109 :
日本@名無史さん:03/11/02 08:39
age
110 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:26
吉烈迷って、いまはどうしてるの?
うーん、ベトナムのゲリラ戦の強さは、先祖代々の物だったんだな。
アメリカも歴史に学んでれば良かったのに。
112 :
日本@名無史さん:03/12/15 00:31
age
113 :
日本@名無史さん:03/12/15 15:49
>>110 いますよ。サハリンから沿海集北端に。
前はギリヤークって言ってたけど、今はニブヒ。だいぶ近代化するもまだ
狩猟やているよ。人口はそういないだろう。
樺太ではアイヌの伝統的な敵だったね。
ノ\ /|
ゝ〃⌒⌒ヾ
,i iノリ )))ヽ
/リヽ゚ -゚ノヽ
《((⊃y_ノ||つ
く∧==ゝ
∪ ∪
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/リヽ゚ -゚ノヽ
《((⊃y_ノ||つ
く∧==ゝ
∪ ∪
大自然のお仕置きです。
元寇って言葉は実に構造的におかしいんだってね。少なくとも漢語に
出典はなく、日本で国学の中から造られたという。それまでは蒙古
襲来が一般的。倭寇という言葉から国学者が作った造語だという。
で、倭寇は倭も寇も野蛮人という響きがあるが、元寇の場合、元と
いうれっきとした王朝名と寇という野蛮な意味の語が組み合わされ
ていて実に変だという。
だから蒙古襲来と呼ぶべきだという。
117 :
日本@名無史さん:03/12/25 00:01
和人の血の入ってないアイヌ人ってまだいるの?
118 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:13
>>116 そんなことを逝ってる椰子はドキュンだから信じるな。
ただしリアルタイムでは「蒙古襲来」が使われていたのは事実。
「蒙寇」もありだが「元冦」でも問題ない。
そんな細かいこというなら天皇制以後の日本人は漢武帝を「漢主劉徹」と言わねばならないとか
朝鮮征伐をなんで日本人が壬辰倭乱と習わねばならんのだ、とか、いや正しくは「唐入り」だろうとか
ややこしい問題が無数に出てくる。
119 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:15
120 :
日本@名無史さん:03/12/27 10:35
>>117 俺が北海道庁のアイヌ問題の窓口みたいなところに言った時には。
ほとんどいないがいることはいる。という表現をされたよ。
まあこういう質問自体が野暮なわけだが・・・
121 :
日本@名無史さん:03/12/27 19:54
>>118 「漢主劉徹」ってのはお前の造語なのかしらんがすごく恥ずかしいね。
元寇ってのは漢語じみているのに実際漢語らしくないから統一性なくておかしい
の。
モンゴル襲来がいいだろうと思う。お前のようにイデオロギーべったりの
糞が考えることは哀れでおかしい。
122 :
日本@名無史さん:04/01/15 14:55
サハリン南端のシラヌシにあったというグイの土城?には
元軍が駐屯していたのですか?
123 :
日本@名無史さん:04/01/23 14:49
ウイルタ民族は元兵の子孫か?
>>123 そうなん?
昔、海洋民族だと教わったが
渦と釣り針を元にした文様を見せられた。
昔のことなんでうろ覚え、詳しい人教えてくれ
125 :
日本@名無史さん:04/01/26 02:25
トナカイ飼いながら樺太を移動しているのが特徴だそうですが、
魚も獲るし海獣も撃つというような生活だったような。
>>121 あほか。元寇がおかしいなどと四角四面なことをぬかしてたら
そのうち漢武帝だっておかしいなどとエスカレートしかねないだろ、
といってるのだ。藻前自身の戯画なんだよw
鏡に映された自分の姿を見て怒りだす奴は滑稽だな。
ナコルルがいい
129 :
日本@名無史さん:04/02/07 15:26
辺境もいいとこだったし。
130 :
日本@名無史さん:04/02/22 03:56
吉烈迷って、日本人になれたの?
131 :
日本@名無史さん:04/02/22 08:35
ギリヤークとアイヌは敵対関係にあったので、ギリヤークを日本人にするという
発想は表向きなかったと思うが、近隣だったのでギリヤークが人質のアイヌを
育てたり、その逆もあったろう。
第二次大戦中、樺太国境地帯で調査活動をしていたギリヤークの一部が戦後
北海道に渡り生活している。近年亡くなったゲンダーユ北川は代表的な人である。
132 :
日本@名無史さん:04/02/22 09:25
でも元史には、アイヌ側に寝返ったギリヤークの指導者2名の名前が
出てくるね。アイヌの蝦夷錦だってギリヤーク側の何らかの協力がな
ければ手に入れることができなかっただろうし。
133 :
日本@名無史さん:04/02/22 14:56
134 :
日本@名無史さん:04/03/03 03:13
ニヴフとアイヌが敵対関係にあったというのは
モンゴル戦争前後の一時期だけだろうと思う。
少なくとも18世紀以降はかなり良好な関係に
あったにちがいない。
しかし
>>130の質問は突飛ですね。その時代
の「日本人になる」というのは何を指してる
のですか?質問意図不明…。
135 :
日本@名無史さん:04/03/07 10:12
青森とか秋田にはニブヒとアイヌの混血みたいな
顔の日本人もいるよな。
136 :
日本@名無史さん:04/03/07 10:24
ま、カラフトの土人ってことで・・・
137 :
日本@名無史さん:04/03/07 14:11
>>136 秋田藩とか弘前藩がカラフトで南下するロシアを警戒していたとき、
土人と馬鹿にして彼らから学ばなかったら、皆寒さで死んでいたよ。
結局、カラフトの寒さに対抗するには、彼らと同じように地面に穴を
掘って竪穴住居みたいなのを作るしかなかった。
138 :
日本@名無史さん:04/03/09 04:24
>>113 おいおい、ギリヤークは今は狩猟なんてやってないぞ。
昔から交易の民だよ。
もっともアイヌからは異様に恐れられてたから海賊みたいな奴らだったんだろうが。
>>138 そうだそうだ。
狩猟・漁労は重要だが、交易も自分たちでやっていた。
北海道では交易権を和人が独占しただけ。北方では
そんな事態にはならなかった。人口密度が低いところでは
交易は重要だ。ところで、
>>113の「アイヌからは異様に恐れられてた」
というのは間宮林蔵とかの証言のことだろうか?
あれは割り引いて考えるべきだ。アイヌ人たちは
(1)日本人を連れて行きたくなかった。
可能性が高い。さらに、
(2)あの地域は民族に関係なく血縁の無い集団同士仲が悪い。
ので、ニヴフ人だけが樺太西岸のアイヌ人と疎遠だったわけではない。
かなりの規模の交易拠点が西岸と東岸両地域にあったが、ともにニヴフ人と
アイヌ人の居住地域の境目あたりに位置する。片方が「海賊みたい」では
成り立たないだろう。
でも日本の水軍もそうだが交易で生きてる連中って
中世は海賊行為と交易ってそれほど大差なかったんじゃないの?
海賊で片付けるには可哀想だが交易民と呼ぶにはあまりに殺伐、みたいな。
俺の理解では水軍は基本的に関税を取っているのだと思う。
つまり「交換」をしないのでは。俺の知る限り北方少数民族は
いわゆる海賊行為はほとんどしていないはずだけど。
個人的な盗みはするけどね。
>>142 時代による。
大陸では3世紀の邑婁とか頻繁に海賊行為をしてたし。
日本側への被害でいうと6世紀の粛慎、10世紀の刀伊。
144 :
日本@名無史さん:04/03/10 02:14
>>139 もちろん間宮の証言もそうだけど、
伝統的にアイヌとニブヒは戦争ばっかしてるイメージがある。
(叙事詩とか)その上で間宮の読むとう〜んやっぱり仲悪いんだ...と思った次第。
>>144 アイヌ人の叙事詩にニヴフ人は登場しない。
「アイヌ人とニヴフ人の対立」という構図は元史にもとづく
のだろう。「骨嵬」にニヴフ人が参加している可能性がある
のは再三指摘したとおり。私の知っている限り、ウイルタ人
とアイヌ人の戦闘に関する伝承は数多いが、それでもおそらく
事件自体は複数回ではなく一度きりのものだった。むしろ、
民族抗争が起きないように常に調整していたというのが
俺の感想。
>>143邑婁、粛慎、刀伊をニヴフ人に比定するのはちょっと
やりすぎ。むしろトゥングースではないか。
146 :
日本@名無史さん:04/03/10 02:43
>>145 >アイヌ人の叙事詩にニヴフ人は登場しない。
それは意外だな。
カラフトでの戦争の話。
十勝アイヌのおばあちゃんからも直接聞いた気がしたが
漏れの思い違いかもしれないからちょっと調べてみるよ。
>>146 確かにねえ…。道央から道東にかけての伝承にあったりして。
釧路あたりの新しいテキストに樺太が出てくるかもしれない。
ただ、あそこは資料批判が難しいと思うぞ。
北海道のアイヌ人は明治以降大量に樺太へ往復している。
彼らは新しい叙事詩に「サンタン」「キリヤク」などを
登場させたかもしれない…。
今のうちに予防線はっとくと、
樺太のアイヌ人の伝承にニヴフ人との抗争話はほとんどない。
少なくとも樺太の叙事詩にはひとつもないはず。
でも新しいデータよろしくお願いします。
>>145 142で単に「北方少数民族」っていってたから
ニブヒに限らずの話かと思って。
149 :
日本@名無史さん:04/04/13 01:01
150 :
重大な質問:04/05/01 20:56
モンゴル人が敵を征服したときの、レイプの仕方を教えてください。
たしか、捕虜となった女を縛り横一列にずらりと並べ、尻を上げさせて一斉に
レイプするというのを聞いたことがあるのですが・・・
151 :
日本@名無史さん:04/05/16 17:15
>>150 そのやり方はシナから入ってきたと思われ。
史記によると、劉邦の時の匈奴はそういう行為をやった記事が無い。
もし当時やってたら、史記で夷荻の蛮行として大きく宣伝するから。
152 :
日本@名無史さん:04/05/16 22:49
>150
性欲処理目的にしては回りくどいし、風評拡大目的にしては間抜けだ。
指揮官の個人的な趣味じゃね?
154 :
日本@名無史さん:04/05/18 00:06
縄文人が弥生人と混血した場合の顔の変化では、まず最初に、
目 を や ら れ る 。
縄文人は四角い眼窩に高い鼻骨、弥生人は丸い眼窩に低い鼻骨。
近年、東北地方で縄文人と弥生人が混血したばかりの頃のものと思われる
約2000年前の男児の骨が発見された。
その混血児童と見られる頭蓋の鼻骨は縄文人と同様に高いのだが、
眼窩は弥生人のように完全に丸くなっていたのである。
縄文人が弥生人と混血した場合の顔の変化では、まず最初に、
目 を や ら れ る 。
>154
たしかに目を最初にやられただろうね。
西洋人が始めて日本にやってきた頃
人によっては日本人は西洋人のような顔つき
をしていることを書いている人がいる。
しかし、そういった顔つきの人も
唯一、目だけは西洋人のように
大きくないと書いてる。
156 :
日本@名無史さん:04/06/13 22:47
念仏じょんがら
157 :
日本@名無史さん:04/07/06 14:53
三味線
158 :
日本@名無史さん:
骨嵬
なんて読むの?