952 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:50
っていうか、差別を強化したのは江戸期の移転の自由の禁止でしょ。
そうして、その土地に住む人が集落単位で差別されはじめた。
それ以前のルーツをさぐるのは、困難なように思えるけど、事実
平安時代くらいから何らかの繋がりがかんじられるのだよね。
下克上の世なんて実質身分は関係ないみたいだし。秀吉とかみてると。
ただ、武家っていうのと天皇っていうのはちがう封建体制ピラミッドなんだと
おもうけど。征夷大将軍っていうのは、ようは軍人の最高位なわけでしょ。
953 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:53
征夷大将軍って、そもそも蝦夷征伐で活躍した人
に天皇が与えたのが起源の軍人の最高峰なんでしょ。
954 :
日本@名無史さん:03/05/11 14:04
半島起源説だとさ、部落にキムチとか半島文化が全く残ってないのは何故?
隔離されてたんだから、明治ぐらいまで言語や文化が強く残っててもいいと思うのだが。
955 :
日本@名無史さん:03/05/11 14:20
キムチは新しい。日本が鎖国した江戸時代以降のもの。
隔離されてても、言葉が失われるのは米国の黒人をみれば明らか。
チョンには保存するような文化が殆んどなかったんだから、
日本文化に吸収されるのは当然。 日本で発達してなかった
皮革業なんかの文化だけ保持してたんでしょ
もっとも皮革業もモンゴル人に教わったもんだけど(w
956 :
動画直リン:03/05/11 14:21
>>950 と言うかな、在日が必死にそう言うとんでも説をぶちたてて、
日本の歴史と土壌にリンクしようと必死なことの方が、
むしろ気になる。
だいたい、被差別部落民が異民族の子孫なら、
征韓論を唱えた部落出身者は、先祖の土地を取り戻すための
レコンキスタ運動だったと言うことになるぞ?
日韓併合後、入植した大勢の部落出身者は韓国の血族と言うことになるぞ?
日帝支配と言いつつ、血族に支配されて、なんで未だに”日本人”に文句言うの?
少し前は反解同の人権厨ばかりだったのが、
チョト見ないうちに異民族起源説の厨に占拠されてしまったんだな、このスレw。
話は簡単だろ。
ま と も な 学 術 文 献 の ソ ー ス 明 示 し て く れ
もちろん電波な半島文化人の対談とかはNGね。
仮に差別の”端緒”が、異民族の出自であることだったとしてもだ。
少なくとも江戸時代までには”異民族”としての認識もなく、
使う言語の差も無く、尚且つ、遺伝的にも差のない被差別部落問題に、
(被差別部落出身者が他の階層の日本人と遺伝的に有意の差があるとは
思わないし、そんな研究こそ差別的なわけだが)
必要以上に”異民族出自説”を出すことがいかに愚かしく、また恣意的
であるか。だから”とんでも説”と言われるんだよ。
960 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:10
民族が異かどうかはともかく自分たちとは異なる集団だと
常民から思われてたのは事実だろ
狭山事件の容疑者が住んでた被差別部落が土地の人たちからは
ヨソ者と呼ばれてたのは本当のことだからな
部落成立から400年経ってたわけだが
>民族が異かどうかはともかく自分たちとは異なる集団だと
>常民から思われてたのは事実だろ
と言うわけで、異民族起源説は終了〜。
部落問題は、日本人が日本人を差別した問題として
歴史的に考えなければ。
962 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:21
>>935 日本に連行された朝鮮人の多くは奴隷としてスペイン商人に売り飛ばされたというのを
読んだことがある。あの時代、日本人も日本人の手で売られていたからな。
秀吉軍の後を日本の奴隷商人がぞろぞろ一緒に歩いていたという記録もある。
当時、長崎は東アジア最大の奴隷市場だった。
963 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:25
※「えた」呼称の起源は、鎌倉時代の百科全書「塵袋」で餌取(律令制下の主鷹司に属した
官奴婢)が転じたものとされた。これは、以後「埃嚢鈔」(文安3年[1446])、「塵添埃嚢鈔」
(天文元年[1532])に受け継がれ、近世には有力な説だった。しかし、事実として裏付けら
れるものではない。今回「埃嚢鈔」「塵添埃嚢鈔」の近世の版本をあわせて展示した。歴史の
なかでの差別のあり方を考える材料となろう。
http://www.museum.comet.go.jp/hasegawa/exhibition/shokunin.htm この「餌取」というのが半島からの渡来人が多かった賤業であったことから異民族起源説が
生まれたんだろ。
ある被差別部落には、自分達は神功皇后の三韓征伐の際に連れて来られたという伝承が
あり、幕末に肉食の欧米と国交を開こうという段階になって、その部落の住民が「それなら
我々への差別待遇も見直して欲しい」という趣旨の書簡を送った史実があるそうだ。
明治政府に対してだったかな?
同和団体が韓国に親近感を抱いている根拠として、渡部昇一の著書に紹介されていた。
谷沢永一との共著『こんな「歴史」に誰がした』だったっけ?
964 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:47
>>963 >神功皇后の三韓征伐の際に連れて来られたという伝承
つーか、ここで厨が主張している異民族起源説て、
秀吉の朝鮮征伐のことだろ。全然時代が違う。
なおすでに戦前に柳田国男が「毛坊主考」という著作で
三韓征伐も蝦夷の俘囚も被差別部落の伝承としてはその物語構造が
同一であることを指摘している。
(「三兄弟」とかやたら「三」という数字がキーワードになっているのだという)
やはり後世になんらかの捏造がなされた可能性が高い。
要するに「朝鮮」「蝦夷」どっちでもよかったのだろう。
965 :
日本@名無史さん :03/05/11 15:58
被差別民の全てが異民族ということはないだろうが、
言語・民族の相違はコミュニティーから排斥される大きな要因となるから、
特に西日本には異民族起源の部落民もいてもおかしくはない。
しかし、そうした人々には犯罪者とか海民とか浮浪者とか家出人とかありうるので、
部落民を一つの起源でくくるのは無理がある。
結局、平民でなかった人々が、新平民とひとくくりにされたことが話をややこしくしていると思う。
ただし、怪童にとっては、被差別民が共通の起源をもっている方が運動をまとめやすいのはまちがいない。
966 :
日本@名無史さん:03/05/11 16:01
>>964 >「朝鮮」「蝦夷」
どっちも現実味のある話じゃないか?両者が混住したのが被差別部落だとも
考えられるんじゃないの?
そもそも差別というのは権力が生み出せるものじゃないだろう。
差別の主体となる民衆の意識が差別を生む。
多数派の民衆が、部落民を明らかに自分達とは異質な集団と捉えていたから
こそ、差別が生まれ、続いたんじゃないか?
異民族説なんて俗説は、耳になじみますからね。
調査も研究も必要のない俗論はね。
学会の論争史のおさらいだと思えばいいでしょう。
どうも、新平民=被差別部落民=穢多・非人
という先入見があるようだが、
新平民以外にも差別対象になった部落はあるし、
そもそも穢多・非人は新平民の一部で、
皮革業者は穢多の中でもごく一部だ。
969 :
日本@名無史さん :03/05/11 16:35
>>968 新平民であるにもかかわらず、被差別部落民とされた人はどのぐらいいるの?
残り少なくなりましたが、次を立てませんか。>>ALL
残り30そこそこでは、すべてを語れません。
973 :
日本@名無史さん:03/05/11 21:36
>>958 2CHにまともな学術論文を望むアホが後を絶えません。
974 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:00
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
975 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:00
部落民が異民族云々というのは、この日本でちょっとおかしくはないか。確かに
部落の成立については不明な点もあり今後の研究を待たねばならない部分が多々
あるだろう。
だからと言って皮革業=異民族がもたらした物ということで部落=異民族の末裔と
いうのは少し短絡過ぎじゃないのか、よく考えて見れば一体この日本で古来より
ある産業的技能、技術っていくつあるのか?、今日本で明治以前よりある日本的な
ものと考えられる物のほどんとは古来異民族の渡来人によってもたらされたものが
基礎となったものばかりじゃないのか、稲作然り、製鉄技術然り、陶芸云うに及
ばず、第一文化の基礎をなす文字すら中国の恩恵に与ったことは誰も疑う事はで
きないだろう。
これらの技術は貫頭衣をまとい、顔面に刺青をし地中に穴を掘って住むといわれた
我々の先祖の倭人といわれた人々が、大挙大陸に赴いて技術を習得したのだろうか。
976 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:13
普通被差別されるのは侵略された先住民族なわけだから
被差別民=半島系というより縄文系だろう。
977 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:43
元は身分卑しき者であっても、才覚があれば貴族の養子に
してもらえたようだ。保元・平治の乱あたりではそのような
事もあったみたい。
567 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:10 ID:gOK39ys1
有力起源一つに秀吉の文録・慶長の役がある。
あの時に、出兵日本兵は耳塚で有名だが、敵軍の耳を大量にそいで戦果の証明と
していたが、それだけでなく、大量の朝鮮人を日本に連行した。
それは、日本にない産業の従事者を必要としたからで、沈寿官を始めとする、
陶工は有名だ。他にも多数の職種があった。部落が西日本に多い理由の説明にもなる。
当然、東北以北にはないことになる。
徳川時代になって朝鮮通信士が連行朝鮮人の帰国を申し入れたが、
彼らは既に日本に定着していたため、自身が断ったらしい。
何かの記録に残っているはず。また、連行数や職種等の一致から蓋然性のある説みたいだ。
不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
580 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:50 ID:gOK39ys1
被差別部落が歴史的に皮革や牛の解体等の職種についてる理由は
秀吉が騎馬民族のモンゴルに服属して受け継いだ食肉文化の朝鮮人達の
技能を求めて奴隷として大量に連行したことにあります。
秀吉に同調して兵力を拠出した地方藩主が、それぞれ独自に連れ帰って、
自分達の領土に定住させたようだ。
だから、出兵前に存在していなかった職業が、その後存在し、
それは、出兵の破綻と豊臣政権の崩壊→徳川政権樹立・幕藩体制確立の中で
体制を維持する上で必須の身分制度として固定化されていった。
数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民
の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、
土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。
586 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 18:07 ID:gOK39ys1
被差別部落異民族起源説というのは昔から根強く存在していて、
その世界ではある種タブーとさててきた。
なぜなら同じ日本人なのに・・という論理で部落差別解消に取り組んでいるのに、
その論理が破綻するからです。
それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないと
おかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを公の理論では説明できない。
徳川時代に制度化されたなら、江戸が最も多くないとおかしいですから。
それと源流=白丁ではないですね。白丁も入っているけど、
陶工など、日本に存在していなかった朝鮮で盛んな便利な職人達を連れ帰ったんです。
秀吉連行説の文章に職種が詳しく書いてあったが、失念してしまった。
特殊技能の持ち主だったが。
677 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:07 ID:rsvWpiLE
豊臣秀吉の文録・慶長の役と被差別部落との関係について言及したが、役によって日本
に連行された朝鮮人はどの程度に及んでいるのだろうか?別名、「陶器戦争」「ひと
さらい戦争」と呼ばれた戦争で、実数は諸説あるが、数万人以上、10万人弱というと
ころだろうか。
徳川幕府成立後、日朝間に通信士の往来があったことは知られているが、12回に及んだ
朝鮮通信士の訪日の内、最初の3回が、回答兼刷還使というものであって、それが連行
朝鮮人を取り戻す使命を負った使節であることはあまり知られていない。回答兼刷還使
というのは、朝鮮側がまず徳川にまず国書を送れと要求し(実際は将軍は送るはずもな
く、現地が捏造したものと考えられている)それに回答すると同時に、捕虜の回復を求
める使節という意味である。通信使の中には白丁も含まれていて、通信使の為に肉牛を
飼育し、肉料理を調理していたと広島藩の文書に記録されている。
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0003.htm
678 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:09 ID:rsvWpiLE
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは
想像に難くない。一般に我々は海に囲まれた日本列島には海外からのいかなる外国人の流入も
無かったものだと考えがちだが、実際には古代のころより頻繁に往来があったのである。
新たにやってきた外国人達は民族意識のまだ確立していない古代にあってもその容貌の特異さ
から被差別者と位置付けられることもあったに違いなく、その時代時代、その時々の異国人が
排撃の対象となる特殊部落を形成して一般民衆と一線を画するという歴史を繰り返し、
それは太古の昔から続く謎の土着被差別者として歴史化されていったものと考えられる。
従って、連行朝鮮人達も数世代の後にはその出自は不明のものとなり、いつの日か
中世よりの伝統的な部落民と同じルーツを持つものとしてその存在の謎は消化されることとなった。
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
928 :日本@名無史さん :03/05/11 02:39
少なくとも秀吉によって朝鮮から連行され、
江戸時代になって朝鮮通信士が帰国を要求しながら
帰らなかった人が数万人以上、10万人弱、西日本を中心に
いたのだから、それらが有力な起源と見るのが普通。
でなかったらどこへ消えたのかとなる。
896 :日本@名無史さん :03/05/11 00:40
>>895 起源はまあいろいろあるだろうが、
主体は朝鮮出兵における強制連行だろ。
一番説得力あるよ。
それにしても、異民族起源説に対しては
バカだの逝けだのと罵倒で返すところを
見ると、ますます信憑性が増すね。
649 名前:権兵衛投稿日:2001/03/09(金) 00:30
多少話題がずれるかもしれないんですけど。
解放同盟っていうのは端的に言えば「出自によって人間を判断するな」という
団体な訳ですよね。その解放同盟が被差別部落の異民族起源説に対してことさらに
同じ民族間での問題であると主張するのは話の辻褄が合わないような気がする。
と前々から思ってました。
988 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:58
最終的には、戦乱の世を終結させるための武器産業の規制では?
他、寺社・公家勢力の取り込み。
家康公の案でしょう。
賎民も、寺社、公家、武家と関係の深い者でわかれてそうですね。
他、非人には職を失ったものもいたのでしょう。
飢饉のときは非人救済小屋とかあったみたいですから。
それ以前は、何らかの繋がりはある(信仰してる神社とかから推測すると)
だろうけど、実質わからなさそう。死穢の認識は、かなり古代から
あるみたいだけど。
明治維新後は、宗派の違いが関係あるように思うんですが。
解同は、国際的には、異民族説を振りまいてるよ。
990 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:02
被差別部落起源説で、かって学界で比較的まともに扱われたものの一つは
一向一揆起源説だった。
これもその後の研究の進展でほとんど敗北状態に陥ったが、
西日本の被差別部落に真宗信仰(それも西本願寺派)が根付いているという事実は
厳然として存在する。
朝鮮起源説に拘泥する奴はこの真宗信仰についてはどう説明つけるのかな〜(w
あと、東日本の部落といえば例の白○神社だが、
こっちは朝鮮から持ってきたものとでもか言うのかな。
都合の悪いことだけ「東と西は違う」とか説明するのはやめてくれよな。
991 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:03
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<=( ´∀`) < 被差別民=縄文系やっちゅーねん。
( ) │
| | | \__________
〈_フ__フ
992 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:03
呪詛や呪術は、南北朝の動乱以後から賎視されてきたのか?
993 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:05
異民族起源説の方がどう見ても説得力あるんだよな。
それによって差別されてきた部落の人たちが
否定したい気持ちもわかるけど。
994 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:08
>>990 白○事件というのが保元・平治の乱、鹿ケ谷の陰謀の頃にあるけど、
白○勢力というのと関係あるのかなー?
元々は、北陸の信仰なの?
995 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:11
>>990 異民族起源で真宗信仰が根付いても別になんらおかしいとは思わんが。
それにすべてが異民族起源と主張されているわけでもないでしょ。
在日問題と同じで強制連行(正しくは徴用だが)の在日コリアンが
全くいなかったと言うわけではないし。
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
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