阿部十郎によると新撰組最強!
結成から甲州までの新選組の主要な事件にほとんど参加!
嘘かほんとか知らんが山南や藤堂を逃がそうとする人情家!
納得できなきゃ切腹覚悟で近藤に反目する!
決別しても維新後は近藤、土方の名誉回復に努める!
新撰組研究に多大な貢献かつ混乱をもたらす!
爺ちゃんになってもやくさを気合で一喝!
なのに世間的にはいまいちマイナーな杉村お爺ちゃんについて語るスレ。
誰だか知らんが凄そうな人だな
>>2 やっぱ知名度はそんなもんかな(;´Д`)
新撰組副長助勤/二番隊組長で結成時からの大幹部。
でも大正4年、77歳まで生きぬいた人です。
>>1
俺が最強。
5 :
日本@名無史さん:03/03/06 18:19
永倉単独スレきたー。1さん乙。
俺も永倉が1番好きなんだよなぁ。
英雄にはなれない人物だがさっぱりかつ信念持った性格がいい。
維新後の行動も泣ける。
俺は満州で馬賊やってますた。
7 :
日本@名無史さん:03/03/06 18:22
確か初期に会津御前練習試合で永倉vs斎藤があったっつー記録残ってるよね?
どっちが勝ったんだろう・・・。
以上1の自作自演でした
〜〜〜終了〜〜〜
〜〜〜再開〜〜〜
11 :
日本@名無史さん:03/03/06 21:09
>新撰組研究に多大な貢献かつ混乱をもたらす!
ワラタ。でもそうなんだよなぁ。
てか永倉はマイナーか?マイナーなのか?
俺は何年か前の驚き桃の木20世紀で永倉メインでやってた奴見て
新選組に興味持つ→そのままヲタの道を歩んだわけだが。
12 :
日本@名無史さん:03/03/06 21:20
>>11 沖田>>>近藤=土方>斉藤>>>>>永倉=原田=藤堂>>>>>>>>>井上
って感じかな?
斉藤一までは興味のない人でも知ってることもあるだろうけど
それ以下は新撰組に興味が無ければ知らないっぽい。
考えてみれば芹沢も影が薄いな。(w
13 :
日本@名無史さん:03/03/06 22:05
なんで松前藩への帰参を許されたんですかね?
いくら結構いいとこの出だと言えど
脱藩済みな新選組の大幹部を匿う利点が松前藩のどこにあったんだろう・・・。
14 :
日本@名無史さん:03/03/06 22:31
芹沢かもしってるよ。俺は大学の歴史学科卒業だから。すごいだろ。
何だかんだ言っても生き残ったヤシの勝ちだよね
16 :
日本@名無史さん :03/03/07 00:16
>>13 それ以前に土方と決別して靖兵隊?作ったのもよくわからん。
17 :
日本@名無史さん:03/03/07 02:50
>>12 斎藤が有名なのはやはり某漫画のおかげだろうか・・・(笑
でもあの漫画北海道を舞台にしたストーリーもやるはずで(結局ポシャったが)
そこに永倉も出す予定だったという噂がある。
>>16 それは家臣扱いする近藤に対して三行半が定説じゃないか?
まあ確かに近藤も勝手に行動決められて気分悪いのは分かるが言い方がまずかったな。
元々永倉と原田は近藤のそういうとこに対してゴルァなところがあったようだし。
範医の養子にさせてもらったりアフターケアも万全だかんな。
よほど人脈があったんだろうか。
藩医ね。
マジレスすると容保前での永倉vs斎藤ってのは
記録にあるんじゃなく、ず〜っと後(明治か大正か昭和か)
の雑誌に載ってた話なのよ。そこには「土方歳三の日記によると」
かなんだかの文があるわけ。
21 :
日本@名無史さん:03/03/11 14:10
あの某漫画にも出るハズだったのに
どの小説でも結構好意的に扱って貰っている人だよね <永倉新八
漏れは池波正太郎の小説で新撰組に入った口だから余計そう思っている
のかもしれんが。
いちばん評価が分かれているのは土方かな…?
墓参りいってこようかな。杉村家の。
24 :
日本@名無史さん:03/03/18 08:29
新八カコイイ!
25 :
日本@名無史さん:03/03/18 09:55
維新後、永倉と斎藤は会ったりしているのでしょうか?
>>25 消息は知っていたようだが、とくに記録は残っていない。
(sageでお願い)
新八が斎藤の流派を聞かれた際
「斎藤君とはあまり口をきかなかったから知らん」と言ったらしい。
28 :
日本@名無史さん:03/03/18 15:28
>>27 古くからの幹部同士といってもそんなもんなのか。
では逆に誰と仲がよかったんだろうか。やっぱ原田とか藤堂?
>>28 原田とは一緒に靖立隊を結成したぐらいだったから良かったんじゃないかなあ。
平助どうだろうね?
新選組顛末記の中で油小路の時に逃そうとしたって書いてあるけど。
そういえば沖田、永倉、斎藤が土佐の中井庄五郎と片岡源馬と斬りあったとき
三人で飲みに行った帰りだったけど、普段からよく飲みに行ってたんだろうか?
31 :
日本@名無史さん:03/03/18 19:24
新発見資料・永倉の「報國記事」
http://www.toshizo.com/takara/shiryo01.html 永倉新八幻の記録発見・叫ぶ近藤勇 沖田奮戦もリアル
幕末京都の警備組織「新選組」幹部、永倉新八(1839-1915年)の手記として存在が知ら
れながら、行方が分からなくなっていた「浪士文久報國記事」が、奈良市の幕末・明治維
新史料収集家によって入手されていたことが、六日分かった。
新選組が勤皇の志士を襲った池田屋事件で、局長(隊長)の近藤勇が叫んだ言葉や修羅
場の情景など、その場にいた者にしかわからない事実が細かく記された貴重な資料だ。
和紙に毛筆で書かれ、1862年(文久二)の浪士組結成から新選組の成立に始まり、鳥羽
伏見の戦いに負けて逃れるまでの五年余りを、三分冊計約百七十ページに記録してい
る。
32 :
オーソリティ:03/03/18 19:34
長倉に限らず新選組関係の研究は出尽くした感が否めない
多くの遺品は関東大震災と東京大空襲でウユウに帰したものと思われる。
おそらく今後新選組の新たな事実を示すような1級資料は出て来ないだろう。
また
>>27や
>>30のように後世の創作が多いのも実像を掴みにくくしている
いつの時代でも資料のでっちあげは横行してると言う事
そういえば
>>31の浪士文久報国記事も怪しいんだよね。
33 :
日本@名無史さん:03/03/18 20:15
>>32 京都だったらまだ発見される可能性があるかも
>>32 歴史群像シリーズ31「血誠新選組」の「鼎談・天然理心流の奥義」の中で、
瀧上鉄生氏(天然理心流17代目)が斎藤の流派を永倉も知らなかったでしょう?と聞かれ、
そう。私の師匠が永倉に「先生、斎藤先生の後流派はなんだったのでしょうか」と尋ねたら、
「斎藤君とは〜」と言われたそうです(笑)
というのが載っているんだけど、これも作り話なのでふか?
35 :
日本@名無史さん:03/03/19 13:23
>>32 へ、浪士文久報国記事もぁゃしぃの?
これは本物確定だと思ってたが。
36 :
日本@名無史さん:03/03/19 13:46
池田屋で永倉が斬った人数を4人としているのもチョイ怪しい。
討ち死にした浪士が7人だから「半分以上は俺が斬った」と言ってる。
戦闘初期から屋内で斬り合ってたから、あながち嘘とも言えんかもしれんが。
37 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:03/03/19 13:49
永倉はどんな理由で、松前藩を脱藩した、あるいは「暇」を与えられた=
解雇されたのですか?
38 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:03/03/19 13:50
確か親父さんが江戸詰めの時に江戸で生まれ、
幼少期を江戸で過ごしたらしいけど。
39 :
日本@名無史さん:03/03/19 22:49
つか永倉は脱藩するまでずっと江戸の松前藩邸にいたような。
違ったっけ?
>>39 そういう理由も含めて、永倉は政治的な匂いがしないのがいいね。
江戸っ子新八
松前藩は嫌いだが長倉は大好きだ。
43 :
日本@名無史さん:03/03/30 22:06
あげ
44 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:08
hosyu
ぬるぽっと
ミノガサナイゾ!
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/
(_フ彡 / ←
>>45
こ…こんなところまで…
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
50 :
日本@名無史さん:03/04/21 23:00
1にも書いてるが、孫が語ってた「睨んだらやくざが逃げた」というエピソードは痺れますた
51 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:14
震災と空襲がなければどんな資料が・・・
52 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:24
ドラマ壬生義士伝の永倉好き
役者なんていう名前だっけ
日野の祭りのパレード、二番隊隊長役はつのだ☆ひろだってさ…
54 :
日本@名無史さん:03/05/15 15:04
遠藤憲一だっけ?
今度の大河、永倉がドンドコ山口ってどーなのよ.....?
関西弁喋る永倉なんて見たくねーぞ。
今度の大河って、「竜馬におまかせ」みたいになるのか?
あれは個人的に好きだったから期待してる。
そうか、漏れはあのドラマだめだった…
三谷は水曜日の朝日夕刊のエッセイで
来年の大河のこと書いていたね
何でそこまでカトリを買っているのかどうしてもわからん…
おれはあの時歴史の事にあまり興味が無くて、
新選組も近藤と沖田ぐらいしか知らなかった。
そのせいか「竜馬におまかせ」はあまり抵抗が無かったなあ。
でも今は多少知識がついたから、近藤を香取がやるのはうーむと思ってしまう。
まあ、武蔵よりは楽しめるだろ。
>>55 あーそうそう、遠藤憲一さん。
『壬生義士伝』では、鳥羽伏見の時、「もうこんなんじゃ戦えねえよ!」
って刀を投げ捨てるシーンが印象的ですた。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
保守ついでにネタ振り。
永倉が主人公の小説って、『幕末新選組』以外になんかある?
64 :
日本@名無史さん:03/06/15 22:19
土方スレが上がってるのであげ。
65 :
日本@名無史さん:03/06/19 01:38
本当は「長倉」じゃないの?
66 :
日本@名無史さん:03/06/19 02:09
>>65 そうらしいけど、脱藩して「永倉」にしたんじゃないんだっけ?
67 :
日本@名無史さん:03/06/20 01:54
たしか長倉家って、殿様の世継ぎを産んだ側室を出したために
武士にとりたてられた町人だよね。
68 :
日本@名無史さん:03/06/20 02:32
小樽にいたって本当ですか?
本当です
70 :
日本@名無史さん:03/06/20 02:48
新撰組では永倉ガム新と処刑人斎藤のサバイバーコンビが一番好きです。
次点でガイキチ隊長セリザワ。土方副司令のマヌーな俳句も笑えるけど。
71 :
日本@名無史さん:03/06/22 03:52
新書で日記をもとにした解説本が出ています。
72 :
日本@名無史さん:03/06/23 12:57
齋藤スレが上がってるのに下がりっぱなのも寂しいのであげ。
ていうか、沖田と齋藤と永倉、一番強かったのは誰なんだろね。
新撰組の切り込み隊長「ガムシャラ新八」と呼ばれ主たる戦場の
殆どで最前線に立って剛剣を振るっていた割には今一知名度が…
維新後も生き延びて回想録まで残した最重要人物みたいな人なのに。
やっぱり近藤や土方・沖田に比べると生き残った分印象が薄いのかしらん。
新撰組に付きまとう「滅びの美学」から遠いというか。
74 :
日本@名無史さん:03/06/24 00:27
服部武雄の二刀が、
一番強いです。
新選組で随一って云われてるし…って、
誰が云ったかは知らないが…。
阿藤快を越える武雄は、出てこない。
一番強いのは撃剣師範
●沖田総司(副長助勤)
●永倉新八(副長助勤)
●斎藤一(副長助勤)
●新井忠雄(監察)
●吉村貫一郎(監察)
●池田小三郎(伍長)
●田中寅三(平同士)
の中の誰かだろう。
維新後の斎藤(藤田)が主役の「明治無頼伝」みたいに永倉(杉村)が
主役のカコイイ剣戟冒険小説ってないですかね。
曲がった事は大嫌い、剣法一筋熱血バカ(たぶん)の快男児・永倉なら
いくらでも面白い話が作れそうだ。
もっとも、斎藤みたく謎が多いわけでも西南戦争に従軍した訳でも
ないからネタには困るかも知れないが…
伊東一派の連中は故意に役職を付けられなかったと、言ってみるテスト。
>76
短編でも良いならオススメがある。剣戟とかじゃなく
渋い感じの話だけど、永倉好きなら読んで損はしないかと。
「津本陽自選時代小説集 北の狼」集英社文庫
あ、永倉(杉村)主役の話は表題作ね。既知だったらスマソ。
うそー大河ぐっさんなの?
うげーまじかよ。見る気失せた。
80 :
日本@名無史さん:03/07/03 14:33
服部が撃剣師範だったら、皆二刀流になってしまうというテスト
ていうか、死ぬか生きるかの勝負のとき(油小路、鳥羽伏見)限定だろうといってみるテスト
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
服部は鎖帷子着込んでたのと仲間を逃がす為にここで死ぬ、と
決めたからこその二刀流だろ。防御無視でひたすら切って切って切りまくる。
85 :
日本@名無史さん:03/07/16 12:46
おいお前さんら! 永倉新八日記と島田魁日記がPHP新書から
『新選組日記』という題で出てますよ!
86 :
日本@名無史さん:03/07/16 13:12
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87 :
日本@名無史さん:03/07/20 15:49
>>85 永倉新八の日記って、『新撰組顛末記』とどこか違う記述とかあるのかな?
88 :
スレちがいだが・・・:03/07/20 22:18
157 名前:愛蔵版名無しさん 投稿日:02/02/11 01:09
昭和の剣豪が空缶をひもにつるして
突きの練習をしていたところに、
老人が現れて竹刀であきかんに穴を開けた(すげえ)
って言うエピソードで、その老人が晩年の
斉藤一だったっていうことがさりげなく書かれ
ていたのがやけに印象的。
今のマンガなら人気取りのために新撰
89 :
スレちがいだが・・・:03/07/20 22:21
永倉と斎藤は去年でた北方謙三の土方ものでは
あまり良いようには書かれておらんなんだー
つーか漏れはあのラストが大嫌いだった訳だが
北方の脳内新撰組だし。
92 :
日本@名無史さん:03/07/22 03:46
永倉の新選組脱退後の1868年って、けっこう波瀾に飛んでるんだな。
会津行ったり、雲井龍夫の子を預かったり。
93 :
日本@名無史さん:03/07/22 03:59
94 :
日本@名無史さん:03/07/22 09:29
なんていうか永倉というのは新選組では珍しい典型的な陽の人物なんだよね。
豪放凱楽、江戸っ子気質のさっぱりした性格で、戦いの時も戦闘に立ち、得意技は唐竹と豪快そのもの。
斎藤とはちょうど逆の人物像なんだなあ。
彼の書いた新選組の記録でも常に自分が一番活躍しているように書かれてるけど、
それも「嘘を書いた」とか「自分が有利になるように」とかいうんじゃなくて彼の自信の表れだと思われる。
本気で自分が一番の活躍をしてたと思ってたんだろうね(本当にそうかもしれないが)。
95 :
日本@名無史さん:03/07/22 10:33
斎藤一とと永倉新八は銃器が台頭してきた時代に生き延びてきたんだし
実力は相当なものかと。
まあ現代の道場剣道ではめったな人ではたちうちできませんな。
96 :
日本@名無史さん:03/07/22 11:02
>>95 それはちと違うんじゃないのか?
るろ剣じゃあるまいし剣の腕で生き残ったわけでもないだろうに・・・
97 :
日本@名無史さん:03/07/22 21:00
(^^)
99 :
日本@名無史さん:03/08/08 01:13
>>63 >>76 メディアワークス電撃文庫から、『鬼神新選』っていう小説が出てるよ。
ただ、マンガ的荒唐無稽な小説だから、各氏が挙げてるようなのとは全然違うが。
100 :
日本@名無史さん:03/08/08 01:23
元勲にも多い無念流閥だから明治以後も悠々と生きたくせに
芹沢、新見の仇取らなかった糞。
利用するだけで何の矜持も無い。
>>100 セリザワさんの仇ったら、近藤さん達仲間内じゃないか。
102 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:18
100ゲト記念で敢えて釣られてやるが、永倉は神道無念流だから維新後も生き残ったわけじゃないぞ。
103 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:30
永倉って昭和四五年まで生きてたんだろ?
104 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:39
え、終戦の年まで?
終戦は1945年だろが
107 :
日本@名無史さん:03/08/09 08:20
餅をageよう
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>103
大正4年1月5日。
同じ年(9月)に斎藤も亡くなったです。
同じ年にてのが、奇しくもてな感じですな
>1さんの文がいいですね。
永倉さん大好きです。
112 :
日本@名無史さん:03/09/28 22:06
カキコが少ない・・・
大河ではぐっさんが演じますが
皆さんどう思われますか??
私は元気な永倉さんを演じてくれそうだなあと思います。
大河は試衛館から流山までらしいっすね…
まぁ主役が土方じゃないし、まして永倉じゃないしね
壬生義士伝ってのを観たんですが、吉村貫一郎はとてつもなく強かったの?
117 :
日本@名無史さん:03/10/10 22:48
餅をageよう
118 :
日本@名無史さん:03/10/11 05:56
ここまできて島田魁の名が上がらないとは・・・
命の恩人なのに・・・
どうもピーメーのせいでチビのイメージがついているが
少なくとも当時の平均身長より高かったらしい。
壬生義士伝とかではデカイ役者がやってたけど…
来年の大河も山口(175cm)だしな…チビではない
永倉氏>
好きです。板橋にある碑は感動もの。やくざとのエピもいい。ですが敢えて質問。
斎藤や土方が最後まで戦ったのに、途中で変装してまで戦線離脱したのはナゼ?
原田が去って行った理由は、永倉氏が昔の親友に再会して自分を省みなくなり
つまらなくなったから?(妻子にひかれてというのは疑問。戦場における男の立場は皆一緒
なんだから、その理由で離れるとは思われないけど・・・)
121 :
日本@名無史さん:03/10/20 23:36
>>120 近藤が酔った時、家来扱いされる暴言を吐かれて、
近藤と対等だと思ってた永倉たち武士グループ(永倉、原田、島田など)が離脱したわけです。
近藤の暴言の原因は庶民出身の彼は毛並みの良い武士グループに反感を持っていたのです。
新八かこいいYo…!!
>>1タソ!グジョーブ!
ちょっと上の方に新八の遺した史料についての話が出てるが、顛末記は八っつぁんが書いたんじゃなくて、彼の話をもとに記者が纏めたもんだから、あの永倉英雄化はその記者の脚色もあるかと。
浪士文久報国記事(新選組日記に収められてるやつ)は本人筆。
とか言いつつ新選組日記まだ読んでないんですが、あの本は買いですか?
魁です。いや、買いです。
某サイトで「永倉の残した手記を手に入れた」って書いてあったけど、
まだ世に出てない手記って結構あるもんなのかな。
>123のボケが好きだ(藁
幼名というか本名は栄吉
永倉新八を語るなら、池波正太郎の「幕末新選組」は基本だね!
先日、某所で新八の胴衣(チョッキ)を見せてもらいますた。
かなり色褪せてて、保存状態はよくない。
丈も幅も、意外と小さかったな。
>>130 新八の写真も、そんなに大男には見えないよね。
>>131 当時としてはそこそこ大きい方だったらしいよ
てか当時平均身長が155とかだったらしいから
>>132 やっぱりでかい方が剣術が強いらしいし、ある程度いい体格ではあったのは確かだろうね。
近藤が164センチで土方が167センチだっけ?
どっかのスレで読んだような気がするんだが。
永倉はどのくらいだったんだろう。
>>133 そうですね。
やはり当時小柄で強かった人はほとんどいなかったらしいので
良い体格してたのは間違いなさそう。
>>134 自分が見た研究本などでは大体160〜162ぐらいはあった模様です。
しかし155〜6と書いてる本も有りますね。
だいたい永倉の体格に関しての記述ってどの本でも
「でっぷりした立派な体格の人でした」って記述してある
まぁでも155以下に書いてるものは無いから小さくは無いだろう
あくまで普通もしくは少し大柄みたいな感じだろうか
>>135 そういえば藤堂平助は小柄だったけど強かったらしいです。
>>137 あくまで一般的にと言う事です。
とにかく永倉は小さくないですよ。
ピスメのせいでチビのイメージがついてるけどね藁
藤堂は強いと言っても沖田永倉斎藤には届かないと思いますね
彼らのように強いなら剣術指南になってるはずですから
>>138 じゃぁ壬生義士伝はデカ過ぎですか?
永倉役の人183センチで主役級隊士では一番大きかったけど
どうせフィクションだもの、かっこいいほうがいいさ!
普通に永倉はデカイ方だと思うが…
皆ピスメに影響され過ぎだ藁
ピスメ?
ピースメーカー読んだことないけど(面白いの?)、小さいイメージだなあ。
池波正太郎がやたら童顔とか書いてたから、なんか勝手に小さいイメージできてた。
いいじゃん、イメージくらい作っても。
幻想を抱かない限り。
実際の永倉の身長、
お孫さん(杉村逸郎氏)の話では五尺二、三寸だったらしいよ。
155〜160cmか。じゃあ当時の平均くらいかな?
>>148 今で言うと170CM前後ぐらいか…
それで強かったんだから大したもんだよな〜
若い頃はもうちょっとあったんじゃない?
要するに永倉って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
人気はある
でも、永倉の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
中途半端に生き延びてる
何をやらせても中途半端だね
>>150 なるほどたしかにそうかもな
とすれば今で言う172〜3は有ったかもな
全然チビじゃないな…そんなもんか…
>>153 そんな事無いですw
当時の証言からして永倉は体格の良いイメージがあるんで
チビの永倉は想像するだけでカッコ悪いしねww
長倉 VS 近藤
私怨どろどろ対決
永倉新八ってなぜマイナーなのだろうか…
主要な事件には参加してるし
剣の腕も立つんだろ?
主流派じゃなかったからだよ。
近藤 VS 長倉の対立なんて OL女の意地の張り合いみたいで面白いがな(藁
畳で死んだ事が大きかったかな。
日本人は悲劇好きだし。
同じ畳で死んだ人でも斎藤一は有名だけど、あれは某流浪人漫画が原因だしねw
(でも、もう少し続いていたら、永倉新八も出す予定だったとか)
>>158 あの漫画はあんまり好きじゃないが、和月の永倉は見たかったかも。
>>159 一応、回想シーンで出ておりました。
ひとコマだけだけどw
ちなみに、えらい爽やかな美少年でした(なぜだ)
>>160 え?それって「新撰組凱旋!」のコマだよな?
全然美少年って感じじゃ無いが…どちらかと言うと江戸っ子兄さんて感じだった。
和月の書く新撰組では原田がカコイイな葉っぱくわえてる所が特に藁
>>160 漫画自体あまり好きじゃなくて斜め読みしたのですっかり忘れてた。
というか気付いてなかったのか。
この機会にもう1度読み直してみようと思う。
永倉が油小路で藤堂助けようとしたのはほんとですか?
>>163 残念ながら作り話です。藤堂は一番先に斬られたって史談会速記録にあったぞよ?確か…
今日、書店に寄ったら「新選組 永倉新八外伝」って本が
あったので衝動買い。
著者が新八のひ孫なので、かなり小樽時代のことが詳しく書かれてる。
このスレの住人だったら、一見の価値ありかと。
お、買いに行かねば。
あのうスレ違いかも知れませんが
昭和の初期に新八の15回忌かなにかで
ご子息等が関係者のみに配られた
「新撰組永倉新八」という本持っている方いませんか
>>167 それが『新撰組顛末記』なんじゃないんだっけ?
そうなんですけど、その原本が欲しいんです
それってすごい貴重なんじゃないですか?
私も読みたいです。
持ってる人いるんですかね?
鑑○団の「買います」に出たら見つかるかも・・・
5年前ほどはネット古書店に数冊出てたよ
3〜6万ほどだった
読めるかわからないし、
そんな貴重品は研究者や専門の人が持つべきで
普通の人(趣味)では手にあまるとおもふよ
172 :
日本@名無史さん:03/12/26 23:06
大河ではDonドコDonのぐっさんがやるみたいね
>167
自分、持ってるけど読めない・・・
欲しいならオク出しするけど、どう?
>>164 マジ!?事実かと思ってたよ・・・。
そのエピ好きだったのに。。。 _| ̄|●ナンテコッタ・・・。
>>174 それが嘘だとしても、新八っぁんのミリキは変わんねぇだろ?
まぁ、あのエピが嘘でも良いけどさ。
新八っつぁんのあの人間臭さが好きなんだよなー。
177 :
日本@名無史さん:04/01/04 23:28
「浪士文久〜」にも近藤に助けるように言われていたって書いているから
助けようとしたのは事実でしょ。
ただその間もなく1番最初に斬られてしまったって事で・・・。
今日って新八っつぁんの命日?
179 :
日本@名無史さん:04/01/05 22:25
>178
そうでつ。
しかし土方や沖田の命日は「歳三忌」「総司忌」って結構有名で、
イベントとかもあるのに「新八忌」って言わないよな。
まあ、マイナーな新八っつぁんらしいって事で、
今日は新八っつぁんのために一献。
>179
やっぱそうだったのかぁ。
新八忌はないからねぇ。
黙祷しとくよ。
あぼーん
182 :
日本@名無史さん:04/01/08 19:50
住人さん少ない?age
新八じーさんが好きだ。
大河どうよ?
あんまり出てないけど。
>>184 これからに期待、と言ったところか?
判断する材料がなかったな。
>>184 ゴツくて笑った。もうちょっとタレ目だったらなぁ。
新八っつぁん、史実の写真でもタレ目だったから。
187 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:01
大河ぱっつん、強そう!!イイ!
189 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:04
さて、今日は大河で八っつぁんと近藤が出会う回だが・・・。
第1回を見た限りではいかにも実戦的な剣の達人って感じが出ていて
八っつぁん=ぐっさん→良かったように思う。
あの斬りかかってきた相手の剣を飛ばす技は、
池波正太郎が小説の中で八っつぁんに使わせている
「龍尾の剣」の描写だろうかと妄想してみたりする。
しかしこのスレ住人少ないねえ・・・。
結構ぐっさん、よかったね。
写真の永倉からそれほど大きくはずれてない感じがする。
自分はちょっとダメだなあ…。
悪くはないんだけど…なんだかなあ。
ちょっとキャラが重いね。百戦錬磨の古武士みたい。まあドラマはドラマだからいいけど
自分のイメージとしては粋でいなせなちゃきちゃきの江戸っ子
193 :
日本@名無史さん:04/01/18 23:22
後から江戸っ子新八になってくれることでしょう。
194 :
日本@名無史さん:04/01/19 21:10
そうね、もっと飄々とした感じが良いと思う
皆の永倉のイメージってやっぱり池波から?
私は小説をひとつも読んでいないので
歴史本?を読んだイメージです(>_<)
池波さんの小説はタイトル何て言うのですか??
「幕末新選組」はどうしてもはずせないかな。
でもほかの幕末関係の本でも、永倉についての記述は気にかかる。
実は最初の出会いはゲームだったりして。。。
永倉の若い頃の写真はNHKの松平アナに似てる。
池波の近藤勇白書にも永倉はたくさん出てるね。
さっき読み終わった…
200 :
日本@名無史さん:04/01/27 14:31
200げっつ('A`)
伊庭八郎と面識はあったの?
202 :
日本@名無史さん:04/01/30 00:15
伊庭八郎は試衛館にちょくちょく顔を出していて土方達と女郎買いに行ったりしていた
なんて話があるからそれが本当なら永倉とも面識があったかもしれない。
その伊庭の話ってどこらへんが出所ですか?
興味があったので新撰組の本ちょっと読んでみたけど書いてなかった・・・
関係ないけど、あのまま新撰組に居たら松前と戦うことになるけど、それは
できなかっただろうな。脱藩したり幕臣になったとしても、本人の意識には
どこか松前の身内だって気持ちがあったような気が。最後に頼ってるし。
204 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:02
>203
昭和5年に出版された「史外史譚剣豪秘話」って本が出所でつ。
著者は流泉小史。
昭和48年に新人物往来社から「新撰組剣豪秘話」という
タイトルで復刊されたけど、今は絶版になっているので
古本を探してみれ。
206 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:25
氏繁の模擬刀、買っちゃいました。
207 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:36
その本の中で明治時代の劇作家でジャーナリストでもある
福地桜痴が語った言葉として、
「(前略)近藤の道場にときたま遊びに往くことがあって、
伊庭八郎や、代稽古していた永倉、沖田、藤堂などという連中と
話はあっても、土方とはあまり口を利いたことはなかった(後略)」
というのがありまつ。
福地桜痴という人は近藤勇と同じ塾で学んだそうで、
流泉小史こと小原敏丸は、その福地桜痴の弟子にあたります。
小原は新八っつぁんともあったことがあると著書の中で言っています。
208 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:39
>>207 福地桜痴ってたしか慶喜が大阪城から江戸へ逃げ帰った時に居合わせたんだっけ
>>203,204
レスありがとうございました。
かなり興味深い話でした。
本当だったら面白いなあ。
210 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:48
>>207 >>福地桜痴という人は近藤勇と同じ塾で学んだそうで、
あり得ない話です。
211 :
日本@名無史さん:04/02/05 21:03
ぐっさん あげ
森村誠一の「剣菓」という短編に入布新さんが出てきた。
後記が付いてて実話風だったんだけど、なんか記録でも残ってるんですかね。
森村は、新選組をテロだって逝ってるので信用しない。
そうなの?
新撰組の本書いてるのに?(読んでないが)
大河スレで出てたんだが、
饅頭の中にウンコ詰めて人に食わしたってのは本当なのか?
芹沢さんを嫌っていた芸妓と
新八さんが馴染んでた芸妓の髪を
切ってしまったのは本当なんですかね。
芹沢さんの怒りを買った芸妓はともかく
新八さんの馴染みまで髪切っちゃうなんて・・・
その後ちゃんと縁組の世話をしたそうですが。
>>214 そう。新選組の本書いてんのに。(俺も読んでないが。つーか読む気も起きん)
219 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:28
>>218 森村のは相馬主計の設定が新鮮だった。でもそれだけ。
「幕末新選組」読みました!
すごくいいです!
新人物往来社からは新八さんの本が
たくさん出てますね。
全部読みたい!
でも高い・・・・
文庫はないのか・・・
>>220 近藤勇白書にも何気に永倉が出張ってるよ。
でも永倉物はやっぱり幕末新選組が一番いいな。
「近藤勇白書」も読む価値ありですか??
ちらっと見た感じ、「幕末〜」と
似た感じがしました。
>>222 永倉目当てなら、幕末〜と似たような感じだから読まなくてもいいんじゃない?
俺は小説として普通に面白く読んだけど。
224 :
日本@名無史さん:04/02/15 21:10
今週の大河。
新八っつぁんカコイイ!!
自分的には微妙だな。
芳賀さんがヘタレにされてるし。
なーんか、そんなに食い詰めてないと思うんだな。
まあ、池波マンセーなだけだけどね。
うん。たしかに宇八郎がしょぼっかった。永倉よりも格上的な男なのになぁ。
ちょうど「幕末新選組」読み返していたところだったので、宇八郎に違和感感じてしまった。
まあ今週は完全にフィクションだから突っ込むほどのことではないだろうけど。
それより、登場人物が総じて軽薄な中、永倉だけが重厚なのがどうにも気になる。
228 :
日本@名無史さん:04/02/16 18:27
ぐっさんの眉毛かっこよかったな
「思うところあって寝返った」にグッときた。
簡単に寝返りすぎ。しかも宇八郎裏切って。
>223
ありがとうございます。
読んでみます
232 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:29
大河の新八っつぁんは
「ガム新」って感じがしないのは
私だけですか?
藤堂勘太郎の方がガムシャラに思える。
>232
大河の永倉は自分もあまり好きではない。
落ち着きすぎて、そもそも脱藩などしそうもない感じ。
汚らしい格好も嫌だ。
堅物でも浅田二郎の永倉は結構好きだが。
それ以前に、あの原田と一緒に靖共隊を結成するほど仲良くなれそうな気がしない。
まぁドラマだから、正反対の性格の奴と意気投合なんて良くあるけど。
235 :
日本@名無史さん:04/03/04 00:55
新撰組隊士の生き残りっていえば、まず永倉か斉藤一(島田魁とか、もっといるが・・)が浮かんでくるんじゃないか?
このマターリな進行具合がいい感じだな。
もっといろんなエピソード聞かせてくれ。
山野八十八もさりげなく長寿だったりする。
斎藤さんが有名な某漫画に一コマだけ永倉出てきたってドコのかんかな?
全然記憶ないや…
>>237 斎藤初登場の時と、池田屋の回想の時。
ていうか、京都庭番衆の一人にキャラデザインが流用されてる。
写真には似てないが。
239 :
日本@名無史さん:04/03/08 14:23
>>192 こんなもんだと思う
「奇兵隊」では本田博太郎だった
西田敏之よりはましだよな。
241 :
日本@名無史さん:04/03/08 16:46
スレ違いだが、藤原沖田はマンガ「風薫る」思いっきり意識だと思ふ。
キレイすぎて馴染めんが、永倉は結構良い線いってるのでは。
井原の佐々木只三郎は。。
実際もっとチビだと聞いたが。
怪物芹沢を除けば新八最強
244 :
日本@名無史さん:04/03/08 22:47
武士(もののふ)の 節を尽くして
あくまでも 貫く竹の 心一筋
この句の中に、八っつあんの生き様が凝縮されてるってカンジだよね。
晩年に当時を思い起こして詠んだ句だと思ってたけど
戊辰の役の時に詠んだモノらしいね。
かっこいいーーーー
三国志を例にすれば、正史三国志を参照して三国志を語る者が最上位であり学
術的かつ考察的な接し方をしているといえる。
最も忌むべき存在は、三国無双や三国志を題材にした漫画で三国志を語る者た
ちである。自分の好みの人物をひいきし、好ましくない人物を評価しない。
そのくせに、学校の漢文の授業や歴史の授業で三国時代に接すると知ったかぶ
りを決め込む。
幕末にこれを当てはめてみよう。るろうに剣心やら小説やらドラマに依拠して
幕末を語る者は言うまでもなく後者の部類に属する。
当時の人物の著作、日記、回想、あるいは徳富蘇峰に代表されるような評論家
の著作に依拠して幕末を語る者が前者である。
ここのスレッドの書き込みを見ろ。
○○が最強だの○○と××ではどちらが強いだの、まるで少年漫画の感覚では
ないか、興味の対象が幕末の人物に置換されているだけで次元としてはドラゴ
ンボールのキャラで誰が最強かを語っているのと同次元であろう。
こういう連中がいるから学術的に幕末の考察をしている者が迷惑するのである。
すいません、間違いました。
なあ、いい加減に「〜が好き」とか〜「が嫌い」とかいう観点で人物を見る
のを止めたらどうですか?
軍事板を例にすると、第二次大戦で優れた戦闘機は何かを話題にして
いる際に、自分の好き嫌いで優劣を論じているようなものだろう。
具体的には、P-51ムスタングとTa152ではどちらが最優秀かを論じる際に
、自分の好みの方を推している。
自分の好きな戦闘機や戦車の活躍に心を躍らせている。
自分のお気に入りの新撰組隊士が小説やドラマの世界で活躍することを
待望しているんだろう。小説やドラマが創りだした虚像の活躍に心を躍らせ
ている。
視点を変えて朝日新聞で毎週金曜日に連載された「私の明治維新」にで
も目を通せ。
あるいは徳富蘇峰の「近世日本国民史」に目を通せ。
断っておくが、俺は新撰組を貶めるつもりなどまったくないぞ。
貴様らのように虚像の活躍に心を躍らせる輩に憤慨しているのだ。
虚像の活躍に心を躍らせるのが目的なら、自分で自分のお好みの人物
が大活躍する小説でも執筆して満足していればいい。
あのぉ〜、このスレッドの連中は新撰組にしか関心ないので、P-51ムスタ
ングとかTa152とか言われても何のことかわからないんですけど〜
別に永倉の虚構の活躍なんてどうでもいいがな、俺は。
しかし靖共隊作ってから後は正直ショボーンだな
やっぱ一剣客であって集団を率いる能力には欠けてたようだ。
江戸への帰り道芳賀と二人自棄酒飲んでは荒れて同道してた奴に愛想つかされて
るのはチョトカコ悪い。
でもそんな所もいい。
完璧だったらつまらない。
人間味が感じられるよ新八っつぁん。
仁侠親分の祐天仙之助が浪士組に参加を試みたのは史実かね?
255 :
日本@名無史さん:04/03/14 22:01
>>254 よく聞く話だね、上洛の途中で仇討ちされたり。
男装して浪士組に参加した中沢琴は出るかな〜。
芹沢さんが新八っつぁんを亡き弟のように・・・
というのは池波さんの創作??
「弟のように」は創作だけど、他の試衛館メンバーよりは仲良かったのは事実。
>>258 そうなんですか。
ありがとうございます。
大河の永倉は江戸っぽくないね。もうちょい血気盛んなのがヨカッタ。
後、四代目襲名の時に、沖田にあっさりやられちゃったのも何だかなぁ(´Д⊂
それに、今の様子見てると、近藤と袂を分かったり、原田と行動を共にしたりする様には到底見えないし。
まぁ、大河がどうなろうと永倉が良いのは変わらんがw
262 :
日本@名無史さん:04/03/27 19:12
板橋の近藤さんのお墓に
新八っつぁんのお墓もあるそうですね。
遠くないのでものすごく行きたいのですが
一人で行く勇気がありません。。。
誰か〜_| ̄|○
263 :
日本@名無史さん:04/03/27 23:44
>>262 前に一人で行きました。改札をでて本当にすぐです。
新撰組好きの地元のおじさんが話しかけてきました。
264 :
日本@名無史さん:04/03/29 22:18
>>263 そうですかー。
一人でも行けるんですね。
そんなおじさんがいたら心強いかも。
ありがとうございます。
262は腐女子?
脅かすつもりじゃないけど、腐女子狙いの怪しい香具師も
うろちょろしてるから、気をつけろよ。
266 :
日本@名無史さん:04/04/01 19:04
腐女子かどうかは分かりませんが
女です。
怪しい人があるなんて
考えてもいませんでした。
ご忠告どうもありがとうございますm(_ _)m
267 :
日本@名無史さん:04/04/01 19:12
永倉新八は空き時間に田中邦衛の真似とか
してるんだろうか。
鴨なら猪木のマネしてたけどな。
269 :
日本@名無史さん:04/04/10 19:08
大河の永倉は全然ダメだ
自分は結構好き。
271 :
日本@名無史さん:04/04/11 09:05
俺もー
272 :
サイゾー*ブギギ-ッ(こぶた):04/04/19 11:01
永倉新八・原田左之助・藤堂平助!!!
ツッコミ@ボケ@天然^^
漫才トリオ!!! 「ピースメーカー」
山南 「死選組(シニセングミ) 死を選んだ組というのは、いかがですかな?」
近藤 「シンセングミ?」
芹沢 「新撰組? そいつはいい! 賛成だ!」
275 :
日本@名無史さん:04/04/21 01:39
芹沢鴨は最高だね
276 :
2・8・10:04/04/21 21:58
永倉新八・原田左之助・藤堂平助は、実際仲が、良かったの?
とくにエピソードは伝わっていないね<永倉・原田・藤堂
油小路事件の前フリとしてそういう演出をしているんだろう。
278 :
日本@名無史さん:04/04/24 08:06
>>276 それに斎藤を加えた四人が、近藤が増長してるって会津に直談判に行ったんだっけ?
永倉は神道無念流の同門(先輩格)の芹沢鴨には好意的だね。
>>278 そのメンバーには藤堂は入っていない。
ちなみにその事件で唯一切腹する平隊士役は、
ぐっさんの相方の人が演じる予定。
幕末新選組って面白い?池波さんの作品の
>>281 面白いですよ!!
新八っつぁん好きなら是非。
池波さんの新八っつぁんに対する愛が
感じられます。
283 :
日本@名無史さん:04/04/30 10:08
>>278 でも永倉と斉藤って、そんなには仲良くはなかったらしいね。
明らかに仲が良かったのは永倉と原田。
286 :
日本@名無史さん:04/05/03 20:13
明治の終わりだか大正期のおじいちゃん時代に
自分の孫がワカゾーのむれにからまれた時に、
一喝したらみんなびびって逃げた・・・って逸話を
聞いたことがあるよ。じいちゃんになっても殺気は
相変わらずだったようですな。
島田とは仲良かったと聞くが、晩年交流はあったんかね?
288 :
日本@名無史さん :04/05/04 03:00
「永倉載之」ではあまり強そうな感じがw
小説によると、永倉が芸者になった娘に会いに京都に来た時に、島田を訪ねてきているよね。
それから、島田のお葬式に弔問にきたことになっているけど。。。本当かな?
<<287
本当みたいですよ。
晩年の新八っつぁんには
ちょっと可愛らしいエピソードが
ありますね。
電球こすって割ったりとか。
291 :
日本@名無史さん:04/05/09 14:40
>>281-282 くそー、図書館に在庫が複数あるのをネットで確かめてから
車をエンヤコラ飛ばして借りにいったら、
全部貸し出し中になってたクソー。
(予約の権利ないもんな)
>291
それは残念でしたね。
この機会に文庫で購入しても
いいんじゃないでしょうか。
買って損はありませんよ。
293 :
日本@名無史さん:04/05/16 01:41
夜分失礼します。
永倉新八が「いくら催促しても返してくれない〜」と70歳
過ぎまで言っていた日誌、浪士報国記事が発見された時大騒
ぎになったのではないですか?
ご子孫ではなく木村幸比古さんへ届けられたのはなぜですか?
エピソードなどご存知でしたら教えて下さい。
294 :
日本@名無史さん:04/05/16 02:51
永倉新八は
日清戦争に志願したがことわられた。
「新撰組の手を借りたとあっちゃあ薩長の面目がたたねえか」
そういう理由ではないと思うが(笑)
295 :
日本@名無史さん:04/05/16 12:57
浪士報国記事についてですが、「平成10年1月読売新聞一部掲載」
意外に何かご存じないですか?。
>>294 きっと刀槍でチャンバラやってた時代の人だし結構な年だし
使えね〜(・A・)と判断されたのでは?
297 :
日本@名無史さん:04/05/16 16:36
>296・294
日清(明治27〜8年)の頃すでに57歳
彼がなぜ志願したかを考察してみれば面白いかと。
永倉新八 顚末記 の後書きなど興味深いです
すみません。お邪魔しました。
298 :
日本@名無史さん:04/05/22 15:21
なんか生き残りの特権みたいな感じがする。
言ったもの勝ち。
>254
祐天仙之助と粕谷新五郎は新撰組でしりました。
300get
保守
302 :
日本@名無史さん:04/06/05 19:46
直接八っつぁんとは関係ないんだけど
かなり前の驚き桃の木20世紀の新選組特集で
番組の中で挿入歌みたいに流れてた曲(悲しげなギターソロみたいなカンジ)の曲名って解る人いるかな?
ビデオ持っている人いたらスタッフロールか何かで確認してもらえると有り難い。
この番組で八っつぁんの事知ったんだけど
未だに新選組と言えば、この曲を思い出す。
303 :
日本@名無史さん:04/06/14 17:32
>296>297
確か抜刀隊として志願したんだっけ。
要塞戦要員で突撃・・。
泣けるな。
浅田次郎の「輪違屋糸里」を書店でパラパラ流し読みしたんだが、
八っちゃんが八木夫人か誰かにあのメンツが転がり込んできた訳を
説明してるシーンで眼が止まった。
一人称が「僕」だしやたらと丁寧で礼儀正しいし、微妙に違和感と言うか
自分の抱いていた江戸っ子八っつぁん像よりも丁寧さと礼儀正しさが
50%増しぐらいになってた気がする。
テーマが芹沢暗殺だし、永倉も結構絡んでくるのかしらん。
そうなら買って読んでもいいんだが…結局人情物のような気がして
踏ん切りがつかない。
一般書籍板の浅田スレで聞いてきたら?
>>305 浅田次郎だったら、「壬生義士伝」の方が永倉の出番(っていうか語り)が多いよ。
>>302 自分もその番組で使われてたのがすごく印象深かったんだけど
スタッフロールでは出てなくて、ずっと曲名気になってた。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段(STAIRWAY TO HEAVEN)」ていう曲だよ。
番組ではオリジナルのじゃないいろんなアレンジのが使われてたなぁ。
いい曲だよね。
>>308 感謝です!
いまググって、MIDIの聞けるサイトで聞いてみたんですが
やっぱりいい曲ですね!
今度借りてこよ〜!
ZEPぐらい買え。
4枚目だぞ。
311 :
日本@名無史さん:04/06/29 22:20
私の父は 浅草鳥越の生まれで 中学生の頃(戦前)永倉や 芹沢と同じ 神道無念流の
道場で稽古していた。当時は剣術の道場といっても 稽古にくるのは 浅草あたりの
博徒 吉原の用心棒 警官(これが一番怖かったらしい。)ばかりで 道場のスポンサーは
吉原の女郎やのオヤジ。稽古の半分は真剣を使った居合のようなもので 竹刀稽古は
軽視されていたらしい。13歳で真剣をビュンビュン振り回せるのがうれしくて父は
毎日 通ったそうだ。 とにかく実戦本位。できる限り すばやく剣と体を無駄なく
動かすこを主眼にした実戦剣道だったらしい。だから父は 学校の不良も 後に極道になった
喧嘩自慢の弟(叔父)も 全然怖くなかったと言っていた。
312 :
日本@名無史さん:04/07/04 01:09
池波正太郎の「幕末新撰組」を ざっとだけど 一気によみました。
おもしろかったですよ。永倉新八が余計に好きになりました。
やはり 池波はうまいよ。
とにかく酒と女が大好きのドスケベ野郎だが 剣術はもっと好きな
面白い楽天的な男だったのだろう。現代に生まれたら野球か何かの
スポーツ選手にでなっていたような男だ。
永倉が育った松前藩の三味線堀も 岡田道場の神田猿楽町も
近藤が治療を受けた神田和泉町も 土方の死後 最後の新撰組隊長
相馬主計が割腹自殺した蔵前も 永倉が鈴木とであった両国橋も
私の家から徒歩で5〜15分くらいの範囲にある。
>>308 >>310 一月前、ここを通りかかった時何の話かと思ったんだけど、レッド・
ツェッペリンと新選組を同時に語れるっていいなー。
314 :
日本@名無史さん:04/07/04 18:34
>爺ちゃんになってもやくさを気合で一喝!
この話の詳しい経緯教えてください。
315 :
日本@名無史さん:04/07/04 18:38
北海道の小樽で死んだよね!うちの地域だ〜
応えが無いので、>312の方が言われていた
池波正太郎の「幕末新撰組」をを読むことにしました。
前の方を走り読みしましたが、確かにおもしろそう!
暗殺された芹沢超先生と永倉は同じ流派で、永倉は他の試衛館派と
比べて芹沢と親しかったんで芹沢暗殺のメンバーから外されたんですよね?
疑問なんですけど、そこで永倉も殺そうとかいう話にはならなかったん
でしょうか?
芹沢と親しいとは言え仲間である試衛館一派に牙は剥かないだろうと
思われていたんでしょうか。
実際にその後も副長助勤・二番組長として新選組に貢献しているんだから
間違いではなかったんでしょうが、近藤達仲間が親しかった芹沢さんを
殺したと知った永倉もいい気分はしなかったと思うんですが…
一応病死の名目で刺客に暗殺されたという風聞も立った(流された?)
みたいですが幹部の永倉が真相に気付かない筈も無いと思いますし。
319 :
日本@名無史さん:04/07/21 22:01
318サン。池波の「幕末新選組」には そのあたりの永倉の心境が
池波の思い入れ(想像 創作)も含めて書かれています。・・
彼が芹沢と仲良くしたのは 後の伊東に対する斎藤と同様 近藤の思惑も
あったのでしょう。永倉も芹沢の無茶で乱暴な行動は不愉快に思っていたはずです。
しかし多少の感情移入は 芹沢に対し永倉はもっていたでしょう。だから近藤は
暗殺の仲間に彼を加えなっかたのだと思います。(情をかけ てごころを加えたらたら暗殺に支障をきたすので)
斎藤の場合も同様だと思います。近藤はTVや小説より実際は ニヒルで酷薄な性格だったような気がします。
横から失礼します。
>>318 そんな永倉が板橋に碑を建てた事を思い出してください。
池波の「幕末新選組」はあくまで小説ですので…
「〜顛末記」もどこまでが史実か定かじゃないけどあとがき
に貴重な逸話が載っています。
「壬生浪士報国記事」、永倉子孫杉村〜氏の著書と共に
一応お薦めします。
記憶違いや脚色があったにしても、大正まで生き延びて
新撰組のことを後世に語り継いでくれた永倉新八さんに感謝
322 :
日本@名無史さん:04/08/16 18:18
さっき永倉先生の新撰組顛末記買ってきた
単なる記憶違い程度なら許せるが
どれくらい聞き手(記者)の脚色が入ってるんだろうか
話し手が多少美化して話すのは仕方ないとしても
新撰組結成当初からの幹部の貴重な歴史的資料なのに
真実を伝えるべきジャアナリストが捏造するのはけしからんな
ぐっさんのパチもなかなかいいと思う
パチ・・・・
かわいい
>>322 戦前の新聞の傾向として事実の正確な伝達より
読者の興味を引くように脚色するのはむしろ当たり前
326 :
日本@名無史さん:04/08/22 16:03
山南敬助の正体は、仙台藩の尊攘派・桜田良佐の息子敬介ではないのですか?
この人ってなぜ行軍録に名前がないの?
328 :
日本@名無史さん:04/09/18 16:12:55
329 :
日本@名無史さん:04/09/25 09:58:37
廃れてる〜〜!
新八っつぁん好きはいないのですか??
330 :
日本@名無史さん:04/09/27 19:45:31
「いつの日か還る」にも氷倉さん結構出てきますね。
永倉のことを「ぱち」っていうの
なんか苦手だ
332 :
日本@名無史さん:04/09/28 01:31:14
>>330 「いつの日か還る」
島田魁さんの話ですよね?
まだ読んだ事ないんですが、
読んでみたいと思います。
魁さんと新八っつぁんは維新後も
交流あったみたいですし。
333 :
日本@名無史さん:04/09/28 08:59:21
>>318 >>319 ていうか実際、永倉と近藤はそんなに仲は良くなかったですしね。
永倉は新選組でも正真正銘武士で毛並みの良かった島田たちと派閥を作ってたようですし。
近藤は土方、沖田などと主流派グループを作ってたようですし。むしろ近藤たちは斎藤と仲良かったみたいです。
余談ですが永倉が後に斎藤の事を質問された時にこう答えてます。
「斎藤くんとは個人的に話した事は一度もないが、彼の剣の腕は一流だったな」と
新選組といっても隊員全員が寝食を共にし堅い絆と友情で結ばれたような組織ではなく、
案外、人間関係にはドライな一面もあったようです。
芹沢を斬った事で永倉は表面にこそ出さなくても
内心、近藤たちをふくんでいた事は考えられるよね。
実際、最後はケンカ別れだし。
>>332 是非読んでみて下さい、氷倉さんと塊さんの交遊録みたいな感じですから。
>>333 近藤と斎藤は仲がいいというのとは違うように思うけど。
それと永倉は斎藤の流派を訊かれて「斎藤君とはあまり口を利かなかったので知らない」
と言っただけじゃなかったっけ。。
>>333は表現がオーバーというか、小説的というか、
ちょっとニュアンスが違ってくるように感じたのでうざいツッコミスマソ。
まあ、新撰組の二番隊長として先陣を切ったのは確かなんだし。
著述のたびに言ってる事が微妙に違うのは年をとって耄碌したって
事でいいんでないの。
それに、近藤の身分コンプレックスは随分根深い物だったし、
最後の最後だって近藤さんあんな事を言っちゃうぐらいだから
心の底ではずーっと気にしてたんでしょう。(それが表に出てくる辺り末期的だが)
永倉達は単純に同志だーって思ってたかもしれないけど。
339 :
日本@名無史さん:04/10/09 11:26:58
大河で関所つっこむシーンやってくれるかなあ。
あのエピソード好きなんです。
さんね〜ん びぃぐみぃ!!
341 :
日本@名無史さん:04/10/12 10:46:58
>>206 氏繁の模造刀っていつでたの。本当は氏繁が欲しかったのに出てたの知らなかった
から虎徹買っちゃったよ。
342 :
日本@名無史さん:04/10/12 12:09:08
>>336 確かに少し脚色したが、
「一度もなかった」というくだりは本当だったはず。
343 :
日本@名無史さん:04/10/12 12:15:04
ただ「一度も話した事がない」というのは変な気がする。
世間話しとか人生の話しとか個人的な話しはした事がなくても
新選組の作戦とか任務とか公の件で話さないというのは
二番隊と三番隊の隊長という立場からして変だし。
自分は大河で初めて山口さんを知ったので、バラエティに出てる山口さんにすごい違和感を感じる…。無理してない?それともあれが素?
>>342 自分は「一度もなかった」ってのは知らないなぁ。
本とかに載っていたの?
撃剣館
永倉って、沖田の病状が進んで戦力外になってからは、
一番隊士も牽引してたって聞いた事があるけど、やっぱそうなの?
348 :
日本@名無史さん:04/10/30 19:16:40
>>342 多摩には天然理心流の後継者がいなかったので永倉に教えて貰った、
て人のまたその弟子の話だよね。
(永倉)→( )→(弟子)
その弟子の人まだ元気なんだろうか?
349 :
日本@名無史さん:04/11/05 23:44:50
永倉って池田屋で親指切られて、刀を握るのに支障はなかったのか?
よくそれ以降の死闘を生き抜いたな
350 :
日本@名無史さん:04/11/06 00:41:44
親指の根本の下の肉をそぎ落とされたんだよ。
>>342 永倉と伊東と斎藤で飲んで、結局永倉達が謹慎処分になったという
あの話は何?
飲んでる間も永倉と斎藤は話さなかったと?
これは勝手な推測だけど、永倉は藤田五郎に遠慮してオフィシャル
にはそう言っていたんじゃないのか?
352 :
日本@名無史さん:04/11/17 22:39:32
日露戦争に参加しようとしたが、断られ「元新撰組の手はいらねえか」って怒鳴ったって聞いたことがある。
353 :
日本@名無史さん:04/12/04 09:35:59
ドラマのように実際でも近藤にとって生真面目でうるさい
存在だったのでしょうか?
354 :
日本@名無史さん:04/12/04 09:54:47
ってか永倉が一番多く新選組の記録を残したから、
後世のドラマ作者は永倉を沢山出さざるをえない。
355 :
玉亀 炬燵媛:04/12/07 21:09:00
試衛館8人の中で最後に試衛館に遊びに来た。試衛館で、近藤に柔術で投げ飛ばされたのは、本当の話らしい。(近藤卑怯だ、剣術で勝てないからって…)
日記書いてたそうですが本当でしょうか。
家出=脱藩という記録…
島田と同じく日記風のものを残す。
七十七歳って喜寿だ…
( ^▽^)<しないよ♪
358 :
日本@名無史さん:05/01/09 05:27:36
age
359 :
日本@名無史さん:05/01/09 06:00:31
永倉新八じゃなくて、官位板に行け!
361 :
日本@名無史さん:05/02/23 21:20:23
御用御改手向カイ致スニヲイテハ容赦無切捨ル
>>355 天然理心流自体、剣術、柔術、槍術を合わせた総合武術なんだけど。
当時は足掛け組打ちなんでもアリの格闘技だったつうからな
今みたいな純粋な剣道(剣術)は「位の桃井」ぐらいだったのでは
・・・今でも凄い稽古するトコはあるけどね
364 :
日本@名無史さん:05/03/13 11:35:43
新情報キタ━━━ヽ(ヽ(゜ヽ(゜∀ヽ(゜∀゜ヽ(゜∀゜)ノ゜∀゜)ノ∀゜)ノ゜)ノ)ノ━━━!!!!
永倉の新写真が発見されたそうだぞ!
晩年の7人の剣客と取ってる集合写真の中に、
會津藩士の人がいるんだが(名前失念)、
その人の所に永倉じぃさんが写真を送っていたらしぃ
じいさんの時のよりは若い時分の写真
それがこの度見つかったらしい
そのうち何処かで見られる・・・か?
ソース:永倉子孫の方の杉村和紀、悦朗氏の講演
歴史読本でいいよ。
載せてくれ。
見たい
テレビ埼玉の電波入る奴は、
本日、20:00〜から「永倉新八からの伝言」
昨年11/21に北海道文化放送のみで放映されたもの
367 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:56:07
>>363 地方の剣道の練習は今でもそうだよ。「位の桃井」でもそう。でないと他流試合に勝てないだろ。
都会の現代剣道と比較しないように。
都会の現代剣道はユルいよ。シゴけばすぐ親が出てくるしさ。
368 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 09:27:33
age
369 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 10:57:20
ここって1ヶ月近く書きこみ無くても落ちないのか。
5月です。ここは平和ですなマターリ
新規永倉好きは現れないだろうか
新八っつぁん好き。結局一番強いのかね?
372 :
日本@名無史さん:2005/05/08(日) 23:08:34
ホシュ
373 :
沖田:2005/05/12(木) 17:06:46
新選組最高やマジで。w(御陵衛士とかぬかしてw
374 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:05:25
保守
375 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 00:08:50
ワイドショーか何かで「あなたの好きな隊士は」って街頭アンケートやってた時、
永倉新八について熱く語ってた若者がいた。
その後スタジオでコメンテーターが、
「彼は若いのに良くご存じですね、でも名前はシンハチではなくシンパチなんですけどね」
って言ってたのが笑えた。
若いのによく御存知って・・・・・
そのコメンテーターは幕末の生まれか?w
ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ちょっと見たかったwwwwwwwww
378 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 15:05:38
あげー
379 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 00:45:48
薩摩あげ ですたい。
永倉がかいた日記に戊辰戦争で新撰組は圧勝したが
幕府の上層がたよりなく負けた
みたいなところがあるがあれ本当なのかなぁ・・・
永倉じいさんのことだから怪しいとこなんだがw
381 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:16:07
あげ
382 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:02:12
この人とはよく銭湯で一緒に世間話したもんだけど、今思うと凄い人と、世間話してたな。って、思うよ。
383 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:18:45
俺はまだガキだったけど、よく空地で野球やっててこの人の家の窓ガラスを割って怒られたもんだよ。
384 :
1:2005/06/18(土) 23:27:11 BE:173280555-
うーむ、新撰組への貢献度
永倉さん>沖田さん
知名度
永倉さん<<沖田さん
だな。
385 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:22:38
永倉の末裔が空手の日本チャンピョンだって?
386 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 04:13:32
沖田は病気持ちだけど遣り手、ってとこがウケる要因でもあるわな。
永倉は隊での活動や隠居後も、はっちゃけた事をしてても人間臭くて、
オイラはそこが良さだと思ってるんだが。あまり話題にならないのは悲しい。
他の有名どころよりドラマチックじゃないと思われているんだな。
387 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 07:02:43
大河続編でヤクザ一蹴とか茶碗運びエピやってくれないかなあ
388 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 11:07:11
>>387 あーやって欲しいねー!
孫目線から語るお爺。
畳の上で息を引き取る大ラス。
389 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 11:55:43
でも、今俺らが知ってる新撰組って、永倉新八自筆のもんだろう。
自分で書きゃ当然自分をかっこよくかくわな。
プライヴェートを脚色しても同士はほとんど死んでるから、批判もされない。
生き残った斎藤一はなぜか新撰組を語らなかったし。
>>389 子母澤寛のもんです。
子母澤は永倉が語り、それをもとに新聞記者が書いた伝記(?)も
参考にしましたが、子母澤自ら関係者を訪ねて聞き書きもしました。
その他、西本願寺の西村兼文の書いたものなんかも参考にしてます。
司馬遼太郎は子母澤作品をベースにして、血風録や燃え剣を書きました。
斎藤は新選組という組織自体についてはほとんど語り残さなかった
ようですが、近藤勇については語り残しています。
391 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 02:30:08
あげ
392 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 03:11:58
永倉最強
393 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 03:59:36
胴着つけてる写真、あれって本人?
394 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:17:03
age
>>390 斉藤は近藤についてどんな事を語ってたのですか?
396 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 02:41:43
「勉強も頑張りなさい」
397 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 14:22:30
雑誌発売あげ
398 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 21:25:56
晩年の写真の印象で新選組最年長の隊士だと長い間思ってた。。。_| ̄|○
399 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 09:54:40
>>398 「新選組!」をあてこんだどこかの新選組展だったかで、永倉の晩年写真指さして
そんな事話してるバカップルみたいのが、そう言やいたな〜(W
400 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:38:36
かなり前になるが「爺さんになってヤクザ一喝!!を詳しく教えて」ってのがあったから、それを!
孫の回想で、おじいちゃん新八と映画館に行った時、(ちなみに新八は映画好きで、近藤や隊士が生きていたら、驚いただろうにと言って泣いたとか)
前を割り込んだヤクザかチンピラに大沢親分もびっくりの「喝っ!!」で撃退したとか。
普段はやさしいおじいちゃんが鬼のようになって、「すごいね」って孫がいうと
「あの程度、たいしたことはない」って答えたとか。
あと389さんは勘違いしてらっしゃる!!
むしろ、語り手に回ったせいで斉藤や沖田より評価が落ちて、地味な扱いを受けてるんだから。
永倉の資料で、維新後に永倉が伊東甲子太郎の弟、鈴木三樹三郎にあったが、
復讐を恐れて逃げたという屈辱的で情けない内容も残しているのに比べ、
他の資料では、阿部十郎が「永倉・沖田・斉藤は最強。永倉は進んでいた」という証言をしているし、
資料によって他の組長の隊番号は変わるときはあるのに、沖田と永倉は大概不動だとか、
近藤と喧嘩別れしてもついていく隊士は少なくなかったという史実の方が
永倉の評価が高いのをみても、今の永倉の評価は語り手・永倉の所為で低いね!!
あぁ、なんて奴だ。永倉は!?わが愛しの永倉新八殿の評価を下げるとは。
って感じです。
驚き桃の木20世紀だっけ?
数年前に永倉特集やってたよね
402 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:22:29
久々に来たら、ちょっとだけどスレが伸びてるw
なんか嬉しいじゃねいか。
新八じーさん、ドラマやるとしたら誰が適任だろう…
新八の強さって例えればどんな感じなの
ちぎっては投げ千切っては投げって感じなのかい
>>397 歴史読本 9月号 永倉新八特集デツネ
思わず買っちまった1年遅れのにわか新撰組厨 →
>>404 orz
405 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 15:12:12
>>402 森繁久弥とか三国連太郎とか・・・
>>404 自分も買いましたー!新八っつぁんだらけで嬉しい。
これを見つけた親「これ誰?」弟「新選組の槍使う人だよ。」
おいおい。
サニー千葉を老メイクで
>>403 なんか集団戦闘に強そうなイメージがある。あと腕力があってタフな感じ。
408 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:21:34
永倉の沖田総司についてのコメント。
「竹刀を持っては、みんな子ども扱いされた。
本気で立ち合ったら勇もやられるだろう」
これ、「竹刀」というところに、永倉のプライドが
見え隠れしているように思えますね。
409 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:30:01
永倉って近藤を見捨てたくせに、明治になってから弔う転換を見せたのは
なぜでしょうか?またぞろ近藤シンパの多摩の豪農から賄いを貰うため
なんだろう。
410 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:44:24
下級とは言え武士出身の永倉や原田からしてみれば、百姓出身の近藤
や土方の下で働くのは片腹痛かった。
だから袂を分けた。だもたしかに明治以降は食うのに困っていただろうね。
654 :日本@名無史さん :2005/07/19(火) 19:59:53
>>647 立派な切腹って何?
切腹のやり方を子供の時に習っていない百姓出身の近藤や土方が
「立派な切腹」と言うこと自体が不自然だし、武士出身者は
みんな「百姓出身が、片腹いたい」と思っただろう。
>>410 あちこちのスレで近藤・土方への蔑視カキコ乙w
413 :
410:2005/08/18(木) 20:55:04
>>411とは違う人物だが、同じ考えのヒトいるんだ。
蔑視というより、士農工商の時代に足軽程度の貧乏武士の永倉から見れば
裕福な百姓出の近藤や土方の風下に立ちたくないと思うのは自然。
今も貧乏な名家出身者が裕福な成金に抱く対抗心と同じだ。
414 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:03:18
もう白痴レスの自演はいいから、巣にお帰り。
誰もまともに相手しないしw
>>409 ・・・・・・やっぱり、袂を別っても数年間死線を共に潜り抜けてきたんだから、色々想うところがあって当然じゃないか?
永倉爺さんの話し振りから、彼は新撰組隊士であったことを誇りに思ってたようだし。
>>160 すげー遅レスだけど、アニメや漫画に出てきた美少年風キャラって沖田総司じゃなかったっけ?
土方歳三だろ。
ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽっぽぽぽおっぽっぽ!!!!っぴぽぽぽ
417 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:02:18
あぼんあげ
418 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 06:12:31
>>409 年取ってから、一番自分が輝いていた頃(青春時代)を
自分のよりどころにする人は多いよ。今の爺ちゃんが軍隊
の話をしだすと止まらなくなったり、軍人会みたいな集まり
やっていたりするのもそう。
たとえ袂を分かれたとしても、自分の誇りになる部分にかかわった
人だからね。あと自分の人生もいつ終わるか、と言う年齢なら
すでに故人となった人の供養(?)を行いたいと言うのもわからないでもない。
>>418 板橋の近藤の墓の建立願いが東京府に申請されたのは1875年。
1839年生まれの永倉はこの時34歳ですが?