日本は古代朝鮮を征服した!

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1ナノレンジャー
任那日本府、安東大将軍について語れ!
2日本@名無史さん:03/05/09 08:09
おまんこ女学院
3 :03/05/09 08:32
4日本@名無史さん:03/05/09 12:18
白村江の戦いで大敗したのは周知の事実ですよね。 そんなこと言ったらまたチョソが逆上する。キムの住んでるとこなんかほっといたら。
5bloom:03/05/09 12:20
6日本@名無史さん:03/05/09 12:22
オチンコ男子学園
7日本@名無史さん:03/05/09 16:56
なぜ?
8日本@名無史さん:03/05/09 20:00
白村江の戦いで唐に敗けたが、朝鮮や韓国には敗けていない。
9日本@名無史さん:03/05/09 20:02
>>8
負け惜しみはみっともないぞ
10日本@名無史さん:03/05/09 20:06
倭と百済は負けたけど、日本も韓国もまだ存在していない時代の話。
11日本@名無史さん:03/05/09 20:19
まだ倭人が素っ裸でうろうろしてた頃、先進的な文化を携えた渡来人が
やってきて現在「日本」となんか勝手に名前つけられてるものの基礎を作った。
俺の先祖は渡来人=コリアンなんだろうな、ああ誇らしい。
コリア差別やってる嫌韓厨って連中はきっと渡来人に征服されて犯された土人
女から生まれた汚い混血のガキの子孫なんでしょう、きしょい奴らだ(ワラ
12日本@名無史さん:03/05/09 20:19
中国の世界的な歴史学者、馬明達老師による
歴史上、日本、中国、朝鮮、刀剣武芸交流考を紹介してますのでご利用下さい。
http://www.ne.jp/asahi/tfz/tys/index.html
歴代日中剣道連盟編の部へリンクして下さい。
13bloom:03/05/09 20:20
14 :03/05/09 20:41
>>11
おまえらまともに自分の国を支配したことなど無いだろう。
つねに支配されてばかりではないか。

古代史みても倭の属国。文化伝えただと、笑わせるな。
倭に隷属しているのはどの国なんだよ。
15日本@名無史さん:03/05/09 20:54
しかも伝えた文化は中国の物。いつの時代も余所の文化は元々チョンの物としている国。
まあ、古代から日本は半島を武力で蹂躙したのは間違いもない事実である。
17日本@名無史さん:03/05/09 21:02

日本列島が縄文期のころ、半島では遺跡が全く見られない時期が続き、
ほぼ無人であったと思われる。
半島へ入ってきた全ての民族はそのあと北と南から入ってきた。
18 :03/05/10 20:38
アゲ
19日本@名無史さん:03/05/10 20:45
古代の朝鮮半島は北、南、西から来た人種の緩衝地だった訳だよ。
20日本@名無史さん:03/05/12 21:49
縄文時代、半島はどうだったの?
彼らにも何とか時代て名称あるのか? まさか旧石器時代なんて言うなよ。
まじれす請う。
21日本@名無史さん:03/05/12 21:54
>>20
檀君朝鮮・箕氏朝鮮。既にその頃から東アジアの文化の中心だった。
22 :03/05/12 21:57
檀君は朝鮮側の自己申告だな。
また、箕子、衛氏とも半島人ではないな。
よって半島は隷属状態。w
23日本@名無史さん:03/05/12 22:13
地政学的に北東アジアで朝鮮半島はその中心にならざるおえない。
  満州 
中国<韓>沿海州
  日本

24 :03/05/12 22:17
>>23
ポーランド思い出すよ。
25日本@名無史さん:03/05/12 22:37
>23
 中心じゃなくて争点でしょ。
 大陸からも海からも制圧される。
 半島はみなそうじゃん。アラビアもバルカンもイベリアも。
2623:03/05/12 23:14
半島は周辺地域き比べ気候、住みやすさ、農産物の生産などダントツに恵まれている。
その意味で太古から半島は人口密度が高く、高い文化を築く素地は持っている。
あと日本はさらに温暖、降雨も多く衣食住の面では半島よりさらに有利。
だだ島国が致命的 中国からの文化伝播が半島に比べダイレクトに伝わらない。
古代ではどうしても半島に一歩遅れる。
>>23
半島は中国に朝貢しており、属国となって生活していたに過ぎない。
彼等は独立して、より高い文化を持つのではなく、中国から与えられた文化をただ持っていたに過ぎない。
日本は中国と同等の国であると言う高い信念があった。
半島が、中国、日本に支配された原因もその辺りにあると思われる。
28日本@名無史さん:03/05/13 23:37
弥生後期の各地の人口はどのくらいか予測してみた。
やはり倭が一番住みやすそう。

総人口       人口密度(平方km)   
--------------- -------------
日本:50万人   1.5人
朝鮮半島:30万   1人
中国東北(満州):20万 0.3人
華北:300万   1人
華南:200万   0.6人
29日本@名無史さん:03/05/14 00:20
>>11
それは奴等の妄想オナニー。先進的な文化を携えた渡来人?
先進的であったソースをください。それに「日本」は白村江敗戦後
小日本+倭で日本でしょう。君の先祖は汚らしい新羅族が先祖か
もしれないけど、我々は縄文人+弥生渡来人(朝鮮塵ではない)
+アイヌ+琉球の先祖日本人。ああ誇らしい。
モンゴル、中国に輪姦され混血、名前も中国由来、倭国との交流
から倭国遺伝まで持つ現代の新羅半島人。ああ誇らしいですね(w
きっと反日厨ってコリアのカルト宗教で洗脳されて、脳内安コントロール
に陥った可哀想な土人でしょう?
汚らしい劣等亡命落ちこぼれ遺伝子の渡来土人と優秀な日本人
との混血で劣等遺伝子が強く出てしまった可哀想な典型ですね。
30日本@名無史さん:03/05/14 00:22
>>21
檀君は神話。真に受けているところをみると朝鮮の教科書で歴史を学んだのですか?(激藁
31日本@名無史さん:03/05/14 00:28
>>28
いい線いってるかも。
半島は10満匹位じゃねえか。
32日本@名無史さん:03/05/14 00:34
>>31
いやあれだけ弥生人を日本に供給したのだから朝鮮半島は100万人はいたと思われ。
33日本@名無史さん:03/05/14 00:36
>>32
だからそれが間違いだってーの
34日本@名無史さん:03/05/14 00:42
>>33

WHy? This is commonsense in Korea.
35日本@名無史さん:03/05/14 01:26
>>34
please give objective and convincing proof
36日本@名無史さん:03/05/14 01:32
Please present an objective and convincing proof
37日本@名無史さん:03/05/14 22:17
つか、新羅王はいろいろな血統の奴が交互に王位についているんじゃなかったか?
倭人の新羅王も居た筈。

百済は王子を倭に人質として送っていたから、倭の属国だった事は間違いない。
新羅も関係悪化以前は倭に朝貢していたから倭よりも格下。

倭のカウンターパートは唐や高句麗に当たるんじゃないか。

38日本@名無史さん:03/05/14 23:25
>>37
勝手に妄想しる
39 :03/05/14 23:28
まぁ、なんだかんだ言ったって朝鮮は奴隷以外の歴史が無いからなw
40日本@名無史さん:03/05/15 00:27
40
41日本@名無史さん:03/05/15 00:45
>>37
新羅は倭人勢力が建国した国。
42日本@名無史さん:03/05/15 00:46
>>38
本当の事言って何が悪いニダ

       三□_)
         /
         /   \\
 キュイーン .Γ/了    | |
  キュイーン .|.@|    | |
       | / |    人
       |/ |    <  >〃ヾヽ ニダニダニダニダニダッ
      _/  | //.V_ `Д´〕丿
     (_□三 /\ (      ) \  
           \/| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|\  >>38
43山崎渉:03/05/22 03:22
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
44日本@名無史さん:03/05/24 06:59
まるでハン板のスレだな。少しは日本史板らしい議論はないのか?
45日本@名無史さん:03/05/24 07:49
>>44
日本史板も昔より相当質落ちて程度の低い嫌韓厨がまぎれこんでますからね・・・
46日本@名無史さん:03/05/24 08:38
>>28
ネタ?
邪馬台国だけで7万戸もあるのに、50万人の推定は少なすぎます。
奈良時代の人口推計が600万人とかいわれており、急激に人口増加
した形跡はないので、弥生後期も同じぐらいだと思ってます。
日本が新羅・百済から大国として、畏れ敬われていたのも、その人口
の多さにあるのでしょう。
47日本@名無史さん:03/05/24 09:11
百済・新羅はそれぞれ、領土の大きさからみて数十万といったところでしょう。
48日本@名無史さん:03/05/24 10:08
やっぱり日本は古代朝鮮の植民地だったのか。
49日本@名無史さん:03/05/24 10:24
コリア半島に優秀な一族が残ってより進化し、絞りカスみたいな質の悪いのが
倭島に渡って半島劣化コピーの程度低い文化をつくった(猥褻文化が日本で
花盛りなのはそのため、程度低いなによりの証)
いってみれば犯罪者の島流しに使われたダウンアンダーみたいなものかな
50日本@名無史さん:03/05/24 10:45
>>49
>>猥褻文化が日本で花盛り

あんた、韓国から来るエロスパムに悩まされていないんだね。。
うらやましい。
51日本@名無史さん:03/05/24 10:50
朝鮮人必死だな
52日本@名無史さん:03/05/24 11:03
韓国のエロメールは米国でも問題になっており、一部の研究所では韓国のメールは受け取れないらしい。
私の希望としては、回線ごと切って首吊ってほしいんだが。
53日本@名無史さん:03/05/24 13:24
謝罪とか補償とかどーでもいいが、

ま  ず  エ  ロ  ス  パ  ム  を  ど  ー  に  か  せ  い。

話はそれからだ。
54日本@名無史さん:03/05/25 00:28
古来、朝鮮半島の難民と移民は厳選された人間。近代は本国では相手にされない屑が
日本にやって来ている。朝鮮半島の中国劣化コピー文化を誇るみっともない民族であ
る朝鮮人が、小学のお絵描き級の春画しか書けない、朝鮮人が日本のものを妬むのは
よく分かる。現在では日本の劣化コピー大国と化している賎半島。大国の通り道故の
悲哀が感じられる。まあ、所詮在日も本国の朝鮮人も犯罪者の末裔。現在も世界中に
犯罪を輸出している鬼畜民族であることは間違いない。
55日本@名無史さん:03/05/25 16:35
↑コピペご苦労。楽しいかい?
56山崎渉:03/05/28 11:03
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
57日本@名無史さん:03/05/29 00:08
邪馬台国だけで7万戸もあるのに、50万人の推定は少なすぎます。
奈良時代の人口推計が600万人とかいわれており、急激に人口増加
した形跡はないので、弥生後期も同じぐらいてす。

日本が新羅・百済から大国として、畏れ敬われていたのも、その人口の多さにあるのでしょう。
58日本@名無史さん:03/05/29 02:54
>>57
いや、むしろ弥生時代の方が奈良時代よりも人口が多かったといわれている。
59日本@名無史さん:03/05/30 12:45
>>58
ソース希望

普通は分立状態にあると、それぞれのクニの境界は
緩衝地帯として開発されないので生産力は低いと
思うんだが。
60日本@名無史さん:03/06/01 15:02
>>59
ニダ
61日本@名無史さん:03/06/01 19:06
倭人伝の中で戸数の明記ある国の平均値を出すと1国あたり1万6250戸。
倭国は分かれて百余国だから、全体で162万5000余戸。
で、1戸あたりの人数だが、倭人伝の倭人の生活形態についての記載から
この戸は奈良時代の「房戸」(1戸平均5人)でなく「郷戸」(1戸平均25人)
(1郷戸は平均して5房戸から成る)に相当するとみられる。
そうすると倭国全体の人口はおよそ4千万人くらいになる。
62日本@名無史さん:03/06/01 20:25
仮に郷戸でなく房戸として計算すると約800万人。
百余国でなく三十国とすると、約1200万人。
だいたいこの中間くらいだったのでは?

房戸でかつ三十国とすると約240万人だが
これは少し少なすぎるように思われ。
63日本@名無史さん:03/06/02 00:41
まあ、何を言おうと皇居に百済の末裔がすごしていらっしゃるのですが。
64日本@名無史さん:03/06/02 05:12
>末裔がすごしていらっしゃるのですが。
百済の悪血は何万分の一だろ....
奸国の前大酋長も加羅の王族の子孫という族譜が正しいなら(w
倭人の血をひいているだろ。
65日本@名無史さん:03/06/02 05:51
>>63
正直いうと,始皇帝の末裔や漢の高祖の末裔でもあるらしいのだが。
66日本@名無史さん:03/06/02 06:07

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


今、チョンと混血すると、上記のくっさいウンコ形質がもれなくもらえる!!
67日本@名無史さん:03/06/02 06:19
>>63
その百済の末裔といわれる由縁の人物は倭人ですよ。
68日本@名無史さん:03/06/02 07:24
>>63
それを言い出すと、俺も君もアフリカンなのだが。
69日本@名無史さん:03/06/02 07:33
>>63
黄身がアフリ漢か否かは、確からしい仮説の段階です。
言い切ることは出来ません。
70日本@名無史さん:03/06/02 20:35
古代〜現代コリア・・・先進民族、数千年間に渡って高度な文化を謳歌

古代倭〜現代ニッポソ・・・そのコリアのおこぼれにあずかってしか反映しえなかったクソ、ダサダサ(プッ
71日本@名無史さん:03/06/05 04:36
>>70
コリアは中国のおこぼれと朝貢によってのみ国の存続が維持できた惨めな民族
ですよ(クスクス。どっちがダサイ?(プ

72日本@名無史さん:03/06/05 04:37
古代倭と現在の日本は別種。よく勉強するように。
半島南部の朝鮮倭人さん(w
73日本@名無史さん:03/06/10 21:50
>>72
誰に言ってるんだ?(笑

古代倭と現在の日本は同じだろ。

古代の半島に住んでいた民族(倭人系)と、今の半島人(朝鮮系)が
別種だろ(笑

在日朝鮮人の工作員クン(笑

おまえ、ミジメだなー(笑
74日本@名無史さん:03/06/11 02:43
旧唐書ネタだろ。
75:03/06/13 19:12
論拠をしめそうよ
76日本@名無史さん:03/06/22 01:28
>>75
600 推古8 2月 新羅と任那が戦い、倭国は任那を救援に出兵
602 推古10 2月 来目皇子が将軍となって新羅征討出兵(→途中で中止)
618 推古26 5月 隋が滅んで唐が建国される
631 舒明3 3月 百済の義慈王の王子豊璋が人質として来日
659 斉明5 3月 阿倍比羅夫が蝦夷を討つ
660 斉明6 10月 百済将軍鬼室福信が救援の使者を送ってくる
661 斉明7 8月 阿倍比羅夫と阿曇比羅夫を百済救援の将軍とする
662 天智1 3月 上毛野稚子ら兵27000人が新羅へ出兵
663 天智2 8月 百済の王子豊璋が高句麗に逃亡
682 天武11 7月 隼人が来朝
77日本@名無史さん:03/06/22 01:29
倭にとっては、蝦夷も新羅も隼人も同じ扱いですな。
78日本@名無史さん:03/06/22 02:36
ハヤト系とのやりとりは、なぜか滑稽だな。
79日本@名無史さん:03/06/22 13:39
>>69

最近、新人発祥の地がアフリカだと証明されたみたいだな。
80日本@名無史さん:03/07/03 21:15
済州島の歴史 (耽羅国=済州島は韓国領ではなく日本領になるべきである)

661 耽羅国,日本に使臣を派遣。
666 耽羅,日本に使臣を派遣。
667 耽羅,日本に王子である故如を派遣,貢献する。
669 耽羅,日本に掾磨を派遣,貢献。
帰国の時に錦,纈,紺布,桃染布,斧,月子等を得てくる。
674 耽羅,日本に久麻伎王子等を派遣して貢献。五穀種子を得てくる。
676 耽羅,日本に王子である久麻芸,都羅,宇麻等を派遣,朝貢を捧げる。
日本に調使として久麻伎を派遣。
677 耽羅王姑如,日本で難破(大阪に到着)。
678 日本,耽羅の客人に船一隻を遣る。
679 耽羅,日本に都羅王子を派遣,朝貢を捧げる。
耽羅人(都羅王子),日本から帰国。
685 高句麗と耽羅に派遣されていた日本の使臣が帰国。
686 日本,使臣を耽羅に派遣。
688 耽羅に派遣されていた日本の使臣帰国。
耽羅王,左平職の加羅を日本に派遣,朝貢する。
693 日本,耽羅の使臣たちに宴会を開く。
81日本@名無史さん:03/07/12 04:55
済州島はどうして日本領にならなかったのだろう‥
82日本@名無史さん:03/07/12 05:59
百済が征服したから。
83山崎 渉:03/07/12 11:25

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
84日本@名無史さん:03/07/13 00:42
>>82
おいおい、>>80の年表の時点で、既に百済は消滅してるぞ。
85山崎 渉:03/07/15 11:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
86日本@名無史さん:03/07/17 04:59
邪馬台国だけで7万戸もあるのに、50万人の推定は少なすぎます。
奈良時代の人口推計が600万人とかいわれており、急激に人口増加
した形跡はないので、弥生後期も同じぐらい。

日本が新羅・百済から大国として、畏れ敬われていたのも、その人口の多さにあるのでしょう。
87日本@名無史さん:03/07/22 11:31
日本の相撲は、韓国相撲シルムが起源、もしくは影響を受けていると言って聞かない奴が暴れています。
「朝鮮半島から色々文化や人が渡って来てるんだから、影響を受けたと考えるのが当たり前の感覚。
そう思わない奴は普通の感覚ではない、世間は広いんだよ、たまには外へ出てみなさい」などと言う始末。
あくまでも「韓国の影響」に拘わりたがっているのが見え見えです。

http://sports.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1043229110/l50

的確な論破の出来る自信のある方のみどうぞ。
くれぐれも決して単なる荒らしはしないようにして下さい。
ただし、この板から乗り込んできたとは言わないように。
できれば、しばらくこのスレの動向を見守っておく必要があるかと思います。
(結構面白い事になってますので…)
またこのスレの感想なんかもくれると非常に嬉しいです。
88加藤和秀:03/07/26 13:27
山崎渉 本名:加藤和秀

渋谷区幡ケ谷の秀和レジデンスに住んでる
勤務先 http://www.limac.co.jp

趣味:SM女王様系ビデオ スカトロフェチ
    
北朝鮮早期無差別攻撃の署名を集めブッシュ大統領に送ろう

8月1日より開始!!

在日朝鮮、中国人を追放せよ!!!!
在日系暴力団、エセ右翼は朝鮮総連と一心同体
日本人を陵辱する下劣な組織である
こんな連中を見逃すな日本に朝鮮人はいらない
旧ユーゴであった民族浄化を行え
一人残らず朝鮮人を殺せ
財産を没収しろ!!
北朝鮮を無差別攻撃しろ
金正日一族を斬首しろ
http://www.obutu.com/
http://www.ca.sakura.ne.jp/~daisy/sunset/column/ayame/sghCing.html
http://aosuk.h.fc2.com/ym35aa.html
http://aosuk.h.fc2.com/ym39bb.html
http://homepage2.nifty.com/videomove/sub54.htm
89日本@名無史さん:03/07/26 18:44
済州島が日本領にならなかったのは
引き篭もり徳川幕府が争いを避け放棄したため
当時 島には日本人、半島人が混住していた。
権利を主張できたはずだか。
何れにしろ家康以降慶喜までみんな内向きの政治。暗すぎ。  
90日本@名無史さん:03/07/26 20:57
済州島の日本への復帰運動を!
91日本@名無史さん:03/07/27 01:23
喧嘩ネタにはいいかもね。韓国と仲良くすんのやめたほうがいい。
絶対に悪い方向にいく。仲が
92山崎 渉:03/08/02 01:32
(^^)
93日本@名無史さん:03/08/02 22:04
済州島を日本に取りもどせー
済州島での神話では日本より日本の王の娘が3人やってきて、
その子孫が済州島の神の子孫として住み始めたことになってる
94日本@名無史さん:03/08/02 22:16
また妄想かよ
95日本@名無史さん:03/08/02 22:20
>>94
済州島の神話は本物
現地でも伝わってる
96日本@名無史さん:03/08/09 22:55
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kk07.html

済州島には三神人が到来して文化を広め、「済州島の北東にある日本」から嫁さんがやってきたという神話があります。
済州島の北東にある日本というのが奇妙ですが朝鮮半島南部の倭のことで、後の「倭=日本」の解釈から倭が日本に置き換わって伝承されたもの
でしょう。
97日本@名無史さん:03/08/09 23:28
倭というのは、全身に入れ墨を入れる習慣を持つ海洋民族を指す

古代朝鮮半島は、倭と山岳民である高句麗との勢力争いの時代。

チョンは支那から権力闘争に負けて逃げて来た敗残兵の子孫

チョンの先祖は儒教に洗脳されていただけだから、
刑罰以外での入れ墨など有り得ない
98山崎 渉:03/08/15 13:37
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
99日本@名無史さん:03/08/16 00:59
100日本@名無史さん:03/08/24 04:42
古来、朝鮮半島の難民と移民は厳選された人間。

近代は本国では相手にされない屑が日本にやって来ている。
101日本@名無史さん:03/08/24 05:25
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
古代朝鮮に日本は領土を持っていたのは事実だね。
103日本@名無史さん:03/08/24 22:46
いやな事実だな
104日本@名無史さん:03/08/26 04:42
少し違うんじゃ無いかな。覇権はあったが、まだ領土は疑問だね。
ただ、傀儡は作ったとは見るが w
105日本@名無史さん:03/09/05 00:05
106日本@名無史さん:03/09/05 01:26
>>104
国司がいたんだから領土だろ。
侯とか王がいたところは属国であっても領土とはいえないが。
任那国司の支配圏には、490年まで王侯らしきものは存在しない。
107日本@名無史さん:03/09/16 12:09
普通に江戸時代までいたらしいぜ。半島南部に
108日本@名無史さん:03/09/16 12:14
古代朝鮮なんかなかったな。朝鮮半島はあったが。
109日本@名無史さん:03/09/16 12:25
            __
          /     ヽ、
         _′  ノ_ノl」l_l
          〔 { 三彡 ┃ {
            7li li (_, '''  ノ ・・・
           くノ i ! il`フ _i
          |i !l !i/ l`i

            __
          /     ヽ、
         _′  ノ_ノl」l_l
          〔 { 三彡 -‐ {
            7li li (_, '''  ノ
           くノ i ! il`フ _i
          |i !l !i/ l`i
110日本@名無史さん:03/09/16 13:24
奈良時代、奈良に百済の人が大勢居たのではないかな。
111日本@名無史さん:03/09/16 13:44
その昔、奈良百済という国があったそうな
百済から渡来してきたコリア系住人が納めるその国は実に
豊かな文化と富に恵まれていたそうな
ところが当地の土人である倭人がしだいにのさばるようになり
奈良百済は消滅、その後は学校教育でも習うように「日本(ヤマト)」の
みじめな歴史がつづられることとなったとさ、めでたしめでたし(?)
112日本@名無史さん:03/09/16 15:13
>>103
古代に国境などなかったのだから、別にいやな事実ではない。
113日本@名無史さん:03/09/27 03:30
済州島を日本に取りもどせー
114日本@名無史さん:03/10/13 12:09
5世紀の前半のころ,百済は京畿道,慕韓は全羅北道,任那は全羅南道,
加羅は洛東江西岸と考えてよいでしょうか?

115日本@名無史さん:03/10/13 12:10
百済は勢力図の変遷が激しいので、あくまで「5世紀の前半」に限ってのことならば
京畿道+忠清南道沿岸・全羅南北道沿岸の一部。
慕韓は忠清・全羅の大部分。(ただし「慕韓」は5世紀後半の言葉)
加羅と任那は、広義と狭義がある。
広義の加羅(加羅諸国)は慶尚道のうち洛東江西岸でほぼあってる。
広義の任那は「慕韓+秦韓(新羅のぞく)+加羅+狭義の任那」がぜんぶどれも任那。
(つまり百済と新羅の支配下ではない領域はどこも任那)
狭義の加羅と狭義の任那は同じもの。伴跛国(今の高霊)をさしたり金官国(今の金海)をさしたり。
加羅と任那をならべていう場合は、伴跛国と金官国を両方ふくんでさしている。
116日本@名無史さん:03/11/07 04:26
600 推古8 2月 新羅と任那が戦い、倭国は任那を救援に出兵
602 推古10 2月 来目皇子が将軍となって新羅征討出兵(→途中で中止)
618 推古26 5月 隋が滅んで唐が建国される
631 舒明3 3月 百済の義慈王の王子豊璋が人質として来日
659 斉明5 3月 阿倍比羅夫が蝦夷を討つ
660 斉明6 10月 百済将軍鬼室福信が救援の使者を送ってくる
661 斉明7 8月 阿倍比羅夫と阿曇比羅夫を百済救援の将軍とする
662 天智1 3月 上毛野稚子ら兵27000人が新羅へ出兵
663 天智2 8月 百済の王子豊璋が高句麗に逃亡
682 天武11 7月 隼人が来朝
117日本@名無史さん:03/11/07 06:20
>>106
発掘から見れば、金官加羅は4世紀までは強勢で、王らしきものがいた。
5世紀に入ってから王墓が作られなくなる。
118日本@名無史さん:03/11/07 06:27
>>116
661 耽羅国,日本に使臣を派遣。

こういうのもある。こうしてみると、
新羅、任那、隋唐、百済、蝦夷、高句麗、隼人、耽羅と、東アジアはにぎやかな時代。
119日本@名無史さん:03/11/07 14:28
東から、西へ。
人はみな、太陽と同じように動くのです。
120日本@名無史さん:03/11/09 02:16
「倭寇」と名乗ったから「倭寇」なんじゃありません。あとから呼ばれたもの。
中国の倭寇では、貿易商が取引が上手くゆかなくなると、倭寇に早や代わり。
韓国でも、「倭寇」は半島南部から何千人規模で押しかけている。これはもう
海賊ではなく、戦争の小競り合いだったのではないか。そしてその「倭寇」が
半島南部からやってきた、とすると、半島南部には日本人勢力があったとかん
がえるべきです。    「征服」とはいきませんが。

121日本@名無史さん:03/11/09 02:23
半島南部には昔から倭人はいたよ。
122日本@名無史さん:03/11/09 09:25
唐末には半島南部に、「張保高」(チャンボゴ)で代表される大海賊が
いて、東支那海から中国沿岸に至る制海権を握っていた。
陸上も山東半島はほぼ支配した。
この勢力の末裔だったのでは?
123 :03/11/09 10:22
>>1
とっても恥ずかしいスレです。
やめて。
124 :03/11/09 11:11
日本が攻め込まれていた。
日本の歴史は捏造が多いからな。

ネタ。

http://www.st.rim.or.jp/~yujifuru/night/back/0028.htm
125日本@名無史さん:03/11/11 00:03
朝鮮は皆大和朝廷の属国だった
126クソレス2号:03/11/11 00:14
>>124
スゲエ、チョソンの光を見た!
127日本@名無史さん:03/12/04 03:37
679 耽羅,日本に都羅王子を派遣,朝貢を捧げる。
128日本@名無史さん:03/12/14 18:26

人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)

顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
129日本@名無史さん:03/12/14 18:44
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ご質問に関しましても下記のアドレスまでお気軽にお尋ねいただければお答えさせていただきます。
130豊臣秀吉:03/12/15 03:07
ども・・・・豊臣秀吉です。
朝鮮出兵を決めた理由はキムチが食べたかった為なんですね〜。
弱い者イジメみたいな感じになってしまったんですが、それほどキムチを
食べてみたかったんですよ〜本当にそれだけの為なんですよ〜
それなのに朝鮮の人達ときたら必死になっちゃってね〜
ちょっとこらしめてやりましたよ〜。。
131日本@名無史さん:03/12/16 07:24
キムチは秀吉のおかげで九州から朝鮮に伝わったんだろ
132日本@名無史さん:03/12/20 21:32

朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)

これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
133日本@名無史さん:03/12/27 23:55
朝鮮の人、稲作、言葉、文化は縄文時代と古墳時代に
日本列島を経由して渡った。

朝鮮民族は古代に渡った日本人種と満州人種の混血人種。
北が満州人種に近く、南が日本人種に近い。

日本人に似た鮮人、全く似てない鮮人が居るのはこのため。
稲作はもちろん、言葉が近いのもこのため。
134日本@名無史さん:04/01/06 01:06

こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
135日本@名無史さん:04/01/07 20:26
>古代朝鮮人の中でも特に優秀で海を渡る気概のあった人
>+南洋の海洋性民族の中でも特に運が良かった人=現代日本人の祖先
>古代朝鮮人の残り滓=現代朝鮮人の祖先

↑これ、実は在日特有の日本人洗脳表現

日本人は朝鮮系なんだから、在日が住んでも、同化しても良いじゃないか、
という下心らしい。全部嘘だが。

あたかも大量の半島人が古代の日本に渡ってきて日本人の祖先に
なっていったかのようなレトリックだが、事実は逆で、
半島人など、古墳期に関西へほんの数千人しか来ていない。

大量に海を越えていったのは縄文期や古墳期の日本人の方。
日本人種と満州人種の混血人種が朝鮮人。
古代日本人こそが朝鮮人の祖である。
136日本@名無史さん:04/01/16 20:35
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種
(モンゴロイド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、
特有な偏平な顔と、ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主
で、蒙古皺襞(しゅうへき)のために、つり上がったような目を有する
ものが多い。身長は大部分が世界諸民族のうちでの中の下を示し、小部
分が中に入る。そこで大部分が中の下、小部分が小の身長の日本人より
も、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、小部分が超短頭に属する。
日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、朝鮮人のほうが短頭
の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭の部に入る。
頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば偏平
なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの
出現率が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直で
ある。朝鮮人の頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛
は、日本人と比較すれば一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なの
で、腋臭(わきが)は日本人よりも少ないとされる。
137日本@名無史さん:04/01/16 20:36
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の
日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分
にした がって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに
いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は
最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。
同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。
以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
むしろ縁が深い。
138日本@名無史さん:04/01/16 20:36
ABO式血液型の調査結果によれば、O型27.9%、A型32.3%、B型29.5%、
AB型10.3%を示し、日本人とくらべてA型が少なく、B型が多い。
民族指数(A+AB)/(B+AB)は、蒙古、満州、北朝鮮、中部朝鮮、
南朝鮮、九州と地理的に南下するにしたがい、それぞれ0.75、0.91、
0.99、1.05、1.25、1.62としだいに大きくなる。朝鮮人のMN式、Q式、
およびE式血液型はほとんど日本人に大差がない。生体測定で、特別の
地位を示す済州島資料はABO式血液型においても、また北朝鮮型を
呈する。指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)
139日本@名無史さん:04/01/28 03:27
最近コピペばっかでどこのスレもあんまり盛り上がってないね
140日本@名無史さん:04/02/08 20:55
済州島での神話では日本より日本の王の娘が3人やってきて、
その子孫が済州島の神の子孫として住み始めたことになってる
141日本@名無史さん:04/02/17 14:05
転地点能
142 :04/02/17 14:16
逆に朝鮮の部族集団が大和朝廷つくっただろ。
143日本@名無史さん:04/02/17 14:38
>>142
そこまで出来る人数も、軍事力も、
当時の半島にはございません。
144日本@名無史さん:04/02/20 23:01
人口について電波が出まくりだな。
古墳時代に倭の人口が九倍近く増えた事もしらんのか。
145日本@名無史さん:04/02/20 23:22
素朴な疑問、
倭から朝鮮半島に何千とか何万とかの軍勢を送り込むだけの輸送力が
はたして古墳時代にあったの?
人を集めるのならでかい古墳とかもあるし、できそうなんだが……。
146日本@名無史さん:04/02/21 01:42
>>144
根拠は?
革命的農業生産の向上が起きない限り、そんなに人口は増えない。
147日本@名無史さん:04/02/21 01:47
>130

そのころキムチは発明されてないがな

単なる漬け物はあったが
148日本@名無史さん:04/02/21 01:57
今でも、日本と韓国の人口比は4:1だぞ?
三国時代の百済、新羅は韓国より小さかったことを考えれば、
どちらも人口数十万人程度、日本は奈良時代で600万人、
魏志倭人伝に戸数が記載されている国だけでも合計15万戸、昔は大家族制と考えれば、人口150万人ぐらい。
その他諸国の人口を併せればそれ以上だろうな。

149日本@名無史さん:04/02/21 02:01
言うまでもないことだが、古代においては人口比=戦力比だからな。
日本が百済・新羅に「大国として畏れられていた」のは無理ないだろ?
150日本@名無史さん:04/02/21 02:12
>>148
訂正。
>>「房戸」(1戸平均5人)でなく「郷戸」(1戸平均25人)

「郷戸」と考えれば、375万人以上か。

151日本@名無史さん:04/02/21 02:18
というわけで、>>144は根拠なしの電波。
古墳時代に9倍に増えたなら、なぜ奈良時代に、600万人に減ったか説明して欲しいよね。

152日本@名無史さん:04/02/21 02:58
>>151
いや、弥生時代に60万だった人口が
奈良時代迄に600万近くまで増えたって話を聞いたからなんだが。

>>146
そう、古墳時代の人口増加率はいささか異常。
よって100万人渡来説だとか騎馬民族説なんてトンデモが出てくるわけなんだが。
しかし、古墳時代には明らかな農業技術の革新はあった。
鉄製農具の普及など、大陸渡来の新技術があの時代日本に入って来ている。
国家規模での大規模な土木工事が行える体制も整っていった。
それに、当時は日本列島にはまだ豊かなフロンティアがのこされていた事も大きい。
そのあたりが根拠かな。
153日本@名無史さん:04/02/21 03:04
>>152の続き。
古墳時代の初期には倭は鉄を自給できず、半島からの輸入に頼っていた。
人口の増えた倭にとって鉄の確保は至上命題。
幸い、半島の鉄の産地は半島南端にある。
ここを武力で押さえる事は、権力の座にあれば誰だって考えた筈。
よって、倭による朝鮮半島への3世紀に渡る介入が始まった。
こう考えるとスッキリしない?
154日本@名無史さん:04/02/21 04:54
>>145
輸送自体は問題ないと思います。船を造るための木材資源が豊富であれば、船の建造
自体は簡単。ただ、船は莫大な木材を消費しますのでそれを支える森林はかなり重要です。
(帆船関係の話を聞かれればそこら辺のことは詳しい話が聞けると思います)
航海技術の面では日本と大陸間なら充分可能です。時代と地域は異なりますが、ポリネシアンは
カヌーで南太平洋の島々に組織的に移民しました。(イースター島では木を伐採しすぎて船が造れなくなったそうです)
ただ、現代以上に天候の影響は大きかった。時化たら漂流以外に無かった。
まあ、天候しだいという事です。
155日本@名無史さん:04/02/21 05:03
>>154
対馬海峡位は余裕で横断できそうだね。出雲−半島間位だとどうだろう。
古代日本には木材が無尽蔵にあるし、こっちも楽勝っぽそう。
ただ、一つ気になるのが当時の倭の工業力。
鉄もろくに作れない国が大船団を建造したりできたのかなぁ。
156日本@名無史さん:04/02/21 08:12
>>155
九州で分布する甕棺墓から九州勢が半島に進出したことは考古学的事実。
そして鉄の産出地で金海は倭領と三国史からも明らか。
またそこで倭人が自ら鉄を取っていることもかかれている。
157154:04/02/21 11:12
鉄の輸送という事で頻繁に往来があれば、出雲−半島間でも問題ないと思います。
近距離で輸送の必要があれば、短期間に頻繁にその航路を往復する事になるのですから、航海技術の面では
熟練の水夫を数多く養成する事が出来ます。当然航路の安全に関る気象情報も蓄積されるので
航海の安全度もあがります。同時に軍事行動に必要な大船団を造る際にも必要な水夫が用意できることになります。
平時の鉄資源の採掘運搬が、戦時の大軍の行動を可能にする要素になっているといえます。
158日本@名無史さん:04/02/22 00:26
山口の弥生顔を朝鮮人の顔と勘違いしている香具師が多いが、
実はあれは華北の顔と思われる。

一重細目だが、頬骨の出ない面長で頭の形が中頭であり、弥生人骨
の頭蓋の通りであり、頬が高く短頭の朝鮮人の顔とはかなり違う。

それに、朝鮮南岸はむしろ縄文系に近い顔。
北に行くに連れて新モンゴロイドの形質が強くなるが、
それは弥生人の顔とは違ったタイプの新モンゴロイドの顔で、
韓国に行けば、弥生人が朝鮮から渡って来たという事が如何に
デタラメで、むしろ日本人の方が朝鮮に渡ったのだという事を実感する。

要するに、朝鮮南岸の人の顔より、山口の弥生顔の方が新モンゴロイド
の顔になっており、朝鮮から弥生人が渡って来たとすると本末転倒
してしまう。

やはり弥生人は朝鮮からは来ていない。
159日本@名無史さん:04/02/22 00:38
↑つまんね〜
160日本@名無史さん:04/02/22 09:53

こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
161日本@名無史さん:04/02/23 20:25
>>152
弥生時代に60万というのは根拠ないからな。
3世紀に古墳時代が始まったというのが、最近の考古学の定説だが、
弥生晩期とそれほど人口は変わってるとは思えない。
162日本@名無史さん:04/02/23 20:40
結局、私の言いたいことは、「人口から考えても、朝鮮半島から征服民族がわたってきた
なんてことは弥生時代以降はありえない。」ってことなんだよね。
歴史は空想ではなく科学だと思ってます。左翼的かな?(W

163152:04/02/23 22:57
>>161
渡来系弥生人の日本への侵入時期は紀元前千年だ。
古墳時代迄の1200年、
稲作の開始という劇的な事件がありながら全く人口が変化しないなんてあり得るか?
それと、渡来系弥生人の故郷は中国大陸東部。朝鮮半島でなくて。
164日本@名無史さん:04/02/24 04:06
稲作は縄文時代からあるよ。

弥生文化の草創期は紀元前千年頃だろうけどそれは縄文人が始めたもの。
渡来人(渡来系弥生人)が華北からきたのは前四世紀頃だろう。

人口にかんしては前二世紀以後については徐々に増えてきてるのであって
弥生だろうが古墳だろうが、ある時期にいきなり増えたなんてことはない。
165日本@名無史さん:04/02/25 00:29
安本美典の本を読んだら、3世紀の時点の人口は460万人ぐらいらしい。
ちなみに安本は、1戸あたり、4,5人としてるな。
166日本@名無史さん:04/02/25 00:35
>>165
補足すると、これは桑原秀夫の研究を引用したものね。
167日本@名無史さん:04/02/25 00:44
>>165
それ、魏志倭人伝からの推定?
168日本@名無史さん:04/02/25 01:56
1戸あたり平均25人が正解。で、倭は全部で百余国。
169日本@名無史さん:04/02/26 04:42
>>165
結局、古墳時代の人口爆発はあったの? 無かったの?
170日本@名無史さん:04/02/26 09:36
日本が任那諸国を服属させたとされるのは4世紀中葉。
ところが、問題なのはこの時代は金官加羅国の最盛期だったことだ。
発掘によればこの時代に金官加羅国はすでに騎馬軍団を持っていた。
まだ騎馬戦術を知らない倭がどうやって服属させたのだろうか。
171日本@名無史さん:04/02/27 11:40
だから騎馬戦術知ってたんだろ。
172日本@名無史さん:04/02/27 15:08
>>171
4世紀中葉に任那諸国を服属させた倭とは畿内? それとも北九州?
それらが騎馬戦術を持っていたと言う証拠は?
173日本@名無史さん:04/02/27 15:37
>>167
いや、奈良時代600万人からの推計。

174あぼーん:あぼーん
あぼーん
175日本@名無史さん:04/03/03 11:37
大学院大学 一般教養 古典乙1 入学問題、
以下の説を論評せよ。  制限時間10日

日本書紀で高の字が出たら高句麗と考えよ説。
明の字のついたのはネストリス教、ペルシア・西アジア系説。
大化とは、大きく化けるに成功したの意説。
百済聖明王と欽明は同一人物説。
天智と金春秋は同一人物説。
天武と高句麗の泉蓋蘇文は同一人物説。
朝廷藤原氏は百済滅亡時の亡命王族・貴族説。
古朝鮮語でフジハラはクダラのクニ説。
推古、古を推し量れは卑弥呼、北条政子、女人謙信を思い起こせ説。
日本人の権威恭順の性は倭人伝倭人DNA回帰説。
推古以下の女帝はくっついてた男王が編纂時はがされた説。
権威従順の国、倭国乗っ取りは王族が女帝と仲良しになるだけでOK説。
藤原氏の外戚志向は賢明であった説。
蘇我、我は蘇りの西アジア系抹殺は仏教側の一石三鳥勝利宣言説。
うそも方便、仏教国の賢明さ理解はマックス・ビーバーも絶賛の岩並の実理論での説。
サザエさん人気は女帝到来、倭人回帰願望DNAうずき説。
アサハラ・ショウコウ三代前先祖は北朝鮮秘密警察官説。
オウムは日本の某教団韓国の某教団の援助で大きくなった説。
TVタレントに半島系多いは日韓友好促進支援説。
しこむしてますの屋球人の父は半島からの人説。
KCIAとヤクザ指導層はツーカーの仲説。
時代は今、国境越えて東アジア単位で考えよう説。
176日本@名無史さん:04/03/03 11:41
>>170
>日本が任那諸国を服属させたとされるのは4世紀中葉。

三国史からすでに3世紀前半には倭領
177日本@名無史さん:04/03/03 11:45
騎馬騎馬いっているが 新羅からみるには非常に実用性に乏しいもの
こんなもので戦えるわけがないとも思えるほどコテコテで笑える
武具としての象徴化されたもので実践的なものではない。
その後の武器の変遷みればおのずと明らか
178日本@名無史さん:04/03/03 12:19
ANAの池西あやさん、かわいい。
179日本@名無史さん:04/03/03 21:51
>>177
>こんなもので戦えるわけがないとも思えるほどコテコテで笑える

それは中世ヨーロッパの騎士が「戦えるわけがない」と言っているのと同じ。
それにどんな戦術であれ永久に続いたものはない。
例えばアレキサンドルのファランクスだって、ローマ時代にはかえって盾と短剣に
もどってしまった。
だからといって「その後の武器の変遷」からアレキサンドル当時のファランクスの
威力を否定することはできない。
180日本@名無史さん:04/03/03 22:25
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種
(モンゴロイド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、
特有な偏平な顔と、ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主
で、蒙古皺襞(しゅうへき)のために、つり上がったような目を有する
ものが多い。身長は大部分が世界諸民族のうちでの中の下を示し、小部
分が中に入る。そこで大部分が中の下、小部分が小の身長の日本人より
も、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、小部分が超短頭に属する。
日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、朝鮮人のほうが短頭
の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭の部に入る。
頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば偏平
なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの
出現率が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直で
ある。朝鮮人の頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛
は、日本人と比較すれば一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なの
で、腋臭(わきが)は日本人よりも少ないとされる。
181日本@名無史さん:04/03/03 22:26
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の
日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分
にしたがって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに
いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は
最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。
同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。
以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
むしろ縁が深い。
182日本@名無史さん:04/03/03 22:26
ABO式血液型の調査結果によれば、O型27.9%、A型32.3%、B型29.5%、
AB型10.3%を示し、日本人とくらべてA型が少なく、B型が多い。
民族指数(A+AB)/(B+AB)は、蒙古、満州、北朝鮮、中部朝鮮、
南朝鮮、九州と地理的に南下するにしたがい、それぞれ0.75、0.91、
0.99、1.05、1.25、1.62としだいに大きくなる。朝鮮人のMN式、Q式、
およびE式血液型はほとんど日本人に大差がない。生体測定で、特別の
地位を示す済州島資料はABO式血液型においても、また北朝鮮型を
呈する。指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)
183日本@名無史さん:04/03/03 22:27

◎朝鮮人は日本人と満州人の混血人種


朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
184日本@名無史さん:04/03/04 23:11
コピペばっかりやな最近
185 :04/03/05 04:30
>>170

人海戦術で勝った。
その当時の日本には巨大古墳が多数作られた。(応神、仁徳稜等)
従って、多数の人を動員できる軍事力があった。
朝鮮人は日本人以上に墓を大切にするのにも関わらず
巨大古墳は無い。つまり人を動員できなかった。

186日本@名無史さん:04/03/05 23:06
【任那日本府〜旅情扁】

上記のスレたてたので何か書き込んでください。


187日本@名無史さん:04/03/06 07:48
>>185
その、人海戦術で勝った 4世紀中葉の「倭」とは畿内、というか三輪王朝なわけ
(応神、仁徳は5世紀)だが、三輪王朝はすでに九州を統一していたの?
というのはそのころ「人海」を渡海させるには博多か唐津あたりから最短距離を
行くしかなかったと思うので。
188日本@名無史さん:04/03/07 04:03
つかさ、「広開土王」の事が触られてないのはなぜ?

日本が百済・新羅を征服したため、高句麗と戦争になったって感じですが?


http://homepage1.nifty.com/sawarabi/koukaidoou/koukaidoou.htm




189日本@名無史さん:04/03/07 11:21
>>188
広開土王と戦ったのは4世紀末から5世紀初頭。
その時点で任那諸国はすでに倭に服属しているか、または倭と一体化していることが
碑文から推察される。
ということはそれ以前、たぶん4世紀中葉の百済との共同作戦記事(日本書紀)の
ころに任那諸国の服属があったわけだ。
それがどのように行われたか、が問題だ。
190日本@名無史さん:04/03/07 12:27
大和朝廷は6Cの時点で、国内に仏教の坊さんがいなかったので、天皇が他国から招聘した。
その他国とは、播磨の国だ。倭国王が海外の覇権を争っていた時代に、播磨も支配していなかった
大和朝廷は、九州などまったく支配できていない。
191日本@名無史さん:04/03/07 22:11
>>190のようなアホはあとを絶たないね
192日本@名無史さん:04/03/08 23:33
残念だったね、>>191が勘違いの証拠をお見せしよう
http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/BUKKYOU/nip04955.htm
193日本@名無史さん:04/03/09 02:47
電波リンクで恥の上塗りw
194日本@名無史さん:04/03/10 23:43
>>193
大和朝廷が584年の時点で播磨国が外国だと証言しているので、仕方がない。
195日本@名無史さん:04/03/11 21:14
べつにそんな証言などしてないが???
少なくとも敏達紀十三年条にはないね。
196日本@名無史さん:04/03/11 23:57
大和朝廷が播磨を外国だとしているんじゃあ仕方ないな
197日本@名無史さん:04/03/13 07:09
大和朝廷が播磨を外国だとしてないんじゃあ仕方ないな
198日本@名無史さん:04/03/26 00:47
199日本@名無史さん:04/03/26 05:16
外国=外様
本国=直轄

国はnationにあらず
200_:04/03/26 15:39
外様と直轄をわける指標は?
たとえば国造はどっちなんだ?
201日本@名無史さん:04/04/11 01:11
弥生時代に60万だった人口が
奈良時代迄に600万近くまで増えた
202日本@名無史さん:04/04/11 01:15
>>201
根拠は?
203日本@名無史さん:04/04/25 14:55
人口増は食糧の安定供給のほうが主因らしいよ
204日本@名無史さん:04/04/27 01:22
弥生時代の方が奈良時代より人口多かった
205日本@名無史さん:04/05/08 18:19
奈良時代はどうして人口が減ったのですか
206日本@名無史さん:04/05/08 18:20
ウリナラ時代というくらいで朝鮮人が幅をきかせていたから。
207日本@名無史さん:04/05/08 22:36
律令制は一種の社会主義だからだよ
208日本@名無史さん:04/05/15 05:50
今の日本は民主社会主義を標榜する国ですが、社会主義が原因で人口が減った事はありません。
社会主義国家の建設を標榜する自民党が人口の増加を妨げた事も有りません。
209日本@名無史さん:04/05/15 15:06
社会主義→国民が貧乏に→一家離散→男は結婚できず野垂れ死に→人口減少
210日本@名無史さん:04/05/16 03:47
殆どの近代国家は社会主義国もしくはそれを目指す国ですが、
世界の人口が減少する傾向は全く見受けられませんね。
それどころか、社会主義の発達と人口の爆発的増加は歩みを同じくしている。
211日本@名無史さん:04/05/16 05:11
>殆どの近代国家は社会主義国もしくはそれを目指す国ですが、

この段階でサヨ認定。
212日本@名無史さん:04/05/16 06:52
自民党は社会主義の政党なのに社会主義勢力の排斥も同時に謳うという、
言葉の落とし穴に嵌ってたりするからね。
その辺りで言葉の意味が空洞化しててもしょうがないかと。
213日本@名無史さん:04/05/16 14:20
社会主義といっても、後進国の独裁国家の例と、先進国が高度福祉国家を
やっている例をごっちゃにいってもしかたないだろ。
前者では人口増加国(中国)も減少国(北朝鮮)もあるが
後者では人口減少国(日欧)ばかり。
214日本@名無史さん:04/05/16 14:38
日本が征服したなんてことはないだろう。
征服なんかよりは一時的な移民の増加によって、その文化的
影響が強まったと考える方が妥当かも。
215日本@名無史さん:04/05/16 15:05
>今の日本は民主社会主義を標榜する国

標榜はしてないだろ、実態がともかく。自由主義を標榜ったんならともかく。

>殆どの近代国家は社会主義国もしくはそれを目指す国
>社会主義の“発達”と人口の爆発的増加は歩みを同じく

いるんだな、いまだにこういうキチガイが。感動すら覚えるよw
216日本@名無史さん:04/05/17 07:10
>>215
あ、それ笑ってると>>210さんにも>>213さんにも笑われちゃいますよ、
あなた自身が。
217213:04/05/17 11:22
>>210のようなキチガイはどうぞ好きなぐらい笑ってろ
216はろくな本読んでなさそうだな
218日本@名無史さん:04/05/29 06:15
金官加羅と倭の関係をもっと知りたい
219日本@名無史さん:04/05/29 07:01
福祉政策と社会主義(socialism)を混同しているやつがいるな。
故意なのか天然なのか。
社会主義の中から、抽出したエッセンスを、
「生存権」として資本主義国家に応用しているのだから、
これは、資本主義の発達であり、社会主義の発達ではない。
社会主義自体は、発達どころか崩壊している。
Socialistic Republicsがどうなったか知ってるだろう?
220日本@名無史さん:04/05/29 08:38
>>218
応神大王は金官加羅からやって来た傭兵隊長にすぎなかった。
221日本@名無史さん:04/05/29 22:18
>>220
明らかに間違い。

ケース1
半島勢力(金官加羅)が、列島を半島パワーで制した後に、
再度高句麗を攻めたなら、その武装方法を半島系なので
広開土王碑には、 倭人との戦争という表現ではなく、韓系との戦いと言う表現に
ならなければならないのだ。

ケース2
応神天皇のことは、広開土の後だというなら、 倭人は海を渡って半島を制する力をもともと
持っている事となる。したがって、一傭兵隊長が倭を制するのは不可能。

その説は不可能なのだ
222日本@名無史さん:04/06/20 00:27
223日本@名無史さん:04/07/18 01:09
すると、広開土王の前だとどうなるのかしら?
224日本@名無史さん:04/07/18 15:57
朝鮮半島の国々なんて、みんな日本より格下だったのよ。


日本経済新聞 朝刊 文化面 (2004年7月17日)
「渤海 ベール外す古代王国」 

以下、重要部分の要旨。

当時の東アジア世界では、中国を「親」とする周辺国は互いに「兄」「弟」といった関係を
認め合うことがあった。
舅甥関係は兄弟関係より疎遠だが、「おじ」が「おい」より上位。
渤海の前に栄えた高句麗に対して日本は「兄」として外交。渤海と日本については、
どちらが「おじ」「おい」なのか従来、議論がわかれていた。石井正敏・中央大学教授は、
「続日本紀」「新唐書」の記述を分析し、日本が「おじ」に当たると結論。
中国と韓国・北朝鮮の間で歴史認識が対立。
渤海は朝鮮族とツングース系の靺鞨族を主体とした複合国家だったが、
中国の研究者が「中国辺境にあった数多い異民族国家の一つ」と位置付けるのに対し、
韓国と北朝鮮は「祖先が建てた国」とする。
日本の研究者にも、どちらの立場か迫ってくることがあり、論文の書き方次第では、
現地調査や共同研究などで協力が得られず、研究に支障を来たすこともあり得る。
「舅甥関係」でも、韓国や北朝鮮の研究者が「日本がおじ」と認めることは
まずあり得ないという。
225日本@名無史さん:04/07/21 23:29
>>221
半島勢力(金官加羅)が、列島を半島パワーで制した後に、
再度高句麗を攻めたなら、その武装方法を半島系なので

中期の古墳から出土する甲冑を見よ。
まさに君の言う「半島系」の「武装方法」ではないか。
226日本@名無史さん:04/07/22 23:18
>>225
訂正:
上の2行は#221からの引用です。
>を落とした。
227日本@名無史さん:04/08/21 21:30
すると、聖明王のいう任那復興というのは、なんだったの?
228日本@名無史さん:04/08/21 21:52
朝鮮半島はもともと縄文人のものだったんだから、
奪回するのは当たり前。
229a:04/08/22 13:01
!!!!!!!!
230日本@名無史さん:04/08/29 12:29
聖明王は任那復興の名目に欽明から物資と兵隊を要求して
実際が百済による加羅諸国の支配権を確立を目的としてただけだろ?
仏像だとか、経典だとか賄賂送ってよ。坊主学者たちは確実に間者。
だから朝廷の高官は直接百済の使者と面会していない。

面倒な仏教も蘇我氏に押し付けている有様だ。
後世的な価値観など当時は無意味。
231日本@名無史さん:04/09/16 07:12:29
>>230
じゃあ、なんで、百済へ4県譲渡、さらに2県譲渡と、領土を与えたんだ?
232日本@名無史さん:04/09/16 20:06:06
>>231
弱体化した百済を強化する必要があったから。
233日本@名無史さん:04/10/03 15:57:58
234日本@名無史さん:04/10/26 09:12:31
弱体化した百済を強化する必要っていうけどさ、
そのために、逆に、任那諸国からの反発をまねいたんだぞ。

日本にとって、任那と百済のどっちが重要なんだよ!
235日本@名無史さん:04/10/27 00:56:25
どっちか選べっていう問題じゃないだろうが。
まぁどっちかっていったら百済の方が大事だろうな。
236日本@名無史さん:04/11/12 01:17:24
なんでや?
237日本@名無史さん:04/11/13 04:14:52
任那はあんまし使えないじゃん。
百済の方が強いし、中国文化もホイホイ貢いでくるから。
238日本@名無史さん:04/12/02 17:38:51
中国文化を貢いでくる??
239日本@名無史さん:04/12/03 15:10:35
そうだよ。中国文化のストローの役を果たすのが百済。
任那はそういう役にはあんまり立たない。鉄は出るけどな。
240日本@名無史さん:04/12/04 11:40:44
>>1
かわいそうな猿(やれやれ
241日本@名無史さん:04/12/04 14:34:48
>>240
かわいそうなチョン(やれやれ
242日本@名無史さん:04/12/17 02:25:05
4件割譲したのを返してもらおうよ
243日本@名無史さん:04/12/17 02:44:32

っていうかさ、半島のネチズン(自称)たちぐらいはいい加減、

「政府主導で刷り込まれた虚飾・架空の歴史」
「実際は屈辱塗れの、負けっぱなしの歴史」

ってのに気がつかないものかねぇ。

「虚構と屈辱に塗れた半万年」

を正確に、ちゃんと認識すべきだと思う。
半島政府が虚構の歴史を使って、「バカな国民」を扇動して、
自分たちの政権・利権運営に躍らせていることを。
そんなことに気がつくことができないのが、現代韓国人なのか?

正しく「屈辱の歴史」を認識したからって、それはこれからの半万年とは
何も関係ないのだから。
むしろちゃんと認識した上で、
「未来の、誰にも従属せず、誰をも従属せず。誇りある素晴らしい半万年」
を作り上げていくべきではないのか?と思う。
244日本@名無史さん:04/12/17 11:15:35
今の日教組教育教科書では白村江の戦いは捏造だと
語ってるってほんとうでつか?
245日本@名無史さん:04/12/18 00:55:49
>>244
さすがに教科書レベル(建前レベル)ではそこまで逝ってないが。
授業中にどさくさまぎれにそういう話する日本史教師はいそうな気はする。
246日本@名無史さん:05/01/02 17:26:17
ロクなもんじゃねえな
247日本@名無史さん:05/01/13 16:44:10
しかし、『白村江の戦いは捏造』って、どういう思想なんだろ?

日本が敗戦した国際戦争なわけだが、
日教組はなにをしたいんだろう?
248日本@名無史さん:05/01/14 01:29:08
日本が敗戦だけですんだというのが捏造で、実は唐に占領されていた、
という有名な電波説のことじゃないかな?
249日本@名無史さん:05/01/31 01:34:40
日教組はその説に立ってると??
250日本@名無史さん:05/01/31 09:48:15
>>248
電波説ではなく日本書紀にちゃんと書いてある。
六百人の唐軍が半年間、筑紫に居座り、多量の軍需物資をせしめて
引き揚げた。
251日本@名無史さん:05/01/31 10:50:23
665年熊津で扶余隆と新羅文武王が手打ち。
唐・旧百済領、新羅の国境の画定。日本承認・敗戦処理
劉徳高ら254人。7月対馬、9月筑紫、12月に帰国。
252日本@名無史さん:05/01/31 12:39:25
>>250
六百人???半年間???そんなこと書いてあるか?
253日本@名無史さん:05/02/01 22:57:17
>>252
日本書紀によれば天智10年(671年)、唐軍の将・郭務宗が
2000人を引き連れ、47隻の船団で筑紫にやってきた。
2000人の内訳は唐人600人、百済人等1400人であった。
唐軍は筑紫に7カ月滞在した末に、鎧甲、弓矢、布、綿など大量の
物資を受け取って引き揚げた。

1400人は百済人水夫か、亡命者か、倭人の捕虜か、諸説がある。
また白村江戦から8年も経過して、唐軍が新羅に対して戦況不利と
なってからのことなので、唐軍来日の目的もよくわからないが、
恐らく本国からの補給がままならない唐軍のために物資を入手する
のが目的であり、そのために軍隊を駐留させて倭国を威嚇する一方で
亡命者、捕虜などを送り届けて懐柔しようとしたのであろう。

唐軍の目的がなんであれ、以上の経過は「物資徴発のための保証占領」
と見なされてもしかたがない。
254日本@名無史さん:05/02/02 17:55:27
>>253
占領にしては白村江から間が空き過ぎではないかな。

郭務宗は日本側を刺激しないように気を使って交渉にきているし
筑紫の大津にとどまり畿内に進駐したわけでもない。
国書は「大唐皇帝敬問倭王」だからこれは被占領地の王への国書じゃないだろう。
布や綿の分量がわかってるのに鎧甲と弓矢の分量もどれほどのものだったのかまったく分からない。
わかっていたのに省略したとすれば「人数分」ってことだろう。

これを「占領」なんていうのは過大表現もいいところだね。

唐は新羅との戦いで苦戦してるわけだから腹背に敵を作るわけにもいかんだろうし
相手を刺激したくないのは日本も唐もお互いさまではないのか?
255日本@名無史さん:05/02/02 23:12:08
>>254
>これを「占領」なんていうのは過大表現もいいところだね。

倭国ぜんたいを占領したとは言っていない。
自分の要求が通るまで他国の一部を占領することを保証占領と言うのだ。

>相手を刺激したくないのは日本も唐もお互いさまではないのか?

倭国に弱みがないのなら、なにも与えないで追い返せばよい。
ひょっとしたら唐軍の目的は倭に対する参戦要求だったかも知れない。
倭はそれを断るために物資提供で話をつけたのではないか?





256日本@名無史さん:05/02/02 23:18:43
なになに?ちょっと面白くなってきてんじゃない。
257日本@名無史さん:05/02/03 00:55:57
新羅によって半島をたたき出された郭務宗の上官、劉仁願は
半島情勢の短期沈静化に失敗したために、668年8月
雲南省に左遷・配流されている。そんな中、平壌に置かれた
安東都護符は新羅に攻められて度々移転していた。
671年郭務宗が筑紫に来て捕虜=薩野馬(筑紫の君)を
帰還させる。676年唐は新羅統一により半島を完全撤収している。

郭務宗は負けが混んでいるさなかに、戦敗国倭国に対し
最大限、有利な取引を持ちかけたことだろう。
おそらく唐に手なずけた薩野馬を国主とする羈縻(きび)政策
を強要してきたことだろう。則天武后から、極東政策の
失敗をきつく咎められ、必死だったに違いない。
258日本@名無史さん:05/02/03 03:14:27
>>255
領土の一部を占領されたところで、結局は追い返してるわけだから
日本書紀がそれをあえて隠蔽するとは思えないな。
259日本@名無史さん:05/02/03 14:04:43
>>258
このあたりは 日本書紀としては異様に具体的だと思うが、
「それをあえて隠蔽する」とは日本書紀がなにを隠蔽したと言いたいのかな。
260日本@名無史さん:05/02/03 14:09:21
>>259
訂正:
日本書紀がなにを隠蔽したと私が言っている、と言いたいのかな。
261日本@名無史さん:05/02/03 15:11:25
占領ですよ。
262日本@名無史さん:05/02/04 02:05:39
倭国は羈縻政策に組み込まれたんだから、いわば属国化されたのだ。
一時的な占領どころではない。それに反発して勃興したのが畿内国=日本国。
263日本@名無史さん:05/02/04 02:12:13
数千人程度では倭に勝つ事など不可能だよ。
しばらくは辺境をウロチョロしていたようだが、しまいには駆逐されただけだろうね。
264日本@名無史さん:05/02/04 02:23:21
これから勝つのではなく、もう勝ったのだ。
265日本@名無史さん:05/02/04 15:49:30
>>263
> 数千人程度では倭に勝つ事など不可能だよ。

漏れもそう思う。
ただし日本占領を狙って北九州をウロチョロしてたわけじゃなくて、対新羅戦に備えて
倭に協力(最低でも局外中立、できれば唐側で参戦)を求めにきただけだろう。

日本はいくらかの武器と大量に物資を与えて
追い返した(お取り引き願った?)、と。

266日本@名無史さん:05/02/04 22:02:28
現在に直せば、中国軍一個連隊が船団を組んでやって来て
博多に上陸、すぐに適当な広場に幕営を張って駐留。
翌日からそのへんで勝手に訓練している。
日本政府の役人が引き取りを交渉するががんとして応じない。
交渉はずるずると半年間に及ぶ。
その間に実力排除も考えたが中国の報復が恐くて手が出せない。
困り果てた政府は巨額の金を支払ってようやく引き取ってもらった。
このような状況を考えればよいだろう。
267日本@名無史さん:05/02/04 22:36:41
半島で散々戦い、ついに白村江で400艘を失って倭軍は壊滅した。
薩野馬も唐軍の捕虜になったのだから、郭務宗以下2000人来られたら
そりゃひれ伏すだろ。わが国王が捕虜となって帰還したのだ。
その背後には高宗と則天武后の唐がそびえている。
抵抗したらとんでもないことになる。
268日本@名無史さん:05/02/04 22:52:51
それにしては唐軍もずいぶん紳士的だな。
支那の軍隊は派遣先で略奪暴行の限りを尽くす伝統があるのだが。
269日本@名無史さん:05/02/04 23:19:34
>>265
唐人以外の1400人も、亡命者とか捕虜返還とか言っているが、日本書紀
はなにも言っていないのだから、普通に考えれば唐軍に組み込まれた百済人兵士
ということだろう。

ちょうど、元寇のとき同じ蒙古軍のなかで蒙古人、高麗人、唐人(江南人)と
区別したように。
270日本@名無史さん:05/02/04 23:41:36
則天武后は中国有史以来、初めて官僚登用試験を行ったぐらい
開明的だからか。彼女は軍の風紀を重んじたのだろうか?

郭務宗が狼藉の限りを尽くさなかった理由はもうひとつある。
彼の来倭しているときの情勢は、なんと同盟国新羅に唐軍が半島を
追われて(670〜676)いる苦戦の最中であった。
新羅に反逆された原因は、唐の属国政策(独立を認めない)にあった。
戦勝国新羅を属国化しようとしたのである。
極東の拠点が危うい郭務宗としては、慎重な対応で倭と接しただろう。
ここで失敗すれば、重い処罰を免れない。すでに上官は配流されてしまった。
271日本@名無史さん:05/02/04 23:44:03
中学の歴史で広開土王碑は日本軍の捏造だと習いました
272日本@名無史さん:05/02/04 23:58:27
韓国の学者が高句麗広開土王碑「捏造否定説」に
とうとう反論できなくなっちゃって、口をつぐんで久しいな。
273日本@名無史さん:05/02/04 23:58:39
支那側に残っている史料と照合してるとかで、日本軍によるデッチ上げという説はいつもの朝鮮電波だと確定している筈だよ。
朝鮮人は不都合な証拠を全て日本のデッチ上げと言い張って無視する習性を持っているが、
日本と支那の双方に残る史料が調和的なら朝鮮人がいつものように嘘をついていただけだと判明する。
274日本@名無史さん:05/02/05 01:44:31
白村江で壊滅したのは西国の水軍。東国兵は健在だった。
だから東国に基盤をもつ天武が壬申の乱で勝利できた。
勝ちに乗じた軍は強い。半島でたかが新羅なんぞに苦戦してる唐が
日本に横柄な態度をとれるわけがない。
このへんは、朝鮮戦争で苦戦した米軍が、中国大陸各地で破竹の進軍を
していたした旧日本軍を見直す心理に近いだろうな。

>>266
ちゃんと日本書紀よめよ。郭務宗は倭国側を刺激しないように周到に交渉している。
これは唐側に倭国を刺激したくない理由があったからだろ。

>>267
古田電波はとりあえず無視。専用スレがあるんだからそっち逝け。
275日本@名無史さん:05/02/05 02:00:51
古田はそんなこと言ってないだろw
276日本@名無史さん:05/02/05 13:37:50
>>274
>郭務宗は倭国側を刺激しないように周到に交渉している。

鎌倉幕府とのフビライの交渉も、江戸幕府とのペリーの交渉も、
一応は礼を尽くして周到だ。
周到であってもこれらが実力に基づく恐喝であることには変わりはない。

刺激というなら2000人の軍隊が駐留しているだけでもすでに十分に
「刺激」的だ。
なにしろ唐軍の侵入を恐れて各地に山城、水城を築いている時代
だからね。
騒ぎの最中に天智天皇が死んだのもこの「刺激」が効いたのだろう。
277日本@名無史さん:05/02/05 14:49:43
郭務宗の来日は
百済の腆支王、東城王、王子質子からすれば日本の百済の宗主権、消滅交渉だろ
後の資治通鑑には安東都護府はあっても、筑紫都護府ない。
278日本@名無史さん:05/02/05 16:07:47
>>276
あなた日本書紀よんでる?
「刺激しないように周到に」といったのは日本書紀を要約するのが面倒だったから。
一応は礼を尽くしたとかそういうことじゃないよ。
279日本@名無史さん:05/02/05 16:43:13
>>278
面倒がらずにじぶんが「刺激しないように周到に」と思う箇所を
要約すれば?
ひとが読んでいるとか読んでいないとか言う問題ではないだろう。
280日本@名無史さん:05/02/05 19:26:58
読んでるか読んでないかは
基本的かつ決定的に重要な問題だろ。どう考えてもw
281日本@名無史さん:05/02/06 08:48:46
>>280
恐らく「刺激しないように周到に」というのは上陸する前に唐軍が
「我々は人数も船もとても多い。防人たちが驚いて戦いになってしまうと
いけないので」云々という書状を送ったことを言っているのだろうが、
この書状自体が「恐喝」になっていることがわからないのは相当な
外交音痴だな。
282日本@名無史さん:05/02/06 22:37:38
日本書紀の関係箇所の全文を載せておく。
<天智10年>
十一月甲午朔癸卯、対馬国司、遣使於筑紫太宰府言、月生二日、
沙門道久・筑紫君薩野馬・韓嶋勝裟婆・布師首磐、四人、従唐来
曰、唐国使人郭務宗等六百人、送使沙宅孫登等一千四百人、総合
二千人、乗船四十七隻、倶泊於比知嶋、相謂之曰、今吾輩人船数
衆。忽然至彼、恐彼防人、驚駭射戦。乃遣道久等、預稍披陳来朝
之意。

<天武元年>
元年春三月壬申朔巳酉、遣内小七位阿曇連稲敷於筑紫、告天皇裳
於郭務宗等。於是、郭務宗等、咸著喪服、三遍挙哀。向東稽首。
壬子、郭務宗等再拝、進書函与進物。夏五月辛卯朔壬寅、以甲冑
弓矢、賜郭務宗等。是日、賜郭務宗等物、総合[糸+施−方]一
千六百七十三匹、布二千八百五十二端、綿六百六十六斤。戊午、
高麗遣前部富加抃進調。庚申、郭務宗等罷帰。
283日本@名無史さん:05/02/07 20:45:21
>>281
本当に配慮なのか、実は恐喝なのかは情況判断でどっちの可能性もあるだろ。
一律に恐喝と決めつける理由は?
最初から恐喝する気ならいきなり九州に船付けすればいい。
どうせ物資受け取りでこなきゃならんのだから。
比知島って全羅南道の島って説があったが、あまりに離れ過ぎ。
284日本@名無史さん:05/02/08 19:40:07
その船には、倭国王が捕虜として乗っているのだ。
平和外交使節団とはいえないね。
285日本@名無史さん:05/02/08 23:06:41
>>283
>最初から恐喝する気ならいきなり九州に船付けすればいい。

だれだって無駄な血は流したくないからね。
いきなり上陸すれば少しでもその可能性がある。相手が無抵抗で上陸させて
くれればそのほうがいいにきまっている。そのために恐喝するのだ。

フビライも国書の文末に「我々とて手荒なことはしたくないのだから、まあ
よく考えて見ることだな」 という意味のことを書いている。
郭務宗の言葉はこのフビライよりよほどむきだしだと思うがね。

>本当に配慮なのか、実は恐喝なのかは情況判断でどっちの可能性もあるだろ。

その通り。同じ言葉でも配慮か恐喝かは状況によって変わる。

「子会社の◯◯です。突然ですが今から御社を見学にお邪魔します。見学者の
数が多いのでびっくりされるといけないので予めご連絡しておきます」
という電話を受けてもちょっと慌てるだけだが、

「◯◯組の◯◯です。突然ですが今から御社にお邪魔します。組の若い者
を大勢連れていくので、御社の方がびっくりされていざこざになっても
いけないので予めご連絡しておきます」
という電話を受けたらびびるだろう。
そして郭務宗の言葉は後者に近いことはいうまでもない。
286日本@名無史さん:05/02/08 23:10:13
おい、小林恵子@チョンが書き込んでるぞ。
287日本@名無史さん:05/02/08 23:11:57
古代史といえば、電波作家の巣窟。
決して買ってはいけない古代史電波作家をリストアップしました。
みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。

【買ってはいけないアマチュア電波一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築


288日本@名無史さん:05/02/08 23:31:02
みんなマトモじゃないか
289日本@名無史さん:05/02/09 04:56:04
そう思うか?
290日本@名無史さん:05/02/09 09:33:45
唐軍が筑紫にいた半年の間に壬申の乱が始まって終わっている。
その間にかつて白村江戦を主導した天智と、その擁立した王子が
いなくなるという、できすぎの経過。
291日本@名無史さん:05/02/09 09:38:38
>>287は九州説が憎いだけだろ
292日本@名無史さん:05/02/10 02:07:52
呑気に内乱なんかやってること自体、
郭務宗の唐軍が脅威でもなく恐喝もしていなかった証拠だろ。
293日本@名無史さん:05/02/10 02:58:11
冗談じゃない。郭務宗は都督府を構築せよと命令されてるはず。
列島内で内乱や抵抗運動などおきないようにして、
属国化させなければならない。
294日本@名無史さん:05/02/10 04:18:10
内乱おきてんじゃんよ。
295日本@名無史さん:05/02/10 04:23:40
内乱がおきて、ついに郭務宗が画策した都督府はご破算になったね。
そして、畿内王権は「反唐勢力」に乗っ取られて「独立国」ができた。
これを壬申の乱という。
296日本@名無史さん:05/02/10 05:06:26
征服もしてない土地に総督府つくれなんて命令は出せないだろ。
297日本@名無史さん:05/02/10 05:22:23
半島南部は倭人の領域で、その地で完全敗北したんだから、出せるだろ。
298日本@名無史さん:05/02/10 13:18:33
>>292
>>295
唐軍は半天智派の後ろ盾だったのではないかという推測もあり得る。
とすれば物資は反乱成功の謝礼だった?
299日本@名無史さん:05/02/10 13:39:24
>>297
馬鹿だな。だからこそ半島には都督府ができたじゃんよ。
でも列島にはそんなもの置かれてない。
300日本@名無史さん:05/02/10 17:00:27
筑紫都督府が置かれたじゃないか
301日本@名無史さん:05/02/10 17:04:57
>>298
唐軍が反天智で天武を支援していたとすれば、
唐が大和朝廷を公認したのが遅すぎる。
302日本@名無史さん:05/02/11 00:18:55
江戸時代の琉球が薩摩の支配下にあった事を隠して清からの冊封使を支那風の建物で迎えていたような事を、当時の大宰府でもやっていたんじゃないの?
303日本@名無史さん:05/02/11 00:30:21
日本列島の首都が筑紫都督府になったという話だから
それはない
304日本@名無史さん:05/02/11 00:48:56
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関。唐はそんなもの置いてない。
305日本@名無史さん:05/02/11 00:54:01
という唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った
306日本@名無史さん:05/02/11 01:02:09
問題は、唐に朝貢している時期に大宰府が実質的に日本の首都だったのかどうかだな。
朝貢が単なる貿易の口実にすぎなかったのであれば、筑紫都督府としての大宰府というのは殆ど日光江戸村みたいな野外セットみたいなもんだ。
307日本@名無史さん:05/02/11 01:13:25
戦勝国代表が、敗戦国王を捕虜にして連行しているのに、
首都に踏み込まないで何をする?
308日本@名無史さん:05/02/11 01:27:29
古代史といえば、電波作家の巣窟。
決して買ってはいけない古代史電波作家をリストアップしました。
みなさんも電波作家を見つけたら教えて下さいね。

【買ってはいけないアマチュア電波一覧】
武光誠(騎馬民族説)
安本美典(邪馬台国九州説、関川編年と柳田編年を組み合わせ驚異の土器編年を編み出す)
井沢元彦(邪馬台国九州説、卑弥呼殺人事件w)
古田武彦(九州王朝を妄想、詐欺師和田に荷担)
小林恵子その他在日工作員(将軍様の夢でオナニー)
藤本由香(万葉集は韓国語で読める)
金達寿(古代日本人は全員在日)
関祐二(旧事本記でオナニー)
藤原明(旧事本記偽書説でオナニー)
黒岩重吾(邪馬台国九州説の妄想作家)
大和岩雄(同上)
大山誠一(聖徳太子はいなかった(驚)
梅原猛(法隆寺五重塔は、飛鳥寺の移築

309日本@名無史さん:05/02/11 01:36:46
マトモなほうだろw
310日本@名無史さん:05/02/11 01:43:04
もしもそんな風に見えているなら、それは君自身がマトモではないからだ。
311日本@名無史さん:05/02/11 01:43:44
と電波厨は妄想するのだった・・・
312日本@名無史さん:05/02/11 01:53:21
>>305
>唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った

新唐書も旧唐書も大和朝廷によって改竄されたのかw 電波もここまでくるとすごいな。
313日本@名無史さん:05/02/11 02:07:12
すごい電波だ。旧唐書にリアルに出てるだろ。お前が改竄するなよ!
314日本@名無史さん:05/02/11 02:45:28
旧唐書を見ると、倭国と日本国と日高見国という国が日本列島で別々に存在していたかのような表現になっているよな。
315日本@名無史さん:05/02/11 23:10:50
>>301
>唐軍が反天智で天武を支援していたとすれば、
>唐が大和朝廷を公認したのが遅すぎる。

なにをもって「公認」とするのか知らないが、いずれにしても形式の
問題に過ぎない。

倭が唐軍に武器(および物資)を供給したことの意味を重視すべきだ。
白村江に至る倭・百済・高句麗連合と唐との対立は、おおげさに言えば
二つの世界の対決であり、倭(や高句麗)が中華世界に組み込まれるか、
それともそれと対抗する独自の世界を築いていくかの分かれ目だった。

天武元年に倭が唐軍に武器供給を行ったのは、はじめて具体的な形で
唐の側に立ったということである。すなわち中華世界に組み込まれた
ことを形で示したのだ。

316日本@名無史さん:05/02/11 23:58:15
はあ?倭が唐軍に武器を供給などしていないが?
日本国のまちがいでしょ。
317日本@名無史さん:05/02/12 13:15:29
>>316
この時点で名称「日本」はまだ唐によって「公認」されてないんだろ?
318日本@名無史さん:05/02/12 16:40:27
日本国の前身ってことだな
319日本@名無史さん:05/02/12 22:52:13
>>316
名称「日本」が現れるのは700年頃のことを書いた中国歴史書が最も早い。
それ以前のことはまったくわからない。
聖徳太子以降とか、大化改新以降とか、説はいろいろあるがあくまで
説に過ぎない。
320日本@名無史さん:05/02/13 10:42:49
>>313
ほほう。本当だな? じゃあ早速その部分を引用してもらおうかいw
321日本@名無史さん:05/02/15 23:50:33
>>314を読めないやつがいるな
322日本@名無史さん:05/02/16 22:54:49
日本国は倭国の別種なり。其の国日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。
或は曰く『倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み改めて日本と為す。或は云わく
「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。其の人の入朝するは、多く自ら矜大。
実を以て対えず。故に中国焉を疑う。又云わく「其の国界、東西南北各数千里。
西界南界、咸大海に至る。東界北界、大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の
国」と。』と。<旧唐書、日本伝>

とりあえず「日高見国」というのはない。
323日本@名無史さん:05/02/16 23:10:16
「日高見国」は大祓詞に記載があるな。
悠紀国である日高見=縄文系と主基国である大倭=弥生系が
仲良く一つの日本国としてやっていけるように
という天下泰平の祈りだな。
324日本@名無史さん:05/02/17 06:54:17
別種じゃなくて「亜種」じゃなかった?別種だと違う種族という意味だよ。
325日本@名無史さん:05/02/17 13:24:06
>>324
「亜種」というのは聞いたことがない。
「別種」は「高句麗は扶余の別種なり」というように、他にも用いられている。

>>323
中国の歴史書にある、という話をしているのかと思ったが違ったのかな。
326日本@名無史さん:05/02/17 15:38:32
〜の別種=〜の亜種(近い)

〜は別種=〜は異種(遠い)

「てにをは」で異なる意味になる
327320:05/02/18 04:55:16
結局>>313は電波だったのね。

328:05/02/18 12:12:07
旧唐書を読んでから言おうね
329320:05/02/18 16:45:39
読みましたが何か?
----------------------------------------------------------------
312 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/11 01:53:21
>>305
>唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った

新唐書も旧唐書も大和朝廷によって改竄されたのかw 電波もここまでくるとすごいな。

313 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/11 02:07:12
すごい電波だ。旧唐書にリアルに出てるだろ。お前が改竄するなよ!

320 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/13 10:42:49
>>313
ほほう。本当だな? じゃあ早速その部分を引用してもらおうかいw

327 名前:320 メェル:sage 投稿日:05/02/18 04:55:16
結局>>313は電波だったのね。

328 名前:↑ メェル:sage 投稿日:05/02/18 12:12:07
旧唐書を読んでから言おうね
----------------------------------------------------------------
>>322のどこに唐が日本を支配したなんて話があるのかw
結局、旧唐書にそんな話はなかったわけだ。
330:05/02/18 21:02:17
列島内で揉めてますが何か?池沼?
331日本@名無史さん:05/02/18 22:17:51
312 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/11 01:53:21
>>305
>唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った

新唐書も旧唐書も大和朝廷によって改竄されたのかw 電波もここまでくるとすごいな。

313 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/11 02:07:12
すごい電波だ。旧唐書にリアルに出てるだろ。お前が改竄するなよ!

320 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/02/13 10:42:49
>>313
ほほう。本当だな? じゃあ早速その部分を引用してもらおうかいw
------------------------------------------------------------------
でも出てきたのは>>322だけ。
結局「唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った」という話は旧唐書には出てこない。

>>330は意味不明。きっと池沼なんだろう。
332:05/02/18 22:35:11
もみ消ししてるな。旧唐書の中国の列島側の大義名分に対する疑念をみろよ。
333日本@名無史さん:05/02/18 22:45:43
>>332
旧唐書のその部分は伝の地の文じゃなくて伝聞にすぎない。
しかも旧唐書自身、その伝聞を「正しい」とは認識してない。
あくまで異説として付随的に書いただけ。
旧唐書自身の認識としては倭国=日本であり伝もそういう構成になっている。

そもそも旧唐書のその部分を大和朝廷が書いたわけでもないから
「大和朝廷のもみ消し」ではない罠。

「日本側が国名変更について適当なことをいうから信用ならん」
という認識が唐側にあったとしても、なんでそれが
「唐支配をもみ消した工作」になるのか訳分からんな。
唐は唐支配の当事者なのに、大和朝廷がその唐本国を相手に
どうやって揉み消せるんだ?
334:05/02/18 23:15:32
武韋の禍以後の対列島政策の転換をもっと勉強しましょう
335日本@名無史さん:05/02/18 23:22:19
>>326
漢文で「の別種」と「は別種」をどうやって書き分けるのかな。

ま、それは別として、「高句麗は扶余の別種なり」という文章から推定
されるように、別種とは「本体から別れた別の集団」という意味ではないのか。
336日本@名無史さん:05/02/19 03:44:47
>>334
なんの説明にも反論にもなってないので却下。悔し紛れに適当なこというにしてももう少しましなことを書け。
337:05/02/19 12:02:36
無知を威張って逃げるのか
338日本@名無史さん:05/02/19 13:17:41
>>331
322 は論争の材料を提供しようと思ってやじうまの私が出したのだ。
339日本@名無史さん:05/02/19 13:41:18
中国史料に記述がないと指摘されると、ブイの禍を持ち出す馬鹿がいるが、
唐が本当に日本を支配、占領した過去があるのなら隠す必要はない。
結果的に失敗に終わった朝鮮半島支配ですら明記してるんだからな。

まして、唐の史書を編纂したのは唐滅亡後の話なんだから、記述を控えたり、
隠蔽する必要などどこにもない。
九州王朝だの郭ナントカがGHQだのと電波飛ばしてる馬鹿は逝ってよし。
340:05/02/19 15:08:38
ばーか自分で認めてるだろ
>唐の史書を編纂したのは唐滅亡後の話なんだから
341日本@名無史さん:05/02/20 01:16:34
>>340
なんだ認めるのか。じゃブイの禍も関係ないじゃん。

「唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った」という話は
旧唐書のどこにあるんだ?早く出せよw
342:05/02/20 01:18:51
はあ?列島に2国あるのはその裏付けだろ。
そしてその後は、2国あったことはうやむやになってるだろ。
343日本@名無史さん:05/02/20 02:44:17
>>342の言い分が
どうして「唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った」ことの証明になるのか
さっぱりわからん。つーか、わかる奴いる?いたら説明してくれ。
344日本@名無史さん:05/02/22 21:06:55
中国側としては、列島側の国は2国あると認識していたのだが
後に1国であるという認識に変わっている。
記紀では、列島内の圧倒的中心国は、昔から1国のような
そぶりを見せている。

これは畿内側が2国は一つという主張をし、中国側ものちになって
追認したことを意味している。
345日本@名無史さん:05/02/23 04:55:23
だから、それがどうして「唐支配のもみ消し工作を、大和朝廷が行った」ことの証明になるんだよ?
2国のうちの1国でも唐の支配化に置かれたという記録でもあるのか?
346日本@名無史さん:05/02/23 11:41:50
傍証だな。記紀が旧唐書の内容に反して、倭と日本の2国並立を
徹底的に避けている。しかも旧唐書には倭が日本に解明したと
嘘をついていることまでリアルに出ているだろう。これは日本側の
もみ消し工作だと言わずして何だ。

そもそも、お前古代史で、証拠証拠なんていってもネタが少ないんだから
お前の気に入るような証拠なんか、考古学でも文献学でもありえないんだよ。
そのうち当時のビデオ持って来いなんていうんだろ。これ以上付きまとっても
もう飽きたから一切応じない。粘着はスルーするぞ。
347日本@名無史さん:05/02/23 16:26:45
>>346
なんだ、敗北宣言にしかみえないがね。

それにそういいうのは「傍証」とはいわない。
結局、こじつけ説でしかなかったってことだ罠。
348↑粘着キモイ:05/02/23 16:43:01
 
349↑粘着キモイ:05/02/23 16:45:02
嘘八百の>>304 すごいデタラメ
350日本@名無史さん:05/02/23 17:43:23
>>346の火病がはじまりますたw
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関
筑紫都督府はヤマト朝廷が置いた機関

・・・まったくのデマ!!
352日本@名無史さん:05/02/23 23:56:25
>>351
いや、通説だからそれ。
唐が置いたなんて電波説は中共の学者でも恥ずかしくていいませんw
353日本@名無史さん:05/02/24 00:02:41
たまには記紀もちゃんと読みましょう>352
354日本@名無史さん:05/02/24 00:33:30
>>353
記紀? 残念ながら古事記には筑紫都督府なんてでてきませんから。
355日本@名無史さん:05/02/24 02:57:24
日本書紀の天智六年に出てくる、筑紫都督府なんていう位の高い行政府は
その設置記事が記紀にないなど、ヤマト朝廷のものとしたら笑止千万。
天皇が作った行政府だと思い込んじゃったやつは負け組。
356日本@名無史さん:05/02/24 12:33:15
>>355
じゃ、大納言の設置記事はどこにあるんだい?
357日本@名無史さん:05/02/24 12:40:16
>>355
旧唐書にも新唐書にも筑紫都督府の設置記事はないね。
358日本@名無史さん:05/02/24 12:43:24
都督府は漢文の修飾表現。「みこともち」の当て字。
この時代はまだ律令以前の氏姓制・部民制・屯倉部曲・子代名代の時代。
律令は早くても翌年の近江令から。
359日本@名無史さん:05/02/24 12:51:53
根拠なし。言っちゃ悪いが、嘘。

>都督府は漢文の修飾表現。「みこともち」の当て字。
360日本@名無史さん:05/02/24 13:01:29
>>359
ソースは岩波の日本書紀の注釈なんだけど、
これが間違ってるっていうのはかまわないが
それなら君が「その注釈は間違ってる」という論証をしなさい。
361日本@名無史さん:05/02/24 19:05:43
先に妄想しちゃったほうが証拠を出すべきでしょう。
当時、都督府といえば、世界中どこでも中国の属国たる
都護府の下部組織以外ありません。
362日本@名無史さん:05/02/25 04:08:49
それだと天智六年の条文が意味不明にならないか?
363日本@名無史さん:05/02/25 04:11:05
>>361
当時っていうけど日本書紀は8世紀に書かれたものだね。
原資料の文字表記をそのまま踏襲しているわけではないってのが通説だけど。

それと>>356の答えは?
364日本@名無史さん:05/02/25 04:13:02
粘着はスルー、もう一切応じないんじゃなかったのかw >>346
365日本@名無史さん:05/02/25 11:19:14
>>354みたいなデマ飛ばすなよ。筑紫都督府が出てこないなんて大嘘。
>>356国家最高府にそんな行政府はない。
>>357安東都護府の度重なる移転と、武韋の禍の復古および
    畿内日本国の公称王統認定により、公式記録には載せなくなった
366中立素人:05/02/25 20:03:11
筑紫都督府と呼ばれたのはいつからいつまでですか。
半島に都督府なる組織はありますか。その概略(設置主体、唐の史書への記述、廃止の経緯など)は。
367日本@名無史さん:05/02/25 20:19:35
古代日本がしばしば支那の制度を参考にしている事から、
都督府が支那限定だと決め付ける理由は無い。
一時的に大宰府を日本でもそういう呼び方をしていたという証拠と考えれば、
支那側に筑紫都督府に関する記述が無い事実とも合致するだろう。
368日本@名無史さん:05/02/25 20:42:25
わざわざ属国政府の都督府なんて名前を、勝手に自称するのは
まったく世間知らずの国でしょう。遣隋使も遣唐使も送ったことがない
国しかそんな命名はしない。
369日本@名無史さん:05/02/25 22:33:42
古代の日本は支那の中華思想も真似てる。
中華は夷狄の存在なくして中華たりえないので、
隼人や熊襲という夷狄を従える中華として自らを規定する為に九州に都督府を置くのであれば当然の事だ。
370日本@名無史さん:05/02/25 22:40:44
>>369
蝦夷に対する都督府はなぜないの?
371日本@名無史さん:05/02/25 23:29:24
>>369
隼人・熊襲は南九州だから、北九州にはいない。こりゃダメだ。
372日本@名無史さん:05/02/26 07:28:40
>>365
>>354みたいなデマ飛ばすなよ。筑紫都督府が出てこないなんて大嘘。

オマエは本当に愉快な奴だなw
じゃ、早速、古事記からその部分を引用してもらおうか。早くしろよ。
373日本@名無史さん:05/02/26 14:18:23
はあ?記紀といったら日本書紀も指すが?

お前は記紀といったら古事記のみを指すのか?
374日本@名無史さん:05/02/26 15:17:52
>>373
そういう幼稚なつっこみは脳内でやってくれないか
375日本@名無史さん:05/02/26 20:00:21
日本書紀に筑紫都督府が出てこないなんて大嘘つくなよ
376日本@名無史さん:05/02/26 20:01:59
北、マスコミ工作で安倍潰し…“嫌がらせ”ミエミエ
朝鮮総連幹部ら「HPの“裏ネタ”取り上げてくれ」

 自民党の安倍晋三幹事長代理(50)のイメージダウンを狙ったか
のような事実と異なる記事が、韓国のインターネット上に掲載されて
いた問題で、在京の新聞社やテレビ局、週刊誌などに、朝鮮総連幹部
らが「取り上げてほしい」と要請していたことが26日、分かった。
北朝鮮・平壌への支局開設などをめぐる取引の可能性も指摘されて
おり、北は“安倍潰し”に向け、卑劣なマスコミ工作に乗り出したのか。

 総連をウオッチする公安関係者は「北側による安倍氏潰しの工作活動だろう。
よっぽど、北は拉致問題などでブレない安倍氏を目障りに感じているのではないか」
ZAKZAK 2005/02/26
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005022606.html

安倍、中川両氏に朝鮮総連が総攻撃…NHK改変
抗議ノルマ…電話、FAXなど「5件以上送れ」
ZAKZAK 2005/01/29
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_01/t2005012907.html
377日本@名無史さん:05/02/27 23:16:57
古代朝鮮で制服した・・・・・・・・・・・・・・・コスプレ同人誌?
378日本@名無史さん:05/03/16 04:22:06
今年の夏はそのネタにするか
379日本@名無史さん:05/03/17 09:59:38
最近、長江文明や呉・越と弥生文化の関係が何かと
取りざたされているらしいな。
380日本@名無史さん:2005/03/22(火) 21:42:16
http://www.un.org/News/Press/docs/2003/ga10181.doc.htm
第58回国連総会は2004年1月からの2年の任期を務める安保理事会非常任理事国
5カ国を選出した。5カ国のうち3カ国はアジア・アフリカ諸国から選出されるがその投票
結果は以下の通りであり、惜しくも韓国は1票しか取れず非常任理事国入りを逸した。
投票総数:182票/無効票:0票/棄権票:0票
投票結果:
ベニン(アフリカ)−−−181票:当選
フィリピン(アジア)−−179票:当選
アルジェリア(アフリカ)178票:当選
韓国(アジア)−−−−−1票:落選
381日本@名無史さん:2005/03/31(木) 12:45:23
【歴史教科書】 「中国と韓国に謝罪しろ」 韓国議員ら260人が提訴-愛媛[03/31]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112239239/
382日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:06:34
朝鮮人に対してもわからせないとな。
383日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:36:25
【教科書検定】 目立つ韓国迎合 [04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112753502/1
中学教科書検定

 五日発表された中学教科書検定結果は、歴史・公民では神話時代の「古朝鮮」
から朝鮮出兵、先の大戦など近現代史、外国人参政権に至るまで一貫して韓国に
迎合した記述が目立つ。また、教科書の内容の基準である学習指導要領の指示を
満たしていない記述や史実に反した記述、明らかなミスも次々パスするなど検定
制度の欠陥を浮き彫りにしており、採択の段階で日本人の教科書として適切な
ものを選ぶことが求められる。

・日本神話はなおざりで「古朝鮮」記述

・朝鮮出兵は「侵略」で元寇は「遠征」

・抗日の英雄紹介

・大和朝廷「政権」「王権」で皇室の祖先を否定

四月六日産経新聞朝刊より抜粋

関連スレ
【教科書検定】「従軍慰安婦」写真で復活[04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112747931/
【教科書検定】拉致、「強制連行」で相殺?[04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1112748477/
384日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:56:18
安東大将軍とかも、朝貢開始が遅れたのが敗因だよね
385日本@名無史さん:2005/05/09(月) 03:16:06
>>384
ちがう。
宋が魏に山東半島を奪われて安全な航路を確保できなくなったのが原因。
あのまま続けば順調に昇進したはず。
あの頃は壊滅した百済が再建したばかりだから
百済にも圧力かければ最初の自称どおり都督諸軍事の中に百済領もいれることができただろう。
386日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:49:29
>>385
百済などに対して、倭が朝貢を始めるのが遅れたことが出世で常に差をつけられた主要因では?
387日本@名無史さん:2005/05/22(日) 21:52:11
>>386
そうだよ。でも「もしその後も朝貢を継続していれば」
「倭王の官位が百済王の官位を追い抜いたであろう」
という予測を書いたのが>>385ですよ
388日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:20:02
そうかね?
389日本@名無史さん:2005/06/07(火) 17:00:47
任那日本府、安東大将軍って現在朝鮮ではどう教えたり、研究してんの?
390日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:34:39
そんなもん教えるわけないニダ。
391日本@名無史さん:2005/06/11(土) 08:12:05
神宮皇后
392日本@名無史さん:2005/06/22(水) 19:37:29
1500年前木棺発掘…韓日交流史明らかにしてくれようか
[SBS TV 2005-06-22 12:02]

http://news.naver.com/vod/vod.nhn?mode=LSS2D&office_id=055&article_id=0000047609

<アンカー>
古代韓・日交流史を明らかにしてくれる木棺が千五百年ぶりに世の中の光を見るようになりました.
報道に権伶人記者です.

<記者>
去年木棺が発見された慶南昌寧の松峴洞第7号古墳です.
木棺を取り出すのに先立って発掘団が作業が無事に終わるように祈願しながら御辞儀を差し上げます.
いよいよ木棺が千五百年ぶりに世の中光をまた見る瞬間. 3百キログラムの木棺が用心深く移されます.
搬出作業には特殊製作した無振動車まで動員されました.
木棺はこれから約 5年の間、分析と保存処理作業を経た後、一般人たちに公開される予定です.

5〜6世紀に作られたものと推定されるこの棺は韓半島で探し難い楠木で作ったうえに、古代日本で主に使用した木棺なので日本から渡って来た可能性が申し立てられています.
石室では古代日本墓で主に発見される赤い染料も確認されました.

[チ・ビョンモク/国立昌原文化財研究所長 : 古代韓・日関係を明らかにしてくれる重要な資料です.]
石室ではまた鏃と矢柄も一緒に発掘されました.

[パク・チョンイク /国立昌原文化財研究所研究員 : 矢柄と鏃が一緒に多量に発掘されたことは極めて珍しい事です. ]
今度発掘された木棺が韓半島と日本の古代交流史を明かすことができるか注目されます.

http://news.naver.com/tv/read.php?mode=LSS2D&office_id=055&article_id=0000047609§ion_id=115§ion_id2=290
393日本@名無史さん:2005/06/24(金) 22:33:21
【高句麗】中国人研究者「好太王碑、新資料発見で改ざん説否定された」[06/23]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119618672/
<好太王碑、新たな墨本発見 倭の朝鮮半島支配の記述巡り論争 改ざん説を否定>
朝日新聞夕刊(05/06/23)を手入力

 古代の東アジア情勢を伝える第一級の史料で、日本の大陸進出を正当化するために旧日本陸
軍が碑文を改ざんしたとの論争がある好太王碑(広開土王碑、中国吉林省集安市)の新たな墨
本(ぼくほん)が中国で発見された。鑑定した中国の研究者は「現存するもので最古」と判断。
旧陸軍が中国から持ち出し、これまで最古とされてきた墨本と、書体や文面がほぼ一致するこ
となどから「改ざん説は否定された」と結論付けている。
 中国社会科学院の徐建新・教授が中国の学術誌「中国史研究」に論文を発表した。同教授に
よると新発見の墨本は北京のオークションに昨年出品され、徐教授が鑑定を依頼された。オー
クションで売買が成立したが、現在の所有者は明らかにできないという。
 墨本は拓本では文字が不鮮明な時に作られ、文字の輪郭をまず紙に縁取りし、その輪郭の周
辺を墨で塗りつぶして文字を白く浮かび上がらせる。発見当時の碑はこけやつる草に覆われ、
拓本を作れなかったとされる。
 好太王碑の最古の墨本はスパイとして1882年ごろ現地に入った旧陸軍士官が83年に日
本に持ち帰った「酒匂本」(東京国立博物館蔵)。改ざん説は、まず酒匂本で日本に都合のよ
い文章が作られ、さらに碑に石灰を塗って墨本と同じ文字を碑に刻んだと主張する。「倭以辛
卯年来渡海破(391年に海を渡って来た倭と戦った)」などの部分だ。
 酒匂本と新発見の墨本は文字がよく似ており、「来渡海破」も大きな違いはない。一方、新
発見本には入手経緯などを記した4人の跋文(ばつぶん)(書き付け)があり、徐教授は書き
付けた人の役職の移り変わりなどから「81年より前に作られた」とみなす。酒匂本より古い
本に旧陸軍士官の意向が働いたとは考えられず、徐教授の見解に従えば改ざんは否定されるこ
とになる。
394393:2005/06/24(金) 22:33:36
 好太王碑は、高句麗王朝19代の好太王(374〜412)の功績が刻まれ、1880年ご
ろに発見された。倭との戦いが記されていることから、日本書紀にある古代日本の朝鮮出兵・
支配を裏付ける材料となってきた。
 これに対し、改ざん説を唱える李進煕・和光大名誉教授は「新たな墨本は非常に貴重な発見。
酒匂本と同じく、最も早い段階のものだ」とした上で、「こけなどを取り除くため、碑は18
82年に焼かれている。新たな墨本の字も焼かれた痕跡が見え、それ以前ということはありえ
ない。跋文は誇張が多く、書いてあることが正しいとは限らず、論文は間違っている」と反論
している。
 論文には96文字が掲載されているが、徐教授によると、墨本所有者の同意を得て、論争と
なってきた部分を中心に百数十文字の写真を撮影してあり、できるだけ早く公開したいという。

 ○旧日本軍の意向とは無関係
 <鈴木靖民・国学院大教授の話> 墨本は縁取る時に文字をどう読むかという解
釈が介在する。新発見の墨本と酒匂本の文字が同じということは、同じ人やグルー
プがかかわった可能性が高いことを示す。この墨本が酒匂本より古いのなら、どち
らも旧日本軍の意向とは無関係につくられたということだろう。これで改ざん説は
ほとんど成立不可能となったと考える。

広開土大王碑文歪曲解釈論ずる
ttp://www.breaknews.com/new/sub_read.html?uid=19249§ion=section3
高句麗広開土王碑は改竄されたか
ttp://homepage1.nifty.com/sawarabi/koukaidoou/koukaidoou.htm
395日本@名無史さん:2005/06/24(金) 22:52:55
1500年前木棺発掘…韓日交流史明らかにしてくれようか
[SBS TV 2005-06-22 12:02]

ttp://news.naver.com/tv/read.php?mode=LSS2D&office_id=055&article_id=0000047609
機械翻訳 ttp://whatever.say.jp/program/snap_shot/site/11196204626790/
映像 ttp://news.naver.com/vod/vod.nhn?mode=LSS2D&office_id=055&article_id=0000047609

*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html
玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部に
しか見られない「コウヤマキ」であることが確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王
自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000
点近い遺物が出土したが、驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。すべてが中国の
南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。

「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので
島君(せまきし)と言う。」という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は
斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王
という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?

武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち
武寧王は日本人なのか? どうして佐賀県で産まれたのか?


韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/
396日本@名無史さん:2005/07/08(金) 02:13:04
またかよ
397日本@名無史さん:2005/07/08(金) 14:20:15
檀君は朝鮮側の自己申告だな。
また、箕子、衛氏とも半島人ではないな。
よって半島は隷属状態。w
398日本@名無史さん:2005/07/10(日) 04:42:56
大和政権が半島に進出した理由は何だったのでしょう?
何かメリットがあったのでしょうか?
399日本@名無史さん:2005/07/10(日) 07:39:03
鉄と中国文化の摂取のための経路の確保
400サガミハラハラ:2005/07/10(日) 09:34:24
大和政権の半島進出は神功皇后に始まります.
動機は神懸りによるご託宣の実行です。
ものたりないでしょうが、それが真相です。
401日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:00:35
崇神天皇の時に塩乗津彦を任那鎮守として派遣したのが最初。
この人が初代の任那宰(みまなのみこともち)。
402サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/04(木) 08:57:37
記紀の記事からすると崇神天皇の代にとなりますが、実際には今の所神功皇后の時代までしか確認できません。
崇神天皇の代とすると、他の資料との齟齬がみられます。ただし、崇神天皇の代に半島の存在がはっきりわかってきたことはいえます。
403サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/04(木) 09:10:11
>>402すみません。落ちがありました。
邪馬台国小城説宣伝強化期間。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木地区です。卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡です。

ついつい書き忘れてしまいます。どうもすみませんでした。
404日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:14:15
>>1
任那日本府なんてなかったんだよ。
405日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:15:33
>>402
具体的な論証もなく決めつけられても賛同できませんな。
406日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:01:31
魏志韓伝の「韓の東と西は海で南は倭と接している」は
倭が半島に進出したとかでなく
古くは半島南部も倭と呼ばれていたように思える

407日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:02:12
九州王朝説ではないが
五王の王都が都督府と呼ばれた
としても不思議でない
408日本@名無史さん:2005/08/08(月) 04:16:42
>>407
倭王がそもそも「都督」に就任してるんだから当たり前だと思うけど。
そんなことに反対してる学者もいないと思う。
409日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:48:19
410日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:15:58
411日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:02:51
そうかね?
412日本@名無史さん:2005/10/06(木) 05:08:30
そうだよ。なんか文句あるならもっとわかるように詳しくいえよw
413日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:37:50
文句はないさ、ただ・・・。
414日本@名無史さん:2005/10/27(木) 11:31:36
石碑のかいざんなんかできるのか、さわればボロボロになって文字が読めなくなるのでは
ないか、
415日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:22:02
>>413
ただ何なのよ?
416日本@名無史さん:2005/10/28(金) 18:39:23
韓国や朝鮮が任那の存在を否定するのは、感情的な問題だろう。
それを認めると、当時の半島の支配者より日本の方が優れていたと認めることになる。
すると半島の古代史が崩壊してしまう。
417日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:07:58
まあ、チョンには屈辱的だから認めるわけがないわな
その内日帝支配はなかったと言い出すぜ
418日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:16:10
チャングム
419日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:25:01
チェサングン
420日本@名無史さん:2005/11/21(月) 08:07:19
任那日本府があったかどうかは、結局のところ日本書紀を信じるかどうかだろ。
日本書紀には日食とか月食の年月日も書かれているが、天文学者が調べたところ
間違いなくその日に都で日食や月食があったという結果が出たそうだ。
最近では、日本書紀に記された場所に蘇我入鹿の邸宅跡が発見されている。
おまけに、半島南部では前方後円墳もたくさん発見されている。
これらを考慮すれば、任那日本府はあったとみるべきだろう。
しかし、感情的に韓国人は絶対にこれを受け入れることはないだろう。
それならそれで、続日本紀の桓武天皇生母百済王家子孫説も否定しろよ。
421日本@名無史さん:2005/11/21(月) 08:19:35
>間違いなくその日に都で日食や月食があったという結果が出たそうだ。

天文博士の計算によっているため、日本では見られないものも混じっている。

いずれにせよ魏志倭人伝のころには、半島南端も倭だったことは明らか。
422日本@名無史さん:2005/11/21(月) 09:50:26
任那日本府があると返還しなければいけないので、とうてい無理、

同素論で行くほうがお互いに無傷でいけるのでいいかも
423日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:55:18
↑そういう事なかれ主義の馴れ合いが積もり積もって
カタストロフィーを迎えるわけだろ。

楽しみだなw 長生きしたいもんだ。
424日本@名無史さん:2005/11/27(日) 14:40:46
「宋書」倭国伝

詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王
に除す。
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/soujo.htm

『隋書』倭国伝

「新羅・百済は、みな倭をもって大国にして、珍物多しとなし、
ならびにこれを敬仰して、常に使いを通じて往来す」。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/sankankei.html 

 『隋書』倭国伝には「新羅・百済は、皆倭を以て大国にして、珍物多しと為し」とあるように、
推古朝(593〜628)段階には、加羅地域からは「任那の調」を取る権限を留保し、百済・新羅に
対して「大国」として自らを位置付け、従属外交を強制するようになる。さらに「日出づる処の
天子、書を日没する処の天子に致す」という隋に対する対等の外交要求をおこなう「東夷の
小帝国」となった。この背景には、仏教の世界観の導入により中国の天下を相対化する
思想的根拠が与えられたことがある〔石上1987〕。
 やがて、大宝令(701)において、隣国=唐、蕃国=新羅、夷狄=隼人・蝦夷、と位置付け、
百済王への氏姓により、天皇の臣下とする観念的な意識は肥大するが、実態は空洞化し
つつあった〔石母田1973〕。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/nito.html
425日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:12:51
>>422 古代に半島南部が倭国に属していたからという理由で返還しなければならな
いことにはならない。

 魏志倭人伝と韓伝を見れば言語、風俗が古代から異なる異民族だったのだから
同祖論は成り立たない。
426筋違い:2005/12/21(水) 12:44:49
魏志倭人伝が何故倭伝ではなく倭人伝なのかの謎がとけました。
そもそも半島の最初の統一政権は箕子朝鮮なのです。その範囲は半島のみならず、日本の西部をも含むものでした。
やがて朝鮮が滅んだ後郡が設けられ、その後韓が独立しました。その韓の領域を中国人は日本本土をもふくむものだと解釈したのです。
ですから韓国の中の南方に倭人が住んでいるとしたわけです。
よってまだ倭という独立した国だとは考えなかったわけです。つまり、韓国の中に居住する異民族とみたわけです。
427日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:03:19
倭人=日本人じゃないんでしょ?
428日本@名無史さん:2005/12/22(木) 02:35:32
>>426
箕子朝鮮は架空の国で実在してないんだよ。
「倭人伝」は本来は「倭国伝」。
それをあえて倭人伝としたのは漢書地理志の本歌取り。
429筋違い:2005/12/22(木) 08:29:32
倭人は日本人の元を為す民族です。
箕子朝鮮は実在したことは間違いないようです。
倭国か倭人かは、時代によるものです。古い時代は倭人で、やがて1個の独立した国とみとめられたわけです。
430日本@名無史さん:2005/12/23(金) 03:13:07
>>429
デタラメだな。

箕子朝鮮は実在しないというのが有力説。

三世紀の魏志倭人伝は「倭人伝」だが
記述内容はしっかり「倭国」になっていて
一個の独立した国として書かれてる。
431世界@名無史さん:2006/01/10(火) 13:11:55
紀元前の日本ではすでに広大な政権が存在していたのでは?
弥生時代の始まりが紀元前10世紀に遡ると言われているから。
弥生時代を全体的に見直すと聞きましたよ。
432日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:02:18
もともと魏志倭人伝を素直によめば、
倭王が日本全体の王であることは明らかなんだよ。

一つの種族全体を代表する王がいるように書かれているのは
高句麗、夫餘、倭の三ヶ国。
433日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:58:49
箕子朝鮮は檀君朝鮮ではないか?

日本人の縄文人と弥生人の構造と同様に、
朝鮮人も土着系と外来系の構造だった事は明らか。
434日本@名無史さん:2006/01/17(火) 22:03:31
★古代カラ半島国家の歴史★

【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。

コピペ協力よろしく!
バラまいてね!
435日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:57:42
★古代カラ半島国家の歴史 2★

【任那】
地名の読みは、ミマナである。
日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。
志良岐の西側にあった日本国領土である。
任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。
神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や
久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。
崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が
置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。
これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など
の武器の製造にも利用された。
そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で
あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る
ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。
また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。
朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい
土地であった。

これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
436日本@名無史さん:2006/01/18(水) 21:13:20
あんたアホなの?
437日本@名無史さん:2006/01/19(木) 02:20:51
>>436
しー。みんなわかって黙ってるんだから。
438日本@名無史さん:2006/01/21(土) 07:24:52
だから〜

昔から、半島からの渡来人は里帰りなんだ。
中国や、南米等の国からの里帰りに似ている部分が有るんじゃないかな。
439日本@名無史さん:2006/01/21(土) 08:09:48
神功紀にあるように倭は一時韓半島南部を制圧したってことでしょう。
馬韓、辰韓を百済、新羅にしたのは倭人で神功なんだよ。
そしてそれ以前に丹波から新羅に脱解が移住して新良貴氏になってるよね。
これって一応、神武の末裔なんだよ。
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/kin_sei.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/01.htm
脱解は近畿の王朝の命により神武の子として
丹波から派遣されたわけだ。そして新良貴氏の祖になる。
新羅の王にもなる。
つまり、ここが高天原であったというわけである。
440日本@名無史さん:2006/01/21(土) 08:10:50
東日本になぜ朝鮮系の姓が多いかもわかると思う。
441日本@名無史さん:2006/01/21(土) 23:06:12
>>439
そのサイトの説は少しおかしいところがある。
朴赫居世と稲飯命を同一視してるが、違うんじゃないか?

神武天皇の兄・稲飯命は新羅に渡って新羅王になったと新撰姓氏録にある。
つまり稲飯命の子孫が新羅に渡ったのではなく、本人が渡った。
後になって新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)が日本にきて但馬の豪族になっているが
これが稲飯命の系統の新羅王の子孫だろう。
脱解の出身の多婆那国は但馬のことだとすると、その一族が再度新羅に進出したものだろう。

昔氏(脱解の系統)が稲飯命の子孫であるならば、
朴氏や金氏は別の系統であって稲飯命の子孫ではありえないことになる。
442日本@名無史さん:2006/01/23(月) 13:57:09
朴氏は日子坐命の系統、昔氏は酢鹿諸男(稲飯命の子孫)、金氏は本牟智和気命の系統。
443日本@名無史さん:2006/01/24(火) 15:46:35

【朝鮮】「高句麗人−韓国人DNAで繋がる」 満州一帯の民族と韓国人、同じ系統、中国人はむしろベトナムと近い[01/24]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1138082041/
444日本@名無史さん:2006/01/24(火) 18:21:29
ホロン部が暴れております

【地上波用】チャングムの誓い21【ネタバレ厳禁】
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/tv2/1137311390/711

711 名前:奥さまは名無しさん[] 投稿日:2006/01/24(火) 17:54:40 ID:3NNrfpc5
あのねえ、関東は朝鮮人が開拓したんだけど。。

埼玉に高麗川って駅もあるし、東京の狛江は高麗(コマ)が由来。
駒沢とか駒場もそうなのでは?

八幡とかっていうのも渡来人の秦氏由来のものだし、白木とか、志木は新羅
がなまってできた地名。

氷川っていうのも、朝鮮語の寒河(サガン)とかららきてるらしい。
ちなみに、相模(サガミ)の語源も寒河(サガン)だよ。

【地上波用】チャングムの誓い21【ネタバレ厳禁】
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/tv2/1137311390/713

713 名前:奥さまは名無しさん[] 投稿日:2006/01/24(火) 18:01:02 ID:3NNrfpc5
関東武士の起源は、朝鮮からの渡来人が起源。

朝鮮での、新羅、百済、高句麗の戦乱で逃亡してきた人たちを、朝廷が
関東平野の開拓に送り込んだ。彼等が、馬に乗り、髷を結ったりするのは
朝鮮の風俗からなるもの。元々日本には馬はいなかったしね。

その彼等は、朝廷によって、九州の防人とかに出されたり税によって苦しめられていたので
朝廷に対する独立心が強くなっていった。

445日本@名無史さん:2006/01/24(火) 20:15:51
ワロスw、
漏れが頭の悪い人向けに
コピペ工作したのはムダではなかったなw
446日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:37:33
★古代カラ半島国家の歴史★
〜カラとは何か〜

加羅と書いてカラと読む。韓と書いてカラと読む場合もある。
カラの語源は、日本語古語の離る(カル)である。カルとは「離れる」という意味の
大和言葉である。
このカルが変化してカラとなった。「大和から離れた土地」「海の向こうの土地」と
いう意味である。
カラの地には、紀元前から多くの倭人(日本民族)が住み、華やかな日本文化が栄え
ていた。カラは倭人の世界だったのである。
現在、カラ半島に住んでいる朝鮮人は、4世紀頃(300年代)に、カラ半島北部から
南下してきたのである。
447日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:32:05
          
448日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:04:04
>>446
んなこたぁない
449日本@名無史さん:2006/04/02(日) 17:58:47
まじ?
450日本@名無史さん:2006/04/02(日) 18:34:09
天照大神は済州島の妖怪
韓人との戦いに破れた妖怪人間アマテラスがヤマト列島の猿と交尾して、妖怪マンコから産まれたのが日王の一族。
451日本@名無史さん:2006/04/11(火) 14:51:10
>>450
なんだそのアホ丸出しな捏造は? 朝鮮人の知能レベルがよく出てるなぁ。
452日本@名無史さん:2006/05/01(月) 16:54:38
>>290
>唐軍が筑紫にいた半年の間に壬申の乱が始まって終わっている・・・
壬申の乱が始まったのは、唐軍撤収後だ。>>282の年月記事を
読めないのか。
453日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:28:11
人類学的なパースペクティブを簡単に説明。

縄文人はバイカル湖周辺に発生した旧モンゴロイドで、シベリアを経て日本列島に渡来。
弥生人は長江の下流域から渡来。民族的には呉、越で江南系。しかし江北との地理的なせめぎ合いの中で北方
のツングース系との混血がある程度進んでいたものと見られる。
即ち弥生人は旧モンゴロイド(江南)と新モンゴロイド(江北)の混血。

朝鮮半島にもともと定住していたのは日本列島から渡った縄文人。
そこへ弥生人が、長江の下流域から北九州、半島南部へ渡来。
このことから、古代の北九州および半島南部における定住者の間に、大きな人種的差異はなかったものと考えられる。
現在ある日本人と朝鮮人との間の人種的な差異は、その後の半島におけるツングース系民族(純・新モンゴロイ
ド)の侵入、移入による混血が原因。
454日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:29:36
よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
そもそも広義の「倭」という概念を適用すれば新羅は倭人国家。百済は王族以外は倭人だったが王族がツングース系のフヨ
だった(ちなみに任那は狭義の倭人国家とも)。そして新羅の場合、なんと狭義の倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代
の王を輩出したとされている。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏)
13代 味鄒尼叱今(金氏)
14代 儒礼尼叱今(昔氏)
15代 基臨尼叱今(昔氏)
16代 訖解尼叱今(昔氏)
17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に重要なのが建国時に重臣となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、瓢箪を腰に付けて
船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題をはらんでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓は中華への服属意識を如実に表す、音読みで姓=漢字一字、名=漢字二字という漢族式で、実
際の姓自体も漢族が使用するもののパクリが殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
古代朝鮮語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓で、特殊な姓と言える。ではこの「バク」という古代朝鮮語が何を意
味するかと言うと、「瓢」。影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代、脱解の治世時に、これまた件の倭人瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
455日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:30:08
【広開土王碑】より
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭(ロく)耒卯年来渡(海)破百殘■■新羅以爲臣民


そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に■を渡り
百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

*なお、「■を渡り」は残欠の研究から「海を渡り」とされていたが異論もある。

【隋書】より
新羅百濟皆以イ妥為大國多珍物並敬仰之恒通使往來


新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。
456日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:30:45
思えば、かの半島における国家の歴史は、被侵略、被支配、服属、臣従の歴史です。例えば漢に楽浪郡を置かれて支配
されることから始まり、度重なる大和王権による干渉、侵入、支配。百済、新羅による大和王権への、人質としての王子献上。
半島を統一した新羅は自らを大唐国新羅郡などと卑下し、自分たちの名前を漢族式に改名してしまったし、高麗は宋、金、元、
明と代々服属し、李朝を建てる際には宗主国明に国号まで決めてもらい、また豊臣秀吉による朝鮮征伐を受けて日本軍に打
ちのめされ、さらに清の属国となり、やがて日清戦争での日本勝利の結果結ばれた下関条約により、清が朝鮮に対する宗主
権を放棄することとなって、ついに大韓帝国として独立国となったかと思ったら、たちまち日本の保護国となり、あっという間に
併合される・・・

第二次大戦後ようやく「光復」しましたが、このような惨めな歴史を消せるわけはなく、壮大な劣等感の壮大な裏返しとして
の「常軌を逸したナショナリズム」が生み出される原因、21世紀、ポスト近代におけるポスト近代らしいさばけた社会を実
現できない原因となっているのではないでしょうか?・・・
457日本@名無史さん:2006/05/02(火) 01:18:12
広開土王碑文がすべてだろ

日本が半島を支配してた

コレ事実
458日本@名無史さん:2006/05/02(火) 02:17:44
まあ朝貢を受けていたのは事実だし、王子を人質に差し出してるし、影響下においていたのは事実だろうね
ただ直接の支配となると伽耶だけだと思う
459日本@名無史さん:2006/05/02(火) 02:20:01
もしかしたら、縄文時代日本列島にあった「縄文王国」が、中国までも支配してたかもしれません。「日の本の国」連合かぁ。
460日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:04:48
古代朝鮮は気になる。
そもそも近代の国家観などなかったわけだし、「日本」「朝鮮」と区別されていたわけではない。
まあ、支配下にあったんでしょうねw
461日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:08:24
資料に基づいた話し合い以外、展開は望めないと思うが
462日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:19:37
先ず文脈がアホっぽい。
463日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:25:13
スレタイがアホっぽいということで終了ですかね
464日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:52:04
>455
微妙に違う。

そもそも新羅・百残は高麗の属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に介入してきた。
そこで高麗は海を渡り 百残さらに東進して新羅を破り臣民とした。
465日本@名無史さん:2006/05/02(火) 18:00:01
>>464
はいはいクマクマ。
漢文(中国語)ってそういう読み方しませんから。
残念。
466日本@名無史さん:2006/05/02(火) 18:04:12
漢文読めない韓国人はマジで>>464みたいなこといってんだよな。
説とかではなく、学力の問題だな。
467日本@名無史さん:2006/05/02(火) 18:32:04
>>464
どういう読み方したらそうなるんだ?
漢文の話少ししてみようかw
468日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:47:25
朝鮮人の歴史捏造は昔からの事で、
好太王碑の拓本には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」
とする記述がある事に不満を感じた在日朝鮮人の李進煕・和光大名誉教授が1972年
「近代日本の半島進出を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と
妄想を言い出したため、長い間歴史的な価値はないがしろにされて来ました。

先日、好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、倭(日本)との関係を示す
記述に何ら日本の軍は改竄(かいざん)を加えてなかった事が明らかになりました。

これにより、朝鮮半島は日本の支配の時期を通じて文化や習慣として多くの影響を受け、
今でも日本と同様な言語を使っているところから日本からの多くの移住者によって国が
築かれて居ただろうことが推測されます。

日本の評判を落とすために朝鮮人達は、いたる所で中傷を繰り返しており彼らは一片の
良識も持たない人達であることを理解しておかないといけません。
469日本@名無史さん:2006/05/03(水) 09:58:26
大和民族が世界最強で漢民族、朝鮮民族を号令していたでいいじゃない
議論するだけ無駄だよ
470日本@名無史さん:2006/05/03(水) 13:18:32
日本国内でも最弱のヤマトがか?
471南京大虐殺の首謀者:2006/05/03(水) 13:39:49

南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。

あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。


http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
472南京大虐殺の首謀者:2006/05/03(水) 13:43:36

南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。

あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。


http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
473日本@名無史さん:2006/05/03(水) 15:34:42
474日本@名無史さん:2006/05/03(水) 23:56:41
初期新羅の王が倭人くさいそうだが
つぬがあらしど?だっけ、
あの人もそんな感じで
祖先が倭人とそういう縁があったので日本列島に渡って来たのかな?
475日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:45:39
>>464
>高麗は海を渡り 百残さらに東進して新羅を破り臣民とした・・・
原漢文は、これなんだが。
  「百殘新羅舊是屬民由来朝貢
   而倭耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民・・・」
耒卯年=辛卯年=391年とされている。素直に読み下せば、渡海破の主語は
倭だな。
百済を百残と記すあたり、高句麗の敵視蔑視度が出てる。倭も別箇所では
倭賊と呼ばれているが。
476日本@名無史さん :2006/05/04(木) 17:07:17
>>461の指摘するような好例が>>471-472ってことだね。
感情論ばかりで全然説明になっていないし都合よく改ざんしてるし。
477日本@名無史さん:2006/05/04(木) 17:12:55
>>475
>百済を百残と記すあたり、高句麗の敵視蔑視度が・・・
371年の百済との戦いで、王(故国原王)を殺されてるからな。
478日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:43:17
百済は、扶余とは何の関係もないっしょ。
扶余=高句麗と敵対関係にあったのが百済と大和。
百済王族の姓は「余氏」だが、これ「多氏」と関係ありそうだね。
余氏も「オホ氏」と読むんじゃないかな。「ヨ氏」じゃなくて「オホ氏」と。

数多という日本語の古語があるが、数多(アマタ)は、余るの根語であるアマに
形容的接尾語のタを付けた言葉だという。数多=多くの=沢山のという意味。

アマ+タ=アマタ

つまり、数多は余多なのだ。古代日本語では、余(あまる)という言葉には
「多い」という意味が含まれていたらしい。
多氏は神武天皇の子孫だという伝承がある。
百済王家=余氏は、多氏の分家じゃないかな。

■日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01222.htm

あっ、余豊璋が多氏の娘と結婚してる!!
479日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:47:30
>>441
>神武天皇の兄・稲飯命は新羅に渡って新羅王になったと新撰姓氏録にある。
>つまり稲飯命の子孫が新羅に渡ったのではなく、本人が渡った。
>後になって新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)が日本にきて但馬の豪族になっているが
>これが稲飯命の系統の新羅王の子孫だろう。

天日鉾が日本に移住したのは、中国北朝=魏の、公孫氏領=楽浪郡への軍事侵攻と関係あるのかな。


480日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:49:47
亡命か・・・。
女房のほうが先に日本に移住したようだが。


481日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:02:30
>>478
>百済は、扶余とは何の関係もないっしょ・・・
高句麗・百済の建国始祖伝説を、知らぬとみえる。

>>480
>女房のほうが先に日本に移住・・・・
天日鉾が倭まで追いかけてきたとされる女性の名は、何だったっけ?
妻ではなかった記憶があるんだが。
482日本@名無史さん:2006/05/05(金) 02:11:40
瓢公(≒朴赫居世)って大和王権に追われたんじゃないの
483日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:25:48
>>478
百済は別名「南扶餘」。日本書紀にもでてくる。
姓が「餘」氏だというのは
漢風に一字表記してるだけで本当は「扶餘」氏だよ。
百済王家は夫餘王の分家だから。
484日本@名無史さん:2006/05/22(月) 13:19:22
ほほー
485日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:09:17
逆だろう。
486日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:42:24
広開土王碑の「ねつ造」が既に石碑を建立した当時から行なわれていた】

<抜粋>
ク・ナンフィ、延敏洙(ヨン・ミンス)、尹明(ユン・ミョンチョル)、ユン・ユスク、孫承
(ソン・スンチョル)、李仁哲(イ・インチョル)など、現在の韓国学界を代表する54人の
学者らがこの問題に深みのある分析と解答を提示している。広開土王碑の「ねつ造」
が既に石碑を建立した当時から行なわれていたなど、興味深い内容が多い。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/03/20060603000014.html

487日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:44:11
―七支刀は日本側が主張するように「百済が日本に捧げた贈り物」だったのだろうか?

 「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。百済が倭に下賜したものであったという証拠だ」(李永植・仁済大教授)

―植民地工業化は韓国の経済発展に貢献したのか?

 「経済計画と統制をはじめとした日帝時代末期の雰囲気を受け継いだのは、むしろ北朝鮮の経済政策であった。経済発展は工業化の遺産に後押しされたという見解は憶測に過ぎない」(鄭在貞・ソウル市立大教授)
488日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:45:15
暗記科目はだせえなぁ。クソ日本史。チンポしゃぶらせてた方がいいよ
489素人さん:2006/06/12(月) 17:13:21
みんな必死だな〜
490日本@名無史さん:2006/06/18(日) 13:07:20
>>1
最近、また証拠が出てきましたよね
491日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:24:44
倭の五王って上表文で
百済・新羅・加羅とかその他諸々
朝鮮南部全域の軍事支配権を主張してるよね?
492日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:31:47
>>〜韓・日・モンゴルの共通のルーツは「ジュシン」〜

>>「ジュシン」という民族を知っていますか?
トンヤン大学のキム・ウンフェ教授は、最近発刊した著書で、
モンゴル・満州・韓半島・日本を結ぶ文明史的ベルトの主役で
あり北東アジア民族の共通の始原として、これら地域に金属文
明を伝播した「ジュシン」という遊牧民族を提示した。
493日本@名無史さん:2006/06/18(日) 18:17:29
辰斯王が謎の死を遂げて阿花王が即位するところなんて
倭の関与がありありに思えるけど・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E6%96%AF%E7%8E%8B
ttp://www.skao.net/kissa/trees.cgi?log=&v=304&e=msg&lp=304&st=0
494日本@名無史さん:2006/06/18(日) 19:48:44
日本軍による広開土王碑のねつ造説は、すでに中国によって否定されてる。
495日本@名無史さん:2006/06/18(日) 21:13:19
>>493
三つの記述が調和してるな
496日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:43:52
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
 共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
 入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
 ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
 ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
 代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
 クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
 む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
 鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。        」

* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
497日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:34:50
わからんが
498日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:43:02
食べ物の趣味は似ているな、確かに。
499日本@名無史さん:2006/06/30(金) 18:07:32
呉越系弥生人=倭人とも言う。が朝鮮半島南部に移民、彼らの勢力によって、
加羅、新羅、クダ羅(百済)、耽羅(済州島)、末羅(松浦半島)比羅(平戸)
と大和勢力(呉越系弥生人と縄文人のハーフ)による、連合国家樹立かな?
500日本@名無史さん:2006/06/30(金) 18:28:55
半島って、呉越系の影響強いか?
501日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:01:51
新羅人、久太羅人、加羅人は「日系満州人」みたいな者か、それらが帰って来た。
帰って来て大和人に化けるから帰化人と言うのか、なるほど!
新しく来た人は今来の手人と言ったらしいな、ふうん。日系ブラジル人も居るよ?
502日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:47:18
本当かよ。

半島南部(北方の、高句麗を除く)には倭人が生息していたらしいからな。
新羅と百済と加羅人に倭人の血が混じっていてもおかしくは無いが…
なんだよ「日系満州人」て。時代が新しいじゃないかよ、満州の方が。
503日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:57:42
>>502
キチガイコピペにマジレス不要。
504日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:38:46
すいませんコピペの練習したかったもんで、申し訳ないです。
505日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:11:41
>>504
偉いね君は
謝罪など一切しないチャンコロとは雲泥の差だ
506日本@名無史さん:2006/07/21(金) 20:53:54
イヒヒ
507日本@名無史さん:2006/07/30(日) 05:09:44
実は高句麗の始祖朱蒙の末裔で現存するのは天皇家だけだったりする。
朝鮮人は高句麗を自分たちの先祖としているが、その王族の血を直接受け継ぐものはいない。
508日本@名無史さん:2006/08/20(日) 12:34:38
 日本の白鳳時代は農業国家で、文化も唐から入ってきた発展途上国ではない
のか。そんな国の技術の兵器で朝鮮を侵略したり宗主国になれるものか。日本
の歴史学の学会はフリーメーソン(華僑系)が支配しており、日本は侵略国家で
あると洗脳するために神功皇后の三韓征伐と言うでたらめを作文したのだ。も
っと常識と自分の頭で考えろ。馬鹿な学者の意見など鵜呑みにするな。
 偽科学が常識を盲信させる
 非ユダヤ人、特に日本人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているよう
である。幼い頃から唯物主観(金・もの主体)を叩き込まれ、学校の教科書で教
えられる事がすべて正しいと信じる。科学的に証明されていないことには、決
して耳を貸そうとしない。こういった人々にとっては権威ある有識者や学会が
言うことのみが正しく絶対なのである。ところが、超一流と言われる学者、専
門家等により構成される団体はシオンの賢哲らにより、彼らの目的達成のため
に利用されている。
 ユダヤ議定書(第2議定書)
 「非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。彼らは神を信ぜず、金の亡者となっている。ダーウ
ィンの進化論は常識となっており、人間は猿から進化したものと思い込んでい
る。チンパンジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、
その中間の形態のものが存在しなくてはならない。 
509日本@名無史さん:2006/08/20(日) 14:16:51
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。

【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ

 白(しろ) → ヒンセク
白い(シロい)→ ヒダ
頭(あたま)→ モリ
目(め)――→ ヌン
手(て)――→ ソン(またはパル)
足(あし)―→ ダリ

犬(いぬ)―→ ゲ
猫(ねこ)―→ ゴヤンイ
虎(とら)―→ ホランイ(またはボム)

刀(かたな)→ カル
弓(ゆみ)―→ ファル
槍(やり)―→ チャン

比較してみれば、まるで違う言語であることが分かるであろう。
『日韓同祖論』がいかに馬鹿げた説か、理解できますね。
510日本@名無史さん:2006/08/20(日) 15:10:37
日本では新羅のことをシラギ(またはシラキ)と呼んでいるが、
このことについて、朝鮮人の言い分は、
「我々朝鮮民族は、古代から『白』という色を神聖な色と考えてきた。
だから古代朝鮮人は、新羅のことをシロ国(白い国)と呼んだ。新羅の日本語読み、
シラキも、『白い木の国』という意味だ」
と、いうものである。
彼らに言わせると、百済の「百」も白いという意味で、
白頭山信仰も、古代朝鮮人が『白』という色を神聖視したことと関係が
あるんだそうだ(笑



朝鮮語で、白は「シロ」とは言わないのだが・・・(苦笑
ヒンセクやヒダについて、どう説明するのか?
511日本@名無史さん:2006/08/21(月) 14:46:59
スレタイに騙されたかけた・・・

【韓国】韓国の歴史教科書の内容が事実なら1億ウォン差し上げます★2[08/07]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1154995119/
http://p2.chbox.jp/read.php?host=news18.2ch.net&bbs=news4plus&key=1154995119&ls=all
(画像)http://imgnews.naver.com/image/022/2006/08/07/kuk.jpg

ある歴史団体が破格の褒賞金を掲げて話題になっている。
『小・中・高校歴史教科書を正す運動』をしている真の歴史文化研究会( www.coreahistory.or.kr )は最近、
一部の日刊紙の広告とホームページを通じ、「現在の歴史教科書に載せられている内容の中身は、
日帝により歪曲された内容がそのまま反映されたものが多い」とし、「歪曲された教科書の内容を
事実だと完璧に立証できる人がいれば賞金として1億ウォンを差し上げます」と明らかにした。

この団体は歴史学者キム・ジョンソ博士(中央大教授)の主張を元に、現在小・中・高校の歴史教科書の
一部の内容が歪曲されていると主張している。主要内容は、■我が民族が世界で最初の国家である
神市を建立し、弘益人間は檀君の建国理捻ではなく神市の建国理捻だ。■檀君朝鮮は神話ではなく
実在した歴史で、1908年の間中国・北京地域から満洲と沿海州、韓半島に至る8000里領土の大帝国で、
中国を支配していた。■箕子朝鮮は事大主義者達の想像の中がけに存在する国家で、衛氏(衛満)
朝鮮に滅亡させられた準王の朝鮮は箕子朝鮮ではなく孤竹国を受け継いだ国家で、その領域は
中国の河北省東部地域にあったなどである。

キム博士は、『神市・檀君朝鮮史研究』と『檀君朝鮮領土研究』、『韓市郡の実際の位置研究』などの内容を裏付ける論文を発表して来た。

ソース:NAVER/世界日報(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=022&article_id=0000176353


参考画像
http://www.history.or.kr/ttmall/jrs1.gif
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060805022320.jpg
512日本@名無史さん:2006/08/21(月) 18:49:05
朝鮮人はエベンキ族の子孫らしいが、
このエベンキと、シベリアに住んでいるヤクート族は文化が似ている。
ヤクートとエベンキは同じ民族なのかな。


513日本@名無史さん:2006/08/21(月) 19:11:43
倭人は自慰することが好きだ
514とりあえず:2006/08/26(土) 20:50:30
不逞鮮人は自慰が大好きだ
日本をオカズにして日夜はげんでいる
515日本@名無史さん:2006/08/26(土) 23:46:39
>―七支刀は日本側が主張するように「百済が日本に捧げた贈り物」だったのだろうか?

> 「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。百済が倭に下賜したものであったという証拠だ」(李永植・仁済大教授)

七支刀銘文って欠字が多く、何が書いてあるか読めないんだが…

「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。」
と断言しているのはなぜ?www

とYAHOOで某朝鮮人に聞いたらシカトされました。
516日本@名無史さん:2006/08/27(日) 00:14:43
【日韓】 金容雲漢陽大名誉教授「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3[08/25]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156556821/
517日本@名無史さん:2006/08/27(日) 01:07:05
>>514
不逞鮮人が好きなのは強姦だって。米国外務省も韓国への女性出国者には
レイプの恐れの高い国だと警告している。
518日本@名無史さん:2006/08/27(日) 02:36:50
>>515
あの国じゃ大学教授でも
素人丸出しな電波説を発して平気なんだなぁ。
519日本@名無史さん:2006/08/27(日) 11:06:22
日本でも一部マスコミや出版社は、視聴率や売上指向で、世の中や日本がどうなろう
と構わないてなことをやっている。

韓国でも仮説の「べき論」で、史実や現実をツマミ食いして、一部の人々に迎合して
名を売ろうとしている学者はいる。社会の成長を阻害していることを気にもしていな
い。本当はその国にとっても不幸なんだけどね。
520日本@名無史さん:2006/09/03(日) 03:46:09
嘗糞(しょうふん)

朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し
病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる
「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、
親に対する最高の孝行の一つとされた。
断指及び割股に関しては『三国史記』の統一新羅時代に記述が見られる為、
同時代に唐から入ってきたと推測される。こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。
世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』には孝行の一例として挙げられている。
『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。(상분유기)
521日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:19:35

ネタ認定
522日本@名無史さん:2006/10/23(月) 05:57:12
百済支配階層は扶餘だけど、
被支配層は鮮族だったろう。
だから白村江以降、支配階層は異民族新羅による支配を嫌い、日本に大量亡命。
庶民は比較的平穏に、新羅に編入されたろうな。
523日本のななし




おいおい、事実に対してお前ら何やってんだよ・・・