス終了
259 :
日本@名無史さん:03/12/10 01:05
やっぱり、一昨年の大河は糞だよ。
話を創作するにしても、弟に「兄を殺せ」なんて遺言を残すか?
そんな無責任な遺言を残すなら、自分が死ぬ前に殺しておけよ。藁
260 :
日本@名無史さん:03/12/10 01:06
>>246-248 >基準を設けて意見を言っているわけではないが
なんだいいかげんなやつだな
というより「誤れ」なんて漢字もわからないのか?
おまえが「頼盛の子孫はぱっとしない」なんていうから意味がある文章かと思ってたよ。w
ようするになんの根拠もないでたらめなわけだ。
盗人にも三分の理というから、ケチなプライドがあって素直に謝れないんだろう。
まあ勘弁してやるから、消防からことばの勉強しなおせや。
250 :日本@名無史さん :03/12/09 11:19
糞スレ終了
251 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
252 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
253 :日本@名無史さん :03/12/09 11:21
糞スレ終了
254 :日本@名無史さん :03/12/09 11:22
糞スレ終了
250 :日本@名無史さん :03/12/09 11:19
糞スレ終了
251 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
252 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
253 :日本@名無史さん :03/12/09 11:21
糞スレ終了
254 :日本@名無史さん :03/12/09 11:22
糞スレ終了
250 :日本@名無史さん :03/12/09 11:19
糞スレ終了
251 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
252 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
253 :日本@名無史さん :03/12/09 11:21
糞スレ終了
254 :日本@名無史さん :03/12/09 11:22
糞スレ終了
250 :日本@名無史さん :03/12/09 11:19
糞スレ終了
251 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
252 :日本@名無史さん :03/12/09 11:20
糞スレ終了
253 :日本@名無史さん :03/12/09 11:21
糞スレ終了
254 :日本@名無史さん :03/12/09 11:22
糞スレ終了
あーあ。馬鹿が粘着するからスレがぶっ壊れちまったよ。
第三者から見ればどっちも同じ穴の狢。
スレ違いも甚だしい。
266 :
日本@名無史さん:03/12/10 06:58
佐々木道誉「鎌倉殿の命でな、足利殿に備えておった。身内だけでは乱を鎮められず、外様の足利を使うとは北条もぶざま・・・」
足利尊氏「その北条にまだ未練を持っている御辺もなかなかのぶざまじゃ」
佐々木道誉「そのぶざまな田舎大名に助けを借りねば鎌倉を攻められぬ源氏の大将もおるでな!」
足利尊氏「鎌倉を攻めるつもりはない」
・・・・・
足利尊氏「わしは京の都・六波羅を攻める!」
佐々木道誉「京を?」
足利尊氏「今、北条殿の大方の軍は鎌倉を離れ、この京周辺に集まっておる。千早の楠木攻めにその大半が、残りが播磨に進出の赤松勢に向かっておる。これを背後から討つ。やってみねばわからぬが、勝ち目はある。
・・・北条殿もおろかじゃ。京に手も足もすべて送り込んでしもうた。六波羅を落とせば、鎌倉はもはや頭だけで死んだも同然じゃ。
・・・判官殿、わしは御辺に兵を貸せとは申さぬ。ただ黙ってここを通してくれればよい。それで、天下が動く。
・・・これからのまつりごとは、京で行わねば駄目じゃ。朝廷もある。商人もいる。楠木殿のような武士もいる。西国の豊かな物資が市場に溢れておる。鎌倉にいて東国だけ見ていては、もはや天下は治まらぬ。それゆえ、まず京を攻める!」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう!
・・・ただ、一つ気に入らぬ。わしにただ見ておれというのが気に入らぬ。わしも京へ連れて行かれよ。わしにも、二、三千の兵はある!」
足利尊氏「まあ、それもよかろう。苦しかるまい?」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
267 :
日本@名無史さん:03/12/10 07:16
>>260 やれやれ、であれば
「頼盛の子孫はぱっとしない」の根拠を教えてくれと質問すればいいだろう?
質問の仕方もわからないのか?(W
その答えは何度も言ったように、
>>165に書いてあるよ。
それを読めば大体はわかるだろう。
それから、「勘弁してやる」なんて自分のこと何様のつもりでいるのやら。
こっちはあんたのわがままをきいてあげる義務はないし、メリットもないだろう?
多分、お子様だから自分の疑問は人が必ず親身に答えてくれると勘違いしていたのかもしれないが、大人の社会はそんな甘くはないよ。一度社会に出でもまれなさい。
268 :
日本@名無史さん:03/12/10 07:23
>>267 ところで君は、当然のごとく「頼盛の子孫はぱっとした」という根拠を持っているのだろう?
だからこそ、「頼盛の子孫はぱっとしない」というコメントに対して、疑念を生じ質問をしたものと推察するが。
「頼盛の子孫はぱっとした」という根拠を知りたいな。是非教えてください。
269 :
日本@名無史さん:03/12/10 07:31
頼盛もさることながら殿中に竹光を持ち主君忠盛の危急を救ったと伝えられる
平家の侍大将の子か孫は宇都宮か誰かを頼って鎌倉・東国へ落ちていったというが。
あんまりじゃない?
ちゃんと平家都落ちについていかないと。
鎌倉に下ったとされている池大納言のことでふと思い出しました。
270 :
日本@名無史さん:03/12/10 11:43
社会不適応者が約1名・・・・
272 :
日本@名無史さん:03/12/10 12:05
273 :
日本@名無史さん:03/12/10 17:59
274 :
日本@名無史さん:03/12/10 21:47
>>269 平貞能のことかな?彼は一応都落ちに随行しているよ。
確かに途中で一門から離れるんだけれど。
墨俣で勝ってたり、菊池氏を鎮圧したりと、かなり
有能だったみたいだけれど、何で離脱したのかな?
主導権争いとかがあったのかもしれないね。
276 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:03
>>275 やはり、情けない、いやかわいそうなやつだな(W
277 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:04
>>275 結局彼は何を知りたかったのだろうか。。。
278 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:06
279 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:14
>>277 読解力ないやつ。
まあ「ぱっとする」なんていう時点で、読解力以前の問題だとわかるけどw
280 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:17
>>279 激しく同意
「ぱっとする」なんて訊くこと自体、無知が現れている。
281 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:18
>>275=278=279
なんて自作自演するの?
282 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:19
>>279 であれば、最初からそういえばいいのに。
今までお前さんは何をしていたんだ?
まあ、こちらはその分楽しませたから文句はないが。
283 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:21
284 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:22
すまん、呑みすぎて酔っ払いすぎた。
酔っていると、もうどうでもいいような気がするな。
285 :
日本@名無史さん:03/12/12 01:40
連続で自作自演ごくろうさん
286 :
日本@名無史さん:03/12/12 03:49
楠木正成「六波羅が破れたぞ」
楠木正季「兄上!」
楠木正成「うむ!」
恩智左近「殿ー!」
楠木正成「うむ!」
兵士「申し上げます。敵陣に乱れが出ております。我先にと逃げて行きまする!」
楠木正成「北条勢め。都が落ちたと聞き及び。・・・正季、大がかりじゃ。城を出る!北条勢を追い討ちじゃ!」
・・・・・
名和長年「何から何まで帝のなさしめたる快挙にてそうらえば」
後醍醐帝「それだけではあるまい。足利がたたねば、こうも早う六波羅は落ちまい。のう廉子!」
阿野廉子「噂通りの源氏の棟梁でごさいましたな」
287 :
日本@名無史さん:03/12/12 06:58
288 :
日本@名無史さん:03/12/12 06:59
>>285 ついでに、今までの無駄な質問ご苦労様。
289 :
源九郎義経 ◆TLZFKCRioA :03/12/13 01:57
278 :日本@名無史さん :03/12/12 01:06
>>276=277
なぜ自作自演するの?
281 :日本@名無史さん :03/12/12 01:18
>>275=278=279
なんて自作自演するの?
285 :日本@名無史さん :03/12/12 01:40
連続で自作自演ごくろうさん
287 :日本@名無史さん :03/12/12 06:58
>>285 無駄なコメントご苦労様。
288 :日本@名無史さん :03/12/12 06:59
>>285 ついでに、今までの無駄な質問ご苦労様。
ここもかよ・・・
北条に恨みでもあるのか?
291 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:20
.
292 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:20
.
.
.
.
社会不適応者が約1名・・・・
やっぱ北条氏といえば小田原じゃなくて鎌倉でしょう。
鎌倉幕府執権として一時代を築いた北条執権16代について語りましょう。
299 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:43
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。
302 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:45
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。
305 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:48
>>303 お前さあ、厨房時代からロクに表に出てないんだろ?
パソコンもずっとやってんだろ?
だったらぶっ壊すぐらいやって見せろよ
まあお前なんかにそんな力はないか 早く夢から覚めろよ
>>305 お前さあ、厨房時代からロクに表に出てないんだろ?
パソコンもずっとやってんだろ?
だったらぶっ壊すぐらいやって見せろよ
まあお前なんかにそんな力はないか 早く夢から覚めろよ
307 :
日本@名無史さん:03/12/14 01:56
>>306 お前マジで薬飲んだ方がいいよ
今結構進んでるらしいからな
308 :
日本@名無史さん:03/12/14 12:15
高卒です
309 :
日本@名無史さん:03/12/14 16:44
310 :
日本@名無史さん:03/12/14 18:42
>>309 まだ粘着しているな。
で、「平頼盛の子孫がぱっとした」という根拠は何か見つかったの?
311 :
日本@名無史さん:03/12/14 22:04
大河ドラマの長崎円喜が好きでしたが、アレってフィクションなんですよね?
円喜って入道名なのに出家してない。
でも円喜が好き。
にっこり笑って人を斬るって感じ
(⌒-⌒)
312 :
日本@名無史さん:03/12/15 01:07
313 :
日本@名無史さん:03/12/15 02:11
>>310 粘着する前に「ぱっとする」とはどういうことか説明しろよw
314 :
日本@名無史さん:03/12/15 06:49
315 :
日本@名無史さん:03/12/15 06:56
>>311 北条家の権力基盤は中小御家人の保護であり、公正な裁判であったところ、賄賂による政治が横行し結局かれらの信頼を失った・
316 :
日本@名無史さん:03/12/15 06:59
>>313 まだ「平頼盛の子孫がぱっとした」という根拠は見つかっていないんだね。
まあ、スレ違い出し、別にいいけどね。
317 :
日本@名無史さん:03/12/15 07:04
>>313 これはこれはすまなかったね。
「ぱっとした」がわからぬか。
であれば、別にお答えくださらなくても結構ですよ。
どうせ、スレ違い出しね。
平頼盛の子孫がぱっとしたからぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
ぱっとしたのさ!
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
子孫がぱっとした
324 :
日本@名無史さん:03/12/15 14:13
ぱっとサイデイリア
325 :
日本@名無史さん:03/12/15 14:23
163のことなんて良いじゃん。163のせいで話が反れたし
326 :
日本@名無史さん:03/12/15 15:11
病気だ・・・
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
九州かどこかの田舎に移り住んだようです。
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
その後あまりぱっとせず、
あまりぱっとせず、
あまりぱっとせず、
あまりぱっとせず、
あまりぱっとせず、
あまりぱっとせず、
ぱっとせず、
ぱっとせず、
ぱっとせず、
ぱっとせず、
ぱっとせず、
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
ぱっと
333 :
さいでりあ:03/12/15 19:13
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
さいでりあ
334 :
日本@名無史さん:03/12/15 19:25
↑
かわいそうに。
335 :
日本@名無史さん:03/12/15 19:32
>>313 まあ、落ち着け。
「ぱっと」は広辞苑に載ってるから、調べればわかるよ。
本当に少しは辞書くらい引けよ。
(副)スル
(1)動作や状態の変化が突然または瞬間的であるさま。
「―駆け出す」「―消える」「花が―開く」
(2)一挙に散らばったり、広がったりするさま。
「うわさが―広まる」
(3)派手で目立つさま。見栄えのするさま。
「―派手に繰り込もう」
――しない
見栄えがしない。また、状態があまりよくない。
「―ない出来栄え」「―ない成績だ」
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
・・・
適切な表現方法ではないが、意味が解らない表現ではない!
よって、
この議論は終了とする。
みなさん、よろしいですか?
339 :
日本@名無史さん:03/12/15 21:24
340 :
日本@名無史さん:03/12/17 13:50
不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
341 :
日本@名無史さん:03/12/17 13:52
>>340 かといって、スレ違いだわな。
いい加減止めた方が良いに決まってるじゃん。
342 :
日本@名無史さん:03/12/17 16:02
343 :
日本@名無史さん:03/12/17 16:29
210 :日本@名無史さん :03/12/16 18:55
佐々木道誉「鎌倉殿の命でな、足利殿に備えておった。身内だけでは乱を鎮められず、外様の足利を使うとは北条もぶざま・・・」
足利尊氏「その北条にまだ未練を持っている御辺もなかなかのぶざまじゃ」
佐々木道誉「そのぶざまな田舎大名に助けを借りねば鎌倉を攻められぬ源氏の大将もおるでな!」
足利尊氏「鎌倉を攻めるつもりはない」
・・・・・
足利尊氏「わしは京の都・六波羅を攻める!」
佐々木道誉「京を?」
足利尊氏「今、北条殿の大方の軍は鎌倉を離れ、この京周辺に集まっておる。千早の楠木攻めにその大半が、残りが播磨に進出の赤松勢に向かっておる。これを背後から討つ。やってみねばわからぬが、勝ち目はある。
・・・北条殿もおろかじゃ。京に手も足もすべて送り込んでしもうた。六波羅を落とせば、鎌倉はもはや頭だけで死んだも同然じゃ。京の北条勢を征せば、鎌倉に残った兵は、もはやものの数ではない。
・・・判官殿、わしは御辺に兵を貸せとは申さぬ。ただ黙ってここを通してくれればよい。京を攻めるとき、わしの背中に矢を射ぬように願いたい。それで、天下が動く。
・・・これからのまつりごとは、京で行わねば駄目じゃ。朝廷もある。商人もいる。楠木殿のような武士もいる。西国の豊かな物資が市場に溢れておる。鎌倉にいて東国だけ見ていては、もはや天下は治まらぬ。それゆえ、まず京を攻める!」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう!
・・・ただ、一つ気に入らぬ。わしにただ見ておれというのが気に入らぬ。わしも京へ連れて行かれよ。わしにも、二、三千の兵はある!」
足利尊氏「まあ、それもよかろう。苦しかるまい?」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
344 :
日本@名無史さん:03/12/17 16:30
211 :日本@名無史さん :03/12/16 21:40
>>210 足利尊氏「前はそれ程キツくは無いが、全体に締め付ける。」
佐々木道誉「ほう・・」
足利尊氏「しかし後ろはキツいのは入口のみ! それ以外はユルい。」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう! 」
足利尊氏「分かっておるのか? マンコとアナルの話だ。」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
345 :
日本@名無史さん:03/12/17 20:09
>>340 十分具体的だが。
それに「具体性に欠ける表現は不適切」と最初から具体的にコメントすればいいのだが。(w
346 :
日本@名無史さん:03/12/17 20:46
347 :
日本@名無史さん:03/12/17 21:49
348 :
北条時之輔:03/12/17 23:42
北条時之輔
349 :
アナル大好き:03/12/17 23:59
340 名前:日本@名無史さん :03/12/17 13:50
不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
↑
ちんちん臭いんだよオメーヨ!
義時系→泰時、時房、重時→主流派
時政系→朝時、政村→悲愁流派
351 :
日本@名無史さん:03/12/18 00:46
,-‐,,ii||||||||||||ii、-、
`゛!!!iiiiiiiiiiiiiii;;;;;;;;;;,,,,,-‐/ i||||||||||||||||||||||||i ヽ‐-、,,,,,;;;;;;;;;;iiiiiiiiiiiiiii!!!"´
'''''!!!!!|||||||||||||/ i||||| |||||||||||||||||i ヘ|||||||||||||!!!!!'''''
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ヽ, !|||||||||||||||||||||||||!" 〈 ノV \
─────----了 ゛!!||||||||||||||!!" `ヽ---─く う ね 騒 ギ で 広
| | | `ゝ.__  ̄Y ̄ ___ノ ノ じ | い ャ き 末
| | | ,| ]下ミ ̄`。、_|_;'。´ ̄7エ"┬| | ノ む よ で 亅 た に
| | | |└、 トミミi─'´<_,l、三´,E=|#ナノ | ) し ん ギ く ガ
| | | | | `ヽトミ||^=====^|E彡/ ' | | |< ど じ ャ ら キ
、 | | | | | ーヾミ||]⌒i⌒「|ソ‐'-─/ / | ) も ゃ 亅 い が
ヽ、 | /^‐━, \_ `、`===='',/ _/ /\ | └、 で
ヽ、 | /ノ―、='、 \_二二`─´二二_/ \ Vヽ
ヽ/´ / / ̄`i、  ̄|| ̄ / \ ヽ/ ̄ ̄ヽノ⌒Vー-、/⌒V
ノ 丿 l | `i---┼-----------'´
| 〈 l 〈 〉 |
スレ間違えた、つーかケンカすんな
354 :
日本@名無史さん:03/12/18 23:39
北条氏勝ち残りの理由
頼朝が死んだとき、功臣で一番の年長者は時政。
自然に発言に重みが出てきた。
地球人のくせにフリーザに気ぃ使わすなよな。
>>153牧の方
それ違うってさ。
吾妻鑑にも出てくる牧三郎宗親んちの出らしい(元々の説?)。
牧氏は駿河の住人で北条庶流の時政の相手としてはこっちほうが妥当。
>>354 一番の年長者だっけ、だとして功臣としての順位は?
一番の功臣は誰だろうな。
平賀義信(生没年不詳)のが序列も年齢も時政より上だじゃないか?
その後子孫がぱっとしなく(裏笑)なったけど。
357 :
日本@名無史さん:03/12/19 06:59
>>356 承久の変で、京方に就いたんですよね。
あれで、京方に就いたのは反幕っていうより、反北条が理由のようだけど。。。
あの時点で既に北条が抜きん出て、実際鎌倉を支配していたといえるのか?
まだまだ、有力御家人連合で、決して北条が特段上位を占めていたというのかな?
358 :
日本@名無史さん:03/12/19 09:27
承久の乱の時点では足利は北条にかなり協力的。
359 :
日本@名無史さん:03/12/19 15:58
研究者の細川重男氏の著作にホレました。
氏の勤務校以外でどこか非常勤に出向いてる大学をごぞんじないですか?
北条一族って、何か・・・ごめんなさい。
一年前に習いましたけど、忘れました。
裏で、色々としている一人の人物がいて、武家の法度等を作った人物居ませんでした?
他、北条政子の父・北条政子の子と北条政子を殺し合わせる事も考えた人物が・・。
あやふやで、ごめんなさい。
361 :
日本@名無史さん:03/12/19 20:32
よくわからない文章だが、平賀朝雅のことか?
362 :
日本@名無史さん:03/12/20 10:15
平賀朝雅将軍擁立計画。
363 :
日本@名無史さん:03/12/20 17:17
足利泰氏将軍擁立計画は?
364 :
日本@名無史さん:03/12/20 17:47
平賀朝雅って、頼朝とどういう関係だったの?
366 :
日本@名無史さん:03/12/20 22:38
畠山重忠
367 :
日本@名無史さん:03/12/21 16:38
結局頼盛はぱっとしたの?ぱっとしないの?
368 :
日本@名無史さん:03/12/21 20:24
369 :
日本@名無史さん:03/12/21 20:25
和田義盛
370 :
日本@名無史さん:03/12/21 20:28
↑
平賀の事件とは無関係
371 :
日本@名無史さん:03/12/21 22:52
>>367 まあ、大納言になり、多くの荘園をもっていたし、天寿も全うしたのだから、ぱっとしたということになるだろう。
372 :
日本@名無史さん:03/12/21 23:49
>>371 そういった経済的価値観などの物質的価値観により判断するのは如何なものかな。
他の一族が滅んだというのに、ひとり生き残り、果たして彼は晩年は心穏やかに過ごせたのだろうか?
373 :
日本@名無史さん:03/12/22 00:30
北条氏の天下取りは、三浦氏の助力によるところが大きい。
そうすると、なぜ三浦氏は北条氏を助けたのか関心がある。
371 :日本@名無史さん :03/12/21 22:52
>>367 まあ、大納言になり、多くの荘園をもっていたし、天寿も全うしたのだから、ぱっとしたということになるだろう。
↑
知ったかぶりのチンカス
臭い童貞君です。
オナニーして寝ろ!
375 :
日本@名無史さん:03/12/22 03:08
じゃあ頼盛の子孫の方はぱっとしたの?ぱっとしなかったの?
376 :
日本@名無史さん:03/12/22 03:31
北条義時。
377 :
日本@名無史さん:03/12/22 04:44
4代以降の傀儡将軍達、なんで全員追放・送還になってるの?
1人くらい「自分は人形でもいいっス、大人しくしてます」って
感じで最後まで将軍やれた人いてもいいと思うが・・・
378 :
日本@名無史さん:03/12/22 06:58
379 :
日本@名無史さん:03/12/22 06:59
380 :
日本@名無史さん:03/12/22 07:02
>>377 鎌倉幕府の将軍は決して傀儡ではなく、実権を掌握しうる立場にあり、それゆえ成人すると追い出されたわけです。
得宗それ自体に将軍を傀儡にするだけの力がなかったということになろうかと思います。
鎌倉幕府はそういった意味で安定した政権とはいえないわけです。
381 :
日本@名無史さん:03/12/22 07:08
>>367,371,374,379
彼らの場違いスレは無視しましょう。
こういったときにこそ我ら良識のある2チャンネラーの真価が問われるときと思います。
頑張りましょう。
382 :
日本@名無史さん:03/12/22 12:23
>>375 ぱっとしなかった
ことにしておいてくれ
155が可哀想だから
北条氏なんて家柄は大した事ねーじゃん。
最初から最後までそれがネック。
なんで北条氏は家格を上昇させることができなかったのかなぁ。
385 :
日本@名無史さん:03/12/22 21:28
宗尊・惟康・久明・守邦の宮様将軍の最期はそれぞれどのようなものだったのでしょうか?
宗尊以外は無難な生涯だったのでしょうか。
北条歴代執権は一応厚遇していたということでしょうか。
386 :
日本@名無史さん:03/12/22 21:50
>>382 ハゲシク同意。
頼盛の子孫はぱっとしなかったで正解。
387 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:08
388 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:26
幕府体制の変革をしたのは時宗。
時宗以前は、北条得宗家とはいえ御家人の一人であり、
その御家人による合議制で幕府を運営されていた。
時宗は非得宗の北条一族の力をそぎ、御家人の力をそぎ、
側近を手足のように使い、権力を与え、執権の独裁体制を確立した。
以後、執権の直臣が権勢を振るうようになる。
自民党の変革ににてるかもね。
派閥の合議制を、総裁独裁体制を確立していく
過程が非常ににているね。
官房長官と総理秘書官に権勢が集中するようになるわけだ。
I秘書官は平頼綱にあたるかな。
389 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:36
390 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:39
>>388 執権独裁というより得宗独裁の意義はなんなんだろう?
391 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:47
>>380 傀儡である筈なのに実権が集約する。
将軍からみたら室町・江戸よりよくできた幕府?
392 :
世界@名無史さん:03/12/22 23:48
独裁にすると意志決定が早くなるからじゃないのか。
合議制だと、根回しがわずらわしいしな。
独裁体制になると、アホが頂点にたつと、
ほころびやすい。
源氏の名門の足利を敵に回した高時がいい例だね。
393 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:54
>>391 将軍と合議制とは相容れない。
鎌倉武士は合議制を望んだ。
しかし、その一方で将軍がいないことは考えられない。
その矛盾が鎌倉幕府で紛争が耐えなかった理由なのか?
足利が源氏の名門になれたのは北条のおかげ。
始は平賀・甲斐源氏よりも下だった。
395 :
日本@名無史さん:03/12/23 00:08
>>394 しかし、平賀や甲斐源氏は義家の流れではないが。
396 :
日本@名無史さん:03/12/23 00:33
>>394 確かに平賀と大内との位置は微妙
(足利氏の方が若干格が低いと言える)だが、
甲斐源氏という括りでは、そうとは言えない。
頼朝存命期でも、鶴岡八幡宮において
一切経並びに両界曼陀羅供養を行うなど、
頼朝一家にしか許されない行事を主催している。
平賀は伊賀の知行国主になっていたりと、
別格のようだが。
397 :
日本@名無史さん:03/12/23 13:07
>>387 武家なんだから、天皇の外戚になっても
あまり家格の上昇にはつながらんと思ふが。
やはり後三年の役みたく、棟梁としての腕っ節を見せてくんないとな。
398 :
日本@名無史さん:03/12/23 19:50
>>397 北条氏は特に武勲に輝いたわけではないな。
北条氏はやはり善政をしたことが多くの中小御家人の支持を得て、権力を掌握していったのであろう。
399 :
日本@名無史さん:03/12/23 21:17
>>385 守邦親王は幕府滅亡の直後に死去。
確証はないがどこか不自然な匂いのする死ではある。
せっかくなので四百。
>>399 やはり反幕勢力による殺害という可能性も・・
401 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:41
赤橋守時は守邦親王の偏諱?
402 :
日本@名無史さん:03/12/24 14:09
赤橋氏って八幡宮の赤橋付近に住み着いていたから赤橋って名字になったんでしょ
403 :
日本@名無史さん:03/12/24 14:20
404 :
日本@名無史さん:03/12/24 15:07
405 :
日本@名無史さん:03/12/24 21:03
>>404 今の「赤橋」って苗字は北条氏の子孫とされているよ。
なお、北条氏は桓武平氏の子孫であり、皇孫の家系。
406 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:06
>>405 赤橋守時とか金沢実時とかいうのは名字ではない。
名字はあくまで北条。
407 :
日本@名無史さん:03/12/25 04:57
>>406 では、鎌倉期の斯波や吉良は苗字と言えますか?
408 :
日本@名無史さん:03/12/25 04:58
あと、六角と京極なんて戦国時代あたりでも史料上は佐々木姓で書かれることが多いけど、これは苗字?
409 :
日本@名無史さん:03/12/25 09:45
>>408 六角京極は一番無難な解釈すると「通称」になるんじゃないか?
410 :
日本@名無史さん:03/12/25 13:24
411 :
日本@名無史さん:03/12/25 14:35
412 :
日本@名無史さん:03/12/25 18:18
>>411 吉良も斯波も名乗ってねぇよ。
鎌倉時代の史料では、どちらも
「足利」。
吉良氏は、代々上総介に任官したので
「足利上総〜」と名乗り、
斯波氏は、初代家氏の最終官途尾張守から
「足利尾張〜」あるいは単に「足利」。
確かに、吉良・斯波姓を名乗っているとする
研究者もいるけど、根拠は薄弱。
それでも名乗ってるというならソース示してね。
413 :
日本@名無史さん:03/12/25 20:43
だいたい斯波の名字の地とは鎌倉時代関係ないのでは?
414 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:43
415 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:47
たとえば金澤貞顕なんかは生前「赤橋殿」と呼ばれていたらしいぞ。
「金沢」が名字のように使われるのは太平記の作者が区別のために便宜的に使用したのがはじめらしい。
416 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:52
417 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:54
418 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:58
>>416 人物叢書の「金沢貞顕」に貞顕は「金沢」と称したことはないと書いてあったぞ。
確かめたか?
419 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:05
>>418 「赤橋殿と呼ばれた」と書いてある本だろ、それ。
信用できなさそう。w
420 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:10
人物叢書が信用できないとなると信用できる本なんかなくなっちまう
421 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:21
古文書では鎌倉に住していた頃の貞顕は
「赤橋殿」だな。
「金沢文庫古文書」見れば分かること。
それに対して「金沢貞顕」と呼ばれた同時代史料はない。
かといって「赤橋」はあくまで通称であり、姓とは違う。
422 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:21
423 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:26
>>421 「赤橋殿」は住む場所で決まる。当時は地名が名字みたいに使われる
ことがあったからね。引っ越せば「赤橋」ではなくなる。
に引っ越せば「殿」になる。だから、の地にいる北条氏は
「殿」と呼ばれていたはず。
また、名字は地名に由来するので、住んでた場所が子孫の名字になることは
よくあること。よって、北条氏の子孫が「」を名乗るのは不思議ではないよ。
「赤橋殿」は住む場所で決まる。当時は地名が名字みたいに使われる
ことがあったからね。引っ越せば「赤橋」ではなくなる。
だから、○○に引っ越せば「○○殿」になる。だから、○○の地にいる北条氏は
「○○殿」と呼ばれていたはず。
また、名字は地名に由来するので、住んでた場所が子孫の名字になることは
よくあること。よって、金沢北条氏の子孫が「金沢」を名乗るのは不思議ではないよ。
たしかに。
「赤橋殿」と呼ばれていた北条氏の子孫が赤橋という地名にいたのであれば、
その子孫が「赤橋」を名乗るのはぜんぜん不思議ではないのです。
現存する名字とはそのようなもんです。
金沢氏の祖は「北条」姓でぜんぜんかまいません。
これは、「北条氏」の祖が「平維将」なのと同じこと。
北条の祖は「平」姓です。
北条早雲も自らは「北条」と名乗らなかったけど、子孫が「北条」を名乗ったので、
「北条早雲」になりました。開祖がなのったかどうかは問題ではなく、子孫の名字
を逆戻りして呼ぶこともあるのです。
なので、金沢氏という一族を後世に出した「北条氏」を「金沢氏」としても良いのです。
427 :
日本@名無史さん:03/12/25 23:12
まあ、名字って結局わかりやすくするための記号だし。
428 :
日本@名無史さん:03/12/25 23:13
そんなのは「世田谷のおばさん」「大宮の伯父さん」と同じ海苔だったかもね。
昔は「世田谷に住んでる太郎」は「せたがやのたろう」といい、それが「世田谷太郎」となっていったんだよね。
歴史上の人物の苗字と名前の間に「の」がはいるのはそのためでしょ?
例)「すがわらのみちざね」
この「の」は、「@(アットマーク)」みたいなもんですかね?
その土地の所有権がからみそうだから
北條さんちの赤橋、金沢、大仏なんかはそれにあたるかはわからん。
でも塩田なんかは苗字っぽいね。
433 :
日本@名無史さん:03/12/26 02:53
>>426 それは全くの間違い。
たんに現在の都合で勝手によんでいるだけ。
だからその場合の金沢実時とかいうのは正しくはない。
>金沢氏という一族を後世に出した「北条氏」を「金沢氏」としても良いのです。
というわけでもない。
真田幸村とかと同じだ。
434 :
日本@名無史さん:03/12/26 04:43
南北朝時代になると、金沢北条氏の生き残りと思われる人物が
「金沢○○」とか名乗ってるからね。
「金沢左近大夫将監」とか。
だから、先祖まで遡って名字を使い分けるというのは、
同時代的には間違いでも、便宜上ありじゃないかな。
大体『北条氏系譜人名辞典』なんてそうだけど、
みんな北条で読んでしまって訳が分からない。
『太平記』でそれぞれ家分けしたのは、
まさに著者の英断だと思う。
435 :
日本@名無史さん:03/12/26 07:53
当時の実際は父親の官途を通称に用いていたようだね。
「越後左近大夫将監」とか「相模式部大夫」とか呼ばれていたようだね。
ちなみに前者は北条貞顕、後者は北条時輔。
436 :
日本@名無史さん:03/12/26 09:22
江戸時代前期の「延宝伝燈録」の中に、『陸奥守平泰盛城氏の女が、
越後守平某金澤氏に嫁し』という記述があります。
これは鎌倉時代の記録に「北條」という苗字を使わずに「金澤」で記録されていた
ため、筆者(卍元師蠻)もどこの金澤氏か分からなかったことをうかがわせます。
近年の研究で「陸奥守平泰盛城氏の女=北条実時の前妻」ということが判明しています。
つまり、「越後守平某金澤氏」とは北条実時のことであり、北条実時が当時から
「金澤氏」を称していた可能性があります。
「延宝伝燈録」より原文一部引用
『京兆景愛尼無外如大禅師、別号無著、初名千代野、陸奥太守平泰盛城氏之女、
既笄配越後守平某金澤氏失所天後、・・・』
438 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:06
>>437 お前、本当に研究者か?
それ、無外如大尼の記事じゃないかよ。
無外の記事は、安達泰盛の娘で、
金沢顕時に嫁して、足利貞氏の室となる女性を産んだ、
「無着」と混同されていることが指摘されている。
大体、金沢実時と、安達泰盛の娘とでは、
年齢的に合わないだろ。
439 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:13
>>437 なぜ>江戸時代前期の「延宝伝燈録」
に書いてあることで鎌倉時代の記録に>「金澤」で記録されていた
ことになるんだい?
440 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:30
>>436 苗字の由来なんか関係ないだろ?
金沢実時が正しいのかどうかだよ。
金沢実時はあくまでも便宜的に使う場合だけだよ。
名字が金沢であるわけではない。
金沢貞顕とか大仏貞直とかは、真田幸村とか北条早雲と同じ俗称にすぎない。
441 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:35
ところで安達泰盛と城泰盛どちらが正しいの?
名字はあくまでも安達なの?
442 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:37
いや違うだろ
それじゃ同質的な議論がなされていないことになる
京都の公家が一条にすんだら一条、山科に住んだら山科、久我にすんだら久我。
同じように鎌倉の武家が大仏に住んだら大仏、赤橋のたもとに住んだら赤橋、
芦名に住んだら芦名、毛利に住んだら毛利だろ。
京都の公家が
そもそも文盲の多い御家人のなかで教養のあった家ばかしに(当地を苗字にしたという)その証拠が残され
その他大多数の家にはそんな記録残されていないばっかしに平均結果を見たばっかしに変な結論がでる。
史料第一主義の歴ヲタのとんでもない結論だな
443 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:40
京都の公家が全部本姓を名乗れといったら
藤原氏と源氏と平氏と大江氏・菅原氏になってしまう。
同じように鎌倉の武家が全部本姓を名乗れといったら
平氏と源氏と藤原氏と大江氏ということになっておさまりがつかなくなる。
444 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:42
>>440 穴山信君が武田信君名乗ってもおかしくないというのと同義だな
>>442 へー。
じゃあ、三条坊門に住んで、
三条殿と呼ばれていた足利直義は、
三条直義ですか。そーですか。
六条に住んで六条判官と呼ばれた源為義は、
六条為義ですか。そーですか。
446 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:51
史料優先の史学科の歴ヲタが言っていることでおかしいと思うのは
@相模国鎌倉というのは武家方の僭称であって本来間違った使い方。
相模国鎌倉郡鎌倉が正しい。
しかしこの頃には西国の京に対して東国の鎌倉という対抗政治学概念が生み出されていたから
一地方組織としての国名、郡名、郷名としてを全てすっ飛ばしていきなり鎌倉といって通用した。
それだけ東国では律令制度が衰退していたということ。
京ってどんな定義になってるのかは詳しく知らないが
芦名や毛利なら当時のおおざっぱな「鎌倉」の中に入る
A国府発掘中の遺跡で現存しているのは
下野・近江・出雲・ほうき・筑前・肥前・豊前だけだと思った。たしか。
ってことはそれだけ律令制度って西国だけの偏重システムだった可能性すらある。
史料がどうのこうの知らんが鎌倉武士にとっては歴史とは実力行使の歴史のこと。
鎌倉武士にとって政事とは土地訴訟のこと。
だいたい実務に関すること以外に記録に残すかね?実に疑問だ。
447 :
日本@名無史さん:03/12/26 11:59
>>445 それで合ってるんじゃない?何かおかしいことあるか?
448 :
日本@名無史さん:03/12/26 12:05
>>442 もう少し落ちついて、考えてから文書けよw
何がいいたいのかは良くわからんがw
知らないらしいが、公家の西園寺とか一条とかははもともと名字じゃないからね。
それに氏、姓、名字(苗字)の区別もできてないようだね。
449 :
日本@名無史さん:03/12/26 12:07
>>447 おかしいだろ、ただ住居の場所を名乗るんだったら、
邸が変わるたびに名字も変わることになる。
450 :
日本@名無史さん:03/12/26 12:24
>>449 だって名字ってもともと代替わりごとに変わるものだろう。
名字が家の称号になって世襲されるのは中世後期の話だろ。
451 :
日本@名無史さん:03/12/26 12:33
名乗りが地名であったのは、本貫の荘園や新田の実効的支配者であることを
内外に誇示するためにおこなった行為なので、中世的な土地支配制度が崩壊し、
徳川幕府の世になってからは見受けられない現象だとおもう。
別に、同じ名字で紛らわしいから、とかじゃないと思うよ。
452 :
日本@名無史さん:03/12/26 13:41
北条実時も、苗字という認識がなくても、鎌倉時代に「金澤殿」とか
「かなざわのさねとき」という言い方はされていたのではないでしょうか。
後世にそれが苗字と認定され「金澤氏」となったと考えるのが自然でしょう。
江戸時代の文献に「北条」を飛ばして「平氏の金澤氏」と出てくるということは、
そしてそれが「北条実時」をさす仮説が立てられていることから、
江戸時代前にその子孫の姓が「金澤」として定着していたことは容易に想像できると
思います。
>>452 また随分古い論文引っ張り出してきたな。
顕時室=安達泰盛娘というのは、
夢窓疎石の「資寿院置文」という史料があるので鉄板。
452の紹介したサイトに、1998年に発表された、
山家浩樹「無外如大と無着」(『金沢文庫研究』第301号)
という論文が載ってるので読んでみな。
455 :
日本@名無史さん:03/12/26 17:51
結局、北条執権家の子孫っているの?
有名人は誰??
北条司
457 :
日本@名無史さん:03/12/26 18:53
北条司って本名なのか?
458 :
日本@名無史さん:03/12/26 19:34
>>455 北条時行の子の横井行氏〜現世。平野氏。マイナーなお方が多いな。
460 :
日本@名無史さん:03/12/26 23:33
>>455 執権職を代々受け継いだ系統の子孫は今も「北条」姓を名乗ってるのでは
ないでしょうか。でも、「北条」という苗字の子孫には、「北条早雲」系の子孫や、
「北条(きたじょう)」という毛利氏系の子孫もいるようですね。
「北条」姓が全部鎌倉北条氏の子孫ではないということですね。
憶測で物事を言わないように。
463 :
日本@名無史さん:03/12/27 01:40
>>460 そこでの子孫というのはすべて「自称」。
自分の名字と関係のある「有名人」と結び付けているだけ。
464 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:37
>>432 極楽寺さんって、今でもいらっしゃるんですね。
日本で現在20人程いらっしゃるそうです。
現在の北条さんは、鎌倉北条氏か、その他の地域のの北条氏か、伊勢氏の北条氏か
見分けるのは至難の業でしょう。当然、みなさん、鎌倉北条氏だとおっしゃるでしょうけど。
極楽寺氏は、鎌倉北条氏を引き継いでいる超名門ですね。養子になりたいです。
465 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:46
執権北条氏の子孫は平野氏
466 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:49
>465
しかし、平野氏には、北条氏流のほかに
大江氏系
清和源氏源頼光系
坂上氏系
ほか、たくさんある。
467 :
日本@名無史さん:03/12/27 13:43
その平野氏だってあくまで自称。
468 :
日本@名無史さん:03/12/27 15:30
大河ドラマ『太平記』第21回「京都攻略」(平成3年5月26日放送)より
円喜「高資、新田が謀反とはまことか?」
高資「はっ」
円喜「国府の孫四郎はいかがいたした?」
高資「不意を襲われて、討ち死にしたとの知らせも。また、川越まで落ち延びたとの知らせも」
貞顕「数万の新田勢が笛吹峠を超えたという知らせもある」
円喜「数万?あの貧乏御家人の新田が?皆、頭がどうかしておるのではないか?新田ごとき、多くて千か二千の数じゃ。こちらから七、八千の兵も送れば済む騒ぎじゃ。
・・・それよりも、京にて謀反起こした憎き足利、近江の佐々木、こたびの新田、皆源氏ぞ!それがいっせいにそろって寝返ったのじゃ。ほかにもおるかも知れん。諸国の源氏が皆寝返るかも知れん。案じられるはこのことぞ!」
貞顕「言わぬことではない。それゆえそれがしは足利は外へ出すなと申したのじゃ。野に放った虎じゃわえ!」
円喜「高資、京の様子はどうじゃ?」
高資「未だ洛中にて謀反の兵との合戦が続いておる由」
円喜「千早の楠木攻めの二万騎はいかがいたした?あれを京へまわせと申したであろう?」
貞顕「六波羅はどうでもよい!京は遠すぎる。それよりも、今、この鎌倉に向かっている新田をまず討つべきであろう。足下に火がついておるのじゃ!」
・・・いや、これは違う・・・これでもない・・・関東図面はどれじゃ!関東図面はどれじゃ!」
使者「申し上げます。ただいま、京・六波羅より火急の使者にござります。京・六波羅は、9日、謀反軍の手に落ちた由にござりまする!」
一同「なにっ!」
使者「都の若様は、もはや態勢を立て直さず、ことごとく討ち滅ぼされたと・・・」
円喜:長崎円喜、高資:長崎高資、貞顕:北条(金沢)貞顕
>>464 電話帳の名前の数なので、20人ではなく「20世帯」だと思われます。
大仏さんは 約350世帯で
「相模国鎌倉発祥桓武平氏北条氏流。ほか藤原氏秀郷流武藤氏流、美作菅家族等。」
とされていますね。
471 :
日本@名無史さん:03/12/27 18:16
おまいら、北条の子孫の「名越(なごえ)」を忘れてませんか。
472 :
日本@名無史さん:03/12/27 18:53
>>471 名越か。。。
尾張家みたいなもんだな。
極楽寺=紀州
473 :
日本@名無史さん:03/12/27 21:07
北条は偉大だよ
後代の日本の武家政治はほとんど北条政治を踏襲したものともいえる
474 :
日本@名無史さん:03/12/27 21:12
後醍醐院も足利義満も得宗専制の後継者だもんな
475 :
日本@名無史さん:03/12/27 22:22
>>472 足利一門に当てはめると、
吉良=名越
今川=極楽寺
って感じか?
476 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:02
いやしかし名越の冷や飯の食い方は尋常じゃないぞ。
執権・連署どころか六波羅にすら就任していない。
477 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:10
南北朝合一以後の吉良は、守護にすらなっていない。
極楽寺(つか赤橋)は斯波だろ。
家格的にも実力的にも。
479 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:44
480 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:54
その名越の最後の当主が戦死したことが足利高氏を離反させるきっかけとなった。
因縁だな。
481 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:02
>>480 結局、反北条色の強いこの二人を大将にせざるおえないところに、北条政権の末路をみた。
482 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:03
>>480 名越は死ぬことで、得宗を滅ぼし先祖の怨念を晴らしたのか。
自爆テロみたい。
483 :
日本@名無史さん:03/12/28 08:09
>>468 録画したビデオ、元が古くて聞き取れなかったから、
そういう書き込み嬉しい
484 :
日本@名無史さん:03/12/28 14:03
>>373 和田氏との主導権争い?
特に失脚といわれるような事もなかったとおもうんだけど
千葉氏が幕閣に入れなかったのはなんで?
485 :
日本@名無史さん:03/12/28 14:08
千葉県って関東の中では唯一まともな命名だな
486 :
日本@名無史さん:03/12/28 14:40
>>388 時代はごっちゃだけど
森⇔時頼
小泉⇔長時
福田⇔安達
飯島⇔頼綱
青木⇔政村
公明⇔足利
安達と頼綱の殺し合いはまだのなか?
加藤紘一は誰になるのか!?(なかなか死なない赤マフラー?)
>>485 埼玉も県名はまとも。
487 :
日本@名無史さん:03/12/29 22:31
現在の金沢氏が北条氏の子孫というが、幕末に金沢北条氏は何人いたのか。
自称と他人に呼ばれる名、苗字としてはどっちが重要なのか。
488 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:12
>>478 極楽寺(赤橋)は得宗家に反抗的なのか?
489 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:13
>>481 足利って元弘以前から反北条色が強かった?
490 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:14
極楽寺=赤橋は得宗家の忠臣だろ。家格も得宗家に次ぐ。
491 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:18
>>471-479 吉良=名越(朝時流)・・・反抗的過ぎたため、徹底的に冷飯。
今川=赤橋(重時流)・・・多少のトラブルはあったが、基本的に重用。
斯波=常葉(政村流)・・・反抗的だったが、結局まともなポストに。
492 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:18
493 :
日本@名無史さん:03/12/29 23:57
細川=大仏(朝直流)…一番どうでもいい家だったが、いつの間にか最重要ポストを占めていた。
畠山=金沢(実泰流)…その次。
494 :
日本@名無史さん:03/12/30 00:04
鎌倉幕府ってまだまだわからないことばかりだな。
大仏流もけっこう謎の多い家系だ。いつのまにのしあがったんだ?
495 :
日本@名無史さん:03/12/30 00:08
496 :
日本@名無史さん:03/12/30 00:31
>>492 下総千葉氏が滅ばされたのは徳川氏関東入府のときでしょ。
それに肥前千葉氏は名門として幕末までずっと続いているし。
497 :
日本@名無史さん:03/12/30 00:35
>>496 千葉氏は幕閣の首脳陣から脱落してないか?
それは別次元だとおもう
498は496に対するレス
500 :
日本@名無史さん:03/12/30 01:20
わたしが思うに千葉なんて命名してもらったのも西国雄藩から見て親しみがあったからなのでは?
関東の中では一番武威がある県名だと思う。
>武威がある
茨城。何か強そう。
502 :
日本@名無史さん:03/12/30 16:30
宝治合戦は千葉秀胤だっけ?
503 :
日本@名無史さん:03/12/31 01:49
トキムネについて。
たしかにありゃ、時代考証めちゃくちゃ。
キャラは濃かったから着物を着た人たちの群像劇であって歴史物ではないと認識すれば見るには耐えたとは思う。
鎌倉北条氏の研究の第一人者で、トキムネの時代考証をした奥富先生自身エネエチケーにゆがんだ時代考証を求められて、欝欝していたというエピソードも残っていますし。
さらさら時代物にする積もりなかったんでしょう。
504 :
日本@名無史さん:03/12/31 01:52
>502
宝治合戦は主に言えば時頼VS三浦ですよ。
千葉秀胤は三浦に連座して、無理やり自殺させられた人です。
505 :
日本@名無史さん:03/12/31 02:13
>>491>>493 仁木=佐介(時盛流)…一番どうでもいい家だったが、最後までどうでもよく終わる。
>>503 誰がが第一人者だって?( ´,_ゝ`)プッ
>>505 時盛は、同じ六波羅の北方で
同年代であった北条重時とや、
弟で大仏流の祖であった朝直と比較すると、
途中までは同じような官途昇進を遂げており、
決して低い家柄ではない。
佐介時国が失脚しなければ、
大仏流と同じような家格を保てたんじゃないかな。
507 :
日本@名無史さん:03/12/31 19:59
≫506
私は時房の死後間もない時点で佐介と大仏との嫡男争いがあって、佐介が
負けたんだと思う。六波羅探題北方を立派に務めたのに鎌倉へ帰還して
直ぐに出家してしまったのは嫡男争いに敗れたショックからだと思う。
傍流の分家の時国が謀反を起こす気も力も無かったんじゃないでしょうか。
何かの間違いか誤解ですよ、きっと。
508 :
日本@名無史さん:03/12/31 20:28
>>507 佐介ではなく、観音だったら勝てたかもしれないのにな。
>>507 確かに時盛と朝直の間では
家嫡争いはあったと思う。
それは、時盛の出家後、
時国が六波羅南方に就任するまで、
佐介流が要職に就いていないことからも
説明できると思う。
なお、時国は、『六波羅守護次第』
『前田本平氏系図』のよれば、
時盛の猶子となり、佐介流の家嫡となっている。
ただ、時盛の出家は、仁治三年六月。
泰時の出家(死没)に倣ったもので、
仁治元年一月に没した時房の死とは無関係。
また、時国が六波羅南方に就任した時点で、
佐介流は復興の兆しを見せているんじゃないだろうか。
その証拠に、時国は僅か十五歳で左近将監となり叙爵、
六波羅南方に就任している。
これは、大仏宣時の二十八歳での引付就任、
三十歳での叙爵・武蔵守就任よりも
早い出世であるのは明白。
しかし、公安7年の事件によって時国は失脚。
ついでに、時盛の娘を継母としていた
足利家時も没している。
この方がすっきりとしないかな。
510 :
日本@名無史さん:04/01/01 03:03
時代劇板の「大河ドラマ太平記スレ」から来たド素人なんですけど
質問いいですか(流れ切ってすいません)?
北条政権の政策決定で、北条一門の合議制ですよね?
非北条の御家人で出席を許されていたのは何氏でしょうか?
また「御内人」というのは、執権が権力強化のために引き上げた
直臣なのですか? 身分的には御家人に差別されていたのでしょうか?
511 :
日本@名無史さん:04/01/01 08:21
≫510
最初の頃は大江広元さんという政治のプレーン?がいたんですよね。
承久の変の時、京へ攻め込む事を躊躇っていた義時に「行けー!」と言い
政子の大演説を指南したのは、この人です。
512 :
日本@名無史さん:04/01/01 11:12
なんで名越と足利が援軍の大将になったんでしょうね?
足利は丹波に領地があったから?
名越は北陸がメインだと思うけど関西に地盤・人脈とかあったのかな?
他にもっと幕府内で勢力がある家はたくさんあると思うのですが。
513 :
日本@名無史さん:04/01/01 12:44
>>510 基本的に得宗の専制政治です。
本来、御内人は御家人ではありません。
514 :
日本@名無史さん:04/01/01 13:06
御家人と御内人を兼ねていた者も少なくないけどね
515 :
日本@名無史さん:04/01/01 15:04
>>505は
>>493を受けて、北条一門における佐介と大仏の関係を、足利一門における仁木と細川の関係に模してみただけで、他意はありません。
516 :
日本@名無史さん:04/01/01 15:16
でも仁木弾上と佐介時国って何となくかぶるかも。
511・513・514さん、レスありがとうございます。
得宗の専制政治ということは、最終的には執権の意思が
最優先されたということですね?
>>511 ドラマの話で申し訳ありませんが、『北条時宗』の時宗時代の
合議シーンだと、北条一門ばかりなのですが、あれは演出上の
方便だと考えてよいのですね?
>>514 ということは、「御内人」というのは身分ではなく
役割的なものでしょうか?江戸の側用人みたいなかんじですか?
給料はどこからもらっていたのですか?
教えてばかりでスイマセン、どうぞご教授ください。
518 :
日本@名無史さん:04/01/01 16:39
>>517 鎌倉時代には複数の主人を同時に持つ武士もいたということです。
519 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:02
>>517 執権じゃなくて得宗だろ。
給料は所領だろ。
520 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:38
>>517 本来、北条家は他の御家人と同格の御家人にすぎません。
御内人というのは得宗家の家臣のことです。
つまり陪臣。他の御家人にくらべて本来の格は下になります。
しかし権力を持つようになり、後にもともとの御家人から転じる者もでてきました。
得宗家の所領のうちから所領をもらっていました。
ドラマの合議シーンについては、ドラマを見ていないのでわかりません。
またドラマを信じてはいけません。
521 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:53
しかし再来年の大河の監修は奥富敬之先生ですから信じて大丈夫でしょう。
522 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:54
≫521
再来年じゃなくて来年でした。明けましてオメデト♪
523 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:54
≫521
再来年じゃなくて来年でした。
524 :
日本@名無史さん:04/01/01 22:40
>>521 悪評高い北条時宗の監修はその奥富さん+杉山正明ではなかったか??
525 :
日本@名無史さん:04/01/01 22:55
奥富は平気で名義貸しをするから信用ならん
つーか、奥富だからダメなんじゃん。
527 :
日本@名無史さん:04/01/02 05:06
経時の子 隆政 頼助の子孫はいなかったのか?
528 :
日本@名無史さん:04/01/02 06:10
529 :
日本@名無史さん:04/01/02 07:39
≫526
奥富先生は頼朝と義時を悪者にしないと思います。
530 :
日本@名無史さん :04/01/02 10:06
531 :
日本@名無史さん:04/01/02 11:18
>>517 北条家の宗家の当主が得宗。
執権は原則得宗の世襲の筈だが、あまりにも若死にや出家が多過ぎて中継ぎの中継ぎ的な執権が乱立。
だから得宗≠執権と考えた方がいい。
532 :
510=517:04/01/02 16:20
みなさん丁寧なレスありがとうございます。
>>520 「御内人」が権力を握るようになった理由は、得宗の権力が向上した
ため、と考えてよいのですか? それとも別の理由があるのでしょうか。
あまり質問ばかりで気が引けるので、さきほど書店で入門的な概説書を
購入してきたのですが、著者が上に出ている奥富氏(角川選書)でした。
これってあまり信用しないほうがいいのですか?
533 :
日本@名無史さん:04/01/02 17:11
奥富先生・・・に限らず北条家の系図はどれが正しいとは言えないと思います。
子供の数や年齢、妻の実家、娘の嫁ぎ先、信用出来ないのがいっぱいあります。
「吾妻鏡」は抜けている年もあるし・・・京都から見た鎌倉情報も怪しげだし。
大河の「草燃える」を見てた世代はこのスレにはいないか?
535 :
日本@名無史さん:04/01/02 22:12
>>534 漏れ見てたよ。
北条義時が松平健だった。
536 :
日本@名無史さん:04/01/03 07:14
まだ北条ファンじゃない頃にリアルタイムで見ていました。
政子→岩下志麻
保子→真野響子
牧の方→大谷直子
伊東十郎→滝田栄
泰時→中島久之
時房→森田順平
義経→国広富之
頼家→郷ひろみ
実朝→京本政樹
三浦→元祖仮面ライダー
阿波局→松坂慶子
頼朝→石坂浩二
安達→武田鉄也
泰時は頼朝の子でしたね。上手い設定だと思いました。
537 :
日本@名無史さん:04/01/03 09:45
>>536 実朝は京本じゃなくて篠田三郎
北条時政→金田龍之介
和田義盛→伊吹吾朗
梶原景時→江原慎二郎
畠山重忠→森次晃嗣
比企能員→佐藤慶
三浦胤義→柴俊夫
安達景盛→火野正平
阿野全成→伊藤孝雄
藤原定家→岡本信人
静御前→友里千賀子
若狭局→白都真理
泰時役の中島久之っていう人、その後どうなったんでしょうね。
538 :
日本@名無史さん:04/01/03 09:52
>>536 後白河院→尾上松緑(当時)
後鳥羽院→尾上辰之助(当時)
ふたりとももう故人だ・・・
539 :
日本@名無史さん:04/01/03 10:00
経時→時頼は名越流に対する牽制だろうけど、中継ぎのはずの時頼が結局
本家を乗っ取った、でいいのかな?
経時の男の子は僧籍のままにして。
白河、後白河と同じこと?
540 :
日本@名無史さん:04/01/03 14:46
時頼って中継ぎなの?
経時の子って夭折じゃなかったっけ?
541 :
日本@名無史さん:04/01/03 14:48
>>537 中島久之氏なら去年TBSの昼ドラ「温泉に行こう4」に出てたのを見たぞ。
>>541 そいから上戸彩が出てた金八先生シリーズで弁護士役でも出てた。
543 :
日本@名無史さん:04/01/03 20:13
>>540 経時の男子は2人いたけど2人とも出家して聖職者になっている
544 :
日本@名無史さん:04/01/03 22:30
540
>>543 レスサンクス。
それって時頼が執権についたからですよね?
幼い甥たちは有無を言わさず寺に押し込んだということですか?
545 :
明日があるさ by足利泰氏:04/01/04 02:20
足利あるさ 明日がある 若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと 天下をとれるだろう
足利ある 足利ある 足利あるさ
幕府をおこした奴がいる 幕府に残ったオレがいる
あせることないさ あせることないさ 桔梗にい言いきかす
足利ある 足利ある 足利あるさ
新しい執権は鼻たれ小僧 権謀術数が通用しそう
これはチャンス これはチャンス 陰謀めぐらそう
足利ある 足利ある 足利あるさ
ある日突然考えた どうしてオレはがんばっているんだろう
桔梗のため? 子孫のため? 答えは4代後
足利ある 足利ある 足利あるさ
近頃の若いやつはとよく言うけれど 自分の頃よりだいぶまし
大目にみよう 大目に見よう 幕府が討てないくらいに
足利ある 足利ある 足利あるさ
足利あるさ 明日がある 若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと 天下をとれるだろう
足利ある 足利ある 足利あるさ
足利ある 足利ある 室町幕府ができる〜♪
>545
あっちゃこっちゃにマルチポストしてるけど全然面白くないぜ。
中先代の乱って、どれくらいの可能性を秘めてたんだ?
上手くやればもう一度、北条さんが天下をとれたんかな?
それとも時代錯誤で無意味なものだった?
548 :
日本@名無史さん:04/01/04 10:42
>547
あくまで北条は「執権」という鎌倉殿の執事でしかない。
将軍あっての執権なんで、北条が天下を取る可能性は皆無だったと思う。
じゃあ、何でやっちゃったの?
ノスタルジー?センチメンタリズム?
550 :
日本@名無史さん:04/01/04 10:49
生きていく為でしょ
中先代にも勝機はあったんでしょ?
552 :
日本@名無史さん:04/01/04 11:22
中先代以前にも、北条残党の反乱は各地で起こっていた。
もし、これらが時行を中心に一斉に反乱を起こしていたらどうなっていたか…
>>547・548
そもそも、「天下を取る」ってどういうこと?
547の解釈では「政権を担当する」ということかな?
548の解釈だと、「将軍になる」ということ?
そもそも「最高の権威となる」=天下を取る
ということなら、将軍になろうが天皇が上に入るわけだ。
「征夷大将軍」というのはあくまで
「武家の棟梁」に過ぎないわけで。
554 :
日本@名無史さん:04/01/04 17:47
>>546 2年前に流行った伝説の替え歌だよ。
知らないの?
555 :
日本@名無史さん:04/01/04 18:03
>>546は最近2ch始めたばかりの厨房。
昔の話なんて知らないよ。
面白くないし、邪魔な事にかわりはない。
557 :
日本@名無史さん:04/01/04 19:33
558 :
日本@名無史さん:04/01/04 22:04
>>558 貼ってあるのはこのスレ、この板だけじゃない。
ほんとソコら中に貼ってある。貼ってる本人は笑えるとおもってるんだろうか。
545=554=559か?
君ウザすぎ。
さっさと三戦板に帰れば?
スマソ。
545=554=558だった。
562 :
日本@名無史さん:04/01/05 21:47
>>524さん他
NHK大河など歴史物で監修をしてほしい学者さんて誰がいます?
言い出しっぺとしてまず、鎌倉時代なら細川重男氏。
563 :
日本@名無史さん :04/01/05 22:11
>>562 五味文彦か村井章介。やらないと思うけど。
564 :
日本@名無史さん:04/01/05 22:39
>>560 最初に流行ったのは、三戦板ではなく時代劇板でしたが何か?
565 :
日本@名無史さん:04/01/05 22:41
日本史板の「大河北条時宗反省会」スレだったかも。
記憶曖昧スマソ。
あぼーん
567 :
日本@名無史さん:04/01/06 09:27
≫562
永井晋先生。やっぱり鎌倉文庫の御方は参加して欲しいです。
568 :
日本@名無史さん:04/01/06 10:02
筧雅博さんとか本郷和人さんとか
569 :
日本@名無史さん:04/01/06 18:40
≫567
金沢文庫だっちゃ!
570 :
日本@名無史さん:04/01/06 18:42
571 :
日本@名無史さん:04/01/06 18:47
今日はこの板のそこら中のスレに「あぼーん」があるので、
きっと何か不適切なマルチ貼りがいたんでしょう。
>>570 さゆ(sage)という韓国人の特徴のマルチポスト
俺の好きなスレばっか汚された くそう
573 :
日本@名無史さん:04/01/06 22:46
執権殿ってさ、たかが従五位相模守なんだよね。
日本を実質的に支配した北条得宗が朝廷の官位では
たかが一国主に過ぎない。
これはリビアの元首のカダフィが
大佐であるのとおなじ原理なのかね。
>574
いや、のりは一緒でしょ
日本の最高実力者が「相州」だったんだから。
義時さんは右きょう桃(誤字)だたけど。
576 :
日本@名無史さん:04/01/07 02:14
一度は鎌倉に入って見ろよ。
577 :
日本@名無史さん:04/01/10 04:04
>>573 征夷大将軍だって、本来の朝廷の官職としては、単なる一軍人に過ぎない。
578 :
日本@名無史さん:04/01/10 06:46
>>573 カダフィは単に、「軍には将軍はいらない」っていう思想でしょ?
579 :
日本@名無史さん:04/01/11 21:55
>>573 凄いことだよね
同時に北条氏の偉大さをひしひしと感じる事実だ
ホントたかだが従五位相模守なんだよね
580 :
日本@名無史さん:04/01/11 22:01
>>573 従五位下ってたしか足利家督が元服時に拝命する官位ではなかったでしたっけ?
てことは清和源氏嫡流と東国の一介の豪族出身の北条氏って
それほど朝廷からの扱いが違ったんですね。
581 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:29
違うぞ
582 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:31
バカの会話だな。
583 :
日本@名無史さん:04/01/12 07:43
そもそも得宗家の家督はみんな四位になってるよ
584 :
日本@名無史さん:04/01/12 07:51
西洋風の軍務職掌については大佐までが現場の長で、少将以上は、
国家元首の幕僚というか、政治家的色彩が強くなる。
カダフィは、生涯現場主義で、大佐以上になろうとしない。
国家元首が大佐なのに、部下がそれ以上の立場になりようもなく、今に至る。
585 :
日本@名無史さん:04/01/12 07:53
藤原道長が関白にならなかったようなものか
586 :
日本@名無史さん:04/01/12 09:46
カダフィさんもそろそろ大将になってもらいたい。
587 :
日本@名無史さん:04/01/12 09:52
断る
588 :
日本@名無史さん:04/01/12 10:26
かだふぃはすててこをはいていた
589 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:59
>>583 嘘つくな。
北条得宗家の最終官位及び官職を挙げると、
時政:従五位下・遠江守
義時:従四位下・陸奥守兼右京権大夫
泰時:正四位下・武蔵守兼左京権大夫
時氏:従五位下・修理亮(但し家督にあらず)
経時:正五位下・武蔵守
時頼:正五位下・相模守
時宗:正五位下・相模守
貞時:従四位上・相模守
高時:正五位下・相模守
となっている。没年齢や出家の年齢も
鑑みる必要はあるだろうが、
基本的には義時以降は四位に上がれる
家だったんじゃないかな。
鎌倉末期になると、
得宗家でも五位止まりになることが多いのに、
得宗家諸流の師時や赤橋・大仏・政村流などに、
四位まで上る者がいたのは興味深い。
590 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:46
北条にとって、官位はどだってよかったんだろ。
なんかぜんぜんこだわりないみたいだな。
いさぎよくっていいね。
官位にこだわった後世の武士にくらべたら
ましだろ。
591 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:54
従五位下は上級貴族にとって宮仕えの出発点であり、下級官人にとっての終着駅。
形式上は下級官人であり続けた北条さんは、奢リ高ぶった平さんより賢い。
592 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:55
武力で押さえていたからね。
593 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:15
権力を簒奪したと思われたくなかったので、
あえて陪臣としての格を維持したんじゃないの?
594 :
日本@名無史さん:04/01/13 12:34
595 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:53
北条雅子に尽きる。
596 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:50
無礼者!北条政子じゃ!
大河ドラマでは岩下志麻が政子を演じていた。
597 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:57
武家政権の容を作ったのは鎌倉幕府でしょうね。
598 :
日本@名無史さん:04/01/14 00:14
たしかに義時、泰時の頃の実績が、
足利、徳川の政権の正当性の根拠になった面はあるでしょね。
599 :
日本@名無史さん:04/01/14 02:51
伊豆の江間周辺にいくとまわりは仁田とか狩野とか豪華絢爛たる豪傑たちの苗字がずらり
鎌倉幕府創業期のひしひしと感じます。
600 :
日本@名無史さん:04/01/14 03:28
失礼
創業期の武士たちの熱い思いが、とに訂正。
601 :
日本@名無史さん:04/01/14 03:35
お、今度は と が入っていた スマン
602 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:02
まぁ、神奈川や静岡には縁があるからね。
603 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:20
んで、けっきょく「ぱっとした」の粘着二人は、どこいったの???
604 :
日本@名無史さん:04/01/15 02:23
>603
さっそく自作自演ですか?
605 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:23
まさ子さんといえばおとこの子が,,,,
より家と実ともかな
606 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:30
雅子さんは帯状疱疹で臥せっています。かわいそうです。
607 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:35
ところで北条さんの場合、政時の親類がいないか少ない
他の豪族さんたちゃ親戚だらけだったのにね。
熊谷さんや大串さんにもいたのに。
608 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:45
ところで北条さんの場合、政時の親類がいないか少ない
他の豪族さんたちゃ親戚だらけだったのにね。
熊谷さんや大串さんにもいたのに。
609 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:52
>>608 その熊谷が北条の遠い血縁だとする系図もある。
610 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:12
>>603 その論争は決着ついたから、もう彼らの出番はないよ。
611 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:16
>610
さっそく自作自演ですか?
612 :
日本@名無史さん:04/01/17 20:24
>政時の親類がいないか
↑は人名?
613 :
日本@名無史さん:04/01/17 21:04
>>612 「時政の親類」と言いたいのだと思われ・・・
なるほど。
615 :
日本@名無史さん:04/01/18 00:26
泰時は戦下手なヘッポコなわりに名政治家ってのがよい
616 :
日本@名無史さん:04/01/18 13:39
義時も源平合戦の時、何してたんでしょう?
全然働いていなかったんですよね。
名将イコール名政治家の式は成り立たないんでしょうか。
617 :
日本@名無史さん:04/01/18 13:49
>>616 義時は頼朝の近臣だから頼朝が手元から離さなかったのではないでしょうか?
それに当時の北条家はごく小所帯でそれほどの活動ができたとも思われず。
自分的には一応
成胤以降、後継ぎが幼いうちに親父が死んじゃってることが一因かなあとも思う。
それに比べて三浦氏は長命だし
佐々木氏も一族内に罪人を出しまくってても信綱親子が長命。
繁栄の理由が政治的判断ではなく長生きってのも、萎えな反面、真なのかなあ。
619 :
日本@名無史さん:04/01/19 21:10
得宗って義時の戒名だってね。初代執権は時政なのに無視されて可哀相。
泰時の陰謀だよね。結構性格悪い人だったのかも。
620 :
日本@名無史さん:04/01/19 22:59
トクソウって泰時の号じゃなかった?
時宗が5・6話入ってるビデオが出てきたからちょっと見たんだけど
凄い!
鎌倉は評定で取っ組み合いのケンカしてるし
関白殿下は御前で切腹しちゃって穢れもクソもあったもんじゃない。
政村・実時・泰盛らが蒙古の国書を読んで「中書省とは・・・?」なんてのもまいった
宗尊親王が中書王と呼ばれたのはこれより後の時代だったか?
オープニングテーマだけはよかったんだけど
歴史なんてそれだけで面白い物なのに、なんでドラマになるとつまらなくなるのか。
621 :
日本@名無史さん:04/01/19 23:01
>>619 A説
泰時は義時の子供ではなく、頼朝のご落胤。
それゆえ、義時の子孫であることを強調せんがため、得宗と称した
B説
泰時の母は名が知れない。一方、弟の朝時の母は、比企氏の出(もともと頼朝んぽ愛人だったのを義時が取ったらしい)。
当時の慣習であれば朝時の方が義時の跡取りにふさわしい。
しかし、義時が滅ぼした比企氏の出であることから忌避された。
この朝時は名越の館に住んだので、その子孫は名越を名乗るが、
その館はもともと時政の館。つまり、朝時は時政系。
してみれば、時政を排除するのは朝時を排除するため。
622 :
日本@名無史さん:04/01/19 23:03
政村の館って元北条政子の館だっけ?
623 :
日本@名無史さん:04/01/19 23:07
桓武平氏。
624 :
日本@名無史さん:04/01/20 01:27
>>620 >トクソウって泰時の号じゃなかった?
義時の方
625 :
日本@名無史さん:04/01/20 02:29
>>620 「このドラマはフィクションであり、実在の歴史上の人物・事件とは一切関係がありません」
byNHK
626 :
日本@名無史さん:04/01/20 08:10
江間四郎は蒲の冠者にくっついて、西国に遠征したよ。
なんにも武勇伝はなかったらしいが、九州に一番乗りのひとりだったけど。
軍勢がすくないへっぽこ武士だから仕方ないよね。
627 :
日本@名無史さん:04/01/20 09:43
≫621
泰時の母は名が知れない。
だからと言って身分の低い女性だったとは限らない。吾妻鏡に記述が無いだけ。
超有名人の娘でも名前さえ解っていない事はよくある。
だから朝時の方が義時の後継ぎに相応しかったとは断言出来ない。
朝時の母は比企氏ではなくて源氏の一族、朝宗の娘かも知れない。この女性は頼朝の
又従弟の娘で頼朝の側室大進局の妹。
628 :
日本@名無史さん:04/01/20 20:22
>>627 付け加えると、この朝宗は源氏と言うより藤原氏だろ。
伊達朝宗ともいって、伊達政宗の祖先といわれる方でもある。
629 :
日本@名無史さん:04/01/20 20:46
≫658
伊達?伊達という苗字が登場するのはもっと後の事だと思う。
藤原氏・・・そ、そうだったかも知れない。頼朝の父方の又従弟だから
てっきり源氏と思い込んでいました。
630 :
加賀宰相入道:04/01/20 21:31
紘一を殺せ、宗男を殺せ、真紀子を殺せ、龍太郎を殺せ、広務を殺せ、拓を殺せ。
ヤバげなネタは置いといて、朝時の母親は比企氏で正しいとおもうよ。
名越流が北陸に勢力を持ったことも、比企氏の基盤を受継いだからだろうし。
>>628 朝宗ってのは比企藤内朝宗(藤原朝宗)で、その女は1192年9月に義時に嫁いだ。
632 :
日本@名無史さん:04/01/20 21:52
泰時が生まれた年からみると、その母はあまり大きなところの出じゃないかもね。
時政の奥さんは伊東の縁者らしいので、義時も地元の嫁さんもらったかも。
633 :
日本@名無史さん:04/01/20 22:01
>>467 あ り え な い 。それは。
バストダンジョンでリリカのおっぱい値を800近くまで調教強化してやらないと、そのフラグは立たない。
仮にフィリオナをメンバーから外してリリカを集中調教しても、アナルバイブが使えないその段階では
スカリバーはまだ手に入れられないはず。 妄 想 で つ か ?
とりあえずアンダー草原で淫獣マリリスを大量に調教して淫度をどんどん稼いどけ。
展開が不安ならバックアップ取っておくのを忘れんなよ。説教くさくなってスマソ・・・。ついな・・・。
635 :
日本@名無史さん:04/01/20 22:40
そういうのは一族とは言わないんだな・・・
北条マニアでエロゲ好きがいるのか…
637 :
日本@名無史さん:04/01/21 00:38
百済武寧王--(略)----高野新笠
|---桓武天皇---(略)----北条一族
天智天皇--(略)-----光仁天皇
638 :
日本@名無史さん:04/01/21 08:37
北条は将軍にならなかった。というかなれなかったんでしょう。
桓武平氏と言っても清盛の方は貴種で北条はそうじゃなかった。
その違いは何処にあるんでしょう?
都で官職についていなかったから?
北条があまりにも小豪族だったから?
ただし北条はあくまで平氏。その精神だけは持っていたと思う。
639 :
日本@名無史さん:04/01/21 17:46
天皇や摂関を任免するほどの力を持ちながら北条家が将軍にならなかったのは何故だろう?
ならなかったのか?
なれなかったのか?
640 :
日本@名無史さん:04/01/21 17:57
>天皇や摂関を任免するほどの力を持ちながら北条家が将軍にならなかったのは何故だろう?
それほどの力を持ってたんなら、あえて将軍になる必要もないのと違いますか?
ヘタに将軍になると、形式的にしろ朝廷に任命権があるので、人事のゴタゴタに介入されるおそれもある。
そうやって朝廷は武家をあやつってきたからね。
641 :
日本@名無史さん:04/01/21 22:59
加えて、時輔をシキブノタイフ(ダイフかタイブだったかも)に推挙云々って言ってたけど
シキブノタイフじゃ式部大輔になってしまう。
時輔は五位の式部丞だからシキブノタユウ(式部大夫)だと思うんだけど。
これだって本来は式部大夫に推挙するのではなく、式部丞に推挙任官されて初めて
五位の式部丞として式部大夫と呼ばれるわけで、式部大夫という官職はないはずなんだけど。
前書いた中書省だって、当時の将軍、中務卿宗尊親王が官名に因んで中書王と呼ばれていたから
鎌倉の御家人が中書(中務)省を知らないわけないし
反得宗(名越や足利)とか北条家長老(重時や政村)って表現もどうかと思う。
三谷幸喜が、大河では言葉遣いなどについて考証の先生からバシバシ直しが入るって書いてたけど
時宗の考証の先生
>>503はこういう所ノータッチだったのかな。
考証の先生がちゃんと仕事してくれてたら、めずらしくドラマになった鎌倉時代がもっと面白く
まともに画かれていた、なんてことにもなってたのかな。だとしたら残念。
>>521 というわけで来年(義経)も不安です。
>>624 おもいっきり間違えてました。
得宗は基本的に号に崇ってつけてるけど、時宗がなぜ崇を使わなかったのか
なんか意味ありそうな、実際あります?
642 :
日本@名無史さん:04/01/21 23:54
>>628-630 比企朝宗と伊達朝宗は別人物です。
前者は、鎌倉幕府草創期に北陸諸国の守護を歴任した人物。
後者は、頼朝の奥州征伐に従って陸奥国伊達郡を領し、のちの大大名伊達氏の祖となる人物。
643 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:57
とりあえず奥富は研究者としてはちょっと???な感じがするな。
644 :
日本@名無史さん:04/01/22 02:04
>>641 >三谷幸喜が、大河では言葉遣いなどについて
>考証の先生からバシバシ直しが入るって書いてたけど
新撰組を見ている限り、そうとは思えない。
645 :
日本@名無史さん:04/01/22 09:04
>>643 >なんか意味ありそうな、実際あります?
ないんじゃない?
北条時頼が「道崇」で時宗が「道杲」だから父の法名にならったんだろう
もっとも時宗の出家は瀕死の状態だったから本人の意向で決めた法名とは思えんが
646 :
日本@名無史さん:04/01/23 08:57
鎌倉・室町時代の高級武士が出家したとき、必ず「道」の文字が入るのかしら?
足利義満の法名は道義。
647 :
日本@名無史さん:04/01/23 08:58
>>646 「道」の字は足利家の共通の字だね。でも足利家だけみたい。
たとえば赤松家は「性」の字を使っている。
648 :
日本@名無史さん:04/01/23 09:37
>>641 時宗の時代考証の先生の書いた本てけっこう凡ミスが多いんだよね。
たとえば「時頼と時宗」とかさ。あの先生の本はどうも鵜呑みにできない・・・
ゴーストライターが書いているのかもしれないけどw
649 :
日本@名無史さん:04/01/23 09:40
「日本書紀」にある東夷に関する記述。恐ろしいほど今の東京人や関東人と酷似している。
東の国の人々は性質が凶暴で乱暴ばかりしている。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
山には悪い神、野には悪い鬼が住んで、道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
中でも最も強いのが蝦夷(えみし)である。蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
冬は穴に住み、夏は木の上で暮らしている。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は中が悪くて争ってばかりいる。
山を登るときは鳥のように速く、獣のように野原を駈けまわっている。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
自分の身を守ったり、仕返しをするためいつも頭の髪に矢を差し、刀を隠し持っている。
仲間を集めては、朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、
人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。
征伐するため兵士を差し向けると、草に隠れたり、山に逃げたりして、なかなか討つことができない。
650 :
日本@名無史さん:04/01/23 09:47
足利氏の法名で「道」を使い始めるのは、
義詮・基氏の時から。
それまでの足利氏家督はほぼ
「義」を使っている
(例外は泰氏の「證阿」)。
これは、尊氏までは
密教系(具体的には真言宗)の
法名を使用しており、
義詮・基氏からは
禅宗系の法名を使ったからだろう。
同じことが北条氏でも言えて、
時政の明盛、義時の観海、泰時の観阿
が旧仏教系の法名なのに対して、
時頼の道崇、時宗の道果、貞時の崇演、高時の崇鑑は
禅宗系の法名。
なお、義時の「得宗」という法名は、
禅宗系の追号であろうという説がある。
>>631 冗談だと分かってても怖いねそれ。
>>642 オレも
>>628-629に混ぜられんのか、ちと悲しい。
>>627-629の話を校合すると、中村朝宗の女のうち姉大進局が頼朝の妾
妹が義時の妻になった、ってことになるんだろうけど、これは伊達氏の家伝?
伊達氏を扱うサイト見ると、南北朝の二階堂行朝の役職や所領を
伊達行朝の物としてたりするけど、これも伊達氏の史料で元々そういう扱いなのかな。
653 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:33
伊達にしろ比企にしろ本姓藤原であることに変わりない。
源姓といいだした奴がDQNってことで。
654 :
日本@名無史さん:04/01/24 00:28
北条さんちも朝鮮の血。
655 :
日本@名無史さん:04/01/24 00:38
普通、室町時代の高級武士は禅宗だが、
足利義教などは天台座主を経た後還俗している。
例外もあるということかな?
656 :
日本@名無史さん:04/01/24 00:42
中世・近世はいろいろな宗派にちゃんぽんに手を出すのが普通だからなあ。
>>656 でも、出家するときの戒師は一人だから、
それによるわな。
658 :
日本@名無史さん:04/01/24 12:48
でも厳密な本姓を言い出すと
もともと日本の系図ってすべて無理やりつなげただけって話もあるよ
武家も公家も天皇家も。
659 :
日本@名無史さん:04/01/25 19:50
公安の役で日本兵が溺れた敵を必死で助けたのには驚かされた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
素人だからってバカにするな!!!!!!!!!!!
弘安…ね。
662 :
日本@名無史さん:04/01/27 12:45
結局、「ぱっとしない」という具体的な証拠を提示できなかったのね。
663 :
日本@名無史さん:04/01/27 22:30
平頼盛の子孫がぱっとしなかった根拠は示されていた。
664 :
日本@名無史さん:04/01/27 22:39
665 :
日本@名無史さん:04/01/27 22:43
祝、ぱっとしない論争復活。
666 :
日本@名無史さん:04/01/27 22:47
安田元久氏はその著『平家の群像』<平頼盛の立場>の中で、
「保盛や光盛の子孫で、頼清以外にこの後に政界に進出したものもなく、
この家は没落したものと思われる。また為盛・仲盛らの経歴について
はほとんどわからない。頼盛は、その一身に関する限り、討滅の難を
のがれ、再び京都政界に復帰することができたが、しかしその時はす
でに、公卿そのものの政治的権力と地位とが失われつつある時代であ
った。いわば斜陽の階級の中に、ようやく生きる場所を見出したにす
ぎない。しかもその中で、頼盛の子孫の没落は、より急速であったと
言わねばならない。」
と記されています。
光盛ー教性、および保盛ー頼清ー保清でもって、尊卑分脈においても頼
盛の系譜は途絶えており、おそらく前記安田氏の記述通り、頼盛子孫の
京都政界での地位は没落したものと思われます。
そして後に、頼盛の仁和寺関係の所領、また池大納言家領関係に、所縁
を求め下向(隠遁)した子孫の系譜が、地方に伝えられています。
667 :
日本@名無史さん:04/01/27 23:01
皇太子がキモクなったのは20代後半になってから
なかなか妃が決まらず雅子のストーカーになり出した頃と一致する
それまではチビでブサだったけどキモイと言うほどではなく、
品のあるいかにもおぼっちゃまと言う感じだったと思う。
とくにここ数年のキモサはまさに
「自分の顔に責任もたない顔」だね
造作は不細工でも、内面の自信からかっこよく見える男は世にいくらでもいる。
えなりかずきとか島田伸介とか北島三郎とか
668 :
日本@名無史さん:04/01/27 23:28
>>666 やれやれ、ぱっとするとかしないどころかの話ではないね。
669 :
日本@名無史さん:04/01/28 00:38
670 :
日本@名無史さん:04/01/28 00:40
671 :
日本@名無史さん:04/01/28 03:19
充分ぱっとしてるね。
672 :
日本@名無史さん:04/01/28 17:36
何にせよ
>>666で決着が付いたな。めでたしめでたし。
673 :
日本@名無史さん:04/01/29 04:08
どこが決着ついたんだろ?w
結論はぱっとしたの?ぱっとしないの?その違いはどこにあるの?
674 :
日本@名無史さん:04/01/29 07:02
>>673 336 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:10
(副)スル
(1)動作や状態の変化が突然または瞬間的であるさま。
「―駆け出す」「―消える」「花が―開く」
(2)一挙に散らばったり、広がったりするさま。
「うわさが―広まる」
(3)派手で目立つさま。見栄えのするさま。
「―派手に繰り込もう」
――しない
見栄えがしない。また、状態があまりよくない。
「―ない出来栄え」「―ない成績だ」
337 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:14
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
・・・
適切な表現方法ではないが、意味が解らない表現ではない!
338 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:16
よって、
この議論は終了とする。
みなさん、よろしいですか?
本屋で鎌倉北條の末裔と言う本をみた。
時行の子の1人で茨城の結城に潜んでたらしい。
その後に平民に落ちたみたいだ。
676 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:45
治承四年二月十四日。
京の都は晴れた一日だった。
夜、名月が蒼然と煌いた。
庭の梅は、いまを盛りに咲き誇っている。
その芳香が辺りにただよい、月の光が冴えわたった。
家のなかには、人影もない。
鼻を突く甘い芳香と月にいざなわれ、
寝つかれぬまま、ひとり徘徊したのだった。
なに、花とな。
知ったことか。
紅旗征戎わが事にあらず。
喚くな。
恐れるな。
おお。
あの東大路の北方に見た炬火。
五条京極の果ての光物。
あれは失火狼藉の火か。
いや、それとも如月の天空の火の幻影か。
それにしても、おれの心はいつも騒ぎ立っている。
夜が物憂い。
677 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:45
ああ、おれの宿業たる三十一音律の歌よ。
美と狂気の祝祭。
おれは、
その汚辱の血を流しつづけることで、
すべてに耐えしのぶ。
そのとき、
若い定家の肩に梅の花びらが舞った。
なぜか、涙が流れた。
この詩型を呪い、
この己の不運に立ち向かうとは・・・・。
呟き、口づさむ。
夜の闇の奥で、
戦線に発つ人馬の声が騒々しくなった。
夜明けとともに、
京は雑兵であふれた。
678 :
日本@名無史さん:04/01/29 19:58
北条氏族の末裔たちが集うスレはここか!
679 :
日本@名無史さん:04/01/29 22:11
>>673 ちゃんとスレ読もうね。
>>662は、
>結局、「ぱっとしない」という具体的な証拠を提示できなかったのね。
と、聞いていて、
>>666 で根拠は示されている。
平頼盛の子孫はどうなったのだろう。
681 :
日本@名無史さん:04/01/30 02:46
>>680 頼盛の曾孫の世代で歴史から姿を消しているね。
頼盛の所領の大きな部分が女系を通じて久我家に継承されている。
682 :
日本@名無史さん:04/01/30 03:34
>>679 >根拠は示されている。
でたらめはいけない。
まったく示されていないだろ。
できるならきちんと説明しろ。
できなければ謝れw
まあ、暖かくなったんで
また始まったのかね(w
684 :
日本@名無史さん:04/01/30 07:08
>>682 煽りですか?
因縁はやめようね。
安田元久氏はその著『平家の群像』の記載に基づき、ぱっとしなかったととう話をしている。
根拠は明確に示されている。
いったい自分が何を聞きたいのか、それをはっきり示してから人様に質問すること。
そもそも、人に対してお願いするならそれなりの礼を尽くせ。
先ずは今までの非礼を詫びなさい。
685 :
日本@名無史さん:04/01/30 07:14
>>684 どうやら、粘着君は歴史より、国語の方にご関心がありそうだ。
686 :
日本@名無史さん:04/01/30 07:16
>>681 歴史をみるうえで、女系の役割を考慮するのは大切だなってことか。
687 :
日本@名無史さん:04/01/30 07:21
>>685 >>674で、辞書まで提示されているのに、何がわからないのだろう?
まあこれ以上聞かれてもこちらとしては何も答えようがない。
まあ、しばらくは暇つぶしで付き合ってあげるから、ありがたく思いなさい。
揚げ足取りに必死な馬鹿が常駐するスレはここですね?
689 :
日本@名無史さん:04/01/30 12:45
>>687 >まあこれ以上聞かれてもこちらとしては何も答えようがない。
なんだよw
無知なら初めから謝れば許してやったのに
素直になろうよw
690 :
日本@名無史さん:04/01/30 14:10
スタミナを遺伝するのは卵子=女系ではないか、
と言われてるね。
691 :
日本@名無史さん:04/01/30 14:15
>>689 なるほど君は答えを知っているわけだな。
それでは、無知な私目に是非ご高説をお与え下さるか?
>684も>685も同等にウザい。
そもそも池大納言家の話はスレ違い。
よそでやれ。
分かってて煽ってるんだろうけどな。
だったら、お前らみたいな馬鹿が湧かないためにも
せめてsageてくれ。
693 :
日本@名無史さん:04/01/30 23:10
>>689 ねえねえ、早く教えてくれよ。
結論はぱっとしたの?ぱっとしないの?その違いはどこにあるの?
君は、僕なんぞと違って、知識豊富なんだろう?
人を無知呼ばわりするなら、当然わかってるんだろう?
意地悪しないで教えてくれないか。
保健体育で気質を四つにわけてたよね。
そんなかのいっこを思いだした。
「粘液質」
これにあてはめられるのは社会的抹殺を意味したガキのころ。
695 :
日本@名無史さん:04/01/30 23:47
>>692 これは、日本史スレにふさわしい表現とは何か、について熱く戦った男たちの物語である。
代々鎌倉北条氏の墓守を任された北条さんが居るみたいだね。
697 :
日本@名無史さん:04/01/30 23:56
>>695 ぱっとするは国語辞典に載っていた、紛れもない日本語だが。
いったい、どういう表現がふさわしいのか?
粘着君たち、意や熱く語った男たち(もっとも女かもしれないが)よ、
熱く語れ〜。
698 :
日本@名無史さん:04/01/31 00:17
340 :日本@名無史さん :03/12/17 13:50
不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
699 :
日本@名無史さん:04/01/31 00:44
>>698 で、具体性に欠けない表現って?
具体的に表現してくれよ(w
700 :
日本@名無史さん:04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
北条嫌いな都の粘菌よここに集え!
702 :
日本@名無史さん:04/01/31 09:12
このスレっていつも妙に伸びるな〜。
と思って来てみたらこれかよw
北条執権家が泣くな。
703 :
日本@名無史さん:04/01/31 09:39
>>700 なんだよw
自分も無知じゃない。
素直になろうよw
704 :
日本@名無史さん:04/01/31 09:40
>>700 ぱっとするは、辞書にも載っているが?
どうして使うと具体性に欠けるのか?
まったく意味不明。
ちゃんと教えてよ。
教えられなきゃ、素直に謝れよ。
705 :
日本@名無史さん:04/01/31 09:43
>>340 「具体性に欠けない表現」
日本語おかしいというが、どこがおかしいの。説明してください。
706 :
日本@名無史さん:04/01/31 10:01
>>700 いろいろといっているが、
「結論はぱっとしたの?ぱっとしないの?その違いはどこにあるの?」
の答えは?教えてください。無知じゃないのだろう?
707 :
日本@名無史さん:04/01/31 10:07
あとそれから、
679 :日本@名無史さん :04/01/29 22:11
>>673 ちゃんとスレ読もうね。
>>662は、
>結局、「ぱっとしない」という具体的な証拠を提示できなかったのね。
と、聞いていて、
>>666 で根拠は示されている。
682 :日本@名無史さん :04/01/30 03:34
>>679 >根拠は示されている。
でたらめはいけない。
まったく示されていないだろ。
できるならきちんと説明しろ。
できなければ謝れw
以上から、682にお尋ねたいが、根拠として
>>666は不十分との意見であるが、それではどのような根拠が不十分なのか教えてください。
北条早雲が名跡を継いだのは、どの北条氏?
709 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:08
>>700 横レスですまんが、日本語おかしいとのご批判ですが、「Ww」ってどのような意味なのでしょうか?また日本語として正しい表現なのでしょうか。
そんな批判するほど日本語に詳しいようなので尋ねたいのですが。
よろしくご教示のほどお願いします。
710 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:33
>>689 辞書をみても、「ぱっと」の意味が分からないとなると、小学生レベル。
そういった御仁はまず「ぱっと」を勉強する前に、小学校に通うべきだ。
711 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:03
何度も何度も具体的に示せと教えてあげてるじゃないか。
きちんと答えていないのは無知なのか?荒しなのか?釣りなのか?
>>707 すまんがそこのどこが、「頼盛の子孫はぱっとしない」という根拠になるのか「具体的に」説明してくれ。
>>710 >「ぱっと」の意味が分からない
論点がわかってない真厨みたいだね。
712 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:13
>>711 「頼盛の子孫はぱっとしない」という根拠は、
>>666の記載です。
それから、つまんが、いつ論点を示したのかお教えください。
713 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:16
>>711 それから、
ぱっとするは、辞書にも載っています。
どうしてこれを使うと具体性に欠けるのか?
まったく意味不明です。
ちゃんとお教えください。
714 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:18
>>711 それから、
真厨ってどんな意味ですか?
日本語おかしいですが?
意味を教えてください。
「辞書に載る」と「具体性」は関係ないと思うが
面白いから黙ってみていよう
716 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:28
>>715 それはそうなんですが、肝心の「ぱっと」を使用するのがどうして具体性に欠けるのか、それが示されていません。
717 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:31
ぐたい-せい 【具体性】
形や内容などがはっきりしていること。具体的であること。
⇔抽象性
「―に欠ける」
三省堂提供「大辞林 第二版」
719 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:45
>>718 サンクス。
では、「ぱっとしな」は辞書に載っていて、
見栄えがしない。また、状態があまりよくない。
「―ない出来栄え」「―ない成績だ」
だから、
「頼盛の子孫はぱっとしない」は
「頼盛の子孫は見栄えがしない」
ということだな。
で。これの形や内容ははっきりしていると思うが。
だから、
720 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:46
小泉潤((彡ミミミミ))彡彡)))彡)
彡彡゙゙゙゙゙"゙゙""""""ヾ彡彡)
ミ彡゙ .._ _ ミミミ彡
((ミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミミ))
ミ彡 ' ̄◎' 〈 ̄◎ .|ミミ彡
ミ彡| ) ) | | `( ( |ミ彡
((ミ彡| ( ( -し`) ) )|ミミミ
ゞ| ) ) 、,! 」( ( |ソ / ̄
ヽ( ( ̄ ̄ ̄' ) )/ < 青ぬけない諸君!
,.|\、) ' ( /|、 \
 ̄ ̄| `\.`──'´/ | ̄ ̄` __
\ ~\,,/~ /
\/▽\/
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..,,--――--..,,_
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i :: i,
| _,,_,,, :'r,
| :::::;;;、`/;;;;;;;;;;;'i ` /;;;;ヽ〉
iツ :;;、ツ 丶;;;;;;;;;;ノ ヾ;;;;;;},
ヽ "'-゙ "'''゙ `,;;゙ /"i `'i
ヽ ヾ'-ー-..,,_ ..::;; i, _,)i (`
"'ヾ-ーヽ "'イ _ ,_、,、,_,_,〈 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'i., ヽ::jイj,i゙tt,j,j,j.j.i´ < いちいち言うな
’j ソ,ftrr,r,r,rr!, \_______
"-..,,_ "'`"' ゙}
"''--ー-´
721 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:48
>>720 あの〜サマワに評議会はあったんですか?
パッとしないひとつでここまで盛り上がるのか…
何してんだおまいら。
723 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:42
>>719 「頼盛の子孫は見栄えがしない」
ということについて、
>>666の記載が根拠となっているかどうかです。
このスレも粘着馬鹿のせいでお終いか。
下らないことで言い争うならageるな。
725 :
日本@名無史さん:04/01/31 20:36
>>724 不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
では、せめてageる理由をご教示下さらんか?
727 :
日本@名無史さん:04/01/31 20:52
>>726 ageるって何のこと?
教えてください。
728 :
日本@名無史さん:04/01/31 20:53
>>711 そんなことより、
「結論はぱっとしたの?ぱっとしないの?その違いはどこにあるの?」
の答えは?教えてください。無知じゃないのだろう?
つーか、北条氏の事を語ってくれ…。
730 :
日本@名無史さん:04/01/31 21:24
鎌倉北条氏嫌い=日蓮信者で源氏の家系(藁
731 :
日本@名無史さん:04/02/01 02:40
【高ちゃんブレイン】
戦のあらゆる戦術がつまってるぞ!
敗戦されるあらゆる方法がここで開発されているよ!
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ 【高ちゃん帽子】
/ 最近闘犬の見過ぎで伸びている!だれか刀を!
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/;;;:::::: ::::::::::::)
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〔___________〕 【高ちゃんアイ】
/ ヽ 目先の勝利より冬越しの闘犬!
l::::::::: / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|:::::::::: (●) (●) |
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 【高ちゃんマウス】
\ \ 高資、政は任せた!しか言えないんだ!
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ 【高ちゃんシャドウ】
\ 立体感をあらわすすぐれもの!哀愁なんて似合わないよね!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
北条高広
733 :
日本@名無史さん:04/02/01 03:27
>>728 おまえ何にもわたってないな。
見ていてかわいそうになるよ。
734 :
日本@名無史さん:04/02/01 03:38
>>712-713 >「頼盛の子孫はぱっとしない」という根拠は、
>>666の記載です。
ぜんぜん説明になってない。
>ぱっとするは、辞書にも載っています。
>どうしてこれを使うと具体性に欠けるのか?
>>715を嫁
オレ今、すごい久しぶりに2ちゃんやってんだけどね。
とりあえず、好きな日本史版に来たわけよ。で、そのなかでも
尊敬する鎌倉北条家のスレにきたんだけど、スレ数をみて驚いたわけ。オレが
以前見た時は、200スレくらいだったと思うんだけど。
で、このスレ701から見たら、まじで腹が痛くなるくらい笑わせてもらったんだけど。
なんか、このパッとするとかしないとかって、確か一ヶ月以上前にでた話題じゃなかったっけ?
まだやってたのかーッ!てマジで笑った。
もしかして、ずっとこの話題でもちきりだったの?
なんだこのスレは。
とりあえず北条氏について語れよ粘着ども。
>>707 >どのような根拠が不十分なのか教えてください。
どの部分がぱっとするのかしないのか、関連が説明されていない。
ひょっとしてこれは鎌倉北条氏嫌いがわざとやっているのか…?
まあこうなったら早く埋め立ててしまうのが得策かモナー。
739 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:20
>>734 >>666の記載で十分説明されています。
>>715を嫁
では辞書にのってなければ具体性があるといいたいの?
どこが、どういう点で具体性がないのか説明してください。
740 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:22
>>733 なんだよ、自分も説明できないじゃ。
人のこと無知呼ばわりして、自分も説明できないとは。情けない
素直になろうよ
741 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:24
>>739-741 何だ。この時間帯にたった4分の間にこれかよ。
これはもしかして、自作自演なのか…?
複数だとしても、
「説明しろ」「説明はしてある」
ばかりで、全く話にならない。
阿呆が粘着してるだけ。
バカな話題でループしてんじゃねぇよ。
743 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:34
>>736 不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
744 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:37
>>742 不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
鎌倉北条氏ネタって、世界史板でいうところの清朝・満州のような泥沼ネタなのですか?
746 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:06
反北条執権=清和源氏且つ日蓮信者
>>743-744 不同意。
北条氏以外の話題はは不適切。
一応ここは北条氏を語るスレなのだから。
748 :
日本@名無史さん:04/02/01 14:28
そっとしといてやれよ
彼にとっては ぱっと は人生の一大事だ
自作自演でもない 人格が違うだけだ
>>666 尊卑に書いてある以上のことはなにもない
学者さんなんだから諸史料から動向を拾うなどしていくらか足してほしい。
750 :
日本@名無史さん:04/02/01 18:47
北条時宗の母親は、
毛利季光の娘なんですか?
それとも北条重時の娘なんですか?
大河ドラマでは、毛利季光の娘が
北条重時の養女になってから
北条時頼と結婚した、としてましたが、
これで良いんでしょうか?
751 :
日本@名無史さん:04/02/01 19:03
>>750 毛利季光の娘
というのは創作と思います。
>>745 いやむしろベトナム戦争並みと言った方が良かろう。
753 :
日本@名無史さん:04/02/01 20:57
>>747 では、鎌倉北条氏の子孫はぱっとしたの?
754 :
日本@名無史さん:04/02/01 21:17
755 :
日本@名無史さん:04/02/02 01:36
>>750 時宗の生母を毛利季光の娘とするのは、俗説の一つ。
北条(極楽寺)重時の実娘説のほうが有力らしいです。
>>754 北条一族女子の嫁ぎ先の子孫ということなら、足利尊氏は無論のこと、新田義貞や佐々木(京極)道誉なんかも鎌倉北条氏の子孫。
あと、鎌倉時代の足利氏の場合は、本家の当主だけでなく、有力な一門の多くも北条一族から正妻を迎えているので、室町期守護大名にも、北条氏の血はかなり濃く受け継がれている。
要するに、今川義元も、尼子経久も、黒田官兵衛も、吉良上野介も鎌倉北条氏の血を引く。
伊達政宗も母方が最上氏(足利一門の斯波氏の分家)であることを考えれば、北条氏の子孫。
757 :
日本@名無史さん:04/02/02 06:42
758 :
日本@名無史さん:04/02/02 06:50
>>756 それから、「ぱっとする」を使うとどうして具体性に欠けるのか説明してください。
それから、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるの?
教えてください。
759 :
日本@名無史さん:04/02/02 06:57
>>756 それから、
>>679 >でたらめはいけない。
>まったく示されていないだろ。
どうしてまったく示されていないと仰るのでしょうか。
その根拠を示してください。示せなければ、謝罪してください。
760 :
日本@名無史さん:04/02/02 07:17
>>755 北条早雲が。「北条」を名乗ったように、戦国の世も北条の名はブランド力があったのね。
761 :
日本@名無史さん:04/02/02 07:52
関東では威力があったのかもね。
ところで当時は北条を騙ることに対してどう思ったのかな?
相模の覇者だから構わんと思ってたりして。
北条という土地の領主が北条という名を名乗る、鎌倉時代
までならば常識で不思議はないが、家紋まで使うのはまずそう。
へたすると打ち首です
>>759 >どうしてまったく示されていないと仰るのでしょうか。
まったく示されていないから。
765 :
日本@名無史さん:04/02/02 16:32
766 :
日本@名無史さん:04/02/02 16:33
>>764 それから、「ぱっとする」を使うとどうして具体性に欠けるのか説明してください。
それから、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるの?
教えてください。
767 :
日本@名無史さん:04/02/02 17:55
>>750 文永10年10月に、極楽寺一族が父祖極楽寺重時の十三回忌
にあたって、鎌倉極楽寺において供養を行ったが、
この時の「極楽寺多宝塔供養願文」に、
「相州賢吏者、元女之誕育也」
とあって、時宗を重時の娘が生み育てたとはっきり書かれている。
また『関東往還記』(弘長2年)2月30日条には、
「最明寺室奥州禅門女」と金沢実時一族が
西大寺叡尊の説法を聴聞したという。
この奥州禅門は極楽寺重時の事なので、
時頼の室が重時娘であるのは間違いない。
毛利季光の娘は一体どうなったんだろうね。
768 :
日本@名無史さん:04/02/02 21:58
>毛利季光の娘は一体どうなったんだろうね。
宝治合戦で離縁されちゃったんじゃないの?
769 :
日本@名無史さん:04/02/02 22:06
>>768 そういう可能性は高いと思うけど、
正室から格下げの可能性だってあるよね。
何せ『吾妻鏡』には書いてないし。
どこかに史料ないもんかしら。
770 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:01
>>761 教科書レベルの話では、小田原北条氏の主敵は、関東公方、つまり足利氏だから、反足利のブランドとして有効なのだろう。
伊勢氏じゃ、もろ足利の家臣のイメージだしね。
また、今のロシアと同じで、つまり古きよきスターリン時代を懐かしむように、善政を施した北条のイメージもほしかったのだろう。
そういった意味では、実際北条の血を引いてなくとも、それなりの善政を布けば誰も問題にはしなかったのだろう。
771 :
日本@名無史さん:04/02/03 02:38
772 :
日本@名無史さん:04/02/03 07:22
>>771 「ぱっとする」を使うとどうして具体性に欠けるのか説明してください。
それから、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるの?
教えてください。
773 :
日本@名無史さん:04/02/03 07:24
>>771 結局、説明できないのね。
もっと素直におなりなさい。
774 :
日本@名無史さん:04/02/03 12:26
775 :
日本@名無史さん:04/02/03 12:34
>>771 >「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのか説明してください。
776 :
日本@名無史さん:04/02/03 12:50
>>775 辞書に載っていて意味内容が理解できるから。
それでも具体性がないというならその理由を示してください。
それから、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるの?
教えてください。
777 :
日本@名無史さん:04/02/03 12:51
778 :
日本@名無史さん:04/02/03 13:05
>>776 そもそも、具体性にかけるということは貴殿の発言なのだから、
700 :日本@名無史さん :04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
手取り足取り懇切ていねいに、「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのか説明してください。
779 :
日本@名無史さん:04/02/03 17:59
『北条』ってイケメンの苗字みたい。
780 :
日本@名無史さん:04/02/03 19:36
>>474 あ り え る よ 。アフォが。
バストダンジョンに行く前に大陰森の夜魔サキュバスを倒せば、スカリバーは手に入る。
ただしかなり強いから、フィリオナを拡張調教してバキュームを覚えさせるか、
ジーナをタカに預けてオルガスム覚えさせたほうがいい。
つーか、このルートじゃないとAエンドには行けないわけだが?
素 人 必 死 だ な (メルヘンワラwwww
すいません。鎌倉時代の女性の相続権が知りたいのですが。
頼朝のときは、乳母に土地の相続を許したりしていますが、北条執権時代
はどうだったんでしょうか。
元寇のときの記録からみて、女性への遺産分配は続いていたことは判った
のですが、女性の相続人の具体的な例を知ることができません。
782 :
日本@名無史さん:04/02/03 22:14
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L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
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ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"
ハ
北条高時:鎌倉幕府第14代執権を務めた得宗家当主。
後醍醐天皇の挙兵で幕府滅亡の危機にあるが、持ち前の明るさ(能天気とも言う)と、
その輝く頭でチーム(幕府)の雰囲気を明るくしている(多分)。
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Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
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/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
得宗家被官(御内人):高時のピンボケ発言に絶望にくれながらも
高時と得宗家を支える献身的な家臣。
だが、高時のくりだす天然的なボケに突っ込みを入れるのが日常化しているようだ。
「今日は負けないよ」→「出陣しねぇだろ・・・」はお決まりの黄金パターン
783 :
日本@名無史さん:04/02/04 00:21
784 :
日本@名無史さん:04/02/04 00:23
執権政治の本質が分かってないな。
785 :
きょーかしょ:04/02/04 00:35
執権政治いうても、時期によりその正確がちゃうがな
786 :
日本@名無史さん:04/02/04 02:35
>>776 >辞書に載っていて意味内容が理解できるから。
却下
理由、意味不明。説明になっていない。
787 :
日本@名無史さん:04/02/04 06:44
>>786 十分説明になってます。どうして説明になってないのか教説明してください。
それから、「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかも説明してください。
また、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるのかも説明してください。
今まで、私の以上の質問に貴殿はまったく答えていませんね。
説明できないのですか?
788 :
日本@名無史さん:04/02/04 07:00
>>786 ところで、
775 :日本@名無史さん :04/02/03 12:34
>>771 >「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのか説明してください。
とのことですが、わたしがいつ
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がある、
といいました?
記憶にないのですが。
お教えください。
789 :
日本@名無史さん:04/02/04 09:45
>>787-788 粘着もいいけど自分のいったことくらい覚えておこうね。
教えて
教えて
教えて
ばかりの粘着だけではいけないよ
790 :
日本@名無史さん:04/02/04 10:22
>>789 結局、説明できないのですね。
だったらそういえば。素直になりましょう。
わたしは、「ぱっとする」を使うと具体性があるとはいってません。
辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね。
そもそも、具体性がないと明言したのはあなたの方です。
人の意見が具体性がないというなら、その根拠を明確に示すべきです。
そのことを尋ねたら、粘着はいけないとか、全然説明になってませんね。そもそも貴殿が「ぱっと」するなんてこと粘着して聞いてきたことが発端です。
今までの自分の行いを深く省みて十分反省してください。
>>790 お前も相手するな。
粘着に相手してる以上、
お前も>789も同じ穴の狢。
793 :
日本@名無史さん:04/02/05 03:32
>>790 >辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね。
意味不明。
バカにもほどがあるな。
794 :
日本@名無史さん:04/02/05 07:05
>>794 十分意味はわかります。どうして意味不明なのか説明してください。
説明できなければ、人をバカ呼ばわりしたのだから、そのことを謝ってください。
それから、「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかも説明してください。
また、真厨ってどんな意味ですか?真厨と真厨じゃないとのの違いはどこにあるのかも説明してください。
最明寺入道殿(北条時頼)に、立正安国論を上呈いたし候。
796 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:36
>>795 >どうして意味不明なのか説明してください。
>辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね。
ここが意味不明。
797 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:41
>>794 >どうして意味不明なのか説明してください。
>辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね。
せっかく楽しんでいるところ横レスしてすまんが、
辞書に載っているから具体性はあると考えているのはおかしいだろ。
抽象的な言葉だって辞書には載るから。
もしかして釣られたかな?
799 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:46
800 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:51
>>796 意味は明確。わたしの考えを示しただけ。
それが理解できようができないが私の知ったことではない。
なぜなら、そもそも、私は具体性があるとは言っていないのだからね。
それよりも、「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
801 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:59
>>797 先ず意味内容がわからなければ、どうしようもないだろう?
真厨なんていわれても具体性云々以前に、なんのことだがわからん。
>>801 釣ったわけではなさそうだね。
本当のところはわからないが、真厨というのは2ちゃん用語というやつだろ。
たぶん。
それよりも俺に対するレスについて
>先ず意味内容がわからなければ、どうしようもないだろう?
何がいいたいのかわからんのだが?
1.何の「意味内容」がわからないのか?
2.その意味内容がわからないと、何が「どうしようもない」のか?
3.それが「辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね。」とどう関連するのか?
4.またなぜそれが「抽象的な言葉だって辞書には載るから。」という内容に対するレスなのか?
マジレスしちゃったけど、今度は本当に釣られたかな?
803 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:12
>>802 1.具体性が問われている対象
2.上記対象を理解できない
3.具体性があるというには、まず対象を理解できることが必要
4.抽象的な言葉でも、辞書に載っている以上意味内容が把握でき、一定まで内容が把握できる。
804 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:14
>>800 >意味は明確。わたしの考えを示しただけ。
>それが理解できようができないが私の知ったことではない。
なんだよ
やっぱりただの思い込み厨というより、ただのバカだったか
805 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:14
>>797 >せっかく楽しんでいるところ横レスしてすまんが、
誰が楽しんでるの?
>辞書に載っているから具体性はあると考えているのはおかしいだろ。
>抽象的な言葉だって辞書には載るから。
辞書に載っていなければ、具体性はあるの?
806 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:16
>>804 おいおい、それよりも「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
おまえも説明できないと、単なる思い込み厨というより、ただのバカだったということになるよ。
807 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:20
おまえら鼬害だろ
ここは日本語を語るところじゃない
808 :
日本@名無史さん:04/02/05 19:45
>>806 おいおい、それよりも「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
>>803 本人とはどうも思えないレスだけど一応答えるけど
>1.具体性が問われている対象
>2.上記対象を理解できない
>3.具体性があるというには、まず対象を理解できることが必要
>4.抽象的な言葉でも、辞書に載っている以上意味内容が把握でき、一定まで内容が把握できる。
1.対象はあきらかに「ぱっと」ということばだと思うけど
2.対象を理解できないという意味が不明だけど、802自身が理解できていないということだすると、君は意味もわからずレスしていることになる。
3.何が言いたいのかよくわからない。「対象を理解できる」ことがなぜ「辞書に載っているから具体性はあるとは考えてますけどね」となるのか。
そもそも君は2で自ら示したように、対象を理解できてないんじゃなかったの?
4.「内容が把握できる」ことがどだと言うの?
そもそもそれが「抽象的な言葉だって辞書には載る」とどう関連するの?
あれここまで書いててなんだけど、802こそ本当に釣りっぽいな。
真面目に答えた俺がバカだったかな?
805は自身が自分の書いていることを理解しているとも思えないあきらかな釣りだから答えないよ。
でも、もしかしてこうして805に言及することが、釣られたことになるのかな?
なんか2ちゃんねるでは疑心暗鬼に陥ってしまうね。
811 :
日本@名無史さん:04/02/05 20:57
ある文章が書いてあって、具体性がないと読者が感じた場合。
文章中の用語が辞書に載っているということだけでは、文章が具体性があるとはいえないだろう。
しかし、辞書に載っていないと文章が理解できない。
文章が理解できなければ、その文章に具体性があるとはいえないだろう。
もっとも、作者と読者間で一定の知識が共有されていれば、辞書に載っていなくとも文章は理解できるがね。
812 :
日本@名無史さん:04/02/05 21:04
>>810 おいおい、なんでおれがそんなこと説明しないといけない?
一言もいってないぜ。
それよか、おまえこそ早く
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
おまえさんは、
700 :日本@名無史さん :04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
といってただろう?
だから、こちっとら聞いているのだが。
>>812 知るか。低脳。
相手間違えてるぞ。
つーか、ウザいんだが。
814 :
日本@名無史さん:04/02/05 22:14
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L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
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l::||:::: |l
|::||:::::::.. (●) (●) || ワシと共に滅びよ!
|::||::::::::::::: \___/ ||
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"
ハ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
このスレ読む価値なし
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
816 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:09
>>815 不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
817 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:12
818 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:39
819 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:55
>>814 これがあるだけでも、このスレ見る価値あるね。
2人してこのスレをつぶしているということにこいつらは気づいているのか。
しかし飽きない厨だな。
821 :
日本@名無史さん:04/02/06 13:48
>820
自作自演やめろ
822 :
日本@名無史さん:04/02/06 13:51
/;;;;;;;;;;;;;\
/\;;::::::::::::::::::ヘ
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
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〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
l::||:::: |l
|::||:::::::.. (●) (●) || ワシのように明るく、朗らかに!
|::||::::::::::::: \___/ ||
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"
ハ
823 :
日本@名無史さん:04/02/06 18:45
朝敵平家の生き残りである以上、パッとしなくても仕方あるまい
824 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:34
/;;;;;;;;;;;;;\
/\;;::::::::::::::::::ヘ
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
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〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
l::||:::: |l
|::||:::::::.. (●) (●) || ワシの頭のようにパッと明るく!
|::||::::::::::::: \___/ ||
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"
ハ
825 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:47
後白河法皇の朝敵=安徳天皇の忠臣
826 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:51
将軍なんてぇものは、操り人形でええんじゃ。
827 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:55
将軍もぱっとしないほうがいいわけねw
828 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:00
/ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/ 日蓮 |
/ \ / |
| ,ー ー |
(6 つ |
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ / < ワシの頭の方がパッとしとるがな。
/| /\ \__________
829 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:08
【粘着】ぱっとするを語るスレ【キモイ】
830 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:27
ついにこのスレも崩壊したか。
831 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:29
たった2人の粘着馬鹿のためにスレひとつまるまる犠牲になるとは・・・
832 :
日本@名無史さん:04/02/07 00:05
で終わった?
ところで得宗領が女性に渡った例はあるのでしょうか?
ふすま婆ちゃんなんかは安達の土地の一部はたもっていそうなんだが。
檜皮姫領とかないんでしょか?
時政は、どうして頼朝の挙兵の手助けをしたのだろうか?
彼はもともと頼朝に好意を抱いていないし、ただ飯食いの娘婿を援助しなければならない義理もない。
当時の北条の手勢はたかがしれている。平氏打倒の動きが出始めたとはいえ、平氏の力はまだまだ圧倒的である。わずかな手勢で打倒平氏の兵をあげれば、一族滅亡の
恐れがある。それに、北条自身が平家である。平氏の一員として頼朝を京の平氏に差し出し、
平氏軍側に加わり、北条一族が都に進出する基礎を作るという方法も取れたはずである。
いくら娘婿の頼朝が源氏の棟梁というブランドを持っているといっても、平氏打倒に立ち上がるのは、あまりにもリスクが大きい。
凡人なら、頼朝をさっさと平氏に差し出した後、日和見を決め込み、内乱終結後、おこぼれにあずかるのが関の山だろう。
結果的には時政の判断は正しかったのだが、なぜ彼はこのような決断を下すことが出来たのか。
北条一族の繁栄は、時政の判断により始まり、高時の判断ミスにより終了した、ということが出来よう。
厳しい現代のビジネス社会を生き抜く我々は、北条一族から学ばなければならないことが、あまりにも多い。
835 :
日本@名無史さん:04/02/07 09:12
時政を決断させたのは勿論政子の頼朝への真剣な想いでしょう。
古代・・・つまり平安時代までは古代なんですが、古代長女というのは特別な
存在でした。家刀自っていうのかな?一族を束ねる役目でその女性の決めた事
には当主、嫡男でも逆らえなかったとか。時には神の声を聞く女性も居たとか。
そして長女の結婚が一族の運命を決めると信じられていました。
娘の選択に間違いは無いと、時政さんは信じて突き進んだのでしょう。
挙兵後の頼朝は平家の家人に既得権益を奪われていた国衙の役人たちの
協力を得ていますからね。大きな賭けではあったでしょうが、それでも勝て
る可能性があり利益も大きいと踏んでいたのでしょう。
それに源氏と平氏で戦っていた訳でもないし、「平家一門」の栄華と言われ
るだけあって北条は平氏だから云々という感覚も薄かったでしょう。
早い話、かつぐ神輿があれば集まって来る連中がいるという空気が存在して
おり、事実集まって来たと。
それと頼朝の助命を嘆願した池禅尼の子頼盛の妻は俊寛の妹であり、頼盛自
身も鹿ケ谷事件や以仁王の挙兵に関与していた疑いがあります。
更に石橋山の合戦の際には彼の所有していた駿河国大岡牧が落ち延びて来た
頼朝方の一時的な避難場所になっている。
で、池禅尼の弟であったという藤原宗親と時政の後妻牧の方の父であったと
いう宗親を同一人物だとする説があります。
つまり助命嘆願が行われ、配流された段階で既に池大納言一党には頼朝を駒
とする目論見があったと。そうなると頼朝の「恩返し」というのも途端に胡散
臭くなって来る。まあ定説ではありませんけどね。
>>837 北条時政と牧の方の婚姻は
鎌倉政権の基礎が出来てから
とする説があるけど、
>>837はかなり早い段階で
この婚姻が成立していた、
と考えてるわけ?
>>838 そうなりますね。時政の失脚は一般のイメージでは「若い後妻にたぶらかさ
れたもの」ということになっていますが、これだとそれなりの年齢になる。
840 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:22
それで結局
ぱっとしたの?
ぱとしなかったの?
841 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:50
>>839 基本的には
>>839の仰る説は、
杉橋隆夫氏「牧の方の出身と政治位置」
にて展開された説を踏襲して
おられるように思うのですが、
『愚管抄』の
「時正ワカキ妻ヲマウケテ」
の解釈はどうなさるのでしょうか?
杉橋氏の「平治の乱」以前の婚姻説を採ると、
時政と牧の方の子である政範が生まれた時に
牧の方は46歳になってしまうのですが。
>>841 「時正ワカキ妻ヲ設ケテ、ソレガ腹ニ子共儲ケ、ムスメ多クモチタリケリ。」
仰る通り、この時の時政の年齢(1138年生まれ)と比べれば若い妻で
あったとしても出産の事について考えればかなり苦しい年齢です。
ただその点は「不可能ではない」と「強弁」させて頂きましょうか。
無責任を承知で言わせて頂くと、私は紹介させて頂いただけですので・・・。
843 :
日本@名無史さん:04/02/07 19:31
杉橋論文については東大史料編纂所の紀要の何号だっけ
細川重男氏と本郷和人氏の共著の論文が明瞭に否定している。
牧の方は時政失脚後に京都に帰るんだけど、あいかわらず
派手に暮らしていて、藤原定家の顰蹙を買うんだな、たしか。
政範誕生時に46才説を採ると、定家に「ばーか」と
言われたときの年齢が、また大変なばばあになってしまう。
>>843 >紀要の何号
興味深いお話をして頂き、ありがとうございます。何号か分かればいいのですが
・・・とりあえず自分であたってみますね。
牧の方が59年以前に時政と関係があったとは知りませんでした。
義時は63年生まれなので牧の方が本妻だとすれば、その元で育った可能性もあるかも。
846 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:34
>>844 『東京大学史料編纂所研究紀要』第11号(2001年)。
細川重男・本郷和人両氏「北条得宗家成立試論」。
この論文は他にも面白い指摘があります。
>>846 ありがとうございます。楽しめそうです。
848 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:48
>>840 うちの会社の業績は去年ぱっとしなかったよ。
本気で決着つけたいなら語学板いけば?
850 :
日本@名無史さん:04/02/07 22:33
>>834 頼朝の蜂起は北条氏が中心だったのか?
三浦氏か平広常がむしろ首謀者だったのでは。
時政もかれらの協力があるからのったような気がする。
三浦氏は三浦半島を基盤に千葉氏や上総氏と十分に連絡を取り合ってたことはありうる。
851 :
日本@名無史さん:04/02/07 23:30
時政は京都の情報に通じていたというか、何かしらのコネがあったのでは。
そう思うのは、1185年(文治1)11月に彼は義経らの討伐のための大軍をもって上洛し、朝廷に守護・地頭の設置を認めさせている。
大軍をもって威嚇したことを差し引いても、海千山千の京側に要求を認めさせたのは彼の交渉力の高さを物語る。
彼にそのような重要な役割を頼朝が与えたのは、時政にそれだけの力があることを認めたためだろうか?
こんな彼が、田舎侍の他の坂東の御家人を手玉に取り、鎌倉幕府の権力を掌中に収めるのは容易かったのかも。
おお、ここまでスレが付いているとは。正直驚いています。
>>835 政子の存在ですか。そうですね。政子は承久の乱でも御家人を纏め上げていますしね。
人を奮い立たせる力を持っていたのかもしれませんね。
時政さんは、いい娘にめぐまれたもんだ。隠居に追い込んだのも、父が謀反の罪を犯すよりは
自分が恨まれても時政に引退を迫ったのかもしれませんね。
>>856 北条は平氏一門だという意識は薄かったかもしれませんが、やはり平氏です。平氏一門だという意識はあったと思います。
案外、地方の平氏一門の間で勢力争いがあって、北条は近所の平氏一門を憎んでいたのかもしれませんね。
今でも、近所で仲の悪い家同士というのはありますし。周りの平氏一門から抜き出て、見返してやろうという気持ちも
あったのかも知れませんね。
>>850 頼朝の挙兵はやはり北条主導だと思います。始めに頼朝が(逆恨みも込めて)山木兼家を襲撃した時は手勢は北条だけですし。
三浦が首謀なら、三浦の到着を待つか、三浦と合流してからことを起こすでしょう。
たとえ僅かな手勢とはいえ、頼朝の最社の挙兵に協力したのが時政でしたから、その後も頼朝は時政に頭が上がらなかったのでしょう、
その僅かな手勢で運を掴み取った時政の先見性、決断力は見事としか言いようがありません。
私も時政のように、一瞬のチャンスを掴み取るよう仕事に励んでいるつもりですが、まだまだ足元のどころか
足の指の先にも及びません。
>>851 コネがあったかは分かりませんが、情報収集はしていたのでしょうね。鎌倉幕府内での立ち回りを見ても分かるとおり、
当然交渉力は高く、駆け引きも上手かったのでしょう。
話は変わりますが、子孫の時頼に諸国放浪伝説があります。確かに伝説ではありますが、ただの作り話と一蹴してしまうことも出来ません。
時頼が実際に旅に出たかどうかはともかくとして、時頼が諸国の情報収集に
熱心だったことは確かなようで、諸国放浪伝説に繋がったそうです。また、この諸国放浪伝説と、ご恩と奉公が繋がって
生まれたのが、鉢の木の話であるのは、あまりにも有名です。また、北条実時は、漢文により世界情勢に通じていたそうです。
時頼だけでなく、北条は情報収集に熱心だったのでしょうね。
853 :
日本@名無史さん:04/02/08 02:28
>>849 決着つけたいも何もすでに答えはでている。
楽しんでるんだから好きにさせてよ。
854 :
日本@名無史さん:04/02/08 10:00
>>853 激しく同意
336 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:10
(副)スル
(1)動作や状態の変化が突然または瞬間的であるさま。
「―駆け出す」「―消える」「花が―開く」
(2)一挙に散らばったり、広がったりするさま。
「うわさが―広まる」
(3)派手で目立つさま。見栄えのするさま。
「―派手に繰り込もう」
――しない
見栄えがしない。また、状態があまりよくない。
「―ない出来栄え」「―ない成績だ」
337 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:14
頼盛の子孫はその後あまりぱっとせず、
・・・
適切な表現方法ではないが、意味が解らない表現ではない!
338 :ぱっと 国語辞典 :03/12/15 20:16
よって、
この議論は終了とする。
855 :
日本@名無史さん:04/02/08 10:06
>>853 楽しむかどうかよりも、だいぶいじめられて苦しんでいたようだが。
感動しました。ちなみに私はぱっとしてます
857 :
日本@名無史さん:04/02/09 02:56
>>855 はいはいよかったね。
負け惜しみって楽しい?
2時間もたってつけるレスをアゲでつける痛い君にカンパイ。
859 :
日本@名無史さん:04/02/09 06:50
>>857 単に、ぱっとするって言葉知らなかっただけだろう?
無知なら無知とそういえばいいのに。
素直になりな。
860 :
日本@名無史さん:04/02/09 06:53
>>857 それより
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
おまえさんは、
700 :日本@名無史さん :04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
といってただろう?
教えてくれよ。
861 :
日本@名無史さん:04/02/09 13:30
>>860 粘着しつこいね。
根負けしたから教えてあげてもいいけど。
いくら教えてくんとはいえタダだとは思ってないよね。
862 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:04
>>860 それより
「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
863 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:26
>>862 それより
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
864 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:27
>>863 それより
「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
865 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:27
自作自演ってたのしいな
866 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:27
ああ。そうだな
867 :
日本@名無史さん:04/02/09 14:29
それで真厨の意味はわかったの?
868 :
日本@名無史さん:04/02/09 16:12
>>861 なんだやっぱ知らなかったのか。
だったら、
700 :日本@名無史さん :04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
なんて、偉そうなこと二度といわん方がいいぞ。
今回は勘弁してあげるから、以後反省して気をつけなさい。
869 :
日本@名無史さん:04/02/09 16:23
>>840 粘着しつこいね。
根負けしたから教えてあげてもいいけど。
いくら教えてくんとはいえタダだとは思ってないよね。
870 :
日本@名無史さん:04/02/09 16:44
>>862 >「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
粘着しつこいね。
私は、
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がある
なんていった覚えはないよ。
だから、君に説明する義務なんてないんだけど。
871 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:19
だんだんと北条氏滅亡の謎が解けてきた気がする
>>871 869&870=安達泰盛、長崎頼綱
824=北条高時
828=日蓮
糞スレは早く埋め立てましょう。
875 :
日本@名無史さん:04/02/10 00:17
>>874 不同意。
具体性に欠ける表現は不適切。
一応ここは学問板なのだから。
876 :
日本@名無史さん:04/02/10 00:50
いままでこのスレは北条氏の勃興における平頼盛の役割を考察してきたわけだが、後白河上皇の存在も大きいのではないか。
次スレではそのことを検討したい。
877 :
日本@名無史さん:04/02/10 02:48
>>870 「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
878 :
日本@名無史さん:04/02/10 06:46
粘着しつこいね。
私は、
「ぱっとする」を使うと具体性性がある
なんていった覚えはないよ。
だから、君に説明する義務なんてないんだけど。
879 :
日本@名無史さん:04/02/10 06:47
それから、
700 :日本@名無史さん :04/01/31 02:20
>>699 仕方ない、わざわざ細かく手取り足取り教えてあげないとわからないとはね。
日本語の勉強からしないと。
>具体性に欠けない表現
日本語おかしいよ。
でもせっかくだから教えてあげるけど。
「ぱっとする」とかを使わない表現だよ。Ww
なんて、偉そうなこと二度といわん方がいいぞ。
今回は勘弁してあげるから、以後反省して気をつけなさい。
880 :
日本@名無史さん:04/02/10 06:56
長崎頼綱。
北条時宗に仕えました。平頼綱とされてますが、苗字は長崎であり、
平時宗を北条時宗という場合は、長崎頼綱とするのが正しいです。
ついに長崎軍団もフカーツ!
882 :
日本@名無史さん:04/02/10 14:12
>>879 いいわけはもういいから
「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかを説明してくれよ。
883 :
日本@名無史さん:04/02/10 14:15
それから、
粘着はもうやめてくれ
884 :
日本@名無史さん:04/02/10 14:20
885 :
日本@名無史さん:04/02/10 14:55
●
|ニ|
|ニ|
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/ ヽ
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|:::::::::: (●) (●) | 余は桓武天皇の末裔じゃ!
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ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
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| ::::| キュム
i \ ::::/ キュム
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886 :
日本@名無史さん:04/02/10 15:32
>>882 言い訳はいいから、
「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかを説明してくれよ。
887 :
日本@名無史さん:04/02/10 15:33
それから、
粘着はもうやめてくれ
888 :
日本@名無史さん:04/02/10 15:34
それから、
>>700は、全く説明になっていない。
,,,...、,ィ-- 、,,,,,___
,,ィiii;:;:;:;:iii;:;:;:;:i;:i;:;:!;:!;:;:;:l、,,_
r'":;:;:;:;:;:;:;:ヾ;:;: 彡ノノ'ヾ、;:;:;:i!
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l:;:;l ヽ、 l;:;:;:ミ
l;:;:| ,,....、 __,;;;;;;;,,,,,ヾ;:;-、
ヾl,r"‐''''―、,-r'",..,、 i!`T")|
l^ーi '"' ’'` ノ ヽ、,,,...-‐' j! |
i! :; `''ー'''';:',, ,,, ) : |ー'"
ヽ-l ,,.;:;::;;;;:,,,,, |
ヽ i '"ー''''"~~`' / ,,.!、_
`ヽ、 "" ''' ,,.:'"/' :ヽ
j^'ー--‐''".ィ'ン" `ー-、
r''"~~ ̄ ̄ ̄ ̄i\___,..-'" / /
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ヽ :;: ^|ヾ,r`' ,. ,,.r'
ミヽ ヾ ::;;: | / ,.ィ"
良い医者紹介しようか?
それとも良い薬がいいかな?
頭の中が パッとする薬
891 :
日本@名無史さん:04/02/10 22:49
>>890 君が通っている医者?
君が使っている薬?
君を見ると効き目は疑わしいが。
892 :
日本@名無史さん:04/02/10 22:53
>891
やっぱり見える?
どうもさっきから視線を感じると思ったよ
効き目が薄くなったかな〜
オレも君のことを覗いてみたいなあw
平頼綱は、長崎氏だったのか。
なぜ、鎌倉末期に内管領で長崎氏が台頭してきたのか、長年疑問に思っていたが、やっと解決した。
しかしなぜ、頼綱は『平』なのだろうか?
すまん、上げてしまった。
逝って来ます。
と思ったら、オレが上げたわけじゃなかったのね。
ふと思ったんだが、平頼綱の乱で頼綱が滅ぼされたから、残りの一族が長崎を名乗り始めたのかな?
全然根拠の無い推測なので、無視して下さい。
897 :
日本@名無史さん:04/02/11 09:02
>>893 心眼をもってみれば覗けます。
それより、君の服用しているお薬の量を増やせば、もっと面白いものがみれるでしょう。
898 :
日本@名無史さん:04/02/11 11:34
>>896 長崎は伊豆の地名。そこの土地は北条氏の支配下と思われ。
そこの地名を名乗るのは、そこの領有権を主張するので、得宗被官の身では長崎を名乗るわけには行かない。
その後一族が長崎を名乗るのは、主家からその土地の領有を認められたものと思われ。
ラウンジに幕府をつくるスレが立ってるぞ…
901 :
日本@名無史さん:04/02/11 15:45
あと100のぱっとするレスで終わろう!
902 :
日本@名無史さん:04/02/11 16:14
>>876 後白河法皇の政治手法を考察すると、平治の乱によって覇権を納めた平家に対する後々の牽制として頼朝を助命させたものと考えられる。
また、伊豆に配流したのは、伊豆の知行主が源頼政であったことが関係するのかもしれない。
時政は後白河院に近く、それが治承の上洛のとき彼が後白河院と折衝して、守護地頭を認めさえたことにつながったと考察する。
903 :
日本@名無史さん:04/02/11 20:37
>>902 この汚スレでこのようなマジレスを見るとは…。
感無量であります…。
904 :
日本@名無史さん:04/02/11 20:38
>>903 感無量です。
渡辺謙の交際相手履歴を離婚裁判中の妻が暴露
以下の女優人↓
池上希実子、斉藤由貴、若村麻由美、高島礼子
荻野目慶子
905 :
日本@名無史さん:04/02/11 20:39
単に共演者というだけなんでは?
906 :
日本@名無史さん:04/02/11 21:06
>>898 霜月騒動の首謀者は果たして頼綱であったのか?
貞時が首謀者でなかったかという説がある。
その根拠はその後いとも簡単に頼綱が討たれたことによる。
安達氏を妥当し、恐怖政治を行ったにもかかわらずあまりにもあっけなく討たれている。
貞時は執権によらず、つまり鎌倉幕府の機構によらず、得宗として独裁体制を行った。
彼については今一十分な考察がなされていないのは残念。今後検討すべき素材と考える。
907 :
日本@名無史さん:04/02/11 21:35
嘉元の騒動もなかなか見逃しがたい
>>906 >貞時が首謀者でなかったかという説がある。
それ、誰の説ですか?詳しく知りたいですね。
>彼については今一十分な考察がなされていないのは残念。
細川重男氏が「嘉元の乱と北条貞時政権」という
論文を書いているが、既読ですか?
同氏『鎌倉政権得宗専制論』に掲載されてます。
909 :
日本@名無史さん:04/02/12 00:14
平 時輔さんであらしゃいます。by 近衛基平
910 :
日本@名無史さん:04/02/12 06:51
そういうあんさんは、藤原基平さんであらしゃいませんか by 平時輔
911 :
日本@名無史さん:04/02/12 07:15
>>906 高時が円喜を除くのに失敗したことと、対照的だね。
912 :
日本@名無史さん:04/02/12 16:32
>>906 その頃は貞時は未だガキンチョだった筈であります!
貞時に当時そんな遂行能力があったとは考えにくいであります!
>>910 この場合は
そういうあんさんは、藤原基平さんであらしゃいませんか by 北条時輔
のほうが。。。
914 :
日本@名無史さん:04/02/13 00:18
>>912 がきんちょであれば執権につけない。他の北条一族を眼代として執権にするのが順当。
しかも、いつ元がまた攻めてくるのかわからない状況。また、得宗が若いとき代わりに眼代を立てたのは、時宗の前例がある。
当時は泰盛と頼綱との対立があったから、それを緩和する意味でも、北条一族の誰かを執権につけるのは順当。
しかし、現実には貞時が執権につき、何人かの一門が粛清されている。
外様である安達や被官の頼綱に一門を粛清するまでの力があったとは思えない。
つまり、貞時自らが執権につく意思を示し、眼代を狙う他の一門を粛清したものと考える。
貞時はそのとき14歳であったが、今と違い昔であれば、十分大人であろう。
915 :
日本@名無史さん:04/02/13 00:53
頼綱があっけなく討たれたのは、彼に固有の武力がなかったため。
三浦にしても安達にしても一応は家の子、郎党はいる。
頼綱は内管領で、侍所の所司でもあったがその権限で動員できるほど、当時の幕府の官僚制が発達しているわけではなかったのだろう。
宝治合戦や霜月騒動などで、動員された北条方の兵力の由来を検討せねばならないが、おそらくは相模や武蔵、伊豆などの中小御家人がメインでは。
彼らを動員するにはやはり北条得宗の命でないと無理なとこと、その得宗が頼綱を討とうとしたのだから、頼綱があっけなく討たれたのも当たり前のような気がする。
>>914 >外様である安達や被官の頼綱に一門を粛清するまでの力があったとは思えない。
なんで?理由になってないよ。
917 :
日本@名無史さん:04/02/13 04:55
鎌倉時代最後の将軍、守邦親王は将軍を辞した年、1333年に亡くなっているけれど、これは病死、それとも・・・?
誰かエロイ人教えて。
918 :
日本@名無史さん:04/02/13 05:17
.,/: `'、、
/: `''i、、
,/ν : ,,,,,ニア°
: :'“,l| `'┐
.゚i" :.│
.そ 、゙|'‖ 気持ちよくなりたいだと?
゙l ,,,_ ゙l.|: ゚ト させてくださいだろ…?
_,,-‐'゙゙l..l゙v″ ._,,,,、 .li、|||
,i´ i、と゛゙i、 ./"` `ヽ、 .,r'"゙~~''i、 .,リ,f,,/|ノ:″
.巛.ヽ i、 : l゙ : } / .:|,,-''゚“'く,,,″
.{.|.、.|r=@ ゙l、 .,ノ ( .,,f゜ `゙''i、
,,、 ゙l゙l.゙l゙l リi、 `ヽ,,,,,,,/` `'ー-‐',i´ │
`\、゙l,|,.リi、゙l゙l、 ,メ, |
゙'''川ミr゙':,'l,!, '=-,,,,,,,,,,il'".,/`.ヽ ,ヒ
.[く'i,!\'ぐミヽ、 `゙゙''"″,/ .ヽ │゙l
│ぐl,'i,'i、'i、゙'〈ヽ、 ._,,ィ|: ゙l ヽ ,l゙ ゙l
.|: ヽヽ'i、'、゙,:,,,゙lrニ,ひl゙l| .L ,/ .、 │ │
゙l : |。ヾッ"j|、 l゙゙V‖ .|゙l: ..,,/ : |: .l゙、 │
│l゙.゙!,,i´ │゙l _l゙ ./┤ .| ゙l: r″ .|│ ヽ .|
919 :
日本@名無史さん:04/02/13 21:50
北条氏の時代で何かいい本無いでしょうか?
920 :
日本@名無史さん:04/02/13 21:55
人物叢書「北条時宗」「金沢貞顕」
921 :
日本@名無史さん:04/02/13 22:56
「平家後抄」「裏方将軍北条時政」「吾妻鏡」「北条氏系譜人名辞典」「鎌倉幕府の転換点」
922 :
日本@名無史さん:04/02/14 07:22
923 :
日本@名無史さん:04/02/14 07:56
>>920-922 ありがとうございます。
鎌倉時代全体を概観するにはどれが一番いいんでしょうか
924 :
日本@名無史さん:04/02/14 16:44
北条氏はぱっとしなかった
925 :
日本@名無史さん:04/02/14 17:21
時代が貨幣経済に進み、商業活動が活発になってきたが、幕府の屋台骨を支える御家人は土地収入しかなかった。
もともと、幕府のシステムが、土地の給付・保障と引き換えに御家人の忠誠心を確保していた。
時代の変遷とともに、御家人もその経済基盤を変え、幕府の構造改革が必要であったが、結局貞時の政策は既得権の保護でしかなった。
してみれば、幕府の崩壊は防ぎようもなかっただろう。
後に続く足利政権は、土地に依存せず、商業ブルジョワジーをその政権基盤とした。幕府が京に置かれたのもそれが理由。
日本の経済史から北条氏を研究するのも必要であろう。
藤原氏や平氏までが幕府に出てくるあたりが面白い
927 :
日本@名無史さん:04/02/14 18:21
日本の場合、商業の発達が工業や農業の発達を刺激した。これは日本が辺境にあったためだ。
交通の要路にあったら、商品を右から左に流すだけで利益を得ることができる。一方、辺境にあると、自分たちで何かしらの産物を作り出せねば、商売にならない。
そういった意味で、ユーラシアの両端部にあった、ヨーロッパや中国が製造業なども発達した理由であろう。
中近東は、逆に東西交通路の7要路にあったため、中継ぎしか行わず、製造業は発達しなかった。
日本の場合も各地で特産物の開発が行われ、それを交換するため商業が発達し、商業が発達すれば、流通経路に乗せる商品開発も盛んに行われた。
928 :
日本@名無史さん:04/02/14 18:26
>>915 鎌倉武士が北条氏の命を聞くのは、ご恩としての土地の給付とその保障を執権としてできたからだ。
頼綱にそのような権限がない以上、彼の命令を聞き、働いても、恩賞の保証はなかったのだから、聞くわけはないだろう。
930 :
日本@名無史さん:04/02/14 20:41
貞時は徳政令を出すわ、引付衆を廃止したりするわ、好き勝手やったって感じだな。
まさに得宗専制を体現したような人。
そんな男が少年時代何かと頭を抑えようとする泰盛を気に食わなく思い、やっちまえ、と口走ったことは十分想像できる。
どのみち、得宗専制を実現するためには外様御家人の粛清は必要であっただろう。
931 :
日本@名無史さん:04/02/14 20:52
932 :
日本@名無史さん:04/02/14 21:02
>>916 時宗の死後、六波羅南探題の北条時国が誅殺され、北条時光も佐渡に流罪となっている。
これら北条一門の粛清は得宗専制のため、まず一門の粛清から取り掛かったのだろう。
実際、貞時の体制以後、北条一門も得宗家の家臣に成り下がっている。このことは、一門の宗方が内管領に就任したことで完成した。
933 :
日本@名無史さん:04/02/15 09:12
≫932
一門の粛清・・・時輔の場合は異母兄で目の上のタンコブだったから仕方ないけど
何故時国を粛清しなくてはならなかったんでしょう?時房流は得宗に従順だったし
佐介より大仏の方が台頭していたと思うし・・・
934 :
日本@名無史さん:04/02/15 11:11
>>925 幕府崩壊の理由はおそらくそれが正解だな。
納得した。
これで俺はもう十分。あとはぱっとした論争に費やしてくれ給へ。
935 :
日本@名無史さん:04/02/15 11:55
北条家の権力掌握のきっかけは、
1)頼朝との姻戚
2)政所の別当となったこと。
時政が政所の別当になれたのは、上記姻戚関係によるところが大きいかもしれないが、多数の御家人にとって、政所の政務は散文的で武家の肌に合わなかっただろうし、実際政務がとれるとは思えない。
侍所とて、別当の和田義盛は実務ができず、所司の梶原景時が実務をやってどうにか侍所が機能できたくらい。
ちょうど、ロシア革命で共産党の書記長になったスターリンのようだ。この場合も革命のエリートは書記局に興味がなく、スターリンに押し付けた感がある。
しかし、政所も書記局も、組織の中枢を司る重要な部署であり、これを抑えた両人が権力を掌握していったのは当然といえよう。
936 :
日本@名無史さん:04/02/15 13:31
北条氏が権力を掌握するのに重要なキーとなったのは、伊豆や相模の中小御家人の支持であろう。
彼ら自己の土地を大豪族から守るため、同じ小豪であり、頼朝の岳父であり、政所の別当である時政を頼ったのは想像難くない。
時政をはじめとする、以後の北条家もよく彼らの期待に答えたのであろう。鉢の木物語などはそのことを表している。
貞時の政策も伝統とおり、中小御家人の保護をその骨格としている。
937 :
日本@名無史さん:04/02/15 21:19
938 :
日本@名無史さん:04/02/16 21:51
最近「一所懸命」を「一生懸命」って思ってる人多いですね。
「世界にひとつだけの花」の歌詞も「一生懸命」だもの。嘆かわしい。
939 :
日本@名無史さん:04/02/17 08:53
>>938 そうか?いまどき土地に命懸ける方がどうかと思うが。
>>939 マイホームを買うために一生あくせく働いて死ぬ寸前までローンを
払い続ける人の姿を見ると、一所懸命で良いように思える。
某辞典より
いっしゃう−けんめい【一生懸命】
イッショケンメイ(一所懸命)の転
942 :
日本@名無史さん:04/02/22 20:45
北条宗宣が執権職を投げ出して出家したのはなぜでしょうか?
943 :
日本@名無史さん:04/02/23 00:16
連署の北条時村が権力を握り、孫の煕時を執権につけたかったから。
人間関係に疲れたから
945 :
日本@名無史さん:04/02/23 20:59
上野介直方
↓
能登守維方
↓
和田四郎大夫時方
↓
北条時家=伊豆権守伴為房女
↓
北条時政
ハハハ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^∀^)< あほか 北条氏
( つ ⊂ ) \_________
.) ) )
(__)_)
ぱっと論争の次は いっしょけんめい論争?
やるの?
やだよ。
948 :
日本@名無史さん:04/02/23 22:52
≫942
長生きしたかったから。激務は寿命を縮めますもの。
中曽根康弘元首相は、鎌倉幕府執権北条時頼の生まれ変わり。まじで。
950 :
日本@名無史さん:04/02/24 07:17
951 :
日本@名無史さん:04/02/24 08:54
一所懸命?
元来は
一処懸命っていってたのだよ。
952 :
日本@名無史さん:04/02/24 14:13
ぱっとも決着ついていないのに…
>>573 これはリビアの元首のカダフィが
大佐であるのとおなじ原理なのかね。
シャアも大佐でネオジオン総帥だな。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/ |
/ \ / |
| ,^ ^ |
(6 つ |
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ / < もっとガンガンやれ!
/| /\ \__________
955 :
日本@名無史さん:04/02/24 15:03
,イ │
// |:!
//,. -/r‐- 、| !
/,/ ./ | _」 ト、
/.\`/ |二...-┘ ヽ
. i ,.>、;/ー- 、 l
! ∠.._;'____\ | 自分で書きたまえ
,!イ く・>,.、 <・>`\.、ヽ.
/'´レ--‐'ノ. `ー---- 、 |\ ヽ
\ `l (!" Jfヽ! `''-;ゝ
`‐、jヽ ヾニニ> ゙イ" }_,,. ‐''´
`´\ ー / ,ィ_}
. |_ `ー ''´____」'
_______,.|:::::::|||::::::::::::::::::::|、._ ____
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:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|風|:::::::::::::::::::::::::::::|:::::::::::::ヽ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::○ ::::::::::::::|紀|:::::::::::::::::::::::::::::|:::::::::::::::::ヽ
956 :
日本@名無史さん:04/02/24 15:09
>>952 そうだな、「ぱっとする」を使うとどうして具体性がないのかが説明されていないからな。
957 :
日本@名無史さん:04/02/24 21:38
畑には直径約1メートル、深さ約40センチの
というあたりが 一所懸命っぽい
959 :
日本@名無史さん:04/02/25 13:14
>>952 そうだな、「ぱっとする」を使うとどうして具体性があるのかが説明されていないからな。
おれもぱっとしたい。
平頼盛・・・紆余曲折・・・すったもんだ・・・本居宣長
ぱっとした。
962 :
日本@名無史さん:04/02/26 22:48
>>948 執権辞めてすぐに死んだんじゃなかったっけ?>>宗宣
963 :
日本@名無史さん:04/02/27 00:36
上野介直方
↓
阿多見禅師聖範
↓
時直
↓
北条四郎大夫時家
↓
北条時方
↓
北条時政
ハハハ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^∀^)< あほだ 北条氏
( つ ⊂ ) \_________
.) ) )
(__)_)
上野守直方
↓
維方
↓
阿多美禅師聖範
↓
北条四郎時家
↓
北条四郎大夫時兼
↓
北条時政
ハハハ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^∀^)< 北条氏って知欠なみ
( つ ⊂ ) \_________
.) ) )
(__)_)
うえから、近世地誌→分脈→桓武平氏系図
バカみたいなレス続けたあとに質問。
「北条時宗にいった安国論は、当時飢饉や疫病で苦しむ国民を助けるには、まず国の治安をよくすることだ、
だから貴方が法華経を保っていなさい。(「日 蓮 信 徒 @日本史 !」スレ)」
北条も一族から鶴岡八幡宮の別当を出してるのにこんなこと言われたかないよな。
968 :
日本@名無史さん:04/02/28 10:51
970 :
日本@名無史さん:04/02/28 11:42
>>968 始めは質問しようとおもってたん
幕府の創始者頼朝が法華経を重んじたのに、鎌倉将軍家の執事たる北条が
「だから貴方が法華経を保っていなさい」なんていわれたらたまらんだろう。
つーかこんなこといわれるほど法華経を軽んじていたのか?って質問。
でも書いてる途中で隆弁以降の別当を何人か出してるの思い出したからやめた。
>>972 別に知能は低くないと思う。
単に、鎌倉時代の仏教界がどういうものだったか、を
知らないだけでしょ。
個別の事象については良く知ってらっしゃると思うよ。
自己弁護(w
隆弁は北条氏じゃねぇぞ。
公家の四条家出身。
>>976 また自己弁護(プゲラ
レス待ってるよ。
979 :
日本@名無史さん:04/03/02 22:06
自己弁護で盛り上がって来ましたが そろそろお終いです
うめ〜
次スレが新田スレになってるな
O 「「「l
o \. V7
○`) | | r‐、
(⌒) o | | >、,>
____`o ○ | |. | |
// |O。゚-ト、. | | |
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|//| (・) \_| |─/ /く | / r、/`ーっ
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|/ ヽ__ // / | /
mn____|___r──l__/ | /
ヽ_______|__ノ────' ──''"
982 :
日本@名無史さん:04/03/03 04:47
なんで北条の得宗は早死が多いの?
983 :
日本@名無史さん:04/03/03 05:21
激務だったから。
984 :
日本@名無史さん:04/03/03 12:06
985 :
日本@名無史さん:04/03/03 15:35
そうか、早死にだからぱっとしなかったわけだ!
氷解。
986 :
日本@名無史さん:04/03/03 17:50
>>985 そう。
政治家は健康であることが必須。
987 :
日本@名無史さん:04/03/03 20:53
健康でない政治家はいない。
兼好法師
989 :
日本@名無史さん:04/03/03 23:08
健康奉仕
フォローしてもらってるのに悪いんですが
自分は個別の事象もたいして分かってない、あほちゃんですよ。
何となく、北条氏の家人から日蓮に切り崩されている気がしてたとこに
「北条時宗にいった安国論は、当時飢饉や疫病で苦しむ国民を助けるには、まず国の治安をよくすることだ、
だから貴方が法華経を保っていなさい。(「日 蓮 信 徒 @日本史 !」スレ)」を読み
頼朝の奉じた法華経と、当時の北条氏の宗教政策、それを御家人らがどうみてたか
ここらへんがきになったんす。
>>977 確かに「以降」じゃ隆弁も含んじゃうな。
991 :
日本@名無史さん:04/03/04 01:52
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L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
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〔i_二二二二二二二二二二〕
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|/ ̄\ (●) (●) || 六波羅短大
r┤ ト:: \___/ ||
/ \_/ ヽ. \/ ,ノ
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| _)_ノ
ヽ____)ノ
992 :
日本@名無史さん:04/03/04 01:59
ずれてるよ。
994回目のぱっとしないレス。
995回目のぱっとしないレス。
996 :
日本@名無史さん:04/03/04 20:23
996回目のぱっとするレス
997 :
日本@名無史さん:04/03/04 20:43
997
ぱっ
と
さいでりあ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。