【天皇機関説】美濃部達吉って何がしたかったの?

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1日本@名無史さん
もしも天皇機関説が世に認めれれたとして歴史が変わっていたのか?
俺は天皇機関説に何の意味があるのかわからない。
2日本@名無史さん:03/07/23 19:39


























3日本@名無史さん:03/07/23 19:58
認めるも認めないもない、明治期から敗戦までず〜と機関説が行われていた。
ただ、世のDQN軍人やウヨが機関という言葉尻捉まえて騒いだだけ。
4日本@名無史さん:03/07/23 20:04
昭和天皇も機関説で良いといい、美濃部のような優れた学者を葬り去る
のは惜しいといった。美濃部達吉は、昔の美濃部東京都知事の父親だね。
5日本@名無史さん:03/07/23 20:47
本庄繁侍従武官長が日記に記した、昭和天皇の機関説に対する解釈
「天皇を国家の生命を司る首脳とせば(天皇主権説を指す)、天皇に事故あらば
国家も同時に其生命を失うことになる。斯く推論せば機関説の意義の下に国家なる
ものを説き得ざるにあらず(二重否定)。而して必ずしも国体の尊厳を汚すものに
あらざるべし」(かいつまんで言えば、機関説を支持している)。もし、国体明徴派
の主張の如く天皇主権説なら、敗戦時の天皇の責任は免れることはできない。
6日本@名無史さん:03/07/23 20:56
官僚や政府や大学はみんな機関説だったよね。
発狂する前の大日本帝国の公式見解だったね>機関説
7_:03/07/23 20:56
8( ‘д‘):03/07/23 20:56
最近いいと思うようになった
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
9日本@名無史さん:03/07/23 20:57
1は戦前の国体明徴運動のdqn並みに美濃部学説を理解する能力ないのに
スレ立てたとみた。勉強し直して又今度来てね。
10日本@名無史さん:03/07/23 21:04
機関説を潰した国体明徴説をみてみよう。

天皇神格化の方向は,満州事変以後の戦時体制化の過程で,合体しながら
攻撃的性格を強め,35年には,憲法解釈としての天皇機関説排撃を突破口
として,個人主義,自由主義をも反国体的なものとして否定しようとする
国体明徴運動をひき起こすこととなった。
まず1935年2月の第67議会で貴族院の菊池武夫が美濃部達吉(当時東京帝大教授,
貴族院議員)の学説をとりあげ,統治権の主体を国家とし,天皇をその
国家の最高機関とする天皇機関説は,天皇の絶対性を否定し,天皇の統治権
を制限しようとする反国体的なものだ,として攻撃を開始,これに呼応して
院外でも軍部の支持のもとに在郷軍人会や右翼団体などの運動が全国的に展開
されることとなった。
岡田啓介内閣もこれに屈して,4月9日には《憲法撮要》など美濃部の3著書
を発売禁止処分とし,さらに8月3日には第1次,10月15日には第2次の国体
明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,この学説の排除
を決定した。
国体明徴運動はこれによって終息したが,政府はさらに11月,文相を会長
とする教学刷新評議会を設置,その答申に基づいて,37年5月,文部省は
《国体の本義》を刊行した。同書は自由主義,民主主義の基礎としての
個人主義を排撃し,日本は皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であるとして,
天皇に〈絶対随順〉〈没我帰一〉すること,おのおのの分を守りながら和を
実現していくことが,日本国民のあるべき姿だと説いているが,
〈国体明徴〉とは結局,このようなイデオロギーを国民に強制していく
ことにほかならなかった。   
11日本@名無史さん:03/07/23 21:12
機関説は統帥権のシビリアンコントロールや、国会の国民への責任
をしっかりさせようとの学説。
これが軍部右翼の横槍で潰されたのは、日本に不幸だったな。

ちなみに、美濃部氏は、戦後、天皇制の護持を力説してた。
天皇を敬愛していたんだよね。
天皇も信頼してたみたいだし。
美濃部を葬った勢力は、英国風の明治天皇のような立憲君主になりたかった
昭和天皇の気持ちを踏みにじり、国民を闇に引きずり込んだ国賊だね。
12日本@名無史さん:03/07/23 21:20
機関説排撃運動のもう一つの狙いは美濃部の師で機関説の提唱者、一木喜徳郎
枢密院議長を葬るための政争という側面もあった。一木はこの後、辞任。
13山埼渉:03/07/23 21:51
>>天皇主権説なら、敗戦時の天皇の責任は免れることはできない

主権説だろうと機関説だろうと、明治憲法下では天皇の戦争責任は免れない。
軍隊の統帥権は内閣と別個に天皇が有しているから。
大正デモクラシーのときにでも、「今後は軍隊の統帥権は内閣に委譲する」
と証書を出しておくべきだった。また、軍人勅諭にも、軍人は政治に介入せず
本分を全うし---とあるように、現役武官の軍部大臣起用も
やめておかなくてはならなかった。
14日本@名無史さん:03/07/23 22:19
だから、天皇個人にすべての権力が集中するのを避けるのが機関説ではないの?
もし、憲法を字義通り解釈すれば、天皇は統治権を総覧し・・・とあるから
機関説は成立しないことになる。だが、実際には美濃部学説は帝国大学でも教えられ
文官試験、司法試験でも採用されていた。これに順ずれば統帥権も同じ解釈でいい訳
だが、天皇の名を借りて独裁を目論む軍部にとっては邪魔な理論だった。
15日本@名無史さん:03/07/23 22:22
昭和天皇も哀れだよな。
天皇親政とかいう奴は天皇の意向無視するし
かと言ってそこに口挟めばそれこそ立憲君主じゃなく天皇親政になってまうし。
16日本@名無史さん:03/07/23 22:43
政友会が如くんだ倒閣の為の運動でもある。
つか、政友会って統帥権侵犯でも騒いでいたな。
こここそ亡国のA級戦犯。伊藤も草葉の陰で泣いておろう。
17日本@名無史さん:03/07/23 22:45
戦前の高級官僚(高文)は、日本帝国が運営されているのは機関説ということを
知っていた。だが、国民や下級軍人には、絶対神聖の不可侵な存在という天皇像を
教え込み強要したというのが実体か。
18日本@名無史さん:03/07/23 22:57
いや統帥権の独立は美濃部も認めてる。ただ統帥権の範囲は異なるがな。
19日本@名無史さん:03/07/23 23:15
軍の主張する統帥権の独立とは本来政府にあるべき兵額量の決定権まで軍に
あるというムチャクチャな理論。これが、通れば、軍事予算など思い通りの額が
獲得できることになる。これに対し、美濃部はこれをできるだけ狭く解釈する立場。
「統帥大権の及ぶ範囲は唯軍隊を指揮し其戦闘力を発揮することのみにのみ止まる
ことを本則とする」(憲法撮要)というもの。つまり、軍の編成、装備は統帥権の
外にあり、したがって軍縮も政府の権限で決めるという解釈。
20日本@名無史さん:03/07/23 23:16
俺も天皇担いで上手いことしたいよ。
21日本@名無史さん:03/07/23 23:18
なぜ、みんな馬鹿になってしまったのだろうか?
何も理解しようとしない若手軍部や右翼が、
国家公認の法学者を抹殺する。
まるで、
まるで、
文化大革命レベルじゃないか。。。。

大日本帝国憲法と軍人勅諭と教育勅語の、
しっぺ返しがきたか?
やはり、基本法は確固としたものでないと、いざというときヤバイね。
22日本@名無史さん:03/07/23 23:23
まあ、こうした美濃部の憲法解釈が軍部や軍翼賛政党の逆鱗に触れ
排撃運動が起こったともいえるのかもしれない。
23日本@名無史さん:03/07/23 23:25
>>21
>まるで、
>まるで、
>文化大革命レベルじゃないか。。。。

つまりいつの時代、どの地域でも起こり得ること、なのだよ。
24 :03/07/23 23:29
現代で言えば、「人権機関説」だな。
25日本@名無史さん:03/07/23 23:30
天皇機関説…立憲君主制における議員内閣制での君主の立場をこれはど端的に表した言葉は無い。美濃部、いいぞ。
26日本@名無史さん:03/07/23 23:38
つまり、天皇に対する不敬というのはダシで、実は、軍の思惑にとって
邪魔な美濃部理論(個人も)を抹殺するのが本ボシでつか?
27日本@名無史さん:03/07/23 23:40
正解。現にその後も天皇親政が行われたりはしていない。
28日本@名無史さん:03/07/23 23:58
だいたい結論出たの?もう寝るポ。 (山崎渉じゃないよ)
29日本@名無史さん:03/07/23 23:59
軍の主張する統帥権の独立とは本来政府にあるべき兵額量の決定権まで軍に
あるというムチャクチャな理論。これが、通れば、軍事予算など思い通りの額が
獲得できることになる。これに対し、美濃部はこれをできるだけ狭く解釈する立場。
「統帥大権の及ぶ範囲は唯軍隊を指揮し其戦闘力を発揮することのみにのみ止まる
ことを本則とする」(憲法撮要)というもの。つまり、軍の編成、装備は統帥権の
外にあり、したがって軍縮も政府の権限で決めるという解釈。
30日本@名無史さん:03/07/24 00:00
裕仁に戦争責任、敗戦責任のあるのは世界の常識

天皇大権ていうのは憲法以上。裕仁が摂政として統治して以降天皇大権が強化。
帝国憲法にしたって、裕仁の頃は天皇大権が幅をきかせ骨抜き。
裕仁は勇気のない意気地なしのうえ、傲慢。国民はすべて自分のために働くと思っている本当の悪人。
2.26事件の処理は裕仁の単独の裁定で終わったのは周知の事実。
2.26事件の時決起した青年将校は、昭和天皇の鶴の一声により、青年将校たちは、形だけの裁判を受け処刑。
これで裕仁天皇も調子に乗っちゃた。それがアジアの皇帝になりたいに繋がり、軍部の野望と合致し大東亜戦争へ。
たいがいの場合、参謀総長などには皇室出身者が付いてた。
これらの職は、統帥権発動の補佐をするのだから、天皇というより皇室全体の責任が問われるということ。
参謀部や軍令部、所謂天皇を軍事の上において補佐する機関の長は、相当の割合で皇室出身。
責任を天皇ひとりでなく、皇室全体に拡大できることを意味している。
彼の無能により、ポツダム宣言の受諾を遅らせ、多くの日本軍兵士を死に追いやった。
要するに裕仁以外の人間が天皇になっていれば大東亜戦争も敗戦もなかったこもしれない。
今頃、裕仁は血の池地獄でのた打ち回っている。

天皇は、軍部と夢を共有しておりアジアの皇帝になりたかった。
しかしアメリカは日本を準植民地にするために天皇制を残した。
アメリカでよく行われる司法取引みたいなものだな。
「我々の言うことを聞きなさい」そうすれば戦争責任は問わないよとね。
だから、当時の責任問題を有耶無耶にしたし、記録も自分たちの都合のよいように作った。
裕仁は日本の象徴じゃなく、アメリカの植民地としての象徴だ。
他人任せの優柔不断の態度を取られた昭和天皇を、私達は受け入れることはできません。
また、このような歴史を繰り返さないためにも天皇及び皇室は廃止したほうがよいと思うのです。
31日本@名無史さん:03/07/24 00:04
長いの〜。
32日本@名無史さん:03/07/24 00:08
長いうえに内容が…痛いです。箪笥の角に小指ぶつけたくらいに。
33額田王:03/07/24 00:08
みささぎの巡拝。。いやぁ〜日本の美学ですわなっ♪
34日本@名無史さん:03/07/24 00:55
>>21
軍人勅諭を真面目に実行してれば、軍人は政治には関与しないよ。
守らないからそうなったんだよ。
35山埼渉:03/07/24 03:10
軍部が統帥権をたてに勝手なことをしようとしたときに、
政治家が、軍人勅諭でもって抑えることがどうしてできなかったんだろう。
36おはよう尊師だ:03/07/24 06:30
>35
それはもっともな疑問だね。
今の日本人も自衛隊の存在と憲法と関係を何ら矛盾に思わなくなっている
要は究極的原理の存在を許さない日本人の特性が原因するんじゃないかな。
なんでも白黒ハッキリしないと落ち着かない毛唐とかなり異なるね。
そもそも明治の元勲たちも軍人であったりするから
誕生した時点で空文同様だったんだね。
勅諭でさす軍人は尉官佐官レベルのことと理解されていたのではないかと思うよ。
明治の初めは反乱が多かったからね。
じゃこの辺で。ポワ!
37日本@名無史さん:03/07/24 07:23
そもそも天皇機関説は、明治憲法の主権論における通説、
いや定説であったといっていい。
現在の国家公務員一種試験や司法試験の前身にあたるのが
高等文官試験(いわゆる高文)であるが、この高文試験においても
天皇機関説はなんら疑いなく正当性を与えられて通用していた。
皇室を篤く敬愛していた美濃部博士にしてみれば、
DQN陸軍こそ共産主義者のように見えたことだろう。
38日本@名無史さん:03/07/24 07:34
勅諭は文字通り、天皇のお諭し(いい聞かせて納得させること)であって、法律
ではない。いってみれば、軍人心得みたいなもの。一方、統帥権は憲法に明記されて
おり、しかも解釈次第では軍の思い通りのことも可能。そうした、不都合を防ぐ為
にも政府にとって美濃部あるいは一木喜徳郎の理論は有難いはずだったのだが。
実際の統治は輔弼(国務)輔翼(統帥)の制度により、天皇の名であっても実際の
行為は国務大臣(統帥部長)が行い、結果については全責任を負うことが実行されて
いたので、機関説と変らないと思うが。
39日本@名無史さん:03/07/24 07:55
【天皇機関説】美濃部達吉じゃないよ。亮吉。達吉は息子。
40日本@名無史さん:03/07/24 08:06
?????
41日本@名無史さん:03/07/24 08:11
>>39
ネタか?
42日本@名無史さん:03/07/24 10:04
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統率ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム (大日本帝国憲法)
軍部は、12条を盾にとり、政府が軍縮を行うことは統帥権干犯にあたると
主張、兵力量の決定は政府にあるとする美濃部の学説は許せなかった。
軍、ウヨの立場からみれば、一木、美濃部らは旧勢力の御用学者とみえる
わけだが、海軍軍縮条約やそれ以前の陸軍の軍縮に対する怨念が動機か?
43日本@名無史さん:03/07/24 10:14
天皇言うこと聞かん説
44山埼渉:03/07/24 18:24
あまり言われないことだけど、内閣に陸軍大臣と海軍大臣を設けたことも失敗だった。
国防大臣に一本化しておくべきだった。
45日本@名無史さん:03/07/24 20:52
>>44
一本化しておくとどういうメリットが?
フツーに考えると、陸海軍の確執がいっそう深くなるような気がするのでつが。。。
46日本@名無史さん:03/07/24 20:53
最近pinkbbsに投稿されたバイナリ。(画像・動画)
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
47日本@名無史さん:03/07/24 21:05
まあ、ムリでっしゃろ。官僚が自分のポストげ減らす案に賛成するわけがない。
先の戦争末期、陸海軍統合案に反対した海軍の急先鋒は井上成美だった。
48日本@名無史さん:03/07/24 21:29
>>39
ネタでしょ?
そうでなければ勘違い。
49日本@名無史さん:03/07/24 21:36
修学旅行の行きの電車の中で女子がプーと屁をこいた。
すると、その女は突然、隣りに座ってた男子に話しかけた。「ねぇ、お腹の具合でも悪いの?」
その男子は、でかい声で言い返した。「俺の腹の具合が悪いのと、あんたが屁をこくのと、何の関係があるんだ。」
その女子は最悪の修学旅行を迎えたのは言うまでもない。
50日本@名無史さん:03/07/24 21:38
本人の反応ないので、よくわからん。
51日本@名無史さん:03/07/24 21:43
戦後の自衛隊は、戦前の陸海軍がバラバラな統帥で戦力や装備のムダを
生んだことを教訓に米国の統合参謀本部を参考に統合幕僚会議を創設した。
52日本@名無史さん:03/07/24 23:33
>>1
何がしたかったのか?といえば、「憲法学者として普通の学究生活を
送りたかった」のではないかな?
図らずもルソー的全体主義者の上杉慎吉と論争になり(国体論争、
1911年)、負けた上杉の憎悪を買ってしまった。この論争以後、学
会の孤児となった上杉は右翼的な勢力に急接近し、その影響を受け
た連中によって天皇機関説事件が起こされた。ってところじゃない
かな。機関説事件以後、上杉流の「天皇主権説」が日本では絶対的な
学説となってしまった。
ちなみに、大日本帝国憲法には、「主権」という言葉はないので、
上杉の言う「天皇主権説」は全くの誤りだと思うよ。
53日本@名無史さん:03/07/25 09:20
上杉も初めは天皇機関説だったんだよね、ドイツ留学後から主権説に転向し、
穂積八束とともに美濃部を批判。
54日本@名無史さん:03/07/25 09:45
>>52
>ルソー的全体主義
上杉はそうなの?
>06‐09年ドイツに留学,イェリネックの指導を受けた。
>初期には P. ラーバント流の法実証主義と天皇機関説をとったが,留学中に,
>ロマン的に天皇と国家を賛美する国家形而上学へと変化し,主著《帝国憲法》
>(1922)においては,〈連続相関関係〉によって世界をとらえた有機体的社会理論
>に帰依している。
と、あるが。
ルソーとの関連性がわからん。キボンヌ。
55ななーし:03/07/25 11:23
美濃部先生の機関説が大正デモクラシーの基盤のひとつになったという功績は認めたい。
現行憲法の理念・思想を受け入れる素地ができたのではないか?
漏れの大学の政治学の先生いわく(岡山大学の小畑教授〜名古屋大学工学部出身・某ヨットスクールの校長の後輩ですかといったら怒られた。蛇足失礼)
明治時代の憲法学=悪いものをよく運営できるように解釈
現代の憲法学=よいものを悪用できるように解釈
とまあ、おおよそこんな趣旨のことをおっしゃっていた・・・

蛇足ながら、美濃部先生は現憲法への改正には反対されていましたよね?
56日本@名無史さん:03/07/25 12:01
美濃部は最後の帝国議会で、枢密顧問官として熱弁をふるい憲法改正に
猛反対した。
57日本@名無史さん:03/07/25 14:13
美濃部は明治憲法体制下の強烈な体制サポーターなんだけど、軍部やウヨの攻撃を受けた
という1現象だけを見て、アカとか反体制派と勘違いしてるみたいだね(今のdqn)
58_:03/07/25 14:15
59日本@名無史さん:03/07/25 14:32
>>57
彼のアカ息子も、勘違いの一因となってるかもしれない。
60日本@名無史さん:03/07/25 14:36
日本国憲法に対しては〈国体を護持する〉という終戦条件に違反して
いる等の理由で批判的態度

でも、「日本国憲法原論」を1948年に出しているところを見ると、
最後まで反対ではなかったもよう。
できたものを解釈すると言うのが、法学者の性か。
61_:03/07/25 14:41
62日本@名無史さん:03/07/26 14:42
つうか〜菊水作戦の原因つくったのはお上じゃなかったか

「海軍にもう船は残っていないのですか?」
63_:03/07/26 14:42
64日本@名無史さん:03/07/26 15:15
第2艦隊の出撃が急遽決まったのは昭和天皇の一言だったことは定説。
それまで、軍令部でもGFでも大和の参加はまったく想定しておらず、
当時の作戦参謀には寝耳に水の驚きだったとか。菊水1号作戦は、航空
特攻が主体で海上特攻は予定外。事が天皇に絡むため関係者の間でも
口外し難い雰囲気があり、知っていても沈黙していた。
65日本@名無史さん:03/07/26 16:24
2水戦の古村啓蔵司令官が旗艦矢矧に戻り、戦隊の各級指揮官を集めた席で
命令を伝えたところ、駆逐隊司令や各艦長はこぞって激越な言葉で反対を表明した。
いかに無謀な作戦であるかは全員が知っていた。古村司令官の一番近くにいた矢矧
の原艦長には古村司令官の口髭が震えていた(怒りで)のがわかった。
66日本@名無史さん:03/07/26 16:33
>【天皇機関説】美濃部達吉って何がしたかったの?

メカ天皇
67日本@名無史さん:03/07/26 17:48
言わずもがなのことを言っちゃった人。
68>55:03/07/26 20:19
そうです。宮澤先生も改正反対でした。
江藤淳などは、GHQが宮澤先生に
圧力をかけたのではと説明しています。
69日本@名無史さん:03/07/26 20:37
海軍が現状を正しく天皇に教えてないからであって、必ずしも天皇の責任とは言えない。
70日本@名無史さん:03/07/26 20:54
宮澤俊義は美濃部の愛弟子だから、当然か。宮澤は初め明治憲法の手直しで
十分と言ってたのだが。
71日本@名無史さん:03/07/26 20:59
>69
たしかに、宇垣纏は日記の中で総長の責任軽からず、とは書いてるが。
輔翼の任にあたるべきポストに人材がいなかったということか。
72日本@名無史さん:03/07/26 21:09
天皇どころか陸軍にも嘘ばっかり伝えてたんだもん
73日本@名無史さん:03/07/26 21:31
戦前の海軍はフリーメーソンの根城だったしね
74日本@名無史さん:03/07/26 21:43
「海軍に船ないんか」で意地と面子の為に大和ださず、
今後の為に出せません、沖縄は捨石です!
ときっぱり言える人材がいればなあ。

海軍のアホのせいで、どれだけ日本が不利を被ったことか。
75日本@名無史さん:03/07/26 21:55
昭和天皇はそれだけじゃないよ。
10数回は作戦を変えさせている。
・バターン要塞の早期攻撃
・ガダルカナルへの陸軍航空隊の投入
・ソロモン放棄という統帥部の案を空文化させた
・ニューギニアでの航空戦への陸軍の投入

天皇の「航空部隊だけの総攻撃か」は、
「水上部隊は何もしないのか」と叱責されたと言うこと。

宇垣中将「戦藻録」
「(大和特攻は)悲惨なる結果を招き、痛憤復讐の念を抱かしめるほか、なんら得ることのなき
無謀の挙である。
こうなった主因は、軍令総長の奏上の際に、『航空機部隊だけの総攻撃なるや』の
ご下問に対し、海軍の全兵力を使用いたすと奉答したからである」
天皇の言葉を利用した面もあるがね。
しかし、上に立つ者は口に気をつけないとね。
この余計な一言で、3000余命の無駄死に。

沖縄戦で第32軍が守備戦を行おうとしたのを、
無理やり緒戦で突撃させたのは、明らかに天皇の意思。
76日本@名無史さん:03/07/26 22:05
天皇は陸軍にかなり吹き込まれており、梅津が参内して、米国は国体変革を
狙っているので徹底抗戦するしかない、と言ったのを真に受けており
近衛が2月に戦争終結を進言した際も「まだ見込みがあるのだ」と言い近衛の
言を聞かず沖縄決戦に賭けていた。だから、海軍が水上部隊を出さないことが
不満だった。
77日本@名無史さん:03/07/26 22:13
>>75
おいおい、航空部隊には特攻させてるんだぞ、
海軍は戦力があると天皇に去勢を張っているんだから、
天皇は、海軍にもその手助けをして欲しいと望むのは当然だよ。
78日本@名無史さん:03/07/26 22:17
>>76
国体改造したやん。
それも最初は、アジア最貧国にさせるつもりだった。

つか講和を狙うなら、講和条件を良くする為に、その前に大攻勢に出るのは普通の思考。
そして軍事の専門家の陸軍も海軍もまだ行けますと言っているのだから、
そう判断するのが普通。
79日本@名無史さん:03/07/26 22:21
「近衛公伝言覚」(高木惣吉資料5/13)では近衛が木戸の天皇の思し召しは
どうかと聞いたところ、木戸は「これまでは、全面武装解除と責任者の処罰は
絶対に譲れぬ、それをやるようなら最後まで戦うとのお言葉で・・・・陛下の
お気持ちを緩和することに永くかかった次第であるが、最近(5月に入って)
お気持ちが変った。二つの問題もやむを得ぬとのお気持ちに・・・・・」
天皇が終戦終結に傾いてきたのは沖縄決戦が見込みないとわかってから。
80日本@名無史さん:03/07/26 22:22
スレ違いのカキコはやめて本題に戻れや!
81日本@名無史さん:03/07/26 22:30
ま、どっちにせよ、作戦に口を出してたのは最近は左右とも認めてるわけだ。
これだけ証拠が並べば仕方ないね。
ここ数年でだいぶ変わったな。山田氏のしつこい頑張りの成果か?

昭和天皇は、最後は陸軍も海軍も朕が股肱の重臣も全部裏切って見捨てたね。
戦犯追求承諾で、トカゲの尻尾きりだ。
変わり身は天下一品。さすが、天皇家。ビバ!
82日本@名無史さん:03/07/26 22:31
美濃部の若き頃を誰かキボンヌ。
83日本@名無史さん:03/07/26 22:33
  国民思想に及ぼした影響

明治以来の欧米文化の輸入に伴ひ唯物主義個人主義自由主義等の
西洋思想は漸く国民の間に浸潤して次第に時代思潮となり、其の間
隙に乗じて過激なる共産主義思想の跋扈跳梁をも来たし大正昭和に
かけては経済国難・政治国難と共に思想国難の声さへ挙げられた程
国民精神に甚しい弛緩動揺を来してゐたのであるが、国体明徴運動
は一挙に斯る風潮を退潮せしめ国民的自覚を高め國體に対する認識
を新ならしめたと共に満洲事変以来擡頭して来た日本精神を更に一
段と昂揚せしめた。蓋し国体明徴運動は表面は機関説なる自由主義
法学の排撃に瑞を発したものであつたが、其の根底は個人に第一義
的な生命と最高価値とを認め国家社会を以て個人の集合体と見做し、
之を個人の生命、自由、権利等を保障する手段乃至は条件と観察す
る個人主義民主主義自由主義なる西洋思想に対する真に全体的な日
本精神の挑戦に外ならなかつた。問題発生の当初に於ては単なる学
説問題として而も問題にならぬ問題として深い関心を抱かなかつた
程一般智識階級は自由主義的民主主義的に陥ってゐたのであるが、
問題の重大化するに従ひ運動の焦点は閘明され、為政者は勿論一般
国民殊に智識階級を深く内省反省せしめて、国体の本義に醒めしめ
ると同時に現代意識としての日本精神の自覚進展に貢献するところ
が尠くなかつた。
84日本@名無史さん:03/07/26 22:40
>>81
国家元首なのに、作戦行動に(それも国が危機的)無関心ならそれこそ国賊だよ。
85日本@名無史さん:03/07/26 22:42
んで山田某がトンデモなのは、作戦行動に口を出したから、
戦争責任は天皇にあると言っている事。
86日本@名無史さん:03/07/26 22:44
シロウトの生兵法ほど恐ろしいものはない。まして、数千、数万が
犬死するようなヘボ采配!
87日本@名無史さん:03/07/26 22:45
春に暴れてた天皇基地外がまた帰ってきたみたいね。
88日本@名無史さん:03/07/26 22:49
たぶん、今までは天皇は作戦に関して何も知らなかった
陸海軍のロボットだったという、通説に異議を唱えてる?
ところで、その山田とかいう人オレも知らんけど、誰?
89日本@名無史さん:03/07/26 22:51
素人の意見を受け入れるかどうかは、軍部の問題。

強く迫れば、天皇は反対しない事は当然分かっていた。
南進なども、天皇は反対で、叱責もしたが、
決定事項だと言い張り、天皇の反対を押しきったこともあるね。
90日本@名無史さん:03/07/26 22:52
かの赤尾敏大先生も、昭和天皇には責任あるというのだからあるんでないの?
なんたって、宣戦の詔書には天皇の署名捺印(御名御璽)あるんだから。
他人がチンの名前騙ったとは言えないっぺさ。
91日本@名無史さん:03/07/26 22:55
>>88
作戦に関してなにも知らなかったという人は、右左現在過去を問わず誰もいない。
でも反対できなかった、ロボットだという人はいたし、今も当然いるがね。
92日本@名無史さん:03/07/26 23:00
>>88
山田朗。明大教授。江川達也と並ぶ愛知教育大卒の出世頭。
思想はアレ。まあ業績とは関係ないからいいんだけどさ。
93日本@名無史さん:03/07/26 23:02
>>92
あの人の史料集めの実績だけは評価出来る。
右の俺でも。
だが動機と結論はアレだな。
94日本@名無史さん:03/07/26 23:03
そろそろ寝るっぺ。
95日本@名無史さん:03/07/26 23:04
最初から結論ありきだからな
96日本@名無史さん:03/07/26 23:08
>>90
立憲君主国家では、書名捺印があったからといって、
責任があるわけじゃないんだよ。
97日本@名無史さん:03/07/26 23:10
蓑田胸喜は異常に話が長かったそうだ。
で、その長話を最後まで聞くと、ソバをおごってくれるので
貧乏学生がよく聞きに行ってたとか。
最後首吊ったんだっけ?
98日本@名無史さん:03/07/26 23:11
>>85
山田朗を読んでないな?
山田は2つ主題を持っている。
1、軍事作戦にどう昭和天皇が関与してたかを事実で検証
2、戦争責任については、明治憲法が無答責条項を持たずに、
統帥権条項が明記されて流転から導いている。

ちなみに、欧州の立憲君主憲法には、無答責条項が明文化されている。
明治憲法は神聖にして犯すべからず条項があるので無答責条項を書けなかった。

99日本@名無史さん:03/07/26 23:13
>>89
誤解。
10月の御前会議では、消極派だったが、
その後、12月までに積極派に変わっている。
木戸か誰かの日記に、「耳を貸さなくなってきてしまった」と近臣が困っている。
南進積極派に変わった理由は、
ローマ法王やソ連の仲介で短期講和が可能と思い始めた。
さらに、領土拡張は天皇の重要任務の一つと明治天皇を手本とする教育で仕込まれていた。
「火事場泥棒でなく、八紘一宇の精神でやってほしい」と領土拡大を語っている。
100日本@名無史さん:03/07/26 23:15
>>98
戦争責任って何よ?
誰に対する責任?
101日本@名無史さん:03/07/26 23:20
>>99
おいおい適当な引用はやめとけ。ちゃんと原文ひいてこい。
102日本@名無史さん:03/07/26 23:20
>>98
読んでるよ。各国の無答責規定持ち出して、日本には明文かされてないから、
責任が生じるとトンデモ電波飛ばしている。
伊藤の憲法義解などを見ても分かるように、
神聖条項には無答責を含むのは、普遍的な明治憲法の解釈。
私的な憲法解釈して、オナニーしているだけのアフォ。
103日本@名無史さん:03/07/26 23:26
>>101
おいおい、知らんのか?有名な話だぞ。
104日本@名無史さん:03/07/26 23:27
>>99
変わってないよ。
決定後も僕は個人的に反対だったが、
アメリカとは敵対しないというから仕方なく許可したという記録も残っている。
105日本@名無史さん:03/07/26 23:30
>>102
読んだ?
じゃ、天皇が唯一の統帥権保持者明記と無答責不明記の関連わかるやろ。
106日本@名無史さん:03/07/26 23:36
>>105
関連はわかりますが、結論がトンデモだから意味ないです。
神聖条項が無答責を含むのは、起草者も認める周知の事実ですね。
憲法学者の大石も、無答責を認めています。
107日本@名無史さん:03/07/26 23:47
裕仁に戦争責任、敗戦責任のあるのは世界の常識

天皇大権ていうのは憲法以上。裕仁が摂政として統治して以降天皇大権が強化。
帝国憲法にしたって、裕仁の頃は天皇大権が幅をきかせ骨抜き。
裕仁は勇気のない意気地なしのうえ、傲慢。国民はすべて自分のために働くと思っている本当の悪人。
2.26事件の処理は裕仁の単独の裁定で終わったのは周知の事実。
2.26事件の時決起した青年将校は、昭和天皇の鶴の一声により、青年将校たちは、形だけの裁判を受け処刑。
これで裕仁天皇も調子に乗っちゃた。それがアジアの皇帝になりたいに繋がり、軍部の野望と合致し大東亜戦争へ。
たいがいの場合、参謀総長などには皇室出身者が付いてた。
これらの職は、統帥権発動の補佐をするのだから、天皇というより皇室全体の責任が問われるということ。
参謀部や軍令部、所謂天皇を軍事の上において補佐する機関の長は、相当の割合で皇室出身。
責任を天皇ひとりでなく、皇室全体に拡大できることを意味している。
彼の無能により、ポツダム宣言の受諾を遅らせ、多くの日本軍兵士を死に追いやった。
要するに裕仁以外の人間が天皇になっていれば大東亜戦争も敗戦もなかったこもしれない。
今頃、裕仁は血の池地獄でのた打ち回っている。

天皇は、軍部と夢を共有しておりアジアの皇帝になりたかった。
しかしアメリカは日本を準植民地にするために天皇制を残した。
アメリカでよく行われる司法取引みたいなものだな。
「我々の言うことを聞きなさい」そうすれば戦争責任は問わないよとね。
だから、当時の責任問題を有耶無耶にしたし、記録も自分たちの都合のよいように作った。
裕仁は日本の象徴じゃなく、アメリカの植民地としての象徴だ。
他人任せの優柔不断の態度を取られた昭和天皇を、私達は受け入れることはできません。
また、このような歴史を繰り返さないためにも天皇及び皇室は廃止したほうがよいと思うのです。
108日本@名無史さん:03/07/26 23:58
法的責任と政治的責任は違うんじゃねえの?
憲法上の無答責は政治的責任を免除するものではない。
109日本@名無史さん:03/07/26 23:59
山田信者ってみんなこうなの?
110日本@名無史さん:03/07/27 00:04
ハッキリ言える事は・・・
大阪人は、関西叩きも関東叩きもネタにできる。
恐ろしい奴らだ。

十一の奈良漬に、新商品「吟醸奈良漬」が加わりました。
徳島県板野郡産の瓜を厳選し、
灘の吟醸酒の酒粕を使って作り上げた一品です。
まろやかな風味を味わってください。

111日本@名無史さん:03/07/27 00:12
>>108
山田は法的責任 も 問うているからトンデモなの。
政治的な責任に留まらず、道義的な責任も俺もあると思う。
112日本@名無史さん:03/07/27 00:16
政治的責任ていうのは、ある人物に政治的な権限を与えると同時に、
失政に対する答責の義務を科すってことでしょ?
実際、現在の内閣は、国会に対して責任を負うと「明文化」されており、
国民に対して責任を負っうなどということは「明文化」されていない。

で、帝国憲法下での天皇の政治的権限てのは、国民の信任によって発生しているのではなく、
有史以来、天皇が日本を統治してきたという歴史から発生しているわけだから
(実際、帝国憲法は欽定憲法)
心情的にはともか論理的には、国民が天皇に政治的責任を問うことは無理なんじゃないかなぁ?
113112:03/07/27 00:29
けど、戦前と戦後の天皇を比べてみると、
戦前の天皇が保有していた大権(主権)は剥奪されているということに気づく。
なるほど、誰に対する責任追及の結果行われたものかはわからないけど、
天皇単体の問題として考えれば、保有していた政治的権限(大権=主権)が剥奪されたことを以て、
政治的な責任追及が行われたものと理解することが出来るのでは?

加えて、日本国憲法下で認められた国民の権利は、
その全てが天皇に与えられているというわけではない。
(たとえば、天皇には選挙権がない)
こういう、逆の意味での特別扱いも、
天皇に対する責任追及の一環なのではないだろうか、と漏れは思う。
114日本@名無史さん:03/07/27 00:42
日清、日露戦争の責任は明治天皇にあるのですか?
明治天皇の判断のおかげで、勝ち戦をものにできたんですか?
逆に、明治天皇が反対すれば日清戦争も日露戦争も起こらなかったの?
115日本@名無史さん:03/07/27 00:49
>>99 >>103
『木戸幸一日記』昭和15年6月20日
仏印の問題に触れたるが、我国は歴史にあるフリードリッヒ大王や
ナポレオンの様な行動、極端に言えばマキアベリズムの様なことは
したくないね。神代からの御方針である八紘一宇の真精神を
忘れない様にしたいものだね。

『木戸幸一日記』昭和16年2月3日
去る土曜日、両総長、首相より対仏印・泰施策に関し上奏を聞いたが、
自分としては主義として相手の弱りたるに乗じ要求を為すが如き
所謂火事場泥棒式のことは好まないのであるが、今日の世界の大変局
に対処する場合、所謂宋襄の仁を為すが如き結果となっても面白くないので、
あの案は認めて置いたが、実行については慎重を期する必要があると思ふ。

引用は正確に。史学の基礎ですよ。
天皇の八紘一宇に対する解釈と軍部の解釈は違ってたわけなんだけどね。
シナ事変中に「第二の満州国にするつもりではないだろうね」と軍に釘を
さしたりしてるわけだから、昭和天皇に領土拡大の意志はない。
中国には親日政権を樹立したかっただけ。南方もその延長。
これに関する資料もリクエストがあるなら引用してあげるよ。
上の例でも昭和天皇はちゃんと作戦案とその実行を区別している。
軍令に関する基本なんだけど、山田はそういうことは知らないらしい。
116日本@名無史さん:03/07/27 01:37
>>111
俺的には、道義的責任のみ有ると思うが。
117日本@名無史さん:03/07/27 13:01
>>115
普通、その引用の解釈は、
「昭和天皇は領土拡大の意思あり。少なくとも権益権拡大に意欲あり」
なんだが、どんなトンデモ本読むと、そういう結論に達するのか?
参考のために列挙してほしい。

だいたい、満州国成立のカギとなった天皇の統帥権無視の朝鮮越境部隊に、
お褒めの言葉を賜ったのは誰でしたっけw?

なんで「勝てるのか勝てるのか」って何度も聞いてるの?
勝ってどうするの?支配圏広げないの?
勝ったら支配圏を返すの?
そこまで、昭和天皇は馬鹿じゃないだろう。

空想でなく現実の話をしようよ。
南方の親日政権てのは、満州国並みのあやつり政権か日本軍政だったのだが?
中国の汪兆銘親日政権は、独立親日政権と言えますか?言えませんよねw。
インドネシア直轄支配案にも、天皇は賛成したはず。
そして、それらの海軍・陸軍への作戦命令を出せるただ一人の人物は誰だ?

ガダルカナル作戦で山本五十六が大反対したのに実行された無駄な馬鹿作戦命令
の東京の言い訳知ってるよね。
「陛下に取り返すと言ってしまったから」
陛下はガダルカナルを失いたくなかったらしい。
118日本@名無史さん:03/07/27 13:10
>>116
コヴァを動かしてる西部氏も「天皇に道義的責任」と昔は言ってたな。
道義的責任て言うと、退位か出家だな。
当時の価値観で言うと、300数十万人も赤子が死んだんだから道義的責任は、
切腹だな。
近衛の天皇制護持アイディアでは昭和天皇は戦艦大和特攻で死んでほしかったそうだが。
119日本@名無史さん:03/07/27 14:33
満州事変は関東軍の暴走でしたが、敗戦までに行なわれた数々の戦争は、
昭和天皇の允裁によって始められたのです。歴史に「もし」という言葉は
ないというのは百も承知していますが、もし歴史に「もし」があれば、
もし彼が死を掛けて、第二次世界大戦の允裁を押さなければ、150万の
軍人の命、民間人150万〜250万(原爆の後遺症などで死んだ人々を含む)
の命を無駄に散らす事はなかったでしょう。もちろん、朝鮮人、中国人などの近隣諸国の人々の命もです。

百歩譲って、昭和天皇に戦争を始める決定権がなかったとしても、
我々が望んでいる指導者というのは、国民の過ちを諭し、国が危険に
瀕している時は、命を賭して国民を護るという人物です。象徴であるために、
その神聖を軍部に利用されて、国民を路頭に迷わす指導者など我々国民には必要ないのです。

それに、負けると分かった時点で、皇室という存在がポツダム宣言を
速やかに受諾できないという足かせを日本と日本人に嵌めてしまい、
この国を世界で初めて、唯一の原爆被爆国にしてしまった事実は、
人間の社会が続く限り永遠に消えないでしょう。
120日本@名無史さん:03/07/27 14:55
てか昭和天皇は指導者じゃないもん・・・。
121日本@名無史さん:03/07/27 15:00

44年くらいにクーデタでもおこして降伏しておけば・・・
122日本@名無史さん:03/07/27 15:22
戦前の軍に、戦争終結のためにクーデター起こそうなんて気の利いた
軍人なんておまへんがな。仮にいても、他に相談持ちかけただけで天誅。
123日本@名無史さん:03/07/27 16:17
8月15日の未明、戦争を継続させるためにクーデターを起こした
者は近衛師団にいたようだが。。
この場合、中下級士官が師団長に天誅を加えたみたいだ。
124m:03/07/27 16:19
☆こんなに見えちゃってヤバクない??? ☆
 ↓ ↓ ↓
★貴方の見たい娘がイッパイ(^0^)★無修正★
http://endou.kir.jp/akira/linkvp.html
125日本@名無史さん:03/07/27 16:20
満州事変をおこした関東軍は怪しからん、
朕自ら近衛師団を率いて討伐する。

と、満州まで天皇が親征に出向いたら面白かったな。
そうなったら、軍は天皇をどうしたのだろう??
126日本@名無史さん:03/07/27 16:25
>>125
その設定で火葬戦記を書いてもらおう。

127日本@名無史さん:03/07/27 16:38
天皇は、即、座敷郎ですがな。
128日本@名無史さん:03/07/27 17:54
2.26事件で処刑された磯部浅一の手記(獄中から密かに持ち出された)
元老も重臣も国民も軍隊も警察も監獄も、天皇機関説ならざるはない。昭和日本は
漸く天皇機関説時代に迄進化した。・・・・・。
129日本@名無史さん:03/07/27 21:18
美濃部達吉を法匪と罵った菊池武夫の方こそ、最大のDQN。
香具師が貴族院で美濃部学説を批判した事が、天皇機関説事件の
始まり。

結果として、美濃部達吉は貴族院議員を辞職した上に、美濃部の
書籍も発行禁止処分。

通説として通用していた学説を、国家権力踏みにじった大日本帝国は
集団発狂したも同然。

この基地害国家体制が敗戦で崩壊した事は実に結構なことですな。
130おすすめ:03/07/27 21:18
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131日本@名無史さん:03/07/27 21:22
菊池武夫男爵は南朝の忠臣の末裔だからねえ。
132日本@名無史さん:03/07/27 21:45
菊地武夫は例の浜口雄幸を撃った佐郷屋留雄の特別弁護をかってでた
戯け元将官。
133m:03/07/27 21:46
  腿  \_  |   _/
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          ミミミミ クリトリス ★オナニー共和国です★
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134日本@名無史さん:03/07/27 21:49
菊池氏
肥後の豪族。中関白道隆の子大宰権帥藤原隆家の子孫と伝えられてきたが,
先年,刀伊入寇の際に隆家とともに奮戦した大宰府官藤原政則の子孫で
あると判明した。肥後北部菊池郡を本拠とし,やがて代々肥後守。
鎌倉末,武時は,後醍醐天皇の命を受けて鎮西探題北条英時を攻めて討死。
武時の子孫は,南北朝期,いずれも南朝方に立って征西将軍宮を奉じ,
九州宮方勢力の中心となる。とくに,そのうち肥後国守・守護を兼帯した
武光の軍事力は大きく,南北朝中期,九州宮方―征西府の隆盛を招いた。
しかし,九州探題今川貞世の下向によって,その勢力は急速に減退し,
両朝合一後は本拠菊池にしぼんだ。以後,家運衰退の一途をたどり,
しばらくは本拠にあって学芸面に励んだが,戦国期大友氏に攻められて
討死し,菊池氏の正統は断絶した。ただ菊池能運の子重為が日向米良に
逃れて米良氏を称し,やがてこの子孫が菊池氏に復し,明治に至り華族
となる。
135日本@名無史さん:03/07/27 23:03
アメリカの身勝手な圧力によって、
塗炭の苦しみに喘ぐ日本国民のために日本は戦争したんですよ?
戦争しなかったら、軍人・民間人の命が無駄に失われることもなかった
なんて、幸せすぎる脳みそじゃないですか。
戦争で人が死ぬのは悪くて、日本の産業が壊滅するのは良いんですか?

あまつさえ、その責任を天皇にとらせようなんて、本当に日本国民か?

敗戦の呪縛は恐ろしいな。日清・日露の戦勝の呪縛より強いかもしれん。
自己批判を装った自己欺瞞を50年以上続けるハメになるとは誰も思わなかっただろう。
136日本@名無史さん:03/07/28 01:10
>>117
115さんは普通の解釈だと思われ。
ちみの解釈の方がトンデモ、
というか本人の意思を明らかに曲解している。
彼が自分が反対だったのに、軍部の要請に抗し切れなかったのを愚痴っていたのも記録されている。
決定事項を元首が正当化する発言と、決定に対する彼の考えの違いもわかってない様だね。
137日本@名無史さん:03/07/28 09:15
>>135
間違い。開戦直前まで英米側との貿易が日本の利益の中心。
世界恐慌の余波を日本はかなりすぐに脱出していた。
産業壊滅の根拠はない。物資不足は中国戦線拡大のせい。
開戦を避ければ、欧州戦争特需でさらに景気向上。
138日本@名無史さん:03/07/28 09:22
>>136
昭和天皇が領土や権益の拡大の意思がなかったってトンデモ本の
紹介を早くするべし。

10月過ぎに、昭和天皇は開戦賛成派になっていきましたが、何か?
139_:03/07/28 09:30
140日本@名無史さん:03/07/28 09:46
>135
日本国民が途端の苦しみ喘いだのは、支那事変のため物資の多くが軍需品に
回ったから。38(s13)の物動計画は輸入可能量は30億円(先年38億円)と
大幅に落ち込んだが、軍需関連物資を優先させたため民需関連物資の輸入が
減ったため。理由は、原綿の輸入を減らしたので綿製品の生産が落ち輸出が
減少、外貨獲得が困難になったから、この傾向はこの後加速する。
141日本@名無史さん:03/07/28 10:00
A級戦犯(首相)にも罪はない、天皇にも責任はない。では、一体、誰に責任が
あるんじゃ!大日本帝国という無機物が勝手に戦始めたたとでも言いたいのか?
国家法人説(機関説)ならば、国家意思を決定した内閣の責任者にあり、否(天皇
主権説)ならば天皇に責任があるはずだが、どちらにもないとは言えないはずだが。
しかも、面白いことに、天皇主権を主張するヤシに天皇無答責を言い張るのが多い。
142日本@名無史さん:03/07/28 10:14
ポツダム条項の戦争犯罪人追求を日本は受け入れて戦争をやめてもらった。
日本内部では、一部の右翼政治家・陸軍に責任を押し付けて逃げ切ろうとした。
マッカッサーの思惑と天皇側近と英米協調派の思惑が一致し、
吉田茂だっけ?「この敗戦はまたとない好機」と喜び、軍国派をつぶしにかかった。
この日米共同作業が東京裁判だね。
再独立のために必要な儀式だったから、講和条約に向けて、日本政府は
わりと協力してるね。みんなから嫌われてたんだね、特に陸軍系。
143日本@名無史さん:03/07/28 10:27
>>141
責任は日本を追い詰めて開戦に追い込んだアメリカにある。
・・・と思ってる売国奴もいるんだろうな。鬱だ。
144141:03/07/28 10:45
追い詰めたのは日本自ら、自分で自分の首を締めたと140でカキコしたが。
145_:03/07/28 10:45
146141:03/07/28 10:49
143の論理を勘違いした。スマソ
147日本@名無史さん:03/07/28 11:05
140のサイクルと逆のことをやって成功したのが、戦後の経済成長。
少ない資源(資金)を経済1本にしぼって外貨を稼いだ。
148_:03/07/28 11:11
149日本@名無史さん:03/07/28 11:13
>>138
115は俺じゃないが、国益の増大を望むのは政治家としては誰でも一緒。
小日本主義の石橋とて、その方が国益に叶うと判断しただけだ。
(彼の著著よめば分かるだろうが、経済的な利益が出ると判断している)
そして天皇は
欧米との協調>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>南進
と判断したのは(国益になる)複数の彼の発言にてわかるね。
そして彼が軍部の決定に従ったのは事実だね。
>>141
あんた立憲君主国というものを少し調べたら?
主権者が責任をとるわけじゃないんだよ。
150日本@名無史さん:03/07/28 11:22
主権者とは誰を指してるの?定義を先ずハッキリさせてほしい。
立憲君主国では責任者不在という意味?   →149
151141:03/07/28 11:34
繰り返しになってしまうが国家が法人であるならば国家意思を決定する
内閣に責任が生ずる(死刑に相当するかどかは別問題)。だから、形式上の
元首には責任はない。(これは立憲君主制のことだが)。だが、昨今の右派
の論法は、開戦時の首相にも元首にも責任がないという主張が見られる。
これがおかしいと言っているつもりだが。どちらかに責任がないはずがない。
152日本@名無史さん:03/07/28 11:41
>>150
戦前の日本には存在しない、あえて存在すると仮定しても、
大臣が責任を負うと考えられる。
153日本@名無史さん:03/07/28 11:53
同じような意味合いの言葉を、夫々自分の好みで使ってるから混乱が生じてるが
国家法人説=天皇機関説で立憲君主制も実質的には、ほぼ国家法人説と
同じと思うのだが、言葉に拒絶反応を起こす椰子が多いので・・・。
154日本@名無史さん:03/07/28 12:57
>>132
菊池武夫は単なる基地害。
美濃部達吉は優秀な憲法学者。

美濃部達吉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>菊池武夫
155日本@名無史さん:03/07/28 14:29
菊池武夫や軍部の主張する如く天皇に大権があるのであれば、国の行為は
成功も失敗もすべて天皇に帰すわけで敗戦などの事態が生じた場合、天皇の
責任は免れることはできない。菊池は自分では忠臣のつもりかもしれないが
こうした結果も予想できないアポ〜。天皇主権説で一番迷惑するのは天皇。
だが、菊池も退役軍人として軍部のお先棒担いだだけだろう。現に、その後、
軍は天皇に実権渡した形跡はない。菊池は統帥権干犯騒ぎの佐郷屋の弁護して
おり超DQN。単細胞軍人には法理論が理解できない面もあったかも。
156日本@名無史さん:03/07/28 15:38
美濃部達吉が新憲法に反対し明治憲法の存続を主張したのをもって
オールドリベラリストの限界と評する者もいるが、明治初年に生を受け
その教育を受けた人間には現代人には理解できない心情もあるわけで。
157日本@名無史さん:03/07/28 16:30
>>156
それだけではないよ。大日本帝国憲法を、美濃部学説=天皇機関説
の通りに解釈すれば、新憲法を作らなくても、日本国を民主主義的に
運営する事が可能だったから。

結局、菊池を始めとするスーパーDQN達が、美濃部学説を葬り去った
時点で、大日本帝国憲法も一緒に死んだのさ。
158日本@名無史さん:03/07/28 16:56
達吉は欧州留学から帰国後、明治35年には東京帝大教授、大正元年には
機関説に基づく「憲法講話」を刊行している。当時の東大法学部は現在以上
に官僚養成校としての性格が強く、美濃部の機関説はいわば国家公認の理論
であり、ここで講義を受けた官僚は機関説を基に国を運営していたのだ。
159日本@名無史さん:03/07/28 17:38
美濃部は「憲法撮要」以外にも、海軍軍縮条約で統帥権干犯が騒がれたs5年、
帝大新聞紙上(4/21)で、「海軍条約成立と帷幄上奏、軍部の越権行為を難ず」
と題して、「軍統帥の大権は軍編成の大権と区別しなければならぬ。陸海軍の
編成を定むること、ことにその大体の勢力を如何なる程度に定むべきかは、国の
外交および財政に密接の関係を有する事柄であって、それはもとより国の政務に
属し、内閣のみがその輔弼の任に当たるべきものであり、帷幄の大権によって決せ
られるべき事柄ではない」と書いた。また、s9年には雑誌に「陸軍パンフレツト」を
批判する論文を発表した。これらが軍部の逆鱗に触れて翌年の菊池に始まる軍部の
攻撃が始まったのだろう。機関説は口実で本当の狙いは美濃部理論の抹殺。
160日本@名無史さん:03/07/28 18:07
>>159
つまり軍艦の増強・縮小等は、海軍省、大蔵省、外務省等の内閣に
輔弼責任があるから、浜口内閣がロンドン海軍軍縮条約に調印した
事は、統帥権の干犯では無いという解釈だよね。

軍令部と違って、海軍省は内閣を構成する省の一つだから、輔弼責任は
内閣にあるっと言う、ごく当たり前の憲法解釈を美濃部はした訳だ。
それに激怒・発狂した連中こそ、日本を敗戦への道へ引きづり込んだ
大馬鹿野郎って事だワナ。
161日本@名無史さん:03/07/28 21:54
…と誰かに全責任をなすりつけるようなことは慎みましょう。
162日本@名無史さん:03/07/29 00:31
>>141
> しかも、面白いことに、天皇主権を主張するヤシに天皇無答責を言い張るのが多い。

「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」ってことでしょ。
大変偉いし、決して悪くない(w
163名無しさん@ピンキー:03/07/29 01:17
親父は偉大だったが、息子の亮吉は・・・・
164日本@名無史さん:03/07/29 01:18
>>163
息子の話はするな。スレが虚しくなる。。。
165日本@名無史さん:03/07/29 01:27
親子でこうも思想が違うと・・・
166日本@名無史さん:03/07/29 01:30
黒田了一が死んだらしい
167日本@名無史さん:03/07/29 01:40
>>166
死んだらしい、じゃないだろ。
168日本@名無史さん:03/07/29 01:44
169日本@名無史さん:03/08/01 20:28
>>161
しかし国体明徴運動なる馬鹿げた運動まで起こして、天皇機関説を葬った
香具師らには責任があるけどな。
香具師らが天皇機関説を潰さなければ、大日本帝国憲法は残った可能性
さえあった訳だから。

香具師らは天皇機関説と共に、大日本帝国憲法も一緒に葬った訳だ。
責任の所在を明らかにしないと、それこそ丸山眞男があざ笑ったように
日本は「無責任の体系」によって成り立った国家だと言う事になってしまう罠。
170山崎 渉:03/08/02 01:05
(^^)
171日本@名無史さん:03/08/02 04:46
美濃部は議会の釈明の場で機関説攻撃を痛烈に批判している「一身上の弁明」
「学問を批判する者は、その学問に対して相当の造詣が深くなくてはならぬ、だが、
菊池議員は憲法学を学んだことがあるのだろうか、また深く吟味したのであろうか?
そうは思えない、私の学説の片言隻句をとらえて批判してだけではないか?私が
何の知識もない軍学を聞きかじりで批判したら菊池議員はどう思うだろうか・・・」
正確ではないが大体以上のような内容。サイトでみれると思う。
172日本@名無史さん:03/08/02 06:36
美濃部達吉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>菊池武夫>1

ということでしょうか。
173日本@名無史さん:03/08/02 06:39
>171
まあ、2ちゃんねらーも相当の造詣も吟味も無しにサヨ批判してる者が多いからねぇ。
菊池武夫=2ちゃんねらー>1
174日本@名無史さん:03/08/02 07:02
たしかに2ちゃんねらー、他人のカキコの言葉尻捉えて、少しでも間違いがあると
本筋の方は置き去りにして瑣末な事項を執拗に攻め立てる。
狂気と呼ばれた、蓑田胸喜(ウヨ理論家)もそうだったらしい。
175日本@名無史さん:03/08/02 07:19
右左関係ないよ
176日本@名無史さん:03/08/05 01:30
>>54
遅レスでスマンが、上杉はドイツ留学中にルソーの研究に熱中したそうだ。

孫引きばっかりになるが、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』によると、
上杉は若いときに
「(帝国)憲法は革命の理想の発現なり。この理想を発現せんがためには
ルソーなるべからず・・・目前に迫りつつある第二の大世変をばく視して・・・」
云々と書いている。(「法律学の基礎たる思想」)

また、長尾龍一『日本憲法思想史』によると、
「ルソウは『自然に還れ』と云ふより出発した。其の最初の論文に於て、
文明が人類を不幸悪徳に陥れたるものなることを狂呼して、国家国法を
熱罵し、文明学問を呪詛して居る。・・・ルソウの、人は自由に生れたり、
而かも到る処鉄鎖に繋がれたりと云ふの、人心の急所に中れるは想像
するに余りあるのである」
と上杉の『帝国憲法』(1922)にあるそうだ。
憲法の教科書で「国家国法を熱罵し、文明学問を呪詛して居る」ような人物
を称賛するのは正気の沙汰ではないと漏れは思うが。

また、中川先生の本によると、上杉のドイツ留学中の師イェリネックがそもそも
ルソー教徒なのだそうだ。詳しくは知らんがな。
177日本@名無史さん:03/08/05 11:31
ルソーはフランス語圏以外で、翻訳されたのは、
日本とドイツだけだそうだ。

世界史で実はメジャーではないのかもしれない。
178 :03/08/05 11:41
それほんとか?
ハンナ・アレントは『人間の条件』の中で確かルソーを
「ジャンジャックというファーストネームで今も呼ばれる哲学者」
みたいなことを書いていたぞ
アレントはもともとドイツ育ちだが『人間の条件』はもともと英語で出版
されてるから、英語圏の人がまったく知らなければこんな書き方はしないと思うが
179日本@名無史さん:03/08/05 16:24
>>178
失礼。確認したら、「ルソー全集の翻訳はドイツと日本だけ」だった。

フランス語文化圏以外のところで全集が出版されたのは日本だけである(全16冊)。
ルソーの思想が体系として好意的に読まれた外部の文化圏としては,ほかにドイツ
がある。ここではカントやヘーゲルのような大思想家が,ルソーの思想を体系
として吸収した。
どうして日本とドイツなのか,それは答がまだ出ていない問題である。

文責は作田啓一氏。
180176:03/08/05 18:30
>>179
日本とドイツか・・・わかるような気がするがな。
誰か上手に説明してくれや。

もう一つネタ振っとく。美濃部のバカ息子の亮吉の回想な。

「父の憲法学説にもっとも深い影響を及ぼしたのは、ハイデルベルグ
大学の教授であったイェルネックであった。父はイェルネックの『人権
宣言論』を翻訳して出版している。この本の序文を見ると、イェルネック
教授を大いに尊敬してはいるが、ドイツでは同教授の講義をきくことは
しなかったと書いてある。もっとも尊敬するイェルネック教授の講義さえ
きかなかったのだから、あちらの大学に入学して、講義をまじめにきいて
勉強するなどということは一切しなかったにちがいない。」
(『読本 憲法の100年 2 憲法の受難』より)

美濃部
明治32年ドイツに留学。イェリネックを尊敬するも、講義は聴かず。
夏目漱石のイギリス留学と似たようなもんか。

上杉
明治39年ドイツに留学。イェリネックに師事し、イェリネック家に下宿。

イェリネックがルソー教徒だとすると、ルソーの狂気の思想の影響を
美濃部は受けずにすんだが、上杉はもろに受けてしまったのではないかな。
      



181日本@名無史さん:03/08/06 13:54
ルソーってなんかやばいの?
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
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iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
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185日本@名無史さん:03/08/09 20:33
ヒロヒトラーに戦争責任、敗戦責任のあるのは世界の常識

天皇大権ていうのは憲法以上。裕仁が摂政として統治して以降天皇大権が強化。
帝国憲法にしたって、裕仁の頃は天皇大権が幅をきかせ骨抜き。
裕仁は勇気のない意気地なしのうえ、傲慢。国民はすべて自分のために働くと思っている本当の悪人。
2.26事件の処理は裕仁の単独の裁定で終わったのは周知の事実。
2.26事件の時決起した青年将校は、昭和天皇の鶴の一声により、青年将校たちは、形だけの裁判を受け処刑。
これで裕仁天皇も調子に乗っちゃた。それがアジアの皇帝になりたいに繋がり、軍部の野望と合致し大東亜戦争へ。
たいがいの場合、参謀総長などには皇室出身者が付いてた。
これらの職は、統帥権発動の補佐をするのだから、天皇というより皇室全体の責任が問われるということ。
参謀部や軍令部、所謂天皇を軍事の上において補佐する機関の長は、相当の割合で皇室出身。
責任を天皇ひとりでなく、皇室全体に拡大できることを意味している。
彼の無能により、ポツダム宣言の受諾を遅らせ、多くの日本軍兵士を死に追いやった。
要するに裕仁以外の人間が天皇になっていれば大東亜戦争も敗戦もなかったこもしれない。
今頃、裕仁は血の池地獄でのた打ち回っている。

天皇は、軍部と夢を共有しておりアジアの皇帝になりたかった。
しかしアメリカは日本を準植民地にするために天皇制を残した。
アメリカでよく行われる司法取引みたいなものだな。
「我々の言うことを聞きなさい」そうすれば戦争責任は問わないよとね。
だから、当時の責任問題を有耶無耶にしたし、記録も自分たちの都合のよいように作った。
裕仁は日本の象徴じゃなく、アメリカの植民地としての象徴だ。
他人任せの優柔不断の態度を取られた昭和天皇を、私達は受け入れることはできません。
また、このような歴史を繰り返さないためにも天皇及び皇室は廃止したほうがよいと思うのです。
186日本@名無史さん:03/08/09 21:16
>>185
禿しくスレ違い
187日本@名無史さん:03/08/09 21:35
明治天皇即位式の日、紫宸殿の庭に巨大な地球儀が置かれ、睦仁は
その地球儀に先ず右足、ついで左足と三度足を乗せた。これからも
大日本帝国の方向性が何となく見えてくるわな。
188日本@名無史さん:03/08/09 21:44
じゃ、おれも美濃部亮吉の回想から。「取り調べの戸沢重雄検事は
思想犯罪のヴェテランであり、取り調べでは局内切っての敏腕家・・・。
しかし、皮肉なことには、彼もまた父の弟子であり、機関説を勉強し
父の試験を受けて司法官に就任したのである。・・・普通、被告に対して
使われる「お前」という言葉は使わず「博士」と呼んだ・・・・・」
189日本@名無史さん:03/08/09 22:44
>>186
馬鹿 お前は心の小さな人間だ お前はアホか あなたは人に嫌われるでしょう。かわいそうな人だ
君に意見なんて聞いていない 公式記録は何処でも権力者の都合のいいように書かれている
記録なんて都合のいいように書かれているんだ 俺は天皇反対の資料は信じるけど、擁護派の資料は信用しない
資料よりも自分の発想と意見で勝負しな 俺の意見はバランスが取れてるよ。君たちが偏った考え方をしているだけ
字を間違ったら彼に迷惑が掛かるとでも言うのか。ふざけるんじゃない 少なくとも君たちより俺の方が歴史に造詣が深い
人が書いた資料を引っ張り出してくるんじゃなく、長い文章を書け 俺はお前たちにバカにされる人間じゃない 
対面で話しているんだったら、俺に対して間違ってもそいう言葉を吐けない 掲示板だからそんな勇ましいことが言える 
インターネットという誰が発信したか特定しにくい媒体が、多くの人々に真実を伝え続けるだろう
資料の提示必要なし。戦前の資料自体信用できない。改ざんされた恐れがある 俺より君の方が天皇教信者じゃないのか
君の意見はこじつけで無理がある 俺はどちらかと言えばある意味じゃ無宗教だし、他人が作った宗教など信じない
何を蛸言ってるの 史料を自分の言葉に書き換えろ 尻の穴が小さいと思われるぞ なぜ史料に固執するのだろうね
右翼まるだしの低脳史料を持ち出しやがって 揚げ足ばっかり取りやがって。最低の奴らだ なに蛸いってるんだ
俺は政治トピで最近売り出し中 貴様らには負けるか 好きなことを書けばいい 政治トピじゃ結構受けてるんだがな
いちゃもんを付けているだけじゃないか 文章なんて読んでいない
お前のような、合理的なオツムを持っていない右翼じゃなく、バランスの取れた思考をするニタさん達は俺を認めている
190日本@名無史さん:03/08/09 22:45
>>186
権力者の都合のよいことばかりしか書かれていない そんなことを書いていると鬼に笑われるぞ
俺の文章を読んで妄想と言うんだから、目が三角か四角形なんだろうよ
君たちだって俺がなにを言おうと受け入れないじゃないか。これは根本にある考え方の違いなんだ
俺に精進しろという前に自分で精進しろ。このうすら馬鹿 私はこのタイプの人間たちが嫌い
こいつら学校時代、絶対にいじめっ子だったと思いますよ。それか、いじめられ子 右翼マフィアども お前たちの意見を書き込め
お前はキューバのハバナにあるマソウラ(精神病院)へ行け お前はアホか 貴様らが挑発するからそうなった
俺が書いていることに矛盾はない 恥ずかしい文章でもなんでもない 馬鹿なやつらだ 読んでみたけど、全然可笑しくない
ほとんど病気 こんだけ非難を浴びるということは、俺の意見が強烈で的を得ているということ
このトピに来てる連中は程度が低いし、陰湿で病的 こいつらみたいには絶対になりたくないよ。吐き気がする
ふざけるな。トイレットペーパーよ 何処にオツムをつけているんだ ここは俺のトピだ。お主にとやかく言われる筋合いはない
俺の中には、ちゃんと残っている 史料、史料と煩い連中ですよ。ちょっと病的だ 右翼団体で洗脳するような内容
ひできさんがあまり完璧な文章を書くもんだから 奴らは負けた 訂正するのはめんどくさい ひでさん。ありがとう
君の主張はこじつけだらけだ 結局、彼らは歪曲した考え方に固執して、バランスがない 個人的な攻撃をされたのは、私
私も汚いない言葉を慎もうと思います そんなに石頭じゃダメだ 君たちは狭量な人間だ このトピは、石頭がいる
もうひとり変なのが来た お主には、招待状を出していない お主は嘘つきだ お主は右翼じゃん 人間が狭量だよな
191日本@名無史さん:03/08/09 22:50
??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
192日本@名無史さん:03/08/09 23:34
猪瀬直樹によれば、美濃部達吉は体制派(大日本帝国)のイデオローグ)。
193日本@名無史さん:03/08/09 23:54
先生!縦読みできません!
194山崎 渉:03/08/15 13:36
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
195日本@名無史さん:03/08/17 17:41
>>187
それはデマ。
確かに地球儀を置いたらしいが、
天皇と地球儀の位置関係から物理的に無理だという結論が出てた。
196日本@名無史さん:03/08/17 21:23
>>192
「体制派のイデオローグ」というからには、当然「反体制派」が想定されているのだろう。
猪瀬直樹が誰(又はどんな集団)を「反体制派」と考えているのか、興味あるな。
「体制派(大日本帝国)」だけじゃいまいちわからん。
197日本@名無史さん:03/08/17 21:59
軍の要求に屈し、岡田内閣が「国体明徴に関する声明」を出した時点で
機関説は公式に否定され日本は天皇大権国家になったはず。だから、
この後の大日本帝国の行為は天皇の意思ということになる。ちなみに
声明の内容、「恭しくおもんみるに、我が国体は、天孫降臨の際、下し
賜える御神勅により明示さらるる所にして、万世一系の天皇、国を統治
し給い、・・・・・すなわち大日本帝国統治の大権は厳として、天皇に
存すること明かなり。もしそれ統治権が、天皇に存せずして天皇はこれを
行使するための機関なりとなすが如きは、これ全く万邦無比なる国体を・・・」
これが政府の公式見解である以上、立憲君主制は否定されているはず。
198日本@名無史さん:03/08/17 22:02
ということは天皇の独断で開戦を阻止することも出来たはずなのに
199日本@名無史さん:03/08/17 22:08
阻止せず開戦に到ったということは天皇が開戦望んだことになる。
200日本@名無史さん:03/08/17 22:13
天皇機関説が政府によって否定されたからといって、立憲君主制が
否定されたことにはならないと思います。
大日本帝国憲法が廃止されたわけではないのだから、天皇無答責の原則も
大臣補弼制も生きています。
政府が公式見解で立憲君主制を否定するなんてあり得ないと思います。
それは政府自らの存在意義の否定につながりかねませんから。
201日本@名無史さん:03/08/17 22:46
敗戦がなかったら天皇大権説はそのまままかり通っただろう。敗戦により
天皇責任問題が浮上し、これを避けるためには天皇機関説の存在に脚光を
当てて日本ではこうした議論が存在すますただ実は立憲君主国で御座いと
連合国にアピールする必要があった。
202日本@名無史さん:03/08/17 23:10
戦前の資料のなかでも「立憲的にやる」という言葉はいくらでもでてくるよ。
戦後に急ごしらえでつくったいいわけではないんだな、これが。
203日本@名無史さん:03/08/17 23:39

というわけで、>>197
「国体明徴声明が出た時点で日本は天皇大権国家(プに変身した」
というのは全くの誤りです。
204日本@名無史さん:03/08/17 23:50
機関説問題が騒がれるまでは立憲という言葉は使われた。だが、昭和10年、2月と
3月に国体明徴声明を出し美濃部は起訴され不起訴となったものの貴族院議員も
辞職、名誉を剥奪された。これ以降機関説を唱えることは社会的死を意味した。
205日本@名無史さん:03/08/18 01:06
立憲という言葉は、むしろ戦前のほうが沢山使われておったわけだが。
206日本@名無史さん:03/08/18 01:14
憲法起草者たちと美濃部の違いについては、次のウヨ的ページ参照。
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/meiji-kenpou.html
これは八木のいうとおり。憲法起草者と美濃部は違うのよ。

ちなみに「憲法起草者たちも実は機関説論者」という説を最初に言い始めたのは家永三郎。
207日本@名無史さん:03/08/18 01:19
「国体明徴声明が出た時点で天皇は現人神に変身した」というのが正しいかろう。
「国家総動員法が成立した時点で日本は天皇大権国家に変身した」というのも正しいだろう。
この場合の天皇大権は行政権の意味だけど。
208日本@名無史さん:03/08/18 01:27
「国家総動員法が成立した時点で日本は行政権国家に変身した」!
すごい!かっこいい!
209日本@名無史さん:03/08/18 01:31
ちょっとまて、日本は敗戦までずっと立憲君主制国家だぞ、つか今でもそうだ。
鈴木にしても、立憲君主制を堅持すると言っている。

そもそも戦時下の話を憲法解釈に加えるべきではない。
んなもの入れていたら、イギリスだって、
非常大権によってなんでも出来る、国王大権国家だ。
210日本@名無史さん:03/08/18 02:09
>>209
正論と思います。

夏休みでここ見てる良い子のみなさんは>>197-199>>201>>207
みたいなデムパに騙されてはいけません。
え?そんな馬鹿いないって?こりゃ失礼。
211日本@名無史さん:03/08/18 02:18
今も立憲君主制?
おいおい、天皇は象徴であって元首ではない。
212日本@名無史さん:03/08/18 09:32
機関説排撃運動が起るまは日本は国家法人説(立憲君主制)で運営されていた。
だが、政府自らが国家法人説(天皇機関説)を否定した以上、実質はともあれ
名目的には天皇大権国家になったということ。なお、国体明徴声明が出された
のは戦時中ではない。日中戦争以前のはず。
213日本@名無史さん:03/08/18 09:48
1935年かな。日中戦争前ですね。

>当時の国体明徴説の捉え方
第1次,第2次の国体明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,
この学説の排除を決定した。
国体明徴運動はこれによって終息したが,政府はさらに11月,文相を会長
とする教学刷新評議会を設置,その答申に基づいて,37年5月,文部省は
《国体の本義》を刊行した。
同書は自由主義,民主主義の基礎としての個人主義を排撃し,
日本は皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であるとして,
天皇に〈絶対随順〉〈没我帰一〉すること,
おのおのの分を守りながら和を実現していくことが,
日本国民のあるべき姿だと説いているが,
〈国体明徴〉とは結局,このようなイデオロギーを国民に強制していく
ことにほかならなかった。 
214日本@名無史さん:03/08/18 09:50
>>209
>>210
デムパ。キターーーーーーーー!!
215日本@名無史さん:03/08/18 22:03
名目的にはずっと天皇大権国家なんだがな。
もちろん天皇大権は議会協賛と大臣輔弼により制限されてる。
216日本@名無史さん:03/08/18 22:04
>>211
政府の公式見解では今も立憲君主国。
217日本@名無史さん:03/08/18 22:06
>>216
韓国政府の公式見解ですか?
218日本@名無史さん:03/08/18 22:16
天皇が象徴としてでもいる以上、日本国は立憲君主国だろう。
というか、定説は決まってない、と言うべきか。

ただ、なんとしても共和制的な側面を強調したい香具師は、それは自分の願望
だろうと…
219日本@名無史さん:03/08/18 22:33
>>218
そうね、定説は出てないね。
ただいえるのは旧憲法と新憲法での主権と立憲君主の位置づけは、
ほぼ180度変わったと言うこと。

「大日本帝国憲法は天皇主権をうたい,立法権,司法権の及ばない大権の
領域が広く残されていた。
戦後,多くの国々で君主制が廃され,日本においても主権在民が成立し
たが,天皇は統合の象徴として世襲制を維持し,種々の儀礼的権能を有
しており,政治の世界におけるその機能については,なお多くの議論が
ある」
220日本@名無史さん:03/08/18 22:35
ま、中途半端で曖昧な日本人らしい国家体制だな(w
221日本@名無史さん:03/08/18 22:36
玉虫色の決着ですか・・・
222日本@名無史さん:03/08/18 23:10
伊藤博文が「立憲政友会」を作った時、将来、この政党が「憲政の常道」と
称して「政党内閣」を組織するということを想像していただろうか?

大正デモクラシーは「大日本帝国憲法を守れ!」という護憲運動だったこと
を忘れてはならないでしょう。

223日本@名無史さん:03/08/18 23:12
ここいらでもう一度
「天皇機関説」のわかりやすい説明を希望。
224日本@名無史さん:03/08/18 23:28
サイトで探せよ。
225日本@名無史さん:03/08/18 23:50
>223
国家は法人であり、天皇は法人たる国家の一機関
226日本@名無史さん:03/08/19 00:00
>護憲運動
民衆運動を背景とした政党の藩閥官僚政治打破,立憲政治確立の運動。

護憲てのは、大日本帝国憲法を守れと言うよりも、
藩閥や超然内閣の打破のための武器だね。
大日本帝国憲法による詔勅政策の批判なんかもしているしね。

227日本@名無史さん:03/08/19 00:03
>大正デモクラシー
この中心をなすのは『明治憲法体制の改革をめざす政治運動』で,その
一貫した担い手は都市中間層であるが,第1次大戦前では非特権資本家
(非財閥系資本家)層,戦後では都市・農村の無産階級を加える。

有力な指導理念は民本主義で,その唱道者としては吉野作造が著名である。
しかし,戦後,社会主義とくに政治否定のアナルコ・サンディカリスム
(サンディカリスム)が無産階級の先進的部分をとらえると,運動に分裂と
動揺が生まれた。

運動の帰結は大正末年の加藤高明内閣の諸改革であるが,普通選挙制は
実現したものの,言論・集会・結社の自由の制度的保障は獲得されず,逆
に治安維持法により新しい規制が加えられた。

また議会を拘束する枢密院,貴族院,軍部などの諸機関の権限にも変更
は加えられなかった。
このことが大正デモクラシーの産物としての政党政治体制の基礎をいち
じるしく薄弱なものとした。
228日本@名無史さん:03/08/19 00:03
>226
そう。大日本帝国憲法を(制憲者意思とは別に)逆手にとって、
民衆の側に読み込んでしまうという。
そこまで出来るんだから、美濃部が戦後、改憲の必要なしと言うのも
わかる。
229日本@名無史さん:03/08/19 00:08
陸海軍大臣も文官で可、となってたらよかったのに。
加藤友三郎が華府行ってる時に、原敬が代理してない?
230日本@名無史さん:03/08/19 00:08
>民本主義
吉野はこれを,democracy の訳語だとしつつ,法理上の〈主権の所在〉
にかかわる民主主義とあえて区別して,
君主国といえども立憲制をとる以上従うべき,〈主権運用の方法〉に関
する政治上の原則とした。
〈政治の目的〉(政権運用の終局目的)が〈一般民衆の利福〉にあるのみ
ならず,
〈政策の決定〉(政権運用の方針の終局の決定)が〈一般民衆の意向〉
(民意,世論)によることが求められた。
そこから彼は,代議政治による〈民衆的監督〉の制度化,普通選挙,
責任内閣制の実現等をねばり強く追求し,他方で枢密院,貴族院,軍部
等の非立憲的勢力の政治介入を極小化しようとした。

231日本@名無史さん:03/08/19 00:09
>>217
国会議事録によれば内閣法制局長官がこんなこといってますけど。

第71回 - 参 - 内閣委員会 - 16号
昭和48年06月28日 6/353
○政府委員(吉國一郎君)
国家の形態を君主制と共和制とに分けまして、わが国がそのいずれに属するかということがまず問題になるわけでございますが、
公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制でないことはまず明らかであろうと思います。
それでは、君主制をさらに専制君主制と立憲君主制に分けるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう国家でございます以上、立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思います。
232日本@名無史さん:03/08/19 00:11
大正デモクラシーの護憲運動ってのは一種の憲法改正運動だね。

明治憲法では,国務各大臣が天皇を輔弼する旨を定めていた(55条)が,
大臣の対議会責任は定められておらず,半官的蔦釈書である《憲法義解》
も,責任内閣制を否定していた。
第1次(1912),第2次(1924)の護憲運動は,〈憲政の常道〉の名のもとに
責任内閣制を強く要求し,1924年の加藤高明内閣成立から,32年の五・一五
事件による犬養毅首相の死まで,一種の二元主義型議院内閣制の慣行が成立
した。
233日本@名無史さん:03/08/19 00:13
>>212
満州事変後で、ソ連や中国と国境紛争を繰広げている。
そして戦時体制へと以降しつつあったときだよ。
234日本@名無史さん:03/08/19 00:14
美濃部が反対したのは、天皇制護持の部分。
議院内閣制を「歴史の必然的動向」としてとらえてる。
235日本@名無史さん:03/08/19 00:16
>>229
海軍大臣については文官の総理大臣が事務を管理した実例は次の2回。
・加藤海軍大臣のワシントン会議出張中の原総理大臣による事務管理
・財部海軍大臣のロンドン会議出張中の浜口総理大臣による事務管理。

一方、陸軍大臣は文官の大臣が事務を管理した事例はない。
1930年、宇垣陸軍大臣が故障した際には、新たに安部陸軍中将を無任所大臣として内閣に入れ、陸軍大臣の事務を管理させた。
236日本@名無史さん:03/08/19 00:18
>>232
>半官的蔦釈書である《憲法義解》も,責任内閣制を否定していた。
責任内閣制って何でつか?
237日本@名無史さん:03/08/19 00:42
>>232
そのコピペは一種のデムパだね。
実際の憲法義解では
「大臣は君主に対し直接に責任を負い、また人民に対し間接に責任を負う者なり」
とされとるよ。
238日本@名無史さん:03/08/19 00:48
>>226
>大日本帝国憲法による詔勅政策の批判なんかもしているしね。
ちゃうちゃう。批判する側も帝国憲法に基づいてるの。
例えば、桂内閣の詔勅攻撃を批判する尾崎行雄の有名な演説(大正2年2月5日)とかを読めば分かる。
239日本@名無史さん:03/08/19 18:40
美濃部攻撃の急先鋒、菊池武夫(1875/7/23〜1955/12/1)、戦後10年も
生きたわけだが、この間の心中はどんなだったのだろう。
240日本@名無史さん:03/08/19 19:37
>238
玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代えて、政敵を倒さんとするもの…
ですな。
241日本@名無史さん:03/08/19 20:03
明治から敗戦まで42代29人の首相が誕生したが、衆議院議員からその地位に
ついたのは原敬、浜口雄幸、犬養毅の3人のみ、しかも3人ともテロにより倒れている。
あとは全て薩長の高官、官、軍の出身であり日本が官に支配されており、テロの背後
に官の蔭が噂されるのも・・・・・(官でも穏健派はテロの標的にはなったが)。
242日本@名無史さん:03/08/20 00:32
>>240
そうですね。補足すれば、その演説の中の
「天皇は神聖にして侵すべからずという大義は、国務大臣がその責に任ずるから出てくるものであります(拍手起る)。」
の辺りが帝国憲法(3条、55条)に基づいてますね。
つまり、これは
「桂首相が玉座を障壁にしたり詔勅を弾丸に代えたりするのは、責任を天皇に転嫁していることになってしまうので、
 首相自ら責任を取っていることにならない(憲法55条違反)。
 そんなことやっていると天皇自身が批判を受ける事になりかねないので、天皇神聖不可侵が保証されなくなっちゃうぞ(憲法3条が保障されない)。」
という趣旨。
帝国憲法に基づいて、桂の詔勅政策を痛烈に批判しているわけですな。
243日本@名無史さん:03/08/20 00:50
>>241
原敬は外務省、浜口は大蔵省、犬養は統計院であって、みんな元官僚です。
244日本@名無史さん:03/08/23 01:44
筧克彦こそ何をしたかったのか全く分からない。
何者だ?
245日本@名無史さん:03/08/23 02:37
>>244
筧タンは日本を神の国にしたかったんでしょ。
「大日本帝國憲法の根本義」を読むと、あまりの神がかりっぷりに、頭がクラクラしてくる。
246日本史:03/08/23 02:44
>>245
筧の思想的バックグランドって何なの?
247日本@名無史さん:03/08/23 10:55
コピペで失礼。 古神道かな? 

筧克彦 1872-1961 
公法学者,神道思想家。長野県生れ。1897年東
大法科卒。ドイツに留学してギールケ,ディルタイ
などに学び,1900年東大助教授,03年教授として
行政法,憲法,法理学などを講じた。上杉慎吉ら
の天皇制国家主義に同調し,古神道に基づく神な
がらの道に帰依,教室でかしわ手をうつなど奇矯
な言動で知られたが,天皇機関説論争に関して
は,穂積八束の天皇主権説を国体に反する権力
主義として批判した。著書は《大日本帝国憲法の
根本義》(1936)など多数。        長尾 竜一
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
248日本@名無史さん:03/08/23 12:41
>>237
>実際の憲法義解では
>「大臣は君主に対し直接に責任を負い、また人民に対し間接に責任を負う者なり」

一義的に君主への責任を負い、人民へは間接的だから、この部分は「責任内閣制を否定」と
解釈してもいいんでないかな。結構多くの論者がそう解釈してると思うが。
現憲法でははっきりと「国会に対し連帯して責任を負う」となってるね。

249日本@名無史さん:03/08/23 12:42
>>238
>>242
大日本帝国憲法の該当箇所を利用して、藩閥や超然を批判否定してるってこと。
憲政擁護、天皇神聖不可侵は錦の御旗だから使いやすい。
尾崎一流の技だと思うが。
本音は憲法の自由主義的解釈への限定(解釈改憲)か部分改憲と思えるが、
それだと敵に憲法や天皇を言質に採った逆襲反論の余地を与えてしまうので、
憲政擁護の旗を上げた。

尾崎は1898(明治31)年に文相で「共和演説事件(金権批判で日本に共和制ができたら
三井三菱が大統領だろうと言っただけ)」で辞任してるから、
天皇制や憲法条項には敏感で、それを活用・利用する利便的手法をとった。
ちなみに、尾崎は軍国主義化に反対し続け1943年に翼賛選挙批判で不敬罪で告発
されているね。本心が帝国憲法主義者・天皇信奉者だったわけではないと思うが。
250日本@名無史さん:03/08/23 16:43
>>248
まず、「責任内閣制」という言葉には語弊があるので「議院内閣制」と言い換えたほうがよいと思う。
そのうえで。
帝国憲法は議院内閣制を否定も肯定もしていないよ。それが定説です。
「帝国憲法は議院内閣制を否定している」という論者は殆ど存在しないと思うけど・・・。
251日本@名無史さん:03/08/24 11:48
>実際の憲法義解では
>「大臣は君主に対し直接に責任を負い、また人民に対し間接に責任を負う者なり」
と、あるのだから、責任は天皇に対してであり、国民に対しては二次的なもの。
二次的なものはえてして消えやすい。
よって、「責任内閣制否定」も過ちとはいえない。のではないかな。

>帝国憲法は議院内閣制を否定も肯定もしていないよ。それが定説です。
という意味は、「帝国憲法でも議院内閣制は可能だが、時には内閣が超然内閣
として議院内閣制を実質否定することものこともありうる」との意味と思われるので、

結論としては、
「天皇に責任を負い、議会や国民への責任は二次的なもの」だから、
現憲法と比較すると、「議院内閣制は可能だが法的根拠はなく、危ういものである」
ということ。
だから否定も肯定もしてないように見える。
突き詰めていけば、旧憲法は議院内閣制を(少なくとも)保証はしていない。
元老推薦でなく、元老を通さず天皇裁可もなく議会多数決で次期首相が決定した事例は?
252日本@名無史さん:03/08/24 15:36
>突き詰めていけば、旧憲法は議院内閣制を(少なくとも)保証はしていない。
突き詰めなくても、それは当たり前の話なのだが・・・。
そうだと「否定」したことになるの?

>元老推薦でなく、元老を通さず天皇裁可もなく議会多数決で次期首相が決定した事例は?
そんな事例があるわけないでしょう。常識です。
253日本@名無史さん:03/08/24 18:02
>実際の憲法義解では
>「大臣は君主に対し直接に責任を負い、また人民に対し間接に責任を負う者なり」
基本的には議会や国民に対する責任内閣制を肯定はしてない。
短絡的に考えると否定してる。
「天皇に責任を負う」のがネック
254日本@名無史さん:03/08/24 21:32
何を訳のワカランことを言ってるのか?
君主制なのだから内閣が君主に責任を負うのは論理的に当然。
「君主に対して責任を負う」形が次第に「国民に対して間接的に
責任を負う」形に移行するのも歴史的にみれば必然の流れ。

さっさと美濃部達吉の話に戻せや。
255日本@名無史さん:03/08/25 15:23
その必然の流れの帰結が、翼賛体制・軍国体制で
国民に対して間接的にもちっとも責任を負わなくなったわけだが。
やはり、明文化するというのは大切だな。

お前が美濃部のネタを何かふれや。
256日本@名無史さん:03/08/26 04:03
美濃部‐宮沢‐芦部‐高橋、長谷部
   -清宮‐樋口(東北)−石川
(行政法)-田中‐塩野‐小早川
257日本@名無史さん:03/08/26 04:12

美濃部‐宮沢‐芦部‐高橋、長谷部
   -清宮‐樋口(東北)−石川
(行政法)-田中‐塩野‐小早川


258日本@名無史さん:03/08/26 23:17
宮沢の後継者は芦部ではなく、婿の小林直樹の筈
259日本@名無史さん:03/08/26 23:50
美濃部→宮澤のラインは消して欲しい。
宮澤のヤロウは美濃部御大の弟子と呼ぶに値しない。
戦時中は神権論者だったし、戦後は売国奴だ。
・・・などと煽ってみる。
260日本@名無史さん:03/08/26 23:51
>>255
>その必然の流れの帰結が、翼賛体制・軍国体制で
どーちて必然なのか。
お前さんは必然を理解するほど「歴史法則」に精通しているのかね?
・・・などとまた煽ってみる。
261日本@名無史さん:03/08/27 21:49
>>257-259
こうしてみると、美濃部の正当な後継者ってのは
小嶋和司になるのかな?戦後ほとんど唯一のまともな
憲法学者だと思われ。

>>255
>翼賛体制・軍国体制
国民の声を十分に反映した体制だったのだから、国民に
責任を負わなくなったというのはなんだかおかしい。
262日本@名無史さん:03/08/27 22:20
>>255
>国民の声を十分に反映した体制
その通りだね。すこぶる好戦的な国民だったからな。
でも、憲法との関係では違憲な体制ではあったけど。
263日本@名無史さん:03/08/28 09:35
>国民の声を十分に反映
どういう意思確認したの?第何回の選挙?
国民が積極的に賛成したのなら、戦時体制の日本はまさにファシズムなんですね?

>政府の政策に協力するだけの公事結社であるとされ,行政補助機関に転落した。
>新体制運動のスローガンの〈下意上達〉も国体にそむくとして〈下情上通〉と
>改められた。
>新体制運動は,こうして国民組織を基盤とした強力な政治体制をつくりだすこと
>に失敗し,ましてや軍部を統制する力をもつことはできなかったが,これに対する
>国民の期待を利用し警察の圧力を併用して政党,労働組合などの自主的な組織を
>解散させ,国民を部落会,町内会などの地域組織や大日本産業報国会,商業報国会
>などの職域組織に組み込み,生活のすみずみまでも統制下におく道を開いた。
264日本@名無史さん:03/08/30 14:13
何でチョ―セン人が日本の王様なの?
265日本@名無史さん:03/08/30 15:55
>>264
日本において王というのは、皇族の端くれの奴のことだ。
266日本@名無史さん:03/09/17 23:03
今の韓国のチョン民族より前に、天皇の祖先が半島に住んでたんだろ?
だったら返  せ  よ  半  島  を
チョンは月  に  で  も  移  住  し  て  ろ
267日本@名無史さん:03/10/08 01:51
10月の御前会議では、消極派だったが、
その後、12月までに積極派に変わっている。
木戸か誰かの日記に、「耳を貸さなくなってきてしまった」と近臣が困っている。
南進積極派に変わった理由は、
ローマ法王やソ連の仲介で短期講和が可能と思い始めた。
さらに、領土拡張は天皇の重要任務の一つと明治天皇を手本とする教育で仕込まれていた。
「火事場泥棒でなく、八紘一宇の精神でやってほしい」と領土拡大を語っている。
268日本@名無史さん:03/10/08 02:23
>>267
なんだこの馬鹿は、どっかアホが作ったのFAQをコピペしたんじゃあるまいな?
南部仏印進駐が決まったのが何時頃だと想っているのだ?
つかアメリカが強硬な態度に出た後、なんて言ったか知ってて言っているのか?

269日本@名無史さん:03/10/08 21:07
>>268
無知?ばかか?
270日本@名無史さん:03/10/13 20:08
俺も天皇担いで上手いことしたいよ。
271日本@名無史さん:03/10/17 23:11
結局、明治以来、天皇制によって恩恵を受けてきた人々の子孫が、
現在においても政権の中枢にいて、常に皇室の擁護をし、
学校教育で使う教科書に先の大戦の真実を記載させないようにし、
マスメデイアに皇室のいいイメージを流すことを強要しているのではないでしょうか。
某雑誌の「朕ノ不徳ナルモ・・・」もその一環のキャンペーンのように思えてなりません。
272日本@名無史さん:03/10/18 00:45
思えてならないのは>271のアホさ加減だけ。
273日本@名無史さん:03/10/22 17:50
もしも天皇機関説が世に認めれれたとして歴史が変わっていたのか?
274日本@名無史さん:03/10/23 08:32
というか、戦前の一時期をのぞいては、常に世に認められていたわけだが。
275日本@名無史さん:03/10/23 13:19
美濃部「機関説」の源流一木博士の反国体思想 / 蓑田胸喜. -- しきしまのみち会原理日本社, 昭和10
美濃部博士『憲法撮要』の詭弁詐術的国体変革思想 / 蓑田胸喜. -- しきしまのみち会原理日本社, 昭和8
美濃部博士の大権蹂躪 / 蓑田胸喜. -- 原理日本社, 昭和10. -- (しきしまのみち叢書 ; 第6編)
我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?. 第2 / 三井甲之,蓑田胸喜. -- 増訂版. -- 原理日本社, 昭和9. -- (しきしまのみち叢書 ; 第4編)
帝大法学部『国権否認論』の法理学的批判 / 蓑田胸喜. -- 原理日本社, 昭和10
一木枢相・牧野内府の潜冒思想を糾弾す / 蓑田胸喜. -- 今日の問題社, 昭和10. -- (今日の問題 ; no.16)
276日本@名無史さん:03/11/02 00:47
>>275
タイトルだけ見ると
と学会でさらされる自費出版本みたいだな
277日本@名無史さん:03/11/06 15:55
美濃部の著書三冊が、ゆまに書房さんから復刊されています。
http://www.yumani.co.jp/detail.php?docid=160
ちょと高いので買えない人は近所の図書館にリクエストしる!
『憲法講話』(1912年)
『現代憲政評論』(1930年)
『議会政治の検討』(1934年)
278日本@名無史さん:03/11/06 16:06
>>277
『憲法講話』明45.3なら、
・国会図書館> 電子図書館>近代デジタルライブラリ
で読めるし印刷も出来るYO!
279日本@名無史さん:03/11/21 00:21
>>275
すごいな、これ。
蓑田胸喜というのは一体何者なの?上杉慎吉とは何か関係あるの?
教えて君で申し訳ないが、どなたか回答プリーズ。
280日本@名無史さん:03/11/21 00:27
帝大教授になれなかったヒガミだよ
281日本@名無史さん:03/11/21 00:30
天皇機械説
実はロボットだった・・・
282日本@名無史さん:03/11/21 08:38
(゚听)ツマンネ
283日本@名無史さん:03/11/21 11:22
すごい話が長かったらしい。ただ、最後まで聞いてると
ソバをおごってくれるので、小遣い銭のなくなった学生は、
半日我慢して、小難しい話を聞いてたそうだ>蓑田
284日本@名無史さん:03/11/27 23:56
>>278
藻舞はなんてこというんだコラ!
そんなセコイこと言ってるから良心的な出版社がどんどん
減っていくんだろ。
本当に読みたい本なら自腹を切って買え!買え買え買え!
285日本@名無史さん:03/11/29 16:19
美濃部=言ってはいけない正論を吐いてしまったので図星をつかれた軍部にマジギレされた人
286日本@名無史さん:03/12/01 02:26
>>247
小野清一郎博士の「日本法理の自覚的展開」にも影響を与えられた
ようです。

国学はもとより西洋思想にもとてつもなく深い造詣・洞察をお持ちであられた。
287日本@名無史さん:03/12/04 14:08
美濃部先生との噛み合わない論争で悪名高い上杉慎吉先生ですが
生前の御写真を見るとなかなかの男前ですな。
学問的な評価はともかく、性格的には明朗快活で遊び上手、
学生達とも積極的に飲みに行くタイプだったそうで
人格的には美濃部先生よりも慕われていたといいますね。
関東大震災で多くの朝鮮人が迫害を受けた際には
「警察官憲が無根の流言飛語を流布して民心を騒がせ、震火災の惨禍を
一層大ならしめた」として、警察当局の責任を厳しく追及しています。

上杉先生(・∀・)カコイイ!!
288日本@名無史さん:03/12/04 16:16
>>1
当時の状況を良く勉強しなさい。
天皇と立場について考えなさい。
政府の状況に付いて学びなさい。
289日本@名無史さん:03/12/09 16:06
>>287
美濃部達吉は反駁それ自体割り切りそれ自体が好きな人だったのかな。
ドイツ固有の国家法人説を何の疑いもなく講義したし。

290日本@名無史さん:03/12/09 16:11
「憲法撮要」はドイツから帰国したすぐあとにたった2ヶ月でこれを書いたらしいよ。
291日本@名無史さん:03/12/23 13:08
美濃部をつぶした一部の精薄軍人は、憑依されてたんです。
開国以来切り捨てられた士族と貧農の怨霊が乗り移って復讐をしたんです。
292日本@名無史さん:03/12/23 13:33
「機関説排撃に蹶起した主な愛国諸団体」

東 京
国体擁護聯合会、国民協会、大日本生産党、新日本国民同盟、
愛国政治同盟、明倫会、政党解消聯盟、昭和神聖会、恢弘会、
皇道会、勤王聯盟、大日本経国聯盟、皇道発揚会、黒竜会、
維新懇話会、十六日会、昭和義塾、大日本愛国青年同盟、
建国会、愛国青年聯盟、愛国労働聯盟、維新会、大日本国家社会党、
勤労日本党、皇民新聞社、皇大日本、憲政擁護聯盟、愛国革新聯盟、
皇明会、正道会、池湧日本社、原理日本社、辛未同志会、
愛国労働農民同志会、惟神館、日本精神協会、三六倶楽部、
南町塾、日本精神研究会、内外更始倶楽部、皇政会、日本塾、
直心道場、鶴鳴荘、大日本愛国義団、日本主義研究所、日星社、
改造日本社、国士会、愛国学生聯盟、国粋大衆党関東本部、
政教維新聯盟、皇化聯盟、日本皇道会 立憲養正会

京 都
洛北青年同盟、里見日本文化研究所、国体主義同盟、
皇国青年同盟、全京都愛国団体聯合協義会、京都愛国社、
愛国政治同盟京都聯合会

愛 知 
大日本建国義勇団、正劒社、皇道宣揚市民聯盟、
大日本国家社会党愛知県党務局、国家主義同盟名古屋支部、
大日本守国会豊橋愛国社同盟

293日本@名無史さん:03/12/23 14:32
>>247
戦後この人はどうなったの?
294日本@名無史さん:03/12/25 18:27
ドイツにしてもフランスにしてもイギリスにしても
国体と政体とを峻別する歴史すらない。「体」と「用」とは区別して来なかった。
しかし、我国では国体と政体とは峻別されるのである。
美濃部はドイツ国法学の紹介業務に安住の地を得たのか
欧州国法学と対決しつつ国法学的に国体と政体とを峻別する学理的責務の心持ち
はすくなかったのではないか。
295あぼーん:あぼーん
あぼーん
296日本@名無史さん:04/01/09 21:06
>>287
上杉慎吉って戦後まで生きていたっけ?
297日本@名無史さん:04/01/10 09:13
【上杉慎吉】
 憲法学者。東京帝国大学教授。君権絶対主義を説いて「天皇機関説」の
美濃部達吉と論争。のち桐花学会、経綸学盟などを結成し、国粋主義運動
にあたる。著「帝国憲法」「新稿憲法述義」。(一八七八〜一九二九)
298日本@名無史さん:04/02/01 18:47
実態はそうだが明らかになると困る連中がおる
299日本@名無史さん:04/02/02 22:23
美濃部語録

要するに、わが憲法に於けるが如き枢密院制度が世界の何れの国に於いてもその類を見ないものであることは、此の如き制度の必要ならざることを証明するもので、わが憲政の将来の発達は恐らくはその廃止に向ふべきものであらう

帝国議会は国民の代表として国の統治に参与するもので、天皇の機関として天皇からその権能を与へられて居るものではなく、随つて原則としては議会は天皇に対して完全なる独立の地位を有し、天皇の命令に服するものではない

裁判所は其の権限を行ふに就て全く独立であつて、勅命にも服しない者である

治安維持法は世にも稀なる悪法で・・・憲法の精神に戻ることの甚しい

立憲政治の一般的条理から言へば統帥権の独立といふ様な原則は全く認むべきものではない

いはゆる思想善導策の如きは、何等の効果をも期待し得ないもので、もしそのいはゆる思想善導が革命思想を絶滅しようとするにあるならば、それは総ての教育を禁止して国民をして、全く無学文盲ならしむる外に全く道は無い

宗教的神主国家の思想を注入して、これをもつて国民の思想を善導し得たりとなすが如きは、全然時代の要求に反するもので、それは却つて徒らにその禍を大ならしむるに過ぎぬ
300日本@名無史さん:04/02/03 09:13
今、枢府があったら…中曽根あたりに議長を務めてほしいな
301日本@名無史さん:04/02/05 23:23
美濃部達吉は空襲警報が鳴って防空壕への避難命令が下されても従わなかったらしい。
これは一見カッコ良く映るかもしれないが、国民としては、問題ある行動である。
いや、やってはいけない行動である。当局の方々に多大な御迷惑をかけてしまうのだ。

美濃部は、高等文官出身者だろうがなんだろうが、日本国民なんだから。
302日本@名無史さん:04/02/05 23:59
亮吉って企画院にいたんだっけ?
303日本@名無史さん:04/02/07 09:22
井上毅も,1892年,「君主循法意見」(『井上毅伝』史料篇第2)と
いう論文を発表し,「……上二挙ゲタル英国及独乙学者ノ学説ノ
如キハ固ヨリ引イテ以テ我カ国ノ帝室ニ於ケル準縄トナスベカラ
ズトイヘトモ,又以テ欧州ノ立憲主義ノ源流卜見ルニ足ル独乙学
者ノ説ニ従ヘバ『君主ハ国ノ上ニ在ラズ而シテ国ノ中ニ在リテ国
ノ最高機関タリ』トイフ,是即チ君主モ亦法律ノ範囲内ニ在ルベ
キ主義ノ基ク所ヲ説明スルモノニシテ,我力憲法ニ国ノ元首トイ
ヘル大義ト正ニ相符合スルモノナリ」と述べ,天皇機関説(国家
法人説)をとることを宣言していた。天皇機関説とは社会有機体
説の別名であった。
304日本@名無史さん:04/02/07 16:53
井上毅は 國之體と政の体(立憲主義・議会政治)との分別を明瞭とした上で、

憲法第四条を以て政体に関する法なりと謹釈を試みたと思う。
305日本@名無史さん:04/02/07 17:01
現状がそうなんじゃないですか
306日本@名無史さん:04/02/28 23:08
もしも天皇機関説が世に認めれれたとして歴史が変わっていたのか?
俺は天皇機関説に何の意味があるのかわからない。

307日本@名無史さん:04/03/25 17:50
>>301
美濃部は、国技たる大相撲を好んだというが、
「それはあくまでその客観的動作自体に対してのみであり
その動作の人物を評価するのではまるでなし、」といったとか。
いくら東大法科を2番の成績で卒業し、内務省を「腰掛け」にしたとはいえ
当時の良識とはかけはなれてるなあ。
308日本@名無史さん:04/04/11 23:55
age
309日本@名無史さん:04/04/12 02:30
>>307
美濃部前後の世代では、伝統に対するエリートの認識はそんなもの
だったらしい。いわゆる欧化がエリートの良識だったんだろう

ちなみに帝大水泳部の学生が合宿先で歌舞伎の真似事をしたところ、
責任者が総長室に呼び出されて説教をくらったそうだ

「いやしくも帝国大学の学生が顔に粉黛をほどこして河原者の真似を
するとは何事であるか。シェークスピヤやゲエテの傑作の中から学生の
余興にふさわしい場面を択んで演ずるならまだしも、市井無頼の徒の
いかがわしい風習行蔵を描いた唾棄すべき演劇の真似などは言語道断
である。深く反省して今後を慎んでもらわねばならぬ」
310日本@名無史さん
美濃部一族は金日成を神様とあがめたアホです