電波?
930 :
日本@名無史さん:04/08/21 01:02
月光院は間部あきふさとはめはめだった。
しかし、なんでこう朝鮮とか支那とかを持ち上げる香具師って必死なんだろうね。
オレのムスコは30cm.
933 :
日本@名無史さん:04/08/21 13:25
934 :
日本@名無史さん:04/08/21 18:43
935 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:31
室町幕府も江戸幕府も15代将軍で終わっている。 へぇー。
936 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:42
>>933釣りなのか赤なのか
お前馬鹿。こんないんちきスレ見せるな
ハーケンクロイツがいつドイツ国旗になった
イタリアは王家が滅亡しただけ
永六輔氏適当なことを自分の解釈で押し付けるだけのホモ
937 :
日本@名無史さん:04/08/25 02:36
佐久間象山の姉は、発狂した自分の息子に刺し殺された。
938 :
日本@名無史さん:04/08/25 13:33
>>935 微妙なところで、
鎌倉幕府は15代執権が最後の権力者だった。
ただし、最後に執権だった人物は16代目執権。
運動不足と病気との関係に世界で初めて言及したのは
徳川家康
ちなみに公衆衛生と疫病の関係に初めて言及したのは
ノストラダムス
940 :
日本@名無史さん:04/08/25 21:05
>>935 違うぞ!
2度将軍についた人がいるので室町幕府は15人16代の将軍がいた。
941 :
日本@名無史さん:04/08/25 21:10
942 :
日本@名無史さん:04/08/26 21:24
>>938 しかもリアル15代執権は7日間でクビになった。
944 :
日本@名無史さん:04/08/27 01:52
>>943 高時の弟の泰家が、金沢貞顕の執権就任にイチャモンをつけた。
貞顕はビビって辞任。
>>944ありがとう 貞顕って大河ドラマ太平記に出てきた人?確かアタック25って
クイズ番組の司会やっていた人だったような気が うーん?
946 :
日本@名無史さん:04/08/27 19:51
宇喜多秀家は、関が原の戦いで敗れて、八丈島に流され50年、島で暮らした。家康、秀忠、家光より長生きした。 へぇー。
947 :
◆OQHPpEBH5I :04/08/27 20:15
くじ引きで、大名になった人がいる。
948 :
日本@名無史さん:04/08/27 20:39
足利義輝は戦で死んだ唯一の将軍である。
949 :
日本@名無史さん:04/08/27 20:52
大逆事件の時の岡部法相は岸和田藩の最後の藩主。
これかっ
岡部家
6万石 譜代 帝鑑間 城主
十三代
岡部長職(ながもと)
従五位下 美濃守
951 :
日本@名無史さん:04/08/27 21:29
鯛のてんぷらにあたって死んだ家康は七代目である。
952 :
日本@名無史さん:04/08/28 05:10
>>947 >くじ引きで、大名になった人がいる。
くじ引きで征夷大将軍になった人だっているよ。
室町幕府6代将軍 足利義教
三河の松平にある学校では3年に一回
日光東照宮へ修学旅行と称して参拝する。
その際一般の人立ち入り禁止の場所へも堂々と入れる。
へぇー
954 :
日本@名無史さん:04/08/28 06:56
日本人で初めて眼鏡を常用
したのは徳川家康である。
........違った?;;
955 :
日本@名無史さん:04/08/28 11:18
>>954 現存する最古の眼鏡は、大徳寺大仙院にある足利義政が使用したものと言われているし、
文献では宣教師フランシスコ・ザビエルから大内義隆に献上されたことが知られている。
常用したかどうか分かるの?
ちなみに江戸時代にはすでにサングラスがあった。
956 :
日本@名無史さん:04/08/28 12:36
957 :
日本@名無史さん:04/08/28 12:55
>>952 おい義教は常識だろう
むしろ「大名」になったのが誰かがすごく気になる。
ただ「くじびき」自体は現代とは感覚がかなり違うものだし,
現代の国会も多数決が同数なら最後はくじびきにするものもある。
959 :
日本@名無史さん:04/08/28 19:29
>>958 そんなこと言うなら、くじ引きで、大名になった人を調べておいてくれ。
ちなみに天皇家にも似たような事例がある。
@皇太子を決めるのに競馬と相撲をして勝ち負けで決めたことがあった。
文徳天皇の時代で候補者が争った結果、惟仁親王(清和天皇)が勝った。
A安徳天皇の後の天皇を決めるのに、候補者の中から尊成親王(後鳥羽天皇)が
くじで選ばれた。
960 :
日本@名無史さん:04/08/28 20:03
応仁の乱以前の日本史は全て捏造。
本当はずっと中国の植民地だった。
では、中国に対して謝罪と賠償を(ry
伊達政宗は・母を犯罪者に仕立て上げ、父と弟を殺害し、大坂の陣では味方の兵を銃撃した。
963 :
日本@名無史さん:04/08/29 00:23
梵天丸も、かく在りたい。
964 :
日本@名無史さん:04/08/29 12:23
加山雄三は岩倉具視の子孫。
加山雄三の母親の曾祖父は明治維新の立役者岩倉具視である。
>>959 1 あれは出来レースだろ。
どう転んだって惟仁親王の即位は変わらない
2 丹後局の夢のお告げできまったんだろ
くじ引きじゃない
966 :
日本@名無史さん:04/08/29 13:07
徳川家康は宇宙人と会った事がある。
肉人との遭遇が記録に残っている。
967 :
日本@名無史さん:04/08/29 13:13
肉人
神祖徳川家康公が駿府に在城のころの話である。
ある日の朝、御庭に異様なものが立っていた。
「肉人」とでも言ったらいいのだろうか、小児のような形の肉塊で、手はあるけれど指はなく、その指のない手で天を指して動かない。
見る者は皆、「なんだあれは」「化け物か」と驚いたが、どうしていいかわからず、ただ右往左往していた。
御庭が大騒ぎになったので、やむをえず公の耳に入れ、「いかが取りはからいましょうか」と伺うに、「人目につかないところに追っ払ってしまえ」とのことだった。
そこで、肉人を城から遠い小山まで連れて行って捨てたという。
この話を聞いたある人が、
「いやはや惜しいことをしたものだ。周囲に仕える者に学がなかったために、またとない仙薬を公に差し上げずにしまった。
この怪物は、『白沢図』に載っている『封(ほう)』というものだよ。その肉を食べると多力になり、武勇も大いに増すと書かれている。
たとえ公に差し上げなくても、上下の家臣が食べれば効果絶大なものを。物知りがいなかったのが、かえすがえすも残念だ」
と、惜しがった。
しかし、これは例えば身体虚弱な人が、「養生食い」と称して八味地黄剤(はちみじおうざい)などを常に服用するのと同じではなかろうか。
強健な人は、齢八十に余るまで薬を飲んだことがなく、背中に灸の跡ひとつないまま元気である。
神祖の時代の人々は、もとより多力で武勇にすぐれていたから、薬に頼ることなど好まなかったであろう。
公も家臣も「封」のことはよく知っていたはずである。
しかし、穢わしいものを食して多力武勇になるのは武士の本意でなく、きわめて卑怯なことだとして、これを捨てたのだと思われる。
棚からぼた餅の幸運を願うのも、淫祠邪教に心を任せるのも、おおかた肉人をありがたがるのと似たようなものである。
>>935-
ちなみに
徳川家は15代260年で11世代。
足利家は15代200年余で8世代。
970 :
日本@名無史さん:04/08/29 16:36
肉人=デブ
971 :
日本@名無史さん:04/08/29 22:54
973 :
日本@名無史さん:04/08/30 01:11
幕末に佐幕派側が新政府をつくっていたら、
●日米戦争はなかった。
●日本への原爆投下はなかった。
●樺太をはじめとする北方領土をロシアにとられる事はなかった。
●国土の一部をアメリカ軍に割譲する事はなかった。
●朝鮮併合はなく、朝鮮人が日本本土に大量に流れ込む事もなく、日本本土が在日朝鮮人だらけになる事もなかった。
●日本国憲法が、連合軍総司令部(GHQ)の民生局の職員が1週間で適当につくった、わけのわからないものになる事はなかった。
974 :
日本@名無史さん:04/08/30 03:03
>>965 最終的には丹後局の夢のお告げで決まったけど、その前に何度か籤引きもして
るはず。結果が出るたびに木曽義仲とかがケチをつけて、やり直しの連続。
975 :
日本@名無史さん:04/08/30 12:24
>973
幕末から昭和16年まで80年くらい時間が吹っ飛んでるが、その間のことはなんかないの?
976 :
日本@名無史さん:04/08/30 18:33
>>973 もしそうなったとしたら、俺たちは存在しない。
●幕末から昭和16年まで80年くらい時間が吹っ飛ぶ
978 :
日本@名無史さん:
ちょっとした驚きの「へぇ・・」から、驚愕の「へぇ〜!!!!!!」に。