「将軍になれなかった厨」への模範解答例
・清和源氏以外になれない
古くは大伴弟麿・坂上田村麿・文屋綿麿・大塔宮護良親王など。
鎌倉幕府の時代でさえ、将軍位は源氏三代以降は藤原氏や親王が征夷大将軍。
藤原氏を自称する信長も将軍着任を打診された。
・義昭に養子を拒まれた
「清和源氏しかなれない」のなら、すなわち「清和源氏ならなれる」のだから
足利以外の養子先を探せばよい。
・現職の義昭がいるからダメ
朝廷は将軍を罷免できる。
10代目の足利義稙は罷免されて、義澄が11代となり、今度は義澄が罷免されて
義稙が将軍位に返り咲いた。
・義昭の工作を受けた朝廷が認めなかった
朝廷が時の権力者の言いなりになるのは、過去の事跡が示すとおり。
それに関白を初めとする朝廷の職を武家に取られると、ただでさえ貧乏な公家は
着任する職までも失うことになり、秀吉が将軍になってくれたほうが、むしろ
都合が良いので、秀吉が将軍位を求めたら拒むはずなどない。
ならなかった」と考えられる理由 (過去スレより)
・信長亡き後、最高権力者に手っ取り早くなれるなら、どっちでも良かった。
どっちもそれなりの「名前」を買う必要があるが、粘着公方義昭より貧乏公家を金で転ばすほうが手っ取り
早かっただけのこと。
・氏素性の卑しい秀吉は、ともすると自分を軽んじる元同僚たちに権威を見せ付けるためにも、天皇の権威を
バックにできる関白のほうが都合が良かった。
織田家の威光を使うために、三法師を自分の膝に乗せて同僚たちに会見したのと同じやり方。
・あえて源氏系の武将たちの反感を買う将軍位に就くのを避けた。
・一度、最高権力者になってしまえば、自分が朝廷を動かして秀次や秀頼、あるいはなろうと
思えば自分自身が将軍になることもできたが、今更朝廷によって任命される、すなわち朝廷より「格下」の
将軍位に魅力を感じなかった。
・先駆者信長も義昭を抑えるうえで朝廷の威光を借りており、その戦略を秀吉なりに継承した。
・自分を飾り立てる権威が必要だった秀吉にとって、ボロボロになって追放されケチのついた将軍位は魅力が薄かった。
そもそも信長に敗れ、京を追われた義昭に信長の使いとして「さっさとどこへでも好きなところへ逝けや」と言った
秀吉にとって、将軍という言葉の響きがどの程度のものであったかは想像に難くない。
・朝廷の仕組みからして、公家外交の不得意な家康が上に上るのは難しいが、将軍の位と幕府を乗っ取るだけなら
武家の間の根回しで済み、大名たちに人気のあった家康にとって乗っ取りやすい政治機構になってしまうのを防げると
秀吉は考えた。
・幕府のほうが、政治機構として優れているというのは、徳川幕府の成功を元にした結果論であり、また徳川家臣団
だからこそ可能だったことを理解していない。
そもそも、幕府という政治機構を支えるだけの譜代の家臣がない秀吉にとっては、外様の「大老」をうまく取り込める
朝廷のほうがよかった。
・華やかさを好む秀吉には地味で暗い幕府より、宮廷のほうが好みに合った。
4 :
日本@名無史さん:03/07/06 19:12
あほめ・・・。
三成は公武合体方式の政権をどう見てたのでしょうね?
6 :
日本@名無史さん:03/07/06 20:28
三成はどちらかと言えば幕府方式の政権のほうが良かったんだろうね
負け犬の立てたスレですか?
ならなかったのではなく、正解はなれなかったのさ。
百姓出身で征夷大将軍にはなれない。
将軍になれるのは、源氏の流れをくむものだけと決まっていたから・・
9 :
日本@名無史さん:03/07/06 21:58
10 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:00
室町時代以降は源氏以外は将軍になれないって決まってたからな。
なれるものならあの猿はさっさとなって関白と兼任してたって。
11 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:01
だからそんなこと決まってねえってばよ。
征夷大将軍は誰でもなれるの。
あんたら家康は本当に源氏の血をひいてると思ってるの?
系図でつながれば問題ない。家康の頃の新田家はどういう状況だったんだろう?
14 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:08
15 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:09
なろーと思えば金つかってなんとでもできたやろーね、たぶん。
もう十分権力を握って、あんまし将軍職という名前に興味をもてなく
なってきたんちゃうかな。最初は欲しがってたけど、そのうちまぁえ
えやってな具合に。俺がしっかりやれば、これからは「関白」が武家
政権の最高位ってことになっていきよるやろと思ったかもしれんな。
征夷大将軍かって、最初は単なる(?)遠征軍司令官職やろ。頼朝が
政権握って力持ったから、武家の最高位っていうことになっただけで。
秀吉があと10年生きて、朝鮮出兵をしなかったか上手く攻略できて
たか、政略か謀略で徳川家を滅ぼしてたら、関白=武家の棟梁みたい
な認識になっとったかもしれんな。どやろ?
無限ループ
や い 、 お ま い ら ! 九 条 は 源 氏 な の で つ か ?
>>17 >>10によると室町時代以前は源氏以外でも将軍になれたそうだ。
室町以前、以降で何故変ったのかは10に聞いてくれ。
20 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:31
なんだ10、知らんのけ?
21 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:34
22 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:34
秀吉は源氏じゃないから将軍になれなかった、ということで
今回はノーマネーでフィニッシュです。
23 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:36
反論がないので
この論戦は将軍になれなかった派の勝ちとします。
24 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:47
さらしあげ
26 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:54
粘着に「なれなかった」と言い張っている香具師の真意が知りたいよな。
荒らすことを目的に煽っているネタレスなのか、
それともマジレスなのか、ちょっと判断がつかん。
1〜2行なのは大抵煽りだろうけどね
28 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:01
出自の怪しさは周知の事実だったから
「本人はすげーヤツだから仕方なく従うけど
関白だろうが将軍だろうが香具師の子供には従えねー」
という気持ちが全国の武将の間にあったのでわ?
29 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:14
>>28 もしそうなら、徳川家康は大阪冬の陣・夏の陣を起こす必要はなかっただろう
30 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:23
なれなかったからならなかったに決まってるだろ、禿ねずみめ!!
31 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:27
>>30 いいから「なれなかった」とお前が言う根拠を示しな。
32 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:46
お前の器量もずいぶんとよくなった。例えて言うなら十のものが二十ほどにもなった。
33 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:51
記録に残っているぞ。ちゃんと読め。
誰の記録でどこに残ってるんだよ。どこの文庫本? 〜〜家所蔵とかさ。
35 :
日本@名無史さん:03/07/07 09:59
これだけ「ならなかった」を支持する材料が揃っているのに、
まだあきらめない「なれなかった」厨の粘着振りには驚かされます。
36 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:24
源氏以外、誠意大将軍になった例ないんでしょ。
37 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:25
「誠意大将軍」てネタなの?それともマジでまちがえたの?
38 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:32
秀吉は、足利義昭の猶子になって源氏の姓を得ようとしたという話もある。
これが実現する前に菊亭晴季から出された案が関白に就任することだったとか。
39 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:33
ネタです
40 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:39
>>38 いいからもうループさせんなよ。
そのネタはあまりにもガイシュツで聞き飽きた。
41 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:43
見事、借金も返済できますた。 誠意
42 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:51
>>36 源氏以外でも征夷大将軍になった例はありますが、何か?
43 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:56
44 :
日本@名無史さん:03/07/07 20:54
なれなかったからでしょう。
45 :
日本@名無史さん:03/07/07 22:19
なりたくなかったんですよ。
46 :
日本@名無史さん:03/07/07 22:41
なりたい気持ちは人一倍強かったんですがね、源氏でないのは致命的・・・
47 :
日本@名無史さん:03/07/07 22:44
誰が「貧乏公方」足利義昭の猶子になろうなんて思うもんですか。
秀吉は征夷大将軍になんかなるつもりはなかったんですよ。
17 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:21
や い 、 お ま い ら ! 九 条 は 源 氏 な の で つ か ?
18 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:23
>>17 >>10によると室町時代以前は源氏以外でも将軍になれたそうだ。
室町以前、以降で何故変ったのかは10に聞いてくれ。
19 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:24
>>10、出番だぞ
20 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:31
なんだ10、知らんのけ?
21 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:34
おらおら
>>10よ、さっさと答えろ。
49 :
日本@名無史さん:03/07/08 01:59
早く人間になりたい!
50 :
日本@名無史さん:03/07/08 02:22
源氏の家に生まれなかったのが秀吉の不幸だよな
51 :
日本@名無史さん:03/07/08 02:34
不幸と言うより、そんな名家に生まれていたら、
天下取りには、成ってないだろう。
52 :
日本@名無史さん:03/07/08 02:34
?
源氏の嫡流に、とでも言いたいんだろう。
足利義輝の子にでも生まれれば将軍にはなれたかもしれんけどな
54 :
日本@名無史さん:03/07/08 05:34
秀吉は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
源氏じゃないと将軍になれないなんて、誰が言い出したの?
56 :
日本@名無史さん:03/07/08 06:56
57 :
日本@名無史さん:03/07/08 07:12
エタヒニンに源氏も平家もないのじゃ。
58 :
日本@名無史さん:03/07/08 07:14
誰がエタヒニンだ
基本的に秀吉は信長みたいにルイ14世的な人間に
なりたかったんだろうね。いわゆる「朕は国家なり」みたいな。
家康は逆に将軍という権力の象徴は作りながら、それ自身に
あまりカリスマ性は与えず、周囲の老中や若年寄など補佐機関
の充実に努めた。前の二人を見て、初代のインパクトが強すぎ
ると末代まで支配力や統率力が続きにくいと踏んだんだろうな。
60 :
日本@名無史さん:03/07/08 08:24
カリスマ性はないけど幕府は将軍の独裁だよ。
いかなる権力者も将軍の機嫌をそこねれば一夜にして失脚せざるを得ない。
61 :
日本@名無史さん:03/07/08 20:06
秀吉は将軍になれなくて非常に悔しい思いをしたわけで、
その悔しさをバネに関白奪取に成功したのでしょう。
公家連中こそいい面の皮で気の毒だけど。
62 :
日本@名無史さん:03/07/08 20:19
プッw
63 :
日本@名無史さん:03/07/08 20:36
65 :
日本@名無史さん:03/07/08 20:49
関白っていつ頃なくなったの?
幕末まではあるね
67 :
日本@名無史さん:03/07/08 21:13
>>65 関白がなくなったのは慶応3年12月8日の王政復古のとき。
ちなみにこのとき同時に征夷大将軍もなくなっている。
68 :
日本@名無史さん:03/07/08 21:13
69 :
日本@名無史さん:03/07/08 21:24
人間じゃないから
70 :
日本@名無史さん:03/07/08 23:05
秀吉は商人たちも重視していたし、権威を高めるのに公家の力も利用していたので、
武家の棟梁である将軍にはなりたくなかったのだと思う。
71 :
日本@名無史さん:03/07/09 00:09
>>59さん
異議あり!
駿府における大御所としての存在はどう考えますか?
将軍を補佐するというよりも二重政権だと思えるのですが、どうでしょう。
72 :
日本@名無史さん:03/07/09 00:13
武家の棟梁=征夷大将軍
73 :
日本@名無史さん:03/07/09 00:31
>>71 大御所というのは将軍経験者がなる超法規的な役目で、
補佐するという意味合いとは違うと思うよ。
家康、秀忠、吉宗、家斉の4人がなったが、駿府にいたのは
家康だけ。しかもこの場合はまだ豊臣家が存在していたため、
天下は徳川家が牛耳るということを内外に示すための行為。
それ以外にも秀忠は政治的に未知数だった事から、幕府の足腰を
強くしたり豊臣家の懸案消去などを考えれば、完全隠居はできなかった。
あとの3人に関しては、跡継ぎに揉め事があったため(家光の場合は
やや微妙だが)、継嗣をはっきりさせるために先に将軍職を譲って
実務を行う形を採ったんだろう。
ただ、個人的に家斉の大御所政治はいささかまずかったとは思うけどね。
でも息子の家慶が水野忠邦にやらせた改革は大コケしたので、なんとも
言えないが。
>>74さん
ほぼ同意します。
家康の駿府時代は、まだ幕府の統治機構が充分に整っていなかったと思われますので、
いわば将軍親政(独裁)の延長であると思えます。
秀忠は小田原で、後の二人は西の丸でしたっけ。ちょっと自信ないですが。
76 :
(;´Д`):03/07/09 07:33
77 :
日本@名無史さん:03/07/09 08:19
羽柴秀吉は征夷大将軍になりたくなかった、これが結論。
79 :
日本@名無史さん:03/07/09 12:07
サル
80 :
日本@名無史さん:03/07/09 18:29
81 :
日本@名無史さん:03/07/09 18:33
羽柴秀吉は征夷大将軍になりたかった、これが結論。
17 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:21
や い 、 お ま い ら ! 九 条 は 源 氏 な の で つ か ?
18 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:23
>>17 >>10によると室町時代以前は源氏以外でも将軍になれたそうだ。
室町以前、以降で何故変ったのかは10に聞いてくれ。
19 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:24
>>10、出番だぞ
20 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:31
なんだ10、知らんのけ?
21 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/07/06 22:34
おらおら
>>10よ、さっさと答えろ。
83 :
日本@名無史さん:03/07/10 00:12
羽柴秀吉は征夷大将軍になりたくなかった、これが結論。
結論なら、羽柴秀吉は征夷大将軍になる気が強くなかった、が正解。
征夷大将軍などより関白の方が官位は上だし。
86 :
日本@名無史さん:03/07/10 01:01
羽柴秀吉は征夷大将軍になれなかった、これが通説。
87 :
日本@名無史さん:03/07/10 01:02
通説というより俗説だろ。
あきらかに間違ってる説なんだから。
征夷大将軍になれるのは武士でなければならない。
秀吉は武士ではないからなれない。
そんで公家の養子になって関白になった。
このスレ初めて見たんだが、
真面目なんだかネタなんだかわからんレスが多いなあ・・・
>>88なんて何だよ?そんな論理が成り立つなら
「関白になれるのは公家でなければならない。
秀吉は公家ではないからなれない。」
とも言えるだろ。(やっぱネタなのか?)
>>88は「武士」という単語の意味を説明し、
戦国〜織豊期における「武士」を説明してみてくれ。
某所にも書いたが、「なれなかった」と言うなら、そろそろ史料を挙げてくれ。
その史料の内容が明らかに正しければ、みんな納得するよ。
それができなければ、「なれなかった厨」と言われても仕方あるまい。
秀吉の将軍位云々よりも
「漏れが日本で一番」=「天皇廃位して自分が即位」
ってのをやらなかったのが不思議
なんで天皇に関白にしてもらって喜んでるの?
>>91 それって歴代の権力者に共通して言えるね。
93 :
日本@名無史さん:03/07/11 05:11
将軍や関白を蹴落とすのはできては、天皇はさすがに難しいんでしょうねえ。
まあ、全くチャレンジがなかったわけでもないが・・・。
基本的には現世の最高権力者になれれば、敢えて神(天皇)になる必要は
ないのかも。
94 :
日本@名無史さん:03/07/11 06:03
実際、当時、秀吉が天皇になるのではないかという説が流れたことがある。
ガセネタなのかホントにそういう企画があったのかはわからないが・・・
ただ当時の人がそういう噂を耳にして本気にしたことは確か。
95 :
日本@名無史さん:03/07/11 06:17
>>91 結局そこまでの力は無いって事でしょうね。こればかりは軍事力で
どうこうできる問題ではない。
>>91 天皇の地位は将軍と同じで秀吉にとって魅力がなかったんじゃないかな?
98 :
日本@名無史さん:03/07/11 07:32
a
99 :
日本@名無史さん:03/07/11 07:36
>>3にあるように、天皇の権威を利用して自分の権威を高める必要があった
秀吉には、自ら天皇になるより、お飾りとしての天皇家が存在しているほうが
やりやすいからでしょう。
摂関家として豊臣家が3代以上続いていたら、秀吉の孫か曾孫あたりが
天皇を狙うことはあっても、初代の秀吉にはムリ。
100GET
101 :
日本@名無史さん:03/07/11 10:48
やはり将軍になってみたかった・・・・
102 :
日本@名無史さん:03/07/11 19:55
将軍になりたかったに決まってる。
将軍職は一度就任してしまえば世襲が可能な先例があるわけで
また武家の棟梁としても最適。
関白は五摂家の持ち回りだったので1家で独占できる先例がないし
将軍と違って朝廷からの独立は不可能。
秀吉の権威が上がるに従って天皇の権威も一緒に上昇してしまうわけで
政権を維持していく機構としては重大な欠陥になりうる。
全部、想像じゃん。少しは史料を示せってばよ。
それに、将軍になっても朝廷から完全に独立するわけじゃないし、
秀吉や秀次の官位が上がったからといって、天皇の権威は上がらないでしょ。
104 :
日本@名無史さん:03/07/11 22:04
105 :
日本@名無史さん:03/07/11 22:09
秀吉は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
106 :
日本@名無史さん:03/07/11 23:48
一度は「将軍さん」と呼ばれてみたかったろう。人情として当然だ。
107 :
日本@名無史さん:03/07/11 23:59
秀吉は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
108 :
日本@名無史さん:03/07/12 01:55
足利義吉
109 :
日本@名無史さん:03/07/12 02:13
秀吉は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
110 :
日本@名無史さん:03/07/12 02:38
まずこの議論を始める前に、信長と将軍職について考える必要があると
思うのだが。
足利義昭が1588年まで将軍職に就いていたという事実があって、
それなのに本当に信長に将軍就任が打診されたのか、打診されたのなら
何故断るのか、断わるにしても義昭を罷免しておけば将来的に反信長勢力
が担ぐ恐れも無くなるのになぜ罷免しておかなかったのか、あるいは
いくら信長でも将軍は罷免できないのか、罷免できないなら朝廷から
将軍就任を打診するなんてことがあるのか・・・
この辺を解決しないと、秀吉の行動も読み取れませんよ。
将軍とか関白の職に捕らわれているのは、天皇を認めている事。
>>110 信長は参議からどんどん昇進して右大臣まで登りつめているでしょ。
征夷大将軍って、単独だとおおよそ従三位くらいらしいし。
有名無実で踊らされるだけの将軍なんて、必然性なっしんぐ
朕は認めんぞ。
114 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:02
信長は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
信忠を将軍にして自分は大御所になる、という選択肢はあったかもしれないが・・・
115 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:11
おまえらな徳川の将軍15代のイメージで言ってんじゃないヨ
あの信長秀吉の時代のメンタリティーで語れよ
室町の将軍なんぞ屁みたいなもんだったんだぞ
それでも秀吉は“天皇"に一目置いて(まこの辺が歴史の限界)
関白というあたらしい制度を作ったんじゃヴォケ
116 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:29
将軍になるのは難しい。武家の棟梁としての出自、人望・・・。源氏ではない秀吉は無理。
117 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:43
118 :
日本@名無史さん:03/07/12 09:12
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119 :
日本@名無史さん:03/07/12 09:16
将軍になるのはカンタン。武家伝奏に「なんとかしろ」と命令するだけでいい。
120 :
日本@名無史さん:03/07/12 10:01
関東を制圧するまでは征夷大将軍になることはできない。
信長の三職推任も武田を滅ぼし関東に手をかけた段階で話しが出た。
従って少なくとも徳川を政権内部に取り込んだ後でないと将軍になれなかった。
徳川を取り込むために関白として朝廷権威を利用した以上、政権の性格を幕府体制に
移行することは出来なかった。
121 :
日本@名無史さん:03/07/12 10:22
秀吉は信長のやり方に従って天皇になろうとしたからでは?
122 :
日本@名無史さん:03/07/12 13:21
将軍になるのはカンタン。武家伝奏に「なんとかしろ」と命令するだけでいい。
実際あの時期、足利幕府の権威は地に落ちていたわけで、いままでと違う新しい
日本をおれが作りますよ、っていうことを宣言する意味で朝廷を担ぎあげたんだと
思う。つまり幕末に、アンチ幕府側が朝廷を担いだのと同じ論理。
反対に家康は、旧来の体制をより引き締めてやるぞ、という意思表示として将軍の
ほうが都合がよかったんじゃないだろうか。
秀吉の誤算は、生きてるうちに新しい政治体制の枠組みを提示しえなかったこと。
幕末には欧米というお手本があったが、秀吉とその幕僚にはそれほど強く独創的
な国家観がなかったと思われる。これと同じ立場に信長がいたとすれば、大量の血
を流して中央集権国家を作っていたかもしれないが。
125 :
日本@名無史さん:03/07/12 19:51
>>120 なれなかった厨はスレ違い。
ここはならなかったのは何故か、のスレです。
126 :
日本@名無史さん:03/07/12 20:03
なれなかったからならなかっただけだろ、簡単じゃん。おバカじゃん。
127 :
日本@名無史さん:03/07/12 21:16
将軍になるのはカンタン。武家伝奏に「なんとかしろ」と命令するだけでいい。
128 :
日本@名無史さん:03/07/12 21:40
秀吉は将軍になんかなりたくなかったんですよ。
貧乏公方足利義昭の後継者になることになんの価値も見出していないのです。
>126
「なれなかった」と「ならなかった」をどこで判断するの?
その論法だったら何だって言えそうだが。
130 :
日本@名無史さん:03/07/12 22:03
>>126 ホントおまえのおつむの構造は簡単だな(w
オムツ交換しないと・・
132 :
日本@名無史さん:03/07/12 22:52
秀吉には親藩、普代と呼べるような者は少ないからね。所詮、大名の連合体の幕府体制は不安有りだったんじゃないの?関白でも摂政でも中央集権に近い形態が〇
133 :
日本@名無史さん:03/07/12 22:53
江戸幕府は大名の連合体じゃないけどな。
134 :
日本@名無史さん:03/07/12 23:01
>>133 そうですな。あの体制を作り上げた所が徳川の凄い所かにゃ
135 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:28
>>114 信長がなりたくないのはいいんだけど、何故義昭を将軍のまま放置する?
137 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:29
138 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:35
放置して害ありまくりだと思うんだけど。
荒木村重の謀反にも、義昭が派遣した小林家孝の工作がかなり
絡んでいる。義昭が将軍を罷免されていたらこんなことには
ならなかった。
139 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:40
一旦は信長に降っていた波多野秀忠が叛旗を翻したのも、
将軍が毛利のもとに移ったからだしね。
140 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:49
>>134 というか、あの体制が幕府の欠陥だったんだけどね。
>>138 そりゃ、罷免しようがしまいが、義昭が存在すれば起きることでっしゃろ。
それなら、何故義昭を拘束or殺害しなかったか、だと思われ。
漏れは、村重は義昭如何に関わらず謀叛したと思うけど。
142 :
日本@名無史さん:03/07/13 01:59
>>141 >そりゃ、罷免しようがしまいが、義昭が存在すれば起きることでっしゃろ。
現職だから意味がある。権威がある。大義名分になる。
>それなら、何故義昭を拘束or殺害しなかったか、だと思われ。
1.三好三人衆が義輝を殺したから信長は義昭担いで上洛できた。
将軍殺害はある意味信長の全ての大義名分を否定しかねない。
2.単純に逃げられた
>漏れは、村重は義昭如何に関わらず謀叛したと思うけど。
確実に味方してくれる人間がいなけりゃただの自殺行為。
本願寺・毛利らとの接点が将軍義昭ということになる。
143 :
日本@名無史さん:03/07/13 05:09
>142
>職だから意味がある。権威がある。大義名分になる。
とくにここが思い込み。
いわゆる堺公方とか阿波公方とか出てくるのはなぜか考えよう。
144 :
日本@名無史さん:03/07/14 00:06
145 :
日本@名無史さん:03/07/14 00:22
>>135単純に利用価値の問題でしょ。実際、最後には潰してるわけだから。
146 :
日本@名無史さん:03/07/14 01:08
147 :
日本@名無史さん:03/07/14 01:19
>>146 一五七三、義昭追放、室町幕府滅亡。言葉足らずでスマソ
148 :
日本@名無史さん:03/07/14 01:58
だから追放されたか自分から逃げたか知らんけど、その後も
義昭は将軍として幕府らしきものを構えて、いくつかの仕事をこなし、
しかも信長に敵対する連中を煽り続けているでしょ。
実際多少の効果もあったようだし。
京を追われたら滅亡と言うのなら、義昭より前の将軍でも何度も
流浪してるしね。
「将軍」の「利用価値」というのであれば、信長は別な将軍を立てる
べきであっただろうね。
149 :
日本@名無史さん:03/07/14 02:15
>>148確かにそうなんだけど。信長自体は将軍・幕府体制に魅力は感じてないでしょう。自らの勢力が安定するまで(曖昧な言い方でごめん)の間だけ利用したというか。必要なくなって捨てた。
結局、秀吉には明確な国家観がなかった。
だから、出来合いの支配構造に乗っただけで終わった。
将軍になって、一から権威ある幕府体制を作ろうという気概も
それを実現する家臣・官僚もいなかった。
ここにきて、幼少の育ちが影響してしまったのか?
中央集権とか考える前に、朝鮮出兵とかやってるし。
朱元璋みたいな、冷酷さ・用心深さ・えげつなさが無いと
庶民が王朝をたてるなんて無理なんだろーね
もっとも日本じゃ朱元璋みたいなのは、すぐ殺されるか
151 :
日本@名無史さん:03/07/14 04:16
>>149 だとすれば光秀すら当座の名分として義昭を担いだらしいことから
すれば、とんだ判断ミスでしたね。
義昭の息子は信長が押さえていたのだから、傀儡政権を立てることは
可能だったはず・・・あるいはそれはできなかったのか。
152 :
日本@名無史さん:03/07/14 08:43
傀儡は擁立できたでしょう。ただ信長は、将軍というものに既に価値観を失っていた。対して、諸将・他大名にとってはまだまだ利用価値があるものだった。この差を無視したのは信長のミスとは思います。
秀吉の頃に幕府といえば、過去に鎌倉と足利しかなく、この二つは隠れも無い清和源氏。
そして、将軍とはもともと武家社会の盟主であるだけで、実際に行政を取り仕切っていた
のは、執権や管領という歴史的な背景。
つまり、あの時代の将軍の価値とはその血の高貴さゆえに、施政者に担がれるみこしに
すぎない存在であったわけで、もし自分が将軍についたとしても、その子孫にまで誰も
心服はすまいとは秀吉も思っていたと思う。
反対に徳川の開幕はある意味ぬけぬけとやったのだが、血の高貴さを売りにできないぶん
法律でがんじがらめに縛るという、新しい専制的な将軍像を作り上げた徳川官僚の功績
は評価されていいね。
154 :
日本@名無史さん:03/07/14 10:13
まあ平清盛が将軍職に付かなかった理由も考えてみろと
155 :
日本@名無史さん:03/07/14 12:10
基本的に武士が偉くて将軍が一番の権威をもっているという、
状態は家康が作った。
清盛や秀吉の時代では太政大臣のほうが格上だっただけでしょ。
156 :
日本@名無史さん:03/07/14 13:00
まあー頼朝だって、娘の入内が実現していたら太政大臣に
なっていたかもしれないね。
義満は将軍にも太政大臣にもなってるけど。
158 :
日本@名無史さん:03/07/14 18:49
順番としては、征夷大将軍になってから太政大臣になるのが通例。
秀吉は先に太政大臣になっちゃったから、いまさら将軍職は必要なかったんだろう。
159 :
日本@名無史さん:03/07/14 19:20
将軍になれなかったから、方向転換したんだけどね。
160 :
日本@名無史さん:03/07/14 19:23
>>159 将軍になれなかったという証拠があるなら出してもらおう。
出せないんだったら黙ってな、厨房。
161 :
日本@名無史さん:03/07/14 19:40
まあまあ、落ち着いて。
足利尊氏は従二位・権大納言から征夷大将軍になっていますが
163 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:24
徳川家康は従一位・内大臣から征夷大将軍になってます
164 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:30
秀吉では武士の棟梁にはなれない罠。
全国平定と惣無事令出して一応平和になった以上、正当な行政権限のある関白のほうが
秀吉にとって必要だったんじゃない?
166 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:37
源頼朝は正二位・前権大納言から征夷大将軍になってます
167 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:44
カネばら撒いて、それでもダメならカツアゲすればイチコロよ京都なんて。
おサルさん、しなかったんやろが!弱気やな〜。
168 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:50
秀吉は武士の棟梁以外の何者でもないわな。
169 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:51
私は校内成績98位・大納言小豆専門店のアルバイトから誠意ある大将軍の住人になってます。
171 :
日本@名無史さん:03/07/14 22:05
>>170 頼朝は権大納言になってすぐ辞任しちゃったから一応「前」だろ。
「前の権大納言」という官じゃないから、前はいらないと思うけどなぁ。
173 :
日本@名無史さん:03/07/14 23:34
どっちでもええこっちゃ、アホ
174 :
日本@名無史さん:03/07/14 23:41
とにかく秀吉以前に最高権力を持った将軍は義満だけなわけで、
その義満も太政大臣になっている。
将軍=最高権力者といえるようになったのは、
大御所の秀忠が死んでから。
175 :
日本@名無史さん:03/07/14 23:42
秀吉は将軍に「ならなかった」という結論は不動ですな
176 :
日本@名無史さん:03/07/14 23:47
いや、「なれなかった」でしょう。源氏じゃないから。
177 :
日本@名無史さん:03/07/14 23:49
源氏じゃなくても征夷大将軍にはなれますけどね。
178 :
日本@名無史さん:03/07/15 00:23
>>176 「ならなかった」の。摂政・関白だって「源・平・藤・橘」の四姓しかなれないから、新たに「豊臣」姓を追加して、天皇から下賜した事になってるでしょ。つまり、どーとでもなったの。なんでもあり。
179 :
日本@名無史さん:03/07/15 00:33
足利尊氏と大塔宮の場合は、明らかに実力が下の大塔宮を、官位を尊氏より
上にすることで後醍醐が双方を牽制した、
・・・・・と中学三年歴史のレポートに書いてもいいでしょうか?
【鎌倉将軍歴代】
[氏名] [父]
源 頼朝 源 義朝
源 頼家 源 頼朝
源 実朝 源 頼朝
藤原頼経 九条道家
藤原頼嗣 藤原頼経
宗尊親王 後嵯峨天皇
惟康親王 宗尊親王
久明親王 後深草天皇
守邦親王 久明親王
鎌倉だとこんな感じだな。
護良親王も加えた方が良かったかな?
源氏だけしか将軍になれなかった、なんて、
徳川に踊らされているか、徳川のシンパなんだろうな。
181 :
日本@名無史さん:03/07/15 07:19
「清和源氏でなければ征夷大将軍になれない」というのは徳川家のプロパガンダです。事実ではありません。
182 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:05
「ならなかった」と結論も出たし(前から出てたけどね)、その理由を本格的に話まひょう。私は
>>132と考えます。
183 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:13
関白就任は多分に偶然でしょ。
近衛信尹と二条昭実の関白争論がなければ、関白にはならなかったはず。
関白にならないままで内大臣→左大臣→太政大臣と順当に昇進してたんじゃないのかな。
先例としては清盛型の政権になるね。ただ実態は関白政権と変わらなかったのでは。
184 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:19
関白になっても将軍になっても、できた政権は同じようなものだったと思う。
関白も将軍も、官職それ自体にたいした意味はない。
秀吉がその職につくことによってはじめて、官職に意味が与えられる。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
186 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:34
清盛型の政権になる。←同意。あと気になるのは、いわゆる「源平交替思想」。足利(源)→信長(一時、平を名乗る)で信長は途中挫折。後継を自認する秀吉がそこまで考えたつーのは考え過ぎ?
考えすぎ。
188 :
日本@名無史さん:03/07/16 19:05
▲
189 :
日本@名無史さん:03/07/17 11:48
◎
a
192 :
日本@名無史さん:03/07/17 12:28
b
193 :
日本@名無史さん:03/07/24 12:28
age
194 :
日本@名無史さん:03/07/24 12:31
最近やたら見かける「山崎渉」って誰?とお思いの方、多いでしょう。
知りたい方は、名前の欄に「山崎渉」と入れてみてください。
書き込みのコメントは何でもいいです。
ただ、名前の欄には「山崎渉」と入れてください。それだけです。
すると、あら不思議!すごいことがおこりますよ。
これであなたも「山崎渉」が何なのか、わかると思います。
(「山崎」と「渉」の間にスペースは入れないでください)
195 :
日本@名無史さん:03/07/26 00:20
なれなかったから。
釣れますか?
なるれらったから
(^^)
199 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:29
羽柴秀吉は将軍になりたくなかったからならなかったのです。
餌が腐ってますよ
201 :
日本@名無史さん:03/08/04 23:20
俺やったら将軍なるけどな、一応源氏やさかい。
202 :
日本@名無史さん:03/08/04 23:35
将軍は源氏だけ?平氏はなれんの?
203 :
日本@名無史さん:03/08/04 23:53
なれる
天皇のご落胤だから
九条頼経は天皇の落胤じゃないだろ
206 :
日本@名無史さん:03/08/05 23:21
足利秀吉になれなかったから
207 :
日本史博士@:03/08/06 10:56
いや、彼は一応はなろうとしたんですよ?
足利義昭の養子になろうとしたけど、「氏
もない卑賤の下民にこの義昭、いかに落ち
ぶれようと名は譲らぬ」と、散々な拒否を
されたのです。そこで公家の近衛家のお墨
付きで、近衛の養子で公家という形で、征
夷大将軍より上座の、関白に叙せられたの
です。近衛家は九条家と関白争いをしてま
したから。両者共倒れになるよりは、いっ
その事と、痛みわけしたのです。ま、もち
ろん、下民の秀吉の関白就任に公家たちが
愁眉を寄せたことは言うまでもないですが。
(W
208 :
日本@名無史さん:03/08/06 18:14
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209 :
日本@名無史さん:03/08/06 18:23
>>207 秀吉が義昭の養子になれなかった、という話は林羅山の創作、というう説が有力ですよ、坊や。
,,,--─===─ヽ/へ
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213 :
日本@名無史さん:03/08/06 22:53
天皇になることが嫌われるのは、天皇は兵権を持つことが出来なかったからだろうね。
けど、足利義満は天皇になろうとしたらしいけど、どんな政権を考えていたんだろう。
すれ違い?
215 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:00
足利義満は法皇になろうとしたんだろ。
ほとんどなったようなものだが・・・
つか、秀頼は将軍になれるわけ?
血縁的には。
217 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:32
日本国王>天皇>法皇
218 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:35
秀吉は将軍になりたくなかったからならなかったのです。
なろうと思えばなれたのです。これが結論。
秀吉がなれる以上、秀頼もなれますね。
219 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:38
220 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:40
明智光秀さんの説が正しい。
222 :
日本@名無史さん:03/08/07 00:07
義満の希望は、天皇は天皇家、摂政関白は藤原家、将軍は義持、日本国王は義嗣。
223 :
日本@名無史さん:03/08/07 05:48
そのまま長生きして、唐入に失敗しても、徳川家康は征夷大将軍になっただろう。
気の迷いが生じて、伊達政宗か前田利家かを征夷大将軍にしたかもしれんが。
224 :
日本@名無史さん:03/08/07 08:58
よくもまあ、同じような議論を何スレも続けられるね。
225 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:05
秀吉は将軍になりたくなかったからならなかったのです。
なろうと思えばなれたのです。これが日本史板の結論。
関白になったのは単なる偶発的な事故に近いもの。
秀吉の真の狙いは太政大臣。
226 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:07
227 :
日本@名無史さん :03/08/07 09:07
もし唐入りに成功してたら、明国の王になったのだろうか?
229 :
GET! DVD:03/08/07 09:17
230 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:19
>>227 いいえ。
後陽成天皇を北京に移して唐の天子
八条宮を日本の天子
で、自分は唐の関白
231 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:27
最終的には日明の朝廷の上に立って両国を支配する「皇帝」が目標だったんだろうな。
232 :
日本@名無史さん:03/08/07 10:56
壮大すぎる話だけど、秀吉て最終的にはインドまで征服するつもり
だったてホント?
233 :
日本@名無史さん:03/08/07 11:00
仮に朝鮮の水軍を撃退していたとして、
当時の秀吉の動員できる戦力で明国を征服できただろうか・・・。
234 :
日本@名無史さん:03/08/07 11:02
無理ぽ
235 :
日本@名無史さん:03/08/07 11:46
秀吉がどこまで本気だったのかというのは興味深い論点だと思う
236 :
日本@名無史さん:03/08/07 21:15
将軍になり損ねた鬱憤を晴らしたかっただけ
238 :
日本@名無史さん:03/08/07 21:16
239 :
日本@名無史さん:03/08/07 22:40
食いつきええのう。
240 :
日本@名無史さん:03/08/07 22:42
また再確認しなくちゃいけないのか?
241 :
日本@名無史さん:03/08/07 23:27
今ひとつ、秀吉の対外戦略が見えてこない。
唐入り自体も中途半端な感じだし、西洋諸国
に対する秀吉の見解もよくわからない。
朝鮮半島に渡った軍は二十万で名護屋に二十万いあたらしいが、
実際もっと投入できたんじゃないか?
無理だろう。ただでさえ補給に苦労してたんだから。
スレ違いだけど
ゲッツ屯田
「殿下」って呼ばれたかったからじゃ?
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
247 :
日本@名無史さん:03/08/18 21:40
秀吉が将軍として幕府を開いていたとしても、その将軍家は果たして何代続いたろう?
源氏のようにあっさり断絶して、結局は鎌倉における北条のような奴らに乗っ取られたんじゃなかろうか?
セーラー服の少女と3P。なんともうらやましい光景です。
オマンコは小ぶりながらもビラビラ大きめで相当使い込んでいる様子!
オッパイの方も手ごろな大きさで揉み応えありそうですよ。
ローターで喘ぎまくっちゃうところなんか感度よすぎ!
セーラー服好きな方はここ!!
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249 :
日本@名無史さん:03/08/18 21:56
250 :
日本@名無史さん:03/08/18 22:13
>>249 係累が少ないため。
源氏にしても頼朝が兄弟の多くを殺したため、幕府が開かれた後は頼家、実朝しか血を引く者が残っておらず
(他にもいくらかいたらしいけど、大した力はなかったんでしょ)その2人を消せば源氏は絶えるところまで減っていたわけだし。
同様に、秀頼しか血を引く者がいない状況では、豊臣の血を絶やして実権を握ろうと暗躍する奴らが出てきた可能性は非常に大きかったのでは・・・?
秀吉は武士より一段上の貴族に憧れてたんだよねえ、朝廷側からみれば
しょせん武士なんて穢れた存在だし。
それに気付いた秀吉は羽柴から豊臣の貴族姓に変更し、関白を選んだ。
源氏なんて捨てるほどいるんだから、どこかの養子には簡単になれたろう。
足利にこだわる理由もなし。
貴族になるためのごり押しの方が遥かに難しそうだにゃ。
「豊臣」は氏
253 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:40
本当は将軍を狙ってたんだな。
254 :
日本@名無史さん:03/08/23 04:30
関白でも将軍でも、秀吉にしてみればどちらでもよかった。
ただ、秀吉は例えば足利義輝が松永久秀等に惨殺されたり
義栄や義昭がにげまどっているのをまざまざと見ているわけ
だから、将軍を特別神聖視していなかったのは間違いないと
思います。
あと、義昭の養子になろうとして断られたというのは新井白石
の創作とされていますね。そういう論文があります。
それと、源氏でなければ将軍になれないというのも誤り。秀吉は
なろうと思えば将軍になれたけど、それに魅力を感じなかったため
にならなかった。そして官位では将軍よりもずっと上の関白となって
全国支配の正当性を得ようとしたのだと考えられます。
また、羽柴から豊臣に変更というのも間違い。秀吉は近衛家の養子と
なって藤原姓を称しています。藤原から豊臣に姓を改めたわけです。
なお、羽柴は名字ですね。
255 :
日本@名無史さん:03/08/23 06:37
関東は将軍さんでないと治められまへん。
わてら関東武士は将軍さんを崇拝してまんねん。
>>254 羽柴は「氏」じゃないの?
羽柴という地名があれば、名字でもいいんだろうけど。
258 :
日本@名無史さん:03/08/23 20:19
259 :
日本@名無史さん:03/08/23 20:48
氏 豊臣=源=平=菅原
苗字 羽柴=徳川=織田=前田
261 :
日本@名無史さん:03/08/27 21:00
254です。姓・氏・名字(苗字)の区分は実際のところ難しいですが、
源・平・藤原などと織田・羽柴・徳川などとは性質が根本的に違うこと
を理解しておくならば、呼び方はさほどこだわらなくてもいいと思います。
個人的には姓と名字(氏)に分けて考えていますけど。
ただ、織田信長とか徳川家康などのように、武家は名字で呼ばれるのが通例
なので、秀吉も豊臣秀吉ではなく羽柴秀吉と呼ぶべきだという見解が研究者の
中にはありますね。秀吉は名字的には終生羽柴でしたので。
ちなみに豊臣期には有力大名が羽柴の名字を与えられ、家康も公的には「羽柴
家康」でした。徳川将軍が松平を与えたはしりと言われています。
262 :
ぼるじょあ:03/08/27 22:12
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264 :
日本@名無史さん:03/08/28 01:09
名字≒苗字
似てるけど、厳然と違う
266 :
日本@名無史さん:03/08/28 06:28
名字と苗字は同じもの
267 :
日本@名無史さん:03/08/28 06:43
苗字と名字は違うもの
268 :
日本@名無史さん:03/08/28 06:50
>>263 名田てのは「三郎名」だとか「吉益名」だとか。
名字とは関係ない。
269 :
日本@名無史さん:03/08/28 07:04
みょうじ(ミヤウジ)【名字】
1 公家(クゲ)・武家の階級に属することを表わす家の名。〔封建時代、百姓・町人は名字を唱えることが許されず、名のみを唱えた。功績が有り、特に、その許しが有ったことを「―帯刀」と言った〕
2 明治維新以後は、家の象徴としての氏(ウジ)。姓。
表記
2は、「苗字(メウジ)」とも書く。
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997
光秀の惟刀は姓ということでいいの?
271 :
日本@名無史さん:03/08/28 12:33
>270
苗字だろ。
272 :
日本@名無史さん:03/08/28 12:39
>>268 関係なくはないだろ、厳密には名字は名田からきた名前。
その例の「吉益名」からきた名字は「吉益」だけど。
273 :
日本@名無史さん:03/08/28 13:20
一般peopleだったから。
274 :
世界@名無史さん:03/08/28 13:27
朝鮮出兵の際に誰か部下を征夷大将軍任命してりゃあ
はっきりしてたのにね。
275 :
日本史の戦国:03/08/28 14:47
秀吉が征夷大将軍になれなかったのは源氏じゃなかったからです
かつての源氏 足利氏も八幡太郎義家の子孫だからです
じゃあなぜ家康が征夷大将軍になれたか
それは、口実さえあれば家康は征夷大将軍なれる身だったのです
家康は大名の子 秀吉は百姓の子と生まれは家康のほうが上です
朝廷も力が弱り 秀吉が死んでから家康が逆転してしまった
さらに政治もはっきりしてないこの世を立て直すためにも!
朝廷はついに家康を征夷大将軍にさせたのです
277 :
日本史さん:03/08/28 15:50
上の名前変えましたー 氏は豊臣 源 平 橘 藤原です
足利義昭の養子になろうとした秀吉も断られたので
将軍にならなかったのです 百姓っ子の秀吉は武家政治をめざしてました
それとは逆にさかのぼっていくと・・足利義満 死ぬまで政権を握った
将軍ですしかしかれは武家政治より天皇の名をつかいました
義満は自分の妻を天皇の義母にしました・・となると
義満は上皇となるのです武家政治でなければ院政に等しい行為
秀吉が関白であり武士だったのもおかしくないのです
関白は貴族でなければなれない位これも秀吉の新たな疑問かもしれません
278 :
日本史さん:03/08/28 15:50
すいません日本史の戦国のことです
大伴は氏だよな?
280 :
日本@名無史さん:03/08/28 17:03
>>277 だから秀吉が義昭の養子になろうとして断られたという話はガセだってば
光秀は、もともと明智が名字で氏は土岐じゃなかったっけ
その土岐の氏を捨てて惟任を継いだってことかな?
>>281 土岐も微妙だな。
「(源)頼国の曽孫光信のときに美濃国土岐郡土岐郷に居住して」
を読む限りでは、土岐も名字のような気がする。
信長公記やその他の資料でも惟任日向守と表記してるので名字だと思う。
ただ名乗った時期が短かった(長篠の戦い後の論功行賞で貰った)ので
明智のほうが一般的なだけだろう。
284 :
日本@名無史さん:03/08/28 18:31
285 :
日本史さん:03/08/28 18:36
280 名前:日本@名無史さん :03/08/28 17:03さん
そしたらうその本もあるわけですよ
286 :
日本@名無史さん:03/08/28 18:43
>>283 公家でも武家でも同一人物がいろんな名字で呼ばれることは当時珍しくないからね。
惟任の名字と明智の名字を適宜に使い分けていたというところじゃないの?
287 :
日本@名無史さん:03/08/28 19:34
なんか厨房多いみたいだね。
惟任は朝廷から賜ったもの。
以後は惟任が正式な名字です。
ちなみに光秀は土岐支流の出身ということになっているので
美濃源氏であり、氏は源です。
明智は家臣に与えていますね。
明智秀貞とか明智秀満とか。
288 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:09
>>287 「惟任」名字の賜姓後も「明智」名字で呼ばれていたのは事実だろ
光秀の氏や惟任については自信が無かったので、触れないでよかった。
皆様ヘルプサンクス。
291 :
日本@名無史さん:03/08/29 19:42
秀吉が足利義昭の養子になろうとして断られたという話は、当時の史料には
全く見当たらないですよ。徳川将軍の御用学者である新井白石が勝手に捏造
したものです(『豊臣秀吉譜』)。将軍を絶対視することにより、将軍になら
なかった秀吉の地位を殊更に矮小化し、加えて実際に将軍となった徳川氏の
正当性を主張したのです。
秀吉について言えば、将軍に魅力を感じなかったからならなかった、これに
つきると思います。考えてみてください、鎌倉の源氏将軍は3代のうち2人は
殺され、足利将軍にも暗殺された者が2人もいるのですよ。そんな前例があって
は、「将軍になれば自分の政権も安泰だ」などと秀吉が思うはずもないでしょう。
292 :
日本@名無史さん:03/09/01 12:29
あげ
293 :
日本@名無史さん:03/09/01 15:56
age
294 :
ワガママ富子:03/09/02 19:02
ここのスレ、読むのかったるーい。
でも答えは知りたーい。
誰か後でまとめてー。
295 :
日本@名無史さん:03/09/05 23:09
>>291 征夷大将軍と関白、どっちがより「正統政権」にふさわしいかと考えた結果かも。
296 :
日本@名無史さん:03/09/05 23:11
297 :
日本@名無史さん:03/09/10 23:00
秀吉って将軍!関白!よしかも!皇帝と言う!もっと!上の地位を
目指していたんじゃないの!だから!朝鮮経由で明国を攻め滅ぼさんと
しようと!したんじゃないの?秀吉が皇帝の座に就くために
今から思えば朝鮮は!済州島だけ攻略して!済州島に出城を築いて
直接!明国に攻め込んで!いたなら!もしかして!秀吉が皇帝の座に
就いていたかもね!秀吉が朝鮮経由で明国に攻め込んで一番得をしたのが
今から思えば女真族の金国だったね!秀吉が朝鮮経由で明国に攻め入った
お陰で明国の国力が衰退し日本民族ではなかったけれど!金国の女真民族が
まんまと皇帝の座に就いたね!日本民族!皇帝の座まで!あと1歩と言う
所で残念無念_(-_- )ノ彡☆ばんばん!
298 :
日本@名無史さん:03/09/10 23:05
秀吉って将軍!関白!よしかも!皇帝と言う!もっと!上の地位を
目指していたんじゃないの!だから!朝鮮経由で明国を攻め滅ぼさんと
しようと!したんじゃないの?秀吉が皇帝の座に就くために
今から思えば朝鮮は!済州島だけ攻略して!済州島に出城を築いて
直接!明国に攻め込んで!いたなら!もしかして!秀吉が皇帝の座に
就いていたかもね!秀吉が朝鮮経由で明国に攻め込んで一番得をしたのが
今から思えば女真族の金国だったね!秀吉が朝鮮経由で明国に攻め入った
お陰で明国の国力が衰退し日本民族ではなかったけれど!金国の女真民族が
まんまと皇帝の座に就いたね!日本民族!皇帝の座まで!あと1歩と言う
所で残念無念_(-_- )ノ彡☆ばんばん!
平清盛→源氏→平氏→源氏→秀吉
300 :
平蜘蛛 ◆nual7Ky6cY :03/09/25 09:41
300ゲット(・∀・)
301 :
日本@名無史さん:03/09/25 10:47
平氏(清盛)→源氏(頼朝)→平氏(北条)→源氏(足利)
→平氏(信長)→源氏(光秀)→平氏(秀吉)→源氏(家康)
302 :
日本@名無史さん:03/09/25 11:03
303 :
日本@名無史さん:03/09/25 12:11
光秀が天下を獲ったんなら、源義仲だって獲ったと言えるはず
実は総理大臣も源平交代交代だったりして。
305 :
日本@名無史さん:03/09/25 12:56
それよりも秀吉はなぜ天皇家を滅亡させなかったの? これは家康にも言えることだけど・・
天皇のご落胤だから
307 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:15
武将・民衆の支持率低下
全国の有力武士は、天皇家の流れを汲むということに建前上でもなってん
だから潰せるわけがない。潰せたとしたらクビライとGHQだけだったろう。
平氏(清盛)→源氏(頼朝)→平氏(北条)→源氏(足利)
→平氏(信長)→源氏(光秀)→平民(秀吉)→源氏(家康)
平民、ご苦労。
311 :
日本@名無史さん:03/10/13 09:59
312 :
日本@名無史さん:03/10/15 13:09
>>305,
>>308 天皇家を潰して自分が天皇になったところで、
口うるさいだけの公家が政権中枢にもぐりこむだけです。
313 :
日本@名無史さん:03/11/07 03:11
あ
俺は信長は天皇を潰そうとしたんで、天皇は密かに明智に殺せと命じたと勝手に思い込んでます