1 :
日本@名無史さん :
03/09/05 01:10 大場弘道「銅鐸の謎」は、なぜ無視されているか? 教えてくだされ!”
2 :
日本@名無史さん :03/09/05 01:16
論旨は?
2だったら在日朝鮮人であることをカミングアウトする。
4 :
日本@名無史さん :03/09/05 01:18
ずばり、絵文字の存在。
惜しかった。まあ、しばらくは日本人のフリでもしとこう。
6 :
日本@名無史さん :03/09/05 01:36
アマゾンで調べたけど、そんな本なかったよ。 いつごろ出版されたの?
7 :
日本@名無史さん :03/09/05 01:41
<スーパー源氏>もあたってみてね。
「大羽」じゃないか! わざと間違えたの?
9 :
日本@名無史さん :03/09/05 02:35
スイマセン、です。 大羽、です。 重ね重ねスイマセン。
10 :
日本@名無史さん :03/09/05 02:53
えっと、接頭語「さ」+「鳴き」だっけ?
11 :
日本@名無史さん :03/09/05 05:08
宮崎市定「謎の七支刀」はなぜ無視されているのでしょうか?
12 :
世界@名無史さん :03/09/05 07:19
ちゃんと、内容、かけや!!
銅鐸はコリア起源?
14 :
日本@名無史さん :03/09/07 23:57
日本に古代絵文字があった!? それが本当なら、どういう位置づけなのか、 日本史の学会では?
16 :
日本@名無史さん :03/09/09 13:02
その著者って、「邪馬台国は沈んだ」と同じ香具師でつか?
17 :
日本@名無史さん :03/09/11 02:19
銅鐸にかかれている絵柄を 佐原心は、徹底的に黙殺した。 しかし、大羽弘道が、世界の古代文明文字の 解読史から、解明しようとしたように、 日本に絵文字の時代がないのは、 ホントに、不自然・不可解!! 吉本粒明がいう<指向変容>からしても、 また、<南東論>追求の情熱が、奈辺にあったか、 を、反省してみるだけで、日本古代における <絵文字の存在>は、論理的に自明。 わかる椰子だげ、カキッコきぼんね!!
インカ文明は、縄文字と呼ばれるものはあっみたいだけど 絵として残るような文字は存在しなかったよね? それに中国の高度な文字文明が既に存在していれば 別に日本に絵文字から文字へと変化せずに、中国から文字という表現を そのまま導入したとしても不思議じゃないと思うけど、どうなんでしょ?
19 :
日本@名無史さん :03/09/13 01:48
>>18 人間の認識の発達過程からして、
論理的に、列島固有の住人たちが、なんらかの
表象発現手段=言語の祖形を持っていたのは自明と考えられませんか。
世界の各文明における文字の発展の歴史を、
かんがみれば、大羽弘道が「銅鐸の謎」で、表明していることは、
真摯な態度で反省してみるべきと思いますが。
なお、この本は古本で、検索すれば結構手に入ります。
日本史の学会は、権威主義が無意識で、よくない。
この本を読めば、渡来王朝(匹目・かぎ鼻)と古代日本の関係も
考えさせられますよ。
20 :
日本@名無史さん :03/09/13 01:54
ちんちん
21 :
日本@名無史さん :03/09/13 02:21
>>19 列島固有の民族と言うか、この土地で連続的に発展していった民族なぞ居ないのではないか。
22 :
日本@名無史さん :03/09/13 03:07
列島固有ねえ・・・ 太平洋の島嶼部の人たちは日本人に近いけれども、 固有の文字文化を持ってた?
銅鑼の謎ねえ・・・
24 :
日本@名無史さん :03/09/13 15:35
縄文時代に絵文字があったかどうかは判らないが、記号があったことは事実。 大、小、「、 」、/、○、×、などの記号が骨角器に刻まれている。 現在では屋号としてカクダイ、カネダイ、マルダイ等等いろいろな記号があるが それのルーツは縄文時代の記号だと思われ。
25 :
日本@名無史さん :03/09/13 17:59
大場弘道って在日?
銅鐸の時代に、鉄器はあったのか?
あったよ
28 :
日本@名無史さん :03/09/17 00:14
中国南部山岳地帯の女文字。 もう、絶滅しようとしているのだが。 人間が自己の意識を表現しようとする過程は、 世界史的に普遍的ではないのか? とすれば、漢字、漢字、という前に、 日本列島先住固有民ともいうべき、現日本人に 絵文字の段階があった、確かにあった、といえるのではないか? その言語学的理論性を無視しして、果たして、真の <日本史>が、可能だろうか? 和紙は、大いに疑問である、権威主義は失墜する、 と感じているのだが。
あの本、すげー大昔リアル厨房の時に読んだけど、 銅鐸が飛鳥時代のものというのはいくらなんでもムリだろと思った。
30 :
日本@名無史さん :03/09/17 01:13
どうして? その根拠がいるはず、だが。
つーかなんで1はあんな大昔の本おぼえてたのか。懐かしいからいいけどさ。
32 :
日本@名無史さん :03/09/17 01:21
日本に絵文字の時代があった、 という問題意識が重要なのであり、 いくら、佐原真が無視したからと逝って、 この重要性が、世界史的観点から無くなることはない。 つまり、無視すること自体が、日本の考古学の無能を語るに等しい、 というこった。
佐原の晩年は銅鐸絵画に傾倒していたのだが・・・・
34 :
日本@名無史さん :03/09/17 02:18
>>33 もし、それが本当なら、
少しは佐原を見直した。
でも、パンが真実を覆っては学者の名が
恥じるでしょうが・・・
もちろん、佐原真の偉大さを評価してのことだが。
ところで、伊沢元彦はこの件にどんな見解を述べているの?
知っている香具師教えてくらさい。
35 :
日本@名無史さん :03/09/24 01:52
日本列島における言語分布に 論理的に<絵文字>の段階があったか? ということを知りたいのなら、世界の古代文字の 解読の歴史に容喙することをいとわないことだ。 みなが、自分で調べもせずに、骸骨と抱き合わせ心中だ。 目も当てられねーや、ッチェ。
36 :
日本@名無史さん :03/09/26 03:15
大羽弘道の論旨は、銅鐸に描かれた絵が、 単なる儀式のデザインではなくて、蘇我氏が日本を支配した 時代があったということを、世界史的な考察から解明した 労作である。 銅鐸がどうして、ある時期一斉に消えたのかの謎も、 彼の論旨とよく調和するし、なにより、絵文字の存在があったという その着眼点が、学問の本質=事実究明の本質に合致している。 みんなも、日本人歴史の事実が知りたければ、決して無視できないはずだが・・・
うわ、この本うちにあった。カッパブックスで初版は昭和49年5月10日だって。 銅鐸+扶桑略記でぐぐると44件しかヒットしないってのはどうよ。
子供の頃読んだ「銅鐸の謎(大羽弘道)」はむちゃおもしろかったな。 その続編の「古代日本の絵文字(大羽弘道、秋田書店)」を読むと 日本に絵文字があったことはゆるぎない事実のようだ。 なんでみんな無視してるのかな?
39 :
日本@名無史さん :03/11/20 19:54
概要を教えてくださいませんか?
40 :
日本@名無史さん :03/12/03 14:46
銅鐸の謎の概要・・・その1 銅鐸に書かれた絵は、じつは日本古来の絵文字であった。 そして、それを世界の古代文字解読の方法論を使用して、 読んでみると、見事に蘇我氏の時代の構図が、浮き彫りとなった。 言語学的にいっても、ある民族が任意の絵文字の時代をもつのは 必然であり、それともよく合致する。 しかし、日本の古代史学会は、之を見事に無視して、学的解明を 怠っている。 日本人の歴史の事実を究明しなくていいのだろうか?
41 :
日本@名無史さん :03/12/05 01:06
曽我氏と日本史のなぞ・・・ それが、銅鐸に書かれていた。
42 :
日本@名無史さん :03/12/05 12:31
飛鳥時代のものだという結論だから相手にされなかったのも無理はないよ
43 :
日本@名無史さん :03/12/06 04:25
>>42 先入観が、往々にして、真実の解明を遅らせる。
これは、自他をともに縛る鉄則である。
44 :
日本@名無史さん :03/12/06 07:21
蘇我氏って弥生時代からいたの? 銅鐸が実は飛鳥時代のものだったの?
45 :
日本@名無史さん :03/12/08 15:05
>>44 銅鐸が、弥生時代という確定はどのようになされた?
すぐに、2,300年の誤差は生まれる訳だが。
長江文明。
稲作栽培。
諸々、先入観だけが、解明を遅らせてきた歴史的事実がある。
46 :
日本@名無史さん :03/12/08 15:51
>銅鐸に書かれた絵は、じつは日本古来の絵文字であった。 誰がどうやって認定? >そして、それを世界の古代文字解読の方法論を使用して、 >読んでみると、見事に蘇我氏の時代の構図が、浮き彫りとなった。 誰が読んだの? >それともよく合致する。 誰が確認したの?
47 :
日本@名無史さん :03/12/08 20:38
48 :
日本@名無史さん :03/12/08 20:39
49 :
日本@名無史さん :03/12/09 00:25
50 :
日本@名無史さん :03/12/12 02:06
日本列島に、全く固有の文字はなかったのか、ほんとうに? それでいいのか、古代史好よ、語れ。
いいとか悪いとかって問題じゃないでしょ? 文字がなかったとしたら捏造でもするつもりですか?お隣の国のように?
52 :
日本@名無史さん :03/12/12 19:08
人類の歴史の普遍的段階が、 日本列島固有の住民に適応されるのじゃないか? と聴いているわけだが。 とすれば、絵文字の段階があったという仮説を 一笑に付すのはいかがな物か。
>>45 弥生時代の遺跡から銅鐸の鋳型が出ている。
54 :
日本@名無史さん :03/12/13 00:17
銅鐸は神々のトイレ
55 :
日本@名無史さん :03/12/13 02:15
>>53 固定観念をすこしは疑ってもわるかないが・・・
56 :
日本@名無史さん :03/12/13 16:28
東工大では一年生から物理と化学の実験が毎週あり,「きわめて頻繁に」レポートを提出しなくてはならなかった. 専門課程に入るとこれが電気実験にとってかわった. もちろんその他の授業や演習でも課題がどんどんでた. 三年生までは地獄のようにしごかれた. 四年で研究室に所属してからは自由に研究させてもらえた.天国に思えた. 私が助手になってからは今度は演習の指導をやらされた. 学生たちは「なんというつらい青春だろうか」と恨み言をいいながら演習に耐えていたものだ. 文系の連中はしかし,ろくに勉強もせず出席もしなくても卒業できるし,大学院なんていくだけ無駄だし, それなりに給料のもらえる仕事に就ける(就けた). 理系だからといって,苦しい大学生活に耐えたからといって良い給料がもらえるわけでもない. これじゃあばかばかしくて理系なんてやってられないよな. 日本の経済的繁栄を支えてきたのは製造業でありエンジニアであり理系の人間である. 文系の連中が優秀だったわけではない. 文系の連中は理系の連中に「食わせてもらっていた」だけのことだ. そしてバブルがはじけたのだってあれは文系の連中が馬鹿やったからだ. 我々理系の連中は,はなはだ迷惑を蒙ってきたのである.
57 :
日本@名無史さん :03/12/19 01:51
>>56 まあ、なにをやるにしても理系を専攻してよかった。
理系の訓練がなければ、物事の本質が見えない時代になったしな。
せいぜい、ガンガリな。
58 :
日本@名無史さん :03/12/20 19:01
銅鐸の謎 前書きその1 私は約三十年にわたって、オリエント古代史の研究に取り組んできた。 なかでも、とくに惹(ひ)かれたのが、その地方の古代文字であった。 私はしだいにメソポタミア文明の楔形(せっけい)文字や、 エジプトの絵文字(ピクトグラフ)に親しむようになった。 そうした私の目には、日本の銅鐸上の絵画が、単なる絵以上 のものに映ったのである。銅鐸の絵画は、オリエント古代の 絵文字と、あまりによく似ている。 私と銅鐸との出会いは、いま述べたような、ふとしたこと がきっかけであった。以後、日本の古代史をも研究の対象と した私は、銅鐸上の絵画こそ、銅鐸のさまざまな謎を解く最 大の鍵(かぎ)であることを知った。
59 :
日本@名無史さん :03/12/20 19:02
銅鐸の謎 前書きその2 鋼鐸絵画は、やはり絵文字であった。 解読にあたって私は、古代オリエントなどの文字の法則をあてはめてみた。 すると、銅鐸絵画は、絵文字として完全に読むことができた。 日本には、中国から輸入された漢字以外に文字がなかったとする定説が、 これでくつがえされたのである。 また、鋼鐸絵文字が告げるメッセージは、驚くべきものであった。 銅鐸の多くの謎を解くばかりか、日本古代史そのものの謎にまで、 絵文字は思いもよらぬ答えを与えてくれた。それは、あの邪馬台国 (やまたいこく)とその以前の日本国家形成の秘密から、七世紀の 大化改新までを一直線に結ぶ、隠された日本古代史の真実の姿であった。
藻マイら、弥生時代も1000年もさかのぼる可能性が出てきたな。 ということは、是を敷衍すれば、歴史上、常識が覆される ことは、往々にして起こるということでもあるな。 ということは、日本に<絵文字の時代>が、あったと想定することは そんなに奇異なことか? なぜ、沈黙をする。
沈黙するとは、回りの様子を恐る恐る見てるということだよ。風向きがどっちに向いて 吹き出すのかをね。可能性としてあり得ることは当然ながら内心では思ってるだろう。 でも、研究がまだまだ不足してるから、うっかりしたことは言えないのは確かだよな。
62 :
日本@名無史さん :03/12/22 11:11
63 :
日本@名無史さん :03/12/22 12:20
銅鐸の年代が飛鳥時代であるとの、根拠を教えてください。
銅鐸は、ある時たとえば銅剣・銅禾と一緒に一斉に埋められた。 それは、WHY? そこを考える必要がある。
65 :
日本@名無史さん :03/12/24 19:23
62は典型的な厨房なだけだから無視すべし。
67 :
日本@名無史さん :03/12/30 10:57
age
68 :
日本@名無史さん :04/01/05 02:31
佐原真のカリスマ性が強すぎて、マインドコントロールが とけないアマチュア古代史厨が多いと、小1時間。 佐原は、この大羽弘道を、徹底的に無視した。 明治大学の教授が、昭和24年に納豆売りの青年のいうことを きいて、旧石器の発見に至ったのとは、大違い。 つまり、佐原真マンセ〜信者には、チト悪いが、欠の穴のこまい 夜郎自大であったことは、この一件だけでも十分だ。 真理は、往々にして、権威から遠いところで発見される。
69 :
日本@名無史さん :04/01/05 02:41
無視されてもしょうがないということがよく分かりました。 ありがとうございました。
あぼーん
71 :
日本@名無史さん :04/01/11 02:21
絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの。 となれば、日本列島文明にもその普遍性があってもおかしくはない。 要は、大羽弘道の試案を、検証するだけの頭脳と勇気があるのか、 という問題につきる。 権威には弱い日本史学会の伝統からして、アカデミズム的な場所からの 新展開は、期待できそうにもない。 大勢を頼む卑怯者が、住める数少ない生き残りの領域であるから奈。 簡単に言うと、日本列島絵文字問題は、日本史関連学問の未開性一般に 解消されたように見える。 このことの意義を分かる椰子は、ごく少数だろうが、分かっても無視するほかは あるまい。 もし、何らかの意義を認めれば、椰子自身の来し方が本質的に問われるから奈。 このようにして、本質は、一見枯れ木のにぎわいから、無視されるのである。
72 :
日本@名無史さん :04/01/11 19:35
>>71 絵文字云々が問題なんじゃなくて、
解読法と解読結果が問題で相手にされなかったんだろうよw
73 :
日本@名無史さん :04/01/26 22:10
絵文字の段階じゃ
74 :
日本@名無史さん :04/02/07 19:20
中国南部山岳地帯の女文字 もう、絶滅しようとしている 日本列島先住固有民ともいうべき、現日本人に 絵文字の段階があった、確かにあった、といえる
75 :
日本@名無史さん :04/02/10 16:09
なんか、DQN厨房が必死になってるのを、軽く煽りつつ狂態を観察してるって感じだな。 あんまりかわいそうなんで、ちょいと突っ込んでおいてあげるか。 「絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの」 まず、この発想自体が過去の歴史学の「常識」にとらわれた、偏狭な考え方である。これは戦後の マルクス歴史学が提唱した段階的歴史発達観から出た、偏見でもある。マルクス史観とは、単純化 してしまえばダーウィンの進化論から着想を得た史観で、文明というものは歴史的に必然な発達段 階をへて共産主義に行き着くもの、つまり共産主義に「進化」して行くものと、歴史を捉えている。 単純化するなら、人類は狩猟採集の生活から農耕社会へと「進化」し、富の蓄積から貧富の差が生まれ、 封建社会へと「進化」し、そこから資本主義社会へ「進化」し、最後は共産主義に「進化」するという、 直線的な進化史観がマルクス史観。このモデルケースは、確かにある時期、世界を支配する歴史観では あった。キリスト教の縛りから脱却する自由な学問の象徴としてダーウィンの進化論が登場し、それを 取り入れた史観はわかり易かったし、実際にマルクスが生きてた時代はこのモデルケースが適用可能に みえたしね。 ところがだ、下等なものから高等なものに進化するという現象は確かにあっても、進化は「必然」では ない訳だ。そう出なければ、世界中に下等とされる静物が、これほど多種多様に存在するはずもない。 静物はその環境に適応できているなら、ことさら「進化」などせずに、それこそ生きた化石と言われる ような存在のように、何億年も進化せずに生き残るものなのだ。 続く
76 :
日本@名無史さん :04/02/10 16:32
続き
進化のあり方が多様なように、文明の発展のありようもまた多様なのだ。中東から欧米は言葉を重視
する社会である。言葉をロゴスと称し、聖書の冒頭で「神は言葉とともにあった」と宣言する文化だ。
そういう風土の中で生まれたマルクス史観は、文明の発達段階に文字の使用は必要不可欠な要素と、
マルクスが見なしたのは仕方のないことだった。実際、マルクスが生きていた時代に知られていた
世界四大文明はいづれも、文字を伴う文明だったしね。
エジプトの象形文字や楔形文字、線文字A、Bやフェニキュア文字などの研究から、当時は文字は
最初は具象的な絵文字から徐々に単純化され、記号化された文字へと「進化」すると考えられた。
大羽弘道も、実は大正〜戦後に支配的だった、こういう史観に毒されていただけだったのだ。実際に、
文化人類学が様々な事例を蓄積していくに従って、「絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの」
などと、単純に言えないということがわかってきた。
アフリカには無文字文明と言える高度な文明(例えばダホメ王国など)が存在し、小石を使った
計算方法などは、当時のヨーロッパ人が翻弄されるほど、高度なレベルであった。行数列などの
高度な数学を有する無文字文明もあったし、アフリカに限らず南米マヤの天文学の正確さなどは、
当時のどの文明よりも高度であった。このように、文明というのは地域によって多種多様であり、
文字よりも数学や天文学の異常な発達を見せる文明があったりと、必ず文字の発明と使用を伴う
ものではない。
大羽や
>>1 が無視されるのは、「絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの」というすでに否定された
古くさい常識にとらわれ、「日本にも絵文字があったはず」と言う結論から逆算して、「銅鐸の絵は
絵文字に違いない」と言う、本末転倒な論理展開だからなのだよ。
続く
77 :
日本@名無史さん :04/02/10 16:56
続き
上の方でも指摘してる香具師がいるが、「記号」と「文字」は、本質的に違うものだ。大羽の絵文字
解釈は、彼の主観に沿った解釈にすぎず、その解釈の妥当性を脇に置いたとしても、銅鐸の絵を
絵文字とするにはいたらない。それはどこまで言ってもぶつ切りで完結した具体的な場面を写した
だけであり、そういう具体性をはぎ取った抽象性を表現してこそ、文字なのである。
例えば、大きな教会に行けばステンドグラスによるイエスや聖人の生涯を描いた絵物語があるが、
もしもヨーロッパの文明が完全に滅んだ後、発掘された教会のステンドグラスの絵物語を指して、
「ヨーロッパには色ガラスを使った絵文字があった」という学者がいたら、かなり珍妙な光景と
言わざるを得ないだろう。ただ、そうなった場合、大羽の強引な解釈などより、よほど起承転結が
しっかりしてストーリー性があり(物語だから当然かw)、整合性があるのだから、容易に反論は
できなくなってしまうだろうが(苦笑)。
冗談はともかく、日本人の無意識のナショナリズムと言うか国粋主義として、お隣の韓国同様に
神代文字の存在を夢想する連中がいるが、実は本人は無自覚の、「高度な文明=文字がある」と
いう、マルクス史観の影響がある。どうも、
>>1 のカキコと思われるものを拾って行くと、そういう
歪んだコンプレックスと国粋主義がないまぜになった思想が見え隠れするね。その気持ちに、
大羽の「日本には絵文字があった!」と言う主張が共鳴してしまったんだろうが。
まぁ、不況になると歴史学と国粋主義が排外主義を伴って隆盛するというしね。
>>1 への精神安定剤
として、言っておいてやる。「独自の文字がなくても、高度な文明は存在しうる」とね。
78 :
日本@名無史さん :04/03/03 23:40
銅鐸が飛鳥時代のものというのはいくらなんでもムリだろと思った
79 :
日本@名無史さん :04/03/03 23:47
銅鐸の絵が仮に文字だとしても、解読するには文字数が少なすぎるんだよな。あと、隋書にあるように、日本には文字が無くて、百済からきたとか、縄文字みたいなモノ使ってたとか記述があるし。独自の文字みたいなもの使っていたら当時の中国人も気がついたと思うがな。
80 :
日本@名無史さん :04/03/03 23:53
>「絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの」 中国が漢字(甲骨文字)を使い始めたのは殷の中期ぐらいからで、 絵文字は見つかっていないんだよな。不思議。いきなり高度な象形文字 を使い初めているんだよ。これもよくわかっていない。 最近、夏王朝や長江文明の遺跡発掘などがさかんだが文字は発見され ていない。
81 :
日本@名無史さん :04/03/04 00:04
古代アフリカ文明や南米の文明も文字を持っていなかったが、 ある程度の文化的レベルに達していたと思うよ。
82 :
日本@名無史さん :04/03/04 00:25
>>79 隋書倭国伝
「文字無し。ただ木を刻み、縄を結ぶのみ。仏法を敬す。百済に於いて仏経を求得し、始めて文字あり」
「ただ木を刻み、縄を結ぶのみ。」っていうのは文字だった可能性はあると
思うんですよね。漢字使っている中国人には文字に見えなかっただけで。
ただ、こういうのは残りにくいし、残っていても文字として解読可能か疑問。
数字とかならわかるかもしれないが。
83 :
日本@名無史さん :04/03/04 00:36
>「絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの」 結論から言うとこういう事実はないですね。 古代4大文明以外の文明で文字がない文明 がいくつかありますからね。 もうちょっと世界史を勉強してほしいですね。
84 :
日本@名無史さん :04/03/04 00:43
神代文字が古代文字って言うのも疑問なですよね。 いきなり表音文字ですからね。 基本的にですね。絵文字って最初は表意文字なんですよ。 つまり、牛なら牛の絵をかいて、牛を表すみたいな文字なわけです。 アルファベットにしても最初は表意文字だったとおもいますが。
85 :
日本@名無史さん :04/03/04 00:51
同様にですね。ひらがなが漢字を崩したモノではなく、 独自の日本の文字というのも疑問なんですよね。 表音文字だけっていうのは基本的に古代文明に 隣接した民族が漢字やヒエログリフや楔形文字から ヒントを得て作ったのが多いんじゃないんですか? アルファベットもヒエログリフからきたんでしょ?確か。
>80 長江文明は中国発祥だけど、黄河文明は外から入ってきたとか言われてるね。 つまり小麦も甲骨文字も外来か。 楔形文字とまではいかなくても、円筒印章とか発掘されないかな。
87 :
日本@名無史さん :04/03/05 00:48
銅鐸の絵なんかより遙かに文字らしく、遺物も多いインダス文字や 線文字Aは未解読なんですよね。文字かどうかわからない銅鐸の絵 なんかより、そういう文字の解読に情熱を燃やすべきなんじゃないかと。 あと、漢字の前段階の絵文字を見つけるとか。 そういう、いい意味での野心っていうのが、今の日本人にはないよね。 クラーク博士の「少年よ…」じゃないけどさ。
88 :
日本@名無史さん :04/03/24 20:43
銅鐸に書かれた絵は、じつは日本古来の絵文字であった。 そして、それを世界の古代文字解読の方法論を使用して、 読んでみると、見事に蘇我氏の時代の構図が、浮き彫りとなった。
89 :
日本@名無史さん :04/04/02 01:11
文明の発達に共通性があるのならば、 文字の発達にもそれはあるはずのもの。 論理的強制から、常識を再点検してみるのも悪かない。 いろいろと発見もあるしね。
前提の部分が仮定じゃ再点検も糞もねーだろ。
91 :
日本@名無史さん :04/04/02 01:37
92 :
日本@名無史さん :04/04/02 08:01
>>88 >世界の古代文字解読の方法論
・暗号理論を駆使(線文字B)
・別言語と同様の内容のものから解読(ロゼッタストーン)
これぐらいしか知らないが、ほかにあるのか?
ちなみに、インダス文字はコンピュータで解析して、ドラヴィタ語らしい
ことはわかっているが、解読にいたっていない。
93 :
日本@名無史さん :04/04/02 19:15
>>92 楔形文字も一種の暗号解読みたいなものだったと思います。
要するに、蘇我氏三代の評価がこの、銅鐸の絵文字のなぞの 肝になるだろう。 「高御倉(タカミクラ)」したのかしなかったのか? 銅鐸が急激に消滅した時期と、蘇我氏の時期の検討。 日本史の常識は、推論によって成り立っているのだから、 この問題意識も荒唐無稽とはいえまい。
95 :
日本@名無史さん :04/04/03 04:29
蘇我氏=サーキャ族(釈迦の一族)であり、 蘇我氏と厩戸皇子のはなしは朝鮮半島で起こった出来事、 というのはダメか?
銅鐸が飛鳥時代というのは、考古学に無知な人間じゃなきゃ考えつかないな。 珍説、奇説の類。
無知というレベルではないような・・・・
98 :
日本@名無史さん :04/04/03 23:20
「銅鐸の謎」を入手するのは、少し難しいかも試練が、 図書館に行けば、何処に出もあるだろう。 きちっと読んでから何か言ってほすいです。 とくに、文字の解読過程は、推理小説並みに秀逸。 決して、時間の無駄にはならぬと思われ。 さあ、読みましょう。
99 :
日本@名無史さん :04/04/03 23:25
>>98 読んだことあるよ。
時 間 の 無 駄 だ っ た。
100(σ・∀・)σgets!
銅鐸は葬儀のときに鳴らす鐘のようなもの。
お寺の鐘の起源は銅鐸じゃなかったの?
中国南部山岳地帯の女文字 もう、絶滅しようとしている 日本列島先住固有民ともいうべき、現日本人に 絵文字の段階があった、確かにあった、といえる
弥生時代も、少し遡ったし、縄文のイメージががらっと 変わったのも最近のことであった。 常識に胡坐をかいているものへの一石を、「銅鐸の謎」(カッパブクス) は投じたには違いない。
大羽弘道の「銅鐸の謎」に書かれている、 いわゆる<銅鐸絵文字>の解読方法には、<論理性>が貫徹してあり、 その点の破綻は見られない。 <論理>というのものに、理解があれば、「一考を要す」 という感情が到来するはずのものであろう。 まして、日本史の常識が推論で成立している以上、これを荒唐無稽というは、 自己の無智をさらす所業以外の何者でもない、と思うのだが。
107 :
日本@名無史さん :04/04/24 23:52
>いわゆる<銅鐸絵文字>の解読方法には、<論理性>が貫徹してあり、 >その点の破綻は見られない。 御託を並べるのはええから、解読できたんか?
108 :
日本@名無史さん :04/04/26 04:04
できますた。 ただし、従来の日本史の定説とはじゃかん齟齬をきたす。
109 :
日本@名無史さん :04/04/27 11:02
トンデモ理論を振りかざすヤツほど「<論理性>が貫徹してあり、 その点の破綻は見られない。」
なんて安易に断定しちゃうんだよなぁ。
だんだん言ってることが「常識に胡坐をかいているものへの一石」とか、具体的な事物の
検証ではなく、こういう抽象論を言い出してる事自体、イッパイイッパイな証拠だよ。
「現在の定説が覆される可能性」なんて、そんなのは全ての学説に当てはまりうることであって、
そんなのは研究者にとってはアッタリマエの事なんだよ。
>>76-77 とか、非常に高度なことを、分かり易く噛み砕いていってくれてるんだから、
「銅鐸は飛鳥時代」「蘇我氏の伝承」なんて電波な本に感動してる、自分のレベルの低さを
もうちょっと自覚したら?
>>1 よ。
本物の学問を、なめるなよ、とだけ言っておこう。
絵文字の存在は、各文明に普遍的なもの。 となれば、日本列島文明にもその普遍性があってもおかしくはない。 要は、大羽弘道の試案を、検証するだけの頭脳と勇気があるのか、 という問題につきる。 権威には弱い日本史学会の伝統からして、アカデミズム的な場所からの 新展開は、期待できそうにもない。 大勢を頼む卑怯者が、住める数少ない生き残りの領域であるから奈。 簡単に言うと、日本列島絵文字問題は、日本史関連学問の未開性一般に 解消されたように見える。 このことの意義を分かる椰子は、ごく少数だろうが、分かっても無視するほかは あるまい。 もし、何らかの意義を認めれば、椰子自身の来し方が本質的に問われるから奈。 このようにして、本質は、一見枯れ木のにぎわいから、無視されるのである。
111 :
日本@名無史さん :04/05/16 01:42
銅鐸が弥生時代のものというのも、実は学問的根拠は希薄である。 島根県の銅鐸大量出土も、実は、「銅鐸の謎」の論旨を補強するものに なっている。 ・・・・ 銅鐸の時代根拠のソースを問う。
112 :
日本@名無史さん :04/05/16 02:21
古代史自慢に問う。 銅鐸が主に弥生時代のものであった、という論理的根拠を 教えてくだされ。 もちろん、答えられますよね。 あんなに、自信たっぷりなのですから。(w
113 :
日本@名無史さん :04/05/29 06:14
なんで、さなぎって呼ばれていたかが本質じゃないの?
114 :
日本@名無史さん :04/06/04 00:57
>>111 に問う。
希薄である、と断言する論理的根拠を
教えてくだされ。
もちろん、答えられますよね。
あんなに、自信たっぷりなのですから。(w
日本書紀に、銅鐸が出土したが何かわからなかったという記事があったな。 そんなんでいいか?
大羽弘道「銅鐸の謎」
117 :
日本@名無史さん :04/06/06 06:01
三種の神器よりましだが蘇我氏のごく一部にしか用法が伝えられていなかった だから名前の『さなぎ』以外のことが分からなくなってしまった。 大化の改新で『さなぎ』の意味、用法は永遠の闇の中へ
大陸からはんとうから文字が移民たちと共に、 日本列島に伝播するまで、日本には固有の絵文字もなかったのか? 矛盾 その1.世界最古の時の発見は日本。 その2.箱根、相模川河川敷で、16000年前の竪穴式住居発見。 その3.新潟県(?)で、数千年前の格子戸様建具発見。 その4.三内丸山遺跡で、日本の縄文の<常識>が覆る。 その5.吉野ヶ里遺跡発見で、弥生の見直し発掘が成果を上げる。 これだけ短期の間に、いわゆる<日本史の常識>が覆った。
119 :
日本@名無史さん :04/06/20 03:53
銅鐸は飛鳥時代どころか逆にもっと古く溯るだろ
>その1.世界最古の時の発見は日本。 詳細お願いします
現時点における世界最古の土器は、この日本で発見されている。 これは、紛れもない事実である。 ここを論理で捉えると、銅鐸の絵文字も(ry
122 :
日本@名無史さん :04/07/03 03:21
123 :
日本@名無史さん :04/07/03 11:19
時? 土器だろ、土器。
124 :
日本@名無史さん :04/07/03 11:34
>>118 だからよ、マルクス史観的な文化の直線的進化って時点って、発想がダメダメなんだって
何度言えばわかるんだよ、この天才釣り師w あ、
>>121 はただのシャレか。
世界で一番さいしょに農耕がおこたメソポタミアが、そのままの文化水準を順当に発達させたか?
0の概念を最初に発見した、インドはどうだ?
均整の公転周期まで計算してて、円周率を小数点以下4桁まで正確に計算すると言う
高度な天文学を持っていたマヤ文明は?
エジプトにしろ中国にしろ、土器どころか世界最古を称する文物は腐るほどあるが、
それが次世代の文化や技術への進化を保証するもんじゃない。
何度も言うが、アフリカのダホメ王国のように、無文字文化であっても高度な文化を持つことは可能。
なにしろ、白人を手玉に取るような、高度な数学の知識もあった。にも関わらず文字はない。
世界最古の土器を持っていたから絵文字が生まれる可能性と、
高度な数学を持っていたから文字が生まれる可能性と、どっちが高いか考えろ。
その前に
>>114 についてちゃんと答えろw
125 :
◆Y7ZOVqhOuE :04/07/03 13:28
しかし、何らの文字伝達手段もないのに、衛氏朝鮮からきた支那商人と商取引できたんだろうか。 取引量も記録できなければ、収支の記録もできない。 やはり、かなり低級であれ、日本に文字にあたる記録手段はあったと思うよ。 それ以前に、数千人の人口の国家を動かすのに、文字による伝達が無いってのは、相当至難の業だと思うのだが。
とりあえず文字依存症の現代人が思うほど困ってなかったと思うよ。だって、 文字自体万国共通のものなんて未だに無いわけだし。やっぱり大事なのは 言葉じゃねえの?
>>大場弘道「銅鐸の謎」は、なぜ無視されているか? それは、歴史学に<論理>の伝統がないからである。 これホント!!
>>125 よくもまぁ、その程度の知識でトリップなんかつけてられるな。交易ということに関しては、
縄文時代から裏日本は中国やロシアとさえ交易してるんだよ。新潟や北海道の黒曜石が日本海を越えた中国やロシアの地から
イパーイ発見されてる。佐賀の腰岳の黒曜石の交易なんかも含めて、そこらへんは研究が進んでる。
江戸時代の蝦夷錦の交易もそうだが、最初は言葉が通じない相手でも交易が始まることなんて当たり前。
言葉さえ通じないところから交易が始まるんだ、文字は必須ではない。
沈黙交易なんて言葉、知らんだろが。
また、中国人ってのは、華僑としてかなり早い段階から日本に入ってきている。
こいつらが日本土着の連中と中国との貿易の仲介をしていたの。中国人との貿易窓口になってたのは中国人。
もっと言えば、後漢の崩壊と三国志時代に至る長い混乱の中、これら華僑が日本に土着して
元々の現地の人間と混血して次第に国家意識を育み、ただの村落共同体がバラバラにあっただけの日本に
統一国家の概念をもたらした。これは朝鮮も同じこと。人種としての日本人と、
民族や国家としての日本人とは、別物。民族意識や国家意識がある程度発達してからでないと、
文字文化というのは生まれない(発達しても生まれないことも多い)。
しかし、民族意識や国家意識の成熟なしに突然変異的に文字が先に生まれることなどない。
ハングルは統治者の気まぐれちゃうん?
>民族意識や国家意識の成熟なしに突然変異的に文字が先に生まれることなどない 偉そうな割にはこんなこといってるしw
縄文文字の謎を教えて
132 :
日本@名無史さん :04/08/10 07:48
弥生人ってあちこちからきて言語バラバラ。 しかも一気に来ないから元の縄文語で結局統一。
>>125 >取引量も記録できなければ、収支の記録もできない。
縄文字って知らないの?
>>130 でも具体的な反論はできないんだろ、いつものごとく。
>>130 モンゴルや西夏の文字がどうやって生まれたかも知らないバカが何か言ってます。
136 :
日本@名無史さん :04/09/01 00:27
だけど、銅鐸に描かれている象形文字は、もう少し漢字と触れるのが遅ければ、 完全な独自進化すすんだかもしれないと考えると、残念ね。
137 :
日本@名無史さん :04/09/04 23:35
神代文字こそ日本独自の文字だろ。 お前ら馬鹿ばっかだな。
138 :
日本@名無史さん :04/09/05 00:33
139 :
日本@名無史さん :04/09/05 00:36
>>138 サヨ学者のプロパガンダを信じ込んでる奴っていまだに存在するのね。
日本が偉大な国であることを認めるのがそんなに嫌なのか?
だったらさっさと朝鮮に帰ればいいのに。
え?
>>139 文字があったと言う考えこそ、マルクス史観に毒されてるんだがな。
何度言われてもわからん香具師だね。
>>141 じゃあ、日本列島に固有の文字は全く存在しなかったのか?
ナウマン象や、マンモスはいたんだよな?
・・・
お分かり?
ちと、難しいか?(w
言語には、人類共通の部分と各地域独自の特殊性の部分とがある。 言語が、人類の発展形態のケルクマールであれば、その共通性は 地球上の各地域で、それぞれの環境で、その息吹をあげたに違いない。 ・・・ 言語学は、ソシュールをはじめとして、どうしてもその分野における後進国である <我が国>においては、どうしてもその影響を無意識の裡に受けざるを得ない。 それが、<銅鐸に記された絵文字>(そう、それは文字であった!) を、それと認識できない原因である。 また、それは現在の国境線が、その潜入ケンがますます、純然たる理解を 阻害している。
頭の悪さ爆発のカキコだな。 難しそうな言葉をちりばめたって、キミが言語学も何も理解していないのは明らか。 ソシュールをアナグラム論とか、丸山圭三郎の入門書から勉強し直したら?
原理的に理解する、つまり、言語の発生から 考察をしてみると言う視点に立てば、144のような 早合点は出てこないはずのものだが。 ソシュールは、何世紀の人かな? それ以降、人間の知的営為は、片時も耐えることはなかったはずだが。(w
146 :
日本@名無史さん :04/11/06 22:17:46
147 :
日本@名無史さん :04/11/19 01:32:15
147
148 :
日本@名無史さん :04/12/04 09:03:12
象形文字から日本列島において独自に進化をとげたと見るべき?
149 :
日本@名無史さん :04/12/11 20:03:03
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004120700030&genre=F1&area=Z10 最古の銅鐸鋳型が出土 弥生中期の愛知・朝日遺跡
名古屋市や愛知県清洲町などにまたがる弥生時代の朝日遺跡から、菱
環鈕(りょうかんちゅう)式と呼ばれる最も初期の銅鐸(どうたく)を
つくる際に使ったとみられる石製鋳型の破片が見つかり、名古屋市教育
委員会が7日、発表した。
はっきりと菱環鈕式だと分かる銅鐸の鋳型が出土したのは初めてで、
一緒に出土した土器などから弥生時代中期前葉(紀元前3−前2世紀ご
ろ)に作られたと判明。これまで見つかったものでは最古で、銅鐸づく
りの開始時期や、銅鐸文化の中心だった近畿地方との政治的、文化的関
係など、「謎の青銅器」と言われる銅鐸を解明する第一級の資料となり
そうだ。
菱環鈕式は、銅鐸本体の上部にある半円形のつり手部分の断面がひし
形なのが特徴。祭りの際、鐘のように音を鳴らして使われたとされる。
これまでは菱環鈕式の銅鐸本体しか見つかっていなかった。
150 :
日本@名無史さん :04/12/11 21:55:03
よくわからないが、 本物の学問を、なめるなよ、とだけ言っておこう。
>>145 でも、何が早合点かは説明できません。てか?プゲラ
懐かしい本だな。 解読できた?絵文字はわずか数例だったが、万葉集は古代朝鮮語で・・・なんてのより遥かにまともだった。 ・「文字無し。ただ木を刻み、縄を結ぶのみ。」から原始的文字(つーか記号)があったことを確信。 ・出土品に刻まれた絵を原始的文字として解読することを志す。 ・出土状況が明確な銅鐸を最初のターゲットにする。 ・苦心惨憺して解読した内容が「蘇我入鹿がたかみくら」 ・おいおい時代が全然ちがうじゃねーかよ。 ・本当に銅鐸の推定年代が信用できるの? ・銅鐸は銅鐸だけでまとめて出土するものが多いが弥生式土器、須恵器とともに出土したものもある。 ・銅鐸の年代は弥生時代が定説となったきっかけは銅剣、弥生式土器とともに見つかった1つの発見例による。 ・結論として弥生時代に作られていたことは間違いないがいつまで作られていたかは定説が無い。 で銅鐸は蘇我氏と密接な関係があった道具で奴婢の時間管理に使われたと仮説をたてる。 いくつかの解読例から蘇我王朝と天皇家の二重王朝だったとか壮大なロマンを展開する。 漢字は支配階級の文字で絵文字は被支配階級の文字だったんだ。 たんに”と”で切り捨てるには惜しい本で歴史に魅せられるきっかけの一つになったよ。
153 :
日本@名無史さん :04/12/29 01:28:17
木を刻み、縄を結ぶのって、文字の初期の基本じゃないっけ?
154 :
日本@名無史さん :05/01/09 20:53:56
ようするに、日本でも、文字はあった、と。
155 :
日本@名無史さん :05/01/25 00:36:09
漢字の輸入が遅れれば、文字として生き残ったかもね
「文字無し」の直後に「ただ木を刻み、縄を結ぶのみ」ときている書き方からして、 なんらかの記録方法として木を刻み縄を結んでいたことまでは推定しても不合理ではない。 ただ、銅鐸に描かれていた絵がそれにあたるかどうかは不明。 石版などにも線絵が描かれているものがあるが如何せん絶対数が少ない。 また記録方法が統一されていたとする根拠も無いため銅鐸の絵を解読(文字だとしてだが)するのは 至難と言える。 どの程度まで解読研究が進んでいたのかは論文にされていないため判らないが 後を引継ぐ研究者も居ないようでは正誤の判定は不可能。
それよか大羽説の奇妙なところは ・漢字渡来以前の文字を探して ・弥生時代と考えられていた銅鐸を対象に 研究を始めたのに解読仮説から 「銅鐸の年代を飛鳥時代までに伸ばしました」 という点にある。 解読仮説の検証の方を先にすべき(困難だが)だと思うのだが。 蘇我氏と絡めるのも、漢字を鋳込んだ銅鐸が1つとして無いのも不利なところだ。
158 :
日本@名無史さん :05/02/13 07:01:07
まあ、蘇我氏と絡めた説は、とりあえずおいておきましょ。
159 :
日本@名無史さん :05/02/15 12:50:47
んじゃ、蘇我氏が絡むように読めちゃったのは脇に置いといて。 もっと、解読作業を地道に進めるべきだったんだよね。最初に解読仮説として 解いた内容が余りにも当時の常識外だったため、そちらの検証・補強に力を 使いすぎた。 漢字が入ってきてから瞬く間に万葉文字(漢字から音だけを借りて記録)なんて 方法を編み出すにはそれなりの文字文化があってしかるべきという考察には同意。 ただし、肝心の解読仮説の例が少なすぎる。弥生時代の線画を含めて解読仮設を 増やしていかなければ。
160 :
日本@名無史さん :05/02/27 02:18:14
蘇我氏が絡むってのは先入観がありすぎ せっかくなので、先入観なしで、再評価すべき
161 :
日本@名無史さん :05/03/12 01:15:05
4世紀までなら、絵文字文化の可能性はあるだろう。 漢字が広がるのは5世紀以降だから。 ただ、倭人伝に銅鐸のことが出てこないのはイタイね。
銅鐸は畿内中心で出土してるから、倭人伝の人は畿内まで来なかったのかも知れないね。
これ親父の本棚にあったのでガキの頃読んだ記憶がある。 「文字なし、ただ木を刻み、縄を結ぶのみ」ってのが何らかの記録方法を指している のでは、というところまではフムフムと読めたけど、それ以降はガキの頭脳でも トンデモにしか思えなかったw
164 :
日本@名無史さん :2005/04/06(水) 04:38:55
記録方法のまともな解明って行われてないの?
165 :
日本@名無史さん :2005/04/29(金) 03:16:53
蘇我を出したのはまずかったね
166 :
日本@名無史さん :
2005/05/18(水) 23:22:15 つーか、時代がちが過ぎるような