651 :
日本@名無史さん:
ここは軍オタスレですか
>>651 ごめんまだ興味を持った程度でその辺りにはあまり詳しくないんだけど
でっちあげってどういうこと?
654 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:18
>>653 事件全体は長いので、大臣告示に関することだけ
陸軍大臣ヨリ 二月二十六日午後三時二十分 東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコト申合ハセタリ
五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ待ツ
655 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:21
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐惶ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコト申合セタリ
五、之レ以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
山下少将が青年将校に口述
諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
諸子ノ真意ハ国体真姿顕現ノ至情ヨリ出タルモノト認ム
国体ノ真姿顕現ニ就テハ我々モ亦恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬誠ヲ致スヘク
其以上ハ一ニ大御心ヲ体スヘキモノナリ
まず最初にこの3つを掲げとく
村上軍事課長、山下軍事調査部長(両方とも皇道派)によって起草された布告を、
川島大臣は軍事参議官会議にかけた後、香椎警備司令官(皇道派)に渡した。
香椎中将は電話で警備司令部にいる参謀長安井藤治に伝えた。安井少将はそれを
一字一句違えず書き取らせた。この文書が
>>654の「陸軍大臣ヨリ」
植田大将(反皇道派)等は、
>>654の「行動」を認めるというのは
あまりにも行き過ぎだと修正を加えた。
午後3時15分、電話から戻ってきた香椎中将は、先ほどの文章が一部修正されているのに
気づいたが、全体の大意は変わってない為、再び電話する事はなかった。
修正されたものを持って、山下少将は青年将校のところに行き、
口頭で伝えた。これが
>>656
658 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:38
一方、警備司令部では、「陸軍大臣ヨリ」を近衛師団、第一師団、東京港湾要塞に
電話で通達、更に通牒も送付した。
これを受け取った橋本近衛師団長は「これは怪文書」といって破棄してしまった。
しかし、堀第一師団長は「これはいいものが来た」を喜び、兵士に配布する為に
大量に印刷させた。このとき参謀の手によって一部改竄され、出来上がったのが
>>655の「陸軍大臣告示」
話はこれだけなんだけど、ここに「匂坂文書」というのが出てきてややこしくなる。
659 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:45
軍法会議に近衛師団長が提出した文書に
「二月二十六日午前十時五十分陸軍大臣ヨリ東京警備司令官ヲ経テ下サレシ告示」
というのがある。中身は「陸軍大臣告示」で、これが午前11時前に来たという。
これをみて大喜びしたのが、澤地某たち。
午後三時にできたはずの文書が、午前十時五十分に近衛に下されていたというのは
大変な事だ。文書は予め作られていた、もっといえば青年将校のけっ起自体も、
皇道派上層部は知ってたのではないか。
660 :
日本@名無史さん:04/02/21 18:01
ところが最近、「陸軍大臣ヨリ」の原本が見つかった。東京港湾要塞司令部に送付された
ものが残っていたのだ。さらに近衛師団長が提出した文書も、第一師団がばら撒き、
後に憲兵隊が押収したものと同一である事が分かった。
要するに告示は午前中に来たというのは近衛師団の偽証であり、
こっちこそが陰謀だったわけだ。
主導したのは誰かはわからないけど、東京憲兵隊長坂本俊馬から匂坂に宛てた
「軍上層部内ノ叛軍一味徒党検挙計画案」というのがある。
近衛の「午前十時五十分」説を利用して、皇道派を一掃しようという狙いだ。
もっともこの計画は、陸軍大臣に取り上げられることはなく終わった。
661 :
日本@名無史さん:04/02/21 21:41
近衛師団長橋本虎之助は陸軍次官も務めた人物。
この事件で予備となり、終戦時は満州国祭祀長官。
溥儀と一緒にソ連につかまり抑留先で亡くなった。
第一師団長堀丈夫は航空の逸材で、無天ながら
小磯が軍務局長を辞めるとき、自分の後任に推したほどの人物。
やっぱり予備となった。有名なマッカーサー参謀こと堀栄三は、
確かこの人の養子。
662 :
日本@名無史さん:04/02/21 21:54
皆様古い話で恐縮ですが
>>60あたりで言われている
学制に関してご説明いただけないでしょうか?
現在の小学校6年>>中学校3年>>高校3年>>大学4年
みたいな感じで。
663 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:00
尋常小学校6年>>中学校5年>>高校3年>>大学3年
尋常小学校6年>>中学校5年>>専門学校3年
尋常小学校6年>>高等小学校2年>>実業学校
664 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:11
>>663 ありがとうございます。
大変お手数ですが、できれば
>>60の話にそくして
ご説明いただければなおありがたいのですが。
宜しくお願い致します。
天保銭の話は知っています。
665 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:30
>>664 学制は結構変わってるんで、幼年学校卒と中学卒が最もいがみ合ってた
陸士15期から36期までを例にあげます。(明治29〜大正9)
地方幼年学校3年間
中央幼年学校2年弱
隊付約6ヶ月
陸軍士官学校2年弱
地方幼年学校には、中学を1年か2年の夏に中退して入学します。
隊付のところで、初めて中学を卒業した同世代の連中と一緒になります。
5年近くも一緒にやってきたところに、ポンと中学卒が入ってくるんだから、
仲が悪くなるのも無理はないかな。
天保銭、無天は全く別の話。
NHKってずーっと昔に
電話の声を復元した番組やったよね?
青年将校の安藤と北一輝の声とか、
下士官を説得してる上官の電話とか
臨場感あふれてて面白かったよ。
ビデオで売り出してるのに、あれは再放送しないのかな。
こっちの方がずっと面白かったのに。
667 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:45
>>664 陸軍士官学校を卒業すると、見習士官になり、数ヶ月で少尉に任官されます。
これが大体21歳くらい。その後、陸大に行きたいと思えば、受験勉強を始めます。
陸大入学には年齢制限があり、少尉は28歳まで、中尉は30歳まで。
12月入学で期間は3年。卒業すると天保銭に似た徽章がもらえます。
>>666 それ、去年かな?NHKアーカイブスでやってたよ。
馬奈木中佐がドイツ大使館にいて、そこにゾルゲもいたとか。
>>667 >馬奈木中佐がドイツ大使館にいて
それそれ。
そっか、去年やってたんだ。
669 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:51
>>665,667
ありがとうございました。
よくわかりました。
ところであの番組ビデオになってるんですか?
DVDで買えますか?
670 :
日本@名無史さん:04/02/22 00:06
672 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:28
なに笑ってるんだよ このババアは
673 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:30
香椎中将のご遺族は、NHK訴えてもいいんじゃないか。
いまだにこんなの再放送して。
すげぇ貴重な資料だな
嘘八百だけどなw
676 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:50
NHKって何考えてこんなん再放送してんだ?
後でフォローなかったら大問題だぞこれ。
677 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:54
香椎中将は、陰性の人が多い皇道派の中では唯一の根アカ人間で、
酔っ払うと、自宅でも裸踊りをして、新聞記者に人事をべらべら喋ってしまう
人だったらしいね。
678 :
日本@名無史さん:04/02/23 01:38
>>657 午後3時15分、電話から戻ってきた香椎中将は、先ほどの文章が一部修正されているのに
気づいたが、全体の大意は変わってない為、再び電話する事はなかった。
しかし香椎中将のこの行動が不可解だという澤地某の主張は一理あるような気がするけど、
この点は現在どう解釈されているんでしょうか。
679 :
日本@名無史さん:04/02/23 09:09
三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
此処がどうしてもわかりません
680 :
日本@名無史さん:04/02/23 12:22
>>679 (甚だ良くない)我が国の現状については、我々(軍事参議官ら高官)にも責任がある
と詫びてるというか機嫌を取ってるというか(お前たちの気持ちは分かるよと)
681 :
日本@名無史さん:04/02/23 18:32
>>678 香椎が決起将校に同情的だったのは事実。奉勅命令が出た後もまだぐずぐず言ってたし。
”告示”は、事件鎮定の為の機略であると本人も認めてる。将校たちを慰撫して、矛を
収めさせる為の道具なんだから、”行動”だろうが”真意”だろうがどっちでもいいというのが
当時の彼の心境じゃないでしょうか。「とにかく丸く治めたい」と。頭に血も上ってたでしょう。
その点、寺内や植田の方は、皇道派から距離のある分冷静だったといえる。
だから、皇道派の将官連、特に真崎は非難されて然るべきだと思う。
ただ、あんなクーデターが成功すると本気で思うほど錯誤はしてない。
澤地が非難されるのは、告示午前説なんていうトンデモ説を振り撒くから。
682 :
日本@名無史さん:04/02/23 21:15
皇道派の一掃を狙ったという謀略説もトンデモ説
683 :
日本@名無史さん:04/02/24 10:53
澤地は赤い小母さん
684 :
日本@名無史さん:04/02/25 02:44
>>661 ようやく橋本虎之助中将の話が出てきて、非常に嬉しいです。
高宮太平氏の「順逆の昭和史」(旧名軍国太平記)ではその人物が絶賛されてるよね。
大臣告示の真偽を自ら香椎警備司令に確かめ、香椎が本物だといってもわずかに連隊長に内示した程度で隷下全部には下達せず、
堀第一師団長がろくろく内容も検討せず、隷下部隊に配布させたのと比較して、「分別のある者とない者ではこれだけの差がある」って書いてる。
陸軍次官になったときは、渡辺錠太郎の非常に強い推薦あり、「人物がまことにしっかりしている。外柔内剛の典型的な軍人であって、
その上他人に嫌われることがない。真崎もさすがにこれには反対しきれなかった」とある。
なかなか歴史の表に出てくることは少ないが、重要な局面では登場してるんだよね。
例えば橋本欣五郎が起こそうとした錦旗革命、最後に橋欣を説得してあきらめさせたのは橋本中将。
その時の橋欣の一言が、松本清張「昭和史発掘」に詳しいね。
「橋本少将は僕が陸大卒業後参謀本部に勤務するようになった当初からの上官で、実に人格の高潔な万人の認むる精神家であった。僕はこの精神家橋本虎之助少将の部下としてはまことに不似合いな暴れん坊であった。
幾度か乱暴して首を切られそうになったとき、いつも僕を救ってくれたのがこの橋本さんであったから、橋本さんには全く頭が上がらなかった」。
685 :
日本@名無史さん:04/02/25 02:46
>>661 その他、岡田首相暗殺未遂後の救出作戦のときも当時の迫水秘書官が、宮内省で橋本中将見つけたとき、橋本中将に事実を打ち明け、
総理の遺骸引取りの警衛という名目で官邸日本間に近衛師団の兵力を入れて貰い、うまく総理を救出できないかと考えた。
迫水は橋本が正義感の強い誠実な人柄であることをよく承知していたので、この方法が成功するのではないかと考えたが、
湯浅宮相からの「近衛師団長も独断では措置がとれないで、きっと上のほうに指揮を求めると思うが、
あそこにいる将軍たちはいったいどっちをむいえいるのか判らないから非常に危険ではないだろうか」との助言で実行しなかった経緯がある。
士官学校事件のときも辻が真っ先に報告に行ったのが橋本次官だった。辻も橋本次官には頭が上がらなかった。
唯一、偉そうな態度をとったのは石原莞爾。石原の人間性には非常に嫌悪感を感じます。
2・26事件で近衛師団からも反乱軍が出たことの責任を取って、周囲の慰留も聞かず予備役となってしまった非常に惜しい人物だったと思います。
その後、満州では協和会本部長、宮廷祭儀長を勤めた。
満州国から脱出する直前に空港でソ連兵に捕まり、昭和27年1月24日、抑留先のソ連で亡くなったとされている。
長文スマソでした・・・
686 :
甲種幹部候補生:04/02/25 14:53
軍人には立派な方が多かったですが、↑も読むだに橋本閣下の高徳が偲ばれます
687 :
日本@名無史さん:04/02/25 19:45
告示午前説の最後の根拠もそこ。
橋本ほどの人物が偽証するはずないと。しかし、根拠としては薄弱だわな。
同期で次官だった古荘は予備入りを免れた。
陸士陸大と首席で通し、大将街道を驀進してた人物だけど、
脳溢血の既往症があり、激務に耐えられる体ではなかったらしい。
しかし、その経歴の華やかさゆえに、川島がどうしてもと次官に据えた。
その後、第二十一軍司令官としてバイアス湾上陸作戦の指揮をとったけど、
間もなく亡くなった。
この事件で予備になって、大陸に渡った人は橋本以外にも多い。
歩三の渋谷三郎もその一人。終戦時はハルピン学院長、
8月21日に、家族もろとも自決。
688 :
日本@名無史さん:04/02/25 19:49
軍人賛美はほどほどにw
689 :
日本@名無史さん:04/02/25 19:55
>>666 電話の盗聴記録についての放送は、昨年7月に放送。
北の「○○あるか?」
は北の検束後に何者かが北の名を騙ってかけた偽電話。
2月25日午後9時頃、坂井直中尉は第一中隊将校室に新(あたらし)正雄軍曹、
林武伍長、木部正義伍長たちを呼集して明朝の部隊出動を伝えた。
同午後11時過ぎに第二中隊の北島弘伍長、渡辺清作曹長、青木銀次郎軍曹、
長瀬一伍長等を集めて同様の部隊出動を伝えた。
692 :
スレ題にワロタ:04/02/26 10:01
689さん
それは本当ですか?
史実だとばかり思い込んでゐましたが‥
693 :
日本@名無史さん:04/02/26 10:42
>>692 うん、それこそが7月放送の番組の主旨だった。
>>689 ひょえー
そうだったのか。
北と対話してた安藤の声が不機嫌そうだったのも、不審に思ったから?
7月の番組の内容、簡単な概要だけでもいいから知りたいです。
695 :
日本@名無史さん:04/02/27 08:08
禿同
それはさて置き、昨日は二二六事件の記念日
696 :
日本@名無史さん:04/02/27 19:44
>>694 栗原と西田の奥さんの会話の録音「合言葉は尊王討奸」、西田未亡人の話
安藤と北の会話の録音「金はあるかね」、安藤未亡人の話
安倍源基の話
ドイツ大使館にいた馬奈木の話
池田俊彦の話、栗原と亀川の会話録音「例えば河合とか柳川とか」
けっ起部隊にいる下士官を必死に説得する機関銃中隊の高橋中隊長の会話録音
「実際お前ともう戦争したくないんだ」
「出るに出られんのです」
「出るに出られんところを突破するのが下士官の力じゃないか」
山下家の盗聴記録、将軍の義妹の話
鈴木貞一と古荘の会話録音「あいつらは外からかき回されてる」、貞一本人登場
盗聴を行った難波三十四戒厳参謀の話
ディレクターの話によれば、番組放映後、北や西田の名を騙って
偽電話をかけてた人物が名乗り出てきたとのこと。
>>696 ありがとう。
ほとんど同じ内容みたいだねえ。
違うのは、放映後のディレクターの話という部分だけみたいだなあ。
698 :
日本@名無史さん:04/02/28 17:10
石井秋穂の鼻毛は凄いYO!!
699 :
日本@名無史さん:04/02/28 22:10
とりあえず武藤章は死刑
700 :
日本@名無史さん:04/03/01 09:39
↑ 同胞の死を喜ぶアカ
702 :
日本@名無史さん:04/03/02 14:36
>>700 何か誤解しているようだな。
漏れは東京裁判に反対なんだ。
なぜかというと、勝者が敗者を裁く恰好になって、
そのせいで敗戦国日本がまとめて一つの扱いになったから。
むしろ無茶な戦争指導(はたして指導といえるかさえ疑問)で
国民に塗炭の苦しみを味わせた指導者連を日本国民が裁くべきだった、
と考える。そうすると死刑囚7人ではすまないし、統帥権干犯を叫び
ながら自ら統帥権を干犯していた陸軍連中は真っ先に死刑だ。
戦後日本遺族会が出来たが、あれは指導層が末端兵士までとりこんで
一緒にやられた口だと、連帯感をもたせることで、戦前指導者層の免罪を
狙う組織だ。遺族会の人たちに言いたいのは、あなた方を遺族に仕立て上げた
のは、遺族会幹部としてのうのうと戦後を生き抜いた軍幹部連なんだと、声を
大にしていいたい。
これをアカというようでは、理解が足らないとしかいいようがないな。
703 :
日本@名無史さん:04/03/02 21:05
満州事変を起こした石原は、支那事変に於いてその不拡大を主張した。
その石原に逆らい、強硬な一撃論を唱えた武藤は軍務局長時代、
最後の最後まで必死で、日米戦を回避しようとした。
>>698の石井は、そのときの武藤の部下。
>>702 他意は全くないんだけどあなたが考える
日本の戦犯って誰ですか?
まあどこからを戦犯にするか設定するのも
難しいけど。武藤はシナに対しては戦犯だが
対米戦ではそうともいえないし。
705 :
日本@名無史さん:04/03/03 07:21
戦犯賛美はほどほどにw
706 :
日本@名無史さん:04/03/03 08:25
/ / _,-':::::::::::::i. l
. / / /~ヘ,-''^~ヽi.,: |
i / / i:::: |
. i / ./ l::: |
i / / .|::: |
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i / /-―===-;. ;.'==ー-l::::: |
. i ./ メ=;テ'=ニ.' ;=;テ'=;'.l|:::: |
i /l / ~. ̄ i  ̄ ~ .l|:::: |
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i y'i | ,'|::::: i
. i / .l;;l l ,'ヽ'、/
i/ .ll:l.| '^ ' ,.':::::::l.|
. |', |\ ./ |::l.|. -;=ニ=ニ;'. ,'::::::::/l.| 気持ち悪いアカばっかり
. | \| ./ i |:::|.|ヽ, ~"='~ /:::::/ l.|
武藤が絞首刑になったのは
開戦責任や支那事変より比島の虐殺の方が
大きかったようです。
いつの間にやら戦犯スレに堕ちてしまっているけど、
一言いわせてもらうなら、あれでの罪状は大抵、捕虜虐待虐殺系。
これだけでどういう性格の裁判かわかろうもんだけれどね。
そんなもんでいまだにギャアギャア言って金稼いでいる輩など、
本音では日帝などネタでしかないと思っている朝鮮人以下の低能。
709 :
日本@名無史さん:04/03/06 19:05
「戦犯」の方々のやうな立派な人になりたいものです
710 :
日本@名無史さん:04/03/06 19:21
unnkoayajmnfednodsoukutu.
711 :
日本@名無史さん:04/03/07 19:28
712 :
日本@名無史さん:04/03/07 21:53
713 :
日本@名無史さん:04/03/14 11:02
ぶす
714 :
日本@名無史さん:04/03/14 11:08
戦犯=悪で片付けるのが日本が真の独立国じゃない証拠。
歴史の検証では一番大事なことじゃないでしょうか。
ナポレオンはヨーロッパ最悪級の戦犯か?英雄か?
「戦犯」と呼ばれる人たちは国を滅ぼす原因を作ったので納税者としては怒っていいと思います
716 :
日本@名無史さん:04/03/18 02:05
伊藤正徳の『国防史』という本を探しています。
どっかで売ってませんか??
717 :
日本@名無史さん:04/03/18 08:45
当時、納税者は滅多に居ませんでした
アメ公の口真似しちゃいけません
719 :
日本@名無史さん:04/03/18 10:13
720 :
日本@名無史さん:04/03/20 10:28
no.m78.com/up/data/u030357.jpg
この人、阿南陸相の子孫?
>>720 さぁ知らん。阿南(アナン)って苗字の人は結構いるからなぁ・・・
だがこれってテレビの画像かぇ。ならばこの人を選んだのもそういった
故あったからなのかもしれんな。
余談だが陸相の方はアナミと読む。
「穴見」から転じたもので、歴史的にはこちらのほうが古い。
だが音読のアナンの方が一般的で、昭和天皇も陸相をアナンとお呼び
だったそうな。
陸相は六男二女の子がいた。
中支常徳作戦で戦死した惟晟(これあきら)氏は次男。
アジア局長、駐中大使など勤め、国益を損ねていると昨今2chらー等
から叩かれた惟茂(これしげ)氏は六男。
722 :
日本@名無史さん:04/03/20 12:06
軍国主義はやめなさい。
723 :
日本@名無史さん:04/03/20 12:54
阿南の家系は、豊後の名家。
724 :
日本@名無史さん:04/03/20 13:21
>>721 余は台湾に赴任する前にそやつを斬殺したい。
725 :
日本@名無史さん:04/03/20 18:41
究極の親不孝者だな
726 :
日本@名無史さん:04/03/20 18:44
紀伊国屋書店本店8Fの佐藤さん、かわいい。
>>721 やっぱりあの大使、息子ですか。
728 :
日本@名無史さん:04/03/24 11:23
アジアの平和
。 日
∧_∧ /〜〜〜/ 満
○( ´∀`)/ ● / 友
ヽ |つ〜〜〜/ 好
| |(__)
(__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
729 :
日本@名無史さん:04/03/27 15:53
立派な父上に恥かしい
730 :
「強制連行」なんて妄想:04/03/27 16:58
「強制連行」なんて妄想もいいところ。
本当は食い詰め者の支那人が、朝鮮人の人買い業者に「良い仕事アルよ」
とかどわかされて渡航してきたのであって、訴えている日本企業と直接の
労務契約を結んでいた者など一人としていない。
. ∧__,,∧
( ´・ω・) これが有名な”シナチクーのお面”か・・・ドキドキ
/O( `ハ´)O
し―-J
. ∧__,,∧
(-( `ハ´) ムズムズ・・・・
(( / つ O ))
し―-J
. ∧__,,∧
∩-( `ハ´) 謝罪しる!!・・・あっ、やっぱり言っちゃった
/ ノ
し―-J
731 :
日本@名無史さん:04/03/27 17:28
阿南の祖先は、大友能直の家臣阿南惟家といわれてる
732 :
日本@名無史さん:04/03/27 19:57
>>731 オマイはレス番731を何と心得て。かようなレスをしたのじゃ? ああ?
733 :
日本@名無史さん:04/03/30 09:46
>>732 731部隊の事か?
734 :
日本@名無史さん:04/03/30 12:31
盡忠報國
長勇
忠則盡命
735 :
日本@名無史さん:04/04/07 10:13
731説は始めて聞いた
736 :
日本@名無史さん:04/04/07 12:16
軍閥というのは幕府系なんだよな。
737 :
日本@名無史さん:04/04/11 13:14
↑ ばか
738 :
日本@名無史さん:04/04/19 18:31
何を以って幕府系といってるのかわからんが、
派閥色が強いのは薩長を除けば肥前。
佐賀左肩党なんてのもあった。
739 :
日本@名無史さん:04/04/21 20:30
どっちかとゆうと長州系だろ
740 :
日本@名無史さん:04/04/21 22:17
県民性がある程度見える。
面白いのは大分。ここは常に主流派より。
742 :
日本@名無史さん:04/04/23 00:35
。 暴
∧_∧ /〜〜〜/ 支
○( ´∀`)/ ● / 膺
ヽ |つ〜〜〜/ 懲
| |(__)
(__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
何が幕府系なのかは別として、2.26のころ皇道派が
参謀本部を幕府になぞらえていたことはあったな
744 :
日本@名無史さん:04/04/23 17:06
>>
745 :
日本@名無史さん:04/04/29 00:50
軍人が 政治をすれば 幕府也
井上成美
746 :
日本@名無史さん:04/04/29 00:52
東条が重要ポストをいくつも一人で兼務したときに
「幕府でも開くつもりか」って陰口いわれたとか
747 :
日本@名無史さん:04/05/08 17:21
元々東條自身は、強烈な統帥権独立論者だったんだけどね。
いざ自分が首相、陸相として戦争に臨むと、あまりにも不便だ
ということでころっと宗旨変えしちゃった。
748 :
日本@名無史さん:04/05/13 18:44
「統帥権 マチガヒ」と東條メモにある
第一次大戦を見て「総力戦」の本質を見落とし「統帥権の独立」という幻想を打破できなかった
無能者に戦争指導のようなゼネラリストしかできない事ができるわけがない。
東条は靖国神社で掃除でもしてれば良かった。
750 :
日本@名無史さん:04/05/22 12:24
↑ 英霊を誹る、国家民族の裏切者
751 :
日本@名無史さん:04/05/22 16:11
支那軍は阿片戦争の昔から、外国軍と幾百の戦いを繰返し、一勝もしていません。
752 :
日本@名無史さん:04/05/22 18:02
ルーデンドルフに中てられたんだな>東條
もともと親独派だし。
754 :
日本@名無史さん:04/05/27 21:02
次官(副大臣)から師団長への人事は降格ですか?
755 :
日本@名無史さん:04/05/27 21:08
>>754 師団長は親補職だから本来は栄転。本来はね。
756 :
日本@名無史さん:04/05/28 00:59
昭和20年8月で日本陸軍には最終的にはいくつぐらい師団があったんですか?
757 :
日本@名無史さん:04/05/28 08:57
>>756 約170個。ただし玉砕寸前でほとんど師団の体を為してないものも含めて。
後、戦車師団が4個、高射師団が4個、航空師団が20前後。
独混旅団が約100、独歩旅団が10、独立戦車旅団が9、騎兵旅団が1
758 :
日本@名無史さん:04/05/28 19:38
>>754 ちょい調べてみた。
次官と師団長の関係が逆転したのは昭和10年9月に就任した古荘あたりから。
古荘以前に、次官になる前に師団長をやったのは3人だけ。
759 :
日本@名無史さん:04/05/28 19:45
760 :
日本@名無史さん:04/05/28 20:03
>>757 758
ありがとうございます。
凄いですね。終戦時師団長、旅団長あわせて330人ほどいたんですね。
これでは陸軍大学校を出ていない無天組といわれる人たちでも、将官に
なれた人は結構いそうです。
こんなに師団の数があっては、次官>師団長となるのは当然ですね。
次官になるような将官は将来的に参謀総長や大臣になるような人たち
でしょうし。第一、中将の職域の幅が広いですよね。大臣から軍司令官、
旅団長(旅団長のまま中将)までいます。東条も首相に就任した時は
中将でしたからね。「東条中将、組閣を命じられる」といったものでw
761 :
日本@名無史さん:04/05/28 20:04
>>757 758
ありがとうございます。
凄いですね。終戦時師団長、旅団長あわせて330人ほどいたんですね。
これでは陸軍大学校を出ていない無天組といわれる人たちでも、将官に
なれた人は結構いそうです。
こんなに師団の数があっては、次官>師団長となるのは当然ですね。
次官になるような将官は将来的に参謀総長や大臣になるような人たち
でしょうし。第一、中将の職域の幅が広いですよね。大臣から軍司令官、
旅団長(旅団長のまま中将)までいます。東条も首相に就任した時は
中将でしたからね。「東条中将、組閣を命じられる」といったものでw
長く人事畑にいた額田坦が、もう一つ将官の階級があってもよかったと
書いてます。ドイツの上級大将のような階級が。
中将は何人製造しても良いけど大将はそうもいかないので、
まだまだ現役で使えそうなのに予備に入れられた中将が幾人かいます。
で、そんな中大将に抜擢されたのがビルマの敗将河辺や木村だったりするわけで・・・・
>>762 自転車でジャングルに突っ込む作戦を実施した大将を
予備役に編入された中将達はタクシーで料亭に行く途中に罵ってたんだろうな。
764 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:44
加瀬俊一氏が亡くなったそうだが、欧州における終戦工作で
岡本清福中将が話題になることはあまり無いね。
スウェーデン公使の‥‥
歴史の生き証人がどんどん去って逝く‥‥
ご冥福をお祈りいたします
あれ、ウヨの加瀬俊一とは別人か。
加瀬英明氏の他に外交評論家の加瀬俊一氏が居られたのでせうか?
770 :
日本@名無史さん:04/06/05 10:18
>>758 それより前、皇道派の荒木貞夫大臣に、
次官から第12師団長へ異動させられた宇垣四天王の杉山も左遷人事だと思う。
宇垣が次官から大臣へ昇格した頃には、もう次官>師団長では?
宇垣は次官就任前に第10師団長をやっている。
771 :
日本@名無史さん:04/06/05 19:15
>>770 上で挙げてる三人は尾野実信、白川義則、宇垣一成で、
尾野及び白川は山梨陸相のとき、宇垣は田中陸相のとき。
この三人の次官就任はやっぱり例外扱いだと思うよ。
杉山に関しては、本質はともかく形の上では栄転でしょ。福岡は彼の郷里だし。
もう少し後で、次官から第一師団長になった柳川平助と同じ性質の人事だと思う。
要するに明治時代は、次長や次官は師団長から見れば小僧扱いだった。
それが大正に入ると段々逆転してきて、天保銭の連中も、聯隊長より省部の課長、
師団長より次官、次長になることを、喜ぶようになった。満州事変以降、
幕僚ファッショが横行し、遂に名実ともに課長>聯隊長、次官>師団長となった。
ということでどうでしょう
772 :
日本@名無史さん:04/06/05 22:06
自衛隊では次官>>>>>>>>>>>>>>>>>>師団長ですよね。
ていうか、次官>>>>>>>>>>>>>>>>>幕僚長
幕僚監部課長>連隊長でもあります。
773 :
日本@名無史さん:04/06/05 22:14
次官中将(会議室の人)>>>師団長中将(現場の人)
「次官!戦争は会議室で起きておるのではないっ、現場で起きておるのだッ!」
(師団長が次官より年次が上の場合)
師団の数が増えれば増えるほど、師団長の地位はインフレ気味となり、それと
相対的に次官の地位があがると思われます。
大東亜戦争末期には少将の師団長もいた。
2.26で襲撃された最後の生き残り片倉衷少将は第二百二師団長。
775 :
日本@名無史さん:04/06/05 22:58
桜井徳太郎、二見秋三郎なんかも少将で師団長
逆に明治時代は大将の師団長もいた
明治の師団長=大東亜戦争時の方面軍司令官
776 :
日本@名無史さん:04/06/05 23:18
>>767 こっちの加瀬氏は、戦前外交の生き証人なんだが。
よく伊藤隆らのインタビューに答えていたが、ドイツに向かう
シベ鉄車中での松岡のエピソードは受けたぞ。
あとカタワの重光がミズーリ号に乗るときの苦労話とか。
777 :
日本@名無史さん:04/06/06 00:32
上原中将って師団長から大臣になりましたよね?
778 :
日本@名無史さん:04/06/06 00:36
なんかよくわかんないけど、終戦末期少将の連隊長もいた。
779 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:12
>>777 なりましたよ。増師問題で火中の栗を拾わされたというか・・・
780 :
日本@名無史さん:04/06/09 09:12
満洲北支の軍閥は、数十年乃至百年先の税金まで徴する、という酷さだったので、
全然徴税しない日本軍は大歓迎されました
781 :
日本@名無史さん:04/06/09 15:02
のノハら
(::#´D`) ワタシモ師団長ニナリタイノレス・・・
∪:,';;';:)
(( し´、;;)
トコトコ
782 :
日本@名無史さん:04/06/17 00:20
ε ⌒ヘ⌒ヽフ
( ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
しー し─J
それより某邪教の便衣兵を殺してください
786 :
日本@名無史さん:04/06/17 18:24
師団長に少将で就任したのは
片倉衷
桜井徳太郎
二見秋三郎
重信吉固
上の三人は名の知れた天保銭
本土決戦師団ということで選りすぐられたんだろう
質問があります。
・日本海軍に長州閥はいなかったんでしょうか?
・日本海軍のイギリス的性格、日本陸軍のドイツ的性格は、戦後の自衛隊にも残っているんでしょうか?
>>787 海軍の長派といえば、初期の有地品之丞、坪井航三
後に末次信正、沢本頼雄、岡敬純、田中頼三、石川信吾ぐらいですかね
閥とよべるほどのものはないですが、反権兵衛、艦隊派、対英米強硬派
の傾向があるような気がします。
>>788 お返事どうもです。
海軍に長州閥が少ないのは、理由があるんですか?
海軍はもともと薩摩が勢力持ってたからじゃないの?
自衛隊に関してはよく分かりませんが、
創設には旧軍の軍人が関わってますから、
多少は気風を受け継いでるんじゃないですか。
吉田茂から警察予備隊について最初に相談を受けたのは
辰巳栄一元中将だったと思う。
海上自衛隊は海軍関係者が直接再建に関わってるので
結構帝国海軍の伝統を色濃く引いてる。
陸上自衛隊はアメリカ式の教本で一から再訓練し直されたから、
帝国陸軍とは別物と言っていいかと。と言っても、旧帝国陸軍
士官学校卒の人間も多かったから、間接的に影響は受けてるかもね。
なるほど。陸自はアメリカ色に転換したんですね。
戦前の陸海軍の対立ってのは、藩閥のほかにこういうドイツ色かイギリス色かの違いによるところも大きかったんでしょうか?
戦後の陸自と海自は両方とも英米色になって感情的対立は解消したのでしょうかね。
794 :
日本@名無史さん:04/06/18 01:30
>>792 服部卓四郎がいて、旧軍と関係無いというのは、解せませんな。彼がGHQ
から最初に諮問を受けたはず。さすが参謀本部第1部作戦課長てなもんですよ。
(堀栄三氏の父君、堀丈雄中将などはあからさまに、服部は厚顔無恥かと非難
している。)
795 :
日本@名無史さん:04/06/18 07:44
頭の悪いあんちゃんの話を真に受けると試験に落ちますよ
796 :
日本@名無史さん:04/06/20 11:45
>>794 旧軍出身の人間は多かったが、操典、教育などは全部アメリカ式に変更されたでしょ。
アメリカ軍は帝国陸軍をまったく評価していなかった。
海上自衛隊の場合は海軍出身者のY委員会が自主的にやってる。
798 :
日本@名無史さん:04/06/20 22:40
>>796 操典、教育どころか組織、編制、装備まで変わっていますよ。全く別組織だ
からね。そのおかげで、堀栄三さんは防衛駐在官のときに、旧軍が未払いだった
報酬の請求を受けても、ドイツの裁判所で請求を斥ける事が出来た。
だけど其処で問題。じゃー、別組織として立ち上げるにしても、指揮官・教官
の供給とか、駐屯地等拠点の割り付け、その他GHQでは出来ない問題は誰が解
決したの?それを判ってからレスしてみてください。
それと、戦略爆撃調査団の報告書を見ても、旧帝国陸軍を無視できないのを一番
知っていたのは、他ならぬアメリカなんじゃないの。
>>797 それくらいも放置できなかったら2chにいられないと思うのですが
日本での捕虜収容施設に関する情報が欲しいのですが
知っている限りの事で良いので教えて頂けないでしょうか。
こういう記述を見つけたんですが、
ttp://www.kamiura.com/new.html > 米軍べったりと思われている自衛隊にもプライドはある。海自はすでに米軍と一体化して活動するように組み立
> てられている。その米海軍が中東に行ったので、追いかけて行こうとしているのはそれでしか存在感を示せない
> からだ。しかし陸自は違っていた。米軍の支配下に下ろうとしたことはなかった。日本には日本伝統のプライド
> がある。日本は第2次大戦でアメリカに負けたが、日本人としての精神まで失ったわけではない。
これを読む限りでは、海自よりも陸自の方が比較的米軍からの独立性が高いように見えますが、
>>798さんの「帝国陸軍は無視できなかった」という話と関係があるんですかね。
長閥というか・・・陸軍や右翼に通じてるんじゃねーか、そいつら?
世界一流の戦力があるのは海自だけだからな。
805 :
日本@名無史さん:04/06/25 01:40
///ノ//:::||:::i::::|l::::l:::::\
我是女兵 ////‐┤/|ミl:|:::|:::|l::::|:::::::i::ヽ
r---─────-、,_ レ//ノ-=/リノ/|l:::|l::|l:::ヽ:::l::i:::|゙i
゙, 、,_ ゙"''‐ゝ-、,,_ レl/ノハl:::ノノ:::l:::\:::i:::|:l
゙、 ゙ヽ、:::::::....... ゙ヽ、_レ'///イl::|l:::::i,:l::i!|l
\::.. ゙''ヽ、"'''''─-,--、,_ ゙'''//ハヾ、l|ヽ:::ヽミi
\:::... ~"''''''‐---、イヽ、 /∧、-ゝヽ::ヽ::ヾリ …え?
゙''ヽ、::::.... \ ゙(ヘニノT.T':::i::i:::刈
゙'ヽ、;::::.... ヽ:::::"'''{ ∧゙i,:ミl:::ト:::ヽ
゙"''ヽ、 :::::::::::::ヽ川:::l:リ:::|l::::l゙i,
.ノ~゙ヽ、 :::::::ヽl|リ::l:}ヽ:ミ::::|l:i
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807 :
日本@名無史さん:04/07/02 18:30
ε ⌒ヘ⌒ヽフ
( ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
しー し─J
808 :
日本@名無史さん:04/07/03 20:02
陸軍幼年学校は歴史上最高のエリート学校だね
13、14歳という若い年代で全国からたった250人程度が選抜される
学力、運動能力、全てが備わった優れた身体。
真の天才少年だけで構成された究極の教育機関だ
809 :
日本@名無史さん:04/07/05 13:24
軍司令官(第4航空軍)→予備役→師団長(第139師団)
冨永恭次以外にもこんな人事あったのかな?
810 :
日本@名無史さん:04/07/05 13:32
>>808 中学4年段階で人材を集めようとすると陸士は海兵に勝負にならなかった。
最高のエリートは海兵、一高、三高に集まった。
あからさまに偏差値で差がつくと陸軍のエリートは海軍のエリートにぬぐいがたい
劣等感を持ってしまう。それを回避するために中2段階で陸軍が人材を青田刈り
しようとしたのが幼年学校。
何度も廃止論が出たのに復活・存続したのは陸軍の偏差値防衛戦略のため。
>>809 戦争後半、将官が足りなくなって召集されたロートルの中には、
そういう格落ちの職についた人もいたみたい。
園部和一郎(16) 第11軍司令官→軍事参議官→予備→久留米師管区司令官
藤田 進(16) 第13軍司令官→参本附→予備→金沢師管区司令官
>>811 サンクス!
草場辰巳(20)第4軍司令官→予備役→大陸鉄道司令官
これも同じような例か。
813 :
日本@名無史さん:04/07/05 16:04
カッコイイ 普通 醜い猿
┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <ちゃんころはここ
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
厨房の時の偏差値はともかく、卒業時の知性は
一高>=三高>>>>>>>>>>>海兵>>>>>>>陸士だな
815 :
日本@名無史さん:04/07/05 18:27
>>810 偏差値防衛戦略って?
明治初年に偏差値もへちまない!
幼年学校は明治五年という大昔に兵学寮内に設立されたのが始まり。
それが明治八年に陸軍省直轄の陸軍幼年学校として独立し、
明治十年に一旦廃止。
士官学校官制が改正され幼年学校が分離独立したのが明治二十年。
中央幼年学校と全国に六つの地方幼年学校が設立されたのが明治二十九年。
高等中学校(後の旧制高等学校)が全国に五校設置されたのが
明治二十年。
海兵や旧制高校に対するコンプレックス云々という話は
幼年学校設立の要旨と何の関係もない。
地方幼年学校の設立は明治天皇の御声掛りだからね。
軍学校の連中は頭悪すぎだよな。
愛読書が銭形平次とか、講談ばっか。
高等学校生との知性の差は歴然としている。
www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/db2.html
1942年6月5日海軍少将、柳本柳作、ミッドウェー海戦において空母蒼龍と運命を共にする
1942年6月6日海軍中将、山口多聞、ミッドウェー海戦において空母飛龍と運命を共にする
1942年8月21日陸軍少将、 一木清直がガダルカナル島戦の責任をとって自殺
1942年11月19日陸軍中将、堀井富太郎がポートモレスビー戦の責任をとって自殺
1944年7月6日陸軍中将、斉藤義次と南雲忠一、サイパン島玉砕
1944年8月3日陸軍中将、水上源蔵が北ビルマ、ミイトキーナの戦いにおいて転進を命じた後に拳銃自殺。
1944年8月11日陸軍大将、グアム島守備隊司令官、小畑英良が自殺
1944年10月15日海軍中将、有馬正文、体当たり攻撃を敢行。
1945年6月13日海軍中将、大田実が切腹
1945年6月23日陸軍大将、沖縄防衛軍司令官、牛島満が切腹
1945年6月30日陸軍中将、 雨宮巽が自殺
1945年6月陸軍中将、藤岡武雄が自殺
1945年6月陸軍中将、鈴木繁二が自殺
1945年8月15日陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945年8月15日海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945年8月15日陸軍少将、隈部正美が立川飛行場近くの多摩川河畔にて一家心中
1945年8月16日海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が切腹
1945年8月24日陸軍大将、田中静壷が自殺
1945年9月12日本土防衛総軍司令官、元帥、杉山元が拳銃自殺、知らせを聞いた妻啓子もまた短刀を喉に刺して自殺。
1945年9月13日元厚生大臣陸軍軍医中将、小泉親彦が自殺
1945年11月20日陸軍大将、本庄繁が切腹
1946年3月23日陸軍中将、上村幹男が自殺
1946年4月19日台湾総督、陸軍大将の安藤利吉が上海拘留所にて服毒自殺
1947年9月10日ラバウル裁判において陸軍中将、安達二十三が切腹
819 :
日本@名無史さん:04/07/13 19:59
。 暴
∧_∧ /〜〜〜/ 支
○( ´∀`)/ ● / 膺
ヽ |つ〜〜〜/ 懲
| |(__)
(__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
820 :
日本@名無史さん:04/07/13 20:02
大田実閣下は切腹して居られない
話を作るなよ共産党
821 :
日本@名無史さん:04/07/13 20:03
暗記力しか能のない軍学校出身者。だがら、戦後の日本に必要な創造性の
ある人材は出なかった。
822 :
日本@名無史さん:04/07/13 20:10
杉山元は敗戦時にも、あれこれ言い訳して自決する気がないのを見かねた
奥さんがしびれを切らし自分が先に自決。それで渋々死んだとか、週間新潮
で帝京大の高山正之教授が書いてたが。
823 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:13
共産党のデマだ
夫婦なら妻が先に自害するのが古来の作法
824 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:15
高山教授て、すごいウヨだぜ。
825 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:23
安達二十三将軍も切腹してない
嘘ばかりだな
826 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:25
また話を作っているな
軍の学校は暗記じゃないよ
827 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:26
一木清直大佐も戦死だぞ
828 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:26
果物ナイフか何かで頚動脈を切ったのでは?
829 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:28
雨宮、藤岡両将軍だって大将だろ
830 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:29
これほど出鱈目なデーターを久し振りにみますた
831 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:34
安達氏、腹は刺したが果物ナイフでは死ぬわけもなく、最後は自分で
自分の首を締め殺した。
832 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:39
堀井富太郎て、ジャングルの川の中に落っこちて、手を上げて
アップアップしながら流せれていったらしい。いわゆる、溺死だよ。
833 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:47
堀井富太郎少将も着任早々で、取ろうにも責任なんて無いよ
834 :
日本@名無史さん:04/07/13 21:49
自分で自分の首を締め殺せる筈無いだろ
安達閣下は単純なる縊死
とにかく稀に見る嘘だらけの書き込みだ
835 :
日本@名無史さん:04/07/13 22:13
836 :
日本@名無史さん:04/07/13 22:30
822だが
高山教授が新潮に書いていたのは今年(半年経っていない)だよ。オレは
捨ててしまったが、図書館に行けば読めるから確かめてみなよ。
高山教授は、情けない軍人の代表として杉山を挙げていたが。
837 :
日本@名無史さん:04/07/13 23:58
漏れは御毎が改竄したとは言わない
だが、御毎の持って来た話は出鱈目だ
だいたい、雨宮閣下や藤岡閣下、大田閣下が何者か知ってるのか
838 :
日本@名無史さん:04/07/14 08:54
仰げ名将
日本武士の表徴だ
839 :
日本@名無史さん:04/07/14 11:33
日本土防衛総軍司令官なんていう肩書も存在しない
840 :
日本@名無史さん:04/07/14 11:38
たんなる消防軍オタの作文、迷文にいちいち反応するのもどうかと?
841 :
日本@名無史さん:04/07/14 12:18
将官の死亡は、こんな所かな?
1942年6月5日海軍少将、柳本柳作、ミッドウェー海戦において空母蒼龍と運命を共にする
1942年6月6日海軍中将、山口多聞、ミッドウェー海戦において空母飛龍と運命を共にする
1942年8月21日陸軍少将、 一木清直がガダルカナル島戦で戦死
1942年11月19日陸軍中将、堀井富太郎がポートモレスビー戦で戦死
1944年7月6日陸軍中将、斉藤義次と南雲忠一、サイパン島で玉砕
1944年8月3日陸軍中将、水上源蔵が北ビルマ、ミイトキーナの戦いにおいて転進を命じた後に拳銃で自決。
1944年8月11日陸軍大将、グアム島守備隊司令官、小畑英良が自殺
1944年10月15日海軍中将、有馬正文、体当たり攻撃を敢行
1945年6月13日沖縄。海軍中将、大田実が拳銃で自決
1945年6月23日沖縄。陸軍大将、第32軍司令官、牛島満が切腹
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、雨宮巽が自決
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、藤岡武雄が自決
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、鈴木繁二が玉砕
1945年8月15日陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945年8月15日海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945年8月15日陸軍少将、隈部正美が立川飛行場近くの多摩川河畔にて一家心中
1945年8月16日海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が切腹
1945年8月24日陸軍大将、田中静壷が自決
1945年9月12日本土防衛総軍司令官、元帥、杉山元が拳銃で自決、知らせを聞いた妻啓子もまた短刀を喉に刺して自殺。
1945年9月13日元厚生大臣陸軍軍医中将、小泉親彦が自決
1945年11月20日陸軍大将、本庄繁が切腹
1946年3月23日陸軍中将、上村幹男が自決
1946年4月19日台湾総督、陸軍大将の安藤利吉が上海拘留所にて服毒自殺
1947年9月10日ラバウル裁判において陸軍中将、安達二十三が切腹後、自決。
842 :
日本@名無史さん:04/07/14 12:40
1946年2月23日第14方面軍司令官山下奉文大将がモンテンルパの刑務所にて磔
843 :
日本@名無史さん:04/07/14 13:03
1942年11月19日堀井富太郎南海支隊長は小船で川を下り、河口で
乗り換えたイカダが突風で転覆、田中主席参謀とともに溺れ死んだ。
>>841 田中静壹大将の名前が静壷になってるぞお。
しずつぼ?
845 :
日本@名無史さん:04/07/14 23:22
とにかく嘘を元にまともな判断は出来ん
アカは無知ゆえに祖国を呪うのである
846 :
日本@名無史さん:04/07/15 09:44
この板には前世紀の遺物みたいな骨董品が多い、みな老人だろうが!
それとも無知なヒッキーか?
847 :
日本@名無史さん:04/07/15 10:52
陸軍といえば、
永田鉄山と石原莞爾の教え子らが、日本を破壊したよな。
迷惑このうえないよ。この二人。
848 :
日本@名無史さん:04/07/15 15:28
老人なら物を知ってるよ
ワケワカな罵詈雑言止めれ
849 :
日本@名無史さん:04/07/15 15:29
古い書物のコピペじゃな〜。
850 :
日本@名無史さん:04/07/15 22:47
>>849 たとえ新しい書物でも、古い書物の記述・説を無批判にコピペしているようでは無価値。
851 :
日本@名無史さん:04/07/15 22:53
一番のたわけ者は、先制主動コンビの二人
死刑!
852 :
日本@名無史さん:04/07/16 20:57
そもそも一木清直は将官じゃない。
853 :
日本@名無史さん:04/07/16 21:25
たしか、加賀前田家の当主だった人が太平洋戦争の最初に死亡した将軍じゃなかったけ?
確か階級は中将だった気がする。
>>853 前田利為中将ね。昭和17年9月にボルネオで墜死してる。
855 :
日本@名無史さん:04/07/16 22:03
ゴー宣で出てた前田家当主の大尉さんって利為氏の息子さんなんだろうか?
同じ方面所属な気がするんだが、親子で同じ方面軍に所属するってあるんだろうか?
>>855 息子ではなかったと思う。
利為中将は七日市藩主の子供で、金沢の本家の養嗣子となった。
娘に酒井美意子姫がいる。
処刑された利貴大尉は、血筋的には利為中将より本家に近い人じゃなかったかな?
857 :
日本@名無史さん:04/07/16 22:23
>>856 勉強になりました、、
一応ぐぐったんだけど利為中将は結構有名人なんですね、利貴大尉はぜんぜん出てこなかった、、
858 :
日本@名無史さん:04/07/18 09:23
汪精衛が日本の手先なら、蒋介石はアメリカの手先であり、
一時期までの毛沢東はソ連の手先である。
中国の幹部候補生は表面上はどうあれ、本質的には、
かかる色眼鏡の見方はしていないだろう。
間違った認識に基づけば、思考の土台である前提を誤り、
昔の日本のように、それに基づく政策も悉く誤る事になるから。
859 :
日本@名無史さん:04/07/18 13:15
吉野作造(当時東京帝国大学教授・法学博士)といえば大正
デモクラシーの旗手として有名だが、彼が大正五年(1916年)
に満州と朝鮮を視察し、朝鮮の印象を述べている。
「異民族の統治は威圧だけで成功するものではないことは固より言うを
待たない。
幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府)は、一方に於いて国家の威厳を示し
て居りながら、他方に於いて土民に近世文明の恩沢に浴するの機会を与え
、殊に、昔の独立時代(清朝の属国状態をさす)に見なかったいろいろの
生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだんだん盛んになって居る。交通
機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派に造られて居る。
病院も設けられた。その上また、朝鮮政府(朝鮮総督府)は朝鮮民族の精神
的満足並びにその開発を計ることを怠っていない。社会公共の秩序は立派に
維持されて居る。権利の保障には土人と内地人(日本人)との別を立てぬ。
比較的公平ななる裁判は確かに土民を満足せしめて居るようだ。
某朝鮮人は予に、自分の祖父の代までは、その蓄積せる多額の財産に眼を
つけられ故なくして府の長官に捕縛され、其の度毎に多額の身代金を取られた
ものだが、かくの如き不当の侵害は今日は全くなくなった。これ全て日本の
統治以来のことだと言った。殊に現在の総督寺内(正穀)伯は、正義の観念
の極めて強烈な人で道に合わないことは秋毫の微といえどもこれを仮借しない。
しかも、この点については伯爵は決して土民と内地人とを別たないといわれて
居る。この点は朝鮮人も皆伯を徳として居るようだ」
緒戦のギルバートかマーシャルで爆弾が直撃して死んだ将官がいたな
861 :
日本@名無史さん:04/07/18 16:09
サプライズの真実!なんと、東条英機はハゲだった。
862 :
日本@名無史さん:04/07/19 20:33
戦死した陸軍将官
酒井直次中将 第15師団長 17年5月28日淅江省で戦死
前田利為中将 ボルネオ守備軍司令官 17年9月5日ビンツル沖北方海上で墜死
那須弓雄少将 第2歩兵団長 17年10月26日ガダルカナル島で戦死
堀井富太郎少将 南海支隊長 17年11月23日ニューギニアで戦死
塚田 攻中将 第11軍司令官 17年12月18日安徽省で墜死
小田健作少将 南海支隊長 18年1月21日ニューギニアで自決
有末 次少将 第8方面軍参謀副長 18年8月29日ビスマルク諸島附近で墜死
中薗盛孝中将 第3飛行師団長 18年9月9日広東で戦死
桜田 武少将 船舶司令部附 18年9月10日東支那海で墜死
西田祥美少将 海上機動第1旅団長 19年2月24日ブラウエン島で戦死
片桐 茂中将 第20師団長 19年4月28日ニューギニアで戦死
木村千代太少将 歩兵第59旅団長 19年6月11日河南省で戦死
横山武彦少将 歩兵第62旅団長 19年6月11日淅江省で戦死
斎藤義次中将 第43師団長 19年7月6日サイパン島で戦死
井桁敬治少将 第31軍参謀長 19年7月6日サイパン島で自決
公平匡武少将 第31軍参謀副長 19年7月18日サイパン島で戦死
加嶋三郎少将 独混47旅団長 19年7月18日サイパン島で戦死
森玉徳光少将 白城子教導飛行団長 19年7月25日ホーランジアで戦死
重松 潔少将 独混第48旅団長 19年7月26日グアム島で戦死
岡部英一少将 第29師団参謀長 19年7月26日グアム島で戦死
高品 彪中将 第29師団長 19年7月28日グアム島で戦死
水上源蔵少将 第56歩兵団長 19年8月4日ミートキーナで自決
志摩源吉少将 歩兵第57旅団長 19年8月7日湘桂作戦で戦死
小畑英良中将 第31軍司令官 19年8月11日グアム島で自決
田村義富少将 第31軍参謀長 19年8月11日グアム島で自決
863 :
日本@名無史さん:04/07/19 20:37
戦死した陸軍将官
竹田鼎三少将 歩兵第78旅団長 19年10月25日セブ島で戦死
村井権治郎少将 第14師団司令部附 19年12月31日パラオ諸島で戦死
重見伊三雄少将 戦車第3旅団長 20年1月27日ルソン島戦死
安田利喜雄少将 第16野航修廠長 20年2月6日南方で戦死
山県栗花生中将 第26師団長 20年2月15日レイテ島で戦死
千田貞季少将 混成第2旅団長 20年3月8日硫黄島で戦死
有馬 徴少将 名古屋造兵廠長 20年3月13日名古屋で爆死
大須賀 応少将 第109師団司令部附 20年3月26日硫黄島で戦死
栗林忠道中将 第109師団長 20年3月27日硫黄島で戦死
横尾 闊少将 第14方面軍附 20年4月16日ルソン島で戦傷死
鈴木宗作中将 第35軍司令官 20年4月19日ネグロス島南方海上で戦死
池田栄之助少将 海上機動第3旅団長 20年4月19日北海道へ向かう途中海没
森 厳少将 戦車第2師団参謀長 20年4月19日ルソン島で戦死
吉川 資少将 歩兵第53旅団長 20年5月17日山東省で戦死
高田清秀少将 ビルマ方面軍兵站監 20年5月21日ビルマで戦死
光成省三少将 独立第10飛行団長 20年6月21日南方で戦死
和田孝助中将 第5砲兵司令官 20年6月22日沖縄で戦死
藤岡武雄中将 第62師団長 20年6月22日沖縄で戦死
牛島 満中将 第32軍司令官 20年6月23日沖縄で自決
長 勇中将 第32軍参謀長 20年6月23日沖縄で自決
雨宮 巽中将 第24師団長 20年6月30日沖縄で戦死
有川主一少将 歩兵第64旅団長 20年6月30日沖縄で戦死
牧野四郎中将 第16師団長 20年7?月?日レイテ島で戦死
栗栖猛夫少将 第26師団長 20年7?月?日レイテ島で戦死
沖 静夫少将 第68旅団長 20年7?月?日レイテ島で戦死
戦死した陸軍将官
鈴木鉄三少将 独混第55旅団長 20年8月1日ホロ島で戦死
藤井洋治中将 第五十九軍司令官 20年8月6日広島で爆死
小谷一雄少将 広島聯隊区司令官 20年8月6日広島で爆死
小林 隆中将 マニラ防衛司令官 20年8月8日ルソン島で戦死
磯村武亮少将 中部軍管区参謀副長 20年8月10日山梨上空で撃墜さる
森 赳中将 近衛第1師団長 20年8月15日宮城事件で殺害さる
四出井綱正中将 関東軍総参謀副長 20年8月18日台北で飛行機事故
元泉 馨少将(元金福国府軍中将) 23年7月 山西省で中共軍と戦い自決
865 :
日本@名無史さん:04/07/20 22:38
森赳中将が戦死か、こら!
>>862に追加
河原利明少将 南方航空輸送司令官 17年10月14日南支那海で墜死
下田宣力少将 南方鉄道隊司令官 18年1月26日泰ビルマ国境で墜死
>>863に追加
川上清志少将 第3航空軍参謀長 19年12月8日マレーで墜死
中島徳太郎少将 歩兵第63旅団長 20年6月22日沖縄で自決
木下 勇中将 東部軍附 20年7月7日墜死
>>864に追加
植山英武少将 マニラ航空廠長 20年8月4日ルソン島で戦死
死にまくってるじゃん。
868 :
日本@名無史さん:04/07/21 18:05
自決した陸軍将官
阿南惟幾大将 陸軍大臣 20年8月15日官邸で切腹
岡本清福中将 スイス武官 20年8月15日チューリヒで短銃自決
山田清一中将 第5師団長 20年8月15日セラム島で自決
寺本熊市中将 航空本部長 20年8月15日航本の自室で切腹
隈部正美少将 航技審査部総務部長 20年8月16日多摩川畔で家族で自決
秋山義~中将 第137師団長 20年8月17日咸興で切腹
中村次喜蔵中将 第112師団長 20年8月18日琿春で自決
田中静壹大将 東部軍司令官 20年8月24日軍司令官室で短銃自決
杉山 元元帥 第1総軍司令官 20年9月12日軍司令官室で短銃自決
城倉義衛中将 元・憲兵隊司令官 20年9月13日自決
吉本貞一大将 第1総軍附 20年9月14日総軍の自室で短銃自決
篠塚義男中将 元・陸士校長 20年9月17日自宅で切腹
浜田 平中将 第18方面軍参謀副長 20年9月17日バンコクで自決
本庄 繁大将 補導会理事長 20年11月20日切腹
柴 五郎大将 北清事変の英雄。9月15日割腹を試みるも老齢ゆえ失敗。同年12月13日死去。
納見敏郎中将 第28師団長 20年12月13日宮古島で自決
上村幹男中将 第4軍司令官 21年3月23日ハバロフスク収容所で自決
人見秀三中将 第12師団長 21年4月13日台南で自決
安藤利吉大将 第10方面軍司令官兼台湾総督 21年4月19日上海監獄で自決
草場辰巳中将 大陸鉄道司令官 21年9月17日東京裁判出廷前に自決
小泉恭次中将 第142師団長 21年12月10日自宅で切腹
安達二十三中将 第18軍司令官 22年9月10日ラバウル収容所で自決
瀬谷 啓中将 羅津要塞司令官 29年5月27日満州で自決
869 :
日本@名無史さん:04/07/21 18:07
東條に嫌われて前線送りになったのだろうか?
870 :
日本@名無史さん:04/07/21 19:16
可哀想に(涙
871 :
日本@名無史さん:04/07/21 19:18
法務死した陸軍将官
山下奉文大将 第14方面軍司令官 21年2月23日マニラで絞首
本間雅晴中将 フィリピン協会理事長 21年4月3日マニラで銃殺
田島彦太郎中将 独混第61旅団長 21年4月3日マニラで絞首
佐藤為徳少将 独混第35旅団長 21年4月6日チャンギーで絞首
鏑木正隆少将 第55軍参謀長 21年4月22日上海で絞首
福栄真平中将 第102師団長 21年4月27日チャンギーで銃殺
斎 俊男少将 独混第36旅団長 21年5月3日チャンギーで銃殺
平野儀一少将 歩兵第92旅団長 21年5月12日広東で銃殺
藤重正従少将 歩兵第17聯隊長 21年7月17日マニラで絞首
酒井 隆中将 酒井機関長 21年9月13日南京で銃殺
洪 思翔中将 第14方面軍兵站監 21年9月26日マニラで絞首
田中久一中将 第23軍司令官兼香港占領地総督 22年3月27日広東で銃殺
河野 毅中将 歩兵第77旅団長 22年4月24日マニラで絞首
谷 寿夫中将 第59軍司令官兼中国軍管区司令官 22年4月26日南京で銃殺
原田熊吉中将 第55軍司令官兼四国軍管区司令官 22年5月28日チャンギーで絞首
河村参郎中将 第59軍参謀長兼中国軍管区参謀長 22年6月26日チャンギーで絞首
馬場正郎中将 第37軍司令官 22年8月7日ラバウルで絞首
重藤憲文少将 南支派遣憲兵隊長 22年8月9日広東で刑死
立花芳夫中将 第109師団長 22年9月24日グアムで絞首
近藤新八中将 第130師団長 22年10月31日広東で銃殺
田中 透少将 台湾歩兵第2聯隊長 23年4月7日アンボンで銃殺
安岡正臣中将 スラバヤ州知事 23年4月12日チビアンで刑死(獄死?)
佐々 誠少将 元・泰俘虜収容所所長 23年4月23日オートラムで絞首
田上八郎中将 第36師団長 23年10月6日ホーランジアで銃殺
872 :
日本@名無史さん:04/07/21 19:26
法務死した陸軍将官
松井石根大将 大日本興亜会総裁 23年12月23日巣鴨で絞首
土肥原賢二大将 軍事参議官 23年12月23日巣鴨で絞首
東條英機大将 元・首相、陸相、参謀総長 23年12月23日巣鴨で絞首
武藤 章中将 第14方面軍参謀長 23年12月23日巣鴨で絞首
板垣征四郎大将 第7方面軍司令官 23年12月23日巣鴨で絞首
木村兵太郎大将 ビルマ方面軍司令官 23年12月23日巣鴨で絞首
河根良賢少将 北支野戦自動車廠長 24年2月12日巣鴨で絞首
谷萩那華雄少将 第25軍参謀長 24年7月8日メダンで銃殺
田辺盛武中将 第25軍司令官 24年7月11日メナドで銃殺
岡田 資中将 第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官 24年9月17日巣鴨で絞首
西村琢磨中将 スマトラ州知事 26年6月11日マヌス島で刑死
873 :
日本@名無史さん:04/07/21 21:03
獄死した陸軍将官
三宅光治中将 満州国共和会中央本部長 20年10月21日ルビアンカで死去
岩切義一少将 第4野戦輸送司令官 21年10月20日ラバウルで死去
岡部直三郎大将 第6方面軍司令官 21年11月28日上海で死去
岸本綾夫大将 満州製鉄理事長 22年7月中共に抑留され死去
柳川 悌中将 第132師団長 23年2月27日上海で死去
大木 繁中将 関東憲兵隊司令官 22年4月9日シベリアで死去
喜多誠一大将 第1方面軍司令官 22年8月7日シベリアで死去
村上啓作中将 第3軍司令官 23年9月17日シベリアで死去
梅津美治郎大将 参謀総長 24年1月8日巣鴨で死去
吉岡安直中将 満州国皇帝附 24年1月15日モスコーで死去
秋草 俊少将 関東軍情報部長 24年2月シベリアで死去
中島鉄蔵中将 スマトラ東海岸州知事 24年7月25日バタビアで死去
小林恒一中将 満州国高等軍事学校長 25年5月9日シベリアで死去
小磯国昭大将 元・首相 25年11月3日巣鴨で死去
加藤泊治郎中将 北支那派遣憲兵隊司令官 26年2月19日シベリアで死去
下河辺憲二少将 独混第23旅団長 26年3月20日巣鴨で死去
内田銀之助中将 第118師団長 26年6月29日巣鴨で死去
橋本虎之助中将 満州国祭祀府総裁 27年1月26日ハルピンで死去
横山 勇中将 第16方面軍司令官兼西部軍管区司令官 27年4月21日巣鴨で死去
柳田元三中将 関東州防衛司令官 27年10月1日モスコーで死去
福地春男少将 第23軍参謀副長 28年12月9日巣鴨で死去
斎藤弥平太中将 満州拓殖公社総裁 行方不明 28年9月28日戦時死亡宣告
佐々木到一中将 第149師団長 30年5月30日撫順で死去
874 :
日本@名無史さん:04/07/22 04:12
東条タン、酷いことする!
875 :
世界@名無史たん:04/07/22 11:14
>>874 懲罰として最前線行きとはゲスの政策といえよう。
この動きの尻馬に載ったやろうが富永恭二という阿諛追従の得意な腐れ軍人だった。
こいつの為に、対米戦に関して上層部に適切なアドバイスを遅れる人物が次々と
危険人物として告発され、戦場の露と消えていった。
そのありさまは”見殺し部隊”と形容できる感があった。
大戦末に富永がやったこと(フィリピン戦線で部下を神風で出撃させて、自分は
護衛機付きで台湾へ逃亡し、療養という名目でペイトウ温泉で休暇をとっていた。)
を考えると反吐が出そうになるのは俺だけではないだろう。(祖父の有人でこいつの
部下だった人は「海軍が羨ましい。俺は上の連中とは今でも一緒に酒が飲めない」
とこぼしていた。)
こんな奴を側近にする東條という男の、人を見る目の無さは石原の言うとおり
「上等兵」の器を感じさせるものがある。(父親と息子のほうは中々優秀な人物
だったのに・・・優秀な因子が隔世で遺伝しているのかしら?)
876 :
日本@名無史さん:04/07/22 11:35
東条なんて、事務処理に秀でた、単なる能吏タイプ。こんなヤシを英雄視
する連中の気が知れん。
まぁ海軍にも福留繁っつー厚顔なヤツもいたな。
878 :
日本@名無史さん:04/07/22 12:53
福留繁の処置について沢本次官ら5人で協議したが、参加した某軍令部高級部員
のメモ 「福留中将ノ心境並ニ自決ノハラアルヤ否ヤニツキ観測ヲナシタルモ
・・・・・結論ハ今夜特ニ監視ヲ附セズ、若シ本人ガ自決セントスルナラバ、ソノ
欲スル道ヲ執ラシムベシト言フ意見ニ一致シテ、特に監視ヲ附セザルコトヲ決ス」
だが、福留には自決する気はサラサラなく、海軍側は不問に決まったが、これでは
前線の将兵が納得するはずがないというので、わざわざ伊藤誠一次長らを比島に送り
福留を保護した陸軍の31独立混成旅団に派遣して了解を得るという手間をかけた。
879 :
日本@名無史さん:04/07/22 19:10
東條の懲罰人事で死んだ人って、有末少将くらいしか思いつかないけど
外にいるのかね?
>>862-864の中に。
田中隆吉は羅津要塞に飛ばされて逃げたけど、 その身代わりか瀬谷啓中将は。
>>868
瀬谷中将は22期の首席。しかし台児荘の責任をとらされてクビになり、
終戦間際に召集されて羅津の要塞司令官になった。
>877
戦後は少しは恥じて、ひっそりしているかと思いきや、
水交会理事長までやってるんだから、旧海軍のクサレ具合もわかろうというもの。
883 :
日本@名無史さん:04/07/23 09:48
人を口汚く罵るのはやめれ
普通最前線送りは栄誉だろ。やる気無いんだな、上層部。
885 :
日本@名無史さん:04/07/23 21:56
海軍に軍閥無し
艦隊派と条約派
887 :
日本@名無史さん:04/07/24 05:53
海軍の矢野英雄少将が中部太平洋艦隊参謀長(サイパン)として前線に出るので
在京の同期が壮行会を開いたが、普段のクラスの集まりでは、いつも陽気で
座持ちの旗頭だった矢野少将、この日は沈みきってモノを言うのも
わずらわしそうだったという(某同期の少将)。誰でも嫌だよ、死にに行くのは。
888 :
日本@名無史さん:04/07/24 06:37
キタカタ軍閥
889 :
日本@名無史さん:04/07/24 06:51
福留、捕虜だけなら仕方ないが、次期作戦(マリアナ)の原案になった
機密書類が敵手に渡っているのに、バックレテいたのは許し難い。
これじゃ勝てませんわ。
891 :
日本@名無史さん:04/07/24 14:10
888はわけわか
892 :
日本@名無史さん:04/07/24 14:17
東条の関東軍参謀長時代、妻の勝子の評判が悪かった。勝子は将校婦人会を
自分の好きなように動かし、軍の機密費を湯水の如く浪費した、と非難されたて
まるで、昨今の海外駐在の外務省役人と同じです鯛。官僚社会は似たもの同士。
893 :
日本@名無史さん:04/07/25 16:48
76 名前:ちと曖昧だけど :04/07/25 00:14
東条の家の隣に、ある華族の家があったらしい。
その家の前を通った天皇は侍従に
「東条は随分と大きな家を建てたんだね。馬屋もある。」
と語った。
すると侍従は、
「あの家は**様のもので、東条の家はその『馬屋』です。」と答えた。
東条の家は、華族の馬屋と勘違いされるほど質素なものだったらしい。
「祖父東条英機『一切語るなかれ』」に載ってたように記憶している。
894 :
日本@名無史さん:04/07/25 18:36
後に東條に対しては金銭のことで、いろいろな噂がとんだ。
ことに世田谷用賀の家を建てたときでも、大変な大建築をしたようにいわれ、
その写真までが流布されていた。ところが実際は建築が制限されていて、
いくら総理大臣でも陸軍大臣でも、法外な家は建てられない。
法網をくぐれば別だが、そんなことのできる人物ではなかった。
(略)
それならあの写真はどうしたのかというと、東條家から一丁ばかり離れたところに
華族か富家かの二階建の邸宅がある。それを東條家に見立てたのである。
これならりっぱなもので、あれが東條の新居だといわれたなら、
門標を点検しないかぎり誰も信用する。
895 :
日本@名無史さん:04/07/25 19:38
東条の隣の豪邸は東急の五島(強盗)慶太の邸宅。東条の家は戦時中の
資材不足でたいした家ではなかったのは事実。ただ、敗戦後、MPが
逮捕に来た際、死に損なった拳銃自殺の発砲音を妻の勝子は家の裏手で
畑仕事をしながら聞いていた。金銭に潔癖とはいえ、己の狭量のため、
政敵を自殺に追い込んだり、批判者を前線に追い込む手法は小人物の典型。
896 :
日本@名無史さん:04/07/25 20:04
陸軍は大将の戦死が少ないな
897 :
日本@名無史さん:04/07/26 13:22
海軍大将の戦死はそんなにあるか?
山本五十六、古賀峯一、南雲 忠一、伊藤 整一 遠藤 喜一 高木 武雄、山縣 正郷
陸軍より死んでるか?
899 :
日本@名無史さん:04/07/26 16:48
陸軍には大将の戦没者はいないが、中将は30人(うち7人が大将進級)
海軍は大将3人で897の2人の他は大角岑生ではないかと思われ(軍事
参議官のs16/2/5、南支那視察中、広東天河飛行場を離陸後墜死。
中将17人(うち大将進級5人)。
マニラとシベリアが多いな。南京、広東は少ないな。この頃は日中友好の可能性があった気がする。
901 :
日本@名無史さん:04/07/26 19:31
刑死、獄死、自決した海軍将官
宇垣 纏中将 第5航空艦隊司令長官 20年8月15日自爆
大西瀧治郎中将 軍令部次長 20年8月16日官邸で切腹
原 鼎三中将 第12特別根拠地隊司令官 21年6月18日チャンギーで絞首
永野修身元帥 元・軍令部総長 22年1月5日巣鴨で病死
左近允尚正中将 支那派遣艦隊参謀長 22年1月21日香港で刑死
阿部孝壮中将 佐世保聯合特陸隊司令官 22年6月19日グアムで絞首
酒井原繁松少将 第65警備隊司令 22年6月19日グアムで絞首
岡田為次少将 呉鎮守府参謀副長 22年9月3日ラバウルで銃殺
醍醐忠重中将 第6艦隊司令長官 22年10月6日ホンチャナックで銃殺
鎌田道章中将 第22特別根拠地隊司令官 22年10月18日ホンチャナックで銃殺
大杉守一中将 第23特別根拠地隊司令官 23年8月28日マカッサルで銃殺
浜中匡甫少将 第8警備隊司令 23年10月15日メナドで銃殺
浅野新平少将 第41警備隊司令 24年3月31日グアムで絞首
森 国造中将 父島方面特別根拠地隊司令官 24年4月22日マカッサルで銃殺
古賀峯一は殉職扱いじゃなかった?
903 :
日本@名無史さん:04/07/27 13:26
. ', (./::::::::::::::::::::::ヽ, ) !、
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i !_!ェ;、_`'__ァ-'゙7‐-;、::::: .:::::::::::::::::::::;:::::::ヽ、
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- ...._',´ 、!.|`'ー;‐ '´/ -;' ! | | `'‐、;::::::::ヽ. `
` ' ‐、゙、て._ ';‐:/ _/ ':、.! | | ヽ;、:;:::ヽ. 支那兵は弱くて悪くて
r''´`ヾV‐''´ .::. トイ;;‐‐j=、、 //j.,ヽ;:':, 臭いから嫌いよー
゙、_,..ィ゙、i:i .:::;:' ゙、 ゙、ヾ;::::::;ヾ:、-;;;ンノ ! ヾ:、
. `',‐ !.! 、  ̄ ',. 〉 \ヾ;:',ヽ;:l´ j `
゙, | | ` 、 /、 ヾ,ヾ,.ヾ''`''´
', /、':;ヽ ` ' '、
` 、 _,..- ''"´::;:::::';::';::',
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} i. /::::::::;:':::::/:::! / ヽ
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904 :
日本@名無史さん:04/07/28 20:14
ロスケも酷かった
905 :
日本@名無史さん:04/07/28 23:27
>>871-872 本間雅晴中将 バターン死の行進
河根良賢少将 同上
田島彦太郎中将 バタン島での米軍機搭乗員処刑と抗日ゲリラ殺害
鏑木正隆少将 漢口での米軍機搭乗員殺害
酒井 隆中将 梅何協定
松井石根大将 南京アトロシティ
谷 寿夫中将 同上
原田熊吉中将 住民が米穀倉庫を襲い日本憲兵を殺傷した件の処理を巡って
河村参郎中将 シンガポールでの華僑虐殺
西村琢磨中将 同上
立花芳夫中将 父島での人肉嗜食事件
田中 透少将 スルマタ島での抗日ゲリラ殺害
田上八郎中将 ニューギニアでの現地民兵補処刑
岡田 資中将 B29搭乗員処刑。責任を一身に背負って”法戦”を戦った。
>>901 左近允尚正中将 英商船乗組員65名殺害事件
酒井原繁松少将 ウェーキ島の俘虜98名殺害
醍醐忠重中将 ボルネオでの抗日ゲリラ殺害
鎌田道章中将 同上
浅野新平少将 トラック島での生体解剖事件
906 :
日本@名無史さん:04/07/29 00:39
>>855 前田利貴大尉は利家の子孫で華族の長男、戦前は三井物産に勤めてた。
加賀の本家ではないとすると富山藩かな?
907 :
日本@名無史さん:04/07/29 21:55
海軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)
伊東祐亨元帥(薩摩)隠居的人物。
井上良馨元帥(薩摩)一時、反山本派に担がれたが、今は隠居に祭り上げ。
東郷平八郎大将(薩摩)人徳があって艦隊長官として最高と賛辞を呈す。
柴山矢八大将(薩摩)反山本派の雄。両雄並び立たず四年前に予備役編入。
日高壮之丞大将(薩摩)若い頃から山本のライバル。二年前予備役編入。
山本権兵衛大将(薩摩)本書海軍編の主人公。以外に内外に敵多し。目下雌伏中。
片岡七郎大将(薩摩)伊集院、上村のお相伴で大将昇進。中立派と評価。
上村彦之丞大将(薩摩)東郷と反対の性格。政治性のない勇将と賛辞を呈す。
伊集院五郎大将(薩摩)山内、斎藤に加え山本三羽烏といわれる。山本にべったり。
出羽重遠中将(会津)若い頃から傑出。最近は事大主義で山本に迎合。
三須宗太郎中将(彦根)若い頃から山本と良し。頭脳単純、才幹なし。
山田彦八中将(薩摩)温厚な紳士で敵が無い。己の分を守ると好評。
玉利親賢中将(薩摩)柴山の子分で反山本派。早くに予備役編入。
瓜生外吉中将(加賀)文官的武人で、山本も実力を認めているという。
斎藤 実中将(水沢)準薩摩派で山本の傀儡。財部までのツナギと評価。
山内万寿治中将(東京)山本三羽烏。蓄財家、女癖悪しと酷評。
坂本俊篤中将(高遠)温厚な人物で派閥に入らぬが実力有り。
島村速雄中将(土佐)智将と評し日露戦争の帷幄の功を高く評価。
加藤友三郎中将(広島)山本に取り入ったという。天成の事務屋で将帥の器にあらず。
吉松茂太郎中将(土佐)大人物ではないが、参謀の才があるという。
松本 和中将(東京)山本にべったり。頭脳明晰も権謀術数を用い、言行に裏表あり。
藤井較一中将(岡山)出世は遅れたが、最近日が当るようになった。
坂本 一中将(土佐)有能で能弁家だが、短気で人望無しと評す。
伊地知彦次郎中将(薩摩)実力無し。三笠爆沈の責任を免れたのは薩摩ゆえと酷評。
伊地知季珍中将(薩摩)訥弁で才も乏しいが努力家と評す。
908 :
日本@名無史さん:04/07/29 22:23
海軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)
八代六郎中将(尾張)快男児で情の人。山本閥に入らず。
土屋 保少将(東京)戦術学者であるが、秋山に及ばざる事遠しという。
加藤定吉少将(東京)頭脳明晰、能弁で実力ありと好評。
名和又八郎少将(福井)閥外中者で将来性ありと評す。
村上格一少将(佐賀)日露戦争の功を評価し、見識ある人物と好評。
川島令次郎少将(加賀)温厚だが綿密な人物。社交性ありと将来を買う。
江頭安太郎少将(佐賀)地味だが実力あり、公平で人事局長にぴったり。
山屋他人少将(盛岡)有数の戦術家。やっと不遇でなくなった。
有馬良橘少将(和歌山)旅順口閉塞戦を誉め、将来を買う。
上泉徳弥少将(米沢)酒豪だが頭脳明晰、才幹非凡と評す。
土屋光金少将(尾張)頭良く気力もあって将来性ありと好評。
黒川悌二郎少将(米沢)やり手だが人使い荒く人望無し。但し能力優秀と評している。
野間口兼雄少将(薩摩)武人肌だが利口者。財部のお相伴で昇進。
栃内曾次郎少将(盛岡)山本に愛されているが、専ら実力による。なかなかの学者で
海軍に必要な人物と好評。
財部 彪少将(宮崎)できる人物だが、山本の女婿となって異数の抜擢を受けて昇進。
閨閥人事とさんざん酷評。
佐藤鉄太郎大佐(鶴岡)口も八丁手も八丁の戦史家。財部と親密という。
小栗孝三郎大佐(石川)海軍のブックメーカー。副官的人物。
井出謙治大佐(静岡)潜航学者。卓抜な人物ではないが如才が無い。
秋山真之大佐(松山)戦略家として白眉。財部も秋山には敵し難く、両者の関係微妙。
山路一善大佐(松山)財部と同じ山本の女婿だが、最近信用やや薄らぐ。
千秋恭次郎大佐(石川)かくれた功績を評価。
松村純一大佐(東京)潜水艦研究家。なかなかの野心家で功名心に富む。
山本 清大尉(薩摩)権兵衛の倅として登場。さんざんの酷評だが、話は事実通り。
平井七三郎主計大佐(薩摩)山本清の岳父となったことで不当に昇進したと評している。
コピペ厨出現の夏。金鳥持ってこい。
911 :
日本@名無史さん:04/07/30 05:31
松本和、後のシーメンス事件に連座して獄に繋がれた人物だけに
人物評あたっていないこともないじゃん。松本は、この金は政治家に転身する
際の持参金にするつもりだったと供述している。田中義一も陸軍の機密費を
ちょろまかして政党への持参金にしたというから似たようなもの。
912 :
日本@名無史さん:04/07/30 09:28
アジアの平和は日本が守る!!
。
∧_∧ /〜〜〜/
○( ´∀`) / ● /
ヽ |つ〜〜〜/
| |(__)
(__)(`ハ´⊂⌒__フ
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
江頭安太郎、山屋他人
この二人皇太子妃殿下の母方の先祖だよね。
914 :
日本@名無史さん:04/07/30 10:05
前代未聞、雅子妃が東宮御所を出る日はいつか?
915 :
日本@名無史さん:04/07/30 10:24
一人娘はどちらで引き取ることになるのやろ、養育権で裁判?
シーメンス事件後、海相になった八代六郎は、次官財部彪を海軍将官会議議員に追い、
後任に人事局長鈴木貫太郎を起用。軍務局長野間口兼雄を呉海軍工廠長に追い、
後任に秋山真之を起用。海軍軍令部長伊集院五郎を軍事参議官にして、後任に
海軍教育本部長島村速雄を抜擢。島村の後任に名和又八郎を起用した。
そして山本権兵衛、斎藤実を待命とし、松本和を予備役に編入。
松本中将の収賄事実が確定すると、山本、斎藤両大将を予備役に編入した。
ちなみに松本和と同時に村上格一も家宅捜索を受けたが、松本は神色自若としていた
のに対し、村上は顔色変じて蒼白となった。その様子から人は、松本をシロ、村上をクロ
と見たが、結果は全く逆だった。
917 :
日本@名無史さん:04/07/30 21:57
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)
山県有朋元帥(長州)陸軍の羅馬法王。
大山 巌元帥(薩摩)茫洋として人格大で清濁併せ呑むも、軍事的才幹は川上に遠く
及ばず。権勢欲薄く、山県にいいようにやられている。
川上操六大将(薩摩)唯一山県派に対抗できた人物も死去。
黒木為禎大将(薩摩)日露の豪将も没要領で元帥になれず。
西 寛二郎大将(薩摩)攻城野戦の将も黒木よりは要領良し。教育総監部に押しこまれた。
川村景明大将(薩摩)閑職に葬られた。
奥 保鞏元帥(福岡)参謀の力を借りず大軍を動かせる唯一の大将。
桂 太郎大将(長州)児玉の死で長閥の二代将軍に。軍事的才幹は川上、児玉に
遠く及ばず。
寺内正毅大将(長州)山県の目代。政治家としては到底桂、児玉に及ばず。
度量狭小も勉強家。朝鮮で武断政治を行う。
佐久間左間太大将(長州)猛将。東洋風の豪傑で頭脳粗雑。
長谷川好道大将(長州)山田顕義に認められ引き揚げられた。武人肌で無類の短気。
見かけの割には陰険。
大島義昌大将(長州)武一点張りで新知識なしも、温厚な性格。政治的才能無し。
乃木希典大将(長州)実行的精神家。崇高な人格。東郷と並ぶ日本の偉人。
井上 光大将(長州)手腕はあるが、山県と悪く、大臣になれず。
大島久直大将(秋田)智謀もあり豪勇無双の戦将も、長閥に擦り寄る。
福島安正中将(松本)温良な紳士で外交家。軍事的才能はあまり無し。長閥。
大久保春野大将(遠州)長州と閨閥で結ばれる。学者。
鮫島重雄大将(薩摩)武将としての能力はある。
神尾光臣中将(諏訪)綿密家。能力は有るも、長州に取り入る。
浅田信興中将(川越)戦は抜群に強いが人望無し。長閥と腐れ縁あり。
梅沢道治中将(仙台)豪胆な武将。
上田有沢中将(徳島)奥の推輓を受ける。才人肌で能弁。
一戸兵衛中将(青森)師団長中最も頼もしき人物。人格高邁、武勇抜群。
軍部に一人の敵もなし。
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)
石本新六中将(姫路)寺内に気に入られ引き揚げられた。傀儡大臣。
木越安綱中将(加賀)桂の秘蔵っ子。頭脳明晰、人格円満、統率の才あり、
玉の如き文明紳士。師団長中の花形。
長岡外史中将(長州)野心家も人望無し。鼻先の才子。
小泉正保中将(水戸)頭脳明敏にして、戦に強く、手腕は石本輩に劣らず。
仙波太郎中将(松山)陸軍の一奇傑。天性剛腹にして長閥に媚びず。
伊地知幸介中将(薩摩)川上門下故参本から放逐された。
大谷喜久造中将(越前)頭脳周密で頼りになる。
東條英教中将(南部)硬骨直言の士で川上に愛された。長谷川の品行の悪さに
苦言を呈してクビに。
内山小二郎中将(鳥取)新知識あり、謹厳な性格。
楠瀬幸彦中将(土佐)土佐風の反骨。一癖ある人物も現在は不遇。
本郷房太郎少将(篠山)寺内の寵児であるが、公平な性格で長州に偏らない。
秋山好古中将(松山)其の才は弟に及ばざるも、日露戦争で偉功をたてた。豪傑肌で酒豪。
藤井茂太中将(兵庫)学殖と手腕はあるも、寺内に阿ること甚だし。
上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
大島健一少将(岐阜)山県の副官を務めて、長閥に入った。
山口 勝少将(静岡)不平家。酒の席で寺内を前に露骨な長閥叩きを演じて、
”爆裂弾”の渾名を貰った。
岡 市之助少将(長州)頭脳明敏で天成の事務家。条理に合わざる時には諫言も行える。
そういうところが寺内に気に入られて大臣候補。
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)
大沢界雄少将(尾張)無愛想であるが以外に抜け目が無い。鉄道の専門家。
由比光衛少将(土佐)豪傑風。無愛想で新聞記者に不評。作戦頭はまあまあ有るが、
松石には遠く及ばず。
松川敏胤少将(仙台)松石と並び賞される陸軍きっての戦略家。長閥に阿らない。
明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう。
松石安治少将(福岡)参謀本部を背負って立つ逸材。古今独歩の戦略家。
立花小一郎少将(柳川)若い頃は英俊を謳われたが、ガスで脳をやってからは別人物。
大井菊太郎少将(長州)学識はある。外交家。長閥の寵児。
宇都宮太郎少将(佐賀)仙波、林と共に陸軍三太郎と呼ばれる。川上門下も、
今は長州の軍門に降る。但し胸中に一物あり。
島川文八郎少将(三重)砲術のオーソリティー。豪傑。
田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。
福田雅太郎少将(長崎)ハイカラ。将来性あり。
920 :
日本@名無史さん:04/07/31 06:10
少将が面白い。
・上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
・田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。
この二人の戦いは、後に田中の勝利。上原勇作の高評価が不思議だ。
しかし田中は残念な死に方をした。しかもさらにできる宇垣が石原に墜とされてしまい・・・。
・明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう。
日露戦争の英雄にしてはイマイチな評価だな。
921 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:19
終戦時、森赳近衛第一師団長と白石参謀を斬殺したのは航空士官学校の
上原重太郎大尉というのが定説になっているが、これは真っ赤なウソ。
実際はX少佐(現在も名前は不明)。Xの周囲の人間が相談して、事件の
4日後に自決した上原大尉に罪をおっかぶせてしまったのが真相。
Xは昭和40代に噂を聞きつけた「サンデー毎日」には告白したが、この時も
名前は伏せられたままだった。
↑窪田兼三少佐
923 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:44
ねぇ、今NHKで弥勒丸のドラマやってるけど、これって実話?
てか将校が出てくるんだけどこれって偽名にされてるの?
924 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:47
>>921 なんで斬殺されたの?
降伏に従おうとした師団長と参謀にたいして過激な将校が襲ったっていう、よくあるパターンですか?
ポイズンのモデルは誰か知らんけど、第七方面軍司令官は板垣征四郎、
第三船舶輸送司令官は渡辺三郎少将。
926 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:49
927 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:52
阿波丸というのが安導券(字は間違ってるかも)持ってるのに沈められた。
1人だけ生き残ったというか助けられた(情報とるため)がコックか何かで
大した情報は持っていなかった。この問題は戦後も補償問題やらでしばらく
話題になっていたが、日本が請求権放棄しておしまいになった。
928 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:52
弥勒丸自体はなかったってこと?
929 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:54
>924
「日本で一番長い日」で知られた有名な話だが。
930 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:56
931 :
日本@名無史さん:04/07/31 20:58
弥勒丸は浅田次朗の創作でがせう。もちろん、阿波丸事件がヒントだろうが。
ただ、阿波丸は積んではいけない戦略物資も積んでいたから、正当性を主張
するにはムリがある。
畑中少佐たちがクーデターを画策し、近衛師団長の森中将に決起を求めたが、
森はこれを拒否した。そこで森と偶々居合わせた森の義弟を殺し、師団長を騙って
近衛聯隊を動かした。しかし、東部軍司令官田中大将の適切な処置でクーデターは
未然に防がれ、無事玉音放送は流れた
>>930
933 :
日本@名無史さん:04/07/31 21:02
>930
かんたんに言えば、戦争終結に反対する少壮将校たちが近衛師団などを
巻き込んだ叛乱を企て森師団長らに決起を迫ったが、断られて殺害した事件。
934 :
日本@名無史さん:04/07/31 21:03
935 :
日本@名無史さん:04/07/31 21:14
阿波丸事件
1945年3月末、日本軍占領下のシンガポールを内地へ向けて出港した阿波丸
(11,249t)が4月1日夜、台湾海峡北口付近で米潜水艦クイーンフイッシュに
撃沈された事件。阿波丸が問題になったのは戦時中でも航行の安全が保障された
安導券を持っていたこと。
936 :
日本@名無史さん:04/07/31 21:21
935続き
さらに問題は、阿波丸が米国の要請によって、日本軍占領地域の連合軍捕虜
抑留者にソ連を通じて送付された救恤品(医療・食料等)を輸送するために
連合国による安全保障を条件に日本が南方へ派遣したものだったから。
そのほかにも太平洋の洋上で捕虜交換もしてたらしいね。
ところでそろそろ次スレをつくって、このスレを保守のみに。
次スレ
日本軍閥変革史
ってのはどう?
939 :
日本@名無史さん:04/08/01 01:26
>少将が
>・上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
>・田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。
>
>この二人の戦いは、後に田中の勝利。上原勇作の高評価が不思議だ。
>しかし田中は残念な死に方をした。しかもさらにできる宇垣が石原に墜とされてしまい・・・。
上原は野津道貫元帥の女婿。日露戦争でも第4軍の参謀長として義父を補佐。
その後陸相・教育総監・参謀総長のいわゆる陸軍三長官を歴任。(陸軍史上初)
後に杉山元が人材不足のおりになったぐらいの三冠王。
上原は検証の余地がある興味深い存在。権勢もかなりのもの。
田中よりだいぶ年上だから先に死んでしまうのは仕方ない。
>・明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう
明石が日露戦争中にヨーロッパ各地でおこなった活動を考えれば、
その裏がえしで、取締りについて熟知していたのは当然。
当時の資料に、いかに明石が辣腕をふるっていたかがうかがえるエピソード満載。
台湾総督にもなり、総理大臣候補にも。
治安維持(特に植民地)・諜報活動の鬼。
940 :
日本@名無史さん:04/08/01 04:44
明石が有能であればあるほど植民地の民はk(ry
941 :
日本@名無史さん:04/08/02 10:33
↑ あか
鵜崎の明石評は、大正時代に出た『陸軍の五大閥』では大分変わってる。
「主将としての器に至ては甚だ疑わしきも、軍人に不似合いなる政治的頭脳と
気分とを有するを以って、古参新参の別を問わず人材主義より言えば、
将来彼を陸相とするの必ずしも不可なるを認めず、彼も亦内心之を期待するならん」
「彼が如きは何の系統に属せずとも、軍人としての成功を必すべきに、憖じ長閥に
囚われしの却って彼の為に不利なるにあらざるか」
943 :
日本@名無史さん:04/08/03 10:18
吉野作造(当時東京帝国大学教授・法学博士)といえば大正
デモクラシーの旗手として有名だが、彼が大正五年(1916年)
に満州と朝鮮を視察し、朝鮮の印象を述べている。
「異民族の統治は威圧だけで成功するものではないことは固より言うを
待たない。
幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府)は、一方に於いて国家の威厳を示し
て居りながら、他方に於いて土民に近世文明の恩沢に浴するの機会を与え
、殊に、昔の独立時代(清朝の属国状態をさす)に見なかったいろいろの
生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだんだん盛んになって居る。交通
機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派に造られて居る。
病院も設けられた。その上また、朝鮮政府(朝鮮総督府)は朝鮮民族の精神
的満足並びにその開発を計ることを怠っていない。社会公共の秩序は立派に
維持されて居る。権利の保障には土人と内地人(日本人)との別を立てぬ。
比較的公平ななる裁判は確かに土民を満足せしめて居るようだ。
某朝鮮人は予に、自分の祖父の代までは、その蓄積せる多額の財産に眼を
つけられ故なくして府の長官に捕縛され、其の度毎に多額の身代金を取られた
ものだが、かくの如き不当の侵害は今日は全くなくなった。これ全て日本の
統治以来のことだと言った。殊に現在の総督寺内(正穀)伯は、正義の観念
の極めて強烈な人で道に合わないことは秋毫の微といえどもこれを仮借しない。
しかも、この点については伯爵は決して土民と内地人とを別たないといわれて
居る。この点は朝鮮人も皆伯を徳として居るようだ」
944 :
日本@名無史さん:04/08/04 08:22
945 :
日本@名無史さん:04/08/04 08:28
定年大将て、ないのか?
946 :
日本@名無史さん:04/08/04 08:50
無い
948 :
日本@名無史さん:04/08/04 13:58
豊田貞次郎は定年大将
当時は正しくは「停年」だな。
なんで「定年」に変わったんだろ。
停年と定年は違う。
(実役)停年というのは、その階級に任ぜられて何年何ヶ月かをあらわす。
定年というのは、文字通り現役、予備役を退いて後備役に入る年齢。
たとえば大将の定年は65歳、中将なら62歳。
951 :
日本@名無史さん:04/08/08 19:00
問題は予備役編入だろ
これはそんな固定的な年齢じゃないよ
ほとんどの人は、定年がくる前に予備役になる。大将で定年まで勤めた人は、
昭和の軍人では参謀総長の鈴木壮六大将くらいしか思いつかないな。
馬糞臭き帝国陸軍は、徹頭徹尾、馬糞クサッ!!
おまーらさえいなければ……(泣)
政治に口出す頭もないのに……(泣)
954 :
日本@名無史さん:04/08/11 22:58
,.-v))((r‐、
_rv‐`‐-、(⌒
、_ノノ ハ ハヽヾ)⌒
,'{,' メ. jノ゛__、v、}〉
. {{ハ‐'、´-'} }'メ
ゝj>`イノゝ、_
,r'フY/ /_l ヘ 支那人を笑はずに
Y⌒(⌒ } ゝ ,'ハ 生きて行くくなんて、できない
トr'{`ー,'´ ∧_ハ
ハリ } ,' '´/ r'_ ‐-〉
,'〈ト^ イ ,'/ /‐'
レijl l r'__ く
| L..イ`、 \\
| l! l ヽ ヽヽ
955 :
日本@名無史さん:04/08/12 22:57
>>952 岡田啓介も海軍大臣のとき大将定年の後備役編入で、予備役を経験していない筈。
956 :
日本@名無史さん:04/08/14 00:01
>>955 宇垣一成も朝鮮総督をやっている間現役期間が延長されて辞めたときには
すでに定年を超えてなかったか?
宇垣は朝鮮総督に就任するときに依願予備役となってる。
このとき63歳。
あ〜〜〜〜あ、こんな奴らの為に、日本人は死んだのか……。
もう、誰も、信用できない。
いよいよ、国外亡命だな。
信用できないというので思い出したが、陸海軍の脚気に対する対応の違い。
海軍は麦が脚気予防に有効なのを発見して海軍の食事を麦飯にして効果を上げた。
他方、陸軍は森鴎外の反対により麦を採用せず脚気に悩まされたという。
明治時代にしてすでにこの病的なまでの対立。
960 :
日本@名無史さん:04/08/14 19:47
陸軍軍人服役令によれば、将校の現役定限年齢は
大将65 中将62 少将58 大佐55 中佐53 少佐50 大尉48 中少尉45
ついでに陸軍武官進級令によれば、将校の実役停年期限は
少尉
2年 停年2/3 抜擢1/3
中尉
2年 停年1/2 抜擢1/2
大尉
4年 抜擢
少佐
3年 抜擢
中佐
2年 抜擢
大佐
2年
少将
3年
中将
4年 歴戦者もしくは枢要なる軍務の経歴を有する者にして功績特に顕著なる者
大将
もっともこの通りに進級できるのは皇族だけ。
中将から大将になるのは、進級令では4年だが内規では6年。大東亜戦争直前、
東條を大将にするために5年に縮められた。
961 :
日本@名無史さん:04/08/15 14:48
日本海軍では、少将に進級したときの序列が予備役に編入されるまで変ることがなかった。
抜擢のまったく不可能なこの制度は、適材適所が重要な戦時においては致命的な欠陥となった。
一方、米海軍におけるニミッツの例をみるまでもなく、能力に応じた抜擢主義は効果的だった。
ウェデマイヤーもすごい早さで出世したような
963 :
日本@名無史さん:04/08/15 17:54
米海軍は大統領に高級軍人の人事権があったからな。
964 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:23
統帥権者だから当然だ
965 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:43
福島安正は通訳から大将へ、マーシャル参謀總長なんか一兵卒から元帥へ
966 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:46
>>961 ニミッツは少将ポストの航海局長から大将ポストの太平洋艦隊司令長官に抜擢されているけれども、
その間に形式的にでも(たとえば1日だけとか)中将を経験しているの?
それとも、少将から中将を飛ばして大将昇進?
>>962 出世頭は何と言ってもアイゼンハワーでしょう。
第2次世界大戦勃発時は中佐だったのが、終戦時には元帥だから。
>>963 海軍の高級軍人に対してだけ人事権があった、ということはないと思う。
ルーズベルトが海軍に対してほど、陸軍に興味がなかっただけじゃない?
967 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:47
>>959 悩まされたどころか、自説にこだわった鴎外は、
2000人規模で脚気で未来ある若い兵士を殺してるよ
968 :
日本@名無史さん:04/08/16 09:44
>966
ニミッツは中将になってないと思う。前任のキンメルが合衆国艦隊(兼太平洋艦隊)長官に
就任する際にも少将から大将に仮昇進して、その後、正式に大将になったらしい。
この時、ニミッツに就任の話があったが、ニミッツは先輩を50人も超えて昇進すれば
恨みや妬みをかい能力を発揮できないと辞退した。そこで、キンメルが31人超えで就任。
しかし、例の真珠湾攻撃でキンメルは解任され、また、少将に格下げ(この後、裁判)。
キンメルもこの時、受けていたら、どうなっていたことやら。なお、合衆国艦隊長官は
大西洋艦隊長官と太平洋艦隊長官が交代で兼任。この後は、大西洋艦隊長官のキングが
就いた。日本で第一艦隊長官が連合艦隊長官を兼ねるようなものかな?
キンメルもこの時→ニミッツもこの時 に訂正