1 :
日本@名無史さん:
無念じゃ。
吉良スレが削除されたようなので
新たに「元禄赤穂事件」総合スレッド
として立てさせていただきました。
吉良派の人も浅野派の人も
一緒に語り合いましょう。
2 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:24
なお、突然のことでしたので
前スレのありかはわかりません
ご存知の方、はっていただけると
ありがたいです
3 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:28
「新スレおめでとうございます」とのお祝いの言葉も
「くそスレ立てんな」とのおしかりのお言葉も
ご遠慮いたします
ただ、温かく見守ってください。
4 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:30
書き忘れましたが、忠臣蔵の話題を
持ち出していただくのも、もちろん
OKです。
5 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:32
追伸
関連スレをどなたかはって置いて
いただけませんでしょうか
6 :
日本@名無史さん:03/08/21 20:50
こうゆうスレは冬場にヤレ、寒くなってからじゃないと気持ちが乗らないだろう。
7 :
日本@名無史さん:03/08/22 19:05
基本情報1
吉良上野介義央 きら・こうずけのすけ(よしなか) 《1641〜1702》
【別 称】(特になし)
吉良義央。(「よしなか」或いは「よしひさ」とも読む)
通称は左近,上野介。
【肩書き・職業】
江戸幕府高家筆頭(肝煎。のち表高家)。
三河国幡豆郡吉良庄の領主(4200石)。
【出自・系譜関係】
祖は鎌倉期の三河守護・足利義氏。
父は若狭守吉良義冬、母は酒井忠吉の娘。
上杉綱憲(米沢藩主),鶴子,阿久里,菊子らの父。
養嗣子となった吉良左兵衛義周は孫。
8 :
日本@名無史さん:03/08/22 19:08
基本事項2
【履歴・事績】
寛永18年9月2日、江戸鍛冶橋の邸に生まれる。幼名は三郎。
承応2(1653)年、幕府に出仕し3月16日、4代将軍徳川家綱に
拝謁を許される。明暦3(1657)年12月27日に従四位下侍従に
叙任。この頃より上野介と称した。萬治元(1658)年に出羽国
米沢藩主上杉定勝の娘・三姫(富子)を娶った以後は上杉家と懇意に
なる。吉良家は祖父・義弥の代より幕府礼式を司る家柄であり、
義央自身も萬治2(1659)年の日光東照宮の代参をはじめ宮中使節
(寛文2=1662年),朝廷年賀への将軍名代(寛文4=1664年)
などを幾度にもわたってつとめ、若輩ながら将軍家からも厚い信任を得て
いる。寛文4(1664)年5月1日、上杉綱勝が病没すると嫡男三郎
(綱憲)を上杉家養嗣子として相続させた。寛文8(1668)年3月
25日、義冬没後に家督相続し当主となった。延宝8(1680)年
7月23日、家綱死去にともない綱吉即位の宣旨の取り次ぎ役を果た
した。
9 :
日本@名無史さん:03/08/22 19:11
基本情報3
貞亨3(1686)年、領地の水害問題を憂慮して西尾藩主土居利意と
談判し、また岡山陣屋の代官斎藤金右衛門に瀬戸の山と岡山の山間に長さ
180m、高さ4mの堤防を築かせた。結果、川の氾濫がなくなったこと
から領民からは黄金堤と呼んでその偉業を讃えられた。但し、その一方
ではこの堤防設置のせいで川水が逆流し、隣領地へ被害を与える事も
少なくなかった為、他の領主と揉めたとも云う。元禄元(1688)年、
妻富子が重い眼の病を煩うようになると、その回復を願って身延山
久遠寺で17日間祈願。このとき払地に開田(新田開発)を行うと
誓ったという。事実、富子が快方にむかうと、元禄3(1690)年に
は吉良町小山田の砂丘に開田を行った(「富好新田」の由来)。
なおこの黄金堤と富好新田の二点は、後世において義央を名君たらしめ
る由来となった。元禄11(1698)年、邸を鍛冶橋御門内から
呉服橋御門内へ移す。
10 :
日本@名無史さん:03/08/22 19:12
基本事項4
元禄14(1701)年3月14日、江戸城中(殿中松廊下)で、赤穂
藩主浅野内匠頭長矩に斬りつけられ負傷。この原因には諸説あって真相は
不明。結局幕府は長矩を切腹させるという過酷な処罰をしたのに対し、
義央には特に咎め立てはせず、療養ののちは職務に復帰するよう求めて
いる。だが事件の衝撃のためか同26日、御役御免を願い出た。
こののちも刃傷事件が尾を引き、様々な憶測が飛び交う中、周囲の大名
家が義央と赤穂藩家中との確執を懸念した為、幕命により8月、邸を
本所へ替えさせられている。12月11日、隠居が許され、養嗣子義周
に家督を譲り表高家となった。
11 :
日本@名無史さん:03/08/22 19:17
基本情報5
元禄15年12月14日、本所松坂町吉良邸で年忘れの茶会が催された
ことから、大石内蔵助良雄ら赤穂浪士に在宅を覚られ、15日未明討ち
入られる(「吉良邸討ち入り」)。このとき物置に隠れたが発見され、
間十次郎の槍に傷つき、武林唯七に斬りつけられ絶命し、その首級は
浪士らにより泉岳寺に眠る長矩の墓前に供えられた。のち首は寺社奉行
の指示により吉良家に戻されることとなり、栗崎道有に遺体と首を縫い
合わさせて江戸牛込の万昌院に葬られたという。享年62歳。
義央は少々浪費癖の性向があった点をのぞけば、格別善政家でも悪徳な
強欲者でもなく、特に問題視されるような記録もない。しかし赤穂藩と
の関わりにより、一連の事件は人々の奇異な憶測が混ざり合って偏執的
な伝説を生み出し、延享5(1748)年8月26日初演の人形浄瑠璃
『仮名手本忠臣蔵』では敵役の高師直のモデルに抜擢された。
講談とはいえども史実がもとになっている以上、悪役的イメージが広く
浸透したことは悲しむべきといわざえるをえない。
13 :
日本@名無史さん:03/08/24 12:48
吉良義周年譜
貞享3 1686・2・22 米沢城において、上杉綱憲(米沢城主)次男として生まれる。母は京師茨城氏の女、おようの方。春千代と号す。
出典
綱憲公御年譜巻14
吉憲公御年譜巻1
14 :
日本@名無史さん:03/08/24 12:51
1686・3・23 白子大明神(米沢の鎮守社)へお宮参りをする。
15 :
日本@名無史さん:03/08/24 12:53
元禄2 1689・ 8 ・29 吉良義央(幕府高家)の養子とすることを幕府に要請する。
出典
上杉家記 綱憲公7
16 :
日本@名無史さん:03/08/25 20:42
1689・11・2 吉良義央の養子となることが許可される。
17 :
日本@名無史さん:03/08/27 00:16
元禄3 1690 ・4 ・2 米沢を出発する。 上杉家記 綱憲公7
18 :
日本@名無史さん:03/08/27 00:19
1690・4・16 鍛冶橋の吉良邸に到着し、左兵衛と名乗る。
上杉家記 綱憲公7
19 :
日本@名無史さん:03/08/28 17:50
元禄8 1695・2・10 白子神社へ額を奉納する。 白子神社額銘
20 :
日本@名無史さん:03/08/28 17:52
元禄9 1696・11・21 初めて徳川綱吉(5代将軍)に拝謁する。
寛政重修諸家譜巻第92
徳川実紀(常憲院殿御実紀巻34)
21 :
日本@名無史さん:03/08/29 20:38
忠臣蔵最大のIFは、大学が許されて浅野家再興が成った場合
大石たちはどうしたかということだが
1の人はどう思いますか
22 :
日本@名無史さん:03/08/30 21:35
元禄11 1698 ・9 ・6 鍛冶橋吉良邸類焼。白金上杉邸へ避難する。
上杉家記 綱憲公8
23 :
日本@名無史さん:03/08/30 21:36
この年 呉服橋に屋敷を賜る。
元禄14 1701 ・3 ・14 松之廊下の刃傷事件。
1701・10 ・21 前髪執り(元服)。
吉憲公御年譜巻3
1701・12 ・12 吉良義央隠居。義周が相続
(四千石、表高家…高家のうち無役のもの)を命じられる。
吉憲公御年譜巻3
上杉家記 綱憲公8
27 :
日本@名無史さん:03/09/01 15:45
1701・12 本所へ移り住む。
元禄15 1702 ・12 ・15 赤穂浪士、吉良邸討入り。
義央横死。義周は長刀で防戦、2カ所手負い、目に血が入って気絶。
吉憲公御年譜巻3
丁未雑記23
同日 稲葉丹後守(御用番)へ事件概要を届け出る。
丁未雑記23
>>21 >大学が許されて浅野家再興が成った場合
1ではないが、
それだったら、討ち入りしていないでそ。
大石のやっていたことを見ると、それは間違いなかろう。
しかし、
それでも討ち入りしないと、
「亡君への忠義」という名目が、大嘘だとばれちゃうけどね。
31 :
日本@名無史さん:03/09/04 09:58
いまちょうど隣にある
忠臣蔵クズスレにあった刃傷事件当時の世間の認識
>ちなみに当時の尾張藩士の日記『鸚鵡籠中記』で浅野の刃傷事件がちょっとだけ触れられている。
>「殿中の喧嘩は是非を論ぜず、先太刀打つ者非分なる事なり」
>「内匠喧嘩の埒ならば尤も相手をも無事に置まじけれ共、只殿中狼藉の趣に而、切腹なれば、
> 誰に恨みを述べん」
>これが当時の(第三者的立場の)武士の一般認識なんだよ。
これが討ち入りの後になると
「浅野の裁判は不当判決!喧嘩両成敗じゃない!」の大合唱に変わるわけだ。
同日 吉良邸へ検使が来て、取り調べをする。
丁未雑記23
34 :
日本@名無史さん:03/09/05 11:21
元禄16 ・1703・2・4 荒川丹波守(御寄合)、猪子左太夫(御先手)同伴し、
評定所へ呼び出され、仙石伯耆守(大目付)より「仕形不届」として、領地
召上のうえ、諏訪安藝守忠虎(4代高島藩主)へお預けの旨申し渡される。
沢市左衛門、茅野忠右衛門、加藤平四郎(以上高島藩士)に渡される。
綱憲公御年譜巻23
吉憲公御年譜巻3
丁未雑記23
徳川実紀(常憲院殿御実紀巻47)
1703・2・11 本所諏訪邸を出発する。左右田孫兵衛(元吉良家家老)、
山吉新八(元米沢藩士、義周附人)が付き添う。
御用状留帳
>>36 そのスレで
アンチ浅野による捏造文献に認定されている文献のリスト(w
『土芥寇讐記』『閑田次筆』
『梶川与惣兵衛筆記』『鸚鵡籠中記』
『御遺状百箇条』『元親百カ条』『信玄家法』
『葉隠』『甲陽軍鑑』
幕府や田村家や浅野本家の公式記録
>>37 ええ〜。全部ネタだったの〜。ショック〜。
浅野内匠頭が基地外っていうのも嘘なの??
そう
『葉隠』も『家康百カ条』も
吉良マンセーが浅野叩きのためにでっち上げた文献なんだとか(藁
でっち上げた文献というか
でっち上げた文献じゃないと困るというかw
『長曽我部元親百カ条』なんか中学ん時の参考書に載ってたぐらいなんだが
41 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:25
1703・2・15 金沢宿泊。
御用状留帳
42 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:27
1703・2・16 諏訪入り。志賀利兵衛(高島藩士)旧宅に留め置かれる。
御用状留帳
43 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:29
1703.・4・16 南之丸に移る。
御用状留帳
たくみのかみがスティーブン・セガールで、きらがえなりかずきっていうのもネタだったの??
ショックで立ち直れねぇーー。
45 :
日本@名無史さん:03/09/09 08:59
宝永3 1706・正・20 吉良義周死去。
46 :
日本@名無史さん:03/09/09 09:01
1706・1・27 米沢に義周死去の訃報が届く。
吉憲公御年譜巻7
47 :
日本@名無史さん:03/09/09 09:02
同日 検死のため、石谷七之助(書院番)が諏訪へ遣わされる。
徳川実紀(常憲院殿御実紀巻53)
48 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:11
俺は子供の頃から、忠臣蔵の映画やテレビドラマを見るたびに、
意地悪されたくらいで、刀で斬りつけるなんて無茶苦茶やー、
ひとりの老人を47人で殺すなんて無茶苦茶やー、
と思っていますた。
これの前スレなどを読んで、
吉良の意地悪自体、フィクションだとわかり、
ますます忠臣蔵は無茶無茶やーと思うようになりますた。
49 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:06
1706・2・4 法華寺に埋葬される。
50 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:07
1706・2・4 法華寺に埋葬される。
51 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:08
同日 稲葉丹後守(御用番)へ事件概要を届け出る。
丁未雑記23
52 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:09
やっと、吉良義周の略年譜がおわった。
つぎは、浅野長矩の年譜、いってみよう。
53 :
日本@名無史さん:03/09/16 00:14
ageman
54 :
日本@名無史さん:03/09/16 14:54
その様なことよりも壱よ、ちとお耳を拝借。すれと縁無きことなれども。
この度、拙者が江戸城に出城した折のことで御座る。松の廊下。
何か騒がしきことあり、一向に前に進めず。
何事かと思い見ゆれば赤穂藩主浅野内匠頭、吉良上野介に斬り付け候。
最早、阿呆奴がと。馬鹿奴がと。
そなたたち、刃傷事件ごときで松の廊下を占拠するとは一体何事か。
刃傷事件なり、刃傷事件。
何やら家老や御家人も打ち出で、一城総出で物見遊山で御座るか、まことに目出度きことなり。
「吉良上野介覚悟!」などと叫びしは正視に耐えず。
そなたたち、介錯し申し上げるから切腹せよと。
そも松の廊下とは本来閑散としているべき物なり。
擦れ違う隣国藩主との目だけで気まずき礼、
次の参勤交代は拙者か否か、その様な雰囲気こそ松の廊下の真髄。
火事と喧嘩と江戸の花は引っ込んでおれ。
して、漸く通れたと胸をなでおろし奉りし折、どこぞの芋侍が「殿中で御座る」とのたまいし。
そこでまたしても我が怒髪天を衝くが如きに候。
この時勢殿中などすでに過去の遺物なり。
したり顔して何が「殿中で御座る」か。恥を知れ恥を。
そなたは本当に殿中で御座ると叫びたいのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱ほど問い詰めたい。
ただ単にどさくさに紛れて歴史に残る言葉を言いたいだけなのではないかと。
江戸城中の先達である拙者に言わせれば、斯様な如き事態の適切な判断はやはり、
討ち入り。
これなり。
雪の降る吉良邸に陣太鼓を鳴らし討ち入り。これでござる。
して、見事仇を討ち果たし凱旋。これぞ武士道。
されどこれは切腹を覚悟の上でやらねばならぬ諸刃の刃。
未熟者には百年早いわ。
まあ壱の如き若輩者には、昼行灯で敵の目を欺くが関の山なり。
松の廊下の事件は、何か裏が有り申す。脇差しでカスリ傷とはチト腑に
落ちない。内匠頭殿誰かに填められ申した、吉良殿も芝居の様な御仁で
あらず。
56 :
日本@名無史さん:03/09/16 19:46
>脇差しでカスリ傷とはチト腑に落ちない。
浅野が武道未熟だっただけのことだ。
>>56 これはしたり。それがしでも見事一突きで御座る。
武術に熱心な浅野殿に考えられないことで御座る。
誰かに「カスリ傷のみにて」と、言われたと思うで御座る。
58 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:33
>>57 浅野は突いたんじゃないんだよ。斬りつけたんだよ。
それで吉良をちょっとひっかいただけだった。
よほど剣術に未熟だったか、心神喪失状態だったかのどちらかだね。
59 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:00
>>58 突きも、斬るのも、同じで御座る。其れより内匠頭殿は初めての
供応役でなく、先年にも供応役を吉良殿の指導の元に恙なく役を
納められている、賄賂ののことも万事心得てすまされている、こ
のころは当たり前の事でした。金が無いわけでなく5万石と言っ
ても実質は倍近くの収入が赤穂の塩田から取れる良質の塩でまか
なえていたと思いますがのう。私の推理ではお二人が填められた
としか考えられない。吉良殿を消すために・・・・
60 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:04
61 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:04
>突きも、斬るのも、同じで御座る
全然違うよ。
だから浅野は刃傷事件当時から「武道不覚悟」と非難されている。
後の作だが「初手は突き 二度目はなどか切らざらん 石見がえぐる穴をみながら」
(大意・襲うならまずは突け、二度目はないから切りかかるな、稲葉石見守はちゃんと刺殺したぞ)
という狂歌も伝わっている。
でもさぁ、脇差だって日本刀の1つでしょ。
本物の日本刀って、ものすごく鋭利なんじゃないの?
それでもかすり傷だなんて、タクミノカミって、もともと吉良を殺すほどのつもりは
なかったんじゃないのかなぁ。
64 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:31
>>63 殺すつもりがなくても江戸城で人斬り包丁をふりまわせば改易、悪くすれば死刑だよ。
そんなこともわからない精神状態だったんだろ、当時の浅野は。
みんな結果論だけをみて、基地外とか、ノイローゼと言うが早計過ぎる結論。
それなぞは、誰でも出せる結論と思います。事件はそんな単純な物では無いと
思いますが。もっと推理を働かして深く真実を見いださないと駄目と思います。
みなさんの、結論が出るように仕組まれているのです。ヒントを申し上げますから
再度お考え下さい、「時は綱吉の時代世継ぎのない綱吉の後継者について暗躍が
有りました、水戸のご老候は朝廷から親王を頂き、自分は副将軍になる、その取り
持ちは朝廷、公家衆と密接な吉良殿にさせる、これを阻止すべき他の老中と影の
戦いが有りました」黄門様がなんで天下の副将軍なんですか、先の中納言と言われ
るが、中納言に成っても居ない。お芝居で此が今も語り継がれて居ります。
全てはこの一件からの始まりなんです。ですから大石は騙されたと、吉良殿を仇を
取るのでなく、幕府に一矢報いる為吉良殿を討ったのです、これは今で言う騒乱罪
テロ行為で幕府の威信は大きく傷付いたのです。・・・どうですか?・・どうぞ。
この一件のち、黄門様は無理矢理隠居、梅林庵にて一人か二人の家来のみで
押し込まれたのです、軟禁状態です。ここで大日本史の編纂をするのですが
未来に絶望した人は、必ず歴史を好むようになります。護長親王?も然り。
>>63 本物の日本刀って
鋭利過ぎてちゃんと刃筋立てないことにはほとんど切れないんだよ。
だから確実に殺すには刺殺。
68 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:56
69 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:16
>>67 本物の日本刀て、切れ味鋭いですよ知らない?。子供の自分庭の木を
斬っていったが、スパッと切れます面白いから沢山斬って父にえらく
怒られた。備前長船でしたが、新刀です幕末頃の作ですかね?。
>>68 そうですか、やっぱり只のノイローゼで事件起こしたのですか?。
本当は何が原因と思われます?。
71 :
日本@名無史さん:03/09/17 04:32
本当の原因は、浅野の精神障害でつ。
72 :
日本@名無史さん:03/09/17 07:03
>>71 余りにも、簡単な結論ですね。もう少し面白い動機はないすか?。
73 :
日本@名無史さん:03/09/17 07:36
>62
浅野の従兄弟も殿中やったよね。
74 :
日本@名無史さん:03/09/17 09:15
>>73 なんだか、説得力に欠けるなぁ。それでは100%浅野に非があり
大石の仇討ちもむなしい物となるけどね。吉良家にとっては迷惑至
極、浅野家は殿から、家臣までみな精○○害と言うことになりますね、
そんな話が、350年間連綿として庶民に語り継がれるだろうか?。
>>69 据え物斬りと動いているもの斬るのとは全然違うぞ。
特に実戦で日本刀を使う時には
砥石で荒砥ぎして
刃の鋭さではなく摩擦の大きさで斬るようにしていたはず。
大道芸で日本刀で斬りつけても無問題!ってあるでしょ。
あれはわざと刃筋を立てずに斬りつけてるから。
76 :
日本@名無史さん:03/09/17 11:05
>大道芸で日本刀で斬りつけても無問題!ってあるでしょ。
>あれはわざと刃筋を立てずに斬りつけてるから。
それは真上から押し当ててるだけだからじゃないの?
押すか引くかしないと日本刀は切れないと読んだことあるけど。
>浅野家は殿から、家臣までみな精○○害と言うことになりますね
正確にいうと江戸時代の武士の大半はみな精○○害なの。
狂気でも逆恨みでも理不尽なことでも
主君の意志にしたがったら忠臣として賞賛される。
それと350年間連綿として庶民に語り継がれたのは
赤穂事件そのものじゃなくて美化と歪曲された作り話。
>>76 簡単に結論に導かれた。刀の件はおいといて、(日本刀は良く切れますね、
然し実戦用には不向きですね、扱った物としての経験から刃同士当たると
直ぐ凹む)
浅野のお殿様も、250名程の家来を養っているから、中企業のオーナー
ですよ、うかうかと短慮な事は出来ませんよ。戦国時代ならばいざ知らず
徳川も四代目になると世の中落ち着いて、下手なことして改易取りつぶし
になれば大勢の人が路頭に迷います、殿が可笑しかったら家来が無理矢理
隠居させますよ、殿様も独裁政治は出来なくなっています。現代より余程
合理的に会社を経営していましたね。徳川の側用人と老中が結託。・・・
その為、取り調べもせずその日の内に打ち首です、こんな事可笑しく無い?。
78 :
日本@名無史さん:03/09/17 14:09
>>77 問題は、浅野と吉良を罠に嵌めて誰がなんの得をするかだが。
そのあたり、説得力のある説明をしてほしいな。
>>78 そうです、誰が一番得をするか?=犯罪捜査の基本です。
将軍が変わると、要職に或る者は全て新しく変わる、論功行賞がある。
5代将軍 綱吉(上野館林徳川家)→6代将軍 家宣(甲斐府中徳川家)
に代替わり、しかし綱吉の直系でないので、ここで誰を次期将軍に据え
るかは大きな問題である、それが水戸のご老公が事も有ろうに朝廷の親王
頂き次期将軍にと動き出したので、みんな吃驚仰天徳川の血が絶える。
これに、吉良様もご老公の趣旨に賛成仲介に動き出した、其れを察知した
家宣側は非常手段に出てきた、世間知らずの内匠頭様をよびかくかくしか
じかと事の顛末を話し、口外無用のうえ、彼を(吉良様)を隠居に持ち込み
たい、よつて松の廊下で一悶着やってくれ、後のことは心配するなもっと
要職に付けるように図るから、とそそのかし内匠頭さまはまんまと、これに
乗った。しかしれは江戸家老、& 筆頭家老 大石内蔵助殿に詳しく話され
ている、家来として殿が幕格にはいるは名誉なこと喜んだ、・・・が・・・
事はそうは逝かなかった。手のひら返したように惨い仕打ちの幕府のやり方、
・・と言うより家宣側は素知らぬ顔で押し通した、赤穂にしても即日打ち首に
されたら、後の祭りで残すところは跡目願いを申し出て浅野家を存続させねば
成らない。しかしこれも踏みにじられ、ご老公は無理矢理隠居、死ぬまで
軟禁状態。残る道は幕府に一泡ふかすのみと成りました。
・・・どうですか、これが真相なんです、現代でもそこら中でこんな事が起こ
って居ります・・・・説得力あるでしよう。・・・
80 :
日本@名無史さん:03/09/17 20:27
>>79 徳川光圀は松の廊下で刃傷があった年の前年に寿命で死んでるが。
81 :
日本@名無史さん:03/09/17 20:56
宮将軍は、ちょんの孫のつなきちを将軍にしないための国策だったろうが
結局、ちょんの孫が将軍になったけど・・・
>>80 そうです、光圀公は松の廊下の事件の前年に死去されて居られます。この跡目争いは
息の長い物でして、光圀公亡き後も吉良殿、光圀公側近に受け継がれておりました。
既に家宣側の画策で、強制隠居の身でありました。第五代将軍 綱吉公に子が無きため
この様な騒動になりました。浅野家も気の毒で有りましたが、吉良殿もお気の毒でした
お国では名君の誉れ高きお方と今も語り継がれて居ります。
光圀公は江戸と常陸との行き来しかして無く、諸国漫遊は全く有りません。幽閉と同じ
待遇でした、梅林庵も見窄らしい物でした。尊皇のお気持ちの強いお方でしたが、それ
が災いしました。
徳川家は将軍が変わると、今のアメリカと同じく側近その他幹部は全て入れ替わります。
83 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:13
>82
家系が変わらないときは側近もそのまんまだよ。
新井白石も家宣、家継の二代につかえてるだろ
84 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:22
徳川光圀の隠居所は西山荘じゃなかったっけ?
85 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:23
>>83 其れはそうだよ、白石は学者だから。
>>84 西山荘=光圀公
梅林庵=大石内蔵助が最後に過ごした庵。
てれこになった、スマソ。
>>85 それだけ?。
87 :
日本@名無史さん:03/09/18 05:04
>>79 光圀と吉良が、
同じ目的を共有した同志的連携をもったという根拠はどこにある?
88 :
日本@名無史さん:03/09/18 06:34
>>88 まぁまま。おもしろければいいじゃないの。
90 :
日本@名無史さん:03/09/18 08:11
>>87 光圀も吉良も、何れも朝廷に対して畏敬の念を持っている。吉良は高家
という役職により朝廷、公家衆と、密接な繋がりがある。
両者が、将軍跡目に同盟を結んでも不思議でない。成功すれば大きな重職
がまって居る、これらのことはみな公然の秘密で、対抗派も候補を立て
互いに水面下で熾烈な戦いをする、丁度今の総裁選挙とよく似ている。
内匠頭は、対抗馬の家宣側に乗った。
光圀が今日までも、天下の副将軍と言う言葉が残っている、所謂補佐役
と言うところ、しかし実態は自分が全て仕切る積もり。また官位は権中
納言迄で終わっている。吉良家も更に重職と発言権が増す、断る謂われ
はない。
この様な事は、現代でも日常茶飯事である。
内匠頭は、対抗馬の家宣側に乗った。事件のサディシヨンを受けてやったが
失敗、口を封じられた。この経緯は大石は全て承知していた。
負けた、光圀、吉良、公家衆、は誠に割の合わないことになつた。しかし権力
闘争という物はこの様な物である。
おわかりかな、・・・・以上。
92 :
日本@名無史さん:03/09/18 09:08
>>91 説得力ないね。なんでも朝廷に結びつければいいってもんじゃないよ。
>>92 まだあきませんか?。説得力無いすか?、内匠頭が単なるアホとはおもえん
のですが。光圀が天下の副将軍という発想から朝廷と結びつける要因なん
ですが。徳川の支流を迎えるので有れば、この様な表現は生まれてこない
のですが。
94 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:08
>>91 いかにアホとはいえ、曲がりなりにも大名である浅野を、鉄砲玉に使うだろうか?
しかも「殿中」で、しかも式典の最中に?
95 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:35
なんだか、変な光圀黒幕説が跋扈してるなぁ。
ところで、幕府が吉良を本所に移して、浪士討ち入りを助長したって説がある。
実際、討ち入り前から、赤穂の浪人が吉良を狙ってると言う噂は、複数の文献で
確認できるようです。
自分としては、これが以前から不可解だったのですが、知り合いの史学部院生から
面白い話を聞いて、ちょっと納得しました。それは、徳川家康が征夷大将軍就任の
野望を燃やし、源氏を名乗った由来。家康は源氏を名乗るに当たって、源氏の名家
である吉良家から系図を写させてもらい、これを改竄して自分たちの経歴をでっち
上げ、源氏に収まったとの事。
つまり、吉良家とは徳川氏が源氏とは縁もゆかりもない、成り上がり者である事、
それを粉飾した事を知っている、その証拠(吉良家本来の系図)も持っている、
非常に目障りな存在だったっという事ですね。
もちろん、吉良家としてはかつての名門とは言え、今はただの没落武家。有職故実に
通じた、高家筆頭と言うポジションで満足してたのでしょうが、徳川家はそうは
思ってなかった可能性は、ものすごく高い。だから、突然の襲撃に孤軍奮闘した
息子を蟄居させて、断絶にしてしまったような気がするのですが。
光圀黒幕説なんぞより、よほど一面の真実を含んでいる気がしますが、いかが。
96 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:37
>>95 その「非常に目障りな存在」を高家筆頭として長年にわたり重用したことの説明がつかない。
>>94 だから、内匠頭はアホでないの、なかなか野心家と思う切れ者とも思う。
武道も家臣に勧め自らも鍛錬された。藩の経営も上手だった、只禄高の
割に家臣が多すぎた。5万石では半数の130名ぐらいが適当な所。
鉄砲玉でない、相手を殺さず、・・・もしかすれば暗殺を、指令したかも。
「殿中」がもっとも遣りやすい、しかも大切な勅使を迎える準備中が最も
効果がある。喧嘩両成敗の裁定がでる様にし、暫く蟄居・・・勝った暁には
赦免の上要職につく、こういう筋書き。しかし実際旨く逝かなかった、裏を
描かれたかも解らない、死人に口なしひょつとすると内匠頭は刀を抜いて
居なかったかも解らない?。ここまで考えてくると複雑怪奇、すべからく
権力闘争は傍目の庶民には霧が掛かって本当の所解らない様になっている。
>>95 徳川家が、高家吉良家より源氏の系図を買ったのは当時も周知の事と思う、
其れが原因でない、時は次期将軍の選択にかけて、双方暗躍が有った、こ
れも表面上みな周知の事、二派に分かれて候補者を推す。
秀吉も系図を買っている、大名で源氏とか平家が始祖というのは大半眉唾で
有る。家康も、秀吉も、実のところ出自が今ひとつ解らないのである。
松平の系統で有れば、家康が将軍に成った時点で、譜代の三河武士は大名に
成っている筈であるが、成っていない。榊原とか井伊家、本田家、他駿府の
系列の家臣が大名になっている。
吉良家は代々世襲で、朝廷、公家衆、との徳川の外務大臣の様な役で京と繋
がりが深い。徳川にとって無くては成らない家柄である。吉良家は徳川家に
とって目障りな存在でない。
以上の考察から、跡目相続から発した事件としか言いようがない、内匠頭が
アホで吉良が、狡猾な賄賂のみ要求する人物に描かれているのは、一番得を
した者達の合作で有る。・・・以上・・・どうぞ−−−>
>>97 あの状況で、
喧嘩両成敗の裁定を期待したとしたら、やっぱりアフォーじゃないの?
前例を見ても、斬りかかった方だけが処断されるのはわかりきったことだった。
>>99 だから、結果論はそうなりますが、刀を抜いていないかも解らないですよ、
事実を捏造する事ぐらい簡単な事なんです。・・・ど−ぞ・
101 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:54
>>100 事実の捏造までして浅野を抹殺する必要がどこにあるの?
102 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:55
>徳川家が、高家吉良家より源氏の系図を買ったのは当時も周知の事
それは有名な話だが、素朴な疑問がある。
足利支流の吉良家の系図を買って、なんで新田系の徳川(得川)氏になるの?
>>101 家宣側の内匠頭は作戦遂行を失敗したので、真相の露見を恐れて、即日
消したのです。結果的にお取りつぶしになった。
>>102 当時は、いい加減な物なのです。兎に角源氏の系図が有れば良かった。
秀吉も藤原の系図を買ったでしよう、誰が考えても嘘と解るのは関係
ないのです、後から格格の家柄とそれで通るのです、みんなそれでも
黙認なんです。大大名程可笑しいのが多い。私の先祖はそれほど偉くは
無いが凄く古いです、そして歴史上ハッキリしている、TVにも出てき
たことが有ります。
104 :
日本@名無史さん:03/09/18 21:27
秀吉は藤原の系図なんか買ってないよ。
>>104 あれ、違う?、橘かな?ど忘れ検索する。
107 :
日本@名無史さん:03/09/18 21:50
藤原佐為って誰だよ
108 :
日本@名無史さん:03/09/18 22:12
家康は吉良家から譲られた源氏の家系図に
新田の子孫で世良田政義という人物がいるのに注目し
しかもその数代前に得川氏という分家が出ているのを誤認して
世良田政義を得川政義と誤認していたのだが
政義の家督は嫡男の政親が継いでいるもののもう一人
「欠所又ハ討チ死ニト云」親季という息子がいたことに着目
この親季の子に有親がいたことにして
有親の子が松平親氏である=家康は源氏という理屈をつけた
109 :
日本@名無史さん:03/09/18 22:16
つまり「吉良家の系図」ではなくて、
「吉良家が所持していた清和源氏の系図」ということね。
納得しました。
>>104 思い違いで御座った、スマソ
天下人と言われた豊臣秀吉は、朝廷に将軍職を要求したが、朝廷は、
将軍は源氏系でなけれぱ宣下が無く、弱体化したれども足利義昭が
現将軍であると言う理由で拒否する、
>>108 了解で御座る、納得。
秀吉は義昭を京に招き山城の国に住まわせ将軍義昭の猶子となり
源氏を名乗ろうとしたが、義昭に断られ源氏を名乗れず(義昭は
慶長年没す)朝廷は秀吉を天正14年太政大臣
に任じ、新姓豊臣を与えて源平藤橘の四姓と同格にするのが秀吉
への最高の扱いであり、為に豊臣幕府は創れず。
111 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:03
>>110 羽柴秀吉が足利義昭の養子になろうとして断られて征夷大将軍になれなかった、
というのは俗説です。信ずるに足りない話です。
>>111 そうですか、俗説ですか?。では成れたのですか、ご教示お願いします。
113 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:11
>>112 秀吉はなろうと思えば将軍になれたはずです。
当時の朝廷に秀吉の要求を拒む力はありません。
秀吉は将軍にならないことを自ら選択したまでのことです。
114 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:39
ねぇねぇ陰謀説に固執なさってる御方は何でそこまでこだわるの?
何か目的でもあるのかな?
そこまで主張する意義は何?
素直に素朴な疑問です
他意はありません
>>100 吉良は、背中と額を斬られたんだから、浅野が刀を抜いていたことは疑いようがない。
>>7-11氏
コピペされるのは光栄ですが、あなたは意味がわかってますよね?
118 :
日本@名無史さん:03/09/19 06:39
>>116 その上で、梶川らに自分の帯刀を見せ、鯉口すら切っていない事をアピールしてる。
故に、これは物理的にも喧嘩足りえない。浅野から吉良への一方的な暴力である。
補足に。
>>96 三代家光の頃までなら戦国の遺風も残り、徳川家もしょせんは成り上がりである事は
周知の事実であったが、長期にわたって徐々に政権としての権威が高まれば、家康や
家光の時代とは出自の意味合いが、おのずと違ってくるのは当然である。
現在は徳川家が願人坊主の類いから起こった事は周知の事実であるが、それでも現在の
徳川家の子孫の方々に対して、それなりの敬意を持って接するのといっしょでね。
元華族と言ったって、しょせんは成り上がりじゃんと言った所で、自分の先祖は成り上がる
事すらできなかった訳だからね。およそ三百年弱、日本の支配者だったという事実は、
動かせない。それが歴史の重さってもんだろ。
それともうひとつ。綱吉の時代とは、同時に水戸学が生まれた時代でもある事に注意。
身内から徳川家を天皇家の下に置く思想が出てきたら、幕府としては困るわけだな。
それでも、徳川家=源氏=天皇家から分家した血筋 というロジックが成立する限り、
ある程度かわせる部分もある。ところが、そうではないという明確な証拠を握っている
高家筆頭吉良家の存在は、綱吉にとってどうであろうか?
121 :
日本@名無史さん:03/09/19 09:02
>>119 家康の出自については、大久保彦左衛門以下三河武士(松平系家臣)
においては周知の事では無いでしょうか?。それが吉良家に繋がる
事もないと思いますが。
123 :
日本@名無史さん:03/09/19 14:24
>>119 >>それでも現在の
>>徳川家の子孫の方々に対して、それなりの敬意を持って接するのといっしょでね。
特別の敬意なんか払わないよ。
普通の人に、普通に払う敬意と同程度。
先祖が偉大でも、当代の人がボケナスなら、ボケナスとして扱う。
124 :
日本@名無史さん:03/09/19 21:11
結局 吉良も分家は残っているのですが・・・
126 :
日本@名無史さん:03/09/20 03:16
>>120 >>114だけど、そう多分あなたに!
俺はあなたが薬飲んでるとか言う気はないから、なんで水戸や家宣をからめた陰謀説にこだわるのか教えて!!
127 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:46
要するに、家康は「吉良家の系図」を買って吉良の子孫になったわけじゃなくて、
吉良家が持っていた「源氏一門の系図」を買って、源氏を称したわけだな。
あくまで「源氏」であって「吉良家」じゃないから新田系の徳川のままでいいわけだ。
ところで、家康は秀吉時代から源朝臣だが、源氏を称したのはいつからなんだろう?
128 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:45
家康は秀吉時代は豊臣朝臣だけどな。
129 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:45
>>127 岩津妙心寺の由緒書には
松平信光は「参河源氏賀茂朝臣」と称していたとある・・・と手元の本に書いてある。
(賀茂朝臣を称したのは本拠地松平郷が加茂郡に属していたため)
だから室町時代の早い時期から松平氏は「源氏」を自称していたと思われ。
ホントに源氏かどうかは分からんが。
>>77 >その為、取り調べもせずその日の内に打ち首です、こんな事可笑しく無い?。
形骸化したとはいえ武家は職業軍人、裁判だって基本的に即断即決なんだぞ。
傷害の現行犯、しかも殿中抜刀により国家反逆罪が成立しているんだから
即日処刑でもおかしくないが・・・
132 :
日本@名無史さん:03/09/20 17:34
吉良氏というのは名門と言われるわりに室町時代何をやってたのかわからない。
江戸幕府にたとえれば、将軍一門の御三卿のようなものと理解してよいのだろうか?
>>傷害の現行犯、しかも殿中抜刀により国家反逆罪が成立しているんだから
>>即日処刑でもおかしくないが・・・
それはないと思いますが、いくら封建社会と言っても取り調べぐらいはします、
平民の犯罪でも所轄の町奉行の与力が取り調べ、判決を下します。まして大名の
事件です、世間に与える影響を考えても筋の通った取り調べの元に判決を下します
法律に対する考え方は、今も昔も基本は替わりません。・・・私はそう考えております。
其れをしない所に急いだ結論を誰かがなし解らなくしましたが。そう思われませんか?。
>>133 だから平民の裁判と武家の裁判とは違うって。
それも贈収賄問題や相続問題といった証拠調べの必要なものならまだしも
江戸城内における衆人環視下におけるテロ行為なんだから
現在にあてはめて考えたら民事・刑事裁判と軍法会議ほどに隔たりがある。
やっぱり江戸城内の刃傷事件で
寛永年間の老中井上主計頭殺害事件
実行犯の豊島刑部は現場で切腹、動機も背景もそのまま闇の中だけど
翌日には豊島家断絶・嫡子処刑の判決が下されている。
この判決はべつに性急とか不当とか批判されていない。
豊島刑部の刃傷は不忍池で投石された遺恨らしいが・・・嘘くさ・・・
136 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:37
「鯉口三寸抜いたら御家は断絶、身は切腹」
武家のルールにのっとった実に妥当な判決だと思えますが。
まあ同じ江戸城内刃傷でも
田沼のバカ息子殺した佐野政信は切腹するまでに日数があったけど
こっちは直参旗本なので手心くわえてもらえたか
実力者の田沼親父が関わってくるんで吟味に時間がかかったんでしょう。
>>135 井上家と島田家の縁談を豊島が取り持っていたが
これがこじれて破談、面目を失って井上殺害を決行した…らしい。
この時、豊島は犯行前日に家臣一同へ分配金を渡して
取り潰し後の生活に困らないように配慮している。
稲葉正休が堀田正俊を暗殺した時も
その前日に家臣団に金銀を配分して、身辺整理している。
浅野にはこの手のエピソードがまったく伝わっていない。
突発的犯行と考えれば不自然でも何でもないし
計画的犯行とするならば、浅野は御家断絶後の措置をまったく考えていなかった
無責任なバカ殿ということになる。
ちなみに江戸城中での刃傷事件は
豊島事件、稲葉事件、浅野事件、水野事件、板倉事件、松平事件と七つある。
この七つの事件に共通している点は
加害者…断絶または改易
被害者…お咎めなし
「浅野の事件は喧嘩両成敗じゃないから不当判決」なんて妄想もいいところだよ。
浅野の不手際は
乃木大将もシロート呼ばわりしてましたな。
司令官としては無能だったけど
こういう見解示すあたり、良い意味でも悪い意味でも武士道な人だわ。
>>137 私が妄想でなく、大石殿以下重臣が何故幕府の処分を不服に思ったか、単なる
馬鹿とか、思いこみ、とは考えられないが。そう思われないか?。何か隠され
ていることが有ると思いませんか?。
>137氏がいわれるのは建前の事ではないですか。
140 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:41
>>139 落ち着いて日本語で語れ。何を言っているのかさっぱりわからんぞ。
>>139 べつに俺は特定の誰かにレスつけた覚えはないけど。
「浅野の事件は喧嘩両成敗じゃないから不当判決」は赤穂浪士擁護派の決まり文句
まあ赤穂浪士擁護派全員の妄想といえなくもないか。
喧嘩両成敗の原則の規定について俺が直接知っているのは
『長曽我部百カ条』『甲州法度』だけだけど
少なくともこの二つと照らし合わせて浅野の裁判に不当といえるところはない。
>大石殿以下重臣が何故幕府の処分を不服に思ったか、単なる
>馬鹿とか、思いこみ、とは考えられないが。
別に赤穂浪士が吉良にテロ行為しかけたことに疑問は感じない。
現代人から見れば実にくだらない意地のために命を捨てるのが当時の武士道。
そして武士が
何よりも建前を重んじていた人たちということもお忘れなく。
143 :
日本@名無史さん:03/09/20 22:41
>>137 >>浅野は御家断絶後の措置をまったく考えていなかった
>>無責任なバカ殿ということになる。
浅野の前に、刃傷事件を起こしたが、
乱心(精神障害)のため本人は切腹だが、お家は存続した例があったので、
「乱心と認めなさい。そうすればお家断絶は免れる」とアドバイスされたが、
浅野は、
「いいや、武士の意地でござる」と言い張った。
そのために、切腹の上にお家断絶の判決が出た。
という話は、本当でつか?
だとすれば、ほんとにほんとのバカ殿でつな。
>>140 >>141 >>142 日本語がよくお解りに成らないらしい、チヨンさんですか?。
結局の所、少し意地悪されたぐらいで切れた内匠頭が馬鹿と言うことで、
大石以下部下も輪をかけた馬鹿という結論ですね。私はそうは思わない
のです。討ち入りに47人が深夜江戸の街の木戸を全て何事もなく通り
抜けるなんて事が出来るのですか?。町内毎に木戸があり夜9時か10
時閉められるのです、いわば夜間外出禁止なんですが。そこを大勢で
通り抜けたのが不思議なんです。以前NHKのTVですか、木戸番の
物語をしておりましたが、考えて見ると合点が行かないのです、妄想
でも何でもないのです、説明が付かないのです。どうして吉良邸まで
行けたか?。ご説明お願いします。
145 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:58
>>144 日本語がよくお解りに成らないらしい、チヨンさんですか?
やれやれ
『長曽我部百カ条』と『甲州法度』もチヨンの捏造文献認定か・・・w
『甲州法度』
正しくは「甲州法度之次第」、俗に「信玄家法」ともいう。
甲斐を拠点とした戦国大名武田晴信(信玄)の制定した領国統治のための
分国法。武士の土地所有や年貢収取に関すること、婚姻の規制、喧嘩悪党
禁止などの治安関係、家臣の被官契約、借銭負債の処理など、分国法としては
広範な規定を含む。
『長曽我部百ケ条』
安土桃山時代の土佐長宗我部氏の代表法令。長宗我部施政の末期には,
近習の家来や中間・小者の勤務心得,諸奉行の心得などの制令が出されたが,
1597年(慶長2)3月1日付けで「掟二十二ケ条」が発布されている。これは
長宗我部氏の家臣を対象として制定されたもので,侍の心得,生活や戦陣に
関する規定からなっており,侍一般に通ずる限定された範囲に施行された法と
いえよう。以上の法令に対し,武士・庶民も含め,長宗我部氏の代表法令として
集大成した形で発布されたものが「長宗我部元親百箇条」である。これは一般に
「長宗我部掟書」といわれているが,伝写本には「長宗我部百箇条掟」「長宗我部元親百ケ条」
「長曽我部百ケ条」「長曽我部元親百箇条掟」「元親盛親連判掟」「百条目掟」など,
いろいろ標題がつけられている。一般には「長宗我部元親百箇条」といわれている。
チヨンの捏造だったのか……
148 :
日本@名無史さん:03/09/21 11:23
じゃあ豊島家の翌日断絶も
稲葉家の即日断絶もチヨンの捏造なのかよ
>ちなみに江戸城中での刃傷事件は
>豊島事件、稲葉事件、浅野事件、水野事件、板倉事件、松平事件と七つある。
寛永年間に小姓同士が斬り合った事件と
享保年間に小普請同士が斬り合った事件が抜けている。
この二つはどこに出しても文句のつけようもない「喧嘩」だから参考にならんか。
149 :
日本@名無史さん:03/09/21 14:43
>>144 :日本@名無史さん :03/09/20 22:55
>少し意地悪されたぐらいで切れた内匠頭が馬鹿と言うことで、
う〜ん、その辺については真相は闇の中だけど、どういうわけか吉良は過去
にいろいろな大名と揉め事おこしているからなあ。
特に元禄十一年に馳走役に任ぜられた津和野藩の亀井茲親あたりは、指導を
受けている間、何度も辱められた事に憤っていて、「いずれ吉良をこの手で
討ち果たしたい」と家老に告白した例もあるからね。
浅野の「短慮」で片付けられない気もするんだが…
>>149 吉良と揉めた大名が、どいつもこいつもドのつくボンボンで、
指示されたりミスを指摘されたのを「恥かかされた」と
勝手にキレてただけって考え方もできる。
バイトでも正社員でも社内研修の類では別に珍しくも無い風景。
151 :
日本@名無史さん:03/09/21 17:15
>>150 妄想じゃなくて事例を提示すれ。話はそれからだ。
>>143 >「乱心と認めなさい。そうすればお家断絶は免れる」とアドバイスされたが、
>浅野は、
>「いいや、武士の意地でござる」と言い張った。
>そのために、切腹の上にお家断絶の判決が出た。
その場面、TVドラマではよく採用されてるけどでどころが分からない。
少なくとも折れの持っている検証本・考察本のたぐいではかんっぜんに無視されている。
たぶん戯曲か小説あたりがでどころではないかと。
>>149 > 特に元禄十一年に馳走役に任ぜられた津和野藩の亀井茲親あたりは、指導を
>受けている間、何度も辱められた事に憤っていて、「いずれ吉良をこの手で
>討ち果たしたい」と家老に告白した例もあるからね。
それ、史実かどうか危ぶまれてる。
典拠は蜀山人(戯作者)の随筆なんだけど
仮名手本忠臣蔵には加古川本蔵のこととしてまったく同じエピソードがあって
亀井家の記録からはこの話は見つからないんだそうな。
>>144 >結局の所、少し意地悪されたぐらいで切れた内匠頭が馬鹿と言うことで、
>大石以下部下も輪をかけた馬鹿という結論ですね。
なんでもかんでも現在の価値観であてはめて考えるなよ・・・
江戸時代どころか
ほんの60年前までこの国では無条件の忠誠心が礼賛されてたことを知らないのか?
いまでも企業やお役所にはそういう部分が残ってるけど。
153 :
日本@名無史さん:03/09/21 18:38
>>152 >それ、史実かどうか危ぶまれてる。
半日閑話でしたっけ。
すると江木鰐水の多胡主水伝も疑わないとだめか…。
事件から百年以上あとに書かれたのを、すっかり忘れていたよ。 _| ̄|○
○ < 気 に す る な
ノ|)
_| ̄|○ <し
>>151 >どういうわけか吉良は過去にいろいろな大名と揉め事おこしているからなあ。
>特に元禄十一年に馳走役に任ぜられた津和野藩の亀井茲親あたりは、指導を
>受けている間、何度も辱められた事に憤っていて、「いずれ吉良をこの手で
>討ち果たしたい」と家老に告白した例もあるからね。
こんなのは事例の提示にならん。
内容の真贋以前の、又聞き伝聞じゃないか(藁
>それ、史実かどうか危ぶまれてる。
津和野名産源氏巻の販促のためのネタだと思ってたんで
戯作者の随筆とはいえ典拠があったことにビクーリ
「討ち果たしたい」と思うことと、
実際に凶器を持って襲撃することとの間には、
天と地の開きがある。
もちろん、いつの時代・いずれの国でも、前者は無罪、後者は有罪だ。
158 :
日本@名無史さん:03/09/22 15:19
>>155 又聞き伝聞までは思わないが、微妙だな。
半日閑話だけなら戯作者のネタですむけども、時代が異なるとはいえ
福山藩の儒者である江木がとりあげているのが気にかかる。
150=155
素人質問でスマソ
どうして広島の阿部の家臣の江木鰐水が
島根の亀井の家老の伝記書いたの?
161 :
日本@名無史さん:03/09/26 11:03
元禄14年2月4日 浅野内匠頭長矩に勅使御馳走役、
伊達左京亮宗春に院使御馳走役を命ずる
162 :
日本@名無史さん:03/09/26 11:05
元禄14年3月11日 勅使柳原資廉・高野保春、院使清閑寺X定、
伝奏屋敷に到着する。
>160
亀井茲親、多胡外記 主従の逸話は史実としていいのかな?
仮名手本の桃井若狭の介、加古川本蔵のモデルといわれてるが、
逆に仮名手本の脚本が定本化した後にそれをもとに
この伝承が生まれたのではないかなという気がする、
164 :
日本@名無史さん:03/10/01 11:34
元禄14年3月12日 勅使・院使登営。将軍綱吉へ勅旨・院旨を伝える
165 :
日本@名無史さん:03/10/01 11:35
元禄14年3月12日 勅使・院使登営。将軍綱吉、饗応能楽を催す
166 :
日本@名無史さん:03/10/01 20:04
俺はこの人をご先祖様と呼べるからね、この事件から300年たった。もういいでしょう、
俺がこの人の名誉回復をする、今後の全生涯をかけて・・・・・
167 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:07
そうですか。
168 :
日本@名無史さん:03/10/05 04:59
>>166 > 俺がこの人の名誉回復をする、今後の全生涯をかけて・・・・・
だったら、さっさと名誉回復シル!
いつまで待たすんだ。(゚Д゚)ゴルアアア!
169 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:34
赤穂四十七士の順番ってあいうえお順以外には
二つあるんだけどどっちが正式なの?
両方とも大石、吉田、原と来て最後に寺坂が来るのは共通だけど
一方は7人目が主税なのに対して
一方は間喜兵衛が来てる
他にも46人目が一方は神崎なのに対して
もう一方は三村。
大筋では同じだけど微妙にズレがある。
七人目に間が来てる方のは多分泉岳寺の墓の並び順だと思うんだけど
もう一方は何がもとになっているのだろう?
誰か知っている人がいたら教えて下さい。
170 :
日本@名無史さん:03/10/17 11:08
元禄14年3月14日 勅使・院使登営。
江戸城松の廊下で浅野長矩、吉良上野介義央に刃傷事件起こす。
浅野長矩、田村右京大夫建顕へお預けとなり、夕刻切腹、夜泉岳寺に葬られる。
事件を報ずる第一の早使、足軽飛脚、第二の早使が赤穂へ向けて発つ
津和野名産源氏巻って
多胡外記が菓子折りの中に賄賂を詰め込んで吉良に送ったのが始まりなんだってね。
ぜ っ た い 作 り 話 だ ろ
172 :
日本@名無史さん:03/10/20 21:42
スレ伸びないけど、なんかお互いに真摯で前向きでいい感じだね。
保守age
173 :
日本@名無史さん:03/10/30 10:50
元禄14年3月14日 勅使・院使登営。
江戸城松の廊下で浅野長矩、吉良上野介義央に刃傷事件起こす。
浅野長矩、田村右京大夫建顕へお預けとなり、夕刻切腹、夜泉岳寺に葬られる。
事件を報ずる第一の早使、足軽飛脚、第二の早使が赤穂へ向けて発つ
174 :
日本@名無史さん:03/10/30 10:52
元禄14年3月15日 浅野大学長広、閉門を仰せ付けられる。
赤穂城受城使に脇坂淡路守安照・木下肥後守公定を任命
175 :
日本@名無史さん:03/10/30 10:53
元禄14年3月17日 浅野鉄砲洲上屋敷を引き渡す
田村右京大夫といえば一関銘菓「田むらの梅」
177 :
日本@名無史さん:03/11/04 22:10
>>171 仮に作り話ならば、それはそれで立証できる史料を提示せんことには
意味ないと思うんだが。
そんな名産品宣伝のステロタイプな話、真に受けろといわれても・・・
179 :
日本@名無史さん:03/11/05 13:18
いいだしっぺが蜀山人の時点で
亀井のエピソードは終わってまつ
亀井は二十年に五回も勅使接待役を仰せつかったミスター勅使接待役。
お話つくる上では「勅使接待役といえば!」みたいな感じで扱いやすいと思うが
現実的に考えて高家連中と仲違いすることはなかっただろう。
誰か
亀井の逸話擁護する椰子はいないのか?
182 :
日本@名無史さん:03/11/10 16:44
蜀山人だけならばネタ決定で異存はない。
しかし、亀井家とのかかわりの無い江木鰐水が
何故にこれと似たような事書いてるのかが、すごく気になる。
実際に吉良が一部の大名から嫌われていた事も含めると、いかにも
ありえそうな話だし、正直100%ネタだという確信が持てない。
単に便乗した作り話と、みれなくもないんけど。
183 :
日本@名無史さん:03/11/10 16:46
百年もたてば
作り話を真に受ける学者も出てくる罠。
>しかし、亀井家とのかかわりの無い江木鰐水が
>何故にこれと似たような事書いてるのかが、すごく気になる。
江木の時代には仮名手本忠臣蔵の脚本は定本となっているよ。
186 :
校長が強盗:03/11/13 23:04
伊達左京亮と田村右京大夫って親戚ですよね?
伊達藩士が討ち入り後の大石らに粥を振る舞ったという話を見た気がするんだが、
史実なんですか?
だとすればやけに伊達との関係がある気がしますね。そうでもない?
188 :
日本@名無史さん:03/11/18 19:17
元禄14年3月18日 浅野赤坂下屋敷を引き渡す
そうそう、百年ドコロか数十年で充分しょう
堀部安兵衛の未亡人と称する怪しげな贋者にみんなだまされてたりしたしね。
当時はTVがあるわけじゃなし伝聞が主だし芝居と現実の区別つかなかったりで
結構噴飯物な話は多かったらしい
190 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:35
元禄14年3月19日 第一の早使、続いて浅野長広書状、第二の早使が赤穂へ到着
191 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:36
元禄14年3月20日 赤穂藩札の六歩引換えを始める(3月28日終了)
192 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:37
元禄14年3月21日 浅野長広閉門の知らせが赤穂へ到着する
193 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:37
元禄14年3月26日 吉良義央、辞職。以後、寄合に列す
194 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:39
元禄14年3月27日 大石内蔵助良雄、藩士を赤穂城中に集め大評定(29日まで)
195 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:40
元禄14年3月29日 大石良雄、受城目付宛の「欝憤之書付」を持たせ
多川九左衛門・月岡次右衛門を江戸へ派遣
196 :
日本@名無史さん:03/11/25 17:02
a
197 :
日本@名無史さん:03/12/01 08:59
元禄14年4月5日 多川九左衛門・月岡次右衛門、受城目付に
大石良雄の「欝憤之書付」を渡せず、戸田氏定に見せる
198 :
日本@名無史さん:03/12/01 09:01
元禄14年4月11日 大石良雄ら切腹の連判をする(4月12日現在で29人、
都合64人)。多川九左衛門・月岡次右衛門、江戸より戸田氏定の書状を
持って赤穂へ帰る
199 :
日本@名無史さん:03/12/01 09:02
元禄14年4月11日 大野九郎兵衛一家、赤穂から逃亡する
200 :
日本@名無史さん:03/12/01 09:02
元禄14年4月13日 赤穂城内の武具・馬具を売り払う
201 :
日本@名無史さん:03/12/07 22:43
元禄14年4月14日 家中、浅野家代々の永代供養のため、花岳寺・大蓮寺・高光寺へ田地を寄進
202 :
日本@名無史さん:03/12/07 22:44
元禄14年4月15日 大石良雄ら、残務整理の会所を城下加里屋の遠林寺に移す。
赤穂藩家中、赤穂城下を退去する。大石良雄一家は尾崎村へ移る
203 :
日本@名無史さん:03/12/07 22:45
元禄14年4月15日 受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂へ到着する
204 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:17
元禄14年4月17日 幕府の代官石原正氏・岡田俊陳、赤穂へ到着する
205 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:17
元禄14年4月18日 目付・代官の城内見分。赤穂近隣の諸藩、陸海の警戒にあたる
206 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:18
元禄14年4月19日 受城使脇坂安照・木下公定、赤穂城を請け取る
207 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:19
元禄14年5月11日 受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂を発ち江戸へ向かう
208 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:20
元禄14年5月20日 大石良雄、遠林寺祐海を江戸に派遣、
護持院隆光に浅野家再興の運動をする
209 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:21
元禄14年6月4日 大石良雄ら、残務整理を終え、遠林寺の会所を引き払う
210 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:12
元禄14年6月25日 大石良雄、尾崎村を発ち山科へ向かう
211 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:13
元禄14年6月28日 大石良雄、山科西山村(西野山)に隠栖する
212 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:15
元禄14年8月日 大石良雄、原惣右衛門・潮田又之丞・中村勘助を
江戸急進派の鎮撫に派遣する
213 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:16
元禄14年9月2日 吉良屋敷を呉服橋内から本所(もと松平登之助屋敷)へ移す幕命が出る
214 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:17
元禄14年9月18日 このころ、大石良雄、進藤源四郎・大高源五を
江戸急進派の鎮撫に派遣する
215 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:18
元禄14年10月23日 大石良雄、奥野将監らと京都を発ち江戸に向かう(11月2日到着)
216 :
日本@名無史さん:03/12/27 17:54
元禄14年11月4日 堀部安兵衛ら3人、大石良雄を訪ね予備会談をする
217 :
日本@名無史さん:03/12/27 17:54
元禄14年11月10日 江戸会議。大石良雄ら、仇討ちを仮に明年3月と決める
218 :
日本@名無史さん:03/12/27 17:55
元禄14年11月23日 大石良雄、奥野将監らと江戸を発ち京都へ向かう(12月5日帰着)
219 :
日本@名無史さん:03/12/27 17:56
元禄14年12月11日 吉良義央隠居、義周の家督が許可される
220 :
日本@名無史さん:03/12/28 12:10
221 :
日本@名無史さん:04/01/07 01:52
悪質なテロリスト集団それが赤穂浪士
222 :
日本@名無史さん:04/01/09 01:40
>>136 田沼の息子は有能な男だったよ。
あんな基地外同然のばか者に殺されていいような男じゃあなかった・・・
223 :
日本@名無史さん:04/01/09 06:42
なんか、時空警察とやらの番組で
吉良さん死んで無かったような気が・・・
時空警察って番組は、見そこなったんだけど、
どんな内容だったか、誰か教えて。
225 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:14
226 :
日本@名無史さん:04/01/17 23:15
元禄15年1月14日 山科・伏見の衆、瑞光院の浅野長矩墓所に参拝し、
寺井玄渓宅で会談する。萱野三平、郷里の摂津国豊島郡萱野村で自害する
227 :
日本@名無史さん:04/01/17 23:24
この事件のおかげで吉良の末裔は肩身を狭くして生きてきた、家系図に
妙な小細工なんか一切する必要がないくらいの清和源氏の名門なのに頭の
逝かれた大場かのせいで悲劇の一族になってしまったんだよな・・・・・
>227
三河の吉良は、今日まで地名が残る、
後の時代に吉良の仁吉と尾崎士郎を産んだ。
後の時代にも吉良流礼法と包丁術は結構メジャーだったはずで
肩身はせまくない。
名跡を継いだ世田谷蒔田氏は吉良一族ではあるが
義央の直接の末裔とはいえないけど。。
>>228 隣の西尾市との合併協議が失敗に終わったようなので、
当分、地名が残りそうだ。
でも、もともと吉良という地名は、西尾市の八ツ面山が雲母(キララ)を
産出することから付いた名前。
地名残んないと
”吉良の仁吉”が何のことかわからんし、
足利一族の吉良氏がなぜ吉良を名乗ったかもわかりにくくなる。
231 :
日本@名無史さん:04/01/23 13:25
元禄15年1月 このころ、高田郡兵衛脱落する
232 :
日本@名無史さん:04/01/23 13:26
元禄15年2月15日 山科会議。浅野長広の処分を待ってことを起こすを決議する
233 :
日本@名無史さん:04/01/29 09:30
元禄15年2月21日 吉田忠左衛門・近松勘六、山科会議の決議を同志に伝えるため、
京都を発ち江戸へ向かう(3月5日到着)
赤穂の公務員は職を失い失意のうちにいた。就職もうまくいかずモンモンとしていたところ
大石から誘いがあり、恨みを晴らして一旗揚げようと企てる。大石は飲み屋の借金もかなり
額になっており、ここぞとばかり話に乗って飲み屋の借金を踏み倒した。しかし庶民の人気
は抜群で飲み屋の親父は借金踏み倒しの話はできなくなった。ことは年末、請求書の締めの
月です。
235 :
日本@名無史さん:04/02/08 19:05
素直に保全
236 :
日本@名無史さん:04/02/15 20:24
赤穂浪士の処分に悩んだ将軍綱吉は
正月のあいさつに来た法親王に相談。
法親王は切腹で死なせてやるのが武士道であろうと綱吉に助言をさずけたのであった。
237 :
日本@名無史さん:04/02/22 14:30
>>236 武家の棟梁が、クソ公家のアドバイスを受けるとは、情けない(w
238 :
日本@名無史さん:04/02/26 10:55
239 :
日本@名無史さん:04/02/26 10:59
_,.-‐ '"´ | | |‐--、
_..-‐‐ '" ____,| | |__` ̄`ヽ、
/ / / ,ヘ | ,.-、\ `ヽ、
/ /ー//´ ̄ヽ、 | ,へ^ ヽ \ \ そ、そんな…ヒドイだましましたわね
i / //`´`´ゝz> ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ ヽ ヽ、\ヽ
/ /⌒ヽ/ /! l l i l´`´`ヽ | \ヽi
/ / /_,/!_/__!,,. l l l l j |、_ ヽ}
/ / / / |/_,, ! l ト|、__!ヽ`i ̄´ヽ、 `、\!
/ /j /iレ'" ) i゙ \!\| -ヽ!-ヽ| ! i | ヽ
/ ,ィi ! }〈{`ーo'゚/ /⌒}ヽ | | ! `、
ー '"´ リ | !cゞ=-ソ ,;`ーo'゚ | j } | i | ヽ
_l ( ' ' ' ' ' ' ゞ,,,,O,,ハ〉' ! l 人 |
| `ー-‐'`>、 、_ ' ' , ,`゙゙'o/ヽ / /ハ | \ |
/`ー--‐'´//>、__` ̄` ' '_〈 `ー/ノレ ハj \|
! / i /\ `'ー‐--‐フ' }ヽ`ー--〈
{ l \,.=、/ j \ |
\ } へ{lー'!} く { i |
ヽ、_______,.人_. -‐フゞ=ツヽ ̄´i / j
/ー‐ヽ `ー-'´ || || ヽ ̄} ヽ----'
240 :
日本@名無史さん:04/02/26 14:43
槍は錆びても此の名は錆びぬ
男玄蕃の心意気
赤穂浪士の陰となり
尽す誠は槍一筋に
香る誉れの元緑桜
241 :
日本@名無史さん:04/02/26 14:45
姿蕎麦屋にやつしてまでも
忍ぶ杉野よ切なかろ
今宵名残に見ておけよ
俵崩しの極意の一手
これが餞男の心
242 :
日本@名無史さん:04/02/26 14:48
打てや響けや山鹿の太鼓
月も夜空に冴え渡る
夢と聞きつつ両国の
橋の袂で雪踏みしめた
槍に玄蕃の涙が光る
243 :
日本@名無史さん:04/02/26 21:23
>237
法親王とは皇統の血を受け継ぎ、
学問、仏教を修めたまさに江戸の教皇的存在。
家臣や学者たちのどの意見にも納得できなかった
将軍が最後に相談できる唯一の人物だったわけです。
244 :
日本@名無史さん:04/02/28 01:49
>>243 つまり、綱吉は優柔不断な人物だったわけですね。(w
>>241 これどう読むのかな?↓
........................................これが餞男の心
245 :
日本@名無史さん:04/02/28 02:47
>>244「これが餞 男の心」→ 「餞=はなむけ」と読みます。スペース開けた方が良かったかな(汗
>>245 どうもありがとう。
餞別のせんだとは知っていますた。
247 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:27
4.中旬 大石良雄、妻子を但馬国城崎郡豊岡の実家石束源五兵衛
毎公へ帰らせる
248 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:30
元禄15年6月29日 堀部安兵衛、京都に着き、原惣右衛門・大高源五らと仇討ちの相談をする
249 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:31
元禄15年7月18日 浅野長広、広島差し置きを命ぜられ、広島藩
桜田向屋敷へ移る
250 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:32
元禄15年7月28日 円山会議。大石・原・堀部ら19人、仇討ちを決議する
251 :
日本@名無史さん:04/03/17 02:23
ほしゅ
252 :
日本@名無史さん:04/03/22 10:18
元禄15年7月29日 浅野長広、妻子と共に江戸を発ち広島へ向かう(8月21日到着)
253 :
日本@名無史さん:04/03/22 10:19
元禄15年8月10日 堀部安兵衛・潮田又之丞、江戸に到着する
254 :
日本@名無史さん:04/03/22 10:19
元禄15年8月12日 堀部ら江戸の同志、隅田川舟上会議を開く
255 :
日本@名無史さん:04/04/02 19:11
元禄15年8月 大石良雄、横川勘平・貝賀弥左衛門・大高源五に同志を
訪ねさせ神文判形の返戻をさせる
256 :
日本@名無史さん:04/04/02 19:12
元禄15年閏8月〜10月 このころ、脱盟者相次ぐ。同志は江戸に集結する
257 :
日本@名無史さん:04/04/02 19:13
元禄15年9月.24日 大石主税良金ら江戸に到着
258 :
日本@名無史さん:04/04/02 19:14
元禄15年10月7日 大石良雄ら、京都を発ち武蔵国平間村に向かう
259 :
日本@名無史さん:04/04/11 18:57
age
260 :
日本@名無史さん:04/04/11 20:09
>この事件のおかげで吉良の末裔は肩身を狭くして生きてきた、
吉良の子孫は米沢で維新まで殿様やってました。
鷹山も女系では、吉良の子孫です。
元親百か条&信玄家法偽作説の根拠になっただけでも
赤穂事件は価値がある
忠臣蔵を真に受けている人の数(浅野死刑吉良お咎めなしを喧嘩両成敗の原則違反と思っている人の数)
=元親百か条も信玄家法も捏造文献だと思っている人の数
263 :
日本@名無史さん:04/04/23 09:42
保守
264 :
日本@名無史さん:04/04/28 08:54
age
265 :
日本@名無史さん:04/05/02 00:18
age
266 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:52
元禄15年10月26日 大石良雄ら、平間村へ到着する。
平間村滞在中、討入り心得書「覚」を作る
267 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:53
元禄15年10月頃 このころ、吉良邸の図面2枚を入手する
268 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:54
元禄15年11月5日 大石良雄、平間村を発ち江戸石町に居を移す
269 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:55
元禄15年11月13日 大石三平、中嶋五郎作・羽倉斎から得た吉良情報を堀部安兵衛に知らせる
270 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:56
元禄15年11月29日 大石良雄、落合与左衛門を通じて瑶泉院に「預置候金銀請払帳」を提出
271 :
日本@名無史さん:04/05/06 19:57
元禄15年12月2日 深川会議。同志一同、深川八幡前の茶屋に集合し「人々心覚」を決める
272 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:05
元禄15年12月3日 大石家来瀬尾孫左衛門・足軽矢野伊助、離脱する
273 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:07
元禄15年12月5日 当日の吉良茶会が延期と判明し、討入りを延期する
274 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:09
元禄15年12月11日 毛利小平太、離脱する。大石良雄、討入り部署を定める
275 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:12
元禄15年12月11日 大石三平・大高源五から吉良茶会の情報が入る。
大石良雄、12月15日早朝の討入りと決し、同志を本所の堀部安兵衛宅などへ
集結させ武装する
276 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:14
元禄15年12月15日 吉良邸討入り事件起こる
赤穂四十七士、吉良邸に討入り、吉良義央を討ち取る。
途中、吉田忠左衛門・冨森助右衛門、大目付仙石伯耆守久尚に
自訴する。残りの44人、泉岳寺へ引き揚げ、浅野長矩墓前に
吉良義央の首級を手向ける
277 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:15
元禄15年12月16日 細川越中守網利(熊本藩)へ17人、
松平隠岐守定直(伊予松山藩)へ10人、
毛利甲斐守網元(長府藩)へ10人、
水野監物忠之(岡崎藩)へ9人、
それぞれお預けとなる
278 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:20
元禄15年12月23日 評定所、吉良・上杉方は厳罰、
四十六士はお預け差し置きとする「存知寄書付」を老中へ提出する
279 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:23
元禄16年2月4日 四十六士、お預け先4藩の江戸屋敷で切腹。
吉良義周、知行地を没収され、諏訪安芸守忠虎(諏訪藩)へ
お預けを命ぜられる。
大石らの遺児19人に遠島仰せ付けられる
280 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:24
元禄16年2月11日 吉良義周、江戸から諏訪の高島城へ護送される
(2月16日到着)
281 :
日本@名無史さん:04/05/06 20:44
一気に進みましたね。
お疲れさんです
>>280 今年も年末になったら、盛り上がるんでしょうか?(w
テロリスト
283 :
日本@名無史さん:04/05/07 11:32
>>281 一応の貼りつけは終わったし、もう思い残すことはないから、
いつ削除されてもいいよ。
284 :
日本@名無史さん:04/05/07 13:27
12月14日まではもたせようぜ
今年も年末になったら
元親百ヵ条がチヨソの捏造ということに
まあ
『長曽我部百ケ条』や『甲州法度』が捏造文献なのも
浅野以外の江戸城中刃傷事件(豊島事件・稲葉事件・水野事件・板倉事件・松平事件・佐野事件)が
そろいもそろって喧嘩両成敗のルールを踏みにじった不当判決てのも通説だからな。
287 :
日本@名無史さん:04/06/13 13:18
288 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:24
水野監物忠之(岡崎藩)へ9人お預けとなる。
この水野監物忠之は後年、徳川吉宗が将軍の時、
水野侍従和泉守忠之として老中になっている。
289 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:33
大石主税はどうしたの?
まだ未成年だったから許されたのだろうか?
290 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:40
赤穂藩の家老大野九郎兵衛の「いみな」は何だっけ?
>>289 四十七士は寺坂以外は全員切腹。
現在の刑事裁判じゃないんだし
だいいち主税も矢頭も元服は済ませていたんじゃ・・・
292 :
日本@名無史さん:04/06/16 20:12
元服、当然っすよ。
江戸時代に、未成年だから許されたなんてありえない。
293 :
日本@名無史さん:04/06/19 11:31
忠臣蔵みて常々思うことがあるので書きます。
一応歴史は得意ではありませんし、史実に正確かどうかはともかく。
忠臣蔵という話が庶民の心を打ち現代まで語り継がれているという現象に関して。
294 :
日本@名無史さん:04/06/19 11:36
裁判で「浅野が悪い!」と判決がでて、彼は切腹。吉良はお咎めなし。
これに不服の大石+部下達が吉良に復讐するという話ですよね。
私が思うには、まず恨むべきはその裁判(つまり幕府かな?)では?
その裁判で「浅野に嫌がらせした吉良がわるい」と決定し、
吉良に罰、浅野は無罪 の判決なら大石達も文句はなかったはずですね。
まあそれは無理でも喧嘩両成敗。あるいは 浅野:吉良 の処罰が
せめて7:3くらいならまあまあ許容範囲としてしぶしぶ納得してたのではないかと。
「えこひいきの裁判しやがって!」「判決に文句あるぞ!」
って幕府に正々堂々と戦いを挑まずに、こっそり隠れて
吉良への復讐を企てる・・・。
そりゃあ確かに吉良にはムカつくし、事の発端、始まりは吉良だから
吉良も勿論、復讐対象でしょう。しかし裁判所への復讐は全く無しかよ!?
って思うのよ。
なんか本当に強い強大な者には勝ち目が無いから、あきらめて
っていうか「恨みの対象にする」ってことから心が逃げて
復讐できそうな奴あいてに頑張るっていう。。
なーーんかセコイっつーか、日本人の気質だなって思う。
会社でも似たようなこといっぱいあってさ。
皆さんはどう思う???
大石も同意?
298 :
日本@名無史さん:04/06/19 13:44
リーダーの大石が認めない内容が
口上書に採用されるわけが。
まあ現代の会社に似たようなケースを求めるなら
鶏の大量死ごまかせと命令されたからごまかした浅○農産の社員とか
欠陥を隠せといわれたから隠した三◇の社員とかなのかな。
299 :
日本@名無史さん:04/06/19 13:51
当時は女子供も処刑だからね。
300 :
日本@名無史さん:04/06/19 14:08
最近の有力説として、浅野のキ@ガイ説があるとTVで見ましたが。
吉良上野に斬りかかったのも、小サ刀だったし・・・殺すつもりだったなら、
振り下ろすのではなく、突き刺す方が確実ですし。
赤穂市も吉良町も行った事がありますが、ベリー・カントリーでした。
301 :
日本@名無史さん:04/06/19 14:17
そう浅野はかねてより恨みがあったといってるじゃないか。
乱心ではない。
乱心説が出てくるのは浅野が小刀で殺すなら突け、という常識を忘れ、吉良を討ち取れなかったからだ。
302 :
日本@名無史さん:04/06/19 16:40
>そう浅野はかねてより恨みがあったといってるじゃないか。
かねてから恨みがあったといいながら
カンジンカナメのその恨みの内容をまったく説明しなかったのは何故なんだよ。
吉良の爺さんは「どうして浅野に恨まれたのか分からない」といってるし
遺恨を晴らした赤穂浪士すら「どうして吉良を恨んだのか分からない」と口上書の中で言及してるんだし。
まあ真相は
どう転んでも浅野が一方的に悪いとしかいえないような
くだらない理由でプッツンして斬りつけてしまったといったところじゃないかな。
だから吉良には理解不能で
赤穂浪士たちは恥ずかしくてとぼけるしかなかったのだろう。
>乱心説が出てくるのは浅野が小刀で殺すなら突け、という常識を忘れ、吉良を討ち取れなかったからだ。
違う。切腹前に浅野家や家臣たちのその後の身の振り方についてはこれっぽちも指示を残さず
酒飲ませろタバコ吸わせろとダダこねたからだ。
303 :
日本@名無史さん:04/06/19 17:49
やっぱ忠臣蔵って、なんかおかしいよ
佐世保の事件で被害者に対し誹謗中傷する行為と
何ら変わらないんじゃないのか?
吉良の浅野に対するいじめも、どこまで真実なのかわからないし
こういうのに感動できる日本人って、やっぱ不思議
304 :
日本@名無史さん:04/06/19 19:26
武士や儒学者連中が赤穂浪士を賞賛するのは別にいいんだよ。
こいつらの論理は
「吉良の善悪なんて関係ない、赤穂浪士は忠臣だからえらい」なんだし。
その武士の論理を理解しないアフォどもが
庶民感情でムリヤリ勧善懲悪にこじつけるから
ヘンテコな話になってしまう。
「お話」として楽しむ分には勧善懲悪に脚色するのも構わないと思うし、
それに感動するのも不思議だとは思わない。
「お話」を事実だと勘違いしないんならそれでもいいけど
赤穂事件と忠臣蔵の区別つかない香具師多いもんね
308 :
日本@名無史さん:04/06/20 12:19
あんたなに言ってるの?
浅野は刃傷後は終始落ち着いていたんだよ。
まさかこの人があんなことしたなんて・・・って具合に。
>>308 赤穂事件と忠臣蔵の区別つかない香具師ハケン
310 :
日本@名無史さん:04/06/20 12:37
いや
確かに刃傷後の内匠頭は落ち着いていた。
遺恨の内容も説明しなかったし
事件後の浅野家の心配もしなかったし
辞世の句も読まなかったけど(風さそふ〜は後世のでっち上げだしね)
内匠頭は何事もなかったかのように湯漬けを食べて
おかわりまでした。落ち着いてるよな。
それただの現実逃避では?
312 :
日本@名無史さん:04/06/20 12:49
基地外が何かをしでかした後、
妙に落ち着いているのはよくあること。
313 :
日本@名無史さん:04/06/20 13:39
>>302 内匠頭は吉良に斬りつけた後に、梶川に組止められ、多数で引きずられて行かれながら、
「遺恨じゃ」とか「遺恨でござる」と何回も叫んだことは事実として記録されている。
それで、遺恨説が最有力視されるようになった。
この遺恨の内容が伝えられていないのは、捕らえられた後の取り調べの記録が残されず、
むろん公開もされなかった。記録をとった者も沈黙を守ったことが大きいようだ。
内匠頭が時間や服装を間違えて問題視されたが、吉良は、指導役である自分の落ち度とは
言わず、内匠頭がトロイからだと説明したことも、遺恨の一つだと言われているけれど、
これだけでは殿中で斬りつける理由としては弱いということで、吉良の意地悪で、一夜に
千枚の畳表を張り替えなければならなかったというようなハナシが作り上げられた。
314 :
日本@名無史さん:04/06/20 13:40
内匠頭は、吉良に対する進物は、ごくごく粗末なもので、それも噂のタネになっていた。
副接待使の伊達5万石は高額の進物を出しているのだから、という江戸家老の再三にわたる
説得にも応じなかった。
こうした内匠頭の姿勢を見ていると、よく言えば硬骨漢、悪く言えば偏狭だと思われる。
彼は、赤穂浅野藩ゆかりの晩年の山鹿素行に弟子入りして、師が死ぬまで
きわめて熱心に勉強している。
素行の高弟と言ってもいいくらいだし、晩年の2年間に講義を受けた密度は、他の弟子の
誰よりも濃い。
それでオレは思うのだが、内匠頭の硬骨ぶりは素行の傾倒したためで、
進物が粗末なものだったのも、素行の考えを実行しようとしたんじゃないか。ただし、
素行の講義の内容が伝わっていないので、あくまでオレの想像だけどな。
羽田逆噴射事件の後、副機長は取り乱して食事も喉を通らずにに錯乱していたが、
ご当人の逆噴射貴重は出された食事をきれいに平らげ、すやすや安眠。
遠野物語に収録されている、子供を石で殴り殺した乞食の母親の説話も、
突発的にキレて子供を撲殺して、その後にっこりと笑って手と顔を川の水で洗って
晴れ晴れとした顔で立ち去ったという不可思議で不気味なものだが、
心理学者の説明だと、躁鬱病にありがちな爆発らしい。
ずぅっと心理的に負担に思っていた子供の存在に対して、ある瞬間突然キレて本能的な行動に移る
(貴重の場合は逆噴射、内匠頭の場合は刃傷、乞食の母親の場合は石での撲殺)。
で、目的を達した後は心安らかで充足しちまっている状態になるらしい。
で、なんでこんなことやったのと問うと、要領を得ないってパターンらしい。
朝の既知外説が一番自然だよ。
>この遺恨の内容が伝えられていないのは、捕らえられた後の取り調べの記録が残されず、
>むろん公開もされなかった。記録をとった者も沈黙を守ったことが大きいようだ。
幕府ぐるみで隠さなきゃいけないような裏の事情があったとは思えないし
ホントに浅野が遺恨の内容を話さなかっただけと考えた方が筋が通っているんでは。
殺意が先走りすぎて、なんで恨んでるのか自分でも分からなくなっていたとか
それともとても恥ずかしくて口外できないような恨みだったとか・・・
例えば、前の日に「でぶ!」といわれて殺意を覚えたみたいな。
317 :
日本@名無史さん:04/06/21 08:40
>>316 >幕府ぐるみで隠さなきゃいけないような裏の事情があったとは思えないし
いやー、あったかも知れないですよ。たとえば、取り調べの記録をみれば、綱吉の裁断は
批判されるべきものだった、なんてことになるかもしれない。
>ホントに浅野が遺恨の内容を話さなかっただけと考えた方が筋が通っているんでは
そうだったら、取り調べの記録を公開しても、よかったと思うけどね。綱吉の決定が正しかった
ことが裏づけられるんだからね。
といっても、この記録が闇に葬られたという証言も、それを推測させる材料もないのだから、
なんとも言えない、ちゅうべきだろうがな。
318 :
日本@名無史さん:04/06/21 09:36
>幕府ぐるみで隠さなきゃいけないような裏の事情があったとは思えないし
そんなの
「すんません、ちょっと今日の接待役、基地外だったんで」
なんて天皇家に言える訳ないからに決まってるだろ!
取り調べてみたら
「あ、こいつキテルわ…」
とすぐ気付いたが、今さら基地外接待役に任命していましたなんて勅旨に言える訳ないんで
さっさと殺しちゃった訳。
319 :
日本@名無史さん:04/06/21 13:22
@あら楽し 思いははるる 身はすつる 憂き世の月にかかる雲なし
A梅でのむ 茶屋もあるべし 死での山
B介錯人の太刀先が狂い、肩に食い込むも”お静かに”と一喝
これに該当する人物は誰でしょう。
武家のルールは喧嘩と狼藉がきっちり区別されていて
狼藉は「理由にかかわらず加害者が全部悪い」だから
「遺恨でござる」
「知るかボケェ! 弁明の権利は認めん。さっさとハラかっさばいて死ね!」
という展開でもおかしいとは思えないんだが・・・
稲葉が堀田殺した動機や
豊島が井上殺した動機もはっきりしてないし
板倉が細川殺した動機にいたっては「いやあ、うっかり人違いしちゃって」で片づけられたし
浅野の事件だけが動機を揉み消されたなんてことはないだろう。
321 :
日本@名無史さん:04/07/02 19:51
基本的に武士の論理はヤクザの論理といっしょ、メンツを潰されたかどうか。
内蔵助も「一分立ち候様に仰せ付けられ、筋も立ち候はば格別の儀」と、
幕府に吉良にも相応の処分を与えて喧嘩両成敗にしてくれないと、
自分らはただのバカ主君を持ったみじめな家臣団ということになるという、
メンツ(=一分)が立たない状態。
親分自身が単身ヒットマンとなって敵の親分の玉を取り損ねた以上、
子分としては是が非でも代わりに玉をとってメンツを立てないといかん。
どっちに非があるかではなく、玉をとり損なった腰抜け親分の組みの者っていう状態を
打破しないといけなかった。
赤穂って、よく言えば任侠の風土。悪く言えばガラが悪い土地だもん。
吉本の島木みたいな喋りが標準なんだぜ。町中がヤクザかと思たよw
要するに浅野はDQNなんだな
324 :
日本@名無史さん:04/07/03 18:49
吉良や赤穂浪士の評価はいろいろだが
浅野がDQNってことにはほとんど異論がないからな。
325 :
日本@名無史さん:04/07/13 15:21
まだ残っているようなので保全
吉良邸のお隣・旗本の土屋主税は討ち入りの際、高張り提灯を立て、浪士たちを
励ました。
そればかりか、
「吉良の者が邸内に逃げてきたら、その場で討ちとめるべし」
と家来に命じたという。
ああ、おれもその時代に生きてみたかったなあ・・・
それは歌舞伎の脚色だ、ボケ。
いいのいいの。誰も史実なんて気にしてないんだから。
329 :
日本@名無史さん:04/07/24 18:36
「赤穂浪士の犯行声明文」を黙殺しない限り
オハナシとして成立しないのは致命的だろ
忠臣蔵というか
俗説イメージの赤穂事件
330 :
日本@名無史さん:04/07/24 18:44
××銀行のお隣・官僚の某は強盗事件発生の際、
投光機を持ち出し、強盗たちを励ました。
そればかりか、
「××銀行の者が邸内に逃げてきたら、その場で身ぐるみはぐべし」
と家族に命じたという。
ああ、おれもその時代に生きてみたかったなあ・・・
330に座布団1枚!
喧嘩両成敗の原則まで
忠臣蔵の中でしか成立しないフィクションだったのはけっこうショック。
333 :
日本@名無史さん:04/07/25 13:10
誰が見たって、喧嘩じゃあないだろ。
一方的暴行傷害。殺人未遂。
334 :
日本@名無史さん:04/07/25 13:24
>>327 お隣の土屋主税が、赤穂浪士の討ち入り後に、いまかいまかと勝ち鬨を待っていたのは事実。
たしか主税が、日記にそんなことを書いていたと記憶している。
高提灯を掲げたのも事実じゃなかったかな? 吉良の者を討ち取れと命じたのはフィクションのようだが。
ついでに、討ち入りの際に、吉田忠左右衛門が土屋邸に出向いて、挨拶したのも事実。
退出の時も同様に、挨拶してから泉岳寺に向かったと、記憶している。
335 :
日本@名無史さん:04/07/25 13:43
日本三大仇討ちの中で、曽我五郎・十郎や中山安兵衛は今日では忘れ去られてしまっているが、
赤穂浪士だけが人気があるのは、この物語が現代人にもアピールするからだろう。
そのアピールする要素の一つ(あくまで<一つ>ね)は、江戸時代も現代も故人の遺志の尊重という道徳観が
共通していることだ。これは、遺書に法的拘束力があるとされているのと同じ考えだ。
討ち入り後に大石は「主君の遺恨を晴らす」ことが目的だ、と語っているが、こうした考え方は古くさいようで、
そうでもなく、今日にも受け継がれている考え方だ。
むろん、故人の遺志が法に違反する場合は、法が優先されるのは当たり前のことだが、討ち入り後に大石たちが
高く評価されたのは、当時の法に違反していない、と考えられていたからだろう。
336 :
日本@名無史さん:04/07/25 15:10
訂正:むろん・・・・・・・・・・・を次のように修正。
むろん・・・・・・、討ち入り後に大石たちが高く評価されたのは、当時の法に違反していたが、
法よりも道徳観を上位に置くという考え方が強かったからだろう。しかし、荻生徂徠なんかが、いや、法は
犯してはならないと主張して、綱吉もこの主張を納得したから切腹させることになった。
337 :
日本@名無史さん:04/07/26 13:55
ふと思ったんだが
荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ちは
江戸時代はどんな風に美化されていたのだろう。
だって衆道の恨みで
殿さまの愛人の仇を上意討ち決行だろう? 赤穂浪士以上に情けないじゃん。
それとも江戸時代はこのままでも美談として通用したんだろうか・・・
あんまり知られてないと思うけど、近藤一党の村岡討ち入りも山名家の殿さまの
衆道が原因になっている。
江戸初期は戦国のホモの遺風が根強くて、むしろホモは「武士らしい」とまで評価
されたらしい。
徳川家光も一時期ホモに狂って女には見向きもしなかったとか。
339 :
日本@名無史さん:04/07/27 22:01
吉良屋敷の隣が土屋主税達直ということはわかっているけれど、
他に隣家は誰がいたのだろうか?
調べてみたら、北隣の西側に土屋主税、東側に本多孫太郎という人が住んでいたらしい。
でも主人は討ち入り当夜はいなくて、屋敷は土屋や吉良よりも小さかったそうな。
341 :
日本@名無史さん:04/07/29 21:43
>340
その史料の出所教えてくんなまし。
その本多孫太郎とやら、どこへ行っていたんだろう?
またまた、知りたいことが増えた。
そして、赤穂浪士は、討ち入り当時、本多宅へアクションは
しなかったのだろうか?こんなことも疑問として残る。
「土屋主税」で検索してみるといいです。
ぼくも調べてみました。
どうも本多という人物は越前の府中に常駐していて、越前松平家の監視役を
務めていたらしいです。
それから屋敷は明治まで土屋家の隣にあったそうです。
343 :
日本@名無史さん:04/07/30 14:51
344 :
日本@名無史さん:04/08/03 04:13
>>342 >>どうも本多という人物は越前の府中に常駐していて、越前松平家の監視役を
いわゆる隠密というあんみつですか?
345 :
日本@名無史さん:04/08/10 14:14
久々上げ
346 :
日本@名無史さん:04/08/10 14:25
大体な、浅野って野郎は赤穂塩の利益で潤っていて、
吉良家が「塩の作り方を教えてください」って使者を出した時に
非常にぞんざいに断ってるんだぞ。
吉良家は名家の尊厳を大いに傷つけられただろう。
その吉良がちょっと浅野に意地の悪い言い方をしたからと言って、刀を抜いて斬り付ける程の出来事か?
そもそも浅野内匠頭には殿中儀礼をアドバイスする参謀さえ居なかったのか?
殿様ともあろうものが、礼服を一着しか持ってこないとはどういうことなのか?
どう考えても落ち度は浅野内匠頭にあるのであり、
吉良に対する逆恨みでしかない。
347 :
日本@名無史さん:04/08/10 16:55
当時の製塩は気候や地理に左右されるから
塩の作り方云々は信憑性薄いんだが。
それに赤穂塩は大量消費の普及品なのに対し
三河の塩は饗庭塩といって高級品だったわけだし。
まあそんな説でも持ち出さないことには説明つかないぐらい
浅野の行為は理解不能だってことなんだが。
348 :
日本@名無史さん:04/08/10 20:11
礼服云々の話も、後世の捏造くさいんだにゃ
前日から気分が優れず、医者に投薬してもらってるからね。
浅野のプッツンが妥当な理由だろうね。
プッツンの原因は、梶川日記に何気なく書いてある、
饗応の時間変更だろうね。梶川はこの事を確認しようと吉良をさんざん探しまわって、
ようやく見つけて話をしているところで刃傷事件が起こった。
連絡が内匠頭のところまでちゃんと伝わっておらず、
登城してからその事実を知った内匠頭が、吉良に意地悪されたと思い込んで
刃傷に及んだと考えると、つじつまが合う。
知り合いの精神分裂症で入院した経験のある人も、話してる最中に突然目をむいて、
「それ、どういう意味だよ!」って食って掛かってきて、こっちが呆然としてると
「ゴメン、別人格が出ちゃった。自分でもコントロールできないんだよ」と、
すまなそうに言われた事があったけど。
メシを平らげてタバコを要求したりと、完全にそっちの病いだと思われる節がある。
350 :
日本@名無史さん:04/08/18 23:52
漏れら極悪非道のageブラザーズ!
今日もネタもないのにageてやるからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ age
(・∀・∩)(∩・∀・) age
(つ 丿 ( ⊂) age
( ヽノ ヽ/ ) age
し(_) (_)J
351 :
日本@名無史さん:04/08/19 02:47
刃傷事件の発端は伝奏屋敷の一室で浅野内匠頭がお気に入りの小姓と
如何わしい行為をしていた時に吉良少将に見付かり、御叱りを受けた事を根に持ち、
3月14日の江戸城内での饗応役の時に、時間変更に対して内匠頭は
吉良少将からの嫌がらせだと思い込みカァーッ!っとなって乱心したのが
有力な説ですが、赤穂浪士討ち入りを美化する為には
どうしても浅野内匠頭が小姓と・・・と言うことは消したいのです。
名門中の名門、吉良少将も大変お気の毒な殿様だと思います。
>>351 初耳。小姓といかがわしい行為って、なんに書いてある?
353 :
日本@名無史さん:04/08/19 13:01
小姓の名前は沢口某。沢口は浅野の股間を蹴って気絶させ、逃亡。浅野家の追手が追いつく前に
浅野家が断絶になったので助かったそうな。
だから、どんな文献に書いてあるのって聞いてるんだよ。
355 :
日本@名無史さん:04/08/19 15:58
>354
てめえで探せ!と言いたいところだが、池波正太郎の本に書いてある。
どの本かは忘れた。
あとは自分で探せ。
356 :
日本@名無史さん:04/08/20 04:05
刃傷事件の発端は伝奏屋敷の一室で浅野内匠頭が
お気に入りの小姓と如何わしい行為をしていた時に
吉良少将に見付かり、御叱りを受けた事を根に持ち、
3月14日の江戸城内での饗応役の時に、時間変更に対して内匠頭は
吉良少将からの嫌がらせだと思い込みカァーッ!っとなって
乱心したのが一番有力な説ですが、赤穂浪士討ち入りを
絶対的美化する為にはどうしても浅野内匠頭が小姓と・・・
と言う事は、どうしても消したいのです。
忠臣蔵は、世界的に見ても日本を代表する源氏物語についで
有名ですから、どうしても浅野内匠頭が・・・と言う事は
消し去りたいのが本音なのです。
これは最近になり、刃傷事件の一番有力な説として
取り上げられていますが、公表して良いものかどうか、
激しい議論が繰り広げられ
今のところ、この一番有力な説は棚上げ状態です。
来年の3月14日もしくは再来年の3月14日ぐらいには
公表するかもしれませんが・・・。
>354
これは、まだ未公表なのでご自分でお探しください。
どうも聞いた事がないと思ったら
小 説 が ソ ー ス か い !
358 :
日本@名無史さん:04/08/23 21:54
age
359 :
日本@名無史さん:04/08/23 22:05
たっくんの馬鹿さ加減に
大石情け無くって涙出てくら
360 :
日本@名無史さん:04/08/26 11:50
age
361 :
日本@名無史さん:04/08/26 17:20
よく考えてみたけど赤穂5万3000石で
五十人弱しか参加してないんだよ
吉良家はわずか3000石割合にすると
5.6パーセントだよ
何人か戦死しているんだから赤穂の不逞浪士よりも
はるかに勇敢だったことが分かる
割合では3,4人ぐらい死ねば同じになるね
362 :
日本@名無史さん:04/08/26 20:05
>>361 しかも、3対1の卑怯な戦法を相手にしての戦死だからな。
結果的に主君を守りきれなかったけど、もっと賞賛されてもいいわな。
363 :
日本@名無史さん:04/08/27 05:13
>>357 ん???おいおい、
>>356だけど、君、何か勘違いしているのと違う??
353、355の人は俺じゃないぞ。
たかが小説ごときの空想論なら、こんな事は話しませんって。
まぁ、だけど356に対して笑っていてくれた方が本当は助かるんだけどね。
この意味が君にわかるかな?
精々、笑っていなさい。
ところで、○○県○○市で大事な大事な○し○きが発見されたって知ってる?
まぁ、笑っていてください。そのうち「おぉ!!!」っとビックリ仰天しますから。
そのビックリ仰天が、おそらく少々遅れて再来年の3月14日までには・・・。
無理だと思うが早ければ来年末に・・・。
自分は面白い文章書いてるつもりなんだろうが、
と っ て も 痛 々 し い 。
365 :
日本@名無史さん:04/08/27 10:50
>>361>>362 吉良を守るために雇われた連中が、その吉良を守れなかったんだから、そりゃけなされて当然だろうが。
366 :
日本@名無史さん:04/08/27 10:56
367 :
日本@名無史さん:04/08/29 09:17
>>366 行こうと思えば、上杉の里にも行けた。それを行かなかったのは、武士の面目が立たなかったからだろ。
つまり、吉良は武士として本壊を遂げたんだ。
368 :
日本@名無史さん:04/09/09 23:55
age
369 :
日本@名無史さん:04/09/11 11:52:40
ドラマじゃいっつも浅野が誠実で美形なイイ殿様
吉良がいじわるじーさんな殿様
まったくなあと思いつつ、やっぱり見てしまうんだな〜
11、12月は楽しみだったりする
しかし、たまには「その日の吉良上野介」みたいな
「どっちも悪くないんだよー」ってドラマ作れんもんかなあ
本当の刃傷理由なんて分からないんだからさ
370 :
日本@名無史さん:04/09/11 12:57:53
昔石坂浩二がやらなかった
371 :
日本@名無史さん:04/09/11 13:42:30
梶川筆記や田村家記のまま映像化したら
お話が成立しなくなる。
>>370 山城新伍が言ってたが、吉良上野介は出演者の中で一番巧い役者がやる役なんだって。
下手な役者だと「このジジイをぶっ殺せ!」って言う気持ちに視聴者がならないから。
机龍之介、滝沢修、森繁久彌、伊丹十三、西村晃、石坂浩二、橋爪功、津川雅彦、伊東四朗と
名優やベテラン、芸達者がずらり。浅野内匠頭は若けりゃできる。大石内蔵助はバカでもできる。
373 :
日本@名無史さん:04/09/11 18:46:36
>>372 その中では、森繁の吉良上野介が一番くだらなかったな。
>>机龍之介
・・・・・・大菩薩峠でつか?(w
374 :
日本@名無史さん:04/09/12 04:43:11
いつの間にか忠臣蔵クズスレが落ちてて
後続スレがなぜかマンセースレっぽいタイトルになっている。
376 :
日本@名無史さん:04/09/17 18:01:18
377 :
日本@名無史さん:04/09/18 01:29:37
>>372 漏れは西村晃かな。
健さんにぶっ殺されるシーンの言い訳姿が秀逸。
柳生烈堂も西村のが良かった。
380 :
日本@名無史さん:04/09/19 23:46:43
なぜ、内匠頭は上野介に斬りかかったんだろう。
これは何で刺さなかったんだろうという意味。
相手が憎ければ斬りかかるより刺した方が殺す確率は高いはず。
いくら何でも武士ならそのくらいのことは知っているはず。
意図的に刺さず、単に挑発する意味で斬りかかったのかと思っている。
>意図的に刺さず、単に挑発する意味で斬りかかったのかと思っている。
挑発するなら後ろから斬りかからないだろう。
おまけに江戸城の警備責任者(梶川)が目の前にいる状況で。
382 :
日本@名無史さん:04/09/20 10:54:16
>>380 奇声を発しながら、背後から斬りかかった。
確率とか、そんなこと考えてない。
383 :
日本@名無史さん:04/09/20 11:03:53
宅間も死ぬ前に煙草ほしがったようだ。
たっくんと一緒だね。
384 :
日本@名無史さん:04/09/20 12:29:33
赤穂は、吉良1人を悪者にして
年末のお祭りなどで、儲け過ぎ
吉良温泉は、源泉枯れてるのに
温泉を名乗ってるなんて、不届き千万
あさのたくまのかみ
386 :
日本@名無史さん:04/09/20 16:50:08
3対1とは卑怯ニダ賠償汁
387 :
日本@名無史さん:04/09/20 17:00:30
柳生裂堂の陰謀にはまったのだ
388 :
日本@名無史さん:04/09/20 17:42:30
奇声を発しながら、背後から斬りかかった。
どこかの資料に書いてあるのだと思いますが権力者にとってねつ造は簡単です。
この事件以外に殿中での刃傷沙汰は3,4件あったが見事殺している。
それは切らずに刺したから
本当に殺したければ刺したと思う
誰かに「吉良に斬りかかり刀を抜かせろ。でもそれ以上はするな。あとはいいようにする」
といわれたのだと思う
389 :
日本@名無史さん:04/09/21 08:33:08
>どこかの資料に書いてあるのだと思いますが権力者にとってねつ造は簡単です。
捏造したという根拠が提示できないなら、そんなのただの妄想。
>この事件以外に殿中での刃傷沙汰は3,4件あったが見事殺している。
>それは切らずに刺したから
>本当に殺したければ刺したと思う
刺殺は豊島と稲葉の二例だけ。
水野伊兵衛は斬りつけて手傷も負わせられないで、取り押さえられた。(切腹)
水野忠恒は斬りつけて手傷を負わせて、取り押さえられた。(譜代の家柄により罪一等を減じられ配流・御家断絶)
板倉修理・佐野善左衛門・松平外記は立派に斬殺に成功している。
豊島明重と稲葉正休は計画的犯行。
刃傷決行前に家臣に金を分配し、後の始末についてきっちり指示を与えている。
犯行の時も冷静に刺殺を選んだ。
残りの連中はアタマに血がのぼったための突発的犯行。
冷静に行動を選ぶだけの余裕もなくムチャクチャに斬りつけた。
それだけの違いだろ。
391 :
吉良上之介:04/09/22 13:26:58
スターウォーズのジェダイって、時代から取ってるんだろう
もしかして
ダースベイダーのモデルって、俺じゃない?
392 :
日本@名無史さん:04/09/24 16:06:33
今は、
赤穂の塩って、赤穂産じゃないんですよね
それに
吉良温泉って、もう枯れてしまってるのに
いまだに温泉って名乗ってるんですよね
集団で完全武装して寝込みを襲う乱暴狼藉者を義士と奉ってく事に比べれば無問題♪
394 :
日本@名無史さん:04/10/10 13:54:19
age
395 :
日本@名無史さん:04/10/18 17:53:46
age
396 :
日本@名無史さん:04/10/18 19:22:47
テレ朝でやっている。
397 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:07:46
ついカッとなった…
今は反省している…
398 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:27:19
上司に恵まれなかったら オージンジオージンジ
399 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:32:01
堀部の養子にしてみれば、また名をあげるチャーンス!
なんか吉良がかわいそう〜。基地外の浅野が非常に美化されてるのでそう思った(^^;;;
401 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:37:25
実況の方で少し話が出たのですが、
吉良と脇坂と浅野といったら、
位的には吉良が一番上ですよね?
浅野や脇坂は従5位くらいで、吉良は従四位上だったと思うのですが・・・
402 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:39:43
吉良氏の官位は高いよ。
実況見れねぇ〜!
404 :
日本@名無史さん:04/10/18 20:48:37
劇中で吉良や上杉を「上様」と呼んでる台詞があったが、
「上様」って将軍専用じゃないの?
領収書は「上様」でお願いします。
406 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:09:08
「上」杉だから上様で間違ってないじゃんw
407 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:11:52
俺も上○様だがな…
408 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:14:01
さんざん既出だろうけど、またドラマやってるの見てうんざり。
あぁ言うのうちの父親とか好きなんだよなぁ・・・。
いくら「史実と違う」って言っても信用しようとしない。
登場人物が史実とまったく関係ない設定なら俺も普通にフィクション
として見れるのだが・・・。
吉良にゆかりのある人達の事考えたら、もういい加減、ああいう
ドラマばかりやるのはどうかと思うんだよね。
吉良の方が主人公になってるドラマだって、もっとあっていいのに。
それなら普段知られているような忠臣蔵、やっててもいいと思う。
今のままなら、年配の人達にとってはほとんどマインドコントロール
だよ。
409 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:17:30
また史実厨か・・・ドラマはドキュメンタリーじゃないぞ。
410 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:29:15
史実じゃないことくらいみーんな知ってるだろ。
テレビ番組なんてみんなやらせさ。
エンターテイメントとして楽しめよ。
411 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:31:37
史実通りにやると、クレームの嵐になる罠
つか文句言ってるやつも実は怪しげな史実とやらを信じてる。
413 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:40:43
史実は、ヒステリーもちの浅野が
とち狂って吉良さんに切りかかって、
大石たちは無職になった腹いせに
討ち入りしたなんてことはみんな知ってるよ。
あわよくば就職先ゲットとか考えてた
浪士も参加してただろうなw
414 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:43:05
(・∀・)ヌルポ!!
415 :
日本@名無史さん:04/10/18 21:46:06
貧乏浪人ばっかだし。
416 :
日本@名無史さん:04/10/18 22:14:53
赤穂浪士こそ誠の忠臣。馬鹿にする奴は非国民。
吉良は国賊。大悪人。これが正しいのだ。
417 :
日本@名無史さん:04/10/18 22:25:33
キムタクの四十七士よりマシ。
自分のことは「おれ」
浅野のことは「あんた」
大石のことも「あんた」
最後は堀部(木村)が吉良の首をとるというダメダメっぷり。
418 :
日本@名無史さん:04/10/18 22:45:40
天野屋が最強
というかお話で聞いても浅野はイカレてるし吉良は気の毒
420 :
日本@名無史さん:04/10/21 21:19:22
416
イカれてる
421 :
日本@名無史さん:04/10/21 21:22:50
家の親が
大石内蔵助の新選組と
ホザいてるのですが…
422 :
日本@名無史さん:04/10/21 22:30:56
吉良様こそ誠の名君。馬鹿にする奴は非国民。
赤穂浪士は国賊。大悪人。これが正しいのだ。
423 :
日本@名無史さん:04/10/22 12:08:13
吉良様 マンセー!
吉良っ吉良っ 吉良っ吉良っ スタースター
吉良っ吉良っ 吉良っ吉良っ スタースター
勅使が京からやってくる 浅野の馬鹿殿あらわれる
屏風の裏から声がする 義央の声が
料理が違う 畳かえろ 浅野早とちり
松の廊下 鮒侍が 浅野御乱心
大石と力と47人の馬鹿が 面子を守るため 吉良邸殴り込み
助けにこない!御公儀〜 助けにこない!上杉〜
あわれ 首取られ 上野介
425 :
日本@名無史さん:04/10/24 00:11:53
わ、わしはお主に斬られる覚えなどない!
あの時浅野がわめいて・・・突然わしに斬りかかってきたのだ!
聞いてくれ!二人の間に遺恨などあろう筈がない!
あ、あの時、あの時のことを話そう、
なぜ浅野内匠頭が刃傷に及んだか、その訳を・・・知りたいだろ?
さ、教えてやる、さすれば・・・
47人の刺客?
このシーンだけはスゲエ気に入ってる
実はドリフのコントみたいな吉良邸のギミックも気に行っている
西村晃の演技が良かったね。
それを遮って殺しちゃう高倉内蔵助。
でも意外と赤穂事件の本質を突いてる希ガス。
吉良には襲われる理由もなく、
内匠頭には襲う理由もなく、
大石には討ちいる大義もない。
でも決行せざるを得ない。
人は散々斬りまくったくせに、自分で切腹の刃も立てられない根性なしばっか
429 :
日本@名無史さん:04/10/26 06:44:47
ちょっとお聞きしたいんですけども、
司馬遼「新選組血風録」の中で、監察役山崎が赤穂藩家老大野の子孫で、
池田屋にいた・・・誰だっけ。とにかく池田屋で山崎と斬りむすんだ人が
大高源吾の子孫だという話があったと思うんだけど、あれって本当なんすか?
430 :
日本@名無史さん:04/10/26 19:57:50
さあ・な。
どうでもいいんじゃないか?
431 :
日本@名無史さん:04/10/26 20:04:28
千坂兵部と色部又四郎、どっちが好き?
>431
助平股白
433 :
浅野でございま〜す :04/10/27 09:17:56
さぁ〜て来週の忠臣蔵は?
434 :
日本@名無史さん:04/10/27 14:40:29
一力茶屋での内蔵助の遊びっぷりが楽しみ
マツケンサンバが入ることを期待(゚∀゚)!!
435 :
日本@名無史さん:04/10/28 11:39:22
“演出を担当したのは、NHKディレクター時代に多くの大作を手がけた
重光亨彦。彼の演出ならば、と大物俳優たちが出演を希望したことで、
大河ドラマなみのキャスティングとなった”・・・・「ステラ」の編集後記より。
ポアロとマープルの誤爆?
437 :
日本@名無史さん:04/11/02 22:56:29
今放映中の忠臣蔵って、お約束満載ですか?
一回目と2回目の放送が観られなかったので、
とりあえず全部録画してるんだけど…
438 :
日本@名無史さん:04/11/03 15:41:56
イラクのテロリスト=赤穂浪士
439 :
日本@名無史さん:04/11/03 16:01:38
吉良は何も悪いことはしていない。
浅野の発作性精神疾患の一方的被害者だ。
440 :
日本@名無史さん:04/11/03 18:59:08
吉良は生きたまま首切られたのかね
>439
通り魔的に襲われたのなら、まだ他人の同情がついてくるだけマシ。
殺された上に罪まで捏造され、なすりつけられたのだから悲惨さ×5
442 :
日本@名無史さん:04/11/05 22:34:29
吉良「おい浅野。
吉良町の元祖・水道水温泉は、
癇癪に効くから、ゆっくりと浸かっておけ}
443 :
日本@名無史さん:04/11/05 22:37:03
>>441 そのとおり。「赤穂義士」は中国、朝鮮、アカヒ並の歴史の捏造だ。
444 :
日本@名無史さん:04/11/05 23:33:19
賄賂取ってる香具師は吉良の肩を持つ
通り魔予備軍は浅野の肩を持つ
ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/tyanoyu.htm 吉良上野介といえば芝居の仇役だが、今日の茶湯を考えたのは彼である。
「茶」ではなく抹消の「抹」をつける抹茶に関しては今でも厳然として吉良に権利があって、
「転茶」とか「天茶」と称する混合する為の製品は現代でも三州の愛知県西尾町吉良が出荷権を握っていて、
各地の茶問屋は吉良から仕入れねばならぬ不文律が業界では定まっている。
なにも吉良上野介が生前に善政をしいたから三河では「忠臣蔵」の芝居を上演させないのではなく、
現代でも抹茶の利益で儲かっているから吉良さまさまなのである。
447 :
日本@名無史さん:04/11/08 20:27:00
>>446 >>現代でも抹茶の利益で儲かっている
それが事実だとしたら、
用水路と並んで、
吉良町民にとっては、吉良上野介の恩恵であるだろう。
感謝するのは自然の人情だよな。
>>444 当時と現在では賄賂の意味合いが違う。
指南料としては当然の対価。
449 :
東教授:04/11/08 20:48:21
馬鹿馬鹿しい!これだから浅ましい下民の子孫は困る。忠臣蔵とは唯の復讐劇と勘違いしている連中がいるが誠の忠義を当時、そして今の世に示している武士の鑑である
450 :
日本@名無史さん:04/11/08 20:55:21
吉良上野介は武士の鑑。
451 :
我愛中華:04/11/08 20:58:54
鈴木ムネヲのやうなことを言っちゃいかん
浅野侯は吉良に個人的に指南を求めたのではない
公命により吉良が役目として指南するのだから、指南のソクシュウは要らない
452 :
東教授:04/11/08 21:01:05
浅野内匠頭長矩、大石内蔵助は武士の鑑。
天野屋利兵衛は男でござる!!
453 :
日本@名無史さん:04/11/08 21:12:26
結果として浅野内匠頭長矩は
日本で一番有名な基地外になってしまった。
454 :
東教授:04/11/08 21:21:58
結果、浅野内匠頭は
日本一良い家臣たちを持った殿様になってしまった。
455 :
日本@名無史さん:04/11/08 21:27:54
結果、松平容保は
日本一良い家臣たちを持った殿様になってしまった。
456 :
日本@名無史さん:04/11/09 22:31:09
>>447 用水路は、吉良町民にはよかったが
そのおかげで、水が逆流して、隣村が
水浸しになったんだよな
ほんと、自分の所さえよければいいのかよ
>>451 アホか。
おまえの脳内慣習は聞いてない。
幕府の慣習的に礼金を出すのは当然。
458 :
日本@名無史さん:04/11/09 23:11:58
DVDの映像特典で、松平大石が吉良邸でマツケンサンバをやるらしい(マジ
459 :
日本@名無史さん:04/11/09 23:35:36
460 :
アマン吉良:04/11/10 00:35:57
吉良上野介が、斬られたとき
その性格を皆が知ってたから
ああ、やっぱり、と言う感じで
吉良への同情は、あまりなかったのでしょう
あったのかな?
>天野屋利兵衛は男でござる!!
天河屋義平のパクリか。竹田出雲は著作権侵害で訴えることができるな。
実際は吉良は台所で発見されて、槍で一突きされた後にバッサリ斬られて亡くなったそうな
赤穂浪士が退散した後に発見された吉良の首無し遺体には20数箇所の斬られた跡があったそうなので、首を取った後に全員でズバズバやったんだろうな
むごいよ…
外国人の強盗殺人でもそこまでやらないような気がする。
切腹は当然だな。
そういえばNHKの最後の忠臣蔵は
天川屋儀兵衛だっけ。
史実の天野屋利兵衛と赤穂浪人には何のつながりもねーぞとか
抗議があったんだろーか。
465 :
細木数の子:04/11/11 00:42:34
じゃ吉良上野介さん。ズバリ言うわよ!
アータね、名前変えないと毎年、毎年殺されちゃうわよ。
いやでしょ。一度しか言わないわよ!
良い名前考えてあるんだからさぁ。ドッコイさぁ。
『鈴木宗男』か『出川哲郎』どっちかお選びよ。
>463
しかも切腹の時、本当に腹に刃をたてられたのは2人と聞いたが。
やりたいことやってケジメつける度胸もないヘタレどもです。
467 :
日本@名無史さん:04/11/11 09:06:58
>466
切腹で本当に刃を腹にいれない
というのはあの時代、わりと一般的なことになってたのでは?
あの時代の切腹はもう様式になっちゃってて、ほとんどが扇子腹(刀の代わりに扇子が置いてあって、それを腹に当てるだけ)だったそうな
ちゃんと刀が用意されてた分、赤穂浪士の切腹は優遇されてたと言える
469 :
日本@名無史さん:04/11/11 11:38:00
浅野が死んだ時、城下はお祭り騒ぎで喜んだそうな。
そ・・・そこまで・・・。
>467-468
それも聞いてる。
だけど、一応建前でも「仇討ちじゃー!」「武士たるものうんたら・・・」
とか言って人の寝込みを襲い、他人の体をズバズバ斬りまくっておいて、
いざ自害の段になって
「やっぱ痛いの勘弁してくださいよーー」ってのは、根性無しでないかい?
それじゃ押し込み強盗とどこが違うんだ?
浅野家は税率高くて領民から不評をかっていたのはどうやらホントらしい
472 :
日本@名無史さん:04/11/11 20:26:33
473 :
大學ヘ授:04/11/11 20:40:02
夜討は腕と度胸を誇る誉れの戦術です
保元乱の鎮西八郎、曽我兄弟も夜討で名誉を得ました
保元の乱の鎮西八郎は夜討を主張しただけで
首脳陣の反対の前に不採用だったはずだが・・・
475 :
日本@名無史さん:04/11/11 20:54:06
476 :
日本@名無史さん:04/11/11 23:33:16
>>470 >根性無しでないかい?
全員とは言わないが、リクルートの一環として参加した連中はいるだろうなぁ。
そういう人たちにとっては「んな、バカな!」って気持ちがどっかにあったんじゃないの?
>>470 あの時代、基本的には扇子腹で、その扇子を取ろうとした瞬間に、
不意打ち的に首を落としたそうな。そうしないと、大概の人間は取り乱して
扇子を腹に当てて切られる瞬間に、動いてしまって肩や頭蓋骨に刀が当たってしまうからとか。
赤穂のテロリストどもは本身の刀で、切るまで待ってもらったのかね。
実際に切ったのが二人いたという事は、そうなんだろうな。
自称忠義の士だからそれぐらいやると思ったら、実際は。
ただまぁ、預けられた家は何カ所にも別れていたし、
映画のように全員が一堂に会してって訳ではなかったらしいし、
預けられた大名家ごとに扱いに温度差があったらしいから。
>478
なるほど
落語好きな香具師だと気づくが、いろんな話に「せいしょうこうさま」っていう言葉が出てくる。
最初は何の事かわからなかったのだが、せいしょう=清正=加藤清正のことで、
どうやら赤穂のテロリストが預けられた肥後細川藩の藩邸を、加藤家改易後もそう呼んでいたらしい。
なんでやたらに出てくるのかと思ったら、細川家は赤穂浪人をかなり手厚くもてなし、
浪人達も非常に感謝し、また細川家のものと親交を結んだらしい。
これが非常に評判になって、細川家は江戸庶民に大人気となったらしい。
実際、幕府が派遣した、切腹後の跡地を清める役の人間を、
彼らは細川家の守り神になってくれたので清めは不要と断ったらしい。
まさか五十年後に
自分ところの殿さまが乱心したバカに江戸城中で斬り殺されるとは思わなかっただろうな。
>細川家
482 :
日本@名無史さん:04/11/15 18:47:10
細川宗孝が命拾いしてたら
板倉家の遺臣に討ち入られて
細川家ごとあぼーんしていたかも。惜しかった。
483 :
日本@名無史さん:04/11/15 19:56:34
>482
そうすると55年体制崩壊後の
最初の非自民首相は誰だったんだろう・
484 :
日本@名無史さん:04/11/15 20:21:20
>>481 >細川家
DQN集団を持ち上げた報いってことかな。(ww
吉良家って今もあるの?あったとしても、吉良上野介の直系は途絶えているはずだが・・・。
吉良家ってさ、たかだか4200石なんだけど、上野介自身は上杉家の当主綱勝の妹・三姫と結婚し、
その長女・鶴子は上杉家の養女のかたちで九州の大大名、島津綱貴の継室となり、二女・あぐりは陸奥の津軽家にとしている。そして、
三女・菊子は清華家の大炊御門経音に輿入れしているけど、さすがに室町以来の名門だね。
今川家や大沢家といった他の高家も吉良家のように、大名たちと婚姻関係を結んだの?
名門?
他の落ちぶれ貴族同様、系図を売った見返りではないのかな?
殺された側の吉良の子孫はしがない大名として日陰者生活を送り、
有名な子孫と言えば上杉鷹山くらい。
逆に押し入った側の子孫はヒーローの末裔としてあがめられ続ける。
本当に吉良は襲われ損だよな。
489 :
日本@名無史さん:04/11/28 11:41:17
細川宗孝が殺されたのとか
毛利師就が殺されかけたのとか
赤穂事件で懲りた幕府が
とりあえず加害者をキティ認定しておけば騒ぎにならんと踏んだんだろうな。
うっかり人違いして
細川の殿さま殺しちゃいました〜なんて・・・
490 :
日本@名無史さん:04/11/28 14:51:40
仮説として赤穂浪士の事件は大きくは幕府の諸藩取りつぶし政策が背景にあり、最大のターゲットは吉良の実子が養子に入った米沢藩上杉家、ついでのターゲットが赤穂藩浅野家であったと考えます。
赤穂藩を取りつぶしたのは徳川幕府であり、本来の忠義とは、籠城抗戦か幕府要人襲撃であるはずです。
赤穂側が不正な判定に怒るなら、まず主敵は幕府です。幕府側がこれを警戒しなかった事自体、戦国や幕末の武士の行動から考えると異様です
半島でのサッカー世界杯や大陸でのアジア杯での不公正な審判に怒って相手チームの選手をなぐったらどうなるか考えてみましょう
さらに公正な判定に意義を唱え審判に抗議せずにいきなり相手チームの選手に殴りかかったら?
つまり赤穂藩という共同体にとって大石と赤穂浪士の行動は背任行為なのです
かれらの行動後、再就職していた元赤穂藩士は不義士と呼ばれて解雇され就職活動中だった者も含めて路頭に迷いました
赤穂藩武士共同体の存続にとどめを刺したのは大石と赤穂浪士です
浅野家の存続については、その資金を持ち出し、たのまれてもいない被害者襲撃をもって、お家再興の芽を完全につぶしました
つまり主君浅野内匠頭の遺族にとって大石と赤穂浪士の行動は忠誠ではなく裏切りなのです。
このような点から世論誘導も含めて幕府側が大石たちをコマとして利用したのだと自分はみております
また、この筋違いの暴発を誘導して米沢藩に不祥事を発生させられれば、お取りつぶしやお国替え等により外様の雄藩の力をそぎ幕府の収入を増やすことが可能です
浅野内匠頭による刃傷事件が突発的な不幸であるのか幕府により確立論的に仕掛けられた罠であったのかは分かりませんが、事件以降の展開は幕府による諸藩取りつぶしの流れで把握できると思います。
491 :
日本@名無史さん:04/11/28 18:35:13
唐突ですみませんが、討ち入りは
1702(元禄15)
でいいんでしょうか。それとも
1703(元禄15)としなければいけないんでしょうか。
学会ではどうなんですか。教えてください。
492 :
日本@名無史さん:04/11/28 18:56:15
考えたら上杉鷹山って吉良の男系子孫なんだよな。
吉良GJ!!
493 :
日本@名無史さん:04/11/28 21:29:42
馬鹿が社長になったら、会社がつぶれる 今でもよくある話
元禄のころ、浅野カンパニーに馬鹿が社長になったものだから、即倒産
逆恨みした食い詰め社員が、集団就職運動で、自爆テロを敢行!
元禄のアルカイダみたいな連中だ 社長が馬鹿ならら社員も馬鹿。
切腹ではなく、打ち首が相当。
494 :
日本@名無史さん:04/11/29 08:43:20
>492
鷹山は養子で直の子孫ではない。。
495 :
日本@名無史さん:04/11/29 09:28:11
>>491 教科書や年表には1702と書いてあるが、
確かに正解は1703だわなあ。
これは言ってはいけないことじゃなかった?
現在の暦に当てはまると1703年だけど、12月という史実が人口に膾炙してるから1702年になってるとか
497 :
日本@名無史さん:04/11/29 10:15:06
じゃあ、他の(有名じゃない)旧暦12月の歴史的事実はどうなってるの?
500 :
日本@名無史さん:04/11/29 14:53:41
>>497 みーーんな教科書が間違ってます。そりゃあひどいもんです。
今年の正月、テレビ東京でやってた忠臣蔵、よかったなあ。
特に吉良役の橋爪が。
吉良上野介の領地では当時、塩は生産されていなかった。
これは、最近発見された古文書により確認された。
浅野家は、接待費をケチった。一緒に役目をこなした伊達家は、
1100両かけて準備していたが、浅野家は700両で済まそうとした。
とすれば、意地悪されたというのは完全な逆恨み。
以上の点は、中公新書に出てた。
503 :
日本@名無史さん:04/11/30 01:55:44
>>502 意地悪というか、、
勅使接待の儀式が失敗すれば吉良も責任を問われる。
芝居やドラマで吉良がやったと描かれる意地悪は、後世の捏造。
まあ、嫌味くらいは言っただろうと推測するけど
504 :
日本@名無史さん:04/11/30 03:24:52
>503
その嫌味が、キラはむちゃくちやひどかったらしいじゃないか。
浅野より前に接待役を引き受けた某大名も、
「キラを殺して俺も死ぬ」と激高してたらしいし。
505 :
日本@名無史さん:04/11/30 09:56:44
このスレを1から読む事をおすすめする。
それから書き込め
510 :
日本@名無史さん:04/12/02 21:28:56
八切史観の柳沢黒幕説も面白い。
511 :
日本@名無史さん:04/12/03 22:45:14
八切さん、懐かしいーーー。
蛎殻町で会ったことあるよーー。
512 :
日本@名無史さん:04/12/04 01:05:32
まだ生きてるの?<八切
513 :
日本@名無史さん:04/12/04 10:26:42
昔の話。
ダンボールにいっぱい本くれたよ。
514 :
日本@名無史さん:04/12/05 00:51:49
>508
しかしまああれだ
津和野で売ってる”津和野銘菓 源氏巻”は
あの話をこの菓子の由来と史実扱い。
津和野あたりでは信じられているんだろうかね。。
515 :
日本@名無史さん:04/12/07 02:03:44
吉良家が断絶した時、米沢の一般市民は喜んだと伝えられてるからね。
「これで税金が安くなる。」と。
考え様によっちゃ、浪費家の綱憲がいたおかげで鷹山が名君として脚光を浴びるわけで。
あの頃の米沢の領民は本当に貧しかったから
石高が半分になっても贅沢家の綱憲にはいい印象持たなかったのかもね。
吉良家への多額の資金援助とか金ヅルと思われても仕方ないのかもしれない。
なにせ綱勝暗殺説もあるくらいだから。
(吉良屋敷で茶を馳走になった日の夜原因不明の腹痛になりそのまま死亡)
516 :
日本@名無史さん:04/12/07 10:03:55
テレ朝でやってるマツケン版忠臣蔵は
激しく出来が悪いのだが・・
まあテレ朝だししょうがないけど。
517 :
日本@名無史さん:04/12/07 13:50:44
お陰さまで、ついに最終回。
実際、討ち入りがあったのは12月14日。
その前夜、12月13日に19時から2時間スペシャルでお送り致します。
試写を終えて、手前味噌ではなく、「忠臣蔵」史上最高傑作だと思います。
斬新な立ち回り。それぞれの感情のぶつかり。
涙なしではいられません。
是非、お楽しみに。(東映ホームページより)
だそうです。
この腐りきったマツケン版忠臣蔵は、どうやら討ち入りだけは「史上最高傑作」のようです。
今年の正月、テレ東でやってた忠臣蔵の方が絶対イイ。
519 :
日本@名無史さん:04/12/08 17:59:59
>515
米沢の人間や上杉家中には
綱勝公の急死についての
義央への疑惑
という感情もあるしね。
520 :
日本@名無史さん:04/12/08 23:39:21
*お主も悪じゃのうツアー募集*
全国、嫌われ者の吉良ファンのアンチ忠臣蔵の皆さ〜ん
今年も12/14の討ち入り:吉良公の命日まで、あと1週間を切りました
あなたも本当の吉良ファンなら、この時期、盛下がった吉良町に来て
元祖水道水温泉に入って、景気のいい話を聞かせてください
:キックバックで、海外旅行に年10回行った
:商品券・小切手をお歳暮にもらって、豪邸に住んでいる
などなどよろしくおねがいします
:
http://www.japan-net.ne.jp/~kira-spa/
521 :
日本@名無史さん:04/12/09 13:22:13
本所に来たけど吉良邸の場所知ってる人教えて
石坂浩二の吉良は良かった。
523 :
日本@名無史さん:04/12/09 19:38:24
石坂浩二の吉良は弱かった。
524 :
日本@名無史さん:04/12/13 09:59:16
今夜も忠臣蔵を見やう
525 :
日本@名無史さん:04/12/13 20:49:01
なんで新暦の12月に忠臣蔵(討ち入り)やるんだ?
改暦されて12月が夏になってもやるのか?
旧暦の師走と新暦の12月は何の関係もないじゃないか。
526 :
スレ主 1様:04/12/13 21:20:21
見事、本懐を遂げもうした!あっぱれあっぱれ
527 :
土屋主税でござる ◆QG8GurSP3Y :04/12/13 22:07:53
浅野殿はよい御家来をお持ちになられてうらやましいのう・・・
528 :
日本@名無史さん :04/12/13 22:09:39
しかし、マツケン忠は最低だな。
現代の無知無知に媚び売りすぎ。
忠臣蔵本流を目指すなら、カットしていい場面
悪い場面の選択が悪い。
三村ジロウザエモンの話なんていいのになー
それと、綱吉 あれじゃただの バカw
529 :
土屋主税でござる ◆QG8GurSP3Y :04/12/13 22:13:57
>>528 松平殿は武士の中の武士である。
貴殿はちと口を慎まれたがよかろう。
530 :
可哀想な吉良ちゃん:04/12/13 22:15:11
マツケン版忠臣蔵見たけどオーソドックススタイルと
しては良くできていたな。
しかし、毎年、見るたびに吉良ちゃんを可哀想に思う
気持ちが強くなる。
ちょっと若造の殿様にチクッと意地悪言っただけで刀
で切りつけられるは、あげくのははては集団暴徒に夜
中に襲われて首を切られちゃうわ。
孫も名誉を傷つけられ、お家は断絶させられちゃうわ・・・
このオーソドックススタイルの忠臣蔵に何の疑念も感
じることなく、野際陽子のように「あっぱれ」なんて
思う視聴者がホントにいるんかいな。
いるとしたらその方が怖い気がする・・・
この話の流れで感動する感情が「刷り込み」されている
なんて
531 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:18:30
>>土屋殿
お旗本なのに、将軍様の悪口はお許しになる?
まあ、マツケンはそれなりに良かったが 忠臣蔵
としては イキナイ とおもったのさ。 ごめん
532 :
土屋主税でござる ◆QG8GurSP3Y :04/12/13 22:18:32
>>530 この話に感動されぬ貴殿に問題がおありなのではござらぬかな?
533 :
スレ主 1様:04/12/13 22:20:40
かわら版屋の情報収集の早さに感服いたした。
浪士たちが街中を進んでるときすでに
仇討ちなれりのかわら版が発行されているとは・・只者ではないなw
534 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:27:07
>>530 あれだけ、吉良を悪者にしないと浅野の刃傷が
万人に納得のゆく話にならなかったのさ。
それでも、物事の本質を見抜ける人は「吉良さんが
一番の被害者じゃねえか?」と思うもんなんだよな。
それでも、俺は忠臣蔵が好きです。www
535 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:46:22
やっと分りました!
忠臣蔵の蔵は吉良が隠れてた蔵の意味だったんですね。
536 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:47:18
その様なことよりも壱よ、ちとお耳を拝借。すれと縁無きことなれども。
この度、それがしが江戸城に出仕した折のことで御座る。江戸城。
何か騒がしきことあり、一向に前に進めず。
何事かと思い見ゆれば一橋豊千代殿、十代将軍徳川家治こうの養嗣子となり候。
最早、阿呆奴がと。馬鹿奴がと。
そなたたち、養子縁組ごときで江戸城門を占拠するとは一体何事か。
十一代将軍なり、十一代将軍。
何やら大老や側用人も打ち出で、一城総出で物見遊山で御座るか、まことに目出度きことなり。
「家斉様をひと目この眼に!」などと叫びしは正視に耐えず。
そなたたち、介錯し申し上げるから切腹せよと。
そも江戸城とは本来閑散としているべき物なり。
擦れ違う隣国藩主との目だけで気まずき礼、
次の参勤交代は拙者か否か、その様な雰囲気こそ松の廊下の真髄。
火事と喧嘩と江戸の花は引っ込んでおれ。
して、漸く通れたと胸をなでおろし奉りし折、どこぞの芋侍が「朝鮮通信使!」とのたまいし。
そこでまたしても我が怒髪天を衝くが如きに候。
この時勢朝鮮通信使などすでに過去の遺物なり。
したり顔して何が「朝鮮通信使」か。恥を知れ恥を。
そなたは本当に朝鮮通信使と叫びたいのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱ほど問い詰めたい。
ただ単にどさくさに紛れて歴史に残る言葉を言いたいだけなのではないかと。
江戸城中の先達である拙者に言わせれば、斯様な如き事態の適切な判断はやはり、
子作り。
これなり。
側室40人、55人も子をなす。これでござる。
して、見事妾を孕ます。これぞ帝王学。
されどこれは財政破綻→大部分の大名の嗣子が我が子になるを覚悟の上でやらねばならぬ諸刃の刃。
未熟者には百年早いわ。
まあ壱の如き若輩者には、大政奉還で敵の目を欺くが関の山なり。
537 :
可哀想な吉良ちゃん :04/12/13 23:36:29
>>534 ま、拙者も結局、忠臣蔵好きなんだけどさ。
今回、寺坂さんのエピソードが終盤にあったけど、
この人にもちょっと興味あるんです。
この人、四十七士の中ではもっとも身分が低く、
浅野家の直臣じゃないってことで「その後」も
生き続けた訳だけど、周りの心情とかどうだったんだ
ろうか?
例えば・・・
Q:寺坂さん以外の46人の寺坂さんへの心情は?
A1→「寺坂ごとき足軽と同じ扱いではたまらんわ。一緒にすな」
A2→「直臣ではないし、そこそこ年もいってるし、こんな事に
巻き込まれて切腹では気の毒だ。生かそう」
A1は、命がけで敵討ちをする仲間にあの時代といえども
そこまで、封建的な感情を持つかいな、という気もするし、
かあといってA2の発想も少し傲慢な気がしてすっきりしない
Q:寺坂さん自身の「その後の」心情は?
A1→「生きれてラッキー。いいものを見させてもらいやした」
A2→「皆様方とご一緒させていただきたかった。されどご下命
なれば、かくなる上は残されたご遺族をお守りするしか・・・」
まあ、A1はジョークのつもりですが、当時の武士は本当にガチガチ
の「忠」のみのヒトだったんだろうか?現代人にも通じる人間臭さ、
弱さみたいなのは無かったんだろーか?と思ったりもします。
538 :
可哀想な吉良ちゃん:04/12/13 23:43:09
あ、それから忠臣蔵って感動のポイントを
外人に説明するの、すごく難しい気がする・・・
忠臣蔵で卒論書けそうだな。
540 :
日本@名無史さん:04/12/14 00:35:08
俺はやっぱ笛を吹くシーンが一番の感動ポイントだな。
しかし、昨日のは笛吹き過ぎだろ。どいつもコイツも吹きやがって。
あれじゃ大石は、どっち行ったらいいのか迷うだろ。
541 :
日本@名無史さん:04/12/14 00:36:40
それから昨日のは吹くタイミングも悪すぎ!
さっさと吹かなきゃ!!
542 :
日本@名無史さん:04/12/14 00:38:45
テレ朝の「忠臣蔵」は過去の赤穂浪士を扱った作品の中でも
最低レベルの出来のような気がしたが。
543 :
日本@名無史さん:04/12/14 00:47:27
振りかえると萬屋はいい役者だった。
マツケンがカスに感じる。
>542
いや、吉良@森繁のときより惨いのはないとオモワレ
>537
つうが、史実の方では討ち入った当人たちのほとんどは、
その後切腹しなきゃいけないなんて到底考えてなかった思われますが。。。
物語としての忠臣蔵なら「その後」なんでもありでしょうが。
546 :
日本@名無史さん:04/12/14 01:26:44
>>543 錦之助なんかと比べなくても、もっと下の人と比べても
マツケンなんぞはカスだと思うが?
ん十年したら、渡辺謙もやるんだろうか?
548 :
日本@名無史さん:04/12/14 01:41:28
萬屋錦之助に一票!
17、8年前、昼の1時〜2時位にテレ東でやってた連続物で
錦之助が内蔵助の忠臣蔵。最強と思う。多分、再放送だが。
549 :
日本@名無史さん:04/12/14 01:55:12
里見の大石もなんだかな〜。。。
550 :
日本@名無史さん:04/12/14 04:01:36
近松は吉良家に謝罪しる
551 :
日本@名無史さん:04/12/14 10:25:06
三船敏郎に一票
侍の役をやらせたら右に出るものはいない。
552 :
日本@名無史さん:04/12/14 12:04:07
忠臣蔵は、吉良上野介役が名優でないとな。
森繁とか伊東四郎とか、喜劇役者が吉良をやると逆に凄みが出るな。
次はビートたけしにやって欲しい。内蔵助と上野介を両方やった役者になるし。
ところで、昔の役者の映画をつなぎ合わせて、上野介も内匠頭も内蔵助も安兵衛も勘平も、
全員同じ役者が演じているという凄い映画があったそうだが(みなもと太郎先生の本に出てたはず)。
松健も開き直ってそれぐらいやれば良かったのに。
553 :
日本@名無史さん:04/12/14 12:09:54
マツケン忠臣蔵、最終回、なななんと、視聴率15.8%
もう、テレ朝、サンバ、サンバで踊り明かそう!!
内村光良の一人忠臣蔵はパロディとしてもイマイチだったが。
555 :
日本@名無史さん:04/12/14 15:08:16
いやあ
やっぱり、時期的に忠臣蔵って、人気あるんですね
びっくり
こりゃ、吉良の復権は、遠いわ
吉良様は主家筋である喜連川家の扱いを良くしてくれるように
とりなしていたそうだ。
清和源氏嫡流として自称源氏の浅野なんて眼中になかったんだろう。
557 :
日本@名無史さん:04/12/14 21:06:05
>>可哀想吉良氏
寺坂が気になるなら、池宮彰一郎の『四十七人目の浪士』がお勧め。
フィクションだが(当たり前かw)、寺坂大活躍。
同じ著者の『その日の吉良上野介』も、お勧め。
刃傷の理由が(創作だがな)一番納得できた。
そうそうそ、外人に忠臣蔵、解るかってことだけど
仮名手本の歌舞伎公演、柔ヨークだったかな?で演
った時に外人も泣き場で泣いたそうだよ。
>551
だってあの人根っからのサムライだし。w
空港税関での話に爆笑
559 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:15:42
善人吉良、基地外浅野、ただの逆恨み浪士、っていう設定のドラマないの?
560 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:17:13
お前、書けよ。47人の通り魔とかのタイトルで。
浅野、大石より吉良という人は、
吉良家の終焉 著 歳森薫信
がオススメ 古本屋しかないだろうけど、なによりこの著者かなり吉良家に肩入れしている。
562 :
日本@名無史さん:04/12/15 02:15:20
討ち入りの集合場所どこ?どこ?
あ〜〜!!!間に合わね〜〜〜〜〜〜!!!
563 :
日本@名無史さん:04/12/15 03:45:16
564 :
日本@名無史さん:04/12/15 08:39:27
戦前は寺坂直前逃亡説よって四六士説も根強かったが、
最近の小説やドラマは寺坂逃亡説にたつものはないな。。。
566 :
日本@名無史さん:04/12/15 13:32:13
マツケンサンバ人気頼みだったとはいえ
忠臣蔵、やっぱり人気あるんですね
吉良の名前も永遠に仏滅ですね
盛り上がっているところを悪いけど、討ち入りに加わった赤穂の面々は立派だと
は思うが、吉良にいじめられている頃の江戸屋敷の連中は、無用心と思えて仕方
がない。袖の下を渡してないのに、吉良があれこれ教えてくれるとは期待できな
いのに、待っているようなところがある。匠の頭の衣装だって日時だって、忍者
よろしく詮索しなきゃならないのに、しているようなことは出て来ない。
山鹿素行の軍学にも「敵を知り...」とかぐらいあったと思うが、江戸住まいが
長くてボケていたんだろうか。接待役も二回目だったろうに、学習不足。
エラい人、この辺の解説をして下さい。
>567
頼むから史実とドラマをごっちゃにして、疑問を持つのは
やめにしてくれまいか?
569 :
日本@名無史さん:04/12/15 20:44:45
>>562 1月29日には遅れるなよ。
深夜12時、墨田区江東橋3−1牡丹橋のほとり。
目立たぬ格好でな。
571 :
日本@名無史さん:04/12/15 20:52:40
いいんじゃない?
得物は各自用意のこと。
572 :
日本@名無史さん:04/12/15 21:01:00
途中職質に会ったらどう答えれば・・・
それから12時は終電がきついのですが・・・・
573 :
日本@名無史さん:04/12/15 21:02:39
何を言っておる。松坂町まで歩いて、それから初電で帰るのじゃ。
土曜か
迷うな...
575 :
可哀想な吉良ちゃん:04/12/15 22:54:54
刃傷を起こすほどの正当な理由があれば必ず表沙汰になるはず。
これほど世間の耳目を集めた事件で、浅野がとち狂った理由を
誰もはっきり証言できないのは、やはりたいした理由がなかった
に他ならぬ。
やっぱり、ちょっと意地悪言っただけだったんだね。
可哀想な吉良ちゃん。
そして討ち入りで殺された吉良家の12人、ホント気の毒。
100円盗んだだけで本人殺された上に家族も半殺しにされた、
ような事件だよん。
576 :
可哀想な吉良ちゃん:04/12/15 23:06:37
おっと浅野さんは切腹させられたんだよな。
でもそれを決めたのは綱吉であって吉良ちゃん
ではない。
まさに逆恨み・・・
と考えるのが現代人の論理だが、当時の徳川家
はまさに神。京都の天皇も江戸っ子からみたら
西の殿様と呼んでいて、扱いは軽かった。
で神様は悪者にできないから、やはり吉良ちゃん
にやり場のない怒りをぶつけたのか、あるいは
単に当時の武士の論理か(すなわち当事者同士で
ケリをつけると)・・・
でも吉良ちゃんはやっぱり意地悪ちょっとしただけ
でそれ以上のことは何も手出ししてないんだよね。
吉良が意地悪したというのも憶測に過ぎないんだよな。
そもそも接待役に落ち度があればすべて統括者の吉良の責任。
職務の場で浅野が恥をかくと言う事は、吉良の監督責任が問われる事態なわけで。
それがし、赤穂の御浪人が働きやすいよう高張り提灯を掲げ申した。
また吉良の者、邸内に逃げればその場において討ちとめるべく申し渡した。
武士は相身互い。
お困りのときは遠慮は無用。
何なりとこの土屋に申されよ。
みんななりきってるね。
580 :
日本@名無史さん:04/12/16 09:48:05
吉良屋敷では大体
「じゃ、私は寺坂ということでこれで。」
「何をおっしゃる。私が寺坂でござる。」
「黙らっしゃい!おいどんが寺坂吉右衛門でごわす。」
というふうになって流れ解散となるな。
しかし今回は日曜でござるから、各々方、泉岳寺まで歩く覚悟で参集されよ。
>>581 どっかで見たネタだなー。
元ネタなんだっけか?
583 :
日本@名無史さん:04/12/16 17:36:52
>>569 旧暦師走の14日ということであれば、1月23日にしたほうがいいんじゃないの?
584 :
日本@名無史さん:04/12/16 19:40:03
>>583 考え方としては両方あるんだよね。
ただ、曜日の関係からは1/29のほうが1/23より参加しやすいですね。
そう言えば、討ち入り当日は月曜日の深夜だったって知ってますか。
翌日は火曜日だったから、沿道の人々は見送ったあと、そくさと勤めに出かけたとか。
585 :
訂正:04/12/16 19:41:34
そそくさと。
>>584 当時、日曜に休むって習慣はないんじゃないかな
休みは盆と正月くらい
仏滅の日は葬儀屋お休みとか、そんな程度で
587 :
日本@名無史さん:04/12/17 09:28:10
おいおい、真面レスごくろうさんですね。
588 :
日本@名無史さん:04/12/17 10:59:57
名鉄三河線廃止反対!!
忠臣蔵で街興ししる。
589 :
日本@名無史さん:04/12/17 22:34:56
>>569 そのころは寒そうですね。
雪が降ったらサボってもいいですか?
590 :
日本@名無史さん:04/12/17 23:05:50
>>588 吉良と元祖水道水温泉の2大悪名があるのに
591 :
日本@名無史さん:04/12/17 23:22:14
討ち入りは日曜の深夜(月曜の早朝4時から6時だよ)
592 :
日本@名無史さん:04/12/17 23:42:49
討ち入りの日、雪の代りに雹が降ってきて慌てる四十七士。
細木和子に、討ち入りの日を相談する大石
松の廊下でなぜか梶川与惣兵衛に押えられた時に
お尻に勃起したイチモツを押し付けられて、
うろたえる浅野内匠頭
大石が、討ち入り前夜の遊廓遊びをしていたら、
吉良も来ていて、お互いに挨拶をする2人
593 :
日本@名無史さん:04/12/18 09:05:19
594 :
日本@名無史さん:04/12/18 19:55:28
>>570 合言葉「山」というと
「咲千里、1回、300万円」
595 :
内蔵助:04/12/18 22:46:34
各々方、
借金があっても、女が止めても、舅さまに隠れてでも
必ずお集まりめされよ。
ついては日にちのことじゃが、本年の師走14日に当たる1月23日(日曜。翌朝は月曜)がよろしかろうか、
それとも元禄15年師走14日に当たる1月29日(土曜。翌朝は日曜)がよろしかろうか。
ご意見をお聞かせ下され。
596 :
矢頭:04/12/18 23:41:11
まだ女も知らないのに・・・・うぅ
597 :
日本@名無史さん:04/12/19 00:18:22
毎年12月になると、東京は両国の吉良邸跡で吉良祭をやるんだわさ。
その吉良邸の周辺でちょっとした市ができるんだけど、これが安かろう
悪かろうの衣料品ばっかりで、何処で誰が作り誰が着るんだろう?
という感じの物ばかりなんだわさ。
吉良にはピッタシのイメージで、ひどいのは温泉だけじゃないんだな
という感じで笑える。
598 :
日本@名無史さん:04/12/19 00:40:53
吉良邸って、吉良ハウス?
599 :
日本@名無史さん:04/12/19 11:25:31
討ち入りの吉良邸は両国にあるが、吉良の実家は愛知県にある。
ところで私は毎年江戸博の義士の茶会を見てから歩いて吉良邸へ行って市を
見るのが習慣になっている。
更にそれが14日の場合は、地下鉄で泉岳寺へ移動して義士祭を見る。
これ最強の忠臣蔵三昧です。
600
601 :
日本@名無史さん:04/12/19 11:35:55
高知の山内資料館で松の廊下の刃傷の14年だか15年前に浅野内匠頭の
とんでもDQNぶりが江戸市中で噂になっているという手紙が見つかったっていう
ニュースがあったと思うが、ネット探してもないみたい。
602 :
日本@名無史さん:04/12/19 12:03:03
603 :
日本@名無史さん:04/12/19 20:42:16
あの討ち入った47人の血縁関係を調べた人がいて、よく調べたら
47人全員血縁関係があったという結論だったな
親族同士で固まっていた、血縁関係のないものは除外された
血の団結か?
604 :
日本@名無史さん:04/12/19 20:47:09
田舎ではみんな遠い親戚の範囲内なんです。
意味ありましぇん。
605 :
日本@名無史さん:04/12/19 20:50:54
>>595 新暦12月14日以外ならいつでもいいです。
例え血のつながりがなくとも、尻のつながりはありそうですが。。。
607 :
日本@名無史さん:04/12/19 23:45:48
ドラマでは吉良方の侍さんバッサバッサ切られてるけど
死傷者は実際のところどれくらい出たんだろう。
608 :
日本@名無史さん:04/12/20 01:49:45
吉良邸の門前に「セールス 赤穂浪士お断り」の張り紙
邸内に入ると「イマジン」が流れており 話し合い解決を図る上野介
609 :
日本@名無史さん:04/12/20 01:55:58
話し合いも何も、チンピラの筋違いの暴発だからな。
予想もしてなかっただろう。
どうせ死ぬんだからと、借金しまくり、女遊びしまくり。
611 :
日本@名無史さん:04/12/20 12:50:30
612 :
日本@名無史さん:04/12/20 12:52:02
613 :
日本@名無史さん:04/12/20 13:08:01
市原悦子主演 「腰元は見た! 高家筆頭吉良家の秘密」
614 :
日本@名無史さん:04/12/20 13:11:23
やな腰元だな。
615 :
日本@名無史さん:04/12/20 13:36:20
メトロポリタンTV製作:忠臣蔵
予算がないため、四十七士が、全部で5人
吉良と大石が、1人2役
>615
ワロタ
617 :
日本@名無史さん:04/12/20 21:16:12
クリスマスパーティーの準備に楽しそうな吉良邸
ついつい手伝ってしまった赤穂浪士一行
618 :
日本@名無史さん:04/12/21 00:42:07
手伝ったお礼にクリスマスの日にお呼ばれしたのに、
またしても無作法にプレゼントを用意しないで行って
吉良にいびられる浪士。
いびりに耐えかねた大石は吉良を切りつけるが失敗。
切腹のご沙汰となる。
その後毎年残った浪士はお呼ばれするも、同じことが繰り返される。
619 :
日本@名無史さん:04/12/22 20:10:05
>>569 牡丹橋というのは竪川にかかっているのですか。
吉良邸までどれぐらいかかりますか。
620 :
日本@名無史さん:04/12/22 23:24:17
浅野切腹後、吉良家に赤穂から色々届く。
上等の塩や高級魚をはじめ、豪華な進物がズラリ。手紙には
『ビックリした?
いつもいろいろ教えてくれてありがとう、ありがとう。
驚く顔が見たいから、わざと遅めに発送するね。 浅野』
むせび泣く吉良。
◯ _____
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( ´∀`)// < 日章旗掲揚!
( つ \___________
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(__)_)
江戸時代、吉良家は武家では屈指の名門ではないのか。
623 :
日本@名無史さん:04/12/23 20:54:45
まあ、吉良家は高家筆頭だから、
格式は、将軍家、尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家の次だな。
>>619 そう。四之橋のすぐ西だよ。地元の言い伝えだと
昔牡丹橋のすぐ東に氷屋と船宿が並んでて(昭和後期まであった)、
そこが浪士が集合したという江戸時代の豪農の屋敷跡だったらしい。
吉良屋敷まで歩いて20分ぐらいかな。
625 :
日本@名無史さん:04/12/23 21:25:29
626 :
日本@名無史さん:04/12/23 21:31:34
それはドラマじゃね?
627 :
日本@名無史さん:04/12/24 01:11:24
>>620 実は、豪華な進物は、赤穂から届いていた
でも、部下は、上司の所作を真似するのが常なのはいつの時代でも同じ
吉良の部下が、赤穂からの進物をちょろまかしており、後になって、
吉良がその事実を知る、とすると、何となくホントっぽくなる
吉良家は足利幕政の頃からの名族で有職故実にも詳しい家。
浅野家とは家風や思考もちがうだね。
高家に持明院流の大沢家ってあるけど、
吉良家と大沢家をくらべた場合、どっちの方が名門?
630 :
日本@名無史さん:04/12/24 16:48:04
浅野は、吉良への進物に、豪邸の庭に飾るとても高価な超巨大石を贈った
しかし、配達人が、吉良邸の室内に持ち込んだため、邪魔でしかたがない
吉良「誰だ!こんないやがらせをするヤツは!」
631 :
日本@名無史さん:04/12/24 19:29:10
>>595 拙者、一月二十九日には命に代へてでもまゐる所存でござる。
ついては、錦糸町のグランド大興で体をあっためてから行ってもよからうか、
いかがでござらう。同志の方々もご一緒にいかがでござるかな?
632 :
日本@名無史さん:04/12/24 19:55:27
>>629 大沢家って、どんな家か興味があったから「寛政譜」で調べたことあるけど、
要は遠州の土豪であり、どこが名門なのかサッパリわからん。
室町期には既に遠州に土着しており、特に高い官位についてたわけでもない。
先祖が藤原氏とか公家とかいうのは、他の大名家や武士でも言ってることだし、
この家が吉良とならんで高家になったのは不思議でならない。
高家の大沢家といえば華族制定の時、爵位ほしさに石高が一万石を満たしていると偽って、
いったんは子爵が授けられたが、後に嘘がはっかくしてどの程度か罰せられたらしい。もちろん爵位は剥奪された。
634 :
日本@名無史さん:04/12/24 20:23:03
高家の大沢には二つあって、一軒は江戸期に京都から下向した持明院家の分家。
もう一軒がここで話題になってる遠州堀江の大沢家。
堀江の大沢家は、上記
>>632のように中世は地味な地方武士といった家柄で、
足利一門の吉良と同格の高家になったのはミステリーとしか言いようがないw
635 :
日本@名無史さん:04/12/24 21:02:46
>>631 グランド大興ってキャバレーだろ。まだあるのでござるか?
636 :
日本@名無史さん:04/12/25 21:26:18
もうありません。
刃傷事件については「単独犯行説」「朝廷黒幕説」「イエズス会犯行説」
など識者の間でも意見が分かれています。
638 :
日本@名無史さん:04/12/30 18:14:41
俺いつも思うんだが、
何百年もたってから真相判明ってことはないんじゃないか。
歴史研究というのは(神から見れば)果てしなく見当違いのことをやってるんだろうなあ・・・
と。
>461
高卒よりもマルチポストしまくることの方が100万倍恥ずかしい。
スマソ。
すごい誤爆。。。
642 :
日本@名無史さん:05/01/07 09:36:39
age
643 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:43:44
四十七士は、誰一人、吉良の顔を誰も見たことがないし、情報も少ないので
適当に、吉良邸近所のそれらしい老人を大虐殺していた赤穂浪士
644 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:47:04
松の廊下で乱心したのは、浅野以前に99名
ちょうど、100人目の乱心ということで
見て見ぬふりが出来ないので、切腹させられる
101人目が白黒ブチのお犬様で、
廊下で暴れまわっても「可愛い〜」とほのぼのされてしまう
645 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:49:30
討ち入りなんか全くしたくなかったけれど
吉良嫌いの全国の大名から資金援助の申し出がわんさか来て
仕方なしに討ち入りした四十七士
646 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:51:42
647 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:53:11
討ち入りの最中ずっと土屋邸から各大名たちのレッズサポばりの大応援
赤穂浪士:赤軍団:レッズ
648 :
日本@名無史さん:05/01/10 23:56:46
吉良の家来から、ささやくように小声で、
「実は、うちの殿は黄金が大好きでな・・」と、言われ
「ああ、スカトロの趣味があるんですね、わかりました。」
と勝手に解釈する浅野
649 :
日本@名無史さん:05/01/11 00:01:33
だれも語らないから漏れがかってに語るけど、じつは元禄のこの事件、
その後の尼崎藩の運命と非常に深い関係にある。
この事件により、赤穂浅野家廃絶となり、その所領を尼崎藩・小田原藩と
残りは赤穂森家に引き継がれるわけだが、幕府財政が苦しかったその時代、
偶然おこったこの事件によりふって沸いたように赤穂浅野家から没収した
所領と商業地である西宮灘兵庫を幕府は引き換えてしまった。
これにより、その商業地で生産される清酒などが多くの財政を占めていた
尼崎藩の財政は苦しくなり、結局幕末にはまったく長州に無抵抗で
無血開城に至ってしまった。いまも西宮兵庫なんていう大阪商業町民が
新たに兵庫県なんていうのを設立し、かつての親藩譜代いじめに必死だ。
650 :
日本@名無史さん:05/01/11 00:09:01
12月14日の討ち入り人数が、集まらないので
派遣で人数合わせをするが、入り口で、ブサイク顔の3人がチェンジで
討ち入りできず
50人で討ち入りするはずだったのに・・・中途半端な数になってしまった
ああ、ここで吉良邸の出張討ち入りメンバーを手配すればよかった〜あ
|
http://www.madam-rena.com/
「吉良」って名前どう思う?
かっこいい、響きがいいと思う奴?ノシ
吉良大和
今日のテレ東でやってた忠臣蔵は滅茶苦茶
四谷怪談と混ざっててお岩さんとか出てきちゃうの
忠臣蔵と四谷怪談をいっしょにするなよ
>653
経済的なんですよ。予算がないんで。
656 :
日本@名無史さん:05/01/14 10:15:03
>>653 655も言っているが
四谷怪談は元々忠臣蔵の外伝だよ。
いや、おれは鶴屋南北さんに文句をいっているのだ
「テレ東でやってた忠臣蔵は滅茶苦茶」って言うじゃな〜い。
でも〜忠臣蔵と一緒にしたのが「四谷怪談」ですから。
いっしょにするなよと言ったら、「四谷怪談」自体が成立しないわけですから。
それを言うなら、お岩さんの話と一緒にするなよということなわけで、
でも、それはそもそも史実ではないわけで、
つまり創作に文句言ってもしょうがないわけで、
この文句を見ていたら、保育所へ行っている孫が赤いフード付きのジャンパ着せると
壁に向かって這い上がろうとする仕草を思い出す。ラチもないが、本人必死。
660 :
日本@名無史さん:05/01/16 22:51:48
吉良町は
本年3月10日で、町制施行50周年を迎えます。
記念式典の開催のほかに町民参加型の各種記念事業を
展開しております。
661 :
くらのすけ:05/01/17 18:31:05
けふは師走の八日でござるぞ。
各々方、そろそろ心の準備は出来申したかな。
662 :
日本@名無史さん:05/01/17 18:55:50
寒いからやだ。
663 :
日本@名無史さん:05/01/18 16:25:19
>>662 そんなこと言わないで、途中の吉良町で
水道水温泉に入れば、身体ポカポカだよ
664 :
日本@名無史さん:05/01/19 21:43:14
以前、温泉でもないのに吉良温泉の名称を使用するのはおかしくないか
と吉良町役場に問い合わせたことがある。
その回答は下記の通りだった。
ご指摘の、吉良温泉の名称に関しましては、従来より固有名詞的に使用されており、県からも吉良温泉の名称使用についての指導は受けておりません。
オレ的には疑問だな。
非常識や輩の集合体みたいなもんだな。吉良。
上野介って今川義元の血もひいてるんだな。
666 :
日本@名無史さん:05/01/21 22:50:45
age
667 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:40:57
押し詰まって参りましたなあ。
上野介嫡子(本当は孫)吉良義周はどんな人物だったんだろう?
討ち入りの時18歳だから、婚約者がいてもおかしくないと思うのだが、このところもどうなんだろ?
669 :
日本@名無史さん:05/01/22 20:56:34
いよいよ明日ですぞ。
各々方、逃亡は許されませぬ。
拙者、親戚の法事があるので欠席いたしたく。
671 :
日本@名無史さん:05/01/23 09:55:51
本日十四日でござるぞ。
いよいよ本懐の日が・・・
拙者、借金も女も婿入りの件もみーーーーんな捨ててはせ参じ
たいのはやまやまなれど・・・・
672 :
日本@名無史さん:05/01/24 10:19:59
誰も行かなかったんじゃねえの。
私もいとこの結婚式ゆえ、欠席を…
拙者も腹を壊したゆえ、養生するでござるよ
拙者、確かに行ったでござるよ。
されど田舎者ゆえ道がわからず、
着いた時にはもう翌日の朝になっていたでござる。
仕方ないので喫茶店でモーニング食べて帰ったでござる。
676 :
日本@名無史さん:05/01/26 09:38:02
各々方!本番は29日(土)でござるぞ。
(元禄15年12月14日=新暦1月29日)
569 :日本@名無史さん :04/12/15 20:44:45
>>562 1月29日には遅れるなよ。
深夜12時、墨田区江東橋3−1牡丹橋のほとり。
目立たぬ格好でな。
翌日は日曜でござる。もう言い訳は許されぬのでござる。
677 :
日本@名無史さん:05/01/26 11:12:24
江戸に入った赤穂浪士。
吉良嫌いの多数大名に、頑張ってくれ、と連日の接待漬けで
肥満、糖尿病、痛風、腰痛で動けず。
678 :
日本@名無史さん:05/01/27 01:38:15
ほりべなんとかって言う人は強かったのか?
当部署にはほりべは三人おりますが、どの者でしょうか…
680 :
日本@名無史さん:05/01/27 17:08:18
よく考えたら何もしてくれない本家。一緒に広島城を攻めようよ。
>679
真ん中の奴
682 :
日本@名無史さん:05/01/27 22:17:59
いよいよオフ会ですね。
683 :
日本@名無史さん:05/01/28 00:17:04
まんなかか
684 :
日本@名無史さん:05/01/28 22:48:03
吉良邸の古木材で、赤穂浪士の卒塔婆を作る泉岳寺の住職
685 :
日本@名無史さん:05/01/29 07:29:53
オフ会なのかよ。
行ぐ行ぐ。
かもしれない。
686 :
日本@名無史さん:05/01/29 21:01:15
おまえら、飲んでもうち帰らずにちゃんと牡丹橋集まれよ。
行った人、あしたレポートお願いします(^_^;)。
687 :
日本@名無史さん:05/01/30 10:55:09
はーい。
錦糸町を通りました。
皆さんご苦労様ですねと言って通り過ぎました。
不忠義者どもめ。
689 :
日本@名無史さん:05/01/31 14:25:04
全員切腹ですね。
遅刻で切腹なんて、イヤだよう…
だんだん新撰組化してきたな
692 :
日本@名無史さん:05/02/04 22:09:33
あげ。
元禄赤穂事件最大の被害者、悲劇の貴公子、吉良義周公について語ろうw
694 :
日本@名無史さん:05/02/05 23:13:07
*出した年賀状が、ことごとく受取り拒否で帰ってくる吉良
*飲尿療法で、年齢の割りに元気な吉良
*諸国大名から、着払いで粗大ごみが贈物として届く吉良
*自慢の血統書の大きなプレートを首輪から下げてる吉良
*美女の黄金プレイが大好きな吉良
*元禄の鈴木宗男といわれる吉良
*水道水を温泉だと言い張って改めない吉良
696 :
日本@名無史さん:05/02/07 12:14:14
おめーなー
697 :
日本@名無史さん:05/02/15 08:32:04
シーズン過ぎると静かだなあ。
698 :
前スレ主1様:05/02/15 09:04:51
17歳の少年が小学校に討ち入って教師の首をとったようですね。
誠の大忠臣と誉めてやってくだされw
しかし宅間といい徳田栄一といい赤穂浪士といい関西人は
討ち入り好きですなあw
その17歳、凶行後に煙草すってたんだろ?
田村邸で飯喰った後煙草を所望したたっくんの異常さに相通じるな。
精神科への通院歴もあったようだし、やっぱり松の廊下はたっくんの……。
たっくんはタバコはすわなかったよ…
701 :
日本@名無史さん:05/02/23 09:06:25
701
たっくんはタバコ吸いたかったけど
田村のおじさんに却下されたんだよ。
703 :
日本@名無史さん:05/03/04 16:09:40
泉岳寺のHP見たら4/1〜7まで義士祭ってあるけど、
何で4月に1週間もお祭をするのかな?
12/14とか2/4とかはわかるんだけど…
桜
705 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:54:36
ほしゅ
706 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 22:44:49
age
707 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 22:11:33
えが
708 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 06:24:41
| /\ | /|/|/| ドッドッドッドッドッド!!
| 吉良邸 / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/| (´⌒(´⌒`)⌒`)
| / / | |/ // / (´⌒(討ち入りじゃ!!`)⌒`)
|/ /. _.| ̄|/|/|/ (´⌒(´∧ ∧⌒`)`)`)⌒`)
/|\/ / / |/ / (´⌒(´(,゚Д゚ )つ `)`)
/| / / /ヽ (´⌒(´⌒ (´⌒( つ |〕 /⌒`)⌒`)
| | ̄| | |ヽ/| 遅れるな!! ( | (⌒)`)⌒`)
| | |/| |__|/. ∧_∧ ⌒`).ドし'⌒^ミ `)⌒`)
| |/| |/ (´⌒(´( ´∀` )つ ド ∧_∧⌒`)
| | |/ (´⌒(´( つ/] / ォと( ・∀・ ) 討ち入り!!
| |/ ( | (⌒)`) ォ ヽ[|⊂[] )`)
| / (´ ´し'⌒^ミ `)`)ォ (⌒) |
|/ .  ̄ (_)`)`)
709 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:36:04
基地外から切りつけられ
基地外の手下のテロリストから逆恨みを買って虐殺された
悲劇の貴公子
710 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 03:36:08
貴公子と言うには少々トシ食いすぎてるけどね
711 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 09:43:15
430 :名乗る程の者ではござらん :2005/04/09(土) 10:29:11 ID:???
>>429 似たような事件の判例
江戸城内で祐筆水野伊兵衛が同僚大橋某と口論になり、抜刀。
大橋某に手傷一つ負わせられないで取り押さえられる。
水野伊兵衛は「 死 罪 」。
大橋某は抵抗しなかったからお咎めなし。
江戸城内で松本藩主水野忠恒が長府藩主毛利師就に切りかかり
毛利師就は手傷を負いながら応戦、水野忠恒を取り押さえる。
水野忠恒は乱心を認められ「 御 家 断 絶 」、本人は配流。
毛利師就は正当防衛を認められてお咎めなし。
水野忠恒が死刑にならなかったのは「譜代の名門だからエコヒーキされた」が定説。
・・・大橋某や毛利師就がお咎めなしだったのは、喧嘩両成敗ルールを無視した不当な判決なんですか?
431 :名乗る程の者ではござらん :2005/04/09(土) 23:51:12 ID:el85DGBU
似たような事件の判例
旗本板倉修理勝該が本家の板倉佐渡守勝清の殺害を計画
江戸城中で決行に及んだところ
人違いでうっかり熊本藩主細川越中守宗孝を斬殺。
板倉修理は死罪・御家断絶。
板倉勝清はお咎めなし。
主君を殺された細川家もべつにお咎めなし。
板倉勝清と細川家がお咎めなしだったのも片手落ちのお裁きでは・・・
712 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 19:13:21
age
713 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 17:31:44
死んだ人間を墓場から掘り返して鞭打つような亀レスだが
>>59 >突きも、斬るのも、同じで御座る。
宝永6年(1709年)2月16日
大聖寺新田藩藩主前田利昌は大和柳本藩藩主織田秀親を上野寛永寺で殺害した。
その前夜前田利昌は家臣木村九左衛門に赤穂事件についてどう思うかと訊ねた。
木村九左衛門は「浅野はアホだから切り殺そうとして失敗した。確実に殺したいなら刺殺を狙え」(要約)と答えた。
前田利昌はそのアドバイスに従って犯行を決行、織田の殺害に成功したのである。
これが当時の武士の正しい認識。
なお
前田利昌は翌々日に切腹、御家断絶。
主君を殺された大和柳本藩は何事もなく明治維新まで存続した。
714 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 18:03:14
>前田利昌は翌々日に切腹、御家断絶。
>主君を殺された大和柳本藩は何事もなく明治維新まで存続した。
大和柳本藩がお咎めなしだったのは喧嘩両成敗のルール違反の片手落ちのお裁きということでFA?
715 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 18:42:58
前田が織田を殺したのか。
716 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 20:03:07
前田が織田を殺すの失敗したら
新田浪士は織田邸へ討ち入っていたのか。
717 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 00:17:16
勅旨接待役に任ぜられた若い前田利昌が
同役で年長の織田秀親にねちねちといじめられて
遂に殺意を抱いたんだよ。
・・・あれ? どっかで聞いたような・・・
718 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 01:36:23
関係ないけどPS版の検証赤穂事件を解いた人はいますか。
何回やってもラストで偽者(替え玉)の吉良しか殺せないのですが
本物(本人)の吉良を倒した方はいますか?
719 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 10:15:08
JR西への忠義の名のもとに
殉じた高見隆二郎氏に黙祷。
あっぱれな大忠臣でござった。
さすがは赤穂と同じ兵庫の人間w
720 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 21:04:18
>>714 >大和柳本藩がお咎めなしだったのは喧嘩両成敗のルール違反の片手落ちのお裁きということでFA?
江戸城中での抜刀の罪>喧嘩両成敗による罪 でお咎めなしだったのでは?
刃傷事件で、被害者側が罰せられた例ってありましたっけ。
世界の忠臣蔵で,愛をさけぶ
吉良「助けて下さ〜い」
722 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 23:44:23
高家の職務については色々誤解があるようだが
高家が担当するのは公家典礼のみです。
この仕事は日常的にあるわけではなく勅使下向時など限られたときだけです。
大名旗本が常時参加する武家典礼は奏者番の管轄です。
武士達が定例登城し将軍に拝謁するときやなんかは奏者番の指示に従います。
高家は世襲職ですが奏者番は世襲ではありません。
723 :
可哀想な吉良ちゃん:2005/05/05(木) 19:19:52
泉岳寺行ってきました(初めてです)。
赤穂浪士記念館のビデオ見たけど、テレビドラマの筋書きどおりの
解説で歴史を科学的に見るという発想がまるっきりなくてがっかり。
ちょっと浅野さんに意地悪しただけで一切手出ししてないのに、殿中
で切り付けられるは、あげくのはては真冬の夜中に集団で襲われて
首切られちゃうは、一族郎党12人も殺されるは、孫も冷遇されるは
で、完全に一方的な被害者の吉良ちゃん。
というふうに見てもまるっきり反論の余地はないように思えるんだが、
何ゆえ現代人までが赤穂浪士を賛美するんだ???
724 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 19:33:03
江戸時代の武士&儒学者→あんなバカ殿の理不尽な殺意を継承するなんて、なんて忠義に厚い者たちなのだろう!
江戸時代の庶民→お上に逆らって刑死した、ということは立派な人たちだったんだな。
明治以降→忠臣蔵のことを真に受けてるだけ。
725 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 20:00:58
戦前のまじめな考証本によるとだ
あの寺の宝物館におさめられている
義士の遺品などと称するものはすべてがニセモノだという
その判定が正しいのかどうなのかは
俺にはわからんが
そういう説もあるって話でヨロ
管理職になってみると
浅野と吉良の確執がよくわかる。
出来の悪いくせにプライドの高い部下と
イヤミで粘着質な上司との対立なんて
良くある事だからね。
この間、元部下が松の廊下に近いことを現上司にしたよ
元上司としては、遂にやったなという感じさ。
727 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 00:26:43
728 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 01:09:23
討ち入りなんて言わないで正しく襲撃と言うべきでしょう。
完全武装した47人が一人の老人を殺すなんて酷すぎる
そうそう全世界で北朝鮮だけを責めてるのと一緒。
何をしてたって、いじめちゃダメだよね。
730 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:47:07
大石主税と堀部安兵衛は衆道の関係だったって本当?
んなわけない。
安兵衛は女好き。
732 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:55:21
赤穂の塩と三河の塩で商売敵だったっていうのは、マジ?
当時は吉良には塩田がなかった。時代がちょっとずれる。
何ですぐに吉良討たなかったの?
どうせなら5人くらいでさっさと暗殺しちゃえば良いのにと昔ドラマ
を見て思ったんだけどそれが困難な状況だったのでしょうか?
735 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:05:13
>>728のいう通り、これは寝入っているところを襲う卑劣な殺戮です。
武士らしくない行為が飾られてしまった典型。
736 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:12:38
>>734 一応 キチガ○ ではなかったので、
吉良が処罰され、浅野家が再興されれば討ち入りには及ばず・・と。
でも吉良が処罰されず、再興も絶望的になり
最早選択肢はなかったのです。
そりゃあ悲惨なものですよ。
討ち入りをしなくても 地獄。
討ち入りをしても 地獄。
討ち入りをしなかったら、「武士の名折れ」と
社会的に抹殺される。
討ち入りをしたら、マジで抹殺される。
究極の2択ですね。
737 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:15:21
つまりですね。
大石を筆頭とする人は
幕府の「落しどころ」を注意深く見ていました。
自分たちの面子が立つぎりぎりのところで・・・決着をと。
しかし、幕府は見捨てました。
もうこれは、「死ね」と言われたようなものです。
ホントに選択肢が「死」しかないのですから。
734です。
>>736-737 ありがとうございました。
お沙汰待ちだったんですね。君主じゃなくて家に仕えてた
家臣って感じだったんですかね。それなら納得です。
君主殺されて、何で馬鹿の振りして機会を待ってるのか
不思議だったんですよ。
739 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 05:15:24
しかし47人で動くと言うのはいくらなんでも目立ちすぎではないかと。
せめて10人くらいにならなかったのかしら。
740 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 06:02:14
池田屋は4人のお百姓が20数人のお侍をぶった斬ったのですからね。
大石一人で良かったと思いますよ。なんなんですか!結局彼は太鼓叩いてた
だけですか!ふざけるなです!!
741 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 07:45:39
731番殿
堀部安兵衛が女好きだという根拠は那辺にありや?
本朝三大仇討ちのうち徳川時代に起きた二つが共に
衆道を因として居る事実を考え、また男色全盛の時代背景をも
考慮いたさば、何故に安兵衛が若衆好きでは無かった等と断言出来る
のでありましょうや?
夜討は立派な兵法のひとつなので,卑怯云々ということはない。
それと,最上級の家臣(この場合は家老)の指揮の下に行ったのでなければ,
例えば下級武士数人で駕籠を襲撃して吉良を殺害しても,
「仇討ち」とは見なされなかったのでは。
743 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 14:02:54
>>721 世界の忠臣蔵で,愛をさけぶ
吉良「助けて下さ〜い」
世界の中国で,愛がさけぶ
愛「助けて下さ〜い
誰か、私のお父さんの借金を払ってください」
正統派の忠臣蔵が好きだけど、吉良は怖かったろうね。
大勢の武士が自分を殺すことだけを目的に屋敷内を
探索している。
ここまでされるほどのことはしていない。
と、理不尽なものを感じていただろう。
>>730 主税は歌舞伎役者と衆道関係にあった、と言うのは読んだが
安兵衛との話は聞いたことないな
746 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 12:39:02
スレ主だがまだ生き残ってたとは感心じゃ。まあがんばってくれたまえ。
そいじゃ、また。
浅野長勲【西暦1842-1937】
>>665 今川氏が吉良の分家
吉良は足利の分家で(室町幕府では御三家の一つ)
足利は源氏
一応 吉良は列記とした源氏
ちなみに
義央が殺されるまで
吉良氏の家系は
---義安-義定-義彌-義冬-義央-義周
と ほとんどの名前に「義」がつく
また
室町幕府の将軍は
足利氏は尊氏を除いて全員「義」の字」がつく
足利のなごり...
播州赤穂といったら
池田輝興も乱心して家潰してるんだよな。
呪われてんのか。
>>736 他の殿中刀傷事件で、加害者側の家臣は武士の名折れとして
地獄をすごしたんですか?腰抜けだったということですか?
そうじゃないのなら、単に赤穂の連中は池沼で問題ないと思いますが。
話は逸れるけど
前田利昌が織田秀親を寛永寺で殺した件。
織田は秀親が病死したことにして
幕府に末期養子を認めさせて
何事もなかったかのように御家を存続させてるんだよな。
利昌はとっとと切腹して
大聖寺新田藩も潰されたのに。
新田浪士はよく暴動起こさなかったな・・・
よく考えたら
忠臣蔵の芝居や講談は武家出身でもない連中が
庶民相手に作ったお話だから
武士道も武家の美意識もないはずだよな。
754 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:07:44
久しぶりにスレ主登場
まだスレが細々とでも存在していたことに感動した
755 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 11:01:46
>>745 童貞のまま死ぬのはつらいだろうと
大石パパが陰間を紹介してやったという話を三田村鳶魚が書いてるけど
こいつは吉良が上杉綱勝を毒殺したなんてアホな話をホンキにして年表に掲載した椰子だしなあ。
安兵衛との仲が怪しいというのは預かり先の松平家の覚書が出処ではないかと。
756 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 11:12:32
山科の大石寺の近くに住んでたことがありますが
あそこから祇園は結構遠いですよ・・
よく毎日遊びにいってたものです・・
757 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 12:10:41
お芝居をホンキにしないでください。
浪人してお金のない大石内蔵助が祇園なんぞで遊ぶはずがないでしょう。
大石が遊んでいたのは安女郎で有名な伏見の撞木町です。
赤穂浪士は1人の善良な老人を47人で嬲り殺した最低のテロリスト
759 :
745:2005/08/19(金) 12:54:31
>>755 出所(?)ありがとう。
レスを参考に調べて見たいと思います。
760
761 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:48:06
762 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 09:42:36
762
763 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/09/02(金) 09:45:19
しかし日本人は本気で
吉良=悪、赤穂浪士=忠義の義士
だと思ってる人が大半だと思いますよ。
それは情報操作だとなんで気づかないのかなあ・・?
マスコミによる洗脳ってやっぱすごいな。
764 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:37:45
764
765 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:51:59
765
766 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 11:53:59
とある小説に書いてあったのだけれど、大久保利通が暗殺される前に
会った最後の人物が山吉新八の子孫(名前は失念しました)だった、
ていうのは本当ですか?
767 :
平四郎:2005/09/19(月) 12:30:16
>>763ヒッキー君見〜つけた。
さておき
浅野長重に、少しだけ欲があればこんな事件起こらなくてすんだのに!
768 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/09/22(木) 09:32:10
小泉総理も忠臣蔵好きのようです。
南部坂雪の別れをみると毎回泣けてくるそうです。
769 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 09:45:18
事の始まりは、吉良が浅野の美小姓に色気を出した故に生じた
刃傷沙汰。 すなはち、衆道がらみの事件ぢゃて。
770 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:34:50
770
771 :
日本@名無史さん :2005/09/27(火) 21:20:09 0
いっしょに院使饗応役に選ばれた伊達の宗ちゃんはうぶな二十歳の青年大名(童貞)
饗応役のような大役は初体験でした。
吉良のお爺さまは孫のような年齢の宗ちゃんに手取り足取り優しく指導してあげたのです。
これをエコヒーキだと恨んだ浅野のたっくん(三十五歳)は吉良のお爺さまに斬りつけたのでした。
ちゃんちゃん
773 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 20:57:08
age
774 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 17:19:57
age
775 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:44:26
61歳の爺さんを殺そうと背後から切りかかるものの
55歳の爺さんに羽交い絞めにされて殺し損ねた
浅野のたっくん(35歳)
赤穂事件の話は泣けてくるよね
777 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 23:12:32
祝! 777get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
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∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
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殿中刃傷の凶悪犯にもかかわらず
連座で腹切らされる奴もいず
一番重かった弟の長広でも閉門と領地没収
他は自宅謹慎だけ
こんな軽いお裁きのどこが厳し過ぎるのやら
お武家様から一気に無職になってしまった連中の八つ当たりみたいなもんだな
780 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 21:29:07
赤穂浪士の身柄引き受け先
熊本細川家→約50年後、当主が江戸城中で切り殺される
長府毛利家→約25年後、当主の嗣子が江戸城中で殺されかかる
岡崎水野家→約50年後、当主が座敷牢送りで変死
室鳩巣と浅見絅斎の著作読んだら
赤穂浪士は義士だから遺族は連座にならなかったとか(島送りになっただろ)
磯貝十左衛門の母親は息子を仇討ちに参加させるために自殺したとか(討ち入りの後で見舞いの手紙送ってるだろ)
平気で書いてるんだが。こいつら、ホントに学者なのか。
782 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 13:03:57
age
783 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 12:46:41
age
784 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:14:00
日本史上最悪の集団的猟奇大量殺人犯=赤穂浪人
785 :
aaaa:2005/11/02(水) 18:39:17
aaaaa
786 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 14:45:26
皆さんお元気ですかぁ
787 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 14:03:18
忠臣蔵の真相は人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」
1748年、大阪道頓堀で人形の演劇として初演された。幕府の目を誤魔化すために、人物名を「太平記」に登場する人物に変えていて、
内容も何の問題もないのだが、所々に暗号が散りばめられていて、誰にも分からないように隠されている。家光が明智光秀と春日局の子で
あるという知識がないと解けないようになっている。大石内蔵助は大星由良之助、吉良方梶川与惣兵衛は加古川本蔵で表現されている。両
名の由良は由良川、加古川は加古川で、地図で見ると、京都の福知山(光秀を祀っている御霊神社がある)を挟んで両方の川が綱引きして
いる形に見える。由良川の流域には春日局の生誕地春日町があり、加古川の流域には北条の地がある。天海(明智光秀)の死後、将軍の継
承争いを春日局と北条家の柳沢吉保が行い、権謀術数によって、北条家が勝利し、北条家の綱吉を家光の四男と偽って五代将軍にすえた。
柳沢吉保は浅野家に家綱の嫡男が隠れていることを探索し、後に憂いが残らないように、浅野家を取り潰してから、家綱の嫡男を暗殺する
陰謀を企て、偽の刃傷事件を仕組み、それを口実にして浅野家を取り潰した。大石内蔵助らは幕府の策略に引っ掛かって討ち入り事件を起
こした。光秀は正統な天皇の血筋を受けた人物(聖徳太子の孫長屋親王の血筋)だから、大星と暗示し、家綱の嫡男が大石内蔵助で、将軍
継承争いで命を狙われ、大石家の養子として、匿われた。
だから、大石内蔵助を大星由良助で表現している。
偽の刃傷事件であるという証拠
浅野内匠頭が切腹するときに、いろはの唄を残している。いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
ん
この唄の最後の文字を読んで行くと、「とかなくしてしす」と読める。無実だと言っているのです。
788 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 15:01:47
殿中で刃物振り回して咎がないわけないやろ、どあほ。
789 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 15:30:13
『葉隠』では赤穂浪士のこと「上方武士は小賢しい」と言い捨ててるね
仇討ちする気があるのなら直ちに切り込まなくてはならんと
790 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 16:26:10
その通りや。流石は葉隠、ようわかっとる。
791 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 16:04:18
問題は、「何故、浅野が吉良に切り付けたか」の一点に尽きるだろ?
浅野が、乱心したのなら家を取り潰す必要は無かった訳ですから。
792 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:37:56
吉良邸に赤穂浪士が討ち入りした時、吉良邸警備の侍達は裸や浴衣で寝ていたものが多かった
だから討ち入りされて即応出来なかったという話を聞いたのですが、
本当に警備の侍達は裸や浴衣でマターリ寝ていたのでしょうか?
疑問点は
1 寒くないのか?今のように暖房や電気毛布があっても真冬に裸や浴衣で寝る事は無いと思います。
まあ、ホテルのように暖房効かせまくりだと浴衣一丁で寝てしまいますが、当時の吉良邸がそんなに暖かい場所とは
思えないので。
2 裸や浴衣はともかくとしてそもそも警備侍達は少々油断しすぎなのではと。襲われる可能性の高い時期に
臨戦態勢をとっていないのはなぜでしょう?
もちろん全員で臨戦態勢は体力的に無理ですが、1日3交代なり4交代なりできっちり警備しておかなかったのはなぜ
だろうと
793 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 16:04:32
徒党を組んで犯罪被害者にもう一度襲い掛かるような腐り果てた集団だとは
流石に想像もできなかったんだろう。南無阿弥陀仏
794 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 13:32:24
>>793 そもそも、純粋な「犯罪被害者」なのか?
浅野が刃傷に及んだ理由は、「遺恨」の筈。ならば
その理由が、吉良に無いのはどういう訳?
795 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:57:50
>>794 基地外は何もしていない人が自分の悪口を言っているように思うものです。
796 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 15:53:15
>>795 本当の基地外であるのならば、何故お家断絶したの?
797 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 14:15:35
あぁもう集団テロリストの
季節か・・・
798 :
日本人:2005/11/23(水) 19:45:53
年末で金にいきずまると何かが起こる。パールハーバー空襲、赤穂浪士討ち入り。
799 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:38:39
赤穂は歴史を偽造する。
800 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:58:34
あと200だぞ〜い
>796
当時の幕府の政策
その家潰したくてしょうがない時期に、お偉いさんの顔に泥塗るわ
将軍に謁見済の跡継ぎはいねえわじゃ、
存続してえというのがワガママな望み。
802 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:38:40
>>801 >その家潰したくてしょうがない時期に、お偉いさんの顔に泥塗るわ
個々の所の解説を詳しくお願いします。
803 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:31:59
阿呆浪士
804 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 03:55:23
なにか誤解があるようだが浅野が断罪されたのは吉良への障害行為そのものが理由ではありません。
事件がおきた当時に行われようとしていたのは幕府の重要な公式行事です。
その幕府の重要な公式行事である勅使饗応の儀式を血で汚したからというのが断罪の主たる理由です。
そのけがれにより儀式に支障が出て結果的に幕府の体面、ひいては征夷大将軍の面子がつぶされたと
将軍である綱吉自身が激怒したからです。
そしてそれが直接の儀式担当者である人間が引き起こしたのであればなおさらです。
勅使を派遣してきた朝廷に対しても恐れ多く浅野は大逆罪相当の極悪人だと認定したのです。
今の日本に例えていうならば日米首脳会談の会場でいきなり拳銃振り回して暴れだしたようなもんです。
そんな人間は無条件に射殺されて文句はいえません。
江戸時代を通じ浅野事件の他にも刃傷事件はいくつかおきていますが
浅野事件のような幕府の重要な公式行事を直接妨げるようなケースはありません。
浅野の罪科について他の刃傷事件と同列に論じてはいけませんな。
805 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 04:07:00
>>794 >浅野が刃傷に及んだ理由は、「遺恨」の筈。ならば
>その理由が、吉良に無いのはどういう訳?
誤解があるようだが・・・・
浅野が吉良に「遺恨」を抱いていたという話を裏付ける
同時代の明確な資料は存在しないんだ。
後年になる芝居の影響を受けたと思しき「遺恨ネタ」がいろいろでてくるけどね。
806 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 05:54:39
日本史上最悪の集団的大量殺人集団=赤穂浪士はウリナラ起源ニダ。
807 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:37:40
>>804 >その幕府の重要な公式行事である勅使饗応の儀式を血で汚したから
>というのが断罪の主たる理由です。
刃傷事件が起きたのが、儀式の最中や勅使の面前なら兎も角、実際は、違う
んでしょ?つまり、「儀式を血で汚す」行為には当たらないかと思いますが。
拡大解釈して、体面を血で汚したからと言う理由だけであれば、責任者の筆頭
である浅野一人だけを切腹させれば、済む事ではなかろうか?
808 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 13:50:08
しかし吉良も自分が悪役にされてるとは夢にも思わなかっただろうな
赤穂浪士側は戦国の遺風で動いていたって説があるね
喧嘩はどんな理由があっても両成敗が原則
でも吉良には形ばかりのお咎めすら無し
だから片手落ちを修正するために武力に訴えたと
810 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:24:03
>>809 体のいい就職運動を兼ねた無理心中ですよ。
811 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:44:32
>>807 現代の感覚で当時を語ってはいけません。
あなたが思うその程度でも当時は血で汚されたと感じたのです。
その結果として大名としてはありえない庭先での切腹といういわば極刑にしょせられるわけです。
勅使供応の役は一種の公務であり
幕府が大名の知行を安堵するかわりに
大名家側が果たすべき義務のひとつにあたります。
ご恩と奉公の奉公の部分に該当します。
浅野家側が奉公を満足に果たせなかった以上
ご恩が撤回されるのはいたし方ないことですね。
改易となったのも当然です。
812 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:46:57
>喧嘩はどんな理由があっても両成敗が原則
>でも吉良には形ばかりのお咎めすら無し
だから喧嘩じゃないんですよ。
あれは只の突発的に発生した事件事故の類。
喧嘩両成敗云々の話がでてくるのは筋違いですぜ。
813 :
かず:2005/11/29(火) 21:49:36
赤穂浪士は義士だと思いますか。不義士だと思いますか。
みなさんどちら派でしょうか。ちなみに僕は義士派かな。
>>813 小学校の頃、子供用の歴史漫画読んで
キラが可哀想だと思った
だから赤穂浪士はあまり好きではない
ていうか、あれは「義」なのか?ただの逆恨みかと
815 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 13:26:14
>>811 >その結果として大名としてはありえない庭先での切腹という
>いわば極刑にしょせられるわけです
だから、浅野が全責任を負って庭先で切腹したんだから、家まで
取り潰すと言うには、浅野家に対して余程何か有ると思いますけど?
それに、浅野氏が廊下で突発的に切り付けたとは言え、幕府だって
無能じゃないんだから、切り付けた理由を調べたと思いますけど。そ
の結果、浅野が領地内でも持て余されていた存在なら、それこそ家を
取り潰す必要は無かったと思います。
赤穂浪士の話の発端は、吉良家への貢物(賄賂)が少ない所から
話が始まる訳ですが、そこの所はどうなの?
816 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 13:38:58
>> 811 &
>>815 内匠頭を庭で切腹させたことについては、本家浅野藩から厳重抗議があり、責任者の大目付が
お役ご免になってますね。
>>812 喧嘩両成敗かどうかなど、色々と議論がありますが、当時は武士社会のみならず町人レベルでも、
喧嘩両成敗の原則に反するという考え方が強かったのは本当のようです。
817 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 13:40:19
浅野に限らず、刃傷事件の加害者の家は、大抵潰れてるの。
被害者の方は、お咎め無し。
これが普通。
赤穂浪士って商い腹の一種でしょう。
このままなら惨めに飢え死にするだけだからって、
万に一つの可能性にかけたやけっぱちの犯行。
結果オーライで本人は武士としての名誉の切腹、
子孫は就職成功で浪士側は目出度し目出度しだけど、
被害者の吉良は浮かばれないよな。
現代や西欧と違って罪は本人に留まらないのが当然なわけで、
そんな大罪ならお家断絶は当然だと思うけど。
もっと軽い罪でも取り潰しは良くあることだし、
むしろ家が残るほうが不自然だと思うけど。
賄賂の話はことの性質上証拠が残る話じゃないし、
あるないどっちにしても水掛け論じゃないの?
819 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 21:14:04
>>818 食い詰め者が一か八か罪のない相手を巻き込んで就職運動をやったわけです。
820 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 21:35:03
819←なんか、辛い事でもあったのかい?チ〇ポ君。
やけっぱちでやったみたいだけど、
彼らは法律を破ってるのだから
普通は切腹じゃ済まされないんじゃ?
たまたま世論が浪士に同情的で、
将軍が朱子学に染まったど阿呆将軍だったから良かったものの
822 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 13:37:18
>>818 >賄賂の話はことの性質上証拠が残る話じゃないし、
やはり変ですよ。吉良が浅野の指南役なのは事実。なのに
吉良に、不利な事は歴史の闇に葬られていると言うのは、ど
う考えても、可笑しいと思いますけど。
松の廊下事件にしても、浅野が精神に異常があるとすれば
幾ら公務とは言え江戸城に行ける筈も無いですし。精神に異
常が無く、浅野藩の代表として行ったのだから、公務で刃傷
沙汰を起こせばどうなるかは、重々承知している筈。
にも拘らず、起こしたのですから、やはり理由があったと
考えざるを得ないのですけど。
>>822 確かに理由はあるかも知れないけれども、
単なる逆恨みでは?
稲葉正休、前田利昌、水野忠恒、板倉勝該もくだらない理由だったし
824 :
823:2005/12/01(木) 14:07:46
質問だけど、
松の廊下で浅野を制止した人が
とばっちりを受けたって聞いたけど、
彼は実際どうなったの?
梶川は後日、咄嗟の場合であるにも関わらず事件の広がるのを未然に防いだとして
当日の取り捌きを賞されて五百石の加増をされ、ついに千石取りの旗本に出世した。
時に梶川53歳。しかし周囲の目は冷たいものだった。「あのような場で刀を抜くまでの
覚悟の者をなぜ本懐を遂げさせてやらなかったのだ。武士の情けを知らぬ者だ」とか
梶川が吉良が抵抗せず刀も抜かなかったという証言をしていることから、「吉良殿を
守って立身出世した」などという罵声を浴びせられ、旗本梶川家の家運は確りとした
ものになっても、梶川自身は晩年に飛んだ悪評判を生むことになってしまったのである。
http://www.01.246.ne.jp/~reki127/index.rekitan-21.html
>>816 当時の武士社会も町人レベルも直接見聞したわけでなく、多くは人伝えのものから
受けた感想だと思いますよ。「このほうのが話の筋としては、しっくりいく」みたいな。
その結論が「喧嘩両成敗」だというものです。
浅野長矩が理由を明らかにしなかったから、世間は「余程のことがあったんだろう」と
同情したように思えます。
しかし目撃者の梶川與惣兵衞の日記からは、喧嘩両成敗を汲み取ることは難しいですね。
>>816 >当時は武士社会のみならず町人レベルでも、
>喧嘩両成敗の原則に反するという考え方が強かったのは本当のようです。
ソースは?同時代の確かな資料ってあるんですか
例えば有名な「鸚鵡籠中記」なんかだと事件ついては
かなり素っ気無い記述だったと思いますが?
>816
えーとところで浪士達自身が「喧嘩両成敗」を主張したことってあるの?
816氏じゃなくてもいいけどさ。
どうなのよ?
>815
>だから、浅野が全責任を負って庭先で切腹したんだから、家まで
>取り潰すと言うには、浅野家に対して余程何か有ると思いますけど?
浅野個人が役を務めた訳ではなくて浅野家全体として役を務めたんだが?
浅野個人だけの問題ではすまないというのが幕府の判断ってだけでしょ。
例えば浅野本人ではなくて家来の誰かが似たような事件を起こしたとしても
家来個人の責任にとどまらず浅野家も責任を問われるわけです。
あれだけの重大事件が本人の切腹だけでおしまいなんてのはありえないと
幕府は考えたというわけでしょうな。
>それに、浅野氏が廊下で突発的に切り付けたとは言え、幕府だって
>無能じゃないんだから、切り付けた理由を調べたと思いますけど。そ
>の結果、浅野が領地内でも持て余されていた存在なら、それこそ家を
>取り潰す必要は無かったと思います。
幕府も理由を調べたが浅野は理由をきちんと説明できなかった
おまけに乱心したとの申し立てもしなかった。
それ以外の関係者も浅野の動機がよくわからなかった。
幕府として情状酌量の余地を見出せなかったわけですな。
それと事件から採決はあっという間です。
国元の事情なんかは調査してる暇はないっすよ。
>赤穂浪士の話の発端は、吉良家への貢物(賄賂)が少ない所から
>話が始まる訳ですが、そこの所はどうなの?
芝居や小説としての赤穂浪士なら賄賂は常識ですが
史実としての赤穂事件では賄賂云々の話は後世の作り話という事になります。
賄賂云々の話をうらづけるだけの同時代資料は存在していません。
>>825 梶川タンカワイソス
これで浅野を止めずに吉良が死んだら
「吉良を見殺しにした」
って罵声を浴びることになるんだろうな
831 :
816:2005/12/02(金) 15:19:59
>>826,
>>827,
>>828 >目撃者の梶川與惣兵衞の日記からは、喧嘩両成敗を汲み取ることは難しいですね。
この事件は、内匠頭が「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたこと、
さらに彼が「遺恨」を強調したとが書かれているから、「喧嘩」であったことは
間違いなく、そのように見られていたことも間違いないでしょう。
で、「喧嘩」の裁定は両成敗という武家諸法度、さらには貞永式目まで遡る
武士社会の掟を守るならば、吉良にも処罰されて当然、と考えられていたと
思います。
『歴史紀行 「忠臣蔵を歩く」』森本繁(中公文庫)の33-34ページには、
大石は、幕府に対して喧嘩両成敗の筋を通して欲しい、と祐海への書状に
書いたことが述べられているし、江戸の武士と町人のあいだでは幕府の裁定に
不満が強く、吉良に対する非難もかまびすしかった、と書かれています。
研究者がこのように書いているのだから、間違いはないと思います。
また、たしか、小野寺十内の妻は、「女である自分でさえ、この裁定が
片手落ちであることが分かる」という意味のことを述べ、周囲の者を
感心させたということがあったと、どこかに書かれていました。(面倒だから、
ソースまで調べてませんが。)
832 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 16:09:58
喧嘩ではないです。一方的な殺人未遂です。
>>831 吉良は刀を抜いていませんし、対峙してにらみ合ったわけでもないですよ。
「遺恨」というのは一方的に抱くことも可能ですよね。
何が「遺恨」かもわかりませんから「喧嘩」の理由もわかりません。
それを間違いないと言うのもおかしな話です。浅野贔屓ならわかりますが…。
将軍家光の代にあった豊島明重の件では、面目を失ったことを恨んで
老中の井上正就へ刃傷に及びました。加害者の豊島家は断絶ですが、
被害者の井上家はお咎め無しですし、稲葉正休の件でも加害者の稲葉家は
断絶ですが、被害者の堀田家はお咎め無しです。
喧嘩両成敗というのは互いが対立してこそ成立するもので、一方的な遺恨では
成立しません。武士社会の掟はそんなにバカではありません。
ただ浅野長矩の件との違いは、被害者がその場で死んでいないことです。
つまり、御家を賭してまで刃傷に及んで本願を遂げられなかったと言うことに
武士として同情されただけで、幕府の下した裁定は何らおかしいものではないでしょう。
大石云々をおっしゃっていますが、大石は浅野長矩から直接話を聞いたわけでも
無く、江戸からの伝聞によるものです。加害者が主君ですから、取った行動が
御法度でも当然弁護するでしょう。そうなれば「喧嘩両成敗」論を採らざるをえませんね。
そうなるとあとは赤穂藩周辺の人達が何を書くかは予測がつきます。
「こちらにはこんな史料があるんだ」と浅野擁護をされる人もいらっしゃいますが、
「喧嘩両成敗」の根拠ではなく、浅野の面子を保つための史料に思えます。
× ただ浅野長矩の件との違いは、被害者がその場で死んでいないことです。
○ ただ浅野長矩の件はこの2件と違い、被害者がその場で死んでいないことです。
835 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 19:53:42
>>831 当事者の証言ですが事件直後の証言では「遺恨」云々はなくて
ただ「いきなりなにか叫びだして切りつけた」となってるだけの筈です。
浅野が「遺恨」と叫んだというのは事件から大分たってからの証言になります。
事件直後の証言と内容が変化しています。
この変化は事件後の義士論などに影響を受けた思い込みではないかとされています。
実際には「遺恨」云々の叫びはなかったというのが妥当でしょう。
刃傷事件後の吉良への処遇もポイントだ。
例えばいじめを原因とする松平外記事件では逃げ回って何の抵抗もせず便所に隠れたりした
イジメ側の連中は処罰の対象となった。
吉良も抵抗せずに逃げ回ったが「お場所柄をわきまえ」と逆に逃げたことをほめられている。
いかに幕府が当日の儀式を重要視していたかが読み取れる。
837 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:45:20
梶川の日記だけど毎日その日の出来事を記録したものではなく
老年になってからまとめた回想録の筈じゃなかったけ?
だから事件についての記録も細部は怪しいという話だが?
838 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:45:45
839 :
816:2005/12/04(日) 13:13:17
>>833 問題なのは、内匠頭が吉良を斬りつけた事件を今日的な見方で解釈することではなく、また、正しい見方とは
何かということを探るということでもなく、当時はどのような見方がされていたか、ではないでしょうか。
この考え方からすれば、やはり、幕府の裁定(綱吉の決定)に対して当時の多くの人々が強い不満を
抱いていたことは事実と考えられます。つまり、殿中で刀を抜いて吉良を殺そうとした内匠頭が大悪として
処刑されるのは当然。そして、犠牲者の吉良にも内匠頭を激昂させた責任があるにも関わらず、
処罰されなかったことはおかしい、という不満であったと考えられます。吉良を小悪と認定して、
軽いながらも何らかの処罰を行うべきであった、というのが多くの人々が抱いていた不満だと
思われます(このような見方が、正しいか否かということではありません。また、伝聞であるかどうか、
なんてことも全く関係ありません)。そのため、この不公平な裁定の犠牲者であった内匠頭や家臣団に
同情があつまり、吉良が憎まれたのも、当時の人々の見方からすれば、自然なことであったと思います。
今日では、内匠頭は殺人未遂罪で逮捕・起訴され、裁判にかけられて処罰されますが、法廷で、たとえば、
被害者であった吉良が、内匠頭に汚いコトバを投げつけたり、ひどい仕打ちをしたことが明らかになり、
裁判官が、それを内匠頭の激昂の要因として理解した場合には、規定の刑罰を減軽することでバランスを
とることになります。
当時はこのようなバランスの取り方は考えられず、内匠頭を極刑に処すのであれば、吉良にも何らかの
処罰を行うことでバランスを取るべきだと考えられていた、と思います。これが、この事件に対する
喧嘩両成敗の適用であったと思います。(このような事件の場合、幕府はどのような処置を行っていたかとか、
この従来の処置からすれば、今回の事件の処置は適切だった、という考え方も、当時の人々からすれば、
全く関係がない、と思っていたのでしょう。)
840 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 17:08:50
江戸町人は別に赤穂の殺人集団を是としたわけではなくて、
幕府に泡を吹かせてくれれば何でも良かったんだよ。
841 :
833:2005/12/04(日) 18:24:42
>>839 果たしてそんな不満があったでしょうか?そんな不満というより、御家断絶と自身の切腹を賭けた浅野が、
その場で吉良を討ち取れなかったことに対する同情でしょう。浅野を激昂させた責任があるというのは
余りにも加害者に加担しすぎた言い分です。昼過ぎに事件が起こり夕方に切腹ですから「仮にも5万石の
大名を裁くのにお手軽すぎじゃありませんか、せめてもう一度事情を聞いて吟味して下さいよ。」という
もので、吉良を小悪と認定しろなんて不満ではないと思います。もちろん浅野からきちんと理由を聞き出し
吟味に時間をかけて裁定を下すことに異議はありませんし、その方のが吉良にとってよい結果をもたらした
かもしれません。
元禄14年の春の浅野切腹から、翌年の年の瀬の吉良邸討ち入りまでの間に出された世論は不明です。
内匠頭や家臣団に同情があつまり云々というのは、討ち入り以降に出された評価ではないでしょうか?
梶川日記も後年の著述では加筆修正されています。殿中での刃傷沙汰というあるまじき行為を収めようと
した梶川も後年叩かれたんでしょう。
『今日では…』以降は単なる創作でしょうから論評のしようが無いですが、あえて触れておきましょう。
浅野自体が「個人的な恨みで、前後不覚にも斬りつけた。」と述べたとされています。普段温厚な浅野を
激昂させたのなら余程のことだろうと思いますが、普段から短気で激昂し易い人なら、刑罰の減軽はまず
心神耗弱を理由にするでしょう。
842 :
816:2005/12/05(月) 06:38:17
> 果たしてそんな不満があったでしょうか?
不満があったことについては、すでに831で引用した森本繁の指摘からしても、事実と考えられます。
>御家断絶と自身の切腹を賭けた浅野が、 その場で吉良を討ち取れなかったことに対する同情でしょう。
それもあると思います。大石は、討ち入り後に「亡君の遺恨を晴らすことは、家臣として当然」と述べて
いますね。当時の人々は、大石たちに「仇」を討たせてやりたい、と考えていたと思いますが、この考え方は、
喧嘩両成敗という原則が踏みにじられたという考え方と複合していると思います。
>浅野を激昂させた責任があるというのは 余りにも加害者に加担しすぎた言い分です。
なぜこのように考えられるのでしょうか?喧嘩両成敗の論理からすれば、吉良にも責任があります。
しかしこの責任は追及されず、むしろ将軍から誉め言葉が与えられて無罪放免されたというアンバランスな
結果となっています。吉良の責任は、内匠頭を激昂させ、刃傷に及んだことに求められます。
しかし、たとえば内匠頭が、普段から逆上しやすい性格で、これまでにも、些細なことで刀を振り上げたり、
暴力に及んだりしたことがあれば、「あの内匠頭ならやりかねない」と考えられたと思います。
そして、狂犬に噛まれた時のように吉良に同情が集まったと考えられます。
ところが、内匠頭がかんしゃく持ちであったという指摘はされていますが、狂犬のような振る舞いはみられず、
そのかんしゃくも、常識的、あるいは許容範囲であったと思います。
つまり、内匠頭は、ごく普通の大名の一人とみられており、この普通の小国の大名が、激昂して、領地を失い、
家臣を路頭に迷わせ、自らは切腹となるという大罪を為したのですから、よほどの理由があると考えるのが
普通じゃないでしょうか。そして、この理由の少なくとも一部は、相手方の吉良にあると考えられるにも関わらず、
無罪放免となったために、吉良に憎しみが集まるのは人間の感情からして当然でしょう。
843 :
816:2005/12/05(月) 06:42:36
(つづき)
>せめてもう一度事情を聞いて吟味して下さいよ
内匠頭に関しては取り調べが行われ、その記録が作成されたはずですが、行方不明になっています。
吉良に対しては、事情を聞いただけで取り調べが行われず、「手向かいせずに神妙」とかの将軍の
誉め言葉が与えられて、無罪放免となっています。これは喧嘩両成敗の原則に反します。
>元禄14年の春の浅野切腹から、翌年の年の瀬の吉良邸討ち入りまでの間に出された世論は不明です。
それは、あなたがご存じではないからかも知れません。たとえば、討ち入りの前日に大石は
「自分たちがここまでやってこれたのは、幕府の役人の目こぼしがあったからだ」という意味のことを述べており、特に権限をもった役人には「大石たちに、吉良を討ち取らせてやろう」、「そのためには、
大石たちの行為に目をつむろう」という考えがあったと考えられます。
また、当時は、吉良の屋敷に討ち入るために赤穂の浪人が江戸に潜伏しているという噂が頻繁に
流されていたにもかかわらず、幕府は、それを防止するための処置を講じないばかりか、吉良邸の隣に
屋敷を構えていた蜂須賀家から、このような噂があり、本当に討ち入りが行われたならば隣家としては
迷惑、という苦情を受けた幕閣は、吉良を両国橋を越えた場所に転居させるという措置を行っています。
この措置は、幕府が大石たちを取り締まるよりも、吉良を遠くに転居させることで、討ち入りのために
便宜を与えたという解釈も出されるほどのものであったのです。
>浅野自体が「個人的な恨みで、前後不覚にも斬りつけた。」と述べたとされています。
すみませんが、ソースを教えてください。「個人的な恨み」はともかく「前後不覚にも斬りつけた」と
いう内匠頭の発言があったとはこれまで知りませんでした。
>普段温厚な浅野を激昂させたのなら余程のことだろうと思いますが、普段から短気で激昂し易い人なら、
刑罰の減軽はまず 心神耗弱を理由にするでしょう。
これについては、上記の私のコメントで述べられています。
>>842-843 >不満があったことについては、すでに831で引用した森本繁の指摘からしても、事実と考えられます。
私もこれは事実と思います
>亡君の遺恨を晴らすことは、家臣として当然
それは朱子学の普及に起因しているのかな?あと、討ち入りに入ったのは全体の一割。つまり少数派。
残りは少数派のせいで「不忠」などと言われてしまった。
>喧嘩両成敗という原則
江戸時代に喧嘩両成敗が適用された例は少ないのでは?他の刃傷事件などは両成敗ではないです
>無罪放免されたというアンバランスな結果となっています
理由がどうであれ斬りつけた人間が悪いんでは?
『鸚鵡籠中記』には庶民が浪士を称えた記述は無いとのことです。(Wikiより)
845 :
844:2005/12/05(月) 08:44:58
>>842 ちなみに私も森本先生の本持ってますよ
「毛利元就99の謎」って本です
でもこの本は毛利側の視点や従来の視点にたった記述が多い気がしました
(元網謀反や井上家殺害など)
でも、いろいろな視点から書いた記述もありましたよ
846 :
816:2005/12/05(月) 12:31:00
>あと、討ち入りに入ったのは全体の一割。つまり少数派。
赤穂藩の藩士数は2百数十人でしたから、2割程度ですね。たしか6十数人に絞られた後に、
脱落者が出て、47人になったんじゃなかったですか。でも、ある研究者によると、脱落した
者はそれぞれ事情を抱えており、裏切って幕府に通報した者は皆無だったとか。
>江戸時代に喧嘩両成敗が適用された例は少ないのでは?他の刃傷事件などは両成敗ではないです
うん、じつは私も、内匠頭以外の例に興味をもっているのですが、なかなか、詳しく説明した
書籍に出会いません。内匠頭以外のケースは、全て相手の殺害に成功したという者もいるので、
仮にこれが本当だとすれば、相手方を処罰しようにも存在しなかったということになるのでは
と思います。つまり、両成敗を行おうとしても、相手方が死んでいては無理だったんじゃないか、
と思うのですが(間違っていたらご指摘ください)。
もう一つは、これらのケースでは、殺した側と、殺された側の藩の取り扱いはどうなったか、
ということも問題です。殺害した側は、死刑、藩の没収になったのでしょうが、殺された側は
どうなったのでしょうか、興味があります。
>理由がどうであれ斬りつけた人間が悪いんでは?
それはその通りで、内匠頭だけが悪いとされるのは、おかしいんじゃないか、ということです。
>『鸚鵡籠中記』には庶民が浪士を称えた記述は無いとのことです。(Wikiより)
前出の森本繁によりますと、大石たちが切腹を申しつけられた後、激昂した民衆が日本橋のたもとに
あった「第一条 忠孝を励ますべき事」と書かれた高札を川に投げ込む事件が起こり、幕府は、
三度高札を立て替えても、そのたびに川に捨てられたために、ついには「親子兄弟睦まじかるべき事」
と改めて、ようやく収まったということです(67ページ)。
これは、大石たちに対する評価・同情が民衆の間で高かったことを示すとともに、幕府に対する
批判でもあったと思います。
847 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 14:20:46
暴君基地浅野は即日切腹は当然
848 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 04:53:14
@浅野が刀を抜いた時点で吉良が気づいて逃げ出した。
その背中にまず一太刀。
A吉良倒れこみ顔を浅野に向けた状態で上から顔面に二太刀目。
Bこの直後浅野は背後から取り押さえられる。
松の廊下の人情沙汰はこんな感じではないかと思うのだが、どうだろう?
849 :
833:2005/12/06(火) 19:45:47
>>842 何かに付け「喧嘩両成敗」を持ち出されますが、吉良を悪人とする前提がおかしいのです。
前例から鑑みれば幕府の裁定は至極当然であり、むしろあの段階で吉良にも何らかのお咎めがあれば
定めた法度は崩壊します。もちろん吟味不足だった感は否めませんが、幕府が朝廷の勅使を迎える
という大事な日ということを考えれば「よりにもよってこんな日に」という、将軍の怒りもあるでしょう。
吉良の立場は、武功を挙げることを武士の誉れとする前の時代の武士からすれば、気に入らない存在
かもしれません。浅野が私恨を抱くとすれば、吉良の与えられた立場が疎ましかったのでしょう。
しかし将軍や幕府にとっては必要だったわけですし、その与えられた立場を全うするための吉良の
振る舞いは、家格を守るためには必要なことだと思いますし、他の高家も同様なはずです。
大石が述べているのが単に「喧嘩両成敗」であるなら、吉良を討つ必要はないですよね。仮に
あなたが言うように吉良を『小悪』と捉えて、蟄居謹慎なりお役御免の判断でも出ればそれで
責任を負わされたことになります。しかし吉良を討つという行動に出たことは、吉良が悪人である
とか、喧嘩両成敗とか言うことよりも、浅野が『吉良をその場で討ち取れなかった』というのが
一番の要因でしょう。つまり前例にある殿中での刃傷沙汰と同じ結末にしたかっただけだと思います。
しかしそれでは理にかないませんから「喧嘩両成敗」を全面に出し、主君の不手際と後始末を
体裁良く取り繕ったものでしょう。喧嘩両成敗という原則が踏みにじられたという考え方と複合して
いるというのはなにやら「物語がそうなってるんだから」とでも言いたいのでしょう。
もうここまで来れば、吉良は悲惨以上のなにものでもありません。
理由は何であれ武士の本懐を遂げた大石は偉いという世論になれば、浅野も良く書かなければ
大石の評価が下がります。となれば「理由は何であれ」という訳にはいきませんから、相対的に
吉良を悪人にしなければ仕方がないわけですね。
850 :
833:2005/12/06(火) 19:47:09
>>843 討ち入り前の大石の発言も知らないわけではありませんが、大石はすでに当事者ですし、それを
そのまま世論と受け止めることはどうかと思います。前にも触れたとおり「喧嘩両成敗」である
ことよりも、武士の本懐という「結果」論に傾いており、討ち入りはなければないに越したこと
はないが、もしも起こった場合、幕府もこれ以上かばい立てすると火の粉が降って来かねないと
判断したのでしょう。吉良の実子が継ぎ、自らの子が吉良の養子に入っている上杉(綱憲)家に
手出しをしないように命じたのも、これ以上、報復の報復で事が連鎖しないようにしたもので
別に大石達の行動を受け入れたわけではないと思います。上杉家の家臣も御家大事なら、蜂須賀家も
御家大事。将軍家だって御家大事です。
討ち入り後の裁定で「武士道にあるまじき夜盗の輩の所業」と断じ、主君の仇討ちとは
認めませんでした。これでは大石の求めていた「喧嘩両成敗」ではありませんね。
幕府は刃傷沙汰での浅野の非を断じ、今度は討ち入りでの大石達の非を断じたのです。
しかし大石達は、当初浅野が松の廊下求めていた「結果」が達成されたことで満足します。
幕府は先般のことで懲りたのでしょう、吟味に時間をかけましたし吉良側も裁かれました。
しかし、吉良義周が領地没収の上、幽閉を言い渡されたのは 「父親を守れなかった」という理由です。
手向かいせず神妙とされた前回とは逆の判断ですね。
太平の世は戦国の世と違った秩序を目指したが、結局は無理が通って道理が引っ込んだとも読めます。
「個人的な恨みで、前後不覚にも斬りつけた。」としたのは、多門伝八郎覚書にある
「上江奉対聊之御恨無之候へ共私之遺恨有之、一己之宿意ヲ以前後忘却仕可打果と存候ニ付及刃傷候」から
です。言ったと断定しているわけではなく、述べたとされるとしたのは、この多門伝八郎覚書が
何やら大石達に同情しようとして、後世に創作された物ではないかと言われているためです。
851 :
833:2005/12/06(火) 19:51:09
>>846 前例の刃傷沙汰と簡単に流してしまいましたが、
>>833で豊島明重の件と稲葉正休の件で被害者、
加害者の各家(藩)の処遇を触れています。豊島明重はその場で自害し、稲葉正休はその場で斬殺
されました。以降も刃傷沙汰はありますが、記録上被害者が咎められた件はありません。
「内匠頭だけが悪いとされるのは、おかしいんじゃないか」とおっしゃいますが、やはり所をわき
まえずに刀を抜いた浅野の短慮が一番の原因だと思います。「私恨」を「喧嘩」にすり替えたり、
吉良に責任を転嫁したりするのは筋違いで、「主君の失態を元家来の一部が取り繕った話」を基に、
幕府への批判を織り交ぜて後世いろいろな話が作られた、ということだと思います。
852 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:56:38
赤穂は歴史を偽造する
853 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 20:28:01
でも何でヤツらは討ち入りしたんだろう?
そんなことしたら死罪になるのは見え見えじゃない?
家族にも被害が及ぶ可能性があるだろう
それよりは武士辞めて商人になった方がいいんじゃないの?
まさか見栄と体面だけで討ち入りしたわけじゃないよな?
854 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 21:13:29
武士を捨てて生きる真の勇気がなかったから、罪もない相手を道連れに
無理心中したんです。
>>853 あながちそうとはいえない。
討ち入りのモデルケースである浄瑠璃坂事件では確か許されているはず。
その件が念頭にあり「あわよくば浅野本家なりに・・」
などというのはあったんじゃまいか?
856 :
853:2005/12/07(水) 08:03:50
>>855 浄瑠璃坂事件について調べてみました
奥平大八を許した当時の幕府は何考えてたんでしょうね?
戦国時代だと、自分の父親を殺した人間に仕えることはよくありますよね?
(津田信澄、熊谷信直など)
857 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 13:22:08
よく考えれば、浅野が松の廊下で吉良を殺していれば、
赤穂浪士による吉良邸の討ち入りも無かったのではないのか?
だから浅野はヘタレだと自著の中で公言する人もいますね。
大石達は別に忠義の心じゃなく自分のつまらないプライドのために、
罪のない老人やその家臣を殺し、前途ある若者の将来を絶った極悪人集団です。
まあバカな主君に似合いのろくでもない家臣ですね。
859 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 16:28:39
>>858 >大石達は別に忠義の心じゃなく自分のつまらないプライドのために、
侍の時代は、プライドこそが存在意義の総てだったのでは?
>罪のない老人やその家臣を殺し、前途ある若者の将来を絶った極悪
>人集団です。
罪の無い老人かどうかは、証明しようが無い。松の廊下で逆上させた
責任は取らなければいけない。前途ある若者の将来なら、浅野藩だって
同じ事です。
860 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 19:03:21
赤穂は歴史を偽造する。
>罪の無い老人かどうかは、証明しようが無い
無罪と証明できないから有罪のように聞こえるが
逆じゃね?
有罪と証明できなければ無罪じゃね?
862 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 14:06:00
上杉が吉良を助けにいってたらどうなってたの?
つうか知ってたのに親を助けにいかなかったら不忠義とかいわれなかったの?
>>862 取り潰しだろ。
つーかたかだか殿様のとおちゃん一人の命を救うために、
上杉家臣の生活を投げ捨てるなんて無責任にも程があるぞ。
野垂れ死ぬのが嫌で死に花を咲かせようとしただけの単なる売名集団。
あるいは子孫のどこかへの召抱えを狙った商い腹的投機集団。
どっちにしてもろくな連中じゃない。
それも徒党を組まなければ何も出来ないヘタレぞろい。
まあ元々逆恨みの殺人犯集団なんだけど。
865 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 15:08:57
昔読んだ本に、細川家の浪士達の扱いが大げさで、胡散臭いって
書いてあった。
866 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 15:15:37
NHKで今度、赤穂浪士あるね
参加しなかったのはどうやって弁護されるのやら・・・
彼等には家族があったとかいいそうだな
サラリーマンと武士を一緒にするなと・・・
>>862 上杉綱憲の次男が吉良義周(上野介の養子)だから、単に自分の親を
守るだけでなく、自分の子も見殺しにしたくないと思ってたんだろう。
でも幕府は上杉家に「もしも討ち入りがあっても手出ししないように」と
釘を差してる。
結局、義周は親(上野介)を守れなかった事を理由に裁かれてる。
>>863 たかだかと言うが上杉家が残ったのは、吉良が一人息子(綱憲)を養子に
出したから首の皮一枚繋がった。でなければ上杉家は消滅してたんだよ。
868 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:25:33
>>864 赤穂浪士の人数より、吉良邸に常駐していた人数のほうが
多いんですけど。
869 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:38:29
>>868 でも武装していたとはいえ赤穂は死者0でしょ?
討ち入り後に、生き残った吉良の家来が、吉良の仇討ちとか言って
浪士達の家を襲っていたらどうなってたかな?
主君吉良の仇を討ったって絶賛されたかな?
吉良の領地は年貢が少なくて、地元では名君って言われていたらしいね
近年まで、その地域では忠臣蔵の放送は控えていたとか
>>870 年貢がすくなきゃ名君ってのもなぁ・・・
872 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:54:02
>>870 仮定の話は意味が無い。第一主君を殺されたとは言え、
吉良家が断絶した訳では無い。
地元では名君と呼ばれても、地元以外の人にはどう思われていたのか
判らないし。
それに、もしも名君で慕われていたのなら、吉良の首を取った後、何故
江戸の町人は赤穂浪士を歓待したのか?
873 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:46:22
>>865 細川家としても基地外集団に関わって変な悪評立てられたらかなわんからな。
>>870 町人は祭りになれば何でもいいんだよ。
喧嘩両成敗の原則って
武家法制史的にいえば
「喧嘩になったらどっちも罰するから勝手に応戦しないでね」であって
「何か事件が起きたら当事者はどっちとも処罰します」じゃないんだけど。
『元親百ヶ条』
「喧嘩口論堅く停止之事、善悪手初め謹みて堪忍すべし、此の旨に背き、互ひに勝負に及ぶ者は、
理非に寄らず、双方成敗すべし、若し一方手出し仕るに於ては、如何様の理が為と雖も、
其者罪科行ふべき事」
『信玄家法』
「喧嘩の事、是非に覃ばず成敗加ふるべし、但し取懸ると雖も、堪忍せしむ輩に於ては、罪科に處すべからず」
『今川假名目録』
「喧嘩に及ぶ輩、理非を論ぜず、両方共に死罪行ふべき也、将に又あひて取かくるといふとも、堪忍し、
あまつさえ疵を被るにをいては、事は非儀たりといふとも、當座をんひんのはたらき、理運たるへき也」
>>872 江戸の町人は
大名や旗本が刃傷事件を起こすと加害者を擁護し
被害者をボロクソに貶める分かりやすい習性があるんですけれど。
豊島明重、稲葉正休、内藤忠勝、浅野長矩、前田利昌、佐野政言、松平外記 みんな悪くない。
どう考えても乱心のケースの板倉修理も
巷説じゃ近所トラブルで細川家に嫌がらせされ続けた被害者扱いだし。
暇だったし主要な刃傷犯の死刑までの日数を数えてみた
佐野政言 九日後
板倉修理 八日後
楢村某 七日後
刀は抜いたけど相手に傷一つ与えられないで取り押さえられたことで有名な水野伊兵衛 四日後
内藤忠勝 二日後
前田利昌 二日後
豊島刑部+連座制にひっかかった長男(12歳) 翌日
浅野長矩 当日
江戸城の殿中刃傷は10件ぐらいあるけど
そのうちちゃんと両成敗になったの
1件しかなかったわけだが。多賀主税と川口権平が切り合ったやつ。
たまに誤解している人間がいるが
楢村や松平の事件で被害者が処罰されたのは
加害者を取り押さえもしないで逃げたからで
(しかも加害者は浅野と違ってその後も暴れていた)
喧嘩の責任問われたわけではない。
ということは、だ
多賀&川口の事件以外のケースは
どれも喧嘩両成敗の原則に反すると忠臣蔵信者はいいたいわけだな。
878 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:35:19
あす、NHKで赤穂事件の特集やるって。複眼とか別の視点とか言ってるけど、
結局のところ、忠臣蔵の感覚からまったく抜けきってないのだろうね。
おそらくこれをほとんどの人は、忠臣蔵は多少誇張はあるが、基本的にはほぼ史実なん
だな、としか思わないだろうなあ。
879 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:57:36
880 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 19:07:53
現代の認識では「単なる殺人集団」に過ぎないわけだが
>>872 その点、浅野については、切腹を知った赤穂の領民が餅ついて喜んだらしいな。
882 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:48:31
塩の専売制で領民を苦しめていたからね。
883 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:09:12
赤穂藩の取り潰しは歴史の必然だったんだね
神様はよく見てるよ
884 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:15:38
喧嘩両成敗の法理が適用されるには当事者同士お互いが暴力を行使しあった場合のみ
これまで見てきた事例からはこのような法理が導き出される。
喧嘩両成敗でいう喧嘩とは只の揉め事(トラブル)をさすのではなく
当事者双方が暴力を行使した状況を指します。
いきなり切りかかられても応戦しなかった場合は喧嘩両成敗は適用されません。
浅野の刃傷事件についてみると吉良側が応戦しなかったのは明らかであり
したがって喧嘩両成敗云々の話が出てくる余地がありません。
幕府の裁定が喧嘩両成敗の法に反しているなどと当時の人々が考えたというのはありえません。
885 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:26:05
確かに喧嘩両成敗の法を適用しなかったことは、わかるけど
本来、藩主の処罰は評定所が合議し、将軍に勧告して実行の手順の
はずなのに、頭に血が上った綱吉の独断で処罰したことが後々、
いろいろ言われる要因になったんだなあ。
側用人の柳沢は評定所に任せることを進言したらしいが、綱吉が
頑として即日切腹しか許さんかったらしいね
まあ、その頃綱吉は生母桂昌院の従一位叙任が適うかの大事な時期、
しかも勅使を迎える当日にあのような事件を起したのだから、
どうしても浅野を許せんかったのだろうな。
886 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:37:25
887 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:45:53
>>872 田沼意知が佐野政言に殺された時は大喜びで殺人犯を「世直し大明神」と歓待しながら
親父の田沼意次が失脚した途端に「田沼の時代が恋しいよ〜」といいだす
江戸町民クオリティに何を期待してるんだ?
888 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:53:57
かっぽれかっぽれ、楽しきゃいいのよ
騒げや騒げ、スキャンダル大好き
889 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:04:04
赤穂は歴史を偽造する
890 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:07:18
みなさん、赤穂浪士のコスプレをして、
元祖ニセ温泉の吉良温泉に、入って皆で「忠臣蔵」見ませんか
891 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:14:44
世界の忠臣蔵で、哀を叫ぶ!
吉良
「誰か、助けてくださ〜〜い!!」
892 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:17:15
浅野
「ホゲャー、へへへへッ、パォーーーー、恨みじゃ恨みじゃ、ホイホイ」
時に元禄十五年十二月十四日
894 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:25:23
僕ちゃん、赤穂の殿様
今面倒くさいお仕事言いつけられて、もうorz
吉良のじいさんに聞いても難しくてよくわかんないし
あーあ、もうやだやだ
なんもかもいやになっちゃった
895 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:25:28
十二月十四日 おめでとう
896 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:37:00
三波春夫『俵星玄藩』聴いてみますた
897 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:37:43
\ナショナルでは、古い年式の・・・ /
____________
| __________ |
| | ブチッ .| |
| |_____/| /| ___.| | ガクガクブルブル
| | |/ |/ .| | Λ_Λ
| | | | ピッ ┌((゚Д゚; )))―┬┐
| | | | ━⊂( ) __| |
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||―┌ ┌ _)―|| |
|_____________|_____||_(_(__)__||___|_
898 :
安兵衛:2005/12/14(水) 01:56:37
ここで敵討ちと銘打って、吉良の首でもとれば。
戦国以来の忠臣と我等の名声は世間に轟き仕官は引きもきらず思いのままぞ。
899 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 03:19:37
>>894 それは物語のはなしだな。実際のところは、
僕ちゃん、赤穂の殿様
今面倒くさいお仕事言いつけられて、もうorz
でも17歳の時に1回やってるから、
また吉良のじいさんに聞くのもじゃまくさいし
お礼だってもったいないからしたくない
僕ちゃんは頭なんか下げないぞ
そうだ、こんなじじいがいなくなればいいんだ
900 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 04:37:06
12/14であることに今気付きました。おめでとう!
901 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 05:15:05
日本史上最悪の猟奇的大量殺人の日
902 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 06:09:22
さて、そろそろ用意をいたしますか?
903 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 09:05:33
泉岳寺の義士祭行きますか?
904 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 10:46:18
討ち入り300年の年に義士の墓参りしたが、浜松町の駅からわんさか
泉岳寺詣での列だった。とにかく線香の匂いが凄まじかった。
905 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 10:47:02
関西方面は大石神社に参拝?
なんだか視聴者の投票もするらしいね。それにしても、この内容はなあ。そんなに赤穂浪士好き
でなくちゃいかんのかなあ、それも当時や近世ならまだしも現代日本人までも。
司会進行の二人は、口の上ではもちろん史実と忠臣蔵は違います、と言うだろうが
こんな内容では結局のところ頭の中では忠臣蔵=史実になってるんだろうね。
参加組、不参加組どっちに投票ってのが、そもそも忠臣蔵と史実をごっちゃに
している発想。
908 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 15:08:08
>>906 「おれ抜きの忠臣蔵なんか作らないでくれ〜〜」吉良
一応、順主役なんだけど
阿久里の父が吉良
綱吉は阿久里が好きだった。
だから浅野はダーメダーメで腹切りケテーイ。とはいきませんか?
吉保は家宣と入れ替わりですんなり引退甲府城主へ
この辺は何か関係ありますか?
910 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 20:00:44
117 :名無しでGO!:2005/12/13(火) 19:28:12 ID:GyhJKW6S0
泉岳寺まで片道、大人47枚。
\
 ̄ ̄ ̄ ̄|/| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ 帰りのきっぷ、いいんですか?
|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. ∧_∧ ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(´∀` ) (゚Д゚,,) < Σヽ(゚Д゚; )ノ もしや今晩討ちい(ry
| ̄ ̄ ̄|\_(_ ) | ̄ ̄ ̄|\ ⊂_|___\_________
|___|. ∧_∧ ̄ ̄..|___|  ̄ /|
|___| ( )__|___|_____../ │
| ( ○ ) │ .|
| | | | 播州赤穂駅 │ /
| (_(_) |/(・∀・) イザ キラテイヘ ゴー!!
911 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 20:32:53
>>904 漏れも行った
ジャンバーが線香のせいで一部穴開いた
912 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 22:04:43
その時歴史が動いたがまたやった。
討ち入り日:元禄15年(1702)12月14日
師走ものに注意が及ばないDQN職員ばっかだなw
元禄15年12月14日=西暦1703年1月30日
913 :
両国:2005/12/14(水) 22:41:16
吉良邸に行ったが何もなかったorz
テロリスト支持集会の模様を実況しようと思ったが
914 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 22:42:57
>>912 NHKの料金払うのやめたら?
そうしたら、もっとマジメにやるんじゃない?
おれ見られなかったんだが、感想がまったくないな。誤りの指摘はあるが。
語るに値しない内容ということか?
投票結果とかどうなった?
916 :
吉良義央:2005/12/15(木) 00:11:25
ミツカル…!(((゚д゚))))ガクブルガクブル
917 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 02:54:29
そろそろサンタさんが討ち入りにくるよ
918 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 03:13:55
>>912 事件が閏月だったら新暦に直したんだろうな。
919 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 03:25:28
武士道を違えた逆恨み集団か。
吉良さんカワイソス
920 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 03:57:13
参加組みに投票した香具師は非国民
質問だけど、
吉良家の領地ってどこ?
上野?違う?
922 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/15(木) 11:40:56
吉良様の領地はたしか愛知県のほうだったきが・・
それにしても僕も昨日NHKの番組みましたが、
えらい赤穂浪士びいきですね。史実と物語を混同してるのでは
ないでしょうか?喧嘩両成敗の正義を貫いたといいますが
吉良様が浅野に何をしたというのか?一方的に浅野が
とち狂っただけなのではないかと思ってしまいました。
結局お家再興もならず途方に暮れて逆恨みで討ち入ったというのが
実状でしょう。
923 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 14:00:11
>>922 >吉良様が浅野に何をしたというのか?一方的に浅野が
>とち狂っただけなのではないかと思ってしまいました。
>結局お家再興もならず途方に暮れて逆恨みで討ち入ったというのが
>実状でしょう。
だから、史実に載っている限りでは、松の廊下で浅野を逆上させた
だんでしょ?
それに、逆恨みで討ち入りしただけなら、吉良を討ち取った後
四家に預けられた赤穂浪士たちを歓待したりはしなかった筈。
つまり、吉良と浅野には何らかの遺恨が有ったとしか考えられない。
924 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 14:04:15
吉良キラー
刃傷沙汰は以前にもあったのに対応が違うって事だから
あれこれ疑念が生じるのは当然。
ただ、吉良様がお気の毒なのは確かで、悪いのは綱吉。
気が狂ったのに自分で切腹できるのもおかしいので、気が
狂ったのであれば死因は刺殺で自害じゃない。
犯人は綱吉あたりか?
勘ぐるんであれば、そのへんだろうな。
気が振れた人を見るのがはじめてで、馬鹿にされたと思って
取り押さえている者の脇差を引き抜いて、浅野の腹に刺しちゃ
ったとかねw
犬公方だから、それくらいやってしまいそう。
事後処理として丸く収める方法はいくらでもあったが、吉良を
討ち取らせた上で吉良家に罰を与えていて、吉良家に対する
対応も理不尽。
事前情報があった上での将軍家のお膝元での乱暴狼藉に対し
鎮圧の軍勢が出向かないのだから見殺しにしたのは疑いの余
地がないが、どうせ取り潰すのであれば、早く潰せばいいのに
浪士の体面を重んじるとは変な発想。
その後同じ案件が発生しなかったから良かったものを、悪しき
前例だけに浪士の討ち入りを頻発させかねない暴挙だった。
(討ち入り懸念から、問題を起こした大名家で断絶になる家は
減ったらしいが)
吉良は評判よくなかったようだけど
浅野も大石らも犯罪人には違いない
その点吉良は御法度に触れるような事してないし(少なくとも表にでてない
ただの被害者である
通り魔に襲われて犯人が死刑になったのを
逆恨みしたその家族にまた襲われたのと同じで無茶苦茶な話しだ
927 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 16:50:48
>>926 ただの通り魔なら同情も出来るが、吉良は事実上浅野の指南役
であり、松の廊下で浅野と言葉を交わしたと言う事も事実だ。
928 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 17:09:41
>>923 浅野を逆上「させた」んじゃなくて、一方的に浅野が逆上「した」んだよ。
浅野が殿中で吉良を討ち取れなかった事実に対し、それを家臣が果たした事に対する評価で
吉良と浅野の遺恨とは関係ない。
929 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 18:09:03
>>923 勘違いしているようだけど、赤穂義士を歓待したのは、武士の
本分である主君に忠臣したことだよ。
浅野と吉良の関係なんか関係ない。
あったとしても、それは吉良に対する嫌悪感ではなく、いわば
綱吉に対する反感だ。
即日切腹も取り潰しも幕府が行ったことなのに、幕府には反抗
せず、吉良を討ち取るなんて本来なら筋違いだ。
930 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 19:46:02
>>929 その通りだ。
判決に不服を唱えて被害者宅に押し掛け、一家皆殺しにするなど
ヤクザ顔負けの非道さだ。
> だから、史実に載っている限りでは、松の廊下で浅野を逆上させた
>だんでしょ?
史実に載っている限りでは
白書院前の廊下で吉良と梶川が勅使接待の打ち合わせしているところへ
浅野が喚きながら刀抜いて走ってきて後ろから切りかかったんでしょ?
赤穂浪士の身柄引き受け先
熊本細川家→約50年後、当主が江戸城中で切り殺される
長府毛利家→約25年後、当主の嗣子が江戸城中で殺されかかる
岡崎水野家→約50年後、当主が座敷牢送りで変死
松山松平家→約300年後、しったかぶり番組の司会者
>>392 もしかして松山松平家の子孫って[その時]の司会者?
まあ細川宗孝も毛利師就も本人には罪はないよな
934 :
ポン:2005/12/15(木) 20:42:37
あれ?あの人は久松は久松でも伊予松山城主の久松家じゃなくて
分家の旗本久松家の人じゃなかったけ。
だれか入れ知恵してくれ。
test
937 :
936:2005/12/15(木) 21:12:36
失礼! 「血筋からいえば家康、吉宗の子孫である」というのは、おかしい。
筆者の書き誤りか。
徳川家康の異父弟・久松定勝を祖とする伊予松山藩の久松松平家の子孫である。
だから、家康の子孫ではない。詳しくは、上の「久松氏」のページを御覧あれ。
ところで吉良は完全被害者なのになんで断絶になったんですか?
気分次第で判決が変わって、やっぱり綱吉はおかしい人ですね。
939 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 21:58:31
大河ドラマ「元禄繚乱」にて討ち入りが終わり、義士が預けられて
いる時に綱吉が密かに大石に直接会う(綱吉は身分を隠して)場面が
あったが、大石は討ち入りの理由は幕府の片落ち裁定や政策に
対する抗議だと綱吉に面を向かって言っていたなあ。
(綱吉は爆発寸前だった)
>938
朱子学に染まった馬鹿将軍だから
余談だけど、生類憐みの令は何か目的があってやったらしいね。
確か傾き者の排除が目的だとか
どうなんだろう?
松山藩主家や今治藩主家は維新後、「久松」に復姓。
よって「松平」定知は藩主家の子孫ではない。
まして家康や吉宗の子孫ではない。
アナ厨はデマを流すな。
942 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 22:55:24
浅野:姉歯元建築士
吉良:木村建設東京支店長
木村建設が、まだ、存在していたら、木村建設の仕事をしていた建築士が
集まって、悪事暴露して、木村建設を倒産に追い込むという筋書きがあったのに
943 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:14:26
今日のBS2で放映していた昭和37年版『忠臣蔵』は
製作された時代が新しいせいか、現代の関東弁で喋って居り
実に下らぬ駄作でしたナァ!!!
944 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 00:21:11
>>938 夜盗ごろつき同然の連中に一方的にやられたのが、武家として見苦しいという点は事実。
945 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 01:35:12
松平定知が伊予松山藩の久松松平家の出身というのは、自称?
何処の「松平」の子孫?
>>941 その証拠を出さない(出せない)ところが、怪し〜い。 941はデマカセ野郎か?
947 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 09:55:44
おのおのがた討ち入りの準備はよろしいか?
目指すは、総合経営研究所、
狙うは怨敵内河の首でござる!!おのおのがたいざいざ
948 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 10:00:15
>>947 うぅぅ〜ん、今一番吉良役が似合う人かも・・・
>夜盗ごろつき同然の連中に一方的にやられたのが、武家として見苦しいという点は事実。
それじゃあ井伊も本来は断絶が妥当ですね。
深夜に寝込みを急襲するのは卑怯ではないか。
吉良の殿様は、逃げ隠れしなかったぞ。
炭小屋に隠れていたというのは、後世の芝居上の創作。
事件発生からたった8年後の1709年の綱吉の葬儀の際、加賀大聖寺新田藩主前田利昌が、
同じ饗応役の大和柳本藩主織田秀親を殺害し改易ってのも皮肉ですね。
この場合も柳本藩はそのまま幕末まで存続、そうすると判決は妥当だったはずで、
大石は当時の基準でも犯罪者には違いないわけですけど。
結局あの場で吉良が殺されていれば丸く収まったのでしょうか?
お気の毒な話ではありますが、どうせその後も死の影におびえて暮らし、
結局殺されちゃったんですしね。
すると善意の人だけど浅野を止めた人が結果的には悪かったのでしょうか?
まあヘタレの内匠頭が一番悪いのは当然なんですが。
本当に殺す気なら切りつけるんじゃなくて刺せという話もあるみたいですね。
>>951 あくまで「結果的に」だからな
梶川の行動は勿論間違っていない
前田は織田の元家来の癖に生意気だな
でも秀親は長益の子孫であって、信長の子孫ではないな
水野忠恒が毛利師就を殺そうとした時や
板倉修理が細川宗孝を殺した時
居合わせたのにびびって何にもしなかった腑抜けどもが処罰くらってんだが
梶川叩きはどうして彼らを擁護しないのだろう・・・
955 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 16:58:02
>>941 今治藩の久松松平家の子孫に久松定隆という人がいる。
テレビ番組制作会社「イースト」のプロデューサーだった人で、
女優の河内桃子(故人)の旦那さん。
ちなみに奥さんの河内桃子は大多喜藩主の大河内松平家の子孫。
吉良家側の陣容について誤解があるようだ
例えば上杉家からの付き人集団だが彼らは別に完全武装した護衛専門の戦闘軍団ではない。
どちらかというとその性格は今の軍隊でいうと従兵、副官にちかい。
結果として警護役も勤めるという程度でしかない。
養子吉周の実家である上杉家の家格の高さをしめすための儀礼的なもんですな。
養子に伴う付き人は別の吉良ー上杉の事例に限った話ではなく
一般的に見受けられる話だそうで
上杉家が浪士たちを警戒云々の話はあたらないそうです。
千坂や色部なんてな上杉側の侍については何か記録ある?
14日のことになりますが、播州赤穂の祭に行ってきました。赤穂駅前から赤穂城周辺に向ってかなりの人手。
普通の祭みたいに露天が出ていて義士に扮したパレートとかやってました。
赤穂に行ったのはこれが初めてですわい。
赤穂での浅野長矩の扱いはどうなの?
300年前は切腹を餅ついて祝ったけど、今は手のひら返して名君扱い?
960 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/17(土) 10:13:21
姉歯氏は赤穂浪士以上の大忠臣。
悪と知りつつも木村建設への忠義を貫いた
真の武士ナリ。あっぱれあっぱれ
忠義を貫いたのは篠塚元支店長だな。
木村の社長は知らぬ存ぜぬを押し通し、篠塚がそれをかばった。
姉歯は洗いざらい話しちゃっただろ。
962 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:33:20
松平定知は伊予久松松平家の子孫だよ。ただし分家。オヤジは真光の幹部だった。
>>949 井伊家は桜田門外の変の不手際を攻められて減封されている。それを恨んだ井伊家は鳥羽伏見戦後真っ先に薩長軍に寝返り。畿内の抑えを幕府自ら切り捨てたようなものだった。
963 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:41:07
その表現だと伊予松山藩主家の子孫と勘違いされるおそれあり。
厳密には伊予松山藩主家と同族である久松系松平家の幕臣の家の子孫。
幕臣に久松系松平家は多数あり。
964 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:47:42
伊予松山とか今治の藩主家は維新後、松平姓を捨て旧姓の久松に復姓したから、
定知は松山藩主の子孫ではない。数ある久松系松平一門の一人にすぎない。
殿様の子孫を強調する人は、松山藩主家と確実につながる系図をあげて立証してくれ。
>>969 井伊は、自分の父親が薩長を弾圧したのに、薩長の味方をしたんだよな
水戸は親の仇だから、慶喜に味方するのは嫌だったのかな?
>>960 あね歯は宮城の古川のほうの華族出身でいい血筋の人らしい。
968 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 16:15:41
もしもし
お宅の息子さんが
「吉良側に立った忠臣蔵」を作ると言って
集めた1000万円持って逃げたので、
替わりに立て替えてもらえませんかね
お宅のお子さん、普段からそんなこと言ってたでしょ
969 :
うんこ:2005/12/19(月) 16:25:00
970 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 17:21:10
>>966 あの状況で幕府に付いたら「お家」が滅んでしまう。
968
時代劇板でも見たカキコ
>>970 一家だけありましたねそうやって家が滅んじゃった大名が。
おかげで子爵になれず男爵止まりだった。
973 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 09:51:10
もしもし、吉良と申しますけど
浅野さんの御宅ですか、
そちらのご子息が、授業料をまだ入金されてないので
至急入金いただけませんでしょうか
入金いただけないと、ホント、とんでもない事になるので
よろしくおねがいします
おれおれ内匠頭だけど、ああ大石か、
それでおれ、殿中で躓いて高価な壷蹴倒しちゃって、
それで弁償金100両だから直ぐ用意して、
一刻後に取立人が屋敷に行くから、そいつに渡してくれ。
975 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 12:11:22
殿さんがアホなら、家来もアホや。
でも一番のアホは赤穂の連中や。
いや、赤穂の連中は一番頭いいぞ
最初は餅ついて殿様の死を祝っていたのに
後世になると、赤穂浪士の故郷として売り出し、地元振興に利用する
意外に知られていないが・・・・
浅野本家のあった広島では普通に考えれば「当家は討ち入りの浪士と親戚」とかで
盛り上がりそうだが吉良と同じく赤穂浪士ネタはNGだったそうな
なぜかというとそれは「討ち入らなかった親戚の方が多かったから」
とくに上士層は殆どが討ち入らなかった訳で家老やなんかの有力者に配慮して
討ち入り組と親戚の家でもそういう話はしなかったとかいうぜ。
978 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 18:17:47
吉良と言えば、元祖水道水温泉の吉良温泉
以前、温泉でもないのに吉良温泉の名称を使用するのはおかしくないか
と吉良町役場に問い合わせたことがある。
その回答は下記の通りだった。
ご指摘の、吉良温泉の名称に関しましては、従来より固有名詞的に使用されており、県からも吉良温泉の名称使用についての指導は受けておりません。
オレ的には疑問だな。
979 :
976:2005/12/20(火) 21:01:58
>>978 銭湯にだって「○○温泉」ってのがいっぱいある。
吉良温泉の近所にある「みかわ温泉」なんてのも水を沸かした「温泉」。
温泉入るよりも、家で風呂沸かして入浴剤入れたほうが安上がり
982 :
日本@名無しさん:2005/12/21(水) 18:25:51
その後の忠臣蔵
大石家の跡取りの息子は、まわりがチヤホヤするから酒や遊郭におぼれ、最後は目も潰れてしまうような
病をわずらっていたそうな。
984 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 18:31:09
昔(昭和60年代くらい?)の歴史読本の増刊で確か「日本史有名人の子孫達」
とかいう題名のがあって、確か大石の子孫は現在浪人中とかってなってった。
今じゃそんなこと書けないよな。
ってな感じの雑談で埋めて、次スレはなしって流れ?
いやまあ980超えても次スレの話が出てないからそう思ったんだけど。
986 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:11:37
親の因果が子に報いか・・・
987 :
日本@名無史さん:
>>986 いや、酒飲んだり遊女に夢中になって自滅したから、自業自得かと
息子は討ち入りしてないけどな