1 :
日本@名無史さん :
03/03/22 18:43
2 :
日本@名無史さん :03/03/22 18:43
関東管領!
3 :
日本@名無史さん :03/03/22 18:49
忍者
4 :
日本@名無史さん :03/03/22 18:53
段田安則
5 :
日本@名無史さん :03/03/22 23:04
川尻もだけど 本能寺の変があと1年あとだったら・・・ 3ヶ月じゃあ、何もできん
6 :
日本@名無史さん :03/03/22 23:05
いちます
7 :
日本@名無史さん :03/03/22 23:14
わずかな期間ではあるが、彼が織田家で唯一関東に置かれた大名だったね。 本能寺の変後 北條と戦って負けて伊勢に逃げかえったと思えば、今度は羽柴秀吉と雌雄を決しようと、柴田と結ぶも結局降伏・・・彼の晩年は惨めなものでした。
8 :
日本@名無史さん :03/03/22 23:57
一人では何もできないと、誰か上にいないと何もできないと。
9 :
日本@名無史さん :03/03/23 00:06
秀吉と真反対の伊勢攻略担当だったからねぇ。
10 :
日本@名無史さん :03/03/23 00:51
この滝川家は血筋が残り、徳川家の旗本になったと思えばまだマシな方 織田系の武家で一番最悪なのは豊臣家 主君信長公の意志を受け継ぎ天下統一を成し遂げ、関白太政大臣という天子の次の位まで上り詰めて大阪城、聚楽第、伏見城と豪華絢爛な城に移り住み 栄華を極めたが 秀吉死去後、大阪の役後、徳川に血筋探され 血筋を完全に根絶やしにされたわけだしね。
滝川の支流は旗本になり俺まで続いているわけだが…。 ゴメンなご先祖様、子孫はにちゃんねらーだ。
12 :
日本@名無史さん :03/03/23 02:31
くやしかったろうね 同僚秀吉の大出世
滝川一益に「総合」も何もないだろ。そんなにねたあるのか? それはそれとして、出自についてははっきりしてるの?忍者の出だとか言われてるけどどうなんだろ。 北条早雲や斉藤道三みたいに研究ないのかな。まあ滝川一益だからないだろうな。
14 :
日本@名無史さん :03/03/23 10:05
>滝川一益に「総合」も何もないだろ。そんなにねたあるのか? アフォ? 乱立激しいから・・・って書いてあるじゃんw
15 :
日本@名無史さん :03/03/23 10:55
>>11 あなたは
「たぎがわ」さんですか?
「たきかわ」さんですか?
「たきのがわ」さんですか?
まぁ一益ていどで総合スレッドとはな。 三戦板でも無いと思うが。
18 :
日本@名無史さん :03/03/23 23:38
本能寺の変なかったら江戸城に入ってたのかな 子供あたりが管領になったりして
19 :
日本@名無史さん :03/03/24 01:50
>>18 もし、そうなってたら一益が謀反を起こしてた罠。
20 :
日本@名無史さん :03/03/24 10:00
東軍: 滝川一益、徳川家康、伊達政宗連合軍 西軍: 織田信長
21 :
日本@名無史さん :03/03/24 23:48
>20 信長の勝ち。 つか、政宗って歳が・・・なんで並べて入れるかな?
22 :
日本@名無史さん :03/03/24 23:50
滝川クリステル 出身地 フランス 出身大 青山学院大学
23 :
日本@名無史さん :03/03/25 01:28
>>22 ほんとに子孫だったらおもろいな。
一益「わが子孫に南蛮人の血が。。。」
でもテレビによく出る佐々って人は佐々成政の子孫らしいし、なんかつながりないもんかな。
>>23 佐々淳行
クライシス・マネジメントを「危機管理」と和訳した警察官僚。
中曽根内閣では内閣何とか室長を勤める。
著作多数だが、誇張が多くネタにされた人達から何度も訴えられている。
25 :
日本@名無史さん :03/03/25 16:12
滝川スレ乱立しすぎ!
26 :
日本@名無史さん :03/03/25 17:00
柴田、丹羽、羽柴とならぶ織田家の重鎮中の重鎮なのに、 ちと評価&知名度低すぎて気の毒。 取りあえず本能寺の変までの彼は凄かったと思う。
27 :
日本@名無史さん :03/03/25 18:01
そうだよな、、、 せめて、武田征伐後東海道を物見遊山で帰る信長を 急襲しとけば、明智なみの知名度はあったろうに・・・
28 :
日本@名無史さん :03/03/26 08:37
だったら ここが明智光秀総合スレッドになっただけだろ
刑法学者の滝川のほうが メジャーかなあ
30 :
日本@名無史さん :03/03/27 00:15
小牧・長久手の合戦のときの一益はやる気あったのかなー。 秀吉に降伏したあとは腑抜けになっちゃったのかな。 本来の力を出して戦えば、信雄の軍なんて楽勝で蹴散らせるだろうに。
31 :
日本@名無史さん :03/03/28 23:27
年だからね
32 :
日本@名無史さん :03/03/30 09:29
武田家を滅ぼしたときは石高だけなら織田家筆頭だったわけで。 本当に悲運なやつだ。
33 :
日本@名無史さん :03/03/30 10:06
上野と信濃の一部で60万石 川尻、森、毛利、木曽を傘下と考えると・・・113万石程度?
34 :
日本@名無史さん :03/03/30 10:47
>>33 織田家が上野国を支配したっていっても厩橋周辺だけ。上野国北部には上杉の領地で、南部は北條の領地。
関東は滝川の切り取り次第だったわけだが 上野国の西部と信濃国の一部で60万石も無いと思うんだが?
35 :
日本@名無史さん :03/03/30 22:22
あげておく
36 :
日本@名無史さん :03/03/30 22:25
なぜ?
37 :
日本@名無史さん :03/03/31 00:28
信長もおそれた織田家臣団一の冷酷者
38 :
日本@名無史さん :03/03/31 12:51
エピソードあったら教えて
39 :
日本@名無史さん :03/03/31 16:30
甲賀忍者出身という異色の武将
甲賀出身と言っても忍者とは限らないでしょ? そもそも甲賀出身と言うのも確定ではない。 織田家に仕官して直ぐに物頭になっていることから、 池田家と縁戚関係にあった可能性が高いのと、 鉄砲に関する技術・知識を保有しておりそれを見込まれていたことはほぼ間違いない。 それ以外に領内整備にも優れており、その点を評価されて関東方面の攻略を任された。 一益自身が戦闘の最前線に立つことは少なく彼は兵站を担当していた。 戦闘の直接の指揮は一益の一族の者が代行していた。 これらのことは家系図に書いてある。
41 :
日本@名無史さん :03/03/31 17:55
へぇ・・・ 子孫はどうなったの?
42 :
日本@名無史さん :03/03/31 21:58
子孫は旗本。
>42 三九郎は幸村の義兄弟?
44 :
日本@名無史さん :03/04/01 17:39
旗本だったらいいね
45 :
日本@名無史さん :03/04/02 07:38
国家公務員だもんね
46 :
日本@名無史さん :03/04/03 23:21
武力高いよな、ゲームでは
47 :
日本@名無史さん :03/04/03 23:22
なんか信長から茶器をもらいたかったらしいじゃん。それが田舎の甲斐の領土をもらったことがショックだったって聞いたけど。
48 :
日本@名無史さん :03/04/04 16:47
それって、領土的野心を警戒されないようにした芝居じゃないかなぁ 楚を討伐した将軍(誰だったっけ忘れた)が、始皇帝に疑われないように 討伐後の広大な屋敷などの褒美を何度も約束させて安心させたって話を 思い出した
49 :
日本@名無史さん :03/04/04 23:47
>48 典拠史料を考察すればそんな考えには至らないと思うが、どうか。 まあ、甲斐ではなく上野だが。
50 :
日本@名無史さん :03/04/05 00:01
であれば、どんな考察か? 何を根拠に? って書いていかないと、ただの揚げ足取りじゃん
さてもさても此の遠国まで御文殊に一箱御心ざしといひ又御床しさといひ旁賞翫他に無く候。 存知より候はぬ地獄へおち候。 宇治も弥々とほく成り候条茶も如何かとはかりがたく候何篇に付不道具たるべく候。 心がけ候てもならぬ事のみたるべく候。 別の所作もならぬ国にて候条調はずとも弥々すき一篇に候。 とね川と云ふはたに居住すべく候条水は形のごとくたるべく候。 炭も津国程はこれなく候といへども木は多く候条せいを入れやかすべく候。 釜は今に一つもなく候。 爰元取り静め山中迄ほりまはるべく候。 今度武田討果し候自然希もこれ有るかと御尋も候はば小なすびをと申し上ぐべき覚悟に候ところさはなく遠国にをかせられ候条茶の湯の冥加はつき候。 弥々京堺のすき御床敷までに候。 来年は罷り登るべく候其の節御茶たぶべく候。 新介方へ別紙に申すべく候へ共万々いそがはしく候条御心得にあづかるべく候。 申し度き事多く候へ共つき候まじく候条万御推量候べく候 恐々謹言 卯月四日 一益 三国一 大五郎へ 「畑柳平所蔵文書」
しまった、失礼なことしてもうた! 正しくは「畑柳平氏所蔵文書」ね。 47のスレで言われている書状の原文。現代語訳までは勘弁して。 文中「小なすび」が名物茶入のこと。宇治・京・堺を恋いしがり、新任地の上野を「地獄」とまで表現している。 >50 これでOK? ちなみに揚げ足取りってのは、事前の文章中における誤記などを暗示した上で使う半分誠意半分意地悪のような文章等を指すことが多いが、 おれは49のレスでも、48が間違いを書いているとか言ってないぞ。 典拠史料を読んでみたらそういう考えはしないんじゃないの? って言ってるだけだが。 「書いていかないと」ってしてる辺り、50は史料のことを知っているんだろうけど、それならそれで50自身が指摘してくれよ。 >48 これを読んだら「なんや、滝川一益ってめっちゃ茶ァ好きみたいやん」って思うでしょ?
53 :
日本@名無史さん :03/04/05 09:08
わしは鶴よりも雀になりたいんじゃよ・・ みたいなこと言ったとか言う逸話が好き。
54 :
日本@名無史さん :03/04/05 10:26
読んでもよくわかんないんだけど・・・
以下要約。 「手紙dクス。 京都から離れて地獄みたいなトコに来てもうた。お茶をする道具も材料も無いから、とりあえずここいらので間に合わせてる。 何もないからお茶だけは楽しまんと。 武田をぶっとばした戦功で、小茄子茶入を希望しよ思てたのに、こんな僻地へ置かれてもうて、もう至高の茶を楽しまれへん。 京都や堺が懐かスィ・・・。 来年には京都に行くから、そのときはお茶席に招いてな(ゴルァ」 フザけた文章なのは許して。
56 :
日本@名無史さん :03/04/05 18:30
田舎に左遷されたリストラ社員の手紙みたいだなw ホームシックになったんじゃねーの? 現代とは比べ物にならないほど、中京近畿から見た上州は「遠いところ」だったろうから・・・
57 :
日本@名無史さん :03/04/05 23:41
こいつって松永弾正久秀との絡みはあったの?
58 :
日本@名無史さん :03/04/06 01:34
松弾と絡み? 何でそうゆう繋がりに?
59 :
日本@名無史さん :03/04/06 02:29
いや、茶器を欲しがってたみたいなカキコがあったから。 弾正って茶器にはうるさかったみたいだし。
60 :
日本@名無史さん :03/04/06 04:26
そうゆう意味か。納得。 二人とも信長政権下の武将だったし、京阪地域の茶人と親しかったから、安土とか京都とかで出会っててもおかしくはないね。 同じ茶会に出席してることは無いみたいだけど。
61 :
日本@名無史さん :03/04/06 05:27
滝川自体、大陸からの渡来系の分家筋らしい。 高安城とかを普請した一族の出らしいが。 高安だから、まんま大陸系だね、秦氏みたいなもんか。 今でいうとアフガン人に戦術や訓練を施したデルタみたいな存在か。そういう経緯で忍者扱いなんじゃないの?
62 :
日本@名無史さん :03/04/06 09:27
和田惟政も忍者扱いされてるよな。
63 :
日本@名無史さん :03/04/08 11:29
強いのか?ほんとに
64 :
日本@名無史さん :03/04/10 08:39
鉄砲うまいんだよね
66 :
日本@名無史さん :03/04/12 13:38
乱立気味だな、滝川スレw
信長が中澤裕子なら、滝川は誰よ?
68 :
日本@名無史さん :03/04/14 19:11
どっかの学校の理事長に同姓同名の人が居るが。 子孫ではないだろう・・・
(^^)
70 :
日本@名無史さん :03/04/17 18:18
読み方も一緒? たきかわいちえきさん だったりしてw
71 :
日本@名無史さん :03/04/18 23:32
一益の子一時は家康の配下につけられたことが幸いし、 旗本として取り立てられた。で、その子が一乗。 その後の系譜しってるヤシがいたら、フォローよろしく。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
73 :
日本@名無史さん :03/04/20 13:13
強いってイメージがある武将ではあるが。。。
74 :
日本@名無史さん :03/05/03 10:13
総合スレって。。。
75 :
日本@名無史さん :03/05/03 20:04
乱立はげしいからね
76 :
日本@名無史さん :03/05/03 22:24
>>53 え?鶴と雀の話って、家臣に
「鶴は優雅に振舞っているが、常に周りを警戒している、その点雀はそんな心配も無く
地べたを飛び回っている、おまえら(家臣)は鶴をうらやましがらず、雀に徹しろ」
みたいな家臣をさげすんだドキュソ話じゃなかったっけ?
77 :
日本@名無史さん :03/05/04 03:05
『信長公記』首巻の盆踊りの記事には既に滝川左近が登場しており、 山口左馬介寝返りの記事と同じ項目にまとめられているから1552年には 織田家につかえていたということになる。 『寛政重修諸家譜』によれば幼少の頃より鉄砲を修行したとあるが、 生年の1525年が正しければ一益が18歳になるまで火縄銃は日本に 存在しない。この部分はかなり疑問である。 同じく『寛政重修諸家譜』において1561年の清洲同盟の際に 徳川家に派遣されて石川数正と会談したとあるが、この頃既に 徳川家の重鎮・数正と比べても恥じない重臣であったということか。 ただし、この話は他史料には見られないのでやはり信頼性に疑問がある。 (先祖の活躍を華々しく書き立てるのはしょうがない、といった所か) だが、永禄年間には一軍の将として活躍しており、異例の出世の早さである。
78 :
日本@名無史さん :03/05/05 10:45
小姓と言うか、兄貴分的な世話役だったとか・・・ そんな可能性はないのかなぁ 異例の出世をした人の条件のひとつに、幼少のころから近くに仕えていて 信頼されているってことがよくあるから・・・
79 :
日本@名無史さん :03/05/05 11:07
信長公記は首巻に限っては多分に創作が交じっているからね
80 :
日本@名無史さん :03/05/05 13:56
まあ「幼少の頃」から鉄砲の修行が出来ないということはわかったよ。 最低でも18歳(数えで19歳)以降か。 当時は立派な大人だね。
81 :
日本@名無史さん :03/05/08 18:02
誤 たきがわ かずます 正 たきがわ いちます!?
82 :
日本@名無史さん :03/05/08 19:14
>>81 江戸時代の頃から論争が続いており、答えは出ていない。
ある系図にはわざわざ「かずますである」と註釈があり、
また別の書物には「いちますである」とあるといった具合。
>生年の1525年が正しければ一益が18歳になるまで火縄銃は日本に存在しない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
84 :
日本@名無史さん :03/05/09 23:02
85 :
日本@名無史さん :03/05/10 01:15
これは難しい問題だね。 『寛政重修諸家譜』などでは「いちます」なのだが、 同じ寛政期の作品とされる『絵本太閤記』では「かずます」と仮名を 振っている。江戸時代には既に双方の読みがあったようだね。 まあ信頼性で考えれば『絵本太閤記』よりは『寛政譜』を信頼すべきで、 「いちます」が本来の読みなのだろうが、「かずます」の方が読み易いが故 に江戸時代に定着していったということだろう。
86 :
日本@名無史さん :03/05/10 20:57
いちは音読み かずは訓読み 通常実名には音読みは使われない よって「かずます」が正しい と誰かが言ってた
87 :
日本@名無史さん :03/05/10 23:58
>>86 滝川一益の系図に出て来る人々。
一勝 → 一益 → 一時 → 一乗 → 一俊
いちかつ→いちます→いつとき→いちのり→いちとし
普通に「いち」で読んでますけど・・・
88 :
日本@名無史さん :03/05/11 00:18
89 :
日本@名無史さん :03/05/11 00:40
>>87 だからそれはそういう説なんだろ。
確かにいち(音)とます(訓)の組み合わせというのも不自然だな
他にこういう例はあるのか?
「かずます」とは言わんだろ。「いちます」が正しい。 信雄って普通に のぶおって読んで のぶかつ って読まないのと一緒だよ
91 :
日本@名無史さん :03/05/11 00:49
信雄はのぶかつだろ
92 :
日本@名無史さん :03/05/11 00:53
いちますって変な名前ですね
93 :
日本@名無史さん :03/05/11 18:30
またかよ・・・ 一応、かずますが正当ってことでいいじゃん 読み方で1000までいくつもりか
>>91 「雄」を「かつ」と読むのに無理がある。
普通に「お」と読めん?
95 :
日本@名無史さん :03/05/11 20:33
>>94 信雄に一字貰った家臣たちはなんて呼ぶのだ?
土方雄久、滝川雄利、こいつらはおひさ、おとしか?
96 :
日本@名無史さん :03/05/11 20:37
のぶかつに かずますだ 誰がなんと言おうと
>>94 諱の読みなんて無理あるのは結構あるよ。
松平容保(かたもり)なんてどうやったら読めるのか小一時間ものだよ
山内豊信(とよしげ)だって普通に読めばとよのぶだし
98 :
日本@名無史さん :03/05/11 20:38
子孫が「いちます」だと自己申告してるんだから・・・
関東管領 滝川一益って言っても西上野と信濃2群だけだろがw それもたった3ヶ月だし 関東を切り従えている北條がいるのに、何が関東管領だよ。 北條を降してから関東管領と言ってくれ 無様に神流川の戦で北條勢に破れ北伊勢に逃げかえるわ 賤ヶ岳の戦で柴田勝家と結ぶが破れて秀吉から北伊勢の所領は没収されるわ 小牧・長久手の戦で家康に降伏したことを、秀吉から赦されるわ・・なさけねぇ奴だな
「いちます」=○ 「かずます」=×
101 :
日本@名無史さん :03/05/11 20:56
そもそも信長は幕府を開いたわけでもないのに 一益が関東管領というのは変だろう。
「いちます」=○ 「かずます」=○
>>99 それをいったら謙信も。
そもそも一益が関東管領って記述、史料に出てきたっけ?
>>103 >それをいったら謙信も。
そうだよ。関東管領っていうのは足利幕府における「鎌倉府」という京都の幕府から独立した・・・いわば関東・奥州の支配機関において鎌倉公方を補佐する役職であるわけ。
ところが足利持氏が幕府に反旗を翻し(永享の乱)、幕府が鎮圧して以降 「鎌倉府」の力が地に落ちて、有名無実になった。
だから謙信にしろ いちますにしろ関東管領職を名乗ったとしても 奥州どころか北條氏を始め関東の諸大名を従える権力は無い。
しかしよくわからないのは、信長は地に落ちた足利幕府の職制を否定してたのに 何故 武田を滅ぼした後に、関東管領という名称を使ったんだろうな・・・
106 :
日本@名無史さん :03/05/12 02:22
だから幕府を開いてない信長が本当に管領という名称を使ってたのかと
鎌倉公方じゃないんだからいいじゃん。
108 :
日本@名無史さん :03/05/12 08:40
関八州御警固、東国儀御取次が信憑性が高いのでは 関東管領職より権限が上なのか!?鎌倉公方並みか?? 実際の支配版図は沼田および金山方面安堵に奔走していたようなので、まだそれ程でもないようだが東国方面外交全権でかなりの重職だな 北伊勢攻略にみられるように戦略、外交面で相当買われていることがわかる 信長は西国の秀吉に並んで双璧と考えていたのではないかと また白船の造船も注目に値する。恐らく荷駄運搬船の可能性が高いが、信長移動用の高速移動用外航船だったのかも 通常は造船、建築などは長秀。だが伊勢商人や船大工などの人心掌握もまた優れていたように思えるよ 本能寺の変前、対北條および東国戦略など忙殺されつつどのような居城を建設したのかな? 三層なのか四層なのか?城名変更を計画していたのか?また茶室は配置しようと想っていたのか?・・(藁)
109 :
日本@名無史さん :03/05/12 09:26
しかし、信長の生前と死後でここまで転落人生極めるとは… ある意味ムネオ先生の生涯と似てる。
それはなぜかと尋ねたら、便便
栄光と挫折
上記に対して関東管領と支配版図について御幣があるので追記すると 関東管領は「甫庵信長記」によると関東管領だな 支配版図についてはひとつ参考だが 「滝川一益事書」によると出仕して人質を供出ししたものは、 上野では沼田城・真田城主の真田昌幸父子、倉賀野淡路守、小幡信貞、和田石見守、安中左近太夫、木部内少輔、金山城主の由良国重、長尾顕長 北武蔵では深谷左兵衛尉他、北條旗下であるはずの忍城主の成田氏長や武州松山城主の上田安独斎政朝(発行文書から朝直と同一の可能性が非常に高い)、この人はこのころ政朝と名乗っていたようだ が北條氏政から政の字もらっているのに人質だしてるよ また佐竹に亡命していた元岩槻城主大田資正・梶原政景父子と上杉家臣で武田方に亡命していた北條高広(キタジョウ)も直参 相模ではやはり北條旗下であった内藤大和守綱秀、この人も人質だしていて、その前は左近将監を名乗っているがやめているようだ。 人質だったと見られる息子の能登守直行はその後左近将監も名乗っているぞ また下野の皆川広照も信長に名馬をおくっていることからも影響下だろう 通説として基本的に信忠配下とみられていた北信濃の森長可と甲斐の川尻秀隆は上杉戦での発給文書や相模の内藤氏の帰属等をみるとどうやら一益の目付だったのではと思えるよ そうすると秀吉、勝家並みの版図があることになるな しかしそんな一益も転落人生 越前大野で病没の際は、平家物語の冒頭句が頭ん中をぐるぐる。茶の湯もぐるぐるだったのだろうか!? 因みに歴史の因果か秀吉の小田原攻めの際に、北條氏直は滝川雄利陣所に投降してるよ
113 :
日本@名無史さん :03/05/12 19:55
>通常は造船、建築などは長秀 それは所領の位置の問題じゃ
114 :
日本@名無史さん :03/05/12 21:22
賤ヶ岳、小牧・長久手と本能寺後も結構頑張ってるよ。どちらも主戦線じゃなかったから注目されて ないけど。
>>114 信長政権末期に与えられていた所領が近畿でなかったことが
全てを決めたと思うね。
116 :
日本@名無史さん :03/05/12 22:50
「畿内」ではないが「近畿」ではあるんじゃ。
117 :
日本@名無史さん :03/05/13 19:58
>「畿内」ではないが「近畿」ではあるんじゃ。 あの地域を「近畿」としていたのは戦前のお話。
119 :
日本@名無史さん :03/05/15 01:33
今も近畿地方だと思う・・・
121 :
日本@名無史さん :03/05/15 02:05
所領が伊勢と伊賀であれば少しだけ変わっていたと思われるな 2〜3年は膠着状態になったかも・・・紀伊、和泉と河内辺りでも同様であろう・・ もし上野国と信濃二郡が滝川左近の所領ではなく、羽柴筑前とまったく逆だったらどうだったろうか!! 関東大返しは一寸できないでしょう・・・ また柴田修理だったら北条軍に勝つことができたであろうか? 直参の馬廻り、与力のみで・・・
122 :
日本@名無史さん :03/05/17 00:40
滝川義太夫って前田慶次郎の親父?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
124 :
日本@名無史さん :03/05/23 09:44
滝川軍団家老⇒前田慶次郎父
グレート義太夫ってグレートマジンガーの親父?
126 :
日本@名無史さん :03/05/24 17:13
そうだよ
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
おっれはー涙を流さないーダダッダダッダッ♪
129 :
日本@名無史さん :03/05/31 12:21
滝川一益のエピソードってないの? 上州を与えられたときに茶器の方がよかった。。。ってやつ以外で
「秘密ほどすぐ知れるものだ」の故事 「鶴を羨ましがらずに雀を楽しめ」の故事 事実ではないが・・・
左近って言ったら滝川だろやっぱしっ!!!
132 :
日本@名無史さん :03/06/07 12:28
戦いのエピソードは?
133 :
日本@名無史さん :03/06/08 00:50
>>129 もともと武人としての働きはあまり・・・
有岡城を開城させたのも、むしろ政略を駆使したものだったしね。
134 :
日本@名無史さん :03/06/08 01:43
影武者八助のことが知りたい。 ほとんど史料がないのだろうが。
>>40 を書いた者だが、一応俺は一益の子孫らしい。
俺が独自に調査したところによれば、戦場での「槍働き」は基本的になかった。
戦場での陣頭指揮も従兄弟や甥が行っており、
一益は兵站を担当したり行政関係の仕事に従事している。
鉄砲に関する技術・知識・人脈は織田家中で群を抜いていて、
信長にはその点を評価されていた。
彼個人の鉄砲の腕前は不明だが。
以上の事から彼は「猛将」というより「役人」というイメージの方が実像に近いと思う。
まあ、市井の物好きが調べたことなので学問的な考察ではないが。
136 :
日本@名無史さん :03/06/14 19:34
外交が得意だったんだよね
137 :
日本@名無史さん :03/06/14 23:40
『寛政重修諸家譜』に家康との同盟にあたって織田側の代表として 石川数正だかと話し合ったと書かれているぐらいじゃないの? 外交面の活躍って。
139 :
日本@名無史さん :03/06/15 17:49
他はどんな外交したの?
┌┐ んvヘゝ i i ノ (;゚д゚) <この東国儀御取次がぁ!! / (ノ |) | ! ゙:、. .,_ ,.ノ U U
141 :
日本@名無史さん :03/06/21 00:50
北朝鮮外交
143 :
日本@名無史さん :03/06/22 19:01
144 :
日本@名無史さん :03/06/23 02:41
はいはい
145 :
日本@名無史さん :03/06/28 12:39
強いってイメージはあるよねぇ 信長の野望なんかやると、軍団長にしないで 直属軍五虎将軍だもんね 柴田、滝川、羽柴、明智、丹羽
146 :
日本@名無史さん :03/06/28 12:41
俺は 柴田、滝川、羽柴、明智、佐々・・・かな
147 :
日本@名無史さん :03/06/29 19:01
んだ
148 :
日本@名無史さん :03/07/06 10:02
でも子孫旗本ならいいじゃん
149 :
日本@名無史さん :03/07/09 01:08
そだね、公務員だし
150 :
日本@名無史さん :03/07/12 09:50
かずますGOGO!
151 :
日本@名無史さん :03/07/12 10:03
いちますじゃねえの?
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
153 :
日本@名無史さん :03/07/13 20:37
かずますだよ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
155 :
日本@名無史さん :03/07/15 23:09
三年前に滝川一益が天下統一する話を作ったなぁ、本能寺のとき信長に召集をうけ 光秀はそれを知らず謀反、変勃発時岐阜にいた一益に討たれるみたいな話だった。
156 :
日本@名無史さん :03/07/17 17:55
157 :
日本@名無史さん :03/07/21 10:41
最強
158 :
日本@名無史さん :03/07/26 01:29
ほんとに強かったのかあ?
159 :
日本@名無史さん :03/07/27 10:29
大河「秀吉」では秀吉の同年代のライバルみたいに描かれていたけど、 実際は一世代上なんでしょう?まあその設定の方がおもしろかったけど。
160 :
日本@名無史さん :03/07/28 00:44
滝川一益は本能寺の変が起きるまでは戦上手な部将で 外交上手でもある。信長の野望のステータスもうちっと上げ てもよいとおもう。
北条にこてんぱんにされて逃げ帰ったってのが評価下げるよな。
162 :
日本@名無史さん :03/07/28 03:21
指揮官としては有能だったようだが、武勇伝は聞かないな。
餓鬼・滝川左近
武勇譚があるような下士官ではなく将校だから
165 :
日本@名無史さん :03/08/01 22:41
本能寺の変があと1年おそかったら・・・ 滝川も悲惨だけど、川尻はもっと悲惨
166 :
????s??s :03/08/01 22:46
>>165 星野に飼い殺しにされてるから?
ってマジで考えてしまった… スマン、逝ってくる。(;´Д`)
(^^)
169 :
日本@名無史さん :03/08/03 18:36
最 強 武 将
170 :
日本@名無史さん :03/08/04 07:04
どこがよ
171 :
日本@名無史さん :03/08/04 08:48
>>164 秀吉や一益は一代で出世した割には、前半生の功績があまり知られてないね。
秀吉は信長の書状に副状を出すほどの地位になるまで確実な働きが
知られていないし、一益も気付いた頃には一軍の将。なんともはや。
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173 :
日本@名無史さん :03/08/08 07:06
ぽあしますよ
元々は、伊勢国司北畠氏の重臣の木造氏(公家)の一族だろ? 何の因果か、鳥羽伏見の戦いでは、幕府軍の鉄砲隊長は滝川の末裔。 同国の桑名藩士を撃っていることになる。 関東でも、北条と戦っているが、相手の参謀は、元々伊賀国が出自の 坂東武士。 因縁を辿ると、面白い話は尽きないよ。
河内ともいう
176 :
日本@名無史さん :03/08/08 10:32
>>135 俺も子孫とは言われてるけどガセだろうな。
当方三河地方が本家です。
他のソースは? 色々確認した方がいいよ。
181 :
日本@名無史さん :03/08/09 01:28
木造氏の流れなのは滝川雄利の系統だろ?
甲賀忍者の大原氏一門だが信長に甲賀討伐を進言して家譜から抹消されたらしいな。
184 :
日本@名無史さん :03/08/09 02:32
185 :
日本@名無史さん :03/08/09 04:19
186 :
日本@名無史さん :03/08/09 12:13
具体的に言わないとただの揚げ足とりじゃん
(゜Д゜)ハア?
言葉足らずは誤解の元
189 :
日本@名無史さん :03/08/10 22:24
「いちます」と「かずます」のどちらが正しいかですか。
自分の名前の意味も知らないのって感じ。(笑)
http://www.remus.dti.ne.jp/~tshioiri/kurashi.html 武士は諱(いみな)と通称の二つの名前を持っていた。
(略)
「通称」については、音(オン)は大事だけど、 文字はいわば当て字であって、
「こじろう」は「小次郎」でも「鼓二郎」でもよく、「きちのすけ」は「吉之助」と
書いても「喜治ノ介」と書いても基本的には良かったらしい。
逆に「諱」の方は文字(つまり意味)は大事だけれど、どう読むのかは結局のところ
読む側の自由だったそうで、「大石良雄」の読み方は、「よしお」でも、「よしかつ」
でも、どちらでも正解という事になる(・・・
190 :
日本@名無史さん :03/08/10 22:45
お前1読めよ それは別スレでやれって書いてあるだろ
191 :
日本@名無史さん :03/08/10 22:51
>>174 滝川一益は甲賀の出身ということで、だいたいの史料は一致
しているが・・・
甲賀のどの系統かは系図によって異なるが。
192 :
日本@名無史さん :03/08/11 17:48
193 :
日本@名無史さん :03/08/11 18:12
で、答えは?
194 :
日本@名無史さん :03/08/11 18:29
カズマス
195 :
日本@名無史さん :03/08/11 20:59
>>189 「いちます」だと音読み+訓読みになるだろが。
どちらでも良いと言えるはずがない。
ス レ 違 い
197 :
日本@名無史さん :03/08/12 02:10
>>195 189間違ってるぞ。
ところで
音訓合わせなければならないと思っているみたいだけど、
何かこだわらなければならない理由があるの?
198 :
日本@名無史さん :03/08/12 03:56
拘りというか、音なら法名や号 訓ならイミナ名のイメージがつよいからだべ
199 :
日本@名無史さん :03/08/12 04:45
なんだまたイメージの話かよ
甲賀忍者? 私は伊賀者と思ったが。 前レスで、木造氏との関係を書いた人がいたが、どうして無視するん? 南朝・楠正成の嫁は伊賀者。北畠国司は伊賀者を使ったともいう。 勢陽記にも書かれているが、滝川氏は伊勢の武士とある。 どこで甲賀になった? つうても伊賀も甲賀も一緒みたいなものだが。 一応、甲賀は水口藩。といっても江戸初期に作られた藩じゃろ? 昔は伊賀国ではなかったのかい? 織田は要衝として伊賀を攻めたが、本来は伊勢が欲しかったためだ。
>>200 一応、甲賀は水口藩。といっても江戸初期に作られた藩じゃろ?
昔は伊賀国ではなかったのかい?
甲賀は江戸時代もそれ以前も近江国甲賀郡だよ。
伊賀国とは隣接してるけど別だ。
滝川雄利は木造氏嫡流だが北畠に家督を譲って滝川一益の養子になった。
滝川左近将監一益は景行天皇の後胤、伴四郎{仗資兼の末孫、 幕紋は木香の二引両である。元は近江国甲賀郡大原の住人である。 悪逆をなして在所を追われ浪人し尾張に来てはじめて信長に仕え、 武略で忠勤に励んだ。ゆえに蟹江城を賜り尾張西南・長島等を給わ った。伊勢攻めの先鋒を命じられ尾張境の長嶋・桑名邊、美濃境の 大藪・多度邊に攻め込み北勢諸侍に対した。あるいは攻め、あるい は懐柔して武威を振るった。ゆえに桑名、員弁両郡の木股、茂福、 上木、白瀬、濱田、高松以下自然に織田の幕下に入った。
伴四郎{仗資兼の末孫、というからには似非でも、甲賀だな。
206 :
日本@名無史さん :03/08/12 13:06
>>198 諱を音読みする例があるの?
たんなるイメージじゃあないと思う。
少なくとも一益の時代に音読みすることはないだろ。
207 :
びるげいつ :03/08/12 21:19
『一太郎』も『かずたろう』ね!!
208 :
日本@名無史さん :03/08/12 21:35
いちますで正しい。
209 :
日本@名無史さん :03/08/12 21:37
一太郎は通称じゃん。
210 :
日本@名無史さん :03/08/12 22:26
石田さんなり 斎藤としさん 長谷川ひでいち 太田いちよし 滝川いちます やっぱり音読みだとおかしい
211 :
日本@名無史さん :03/08/12 23:08
でも上のログ読んでると、江戸時代も後期にはその法則も破られたようだね。
昔は漢字を書ける人が少なく、仮名が多用されていたはずだから、何処かに 仮名で書かれた文章もあるだろう。それさえ見つかれば。また宣教師がロー マ字で書いていてくれれば。
213 :
日本@名無史さん :03/08/12 23:26
いちます説の根拠となった系図に書かれたフリガナも江戸時代に書かれたもん だからねえ
214 :
日本@名無史さん :03/08/12 23:34
江戸時代に音読みと訓読みが混ざった諱の例ってあるのかな。
215 :
日本@名無史さん :03/08/13 04:10
>>200 >織田は要衝として伊賀を攻めたが、本来は伊勢が欲しかったためだ。
伊賀を攻めたのは伊勢平定より後だろ・・・
>>203 出身と何の関係が?
>>205 伴氏に結びつけたのはおそらく適当なんだろうが(武士ってそんなん
ばっかしだからね)、甲賀の出身ということは子孫もそう伝えているし、
事実だろうね。
>>213 子孫が主張していることだし、根拠不明の「かずます」よりはマシかと・・・
「いちます」でおかしく感じるわけだが、 そもそも数詞は少し特殊で、実は訓読みといわれているものも音読み。 まず、「いち、に、さん・・」は音読み。これは皆さんご存知の通り。 そして、「ひと、ふた、みつ」も訓読みといわれているが、 元々は音読み(ツングース諸語高句麗語系数詞)になるといわれている。 しかしながら、やはり「いちます」はおかしい。が、直系が「いち」(同時代だから信憑性は非常に高い)を 名乗っている以上、「いちます」である可能性は高い。 若しくは実は「かずます」であって嫡子の三九朗一忠は不明であるが、 家督相続した一時は「いつとき」だから、この人物が最初に『いち』読みをした可能性も少なからずある。
>>216 一益の親父は「いちかつ(一勝)」だが。
馬鹿ばっかし
219 :
日本@名無史さん :03/08/13 08:59
あくまでも「直系」の話でしょ。同時代なのは。
だから、読みのそもそもの根拠となる系図が書かれたのは寛政時代だから、 いつときもいちますも同様に信用出来るわけではないと。
222 :
日本@名無史さん :03/08/13 11:00
223 :
日本@名無史さん :03/08/13 12:22
昔の武士って、普通は通称や官名を使うことの方が多いから、 何代も前の先祖のイミナの読み方なんて正確に覚えてないかもね。
>>読みのそもそもの根拠となる系図が書かれたのは寛政時代だから 一つの証左にはなるが・・・。しかし実は根拠となるのは寛政諸家譜等の 文献ではないのでは? 何故、直系が「いち」読みで名乗っているという事がとても重要で 問題なのでは・・・。 瀧川家は現在も続いている。そして特に系図を証拠にあげ「いち」読み しているわけではない。代々「いち」読みして、名づけられている。 そもそも、断絶しているわけでもないのに親父、家族の名を間違えるは ずがなかろう。
225 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:08
寛永でも系譜はまとめられているけど
226 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:09
>>224 系図なんてものは殆どが信憑性ないものだってことぐらい知ってるだろう
寛政譜なんてものは、幕府から系図を出せと命じられてから慌てて
作った系図が殆どなんだし。大体、フリガナを振ったのは滝川家の人間じゃなくて
寛政譜の編纂者だという可能性もある。寛政譜を読めばわかるが、編纂者による
改変、注記は珍しいことではない。
>一つの証左にはなるが・・・。しかし実は根拠となるのは寛政諸家譜等の
>文献ではないのでは?
別に根拠があるんなら教えてくれ
227 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:11
>>226 おいおいきちんと文章嫁
下に書いてあるのがそうだろ?
読解力ないとおはなしにならん。
228 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:26
>>227 代々いち読みして名付けられている、てところか?
現代の滝川家の末裔に確認したのか?
229 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:28
それに、仮に現在の滝川家もいち読みだとしても、 寛政譜の成立時にフリガナがつけられてしまって以降は、それが間違っていようが 以後「いち」読みになってしまうのはある意味当然だろう
230 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:32
それこそなんの根拠もないはなしだね。
231 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:35
>>230 バカですか?ちゃんとした根拠があるんなら何も論争にならないよ。
結局いちますという読みが名付けの慣例から外れてしまっているから問題になる
233 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:38
なんだ根拠ないのか。 というより根拠にこだわったのはあんただろ。
>>233 当たり前だろうが。やっぱりアホだな
>>229 は単なる推論だが、代々続いた(かどうか知らんが)いち読みの
慣例もちゃんとした根拠にはなり得ないと指摘しただけだが。
235 :
日本@名無史さん :03/08/13 13:58
イミナがどの程度、日常で使われてたかを考えてみれば? 明治以前は、家系図以外ではほとんど使ってないだろ。 その程度のものだから、読みなんて適当なんじゃないの?
236 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:01
>>234 >
>>229 は単なる推論だが、代々続いた(かどうか知らんが)いち読みの
>慣例もちゃんとした根拠にはなり得ないと指摘しただけだが。
そもそも指摘になってないだろ。
あんたの単なる「推論」のみで「慣例」が根拠にならないとは指摘できんだろ。
理解できる?
というより学問としての日本史をきちんと勉強しろよ。
>>236 まだいたのか
まず
@現在の滝川家も代々「いち」を通字に使ってるというが、確認したのか?
A仮に今でも代々そうだとしても、幕府の公式記録「寛政譜」に「いち」読み
で記録されているわけだから実際はどうだったかに関わらず「いち」読みに
なっている可能性が高い。
なんかおかしいところあるか?これは推論だが、推論にいちいち根拠を求める
バカはおるまい。第一根拠があるなら推論とは言わない。それとも日本史では
こういう推論は認められないのかね?なら世の中の仮説は皆却下だなw
>あんたの単なる「推論」のみで「慣例」が根拠にならないとは指摘できんだろ。
ならあんたの言う「代々いち読みだった」というのは「いち」説の根拠となるのか?
238 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:14
別の例ですが、太田牛一の「牛一」って実名ですか? ギュウイチ、それともウシカズ?
239 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:16
>>238 実名らしい。
「和泉守牛一」と署名した文書があるし
240 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:29
太田牛一の実名は信定だよ。 牛一というのは実名でない。
242 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:38
>>237 まだいたのか
まず
推論を仮説というのはおかしい。
仮説には根拠が必要。
つまりあんたのヴァカな思い込みでは仮説にはならない。
つまり客観的でないからだよ。
それに慣例はあるいみ根拠になりうる。
>あんたの単なる「推論」のみで「慣例」が根拠にならないとは指摘できんだろ。
ならあんたの言う「代々いち読みだった」というのは「いち」説の根拠となるのか?
243 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:43
>>241 だから牛一は実名じゃないって
実際は和泉守信定が署名で、和泉守牛一とあるのは偽書のみ。
244 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:52
推論云々の議論はどーでもいいから、結論だけ教えて。 イチマスなの?カズマスなの?
245 :
日本@名無史さん :03/08/13 14:52
>>242 こうなったら内容じゃなくてもう意地なんだねw
推論という言い方に拘るようだな。そこが食い付きやすいかw
じゃああんたのいう「滝川家代々の読み」というのを仮説としよう。
(このことすらまだ確認されていないのだがなw)
仮説には根拠が必要ね。
で、
>それに慣例はあるいみ根拠になりうる。
と。
では、その根拠は確かなのか?
それに対する批判を
>>237 のAで指摘したんだが?
247 :
日本@名無史さん :03/08/13 15:03
>>244 普通に読めばカズマス。
だが系図にイチマスと書いてある。
これは極めて異例の読み方。
しかしその系図も信憑性が当てにならないため、
結局素直にカズマスと読むのが妥当。
248 :
日本@名無史さん :03/08/13 15:31
カズマスでもイチマスでも好きな方で呼んだらええんとちゃうんか? 因みに本当は織田信勝だったらしいけど俺は今でも信行と呼んでるし
>>寛政譜の成立時にフリガナがつけられてしまって以降は、それが間違っていようが
以後「いち」読みになってしまうのはある意味当然だろう
これはない。子孫らが「いち」って呼んでいるものを系図のフリガナに合わせ
るわけがなかろう。
また、系図を編纂した人が根拠もないのに、勝手に「いち」読みもしないので
は?
>>237 >>245 242と216(俺)は別人。それと両人とも読解力と表現力に問題が・・・
両人ともご自身で調べてみては?
現代では子孫に聞くのはそれ程難しい事ではない・・・。
>>248 正解
勘十郎か
251 :
日本@名無史さん :03/08/13 22:34
勝手に読みたければそれで結構。 ただし信行は間違いで信勝が正しいのだから、 間違いを承知で使うのは論外。 「秀吉のことを信長とよんでいる」というのと同じ。
252 :
日本@名無史さん :03/08/14 00:15
>>251 >「秀吉のことを信長とよんでいる」というのと同じ。
んなこたぁ〜ない、飛躍しすぎだろw
253 :
日本@名無史さん :03/08/14 00:18
でも同じことだろ
林秀貞を通勝とするのは、完全に別人のことだからな。 信行を認めるのも似たようなもんだ。
つーか同じ家系・諱だから同じ訓ってこともない 今すぐソースって言われても記憶の片隅で探すあてないけど
ってか愛称でしょ。 ただ「かずます」派な人達は全く証拠がない。根拠も薄弱。論戦さえできてい ないのが現実。 信憑性云いを語るな!と小一時間問い詰めたい・・・いや一生問い詰めたい・・・
愛称のことでは? ただ学問板の日本史板には相応しくはない。三戦板なら間違いなくOK!
真田信繁を幸村と呼ぶ ってことでしょ?
「いちます」ってのが当時の常識外の読み方なのは確か。
いっそ滝川某でいいよ、もう。
261 :
日本@名無史さん :03/08/15 08:32
「確か」と言われてもねえ・・・
262 :
日本@名無史さん :03/08/15 11:48
まあね確かなのは脳内だけのはなしだよ
263 :
日本@名無史さん :03/08/15 11:56
明治以前で、イミナを音訓まじりで読むなんて、普通しないだろ。
264 :
日本@名無史さん :03/08/15 11:58
だから君の普通は脳内妄想だろ。
265 :
日本@名無史さん :03/08/15 12:02
イチマス派の根拠って何?
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
267 :
日本@名無史さん :03/08/15 18:37
なんで音読みなのを不思議に思わないのかな、「いちます」派は。 妄想とか言ってる香具師は素人だろ。
268 :
日本@名無史さん :03/08/15 18:45
にます
おだしんなが はしばしゅうよし しばたしょういえ あけちこうひで
270 :
日本@名無史さん :03/08/15 21:44
>>267 だから何が不思議なのか指摘してよ。
問題なのは自分の主観だけだろ?
271 :
日本@名無史さん :03/08/15 22:49
272 :
日本@名無史さん :03/08/15 22:58
273 :
日本@名無史さん :03/08/15 23:12
徳永真一郎が「滝川一益」PHP文庫 あるよ、読んだ人いますか
274 :
日本@名無史さん :03/08/15 23:27
結局さ、みんな自分の感性にフィットする読み方で読んでるんだろ。
275 :
日本@名無史さん :03/08/16 00:57
>>270 指摘も何も・・・音読みだからって、書いてあるでしょうが。
諱を音読みした例を探し出してくれよ。
276 :
日本@名無史さん :03/08/16 01:05
『織田信長家臣事典』谷口克弘 には「かずます」とあるな
277 :
日本@名無史さん :03/08/16 01:15
>>276 でも、それは「いちます」を否定してのものではない。
>>273 10年近く前に読んだけど面白くなかった。
280 :
日本@名無史さん :03/08/16 02:06
>>277 否定してのものではないって
その点に関して言及すらされてなかったし
当然の如く「かずます」ということだろ
282 :
日本@名無史さん :03/08/16 02:22
>>280 そのつもりだったんだけど、言葉足らずでスマソ。
ただ、「いちます」説にふれるぐらいはしてもいいと思った。
当然目を通してるはずだけど、どうしてかな?
この人なら、こういう読み方についても書くはずなのに。
283 :
日本@名無史さん :03/08/16 02:32
ま、あれだな 伊勢宗瑞を北条早雲と呼んで差し支えが無いように 今さら変える必要もないってこった。 判ってる人は判ってるでいいんじゃないか?
284 :
日本@名無史さん :03/08/16 04:11
>>275 >音読みだからって、書いてあるでしょうが。
わからない人だね。
音訓混ざるとなんでいけないのか?
と聞いてるんだけど。
不思議だから
とか
不自然だから
とか
ほかに例がないから
というのは意味が無いよ。
285 :
日本@名無史さん :03/08/16 10:24
「いち」って音読みなだったの?
286 :
日本@名無史さん :03/08/16 10:43
>>284 意味がない
というのはおまえがそう思うだけ。
普通は原則を破る例外が認知されるためにはそれ相応の裏付けと
ちゃんとした根拠が必要なんだよ。
287 :
日本@名無史さん :03/08/16 10:59
>>286 だからさ
おまえのいう原則と例外がどういうものかきちんと示してくれよ。
もちろん示すということはおまえのいう通り、>それ相応の裏付けと
>ちゃんとした根拠が必要なんだよ。
288 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:12
>>287 原則は訓読み、例外は俺の知る限り無い。
根拠が知りたきゃ人名辞典片っ端から調べてみろ
音読した読みなんてまずないから
289 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:14
次のスレタイは滝川一益2マスめで
290 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:17
>>288 >例外は俺の知る限り無い。
何度言ってもわからん奴だな。
まずその原則とか例外とやらをきちんと示せよ。
おまえが無知で無恥なだけだろうが。
つまりおまえが知らない「だけ」なんだろ?
291 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:21
>>290 示せと言われて示せる類のものじゃねーだろw
このスレを全部人名の羅列で埋めるか?
知りたきゃ自分で調べろ
俺は知らない「だけ」かもしれないからおまえが教えてくれ
滝川雄利は?
293 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:29
>>292 「かつとし」だろ
信雄を「のぶお」と読む例からいくと「おとし」になるがw
295 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:33
296 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:34
名前の読み方の議論はもういいって・・・ つまらん
297 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:39
木戸孝允を 孝允(たかよし) 考允(こういん)と呼んでる感覚に似てるんだろうな。
>>297 似てない。それは信長を「しんちょう」義経を「ぎけい」という例と同種のものだろ。
299 :
日本@名無史さん :03/08/16 11:47
>>299 議論で勝てないから次は悪口雑言か。哀れな奴(嘲笑
301 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:09
>>300 議論で勝ててると思ってるんだ。
ただ無知なだけじゃなくて、気の毒だねW
302 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:09
なんでイチマス派は、ここまで粘着するんだろう・・・
303 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:16
カズマス派が粘着するからだろ。
305 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:41
人に教わるときの態度があるだろ? そんなことから教えなければならないのか?
306 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:51
こりゃ2マス目はいきそうにないな
307 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:55
自分の好きな方で読めばよかろうに。
308 :
日本@名無史さん :03/08/16 12:59
そうだよ 1にもあるように、ここは読み方を議論するスレじゃないって
309 :
日本@名無史さん :03/08/16 13:24
ここのスレ三戦板の匂いがするぞ
310 :
日本@名無史さん :03/08/16 13:36
タキカワイチカズ
でも名前以外話のネタがない
312 :
日本@名無史さん :03/08/16 14:18
タケカワヒデユキ
313 :
日本@名無史さん :03/08/16 14:39
暫く滝川雄利について語ろうぜ!
>>297 それを、コウよし・たかイン、と読むようなもん>イチます
イチマスって読んで恥かくのは自由なんだから馬鹿は放置しろよ
315 :
日本@名無史さん :03/08/16 16:55
こちとら親切に、カズマスって読んで恥かかないように教えてあげてるんだから素直になれよ。
316 :
日本@名無史さん :03/08/16 17:10
さぁそろそろ話題変えて、 小牧長久手後のかずますについて語るか・・・
317 :
日本@名無史さん :03/08/16 17:28
本能寺以後の一益の逃亡ルートを教えてほしい。
318 :
日本@名無史さん :03/08/16 17:49
18歳しか離れてない雄利を養子にしたのか 当時は驚くほどでもないのか
319 :
日本@名無史さん :03/08/16 18:29
雄利って養子だっけ?
320 :
日本@名無史さん :03/08/16 20:17
滝川忠征ってのもいたな
321 :
日本@名無史さん :03/08/16 21:19
学会ではイチマスと読むのが常識ですが。
322 :
日本@名無史さん :03/08/16 21:21
「いちます」が在り得ないのであれば滝川一族は一益の親父から 子孫まで在り得ない人間ばかりになってしまうのだが・・・ あと訓+訓でないとおかしいなら「ひとます」「はじめます」とか じゃねーの?
323 :
日本@名無史さん :03/08/16 21:49
そんなことより、滝川の子孫って鳥羽伏見の戦いに出てくる滝川具挙なの? 「討薩の表」を持って入京しようとした大目付だったと思うが。
324 :
日本@名無史さん :03/08/16 22:21
>>322 あり得ない人間?何いってんの?
読み方の問題だろ
意地でも「かず」を否定したいようだなw
なら十河一存は?長谷川秀一は?
ひとまさ?はじめまさ?ひではじめ?
なんでそこまで「かず」を否定したがるんだろ
上杉けいかつ? 直江けんつぐ? 伊達せいむね? 徳川かやす? 織田しんなが? 豊臣しゅうよし?
326 :
日本@名無史さん :03/08/16 22:24
>>323 徳永の「滝川一益」だと。
滝川具挙は、雄利の子孫とかいてあるね。
滝川具挙の子孫として関係があるといわれているのが
太平洋戦争当時「滝川事件」の際、退職した京都大学総長滝川幸辰と書いてあるよ
327 :
日本@名無史さん :03/08/16 22:29
●滝川幸辰 たきがわゆきとき 日本 AD1891 明治時代 1891〜1962(明治24〜昭和37)岡山市出身の刑法学者。 1915年(大正4)京大法科卒業,京都地方裁判所判事をへて1918年(大正7) 京大助教授,1924年(大正13)同教授となる。刑法学者としては旧派の 古典学派に属し,刑罰の本質は応報,内容は苦痛,目的は社会秩序の維持に ありと主張し,新派の主観主義派で教育刑を唱える牧野英一(東大)らと対立 した。1930年代に入るとマルクス主義学生運動に同情し,刑法の階級性を強調 するようになった。1933年(昭和8)文部省は滝川学説が共産主義的だとして 休職処分に付し,これに抗議して京大法学部全教官が辞表を提出し,学生もこれ に呼応するという事件が発生した。これを滝川事件という。結局教授・学生側の 敗北に終わり,滝川は他の7教授とともに退官した。戦時下を弁護士としてすごし たあと,戦後1946年(昭和21)京大教授に復帰,法学部長として法学部の再建に あたった。1953年(昭和28)京大総長に就任したが,学生運動としばしば対立し, 1957年(昭和32)任期満了で退官した。〔参考文献〕滝川幸辰『激流』1963,河出書房
うろ覚えなのだが「討薩の表」って和泉節子の曾祖父じゃなかった?
なんとなく、「はじめます」が相応しい気が…
滝川益々
「一」の読みは「かず」しか知らないけど
332 :
日本@名無史さん :03/08/17 00:44
山内一豊は「かつとよ」だろ。 鈴木孫一は「まごいち」だろ。
333 :
日本@名無史さん :03/08/17 00:50
「孫一」は通称だろ。
334 :
日本@名無史さん :03/08/17 01:02
やった、釣れた!!!
335 :
日本@名無史さん :03/08/17 01:11
釣るなよ!!!
逆ギレんなよw ところで、通称じゃダメなのかね?
上のほうで、しきりに諱諱と・・・
338 :
日本@名無史さん :03/08/17 03:49
雄利について語れ 意外とこの時代の勝ち組みだよな
339 :
日本@名無史さん :03/08/17 07:30
>>324 >あり得ない人間?何いってんの?
>読み方の問題だろ
「一勝」「一時」「一乗」「一俊」などが全員「いち」で読むんだが。
「いちます」がありえないなら他も全員ありえないことになるだろ。
アホ。
340 :
日本@名無史さん :03/08/17 09:43
>>339 おやおや、勝手に「いち」で読むと確定してたのか。
「かずます」なら他も全員「かずかつ」「かずとき」・・・
だろうな。一益だけ「かずます」で他が「いちかつ」と
なるわけなかろう。当たり前のことすぎて何いってんのかわかんなかったw
343 :
日本@名無史さん :03/08/17 10:49
>>340 >一益だけ「かずます」で他が「いちかつ」と
>なるわけなかろう。当たり前のことすぎて
あたりまえじゃないけど。
344 :
日本@名無史さん :03/08/17 10:53
345 :
日本@名無史さん :03/08/17 11:09
346 :
日本@名無史さん :03/08/17 11:27
>340 :日本@名無史さん :03/08/17 09:43
>
>>339 >おやおや、勝手に「いち」で読むと確定してたのか。
↑
これはさすがに恥ずかしすぎるだろ・・・
347 :
日本@名無史さん :03/08/17 11:27
必死だなw
「寛永諸家系図伝」「寛政重修諸家譜」→「いちます」 「絵本太閤記」の岡田玉山による挿絵のふりがな→「かずます」 各資料の成立時期の順序からして「いちます」が正しく、 正しい読みを知らん奴が「かずます」と読んだ。 ただし「絵本太閤記」などの方がよく読まれたので 「かずます」が通説のようになってしまった。
349 :
日本@名無史さん :03/08/17 11:54
石田三成は「みつなり」ではなく「かずしげ」が正しい。 嘘のようなホントの話。
あぼーん
351 :
日本@名無史さん :03/08/17 12:42
ネタに突っ込むなよ、可哀想だろw
ネタじゃねーよ。書状にかつしけとあるんだよ
354 :
日本@名無史さん :03/08/17 14:09
>>348 だから系図は当てにならないんだって。
滝川家の庶流二家の系図はカズマスとなっているし。
信雄も寛政譜ではのぶおだが他ではのぶかつだし
今となっては確かめる術はない
355 :
日本@名無史さん :03/08/17 14:13
音訓にこだわる奴がいるが、 音読みの例は他にもある。 織田信雄(のぶお) 足利義視(よしみ) 足利義材(よしき)
356 :
日本@名無史さん :03/08/17 14:38
357 :
日本@名無史さん :03/08/17 14:46
358 :
日本@名無史さん :03/08/17 15:37
のぶかつだよ あふぉ?
360 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:03
>>357 他に「かずます」と読んでいるものがあれば示してくれや。
わざわざ系図で「いちかつ」「いちます」「いつとき」と
振り仮名ふったワケは?
361 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:05
無学な現代人がふったんだよ、ばーか
362 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:09
内閣文庫所蔵の原本にもふってあるけどねw
無知なのは
>>361
363 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:32
>>360 フリガナ振ったやつが間違えてた。それだけ
364 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:34
>>363 いやだからさ、何で間違えだと断定できるのか聞いてるんだけど。
365 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:37
>>364 実名に訓と音が混じっているのがそもそもあり得ないから。
366 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:40
有り得ないならそんなフリガナ振らないだろ。 希少な例だが有り得るからフリガナが必要なんだよ。
367 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:42
そもそもなんで音と訓が混じっているといけないのかが何にも説明されてないよね。
368 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:44
お前ら何回ループしてんだw
369 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:44
趣味だろW
370 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:44
>>366 寛政譜見たことあんの?
ありふれてようが珍しかろうが全ての人名にフリガナ振ってあんだよ。
372 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:47
いちえきだよ 正しくは お前らみんな日大生レベルだなwww
373 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:49
>>370 で、「いちます」が間違っているという根拠は?
374 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:54
>>373 またループかよ
で、寛政譜読んだこともないのにイチマスイチマス言ってたのか?w
375 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:55
はい。 言ってました。 ちゃんと勉強してから着てね、おばかちゃん。
信雄 のぶかつorのぶお どちらも訓読みだよな。 音読みだと「しんゆう」
377 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:56
で。寛政重修諸家譜や寛永諸家系図伝で「いちます」と 書いてあるのは何故?間違いですか?
378 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:59
間違いです。 ちゃんと日本語勉強してから来い! 猿
379 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:59
・実は本能寺には7千騎の精鋭部隊が駐屯していた。 ・本能寺には五層の天守閣もあり、もはや城と言っても過言ではなかった。 ・光秀軍の先鋒は兄に不満を持つ織田信孝だった。 ・光秀軍の奇襲は失敗し、宇治まで敗退を余儀なくされた。 ・勝利の敦盛を待っていた信長は光秀の再攻撃を信じなかったため、焼死した。
380 :
日本@名無史さん :03/08/17 16:59
381 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:00
>>377 話逸らせようと必死だなw
そこまでイチマス説信奉してんなら原資料くらい当たってこいよ
で。 間 違 い です。
以上終了。
382 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:00
>>378 たぶんフリガナふった奴(一族または編纂者)の方がおまいより
よほど日本語知ってるはずだがw
383 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:01
>>376 その通り。
「のぶお」説も怪しいが少なくともあり得ないことではない。
イチマスはあり得ないがw
384 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:02
>>381 だから何故間違い?
理由もなく「いちます」なんて書かないよ。
「いちかつ」も「いちのり」も「いつとき」もね。
385 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:04
原史料も何も「いちます」って書いてあるんだけどねw 「日本語としておかしいから」というのは理由にならない。
386 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:04
だからさ、なぜ「いちます」が間違いなのか説明してよ 説明できないの?(藁
387 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:05
>>386 日本語としてありえねえっつってんだろボケカス
388 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:05
>>384 系図作成者が全て正しいと思ってんだねw
ひょっとして未だに織田信行とか思ってる人?
389 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:07
390 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:07
>>387 もしかして日本語が不自由な人?
日本語の問題じゃないよ。
なぜ日本語として有りえないの?
もうすこし勉強しようね(藁
>>385 原史料にわざわざイチマスだからフリガナ振ったと思いこんでた
のによく言うねw
392 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:09
ははははは 「一」を「いち」と読むのは日本語としておかしいんだw
393 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:09
>>390 諱に音+訓は有り得ない。日本語の問題です。アホか。
394 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:09
395 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:10
レベル低いねぇw 失笑だよ 馬鹿? あほ? 歴史のこと知らないでしょ ぷぷぷ
396 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:10
お前みたいにただ人の揚げ足とりしか出来ない奴 って最近多いよね 言うだけなら楽だもんなぁ
397 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:11
>>391 特に根拠がなけりゃ「かずます」とふるだろうね。
わざわざ「いちます」とふったんだよ。
398 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:11
>393 それ間違い。笑わせてくれるねぇ
399 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:11
>>393 わかってるのに故意に曲解してそれをネタに反論する。
論理が破綻して反論出来ないキチガイがよくやる手ですw
400 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:12
>>399 お前程度に何言われても気にしないんだけどね
レベル低いなぁ
両者とも、意見を纏めろよ、いい加減…
402 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:12
>>393 話がループしてるdaro
なぜ>音+訓は有り得ない。
ふつう真性厨房でも学校で教わるだろ。
403 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:12
404 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:12
>>397 なんじゃその説明・・・
かなしくなってきた
405 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:12
二益に期待
406 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:13
>>398 とりあえず滝川一族以外で誰か例を挙げてくれたら
俺も引き下がるよ。
407 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:13
>>402 はいはい、お勉強しましょうねぇ ぼくぅ
408 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:14
409 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:14
>>406 お前のような包茎野郎いてもいなくても一緒。
道端のうんこのようなもの
410 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:15
>>408 もったいぶらずに教えろよw
本当に知ってるんならなw
411 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:15
いちます派が壊れたようだな
412 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:15
日本語理解できないやつに教えても時間の無駄だろ?
413 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:16
>>412 へー知ってるのか、ふーん
でも教えないってか?プププ
無理すんなw
414 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:17
>>407 >>398 ネタだと思ったけど本当に知らないの?
そもそも名前を日本語の問題として考えるのがおかしいけど。
オチこぼれに教えてあげようか?
教えてほしい?
415 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:17
お祭り騒ぎに意味もわからず参加してました。 思ったほど盛り上がらないのでもう撤退します。 みんな仲良くしてねw
416 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:17
イチマス派狂乱により終了。
418 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:22
人に教わるときにはどうするの?
419 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:23
熟語には湯桶読みや重箱読みがあるけど、人名にはないの?
420 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:24
を 答えがでたね。 日本語の問題ではないことがわかった?
421 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:25
>>419 この時代にはない。
熟語としても例は少ない
422 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:26
まあそもそも「一」を「かず」と読むのも人名ならではの特殊な読み方だからね。 ふつうの単語ではないでしょ。
423 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:27
じゃあ何を思って「いちかつ」「いちます」「いちのり」「いつとき」 などとフリガナを振ったものかと
424 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:28
>>423 またループですか
もう誰も相手にしないよ
426 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:29
そもそも日本語の転換期が16世紀。
427 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:29
>>424 こうまで書いてもわからんとはヴァカすぎるな。
428 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:33
>>427 わからんねえ
はっきり言えよ
納得する答えを出せば晴れてイチマス説逆転だよw
違った、17世紀だ
430 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:35
431 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:36
わしには「いち」が音読みだというのが不思議でならん・・・ なんつったって漢語っぽさが無いし・・・
432 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:37
もうイチマス信者を相手にするのは時間の無駄だな。 勝手にイチマスと読んでいてもらおうではないか。
433 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:37
匿名掲示板で馬鹿だの何だの・・・w
江戸時代に漢学がはやって、音読みで発音するのがオシャレだった事があるんだ。
435 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:39
カズマスであるという根拠はあくまでも一般論でしかない。 何事にも例外はあるものだ。
436 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:40
437 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:41
>>431 イー アル サン スー
いち に さん し
呉音だの漢音だのは詳しくないが何となくわかるぞ
438 :
日本@名無史さん :03/08/17 17:52
〳〵ヷヷ〰(♛ฺД♛ฺ)ゔ〲〰ゔ〲〰
439 :
日本@名無史さん :03/08/17 18:21
カズマス派は敗退でおわりか?
またわざわざ煽ろうとするなよ・・・
441 :
学徒出陣 ◆ETKIPSKPs. :03/08/17 18:35
よろしい。 日本史板を代表して私が結論を出そう! ********************************************************************** 「かずます」が正しい読み方。 「いちます」は通称。後世、特に江戸時代の人が好んでそう呼んだ。 ********************************************************************** 以後、仲良くするように。
442 :
日本@名無史さん :03/08/17 18:38
よかったね
443 :
日本@名無史さん :03/08/17 18:39
〳〵ヷヷ〰(♛ฺД♛ฺ)ゔ〲〰ゔ〲〰
444 :
日本@名無史さん :03/08/17 18:52
正解 「いちます」が正しい。 「かずます」は根拠なく問題外。
445 :
日本@名無史さん :03/08/17 19:49
名前の読み方の他に話題のないマイナー大名のスレはここでか?
それも終わった
448 :
日本@名無史さん :03/08/17 20:37
伊予守に任官したかどうかも。 こんなんばっかw
449 :
日本@名無史さん :03/08/17 20:58
まぁまぁ、権威ある第三者の裁定も下ったことだし、かずますでいいじゃん そろそろ新ネタいこうよ
450 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:09
滝川家臣団について知りたい 軍団長という地位にありながらあまり有名な家臣を知らない 同姓以外での家臣とか情報キボソ 佐治新介とか
451 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:10
真田昌幸も家臣としてよいの?
滝川具挙について語ろうぜ。
453 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:12
454 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:18
川尻も毛利も木曽も駄目?
455 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:21
津田秀政とか。旗本になってる
456 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:23
かずたかが正しい
457 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:45
音読みだろうが訓読みだろうが 系図や子孫が言ってる以上いちますが正しい。
458 :
日本@名無史さん :03/08/17 21:53
ひろまさが正しい
>>457 まだいたのかお前
そのネタはもう終了なの
岩田市右衛門、篠岡平右衛門、谷崎忠右衛門、日置五左衛門、 稲田九蔵、津田小平次、津田次右衛門、古市九郎兵衛
461 :
日本@名無史さん :03/08/18 00:01
家臣団でおもしろいエピソードってないの? まじで知らない
462 :
日本@名無史さん :03/08/18 00:17
>>460 家臣の名前だね。検索かけてみたら蒲生氏郷に仕えて蒲生姓もらったやつとか
同姓同名か知らないけどけっこうヒットするやつがいた
463 :
日本@名無史さん :03/08/18 00:19
蒲生氏郷の娘がムカデの化身になった。
普段は過疎もいいスレだったのに一気に伸びたな。 何人で回してたん?
465 :
日本@名無史さん :03/08/18 02:41
4人
466 :
日本@名無史さん :03/08/18 03:04
おおおおお!! すげぇ伸びてる! 家臣団のっけても良いか?私説だが・・・
蒲生、羽柴、豊臣、松平‥‥ 家臣にこういった氏を与えるとゆうことはどおゆうことですか
468 :
日本@名無史さん :03/08/18 12:23
470 :
日本@名無史さん :03/08/18 18:15
かずます派が話題を変えようと必死に自作自演してるな
471 :
日本@名無史さん :03/08/18 19:00
>>446 忍者か忍者でないかというなら、忍者じゃない。
472 :
日本@名無史さん :03/08/18 19:40
忍者マンの棟梁だった人間が大軍を率いることなど出来たのだろうか
473 :
日本@名無史さん :03/08/18 19:56
甲賀出身というだけで忍者というのは短絡的だよねえ・・・ 甲賀武士が忍者というよりも、甲賀武士が飯道山の修験者たちを 使って情報収集を行っていたというのが正しいだろうねえ・・・ 和田惟政が忍者だったとか、あんまり言わないよねえ・・・
>>473 和田惟政の孫の山岡景友は、甲賀忍者の上忍といういわれ方をする。
475 :
日本@名無史さん :03/08/18 20:05
ロマンだねえ
476 :
日本@名無史さん :03/08/18 20:15
甲賀五十三家とかいうけど忍者のような卑しい職業は武士はしないよね
甲賀五十三家のなかで六角氏から感状を受けた二十一人のうちの 和田伊賀守って和田惟政の縁者なのでは?
478 :
日本@名無史さん :03/08/18 20:24
479 :
日本@名無史さん :03/08/18 20:28
もう自作自演はいいよ
この娘完全に騙されてますね。撮影者は業界人を装ってます。
そんな男に生理中にもかかわらずぶち込まれちゃいます。
カワイイ顔して大きなオッパイしてやるときはやります。
アップが多いので血のついたチンポの出し入れがモロ見えです。
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481 :
日本@名無史さん :03/08/18 21:11
>>457 それは、あなたの思い込みです。
伊達君、ごくろうさん。もういいよ。
読み方、囚虜う
某大河で、何故斧を装備させたのか、今以て理解不能である。
Oh!NO
485 :
日本@名無史さん :03/08/18 23:18
486 :
日本@名無史さん :03/08/19 04:50
>>483 いいんじゃない?今までの大河にゃいろんな一益が出てきたけど、
あの一益は一番好きだ。
池田恒興と血縁関係があったとしても、田舎から出てきて信長の
お気に入りとなり、大出世を遂げるには何か特徴あった方がいいだろう。
487 :
日本@名無史さん :03/08/21 02:03
結局 いちます でいいの?
正解なんてない。自分の好きなように読め。
490 :
日本@名無史さん :03/08/21 11:35
うんそうだよ
仕事は運送業ですか?
492 :
日本@名無史さん :03/08/22 01:39
滝川クリトリスの先祖は一益だそうだ
493 :
日本@名無史さん :03/08/22 01:44
>491 うんそうだよ
OSの調子が悪くて。遅らせばながら・・・。 ◆天正十年(1582) 関八州御警固、東国儀御取次時の家臣団@◆ ≪御連枝衆≫ 滝川三九朗一忠(厩橋城代)、滝川一時、津田小平次政秀(松井田城代)、前田慶次郎利益 ≪御家老衆≫ 滝川義太夫益氏(沼田城主)、滝川彦次郎利成(箕輪城主)、篠岡平右衛門、津田治右衛門尉 ≪御馬廻衆≫ 稲田久蔵、津田八郎五郎、津田理介、岩田市右衛門、岩田平蔵、栗田金右衛門、太田五右衛門、牧野伝蔵、篠岡五右衛門、山上藤七郎、富田喜太郎、神戸新九郎、堀田武助、稲生五左衛門、魚住与八郎、谷崎忠右衛門、
天正十年(1582) 関八州御警固、東国儀御取次時の家臣団A◆ ≪上野衆≫ 小幡上総介信貞(小幡城主)、真田昌幸父子(真田郷、沼田城代)、由良新六郎国重(金山城主)、 長尾新五郎顕長(館林城主)、内藤修理亮昌月(箕輪城代)、倉賀野(金井)淡路守秀景(倉賀野城主)、 和田右衛門大夫信業(和田城主)、安中左近太夫久繁(安中城)、木部内少輔貞朝(木部城)、 後閑下野守信重(石倉城主)、高山彦兵衛尉定重(上野高山城主)、長尾左衛門尉憲景(上野白井城) ≪武蔵衆≫ 成田下総守氏長(忍城主)、上田安独斎政朝(武州松山城主)、深谷左兵衛尉(深谷城主)、高山右馬助重正 ≪直参衆≫ 北条高広、景広父子、太田三楽資正、梶原政景父子(佐竹家客将)、倉賀野家吉(上杉家客将)、長尾稔光 ≪伊勢水軍衆≫ 犬飼助三、渡辺左内、岩間三太夫
あと信濃衆はまだよく調べていない。 滝川利益、滝川忠征、佐治益氏等もまだ調べ中。
滝川利益は前田刑事ね
高山彦兵衛尉定重(上野高山城主)と高山右馬助重正も微妙なところ。。。
あと、真田郷だと書いているが、古代律令に照らすと違うようだ。
ついで、500記念で!
501 :
日本@名無史さん :03/08/22 10:59
>>494 >>495 乙!すごい、参考になるYO!
でも無名武将が多いのはやっぱその後出世した人はあまりいないんだね
502 :
日本@名無史さん :03/08/22 11:12
前田慶次郎利益しか知らない。
504 :
日本@名無史さん :03/08/23 02:15
もと木全彦次郎忠征、のち豊前守。木全又左衛門忠澄の子。 戦功により滝川一益より苗字を賜る。
『勢州軍記』より 「彼豊前守者伊勢國住人木俣彦次郎也。一益依男色之愛為同名。 最義深者也云々。」
他には尾張衆と伊勢衆がある。上野国と信濃2郡は北伊勢4郡及び長島からの替地ではなく、 同時に支配していたようだ。それと有名どころでは志摩水軍の九鬼嘉隆も旗下とみられる。 また下総古河公方と和睦している為、通常は北条旗下である武蔵諸氏、独立色の強い 公方与力の成田、上田、深谷家も人質を送り旗下になっているようだ。 一益は関八州御警固、東国儀御取次で東日本全域で外交と戦略の要になっている。 恐らく、天正十年時の織田版図では嫡男信忠と盟友家康を除けば、直轄知行のみであると最大版図になる。 勝家や秀吉など胴元らでは利家や継潤など大身の「目付け」を置かれているが、 一益にはそういったことはないようだ。余程、信長に信頼されていたのであろうか。
507 :
日本@名無史さん :03/08/23 19:13
一益の娘は秋山直国室とある。 秋山直国は大和の国人で松永久秀に属す、とあるが もと北畠家臣だったらしい。伊勢つながりだが年代が 合わないような・・・?
508 :
日本@名無史さん :03/08/23 20:06
秋山って宇陀三人衆では? もともと大和の国民だよね。
509 :
日本@名無史さん :03/08/23 23:42
けっこういるなぁ
510 :
日本@名無史さん :03/08/24 02:09
滝川雄利って正しい実名? ほかにも勝雅とか雄親とかあるけど。 あと滝川三郎兵衛→羽柴下総守って改名していると思うけど、 羽柴三郎兵衛、羽柴下総介って正しいの? それとも滝川下総守ってあり? だれか教えてください。
512 :
日本@名無史さん :03/08/27 00:19
ところで滝川って誰よ
513 :
日本@名無史さん :03/08/27 01:10
>>510 ここには研究者はいないので
詳しいことを聞いても無駄だよ
514 :
日本@名無史さん :03/08/27 13:50
おれが答えてやろうか? めちゃ詳しいし
515 :
日本@名無史さん :03/08/28 01:15
お願いしまつ
516 :
日本@名無史さん :03/08/28 01:19
お願いしても無駄だと思う。 514はたぶん君より知らないよ。
517 :
日本@名無史さん :03/08/28 19:43
滝川三九郎
>>516 知識以前にやる気がないようだ。無駄もいいとこだね。
519 :
日本@名無史さん :03/08/29 00:02
めちゃめちゃくわしいって 信じるやつだけついてこいよ
駄目な男です、滝川
521 :
日本@名無史さん :03/08/29 09:32
滝川クリステル好き
522 :
日本@名無史さん :03/08/30 01:01
>>510 >あと滝川三郎兵衛→羽柴下総守って改名していると思うけど、
>羽柴三郎兵衛、羽柴下総介って正しいの?
>それとも滝川下総守ってあり?
詳しくないけど、「羽柴下総介」と署名のある文書はあるらしいけど。
523 :
日本@名無史さん :03/08/31 11:36
>>510 滝川雄利は伊勢木造氏(北畠氏一族)の出身で、
木造具康(後の織田秀信家老)の子といわれている。
僧籍にあったが、当時伊勢に侵攻してきた滝川一益の養子となって還俗、
「滝川三郎兵衛友足」と名乗った。
その後ちゃっかり北畠信雄の家老に納まって、「滝川三郎兵衛雄利」と改名。
小牧の戦いの後は、秀吉のお気に入りとなり、今度は「羽柴下総守勝雅」と改名。
大剛の士として知られていたが、主に外交面で活躍した。
信雄所領没収後も、秀吉のお伽衆として2万石を与えられた。
関ヶ原で西軍に与して所領没収されるが、翌年家康に召し出され2万石。
子正利が家を継いだが、2千石に減知された。
こうしてみると、なかなかの世渡り上手。
実力本位の戦国時代とはいえ、コネも大事な要素なんですね。
戦争も外交も得意なのでいろいろ重宝された部分もあるんでしょうけど。
>523 >子正利が家を継いだが、2千石に減知された。 実子がいなかったら1万8千石を返上した上で、養子を迎えたみたいだね。 無嗣断絶させるよりは知行が減ってでも家を存続させる方がマシか。
忍者ですが何か?
526 :
日本@名無史さん :03/09/01 00:11
>>525 ああ、伊賀甲賀には忍者以外の職業はないからな。
侍も農民も一人もいない土地柄だから、
そこの出身者の君は当然ニンジャだ。
527 :
日本@名無史さん :03/09/01 02:33
>>523 友足って実名?
勝雅って署名はなかったと思うけど。
528 :
日本@名無史さん :03/09/01 16:28
だんだんまともなすれになってきだぞぉ がんがんいこうぜ
529 :
日本@名無史さん :03/09/01 22:49
>>527 羽柴勝雅という名は歴史小説でよく見かけますけど、古文書の署名には無いようです。
「真田幸村」のようなものですね。また、勢州軍記では羽柴下総守雄親とあります。
当時は何回も改名する人が多かったし、神経質にならなくてもいいんじゃないでしょうか。
羽柴三郎兵衛という呼ばれ方も、羽柴下総介雄利という自署名も
いずれも間違っていないと思いますよ。
ひとつ付け加えると、「羽柴○○守」という称号は、当時はかなりのブランドだったようです。
羽柴筑前守(前田利家)、羽柴肥前守(前田利長)、羽柴越中守(細川忠興)、
羽柴越前守(丹羽長秀)、羽柴三河守(結城秀康)、羽柴武蔵守(徳川秀忠)
そうそうたる面々ですよね。
羽柴下総守という名乗りは大変名誉だったのではないでしょうか。
530 :
日本@名無史さん :03/09/02 01:18
>>529 >神経質にならなくてもいいんじゃないでしょうか
ここは学問板です。
大事なところです。
531 :
日本@名無史さん :03/09/02 01:36
>>529 > 当時は何回も改名する人が多かったし、神経質にならなくてもいいんじゃないでしょうか。
結城秀康で懲りてなかったのか? 相変わらず思い込み炸裂だな、伊達君。(w
ここは厨房!板でもなければ最悪板でもないんだよ。あんまりデムパ飛ばさないでくれ。
532 :
日本@名無史さん :03/09/02 01:43
大事なのは一益がイチマスかカズマスかだろ?
533 :
日本@名無史さん :03/09/02 03:34
それもこれも大事
534 :
日本@名無史さん :03/09/02 15:48
その前に忍者か否かが大事だとおも(ry
535 :
日本@名無史さん :03/09/02 21:17
なにかちょっとスレ違いのような気もしてきましたが・・・ 滝川雄利の事績全体については、大日本史料の慶長15年2月26日条が参考となります。 信長公記の天正4年9月の伊賀攻めの部将として「滝川三郎兵衛」が出てきます。 太閤記では天正12年10月までは「滝川三郎兵衛」、天正15年5月以降は「羽柴下総守」です。 言経卿記の天正13年2月27日の記事に「羽柴三郎兵衛」とあります。 大日本史料の天正12年12月12日条と天正13年11月28日条には、 「羽柴勝雅」が秀吉・家康の講和に奔走している記事があります。 天正14年12月5日付け文書では「羽柴下総介」と自署しているようです。 文禄3年6月17日付け文書では伊勢国検地奉行の1人として「羽柴下総守」。 慶長5年の関ヶ原の合戦の時も「羽柴下総守」です(真田文書)。
536 :
日本@名無史さん :03/09/02 21:17
>>535 の続き
材料は少ないですが、秀吉・信雄の講和後、3年弱の間に、
滝川三郎兵衛→羽柴三郎兵衛→羽柴下総介→羽柴下総守
と目まぐるしく名乗りを変えたと想定できなくもありません。
ただ、太田牛一の太閤軍記で木村常陸介が木村常陸守と記されているように、
当時の「守」「介」は、アバウトに使われていた可能性もあります。
>>527 さん、自署で諱を書いた文書があるのでしょうか? あればご教示願います。
537 :
日本@名無史さん :03/09/02 21:56
538 :
日本@名無史さん :03/09/02 22:44
読み方はもう飽きた
539 :
日本@名無史さん :03/09/03 09:46
結局「いちます」が正しいんだね。
540 :
日本@名無史さん :03/09/03 12:11
またイチます野郎が出没してきたか 誰だ蒸し返した馬鹿は
結局のところどう読むかなんてわからないんだろ?
答えは
>>189 で終了
542 :
日本@名無史さん :03/09/03 15:50
それは間違ってるだろ。 文字は当て字で「いい」なんて。 いいわけないだろ。 たとえば天皇や将軍と同じ読みや漢字の場合、変えたりするんだから。 189ではわざと省いているけど 「この説には異論もある」と書いてあるじゃないか。
543 :
日本@名無史さん :03/09/04 08:31
嫡子一忠はなんて読むのだろうか!? @かずただ? Aいちただ? Bいつただ? Cいっちゅう?
読み方厨うざい
545 :
日本@名無史さん :03/09/04 11:30
>543 いちただ のようですが
かずますならかずただ いちますならいちただ
また始まったか・・・ 以下ループ
548 :
日本@名無史さん :03/09/04 12:18
読み方関係は専用スレ作ったら?
550 :
日本@名無史さん :03/09/04 20:23
>>543 「寛政譜」では「かづたゞ」とあります。
父・一益は「いちます」
弟・一時は「いつとき」
子・一乗は「いちのり」です。
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたイチマス信者。
読み方関係は専用スレ作ったら?
本家と分家じゃ読みが違うだけだろう。そういう話がたまにあるし。
554 :
日本@名無史さん :03/09/05 02:36
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたカズマス信者。
555 :
日本@名無史さん :03/09/05 13:25
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたイチマス信者。
556 :
日本@名無史さん :03/09/05 14:19
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたカズマス信者。
557 :
日本@名無史さん :03/09/05 16:14
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたイチマス信者。
558 :
日本@名無史さん :03/09/05 20:15
つまらん!お前らのレスはつまらん!
559 :
日本@名無史さん :03/09/05 20:30
キンチョー
560 :
日本@名無史さん :03/09/06 01:21
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたカズマス信者。
底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたイチマス信者
読み方関係は専用スレ作ったら?
結論:どっちでもいい
564 :
日本@名無史さん :03/09/06 02:14
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたカズマス信者
イチエキでもカズエキでもいいんだよ。
566 :
日本@名無史さん :03/09/06 08:21
底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたイチマス信者
未だに、滝川一滴と読んでしまう癖があるう。
568 :
日本@名無史さん :03/09/06 11:50
徹底的に論破されて発狂、逃走した挙げ句、 ほとぼりが冷めたらまた出没しはじめたカズマス信者
569 :
日本@名無史さん :03/09/06 11:57
日本語で考えろ。 音訓よみが違うのはおかしい。 ↓ 日本語の問題ではない。 ↓ 例を出して見ろ。 ↓ あれ?重箱とかはちがうの? ↓ 沈黙 これが「かずます」派の主張ですね。 ほかに根拠はないんですか?
570 :
日本@名無史さん :03/09/06 15:07
>>569 人名に音訓混じるのがおかしいって言ってんだろ?
重箱読みそのものを例にしてどうすんの?
571 :
日本@名無史さん :03/09/06 21:35
>>570 だからさ何度も同じこと聞くなよ。
なぜ人名に音訓混じるとおかしいのか言って見ろよ。
日本語の問題か?…ww
あほ丸出し
ほんとしつけー野郎だな
>>571 そうだが?
で、イチマスの根拠は?
相変わらず『寛政譜』ですか?
>>569 重箱読みに対して沈黙していないことは、
読めばわかるはずなんだけど。
自分に都合の悪いレスは無視してません?
576 :
日本@名無史さん :03/09/07 00:09
>>574 一族がわざわざ「いちます」だと主張してたわけだ。
それを「日本語としておかしい」という理由で否定するのは如何なものか。
577 :
日本@名無史さん :03/09/07 00:22
>>576 系図というものを過信し過ぎ。
第一それを言うなら庶流家では「かずます」だが。
他に音訓交じりの例があるのならまだしも、
皆無だからねえ・・・
そういえば他にも例はあると言い張ってたが
早く教えてくれw
578 :
日本@名無史さん :03/09/07 00:35
滝川本家が特別なだけ
まだやってんのかよ
580 :
日本@名無史さん :03/09/07 01:37
なんでもいいけど はやく「かずます」という根拠を示してくれよ。 まずはそれからだ。
581 :
日本@名無史さん :03/09/07 09:41
582 :
日本@名無史さん :03/09/07 09:41
読み方の話題はもういいよ
583 :
日本@名無史さん :03/09/07 11:49
>581 つべこべ言わずにはやく出してくれよ。 音訓混じるのがおかしいというのは根拠とはいわない。 なぜならおかしいと感じるのは君だけだからだw
584 :
日本@名無史さん :03/09/07 13:50
>>583 おまえが出せよw
他に音訓混じってる例を。
重箱なんて言うなよw
585 :
日本@名無史さん :03/09/07 14:10
>>584 『寛政譜』何度も出てるだろ。
さあ出してw
586 :
日本@名無史さん :03/09/07 14:14
587 :
日本@名無史さん :03/09/07 14:18
>>584 重箱
お前は「かさねばこ」とよむのか。
588 :
日本@名無史さん :03/09/07 14:20
ところで 滝川軍団の副将って誰なの?
589 :
日本@名無史さん :03/09/07 14:34
590 :
日本@名無史さん :03/09/07 16:36
>>588 賤ヶ岳の合戦の時の配備
峰城:滝川儀太夫(益重)
亀山城:佐治新介(益氏)
関城:滝川豊前守(忠征)
この3人が副将級じゃないかな。
591 :
日本@名無史さん :03/09/07 16:44
一族? 兄弟??
音訓交じりなんて狂気の沙汰。
イチマスはあだな。あだなに理屈などない。
594 :
日本@名無史さん :03/09/08 01:46
かずますはあだな。 あだ名のほうが一般的になっちゃうことってよくあるだろ?
595 :
日本@名無史さん :03/09/08 01:50
それでカズマスの根拠は? あるなら早く示してくれよw いつまでたっても「一つも」出てこないね。
596 :
日本@名無史さん :03/09/08 02:08
かずますのほうがかっこいい。
597 :
日本@名無史さん :03/09/08 02:43
>>595 例えば「絵本太閤記」の挿絵には「かずます」とある。
常識的に読めば「かずます」なのだ。
いくら一族だからって、系図に「いちます」などという仮名を
振って常識に反する読み方をさせようとするとは日本語に対する
侮辱だ。謝罪せよ。
>597 「絵本太閤記」以外のソースを希望。
599 :
日本@名無史さん :03/09/08 12:24
「絵本太閤記」が根拠?藁 本気かよ、おい!!
600 :
日本@名無史さん :03/09/08 12:24
一次史料を出してくれ。
601 :
日本@名無史さん :03/09/08 13:31
常識的に読めば「かずます」である一例に過ぎない。 それを言ったら読みに文献史料の無い武将のほうが多いのではないかね。 しかし我々は常識的な日本語の構成に照らし合わせてそれを 読んでいるわけだ。 「いちます」などという読みは少なくとも17世紀以前の日本では 有り得ない。
602 :
日本@名無史さん :03/09/08 13:37
吉良義央の場合も「よしなか」「よしひさ」と諸説あるしね。
603 :
日本@名無史さん :03/09/08 18:54
>>599 寛政譜読んだことなかったのに偉そうだねw
604 :
日本@名無史さん :03/09/08 19:41
やはり読み方の問題になるとスレが活発化するなあ。 二益目行くためにも「いちます」派にもう少し頑張ってもらおう。 中世以前における名前の音読みの例まだかなあ。
索引から実名が「一*」の武将を調べて、読みを全部チェックしてみたいが。 誰か『寛政譜』を手元に持っている人間はいないのか? ……たぶん滝川氏以外はみな「かず」何とかなんだろうけど。
いちます:典拠はあるが、日本語としてありえない? かずます:典拠は怪しいが、日本語として正しい? 「一」の人名用の読み方は20種類以上あるらしいので、 もっと変わった読み方をしている史料がもしかしたらあるかもしれない。
「寛政譜」を全面的に信用するとなると信雄も「のぶを」だし信勝も信行なわけだ
608 :
日本@名無史さん :03/09/08 21:28
結局、イチマス派ってのは、変わった読み方に飛びついて悦に入ってる連中だろ。 通説に異論を唱えて得意になってる厨の匂いがするな。
織田信雄の場合、一字与えられた土方氏も「雄」を「お」と読んでいたような。 土方雄久は「おひさ」と『寛政譜』にあったような。 滝川一益も「一」の字を誰かに与えてりゃ、比較できたのになぁ。
610 :
日本@名無史さん :03/09/08 22:30
にんじゃぁ〜!!
611 :
日本@名無史さん :03/09/08 23:03
>>609 名前の一文字目を与える場合の方が少ないからのう
612 :
日本@名無史さん :03/09/08 23:07
>>607 信行は論外にしても、否定しうる史料が無い場合はどうするかね?
>>612 それでも盲信するのは危険。
関ヶ原から約200年も後に書かれたもんだし。
実際、確かな史料とつきあわせると寛政譜の家伝が
誤りであることなど多々ある。
仁鶴(ニカク)、鶴光(ツルコ)、鶴瓶(ツルベ) ↓ 笑瓶(ショウヘイ)
>>614 なんと!師匠から戴いた二文字目を自分の二文字目にするとは!!
不遜!不遜であるぞ!!
いちます派が必死すぎて笑える(ワラ
617 :
日本@名無史さん :03/09/09 03:04
で、
カズマスだという根拠はまだ?
永遠に出てこないんじゃない?
それから
>>601 >「いちます」などという読みは少なくとも17世紀以前の日本では
>有り得ない。
それはあなたの思い込みです。
つーかはやくその根拠を示してくれよ。
どうしてカズマスははそんなに必死に否定したいの?
618 :
日本@名無史さん :03/09/09 03:10
カズマス派「絵本太平記」 イチマス派「寛政譜」 史料の価値からイチマス派の勝ちでいいの?
619 :
日本@名無史さん :03/09/09 04:26
>>604 >中世以前における名前の音読みの例まだかなあ。
そんなものいくらでもあるけど?
本気ですか?
620 :
日本@名無史さん :03/09/09 04:28
>>605 >……たぶん滝川氏以外はみな「かず」何とかなんだろうけど。
悪いが、寛政譜では、旗本石川家(家成や数正の同族)の家系も初期は「一」を
通字に使っていたが、読みは「かず」だったり「いち」だったり。
622 :
日本@名無史さん :03/09/09 13:13
結局、カズマス派ってのは、自分の思い込みにしがみついて悦に入ってる連中だろ。 正論に異論を唱えて得意になってる厨の匂いがするな。
623 :
日本@名無史さん :03/09/09 13:34
結局、イチマス派ってのは、自分の思い込みにしがみついて悦に入ってる連中だろ。 正論に異論を唱えて得意になってる厨の匂いがするな。
624 :
日本@名無史さん :03/09/09 20:03
この際、イチマスだろうがカズマスだろうがどっちでもいい。
625 :
日本@名無史さん :03/09/09 20:11
不毛なスレだな。 滝川一益の業績について語ることはできんのか?
626 :
日本@名無史さん :03/09/09 20:33
>>625 そんな上等なことができるのなら、名前のことで議論なんぞやるわけがないw
>621 ということは滝川氏だけが「いち」と例外的な読みをしている訳じゃない、と。
628 :
日本@名無史さん :03/09/09 21:56
じゃあワンプロフィットでいいじゃん、読み方は ほんと、つまらん じゃあ、新ネタ行こう!
629 :
日本@名無史さん :03/09/09 22:10
江戸時代に入ってから読み方に変化が生じてきたってのに、 『寛政譜』なんか使えるかよ。 しかも読みの問題に一次史料を使えとか言ってるし。
>625 業績だったら『織田信長家臣人名辞典』を読め、で済んじゃうからじゃない?
631 :
日本@名無史さん :03/09/10 01:46
>>629 秀吉や光秀のあだ名に関する一次史料ならあるのにねえ
632 :
日本@名無史さん :03/09/10 03:29
ともかく根拠を示せないので カズマス派の負け。 でいいですかw
633 :
日本@名無史さん :03/09/10 03:30
634 :
日本@名無史さん :03/09/10 03:35
>>632 常識的読み方にいちい根拠が必要なんですか?
例外の方にこそ根拠が必要なんじゃないんですか?
じゃあ秀吉もひでよしと読む根拠が必要だな
光秀もみつひでじゃないかもしれない
635 :
日本@名無史さん :03/09/10 03:42
>>634 当然のことです。
なぜならあなたの言うその「常識」というのはあなたの思い込みにすぎないからです。
636 :
日本@名無史さん :03/09/10 03:51
>>635 一をかずと読むのはいちと読むよりはるかに人名読みとしては一般的だと思うが?
それすらも思い込みと仰るなら言う事はありませんが。
637 :
日本@名無史さん :03/09/10 05:10
>>636 何をもって一般的というのだろう。
「一郎」これは「いちろう」の方が一般的ですが・・・?
638 :
日本@名無史さん :03/09/10 05:13
昔なら太郎だが
639 :
日本@名無史さん :03/09/10 05:41
山内一豊・三善一守・橋本道一・戸田一西・垣見一直・関一政 青木一矩・長尾一勝・小堀政一・長谷川秀一・大田牛一 なんと読むのでしょうか?
640 :
日本@名無史さん :03/09/10 06:57
粘着だなぁ 友達いねーのかよ
641 :
日本@名無史さん :03/09/10 10:44
いちます派は逃げ出した
642 :
日本@名無史さん :03/09/10 11:40
>>637 baka?
諱と通称の違いもわからないんですか?
どっちでもいい派は俺だけか?
644 :
日本@名無史さん :03/09/10 11:49
番号マチガイタ
646 :
日本@名無史さん :03/09/10 12:23
>>642 baka?
諱と通称の違いなんて関係ないのもわからないんですか?
人名読みとしかないけど?
647 :
日本@名無史さん :03/09/10 12:46
>>646 「人名読み」という言葉に殊更に拘泥しようというのなら「諱の読み」と訂正しよう。
だが諱と通称の違いが関係ないと思ってる馬鹿の方のようなのでこれ以上話しても無駄か
>>647 そうやって突っ張ってると、相手も納得してくれないぞ。
それとも、その書き込みは自慰に過ぎないのか?
649 :
日本@名無史さん :03/09/10 15:39
>>648 きみも相当な阿呆のようだね。
諱と通称の違いが関係ないと思ってるんだからその時点で話が噛み合わないだろ?
こっちは諱に音と訓が混じるのがおかしいと言ってるのに、
通称も諱も関係ないと思ってるんだから納得するはずがない。
それにしてもイチマス派はいつも自分の都合のいいように事態を勝手に解釈して
強引に勝利宣言にまで持っていこうとするなw
俺は「突っ張ってると」としか書いていませんよ? 「いちます」とも「かずます」とも、私はこのスレで書いたことが無い。
651 :
日本@名無史さん :03/09/10 18:14
>>649 また激論してますな!
折れは通常、諱と通称の違いはあると思う。だけどここでは取り合えず
触れない。
で、
>>こっちは諱に音と訓が混じるのがおかしいと言ってるのに、
ここではすれ違いかも知れないが、日本語の発生において音と訓の違い
が何故できたのかご存知だろうか?
最近の研究によると数詞だけは訓ではなく本来は「音」だと言うこと
を・・・
まぁ、だからといって戦国期はおそらく訓読みとしてほぼ確立してはい
るが。
652 :
日本@名無史さん :03/09/10 18:14
>>650 そうやって突っ張ってると、相手も納得してくれないぞ。
それとも、その書き込みは自慰に過ぎないのか?
結局、いつまで経っても読み方しか話題が起きないのな。
全然纏まらないし。
>>652 どこが突っ張ってるように見えるのか是非教えてください。宜しく。
654 :
日本@名無史さん :03/09/10 18:35
>>651 訓はもともと日本にあった言葉を漢字に当てたもの、
音は中国から入ってきたもので原型をある程度留めている
という風に理解しているが、間違ってますか?
>最近の研究によると数詞だけは訓ではなく本来は「音」だと言うことを・・・
最近の研究というのがどういうものかしらんが、興味あるのでソース希望
ということは、もともとの日本語には数字を言い表す概念がなかった
ということですか?古代日本人はそんなに馬鹿だったの?
>>639 やまうちいちとよ・みよしいちもり・はしもとみちいち・とだいちにし・かきみいちなお・せきいちまさ
あおきいちのり・ながおいちかつ・こぼりまさいち・はせがわひでいち・おおたうしいち
ですが、何か?
「はしばこかずろうひでなが」とは言いませんが何か?(w
657 :
日本@名無史さん :03/09/10 20:07
諱と通称の違いもわからないんですか?
658 :
日本@名無史さん :03/09/10 20:20
諱と通称の読み方の違いを本気で知らないとは思えない。 このスレを長らえさせるために無知をよそおっているのだろう。 何にせよ、中世で「一」を「諱」で「いち」と読む例がなくては始まらない。
659 :
日本@名無史さん :03/09/10 20:21
おおたぎゅういち
660 :
日本@名無史さん :03/09/10 20:23
「牛一」ってイミナ?通称?
661 :
日本@名無史さん :03/09/10 20:39
「いちます」に合わせるなら「うしいち」とでもしないと
662 :
日本@名無史さん :03/09/10 21:26
>>663 _、_ グッジョブ!! _n
( ,_ノ` ) n ( l _、_
 ̄ \ ( E) \\ ( <_,` )
フ /ヽ ヽ_// ヽ___ ̄ ̄ ) グッジョブ!!
/ /
_n
( l _、_
\ \ ( <_,` )
ヽ___ ̄ ̄ ) グッジョブ!!
/ /
665 :
日本@名無史さん :03/09/11 02:34
>>654 >ということは、もともとの日本語には数字を言い表す概念がなかった
>ということですか?古代日本人はそんなに馬鹿だったの?
ちゃんとあるよ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、…。
それから
わかりやすい例を出せば、北京語で例えば「三」は「さん」と発音するよね。
666 :
日本@名無史さん :03/09/11 02:55
ふうむ。 つまり「かずます」も「いちます」も間違いで、 「ひとます」が正しいわけだな。日本語として。
667 :
日本@名無史さん :03/09/11 03:39
だから名前に間違いなんてないの。 日本語の問題でもないの。
668 :
日本@名無史さん :03/09/11 03:42
だから諱が音訓混ざった奴の例あげろって
>>654 >訓はもともと日本にあった言葉を漢字に当てたもの、
学生さんでしょうか?基本的には正解。ただ数詞や固有単語に関しては「もともと日本にあった言葉」ではなく、読み方が変わったらしいとの事。
正確にいうと数詞については平安期に訓読みがほぼ現在の形に固定する。
私が云っている最近の研究とは古代言語学の中では「時代に応じて数詞は変化しやすい」との事を指している。
あと正確にいうと最近っていってもここ二十年くらいは非常に盛ん。しかし中国史書に百済、高句麗語など周辺諸語は、
漢音を当てているので昔から研究はなされている。
ソースは、あえて言うなら中国正史書(おいおいw)。興味があるのであればググっても多く出てます。また本屋や図書館にも古代日本語関連書籍は多くあります。
調べてみては?他の板にもスレがあるので覗いてみるのも一興。
日本語は漢音、呉音以外に古代東南アジア系諸語、古代ツングース系諸語、古代アイヌ語、古代百済、高句麗語等が複雑に絡みあってできたようなので、
訓読みの大和言葉でさえ成り立ちを考えると音と訓だけでは簡単に整理はできない。
私見ではあるが「一益」の読み方だが寛政譜では『いちます』で、嫡子の「一忠」は唯一『かづただ』。
ここら辺を考察してみるのがポイントか!?
670 :
日本@名無史さん :03/09/11 10:29
671 :
日本@名無史さん :03/09/11 10:33
寛政譜をどうしてそこまで信用するのかね。 18C末に編纂されたもんですよ? 俺は専門じゃないけど歴史学ってそんなにいい加減な 学問なの?ぜんぜん実証的じゃないね
672 :
日本@名無史さん :03/09/11 11:42
673 :
日本@名無史さん :03/09/11 13:03
カズマス派はどうしようもない屑ばっかりだな。 話にならんわ。
674 :
日本@名無史さん :03/09/11 13:17
話にならないのは、イチマス派の屑だな 絵本太閤記も同じ寛政期のものだが、「かずます」と振り仮名 寛政譜は、振り仮名の間違い多々有り これだけあるのに、寛政譜をまんま信用しろとしか言えない阿呆 他の名に一がつく人物の読みを調べても「かず」ばかり 子供は駄々こねてないで、三戦板に帰っとけ
675 :
日本@名無史さん :03/09/11 13:32
>>672 読みました。
イチマス派の痛々しい狂乱ぶりが目立ってましたねw
676 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:23
>>674 過去レスよく嫁
他に例がでてるだろ?
そもそも「絵本太閤記」を信用するDQNは三戦板へ逝ってね。w
>>675 読解力ないの?w
677 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:27
DQNの一つ覚えのカズマス野郎。
678 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:27
いちます派ってなんでこんなに粘着キチガイなの? 松沢病院逝ったら?
679 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:29
かずます派ってなんでこんなに粘着キチガイなの? 松沢病院逝ったら?
680 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:32
ここ荒れてるね ちょっと行司してみるけど 根拠はそれぞれ 「かずます」は絵本太閤記 「いちます」は寛政譜 しか挙がってないけど他にないの?
681 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:36
絵本太閤記に描かれてる歴史の事象を、事実として信用しろというならそうだろうが
絵本太閤記に書かれてる読みは、世間一般ではどう読まれていたかを知る上で重要な証拠にはなり得る
それを絵本太閤記は信用出来ない史料だと、史実考証の上での史料批判と
語学考証上での史料批判とを混同する、史料批判の基礎もわからないような
>>676 には理解出来ないよ
過去ログ嫁としか書けないようだし(過去ログ見ても、他の例無し)
駄目だね、この屑は
682 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:52
かずます派は史料批判の基礎も知らず 読解力もない低能w
イチマス派は煽りばかりだね。
684 :
日本@名無史さん :03/09/11 19:58
↑カズマス派の煽りブタ登場(ワラ
煽りじゃなくて見たまんまを書いただけだけど…。 煽りに必死なんだね…。
スレの流れ追って見たが 実はイチマス派って一人しかいないんじゃないの?
煽ってる(遊んでる)のもいるだろうが、 本気なのは多分一人だと思う。
688 :
日本@名無史さん :03/09/12 03:00
カズマス派は煽りだけだね。w
>>681 >絵本太閤記に書かれてる読みは、世間一般ではどう読まれていたかを知る上で重要な証拠には
>なり得る
ヴァカですか?
そんなことしても意味ないだろ。
別に世間一般でどう読まれたかは関係ないし、時代も違うし。
他に言うこと無いのか?
つーか実のあることを言ってくれ。
煽りはもうたくさん。
689 :
日本@名無史さん :03/09/12 03:57
寛政期には一族の本家は「いちますだった」といい 庶民は「かずます」だったと思っていた。 だが実際は「ひとます」だからねえ・・・
いちます派は荒らしの負け犬でつねw
691 :
日本@名無史さん :03/09/12 06:31
寛政譜は滝川家は関与してないぞ。
>>689 幕府の御用学者が各家の系図を元に編纂しただけ。
つか寛政譜も時代が思いっきり違うけどね。
「いちます」の言い分は688みたいなのしかないっぽい。
論理的なレス出来ないみたい。
イチマス派には「バカの壁」を読む事をお薦めする
>>691 >幕府の御用学者が各家の系図を元に編纂しただけ。
そんなことないと思うぞ。寛政譜、ちゃんと見た事あるか?
694 :
日本@名無史さん :03/09/12 10:50
寛政譜寛政譜言ってる奴は寛政譜丸ごと信じてるのか? 後世編纂物にどれほどの信憑性があるか考えもせずに? しかも読みなんて時代につれて変化するもんであって それが忠実に相伝されているとは限らない
真田幸村と名乗った事になってるんでしょう、寛政譜を鵜呑みにする人は
696 :
日本@名無史さん :03/09/12 12:26
>695 逆だろう。 カズマス派は絵本太閤記を根拠にしている辞典で真田幸村が正しいんだろ。 だって「世間一般ではどう読まれていたかを知る上で重要な証拠にはなり得る」らしいから。 だとしたら北条早雲とかもありか。Ww
697 :
日本@名無史さん :03/09/12 12:33
論理的に考えると カズマス派の『絵本太閤記』 イチマス派の『寛政譜』 どちらの文献に史料的価値があるかということで結論でるだろ。 『絵本太閤記』の史料的価値は『寛政譜』に比べて低いといわざるを得ない。 ということでイチマス派の方が現時点では有力だと思うが?
698 :
日本@名無史さん :03/09/12 12:46
かずます派がんがれ 煽り負けしてるぞ
699 :
日本@名無史さん :03/09/12 12:55
絵本太閤記には真田幸村は登場しません 北条早雲も登場しません 寛政譜には真田幸村、初め信繁と書かれてます 世間一般のを採用してるのは寛政譜でも同じでしたなw
寛政譜は資料的価値は高いと思うが、史料的価値は低いぞ、言っておくが。
701 :
日本@名無史さん :03/09/12 14:55
イチマス厨必死だなw一人何役だ?
>>697 681 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:03/09/11 19:36
絵本太閤記に描かれてる歴史の事象を、事実として信用しろというならそうだろうが
絵本太閤記に書かれてる読みは、世間一般ではどう読まれていたかを知る上で重要な証拠にはなり得る
それを絵本太閤記は信用出来ない史料だと、史実考証の上での史料批判と
語学考証上での史料批判とを混同する、史料批判の基礎もわからないような
>>676 には理解出来ないよ
702 :
日本@名無史さん :03/09/12 14:59
>>696 世間一般でどう読まれていたか、というのは漢字の読み方のことだろ。
なんかわざと曲解してそれをタネに反論しているみたいだな
703 :
日本@名無史さん :03/09/12 23:48
681を読んでまだ、史料的価値が低いから、とか言ってるようじゃ ちょっとまずいんじゃないか?「いちます」派。
704 :
日本@名無史さん :03/09/13 03:32
>>703 具体的に指摘してみなよカズマス派。
語学考証なんたらいうんだったら可笑しいぞw
705 :
日本@名無史さん :03/09/13 04:37
まあそうだな。 当時「一般」でどう読まれていたかなんて関係ない。 一般に流布していることは必ずしも真実でないのと一緒だ。 どうも「かずます」派は根拠が示せないので話をすりかえようとしているようだね。
706 :
日本@名無史さん :03/09/13 05:20
一般的な読みは関係ないよね。確かに。 「いちます」というフリガナが何故振られたのか、だ。 1.フリガナを振った奴は日本語を知らなかった 2.真田幸村などと同じで「いちます」とする俗説があった 3.滝川本家がそう主張していた 4.なんとなく、クリスタル 5.神のお告げ 6.「いちます」の方が(・∀・)カクイイ!!から
707 :
日本@名無史さん :03/09/13 08:14
「寛政譜」は当時の若年寄堀田正敦が 諸家より家譜その他の資料を提出させて編纂した、 今で言えば政府刊行物だから、正解は3だろう。 もっと言えば、 幕府や滝川家では2ちゃんねらーと違い、 名前の重箱読みなど全く気にしていなかった ということなんだろうな。
滝川庶流家はかずます 一忠だけはかずただ
709 :
日本@名無史さん :03/09/13 10:03
>707 要するに「いちます」で正しいわけだ。
710 :
日本@名無史さん :03/09/13 10:18
絵本太閤記って創作の川角太閤記をもとにしたいわば漫画だよね。 そんなものを根拠にして恥ずかしくないか? ところで川角太閤記にはどう書いてあるんだ? 「かずます」w
711 :
日本@名無史さん :03/09/13 10:52
>>710 川角太閤記は「太閤記」物の中では、良質な書と言われているよ。
作者(川角三郎右衛門)は田中吉政の家臣で、成立は元和年間と推定されている。
秀吉・家康と同時代人であり、生前の一益に会っている可能性もある。
川角太閤記に「かづます」の読みがあるならば、
はるか後世に作られた寛政譜よりも資料価値は高いと思われるが、
そんな記述はどこにもない・・・。
712 :
日本@名無史さん :03/09/13 11:23
>>708 滝川家の正嫡争いが一益の読み方に影響している可能性はないかな?
弟・一時の家の方が栄えたので、本当は「かづます」なのに、
「いちます」ですと幕府に報告したのかもしれないよ。
「寛政譜」は当時の若年寄堀田正敦が 諸家より家譜その他の資料を提出させて編纂した ↓ 3.滝川本家がそう主張していた これが繋がると勝手に思い込んでるのが痛い。 真田幸村の件もそうだが、寛政譜での記載によって元の諸家譜が変わった例もあるんだが それに寛政譜の数多くある誤表記や誤読をどう説明付けるのか?
714 :
日本@名無史さん :03/09/13 13:26
>>711 元和年間じゃないだろ。
太閤記としては「甫庵太閤記」が最も成立が古い。
甫庵太閤記は寛永年間の成立。
甫庵も川角も史書としては大して価値はない
715 :
日本@名無史さん :03/09/13 13:28
史料批判を勘違いしてるのが居るけど、同一人物? 甫庵や川角太閤記の史書として価値ない? 甫庵太閤記で、史料的価値が低いとされてるの部分は、書かれてる歴史の事象ではなくて 甫庵が書いた注釈等の事ですよ。江戸期の著書なもので、完全に徳川寄りに書かれてるから。 逆に川角太閤記は豊臣贔屓で書かれてるので、双方ともそれを割り引いて捉えるだけの話。 史書として大して価値ないなんて嘘八百は止めて欲しい。
717 :
日本@名無史さん :03/09/13 23:50
>>716 注釈?なにそれw
じゃあ元々の底本があり別人が書いたものですか?
甫庵も川角もありゃ「事実を元にしたフィクション」に過ぎない
あんた、武功夜話も信じてる人でしょ?
718 :
日本@名無史さん :03/09/14 00:40
註釈も何も創作エピソード満載でしょ?こと甫庵太閤記に至っては。
>>717 甫庵すら見た事ないようだね。
甫庵太閤記には「評曰」「或曰」として必ず甫庵の注釈があるんですが。
アホ?
720 :
日本@名無史さん :03/09/14 00:51
段々いちます派の馬鹿さ加減が暴露されつつあるな
721 :
日本@名無史さん :03/09/14 00:55
甫庵太閤記から註釈を除けば信頼できるなんていう奴こそアホ
読んだ事もないので、注釈も知らなかったのが 甫庵太閤記が信用出来ないと言い放ってるよ。 書かれてる内容はどうやって見たのかな〜?
723 :
日本@名無史さん :03/09/14 01:09
小瀬甫庵による太閤記は古典文学に属しているが
それは内容が軍記物の形式を取り、儒学的観点で書かれている為に
史学からは扱いが悪いからである
だが、書かれてる事ついて虚構があるのかは、自分は見当たらない
虚構の記載があれば、指摘宜しく
>>721
725 :
日本@名無史さん :03/09/14 02:06
IDも無いのに〜同一人物と断定する〜低脳だな〜
726 :
日本@名無史さん :03/09/14 02:31
イチマス派は見当違いな煽りしか出来ませんね(^^
727 :
日本@名無史さん :03/09/14 02:37
「絵本太閤記」の「挿絵」に「かずます」って書いてあるだけなんだから、 このスレで甫庵太閤記を語る必要はないような・・・ 挿絵を描いた岡田玉山が「一益」を「かずます」と読んでいたという 事実だけが重要なんであってね。
728 :
日本@名無史さん :03/09/14 02:53
作者は武内確斎で、押絵が岡田玉山では?
729 :
日本@名無史さん :03/09/14 02:55
挿絵の中の「一益」に変体がなで「かずます」と ふってあるんだよ。おそらく書いたのは玉山。
730 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:02
同じ滝川でも分家(血筋から言えば一益直系)は「かずます」としてるけど これはどう考えてるの?
ごめん、直系じゃないね。。。
732 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:08
>>723 スレ違いだし721ではないが
思いつくものを挙げると
墨俣一夜城
733 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:09
いまどき甫庵太閤記に虚偽が無いなんて思いこむ人がいるとは… もしかして定年を迎えた人ですか?
734 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:10
>>732 甫庵太閤記には墨俣一夜城なんてありゃしないよ。
735 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:11
「墨俣一夜城」は書いてないわな。 もっとも、秀吉の偉業を讃える本であるにも関わらず、 「信長が美濃のどこかに城を築いて秀吉に与えた」 だけってのはどうかと思うが・・・ 本当に城持ちになったんなら城名ぐらい書けるはずだよねえ・・・
736 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:16
甫庵太閤記のどこが「秀吉の偉業を讃える本」なんだろ?????? また知ったかか!!!
737 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:19
日吉丸なる幼名の捏造からしてそうですが。
738 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:20
>>735 甫庵太閤記では秀吉は貶されまくってますが。
739 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:21
これだからかずます派は無知で困るよね。
740 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:23
>>737 日吉丸は甫庵太閤記の創作ではないのですが。
741 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:24
いちます派は読んだ事もない甫庵太閤記をググっているようです
742 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:25
( ´,_ゝ`)プッ
743 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:25
日吉丸の初出は甫庵太閤記
744 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:35
ところで日吉丸を否定しちゃうと、寛政譜の木下家家譜は全く捏造となりますが?
745 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:36
絵本太閤記に墨俣一夜城はあるね。
746 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:42
>>745 時代を降るにつれ、色んな話がごっちゃになって誕生したらしいね。
墨俣一夜城。
甫庵信長記には信長が墨俣に城を築いたとあるし、
甫庵太閤記には信長が美濃のどこかに城を築いて秀吉に与えたとある。
この二つがごっちゃになって『総見記』あたりでは
信長が墨俣に城を築いて秀吉に与えた話が出て来るようになる。
絵本太閤記は時代からしてこの流れの上にあるわけで。
747 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:43
そうそう。墨俣の城を築いたのが秀吉だということにしたのは 紛れもない「絵本太閤記」だね。
748 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:44
749 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:48
絵本太閤記の墨俣の話は築城だと思ったが一夜で作ったんだっけ? 一夜城の話は明治の誰かが創作した話かと思ってたよ。
751 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:50
「一夜で作ったように見せかけた」話では
752 :
日本@名無史さん :03/09/14 03:56
>>746 信長公記:信長が墨俣に要害を築かせた
甫庵信長記:信長が墨俣に城を築かせた
甫庵太閤記:信長が城を築かせ(場所は書いてなし)、秀吉を城主に据えた
753 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:05
754 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:10
>>753 わざわざ書く必要がなかったから書いてないだけ
755 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:11
つか、下二つはただの繰り返しジャン
756 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:15
757 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:19
チガウチガウ、下二ツハ746ノクリカエシジャン。 レスニ書く意味アッタノ?ッテ意味ダヨ。
758 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:22
>>757 「信長が“築いた”」のと「信長が“築かせた”」とでは違う
また信長公記からの流れを書いた
759 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:27
そうだな。信長が自分で土木作業するわけじゃないもんなw
760 :
日本@名無史さん :03/09/14 04:44
この場合は信長が直接築城を指揮したのか 家臣に指示して築かせたのかの違いを明確にしたかったんだよ
761 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:03
『信長公記』のは信長自ら出陣して墨俣を奪い、布陣していた のだから、「築いた」になるのでは。厳密に言いたいのなら。
762 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:26
十四条合戦の項では州の俣を奪い、要害を築かせ滞陣したとあるが… ただ、前の森部合戦の項では日比野下野と守長井甲斐守という将が 州の俣から迎撃に来てるので、元々の砦みたいなのはあったと思われる
763 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:30
だんだんスレの本旨とは離れてる。 絵本太閤記なぞ持ち出すボケがいるからだな。 「かずます」派はそれだけ悪あがきしているんだね。
764 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:32
>>752 信長公記に墨俣築城の話なんかあったっけ?
765 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:41
766 :
日本@名無史さん :03/09/14 05:42
いちます派の根拠の寛政譜が如何にテキトーな代物かもわかりました。
768 :
日本@名無史さん :03/09/14 07:19
>>764 「築城」とまでは書いてない。
もともと稲葉山の正面を守る支塁のようなものがあったのではないか。
信長がそこを奪って一時的に対陣していたようだ。
769 :
日本@名無史さん :03/09/14 11:01
>>768 要害を築かせた≒築城
だろ?ふつう
要害を城というかは別にしろ。
770 :
日本@名無史さん :03/09/14 11:18
とにかく 絵本太閤記は真田十勇士登場の真田三代記と同様史料的価値がない。 元ネタの甫庵太閤記が史料的価値がないことからもあきらか。 また語学考証とかなんとか訳のわからない屁理屈は論外。 そこのふりがなは作者がそう記したという事実のみにすぎないから。
771 :
日本@名無史さん :03/09/14 11:26
このスレの連中って、どうでもいいことで長々と議論してるな。 イミナの読み方なんて、本人の業績に関係ないんだから、どっちでもいいだろ。 日本史板なんだから、一益の織田家臣団における役割や業績について語れよ。
772 :
日本@名無史さん :03/09/14 11:52
日本史板は系図オタの巣窟だから、瑣末なことには異常な熱意を示しても、 いざ業績を語れと言われたら、誰も語るだけの知識がないんだよ(w
773 :
日本@名無史さん :03/09/14 14:46
>>719 甫庵太閤記は岩波文庫で復刻が出て速攻で買いましたが?
おまえこそ読んだことないんだろw
「注釈」ってなんだよw辞書で意味調べてみろよヴァカ
774 :
日本@名無史さん :03/09/14 14:50
結局、ののしり合いが目的化したスレかよ。 いい加減、スレタイに沿ったテーマに戻して内容のあるレスをつけろよ。
775 :
日本@名無史さん :03/09/14 15:07
>>719 =716は「或曰〜」の部分だけは信用出来ないが、それ以外の本文の
歴史の事象は全部信じているお人好し(バカ)らしいです。
注釈もなにも全部ひっくるめて甫庵が書いたものであって、そんなものに
信憑性の差が出るわけがないのに。もしかして太田牛一あたりが書いたもの
に甫庵が注釈したものが甫庵太閤記だとでも思っていたんですか?
776 :
日本@名無史さん :03/09/14 15:15
イチマスでもカズマスでもいいから、本人の業績や生涯について語ってくれよ>ALL あと、太閤記の話は専用のスレを立てた方がいいのでは?
777 :
日本@名無史さん :03/09/14 15:20
>>776 まともな話しててもイチマス厨が邪魔しにくる
一時は持ち直したんだが。
一昨年の平頼綱スレを思い出すなあ・・・・・・
779 :
日本@名無史さん :03/09/14 15:49
>>776 業績=よくわからんうちに一軍の将に出世していた
生涯=本能寺以降がショボイ
780 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:13
カズマス厨はしつこいね。 思い込み激しすぎw
781 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:17
カズマス派>>>>>馬鹿の壁>>>>イチマス派
782 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:18
カズマス厨はしつこいね。 思い込み激しすぎw
カズマス派>>>>>馬鹿の壁>>>>イチマス派
784 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:28
カズマス厨はしつこいね。 思い込み激しすぎw
785 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:36
決定的で明解な答えが導き出せない以上 「いまのところ」は公式の家譜といえる『寛政譜』に従うべきだと思う。 ほかに読み方を記しているという『絵本太閤記』の読み方には根拠がまったくない。 滝川家とまったく関係のない著者が、勝手に記入したにすぎない。 実名はその性格上、通常あまりおおっぴらに使われないということに留意すべきで、 江戸時代後期になればなるほど、特殊な読み方をする実名が多くなるように、 どういう読み方をするかはあくまでも個人的なものとも言えるだろう。 また読み方は瑣末なことともいえない。 たしかに個人の業績とは直接関係ないかもしれないが、主君と同じ読み方のときは遠慮して変える例があるように、 学問としては無視するわけにはいかないだろう。
786 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:37
このスレ、終わったな・・・
787 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:51
カズマス厨はしつこいね。 思い込み激しすぎw
788 :
日本@名無史さん :03/09/14 16:54
コピペ厨もしつこい。つーかウザすぎ。 読み方なんて、どっちでもいいんだよ。そんなこと一益の業績に関係ない。 荒らしが目的なら、さっさと出ていけ!!
789 :
日本@名無史さん :03/09/14 17:29
>>785 だから、寛政譜でも本家と分家で違ってるんだって。
790 :
日本@名無史さん :03/09/14 17:35
いい加減、読み方の話題はヤメレ 全然、「総合スレッド」じゃないじゃん。 もっと他のネタはないのか?
791 :
日本@名無史さん :03/09/14 17:39
信長公から関東管領に任命されたというけれど、名目上だけのもので北條は従ってない
792 :
日本@名無史さん :03/09/14 17:48
滝川一益は、ノイローゼ気味だった。 結局、秀吉とは器が違う。
793 :
日本@名無史さん :03/09/14 18:01
関東管領より茶器の方が良いっていうモチベーションだからなあ
>>719 =716は「或曰〜」の部分だけは信用出来ないが、それ以外の本文の
歴史の事象は全部信じているお人好し(バカ)らしいです。
↑
読んでないのがバレバレだから、そんな恥ずかしい事は書かない方がいいぞw
或曰は、儒教観からくる補足説明だぞ
注釈は補足説明と辞書にしっかり書いてるがな
頭悪すぎ
795 :
日本@名無史さん :03/09/14 20:57
>>794 で?
或曰〜以外は信用できるという根拠は?
甫庵太閤記は確かに持ってはいるけど滅多に読まないよ
だって史料的価値ないもんw
古典文学としても三流
甫庵太閤記なんか読んで自慢ゲな794はやはりヴァカw
796 :
日本@名無史さん :03/09/14 21:02
>>794-795 もう、その話は終わったの。
太閤記ネタは別の場所でやりなさい。他の人に迷惑だよ。
797 :
日本@名無史さん :03/09/14 23:32
古典文学として考えれば、後世の秀吉ネタの本にすべからく影響を 与えているのだから、相当に偉大な本ではないか。 甫庵信長記も後世の信長ネタの本という本に影響を与えているし、 甫庵という人物、決してあなどれぬよ。
798 :
日本@名無史さん :03/09/14 23:49
諱の研究してる人っていないのかな? 名字ならいろんな人が研究してるのに。 こういう立遅れがこのスレの状況をつくったんだな。
799 :
日本@名無史さん :03/09/14 23:57
ここは滝川スレであって、秀吉スレでも太閤記スレでもないんだが・・・ まして人名考証スレではない。 TPOをわきまえた書き込みをお願いしたい。
800 :
日本@名無史さん :03/09/14 23:58
とりあえず、人名ヲタはうんこ
801 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:02
>>1 のリンク先がああであることは、
むしろ人名考証スレになることを望んだのでは、
とも思える。諱の読み方を考えるスレなんてないし・・・。
802 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:03
>>797 甫庵信長記なんて、太田牛一の信長公記そのまんまパクって
あることないことをもっともらしく装飾しただけじゃん。まさに換骨奪胎
後世に影響を与えたのは、確かだが悪い影響。
桶狭間奇襲説、長篠鉄砲三千挺説などなど歴史を歪曲し、
参謀本部もそれを鵜呑みにし、結果昭和敗戦へと(ry
鈴木真哉の影響?この人。
804 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:08
>>803 誰の影響であろうと客観的事実には変わりはない。
805 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:11
音読はないよ
806 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:11
太閤記の話題はほどほどに。
807 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:12
人名ネタは一切禁止、やりたいヤツは専用スレ立てろ。
808 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:12
じゃ次は信長記か
809 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:34
>>802 そんなこと言ったら、司馬遼太郎は極めて悪い影響を与えた人物に
なってしまうw
問題は普通に検証すれば「歴史書」として価値が無いことなんざ
すぐに分かるのに、それすらしなかった学者だの何だのだろw
>>803 なんでも鈴木を持ち出すのも馬鹿の一つ覚えだな。
810 :
日本@名無史さん :03/09/15 00:40
>>808 『信長記』と言えば、滝川一益が清洲会議に出席できなかったことに
関して、甫庵信長記では一益はまだ関東から帰り着いてなかったという
話になってるんだよね。で、出所こそ怪しいが話としては在り得ると
する人も結構いるんだよね。
この辺、本当はどうだったんだろう。物理的には出席可能だったけど
出席を阻まれたのか、あるいは秀吉なりが機転をきかせて、一益が
帰ってきて重臣が勢ぞろいする前に清洲会議を始めてしまったのか。
811 :
日本@名無史さん :03/09/15 01:56
>>809 >なんでも鈴木を持ち出すのも馬鹿の一つ覚えだな。
図星か
>>812 人違いだw
IDもないのに断定的(・∀・)イクナイ!!
814 :
日本@名無史さん :03/09/15 08:09
清洲会議・・・ 滝川欠席も変だけど、池田出席も変。 池田が滝川の親戚だから代行で出席したというのを小説「滝川一益」で読んだ ことあるけど、創作だよね
>814 代理出席はさすがに創作だと思うなぁ。 池田と滝川の関係は史料によってバラバラだけど、 一益の子が何千石かで池田家に仕えているから、 縁者なのは事実なんだろう。
816 :
日本@名無史さん :03/09/15 11:40
秀吉が軍勢で清洲城を囲み、会議を有利に運んだってのも嘘?
817 :
日本@名無史さん :03/09/15 16:42
清洲会議の出席者って誰だっけ?
滝川一益は前身は泥棒と聞いたが?。
819 :
日本@名無史さん :03/09/15 18:32
諸史料で一致しているのは「甲賀出身」 だが甲賀で何してたかはイマイチ不明。 池田恒興の血縁で、そのつてで信長に仕えたとも言われるがこれも不明。 だが戦国時代にはよくあることだ。
820 :
日本@名無史さん :03/09/15 21:00
違うよ前身は寺の住職だよ。
821 :
日本@名無史さん :03/09/16 13:16
へぇ、そうなんだ
822 :
日本@名無史さん :03/09/16 17:05
いいのかそれで
823 :
日本@名無史さん :03/09/16 21:25
昔の話だが、何かの雑誌で井沢元彦氏が 「歴史上最高の内閣を組閣する」 という対談をやっていて、 滝川一益が防衛庁長官に推されていた。 多少強引な攻撃性の嫌いはあるが、 実戦で不敗の強さを買われたらしい。 そのころは一益は元甲賀忍者という印象を持っていたが、 実は日本の歴史上で一番強い武将だったとは・・・。 確か推薦者は津本陽氏(作家)で、対談相手の 井沢氏も大石慎三郎氏(学習院大名誉教授)も 特に異論はなく、あっさり選ばれてしまったので、 ビックリした記憶がある。
824 :
日本@名無史さん :03/09/16 23:09
実戦で不敗?神流川で負けて逃げ帰ったのに。
825 :
日本@名無史さん :03/09/16 23:33
滝川イチモツ
826 :
日本@名無史さん :03/09/17 00:06
みなさん、ますますいちますかかずますかで盛り上がってますねー。
827 :
日本@名無史さん :03/09/17 00:18
かずますの方がしっくりくるなぁ いちますって女性器を連想させる
828 :
日本@名無史さん :03/09/17 00:20
>>824 個々の戦績についての批評は載っていなかったので、
晩年をどう評価したかはよくわからない。
ただ、首相候補で織田信長が挙げられていたので、
信長の部下としての評価なのかもしれない。
でも神流川はあの状況で、関東全部を敵に回して、
1度勝っただけでも大したものだとは思うけどね。
829 :
日本@名無史さん :03/09/17 03:04
いちますの方がしっくりくるなぁ かずますって女性器を連想させる
>48 おうせん。だね。
831 :
日本@名無史さん :03/09/18 00:44
やむなく戦ったってところだよね
832 :
日本@名無史さん :03/09/18 00:54
>>828 反北条もいくらもいたのに、全関東とは言うまいよ。
一回勝ったと言っても、先手の一部隊だけだしな。
833 :
日本@名無史さん :03/09/18 12:43
読み方の話題じゃないと沈むスレだね。
834 :
日本@名無史さん :03/09/18 21:24
意外にたいしたことないのかな
835 :
日本@名無史さん :03/09/18 22:57
論破されたかずます派は逃亡したようだな
やっぱり最初に切り出すのは「いちます」派だ・・・ どうせループするだけなのに
かずます いちます カズマス イチマス をNGワードに登録しませう
838 :
日本@名無史さん :03/09/18 23:58
>>832 勝った相手は北条家の副将格・北条氏邦なんですけどねえ。
18,000vs55,000の戦いとしては善戦じゃないですかね?
2日目の敗戦だって、勝ちにおごって深追いした
篠岡平右衛門の部隊が全滅しただけと言えなくもない。
ここからは私論ですが、
北条軍の勝利は誇張されている部分もあるんじゃないだろうか?
一益は神流川の合戦後も戦没者の供養をしたりして意外と余裕があり、
北条軍の追撃に怯えるような様子がないし・・・。
左近、武勇は無双の名ありて、たびたび関八州を引き受けて合戦す
関八州の者は滝川の名を聞いてもおそれし程なりし(老人雑話)
この「関八州を引き受けて合戦」とは、神流川の合戦のことではないだろうか?
839 :
日本@名無史さん :03/09/19 04:16
氏邦一人で55000はないだろ さすがに
840 :
日本@名無史さん :03/09/19 06:32
北条軍って弱いのにね
841 :
日本@名無史さん :03/09/19 06:55
>>839 >氏邦一人で55000はないだろ
そこまでは言っていないんだけどね。
説明不足だったらごめん。
1日目は北条氏直40,000が参加していないし、
一益側も上州衆10,000が戦意不足だったので、
実質的には滝川8,000vs北条15,000と言ったところかな。
北条軍は敗北し、金窪城が攻め落とされている。
2日目も緒戦は滝川軍が優勢だったのに、
新手の氏直軍40,000に恐れをなした上州衆がサッサと撤退してしまったため、
勝ちに乗じて突出していた先鋒部隊(篠岡等)が孤立・包囲され形勢逆転。
一益自ら3,000の兵を率いて殿軍をつとめ、辛うじて全滅は逃れた・・・ということらしい。
842 :
日本@名無史さん :03/09/20 01:45
やっぱり「いちます」が有力ですか。
843 :
日本@名無史さん :03/09/20 01:52
∩ ∩ ヽ彡 ⌒ ミ/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`)< いちます派はいい加減負けを認めろ! | | \__________ ⊂______ | ∪
844 :
日本@名無史さん :03/09/20 02:54
どっちの派でもないけど、かずます派は根拠無く主張してるよね。
845 :
日本@名無史さん :03/09/20 07:12
上州衆ってやつは。。。 かかぁでんかだから弱いんだよ
つーか、『寛政譜』でも本家と分家で読みが違っていると言うことは、 1.かずます 2.いちます だけでなく、 3.どちらの読みでもない(w という仮説すら立て得るのではなかろうか。
847 :
日本@名無史さん :03/09/20 13:09
寛政譜では本家も分家もないけど?
848 :
日本@名無史さん :03/09/20 13:16
>>842-847 とっくに終わった話題を蒸し返すな!
名前の読み方なんてどうでもいいことで、スレを消費するな、ヴォケ!!
849 :
権六ちゃん :03/09/20 13:50
976 :権六ちゃん :03/09/20 10:24 なんで権六さんのスレないんだよ。 とりあえず語るぞ。 歴史ドラマではいつも悪者に描かれる権六さんも「利家と松」では かっこよかったな。 感動した。 誰かスレ立ててくれ
850 :
日本@名無史さん :03/09/20 14:02
権六燃え
851 :
日本@名無史さん :03/09/20 14:41
>>848 終わってないだろw
自分がわからない話だからって逆ギレするなよ。ヴォケ!!
Ww
ここは名前の読み方でくだらん議論をするスレじゃない。 スレ荒らしの愉快犯は消えろ。
853 :
日本@名無史さん :03/09/20 17:47
カズマス派は話を変えようと必死だな。
名前の読み方がくだらないとは思わないが、 どうせ決着がつかないことがわかっているので、 新史料や新説の提示でもしない限り、 もうこの話題はやめたほうがいいと思う。 しかし二益目行きそうだな。
歴史の本質には関係ないから、読み方でケンカするのはくだらん暇つぶしだよ。 そんなに気になるなら官名か通称で呼べばいいだろw
>>854 >しかし二益目行きそうだな。
今度は、それを
1.ふたます
2.にます
のどちらで呼ぶかでスレが荒れるわけでつね?(w
857 :
日本@名無史さん :03/09/21 23:26
>>855 >歴史の本質には関係ないから
無知な発言だな。
民俗学的にも歴史的にも、無関係と断言できるとはw
そうやって不毛な議論を続けたいのか? 堂々めぐりのケンカスレなど不要。
>>857 実際無関係。「一益」と名(諱は死んだ後)を他人がよぶことはほとんどない。
860 :
日本@名無史さん :03/09/22 02:13
>>859 ネタですか?
では改名するのはなぜ?
主君から名を貰うのはなぜ?
主君の名を避けるのはなぜ?
充分関係ある。
861 :
日本@名無史さん :03/09/22 14:00
>>860 だから、関係有るのは「字」であって「読み方」じゃない。
862 :
日本@名無史さん :03/09/22 16:41
>>860 ネタだじゃなくて本気なのか…
それは君の無知というものだよ。
「読み方」も関係あります。
864 :
日本@名無史さん :03/09/22 19:23
今度は関係あるかどうかでループさせる気か? ケンカ厨やループ厨は、クソしてさっさと寝ろ。
866 :
日本@名無史さん :03/09/23 01:15
何がききたいの?
>>866 歴史の本質なるものと名(諱)の読み方にどう関係あるか。
>>862 は当然知ってるから主張してるんでしょう。
868 :
日本@名無史さん :03/09/23 09:42
じゃあイチマスで決定ということで次の話題に入りましょう。
869 :
日本@名無史さん :03/09/23 11:35
おこちゃまだねぇw
871 :
日本@名無史さん :03/09/23 12:23
関東管領 滝川一益って言っても西上野と信濃2群だけだろがw それもたった3ヶ月だし 関東を切り従えている北條がいるのに、何が関東管領だよ。 北條を降してから関東管領と言ってくれ 無様に神流川の戦で北條勢に破れ北伊勢に逃げかえるわ 賤ヶ岳の戦で柴田勝家と結ぶが破れて秀吉から北伊勢の所領は没収されるわ 小牧・長久手の戦で家康に降伏したことを、秀吉から赦されるわ・・なさけねぇ奴だな
サカナサカナ、サカナー♪サカナーヲタベルトー♪アタマアタマ、アタマー♪アタマーガヨクナルー♪ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ハニャーーーーン ♪ ∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧ ミャーーーーン♪ (゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧シィ〜〜 ♪ ∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*)∧ ∧(゚ー゚*) ハニャニャニャーーーーン♪ (゚ー゚*)| ∪(゚ー゚*)| ∪(゚ー゚*)| ∪(゚ー゚*)| ∪(゚ー゚*)| ∪(゚ー゚*) | ∪(゚ー^*) | ∪シィノガッショウダンダヨ☆ | ∪| | | ∪| | | ∪. | | | ∪| | | ∪| | | ∪ | | | ∪ | |〜 | | U U | | U U | | U U. | | U U | | U U | | U U .| | U U U U U U U U U U U U U U U U
>>871 >関東管領 滝川一益って言っても西上野と信濃2群だけだろがw
西上野だけって何を根拠にそう言っているのか?
滝川支配版図は上野国全域。
>関東を切り従えている北條がいるのに、何が関東管領だよ。
滝川一益は関東管領を名乗っていない。名乗っているのは上杉家。
>小牧・長久手の戦で家康に降伏したことを、秀吉から赦されるわ・・なさけねぇ奴だな
自分で調べることもせず事実認識を誤る、貴君より情けなくはない。
と釣られてみる・・・
874 :
日本@名無史さん :03/09/23 15:18
>>874 主君から発音をもらう(字は違う)ことはあるの?
主君の名と同じ発音(字は違う)をさけることはあるの?
後者は普通にあるんだろうけど、具体例は知らない。
876 :
日本@名無史さん :03/09/23 18:19
滝川家は上杉家と遠戚だったから 関東管領を名乗っても誰も文句を言わなかったんだよ
関東管領職は室町幕府の職制で古河公方管轄。 左近将監は実質上古河公方を掌握していたから、もし名乗ったとしても東国で は問題ないだろう。 しかし、信長中枢の吏僚的馬廻衆らは警戒をするだろう。そして将軍追放によ り室町幕府を否定した信長が文句を言うのではないか。 しかも左近には監視役の「目付け」が付けられていない。
大友宗麟軒→戸次麟伯軒ならある。名乗りじゃないがナー
879 :
日本@名無史さん :03/09/24 01:49
>>875 主君から名を貰った場合、わざわざ違う文字にすることはない。
読みの場合はある。
880 :
日本@名無史さん :03/09/24 13:56
なんでもありでしょw
881 :
日本@名無史さん :03/09/24 14:07
882 :
日本@名無史さん :03/09/24 14:11
上杉と遠戚ねぇ
883 :
日本@名無史さん :03/09/24 14:49
池田と親戚、、、だろ
884 :
日本@名無史さん :03/09/24 15:24
よみかた論争はもういいよぉ つまらんし
885 :
日本@名無史さん :03/09/24 22:32
ん だ
886 :
日本@名無史さん :03/09/25 01:26
887 :
日本@名無史さん :03/09/26 00:11
厨房だってよ ご飯作るのか?
888 :
日本@名無史さん :03/09/26 00:21
読み方で罵りあってる連中の方が、よっぽど中学生レベルだな。 滝川左近将監の業績や歴史上の役割について語れよ。
889 :
日本@名無史さん :03/09/26 00:24
んだんだ
890 :
日本@名無史さん :03/09/26 00:25
891 :
日本@名無史さん :03/09/27 19:59
厨房だってよ ご飯作るのか?
892 :
日本@名無史さん :03/09/28 10:49
滝川三九郎績の飄々とした生き方がいいよね 池波正太郎がこの人物が好きで、「男の紋章」や「真田太平記」などに 登場させている
894 :
日本@名無史さん :03/09/28 11:58
あれは小説だからね。 ねんのため
895 :
日本@名無史さん :03/09/28 16:37
>>893 川の水のながれるがごとく環境にさからわず、
しかも三九郎は一度も自己を捨てたことがない。
(池波正太郎「武士(オトコ)の紋章」)
生涯自由人として過ごした滝川三九郎一積。格好いいね。
・・・ところで、「一積」は何と読むのだろう?
896 :
日本@名無史さん :03/09/28 17:01
つかの間の関東管領
897 :
日本@名無史さん :03/09/28 18:45
898 :
日本@名無史さん :03/09/28 20:34
滝川家末裔は今なにをしてるんだろう
899 :
日本@名無史さん :03/09/28 23:24
息をしている
902 :
日本@名無史さん :03/09/29 10:58
支流の支流の支流の支流あたりに当たりそうな俺もにちゃねら
903 :
日本@名無史さん :03/09/29 19:52
いちますが正しいのにかずますと読むヴァカが多くて困ってるって 子孫の人が逝ってたよ。
確かに逝っちゃってるな
905 :
日本@名無史さん :03/09/30 13:20
903=904
906 :
日本@名無史さん :03/09/30 13:20
907 :
日本@名無史さん :03/10/01 00:13
>>877 >しかも左近には監視役の「目付け」が付けられていない。
勝家は過去にそむいた実績があるし、剛直で時として信長に面と向かって
反対することもあるから、力量は認めていても信用はしてなかったんじゃないかな。
老いて使い物にならなくなるか、天下統一して戦う必要がなくなれば、勝家は
佐久間と同じく追放されるべき存在だったのだろう。
その点、一益は常に忠実で勝家のように強情でもなければ、秀吉のように抜け目のない
タイプでもないので安心して使えるという想いがあるのだと思われ。
908 :
日本@名無史さん :03/10/01 03:02
山岡家(鉄舟)の大正、昭和頃の家老(まぁ番頭か)は自称? 滝川一益の子孫で、代々滝川一益の名を名乗っていたらしい。 ので関係者に今度、読みをなんと自称していたか、聞いてきます。 ちなみにこの滝川一益は山岡家の財産を”ピー”したらしいです。 そのせいかは知りませんが、子供達が早死にするなど、晩年は不遇だったみたい。 ただ、まだこの滝川一益の血筋は、残ってるそうです。
909 :
日本@名無史さん :03/10/01 05:20
>908 山岡家に家老はいません。 また代々一益は名乗りません。
>>909 家老というか番頭さん、ちなみに私も、この滝川さんが
滝川一益の子孫とは、思ってないので、自称?と付けてみました。
まぁこれは、滝川一益の子孫を名乗っている人がこんな所にも
居ましたよ、ってお話しです。
911 :
日本@名無史さん :03/10/02 01:15
>910 山岡家に番頭はいません。 また代々一益は名乗りません。
912 :
日本@名無史さん :03/10/02 03:51
>>879 意味がわからん。
主君から文字をもらった場合、読み方だけ変えるってことか?
913 :
日本@名無史さん :03/10/02 08:31
>>910 xxx左右衛門といった通名のほうを代々伝えるのなら分かるが・・
914 :
日本@名無史さん :03/10/02 09:22
915 :
日本@名無史さん :03/10/02 23:32
916 :
日本@名無史さん :03/10/03 01:47
>>877 >>907 織田家臣で、監視役がいる大身部将って、柴田勝家だけでは?
佐久間信盛にも羽柴秀吉にも目付なんていなかったようだし、
明智光秀に監視役がいれば、謀反は防げたかもしれない。
むしろ一益は、北条など関東諸侯の監視役だったのではないか。
917 :
日本@名無史さん :03/10/03 15:19
>>916 秀吉にも目付けというか信長直臣の与力武将がついているから、
監視役も務めてたんじゃないの?竹中重治、蜂須賀正勝、堀秀政とか。
後に秀吉に取り立てられたから元々の家臣のように思われてるけど。
堀秀政は信長側近だろ。 本能寺の変当時ちょうど秀吉の陣に居ただけ。
919 :
日本@名無史さん :03/10/03 19:26
920 :
日本@名無史さん :03/10/04 03:27
>918 ちょうど居たって、その理由は? w
921 :
日本@名無史さん :03/10/04 04:44
堀久太郎は信長の側近中の側近。 秀吉も堀を厚遇したのはその実力のためだけでなく、その背後で 目を光らせている歳銀親の強い信長を恐れたからと、昔何かで読んだ気が。 秀吉が「中国地方や九州を切り取った後、それは信長の側近衆に分け与えて ください。私は中国で領地をいただきます」という発言も、側近衆への ご機嫌取りだとか。 光秀が信長にいじめられたのは、秀吉のように森や猪子などの側近衆に 贈り物をしないから側近たちに悪く言われたという話もありますね。 勝家も側近の機嫌を取るタイプではないうえ、秀吉のように頭も低くない 生え抜きの筆頭家老なので、側近衆に煙たがられて目付けをつけられた。 さすがに光秀のように陰湿ないじめの対象にするには、強面すぎたのでしょう。 丹羽長秀は、所領も少なく地味だったので側近のイジメや恐れの対象に ならなかった。 滝川一益は、側近たちにどう接したのでしょうね?
922 :
日本@名無史さん :03/10/04 04:45
ゲッ 歳銀親の強い信長 ---> 猜疑心の強い信長 スンマソ
923 :
日本@名無史さん :03/10/04 13:10
>>920 信長公記によると、毛利攻めへの出馬を決断した信長が、
まず堀秀政を使者として備中の秀吉のもとに派遣したとある。
信長側近としての出張であり、秀吉の与力に付けられたわけではない。
924 :
日本@名無史さん :03/10/04 14:19
>>923 堀秀政は単なる使者ではない。
目付としてつけられらんだよ。
まあ一種の与力だな。
925 :
日本@名無史さん :03/10/04 14:57
>>921 一益も丹羽長秀と同じで側近にバカにされたクチじゃないかな
初期の頃は調略なんかでも活躍したけど、関東進出の頃はいい年した爺だ
926 :
日本@名無史さん :03/10/04 17:34
>>924 堀秀政が秀吉の与力と言えるのなら、
菅屋長頼も柴田勝家の与力ということになるのでは?
目付と与力は同じではないだろう。
927 :
日本@名無史さん :03/10/04 19:05
>>924 言葉に拘ってるね。
堀秀政は秀吉の目付兼与力として赴いた。
>>927 与力ってことは軍事指揮下に入ることを意味するんでしょ?
堀秀政は自分の軍勢持ってないと思うから、違うのでは。
スレ違いなのでsage。
929 :
日本@名無史さん :03/10/04 23:40
930 :
日本@名無史さん :03/10/05 02:41
与力に軍勢の多寡は関係ありません。 単騎でも与力は与力。 まして堀秀政は単騎ではありません。
>>930 >与力に軍勢の多寡は関係ありません。
信長による堀の派遣は援軍としての意味合いはない。
軍勢の多寡以前の問題。
堀は信長側近の立場のまま、秀吉のもとに赴いているので、
与力ではない。側近と与力は兼任できない。
>>931 > 堀は信長側近の立場のまま、秀吉のもとに赴いているので、
> 与力ではない。側近と与力は兼任できない。
与力じゃなくて、単に臨時の応援に借り出されたか信長到着への準備を秀吉軍団と協議す
る連絡員として派遣されたかどっちかというのが妥当なところだと思われ。
話は逸れるが、秀吉が無断帰国した北陸陣では秀吉は勝家の与力だったわけではないし。
織田家の場合、
方面軍団長(仮称)の下に恒久的に配された武将・・・・・・・・・・・与力
特定の作戦のため、他の地域から臨時的に配された武将・・・・応援
という感じがするのだが。
>>932 堀秀政は、信長が西国へ向かう旨を伝えるための「御使」として派遣された。
同作戦における応援というのは、明智・池田・細川などであり、はっきり区別されている。
堀自体、当初から秀吉の家臣だったような誤解がされていることも問題なんだろうな。
934 :
日本@名無史さん :03/10/06 06:58
おばけの、
935 :
日本@名無史さん :03/10/06 12:34
936 :
日本@名無史さん :03/10/06 12:36
>>932 与力と応援なんて区別はない。どちらもすべて与力。
したがって秀吉もそのときは勝家の与力。
>>936 なら、秀政も秀吉の与力ということになるがどーよ?
939 :
日本@名無史さん :03/10/07 16:13
>>933 信長から派遣された使い番は、軍監的な役割を兼ねる。
それだけのことだろ。
なんでつまらないことにネチネチ拘る奴がいるのか?
明智・池田などのように独立戦闘行動を許されている
軍団長・準軍団長格の者を除いて、応援に派遣された
信長直参は広い意味でみんな与力じゃん。
>>921 >滝川一益は、側近たちにどう接したのでしょうね?
どうなんだろうな。
ある意味、次世代の信忠につけられた老臣みたいな位置にいるので、
信長の側近たちの陰湿な陰口・イジメの被害を被らないで済んだのかも。
>>939 >なんでつまらないことにネチネチ拘る奴がいるのか?
与力か与力でないかなんて確かにつまらないことかもしれないけどさ、
やっぱり、その考え間違ってると思う。相変わらずスレ違いだけど…。
まず、直参と側近(近習)って別だよ。側近というのはもちろん信長のそばに
仕えるわけだから、与力となっては側近たりえない。
それに、何度も言うが、堀は援軍ではない。与力の重要な役割は
何よりも軍事的補強に意味があり、最初から戦力として期待されていない
「御使」が、与力であるはずがない。
941 :
日本@名無史さん :03/10/07 23:17
>>940 堀久太郎秀政は、信長本隊の先陣兼軍監格の使い番として中国に降っており、
堀直政をはじめとする自分の一族や郎党を率いて戦陣に加わっています。
本能寺の変の際も、近習筆頭であった堀秀政は信長の敵討ちの象徴として
秀吉に厚遇され、山崎の合戦では中央の先鋒を務め、続いて明智秀満を
近江坂本城に攻めました。
羽柴の姓を賜ったのも、この戦功によります。
明らかに戦力となってますね。
御使には単なる連絡役で単騎駆けするホロ武者と、一部隊を率いて
前線の部将に連絡兼応援役や後続の本隊の先鋒として派遣されるものが
ありますが、堀秀政は後者です。
側近・旗本を特定の戦い(例えば毛利攻め)において軍監や与力として
方面軍に加えることはよくあることで、そうしてやらないと、旗本たちは
いつまでも戦功を上げることができないから。
関ケ原の頃には、すでに旗本は飾り的なものとなって家康を嘆かしていますが、
この当時は、まだまだ実戦で側近衆を鍛える風習がありました(ましてや、
能力主義の信長軍にあっては特に)。
だから、過去の戦いを見ると一番首などの戦功を挙げた者の中に、与力や
(名目上の)軍監、それに使い番が混じっていることがよくあります。
そしてそれは、前線にいる武将たちが自分の知らないところで、彼らが
主君に陰口を吹き込むのを防ぐための一種のオベッカでもあるわけです。
滝川一益も、信長のお気に入りの側近衆にはおべっか使ったんでしょうかね? イメージ的には合わないが・・・。
943 :
日本@名無史さん :03/10/07 23:40
>>942 滝川一益はオベッカ使いの老いぼれなんだよ!
同じジジイでも柴田勝家とは大違い。
だから戦争に弱いくせに関東管領格で派遣してもらえた。
でもあの北条ごときにボロ負けして化けの皮がはがれ、秀吉にも相手にされなかった。
944 :
日本@名無史さん :03/10/08 00:07
目付と与力、いずれも中央から派遣された武将であることには 違いはありませんが、現場における役割が違ってきます。 与力だと軍事的指揮下に組み込まれてしまいますが、 目付(軍監ともいう)は現場の指揮官を監督して、 中央からの命令を伝えたり、中央に報告したりする役目があります。 戦場では一緒に戦ったりもしますが、指揮命令系統は別です。 それから明智軍は、(秀吉の救援に行く)信長軍の先鋒であって、 秀吉の与力に付けられたわけではありません。 滝川一益の場合は、川尻秀隆や森長可は与力でないようです。 与力といえるのは、滝川儀太夫益重、篠岡平右衛門、 津田小平次秀政、前田慶次郎利大あたりでしょうか。 勝家や秀吉よりは少ないですね。
945 :
日本@名無史さん :03/10/08 00:09
滝川儀太夫益重は、信長直参ではなく滝川家の家臣、つまり陪臣だから 与力じゃないよ。
946 :
日本@名無史さん :03/10/08 01:19
>>945 >滝川儀太夫益重は、信長直参ではなく滝川家の家臣、つまり陪臣だから
一般にはそう思われていますが、
信長公記の武田攻めの項で滝川軍の先鋒としての功名が記されており、
当時は一益の与力と位置づけられていたものと思われます。
信長公記の合戦の記述では陪臣の名前は出さないのが普通ですし、
与力も省略されることが多いです。
滝川儀太夫と篠岡平右衛門は特に活躍がめざましかったので
与力にもかかわらず、名前が記されたのでしょう。
947 :
日本@名無史さん :03/10/08 01:24
>946 信長公記のほかにはないの? どうも信長公記のみを信奉する輩がいて信用おけないんだけど。
948 :
日本@名無史さん :03/10/08 01:28
>>940 >直参と側近(近習)って別だよ。
どう違うの。つーか直参と近習って並べることができるのか?
>>944 >戦場では一緒に戦ったりもしますが、指揮命令系統は別です。
これはおかしいだろ。
じゃあ合戦のときに、目付はいちいち信長の指示を仰いで、別々に行動するのか?
949 :
日本@名無史さん :03/10/08 01:33
>>948 >どう違うの。つーか直参と近習って並べることができるのか?
そうだよな。
直参(直臣)と陪臣なら分かるが、近習・旗本は直参の中での分類だべ。
>>949 直参の中に近習という括りがあるのなら、
それは別と考えるべきなのでは。別、というのは、
同義ではないという意味で。直属の家臣だからと言って、
そばに控えているものばかりとは限らない。
>>953 織田信雄の付家老・与力大名として、奥州あたりで50万石ってとこだな。
そして一益の死後、領地は全て召し上げ、後継者に新恩12万石ってとこじゃないか?
織田家軍団長格の家督後継者で、前線で武功を挙げてるのはいないからね。
955 :
日本@名無史さん :03/10/08 03:30
>>947 武功夜話よりは根拠として信用できるw
他に根拠もないのに否定だけしたがる人がいて困ってるんですけどww
956 :
日本@名無史さん :03/10/08 06:41
>>948 普通、中央への意見具申や要請は目付が取り次ぐから、
バラバラに指示を仰ぐなんてことはありえない。
合戦のときは、別に行動してもらわなければ困るだろ。
基本的には命令違反や軍律違反がないか監督したり、
軍功者の確認をしたりするのが目付の仕事なんだから。
957 :
日本@名無史さん :03/10/08 08:44
いくら目付だからって本当に独立して動いてたら邪魔なだけ。 従うべき命令には従ってもらわねば。
958 :
日本@名無史さん :03/10/08 11:57
959 :
日本@名無史さん :03/10/08 12:00
960 :
日本@名無史さん :03/10/08 21:13
>>959 信長公記より武功夜話の記述を信頼しているように見受けられるんですが・・・・。
だとすれば、史料の扱いを基本から勉強しなくてはならないのは
>>959 だと思われ。
それとも、新○物往○社の社員ハケーン!と煽った方がよろしいでしょうか?(w
961 :
日本@名無史さん :03/10/08 21:43
なぜに武功夜話が出てくる?
962 :
日本@名無史さん :03/10/08 22:15
>>957 邪魔でも何でも、現地軍が好き勝手に行動されると困るので、
中央から下された「従うべき命令」に従うよう監督するのが目付の役目なんだな。
堀秀政の場合は、信長の命令を伝達する使者ではあったが、
信長の到着まで現地に駐在し、命令を秀吉軍に徹底させる
目付的な役割も担っていたと考えられる。
命令の中身は伝わっていないが、
信長は毛利との決戦を望んでいたようなので、
「自分が行くまで軽挙は慎むように」とか、
「勝手に毛利と講和することは許さない」とか、
そういう内容ではなかったかと推測される。
与力とは何ぞやの話はもう飽きたよ〜 で、何人かが挙げていた ・滝川につけられた与力・軍監は誰? ・滝川は信長の側近衆(堀・森・福富・野々村・矢部など)とはどういうスタンスで付き合っていた? ・もし光秀が本能寺の変を起こさず信長が天下を取ったら、一益は何万石もらってどうなった? んだよ?
964 :
日本@名無史さん :03/10/08 23:02
>>963 >滝川につけられた与力・軍監は誰?
>>944 の4人のうち、
津田秀政(小平次)は軍監なんじゃないかな?
一益没落後、秀吉に仕えたときは使番を勤め、関ヶ原の後は、
家康に仕えて国々の地図と租税の員数調査を行ったらしい。
いかにも調査・報告ものが得意そうだ。
もちろん、推測でしかないけど・・・。
>>960 959は「信長公記」が「武功夜話」より信用できるからって、全てを信用し
ない方がいいと言ってるだけでしょ。
そんな事も理解できないの?
966 :
日本@名無史さん :03/10/09 00:38
反証もなく否定ばかりしてる人はどうにかしようや。
自説に都合の良い部分はとりあえず信用 自説に都合の悪い部分はとにかく否定 常套手段ですw
( ´,_ゝ`)プッ 低脳な煽りだなw
969 :
日本@名無史さん :03/10/09 17:37
かずますは60万石
970 :
日本@名無史さん :03/10/09 22:19
>>964 津田秀政の妻は滝川一益の娘と言われている。
いわば身内であって、軍監(目付)としては不適当。
971 :
日本@名無史さん :03/10/09 22:57
滝川の与力の件だが、 甲陽軍鑑によると、武田滅亡後に旧臣はあらかた殺されたが、 信濃の真田・芦田、上野の小幡・和田・内藤・その他上州衆 は助命して滝川の寄騎(与力)につけたとある。 北条討伐に活用するつもりだったらしい。 この記事を信じるとすれば、真田や上州衆は家臣ではなく、 与力だったことになる。
972 :
日本@名無史さん :03/10/09 23:57
信長が中華帝国皇帝となって、一益は慶州50万石。
973 :
日本@名無史さん :03/10/10 01:52
>>971 一益が実際に受け取ったのは、武田家の直轄地だった場所ぐらいでしょ。
あとは指揮下にあったというだけでしょ。
勝家・秀吉・光秀・長秀・一益の所領は、本能寺の変のころ、 どのくらいだったのでしょう? もしかして一益が一番少ない?
975 :
日本@名無史さん :03/10/10 02:04
「所領」と言っても・・・ 例えば勝家は越前に何郡与えるとか言っても国人領主やらの類は 指揮下に入るってだけの話で直轄地としたわけじゃないし・・・ 意味の取り方が難しいなあ・・・ まあそういうのはとりあえず無視するとして。 一番少ないのは丹羽長秀だろうね。
本人名義・本人の一族・本人の家臣(国人・与力の類は含めず、 信長から見て陪臣の位置にあるもの)の所領でいくと 秀吉=>勝家>光秀>一益>丹羽って感じかな?
いやいや 関東のほうは直轄地の代官でしかなく、直接の所領は北伊勢・長島あたりの一部しかないから 丹羽長秀より滝川一益のほうが下だろ
978 :
日本@名無史さん :03/10/10 03:38
それを言ったら丹羽長秀の直接の所領とやらは近江2郡の一部しかないのでは。
979 :
日本@名無史さん :03/10/10 03:46
>>978 近江二郡とはどこのこと?
近江国滋賀・高島郡のことなら、本能寺以後に秀吉にもらったものでしょ。
軍団長時代の長秀は若狭一職支配では。
980 :
日本@名無史さん :03/10/10 05:48
>>965 その程度の解釈だったら、「今更お為ごかしに言われなくとも信長公記が二次史料なことく
らい知ってるぞ」って感じなんだが。
そこを敢えて言っているから「?」と要らん勘繰りをされるんだが。
つーか、自作自演?(w
981 :
日本@名無史さん :03/10/10 06:16
>>980 なごやかにやろうよ。
罵倒・チョソ叩き・政治思想スレが多い中で、着実に伸びている
数少ない良スレなんだから。
982 :
日本@名無史さん :03/10/10 11:52
>>980 「その程度の解釈」って解釈を要する様な文章ですか?
お前、日本語不自由なのか?
984 :
日本@名無史さん :03/10/10 18:12
>>983 「史料の扱いを基本から勉強しましょう」だけの書き込みでレスの内容が的外れかどうか、
よくわかるんだね。あなた想像力あり過ぎ。
ああ、あなた自身の自作自演だからわかるんだね。そりゃ当たり前か(w
自分にしか本当の意味が理解できない書き方しておいて「日本語不自由なのか?」って随
分失礼な書き方するな。
その思い込みっぷりは、おまい伊達遠江守家中だろ。(w
変なのがやってきたが、このスレもあとわずかだから いくらでも気のすむまで(wを使って埋めてくれ。
986 :
日本@名無史さん :03/10/10 21:46
987 :
日本@名無史さん :03/10/10 21:47
988 :
日本@名無史さん :03/10/10 23:58
荒らしてるのはカズマス派のヘタレだろ 決着付いたフリして逃げてんじゃねーよ 新スレでも徹底的に論破してやるからな
あほ発見
アフォハケーソ(・∀・)
991 :
日本@名無史さん :03/10/11 02:09
993 :
日本@名無史さん :03/10/11 02:47
かずます
995 :
日本@名無史さん :03/10/11 03:30
カズマス
いちます
カズマス
998 :
日本@名無史さん :03/10/11 03:51
1000げっとお
999 :
日本@名無史さん :03/10/11 03:52
1000!
1000 :
日本@名無史さん :03/10/11 03:52
1000げっとお
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