>>223 50年以上も昔の石母田正の時代から中世=10−15世紀説ですよ。
この見解を前提にした上で9−11世紀の過渡期を王朝国家だとする説もありますが、
当然の事ながら王朝国家=古代とはされません。
だいたい9世紀を境に古代律令国家から別のステージへの転換がなされたというのが、
中世史研究者大多数の意見ですから。
古代=貴族社会/中世=武士という対立軸で捉える発想は最近(といってもここ15年)
では殆ど聞きませんが?
あと怨霊退散というのは仏教思想の普及による「魔」の思想で
時間・空間的な清浄さの確保を重視した9世紀以降の発想ですね。
これによって武士が誕生したのです。
中臣神道のハレ/ケガレ観とは全然違います。
こういった武士の聖性や社会秩序に動揺が起こるのは保元の乱以降で、
きっかけは源義朝による為義の斬殺といった死刑の復活です。
ところで、大阪最大の被差別部落である西浜部落が摂津源氏発祥の地である事や
中世武士の末裔である島津氏が代々義家と同様に宮廷警備を任ぜられ、
幕末に同胞のよしみとして長吏浅草弾左ェ門に協力を要請していた事について
どうお考えなのですか?