私は「旧武家」の末裔です 三人目

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1士族代表(前スレの975)
だれも、スレ立てようとしないので、下級武士を代表して、
郷士の家の出の私目が立てさせていただきます。
まさか、前スレにいらっしゃった上級武士の御方々のお手など、
煩わせるわけにはいきますまい。
このスレは旧士族の人々が心行くまで先祖を自慢するスレです。
ではどうぞ。
2日本@名無史さん:03/09/01 01:37
2ズサ━━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
3日本@名無史さん:03/09/01 01:57
人力車夫の末裔が集まるスレはここですか?
4士族代表(前スレの975):03/09/01 02:06
>3
確かに、下級士族ならもしかしたら明治でそこまで落ちた者もいたかもしれませんね。
私の先祖は母方なども全部あわせると、一つ大神神社の神主の家が混じってる以外は、
全部武士だけど、ほとんど例外なく明治以降に一旦は散財してるからねえ。
まあ、急に特権がなくなって勝手に仕事見つけろといわれても、無理だわさ。
上級士族なら警察とかに慣れたんでしょうけど、下級士族はかなりほったらかしだったみたいだし。
5日本@名無史さん:03/09/01 02:09
>神主も士族だろw
 郷士だったらなんか商売してたんじゃないのか?
6日本@名無史さん:03/09/01 02:12
樋口一葉も武家の娘、石川啄木の嫁も武家の娘。
7日本@名無史さん:03/09/01 02:13
郷士はそれなりに裕福だったはずだが……
8士族代表(前スレの975):03/09/01 02:31
>5
神主って士族だったんですか、うーん知らんかった、勉強してきます。

郷士は少なくとも私のところは確かにそこそこ裕福だったようです。
うーん前スレにも書いたんですが、ひいひい爺さんは明治維新の時なぜか元いた場所にあった
家を一旦たたんで、大坂に上京してるんですよ、そのときお金はかなり持ってたそうなんですけど、
なぜ家をたたまなくていけなくなったのか、子や孫に決して語らなかったんですよね。
しかも、結局死ぬまでまったく働こうとしなかったし、貸した金は返ってこないし、
しかも、ひいひい婆さんがひいひい爺さんが死んだあと、貸した金の証書を、
「こんなものを残しておいては怨みを持つだけです。」
とかいって一家が見てる前でみんな燃やしたらしいし。

さらにその子の曽祖父は工場立てて博打に溺れて自分でつぶしてるし。
まあ、祖父の代にはほとんど一文無しということです。
よって私は貧乏人。
9:03/09/01 02:44
一応、俺も武家の末裔だが……
いまじゃ、しがないリーマン役人だからな……
はぁ〜会社でも作って金持ちになりたい。

≫1
明治初期、貧乏士族救済の為に官吏や公吏・警官に優先的になれたり、
金禄公債などを配ったりしたけど効果は薄かったね。
ただ維新後も裕福だった上級士族も、恐慌や戦後の政策で、
損して今じゃただの小金持ちクラスにまで落ちてる。
10日本@名無史さん:03/09/01 02:50
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11士族代表(前スレの975):03/09/01 02:50
うーむ、今度はこのスレを下級士族による、
維新後金持ちになった平民に対する恨み節のスレにしようかなあ。
12日本@名無史さん:03/09/01 03:16
戦前で旧皇族・華族・旧上級士族・旧豪商・旧豪農以外の大金持ちは、
成金と呼ばれてしまうからな……可哀相(下級士族も)
まあ成金って結構少なっかたけど。
(現代では大金持ちなんて数えるほどしかいないが)
13日本@名無史さん:03/09/01 03:32
>>6
樋口一葉は、違うと思いますが?
14日本@名無史さん:03/09/01 03:32
訂正<戦前で皇族・華族・旧上級武家・旧豪商・旧豪農以外の大金持ちは
15日本@名無史さん:03/09/01 04:03
上流武家の末裔以外が、ブチ切れて自称上流武家や煽りが沢山現れる、
今までのような1が良かったが、まあ1さん御疲れ。
16日本@名無史さん:03/09/01 04:07
なんかみんなかわいそうやなあ
負けずに頑張ってや
17日本@名無史さん:03/09/01 04:18
18士族代表(前スレの975):03/09/01 04:33
>15
あまり旧士族の印象を悪くするのもどうかと・・・・・。
まあ、実際は上流士族よりも下級士族の方が圧倒的に多いわけで、
少しはまともなスレになるかなと。
それにしても、前スレでどれが自称上流武家でどれが本物なのか
よくわからなかったのですが・・・・。
19日本@名無史さん:03/09/01 05:29
本物がいると思っちゃったから新スレ立てちゃったんだね?あ〜ぁ
20日本@名無史さん:03/09/01 07:26
樋口一葉は百姓の娘。父親が御家人の株を買っただけ。
21日本@名無史さん:03/09/01 07:36
>>20  御家人株買ったら士族じゃねいか!そうじゃなかったら勝海舟や榎本武揚はどうなるんでい。
22日本@名無史さん:03/09/01 12:33
>>1
>まさか、前スレにいらっしゃった上級武士の御方々のお手など、
>煩わせるわけにはいきますまい。
土下座根性が身にしみついているな

23日本@名無史さん:03/09/01 12:42
地主は?百姓?

一応西軍の末裔なんだが…
24日本@名無史さん:03/09/01 13:25
いや、>>1をはじめ皆さんご苦労様です。

また学問板らしからぬ、悪趣味なドタバタコメディーと雑談を続けましょう。
25日本@名無史さん:03/09/01 13:44
そろそろ源 臨済丸殿(仮称)の、恒例一人勝ちトークとその他の煽りが
始まる羊羹。

いや、そろそろ始業式か?
26日本@名無史さん:03/09/01 15:05
臨済宗にあらずば武士にあらず
27日本@名無史さん:03/09/01 15:51
>>26
お帰り(w

要は、臨済寺院の大壇越が経済的に破綻して、仕方なく募集された
多くの小口な檀家のうちの一軒だろ?

26が一人で大寺院の経済を丸ごと支えているんなら、たいしたもんだがな。
28日本@名無史さん:03/09/01 16:14
29日本@名無史さん:03/09/01 16:25
新スレ おめでとうございます。
お祝いもうしあげます。
30日本@名無史さん:03/09/01 18:53
臨済宗はスーパーエリート集団です。
武家でも上級武士ばかり、公家でも上級公家ばかりです。
他宗派の信徒数に比べ、臨済宗信徒数の少なさを
みなさん確認して下さい。
臨済宗がいかにエリート集団か少しはご理解頂ける事と思います。
http://www.sogi.ne.jp/syuha/6.html
31日本@名無史さん:03/09/01 19:12
>>30
臨済宗は臨終寸前だな 次代には絶滅する
32日本@名無史さん:03/09/01 19:20
栄西死すとも臨済宗は死なず
33日本@名無史さん:03/09/01 20:30
うちは六角佐々木氏の末裔ですが、
代々浄土真宗です。はい。
母ちゃんの実家は三河武士の子孫ですが、
代々浄土宗です。はい。
34日本@名無史さん:03/09/01 20:56
>>33
その乳の家系だが
江戸時代は百姓だったとちゃうの?
35日本@名無史さん:03/09/01 21:16
臨済丸の脳内では、武士と認定されない御大身が結構いる予感。

臨済丸も時期をみて出家して、ジャパニーズゼンの心を悟ってください。
必要経費は自分持ちで。
36日本@名無史さん:03/09/01 22:12
花は桜木

   人は武士

      宗派といえば臨済宗
37日本@名無史さん:03/09/01 22:14
臨済宗でも上流武家・公家・名族以外に、
百姓(郷士・庄屋)や実業家もいる罠
権力者を狙いすぎたから、庶民の信仰を失い、信仰されなくなって、
現代では、壇信徒(公称より少)が、
少なすぎて経営難の宗派になってしまった。
38日本@名無史さん:03/09/01 22:28

おれは臨済宗より曹洞宗が好き。
曹洞宗は「生き座禅」
人生すべてが座禅なのダ。

39日本@名無史さん:03/09/01 22:29
大企業の会長なんかが頼りなところは、
昔の体質とあんまり変わっていないかも。
40日本@名無史さん:03/09/01 22:31
39は37へのレス
4137:03/09/01 22:52
経営難は言い過ぎたかも、京都にある有名な寺は拝観料を取ってるし、
壇信徒が少ない分だけ、多くの金を出させればいい分けだしな……
以外に儲けてるかも……
4237:03/09/01 22:53
(以外訂正(意外
43日本@名無史さん:03/09/01 23:44
やはり最強の宗派は臨済宗ということで決着ですな。
44日本@名無史さん:03/09/01 23:47
臨済宗最強スレッドはこちら
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/rights/1061126359/l50
45日本@名無史さん:03/09/01 23:57
>>44
人権板ねぇ。

>>43
便乗、イクナイ。
単にステータスシンボルにしたいなら、それ相応の負担を。

……スノッブ以外、おらんのか?
46日本@名無史さん:03/09/02 00:04
とりあえず特定郵便局をいたしておりますでつ。
神社の神主もしてまつ。
47日本@名無史さん:03/09/02 00:19
武家諸法度でいう武家って大名家のことであって
普通の武士のことではないんでしょう
48日本@名無史さん:03/09/02 15:44
>>47

このスレの中心人物も、普通のお方ではありません。
私など、その方のご両親と檀那寺の方丈様のお顔を、ぜひ拝したいものだと
つねづね思っております。
49日本@名無史さん:03/09/03 02:19
ウチは大江広元の末裔らしいが、武士っていえるのか…?
50日本@名無史さん:03/09/03 02:54
大江朝臣一族と三善朝臣一族は、結構複雑だからな……
元々公家だし明治以前に公家をしていた家も多数あるし、
戦国に入るまで幕府・朝廷の文官、小領主(名族武将・まろ武将?)ばかり、
ややこしい事に広元以後も公家から武家、また戻る者も……
だが戦国では大江朝臣毛利元就など、武将らしい武将が大勢現れるから、
公家じゃなくて武士って言えるんじゃないかな……
51999:03/09/03 05:59
前スレの999(スリーナイン)です。999はお気に入りアニメ
なのでこれからは999と名乗りたいと思います(笑)。

ところで、このスレは、自分の魂の叫びで終わったのかと
思っていたら、1の方が謙虚にも復活を願ったのでやって
きました。ところで、自分はゲームをあまりやらないのです
が、友人によると、自分の先祖が「信長の野望」に「国人」
として登場しているそうです。最近はマイナー氏族も扱って
くれるんだと思いました。昔、やったときには、下克上戦国
大名と転封大名に挟まれて領土がなくなっていました。ちな
みに、家柄は家の方がいいと思うんですけどね。ちなみに、
頭の良さは信長の半分ほどだそうです(笑)・・・・そのうち、
御先祖さまを使って全国統一でもしようかな・・・・そんなキャ
ラ使う人いるのかな・・・・まぁ、地元の人が使うんだろうな。
52日本@名無史さん:03/09/03 06:24
やっぱ宗教は臨済宗なの?
53日本@名無史さん:03/09/03 06:34
国人領主で臨済禅に没頭したり・多額の寄進する余裕あるのか……
家柄が良ければ別だが……
54999:03/09/03 06:35
いえ、時宗です。
55日本@名無史さん:03/09/03 06:52
そんなに臨済宗の武家度って高いの?
56日本@名無史さん:03/09/03 07:15
臨済宗は武家・公家が圧倒的に多いけど、
壇信徒が少ないから、人数はそんなに多くない。
57日本@名無史さん:03/09/03 10:14
みんな、極東の黄色いサル。
58日本@名無史さん:03/09/03 10:24
>>57 しかし生麦事件はびびっただろうな!薩摩隼人が雄叫びを上げて切りかかってきたら怖すぎるよな。黄色い猿に切られるとは
 夢にも思わんかっただろうな!薩摩隼人かっこいい・・・・といいつつも田舎の芋侍!
59日本@名無史さん:03/09/03 15:21
サルにも上下関係あるからな。
白人に武士道や葉隠など英訳されビジネス書としてうけたくらいだから
サムライの精神論じたいはいいんだろうけどね。
60日本@名無史さん:03/09/04 02:07
>>53
何言ってんだよ?w
61日本@名無史さん:03/09/04 05:00
>>60
国人領主でも臨済宗(臨済将軍)に熱心な人物はいるが、
将軍や天皇などの多額の寄進には及ばないと言う事だろ。
田舎っぺ武将(土豪)は、曹洞宗(曹洞土民)だと言いたかったんだと思う。
あと999には失礼だが、国人領主は土豪あがりなのもいるし。
信長の野望を持ち出してる時点で……だし。
62日本@名無史さん:03/09/04 05:04
田舎っぺ武将(土豪)は、曹洞宗(曹洞土民)だと言いたかったんだと思う。
≪修正≫
田舎っぺ武将(土豪)は、曹洞宗(曹洞土民)が多いと言いたかったんだと思う。
63日本@名無史さん:03/09/04 16:31
>>60
お前、何言いたいんだよw
64日本@名無史さん:03/09/05 19:50

本物は謙遜だ 貯金が233円とかな(左側)
http://www.gardencity.or.jp/~spirits/whats/profile.html
65日本@名無史さん:03/09/06 03:37
>>62
うちは田舎っぺ武将(土豪?)の末裔だけど、先祖代々の菩提寺は臨済宗です。
66日本@名無史さん:03/09/06 03:55
>>55
俺も、それ疑問なのよね。
67日本@名無史さん:03/09/06 04:03
>>66
間違い無く高い。
次に高いのは間違い無く曹洞宗。

これに続くのは浄土宗・真宗大谷派など。
6865:03/09/06 04:05
>>62
失礼、≪修正≫から後を読んでませんでした。
69日本@名無史さん:03/09/06 04:07
真言宗は、どうなんだろ?
70日本@名無史さん:03/09/06 04:12
高野山とか、有名な武将のお墓が沢山あるよね?
71日本@名無史さん:03/09/06 10:48
>>69
すべての家が一宗派のみに帰依していたわけではないよ
菩提寺が臨済宗で祈祷寺が真言宗などの例もある
72日本@名無史さん:03/09/06 21:56
なぁ、はっきり言って臨済宗って室町以降の武士の宗派だろ。
ウチは真言、れっきとした足利一門の武家だよ。戦国で落ちぶれたがね。
だいたい、お前らの先祖が武士ですごいのは認めるが、お前らはどうだ?
煽りじゃねえぞ。偉大な先祖を超える位の気概持ってるか?
頑張ろうぜ、武士道精神でよ
73日本@名無史さん:03/09/06 22:00
ていうか、武家の大半は没落してるし・・・
74日本@名無史さん:03/09/06 22:18
だから頑張ろうと言ってるのさ。先祖が武士じゃなくて、己自身が人から
「あいつは武士だ。」と言われる様になろうと言ってるのさ。
俺の曽祖父は早死したらしいんだが、曾祖母は財産全部売ってまで、息子四人を
大学に行かせ、一人はヨーロッパ留学もさせてもらったらしい。
武士の誇りは血ではなく、その精神にあると俺は思う。
75日本@名無史さん:03/09/06 22:49
>74
>>武士の誇りは血ではなく、その精神にあると俺は思う。
血があるから精神も生まれるんじゃ。
76日本@名無史さん:03/09/06 23:18
まあ足利一門は、南北朝期ぐらいからだいたい禅宗なんだが……
7776:03/09/06 23:35
まあつまりは、名族・名門足利一門の末裔だったら臨済禅の檀信徒が多いはずだがw
78日本@名無史さん:03/09/06 23:37
禅宗はガイジンにも人気があるな
79日本@名無史さん:03/09/06 23:38
74の家系の江戸期は百姓なわけだが・・・
80日本@名無史さん:03/09/07 00:16
>79
江戸時代から「旧武家」な訳ね。
年季が違うなw
81日本@名無史さん:03/09/07 00:50
>>80  庄屋階級はだいたいそうだな!
82日本@名無史さん:03/09/07 00:58
関西の寺内町の旧家は、ほとんど旧武家。うちの先祖も石山合戦では籠城したみたい。
83日本@名無史さん:03/09/07 01:01
>>82 旧家なんてだいたい戦国期は武家だろ!
84日本@名無史さん:03/09/07 01:04
だいたいの旧家は、ひできちの実家よりはましな武家
85日本@名無史さん:03/09/07 01:21
うちは伊達家に滅ぼされて、庄屋を務めたが記録では2代くらいしか
庄屋を務めてない。その後は大工の棟梁をしていたようだ。幸いいろいろ
文書が残っているんだけど、一応全部署名に名字が載っているんだが
普通に名字使えたのかなぁ。墓には屋号が書いてある。それと敷地内に
貴船神社があるんだけど、先祖が西から来たときに建てたものだそうです。
86上級武士末裔:03/09/07 01:22
旧家旧家って江戸時代に落ちぶれただけじゃん藁
江戸期以前から江戸期も武家でなくっちゃ!
87日本@名無史さん:03/09/07 01:25
>>86 それだけじゃないでしょ!武士が嫌になって帰農した場合も時々聞くけど・・・。
88日本@名無史さん:03/09/07 01:29
>86
真宗の門徒は武家を首になったんだよ。知恩院に転ぶか。武士をやめるか。の選択。
89日本@名無史さん:03/09/07 01:29
>>85   確かに・・・庄屋ぐらいになると敷地内に墓あるな・・・隣接地に神社も・・なんでだろう!あ!でもスレ違いか。
90日本@名無史さん:03/09/07 01:41
知恩院って浄土真宗だっけ?浄土宗じゃないの。
91日本@名無史さん:03/09/07 01:42
つーか≪本物≫の、一族が将軍を務めた事もある名族、名門足利一門の末裔なら
足利家所縁の臨済宗の寺から援助を受けたり、
藩の客分のなってるはず≪本物≫ならねw
南北朝以後、≪本物≫の名門足利一門で、臨済宗以外の宗派ってw……
突っ込み所あり過ぎ……w
まあ稀な例外も存在するのか?
92上級武士末裔:03/09/07 02:17
知恩院は浄土宗の総本山だぴょん
93日本@名無史さん:03/09/07 05:37
下級武士(プッ、
奴さんじゃないの?
94日本@名無史さん:03/09/07 06:13
74です。あぁ、失礼。足利一門と言っても、足利じゃないですよ。
そこから出た一族です。私の家は分流も分流なんで、落ちぶれ帰農したわけです。
文章がおかしかったですね。
こんな私も旧武家でよろしいでしょうか?
95日本@名無史さん:03/09/07 06:24
微妙
96日本@名無史さん:03/09/07 06:36
微妙ですか。では、頑張って立派な武士になれるよう精進します。
皆様も、ご先祖に負けない立派な武士の心を大切にしてください。
失礼致しました。
97日本@名無史さん:03/09/07 06:46
漏れは弁護士目指して頑張ってるよー!
ご先祖に恥じないようにね。

弁護士なれたら500石旗本と同等くらいかなー
と思っている。

馬(高級セダン)で通勤するのが夢・・・
頑張るぞ!
98日本@名無史さん:03/09/07 06:52
>90
だから、門徒の武士は、下の1or2の選択をしたわけさ
1)真宗の本願寺を裏切り、浄土宗の知恩院に転ぶ
例:本多正信
2)武士をやめる。=真宗に残る
例:奈良や大阪の旧家
99日本@名無史さん:03/09/07 06:52
武士と言えば公務員だろ。
100日本@名無史さん:03/09/07 07:25
100ゲッツ
101【^▽^】酔生夢死ジョーカー:03/09/07 10:22
慶長郷士兼用人に召抱え→留守居組に昇格→
白札に一時降格→留守居組に復帰→小姓組に昇格。
102【^▽^】酔生夢死ジョーカー:03/09/07 10:24
101は土佐藩士。
103日本@名無史さん:03/09/07 14:18
源義国 菩提寺 群馬県青蓮寺(時宗のち真言宗?)栃木県足利鑁阿寺(真言宗)
足利義氏 菩提寺 栃木県足利法楽寺(曹洞宗 創建時は真言宗)、愛知県樺崎寺(真言宗)
足利泰氏 菩提寺 栃木県足利長松寺(真言宗)
足利尊氏 菩提寺 京都等持院(臨済宗)、鎌倉長寿寺(臨済宗)
http://www.ksky.ne.jp/~atrbdg/siseki/asikagasinkou.htm
104103:03/09/07 14:30
足利氏はもともと真言宗に傾倒してたみたいですね。
尊氏あたりから臨済宗にのめりこむようになったみたいです。
一門は真言宗や天台宗が多いように思います。
ちなみに新田義貞は時宗だったと思います。南朝が時宗を保護
していたので。
105日本@名無史さん:03/09/07 15:11
室町期頃から禅宗にのめり込んで、
上流武家・公家・名門が挙って臨済宗になるようにして、
臨済禅の民衆化を出来なくさせて、
現在のように檀家数がとても少ない宗派にしてしまったのは、
どこの一門・末裔だっけ(笑

鎌倉期はともかく足利一門(足利・吉良・一色・斯波等)
で室町以後・末裔、は禅宗だな……例外・偽者は除いて。
あと足利の庶流で落ちぶれても、
一門だと証明出来れば藩の客分、高家になったり、臨済宗からの支援はあるはず。
106日本@名無史さん:03/09/07 15:34
>>103
鎌倉時代の足利一門の菩提寺に真言宗があったって
まさか足利一門の子孫が真言宗だと思ってないよねw
室町・南北朝くらいから足利一門は臨済宗になっていったし
足利一門の子孫は禅宗だよ(マジで)
107日本@名無史さん:03/09/07 16:20
まあ臨済宗は、初期・鎌倉時代(栄西)から武家・公家・権力者に
ターゲットを絞ってたから、少子化で困るくらいの壇信徒数の少なさを、
すべて足利一門の責任には出来ないけどな……。
108日本@名無史さん :03/09/07 17:01
>>106
よく読めよ。
109106:03/09/07 17:14
>>108
確かに104には、将軍家は臨済宗になったと書いてあるが、
一門に関しても、室町以後は禅宗だと思うよw
110_:03/09/07 17:40
私の主成分は武士1/4、農民1/2、町医者1/4ですが、
祖父(純粋な武家出身)は、やはり自分が武家出身だということを
強烈に意識して生活しているような気がします。 ノブレス・オブリ−ジュというか。

今や、純粋に武家出身の人は少なく、混血化が進んでると思うのですが、
純粋な武士の子孫の方々は、結婚相手も武家出身が望ましいとお考えなのですか?

111日本@名無史さん:03/09/07 17:49
細川家って曹洞宗だよな。浅野も菩提寺一緒だから曹洞宗。
泉岳寺だっけ。毛利家も泉岳寺だな。島津家は臨済宗かな。
今川家は杉並区観泉寺で曹洞宗。
112日本@名無史さん:03/09/07 17:55
>>109
一門の何処の家が臨済宗なんですかw
113日本@名無史さん:03/09/07 18:02
≫112
109には禅宗って書いてあるやん
よく読めw
114日本@名無史さん:03/09/07 18:09
>>112
釣り?
115日本@名無史さん:03/09/07 18:13
>>112
一門つーか一門の長が臨済宗(禅宗)だからなw
116日本@名無史さん:03/09/07 18:21
>112はぁ?
117日本@名無史さん:03/09/07 18:32
前スレで先祖が水呑みだが臨済宗ってのいたな。
ほんまかいな???
118日本@名無史さん:03/09/07 18:45
119日本@名無史さん:03/09/07 18:51
>>117
おそらく釣りか・曹洞宗の臨済宗に対しての僻み
実際、百姓(郷士・庄屋)でも臨済宗は存在するけど、
120日本@名無史さん:03/09/07 19:02
忠臣蔵で憎まれ役(高家吉良家・米沢藩主上杉家)が臨済宗(興善寺・東北寺等)で、
赤穂浅野家とかは曹洞宗(泉岳寺)だな。
121日本@名無史さん:03/09/07 19:13
大学で人権に関する講演に参加した時の事。被差別部落出身の方が、恋人
の父親にウチは真言宗(名家)なんで、分るよな?といわれたらしい。
因みにこれは関西の話です。
122日本@名無史さん:03/09/07 19:56
あらゆる宗門にあらゆる階層がいますよ(w。
比率の違いと思われ。
123日本@名無史さん :03/09/07 20:13
なんだ一門の長だけかい。
武家は真言宗・天台宗・曹洞宗が殆どだろ。
三河は浄土宗が多いのか。臨済宗は大名の
子孫か凄まじい下級武士しか残ってないんじゃ
ないかw
124日本@名無史さん:03/09/07 20:20
>一門の長だけじゃないってw
 釣りって言われたくて書いてるの?
 武家・公家の比率は臨済宗が一番高い(圧倒的)のは事実
125日本@名無史さん:03/09/07 20:30
>>124
公家が臨済宗?
ほんまかいな。
126日本@名無史さん:03/09/07 20:41
禅(臨済宗・曹洞宗)

 禅宗は、栄西を開祖とする「臨済宗」と、道元を開祖とする「曹洞宗」です。
臨済宗は、朝廷の公家や幕府の上級層(武家)に流行し信者を獲得します。
これに対して、曹洞宗は、権力と結びつかず、ひたすら自らの力で修行するところに特色があります。
土豪や民衆に流行し信者を獲得します。
127日本@名無史さん:03/09/07 20:43
公家はそんな新しい仏教にはそんなにいないと思うが。
武家だけにしときなされ。
128日本@名無史さん:03/09/07 21:00
田舎に臨済宗の寺があれば、一帯は農民でも臨済宗だと思うが・・・。
129日本@名無史さん:03/09/07 21:01
うちの先祖は分家筋だが、4代溯れば本家筋に合流する。
裃を着た武士(士卒でいう士の方)だが近代的な意味での
「金持ち」というイメージではない。
どちらかというと、「勢力地持ち」だったという印象。
とはいってもそれなりの財産はあったようだ。
ちなみに某藩の江戸屋敷詰め。
昭和初期に本家は当主が金の使い方を誤り、散財。
こちらの分家筋は独立して別の土地で暮らしていたため、
地道に生活をし、現在に至る。
よって有形の財産は刀以外、何も伝わっていない。
(もちろん、家名や家紋は伝わっているよ)
130日本@名無史さん:03/09/07 21:05
>>128
禿同。
131日本@名無史さん:03/09/07 21:16
>>125
公家に臨済宗の信者がいないって……マジで言ってるのかw
勉強し直して来いw
132日本@名無史さん:03/09/07 21:17
うちは天台宗。先祖は下級の公家。
記憶が確かじゃないけど、摂関家
なんかも天台宗だったと思うけど。
何年も前に墓に逝ったきりだから、
忘れたが。
133日本@名無史さん:03/09/07 21:23
確かに、田舎の臨済宗の寺って檀家に上流武家とかじゃなくて、
檀家は郷士・田舎の名族・実業家・庄屋くらいしかいないだろうなw
134日本@名無史さん:03/09/07 21:41
で?結局、公家や武家にあまり臨済宗が居ないわけだが・・・・・w
自称武家脳内公家ばっかりなんじゃネーかw




135日本@名無史さん:03/09/07 21:48
一条家とか九条家とかの菩提寺は何処だよ……臨ざ(略
136日本@名無史さん:03/09/07 21:51
ここが脳内武家の集まりなんてことはみんな知ってる
137日本@名無史さん:03/09/07 22:02
なるほど、脳内武家の人達の宗派が禅宗(曹洞宗・臨済宗)・浄土宗・真宗大谷
とかの武家に多い宗派ではなかったので暴れてるのか・・・納得
138日本@名無史さん:03/09/07 22:05
曹洞宗は武家の人数が多い・臨済宗は武家の確立が高い
139日本@名無史さん:03/09/07 22:36
>137
真宗は、本派も谷派も、武家は少ないぞ。
>>98の理由ですが、真宗は阿弥陀仏の前では、平等。(門主、法主はいるけど親鸞の思想では平等)
主君より阿弥陀仏を優先。この2点のため、嫌われた。島津と相良では百姓でも真宗門徒は虐殺されたほど
嫌われた。
140日本@名無史さん:03/09/07 22:46
長崎は上級の武家から平の百姓まで真宗大谷派だらけである。
141日本@名無史さん:03/09/07 23:13
一条家と同じく近衛家の菩提寺も禅宗だな
142日本@名無史さん:03/09/07 23:19
長崎は真宗大谷派もしくはカトリックだらけである。
キリシタン大名で有名な大村純忠も長崎の地大名でR。
143日本@名無史さん:03/09/07 23:35
>139
>>主君より阿弥陀仏を優先。
江戸期には形骸化していたと思われ。
うちは武家で真宗大谷派だけど、昔の話を聞いても
そんな雰囲気は全くない。
曽祖父の代まで正月に寺に挨拶に行ったなんて話は
聞いたが。
144日本@名無史さん:03/09/07 23:47
>143
江戸期に形骸化したんだよ。江戸初期までは組織力、動員力はすごかった。
本多正信って知ってるよな?
145日本@名無史さん:03/09/07 23:55
藩によって違うよ。上記のとおり長崎いけば臨済宗の武家って少ないし。
全国的に見れば武家は圧倒的に臨済宗・曹洞宗で占められるけどね。
146日本@名無史さん:03/09/08 01:53
長崎のことは知らないけど、
国替(転封)があるから結構あっちっこっちいってるんじゃないの?
うちの藩は中部関西東北関東と引越し多かったよ。
だから純粋に地域とのつながりは薄いかも。
147日本@名無史さん:03/09/08 01:56
宗派では分らなくても、戒名なら判断できるんじゃない?
大居士とか、居士、信士とかで。
俺んちは代々、居士です。先祖の身分は知らない。
148日本@名無史さん:03/09/08 02:20
>>135
藤原氏の菩提寺は法相宗の大本山として知られる興福寺。
臨済宗じゃないでしょ。
149日本@名無史さん:03/09/08 02:27
一条家の菩提寺でもある東福寺の塔頭の一角をなす芬陀院は
通称「雪舟寺」関白一条内経公が創建
第十四代目にあたる一条恵観公は茶人としても風雅を好み、
茶室の脇の小庭には公の愛好の手洗鉢が現存している。
150日本@名無史さん:03/09/08 02:30
因みに東福寺は臨済宗
151日本@名無史さん:03/09/08 02:40
>>150
但し、菩提寺ではない。
152日本@名無史さん:03/09/08 02:50
>>151
但し、藤原一門の菩提寺ではない。
153日本@名無史さん:03/09/08 02:52
雪舟・一条家ゆかりの寺
雪舟寺(臨済宗)
住所 京都府 京都市東山区本町15東福寺山内

電話 075-541-1761
 
時の関白・一条内経が創建した一条家の菩提寺。
雪舟作の鶴亀の庭があり、これは禅院枯山水式で、
京都最古の枯山水庭園といわれている。
本堂横には丸窓が印象的な茶室があり、
茶道をこよなく愛した一条家十四代一条恵観の像が安置されている。
拝観料は300円。拝観時間は9:00から1700(冬期は16:00まで)。
ttp://homepage2.nifty.com/oosakahide/kyoto27.htm
ttp://www.realnavi.net/jas/servlet/photoDetail?pID=IPX6U1N0B
154日本@名無史さん:03/09/08 02:56
はじめは天台・真言・禅の三宗兼学としたもので臨済宗のみ
となったのは後の復興後。
155日本@名無史さん:03/09/08 03:05
九条、一条以外は?
そういう例なら他宗でもあると思いますが。
156日本@名無史さん:03/09/08 03:07
やはり比率の問題ですな。
157日本@名無史さん:03/09/08 03:12
近衛家の菩提寺は一様院(禅宗)だったな・・・
158日本@名無史さん:03/09/08 03:13
内の近所は全て臨済宗でつ。
武家・農民・賎民様々でつ。
159日本@名無史さん:03/09/08 03:15
≫158
久々にとんでもない釣りキタ――――――
160日本@名無史さん:03/09/08 03:15
>>147
多分、江戸時代における「居士」は相当身分が高くないと付けられないのでは?
161日本@名無史さん:03/09/08 03:21
>>158
また僻みによる虚言か・・・・・・
こうなレスを書けば書くほど、
後の否定レスで、臨済宗壇信徒の身分の高さが証明されてしまう。
162日本@名無史さん:03/09/08 03:35
剣道、茶道、華道等、その真髄は禅(臨済)の教えそのもの
まあその理由は言うまでも無いが……
163日本@名無史さん:03/09/08 03:40
>>161
これ本当です。私の家もそうです(平民)。
164日本@名無史さん:03/09/08 03:44
>何県の何寺?
 まあ極稀な例外も在るかもしれないからなw
165日本@名無史さん:03/09/08 06:16
>162
茶=藪内は真宗ですが・・・
華=池坊は天台ですが・・・
   議員のおばちゃんは公明だけど
166日本@名無史さん:03/09/08 06:36
加藤鷹は何宗信徒?
167日本@名無史さん:03/09/08 09:50
>>160
お寺に対するお布施が極端に少ないと、地位が高くても
いい戒名はつけてくれない。
武家でも借金があったりして、とてもお布施どころではない境遇のとき、戒名はそれなりのものとなるようだ。
他方、経済力があれば、商人にも院号,居士をつけてるみたいだった。
苗字がない、むかしの墓標に院号が彫られているのをみると、
お寺も ビジネス なんだなと、しみじみ思う。







168日本@名無史さん:03/09/08 09:53
<167のつづき>
つまり私が見たのは

戒名≒経済力の象徴

戒名≠地位の象徴

169日本@名無史さん:03/09/08 10:03
>>167 >>苗字がない、むかしの墓標に院号が彫られているのをみると、
苗字が無い墓なんてあるのか?
170日本@名無史さん:03/09/08 10:35
>>161
だから、織田無道の寺は臨済宗だと言ってるだろ
近所の檀家は必然的に臨済宗になる
171日本@名無史さん:03/09/08 11:47
うちは薩摩の郷士の家系ですが、郷の伝統として士分は神道というのがありまして、
今でも宗教は?と聞かれると、「神道」ということになっています。
どなたか詳しい方、武士身分の者と神道について教えて下さい。
172日本@名無史さん:03/09/08 16:44
邪道だな藁
173日本@名無史さん:03/09/08 17:13
>>169
苗字のない墓はある。
むかしは 〜家之墓 というタイプよりも
個人ごとに石塔を立てていたようだ。
敷地内で先祖の墓から順に並んでいることが多いようだ。
私の見たリッチな商人(江戸時代)の石塔には、
屋号しか書かれていなかった
そして、
たとえば 
江戸時代の石塔  北屋 権兵衛
明治以後の石塔 北 岡 権一郎 という風に変化していた。

これとは別の墓で、
院号がついているのに苗字のない石塔をいくつも見ている
いずれも、江戸時代に建てられたもので、人目につきやすい場所に立っている。



174日本@名無史さん:03/09/08 17:16
なお
>>173の北岡さんは架空の人物です。
175日本@名無史さん:03/09/08 17:16
>>170
宗派別・一つの寺に対しての壇信徒数
曹洞宗(禅宗)・約1050人
臨済宗(禅宗)・約150人
黄檗宗(禅宗)・約750人
真言宗・約1000人
日蓮宗・約2550人
浄土宗・約800人
華厳宗・約750人
律宗・約1150人
ttp://www.sogi.ne.jp/syuha/
他宗派(民衆化に成功した宗派)のように寺の近所がすべて壇信徒だったのなら、
臨済宗(民衆化が出来なかった宗派)の壇信徒数はもっと多いはず。
176日本@名無史さん:03/09/08 17:36
>>165
禅の日本伝来は、当然ながら、中国の近世文化の伝来をも伴うもので、
文学・美術・建築・食品など日常生活にわたって、日本文化の発展に大きな寄与をした。
特に、臨済禅は、単なる技術を心の修道に昇華させて、
茶道・華道・書道・武道・絵画・庭園などの日本独自の生活文化形態を創造した。
そして、今日も伝統が生きつづけていることは、注目に価することである。
ttp://homepage2.nifty.com/cub/niwa/kinkaku.htm等
177日本@名無史さん:03/09/08 17:40
前みたいな妄想バカをからかうスレに戻そうよ
178日本@名無史さん:03/09/08 17:44
ネタは別スレでやってくれ。
179日本@名無史さん:03/09/08 18:01
京都にチンコ寺というお寺があるそうですが何宗ですか?
180175:03/09/08 18:05
日蓮宗には創価学会は含めていません。
181特権階級末裔:03/09/08 18:18
武家が禅宗って俺にとっちゃ広末でオナニーくらい当り前のことだぜアハハ

お前らパンピーはいくら頑張ったって先祖の地位はひっくりかえんねーよギャ

お前らみょーじのねー家系だったし、ボロボロ継接ぎだらけのボロ着て、

ロウソクのねえ真っ暗でもってボロボロ障子からすきま風でさみい思いしながら

生きてたんだろうよ

読み書きもできねーし、まるでお前らの先祖って原始人だなカッカッカッ

たかだか百数十年前までお前らの先祖って原始人よ(超大藁
182日本@名無史さん:03/09/08 18:29
>>177のいってたのは >>181ですか?
183日本@名無史さん:03/09/08 18:50
>>181  江戸の御家人あたりは字も読めないのがごろごろいたとかいないとか。
184日本@名無史さん:03/09/08 19:01
江戸の武士はエリート頭脳集団
今でいう東大卒国Tみたいなもんすかね

かたや百姓 労働者階級
今でいうブルーカラーですね
185日本@名無史さん:03/09/08 19:22
やっぱこのスレはこうでなくっちゃ!!
楽しくなってまいりました
186日本@名無史さん:03/09/08 19:26
>>184 江戸の武士は遊びすぎて勉学に全然励まなかった!勉強したけりゃ地方へが合言葉!
    
187日本@名無史さん:03/09/08 19:30
旗本500石って地位高いの?

例えば老中とタメ口きける関係とか・・・
188日本@名無史さん:03/09/08 19:50
俺は東大生なんだが、将来は財務省か外務省の事務次官に
なりたいと思っている。

事務次官は恐らく幕閣で例えると老中であろう。

旗本500石は、皇宮警察中堅署員クラスではないか?
189日本@名無史さん:03/09/08 19:52




日本史板に妄想は不要



190日本@名無史さん:03/09/08 19:57
>>187
500石の旗本で江戸町奉行になれば、
それなりに老中に意見が言える立場になるかもね。
ただし、江戸町奉行になったら3000石−500石で2500石の旗本だけどw
191日本@名無史さん:03/09/08 19:57
過去、巡査長制度の理由はいくつかありました。
巡査部長昇任試験に合格して、正式に巡査部長になるまでの間になる「巡査長」。
長い間、巡査としてやってきた人に対する功労・名誉みたいなものでなる「巡査長」。
ある職種で一定の実力を持ち、後輩の指導にあたる立場になった人間に与える「巡査長」。
などがあります。
しかし、これはいずれも過去の話です。現在では、警察官になって大卒で早ければ2年
くらいで巡査長になります。高卒で、3年から4年ですな。
192日本@名無史さん:03/09/08 20:26
>>175
真宗は?
193175:03/09/08 20:37
>天台宗は信者数が不明・真宗は大谷を含んでしまうので載せませんでした。
194日本@名無史さん:03/09/08 20:47
柳営会・会員の臨済宗・曹洞宗率は・・・間違いなく圧倒的に高い
195日本@名無史さん:03/09/08 20:53
>>181
田舎もんが特権階級でございと威張ったところで屁でもないんじゃボケ

土人の酋長なんざちっとも羨ましくないがそれと同じじゃいハゲ
196日本@名無史さん:03/09/08 20:56
柳営会会員って何人いるの?

うちも士族会入ってるが藩士なので

地方まで行かなければならない(現東京在住)。
197日本@名無史さん:03/09/08 20:56
武家のちんちんシュッ!シュッ!シュ!

ドピュッ!ドピュッ!ドピュッ!

はい終了
198日本@名無史さん:03/09/08 20:57
花は桜木

  人は武士

武士にあらずば人にあらず
199日本@名無史さん:03/09/08 20:59
>>181
田舎の山猿の特権階級ってどんなんや?
どうせイナゴかバッタあたりがご馳走なんやろうが
200日本@名無史さん:03/09/08 21:21
柳営会会長って徳川日本郵船副社長さん?
201日本@名無史さん:03/09/08 21:22
もとい柳営会会長って日本郵船徳川副社長さん?
202日本@名無史さん:03/09/08 21:23
プッそんな人いませんけどね
203日本@名無史さん:03/09/08 21:26



世が世ならやはり将軍の座は徳川恒考(日本郵船副社長)さんであったのだろうか





204日本@名無史さん:03/09/08 21:30


少なくとも「恒考」さんではなかったはず。

205日本@名無史さん:03/09/08 21:40
それに日本郵船の副社長はもう別人だしね
知ったかヲタが生半可な知識をさらしちゃって、恥ずかしいですね
206日本@名無史さん:03/09/08 21:47

世が世なら将軍は足利家の子孫であろう
207日本@名無史さん:03/09/08 21:50
世が世なら将軍は常陸宮であっただろう
208日本@名無史さん:03/09/08 21:50
あほ丸出し
209日本@名無史さん:03/09/08 22:01
塩飽水軍の末裔だす。
ご先祖さまは勝海舟と一緒にアメリカに行ったって話だが、俺はまだ日本の外に出たことはなし。(;´Д`)y-~~~~
210日本@名無史さん:03/09/08 22:07
一応将軍家当主は徳川恒考(日本郵船副社長)
211日本@名無史さん:03/09/08 22:10
日本郵船は家柄がいい人が多いですね。
上級公家でもいましたね。大藩大名家も。

NHKもいいですね。
歴史有る優良企業はみんなそうかもしれませんがね。
212日本@名無史さん:03/09/08 22:11
江戸時代だったら、徳川恒考さんが将軍家を継げることは
無かったと思うよ。やっぱり、紀州か尾張から継いだと思うけど。
213日本@名無史さん:03/09/08 22:24
恒「考」さんは実在しない。
214日本@名無史さん:03/09/08 22:36
マジレスすると徳川宗家当主は、

徳川恒「孝」氏(日本郵船「前」副社長)
215日本@名無史さん:03/09/08 22:38
>>1
男なら「下克上」という気概を持てや
なんやねんそのザマは
貴様の先祖は太鼓持ちか中国の宦官やろう
もう貴様はチンポ切り落とせや
恥を知れ
216日本@名無史さん:03/09/08 22:39
>>1
水戸黄門で「出会え〜〜」って呼び出されて5秒後に弥七に斬られる
タイプやな(プ
217日本@名無史さん:03/09/08 23:09
あいかわらず人の出自を僻む下層階級が多いスレだな藁
218日本@名無史さん:03/09/08 23:18
>>217
この下克上の乱世と言っても良い時代に、ヘコヘコしているマヌケを
笑っているだけだが
219日本@名無史さん:03/09/08 23:24
おまいら、出家しろ
220日本@名無史さん:03/09/08 23:51
>>158>>163
結局嘘かよw嘘なら嘘らしく逃げないで「中国のだよw」とか「フロリダ州禅臨寺」
とか存在しない寺の名前書けよw
あとマジレスするけど地域全体が臨済宗ってのは日本には存在しなからw
もっとうまい釣りや虚言をしてくれよツマランw
221日本@名無史さん :03/09/09 00:11
江戸期の武士のうちどのくらいが臨済宗だったのですか?
222日本@名無史さん:03/09/09 00:13
>>221
およそ30%
曹洞宗同じく30%
223日本@名無史さん:03/09/09 00:18
武家の宗派は禅宗(臨済宗・曹洞宗)が圧倒的に多いのは事実だし、
曹洞宗の信者は(武家・農民)で、
臨済宗の信者は(武家・公家、一部に庄屋・神官・名族など)
ってのは動かす事の出来ない事実
224日本@名無史さん :03/09/09 00:34
>>223
禅宗ならかなりの確率で先祖は武家と考えていいのかな?
225日本@名無史さん:03/09/09 00:48
現在の華族・神官・士族・卒族・の子孫を
1万人・19万人・600万人・130万人・だと仮定する。

曹洞宗30%500万人
臨済宗95%85万人
その他の宗派165万人

こんなもんかな?
曹洞宗が多すぎるような気もするが・・・・
226日本@名無史さん:03/09/09 00:59
華族の子孫一万人は暴論
227日本@名無史さん:03/09/09 01:01
神官が臨済ては誰が言い始めたのかは知らんが笑止
おまけに19万とは嗤
228日本@名無史さん:03/09/09 01:01
>224
曹洞宗は農民なども多いです、
また臨済宗でも実業家・国人領主上がりの庄屋・旧神官なども少数ですがいます。
他の宗派に比べればかなり高いのは確かですが。
229日本@名無史さん:03/09/09 01:06
>>227
そんな事書いてないと思うよ、

明治初年の華族の数約2900人
旧神官の数約7万人から人口比で考えたものだと思うよ。
230日本@名無史さん:03/09/09 01:07
臨済宗に対しての僻みがまた始まりますw
231日本@名無史さん:03/09/09 01:10
臨済はブラック民御用達(ワラ
232日本@名無史さん:03/09/09 01:11
妄想子孫どんどん出てきて欲しいなあ
臨済ネタは正直つまらん
233日本@名無史さん:03/09/09 01:14
>>227
別に旧神官の全員が臨済宗だと書いてないw思い込みは止めろ
旧神官は後、士族・卒族<小数は華族>に入るので書いたまで特に意味は無い。
人口比(明治初期)で計算したので正確な人数とは違うかもしれんが・・・・・
234日本@名無史さん:03/09/09 01:15
差別戒名とか考えれば比率の問題で、どの宗派もいろんな階層居る。
曹洞宗は関東では寺院多く徳川の身分政策の手先だった事を反省して
活動が盛ん。
235日本@名無史さん:03/09/09 01:17
>231
臨済(修正)真宗だろw

釣りとしても使えん
236日本@名無史さん:03/09/09 01:28
臨済ネタが尽きないのは>>231みたいな嘘吐き・釣り師がいるからだろw
237日本@名無史さん:03/09/09 01:37
まぁ〜禅宗(曹洞・臨済)は、武家が圧倒的に多いって事で決着して良いと思うよ。
実際、士族会みたいので禅宗の率は、かな〜り高いのは確かだし。
昔から禅宗に武家が多いのは不動の事実だし。
ただし武家が100%禅宗って事ではない。
238上級武士末裔小学5年生:03/09/09 01:38
お前ら庶民の末裔に臨済宗がなんの関係あるんだ藁
239日本@名無史さん:03/09/09 01:55
百姓ですが代々臨済宗です。実家はお寺の総檀家です。

240日本@名無史さん:03/09/09 02:00
>庄屋か……何県の何寺?
241日本@名無史さん:03/09/09 02:06
あなた騙されてますよ?ってなんだよ
はいそーーれパス
242日本@名無史さん :03/09/09 02:09
>>237
禅宗のうち臨済宗は何%ぐらい?
243日本@名無史さん:03/09/09 02:21
239は釣りだから何県の何寺?
なんて質問されたら答えられないだろうね(w
本物だとしたら武士以上に家柄の良い庄屋だな。

>>238
俺ら武士は庶民の納めた税金で暮らしていたから、
そういう発言で庶民を馬鹿にするは以後控えましょう。
臨済宗も曹洞宗のように民衆化に務めて成功してたら、
庶民のから目の敵にされずにすんで、
信者も100万人以上にはなってたな……もお手遅れだけどw
244日本@名無史さん:03/09/09 02:35
東京都に臨済宗のお寺っていくつある?
やっぱさ少ないんだろうね。

まさか武家の宗派が百姓地だった世田谷や大田などに
あるとは思えんし。(ひとつくらいあんかもしれんが・・・)
245日本@名無史さん:03/09/09 02:46
赤穂義士関連
曹渓寺(臨済宗) 港区南麻布2-9-22日東山曹渓寺 義士寺坂吉右衛門信行夫妻の墓所あり
興禅寺(臨済宗) 港区白銀6-14-6大雄山興禅寺 出羽米沢藩主上杉家菩提寺、吉良家過去帳あり
養源寺(臨済宗) 文京区千駄木5-38白樺山養源寺 幕府大目付仙石伯耆守久尚夫妻の墓所あり
東北寺(臨済宗) 渋谷区広尾2-5-11禅河山東北寺 出羽米沢城主上杉家菩提寺、吉良義央三女阿久里・
義央室富子生母(上杉定勝側室お千の方)の墓所あり
祥雲寺(臨済宗) 渋谷区 浅野長矩に連座した武蔵岡部藩主安部(あんべ)家一族の墓所あり
ttp://www.age.ne.jp/x/satomako/23kuiti.htm
246日本@名無史さん:03/09/09 02:55
真宗大谷派の大谷って何を意味するの?大谷という人物名?
247日本@名無史さん:03/09/09 03:10
ちょっとお馬鹿さんが来ちゃったね
神社仏閣板とかで勉強してから出直しておいで
248日本@名無史さん:03/09/09 03:16
>>247
お前も知らないんだろ藁
249日本@名無史さん:03/09/09 04:44
>>183
戦国時代以前の東国武士ならいざ知らず、江戸時代に読み書きできない武士が
いたのですか?
250日本@名無史さん:03/09/09 06:56
いないと思う。
251日本@名無史さん:03/09/09 08:17
このスレ見て夜中に親に電話して宗派を聞いてみた。

ウホッ!両方とも臨済宗だった
252日本@名無史さん:03/09/09 08:31
臨済厨
253日本@名無史さん:03/09/09 12:56
>>243
おまえがぶしか かつおぶしか?
254日本@名無史さん:03/09/09 14:09
いいなぁ、臨済宗の人。
うちなんて日蓮だぜ…最悪
255日本@名無史さん:03/09/09 14:33
最悪ついでにソーカ入っちゃえ
256日本@名無史さん:03/09/09 15:52
うちもよくわからんw
親に聞いたら浄土宗かな?だって…
257日本@名無史さん:03/09/09 16:03
日蓮宗可哀想・・・

学会員を疑われそう
258日本@名無史さん:03/09/09 16:05
259日本@名無史さん:03/09/09 16:09
256なんだが、大阪の親類はソーカなんだって。
縁切ろうっとw
260日本@名無史さん:03/09/09 17:15
ソーカついでにコーメーから地方議員にでもなっちゃえよ!!
261日本@名無史さん:03/09/09 22:27
いくら何でも本願寺派の武士はいないだろう
262日本@名無史さん:03/09/09 23:22
黄檗宗ってどう?母方が黄檗宗だった
263日本@名無史さん :03/09/09 23:34
中国人じゃないか。
264日本@名無史さん:03/09/10 04:09
>>262
母方の先祖は職業なんだったの
265日本@名無史さん:03/09/10 05:09
黄檗宗は江戸時代に伝わった佛教ですね。
武家中心に広まったものです。
266256:03/09/10 20:01
実家にもっと詳しく聞いてみた。
父方は真宗大谷派で東と西に分かれていて
うちは東の方だって(←意味わからん)

母方は天皇家と同じ神道。
ほ〜初耳。聞いてみてよかった。
267日本@名無史さん:03/09/10 23:56
自民の有力支持団体の立正佼成会、学会と大して教義変わんねぇ。
学会嫌いで公明と連立嫌った奴等は佼成会とつながり深い。
268日本@名無史さん:03/09/11 01:13
うーん、ちょっとこないと結局臨済宗スレになっとるなあ・・・・。
でも、たしかに武士にとって臨済宗が特別な宗派だったことは分かったよ。
だけど、うちの家は浄土宗なんどよなあ。
母方は真言宗だし、どっちも士族なのになんかここだと
居場所が狭く感じられるなあ。

ねえねえ、禅宗以外の武家ってどのぐらいいる?
269●のテストカキコ中:03/09/11 01:16
http://ula2ch.muvc.net (このカキコは削除しても良いです)
270日本@名無史さん:03/09/11 01:19
勝ち組:臨済宗・曹洞宗
271日本@名無史さん:03/09/11 04:09
>>268
戦国まで士族で江戸時代になり帰農っていうのはなしよ。

うちは戦国まで城持ち大名で江戸時代は上級武士だった。
宗派は曹洞宗。
272日本@名無史さん:03/09/11 04:13
小泉純一朗
統率 69
武力 02
政治 60
魅力 91
特殊 外交 饒舌 
273日本@名無史さん:03/09/11 06:35
前レスにあったが、臨済宗で庶民の家系なんて本当にいるのか?
信じられん。
274日本@名無史さん:03/09/11 06:37
ウチ家紋菊水なんだけど楠木正成でいいの?
275日本@名無史さん:03/09/11 18:18
教えてクンで申し訳ないが。

平戸藩で300石というと、下級?、中級?

漏れのご先祖そんなもの
御納戸なんちゃらとか、国境なんちゃらとかやってたらしい。

276日本@名無史さん:03/09/11 21:31
>>275
上級
277日本@名無史さん:03/09/13 01:40
宗派スレw
278日本@名無史さん:03/09/13 04:09
>>275
かなり上級
279日本@名無史さん:03/09/14 22:11

うちは百姓ですが曹洞宗です
280日本@名無史さん:03/09/14 22:34
>>275
6万石程度の藩で、幕末で300石なら、かなり良いほうだろう。
御納戸なんチャラだったら、藩主の傍近くに仕えていたはず。
石高以上のステイタスはあったと思われ。

御傍用人なんかは石高がいくら低くっても(つっても、最低でも中士以上だが)
藩主が臨席しない評定では、藩主の意見伝達者として首座に座ることがある。

薩摩の大久保が御小納戸役頭取に抜擢されたときは大そう喜んだらしい。
281日本@名無史さん:03/09/14 22:58
>>266
>>母方は天皇家と同じ神道。

天皇家も江戸時代は仏教です。
282日本@名無史さん:03/09/14 22:59
>>281
やっぱ臨済宗?
283日本@名無史さん:03/09/14 23:06
>>282
真言宗です。
284日本@名無史さん:03/09/14 23:07
>>282
京都市東山区真言宗泉涌寺
285日本@名無史さん:03/09/14 23:34
281=282=283=284自作自演
286日本@名無史さん:03/09/14 23:42
>285
短絡的なお馬鹿さんでつね。
幼稚な思考回路。
287日本@名無史さん:03/09/14 23:48
>>285
285の書いてある事に反応してるって事は、やはり自作自演か…
普通に考えれば286が馬鹿だな。
288287:03/09/14 23:50
>>285訂正>>286
289日本@名無史さん:03/09/14 23:55
>>286
お前痛すぎw自作自演だったら反応すんなよw
285じゃなくて286が
「短絡的なお馬鹿さんでつね。
幼稚な思考回路。」って事になるぞw
290日本@名無史さん:03/09/15 00:01
自作自演だと指摘したがりの馬鹿はどの板にもいる、
相手するなよ2Ch初心者なんだから。

ちなみに俺は>>281-284です。
291290:03/09/15 00:11
>>281>>284ですだった。
292日本@名無史さん:03/09/15 00:15
お前らなんて、100年前の栄光。
俺の家なんて、40年前は、
金持ちだった。
俺の勝ちだな。
293日本@名無史さん:03/09/15 00:19
>>292
>>俺の家なんて、40年前は、金持ちだった。

落ちぶれた者同士仲良くしようぜ。
294282:03/09/15 00:23
>>285みたいの相手してもレスの無駄遣いなだけ
次いこー!
295小作農末裔:03/09/15 00:27
身長180cm国立大卒国家公務員の漏れだが
唯一の弱点が先祖の身分。
296日本@名無史さん:03/09/15 00:27
>294
むしろお前のレスの方がレスの無駄だな(笑
285のようなレスは別に無駄ではない。

>292
旧華族・名族には職業特権(宮司・役人)が多少あるらしい
297日本@名無史さん:03/09/15 00:30
>職業特権
特権というよりコネ、縁故でしょう。
芸能人の子供が2世タレントになったりするようなもので、
どこの社会にもあるレベルのもの。
298日本@名無史さん:03/09/15 00:33
285=296プッ
299日本@名無史さん:03/09/15 00:38
>298
チョットワロタ、それは無い(笑
>297
確かにその程度だと思う。
300日本@名無史さん:03/09/15 00:39
301日本@名無史さん:03/09/15 00:42
>>296=>>299
書き方が似てる。ぁゃιぃ。氏ね。
302日本@名無史さん:03/09/15 00:43
>>1->>300

じぇんぶわたくしのじさくじえんでしたごめんなさい。
303日本@名無史さん:03/09/15 00:43
もう、おもろない
304日本@名無史さん:03/09/15 00:45
>>301
そこは同一人物のカキコであって自作自演ではないじゃん。
305日本@名無史さん:03/09/15 00:48
お前ら庶民の末裔どもよ
もしも実社会で俺に会うことあったら
おごれや
お前らの先祖をさんざん面倒みてやったのは
俺らの先祖の武家なんだからよ

とりあえずここではよ
「生かしてくれてありがとう」の一言でも言えや
306日本@名無史さん:03/09/15 00:48
ちょっと前の
【18代さま】 徳 川 記 念 財 団 【御出陣】
のスレみたいになっちまったな。
307日本@名無史さん:03/09/15 00:57
>>305
生き残っている先祖が武士のお前らが感謝しなくてはいけない
のはお米を作っていた百姓だろうが。
308日本@名無史さん:03/09/15 00:57
>>306
たぶん同じ人
309日本@名無史さん:03/09/15 01:00
>>308
お前は、自作自演を指摘するのが好きみたいだな。

なんかお前みたいなヤツって悪いのは僕じゃない、
まわりの皆が悪いんだーとか言いそう。
310日本@名無史さん:03/09/15 01:02
基本的に、自演を指摘するヤシは自演されると困るから指摘する
311日本@名無史さん:03/09/15 01:07
>>310
違うよ、基本的に、自作自演を指摘するヤシは、
自分と違う考えの人がいると認めたくないから指摘する
312日本@名無史さん:03/09/15 01:10
自作自演を指摘する香具師は自作自演を指摘された香具師
313日本@名無史さん:03/09/15 01:12
私は武家の末裔です。通勤はセルシオです。
そこのけそこのけお馬が通るって気分ですね。
電車通勤の庶民さんらご苦労さんです。
314日本@名無史さん:03/09/15 01:20
私は武家の末裔でもあるし、商家の末裔でもあるし農家の末裔ともいえます。

県知事になった親族が戦前に一人、戦後に一人います。
315日本@名無史さん:03/09/15 01:20
私は神職家の末裔です。通勤は年に2回の神輿です。
神輿の中は狭いのであんまり揺らすなやって感じです。
316日本@名無史さん:03/09/15 01:28
>>295
ちなみに宗派は?
317日本@名無史さん:03/09/15 01:44
>>313
セルシオ=ヤンキーですか?
318日本@名無史さん:03/09/15 01:45
臨済宗
319日本@名無史さん:03/09/15 01:46
やはり士族の方々は敬われるべきだよ。
でも道を歩いていて庶民と区別が付かない。
そこで一つ提案があります。
士族の皆様は額に大きな字で「士族」と刺青をすべきです。
いや別に家紋や家系図を刺青にするのも構わないですよ。
そうしないと庶民としても何も出来ませんよ。
320日本@名無史さん:03/09/15 01:47
お寺なんてなんぼでも換えられるし、江戸時代から臨済宗なんかな?
321日本@名無史さん:03/09/15 01:47
>>319 ん〜微妙だ。君の立場的には庶民の額に「肉」ではないのかね?
322日本@名無史さん:03/09/15 01:50
>>319
おお!帯刀の代わりに額に士の刺青いいですねぇ〜。
323日本@名無史さん:03/09/15 02:00
>>318
何県の何寺ですか?
あと(百姓って言っても庄屋だよ)・(明治以後変えたと)か反則技は無しでw

答えられない場合は釣り・嘘と見做します。
324日本@名無史さん:03/09/15 02:20
静岡県の大石寺です
325日本@名無史さん:03/09/15 02:24
>>324
正宗の寺は却下。
326日本@名無史さん:03/09/15 02:29
福富町の尼寺です。
327日本@名無史さん:03/09/15 02:31
臨済宗は諸宗派で唯一民衆化出来なかった宗派だからな・・・・
つまりは、臨済宗(自力本願)は武家などの上流階層・権力者にしか人気がなくて、
(他力本願)が好きな民衆に相手にされてなかったって事だけど。
あと鎌倉・室町幕府などの過度の保護も一つの要因だけど。

>>323
日蓮宗もしくは日蓮正宗だったけ?
328327:03/09/15 02:32
>>323
(修正)
>>324
329日本@名無史さん:03/09/15 02:40
曹洞宗どーよ?
330日本@名無史さん:03/09/15 03:00
そーとー なもんです
331日本@名無史さん:03/09/15 03:01
中国禅宗の流れをくむ臨済宗が、
幕府(上流・中央武家)や貴族階級など、時の権力者の信仰を得たのに対し、
曹洞宗は地方の豪族(地方武士)や一般民衆の帰依を受け、
もっぱら地方へと教線を伸ばしていきました。
すなわち、臨済宗が鎌倉や京都に最高の寺格を有する五ヶ寺を
定めて順位をつけた五山十刹の制をしき、
五山文学を中心とする禅宗文化を大いに発展させましたが、
曹洞宗はこうした中央の政治権力との結びつきをさけ、
地方の民衆の中にとけこんで、民衆の素ぼくな悩みにこたえ、
地道な布教活動を続けていきました。

曹洞宗公式ホームページより
332日本@名無史さん:03/09/15 03:10
現代の寺側からいえば臨済宗だから貧乏寺です。
333日本@名無史さん:03/09/15 03:34
臨済宗の一つの寺に対する檀家の少なさは危機的状況だからな・・・
まあ江戸時代まで権力者・貴族階級・武家階級
にしか布教しなっかった(布教で出来なかった)つけかもな。
334日本@名無史さん:03/09/15 03:45
臨済宗の信者が武家・公家・権力者の子孫でも、
あれだけ信者の数が少なければ経営難になるな……多分。
335日本@名無史さん:03/09/15 03:54
このまま少子化が進んだら、
檀家のいない寺が初めに出るのは・・・間違いなく臨済宗だな
336日本@名無史さん:03/09/15 04:16
あのーここにおいでの方のうち、自家が名家で宗派は臨済だと誇る皆様は、本当に「本物」ですかね?
我が家は広範囲の臨済寺院を知り得る「環境」ですが、どこも「ビンボー」ではないですよ
337日本@名無史さん:03/09/15 04:37
>>336
>自家が名家で宗派は臨済だと誇る
そんな香具師いないんだけどw
武家で臨済宗っていうなはこのスレにも結構いたが
あと「ビンボー」ってのは他の宗派に比べればの話だと思。
338日本@名無史さん:03/09/15 04:38
臨済宗と黄檗宗って似たようなもんだなw
一回合併してるしw
東光寺 黄檗宗 山口県萩市 毛利吉就(3代藩主)以下奇数代藩主菩提寺
大照院 臨済宗 山口県萩市 毛利秀就(初代藩主)以下偶数代藩主菩提寺
339337:03/09/15 04:40
武家で臨済宗っていうなはこのスレにも結構いたが
<手直し>
武家で臨済宗っていうのはこのスレにも結構いたが
340日本@名無史さん:03/09/15 05:06
>>339
舌足らずだったみたいですがそのつもりでしたー
自家(自分の家柄)が名家(武家とか庄屋)で宗派が臨済と書いたんですがー
てなわけでよろしくー
341日本@名無史さん:03/09/15 05:21
ふっ
うちは士族だが曹洞宗だぜ。
342日本@名無史さん:03/09/15 06:42
知らなかった・・・・俺の名義で長野の田舎に臨済宗の墓地があるんだが、
そんなど田舎の先祖の墓に入るつもりはさらさらないので、親戚に権利を譲ろうと
思っていた。 臨済宗って言うだけで武家の証明になるなら手放す手はないんだね
343日本@名無史さん:03/09/15 08:42
武家は名家か?
庄屋は名家か?
俺には、そんな意識あまりないんだが…。
日本中、名家だらけになってしまわないか??

おっと、おれも、名家の末裔になってしまうよ。
たしかに、うれしいけど…





344日本@名無史さん:03/09/15 09:17
おれんちは8c頃に口分田を貰って以来
ずーっと同じ田を耕し続けてきた名門だよ。
345日本@名無史さん:03/09/15 09:25
天皇家や摂家に繋がるかどうかは別にして、
30代も遡れば大名の一人や二人は繋がるだろ?
直系かそれに準ずるものでなければ意味がない。
346日本@名無史さん:03/09/15 10:20
>>345
まあ、その可能性は否定しないが立証不可能なものは「繋がる」とは言えないな。
単なる可能性と期待にすぎない。
ただ、後段の「直系かそれに準ずるもの」云々には同意するよ。
347日本@名無史さん:03/09/15 11:03
先祖を語る場合、問題は江戸時代に何をやっていたかだろ?
348日本@名無史さん:03/09/15 11:10
結局、みんな農民ということでいいな?
349日本@名無史さん:03/09/15 11:53
祖先調べようとしてもひいひいじいちゃんくらいまでしかわからないんだけど・・・
350日本@名無史さん:03/09/15 12:14
それでいいんだよ。
どうしても家系図がほしいのなら捏造しる!!
351日本@名無史さん:03/09/15 13:07
>>350
血がつながってない人を
親戚にするのは、いやだな。

>>345
現行法の直系血族には遺伝的なつながりがあるので
それを誇ることには、多少意味があると思う。

他方、血縁より家のほうが大事という考え方があるが、おれ的には、これは理解できない。
遺伝的に何のつながりもない「先祖」のことを誇っても、むなしいように思う。



352日本@名無史さん:03/09/15 13:59
日本史でいう「家系」とは、家督相続を基本とする概念だから「家」を重視。
大名や旗本や藩士など、初代とはアカの他人になってる例も珍しくない。

現代人から見ればアホらしくても、昔はそれが普通だった。
現行法には家督という概念がなく、戸籍上の家族は夫婦単位で1代限りなので、
単純に比較しても意味がない。
353日本@名無史さん:03/09/15 15:48
>>352
『大名や旗本や藩士など、初代とはアカの他人になってる例も珍しくない。』
それがつらいんだよな〜。
婿養子でもない、まったくの他人が家を継いでいるケースもあるみたい。

まあ、旧法も新法も実子と養子とを区別しているので、
血縁関係は、基本的には、判別可能だ。
ただし、藁の上の養子 といって、養子を実子として届出ることも、
頻繁にあったようで、この場合戸籍(現在では除籍か原戸籍になってる)自体意味がないのだが…。

江戸時代にも養子と実子について、頻繁に記録していたかどうかご存じないだろうか。


354日本@名無史さん:03/09/15 15:51
30代も遡ったら平安時代にいってしまわないか?
355日本@名無史さん:03/09/15 15:59
>>354
いくかもね
一世代30年×30代=900年 

昔は女の子16、7でケコーンしてたみたいだから、
一世代20年×30代=600年

600≦X≦900(年) ぐらい前じゃないかな。
356日本@名無史さん:03/09/15 23:24
ま、あまりにも貧乏な奴は飢饉の時に飢え死にして家ごと消えて行っただろうし
現世まで残れた我々の家柄は、それなりに高いんだろうね。
357日本@名無史さん:03/09/16 03:17
飢え死にしたヤツなんか対象にすんなよw
358日本@名無史さん:03/09/16 05:07
貧乏で飢え死にした高家の末裔も多かっただろね。
下々と同じ仕事するわけにもいかんからね。
359日本@名無史さん:03/09/16 08:29
>>338
それはまた別の話し。合併とは違う。
>>345
なかなか繋がんないよ。
>>353
つらいこともないと思うんだけどね。
だけど、なるべく親戚か、遠縁から養子をもらうようにはしてたみたい。
それでも、後継ぎのいない名家が家の門に置き去りにされてた捨て子を
そのまま養子にしたことも多かったと思う。
360日本@名無史さん:03/09/16 10:06
我が家の戸籍も正しくない。
昔だけど、訳ありのため、孫を実子として届けた。
361日本@名無史さん:03/09/16 20:55
すこし前に
武家の戒名についていろいろ書いてあったな。
そういえば
徳川家康の戒名
東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士 の
−−−−−−−−−○蓮社○誉 

ってのは 浄土宗の特徴だったよな。
           
362日本@名無史さん:03/09/16 20:58
大院殿と院澱は現在ではどのような人に与えられるのしょうか?

363日本@名無史さん:03/09/16 21:25
>>362
院殿については時代、宗派によって

院  > 院殿
院殿 > 院

と、ちがうらしい。
よかったら、参考にしてください。
364日本@名無史さん:03/09/16 21:42
>>361
だって浄土宗だもん。
365日本@名無史さん:03/09/16 22:05
○○院釈○○○○居士なんてのあるよ。真宗なのよ。
366日本@名無史さん:03/09/16 22:08
院殿大居士っていうのは、最近ではあまりみないよね。
367日本@名無史さん:03/09/16 22:16
お前ら庶民の先祖には戒名なんて無いよ
368日本@名無史さん:03/09/16 22:18
>>365
誰のこといってんの?
369日本@名無史さん:03/09/16 22:33
>>363 レスどもです。なんか年間何百万円で院澱・・・なんて話も聞いたことが・・・。

でも〜〜〜餓鬼〜〜〜てのはキツイな〜。
370日本@名無史さん:03/09/16 22:33
訂正:澱→殿
371日本@名無史さん:03/09/17 20:43

徳川家を始め各大名は何宗かね?
372日本@名無史さん:03/09/17 21:03
  赤穂の浅野家・47士は曹洞宗だろ。
373日本@名無史さん:03/09/17 21:06

徳川将軍家が浄土宗である以上、浄土宗>臨済宗だろう
374日本@名無史さん:03/09/17 21:29
>>373
徳川将軍家墓所

上野寛永寺  天台宗
芝増上寺   浄土宗
375日本@名無史さん:03/09/18 05:41
徳川将軍家が浄土宗だったらじゃあ戒名には「誉」って字が
他の浄土宗信者と同じく使われてるわけ?
376日本@名無史さん:03/09/18 06:54
>>375
そうだよ。
377日本@名無史さん:03/09/18 16:26
証拠見せろ
378日本@名無史さん:03/09/18 16:51
379日本@名無史さん:03/09/18 20:50
>>378
近藤勇のってかっこいいな。
380日本@名無史さん:03/09/18 21:23
>>379
近藤勇のって
何か殿様の戒名みたいだね。
381日本@名無史さん:03/09/18 21:28
近藤勇って武士にあこがれたゆえに生粋の武士よりも
武士らしいよね。最期がかわいそうだなあ。
382日本@名無史さん:03/09/18 22:16
wwww
農民必死だな
383日本@名無史さん:03/09/18 22:20
死ね百姓
384日本@名無史さん:03/09/18 22:24
      ┏━┓
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385日本@名無史さん:03/09/19 04:41
家康って意外に質素な戒名だね。
378には出てないが、漏れは井伊直弼の戒名がかっこいいと思った。
386日本@名無史さん:03/09/19 09:31
>380
近藤勇というのは通称。
正しくは、近藤太郎藤原頼兼

宮本武蔵も正式な名前は、藤原玄信
387日本@名無史さん:03/09/19 12:00
>386
あんた間違ってるよ。例が矛盾してる。

だいいち近藤勇の実名は昌宜だし、太郎でもない。
「正式」って何を言ってるのかわからなし。
武蔵だってあんたの例なら、宮本武蔵藤原玄信とすべきだろ?
388日本@名無史さん:03/09/19 12:29
386は誤読している
近藤勇の戒名が殿様のと似ていると言っているのだ
389日本@名無史さん:03/09/19 12:46
武士に憧れた人が武士よりも武士らしいっていうのは、
ニューハーフがやたら女仕草など女性っぽいのと似てる?
390日本@名無史さん:03/09/19 13:18
>>389
>>ニューハーフがやたら女仕草など女性っぽいのと似てる?

所詮女になれぬ身なれど、女なんかに負けはしない。

391日本@名無史さん:03/09/20 13:18
>389
いるいる、そういう奴。
392日本@名無史さん:03/09/20 15:44
>>386
ちげーよバーカ
393日本@名無史さん:03/09/20 17:22
漏れの実家が京都の舞鶴の近くなんだが
細川の殿の先祖の幽斎と忠興から
拝領の掛け軸があるんだが。
ちなみに槍と刀はある。
鉄砲もあつたが戦争のお国のために出征したと
婆ちゃんが言っていたんだが。
ちなみに今は農家しながら役場で公務員なのだが。
どうなんだろう。
394日本@名無史さん:03/09/20 17:37
>>393 戦国時代武士で帰農したってパタ−ンだろ。
395日本@名無史さん:03/09/20 20:05
うらやましいなぁ、おい
396日本@名無史さん:03/09/20 20:15
それじゃ、有名人で武家の末裔をあげてみよう。

森田健作
397日本@名無史さん:03/09/20 20:18
江頭2:50
398日本@名無史さん:03/09/20 21:24
松村邦弘
399日本@名無史さん:03/09/20 22:06
漏れ。
400日本@名無史さん:03/09/20 22:07
香具師!
401日本@名無史さん:03/09/21 02:44
先祖の墓にどんな戒名があれば武士ですか?

ちなみに、臨済宗の墓です

地 火 水 空 ?  などの3メートルくらいの古い塔もたってます
あればなんでしょ
402日本@名無史さん:03/09/21 03:47
北野武
403日本@名無史さん:03/09/21 03:52
墓の型でしか先祖がわからんって。
寺の親戚に聞け、坊主に聞け。
404日本@名無史さん:03/09/21 04:14
石川梨華
405日本@名無史さん:03/09/21 04:21
>>393
刀は戦後GHQに提出しなかったわけ?
キタネー家系だな
406日本@名無史さん:03/09/21 04:48
>405
農民長いことやってるもので。
要領だけは。スマソ。
407日本@名無史さん:03/09/21 04:58
確かにずるいな〜w 現在は刀剣類所持許可持ってるの?持ってたらうpしてくれ。んで水に流すよw
408日本@名無史さん:03/09/21 05:05
農家だったから隠せたかもね。
武家だったらあるのバレバレじゃん。
409士族:03/09/21 05:06
うちは刀は全て提出した。
しかしヤリは何故か残っている。
410日本@名無史さん:03/09/21 06:11
>>408  武家なら明治維新の頃に手放してると思うが・・・食えなくて。
     でも、ときどき旧武家や旧庄屋で刀が残ってる家あるよね、なんでだろう?
411日本@名無史さん:03/09/21 06:36
412士族:03/09/21 06:49
武家なら戦前まで刀は残っているのが普通。
知り合いの武家連中に聞くと皆戦前まではあったと言う。
詳しい数は忘れたが、とにかく膨大な数の刀が接収されていることからも
維新に手放したということは普通ではないことが分かる。
413日本@名無史さん:03/09/21 08:27
親戚のオサーンが将校になったとき、
殿様からもらった刀を、サーベルに改造しちまったよ。
414日本@名無史さん:03/09/21 17:14
>>413
親戚のオサン?
あなた年いくつよ??
415日本@名無史さん:03/09/21 17:21
おれ? 20代。
このオサーン、正確には
従祖伯父
(明治三七年八月二六日司法省民刑第七三四号民刑局長回答による表記法)
わかった?
416日本@名無史さん:03/09/21 17:51
将校っていったら有名人でしょ。誰?
417日本@名無史さん:03/09/21 18:14
>>416
浅原ですがなにか?
418日本@名無史さん:03/09/21 18:55
>>416
有名人ではなかったとおもうよ。
将校もいろいろいるから。




419日本@名無史さん:03/09/21 19:28
>412
一端散財してると、刀なんか残ってないし、
大体、本家には色々あるけど分家には何もないなんてのもざらだし。
「普通」は残ってないと思う。
たとえば、私の母方は小大名家の分家だが、基本的に本家にそういったものは
集中してて、分家には何もない。
420日本@名無史さん:03/09/21 19:47
昭和の時代なら分かるが、維新直後は分家といえども武家は武家。
421日本@名無史さん:03/09/21 20:07
ヴァカか?
将校ってのは少尉以上のこと。
将官とはわけが違う。
旧軍では、佐官になると自費で刀を揃えるのが慣わしだった。
422日本@名無史さん:03/09/21 20:12
将校と将官の区別もつかないのか?
足軽の小倅が武家だ武家だっていってるようなもんだな。
423日本@名無史さん:03/09/21 20:31
ここぞとばかりに突っ込みまくる農民・・・W
424日本@名無史さん:03/09/21 20:39
うちの母屋には出格子窓の長屋門があるんだが、何か?
425日本@名無史さん:03/09/21 20:47
長屋門て母屋から最低でも20メートル位離れてないと・・。
426日本@名無史さん:03/09/21 20:48
家の祖父は5男坊だったので、家から出され上京したという。武家だがそんなんどうでもいいがな。
しかも元の家も分家。明治期は分家でも本家が功をなした人物を排出していれば、かなり誇らしかった(実利もかなりあったらしい)が、
今となっちゃな、しかもうちは分家の分家。意味ね〜よ。
まぁ嬉しくないってこともなくもないけどな・・・。
427日本@名無史さん:03/09/21 20:51
アフォ。
母屋=本家ってこと。
428日本@名無史さん:03/09/21 20:52
書き漏らし

出格子窓の長屋門→中門→主屋
429日本@名無史さん:03/09/21 22:00
430日本@名無史さん:03/09/21 22:22
>>429この門は
足軽や中間さんがすんでた家でつか?
431日本@名無史さん:03/09/21 22:26
>>421
『旧軍では、佐官になると自費で刀を揃えるのが慣わしだった。』
とのことですが、ソースがあればぜひ、おねがいします。
432日本@名無史さん:03/09/21 22:40
もう亡くなられたが、延岡藩士族出身(藩主御典医)の人から直接聞いた。
ノモンハンの生き残りだったが、予備士官学校修了後、旧陸軍で各地を廻り、
少佐に昇任(大隊長)のとき、当時金700円を投じて備前長船の上物を差料にしたとのこと。

故人いわく、少佐以上で自分で古刀かつ名刀の差料を持てない者は恥ずかしいとのこと。
軍隊から貰ったナマクラを少佐にもなって持っているのは一人前ではないとされたとのことだ。
要するに不文律。明文化されたものではない。

もちろん、議杖用のサーベルは別だろうが。

その故人の奥方は、秩父宮家の釆女だった。
433日本@名無史さん:03/09/21 22:46
432だが、その旧陸軍少佐殿は、乃木希典を大叔父に持ち、
軍功と乃木希典の七光りで、予備士官学校出身にしては破格の扱いを受けていた。
434日本@名無史さん:03/09/21 23:11
それは「佐官になると」という話ではないね。
ふつうは士官に任官するときに拵えるものだ。
435日本@名無史さん:03/09/21 23:19
少尉以上の人数を考えてみ?
そんなに古刀はないって(w

よっぽど金持の家なら別だが、少尉任官で庶民の家1軒建つだけの
金が用意できるのか?少尉になってもらうのは、新しいナマクラだって。
436日本@名無史さん:03/09/21 23:23
少尉になってもらうって…
自費で拵える話じゃないの?

貰うのは牛蒡でもちろん使っていいけど、ふつうは将校になるときに拵えるものです。
437日本@名無史さん:03/09/22 00:42

将校は軍服・軍帽・軍刀・背嚢・ブーツ等、一切合切を自費で揃えるはず

ピストルはどうか知らんが
438日本@名無史さん:03/09/22 01:10
>>430 農家!下荻窪村名主宅らしい。
439日本@名無史さん:03/09/22 16:44
>>437
そうですね。軍刀も自分で用意します。
ピストルも官給のものあるようですが、自分で用意することもあるそうです。
440日本@名無史さん:03/09/22 18:15
将官でも臨済宗でないとな・・・ダセーよ
441日本@名無史さん:03/09/25 00:44
>440
明治の時代になって軍隊において、
臨済宗もなにもあったもんじゃあないだろうに。
陛下に失礼じゃないか。
442日本@名無史さん:03/09/25 01:31
平成の時代になってからだな。臨済宗でないと恥ずかしいとなったのは。
バブル時代からか?
443日本@名無史さん:03/09/25 01:45
>>442
臨済宗も本山で違うぞ。
444日本@名無史さん:03/09/25 01:56
>>443
本山は、どこが一番ステイタスがあるの?
445日本@名無史さん:03/09/25 04:17
446日本@名無史さん:03/09/25 10:29
>>445
77 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/19 05:48 ID:lboZekWJ
臨済宗大徳寺派が最強の宗派

おお、本当だ!
447日本@名無史さん:03/09/25 12:20
臨済宗 妙心寺派は どうですか?
448日本@名無史さん:03/09/25 12:30

一休さんって臨済宗の僧侶だったのか
イメージが狂うな

449日本@名無史さん:03/09/25 12:44
俺の先祖様は朝倉家に仕える武将だったみたいだ。
んで信長にぶっ殺された。本家は今でも歴史資料館みたいになってる。
450日本@名無史さん:03/09/25 12:52
俺の先祖も丹波地方で織田信長(の配下の明智光秀)に殺された
織田家に殺られたという者は多いはず
451日本@名無史さん:03/09/25 13:28
>>449-450
御先祖からの宗派はどこですか?
452日本@名無史さん:03/09/25 15:57
俺は宗派について詳しくないが、臨済宗大徳寺派は格式高そうな気がする。
大徳寺の住職と狩野派の絵師狩野探幽の合作みたいな絵を見たことあるのだが
見事であった。
453450:03/09/25 17:38
確か曹洞宗だったかな??
漏れはクリスチャンだが。
454日本@名無史さん:03/09/25 19:30
何時の間にか宗派スレになってる…
455日本@名無史さん:03/09/25 23:57
>>442
どういうことだ?

>>449-450は多分自作自演なので気にしなくて良い
456日本@名無史さん:03/09/26 00:24
曽祖父:水呑み百姓→旧藩士の小地主の家に養子入り
              ↓
   :旧幕臣出身の曾祖母と結婚
              ↓
祖父 :高校(旧制中学校から)教師
              ↓
   :これまた旧幕臣・新聞記者の娘の祖母と結婚
              ↓
親父 :官僚(本省課長補佐どまり)
              ↓
   :没落した素封家(江戸期:豪商)の次女のお袋と
    結婚
              ↓
こんな漏れの血統でも、「旧武家」と名乗ってもいいですか?
457日本@名無史さん:03/09/26 00:28
過去レス読む気もないんだが

「旧武家」ってなに?
458日本@名無史さん:03/09/26 10:27
臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、黄檗宗、時宗
ランク付けしてみてください
459日本@名無史さん:03/09/26 10:45
>>458
曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、黄檗宗、時宗>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>臨済宗
460日本@名無史さん:03/09/26 11:15
>>456
あなたは、旧武家の末裔でつ。
そもそも武士の血がすごく濃いではないですか。
たとえ、もし、武士の血が薄くても
武士の血をひいていれば旧武家の末裔でつ。
徳川さまが、江戸時代に前例を作ってくださったからでつ。


461日本@名無史さん:03/09/26 12:33
臨済宗>>曹洞宗>>>>>浄土宗、浄土真宗、黄檗宗、時宗>>>>>>>>>>>>日蓮宗
462日本@名無史さん:03/09/26 14:12
天台宗、真言宗>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>臨済宗
463日本@名無史さん:03/09/26 16:51
臨済宗>>>曹洞宗、黄檗宗>>(禅宗という越えられない壁)>>浄土宗、天台宗、真言宗>その他宗派
464日本@名無史さん:03/09/26 17:28
宗派をランク付けしておるようでは、悟りも開けまいに。
465日本@名無史さん:03/09/26 18:47

臨済将軍曹洞土民。
466日本@名無史さん:03/09/26 19:48
やっぱ禅宗はいいよね。
467日本@名無史さん:03/09/26 20:09
>>466
よろしければ禅宗のいいところを教えてください。
468日本@名無史さん:03/09/26 20:20
禅宗というと武士を連想する
469日本@名無史さん:03/09/26 20:22
禅宗=とんちがきく
470日本@名無史さん:03/09/26 20:24
禅宗の教義のいいところを教えてください。
471【^▽^】酔生夢死ジョーカー:03/09/26 20:39
          高知県立図書館に問い合わせて調べた結果

父方の祖母方の曾祖父方の
高祖父の父親方=○岡家。土佐藩士。一領具足→慶長郷士に召抱え→
留守居組に昇格→白札に一時降格→留守居組に復帰→小姓組に昇格。

高祖父の母親方=○川家。土佐藩士。与力(長宗我部氏直参中級家臣)→
用人に召抱え→留守居組に昇格→小姓組に昇格。
472【^▽^】酔生夢死ジョーカー:03/09/26 20:42
訂正:与力(長宗我部氏直参中級家臣)→直参下級家臣
473日本@名無史さん:03/09/26 22:48
>>470
曹洞宗では、人生そのものが座禅だといっている。
つねに、冷静を保つべしということのようだ。
すばらしい。
474日本@名無史さん:03/09/27 00:03
浄土真宗でも本願寺派と大谷派は全然違うわけで。
475日本@名無史さん:03/09/27 00:05
>>460
余程家柄が低くでもない限り、誰でも10代も遡ったら1人ぐらいは武家の先祖いると思われ・・・
476日本@名無史さん:03/09/27 00:34
>>475
そうでもないんじゃないか。

地域にもよるかもしれないが
昔は、農家では村内でケコーンしてたり、いとこ夫婦が大量にいた。
もしかすると、Bの血を混ぜないようにするためだったのかもしれないが。
だから、10代さかのぼっても、先祖の数は2の10乗にはならない。
もっと、先祖の実際の数はすくないのでは?
普通の農家でも小さなコミュニティーの中で細々と自分たちの遺伝子を再生産していたと思われ。

もしかしたら、475さんはまわりにたくさん武家の親戚がいるから、
誰でも、武家の先祖がいると思われたのかもしれない…
とおもったのだが、どうだろうか。

また、『余程家柄が低くでもない限り』とあるが、475さんが、武家と無関係な家柄について具体的にどのように定義なさっているのか知りたい。
もしよかったら、お答え願いたい。
477日本@名無史さん:03/09/27 01:54
>>476 普通の小作はね!庄屋になると家格の同じ庄屋や本陣が結婚相手だから郡内に広がるし。
   明治後武家と姻戚関係がなぜか多い!うちも曾祖母、祖母武家だなー!
478日本@名無史さん:03/09/27 01:59
農民と武士の通婚は日常的です。
ただし多いのは武士といってもいわゆる上級武士(たとえば給人)などではなく、
足軽・中間や徒などの下級武士です。
479日本@名無史さん:03/09/27 02:10
>>478  >>足軽・中間や徒などの下級武士です。←武士じゃない!!!
480日本@名無史さん:03/09/27 03:52
>479
でも徒士は武士だろ。
481日本@名無史さん:03/09/27 03:58
>479
ごめんね。厳密な意味での武士ではなくて武家社会を念頭においていたので。
ただ少なくとも足軽までは武士です。
482日本@名無史さん:03/09/27 04:05
足軽を武士というには無理があるな。
483日本@名無史さん:03/09/27 04:54
>>474
どう違うのか教えて下さい。
484日本@名無史さん:03/09/27 12:04
>>482
どう無理なのか「具体的」に示してね。
「イメージ」とか脳内の思い込みはだめだよ。


でも多分そうなんだろうな…w
485日本@名無史さん:03/09/27 12:46
>>483
本願寺派・・・下級農民
大谷派・・・上級農民、庄屋

比率が高いというだけで一概には言えないがな。
486日本@名無史さん:03/09/27 16:32

現在では

浄土真宗>浄土宗≧曹洞宗≧真言宗≧天台宗≧法華宗>黄檗宗>臨済宗だろう

真宗が最上位なのは華園家が皇族出身であり、現天皇家に最も近い血筋だからだ
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002nov/26/W20021126MWD2K100000099.html

臨済宗は信者数が少ない 22世紀には断絶するであろう
487日本@名無史さん:03/09/27 17:05
>>484
足軽は純粋な意味で兵隊だもの。
488日本@名無史さん:03/09/27 17:12
上級武士は正確には、兵隊じゃないから「武」じゃないよね。
上級になればなるほど明らかに文官。
489日本@名無史さん:03/09/27 17:22
>>486
なんか勘違いしてるようだから書くけど、
生臭坊主の身分じゃなくて、現在の旧士族・名族の宗派は、

臨済宗>>>曹洞宗、黄檗宗>>(禅宗という越えられない壁)>>浄土宗、天台宗、真言宗>その他宗派

って言う事だろ・・・。

臨済宗(禅宗)の壇信徒は少ないけど、多数の大名家など上流武士の菩提寺になってる。

例えば、東京の港区高輪の有名な寺、泉岳寺(曹洞宗)は、
○播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩と四七士の墓
○下野大田原藩主大田原家の菩提寺
○長門府中藩主毛利家の菩提寺だし。

因みに、その近所(港区高輪)の無名の臨済宗の寺は少なくとも、
日向飫肥藩主伊藤家の菩提寺
豊後臼杵藩主稲葉家の菩提寺
備前岡山藩主池田家の菩提寺
因幡鳥取藩主池田家の菩提寺
伊豫宇和島藩主伊達家の菩提寺
伊豫吉田藩主伊達家の菩提寺
豊後佐伯藩主毛利家の菩提寺などの大名家の菩提寺だったな。
490日本@名無史さん:03/09/27 17:30
訂正・誤(伊藤家
   正(伊東家
491489・490:03/09/27 17:32
補足・泉岳寺とその近所にあった臨済寺坊主の身分は知らん
492日本@名無史さん:03/09/27 18:15
>>488
「武」=兵隊ってことではないのです。
493日本@名無史さん:03/09/27 18:27
ある藩では、表方(武)と 勝手方(文)に分かれていた。
表方の上士は物頭ほか、勝手方の上士は、用人ほか。
表方、勝手方、両方のの上に立つのが家老であったようだ。
494日本@名無史さん:03/09/27 20:14
武士の身分を軍事面のみに限定し、現代の軍隊にむりやり当てはめると。
馬乗り=士官、その他の士分=下士官、足軽=兵、中間・小者=軍属
と考えるのが妥当。



495日本@名無史さん:03/09/27 20:42
>>494
これでいくと
小藩だと下士官の家老・六奉行などが出てくると思われ。
馬に乗ることができるのは、200石以上だから。
100石や150石の家老・六奉行など、結構いたよ。
496日本@名無史さん:03/09/28 00:18
私の御先祖様は源義仲様でございます。
私は源義仲様の直系の子孫にあたります。
だいだい受け継がれてきた家法といえば
この私の中に宿る源氏の魂でしょうか。
代々御先祖様達は武蔵の国を統治し続けておりました。
曾祖父は東京大(旧帝大)の教授をしておりまして、
祖父は東大を出て実業家となり莫大な財産をお抱えになりました。
父はあまりの豪遊ぶりで二流の大学入りと相成りました。
私は若干17歳でございますが開成中学を首席で合格し、
現在は国家T種を取るために勉強中であります。
さすがに源氏の血を引いているためでしょうか
IQは184だそうです。父も160を超えていたとか。
どうも私のつまらないお家話をして申し訳ありません。
これで以上です。
497日本@名無史さん:03/09/28 00:22
若槻礼次郎の成績を超えるようがんばってください。
498日本@名無しさん:03/09/28 00:33
浄土真宗がいちばん楽でいいわよw

臨済宗とか曹洞宗とか禅宗系、あるいは真言宗とかは戒律がうるさくって
お盆やお彼岸はいろ〜〜んなカタクルしい&めんどくさい行事をやらんと
いかんし、墓だって自由な明るい洋墓とか建てたら坊さん怒って帰ってまうって
墓屋さん言うとったしな。その点真宗はお供えも気持ちだけー、お堅い法要も
省略〜〜〜で非常に楽、ああなんて楽。
499日本@名無しさん:03/09/28 00:38
お前の先祖、昨日うちの近所さ迷ってたぞw
500日本@名無史さん:03/09/28 00:57
港区のリン最終の寺へ大名家の墓を見学に行った時に見たのは。
台石の上の墓石が全て裏向きになっていた。

宗教的な儀式とも思えない、金銭トラブルなのかと思った。
501日本@名無史さん:03/09/28 01:09
>>495
>馬に乗ることができるのは、200石以上だから。
>100石や150石の家老・六奉行など、結構いたよ。
具体的に根拠を示してよ。
502日本@名無史さん:03/09/28 01:21
父方は平家で武士、浄土宗。
母方は三百年続いてる大きな農家で地元でちょこっと有名な家、浄土真宗。
こんくらいです。
503日本@名無史さん:03/09/28 01:26
>>501
藩によって違うのだよ、幕府は連合国家だから。
504日本@名無史さん:03/09/28 01:27
>>503
だから具体的にって書いてるでしょ
505日本@名無史さん:03/09/28 01:28
明治になってから卒(与力・同心)は士族に含まずって所もある。
506日本@名無史さん:03/09/28 01:29
>>504
各藩における制度やなんかをですか?
507日本@名無史さん:03/09/28 01:38
>>506
>馬に乗ることができるのは、200石以上だから。
ここのところ。
508506:03/09/28 01:40
>>507
俺は>>495ではないから分からない。
509日本@名無史さん:03/09/28 01:42
なんだよ、それじゃあお呼びじゃないよ。
510日本@名無史さん:03/09/28 01:51
女のレスに食いつく自衛官だな。
511日本@名無史さん:03/09/28 01:52
>>510レス
間違いました。
512日本@名無史さん:03/09/28 02:11
>>505  ほとんどそうじゃないの?
513日本@名無史さん:03/09/28 02:13
>>503
そう、藩によって違う。
母方の先祖は九州のとある小藩の家老クラスの上士だけど、
200石までなかったと思います。
514日本@名無史さん:03/09/28 03:10
>>505
八丁堀同心も武士ではなかったのですか?
515日本@名無史さん:03/09/28 03:15
>>513
ちなみに何藩ですか?
516日本@名無史さん:03/09/28 03:32
>>514 同心って足軽だろ!それも一代限りの召抱え!
517日本@名無史さん:03/09/28 03:38
>>516
一代限りの先祖代々。
518日本@名無史さん:03/09/28 03:57
>>515
九州のとある小藩です。
藩を言うと、かなり絞られる可能性があるので勘弁してくださいw
519516:03/09/28 04:16
>>517 実際はね!ただ形式の方が大事。世襲じゃないから士族じゃないでしょ!
520日本@名無史さん:03/09/28 10:36
浪人ですが武士と名乗っていいでつか?
521日本@名無史さん:03/09/28 10:41
各藩の武士の身分は大きく三つないし四つ
1万石くらいだと二つくらいに分けられます。
522日本@名無史さん:03/09/28 10:49
>>520 浪人は武士じゃない!ただの庶民。だから浪人生は無職と名乗りなさい。
523日本@名無史さん:03/09/28 10:51
1万石の筆頭家老は300石〜400石くらいがふつうです。
524日本@名無史さん:03/09/28 11:13
そんなに多いところは稀だとおもいますが?
525日本@名無史さん:03/09/28 11:22
もちろん家老になれる上士クラスという意味でなく
家柄家老とか世襲家老とかいう意味です。
526日本@名無史さん:03/09/28 15:49
375 :日本@名無史さん :02/08/10 22:41
バーカおめーよう俺の先祖は300石の上級武士だぞ!!
おめーなんか足元にもおよばねーよアホ>>85
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/980510118/
527日本@名無史さん:03/09/28 15:52
俺の先祖は瀬戸内海の海賊だそうですが、ココに書き込んでも、いいですか?
528日本@名無史さん:03/09/28 17:39
細倉謙右衛門って知ってる?

漏れの・・・
529日本@名無史さん:03/09/28 18:50
誰かの首取ったヤシか?
530日本@名無史さん:03/09/28 19:24
>>520
浪人も立派な武士です。
予備校生もれっきとした学生です。
531日本@名無史さん:03/09/29 15:37

分家したら1ランク下がると思え

家老の子孫であっても分家なら御徒頭 分家の分家なら御徒士 分家の分家の
分家なら足軽だ

わかったか
532日本@名無史さん:03/09/29 16:51
>>531 分家したら大部分は1ランクではすまないでしょ。家老の家とかなら次男三男でも養子先はたくさんあるだろうが・・・
    
533日本@名無史さん:03/09/29 17:50
>>531-532 分家できれば立派!殆どは分家できなく部屋住み。
534日本@名無史さん:03/09/29 18:18
うちの先祖は明治時代(時期はわからず)に選挙権を持っていたらしいです。
金はあったってことですかね。
535日本@名無史さん:03/09/29 18:23
うちの先祖は貴族院議員?とかいう国会議員だったらしい。
なんか爵位がどうとかあって、とにかく昔は武士で偉かったと聞きます。
そんなこんなで歴史に興味持ち始めました。
536日本@名無史さん:03/09/29 18:29
534=535 その割に詳しくないな
537日本@名無史さん:03/09/29 18:36
534=535?その根拠は?
538534:03/09/29 18:37
535とは別人です
539535:03/09/29 18:38
536さん洞察力ないですね(笑
534さんは、残念ながら僕ではないです。
540日本@名無史さん:03/09/29 18:48
>>535 貴族院議員なら高額納税者や東大教授ならなれます。爵位があるなら図書館で華族名鑑(?)とかそんな本に
   家系図からいろいろと詳細が載ってる。
541日本@名無史さん:03/09/29 19:22
戦前の東大(東京帝國大学)って士族学校っていわれてて
士族かそれに准ずる者(庄屋とか)しか入れなかったと聞いた。
542日本@名無史さん:03/09/29 19:40
>>541 というか旧制中学でてる人間でさえ珍しい時代だから、金のある層に限られるだろうね!
543日本@名無史さん:03/09/30 00:21
漏れのお袋のほうの爺さん、旧大名家・傍系の豪商の27代目として生まれる
→旧制中学卒業→日大中退→予備仕官学校に入れさせられる→いいなづけの婆さ
んと結婚→少尉任官→中尉で敗戦むかえる→GHQに経営してた工場接収される
&農地改革で土地取られる→爺さん、グレる→博徒になる→銀座界隈でGI狩り
を謳歌→→博徒の胴元になる→愛人そちこちに作る→博徒界の抗争に敗れる→
博徒引退→子供の食い扶持に寄生しながらのほほんと過ごす→孫の漏れが生まれる
→漏れを溺愛する→最近涙もろくなった
 だが、なにかコメントすることある?
544日本@名無史さん:03/09/30 00:53
>>543
「旧大名家・傍系の豪商」ってのが意味不明っすよ。
545日本@名無史さん:03/09/30 00:56
日大つーのがバカっぽい
546日本@名無史さん:03/09/30 03:54
旧武家とか
上級武士とか
研究所の一冊も読んだことがないような
厨房スレはここですか?
学問板なのに…w
547日本@名無史さん:03/09/30 04:21
>>546
そういうあなたのせんぞはやはり小作人 ?
548日本@名無史さん:03/09/30 05:54
>546
研究所の一冊とは?
549日本@名無史さん:03/09/30 15:40
>>546
オススメの研究所の一冊は?
550信濃守:03/09/30 17:50
私の先祖は相当遠いですが五奉行の名束正家だといわれてますね。ちなみに
本家は十日町にある。はずです・・・
551日本@名無史さん:03/10/01 02:19
>550
名束って子孫いるのか?
552日本@名無史さん:03/10/01 02:20
>>547>>548
教えてあげない
553日本@名無史さん:03/10/01 02:48
>>552
おぃ、教えたれ。
554日本@名無史さん:03/10/01 03:03
所は一冊、二冊と数えるらしい
555日本@名無史さん:03/10/01 05:23
>>553
やだ
556日本@名無史さん:03/10/01 15:30
研究所=真性ヲタク?氏ね
557日本@名無史さん:03/10/02 01:10
ヴァカがいる
558日本@名無史さん:03/10/02 01:44
無知を晒している暇があるなら、意味のあるレスしてくれ。
559日本@名無史さん:03/10/02 03:08
やっぱりバカ
560日本@名無史さん:03/10/02 03:15
>>559
ヴァカの仲間入りしてどうしるよ。

スレが潰れつつ逝くパターンだな。
561日本@名無史さん:03/10/02 03:58
臨済宗どうよ?
562日本@名無史さん:03/10/02 09:25
>>560
ヴァカの仲間入りしたね。
563日本@名無史さん:03/10/02 13:17
日蓮宗は如何なものか
564日本@名無史さん:03/10/02 15:31
1度久遠寺に行ったことがある
565日本@名無史さん:03/10/02 18:01
漏れは静岡の大石寺に行ったことある。
566日本@名無史さん:03/10/02 19:56
>>565
そりは正宗だろ。
567日本@名無史さん:03/10/03 16:20
三屋清左衛門の子孫
568日本@名無史さん:03/10/03 16:40
2日午前2時ごろ、北条の末裔と名乗る男が小田原城に忍び込み立ち入り禁止の天守閣部分に侵入した
男は「私は北条の末裔でありここに住む権利がある」「無礼者!」などと言っていたと言う
男はその場で駆けつけた警察官に不法侵入の容疑で現行犯逮捕され現在動機などについて取調べを受けている。

●小田原城●
小田原城の背景/大森氏が小田原地方に進出した15世紀初めごろに築城したといわれ、
明応4年(1495)に戦国大名小田原北条氏の居城となる。戦国時代には関東の拠点として日本最大規模の城郭に発展、
上杉、武田の侵攻をも防ぎ難攻不落を誇る。しかし秀吉の小田原攻めでは決戦か籠城かで揉めた「小田原評定」の末、
時の城主・氏直が降伏して落城。

ソース
http://www.esehi.com/politics/update/1002/003.html
569275:03/10/03 20:42
このスレの275です

なんか、地方小藩の下級武士だと思いこんでいたので、わりと偉かったというのにちょとおどろいてます。

その後色々説明を受けたりしましたので、ちょっと書き込んでみます。

実は、親父の歳もけっこうな年齢になってきたので、そろそろおまえもちゃんと把握しとけ、ということで、家系図を見せてもらい、説明を受けた上で、
江戸直前〜幕末の墓所・明治以降の墓所の引き継ぎのための説明を受けました。

家系図は2冊に分かれており、松浦○○氏系図、と大神性○○氏系図、となっておりました。

原本は江戸中期(これはぼろぼろ)、江戸末期の写しの2冊がありました。
大神性○○氏系図の方は、神様につながる系図で、まぁ苦笑するような内容ですが、源平藤橘ではなく、我が家の名字が「氏」となっていることが
ちょっとおどろきでした。

松浦○○氏系図によると。
一番古い墓(これだけは別の場所)の人物は天正15年、この墓の主は、日向高鍋から、「丹州殿」(?)とよばれた松浦氏のだれかに嫁いだ姫につ
いて行く事を命じられ、松浦に来た事になっていました。日向高鍋の本家の隠居と末弟が来たと記述されており、この人が松浦○○家の始祖となっ
ておりました。。


-----つづく
570275:03/10/03 20:43

その後私まで16代、江戸中期以前の墓は、昭和初期に崖崩れで失われたそうで、祖父が調査したときの墓地の配置図だけしかありません。

その後墓所は移って、当主とその妻、夭折した子、たまに中間?従者?の墓がセットになって数代分、結構な数残っています。

系図には、それぞれの当主について生まれ、家督を継いだ時期、役職がそれなりにこまかく載っています。
レス下さった方の指摘にも関係が有ると思うのですが、江戸時代の中頃に、殿様のそばの役職についており、その人から墓所が殿様墓所区画の
隣接区画に引っ越しております。
殿様に名前を変えろと言われたから変えたとか書いてある人もおり、殿様の側近くに使えていたのは事実のようにも思えます。

役職等もはっきりしているので、もっと詳しく調べられそうな気もするので、藩の公文書などを当たればよいかと考えては見た物の、平戸藩のような
小藩の文書は出版されてもいないようで、どこに当たればいいか見当も付きませんが、まぁこれからじっくり調べてみたいとおもっています。

こういう事を調べるに際して、参考になるスレなど教えて頂けるとうれしいです。

日本史は好きなのですが、興味の対象が平安時代以前なもので、江戸期の基礎知識が足りず、系図をみてもいまいちピンとこないので、これから
勉強します。


長々と失礼致しました
571日本@名無史さん:03/10/04 03:33
>>570
市役所の観光課とか市史編纂室とか市の教育委員会にきいてみるとか。
市史を見るとか。
572日本@名無史さん:03/10/05 21:08
>570
へー、久しぶりに偽じゃない上級武士の子孫の登場ですね。
しかも、その分でいくと本家なんですね、
凄い凄い、結構みんな分家の人多いからすっごくレアですよ。
興味あるから、いろいろ書いてよ、お願い。
573:03/10/05 22:50
>570
そこまでちゃんとした家系図が残っているってすごいですね。
うちは曾おじいちゃんが調べてつくったのがあるけど、
南北朝後に奈良から都落ちして地方に移り住み,豪農になってから
地元の士族に養子にいったらしいってことはわかります。
あと父方の方は家光公の家老に仕えた武士らしい。その曾おじいちゃんは
高校の卒業証書にちゃんと士族って書いてあったといっていました。
574日本@名無史さん:03/10/06 02:19
>>570
571にもあるけど、武鑑とか侍帳とか、市史の資料編とかにのっている場合多いよ。
575日本@名無史さん:03/10/06 11:46
>>485
ソースは?
576日本@名無史さん:03/10/09 22:13
577日本@名無史さん:03/10/10 03:13
>>575
脳内
578日本@名無史さん:03/10/10 03:39
そうだYOそうだYOソースだYO
579日本@名無史さん:03/10/10 06:20
うちは大内家家臣の杉氏の末裔らしい。
580:03/10/14 00:23
書きこみが止まったなあ。
581日本@名無史さん:03/10/14 21:25
下克上でもされたんじゃねーか。
582日本@名無史さん:03/10/14 23:39
513=518氏は、高鍋藩の家老筋だろ?
583日本@名無史さん:03/10/15 01:44
先日埼玉某所の父方の本家に言って話を聞いてきたけど、
900年前くらいまえに先祖が加賀の国から逃げてきたか
やってきたのか、とにかく今の場所に住み着いて、以来代々
そこに住んできたそうです。今でも築300年の萱葺きの家に
住んでいます。江戸時代は郷士だったそうです。
584日本@名無史さん:03/10/15 01:53
>>583
浄土宗か平家の落人か。
585日本@名無史さん:03/10/15 02:14
>>583 その郷士だったというのもなー!郷士っていろいろな使われ方をしてるようで・・・一応維新後士族かい?
586583:03/10/17 00:16
>585
それは聞かなかったので分かりません。
家の裏手に代々の墓石が30〜40くらい並んでいて、
その裏手には風化した墓石が沢山集められていました。
墓石に刻まれた家紋は梅鉢というものだそうです。
587日本@名無史さん:03/10/17 18:51
>>579
吉田松陰が吉田家に養子に行く前の家も杉家でしたよね?
588日本@名無史さん:03/10/18 10:41
小藩の城主だったけど、これも上級武士から見れば下級武士だよね?
某大名の下での城主だったらしいから。

母方がそうで、神主も兼任してたらしい。
どんどん没落していって母達の代では貧乏のどん底。
よってみんな中卒(某職業の学校には行ってるが)。

父方は流しの謡うたい(?)。
こちらも超がつくほど貧乏だったらしいが、何故か
父が飛び抜けて頭良かったらしく(他の兄弟も悪くない)
神童と呼ばれ、教師やらなんやらが金を集めてくれたらしく
旧制一高→東大(病気により中退)。

そして自分は専門卒の馬鹿(兄弟は違う)。
親の出自や出来の良さを自慢したいものの、自分の立場を
省みると恥ずかしいばかり。
だからここで自慢してみますた。
589日本@名無史さん:03/10/19 23:35
>588
先祖が立派でも自分が馬鹿な場合、先祖を自慢したら.....




ご同情申し上げます。
590日本@名無史さん:03/10/19 23:41
わたしの祖先(父方)は武家の出ですが、絶対に自慢できません。
なぜかといえば、江戸城で刃傷沙汰に及んだ先祖がいるからです。
それも二人も。。。。
591日本@名無史さん:03/10/20 02:59
>>588
>小藩の城主だったけど、これも上級武士から見れば下級武士だよね?
>某大名の下での城主だったらしいから。
>母方がそうで、神主も兼任してたらしい。
>どんどん没落していって
妄想だと思うけどまじめに答えると。

城主は下級武士ではない。
大名の下の城主とは江戸時代少ない。
江戸時代に神主と兼任は有り得ない。
592588:03/10/20 12:16
>>591
神主と兼任は江戸時代かよくわかってません。すみません。
ちょっと別件でこの板来たバカなので詳しくない。

お墓はお寺さんにありますが、拍手を打ちます。
伯母が本家?を継いでるのですが、県の博物館の方が来て門に
掲げられていた板?に書かれている絵を調べていきました。
もう何が書いてあるかほとんど見えなくなってるので
赤外線?かなんかを当てて調べたそうです。
結果はなんか算術の絵だったらしいです。
隣の県の博物館の方がうちの先祖を研究テーマ?にしたいとかで、
一時期度々来ていたようです。
研究発表冊子のようなものが母のところにも送られてきました。
先祖は一応市や県の史誌みたいなのには載っています。
城は平城だったそうです。
某有名戦国大名の父親とお金の貸し借りをした証書?みたいなのが
確か博物館かどこかに展示されている筈です。
その戦国大名が徳川の時代になって別の県に移っていったときに
長男がついていき、次男が本家を継いで今に至るそうです。
古いデカい墓石が2つあるのですが、その1つに書いてあるのは
「藤原○○××美作守〜」(うる覚え)とかなんとかいうのでした。
現在の姓は「藤原」の部分ではなく○○か××の部分です。
593日本@名無史さん:03/10/20 13:08
>592
ごくろうさん。
でもすべてあやふやだ。そんなもの並べても意味は無いよ。
確認できるのだから確認しよう。

すくなくとも江戸時代の城主ではないようですね。
国人領主といったところでは?

それから「うる覚え」などという2ちゃん用語はやめよう。

594588:03/10/20 15:10
すいません。軽い気持ちで書き込んでしまったようですね。

正直、母方はみんなそれほど昔のことには興味がないらしく
(かなり貧乏したので昔のことよりこれからのこと、という
意識が強いらしく、先祖のことは一応伝えておくという程度)
博物館の方が来て調べたい、と申し出等があっても
「どうぞどうぞ、ご自由に」という感じで、報告があっても
「あーそうですか」的ノリでしかなく、自分も特に
確認したいという気持ちがなかったんですな。
史誌なんかは読んだことがあるので特に疑問も感じてなかったし。

この板・スレの空気が読めてなかったようで申し訳なかったです。
595日本@名無史さん:03/10/20 17:29
ここは江戸時代に武家であった家系が先祖自慢をするスレです。
596日本@名無史さん:03/10/20 17:35
>>593 国人領主って何?
597日本@名無史さん:03/10/20 18:53
「苗字帯刀」の 4 でも読めや。
武家の癖に国人領主も知らんのか?
これだから足軽の出身は困ってしまう。
598日本@名無史さん:03/10/20 22:02
お前らってさ、今でも徳川家の人間に会ったら畏まるのか?
過去に縛られるなよ。
武士の誇りは結構だが、他人の先祖を貶す奴は恥を知れ。
599日本@名無史さん:03/10/20 22:48
武士や武家を語るんなら略史くらい理解してろっつーこと。
600日本@名無史さん:03/10/20 22:55
なんで学問板なのにいちいち煽らんとならんのかねこの人たちは
601日本@名無史さん:03/10/20 22:56
正月実家に帰って昔の殿様に新年の御挨拶行く時は畏まるさ。
ただの礼儀だろ。
602601:03/10/20 22:57
>>600
ごめんなさい。
603日本@名無史さん:03/10/20 22:57
我が家は士族ですが、やはり気位高いですね(笑。
604日本@名無史さん:03/10/20 23:13
島津家当主を至近距離(2m以内)で見たことがあるが、貴族的な雰囲気はあるな。
しかし、漏れの先祖とは敵同士だったので、畏まることなんぞなかったがな。
605日本@名無史さん:03/10/20 23:16
>>604
言葉も交わさずすれ違っただけだろ。
606日本@名無史さん:03/10/20 23:18
いや、某所の祭事で斜め前に座ったんだが、何か?
607日本@名無史さん:03/10/20 23:21
島津さんは気さくな人ですよ、声かければ良かったのに。
608日本@名無史さん:03/10/20 23:24
皆さんは武士の子孫として、常日頃から気をつけていることは
ありますか?
私は寝室のドアの前にコンビニ袋を敷き、夜討ちを察知できるようにしています。
609日本@名無史さん:03/10/20 23:26
>>608 結構ワラタw
610日本@名無史さん:03/10/20 23:26
ああ、確かに祭事を執り行っている地区住民の皆さんと分け隔てなく普通に会話していたな。
偉そうぶっているようなところは感じられなかった。

ちなみに、漏れの先祖は大和大納言秀長の旗本衆だった。
611日本@名無史さん:03/10/20 23:27
610>607
612日本@名無史さん:03/10/21 02:03
>610
へえ秀長の旗本に特化してるってことは秀長の死後禄を離れたのか…
だれ?
613日本@名無史さん:03/10/21 02:12
>>598
畏まるとか思ってたんだw
それは、水戸黄門の見すぎです。
614日本@名無史さん:03/10/21 02:40
>598
つーか、自分が主家の殿様に出会ったら無意識に絶対畏まると想像つく(苦笑)
(会ったことないけど)
この時代に馬鹿みたいだけど、そういう価値観で育てられたからだろうな。
まあ武家の性(さが)だと思うしかないねぇ、悲しいけど。
将軍家はちょっと遠すぎて逆に畏まらないだろうな、多分。
いずれにしても我ながら馬鹿な話だがしょうがない。
615日本@名無史さん:03/10/21 02:45
何ヶ月か前の写真週刊誌に載ってたが、有馬家(だったかな?)の子孫(社長)
が、江戸時代には直属の上司であった徳川某家の子孫(役員)を「徳川くん」と
呼んでいるというエピソードが出ていた。
616日本@名無史さん:03/10/21 02:50
殿様と話をしたことあるが、歴史に詳しいわけでもない普通の人だよ。
殿様より俺のほうが詳しかった。そんなもんだよ。
617日本@名無史さん:03/10/21 03:41
小学校の時、足利さんがいた、俺は管領家と同じ名字(たぶん両者とも関係はない)。
授業で室町やってた頃は、お前の先祖は足利の家来とからかわれたよ。
まあ、畏まりはしなかったが、困りはした。
618日本@名無史さん:03/10/21 05:11
俺は「林」というが、「徳川」くんの家に行くと、
その親には随分と畏まれたよ。
歴史の授業で林家は徳川家の教育者みたいなことを知り
これが関係してるのかな?なんて思ってたが違うようだ。
今に至ってそんなのが関係してると思えない。
単に徳川くんの親の社交辞令だったようだ。
誰に対しても腰が低く、丁重な対応をされるご両親のよう。
ちなみにうちのルーツは長州藩士であるw。
619日本@名無史さん:03/10/21 12:54
畏まれたと丁重な対応は違うだろ
620日本@名無史さん:03/10/21 13:44
江戸時代の殿様はお飾りだった場合も多いし、
馬鹿殿は執行部に座敷牢に押し込められたりしてた。
むしろ今の方が殿様にたいする尊敬心はあるのではないかな。
身近な部分が見えないからな。
621日本@名無史さん:03/10/21 22:33
徳川とかただの成り上がり武士よりも、五摂家の末裔の方がすごいと思う
622日本@名無史さん:03/10/21 23:01
格好良くはないかもな、公家は。
623日本@名無史さん:03/10/22 00:34
>>621-622 私は「旧公家」の末裔ですスレ作れば?麻呂はめんどくちゃい。
624日本@名無史さん:03/10/22 00:46
>>623
公家の末裔は2chには少ないと思う。
あ、スレが出来れば沢山出てくるのかな?(笑い
625日本@名無史さん:03/10/22 01:47
>>621
すごいかどうかは、歴史史観の違いかな、
626日本@名無史さん:03/10/22 05:19
公家ってどんな仕事してたの?
五摂家だと大名みたく長屋門を構える屋敷に住んでいたのだろうか?
627日本@名無史さん:03/10/22 12:12
>>626
わたくし、自分自身がお公家さまの子孫でないので、

興 味 な し 。

ほかのスレでやってほしい。

よくて小藩六奉行クラスの武家の子孫でしかない私にとって、
あんまり知りたくない情報なのだ。
628日本@名無史さん:03/10/22 19:00
明治維新で久々に日の目を見たお公家さんも敗戦で再びあぼ〜んですが、
まあ公家の棟梁たる天皇家は存続しているが、武家の棟梁たる徳川将軍家
(異論もあろうが漏れは親藩の陪臣なので徳川家をもって武家の棟梁とする)
が去って久しいですなぁ(遠い目)
629日本@名無史さん:03/10/24 02:42
>628
徳川家が武家の棟梁に決まってます。
ここで、それ以外の意見を言う奴は今の所いなさそうなのだが。
やっぱり、いるのかねえ、徳川家なんてただの成り上がりだなんていふひとが。
どちらにせよ、徳川の家は法的には保護されていないが、いまだに健在なので、
いいんじゃないの?
630日本@名無史さん:03/10/24 06:36
私の先祖は御馬廻150石ですね。
祖父から伺いましたが、今に換算すると年収2000万円超らしいです。
年収2000万円超といいますと、大企業の重役レベル。省庁の事務次官クラス。
国民の上位0.001%に入る高額所得者ですね。
631日本@名無史さん:03/10/24 07:26
>>630
出費(身分を保つための費用、衣服、交際、家来・下男下女)も多いので、現代の感覚では実際はそんなに裕福ではない。
財政状況による支給額の削減もあるし。
632日本@名無史さん:03/10/24 11:30
150石で年収2000万円って…
妄想だよそれは
633日本@名無史さん:03/10/24 11:37
子供たちは現在の給料の感覚も分からないだろうが、夫婦で公立高校の教師している先生とかよくいるだろ、40代なら夫婦での年収は1500万超だぞ。
634日本@名無史さん:03/10/24 11:39
夫婦でって…
635日本@名無史さん:03/10/24 12:00
家の親はキャリア官僚だけど給料は年収1600万超だが、手取りは900万ぐらい。現実はこんなもんだ。
636日本@名無史さん:03/10/24 17:46
私は年収1500万円です。通勤はマイカーです。
馬で登城する200石中級武士といったところでしょう。
637日本@名無史さん:03/10/24 22:36
島津とかの方が家柄は良い
638日本@名無史さん:03/10/25 02:23
>637
まあね、どれだけ天皇家や藤家に近い血筋かで家柄を判断すればそうなんだけどね。
でも、結局300年間天下に安定な時代をもたらしたという意味で、
全ての始まりである源氏宗家と並んで、武家の中の最高の家だと評価するべきだと思うよ。
実際、ここにいるほとんどのものは、恩があるわけだしさあ。
639日本@名無史さん:03/10/26 01:21
漏れんちは恩なんかないよ。関ケ原で西軍だったみたいだし。
640日本@名無史さん:03/10/26 01:26
>639
その後、江戸時代に主君から禄をもらっていたのだろう?
その主君の統治が徳川家に仕えているんだから、
どちらにせよ、一応陪臣の陪臣ということになるじゃないか。
このスレで、徳川家のことを悪く言うのはどうかと思うが。
641日本@名無史さん:03/10/26 01:32
>>630
ヴァカか?
石高は、特別に役料が出ている場合や公費出費がある場合を除いては、奉公に要する賄いは
全て俸禄で行うんだから、額面どおりに手元に入るわけじゃあない。
馬廻り役なら馬を飼う経費は全て自分持ちだろ?

事務次官クラスなら、旗本なら5000石くらいだろうな。
150石って、堀部安兵衛と同じじゃん。堀部安兵衛は事務次官クラスなんかではない。
家老の下の奉行の下のそのまた下の足軽組頭。勘違いすんな。

馬廻と足軽組頭の違いはあっても、俸禄が同じなら大して変わらん。
642日本@名無史さん:03/10/26 01:34
>>640
ちがうだろ?
外様じゃあ一部の大名を除けば、仕方がないから仕えてたのが殆ど。恩なんか感じちゃいねぇ。
643日本@名無史さん:03/10/26 02:27
>640
一度、徳川家に歯向かった家は取り潰されなかっただけでも、
恩をかんじるべきだと思われ。
それを逆に怨み持つは、何事ぞ。といひたい。
644日本@名無史さん:03/10/26 02:34
まあ、島津や細川といった連中から見れば、
そもそも、徳川家自体が成り上がりの田舎侍にしか見えないのだから、
恩を感じなくても仕方がないのではあるが。
その家臣たちもやはり同じようなものなのだろうか?
645日本@名無史さん:03/10/26 02:42
秀吉進攻→取り潰し&近隣大名家に組み入れ再編→関が原ではいやいや西側→完全に取り潰し→帰農


酷し。
646日本@名無史さん:03/10/26 07:18
>643
>一度、徳川家に歯向かった家は取り潰されなかっただけでも、
>恩をかんじるべきだと思われ。

なにを考えてるんだか。
薩長や土佐の長宗我部の一領具足など、徳川に遺恨を持つ侍は多かったと思われ。
まともな侍なら飼いならされるわけないだろ。
漏れの先祖は東軍だが、西軍の気持ちも分かる。
647日本@名無史さん:03/10/26 07:26
東軍=譜代
西軍=外様 おk?
648日本@名無史さん:03/10/26 10:58
>>644
うちの祖母の家系は島津に仕えてたから(どうせ下級だろうが)、
俺が「信長の野望」なんかで徳川家康でゲームしてるといい顔をしないんだよな(w

俺は家康も好きだけど、江戸期の武士のトップなだけで、家柄なんて全然高くないと思うし
649日本@名無史さん:03/10/26 11:27
まあ家柄よりも実力が物を言う訳だな。
徳川に反感持つのも、要は負けたから。
650日本@名無史さん:03/10/26 12:45
流れを無視してカキコ申し訳ない。
このスレ武家出身の人多いみたいだから聞くけど
子供の頃からの家庭の教育での特徴みたい
なのある?
俺も子供の頃、怒られ方とか、価値観だとか
随分、武士であることを意識して育てられた
んだけどそれが普通なのかなあ。
昔から疑問だったのだ。友人の出自なぞ
いちいち聞かないし。
経験談教えてくれ。
651日本@名無史さん:03/10/26 13:39
子供のころ雨が降ってきて傘がないので走ったら、親に言われた。
「武士の子は雨が降ったくらいで走るな」
ちょと納得いかなかったのを覚えているが、いまでもなんとなく走らないw

食事時によく言われたのは、
「ご飯つぶはお百姓さんが一生懸命作ったものだから、
1粒でも残してはいけません。」
おかげで今でもめったにご飯粒は1粒も残しません。
たまに忙しいときとか残すと罪悪感感じる。
652日本@名無史さん:03/10/26 14:13
久しぶりの出没だが・・・庄屋の家系のうちも雨が降ったくらいで走るな!もいわれたし、道は真ん中歩くものだと厳しく言われた
せいで子供の頃は自転車でも道路の真ん中走りバスの運転手に怒られる有様。武士はくわねど高楊枝は毎日のように聞かされ!
いつも背筋はぴんと!などなど・・今でも厳しいです。
653日本@名無史さん:03/10/26 16:02
>651, 652
うーん、道の端っこを歩いては、いけないのですか。
それに雨が降っても、走っちゃいけないのですか。
なんといいますか、御2方とも厳しいお家柄なのですね。
 私の所は下級でしたし、維新の後早くに財を失い、
祖父の代からは普通に大坂の下町の商店街で商人をやってましたから。
最早、そのような躾は残っていませんでしたよ。
大体、父はちょうど団塊の世代で社会主義にかぶれてましたし、
おかげで祖父と父の間の家系的な口伝はほとんどありませんでしたし。
まあその分、母が割と上級の今までしっかりと守っている家の出でしたから、
祖父から色々教えられていたようですが。
おかげで、私はほとんど特殊な教育は受けてませんよ。
ただ、>651さんのご飯を残しちゃあいけないというのは常識じゃあないでしょうか。
多分、武家の家以外でもそう教わりそうな気がしますが。
 ちなみに私は、何故か気づいたときには、将来学者になることが決まっていましたが、
それは家系云々と言うよりは母の趣味でしょうね。
654日本@名無史さん:03/10/26 23:00
家系をひけらかすなと言われたことはあるな。
655日本@名無史さん:03/10/27 00:00
>654
まあ、だからこういうところでしかみんなしゃべらないわけで・・・。
みんな、似たようなものなのよ。
でも、たまにはひけらかしたくなるでしょう?
だから、ここにはそういうスレが多いのよ。
656日本@名無史さん:03/10/27 00:27
本家の奴らは家でも正座。
おまいら、下の名はどんな感じ?
「武士には武士の、百姓には百姓の名がある。」と親父が言ってました。
やっぱ、通字使ってる?
657日本@名無史さん:03/10/27 00:33
麿つかってる
658日本@名無史さん:03/10/27 00:42
それは浮くなぁ。
まぁ、最近の変な名前よりは遥かに良い。
659653:03/10/27 02:15
まあ、そんなわけで、私の名前はごく普通の一般的な名前ですねえ。
ただ、母方の従兄弟達はみんなかなり特殊な名前になっている。
通字と言うわけではないけど、いくつかのその家系で特有の文字を必ず入れてるね。
そういう名前を持っている奴は、何時ごろ自分の名前が特殊だって気づくのだろう?
小さいときに、自分の名前漢字で書くの苦労するんだろうなあ。
660日本@名無史さん:03/10/27 02:48
ウチの通字は「勝」。
最近、減ったよな、美しい日本人の名が。

661日本@名無史さん:03/10/27 03:07
>660
まあ、その美しい名前は小学校では逆に浮くわけだが・・・。
ちなみにどういうのが「美しい」名前なの?
やっぱり、とりあえず漢字2字だよね。それからそれから?

そういやあ、じゃあどういうのが農民の名前なのだろう。
○○左衛門ってタイプは、武士だっけ?
いまじゃあ、いないだろうなあ。
662日本@名無史さん:03/10/27 03:36
栄作とか農民ぽいな。義宗とか武士っぽいよな。
あと何々左衛門○○が普通だろ。
大体、まともな家の者なら、子供に騎士(ナイト)、宇宙(ソラ)とか付けんだろう。
そういうところが武士、公家と庶民の違いです。

663日本@名無史さん:03/10/27 03:46
>662
じゃあ、そうだなあ・・・時代劇によく出そうな、○五郎とか○兵とか佐七とか○衛門
は農民系?
ってか本当に名前だけで身分分かる?下の方微妙じゃない?
664日本@名無史さん:03/10/27 03:56
ていうか、通称だと武士も農民も共通のものが多い。
武士の名前も名字とイミナを取ったら、庶民と変わらない。
旗本でも平蔵とか小吉とかいたし、農民でも名主は忠敬とか名乗ってる。
665日本@名無史さん:03/10/27 04:08
>663
だから、○五郎とかは通称だろ。
お前の言ってるのは足利又太郎尊氏の又太郎、
柴田権六勝家の権六だろうが。
666日本@名無史さん:03/10/27 04:40
>>665 うち庄屋だけど・・・○○(苗字)+○兵衛(世襲名)+名前(武士っぽい)だぞ、どういうこった?
667665:03/10/27 05:04
確かにイミナだけでは微妙かも。正直、スマン。
ただ、現代において武士の子孫やまともな家の者なら、
子供に変な名前はつけないだろ。それぐらいの分別はつくよな。
義宗ー義高ー義則ー亞乗度(アーノルド)とはならないだろう。
668日本@名無史さん:03/10/27 06:05
武家出身の軍医総監森鴎外の息子は於兎(オットー)。
娘は茉莉(マリー)や杏奴(アンヌ)。
669このスレの1:03/10/28 01:52
最近、煽りが少なくなって板も平和になりましたね。
臨済宗でなければ武士にアラズ論争も一段落したようですし。
常連としてはうれしい限りです。
皆さん、このような感じでこれからもこのスレをマターリと続けていきましょう。
670日本@名無史さん:03/10/30 01:49
保守的挙げ!
671日本@名無史さん:03/10/31 07:22
分家だともはや名前なんてどうでもよくなるんだよね。
672:03/11/01 02:54
私の家ではパジャマで朝食を食べるのは禁止だったなあ。
これって普通か。
673日本@名無史さん:03/11/01 04:42
>>666 多分、天領じゃないの?
674日本@名無史さん:03/11/03 15:04
先祖オタクか・・。アニメのキャラクターや設定に夢中になってるのと変わらんなw。
先祖が立派=おれたちも立派 って思いたいんだろうが
2ちゃんでグチグチ書いてるだけなら負け犬。
自己の社会人としてのキャリアとかについて語る方がはるかに健全だなあ。。
虎の威を借る狐だね。

武士だっていうなら何藩の何某とか明記してくれないとw
675日本@名無史さん:03/11/03 19:05
>>674
自分はどこから来てどこへ行くのかっていう、
純粋な疑問は、みんな持ってるんじゃないのかな。

カキコは、匿名だからこそ、おもしろみがあると私はおもっている。
だから、わるいけど、中世の武士みたいにいちいち名乗るのは、控えたいと思う。
676日本@名無史さん:03/11/03 19:15
私の先祖は維新に至るまで武家です。かなりの重臣でした。
しかし明治以降は士族ではありません。譜代で賊軍だったからに他ありません。

こういう例もあります。
677666:03/11/03 20:05
>>673  ハイ!思いっきり天領ですけど・・・なぜ?
678日本@名無史さん:03/11/03 20:07
>>676  詳しく知らないんだけど、賊軍として藩が減封になって首切られたパターンか?
679日本@名無史さん:03/11/03 20:33
>676
今の戸籍には士族の記載はないのだから、自分で分かっていれば充分と思われ。
士族だったということより、武家だったということのほうが重要。
明治以降の身分にこだわってもしょうがない。
680日本@名無史さん:03/11/03 20:36
大昔に宮崎の人に見せてもらったと同じだから。
681日本@名無史さん:03/11/03 20:57
>>677
おい天領坊主!オメー何処のもんだ?
漏れの先祖は長崎だゴルルァ!!

やっぱさ〜 先祖が長崎とか江戸とかだとよ
優越感に浸れるよな藁
682日本@名無史さん:03/11/03 22:34
長崎の椰子なら、隠れキリシタンだったら根性もあるが、転びキリシタンだったらヴァカ丸出し。
683日本@名無史さん:03/11/03 23:21

円谷幸吉が東京オリンピックのマラソンで後ろを振り向かなかったのは
前の試合で後ろを振り返っておやじにこっぴどく叱られたからだそうだ

おかげで負けたし、こういう歪んだ思想によって自殺に追い込まれた
のではないか?
684日本@名無史さん:03/11/04 13:29
武家の末裔だったら、知られてない歴史の裏側とか公表しる。
こんなんじゃ机上の空論だよ。
685日本@名無史さん:03/11/04 13:43
>>673 天領だと庄屋は武士みたいな名前になるのかい?
686日本@名無史さん:03/11/04 14:50
漏れの苗字は源氏満政流の一端であるということ以外わからん。
687日本@名無史さん:03/11/04 15:46
>>685
>>680です。他人の旧戸籍を見まくってるわけじゃないから解らないけどね。その人は、「天領なので勝手に名乗ってた臭い」と言ってた。
688日本@名無史さん:03/11/04 18:49
>>687  かってに二本差さしてたりして・・・・
689:03/11/06 23:28
私のおばあちゃんの実家はお公家さんだったのかな?
苗字を調べたら小野妹子よりも前からあった。
でも没落したから引き継いだものといえば
なよなよした言葉遣いだけだなあ。
690日本@名無史さん:03/11/07 00:37
もまいさんがどうかは知らんが、和気ってのに結構医者が多いのは、あの和気一族だからか?

菅原氏に属していた醫(薬師)に、半井(なからい)一族というのがいて、惣領家かどうかは知らんが、
工業薬品会社をしているのがいるな。

公家の話になった、スマソ。
691日本@名無史さん:03/11/17 00:57
森鴎外は典医だから武士なのか?
森英恵のも医者の家系で実家が近いから関係あるのかもな。
弟は東大医学部卒だそうだ。
森毅の父親も山陰の出身だそうだから、森という家はいい家なんだろうな。
692日本@名無史さん:03/11/18 00:55
武家スレは私一人になっても守ってみせる!
ここで伝統を閉ざすものですか!
693日本@名無史さん:03/11/18 01:05
漏れは静かに見守る。
694日本@名無史さん:03/11/18 01:08
>>691
でも森英恵はセックス好きらしいよ。
私も若い男とラブホにいるのを見たことある。
まあ華があっていいが(そういう世界の人だし)。
695日本@名無史さん:03/11/18 02:11
>>694
おばあさんだよw
まぁ息子が売れてる元フォーク歌手のおばさんも激しいけどな。
696日本@名無史さん:03/11/18 17:43
漏れんちは仙台藩の小平家の直系。
ご先祖は鉄砲技術を伊達家にもたらしたとかで、16代と20〜24代の家老を勤めたってさ。
御一新後は鍛冶職人囲って起業、うまくいってたけど満州で塩田をはじめて失敗。
今でも細々と町工場いくつかやってるよ。ウチのねじはスペースシャトルでもつかわてれてるんだと。

漏れは次男なのでのんきにリーマン生活。冠婚葬祭の煩わしさを継がなくていいのはとても気楽。
697日本@名無史さん :03/11/18 20:29
先祖が何したか知らないが、〜の末裔、などといって自分の事を
自慢するのが信じられない。
698日本@名無史さん:03/11/18 22:24
「先祖は薩摩藩の武士」
とまあ、聞こえはいいが、借金取りに追われて夜逃げしたんだってよ(ワラ

俺は士農商全部入ってるから自慢とかする気もないけどな。
てか、未だに武家の純血の奴ってこのスレにいるの?
699日本@名無史さん:03/11/20 02:23
>698
よっぽどの格の高い家でないと、東京や大阪のど真ん中に住んでいる場合、
旧士族だけで婚姻するのはくるしいとおもわれます。
うちのところも、基本的にはすべて見合い結婚なのですが、
それでも曾祖母の家系だけは農民の家系です。
それでも、田舎のばあいはまだ結構親戚だけで婚姻している家もあるんじゃないでしょうか、
その場合はいまだに武家の純血ということになりますね。
700日本@名無史さん:03/11/22 16:55
>>697
そうそう、現実社会で家系自慢なんてしてる奴はその瞬間に差別対象だね、俺ん中では。
701日本@名無史さん:03/11/23 04:28
お父さんは家はもともと武家だと言ってる
自分の家紋は目結で家には目結の浴衣や布団は有るが
刀や家宝の類はないしスラム街ののような公営住宅に住んでます。
702日本@名無史さん:03/11/24 23:32
>>699
うちは母方父方全部武家出だよ。
703日本@名無史さん:03/11/27 06:33
家系自慢はアリだよ。生まれは選べない分、究極の運試しとも言える。
いい家系に生まれた人は、それ自体が得か否かは別にして、生まれながらに心に誇れるモノが一つあって「運がいい」と言うことを合理的に自慢できる。
それくらい許容できない了見の狭いヒトは、生まれは関係ないので「育ちが悪い」と言うことで合理的にバカだと言える。
704日本@名無史さん:03/11/27 20:39
父方は大和国の国人領主で母方は伊勢国の国人領主。

今の仕事でウマの合う人と極端にウマの合わない人がいる。
ウマの合う人は日向国伊東氏の末裔で、九州征伐の際漏れの先祖と共に秀吉軍側。
極端にウマの合わない椰子は、系統上、都城島津家の近縁者。

420年前の因縁かな?(九州征伐は1585年【天正15年】)
705日本@名無史さん:03/11/27 23:29
>>702
全部?絶対、全部?
ほんとだとしたら結構な家柄だね。
706日本@名無史さん:03/11/27 23:35
↑いや、そうでもないよ。
地方の城下町だったりすると(それも小都市ほど)
未だに武家町と町人町は区画が違う。
さすがに今時は自由恋愛なのでそういうこともなかろうが、
ほんの数十年前までは暗黙の了解でつりあった家系同士が
通婚していたということが結構あったはず。

例えば、大分県杵築市の旧城下町は、家老以下の身分による
地割が未だに根強く残っている。旧身分は一目瞭然。
707日本@名無史さん:03/11/27 23:39
だから、純潔の士族でも、上士か中士か下士かわからない。
708日本@名無史さん:03/11/28 22:58
>>702
でもないよ。母方は郷士と武士で、父方は武士と公家(?)の子孫。
母方の方は戦争中で男性不足だったから結婚できたようなもの。
母の父が豪農出の郷士で母の母はまあ名家だったらしいけど。
うちは女性の方が良い家の出身みたいだなあ。
709日本@名無史さん:03/12/11 21:52
           ,,. -――‐-- 、,,_
       ,、‐'"          `ヽ、
      /             -、.ヽ、\
     /..::´      ...,,, __    `\  j
   / .::´  ,..      z-一''"´ ̄`ー一'|
   / '   .:'´      ヽ、 \        ',
  ,' .: .:..:::::::::::    ...`ヾ、、ヽ.  ,,.-‐‐-、_」、
  | :..::::::::::::::::::::.....::::::::::::::::::::::::_」    _,,.‐''´:.:|:.|
  l ::::::::::::;::::::::::::r-、____∠r‐一'''´ |r'´i:.:.:.V!
  ', ::::::::/::::::::::::j l7`ヽ.-、:::「ヽ、:.:.:.:.:.:.:|`ヽr:.:.j \
   ',:::::::l::::::::::::::| 、 /´`! ヾ|   `ヽ、:.::l:.:.:.:.:./ _r‐'
    |:::::j:::::::::::::::〉、ヽ、_ )        `'┴'''"´ j    >702それ以上虚勢を張るのはお止めなさい。
   |::/::::::::::::::/  `ヽ,_,.-,         _,r一i
   |/:::::::::::::人_    |        (ゝニイ
   |::::::::::/‐-、_::`ヽ、   ヽ、        〈
   j::::/ ̄`ヽ、 `ヽ、::` ー- 二ニゝ、.,,__ノ
   / /        \   `ヽ、::::/、_
 / /ー-、         \   ``''7l
/ イ'::::::::::::`ヽ、      \  /:::|
〃/:::::::::::::::::::::::`'''ー-、   \/::::::|
//:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\   ヽ,::::|
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\   ヽ:!
710日本@名無史さん:03/12/12 04:25
てかこういう話はその当人たちじゃないと分からないよね。
話す家系も無いような人にはもともと理解できないよ。w
711日本@名無史さん:03/12/13 00:56
>>702みたいなのは武家の血が入っているとはいえ下級だろう。
712702&708:03/12/13 21:38
まちがえた。自分にレスしちゃった。
正しくは>>705
713日本@名無史さん:03/12/14 01:40
はずい奴だな
714日本@名無史さん:03/12/20 14:17
一時期あれだけ盛り上がってたスレなのに、すっかりさびれちゃったね
715日本@名無史さん:03/12/20 14:24
>>714 落ち着いて考えたら旧武家なんて本当に分かる椰子は少ないのでは?昔の何らかの資料があるか、
旧城下町にずーと住んでないと・・・。
716日本@名無史さん:03/12/20 20:15
実家には錆た鑓が1本と錆錆刀が大小2組。

あと、死んだ婆ちゃんから聞いた話でよくわからんけど・・。

鉄砲が1丁あつたけど終戦前に警察に供出した。

一番良い刀は爺さんが兵隊に持って行きって中國に置いてきた。

昭和の初めに銀行潰れるまでの長持の中に
戦の時の為に鎧兜と小判が100枚あつたという事です。

あと、江戸時代は福井の殿様に何年かに
一度挨拶に行っていたとか聞きます。

これってなんなんでしょうか?

ちなみに現在は農民兼サラリーマンです。

717日本@名無史さん:03/12/20 21:30
>>716 それだけじゃなんとも言えんなー!
718日本@名無史さん:03/12/20 21:41
>>716
>一番良い刀は爺さんが兵隊に持って行きって中國に置いてきた。




               -=・=-    -=・=-                



719日本@名無史さん:03/12/21 00:21
>>715
義父の東京帝国大学の卒業証書には、義父の名前の下に士族と
書いてあります。
720日本@名無史さん:03/12/21 14:30

死族
721日本@名無史さん:03/12/21 14:45
いつ頃まで大学の卒業証書に族籍がかかれてたのかな?
722日本@名無史さん:03/12/21 16:11
>>719
義父ってことは血がつながってない、つまりアンタは士族の子孫ではない。
723日本@名無史さん:03/12/21 17:57
>>721
昭和6年の卒業証書です。
>>722
親は平家の落ち武者の子孫だと言ってますが、何の証拠も
ありませんし、そんなことは自分の人生に関係がないことなので
証拠探しをするつもりもありません。

義父の件は丁度手元にあったので書いてみました。
724名無し:03/12/21 22:54
私の母方の先祖は旧幕臣の旗本でお庭番であったという。
曽祖父は12歳の時ある日突然両親が居なくなった。任務で地方に出かけて
その先で暗殺された可能性がある。
その後は12歳で家督を継ぐことが許され大奥に使えたという。
「小御番士(ちいのごばんし)さん」とよばれてお菓子をもらったとか。
桜田門の変の時、赤坂見附付近を歩いていた。
生涯人を斬ったことはない。瓦解(幕府の滅亡)で苦しい生活になり、
娘が教員になって生涯を終わった。
725TOSSHI:03/12/21 23:02
私は宮崎の者ですが、私の祖先は鍋島藩の家老であったらしい。
その証拠に、大名の墓の隣かすぐ近くに墓があり、「鍋島藩家老○○」と書いてあった。
726日本@名無史さん:03/12/21 23:06
お庭番ってさ、忍とかと公的にはどう違うの?
服装とか普段の生活とか他の家とどう違ったんだろー

桜田門外の変のとき、ウチも近くの藩邸に居たはず。
727日本@名無史さん:03/12/21 23:10
井伊殿のことも見知っていたはず。
728日本@名無史さん:03/12/22 03:35
吉川晃司は毛利両川の吉川家の子孫。
729日本@名無史さん:03/12/22 04:08
俺なんか井伊直弼が殺された現場でスピード違反で捕まったよ
730日本@名無史さん:03/12/22 05:38
>>728
どこの吉川や?
吉川家当主なら山陰で事業やっているはず
731日本@名無史さん:03/12/22 18:43
当主なんて書いたっけ?子孫だって書いたけど。
732日本@名無史さん:03/12/22 19:47
>>728
ソースが欲しいんですけど。
733日本@名無史さん:03/12/22 19:48
当主は山陰にいるけど吉川晃司はどこから派生した吉川さんよ?
ってことじゃないの?
734日本@名無史さん:03/12/23 02:33
吉川は先祖スレの必須ネタ。
そもうち小早川毅彦とか真田裕貴もでだす。
735日本@名無史さん:03/12/23 02:54
百姓上がりが地元の有名な名字を付けるのは良くある事だな。
736日本@名無史さん:03/12/23 03:28
うちは香月で筑後の上級武士と聞いていたが
検索してもラーメン屋とかしか引っかからないな〜
737日本@名無史さん:03/12/23 12:04
プロ野球の香月良太がいるじゃん
彼、柳川高校だよね。
738日本@名無史さん:03/12/23 12:29
香月あんながいるじゃん。
739日本@名無史さん:03/12/23 22:57
苗字7000傑で「島津」「毛利」「織田」とかで検索すると結構上位だよね(藁
740702&708:03/12/25 21:19
>>719
私の祖父の高校の卒業証書にも「士族」と書いてあったよ。
いつから書かなくなったのかな。
>>716
私の父方の祖母の実家は福井の殿様に仕えた医者だったと聞いたなあ。
殿様は何氏だったんだろう。
741日本@名無史さん:03/12/25 23:27
>>700のように、自慢ばかりしている人間を侮蔑したくなる気持ちはよくわかる。
自分は家老の家だったが、そのことは周囲にいっさい明かしていない。
信頼できる人間と認めたときか、一部の友人にのみに打ち明けている。
現職場に昔代官だったという40代の女がいるが、こいつがまた自慢ばかりしている。
ことあるごとに実家が金持ちだった(父親は町医者)ような話を盛り込んでくるので、
正直白い目で見ているのだが、向こうは気がついていない。私を誰だと思っている。
総合病院の跡取りや年商ウン十億の経営者や有名な政治家なんて身近にいるよ。
(間接的にw)
あんたは下品だから教えてあげないけどな、といつも思っている。
742日本@名無史さん:03/12/25 23:46
>>741
自分が品性低いと自覚しろ。
743日本@名無史さん:03/12/25 23:51
まあね。自覚してなかったらこんな自虐的な事は書かない。
自分に言い聞かせるために書いた。

744日本@名無史さん:03/12/25 23:58
>>736
漏れもじぶんちの名で検索をかけたが、
某与党幹部のHPと建築家のHPにしかひっか
からなかった。
全国で50世帯にも満たない名だからしょうがねぇか・・・・
 ちなみに明治維新の志士の末孫なり。
745日本@名無史さん:03/12/26 00:03
東益之
戸崎家

Wです。ちなみに弟はマジで東益之という名です。
父親がつけました。
746745:03/12/26 00:07
空襲で鶴舞焼けちゃったと聞いた
八事の屋敷は劣化が激しく危ないので壊してしまった。
八勝かんといえば、地名わかるかな
747日本@名無史さん:03/12/26 00:48
数年前はこの日本史板もどうしようもなく荒れていたが、
平穏になったので家系の話も普通に言い易いな。
748745:03/12/26 11:36
ちゃんと最初からスレ読み直した。
どこも同じだな。。。殿様商売で失敗
東のじいさんは戦争行きたくないからって
金で解決。祖母は「あやさま」と学校の先生からも
呼ばれていたお嬢様だったのに、杉浦さんが戦死して
東家に嫁ぐことになるとは。。。しかもめっちゃ貧乏だし。

祖母の写真は実家にあるのでそのうちうp
大名行列か葬式みたいなのもあった。
749日本@名無史さん:03/12/26 19:06
まあココでわざわざ実家自慢するくらいだから、
実生活で自慢できないものを発憤させたいってこともあると思う。
750745:03/12/26 21:50
>749
失ったものや手に入らないものはとてつもなく
美しく魅力的にみえるもの。

税金とか免除されるほど貧乏なんだぜ。
学生時代は授業料もなんか免除だったし。
751日本@名無史さん:03/12/26 22:45
全て過去の遺産だよなぁ。
母方の曾祖父かなんかが創立した大学に推薦で入ったが・・・。
寄付金ばっか取り立てるよ。
752日本@名無史さん:03/12/27 02:36
映像の世紀関係でこの板にきたらこんなスレが。
うちも一応大昔は武士だった。でも気が付いたら農家になってた。
少なくとも100年前には、ふつーの農民になってしまったようです。
兼業武士というやつでしょうか。そんな家って他にありませんか?

苗字は日本でもうちの親戚しか使っていない苗字(全国で30軒程度らしい)で、
室町時代に一国の戦国武将の家臣をしていたらしいです。
郷土史にその事実と名前がありましたが、
それ以外は何をしていた家なのかはまったく知りません。
家系図があるらしいのですが、後継者男子一名しか見られないものらしく、
末っ子の家の子供である私には見せてもらえません。
刀(長いのと短いの)と傘(武士のやつ)があったそうですが、
ばあちゃんが戦争中に貧乏で売っちまいました。

いや、由緒正しい皆さんと比べて、しょーもない家ですね。
でも、人口のほとんどが武家以外だったことを考えると、
それでもラッキーなほうかもしれませんね。
753日本@名無史さん:03/12/27 04:34
まあ第2次大戦で刀とか没収されたり、売ったりした人は多いと思うよ。
うちも大量に・・・(´;ω;`)
754日本@名無史さん:03/12/27 05:00
752です。
>>753
自分の感覚ではなんと勿体無い。信じられない!という感じですが、
当時はそういう風潮だったのでしょうね。
売っぱらったのはうちだけだと思ってましたが、
結構いらっしゃるようで仕方ないと思えてきました。

ところで、752で刀と同時に売った武士の傘、と書きましたが、「笠」の変換間違いです。
なぜ武士だった証拠が笠なのか知識の浅い私には良くわからないのですが、
これがどういうものかご存知の方いらっしゃいますか?
笠は武士が持つものだったのでしょうか。
普通の人も普通に持っていたような気がするんですけど・・・。
755日本@名無史さん:03/12/27 05:47
紋付漆の笠なら武士の証となるでしょう。
庶民はせいぜい藁笠ですね藁。

戦争中に売って正解でしょ。少額でも金になったのだから。
大体の人は、戦後のGHQによる刀狩で、奪われまくりですよ。
うちもそうです。
756日本@名無史さん:03/12/27 06:58

しつこいなおまえら

「分家」には何の価値もないんじゃい

嫡流の当主と長男のみ末裔を語ることができるんや 分家はすっこん
でろ たわけ
757日本@名無史さん:03/12/27 07:16
嫌われてそうな宗家現れる。
758日本@名無史さん:03/12/27 13:39
>>752
よくそういう人いるんだ。
「むかし…らしい」とか
「同じ名字が昔の武士に…」とか

おそらくそのほとんどはコジツケ。
歴史学の基本です。
759日本@名無史さん:03/12/27 14:46
>>755
ありがとうございます。現物を見たことがある父の言うことには、
黒くてピカピカして家紋があったということなのでそれでしょう。
760日本@名無史さん:03/12/27 14:50
>>758
私もその可能性は否定できませんが、
じつは家の苗字は、存在しない漢字です。
創作漢字というやつでしょうか。
適当に作ったのかどうなのかわかりませんが、
日本中国でも使用されていない漢字です。
以前丹羽先生にメールを出したら、大変興味をもたれて、色々と調べてくださいました。
その時に日本で30軒というのもわかった次第です。
761760:03/12/27 15:41
すみません今確かめてみたら、メールで回答くださったのは丹羽先生ではなく、他の研究家の方でした。
丹羽先生、勝手に名前を出してすみません。
自分がこんないい加減な調子なので、こじ付けといわれても仕方ないですね・・・。
もっとちゃんと調べてみます。
762日本@名無史さん:03/12/27 16:01
武門であるなら、もちろん爺さんは戦時中は近衛師団
ないしは旅団に所属してたんだろうな!
 士族・除族平民→近衛兵はとうぜんだろ?
まぁうちの爺さんは除族平民で軍属(鉄道技師)だったがな。
その前の二代が近衛将校(誇)。
 大正・昭和両天皇の即位式&閲兵式の時にサーベ
ルをさげ、軍馬にのって馬車を先導したそうな。
 
 



 
763日本@名無史さん:03/12/27 16:41
士族の分家は「平民」。
分家は士族ではない。わかりましたか。
764日本@名無史さん:03/12/27 16:48
分家は士族の男が精力旺盛で”偶然できてしまったもの”なので、
本来存在しなくていいものなのです。平民に入れてもらっている
だけでもありがたいことです。
765日本@名無史さん:03/12/27 16:51
>>762
近衛兵は別に名門じゃなくてもいいんだよ。
容姿や体格が重要です。貧農でも容姿がよければ近衛師団にはいった
人はいっぱいいます。当時貧農が多かったので必然的に近衛師団でも
貧農が多かった。
766日本@名無史さん:03/12/27 16:52


2ちゃんから割り出した、江戸時代の人口比率

  公     :15%
  士     :80%
  農     :1%
  工     :2%
  商     :2%
  穢多・非人:0%
767760:03/12/27 17:00
うちは戦国時代はともかく、江戸時代はほぼ農民だったので農に区分されるでしょう。
それにしても1%かい。
768日本@名無史さん:03/12/27 17:17
>>766
工と商は実際の割合としてそんなもんだったから、
詐称してないな。詐称しているのは農民90%が士か公のフリを
しているんだろう。
769名無し:03/12/27 20:33
徳川時代の武士の割合は12%だ。下級武士は町人や農民と入れ替わりが
あった。インドのようにカーストがあったわけではない。同じ日本人で
ある。また優秀な人物は下級武士の子息でも養子の形をとって、高位の
侍になっている。そうした階級的な融通性が無ければ徳川が300年も
続くわけがない。武士の今日的な意味は、日本人全体の誇りと力の源である。
先祖が直接武士でなくても日本人として武士の精神文化を日本民族の遺産と
して誇りにすればよい。

770日本@名無史さん:03/12/27 21:18
>>769
つーことは、68%が詐称ってことだな。
まぁ漏れは士族の子孫だけど(プゲラ
771日本@名無史さん:03/12/27 21:38
>>765
近衛の採用基準も戦時と平時では違うよ。
772日本@名無史さん:03/12/27 22:08
>763・764はそんな口の利き方だと分家に乗っ取られるぞ。
保証があるわけではなく、本家なんてもんは有名無実に近い。
血が絶えたらどうせ分家・他家から養子を迎えるわけだし。
773日本@名無史さん:03/12/27 22:19
>>763
>士族の分家は「平民」。
>分家は士族ではない。わかりましたか。

( ´D`) はーい。わかりまちた。
774日本@名無史さん:03/12/27 23:45
私の家は分家ですが、壬申戸籍の上では士族になってますよ。
曽祖父の大学卒業証書には山口県士族と書いてありますし。
明治維新よりもはるか以前、徳川初期に分家したためでしょうか。
ちなみに壬申戸籍には、

番戸 七十九
旧番屋敷 六十六
族籍 士族
氏神 ○△□宮
職業 区長
戸主名 (曽祖父の父の名)
合計家族数 男 三 女 三 計 六
備考 (空白)

と書いてあります。
775日本@名無史さん:03/12/28 01:25
>>774
それ捏造だよ
776日本@名無史さん:03/12/28 04:57
 江戸期と明治以後では分家の意味が違うのでは?江戸期なら分家できれば家を立ち上げる
ことですから武士では?・・・殆どは部屋住みで一生を過ごすわけですから。明治以後の分家は族籍を離れる、
殆ど外に出されるのと同義でしょ。戦前の戸籍は巨大で父方の親戚兄弟ほとんど一つの戸籍に
入ってるわけですから。
777日本@名無史さん:03/12/28 19:08
かの徳川家の人に旧士族はいないらしい。
華族か分家して平民になった人ばっか。
778日本@名無史さん:03/12/29 19:25
>776
要するに、壬申戸籍編纂前に分家していれば士族ってことでしょ。
779778:03/12/29 19:28
ちなみにうちは1700年頃に他家から分家した武家。
さらに1800年頃、うちから他家が分家しているが、
その分家ももちろん武家。
780日本@名無史さん:03/12/29 21:48
>777
徳川家は華族だったんだから、士族がいるわけない。
781北野某:03/12/29 22:57
私は「旧宮家」の末裔です




さすがに古いか
782無名:03/12/30 07:57
武士はうらやましい。農民の末裔のオレには、こういう話題は辛い。
自分が惨めになる。泣きたくなる。
783日本@名無史さん:03/12/30 09:04
ま、2ちゃんで家系自慢してるヤシの大半は自称武家だからw
784日本@名無史さん:03/12/30 09:53
あのな、人口の割合からいったら百姓が圧倒的に多いだろ。
系図ヲタには悪いが、武家の末裔より単なる農民が最大多数ってこった。
785日本@名無史さん:03/12/30 12:16
たとえ農民でも応仁の乱くらいまで遡れるなら
下手な中級武家よりはマシ。

漏れんちは父方の祖父の系統が国人領主(藤原氏)、祖母が桓武平氏の真壁氏
母方の祖父が北条氏流大内山氏の末裔。
786日本@名無史さん:03/12/30 12:43
旧家に長持があればそれは(ry
787日本@名無史さん:03/12/30 14:34
>>782
下層階級はしねよ。
788日本@名無史さん:03/12/30 16:24
下級武士モナー
豪農、豪商の方が家柄はいいよ。
789日本@名無史さん:03/12/30 18:07
それなりの旧家だと寺とのつきあいが結構面倒だろ?
790日本@名無史さん:03/12/30 18:59
>>789 全然!江戸期檀家総代だったらしく今でも特別扱い。寄付も要求してこないし・・・。
戒名も格安で!いい事ばかりだよ!これがいつまで続くことやら!若い坊さんだと駄目ぽい。
791日本@名無史さん:03/12/30 19:15
25年以上前だが、本家が筆頭総代を勤める神社や寺の祭事では、
寄進が最高額であることが暗黙の了解とされ、苦労していたようだ。

その寺には国指定の重要文化財がゴロゴロしており、維持が大変。
792分家:03/12/30 20:39
>>756
下剋上してやるぜ!
793日本@名無史さん:03/12/30 22:40
豪農だろうが豪商だろうが
所詮は戦になったら金差し出して命乞いする奴。
分際を知れというもの。
794日本@名無史さん:03/12/30 22:43
>792
江戸期以前のほうが武士には生きやすかっただろうな。
同情仕る。
795日本@名無史さん:03/12/30 23:18
>>793
金借りなきゃ戦も出来ない貧乏侍よりはマシ。
796日本@名無史さん:03/12/30 23:21
>>793
旧士族って太平洋戦争とかの死亡率が旧非士族より
高くないし。ヨーロッパの騎士階級の近代戦での死亡率は
ゆうに平民の2倍を越えているというのに。
日本の武士なんてそんなもん。自分のことばっか。
797日本@名無史さん:03/12/30 23:22
つまり、武士は、普段威張りちらしているわりに、
いざとなると小さくなっていると。
798日本@名無史さん:03/12/30 23:23
武士が実力を発揮するときは商人に対して借金を踏み倒すときだけ。
いったい日本の武士はヤクザとどう違うのか。
799日本@名無史さん:03/12/30 23:46
>>793
元豪農の末裔だが、戊辰戦争の時は当主、一族が甲冑を身にまとい
、自家の作男&配下のヤクザ・博徒を総動員して、村々から食料
・金・女を略奪する幕府の残党と戦ってたぞ。
 大庄屋になる前は国人衆の筆頭をしていたが何か?
藩主からも一目置かれ、幕末には財政顧問もしていたが、何か?
 今後はくれぐれも軽はづみなことは書かないようにな(w)
800日本@名無史さん:03/12/30 23:48
ま、武士とか士族とかいう連中はヘタレってことでw
801日本@名無史さん:03/12/30 23:54
日本の武士は、財政破綻しまくりで、数理能力的にも無能(低脳)
なうえに勇敢でもない。血筋も悪いし。
802日本@名無史さん:03/12/31 01:22
地方にもよるだろうが、豪農や旧国人領主層などを事実上士分扱い
している地域もある。地域支配は豪農や旧国人領主層に頼らざるを得ない
場合もあるということだ。
803日本@名無史さん:03/12/31 01:34
江戸期の豪農の実態を理解できなければ
江戸期の封建制度(?)を理解できないし、
マルクス史観の日本版になるだけだろう。

(・∀・)言ってやった、言ってやった。
804日本@名無史さん:03/12/31 04:01
>>802 最初はね!江戸前期はそうだろうけどだんだんと・・・
805日本@名無史さん:03/12/31 04:12
>>799
もしかして、特定郵便局を運営してたりしますか?
806日本@名無史さん:03/12/31 05:36
臨済宗にあらずば人にあらず
807793:03/12/31 08:18
>799
自分の土地を守ろうとする気概は、
百姓も武士に劣らず強いものだからな。
天晴れな豪農もいるもんだ。
それはそれで結構。
808日本@名無史さん:03/12/31 09:21
>>804
いや、ずっとそうだったところも結構ある。
>>807
甲冑を身にまとって戦うなどは急には出来ないもの。
甲冑や槍の所有を認められ、武道の奨励を受けていたものと思われ。
809日本@名無史さん:03/12/31 09:29
麻生さんは室町まで殿様だがそれ以降は農民だったり商人がだったり
下級武士だたりしてるよね。
810日本@名無史さん:03/12/31 12:51
話が逸れるが、上州あたりでは土地柄が比較的豊かだったせいもあって、
無宿博徒ではない一般百姓町人でも剣術をかじっていた者も少なくなかったそうだね。
811日本@名無史さん:03/12/31 13:03
>808
旧国人領主といえば、伝統意識の上では武家に近いんじゃないかな。
サラリーマン化していないだけで、藩によっては士分待遇または郷士となるね。

812竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :03/12/31 13:11
>>799

「士農工商」というのは誤りで実際は

上級武士≧豪農(大庄屋)>>>中級武士≧庄屋>>>下級武士≧本百姓
>>>>足軽≧小作

というのが正しいようですな(だいぶ前にも書いたような気がするが)
813日本@名無史さん:03/12/31 16:32
父方は佐土原藩士族
母方は神職
814日本@名無史さん:03/12/31 17:59
ダサっ
815日本@名無史さん:03/12/31 19:06
>>810
上泉伊勢守信綱の出身でもあるからね。

>>812
商人を入れるとこんな感じですか?
上級武士≧豪商>豪農(大庄屋)>>店持ちの商人>中級武士≧庄屋>>>下級武士≧本百姓
>>>普通の商人>足軽≧小作
816日本@名無史さん:03/12/31 20:10
>>815 店持ちの商人は庄屋の下じゃないか(大都市ならそうかもしれないけど)?もう一つは豪農庄屋でも藩領より天領の方が
格式、豊かさの点で上では?
817日本@名無史さん:03/12/31 20:41
武士にしろ豪商にしろ、比較の基準がはっきりしない。
店持ちの商人といっても、大店から間口一間の店までピンきり。
無意味な比較はヤメレ
818日本@名無史さん:03/12/31 22:33
>>817
同意。
旗本の最下層と国持大名の侍大将と比較すると、
将軍の直臣と陪臣になるが、どっちが裕福かは火を見るよりも明らか。
どうせ比較するなら何の面においてかを記さないと分けがわからなくなる。
819日本@名無史さん:03/12/31 22:33
>>813
あ、なか〜ま

父方 同じ
母方 薩摩の商家

820日本@名無史さん:03/12/31 22:37
>>813 >>819
町田君か?日高君か?
(あてずっぽだよ)
821水戸藩上級武士末裔:04/01/02 02:44
武家の皆様
明けまして、おめでとう御座います
822日本@名無史さん:04/01/02 03:39
武蔵千葉氏の末裔(学術的な史的証拠あり。)の郷士でも
「武家」と名乗ってもいいですか?
明治維新後は、その「血統の良さ」が認められて士族とさ
れ、東京市の官吏を務めまつた。
823日本@名無史さん:04/01/02 05:02
>>822
つまり江戸時代は百姓だったんですか?
824日本@名無史さん:04/01/02 08:25
士族という階級は維新に際して創設されたものだから、
当時の段階で現に(?)武家となっていた者(家)が士族とされたと思われ。
江戸期以前には武士だったが江戸期にはすでに武士ではなかった家の子孫などは、
家柄は何かと問われると、武家という言いかたをするところがあるが、
江戸期に郷士にでもなっていない限り、士族とはされなかったはず。
ところで郷士といえば、坂本竜馬など土佐の一領具足衆は
維新後士族とされたんですかね?
一般的には郷士=地侍だから、郷士も武士だろうと思われるが。
うちは母方=藩士、入り婿の父方=郷士だが、
歴史をさかのぼれるのは父方のほうが古くて900年、母方は300年。
825日本@名無史さん:04/01/02 09:34
>>820
は、佐土原藩の上級家臣の姓。
826日本@名無史さん:04/01/02 12:00
江戸時代の武家は屁負比丘尼を雇っていたそうですか、それにまつわるエピソードとか
何か伝えられています?
827竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/02 12:06

士族って履歴書に「士族」と書く以外にどういうメリットがあったん
でっか?
828日本@名無史さん:04/01/02 12:10
ないでしょ。
829日本@名無史さん:04/01/02 12:16
明治政府が士族に禄を与えていた
830日本@名無史さん:04/01/02 12:21
秩禄処分以降は多分メリットないよ。
831日本@名無史さん:04/01/02 12:23
特権は段階経て消滅させらていくのがこの国のやり方だから
いきなりすべてを剥奪するのは抵抗が強いからな
832日本@名無史さん:04/01/02 12:24
城跡の土地を士族で共有したところもある。
うちでも戦前に共有地はほとんど処分してしまったが、
ネコの額ほど、いまでも残っている。
833日本@名無史さん:04/01/02 23:35
武士にとって百姓は米を作る大事な存在。
商人は金銭を扱う卑しい存在。
貨幣経済が成立し、発展するに及んで、
金儲けのすべを知らない武士は、
小賢しい商人に次第に頭を下げなければならなくなった。
その心中や察するにあまりある。が、
翻って現代を省みるや、今のこの世の中、
商人しかいなくなったようで、
なんともはや、金も儲けることしか頭にない奴腹共の世に成り果てた。

と、初夢に出てきた先祖が申しておりました。
834813:04/01/03 00:20
>>820
親戚にはいるが漏れは違う姓だね
石高は五百石ぐらいだった
835日本@名無史さん:04/01/03 00:27
漏れの本家は幕末の岩城平藩の家老なんだそうです
お殿様の嫁さんも出してるらしいです
良く解りませんが先祖が武士とかな抽象的な物で無くて
幕末まで武家だったのは間違い無い見たいでつ。
836日本@名無史さん:04/01/03 00:34
武士なら「でつ」とか言うな。斬るぞ。
837日本@名無史さん:04/01/03 00:36
>>833
世界の貴族で商業やってない家なんてないよ。
王室ですらなんかやってる。
そういうところで日本の武士は単なる兵隊。今で言う自衛隊。
838日本@名無史さん:04/01/03 00:42
>837
欧米の価値観を持ち出して世界云々とは片腹痛し。
839水戸藩上級武士末裔:04/01/03 00:46
武家の皆様

あけまんこおめこでつ
840日本@名無史さん:04/01/03 00:57
>>834
なるほどな。いずれにせよ九州征伐では敵同士だったようだね。
佐土原で500石ならかなりのものではないのかな?

別に現代に遺恨があるわけではないが、
何故か島津の筋の人とは余り馬が合わないことが多い。

島津本家配下の侍大将の末孫(一門衆らしい)とは今もどうも合わない。
今までで馬が合ったのは、あとから聞くと飫肥伊東家配下の奉行の家とか
伊東家の末孫の人だったりする。伊東の筋とはなぜか馬が合うことが多い。

漏れは畿内の某国国人衆の末孫です。
841日本@名無史さん:04/01/03 01:03
>>839
これはこれは徳川御三家水戸藩上級武士末裔様
新年明けましておめでとうござりまする
拙者少し北の平藩家老の末裔でござりまする
本年もよろしゅう宜しくお願い申し上げたてまつりまつる。(・∀・)ニヤニヤ
842日本@名無史さん:04/01/03 01:04
>>840の追加
祖母の系統が禄高は知らんが井伊家家臣だった。
今、宮崎県内に住んでいるのだが、あるとき結構真面目に
鹿児島へ行ったときには井伊家家臣団の流れを汲む者と
言ってはいけないといわれた。

関ケ原と安政の大獄の恨みが根強く残っているらしい。
843日本@名無史さん:04/01/03 09:32
>>837
武士でも下っ端は副業で商業みたいなのやってたんだけどね
大和郡山の金魚屋は元武士が転職したのが多いよ
844日本@名無史さん:04/01/03 10:17
当家の租は三河以来の三百石の旗本でござりました。
戊辰の役に上野のお山で討ち死にする事もなく、ご一新後は官に仕えたというのは、
誠にもって権現様に申し訳なく、逝って来る事に致しまする。では御免。
845竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/03 10:22

君らな、俸禄を貰ってそのかわり軍役を負担するって当たり前すぎるねん

うちは平民だが、俺の爺さんは一年志願兵で陸軍少尉に任官し、先の大戦
でも従軍している 早い話、自分で自分の食い扶持を稼ぎ、かつ、余った分
を国家に差し出して(費用一切自弁で)軍役を負っているのだわ

士族なんて無くなって当たり前やがな 平民がここまでやってるんだから
846竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/03 10:25
>>833
武士でありながら、亀山社中・海援隊と称して商売をする坂本龍馬みたいな輩は
切腹ものですな
847日本@名無史さん:04/01/03 10:54
>845
まあ、そういうことですな。
特権を失った武士の不満をガス抜きするために
士族という肩書きを与えたとも言えるからな。
その肩書きすら戦後はなくなったし。
今はすべて平民。
平民の金持ちか平民の貧乏人。
848日本@名無史さん:04/01/03 11:17
>武士でありながら、亀山社中・海援隊と称して商売をする坂本龍馬みたいな輩は
>切腹ものですな

当時の武士の一般的な反応はそうでしょうね。

結局、時代の流れについていけない武士の世は
終わらざるを得なかったということだね。
849日本@名無史さん:04/01/03 11:24
>話が逸れるが、上州あたりでは土地柄が比較的豊かだったせいもあって、
>無宿博徒ではない一般百姓町人でも剣術をかじっていた者も少なくなかったそうだね。
馬庭念流とかね。あとは、異常に郷士率がたかかったんだよね。
徳川氏が世良田の系図を使ったから、田舎百姓の家に旗本が系図買いにきたりしていた。
そういう名門の系譜の百姓が多かったから郷士も多かったんだよ。
新田系の郷士、藤原秀郷流の郷士とか
生産体系から離脱できなかった武士(郷士)がおおかったんだろうね。

850日本@名無史さん:04/01/03 11:36
>849
そういう場合の郷士というのは自称?
それとも某の藩なり天領なら代官なりから公に郷士として
認められていたのかな?
収入はどうしていたのでしょう?
営農しているなら、禄をもらう代わりに年貢を収めなくてよかったとか?
質問ばかりでスマソ
851日本@名無史さん:04/01/03 11:53
>>833
うちの生家の近くには『証文倉』って言う字地名が有って
そこには藩と藩士達の借用書が山と積んだ蔵が建っていたそうな
全部踏み倒しなんだが

来年の初夢で是非とも返済していただけるように
ご先祖と交渉してください
『借りた物は必ず返す』ね!!

ちなみに、うちの爺さん曾爺さんは
その借用書を使って習字の練習をしたから
子供の時から達筆だったそうな
852日本@名無史さん:04/01/03 12:12
>851
どこの藩?
853日本@名無史さん:04/01/03 17:54
自称の場合もあるし、公認されている場合もあるよ。家の場合は士籍がほしいから旗本家に抱えてもらっていたよ。
そのあとは館林藩に抱えてもらった。
非公認郷士(自称郷士)も多かったけど苗字帯刀黙認状態。新田家の関係で無禄旗本だか御家人の格の郷士がいた筈。。。
ちなみに、うちは旗本家に抱えてもらっていた時は無禄、館林時代20石だか俵、でその後は天領になって農兵隊組織してなんて感じかな

禄より免田が大きかったみたいだね。あと、身分の周縁を知る良い史料で、農兵組織の時、名主が上士格で村方三役が徒歩格で組織された事がこのへんではあるね
854日本@名無史さん:04/01/03 17:59
あと、高山彦九郎の実家の地主役ってなんだろう??
ちなみに、高山彦九郎の従兄弟かなにかが、農家(地主)から落ちぶれて旗本の家来(侍)になった事を
落ちぶれたと言っている資料もあった筈。。。
そう思うと徒歩身分なんていうのは農民以下なんかもね
855日本@名無史さん:04/01/03 18:03
まぁ、株買えばだれでも武士
平民の中で一番武士に近い身分は田舎地主の次男なんだろうな。
856日本@名無史さん:04/01/03 18:10
あと、郷士とは違うけど厩橋藩の苗字帯刀の価格がなにかの史料にあった記憶が。。。
857日本@名無史さん:04/01/03 20:16
>849
素朴な疑問なんですが、郷士っていうのは、
普段どういう格好をしていたのでしょうか?
農民の格好?それとも武士の格好?
帯刀している時は武士の格好だと思うけど、
いつも帯刀していたのかな。
858日本@名無史さん:04/01/03 21:20
幕末の学者 桃井可堂の流れを汲むんだけど
どんな奴?桃井可堂。

漢学者 東条一堂門下の三傑と呼ばれた一人で尊襄義軍 慷慨組の長。
沼田城を奪取した後、横浜の異人館を襲撃しようと企てたらしいけど
バレたから川越城主に自首して捕まった。
絶食して獄中にて餓死。

壮絶なんだかダサいんだか良く解らん。
ぐぐっても詳しい資料がないので
幕末の混乱期に詳しい人、情報下さい。
859日本@名無史さん:04/01/03 21:56
>>857
自分で耕作するのなら、それなりの格好で脇差のみ。
自分で耕作する必要がないなら、野良着は持ってない。
860日本@名無史さん:04/01/03 22:29
誰か教えて欲しいのだが、俺みたいな歴代天皇の末裔で元武家と言うのは日本全国で何百万人位居る訳?
861日本@名無史さん:04/01/03 23:11
>>860
源氏・平家の末裔なら腐るほどいる。
実際に日本人で源氏か平家の血が全く入っていない人を
探すほうが難しいのではないかと思われ。
皇別武家を介して殆どの国民が近遠の差があるにしろ、
天皇家に繋がっている。
皇室・皇族から公家・武家に嫁に行ったものもいるから、
皇室の血は実際にはもっと拡散されている。

漏れでさえ分かっているだけで平家の血が二系統入っている。

元々国人領主なので、婚姻関係はぐちゃぐちゃだろうから、
大抵の系統はミックスされていると思われる。

普通の家なら30代も遡れば大名の一人や二人混ざってるだろうな。
だから、いかに嫡流に近いかで貴種か否かを判断せざるを得ない。
862日本@名無史さん:04/01/03 23:14
↑琉球や離島はちょっと事情が違うんだろうけどな。
863日本@名無史さん:04/01/03 23:18
つーか、奈良時代には500万人だった日本の人口が
今は1億2000万に枝分かれしている訳だから、
天皇貴族の血云々以前の問題として、多かれ少なかれ
どこかで血が繋がっているのは当たり前田。
漏れも藻前もみんな万世一系じゃんw
864日本@名無史さん:04/01/03 23:23
アフリカのイブ母さんが元祖だしw
865日本@名無史さん:04/01/03 23:45
夏休み冬休みはぐいぐい伸びるなw
866日本@名無史さん:04/01/04 00:07
チョ(ry)は自粛
867日本@名無史さん:04/01/04 05:05
>>857
下級武士の格好
868日本@名無史さん:04/01/04 05:58
>>840 すまんな。先祖は、島津家の家来だ。
戦国時代に活躍したみたいだが、個人名が調べてもないのよね。(欝
漏れの勉強不足なのかもしれんが。
869日本@名無史さん:04/01/04 06:24
スネ夫の血統
870日本@名無史さん:04/01/04 13:50
>>833
一概に武士が金儲けの術を知らないとは言えないよ。
大阪財界のリーダーになった五代友厚とかもいるし。
>>862
島流しにされた平氏もたくさんいるぞ
871日本@名無史さん:04/01/04 14:48
>>861>>863
バカじゃねーの?
公家とか武家より、圧倒的多数の百姓がいるだろうがw
確実に証明できない「可能性」だけで妄想こいてんじゃねーよ。

そんな屁理屈こねてまで自分を貴種に結びつけたいのか(ゲラ
872日本@名無史さん:04/01/04 14:57
マジレスすると、公家とか上層の武家とかは案外子孫が残ってないよ。
子供がなくて絶家したり、戦乱や権力闘争とかで殺されたりしてね。
没落して云々っていうのも、ニセ系図の常套手段。

人口比からいっても、農民が圧倒的に多数なのは紛れもないわけで、
「血の拡散」とか強調しても意味がない。
仮に1、2滴混じってたとしても、農民の血の方がはるかに多いんだからさ。
873イブ母さん:04/01/04 15:25
ほらほらみんな、
つまらないことで喧嘩なんかするんじゃないわよ。
みんな私の子孫なんだからね!
874日本@名無史さん:04/01/04 18:11
郷士の格好もピンきりだろうね。羽織・袴を履くかどうか。
下級武士の格好というと袴なしだろうけど、袴は名主クラスならハレの時は着ている
いつも、帯刀しているかの話も、常時帯刀している身分と、ハレの日のみ帯刀するクラスがある
株の値段も違うし、ピンきりだよ
875日本@名無史さん:04/01/04 18:16
>公家とか武家より、圧倒的多数の百姓がいるだろうがw
なぜ、百姓階級が土地を所有しているかから考えないと答えは出ないと思う
私有という考えだよね。やはり土地所有者の元は武士と考えるのが自然でないかい??
876名無しさん:04/01/04 18:39
うちは、讃岐藤家63家と言われている武士団に属していた豪族の末えです。
応仁の乱の細川四天王に数えられた香西・福家・羽床・新居・大野・大林 等の
メンバーで構成されていましたが、その母体は日本武命を祖とする綾一族です。
この綾一族は古事記・日本書紀にも記載されていますし、雨月物語の白峰にも
出てきます。


877日本@名無史さん:04/01/04 18:47
むむ、四国は意外と名家ぞろい。盲点だなw
878日本@名無史さん:04/01/04 18:50
>>875
そういうことではなくて、
現在の日本人の大多数のご先祖は普通の農民ということでしょう。

土地所有者である名主・地侍層も農民全体から見れば、ごく一部でしょ。
879819:04/01/04 21:33
>>820
違うよ〜 佐土原藩の領地の中でも僻地に住んでることから
下っ端だと思う。祖母方も佐土原藩士の子だったんだけど、
嫁ぐとき、○○の家(うちの実家ね)は身分が低いからいやだ
と言ったらしい。
ちなみに西南戦争では西郷方に従軍したそうです。
880日本@名無史さん:04/01/04 21:50
>>878
百姓って農民じゃないんだが
言わば最小単位の領主ってところで
それなりの家だったりするんだがな〜
881日本@名無史さん:04/01/05 00:18
いま880がいいこと言った(AA略)
公地公民の世界で特別に私有が許されるという事はどういう事かだよ。
それが分家して後世の百姓になる訳だよね。前述の地主役の話じゃあないけどさ。
だから地主というのも一種の役目なんだよ。
関西では地主職(殿ばら層といえばいい??)は生産体系から離脱して俵取りの武士になる
耕作民は実質の農地所有者になっていく。そういう意味では「血の拡散」を強調しても意味がない。
しかし、関東では地主職は生産体系から離脱していない。その為に百姓=最小単位の領主という感じといえる。
だから関東では村方三役クラスが隠居後に中小姓格でとりたてられている例が多いんだよ
882日本@名無史さん:04/01/05 00:30
あと、百姓株が売買されていた事を考えれば、百姓がどういうものか解ると思う

本百姓=ムラの構成員(寄合に参加可能-土地所有 地侍の子孫等)
脇百姓=ムラの準構成員(寄合に参加不可または部分参加-土地所有有)
↑このあたりは農業経営者
その下に水のみ層がいる
水呑層が百姓株が購入できなかったので御家人株を購入した例もある
無論、百姓株と御家人株では性格が違う。
百姓株は今でいえば農協役員になるという感覚かなぁ。

本百姓にならないと寄合に参加できないから、灌漑用水なんかの優先度がちがう。
脇百姓なんかが、本百姓にくっついて水利権とかを優遇してもらう
これが、議会制民主主義がすんなり日本に導入できた理由と言われている
883日本@名無史さん:04/01/05 00:36
そもそも、御家人株っていくらくらい??
884日本@名無史さん:04/01/05 01:21
300円くらい
885山羊:04/01/05 01:58
 「すべての侍の末裔たちへ」ってラストサムライで言ってましたね。
886日本@名無史さん:04/01/05 02:01
>>881
>関東では村方三役クラスが隠居後に中小姓格でとりたてられている例が多いんだよ
どこの話?
少なくとも「関東では」なんて一般化しないようにね。
887山羊:04/01/05 02:04
 侍って頼朝公の前までは、ただの武装農民だったわけでしょう。武士道といわれるものも江戸時代にできたものですよね。中世の武士も半士半農なんだから別に自慢はできないと思う。
888日本@名無史さん:04/01/05 02:11
武士道ができたのは明治。
889860:04/01/05 03:48
で、俺みたいなのは具体的に何百万人位?
890日本@名無史さん:04/01/05 03:55
>>887
何を言って居るのだ、御主?
天皇の子・孫が臣下に降りて、其時姓を賜り初て武士に為る訳で有ろう。
武装農民等と言うのは、下賤農民の戯言に過ぎぬ!
891日本@名無史さん:04/01/05 04:38
>>889
言ってるだけなら数千万人はいるんじゃないの。
892日本@名無史さん:04/01/05 05:47
ま、大多数の日本人は普通の農民の子孫だがな。
天皇の子孫云々なんて本気で言ってるヤツはアフォw
893日本@名無史さん:04/01/05 06:32
そういえば、秀吉も天皇の子孫を主張してたっけ。
894日本@名無史さん:04/01/05 16:51
>>887
まぁ、そうだわね。
ウチは、元々大友の家臣で、大友の除封後に知行地で帰農したそうだから。
江戸期は、知行地は天領となり、そこで郷士兼名主だったようだ。
耕作自体は旧家臣達がしていたようなので、>>882の言う本百姓に近いのかも。
それでも、戦前の戸籍が士族なのは不思議なんだが…。
895日本@名無史さん:04/01/05 17:26
>>894
明治維新で天皇側の兵隊として戦った百姓なんでは?
896日本@名無史さん:04/01/05 18:58
>>894
外出だが、出自が確かな郷士なら士族待遇は充分にある話だな。
897日本@名無史さん:04/01/05 19:01
うちは士族。しかも上級武士子孫。
うちのような家系も日本に数パーしかいないだろう。
だからなおさら誇りに思う。俺こそサムライ。
898日本@名無史さん:04/01/05 19:10
うちは平家だが宗良親王と一緒に山にこもってた。
899日本@名無史さん:04/01/05 19:12
上級か下級武士かはどうすればわかるの?
900日本@名無史さん:04/01/05 19:17
>>899
お給料が領地か扶持米か。
901日本@名無史さん:04/01/05 19:35
上級か下級かは馬に乗るか乗らないかで決まるそうでござる。
でも分かりっこないか そんなこと。
902日本@名無史さん:04/01/05 20:35
騎乗を許されているかどうかはかなり重要なポイント。
それから、御藩主御目見え以上とか、常に直答できるとか。
石高がさほど高くなくても御傍衆とかは上の方でしょう。
903日本@名無史さん:04/01/05 20:42
>天皇の子・孫が臣下に降りて、其時姓を賜り初て武士に為る訳で有ろう。
国衙軍制にはいっているかどうかじゃねーの??
臣下になって姓を賜ったから武士という訳ではない。平将門は武士でなくて兵と呼ばれたでしょ。
そこらへんの武装農民(昔でいう豪族層か)が、地方軍事貴族の傘下に入り国衙軍制に組込まれて、その過程で地方軍事貴族と擬制的な血縁になる。
そこが武士の始まりと思うが。。。
だから、平安末期の武士の勢力って古代豪族の勢力圏とリンクするんでしょ。
そう思うと、源平藤橘の子孫というより地方豪族の子孫というのが正しいのカモ
石井進や戸田芳実を読むと武士の成立過程が良く解るよ
904日本@名無史さん:04/01/05 20:54
>関東では村方三役クラスが隠居後に中小姓格でとりたてられている例が多いんだよ
>どこの話?
>少なくとも「関東では」なんて一般化しないようにね
そうだね。一般化はよくなかったな。よくゼミで指摘されるよ。失礼しました
これは、自分が北関東の例幣使街道沿いの農村の地方文書を整理した時の感想。
村役人や、宿場役人が勤め上げた後に、勤続と格別な由緒と献金を理由に中小姓格を拝領?(用語が違うか?)した例が非常に多かった
以前、関西の参宮街道近郊も調べたけど、その時は神宮関係の郷士か大規模な山林財閥以外はあまりそういうのは見なかった


905日本@名無史さん:04/01/05 21:00
899>
墓石や過去帖を見て、いみな(変換できない)があるかどうかと言うのもあるな。
でも、いみながあるから全部が上級武士という訳ではない。
ちなみに、当家は郷士だけど墓石を見ると上士格で仕えた時は2字いみな有りだった。
で下士格で仕えた時はいみな無し。
なんで、郷士で上士になったり下士になったりしたかというと、藩命で大規模な貯水池を私費で作った時に上士格で取り立てられたのさ。
でその後息子が刃傷沙汰を起こした為に下士に没落(元鞘か?)
906日本@名無史さん:04/01/05 21:06
>でその後息子が刃傷沙汰を起こした為に下士に没落(元鞘か?)
これが実の息子ではなくて株買って養子になった義理の息子
907日本@名無史さん:04/01/05 21:13
自称郷士って幕末になると時々聞くけど(十津川郷士、武田浪人etc)資料的にはどうなの?
学術的には認識されてるの?幕末になり名字帯刀が緩んで自称し帯刀し、そのまま御維新
で平民じゃ資料的にまったく残ってないんじゃない?幕末には不貞浪人が郷士と自称してた例
があるわけだから・・・。
908日本@名無史さん:04/01/05 21:41
>>905
いみながあるから上士だとは言えないと思われ
郷士も平民でもいみなを名乗っている者は普通にいる
909日本@名無史さん:04/01/05 21:49
908>2行目を読め
907>
国定忠治の息子がまさにそれだね。
子分つれて、天狗党に参加、大谷刑部国次を名乗っていたんだっけ?で佐野で斬首

郷士と言えるのは戸籍が村に無い事が条件と思われ。
郷士  →戸籍が侍(村役人等は引退しなくてはならない)
苗字帯刀→農民・町民身分で苗字・帯刀の権利を購入
自称郷士→寄子層で正規の郷士になれなかった階層・あと無頼

十津川郷士、武田浪人etcは漏れは語る程詳しくない。。。
910日本@名無史さん:04/01/05 21:54
郷士  →戸籍が侍(村役人等は引退しなくてはならない)

あくまで仮説だけど、名主引退後に郷士というのは世襲じゃあないのかな。
代限りだけど、実質世襲なのかなぁ。。。

郷士の研究は戦前からあるよ。今では身分的周縁論
911日本@名無史さん:04/01/05 21:59
維新後に士族になった郷士って
@維新に功績があった
or
A世襲(身分)
B世襲(禄)-免租地も含む場合有り
こんなのが条件じゃなかったっけ??
912日本@名無史さん:04/01/05 22:02
>>909  >>自称郷士→寄子層で正規の郷士になれなかった階層・あと無頼
     江戸初期からの世襲名主は自称郷士か?寄子層って在地士豪だろ!

913日本@名無史さん:04/01/05 22:04
>>911  維新に功績があっても(どの程度の功績かが難しいが)こういうのもある。
     http://www.asahi-net.or.jp/~LW1H-TD/stadatai.htm
914日本@名無史さん:04/01/05 22:05
>>894
天領というと日田?
財津さん堤さんあたりかなあ
この辺りだと西海道代官所の手代だから
宗家は、そん所そこらの大名以上だなあ
何せ将軍家と同じ『御止流新陰流』を許されていたくらいだし

森藩(だったかな)の場合は
旧領主である大友家臣(陪臣)を支配層である藩と
被支配層である農民とのバッファとして採用していて
それなりの身分保障をしているて
農民以上武士未満の待遇を受けていたからなあ
(大友時代の身分によって受けた待遇が違っているみたいだけどね)

多分、御宅も似たようなところかな
で、小野さんかな?由布さんかな?
915日本@名無史さん:04/01/05 22:39
大友家臣団の大物だったら、田北さんかもしれない。
あるいは山香衆の頭目とか?
916日本@名無史さん:04/01/05 22:45
>江戸初期からの世襲名主は自称郷士か?寄子層って在地士豪だろ!
揚げ足取り??
917日本@名無史さん:04/01/05 22:48
>>916 スマソ!つい反射的に書いちゃった!自称する必要が無いのが殆どだよね!
918日本@名無史さん:04/01/05 22:54
>832
うちにも城跡の共有地があったと祖父が言っていたが、
とっくの昔に寄付&処分してしまったそうだ。
が数年前、もう全部処分してしまったと思っていた共有地が出てきた。
出てきたというのは、それまで課税対象にならないほどの小さい土地が、
維新以来初めて課税されることになり、課税通知が来て初めてそんな土地が
あるということが分かったということだ。
わずか数坪で地目は沼地だかなんだか。今は埋め立ててあるが、
昔の城の堀の一部だったらしい。そんな小さな土地が5筆くらいの共有で、
その5人のうちの1人が曽曽祖父だった。彼は現役の武士で維新を迎えた人なんだが、
他の共有者も全て当時の武士だった。
919日本@名無史さん:04/01/05 23:19
>>914
>>915
関東で仕事してますが、総領息子なので特定を避ける為「大友の分家」だが同姓異族あり。
で勘弁して下さい。
920日本@名無史さん:04/01/05 23:44
>>879
○○原付近だったらそうかも知れないでつね。
921日本@名無史さん:04/01/05 23:45
>>915
田北さん所は
宗家に男子が無く長男鑑生から次男紹鉄三男鎮周に家督が移り
例の耳川で鎮周が討ち死に
紹鉄も謀反の濡れ衣で城を落ちたところで
日田群衆の手に掛かって討ち死に
男系が絶える
鎮周の娘に吉弘家から養子を入れて宗家を継ぐが
大友除封後宗麟三男で田原家を継いだ親家(松野氏)に
くっ付いて細川藩に仕官して熊本に行った
分家筆頭だった家は日出藩下で帰農している

東西山香一揆衆はほとんどが
日出藩分家山香藩でそのまま帰農している
922日本@名無史さん:04/01/05 23:49
武家が帰農する時って、どういう気がするんでしょうね。
やっぱこの上ない屈辱と汚辱にまみれてって感じでしょうかねぇ。
漏れだったらそうだなぁ
923日本@名無史さん:04/01/05 23:52
>922
臥薪嘗胆
924日本@名無史さん:04/01/05 23:58
>>922
兵農分離なんて多くの場合秀吉の刀狩や身分制度確立から
実質、江戸時代からのもの
それ以前は農民と武士の間はシームレス
意に添わない主君の下に付くよりも
又は仕官できなければ
本業の農民に戻るだけ
農民としての領有も叶わなければ
肥後国人一揆みたいに実力行使に出るだけ
925日本@名無史さん:04/01/06 00:01
>>922
農地の場所によりけり、農事経験有無によりけりだな。
明治以降に北海道以外で帰農するのは明らかに悲惨。
926日本@名無史さん:04/01/06 00:03
>925
斗南藩ですな(涙)
927日本@名無史さん:04/01/06 00:09
>武家が帰農する時って、どういう気がするんでしょうね。
会社が潰れたけど、実家が裕福だからヒッキーでもいいやって感じかな。。。
漏れならきっとそう。
これが実家が貧乏だと悲惨
928日本@名無史さん:04/01/06 00:16
>>919
それってかなり特定できちゃうぞ
もしかすると、どこぞの結婚式、葬式で同席していたかも
929日本@名無史さん:04/01/06 00:26
>927
実家に戻っても良くて部屋住みor厄介者だぞ、
現代じゃないんだからw
930日本@名無史さん:04/01/06 00:32
>922
俺の先祖は上級武士で、明治以降は代々東大卒(俺も)だが、
上級武士の特権を考えると、東大卒官僚が清掃員をやる以上の屈辱だろう。
931日本@名無史さん:04/01/06 00:35
上級武士ならやっぱ屁負比丘尼を雇ってたんでしょうか。
932日本@名無史さん:04/01/06 00:36
>930
東大卒ならもうちょっとましなこと言えよ
933日本@名無史さん:04/01/06 02:06
>>904
>中小姓格を拝領
あくまでも格なわけ?中小姓ではないの?
知行とかはないの?
中小姓って言ったらレッキとした上級武士だよね。
934上級武士末裔ホワイトカラー:04/01/06 04:57
お前ら百姓の子孫には関係無いよ
935竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/06 14:16
>>904
俺、歴史趣味派(?)なんでよくわからんのですが、そういう文書ってどうやって
入手するんですかね?
936竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/06 14:23
>>930
「帰農」つーたら鍬持って田んぼを耕すようなイメージだが、上級武士
なら大勢の一族やら家臣やらを従えて農場経営だの採鉱だの交易だの
するんでないかい? 「大名」ではないが、「中小名」という感じで
937日本@名無史さん:04/01/06 15:05
>>930
プっ
938日本@名無史さん:04/01/06 15:11
うちの祖先は室町時代に戦に破れて帰農しましたが、
当初はどうかわかりませんが、わかっている限り自分で鍬や鋤もって田んぼを耕してましたよ。
大名ではなく、大名の家臣レベルです。
相当身分が高いと全然違うのでしょうが、
家来レベルならそれほど金もないし、人も雇えないし、野良仕事もするんじゃないでしょうか。
うちの実家の狭い敷地のはるかはるか外側を囲んで、
岩で出来た城塞のあとのようなものがありますが、
昔はうちの敷地だったのですが、いつの間にかだんだん狭くなり、
最後には今の猫の額ほどの農地と敷地しかなくなってしまいました。
余程身分が高く恵まれている家でない限り、帰農した武家なんて大体こんなものでは?
939大身旗本:04/01/06 17:24
庶民の末裔立ち入り禁止!!!!
940860:04/01/06 18:44
戦国期以前から島津家臣団名簿に家名が載ってるが、此丈で身分が分りますかい?
941日本@名無史さん:04/01/06 18:58
>>922
自家の知行地で帰農するのと、開墾で帰農するのでは全然違うよね。
>>927の言ってる事が言葉は悪いがある意味正解かも…。
帰農した戦国武士の末裔は、かなりの土地持ちが多いよ、少なくとも俺の回りでは。
維新と同時に無収入になった江戸期の武士に比べれば、帰農した武士の末裔は恵
まれてると思うよ、士族に入る入らないは別としてね。

>>930
戦前に東大じゃたいしたこと無いな、戦前は陸士・海兵又は師範が優秀。



942日本@名無史さん:04/01/06 19:57
>941
どれも学費只どころか給料出すとこばかりやな。

東条も牟田口も富永も花谷も辻〜〜〜〜んも瀬○も
陸幼〜陸士〜陸大の無料コース。
943日本@名無史さん:04/01/06 20:26
>>941
ガーン そうだったんすか<戦国武士の末裔は、かなりの土地持ちが多い
それじゃあ私の家はかなり落ちぶれたほうだったのか。
戦国時代なんてはるか昔だし、その時代に帰農した家は結構こんなもんかと思ってました。
だが代々の田んぼのおかげでひもじさとは無縁だったし、
家や蔵や所有林もあったし、まあまあ幸せだったのかもね。
というわけで庶民はもう退散します。
944日本@名無史さん:04/01/06 20:36
>>941
今の東大卒よりは優秀だよ。
今の東大は、マンモス大学だしな。
945日本@名無史さん:04/01/06 20:42
>>943
そういうケースはごく普通。
最初の開墾地が大きくても次男・三男などの分家への土地分与で、
しだいに細分化されていったと見るべき。
地元に同じ姓の人がたくさんいるのでは?
946日本@名無史さん:04/01/06 20:51
>>945
ビックリ 
います。村(恥ずかしながら村)に20軒位同じ姓の家があります。
親戚の家も、現在は親戚じゃない家もありますが、多分元をたどると同じ家だと思います。
しかもほぼ昔の広い城壁跡の範囲内の土地に分布しています。
勉強になりました。ありがとうございました。
947日本@名無史さん:04/01/06 21:06
>>945
>>946
941だけど、ウチの場合は分家は自分で開墾していったから本家である
ウチの土地は殆ど減っていなかったそうだが、農地解放と区画整理事業
でかなり減ってしまった…。
しかし、土地の他、旧屋敷地と城のあった山は長男単独相続で守ってま
すし、守っていくつもりです。
948日本@名無史さん:04/01/06 21:25
>>940
家臣団名簿に名前が載るくらいだから凄いんじゃないの?
949日本@名無史さん:04/01/06 22:08
農地開放で土地をもらった百姓が、
先祖代々の土地だから手放したくないなどと
言っているのを聞くと腹が立つ。
逆に農地開放で土地を失った百姓はかわいそうだな。
950日本@名無史さん:04/01/06 23:18
>維新と同時に無収入になった江戸期の武士に比べれば、帰農した武士の末裔は恵
>まれてると思うよ、士族に入る入らないは別としてね。
というか、俵取の下級武士になるより、帰農して田舎のボンボンしていた方が良かったんだろうな。
考えてみれば、郷士=身分が低くて鬱屈していた というのは司馬史観にどくされすぎている気もする
城下町から離れている農村で村内には自分の隷属民ばかりで、同格の家は少ししかない。
村では殿様だよな。
でも、帰農せずに下士身分の武士になったら、下っ端サラリーマン。。。。
もれなら間違いなく帰農して郷士になるよ。。。
951日本@名無史さん:04/01/06 23:23
和英の訳に思わずワロタ。

ごうし【郷士】
a country samurai;〔英国の〕a squire

プログレッシブ和英中辞典 第2版 ゥ小学館 1986,1993
952日本@名無史さん:04/01/06 23:39
江戸期以前ならともかく江戸時代になってからは、
勝手に帰農なんかできないでしょ?
953日本@名無史さん:04/01/06 23:42
933>
中小姓は徒歩だよ。。 
格は実際には百姓だが中小姓と同じ扱いと言う意味であろうか。
郷士格・郷士並というのもある。
すこし格上で馬廻格というのもある。
当時よく献金の恩賞として与えられたのがこれら。
文書としては、宿場や農役人の賦役関係の文書にあったりする。
前年度、中小姓格を拝命したかわりに、本年度○○役として金○両を。。。
なんて感じ。木崎宿の文書が記憶にある。
954日本@名無史さん:04/01/07 00:16
壬申戸籍に卒族という記載例はありますか?
955日本@名無史さん:04/01/07 00:28
明治33年までだっけ??
956日本@名無史さん:04/01/07 00:38
>>953
>中小姓は徒歩
それはどこ?
一般的に中小姓といえば徒士の上に属し、給人に次ぐ階層ですが?
957日本@名無史さん:04/01/07 00:43
でも上級武士ではないな。>中小姓
958日本@名無史さん:04/01/07 00:49
>>950
>郷士=身分が低くて鬱屈していた というのは司馬史観にどくされすぎている気もする

司馬史観というより、土佐だけの話じゃないの?。
959日本@名無史さん:04/01/07 00:51
>>957
中級とでもいいたいのか?w
960和製セダン限定:04/01/07 00:58
上級=セルシオ
中級=カムリ
下級=カローラ
961日本@名無史さん:04/01/07 04:14
>>941
逆だろう。戦前の東大(東京帝國大学)の方が凄い。
962日本@名無史さん:04/01/07 06:12
>>941
武士の末裔でも戦前の東大ででました。そして、医者になりました。
その子孫は、日露戦争の軍医でもありました。
963日本@名無史さん:04/01/07 06:21
東京帝大は、士族率が高く、士族学校といわれたらしい。
964寺嶋眞一:04/01/07 06:29
勝負の為の勝負 update

「日本人は、勝者に追随し敗者をさげすむ傾向を持っている。アングロサクソンが45歳の壮年の分別を備えている人間だとするならば、日本人はせいぜい12歳の少年だ」
ダグラス・マッカーサー

日本人は,序列人間である.
序列を定めなければ,言葉を交わすこともむずかしい.
日本語には,階称 (言葉遣い) があるからである.
正当な序列を定めるためには,尋常な勝負が必要である.
だから,日本人は勝負の世界に住んでいる.勝負の為の勝負である.
同次元での序列を定める,弱肉強食の世界である.
結果は後から付いて来る.身分が定まれば,その格式は付いて来る世界である.
試験は,学問に名を借りた勝負の為の勝負である.
受験戦争は,「無哲学・能天気」の人たちの地獄である.
ああ,空しい.
322文字
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/




965日本@名無史さん:04/01/07 07:14
無意味な改行が文末につく書き込みはうざいねえ
966竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/07 15:35
>>936に追記
農場経営・採鉱・漁労・交易・運輸・金融・地方行政・司法・立法・警察・
消防・徴税・・・・・
967竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/07 15:39
更に追記、土木(建築)・派遣業・ホテル業・出版・・・・
968日本@名無史さん:04/01/07 15:46
戦前の東大は”士族”優先だったんだよ。
華族などはほぼ無条件で入れたでしょう。
そもそも東大は官僚を育てる大学。
969日本@名無史さん:04/01/07 16:15
>>966
金融も公益も「農」じゃないじゃん。
商人の仕事。
970日本@名無史さん:04/01/07 16:18
公益→交易

田畑を耕す以外は商か工。それはもはや帰農ではない。
971日本@名無史さん:04/01/07 17:36
戦前の東大が士族優先てほんとですか!?

ソースきぼーん>>968
972日本@名無史さん:04/01/07 17:53
無理。帝大は実力主義。
私学はそのへんあれなのであれ。
973日本@名無史さん:04/01/07 19:07
東京国立博物館の職員に華族の師弟が優先的に配属される
ポストがあって、「外遊」という国費留学をさせていたのは知ってる。
さすがに華族の師弟でも馬鹿では行けなかったと思うけどな。
外国に行ったら日本を代表する博物館の研究員なんだから。
974日本@名無史さん:04/01/07 19:32
今後華士族制度が復活する可能性ってあるのかな?
あるわけないか。
975日本@名無史さん:04/01/07 20:06
>974
無いけど似たような物ならなんぼでも。
政治屋の2世3世。
親子代々外交官、官僚、教員、県庁、市役所等々。
976日本@名無史さん:04/01/07 20:44
>>971
つーか、東大が元々昌平坂学問所などが母体だからじゃないの?
それと、明治くらいまでは出身階級(階層)で教育水準が違いすぎた。
初期の小学校教員なんかも、圧倒的に中下級武家が多かった。
人に教えられるだけの知識があったのは、武家が多かったわけだ。

一方、上級武家(大名とか上級旗本、侍大将級)なんかは、私設の
学問所やお雇い教師で英才教育を受けていたわけ。
977日本@名無史さん:04/01/07 20:51
考古学で有名な、故末永雅雄氏は南河内の大富豪で、
自家で英才教育を受け、京大教員に非正規ルートで師事した。
978日本@名無史さん:04/01/08 00:49
976>
僕が大学時代の教授に聞いた話では戦前の東大は旗本の家系が昔は一番多かったそうだ。
旗本は授産施設も少なかった為に、秩禄処分の金で勝負をかけて帝大に入学し官僚になる例が多かった。
だから、地主の息子等の占有率は少なかったそうだ。
地方の武士は、藩校があるから旗本程は帝大にはこなかったそうだ。

ちなみにその教授は今、東大で近代史を教えてる。
979日本@名無史さん:04/01/08 00:51
政治家や官僚も世襲になっている現在。
旗本出身の人っている?
980日本@名無史さん:04/01/08 00:55
>一方、上級武家(大名とか上級旗本、侍大将級)なんかは、私設の
>学問所やお雇い教師で英才教育を受けていたわけ。
旧華族で、学習院でて教授になった人が漏れの行っていた大学にいたが、毎年夏に学習院に内地留学していたよ
公家は学問が家職だとどうにもこうにも。。。
私塾は田舎の金持ち郷士も少なくなかったぞ。
981日本@名無史さん:04/01/08 00:58
979>
うーん・・政治家でいるかなぁ。。。
佐々成正(字がわからん?)の子孫は、旗本やって浅間山荘を攻略したな。
首相でいうと、福田と中曽根が高崎藩の家老?(ちがうかも)の子孫だね。
どっちかが国詰めでどっちかが江戸詰めとかで仲がむかしからわるかったとか。。。
982日本@名無史さん:04/01/08 01:07
家老家でも平民と平等に東大の試験は受けてます(戦前で)
戦争は参加したものの軍部の配慮あり。
江戸時代、騎馬は勿論駕籠も乗ってた模様。
983日本@名無史さん:04/01/08 01:21
>戦争は参加したものの軍部の配慮あり。
だから皇族の戦死者はおおかったのか。。。
984日本@名無史さん:04/01/08 02:50
結局徒歩の中小姓格というのは嘘だったようですね。
985竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/08 03:46
>>969-970
金持ち階級になると色々やってたんとちゃうか
986日本@名無史さん:04/01/08 03:47
華族の東大枠があったことは確実。
当時は高校の成績がかなりウエイトだったわけで、
試験など、実力試験の意味合いは今ほどない。
987竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/08 03:49

高校の時、歴史ある某有名酒造メーカーの息子が同級生にいて、そいつは
特別推薦(実質無試験と思われる)で学習院大学に行った 身分わけすると
「商」「平民」になるんだろうが、華族扱いだな
988日本@名無史さん:04/01/08 03:51
>>985
いや、だからね、それは帰農とは違うんだよ。
東国の田舎では帰農するしかなかったが、
畿内では、戦国大名が金融通商業とかをやっていて、
戦国時代に没落した後、江戸時代は商人になったのが
多数いるんだよ。
989日本@名無史さん:04/01/08 04:02
平民に問題はないでしょう。
徳川家の次男の息子は平民になんだから。
それより学習院は戦前は、どれだけ裕福かが問題だよ。
だから学習院には人力車夫の息子がほとんどいない。
東大や師範学校や士官学校には人力車夫の息子がいっぱいだったけど。
990日本@名無史さん:04/01/08 05:30
>>981
そうだったのかもしれないのか!!
中曽根は小渕みたいな百姓(といっても大きい百姓)の末裔かと思ってたぞ!!!!
991日本@名無史さん:04/01/08 05:43
福田の家は農家だよ。
中曽根は材木商人だよ。

嘘を書かないでね。
992日本@名無史さん:04/01/08 06:43
>>980
私塾は田舎の金持ち郷士も少なくなかったぞ。

末永氏が郷士かどうかは知らんが、そんな感じ。
993日本@名無史さん:04/01/08 07:01
>978
一口に戦前といっても維新から敗戦まで80年間近くあるわけで、
藩校はほとんどが廃藩置県で廃止されたよ。
994日本@名無史さん:04/01/08 08:56
うちの先祖は陸士落ちて泣く泣く東京帝大に入ったらしい。
995竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/08 10:40
>>994
「一高」やないか?
996日本@名無史さん:04/01/08 10:53
みなさんはしってましたか?
あの金丸さんは津軽藩士の子孫
997日本@名無史さん:04/01/08 11:03
帝大に華族枠なんてないよ・・・試験に関しては当時の帝大は
しゃれになんないくらい実力主義。なんでかっていうと帝大に
入ることは出世約束されたようなものでエリート中のエリート
を選抜する場だった。入るために4浪5浪も当たり前。

いわば高度な人材を選抜する場。私学はそれに対して
理念とか個性とかそういう名目(当時はね)で創設されたから
お貴族な華族枠っぽいことが実際にあった。早慶とかでさえ
官製大学に比すればかなりゆるゆる。

ちょっと下るけど京都の私学とかもそういうの多いよ。実際には
華族の支族だけど。
998日本@名無史さん:04/01/08 12:37
>>996 金丸って山梨の造り酒屋だろ!
999日本@名無史さん:04/01/08 13:00
スリーナイン!
1000日本@名無史さん:04/01/08 13:11
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