>>184 勘兵衛→官兵衛
追加。後年、秀吉が朝鮮を攻めるに当たり、「必勝の舞」」とやらを探したそうなのだが、
それを伝えていたのは城井宇都宮氏だけであり、それは一子相伝だったので、既に滅ぼしてしまった事を知って
たいそう悔しがったという。
以上が、地元の伝承。で、実際には上のレスにもあったように、「絶えてない」し、宇都宮姓の人は近隣にもいる。
何でか。
たしか、傍系は見逃されたし、宗家も1人の妊婦(朝房の嫁)が助かって逃げ延びたから、らしい。
で、他にも数多くの「創作」が入り混じってるんだそうな。
参考文献:呪詛の時空―宇都宮怨霊伝説と筑前黒田家
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4874152678/249-9997138-4386743 戦いが終わってから20年〜40年くらい経った江戸時代初期、右近という名の「山師」がいた。
彼は、様々な話を創作したそうな。
で、確認されてるのは、
・鶴姫は7歳じゃなくて14〜17歳
・釣り天井は関東の方での出来事をパクった?
・「黒田節の起源」はもちろん、加藤清正からとの酒比べなので、「愚弄説」は右近の創作。
・赤壁は大陸からの寺のからみなので「あんまり関係ない」(戦いがあったことなど一部は本当)