1 :
日本@名無史さん:
織田信長の不肖の子、織田信雄を語ろう。
秀吉の命令に従って、駿府へ転封していれば、
江戸時代でも織田家は、有力大名だったと思うと残念。
2?
3 :
日本@名無史さん:03/05/17 22:59
屁たれだから、しょうがない
4 :
日本@名無史さん:03/05/17 23:00
のぶお?
のぶかつ?
5 :
日本@名無史さん:03/05/17 23:01
5get
6 :
日本@名無史さん:03/05/17 23:03
信忠>信孝>(その他の子供)>>>>>信雄
7 :
日本@名無史さん:03/05/17 23:08
>1
確か、小田原北条氏を倒した後、秀吉から、家康の領地だった駿河、遠江、三河
信濃、甲斐に移るように命じられたのを拒んだとか・・・・
全部で100万石以上なのに勿体無い。
やはり、阿呆か。
結果論だな。
意地張って改易で 充分カッコいいよ。
安土城を燃やしたアフォ
10 :
日本@名無史さん:03/05/20 15:43
これでも内大臣
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
14 :
日本@名無史さん:03/05/28 15:37
天童よしみのご先祖か?
移ってりゃ移ってたでまた波乱があっただろうからなぁ。
>>14 天童織田藩は、信長の次男信雄にはじまる。
信長が本能寺の変で非業の死を遂げ、長男信忠も死亡した。
それで信雄が宗家を継ぐことになった。
>>7 はじめ、尾張・伊勢・伊賀・100万石の領主となったが、豊臣秀吉と抗争し、
結局5万石(大和5万石・上野国2万石)になった。
18 :
日本@名無史さん:03/05/28 17:11
秀吉は主家である織田を滅ぼそうと考えていたんですか?
19 :
日本@名無史さん:03/05/28 17:18
>>18 滅ぼそうとは考えていなかったのでは無いでしょうか。
現に、織田家は信長嫡孫である秀信が存在していたし。
主従逆転劇はあったものの...
>>19 主従逆転とは言うが 本能寺の変後も織田家が豊臣(羽柴)の主家である事には何ら変わりはない。
当の信雄自身も最後まで自分は豊臣家の主家だというプライドは持ちつづけたらしい
天下人が 織田→羽柴(豊臣)と交代した中で
、秀吉自らが信長公の後継者になり天下統一事業を受けいだ。
しかし秀吉には大きな心配があった
それは 秀吉的に、自分が天下人になることに対し その野心に反発する信長公の御子達や自分以外の織田の重臣らの存在が怖かった
何故なら、天下を奪い返され 殺される危険性があるから
だから 主家の信雄から伊勢・尾張を召し上げ下野に追放し、主家には大きな領土を与えなかったんだろう
22 :
日本@名無史さん:03/05/28 22:15
信雄ちゃん、がんがって!
23 :
織田常真入道信雄:03/06/03 01:49
織田常真入道を総大将にせんとした淀殿や大野修理の戦略眼はさすがと思う。
家康も前内大臣、常真も前内大臣、常真が勝てばそれにのっかって天下を回復する。
まければ秀頼は知らぬ存ぜぬで行く。形代として死んでくれれば良いのである。
「あっはっはっはは」
常真は何度も笑った。ここはなんとしても引きうけた体を作っておかねばならない。
「この常真入道、若い頃は1万や2万の軍勢は掌で転がすようにして采配したものでござる」
とまるで良いことずくめのような感じでいったのである。
ノブオって名前からして弱そう
ノブオじゃねーよ、ノブカツだ
26 :
織田有樂斎長益:03/06/03 22:00
大坂冬の陣で長益、長頼父子が城中の機密を徳川方に流し、あるいは担当部署でサボ―タージ
ュしていたという事実は有名な事実。それが原因で戦後も領土を安堵されたんです。やっぱ武将は
こうでなくては。
27 :
日本@名無史さん:03/06/19 01:52
信雄の家臣について知りたい。
殺された三家老(浅井、津川、岡田)のほかは?
杉浦重勝、土方雄久、滝川雄利、柘植某くらいしか知らない。
28 :
日本@名無史さん:03/06/28 10:56
ググってみたところ30件ほど出ました
加賀井重望 中川定成 天野国忠 林正武 津田綱之
あとは佐治与九郎など佐治与九郎以外ぜんぜん知らないけど
29 :
日本@名無史さん :03/06/28 20:05
小牧・長久手でのへたれっぷりは伝説に
それでも織田家を明治まで存続させる礎を築いたのはすごいと思う。
数々のへたれエピソード含めて好きだな。
31 :
日本@名無史さん:03/07/02 15:31
三成にしても淀殿にしても家康に対し「主筋に背いた」だとか「秀頼は主家である」など
言って背信行為を詰ったようだけど、自分の主人である秀吉も織田家という主筋を
追いやり天下を手に入れた事実をどう思っていたんだろう?
32 :
日本@名無史さん:03/07/02 16:06
ずっとノブカツだと思ってたのに、山川の教科書見るとノブオになってんだよな。。。
まぁ、どうせわかんないんだろうし、いいけどさ。
34 :
日本@名無史さん:03/07/02 22:46
>>17 宗家を継いだのは甥の秀信のほうであって、信雄ではなかった。
秀信を立てることも段々サボりがちになっていった秀吉にとって、
傍流の信雄の存在など限りなく透明に近いものであったに違いない。
35 :
日本@名無史さん:03/07/02 23:00
そんなに無能な人だったとは思えないなあ。
ボンボン育ちだし、兄信忠が大活躍してたからコンプレックスが
あったんじゃないかな。伊賀侵入で大敗したときなんかは。
秀吉との事も、何故もと家臣の言う事を聞かねばならんのだ?と思うだろうし。
置かれた状況に対して、人生経験不足だったんだよ。
後に保身に回ってからは誰よりも巧く立ち回ってる気がする。
気のせいか?(w
>>35 自分を滅ぼすほどの馬鹿ではなかったということでつね。
37 :
日本@名無史さん:03/07/03 07:30
信秀の子孫って保身が上手い人が多いような気がする。
信長だって、外交においては保身の固まりだったし。特に信玄対策。
『お湯殿』に「のぶかつ」ってあるっていうのに・・・
最近の研究書でも「のぶお」とルビふってあって萎え
あぁ、草津のお湯は気持ちいいもんな
40 :
日本@名無史さん:03/07/04 09:50
信雄の前名「信勝」の時のことじゃないの?
41 :
日本@名無史さん:03/07/04 10:08
信雄の愛馬は「鉄鎚」
42 :
日本@名無史さん:03/07/04 10:17
安土城に火をはなった大バカものですね
43 :
日本@名無史さん:03/07/04 10:17
茶せん丸って信雄だっけ?
44 :
日本@名無史さん:03/07/04 10:22
>>42 本当かどうかわからんよ
フロイスが言ってるだけで
46 :
日本@名無史さん:03/07/04 12:22
>44
サンクス
あと他に、幼名「人」ってのもあるでしょ?
これは誰?
というか、知ってる限りでいいのでざっと並べてください。
47 :
日本@名無史さん:03/07/04 14:41
九男 織田信貞 1574年生まれ 幼名:人、藤四郎
江戸幕府で旗本になってる。
1624年死去
48 :
日本@名無史さん:03/07/04 16:38
結局織田家って信長だけが異常に凄かったんだね。あとはカス(信秀除く)。
49 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/07/04 20:45
50 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:05
信長の子ってみんな短命だよね
信忠、信孝、勝長ら非業に倒れた者以外でも
殆ど病気で早死にしている。
その中で信雄だけは長生きした
51 :
日本@名無史さん:03/07/05 10:26
>>31 何年か前の大河ドラマで、秀頼に大坂城から退去するよう説得に来た織田有楽斎に
淀殿が「豊臣は徳川の主筋である・・・」云々に
有楽斎は「豊臣だって織田の家来筋だろうが・・・」
と返していたな。
52 :
日本@名無史さん:03/07/05 10:59
信長の親父も優秀だと思うぞ
53 :
日本@名無史さん:03/07/05 14:24
織田信勝って間違い?
北畠具意→北畠信勝→北畠信雄→織田信雄
これでいいの?
54 :
日本@名無史さん:03/07/05 14:41
「信意」が抜けてる
55 :
日本@名無史さん:03/07/05 15:54
江戸時代の織田家は織田家と共に北畠家の祭祀も行ってたんだよな。
家来はどうやったらやめられたんでつかね?
57 :
日本@名無史さん:03/07/06 11:55
>>54 じゃあ
北畠具意→北畠信意→北畠信勝→北畠信雄→織田信雄
卒業証書授与とかで「おだのぶお」っていそうだな。
59 :
日本@名無史さん:03/07/06 13:31
関ヶ原の時 旧織田家臣を集めて第3勢力をつくれたらな〜。(妄想)
と、思ったけど、ほぼ居なくなっていたか。
前田、池田、丹羽ぐらいかな。
61 :
日本@名無史さん:03/07/06 16:55
でも誅殺された三家老のうち津川義冬って、もと織田家の主君の血筋だよね。
62 :
日本@名無史さん:03/07/06 17:07
信長の子孫って今も生存しているの?
63 :
日本@名無史さん:03/07/06 17:28
>60
蒲生=会津から追い出され・・・ ていうか、元々の家臣ではない。
細川=元々の家臣ではない。
元々の家臣がもっとおれば・・・三河武士みたくね。
64 :
日本@名無史さん:03/07/06 17:35
本能寺で死んだのが二男信忠、六男勝長。
後継者争いで死んだのが、四男信孝。
秀吉政権確立前夜に秀吉の養子になった五男秀勝。
あとは長子信正以下ほとんどが非常に長寿。
男子では十二男まで認知されてるから子孫多いよ。
女子も実子で十人以上確認されてる。
養子とか抜きで純粋な信長の血統は現代に残ってるのかな?
天童や柏原には別家から養子が入ってるみたいだし…。
>>63 蒲生はもともとの家臣ではないが、血縁者だから数に入れてもいいんじゃない?
68 :
日本@名無史さん:03/07/06 17:54
>66
血統はともかく、遺伝子は残ってるんじゃない?
確認されてる実子だけでも20人以上。
孫の世代では50人近くもいるわけだし。
70 :
日本@名無史さん:03/07/06 18:05
>66
姪の系統は確実に残っていますな。秀忠の娘の系統が
71 :
日本@名無史さん:03/07/06 18:13
も、ひとつ、娘の子孫 信康の系統も残っていますな。
72 :
日本@名無史さん:03/07/06 18:37
織田無道も自称だが信長の子孫w
73 :
日本@名無史さん:03/07/06 19:40
男系にこだわらないなら確実に信長の子孫は残ってるよ。
74 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:52
でも小田原の役の後、家康の旧領への転封を従ったなら、どうなっていたのだろうか?
信雄を改易する事が出来た事で子飼いの武将を大名化させる事ができたし、主筋として目の上の
タンコブを取り除けた事(第ニの小牧長久手?=家康と連携される脅威)と一石二鳥だったのでは?
そう考えたら、九州で大封を与えられた佐々みたいに失政(徳川シンパの民衆に抵抗)を咎められて
結局は改易だったかも…
豊臣政権が確立段階で信雄に大封を与え続けるメリットなんてないし…
>>73 信長の男系子孫は絶えてしまったという事でつね(´・ω・`)
決して女系子孫の方々を否定するつもりは無いですが、
徳川家などの子孫繁栄ぶりを考えるとすごく寂しいです。
天童藩系でいるんじゃないの?
明治維新時点で藩主兄弟は若かったんだし。
>>76 天童織田家は明治時代に相馬から養子が入ったと聞いたような…。
78 :
日本@名無史さん:03/07/08 09:39
>77
あぁ、てことは血統が良くなったんだね。(w
79 :
日本@名無史さん:03/07/08 09:41
織田家も相馬と同じ平氏流だからね。
80 :
日本@名無史さん:03/07/11 14:34
織田家は旗本にもけっこういるし、男系が絶えたかどうかは不明。
確かに信雄の長命ということだけを考えれば、家康の旧領への転封が実施
されていたらかえって危なかっただろうな。家臣団もあまりぱっとしないし。
分相応の10万石くらいがよかったのだろうが。
最近はノブオって読むの?
>>81 そんなことない、と思う。
確かに教科書や概説書の類はルビに「のぶお」ってあるけど。
何か根拠あるのかな?
83 :
日本@名無史さん:03/07/12 02:42
>>77 相馬から養子にきた人は漫画家になりました。
84 :
日本@名無史さん:03/07/12 03:03
織田信雄を主人公にした大河ドラマを放映しる!
あり得ないけど。
85 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:11
>>79 >>織田家も相馬と同じ平氏流だからね
それは信長が源平交代思想から、平氏を名乗るようになったんであって
織田家の先祖は藤原氏らしいぞ
86 :
日本@名無史さん:03/07/12 08:21
忌部氏だろ?
87 :
日本@名無史さん:03/07/12 09:36
若いころの信長が「藤原信長」と署名していたのは事実。
>>81 子供のころ読んだ本にも「のぶお」ってカナふってあったよ。
89 :
日本@名無史さん:03/07/12 10:47
江戸幕府が寛永時代に編纂した系図集に「のぶお」とルビが振ってあるらしい。
90 :
日本@名無史さん:03/07/12 11:01
>87
平とも書いてるよ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
93 :
日本@名無史さん:03/07/20 13:19
信雄は信孝よりも処世には長けていたのかな。
94 :
日本@名無史さん:03/07/20 13:37
>>84 ありえない事もないような気がする。
信雄の視点から織田家の盛衰を描けばドラマになる。
最初は、父信長の勢力伸張により自分もそれなりの権力を得て優雅な様子。
中盤は、父信長が倒れて秀吉に権力を奪われ、弟も殺され、だんだん落ちぶれ
ていく。
終盤は、徳川の時代となり、田舎の小大名にされてしまう。
こういう世の流れを信雄の視点で描いていけば、織田家の盛衰、
豊臣家の盛衰、徳川家によって大名が統一されていく様子・・・
そういった代の移り変わりがリアルに描けると思う。
最後は、何かむなしい感じになるが、そのむなしさを上手く表現
できれば、いいドラマになるような気がする。
主人公がカス、というのもな...
96 :
日本@名無史さん:03/07/20 13:44
長生きしただけ兄弟の中では勝ち組だろう
97 :
日本@名無史さん:03/07/21 19:48
何も信雄を馬鹿として描く必要はない
98 :
日本@名無史さん:03/07/21 19:55
>94
有楽のほうが淡々とした感じでいいような。
でも、大河には・・・
99 :
日本@名無史さん:03/07/21 20:46
右楽もそうだけど 政権取った武家の中で のぶお は古今まだマシな方だったと思うよ。
天下取った家は 次に天下を取った家に何かしらの形でお家を滅ぼされている
平家しかり源家しかり鎌倉の北条しかり
豊臣家なんて 秀吉の天下一代限りだったといえ、死後、お家断絶どころか 血筋までも完全に根絶やしにされたじゃないか
100 :
日本@名無史さん:03/07/21 20:50
>99
藤原氏なんてのは古代に政権取って、昭和期にも政権取ったりして
息の長い家(つーか一族)ですな。
>>99 井沢掲示板住民の「騎士のタツ」さん、いらっしゃ〜い。
102 :
日本@名無史さん:03/07/21 21:47
>99
豊臣 祭祀は木下家、血統は甥の秀勝の娘が公家に嫁いで続いてますが・・・
104 :
日本@名無史さん:03/07/22 17:27
>103
それ是非教えてつかあさい。
実はおいらも定年退職したら、信雄を語り部にした歴史小説を書こうと思っていたのです。
105 :
日本@名無史さん:03/07/22 17:47
>102
99の言ってるのは、秀吉のDNAを引き継いでいる者が
根絶やしにされたという意味じゃないのか?
106 :
日本@名無史さん:03/07/22 18:29
信長にせよ家康にせよ、正規の系図に載らない息子がいるな
>>104 新潮社からでてる「狂気の父を敬え」作者は鈴木輝一郎氏 1900円(税抜き)
時代的には伊勢〜本能寺
同じ作者の小説にはよくでてくる死して残せよ虎の皮に少し
片桐且元にメインで普通は小牧長久手あたりを書きそうなものだが
サンクス。
でも本能寺までがメインですか。
小説にするならば彼の人生はそこから先の方が面白いだろうに。
小牧長久手〜北条滅亡までの間なんかは一応大大名だし、
改易〜配流〜お側衆としての復活あたりは小説としてはいくらでも書きようがあるな。
109 :
日本@名無史さん:03/07/26 10:29
>>106 織田信正、松平民部、小笠原権之丞、、、、とか。
あとは誰がいるかな?
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていない場合特に))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているので性格が鬱陶しい(根暗・陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、またポーズだけで中身を伴っていない、「世間体命」)
●たとえ友達が多くいても、たいていは浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかないだろう!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
111 :
日本@名無史さん:03/08/01 21:15
織田家の子孫の方に聞いたけど「のぶお」じゃなく「のぶかつ」と言っていた
なんつうか、清国の溥儀に似ているね。
うちの伯父さんは、伊勢国の人だけど、
信雄という名前。やっぱ、伊勢では人気がある。やっぱ、北畠の養子になった
ことが要因かな?
是非、織田信雄の大河ドラマを所望する。
一年は辛いので、2時間ドラマ×3回でいい。
115 :
日本@名無史さん:03/08/01 21:41
信長の子孫って今もいるの?
116 :
日本@名無史さん:03/08/01 21:51
織田家の家系は旗本で幕末まで残ったのではないかしら?
117 :
日本@名無史さん:03/08/01 23:02
てことは織田家の子孫は今も複数存在してるってことか。知らなかった。
118 :
日本@名無史さん:03/08/01 23:48
信長の子孫?
大名だった家もあるよ。
(^^)
120 :
日本@名無史さん:03/08/02 02:54
織田系の大名
信雄系2家
長益系2家
の4家
それぞれ本家は国主格だったが不祥事で降格された。
121 :
日本@名無史さん:03/08/02 03:23
でも信長とは似ても似つかないのだろう
信雄ちゃん。大河は、義経に盗られたね。残念無念
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
124 :
日本@名無史さん:03/08/18 13:21
125 :
日本@名無史さん:03/09/05 14:31
来年こそ、信雄の生涯
大河でやって欲しいな。
126 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:54
織田信雄と淀の方だと、どちらが武将として有能であろうか。
127 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:13
>126
家康の犬 のぶお
128 :
日本@名無史さん:03/09/18 21:44
>>125 大河ドラマ・・・来年は新選組。再来年は義経だよ。
主役はどちらもジャニーズだからなぁ。
2006年、やってほしいね。でも信雄役は誰がいいだろう?
スレ違いだが信忠が生きていれば織田家ももう一寸ましだったかも、信長の
野望で実現して欲しい。
>128
野村のよっちゃん。
131 :
日本@名無史さん:03/09/19 01:57
山県大弐って雇われだっけ?
それとももともと家中?
132 :
日本@名無史さん:03/09/19 02:39
濃姫が息子生んでればなぁ。
まむし道三の娘の濃姫とあの信長の血を引いた息子だったら、、、
父親を超える男になってたかもしれない。
歴史は確実に違ってたな。
133 :
日本@名無史さん:03/09/19 04:51
>>129 同意。そしたら秀吉に織田家のっとられることもなかっただろうに…
134 :
日本@名無史さん:03/09/19 13:57
でもヘタをしたら、かえって一族すべて根絶やしにされたかも。
135 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:04
136 :
日本@名無史さん:03/09/20 01:42
津田信澄の子孫は絶えたのか?
137 :
日本@名無史さん:03/09/20 01:43
旗本で残ってる
たしか津田と名字変えたと思ったけど。
138 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:10
津田昌澄
その津田家と他の家系を混同してるかもしれんけど、
途中で土岐氏から養子を入れたって聞いた事がある。
「よりによって」という感じだな(;´Д`)
あ、信澄が明智と縁組してたのは知ってるが、織田家全体としてって事。
141 :
日本@名無史さん:03/09/21 19:03
ずっとノブカツだと思ってたのに、山川の教科書見るとノブオになってんだよな。。。
まぁ、どうせわかんないんだろうし、いいけどさ。
山川の教科書ってピンクのチェックのやつかな?
新羅(しらぎ)をしんら、百済(くだら)をひゃくさいとか
お市の方がお谷の方と書いてあった小谷ならわかるが
143 :
日本@名無史さん:03/09/21 21:07
bnbnbnb
144 :
日本@名無史さん:03/09/21 23:15
>>139 ちょっと意味がわからないんだけど、
土岐からの養子を入れたのは織田家?津田家?
しかもどの系統の?
織田家全体としてって何のことを言ってるの?
145 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:05
test
148 :
日本@名無史さん:03/09/22 16:51
べつに関係ないよ。
ま、人それぞれの解釈があるからその是非はあえて問わないのがいいかもね。
あんまりムキになってると荒れるし。
>>126 本能寺の頃なら似たり寄ったりかもしれんけど、
さすがに大坂の陣の頃は信雄でしょ。
いくつかの失敗からしたたかさを身につけてるし。
結果明治まで家名を残した信雄公は決して無能じゃない!
150 :
日本@名無史さん:03/09/22 17:25
150get
信雄の子孫の人がここ覗いてないかな?
一度子孫の視点から見た信雄像を聞いてみたいよ。
152 :
日本@名無史さん:03/09/22 20:06
>151
信雄の子孫ってより信長の子孫であることを誇りに思ってそうだが。
154 :
日本@名無史さん:03/09/24 18:13
常真入道
155 :
日本@名無史さん:03/09/24 19:02
スレとは関係ないけどさ、
東京中野にある「第六天尊堂」のお祭り(五月第二週日曜)には
代々木に住む織田氏からのお供え物が毎年あるそうな。
もしかしたら織田信雄の子孫にあたる人かな?
156 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:51
そりゃ、その可能性高いな。
20年ほど前だけど、織田家の当主さん(50代以上と推定)
歴史読本かなんかに写真入りで出ていたけど、信長の画像に似て瓜実顔でびっくり
した記憶あり。どっかの石油会社の監査役だか調査役だかだったなあ。
157 :
日本@名無史さん:03/10/13 16:33
158 :
日本@名無史さん:03/10/13 18:47
信雄には戦国の語り部としての価値は多いにあると思う。
159 :
日本@名無史さん:03/10/13 19:31
>>1 >秀吉の命令に従って、駿府へ転封していれば、
>江戸時代でも織田家は、有力大名だった
いや豊臣家同様いずれ徳川家に潰されただろうね。
161 :
日本@名無史さん:03/10/18 12:55
コーエーの「信長」の本で金子信雄以下扱いにされていたのには笑った。
コバルトネタで済まぬが、倉本由布の作品だと本能寺の後信孝が自分より優秀な信澄に次期当主の座を奪われると恐れて殺害したことになっているが、
史実かどうかは無視して信澄ってそんなに優秀だったのか?
162 :
日本@名無史さん:03/10/19 00:15
>>160 これよく見ると山内一豊や延沢満延なんかが混じってるな(w
明治期の当主の写真も信長顔(?)で戦国時代に写真があったら信長はこんな顔だろうって想像がつく
163 :
日本@名無史さん:03/10/19 20:05
>159
無害な存在だし、完全には潰されず、分家を5万石ぐらいで東北とか近畿に・・・
だったら、現実の歴史と一緒だわな。
164 :
日本@名無史さん:03/10/29 20:49
信雄の長男の秀雄っていうのも可哀想なやつだよな。
父親の尾張に帰りたいというつまんない夢の犠牲になって、
成り行き上西軍に加担させられて、改易なってそのまま夭逝。
おまけに家は弟たちの系統が相続。(´・ω・`)
165 :
日本@名無史さん:03/11/01 09:10
小林秀雄
166 :
日本@名無史さん:03/11/09 17:43
織田秀雄と織田秀信がだぶって見えます。
167 :
日本@名無史さん:03/11/10 01:22
織田秀信と織田信秀はだぶらないの?
168 :
日本@名無史さん:03/11/10 09:05
織田信秀と織田信秀はだぶって見える。
169 :
日本@名無史さん:03/11/10 12:21
だぶるっつーか同じジャン
170 :
日本@名無史さん:03/11/10 18:34
>161
少なくとも、親のハンデ(謀反)を背負いながら、馬揃えのときにも一門衆として
信孝とかと同じ扱いされていたんだから、ある程度は優秀だったと思える。
実直なタイプかもしれんが
171 :
日本@名無史さん:03/11/10 21:31
172 :
日本@名無史さん:03/11/11 03:07
結局織田はこの家が一番宗家?
173 :
日本@名無史さん:03/11/11 03:57
埴原左京亮を忘れないでね。
完全に忘れられてるけど。
>172
一応そうじゃないの。有楽系よりは信長直系だし。
175 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:50
つか有楽は弟だし
176 :
日本@名無史さん :03/11/22 22:26
野村萬斎は、
織田信長とは母方で縁続きである。
>176
母方で縁続きなんて微妙だな。
母が織田家の出とかいうなら別だけど。
そんなレベルなら、おれのご先祖は信長様の遠縁だとか言えるぞ。
178 :
日本@名無史さん:03/12/27 08:26
話題ないけどあげ
織田真理
180 :
日本@名無史さん:04/01/02 11:26
>>171 スレ違いだが珍しくない。
有名なのは伊達政宗が2人いる話。相馬とか岩城もそうだったような気がする。
181 :
日本@名無史さん:04/01/02 14:10
>>180 二人の政宗は世代的にだいぶ隔たっていたと思うが、
信秀の場合は二代しか違わないから珍しいのでは。
毛利にも「元春」が二人いたような。
182 :
日本@名無史さん:04/01/02 18:03
>>180 松浦鎮信モナー
こちらは3代違いか・・・
183 :
日本@名無史さん:04/01/02 19:30
184 :
日本@名無史さん:04/01/02 20:20
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年 │
│O 臣民たちよ . │
|K %%%%%%%% |
|E 6|-○-○ | . |
|R | > | │
| \ ∇/ ..|
| / \ |
│ | | │
│あけまして .│
│ おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
185 :
日本@名無史さん:04/01/03 12:55
186 :
日本@名無史さん:04/01/22 15:29
織田信成あげ
187 :
日本@名無史さん:04/01/22 15:37
相良長毎モナー
188 :
日本@名無史さん:04/01/22 18:44
やっぱり、あの世知辛い時代を乗り越えていける人ではなかったんだろう。
有能とか無能とかは別にして。
189 :
日本@名無史さん:04/01/22 21:13
信忠や信孝と違い子孫を残したんだから偉いっちゃ偉い。
190 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:12
織田信雄が秀吉に改易、追放されたのは、徳川家康や北条氏らと組んで、
織田信雄にとっては義理の兄弟にあたる興意法親王(信長の猶子、後陽成天皇の弟)を擁立し、
秀吉べったりの後陽成天皇を廃位させようとしたのが発覚して、
秀吉が後陽成天皇の命を受けて信雄を改易したっていう話を小和田哲男氏がしているけど、
本当かニャ〜?
191 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:16
んなわけんねえだろゴルァ!!
192 :
日本@名無史さん:04/01/23 22:53
アイススケートの選手で、織田信長の子孫がいるんだって??
193 :
ファンシー青木(U-22代表):04/01/23 23:28
194 :
ファンシー青木(U-22代表):04/01/23 23:42
>>161 >史実かどうかは無視して信澄ってそんなに優秀だったのか?
史実でも津田信澄は優秀。将来を嘱望されていた。
195 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:59
こいつが安土城燃やしたんだっけ?
196 :
ファンシー青木(U-22代表):04/01/24 00:25
落雷説もある。まあバカだから燃やしたんだと思うけど
197 :
日本@名無史さん:04/01/24 04:50
とりあえず占領してみたが、明智方の反撃を恐れて焼いたとか?
198 :
日本@名無史さん:04/01/24 08:56
>193
信長も若いときはうつけと言われたし。
なんだかんだ言って大名として存続できたんだから
信雄はバカではないんだろ。
199 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:13
豊臣だって「2万石でいいです」っていえば残っただろう。
それを考えれば、淀君よりはましか。
200 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:14
淀君と比べられてもー
福島正則の家老をしていた津田長義は信雄のところにいたことは
なかったのかな。
202 :
ファンシー青木(U-22代表):04/02/15 12:00
age
>>192 それ、フィギュアスケートでなんかで優勝したひとじゃないですか?
204 :
日本@名無史さん:04/02/18 15:22
>>203 織田信成くんですね。ひろゆき氏そっくりの(笑)
織田無道は信長の子孫を自称してるから
当然信雄の子孫って事になるんだよな?!(´ゝ`)プッ!
206 :
日本@名無史さん:04/03/17 13:53
はい、豊臣秀吉による織田信雄の改易事件ですが、
なんで織田信雄が改易に反対したかというと、
織田信雄の家臣団が転封に猛反対したからなんですね。
んで、織田信雄も「領主」として家臣団の声を秀吉に訴えたわけですが、
「家臣団を統制できない領主は『無能』!」とばかりに追放しちゃったわけです。
これでそれまで織田信雄に仕えていた家臣団は「次はわが身か」と
震え上がったわけです。
ところがどっこい、秀吉は、転封に猛反対していた旧家臣たちにたいして、
「一切不問」としちゃったわけです。
まあ、すべてを織田信雄に責任を押し付けて、
秀吉は旧家臣団を支配下に、旧家臣団は領地安堵、
ということで妥協(?)してしまったわけですね。
旧家臣らに翻弄されたと言ってしまえばそれまでですが・・・
207 :
日本@名無史さん:04/03/17 14:15
庸人と言われた没義道な変節漢
208 :
日本@名無史さん:04/03/17 21:31
>>207 織田信雄と徳川慶喜がだぶってみえます。
210 :
日本@名無史さん:04/04/05 02:46
愛子たん(*´д`*)ハァハァ
1の「1129年(いい肉作ろう高瀬幕府)に書き込め〜〜〜
212 :
日本@名無史さん:04/04/22 14:43
>>209 他にも意外な人のご先祖様だったりして。
213 :
トロちゃん元帥:04/04/22 15:15
214 :
日本@名無史さん:04/04/22 18:56
織田信長の兄弟、息子達に、信長のような人物が現れなかった。信長は、織田家にあって
突然変異のような人なのでしょうね。息子の信雄は、あふぉではないかと思われているくらいだ。
安土城を焼き潰したのは本当に信雄の仕業なのでしょうか?
>214
いかにも信秀の子供って感じがするがな。
216 :
日本@名無史さん:04/05/06 00:20
>>215 えっ?織田信雄って織田信長の兄弟だったの?
age
>216
信勝の誤植。
何かめちゃくちゃだ。
信秀の子供が信長、信勝で、
信長の子供が信雄だよね。
司馬の「城砦」では、土いじりがすきな落廃した老人という形で描かれている。
しかも、豊臣が信雄を総大将にしようとしたら、びっくらこいて、大雨に
まぎれて大坂を退去してしまった。
>220
自分のような男を総大将にしようとする
大坂方の無能さから逃げたのかも。
そうだとしたら己を知っていたことになるな。
劉備だって畑仕事していたことあるし、
何かを秘すための韜晦する手段かもしれん。
って、ちょっと無理があるな。
ただ、彼も経験値は積んでいるんだし
多少のしたたかさを持っていただろう。
222 :
日本@名無史さん:04/05/10 11:39
ブッシュ二世よりはマシだと思いますが
>>220 六代目笑福亭松鶴追悼落語会で自信なく遁走した実子の
笑福亭枝鶴のようだな まあ自殺した桂三木助なんてのも
いたが
偉大な父親の存在から
自爆した息子ならたくさん居たな。
225 :
日本@名無史さん:04/05/24 23:05
>198
違います。どうしようもなくバカなので、存続出来たのです。信孝は賢者だったようです。
信長は、実際全国制覇の完成を見ていない、その矢先だった。秀吉は、目の前で天下を獲った。
それに対し、実際、家康に与力してもらって、秀吉と戦い、器の違いも見せ付けられた。領土と、官位も与えられ、
不問だったのは、害のない愚物だった証拠。 が、家康は、一回固まった天下を簒奪した。淀殿は阿呆だが、プライドにおいて、天下の豊臣が2万石でいい、などとは口が裂けても言えなかっただろう。
それが、豊臣家の、逆に最大の弱みになってしまった。
226 :
日本@名無史さん:04/05/26 13:14
>>225 そういや信孝は秀吉討伐のために、ニセの綸旨まで作っていたぐらいだし。
227 :
日本@名無史さん:04/05/26 21:36
綸旨?主筋としては、家来筋の謀反に対し、朝廷に綸旨を出してもらうと言うのは、
流れからして、正しい。が、如何せん信長は、朝廷における人望が無く、また、信孝も
若すぎたろうなあ。
228 :
日本@名無史さん:04/06/06 00:53
常真入道信雄か・・・当時は、バカの代名詞だろうな。
が、淀のいとこで、秀頼の叔父。かつての信長公を思わせるいでたちで、木瓜紋と、
永楽通宝の軍旗が、大坂城にひるがえり、太閤桐の軍旗と両立すれば・・・、面白い!
確かに織田豊臣連合軍の、体裁は成り立ち、見た目は、諸大名の動揺を誘えただろう。
これに、夢を見たんだろうな。傀儡の総大将。逃がさず、拘束しとけばよかったのに。
秀頼の叔父じゃないでしょ……
=信秀==
↓ ↓
信長 市(信長の従兄弟説有り)
↓ ↓
信勝 淀
↓
秀頼
230 :
日本@名無史さん:04/06/06 17:00
間違えちゃった。いとこ違いと言う奴か・・・。遠いような近いような。
231 :
日本@名無史さん:04/06/26 11:36
織田常松
織田常竹
織田常真
232 :
日本@名無史さん:04/06/28 21:18
2年かかって伊賀平定
それも滝川・筒井・丹羽らの活躍で
233 :
トロちゃん元帥:04/07/15 13:57
既出かもしれんが今朝のテロ朝の「スパモ二」でこの間、明智子孫と和睦したのは
織田家の総意では無くTVに出てた傍系のおっさん(名前忘れた)のスタンドプレーで
ある事を番組で認めますた!ソノおっさんは江戸中期に主君の養子になった
茶坊主の子孫!傍系もいいとこで織田宗家にテロ朝は怒られた様です!!!ププッ(w
>>233 因みに信雄の織田家は天童藩ともう一つに別れ、コノおっさんの家は
そのもう一つの家の更に養子の家の分家っつう事だ!!!
織田無道ももし織田子孫なら恐らくこの辺りの出だろうね!(w
235 :
日本@名無史さん:04/07/15 14:51
だけど何で織田姓に戻したんだろう
北畠のほうがずっと良いのに
236 :
日本@名無史さん:04/07/15 16:48
>>235 北畠は源氏だから、征夷大将軍を目指せたのになw
239 :
日本@名無史さん:04/07/19 19:02
233さん。武田家と和解したのもこのおっさんとしたら、とんだ食わせもんだぜ!
240 :
日本@名無史さん:04/07/20 19:15
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ 茶 筅 丸 \
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l::::::::: |
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a
242 :
日本@名無史さん:04/07/20 20:29
a
243 :
日本@名無史さん:04/08/02 03:08
嘘吐きはどこの時代にもいるもんだね。何が子孫だ
244 :
日本@名無史さん:04/08/02 06:02
>236
近世織田家は北畠家の祭祀も続けていて北畠家の祭祀が断絶したわけではない。
さらに踏み込んで分家の一つくらいは「北畠」を名乗らせても良かったのにな。
>236
村上源氏でもOK?
つーか源氏でない将軍はイパーイいるわけだが。
乃木将軍とかな。
>>244 >近世織田家は北畠家の祭祀も続けていて北畠家の祭祀が断絶したわけではない。
それってどの文献に載ってるの?
誰が誰の祭祀を行ってるのかな?
247 :
日本@名無史さん:04/08/04 21:34
>244
うそくせ
偉そうに書いてるやつに限って実はなんにも知らないってのはあるな。
250 :
日本@名無史さん:04/09/09 23:58
250
252 :
金吾秀秋:04/09/17 02:21:04
253 :
日本@名無史さん:04/09/19 02:01:28
天童藩。
254 :
日本@名無史さん:04/09/24 02:27:37
司馬遼太郎は信雄のことを「庸人」だの「愚人」だのさんざんこき下ろしていたが…
司馬遼太郎なんか読んだら馬鹿になるよ
256 :
日本@名無史さん:04/09/24 04:41:57
Nobunaga Oda (1534-1582), the famous Japanese war lord during the age of the
civil war.
のぶお
258 :
日本@名無史さん:04/09/24 06:57:34
中年期以降の信雄は結構キレ者だろ。
259 :
日本@名無史さん:04/09/24 18:59:56
中年期以降も織田常真入道がキレ者とは言えまい。関ヶ原の戦いでも石田三成から黄白を
ちらつかせられて西軍に与みし、かといって特に働きは立てていないから
戦後、息子の越前宰相秀雄の領地を没収しただけで放逐され、大坂城に流寓
する一老人に成り下がっていたんですから。
260 :
日本@名無史さん:04/10/07 00:42:37
織田信正
261 :
日本@名無史さん:04/10/07 01:27:37
つーか
>>244は「近世織田家は北畠家の祭祀も続けていて」ってソースだせよ
見てるんだろ
262 :
日本@名無史さん:04/11/23 04:51:23
>>259 でも2ch的に言うなら、いくら切れ者だろうと武田勝頼とか石田三成みたいに滅亡してしまったら何の価値も無いわけで。
その意味では信雄は「勝ち組」だろ?
信雄は伊勢伊賀攻略でちゃんと戦果をあげてます
無能とはいいすぎですね
あと関が原で東軍について織田家の家名を残しているのは信雄ただ一人のみということ
264 :
日本@名無史さん:04/11/24 18:25:22
265 :
日本@名無史さん:04/11/24 18:46:37
266 :
日本@名無史さん:04/11/24 19:19:43
267 :
日本@名無史さん:04/11/25 00:15:22
鈴木輝一郎の「片桐且元」に出てくる信雄は飄々としていてちょっとカッコイイ。
268 :
日本@名無史さん:04/12/25 21:13:33
「のぶお」でいいだろw
「のぶかつ」なんて響きがかっこよくてこいつには合わんw
また保守荒らしか
どうせ同じ奴なんだから規制板に報告すべきだな
270 :
日本@名無史さん:05/01/08 03:04:08
安土城を放火粉砕した時点であほう(不覚人)であることはもはや明瞭。
271 :
日本@名無史さん:05/01/08 13:59:39
過去レスぐらい読もうよ。
無能や阿呆ではないでしょ。
秀吉や家康という超人レベルから比較すると、
さすがに才覚が劣っていたというだけで。
信長が失態に怒って首をはねていたら、結構歴史に影響のある存在
なのが笑える。
273 :
日本@名無史さん:05/02/02 18:20:56
織田常真信雄は夜隠に紛れて大坂城から逃げた。
徳川内府慶喜も夜隠に紛れて大坂城から逃げた。
どちらも戦争の総大将にされそうになったからだが、後者は政略だという弁護もあるが、前者はいかに。
だってうんなもんに付き合う義理ないもん。
後者は日本の歴史に大きく関わる出来事だけど
前者は別に関係無いからな
276 :
日本@名無史さん:05/02/03 01:32:47
>>263 >伊賀攻略でちゃんと戦果をあげてます
そりゃあんだけ家臣をつけてもらえばね…
あと、有楽斎も東軍について本戦に参加して(最初で最後の)武功をあげてるが
277 :
日本@名無史さん:05/02/03 02:02:35
なるほど、伊賀平定は別に信雄が大将でなくても、たとえば兵学者か坊主が
采配をとり、かつ居眠りしていても勝てる戦いだったという訳ですな。
ついでに関が原東軍には、信長の子供が他にもいたはずで・・・
信長の子供って結局何人いるんだ?
22人だっけ?
でも勝頼や筒井や畠山に嫁いだの、池田の息子に嫁いだのは養女なんだよね?
ラストの息子は長好だっけ?
なんか歴史読本wとか見ても執筆者によってまちまちなんだよね。
280 :
日本@名無史さん:05/02/11 05:43:27
信忠 信雄 信孝 五徳姫
しか知らんな。
加賀藩2代目前田利長の嫁さんも信長の娘だ。
>前田利長の嫁さん
永姫だね。
同じ年に産まれたのが丹羽長重の妻になった報徳院だよね。
信雄と信孝といい、同じ年に産まれた子供。
生母は内心複雑だったかな。
283 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:30:45
age
とりあえずNHKの正月時代劇あたりで取りあげてもらえないだろうか
285 :
日本@名無史さん:05/03/06 02:39:00
信雄って本能寺の後に織田に復したんだよね。
286 :
日本@名無史さん:05/03/06 03:25:56
常真入道信雄ってやはり当時としては不覚人の代名詞だったんですかね。
287 :
日本@名無史さん:05/03/06 04:14:10
「第一発見者を疑え」
安土城放火の実行犯はイエズス会の信者の誰か。
もちろん命令したのは宣教師のアイツです。
間違いない。
288 :
日本@名無史さん:05/03/06 04:15:55
安土城を焼き潰したのは信雄だろ。
有楽斎って何者?
290 :
日本@名無史さん:05/03/14 14:17:12
当初は「無楽斎」だったと聞きましたが
292 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 03:14:49
「有無楽斎」ざんす。
>>289 有楽町の名付け親で、日本のスパイの草分け的存在。
遊び人金さんの師匠だったが、放蕩が過ぎて自滅。
一説には、信長の弟、千利休の弟子で文化人との説もある、が?
a
295 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 01:58:27
秀吉に追放されたのは禁裏造築を自ら志願したのが原因だって
296 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 02:20:44
かねて庸人、不覚人で名高い織田常真入道は尾張、伊勢107万石から、
徳川家康の旧領5ヶ国130万石への転封を拒否したため、下野烏山に
蟄居となったのである。その後、関ヶ原の戦いで石田方に与したため
捨て扶持2万石も没収され、越前宰相秀雄に寄食し、やがて大坂城に流寓し、
土いじりが好きな落廃した老人になりはてたのである。
大坂城内での密議を家康に売り渡すことによっていくらかの報酬がもらえると踏んだ
信雄はなんと!暴風雨にまぎれて大坂城を退去してしまったのである。
297 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 05:02:54
>>278 西軍にもいるな
11男か誰かが討死してる
どこにいたのかもわからんが
黄母衣衆とかのあたりに混じってたのか?
298 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:57:42
織田信雄
舞は相当上手かったらしいね
299 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:40:19
なんかの提示板で織田信雄の写真とかいうのがあったんで見たらDir en greyのボーカルの写真だった
300 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:40:17
>>298 司馬遼太郎
「この男は父親の遺伝として、舞いの上手さだけしか受け継がなかった」
今思うと凄い形容だな。
>>296にある「暴風雨にまぎれて」などは桶狭間の信長を彷彿とさせるのにw
301 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:57:59
まったく司馬寮太郎はその点露骨である。
「信長の息子達はいずれも出来がわるく、この乱世では自立できない者ばかりだ。信雄もそうである」とか
「信雄は不覚人(あほう)であった」
「簡単に騙されるのである。秀吉と家康の両人が煽る以上、この不覚人の腰が浮き浮きと小牧に立ち上がるのは当然であった」
などと酷評されている。後世の史家に名指しで酷評されてる信雄は、悲愴を通り越して滑稽であろう。
302 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 15:15:21
あげ
司馬寮太郎というのは随分露骨な史家なんだね。
で、それ誰?
304 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 15:28:45
家康とも仲良しと言うよりは微妙な関係そうだね。
305 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:28:27
2222222222222222222222222222222222222222222222222222
306 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:28:38
33333333333333333333333333333333333333333333333333333
307 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:29:04
66666666666666666666666666666666666666666666666666666
2×3=六輔
309 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 07:42:58
織田信成って、信雄の子孫なのか?
310 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:37:38
信雄と秀秋ってどっちのが武将として上?
311 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:35:05
>301
秀秋のほうが上。
312 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:35:45
>309
信高じゃなかったか?
信忠は秀忠が少し賢くなったぐらいでは?
無能では無いと思う
314 :
日本@名無史さん :2005/07/14(木) 14:49:01
北畠氏といえば源通親からの村上源氏
平氏の信長の子が養子というのも面白いよね
315 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 21:34:20
>>309 >>312 家系的には信高の家だけど、信雄の男系子孫を養子に取って、幕末まで続いてる。
その後もつながってるかどうかはわかんない。
えろい人教えてぽ
316 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 08:34:35
>314
信雄は北畠家の婿養子なわけだが、後継者は北畠出身の正妻ではない女が
生んだ子だったため北畠色が薄くなったわけだな。
>>313 微妙だな・・・政務の部分では秀忠の方が話があるが、信忠にはないから、そこ
の部分は未知だし・・・かといって秀忠は軍歴はあぼーんだし、信忠は、まぁ良い結果
を出してるし・・・
318 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 02:27:37
もしのぶ信雄が家康の旧領に移転していたら五大老になっていたのでは??
1590年当時官位は内大臣(当時家康は大納言)で一番上で五大老筆頭の可能性
も高い。そうなると秀吉没後歴史はどうなっていたか?
家康と手を組み織田・徳川連立政権になっていた!?
五大老 織田信雄 徳川家康 前田利家 毛利輝元 宇喜田秀家
>>318 家康と利家を除いてアホばっかだな(秀家には少し酷な言い方かもしれないけど)
これじゃ史実と大して変わらないような気が
320 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:27:39
なにげに織田政権が出来ていた!
321 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:36:48
ヤフー日本史掲示板で、信雄が信忠を差し置いて
将軍就任を噂されたと書かれているのだが(ソース不明)
これ本当?
>>321 はぁ?それって武功信者の妄想じゃないのけ?
323 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:13:21
>>321 とあるサイトBBSに、本能寺の変の黒幕を妄想してみようみたいなトピがあって
その中で、案外信雄と北畠に行く時一緒につけられた生駒衆なんじゃないのか?
という話の流れの中で、そんな話もチラっと出てきてはいたが・・・
ただ、このトピは削除されたし、サイト自体も閉鎖してしまったから
今更確認のしようがないけどね
324 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:40:06
噂になるぐらい露骨にそんなアホ評価をしていたとは…
家臣に討たれた天才バカ殿だけのことある。さすがだw
325 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 17:39:54
傀儡する将軍なら信雄の方が適任とか言ってみる。
326 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:05:40
執権北条氏みたいに家臣団が全部実権を握り、信雄の血統は2代か3代で
あぼーん。その後は有栖川宮融仁親王家から将軍をどんどんと迎えるのであろう。
327 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:01:16
>>326 本能寺の変も実はそのあたりが絡んでいたりして・・・
328 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:28:03
>>327 本能寺の変の直後、津田信澄が織田信孝に殺されたのは
津田信澄が明智光秀の娘婿だったからなんだよねー。
んでも、生き残った津田信澄の息子たちがみんな秀吉に仕えているのは・・・・・・・
光秀は秀吉出世の恩人だし、織田家は旧主だから
内情的にも外面的にも不自然じゃない気がするが
330 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 10:01:01
age
>>323 おもしろい。
信長激怒状や武田討伐後に所領でもない諏訪大社へ
出している謎の禁制状から、実は信忠のことを
かなり軽んじてたのではないかと推測する人もいる。
俺の母ちゃんは父上自らが望んで正室になったんだぞー
兄ちゃんは父上とソリが合わない形だけ正室の美濃女の養子だし、
滅ぼしたとはいえ、大好きな武田の姫と影では怪しい仲だったから
武田攻略にも弱腰で、一時は信孝が代わりを務めているような
ヘタレだから、遠慮なく北畠を皆殺しできた俺の方が
跡目にふさわしいんだよ。伊賀も壊滅できたし。
それにさ、父上は父上で自ら躑躅が崎館を再建しろなんて意味不明な
厳命を出しているし、兄ちゃんは兄ちゃんで、滅ぼした家の
大好きな姫に自分の許に来るよう早くも呼んだっていうし
長いこと武田の人質だった勝長も、織田とはほとんど縁が無かったくせに
生意気にも尾張に城をもらっているし、これで勇猛な武田遺臣まで
引き入れちゃったら、次の織田政権に俺や生駒衆は出る幕なんて
もうないじゃん。だから思い切ってやっちゃったって感じかな・・・w
333 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 21:41:22
なるほど。
>>317 総合すると信忠のほうがずっと優秀。
少なくとも武将としてはトップクラス。早く死んだために
政治家としての能力は未知数。だが、もし生きていれば
秀吉の跋扈政治はあり得なかったと思うし、もしかしたら
織田(安土)幕府が設立されていたかも知れない。
あの信長が後継者と定めたほどだからな。(これは妄想の類に入る)
(信忠の庶長兄の信正の足跡は全然知らんが、伯父の信広と似た感じか?)
335 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 02:45:11
>>334 >少なくとも武将としてはトップクラス
詳細きぼんぬ
336 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 12:11:13
>>335 あちこちに派遣されていたときもミスはない。
そののち、岐阜で織田家の東部方面軍司令官だった。
武田征伐でも大過ない。
本能寺の変のときも、明智を苦しめた。
337 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 12:51:26
あっはっは。それがし、若い頃は二万や三万の軍勢を掌で転がすように進退させたものでござる。
大坂の総大将になれば駿府翁の老頚を掻き斬り、右大臣家の見参にいれるでありましょう。
338 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 13:15:33
>>332勝手な妄想くん
>俺の母ちゃんは父上自らが望んで正室になったんだぞー
後半カキコはなかなか面白いこと呟いてるようだが、
君のお母さんが正室になったというのは、君や前野家の人たちの脳内設定の垂れ流しがソース
そこらへん「妄想」だと、今後もよくよくわきまえておくようにな!
俺は信雄に萌えるね
信長の息子達
長男・信正、次男=嫡子・信忠、三男・信雄、四男(三男?)・信孝、
五男・秀勝、六男・勝長、七男・信秀、八男・信高、九男・信吉、
十男・信貞、十一男・信好、十二男・長次…
>>336 それって、単に神輿のボンボンってだけじゃ・・・。
344 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 15:35:16
信忠の本能寺の変への対応はいかんだろ。
織田政権にとどめを刺したのは信忠の玉砕なんだから。
345 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 16:39:54
>>321 >ヤフー日本史掲示板で、信雄が信忠を差し置いて
将軍就任を噂されたと書かれているのだが(ソース不明)
これ本当?
>>322 はぁ?それって武功信者の妄想じゃないのけ?
お馬鹿さんに教えてあげるよ。
『尋憲記』天正2年3月24日の記事に
「雑談トテ人ノ申候、信長ハ近衛殿成候、子チャセン(信雄)ハ将軍罷成候、」
とあるんだよ。
まぁ信長が近衛前久の猶子として関白になれば信忠はその跡を継ぐということで
兄を差し置いてというのはどうかと思われるが・・・・・・
>>321>>323 そのヤフーの一連の書き込みのソースって
>>345だけなんだろうか。
信雄&生駒衆黒幕説の論拠って何だったんだろう。誰かレスしてた人おらんかな。
確かにお茶筅の内心では、
1つしか歳の違わない同腹の兄信忠を軽んじる気持ちが強かったのかもな。
それを父の信長のみならず、周囲も感じていたと。
信長が家督譲与後、死ぬ寸前まで、ああまで執拗に「後継者・信忠」の示威に精を出したのも、
兄弟間やその周囲の軋轢を心配してたからだろう。
347 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 23:13:45
記録にこそ残らなかったが、実際水面下での織田家内というのは
お家騒動になりうる火種が常に燻っていたのかもしれないな。
ふと思ったことだから、ソースを示せと言われても困るのだが…
348 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:48:42
>>347 >記録にこそ残らなかったが、
それ以前に、まだまだ埋もれている史料(一般的ではなかったり、未解読)も
あるからね〜。
大方の小説家などは一般教養レベルの知識で妄想を語っているに過ぎない
場合が多いね。
349 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 11:59:05
小説家が無知なんじゃなくて歴史家が怠慢なんじゃないかそりゃ
ちゃんと仕事汁w
研究者はともかく素人が広く目に出来る状態になるのは時間かかるんだろうなぁ
しかし例の武功夜話のように、フェイクがなりふり構わず、
ろくな史料批判にも晒されない状態で出回るような経緯はもう勘弁だよ
信忠と信長の対立があったらしいって内容が何かで発表されてたやうな・・・
>>347
352 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 17:09:18
age
353 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 21:11:29
まあ、バカだったから生き残れたってのもあるだろ。
信孝みたいに中途半端に優秀だったら消されてただろう。
354 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 19:28:34
jh
355 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:51:51
>>353 何をもって信孝が優秀で、信雄をバカだとするの?
356 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 22:46:59
フィギアスケートあげ
357 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 08:00:20
織田の部活
あの子ザルのことか
359 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 17:13:36
信雄といえば、金田信雄
360 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 17:48:12
金子信雄でないのか?
>>355 父親の政権をまんまと家来に奪われたバカ息子
小牧長久手で和睦しなかったらサルの首と胴体は離れてたけどな
大人だから乱世を早く終わらそうとしたんだろ
小田原攻めでも家康と語らって秀吉本陣攻めてたら北条も討って出てサルの首と胴体は離れてたけどな
光秀みたいだからやらなかったんだろう
つくずく大人だと思う
363 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:35:19
『17代目の天下統一』のコピーにワラタ>織田信成君
信成は関西人か
365 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 16:01:05
>>363 ふざけるなって感じ。
織田家の恥だな。
>>362 秀吉切っても、結局徳川にやられるな。
366 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:42:10
>>365 「織田家の恥」かどうかは、織田家で決めますので・・・
百姓は黙って年貢持って来い、と。
367 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:09:08
age
365ではないが、明らかにあのコピーは変テコだろ
17代目って、いかにも代々織田一族の宗家の当主です、みたいな感じだが
信成クンの家系ってそうだったっけ?
信長晩年の子供の、あんまり知られてない息子が祖じゃないの?
つか、肖像画の信長と似ても似つかんね・・・フィギュアは頑張ってほしいが
それでも17代目に違いはなく。
一兵卒の
>>368とは違う。
370 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 14:30:03
まあそれ言ったら信長の父信秀も元々は織田家の傍流だろって事になるしなw
傍流だろうと織田家に変わりはなく、徳川家で言うなら宗家、御三家、御三卿が相次いで滅んで末端の子孫が出てきたって感じかな。
何しろ他の織田家の人達が何やってるのかなんて一般人はほとんど知らないんだし。
信雄君
それでも17代目に違いはなく。
一兵卒の
>>368とは違う。
374 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 08:05:06
age
375 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:31:50
現代の子供にそのまま付けても通用する『のぶお』という名を400年も前に付けるとは・・・さすが信長公だw
一体誰が言い出したんだろうな。のぶかつって・・・
滝川「かずます」とか「やまのうちかずとよ」も近年の調べでは間違いだったというのがわかってきたし。
残念でならないのは関ヶ原で唯一東軍から西軍に寝返ったのが信雄じゃなく息子の秀雄だったことだ
もうちょっとでグランドスラム達成だったのに惜しい