1 :
日本@名無史さん :
03/05/25 23:12 「零戦は優秀だったの?!」スレの第U弾!!
2 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:12
2getズサー
3 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:12
2get
4 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:13
3ずざー
ちぇっ。 打通さんが来るタイトルだな。
6 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:15
正直すまんかった
7 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:17
次スレはショウキかソウリュウかい?
8 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:19
9 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:20
初期生産型は欠陥機です。 欠陥を隠した陸軍はイクナイ!とおもいまつ
特攻機としてはたいへん優秀だったとおもいます。
13 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:26
14 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:27
16 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:28
17 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:30
次スレは二式大艇か?
18 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:31
↑しぶいなw
19 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:32
文句無しに優秀だな
20 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:32
隼の方がゼロより材料がすくないぶん使い捨てにするには良い
22 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:35
性能面で詳しい椰子、隼を紹介してくれよ。
比べる相手が赤トンボかよっ!
24 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:36
対空戦車ソキは?
25 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:38
↑何それ
26 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:42
27 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:42
29 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:49
ベルト給弾じゃないのがミソだな
30 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:50
31 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:53
中島飛行機を創業した社長は、ライト兄弟初飛行の新聞記事を読んで直ぐに これからの戦争はこれだと思いついたらしい
32 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:53
>>26 赤とんぼも大戦末期には特攻機として使われた。
戦果があったかどうかは知らんけど。
33 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:54
しかし対空戦車って実戦で役に立つのかな? ドイツ軍なんかでは割と使われてたみたいだが 大戦末期の高速・高高度で飛ぶ戦闘機や爆撃機に それほど効果があったのだろうか?
34 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:56
35 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:58
>>32 赤とんぼで特攻には行きたくないって、みんな思っていただろうな。
どうせなら零戦とか隼とか…
36 :
日本@名無史さん :03/05/25 23:58
37 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:12
>>33 対空戦車は、高射砲みたいに上空を飛んでいる飛行機を打つんじゃなくて、
対地攻撃をしてくる戦闘爆撃機や地上攻撃機(シュツルモビク等)を撃つものです。
38 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:43
このスレ面白い
39 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:48
武装が貧弱というのがネックだな。
40 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:49
>>13 前スレでこんな議論がありますた
732 :ちなみに :03/05/21 23:09
まだ子どもだった大昔に、関係者だった友達の爺様(旧軍の元航空技術者)
から隼は欠陥機だったと聞いたけど、どうなんだ?
有名な加藤隼戦闘隊の隊長も事故死で、欠陥是正の必要性を具申してい
たって話を聞いたんだが。
ぐぐってもあまりこの話題が出てこないようだが、事実はどうだったんだろう
か。
733 :日本@名無史さん :03/05/21 23:11
>>732 打通さんが見たら怒り狂うだろう
(中略)
737 :日本@名無史さん :03/05/22 00:57
>>732 初期生産機までは主翼の剛性に問題があって空中分解。
あと筒内爆発が多く、加藤戦隊長も未帰還だった部下に関して
「またか?」みたいに書いてたと記憶してる。
加藤中佐の戦死は、被弾したのは確からしいが、
機上で死んだのか、帰還の望み無しと見て自爆したのか、
その辺はわからん。
41 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:52
738 :日本@名無史さん :03/05/22 01:06 >隼は欠陥機だったと聞いたけど これは軍関係者の間では常識です。 あちらの爆撃機には手も足もでなかった。(小口径機銃のみ) 足も短く緒戦では片道攻撃という特攻をやっている。 主に弱い相手に戦っている間は問題はないのだが 739 :日本@名無史さん :03/05/22 01:16 >足も短く これは嘘だぞ。増槽無しの航続距離なら、ゼロより上だったはず。 740 :日本@名無史さん :03/05/22 01:21 >739 マレー上陸援護では片道援護をやっている。 >増槽無しの航続距離なら、ゼロより上だったはず。 増槽つきなら航続距離なら、ゼロより上だったはず。 というつもりかな 741 :日本@名無史さん :03/05/22 01:27 隼の航続距離は、型によって違うが1500〜2200kmだよ。 これで短かったら、どれだけあれば短くないのかと... 742 :日本@名無史さん :03/05/22 01:31 まぁあれだ。気球が一番航続距離があったってことだ。 743 :日本@名無史さん :03/05/22 01:34 フウセンバクダンもなー
42 :
日本@名無史さん :03/05/26 00:56
745 :打通さん :03/05/22 07:57 >隼は欠陥機だったと聞いたけど そんな難癖つければ、零戦だって防弾無しの欠陥機だし、疾風だって稼動不良の欠陥機になってしまう。それぞれ一長一短だろう。隼には抜群の稼動性と旋回性があって、疾風よりも隼を好むパイロットも結構居たくらいだ。打通作戦では 疾風とで相互に弱点を補いつつ、進撃のエアカバーに尽力した。 >有名な加藤隼戦闘隊の隊長も事故死で、 隼の格闘性能を過信しすぎてブレニム爆撃機の背後に回ったつもりでいたら、 後方機銃に撃墜されたってのが定説だったと思うが。 746 :日本@名無史さん :03/05/22 11:06 隼は設計試作段階から失敗作だった。 足を出したやつを作ったりして設計思想が 定まらなかった。 用兵側の思想がなかったこともある。 陸軍機としては、長躯進攻の必要性がなかった。 海軍機は長躯進攻がすでに中国戦線で実感されてていた。(ゼロへの要求)
43 :
日本@名無史さん :03/05/26 01:12
「エンジンの故障が多いから、あれは駄目だ」って、江藤戦隊長が、我々に 説明をしてくれたんですけどね。僕ら皆、四式戦希望しとったんです。機種 改変ちゅうから「おっ、やった!四式戦」って皆喜んどったんですよ。で、 戦隊長が着隊して来たら「うちは三型でいく」っていうから「エーッ」ってね。 これは戦隊長が決めたんじゃないですかねぇって。「どうしてですか」って聞くと、 「三型は旋回性能がエエし、稼働率がエエから」っていうてましたね。そんでも、 速い飛行機には魅力あったなァ。逃げる時も四式戦はシャーッと速いし、一式戦 はもたもたしてて、何回も攻撃かけられるしね、敵さんから。 〔池田昌弘軍曹(64戦隊)〕 梅本弘「ビルマ航空戦」
44 :
日本@名無史さん :03/05/26 01:17
>「うちは三型でいく」っていうから「エーッ」ってね。 ワラタ
45 :
日本@名無史さん :03/05/26 01:27
戦隊長に機種の選択権があったんだ。もっと上層部で決めるものだと思ってた。
46 :
日本@名無史さん :03/05/26 01:36
弱装の隼はだめです。
47 :
日本@名無史さん :03/05/26 06:13
武装が貧弱な理由 ・隼の場合:機体が脆弱で積めなかった。 ・ロ助の場合:機体の生産に機銃の生産が追いつかなかった(マジ)
48 :
日本@名無史さん :03/05/26 08:18
翼内機銃が無いんだっけ?
最近軍事系のスレが盛り上がってるけど、軍事板に何かあったの?
50 :
日本@名無史さん :03/05/26 10:07
ロシア軍の戦略目標は草むら
あぼーん
52 :
日本@名無史さん :03/05/26 10:24
>>49 もともとは零戦スレが最初だったか?といっても、軍事版に何があったって
わけではないだろうね。
53 :
日本@名無史さん :03/05/26 15:37
まぁ、隼は軽さからくる運動性が命だからな…
54 :
日本@名無史さん :03/05/26 19:24
でも、マレーあたりではスピットファイアといい勝負したんだよな。
55 :
日本@名無史さん :03/05/26 19:34
>>52 一週間ほど前に軍事板がクラッシュして過去ログがほとんど消えてしまったんだよ。
その影響もあると思う。
零式 ゼロ戦 一式 隼 二式 鍾馗 三式 飛燕 四式 烈風 五式 キ-100 「なし?」 あってますか?
三式戦二型とか四式戦とかが萌えだな まぁ兵器としては五式戦が最良てことにになるんだろうが
58 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:12
>>56 全然無茶苦茶。
四式戦は疾風だし、そもそも陸軍機と海軍機がごっちゃになっている。
大体烈風はそれ自体が式番号と同じなんだから、何式戦・烈風なんてありえん。
>>56 四式戦は疾風
二式戦は二式単戦と呼ばれることがおおい
烈風は・・・
陸軍の隼とか飛燕とかは愛称だけど、海軍の烈風とか彗星とかは正式名称なんだよ。 海軍は、皇紀2603年から式番号をやめて、タイプごとに名称をつけるようになった。 制空戦闘機は風(烈風)、局地戦は雷(雷電、紫電、震電)、夜間戦闘機は光(月光、極光、白光)、 攻撃機は山(天山、連山、深山)、特攻機は花(桜花、菊花)なんて感じで。
62 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:27
×:菊花 ○:橘花
64 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:33
>>61 桜花ってのは、如何にも特攻機の名称だね。
桜のように一瞬のあいだで華々しく散る…
ま、どうでも良いことだが。
65 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:35
菊門 コードネーム アヌス
68 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:39
69 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:43
隼の機銃はプロペラに当たらないのでつか?
たまに当たります
>>62 おお、同志よ
個人的にはドイツから直輸入で
DB605+マウザーを載せてやれればさらに激萌えなんだが
72 :
日本@名無史さん :03/05/26 20:49
橘花はジェット機だろ
73 :
日本@名無史さん :03/05/26 21:00
後期に12.7ミリ増設
75 :
日本@名無史さん :03/05/26 21:24
>>66 銀河を夜間戦闘機に改造したのが白光。ほとんど極光だけど。
76 :
日本@名無史さん :03/05/26 21:27
>>72 橘花はジェット機だけど、それが何か。
戦闘機だとでも言いたいのかな、武装は爆弾のみで機銃積んでないけど。
77 :
日本@名無史さん :03/05/26 21:31
特殊攻撃機だな
確か桜花のアメリカ側コードネームはバカだったな。
79 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:02
>>78 日本人の必死の魂魄を乗せた特攻機を「VAKA」だからね
敵とはいえ戦士に対する敬意というものがないのかね・・・
所詮奴らからみたら頭のイカれたイエローマンキーってわけか
80 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:06
>>79 桜花に乗ってたt人間は馬鹿じゃないけど、乗せた人間は馬鹿。
81 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:10
>>80 だから?米国がVAKA呼ばわりしても当然だと?
どんなに愚かだったとしてもそのネーミングだけは許せんな俺は
82 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:41
そもそもVAKAは日本語で言う「馬鹿」なのか?
83 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:51
>>79 まあ、アメリカ人としては日本人が狂っているとしか思えなかっただろうな。
特攻で自らの身を捧げ散っていくのと引き換えに、その凄惨な有様を見ていた
アメリカ兵の中には、ノイローゼになる人も数多くいたという。
84 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:52
桜花のコードネームはVAKAじゃなくてBAKA BOMBだよ。 日本語の馬鹿からとったのは間違いない。
バカボン
86 :
日本@名無史さん :03/05/26 22:55
↓BAKA
88 :
バカボンのパパ :03/05/26 23:09
これでいいのだ〜
BAKA ベーカー駐日太子
90 :
日本@名無史さん :03/05/26 23:11
>>70 たまに…。
そんな危険な機体をよく飛ばすよな。その後12.7ミリになって
翼内機銃だったっけ?
91 :
日本@名無史さん :03/05/26 23:16
戦中の航空機産業が、戦後自動車産業へ移行したんですよね。
>>90 隼の翼は強度不足で翼内機銃は装備できなかった。
93 :
日本@名無史さん :03/05/26 23:47
94 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:03
零戦の技術が新幹線に役だったな。
95 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:05
>>94 そうそう。戦前からの弾丸列車構想が一挙に具現化した。
96 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:26
一式の飛行機 ・一式戦闘機隼キ43(陸) ・一式貨物輸送機キ56(陸) ・一式双発高等練習機キ54(陸) ・一式陸上攻撃機(海) …あと他に知っている人がいたら付け足してください。
97 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:33
たしかに、バカはひどいな・・・・ でも、たしか初めて特攻にあったとき、その特攻にあった米軍の船の 乗組員は、驚いたともに、あとで、特攻で亡くなった日本人のパイロットの為に、 船の甲板で並んで一斉に敬礼してたのを記録映画でみたような気がするんだが、 あれは印象に残ってるな・・・・・
98 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:40
インディペンデンス・デイで、敵のUFOに特攻した親父は、英雄扱いだったけど。
99 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:53
100 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:55
>>97 特攻の最初の頃はね…。頻繁に続くうち、米兵の特攻に対する感情は
敬意 →(慣れ)→ 馬鹿。
101 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:56
三菱F1式
102 :
日本@名無史さん :03/05/27 00:57
103 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:00
>>101 現代機ならば、富士T1式、川崎C1式などもある。
104 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:03
105 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:05
単なる通し番号だろ。
106 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:11
>>100 米兵のほうも極限状態で気持ちが荒んでいたんだろうな。
107 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:14
しかし米国の映画を見ると必ず特攻やら 犠牲死があるよな。
108 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:16
1回2回ならまだしも、日常茶飯事に来るんじゃ理解不能な行動に敬意を示せというのが無理。
109 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:20
BAKAはないだろうBAKAは。 今でもアメリカじゃ桜花を説明するときはBAKAと言ってるのか? アメ公には騎士道というものがないのだね。 戦う相手に敬意を払うことができない。 そういえば映画なんかでも、米兵の口汚さが目立つ
110 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:21
鉄腕アトムも最後は太陽に特攻(?)するわけだが。
111 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:21
>>107 それはいえる。しかも映画における特攻や犠牲死は最近の米国の報道やら教育など
で強調される愛国精神と連動している。
特攻を「馬鹿」と罵りつつも、実は米国の権力者の潜在的な願望なのかもしれないな。
112 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:21
まして特攻専用兵器をつくったら駄目です。 アルカイーダの奴等と旧日本軍との特攻は意味が違う。 と言ってる人達がいますが違いがわかりません。
113 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:22
ムスリムの自爆テロは、志願してやっているんだろ。 日本の特攻は、命令されていやいややってたんだからね。
114 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:25
>>109 まあ、そうなのだが、日本軍も酷いことを…
中国人をチャンコロなどと言ってたよね。
まだ改めない人もいるし。
115 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:26
中国人だって、外国人のことを倭だの蒙古だの匈奴だの鮮卑だのと言ってたわけだし。
116 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:27
117 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:32
>>113 違うよ。
自爆テロは国のために死んだら死後の世界があって
そこで永遠の快楽に浸れると思って死ぬわけよ。
一向宗の進めば極楽と同じ。自分のための自爆。
対して日本の特攻はアメリカから家族や知人、国を
助けるための犠牲死。自分が相手を一人でも道ずれ
にしたら知り合いが死ぬ確立が下がるだろ。
しかしその気持ちを戦争に利用してしまったのは 良くないけどな。
119 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:36
>>117 アメリカから見れば同じなんだよ。いくら君がここで同胞に説教しても。CNNにでも出演して語れ。
120 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:37
>>117 113 ではないが。その説に納得。
少なくとも日本ではそういう教育がなされてきた。
個人―家族―地域―国家 というような。
つまり個人の死が家族を救い、地域を救い、国家を救う(逆パターンも可)
という所謂「公共心」が強調されたね。
121 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:39
>>119 >112-113はアメリカ人じゃないだろ。
同胞も知らないことをアメリカ人に言
っても無駄。
>>109 メリケン国の歴史には騎士など存在しませぬ
>>111 米国に限った話では無く、権力者に普遍的に取り憑く願望だと思うな。
ただ米国は曲がりなりにも民主主義を掲げているんで、間違っても言えないだけで。
しばらく前のCMに就職面接で「給料、休日要りませ〜ん」「君、採用!」っての有ったね。
何処かから批判が入ったのか、すぐ消えたけど(w
誰でも自分の奴隷は欲しいものさ。
色々な快感が潜んでるんだろうね。
123 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:49
「公共心」 今の日本には無いな。有事法案で自衛隊が命がけで 戦うってのに「うちの食べ物は渡しません」とか高 速道路はお金払ってね、とか・・・
あぼーん
今の日本で公共心を持てる方がどうかしている。
126 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:53
公共心と言うのは、権力者が自分の利益のために作り出したプロパガンダです。
>>122 あのレスで俺はさしあたり米国の特攻についての考え方を述べただけ。
もちろん米国に限った話しではないだろうね。
ま、それは良いとして、
戦後、米軍の司令官が「生まれ変わったら是非、日本兵を指揮してみたい」
と述べたという。やはり日本兵=精兵という認識はあったわけだし、日本軍
の特攻に対する「馬鹿」という表現は、その裏返しと取るのが妥当では
ないかと思いまつ。
128 :
日本@名無史さん :03/05/27 01:59
>>126 公共心で権力者がなんで得するのか意味わからん。
たとえばどんなこと?
マジレスすると真の意味での公共心が機能するのは かなり小規模の共同体だけだよ。 老子が理想とした様な小国寡民ね。 それですら極限状況においては怪しいのだけれど。
130 :
日本@名無史さん :03/05/27 02:12
>>128 126 ではないが
ここでいう「公共心」とは社会や国家に尽くす心のことだよね。
個人の反政府活動や無軌道な「反社会」的行為を「公共心」を強調する
ことによって防げる。つまり「公共心」を基準としそれ以外の精神・活動
を監視することができるのだ。しかも、権力者は自由に「公共心」の範疇
を拡げたり狭めたりできる。
というように、既存の権利を保存し、国家機構を保つのに、「公共心」は
役立つ。
131 :
日本@名無史さん :03/05/27 02:17
>>130 権力者っていうのは自分自身のために公共心を
拡げたり狭めたりするわけじゃないだろ。
あくまでも国のためを思ってやるわけだ。
公共心で国が得するのは解かるが権力者が得す
るってのがわからん。
国が得すれば国民も得するわけだし。
(・∀・)ニヤニヤ
133 :
日本@名無史さん :03/05/27 02:24
>>131 国民の活動を制限することによって得られるものって何?
国が得すること=国民全員が得することではない。
特攻がいい例。
また、国というのは実態として存在するものではない。
国を運営(?)する人びと(権力者)がいてはじめて機能する。
134 :
日本@名無史さん :03/05/27 02:42
>>133 公共心自体はわるくないと思うけどな。
国が豊かになれば国民も豊かになる。
大東亜共栄圏だってアジアが豊かになれば
日本が豊かになるっていう構想でしょ。
でも自分は権力者が国民のことを考えて公共
心を決めていると言う前提で話をしているか
ら話があわないのかもしれないな。
135 :
日本@名無史さん :03/05/27 02:56
>>134 ま、あまり気にせず聞いてもらいたいし、
説得しようなんて思ってない。
>国が豊かになれば国民も豊かになる
「公共心」の問題とそれとは別次元の話しだな。
>大東亜共栄圏だってアジアが豊かになれば
>日本が豊かになるっていう構想でしょ
戦時期の政府や軍部の主張そのまま。それは実態ではないよ。
>権力者が国民のことを考えて公共心を決めている
戦前の日本をもっと学ぶとよいです。
もう寝ます。
136 :
日本@名無史さん :03/05/27 03:06
公、公ってコヴァがまぎれこんだのか?
137 :
日本@名無史さん :03/05/27 03:08
138 :
日本@名無史さん :03/05/27 03:14
139 :
日本@名無史さん :03/05/27 03:16
140 :
日本@名無史さん :03/05/27 03:17
公共心は大切だ。だが戦中の軍首脳にそんなもん持ち合わせている 奴がどれほどいただろうか。
ハリウッド映画ってさ、エイリアンに対するレジスタンス抗争とか、特攻とかよく題材になるね。 本土が内戦以外殆ど戦場になってないからあいつらあこがれてるんじゃないの?そういうのに。
特攻は統率の外道と呼ばれたように 用兵者として有史以来最も恥ずべき行動だった 他に有効な攻撃手段がほぼなくなってしまっていたと言う事実はあっても 愛する人々や故郷を守らんと言う強い意志をもった方々を あのように使い捨てるなど激しい怒りを覚えます
143 :
日本@名無史さん :03/05/27 09:31
>戦中の軍首脳にそんなもん持ち合わせている奴がどれほどいただろうか 岡村寧次陸軍大将は、中国人も認め国民党軍事顧問に招聘した、 紛れも無く知勇兼備の名将で間違いない。
145 :
日本@名無史さん :03/05/27 09:45
>>144 ま、岡村が優秀だったことは認めるが、
打通さん的には、「チンピラゴロツキ」どもに岡村が加わることに、
矛盾を感じないのかい?
146 :
日本@名無史さん :03/05/27 09:48
>>142 その怒りの矛先はどこですか?
特攻創始者といわれる大西中将ですか?
当時の日本人の考え方からすると大西がやらなくても、
誰が始めるでもなく特攻は生まれていたと思うよ。
ゴロツキがゴロツキ稼業だけではやっていけなくなったから、 知勇兼備の敵将に救いを求めたのだ!
148 :
日本@名無史さん :03/05/27 09:56
>>146 142ではないが
まさにそこにこそ深刻さがあると思う。
指揮官も半ば当然のごとく特攻を命令し、それを受ける側も
またそれほど違和感なく出撃していったのだろう。
恐ろしいことだ。
「生還」のための軍隊ではなくて「玉砕」のための軍隊とは
河野氏の発言。
>>146 国民を守るために存在するはずの国が国民を使い捨てにして国を守ろうとしたそのことに自体についてです
大西中将については切腹なぞなさらず2度とこのような事が起こらないよう生きて記録を残して欲しかったですが
>国民を使い捨てにして国を守ろうとした それはむしろソ連の「大祖国戦争」こそがそれに当てはまる。 だが中国国民党の場合国民を使い捨てにしただけでなく、国を守ろうとす る気概さえもなく、自分たちだけ金目の物を奪って国外逃亡してしまった。
151 :
日本@名無史さん :03/05/27 10:35
>>149 >
>>146 > 国民を守るために存在するはずの国が国民を使い捨てにして国を守ろうとしたそのことに自体についてです
> 大西中将については切腹なぞなさらず2度とこのような事が起こらないよう生きて記録を残して欲しかったですが
つまり怒りの矛先は国というわけか。
兵士に帰還する見込みのない出撃をさせた時点で、国として
の資格を失ったと。そう考えたらこの時点で降伏すべきなんだろうが・・・
まあ確かに特攻兵も国民ではるわけだが、この場合国を守る側の軍人だ。
何かその言い方は違和感あるな。
俺はこの特攻という戦法自体批難されるべきではあっても、ある意味歴史の必然だったと思うから、
誰かを批難しようとかは思わない。だが、批判されることの多い大西中将も、後世の批難は覚悟の上、
甘んじて受けると思う。大西中将の立場を考えたら、死ぬ以外に責任の取り方はなかったと思うけどね。
152 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:26
>怒りの矛先は国 激しく同意。ただ、もう国に対して非難をできない体制が整っていた訳で。 考えてみれば、太平洋戦争時に日本には真の独裁者がいなかった。 昭和天皇が独裁者ならここまで戦火が拡大する事もなかったろうし。 日本を焼き野原にした最大の罪を犯したのは誰だ?
154 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:28
すげえ〜 隼で大西を語るのか、 軍板逝ってもまれて来いw
155 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:30
>>154 この板は零戦スレ時代から実質上、雑談スレですYO
次期スレは二式艦偵、その次は三式戦飛燕の予定です。
157 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:36
↑YES!二式艦偵は二式大艇という線もあるな
158 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:47
159 :
日本@名無史さん :03/05/27 11:50
>ゴロツキ稼業ってなんだよ… ≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫ だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、その日誌に、 自分の予期しなかった感想を記述することになった。 「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は) 自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、 ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、 自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、 農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士 “ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
特攻は当初、大西の独断だったの? だとしたら、特攻が軍部の方針として採用されるのはいつくらいなの?
>>160 打通さんは、チンピラゴロツキという言葉を、時に「腐敗した政府」として用い、
時に中国人一般をさしているときもある。気を付けるべし。
あぼーん
しかしチンピラゴロツキ相手に十五年も苦戦した帝国陸軍はへたれ
ゴロツキって国民党軍のことだろ 八路軍はまあ強かったんじゃないか
166 :
日本@名無史さん :03/05/27 12:37
八路軍ってどう読む?やっぱり「バーロ」?
167 :
日本@名無史さん :03/05/27 12:38
オーストラリヤに1機、飛べる隼がいるね。 それからアメリカのリストア業者がロシヤに下請けさせて、一から 設計図どおりに造る方式で新品の隼を2機造っている、という話が 2年ほど前にあった。ただしエンジンはDC3用のエンジンを使う予定 という。 しかしそこまでしてどうして隼なのか?
>>167 もし詳細がわかればその後の隼についての報告キボンヌ
ちなみに
アメリカには零戦が飛べる状態で保存されているね。
日本でいえばビートたけしが零戦を購入するという噂もあった。
>打通さんは、チンピラゴロツキという言葉を、時に「腐敗した政府」として用い、 >時に中国人一般をさしているときもある。気を付けるべし。 そのとおりだ。中国人の誰がゴロツキかそうでないかの区別はあいまいだし、 また例えゴロツキといえどもゴロツキ稼業だけが全てだったとは限らない。 詳しくは黄文雄氏の著作を参照してもらいたい。
DBのエンジンがあれば飛燕とかだと何とかなりそうな気はするけど どうなんだろうね イスパノメッサーとかチェコのAVIAみたいな例もあるしね やっぱ今も昔もカワサキは・・・
171 :
日本@名無史さん :03/05/27 13:50
>>169 黄文雄って、あのやたらと日本びいきのやつ?
172 :
日本@名無史さん :03/05/27 16:07
173 :
日本@名無史さん :03/05/27 17:29
高校の時の爺さん先生が言ってたが 大陸の前線から戻って来た負傷兵は、八路軍に逢ったら気をつけろ、 だが国民党軍だったらたいしたことないから大丈夫と皆同じ事を言っていたらしい
あぼーん
国民国家の体を為してなかったからな、国民党政府。
なんか、えらく流れが早いな。
>>100 >敬意 →(慣れ)→ 馬鹿。
それがさらに進むと、お土産。w
177 :
日本@名無史さん :03/05/27 22:43
「敬意」といえば、シドニー湾を攻撃し沈没した特殊潜航艇に乗務していた隊員を、 豪軍が手厚く葬ったのを思い出した。
179 :
日本@名無史さん :03/05/27 23:26
>>176 つーか特攻なんてのは極少数がやる、つまり例外的な事件ならば
ある種の美談になるんだよ。その場合はやられた側も騎士道なり武士道なりで
理解する事は出来る。
ただ、それが組織化された攻撃で、日常化されれば
「こいつらオカシイんじゃねぇのか?」
って感想が出るのは当然だと思うぞ。だって例外的な場合は
「彼らは志願兵だから」で説明出来るが
全員が全員特攻に志願しましたなんてのは、常識的に考えにくいもん。
イラク戦争や、PLOの自爆攻撃だって少数ならば三分の理ならぬ三分のロマン
は感じ取れる。がイラク兵数万が自爆攻撃しましただの、
パレスチナ住民が数千人で自爆攻撃しましただのと言ったら
それは「異常」だとか「バカ」と言う言葉以外で説明する事は難しいぞ。
180 :
日本@名無史さん :03/05/27 23:34
沖縄が三ヶ月持ちこたえたからこそ、本土戦の準備もできたし、それが対米降伏も大田昌秀は言っていた。 沖縄が一ヶ月で落ちていたら、六月には九州か千葉に上陸していたんじゃないのか? 特攻はキチガイじみているが、米軍の精神異常者が1万5千人ほどでたから、その程度には役に立ったのかも知れない。 陸軍なんて沖縄から本土に飛行機避難させたから、元からやる気なし
>>177 特攻された艦の乗員で戦場の記念に、残骸やら骨やらを密かに持って帰った奴が
いたそうだ。
>>179 おまえはバカだと思ってるわけか
つうか自爆テロと一緒にすんなよ
183 :
日本@名無史さん :03/05/27 23:42
俺は思うに、最前線で命張ってる米兵らにとってはバカでもなんでもなく、敬意をもってもいた。 バカにしてたのは前線に出たこともない高級幹部なのだろう。
185 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:02
>>182 俺は一人、二人が大儀の為にとか言って特攻するのは理解出来る。
が100人が100人そうやって特攻するなら、
正直何か洗脳されてる、つまりまともな状態ではないとしか思えん。
それにそういう社会が真っ当だとは思えない。
特攻した本人に対してはともかく、そういった思想に至った
社会なり、それを構成している人間(この場合で言えば不特定多数の
「日本人」)を
「何考えんてんだコイツら」と思ってしまう部分は確実にある。
特攻の為だけに製造された飛行機なんざを見れば尚更その思いがある。
そして、それを乱暴な言葉で表現すれば「勇敢かも知れんがバカな
連中」となる。
勿論これが「生命は地球より重い」と言う思想に洗脳された
後世の人間の傲慢であるのは重々承知しているがね。
当時生きていれば、ほぼ確実に俺も特攻マンセーになっていたと
思うぜ。
186 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:06
中学のときの社会の先生(おじいさん)が、戦争に出たとき、特攻に志願するやつはいないか、 と隊長に聞かれて、周りでは志願する人間が何人もいたが、俺は下を向いてもじもじしていた、 と言っていた。
特攻が事実上の強制であったにせよ、その行動にはやはり素朴で 純粋な愛国心に満ち溢れていた。この点中国チンピラゴロツキの 群れは自分さえ助かればよくて、国土や住民を守ろうという気概が 全く無いから、いくら督戦隊が銃剣で脅しても逃亡者は後を絶たない。
特攻で散っていった人びと… 敵艦に突っ込めなくたって、日本が戦争に負けたって、 彼らの死は犬死でもなんでもない。 今、現在2Chという<場>で、彼らの死の意味について 語られているではないか。 彼らの存在がなかったら、かように戦争の悲惨さを伝え られたのか、甚だ疑問なところだ。
>>187 米鑑に突っ込めればまだ本望だが、赤とんぼまで駆り出された後期の
特攻では…
191 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:19
>>185 言っていることはわかる。
それと同時に、日本人に対する人種差別もあったはずだ。
双発爆撃機での特攻隊なんて時には、特攻に必要ない駁撃手 とかまで全員乗り込むし。
193 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:22
194 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:23
親父の従兄弟は海軍航空兵の教官だったが フィリピンで敗戦を知って残ったオンボロ飛行機で 何処かに行ったらしい。墓に書いてあった
>>194 >フィリピンで敗戦を知って残ったオンボロ飛行機で
>何処かに行ったらしい。
何しに?やはり特攻?
教官が責任を感じて…そういう話はあるよね。
196 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:29
米軍は特攻兵に対しては敬意と哀れみの混ざった感情を抱いていたと思うが、それを命令して戦争をただ長引かせていたいた指導部には侮蔑の目を向けていたと思う。
200 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:36
200 ずさー
201 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:41
>>180 >沖縄が一ヶ月で落ちていたら、六月には九州か千葉に上陸していたん
>じゃないのか?
それはどうかな?本土ともなれば。
202 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:42
愛国心とかじゃなくて、単純に養成する時間が足りないだけでしょ。 まともに急降下爆撃や、雷撃できるパイロットも機体も無い。 兵隊だけはたくさんいるわけだから、だめもとで特攻させたんだろ。 大和もひしゃくですくっても燃料が片道しかなかったのだから、しょうがなかった。 特攻させなくても、活動させることができないんだから、、、 地上戦でもゲリラ戦ってのをやればよかったのだろうが、肉弾攻撃ばかりで実質効果は薄かった。 やはりやってはいけない戦争だったんだろう。 ソ連とやるべき戦争だった。 近衛は内通していたの?
203 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:47
>大和もひしゃくですくっても燃料が片道しかなかったのだから、しょうがなかった。 >特攻させなくても、活動させることができないんだから、、、 たしか…大和は沖縄に突入後、浅瀬に乗り上げて砲台になる予定だったな。 >ソ連とやるべき戦争だった。 ソ連とやっても、勝てるかどうか…。日本軍の侵攻はイルクーツク止まり。
>浅瀬に乗り上げて砲台になる さすがに「海軍のメンツのためだけに死んでもらう」という本音だけでは 作戦にならないからねえ。 仮にほんとうに沖縄にたどりついて浅瀬に乗り上げたところで、 その状態で主砲を発射したら艦体が歪んで一発で使用不能になるだけ。 海上護衛総隊参謀の大井篤が、この命令文を読んで発した言葉は有名だわな。
205 :
日本@名無史さん :03/05/28 00:59
>>180 日本本土上陸作戦が統合参謀本部で決定されたのが45年5月10日
オリンピック作戦(南九州上陸)が45年11月1日
コロネット作戦(関東上陸)が46年3月1日 の予定。
いくらなんでも6月の上陸は無理。まあ沖縄戦が1ヶ月で終わるとは思えないけど。
206 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:01
>>202 片道燃料というのは伝説。実際には沖縄まで往復できるだけの燃料は積んでたらしいよ。
207 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:04
>愛国心とかじゃなくて、単純に養成する時間が足りないだけでしょ 訓練用の油、機体、教官が不足 >まともに急降下爆撃や、雷撃できるパイロットも機体も無い。 だからといって特攻をすればパイロットは一切育たないのでジリ貧 特攻は理不尽であるばかりでなく戦略的に全く無意味な消費行動だ >大和 大和は実は片道分の燃料ではない 一部のものが片道分で特攻させるのに忍びず腹いっぱい食わせてやったという話がある しかしそれだけの燃料があれば・・・大和特攻自体 自己満足でしかない大いなる無駄である
209 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:10
>>207 結構いろんなトコに書かれてたと思うけど。
手元にあるところで歴史群像の太平洋戦史シリーズの10巻に
燃料は6000トン積んだらしいと書いてある。
(沖縄までの片道は3000トン)
210 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:10
「貴様らに良い死に場所を与えてやる」という旧軍のお偉いさんがよく言う嫌らしい考えだね
>>209 どうもです。なんで特攻で本土に帰るつもりもないのに
往復の燃料を積んでいたんだ?!逆に疑問だよ。
213 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:14
片道3000トンと言うのは、巡航速度でまっすぐ走ったときの燃料だからね。 戦闘中にそんなことありえんわな。
>>213 そうか…そうだとすると、往復の燃料を積んでいたとしても、実質的に本土
には帰れない…
215 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:22
まあ鹿児島あたりまでは帰れるんじゃないの。
216 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:23
まぁ、どれだけ米軍機に追いかけられるかだな。
かりに沖縄に到達できても燃料切れたら主砲を動かすスチームを確保できず弾も 打てないよ。
219 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:28
220 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:29
第一次ソロモン海戦みたいに一航過で離脱する計画なら本土まで帰ってこれるかも。
221 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:31
>>220 だが、大和のような絶好の獲物を、決して米軍機は逃さないだろう。
>>199 もう爆撃に行く敵地にも行けない、残るは特攻のみ。
爆撃機による特攻作戦は敵戦闘機により粉砕されました。
ロケット特攻機桜花も操縦性の悪さ故戦果を残さずに終った。
223 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:37
>ロケット特攻機桜花も操縦性の悪さ故戦果を残さずに終った。 揚げ足とるようでスマンが、確か桜花は一式陸攻などの母機とともに やられたケースが多かったはず。
224 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:40
まあ自殺を罪悪と考えるキリスト教徒には特攻は受け入れられないだろうな。 しかしイスラムの教えでは自殺はOKなんだろうか。
>>127 >生まれ変わったら是非、日本兵を指揮してみたい
もうこの辺りからして人に命令する事しか眼中にない人物かとも受け取れる。
生まれ変わったら只の一兵卒になるかも知れないとは考えないのだろうか。
彼は貧乏人の小倅で叩き上げの士官だったのだろうか?
はたまた名門出身のエリートだったのだろうか?
人種、宗教は?
興味は尽きない。
日本兵=精兵と言う認識が有るのかは吝かではないが
米国人の彼にすれば旧軍兵士の過剰とまで言える忠実ぶりを目の当たりにして
感じ入る処があったのは当然と言えば当然で、勘違いと言えば勘違いでもあると思う。
当然、自分の配下と比較しての羨望なのだろうが、そもそも互いに社会を形作っている求心力、成り立ちが全く違う。
当時なら尚更だ。
国・全体の捉え方、個の生死の考え方と兵士として求められる死の納得論理も違う。
果たして何処まで認識した上での発言だったのだろう?
「Baka"Ohaka"Bomb」「Baka piloted」だが、このコードネームは現場にて自然発生的に生まれたのだろうか?
もし左様だとしたら、何処かの部隊で使い始めた呼称が軍内部に行き渡る程に大量の桜花が投入され、
多くの兵士に目撃されたのだろうか?
総出撃数は55機(名)のようだ。
内、突入態勢まで入れたのは何機だったのだろうか?
そして米兵の間で「Baka」と言う日本語が有る程度認知されていたのだろうか?
既知の単語として認知されていたとしたら、それは如何様な意味でだろうか?
「釣り馬鹿、馬鹿でかい」の如く、反意的な敬意が含まれた認識であったのであろうか?
只純粋に「Baka = Fool」(一般的説明)だったのか。
それとも何処かで作為的に名付けられ、「Baka = Fool」と共に意味付けされ、
士気高揚も見据えて使われたのだろうか?
こちらも又興味が尽きない。
何れにせよ、相手を過大・過小評価して悦に入るのはいただけない悪い癖だと思うな。
日本人同士なら通ずるが異文化異世界観の相手に遣うべき気遣いではないと思う。
またその論調を逆手に捕ると今日では「鬼畜米英」ですら・・・。
http://www.google.com/search?q=BAKA+bomb&hl=ja&lr=&ie=UTF-8&inlang=ja&start=10&sa=N
227 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:48
>>224 イスラム教もキリスト教も「殉教」という言葉があるように、死して
教えを守るという思想はある。
ただ、特攻の場合は死を賭する相手が、政府であり国家だからな。
その点では特攻はキリスト教圏の人びとには受け入れられないだろう。
イスラムの場合は、今回のイラクもそうだけど、ジハードとして、
「イラクという国家に殉じること」=「殉教」と位置づけていたはず。
228 :
日本@名無史さん :03/05/28 01:50
日本は神の国〜!
230 :
日本@名無史さん :03/05/28 02:00
>>「イラクという国家に殉じること」=「殉教」と位置づけていたはず。 「天皇という国家に殉じること」=「殉教」と位置づけていたはず。 違いは?
>>225 127 は俺っちだが、その士官についてはまたレスするよ。
229 が言う様に、夜中だからさ。長い文章打ち込むのつらいや。
233 :
日本@名無史さん :03/05/28 02:07
その士官て、もしかしてアイケルバーガー? だとしたら、やつは親日家だから、かなりリップサービスが混じってるかもな。
234 :
日本@名無史さん :03/05/28 02:11
あの…ちょっと文脈が両者違います。 >「イラクという国家に殉じること」=「殉教」と位置づけていたはず。 といったのは、イラクの中でのこと。いわばイラク人の主観だな。 >ただ、特攻の場合は死を賭する相手が、政府であり国家だからな。 >その点では特攻はキリスト教圏の人びとには受け入れられないだろう。 といったのは、米軍から客観的にみた日本人の姿。
235 :
日本@名無史さん :03/05/28 02:15
あぼーん
あぼーん
誰もいない…寝るなら今のうち…
秩父と言えば自殺の名所。街全体から醸し出される異様な雰囲気から日本の怪奇映画のロケ地としてよく使われる。人口の割の伝統的な祭りが日本一多く、どの祭りも異様にテンションが高いあたりは閉鎖的で半廃墟化した街並に対して不気味でさえある。
でも、まあ日本兵は良く戦ったよ。
241 :
日本@名無史さん :03/05/28 09:16
対ソ戦の訓練しかやってないにも関わらず
242 :
日本@名無史さん :03/05/28 10:12
>だからといって特攻をすればパイロットは一切育たないのでジリ貧 >特攻は理不尽であるばかりでなく戦略的に全く無意味な消費行動だ マリアナ7面鳥を考えれば、通常攻撃でも生還の望みは皆無。 特攻を確実に超える作戦が見出されない限り、それが否定されることにはならない。
まぁ、戦争後期では、どんな攻撃でも、米軍に甚大な被害を与えることは できないだろうけどな。
244 :
日本@名無史さん :03/05/28 10:29
アメリカと戦争したのが敗因
245 :
日本@名無史さん :03/05/28 10:30
>>242 死ぬ為の出撃をさせてる時点で、国家としてオワットル。
七面鳥と揶揄されても、死ねとは言ってないからな。
>マリアナ7面鳥 バタバタ落とされたのはパイロットの錬度と爆装零戦が中心戦力だったせい
247 :
日本@名無史さん :03/05/28 10:38
その前にレーダーピケット艦が・・・
VT信管も有効。米軍機の錬度も上がっていた。
249 :
日本@名無史さん :03/05/28 10:53
加藤隼戦闘隊の加藤は何時ごろ死んだの?
250 :
日本@名無史さん :03/05/28 11:02
ちょっと話しの流れとは違うのだが、 ガダルカナル島では勝てる見込みはあったのですか?
>七面鳥と揶揄されても、死ねとは言ってないからな。 ブーゲンビル沖での彼我の損害を正しく認識していれば、マリアナはやはり 最初から7面鳥狩りにされるための作戦だったとわかる。これは現実の戦局 がそんなに酷いものだとは「知らなかった」で済まされる問題じゃない。 同じ「生還を期さない」作戦なら、7面鳥狩りでない特攻のほうが百倍マシ。
あぼーん
253 :
日本@名無史さん :03/05/28 11:14
打通さんが打通以外の事書いてるよ・・・明日は雪だな・・・
254 :
日本@名無史さん :03/05/28 11:16
>>251 最初から「死に行く」ことを強要される特攻作戦は、
帰ってくることを一応前提においているマリアナでの作戦での
七面鳥狩りという事態を、戦訓とした作戦だった。
どっちが「マシ」かなんていう議論は無意味じゃないか?
太平洋で連戦連敗で逃げ帰ってきただけの日本海軍には、大陸打通で 連戦連勝が勝ち進む支那派遣軍に対して「戦争を止めよう」などとエラ そうなことを言える立場にはなかった。だから戦果を水増しするか、 全軍特攻で死んでわびるかのどちらかしかなかった。
256 :
日本@名無史さん :03/05/28 11:29
戦線のびすぎで補給路分断が痛かった。
257 :
動画直リソ :03/05/28 11:33
258 :
日本@名無史さん :03/05/28 11:41
普通はそんなん戦訓とはいわんよーな 根本的な解決に全くならないから
259 :
動画直リソ :03/05/28 11:41
特攻なんて、現在の人たちには絶対できないな。
>>259 つうかする必要ないだろ
切腹なんて今に人たちにはできないな。というのと一緒だ
意味なし
261 :
日本@名無史さん :03/05/28 14:05
262 :
日本@名無史さん :03/05/28 14:37
>242 方法はあるよ。日本海軍が大物狙いを止め、米艦隊の外周艦を潰せばいいのだよ。 地味で一挙に戦況を打破することは出来ないが、確実に米艦隊の哨戒力を低下させられる。 フォークランド紛争の英艦シェフィールドの件と同じ。 米軍戦闘機が優勢なのは、艦隊からのレーダーによる管制誘導による部分が大きい。 無論、兵の錬度や個々の機体の優劣はある。しかし、敵優勢の条件の一つは潰せる。 同時に潜水艦による輸送船団の襲撃を併用すれば、前線において一時的にでも護衛艦 の不足という事態が起こせる。ピケット艦不足が深刻な事態、または予測される事に なれば、時間稼ぎは可能だ。上手くいけば、膠着状態に持っていけるかもしれない。 蛸が足を食うような特攻作戦よりかは、ましだと思う。
263 :
動画直リソ :03/05/28 16:44
>日本海軍が大物狙いを止め、米艦隊の外周艦を潰せばいいのだよ 日本の航空機は爆弾や魚雷を投下する前に米戦闘機にやられてしまうのでは? 一時的に成功したとしても、その作戦を持続することは難しいと思われ。 特攻機ですら戦争の最後のほうは艦隊に近づくことさえできなかったのだから。
264 :
日本@名無史さん :03/05/28 16:48
>特攻機ですら戦争の最後のほうは艦隊に近づくことさえできなかったのだから。
沖縄戦では、こんなにショボイ結果だったしな。
25Mar45-21Jun45. Off Okinawa -- Ten "Kikusui", swarms of Kamikaze,
up to 350 attackers at a time, 1,900 in total, damaged 250 ships
with 34 destroyers and smaller ships sunk. Several ships were
damaged so badly they were not repaired. One in seven of all naval
causalities occurred off Okinawa.
http://www.ww2pacific.com/suicide.html
265 :
日本@名無史さん :03/05/28 16:54
>>250 補給線がのびきっていたからな。難しいかも。
学生服のスカートをモンペに履き換えて作るような飛行機には魂が篭るは ずがありません。やるならばスカートのまま勤労すべきです。それが労働上 不便であり危険であるなら百歩譲ってブルマー着用を推奨したいところです が、当時のブルマーはまだ提灯型であることを考えると、学生服のまま勤労 作業に当たらせるという構想じたいに大きな無理があったと考えるべきでしょう。
268 :
日本@名無史さん :03/05/28 17:46
↑最近こういうの多いな。正直うざい
270 :
日本@名無史さん :03/05/28 18:34
>263 特攻機ですら戦争の最後のほうは艦隊に近づくことさえできなかったのだから。 特攻機だろうが通常攻撃だろうが条件は一緒。決死よりか死ぬかもしれない 通常攻撃の方が100万倍マシ。
271 :
日本@名無史さん :03/05/28 21:52
>>263 爆弾を積んでない特攻機が敵艦隊に突っ込んでも運動エネルギーも小さく
大した戦果は期待出来ない(鉄板に生卵投げつけてる様なもの)。
爆撃が効果があるのは、重力で加速された爆弾が、その運動エネルギーで
装甲板を突き破って内部で爆発するから意味がある。甲板上で爆発しても
それで相手を沈没させる事は期待出来ない。
272 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:09
理論はともかく、同数の日本軍機がそれぞれ通常攻撃と体当たり特攻を やった場合で比較して、効果があったのは圧倒的に後者のほう。 通常攻撃のみだったマリアナ海戦は、400機も失われて一隻の敵艦艇 も沈めていない。これに対し沖縄の神風攻撃は1900機の神風機で、 34隻(商船その他小艦艇含めてだが)の艦艇を沈めている。
273 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:16
しかし、カミカゼはそんなに長くはできないよ。 時間稼ぎ。 戦後の優秀な人材を軽く捨ててしまったことと比較すればまことに大いなる損失。
274 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:34
最初の特攻パイロットに選ばれた関行男大尉も、友人に対しては 「俺みたいな優秀な搭乗員を死なせるんじゃ海軍も終わりだよ。」 と言っていたらしいね。
↑お、なんか聞いたことあるぞ
276 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:49
通常攻撃だろうが、特攻だろうが生前率が、 殆ど変わらないんだから一緒だよ。
277 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:50
>戦後の優秀な人材を軽く捨ててしまったことと比較すれば 特攻の死者はせいぜい数千人くらいで、靖国神社統計213万の なかではほんの微々たるもの。マリアナに出撃したパイロットも、 同じように皆殺しにされた。
278 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:50
>>272 マリアナ海戦は未熟使い捨てパイロットを大量に投入したから
あのような悲惨な結果だったのでは。
特攻は日本人特有の潔癖主義で優秀なのを行かせたから、そこそこの
戦果があった。あと意外性と。
関行男のようなエリートをアングロサクソンなら特攻には使わない。
ドイツ占領地のダム攻撃などの特攻作戦では、死刑犯などのならず者を
イギリス軍は使った。
279 :
日本@名無史さん :03/05/28 22:59
280 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:12
>>272 しかし、それを言うなら特攻によって沈めた艦船の中に、
装甲を施した戦艦や正規空母は一隻も無いと言う事実をどう説明する?
通常攻撃ではレキシントンだの、プリンス・オブ・ウェールズだの、
ヨークタウンだのと言った名だたる装甲艦を沈めている。
マリアナ沖開戦は日本軍はもうボロボロなわけだから… ソロモン戦あたりを話ししない?ガ島とか。
282 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:23
283 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:26
284 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:27
286 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:34
ガ島戦といえば戦艦金剛と榛名の艦砲射撃にはスカッとしたわけだが。
287 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:39
36センチ砲、両戦艦あわせて918発打ちまくり、ガ島の米軍は 一時的にその機能を失った。日本軍の一方的な勝利。
288 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:39
>>284 日本駆逐艦隊の夜戦&水雷戦能力が神技的領域にある事を
米艦隊に知らしめた(かのマッカーサーも賛美した)
ルンガ沖夜戦の指揮官(但し本来の目的である補給任務は果たせな
かった)。
米軍の重巡4隻を含む11隻の艦隊に駆逐艦8隻で挑み
1隻撃沈、3隻大破の大勝利を与えている。
水木しげる曰く「陸の牛島、海の田中とまで言われた名将」
で、余程気に入っていたのか、田中自身の漫画、さらに明らかに
彼をモデルとしたであろう漫画も描いている(
スマン、タイトル失念した「幽霊艦長」だったっけ)。
これが水木しげるらしからぬ男泣きな作品なんだ…
ただ田中自身海軍からは冷遇されていた様だけど。戦後の農家
をしていたそうな。
まああっというまに復旧してしまうわけだが
290 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:43
>日本駆逐艦隊の夜戦&水雷戦能力が神技的領域にある そのとおりだな。その後レーダーがある米艦艇の方が断然有利になるが。
291 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:46
というより飛行場にあった90機中42機は飛行可能だったし、 砲撃の翌日にはもう滑走路も使用可能になってた。
ガ島戦あたりは彼我のテクノロジーの差が大きくなり始めた過渡期にあったな。
話しが錯綜してますがw
294 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:49
>>262 その通りだな。外周の駆逐艦を一隻一隻潰すことだ。
ところで隼の話は終わり?
295 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:52
実際、特攻機も後半になると駆逐艦などの小艦艇に突っ込むのが多くなってる。
>>294 終わりではない…このスレでは話題があちこちに寄り道する
297 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:53
>>288 そうなんだが、逆に言えば「搭乗員の練度の高さと魚雷」しか
売りの無い、偉く運用性の悪い艦隊になってしまったとも言える。
水雷戦能力は高かったが、レーダーが開発されると、それすらも
実質封じられた駆逐艦は悲惨な戦いを強いられる事が多かった。
>>297 レーダーはルンガ沖海戦のときにはすでに使われていたよね、確か。
299 :
日本@名無史さん :03/05/28 23:57
300げとするわけだが
正直、太平洋戦争は最初の半年以外全部負け戦だからな(鬱
302 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:00
>>301 その勝ち負けの過渡期がガ島戦あたり。そこに面白さがあるね。
太平洋戦争を調べていて思うのは、日本軍の問題点は山ほどみつかるが、 一方アメリカ軍側の失敗、ミスっていうのは殆どないということに気付く。 戦争にはミスはつきものだが、アメリカにはそれが殆どない。 小さなミスはあっても、戦局に影響するようなミスはない。 それに引き換え日本は・・・戦局に影響する致命的ミスを繰り返す・・・
305 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:17
ハワイ奇襲を許したのは結構大きいミスだと思うが。
>>304 まぁ、アメリカも結構ミスはしているのだが、それを 必 ず 戦訓として活かすな。
その差は大きい。
>>305 あれはミスとはいえないだろ。反則技だし
思いつくアメリカ側のミス ・レイテの時のハルゼーの暴走 ・雷撃軽視、急降下爆撃偏重 ・ 他に思いつかん
今まで話題になっていたルンガ沖海戦などはミスの良い例かな。
あと開戦から占領されるまでのフィリピン…
それと日本本土を空襲する時、B29は当初、低高度で爆撃していた。 B29の損害がかなり増えたため、後に高高度爆撃に切り替えた。
>>309 戦局に影響のないミス
>>310 開戦直後はしょうがない
>>311 戦局に影響のないミス
インディアナポリス撃沈後の漂流者発見の遅れとかキスカ撤退に気付かず同士討ち
とかもあるけどいずれも戦局に大きな影響はない。
313 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:32
>>307 日本の開戦を予期していたにしてはハワイの警戒は薄かった。
ハワイ攻撃の情報もいくつか掴んでたのに活かされなかったし。
また日本の攻撃隊がオアフ島のレーダーに写ってたのに当直士官が
味方と間違えて報告しなかったなどのミスもあった。
314 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:34
>>312 アメリカの国力をもってすればどんなミスを犯そうと大した影響ないだろ。
>>312 戦局に影響があるかないかなんて結果論だろよ…
>開戦直後はしょうがない
こういう論理だったら戦争後半の日本軍もしょうがないということになるが?
316 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:40
ハルゼーといえば、台風で艦隊がけっこうな被害を受けたこともあったな
317 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:43
>>316 しかも2回やってる。台風にまで猪突猛進のハルゼー(w
>>314 それは違う。
言い方を変えれば、戦術的なミスと戦略的なミスといえようか。
>>315 ならないだろ
戦争始まってなかったんだから
319 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:49
>>318 312の理屈では戦略的ミスを犯しても最後には勝ってしまうから
ミスにならないんじゃ。
321 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:50
>>318 フィリピンについては戦争始まっています。
>312 開戦直後はしょうがない
とあなたも認めていますが?
また、ハルゼーの暴走などあなたが挙げたアメリカのミスは
戦略的なミスだということ?
322 :
日本@名無史さん :03/05/29 00:59
ニミッツの中部太平洋とマッカーサーの南西太平洋の二本立ての進撃コースを 選択したのも兵力の無駄と言えるかもしれない。 二ミッツが主張したように中部太平洋コースを中心にした方が犠牲が少なくできたはず。 しかしアメリカの国力が二本立てのコースを可能にしてしまった。
323 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:03
なるほどね
>>321 厳密に戦略的とか戦術的とかってわけじゃなく
より結果が大きく作用するようなミスのこと
ハルゼーの暴走は、栗田艦隊がUターンしなければ致命的なミスになっていたはず
そういう意味であげた
>>321 先制攻撃された方からすれば戦争準備は整ってなかったし、
日本軍が圧倒的優位にあったのだからミスというのは酷なのでは
326 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:06
ハルゼーの暴走みたいのは戦略じゃなくて戦術ミスだろ。
327 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:07
>>324 栗田艦隊がレイテ湾に突入したとしてもそれほど戦局には
影響がなかったという意見も多いよ。
328 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:08
栗田艦隊がレイテ湾に突入しても第7艦隊に全滅させられるだろうというのが 最近の見解。
329 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:10
>>325 大空のサムライを見てもらえばわかると思いますが。
決して日本側が圧倒的優位に立っていたというわけではなかった。
>>326 だから厳密に区分けしてるわけじゃねーって言ってるだろ
>>327 それは知ってるがそれぐらいしか思いつかなかったもんで
>>329 圧倒的だろ
霧のおかげで運良く米軍機を地上撃破できたという僥倖はあったがそれはミスとはいえんし
331 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:13
>>329 霧のため出撃が遅れ、逆に米軍から空襲される恐れがあったらしいな
332 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:17
日本はどうやっても負けだし、アメリカはどうやっても勝ち。 ミスがすぐ結果に出るのが日本、ミスしてもなんとかなってしまうのがアメリカ。
333 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:20
>>333 そんなこと当たり前ですが。
太平洋艦隊が壊滅し、増援も望めない。制海権、制空権もない。
比島陥落はミスからくるものではないことは明らか。
335 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:25
フィリピンに関して言えば、零戦の能力の優秀さが大きいが、 それに対抗できない飛行機しか持たなかったことは、戦略的ミス。 アメリカが負けていたら(そんなことはないが)、この事態は どう評価されていただろうか。
336 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:27
空襲しに来ないだろうという判断もアメリカのミス
>>335 飛行機の性能をいえば、当時零戦に対抗可能なワイルドキャットが配備されつつあった。
開戦の時期をアメリカ側が選べない以上、世代交代の間隙を衝かれたことまでミスには
できないだろう
>>336 空襲は警戒していたよ。
339 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:33
敗因を国力の差に帰結させたがるのはわかるが、結局アメリカは致命的ミスを犯さず、 日本はそれを犯し続けた。 やっぱ米軍には致命的なミス(戦局の転回・大損害に繋がるようなミス)はなかったと考えてよいね 強いて言えば雷撃軽視・急降下爆撃偏重 初期の魚雷性能の悪さくらいか
341 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:36
>>340 雷撃軽視というより初期の雷撃機が使いものにならないことがわかったので
急降下爆撃中心になったのでは?
342 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:39
>>340 アメリカにとって致命的になるようなミスって考えられるのか?
日本の致命的なミスはアメリカと戦争をしたこと。あとは枝葉末節。
>>335 世代交代?というより日本機を甘く見ていたというのが通説ですが?
>空襲は警戒していたよ
なおさらミスでしょ?
フィリピンが陥落し、そのまま日本が勝ったとしたら、致命的なミスと
して語られるだろう。
>>341 いや、ミッドウェー以後、急降下爆撃の効果を過信し、戦争終了まで雷撃よりも急降下爆撃を
重視した。もっと雷撃機の数を増やしていれば、日本艦艇の損害はさらに大きくなっていたで
あろう、といわれている。
でもまあ、これも致命的とはいえないかな。
>>343 霧による僥倖
そのまま日本が勝つなんてことはありえないから無意味
致命的なミスといえば、あれだな。車両に頼りすぎだ。 だからバターン半島を行軍させられたぐらいで死者が ワンサカ出る。
>>345 もちろんそうだ。それは前にも述べた。
致命的なミス(だった)という判定は後の時代になされるものである
ということを主張したものです。
致命的なミス=朝鮮半島を独立させてしまったこと
>>347 だから定義をさっきから説明している
米軍の場合、敗戦に繋がるミスというのはありえないわけだから、
大損害に繋がるミス
戦局を一時的にでも後退させられるようなミス
を論じている
つうかもう疲れたから寝る
>>349 フィリピンにおける米軍のミスは「戦局を一時的にでも後退させられるようなミス」の何者
でもないでしょう。
×何者でもないでしょう ↓ ○以外の何ものでもないでしょう
352 :
日本@名無史さん :03/05/29 01:59
ミスねえ。ハワイのレーダー員が日本航空隊とB17を勘違いした のはミスだな。これで飛行場にあった航空機が飛び立つ間もなく 何百機も破壊されてしまった。
354 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:01
掘越技師は、零戦のマイナーチェンジに追われて、次の世代の戦闘機の設計が十分に出来なかったといってるね。 大エンジン大型戦闘機をあきらめて、小エンジン小型戦闘機として零戦を開発したあとに、F6Fが出て愕然としたと言っている。 烈風が遅すぎた、、、
355 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:02
雷電最高!
>>350 うるせーなもう
寝るっつってんだろうがよお
面倒くせーからもうそれでいいよ
ま、何を言おうと反論したくなるのが2chだからしょうがないけど
何かと国力・物量の差のせいにしたがるが、
結局アメリカは致命的ミスを犯さず、 日本はそれを犯し続けた。
同じ条件で戦ったとしても日本は負けただろう。
話題かえるのね。そのほうが良いよ。またーりいきましょう。
358 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:05
ガ島上陸の時にフレッチャーが空母部隊を後退させて 三川艦隊の奇襲を許してしまったのもミスかな。
359 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:06
片道1000kmの空爆を連日敢行させてパイロットを疲弊させ 損害を増やしたこと、日本の間抜けさは底抜けであるな。 これに比べりゃガ島でアメリカが多少何かしたぐらいなんともない。
>>356 寝たんじゃないの?
>何かと国力・物量の差のせいにしたがるが、
>結局アメリカは致命的ミスを犯さず、 日本はそれを犯し続けた。
>同じ条件で戦ったとしても日本は負けただろう。
根拠は?と聞いてしまう俺もバカ。
>>354 次期戦闘機(烈風)に対する海軍の要求って無茶苦茶だったらしいじゃん。
それで更に遅れに遅れて・・・。
362 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:25
>>361 それで結局、烈風は海軍の要求を満たしたとするなら、
かなりのものだな。
大量生産できる資材は無いよ。
364 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:30
そう、それにカタログスペックだろ?所詮。
生産供給まで含めれば結局満たせなかった…のかな。 終戦までに造れたのって数機だけだったらしいので試作状態ですね〜。 本格的な試験運用も行われてはいなかったのでは? 一応、戦後米軍が整備・テストして優秀との評価をもらった様ですが。 スミソニアン辺りに一機ぐらい現存するんですかね〜?
366 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:47
アメリカ軍も相当ミスしているわけだが、フィリピン真珠湾などの戦略レベルは言うまでもないが、 戦術レベルでも色々ある、レーダーだって最初は上手く使えず、むしろ頼りすぎて敗因になってるし。 つかアメリカが日本並の国力なら、真珠湾で決着ついているぞ。 その後も一時期運用可能な空母が、なくなったこともある、 日本程度の国力なら、戦線を維持できず、 また工業力の差から修理が間に合わず、講和を余儀なくされるかと。
367 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:47
まあF6Fとは戦える機体だったろうけど、ベアキャット相手だと まるで歯が立たないのは確実。 実際には空母ミッドウェーが日本に到達する前に終戦となったが、 仮に多少量産されていてもどうだったか。 むしろ雷電のように一芸(例えば上昇力)に極端に優れた機体の 方がまだ勝算があるだろう。
レスを遡って見ている間に話題が変わってた。
369 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:50
↑どんまい!
370 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:50
>>366 絶大なる工業力のあればこそ、真珠湾を放置して攻撃させることで
世論を統一しキンメルを更迭して戦時体制を固められたのだ。
これは政治的な判断であるから、「アメリカが日本の国力なら
真珠湾で決着が」というのは的外れな議論だろうな。
371 :
日本@名無史さん :03/05/29 02:55
372 :
日本@名無史さん :03/05/29 03:15
米軍は硫黄島戦や沖縄戦での損耗率に恐怖して。 原爆の使用に踏み切った。
373 :
横レスだが :03/05/29 03:57
>>371 D型より当然劣り、H型にはボコボコにされてたでしょう。
>>356 本当にアメリカと同じ条件なら戦争自体起こらんだろうな
それに零戦のような戦闘機も生まれないだろうし戦陣訓もありえん
メンタリティ自体が変ってしまうからな、現代日本を見ろ
もちろん先の大戦という歴史を踏まえて入れうからだろという反論はできるわけだが
君の条件ではまったく同じなのだから歴史認識や伝統的な精神性も同条件のはず
P51に対抗できたとされるのは低空で五式戦 あと完調の疾風 ただしP51は護衛任務で帰りの燃料のことが常に気になってるはずなのでその分割り引く必要はある あとまともに動けば三式戦二型なんかも対抗できるとこはあったんじゃないかと
376 :
日本@名無史さん :03/05/29 07:32
>>362 烈風は例によって誉エンジンを押しつけられて、このエンジンで試験している間は
要求を満たせなかった。
三菱がもぐりで試作した金星エンジン搭載型がやっと要求を満たした。
しかしこの金星エンジンも試作機分をやっと造った名人芸エンジンだった
という話も。
日本とアメリカが同じミスを犯したとしても、日本には致命的でアメリカにはそうでも無いよな。 だいたい対日戦自体が民主党特有の大ポカとも言える。 中国に妙な幻想を抱いて入れ込んでしまう知識人層がいるのは日本だけじゃ無い。 おかげでアメリカの若者がベトナムや朝鮮で無益な血を流してマッカーサーが後悔する羽目になった。 韓国人が米軍に全然感謝してない現状を見ても、無駄だったのはベトナム戦争だけじゃないし。 このミスですら致命的では無いのがアメリカの国力の凄さだけどね。
アメリカの最大のミスといえば中共を助けてしまったことだな
>>377 そもそも韓国人が誰かに感謝することって・・・いやなんでもない、ハン板逝って来ます
18気筒金星も量産したら誉と同じ運命だとおもうけどな
381 :
日本@名無史さん :03/05/29 08:34
やっぱり金星エンジンは削りだしなの?量産性を無視した
382 :
日本@名無史さん :03/05/29 08:40
宮崎ハヤオの実家は飛行機の部品工場なんだけど、戦中は熟練工いなくなって、女子高生つかって部品つくってるんだが、ひどい状況だったらしい。 機銃の銃身に穴を明けてないものでも、検査官に金握らせて戦場におくってたようだ。 オイルがじゃぶじゃぶ漏るエンジンなんかましなほうだったらしい。 最前線の整備兵の手記って残ってないのかな?
383 :
日本@名無史さん :03/05/29 08:58
そんなシロモノつかってても 大和魂あれば何とかなると考えてたのね・・・
384 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:01
>>382 製品の質の悪さ、粗製濫造という言葉は、戦前日本重工業の代名詞だったからな。
第一次大戦のときも、連合国の大砲の弾などが日本に発注されたのだが、
かなりの確率で弾の代わりに石が入っていたというのは有名な話しだね。
アメリカに製品管理技術を学び経済大国になったのは、日本の貴重な戦略的勝利(w)
もちろん日本はそのことを意図していたわけではなく、あくまでも冗談だがね。
385 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:06
工場の経営者は金欲しさに賄賂つかってただけ それに恥じた宮崎駿は共産党に・・・
386 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:13
>>382 >最前線の整備兵の手記って残ってないのかな?
整備員は名もない太平洋の島々に放置プレイ。
>>386 ニューブリテン島ラバウルという立派な名前が存在します
388 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:22
>>387 そういうこと言われるかな?とは思ったが、まさか…
あの…もののたとえ、レトリックなのですが。島には名前はもちろんある。
389 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:32
加給機が量産できなかったのが痛いね。 アメリカは後半全ての飛行機にターボを取り付けているし 同盟国の英国にさえ、加給機無しを渡してしるからね。 NAに比べて1.5倍のパワーがでるから2000馬力が可能だったと思われる。 まあ燃料も1.5倍以上食うから補給は大変だろうけど^^; ああああ・・・また物量か・・・
390 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:38
加給機で思い出したけど、メタノール噴射って実際効果あったんかいな?
宮崎のとこは中島飛行機の下請けじゃなかったっけ? 中島の下請けの中小企業は品質がかなり落ちたらしい。 三菱系は中島ほどじゃなかったらしい。 アメリカのミスといえば欠陥魚雷だな。質が悪いなんて騒ぎじゃ無い。 シャーマン戦車だって制空権取ってなけりゃどうなってたことか。無論日本相手なら問題無いが。 日独の場合新兵器開発に失敗した原因の多くは資源不足と戦略爆撃が挙げられるけど、アメリカは色々と言い訳のできないミスを犯してるからね。 そのミスを補う国力があったのは確かだ。 通貨危機やなんやら一度でもミスを犯すと経済が吹っ飛んだりIMF管理下になってしまうアジアの国々と、 10年以上ミスを続けてなお国が潰れるほどでは無い日本との違いみたいなもんかも。
列強に比べて冶金技術が劣る日本が高熱に耐えられるタービンブレードなんぞ量産できるわけないだろ ドイツや英国ですらやらなかったのに ちなみに機械式加給機は日本も標準装備だ
消費者の意見・・・全体として生産量が減ってもいいから粗悪品を減らしてくれ 生産現場の意見・・・生産量を増やせばその分粗悪品の数も増えるが良品の数も増えるはず まぁこれではどうにもなりませんわね
まあ技術があったとしてもニッケル、モリブデン、チタンなんかがなけりゃタービン加給機は無理だよな。 つまり日独には無理。ドイツなんかタングステンも不足。
395 :
日本@名無史さん :03/05/29 09:53
>>394 当時、チタンの加工技術があったこと自体が驚きな訳だが
396 :
日本@名無史さん :03/05/29 10:02
「連合軍の小失敗の研究」 という本にも、連合軍は日独と違って大失敗はなかったが小失敗は多々あった というふうに書かれていたな アメリカのミスとして ・空中給油機を導入しなかったこと があげられていた。技術的には可能だったにもかかわらず、戦争後半P51の就役まで 護衛戦闘機の航続距離に悩まされつづけたこと。 があげられていた。
リソースが限られるため無駄が許されず ある程度限定された思考を求められるためはずすと致命的か リソースが許す限りさまざまな可能性を試すため(保険をかける意味もある) はずしても致命的にならないかの違いだと思うが アメリカだって駄作機は相当多い
駄作機が多くても結局傑作機を主力に出来た アメリカ海軍機も 当初F4Uが次期主力戦闘機だったが、結局発着艦に難があり、海兵隊機とされた。 結局母艦上の運用がモノになったのは戦争末期。 もしF6Fがなかったら、欠陥F4Uで戦うか、F4Fで戦うしかなかったことを考えると 危ういところであった
>>384 ひぇ〜〜酷!
サイバラ描くたぬ親方の少年時代を思い出したよ
集めた古新聞に石を混ぜて元締めに売る話
古新聞は水で薪が石だったかな。
400 :
日本@名無史さん :03/05/29 10:47
まぁ、第一次大戦後、粗悪品がもとで列国の信頼を失うわけだが。 人件費からくる安さだけがとりえ。
メイドインジャパン=粗悪品の代名詞はその後高度経済成長期間まで続いていたという・・・
バックトゥザフューチャーでも博士が「なんだ日本製か、だめじゃん」とか言う台詞があった
403 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:11
そう考えるとアメリカが日本軍機をなめるのも当然といえば当然か。
>>402 あの映画が上映されたときは日本経済が絶好調の時だったから、
日本の製品を貶めることに必死だったという事情もない?
>>402 たしか3だったかな?
例の車の壊れた部品を見せると
「日本製?ケチって安物を使うからだ!」
「何いってるんだい、Dr?いいものはみんな日本製さ」
「信じられん・・・」
こんな感じだったかな
>>403 日本製品の質をけなすものより結構自虐的なもののほうが多かった気がする
「アメリカ製の日本車を買うのとメキシコ製のアメリカ車を書くのはどっちが愛国心に溢れていますか?」とか
↑ メキシコ製のアメリカ車を買う、の間違いデス・・・スマソ
407 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:18
で 隼は糞ってことで・・・・・ .
408 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:20
>>405 ワロ田
自虐的な表現とともにストレートに表現することも、まあ、あったかな?
日本製のラジカセ(懐)をハンマーで壊してみたりw
太平洋戦争ネタと絡めると 向こうの新聞か雑誌の2コマ漫画 上段:山本五十六「我々は眠った獅子を起こしてしまった」 下段:当時の日本の営業マン「眠った獅子はなかなか起きないなぁ」 とか 貿易黒字のゼロをつなげて現代のゼロファイターなんて皮肉もあった
410 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:31
アメリカ人って戦争に繋げて考えるの好きだよね。 やはりアメリカ人には、日本の経済進出が、経済「侵略」であるという思考が あったからなんだろうね。
411 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:33
そういや、戦時中のアメリカ国内向けの戦意高揚用のポスターでは、 日本人はサルだったわけで…
日本のイメージが太平洋戦争の敵国としてのイメージ以外 サムライゲイシャフジヤマくらいしかないからでは?
413 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:37
寿司もな〜
414 :
日本@名無史さん :03/05/29 11:40
ゲイシャスピリット ヲ モッタ ビューチホー ナ ジャパニーズガール ガ イパーイマッテイルノデスネ? マスマス タタカウユウキ イパーイニナッテキマシタ!
416 :
日本@名無史さん :03/05/29 14:28
>>411 ガ島戦では日本兵(サル)がジャングルのなか木から木へと移動する
絵があった。
日本軍はならずもの中国軍に対し大陸打通で常に優位にあった。国を追 い出された人徳のカケラもない国民党に、「以徳報怨」と言わしめた。 ドイツは哀れなもんだな、自分たちがあれほど軽蔑し馬鹿にしてきた スラブ人に国を牛耳られるなんて。可愛そうだから日本よりドイツ の方が強かったってことにしてあげたいな。日本の場合は敗れても 劣等中国人に牛耳られることは全く無かったが、日本が強かったという よりは中国軍が世界的に見て例外的に脆弱でお粗末なチンピラゴロツキ の群れだったからということで。 中国人の「抗日戦争」は単なるチンピラゴロツキの群れがその実態を カムフラージュするための空作文であって、ロシア人の「大祖国戦争」 と同列に論じるのは、ドイツ人にとっても失礼千万なことだろう。
419 :
日本@名無史さん :03/05/29 18:02
>>418 んだ。戦車、飛行機すら自力で作れん国だからな。あの国は。
つか厨国とフランスが戦勝国ってのは納得イカン。
>>420 まぁそれを言ったらイタリアなんてもっとひどいわけだがw
戦争で最も重要なのは強い戦車や戦闘機を作る能力でも量産する技術でもない
勝ち組みを見分けること、まちがっても孤立しないこと
負け組みについてしまったらタイミングを見計らってとっとと裏切ることw
だな
422 :
日本@名無史さん :03/05/29 18:53
423 :
日本@名無史さん :03/05/29 19:13
>>421 日本にはドイツを裏切る勇気があっただろうか。
>423 そもそもドイツが勝たない限り日本に生き延びる目がないという組み合わせを選んでる時点で… 外交上のフリーハンドを内部のセクショナリズムで食いつぶし自滅路線まっしぐら。 これじゃ、勇気を云々する以前の問題だな。
425 :
日本@名無史さん :03/05/29 20:44
うむ
426 :
日本@名無史さん :03/05/29 20:48
日米で生産力に差があると言っても、アメリカは戦時になると男は兵隊に取られ、軍需産業 の中心は未熟な女性になると想定して、そういう人間でも作れるように考えてあった。 日本が熟練工の職人技を必要とするようなつくりにしたのとえらい違い。
427 :
日本@名無史さん :03/05/29 20:50
>>426 つまり性能が安定して出るということにもつながるか。
そこがアメリカの凄いところだな。
428 :
日本@名無史さん :03/05/29 20:54
捕獲された零戦を調べたグラマン社の技術者は、零戦は非常にシンプルなつくり で熟練工でなくても人手を多く投入すれば容易に組み立てられるようになっている。 と言って感心したらしいけど。
429 :
日本@名無史さん :03/05/29 20:58
>>428 まぁ、そうでなければ日本で零戦を一万機も作ることができないわけだが。
機体はシンプルなんだろうが、エンジンはどうなんだろ?
430 :
日本@名無史さん :03/05/29 21:19
グラマンの技術者は零戦のエンジン(栄一二型)は米国の「ワスプ」エンジンの コピーだと報告してるね。その他、プロペラ、気圧計、バンク角指示計、油圧計、 燃料計なども米国製のコピーだと。 まあ贔屓目もあるにしても当時の日本がまだ欧米の模倣に頼っていた部分は多かった ことは確かだろうね。
431 :
日本@名無史さん :03/05/29 21:25
っていうか、兵器に模倣もクソもないんだがな。 より優秀なモノが他国にあれば、それをコピーするのは当然。 P-51が危うく駄作機として歴史の闇に葬られかけたのは、 そしてそれが「WW2最良の戦闘機」という扱いを受けているのは、 イギリス製エンジンに積み替えたからであって それを「アメリカのエンジン技術はイギリスの模倣に頼っていた」 とは、誰も言うまい?
432 :
日本@名無史さん :03/05/29 21:29
しかし戦争で欧米の技術が入らなくなってから日本のエンジン開発は失敗続きな訳で。
433 :
日本@名無史さん :03/05/29 21:36
コピーにしても、元のものと同等あるいはそれ以上のものが作れれば、何の問題もないんだが...
434 :
日本@名無史さん :03/05/29 21:43
>>433 戦争中にそれはできないでしょ。まあドイツからの技術供与は多少あったけど。
435 :
名無し転がし :03/05/29 21:46
しかしマーリン+P-51の組み合わせでWW2最良戦闘機が生まれたっつーのはなんだったんだろ。 P-40にもマーリン搭載型はあるけど大して性能上がってないみたいだし、P-51Dの後継機でさ らにパワーアップしたH型では搭載エンジンをアリソンに戻してる。
>>426 それらの問題は工業用工作機械と貧しい工場設備にある・・・
日本は貧しいがゆえに機械のぼろさ、エネルギーの少なさを職人技でカバーするという
まぁ要するにベテランパイロットと零戦の組み合わせの海軍と変らんわけで
そいつらがいなくなれば瓦解するわけだ・・・
ただちがうのは国産工作機械には残念ながら零戦のような存在になるものがいなかったこと
437 :
日本@名無史さん :03/05/29 22:09
日本の問題は、コピーする事には成功したけれど そのベースと成ってる技術を会得してそれを更に進歩させる事が出来なかった事だよね。 結局日本のエンジンは欧米の水準から大きく遅れをとってしまった。 当たり前だ、コピーしか作れなかったんだから。
コピーなら立派な工業力を証明することになるんだが大半が劣化コピーだからなw
439 :
日本@名無史さん :03/05/30 09:27
日本は零戦が限界だったのか… 今までの話だと、日本の航空はとくにエンジンに難ありということか。
ところで、ベアキャットってそんなに圧倒的な性能だったのか?
441 :
名無し転がし :03/05/30 10:09
>>440 あのエンジンにあのサイズの機体の組み合わせ(奇しくも烈風とは逆の設
計コンセプトだね)だから、細かい故障が頻発したらしい。
で、結局朝鮮戦争までずっと使われたのはコルセアとP-51。
そういやP-47もその使用はWW2まで(対日戦の本命P-47Nは終戦で生産発注分
を大量キャンセル)なんだな。使い勝手悪かったんでしょーか。
>>441 なるほど、サンクスです
ま、P51とF4Uが傑作機だったという見方もできますな。
ところで、ガ島戦で日本は勝てる見込みはあったのだろうか? ガ島にいた米兵の手記によると、五分五分の戦いだったと回想している。 もう少し計画的な攻撃ができていたら負けていたかもしれないとも言って いるわけだが。
>443 正直、無理。 戦略的にどうしようもなく不利な条件でしか戦い得ない場所に手を出しただけ。 前線の兵士たちが頑張ったおかげで「戦い」の形にはなってたけど、 結局はそこまで。ガ島内の戦術的善戦では戦略的不利をひっくりかえせない。 重火器は送れない、兵力は小出しにしか出来ない、航空支援も散発的に行うのがせいぜい、 こんな状況で戦わされた兵士たちこそいい面の皮だ。
>>444 そうだね。
米空母ブランク状態を充分に活かせなかった。搭乗員も機体も消耗が激しかった
し、やむを得ないのだが。
446 :
日本@名無史さん :03/05/30 18:15
やはり制空権を握れないのはつらいな… ガ島上空に滞空できるのは15分だっけか?それじゃだめだ。 ガ島の滑走路を奪われた時点でアウトか…
447 :
日本@名無史さん :03/05/30 18:21
「少数精鋭」をモットーとする日本軍にソロモン戦が与えた損害は はかり知れない。また「い号作戦」「ろ号作戦」などは愚策であった。 最後の切り札であった決戦用の搭乗員まで殺してしまった。 このことは後のマリアナ沖海戦の敗因のひとつともなったのだろう。
448 :
日本@名無史さん :03/05/30 18:26
制空権といえば、陸軍機は役に立たなかったな・・・
ガ島の本当の戦いはそこまでの兵站を確保できるかどうかに合ったんであって
結局制海権を確立できず輸送船が次から次へと海の藻屑となったとが敗因である
地上での懸命の戦いはすでに失われていた勝利を少しでも取り戻さんとする必死の試みであった
>>447 禿同
結局あの地域で失った船舶や母艦搭乗員は敗戦に直結するレベルの損失だったと思う
450 :
動画直リソ :03/05/30 18:32
>>444 >重火器は送れない、兵力は小出しにしか出来ない
東京急行じゃねぇ。結局駆逐艦も結構な量を失うし。
ガ島戦には無理が多すぎだったな。日本の国力からして。
451 :
動画直リソ :03/05/30 18:38
>>449 日本軍はガ島に固執するべきではなかったな。後の祭りだが。
事実上の決戦を挑むべき位置には無かった。何しろ日本から遠すぎだ。
452 :
日本@名無史さん :03/05/30 18:41
>>448 進出した隼は直ちに米軍の空襲に遭いあぼーん
>451 しかし戦線を後退させて防衛線を築こうにも、 その資材を防衛線予定地まで運ぶ船が絶望的に足りない罠…
>>451 俺の意見だとが島どころかニューギニアもソロモン諸島も出過ぎ
前線までの距離が戦前の予想の2倍はあるんだから兵站が持つわけはない
日本がいくら打撃を与えたところで向こうから講和に出て来る可能性は低いのだから
一撃与えた後は戦前の構想に似た漸減迎撃戦の形をとり時間を稼いで
ドイツをいかに早く勝たせて米国を講話のテーブルに引き釣り出すかを考えるべきだったと思う
まぁ他国頼みで開戦すること自体いかれてるんだが
まぁドイツが勝つのも至難の業なんだが
で、ドイツを勝たせるために日本が何ができるかというと…。 極東ソ連軍に攻撃をしかける、のはアウト。 それやっちゃったら日本の継戦構想の根底が崩れ去る。 ソ連がダメならイギリスはどうだ、すなわちインド侵攻。 インドをまるまる制圧できる可能性があるなら妙手だが、 それを一年以内で成し遂げるには日本はあまりに貧しすぎる。 唯一の手駒であるボースの名声もインド全体を離反させるには足りないし。 何がまずいって、1943年に入ってしまうとタイムオーバーで 自動的に敗戦が確定してしまうっていう勝利条件の厳しさ。 こうなることは開戦前に判っていながら、何故に……。
41年夏の段階でソ連極東軍を攻撃し さらにその後米英と開戦となった場合は極東レンドリースルートを攻撃する 八方塞で唯一勝てそうなのが41年モスクワ戦線で そのごのレンドリースによる復活力をつぶすことでソ連に何とか勝てるかもしれない ただしその後消耗しきった日本はどうなろうが見殺しにされる可能性大だが そんなドイツについた日本が悪い
458 :
動画直リソ :03/05/30 19:28
>>454 >>456 シンガポールを陥落させた後、イギリスに講和を持ち込むというのは
どうだろう?ドイツと苦戦していたし。そしてイギリスを仲介として
アメリカに講和を斡旋してもらうというプランなのだが。
>>458 米国が英国についてる限りありえない
米国参戦が決まったことでチャーチルは勝利を確信している
大西洋憲章をみれば妥協してくる余地がないのは明らか
460 :
動画直リソ :03/05/30 19:38
>>457 ただ、ソ連の底力は大変なものがある。
また、中国戦線を抱えている以上、所期のプランどおりイルクーツク
のラインが精一杯だっただろう。そういう状況でドイツを支援しソ連に
充分な圧力をかけられるだろうか?
461 :
動画直リソ :03/05/30 19:40
>>459 たしかにそうだね。ま、俺は石原莞爾の計画を書き出しただけだがw
>457 そうなんだよ、対ソ戦に踏み切ると日本の命脈が断たれる。 ってことはアメリカ側が講和に乗ってきてくれる唯一の可能性である、 「太平洋と大西洋のどちらもが敵勢力に制圧される」の条件を 太平洋側で満たせなくなってしまう…。 >458 イギリス側に講和にのってくる理由があんまり無いんだよな、その案の難点。 ドーバー海峡の航空戦は独ソ戦の開始で下火になり、 イギリス本土決戦というシナリオは消滅しちゃってる。
>>460 なぜイルクーツクまで行く必要がある?
41年の東部戦線で最も重要な役目を果たしたのは予備軍だった極東軍
これがモスクワに行かないようにすればよく
あとは極東のレンドリースルートの主要港(鉄道がとおってる沿海州)を占領すれば
大西洋の制海権が確立する43年夏までソ連は本当に独力での戦闘を強いられる
この場合日本の役目はあくまで支援
ソ連を打ち破ることではない
それでダメならドイツを頼んだ自分達が悪いということだ
464 :
動画直リソ :03/05/30 19:51
>>463 うむ、そうかもしれぬ。
ところで、日本がソ連に攻めてこないことがわかって、
実際に極東ソ連軍はどれだけ移動したの?
彼らが赴いたのはモスクワ戦線 キエフ攻略戦がなくそのままドイツ軍がモスクワへ逝っていれば 極東軍は間に合わなかったかもしれない まぁしかし実際にはキエフをほったらかして モスクワに行くのは危険極まりないことではあったのだが
466 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:05
ただ極東軍部隊って言われる程、引く抜かれていないって話もあるけどね。 それに少数でもT34やKV1あたりを回され、遅滞戦術を取られたら 間違いなく日本は返り討ちor干上がっちまった状態で 米軍との史実以上に悲惨な戦いを強いられる様な…
>>464 34個師団
国境はほぼ空っぽの状態だな
つーか「対ソ戦のために膨れあがった戦力を米相手に流用していちかばちか」が基本戦略なのに それを本来の用途に使ってしまったら、目の前の対米戦はどうするつもりなんだ。
正直T34やKV1は主戦線であるドイツとの戦線に全部費やされると思うが 日本相手に必要ないだろ
470 :
動画直リソ :03/05/30 20:29
471 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:33
>>468 1943年までが勝負。それまでにソ連を降伏に追い込むことかな。
472 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:37
>>471 にしても無茶苦茶厳しい勝負だな。遅滞戦術&消耗戦に
追い込まれたら、100万レベルでの戦死者を出しそう…
473 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:41
て言うか対ソ戦と言うシナリオを軍部が選択可能だったのかな? 「あんな資源も何も無い国攻めて何になるの?」 と言われてアッサリ却下されそう。
474 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:44
>>472 まぁ、そうだな。しかしソ連としてはドイツの方が主敵だよな。
日本とはほぼ対等の講和を持ち出し、ドイツ―日本の連携を切り崩して
くる可能性がある。
日本としては、ソ連と講和し、その代わり米国やイギリスとの講和を斡旋
してもらう。
そうすれば意外と戦死者は少なくてすむかもナ
つか軍板でやれよ
476 :
日本@名無史さん :03/05/30 20:49
>>473 確かに。資源の面もあるが、ノモンハン事件以降は軍部も含めてソ連に対して
弱気だからな。
隼カコイイ
478 :
日本@名無史さん :03/05/30 21:50
>>467 移動した師団もあるけど新たに召集して配置された師団もあるから
兵力量自体は減ってないらしいよ。
恐るべきソ連軍…
でも新たに召集された「ソ連兵」はロシア語がわからなかったりするからねえ。
どうせ後ろから機関銃きらめかせて 「こいつはお前らを支援するためにあるんじゃない!脚が止まった奴を撃つためにあるんだ!」 で突撃させるんだからロシア語が分からん奴でも 止まったら撃たれてるのをみればさすがに分かるだろうよw
>480 いいんだよ、連中は命令を言葉で伝える必要ないんだから。 言うこと聞かなければ2.3人射殺、これ。
483 :
日本@名無史さん :03/05/31 09:53
本当にやりそうで怖い
484 :
日本@名無史さん :03/05/31 10:07
>>483 実際対独戦では散々やったんだよ。
映画「スターリングラード(ハリウッド版ね)」の冒頭を
見られたし。
ww2でソ連が膨大な人的被害を出したのは 決してナチスドイツが非人道的だったわけだけだからではない 東部戦線はまさに地獄絵図だった
>448 :日本@名無史さん :03/05/30 18:26
>制空権といえば、陸軍機は役に立たなかったな・・・
二十二戦隊は手駒不足の五航軍の期待を担い、地上軍の上空援護、進攻・制空、
そして漢口の防空にと、出勤を続けていた。ただ、米第14航空軍の行動がゲリラ
的なため、正面きっての空戦があまりなく、このころまでの合計で未生還四〜五
機で撃墜十数機と、得失とともに小さな数字だった。
出動回数は少なくはないが、「まだ酷使というほどではなかった」と整備隊長
だった中村氏は証言する。これが「酷使」へ移行しかかるのは、満州。鞍山の
昭和製鋼所が九月八日にB−29に空襲されたあとだ。
漢口から北へ五二〇キロの新郷へ前進してのB−29邀撃任務を五航軍から
付加された岩橋戦隊長の口から「よく使いやがるな」の言葉がもれた。
料理屋で神保少佐、新美大尉に対しても、「地上の作戦参謀は航空をなにも
知らない」「隊員たちは疲れきっている」と述べ、任務の多岐、飛行場移動
の増加を批判した。〔237ページ〕
http://bunshun.topica.ne.jp/search/html/7/24/91/416724912X.html 未知の剣 (ミチノツルギ) 陸軍テストパイロットの戦場 渡辺 洋二
>>485 焦土作戦か…。
どれほど犠牲者がでたのだろう。
戦車には中から開けないハッチつける、歩兵は後ろから足元撃つ。 これ兵隊佳く働かせるコツね 捕虜収容所には文盲の兵隊達に管理させる、 数えられる数は20までね、これ重要。 両手両足で余った香具師等は銃殺、書類残らなくてハラショー。 農民は「集団農場」と言う名前の奴隷農場に収容ね。 みんな喜んで頑張るよ。ホントにスパシーバ!
ガダルカナルの奪い合いにはどうやっても結局補給が続かず敗退しそうだよな。
南太平洋のフランス植民地、米豪を分断するニューカレドニアだけでなくタヒチやムルロア環礁といった地の果てに、仏印と同時にいきなり兵力を送りこめば良い。
そうすればガダルカナルやソロモン諸島なんぞ必要無い。
仏印進駐が平和裏に可能だったんだから、ナチスとの交渉で南太平洋の仏植民地も可能なはずだ。
このへんの状況に詳しい書籍は知らないんだけど、
http://simizu.lolipop.jp/degaulle2.html このページを見る限り「12月末にミュズリエ少将が到着して自由フランスの支配権を固め」る前までは、南太平洋の状況はかなり不安定でヴィシー側に転ぶ可能性も高かったようだ。
それからインド洋は、日本のマダガスカル占領をおそれたイギリスが「アイアン・クラッド作戦」で現地のヴィシー系フランス軍と戦闘に突入しこれを撃滅してまで確保しようとしている。
逆に言えば、日本側にまともな戦略眼があれば、開戦前にマダガスカルを平和裏に確保できるチャンスがあったならそれは逃すべきではなかった。
仏印だけでなく、平和裏にタヒチとマダガスカルを確保した上で、ハルとの交渉にいどむべきだった。
仏印だけだろうがタヒチとマダガスカルも加わってようが、アメリカ側の要求は変わらないんだから。
その上で対米開戦か、ハルノートに屈服するかを選べば良い。
マダガスカルとタヒチからの撤退を、交渉材料にして時間を稼ぐという手もある。
これなら手放しても、史実の戦況と同じになるだけだから。
でもまあ無理だろうなあ。
日本にはアジア侵略なんかの野望は無く、場当たり的な対応でひきこまれてしまった日中戦争の援蒋ルート潰しに、場当たり的に仏印進駐してしまってハルノート出され、場当たり的に対米開戦だからねえ。
490 :
日本@名無史さん :03/06/01 00:47
>>489 残酷な話だが、政治の世界では、場当たり的だろうと何だろうと、
結果として侵略する事になってしまえば
「侵略の意思有り」
とみなされて仕方無い部分はあるのだ。どうあがいても不可能です。
と言って勝てない喧嘩に乗って、最後には自暴自棄な作戦をしてしまった
のは、結果として日本政府の失敗。
おっと「じゃ手前は他に代替案が出せんのかよ!?」何て聞かんでくれよ。
後世の後付知識を齧っている程度の凡人は感想、批評する事しか出来ない。
ただ、それらを積み重ね、苗床とする事で代替案は生まれるのさ。
>結果として侵略する事になってしまえば 中途ハンパがいけない。やるなら北から南まで大陸打通作戦でエセ抗日 チンピラゴロツキどもを壊滅状態にして、米中決裂に追い込まねばならない。 零戦が義勇軍相手に勝ったからといってぬか喜びしてはいけない。 米内光政の重慶空襲も、戦略的には無意味。中国の人口密集都市を いくつもいくつも丸ごと捕獲しなければ、効果が無い。
492 :
日本@名無史さん :03/06/04 00:47
はい、ごくろ〜さん
↑ あ〜あ
494 :
打通ちゃん :03/06/04 21:12
まだまだ。おまえら隼をなめるな
495 :
連合軍公刊戦史からの抜粋 :03/06/05 23:15
タクロバンの混雑 栗田艦隊が後退したとき、日本軍は絶好の機会を失った。 レイテ橋頭堡は危険状態にあり、二十五日朝第七艦隊の軽空母二隻が沈没、 残りの半数以上の軽空母は作戦不能の状態にあった。 日本軍機は二五日一二〇〇〜一六〇〇の間一二回レイテに来襲し、 タクロバンで上陸用舟艇二隻を撃沈、倉庫を破壊、桟橋に損害を与えた。 日本軍の勇敢な一機は夕闇にまぎれ、着陸前の米軍機数機の最後尾から 着陸進入を装いながら接近して、突如大型上陸用舟艇を爆撃、炎上させた。 この艇はのち沈没した。 日本軍はこの夜の間に、増援部隊を載せた最初の輸送船団(五〜九隻 の駆逐艦と五隻の貨物船)をオルモックに上陸させた。我々はこれを阻止 する処置を執らなかった。 二六日、日本軍は合計一五〇機を使用し、一二回の空襲を行った。 最初は〇五一五で、一発の爆弾がマッカーサー大将の宿舎の邸の端にある 比島人民家に命中し、一二人を殺し一〇人を負傷させた。他の一発は 従軍記者の宿舎に命中し、記者一人が死亡し四人が負傷した。 タクロバン飛行場では、日本軍機の執拗な妨害を受けたが、一五〇〇までに 鋼製マット一、〇〇〇呎を敷き詰めた。日本軍の攻撃のうち四回は全然警報が でなかった。我々は壕を入ったり出たりした。これらの飛行機は超低空で 進入して滑走路に沿って飛びながら掃射とともに破片爆弾を投下した。 爆弾の四分の三以上は爆発しなかったが、そうでなかったら我々は大打撃 を受けたことであろう。(注 「タ」弾攻撃と考えられる) 比島捷号陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 , 1971 ( 戦史叢書 ; [48] )
隼や疾風ばかりが貶されるが、敵前逃亡した栗田連合艦隊に代わって、 地上軍援護に捨て身の反撃を加えたのが陸軍航空だった。決戦を言い出 した海軍がいきなり敵前逃亡して、陸軍がその尻拭いをさせられる様子が、 アメリカ公刊戦史で克明に描かれてるのが興味深い。
497 :
日本@名無史さん :03/06/06 12:21
498 :
日本@名無史さん :03/06/09 11:51
「三式戦飛燕」はとかく不評で、これを歓迎して受け取った部隊は皆無 だったと。二式単戦もドイツ人技師の評価とは裏腹に現場では今一つ。 人気は専ら隼と四式戦に集中、飛燕もエンジンは独製DBのライセンスだし、 ドイツ機を基準として日本軍機を評価するとおかしなことになるようだ。
499 :
日本@名無史さん :03/06/09 13:19
>>498 飛燕はかっこいいけどね…
ショウキも不評だったのか…
やはりドイツ機と日本機とは求められる性能が違うということ?
500 :
日本@名無史さん :03/06/09 13:26
>499 飛行士教育の癖ってのがあるからな。
502 :
日本@名無史さん :03/06/09 18:08
>>501 あ、そうか。
日本軍は格闘戦を重視していたからな。隼や零戦が好まれるのも
わかる気がする。
504 :
日本@名無史さん :03/06/09 21:00
>>499 それ以前に日本の低い工業技術では設計は同じでも性能は全然違うからね
505 :
日本@名無史さん :03/06/09 21:48
そうだね 同一の機種でも個体差が激しかったとは聞いたことある
506 :
日本@名無史さん :03/06/09 23:44
>>505 当時はJISみたいな工業規格も存在しないんだもの、統一した品質の
ものを製造すると言う概念自体が希薄で、熟練した技術で補うと言う
一歩間違えれば精神論直結んお考えなんだから、しょうがない。
507 :
日本@名無史さん :03/06/10 02:02
栗田は典型的な茨城人を見てるようだ。
508 :
日本@名無史さん :03/06/10 02:09
零戦と同じエンジンでしょ、性能わるいよ
509 :
日本@名無史さん :03/06/10 02:26
>>507 茨城県人は途中で引き返す癖があるのか?
510 :
日本@名無史さん :03/06/10 02:33
ガダルカナルに行ってみたいのだが、どうやって行けばいいだろう。 ツアーとかあるのかな?
511 :
オリジナルDBの優秀さについて :03/06/10 09:06
スターリングラード空輸作戦における輸送機数は、1943/1/13で帳簿上Ju52/ He111/He177/Ju290/Fw200等の各機種合計519機、また他戦線からJu52/He111 が合計して306機が転出途中でしたが、当日の作戦可能な稼働機数は47機ですよ…。 この時期の稼働率は30%代が最高で、下手をすれば上記のように10%を切ります。 よりドイツ空軍の耐寒装備・経験が乏しい1941年冬期に長期間の空輸作戦を行っ た場合、大型機の稼働率がこれより良くなったとは思えません。実際デミヤン スク戦時における輸送機の稼働率は精々20〜30%代ですね。 あとデミヤンスク戦時の空輸距離は240km、スターリングラード戦の際空輸距離 は250kmでしたが、400km離れた地点であれば飛行時間・ターンアラウンドの時間、 また長時間飛行に伴う悪天候による飛行作業中断の可能性等を含めて考えれば、 スターリングラード戦時より輸送効率が低下する事は容易に想像できます。スター リングラード戦で輸送機が同日に複数回作戦飛行が出来た日が数えるほどしか無い 事は、冬期の悪天候下において、より遠い地点に対して行なう同日複数回の輸送が より困難である事を示しているように思えます。 スターリングラード戦で目標輸送量に達したことは135機が着陸して366トンを 運んだ1942/12/7(当日稼働機134機)と158機が着陸して310トンを運んだ12/31 (稼働機数85機)の二度のみ、というのを良く考えたほうが良いでしょう…。
513 :
日本@名無史さん :03/06/10 09:13
疾風フランク世界最高のレシプロ機
514 :
日本@名無史さん :03/06/10 10:01
>>511 輸送機ですか…しぶいw
ところで
ドイツって、例えば米軍のB29みたいな、巨大な爆撃機を持ってたの?
>514 持ってない。 日本もそうだけど、ドイツも4発爆撃機を戦力化することはできずに終わった。 まあ、ドイツの場合は日本と違い イギリス本土空襲以外にあまり長距離爆撃作戦を展開する必要がなかったって事情もあるんだけど。
516 :
日本@名無史さん :03/06/10 11:25
東部戦線は陸軍と支援航空さえ充実してれば、敵の首都攻略も夢ではないから。
深山、連山、富岳、Z機、加うるに航研機が戦力化しておれば
518 :
日本@名無史さん :03/06/10 16:40
519 :
日本@名無史さん :03/06/10 20:41
>>517 仮に開発に成功しても大量生産できるだけの資源はない
くわうるにばら撒くだけの弾薬生産が追いつかん
さらには護衛の戦闘機はつけられん
要するにやるだけ資源の無駄遣いだ
521 :
日本@名無史さん :03/06/10 21:43
>>520 かといって戦闘機をつくっても特攻にされてしまう罠
どちらにしろ無理ぽ…
522 :
日本@名無史さん :03/06/10 21:50
軍事オタの自作自演も見苦しい限りだな。
523 :
日本@名無史さん :03/06/11 15:51
隼は細身でカコイイ
>>521 それはむしろパイロットの数がたらないからで
練習機と教官と油と安全な後方地帯と育成する時間さえあれば解決できる問題だ
問題はほとんど全部用意できないことだがw
525 :
これは既出かな? :03/06/11 23:26
526 :
日本@名無史さん :03/06/11 23:50
510へ ラバウル烈風なんちゃらという本の外伝に作者が ガダルカナル(ヘンダーソン飛行場)へ行くまでの旅行記が出てたよ。 だた、古本で売ってしまって。(すまんです。) いや、本の内容は無茶苦茶、作者途中で、つじつまが合わずもう書いて無いんじゃないかな。
527 :
日本@名無史さん :03/06/12 01:17
>>525 私は当初からのこのスレの住人ですが、たしかはじめてかと…
528 :
日本@名無史さん :03/06/12 01:39
>>225 >>233 遅くなってすまぬ。
以下、引用。
「日米両軍の戦闘については、その思想といい、実際の行動といい、対照的であった。
カダルカナル戦での典型的な戦闘の構図は、夜間、白兵をもって決死の行動をしかける
日本軍と、圧倒的な火力でそれを迎え撃つ米軍、という図式である。米軍兵士には、
夜間行動は一切禁止された。「無降伏主義」をとり、「捕虜となるよりは死を選ぶ」日本兵
と、「捕虜は戦死に次ぐ名誉」と教えられ、降伏することも戦闘行動の選択肢であった米軍兵士。
しかし、「無降伏主義」の日本軍との対戦から、米軍兵士はいち早く「降伏」は賢明な選択では
ありえないことを学んだ。「日本軍の捕虜になるぐらいなら、自殺したほうがましだ」と
考えたことを、アメリカル師団第132連隊のある伍長は告白している。降伏すると見せかけて、
自爆の道連れにされた戦友の事例を繰り返し聞かされ、海兵隊員たちも日本兵を捕虜にすることを
躊躇し、次第に、捕虜となることも、捕虜を捕獲することも「不可」だと考えるようになった。
当初、きわめて対照的な戦闘思想を持っていた両軍兵士は、「戦闘」という相互作用をつうじて、
「敵」の思想や行動のパターンを学び、そうした「文化的衝突」を繰り返しながら、かれらの考え方
や行動のパターンも少しずつ変わっていったのである。」(続く)
529 :
日本@名無史さん :03/06/12 01:50
(続き)「しかし、そうした変化は、否定的な方向への変化だけではなかった。アメリカル師団第132連隊 の将兵たちによる回想録には、つぎのような一節が記されている。 米軍兵士は、日本兵が人種的に劣っており、貧弱な装備しか持たず、臆病者ばかりだと教えられていた。 しかしながら、日本兵の歩兵は、戦闘機の搭乗員やカミカゼ・パイロットに劣らず、第二次世界大戦で 戦ったもっとも勇敢な兵士たちであった。 米軍兵士たちは、日本兵と直接対峙し、熾烈な戦闘を繰り返しながら、日本兵に対する「偏見」を改め、 「戦争巧者」の卓越したジャングル戦の戦術を学んでいった。日本兵の「陣地構築」の巧みさや 「カモフラージュ」の技術は「天才的」だったと、かれらは率直に賞賛する。「日本兵は、敵として、 決して過小評価してはならない存在だった」と連隊史の編者は述べている。また、日本兵の用いる武器が、 ジャングル戦では有効だとわかれば、それを模倣し、自らの武器の改良も辞さなかった。「文化衝突」からは、 「文化融合」とも呼ぶべき、異質な文化の部分的な同質性も生じた。」(続く)
530 :
528、529 :03/06/12 02:13
(続き)「太平洋戦争で戦った米軍兵士の口から、「戦士」としての日本兵を賞賛する声を聞いた のは、一度や二度ではなかった。ガダルカナル戦では、多くの米軍兵士が「五分五分の勝負」だと 感じていた。「もう少し、日本軍の攻撃がうまく計画されていたら、負けていたかもしれない」と アメリカル師団第164連隊のフェローズ軍曹をはじめ、複数の兵士が筆者(引用者注―河野仁氏)に 語ったのが印象的だった。 中でも戦後、米陸軍准将にまでなったジョン・スタナードの「私は個々の日本兵については、非常に 尊敬している」という言葉が、とくに印象に残る。ガダルカナル戦で日本軍の軽機関銃による顔面への 貫通銃創によって負傷した後、ウエストポイント陸軍士官を卒業し、朝鮮戦争、ベトナム戦争を経験した スタナード准将は、これまで対戦した相手の中では「日本兵がベストだった」と語る。「規律と、誇りと、 歩兵の精神(スピリット)が、日本兵をとんでもなく素晴らしい兵士にしたのだと思う」と述懐し、 できることなら「日本兵の部隊を指揮してみたいもんだ。ただし日本的なやり方ではなく、私自身のやり方 でね」と老将は語った。「米軍兵士をあそこまで鍛えられるかどうか、私にはわからないな」と呟いた。 昼食をはさんで四時間以上にもわたる、長い長いインタビューだった。この二回目のインタビューを テネシー州ナッシュビルで終えたあと、まだまだ話したいことがあるから、三回目をまたいつかやろうと、 固く握手をかわし、笑顔でスタナード准将は去った。それが最後の別れだった。 今、スタナード准将はアーリントン墓地で永遠の眠りについている。いつしか、日本兵を指揮することを 夢見ながら。」(終わり) 典拠:河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争―』講談社選書メチエ、2001年、 270〜272PP。
531 :
日本@名無史さん :03/06/12 02:21
>>510 >>526 ガ島には定期的に遺族団が出向いているらしいよ。向こうには慰霊碑もあり、遺骨収集も
行っている。
また、戦争当時に座礁した船、その他武器がそのまま放置されているらしい。
いずれにしろ、ガ島にいくには、オーストラリア経由かニュージーランド経由になるだろうね。
532 :
日本@名無史さん :03/06/12 05:45
戦跡訪問を専門にしている「歴史散歩友の会」という旅行社がある。 私は日露戦争関係で3回参加したが、ガダルカナルやペリリューも行った と言っていた。 ときどき広告が雑誌「歴史群像」にのるから、この雑誌の関係で調べて 見たら?
533 :
日本@名無史さん :03/06/12 09:15
歩兵としては優秀ってことか
534 :
名無し転がし :03/06/12 09:39
司馬遼が言ってたことだけどさ、ホントなんで日本人って、ヘイタイ(現場)やったら物凄く優秀なのに、管理職だと駄目になっちゃうんだろ。
535 :
日本@名無史さん :03/06/12 10:19
戦士としては優秀なのは疑う余地も無い訳だが。 兵士としてはどうだろ? とゆうのはもともと捕虜にならない事を前提にしてる為に捕虜になったの場合についての教育がまったくなされてなかった。 その為に捕虜になった兵士が死の恐怖から解放された安堵感と黙秘権など国際法の捕虜に与えられた権利の知識の欠如。 それともう二度と帰国する事は出来ないとの思い込みからベラベラと機密事項を話てしまう事がたびたびあったという。 欧米の軍隊が「捕虜になったら敵の倉食を食いつくせ!」と徹底的に教えるのとは対象的ではある。 ただ黄色人種の日本兵は必ずしも捕虜になった時、人間扱いされた訳では無いので仕方無かった面もあったかもしれない。 捕虜になっても、輸送機から突き落とされたり。日本人は銀歯を着けていると話題になり生きたまま頬の肉をナイフで切り裂かれ銀歯を取出され殺されたり。一列に並ばされ機銃掃射された兵士も多々いたという。 司令部が情報収集の為に捕虜をとった者には休暇を褒美にやるとの司令を出したところそれまで見た事の無い数の日本兵捕虜が集まったという記述も残されている
536 :
日本@名無史さん :03/06/12 10:34
隼パイロットの間では、視界確保のためか、風防の防弾板を 取り外すことが流行した。そのため、頭部損傷による 戦死率が上がったことがあった。 模型雑誌で読んだ話。
537 :
日本@名無史さん :03/06/12 18:21
>>535 >その為に捕虜になった兵士が死の恐怖から解放された安堵感と黙秘権など国際法の捕虜に与えられた権利の知識の欠如。
>それともう二度と帰国する事は出来ないとの思い込みからベラベラと機密事項を話てしまう事がたびたびあったという。
その話し、俺も聞いたことある。米軍もあまりの変貌振りに驚いたとか。
捕虜になるという前提がないために 捕虜になったときの教育がなされていなかった 他国では当然捕虜になったときの対応の仕方は教育されている あらゆる状況で一定の能力を出せる可能性を切り捨てて 特定状況下でよりよい能力を発揮させる方向でいけば 当然こういう弊害は起きる それを上位組織がどう評価するかだな 結果的に敗戦なんだからまぁ失敗なんだろうが・・・
539 :
日本@名無史さん :03/06/12 20:32
まぁ国力からいって自動小銃は無理だったとしても、諸外国並みに短機関銃くらいは持たせてやりたかったな。 戦後生まれの俺が言うのもなんだが… 上海事変やバレンバン攻略戦では100式短機関銃を効果的に活用してたんだけどねぇ
>諸外国並みに短機関銃くらいは持たせて 帝国陸軍は38銃とチハ車と隼で、中国チンピラゴロツキどもは みんなイチコロ。「抗日戦争」なる砂上の楼閣は脆くも崩れ去った。
多分主力兵器に自動小銃を採用したり補助兵器に短機関銃やら大量に使用したら 弾薬生産が間に追いつかなくなるような・・・ たしか太平洋戦争の開始後 弾薬生産は減少命令が出ていたかと 日本はそれくらいアメリカと比べると国力がない国だった ただし上海事変という話もあるとおり 日中戦では火力で劣ることはそうなく(というか勝ってる場面が多かった?) 歩兵の優越性を生かすことが出来たんでは・・・
542 :
日本@名無史さん :03/06/12 22:12
自動小銃はともかく短機関銃は拳銃弾を使用する訳だから弾丸の消費量についてはさほどでもないんじゃないか? 大陸打通作戦なんてひらけた大陸での戦いはともかく。やっぱりジャングル戦の接近戦闘などでは短機関銃は欲しいところでしょ? 100式短機関銃を持った義烈空挺隊の迷彩服の日本兵は激しくかっこよかったな。 まあ全員死んでしまった訳だが…
543 :
日本@名無史さん :03/06/12 22:56
>>542 仮に出来ても、使い物になったかは疑問だな。
だって日本軍の当時の自動拳銃って
引き金引かなくても弾が出る。とか
引き金引いても弾が出ない。とか
連発すると暴発するので単発でしか使えない。とか
言う理由で珍品コレクターにしか相手にされていないのが多いぞ。
そんな日本が機関銃作っても、過酷なジャングル環境では
まともに稼動したか非常に疑わしいのだが…
ま、名銃と言われたルガーP-08も泥にはやたら弱かったみたいだけどね。
545 :
日本@名無史さん :03/06/13 01:04
>>539 〜
>>543 このスレいいね。
ところでガ島戦での日米両軍の兵器と戦術について面白い指摘がある。
これも河野氏の著作から引用。
「(アメリカル師団―引用者注)164連隊第2大隊H中隊第一機関銃小隊の小隊長だった
チャールス・ウィリアムズ中尉(仮名、階級は当時)は2個班四個分隊(0・30インチ
水冷重機関銃四挺)35名の部下を指揮して飛行場の防御陣地を守備していた。ガ島では、
かれの小隊はE中隊の支援にあたっていた。機関銃は、実際の定数の2倍の八挺を持っていた。
ウィリアムズによれば、日本軍の11式6・5ミリ軽機関銃(22ポンド)、
99式7・7ミリ軽機関銃(20ポンド)にくらべて、米軍の機関銃は重くてジャングル戦
には不利だったという。日本軍の兵器は持ち運びに便利なようにすべて軽く作られていたのが
実戦には有利な点だったと指摘するウィリアムズは、「迫撃砲も、機関銃も(日本軍の)マネ
したよ」と語る。
546 :
日本@名無史さん :03/06/13 01:09
(続き)「われわれの機関銃は三脚を使っていたんだが、日本軍は二脚式だった」。米軍の機関銃には 11年式や99式軽機関銃のような銃床(肩にあてる板)もついておらず、拳銃のような引き金 部分だけだった。日本軍の機関銃のほうが実践ではより効果的な形式だと見た米軍は1943年に なって機関銃用二脚と肩にあてるプレートを実戦に配備した。「それでようやくナンブ(日本軍の 機関銃をさす)と同等になったわけさ」。さらにウィリアムズは続ける。「われわれの60ミリ 迫撃砲は、直接射撃(水平射撃)ができなかった。(中略)だから、われわれは日本軍の迫撃砲 を本国に送って、おなじようなものを作らせたんだ」。改良された迫撃砲は、引き金機構がついて おり、直射が可能になった。ジャングル戦で、川を隔てて対峙する敵陣に直接迫撃砲を打ち込むのに 役立ったという。 「これは大変な改良だった。(中略)でも、悲しいかな、米国陸軍はこれだけの改良をするのに 2年近くもかけたんだ」。かれは狙撃用の銃にも不満を持っていた。2・5倍のスコープのついた 1903式スプリングフィールド銃に似た「デキの悪いヤツ」だった。それを見たときは「こんな安物の スコープをつけてどうするんだ」と信じられない思いだった。狩猟経験があり、ノースダコタ州兵の 代表選手として射撃の全国大会にも出たことのあるウィリアムズは、「ショックだった。ワシントン の兵器部の連中は何をやっているんだ。バカな将軍連中が、戦闘がどういうものかも知らないくせに」、 と腹立たしさもあらわに回想する。
547 :
日本@名無史さん :03/06/13 01:12
(続き)132連隊のボブ・ハートウェルは、巧妙にカモフラージュされている日本軍の陣地を発見するために、 偵察には必ず色覚異常の兵士をつれていくことにしていた。「それがわかったのはたまたま偶然のことだった。 (偵察中に)歩いているとだれかが『軍曹、ちょっと待った、ちょっと待った』というから、何だ、とたずねると 『あそこに機関銃陣地かなんかがあります。はっきりとはわかりませんが、掩蔽壕のようなものがあります』と いうんだ。自分には何にも見えなかったけどね」と、色覚異常の兵士がうまく擬装を凝らしてある日本軍陣地を みつける能力があることを発見した経緯を語る。以来、この情報を仲間にも伝え、できるかぎり偵察には色覚異常の 兵士を連れてゆくことにしていたという。これも米軍兵士たちが戦場に適応しようと努力した一例である。 また、偵察中に日本軍の待ち伏せ攻撃を受けることがあった。日本の狙撃兵は高い木の上にのぼり敵を待つ。 米軍はジャングルでは一列縦隊で歩く。20人の兵士がいるとすると、10人が行き過ぎたところで11人目の兵士を 日本兵は狙撃する。そうすることで、前の10人は前方へ、後ろの9人は後方へ避難する。効果的に部隊を分割できるわけだ。 「これもジャングル戦で学んだことのひとつさ。どんな教範にも書いていないことだよ」とハートウェルはいう。 米軍兵士たちは実戦から多くを学んだ。」(200〜201PP)
548 :
日本@名無史さん :03/06/13 06:00
>543 そういう傾向はあったにせよ、それは言い過ぎ。米軍のM16がベトナムで粗悪銃と言われた様に大抵はメンテをマメにやれば済む話だよ。 一応弁護しておくと南部14年式拳銃は同時代の拳銃のなかでは一番命中精度が高かったらしい。 それに英軍のステンサブマシンガンの様に生産工程の簡略化とコストの低減を第一の目標にかがげて開発された為に世界一暴発の多いと言われた粗悪銃でも英軍のかかせない戦力になった訳だし。 そんな粗悪銃でも日本兵には高嶺の花だったらしく、ビルマやインパールでは奪い合う様に英軍からの捕獲兵器のステンガンを使いたがったというから、どんな物であれ無いよりはマシだったと思われる。 一応100式短機関銃はドイツのベルグマンを8ミリ南部弾が撃てる様に改造したコピー製品だから堅牢さには定評があったが。貧乏日本としてはステンガンをコピーして数を揃えた方がよかったかもしれない
549 :
日本@名無史さん :03/06/13 14:30
イッツァトージョータイム!
550 :
A・T・マハン :03/06/13 16:17
まー自動小銃を全軍に配給できたのはアメリカだけ。銃の生産よりも前線にそれだけの タマを補給できる目途がなかったので。司馬さんが38式をののしるがイギリス・ソ連の 小銃も開発年次はほぼ同じでね。そんなことより南方に派遣中の船団ごと戦没したのが40万人だぞ。 海軍何やっとった!
551 :
日本@名無史さん :03/06/13 18:11
>>550 戦わずして40万か!海軍だけではなく陸軍も船団護衛すればよかったのに…
日本軍の兵士がたよりにしたのは重機関銃だけで、軽機関銃はとにかく 故障だらけでほとんどあてにされてなかったと聞いたことがあるが。
554 :
日本@名無史さん :03/06/13 19:27
日本軍は、いったいどこでジャングルで戦う術を身につけたのだろう…?
陸軍が船団護衛か・・・まぁどうせ陸軍が潜水艦もってたり 非効率的な資源配分しまくってるんなら護衛任務専用の海軍(陸軍指揮下)でもつくったほう が手っ取り早かったかもなw 少ない国力がさらに細分化されるからろくなことにならんだろうがw 陸軍の戦争だの海軍の戦争だの・・・ 国を挙げての戦争になにをいってるんだかねぇ、まったく
556 :
日本@名無史さん :03/06/13 21:31
557 :
日本@名無史さん :03/06/13 21:35
前スレ同様に、雑談スレになったか。 まあ、お題が隼じゃあな
隼ならまだ話題があるが、次に二式戦になったらどうすんだ。
>555 もしかして、大井篤「海上護衛戦」を読んだ? 読んでないのなら是非一読をお勧めする。 学研M文庫版が今なら入手は容易、ISBN4-05-901040-5。 太平洋戦争のIFを語るなら必読の書なので、 歴史板の人間なら読んでて当然かもしれないが…あえて紹介。
560 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:13
561 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:14
ビー―――――――――――――――――ン バアバババババババババババババババン ズドーーーーーーーーーン
562 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:19
↑ヲィヲィ大丈夫か
563 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:23
だいじょーぶです 大佐。今から再出撃します
564 :
無料動画直リン :03/06/13 22:24
565 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:28
>>536 よし!おまいは敵艦に突っ込め!赤とんぼでな。
566 :
日本@名無史さん :03/06/13 22:49
アイアイサー
567 :
日本@名無史さん :03/06/13 23:12
>553 11年式軽機は糞だけどそれ以外はマトモ。 米軍の歩兵の戦死の要因のトップが軽機による精密射撃によるものだったらしい。 日本陸軍は軽機にスコープつけて狙撃してました。 96式と99式軽機はチェコスロバキア製のBZ軽機のコピーなので性能には定評がある、ちなみにイギリスのブレン軽機もBZ軽機のコピー。 11年式が糞なゆえんはホッパー式というこの銃独特の給弾方式を採用した為、38式の弾丸をそのまま使用できる様に作られた訳だが。構造が複雑すぎて送弾不良や暴発が続出したという。 この銃と同じメカニズムの銃は他には無く。海外のコレクターの間では高い値で取引されているとの事です。
568 :
日本@名無史さん :03/06/13 23:22
ガダルカナルまでは、陸軍は対ソ戦の訓練を主としていた。
>>559 ああ、一応読んだし内容もそれなりによかったと思うけど
まぁ彼もまた一人の優秀な官僚なんだなぁっつーのが一番の感想だったな
いや良い意味でも悪い意味でもね
570 :
日本@名無史さん :03/06/14 00:25
ガ島には満州からの転出の師団が送り込まれたんだっけ?
571 :
日本@名無史さん :03/06/14 14:26
ガダルカナルに投入された第2師団と第38師団はジャワから転属になったはずだが。
573 :
日本@名無史さん :03/06/14 19:57
第2師団と第38師団がジャワから転属になったんなら、ジャングル戦は経験済みだろうね。
574 :
日本@名無史さん :03/06/14 20:31
ジャワは天国 ビルマは地獄 死んでも帰れぬニューギニァ なんて歌が残されてるくらいだからたいした戦闘はなかったんじゃないか? あったとしてもヘタレのオランダ軍相手の小規模なものだと思う
575 :
日本@名無史さん :03/06/14 20:57
両師団は中国戦線にはいたことあるのかしら? いくらなんでもジャワがはじめてではないだろうが
576 :
日本@名無史さん :03/06/14 22:37
ガの戦闘記録。 昭和17年(1942)8/7南太平洋の東端にあるツラギとガ島に突然、米軍の空襲が始まる。 ツラ地区740名、(第84警備隊、横浜海軍航空隊《水上部隊》) ガ島2800名 (飛行場建設の設営隊《軍属》)が大半で軍人は600名。 日本軍が無名に近いガ島に、海軍飛行場建設を始めたのは7月始め、1ヶ月かけてやっと 2日前(5日)に一期工事終わった。米軍はガ島を征する者がソロモンを征すると判断。 開戦以来、初めて本格反抗戦遂行してきた。(ボディーブローの始まり) 7/25 ガ島攻略の米国機動部隊はフィジー諸島に集結。 上陸部隊の第一海兵師団を乗せた輸送艦船団と護衛の戦艦、巡洋艦部隊さらに空母3 濠新造巡洋艦を含めて、105隻の大部隊だった。
577 :
日本@名無史さん :03/06/14 22:38
8/7 ツラ地区攻略とガ島攻略の二手に分かれて米水陸両用部隊(リッチモンド少佐)は 決死の覚悟で両島に近づいたが、日本からの反撃は無い。 同日2時、ガ島では、海岸に上陸船が乗り上げ、戦車を降ろしても一発の反撃なかった。 日本軍の大半は非戦闘員の設営隊だったから米軍の砲撃が開始されるとジャングルに 逃げ込み逃避行を開始していた。 1万7千の海兵隊は無血でガ島占領した。 ツラ地区の攻撃は午前4時10分すぎ、艦上戦闘機の空爆により水上部隊全滅。 空爆のあと艦砲射撃で日本軍施設は吹き飛ばされた。 午前4時12分に日本軍はラバウルに敵蒙爆中と計9回緊急電を発信して沈黙した。 その後、上陸してきた米1700名に必死の反撃を展開していた。 このため、ガ島から増援部隊を送り込み延べ6千名で制圧にかかった。 圧倒的戦力に8/8午後1時完全制圧された。
578 :
日本@名無史さん :03/06/14 22:39
緊急電を受けて第25戦航空隊(山田少将)と第8艦隊指令(三川中将)は、 空海の全力投入を決定、ツラ地区へ午前7時50分零戦、一陸、一陣が、1時間送れて 99式が飛び立った。 ただ、ジャングルに潜む豪の沿岸警備隊が通報したため、空母3隻60機が上空で待機。 零戦は3倍を超えるグラマン戦闘機相手に善戦し戦闘機12、駆逐艦被弾の損害を与え、 損害は零戦2 一陸5 99式4 だった。 これが日米のソロモン上空殲滅戦の皮切りで空戦はほぼ連日繰り広げられる。 三川艦隊は書かないけど(第1次ソロモン開戦) この後ガ島周辺で半年に渡って死闘が繰り広げ られた。 打つのしんどかった。つづきは後日ね。
579 :
日本@名無史さん :03/06/14 23:26
>>576 ‐578
乙!以後、日本軍が無残に負けていく様をみていくことにしましょう(w
580 :
日本@名無史さん :03/06/14 23:30
>米軍はガ島を征する者がソロモンを征すると判断 このあたりの米軍の判断は、日本軍のそれとは大違い。本腰入れるまで やたらと時間かかったな。
>>580 そう、米軍の反抗を、本格的なものだとは考えていなかった。
結局兵力を小出しにしていくわけだが
隼は操縦する者によってはいい戦いが出来た。 稼働率の高さは申し分なく、貧弱な武装、防弾装備さえ良ければもっと活躍はしたでしょう。 でも、1943年辺りで既に旧式化していったのに、後継機の開発の遅れが余計な損害を生んだと思える。
>>579 どうでもいいが「w」は不謹慎だろう?
君の親戚もそこで亡くなっているかもしれないというのに・・・
584 :
日本@名無史さん :03/06/14 23:53
585 :
日本@名無史さん :03/06/14 23:56
>>582 >貧弱な武装、防弾装備さえ良ければ
重量が増え、旋回性が劣る罠
>>584 いや、分かってくれるならそれでいい。
それと、こっちも言い方が少しきつかったかもしれんが、
そこは謝る。すまん。
587 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:04
酒、飲みながらつづきを。 ★一夜で壊滅一木支援隊と安達陸戦隊★ 米軍の上陸を知った大本営はグァムにいた北海道旭川28歩兵連隊と横須賀5特別陸戦隊を ガ島に投入、米軍を2千名程度の偵察部隊であるから一木支援隊で十分と判断。 8/12 トラック島に到着した一木隊を2つに分け、一部隊を6隻の第2水雷戦隊駆逐艦(田中少佐) に便乗、2部隊を足の遅い船団で輸送した。 8/18 ガ島タイボ岬に夜9時に上陸。 足の遅い輸送船団が22日に夜上陸予定だったが、1部隊(千名)で十分と考えたのかな? 奪取された飛行場に向かって先進を開始した、兵は1人250発小銃用弾丸と7日の食料の軽装だった。 8/21の未明 日本軍はイル川河口の砂州を一列で超えようとした時、対岸の米軍陣地から一斉放火が開始された。 障害物の無い砂場は夜が明けると日本兵の死体が重なりあって埋め尽くされていた。 一木大佐この時死亡。
588 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:05
連合艦隊は第2艦隊(近藤中将)第3機動部隊(南雲中将)で基地航空隊、輸送船団、 外洋部隊第8艦隊を支援するためソロモン海域に向かっていた。 第25空戦隊からの入電で(空母1を含む敵機動艦隊発見)報は入り。 米軍も沿岸部隊や監視部隊の情報で日本の機動部隊が海域に進出しているの知った。 8/24 双方ほぼ同時に発見、戦闘開始。(第2次ソロモン海戦)が始まった。 結果は 軽空母 龍じょう撃沈(変換出来ない) 水上機母艦 千歳損傷 艦爆23 艦攻6 ゼロ30 水偵察3 エンターブライズ中破 艦戦20 勝敗はアメリカ圧勝ですね。
589 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:05
8/25午前6時(朝だぜ、おいおい) 輸送船団は上陸、米艦爆のに襲われ旗艦軽巡(神通)大破 輸送船(金龍丸) 駆逐艦(睦月)撃沈 船団はショートランドへ撤退した。 思わぬ苦戦にラバウル第17司令部は川口少将支援隊(114 124連隊今回は2連隊だぜ)を 駆逐艦と輸送船で8/29にに第1陣が出発。 酒を冷蔵庫から持ってきます。 (世界文化社から出てる連合艦隊を抜粋してます。1冊2千円で4冊で完結 バルチック艦隊以前から書いてます。興味のある方本棚の肥やしに)
590 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:29
隼って、のちのロケット博士こと糸川英夫博士が中島飛行機で設計したんです よね。ある意味で隼がなかったら今の日本のロケット技術はなかったといえま す。ちなみに漏れは昔、糸川博士の講演を聴いたことがあるけどものすごく面 白かった。
>>590 ほう、糸川博士は長生きしたんだに。どんな講演内容だったの?
592 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:39
>>591 双方向テレビとか、未来の科学技術全般についての話だったと思う。確か40
分ぐらいの時間話されたと思うが、あっという間に終わってしまった。
594 :
日本@名無史さん :03/06/15 01:54
>>587 ‐589
夜中に乙カレー
第二次ソロモン海戦についてはそうだが、
そのあとすぐに日本の潜水艦に襲われ、サラトガが自力航行が不能になり、
ワスプが沈没しているよね。
この時点で、ガ島方面で使用できる米軍の空母はホーネットただ一隻になった。
糸川英夫博士は隼のほか、九七、鍾馗、疾風も設計しています。
>>590 天才の作った物は完成されているので、中々改修とかが出来ない
のだなと思ったのだよ。
余地余裕のない設計とでも言おうか。
ま、主務は小山悌なわけだが…。
598 :
日本@名無史さん :03/06/15 02:45
599 :
日本@名無史さん :03/06/15 02:55
600 :
日本@名無史さん :03/06/15 03:18
600
601 :
日本@名無史さん :03/06/15 05:57
>>567 日本人は昔から兵器に関しては複雑な物を作ってしまうようです。自分は
自衛隊にいましたけど、ほんと戦後の国産の機関銃、小銃はお粗末な物です。
64式小銃や62式機関銃は細かい部品が多くてほんと悲惨です。それに
挙句の果てに送弾不良の嵐です。なんだかんだいって結局米軍のキャリバー
50、ミニミ機関銃、カールグスタフの無反動砲、シグの9mm拳銃なんか
最も信頼できちゃうわけですね。フランスでFA−MAS撃ったけど
あれは最高だった。右利き、左利きに対応できて部品もめっちゃ少ない。
バカでもチョ○でも扱える武器ですな。
602 :
日本@名無史さん :03/06/15 06:51
>601 でも64式は同時代の自動小銃に比べたら旧軍からの伝統からか連射性能を押さえて弱装弾を使用してる為にフルオートの性能はかなり高いらしいね。 64式が開発された背景には戦時中の軽機神話の影響がかなり大きいらしい。 関係無いけど旧軍の重機は戦後自衛隊に口径を変えて再配備しようという動きもあったほど信頼性の高いものだったらしいね。 まぁこの期に及んで口径が同じなのに軽機と重機を使い分けるのは無駄でしか無いと思うが
603 :
日本@名無史さん :03/06/15 08:47
YS11開発では 東条英機の長男が技術者として活躍したらしいね。 プロXでやってたぜ。
604 :
日本@名無史さん :03/06/15 09:05
↑それは知らなかった。 息子さんが戦後東条の息子だという事で学校に行けなかった 話は知っている。
605 :
日本@名無史さん :03/06/15 09:10
東条英機感激! ってヒデキの息子って戦争中は陸軍将校だったんだよな? 水木しげるの漫画にヒデキにビンタされる息子のエピソードが載ってた
606 :
日本@名無史さん :03/06/15 11:12
>>589 サボ島沖夜戦や金剛、榛名のガ島砲撃も大きな出来事だと思うが今後でてくるのかな?
>>601 いやだから兵器の大量生産とかそれをいかした物量作戦とか
日本の国力で実行できるわけがないから
どうしたって少しでも個々の絶対性能を上げて対抗しようとするわけで
(熟練パイロットの育成、依存しかり)
そうするとそうなってしまう傾向があるのは仕方がないかと
でもまぁそりゃ使う本人にとっちゃ使いやすい銃が一番ですけどね
AKがあれほど世界中に溢れているを考えると・・・
ちなみに64式は優秀で外国(アラブ諸国のどっかだったと思う)
から売ってくれといわれたことがあるらしいですよ
608 :
日本@名無史さん :03/06/15 11:28
>>578 第一次ソロモン海戦では日本軍の重巡4隻撃沈、一隻大破、駆逐艦2隻中破
という勝利だったが、この勝利が今後日本軍にガ島戦の先行きを楽観視させて
しまった、ひとつの原因になったと言われているね。
609 :
日本@名無史さん :03/06/15 11:41
610 :
日本@名無史さん :03/06/15 11:44
空挺です。
611 :
日本@名無史さん :03/06/15 11:52
うわ、カクイイ(はあと)
613 :
日本@名無史さん :03/06/15 12:19
614 :
日本@名無史さん :03/06/15 16:49
欧米の戦闘機マニアでは、古い日本の戦闘機はダメにするから日本人には絶対
渡すなということにあっているらしい。なぜか。戦時中ネフロス島で米が捕獲
した疾風はメンテナンスをして飛行可能な状態のただ一機であったらしい。そ
れで昭和48年日本人が「どうしても」と言うので戦闘機マニアのドン・ライキ
ンス氏が彼に譲渡した。しかし、日本人は運送に大きすぎるというので大事な
骨格を切断してしまい、二度と再び飛行することができなくしてしまった。そ
の後、ドン・ライキンス氏はその事を聞いて非常に怒り、日本人に渡したのを
後悔したということです。漏れも当時、確か毎日に載っていた記事を読んで頭
にきたのを覚えている。
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln/FR047P.html
615 :
日本@名無史さん :03/06/15 19:05
いるんだよなぁ、こういうものの価値がわからないくせに やたらとありがたがってダメにしちゃう奴
617 :
日本@名無史さん :03/06/15 21:59
予備兵力は置かず(ジャングルでは予備兵力を投入する場所が限られてしまう)1回勝負に出た。 9/12 (サボ島沖野戦) 川口隊は移動が後れ総攻撃はこの日行われなかった。 しかし、海軍第6艦隊(重巡3 駆逐艦2)は予定通り午後9時に飛行場を砲撃し、帰還途中 敵艦隊の遭遇戦が行われた。 レーダーを装備した米軍は夜戦で日本軍を恐れる必要が無くなったと言う意味で大きかった。 9/13 川口隊の総攻撃は一部隊が敵の陣地に投入を果たしたが多くは排除されていった。 14日、川口は戦線からの撤退を指示、作戦は失敗した。 (川口連隊が半分でも上陸に成功していれば結果は違っていただろう。) ここに来て大本営は敵の考えが偵察ではなく占領を意図したものと判断し、第二師団(丸山中将) 1万の投入を決めた。 10/3〜12 師団は軽巡2 駆逐艦10 潜水艦5 輸送船団8 にてガ島西部に輸送された。 連合艦隊も総攻撃を支援するため空母4戦艦4重巡8軽巡3駆逐艦28潜水艦12を海域に 展開した この海戦を含めて第2次ソロモン海戦という人もあれば、南太平洋海戦と言う人もいます。
618 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:01
上の文章間違い。 次のが訂正です。
619 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:02
艦砲射撃支援による川口支援隊飛行場制圧作戦。 9/4 川口隊ガ島に上陸するも船団は途中敵航空機の攻撃に合い、1/3に減ってしまった。 だた、米軍も上陸から1ヶ月たち、防衛部隊は劣悪な環境に置かれていた。 硬質ゴムのタイヤは滑走路を傷つけ、ガソリンポンプは手動、パイロットは宿舎も無く テントすら不十分で、多くは防空壕を掘り中で生活する状態。 食料も少なくなり、マラリアにかかる気配があった。(日本兵の死体を放置していたのが原因とか 言われてる) 一木の失敗を参考に、川口はジャングルを迂回して包囲作戦で奪回する事にした。 予備兵力は置かず(ジャングルでは予備兵力を投入する場所が限られてしまう)1回勝負に出た。 9/12 (サボ島沖野戦) 川口隊は移動が後れ総攻撃はこの日行われなかった。 しかし、海軍第6艦隊(重巡3 駆逐艦2)は予定通り午後9時に飛行場を砲撃し、帰還途中 敵艦隊の遭遇戦が行われた。 レーダーを装備した米軍は夜戦で日本軍を恐れる必要が無くなったと言う意味で大きかった。 9/13 川口隊の総攻撃は一部隊が敵の陣地に投入を果たしたが多くは排除されていった。 14日、川口は戦線からの撤退を指示、作戦は失敗した。 (川口連隊が半分でも上陸に成功していれば結果は違っていただろう。) ここに来て大本営は敵の考えが偵察ではなく占領を意図したものと判断し、第二師団(丸山中将) 1万の投入を決めた。 10/3〜12 師団は軽巡2 駆逐艦10 潜水艦5 輸送船団8 にてガ島西部に輸送された。 連合艦隊も総攻撃を支援するため空母4戦艦4重巡8軽巡3駆逐艦28潜水艦12を海域に 展開した この海戦を含めて第2次ソロモン海戦という人もあれば、南太平洋海戦と言う人もいます。
620 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:06
昔ミスター長島はファンが一生懸命掘ってきた長芋を 「どうもありがとうございます。あっこれ車に入らないなー」 といってそのファンの目の前で真っ二つに折り、車のトランクに 入れて颯爽と帰ったそうだ。 いい話だ。
621 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:08
乙です!
622 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:11
624 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:17
>>623 誤報に越したことはないけどな。
しかし、カラー写真で見るとカッコいいな、素直に。
625 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:21
594さんの言う通りでした。 このころ日米損失や復帰が激しくて、別の資料でも確認しないと、相手の損害まで 確認は難しいですね。
>一木の失敗を参考に、川口はジャングルを迂回して包囲作戦で奪回する事にした。 白骨街道へ……結局、ジャングルを突き抜ける案は机上の空論だったな。
627 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:30
>>625 そうだね。この頃は米軍の損害もおおかったもんな
628 :
日本@名無史さん :03/06/15 22:37
ジャングル戦における移動では食料をそれほど持っていけない。 そのため米軍兵士を襲って得る食料をあてにしていた、という。 それをルーズベルト給与(?)というらしい。
>>623 誤報のソース教えてもらえますか。
調べたかぎりでは、この疾風は現在鹿児島「知覧特攻平和会館」に
あるけど、実際もう二度と飛べない状態らしい。
630 :
日本@名無史さん :03/06/15 23:36
昔ミスター長島はファンが一生懸命掘ってきた長芋を 「どうもありがとうございます。あっこれ車に入らないなー」 といってそのファンの目の前で真っ二つに折り、車のトランクに 入れて颯爽と帰ったそうだ。 いい話だ。
631 :
日本@名無史さん :03/06/15 23:54
↑それ前にも聞いたよw
632 :
日本@名無史さん :03/06/16 00:44
南太平洋海戦 第2師団(丸山中将)ジャワ島攻略に参加した部隊で精鋭である。 10月の飛行場奪回を行うために、11日頃に大型輸送船団による物資の輸送が必要であると考えていた。 主力上陸に先立ち銃砲兵(15センチ榴弾砲4)をタサファロンク上陸に成功する。 翌、司令部開設、川口隊から日本軍健在5千と連絡が入った。ただ戦力にならないことは 丸山中将は解っていたと思うふしがあり、作戦は川口隊無視でマタニカウ川沿岸を占領し砲撃にて 飛行場制圧を行なうという単純な物だった、たしかにこの作戦は理に適っている。 だかそれは米軍にとっても作戦意図が明白であることを意味していた。 (砲兵が上陸したら何処に砲台を設置するか) 9月に川口隊掃討作戦で米軍はマタニカウ川に集結した同隊を攻撃して痛い反撃を受けていた。 ここに師団が駐留して砲撃が始まると戦況が働く、攻略を米軍は7日、日本は8日 一日早く米軍に奪取されてしまった。 結果的に戦闘は終始がイニシアチブを取り日本軍は同川攻略に忙殺され 9日夜には川東岸地区を米軍に制圧され、この戦闘で第4連隊は全滅してしまった。 10/12 大型輸送船団にて2師団の主力が上陸してみると飛行場に対する火力支援が場所が確保されていない 事が大きな問題となりいたずらに時間を費やしてしまった。 深いジャングルに阻まれて思うように進撃出来ず同師団がガ島に到着したとき 司令部から聞かされた内容とあまりのもかけ離れた現実を見たのかもしれない。 10/26(南太平洋海戦) 詳しく戦闘経緯について書かれてる資料が見つからず、結果だけ言うと 沈没空母は日本軍には無く(損傷のみ) 米軍は撃沈1 大破1 その後、自由に運用出来る空母は補助空母ラングエーだけになった。 ただ、多くの航空機を失い最悪だったらしい。
633 :
日本@名無史さん :03/06/16 01:09
なにげに良スレ
こうして一気に片をつけるはずだったガダルカナル戦は 以後ソロモン海域を中心ととする一大消耗戦に発展する 本土から遠く離れたこの地域でこのような消耗戦を行うことは 当時の日本の国力からすれば無謀極まりない行動で 日本は日に日に戦闘力を失っていくことになる そしてこの地域での決着がついたとき 弱りきった日本に待っていたのは開戦前から恐れていた米軍のものすごい物量だった
635 :
日本@名無史さん :03/06/16 05:49
全滅した一木支隊だろうね、記録写真なんかでよく目にする、椰子の木の海岸で数名 の米兵が検分してるところをよく目にするが、遠くから撮影したものでよくわからな いが、日本兵の遺体というりも何かの塊のようなものが散らばっているように見える のだが、ああいう遮蔽物のないところで、おそらく集中砲火を浴び原形もとどめない ほどズタズタにされたんだろうね。
636 :
日本@名無史さん :03/06/16 08:54
だから、このあと海軍の戦艦が再度飛行場を砲撃するんだね。
637 :
日本@名無史さん :03/06/16 09:06
>328 ビルマやインパールではチャーチル給与と言いますた(W
638 :
日本@名無史さん :03/06/16 10:14
>>624 , 629
日本国内でも引き取り手が何回か変わり、そのたびに移送されたが
そのどれかの移送の時、主翼を桁ごと切断した。
いまあるのはそれを見かけ上繋いであるだけ。
639 :
日本@名無史さん :03/06/16 10:23
>>590 >>592 「トンデモ本の世界」読んでないのか?
近年の糸井氏はモウロクしたのかトンデモ発言が多くなってんだぞ。
例えば、
「福岡で美容師が同僚の女性を殺害した事件がありましたよね。マクロな視点で見ると米不足が原因だと思います。
人間が減れば自分の食べる米の量も増えるという事です。単純明快なことです」
とかモウロクしたとしか言い様の無い発言を著書に書いてるそうだ。
糸井じゃなくて糸川でした
641 :
日本@名無史さん :03/06/16 12:03
ガダルカナルでは戦死者よりも病気で亡くなった人が多かったというが データ持っている人いますか?
642 :
日本@名無史さん :03/06/16 12:06
643 :
日本@名無史さん :03/06/16 12:32
最後の組織的攻撃 マタニカウ川沿岸の占領は不発に終わり、砲兵力劣る現状では海岸線正面からの突破は困難であり 南方地帯(ジャングル)を迂回して攻撃するしか方法が無くなっていた。 百武司令官は第2師団に迂回路での進撃を支持(丸山道)と呼ばれるもので幅1M以下の獣道を 20`進まなければならない。木の採取、伐採は禁止されている道を1万が進んだようです。 第2師団の進撃は順調と考えた司令部は攻撃を20日と決めた。 一列に進むため先頭と最後尾の間は数キロに及び部下の確認が困難でそのため、 攻撃予定は延期され24日に総攻撃実施とされた。 10/24 (オトリ部隊) マタニカウ川沿岸、最奪取部隊は戦車(海岸線は道があったようですね)や軽砲で川を渡り 東側にある米軍基地に総攻撃を開始した。 米軍も日本軍との戦闘で経験を積み日本軍が攻撃しても渡河地点付近に前進するまで 攻撃を加えなかった。 いざ、渡河されると一斉に銃撃 砲撃が開始された、日本軍は戦車を10台以上いた(まあ師団だから 当然と言えば当然でジャングル部隊は機動兵器が使えないので同川攻略に全車両投入した) 日本軍はは戦車と歩兵で同川を次々に渡る。米軍も必死で応戦、戦車砲、迫撃砲、重砲などあらゆる 火力が戦車に集中した。 戦車は全滅、同川攻略部隊は敵陣一角突破したが占領は出来なかった。 (米軍公式記録では) マタニカウ川攻略部隊により敵正面(ジャングル)部隊を引き抜いて攻勢を支えなければならなかった。 と書いてあります。 ジャングル防衛部隊をトラック輸送してでも防戦させた様ですね。 ジャングル主力の総攻撃をまた今度UPすますね。
644 :
日本@名無史さん :03/06/16 13:56
>>639 漏れが読んだのは「続・逆転の発想」。残念ながら糸川博士は1999年2月21日に
お亡くなりになりました。享年87才。小学校飛び級。兄に「お前、定員10人
の東京大学工学部航空科が一番難しいんだぞ」と言われたのでそこを受験し合格。
数学の天才と言われたノイマンでさえ、晩年は簡単な計算ができなかったそう
だから、まあ人間歳取ればだれでもしょうがないでしょ。合掌。
>> 639 言い忘れた。漏れが講演を聴いたのはもう30年も前ね。
名馬も老ゆれば駄馬 帝国海軍の事実上の育ての親たる秋山真之中将も晩年は・・・ しかしだからといって彼の功績が全て消えるわけではない 彼に限らず多くの天才達もおおくは・・・ 生涯現役という言葉があるがこれもまた 一瞬の才能のきらめきに劣らぬ大変なことなんだろうな
648 :
日本@名無史さん :03/06/16 16:47
649 :
日本@名無史さん :03/06/16 18:02
650 :
日本@名無史さん :03/06/16 18:19
>>647 無知ですまんが
秋山真之って何した人だっけ(汗
>>650 秋山真之(海軍中将)伊予出身
日露戦争時の東郷歓待の参謀として
丁字戦法を考案した事、
またZ旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ有名各員一層奮励努力セヨ」
の文の作者としても有名
米国留学時にマハンを学び
後の彼の海大就任以後マハンは帝国海軍の根幹となる
しかし晩年は大本教に心酔して部下を熱心に勧誘したり
教団への喜捨で破産したものがでたり
盲腸炎も手術せず教団の手かざしで直そうとしたりと奇行が目立つ
実兄に陸軍大将秋山好古
その兄好古の真之の葬儀での発言
「弟真之には、兄として誇るべきものは何もありません。
しかし、ただひとつ、私から皆様に申し上げておきたいのは、
真之はたとえ秒分の片時でも『お国のため』という観念を捨てなかった。
このことだけはハッキリ兄として言いうることです」
>>641 いくつかのサイト見たけどみんな数字が違うね。
ただ戦死より病死が多いのは確かみたい。
653 :
日本@名無史さん :03/06/16 20:27
>>651 日露戦争当時の参謀か!あの頃は確かに強かったな。
654 :
日本@名無史さん :03/06/16 20:57
>>649 たしか東条英隆さん。
あとムッソリーニの孫娘で歌手になったのがいたらしいよ
東条英機の孫が反戦フォーク歌ってたら笑えるな。
656 :
日本@名無史さん :03/06/16 21:22
かといって、軍歌を歌ったとしても、別の意味で笑える。
657 :
日本@名無史さん :03/06/16 21:29
東条英機の孫がアニソン歌ってたらさらに笑える。
そうか? 別に祖父が東条英機だからって彼には関係ないような気もするが 確か沖縄戦で有名な大田中将の息子さんのうち 一人は反戦をうたってるし 一人は海自に入ってる 進路は正反対だけど彼らの進路を他人がどうこう言う問題じゃあるまい
659 :
日本@名無史さん :03/06/16 21:41
マジレスしなくても良いのにな 遊んでるんだよ
660 :
日本@名無史さん :03/06/16 21:53
東條ってカリスマ性とかかっこよさとか悲愴感とかがまるでないんだよね。 だからなんとなく笑える。
661 :
日本@名無史さん :03/06/16 22:01
東条? 東條? どっちですか?
662 :
日本@名無史さん :03/06/16 22:02
東條
彼はただの官僚だし
664 :
日本@名無史さん :03/06/16 22:20
大竹まことに似てるし
665 :
日本@名無史さん :03/06/16 22:23
東條のはげ頭見てると後ろから叩きたくなるね。 大川周明の気持ちがよくわかるよw
666 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:10
第2部隊発進します! ブルブウブブブブルルぅ〜 敵機発見! ギュ―――――――――――――――ん ズバババッバババッバババッバッバババ ズギュ――――ァン
667 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:16
↑オーメン
668 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:17
隼は武装が貧弱だってよく言われるけど、スピットファイアだって 7.7_機銃だよね。(まあ隼の4倍積んでるが)
669 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:21
>>668 そこがスピットファイアの弱点でもあったわけだが…
670 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:27
スピットファイアは8挺でdでもない数の銃弾をばら撒けたからね。 7.7_でも初速が速ければ、貫通力もそれなりにあるし 直進性も良いので、20_ではあっても初速の遅いような やるよりは役に立つ。 坂井三郎氏も7.7_を良く使ったらしい。
671 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:31
大空のサムライでも言ってたね。 「信頼性」があるって。
672 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:36
しかし7.7ミリでは米の重爆に有効な打撃を与えることは難しい。
673 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:37
大川周明は梅毒が脳に回ってしまっていたらしい。 巣鴨プリズンでの彼は一週間のうちに月曜はドイツ語、火曜日は英語、水曜はサンスクリット語、木曜はマレー語、金曜はポルトガル語、土曜日はスペイン語、日曜は日本語、 といったぐあいに一週間に喋る言語を決めて実践していたのだそうだ。 天才とキティは紙一重とは言うが…
674 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:39
>>672 艦載機はむしろ7.7_を10挺ぐらい積むようなのを作って、
局地戦闘機や陸軍機は20_路線で行けば良かったのにね。
あ、局地戦闘機は20_か・・・
675 :
日本@名無史さん :03/06/16 23:42
>>673 大川周明の東京裁判での行動は演技だという説があるのだが
どうなんだろう?
弾幕はるぐらい銃と弾薬つんだらスペースも取るだろうし重くなるような それにその装備を主力機になんてことになったら 生産能力もあやしくなるな
677 :
日本@名無史さん :03/06/17 00:46
>>632 南太平洋海戦で、航空機はもちろんだが、それ以上に痛かったのは
大勢の搭乗員を失ったことだろうね。
678 :
日本@名無史さん :03/06/17 00:50
>>676 20_2挺積むスペースあったら7.7_が4〜6挺いけるやろ。
大口径の方が強い強度がいるから工作が大変だし機関部もデカクなるで。
>>678 弾薬積むスペースと弾薬の重量考えてますか?
工作がむづかしいけど絶対性能は高いものを作るのと
工作が大変だけど大量生産できるもの
当時の日本にとって必要だったのはどっちでしょうねぇ・・・
まぁ手におえないほどむづかしいモノはさすがに無謀ですけど
680 :
日本@名無史さん :03/06/17 01:10
零戦のライバル、グラマンF4FやF6Fは12.7ミリ6丁だから 7.7ミリ6〜8丁ではかなり非力な感じだな。
681 :
日本@名無史さん :03/06/17 01:16
>>679 口径が3倍になったら弾体の重量は形が一緒なら27倍ですよ。
60発しか積めなくて(後に100発、120発も出るが)
あっという間に撃ち尽くしてしまう「一撃必殺」指向の
武器は、飛行時間が1000時間を越えてるような連中なら
まだしも、戦中のパイロットの育成を考えたら決して有利では
ないと思いますが。
艦載機クラス同士なら、小口径の機銃を多数積んだ方がいいですよ。
>>681 戦闘だけ考えたらね
しかし実際には少ない日本の国力がある
弾薬生産は開戦後減産命令が出てるし
機銃の大量生産が出来たかどうかも問題
要するにやったところで弾幕はれたかどうかは・・・
全部貧乏がわるいんじゃ
683 :
日本@名無史さん :03/06/17 01:46
>>680 ヘルキャットには7.7ミリが通用しなかったとか。
キャノピーに当てるしかなかったって坂井さんが
丸で言ってた。
7.7ミリ6〜8丁ではかなり不利やろうね。
685 :
名無し転がし :03/06/17 03:42
でも坂井さんは確か零戦の20mmよりハリケーンの武装を羨ましがってたのをなんかのインタビューで読んだ覚えが有りのの。
686 :
日本@名無史さん :03/06/17 03:57
坂井三郎氏って、もう故人だから悪くは言いたくないが、硫黄島のときに 特攻命令が出てもむざむざ帰ってくるし、米軍がもう上陸というときには 整備兵を残して上官だけで本土に逃げ帰ってくるし、「大空のサムライ」 を読んでて後味悪かった。戦果だって、初期のゼロ戦が圧倒的強かったと きのものが多いし。
687 :
日本@名無史さん :03/06/17 04:23
>>675 巣鴨プリズンにおける大川周明の様子です。
塩田道夫著『天皇と東条英機の苦悩』より抜粋。
笹川(衆議院議員で東條などA級戦犯の通訳となった人物−引用者)は使役で廊下の掃除をしていた。
四十六歳になる大の男が、こんなことをしなければならないところに、戦犯の空しさがあった。
すると大川周明の居房から笹川を呼ぶ声が聞こえた。笹川は何事だろうと手を休めて、大先輩にあたる
大川の居房を覗いた。彼は五十九歳であった。それが戦闘帽を被り、手さげ鞄を持って妙な格好で立っていた。
「大川さん、なんですか、その格好は?」
笹川は箒を左手に持って大川に聞いた。
「笹川君、この戸を開けてくれ!」
大川が居房の中から笹川に言った。
「戸を開けろと言っても、ボクには鍵がないですよ。いったいどうするつもりなんですか?」
笹川は真面目に聞いた。
「僕は帰るんだ。うちへ帰るから戸を開けてくれよ」
大川も真面目そうに言った。
「冗談じゃないですよ。ここは大川さん、獄中ですよ。戸を開けて欲しかったら
番兵に言ってくださいよ」
笹川はからかわれたようで呆れかえってしまった。笹川は、自分の持ち場である廊下の
掃除に取りかかった。すると、うしろのほうで、大川は大きな声を出して看守兵を呼んでいた。その看守が
大川の居房へ行って声をかけていた。
「僕は家に帰るから戸を開けろ!」
看守兵は英語で何か言っていたが、大川の言うことを取り合わなかった。その晩から、大川は大きな声を出して観音経を読み始めた。笹川は大川が悪戯しているのだと思っていたが、
そのうち悪戯にしては少しおかしいと思い始めたのである。
688 :
日本@名無史さん :03/06/17 04:25
>>682 20ミリ一発分で7.7ミリなら二十発ぐらい作れそうだが。
12.7ミリでも四発ぐらいになりそう。
重量で考えたら。
689 :
日本@名無史さん :03/06/17 04:26
(続き) 翌日、大川の居房り向かいにいた天羽英二(元情報局総裁)が笹川に苦情を言った。 「ゆうべは、大川君が大きな声で観音経を読むので、どうにも喧しくて眠れなかった。 あれでは、とてもたまらぬから、君から注意してもらいたい」 笹川は、このことを大川に話しに行った。 「喧しくて眠れないのなら、お互いに大きな声でやり合えばいいじゃないか」 大川はとりつくしまもなかった。 その後、一階の居房で発狂者が出たと噂は広まった。それが大川周明であることは、 またたく間に獄中に広がった。一応、軍医がやってきて鎮痛剤を注射すると、すぐに治まったが、 同室にいた松井石根まで一緒の病気に見られて苦笑していた。 「大川ほどの天才が気が狂ったとは本当だろうか、どうも合点がいかない」 首をかしげる収容者もいたが、天才と狂人は紙一重の差にあるらしい。翌日になって大川は妙な ことをわめいた。五十九歳にもなってからの、天才大川の発狂は、収容されている同僚を不思議 がらせたのである。 「内大臣、内大臣、すぐ陛下に拝謁する。おい、内大臣、どこにおるのか」 東京裁判の開廷を直前に控えて、大川の様子を直接見たものは少ないので、いろいろな憶測がとんだ。 笹川良一は、時間が経つにつれ、大川の発狂はニセ気違いだと思うようになったので、彼のことを痛烈に批判した。 「大川さんは、五・一五事件の時もニセ気違いとなった前科があったんです。彼は新橋に芸者の愛人がいたので、 半年ほどで出られると思って、安易に来たのではないですか」 笹川良一は発狂の素振りが気にいらぬと見えてこう皆に言った。 五月三日、国際軍事裁判所で裁判第一日が開かれる。A級戦犯に起訴された被告二十六名が、巣鴨から米軍の 護送バス一台に乗り、市ヶ谷にある法廷に出頭した。まばゆいばかりのシャンデリヤの照明が法廷の内部を照らしていた。 午前十時頃には、傍聴席も来賓席も満員となっていた。十一時十五分、被告たちの入廷が始まった。
690 :
日本@名無史さん :03/06/17 04:28
(続き) (中略) 裁判に出たくなかった大川周明は、ニセ気違いか、ノイローゼ程度しか思われていないために、 軽くあしらわれて出廷させられていた。大川の発狂説は、痛々しさと同情を与えたに過ぎなかった。 大川は鼻水が出てもハンカチで拭こうとせず、顔を動かしたり合唱をする動作をして、じっとしていなかった。 翌五月四日の裁判二日目、大川は、やはり平常な被告の扱いで出廷させられた。大川は東条英機のうしろの 席に座り、落ち着かぬ素振りをしていたが、急に前にいる東条の禿頭を素手でぽかりと叩いた。東条はうしろを 振り向いたが、大川の顔を見て苦笑しただけだった。厳粛な法廷も一瞬、笑いの渦が漂った。 正面席のウェップ裁判長はこれを見てたまらなくなり、法廷監視のMPに命じて大川を抱くようにして退廷させた。 (中略) 大川は、ニセ発狂、精神異常、いろいろな説があったが、やがて米陸軍病院や東大病院で検診を受けるようになり、 「進行性麻痺という梅毒性の脳病」と診断された。そして世田谷にある松沢病院に送られ、療養を命ぜられるのである。」
691 :
日本@名無史さん :03/06/17 06:31
>>685 零戦が装備してた短銃身の20_では弾道がションベンするだけで
携行弾数の少なさもあって使いづらいんでしょう。
7.7_でちくちく戦った坂井氏にしてみれば、それが8挺から
12挺もあるのはうらやましかったでしょうな。
しかもハリケーンの機銃には1挺あたり毎秒20発をばら撒く
圧倒的な発射速度の速さがある。ペラペラ装甲の日本機の
パイロットにすりゃ、この手の武器が一番怖かったでしょうなあ。
まあ欧米の大型機を撃墜するには全くの力不足だが・・・
692 :
名無し転がし :03/06/17 08:34
>691 「20mmは小便弾」って、いろんな旧軍パイロットが言ってますよね。 しかし隼ってなんだ、カローラみたいな戦闘機だなー。 あんな機材でP-47やP-51を墜としてたって、どんな腕だよ…。
693 :
日本@名無史さん :03/06/17 11:48
しかし、零戦が登場した当時としては、20mmは画期的な装備だったわけだが 戦争後期になって改良されたのだろうか?たとえば紫電改とかは?
>>692 確かに。でも乙型や丙型なら可能性ありだと思われ。
7.7ミリだと200発以上叩き込まないといけないらしいね。
7.7ミリが通用したのは戦争初期〜中期ぐらいだから。
>>693 343空は最初のころは活躍したらしいが
死人が多い部隊で有名らしいですね。
改良・・・されたのか?
695 :
日本@名無史さん :03/06/17 15:21
坂井さんはあれでしょ、空戦中はエリアの外にいて、空戦が終わるころ 参加してきて落穂拾いで撃墜数を稼いだって、元同僚パイロットに暴露 されてましたよね。
696 :
日本@名無史さん :03/06/17 15:41
>>695 撃墜王とよばれる人は多かれ少なかれ、そういうものではないかな。
697 :
日本@名無史さん :03/06/17 17:29
戦後まで存命してたってだけで。撃墜数だけを見れば遥かに撃墜してる人はいるんだよね。 みんな死んじまった…
698 :
日本@名無史さん :03/06/17 17:38
坂井さんは幸運だったね。 ラバウルの時はドーントレスに目をやられたけど、帰ってこれた。 ソロモン航空戦が悲惨になっていくのは坂井さんが去ったあとだよね。 横空の教官を経て、硫黄島にいったけど、そこでも、米軍が上陸する寸前で 運良く撤退することができた。 あれも奇跡でしょ。
>>697 そもそも日本軍の戦果報告は怪しいんじゃないの。
源田実発案の大型機による雷撃戦では、米空母ん隻撃沈なんて
デタラメ発表をしてるぐらいだからね。
700 :
日本@名無史さん :03/06/17 17:50
702 :
日本@名無史さん :03/06/17 18:00
銀河などで編成したT部隊だろう
703 :
日本@名無史さん :03/06/17 18:31
いないはずの機動艦隊のせいで大きな被害を受けたのはそれ?
704 :
日本@名無史さん :03/06/17 18:36
705 :
日本@名無史さん :03/06/17 19:08
長銃身20_>7.7_>短銃身20_
706 :
日本@名無史さん :03/06/17 20:15
戦闘機同士の戦いなら、小口径機銃多数で、交錯の瞬間を逃さずに 弾丸の雨を降らせるのは非常に有効だろうね・・・ ただ大型機相手となると、例えばスピットファイアはドルニエ相手に まるで貼り付くような距離を保って飛びながらひたすら7.7_を 何百何千と浴びせかけるしかなかった。 運動性能に劣る大型機相手だから貼り付くような機動ができたわけだが、 そんな機動ができるなら、20_機銃があればずっと楽に落とせるわけだ・・・ ごく近い距離を維持出来るなら直進性の低さもほとんど問題にならないしね。
まぁ護衛任務が主だった大戦初期の
零戦一一型、二一型には中口径、小口径の機銃を多数
大戦後半は爆撃機の迎撃任務が多いので大口径砲だな
>>693 、694
エリコン20mmのライセンス型はその後ちゃんと改良されていってるよ
708 :
日本@名無史さん :03/06/17 20:51
>>707 そうなんだ。その後の20mmの命中精度は向上したんだよね?
709 :
日本@名無史さん :03/06/17 20:52
>>ごく近い距離を維持出来るなら B17やB24など重武装の米爆撃機に接近して連続攻撃を行うのは非常に危険。 坂井も後上方から連続攻撃でB17を1機撃墜しているが翼に4発被弾して、 「よく無事で帰れたものと、あとで身震いした」と言っており、 2度と行おうとしなかったらしい。 結局、米の重爆に対しては前上方あるいは前下方から急速に接近して 一撃離脱するのが一般的だったらしいが、とにかく容易には落ちなかった。
っつーても、対重爆任務まで考慮して設計なんかしてないんだから 火力を7.7o機銃装備に押さえて航続距離と運動性を、ってのは 設計意図を忠実に反映した結果だったわけで… 陸軍の主戦場は中国(のつもり)だったんだからね。 国民党軍に重爆なんぞどれほどあったというのか。
711 :
日本@名無史さん :03/06/17 21:13
>>710 火力を7.7o機銃装備に押さえて航続距離と運動性を
それって隼のこと?
712 :
日本@名無史さん :03/06/17 21:47
戦争が始まる前、軍隊汎用機を欲しがる。 戦争が長引くとその地域や戦闘に特化した兵器が欲しくなる。 戦争が終わり、戦後処理をしている過程で技術を汎用機に生かしプランが出来上がる。 汎用機完成 これの繰り返しで進歩する。 どう?
713 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:01
>>712 具体例を出してくれないとよくわからん。
714 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:09
うむ
一式戦隼こそ、日本最優秀戦闘機。 これは活動時期・戦略的役割を総合しての結論だ。 傑作でも登場時期の遅い疾風や五式戦は、総合的評価は劣る。
716 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:15
打通さんこのスレでは久しぶりですね。
717 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:25
隼は満洲(チチハル)でよく飛んでいた。 下から見ると黒い二つのタイヤと、水平尾翼の切り欠きが目立った。 また主翼がずいぶん長く見えた。速度は遅いなーと思った。 昭和16年頃。 そのほかに覚えているのは、昭和17年に長崎県の海岸にいたとき、 九七艦攻が1機、低空で飛んだ。風防を開けて下をのぞき込むように している乗員の姿が見えた。それほど低かった。 あとで聞いたことだがこの飛行機は不時着の場所を探していて、 霧のため近くの山に衝突し、全員殉職したそうだ。
718 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:32
>>717 満州から引き揚げてこられたのですね?
でも、良く機種が判別できましたね。軍国少年(?)だったんですか?
719 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:34
太平洋戦争開戦時に実戦配備されてた隼は40機程度だったらしいが。 チチハルなんかに配備されてたんだろうか。
720 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:35
>改変ちゅうから「おっ、やった!四式戦」って皆喜んどったんですよ。で、 >戦隊長が着隊して来たら「うちは三型でいく」っていうから「エーッ」ってね。 亀レスだけど一式三型でよかったという意見有り。 ソースは今月号の某プラモ誌。
721 :
日本@名無史さん :03/06/17 22:36
普通に考えれば97式だろうが、あったのかな
722 :
日本@名無史さん :03/06/17 23:29
>>709 ま、雷電なんかは大型機を喰える威力を持った武器を、一気に上空に
運べるという意味で迎撃向きだな。
もっと性能のいいターボチャージャーが欲しいけど・・・
723 :
日本@名無史さん :03/06/17 23:33
7.7ミリでも米国と日本との型式ちがうし スペックで語るな
724 :
日本@名無史さん :03/06/17 23:34
>>723 形式や性能が違うならさらにそれを含めたスペックで語る必要があるな。
725 :
日本@名無史さん :03/06/17 23:41
まあヘルキャット並みの頑丈さがありゃ、旋回機銃が多少当たった からってビビル必要もないわな。 日本機が脆弱なのがいかんよ。やっぱり。
726 :
日本@名無史さん :03/06/17 23:52
戦闘機の主流は重武装による一撃離脱に移りつつあったのに、 日本は陸軍も海軍も軽戦闘機による格闘戦にこだわってしまった。 まあ重戦をつくるにも強力なエンジンがないとどうしようもないが。
727 :
日本@名無史さん :03/06/18 00:00
マスタングにしろベアファイターにしろ、 究極形態はむしろ軽戦闘機に見える。 マスタングなんて1500馬力だからな・・・
728 :
日本@名無史さん :03/06/18 00:03
>>709 零戦ではB−17が高度上げたらそもそも付いて行くのすら
難しいのでは・・・
729 :
日本@名無史さん :03/06/18 00:54
>>727 P51は同世代の米戦闘機に比べたら軽いけどやっぱり重戦闘機の部類じゃないかな。
日本の重戦闘機第1号の雷電より重いし。
零戦21型 全備重量2421キロ 発動機940馬力 最高速度533キロ
雷電11型 全備重量3300キロ 発動機1820馬力 最高速度596キロ
P51D型 全備重量4580キロ 発動機1490馬力 最高速度710キロ
しかし比較してみるとP51の性能は驚異的だな。
>>729 スーパーマリンエンジンのおかげだな!
5式戦はP51と互角に戦えた訳だが。
731 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:17
>>730 スーパーマリンじゃなくてロールスロイス・マリーンエンジンでしょ。
732 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:24
スーパーマリオ(ry
733 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:32
イギリスからエンジンの供給を受けずにオリジナルのエンジンを載せたままだったら。 単なる糞戦闘機だったらしい
734 :
名無し転がし :03/06/18 01:40
いやあP-51の驚異的な性能はエンジンのおかげってわけでもないかと。 同じエンジン積んでるスピットと、性能表突き合わせて比較してみるとびっくりする。 P-40もマーリン載せた型はあるけどこっちはそれほど性能大幅ウPってわけでもないみたい(これ前にも書いたけど)。 なんでアリソン搭載型は駄目だったんだろ。 で、意地があったのかなんなのか、D型から発展したH型はアリソンなんだよね。戦闘機としてのグリフォンマスタング、見たかったなぁ。
735 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:40
しかし、イギリスがアメリカよりも優秀な機体を作っていたかといえば、 そうでもないだろう。 やはりP51という傑作が生まれたのはアメリカの手にかかったからと 言わざるをえないのでは?
736 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:42
松根油で戦闘機が飛ぶと思っているのが間違い。 日本もハイオク使って電装系換えればもっとスピード上がるでしょ。
737 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:45
まぁ松根油は問題外だな…w とりあえず
738 :
日本@名無史さん :03/06/18 01:50
>>692 >しかし隼ってなんだ、カローラみたいな戦闘機だなー。
なぜ、カローラ?
739 :
日本@名無史さん :03/06/18 02:01
小さい、安い、整備性が良い、ということでは。
740 :
日本@名無史さん :03/06/18 02:06
なるほどね でもカローラほどエンジンや機体に信頼性があったかどうか
741 :
日本@名無史さん :03/06/18 02:10
まあ大戦後半のエンジン不調でろくに飛べない新型機よりはましだったのだろう。
742 :
日本@名無史さん :03/06/18 02:19
おまいら、なにも分かっちゃいない。 隼は乗って楽しい戦闘機なんだよ。 旋回時のフィーリングなんてもう最高、 狙ったラインにピタリと合う。 飴の直線番長なんかお話になんない。 まちがいだらけの戦闘機えらび1944下半期をよめ!
743 :
日本@名無史さん :03/06/18 02:58
↑徳大寺かいw
>戦闘機の主流は重武装による一撃離脱に移りつつあったのに、 >日本は陸軍も海軍も軽戦闘機による格闘戦にこだわってしまった。 中国エセ抗日ゴロツキチンピラをギュウと痛めつけた、輝く栄光の大陸打通作戦。 進撃援護には陸軍航空隊の役割が重要だったはずだ。敵制空権の下で、どうやって 3000キロも進撃できるのか。特に隼3型はP-51の群れを返り討ちにしてた。
745 :
日本@名無史さん :03/06/18 03:12
あいかわらずですね。 ただ、隼3型は良いらしいね。
746 :
日本@名無史さん :03/06/18 04:53
>>718 >でも、良く機種が判別できましたね。軍国少年(?)だったんですか?
軍国少年というより飛行少年ですね。
隼という名前はみな知っていた。海軍の飛行機の名前は普及していな
かった。ただ新聞雑誌で写真を見ているから、新型の艦上攻撃機だと
いうことはわかった。
>>719 >太平洋戦争開戦時に実戦配備されてた隼は40機程度だったらしいが。
>チチハルなんかに配備されてたんだろうか。
それがいたんですね。考えてみると開戦後のことだと思う。
>>721 >普通に考えれば97式だろうが、あったのかな
97式ももちろんあった。下から見ると異様に首が短く見える
から隼とはすぐ見分けられる。足のスパッツははずしてあった。
747 :
日本@名無史さん :03/06/18 08:35
>>734 やはり、ドイツ人設計技師のおかげだな。
層流翼の採用、冷却水冷却用吸気口の配置、バブルキャノピー・・・
748 :
日本@名無史さん :03/06/18 13:17
749 :
A・T・マハン :03/06/18 17:14
>>747 ありゃー過給器とのマッチングがポイントだそうですな。でもマーリンのコピーが
自動車会社ごときにできるか!と言われてあっさりやってのけたGMはやっぱたいしたもの。
DBのデッドコピーもついにできなかった日本とはレベルが違いすぎる。
750 :
日本@名無史さん :03/06/18 17:22
え〜と 隼3型って、どういうところが良いのですか?
751 :
日本@名無史さん :03/06/18 18:01
>>748 >零戦は見たことありますか?
それがなかった。96艦戦は見ました。
大村航空隊(?)の96艦戦が諌早の上空で2機で巴戦の練習を
やっているところを見たが、これ一度だけだった。
あと、チチハルでは97重爆も見ました。
アリソンはいいエンジンだよ 過給機さえもっといいのがついてればねぇ・・・ 石油事情がよくなかった日本じゃやっぱりDBしかなかった気もする 本家のDBはオクタン価が低くてもちゃんと馬力出してるからなぁ・・・ 結局当時の日本の技術じゃ当時の状況には対応できるエンジンは無理でしょうな
753 :
日本@名無史さん :03/06/19 01:35
戦闘機が重武装化していく時代に翼に武装を装備できない 時点で終っている。
754 :
日本@名無史さん :03/06/19 02:06
武装を出し入れ可能にする意味ってなんかある?
755 :
日本@名無史さん :03/06/19 13:58
なぜ日本は加給機の技術がみじゅくなのだろう?
756 :
日本@名無史さん :03/06/19 14:29
>>755 日本は禁酒法がなくて、ギャングの抗争と警察とのチェースがなか
ったから。
アメリカのギャングは逃走用にできるだけスピードのでる車、特に
スーパーチャージャーの付いた車を選んだそうだ。だから自然と加
給機の付いたエンジン技術が発達した。
757 :
日本@名無史さん :03/06/19 15:56
誤:加給機 正:過給機
758 :
日本@名無史さん :03/06/19 16:17
禁酒法は関係ないだろ。 基礎工業力からして違うんだよ。日本は電気コードすらまともに作れなかったんだから。 米国は今と同じ様に銅線をゴムでコーティングしてたけど、日本は油紙を巻いて固めてた
759 :
日本@名無史さん :03/06/19 16:56
760 :
日本@名無史さん :03/06/19 18:12
結局、過給機の製造にはかなり高い基礎技術と資源が必要なのか。 技術自体は持っていたが資源のない日本は、代替物でもってフォロー しようとして、失敗した…のかな?
761 :
日本@名無史さん :03/06/19 18:14
>760 いや、過給器の話はまた別なんだが…。 技術を持っていてもせいぜい試作機レベル、 大量生産の現場にまでおろせるほどの技術はどっちにしろ無かったわけで。 >761 エンジン出力がちょっとアップ、武装も12.7o機銃に。 …そんなことより何より大事なのは、「ちゃんと飛ぶ戦闘機だ」ってこと。 大戦後期の新鋭機はカタログデータの性能を発揮できないどころか あちこち不調でろくに飛べないシロモノばかり。 部隊規模の努力で高稼働率を達成した例はないわけじゃないけど。 そういう中でもとりあえず隼は飛んだ。 これは何より大事なのだ。
>日本は電気コードすらまともに作れなかったんだから。 そんな日本軍でも、エセ抗日チンピラゴロツキが相手なら大陸打通 でみんなイチコロ。薄汚いドブネズミの群れは帝国陸軍の気合一発で、 ションベンちびってみんな逃げ出してしまったのだ。「抗日戦争」 なるものは看板だけの空作文だった。
>大戦後期の新鋭機はカタログデータの性能を発揮できないどころか >あちこち不調でろくに飛べないシロモノばかり。 実は四式戦より隼三型の方が良かったのかもしれない。だが事の是非は ともかく大陸打通作戦では秋から四式戦への機種改変が進んでたはずだ。 隼だって水メタノール噴射を取り入れた三型は四式戦と並ぶ新鋭機だ。 陸軍航空隊は見事に輝く栄光の進撃3000キロの制空権を守った。 しかしながら、そういう兵器評論はどうでもいい。要は帝国陸軍は航 空隊と地上部隊を連携させて大陸打通作戦を完遂し、中国のインチキ 抗日戦争神話を木っ端微塵に叩き壊してやったということだ。
765 :
日本@名無史さん :03/06/19 19:02
機械式過給機はともかく、排気式過給機では圧倒的に劣っていたね。 1500度に耐えるタービン材料なんて日本ではとてもとても・・・
しかし機体の軽量化技術では、ダントツ日本軍機が優れていた。 論より証拠、わが新鋭隼三型はビルマでP-51の大群相手に反撃できた。 隼三型は四式戦「誉」エンジンの水メタノール噴射を取り入れたものだ。 対戦闘機戦に限れば、隼三型こそが間違いなく世界最強だった。
767 :
日本@名無史さん :03/06/19 19:16
当時はね。
768 :
日本@名無史さん :03/06/19 19:25
馬力が無いから装甲削って強度犠牲にして軽量化。 なんか本質を外してる所が悲しいな。
本質ついた対策ができるほど豊かならそもそも戦争なんぞ(略
770 :
日本@名無史さん :03/06/19 20:24
少数精鋭のパイロットと飛行機の防弾能力とのミスマッチが露呈した戦い、それが 日本にとっての太平洋戦争。
771 :
日本@名無史さん :03/06/19 20:39
骨組みにも、定められた場所にドリルで孔明け。 一箇所ずつ構造計算。 日本だけだろうな 夜間戦闘機だったかな。 昼間ペンキを落として軽量化。夜は又ペンキを塗る。ってことを繰り返してた。
つーか当時はほとんどの国が機械式過給機 アメリカくらいだろ排気式過給機
大陸打通作戦はまた、航空決戦でもあった。 アメリカは確かに「カイロ宣言」の公約に沿って、「マッターホーン計画」 とか「ハンプ越え」とかで在支14航空軍の大幅強化をやってたはずだ。 地上軍の拡充は欧州派兵とかで望めなかったが、空軍の強化は目覚しい。 アメリカ大統領は、公約絶対遵守と決まっているからだ。
774 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:05
肉を切らせて皮を切る。骨を裁たせて肉を切る。これこそ日本精神の根本。
775 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:08
776 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:11
777 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:14
778 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:40
779 :
日本@名無史さん :03/06/19 22:42
命を断たせて鼻息をかける 特攻隊
国家の存亡に臨んで天皇に命を賭けてでも戦争反対を唱える奴 がいなかったのが旧日本軍。 天皇は自分達が都合よく利用する対象でしかない。 もとを辿れば、明治維新の薩長にたどり着く。
781 :
日本@名無史さん :03/06/19 23:54
今もかわってない だーれも責任とらない
>>781 薩長が作った無責任国家体勢は、陸海軍と官僚機構からなる。
国会は力がない。
敗戦で軍は力を失ったが官僚は健在。
うるさい軍人がいなくなって役人は我が世の春。
自分達に都合のよい法律をつくって、国会が議員がそれを通す。
そして役人、政治家、一部企業が甘いしるを吸う。
国会が議員が… その国会に毎回汚職議員を送り出してるのは、誰?
784 :
A・T・マハン :03/06/20 10:48
明治の元勲達はそもそも国会に国政の最高決定をさせる気がなかったからな。 選挙による大衆代表に国家戦略がわかるとは信じられなかったし実際その通りだったろう。 イギリス議会ったって実際は国政担当者としてのエトスとトレーニングを経たエリートが 運営しているのでね。 しかし「隼」の話からこんな話になるってのは2ちゃんもすてたもんじゃないな。
785 :
日本@名無史さん :03/06/20 16:19
戦前の内閣総理大臣なんてなんの権限もない。 今の総理は大臣の罷免と解散権だけ。 あとは事務次官が権力を持ってる。 つまり 内閣=力の無い政治家の集まり。 政府=官僚が支配する実権集団。 官邸=政府の報道窓口。 まるで別物。
786 :
日本@名無史さん :03/06/21 01:41
>>785 今も昔も本質的にはそれほど変わらないけどね
イギリス議会とは別物だけど、今も昔も
787 :
日本@名無史さん :03/06/21 17:59
政治家って官僚に飼われている狗だね 平安初期に貴族に飼われていた武士のようなものか
788 :
日本@名無史さん :03/06/22 22:56
3号機発進 ギュ――――――――――――――ン。 ジュド――――――――ン。
789 :
日本@名無史さん :03/06/23 07:17
お国のために散れ!>三号機
791 :
日本@名無史さん :03/06/23 08:38
●加藤「隼」戦闘隊の方が一式戦闘機「隼」よりも先にあった!! 「隼」戦闘機を装備しているから「隼戦闘隊」だ、と思われている方が多いのではないかと思う。 無理からぬことである。だが実はそうではない。むしろ『「隼戦闘隊」が装備していたから「隼」だ。』 と言っても良いくらいなのである。 (略)一式戦が配備される一年半も前に戦隊歌はできている。当時から歌詞には「隼は行く」とある。 作詞は同部隊の田中林平准尉。実はここで歌われる「隼」とは、「荒鷲」などと同じく、戦闘機の象徴 なのだ。陸軍の戦闘機のことを隼と呼んでいたのだ。戦意高揚を図って陸軍当局が飛行機に愛称を付け 始めたとき、最新鋭の戦闘機を「隼」としたのはごく当然のなりゆきなのだろう。
792 :
日本@名無史さん :03/06/23 08:47
793 :
日本@名無史さん :03/06/23 08:48
ゴメソ ↑はビデオでした。
800 :
日本@名無史さん :03/06/23 19:16
800ゲト! 業者うざい
802 :
日本@名無史さん :03/06/23 19:21
>(隼は)「荒鷲」などと同じく、戦闘機の象徴 >なのだ。陸軍の戦闘機のことを隼と呼んでいたのだ。 なるほどね。ところでこのソースはなに?
803 :
日本@名無史さん :03/06/24 07:51
>>791 歌詞じしんが証明しているね。
「その名も我らが戦闘隊」
隼が機種名だとするとこの歌詞はおかしいので、
当時「その名も我らが戦闘機」と変えて歌う
人もいた。
804 :
日本@名無史さん :03/06/24 08:39
そうか、そうすると一式戦闘機ってのが正式名称なのか?
805 :
日本@名無史さん :03/06/24 15:09
>>804 外国のページを探索するときは ki-43 というのがいちばん
ヒットが多い。
806 :
日本@名無史さん :03/06/24 17:45
>>804 陸軍の「隼」や「鍾馗」はあくまでニックネーム。
海軍の「雷電」や「彗星」なんかは正式名称。
807 :
日本@名無史さん :03/06/24 23:49
そうか、陸海軍でちがうんだな
808 :
日本@名無史さん :03/06/25 02:12
陸軍・・・高射砲 海軍・・・高角砲 陸海軍で同時期にbf109のエンジン(名前忘れ)ライセンス取得。ドイツから「本当に良いのか?」と念押しされても同じものを二重契約でライセンス料を二倍払う無駄。
809 :
日本@名無史さん :03/06/25 06:12
戦闘機でももっと交流があれば… 設計の二度手間が省けたのに…
810 :
日本@名無史さん :03/06/25 06:17
>>787 帝国憲法での「統帥権」があやふやだったのと同様、
日本国憲法では、「官僚」の規定がなかったりします。
日本国憲法で想定している「公務員」は、政治家だけだから。
811 :
日本@名無史さん :03/06/25 06:50
>>810 では、官僚という制度は何を根拠にしているのでしょうか?
812 :
日本@名無史さん :03/06/25 09:53
20mmも機銃と機関砲と呼び名が違っていたような、、、 今は農水省と国交省が、並行して下水道整備をしていたりするので、明治以来の伝統でしょうね
813 :
日本@名無史さん :03/06/25 20:01
それで思い出したけど、元自衛隊員だったやつが20ミリと言えば、もう大砲だよと云ってたが、 ホント?。
12.7o機銃ですら当たれば人体まっぷたつだから、 20oはもはや人間に撃つにはオーバーキルもいいとこ。 そういう意味での「大砲」って言い方、じゃないのかな。
815 :
日本@名無史さん :03/06/25 20:36
うちの近所には立派な県道に平行して立派な能動が平行して走っている
816 :
日本@名無史さん :03/06/25 22:32
玉に火薬が入っているから・・・
817 :
日本@名無史さん :03/06/25 22:35
>>816 そうなんだ。
そうすると、例えば12.7mmって何が入ってるの?
818 :
日本@名無史さん :03/06/25 22:41
歩兵が携行できるのが機銃、車両、航空機に搭載して使用するのが機関砲。
819 :
日本@名無史さん :03/06/25 22:48
ふむ
820 :
日本@名無史さん :03/06/25 22:56
12.7mmは、通常の弾頭、炸薬はなし
821 :
日本@名無史さん :03/06/25 23:35
今夜も出撃4号機! 大佐!今夜は雨で飛べません。 夜襲は朝にしてください。 ぶぅるるるうるぅ・・・・・・・。
822 :
日本@名無史さん :03/06/26 00:24
機関砲と機関銃の使い分けの定義はけっこうあいまい。 日本では陸軍は12.7から(10ミリ以上とも読んだ)機関砲。 海軍は40ミリでも機銃だったり。 現在では20ミリから機関砲てのがだいたいの目安らしい。
823 :
日本@名無史さん :03/06/26 00:35
>>822 そういや不審船を追った海上保安庁の船も
20mm機関砲といっていたかな?
>>821 >夜襲は朝にしてください
釣りだろうが、それでは夜襲ではないではないか!
では、明日の深夜に出撃せよ
824 :
日本@名無史さん :03/06/26 00:42
夜襲って朝襲撃することじゃないっけか?
825 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:00
え、そうなの?早朝?
826 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:02
夜明けにやらないと敵と味方の区別つかんでしょ。 まぁ戦国のことだから二次大戦のときはどうかわからんが・・・
827 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:03
白襷隊とか大マジで夜間に攻撃しなかったっけ? 白襷は暗闇でも識別できるように、とか・・・ それでも壊滅・・・
828 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:07
そうそう
829 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:14
>>826 それは夜討と朝駆を一緒くたにしてるな。
830 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:15
>>826 直協機が照明弾を投下して目標を照らすから、マジで夜間に攻撃したらしい。
暗い分、技量はいるが。
831 :
日本@名無史さん :03/06/26 01:18
レーダー最高!
832 :
日本@名無史さん :03/06/27 15:29
夜間攻撃のメリットは米軍機がやってこないことかな。
833 :
もとぜつりん :03/06/27 17:04
>>829 いやあ、30越えてから夜討と朝駆を一緒くたにすると、次ぎの日くたくたになるよ。
>833 強欲ジジイに営業ですか。ごくろーさん
835 :
日本@名無史さん :03/06/27 20:03
>>833 確認するけど、戦国期には夜に戦うこともあったんでしょ?
836 :
日本@名無史さん :03/06/27 20:26
>>835 少なくとも大阪の役の夜襲は明け方だよ。
河越夜戦はどうだっけ・・・
837 :
日本@名無史さん :03/06/27 20:41
838 :
日本@名無史さん :03/06/27 21:10
B29の出撃時間の平均を知りたいね。 もしかしたら、夕方また日がある時間帯に離陸できたと思う。
839 :
数万の日本人を焼き殺した恩給泥棒特攻隊 :03/06/27 21:17
840 :
日本@名無史さん :03/06/27 21:23
841 :
名無し転がし :03/06/28 12:07
レーダーと言えば、うちのばあちゃんが 「ここいら辺は田舎じゃきに空襲無かったきんど、終戦のちょっと前ぐらいにB-29ゃアルミホイルの細切ようけ落として行ったわ。」 つってたけど、それってレーダー撹乱用の、なんとか言う奴だよね。 米軍も実はわりと日本軍の実態を、それほど正確に把握してるってわけでもなかったのかな?
ああ、ジャミング用のチャフね。
>>841 おばあちゃんは高知県の人か?
終戦のちょっと前だと地方都市の本格的空襲が相次いでいる頃だから
その準備だったのかもね
そーいや地方都市の空襲ってやっぱ梅雨明けまで待ってから本格化したのかな?
844 :
日本@名無史さん :03/06/30 09:04
保守
845 :
日本@名無史さん :03/06/30 13:48
846 :
日本@名無史さん :03/07/03 00:19
>>841 電探は、信頼されてなかったが使っていたはずだ。(測距用だったと思う)
848 :
日本@名無史さん :03/07/04 00:15
そうそう、かなり前から装備はされていたよね。
849 :
日本@名無史さん :03/07/04 08:02
米軍も使ってた八木アンテナの開発者は日本人なのにな
帝国陸軍の航空機がそんなに粗悪なら、打通作戦の制空権はどうしたらよかったんだ。 あるいは文明の「ぶ」の字もないおぞましい汚物の吹き溜まりに、「航空戦力」 などという近代科学技術の運用は敵味方ともに無意味であったのかもしれない。 中 国 人 は 智 慧 遅 れ であり、近代科学のABCも分からなかった。国土が広いとはいうが、 「壮大な汚物」というだけ。日米いずれにとっても何の重要性も無かった。
知恵遅れ相手の勝利を高々と喧伝するのもどうかと思いますが。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
853 :
日本@名無史さん :03/07/22 23:52
ねるぽ
(^^)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
856 :
日本@名無史さん :03/08/28 15:29
隼か…。いい軽飛行機だ。一人しか乗れないのが難点。
857 :
日本@名無史さん :03/08/29 21:49
エンジンの音轟々と 隼は征く雲の果て 翼に輝く日の丸と 胸に描きし赤鷲の 印はわれらが戦闘隊 加藤隼戦闘隊の「隼」って隼に乗った連中だから?
858 :
日本@名無史さん :03/09/06 18:45
>>857 加藤隼戦闘隊にかぎっていえば、そのとおり、一式戦に搭乗していたからだと思う。
でも、「隼」というのは、陸軍の最新鋭の戦闘機に付けられる伝統的な称号だと
聞いたことがある。
859 :
日本@名無史さん :03/09/06 19:51
諸君、戦争を語るならまず「孫子」を読みたまえ。
860 :
トりビアのななし :03/09/11 20:37
武田の風林火山は 孫子の旗という名前が正式名称。
打通さん、壮大な汚物だった国が有人宇宙飛行やっちゃいますたよ
ほ
863 :
日本@名無史さん :03/11/01 22:28
打通!ばんざい!
864 :
日本@名無史さん :
03/11/05 00:41